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4月も中旬となりました。

4月といえば、桜。千葉県北東部にある当方自宅兼事務所の近辺は、自然が豊かですので、みごとな山桜はまだ見られますし、遅咲きの八重桜はこれから開花です。ただ、桜の王様・ソメイヨシノはまだ花をつけてはいますが、もう盛りを過ぎました。

東北は、というと、これから桜の盛りですね。

今週初めの『福島民報』さんの記事です。

夜空に浮かぶ万燈桜 二本松 24日までライトアップ

 福島県二本松市の4号国道沿いにある道の駅「安達」智恵子の里下り線では、万燈(まんとう)桜のライトアップが始まった。24日まで幻想的な夜桜を楽しめる。 
 万燈桜は樹齢推定270年で高さ約15メートルの一本桜。現在、見頃を迎えている。 
 ライトアップは午後7時から同11時まで。問い合わせは同道の駅 電話0243(24)9200へ。
 

「万燈桜」は、智恵子生家にほど近い二本松の国道4号線沿いの「道の駅「安達」智恵子の里下り線」にあります。推定樹齢270年ということで、129年前に生まれた智恵子も、もしかしたらこの桜を眼にしているかも知れません。くわしくはこちら

その他の二本松の桜の名所のうち、「智恵子抄」詩碑のある霞ヶ城、光太郎が「みちのくの安達ヶ原の二本松松の根方に人立てる見ゆ」と詠った安達ヶ原などは観光協会さんのサイトに掲載されています。

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そちらには掲載されていませんが、智恵子の母校・油井小学校にはやはり智恵子が通っていた頃からある見事なしだれ桜がありますし、智恵子の実家・長沼家の墓所がある満福寺さんの桜も見事なものだそうです。くわしくはこちら
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また、二本松の北の福島市には、最近有名になった花見山もあります。

訪れることが復興支援にもなります。今週末、来週末あたりは福島へ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月10日

大正7年(1918)の今日、水野葉舟、落合太郎と三人で雑誌『智慧』を創刊しました。

光太郎作品は「花についてのロダンの言葉」、「書簡」が載っています。

寄稿者という立場ではなく、自らが中心になって出したほとんど唯一の雑誌ですが、残念ながら創刊号で廃刊になりました。

先週、福島の地方紙、『福島民友』さんに載った記事です。 

和合亮一さん、言葉の“力”伝える 詩集に込めた思い紹介

福島民友新聞 3月23日(月)

 いわき市の草野心平記念文学館は21、22の両日、同館内で詩人の和合亮一さん=福島市在住=を講師に招いた講演会、ワークショップを開き、市民らに詩や言葉の“力”を伝えた。同館は定期的に和合さんを招き、詩に関わるワークショップなどを開催している。
 「和合亮一とめぐる詩の世界」と題して開かれた今回の催しでは、21日は講演会、22日は参加者に詩の書き方や読み方を伝えるワークショップを開いた。講演会では、高村光太郎や宮沢賢治などの詩を紹介した上で、震災直後に被災地・福島からツイッターで発信した「詩の礫(つぶて)」などの詩集に込めた思いなどを話し、困難の中で心を支えた言葉、詩の力を紹介した。


このブログにたび たびご登場いただいている和合亮一さんに関してです。先週まで「平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎 往復書簡にみる交友」を開催していたいわき市立草野心平記念文学館さんでのイベントで、光太郎にふれてくださったとのこと。

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ありがとうございます。

ところで、先日のこのブログでやはり和合さんがらみでご紹介した、吉永小百合さんの朗読CDが発売になりました。題して「第二楽章 福島への思い」。

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和合さんをはじめ、佐藤紫華子さん、若松丈太郎さんといった福島の詩人、そして和合さんのご指導による「詩の寺子屋」の子供達の詩を、吉永小百合さんが朗読なさっています。BGMは藤原道山さん、遠藤千晶さん、村澤丈児さん。

ボーナストラック的に、お三方のインストゥルメンタル演奏「空遙か~新相馬節によせて」と、郡山第五中学校合唱部さんの演奏「絆」が収められています。

直接光太郎に関わるわけではありませんが、ご紹介しておきます。

ちなみに吉永小百合さんは、光太郎と同じ3月13日がお誕生日です。これも何かの縁ですね。
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月29日

平成15年(2003)の今日、愛媛県新居浜市の広瀬公園に、光雲作の原型を使った広瀬宰平銅像が除幕されました。

広瀬宰平は明治期の住友財閥の実業家。新居浜の別子銅山の経営に力を注ぎました。光雲が原型を作った皇居前広場の楠木正成像の銅は、別子銅山のものが献納され、そうした縁から、明治31年(1898)に建てられた広瀬の銅像の原型も、光雲が手がけました。

オリジナルは戦時中の金属供出により失われましたが、光雲作の原型が東京芸術大学に残っており、それを元に2代目の広瀬像が鋳造されたというわけです。

   あどけない話


 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。000
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切つても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ、
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。

詩集『智恵子抄』にも収められ、あまりに有名な光太郎詩の一つ、「あどけない話」です。

東日本大震災に伴う原発事故以来、福島の復興へのキーワードとして、この詩に繰り返されている「ほんとの空」の語が広く使われています。

英訳すれば「true sky」、カタカナで書けば「トゥルースカイ」……という名前の競走馬がいます。以前にもこのブログでご紹介しました。馬名は父の「ディープスカイ」と、「詩集「智恵子抄」に出てくるフレーズより」ということで登録されています。

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当方、競馬はよく知らないのですが、以前にご紹介した後、名前が名前だけに、気になって戦績をチェックし続けていました。その間、中央競馬から地方競馬に移り、昨年11月、12月頃に立て続けに2着が続き、初勝利間近かと思っていましたが、その後ふるわず、やきもきしていました。

すると、一昨日、浦和競馬場で行われた第10レース「幸手のマスコット「さっちゃん」賞C1六」で、みごと1着でゴールイン! 2着ハルノメザメ(これもすごい名前ですが……)に頭の差だったそうです。18戦目にして、初の1着でした。ちなみに賞金は120万円だそうです。

今後もさらにがんばってほしいものです。

ところで「競馬」というと、山本コウタローさんの往年の名曲「走れコウタロー」をリアルタイムで知っているのは一定以上の年代ですね。ちなみに昭和35年(1960)生まれの競走馬で「コウタロー」という競走馬が実在しました。


【今日は何の日・光太郎 補遺】 3月26日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山口小学校の卒業式に出席、来賓挨拶をしました。

以下、当時の校長・浅沼政規の筆録です。

 もう春です。きょうはみなさんのめでたい修業式、卒業式だというので、小屋からでてきました。シジュウカラが喜んで鳴いていました。卒業のみなさんをお祝いしているようにきこえました。ほんとうにきょうはよい天気です。みなさんも晴れやかです。年寄りもうれしくて、お祝いを申しあげます。
 みなさんはよく勉強して、修業、卒業されたことをお喜びいたします。三カ年も休まない人もあるといいますが、それはずいぶん体の丈夫な人でしょう。体を丈夫にすることは大切なことです。僕も小さいときは弱かったんです。当時は外国から入ってきた体操がありました。
 大切なことは努力することです。なるほどこれは大切です。努力なくてはなにもできませんからね。それから正直であることですね。嘘をついても、結局わかるし、またひとつ嘘をいうと、次々と嘘が積まれていきます。世の中は嘘によって暗くなり、正直によって明るくなります。
 アメリカの初代大統領のワシントンは、幼いとき、父が大切にしていたサクラの木を切ってしまいました。あとで正直に父に謝りました。正直な心の持ち主であったので、大統領という栄えある仕事もできたと思います。
 それから争いをしないことも大切です。そんな人はきっとよい世の中を作る人だと思います。
 みなさん、きょうはほんとうにうれしそうですね。僕もうれしさでいっぱいです。おめでとうございます。

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こちらは別の日ですが、山口小学校の児童を前に話をする光太郎です。

テレビ放映に関してです。

復興支援ドキュメント 未来への教科書 ~For Our Children~ 第93回 東日本大震災から4年〜新しい物語のはじまり

BS12(トゥエルビ)
 3月24日(火) 18:00 ~ 19:00  3月28日(土) 27:00 ~ 28:00  3月30日(月) 18:30 ~ 19:30

地域のキーパーソンの言葉をそのまま届け、大震災を乗り越え、立ち上がろうとする東北の人々の力強い姿を広くお伝えします。言葉から浮かび上がる真実を発信していきます。

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東日本大震災から4年の月日が経とうとしている。現在被災地では、復旧・復興と共にある変化が起ころうとしているという。今回の特別編では劇団ユニット・ラビッツ 代表の佐藤茂紀さんとNPO法人東北開墾 代表理事の高橋博之さんをゲストとしお迎えし、過去の映像を振り返りながら、今被災地で紡ぎだされようとしている「新しい物語」について、それぞれの観点から語って頂いた。

劇団ユニット・ラビッツ 代表 佐藤 茂紀さん
第22回、第60回、第75回に登場して頂いた佐藤茂紀さん。
福島県立光南高校の佐藤教諭は演劇活動を通じて「被災後の福島」を伝えてきた。震災当時、高校生たちと作った「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」は日本各地で上演され、福島の高校生たちの現状と葛藤を広く伝えることになった。現在も演劇部の顧問を務めながら、自分たちで立ち上げた劇団から福島の今を伝え続けている。


NPO法人東北開墾 代表理事 高橋 博之さん
第74回に登場して頂いた高橋博之さん。
東北の生産者と消費者を物語でつなぐ食べ物つき月刊誌「東北食べる通信」編集長の高橋さんは、日本の地方の活気を取り戻すためには現代版の「参覲交代」を行う必要があるという。「東北食べる通信」が成し遂げようとしていること、地方再生についてのお話を伺う。



この番組は、同一の内容が4~5回放映されます。第93回は、最初の放映が3月17日でした。そして、おおむね最初の放映の後、公式サイトに内容がアップされるので、こういう内容だったと知り、3月21日の2回目の放映を視聴しました。

このブログで以前にご紹介した、光太郎詩「あどけない話」をモチーフにした、福島郡山にある、あさか開成高校さんの演劇「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」に触れられています。続編の「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章 ばらあら、ばらあ」は、やはり福島の矢吹町にある光南高校演劇部さんにより上演されています。

過去にもこの番組で取り上げられた(当方、以前のオンエアは見逃していました)、両校で演劇部顧問を務め、ご自身も劇団を主宰されている佐藤茂紀さんがご出演。メインはご自身の劇団の新作に関してでしたが、あさか開成高校さんの演劇「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」も大きく取り上げられました。

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その他、もうお一方のゲスト、NPO法人東北開墾 代表理事 高橋 博之さんのお話も含め、震災から4年という今の段階での被災地、そして日本全体への提言など、興味深い内容でした。

上記の通り、あと3回、放映されます。ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月23日

大正12年(1923)の今日、『読売新聞』に智恵子の評論「現代日本の文学に対するアマチユアの注文と感想」が掲載されました。

現在、智恵子執筆の評論は5篇程度しか確認できていません。そのうちの一篇で、光太郎の影響も見て取れるものです。

こんな一節もあります。

 健全な土台に立ち、芸術の正しい伝統を根とした、玲瓏とした魂から迸る、叡智と偉大な自由性と官能の天然な豊饒さに充ちた、がつしりとした文学を求めてゐる。われわれの魂に光りと愛と希望を与へ、みづからめざめしめるものを。ドストエフスキー、ホイツトマン、ヹルハアランその他、第一線に立つ飽く事を知らない真への探求者達が、この世へ贈つたやうな真と愛とを我が国の文学にも望む事を迂遠な事とは考へない。

昨日の『福島民報』さんの一面コラム「あぶくま抄」で、智恵子に触れて下さいました。 

あぶくま抄(3月20日)

 二本松市の地酒の瓶に「純米酒」の文字が躍る。や009や細めだが凜[りん]とした文字に、作者の面影が、ほの見える。同市名誉市民で文化勲章受章者の日本画家、故大山忠作氏が描いた。
 30年以上前、還暦の安達太良登山に挑んだ際、幼なじみの酒蔵関係者の頼みを快く引き受けた。「父にとって安達太良山は故郷の象徴。いつも感慨深く眺めていた」。長女で女優の彼女は語る。父の古里に美術館を造る話が持ち上がったころ、彼女は初めて安達太良山に登った。高村智恵子と父が愛した「ほんとの空」に魅せられた。
 震災と原発事故が、愛する空を曇らせた。「復興に役立ちたい」。彼女は、大山氏ら名前に「山」が付く日本画の大家5人の作品展を父の美術館で開く。市内に泊まり込み毎日、解説を買って出た。市の観光大使として県内外で風評払拭[ふっしょく]に奔走する。胸に「福が満開、福のしま。」のバッジが輝く。父の古里を今、自分の古里と思う。
 今夏の松竹創業120周年特別公演で久々の舞台に立つ。艶[あで]やかな舞踊と家族の絆を描く名作だ。県内でも上演する。二本松の仲間は応援計画を立てる。「ほんとの友」の心は純米酒のように優しく、そして温かい。


なぜかお名前が出ていませんが、「彼女」は、女優の一色采子さんです。「名前に「山」が付く日本画の大家5人の作品展」は、一昨年、二本松駅前の大山忠作美術館さんで開催された「五星山」展。関連行事として、昭和51年(1976)に北條秀司作の舞台「智恵子抄」で智恵子を演じられた有馬稲子さんと一色さんのトークショーがありました。当方、その折に一色さんの知遇を得まして、昨年の第58回連翹忌にお招きしましたところ、こころよくご参加下さいました。今年の第59回連翹忌にもお申し込みを戴いております。右の画像は、一色さんにいただいた一筆箋。安達太良山を描いた父君の絵があしらわれています。

「松竹創業120周年特別公演」については、調べてみましたがよくわかりません。ご本人に訊いてみます。

「純米酒」は、二本松の酒蔵、檜物屋酒造店さんで製造販売されている「千功成 純米酒」という銘柄のものです。

3.11が過ぎ、その前後は新聞やテレビ等、特集をいろいろ組んでいましたが、それも一段落という感があります。ところが、3.11が過ぎても被災地の被災はまだ続いています。光太郎がらみの地では、宮城女川で、今日、石巻線の女川駅が再開されるなど、復興も徐々に進んではいます。しかし、まだまだ途上です。

