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自分の好きなデザイン等で切手が制作できる「オリジナルフレーム切手サービス」。自治体さんなどが「市制施行○○周年記念」「××指定記念」とかで発行するものが目立ちますが、企業さんなどでも「△△何周年記念」や流行りの何かにあやかったものを続々発行しています。最近の企業ものですと、例えば前者は「仮面ライダーシリーズ生誕55周年」「ウルトラマン60周年記念」、後者で「フェルメール プレミアムフレーム切手セット“光の魔術師”」「坂本花織 引退メモリアルフレーム切手セット“氷上の軌跡”」「りくりゅうメモリアルフレーム切手セット Two Hearts One Dream」など。ちなみに「坂口安吾生誕120年」などというのも発行されています。
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そんな中で、今週、光太郎がらみが発行されます。

オリジナル フレーム切手「宮沢賢治生誕130年&高村光太郎没後70年」の 販売開始および贈呈式の開催

 日本郵便株式会社東北支社(宮城県仙台市青葉区、支社長 斎藤 貴)は、下記のオリジナル フレーム切手の販売を開始します。
 このオリジナル フレーム切手は、今年生誕130年を迎える宮沢賢治と宮沢賢治にゆかりのある高村光太郎の魅力を伝えるため発行するもので、下記の郵便局において限定販売します。
 記載されている情報は発表日現在のものです。最新の情報とは異なる場合がありますので、ご了承ください。

商品名 宮沢賢治生誕130年&高村光太郎没後70年
販売/受付開始日 2026年10月16日(金)
販売/受付開始日(Web) 2026年10月25日(日)午前 0時15分
申込受付数 1,800シート
販売郵便局
 岩手県の花巻市、北上市、奥州市、和賀郡西和賀町および胆沢郡金ケ崎町内の郵便局 (70局)
 岩手郵便局での販売はございません。
 上記地域内の簡易郵便局でも販売する場合がございます。
商品内容 1シート(110円切手×10枚)
商品属性 店頭販売商品
販売単位 シート単位で販売します。
販売価格(税込) 1シート 1,850円
郵便局のネットショップ」でお取扱いする場合は、販売価格のほかに郵送料等が加算されます。
商品コード/カタログコード 2610000101775

贈呈式
 実施日時 2026年10月22日(木)午後 3時00分~
 場所 花巻市役所 市長応接室
 受贈者:花巻市 市長 小原勝(おばら まさる)様
 贈呈者:花巻末広町郵便局 局長 阿部正利(あべ まさとし)
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光太郎第二の故郷・岩手花巻で、光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんの藤原代表が元は郵便局にお勤めだったそうで、申し込み等に通暁されていることから実現しました。令和5年(2023)に発行された「オリジナル フレーム切手 高村光太郎と花巻」もそうでした。

今回、制作に協力させていただきました。左下の「光太郎 賢治の「初版本」」とタイトルのついたものに詩集『智恵子抄』が印刷されていますが、当方手持ちのものです。昨夜(というか今日未明)再放送が為されたNHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」など、何度もテレビ「出演」もしているもので、持ち主より活躍しています(笑)。
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その他、全体レイアウト。原案では「宮沢賢治が世界的に広まった背景に高村光太郎の思いと尽力があった」という文言が入って居らず、「それだと二人の関係性が明確ではありませんね」的な指摘をさせていただき、入れてもらいました。

ちなみにタイトルの「天才は天才を知る」は、拙著『光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで』で使った文言ですが、やつかの森さん、えらく気に入られたようで、同書の帯にも使い、今回も。

今週末には岩手県内の上記郵便局さんで販売開始、10月25日(日)からはネットでも。10月22日(木)には市役所で「贈呈式」があるそうで、ことによるとその模様が報道されるかもしれません。その際にはまたご紹介させていただきます。

というわけでぜひお買い求め下さい。また、全国の美術館さん、文学館さんなど、オリジナル切手の発行の部分で検討なさるのもよろしいのではないかと思われます。ご参考までに。

【高村光太郎書誌】

詩華集 87 『山岳講座』

昭和29年(1954)5月30日 白水社 川崎隆章/近藤等編
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収録作家
 藤木九三 継宮明仁 秩父宮雍仁 尾上柴舟 高村光太郎 富田砕花 中村清太郎
 渡辺万次郎 辻村太郎 田中薫 井上宇胤 川崎一郎 大賀寿二 今村正二 田村剛
 川崎隆章 町田立穂 中沢義直 芳野満彦 冠松次郎 熊沢友三郎 平賀文男 望月達夫
 諏訪多栄蔵

散文が中心のものですが、光太郎作品は詩「山」と「あどけない話 」とが収録されています。



 

少し前にもちらっとご紹介しましたが、詳細情報を。

第78回企画展 高村光太郎没後70年「高村光太郎と岩手の人~手紙にみる交流~」

期 日 : 2026年10月14日(水)~2027年2月8日(日)
会 場 : 盛岡てがみ館 盛岡市中ノ橋通一丁目1番10号 プラザおでって6階
時 間 : 9:00~18:00
休 館 : 第二火曜日(祝祭日の場合はその翌日) 年末年始(12月28日(月)~1月3日(日))
料 金 : 一般 300(240)円 高校生 200(160)円 小中学生 100(80)円 ( )内20名以上団体

 高村光太郎(1883~1956)は、昭和20年(1945)、宮沢賢治の実家を頼って現岩手県花巻市に疎開し、上京するまでの7年間をこの地で過ごしました。
 厳しい自然に身を置き「自己流謫」の日々を過ごした一方、光太郎を慕う多くの人と交流を深めました。光太郎の手紙をとおして、岩手の人々との交流を紹介します。
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関連行事
 ギャラリートーク「高村光太郎と岩手の人~手紙にみる交流~」
 ①10月30日(金) ②1月23日(土)
 時間:10:30~11:15
 場所:盛岡てがみ館 展示室
 講師:①主任学芸員 中野千恵子 ②館長 紀修
 料金:入館料が必要です
 定員:各日10名

盛岡てがみ館さん。「先人の書簡(てがみ)を中心に原稿・日記等を収蔵・調査研究・展示する、全国でもユニークな施設」と謳ってらっしゃいます。平成26年(2014)には「第43回企画展 高村光太郎と岩手の人」を開催して下さいましたし、その他、光太郎の名を冠したものでなくとも、光太郎の書簡や原稿を展示する企画展をそれなりの頻度で行って下さっています。
・第48回企画展 宮沢賢治を愛した人々
・第51回企画展 文豪たちの原稿展
・第67回企画展 いわての芸術家の手紙

また、常設展示でも詩「岩手山の肩」(昭和22年=1947)原稿が展示されています。

今回はフライヤーによれば、光太郎もたびたび寄稿した地方紙『新岩手日報』編集部の松本政治、光太郎と学校ぐるみの交流があった岩手県立美術工芸学校の初代校長・森口多里らに宛てた、館蔵品が中心と思われます。ほとんどがペン字ですが、光太郎の筆跡は書簡であっても「書」として味わい深いものです。

館蔵品だけでも光太郎書簡類は数十点お持ちのはずで、『高村光太郎全集』にもれていたものも多数。それらは当方編集の全集補遺的な「光太郎遺珠」でご紹介していますが。また、新収品があるかもしれません。

それから、フライヤー表面には古写真の数々。これらもパネル展示等が為されるのでしょうか。

過日お伝えしました通り、すぐ近くの歩いていける深沢紅子野の花美術館さんでは、開館30周年記念展「深沢紅子と出会いの偉大なる人々 ~高村光太郎~」が開催中です。併せてどうぞ。

【高村光太郎書誌】

詩華集 86 『日本詩人全集 第五巻 大正編(3)』創元文庫A-101

昭和28年(1953)11月30日 創元社 草野心平/金子光晴/藤原定編
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収録作家
 有島武郎 武者小路実篤 千家元麿 佐藤惣之助 深尾賛之亟 高村光太郎 尾崎喜八
 高橋元吉 百田宗治 賀川豊彦 中西悟堂 小畠貞一 中川一政 村山槐多 陶山篤太郎
 林信一 宮沢賢治 宮崎孝政 杉江重英 渡辺渡 国木田虎雄 上田静栄 大鹿卓
 森三千代 
   

光太郎詩は「あらそひ」「われ千たび君を抱かむ」「寂寥」「さびしきみち」「冬の朝のめざめ」「道程」「秋の祈」「雨にうたるるカテドラル」「傷をなめる獅子」「無口な船長」「触知」「もう一つの自転するもの」「地理の書」「山林」「おれの詩」「典型」。特に多いわけでなく、他の人々の作品も同程度採られています。

紹介すべき事項が山積しておりまして、今日明日明後日と、一気に色々片づけます。

今日は光太郎第二の故郷・岩手花巻と、生涯最後の大作「乙女の像」のたつ青森県十和田市がらみで。それだけでも長くなりますが、お付き合い下さい(笑)。

まずは花巻、毎月ご紹介しています道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されるテイクアウト弁当「光太郎ランチ」。メニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんから画像を頂いています。
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10月光太郎ランチ
10月日記
季節感あふれるメニューは「南瓜コロッケ」「鮭の塩焼き」「豚肉ときのこのソテー」「卵焼き」「栗ご飯」「おはぎ」」「漬物」「秋のくだもの」、基本的に光太郎が自炊した料理や使った食材が参考にされています。

「栗ご飯」が主食ですが、そろそろ光太郎が暮らした郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)の周りも栗がたわわに実り始めているでしょうか。今日明日の台風の影響が心配ですが。

同じく花巻で、市の広報誌『広報はなまき』9月15日(火)号から3件。

まず、「花巻市活力あるまちづくり表彰」。まちづくりに貢献した個人、団体のべ21組が表彰されました。
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「教育文化部門」で「高村光太郎山口会」さんが表彰を受けています。元は「高村記念会太田支部」とい名称で、毎年5月15日(光太郎が花巻疎開のため東京を発った日)に、高村山荘敷地内で行われていた「高村祭」の運営などに尽力されていました。かつての中心メンバーで、生前の光太郎をご存じだった故・浅沼隆氏、故・高橋征一氏も泉下で喜ばれていることでしょう。

また、「地域振興部門」では、「太田地区振興会」さんの元会長・平賀仁氏。同会は、光太郎忌日の4月2日の連翹忌に合わせ、高村山荘敷地内の「雪白く積めり」詩碑での「詩碑前祭」を毎年行って下さっていますし、やつかの森さんと共に「高村光太郎生誕140周年記念事業 対談講演会 なぜ光太郎は花巻に来たのか」、「五感で楽しむ光太郎ライフ」などを主催して下さったりもしました。

同じく『広報はなまき』9月15日(火)号最終ページ。
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006『広報はなまき』では毎月15日号に「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載が為されており、市の施設などが所蔵している逸品の数々が紹介されています。光太郎に関しても時折取り上げられ、今号も。

「レモン哀歌」(昭和14年=1939)の詩稿、髙村家から寄贈ということで、一瞬「えっ、本物か」と思ったのですが、複製でした。

もう1件、『広報はなまき』で、その名は書かれていませんが光太郎がらみ。

花巻市と十和田市が「友好都市」協定を結んでいるとのことで、毎年のように行われていますが、市民対象のバスツアーです。「乙女の像」も行程に入っています。

盛岡藩士で花巻出身だった新渡戸傳(つとう)が、江戸後期の文政年間に現在の十和田市中心部・三本木地区の灌漑工事を始め、明治期には息子の十次郎、孫の七郎(新渡戸稲造の兄)がそれを引き継いだという縁です。

そういえば、上記の太田地区振興会さんで同じように十和田湖へのバスツアーをされたこともありました。当方も十和田に行っており、湖畔の観光交流センター「ぷらっと」さんを会場に、皆さんに光太郎と十和田について一席ぶたせていただきました。

