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テレビ放映情報です。 
BS-TBS 2014年11月1日(土) 21:00~21:54
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古くは「万葉集」に歌われ、高村光太郎の詩で「智恵子のほんとうの空」として広く日本人の心に響いた山、郷愁を誘う山となったのが安達太良山です。
 
単独峰ではなく、1700メートル級のピークのつらなりで、安達太良連峰とも呼ばれます。活発な火山活動によって生み出された頂きはそれぞれユニークです。中でも安達太良本峰と呼ばれる主峰は、山頂にドーム状の岩峰を突き出したシルエットから「乳首山(ちちくびやま)」とも呼ばれています。
 
今回安達太良山を登るのは、女優の春馬ゆかりさん。昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山です。山会は吹雪の中、白銀の頂を目指しましたが、今回は、錦絵のような見事な紅葉の安達太良山と出会います。
  
【ロケ日:10月6~9日】
 
出演される春馬さん、「昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山」とあるとおり、同じ番組の今年1月のオンエア、#32 「雪煙舞う厳冬の安達太良山」で、やはりご出演なさいました。
 
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番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、春馬さんのレポートがありました。
 
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今回も上記内容説明に光太郎智恵子の名がありますので、少しでも紹介があるといいなと思います。ただ、基本、登山系の番組ですので、それほど深く突っ込まれないとは思いますが。前回は白銀の世界でしたが、今回は紅葉がメインのようです。
 
ちなみに(その1)、テレビといえば、NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア」で、来月26日に「ふたりの時よ 永遠に  愛の詩集「智恵子抄」」というサブタイトルで、光太郎智恵子がメインの回がある予定でした。しかし、さきごろ、台風の緊急報道があった影響で放送がずれ込み、さらに12月は真珠湾攻撃や忠臣蔵など、旬の内容を扱うそうでずらせず、延期になりました。「愛の詩集」ならバレンタインデー、とのことで、来年2月11日(再放送は18日)のオンエアだそうです。当方、ロケハンでディレクター氏を犬吠埼や九十九里にご案内したり、放映用に資料を提供したり致しましたので、ご連絡を頂きました。
 
過日、当方が刊行した『光太郎資料』第42集。全国の関係団体や個人の皆様にお送りしましたが、その添え状に「歴史秘話ヒストリア」の放映が11月26日、と書きました。しかし、そういうわけで延期です。添え状の内容、ガセネタではありませんのでよろしくお願い申し上げます。
 
話を安達太良山の紅葉に戻します。
 
過日、福島の相馬方面に行った際、道の駅で入手した無料の『福島県観光ガイドブック\秋・冬のふくしまを巡る!/』によれば、安達太良山の紅葉の見頃は今月中旬までとのこと。しかし、平地の二本松霞ヶ城あたりでは来月下旬までだそうです。菊人形もまだ開催中。
 
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ちなみに(その2)、二本松といえば、智恵子生家・記念館があります。
 
過日行われたレモン忌の際、智恵子の描いた明治44年(1911)、雑誌『少女世界』の口絵としてカラー印刷された「お人形」という作品があり、そのページだけ切り取った状態のものを入手したので、智恵子記念館で展示して下さいということで、寄贈して参りました。
 
同館学芸員の方から展示しました、ということでメールを戴きました。証拠として(笑)画像も添付されていました。
 
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順路のほぼ最後、矢張り智恵子の描いた油絵「ヒヤシンス」(こちらは肉筆です)の隣に展示していただきました。菊人形期間中は紙絵の実物の展示もありますので、ぜひ足をお運び下さい。
 
ちなみに(その3)、二本松といえば、智恵子の顕彰活動をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん。昨日、研修旅行で、成田からパリに向けてご出発なさいました。発会10周年ということで、豪勢に1週間近く、パリでの光太郎の足跡をたどるツアーだそうです。
 
成田空港は、当方自宅兼事務所からものの30分足らずの距離でして、お見送りに行って参りました。
 
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「智恵子抄」をはじめとする光太郎詩にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんもご参加。
 
1週間近くのご滞在で、途中、日本の味が恋しくなるだろうと思い、当方自宅兼事務所のある香取市名産のおせんべいを差し入れました。来週末には帰国早々のモモさんとまた一緒に仕事が入っていまして、その際には土産話と素敵なパリ土産が戴けるものと期待しております。エビでタイを釣る、とはこのことですね(笑)。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月28日
 
平成7年(1995)の今日、品川区立品川歴史館で、特別展「高村智恵子 紙絵とその生涯」が開幕しました。
 
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品川は智恵子終焉の地、ゼームス坂病院があったところです。同じ平成7年には病院跡地に智恵子の臨終を謳った光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が建立されています。

一昨日、福島県いわき市に行って参りました。
 
過日、ご紹介した「いわき賢治の会設立記念事業 賢治の宇宙 心平の天」を観て参りました。
 
会場はいわき芸術文化交流館アリオス内の音楽小ホール。
 
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午後2時の開演でした。
 
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第1部が、いわき賢治の会会長の小野浩氏、副会長で彫刻家の安斉重夫氏夫妻によるリレー講演。
 
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こちらは安斉氏の彫刻で、賢治童話「どんぐりと山猫」からインスパイアされたものだそうです。
 
終演までステージに立ち続けていました。ご苦労様です(笑)。
 
第2部はサロンタイム。
 
箱崎典子さんによる賢治童話「ざしき童子のはなし」の朗読、火の車太郎さん(小野浩氏ではありません)の手品、小野浩氏(火の車太郎さんではありません)主導で、賢治の「精神歌」斉唱と続きました。
 
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プログラムにはありませんでしたが、宮沢賢治イーハトーブセンター代表理事の栗原篤氏のお話。その後、休憩をはさんで第4部、「賢治のリズム」と題し、市島徹氏によるフルート演奏。賢治作曲の「星めぐりの歌」など。
 
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そして第4部で、朗読劇「あの時の言葉」。
 
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賢治、さらに賢治と縁の深かった光太郎、001草野心平の作品を代わる代わる朗読しながら、三人の生涯を追うという構成でした。
 
ナレーションが箱崎典子さん、朗読は箱崎耕平氏、緑川明日香さん、小野氏。
 
光太郎作品は緑川さんが担当し、「あどけない話」と「レモン哀歌」が扱われました。
 
あちこちの朗読イベント等にご出演されている方だそうで、その美声と美貌にはやられました(笑)。
 
いわき賢治の会さん、今後、どういった活動をなさっていくのか楽しみですが、是非とも光太郎と賢治の関わりについても掘り下げていっていただきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月27日
 
昭和30年(1955)の今日、中野のアトリエに、北川太一先生夫妻が新婚旅行の報告に訪れました。
 
当日の光太郎日記です。
 
晴、温、平熱 后北川太一氏新婚の細君同伴来訪、二本松訪問の話をきく、果物、はんぺん等もらふ、
 
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上記画像は文治堂書店さん刊行の『北川太一とその仲間達』から採らせていただきました。
 
節子夫人、今もお元気で、北川邸にお邪魔するたびに美味しいお茶等振る舞って下さいます。
 
今気づきましたが、来年、2015年は北川夫妻ダイヤモンド婚式ですね。いつまでもお幸せに。

一昨日、福島県南相馬市民文化会館ゆめはっとにて、邦楽奏者、浜根由香さんのコンサート「東北を謳う」を聴いて参りましたが、午前中には隣接する相馬市まで行って来ました。
 
目的地は原釜尾花海水浴場。明治40年(1907)夏、智恵子がここに滞在し、海水浴(当時は「潮湯治」といっていたそうですが)を楽しんだ場所です。父・今朝吉、弟・啓助も同行していました。さらに大正6年(1917)にも智恵子はここに滞在しました。
 
当方の刊行している『光太郎資料』中に、「昔の絵葉書で巡る光太郎紀行」という項があり、過日刊行した第42集で原釜尾花海水浴場を取り上げました。下記が昔の原釜の絵葉書です。
 
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ところが当方、実際にここを訪れたことがなかったので、浜根さんのコンサートが南相馬で開催されるのを幸い、足を伸ばしてみました。
 
『光太郎資料』作製のためにいろいろ調べていた中で、やはりこのあたりも東日本大震災の津波による甚大な被害を受けていたことは知っていましたが、やはり百聞は一見にしかず、です。
 
さて、海岸に到着。目に飛び込んできたのは、いきなりこれです。
 
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かつて宮城の石巻女川で、こうした風景は見ていますが、やはり見慣れるということはありません。
 
慰霊碑も建っていて、手を合わせて参りました。
 
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かたわらには藤棚が。説明板もありました。
 
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波打ち際には海水浴場の展望台。これは震災後によくテレビなどに登場しました。時計台の時計はあの日、止まったままです。ただし、針はずれています。津波が来たのは午後4時頃だそうです。
 
 
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展望台から見た海。この海が、牙をむいたのかと思えないほど、とてもおだやかでした。
 
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原釜海岸をあとに、南相馬に向かいました。途中、「道の駅そうま」があったので寄ってみました。
 
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すると、「震災伝承コーナー」という一角がありました。
 
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パネルやモニターで、津波の被害について説明がなされています。
 
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被害のすさまじさを示す、「現物」の資料も。
 
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その後、南相馬のコンサートに向かいました。
 
さらに終演後、国道6号に出て、常磐富岡インターから高速に乗り帰宅。国道6号も、先月、通行止めが解除されたものの、相馬地区はまだこういう状況です。
 
通行止めは解除になったものの、原発に近い区域では、歩行者、自転車、そして自動二輪でも通行不可です。許可証を持つ地元の方以外は、脇道には一切入れません。
 
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全国の原発を抱える自治体の皆さん。再稼働に賛成なら賛成で、ご自分の街がこういう状況になるかもしれないという覚悟はできていますか?
 
かつて智恵子が滞在した原釜に話を戻しますが、原発事故による海洋汚染も深刻で、漁業も周辺では未だに試験操業の段階、全壊した相馬原釜地方卸売市場の再開も来年になる見込みとのことです。
 
こちらも昔の原釜の絵葉書。こういう光景が復活するのはいつのことになるのでしょうか……。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月21日
 
明治23年(1890)の今日、上野公園桜ヶ岡の日本美術協会列品館で絵画展覧会が開幕し、光太郎の姉・さくの作品も並びました。
 
出品作は絹本堅淡彩の「鍾馗図」。数え16歳で夭折したさくですが、狩野派の絵を学び、将来を嘱望されていました。光雲にとっては期待の娘、光太郎にとっては自慢の姉でした。
 
のちにやはり画家志望の智恵子と結ばれた光太郎、日本画と洋画の違いこそあれ、そこにさくの面影を見ていたのかも知れません。

昨日は福島の相馬方面へ行って参りました。
 
第一の目的は、邦楽奏者、浜根由香さんのコンサートです。題して「浜根由香 東北を謳う」
 
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第二の目的については、また明日書きます。
 
目的地は福島県南相馬市。福島第一原発のある大熊町の北ですが、先月、国道6号線の通行止めが解除されたので、アクセスが容易になりました。そのあたりについても明日書きます。
 
 
会場は南相馬市民文化会館ゆめはっと。瀟洒な建物です。中に入って驚きました。渡辺えりさんの「天使猫-宮澤賢治の生き方-」のポスターが。そういえば、福島公演の会場がこちらでした。紹介しておきながらすっかり忘れていました。
 
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 いいコンサートでした。
 

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1曲目が、「あれが阿多多羅山/あの光るのが阿武隈川」で始まる、光太郎詩「樹下の二人」に故・小山清茂が作曲したもの。箏・唄ともに浜根さんの独奏です。当方、ホールで箏の独演を聴いたのは初めてでしたが、マイク等一切使わず、生の演奏だったので驚きました。もっとも、ホールが小ホール的な「多目的ホール」というところでしたが、それだけに臨場感がすごく感じられました。
 
2曲目が「遠野」。柳田国男の『遠野物語』の一節に唯是震一氏が作曲したもの。三弦(三味線)と唄で、やはり浜根さんの独奏でした。最近、京極夏彦さんリメイクの『遠野物語』を読んだので、興味深く聴きました。
 
3曲目に、宮城道雄作曲の「瀬音」。浜根さんと、お弟子さんの中島裕康さんのデュエットです。唄はなく、浜根さんが箏、中島さんが十七絃。箏はリードギター、十七絃はベースギターのようだと思って聴きました。
 
プログラム最後、4曲目で、浜根さん編曲のメドレー「赤とんぼ・もみじ・小さい秋みつけた」。樋口雅礼瑤さんが加わって、お三方での合奏でした。ちょうど秋。いい感じでした。
 
その後、浜根さんと、今回のコンサートを企画された地元南相馬の佐藤英明さんのトーク、そしてアンコール的にプログラム外に3曲演奏がありました。佐藤さんの唄でサザンの「希望の轍」、インストゥルメンタルで「大きな古時計」、「少年時代」。会場の皆さんも、存分に楽しまれたようでした。
 
先日もご紹介しましたが、ライブ録音が手に入ります。復興支援も兼ねているそうです。是非お買い求めを。
 
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南相馬という街、原発事故前の常磐線が全線健在だった頃に列車で通過したり、すぐ南の小高町に行ったりしたことがありましたが、南相馬自体には初めて行きました。コンサート開演より早く着いてしまったので、歩いてみましたが、なかなかいい感じの街でした。当方の大好きなレトロな建物が残っています。
 