日本中が「純米酒のように優しく、そして温かい」「「ほんとの友」の心」で、被災地支援を続けてほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月21日

明治36年(1903)の今日、日記「彫塑雑記」を書き始めました。

光太郎数え21歳、東京美術学校在学中のものです。7月7日までと、翌年3月31日~5月2日まで、断続的に書かれています。

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書き出しは以下の通り。

○疑問、疑問、是れ人世の声なるか。人生れて心あり。疑無きを得ざるなり。已に凝つて此を解かんとす。

青年の煩悶がよく表されています。写真でロダンの作品を初めて見た衝撃なども述べられています。

ロダン作「詩」なる裸体像を写真に依つて見るを得たりしが今に至りて忘るゝ能はず。巨匠なるかな。

光太郎はおそらくその生涯にわたって日記を書いていたはずですが、戦前、戦中のものは、実家の蔵にあったこの一冊を除いて現存が確認できていません。そのほとんどは昭和20年(1945)の空襲で、アトリエもろとも灰になったと推定されています。

3.11が巡ってきました。

新聞やテレビでは、少し前から東日本大震災がらみの特集などを組んで下さっていますし、イベントなどもいろいろあって、いいことだと思います。記憶を風化させないというのはもちろん、未だに避難生活を強いられている皆さんがたくさんいたりする現状に目をつぶるわけにはいきませんから。


新聞各紙の報道をご紹介します。  

<「福島」復興考えるシンポ>「地域ごとの被害を見て」 立命大で280人参加

毎日新聞京都版 3月9日

 東京電力福島第1原発事故に関連したシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで」が8日、立命館大朱雀キャンパスホール(京都市中京区)で開かれ、放射能汚染被害を受けた福島県での農業復興や被災者支援の取り組みが報告された。復興支援の拠点施設「福島大学うつくしまふくしま未来支援センター」と福島大の主催で約280人が参加した。

 元NHKアナウンサーで、現在はNPO法人「8bitNews」を設立し、インターネットなどを使って福島のニュースを発信するジャーナリストの堀潤さんが講演した。

 「『今も苦しんでいる福島』と語った際、その福島は何を指すのか」とまず問題提起。「本州で岩手県に次いで広い福島県は、(原発がある)海側の浜通りから、山側の会津地方まで、放射能被害の程度が違う。地域ごとに細かく見ず、ひとくくりに福島を捉えてしまうと、支援を届ける場所が曖昧になる恐れがある」と警鐘を鳴らした。 

福島の現実と課題「現地で知って」 震災4年、京都でシンポ

京都新聞 3月9日

 東日本大震災から4年を迎えるのを前に、福島県の現状を考えるシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで」が8日、京都市中京区の立命館大朱雀キャンパスであった。復興への取り組みが進む一方で、現在になって表面化した問題を大学教授や被災者が講演し、「課題解決のために、多くの人に現地を訪れてほしい」と市民に呼び掛けた。

 被災地の状況を全国に発信する取り組みの一環で、福島大などが主催した。東京や大阪に続いて京都でも開かれ、約280人が参加した。シンポでは、東京電力福島第1原発事故による県内の放射線量や影響を受けている生産物の出荷状況などを、福島大の教授が説明した。

 本多環特任教授は、家族と別れたり親がストレスを抱えたりして家庭環境などが変化した子どもは、自分の存在意義について悩み、自信をなくしていると指摘。震災から4年近くが経過して体力の低下が明らかになっているとし、「医療面のケアなど、これまでは対症療法にとどまっていたが、教育や福祉の専門家を交えた複合的な支援が必要だ」と訴えた。

 福島市にある松島屋旅館のおかみ高橋美奈子さん(47)は、関西の旅行業者から客に対して責任を持てないため福島行きの商品をつくれないと言われたことを紹介。「原発の汚染水問題などが起きる度に、企画や復興にむけた計画が覆えされる課題はある。現地を見てもらうために自分たちにできることを考えていきたい」と力を込めた。 

大震災から4年…実情伝え 福島大が京都でシンポジウム

福島民友 3月9日

 
 福島大うつくしまふくしま未来支援センターは8日、京都市の立命館大で京都シンポジウム「ほんとの空が戻る日まで」を開いた。300人以上の聴衆を前に、同大の研究者らが震災、原発事故から間もなく丸4年となる本県の実情を伝えた。

   2013(平成25)年に東京、昨年は大阪でシンポジウムを開いており、今回が3回目。元NHKアナウンサーでジャーナリストの堀潤さんが基調講演した後、同センターの大瀬健嗣特任准教授が本県の放射性物質汚染の現状などについて、小山良太副センター長が本県農業の放射性物質対策などについて、本多環特任教授が子ども支援について報告した。「震災・原発事故からの福島の闘い」と題し、開沼博特任研究員をコーディネーターにパネルディスカッションも行った。


明るいニュースも報じられています。昭和6年(1931)に光太郎が訪れたことを記念し、文学碑が建てられ、今も女川光太郎祭を毎年開催している宮城県女川町から。 

<JR石巻線>復興の象徴また一つ 女川駅の新駅舎公開

毎日新聞 3月5日

 東日本大震災の津波で流失した宮城県女川(おながわ)町のJR石巻線女川駅の新駅舎が5日、報道陣に公開された。町のシンボルのウミネコが羽ばたく姿をイメージした大屋根が特徴。かさ上げなどの再建が進む町中心部の核となる。  
 
 旧駅は沿岸にあったが、新駅は約200メートル内陸に移設し、敷地も7~9メートルかさ上げした。ホームから真っすぐ先に海が見渡せ、駅舎を起点に海岸に向けて駅前広場やプロムナード(遊歩道)、商店街などを整備する復興計画が本格化する。

21日に開業し、石巻線浦宿駅までの2.3キロ区間の運行が再開、4年ぶりに石巻、仙台方面と鉄路でつながる。町はこの日を「新生女川のまちびらき」と位置づけ、記念式典で復興をアピールする。

3階建ての駅舎は、海外でも活躍する建築家、坂茂(ばん・しげる)さんが設計。温泉施設「ゆぽっぽ」を併設した。3階の展望台からは町を一望できる。


女川の新たな玄関口、新駅舎は水鳥の羽ばたきイメージ

産経新聞 3月6日

 東日本大震災の津波で被災し、不通となっているJR石巻線の浦宿-女川間(約2・3キロ)運転再開に先駆け、駅舎が流されるなど甚大な被害を受けたJR女川駅(女川町)の新駅舎が5日、報道陣に公開された。同区間は21日に運転が再開される予定。

公開された新駅舎は2月20日に完成。世界的建築家の坂茂(ばん・しげる)氏が設計した。屋根が木造の鉄骨3階建てで、延べ床面積は約900平方メートル。屋根は曲線を描き、水鳥が翼を広げて羽ばたく姿を重ねたという。1階は駅事務所や待合所、2階は町営の温泉施設になっている。

この日は女川駅からの列車の試運転も実施。2両編成の列車が女川駅から浦宿駅の手前まで、報道陣を乗せて2往復した。駅は震災前より200メートル内陸へ移転したため、一部ルートを変更。運転手や乗務員は、信号などの設備や新しいルートの確認を行った。

21日は午前6時12分の始発から運転再開。震災前と同じく1日に上下22本の列車が運行する。町営温泉施設は22日からオープンする。

JR石巻線は、美里町の小牛田(こごた)駅から女川駅を結ぶ全14駅約44・7キロ。平成23年3月の震災で全線不通となったが、同年4月から25年3月にかけ、浦宿まで段階的に復旧していた。浦宿-女川間は線路や、女川駅の駅舎が流されるなど甚大な被害を受け、同駅の移転やかさ上げのために再開が遅れていた。

女川町町民課町民生活係の小山幸宏主査は「駅は新しい女川町の玄関口になる。運転再開を皮切りに町を活気づけ、復興の一翼を担ってくれれば」と期待を込めた。


 しかし、素直に喜べない部分もあるようです。女川光太郎祭会場となっており、女川光太郎の会事務局長で、あの日、津波に呑まれた故・貝(佐々木)廣さんの奥様のお店、佐々木釣具店が入っている仮設商店街・きぼうのかね商店街に関する報道です。

(東日本大震災4年)仮設商店街、悩む移転

朝日新聞 3月9日

 4年前に津波被害を受けた東北沿岸の各地で、地元を元気づけてきた仮設商店街の商店主たちに「2度目の移転」の決断が近づいている。新たなまちなみにあわせた「本設」の商店街づくりの構想もあるが、東日本大震災を機に人口減と高齢化は加速。廃業を考える人は少なくない。

 ■細る客足、家賃増も壁
 宮城県女川町の中心部では、津波で全壊したJR女川駅が21日に新しくでき、12月には駅前に新商店街が完成する予定だ。構想では、幅15メートルの遊歩道が海岸にかけて延び、両側にスーパー、薬局のほか、ダイビングショップやギター工房など27店が並ぶ。

 商店街を運営する「女川みらい創造」によると、「半数は町の外から客を呼び込める店」だ。近江弘一専務は「観光客が趣味に没頭し、ゆったりと過ごせるように考えた」と話す。

 1・5キロ西の高台には、被災した商店が移った「きぼうのかね商店街」がある。50店が入る平屋建ての長屋は3年前、県立高校の敷地に建てられた。震災直後、相次いで完成した仮設住宅の近くにできたが、仮設に住む人は減り始め、早ければ2年後に閉鎖される見通しだ。

 ここから新商店街に移ると決めた店は九つ。別の場所で再建をめざす店もあるが、およそ10店は廃業が取りざたされ、移転に二の足を踏む店主が多い。

 一角で理容店を営む深堀浩一さん(71)は「年齢を考えれば難しいね」。ここで営業を終えるつもりだ。震災後、町の人口は3割減り、なじみ客の足も遠のいた。仮設商店街には国の復興予算や寄付があてられ、月2万円の共益費と光熱費で済むが、新商店街に移れば家賃もかさむ。


むずかしいところです……。

きぼうのかね商店街といえば、先頃来日された、英国のウィリアム王子も訪問なさいました。

ウィリアム王子、女川の「希望の鐘」鳴らし離日

産経新聞 3月1日008

 来日中の英国のウィリアム王子は1日、東日本大震災の被災地、宮城県石巻市を訪問後、女川町に入った。100人以上が出迎え、獅子舞踊りや太鼓を鳴らして歓迎した。
 王子はがれきの中から見つかった「希望の鐘」を鳴らし、復興のために開設した商店街の人々とも言葉を交わした。
 王子は日本での全日程を終えて1日夕、次の訪問先の中国へ向かった。

英王子「私も大切な母亡くした」石巻など訪問

河北新報 3月2日

 来日中の英国のウィリアム王子(32)は1日午前、東日本大震災で甚大な被害が出た石巻市と宮城県女川町を訪れ、被災状況を視察し、住民らと交流した。
石巻市では、社屋が津波にのまれながらも手書きの壁新聞を発行した石巻日日新聞の施設を訪れ、記者や津波で3人の子どもを亡くした木工作家の遠藤伸一さん(46)、綾子さん(46)夫妻と面会した。
王子は真剣な表情で夫妻の話に耳を傾け、「私も大切な母を亡くした。思い出してつらい時にはきょうのことを思い出します」と語り掛けた。伸一さんが涙ぐんだ際には、王子が腕をさすり、「あなたは立派な父親だ」と励ました。007
石巻湾を一望できる日和山公園では、亀山紘市長が震災時の様子を説明。王子は犠牲者を悼んで献花し、黙とうをささげた。石巻小の児童2人から折り鶴を手渡されると、「息子のお土産にします」と話した。
女川町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」では、地元住民が獅子舞や太鼓の演奏などで歓迎。王子は店舗を巡って商店主らと触れ合ったほか、がれきの中から見つかって商店街の象徴となっている「希望の鐘」を3回突き鳴らした。

 
右が「希望の鐘」です。この鐘の音が、すべての被災者の皆さんの心の中に、鳴り響くことを祈ります。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月11日

大正9年(1920)の今日、福島に帰省していた智恵子が東京駒込林町のアトリエに戻りました。

3月12日付けで光太郎が友人の作家・田村松魚に送った葉書に以下の記述があります。

智慧子は大層健康になつて肥つて昨夕帰つて来ました。丁度時候があたゝかなのでよかつたとおもひます。
しばらく田舎に居た人を見ると東京の生活の神経的に慌れて濁つてゐる事を感じさせられます。やはり国民の生気は田舎にあるかも知れませんね。
(略)
ちゑ子からあなたにも妙子さんにもよろしく


「智慧子」「ちゑ子」は原文の通り。「慌れて」もそうです。書簡や日記だと、意外に光太郎の表記はいい加減です。

智恵子歿後の昭和15年(1940)に書かれた「智恵子の半生」によれば、智恵子は結婚後も1年のうち3、4ヶ月は実家に帰っていることもあったそうで「東京には空が無いといつて歎いた」といいます。それが詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の「智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ。」につながります。

JR東日本さんが中心となって、県、地元自治体などと連携して展開する観光キャンペーン「ふくしまデスティネーションキャンペーン」(ふくしまDC)が、来月から始まります。キャッチフレーズは、「福が満開、福のしま。」だそうです。

公式サイトを詳しく見てみると、智恵子の故郷・二本松の紹介に、「智恵子」や、お約束の「ほんとの空」の語がちりばめられています。

「観光情報」内でも「智恵子」や「高村光太郎」、「ほんとの空」の語で検索すると、「智恵子抄探訪コース」、「安達太良山」など、いろいろとヒットします。

3.11が近づき、このところ、テレビや新聞では、また震災関連の特集が組まれています。復興の遅れや、避難生活を強いられている人々の苦しみといった点がクローズアップされ、それはそれで問題提起としては必要だと思います。

しかし、そうした負の部分だけでなく、こうした前向きな復興支援ももっともっと取り上げていただきたいものですね。

二本松市の広報紙、『広報にほんまつ』の今月号でも、ふくしまDCが取り上げられています。「おもてなしの心で観光客の皆さまをお出迎えしましょう」という呼びかけがなされています。市のゆるキャラ・菊松くんが智恵子生家の前で清掃活動(笑)。「観光地を中心に、市内全域を清掃活動できれいに保ちましょう。」だそうです。

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3月29日に開催されるオープニングイベント「にほんまつ・魅力発信・フェスティバル2015」の告知もありました。