逆に十和田から花巻へのバスツアーもあり、高村山荘/高村光太郎記念館さんなどが行程に入る場合もあります。双方向で永続的に続けていただきたいものです。

その十和田湖関連で、地方紙『デーリー東北』さん、一般の方の投稿のようです。

 【こだま】十和田湖遊覧船の思い出

 「十和田湖に放置の遊覧船撤去」との全国紙の記事が目に留まり、興味深く読んだ。十和田湖の桟橋に不法係留されたまま10年以上放置されている遊覧船4隻について、行政代執行法に基づいた強制撤去が始まったことを知った。
 「なぜ今まで放置されていたのだろう」と思いながら、帰省して十和田湖を散策した時のことを思い出した。横倒しになっている遊覧船や、崩壊寸前のホテルを見るたびに十和田湖の景観を損なっていると感じた。子どもの頃のにぎわいを知っているだけに、残念に思っていた。
 奥入瀬渓流と十和田湖の風光明媚(めいび)な美しさは、四季を通じて楽しめる。春は目にまぶしい新緑、夏でも木々の中は涼しく、秋は紅葉と渓流、冬は雪をかぶった乙女の像が美しい。
 遊覧船で思い出したことがある。2年前、京都と群馬の友達を十和田湖に案内した。奥入瀬渓流の散策を楽しんだ後、湖畔の乙女の像の前で写真を撮り、十和田神社に参拝。ヒメマス定食を味わい、遊覧船に乗ろうとしたところ、強風で「本日の運航は中止になりました」の立て看板が。友達に遊覧船からの景色を見てもらいたかった私は、とても悲しかった。スタッフの方は「せっかく遠くから来たのに」と申し訳なさそうに、十和田湖や奥入瀬渓流の絵はがきをたくさんくれた。「リベンジでまた絶対来るね」と十和田湖を後にした。 (埼玉県草加市 72)

「十和田湖に放置の遊覧船撤去」との全国紙の記事は、『朝日新聞』さんで先月末に。

十和田湖に長年放置の遊覧船、ついに撤去へ 行政代執行、費用7億円

 十和田湖(青森県十和田市)に10年超放置されている遊覧船が4隻ある。船体はさびや塗装のはがれが目立ち、うち1隻は横転している。所有者側が再三にわたる「行政指導」や「撤去命令」などに応じず、青森県は行政代執行による撤去を26日に始めた。2027年度末までに終える予定で、費用は7億円強かかる見込みという。
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 26日午後1時半ごろ、遊覧船が放置されている十和田湖の宇樽部(うたるべ)地区で、県上北県土整備事務所の沢里秀典所長が代執行の開始を宣言した。
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 県職員らは「事故に十分注意して」「所有者が来たら県庁に連絡を」といった指示を受けた後、桟橋への立ち入りを禁じるフェンスを撤去するなどの作業にあたった。今後は仮設の桟橋をつくり、周辺の水を抜いた上で船を解体する。
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 県港湾空港課によると、4隻は十和田湖遊覧船企業組合(16年解散、清算中)の所有。放置は、県が管理する桟橋の使用料滞納をきっかけに14年11月に始まり、15年11月から今と同じ4隻が放置されている。25年にはうち1隻が雪や風の影響で横転した。
 県はこれまで組合側に対し、計26回の「行政指導」のほか、「撤去勧告」「撤去命令」「戒告」を行ってきた。だが組合側から「撤去に向けた具体的な回答は得られなかった」といい、行政代執行による撤去に踏み切った。
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廃船の放置については昨年のこのブログでもご紹介しました。やっと強制代執行か、という感じですが、撤去費用が7億円……。逃げ得にならないようにしていただきたいものですね。何とかトークンだの、中傷動画だの、経歴詐称だの、とにかく「逃げた者勝ち」という嘆かわしい世の中ではありますが……。

明日は智恵子の故郷・福島系の報道等、やはりごっそりご紹介します。

【高村光太郎書誌】

詩華集 63 『青少年詩集 内原の朝 他十二篇』

昭和18年(1943)11月30日 翼賛図書刊行会 大政翼賛会文化厚生部編

収録作家
 高村光太郎 尾崎喜八 平田内蔵吉 百田宗治 室生犀星 近藤東 三ツ村繁蔵 岩本修蔵
 丸山薫 西村皎三 千家元麿 大木惇夫 北原白秋

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光太郎作品は散文で「謹解」、詩の「牛」。

扉の文句が実に痛々しいものです。

この本を、お読みになつたら隣組や、お友だちに回覧して下さい。これからは雑誌でも、本でも、一冊を十人も百人もの人で読めるやうに、お互ひに工夫してゆきませう。

敵国アメリカでは、前年にディズニー社がオールカラーのアニメーション映画「バンビ」を制作、公開していました。かたや粗悪な作りの冊子を回し読みしろ……どう考えても勝てる戦争であるわけがありません。

今月初めから始まっている展覧会ですが、館のPCだかサーバーだかプロバイダだかの不具合とのことで、公式サイトに詳細情報が出て居らず紹介できないでいましたところ、盛岡在住の光太郎親族・加藤千晴氏がフライヤーのコピーを送って下さり、とりあえず基本的な情報は掴めましたのでご紹介します。

開館30周年記念展「深沢紅子と出会いの偉大なる人々 ~高村光太郎~」

期 日 : 2026年9月3日(木)~2027年1月11日(月・祝)
会 場 : 深沢紅子野の花美術館 盛岡市紺屋町4-8
時 間 : 10:00~17:00(最終日は15:00まで)
休 館 : 月曜日(祝祭日の場合はその翌日) 年末年始(12月28日(月)~1月4日(月))
料 金 : 大人500円(団体20名様以上の場合は400円) 大高生300円 中小生200円

 画家・深沢紅子は、明治36年(1903)盛岡に生まれ育ちました。幼い頃から道端や川原に咲く身近な野の花を愛し、花との対話を楽しみながら、生涯、野の花を主題とした独自の画境で、女流画家の草分けとなって活躍しました。
 また、戦後ふるさとに疎開した折には、荒廃した地で気力を失った人々のくらしを憂い、夫であり画家の深沢省三とともに文化による復興を誓い美術指導に奔走、岩手の美術教育の礎となり尽力しました。小・中学校の子どもたちを対象とした日曜図画教室にはじまり、日中に働いている若者たちを集めて岩手美術研究所、やがて学校の形となる岩手県立美術工芸学校、盛岡短期大学美術工芸科、更に発展を遂げた岩手大学特設美術科など、当時同じように疎開した県出身の美術家達との力を合わせた取り組みは、全国に先駆け大きな機運をもたらしました。そんな深沢夫妻が熱心に美術教育に取り組む中、心の支えとなり大きな示唆と勇気を与えてくれた人に、高村光太郎氏がいました。縁あって岩手で疎開し独居生活を送られていた光太郎氏に、美術学校の生徒を連れ訪問したり、美術工芸学校のスタート時には祝辞を賜るなど、沢山の温かい交流がありました。
 この度の展覧会では、深沢夫妻が師と仰いだ高村光太郎氏についてもふれながら、岩手における文芸復興の大きな力となり、美の研鑽に励んだ深沢省三・紅子の功績を、あらためて讃える機会といたします。

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関連行事
 中津川のせせらぎセッション 秋風に音楽をのせて
   VARIETY SHORT LIVES by the Nakatsu River
 日 時 : 2026年10月24日(土) 14:00開演
 出 演 : フルート 村野井友奈 ピアノ 長谷川恭一
 料 金 : 入館料+500円 要申し込み


案内文にあるとおり、岩手県立美術工芸学校の創設に尽力し、その初期の活動を担った深沢夫妻と、同校名誉教授就任を打診されながら辞退したものの、何度も足を運んだり、会食に招かれたりして学校ぐるみの付き合いのあった光太郎との交流に関する展示です。

案内文の「同じように疎開した県出身の美術家達」は、初代校長にして美術評論家・森口多里、教授陣で彫刻家の舟越保武、画家の佐々木一郎、同じく池田龍甫など。

フライヤー裏面の画像のうち、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節を引いた書は、光太郎の揮毫。深沢夫妻の子息にして、雫石町に開拓入植した深沢龍一氏(戦時中の光太郎詩「四人の学生」のモデルにもなりました)に贈られたものです。龍一氏の息女・加藤真夢様が受け継がれて、令和3年(2021)、富山県水墨美術館さんで開催され、当方もいろいろとお手伝いした「チューリップテレビ開局30周年記念「画壇の三筆」熊谷守一・高村光太郎・中川一政の世界展」の際にもお借りして展示しました。フライヤー裏面一番下の画像は雫石の龍一氏邸。背景にこの書が写っています。

ちなみに野の花美術館さんのすぐ近くで歩いて移動できる盛岡てがみ館さんでも、来月中旬には「第78回企画展 高村光太郎没後70年「高村光太郎と岩手の人~手紙にみる交流~」」が始まります。おそらく館蔵品が中心と思われますが、学芸員氏や館長氏によるギャラリートークなども予定されています。また近くなりましたら詳細をご紹介いたします。当方、こちらが始まりましたら2館併せてお伺いするつもりで居ります。

皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

詩華集 61 『日本詩集 第二輯』

昭和18年(1943)9月5日 淡海堂出版 野長瀬正夫編
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収録作家
 大木惇夫 岡本潤 勝承夫 高村光太郎 南江治郎 中野繁雄 武者小路実篤 野長瀬正夫
 山本和夫 高祖保 江口隼人 安藤一郎 佐伯郁郎 阪本越郎 佐川英子 北村秀雄
 三ツ村繁蔵 日野岩太郎 杉原邦太郎 千家元麿

前年に同じ野長瀬の編で洛陽書院から出た『日本詩集』の続編という位置づけです。

光太郎作品は散文の「詩人も一兵である」、詩で「供木のことば」「紀元節を迎ふ」「撃ちてし止まむ」 「神の如く行へ」「みなもとに帰するもの」「覆滅彼にあり」「神これを欲したまふ」。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じての光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、メニュー考案から食材調達、調理まで手がけ、市内のワンデイシェフの大食堂さん(レンタルキッチン的なレストラン)で、概ね月に一度ランチを饗する「こうたろうカフェ」。8月はお休みでしたが今月2日(水)に行われました。

今月のメニューは以下の通り。
・鶏むね肉の紫蘇チーズ揚げ  ・やつか風あんかけカニ玉
・イタリアンサラダ      ・ゴーヤの佃煮
・そうめん南瓜の酢の物    ・漬物
・ご飯            ・夕顔ときのこのスープ
・あずき入りコーヒーゼリー  ・コーヒー

基本、光太郎が自炊で作ったメニューや使った食材が参考にされています。
9月メニュー
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イタリアンサラダ 鶏むね肉の紫蘇チーズ揚げ
そうめん南瓜の酢の物
三点盛り
夕顔ときのこスープ
小豆入りコーヒーゼリー
固定ファンがいらっしゃるようで、44食の提供とのこと。すばらしい。

来週15日(火)には、同じやつかの森さんがメニューを考案し、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されるテイクアウト弁当「光太郎ランチ」の販売もあります。

どちらも末永く続いてほしいものです。

【高村光太郎書誌】

詩華集 49 『朗読詩集 常盤樹 他十二篇』詩歌翼賛 第二輯

昭和17年(1942)3月30日 翼賛図書刊行会 大政翼賛会文化部編
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収録作家
 高村光太郎 島崎藤村 伊波南哲 河井酔茗 北原白秋 蔵原伸二郎 野口米次郎
 長島三芳 山本和夫 萩原朔太郎 風木雲太郎 宮澤賢治 田中清司

 
光太郎作品は、序文的に散文の「詩精神」と、詩「秋風辞」が収められています。光太郎や草野心平らによって世に出た宮沢賢治の「雨ニモマケズ」も掲載されました。

一般社団法人花巻観光協会さん発行の冊子『花巻旅図鑑』。A4変形判、全32ページのパンフレットで、彼の地の観光案内所他で無料配付されているものです。手元には令和3年版があるのですが、先月、新しい版が出され、先週、花巻観光協会さんのサイトにPDFがアップされました。
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花巻は光太郎第二の故郷ということで、表紙にも「高村光太郎」の文字が踊っています。「宮沢賢治」の10分の1ほどの大きさですが(笑)。

中身でも、やはり賢治関連が多くの分量を占めていますが、光太郎がらみもいろいろ。
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桜町の賢治「雨ニモマケズ」詩碑(昭和11年=1936)。光太郎の揮毫によるもので、全国の賢治詩碑第1号です。それから旧太田村の高村山荘・高村光太郎記念館さん。
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それらを廻るジャンボタクシー「どんぐりとやまねこ号」。
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光太郎も愛した花巻南温泉郷・大沢温泉さん。
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手元の令和3年版と較べ、大きく変わっているわけではありません(まったく同一のページもあります)が、やはりその後に出来たスポット(菊池雄星/大谷翔平モニュメントなど)や、名称が変更された場所(「県立花巻広域公園」→「WADOパークはなまき」)等について改訂されています。