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特に、コンサート会場・ゆめはっとのすぐ隣が「野馬追通り銘醸館」という施設で、ミニテーマパークのようになっており、みどころです。何棟かある建物自体も明治、大正、昭和戦前のものです。
 
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「昭和蔵」という建物は、内部に昭和30~40年代が再現されていました。
 
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先述の通り、国道6号の通行止めが解除となり、アクセスが便利になりました。ぜひ足をお運び下さい。
 
明日は隣接する相馬市などのレポートを書きます。
 
追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月20日002
 
昭和31年(1956)の今日、龍星閣から光太郎著『赤城画帖』が刊行されました。
 
光太郎没年の追悼出版的なものですが、元は明治37年(1904)に、群馬の赤城山を訪れた光太郎が描いた画帖です。
 
鉛筆スケッチ28枚、さらに明治期に赤城を詠んだ短歌が多数収録されています。解説はスキーヤーの猪谷六合雄。光太郎が赤城で定宿としていた猪谷旅館の子息です。
 
右の画像が『赤城画帖』。白っぽいのは、例によってパラフィン紙をかけてあるせいです。
 

福島いわきからイベント情報です。まもなくの開催です。 
主 催 : いわき賢治の会
期 日 : 2014年10月25日(土)
会 場 : いわき芸術文化交流館アリオス音楽小ホール 福島県市平字三崎1番地の6
開 場 : 13時30分
開 演 : 14時
料 金 : 1,000円 (学生500円)
 
第1部 : レー講演
 小野 浩 宮沢賢治学会会員市暮らの伝承郷館長
 安斉 重夫 宮沢賢治学会会員鉄の彫刻家ーハーブ賞奨励賞受賞
 安斉 ツ子 宮沢賢治学会会員

第2部 : サロン
 い賢治の会会員
 賢治の 精神歌」 の練習

第3部 : 賢治のズム フルー演奏
 市島 徹氏
 東京音楽大学卒小林研一郎指揮仙台フルとコンの夕べ出演
 福島高専吹奏楽部の指導者
 ・星めの歌
 ・ポラーの広場の
 ・ポランの広場  他

第4部 : 朗読劇 あの時の言葉
 箱崎 耕平 絵本と朗読の会会長
 箱崎 典子 絵本と朗読の会事務局長
 緑川明日香 声の表現舎プア代表朗読家
 小野 浩
 
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第4部の朗読で、光太郎作品も扱われるとのことです。
 
先月発足したという、「いわき賢治の会」の小野浩会長からの情報です。小野氏は元いわき市立草野心平記念文学館学芸員で、昨年、二本松の智恵子のまち夢くらぶさん主催の「智恵子講座'13」の講師も務められました。
 
新聞報道も送って下さいました。
 
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ちなみに小野氏の他に講演をなさる安斉重夫氏。一昨年上演された渡辺えりさん作の舞台「月にぬれた手」「天使猫」のパンフレットに文章を寄せられていました。
 
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実は当方、今日も福島(相馬方面)に行っていたのですが、また次の週末も行くことになりそうです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月19日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻町で「花巻賢治子供の会」の公演を観ました。
 
同会は光太郎と交流のあった故・照井謹二郎氏が登久子夫人と共に昭和21年(1946)に子供達による劇団として設立したもの。賢治童話を上演し続けました。そもそもの始まりは、花巻郊外太田村山口の山小屋(高村山荘)に独居していた光太郎を慰安する目的だったようですが、光太郎に激賞され、本格的に公演を行うようになったそうです。

先日、5日に福島二本松行われた智恵子忌日の集い「レモン忌」を報じた『福島民報』さんの記事コピーを、主催の智恵子の里レモン会さんから戴きました。
 
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他紙、または『福島民報』さんでも他に光太郎智恵子がらみの記事が出ていないかと思い、昨日、当方の住む香取市の隣・成田市立図書館に行って参りました。同館では復興支援として、、『福島民報』、『福島民友』の2紙が開架で置いてあります。
 
ところが、主に原発事故による避難生活を余儀なくされている人のための措置ですので、原発のある浜通り地区の版で、二本松を含む中通り地区の記事はあまり多くありませんでした。レモン忌の記事も中通り地区の版にしか載らなかったようです。
 
そんな中で見つけたのが、菊人形の記事。さすがにこちらはいろいろ報じられていました。その中で、智恵子(と思われる)の人形が写っている記事がありました。やはり『福島民報』さんで、まだ開幕前の、作業中の写真です。
 
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二本松の菊人形出番待つ 11日開幕、着付け始まる

 福島県二本松市の県立霞ケ城公園で11日に開幕する「二本松の菊人形」の人形の着付けが始まった。台風一過となった7日、早朝から菊が次々と搬入され、主催する二本松菊栄会の菊師らが、約40体の人形に、丁寧に小菊を飾り付けた。
 「二本松の菊人形」は60回の記念開催となる。二本松城築城600年の節目の年とも重なることから、「にほんまつヒストリア」をテーマに地域の歴史に焦点を当てる。「二本松の提灯祭り」「二本松少年隊」のほか、詩集「智恵子抄」で知られる同市出身の高村智恵子・光太郎夫婦など全8場面に分けて表現する。
 例年の菊花展ゾーンに加え、ガーデンゾーンも新設する。NHKのテレビ番組「趣味の園芸」でおなじみのガーデンデザイナー・玉崎弘志さんに監修を依頼し、菊を魅力的に展示する。
 問い合わせは二本松菊栄会事務局 電話0243(55)5122へ。
福島民報 10月8日(水)
 
 
ところで「新聞記事」といえば、先頃相次いで全国紙にも光太郎の名が出ました。イベントなどの速報的な記事ではないので、すぐには紹介しませんでしたが、ここらでまとめて紹介します。
 
『朝日新聞』さんの今月2日の記事。教育面の連載、「おやじのせなか」です。
 
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各界著名人がご自分の父親について語るもので、この日は福島在住の詩人、和合亮一さん。以前にレモン忌で記念講演をされたこともあります。
 
最後をこのように結んでいます。
 
高村光太郎の「道程」に「常に父の気魄を僕に充たせよ」との一節があります。父の気迫を受け継いでも、超えたいとは思わない。むしろ超えたくない、超えなくていいんです。
 
そう思わせる立派なお父様なのですね。
 
ちなみに和合さん、以前にも『朝日新聞』さんに光太郎がらみで載りました。こちらです。
 
続いて9日の『日本経済新聞』さん。
 
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こちらも連載で「文豪が愛した美術十選」の第7回で「高村光太郎「手」」。
 
光太郎の代表作の一つで、大正7年(1918)頃の作です。最初に鋳造されたもののうちの一つが、自裁直前の有島武郎に贈られました。有島歿後は秋田雨雀の手に渡り、それを林芙美子が見たというわけです。
 
当方、寡聞にして『放浪記』に光太郎の名が出て来るとは知りませんでした。調べてみると、確かにこういう記述があります。
 
二階の秋田さんの部屋には黒い手の置物があった。高村光太郎さんの作で、有島武郎さんが持っていらっしたのだとかきいた。
 
いろいろな人物がいろいろなところで繋がっているものですね。
 
さて、この頃は地方紙の記事もかなりネットで読むことができるようになっています。しかし、全ての記事がアップされるかというとそうでもありません。実際、上記レモン忌の記事はネットでは見つかりませんでした。「私のところの新聞にこんな記事が出たよ」というのがありましたら、ご教示いただけると幸いです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月18日
 
平成10年(1998)の今日、新宿のスペース・ゼロで、鍵田真由美、佐藤浩希のフラメンコ「レモン哀歌〜智恵子の生涯〜」が上演されました。
 
能楽とのコラボレーションで、この年度の文化庁芸術祭新人賞に輝いています。

一昨日、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「みんなで語る「智恵子抄」しゃべり場」に行つて参りましたが、ちょうど先週末から「第60回 菊の祭典 二本松の菊人形」も始まっていましたので、早めに行って、観て参りました。
 
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会場は二本松霞ヶ城。台風19号の接近に伴い、生憎の雨でしたが、逆にそのせいでしょうか、駐車場も混んでいませんでした。
 
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会場に入ると、まずは「菊花展ゾーン」。地元の方々が丹誠込めて育てた菊の鉢が並んでいます。
 
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福島では、昔から菊栽培は盛んだったのでしょうか。下の画像は当方手持ちの古絵葉書。智恵子の母校、福島高等女学校、ただし、智恵子卒業後の明治36年(1903)に移転したあとです。やはりずらっと菊の鉢が並んでいます。
 
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続いて「菊人形ゾーン」。今年のテーマは「二本松築城600年 にほんまつヒストリア」。二本松の歴史に題を採っています。昨年まではNHK大河ドラマをテーマに行っていましたが、今年は方向転換です。
 
戊辰戦争の二本松少年隊。
 
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安達ヶ原の鬼婆伝説。
 
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そして、「あどけない話 詩人高村光太郎と智恵子 結婚100周年」。
 
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こちらが光太郎。大村昆さんのようで、ちょっと笑いました。
 
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そして、智恵子。
 
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あれっ? いません。そういえば、智恵子は結婚後も光太郎を残して、1年のうち数ヶ月、二本松(安達)の実家に帰ってしまうこともあったっけ……って、ここは二本松です(笑)。
 
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何と「着せ替え中」だそうで……。
 
ん? まてよ、さっき、作業小屋のようなところにいたのがもしかして……。
 
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ビンゴでした(笑)。
 
あっ! この顔は! 去年の「八重の桜」の時の八重さんではありませんか。去年はスペンサー銃を持っていたのが、今年は折り鶴ですか(笑)。
 
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他にもみごとなしつらえがいろいろありました。
 
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さて、菊人形を堪能002しましたが、まだ「みんなで語る「智恵子抄」しゃべり場」の開始までに時間があります。そこで、旧安達町の智恵子の生家・智恵子記念館に足を伸ばしました。一年のうち、5月のGWと、この菊人形の時期には、智恵子の紙絵の複製でない実物が展示されているはず。
 
勝手知ったる二本松ですので、地元の人しか通らないような裏道を抜け、10分足らずで到着。
 
入場料410円を払って中に入りました。
 
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複製に混じって、実物の紙絵は10点展示されていました。やはり本物は違いますね。厚さはコンマ何㍉ながら、紙の重なりから立体感が感じられるのです。複製もきれいなのですが、それが感じられません。
 
二本松市では19点の実物を所蔵しています。先ほども書きましたが、一年のうち、5月のGWと、菊人形の時期には、実物が約10点ずつ展示されます。
 
ちなみに駐車場のトイレに寄ったところ、レモン石鹸が。「レモン哀歌」を意識してレモン石鹸を置いてあるとすれば、そのセンスには脱帽です。
 
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というわけで、菊人形、智恵子生家・智恵子記念館、ぜひ足をお運びください。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月15日
 
大正10年(1921)の今日、芸術社からヴェルハーレンの訳詩集『明るい時』を上梓しました。
 
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文庫判よりさらに小さいサイズのかわいらしい本です。白っぽく写っているのは、パラフィン紙をかけているせいです。左が函、右が本体です。
 
エミール・ヴェルハーレン(光太郎の表記では「ヹルハアラン」)は、ベルギーの詩人。1855年の生まれですから、光太郎より1世代前です。
 
画家だった妻・マルトに贈った「時の三部作」(『明るい時』、『午後の時』、『夕べの時』)のうちの一つで、何やら『智恵子抄』を髣髴とさせますね。
 
この書の序文で、光太郎は以下のように記しています。
 
詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の「詩」はやはり向うに残る。其を知りつつ訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである。
 
フランス語を知らない一人の近親者」は、もちろん、智恵子です。
 
内容的にも『智恵子抄』所収の詩との類似点が指摘され、いわば『智恵子抄』のスピンオフ(こちらの方が刊行が早いのですが)とも言えます。

昨日はまた二本松に行って参りました。
 
メインの目的は、智恵子のまち夢くらぶさん主催の「みんなで語る「智恵子抄」しゃべり場」。駅前の市民交流センターで開催されました。
 
その他に「二本松の菊人形」や智恵子生家・記念館にも立ち寄りましたが、そのあたりは明日に廻します。
 
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第1部が「私の中の「智恵子抄」~「智恵子抄」や智恵子光太郎への想いを語る~」、第2部が「二本松と智恵子~智恵子生誕の地二本松のこれからを語る~」。
 
市長さんの代理で市の教育長さん、観光協会長さん、にほんまつ未来創造ネットワーク事務局長さん、青年会議所理事長さん、安達中学校の生徒さん、そして夢くらぶの会員・会友の皆様がご参加、いろいろな想いを語られました。
 
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夢くらぶさんとしては、今年も5月に「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」、先月は「第6回 智恵子純愛通り記念碑建立祭プレミアム「音楽で紡ぐ純愛コンサート」」などを行ったものの、今ひとつ人が集まらず、危機感を持っているようです。
 
各団体でもいろいろな取り組みを行っていますが、もっともっと二本松を盛り上げるために、ということで、様々な提言がなされました。
 
当方、日本各地のいろいろな取り組みを見て歩いています。各地域でさまざまな取り組みを地道に行われている様子には、本当に頭が下がります。しかし、それぞれの地元でこぢんまりとやっているだけでは、だんだんとマンネリ化し、やがて消滅してしまうものです。
 
そうならないためにも、「点」での実施でなく、他の地域とのネットワークづくりが必要かと思われます。当方、そのための橋渡し役ができればと思っております。昨日はその想いを新たにさせられました。
 
