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二本松観光協会さんで、以下の募集を行っています。 

2014「二本松の四季」観光フォトコンテスト

二本松市内の様々なスポット、名所、四季の風物等の観光資源を、写真を通じて紹介でき、ポスターやパンフレット等で使用できる作品を募集します。
来年4月~6月は、JRグループや観光関係者、県や市町村が協力して、全国から観光客を迎える日本最大級の観光イベント「ふくしまデスティネーションキャンペーン(ふくしまDC)」が実施されます。
そこで、そのふくしまDCのPRに活用できる作品を募集するため、今年は8部門からなるふくしまDC枠を新設しました。
夏・秋・冬の作品も例年通り募集しますので、ご応募お待ちしております。
 
募集作品・募集期間
夏部門 : 平成26年8月1日(金)~9月19日(金)
秋部門 : 平成26年10月1日(水)~11月28日(金)
      ※菊人形、また提灯祭り等各種まつり行事を被写体とした作品は除く
菊人形部門 : 平成26年10月1日(水)~11月28日(金)
まつり(四季)部門 : 平成26年12月1日(月)~平成27年1月17日(土)
冬部門 : 平成27年1月20日(月)~2月14日(土)

応募方法
 ◦ カラー(モノクロ可)、四つ切り(ワイド含む)、単写真とします。
◦ デジタルカメラによる作品も応募できます。この場合、四つ切相当サイズでプリント、またはA4サイズでも可。
◦ 各部門「1人3点」まで応募可とします。
◦ 作品の裏面に『部門名、題名、氏名(フリガナ)、年齢、住所、電話番号、撮影地、撮影年月日』を明記(貼付)してください。(応募票備考欄への「返却希望」等の記入不可)
◦ 作品は、未発表のものに限ります。
• 応募票を作品の裏側中央に貼付し、持参または郵送でご応募ください。
 
応募上の注意
◦ 作品は、募集期間最終日から1年以内に撮影したものといたします。
◦ 被写体が人物の場合、応募に際しては、必ず本人(被写体)の承諾を得ること。
◦ 郵送中の作品の紛失や損傷については、主催者は責任を負いません。
◦ 審査結果についての異議の申し立ては、受け付けません。
◦ 応募いただいた作品は返却いたしません。

 
審査
【審査時期】
  ・夏、秋、菊人形 : 平成26年12月(予定)
  ・まつり(四季)、冬 : 平成27年2月(予定)
【審査員】 主催者及び主催者が委嘱した者
【審査基準】
  ・各部門とも、可能な限り被写体が二本松市内と特定できるもの。
  ・作品の2次利用(ポスター、パンフレット、チラシ等)を想定するもの。 表彰
【最優秀賞】 各部門1名 賞状・副賞
【優秀賞】 各部門2名 賞状・副賞
【入選】 各部門2名 賞状・副賞
※応募状況等により、入賞者数は5名と限らない場合がございますが、ご了承願います。
その他
◦ 入賞作品の版権は主催者に帰属します。ポスター、パンフレット等に全部又は一部を使用する場合があります。
◦ 入賞者には主催者へ原版(ポジ・ネガ・画像データ(jpg))を提出していただきます。
なお、原版がAPSフィルムの場合は、カートリッジごとお預かりします。
◦ ご応募頂いた作品は、審査終了後、二本松市役所1階市民ホールなどに展示いたします。
応募・問い合わせ先 二本松観光協会(二本松市役所観光課内)
 〒964-8601 二本松市金色403-1
TEL:0243-55-5122



 
『ふくしまDC』部門の募集が5月まで行われており、先月末に審査があったようで、今月に入って入賞作品がネット上にアップされています。
 
「霞ヶ城公園の桜」 「合戦場のしだれ桜」 「夜桜」 「桜(その他一般)」 「春の安達太良山」 「安達太良山山開き」 「春の花」 「春の風景」のそれぞれで、3~5点ずつ。どれもいい写真です。智恵子の愛した安達太良山をはじめ、霞ヶ城、道の駅「安達」智恵子の里など、ゆかりの場所の写真も。
 
「春の花」部門の入選作『藤花の薫り』は、智恵子生家から霞ヶ城に移植された藤を撮影したものと思われます。
 
ぜひご覧下さい。
 
また、上記の通り、夏、秋、冬、まつりなど各部門の募集があります。智恵子の愛した「ほんとの空」の下に広がる美しい風景を、しっかり世に広めていただきたいと思います。こうした活動も「復興」につながるものだと思います。
 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月9日002
 
大正11年(1922)の今日、森鷗外が歿しました。
 
鷗外は明治24年(1891)から東京美術学校の教壇に立ち、「美術解剖」「美学」「泰西美術史」などの授業を受け持ちました。軍医総監でもあった関係で、従軍による中断期間もありましたが、光太郎在学時にも教鞭をとっており、それが光太郎と鷗外との出会いでした。
 
その後、雑誌『スバル』の関係、すぐ近所に住んでいた関係などで、光太郎との交流は続きます。明治末、留学から帰った光太郎が徴兵免除になったのは、鷗外が裏で手を回したからという説があります。
 
光太郎は鷗外を敬愛しながらも反発し、しかし頭が上がらず、鷗外は光太郎を「しょうもない奴だ」と苦笑しながらもかわいがる、といった関係でした。

福島は双葉郡川内村からの情報です。 
毎年恒例、天山祭り開催の時期となりました。このお祭りは、草野心平先生を偲ぶお祭で、今年で49回目となります。
詳細はまだ協議中のところもありますが、開催日が決定しましたのでご案内です。

日付 平成26年7月12日(土)
時間 午前11時30分~
場所 天山文庫前庭(雨天の場合はいわなの郷「体験交流館」)
主催 天山祭り実行委員会
問合せ 教育課生涯学習係(0240-38-3806)
 
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(昨年の様子)
 
当方、昨年初めて参加させていただきました。心平の曾孫に当たるメリーさんも参加され、大いに盛り上がりました。ただ、昨年は雨のため、本来の会場、天山文庫ではなく、いわなの郷体験交流館での開催でした。今年はどうなりますことやら……。
 
福島第一原発の事故による川内村をめぐる状況は、相変わらず厳しいものがあります。以下、今月の報道から。  

帰村宣言2年半 遠藤雄幸・福島県川内村長に聞く

◎村民に「戻る気持ち」促す

 福島第1原発事故で一時全村避難した福島県川内村が、2012年1月の「帰村宣言」から間もなく2年半を迎える。原発20キロ圏内にある村内の避難指示解除準備区域では4月下旬から最長3カ月の長期宿泊が可能となり、政府は7月末の解除を見込む。遠藤雄幸村長に現状と課題を聞いた。(聞き手は福島総局・横山浩之)

 -住民の帰還状況は。
 「村民約2800人のうち昨年10月までに52%に当たる1455人が帰村した。近く5月末時点のデータがまとまるが、帰村率は上がる見通しだ」
 「帰村宣言は村民の行動を何ら制約するものではない。村民と懇談を重ねる中、(皆に帰ろうと促すことが)どれだけ難しいか実感した。ただ、『帰らない』と決めた人にとっても古里は必要だ。川内村を消滅させるわけにはいかない」
 -長期宿泊の状況は。
 「対象者276人中、約40人が申請し、20人前後の人が自宅に泊まっている。昨年実施した特例宿泊と比べ増えており、20人という数が少ないとは思わない。帰還に当たり村民の不安が払拭(ふっしょく)されることが大前提だが、一日も早く避難指示を解除したいという思いはある」
 -帰村者を対象に1人当たり10万円の地域振興券の配布を始めた。
 「5月末で約220人が利用を申し込んだ。ガソリン代など帰村に伴う生活コストの増加を補い、『村に戻ろう』という気持ちを持ってもらうのが狙いだ」
 -原発事故から3年余。村民の気持ちに変化は生じているか。
 「先祖代々受け継いできた山、田、畑から切り離され、生きがいや誇りを失いつつあることが一番気掛かりだ。原発事故との闘いは村民の誇りを取り戻す闘いでもある」
 -国への要望は。
 「復興庁の役割は大事だが、大きな事業になると霞が関に直接陳情に出向かなければならず、震災前と変わっていない。もっと自治体の意向を尊重し、自由裁量の幅を広げてほしい」
(『河北新報』 2014年06月07日土曜日) 

川内村、「自宅で生活」5%…帰還へ不安根強く

 東京電力福島第一原発事故の避難指示の解除に向けて、4月から長期宿泊が可能になった福島県川内村東部の139世帯275人のうち、自宅を拠点に生活している住民は約5%にとどまっていることが、27日、同村の行政区長などへの取材で分かった。

 川内村の原発20キロ圏内の避難指示解除準備区域では4月26日から3か月、帰還準備のための長期宿泊が可能になった。

 村によると、長期宿泊の登録をしているのは、20世帯39人で、読売新聞が、三つの行政区の区長や住民に取材したところ、生活の基盤を仮設住宅など避難先から自宅に移しているのは8世帯15人だった。

 同村復興対策課は、理由について、国直轄の除染は終了しているものの、放射線と生活環境への不安が根強く、長い間住むことができずに傷んでしまった住宅の改修が進んでいないためとみている。
(『読売新聞』 2014年6月28日)
 
現地を訪れるだけでも立派な復興支援です。ぜひ足をお運び下さい。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月30日002
 
昭和26年(1951)の今日、弘文堂からアテネ文庫の一冊として日夏耿之助編『近代日本詩集』が刊行されました。
 
「アテネ文庫」は昭和23年(1948)創刊。古本マニアの間で一種、神聖視されているシリーズで、全301冊を揃えるのに血眼になったという話を聞きます。何冊かは「幻」扱いだそうです。
 
『近代日本詩集』には光太郎詩「五月の土壌」(大正3年=1914)、「狂者の詩」(大正元年=1912)が収録されています。
 
ちなみに「狂者の詩」には「コカコオラもう一杯」という一節があり、日本におけるコーラに関する記述の最も早いものの一つだそうです。

    あどけない話 003
 
 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切つても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ、
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。
 
右の画像、以前も使いましたが、二本松の智恵子生家です。
 
東日本大震災後、この「あどけない話」に出てくる「ほんとの空」の語が、一種のキーワードのように使われています。派生的に「ほんとうの空」という語も。
 
いずれ光太郎智恵子の歿後年譜的なものの中に、「平成23年(2011) 東日本大震災発生。詩「あどけない話」中の「ほんとの空」の語が復興支援のキーワードとなり、広く使われる」といった記述がなされそうな気配です。
 
さて、近々あるイベント、テレビ放映から「ほんとの空」がらみをご紹介します。 

「ほんとの空☆星空を見上げてみよう!」

夏の夜空を見上げてみよう!福島市の街なかで005、星空観測会が開催されます。
参加は無料です。
綺麗な星空を眺めてみましょう(^O^)

「街なか観望会」
開催日:6月29日(日)雨天中止
時 間:19:00~20:30
会 場:街なか広場
・一番星を見つけよう/土星観察/火星観察/
 北極星をさがそう
 
「板垣公一氏 講演会」
開催日:6月30日(月)
時 間:13:00~14:30
    (先着100名 記念品もあります)
会 場:福島テルサ FTホール
演 題:豆と超新星発見のかかわり
講 演:山形大学名誉博士・超新星ハンター 板垣 公一氏
入 場:無料

【お問い合わせ】 福島市浄土平天文台
0242-64-2108

★日本で一番星空に近い天文台「浄土平天文台」。手を伸ばすと届きそうな満天の星空を楽しんでみては♪
 
昨秋も同様のイベントで「ほんとの空」の語が使われていました。
 

 
続いてテレビ放映情報ですが、ただし、高知県限定です。

「ほんとの空」

高知さんさんテレビ 2014年0066月22 (日)  15:25 ~ 16:05 (40分)
 
 高齢者や外国人に対する排除、不利益な扱い、同和問題や原発事故に伴う風評被害の問題、これらに共通する根っこの部分は、誤った考え方や思い込み、偏見という「意識」である。
誰もが他者の排除や差別がよくないことは理解している。その一方で、自分や身近な人に関わる出来事には敏感に反応するが、それ以外のことは他人事のように感じたりする。また、自分や家族の生活を守るために、あるいは誤解や偏見に気づかず、他者を排除したり傷つけたりしがちである。
誤解や偏見に気づき人と深く向き合うこと、他者の気持ちを我がこととして思うこと。すべての人権課題を自分に関わることとしてとらえ、日常の行動につなげていくようにと訴える。
 
出演 白石美帆 鳥羽潤 湯浅美和子   浦上晟周 石川大樹 他
 
兵庫県人権啓発協会さんが企画、県教委の協力で、東映さんが製作したものです。もともとは自治体主催のイベントや学校で上映するためにつくられたのではないでしょうか。
 
東映イー・ヴィ・エスさんでDVDを市販していますが、価格が80,000円+税。ちょっと高いですね。兵庫県人権啓発協会さんでは無料レンタルを行っているようです。ただ、個人貸し出しではなく、やはり自治体や学校、企業での使用に限るとのこと。


 そちらのページからあらすじを抜粋させていただきます。
 
 向井弓枝は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障害のある人に対してイライラを募らせる。弓枝は、面倒な人が多く住むこのマンションではなく、一戸建てや新築マンションに引つ越したいと、夫の勇に訴える。
 
 弓枝の一人息子の輝は、空オタクだ。いつも空や雲のことを考えていて友だちもいない。カメラを抱えた輝が自宅に帰つてくると、隣の部屋のドアが開き、見知らぬ外国人が引越をしている。外国人に対して偏見を持つている弓校と勇の話を聞き輝も「みんな不法滞在なんだから送り返せばいいJと言う。
 