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以前にご紹介した、ほんとの空を守るPR隊・二本松少年隊がここでお披露目だそうです。


くどいようですが、もうすぐ3.11。震災から4年です。みんなの力で、福島を、そして東北全体を盛り上げていただきたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月9日007

昭和37年(1962)の今日、NHKラジオ第2放送で「青年図書館 高村光太郎」が放送されました。

「青年図書館」は30分番組で、近代の文学者を一人ずつ取り上げるものでした。解説は国文学者の吉田精一、この回のゲストは佐藤春夫でした。

右の画像は放送台本です。B4版ザラ紙二つ折り35ページで、ガリ版刷りです。

このブログで何度かご紹介した、兵庫県人権啓発協会さん作成の「ほんとの空」というドラマ。各地の自治体さんや学校さんなどで上映が行われたり、テレビの地方局さんでオンエアされたりしています。光太郎の詩「あどけない話」にからめ、福島の原発事故による風評差別などを扱ったものもです。

何とか観たいものだと思っていましたが、制作元の兵庫県人権啓発協会さんでは個人向けの貸し出しを行って居らず、市販されているものの価格が80,000円+税と、ちょっと手が出ません。

そう思っていたところ、個人向けの貸し出しを行っている団体を見つけました。公益財団法人 人権教育啓発推進センターさんです。こちらの人権ライブラリーでは、人権に関する図書・ビデオ・DVD・展示パネルや地方公共団体さんが作成した啓発資料などを収集し、幅広く提供してくださっており、利用者登録を行い、借りたい資料の申請をすれば、無料で借りられます。往復の送料は自己負担ですが、自宅に郵送してもらうことも可能です。

そこで、郵送していただき、念願の「ほんとの空」DVDを借り、視聴しました。

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劇中に光太郎の名がしっかり使われていました。そして、非常に考えさせられる内容でした。これまでにも当ブログでご紹介する中で、あらすじは把握していましたが、やはり百聞は一見にしかず、ですね。

メインは東日本大震災に伴う原発事故によるいわれなき風評被害ですが、その他にも高齢者に対する偏見、外国人や障害者、同和地区に対する差別、ネット上の無責任な書き込み、そしていじめまで、36分の中にてんこ盛りです。それでいて、それぞれ「あるある」と感じさせるリアリティーがあります。

白石美帆さん演じる主人公の主婦が、無意識に、または意識しつつもいろいろと言い訳を考えながら、人権侵害に当たる行為をしてしまいます。そのツケが回り回って倍返し的なところもあり、その悲惨さが教訓となります。人を呪わば穴二つ、です。

さらに感心したのは、原発の風評被害やいじめは別として、偏見を受ける側にも原因がある的な描き方もなされている点です。たとえば主人公がパート勤務をしているスーパーのレジで、後に行列が出来ているにもかかわらず、ポイントカードを探すのに手間取り、周りに対する配慮のない老人、主人公の住むマンションの通路で大音量でしゃべるタイ人夫婦。だからといって、そうした人々に対する差別や偏見が許されるわけではないのですが、
主人公はそれぞれカチンときたり、言いしれぬ恐怖を感じたりしていました。この描き方には非常にリアリティーがありました。

A4判15ページからなる「活用ガイド」という冊子も付いており、コピーして使えるようになっています。やはり自治体さんの学習会や、学校の授業での活用を前提にしているのでしょう。学校での学習指導案や、視聴後に書き込みをするワークシートのフォーマットも収められていて、これは便利です。

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そういうわけで、さらに多くの自治体さんや学校さんで、どんどん活用していただきたいものです。もちろん個人の方も、です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月7日007

大正2年(1913)の今日、雑誌『趣味』第7年第2号が発行されました。

扉に光太郎の描いたカット「カフエ ライオン」が使われ、さらに短詩「カフエにて」4篇、「カフエライオンにて」2篇が収められています。

カフェー・ライオンは、明治44年(1911)、銀座尾張町に開かれたビアホールです。美人女給が和服にエプロンという揃いの衣裳で給仕するのが売りでした。また、ビールが一定量売れると、店内のライオン像が吠える仕組みになっていたそうです。

昨年までビヤホールライオン銀座五丁目店として営業を続けていましたが、現在はビルの建て替え工事中。来年初夏にリニューアルオープン予定だそうです。

福島から音楽イベントの情報です。

第8回声楽アンサンブルコンテスト全国大会-感動の歌声 響け、ほんとうの空に。-

平成27年3月19日(木)~22日(日)福島市音楽堂大ホール 福島県福島市入江町1-1

声楽アンサンブルコンテスト全国大会は、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」 に焦点をあてた、2名から16名の少人数編成の合唱団によるコンテストです。
 平成19年度の第1回大会から毎年、福島県で開催されており、全国から集まったトップレベルの合唱 団が、中学校、高等学校、一般の各部門で競います。各部門の金賞受賞団体(上位5位)は、最終日の 本選に出場。部門の枠を超え、総合第1位を目指して華麗に競い合います。



主 催
福島県 福島県教育委員会 声楽アンサンブルコンテスト全国大会実行委員会

共 催
一般社団法人全日本合唱連盟 全日本合唱連盟東北支部 福島県合唱連盟 福島市 福島市教育委員会

スケジュール
 3月19日(木) 部門別コンテスト(中学校部門)、表彰式
 3月20日(金) 部門別コンテスト(高等学校部門)、表彰式
 3月21日(土) 部門別コンテスト(一般部門)、表彰式
 3月22日(日) 各部門金賞受賞団体による本選
  フレンドシップコンサート、表彰式、海外団体合同コンサート
 3月23日(月) 海外団体との文化交流ワークショップ
 ※大会各日、開場9:30 開演10:00


一昨年の第6回大会から冠されるようになった「ほんとうの空に」というサブタイトルに、東日本大震災とそれに伴う原発事故からの復興を願う皆さんの祈りが込められています。

出場団体はやはり地元・福島からが最も多いのですが、全国、そして海外からも参加があります。高校の部では、昨秋の第67回全日本合唱コンクール高校部門で、光太郎作詞、鈴木輝昭氏作曲の「女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄」中の「亡き人に」を自由曲に選んでみごと金賞に輝いた神奈川の清泉女学院音楽部さんや、智恵子の母校・福島女学校の後身である福島県立橘高校さん(こちらも全国大会常連です)が出場します。

ただ、この大会、事前に出場団体の演奏曲目がわからないのが残念です。どこかの団体で光太郎作詞の曲をあつかっていただきたいのですが。

サブタイトルの通り、感動の歌声がほんとの空に響きわたってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月27日

平成8年(1996)の今日、芳賀書店から『智恵子紙絵の美術館』が刊行されました。

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智恵子の紙絵作品集です。全151ページで、紙絵のカラー写真が約250葉。この手の書籍の中では最も多くの作品が取り上げられています。北川太一先生の長文の解説付きです。

残念ながら絶版となり、中古市場ではかなりのプレミアが付いています。

演劇の公演情報です。

テレビドラマ「北の国から」などを手がけた倉本聰氏の「ノクターン―夜想曲(2015)  -Nocturne 2015-」という舞台ですが、すでに全国各地で公演が行われています。東日本大震災による福島の原発被害を扱ったものですが、光太郎詩「あどけない話」が劇中で使われているそうです。

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倉本氏が原発事故に題を採った脚本を書かれていることは存じていましたが、光太郎詩が使われていることは存じませんで、紹介が遅れました。申し訳ありません。

ノクターン―夜想曲(2015)  -Nocturne 2015-

スタッフ  作・演出/倉本聰  音楽/倉田信雄  美術/横島憲夫
出  演     富良野GROUP
あらすじ
東日本大震災から数年後。原発事故避難区域となった海に程近い一軒家に、津波で二人の娘を亡くした中年の男 と同僚を亡くした新聞記者が入り込む。原発事故以来、時が止まったままのその家にあるのはほこりをかぶったピアノ、そして、地震で倒れた3体のピエロの彫刻。
二人はその家で、同じように津波で父親を亡くした彫刻家の女と出会う。


福島の地元紙『福島民友』さんから。 

県内5会場で演劇「ノクターン―夜想曲」

 福島民友新聞社は、創刊120周年記念事業として脚本家・劇作家倉本聰氏の作・演出による演劇「ノクターン―夜想曲」の公演を2015年、県内5会場で主催する。
劇は震災、原発事故で甚大な被害を受けた相双地域が舞台。家族の死など心に深い傷を負った被災者の苦悩や葛藤、放射線の影響に直面する姿を、被災地・福島で取材を重ねた倉本氏が書き下ろした。

 演劇「ノクターン―夜想曲」は福島民友新聞創刊120周年記念事業として、3月に県内4会場で上演される。各会場ともに前売り券の残券はわずかとなっている。問い合わせは福島民友新聞社「ノクターン」係(電話024・523・1248、平日午前10時~午後5時)へ。公演日程次の通り。
3月1日・會津風雅堂(午後2時)▽3月3日・郡山市民文化センター(同6時30分)▽3月5日・いわき芸術文化交流館「アリオス」(同6時30分)▽3月7日・県文化センター(同2時)
 

■問い合わせ 福島民友新聞社創刊120周年記念事業推進委員会  (電話024・523・1248)
■南相馬会場
 【主催】公益財団法人南相馬市文化振興事業団、福島民友新聞社
■会津若松、郡山、いわき、福島会場
  【主催】福島民友新聞社
  【共催】公益財団法人会津若松文化振興財団、郡山市教育委員会、いわき芸術文化交流館アリオス、公益財団法人福島県文化振興財団
■企画・制作 フラノ・クリエイティブ・シンジケート(F.C.S.)

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福島以外もふくめた全公演は以下の通りです。だいぶ終わってしまっています。申し訳ありません。

1月
10日(土)~18日(日) 北海道 富良野市富良野演劇工場
21日(水)                     士別市 あさひサンライズホール
23日(金)                     札幌市 教育文化会館大ホール
25日(日)                     美唄市 市民会館
27日(火)                     北見市 芸術文化ホール
30日(金)                     岩手県 西和賀町文化創造館
2月
1日 (日)       福島県 南相馬市市民文化会館
4日 (水)~8日(日)
   東京都 新国立劇場小劇場
10日(火)         岡山県 津山市文化センター
12日(木)       倉敷市 芸文館
14日(土)       大阪府 富田林市すばるホール
16日(月)       山口県 周南市文化会館
18日(水)        広島県 廿日市市はつかいち文化ホール
20日(金)・21日(土) 愛知県 名古屋市愛知県産業労働センター
23日(月)       三重県 鈴鹿市市民会館
25日(水)       静岡県 磐田市市民文化会館
27日(金)        裾野市市民文化センター
3月
1日 (日)        福島県 会津若松市會津風雅堂
3日 (火)        郡山市市民文化センター
5日 (木)        いわき市芸術文化交流館アリオス
7日 (土)        福島市福島県文化センター
10日(火)       北海道 七飯町文化センター
12日(木)        鷹栖町たかすメロディホール
14日(土)                        幕別町百年記念ホール

光太郎詩以外に、福島県南相馬在住の詩人・若松丈太郎氏の作品がモチーフとして使われているとのことです。

とりいそぎ、ご紹介いたしました。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月23日

昭和24年(1949)の今日、出版社・養徳社から森於菟著『森鷗外』の寄贈を受けました。

於菟は鷗外の長男です。

2月も下旬となりましたので、そろそろ3月に行われるイベント等の情報を順次お伝えします。

京都からシンポジウムの情報です。

福島大学うつくしまふくしま未来支援センター京都シンポジウム 『ほんとの空が戻る日まで』―東日本大震災及び原発事故からの福島の闘い―

東日本大震災発生から4年。
震災からの復旧・復興への取組みを通して東北・福島の想いを関西につなぐとともに、住民レベルでの減災意識の啓発を図ることを目的として、「うつくしまふくしま未来支援センター京都シンポジウム『ほんとの空が戻る日まで』-東日本大震災及び原発事故からの福島の闘い-」(主催:福島大学、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター、共催:立命館大学、大阪大学 ほか)を開催します。

あの日から4年が経過しようとしています。
長い月日が経過した今でも福島県では約12万4千人の避難者(うち県外避難者約4万7千人)が原発事故の収束と地元帰還の見通しが立たない中、放射線被ばく、雇用喪失、生活再建、食の安全、子育てへの不安が重くのしかかり、借り上げ住宅、仮設住宅といった厳しい環境の下で生活しています。
そして、県民193万7千人が言われなき風評と闘いながら日々生活しています。
震災・原発事故で傷ついた東北は震災直後、関西から心強いメッセージ、そして支援をいただきました。それに感謝し我々の経験そして想いを関西に返す事により、減災意識を高めることができればと考えます。
そして歴史の繋がりの強い京都で開催し、皆様に今一度福島のことを考え、福島に寄り添っていただくことを目的に開催するものです。

日 時  平成27年3月8日(日) 12時00分~17時20分 ※同日10時00分~11時15分 開会前DVD上映(鑑賞自由)
場 所  立命館大学朱雀キャンパスホール (京都市中京区西ノ京朱雀町1)
参加募集人数  事前申込制 350名
※参加費無料
※2月28日(土)までに、チラシ裏面の参加申込書によりFAXまたはE-mailでお申し込みください。
申込み先 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
FAX:024-504-2865 E-mail:fure@adb.fukushima-u.ac.jp
参加対象者 一般市民、大学関係者、学生、行政職員、福島県から避難している方 他
問い合わせ先 福島大学うつくしまふくしま未来支援センター  TEL 024-504-2865
主催: 国立大学法人福島大学、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター
共催: 立命館大学、国立大学法人大阪大学
後援(予定): 文部科学省、復興庁、福島県、京都府、京都市、双葉地方町村会、公益社団法人経済同友会 他