多少過激なことを言わせていただければ、行政が動くのを待っていては駄目ですね。それぞれの自治体もそれなりに頑張っているのですが、前例のないことにはなかなか腰が上がらない、それまで積み上げてきたものも担当が変わればまた一から、イベント一つとっても、外の人間への発信よりも地元選出国会議員とか県議とかを重視する、そういう傾向があります。
 
まずは草の根の市民が声を上げ、行政を巻き込んで、あるいは行政の力を利用して、他の地域とも連携を深め、どんどん広げて行くといった方向でやっていくべきでしょう。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月14日
 
平成14年(2002)の今日、「鉄道の日」記念行事の一環として「東北の駅100選」が選定され、光太郎詩碑のある二本松駅も選ばれました。
 
全国に光太郎文学碑はかなりありますが、駅に詩碑があるのはここだけです。

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福島県がらみの情報ですが、福島からではなく、まずは東京から、続いて奈良からです。
日 時 : 2014年10月19日(日) 14時より(17時終演予定)
場 所 : ゴートクジISIS館 世田谷区赤堤2-15-3
                   
演 目 : 演奏、朗読、映像、ふくしまをめぐる話など
 演 : 世界的な口笛奏者 柴田晶子さん
      ピアニスト    松田光弘さん
      朗読 劇団百景社 鬼頭愛さん
会 費 : 2,000円(税込) 当日ご持参願います。
 
 : skyasu39@ybb.ne.jp
      上記のメールアドレスへ氏名と参加人数をお知らせください。

第一部 「ふくしまに歌う-しのぶ・かたる・つたえる-」
      口笛:柴田晶子  ピアノ:松田光弘  朗読:鬼頭愛
第二部 「ふくしまの姿見-阿多多羅山と阿武隈川-」
      福島で撮影した映像と福島にまつわるさまざまな話
第三部 「ふくしま返し歌-インタースコア一滴-」
      福島へメッセージを送ろう
 
今年は、口笛とピアノの演奏と共に「智恵子抄」の朗読、ふくしまの原郷の映像とふくしま語りが、ゆっくりと交差する時間をお届けします。
 
遠く離れたふくしまの面影を感じつつ、3.11で何が変わり、変わらないのか、ここも一緒に考えていきたいと思います。
 
 
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それから、以前からご紹介している兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマ「ほんとの空」。福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っていて、タイトルが光太郎詩「あどけない話」から採られています。
ここのところ各地で上映会が相次いで開催されていますが、奈良県葛城市でも行われます、というか既に2会場では終わっています。 

人権教育地区別懇談会

10 月26 日㈰19:00 辨之庄(辨之庄公民館)
11 月1 日㈯19:30 平岡(平岡公民館)
11 月15 日㈯19:30 竹内(竹内集落センター)
11 月16 日㈰19:30 中戸(中戸公民館)
11 月22 日㈯13:00 寺口(寺口ふれあい集会所)
11 月23 日㈰19:00 八川(八川公民館)
11 月30 日㈰19:00 薑(薑コミュニティセンター)
 
 
こうした取り組みで、もっともっと福島について考えていただきたいものです。
 
当方、今日はまた二本松です。智恵子のまち夢くらぶさんの主催で行われる「みんなで語る「智恵子抄」しゃべり場」に参加してきます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月13日
 
明治31年(1898)の今日、東京美術学校の修学旅行兼運動会で栃木県日光に行きました。
 
2泊3日の行程でしたが、どうやって修学旅行と運動会を兼ねたのでしょうか(笑)。

昨日、10月5日はは光太郎の妻、智恵子の命日で、あまりに有名な「レモン哀歌」の一節にちなみ「レモンの日」ということになっています。
 
智恵子の故郷、福島二本松のラポートあだちでは、地元で智恵子の顕彰を行っている「智恵子の里レモン会」さんの主催で、智恵子を偲ぶ第20回レモン忌が開催されました。
 
レモン忌の開催はこの時期の日曜日ということで、必ずしも10月5日とは限らないのですが、今年はぴったり重なりました。
 
何度も書いていますが、今年は光太郎智恵子結婚披露100周年『道程』100周年。さらにレモン忌も節目の20回。その記念すべき年に、もったいなくも記念講演を仰せつかり、『智恵子、新たなる横顔』と題してお話をさせていただきました。
 
それはさておき、順を追って会の様子をレポートします。
 
午前10時、レモン会副会長で元智恵子記念館副館長の根本豊徳氏により開会宣言。続いて祭壇に飾られた地元の方の手になる智恵子の肖像画に献花と献果。「果」はレモンです。
 
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ちなみに手前に映っている鉢植えはグロキシニア。明治45年(1912)、駒込林町の光太郎アトリエの新築祝いに、智恵子が持参した花です。光太郎にとっては智恵子を象徴する花で、詩作品等にくりかえし謳われています。あまり一般的な花ではなく、花屋さんの店頭に並ぶことが少ないというのですが、たまたま地元の花屋さんにあったそうで、飾られました。まさしく「花を添える」ですね。
 
「献花」「献果」と来て、「献歌」。プログラムには入っていなかったのですが、光太郎詩にオリジナルの曲をつけて歌われているシャンソン歌手のモンデンモモさんがご参会で、レモン会渡辺秀雄会長から「唄ってくれ」とのお願いがあり、急遽、実現しました。曲は「あどけない話」。
 
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さらに「献詩」ということで、参会者全員で「あどけない話」を朗読しました。
 
その後、渡辺会長のごあいさつ、来賓祝辞、来賓紹介、祝電披露。参会者全員での記念撮影と続きました。
 
休憩をはさんで、当方の講演。一般の方が対象ですので、「『智恵子抄』は前期はこうで、後期はこうで、それぞれこのような視点で、このように読まないと、光太郎の真意が正しくくみ取れないのだ」的なこ難しい話ではなく(第一そんな話はできません(笑))、ここ10数年で新たに見つかった智恵子に関する資料の紹介を致しました。
 
二本松では平成2年(1990)に、智恵子の生家を改修し、裏手に智恵子記念館を建設、さらにそれに合わせて『アルバム高村智恵子-その愛と美の軌跡-』という書籍が刊行されました。
 
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執筆は北川太一先生ですが、レモン会の根本豊徳副会長のお骨折りでできたものです。当時知られていた智恵子資料のほとんどが収められており、今でも智恵子に関する資料集としてはこれを凌駕するものはなく、版を重ね、智恵子記念館等で販売されています。
 
当時知られていた智恵子が映っている写真はほとんど掲載されていますし、智恵子が書いた詩や随筆、アンケートなどの智恵子文筆作品はすべて網羅されています。それ以外にも智恵子絵画、光太郎を含め関連する写真などがとにかくふんだんに使われています。
 
ただ、ページ数の関係で、智恵子書簡は全てが掲載されているわけではありませんでした。
 
それを補っているのが筑摩書房刊行の『高村光太郎全集』別巻(平成10年=1998)です。
 
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こちらには、当時知られていた智恵子の書簡66通+参考書簡2通(智恵子の親友・田村俊子の書いた小説に引用されたもの)が全て掲載されています。
 
で、昨日は、『アルバム高村智恵子』の刊行後に見つかった智恵子写真、絵画、『高村光太郎全集』完結後に見つかった智恵子書簡などを、プロジェクタで投影しながらご紹介しました。
 
最近見つかった絵画のうち、明治44年(1911)、雑誌『少女世界』の口絵としてカラー印刷された「お人形」という作品があります。そのページだけ切り取った状態のものを入手したので、智恵子記念館で展示して下さいということで、寄贈して参りました。近々展示されると思います。
 
当方講演の後は、懇親会ということで、会食しつつ、参会の方々のスピーチでした。
 
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花巻からお見えで、光太郎が暮らした山小屋「高村山荘」のある太田地区の振興会長・佐藤定氏、昨年のこの会でご講演なさった坂本富江さん、十和田からお越しの山本隆一氏(乙女の像の関連でお世話になっております)、やはり花巻で、小学生の頃、山小屋時代の光太郎に郵便を届けていた浅沼隆氏などなど。
 
二本松、花巻、十和田、さらに全国のこうした光太郎智恵子ゆかりの地の地域ぐるみの交流も今後の課題ですね。
 
その後、閉会。何やらいろいろな方からお持たせのお菓子等頂いてしまい、感謝、恐縮しながら帰りました。
 
この記事を書いている現在、台風18号が関東に上陸中ですが、昨日はまだ風雨もそれほどでなく、無事に帰って来られました。当方、今日はおとなしくしておりますが、明日からまた十和田です。ちょうど台風の動きを避けることができて、タイムリーでした。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月6日
 
昭和38年(1963)の今日、前月から奈良の大和文華館で開催されていた「高村光太郎展」の関連行事として、光太郎と交流の深かった美術史家・奥平英雄の講演が行われました。
 
 閲覧数が50,000件を超えました。ありがとうございました。

福島からコンサート情報です。 

浜根由香 東北を謳う

期 日 : 2014年10月19日(日)
会 場 : 南相馬市民文化会館 ゆめはっと多目的ホール
時 間 : 開場 13:30  開演 14:00
料 金 : 
前売2,500円 当日3,000円
出 演 : 
浜根由香 樋口雅礼 中島裕康
 
  : 遠野(柳田国男作 唯是震一作曲) 樹下の二人(高村光太郎詩 小山清茂作曲)他
 
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純邦楽です。曲目にある「樹下の二人」は箏曲と唄によるもので、以前にもご紹介しました箏曲奏者・下野戸亜弓さん友渕のりえさんなどもレパートリーにされています。というか、元々この曲は友渕さんによる委嘱作品です。
 
会場は福島の南相馬。東日本大震災による被害の最も大きかった自治体の一つです。そこでこのコンサート、復興支援も兼ねているそうで、収益金は市社会福祉協議会に寄付されるそうです。
 
チラシの裏面には、震災関連の記述も。
 
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一口1,000円で協賛される方には、当日のライヴ音源CDが送られるそうです。
 
こういう形での復興支援もあるのですね。

追記  浜根由香さんは、平成28年(2016)6月、胃ガンのため亡くなりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 
 
さて、別件で飛び込みのテレビ放映情報です。ただし、北海道限定のようです。 

旅の達人がいく!阿藤快のにっぽん漫遊記

HBC北海道放送(Ch.1) 2014/10/5(日) 午前6:00~6:30
 
“旅の達人"阿藤快さんが『歴史の里』を訪れ、様々な歴史や文化の名残に触れていきます。もちろん、当地の銘菓や郷土料理も鋭い嗅覚で見つけ出し味わっていきます。
 
【みちのく阿武隈の歴史と味を探訪】  今回、訪れるのは福島県二本松市。  夫の高村光太郎が出版した詩集「智恵子抄」で知られる妻、日本の洋画家、高村智恵子ゆかりの地で、造り酒屋であった生家の裏には彼女の油絵や紙絵が展示されている「智恵子記念館」を訪れます。室町時代に築城された、日本100名城の一つ、二本松城もご紹介します。
 
元々はBS日テレさんで制作していた番組のようで、一昨年あたりに本放送があったようです。
 
北海道のみなさん、ぜひご覧下さい。
 
ちなみに10月5日といえば、「レモンの日」。智恵子の命日です。HBC北海道放送さん、それに合わせてこの放送日程を組んだのでしょうか?
 
さらに言うなら、この日(ってもう明日ですが)は二本松で智恵子命日の集い「レモン忌」も開催され、当方、記念講演をします。
 
今日は武蔵小金井にテルミン奏者・大西ようこさんらのユニットotoyomiさんのコンサート「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」を聴きに行って参ります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月4日
 
明治30年(1897)の今日、智恵子の弟・啓助が誕生しました。
 
智恵子は明治19年(1886)の生まれですので、11歳下になりますが、長男だったため、後に長沼酒造を継ぎます。しかし、啓助の代で破産。その後は上京してダフ屋や廃品回収業のようなこともやり、それでも困ったときには光太郎に金の無心をしましたが、昭和10年(1935)、数え39歳で頓死しました。ある意味、かわいそうな人物です。

二本松からイベント情報です。

みんなで語る「智恵子抄」しゃべり場

と  き 10月13日(月・祝) 午後2時開会  1時半会場
ところ 二本松市民交流センター2F 大会議室
参加費  無料(要予約)
プログラム(ズバリホンネで語る「智恵子抄」フリートークライブ!)
 第一部 私の中の智恵子抄   智恵子と光太郎への想いを語る
 第二部 智恵子と二本松 生誕の地二本松のこれからを語る
参加予定者 二本松市長、二本松市教育長、智恵子の里レモン会長、あだち観光協会長、
      二本松観光協会長、市文化団体連合会長、市婦人団体連合会長、
      二本松未来創造ネットワーク代表、二本松青年会議所代表、安達中生徒代表、
      智恵子のまち夢くらぶ会員・会友、一般参加の申込者
定員  60名(以前の案内より増えています)
申し込み/問い合わせ 熊谷さん 0243-23-6743
 
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主催は「智恵子のまち夢くらぶ」さん。
 
二本松には智恵子の生家、併設の智恵子記念館、その一帯の智恵子の杜公園などがありますし、いろいろなイベントや、学校教育の場でも光太郎智恵子を取り上げて下さっています。しかし、原発事故による観光客の減少、いわれなき風評被害など、深刻な仮題も。そこで、地域としての取り組みのあり方を、公開の場で論じるようです。
 
地域外の方々の御意見というのも、貴重なものです。実際、二本松に足を運ばれて、「ここがこうだともっとよかった」とか、「私たちの地域ではこんなことをやっている」など。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月29日002
 
