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以前にもご紹介しましたが、今年2月の地方紙『福島民報』さんの記事です。

県北を重点開催地に 県芸術祭

 県芸術祭運営委員会は14日、福島市民会館で開かれた。平成26年度の県芸術祭の重点開催地を県北地区とし、開幕式典・開幕行事を9月13日に二本松市の二本松文化センターで催すことを承認した。
 開幕行事のテーマは「智恵子の里に集う文化で深める絆」とする方針。開幕式典に続いて、文化団体・民俗芸能団体による発表を行うほか、県北地区の物産コーナーや展示コーナーも開設する方向で準備を進める。
 今年度の県芸術祭の実施状況も報告された。主催行事は27件で、来場者は2万7712人だった。参加行事は46件で6万440人が来場した。合計の来場者は8万8152人となり、前年度を4081人上回った。
 運営委員会には文化団体の代表ら約40人が出席した。運営委員長の高城俊春県芸術文化団体連合会長があいさつし、県芸術祭の成功を誓った。
( 2014/02/15 09:19 福島民報 )
 
というわけで、第53回福島県芸術祭の開幕式典が開催されます。
 
 
以下は二本松市の広報紙から。

第53回福島県芸術祭 開幕式典・行事

 「智恵子の里に集う文化で深める絆」をメインテーマに、文化団体による民俗芸能、舞踊、合唱等の発表会が開催されます。
 二本松市からも出演しますので、お誘いあわせのうえご覧ください。

開催日 9月13日(土)
会 場 二本松文化センター
開 演 開幕式典13:15(開場12:00) 開幕行事14:00
入場料 500円(前売りで完売の場合は当日券はありません)※全席自由 中学生以下無料
チケット販売所 文化課(市役所3階)
チケット販売時間 月曜日~金曜日の8:30~17:15
 詳しくは下記までお問い合わせください。
◎問い合わせ…文化課文化振興係☎(55)5154
 
 
福島県のページには以下の内容が。

福島県芸術祭

 福島県芸術祭は、県民自らの芸術・文化活動への参加と、県民に芸術・文化に触れる機会を提供することなどを通して、本県芸術・文化の振興を図ることを目的に昭和37年から開催しています。開催内容は「主催行事」と「参加行事」をもって構成しています。
 
1 平成26年度第53回福島県芸術祭について
 本年度の芸術祭は、二本松市の開幕行事を皮切りに県内各地において81の開催行事が催されますので、是非御覧いただくとともに、参加体験されてはいかがでしょうか。 皆さんの御来場をお待ちしております。
◇  開催月日 平成26年9月13日(土曜日) 13時15分~16時00分 
◇  開催場所 二本松文化センター大ホール 二本松市榎戸1-92 0243-23-5121
  1  開幕式典     時間 13時15分 ~ 13時45分
  2  開幕行事
   (1)  第一部公演時間 14時00分 ~ 14時55分
   (2)  第二部公演時間 15時05分 ~ 16時00分
   (3)  出演団体      8団体
        
2 福島県芸術祭への参加申し込みについて
  開催行事は、原則として9月1日から11月30日までに実施し、一般県民に公開し推奨しうる芸術・文化行事で、福島県芸術祭運営委員会が承認したものとなります。申し込みされる団体は、次により手続き願います。
(1) 主催行事
  主催行事とは、全県組織の芸術文化団体並びに市町村が主催及び主管する行事ですが、福島県、福島県教育委員会、県芸文連も主催団体として参画するものです。(主催行事一覧 [PDFファイル/174KB])
•全県組織芸術・文化団体が実施する行事
•重点地区の広域的文化団体連絡協議会等が実施する行事
•市町村が実施する行事
(2) 参加行事
  参加行事は、芸術・文化団体が自主的に開催する行事で、県芸術祭の趣旨にふさわしいものとします。
    また、参加団体は、県芸文連加盟の全県組織団体や市町村文化団体を始め、加盟していない芸術文化団体も申し込みできます。詳しくは県芸文連事務局までお尋ねください。

 
「主催行事」としては福島県合唱コンクールなどを含み、既に終了しているものもあります。
 
「参加行事」は、県内の各種文化団体がそれぞれに行う演奏会や展覧会を、芸術祭参加、という形にしているようです。
 
「主催行事」「参加行事」とも、光太郎智恵子にからむものがあるかと思われますが、多すぎて細かくチェックできません。情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。
 
まだまだ残暑が続いていますが、そろそろ「芸術の秋」という雰囲気になって参りました。秋の行楽シーズンも間近。これを機に福島へも足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月26日
 
昭和30年(1955)の今日、中野のアトリエに、家の光協会の人が、光太郎詩レコード化の相談に訪れました。
 
当日の日記には以下の記述があります。
 
<「家の光」の人くる、「青年」を盤に吹込むとのこと、>
 
さらに、9月27日の日記には、
 
「家の光」の人レコード持参
 
とあります。
 
このレコードというのは、おそらく、こちらです。
 
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この頃流行った「ピクチャーレコード」というもので、サイズは8インチです。当方、あまり詳しくないのですが、78回転ですので、SPレコードに分類されるのではないかと思われます。
 
光太郎の「私は青年が好きだ」と、竹内てるよの「わたくし」の朗読が収められています。もう片面(どちらがA面なのかわかりません)には、「家の光つどいの歌」という歌です。この歌はこの年の制作です。
 
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上記画像、当方が持っている現物なのですが、ジャケット、歌詞カード的なものがついておらず、詳細が不明です。発行年月日、朗読者、「家の光つどいの歌」の方の歌手などなど。
 
また、のちにビクターから「ワンワンレコード」の1枚として復刻されているらしいのですが、そちらについても詳細が不明です。今後の課題としておきますが、情報をお持ちの方はご教示下されば幸いです。

福島からイベント情報です。
 
まず『福島民友』さんの記事から。 

「全日本演劇フェス」29、30日に福島テルサで本県初開催

 「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」は29、30の両日、福島市の福島テルサで開かれる。本県では初めての開催。全日本リアリズム演劇会議(全リ演)の主催。
 東日本大震災前は3年に1度、全国各地で開いてきたが、震災後は開催を疑問視する声もあり、中止していた。自分たちが復興支援として応援したい人に演劇を見てもらいたいという声が全国で多く寄せられたため、震災後、初めて本県で開かれることになった。
 29日は全リ演関東ブロック合同公演として「貧乏物語」を上演。30日は光南高演劇部が「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章 ばらあら、ばらあ」、全リ演西会議が合同で「天満のとらやん」、京浜協同劇団が朗読劇「空の村号」をそれぞれ上演する。
 このほか、29日は舞台芸術コーディネーター新田満さんが「演劇できれば満足か」と題して講演する。入場料は全公演を見ることができる観劇パスが一般1000円で、小学生以下無料。問い合わせは同フェスの実行委員会(電話090・8926・0641)へ。
(2014年8月19日 福島民友おでかけニュース)
 
 
というわけで、福島テルサというホールで、「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」が開催されます。
 
その中で、8月30日の午前10寺45分から、福島県立光南高等学校演劇部さんの「この青空は、ほんとの空ってことでいいですってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」がプログラムに入っています。光太郎や草野心平の詩に託し、原発事故への思いを語るものです。

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こちらは以前にもご紹介しましたが、平成24年(2012)に渋谷、横浜で上演された福島県立県立あさか開成高校演劇部さんによる「第一章」を受けて作られたもので、今年1月、千葉の鴨川などで公演されました。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月22日
 
昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエを、女優の水谷八重子さんが訪れました。
 
北条秀司作の演劇「智恵子抄」のための打ち合わせでしたが、この公演は、光太郎の生前には実現しませんでした。自分が登場することに対し、光太郎が難色を示したそうです。
 
結局、上演されたのは光太郎の亡くなった昭和31年(1956)でした。
 
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8月21日は、「福島県民の日」だそうです。平成9年(1997)の制定で、明治9年(1876)8月21日に、旧福島県・磐前県・若松県の3県が合併して現在とほぼ同じ福島県の姿が誕生したことにちなむそうです。
 
それにともない、21日(木)には施設の無料開放などの「福島県民の日」サマーキャンペーンということで、郷土について理解と関心を深め、ふるさとを愛する心をはぐくみ、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げることを期すそうです。
 
そこで、県内50ほどの施設が、当日は利用無料。智恵子にからむ以下の施設も入場無料になります。
 
二本松市智恵子の生家・智恵子記念館
二本松市油井字漆原町36番地
「ほんとうの空がある」と安達太良山を愛し、高村光太郎との愛と芸術に生きた智恵子。彼女の生家が当時の面影のまま甦りました。記念館では芸術家・智恵子の作品を展示し、人生の軌跡と精神世界を語りかけます。
通常料金 大人(高校生以上)410円 小人(小・中学生)200円

二本松市大山忠作美術館
二本松市本町二丁目3番地1(二本松市市民交流センター3F)
大山忠作画伯は二本松市出身で現代日本画壇の重鎮として活躍され、平成19年に169点にも及ぶ作品が二本松市に寄贈されました。大山忠作美術館は寄贈された作品を中心に幽玄・華麗なる多くの作品を展示しています。
通常料金 一般410円 高校生以下200円
 
二本松市歴史資料館
二本松市本町一丁目102番地
第1展示室は橋本堅太郎ほか美術家の作品、第2展示室は市内遺跡から出土した土器等の考古資料、第3展示室は中世畠山氏から近世丹羽氏に関する古文書・武具などを展示しています。
無料開放
通常料金 大人100円 高校生50円 小中学生30円
 
県外の方も、この機会にぜひどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月19日
 
平成7年(1995)の今日、智恵子終焉の場所、南品川ゼームス坂病院跡に、光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が除幕されました。
 
 
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福島からの報道です。

「おっ!PAIぷりーん」商品化 「乳首山」新名物優秀作品

『福島民報』8月9日(土)9時26分配信
 
 福島県二本松市の象徴・安達太良山の愛称「乳首山」にちなんだ食の新名物を決めるコンテストで優秀作品に選ばれた「おっ!PAIぷりーん」が商品化された。市内の道の駅「安達」智恵子の里上下線で販売を始め、8日、同駅下り線でお披露目会が開かれた。
 コンテスト作品の商品化は初めて。「おっ!PAIぷりーん」はプリンの上に生クリームとピンク色のチョコレートを乗せ、乳首山を表現した。口当たりは滑らかで、甘さは控えめ。価格は1個267円(税込み)。
 お披露目会には作者で市内のお菓子製造業「HAPPY」代表の石川真由美さん、コンテスト主催者の安斎文彦にほんまつ未来創造ネットワーク会長、市観光大使で女優の一色采子さんが訪れた。石川さんは「二本松のお土産として定着してほしい」と語った。コンテストはJRのふくしまデスティネーションキャンペーンに合わせ、二本松の魅力を発信しようと企画。3月に入賞作品を発表した。
 商品の問い合わせはHAPPY 電話0243(55)2976へ。

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記事にもあるとおり、安達太良山は、山頂の大岩の形状が遠くからだとそう見えるため、「乳首山」という別名があります。
 
下記は二本松観光協会さん発行のパンフレットから。
 
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左のページ、「阿武隈川」の「川」と「光太郎」署名の中間、たしかにそう見えなくもありませんね。
 
で、二本松市の旧安達町エリア、国道4号沿いにある道の駅「安達」智恵子の里さんで販売を始めたとのことです。商品の画像は上にありますが、まあ、この程度ならセクハラと騒がれないで済みそうですね。瓶の形がレトロ感も醸し出しています。
 
お近くをお通りの際は、ぜひお立ち寄り、お買い求めを。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月14日
 
大正9年(1920)の今日、『時事新報』にエッセイ「私の事」が掲載されました。
 
一部、抜粋します。
 
 私のからだの中には確かに手におへない五六頭の猛獣が巣喰つてゐる。此の猛獣のため私はどんなに苦んでゐるか知れない。私をしてどうしても世人に馴れしめず、社会組織の中に安住せしめず、絶えず原野を恋ひ、太洋を慕ひ、高峰にあこがれ、野蛮粗剛孤独不羈に傾かしめるのは此の猛獣共の仕業だ。私は人一倍人なつこく、温い言葉と春のやうな感情とに常に飢ゑてゐるのだが、この猛獣のおかげで然ういふ甘露の味を味ふ事が実にすくない。
 
この時期の光太郎は、大正デモクラシー、プロレタリア文学・美術の勃興などを背景に、さまざまな形で露呈する社会矛盾への怒りをあらわにし始めていました。さらに大正12年(1923)の関東大震災後にはその傾向が顕著となり、有名な「ぼろぼろな駝鳥」などを含む連作詩「猛獣篇」へとつながっていきます。
 
この「私の事」は、そうした自己の内部に巣くう「猛獣」について述べた早い段階のものの一つでした。

以前にご紹介しましたが、兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマで「ほんとの空」という作品があります。

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身近にひそむ人権問題にスポットを当てた作品で、一昨年の制作ということもあり、福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っています。そこでタイトルが「ほんとの空」というわけです。白石美帆さん他のご出演です。
 
さて、岡山県に本社があり、岡山県、香川県で受信できるテレビせとうちさんで、この作品の放映があります。

ほんとの空 

テレビせとうち 2014/8/14 (木) 14:50 ~ 15:30 (40分)
 
番組概要   生活の中の偏見を見つめ直す、ある家族の物語。
 
番組詳細   白石美帆 湯浅美和子 ほか
 
それから、神戸市では上映会が催されます。 

「心かよわす市民のつどい」

◆日時◆ 平成26年8月26日(火曜) 13時30分~16時 (開場13時)
 