 輝がマンションの屋上に行くと、同じ年頃の少年 龍太が空にカメラを向けていた。空好きの二人は意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと 龍太の母の美里が、故郷福島の草木染めの布を持つてくる。最初は喜ぶ弓枝だつたが、パート仲間の意見もあり 放射能への恐ろしさから布を捨ててしまう。そしてそれを、龍太がゴミ置き場で発見する。
 
 学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけ加勢するが、二人とも投げ飛ばされる。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。それを同じマンションの高齢者、千代子とタイ人ロークが止める。帰宅した輝は母を責め、家を飛び出す。
 
 輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦□―クとノイのところにいた。夫婦はタイ料理店で働いていて、店を持ちたいので試食してほしいと申し出る。皆で食卓を囲みながら、ノイの思いを知つた輝は、廊下の鉢植えを割つたことを謝り、勇も偏見を持つていたと告げる。握手をする勇と□―ク。その様子を笑顔で見つめる弓枝は ふと台所の隅に 自分が捨ててしまった草木染めがあることに気づく。
 
 ノイから 草木染めを譲つてもらった弓枝は 美里の家に。そして自分の気持ちを伝えようとするが……。
 
このたび高知さんさんテレビさんでオンエアされます(もしかすると以前にも全国どこかでテレビ放映されたかもしれません)。
 
高知の皆さん、ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月18日

平成6年(1994)の今日、青森十和田湖畔の裸婦像かたわらに、詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」を刻んだ詩碑が除幕されました。
 
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この年、損傷の目立った裸婦像の補修工事が行われ、それにともなって、光太郎肉筆原稿から文字を起こし、新たにこの碑が付設されました。
 
  十和田湖畔の裸像に与ふ

銅とスズとの合金が立つてゐる。
どんな造型が行はれようと
無機質の図形にはちがひがない。007
はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
きたならしさはここにない。
すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
天然四元の平手打をまともにうける
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のやうに立つてゐる。
いさぎよい非情の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで
この原始林の圧力に堪へて
立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。

昨日から一泊で出かけておりました。
 
千葉・柏、福島・二本松、宮城・女川と仙台を廻り、先程帰宅致しました。
 
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詳細は明日以降、レポート致します。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月15日
 
昭和26年(1951)の今日、龍星閣から『随筆 独居自炊』を刊行しました。
 
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新刊雑誌情報です。

『いろは』 vol.4

2014年5月20日 六曜社 定価1,389円+税
 
特集=詩歌とめぐる東北の旅 前 福島
 
会津若松-春の城下町を訪ねて
磐梯高原-のんびり散歩
黛まどか 被災地でふれた日本のこころ
福島-夏の福島、東へ‐西へ
二本松-智恵子の故郷を歩く
高村智恵子-その生涯と作品
相馬-[あの場所]のいまを訪ねて
<文人が愛した湯> 東山温泉 向瀧 / 飯坂温泉 青葉
<私が好きな福島> 秋吉久美子 / 唐橋ユミ
福島の土産
 
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というわけで、智恵子にからめて二本松の紹介が9ページ、智恵子そのもののページが3ページあります。
 
その他、アナウンサー・唐橋ユミさんもコラムで智恵子の杜公園にふれてくださっています。
 
 
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さらに磐梯山、相馬の尾浜原釜海岸、東山温泉、福島市など、光太郎智恵子ゆかりの地の情報、そして東日本大震災後の現状などの記事が満載です。
 
こちらからお求めいただけます。
 
ちなみのこの『いろは』、一昨年刊行された創刊号でも、「『青鞜』創刊100周年記念特集」を組み、光太郎智恵子にも触れて下さっていました。
 
ぜひお買い求めを。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月12日
 
明治41年(1908)の今日、留学先のパリから光雲にあててはがきを送りました。
 
拝啓 昨夜六時半無事巴里着、「ホテル、スフロー」に一泊して、今日より兎も角も畑正吉君に同宿致す事と致し 今日此処に引移り申候。気候も倫敦と大差無之候。 又直ちに御便可申 今日は到着の御報知まで、 六月十二日 光太郎
 
文面にある通り、前日にロンドンからパリに到着、翌年までパリに過ごします。このパリで、光太郎の真の芸術開眼が起こります。

テレビ放映情報です。 

遠くへ行きたい 旅人 竹下景子「奥入瀬の森と湖に遊ぶ 青森県十和田湖」

地上波日本テレビ 2014年6月8日(日)  5時30分~6時00分
 
「知らない街を歩いてみたい♪」の主題歌で有名な、歴史ある旅番組。旅人を通じて、『人・景色・食』など、訪れた土地の魅力を紹介する。
 
旅人 竹下景子
 
女優・竹下景子が、美しい自然に触れるため、青森県十和田湖を旅する。 まずは、廃線となった「南部縦貫鉄道レールバス」に体験乗車させてもらい、その魅力に感動。 世界遺産白神山地と並ぶブナの森「蔦(つた)の森」を散策し、大自然の雄大さを感じる。 「奥入瀬(おいらせ)渓流」では、ルーペを片手に苔の世界の神秘に感動し、苔玉作りにも挑戦。 最後は、パワースポットとして注目される十和田神社の「占い場」を訪れる。
 
<系列各局放送時間>
日本テレビ (日)5:30
札幌テレビ (水)26:04 006
青森放送 (金)10:25
北日本放送(金)15:55
中京テレビ(日)7:00
四国放送 (木)10:55
南海放送 (火)10:25
日本海テレビジョン (土)5:29
広島テレビ (日)7:00
福岡放送 (日)7:00
長崎国際テレビ (日)16:55
鹿児島読売テレビ (日)7:00
 
今年初めに当方もお会いした苔玉作りのインストラクター、起田高志さんがご出演。それから番組HPを見ると、観光ボランティアの方らしき画像があり、やはり当方の存じている方が出演されるかも、と期待しています。
 
十和田湖畔の裸婦像、通称「乙女の像」が少しでも紹介されればいいのですが……。
 


もう1件、先週オンエアされたものの再放送です。 

いにしへ日和 #107 福島県・二本松市・智恵子の空

BS朝日 再放送2014年6月5日(木) 21時54分~22時00分
 
時をこえ、小さな旅に出かけよう。今日は、いにしへ日和…日本の各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。
 
“あれが阿多多良山、あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生まれたふるさと…"二本松市は「智恵子抄」のモデルとなった高村智恵子が生まれた地。造り酒屋だった生家が今も残され、光太郎との結婚後も1年の半分をここで過ごしたといわれています。
 
智恵子は、この故郷の空を「ほんとの空」だと言いました。 彼女が愛した故郷を訪ねます。
 
出演 ナレーター キムラ緑子
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先週の本放送を見ました。5分間番組ですが、ゆるい感じが旅情を誘う感じでした。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月4日

昭和19年(1944)の今日、詩「たのしい少女」を書きました。
 
  たのしい少女007
 
 或たのしいたのしい大事なものが
 わたしの心の奥の方に
 世にも大切にお祀りしてあるので、
 それでわたしはいつでもこんなに
 みんながをかしがるほど元気で、
 みんなが不思議がるほどお人よしで、
 どんな事にも決してうろたへず、
 どんな時にも決してめげずくじけず、
 なんにも欲しいとおもはず、
 あればあるでいいし、
 なければないでいいし、
 心が勇んで毎日の勤労にも
 勉強にもお手伝にもお食事にも
 たとへやうもない張合を感じます。
 職場で叱られるのも気持ちよく、
 ひとりの時は尚更胸がせいせいします。
 そのたのしいたのしい大事なものを、
 申すもおそれ多いことながら、
 わたしは 天子様からいただきましたの。

金(キム)総統様、みたいですね。笑い事ではなく、70年前の日本はこんなだったのです。この時代に戻したがっている愚か者がいるというのも嘆かわしい限りです。

テレビ放映情報です。 

いにしへ日和 #107 福島県・二本松市・智恵子の空

BS朝日 2014年5月29日(木)  21時54分~22時00分
     再放送
 2014年6月5日(木) 21時54分~22時00分
 
時をこえ、小さな旅に出かけよう。今日は、いにしへ日和…日本の各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。
 
“あれが阿多多良山、あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生まれたふるさと…"二本松市は「智恵子抄」のモデルとなった高村智恵子が生まれた地。造り酒屋だった生家が今も残され、光太郎との結婚後も1年の半分をここで過ごしたといわれています。
 
智恵子は、この故郷の空を「ほんとの空」だと言いました。 彼女が愛した故郷を訪ねます。
 
出演 ナレーター キムラ緑子
 
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5分間番組です。とはいえ智恵子をメインにあつかっていただけるので、ありがたい限りです。
 
放送予定が変更になったようで、実は2週間ぐらい前にこの内容が予告で出たのですが、すぐに取り消されました。「まさかお蔵入りか?」と思ったのですが、無事放送されるようで何よりです。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月24日000

平成7年(1995)の今日、日本放送出版協会から『みちのく文学散歩』が刊行されました。

当時、NHK-BSで放映されていた同名の30分番組全20回を出版化したものです。
 
メディアプロデューサー・残間里江子氏による「高村光太郎-『詩集・典型』を含みます。この項では、詩集『典型』(昭和25年=1950)が編まれた、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)をメインに、十和田湖も取り上げられています。
 
当時、この放送を見逃してしまいました。NHKさんの過去の番組は、一部のものが埼玉川口のNHKアーカイブス施設などに行けば「番組公開ライブラリー」ということで視聴可能なのですが、この番組は入っていません。販売用DVD等にもなっていません。
 
同じ番組の石川啄木を取り上げた回は、昨年、やはりBSの「プレミアムアーカイブス」という枠で再放送されました。これはNHKさんのBSや総合テレビで放送された番組の中から、反響の大きかったものをもう一度放映するというもの。光太郎の回もぜひ放映してほしいものです。
 
また、他にも光太郎智恵子を扱った番組が多数ありますので、そちらも観たいものです。

一昨日の日曜日、二本松市コンサートホールでは「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」が開催されましたが、同じ日に安達太良山では「第60回安達太良山山開き」でした。
 
地元紙に報道されていますのでご紹介します。 

「ほんとの空」目指し頂へ 安達太良山開き

 福島県内の主要な山のトップを切り、安達太良山(1700メートル)が18日、山開きした。60回の節目を迎え、過去最多となる1万5000人(主催者発表)が山頂を目指した。
 県内外から訪れた登山客が奥岳、塩沢などの登山口から入山した。互いに声を掛け合い、「智恵子抄(ちえこしょう)」でうたわれる「ほんとの空」を見上げながら、一部に雪が残る登山道を歩いた。
 「乳首山」と呼ばれる岩峰の山頂付近は濃いガスに覆われていたが、晴れ間が広がると安達太良連峰や吾妻連峰、猪苗代湖などの雄大な景色を見渡すことができた。
 60回目の山開きを祝い、餅つきなどの記念行事が催された。
(『福島民報』)
 
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「安達太良山」山開き 過去最多1万5000人“絶景”満喫

 日本百名山で知られる安達太良山(1700メートル)の第60回山開きは18日行われ、登山者は岩場やぬかるみを踏みしめながら山頂を目指し、眼下に広がる絶景のパノラマを満喫した。
 節目の山開きとなった今回は、県内外から昨年を約7000人上回る過去最多の約1万5000人が訪れた。登山者は新緑と残雪が入り交じる雄大な景観を堪能しながら、登山道を一歩一歩進んだ。時折、晴れ間がのぞくと、猪苗代湖や阿武隈山系、吾妻連峰などの景色が広がり、登山者が疲れを癒やした。
 山頂では、60回記念行事の餅つきと恒例の安全祈願祭が行われ、安達太良連盟会長の新野洋二本松市長をはじめ関係団体の代表が玉串をささげ、シーズン中の安全を願った。ミズあだたらコンテストでは、ミズあだたらに福島大4年の桑名真美さん(21)=福島市=が選ばれた。
(『福島民友』)
 
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桑名さん(福大)ミズに 安達太良山開きでコンテスト

 第50回ミズあだたらコンテストが安達太良山頂付近で催され、ミズは福島大4年の桑名真美さん(21)、準ミズは福島市臨時職員の今泉綾さん(22)が輝いた。
 桑名さんは初めての安達太良山登山で、景色を楽しみながら登ったという。「選ばれると思っていなかった。素晴らしい賞を頂きうれしい」と白い歯をのぞかせた。今泉さんは小中高と安達太良山に親しんできた。山開きに合わせた登山は今回が初めてだった。「なじみの山。60回の節目に選ばれてうれしい」と満面の笑みを見せた。
 2人には後援の福島民報社提供のトロフィーなどが贈られた。コンテストは年齢不問で、50人が出場した。着こなしなどが評価対象となった。
(『福島民報』)
 
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60回というキリ番の山開きに、過去最多の人出。よかったと思います。「智恵子抄」中の「ほんとの空」というキャッチフレーズが一役買っているのであれば、嬉しい限りです。
 
秋の紅葉冬の幻想的な樹氷、これからも四季折々に美しさを見せる安達太良山。山開きだけでなく、ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月20日

昭和31年(1956)の今日、光太郎四十九日。智恵子も眠る駒込染井霊園の高村家墓所に、光太郎の遺骨が埋葬されました。
 
昨年の今日、このブログの【今日は何の日・光太郎】でご紹介しましたが、今日は奇しくも智恵子の誕生日です。

昨日は、福島二本松市コンサートホールにて開催された「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」を拝聴して参りました。
 