平成6年(1994)の今日、文治堂書店から刊行されていた『髙村豊周文集』全5巻が完結しました。
 
豊周は光太郎の弟にして、鋳金の人間国宝。家督相続を放棄した光太郎に代わって、高村家を守り続けました。
 
その豊周が雑誌等に発表した文筆作品の集成です。随所で光太郎智恵子に触れるほか、日本工芸史の貴重な記録でもあります。
 
「髙村豊周文集刊行会」の編。先頃亡くなられた子息の規氏の名が代表になっています。
 

二本松ネタを続けて書いていますので、新着情報ではありませんが、ついでに。
 
昨年刊行されていた雑誌なのですが、その存在を最近知りまして、先頃入手しました。 

『地図中心』 2013年12月号 特集  二本松~ほんとの空の下に~

2013/12/10 一般財団法人日本地図センター発行   定価457円+税 
 
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「地図を楽しむ月刊誌」というキャッチコピーで、現代の国土地理院発行の地形図や古地図などをもとに、日本全国を紹介している雑誌です。
 
で、昨年の12月号の特集が二本松でした。サブタイトルには光太郎詩「あどけない話」中の「ほんとの空」の語。
表紙には、二本松駅前にある橋本堅太郎氏作、智恵子の像「ほんとの空」。いくつかの記事で智恵子の生家、智恵子記念館、「あどけない話」を紹介しています。
 
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もちろん、それ以外の二本松名所の数々も紹介されていますし、東日本大震災についても触れられています。
 
インターネットでの申し込みで購入可能です。ぜひお買い求めを。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月26日
 
平成10年(1998)の今日、台東区の朝倉彫塑館で、企画展「五人の彫塑家」が開幕しました。
 
「五人」は光太郎、荻原守衛、朝倉文夫、中原悌二郎、戸張孤雁です。

智恵子の故郷、福島は二本松からイベント情報です。

第60回 菊の祭典 二本松の菊人形

 催 : 一般財団法人二本松菊栄会
 間 : 2014年10月11日(土)~11月24日(月・祝)  午前9時~午後4時
 場 : 福島県立霞ヶ城公園(国指定史跡 二本松城跡 二本松I.C.から車で5分)
テーマ : 二本松築城600年「にほんまつヒストリア」
 金 : 一般大人 500円  障害者大人 300円  高校生以下無料

同時開催
◦ 福島県菊花品評大会  ◦ 二本松菊花品評大会  ◦ 二本松観光物産展  ◦ 霞ヶ城公園紅葉まつり
 
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ここ数年、「八重の桜」や「平清盛」といったNHK大河ドラマがらみで行っていましたが、今年のテーマは「二本松築城600年「にほんまつヒストリア」」だそうで、地元にゆかりある人物や歴史に焦点を当てた内容にすることが、早くから報じられています
 
このまま大河ドラマがらみでやっていくと、今年は黒田官兵衛なので問題ありませんが、来年には仇敵の長州藩となってしまいます。突然変更するのもわざとらしいので、今回からの改変は時宜を得ていますね。
 
地元にゆかりある人物、ということで、伊達政宗や丹羽長秀、二本松少年隊や安達ヶ原の鬼女にまじって、光太郎智恵子の人形も出ます。題して「あどけない話 詩人高村光太郎と智恵子 結婚100周年」。光太郎智恵子を扱うのは初めてではありませんが、久しぶりだと思います。ありがたいかぎりです。
 
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リーフレットは、当方、東京八重洲にある県のアンテナショップ・福島県八重洲観光交流館でいただいてきました。
 
昨年は八重効果で来場者数が増加したそうですが、今年は期間も1週間延長されましたし、さらに多くのみなさんにいらしてほしいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月25日
 
昭和63年(1988)の今日、雑誌『彷書月刊』が「特集 高村智恵子」を組みました。
 
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同誌は彷徨社、のち弘隆社から刊行されていた古書情報誌です。題字は北川太一先生です。
 
「特集 高村智恵子」は計22ページ。豪華な執筆陣です。以下、敬称略でラインナップを。
 
北川太一 尾崎実子 岡村康彦 黒澤亜里子 山本有紀乃 疋田寛吉 杉本優 加藤剛 岩下志麻 駒尺喜美 黛節子

このブログでたびたびご紹介している、兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマで「ほんとの空」。福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っています。そこでタイトルに光太郎詩「あどけない話」から「ほんとの空」の語を採っています。白石美帆さん他のご出演です。
 
各地の自治体が中心となり、上映が繰り返されています。この20日には、滋賀県の守山市で開催された「じんけんフェスタしが2014」で上映されました。今後も全国で上映されますのでご紹介します。 

町別啓発学習会 テーマ ~あなたの思いをわたしのものに~

2014/9/27 午後7時~
内野公民館曲淵分館  福岡県福岡市早良区大字曲渕700-1
講師 早良区生涯学習推進課 人権教育推進 木村哲也氏
 

本庄市人権教育研修会

2014/10/01(水)13:30~15:20 河内生活改善センター 埼玉県本庄市児玉町河内670-10
10/08(水)  〃        児玉文化会館(セルディ)   〃     金屋728-2
10/15(水)  〃        共和公民館        〃     蛭川915-5

地区別人権学習会

2014/10/27(月) 午後2時~3時45分 豊受公民館   群馬県伊勢崎市馬見塚町1296
2014/10/28(火)     〃     茂呂公民館     〃    美茂呂町3032-7
2014/10/29(水)     〃     赤堀公民館     〃    西久保町2-81 
2014/11/06(木)     〃     南公民館      〃    上泉町619-1
2014/11/07(金)     〃     境剛志公民館    〃    境下武士862-3
2014/11/17(月)     〃     北公民館      〃    平和町27-32
 
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福島の現状、震災から3年半が経過しても、やはり厳しいものがあります。光太郎の「道程」が引用されているということで、先日、NHKEテレで放映されたETV特集「それでも道はできる~福島・南相馬 コメ農家の挑戦~」を拝見しました。
 
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震災当初の放射能汚染、さらには、昨年の夏に実施した福島第一原発での大規模ながれき撤去で飛散した放射性物質が、約20㎞離れた南相馬市の水田の米を汚染した可能性が高い、それを国や東電は地元に説明せず、今年に入ってようやく報道された、などという話も紹介されました。それでも自分たちの生まれ育ったふるさとで、米作りに取り組み続ける人々の姿が描かれていました。
 
プラス、風評被害まであったものではたまりません。そうした風潮を戒める人権啓発のための作品「ほんとの空」上映です。
 
こうした取り組みが全国的にもっともっと広まってほしいものですし、「ほんとの空」、テレビでの全国放映もしていただきたいものです。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月24日002
 
昭和9年(1931)の今日、JOBKから朗読番組「文化ラヂオ・プログラム」第五回「高村光太郎詩集より」が放送されました。
 
詩は「沙漠」「牛」他六篇。朗読は声楽家の照井栄三でした。この頃から、光太郎の詩がラジオでたびたび取り上げられるように成っていきます。照井の他に丸山定夫、映画「智恵子抄」で光太郎役だった山村聰などが朗読を担当しています。

照井は「瓔三」の名でも活動していました。

 
 

テレビ放映情報です。 

ETV特集「それでも道はできる~福島・南相馬 コメ農家の挑戦~」

NHKEテレ 2014年9月19日(金)24:00~25:15 = 9月20日(土) 午前00時00分~1時15分
 
福島県南相馬市で農業再生に取り組む農家を1年追ったドキュメンタリー。放射能に対する不安を抱えながら研究を続け、今年2月にはチェルノブイリの農家を訪ねる旅に出た。
 
番組内容
原発20キロ圏の内と外にまたがる南相馬市太田地区。ここでは農家自らが放射性物質の移行を究明しようと田の水や土を細かく調べ研究者と共に試験田を作ってきた。さらに収入確保のために太陽光パネルを設置、売電事業を始めるなど農業の火を消さないよう努力を続けている。今年2月にはウクライナを訪問、チェルノブイリ原発事故で被災した農家に会い農業再生のヒントを探った。30年後の「ふるさと」を見据えた農家の取り組み。
 
語り 上田早苗
 
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再放送です。本放送は9/13のやはり深夜にありました。番組内容の説明等に光太郎や智恵子の語がないのでノーマークでしたが、番組の感想をつづったツイッターの投稿などから、番組最後に光太郎の「道程」が引用されていたという情報を得ました。まあ、それがメインではないので、番組内容の告知にそれが入っていないのは仕方がないでしょう。
 
こういうケースは結構あります。テレビ番組に限らず、イベントやコンサートなどにしてもそうですが、終わってから光太郎智恵子に絡む内容だったというのが判明するケースです。終わった後で事前の告知をネットで見つけてみても、詳細が書かれておらず、光太郎智恵子に絡む内容であることが事前にわかりようがなかったりします。
 
今回のように再放送があればいいのですが、そうでない場合はそれっきりです。イベントにしても同様ですね。そういう場合には、「こんなイベント(テレビ番組)がありました」と、このブログでご紹介するのをためらいますし、紹介しないで済ませてしまうこともたびたびです。事前の告知をきちんとやらないということで、制作者なり主催者なりの意気込みがそれほどでないのかな、と判断し、そういうものを紹介する気にならないというスパイラルです。
 
つい先日も、ある伝統芸能の公演でそういうことがありました。それを観た方のブログでそういう公演があったと知り、事前告知的なページを探したところ、やはり詳細が書かれていなかったケースです。その方のブログには「例によって特にコレといって宣伝も告知もされていなかった印象で、ガラガラというほどでもないけど、スカスカという感じ。「○○回記念公演」というには、いささか寂しい」「素朴なギモン的に、 それで結局、いったい何のためにやっているのだろう?やっぱし思い出作りかな?」といった文言が並んでいました。「例によって」とあるので、いつものことなのでしょう。しかし、終わった後に新聞では紹介されています。主催者はそういうところにあぐらをかいているのではないかとうがった見方をしてしまいます。
 
「仲間うちでこぢんまりとやる」とか、それこそ自分たちの「思い出づくりのためにやる」というのならいいのですが、だったら「公演」と銘打つなと思います。
 
話がそれましたが、「ETV特集」、ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月18日
 
平成5年(1993)の今日、埼玉県加須市の福祉会館大ホールで、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生の講演「与里と光太郎の時代」がありました。
 
「与里」とは斎藤与里。明治45年(1912)、岸田劉生や光太郎らとヒユウザン会(のちフユウザン会)を結成し、日本洋画の革新を目指した画家です。
 
加須は与里の故郷で、この日の講演は「斎藤与里記念館建設をすすめる会」の報告会の一環でした。他に光太郎詩の朗読、合唱、資料展示なども行われたとのことです。

二本松市で智恵子の顕彰活動を続けられている「智恵子の里レモン会」さんの会長・渡辺秀雄氏から、いろいろと届きました。
 
まずはレモン会さん主催の智恵子命日の集い「レモン忌」案内。 

第20回レモン忌開催のご案内

 皆様には益々御健勝にてご活躍のことと拝察申し上げますとともに小会へのご協力誠にありがたく御礼申し上げます。
 さて、今年は詩集「道程」出版及び光太郎・智恵子結婚百年にあたる節目の年にあたりますが、下記の要領にてレモン忌を開催いたしますのでご案内申し上げます。
 つきましては、ご多忙のところとは存じますがお知り合いの方々もお誘い合わせの上、ご参加くださいますようお願い申し上げます。
 
 
1.期  日    2014年10月5日 9:30受付開始
2.会  場    ラポートあだち 二本松市油井字濡石16 0243-23-5250 
         (智恵子記念館ではありません)
3.内  容    ① 開会セレモニー    10:00~11:00
          ② 記念講演 『智恵子、新たなる横顔』
             講師 小山弘明  高村光太郎連翹忌運営委員会代表
          ③ 懇親会  軽食を摂りながら懇親を深めて下さい  15:00閉会
4・会  費    3,000円
5.申し込み   戸田屋商店 0243-23-4858
  
という日程だそうです。  
 
思えば昨年のレモン忌には、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会のみなさんがいらっしゃり、それが機縁で、当方、いろいろと十和田関連のお仕事をいただくようになりました。人と人との機縁というのは、面白いものです。
 
 
その昨年のレモン忌の様子などが書かれた先月発行の『智恵子の里レモン会報』もいただきました。
 
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『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』を書かれた坂本富江さんによる昨年の記念講演の様子、それから当会刊行の『光太郎資料』についても詳細にご紹介下さっています。
 
 
さらに、先月から今月にかけ、地元紙『福島民報』さんに連載された、渡辺会長による「ふくしま人 高村智恵子」全5回分のカラーコピーもいただきました。
 
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非常によくまとまっており、感服しました。レモン忌の記念講演も、当方ごときがやらなくても、会長自らなさった方がいいのでは、と思わせる内容で、ある意味プレッシャーです(笑)。
 
 
というわけで、もうすぐレモン忌です。ちょうど二本松の提灯祭り期間に当たっているそうで、そちらも併せて足をお運び下さい。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月16日
 
昭和13年(1938)の今日、雑誌『いづかし通信』第1号に、短歌二首が掲載されました。
 
この家に智恵子の息吹みちてのこりひとりめつぶる吾(あ)をいねしめず
 
光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき
 
他の四首とともに、昭和16年(1941)刊行の『智恵子抄』に、「うた六首」として収められました。
 
智恵子の死を謳った詩「レモン哀歌」や「荒涼たる帰宅」のあとに掲載されているので、智恵子歿後の作品と思っている方が多いようですが、違います。
 
「この家」「此所」は、駒込林町25番地のアトリエ兼住居です。

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2回に分け、智恵子の故郷・福島は二本松からの情報をご紹介します。
 