◆会場◆ 神戸文化ホール・中ホール (神戸市中央区楠町4-2-2)
 
◆定員◆ 800名 (7月8日(火曜)から電話・FAXにて先着順受付)
 ★一時保育あり  1歳6か月~就学前のお子さま対象。無料。定員10名(先着順)
 *神戸文化ホール内託児室
 
◆プログラム◆
1.人権啓発映画「ほんとの空」上映  ※日本語字幕・副音声あり   
 企画:兵庫県・(公財)兵庫県人権啓発協会  上映時間:36分
 「意識と人権」~あなたの思いをわたしのものに~
 高齢者や外国人に対する排除、不利益な扱い、同和問題や原発事故に伴う風評被害の問題、これら多くの人権課題に共通する根っこの部分は、わたしたちの誤った考え方や思い込み、偏見という「意識」です。
 このドラマは、誤解や偏見に気づき人と深く向き合うこと、他者の気持ちを我がこととして思うことの大切さに気づかせてくれます。

2.講演会「ダウン症の娘と共に生きて」 (90分)
 講師:金澤泰子さん、金澤翔子さん (いずれも書家)  *要約筆記、手話通訳あり
  金澤泰子さん
  書家。金澤翔子さんの母。1943年生まれ。明治大学卒業。書家の柳田泰雲・泰山氏に師事。1990年、東京・大田区に「久が原書道教室」を開設。久が原書道教室主宰。東京芸術大学評議員。
  金澤翔子さん
  書家。1985年、東京生まれ。5歳の時より母・泰子さんに師事し、書道を始める。20歳で銀座書廊において初の個展を開催。2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を揮毫。2013年に国体開会式において巨大文字を揮毫。紺綬褒章受章。天皇御製を謹書。
 
◆入場料◆
無料(ただし、事前に申し込みが必要)
 
◆申込方法◆
1.電話またはFAXで下記へ申込み(先着順)受付後、入場券を送付します。
  FAXの場合は、郵便番号、住所、名前、電話番号、参加人数、一時保育希望の場合は、お子さまの名前・年齢・性別を記載してください。
2.申込先・問い合わせ先  神戸市保健福祉局人権推進課
  TEL : 078-322-5234 FAX : 078-322-6048
 
 
6月には高知さんさんテレビさんで放映がありましたが、ぜひ、全国ネットでも放映してほしいものです。その他、自治体や学校さんなどでぽつぽつ上映されているようですが、もっともっと広まってほしいものですね。
 
 
 【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月11日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋で、地元の青年の持ってきたスイカを食べました。
 
日記に以下の記述があります。
 
午前弘さん西瓜持参、初もの、一緒にくふ。美味。新鮮この上なし、

福島からの情報です。

福島県あだたら高原リゾートあだたらエクスプレス(ゴンドラ)往復ご優待券プレゼント!

抽選でペア10組20名様にあだたらエクスプレス(ゴンドラ)往復ご優待券プレゼント!
日本百名山・花の百名山≪安達太良山≫あただら高原リゾート
「あだたらエキスプレス」でほんとの空に広がる大パノラマを満喫できます!
2014年8月6日(水)午前中応募締切
※交通費等はお客様ご自身でご負担願います。
 
安達太良連峰の主峰、標高1700mの安達太良山。どこまでも澄み渡る青空と爽やかな空気の下では、四季折々の花が咲き乱れ、小鳥たちのさえずりも聞こえてきます。高速ゴンドラリフト「あだたらエクスプレス」を利用すれば、願望抜群の薬師寺(標高1,350メールル)までわずか10分。山頂駅から薬師寺パノラマパークまで片道約10分ほどの散策を楽しむことができます。
 
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あだたらエクスプレス」は、安達太良山のゴンドラ山麓駅~ゴンドラ山頂駅間の全長1505.54メートル 高低差391.05メートルを、5~10分で結ぶゴンドラです。そちらのペア優待券が当たるキャンペーンです。通常料金は一般で往復が1,650円。2人分だと3,300円。これは大きいですね。
 
ちなみに8月2日(土)~9月23(火)まで、ゴンドラから望む20万球のLEDが奏でる幻想的なイルミネーション「天の川のかがやき」も開催されます。
 
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ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月27日
 
明治36年(1903)の今日、病床にあった文豪・尾崎紅葉を見舞いました。
 
この時の印象を元に、彫刻「尾崎紅葉像」、さらにこの年秋には紅葉が亡くなり、「解剖台上の紅葉山人」を制作しました。「尾崎紅葉像」の方は、現存が確認できていません。

福島から、スポーツイベントのご案内です。
 
「トレイルランニング」という、舗装されていない山野の路を走るというものです。 

ふくしまの名峰トレイルラン体験ツアー「魔女の瞳・ほんとの空へGо!!」

   8月16日(土)~17日(日)
   吾妻山、安達太良山
コース :(1日目)吾妻山の浄土平を起点とした周回コース(約15km)、
     (2日目)安達太良山縦走コース(約15km)
スケジュール
 (8月16日(土))
 9:30~10:00  受付(浄土平ビジターセンター前)
 10:00~10:15 オリエンテーション
 10:15~10:30 出発準備
 10:30~15:30 吾妻山トレイルランニング
 15:30~16:30 宿舎「リゾート・インぼなり」へ移動
 16:30~18:00 チェックイン、温泉を楽しむ
 18:00~    夕食、交流会
 (8月17日(日))
 7:00~ 8:00  朝食、出発準備
 8:00~ 「リゾート・インぼなり」出発
 9:00~14:00  安達太良連峰トレイルランニング
 14:00~15:30 「リゾート・インぼなり」へ戻り、温泉入浴
 15:30   解散
参加条件:
 二十歳以上で健康であること 、
 トレイルランニングの経験があり、ゆっくりペースで4~5時間トレイルランニングが出来る
 こと、
参加後のアンケートに協力頂けること
申込期限:平成26年7月25日
 
コースはふくしまの名峰、吾妻山・安達太良連峰です。吾妻山の「魔女の瞳」は直径約300m、コバルトブルーに輝く美しい湖。「ほんとの空」は、詩人高村光太郎が智恵子抄”あどけない話”で紹介した安達太良山のスカイブルーの空。
安全・確実・愉快にコバルトブルー・スカイブルーを堪能するイベントです。
また、宿泊は中ノ沢温泉。参加費には宿泊費(1泊2食)+交流会飲食+二日目の昼食、トレラン後の補食(旬の果物がたくさん味わえます)、二日目ラン終了後の温泉入浴、そしてなんとお土産の桃まで含まれます。そして、交流会では美味しいふくしまの地酒も飲むことができます。
 
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「魔女の瞳」という地名があるとは、寡聞にして知りませんでした。
 
それにつけても、福島で行われる各種のイベントや、さまざまな作品などに、「ほんとの空」と冠することが多くなっています。
 
背景にはあの東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故があるわけですが、1日でも早く収束し、収束した後も、「ほんとの空」の語が広く使われ続けてほしいものです。
 
ひととおり終わったようですが、広く行われた自治体の合併により、かなり奇抜な自治体名が誕生しました。福島で、今後、新しい市名をつけることがあれば、「ほんとの空市」などというのがあってもいいかもしれませんね。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月24日
 
昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の村役場から、所得税の受領証を受けとりました。

大きな産業もなく、貧しい山村だった太田村。光太郎はダントツの高額納税者でした。

12日の土曜日、福島川内村で行われた、草野心平が愛した祭り「第49回天山祭り」について、地元紙が報じています。

草野心平しのぶ 川内で天山祭り 児童が詩を朗読

 いわき市出身で川内村名誉村民の詩人草野心平をしのぶ「天山祭り」は12日、村内の天山文庫で催された。住民らは心平との絆を再認識し、古里の復興を願った。
 実行委の主催、福島民報社など後援。石井芳信実行委員長と遠藤雄幸村長、かわうち草野心平記念館の秋元正館長があいさつした。前記念館長の晒名(さらしな)昇さんに村から感謝状が贈られた。出席者の代表が心平の遺影に献花した。
 川内小の5、6年生6人は心平の詩「おたまじゃくしたち45匹」を朗読した。鏡開きに続いて郷土芸能が披露され、村に伝わる西山獅子舞や川内甚句が繰り広げられた。
 祭りは心平の書などを集めた天山文庫の落成を機に、昭和41年に始まった。今年で49回目。
( 2014/07/13 福島民報)
 
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そうかと思うと、同じ日に原発事故関連のニュースも入っています。

川内村の避難指示解除提案=反対多く26日は見送り

 政府は13日、東京電力福島第1原発から20キロ圏内で避難指示解除準備区域などに指定されている福島県川内村東部の住民と懇談会を開き、放射線量の低減などを理由に、26日の避難指示解除を提案した。住民側からは慎重な意見が相次ぎ、終了後、復興庁の熊谷敬統括官は26日の解除は見送る方針を明らかにした。
 熊谷統括官は「村と十分協議し適切な時期を見定めたい」と語り、帰還準備に向け4月26日から3カ月間行っていた長期宿泊の延長も含め、村と協議する意向を示した。
 懇談会では、内閣府や環境省の担当者が、避難指示区域内で除染前と比べ放射線量が平均63%下がったとのモニタリング調査の結果や、生活インフラなどの改善状況などを報告。その上で、26日の避難指示解除と、同時に居住制限区域を準備区域に再編する方針を提示した。
 これに対し、住民側から一部の場所では今も放射線量が高く、道路の改修工事も終わっていないなど生活環境が整っていないとの声が上がった。一方、区域再編に大きな異論は出なかった。
 遠藤雄幸村長は、26日の解除について「住民の理解が得られていないと感じる。もう一度、住民との協議の場を設けたい」と述べた。 
( 2014/07/13 時事通信)
 
さらに続報も。

解除時期妥協点見えず 川内の旧警戒区域対象の住民説明会 村民の不安解消に至らず

 福島県川内村の避難指示解除準備区域の解除と居住制限区域の区域変更の説明会が14日、いわき市で開かれ、2日間の日程を終了した。政府が26日の解除、区域変更を断念したことで、村と政府は解除時期の本格的な協議に入る。遠藤雄幸村長は、避難指示解除準備区域内の村道整備が終了する9月以降を解除時期の一つとして想定しているとみられる。ただ、住民からは、より充実した生活環境の整備を求める声が根強く、解除時期の妥協点は見えない。

■村長の思い
 遠藤村長は3カ所で開かれた村民との説明会を終え、「さまざまな意見を聞き、あらためて26日の解除は国に再考を求めた。今後、しっかり協議したい」と述べた。
 ただ、仮設住宅での生活が与える精神的、肉体的ストレスを考えれば、「そんなに遠くないタイミングで考えたい」とも語った。
 準備区域内の二つの村道は、8月と9月にそれぞれ舗装改修工事が完了する。村が設置した第三者の検証委員会からは今月下旬に中間答申が示される。こうした判断材料を総合的に勘案し、解除時期を検討する考えだ。
 住民の生活圏が富岡、大熊町にあることを認めつつ、「100パーセントではないが、(村内で)代替えできるのではないか」と語った。13日の説明会でも「解除を一日千秋の思いで待っている人もいる。その声にも応えたい」と難しい胸中を語った。

■村民の要求
 「戻っても買い物、病院などで余計な時間と経費がかかる」「屋内の放射線量が心配」。14日の説明会でも解除に対する懸念の声が相次いだ。
 区域内の仮置き場にある除染廃棄物も課題の一つ。政府は保管期間の3年を過ぎた廃棄物を順次、村外へ運び出す計画だが、中間貯蔵施設の設置が前提だ。「仮置き場があるうちは帰る環境にはない」と話す住民も多い。
 村の新たな商業施設、災害公営住宅は来年3月までに完成する。住民の一人は「少なくとも来年3月以降の解除を」と話す。
 また、農業、林業の再開見通しも立たない。生活の糧が絶たれている現状での解除に難色を示し、生活再建に向けた精神的賠償の継続を望む声も多い。

■政府の姿勢
 政府の担当者は説明会で、「解除は、復興につながる規制緩和」と強調した。避難指示は強制的な措置で、長期間にわたり不便な生活を強いているのが現状とする。
 帰還のための準備宿泊(長期宿泊)は25日で3カ月間の期限を迎える。復興庁の熊谷敬統括官は取材に対し、「延長はしなければならないと考えている。できるだけ早急に決めたい」と語った。延長する期間は解除時期となる可能性があるため、村と慎重に協議した上で、あらためて住民説明会を開く方針も示した。
( 2014/07/15 福島民報)
 
さすがに政府も、地元の現状、意向を無視してのゴリ押しはできないようです。しかし、そうやっていると、「最後は金目でしょ。」とか言い出す愚か者がいるから困りものです。
 
ちなみに、地図で表すと以下の通りです。
 
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一日も早く、心平の愛した美しい川内村に戻ることを期待しますが、再び「安全神話」を創り出すために、条件が整っていない中での避難指示解除はありえませんね。これ以上、この地域をスケープゴートにしないでほしいものです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月15日
 
昭和36年(1961)の今日、千葉県九十九里浜に、光太郎詩「千鳥と遊ぶ智恵子」碑が除幕されました。
 
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九十九里は、昭和9年(1934)に、統合失調症が進んだ智恵子が療養していた地です。ほぼ毎週のように、東京から見舞いにきていた光太郎は、のちにこの地での様子を、「智恵子抄」中の絶唱、「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」などに結晶させました。
 