充分売り物になるクオリティですが、フリーペーパー。良心的ですね。これから花巻に行かれる方、PDFをご参考に。さらに旅の思い出として現地からお持ち帰り下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 36 『新日本詩鑑 第一輯』詩報作品版

昭和13年(1938)12月5日 詩報発行所 村上成実編
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収録作家
 安部宙之介 安藤一郎 青柳かずを 赤松草心 赤松芳影 浅井十三郎 麻生虔一郎
 東輝己 我孫子毅 新穂健 有馬豊 淡路正彦 伊藤秀 依田義賢 井田茂 井田安楽
 井上逸夫 井上正治 生田花世 池田日呂志 池田時雄 池田克巳 泉与史朗 泉潤三
 泉修一 板倉伊八 板橋謙吉 一柳貢 入江好之 入谷伊利一 岩崎健二郎 岩島安治
 石山市朗 石川良雄 上田冷人 臼井喜之助 海野秋芳 梅沢声香 浦瀬白雨 江口与志雄
 江崎静波 江尻北窓 榎本浩之輔 小野忠孝 小川富五郎 小川陽 小倉亥助 小栗孝則
 小沢逸次郎 小田邦男 小野寺輝夫 及川均 追分作助 大鐘と美子 大三輪秀雄
 太田芳春 丘きよし 丘山静樹 荻原穂風 長田恒雄 加藤愛夫 加藤健 賀見山泣黶
 梶浦正之 梶一 勝承夫 桂和夫 兼松信夫 蒲生直英 上林猷夫 川路柳虹 川野辺精
 川島与八郎 川口魚彦 木村信吉 木村嘉長 菊地智恵子 北園克衛 北野白水 北野幹夫
 北光一清 金命沫 久須耕造 久保木友郎 久保村薫二 国井重三 国広勝太郎 黒田義文
 小島秀一 小竹克巳 小林五郎 小林知 小林正純 小堀秀孝 古志斐子 小峰俊彦
 後藤敏夫 高祖保 近藤東 佐藤清 佐伯郁郎 佐川英三 佐々木克美 佐藤信重
 佐藤健三 佐藤菁雅 佐藤総右 佐藤大二 佐藤経雄 佐藤宏 砂塔はるを 境典次
 笹木是克 淋代小牧 鮫島慶江 志築暁子 椎野耕一 塩野筍三 柴俊介 渋江周堂
 島崎曙海 島崎鉄 清水房之凾 清水達 下采文男 下條策太郎 白井忠男 白石軍司
 神苑宗武 新保五郎松 神保道代 末綱鱗 杉浦伊作 杉山真澄 銘樹昌 鈴木光毅
 鈴木伸治 鈴木国男 鈴木章弘 鈴木久夫 関根九雀 関口由記夫 染谷一男 空木圭子
 田久徳三 田中令三 田中規久雄 田中国男 田中三乃留 田中林弥 田村昌由
 高村光太郎 高島高 高木甚五郎 滝波善雅 滝川巌 竹中祐太朗 竹内一 竹井京
 武内祥一郎 立木冬雄 谷村生潮 玉置瑩子 月原橙一郎 土田正二 土橋義信
 土屋二三夫 辻孝三郎 堤信子 角田竹夫 寺尾道元 寺元亮子 富樫行人 土井泊
 土岐敏子 東田泉舟 直島常蔵 中條高次 中込友美 中野哲二 中室員重 長島夏逍
 西尾煕道 西岡政香 西方稲吉 西倉保太郞 西山五百枝 布瀬富夫 野口茂夫
 野尻維三男 野見山正男 葉樹えら子 萩原映二 長谷川霧子 長谷郎龍 花野二郎
 浜崎多加思 濱田晴美 濱谷信吉 原田正二 原田保 日垣又信 比良勢津子 平出宜夫
 平野勝 広川不二夫 深草春衛 福田正夫 福田君夫 福富武人 藤永義高 二ツ木聖
 冬島徹夫 冬山薫 古谷玲児 古舘吉郎 碧水派子 逸見圭二郎 朴荘卓郎 本庄吉雄
 前田鉄之助 牧博美 増田富美造 町田トシコ 松永帆平 松田幸夫 松村一美 松波幸彦
 丸山星秋 三木敏 三好豊一郎 水口稔 水島睦二 水本菁子 光山健一 南薫風 嶺皖彦
 宮崎丈二 宮崎吾 武藤和夫 村野四郎 村上瑞春 村上成実 室野春芳 百田宗治
 最上洋 森川伸樹 森下舜一郎 守谷松子 矢口潔 安田吾朗 安富和彦 柳星子
 柳楽睦郎 山本和夫 山本秀 山田岩三郎 山縣深雪 山内透 横川茂一 横山郁郎
 横山信治 吉田暁一郎 吉野多美子 吉村草三 好井幸子 和木田與録 和田健

『詩報』本体は、雑誌というか、無綴じの新聞のような形態でした。確認できている光太郎初出は創刊号(昭和12年=1937 8月22日)の「創刊に寄する諸家の言葉」、翌13年(1938)1月15日の第2巻第1号に載った「詩について」の2篇です。

その『詩報』に載った詩などを一冊に纏めたのが本書で、光太郎詩は「天日の下に黄をさらさう」。初出はこの年1月4日の『朝日新聞』でした。「黄」は黄色人種の肌の色、ということで、ぼちぼち光太郎詩もきな臭くなってきています。

『詩報』、無名詩人にも門戸を開いていたと見え、上記収録作家、当方、寡聞にして大半の名を存じませんでした。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売される豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分です。
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メニューの考案は、花巻で主に「食」を通じての光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん。基本的には光太郎の日記等から読み取れる、光太郎が自炊で作ったメニューや使った食材を参考にしています。今月分は「油淋鶏」「鰹の煮物」「なすとオクラの揚げびたし」「南瓜の甘煮」「枝豆」「赤飯」「いももち」「漬物」だそうで。

同じやつかの森さんがやはりメニュー考案、さらに食材調達、調理まで行い、ランチとして販売する「こうたろうカフェ」が、市内のワンデイシェフの大食堂さんで概ね月に一度の出店です。ワンデイシェフの大食堂さんのサイとの更新が滞っており、メニュー詳細が発表されていませんが、今月は出店なさらず次回は9月2日(水)だそうです。

このところ予約で満席だそうで、ぜひご予約の上、足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 29 『大正詩選』新潮文庫 第七十一編

昭和8年(1933)8月25日 新潮社 白鳥省吾/川路柳虹/福田正夫編
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収録作家
 北原白秋 木下杢太郎 三木露風 茅野蕭々 高村光太郎 川路柳虹 人見東明 加藤介春
 三富朽葉 福田夕咲 森川葵村 服部嘉香 今井白楊 山村暮鳥 福士幸次郎 竹友藻風
 白鳥省吾 柳沢健 富田砕花 日夏耿之介 百田宗治 水野盈太郎 福田正夫 佐藤惣之助
 生田春月 室生犀星 千家元麿 萩原朔太郎 堀口大学 加藤一夫 西條八十 野口雨情
 武者小路実篤 正富汪洋 佐藤春夫 野口米次郎 秋田雨雀 佐藤清 霜田史光 藤森秀夫
 多田不二 前田春声 井上康文 平戸廉吉 沢ゆき子 深尾須磨子 北村初雄 大藤治郎
 尾崎喜八 金子光晴


光太郎詩は「根付の国」「五月の土壌」「雨にうたるるカテドラル」。

新潮文庫の歴史は大正3年(1914)に始まりましたが、戦前、戦中のものは現在の文庫サイズではなく、何度か変遷があったもののすべて文庫サイズより一回り大きなものでした。

手持ちのものは昭和11年(1936)の11版です。

岩手県北上市ご在住の八重樫健一氏による『高村光太郎の花巻疎開を語る 宮森祐昭の80年史』が出版された件、地方紙『岩手日日』さんと『岩手日報』さんで既報ですが、さらに昨日、仙台に本社を置く『河北新報』さんで報じられました。

高村光太郎の「花巻疎開」を伝える 岩手・北上の八重樫さんが記念誌 関係者の証言や逸話が満載

 詩人・彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の岩手県旧大田村(現花巻市)疎開から80年になるのを機に、同県北上市の八重樫健一さん(76)が記念誌「高村光太郎の花巻疎開を語る 宮森祐昭の80年史」をまとめた。高村と親交があり、高村記念会(花巻市)の事務局長も務めた故宮森祐昭さんを中心に地元の人たちの言葉を収録し、疎開中の光太郎との交流を今によみがえらせた。
 花巻疎開は、生前に一度だけ会ったことがある宮沢賢治との縁がきっかけ。東京大空襲でアトリエを失った光太郎は1945(昭和20)年5月、既に賢治は他界していたが、弟の静六を頼って疎開した。8月の花巻空襲で宮沢家が焼けたため、地元の住民らの協力で、11月に鉱山小屋に手を加えた大田村の山荘に移り、自炊生活を始めた。
 記念誌はA4判120ページ。八重樫さんは宮森さんの義理のいとこで、光太郎の疎開中に大田村長だった故高橋雅郎さんと縁戚関係があり、地元に伝わる光太郎の資料を集めてきた。記念誌は疎開した7年間について、宮森さんや妻の則子さん、高橋さんらが残した証言や逸話を写真や年表などとともに収録している。
 宮森さんが事前に連絡せず高村の山荘を訪れると、「突然やってくるのは泥棒かフランス革命だ」と1時間半も説教を受けたが、光太郎に会いたい小学生がいると知って面会の時間を取り、満面の笑みを見せたといった逸話を紹介。
 足の大きさが36センチで花巻で靴が見つからなかったことや、1人暮らしが寂しくないかと問われ、既に妻智恵子を亡くしていたものの「私の肉体に智恵子がいつもいるんです」と答えた話なども載っている。
 記念誌発行について、八重樫さんは「当時を語れる人が少なくなり、後世に伝える語り部の代わりとなる物をまとめたかった」と振り返り「地域の人が尊敬していた光太郎先生との交流は宝物だと思う」と語る。
 記念誌は花巻市の図書館などに寄贈。8月14日まで、八重樫さんが収集した資料など約200点を展示する企画展が、北上市の北上地区合同庁舎県民ホールで開かれている。
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いただいた冊子に「足が大きいんですよ。13文半。センチに直すと……36センチ」とあり、記事もそのまま引用していますが、1文は約2.4センチですので2.4×13.5は32.4で、約32センチです。
003
上記は昭和5年(1930)の雑誌『美術新論』第5巻第11号に載ったアンケート「自画像」。イラストも光太郎自身によるものです。

十三文半甲高。馬の糞をふんづけたのでのつぽとなる。神経過敏のやうな遅鈍のやうな、年寄のやうな、若いやうな、在るやうな無いやうな顔。

ほぼ同時期、同じく『美術新論』の第5巻第6号に載った肖像写真。
美術新論5巻6号
さて、以前も書きましたが、『高村光太郎の花巻疎開を語る 宮森祐昭の80年史』。販売等は為されていないようですが、花卷市内の図書館等で閲覧可とのこと。ご興味おありの方はそちらの方でご覧下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 16 『日本詩集 1926版』

大正15年(1926)5月12日 新潮社 詩話会編
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収録作家等
 序 詩話会委員
 相川俊孝 赤松月船 生田春月 石川善助 泉浩郎 内野健児 岡田刀水士 岡村二一
 岡本潤 小畠貞一 大沢重夫 大鹿卓 梶浦正之 勝承夫 加藤介春 金子光晴 川路柳虹
 河井酔茗 国井淳一 後藤大治 佐々木秀光 佐藤一英 佐藤惣之助 サトウハチロー
 霜田史光 白鳥省吾 杉江重英 鈴木信治 陶山篤太郎 千家元麿 高木斐瑳雄 高橋新吉
 高村光太郎  多田不二 田中清一 田辺憲次郎 角田竹夫 中田信子 中西悟堂 中野秀人
 中村恭二郎 南江二郎 野口雨情 野口米次郎 能村潔 萩原恭二郎 萩原朔太郎
 服部嘉香 林信一 春山行夫 平木二六 広瀬操吉 深尾須磨子 福田正夫 福原清
 藤田健次 本沢浩二郎 正富汪洋 松村又一 松原至夫 前田鉄之助 三石勝五郎
 宮木喜久雄 宮崎丈二 室生犀星 百田宗治 八木重吉 山崎泰雄 米沢順子 井上康文
 尾崎喜八 
 大正十四年に於ける詩論の抜萃
 大正十四年詩壇の主なる事項