まずは地方紙の記事から。 

秋の訪れ華やかに演出 二本松で「県芸術祭」開幕式典

福島民友新聞 9月14日(日)
 
 県内最大の芸術文化団体の祭典「第53回県芸術祭」の開幕式典は13日、二本松市で行われ、「智恵子の里に集う文化で深める絆」をメーンテーマに出演者が“芸術の秋”の訪れを華やかに演出した。県芸術文化団体連合会、県、県教委、二本松市などの主催、福島民友新聞社などの後援。
 本年度は県北を重点地区に開催。7月から12月までの期間中、県内全域で主催行事や参加行事を数多く繰り広げる。
 この日は約1200人が来場。式典では鈴木千賀子県文化スポーツ局長、高城俊春県芸術祭運営委員長、宍戸貞之県芸術祭県北地区実行委員長があいさつ。新野洋二本松市長が祝辞を述べた。
 開幕行事では、伊達市の川前愛宕神社獅子舞保存会が「川前愛宕神社獅子舞」などを披露した。
 
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以前にご紹介した、福島県芸術祭の開幕式典の報道です。芸術の秋、という感じになって参りました。
 
 
 もう一件、別件です。 

二本松の広瀬さん ご当地ヒーローに変身

福島民報 9月14日(日)
 
 福島県二本松市の飲食店経営広瀬和重さん(50)は東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で被災した市民を元気づけようと、ご当地ヒーロー「光の戦士ツインウェイター」として活動を始めた。 
 広瀬さんは20代前半に俳優の真田広之さんに憧れ、東京都のアクション俳優養成所「ジャパンアクションクラブ」に入所した。6年間活動した後、会社勤務を経て実家の飲食店を継いだ。 
 震災と原発事故後、県内の雰囲気が暗く、笑顔があまり見られなくなったように感じた。「かつて学んだアクションを生かし、ご当地ヒーローとしてみんなを元気づけよう」と考えた。本業の傍ら劇団HERO’S ACTION CLUBを設立し、団員を募った。 
 「二本松」にちなみヒーローの名前は「ツイン(2つ)ウェイター(待つ)」とし、赤と黄色の2人のヒーローが「ほんとの空」を取り戻すため、安達ケ原の鬼婆伝説を基にした怪人と戦うストーリーを作った。 
 28日に白河市で開かれる「ご当地キャラこども夢フェスタinしらかわ2014」のステージに立つ。出番は午後1時10分からで、今までで一番大きな舞台だ。広瀬さんは「ヒーロー同士の友情や悪者に立ち向かう勇気を見てほしい」と話している。 
 団員を募集中で、出演依頼も受け付ける。問い合わせは広瀬さん 電話080(6013)7378へ。
 
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子供たちに夢を与えてほしいものです。
 
 
もう一件、二本松在住の渡辺元蔵氏から、同人誌『現代詩研究』第73号をいただきましたのでご紹介します。
 
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平成22年(2010)、二本松駅前に建立された智恵子の像「ほんとの空」の作者、日展の彫刻家、橋本堅太郎氏について書かれた「橋本堅太郎作品について」、二本松市教育委員会により行われている「智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」について書かれた「第十八回智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール智恵子大賞について」が掲載されています。
 
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こうした地道な努力により、光太郎智恵子の名が後世に伝えられていってほしいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月15日
 
明治42年(1909)の今日、智恵子の祖父、長沼次助が隠居しました。
 
次助は元々新潟の出身です。杜氏として二本松にやってきて、そのまま居着き、一代で長沼酒造を興しました。隠居後は智恵子の父、今朝吉に家督を譲ります。
 
今朝吉は、次助の妻・ノシの連れ子、センと結婚し、夫婦で次助と養子縁組をしたので、次助と血縁はありません。その長子が智恵子です。

『朝日新聞』さんでいえば、「天声人語」にあたる、新聞の一面コラム。このほど地方紙2紙で相次いで光太郎智恵子を取り上げて下さいました。 

神戸新聞 正平調 2014/09/09

高村光太郎の詩「秋の祈(いのり)」で、「喨々」という言葉に出合う。漢和辞典を引くと「りょうりょう」と読み仮名が記されていた◆音が明るく響き渡るさまをいう。詩人は詩の書きだしと終わりで、この言葉を繰り返す。「秋は喨々と空に鳴り」。明るく澄み切った秋空の様子を歌っているのだろう◆秋の青空を見上げながら、そういえばあの時も青かったと思い出す空がある。決して明るい思い出ではない。12年前の9月、当時の小泉首相を乗せた政府専用機が平壌(ピョンヤン)の空港に降り立った。見守ったテレビに映る平壌の空は真っ青だった◆前後して神戸出身の拉致被害者、有本恵子さんの両親に何度か話をうかがう機会があった。神戸の街頭で支援を訴える活動の合間のことだ。いろんな情報や政治の動きが飛び交う中、こう言っていた。「楽観はしておりません。しかし何があろうと、絶対に悲観致しません」◆先日、有本さんの父明弘さんの講演を伝える記事で、「恵子を取り戻せる最後のチャンス」の言葉を読んだ。同じ日、横田めぐみさんの両親は神奈川で「願って待つしかない。本当にしんどい時期」と語った◆この秋、日朝交渉が大きな局面を迎える。被害者と家族は想像を絶する苦しみの日々を耐え忍んできた。今はただ、それぞれの再会の訪れを秋の祈りとしたい。2014・9・9
 
引用されている「秋の祈」は大正3年(1914)、ちょうど100年前の作です。詩集『道程』の最後に収められた詩で、おそらく『道程』のために書き下ろされたものと推定されています。
 
  秋の祈000
 
秋は喨喨(りやうりやう)と空に鳴り
空は水色、鳥が飛び
魂いななき
清浄の水こころに流れ
こころ眼をあけ
童子となる

多端粉雑の過去は眼の前に横はり
血脈をわれに送る
秋の日を浴びてわれは静かにありとある此を見る
地中の営みをみづから祝福し
わが一生の道程を胸せまつて思ひながめ
奮然としていのる
いのる言葉を知らず
涙いでて
光にうたれ
木の葉の散りしくを見
獣(けだもの)の嘻嘻として奔(はし)るを見
飛ぶ雲と風に吹かれるを庭前の草とを見
かくの如き因果歴歴の律を見て
こころは強い恩愛を感じ
又止みがたい責(せめ)を思ひ
堪へがたく
よろこびとさびしさとおそろしさとに跪(ひざまづ)く
いのる言葉を知らず
ただわれは空を仰いでいのる
空は水色
秋は喨喨と空に鳴る
 
「喨喨」。「デジタル大辞泉」によれば、「音の明るく澄んで鳴り響くさま」。いかにも「秋」というイメージの言葉ですね。画像は以前も使いましたが、二本松の智恵子の生家です。
 
しかし昨日あたりから秋晴れとはほど遠い全国的な豪雨。広島の土砂災害も記憶に新しいところですが、命を落とす方の出ないように祈るばかりです。 

福島民報 あぶくま抄 2014/09/08

〈くもとあそひ風とうたへる春秋の世の塵[ちり]しらぬやまの湯の宿〉。歌人柳原白蓮[びゃくれん]の直筆の短歌は、二本松市岳温泉の「陽日の郷あづま館」に残る。NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」で主人公の親友である葉山蓮子のモデルだ。太平洋戦争で最愛の長男を亡くす。終戦直後、半生を描いた映画「麗人」が反響を呼び、かつて絶縁状を出した炭鉱王は死去する。昭和27(1952)年秋、66歳の歌人は「やまの湯」で「世の塵」を落とす。翌年に世界連邦平和運動の婦人部長となる。文豪・幸田露伴も二本松と縁が深い。明治20(1887)年、20歳で文学を志し北海道から徒歩で上京する。苦難の旅は著書「突貫紀行」に記される。9月28日、二本松の亀谷坂で決意を新たにする。住民が運営する、にぎわいの拠点「亀谷坂露伴亭」は5周年を迎えた。露伴が訪れた記念日も営業する。11月に5周年事業を計画する。詩集「智恵子抄[ちえこしょう]」で知られる二本松市出身の高村智恵子をしのぶ「レモン忌」は10月5日の命日に行われる。12月に夫・光太郎と結婚して100年を迎える。二本松に秋の風が吹く。文学史を彩る3人の人生が重なる。
 
当方、寡聞にして柳原白蓮や幸田露伴が二本松にゆかりがあることは存じませんでした。
 
智恵子の命日「レモン忌」のつどいは、書かれている通り、10月5日に二本松市の智恵子生家に近い「ラポートあだちで行われます。今回で第20回となり、毎年、この時期の日曜日に行っているのですが、今年はちょうど智恵子の命日「レモンの日」と重なります。
 
当方、記念講演を依頼されており、「智恵子、新たなる横顔」という題でお話しさせていただきます。ただ、詳しい案内文書等、こちらにも届いておりませんので、詳細はまた追ってご紹介いたします。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月11日
 
昭和17年(1942)の今日、洛陽書院から詞華集『日本詩集』が刊行されました。
 
当代一流の詩人達による戦争協力詩を集めたアンソロジーです。同種のものには、この時期、おびただしく出版されました。そのうち大政翼賛会文化部編 『軍神につづけ』、日本文学報国会編 『辻詩集』(ともに昭和18年=1943)が、現在開催中の「ヨコハマトリエンナーレ 2014 大谷芳久コレクション」で展示されています。同展では光太郎個人の詩集『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『記録』(同19年=1944)も並んでいます。
 
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『日本詩集』での光太郎作品は、随筆「詩005精神」、詩が9篇掲載されています。「必死の時」「危急の日に」「独居自炊」「正直一途なお正月」「事変二周年」「最低にして最高の道」「彼等を撃つ」「新しき日に」「夜を寝ざりし暁に書く」です。
 
光太郎作品を収めたこの種のアンソロジーの類は、少なく見積もっても40種類ほど刊行されています。当方手元にも30数冊あります。一部、画像を載せます。
 
戦後、昭和22年(1947)になって、蒋介石に対して書かれた、「蒋先生に慙謝す」という詩の中で、こうした自身の戦時中の行動について、光太郎はこのように述べています。
 
  蒋先生に慙謝す
 
わたくしは曾て先生に一詩を献じた。
真珠湾の日から程ないころ、無題1
平和をはやく取りもどす為には
先生のねばり強い抗日思想が
巌のやうに道をふさいでゐたからだ。
愚かなわたくしは気づかなかつた。004
先生の抗日思想の源が
日本の侵略そのものにあるといふことに。
気づかなかつたともいへないが、
国内に満ちる驕慢の気に
わたくしまでもが眼を掩はれ、
満州国の傀儡をいつしらず
心に狎れて是認してゐた。
人口上の自然現象と見るやうな
勝手な見方に麻痺してゐた。
 
天皇の名に於いて
強引に軍が始めた東亜経営の夢は
つひに多くの自他国民の血を犠牲にし、
あらゆる文化をふみにじり、
さうしてまことに当然ながら
国力つきて破れ果てた。
侵略軍はみじめに引揚げ、無題
国内は人心すさんで倫理を失ひ、
民族の野蛮性を世界の前にさらけ出した。
先生の国の内ではたらいた
わが同胞の暴虐むざんな行動を
仔細に知つて驚きあきれ、006
わたくしは言葉もないほど慙ぢおそれた。
日本降伏のあした、
天下に暴を戒められた先生に
面の向けやうもないのである。
 
わたくしの暗愚は測り知られず、
せまい国内の伝統の力に
盲目の信をかけるのみか、
ただ小児のやうに一を守つて、
真理を索める人類の深い悩みを顧みず、
世界に渦巻く思想の轟音にも耳を蒙(つつ)んだ。
真理の究極を押へてゆるがぬ
先生の根づよい自信を洞察せず、
言をほしいままにして詩を献じた。
今わたくしはさういふ自分に自分で愕く。
けちな善意は大局に及ばず、
せまい直言は喜劇に類した。
わたくしは唯心を傾けて先生に慙謝し、無題2
自分の醜を天日の下に曝すほかない。
 
 
戦後になってこういう詩を書いている光太郎を、ヘイトスピーチ大好きなネトウヨがちやほやしている理由がよく判りません。彼等にしてみれば「変節の裏切り者」「売国奴」そのもののような気がするのですが……。
 
あの輩は、戦時中の戦争協力詩だけが光太郎詩の本質だと思っているのかも知れませんね。困ったものです。

智恵子の故郷、福島は二本松で顕彰活動をされている智恵子のまち夢くらぶさんの主催で、以下のイベントがあります。

第6回 智恵子純愛通り記念碑建立祭プレミアム「音楽で紡ぐ純愛コンサート」

日 時 : 2014年9月21日 午後2時開演 1時30分開場
定 員 : 200名
料 金 : 前売2,000円 当日2,500円
内 容 : 第1部 Noby トランペットの道
           トランペット 長屋伸浩
      第2部 モンデンモモの智恵子抄 special 二本松10年の精華を今!
           曲・歌 モンデンモモ  ピアノ 砂原嘉博  チェロ 伊藤耕司
申し込み/問い合わせ 熊谷さん 0243-23-6743
 
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光太郎の詩にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんがメイン。昨年9月以来、1年ぶりの二本松でのコンサートです。
 