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午前9時過ぎ、愛車を駆って自宅を出ました。先月、圏央道が自宅近くまで延伸されたので、通ってみたところ、これまでよりだいぶ早く行けるようになりました。
 
圏央道→常磐道→磐越道→東北道と乗り継ぎ、昼食は東北道の安達太良SAでとりました。
 
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安達太良SAから見た安達太良山。昨日は山開きもあり、こちらも多くの人でにぎわったようです。
 
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同SA、下り線2階の蕎麦屋さんには、智恵子に関するミニ展示があります。お立ち寄りの際にはぜひご覧ください。
 
東北道二本松ICで降りて、コンサートホールへ。ここは昭和63年の開館ですが、二本松ゆかりの声楽家・関屋敏子に因んだイタリア風の外観をもつ瀟洒な建物です。館内には関屋敏子のポートレートや肖像画が飾ってありました。関屋は先祖が二本松藩の御殿医だったそうです。
 
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さて、午後2時、開演。二本松在住の河田富士雄さんの語り、連翹忌や女川光太郎祭ご常連の宮川菊佳さんのギターに載せ、ラジオ福島アナウンサー・菅原美智子さんによる光太郎詩朗読。
 
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光太郎智恵子の出会いから、智恵子死後の光太郎の独居生活までを6章に分け、それぞれ3~5篇ずつ、計23篇の朗読で、光太郎智恵子の世界を表現されました。
 
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プロジェクタで関連する画像を映写したりといったビジュアル的な工夫もあり、なんといっても菅原さんの情感たっぷりの朗読が素晴らしいと思いました。当方、菅原さんの朗読を聴くのは初めてでしたが、このイベントの主催団体である「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷代表から、とてもいいと聞かされており、今回、実際に聴いてみて、納得いたしました。
 
この後も「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催のイベント、また、同じく二本松で活動されている「智恵子の里レモン会」さん主催のイベントなどがいろいろとあります。また近くなりましたらご紹介いたしますが、1件だけ先の話を。
10/5(日)、智恵子忌日の「レモン忌」が「智恵子の里レモン会」さん主催で行われます。今年は当方が記念講演をすることになりましたのでよろしくお願い申し上げます。詳細は後日。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月19日

昭和25年(1950)の今日、日本書籍株式会社から1,600円の書留を受けとりました。
 
大正13年(1924)作の詩「春駒」が同社刊行の教科書に掲載されたため、その転載料です。

智恵子の故郷にそびえ立つ、福島は安達太良山関連の情報です。

安達太良山山開き

2014年5月18日(日)
今年で記念すべき第60回を迎える安達太良山山開き。日本百名山の一つに数えられている安達太良山は『智恵子抄』で有名な高村智恵子が「ほんとの空」がある山として愛したことでも知られる。山開き当日は、毎年恒例の記念ペナント配布、安全祈願祭、ミズあだたらコンテストに加え、第60回記念イベントとして、山頂での餅つき・餅配布、お楽しみ抽選会、記念グッズ配布の他に奥岳登山口付近では福島県内の郷土料理の提供も行われる。前夜祭は、安達太良山の麓でイルミネーションイベントやコンサートのアトラクションも企画されている。
(「るるぶ・com」より)
 
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安達太良山は標高約1,700メートル。天候さえよければ、陽気のいい季節ですから爽快でしょう。JR二本松駅からシャトルバスで30分、奥岳登山口→ゴンドラで10分、8合目→徒歩90分だそうです。
 
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前夜祭もあるそうですし、当日もいろいろイベントが盛りだくさんのようです。
 
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前夜祭には、地元在住のトランペッターで、智恵子関連のイベントによくご出演なさっているNobyさんがご登場なさいます。
 
当方、山歩きも好きなので、行きたいのはやまやまなのですが、この日はやはり二本松で「智恵子生誕祭」です。
 
『福島民報』さんに、予告の記事が出ています。

光太郎との愛の軌跡 詩の朗読聴いて 18日 二本松智恵子の生誕祭

詩人高村光太郎の妻・智恵子の生誕祭「朗読とギターで綴(つづ)る智恵子と光太郎の道程」は18日、智恵子の古里・二本松市で開かれます。
主催する市民団体「智恵子のまち夢くらぶ」事務局の熊谷さつきさんは「今年は2人の結婚、光太郎の詩集『道程』の出版がともに100周年となる記念の年です。詩とギター演奏を聴いて、夫妻の人生に思いをはせてみませんか」と誘っています。
ラジオ福島アナウンサーの菅原美智子さんが詩集「道程」「智恵子抄」などから詩23編を朗読します。ドラマ仕立てで、2人の純愛の軌跡をたどります。フラメンコギターの演奏が雰囲気を盛り上げます。
 
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「『道程』100周年」とうたって下さっていますので、000当日は当方手持ちの初版『道程』をお持ちして、御来場の皆様にお目にかけようかと考えております。
 
「安達太良山山開き」、「智恵子生誕祭」、どちらもよろしくお願い申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月10日

昭和46年(1971)の今日、明治図書から伊藤栄洪著『ああ光太郎・智恵子』が刊行されました。
 
「明治図書中学生文庫」シリーズの一冊で、中学生対象の評伝です。
 
古書市場等でほとんど見かけることがありませんが、非常にわかりやすく書かれた優れた評伝です。

福島二本松からイベント情報です。

第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程

後 援 : 二本松市他
期 日 : 2014年5月18日(日) 午後2時~
会 場 : 二本松市コンサートホール 二本松市亀谷1-5-1
料 金 : 前売2,000円 当日2,500円 
 込 : 熊谷さん 0243-23-6743
出 演 : 菅原美智子(ラジオ福島アナウンサー) 宮川菊佳(ギタリスト)
      河田富士雄(ナレーター)
 
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5月20日が智恵子の誕生日ですが、それを記念してのイベントです(一昨年も同様のイベントがありました)。「今年、平成26年(2014)は、「道程」100周年、光太郎智恵子結婚披露100周年です」と、当方がさんざん騒いだためか、それらの記念事業という冠をつけて下さいました。
 
ギターの宮川さんは、連翹忌や女川光太郎祭のご常連。継続して光太郎智恵子関連のイベントに取り組まれていて、頭の下がる思いです。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月30日

昭和22年(1947)の今日、雑誌『農民芸術』に散文「玄米四合の問題」が掲載されました。
 
「玄米四合」というのは、光太郎もその発見の場に立ち会った宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の一節です。そこに表された賢治の精神を評価しつつ、光太郎はその度を過ぎたストイックな面には同意しませんでした。
 
私の見るところでは宮澤賢治の食生活は確に彼の身を破り彼の命数を縮めた。宮澤賢治に限らず、かういふ最低食生活をつづけながら激しい仕事をやつてゐたら、誰でも必ず肋膜にかかり、結局肺結核に犯されて倒れるであらう。「玄米四合ト味噌ト少シノ野菜」の問題は重大である。
 
そして、こんなことも。
 
私は玄米四合の最低から、日本人一般の食水準を高めたい。牛乳飲用と肉食とを大いにすすめたい。日本人の体格を数代に亘つて改善したい。
 
戦後間もない時期、精神論ではなく合理的、科学的に考えていた光太郎に敬意を表します。
 
しかし、「メタボ」や「ダイエット」の語が氾濫するこの国の現状を見たら、賢治や光太郎はどう思ふのでしょうか……。

昨日は福島市に行って参りました。
 
福島駅前の福島ビューホテルさんにて、光太郎の詩に曲を附けて歌っているシャンソン歌手、モンデン・モモさんの「福★モモ プロジェクト 復興支援コンサート ~”花見山”と”智恵子抄”を福島の皆様方へ~」があり、そちらを聴きに行って参りました。
 
そちらが午後4時開演だったので、少し早めに福島市に入り、花見山公園に行ってみました。ここは、元々は阿部さんという農家の方が、さまざまな花を植えていた個人の山で、「花を見せてほしい」という要望が強くなって開放するようになったという、ちょっと変わった経緯のある公園です。近年は旅番組等でも取り上げられ、この季節、人気のスポットになりました。
 
平日だからそれほど混んでいないだろう、とたかをくくっていたら、とんでもありませんでした。まず現地まで車で行けません。案内に従って、2㎞ほど離れた阿武隈川沿いにある親水公園に駐車、そこからシャトルバスです。着いてみると、県外ナンバーの大型観光バスがずらっと30台以上。そういえば、途中の磐越道や東北道でやけにバスが多かったと思ったら、行き先はここだったのです。
 
あまり時間がなかったので、ざっと歩いただけになってしまいましたが、それにしても、花、花、花。

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関東では盛りを過ぎた桜や連翹が満開でした。さらに木瓜(ぼけ)や桃、木蓮、菜の花なども。あらためてゆっくり行ってみようと思いました。
 
さて、駅前に戻り、モモさんのコンサート。
 
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いつものように砂原嘉博さんのピアノ伴奏に乗せて、お家芸のシャンソン、それから「花」にまつわる歌の数々などを披露されました。
 
モモさんオリジナルの「花見山伝説」という歌も。これは以前に花見山を訪れ、二代目園主の阿部一郎さん(昨年逝去されたそうです)との出会いから生まれた歌だそうです。
 
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さらに光太郎がらみの「樹下の二人」「道程~冬が来た」も演奏されました。
 
それから、モモさんのニューアルバム「土地 人 伝説」がリリースされ、そちらもゲットしてきました。
 
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モモさんの活動拠点、出雲や福島に関わる歌、光太郎智恵子、平塚らいてうや宮澤賢治へのオマージュなどで構成されています。お買い求めはこちらから。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月17日000

昭和2年(1927)の今日、光太郎による書き下ろし評伝『ロダン』が刊行されました。
 
版元はアルス。北原白秋の弟・鉄雄が創立した出版社です。モノクロですが、図版も豊富に使われ、当時としては豪華な作りです。翌年には同じアルスからペーパーバックの普及版も刊行されています。
 
「ロダンの一生に於ける悲しい記憶の一つである。」として、昨日ご紹介したカミーユ・クローデルに触れている箇所もあります。

もう一日福島ネタで。
 
昨日、BSフジさん放映の「旅するハイビジョン 全国百線鉄道の旅 第85回「北へ向う大幹線 東北本線」を見ました。公式サイトなどの番組説明に光太郎智恵子の名があったので期待していたところ、期待に違わず約3分間にわたって取り上げられました。
 
二本松市の智恵子生家、智恵子記念館、さらにその裏手の智恵子の杜公園にある「樹下の二人」の詩碑など。けたたましいレポーターのタレントなどは登場せず、落ち着いたナレーションで淡々と風景を紹介する作りに、かえって好感が持てました。この番組はオンエアされたものが順次DVD化、発売されていますので、そちらにも期待したいものです。
 
さて、この一帯で開催されるイベントに関し、いろいろと報道されています。 

第10回智恵子生誕祭 好きです智恵子青空ウォーク~桜章~ 桜満開の空の下 智恵子ゆかりの地を歩く―参加者募集

20日(日)午前9時半(午前9時受付)・二本松市智恵子純愛通り記念碑前発(着も)。約5キロを歩く。定員50人(先着順)。昼食は各自持参。参加費は1000円、学生500円(智恵子記念館入館料、保険代含む。麦茶、プレゼント付き)。智恵子のまち夢クラブ熊谷さん0243・23・6743。
(『読売新聞』福島版) 
 
智恵子青空ウォークに関しては、『福島民報』さんのサイトでもPDFで紹介されています。
 
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さらに別件で一つ。 

“二本松の桜の名所”巡る 臨時バス「春さがし号」発車

 ふくしまプレDCに合わせ、内容を充実させた、二本松市内の桜の名所などを巡回する臨時バス「二本松春さがし号」は1日、運行をスタートした。5月16日までは毎日、5月17日から6月29日までの土、日曜日の約3カ月間、1日8本のバスを運行し、春の観光シーズンを迎えた同市内を巡る。
 今年は、プレDCに合わせ、これまでの「春らんまん号」を改称、運行期間を延長するなどした。
 コースはJR二本松駅前を出発点に本町から亀谷坂露伴亭、智恵子の生家を経て、霞ケ城公園や大隣寺を巡って駅前に戻る。料金は、大人(中学生以上)が170~500円、子どもは90~250円。1日フリー乗車券は、大人(同)500円、子ども250円(乳幼児無料)。1日フリー乗車券の提示で、同市の大山忠作美術館と智恵子記念館の入館料が割り引きされる。
 このほかは、10日から5月6日まで実施する第4回城下町すたんぷラリーにも参加している。
 同駅前で1日行われた出発式では、半沢典明福島交通二本松営業所長が「市街地活性化の一助となるよう安全運行に努めたい」とあいさつ。引き続き、半沢所長と安斎文彦二本松観光協会長、高野正幸二本松駅長がテープカットした。問い合わせは福島交通二本松営業所(電話0243・23・0123)か二本松観光協会(電話0243・55・5095)へ。
(『福島民友』)
 
「ふくしまプレDC」とは、来年、平成27年4月から6月に開催する「ふくしまデスティネーションキャンペーン」のプレキャンペーンとして、今年4月から6月まで「福が満開、福のしま。」として展開されている福島県観光キャンペーンだそうです。
 
これから春爛漫の福島。ぜひ訪れて、光太郎智恵子に思いを馳せてください。
 
ちなみに当方、明後日は福島市に行って参ります。シャンソン歌手、モンデン・モモさんのコンサートです。千葉では盛りを過ぎてしまった桜がまだ見られそうで、期待しています。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月14日