プログラム
※10:00~11:15 開会前DVD上映(鑑賞自由)
OECD東北スクールの集大成 東北復幸祭〈環WA〉in PARIS
11:20~12:00 受付 
  12:00~ うつくしまふくしま未来支援センターの活動紹介
  12:10~ 開会
挨 拶 福島大学学長 中井勝己 立命館大学学長吉田美喜夫 大阪大学総長平野俊夫
12:25~13:25 Ⅰ部
基調講演「誰もが発信できる時代 福島の今を丁寧に世界に伝えるために」
堀潤氏 ジャーナリスト(元NHKアナウンサー)
 13:35~15:05  Ⅱ部
福島の現状報告
①「福島大学の活動状況」 中田スウラ  FURE*センター長
②「福島県における放射能の現状」大瀬健嗣 FURE*農・環境復興支援部門特任准教授
③「食の安全と農業の再生に向けた闘い」小山良太 FURE*副センター長、食・農復興支援担当マネージャー
④「こども支援を通して見えてきたこと」本多環 FURE*こども・若者支援部門特任教授
 15:20~17:10  Ⅲ部
パネルディスカッション『震災・原発事故からの福島の闘い』
[コーディネーター] 開沼 博 FURE* 地域復興支援部門特任研究員
[パネリスト]
・サトウタツヤ 立命館大学文学部教授
・久保 壽彦 立命館大学経済学部教授
・遠藤 勝裕 氏 経済同友会震災復興委員、日本学生支援機構理事長
・高橋 美奈子 氏 福島市飯坂温泉松島屋旅館女将
・佐藤 彰彦 FURE*地域復興支援部門特任准教授
 17:15 閉会
挨拶 FURE*センター長 中田スウラ
 
*FURE:うつくしまふくしま未来支援センターの略

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あの日からもうすぐ4年。当方、昨年は10回以上福島に足を運びました。行くたびに少しずつ復興が進んでいる様子が見えるものの、まだまだ道半ば、いや、半ばまでも行っていないかも知れません。安達太良山の山の上に毎日出ている青い空は、美しい「ほんとの空」ですが、ほんとの意味での「ほんとの空」とはまだ言えません。

現在、国会会期中ですが、安倍政権は脱原発というつもりはさらさらないようです。4年経っても12万人以上が避難生活を送っているのに、です。

先月は、阪神淡路大震災から20年ということで、いろいろな取り組みが報じられていました。ぜひ関西の皆さんにも、福島の現状と課題を知っていただき、今後の日本全体を考えるよすがとしていただきたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月20日

昭和26年(1951)の今日、龍星閣から詩集『智恵子抄』が復刊されました。

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詩集『智恵子抄』。オリジナルは昭和16年(1941)8月に刊行され、同19年'1944)、版元の龍星閣が休業するまでの間に13刷まで版を重ねました。。

戦後、昭和22年(1947)の11月、白玉書房という書肆が、休業中の龍星閣に代わって『智恵子抄』を出版。オリジナルの龍星閣版に戦後の詩「松庵寺」「報告」を加えました。

光太郎は白玉書房社主の、「龍星閣の同意を得ているという言を信用して出版を許可したのですが、実は同意をきちんと得ていなかったことが判明、白玉書房版は絶版となりました。そして同26年(1951)になって、龍星閣からオリジナルの形に戻して復刊されました。

その後、昭和31年(1956)に、草野心平の編集で新潮文庫版が出され、そちらが広く流通したため、今日、『智恵子抄』というと、新潮文庫版を想起する人がほとんどです。新潮文庫版は、戦後の詩篇を数多く含みますが、オリジナルは昭和16年(1941)作の、智恵子の葬儀を謳った「荒涼たる帰宅」まで。内容的には智恵子歿後の駒込林町のアトリエを舞台にした「梅酒」(昭和15年=1940)までです。

一昨日の夜、NHK BSプレミアムで放映された「にっぽん百名山 安達太良山」を拝見しました。

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基本、登山系の番組ですので、福島県で山岳ガイドを務める林千明さんによる案内で進行。一泊二日の本格的な登山行をたどります。

途中、安達太良山ゆかりの人物ということで、麓の二本松出身の智恵子、そして光太郎が約2分間取り上げられました。

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智恵子生家とその周辺の映像も流れました。

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お約束の「あどけない話」が紹介されて、光太郎智恵子の紹介が終わります。

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撮影時期は秋。紅葉や秋晴れの「ほんとの空」が美しく広がる映像です。

同じNHK BSプレミアムで再放送があります。

2月15日(日)  6時30分~7時/2月19日(木) 11 時~11 時30分

見逃した方、ぜひご覧下さい。

ぜひご覧下さい、といえば、今夜10時からは、NHK総合で、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。

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ぜひぜひ、ご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月11日

大正9年(1920)の今日、有楽座で上演されていた演劇「青い鳥」を観ました。

翌日、親しかった作家の田村松魚(智恵子の親友だった同じく作家の田村俊子の夫)に宛てた葉書から。

昨夜は畑中氏のプロダクションを見に行きました。初日の為め時間が遅れたので中途で帰つて残念でした。畑中氏の苦心がおもひやられました。
チルチルになつた子は大変声の美しい子でした。ちよいと抱いてやりたい気のする子でした。

「畑中氏」は演出家の畑中蓼坡。その妻、静栄は、田村俊子の弟子で、駒込林町の光太郎智恵子アトリエにも出入りし、レモネードを御馳走になったなどの回想を残しています。昭和15年(1940)に刊行した詩集『海に投げた花』の序文は光太郎が執筆しました。

「チルチルになつた子」は、初代水谷八重子。昭和28年(1953)には生前の光太郎と会い、北條秀司作の演劇「智恵子抄」上演の約束を取り付けましたが、実現したのは光太郎没後の昭和31年(1956)でした。

テレビ放映情報です。 

にっぽん百名山「安達太良山」

NHKBSプレミアム 2015年2月9日(月)  19時30分~20時00分 
再放送 2月15日(日)  6時30分~7時/2月19日(木) 11 時~11 時30分

番組内容
福島の安達太良山(1700m)、荒々しい火山と、みちのくの穏やかな自然を体感する山旅。登山口の野地温泉からブナなど広葉樹の紅葉に彩られた登山道を抜け、森林限界の低い偽高山帯と呼ばれる見晴らしの良いりょう線へ。最高峰の箕輪山(1728m)を経て、温泉のある山小屋で一泊、翌朝、空に突き出た山頂の姿から乳首山とも呼ばれる安達太良山の山頂をめざす。智恵子抄のエピソードや登山家の田部井淳子氏の誕生秘話も紹介。

出演 林千明
語り 山崎岳彦 吉川未来

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単に安達太良山の紹介だけでなく、「智恵子抄」がらみの内容になるというのがいいですね。


ちなみに同じ2/9の夕方には、再放送ですが、磐梯山の放映もあります。 

にっぽん百名山「磐梯山」

NHKBSプレミアム 2015年2月9日(月)  16時00分~16時30分

山旅へようこそ! 今回は福島県の磐梯山。ひとつの山で、ふたつの顔を持つ山。南側は、紅葉と溶岩が織り成す穏やかな光景。黒い岩肌を真っ赤な紅葉が彩る姿は、まるで日本庭園のよう。北側は、明治の噴火がもたらした荒々しい姿。切り立つ絶壁。噴火口の淵(ふち)、幅10mほどの山道を歩けば、両脇に山々を望む絶景が続く。磐梯山ならではの、ふたつの顔を存分に楽しむ山旅。

語り 鈴木麻里子

こちらは内容説明で「智恵子抄」の文字がありませんが、磐梯山といえば、昭和8年(1933)、統合失調症の昂進した智恵子を連れた光太郎が敢行した福島栃木などの温泉巡りの中で、その山麓を逍遥しています。


のちに昭和13年(1938)になって、その時の思い出を詩「山麓の二人」に記しました。

     山麓の二人004

二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡いて波うち
芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃(げき)として二人をつつむ此の天地と一つになつた


画像は磐梯山の後で訪れた栃木の塩原でのもの。現在確認されている智恵子最後の写真です。


さて、「にっぽん百名山」。安達太良山と磐梯山、ぜひ併せてご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月3日

昭和20年(1945)の今日、雑誌『美術』に談話筆記「回想録 二」が掲載されました。

前月の同じ『美術』に「一」が載り、二回で完結しています。聞き手は美術評論家の今泉篤男。筑摩書房『高村光太郎全集』の第十巻に掲載されていますが、「一」「二」併せて約50ページにもなる長大な談話筆記です。

主に幼少期から青年期の回想が主ですが、この時期にこれだけ長い回想が語られていることは、非常に興味深く感じます。もしかすると、長期化する太平洋戦争、次第に激しくなる空襲などにより、死の覚悟があったのかも知れません。

1/28、今週水曜日の『朝日新聞』さんの千葉版に、以下の記事が載りました。 

千葉)福島の詩を希望の歌に 松戸の市民合唱団

 松戸市を拠点に活動する「東葛合唱団はるかぜ」が、6月の25周年記念コンサートで、東日本大震災と原発事故で大きな被害を受けた福島県の子どもらの詩に曲を付けた音楽構成作品「僕らの出番がきっとくる!」を歌う。1月から記念コンサートに向けた練習を始めた団員たちは、「子どもや大人の心が響き合うやさしい曲で、南相馬との架け橋になるコンサートにしたい」と意気込んでいる。

 「はるかぜ」は1989年に発足。2年に1回コンサートを開いており、12回目となる今回を25周年記念と位置づける。

 東日本大震災後、合唱団は2012年3月から南相馬市の仮設住宅を訪れ、歌による交流を続けている。訪問は10回を超え、交流が深まるにつれ心の中を打ち明けてくれる人も増えてきた。母を一人仮設住宅に残し南相馬を離れて申し訳ないとわびる、娘からの手紙を見せてくれたお年寄りもいる。「はるかぜ」団長の太田幸子さん(68)は「まだまだたいへんなのに、私たちが逆に、福島の人たちに生きる力強さを教えられることも多い」と話す。

 そんな団員たちが、14年4月に紹介されたのが、福島県の子どもたちが17字の詩に家族や地域で経験したさまざまなこと、その時の思いなどを表現した文集。同県教育委員会が02年度から取り組んでいる「十七字のふれあい事業」で、子どもが五・七・五で作った詩に、家族や地域の大人らが返歌したものが一つの作品になる。手にした南相馬など相双(そうそう)地域の10~13年度の文集には、亡くなった家族や友人、離れて暮らす古里への思い、悲しみの中で希望を見つけてなんとか前を向こうとする気持ちなどを表現した作品が詰まっていた。

 家の跡涙をふいて手をつなぐ(中学3年) 大津波心の痛みも連れていけ(祖父)
 ほうしゃのうひなん先から祖母思う(小学5年) 大震災離れてわかる家族愛(祖母)
 十年後僕らの出番がきっとくる(小学4年) その笑顔明るい未来の道開く(母)

 記念コンサートでは団員たちが選んだ18作品を取り上げる。詩には合唱団の指揮者で作曲家の安藤由布樹さん(53)=東京都=が曲を付けた。

 1月18日、明市民センターでの第1回練習には団員や、作品を歌うために集まった市民ら約80人が参加。練習中、安藤さんは、高村光太郎の詩集「智恵子抄」を例に挙げ、団員たちに「古里の福島を自慢した智恵子がもしかしたら立ち、美しいと感じていたかも知れない場所に、今は放射線量を知らせるメーターがある。その思いを込めて歌おう」と呼びかけた。

 記念コンサートは6月7日、森のホール21(松戸市千駄堀)。合唱の参加者も募集中。問い合わせは太田さん(047・384・4759)。(小渕明洋)

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もうあと1ヶ月ほどで、「あの日」から4年になります。しかし、進まぬ復興、反比例して風化する記憶、被災地とそれ以外の温度差、逆行する政策……。そうした中で、こういう取り組みには頭が下がります。

同じ1/28の『朝日新聞』さんの、全国版社会面には、やはり福島の被災者の方々が作った詩について、以下の記事が載りました。

吉永小百合さんが朗読 原発被災者らの詩をCDに

 原爆投下と終戦の年に生まれ、広島・長崎004の原爆詩の朗読を続けてきた俳優の吉永小百合さん(69)が福島第一原発事故の被災者らの詩を朗読し、CDに収録した。「第二楽章 福島への思い」と題し、東日本大震災から4年になる3月11日に発売される。吉永さんは「今も故郷に戻れない福島の方たちの思いを私たちみんなで受け止め、寄り添えれば」と願っている。

 吉永さんは1986年、戦争や原爆の過ちを二度と起こさないために原爆詩の朗読活動を始め、97年に「第二楽章」(広島編)、99年に「第二楽章 長崎から」のCDを出した。2006年には「第二楽章 沖縄から」も作製。「第二楽章」の名には「戦後50年を経た今は第一楽章ではなく第二楽章。声高ではなく、柔らかい口調で語り継いでいきたい」との思いがこもる。

 3・11以降は、福島での被災後にツイッターで発信し続けた和合亮一さんや福島県富岡町を追われた佐藤紫華子(しげこ)さんらの詩も朗読。広島と長崎、沖縄、そして福島で起きたことを「忘れない、風化させない、なかったことにしない」とする吉永さんは、福島の人々の詩を「CDに」との思いを募らせていた。

 吉永さんはCD収録前の昨年末、帰還困難区域がある福島県葛尾(かつらお)村を訪れた。今月、東京都内で取材に応じた吉永さんは「一回行ってみないと本当の悲しみが分からないんじゃないかと思って。想像以上のショックでした。もうすぐ4年なのに何も変わってない」と語り、心を痛めていた。

 さらに「今3・11の事故後に思うのは、これだけ小さな国で、地震がいっぱいある風土で、原発というのはやめてほしい、と私は思いますね。人間が安全に暮らしていくためには、もっともっと私たちが工夫しなければいけないと思うんです」と強調した。
     ◇
 「第二楽章 福島への思い」の詩は23編。和合さんの詩や和合さんが指導する「詩の寺子屋」の子どもたちの作品など約300の最終候補から吉永さんが選んだ。音楽は尺八演奏家の藤原道山(どうざん)さん(42)に依頼した。CDはJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントから発売。挿絵はスタジオジブリ作品の美術監督を務めた男鹿和雄さん。

 3月10日には東京・千駄ケ谷の津田ホールで「吉永小百合朗読会」を開く。CDつき5千円。公演の問い合わせは日本伝統文化振興財団(03・3222・4155)、チケット予約は0570・08・0089へ。


もしかしたら光太郎がらみ、「智恵子抄」がらみの詩も含まれているかと期待しています。というのも、和合亮一氏が関係されているためです。氏はやはり光太郎ファン的なところがありますので、このブログにもたびたびご登場いただいています。


まあ、そうでなくとも素晴らしい取り組みです。吉永さん、ありがとうございます。

ちなみに3月10日の朗読会のチケットは既に完売しています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月31日