5月に行われた「第10回智恵子生誕祭 朗読とギターで綴る智恵子と光太郎の道程」同様、今年、夢くらぶさんのが行っている「詩集「道程」出版100周年高村光太郎智恵子結婚100周年智恵子のまち夢くらぶ発会10周年記念事業」の一環です。
 
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また、当日、午前10時から、智恵子生家駐車場前で「智恵子純愛通り記念碑建立祭」が開催されます。安達文化ホールもすぐそばです。
 
下記画像は過去の建立祭の様子。夢くらぶさんのページから拝借しました。
 
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この碑文の揮毫は、先頃亡くなった高村規氏です。おそらく規氏の筆跡が碑になっているのは、これだけではないかと思います。
 
というわけで、建立祭、コンサート、ぜひ足をお運びください。
 
当方、残念ながらこの日は自分の音楽活動のため行けません。申し訳ありません。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月28日001
 
平成18年(2006)の今日、島根県立石見美術館で開催されていた「森鷗外と美術」展が閉幕しました。
 
光太郎の油彩自画像、鷗外宛書簡、装幀した書籍、さらに先日ご紹介した宮芳平の油絵など、光太郎とも交流のあった人物の作品等も多数展示されました。
 
同展はこの後、和歌山県立近代美術館、静岡県立美術館に巡回されました。

以前にもご紹介しましたが、今年2月の地方紙『福島民報』さんの記事です。

県北を重点開催地に 県芸術祭

 県芸術祭運営委員会は14日、福島市民会館で開かれた。平成26年度の県芸術祭の重点開催地を県北地区とし、開幕式典・開幕行事を9月13日に二本松市の二本松文化センターで催すことを承認した。
 開幕行事のテーマは「智恵子の里に集う文化で深める絆」とする方針。開幕式典に続いて、文化団体・民俗芸能団体による発表を行うほか、県北地区の物産コーナーや展示コーナーも開設する方向で準備を進める。
 今年度の県芸術祭の実施状況も報告された。主催行事は27件で、来場者は2万7712人だった。参加行事は46件で6万440人が来場した。合計の来場者は8万8152人となり、前年度を4081人上回った。
 運営委員会には文化団体の代表ら約40人が出席した。運営委員長の高城俊春県芸術文化団体連合会長があいさつし、県芸術祭の成功を誓った。
( 2014/02/15 09:19 福島民報 )
 
というわけで、第53回福島県芸術祭の開幕式典が開催されます。
 
 
以下は二本松市の広報紙から。

第53回福島県芸術祭 開幕式典・行事

 「智恵子の里に集う文化で深める絆」をメインテーマに、文化団体による民俗芸能、舞踊、合唱等の発表会が開催されます。
 二本松市からも出演しますので、お誘いあわせのうえご覧ください。

開催日 9月13日(土)
会 場 二本松文化センター
開 演 開幕式典13:15(開場12:00) 開幕行事14:00
入場料 500円(前売りで完売の場合は当日券はありません)※全席自由 中学生以下無料
チケット販売所 文化課(市役所3階)
チケット販売時間 月曜日~金曜日の8:30~17:15
 詳しくは下記までお問い合わせください。
◎問い合わせ…文化課文化振興係☎(55)5154
 
 
福島県のページには以下の内容が。

福島県芸術祭

 福島県芸術祭は、県民自らの芸術・文化活動への参加と、県民に芸術・文化に触れる機会を提供することなどを通して、本県芸術・文化の振興を図ることを目的に昭和37年から開催しています。開催内容は「主催行事」と「参加行事」をもって構成しています。
 
1 平成26年度第53回福島県芸術祭について
 本年度の芸術祭は、二本松市の開幕行事を皮切りに県内各地において81の開催行事が催されますので、是非御覧いただくとともに、参加体験されてはいかがでしょうか。 皆さんの御来場をお待ちしております。
◇  開催月日 平成26年9月13日(土曜日) 13時15分~16時00分 
◇  開催場所 二本松文化センター大ホール 二本松市榎戸1-92 0243-23-5121
  1  開幕式典     時間 13時15分 ~ 13時45分
  2  開幕行事
   (1)  第一部公演時間 14時00分 ~ 14時55分
   (2)  第二部公演時間 15時05分 ~ 16時00分
   (3)  出演団体      8団体
        
2 福島県芸術祭への参加申し込みについて
  開催行事は、原則として9月1日から11月30日までに実施し、一般県民に公開し推奨しうる芸術・文化行事で、福島県芸術祭運営委員会が承認したものとなります。申し込みされる団体は、次により手続き願います。
(1) 主催行事
  主催行事とは、全県組織の芸術文化団体並びに市町村が主催及び主管する行事ですが、福島県、福島県教育委員会、県芸文連も主催団体として参画するものです。(主催行事一覧 [PDFファイル/174KB])
•全県組織芸術・文化団体が実施する行事
•重点地区の広域的文化団体連絡協議会等が実施する行事
•市町村が実施する行事
(2) 参加行事
  参加行事は、芸術・文化団体が自主的に開催する行事で、県芸術祭の趣旨にふさわしいものとします。
    また、参加団体は、県芸文連加盟の全県組織団体や市町村文化団体を始め、加盟していない芸術文化団体も申し込みできます。詳しくは県芸文連事務局までお尋ねください。

 
「主催行事」としては福島県合唱コンクールなどを含み、既に終了しているものもあります。
 
「参加行事」は、県内の各種文化団体がそれぞれに行う演奏会や展覧会を、芸術祭参加、という形にしているようです。
 
「主催行事」「参加行事」とも、光太郎智恵子にからむものがあるかと思われますが、多すぎて細かくチェックできません。情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。
 
まだまだ残暑が続いていますが、そろそろ「芸術の秋」という雰囲気になって参りました。秋の行楽シーズンも間近。これを機に福島へも足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月26日
 
昭和30年(1955)の今日、中野のアトリエに、家の光協会の人が、光太郎詩レコード化の相談に訪れました。
 
当日の日記には以下の記述があります。
 
<「家の光」の人くる、「青年」を盤に吹込むとのこと、>
 
さらに、9月27日の日記には、
 
「家の光」の人レコード持参
 
とあります。
 
このレコードというのは、おそらく、こちらです。
 
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この頃流行った「ピクチャーレコード」というもので、サイズは8インチです。当方、あまり詳しくないのですが、78回転ですので、SPレコードに分類されるのではないかと思われます。
 
光太郎の「私は青年が好きだ」と、竹内てるよの「わたくし」の朗読が収められています。もう片面(どちらがA面なのかわかりません)には、「家の光つどいの歌」という歌です。この歌はこの年の制作です。
 
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上記画像、当方が持っている現物なのですが、ジャケット、歌詞カード的なものがついておらず、詳細が不明です。発行年月日、朗読者、「家の光つどいの歌」の方の歌手などなど。
 
また、のちにビクターから「ワンワンレコード」の1枚として復刻されているらしいのですが、そちらについても詳細が不明です。今後の課題としておきますが、情報をお持ちの方はご教示下されば幸いです。

福島からイベント情報です。
 
まず『福島民友』さんの記事から。 

「全日本演劇フェス」29、30日に福島テルサで本県初開催

 「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」は29、30の両日、福島市の福島テルサで開かれる。本県では初めての開催。全日本リアリズム演劇会議(全リ演)の主催。
 東日本大震災前は3年に1度、全国各地で開いてきたが、震災後は開催を疑問視する声もあり、中止していた。自分たちが復興支援として応援したい人に演劇を見てもらいたいという声が全国で多く寄せられたため、震災後、初めて本県で開かれることになった。
 29日は全リ演関東ブロック合同公演として「貧乏物語」を上演。30日は光南高演劇部が「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章 ばらあら、ばらあ」、全リ演西会議が合同で「天満のとらやん」、京浜協同劇団が朗読劇「空の村号」をそれぞれ上演する。
 このほか、29日は舞台芸術コーディネーター新田満さんが「演劇できれば満足か」と題して講演する。入場料は全公演を見ることができる観劇パスが一般1000円で、小学生以下無料。問い合わせは同フェスの実行委員会(電話090・8926・0641)へ。
(2014年8月19日 福島民友おでかけニュース)
 
 
というわけで、福島テルサというホールで、「第12回全日本演劇フェスティバルin福島」が開催されます。
 
その中で、8月30日の午前10寺45分から、福島県立光南高等学校演劇部さんの「この青空は、ほんとの空ってことでいいですってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」がプログラムに入っています。光太郎や草野心平の詩に託し、原発事故への思いを語るものです。

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こちらは以前にもご紹介しましたが、平成24年(2012)に渋谷、横浜で上演された福島県立県立あさか開成高校演劇部さんによる「第一章」を受けて作られたもので、今年1月、千葉の鴨川などで公演されました。
 
ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月22日
 
昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエを、女優の水谷八重子さんが訪れました。
 
北条秀司作の演劇「智恵子抄」のための打ち合わせでしたが、この公演は、光太郎の生前には実現しませんでした。自分が登場することに対し、光太郎が難色を示したそうです。
 
結局、上演されたのは光太郎の亡くなった昭和31年(1956)でした。
 
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8月21日は、「福島県民の日」だそうです。平成9年(1997)の制定で、明治9年(1876)8月21日に、旧福島県・磐前県・若松県の3県が合併して現在とほぼ同じ福島県の姿が誕生したことにちなむそうです。
 
それにともない、21日(木)には施設の無料開放などの「福島県民の日」サマーキャンペーンということで、郷土について理解と関心を深め、ふるさとを愛する心をはぐくみ、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げることを期すそうです。
 
そこで、県内50ほどの施設が、当日は利用無料。智恵子にからむ以下の施設も入場無料になります。
 
二本松市智恵子の生家・智恵子記念館
二本松市油井字漆原町36番地
「ほんとうの空がある」と安達太良山を愛し、高村光太郎との愛と芸術に生きた智恵子。彼女の生家が当時の面影のまま甦りました。記念館では芸術家・智恵子の作品を展示し、人生の軌跡と精神世界を語りかけます。
通常料金 大人(高校生以上)410円 小人(小・中学生)200円

二本松市大山忠作美術館
二本松市本町二丁目3番地1(二本松市市民交流センター3F)
大山忠作画伯は二本松市出身で現代日本画壇の重鎮として活躍され、平成19年に169点にも及ぶ作品が二本松市に寄贈されました。大山忠作美術館は寄贈された作品を中心に幽玄・華麗なる多くの作品を展示しています。
通常料金 一般410円 高校生以下200円
 
二本松市歴史資料館
二本松市本町一丁目102番地
第1展示室は橋本堅太郎ほか美術家の作品、第2展示室は市内遺跡から出土した土器等の考古資料、第3展示室は中世畠山氏から近世丹羽氏に関する古文書・武具などを展示しています。
無料開放
通常料金 大人100円 高校生50円 小中学生30円
 
県外の方も、この機会にぜひどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月19日
 
平成7年(1995)の今日、智恵子終焉の場所、南品川ゼームス坂病院跡に、光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が除幕されました。
 
 
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福島からの報道です。

「おっ!PAIぷりーん」商品化 「乳首山」新名物優秀作品

『福島民報』8月9日(土)9時26分配信
 
 福島県二本松市の象徴・安達太良山の愛称「乳首山」にちなんだ食の新名物を決めるコンテストで優秀作品に選ばれた「おっ!PAIぷりーん」が商品化された。市内の道の駅「安達」智恵子の里上下線で販売を始め、8日、同駅下り線でお披露目会が開かれた。
 コンテスト作品の商品化は初めて。「おっ!PAIぷりーん」はプリンの上に生クリームとピンク色のチョコレートを乗せ、乳首山を表現した。口当たりは滑らかで、甘さは控えめ。価格は1個267円(税込み)。
 お披露目会には作者で市内のお菓子製造業「HAPPY」代表の石川真由美さん、コンテスト主催者の安斎文彦にほんまつ未来創造ネットワーク会長、市観光大使で女優の一色采子さんが訪れた。石川さんは「二本松のお土産として定着してほしい」と語った。コンテストはJRのふくしまデスティネーションキャンペーンに合わせ、二本松の魅力を発信しようと企画。3月に入賞作品を発表した。
 商品の問い合わせはHAPPY 電話0243(55)2976へ。

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記事にもあるとおり、安達太良山は、山頂の大岩の形状が遠くからだとそう見えるため、「乳首山」という別名があります。
 
下記は二本松観光協会さん発行のパンフレットから。
 
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左のページ、「阿武隈川」の「川」と「光太郎」署名の中間、たしかにそう見えなくもありませんね。
 
で、二本松市の旧安達町エリア、国道4号沿いにある道の駅「安達」智恵子の里さんで販売を始めたとのことです。商品の画像は上にありますが、まあ、この程度ならセクハラと騒がれないで済みそうですね。瓶の形がレトロ感も醸し出しています。
 
お近くをお通りの際は、ぜひお立ち寄り、お買い求めを。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月14日
 
大正9年(1920)の今日、『時事新報』にエッセイ「私の事」が掲載されました。
 
一部、抜粋します。
 
 私のからだの中には確かに手におへない五六頭の猛獣が巣喰つてゐる。此の猛獣のため私はどんなに苦んでゐるか知れない。私をしてどうしても世人に馴れしめず、社会組織の中に安住せしめず、絶えず原野を恋ひ、太洋を慕ひ、高峰にあこがれ、野蛮粗剛孤独不羈に傾かしめるのは此の猛獣共の仕業だ。私は人一倍人なつこく、温い言葉と春のやうな感情とに常に飢ゑてゐるのだが、この猛獣のおかげで然ういふ甘露の味を味ふ事が実にすくない。
 