昭和47年(1972)の今日、光太郎と智恵子の出会いをお膳立てした、日本女子大学校での智恵子の先輩、柳八重(旧姓・橋本)が歿しました。
 
八重の夫は洋画家の柳敬助。敬助は荻原守衛や光太郎と親しく、留学からの帰朝後に荒れた生活をしていた光太郎を心配していたといいます。

昨日夕刻にNHK総合で放映された「特集 小さな旅「山の歌」」を拝見しました。昨秋放映された「シリーズ山の歌 秋 ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」を含む「小さな旅」の総集編でした。
 
安達太良山の項では、昨秋の放映でも使われていた光太郎・智恵子のエピソードがカットされずに使われていました。その後は安達太良山で訓練中の地元・安達高校山岳部女子部員の話でした。
 
今日の夕刻には、BSフジさんで「旅するハイビジョン 全国百線鉄道の旅 第85回「北へ向う大幹線 東北本線」の放映があります。また銚子に出かける用事があるので、リアルタイムでは見られませんが、録画予約をしておきました。番組説明には高村光太郎の詩で有名な安達太良山」の語がありましたので、期待しています。
 
ところで過日、二本松市出身の日本画家、故・大山忠作氏のご息女、大山采子さん(女優・一色采子さん)からお手紙を頂きました。4/2の第58回連翹忌にご出席下さった御礼状をお送りしたのに対してのご返信でした。
 
その中に、俳句が一句。曰く、
 
連翹忌 亡父(ちち)知る婦人(ひと)の 細き杖
 
連翹忌には、光太郎の甥にあたる高村規氏をはじめ、大山忠作氏をご存知の方がいらしたようで、その中の杖をつかれた老婦人を詠まれたようです。
 
ちなみに市販の気の利いた歳時記には、「連翹忌」が春の季語として登録されています。
 
「おそまつ」とありますが、いやいやどうして、毛筆の流れるような筆跡で、内容的にも感動しました。
 
さらに大山さん、お父さまの描かれた、安達太良山をあしらった一筆箋(30枚組)を同封してくださいました。大切に使わせていただきます。

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さて、過日の『福島民報』さんに、安達太良山の麓、国道4号線沿いの「道の駅安達智恵子の里」に関するニュースが載りましたので、ご紹介します。  

万燈桜幻想的な姿 来月6日まで

福島民報 4月11日(金)9時45分配信
 福島県二本松市の道の駅「安達」智恵子の里下り線内にある万燈(まんとう)桜のライトアップが10日、始まった。5月6日まで、幻想的な夜桜が浮かび上がる。
 道の駅開所一周年記念イベント「万燈桜まつり」に合わせて企画した。初日は点灯式が行われ、道の駅を運営する二本松市振興公社長の新野洋市長がスイッチを入れた。毎日午後6時から午前零時まで明かりがともる。
 万燈桜は樹齢270年で高さ約15メートルの一本桜。花は咲き始めの状態だという。
 桜まつりは4月末まで。期間中の土・日曜日に二本松市産のコメや風船アート作品のプレゼントなどがある。
 問い合わせは道の駅 電話0243(24)9200へ。
 
他にも二本松周辺には桜の名所がたくさんあります。霞ヶ城、安達ヶ原公園、岳温泉の桜坂などなど。智恵子生家・智恵子記念館と併せて足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月13日

大正13年(1924)の今日、『読売新聞』に詩「春駒」が掲載されました。
 
  春駒
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三里塚の春は大きいよ。
見果てのつかない御料牧場(ごれうまきば)にうつすり
もうあさ緑の絨毯を敷きつめてしまひ、
雨ならけむるし露ならひかるし、
明方かけて一面に立てこめる杉の匂に、
しつとり掃除の出来た天地ふたつの風景の中へ
春が置くのは生きてゐる本物の春駒だ。
すつかり裸の野のけものの清浄さは、野性さは、愛くるしさは、
ああ、鬣に毛臭い生き物の香を靡かせて、003
ただ一心に草を喰ふ。

かすむ地平にきらきらするのは
尾を振りみだして又駆ける
あの栗毛の三歳だらう。
のびやかな、素直な、うひうひしい、
高らかにも荒つぽい。
三里塚の春は大きいよ。
 
当方の住む千葉県香取市のお隣、成田市の三里塚にかつてあった、皇室の御料牧場を訪れて書かれた詩です。この近くに光太郎の親友で作家の水野葉舟が移り住んでいました。
 
画像は三里塚に建つ「春駒」詩碑です。

福島市在住の詩人、伊武トーマさんからの情報提供です。   
 
まずは先月末のニュース。

飯舘の支援継続誓う 東京で児童、感謝の歌声

 東京電力福島第1原発事故で大きな被害を受けた飯舘村を支援する団体・個人の有志による「飯舘村を支援する集い―陽はまた昇る」は22日、東京・神田で開かれ、までいライフをスローガンに復興を目指す同村へのさらなる支援を誓った。
 発起人を代表して飯舘村までい大使の佐川旭さんがあいさつした後、菅野典雄村長が「原発事故から何を学び次の世代にバトンタッチするか。それは成熟社会の中での成長、暮らし方を考えるべきということ」と述べ、これまでの支援に感謝した。出席者を代表し赤坂憲雄学習院大教授、田中俊一原子力規制委員長らがあいさつした。
 集いには、同村の草野、飯樋、臼石の3小学校の4~6年生の児童も出席し、同村の子どもたちのために作られた曲「ときよめぐれ(までいのロンド)」を元気よく歌った。最後には出席者全員で村民歌「夢大らかに」を合唱し、心を一つにした。
(2014年3月23日 福島民友トピックス)
 
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伊武さん、原発事故で全村避難の続く飯舘村の復興支援のため、「ときよめぐれ(までいのロンド)」という歌を作詞されたとのこと。作曲は山根明季子さん。

 
昨年、福島市で演奏された際の記事がこちら。 

明るい未来歌う MFJ音楽祭 追悼と平安祈る

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を願う音楽が鳴り響いた。10日に福島市音楽堂で開かれたミュージック・フロム・ジャパンの「2013年音楽祭・福島」。被災者に寄り添い、本県の明るい未来を祈る楽曲が次々と披露され、県民を励ました。
 飯舘村の小学生が歌った「ときよめぐれ(までいのロンド)」は、村民が1日も早く村に帰れるように-との思いが込められている。〈未来の子よ はばたけ〉。福島市の詩人伊武トーマさんによる前向きな歌詞が子どもたちの明るい歌声に乗り、会場を温かく包んだ。
 舞台に立った臼石小4年の細杉利樹君は「飯舘のことを忘れないでほしいとの気持ちで歌った」と話した。草野小4年の佐藤由美さんは「たくさんの人に聴いてもらい、うれしい」と涙を浮かべた。
 福島市出身の詩人長田弘さん、郡山市出身の作曲家湯浅譲二さんが作った「おやすみなさい」も感動を呼んだ。犠牲者の追悼と平安の祈りが詰まった曲で、会場に駆け付けた2人にはひときわ大きな拍手が送られた。
 他に、俳人黛まどかさん作句、嶋津武仁さん(福島大教授)作曲の「飯舘の四季・四句」、詩人若松丈太郎さん(南相馬市)作詞、佐々木冬彦さん作曲の「ひとであるあかしとして」などが演奏された。
 飯舘村から福島市に避難している看護師相良久美子さん(51)は「村の子どもたちが元気に頑張っている様子が伝わってきて、感動した」と話していた。
 音楽祭に先立ち、村の小学生を対象とした雅楽のワークショップが開かれた。
(『福島民報』  2013/02/11 12:27 )
 
一昨年になりますが、何と、ニューヨークでも演奏されたそうです。

飯舘村の子どもたちに歌を NYのコンサートで初披露

 日本の現代音楽普及に努める団体「ミュージック・フロム・ジャパン」(理事長・三浦尚之福島学院大教授)のコンサートが19日、前夜に引き続きニューヨーク市内のホールで開かれ、東京電力福島第1原発事故で全村が避難生活を余儀なくされている福島県飯舘村の子どもたちのために作られた歌が初めて披露された。
 「ときよめぐれ(までいのロンド)」(伊武トーマ作詞・山根明季子作曲)で、ニューヨーク育英学園合唱団の児童約25人が、自分たちで考えた振り付けも交えピアノの伴奏で歌った。子どもたちに悲しみを乗り越え、羽ばたいていくよう呼び掛ける内容。
2012/02/20 11:30   【共同通信】
 
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「までい」とは、NHKキャスター大越健介さんのブログによれば、以下の通りです。
 
4月末に訪れた飯舘村の村長室は、「までい」という聞き慣れない言葉であふれていた。机に積み重ねられた書類の中に、壁に張られたポスターの中に。
「までい」とは、福島県のこのあたりの方言だそうだ。菅野典雄村長は、「漢字で書くと、『真手い』という字があたるのかなあ」と語る。真心をもって手で大事にくるむような気持ち、くらいの意味だという。
飯舘村は、「までい」な村づくりを合言葉にしてきた。人の絆を大事にし、ゆったりした田舎暮らしを楽しむ村にしようと。しかし、その取り組みが軌道に乗りかけた時、原発事故によって村の暮らしは大きく捻じ曲げられた。
 
その「までい」を盛り込んで作られた伊武さん作詞の「ときよめぐれ(までいのロンド)」。歌詞は以下の通りです。

 
前を向いて 歩いてゆこう000
道に花が 咲いている
にぎりしめた こぶしをひらき
めぐれめぐれ ときよめぐれ
てのひらの 花よ咲け
ふるさとの道に

顔を上げて 立ち止まってみよう
空に鳥が 飛んでいる
このかなしみを ときはなち
めぐれめぐれ ときよめぐれ
未来の子よ はばたけ
ほんとうの空に

手に手をとって 輪になって踊ろう
あなたがいる わたしがいる
いのちのリズム きざんで
めぐれめぐれ ときよめぐれ
名もなき花よ ひらけ
までいの里に
 
ある意味お約束ですが、光太郎の詩「あどけない話」中の「ほんとの空(ほんとうの空)」の語が使われています。
 
音楽や詩、こうしたものは一種無用のものかもしれません。無くても生きていけるものですから。しかし、こうして人々の心に訴えかけ、復興支援に一役かっています。ほんとかどうかよくわかりませんが、「歌う」の語源は「訴える」の古語「訴ふ」だという話を聞いたこともあります。
 
今後とも、歌を通し、詩を通じての復興支援、続けていっていただきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月12日

明治25年(1892)の今日、東京日本橋の「綱島亀吉」から、錦絵「楠公銅像之図」が発行されました。
 
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光雲が制作主任となり、東京美術学校総出で皇居前広場に作られた楠木正成の銅像です。竣工は明治26年(1893)。つまりこの錦絵、正式な像の完成除幕より早く発行されています。気の短い江戸っ子気質の表れでしょうか。
 
人々の服装が何ともレトロでいい感じですね。当方、額に入れて書斎のインテリアにしています。

福島の原発被害からの復興支援の合い言葉として、「智恵子抄」中の詩「あどけない話」に使われている「ほんとの空」の語がよく使われています。または「う」が入って「ほんとうの空」。
 
 
3/20(木)から昨日までの4日間、福島市音楽堂で、第7回声楽アンサンブルコンテスト全国大会が開催されました。こちらもサブタイトルが「-感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-」。

 
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「アンサンブル」ですので、基本的に少人数での演奏。要項によれば2名以上16名以下での演奏という規定でした。
 
福島県は「合唱王国」と言われ、各種の全国コンクールで上位入賞を果たす団体が多いことで有名です。智恵子の母校、福島高等女学校の後身・県立橘高校合唱団も全国大会上位常連です。平成21年(2009)から23年(2011)には、委嘱作品で、光太郎の詩に作曲家の鈴木輝昭氏が曲を付けた「女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄」から自由曲を選び、全国大会上位入賞を果たしています。

その福島県が主催して、毎年この時期に行われているのが「声楽アンサンブルコンテスト」。第1回は平成20年(2008)でした。
 
平成23年(2011)は、東日本大震災直後ということあり、中止。昨年からサブタイトルに「-感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-」が使われるようになりました。福島の皆さんの切実な思いが込められているように感じられます。
 
当方、地元・千葉で混声合唱をやっているのですが、実はこうした経緯、最近まで知りませんでした。汗顔の至りです。
 
さて、昨日までの「第7回声楽アンサンブルコンテスト」。高等学校部門、中学校部門、一般部門が1日ずつ開催され、最終日には各部門上位団体による本選という流れでした。結果、上位5位までに、福島からの出場団体が4組入っています。ホームタウンデシジョンというわけではないはず。「合唱王国」の面目躍如、そして「ほんとの空」を求める切実な思いの表れなのでしょう。
 
彼らの歌声によって、一日も早く「ほんとの空」が戻ることを願います。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月24日

大正14年(1925)の今日、詩「傷をなめる獅子」を書きました。
 
翌月の雑誌『抒情詩』に発表され、さらに光太郎没後の昭和37年(1962)、草野心平が鉄筆を執って作ったガリ版刷り詩集『猛獣篇』に収められました。
 

  傷をなめる獅子000
 
獅子は傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
宇宙の底に露出して、
ぎらぎら、ぎらぎら、ぎらぎら、
遠近も無い丹砂(たんしや)の海の片隅、
つんぼのやうな酷熱の
寂寥の空気にまもられ、
子午線下の砦(とりで)、
とつこつたる岩角の上にどさりとねて、
獅子は傷をなめてゐる。
 001
そのたてがみはヤアヱのびん髪、
巨大な額は無数の紋章、
速力そのものの四肢胴体を今は休めて、
静かなリトムに繰返し、繰返し、
美しくも逞しい左の肩をなめてゐる。
 