光太郎詩は「氷上戯技」が掲載されています。詩話会は詩人の大同団結を目指して大正6年(1917)に結成されましたが、この年で解散。詩話会としての『日本詩集』もこの号で終刊となりました。

過日、地方紙『岩手日日』さんに、岩手県北上市ご在住の八重樫健一氏による『高村光太郎の花巻疎開を語る 宮森祐昭の80年史』の件が取り上げられましたが、同じく『岩手日報』さんでも報じられました。

花巻疎開の光太郎伝える一冊 八重樫さん発行 住民との交流まとめ

002 北上市江釣子の八重樫健一さん(76)は、彫刻家・詩人高村光太郎(1883~956年)と疎開先の住民との交流をまとめた冊子を発行した。花巻市の高村記念会事務局長などを務めた故宮森祐昭(ゆうしょう)さんら関係者の話を中心に、住民から見た光太郎の人間像を伝えている。
 冊子「高村光太郎の花巻疎開を語る 宮森祐昭の80年史」は、花巻市に疎開した光太郎が、旧太田村で過ごした約7年間の出来事を時系列でまとめた。
 光太郎を題材としたドラマの台本など関係者のみに配付された貴重な資料も収録。宮森さんが光太郎を突然訪れ、叱られた話などくすっと笑えるような逸話も紹介している。
 2年ほど前から関心を持ち、3月には疎開80周年を記念した資料の展示会を開いた八重樫さんは「光太郎の功績や当時のエピソードを後世に残し、忘れずにいてほしい」と願う。
 A4判、120ページ。花巻市に10冊寄贈し、市内4ヶ所の図書館で読むことができる。8月14日まで、北上市芳町の北上地区合同庁舎で展示会を開催している。


冊子本体、花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんを通していただきました。
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記事にある宮森氏(八重樫氏の奥様の従兄だそうで)をはじめ、昭和20年(1945)から7年半、花巻町及び郊外旧太田村に暮らした光太郎の当時の様子を知る人々の証言などが収められています。

書き下ろし的にまとめた部分もあれば、古い新聞記事、花巻高村光太郎記念館さんで配付していたリーフレット等の画像をそのまま使っている部分もあり、なぜかこのブログからプリントアウトしたものも(笑)。

上記記事には「光太郎を題材としたドラマの台本」とありますが、平成3年(1991)にNHKさんで放映された単発のスペシャルドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」のものでした。光太郎役は小林薫さん、智恵子は佐久間良子さんが演じられました。

当方の手元にも台本がありますが、なるほど、「監修」に、光太郎令甥の故・髙村規氏、当会顧問であらせられた故・北川太一先生と並んで、当時の花巻の高村記念会事務局長の宮森氏の名もクレジットされています。
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ドラマの中で、シチュエーションは変えられているものの、宮森氏の証言に基づくエピソードが盛り込まれてもいました。

さて、『高村光太郎の花巻疎開を語る 宮森祐昭の80年史』。どうも販売等は為されていないようですが、新聞記事によれば花卷市内の図書館等で閲覧可とのこと。ご興味おありの方はそちらの方でご覧下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 9 『日本詩集1923版』

大正12年(1923)5月18日 新潮社 詩話会編
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収録作家等
 序 編集委員
 生田春月 加藤介春 金子光晴 川路柳虹 河井酔茗 国木田独歩 佐藤一英 佐藤清
 佐藤惣之助 佐藤春夫 澤ゆき子 霜田史光 白鳥省吾 鈴木信治 千家元麿 高村光太郎
 多田不二 大藤治郎 富田砕花 中田信子 中西悟堂 南江二郎 野口雨情 野口米次郎
 萩原朔太郎 林信一 故平戸廉吉 深尾須磨子 福田正夫 藤森秀夫 前田春声 室生犀星
 百田宗治 山崎泰雄 山村暮鳥 井上康文 尾崎喜八 
 余録
  大正十一年に於ける詩論詩評 大正十一年に於ける詩壇一覧 会員住所録 

光太郎詩は「真夜中の洗濯」「米久の晩餐」でした。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に限定販売される豪華弁当「光太郎ランチ」の今月分です。
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メニューは「マグロカツ」「ジャーマンポテト」「ズッキーニの焼き浸し」「インゲンの油揚げ巻き煮」「コーンご飯」「十二穀ご飯」「卵焼き」「漬物」「梅ゼリー」。光太郎の日記などを基に、光太郎が自炊した料理や使った食材などを参考にして組み立てられています。

以前の定価は800円でしたが、先月から880円に値上げだそうです。諸物価高騰の折、仕方がないのでしょう。

メニュー考案は花巻で主に「食」を通じての光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん。同じやつかの森さんがやはりメニュー考案、さらに食材調達、調理まで行い、ランチとして販売する「こうたろうカフェ」が、市内のワンデイシェフの大食堂さんで概ね月に一度の出店で、今月後半の予定はなかなかサイト更新が為されず不明でしたが、昨日アップされ、23日(木)とのこと。予告されているメニューが「かつや風豚肉の生姜焼き」「ズッキーニと海老のグリル」「揚げなすの南蛮みそ」「薬味で食べる冷やっこ」「菊ときゅうりの酢の物」「お漬物」「ご飯」「トマトと卵のスープ」「牛乳寒天」「コーヒー」。こちらは定価1,200円での提供です。

ぜひご賞味あれ。

【高村光太郎書誌】

詩華集 1 『睡蓮』 大正3年(1914)7月 佐々木文具店
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昨日までこの項は「選集等(部分)」でしたが、今日から「詩華集」。線引きが難しいのですが、「選集等(部分)」は数人の作品をある程度ずつ収めたもの、「詩華集」はより多くの人数で一人あたりの作品数の少ないもの、と定義します。ここでは光太郎が没した昭和31年(1956)までのものを扱います。

『睡蓮』はちょっと特殊な刊行物で、京都の寺町通竹屋町南入の佐々木文具店で開催された「歌箋展覧会」にこういう歌や句を書いたものが出品されたよ、という、いわば目録に近いものですが、「詩華集」に入れておきます。佐々木文具店は画廊のようなスペースも設けていました。

目次はありませんが、以下の作家の作品が掲載されています。

服部嘉香 土岐哀果 冨田砕花 富本憲吉 茅野雅子 尾上柴舟 若山牧水 金子薫園
川路柳虹 吉井勇 与謝野晶子 高村光太郎 高野正哉 早資篤宜 相馬御風 園草迷宮
窪田空穂 前田夕暮 古泉千樫 寺川信 有島生馬 秋庭俊彦 斎藤茂吉 佐藤春夫
木下利玄 水島爾保布 島木赤彦

「歌箋展覧会」では、それぞれに自筆の書で短冊や色紙などに短歌や俳句を書いたものが並んだようですが、『睡蓮』ではすべてを活字で載せています。

光太郎は短歌が4首、俳句が2句、それぞれ収められています。すべて明治末の欧米留学に関わる内容です。そのうち短歌3首と俳句1句は『高村光太郎全集』にもれていたものでした。
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「歌箋展覧会」は同じ大正3年(1914)6月1日~13日に銀座尾張町の美術店「三笠」で開かれ、京都の佐々木文具店ではその巡回展だったと思われますが、詳細が不明です。

雑誌の新刊です。

&Premium  No. 152 2026年8月号 Travel with Books / 旅と、本と。

発行日 : 2026年6月19日発売
版 元 : マガジンハウス
定 価 : 891円+税

今月の特集『旅と、本と』
 旅をするとき、あなたならどんな一冊を携えて出かけますか。その地にまつわる物語に触れながら町を歩けば、旅の経験はより忘れられないものになりますし、日常を離れ解き放たれた場所でひもといた本の一節が、より深く心に沁み入ることもあります。そして、旅をすることと本を読むことは、どこか似ているようにも思います。そこに何があるかわからない世界へ飛び込んでいく高揚感。それはBetter Life に大切な心を育むための、豊かな時間です。今号の&Premiumのテーマは「本と旅する、日本の美しい町案内」。物語と現実が緩やかに交差する町、旅の目的地にしたくなる書店、本に囲まれ〝知〞に浸る宿、穏やかな時間が流れる喫茶店……。読書を愛するローカルの人々に「本」を入り口に訪ね歩く、さまざまな旅のかたちを紹介してもらいました。そこに一冊の本があるだけで、目の前の景色は深い物語へと変わり、旅はもっと鮮やかに心に刻まれるはずです。
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特集が「Travel with Books 旅と、本と。」。
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おすすめの旅の行き先として取り上げられているのは……

 #1 Poets’Words詩人の言葉を巡る旅。 鹿児島 屋久島
 #2 Enormous Collection 3万冊の蔵書に包まれる旅。長野 茅野~蓼科
 #3 World of Novels 物語の世界に浸る旅。 岩手 遠野~花巻
 #4 Art & Architecture 建築やアートを巡る旅。 石川 金沢
 #5 Mingei & Craftwork 手仕事を辿る旅。 鳥取 鳥取~倉吉


それぞれの合間に、

 私を旅に誘った言葉。高橋久美子 三宅唱 ほか
 旅する気分で楽しめる作品集。 いわさきちひろ 原田泰治 ほか
 わざわざ行きたい、旅の目的地となる本屋。 小鳩書房 バロック ブックス 庭文庫 ほか
 旅先で手に入れたい、本屋のトートバッグ。 ブックナード レベルブックス ほか
 エッセイ、本と旅するということ。 文/岡本真帆
 Solo Trip Plans for Book Lovers 旅好き読書家たちの、1泊2日ひとり旅プラン。
 47都道府県のいい本屋がガイド。この街を歩くのが楽しみくなる本。

といった記事が配されています。

「#3 World of Novels 物語の世界に浸る旅。 岩手 遠野~花巻」では、花巻郊外旧太田村の高村山荘(光太郎が7年間の蟄居生活を送った山小屋)も紹介されています。
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その他、花巻では宮沢賢治記念館さん、山猫軒さん、茶寮かだんさん、イギリス海岸、蕎麦屋の嘉司屋さん、鉛温泉にあるKuneさんなどなど。
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「民話と物語が交錯する、遠野~花巻の旅を豊かにしてくれる6冊」ということで、光太郎の『山のスケッチ』(昭和41年=1966 中央公論美術出版)、賢治の『土神と狐』(平成27年=2015 好学社)が紹介されています。
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『山のスケッチ』は古書店などでしか入手できませんが。

というわけで、『&Premium』 No. 152 2026年8月号、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 20 『近代詩 12人の詩人たち』

昭和60年(1985)5月6日 境忠一編 桜楓社
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目次
 北村透谷(詳細略) 島崎藤村(詳細略) 北原白秋(詳細略)
 高村光太郎
  道程「声」「根付の国」「道程」
  智恵子抄「樹下の二人」「あどけ ない話」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レ モン哀歌」
  智恵子抄その後「メトロポオル」 「元素智恵子」
 萩原朔太郎(詳細略) 宮沢賢治(詳細略) 中野重治(詳細略) 中原中也(詳細略)
 立原道造(詳細略) 伊東静雄(詳細略) 金子光晴(詳細略) 西脇順三郎(詳細略)
 近代詩の源流
 参考文献 近代詩年表

大学の一般教養の授業などでテキストとして使われるために編まれたっぽい作りです。

光太郎第二の故郷・岩手花巻のワンデイシェフの大食堂さんで、主に「食」を中心とした光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんがメニュー考案、調理まで手がけ、ランチとして提供する「こうたろうカフェ」。厳冬期を除く毎月末に1回、出店されています。

今月分が6月24日(水)でした。
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基本的には光太郎の遺した日記を基に、自炊で作った料理や使った食材などを参考にしたメニューです。細目は「ふわっとハンバーグ」「エビの春雨サラダ」「ミヅのおひたし」「卵焼き」「オクラとワカメのスープ」「茗荷竹味噌ご飯」「旬の漬物」「みそまんじゅう」「コーヒー」。