碑は、地元の俳句愛好者の会・白濤会が中心になって発願、町ぐるみの運動に拡大し、碑陰記を書くなどで、心平も一肌ぬぎました。
 
同年10月発行の雑誌『文学散歩』第10号に、北川太一先生による、除幕当日のレポートが載っています。地元に人々に加え、心平、高村規、伊藤信吉高田博厚中原綾子、室生朝子(犀星長女)、宮崎春子らが参加したとのこと。
 
 式は白濤会による碑詩朗読、智恵子夫人令妹節子さんに抱かれた一歳のお孫さんちえ子嬢による除幕、祝辞、回想いろいろ、真亀下部落獅子連による獅子舞などもあって、一時過賑かなうちに終了した。
 式後、鈴木仙吉氏の好意による地曳網が流され、草野、伊藤、高田等の諸氏は地元の人々にまじつてパンツ一つの美事(?)な半裸で、女人禁制の漁船に同乗、はては太平洋に跳込んでの力闘、漁師顔負けで生鯵を頬ばる草野心平や、波に浮きつ沈みつする伊藤信吉、高田博厚の白髪は見ものだった。

一昨日、福島は川内村の第49回天山祭りに行って参りました。昨日に引き続き、川内村レポートです。
 
当方、天山祭り会場の天山文庫は、初の訪問でした。
 
天山文庫は、昭和41年(1966)、それまでもたびたび川内村を訪れていた草野心平の宿泊施設として、村の人々が建ててあげたものです。心平は心平で、蔵書をここに置き、そのまま村に寄付しました。
 
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天山文庫に上がっていく坂の途中に、「下馬」の文字が刻まれた石碑。心平の筆跡です。
 
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酒樽を利用して作られた書庫も2棟ありました。この村で作られたどぶろくを愛し、「白夜」と名づけた心平にぴったりです。こちらは昭和44年(1969)の竣工。
 
内部には、雑誌がぎっしり。
 
さらに、天山文庫本体。
 
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内部には、心平や、川端康成、棟方志功の書がかかっています。そして、やはり書庫。
 
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光太郎の書籍もたくさんありました。また、この建物の設立委員には、光太郎の実弟・豊周も名を連ねています。かつて心平が、ここで過ごしていたと思うと、感慨深いものがありました。
 
小高い山の中腹にある天山文庫より下に、阿武隈民芸館があり、そちらも観て参りました。
 
当方、大きな勘違いをしておりました。「民芸館」という名前なので、よくある、現地の民俗資料などを展示してある施設だと思いこんでいました。たしかにそういう展示もあったのですが、それはほんの少しで、大半は心平に関する展示でした。なぜか、智恵子の実家である二本松の長沼酒造の貧乏徳利が、民俗資料に紛れて展示されていました(笑)。
 
こちらは昭和56年(1981)の完成。看板の揮毫も心平です。
 
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心平の業績を語る上では、光太郎の存在は欠かせません。館内にズラリと並ぶ心平の著書のうち、光太郎が装幀や題字を担当したものがたくさんあります。また、光太郎に関する心平の著書もたくさんあり、さらに、飾られている写真パネルには、光太郎もたびたび写っていて、二人の結びつきの緊密さが見て取れます。
 
その後、秋に行われる心平忌日の集い「かえる忌」会場にもなっている、小松屋旅館さんに移動しました。

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一昨年には、まだ子犬だった黒柴に、子犬が産まれていました。
 
こちらでは、二次会ということで、この春まで、川内草野心平記念館長を務められた晒名昇氏をはじめ、「かえる忌」で顔なじみになった方々が集い、しばし、歓談。
 
地元はもちろん、青森やら神奈川、当方と同じ千葉の方もいらっしゃいました。
 
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心平が歿して約30年。今も多くの人々に敬愛されている様子が、よくわかりました。
 
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帰りがけに撮った一枚。夕日が沈む渓流です。こんなにいいところなのですが、まだまだ原発事故による問題が山積しています。
 
訪れるだけでも、復興支援となります。ぜひ、足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月14日
 
昭和6年(1931)の今日、新聞『時事新報』に、エッセイ「装幀について」が掲載されました。
 
一部、抜粋してみます。
 
 今日多く流布する日本の書籍の装幀には遺憾ながら高度の審美を見る事が少い。純粋比例の美による装幀を私は望んでやまない。屢見かける文芸書のやうに、表紙にべたべた絵画を印刷したやうなものは児戯に類する。中には内容とかけ離れた宿場女郎の如き体裁のものさへある。新刊書に例を取つて述べることは遠慮するが、ともかく全体にもう一段抜け出してもらひたい。書店の店頭から無駄な悪趣味を一掃したい。書店の店頭を純粋比例の美で埋めたい。
 
 阿武隈民芸館で、光太郎装幀の心平著書の数々を見ながら、光太郎の言に、首肯させられました。
 
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昨日、草野心平が愛した「天山祭り」参加のため、福島第一原発にほど近い、双葉郡川内村に行って参りました。
 
2回に分けて、レポートいたします。
 
昨日朝、愛車を駆って自宅を出、圏央道、常磐道と進みました。昨年は、原発事故の影響で、常磐道の広野IC~常磐富岡IC間の通行止めが続いていましたが、今年初めにそれも解除されており、終点の常磐富岡ICまで行きました。
 
その意味では、復興も一歩前進です。
 
しかし、常磐富岡IC周辺、行政区分で言うと富岡町は、あまりいい状況ではありませんでした。
 
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もとは田んぼだったと思える場所は、野原と化していました。除染で出たであろう廃棄物も、道ばたに無造作に積んであります。
 
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無人の家屋がつらなり、庭先には、雑草が伸び放題。使用禁止の郵便ポスト。
 
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一山こえて、川内村に入ってから、ようやく人々の営みが見えてきた、という感じでした。それでも、まだまだ被災中だというのがよく判ります。
 
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それでも、がんばろう、という村民の意気込みが伝わってきます。
 
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以前、当方も泊まった仮設のビジネスホテル。
 
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田んぼアートです。「天山 心平」の文字が。天山祭り会場の天山文庫のすぐ近くです。
 
天山祭り、今年で49回目だそうで、生前の草野心平が愛した祭りです。下記は昭和41年(1966)の第1回天山祭りで、村人と共に踊る心平です。
 
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無論、49回目の今回も、心平を偲ぶという趣旨もありますが、やはり震災の被害、原発事故からの復興という意味合いも強く込められていました。
 
さて、会場は、天山文庫。もともとは、昭和41年(1966)、心平が川内村に、蔵書を寄贈するにあたって作られた建物です。
 
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そちらの前庭が、天山祭り会場です。昨年は雨のため、村内の別の施設で行われました。当方、天山文庫で開催される天山祭りは初めてでした。
 
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午前11時30分開会。主催者あいさつは、元003教育長の石井芳信氏。連翹忌にもご参加いただいたことがあります。
 
さらに、遠藤村長。「元の川内に村に戻ることはないだろうが、それでも前に進もう」と、力強くお話しなさいました。
 
この春まで、川内草野心平記念館長を務められた晒名昇氏への感謝状の贈呈に続き、心平の肉声録音による詩の朗読が流れ、その後に心平が創刊した雑誌『歴程』同人の皆さんによる、心平詩の朗読が行われました。
 
復興支援ソング「ときよめぐれ(までいのロンド)」を作詞された伊武トーマ氏も朗読なさいました。やはり心平のスピリットを受け継ぐ方ですので、ひと味違う朗読でした。
 
さらに、川内小学校の5、6年生による朗読。
 
地域の宝として、次の世代にもしっかりと受け継がれているようです。このまま続けていってほしいものです。
 
しかし、「5、6年生」といいながら、6人しかいなかったのですが、これで全部なのか、選抜チームなのか……ちょっと不安でした。
 
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そして、心平も愛した郷土芸能の披露。アトラクションでは、地元の皆さんの歌、などなど。
 
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村内外、多くの人々、テレビ報道のクルーも入り、大いに盛り上がりました。みなさん、ひととき、「被災」という特殊な状況下にあることを忘れたのではないかと思います。
 
遠藤村長の話に戻りますが、「変えていかなければならないこと」と「頑固に変えてはいけないもの」がある、とお話しされていました。村の仕組みや今後の被災対策等々が「変えていかなければならないこと」、「頑固に変えてはいけないもの」が、この天山祭り。そのとおりですね。
 
その後、当方は、天山文庫、さらにすぐ近くの阿武隈民芸館を見学、夕方から「かえる忌」会場ともなっている小松屋旅館さんでの「二次会」に参加しました。
 
そのあたりは、明日、レポートいたします。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月13日
 
大正6年(1917)の今日、日本女子大学校桜楓会の機関誌『家庭週報』第424号に、智恵子のアンケート「海か山かに――今年の夏の計画――」が掲載されました。
 
 先年一度(ひとたび)参りました信州上高地へ参るかもしれません。其の他(た)はまだ確(しか)ときめて居りませんので、申上かねますが、何れ海か山かで夏を過してしまふことかと思ひます。

一昨日、たまたま立ち寄ったコンビニで、コミックの単行本を買いました。

思い出食堂 特別編集 旅の味 なつかしい人々

2014年5月5日  少年画報社   定価 476円+税

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廉価ないわゆるコンビニコミックです。初版は今年5月でしたが、重版が並んでいました。
 
北は北海道から、南は沖縄まで、「旅の味」をテーマに、「佐世保バーガー」や「ほうとう」、「ゴーヤーチャンプル」など、各地の名物料理等をあつかった、29本の読み切りマンガから成っています。おおむね、各10ページです。
 
で、「浪江焼きそば」の中で、光太郎詩「樹下の二人」がモチーフに使われています。
 
これを購入したコンビニでは、立ち読み防止のために、ビニールのパッケージに入れられていました。
 
しかし、表紙に「浪江焼きそば」の文字を見つけ、「もしかすると、二本松や『智恵子抄』がらみの話になっているかも」と思い、購入しました。
 
帰ってから読んでみると、まさしくビンゴ。こういうときは痛快です。
 
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物語は、「浪江焼きそば」を看板メニューにしていた食堂の夫婦が、東日本大震災の犠牲になり、パン屋を開くのが夢だった息子が、自分の夢と、両親から受け継いだ「浪江焼きそば」の味を合体させ、「浪江焼きそばパン」を作る、というものです。
 
と、書いているだけで、食べたくなってしまいますが、どうやら架空のメニューのようです。
 
そもそも、「浪江焼きそば」とは、福島県双葉郡浪江町のご当地グルメ。極太の麺を使うのが特徴です。昭和30年(1955)頃には、すでにあったとのこと。
 
浪江町は、福島第一原発のある双葉町に隣接しており、東日本大震災後、町全域が「帰還困難区域」となりました。
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そして、多くの町民は二本松市に避難し、町役場も二本松市に仮庁舎を設置、今もその状態が続いています。上記画像は今年の4月現在のもの。震災から3年経っても、まだこの状態です。こういう状態でいながら、なぜ再稼働にこだわるのか、理解に苦しみます。そんなに原発が好きなら、永田町に作って下さい。
 
約20軒あった、「浪江焼きそば」を饗する店も、再開できたのは、二本松駅前の市民交流センター1階の「杉乃家」さんだけだそうです。
 
ちなみに当方、今日は、浪江町にほど近い、川内村の天山祭りに行って参ります。昨秋の草野心平を偲ぶ集い、かえる忌以来ですが、どれだけ復興が進んでいるのか、いないのか、この目で見てきます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月12日
 
明治40年(1907)の今日、農商務省の海外実業訓練生に任ぜられました。
 
光太郎は前年から欧米留学中で、この時、ロンドンにいました。もともと私費留学、現地で生活費を工面という苦学生でしたが、光雲の奔走により、海外実業訓練生任命となりました。レポートの提出が義務づけられましたが、代わりに毎月60円ずつ支給されるようになり、ぜいたくはできないものの、とりあえずの心配はなくなりました。

二本松観光協会さんで、以下の募集を行っています。 

2014「二本松の四季」観光フォトコンテスト

二本松市内の様々なスポット、名所、四季の風物等の観光資源を、写真を通じて紹介でき、ポスターやパンフレット等で使用できる作品を募集します。
来年4月~6月は、JRグループや観光関係者、県や市町村が協力して、全国から観光客を迎える日本最大級の観光イベント「ふくしまデスティネーションキャンペーン(ふくしまDC)」が実施されます。
そこで、そのふくしまDCのPRに活用できる作品を募集するため、今年は8部門からなるふくしまDC枠を新設しました。
夏・秋・冬の作品も例年通り募集しますので、ご応募お待ちしております。
 
募集作品・募集期間
夏部門 : 平成26年8月1日(金)~9月19日(金)
秋部門 : 平成26年10月1日(水)~11月28日(金)
      ※菊人形、また提灯祭り等各種まつり行事を被写体とした作品は除く
菊人形部門 : 平成26年10月1日(水)~11月28日(金)
まつり(四季)部門 : 平成26年12月1日(月)~平成27年1月17日(土)
冬部門 : 平成27年1月20日(月)~2月14日(土)