この時期の光太郎は、大正デモクラシー、プロレタリア文学・美術の勃興などを背景に、さまざまな形で露呈する社会矛盾への怒りをあらわにし始めていました。さらに大正12年(1923)の関東大震災後にはその傾向が顕著となり、有名な「ぼろぼろな駝鳥」などを含む連作詩「猛獣篇」へとつながっていきます。
 
この「私の事」は、そうした自己の内部に巣くう「猛獣」について述べた早い段階のものの一つでした。

以前にご紹介しましたが、兵庫県人権啓発協会さん企画、東映さん制作の40分程のドラマで「ほんとの空」という作品があります。

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身近にひそむ人権問題にスポットを当てた作品で、一昨年の制作ということもあり、福島の原発事故による風評被害、いわれなき差別を扱っています。そこでタイトルが「ほんとの空」というわけです。白石美帆さん他のご出演です。
 
さて、岡山県に本社があり、岡山県、香川県で受信できるテレビせとうちさんで、この作品の放映があります。

ほんとの空 

テレビせとうち 2014/8/14 (木) 14:50 ~ 15:30 (40分)
 
番組概要   生活の中の偏見を見つめ直す、ある家族の物語。
 
番組詳細   白石美帆 湯浅美和子 ほか
 
それから、神戸市では上映会が催されます。 

「心かよわす市民のつどい」

◆日時◆ 平成26年8月26日(火曜) 13時30分~16時 (開場13時)
 
◆会場◆ 神戸文化ホール・中ホール (神戸市中央区楠町4-2-2)
 
◆定員◆ 800名 (7月8日(火曜)から電話・FAXにて先着順受付)
 ★一時保育あり  1歳6か月~就学前のお子さま対象。無料。定員10名(先着順)
 *神戸文化ホール内託児室
 
◆プログラム◆
1.人権啓発映画「ほんとの空」上映  ※日本語字幕・副音声あり   
 企画:兵庫県・(公財)兵庫県人権啓発協会  上映時間:36分
 「意識と人権」~あなたの思いをわたしのものに~
 高齢者や外国人に対する排除、不利益な扱い、同和問題や原発事故に伴う風評被害の問題、これら多くの人権課題に共通する根っこの部分は、わたしたちの誤った考え方や思い込み、偏見という「意識」です。
 このドラマは、誤解や偏見に気づき人と深く向き合うこと、他者の気持ちを我がこととして思うことの大切さに気づかせてくれます。

2.講演会「ダウン症の娘と共に生きて」 (90分)
 講師:金澤泰子さん、金澤翔子さん (いずれも書家)  *要約筆記、手話通訳あり
  金澤泰子さん
  書家。金澤翔子さんの母。1943年生まれ。明治大学卒業。書家の柳田泰雲・泰山氏に師事。1990年、東京・大田区に「久が原書道教室」を開設。久が原書道教室主宰。東京芸術大学評議員。
  金澤翔子さん
  書家。1985年、東京生まれ。5歳の時より母・泰子さんに師事し、書道を始める。20歳で銀座書廊において初の個展を開催。2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」の題字を揮毫。2013年に国体開会式において巨大文字を揮毫。紺綬褒章受章。天皇御製を謹書。
 
◆入場料◆
無料(ただし、事前に申し込みが必要)
 
◆申込方法◆
1.電話またはFAXで下記へ申込み(先着順)受付後、入場券を送付します。
  FAXの場合は、郵便番号、住所、名前、電話番号、参加人数、一時保育希望の場合は、お子さまの名前・年齢・性別を記載してください。
2.申込先・問い合わせ先  神戸市保健福祉局人権推進課
  TEL : 078-322-5234 FAX : 078-322-6048
 
 
6月には高知さんさんテレビさんで放映がありましたが、ぜひ、全国ネットでも放映してほしいものです。その他、自治体や学校さんなどでぽつぽつ上映されているようですが、もっともっと広まってほしいものですね。
 
 
 【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月11日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋で、地元の青年の持ってきたスイカを食べました。
 
日記に以下の記述があります。
 
午前弘さん西瓜持参、初もの、一緒にくふ。美味。新鮮この上なし、

福島からの情報です。

福島県あだたら高原リゾートあだたらエクスプレス(ゴンドラ)往復ご優待券プレゼント!

抽選でペア10組20名様にあだたらエクスプレス(ゴンドラ)往復ご優待券プレゼント!
日本百名山・花の百名山≪安達太良山≫あただら高原リゾート
「あだたらエキスプレス」でほんとの空に広がる大パノラマを満喫できます!
2014年8月6日(水)午前中応募締切
※交通費等はお客様ご自身でご負担願います。
 
安達太良連峰の主峰、標高1700mの安達太良山。どこまでも澄み渡る青空と爽やかな空気の下では、四季折々の花が咲き乱れ、小鳥たちのさえずりも聞こえてきます。高速ゴンドラリフト「あだたらエクスプレス」を利用すれば、願望抜群の薬師寺(標高1,350メールル)までわずか10分。山頂駅から薬師寺パノラマパークまで片道約10分ほどの散策を楽しむことができます。
 
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あだたらエクスプレス」は、安達太良山のゴンドラ山麓駅~ゴンドラ山頂駅間の全長1505.54メートル 高低差391.05メートルを、5~10分で結ぶゴンドラです。そちらのペア優待券が当たるキャンペーンです。通常料金は一般で往復が1,650円。2人分だと3,300円。これは大きいですね。
 
ちなみに8月2日(土)~9月23(火)まで、ゴンドラから望む20万球のLEDが奏でる幻想的なイルミネーション「天の川のかがやき」も開催されます。
 
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ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月27日
 
明治36年(1903)の今日、病床にあった文豪・尾崎紅葉を見舞いました。
 
この時の印象を元に、彫刻「尾崎紅葉像」、さらにこの年秋には紅葉が亡くなり、「解剖台上の紅葉山人」を制作しました。「尾崎紅葉像」の方は、現存が確認できていません。

福島から、スポーツイベントのご案内です。
 
「トレイルランニング」という、舗装されていない山野の路を走るというものです。 

ふくしまの名峰トレイルラン体験ツアー「魔女の瞳・ほんとの空へGо!!」

   8月16日(土)~17日(日)
   吾妻山、安達太良山
コース :(1日目)吾妻山の浄土平を起点とした周回コース(約15km)、
     (2日目)安達太良山縦走コース(約15km)
スケジュール
 (8月16日(土))
 9:30~10:00  受付(浄土平ビジターセンター前)
 10:00~10:15 オリエンテーション
 10:15~10:30 出発準備
 10:30~15:30 吾妻山トレイルランニング
 15:30~16:30 宿舎「リゾート・インぼなり」へ移動
 16:30~18:00 チェックイン、温泉を楽しむ
 18:00~    夕食、交流会
 (8月17日(日))
 7:00~ 8:00  朝食、出発準備
 8:00~ 「リゾート・インぼなり」出発
 9:00~14:00  安達太良連峰トレイルランニング
 14:00~15:30 「リゾート・インぼなり」へ戻り、温泉入浴
 15:30   解散
参加条件:
 二十歳以上で健康であること 、
 トレイルランニングの経験があり、ゆっくりペースで4~5時間トレイルランニングが出来る
 こと、
参加後のアンケートに協力頂けること
申込期限:平成26年7月25日
 
コースはふくしまの名峰、吾妻山・安達太良連峰です。吾妻山の「魔女の瞳」は直径約300m、コバルトブルーに輝く美しい湖。「ほんとの空」は、詩人高村光太郎が智恵子抄”あどけない話”で紹介した安達太良山のスカイブルーの空。
安全・確実・愉快にコバルトブルー・スカイブルーを堪能するイベントです。
また、宿泊は中ノ沢温泉。参加費には宿泊費(1泊2食)+交流会飲食+二日目の昼食、トレラン後の補食(旬の果物がたくさん味わえます)、二日目ラン終了後の温泉入浴、そしてなんとお土産の桃まで含まれます。そして、交流会では美味しいふくしまの地酒も飲むことができます。
 
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「魔女の瞳」という地名があるとは、寡聞にして知りませんでした。
 
それにつけても、福島で行われる各種のイベントや、さまざまな作品などに、「ほんとの空」と冠することが多くなっています。
 
背景にはあの東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故があるわけですが、1日でも早く収束し、収束した後も、「ほんとの空」の語が広く使われ続けてほしいものです。
 
ひととおり終わったようですが、広く行われた自治体の合併により、かなり奇抜な自治体名が誕生しました。福島で、今後、新しい市名をつけることがあれば、「ほんとの空市」などというのがあってもいいかもしれませんね。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月24日
 
昭和25年(1950)の今日、花巻郊外太田村の村役場から、所得税の受領証を受けとりました。

大きな産業もなく、貧しい山村だった太田村。光太郎はダントツの高額納税者でした。

12日の土曜日、福島川内村で行われた、草野心平が愛した祭り「第49回天山祭り」について、地元紙が報じています。

草野心平しのぶ 川内で天山祭り 児童が詩を朗読

 いわき市出身で川内村名誉村民の詩人草野心平をしのぶ「天山祭り」は12日、村内の天山文庫で催された。住民らは心平との絆を再認識し、古里の復興を願った。
 実行委の主催、福島民報社など後援。石井芳信実行委員長と遠藤雄幸村長、かわうち草野心平記念館の秋元正館長があいさつした。前記念館長の晒名(さらしな)昇さんに村から感謝状が贈られた。出席者の代表が心平の遺影に献花した。
 川内小の5、6年生6人は心平の詩「おたまじゃくしたち45匹」を朗読した。鏡開きに続いて郷土芸能が披露され、村に伝わる西山獅子舞や川内甚句が繰り広げられた。
 祭りは心平の書などを集めた天山文庫の落成を機に、昭和41年に始まった。今年で49回目。
( 2014/07/13 福島民報)
 
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そうかと思うと、同じ日に原発事故関連のニュースも入っています。

川内村の避難指示解除提案=反対多く26日は見送り

 政府は13日、東京電力福島第1原発から20キロ圏内で避難指示解除準備区域などに指定されている福島県川内村東部の住民と懇談会を開き、放射線量の低減などを理由に、26日の避難指示解除を提案した。住民側からは慎重な意見が相次ぎ、終了後、復興庁の熊谷敬統括官は26日の解除は見送る方針を明らかにした。
 熊谷統括官は「村と十分協議し適切な時期を見定めたい」と語り、帰還準備に向け4月26日から3カ月間行っていた長期宿泊の延長も含め、村と協議する意向を示した。
 懇談会では、内閣府や環境省の担当者が、避難指示区域内で除染前と比べ放射線量が平均63%下がったとのモニタリング調査の結果や、生活インフラなどの改善状況などを報告。その上で、26日の避難指示解除と、同時に居住制限区域を準備区域に再編する方針を提示した。
 これに対し、住民側から一部の場所では今も放射線量が高く、道路の改修工事も終わっていないなど生活環境が整っていないとの声が上がった。一方、区域再編に大きな異論は出なかった。
 遠藤雄幸村長は、26日の解除について「住民の理解が得られていないと感じる。もう一度、住民との協議の場を設けたい」と述べた。 
( 2014/07/13 時事通信)
 
さらに続報も。

解除時期妥協点見えず 川内の旧警戒区域対象の住民説明会 村民の不安解消に至らず

 福島県川内村の避難指示解除準備区域の解除と居住制限区域の区域変更の説明会が14日、いわき市で開かれ、2日間の日程を終了した。政府が26日の解除、区域変更を断念したことで、村と政府は解除時期の本格的な協議に入る。遠藤雄幸村長は、避難指示解除準備区域内の村道整備が終了する9月以降を解除時期の一つとして想定しているとみられる。ただ、住民からは、より充実した生活環境の整備を求める声が根強く、解除時期の妥協点は見えない。

■村長の思い
 遠藤村長は3カ所で開かれた村民との説明会を終え、「さまざまな意見を聞き、あらためて26日の解除は国に再考を求めた。今後、しっかり協議したい」と述べた。
 ただ、仮設住宅での生活が与える精神的、肉体的ストレスを考えれば、「そんなに遠くないタイミングで考えたい」とも語った。
 準備区域内の二つの村道は、8月と9月にそれぞれ舗装改修工事が完了する。村が設置した第三者の検証委員会からは今月下旬に中間答申が示される。こうした判断材料を総合的に勘案し、解除時期を検討する考えだ。
 住民の生活圏が富岡、大熊町にあることを認めつつ、「100パーセントではないが、(村内で)代替えできるのではないか」と語った。13日の説明会でも「解除を一日千秋の思いで待っている人もいる。その声にも応えたい」と難しい胸中を語った。

■村民の要求
 「戻っても買い物、病院などで余計な時間と経費がかかる」「屋内の放射線量が心配」。14日の説明会でも解除に対する懸念の声が相次いだ。
 区域内の仮置き場にある除染廃棄物も課題の一つ。政府は保管期間の3年を過ぎた廃棄物を順次、村外へ運び出す計画だが、中間貯蔵施設の設置が前提だ。「仮置き場があるうちは帰る環境にはない」と話す住民も多い。
 村の新たな商業施設、災害公営住宅は来年3月までに完成する。住民の一人は「少なくとも来年3月以降の解除を」と話す。
 また、農業、林業の再開見通しも立たない。生活の糧が絶たれている現状での解除に難色を示し、生活再建に向けた精神的賠償の継続を望む声も多い。