卵焼きにはうさぎの焼き印。
うさぎ焼き印
味噌まんじゅうも手作りだそうです。
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ワンデイシェフの大食堂さんは、お店のキッチンを貸し、腕自慢の個人や団体がそれを借りて調理、ランチを饗するというスタイルのお店で、1食1,000円だそうです。毎週出店されている方もいれば、やつかの森さんのように月イチとか2週に1回いうところもああり、今月は約20組の出店がありました。おそらく毎月そんな感じなのでしょう。ワンデイシェフの大食堂さんのInstagram投稿によれば、やつかの森さんの「こうたろうカフェ」はことのほか人気だそうで。
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015やつかの森さんは、毎月15日には光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんで限定販売される豪華弁当「光太郎ランチ」のメニュー考案もなさっています。

その道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん、開所6周年だそうで、7月5日(日)にはそれを祝うイベントが。正確には開所が令和2年(2020)8月7日でしたのでまだ6周年になりませんが、前倒ししてやるようです。6周年って半端だなと思ったところ、昨年は5周年祭があったとのことでしたが、それは見落としていました。

ワンデイシェフの大食堂さん、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さん、これからも地域で愛され続けてほしいものです。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 8 『北原白秋 高村光太郎 萩原朔太郎』日本の文学17

昭和40年(1965)4月5日 中央公論社 編集委員 谷崎潤一郎他
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目次
 北原白秋
  邪宗門 思ひ出 東京景物詩及其他 畑の祭 真珠抄 白金之独楽 水墨集 海豹と雲
  桐の花 雲母集 雀の卵 風隠集 海阪 白南風 夢殿 渓流唱・橡 黒檜 牡丹の木
 高村光太郎
  道程 智恵子抄 典型 短歌
 萩原朔太郎
  月に吠える 定本 青猫 純情小曲集 氷島 散文詩 アフォリズム
 註解
 解説
 年譜

 月報
  三人の詩人<対談> 伊藤整 伊藤信吉
  現代文学の流れ15 「昴」について 
  画家紹介

この時期、こんなに需要があったのかと思うくらい、様々な文学全集ものがいろいろな出版社から出ていました。

手前味噌で恐縮ですが、執筆させていただいた書籍です。2月には出ていましたが、ようやくサイトに情報がアップされましたので、このタイミングで。

令和7年度高村光太郎記念館特別展 中原綾子への手紙 高村光太郎発中原綾子宛 書簡集

発行日 : 2026年2月28日
著者等 : 小山弘明監修
版 元 : 花巻市立高村光太郎記念館
定 価 : 1,100円(税込)

高村光太郎記念館受付で販売しています。郵送での販売も行っています。注)郵送での購入については、図録購入申込書をご覧ください。

購入をご希望の方は、申込書に必要事項をご記入のうえ、送料分の切手を同封し、ご送付ください。図録代は、現金または郵便定額小為替でお支払いください。なお、現金でお送りいただく場合は、現金書留をご利用ください。
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目次
 書簡[高村光太郎発、中原綾子宛]
  昭和四年(一九二九)
  昭和六年(一九三一)   昭和九年(一九三四)   昭和十年(一九三五)
  昭和十一年(一九三六)  昭和十二年(一九三七)  昭和十三年(一九三八)
  昭和十四年(一九三九)  昭和十五年(一九四〇)  昭和十六年(一九四一)
  昭和十七年(一九四二)  昭和十九年(一九四四)  昭和二十年(一九四五)
  昭和二十四年(一九四九) 昭和二十五年(一九五〇) 昭和二十六年(一九五一)
  年代不明
 原稿[綾子著書・主宰雑誌へ]
  「惻隠」に寄す  はしがき  みちのく便り  みちのく便り(二)
  みちのく便り(三)  みちのく便り
 参考資料
  通信事項メモ  日記  綾子「第二期明星の頃」  詩集『灰の詩』口絵 書
  綾子「高村先生のお手紙」  綾子歌集『閻浮提』から
  高村光太郎・中原綾子関連略年譜


昨年4月から今年2月にかけ、花巻高村光太郎記念館さんで4期に分けて開催された特別展「中原綾子への手紙」で展示された、光太郎から歌人の中原綾子に宛てた書簡等70点ほどの全点を画像入りで紹介するものです。いつもそう書いていますが、何度見ても光太郎の文字は味があります。
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中原綾子は与謝野晶子門下の歌人です。短歌以外に自由詩の詩集なども遺しています。光太郎とは大正期に与謝野家での歌会で知り合い、光太郎晩年まで断続的に交流が続きました。戦後の7年間、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)や、昭和27年(1952)に移り住んだ中野の貸しアトリエにも綾子は足を運んでいます。

書簡類は一昨年、綾子の令孫から花巻市に寄贈されました。大部分は筑摩書房『高村光太郎全集』に既出のものでしたが、一部、未収録のものも含まれていました。

すべての翻字と、それぞれの背景の解説を執筆させていただきました。『高村光太郎全集』に収める段階では、当会顧問であらせられた北川太一先生が筆写したものから活字にしたのですが、その筆写が誤っていたりするところもあったり、走り書きに近く判読に苦しむ文字があったりでした。その作業中、何だか集中力が途切れて当方も誤写し、花巻市の担当の方に「ここはこうじゃありませんか?」と指摘され、「ああ、たしかに」と訂正する箇所も多く、赤面しきりでした。

書簡の中で特筆すべきは、昭和10年(1935)前後の心を病んだ智恵子の具体的な病状を記した一連のもの。光太郎は親友だった水野葉舟にも同様の書簡を送りましたがその数は少なく、綾子にあてたものはかなりの分量です。そのため、光太郎智恵子の研究書などの類によく引用され、いわば『智恵子抄』裏面史のような感じで扱われています。

例えば、

ちゑ子の病状悪化とで殆と寧日なく今年も既になくならうといたして居ります、ちゑ子の狂気は日増しにわろく、最近は転地先にも居られず、再び自宅に引きとりて看病と療治とに尽してゐますが連日連夜の狂暴状態に徹夜つづき、さすがの小生もいささか困却いたして居ります、何とか方法を講ずる外ないやうに存じます、
(略)
此を書いてゐるうちにも ちゑ子は治療の床の中で出たらめの嚀語を絶叫して居る始末でございます、
看護婦を一切寄せつけられぬ事とて一切小生が手当いたし居り 殆と寸暇もなき有様です、
(昭和9年=1934 12月28日)

一日に小生二三時間の睡眠でもう二週間ばかりやつてゐます、病人の狂躁状態は六七時間立てつづけに独語や放吟をやり、声かれ息つまる程度にまで及びます、拙宅のドアは皆釘づけにしました、往来へ飛び出して近隣に迷惑をかける事二度。器物の破壊、食事の拒絶、小生や医師への罵詈、薬は皆毒薬なりとてうけつけません、今僅かに諸岡存博士の発熱療法といふのにたよつてゐます、もう三回注射しました、注射すると熱が四十度近く出て、其で幾分でも恢復の途につくのだといふ事です、まだ効果は見えませんが四五回はやつてみるつもりです、(昭和10年=1935 1月8日)

チヱ子は今日は又荒れてゐます、アトリエのまん中に屹立して独語と放吟の法悦状態に没入してゐます、さういふ時は食物も何もまつたくうけつけません、私はただ静かに同席して書物などよんでゐます、仕事はまつたく出来ません、(昭和10年=1935 1月22日)

チヱ子もさびしく病室に孤坐してひとり自分の妄想の中にひたりこみ、相変らず独語をくり返してゐる事でせう、先日あつた時わりに静かにはしてゐるものの、家に居る時と違つて如何にも精神病者らしい風姿を備へて来たのを見て実にさびしく感じました、まはりに愛の手の無いところに斯ういふ病人を置く事を何だか間違つた事のやうに感じました、 仕事といふ使命さへ無ければ一生をチヱ子の病気の為に捧げたい気がむらむらと起ります、チヱ子、チヱ子と家でくりかへし呼びます(昭和10年=1935 3月12日)

などなど。

いわゆるジェンダー系の論者やその信奉者は、こういう内容が細かく書かれていないので詩集『智恵子抄』は嘘くさい、きれいすぎる、生身の智恵子が居ない、などとほざいています。

反論は幾らでもできます。まず、いくら「詩は心の叫びだ」などといったところで、こういう内容をわざわざ詩に細かく書く必要があるのか、ということ。

また、光太郎はもし智恵子の心の病が寛解した際、心の病に関する光太郎の文筆を読んだらどう思うだろうかということを、光太郎は気にしていました。綾子がそれを指摘し、「なるほど」と思ったようです。

先日お送りした短詩について発表の御心配をうけ、小生まるで気がつかなかつた事なので成程と思ひました、
(略)
小生はまるで気がつきませんでしたが智恵子が全快でもしたあとでそれを見たら変なものだろうとも考へました、(昭和10年=1935 2月8日)

「先日お送りした短詩」は、初めて智恵子の心の病を謳った「人生遠視」です。

それでも少し後には結局、智恵子の心の病を中心にした詩を書いています。「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」「山麓の二人」など。白眉というべきは「値(あ)ひがたき智恵子」。

  値(あ)ひがたき智恵子無題

 智恵子は見えないものを見、
 聞えないものを聞く。

 智恵子は行けないところへ行き、
 出来ないことを為(す)る。

 智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、
 わたしのうしろのわたしに焦がれる。

 智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
 限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。

 わたしをよぶ声をしきりにきくが、
 智恵子はもう人間界の切符を持たない。

浅い読み方しかできない人は、この象徴的な詩句の一言一言の裏側にどれだけ深い光太郎の苦悩があるのかが見えないのでしょうね。

「参考資料」の項には、綾子の光太郎に関する文筆も収めました。特にいいなと思ったのは、綾子歌集『閻浮提(えんぶだい)』(昭和35年=1960)に載った短歌。60首ほどが光太郎がらみで、旧太田村の山小屋を2度訪れた際のもの、東京にいて光太郎の詩集『典型』(昭和25年=1950)を読んで戦前を思い出した詠、そして昭和31年(1956)の光太郎の死に際しての挽歌。

いくつか引いてみます。

 おどろきてわれを見たまふ先生にもの言はざるは泣かざらんため

 畏みて高村翁と人は言へわれには若き光大郎先生20250321_131554

 さよならと手を振りたまふ先生にべそかける顔をふりむけにけり

 先生を岩手の山の一つ家に閉ぢこむる雪の都にも降る

 先生のアトリエ焼けてわが知らぬ他人の家の建ちてありけり

 駒込の林町二十五番地にわがなつかしき昔は残る

 先生の小屋の屋根見ゆ萩すすき 野菊なんどは踏みしだき急ぐ

 高村光太郎 死す てふ文字が眼に痛し氷の山に月照れるごとし

 壇上に白木の柩ひとつありて森林の気は四囲をこめたり(告別式にて)

また、綾子詩集『灰の詩』(昭和34年=1959)に口絵として載った光太郎色紙の画像なども。

花巻市役所の生涯学習部生涯学習課生涯学習係さんに申し込めば送って下さるそうです。ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 43『高村光太郎詩集』

平成14年(2002)3月13日 高村記念会 高村光太郎著 北川太一編
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目次
 『道程』
  失はれたるモナ・リザ 根付の国 声 廃頽者より 父の顔 泥七宝(抄) 友の妻
  人に 涙 おそれ さびしきみち 或る宵 郊外の人に 人類の泉 よろこびを告ぐ
  冬が来た 牛 道程 秋の祈 雨にうたるるカテドラル 米久の晩餐 クリスマスの夜
  鉄を愛す とげとげなエピグラム(抄)
 『猛獣篇』とその時代
  清廉 白熊 傷をなめる獅子 鯰 象の銀行 苛察 ぼろぼろな駝鳥 象 森のゴリラ
  氷上戯技 車中のロダン 火星が出てゐる 冬の奴 花下仙人に遇ふ 母をおもふ
  冬の言葉 当然事 さういふ友 上州湯桧曽風景   孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人
  耳で時報をきく夜 レオン ドウベル もう一つの自転するもの ばけもの屋敷 荻原守衛
  堅冰いたる 手紙に添へて 孤坐 つゆの夜ふけに お化け屋敷の夜
  銅像ミキイヰツツに寄す へんな貧 蝉を彫る 独居自炊 美しき落葉
 『智恵子抄』
  樹下の二人 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類
  美の監禁に手渡す者 人生遠視 山麓の二人 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  値ひがたき智恵子 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 梅酒 松庵寺 元素智恵子
  メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 『典型』
  雪白く積めり 「ブランデンブルグ」 人体飢餓 月にぬれた手 山荒れる 典型
  クチバミ 大地うるはし 十和田湖畔の裸像に与ふ 弦楽四重奏 生命の大河
 年譜