応募方法
 ◦ カラー(モノクロ可)、四つ切り(ワイド含む)、単写真とします。
◦ デジタルカメラによる作品も応募できます。この場合、四つ切相当サイズでプリント、またはA4サイズでも可。
◦ 各部門「1人3点」まで応募可とします。
◦ 作品の裏面に『部門名、題名、氏名(フリガナ)、年齢、住所、電話番号、撮影地、撮影年月日』を明記(貼付)してください。(応募票備考欄への「返却希望」等の記入不可)
◦ 作品は、未発表のものに限ります。
• 応募票を作品の裏側中央に貼付し、持参または郵送でご応募ください。
 
応募上の注意
◦ 作品は、募集期間最終日から1年以内に撮影したものといたします。
◦ 被写体が人物の場合、応募に際しては、必ず本人(被写体)の承諾を得ること。
◦ 郵送中の作品の紛失や損傷については、主催者は責任を負いません。
◦ 審査結果についての異議の申し立ては、受け付けません。
◦ 応募いただいた作品は返却いたしません。

 
審査
【審査時期】
  ・夏、秋、菊人形 : 平成26年12月(予定)
  ・まつり(四季)、冬 : 平成27年2月(予定)
【審査員】 主催者及び主催者が委嘱した者
【審査基準】
  ・各部門とも、可能な限り被写体が二本松市内と特定できるもの。
  ・作品の2次利用(ポスター、パンフレット、チラシ等)を想定するもの。 表彰
【最優秀賞】 各部門1名 賞状・副賞
【優秀賞】 各部門2名 賞状・副賞
【入選】 各部門2名 賞状・副賞
※応募状況等により、入賞者数は5名と限らない場合がございますが、ご了承願います。
その他
◦ 入賞作品の版権は主催者に帰属します。ポスター、パンフレット等に全部又は一部を使用する場合があります。
◦ 入賞者には主催者へ原版(ポジ・ネガ・画像データ(jpg))を提出していただきます。
なお、原版がAPSフィルムの場合は、カートリッジごとお預かりします。
◦ ご応募頂いた作品は、審査終了後、二本松市役所1階市民ホールなどに展示いたします。
応募・問い合わせ先 二本松観光協会(二本松市役所観光課内)
 〒964-8601 二本松市金色403-1
TEL:0243-55-5122



 
『ふくしまDC』部門の募集が5月まで行われており、先月末に審査があったようで、今月に入って入賞作品がネット上にアップされています。
 
「霞ヶ城公園の桜」 「合戦場のしだれ桜」 「夜桜」 「桜(その他一般)」 「春の安達太良山」 「安達太良山山開き」 「春の花」 「春の風景」のそれぞれで、3~5点ずつ。どれもいい写真です。智恵子の愛した安達太良山をはじめ、霞ヶ城、道の駅「安達」智恵子の里など、ゆかりの場所の写真も。
 
「春の花」部門の入選作『藤花の薫り』は、智恵子生家から霞ヶ城に移植された藤を撮影したものと思われます。
 
ぜひご覧下さい。
 
また、上記の通り、夏、秋、冬、まつりなど各部門の募集があります。智恵子の愛した「ほんとの空」の下に広がる美しい風景を、しっかり世に広めていただきたいと思います。こうした活動も「復興」につながるものだと思います。
 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月9日002
 
大正11年(1922)の今日、森鷗外が歿しました。
 
鷗外は明治24年(1891)から東京美術学校の教壇に立ち、「美術解剖」「美学」「泰西美術史」などの授業を受け持ちました。軍医総監でもあった関係で、従軍による中断期間もありましたが、光太郎在学時にも教鞭をとっており、それが光太郎と鷗外との出会いでした。
 
その後、雑誌『スバル』の関係、すぐ近所に住んでいた関係などで、光太郎との交流は続きます。明治末、留学から帰った光太郎が徴兵免除になったのは、鷗外が裏で手を回したからという説があります。
 
光太郎は鷗外を敬愛しながらも反発し、しかし頭が上がらず、鷗外は光太郎を「しょうもない奴だ」と苦笑しながらもかわいがる、といった関係でした。

福島は双葉郡川内村からの情報です。 
毎年恒例、天山祭り開催の時期となりました。このお祭りは、草野心平先生を偲ぶお祭で、今年で49回目となります。
詳細はまだ協議中のところもありますが、開催日が決定しましたのでご案内です。

日付 平成26年7月12日(土)
時間 午前11時30分~
場所 天山文庫前庭(雨天の場合はいわなの郷「体験交流館」)
主催 天山祭り実行委員会
問合せ 教育課生涯学習係(0240-38-3806)
 
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(昨年の様子)
 
当方、昨年初めて参加させていただきました。心平の曾孫に当たるメリーさんも参加され、大いに盛り上がりました。ただ、昨年は雨のため、本来の会場、天山文庫ではなく、いわなの郷体験交流館での開催でした。今年はどうなりますことやら……。
 
福島第一原発の事故による川内村をめぐる状況は、相変わらず厳しいものがあります。以下、今月の報道から。  

帰村宣言2年半 遠藤雄幸・福島県川内村長に聞く

◎村民に「戻る気持ち」促す

 福島第1原発事故で一時全村避難した福島県川内村が、2012年1月の「帰村宣言」から間もなく2年半を迎える。原発20キロ圏内にある村内の避難指示解除準備区域では4月下旬から最長3カ月の長期宿泊が可能となり、政府は7月末の解除を見込む。遠藤雄幸村長に現状と課題を聞いた。(聞き手は福島総局・横山浩之)

 -住民の帰還状況は。
 「村民約2800人のうち昨年10月までに52%に当たる1455人が帰村した。近く5月末時点のデータがまとまるが、帰村率は上がる見通しだ」
 「帰村宣言は村民の行動を何ら制約するものではない。村民と懇談を重ねる中、(皆に帰ろうと促すことが)どれだけ難しいか実感した。ただ、『帰らない』と決めた人にとっても古里は必要だ。川内村を消滅させるわけにはいかない」
 -長期宿泊の状況は。
 「対象者276人中、約40人が申請し、20人前後の人が自宅に泊まっている。昨年実施した特例宿泊と比べ増えており、20人という数が少ないとは思わない。帰還に当たり村民の不安が払拭(ふっしょく)されることが大前提だが、一日も早く避難指示を解除したいという思いはある」
 -帰村者を対象に1人当たり10万円の地域振興券の配布を始めた。
 「5月末で約220人が利用を申し込んだ。ガソリン代など帰村に伴う生活コストの増加を補い、『村に戻ろう』という気持ちを持ってもらうのが狙いだ」
 -原発事故から3年余。村民の気持ちに変化は生じているか。
 「先祖代々受け継いできた山、田、畑から切り離され、生きがいや誇りを失いつつあることが一番気掛かりだ。原発事故との闘いは村民の誇りを取り戻す闘いでもある」
 -国への要望は。
 「復興庁の役割は大事だが、大きな事業になると霞が関に直接陳情に出向かなければならず、震災前と変わっていない。もっと自治体の意向を尊重し、自由裁量の幅を広げてほしい」
(『河北新報』 2014年06月07日土曜日) 

川内村、「自宅で生活」5%…帰還へ不安根強く

 東京電力福島第一原発事故の避難指示の解除に向けて、4月から長期宿泊が可能になった福島県川内村東部の139世帯275人のうち、自宅を拠点に生活している住民は約5%にとどまっていることが、27日、同村の行政区長などへの取材で分かった。

 川内村の原発20キロ圏内の避難指示解除準備区域では4月26日から3か月、帰還準備のための長期宿泊が可能になった。

 村によると、長期宿泊の登録をしているのは、20世帯39人で、読売新聞が、三つの行政区の区長や住民に取材したところ、生活の基盤を仮設住宅など避難先から自宅に移しているのは8世帯15人だった。

 同村復興対策課は、理由について、国直轄の除染は終了しているものの、放射線と生活環境への不安が根強く、長い間住むことができずに傷んでしまった住宅の改修が進んでいないためとみている。
(『読売新聞』 2014年6月28日)
 
現地を訪れるだけでも立派な復興支援です。ぜひ足をお運び下さい。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月30日002
 
昭和26年(1951)の今日、弘文堂からアテネ文庫の一冊として日夏耿之助編『近代日本詩集』が刊行されました。
 
「アテネ文庫」は昭和23年(1948)創刊。古本マニアの間で一種、神聖視されているシリーズで、全301冊を揃えるのに血眼になったという話を聞きます。何冊かは「幻」扱いだそうです。
 
『近代日本詩集』には光太郎詩「五月の土壌」(大正3年=1914)、「狂者の詩」(大正元年=1912)が収録されています。
 
ちなみに「狂者の詩」には「コカコオラもう一杯」という一節があり、日本におけるコーラに関する記述の最も早いものの一つだそうです。

    あどけない話 003
 
 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切つても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ、
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。
 
右の画像、以前も使いましたが、二本松の智恵子生家です。
 
東日本大震災後、この「あどけない話」に出てくる「ほんとの空」の語が、一種のキーワードのように使われています。派生的に「ほんとうの空」という語も。
 
いずれ光太郎智恵子の歿後年譜的なものの中に、「平成23年(2011) 東日本大震災発生。詩「あどけない話」中の「ほんとの空」の語が復興支援のキーワードとなり、広く使われる」といった記述がなされそうな気配です。
 
さて、近々あるイベント、テレビ放映から「ほんとの空」がらみをご紹介します。 

「ほんとの空☆星空を見上げてみよう!」

夏の夜空を見上げてみよう!福島市の街なかで005、星空観測会が開催されます。
参加は無料です。
綺麗な星空を眺めてみましょう(^O^)

「街なか観望会」
開催日:6月29日(日)雨天中止
時 間:19:00~20:30
会 場:街なか広場
・一番星を見つけよう/土星観察/火星観察/
 北極星をさがそう
 
「板垣公一氏 講演会」
開催日:6月30日(月)
時 間:13:00~14:30
    (先着100名 記念品もあります)
会 場:福島テルサ FTホール
演 題:豆と超新星発見のかかわり
講 演:山形大学名誉博士・超新星ハンター 板垣 公一氏
入 場:無料

【お問い合わせ】 福島市浄土平天文台
0242-64-2108

★日本で一番星空に近い天文台「浄土平天文台」。手を伸ばすと届きそうな満天の星空を楽しんでみては♪
 
昨秋も同様のイベントで「ほんとの空」の語が使われていました。
 

 
続いてテレビ放映情報ですが、ただし、高知県限定です。

「ほんとの空」

高知さんさんテレビ 2014年0066月22 (日)  15:25 ~ 16:05 (40分)
 
 高齢者や外国人に対する排除、不利益な扱い、同和問題や原発事故に伴う風評被害の問題、これらに共通する根っこの部分は、誤った考え方や思い込み、偏見という「意識」である。
誰もが他者の排除や差別がよくないことは理解している。その一方で、自分や身近な人に関わる出来事には敏感に反応するが、それ以外のことは他人事のように感じたりする。また、自分や家族の生活を守るために、あるいは誤解や偏見に気づかず、他者を排除したり傷つけたりしがちである。
誤解や偏見に気づき人と深く向き合うこと、他者の気持ちを我がこととして思うこと。すべての人権課題を自分に関わることとしてとらえ、日常の行動につなげていくようにと訴える。
 
出演 白石美帆 鳥羽潤 湯浅美和子   浦上晟周 石川大樹 他
 
兵庫県人権啓発協会さんが企画、県教委の協力で、東映さんが製作したものです。もともとは自治体主催のイベントや学校で上映するためにつくられたのではないでしょうか。
 
東映イー・ヴィ・エスさんでDVDを市販していますが、価格が80,000円+税。ちょっと高いですね。兵庫県人権啓発協会さんでは無料レンタルを行っているようです。ただ、個人貸し出しではなく、やはり自治体や学校、企業での使用に限るとのこと。


 そちらのページからあらすじを抜粋させていただきます。
 
 向井弓枝は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障害のある人に対してイライラを募らせる。弓枝は、面倒な人が多く住むこのマンションではなく、一戸建てや新築マンションに引つ越したいと、夫の勇に訴える。
 
 弓枝の一人息子の輝は、空オタクだ。いつも空や雲のことを考えていて友だちもいない。カメラを抱えた輝が自宅に帰つてくると、隣の部屋のドアが開き、見知らぬ外国人が引越をしている。外国人に対して偏見を持つている弓校と勇の話を聞き輝も「みんな不法滞在なんだから送り返せばいいJと言う。
 
 輝がマンションの屋上に行くと、同じ年頃の少年 龍太が空にカメラを向けていた。空好きの二人は意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと 龍太の母の美里が、故郷福島の草木染めの布を持つてくる。最初は喜ぶ弓枝だつたが、パート仲間の意見もあり 放射能への恐ろしさから布を捨ててしまう。そしてそれを、龍太がゴミ置き場で発見する。
 
 学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけ加勢するが、二人とも投げ飛ばされる。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。それを同じマンションの高齢者、千代子とタイ人ロークが止める。帰宅した輝は母を責め、家を飛び出す。
 
 輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦□―クとノイのところにいた。夫婦はタイ料理店で働いていて、店を持ちたいので試食してほしいと申し出る。皆で食卓を囲みながら、ノイの思いを知つた輝は、廊下の鉢植えを割つたことを謝り、勇も偏見を持つていたと告げる。握手をする勇と□―ク。その様子を笑顔で見つめる弓枝は ふと台所の隅に 自分が捨ててしまった草木染めがあることに気づく。
 