明治43年(1910)の今日、光雲が東京美術学校校長代理を命ぜられました。

正木直彦校長が英国出張ということで、その間の措置でした


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こちらに伺うのは、平成15年(2003)年に「高村光太郎・智恵子展」が開催されて以来ですので、12年ぶりでした。

一昨日は、当方の住む南関東でも朝方に少し雪が積もり、今日は雨です(都心では雪のようですが)。しかし昨日はよく晴れていたので、助かりました。

館内に入って、突きあたりの大きな窓にプリントされた心平の詩「猛烈な天」そのままの青空でした。

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     猛烈な天

 血染めの天の。
 はげしい放射にやられながら。
 飛び上がるやうに自分はここまで歩いてきました。
 帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。

 仮令無頼であるにしても眼玉につながる三千年。
 その突端にこそ自分はたちます。
 半分なきながら立つてゐます。
 

 ぎらつき注ぐ。
 血染めの天。
 三千年の突端の。
 なんたるはげしいしづけさでせう。

さて、「平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎 往復書簡にみる交友」。

タイトルに「往復書簡」とあるように、メインは光太郎と心平の間に交わされた約40通の書簡でした。期間は昭和23年(1948)から同27年(1952)、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に隠棲していた時期のものです。

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展示された光太郎から心平宛の書簡は、全て筑摩書房『高村光太郎全集』第15巻に収録されているもの。心平から光太郎宛の書簡は二玄社から刊行され、のち講談社文芸文庫で再刊された心平の『わが光太郎』に収録されています。

したがって、初めて読むものではないのですが、やはり一通ごとの細かな内容までは暗記していませんでしたし、何よりバラバラに読むのではなく、往復書簡として交互に読むことで、一連のドラマのように感じました。また、やはり活字で読むよりも、自筆の筆跡として読む方がはるかに両者の体温、息づかいといったものが伝わってきます。もっとも、見慣れた光太郎の筆跡はともかく、心平の字は達筆すぎて中々読めませんでした。しかし、パネルに活字で翻刻してあり、助かりました。

ちょっと驚いたのは、心平から光太郎宛の書簡の多くに、光太郎の筆跡で年月日がメモしてあること。ある意味几帳面な光太郎の性格が見て取れます。

自らの戦争責任を恥じて岩手の山中に隠棲する光太郎に、心平は繰り返し帰京を促しています。しかし光太郎は、何やかやと理屈をつけ(時には屁理屈も)、かわしています。最終的には十和田湖畔の裸婦群像(通称「乙女の像」)制作のため、帰京することになるのですが、そこにいたるまでの光太郎の内面がよく読み取れます。読んでいて、涙が出そうになりました(笑)。

その他、両者がお互いのために手がけたりした書籍、雑誌の類、心平の自筆の日記、光太郎の彫刻も並んでいました。

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改めて二人のつながりの深さが実感できました。

その後、常設展を拝見。以前に訪れた時よりも凝った展示になっており、感心しました。

3月22日(日)までの会期です。ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月30日

昭和24年(1949)の今日、眞善美社から新日本文学会詩研究会編『近代詩人研究』が刊行されました。

岡本潤が概論を書き、光太郎、藤村、鉄幹、白秋、朔太郎、賢治、啄木ら10人の詩人について、秋山清、小野十三郎らが論じています。光太郎の項は、遠地輝武が執筆しました。

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一昨日の『朝日新聞』さんの福島県版に、下記の記事が載りました。以前にもご紹介した二本松の「あだたら恋カレー」にも触れています。 

福島)中通り北部を売り込め 住民らが知恵絞る

 「八重の桜」や「フラガール」とまではいかなくても、もう少し全国的に知名度の高い観光の目玉を、中通りの北部にも。住民らによるそんな取り組みが、広がりつつある。人口の少ない中山間地ならではの魅力を売り込もうと、知恵を絞っている。
 
 「伊達の名物はあんぽ柿や桃だけじゃない。『いかにんじん』は実は松前漬けの元祖」「日本初の五つ子が生まれたのは梁川」「産業伝承館の農家レストランに行くと、90歳近い名物のおばあさんに会える」
 
 今月20日、伊達市で開かれた「阿武隈おもてなし人(びと)ゼミナール」。旅館や観光会社の社員、郷土史研究会のメンバーら多彩な顔ぶれの参加者が、伊達市の「名物」をあげていった。
 
 ゼミナール開催は4回目。町おこしに取り組むNPO法人「いいざかサポーターズクラブ」が県北地方振興局の委託を受け、昨年12月から開いて004いる。国道349号に沿った福島市、伊達市、二本松市、本宮市、川俣町の中山間地で、なにが「観光の目玉」にできるかを考える。これまでに数十人が参加した。
 
 参加者はまず、それぞれが思い思いの「名物」をシールに1項目ずつ書き、大きな紙に貼り付ける。その後、シールを「史跡」「自然」「花」「食べ物」など関連があるものごとにまとめ、「化石発掘ツアー」「伊達の地酒3本セット」など、複数の名物を組み合わせたパッケージがつくれないか、考えていく。
 
 「ふくしま農家の夢ワイン」の社員、熊谷耕平さん(26)は昨年12月、地元の二本松市で開かれたゼミナールに参加した。
 
 「仕事も年齢層も違う人たちと意見交換ができて、刺激になりました」
 「農家の夢ワイン」では、地元の農家が栽培するリンゴを原料に発泡酒「シードル」をつくっている。地元に来て買ってもらいたいと、問屋に卸すのではなく、地元の料理店や道の駅中心に出している。
 
 「シードル工房を見学に来たグループには、スタッフ手づくりの料理をふるまうなどのもてなしもしています。より参加型、体験型の販売方法も考えていきたい」と熊谷さん。
 
 NPO法人「ゆうきの里東和」は同じ二本松市で、地域の特徴を生かした観光に早くから取り組んできた。かつて養蚕業が盛んだった東和地区の歴史を踏まえ、「桑の葉茶」などを開発。国道349号沿いで運営する道の駅「ふくしま東和」には、地元産の野菜やシードルなどが並ぶ。
 
 最近は「あだたら恋カレー」と「酒粕(さけかす)アイスクリーム」を売り出した。カレーの名前の由来は、同市出身の画家・高村智恵子と夫で詩人の光太郎との「恋」。加えて、地元産ハーブの味が「濃い」、具だくさんで内容が「濃い」、お客さんよ「来い」という意味が込められている。
 
 震災後の2012年から農家民宿も始めた。農家に泊まり、地元の新鮮な野菜料理を堪能し、希望者には農作業も体験してもらう。
 
 震災後、福島産の野菜が売れなくなった。ゆうきの里東和理事長の武藤一夫(いちお)さん(62)は「われわれがどのように野菜をつくり、検査しているのか。目で見て知ってもらい、福島の農家と交流してもらうことを主目的でやっています」。
 
 農家12軒でスタートし、いまは16軒に増えた。 

 いいざかサポーターズクラブの藤原純理事長は「意識していなかった地元の名所や名物に気づき、有機的に組み合わせて新たな観光資源を生み出す。ゼミナールを、その端緒にしてほしい」と期待する。
 
 国道349号北部の観光施設32カ所によるスタンプラリーも昨年12月下旬から始まった。3月6日まで。(大岩ゆり) 
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頑張って下さい。応援しています。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月27日

昭和25年(1950)の今日、詩人で編集者の八森虎太郎からストーブを貰いました。
 
光太郎は日記以外に、書簡類の授受を詳細に記録した『通信事項』というメモを遺しています。昭和24・25年(1949・1950)は書かれたはずの日記が失われており、それを補完する意味で、筑摩書房『高村光太郎全集』の第13巻に、この2年分が収められています。
 
そちらの記述がこちら。
 
一月廿七日
〔受〕ストーヴ一揃、運送屋岡本さんがソリにて運びくる、北海道八森虎太郎氏より贈られしもの、但し小屋にては使用不能につき、学校に寄附のつもりで学校に届けてもらふ、
 
さすがにこの山小屋ではストーブは設置できなかったようです。
 
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智恵子の故郷・福島二本松で智恵子の顕彰活動を続けられている「智恵子のまち夢くらぶ」さんから、『発会10周年記念誌』をいただきました。
 
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平成17年(2005)の結成からの年表、会員・004会友の皆さんの文章、さらに会のイベントなどで協力された方々の寄稿も多く、読みごたえがあるものです。ほぼ全ページカラーで、ビジュアル的にも面白く感じました。
 
拙稿も載せていただきました。二本松市長さんなどのお偉方の玉稿より先に掲載していただき、恐縮しております。そういうことならもっと真剣に書いたのですが(笑)。
 
また、昨年逝去された光太郎の令甥・高村規氏が、ご生前、会に送られた書簡なども掲載されています。会の皆さんがパリの光太郎の足跡を辿る研修旅行に行かれるというので、資料を送付なさった際のもの。しみじみとした気持ちにさせられました。
 
こうした地道な活動がないと、地元であっても先人の功績は忘れ去られて行ってしまいます。智恵子の名を100年後、200年後に伝えるためにも、さらに頑張っていただきたいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月22日
 
昭和30年(1955)の今日、長野県の上木島村・往郷村・穂高村組合立中学校(現・安曇野市立穂高東中学校)で、光太郎が題字を揮毫した荻原守衛作の彫刻「坑夫」が除幕されました。
 
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この題字のプレートが光太郎の揮毫です。
 
守衛を援助した新宿中村屋の相馬黒光による碑陰記がこちら。
 
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曰く、
 
「坑夫」は明治四十年荻原守衛が滞仏中の作品で我国に近代彫刻の道を拓いた不滅の傑作である
この度作者の郷里に学舎が設けられたのを祝って遺族荻原家が原作を提供し学校が之を銅像として建てたのはその雄渾な精神を以て深く子弟を薫育し郷土の宝として永久にこの作を伝えん為であって誠によろこばしい事である
昭和廿九年四月 相馬黒光
 
もともとこの彫刻は、黒光の文章にもあるとおり、守衛滞仏中の習作です。明治40年(1907)11月、留学でロンドン滞在中だった光太郎が、同じく留学でパリにいた守衛のもとを訪れ、粘土で作られたこの彫刻を目にし、「ぜひ石膏に取って日本に持ち帰るように」と進言したそうです。約50年を経て、その彫刻の題字を揮毫したというわけです。
 
ただし、もはや光太郎の健康状態は、この除幕式への参加を許しませんでした。

先週の『福島民友』さんと『福島民報』さんの記事です。 昨年12月のこのブログでご紹介した、ほんとの空を守るPR隊 「二本松少年隊」に関して。 

「二本松少年隊」結成 3月のDCイベントでデビュー

 今春の大型観光企画「ふくしまデスティネーシ004ョンキャンペーン(DC)」に向け、二本松市の官民26団体でつくる「ふくしまDC二本松市推進委員会(通称・二本松おもてなし隊)」は10日、同市PR隊「二本松少年隊」を結成し、第1期隊士メンバー11人を発表した。
 同隊は二本松の「ほんとの空」を守り、二本松の素晴らしさを全国に伝えるのが役目。昨年11月から隊士(メンバー)を募っていた。
 メンバーは3月29日に同市の市民交流センターで開かれるDCスタートイベントでデビューする。今後、土、日曜日、祝日の活動を中心に殺陣やダンスなどのパフォーマンスを繰り広げ、4~6月のDC期間終了後も、年間を通じ各種観光イベントに参加していく。
 第1期隊士メンバーは、同市内外から集まった平均年齢21.2歳の16~31歳の高校生や大学生、会社員などの男性3人、女性8人。今後、2班に分かれての活動を基本に、それぞれ実際の二本松少年隊士にちなんだ名前を付ける。隊士に不足が生じた場合は第2期隊士の募集も検討する。
 同委員会会長の新野洋市長と二本松観光協会の安斎文彦会長は10日、同市役所で記者会見し、「新市合併10周年とDC本番に向け、少年隊士を顕彰しつつ、二本松の魅力を全国に発信していきたい」と語った。メンバーは「二本松の歴史を学びつつ、大好きな二本松を全国にPRしたい」と決意を新たにした。
(2015年1月11日 福島民友トピックス)
 

現代版「二本松少年隊」結成 古里PR いざ出陣!

 ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)に向け、二本松市推進委員会(二本松おもてなし隊)は市をPRする現代版「二本松少年隊」を結成した。10日、推進委員会長の新野洋市長が記者会見し、メンバーを発表した。
 「二本松少年隊」は二本松、郡山両市と大玉村の16歳から31歳までの男女11人。声優を目指す学生や演劇部に所属する高校生、国際協力機構(JICA)二本松青年海外協力隊訓練所の職員らで構成している。
 新野市長は「戊辰戦争で郷土を守るため若くして散った『二本松少年隊』の志を酌み、しっかりと市をPRするためのパフォーマンス集団にする。DCを盛り上げたい」と抱負を述べた。安斎文彦二本松観光協会長も同席し、メンバーを激励した。
 メンバーは今後、毎週土曜日を中心に、戊辰戦争や二本松少年隊などについての座学や殺陣の練習に取り組む。市内の劇団HEROS ACTION CLUB代表の広瀬和重さん(50)が殺陣などアクションを指導し、3月29日に同市市民交流センターでお披露目会を開く。DC期間後も年間を通じて活動し「二本松の菊人形」などのイベントにも参加する。メンバーは次の通り。
 中嶋哲也(二本松、JICA二本松)渡辺晴香(大玉、NOKエラストマー)栗城千鶴(郡山、郡山萌世高一年)鹿野ひとみ(二本松、MTS&プランニング)斎藤倫明(二本松、福島大四年)斎藤葵(二本松、安達高二年)鹿野康平(二本松、福島西高二年)菅野純麗(二本松、ケイセンビジネス公務員カレッジ)渡辺芽斐(二本松、二本松市臨時職員)斎藤美祐紀(二本松、障害者福祉施設・すばる)菅野愛華(二本松、安達高二年)
(福島民報 2015/01/11 08:22 )
 
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皆さん、凛々しいですね。今後の活躍に期待します。
 
ところで、記事中に出てくる「ふくしまデスティネーションキャンペーン(DC)」とは何ぞや? 
 