昭和44年(1969)、旺文社文庫版『高村光太郎詩集』を定本に、四六判で出されたものです。当時の高村記念会(現・花巻高村光太郎記念会)さんの刊行です。現在も花巻高村光太郎記念館さんで販売中です。

手元にあったはずなのですが見当たりませんで、失念しておりました。

花巻で食を中心とした光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんがメニュー考案をなさり、光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。今月分です。
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「鮭の塩焼き」「ベーコンとスナップエンドウのオリーブオイル添え」「わらびの煮物」「ミズのおひたし」「ニラ入り卵焼き」「五目ご飯」「柴漬けとおかかのまぜご飯」「レモンゼリー」。光太郎の日記などを元に、光太郎が自炊したメニューや使った食材などを参考に組み立てられています。

これまで800円だったのが、今月から物価高騰の影響で880円に値上げとのこと。

同様に光太郎の日記などを元に、光太郎が自炊したメニューや使った食材などを参考にして、やつかの森さんが調理にあたってランチを饗する「こうたろうカフェ」。市内のワンデイシェフの大食堂さんで、こちらはほぼ月イチで行われています。今月は24日(水)で、予定されているメニューが以下の通りです。
 ・ふわっとハンバーグ ・エビの春雨サラダ ・ミヅのおひたし ・卵焼き
 ・オクラとワカメのスープ ・漬物 ・茗荷竹味噌ご飯 ・みそまんじゅう・コーヒー

基本的に予約が必要なようですが、ぜひ足をお運び下さい。

やつかの森さん、花巻市主催の市民講座「わかくさ女性学級」で、6月9日(火)には「こうたろう散歩道~光太郎詩碑巡り・光太郎と賢治全集~」の講師も務められたそうです。
14講座資料
散策コース
花巻の中心街を歩く文学散歩的な講座で、市役所近くの学び学園さんがスタートとゴール、約3㎞の行程とのこと。そちらの画像も送って下さいました。

昭和20年(1945)8月15日、光太郎が社務所で終戦の玉音放送を聞いた鳥谷崎神社さん。
0鳥谷崎神社
その玉音放送を題材とした「一億の号泣」詩碑。
1詩碑 2一億の号泣 3一億の号泣詩碑
昭和20年(1945)からほぼ毎年、智恵子や両親の法事を行ってもらっていた松庵寺さん。

4松庵寺 5松庵寺の詩碑 7短歌の詩碑
詩「松庵寺」(昭和20年=1945)の詩碑が二基(終戦後の一時期、光太郎を自宅離れに住まわせてくれた花巻病院長・佐藤隆房揮毫のものと、英訳のもの)、それから光太郎が母・わかを謳った短歌「花巻の 松庵寺にて 母にあふ はははりんごを たべたまひけり」を刻んだ歌碑(右上画像)。

宮沢賢治実家に疎開中、光太郎も被災した昭和20年(1945)8月10日の花巻空襲の傷痕が残る花川橋。
8花川橋の銃弾痕跡
9銃弾痕跡
近くに落とされた爆弾の破片で欄干が破損したままになっています。

その他、画像がありませんが、光太郎も訪れた記録のある旧菊池家住宅西洋館、光太郎が疎開していた宮沢家などもコースに入っていました。

まなび学園さんに戻って、30分の「光太郎と賢治全集」講話。
10講座
意外と参加者の皆さん、ご存じないことばかりだったとのことです。

昼食。今月分の「光太郎ランチ」とほぼ同じものをミレットキッチン花さんに用意して貰ったとそうです。事前に注文しておけばそういうことも可能だとのことで。
11光太郎ランチ
メニュー0609
この手の花巻などでの文学散歩、やはり地元の方々に知っていただくのは大事なことですし、地元でない方もぜひ体験していただきたいものです。やれと言われればツアーコンダクターはお引き受けいたします(笑)。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 45 『高村光太郎詩集』大活字本シリーズ

平成16年(2004)1月18日 角川春樹事務所(ハルキ文庫) 高村光太郎著
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目次
 詩集『智恵子抄』より
  人に 或る夜のこころ 郊外の人に 晩餐 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 人生遠視 風にのる智恵子
  千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒 若しも智恵子が 智恵子抄その後 元素智恵子
  メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 智恵子と遊ぶ 報告
 詩集『道程』より
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 鳩 食後の酒 寂寥 声
  地上のモナ・リザ 父の顔 冬が来る 或る宵 夜 狂者の詩 よろこびを告ぐ 冬が来た
  道程 淫心
 猛獣篇・造型詩篇
  白熊 苛察 ぼろぼろな駝鳥 マント狒狒 後庭のロダン 首の座 刃物を研ぐ人
  村山槐多 孤坐 美しき落葉 十和田湖畔の裸像に与ふ
 詩集『典型』より
  暗愚小伝
   家
    土下座(憲法発布) ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告(智恵子に) 山林
  鈍牛の言葉 典型 クロツグミ
 拾遺詩篇(一九〇七~二五年)
  秒刻 恐怖 さびしきみち 海はまろく 小娘 雨にうたるるカテドラル
 拾遺詩篇(一九二六~三二年)
  校庭 冬の奴 怒 花下仙人に遇ふ 母をおもふ その年私の十六が来た 天文学の話
  或る墓碑銘 冬の言葉 さういふ友 焼けない心臓 上州湯桧曽風景 或る筆記通話
  激動するもの 孤独が何で珍しい 友よ 似顔 もう一つの自転するもの
 拾遺詩篇(一九三三~五〇年)
  ばけもの屋敷 堅冰いたる へんな貧 少女に 危急の日に 十二月八日
  シンガポール陥落 寒夜読書 紀元節を迎ふ 必勝の品性 石くれの歌 山の少女
 解説・瀬尾育生 高村光太郎、オークルジョーンの裸体
 エッセイ・道浦母都子 七・五坪の光と陰
 略年譜
 主要参考文献

詩集の構成を根幹としつつ、生前の単行詩集には収められなかった詩篇を編年体でカバーした編集です。現在でも新刊として入手出来るようです。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で、主に食を通じて光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんが、光太郎の日記などを元に、光太郎の作ったメニューや使った食材などを現代風にアレンジし、ランチとして提供するこうたろうカフェ。市内の旧東和町土沢地区にあるワンデイシェフの大食堂さんで厳冬期を除き、月イチで行われています。

今月は20日(水)に出店されたそうで、その際の画像がこちら。
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メニューは「こうたろう春巻き」「帆立のドレッシングサラダ」「ワラビの辛子和え」「ウドとタコの味噌かけ」「ほうれんそうの白和え」「餃子とチンゲン菜のスープ」「雑穀ごはん」「旬の漬け物」「よもぎ餅」「コーヒー」。これで1,200円です。

旬の山菜をふんだんに使い、しかも光太郎が7年間の蟄居生活を送っていた旧太田村で調達したものも含まれるそうで。ただ、一時期気温が高かったためウドやワラビは成長しすぎて大変だったとのこと。

先月は28日(火)に出店され、その際にはmit岩手めんこいテレビさんで毎週土曜日の18:30~19:00に放映されている「山・海・漬」という番組のロケが行われ、オンエアが昨日でした。背景に映っているのが先月分のこうたろうカフェ提供ランチです。
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旧東和町土沢地区は、明治末から大正初めのヒユウザン会(のちフユウザン会)で光太郎と共に活動した萬鉄五郎の出身地で、萬鉄五郎記念美術館さんもあり、そちらでのロケも行われたようです。
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レポーターはめんこいテレビさんの西島芽アナ。
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右上画像を見ると、土沢地区には宮沢賢治の足跡も残っているようですね。

こうたろうカフェ、メニュー考案から食材調達、調理となかなか大変とは存じますが、末永く続けていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 21 『智恵子抄』ジュニア版日本文学名作選47

昭和43年(1968)9月 偕成社 高村光太郎著
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目次
 智恵子抄 道程 『道程』以後 猛獣篇 典型
 解説 村野四郎


タイトルは「智恵子抄」ですが、実質的には生涯の作品全体からの抄出です。手持ちのものは昭和55年(1980)の第15刷です。

偕成社版のジュニア版日本文学名作選、この赤いカバー、懐かしいと感じる方も多いのではないでしょうか。

光太郎第二の故郷、岩手花巻の旧太田村ではかつて毎年5月15日に「高村祭」という催しがもたれていました。光太郎三回忌の年にあたる昭和33年(1958)に第一回が挙行され、その際には光太郎が7年間暮らした山小屋(高村山荘)を覆う形で建設された套屋のお披露目、敷地内にたてられた正式な光太郎詩碑の第1号、「雪白くつめり」詩碑の除幕が行われました。
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5月15日は、昭和20年(1945)、前月の空襲で駒込林町のアトリエ兼住居を失った光太郎が、宮沢家の誘いで疎開のために東京を発った日です。夜行列車で花巻に到着したのは翌日でしたが、きりもいいということもあったのでしょう、15日が「高村祭」ということになりました。

その後、「高村祭」は連綿と続けられました。当初は光太郎と直接交流のあった人々による回顧談的な講演、地元の山口小学校の児童による光太郎から贈られた楽器を使用しての音楽演奏などが行われていました。

その高村祭、令和元年(2019)の第62回をもって終了となってしまいました。翌年からはコロナ禍もありましたし、沈静化後も以前の形での開催はもはや難しい、との判断だったようです。

それに代わるというわけでもありませんが、「花巻 光太郎を知る会」さんという有志の市民団体が、「雪白くつめり」詩碑前にお集まりになり、かつての「高村祭」のように詩碑に献花(詩碑の地下には光太郎の遺髯が分骨のように埋められています)、光太郎詩の朗読などをなさっています。

昨日の様子。画像を送っていただきました。
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「高村祭」だった頃には市の協賛もあり、地元の皆さんの演芸大会的な要素もあったりで賑わっていました。何とかそれに近い形での復活を心から祈念いたしております。

花巻ついでに、「花巻 光太郎を知る会」さんと構成員がかぶるやつかの森LLCさんの活動。

まず厳冬期を除いて概ね月イチで、市内のワンデイシェフの大食堂さんで出店されている「こうたろうカフェ」。ワンデイシェフの大食堂さんがキッチンを貸し出す形で、さまざまな団体・個人がランチを作り、販売するというシステムです。

先月は28日(火)に出店されたそうで、その際の画像。
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「食の匠のバクロウおこわ」「コロコロチーズ入りミートローフ」「マカロニサラダ」「エッグボート」「クルミとゴボウの甘辛煮」「タラボの胡麻和え」「赤魚のお吸い物」「クレープシュゼットのオレンジバター」「コーヒー」。基本、光太郎が自炊していたメニューや使った食材などを参考にしたものです。

「食の匠のバクロウおこわ」とあるのは、令和6年度の「岩手県 食の匠」に認定された、やつかの森さんのメンバー・新渕和子さんが得意とする「ばくろう茸」を使用して作ったもの。花巻では正月などに振舞われるごちそうだそうです。

mit岩手めんこいテレビさんで毎週土曜日の18:30~19:00に「山・海・漬」という番組が放映されているそうです。番組説明欄には「岩手の魅力を満載した番組です。岩手の様々なジャンルと素材(ヒト、モノ、コト)を遊び心いっぱいに、新鮮パッケージ。話題のグルメや観光スポット、岩手にまつわる歴史・文化・伝統などを『山・海・漬』ならではの視点でご紹介。」とあります。
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まだ詳細情報が出ていませんが、来週、5月23日(土)の放映・#1324で「こうたろうカフェ」が取り上げられるそうです。ワンデイシェフの大食堂さんのオーナーさんの推薦だとのこと。確かに光太郎が自炊していたメニューや使った食材などを参考という点で、申し訳ありませんが他の一般の出店者さんとは一線を画す特徴的なコンセプトですので、テレビ的には扱いやすいでしょう。

上記の4月28日(火)にロケ隊が入られたそうです。
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視聴可能な地域の方、ぜひどうぞ。また、今日の放映(#1323 春の山菜・野菜バンザイ)オンエア後YoutUbeに予告動画が出るようです。そちらもご覧下さい。