 ノイから 草木染めを譲つてもらった弓枝は 美里の家に。そして自分の気持ちを伝えようとするが……。
 
このたび高知さんさんテレビさんでオンエアされます(もしかすると以前にも全国どこかでテレビ放映されたかもしれません)。
 
高知の皆さん、ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月18日

平成6年(1994)の今日、青森十和田湖畔の裸婦像かたわらに、詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」を刻んだ詩碑が除幕されました。
 
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この年、損傷の目立った裸婦像の補修工事が行われ、それにともなって、光太郎肉筆原稿から文字を起こし、新たにこの碑が付設されました。
 
  十和田湖畔の裸像に与ふ

銅とスズとの合金が立つてゐる。
どんな造型が行はれようと
無機質の図形にはちがひがない。007
はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
きたならしさはここにない。
すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
天然四元の平手打をまともにうける
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のやうに立つてゐる。
いさぎよい非情の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで
この原始林の圧力に堪へて
立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。

昨日から一泊で出かけておりました。
 
千葉・柏、福島・二本松、宮城・女川と仙台を廻り、先程帰宅致しました。
 
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詳細は明日以降、レポート致します。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月15日
 
昭和26年(1951)の今日、龍星閣から『随筆 独居自炊』を刊行しました。
 
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新刊雑誌情報です。

『いろは』 vol.4

2014年5月20日 六曜社 定価1,389円+税
 
特集=詩歌とめぐる東北の旅 前 福島
 
会津若松-春の城下町を訪ねて
磐梯高原-のんびり散歩
黛まどか 被災地でふれた日本のこころ
福島-夏の福島、東へ‐西へ
二本松-智恵子の故郷を歩く
高村智恵子-その生涯と作品
相馬-[あの場所]のいまを訪ねて
<文人が愛した湯> 東山温泉 向瀧 / 飯坂温泉 青葉
<私が好きな福島> 秋吉久美子 / 唐橋ユミ
福島の土産
 
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というわけで、智恵子にからめて二本松の紹介が9ページ、智恵子そのもののページが3ページあります。
 
その他、アナウンサー・唐橋ユミさんもコラムで智恵子の杜公園にふれてくださっています。
 
 
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さらに磐梯山、相馬の尾浜原釜海岸、東山温泉、福島市など、光太郎智恵子ゆかりの地の情報、そして東日本大震災後の現状などの記事が満載です。
 
こちらからお求めいただけます。
 
ちなみのこの『いろは』、一昨年刊行された創刊号でも、「『青鞜』創刊100周年記念特集」を組み、光太郎智恵子にも触れて下さっていました。
 
ぜひお買い求めを。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月12日
 
明治41年(1908)の今日、留学先のパリから光雲にあててはがきを送りました。
 
拝啓 昨夜六時半無事巴里着、「ホテル、スフロー」に一泊して、今日より兎も角も畑正吉君に同宿致す事と致し 今日此処に引移り申候。気候も倫敦と大差無之候。 又直ちに御便可申 今日は到着の御報知まで、 六月十二日 光太郎
 
文面にある通り、前日にロンドンからパリに到着、翌年までパリに過ごします。このパリで、光太郎の真の芸術開眼が起こります。

テレビ放映情報です。 

遠くへ行きたい 旅人 竹下景子「奥入瀬の森と湖に遊ぶ 青森県十和田湖」

地上波日本テレビ 2014年6月8日(日)  5時30分~6時00分
 
「知らない街を歩いてみたい♪」の主題歌で有名な、歴史ある旅番組。旅人を通じて、『人・景色・食』など、訪れた土地の魅力を紹介する。
 
旅人 竹下景子
 
女優・竹下景子が、美しい自然に触れるため、青森県十和田湖を旅する。 まずは、廃線となった「南部縦貫鉄道レールバス」に体験乗車させてもらい、その魅力に感動。 世界遺産白神山地と並ぶブナの森「蔦(つた)の森」を散策し、大自然の雄大さを感じる。 「奥入瀬(おいらせ)渓流」では、ルーペを片手に苔の世界の神秘に感動し、苔玉作りにも挑戦。 最後は、パワースポットとして注目される十和田神社の「占い場」を訪れる。
 
<系列各局放送時間>
日本テレビ (日)5:30
札幌テレビ (水)26:04 006
青森放送 (金)10:25
北日本放送(金)15:55
中京テレビ(日)7:00
四国放送 (木)10:55
南海放送 (火)10:25
日本海テレビジョン (土)5:29
広島テレビ (日)7:00
福岡放送 (日)7:00
長崎国際テレビ (日)16:55
鹿児島読売テレビ (日)7:00
 
今年初めに当方もお会いした苔玉作りのインストラクター、起田高志さんがご出演。それから番組HPを見ると、観光ボランティアの方らしき画像があり、やはり当方の存じている方が出演されるかも、と期待しています。
 
十和田湖畔の裸婦像、通称「乙女の像」が少しでも紹介されればいいのですが……。
 


もう1件、先週オンエアされたものの再放送です。 

いにしへ日和 #107 福島県・二本松市・智恵子の空

BS朝日 再放送2014年6月5日(木) 21時54分~22時00分
 
時をこえ、小さな旅に出かけよう。今日は、いにしへ日和…日本の各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。
 
“あれが阿多多良山、あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生まれたふるさと…"二本松市は「智恵子抄」のモデルとなった高村智恵子が生まれた地。造り酒屋だった生家が今も残され、光太郎との結婚後も1年の半分をここで過ごしたといわれています。
 
智恵子は、この故郷の空を「ほんとの空」だと言いました。 彼女が愛した故郷を訪ねます。
 
出演 ナレーター キムラ緑子
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先週の本放送を見ました。5分間番組ですが、ゆるい感じが旅情を誘う感じでした。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月4日

昭和19年(1944)の今日、詩「たのしい少女」を書きました。
 
  たのしい少女007
 
 或たのしいたのしい大事なものが
 わたしの心の奥の方に
 世にも大切にお祀りしてあるので、
 それでわたしはいつでもこんなに
 みんながをかしがるほど元気で、
 みんなが不思議がるほどお人よしで、
 どんな事にも決してうろたへず、
 どんな時にも決してめげずくじけず、
 なんにも欲しいとおもはず、
 あればあるでいいし、
 なければないでいいし、
 心が勇んで毎日の勤労にも
 勉強にもお手伝にもお食事にも
 たとへやうもない張合を感じます。
 職場で叱られるのも気持ちよく、
 ひとりの時は尚更胸がせいせいします。
 そのたのしいたのしい大事なものを、
 申すもおそれ多いことながら、
 わたしは 天子様からいただきましたの。

金(キム)総統様、みたいですね。笑い事ではなく、70年前の日本はこんなだったのです。この時代に戻したがっている愚か者がいるというのも嘆かわしい限りです。

テレビ放映情報です。 

いにしへ日和 #107 福島県・二本松市・智恵子の空

BS朝日 2014年5月29日(木)  21時54分~22時00分
     再放送
 2014年6月5日(木) 21時54分~22時00分
 
時をこえ、小さな旅に出かけよう。今日は、いにしへ日和…日本の各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。
 
“あれが阿多多良山、あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生まれたふるさと…"二本松市は「智恵子抄」のモデルとなった高村智恵子が生まれた地。造り酒屋だった生家が今も残され、光太郎との結婚後も1年の半分をここで過ごしたといわれています。
 
智恵子は、この故郷の空を「ほんとの空」だと言いました。 彼女が愛した故郷を訪ねます。
 
出演 ナレーター キムラ緑子
 
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5分間番組です。とはいえ智恵子をメインにあつかっていただけるので、ありがたい限りです。
 
放送予定が変更になったようで、実は2週間ぐらい前にこの内容が予告で出たのですが、すぐに取り消されました。「まさかお蔵入りか?」と思ったのですが、無事放送されるようで何よりです。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月24日000

平成7年(1995)の今日、日本放送出版協会から『みちのく文学散歩』が刊行されました。

当時、NHK-BSで放映されていた同名の30分番組全20回を出版化したものです。
 
メディアプロデューサー・残間里江子氏による「高村光太郎-『詩集・典型』を含みます。この項では、詩集『典型』(昭和25年=1950)が編まれた、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)をメインに、十和田湖も取り上げられています。
 
当時、この放送を見逃してしまいました。NHKさんの過去の番組は、一部のものが埼玉川口のNHKアーカイブス施設などに行けば「番組公開ライブラリー」ということで視聴可能なのですが、この番組は入っていません。販売用DVD等にもなっていません。
 
同じ番組の石川啄木を取り上げた回は、昨年、やはりBSの「プレミアムアーカイブス」という枠で再放送されました。これはNHKさんのBSや総合テレビで放送された番組の中から、反響の大きかったものをもう一度放映するというもの。光太郎の回もぜひ放映してほしいものです。
 
また、他にも光太郎智恵子を扱った番組が多数ありますので、そちらも観たいものです。

一昨日の日曜日、二本松市コンサートホールでは「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」が開催されましたが、同じ日に安達太良山では「第60回安達太良山山開き」でした。
 
地元紙に報道されていますのでご紹介します。 

「ほんとの空」目指し頂へ 安達太良山開き

 福島県内の主要な山のトップを切り、安達太良山(1700メートル)が18日、山開きした。60回の節目を迎え、過去最多となる1万5000人(主催者発表)が山頂を目指した。
 県内外から訪れた登山客が奥岳、塩沢などの登山口から入山した。互いに声を掛け合い、「智恵子抄(ちえこしょう)」でうたわれる「ほんとの空」を見上げながら、一部に雪が残る登山道を歩いた。
 「乳首山」と呼ばれる岩峰の山頂付近は濃いガスに覆われていたが、晴れ間が広がると安達太良連峰や吾妻連峰、猪苗代湖などの雄大な景色を見渡すことができた。
 60回目の山開きを祝い、餅つきなどの記念行事が催された。
(『福島民報』)
 
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「安達太良山」山開き 過去最多1万5000人“絶景”満喫

 日本百名山で知られる安達太良山(1700メートル)の第60回山開きは18日行われ、登山者は岩場やぬかるみを踏みしめながら山頂を目指し、眼下に広がる絶景のパノラマを満喫した。
 節目の山開きとなった今回は、県内外から昨年を約7000人上回る過去最多の約1万5000人が訪れた。登山者は新緑と残雪が入り交じる雄大な景観を堪能しながら、登山道を一歩一歩進んだ。時折、晴れ間がのぞくと、猪苗代湖や阿武隈山系、吾妻連峰などの景色が広がり、登山者が疲れを癒やした。
 山頂では、60回記念行事の餅つきと恒例の安全祈願祭が行われ、安達太良連盟会長の新野洋二本松市長をはじめ関係団体の代表が玉串をささげ、シーズン中の安全を願った。ミズあだたらコンテストでは、ミズあだたらに福島大4年の桑名真美さん(21)=福島市=が選ばれた。
(『福島民友』)
 
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桑名さん(福大)ミズに 安達太良山開きでコンテスト

 第50回ミズあだたらコンテストが安達太良山頂付近で催され、ミズは福島大4年の桑名真美さん(21)、準ミズは福島市臨時職員の今泉綾さん(22)が輝いた。
 桑名さんは初めての安達太良山登山で、景色を楽しみながら登ったという。「選ばれると思っていなかった。素晴らしい賞を頂きうれしい」と白い歯をのぞかせた。今泉さんは小中高と安達太良山に親しんできた。山開きに合わせた登山は今回が初めてだった。「なじみの山。60回の節目に選ばれてうれしい」と満面の笑みを見せた。
 2人には後援の福島民報社提供のトロフィーなどが贈られた。コンテストは年齢不問で、50人が出場した。着こなしなどが評価対象となった。
(『福島民報』)
 
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60回というキリ番の山開きに、過去最多の人出。よかったと思います。「智恵子抄」中の「ほんとの空」というキャッチフレーズが一役買っているのであれば、嬉しい限りです。
 
秋の紅葉冬の幻想的な樹氷、これからも四季折々に美しさを見せる安達太良山。山開きだけでなく、ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月20日

昭和31年(1956)の今日、光太郎四十九日。智恵子も眠る駒込染井霊園の高村家墓所に、光太郎の遺骨が埋葬されました。
 
昨年の今日、このブログの【今日は何の日・光太郎】でご紹介しましたが、今日は奇しくも智恵子の誕生日です。

昨日は、福島二本松市コンサートホールにて開催された「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」を拝聴して参りました。
 
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午前9時過ぎ、愛車を駆って自宅を出ました。先月、圏央道が自宅近くまで延伸されたので、通ってみたところ、これまでよりだいぶ早く行けるようになりました。
 
圏央道→常磐道→磐越道→東北道と乗り継ぎ、昼食は東北道の安達太良SAでとりました。
 
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安達太良SAから見た安達太良山。昨日は山開きもあり、こちらも多くの人でにぎわったようです。
 
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同SA、下り線2階の蕎麦屋さんには、智恵子に関するミニ展示があります。お立ち寄りの際にはぜひご覧ください。
 
東北道二本松ICで降りて、コンサートホールへ。ここは昭和63年の開館ですが、二本松ゆかりの声楽家・関屋敏子に因んだイタリア風の外観をもつ瀟洒な建物です。館内には関屋敏子のポートレートや肖像画が飾ってありました。関屋は先祖が二本松藩の御殿医だったそうです。
 
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さて、午後2時、開演。二本松在住の河田富士雄さんの語り、連翹忌や女川光太郎祭ご常連の宮川菊佳さんのギターに載せ、ラジオ福島アナウンサー・菅原美智子さんによる光太郎詩朗読。
 