獅子はもう忘れてゐる、003
人間の執念ぶかい邪智の深さを。
あの極楽鳥のむれ遊ぶ泉のほとり
神の領たる常緑のオアシスに、
水の誘惑を神から盗んで、
きたならしくもそつと仕かけた
卑怯な、黒い、鋼鉄のわなを。
 
肩にくひこんだ金属の歯を
肉ごともぎりすてた獅子はかう然とした。
憤怒と、侮蔑と、憫笑と、自尊とを含んだ
ただ一こゑの叫は平和な椰子の林を震撼させた。
さうして獅子は百里を走った。
 
今はただたのしく傷をなめてゐる。
どこかしらない
ぼうぼうたる
つんぼのやうな孤独の中、
道にはぐれても絶えて懸念の無い
やさしい牝獅子の帰りを待ちながら、
自由と闊歩との外何も知らない、
勇気と潔白との外何も持たない、
未来と光との外何も見ない、
いつでも新らしい、いつでもうぶな魂を
寂寥の空気に時折訪れる
目もはるかな宇宙の薫風にふきさらして、
獅子はをなめてゐる。

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福島からコンサートの情報です。 

福★モモ プロジェクト 復興支援コンサート ~”花見山”と”智恵子抄”を愛する福島の皆様方へ~

期 日 : 2014年4月16日(水) 
会 場 : 福島ビューホテル 3階 安達太良の間 JR福島駅西口
時 間 : 
16:00~17:30
料 金 : 
無料
  : 「智恵子抄」「シャンソンメドレー」「花見山伝説」「百万本のバラ」他

ピアノ 砂原嘉博

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このブログで何度もご紹介している、「智恵子抄」等の光太郎詩篇にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんのコンサートです。
 
「智恵子抄」以外にも福島市の花見山を謳った「花見山伝説」などの曲も。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月22日

昭和30年(1955)の今日、平凡社刊『書道全集 第七巻 中国・隋、唐Ⅰ』の月報に「黄山谷について」を発表しました。
 
「黄山谷(こうさんこく)」は、中国北宋の進士、黄庭堅(こうていけん)の号。草書をよくし、宋の四大家の一人に数えられています。
 
光太郎は山谷の書を好み、最晩年には中野のアトリエの壁に複製を貼り付け、毎日眺めていたとのことです。そういえば、どことなく光太郎の書にも通じる雰囲気が見て取れます。
 
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昨日のインターネットサイト『産経ニュース』の福島版に以下の記事が載りました。『産経新聞』さんの福島版にも載ったのでしょうか。 

道程刊行と結婚100周年 智恵子の生家・智恵子記念館

日本百名山の一つ、福島県の安達太良山を眺めるとき、雄大な山の美しさだけでなく、その広い大きな空に魅せられる。澄んだきれいな青い空が、もう一つの主役-。高村光太郎の詩集「智恵子抄」の『あどけない話』に登場する妻、智恵子の語る「ほんとの空」が、そこにはある。
  
 《智恵子は東京に空が 無いといふ、
 ほんとの空が見たいとい ふ。
 〈略〉
 智恵子は遠くを見ながら 言ふ。
 阿多多羅山(あたたらや ま)の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だと いふ。》(青空文庫「智恵子抄」より抜粋)
  
 智恵子抄では、『樹下の二人』にも、安達太良山や阿武隈川が歌われている。
 
 ■裕福な少女時代
 智恵子は明治19(1886)年、福島県油井(ゆい)村(現在の二本松市)の酒蔵で生まれた。
 生家はいったん売却され、民家として使われていたが、今は当時の姿を再現し、土蔵があった裏庭には、「二本松市智恵子記念館」が併設されている。
 智恵子記念館によれば、智恵子は、油井小学校高等科、福島高等女学校を経て、日本女子大に進学。卒業後、実家には戻らず、洋画家の道を歩み始める。同44年に初めて光太郎のアトリエを訪ね、翌年から光太郎が智恵子に向けた詩を書くようになった。
 そして、今から100年前に当たる大正3(1914)年10月、光太郎が詩集「道程」を世に出したのをきっかけに12月、2人は結婚生活をスタートした。
 智恵子の生家のそばで、同11年に開業した理髪店の3代目、熊谷健一さん(63)は「智恵子のまち夢くらぶ」代表を務める。理髪店は、「先代の頃は、智恵子の父も常連客だった」(熊谷さん)という。
 夢くらぶは平成17年1月に活動を開始し、10年目を迎えた。智恵子に関する私的な研究会だが、熊谷さんらは、旧安達町の商工会青年部のメンバーとして昭和60年代から生家の保存運動を進め、同4年の記念館設立にこぎつけるなど、「智恵子の里」づくりに貢献してきた。
 
療養に訪れた故郷
 今でこそ、道の駅もでき、たくさんの智恵子抄ファンが訪れるものの、熊谷さんは「智恵子の生家の長沼家は破産し、智恵子は末期に精神的な病気を患ったことから、町も『智恵子の故郷』をアピールすることに積極的でなかった」と打ち明ける。
 智恵子は、自らの芸術活動の行き詰まりの中で、昭和4(1929)年の生家の破産と一家離散をきっかけに同6年、46歳のときに統合失調症を患う。翌年、自殺未遂を起こし、同8年に光太郎と東北旅行に出た。
 2人は東京出発前に正式に籍を入れたため、油井村役場に智恵子の除籍に訪れた。「朝、役場が開く時間まで、2人が安達太良山を望む鞍石(くらいし)山を歩く姿を油井小学校に登校する子供が見ており、その道は今、愛の小径として整備されている」(熊谷さん)。
 智恵子は、母や妹一家のいる千葉県九十九里海岸で療養生活を送った後、都内のアトリエに戻り、間もなく入院。そこで制作した千数百点の紙絵を遺作として、同13年に53歳の若さで死去。3年後に、光太郎が「智恵子抄」を刊行した。
 今年は「道程」の刊行と結婚100周年、夢くらぶ発足10周年の記念の年。10回目を迎える智恵子のゆかりの場所を歩く「好きです智恵子青空ウオーク」(4月20日)、生誕祭と道程朗読会(5月18日)など、多くのイベントが開かれる。
 【メモ】東北自動車道・二本松インターチェンジから約10分、JR安達駅からタクシーで約3分、二本松駅から約8分。福島交通八軒町(はちけんまち)バス停から徒歩2分。問い合わせは智恵子記念館(二本松市油井)(電)0243・22・6151、智恵子のまち夢くらぶ(熊谷代表)(電)0243・23・6743。
 
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このブログで何度もご紹介している「智恵子のまち夢くらぶ」さんが大きく取り上げられています。
 
さらに「道程刊行と結婚100周年」という見出しもありがたいと思いました。光太郎・智恵子顕彰の今年のツボですので。
 
昨日のこのブログでは、その「道程刊行と結婚100周年」の節目の連翹忌案内を載せました。広く参加者を募ります。参加資格はただ一つ「健全な精神で光太郎・智恵子を敬愛している」ということのみです。お申し込み下さい。
 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月22日無題1

昭和58年(1983)の今日、郷原宏著『詩人の妻 高村智恵子ノート』が刊行されました。
 
すぐれた智恵子評伝の一つです。
 
帯文より。
 
智恵子伝説を解読する――
詩人高村光太郎の妻であり、名詩集『智恵子抄』のヒロインでもあるひとりの女の生涯を通覧することによって、詩人とその妻の関係の真相をミステリアスに究明する長編評伝。
 
未来社刊。2014年現在、いまだに新刊で手に入ります。

今秋の話なので、半年以上先の話ですが、報道が出ていますのでご紹介します

県北を重点開催地 県芸術祭

福島民報 2月15日(土)10時14分配信
 
 福島県芸術祭運営委員会は14日、福島市民会館で開かれた。平成26年度の県芸術祭の重点開催地を県北地区とし、開幕式典・開幕行事を9月13日に二本松市の二本松文化センターで催すことを承認した。 
  開幕行事のテーマは「智恵子の里に集う文化で深める絆」とする方針。開幕式典に続いて、文化団体・民俗芸能団体による発表を行うほか、県北地区の物産コーナーや展示コーナーも開設する方向で準備を進める。 
  今年度の県芸術祭の実施状況も報告された。主催行事は27件で、来場者は2万7712人だった。参加行事は46件で6万440人が来場した。合計の来場者は8万8152人となり、前年度を4081人上回った。 
  運営委員会には文化団体の代表ら約40人が出席した。運営委員長の高城俊春県芸術文化団体連合会長があいさつし、県芸術祭の成功を誓った。

二本松菊人形衣替え 地元に根差したテーマに

福島民報 1月30日(木)9時31分配信
 
 NHK大河ドラマを長年、主要テーマにしてきた福島県二本松市の「二本松の菊人形」は今秋、展示内容を一新する。今年は60回の節目で、二本松城築城600年にも当たることから、地元に根差した内容に衣替えする。運営する二本松菊栄会が29日、市役所で理事会を開き、企画内容を決めた。 
 
■「八重効果」追い風に
 二本松の菊人形は昭和50年からほぼ毎年、大河ドラマを主要テーマに開催してきた。59回目の昨秋は「八重の桜」をテーマに、北は北海道、南は沖縄県と全国から多くの観光客が訪れた。 
  60回の節目と、二本松城築城600年を迎える今年は、昨年の「八重の桜」効果を追い風に、二本松の良さを全国に発信する。二本松藩や二本松少年隊、結婚100周年になる高村光太郎・智恵子夫妻といった地元にゆかりある人物や歴史に焦点を当てた内容にする。 
  展示方法も変える。これまで一体となっていた会場を(1)菊花品評大会(2)菊人形観賞(3)菊花庭園-の3会場に分ける。庭園会場は菊本来の美しさを楽しんでもらおうと、初めて設ける。ガーデニングの専門家に監修を依頼し、見せ方を工夫する。 
  会期は10月11日から11月24日の45日間とし、前回から一週間延長する。料金は据え置き、大人500円(高校生以下無料)とした。 
  会長の新野洋市長は席上「今年は節目の年。先人から伝わる良き伝統を引き継ぎ、さらに充実させるために全力を尽くす」とあいさつした。

こうした活動が、智恵子や光太郎の遺勲を後世に伝えていくよすがとなってほしいものです。
 
菊人形は昨年初めて行きましたが、今年も行かねば、と思いました。

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現地を訪れることが大きな復興支援となります。みなさんもどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月18日

昭和29年(1954)の今日、リンゴの紙絵を作りました。
 
智恵子が、ではなく、光太郎が、です。
 
晩年の光太郎と親しく接した美術史家・奥平英雄の求めに応じ、この年1月から3月にかけて書いた、「有機無機帖」と題した30ページ余りの書画帖の中の見開き2ページです。
 
同じページには詩「リンゴばたけに」。昭和22年(1947)の作です。

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 リンゴばたけに008
 雨ふりて
 銀のみどりの
 けむるとき
 リンゴたわゝに
 枝おもく
 沈々として
 あかきかな
 
最後の「な」(那)の字を失敗して書き直しています。
 
光太郎日記には以下の記述があります。
 
二月十八日 木 
くもり、少雨、  ストーブ、 胸像、 奥平さんの帖に揮毫、リンゴの画を切紙でつくる、洋モク、ペルメルの赤い包紙でつくる、
 
「ペルメル」は「ポールモール(PALL MALL)」。アメリカのたばこで、現在でも日本で、ほぼ変わらぬ赤いパッケージで販売されています。「洋モク」という語に懐かしさを感じるのは当方の世代で最後ではないでしょうか……。
 
さて、紙絵。明らかに智恵子のそれの影響が見て取れますね。輪郭線を墨書している点は智恵子の作品にはない特徴ですが。

福島県いわき市の山中にある、いわき市立草野心平記念文学館さんで以下の企画展が行われています。
 
気がつくのが遅れ、紹介するのが遅くなってしまいました。申し訳ありません。

冬の企画展 「草野心平コレクション展」

2014年1月18日(土)〜3月23日(日)  9時~17時 休館日/月曜日

 詩人・草野心平(くさのしんぺい 1903〜1988)は、詩、随筆をはじめ、書、画など多彩な創作活動を展開しました。それに伴い、高村光太郎(詩人、彫刻家 1883〜1956)をはじめ、朝井閑右衛門(画家 1901〜1983)、川端康成(小説家 1899〜1972)、高村豊周(鋳金家 1890〜1972)、辻まこと(画家、随筆家 1914〜1975)、棟方志功(版画家 1903〜1975)など様々な分野の芸術家と交友を結んでいます。
 本展では、それぞれの交流がきっかけで生前の心平が収蔵した絵画、書などの芸術品を中心に、いわば詩人の個人的コレクションを紹介し、そのかかわりと魅力にふれます。

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上記チラシの中央に写っている彫刻は、光太郎作の「大倉喜八郎の首」。大倉財閥を興した大倉喜八郎で、光雲が木彫で肖像を作るための原型として作りました。ただ、チラシのキャプションでは「老人の首」となっています。
 
他にも心平の手許には光太郎の書なども多数あったはずで、それらの中から展示品が選択されているのでしょう。それから館の公式サイトによれば、豊周の名も。鋳金作品でしょう。
 
さらに同館では、昨日からスポット展示「草野天平」も行っています。
 
天平は心平の弟にして、やはり詩人。明治43年(1910)の生まれですが、昭和27年(1952)に数え43歳の若さで歿しています。歿後に弥生書房から刊行された『定本草野天平詩集』により、昭和34年(1959)の第2回高村光太郎賞を受賞しています。
 
こちらは3月30日(日)まで。
 
時間を見つけて行ってこようと思っています。皆様もぜひどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】2月2日