「こうたろうカフェ」としての今月分ももうすぐで、5月20日(水)だそうです。メニューも予告されていて、以下の通りです。

・こうたろう春巻き ・帆立のドレッシングサラダ ・ワラビの辛子和え ・ウドとタコの味噌かけ ・ほうれんそうの白和え ・餃子とチンゲン菜のスープ ・雑穀ごはん ・旬の漬け物 ・よもぎ餅 ・コーヒー

もう1件、同じくやつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。毎月15日に限定10食の販売です。

昨日販売分。
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2605弁当メニュー
「ホッケの塩焼き」「アスパラ入りちくわ天ぷら」「わらびのおひたし」「ウドの金平」「卵焼き」「筍ご飯」「白米ばっけ味噌のせ」「よもぎ団子」。

「ばっけ」はフキノトウ。光太郎が最も好んで使った食材の一つです。「こうたろうカフェ」でもそうですが、季節がら山菜系が多用されていてヘルシーな感じですね。

本日取り上げたもろもろ、永続的に続いて欲しいものと思っております。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 13 『高村光太郎詩集』角川文庫

昭和31年(1956)9月30日 角川書店 高村光太郎著
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目次
 Ⅰ
  序曲(一九二〇) 丸善工場の女工達(一九二〇) 米久の晩餐(一九二一)
  雨にうたるるカテドラル(一九二一) かがやく朝(一九二一)
  ラコッチィ マアチ(一九二一) 真夜中の洗濯(一九二二) 沙漠(一九二二)
  五月のアトリエ(一九二二) 落葉を浴びて立つ(一九二二) 冬の言葉(一九二二)
  送別(一九二二) 鉄を愛す(一九二三) 春駒(一九二三)
  
月曜日のスケルツォ(一九二四) 氷上技戯(一九二四) 偶作七(一九二四)
  
少年を見る(一九二五) 葱(一九二五) 無口な船長(一九二六) 冬の奴(一九二六)
  
火星が出てゐる(一九二七) 或る墓碑銘(一九二七) 母をおもふ(一九二七)
  
怒(一九二七) 冬の言葉(一九二七) 美を見るもの(一九二七)
  
花下仙人に遇ふ(一九二八) 当然事(一九二八) さういふ友(一九二八)
  
街上比興(一九二八) その詩(一九二八) 或る日(一九二九) 人生(一九二九)
  
ひとり酸素を奪つて(一九二九) 上州湯桧曽風景(一九二九)
  上州川古「さくさん」風景(一九二九) 触知(一九二九) 冬(一九二九)
  刃物を研ぐ人(一九三〇) 冷熱(一九三〇) 孤坐(一九三〇) 似顔(一九三一)
  のつぽの奴は黙つてゐる(一九三一) 蝉を彫る(一九三一)
  
美の監禁に手渡す者(一九三二) 晴天に酔ふ(一九三三) 首の座(一九三三)
  ばけもの屋敷(一九三五) もう一つの自転するもの(一九三六)
  
手紙に添へて(一九三八) へんな貧(一九三九) 最低にして最高の道(一九四〇)
  雪白く積めり(一九四六) 山林(一九四七) 「ブランデンブルグ」(一九四八)
  脱卻の歌(一九四八) 人体飢餓(一九四八) 東洋的新次元(一九四八)
  おれの詩(一九四九) 悪婦(一九四九) 山荒れる(一九五〇)
  
月にぬれた手(一九五〇) 鈍牛の言葉(一九五〇) 典型(一九五〇)
  女医になつた少女(一九五〇) 東北の秋(一九五〇) 大地うるはし(一九五一)
  十和田湖畔の裸像に与ふ(一九五三)
 Ⅱ
  清廉(一九二四) 傷をなめる獅子(一九二五) 狂奔する牛(一九二五)
  白熊(一九二五) 象の銀行(一九二六) 鯰(一九二六) 苛察(一九二六)
  雷獣(一九二六) マント狒狒(一九二六) 象(一九二六) 森のゴリラ(一九二六)
  北冥の魚(一九二六) 潮を吹く鯨(一九二六) 龍(一九二八)
  
ぼろぼろな駝鳥(一九二八) よしきり鮫(一九三七)
 Ⅲ
  クリスマスの夜(一九二二) 車中のロダン(一九二二) 後庭のロダン(一九二二)
  十大弟子(一九二六) 聖ジヤンヌ(一九二六)
  
ミシェル・オオクレエルを読む(一九二七) 旅に病んで(一九二八) 存在(一九二八)
  北島雪山(一九二九) 古事一則(一九二九) 耳で時報をきく夜(一九三〇)
  南極(一九三一) レオン・ドウベル(一九三二) 村山槐多(一九三五)
  荻原守衛(一九三六) 老耼、道を行く(一九三七) 団十郎像由来(一九三八)
  芋銭先生景慕の詩(一九三九) つゆの夜ふけに(一九三九)
  
銅像ミキイヰッツに寄す(一九三九) 人間拒否の上に立つ(一九五一)
 Ⅳ
  樹下の二人(一九二三) 夜の二人(一九二六)
  
あなたはだんだんきれいになる(一九二七) 同棲同類(一九二八)
  風にのる智恵子(一九三五) 千鳥と遊ぶ智恵子(一九三七)
  
値ひがたき智恵子(一九三七) 山麓の二人(一九三八) レモン哀歌(一九三九)
  亡き人に(一九三九) 梅酒(一九四〇) 荒涼たる帰宅(一九四一)
  若しも智恵子が(一九四九) 元素智恵子(一九五〇) メトロポオル(一九五〇)
  裸形(一九五〇) 案内(一九五〇) あの頃(一九五〇) 吹雪の夜の独白(一九五〇)
  噴霧的な夢(一九五〇) 
  暗愚小伝(一九四七)
   家 転調 反逆 蟄居 二律背反 炉辺
 解説 草野心平
 年譜

光太郎が没した昭和31年(1956)の出版(手持ちのものは昭和42年=1967の第25版です)。

この頃、光太郎追悼出版的にいろいろな書籍が出されましたが、当会の祖にして本書の編集にもあたった草野心平が髙村家の番頭よろしく窓口となり、生前の光太郎と関わりの深かった出版社に「おたくはこれ」と、割り振りをしました。中央公論社では随筆集『山の四季』と詩集『典型以後』、新潮社だと随筆集『アトリエにて』及び新潮文庫版『智恵子抄』、筑摩書房に彫刻写真集『高村光太郎』と翌年から出る『高村光太郎全集』、そして角川書店に本書。

オリジナル『智恵子抄』版元の龍星閣のみ、それらと関わりなく単独で画集『赤城画帖』を出版しました。

まず毎月ご紹介しています、光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動。

毎月15日には光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。やつかの森さんがメニュー考案に携わられています。

今月分がこちら。
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品目は「チキンとウインナーのソテー」「焼き鮭」「ポテトサラダ」「ほうれんそうのおひたし」「紫芋の甘煮」「椎茸の含め煮」「ばっけ味噌の焼きおにぎり」「よもぎ入りパンケーキ小豆添え」「漬物」。

「ばっけ」は光太郎がことのほか好んだふきのとうです。味噌と合わせて焼きおにぎりにトッピング、香ばしそうですね。

道の駅内での店頭販売は毎月10食限定ですが、今月は事前に別途20食の注文があったそうで、喜ばしい限りです。

同じくやつかの森さんがこちらは調理まで担当する「こうたろうカフェ」。市内のワンデイシェフの大食堂さんで概ね月末にやつかさんが出店しています(ワンデイシェフの名の通り、さまざまな団体、個人がキッチンを借りて出店する方式のお店です)。

今月は28日(火)の予定で、既にメニューが告知されています。「食の匠のバクロウおこわ」「コロコロチーズ入りミートローフ」「マカロニサラダ」「エッグボート」「クルミとゴボウの甘辛煮」「タラボの胡麻和え」「赤魚のお吸い物」「クレープシュゼットのオレンジバター」「コーヒー」だそうです。

「食の匠のバクロウおこわ」とあるのは、令和6年度の「岩手県 食の匠」に認定された、やつかの森さんのメンバー・新渕和子さんが得意とする「ばくろう茸」を使用して作ったもの。花巻では正月などに振舞われるごちそうだとのこと。

「光太郎ランチ」「こうたろうカフェ」、いずれも基本的に光太郎が実際に自炊していたメニューや使った食材を参考に現代風アレンジを加えたもの。いずれも永く続いてほしい取り組みです。

もう1件、花巻市の『広報はなまき』4月15日号から。月2回発行の同誌は15日発行分に「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載が為されており、市の施設などに所蔵されている逸品の数々が紹介されています。光太郎に関しても時折取り上げられ、今号も。

3月いっぱいまで花巻高村光太郎記念館さんで開催されていた企画展「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の流れで、光太郎が題字を揮毫した文圃堂版『宮沢賢治全集』が紹介されています。

高村光太郎の題字 宮沢賢治全集

 宮沢賢治の作品は、今や全集はもとよりそれぞれの作品や絵本、作品の評論や関連の随筆、研究など、数多くの出版物が発刊されています。しかし、宮沢賢治の作品を広く知らしめることに高村光太郎が大きく関わっていたことはあまり知られていません。
 宮沢賢治は、大正十五(一九二六)年上京した際に、高村光太郎に会いに行っています。その頃、高村光太郎は既に著名な作家でしたが、宮沢賢治はまだ無名でした。
 賢治は昭和八(一九三三)年に若くして亡くなります。賢治を高く評価していた光太郎はとても残念がり、賢治の作品を世に出すべく、詩人の草野心平らとともに作品の出版に取り組みます。幸い賢治の弟の宮沢清六が、兄賢治の思いを受け、数多くの原稿を保管していたため、賢治が亡くなった翌年には全集を発刊する動きとなりました。ただし、宮沢賢治を知る人がまだ少ない中、初めての全集はすべての作品を収録したものではありませんでした。
 昭和九(一九三四)年に文圃堂書店(東京)から発刊された最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています。
問い合わせ 高村光太郎記念館 ☎28-3012  
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「最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています」とありますが、正確にはその後に出た三種類の全集(日本読書購買利用組合『宮沢賢治文庫』を含む)でも、装幀、題字揮毫を手がけています。

『広報はなまき』のこの項、自筆ものが紹介されることはしばしばありましたが、出版物(それも近代の)が扱われたのは珍しいことです。それでも稀覯本や文学史上のエポックメーキング的なものはやはり文化財的な扱いが成されてしかるべきだな、と改めて思いました。

今後もこういったものの紹介をして頂きたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)24 『現代詩講座 2 詩の技法』 

昭和25年(1950)5月30日 創元社 村野四郎他著
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目次
 1 現代詩の構成 村野四郎  現代詩のレトリック 丸山薫
   現代詩の韻律 神保光太郎 現代詩のボキャブラリー 野田宇太郎
   現代詩のイデエ 吉田一穂
 2 日本詩の詩型について 日夏耿之介  西洋の詩に於ける定型詩について 鈴木信太郎
 3 現代詩のイマアジュとその表現 安西冬衛   詩語としての日本語 釈迢空
   現代詩に於ける「俳句」と「短歌」 三好達治   個性と表現 草野心平
 4 抒情詩 伊藤信吉   自由詩 北園克衛   散文詩 神西清
   定型詩 中村真一郎
 5 私の詩作について 高村光太郎   私の詩作について 金子光晴
   私の詩作について 草野心平    私の詩作について 中野重治
   私の詩作について 西脇順三郎   私の詩作について 三好達治
   私の詩作について 釈迢空
 6 歌のための詩 野上彰   歌謡曲の作詩法 佐伯孝夫

戦後5年が経ち、内容的にも戦争の影は無くなって、平和な時代となったのだなという感じです。

光太郎を筆頭に7人が書いている「5」の章は目次だと全て「私の詩作について」と題されていますが、本文ではそれぞれに別個の題が付いており、光太郎の稿は「詩について語らず(編集子への手紙)」。