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光太郎智恵子の出会いから、智恵子死後の光太郎の独居生活までを6章に分け、それぞれ3~5篇ずつ、計23篇の朗読で、光太郎智恵子の世界を表現されました。
 
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プロジェクタで関連する画像を映写したりといったビジュアル的な工夫もあり、なんといっても菅原さんの情感たっぷりの朗読が素晴らしいと思いました。当方、菅原さんの朗読を聴くのは初めてでしたが、このイベントの主催団体である「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷代表から、とてもいいと聞かされており、今回、実際に聴いてみて、納得いたしました。
 
この後も「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催のイベント、また、同じく二本松で活動されている「智恵子の里レモン会」さん主催のイベントなどがいろいろとあります。また近くなりましたらご紹介いたしますが、1件だけ先の話を。
10/5(日)、智恵子忌日の「レモン忌」が「智恵子の里レモン会」さん主催で行われます。今年は当方が記念講演をすることになりましたのでよろしくお願い申し上げます。詳細は後日。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月19日

昭和25年(1950)の今日、日本書籍株式会社から1,600円の書留を受けとりました。
 
大正13年(1924)作の詩「春駒」が同社刊行の教科書に掲載されたため、その転載料です。

智恵子の故郷にそびえ立つ、福島は安達太良山関連の情報です。

安達太良山山開き

2014年5月18日(日)
今年で記念すべき第60回を迎える安達太良山山開き。日本百名山の一つに数えられている安達太良山は『智恵子抄』で有名な高村智恵子が「ほんとの空」がある山として愛したことでも知られる。山開き当日は、毎年恒例の記念ペナント配布、安全祈願祭、ミズあだたらコンテストに加え、第60回記念イベントとして、山頂での餅つき・餅配布、お楽しみ抽選会、記念グッズ配布の他に奥岳登山口付近では福島県内の郷土料理の提供も行われる。前夜祭は、安達太良山の麓でイルミネーションイベントやコンサートのアトラクションも企画されている。
(「るるぶ・com」より)
 
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安達太良山は標高約1,700メートル。天候さえよければ、陽気のいい季節ですから爽快でしょう。JR二本松駅からシャトルバスで30分、奥岳登山口→ゴンドラで10分、8合目→徒歩90分だそうです。
 
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前夜祭もあるそうですし、当日もいろいろイベントが盛りだくさんのようです。
 
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前夜祭には、地元在住のトランペッターで、智恵子関連のイベントによくご出演なさっているNobyさんがご登場なさいます。
 
当方、山歩きも好きなので、行きたいのはやまやまなのですが、この日はやはり二本松で「智恵子生誕祭」です。
 
『福島民報』さんに、予告の記事が出ています。

光太郎との愛の軌跡 詩の朗読聴いて 18日 二本松智恵子の生誕祭

詩人高村光太郎の妻・智恵子の生誕祭「朗読とギターで綴(つづ)る智恵子と光太郎の道程」は18日、智恵子の古里・二本松市で開かれます。
主催する市民団体「智恵子のまち夢くらぶ」事務局の熊谷さつきさんは「今年は2人の結婚、光太郎の詩集『道程』の出版がともに100周年となる記念の年です。詩とギター演奏を聴いて、夫妻の人生に思いをはせてみませんか」と誘っています。
ラジオ福島アナウンサーの菅原美智子さんが詩集「道程」「智恵子抄」などから詩23編を朗読します。ドラマ仕立てで、2人の純愛の軌跡をたどります。フラメンコギターの演奏が雰囲気を盛り上げます。
 
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「『道程』100周年」とうたって下さっていますので、000当日は当方手持ちの初版『道程』をお持ちして、御来場の皆様にお目にかけようかと考えております。
 
「安達太良山山開き」、「智恵子生誕祭」、どちらもよろしくお願い申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月10日

昭和46年(1971)の今日、明治図書から伊藤栄洪著『ああ光太郎・智恵子』が刊行されました。
 
「明治図書中学生文庫」シリーズの一冊で、中学生対象の評伝です。
 
古書市場等でほとんど見かけることがありませんが、非常にわかりやすく書かれた優れた評伝です。

福島二本松からイベント情報です。

第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程

後 援 : 二本松市他
期 日 : 2014年5月18日(日) 午後2時~
会 場 : 二本松市コンサートホール 二本松市亀谷1-5-1
料 金 : 前売2,000円 当日2,500円 
 込 : 熊谷さん 0243-23-6743
出 演 : 菅原美智子(ラジオ福島アナウンサー) 宮川菊佳(ギタリスト)
      河田富士雄(ナレーター)
 
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5月20日が智恵子の誕生日ですが、それを記念してのイベントです(一昨年も同様のイベントがありました)。「今年、平成26年(2014)は、「道程」100周年、光太郎智恵子結婚披露100周年です」と、当方がさんざん騒いだためか、それらの記念事業という冠をつけて下さいました。
 
ギターの宮川さんは、連翹忌や女川光太郎祭のご常連。継続して光太郎智恵子関連のイベントに取り組まれていて、頭の下がる思いです。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月30日

昭和22年(1947)の今日、雑誌『農民芸術』に散文「玄米四合の問題」が掲載されました。
 
「玄米四合」というのは、光太郎もその発見の場に立ち会った宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の一節です。そこに表された賢治の精神を評価しつつ、光太郎はその度を過ぎたストイックな面には同意しませんでした。
 
私の見るところでは宮澤賢治の食生活は確に彼の身を破り彼の命数を縮めた。宮澤賢治に限らず、かういふ最低食生活をつづけながら激しい仕事をやつてゐたら、誰でも必ず肋膜にかかり、結局肺結核に犯されて倒れるであらう。「玄米四合ト味噌ト少シノ野菜」の問題は重大である。
 
そして、こんなことも。
 
私は玄米四合の最低から、日本人一般の食水準を高めたい。牛乳飲用と肉食とを大いにすすめたい。日本人の体格を数代に亘つて改善したい。
 
戦後間もない時期、精神論ではなく合理的、科学的に考えていた光太郎に敬意を表します。
 
しかし、「メタボ」や「ダイエット」の語が氾濫するこの国の現状を見たら、賢治や光太郎はどう思ふのでしょうか……。

昨日は福島市に行って参りました。
 
福島駅前の福島ビューホテルさんにて、光太郎の詩に曲を附けて歌っているシャンソン歌手、モンデン・モモさんの「福★モモ プロジェクト 復興支援コンサート ~”花見山”と”智恵子抄”を福島の皆様方へ~」があり、そちらを聴きに行って参りました。
 
そちらが午後4時開演だったので、少し早めに福島市に入り、花見山公園に行ってみました。ここは、元々は阿部さんという農家の方が、さまざまな花を植えていた個人の山で、「花を見せてほしい」という要望が強くなって開放するようになったという、ちょっと変わった経緯のある公園です。近年は旅番組等でも取り上げられ、この季節、人気のスポットになりました。
 
平日だからそれほど混んでいないだろう、とたかをくくっていたら、とんでもありませんでした。まず現地まで車で行けません。案内に従って、2㎞ほど離れた阿武隈川沿いにある親水公園に駐車、そこからシャトルバスです。着いてみると、県外ナンバーの大型観光バスがずらっと30台以上。そういえば、途中の磐越道や東北道でやけにバスが多かったと思ったら、行き先はここだったのです。
 
あまり時間がなかったので、ざっと歩いただけになってしまいましたが、それにしても、花、花、花。

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関東では盛りを過ぎた桜や連翹が満開でした。さらに木瓜(ぼけ)や桃、木蓮、菜の花なども。あらためてゆっくり行ってみようと思いました。
 
さて、駅前に戻り、モモさんのコンサート。
 
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いつものように砂原嘉博さんのピアノ伴奏に乗せて、お家芸のシャンソン、それから「花」にまつわる歌の数々などを披露されました。
 
モモさんオリジナルの「花見山伝説」という歌も。これは以前に花見山を訪れ、二代目園主の阿部一郎さん(昨年逝去されたそうです)との出会いから生まれた歌だそうです。
 
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さらに光太郎がらみの「樹下の二人」「道程~冬が来た」も演奏されました。
 
それから、モモさんのニューアルバム「土地 人 伝説」がリリースされ、そちらもゲットしてきました。
 
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モモさんの活動拠点、出雲や福島に関わる歌、光太郎智恵子、平塚らいてうや宮澤賢治へのオマージュなどで構成されています。お買い求めはこちらから。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月17日000

昭和2年(1927)の今日、光太郎による書き下ろし評伝『ロダン』が刊行されました。
 
版元はアルス。北原白秋の弟・鉄雄が創立した出版社です。モノクロですが、図版も豊富に使われ、当時としては豪華な作りです。翌年には同じアルスからペーパーバックの普及版も刊行されています。
 
「ロダンの一生に於ける悲しい記憶の一つである。」として、昨日ご紹介したカミーユ・クローデルに触れている箇所もあります。

もう一日福島ネタで。
 
昨日、BSフジさん放映の「旅するハイビジョン 全国百線鉄道の旅 第85回「北へ向う大幹線 東北本線」を見ました。公式サイトなどの番組説明に光太郎智恵子の名があったので期待していたところ、期待に違わず約3分間にわたって取り上げられました。
 
二本松市の智恵子生家、智恵子記念館、さらにその裏手の智恵子の杜公園にある「樹下の二人」の詩碑など。けたたましいレポーターのタレントなどは登場せず、落ち着いたナレーションで淡々と風景を紹介する作りに、かえって好感が持てました。この番組はオンエアされたものが順次DVD化、発売されていますので、そちらにも期待したいものです。
 
さて、この一帯で開催されるイベントに関し、いろいろと報道されています。 

第10回智恵子生誕祭 好きです智恵子青空ウォーク~桜章~ 桜満開の空の下 智恵子ゆかりの地を歩く―参加者募集

20日(日)午前9時半(午前9時受付)・二本松市智恵子純愛通り記念碑前発(着も)。約5キロを歩く。定員50人(先着順)。昼食は各自持参。参加費は1000円、学生500円(智恵子記念館入館料、保険代含む。麦茶、プレゼント付き)。智恵子のまち夢クラブ熊谷さん0243・23・6743。
(『読売新聞』福島版) 
 
智恵子青空ウォークに関しては、『福島民報』さんのサイトでもPDFで紹介されています。
 
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さらに別件で一つ。 

“二本松の桜の名所”巡る 臨時バス「春さがし号」発車

 ふくしまプレDCに合わせ、内容を充実させた、二本松市内の桜の名所などを巡回する臨時バス「二本松春さがし号」は1日、運行をスタートした。5月16日までは毎日、5月17日から6月29日までの土、日曜日の約3カ月間、1日8本のバスを運行し、春の観光シーズンを迎えた同市内を巡る。
 今年は、プレDCに合わせ、これまでの「春らんまん号」を改称、運行期間を延長するなどした。
 コースはJR二本松駅前を出発点に本町から亀谷坂露伴亭、智恵子の生家を経て、霞ケ城公園や大隣寺を巡って駅前に戻る。料金は、大人(中学生以上)が170~500円、子どもは90~250円。1日フリー乗車券は、大人(同)500円、子ども250円(乳幼児無料)。1日フリー乗車券の提示で、同市の大山忠作美術館と智恵子記念館の入館料が割り引きされる。
 このほかは、10日から5月6日まで実施する第4回城下町すたんぷラリーにも参加している。
 同駅前で1日行われた出発式では、半沢典明福島交通二本松営業所長が「市街地活性化の一助となるよう安全運行に努めたい」とあいさつ。引き続き、半沢所長と安斎文彦二本松観光協会長、高野正幸二本松駅長がテープカットした。問い合わせは福島交通二本松営業所(電話0243・23・0123)か二本松観光協会(電話0243・55・5095)へ。
(『福島民友』)
 
「ふくしまプレDC」とは、来年、平成27年4月から6月に開催する「ふくしまデスティネーションキャンペーン」のプレキャンペーンとして、今年4月から6月まで「福が満開、福のしま。」として展開されている福島県観光キャンペーンだそうです。
 
これから春爛漫の福島。ぜひ訪れて、光太郎智恵子に思いを馳せてください。
 
ちなみに当方、明後日は福島市に行って参ります。シャンソン歌手、モンデン・モモさんのコンサートです。千葉では盛りを過ぎてしまった桜がまだ見られそうで、期待しています。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月14日

昭和47年(1972)の今日、光太郎と智恵子の出会いをお膳立てした、日本女子大学校での智恵子の先輩、柳八重(旧姓・橋本)が歿しました。
 
八重の夫は洋画家の柳敬助。敬助は荻原守衛や光太郎と親しく、留学からの帰朝後に荒れた生活をしていた光太郎を心配していたといいます。

昨日夕刻にNHK総合で放映された「特集 小さな旅「山の歌」」を拝見しました。昨秋放映された「シリーズ山の歌 秋 ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」を含む「小さな旅」の総集編でした。
 
安達太良山の項では、昨秋の放映でも使われていた光太郎・智恵子のエピソードがカットされずに使われていました。その後は安達太良山で訓練中の地元・安達高校山岳部女子部員の話でした。
 
今日の夕刻には、BSフジさんで「旅するハイビジョン 全国百線鉄道の旅 第85回「北へ向う大幹線 東北本線」の放映があります。また銚子に出かける用事があるので、リアルタイムでは見られませんが、録画予約をしておきました。番組説明には高村光太郎の詩で有名な安達太良山」の語がありましたので、期待しています。
 