そもそもはJRさんの旅客6社(北海道・東日本・東北・西日本・四国・九州)と、指定された自治体等がタイアップして行う観光キャンペーンです。
 
今年度は新潟県、山形県、和歌山県、京都市が指定され、それぞれにいろいろなイベント等が行われました。来年度は、福島県、大分県、そして富山・石川・福井が3県合同で指定されています。
 
福島では「福が満開、福のしま。」をキャッチフレーズに、4月1日〜6月30日という日程で行われます。詳細はまたのちほどご紹介します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月20日

昭和18年(1943)の今日、青磁社から『続仏蘭西詩集』が刊行されました。 
 
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 左は函、右は扉の画像です。
 
光太郎翻訳のヴェルハーレン「午後の時」の14~24が掲載されています。1~13は、というと、これに先立つ昭和16年(1941)に同じ青磁社から刊行された『仏蘭西詩集』に掲載されています。
 
元々は『明星(第二期)』、『向日葵』、『至上律』などの雑誌に断続的に発表されたものです。

新刊です。  

空の走者たち

増山実著 2014/12/08 角川春樹事務所  定価 1600円+税
 
2020年4月18日――。通信社の若手記者・田嶋庸介は興奮していた。陸運から発表された東京オリンピック女子マラソン日本代表3名の中に、円谷ひとみの名があったからだ。田嶋が7年前にこの少女と出会ったのは、福島県須賀川市。そこは、1964年の東京オリンピックマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉と、ウルトラマンの生みの親・円谷英二の故郷であった。当時の円谷ひとみは、陸上をやめ、自分のやりたいことが見えずに暗中模索中の高校2年生。なぜ彼女は、日本を代表するランナーへと成長できたのか。その陰には、東京オリンピックと「あどけない青空」によって結ばれた、不思議な出会いがあった……。須賀川、宝塚、東京、ハンガリー。どんなに雨が降り続こうとも、いつか必ず見えるはずの青空を思い、それぞれの空の下を懸命に駆け抜けた走者たちの物語。
 
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主な舞台は福島県須賀川市。光太郎の「智恵子抄」に収められた「あどけない話」が重要なモチーフになっています。
 
昭和39年(1964)の東京五輪・男子マラソン銅メダリスト円谷幸吉、「特撮の神様」・円谷英二。ともに須賀川の出身で、親戚だそうです。さらに『おくのほそ道』の旅で須賀川を訪れた松尾芭蕉や、東日本大震災で被災した架空の少女たちが織りなす物語。クライマックスは平成32年(2020)の2度目の東京五輪。平成25年(2013)、昭和40年(1965)、そして元禄2年(1689)。それぞれの須賀川をつなぐキーワードが「空」。さらにはマルセル・プルースト『失われた時を求めて』、坂本九、ゴジラ、ザ・ビートルズ、銭湯、大阪万博……。
 
スポ根的要素、SF的要素、昭和懐古的要素、震災復興支援的要素と、てんこ盛りの一冊です。
 
ぜひお買い求めを。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月8日

昭和28年(1953)の今日、終の棲家となった中野のアトリエで、煙突掃除をしました。
 
十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)を制作していた時期で、この日は午前中に手の試作を仕上げています。夕方から、詩人の藤島宇内に手伝ってもらって、煙突掃除。これはストーブからつながっていたものでした。
 
最近は、レンガ造りのイミテーションを除き、一般家庭で「煙突」という物体を見ることがほぼなくなりましたね。

福島から企画展の情報です。  

平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎 往復書簡にみる交友 

   いわき市立草野心平記念文学館 福島県いわき市小川町高萩字下タ道1番地の39
   平成27年1月17日(土曜日)から3月22日(日曜日)まで(月曜休館)
   午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
   一般430円(340円)高校・高専・大学生320円(250円)
      小学生・中学生160円(120円) 
※( )内は20名以上の団体割引料金

 1948年から1952年にかけての草野心平と高村光太郎の往復書簡をとおして、それぞれの創作活動とそれにともなう葛藤や苦悩などを紹介します。あわせて、心平が光太郎について記した日記をはじめ、詩集等の書籍、そして光太郎の彫塑などにより二人の交流をたどります。展示点数50点。

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昭和初期から、光太郎が歿する同31年(1956)まで、固い絆で結ばれた二人の軌跡をたどる展覧会です。固い絆、ということをいえば、光太郎没後も心平はその顕彰活動に先鞭を付け、発展させ、自身が歿する昭和63年(1988)まで、それは途絶えませんでした。
 
会期も比較的長い展覧会です。ぜひ御都合をつけ、足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月5日

平成14年(2002)の今日、テレビ朝日系でスペシャル番組「文豪の愛した北の宿」が放映されました。
 
旅人はシンガーソングライター・みなみらんぼうさん。石坂洋次郎らの訪れた老舗旅館等をめぐる番組で、最後に光太郎智恵子が取り上げられました。
 
二本松(当時は安達町)の智恵子生家、記念館、裏手の「樹下の二人」詩碑のある鞍石山からのレポートの後、一昨年に火災により焼失してしまった福島市郊外の不動湯温泉を訪れたみなみさん。光太郎智恵子の泊まった部屋や、光太郎が書いた宿帳を見せてもらっていました。
 
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この部屋も宿帳も灰になってしまった今、動画として残っている貴重な記録です。

福島は郡山から講座の情報です。 

文芸作品の鑑賞~名作への旅~

日本、外国の小説・紀行文・詩歌・俳句・000随筆などの名作を鑑賞し、その歴史や文化にも触れ、当時の面影を辿ります。4月期は、「宮澤賢治」童話と詩、高村光太郎「智恵子抄」を取り上げます。
 
期 日 : 2015/1/9~3/27 の第2・4金曜  全6回
会 場 : 10:00~12:00
時 間 : NHK文化センター郡山教室
                   郡山市麓山1-5-21 NHK郡山放送会館内
料 金 : 10,044円 (税込み)  

 師 : 元日本大学教授・文芸家 永塚功
申 し 込 み   NHK文化センター郡山教室  024-933-0022
 
いわゆるカルチャー教室、市民講座の類ですね。
 
「生涯教育」という語は定着しました。知的探求心を持ち続けるのは大切なことだと思います。福島の皆さん、ぜひ、お申し込み下さい。
 
当方もぽつぽつこの手の講座の講師等、やらせていただいています。今年も数回、講師としてお声がけいただいております。これからお考えの団体さん、日程さえ合えば、条件は二の次でお受けいたします。こちらまでご連絡下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月2日
 
昭和17年(1942)の今日、日本女子大学校発行の『家庭週報』に、詩「新しき日に」が掲載されました。
 
  新しき日に001
 
新しき年真に新たなり。
東方の光世界に東方の意味を宣す。
幾千年の力鬱積していま爆発するのみ。
東方は倫理なり。
東方は美なり。
断じて西暦千幾年の弱肉強食にあらず。
世界の人類倫理に飢う。
飢うるものにわが食を与ふるなり。
わが食は道なり。
道を体するもの東方日出づる国に住む。
その一挙一動は中正にして愛に満つ。
死はかろく義はおもく、
古来東方の女性 ことごとく美し。
その美驕らず出しやばらず、
内に湛へて堅忍の力あり、
男子みなその力に支へらる。
世界の歴史いま新たなり。
東方の倫理世界に布く。
美しき東方の女徳いよいよ凛たり。
 
 
戦時中の作品ということで、きな臭い部分もあり、ヘイトスピーカーが喜びそうです。そういった部分は抜きにして、日本人としての気概を表した「道を体するもの東方日出ずる国に住む。その一挙一動は中正にして愛に満つ。」といった一節は非常に良いですね。第一、ヘイトスピーカーの言動は「中正にして愛に満」ちていませんし、「道を体する」とは絶対に言えません。

昨日の『毎日新聞』さんの、おそらく福島版だと思うのですが、以下の記事が載りました。 

<師走の風景>「ほんとの空」求め宿泊予約殺到――安達太良山

「元旦に福島の空を見よう」――。詩人、高村光太郎の妻智恵子が「ほんとの空」があると言った安達太良山(標高1718メートル)の中腹にある山小屋「くろがね小屋」には、今年の大みそかも宿泊予約が殺到し、小屋番たちは準備に大わらわ。まさしく師走だ。
 
 宿泊客の目当ては、31日恒例の年越しそばと、餅つき。みんなでお餅を食べた後は、初日の出を見るために「天気と元気次第」で頂上を目指す。
 
 「今年こそは大みそかに泊まろうと思ったけど、両親のいる故郷に帰ることになって」。26日に埼玉県から妻と訪れた50代男性はそう語り、「今年最後の泊まり納めを楽しもうとやってきました」。
 
 厳冬の雪山だから、冬登山の装備と心得がなければ小屋にすら、たどりつけない。小屋に着いても、強風とガスで山頂は視界の悪い日が多く、冬季に「ほんとの空」を拝める日は少ないという。
 
 それでも、関東方面からの登山客は多く、「風評被害」は感じられない。客層は中高年が中心だが、最近は20代の若者も増えた。
 
 26日、記者も一足早く山頂に登ったが、強風と地吹雪で登山客の姿はなかった。元日こそは好天を!【栗田慎一】
 
なるほど、安達太良山頂から、「ほんとの空」に昇る初日の出を見るというのも素晴らしいでしょうね。
 
 
他にも初日の出名所として、光太郎智恵子がらみの地がいくつか有名です。
 
当方生活圏では、千葉県の犬吠埼。大正元年(1912)夏、結婚前の二人が愛を確かめた場所です。
 
緯度、経度等の関係で、離島や高山の山頂を除き、日本一早い初日の出が見られます。明後日は午前6寺46分です。
 
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それを目当てに訪れる方が多く、JR東日本さん、銚子電鉄さんでは終夜運転、様々なイベントが予定されています。
 
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少し南下すると、九十九里浜。その中央の片貝海岸付近には、昭和9年(1934)、統合失調症だった智恵子が療養していました。
 
こちらでも元旦祭が行われます。
 
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さらに、山梨県南巨摩郡富士川町高下地区。こちらは昭和17年(1942)、「日本の母」顕彰のため、光太郎が訪れ、それを記念して光太郎文学碑も建てられています。
 
ここでは、富士山頂から昇る初日の出、いわゆる「ダイヤモンド富士」が見られるそうです。
 
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こうしたポイントは、かなりの人出(特に犬吠埼では交通規制もしかれます)ですが、特別な場所で見る初日の出もいいものでしょう。当方、余力があれば九十九里に行ってみようと思っています。今年の元旦もそう思っていましたが、結局起きられませんでした(笑)。
 
さて、元日の夜は、再放送ですが、以下のテレビ放映があります。 

いにしへ日和 #122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉

BS朝日 2015年1月1日(木) 22時54分~23時00分
 
日本の東国各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。美しい景色の中に息づく「時の記憶」。旅をしながら、現在と過去を自由に行き来する。そんな気分を味わう番組です。時をこえ、小さな旅に出かけよう。今日は、いにしへ日和…日本の各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。
 
高村光太郎は、1945年花巻に疎開し、7年の間、この地で過ごしました。 光太郎62歳。最愛の妻・智恵子も既に他界し、東京大空襲で自宅とアトリエを失ってやってきた花巻。 そんな光太郎が「本当の温泉の味がする」と、何度も訪れた大沢温泉を訪ねます。
 
出演 ナレーター キムラ緑子
 
 
本放送は先週木曜日でした。
 
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5分間番組ですが、ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月30日
 
昭和43年(1973)の今日、角川書店から伊藤信吉著『鑑賞智恵子抄』が刊行されました。

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 伊藤信吉は光太郎と交流のあった詩人です。400ページ近い大著で、的確な視点で『智恵子抄』およびその後の諸作品が解説されています。
 
当方、有名な古書店、扶桑書房さんが鎌倉に店を構えていた頃、ここで購入しました。帰宅してから気づいたのですが、見返しに著者の伊藤信吉から、やはり詩人の鳥見迅彦に宛てた献呈署名が入っていました。鳥見も光太郎と交流があり、自身の詩集『けものみち』(昭和30年=1950)の題字を、光太郎に揮毫してもらっています。
 
不思議な縁を感じました。
 
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福島からの情報です。

ほんとの空を守るPR隊 「二本松少年隊」大募集!

二本松を活気づけるPR隊「二本松少年隊」メンバー大募集!
二本松のために頑張る方、殺陣やダンスに興味がある方、ぜひご応募ください。
二本松に熱い思いを抱く方々の応募をお待ちしております!
 