大正7年(1918)の今日、雑誌『美術』に「ロダンの死を聞いて」が掲載されました。
 
ロダンはこの前年11月に歿しています。
 
光太郎曰く、
 
私は今迄に経験した事のない淋しい鋭い苦痛の感情をしみじみと感じた。動乱と清粛と入りまざつた心の幾日かを空しく過した。さうしてロダンが立派にやり遂げるだけの事をやり遂げて、其の私的存在をかき消してしまつた事を思ふと、不思議な伝説的の偉大を感じる。ロダンの生きてゐた時代に自分も生きてゐたといふ事がまるで歴史のやうに意味深く、又貴く感ぜられる。

最近放映されたテレビ番組のレポートを書きます。
 
まずはBS朝日さんで1/21(火)にオンエアされた「にほん風景物語 福島 川内村・いわき小川郷 ~詩人・草野心平が詠んだ日本の原風景~」。

 
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作家の島田雅彦氏が、光太郎と親交の深かった蛙の詩人・草野心平のゆかりの地を歩きました。心平の故郷・福島県いわき市小川地区、そしてモリアオガエルが縁で心平が愛した地・川内村。
 
川内村では、同村商工会長にして、天山・心平の会代表の井出茂氏が島田氏を御案内なさっていました。モリアオガエル生息地の平伏(へぶす)沼や、村人が心平のために建ててあげたという天山文庫、そして草野心平を偲ぶ集い「かえる忌」の会場となっている、井出氏が営む小松屋旅館さん。
 
その囲炉裏端で、井出氏が語られた、原発事故による全村避難を思い出して語られた言葉には、ぐっときました。村境の峠から川内村を振り返り、涙が止まらなかったというお話、「無くなっていい場所、無くなっていい故郷なんてどこにもない」というお言葉……。重たいものがありました。
 
それから、放映を見るまでまったく知らなかったのですが、昨秋の「かえる忌」の様子も映りました。テレビカメラが入っていたのには気づいていましたが、てっきり福島のローカルニュースか何かだと思っていました。当方の姿も約20秒。自分の姿をテレビ画面で見るというのは妙な気分ですね。それも映ると知らなかったのでなおさらです。


続いて、昨夜9時からBS-TBSさんで放映された「日本の名峰・絶景探訪 #32 雪煙舞う厳冬の安達太良山」。

 
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番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、ナビゲーター役の女優・春馬ゆかりさんのレポートがありました。
 
この番組は登山系の番組なので、そのあとは最後まで春馬さんの登山の様子のレポートでした。
 
昨秋、NHKさんで放映された「小さな旅 シリーズ山の歌 秋 ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」では、やはり「智恵子抄」にからめ、錦秋の安達太良山が紹介されました。
 
今回は厳冬期。アイゼンを付けなければ登れないとか、樹氷ができていたりとか、同じ山でも季節が変わるとここまで違うのか、という感じでした。それが日本という国の良さでもありますね。
 


さらに連続して10時から、地上波テレビ東京さんの「美の巨人たち 荻原碌山(守衛)『女』」。

 
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実はこの放送があるというのは、朝、新聞のテレビ欄を見るまで気がついていませんでした。この番組はほぼ毎週欠かさず見ており、次週の内容を知らない、ということは滅多になかったのですが、たまたま先週の土曜日はテレビ東京系の局がない岩手県に逗留していたため、そうなったわけです。したがって、このブログで事前に紹介出来ませんでした。すみません。しかし、テレビ東京系BSジャパンさんで2/19(水)に再放送されますので、見逃した方はそちらをご覧下さい。
 
この番組、毎回、作品の紹介・解説の部分と、作品にまつわるミニドラマの部分が交互に進む構成になっています。紹介・解説の部分では、連翹忌ご常連の碌山美術館学芸員・武井敏氏がご登場。これも事前に知らされていなかったので、驚きました。そしてミニドラマの部分は「親友 故人荻原を偲ぶ」という題で、光太郎と戸張孤雁、そして相馬良(黒光)が、守衛の没後、思い出を語るという構成でした。
 
光太郎役は俳優の大浦龍宇一さん。実は昨秋、大浦さんのブログで「一日だけ高村光太郎さんになってきます。」という記述を見つけ、いろいろ検索したのですが、舞台、映画等の情報も引っかからず、「?」と思っていました。その疑問が氷解しました。オンエア情報も。
 
相馬良は夫の愛三とともに、新宿に、かの中村屋を開いた人物です。守衛は少年時代から良に惹かれ、しかし相手は人妻。その苦悶が彫刻「女」に表されているというのが通説です。そのあたりを武井氏は実にうまく解説されていました。また、光太郎は良に対していい感情を持っておらず、ある意味、守衛の夭折は良のせいだと考えていたふしがあります。ミニドラマでは、そのあたりの光太郎の複雑な思いもよく表現されていました。光太郎は写真を撮られるのが好きではなかった、という小ネタも「そのとおり」、という感じでよく調べているな、と感心しました。
 
先述の通り、BSジャパンさんで2/19(水)に再放送されますので、見逃した方はそちらをご覧下さい。22:54~のオンエアです。
 
短い間に光太郎に関わる番組がたくさん放映され、有難い限りです。もっともっと増えてほしいものですが。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月26日

大正15年(1926)の今日、築地小劇場で上演されていた、ロマンロラン作・片山敏彦訳の演劇「愛と死の戯れ」が千秋楽を迎えました。
 
初日は同月20日。公演期間中、毎日、光太郎を含む十人の講演者が、毎日二名ずつ交代で講演をしたそうです。

今日からしばらく、土・日と1泊2日で出かけて参りました東北地方のレポートをいたします。
 
まずは福島駅で東北新幹線から福島交通飯坂線に乗り換え、美術館図書館前駅(ある意味すごい駅名ですね)で下車、福島県立図書館に参りました。
 
最近は、ほとんどの図書館で、居ながらにしてインターネットで蔵書のキーワード検索等が可能です。以前に同館の蔵書を「智恵子」のキーワードで検索してみたところ、当方の足しげく通う首都圏の図書館、文学館等にはないものが何件かあぶり出されました。やはり地方で刊行されたものなど、その地方でしか所蔵されていないものが多いのです。
 
また、最近はレファレンスサービスも充実しており、現地に足を運ばなくても「××という書籍の○○に関する部分のコピーを送って欲しい」というお願いをして送っていただくことも可能です。ただ、内容がしっかり分かっていないと無駄なものを手に入れることになったり、手続きが煩瑣だったりします。親身になって資料探しをして下さる館も多いのですが、逆に中にはあからさまに面倒がったり、簡単な話が通じなかったりする館もあり、不愉快な思いをしたことも一度ならずあって、だったら「レファレンス受け付けます」などと謳うな、といいたくなります。やはり可能であれば現地に行って、自分の目で資料を確かめるのが一番ですね。
 
そういうわけで、以前にあぶり出した未見の資料を閲覧し、必要な部分は複写して参りました。その中で、特に『財団医療法人明治病院百年のあゆみ』(平成24年=2012)という書籍は凄い、と思いました。美術館などの企画展図録のような体裁で、200頁弱あり、しかもオールカラーです。
 
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明治病院は、福島市内で開業している個人病院で、創立は明治43年(1910)。創設者幡英二の妻・ナツは二本松の隣・本宮町の出身で、日本女子大学校での智恵子の先輩にあたります。同書では随所に幡夫妻と智恵子との関わりが記述されています。
 
智恵子は卒業後も女子大が運営する寮に住み続けていましたが、明治42年(1909)に突如その寮が閉鎖されることになりました。その際に、途方に暮れる智恵子に手をさしのべたのがナツと、さらにすでにナツと結婚していた幡です。二人は二人が当時暮らしていた駒込動坂町の日本画家・夏目利政の家に智恵子を住まわせてくれました。下の写真は夏目家で撮影されたもの。左端が幡英二、一人おいて智恵子、右端がナツです。
 
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他にも、筑摩書房『高村光太郎全集』別巻の005口絵に使われている、幡夫妻と、息研也氏と一緒に撮った写真もあります。
 
幡夫妻は同じ年に福島に戻り、明治病院を開院しますが、その後も智恵子との交流は続き、智恵子も何度か明治病院を訪れたそうです。智恵子は明治45年(1912)4月に開かれた太平洋画会の展覧会に「雪の日」「紙ひなと絵団扇」の2枚の油絵を出品しましたが、このうち「雪の日」は、同年2月に明治病院に滞在した折りに、同院の中庭を描いたものではないかという説があるそうです。
 
さらに同書によれば、この当時の中庭や建物がまだ残っているとのこと。これはやはり現地を見なければ、と思い、県立図書館を後にし、明治病院を目指しました。実は行く前からネットで有る程度の情報を得ており、場合によっては現地に行くつもりだったので、予定の行動でした。

福島駅から歩くこと約10分、受付の方に来意を告げると、「それでは事務部長を呼びます」とのことで、出ていらしたのはなんとナツの曾孫に当たるという幡哲也氏でした。快く問題の中庭を見せて下さり、いろいろレクチャーもして下さいました。
 
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東日本大震災の折には灯籠が倒れたり、それ以前にも少し手を入れたりということがあったそうですが、基本的に智恵子が訪れた当時のままだとのこと。感慨深いものがありました。
 
帰り際、ダメ元で「『明治病院百年のあゆみ』はまだ残っていますか?」と訪ねたところ、なんと、一冊いただけてしまいました。非売品なので手に入れようと思ってもなかなか手に入るものではありません。実にありがたい限りでした。
 
早速、福島からさらに北上する新幹線の車中で詳しく読んでみたところ、東日本大震災がらみの記述も多くありました。
 
震災当時は外来診療中でしたが、壁に亀裂が入るなど、建物が危険かも知れないという判断で、職員、患者さんたちすべて広い駐車場に移動したところ、一人の妊婦さんの陣痛が始まってしまったそうです(同院は元々産科医院)。そして、駆けつけたご主人の車の中で無事出産したそうです。
 
それにしても、震災からもうすぐ3年になりますが、福島もまだまだ復興途上ですね。街頭ではこんな署名活動をやっていました。
 
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除染作業中の場所もありましたし、下記のステッカーもまだあちこちに掲示されています。
 
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当方のいろいろな活動が、少しでも復興支援になればと念じております。
 
明日は花巻のレポートを。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月20日

昭和15年(1940)の今日、朝日新聞本社で行われた「朝日賞贈呈式並に記念講演会」で、「「和気清麻呂公」銅像について」の題で講演をしました。
 
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この年の朝日賞受賞者は以下の通りです。
 
石原忍色盲検査表の研究
川合玉堂絵画「彩雨」
佐藤清蔵銅造「和気清麻呂公像」
滝精一「国華」による東洋美術文化の宣揚
柳田国男日本民俗学の建設と普及
山田耕筰
交響楽運動と作活動
 
このうち佐藤清蔵は光雲の孫弟子にあたり、かつては「朝山」と号していましたが、師匠との不仲から、この時期は本名の「清蔵」を名乗っていました。さらに後に「玄々」という号も使用します。日本橋三越の巨大彫刻が有名です。
 
「朝山」時代の作品がいくつか、光太郎とほぼ同時期ということで、昨年各地で開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」で参考出品されました。
 
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さて光太郎の講演。新聞報道に「高村光太郎氏が品格の高い清浄さの感じられる名作と絶賛」とある程度で、具体的な内容の筆録等が確認できていません。情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。
 
「和気清麻呂」銅像は大日本護王会と清麻呂公銅像建設期成会が銅像作成を計画し、朝倉文夫、北村西望、佐藤清蔵の三人によるコンペが行われ(朝倉はコンペと知らず途中で辞退)、佐藤の作品が選ばれました。今も東京メトロ竹橋駅近くにあるそうです。

光太郎と交流の深かった草野心平関連の情報です。
 
まず、過日のこのブログでご紹介した福島県立光南高校演劇部さんによる演劇公演「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」について、『東京新聞』さんが報道しました。

福島事故後の生活 演じきる 矢吹の高校生 長生で上演

 福島県矢吹町の県立光南高校演劇部が十三日、東京電力福島第一原発事故後の生活を描いた演劇「この青空は、ほんとの空ってことで、いいですか? 第2章 ばらあら、ばらあ」を長生村の文化会館で上演した。(内田淳二)
 
 事故から間もなく三年となる福島でいまも約十五万人が避難するなど被災地の苦しみや閉塞(へいそく)感について、大勢の観客が舞台を通じて思いをはせた。
 登場人物は旅に出た高校の演劇部員たち六人。目的地の海にたどりつけないまま、雑談や仲たがい、仲直りをする様子を等身大で生き生きと演じた。
 何げない会話の中にも「ガイガーカウンター」「リンゴの風評被害」といった言葉が登場。いまだに収束しない原発事故が生活に影を落とすが、高校生たちは福島県いわき市出身の詩人、草野心平の言葉に導かれるように元気を取り戻す。
 劇中で引用されたのは「カエル語」で書かれた詩。日本語訳は「幸福といふものはたわいなくつていいものだ」と始まる。
 公演は有志でつくる「ほんとの空」上演実行委員会(森山佳代委員長)が企画した。
 家族で観劇したいすみ市の会社員男性(39)は「福島の人たちがもやもやしたものを抱えていることがよく分かった。それでも生きることが大事だというメッセージを感じました」と話した。
 
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BS朝日1 2014年1月21日(火)  21時00分~21時54分
 