ところで過日、二本松市出身の日本画家、故・大山忠作氏のご息女、大山采子さん(女優・一色采子さん)からお手紙を頂きました。4/2の第58回連翹忌にご出席下さった御礼状をお送りしたのに対してのご返信でした。
 
その中に、俳句が一句。曰く、
 
連翹忌 亡父(ちち)知る婦人(ひと)の 細き杖
 
連翹忌には、光太郎の甥にあたる高村規氏をはじめ、大山忠作氏をご存知の方がいらしたようで、その中の杖をつかれた老婦人を詠まれたようです。
 
ちなみに市販の気の利いた歳時記には、「連翹忌」が春の季語として登録されています。
 
「おそまつ」とありますが、いやいやどうして、毛筆の流れるような筆跡で、内容的にも感動しました。
 
さらに大山さん、お父さまの描かれた、安達太良山をあしらった一筆箋(30枚組)を同封してくださいました。大切に使わせていただきます。

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さて、過日の『福島民報』さんに、安達太良山の麓、国道4号線沿いの「道の駅安達智恵子の里」に関するニュースが載りましたので、ご紹介します。  

万燈桜幻想的な姿 来月6日まで

福島民報 4月11日(金)9時45分配信
 福島県二本松市の道の駅「安達」智恵子の里下り線内にある万燈(まんとう)桜のライトアップが10日、始まった。5月6日まで、幻想的な夜桜が浮かび上がる。
 道の駅開所一周年記念イベント「万燈桜まつり」に合わせて企画した。初日は点灯式が行われ、道の駅を運営する二本松市振興公社長の新野洋市長がスイッチを入れた。毎日午後6時から午前零時まで明かりがともる。
 万燈桜は樹齢270年で高さ約15メートルの一本桜。花は咲き始めの状態だという。
 桜まつりは4月末まで。期間中の土・日曜日に二本松市産のコメや風船アート作品のプレゼントなどがある。
 問い合わせは道の駅 電話0243(24)9200へ。
 
他にも二本松周辺には桜の名所がたくさんあります。霞ヶ城、安達ヶ原公園、岳温泉の桜坂などなど。智恵子生家・智恵子記念館と併せて足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月13日

大正13年(1924)の今日、『読売新聞』に詩「春駒」が掲載されました。
 
  春駒
 005
三里塚の春は大きいよ。
見果てのつかない御料牧場(ごれうまきば)にうつすり
もうあさ緑の絨毯を敷きつめてしまひ、
雨ならけむるし露ならひかるし、
明方かけて一面に立てこめる杉の匂に、
しつとり掃除の出来た天地ふたつの風景の中へ
春が置くのは生きてゐる本物の春駒だ。
すつかり裸の野のけものの清浄さは、野性さは、愛くるしさは、
ああ、鬣に毛臭い生き物の香を靡かせて、003
ただ一心に草を喰ふ。

かすむ地平にきらきらするのは
尾を振りみだして又駆ける
あの栗毛の三歳だらう。
のびやかな、素直な、うひうひしい、
高らかにも荒つぽい。
三里塚の春は大きいよ。
 
当方の住む千葉県香取市のお隣、成田市の三里塚にかつてあった、皇室の御料牧場を訪れて書かれた詩です。この近くに光太郎の親友で作家の水野葉舟が移り住んでいました。
 
画像は三里塚に建つ「春駒」詩碑です。

福島市在住の詩人、伊武トーマさんからの情報提供です。   
 
まずは先月末のニュース。

飯舘の支援継続誓う 東京で児童、感謝の歌声

 東京電力福島第1原発事故で大きな被害を受けた飯舘村を支援する団体・個人の有志による「飯舘村を支援する集い―陽はまた昇る」は22日、東京・神田で開かれ、までいライフをスローガンに復興を目指す同村へのさらなる支援を誓った。
 発起人を代表して飯舘村までい大使の佐川旭さんがあいさつした後、菅野典雄村長が「原発事故から何を学び次の世代にバトンタッチするか。それは成熟社会の中での成長、暮らし方を考えるべきということ」と述べ、これまでの支援に感謝した。出席者を代表し赤坂憲雄学習院大教授、田中俊一原子力規制委員長らがあいさつした。
 集いには、同村の草野、飯樋、臼石の3小学校の4~6年生の児童も出席し、同村の子どもたちのために作られた曲「ときよめぐれ(までいのロンド)」を元気よく歌った。最後には出席者全員で村民歌「夢大らかに」を合唱し、心を一つにした。
(2014年3月23日 福島民友トピックス)
 
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伊武さん、原発事故で全村避難の続く飯舘村の復興支援のため、「ときよめぐれ(までいのロンド)」という歌を作詞されたとのこと。作曲は山根明季子さん。

 
昨年、福島市で演奏された際の記事がこちら。 

明るい未来歌う MFJ音楽祭 追悼と平安祈る

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を願う音楽が鳴り響いた。10日に福島市音楽堂で開かれたミュージック・フロム・ジャパンの「2013年音楽祭・福島」。被災者に寄り添い、本県の明るい未来を祈る楽曲が次々と披露され、県民を励ました。
 飯舘村の小学生が歌った「ときよめぐれ(までいのロンド)」は、村民が1日も早く村に帰れるように-との思いが込められている。〈未来の子よ はばたけ〉。福島市の詩人伊武トーマさんによる前向きな歌詞が子どもたちの明るい歌声に乗り、会場を温かく包んだ。
 舞台に立った臼石小4年の細杉利樹君は「飯舘のことを忘れないでほしいとの気持ちで歌った」と話した。草野小4年の佐藤由美さんは「たくさんの人に聴いてもらい、うれしい」と涙を浮かべた。
 福島市出身の詩人長田弘さん、郡山市出身の作曲家湯浅譲二さんが作った「おやすみなさい」も感動を呼んだ。犠牲者の追悼と平安の祈りが詰まった曲で、会場に駆け付けた2人にはひときわ大きな拍手が送られた。
 他に、俳人黛まどかさん作句、嶋津武仁さん(福島大教授)作曲の「飯舘の四季・四句」、詩人若松丈太郎さん(南相馬市)作詞、佐々木冬彦さん作曲の「ひとであるあかしとして」などが演奏された。
 飯舘村から福島市に避難している看護師相良久美子さん(51)は「村の子どもたちが元気に頑張っている様子が伝わってきて、感動した」と話していた。
 音楽祭に先立ち、村の小学生を対象とした雅楽のワークショップが開かれた。
(『福島民報』  2013/02/11 12:27 )
 
一昨年になりますが、何と、ニューヨークでも演奏されたそうです。

飯舘村の子どもたちに歌を NYのコンサートで初披露

 日本の現代音楽普及に努める団体「ミュージック・フロム・ジャパン」(理事長・三浦尚之福島学院大教授)のコンサートが19日、前夜に引き続きニューヨーク市内のホールで開かれ、東京電力福島第1原発事故で全村が避難生活を余儀なくされている福島県飯舘村の子どもたちのために作られた歌が初めて披露された。
 「ときよめぐれ(までいのロンド)」(伊武トーマ作詞・山根明季子作曲)で、ニューヨーク育英学園合唱団の児童約25人が、自分たちで考えた振り付けも交えピアノの伴奏で歌った。子どもたちに悲しみを乗り越え、羽ばたいていくよう呼び掛ける内容。
2012/02/20 11:30   【共同通信】
 
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「までい」とは、NHKキャスター大越健介さんのブログによれば、以下の通りです。
 
4月末に訪れた飯舘村の村長室は、「までい」という聞き慣れない言葉であふれていた。机に積み重ねられた書類の中に、壁に張られたポスターの中に。
「までい」とは、福島県のこのあたりの方言だそうだ。菅野典雄村長は、「漢字で書くと、『真手い』という字があたるのかなあ」と語る。真心をもって手で大事にくるむような気持ち、くらいの意味だという。
飯舘村は、「までい」な村づくりを合言葉にしてきた。人の絆を大事にし、ゆったりした田舎暮らしを楽しむ村にしようと。しかし、その取り組みが軌道に乗りかけた時、原発事故によって村の暮らしは大きく捻じ曲げられた。
 
その「までい」を盛り込んで作られた伊武さん作詞の「ときよめぐれ(までいのロンド)」。歌詞は以下の通りです。

 
前を向いて 歩いてゆこう000
道に花が 咲いている
にぎりしめた こぶしをひらき
めぐれめぐれ ときよめぐれ
てのひらの 花よ咲け
ふるさとの道に

顔を上げて 立ち止まってみよう
空に鳥が 飛んでいる
このかなしみを ときはなち
めぐれめぐれ ときよめぐれ
未来の子よ はばたけ
ほんとうの空に

手に手をとって 輪になって踊ろう
あなたがいる わたしがいる
いのちのリズム きざんで
めぐれめぐれ ときよめぐれ
名もなき花よ ひらけ
までいの里に
 
ある意味お約束ですが、光太郎の詩「あどけない話」中の「ほんとの空(ほんとうの空)」の語が使われています。
 
音楽や詩、こうしたものは一種無用のものかもしれません。無くても生きていけるものですから。しかし、こうして人々の心に訴えかけ、復興支援に一役かっています。ほんとかどうかよくわかりませんが、「歌う」の語源は「訴える」の古語「訴ふ」だという話を聞いたこともあります。
 
今後とも、歌を通し、詩を通じての復興支援、続けていっていただきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月12日

明治25年(1892)の今日、東京日本橋の「綱島亀吉」から、錦絵「楠公銅像之図」が発行されました。
 
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光雲が制作主任となり、東京美術学校総出で皇居前広場に作られた楠木正成の銅像です。竣工は明治26年(1893)。つまりこの錦絵、正式な像の完成除幕より早く発行されています。気の短い江戸っ子気質の表れでしょうか。
 
人々の服装が何ともレトロでいい感じですね。当方、額に入れて書斎のインテリアにしています。

福島の原発被害からの復興支援の合い言葉として、「智恵子抄」中の詩「あどけない話」に使われている「ほんとの空」の語がよく使われています。または「う」が入って「ほんとうの空」。
 
 
3/20(木)から昨日までの4日間、福島市音楽堂で、第7回声楽アンサンブルコンテスト全国大会が開催されました。こちらもサブタイトルが「-感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-」。

 
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「アンサンブル」ですので、基本的に少人数での演奏。要項によれば2名以上16名以下での演奏という規定でした。
 
福島県は「合唱王国」と言われ、各種の全国コンクールで上位入賞を果たす団体が多いことで有名です。智恵子の母校、福島高等女学校の後身・県立橘高校合唱団も全国大会上位常連です。平成21年(2009)から23年(2011)には、委嘱作品で、光太郎の詩に作曲家の鈴木輝昭氏が曲を付けた「女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄」から自由曲を選び、全国大会上位入賞を果たしています。

その福島県が主催して、毎年この時期に行われているのが「声楽アンサンブルコンテスト」。第1回は平成20年(2008)でした。
 
平成23年(2011)は、東日本大震災直後ということあり、中止。昨年からサブタイトルに「-感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-」が使われるようになりました。福島の皆さんの切実な思いが込められているように感じられます。
 
当方、地元・千葉で混声合唱をやっているのですが、実はこうした経緯、最近まで知りませんでした。汗顔の至りです。
 
さて、昨日までの「第7回声楽アンサンブルコンテスト」。高等学校部門、中学校部門、一般部門が1日ずつ開催され、最終日には各部門上位団体による本選という流れでした。結果、上位5位までに、福島からの出場団体が4組入っています。ホームタウンデシジョンというわけではないはず。「合唱王国」の面目躍如、そして「ほんとの空」を求める切実な思いの表れなのでしょう。
 
彼らの歌声によって、一日も早く「ほんとの空」が戻ることを願います。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月24日

大正14年(1925)の今日、詩「傷をなめる獅子」を書きました。
 
翌月の雑誌『抒情詩』に発表され、さらに光太郎没後の昭和37年(1962)、草野心平が鉄筆を執って作ったガリ版刷り詩集『猛獣篇』に収められました。
 

  傷をなめる獅子000
 
獅子は傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
宇宙の底に露出して、
ぎらぎら、ぎらぎら、ぎらぎら、
遠近も無い丹砂(たんしや)の海の片隅、
つんぼのやうな酷熱の
寂寥の空気にまもられ、
子午線下の砦(とりで)、
とつこつたる岩角の上にどさりとねて、
獅子は傷をなめてゐる。
 001
そのたてがみはヤアヱのびん髪、
巨大な額は無数の紋章、
速力そのものの四肢胴体を今は休めて、
静かなリトムに繰返し、繰返し、
美しくも逞しい左の肩をなめてゐる。
 
獅子はもう忘れてゐる、003
人間の執念ぶかい邪智の深さを。
あの極楽鳥のむれ遊ぶ泉のほとり
神の領たる常緑のオアシスに、
水の誘惑を神から盗んで、
きたならしくもそつと仕かけた
卑怯な、黒い、鋼鉄のわなを。
 
肩にくひこんだ金属の歯を
肉ごともぎりすてた獅子はかう然とした。
憤怒と、侮蔑と、憫笑と、自尊とを含んだ
ただ一こゑの叫は平和な椰子の林を震撼させた。
さうして獅子は百里を走った。
 