応募資格
高校生~30歳代までの健康な男女。市外在住の方でも構いません。二本松市に通える方が条件となります。
 
応募方法
応募用紙に必要事項を記入の上、二本松おもてなし隊(二本松市観光課)まで、持参・郵便・電子メールにてご応募ください。
郵便での応募の場合は16日(火曜日)まで消印有効とします。
郵送の場合 〒964-8601福島県二本松市金色403番地1 二本松おもてなし隊あて
メールの場合 応募用紙をダウンロードし、必要事項を必ず記入の上、応募してください。
送信先:
kankorisshi@city.nihonmatsu.lg.jp  応募用紙 [PDFファイル/935KB]
 
応募期限 12月17日(水曜日)まで ※郵便での応募の場合は12月16日(火曜日)まで消印有効とします。
 
オーディション
応募用紙を提出していただいた後、オーディションを行います。
•簡単な動きやセリフを読んでいただくので、動きやすい服装でご参加ください。
•12月21日(日曜日)午前10時より二本松市民交流センター(二本松駅前)で実施します。
•応募者全員に12月18日(木曜日)に確認の連絡をいたします。
 
その他
基本的にボランティアでの活動となりますが、ダンスレッスン・演技指導・メイク指導など、無料で受講できます。専用の衣装や小道具などはこちらで用意します。
 
問い合わせ
二本松おもてなし隊(二本松市観光課) 電話:0243-55-5095
 
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既に二本松では、ご当地ヒーロー「光の戦士ツインウェイターが「ほんとの空」を取り戻すため、安達ケ原の鬼婆伝説を基にした怪人と戦っていますが、これで強力な助っ人が誕生することになりますね(笑)。手を携えて「ほんとの空」を守って欲しいものです。
 
市外からも応募できますが、当方は年齢のため、応募資格に合致しません。該当する皆さん、「30歳代までで『少年』か?」という突っ込みは入れずに、ぜひとも立ち上がって下さい(笑)。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月11日
 
昭和20年(1945)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、コタツの組み立てを始めました。
 
この日の日記の一部です。
 
昨日来雪やまず一尺ほどつもる。ひる晴れて太陽あたたかし。風にて雪が空をとぶ。壮観なり。積雪のため学校にゆけず。コタツ組立にかかる、資材あしきため困難。 人来たらず、終日雪ぐもり。

福島は二本松で智恵子顕彰活動をされている智恵子のまち夢くらぶ代表の熊谷氏から、パリ研修のレポートをいただきました。
 
10月27日から11月3日までの行程で、「高村光太郎留学の地芸術の都パリ研修」と銘打ち、光太郎が住んでいたアパルトマン兼アトリエ、光太郎が訪れた場所、光太郎と関係の深い人物ゆかりの場所などを廻られたそうです。
 
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こちらは光太郎が暮らしていた建物。
 
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Boulevard de Raspail (ラスパイユ大通り)とRue Campagne-Premièr(カンパーニュ・プルミエール通り)の交わるあたりです。
 
光太郎が暮らしていた明治41年(1908)から42年(1909)頃、同じ建物の階上にはリルケが住み、ロダンもここを訪れていました。また、近くにはロマン・ロランも住み、「ジャン・クリストフ」を書いていたとのこと。
 
光太郎はアトリエに近いアカデミーグランショミエール(L'académie de la Grande Chaumière)に籍を置き、クロッキーを学びましたが、もっぱら見物に歩き回っていたといいます。
 
数年前に、光太郎帰国後の明治45年(1912)に雑誌『旅行』に載せた「曽遊紀念帖」という文章を見つけました。
 
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これを読むと、パリで何をやってたんだ? と突っ込みたくなりますが、こうした雰囲気のパリと、伝統と格式に縛られた日本のあまりの差異に打ちのめされ、かえって何もできないでいたのです。
 
いずれ当方もゆっくりとパリでの光太郎の足跡を追ってみたいと思っています。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月1日
 
平成19年(2007)の今日、テレビ東京系「美の巨人たち」で、「高村光太郎 彫刻 手」が放映されました。
 
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メインは大正期のブロンズ「手」でしたが、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)の手にも触れました。
 
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地方紙で光太郎智恵子関連、3件ヒットしています。
 

復興願い演奏会 郡山

福島民報 11月24日(月)9時14分配信
 
 ふくしま再生プロジェクトの会(代表・田母神顯二郎=けんじろう=明治大文学部教授)主催のイベント「ふくしま、ひとしずくの物語~再生への祈りを込めて」は23日、福島県郡山市のビッグアイ・市民交流プラザで開かれた。
 同会は、朗読やコンサートを通して被災者らに癒やしと憩いの場を提供。県外でチャリティーイベントを実施し、福島の現状を伝える活動を続けている。
 今回は、第一部で世界的口笛奏者の柴田晶子さんとメジャーデビューしているピアニスト松田光弘さん、本県出身で仮設住宅への慰問などを続けているバイオリニスト山本智美さんの3人によるミニ・コンサートを開催した。第二部では智恵子抄の朗読と、10月に東京都で実施したイベントの際に、県民に向けて寄せられた応援メッセージの紹介などが行われた。
 市内の仮設住宅の住民らも含め参加した約70人は、心に染みるコンサートの音色や朗読に静かに聞き入っていた。
 
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また、同じ『福島民報』さんでは、当方が成田空港まで見送りに行った、智恵子のまち夢くらぶさんパリ研修についても報道されました。 

智恵子ファンがフランスへ

福島民報11月25日(火)10時24分配信
 
 福島県二本松市の市民団体「智恵子のまち夢くらぶ」は発会10周年を記念し、8日間の日程でフランス・パリを視察した。
 高村智恵子生誕の地・二本松で、智恵子と彫刻家・詩人で夫の光太郎の遺徳を顕彰している。今回は光太郎留学の地を一目見ようと視察を企画した。エッフェル塔やパリ滞在中に暮らしていた住宅、美術館などを訪れた。
 代表の熊谷健一さんは「町じゅうが博物館のようで、パリの人は日常的に文化芸術に触れている。私たちも見習いたい」と夢を語っていた。
 
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こういうこともニュースになるんですねぇ。
 
 
最後に「報道」というわけではないのですが、『神戸新聞』さんの一面コラムです。

正平調 2014・11・21

パラパラ漫画、である。ノートや教科書の隅に小さな絵を描いて、めくっていくと絵が動く。国語や算数の授業が、さらに高校の物理も大学の経済学も、図工の時間と化した覚えが、ないとは言わない◆このパラパラ漫画を使ったアニメ作品で今、引っ張りだこなのがお笑いタレントの鉄拳さんだ。NHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」に出てきたアニメと言えば、思い浮かぶ方も多いだろう◆インタビューを読むと、手書きにこだわり、1分間のアニメを作るのにおよそ360枚を描くという。1作品で最低2千枚というから、これは職人技の手仕事である◆その鉄拳さんのアニメが、きょうからJR西日本の駅や車内の画面で流れる。忘年会シーズンを前に、転落事故防止キャンペーンに一役買うそうだ。この冬はディズニーの新作宣伝も手がける多忙ぶりで、お笑いの方は休業中とか◆手仕事のイメージから、勝手に工房のような仕事場を想像してみる。例えば、高村光太郎の詩集「をぢさんの詩」にあるような。「冬日さす南の窓に坐(ざ)して蝉(せみ)を彫る/時処をわすれ時代をわすれ人をわすれ呼吸をわすれる」(「蝉を彫る」より)◆呼吸をわすれた作家の周りを、ゆったり時間が流れる。作品に、見る人がふと立ち止まる一こまを刻むために。パラパラ漫画の奥深さよ。
 
鉄拳さんと光太郎を結びつけるという発想は当方にはありませんでした(笑)。
 
引用されている詩「蝉を彫る」は昭和15年(1940)の作。すでに智恵子亡く、孤独なアトリエでの一コマです。
 
    蝉を彫る
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冬日さす南の窓に坐して蝉を彫る。
乾いて枯れて手に軽いみんみん蝉は
およそ生きの身のいやしさを絶ち、
物をくふ口すらその所在を知らない。
蝉は天平机(てんぴやうづくゑ)の一角に這ふ。
わたくしは羽を見る。
もろく薄く透明な天のかけら、
この蟲類の持つ霊気の翼は
ゆるやかになだれて追らず、
黒と緑に装ふ甲冑をほのかに包む。
わたくしの刻む檜の肌から
木の香たかく立つて部屋に満ちる。
時処をわすれ時代をわすれ
人をわすれ呼吸をわすれる。
この四畳半と呼びなす仕事揚が
天の何処かに浮いてるやうだ。
 
画像は昨年開催された「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」千葉展のポスターです。
 
ところで『神戸新聞』さんの「正平調」では、たび たび光太郎に触れて下さっています。お書きになっている方が光太郎ファンなのでしょうか?
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月26日
 
昭和46年(1971)の今日、新橋演舞場で開催されていた「新派十一月公演」が千秋楽を迎えました。
 
昼の部で、北條秀司脚本、初代水谷八重子さん主演の「智恵子抄」が演目に入っていました。
 
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福島は郡山からイベント情報です。 
 
日 時 : 2014年11月23日(日) 開場13時30分 開演14時(17時終演予定)
場 所 : 郡山市民交流プラザ 大会議室 ビックアイ7階(郡山駅前)
       郡山市駅前二丁目11-1
演 目 : 口笛、バイオリン、ピアノの演奏、朗読
      東京から福島へのメッセージ紹介
      ふくしまをめぐる話など
  : バイオリニスト 山本智美さん 
       (福島県出身、埼玉県で「森の音楽アトリエ」開設)
      口笛奏者 柴田晶子さん (国際口笛コンクール優勝)
      ピアニスト 松田光弘さん (Real Rockでメジャーデビュー)
  : skyasu39@ybb.ne.jp 、090-8782-2774 (鈴木)  

主 催 : ふくしま再生プロジェクトの会     
 合 : ふくしま再生プロジェクトの会 鈴木
 込 : skyasu39@ybb.ne.jp  090-8782-2774
 
この会は、福島と東北の役に立ちたいという思いをもった人と福島の人たちの心と心をつなげる憩いの催しです。

当日の主な内容は、バイオリニスト山本智美さん、口笛奏者柴田晶子さん、ピアニスト松田光弘さんの音楽コンサートと「ふくしまへおくる言葉」や詩の朗読です。

アットホームな雰囲気の中で、「心のふるさと」としての東北を感じるひと時になればと思います。

「ふくしま、ひとしずくの物語」は、10月にも東京で開催し、「ふくしまのために何かしたい」という気持ちで集まっていただいた皆様の「ふくしまへの想い」もお届けします。

当日は、参加無料でございますので、みなさまお誘い合わせの上、いらしてくださいませ。(お席の用意がございますので、なるべく事前に申込みを下さいませ)
 
 
先月、東京・豪徳寺で開催されたイベントの福島公演のようです。
 
当方、今年は11回、福島県に足を運びました。特に川内村相馬などの浜通り地区の復興はまだまだです。ハード面での支援は、我々個人には難しい部分がありますが、こうしたソフト面での支援は可能です。足を運ぶだけでも支援となります。ぜひ、足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月21日

平成21年(2009)の今日、千葉県松戸市戸定歴史館で「千葉大学園芸学部創立100周年記念特別展 庭園の記憶 ―与謝野晶子の「松戸の丘」と園芸学校の絵画―」が開幕しました。
 
現在の千葉大学園芸学部(千葉県松戸市松戸)は、明000治42年(1909)に設立された千葉県立園芸専門学校がその前身で、与謝野晶子が大正11年(1922)と同13年(1924)に同校を訪れ、雑誌『明星』(第二期)に「松戸の丘」と題する50首の短歌を発表したりしています。
 
また、明治45年(1912)に就任した第二代校長・赤星朝暉は光太郎のご近所さんで、昭和11年(1936)には、光太郎が作った赤星の像が、同校に設置されました。残念ながら戦時供出で現存せず、現在は、光太郎とも交流のあった彫刻家・武石弘三郎が作り、新潟県立加茂農林高校に建てられた像の原型を使った2代目の像が残っています。
 
図録には、市の学芸員・田中典子氏による「赤星先生像をめぐって」が掲載されています。

福島から展覧会情報です。 

藝大に学んだ巨匠たち──東京藝術大学大学美術館所蔵作品を中心に

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会 期 : 2014年11月15日(土曜日)~12月14日(日曜日)
 場 : いわき市立美術館 2階企画展示室
休館日 : 月曜日(11月24日は開館、翌25日は休館)
 間 : 午前9時30分から午後5時(入場は午後4時30分まで)
 催 : いわき市立美術館、東京藝術大学美術学部、東京藝術大学大学美術館
後 援 : 福島県
 金 :
 一般 1,000円(800円) 高・高専・大生 500円(400円) 小・中生 300円(240円)
      ※( )内は20名以上の団体割引料金
    観覧料が無料になる場合
       1 いわき市在住の65歳以上の方
       2 身体障がい者手帳、療育手帳、精神障がい者保険福祉手帳のいずれかをお持ちの方
       3 市内の小・中・高・専修・高専生(ただし、土曜日と日曜日のみ)
                     (注)身分を証明する手帳等をご提示下さい。
また、平日に「いわき市内の小・中・高・専修・高専生」が、学校の教育活動の一環として利用する場合も、企画展・常設展が無料になります。
 
会期中の催し
1) 記念講演会1
  「藝大コレクションを語る」
   日時 平成26年11月16日(日)14:00~15:00
  会場 3階セミナー室
   講師 古田亮(東京藝術大学大学美術館准教授)
   参加費 無料
 
2)記念講演会2
  「横山大観と東京美術学校」
  日時 平成26年11月23日(日)14:00~15:00
  会場 3階セミナー室
  講師 小泉晋弥(茨城大学教授)
  参加費 無料
 
3)記念講演会3(都合により中止となりました。ご了承ください。)
   「藝大コレクションと私」
  日時 平成26年11月24日(月)14:00~15:00
  会場 3階セミナー室
   講師 田口安男(東京藝術大学名誉教授、いわき市立美術館名誉館長)
  参加費 無料
     
4)アーティスト・トーク1
  日時 平成26年12月7日(日)14:00~15:00
  会場 企画展示室
  講師 中村一美(藝大大学院油画修了、多摩美術大学教授)
  参加費 企画展入場券半券が必要
 
5)アーティスト・トーク2 
  日時 平成26年12月14日(日)14:00~15:00
  会場 企画展示室
  講師 山本伸樹(藝大大学院壁画修了、美術家)
  参加費 企画展入場券半券が必要
 
【同時開催】
1.藝大Am+いわき   高校生クロッキーワークショップの作品展示 
  会場:美術館1階ロビー(入場無料)
2.藝大Am+いわき   いわきから藝大へ 明日の巨匠たち 
  会場:いわきアリオス(入場無料)
 
東京藝術大学は、前身の東京美術学校と東京音楽学校が明治20年に設立され、その後昭和24年の学制改革による両校統合により現在に至っていますが、我が国最初の官立の総合的な芸術教育と研究の専門機関として発足以来、数多くの優れた人材を育成し、近現代の美術と音楽の動向に大きな影響を及ぼしてきました。

またこの間、教育研究資料として国宝、重文を含む古美術、楽器、絵画・彫刻・工芸品、建築・デザイン図面など約28,500件の芸術資料の収集を通して、日本の近現代美術の調査研究において欠くことのできない国内有数の質と量を誇るコレクションを形成し、今日、極めて高い評価を得ています。

本展は、この素晴らしい藝大コレクションのなかから、東京美術学校(東京藝術大学)が輩出してきた明治・大正・昭和初期を代表する作家たちの教官・学生時代に制作した貴重な絵画や彫刻作品をとりあげ、さらに同時代性をもった戦後の良質な美術作品といわきの美術を収集方針に掲げる当館コレクションを一部加え、戦後美術の動向に多大な影響を与えてきた藝大関連作家と、当地の美術界に大きな足跡を残してきた藝大に学んだいわきの作家たちの作品を紹介します。

本展が、明治期に設立されて以降、常に中央及び地方の美術界に主導的な人材、作家を送り続けてきた教育研究機関としての藝大の果たしてきた役割を再考する機会となることを期待するとともに、若き日の巨匠たちが制作した貴重な逸品の数々を、ご高覧いただきたいと思います。
 