詩人・草野心平が愛した風景とは?故郷の福島県小川町や川内村に残る、美しい里山や、心平が名付けた紅葉の溪谷、カエルの生息地などを作家・島田雅彦が旅します。
福島県いわき市出身の詩人・草野心平は、自然をモチーフにして多くの詩を書きました。その根底には「すべてのものと共に生きる」という独特の共生感があったと言われ、故郷を詠んだ詩を数々残しています。また心平は福島県川内村にある天然記念物の平伏沼でモリアオガエルに出会い、毎年のように訪ねました。福島第一原発から30キロ圏内の川内村では、故郷を想う心平の詩や言葉が心の支えとなっています。
 
出演者 島田雅彦(作家・法政大学教授) 
ナレーター 村上祐子(テレビ朝日アナウアナウンサー)
朗読 森下桂吉(テレビ朝日アナウアナウンサー)

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番組公式サイトによれば再放送とのことで、どうも昨年に本放送があったようです。その時点では気づきませんでした。
 
中央の画像には、川内村で行われている草野心平を偲ぶ集い、かえる忌の会場となっている小松屋旅館さんの主、井出茂氏が写っています。囲炉裏も小松屋さんのそれです。

光太郎がらみの話も出るかと思われます。ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月16日

明治28年(1895)の今日、智恵子の妹、ヨシが誕生しました。
 
ヨシは昭和2年(1927)、数え33歳の若さで歿しています。ヨシの没年令に関しては、『高村光太郎全集』等に所載の年譜等、数え29歳と誤って表記されています。

今朝の『朝日新聞』千葉版に以下の記事が載りました。
 
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一昨年、福島県立県立あさか開成高校演劇部さんにより、「第一章」が渋谷、横浜で上演されました。「ほんとの空」ということで、光太郎の「あどけない話」がモチーフに使われていました。


 
それが反響を呼び、漫画化もされ、日本文教出版さんのサイト内で電子ブックとして配信されています。
 
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今回は「第二章」ということで、光太郎智恵子より草野心平をモチーフにしているようです。
 
以下、『朝日新聞』デジタル版から。

福島県立光南高等学校演劇部公演 福島の高校生の生の声を聴く

3・11-福島第一原発の事故。目に見えずとも、放射性物質は確実にそこにあるという現実の中、口に出せない生徒たちの声をつむいだ芝居「この空は、ほんとの空ってことでいいですか?」が誕生。この公演は、2012年に東京、神奈川で上演され話題を呼んだ第一作の「第二章」。草野心平の詩「ごびらっふの独白」を引用し、夕焼け空の向こうに明日を見出す物語。上演後のトークを通して、高校生たちの「今」の思いに寄り添う。

 
もうすぐ震災から3年。しかし、まだまだ東北は復興途上です。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月8日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋を訪ねてきた小学校の教師4人の持参した詩集『典型』にサインをしました。
 
『高村光太郎全集』第13巻所収の日記です。
 
一月八日 月
朝晴 午后雪 稍温 ねてゐ(る)うち黒沢尻より斎藤充司氏他4人の小学教師遊びにくる、豚鍋をつくりて食事。ジン酒一本もらふ。皆「典型」持参。署名。
 
『典型』は前年秋に刊行された詩集です。

素敵なクリスマスプレゼントをいただきました。
 
贈り主は、二本松在住の詩人で、昨年、「智恵子のまち夢くらぶ」さんの主催で開催された「智恵子講座'12」の講師を務められた木戸多美子さん。
 
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現代詩集や雑誌『現代詩手帖』の版元として名高い思潮社さんからの上梓で、『メイリオ』という詩集で、木戸さんの第一詩集だそうです。
 
帯文は以下の通り。
 
満身創痍の大地に一匹の黎明が立ち上がる  カタストロフ、砕けた言葉、解かれたいのち―― 星の光に深まる夜、地に根をおろし空の底へと両手をひろげる。
 
冒頭の「満身創痍の大地に……」は詩集に収録されている「希土黎己」という詩の一節です。
 
ちなみに上の画像では、帯文が見えるように帯を上にずらしています。
 
「満身創痍」とか「カタストロフ」でおわかりになると思いますが、東日本大震災をモチーフにしている部分があります。全編そうというわけではないようですが。
 
当方の勝手な印象ですが、「希土黎己」という詩からは、光太郎の「猛獣編」の詩群を彷彿とさせられました。また、当方、現代詩には詳しくありませんが、さまざまな実験的な試みがなされ、面白いと感じました。
 
光太郎や萩原朔太郎らによって口語自由詩が確立されておよそ百年(しつこいようですが来年は詩集『道程』刊行百周年です)。詩はまだまだ多くの可能性を秘めていると思います。
 
ぜひお買い求めを。

 
【今日は何の日・光太郎】 12月26日

昭和20年(1945)の今日、光太郎が出雲の神となって、智恵子の姪、春子と詩人宮崎稔が結婚しました。
 
春子は看護婦として、ゼームス坂病院に入院した智恵子に付き添い、その最期を看取りました。宮崎稔は、光太郎の花巻疎開の際に花巻まで同行したりと、戦前戦後を通じて光太郎のそば近くで何くれとなく働いた人物です。

一昨日、今年最後の二本松行きでした。なんだかんだで今年は7回二本松を訪れまして、通算では何回になったかわかりません。非常に愛着のある街です。
 
一昨日は雪雲に覆われていて、安達太良山は見えませんでしたが、よく晴れた日の安達太良山は、それは見事なものです。その上に広がる「ほんとの空」も。
 
さて、本日はその安達太良山関連の情報を。
 
まずはテレビ放映情報です。 

BSジャパン 2013年12月24日(火)  22時54分~23時24分

番組内容
福島県本宮市。古くは奥州街道と会津街道が交わる宿場町として栄えました。本宮市郊外にある「蛇の鼻遊楽園」にある「蛇の鼻御殿」は、明治末期に土地の豪農が8年の歳月をかけて建てた別荘で、その贅を尽くした造りが、当時の農村の繁栄を今に伝えています。そして今でも、駄菓子屋さんに映画館、コッペパンが売り物のパン屋さんなど、どこか懐かしい、昭和の情緒が息づく風景と共に暮らす人々がいます。

◆ナレーション  荻野目洋子
 
本宮市は二本松市の南に隣接しています。東北自動車道では、二本松ICの一つ手前が本宮ICです。当方、今の今まで「本宮町」だと思いこんでいましたが、6年前に「本宮市」になっていました。
 
二本松まで行ってしまうと、かえって近すぎて安達太良山の山容がよく見えなかったりします。その点、山裾にある本宮から見る安達太良山は、非常に美しく見えます。
 
002昭和41年(1966)には、この本宮を舞台にした映画「こころの山脈」が公開されました。右の画像は、当方の持っているポスターです。
 
以下、『福島民友』さんのデータベースから。
 
映画「こころの山脈」(本宮市)
 
 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。
 ここはあなたの生れたふるさと

 阿武隈川にかかる昭代橋(下の橋)で、安達太良山を望みながら産休補充教師の本間秀代が教え子の清に「智恵子抄」(高村光太郎著)の詩の一節を語る。旧本宮町を舞台に教師と児童の心温まる交流を描いた映画「こころの山脈」(1966年)のワンシーンだ。
 作品は、良質な映画を子どもたちに見せようと、旧本宮町の母親たちが中心となりつくった「本宮方式映画製作の会」が、近代映画協会の協力で制作した。脚本は本県出身の千葉茂樹さん。映画監督吉村公三郎さんがメガホンをとり宇野重吉さん、山岡久乃さん、吉行和子さん、殿山泰司さんら一流俳優と本宮小の児童が出演。65(昭和40)年秋、本宮小、昭代橋などで撮影が行われた。
 「心豊かな子どもたちが育つようにと始めた。行動力はすごかった」と同会事務局の本田文子さん(84)は振り返る。撮影で使う着物や米びつなどを持ち寄り、運動会シーンでは町民が重箱を持ち大勢集まるなど町ぐるみで支援。制作費を集めるため全県にチケット購入を呼び掛けたという。本田さんは「この映画は本宮の一つの文化財」と話す。
 昭代橋のシーンでは問題児だった清が「先生、おれこれからうんと勉強する」と誓うと、本間先生が「子どもにはね、無限の可能性がある。清君のこと楽しみにしてるよ」と励ます。本宮の母親たちが映画を通して子どもに託した思いは、今も変わらない。
 
上記「みんなのまち」はその本宮を紹介する番組です。ぜひご覧下さい。
 
もう1件、来年のイベントです。 

日本百名山そしてあの有名な智恵子抄で御馴染みの安達太良山を走り抜けてみませんか?
 
開催日 2014年8月24日 (日) 
開催地 福島県(安達郡大玉村)
エントリー期間  2013年12月18日 0:00~2014年7月20日
主催 緑豊かな福島路を走ろう会
種目・参加資格 25km
男女別18歳以上 制限時間:6時間
参加料 6400円
 
だいぶ先の話なのですが、明日から受け付け開始ということで……。
 
まだまだ復興途上の福島県。もっともっと盛り上げていきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月17日

昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエに、花巻のリンゴ農家・阿部博からリンゴが届けられました。
 
リンゴの美味しい季節になりました。コタツでミカンもいいものですが、当方、ルーツは信州ですのでリンゴも大好物です。
 
それはさておき、阿部博は花巻農学校の卒業生で、晩年の宮澤賢治とも知遇を得ていた人物。昭和21年(1946)、賢治の命日に宮澤家へリンゴを届けた折に光太郎を紹介され、以後、親しく交わるようになりました。光太郎が花巻を離れてからもリンゴを送り続けたとのこと。
 
昭和24年(1949)頃、光太郎は、「酔中吟」という即興の詩を阿部に贈っています。その自筆揮毫を刻んだ碑が花巻市石上に現在も続く阿部家のリンゴ園に建てられています。
 
 奥州花巻リンゴの名所
 リンゴ数々品ある中に
 阿部のたいしよが手しほにかけた
 国光紅玉デリシヤス

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今日は福島県・二本松に行って参りました。
 
「智恵子のまち夢くらぶ」さんにより、4月から開催されていた「智恵子講座’13」が今日で閉講ということで、お邪魔した次第です。
 
「安達太良山はもう雪化粧」という情報は、事前に得ていまして、「それなら途中では名残の紅葉が見られるかな」などと考えておりましたところ、どうも福島を甘く見ていました。常磐自動車道から磐越自動車道に入るあたりで雪がちらつき始め、阿武隈高原の辺りからは銀世界でした。
 
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安達太良山も雪雲に覆われ、ご覧の通りでした。
 
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ただ、吹雪くということはなかったので助かりました。それでも郡山ジャンクションから東北道に入ってすぐあたりで、乗用車2台大破の事故のため渋滞になっていました。改めて気をつけようと思いました。
 
さて、午前中はいわき市暮らしの伝承郷館長の小野浩氏による講座・「草野心平と宮澤賢治」。2人が光太郎とどのように関わったか、というか3人のつながり、といった点でお話がありました。
 
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午後は閉講式ということで、受講された皆006さん一人一人、感想や光太郎智恵子に関する思いを語る時間が設けられ、当方も話をして参りました。
 
地元の方がほとんどでしたので、やはりいかに二本松という地域に根ざした活動を続けていくか、といった話題にもなりました。日本中どこでもそうですが、今後の課題ですね。
 
それから今年の活動記録、新聞報道のコピー、受講者の皆さんや我々講師の文章をまとめた文集も配布されました。講座の企画から運営、こうしたものの作成、さらに講座以外に研修旅行などの手配もされた熊谷代表、本当にお疲れ様でした。
 
来年は「智恵子のまち夢くらぶ」さん結成十周年だそうで、これまでと活動内容を大幅に変え、講座は行わず(光太郎智恵子を語るつどい的なことはやられるようですが)、研修旅行系の部分を充実させるそうです。6月には女川、そして秋にはなんとパリに行かれるとのこと。凄い行動力ですね。
 
当方も女川や語るつどいなどの部分は、やはりできる限りお手伝いするつもりでおります。
 
「講座」といえば、名古屋在住の高村光太郎研究会会員・大島裕子様からメールをいただきました。ご主人の名古屋学芸大学教授とお二人で、「名古屋・高村光太郎談話会」という講座を始められる由。「田舎の小さな出来事なので、公開には及びません」とのことでしたが、せっかくですのでとりあえず簡単にご紹介いたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月15日

昭和14年(1939)の今日河出書房から『現代詩集』第一巻が刊行されました。
 
光太郎は「猛獣篇其他」として近作22篇を載せました。
 
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智恵子の故郷・二本松情報です。
 
まず智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座'13」。今年は「光太郎に影響を与えた人々」というテーマで行っており、その最終回と閉講式が行われます。
 
日時:2013/12/15(日)
会場:二本松市市民交流センター
 
講義:「草野心平と宮沢賢治」 小野浩氏(いわき市く暮らしの伝承郷館長) 午前10:00~
閉講式及び「智恵子抄」を語る集い:午後1時~
 
今回で第6回となりますが、単発での参加も可能(参加費1,000円)ということです。
連絡先は智恵子のまち夢くらぶ・熊谷さん 0243-23-6743
 
当方も行って参ります。今年最後の二本松となると思いますが、安達太良山は既に冠雪しているとのこと。きれいでしょうね。
 
それから二本松の国道4号線沿いにある「道の駅「安達」智恵子の里」がらみの報道が何件かありましたのでご紹介します。

来場者100万人を達成 道の駅「安達」 智恵子の里下り線

福島民報 11月12日(火)10時19分配信
 福島県二本松市米沢の4号国道沿いにある道の駅「安達」智恵子の里下り線は10日、今年4月5日の開業以来、来場者100万人を達成した。 
 100万人目は同市渋川の会社員大藤健次さん(53)。同道の駅を運営する二本松市振興公社社長の三保恵一市長から記念品として岳温泉のペア宿泊券を贈られた。前後の20人にもコシヒカリの新米や道の駅「安達」の商品券などを贈呈した。 
 大藤さんは「地元の農産物や食品などを買いに、よく利用している。まさか自分が100万人目とは」と驚いた様子だった。 
 同道の駅は既設の上り線に次いで開業し、農産物直売所や地元物産コーナーに加え、焼きたてパンのベーカリー、レストランなどが人気を集めている。振興公社によると、当初の予想より1カ月ほど早く100万人を達成したという。 