■政府の姿勢
 政府の担当者は説明会で、「解除は、復興につながる規制緩和」と強調した。避難指示は強制的な措置で、長期間にわたり不便な生活を強いているのが現状とする。
 帰還のための準備宿泊(長期宿泊)は25日で3カ月間の期限を迎える。復興庁の熊谷敬統括官は取材に対し、「延長はしなければならないと考えている。できるだけ早急に決めたい」と語った。延長する期間は解除時期となる可能性があるため、村と慎重に協議した上で、あらためて住民説明会を開く方針も示した。
( 2014/07/15 福島民報)
 
さすがに政府も、地元の現状、意向を無視してのゴリ押しはできないようです。しかし、そうやっていると、「最後は金目でしょ。」とか言い出す愚か者がいるから困りものです。
 
ちなみに、地図で表すと以下の通りです。
 
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一日も早く、心平の愛した美しい川内村に戻ることを期待しますが、再び「安全神話」を創り出すために、条件が整っていない中での避難指示解除はありえませんね。これ以上、この地域をスケープゴートにしないでほしいものです。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月15日
 
昭和36年(1961)の今日、千葉県九十九里浜に、光太郎詩「千鳥と遊ぶ智恵子」碑が除幕されました。
 
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九十九里は、昭和9年(1934)に、統合失調症が進んだ智恵子が療養していた地です。ほぼ毎週のように、東京から見舞いにきていた光太郎は、のちにこの地での様子を、「智恵子抄」中の絶唱、「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」などに結晶させました。
 
碑は、地元の俳句愛好者の会・白濤会が中心になって発願、町ぐるみの運動に拡大し、碑陰記を書くなどで、心平も一肌ぬぎました。
 
同年10月発行の雑誌『文学散歩』第10号に、北川太一先生による、除幕当日のレポートが載っています。地元に人々に加え、心平、高村規、伊藤信吉高田博厚中原綾子、室生朝子(犀星長女)、宮崎春子らが参加したとのこと。
 
 式は白濤会による碑詩朗読、智恵子夫人令妹節子さんに抱かれた一歳のお孫さんちえ子嬢による除幕、祝辞、回想いろいろ、真亀下部落獅子連による獅子舞などもあって、一時過賑かなうちに終了した。
 式後、鈴木仙吉氏の好意による地曳網が流され、草野、伊藤、高田等の諸氏は地元の人々にまじつてパンツ一つの美事(?)な半裸で、女人禁制の漁船に同乗、はては太平洋に跳込んでの力闘、漁師顔負けで生鯵を頬ばる草野心平や、波に浮きつ沈みつする伊藤信吉、高田博厚の白髪は見ものだった。

一昨日、福島は川内村の第49回天山祭りに行って参りました。昨日に引き続き、川内村レポートです。
 
当方、天山祭り会場の天山文庫は、初の訪問でした。
 
天山文庫は、昭和41年(1966)、それまでもたびたび川内村を訪れていた草野心平の宿泊施設として、村の人々が建ててあげたものです。心平は心平で、蔵書をここに置き、そのまま村に寄付しました。
 
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天山文庫に上がっていく坂の途中に、「下馬」の文字が刻まれた石碑。心平の筆跡です。
 
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酒樽を利用して作られた書庫も2棟ありました。この村で作られたどぶろくを愛し、「白夜」と名づけた心平にぴったりです。こちらは昭和44年(1969)の竣工。
 
内部には、雑誌がぎっしり。
 
さらに、天山文庫本体。
 
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内部には、心平や、川端康成、棟方志功の書がかかっています。そして、やはり書庫。
 
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光太郎の書籍もたくさんありました。また、この建物の設立委員には、光太郎の実弟・豊周も名を連ねています。かつて心平が、ここで過ごしていたと思うと、感慨深いものがありました。
 
小高い山の中腹にある天山文庫より下に、阿武隈民芸館があり、そちらも観て参りました。
 
当方、大きな勘違いをしておりました。「民芸館」という名前なので、よくある、現地の民俗資料などを展示してある施設だと思いこんでいました。たしかにそういう展示もあったのですが、それはほんの少しで、大半は心平に関する展示でした。なぜか、智恵子の実家である二本松の長沼酒造の貧乏徳利が、民俗資料に紛れて展示されていました(笑)。
 
こちらは昭和56年(1981)の完成。看板の揮毫も心平です。
 
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心平の業績を語る上では、光太郎の存在は欠かせません。館内にズラリと並ぶ心平の著書のうち、光太郎が装幀や題字を担当したものがたくさんあります。また、光太郎に関する心平の著書もたくさんあり、さらに、飾られている写真パネルには、光太郎もたびたび写っていて、二人の結びつきの緊密さが見て取れます。
 
その後、秋に行われる心平忌日の集い「かえる忌」会場にもなっている、小松屋旅館さんに移動しました。

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一昨年には、まだ子犬だった黒柴に、子犬が産まれていました。
 
こちらでは、二次会ということで、この春まで、川内草野心平記念館長を務められた晒名昇氏をはじめ、「かえる忌」で顔なじみになった方々が集い、しばし、歓談。
 
地元はもちろん、青森やら神奈川、当方と同じ千葉の方もいらっしゃいました。
 
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心平が歿して約30年。今も多くの人々に敬愛されている様子が、よくわかりました。
 
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帰りがけに撮った一枚。夕日が沈む渓流です。こんなにいいところなのですが、まだまだ原発事故による問題が山積しています。
 
訪れるだけでも、復興支援となります。ぜひ、足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月14日
 
昭和6年(1931)の今日、新聞『時事新報』に、エッセイ「装幀について」が掲載されました。
 
一部、抜粋してみます。
 
 今日多く流布する日本の書籍の装幀には遺憾ながら高度の審美を見る事が少い。純粋比例の美による装幀を私は望んでやまない。屢見かける文芸書のやうに、表紙にべたべた絵画を印刷したやうなものは児戯に類する。中には内容とかけ離れた宿場女郎の如き体裁のものさへある。新刊書に例を取つて述べることは遠慮するが、ともかく全体にもう一段抜け出してもらひたい。書店の店頭から無駄な悪趣味を一掃したい。書店の店頭を純粋比例の美で埋めたい。
 
 阿武隈民芸館で、光太郎装幀の心平著書の数々を見ながら、光太郎の言に、首肯させられました。
 
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昨日、草野心平が愛した「天山祭り」参加のため、福島第一原発にほど近い、双葉郡川内村に行って参りました。
 
2回に分けて、レポートいたします。
 
昨日朝、愛車を駆って自宅を出、圏央道、常磐道と進みました。昨年は、原発事故の影響で、常磐道の広野IC~常磐富岡IC間の通行止めが続いていましたが、今年初めにそれも解除されており、終点の常磐富岡ICまで行きました。
 
その意味では、復興も一歩前進です。
 
しかし、常磐富岡IC周辺、行政区分で言うと富岡町は、あまりいい状況ではありませんでした。
 
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もとは田んぼだったと思える場所は、野原と化していました。除染で出たであろう廃棄物も、道ばたに無造作に積んであります。
 
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無人の家屋がつらなり、庭先には、雑草が伸び放題。使用禁止の郵便ポスト。
 
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一山こえて、川内村に入ってから、ようやく人々の営みが見えてきた、という感じでした。それでも、まだまだ被災中だというのがよく判ります。
 
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それでも、がんばろう、という村民の意気込みが伝わってきます。
 
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以前、当方も泊まった仮設のビジネスホテル。
 
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田んぼアートです。「天山 心平」の文字が。天山祭り会場の天山文庫のすぐ近くです。
 
天山祭り、今年で49回目だそうで、生前の草野心平が愛した祭りです。下記は昭和41年(1966)の第1回天山祭りで、村人と共に踊る心平です。
 
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無論、49回目の今回も、心平を偲ぶという趣旨もありますが、やはり震災の被害、原発事故からの復興という意味合いも強く込められていました。
 
さて、会場は、天山文庫。もともとは、昭和41年(1966)、心平が川内村に、蔵書を寄贈するにあたって作られた建物です。
 
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そちらの前庭が、天山祭り会場です。昨年は雨のため、村内の別の施設で行われました。当方、天山文庫で開催される天山祭りは初めてでした。
 
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午前11時30分開会。主催者あいさつは、元003教育長の石井芳信氏。連翹忌にもご参加いただいたことがあります。
 
さらに、遠藤村長。「元の川内に村に戻ることはないだろうが、それでも前に進もう」と、力強くお話しなさいました。
 
この春まで、川内草野心平記念館長を務められた晒名昇氏への感謝状の贈呈に続き、心平の肉声録音による詩の朗読が流れ、その後に心平が創刊した雑誌『歴程』同人の皆さんによる、心平詩の朗読が行われました。
 
復興支援ソング「ときよめぐれ(までいのロンド)」を作詞された伊武トーマ氏も朗読なさいました。やはり心平のスピリットを受け継ぐ方ですので、ひと味違う朗読でした。
 
さらに、川内小学校の5、6年生による朗読。
 
地域の宝として、次の世代にもしっかりと受け継がれているようです。このまま続けていってほしいものです。
 
しかし、「5、6年生」といいながら、6人しかいなかったのですが、これで全部なのか、選抜チームなのか……ちょっと不安でした。
 
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そして、心平も愛した郷土芸能の披露。アトラクションでは、地元の皆さんの歌、などなど。
 
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村内外、多くの人々、テレビ報道のクルーも入り、大いに盛り上がりました。みなさん、ひととき、「被災」という特殊な状況下にあることを忘れたのではないかと思います。
 
遠藤村長の話に戻りますが、「変えていかなければならないこと」と「頑固に変えてはいけないもの」がある、とお話しされていました。村の仕組みや今後の被災対策等々が「変えていかなければならないこと」、「頑固に変えてはいけないもの」が、この天山祭り。そのとおりですね。
 
その後、当方は、天山文庫、さらにすぐ近くの阿武隈民芸館を見学、夕方から「かえる忌」会場ともなっている小松屋旅館さんでの「二次会」に参加しました。
 
そのあたりは、明日、レポートいたします。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月13日
 
大正6年(1917)の今日、日本女子大学校桜楓会の機関誌『家庭週報』第424号に、智恵子のアンケート「海か山かに――今年の夏の計画――」が掲載されました。
 
 先年一度(ひとたび)参りました信州上高地へ参るかもしれません。其の他(た)はまだ確(しか)ときめて居りませんので、申上かねますが、何れ海か山かで夏を過してしまふことかと思ひます。

一昨日、たまたま立ち寄ったコンビニで、コミックの単行本を買いました。

思い出食堂 特別編集 旅の味 なつかしい人々

2014年5月5日  少年画報社   定価 476円+税

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廉価ないわゆるコンビニコミックです。初版は今年5月でしたが、重版が並んでいました。
 
北は北海道から、南は沖縄まで、「旅の味」をテーマに、「佐世保バーガー」や「ほうとう」、「ゴーヤーチャンプル」など、各地の名物料理等をあつかった、29本の読み切りマンガから成っています。おおむね、各10ページです。
 
で、「浪江焼きそば」の中で、光太郎詩「樹下の二人」がモチーフに使われています。
 
これを購入したコンビニでは、立ち読み防止のために、ビニールのパッケージに入れられていました。
 
しかし、表紙に「浪江焼きそば」の文字を見つけ、「もしかすると、二本松や『智恵子抄』がらみの話になっているかも」と思い、購入しました。
 
帰ってから読んでみると、まさしくビンゴ。こういうときは痛快です。
 
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物語は、「浪江焼きそば」を看板メニューにしていた食堂の夫婦が、東日本大震災の犠牲になり、パン屋を開くのが夢だった息子が、自分の夢と、両親から受け継いだ「浪江焼きそば」の味を合体させ、「浪江焼きそばパン」を作る、というものです。
 
と、書いているだけで、食べたくなってしまいますが、どうやら架空のメニューのようです。
 
そもそも、「浪江焼きそば」とは、福島県双葉郡浪江町のご当地グルメ。極太の麺を使うのが特徴です。昭和30年(1955)頃には、すでにあったとのこと。
 
浪江町は、福島第一原発のある双葉町に隣接しており、東日本大震災後、町全域が「帰還困難区域」となりました。
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そして、多くの町民は二本松市に避難し、町役場も二本松市に仮庁舎を設置、今もその状態が続いています。上記画像は今年の4月現在のもの。震災から3年経っても、まだこの状態です。こういう状態でいながら、なぜ再稼働にこだわるのか、理解に苦しみます。そんなに原発が好きなら、永田町に作って下さい。
 
約20軒あった、「浪江焼きそば」を饗する店も、再開できたのは、二本松駅前の市民交流センター1階の「杉乃家」さんだけだそうです。
 
ちなみに当方、今日は、浪江町にほど近い、川内村の天山祭りに行って参ります。昨秋の草野心平を偲ぶ集い、かえる忌以来ですが、どれだけ復興が進んでいるのか、いないのか、この目で見てきます。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月12日
 
明治40年(1907)の今日、農商務省の海外実業訓練生に任ぜられました。
 
光太郎は前年から欧米留学中で、この時、ロンドンにいました。もともと私費留学、現地で生活費を工面という苦学生でしたが、光雲の奔走により、海外実業訓練生任命となりました。レポートの提出が義務づけられましたが、代わりに毎月60円ずつ支給されるようになり、ぜいたくはできないものの、とりあえずの心配はなくなりました。

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