主な出品作家 : 高橋由一、横山大観、下村観山、菱田春草、黒田清輝、藤島武二、岡田三郎助、青木繁、佐伯祐三、高村光太郎、小磯良平、杉山寧、高山辰雄、加山又造、平山郁夫、浜田知明、駒井哲郎、杉全直、山口長男
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というわけで、今日から開催です。展示される光太郎の作品は「獅子吼」。明治35年(1902)の作で、東京美術学校の卒業制作として作ったものです。
 
モチーフは日蓮。経巻を投げ捨て、憤然として立つ姿を表しているそうです。
 
ネット上に出品目録が出ていないのですが、チラシを見ると、その他、高橋由一の「鮭」(重要文化財)、横山大観の「村童観猿翁」、長沼守敬の「老夫」など、名品がもりだくさんです。
 
お近くの方、ぜひ足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月15日
 
昭和30年(1955)の今日、中野のアトリエで、作家の高見順と対談「わが生涯」を行いました。
 
翌31年(1956)1月には雑誌『文芸』に、さらに光太郎没後の同32年(1957)には、中央公論社刊『対談原題文壇史』に掲載されました。『高村光太郎全集』第11巻にも収録されています。

昨日は福島の双葉郡川内村にて行われた草野心平忌日の集い、第4回天山・心平の会「かえる忌」に行って参りました。
 
開会が午後3時ということで、いわき市の上小川地区にある、心平の生家とお墓に寄り道をしました。
 
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その後、川内村へ。途中の峠道、それから川内村でも紅葉が実に見事でした。
 
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天山・心平の会の井出氏のごあいさつ、遠藤川内村長の音頭で献杯。
 
前かわうち草野心平記念館長・晒名昇氏、歴程同人・伊武トーマ氏、それから当方も講話。当方は故・高村規氏
の葬儀についてレポートせよとの指令でしたので、その件と、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんから頂いた、十和田湖畔の裸婦像除幕式の動画に心平が写っていたので、そちらを披露しました。
 
その後は懇親会。
 
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参加者お一人ずつスピーチをなさいました。洋行帰りのモンデンモモさん、いわき賢治の会の小野氏などなど。遠くからご参会の方も多く、それぞれに川内村を愛する心が伝わってきました。
 
「かえる忌」、末永く続いてほしいものです。
 
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月9日
 
昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋を、佐久間晟・すゑ子夫妻が訪問しました。
 
佐久間氏は、仙台市ご在住。警察にお勤めのかたわら、前田夕暮門下の歌人でもあり、その後、宮城県歌人協会の会長も務められました。すゑ子夫人も歌人。お二人とも歌誌「地中海」同人です。
 
当方、ご夫妻と知遇を得、山小屋訪問についての貴重なお話を伺い、光太郎と一緒に撮った写真、光太郎からのハガキのコピーを戴きました。
 
その聞き書きは平成19年(2007)、高村光太郎研究会刊行の雑誌『高村光太郎研究(28)』に掲載していただきました。ご入用の方、コピーでよろしければこちらまで。

福島は二本松からローカルニュースです。

二本松・東和にご当地グルメ「あだたら恋カレー」誕生

 二本松市の道の駅ふくしま東和は2000日、同市東和地区の新たなご当地グルメ「あだたら恋カレー」のお披露目会を開き、同日から販売を開始した。
 「あだたら恋カレー」は、詩集「智恵子抄」で知られる同市出身の高村智恵子・光太郎夫妻の結婚100周年などにちなみ考案。安達太良山の形をかたどったご飯に二本松産の野菜をふんだんに使い、智恵子抄をもじった洋風七味「智恵こしょう」を振り掛けた味もスパイスも「濃い」カレーに仕上げた。1杯680円(税込み)。
 お披露目会は1、2の両日、道の駅ふくしま東和で開かれた収穫祭に合わせて行われた。本県で活動しているお笑いコンビ「ぺんぎんナッツ」の司会で無料試食会が開かれ、来場者が新グルメを堪能した。
 このほか収穫祭では、新米試食体験や青空フリーマーケット、こども広場などが開かれ、大勢の来場者でにぎわった。
 
福島民友新聞 11月3日(月)
 
 
このニュースでほっこりさせていただきました。
 
同じ二本松にある道の駅「安達」智恵子の里さんでは、安達太良山の「乳首山」という別称から商品化された「おっ!PAIぷりーん」を販売していますが、どちらも二本松名物となってほしいものです。
 
愚妻曰く「レトルトはないの?」。 なるほど、千葉県我孫子市の「白樺派のカレー」のように、ぜひ開発してほしいものですね。
 
十和田からもほっこりするニュースが入っていますが、のちほどご紹介します。
 
ところで二本松といえば菊人形が開催中。今日の地上波フジテレビさんで、菊人形が取り上げられます。といっても、5分間番組ですが(笑)。 

ふくしまてくてく

地上波フジテレビ 2014年11月8日(土)  11時40分~11時45分
 
元気いっぱい魅力あふれる福島の地元の人々だけが知る楽しみ方を伝授します。毎週、地元の名産や街を紹介し、それにまつわる方への取材を交えて放送。ガイドブックには載らない“通"の福島歩き。あなたも、明日、出かけてみませんか?
 
魅力あふれる福島をぶらり散歩。二本松市のランドマーク「霞ヶ城公園」を散策。城内のマニアックな楽しみ方のほか、名物の菊人形も紹介します!
 
出演 宮澤智(フジテレビアナウンサー)
 
放送終了後、次回の放送までの間に、インターネットに動画としてアップロードされるようです。ぜひご覧下さい。光太郎智恵子の人形、会場の霞ヶ城にある光太郎詩碑や智恵子の藤棚なども紹介していただきたいものです。
 
当方、今日は同じ福島の川内村で行われる、草野心平忌日の集い、「第4回天山・心平の会「かえる忌」」に参加して参ります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月8日
 
大正3年(1914)の今日、日光に2泊3日の写生旅行に出かけました。
 
平成12年(2000)、この時描かれた油絵が発見され、大きく報道されました。
 
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ちょうど100年前です。

新宿中村屋サロン美術館の開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」をレポートしようと思いましたが、明日にします。開催間近のイベントの情報を先に書きます。 

第4回天山・心平の会「かえる忌」

主 催 : 天山・心平の会
日 時 : 2014年11月8日(土) 午後3時より6時まで
場 所 : 福島県双葉郡川内村上川内町分211 小松屋旅館 「蕎麦酒房天山」
会 費 : 2,500円 (食事付)
連絡先 : 天山・心平の会代表 井出茂 0240-38-2033
 
2,008年7月12日から8月31日まで川内村阿武隈民芸館で開催された「高村規写真展-草野心平没後20年記念」をご記憶の方も多いと思います。その写真家で高村光太郎記念会理事長の高村規(ただし)さんが、今年8月13日に心不全のため81歳で死去されました。
第4回「かえる忌」では、高村規さんを偲んで、光太郎・智恵子と宮沢賢治・草野心平を語る会にしたいと思います。講話は、連翹忌運営委員会代表小山弘明氏、前かわうち草野心平記念館長晒名昇氏、歴程の詩人伊武トーマ氏を予定しています。
万障繰り合わせてお集まり下さいますよう、ご案内申し上げます。
 
なお、11月9日(日)、いわき市上小川・常慶寺の草野心平墓参、心平生家で開催される第21回「心平を語る会」(無限夢想の会主催)に参加出来れば幸いです。
 
東京方面から参加の方へ 小松屋旅館1泊の方は各自予約願います。電話番号は連絡先と同じ。
JR東京駅発10:00東北新幹線やまびこ133号 郡山駅着11:19 郡山駅西口出口発川内村行バス11:35 川内村阿武隈民芸館入口着13:00
 
11月9日(日)川内村発自家用車相乗り9:00 常慶寺墓参11:10 心平生家の第21回「心平を語る会」参加11:30~13:30 JR常磐線いわき駅始発14:16特急スーパーひたち号 上野駅着16:36


 
光太郎と親交の深かった詩人、草野心平を偲ぶ「かえる忌」です。場所はモリアオガエルが縁で、心平が愛した川内村。当方、一昨年昨年と参加させていただきました。昨年は講演もおおせつかり、「高村光太郎と草野心平の交流」という題でお話しさせていただきました。
 
昨年の様子は、その後BS朝日さんで放映された「にほん風景物語 福島 川内村・いわき小川郷 ~詩人・草野心平が詠んだ日本の原風景~」で、その模様が紹介されました。
 
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今年は、講演というほどではありませんが、講話ということで、20分ぐらい話せ、と指示が出ました。しゃべってきます。
 
川内村は福島第一原発に近く、まだまだ復興途上の区域です。訪れるだけでも復興支援です。興味のある方、足をお運び下さい。
 
ところでテレビというと、昨日は珍しく、2つの番組で光太郎が少しずつ紹介されました。
 
 
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ゲストの渡辺えりさんが、生前の光太郎と交流があったお父様・正治氏のエピソードを披露されました。
 
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戦時中、武蔵野の中島飛行機の工場に動員されていた正治氏が、空襲による死の恐怖を、光太郎の詩をそらんじることで克服したというお話。残念ながら時間の都合でしょうか、実際に駒込林町のアトリエに会いに行ったお話、山形での講演会でのお話などはありませんでした。
 
 
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今年1月の同じ番組でも扱って下さいましたが、やはり光太郎の「あどけない話」を使って下さいました。
 
ありがたいことです。
 
安達太良山といえば、今日発行の『読売新聞』さんの日曜版に、安達太良山、智恵子の生家がドーンと紹介されています。購読されていない方も、コンビニ等で購入出来ますのでぜひお買い求め下さい。
 
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月2日
 
大正元年(1912)の今日、日本橋三州屋で催された画家、石井柏亭帰国歓迎会に出席しました。

テレビ放映情報です。 
BS-TBS 2014年11月1日(土) 21:00~21:54
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古くは「万葉集」に歌われ、高村光太郎の詩で「智恵子のほんとうの空」として広く日本人の心に響いた山、郷愁を誘う山となったのが安達太良山です。
 
単独峰ではなく、1700メートル級のピークのつらなりで、安達太良連峰とも呼ばれます。活発な火山活動によって生み出された頂きはそれぞれユニークです。中でも安達太良本峰と呼ばれる主峰は、山頂にドーム状の岩峰を突き出したシルエットから「乳首山(ちちくびやま)」とも呼ばれています。
 
今回安達太良山を登るのは、女優の春馬ゆかりさん。昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山です。山会は吹雪の中、白銀の頂を目指しましたが、今回は、錦絵のような見事な紅葉の安達太良山と出会います。
  
【ロケ日:10月6~9日】
 
出演される春馬さん、「昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山」とあるとおり、同じ番組の今年1月のオンエア、#32 「雪煙舞う厳冬の安達太良山」で、やはりご出演なさいました。
 
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番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、春馬さんのレポートがありました。
 
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今回も上記内容説明に光太郎智恵子の名がありますので、少しでも紹介があるといいなと思います。ただ、基本、登山系の番組ですので、それほど深く突っ込まれないとは思いますが。前回は白銀の世界でしたが、今回は紅葉がメインのようです。
 
ちなみに(その1)、テレビといえば、NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア」で、来月26日に「ふたりの時よ 永遠に  愛の詩集「智恵子抄」」というサブタイトルで、光太郎智恵子がメインの回がある予定でした。しかし、さきごろ、台風の緊急報道があった影響で放送がずれ込み、さらに12月は真珠湾攻撃や忠臣蔵など、旬の内容を扱うそうでずらせず、延期になりました。「愛の詩集」ならバレンタインデー、とのことで、来年2月11日(再放送は18日)のオンエアだそうです。当方、ロケハンでディレクター氏を犬吠埼や九十九里にご案内したり、放映用に資料を提供したり致しましたので、ご連絡を頂きました。
 
過日、当方が刊行した『光太郎資料』第42集。全国の関係団体や個人の皆様にお送りしましたが、その添え状に「歴史秘話ヒストリア」の放映が11月26日、と書きました。しかし、そういうわけで延期です。添え状の内容、ガセネタではありませんのでよろしくお願い申し上げます。
 
話を安達太良山の紅葉に戻します。
 
過日、福島の相馬方面に行った際、道の駅で入手した無料の『福島県観光ガイドブック\秋・冬のふくしまを巡る!/』によれば、安達太良山の紅葉の見頃は今月中旬までとのこと。しかし、平地の二本松霞ヶ城あたりでは来月下旬までだそうです。菊人形もまだ開催中。
 
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ちなみに(その2)、二本松といえば、智恵子生家・記念館があります。
 
過日行われたレモン忌の際、智恵子の描いた明治44年(1911)、雑誌『少女世界』の口絵としてカラー印刷された「お人形」という作品があり、そのページだけ切り取った状態のものを入手したので、智恵子記念館で展示して下さいということで、寄贈して参りました。
 
同館学芸員の方から展示しました、ということでメールを戴きました。証拠として(笑)画像も添付されていました。
 
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順路のほぼ最後、矢張り智恵子の描いた油絵「ヒヤシンス」(こちらは肉筆です)の隣に展示していただきました。菊人形期間中は紙絵の実物の展示もありますので、ぜひ足をお運び下さい。
 
ちなみに(その3)、二本松といえば、智恵子の顕彰活動をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん。昨日、研修旅行で、成田からパリに向けてご出発なさいました。発会10周年ということで、豪勢に1週間近く、パリでの光太郎の足跡をたどるツアーだそうです。
 
成田空港は、当方自宅兼事務所からものの30分足らずの距離でして、お見送りに行って参りました。
 
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「智恵子抄」をはじめとする光太郎詩にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんもご参加。
 
1週間近くのご滞在で、途中、日本の味が恋しくなるだろうと思い、当方自宅兼事務所のある香取市名産のおせんべいを差し入れました。来週末には帰国早々のモモさんとまた一緒に仕事が入っていまして、その際には土産話と素敵なパリ土産が戴けるものと期待しております。エビでタイを釣る、とはこのことですね(笑)。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月28日
 
平成7年(1995)の今日、品川区立品川歴史館で、特別展「高村智恵子 紙絵とその生涯」が開幕しました。
 
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品川は智恵子終焉の地、ゼームス坂病院があったところです。同じ平成7年には病院跡地に智恵子の臨終を謳った光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が建立されています。

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