夜空に浮かぶ「万燈桜」 二本松でイルミネーション点灯

福島民友新聞 11月24日(日)13時14分配信

来年2月16日まで冬の夜空を彩る万燈桜のイルミネーション
 二本松市米沢の道の駅安達智恵子の里下り線の入り口にある桜の名所「万燈桜(まんとうさくら)」のイルミネーションが「冬の万燈桜さくらまつり」と題して22日始まった。同日は点灯式が行われ、夜空に浮かび上がった冬の桜を来場者が楽しんだ。
 イルミネーションは来年2月16日まで毎日午後4時30分から午前3時まで。12月下旬にはクリスマスイベントも予定している。
 式では関係者らがスイッチを押して点灯。高さ約15メートルで、樹齢約270年の高く伸びた枝ぶりに約1万個の発光ダイオード(LED)の電飾が施され、幻想的に映し出された。
 


 
さらにテレビ放映情報です。

東北トラベラー! #26

CS旅チャンネル
2013/12/07(土)6:00~6:30 20:00~20:30 
2013/12/08(日)4:30~5:00  9:30~10:00 
2013/12/10(火)9:00~9:30  15:00~15:30  21:00~21:30 
 
旅チャンネルは東北の観光を応援します! 東日本大震災で様々な影響を受けた東北各地の観光地。復興に向かい懸命に頑張る現地の方々のメッセージを交え、東北各地の観光情報を東北在住女性リポーター二人が紹介します。
 
旅の舞台は福島県中通り地方。二本松伝統の菊人形祭り、東北サファリパーク、奥州三名湯・飯坂温泉を訪れ、福島の旅を満喫!

番組内容

東北の魅力あふれる旅を紹介する観光情報番組。絶景スポットや新旧ご当地グルメ、癒しの温泉宿など、旅に欠かせない要素が盛りだくさん!震災からの復興を目指す現地の人々のメッセージとともに、東北の元気をお伝えします。  旅人:さとう千日(宮城県出身) 佐々木麻美(宮城県出身)
第26話「福島県」  今回は福島県中通り地方を旅します。二本松市では定番観光スポット「二本松城」を訪れ、伝統の「菊人形祭り」を鑑賞。野生の王国「東北サファリパーク」では、全国でも数か所の動物園でしか見られないホワイトライオンを見学します。奥州三名湯に数えられる飯坂温泉を散策しながら、名物料理を堪能!見どころ満載の福島市を巡ります。
 
昨日も書きましたが、あの東日本大震災から1,000日が経ちました。津波被害とはまた違った意味で復興途上の福島県。ぜひこの冬は福島の温泉地、スキー場等をご利用下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月5日007

大正4年(1915)の今日、抒情詩社から『傑作歌選別輯 高村光太郎 与謝野晶子』が刊行されました。
 
抒情詩社は光太郎の第一詩集『道程』(大正3年=1914)の版元でもあります。ただし、『道程』が自費出版だったのに対し、こちらは光太郎を援助する意味合いでの厚意で出版されました。
 
ただ、光太郎は初期の短歌は鉄幹の添削が激しく、自分のものという感が乏しかったため、ありがた迷惑と思う部分もあったようです。

今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」。12月に入007り、いよいよ大詰めとなってきました。おそらくあと2回で最終回だと思います。智恵子と同じく福島出身の女性・新島八重が主人公ということもあり、欠かさず見続けています。
 
二本松を舞台にした回では、八重役の綾瀬はるかさんが「あれが安達太良山」とつぶやくシーンもありました。
 
昨日放映の第48回は、明治22年(1889)から翌23年(1890)が舞台でした。既に光太郎・智恵子は生誕し、光雲が東京美術学校に奉職しはじめた時期です。
 
というわけで、「八重の桜」登場人物の中には、光太郎や光雲と縁の深い人物が何人かいます。
 
まず、吉川晃司さんが演じていた西郷隆盛。直接面識はなかったと思われますが、光雲が制作主任となって、明治東京美術学校総出で上野にその銅像が造られました。竣工は明治31年(1898)です。
 
それから光雲がらみでいうと、伊藤博文。キャストは加藤虎ノ介さん。こちらも光雲と直接面識があったかどうか微妙ですが、昭和7年(1932)に朝鮮の京畿道京城府に伊藤の菩提を弔うべく建立された博文寺の本尊は光雲の作です。
 
 
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左端が光雲、右端に伊藤の遺影が写っています。
 
光雲と直接面識があったのが確かなのが、反町隆史さん演ずる大山巌。西郷像の制作に関わり、会っています。
 
光太郎がらみの人物としては、蘇峰徳富猪一郎(キャスト・中村蒼さん)。光太郎が詩部会長を務めた日本文学報国会(昭和17年=1942結成)の会長を務めていて、『高村光太郎全集』にもその名前が散見されます。
 
それから非常に細かい話ですが、前々回の第47回で、オダギリジョーさん演ずる新島襄が、東京で財界人相手に同志社大学設立のための募金呼びかけを行ったシーン。参加者の名簿の中に大倉喜八郎の名がありました。大倉はホテルニューオークラなどの大倉財閥を築いた人物。昭和2年(1927)に、光雲が大倉の肖像を木彫で作っています。さらに肖像をやや苦手としていた光雲のために、原型はその前年に光太郎が粘土で作成。その時の様子を光太郎は、のちに詩「似顔」(昭和6年=1931)に書いています。曰く、「九十一歳の鯰」(大倉のこと)、「このグロテスクな顔面に刻まれた日本帝国主義発展の全実歴」等々。
 
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左が光雲作の木彫、右はその原型として光太郎が作った塑像をブロンズに鋳造したものです。
 
とりあえず気づいたところではこんなところですが、あと2回のオンエアでさらに関連する人物が出てくるかもしれません。
 
逆に「八重の桜」キャストをみると、以前に光太郎がらみの映像作品等に出演されていた方がたくさんいらっしゃいます。以前に連続テレビ小説「あまちゃん」に関して同じようなことを書き、好評でしたのでまた書いてみます。
 
まず主演の綾瀬はるかさん。平成21年(2009)に映画「おっぱいバレー」でやはり主人公の寺島美香子を演じられました。この映画は光太郎の詩集『道程』が重要なモチーフになっていました。
 
同じ「おっぱいバレー」で、綾瀬さんの少女時代を演じていたのが大後寿々花さん。「八重の桜」では、同志社女学校の生徒・小松リツ 役でしたが、かつて会津戦争で薩摩藩士だった父親を八重に射殺されたという設定でした。
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続いて会津藩家老・西郷頼母役の西田敏行さん。平成0086年(1994)オンエアの連続ドラマ「いつも心に太陽を」で主演。これはやはり光太郎の詩集『智恵子抄』が重要なモチーフになっていました。ちなみに準主役の観月ありささんは「智恵子」という役名でした。
 
会津藩がらみでいくと、藩主・松平容保(綾野剛さん)の姉・照姫(稲森いずみさん)の侍女・滝瀬役の筒井真理子さん。昨年公開の反原発映画で、やはり『智恵子抄』へのオマージュにもなっていた「希望の国」にご出演。故・夏八木勲さん演じる主人公の隣人で、原発から20キロ圏内に自宅があって強制的に待避させられる役でした。
 
同じ「希望の国」では、「八重の桜」で土方歳三役だった村上淳さんが、主人公の息子役で出演されていましたし、避難民役の並樹史朗さんも共に会津藩士役で「八重の桜」に出演なさっていました。 

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さらに会津藩勘定役・中野平内の長女で、娘子隊を率いて薙刀をふるい、壮絶な戦死を遂げた中野竹子役の黒木メイサさん。平成22年(2010)にユニクロのCM「何処もかもだ」篇にご出演。これは光太郎詩「冬の詩」を使っていて、かなりインパクトのあるものだったので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。
 
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ユニクロのCMで黒木さんと共演した松田龍010平さんは「あまちゃん」でミズタクこと能年玲奈さん演じる天野アキのマネージャー・水口琢磨役でしたが、以前にこのブログで「あまちゃん」について書いた時にうっかり失念していました。追記しておきます。
 
やはり会津藩大砲奉行で壮絶な戦死を遂げた林権助役は風間杜夫さん。TBS系の「浅見光彦シリーズ」で沢村一樹さん演じる浅見光彦の兄にして警察庁刑事局長の浅見陽一郎役をなさっていました。このシリーズでは平成21年(2009)に、連ドラ枠として「浅見光彦 最終章」がオンエアされましたが、その最終回が「草津・軽井沢編」。光太郎の彫刻の贋作を巡る事件が扱われました。
 
その際に犯人役を演じたのが清水綋治さん。「八重の桜」では新島襄の父親・新島民治役で重厚な演技を見せて下さいました。
 
浅見陽一郎といえば、フジテレビ版の中村俊介さん演じるシリーズでは榎木孝明さんが演じられています。フジテレビ版でも光太郎の贋作を巡る「「首の女」殺人事件」がオンエアされました(平成18年=2006)。榎木さんは「八重の桜」では井伊直弼役でした。
 
とりあえず思いついたのは以上です。
 
さて、「八重の桜」。本編はあと2回でしょうし、例年通りなら年末に総集編が放映されるはずです。ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月2日

昭和18年(1943)の今日、光太郎が委員として関わり、東京都美術館で開催されていた藤島武二遺作展覧会が閉幕しました。
 
藤島は、黒田清輝などとともに、光太郎が留学直前の明治38年(1905)に再入学した東京美術学校洋画科で教鞭を執っていました。
 
光太郎の同級生には藤田嗣治、岡本一平(岡本太郎の父)などがいました。教師も生徒も錚々たるメンバーですね。

 
いい番組でした。
 
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光太郎・智恵子の話を枕に、澄み切った青い「ほんとの空」と、まさしく「錦秋」の安達太良山山腹の画像。こういう風景を見ると、つくづくこの国に生まれてよかったと思います。
 
そして、安達太良山を訪れたり、そこで働いたりしている人々の横顔。美しいだけでないこの国の現状が凝縮されていました。
 
沢登りが趣味だという男性。毎月、山を歩きながら放射線量を測定、ネットで公開しているそうです。
 
標高1400㍍付近の山小屋・くろがね小屋で働く会津の男性。長引く不況で職を失い、ハローワークを通して山小屋の仕事に就き、単身赴任中だそうです。
 
登山に訪れた初老の夫婦。福島第一原発のある大熊町から避難しているとのこと。
 
最後は、安達太良山で訓練中の地元・安達高校山岳部女子部員。最近の若者は本格的な登山など敬遠するのではないかと思っていましたが、二本松で生まれ育ち、毎日安達太良山を見上げ、6歳で初めて登った安達太良山の「ほんとの空」が心に残ったとのこと。そして、一昨年の震災。自宅も学校も除染対象となり、大変な思いをしたそうですが、「くじけずに、立ち向かう心を持ちたい。」ということで、今年入学した高校で、山岳部を選んだそうです。
 
それぞれの思いを胸に、「ほんとの空」の下に暮らし、そこを訪れる人々がいます。そうした人々に思いをはせて下さい。
 
今回の「小さな旅」、NHK総合、以下の日程で再放送されます。見逃した方、ご覧下さい。
11/23(土) 午前5:15~
 
11/21(木) 午前11:05~にも、一部地域で放映があります。

 
【今日は何の日・光太郎】 11月17日

昭和24年(1949)の今日、盛岡の岩手県立美術工芸学校で講演を行いました。

テレビ放映情報です。

シリーズ山の歌 秋「ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」

NHK総合1 2013/11/17(日)8:00~8:25 
紅葉の福島県・安達太良山。高村光太郎の妻、智恵子は「ほんとの空」があると言った。
山小屋で再起を目指す人、地元高校の女子山岳部員。故郷の空に抱かれた人に出会う。
語り 山田敦子
 
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この番組、かつては「関東甲信越小さな旅」というタイトルでNHK首都圏さんの放送でしたが、現在では一部地域を除き、全国放送になっているようです。ぜひご覧下さい。
 
東北や高山地帯では、紅葉も見頃でしょう。先日、有馬稲子さんと一色采子さんのトークショーで二本松に行きましたが、途中の磐越自動車道・阿武隈高原付近はかなり木々が色づいていました。また、明日から一泊で花巻に行きます。高村山荘周辺もいい感じになっているのでは、と期待しています。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月10日008

昭和10年(1935)の今日、東京美術学校校庭に光太郎作「光雲一周忌記念胸像」が除幕されました。
 
この彫刻は、現在でも東京美術学校の後身・東京芸術大学の中庭で見ることができます。光太郎作の数少ない野外彫刻の一つです。
 
現在、愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館にて開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展でも、同じ型から作ったものが並んでいます。
 
それから同展では、明治45年(1912)に作られた「光雲の首」も展示されています。こちらはおそらく光雲還暦記念に作られたものの試作(還暦記念胸像自体は現存が確認できていません)。
 
約20年を経て、同じモチーフをどう扱い分けているか、ぜひ見比べていただきたいものです。

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