今はただたのしく傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
つんぼのやうな孤独の中、
道にはぐれても絶えて懸念の無い
やさしい牝獅子の帰りを待ちながら、
自由と闊歩との外何も知らない、
勇気と潔白との外何も持たない、
未来と光との外何も見ない、
いつでも新らしい、いつでもうぶな魂を
寂寥の空気に時折訪れる
目もはるかな宇宙の薫風にふきさらして、
獅子はをなめてゐる。

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福島からコンサートの情報です。 

福★モモ プロジェクト 復興支援コンサート ~”花見山”と”智恵子抄”を愛する福島の皆様方へ~

期 日 : 2014年4月16日(水) 
会 場 : 福島ビューホテル 3階 安達太良の間 JR福島駅西口
時 間 : 
16:00~17:30
料 金 : 
無料
  : 「智恵子抄」「シャンソンメドレー」「花見山伝説」「百万本のバラ」他

ピアノ 砂原嘉博

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このブログで何度もご紹介している、「智恵子抄」等の光太郎詩篇にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんのコンサートです。
 
「智恵子抄」以外にも福島市の花見山を謳った「花見山伝説」などの曲も。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月22日

昭和30年(1955)の今日、平凡社刊『書道全集 第七巻 中国・隋、唐Ⅰ』の月報に「黄山谷について」を発表しました。
 
「黄山谷(こうさんこく)」は、中国北宋の進士、黄庭堅(こうていけん)の号。草書をよくし、宋の四大家の一人に数えられています。
 
光太郎は山谷の書を好み、最晩年には中野のアトリエの壁に複製を貼り付け、毎日眺めていたとのことです。そういえば、どことなく光太郎の書にも通じる雰囲気が見て取れます。
 
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昨日のインターネットサイト『産経ニュース』の福島版に以下の記事が載りました。『産経新聞』さんの福島版にも載ったのでしょうか。 

道程刊行と結婚100周年 智恵子の生家・智恵子記念館

日本百名山の一つ、福島県の安達太良山を眺めるとき、雄大な山の美しさだけでなく、その広い大きな空に魅せられる。澄んだきれいな青い空が、もう一つの主役-。高村光太郎の詩集「智恵子抄」の『あどけない話』に登場する妻、智恵子の語る「ほんとの空」が、そこにはある。
  
 《智恵子は東京に空が 無いといふ、
 ほんとの空が見たいとい ふ。
 〈略〉
 智恵子は遠くを見ながら 言ふ。
 阿多多羅山(あたたらや ま)の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だと いふ。》(青空文庫「智恵子抄」より抜粋)
  
 智恵子抄では、『樹下の二人』にも、安達太良山や阿武隈川が歌われている。
 
 ■裕福な少女時代
 智恵子は明治19(1886)年、福島県油井(ゆい)村(現在の二本松市)の酒蔵で生まれた。
 生家はいったん売却され、民家として使われていたが、今は当時の姿を再現し、土蔵があった裏庭には、「二本松市智恵子記念館」が併設されている。
 智恵子記念館によれば、智恵子は、油井小学校高等科、福島高等女学校を経て、日本女子大に進学。卒業後、実家には戻らず、洋画家の道を歩み始める。同44年に初めて光太郎のアトリエを訪ね、翌年から光太郎が智恵子に向けた詩を書くようになった。
 そして、今から100年前に当たる大正3(1914)年10月、光太郎が詩集「道程」を世に出したのをきっかけに12月、2人は結婚生活をスタートした。
 智恵子の生家のそばで、同11年に開業した理髪店の3代目、熊谷健一さん(63)は「智恵子のまち夢くらぶ」代表を務める。理髪店は、「先代の頃は、智恵子の父も常連客だった」(熊谷さん)という。
 夢くらぶは平成17年1月に活動を開始し、10年目を迎えた。智恵子に関する私的な研究会だが、熊谷さんらは、旧安達町の商工会青年部のメンバーとして昭和60年代から生家の保存運動を進め、同4年の記念館設立にこぎつけるなど、「智恵子の里」づくりに貢献してきた。
 
療養に訪れた故郷
 今でこそ、道の駅もでき、たくさんの智恵子抄ファンが訪れるものの、熊谷さんは「智恵子の生家の長沼家は破産し、智恵子は末期に精神的な病気を患ったことから、町も『智恵子の故郷』をアピールすることに積極的でなかった」と打ち明ける。
 智恵子は、自らの芸術活動の行き詰まりの中で、昭和4(1929)年の生家の破産と一家離散をきっかけに同6年、46歳のときに統合失調症を患う。翌年、自殺未遂を起こし、同8年に光太郎と東北旅行に出た。
 2人は東京出発前に正式に籍を入れたため、油井村役場に智恵子の除籍に訪れた。「朝、役場が開く時間まで、2人が安達太良山を望む鞍石(くらいし)山を歩く姿を油井小学校に登校する子供が見ており、その道は今、愛の小径として整備されている」(熊谷さん)。
 智恵子は、母や妹一家のいる千葉県九十九里海岸で療養生活を送った後、都内のアトリエに戻り、間もなく入院。そこで制作した千数百点の紙絵を遺作として、同13年に53歳の若さで死去。3年後に、光太郎が「智恵子抄」を刊行した。
 今年は「道程」の刊行と結婚100周年、夢くらぶ発足10周年の記念の年。10回目を迎える智恵子のゆかりの場所を歩く「好きです智恵子青空ウオーク」(4月20日)、生誕祭と道程朗読会(5月18日)など、多くのイベントが開かれる。
 【メモ】東北自動車道・二本松インターチェンジから約10分、JR安達駅からタクシーで約3分、二本松駅から約8分。福島交通八軒町(はちけんまち)バス停から徒歩2分。問い合わせは智恵子記念館(二本松市油井)(電)0243・22・6151、智恵子のまち夢くらぶ(熊谷代表)(電)0243・23・6743。
 
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このブログで何度もご紹介している「智恵子のまち夢くらぶ」さんが大きく取り上げられています。
 
さらに「道程刊行と結婚100周年」という見出しもありがたいと思いました。光太郎・智恵子顕彰の今年のツボですので。
 
昨日のこのブログでは、その「道程刊行と結婚100周年」の節目の連翹忌案内を載せました。広く参加者を募ります。参加資格はただ一つ「健全な精神で光太郎・智恵子を敬愛している」ということのみです。お申し込み下さい。
 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月22日無題1

昭和58年(1983)の今日、郷原宏著『詩人の妻 高村智恵子ノート』が刊行されました。
 
すぐれた智恵子評伝の一つです。
 
帯文より。
 
智恵子伝説を解読する――
詩人高村光太郎の妻であり、名詩集『智恵子抄』のヒロインでもあるひとりの女の生涯を通覧することによって、詩人とその妻の関係の真相をミステリアスに究明する長編評伝。
 
未来社刊。2014年現在、いまだに新刊で手に入ります。

今秋の話なので、半年以上先の話ですが、報道が出ていますのでご紹介します

県北を重点開催地 県芸術祭

福島民報 2月15日(土)10時14分配信
 
 福島県芸術祭運営委員会は14日、福島市民会館で開かれた。平成26年度の県芸術祭の重点開催地を県北地区とし、開幕式典・開幕行事を9月13日に二本松市の二本松文化センターで催すことを承認した。 
  開幕行事のテーマは「智恵子の里に集う文化で深める絆」とする方針。開幕式典に続いて、文化団体・民俗芸能団体による発表を行うほか、県北地区の物産コーナーや展示コーナーも開設する方向で準備を進める。 
  今年度の県芸術祭の実施状況も報告された。主催行事は27件で、来場者は2万7712人だった。参加行事は46件で6万440人が来場した。合計の来場者は8万8152人となり、前年度を4081人上回った。 
  運営委員会には文化団体の代表ら約40人が出席した。運営委員長の高城俊春県芸術文化団体連合会長があいさつし、県芸術祭の成功を誓った。

二本松菊人形衣替え 地元に根差したテーマに

福島民報 1月30日(木)9時31分配信
 
 NHK大河ドラマを長年、主要テーマにしてきた福島県二本松市の「二本松の菊人形」は今秋、展示内容を一新する。今年は60回の節目で、二本松城築城600年にも当たることから、地元に根差した内容に衣替えする。運営する二本松菊栄会が29日、市役所で理事会を開き、企画内容を決めた。 
 
■「八重効果」追い風に
 二本松の菊人形は昭和50年からほぼ毎年、大河ドラマを主要テーマに開催してきた。59回目の昨秋は「八重の桜」をテーマに、北は北海道、南は沖縄県と全国から多くの観光客が訪れた。 
  60回の節目と、二本松城築城600年を迎える今年は、昨年の「八重の桜」効果を追い風に、二本松の良さを全国に発信する。二本松藩や二本松少年隊、結婚100周年になる高村光太郎・智恵子夫妻といった地元にゆかりある人物や歴史に焦点を当てた内容にする。 
  展示方法も変える。これまで一体となっていた会場を(1)菊花品評大会(2)菊人形観賞(3)菊花庭園-の3会場に分ける。庭園会場は菊本来の美しさを楽しんでもらおうと、初めて設ける。ガーデニングの専門家に監修を依頼し、見せ方を工夫する。 
  会期は10月11日から11月24日の45日間とし、前回から一週間延長する。料金は据え置き、大人500円(高校生以下無料)とした。 
  会長の新野洋市長は席上「今年は節目の年。先人から伝わる良き伝統を引き継ぎ、さらに充実させるために全力を尽くす」とあいさつした。

こうした活動が、智恵子や光太郎の遺勲を後世に伝えていくよすがとなってほしいものです。
 
菊人形は昨年初めて行きましたが、今年も行かねば、と思いました。

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現地を訪れることが大きな復興支援となります。みなさんもどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月18日

昭和29年(1954)の今日、リンゴの紙絵を作りました。
 
智恵子が、ではなく、光太郎が、です。
 
晩年の光太郎と親しく接した美術史家・奥平英雄の求めに応じ、この年1月から3月にかけて書いた、「有機無機帖」と題した30ページ余りの書画帖の中の見開き2ページです。
 
同じページには詩「リンゴばたけに」。昭和22年(1947)の作です。

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 リンゴばたけに008
 雨ふりて
 銀のみどりの
 けむるとき
 リンゴたわゝに
 枝おもく
 沈々として
 あかきかな
 
最後の「な」(那)の字を失敗して書き直しています。
 
光太郎日記には以下の記述があります。
 
二月十八日 木 
くもり、少雨、  ストーブ、 胸像、 奥平さんの帖に揮毫、リンゴの画を切紙でつくる、洋モク、ペルメルの赤い包紙でつくる、
 
「ペルメル」は「ポールモール(PALL MALL)」。アメリカのたばこで、現在でも日本で、ほぼ変わらぬ赤いパッケージで販売されています。「洋モク」という語に懐かしさを感じるのは当方の世代で最後ではないでしょうか……。
 
さて、紙絵。明らかに智恵子のそれの影響が見て取れますね。輪郭線を墨書している点は智恵子の作品にはない特徴ですが。

福島県いわき市の山中にある、いわき市立草野心平記念文学館さんで以下の企画展が行われています。
 
気がつくのが遅れ、紹介するのが遅くなってしまいました。申し訳ありません。

冬の企画展 「草野心平コレクション展」

2014年1月18日(土)〜3月23日(日)  9時~17時 休館日/月曜日

 詩人・草野心平(くさのしんぺい 1903〜1988)は、詩、随筆をはじめ、書、画など多彩な創作活動を展開しました。それに伴い、高村光太郎(詩人、彫刻家 1883〜1956)をはじめ、朝井閑右衛門(画家 1901〜1983)、川端康成(小説家 1899〜1972)、高村豊周(鋳金家 1890〜1972)、辻まこと(画家、随筆家 1914〜1975)、棟方志功(版画家 1903〜1975)など様々な分野の芸術家と交友を結んでいます。
 本展では、それぞれの交流がきっかけで生前の心平が収蔵した絵画、書などの芸術品を中心に、いわば詩人の個人的コレクションを紹介し、そのかかわりと魅力にふれます。

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上記チラシの中央に写っている彫刻は、光太郎作の「大倉喜八郎の首」。大倉財閥を興した大倉喜八郎で、光雲が木彫で肖像を作るための原型として作りました。ただ、チラシのキャプションでは「老人の首」となっています。
 
他にも心平の手許には光太郎の書なども多数あったはずで、それらの中から展示品が選択されているのでしょう。それから館の公式サイトによれば、豊周の名も。鋳金作品でしょう。
 
さらに同館では、昨日からスポット展示「草野天平」も行っています。
 
天平は心平の弟にして、やはり詩人。明治43年(1910)の生まれですが、昭和27年(1952)に数え43歳の若さで歿しています。歿後に弥生書房から刊行された『定本草野天平詩集』により、昭和34年(1959)の第2回高村光太郎賞を受賞しています。
 
こちらは3月30日(日)まで。
 
時間を見つけて行ってこようと思っています。皆様もぜひどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】2月2日

大正7年(1918)の今日、雑誌『美術』に「ロダンの死を聞いて」が掲載されました。
 
ロダンはこの前年11月に歿しています。
 
光太郎曰く、
 
私は今迄に経験した事のない淋しい鋭い苦痛の感情をしみじみと感じた。動乱と清粛と入りまざつた心の幾日かを空しく過した。さうしてロダンが立派にやり遂げるだけの事をやり遂げて、其の私的存在をかき消してしまつた事を思ふと、不思議な伝説的の偉大を感じる。ロダンの生きてゐた時代に自分も生きてゐたといふ事がまるで歴史のやうに意味深く、又貴く感ぜられる。

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