光太郎の詩論としてなかなかに興味深いものです。

 詩の講座のために詩について書いてくれといふかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないやうな心的状態にあるので書かずに居たところ、編集子の一人が膝づめ談判に来られていささか閉口、なほも固辞したものの、結局その書けないといういはれを書くやうにといはれてやむなく筆をとります。
 ところが、書けないといういはれを書かうとするとこれが又なかなか書けません。なぜ書けないかがはつきり分るくらゐなら、当然それは書けるわけであり、本当はただいはれ知らずに書けないのだといふ外はないのでせう。
 詩は書いてゐながら、詩そのものについて語ることが今どうしても出来ないのです。どうしてでせう。以前には断片的ながら詩について書いたこともありましたが、詩についてだんだんいろいろの問題が心の中につみ重なり、複雑になり、却て何も分らなくなつてしまつた状態です。今頃になつてますます暗中摸索といふ有様なのです。
 元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積のエネルギー放出に外ならず、実はそれが果して人のいふ詩と同じものであるかどうかさへ今では自己に向つて確言出来ないとも思へる時があります。明治以来の日本に於ける詩の通念といふものを私は殆ど踏みにじつて来たといへます。従つて、藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。詩といふ言葉から味はれるあの一種の特別な気圧層を私は無視してゐます。私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を言語造型によつて放電せざるを得ない衝動をうけるのです。このものは彫刻絵画の本質とは全く違つた方向の本質を持つてゐて、現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だらうと考へますが、不幸にして私は音楽の世界を寸毫も自分のものにしてゐないので、これはどうすることも出来ず、やむなく言語による発散放出に一切をかけてゐる次第です。実は言語の持つ意味が邪魔になつて、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思ふのです。言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考へるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によつて放電作用を行ふといふわけです。それからさきの方法と技術と、その結果としての形式と、その発源としての感覚領域とについては今なほいろいろと研鑽中の始末で、これが又、日本語といふ特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので、なかなか生半可な考へ方に落ちつくわけにゆきません。ともかく私は今いはゆる刀刃上をゆく者の境地にゐて自分だけの詩を体当り的に書いてゐますが、その方式については全く暗中摸索といふ外ありません。いつになつたらはつきりした所謂詩学(ポエテイク)が持てるか、そしてそれを原則的の意味で人に語り得るか、正直のところ分りません。私は以上のやうな者であり、又以上のやうな場に居ます。これで今私が詩について書けないといふいはれを書いたことになるでせうか。ともかくもこの通りです。

色を変えた部分あたりは多くの研究書等で引用される箇所です。

齢68歳、もはや晩年の光太郎にしてまだきちんと方法論を掴めていない、と、これは謙遜でも何でもなく、まさにそのとおりだったのでしょう。あくまで己の本業は彫刻だ、という意識がその裏にあるのでしょうが。

既に始まっている展示の情報を2件。

まずは岩手から。地方紙『岩手日報』さん記事。

高村光太郎 交流の足跡 八重樫健一さん 花巻疎開80年で企画展

日報 北上市江釣子の八重樫健一さん(76)は地元の江釣子地区交流センターで、彫刻家・詩人高村光太郎の花巻疎開80年を記念した企画展を開いている。光太郎と住民の交流の様子などを伝えている。
 光太郎の作品や関連資料約150点を展示。本人と密接な関わりがあり、高村記念会事務局長などを務めた故宮森祐昭さんや疎開当時に世話人を務めた人物らの談話、さまざまな資料を八重樫さんが分かりやすくまとめた。
 光太郎を題材としたドラマの台本など、関係者から提供を受けた貴重な資料も並ぶ。関心を持ち、2年ほど前から準備してきた八重樫さんは「展示会を通した語り部として、(光太郎)先生の功績や苦楽を伝えたい。当時を知る人たちによるトークショーも開きたい」と語った。
 30日までで、午前8時半~午後5時。入場無料。


同じ件で『岩手日日』さん。

光太郎 花巻疎開80年 江釣子地区交流セ 記録、資料展示

日日 北上市江釣子の八重樫健一さん(76)は展示会「高村光太郎花巻疎開80年」を、同市の江釣子地区交流センターで開いている。彫刻家、詩人の高村光太郎(1883~1956)が花巻に疎開していた時代の記録や、地元住民との交流の記録を紹介している。30日まで。
 八重樫さんは、義理のいとこの宮森祐昭さんが疎開中の光太郎と交流を持ち、高村光太郎記念館の館長を20年務めたことなどをきっかけに研究を開始。今回の展示会は2年間の研究の成果として開催した。
 展示では、光太郎が太田村山口(現花巻市)に疎開していた7年間について解説する資料など約150点を展示。宮森さんの他、光太郎の疎開期間中に同村村長を務めていた高橋雅郎さんら光太郎を支えた地域住民についても紹介している。
 八重樫さんは「光太郎先生の花巻疎開から80年になり、当時を語れる人もわずかになった今、展示を通した語り部として先生の功績を伝えられればいいと開催した」とし「当時の人でも元気な人はいる。先生をしのぶトークショーなどの機会があれば、供養につながるのではないか」と話していた。


北上市は光太郎ゆかりの花巻市の南に位置しています。生前の光太郎と交流があり、財団法人高村記念会(現・花巻高村光太郎記念会)の事務局長を永らく務められた宮森祐昭氏の親族の方が個人的に企画したものだそうです。

どんなものが出品されているのか細かいところは不明ですが、花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCの皆さんでご覧になってくるということなので、報告を待ちたいと存じます。

続いて兵庫県。

こちらも報道というか、プレスリリースから。

【兵庫教育大学】文学を見て、触れて、嗅いで、いざ物語の世界へ飛び込もう!『ぞわる文学~五感がいざなう魅惑の世界』展を開催中!

 兵庫教育大学教材文化資料館では、2026年4月1日から8月31日まで企画展『ぞわる文学~五感がいざなう魅惑の世界』を開催中です。
 本展では、日本近代文学を中心に、梶井基次郎の『檸檬』や宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』など、五感を刺激する作品を紹介します。さらに、それら作品の一場面をそれぞれの感覚に焦点を当てて再現し、実際に香りを嗅いだり、音楽を聴いたりと「読む」だけではない、体で感じる文学体験をお楽しみいただけます。
 教科書でお馴染みの作品に加え、学校では教わらなかった妖しい作品も並びます。文豪たちの、ときに鋭く、ときに繊細な表現を、その文章のみでなく、見て、触れて、嗅いで、より物語に没入してみませんか。
 ぞわっと鳥肌が立つような、背筋がぞくりとするような、そんな魅惑の世界へご案内します。

2.主催   兵庫教育大学附属図書館 教材文化資料館
3.会期   2026年4月1日(水)から2026年8月31日(月)まで
4.開館時間 平日:8時45分から20時まで、土日祝:10時から17時まで
       ※開館日時は兵庫教育大学附属図書館に準じます。
5.会場   兵庫教育大学附属図書館内 教材文化資料館展示室
        〒673-1494 兵庫県加東市下久米942-1
                             https://www.hyogo-u.ac.jp/museum/
6.観覧料  無料
7.展示資料数 約40点

見て、嗅いで、触れて、あのワンシーンを体感しよう
 のれんをくぐった先の展示の入り口では、積み重なった画集の上に置かれたレモンが出迎えます。ここでは五感のひとつ、嗅覚に着目した展示として、梶井基次郎の『檸檬』、高村光太郎の『レモン哀歌』をとりあげます。それぞれの作品の中でレモンはどのように表現され、またどのような効果をもたらしているのでしょうか。詩や小説の一節を読みながら、その場で実際にレモンの香りを嗅いでご自身の鼻で確かめてみてください。すっぱいレモンの香りが、文学の世界へぐっと引き込んでくれます。
 また、展示室の中央には、江戸川乱歩の『人間椅子』の一節とともに、立派なアンティークチェアが置かれています。どうぞ、ご自由にお座りください。一見するとただの椅子ですが、『人間椅子』の内容に触れてから座ると、それはもうただの椅子ではないかもしれません。知ってしまったが最後、気づけば文豪が紡ぎ出す妖しくも魅惑的な世界の登場人物の一人になっていることでしょう。

懐かしの教科書作品から最新の映画化作品まで紹介
 文学作品の楽しみ方は「読む」だけにとどまりません。その文章からすこし目線を上げると、文学作品がさまざまな形で展開し、楽しみ方を広げていることが分かります。例えば、文学作品を朗読したオーディオブックは「聴く」という楽しみ方を提供しています。本展では、夏目漱石の『夢十夜-第一夜』と有島武郎の『一房の葡萄』の一節を朗読者を変え聴き比べることができます。女性か男性か、幼いか渋いかといった朗読者の声の違いは、同じ文章であっても物語の印象をどう変えるでしょうか。
 他にも、本の表紙デザインを「観て」楽しむコーナーや、学校で学んだ文学作品を振り返るコーナー、映画化作品のコーナーまで、文学作品の楽しみ方をあらゆる角度からご紹介しています。
 本を手に取って帰りたくなるような、そんな時間をお過ごしください。
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おそらく、現在も版を重ねている近代文学作品の書籍や当時ものの書籍、雑誌等を並べ、解説パネルで作品や作者について詳しく説明、そして作品からインスパイアされた現代アートのインスタレーション的な展示も為されている、と、そんな感じだと思われます。
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フライヤーでサムネイルとして取り上げられているのが集英社文庫で川端康成『伊豆の踊子』、太宰治『人間失格』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、リブレさんから出ている『江戸川乱歩傑作集3芋虫』、KADOKAWAさんの漫画『芋虫』(丸尾末広・画)、KADOKAWAホラー文庫で『芋虫江戸川乱歩ベストセレクション2』。

画像を見て、紹介されているのが確認出来る作家は、芥川龍之介、森鷗外、中原中也、夏目漱石、志賀直哉、中島敦。プレスリリースの本文中には梶井基次郎と光太郎の名も。

「ぞわる」の語の通り、妖しい感じですね(笑)。

それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)14 『仏蘭西詩集』 

昭和16年(1941)11月19日 青磁社 村上菊一郎編
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目次
 高村光太郎 午後の時 エミイル・ヹルハアラン
 小林秀雄 酩酊船 アルチュル・ランボオ
 堀辰雄 窓 ライナア・マリア・リルケ
 菱山修三 海辺の墓地 ポオル・ヴァレリイ
 三好達治 祝祷 シャルル・ボオドレエル
 堀口大学 知られぬ海 ジュウル・シュペルヴィエル其他
 村上菊一郎 ランボオ詩鈔
 山内義雄 散文詩 マルセル・プルウスト
 編纂者の言葉

後に設ける「詩華集(アンソロジー)」の項に入れようかとも迷ったのですが、光太郎の頁数も多く、とりあえず「本人著作(部分執筆)」の項に入れておきます。

その後出された各種の版が存在します。

一昨日は光太郎忌日、第70回連翹忌でした。当日、『読売新聞』さん夕刊のコラムで触れて下さいました。

よみうり寸評

駅までの道中、川べりの土手で菜の花が咲いていた。その先の桜並木はもう満開。薄紅の花びらによる天然の回廊を道行く人が時折、立ち止まって見上げていた。◆草木の色の共演が楽しい季節になった。黄色の花を鈴なりにつける連翹(れんぎょう)も、街角に春を告げる使者であろう。きょう2日は、この花を好んだ詩人高村光太郎の命日、連翹忌である。今年で没後70年となる◆高村は「手紙に添えて」という詩のなかで、自然の美を生み出すこの世界を〈不思議に満ちた精密機械の仕事場〉と表現し、こう続けている。〈たった一度何かを新しく見てください/あなたの心に美がのりうつると/あなたの眼は時間の裏空間の外をも見ます〉◆心を病んだ妻智恵子を最期まで愛した高村は晩年、岩手県の山小屋で隠遁(いんとん)生活を送った。ひとり自然と向き合い、時間の裏や空間の外に心が飛ぶ経験をしたのかもしれない◆行き過ぎて尚連翹の花明り(中村汀女)。世俗を離れられぬ身なれども自然の美に心震わす感性は持ち続けたいものである。

引用されている「手紙に添へて」は昭和13年(1938)1月の作。全文は以下の通りです。題名を含め『読売』さんでは新仮名遣いで表記していますが、旧仮名遣いで。

   手紙に添へて

 どうして蜜柑は知らぬまに蜜柑なのでせう
 どうして蜜柑の実がひつそりとつつましく
 中にかわいい部屋を揃へてゐるのでせう
 どうして蜜柑は葡萄でなく
 葡萄は蜜柑でないのでせう001
 世界は不思議に満ちた精密機械の仕事場
 あなたの足は未見の美を踏まずには歩けません
 何にも生きる意味の無い時でさへ
 この美はあなたを引き止めるでせう
 たつた一度何かを新しく見てください
 あなたの心に美がのりうつると
 あなたの眼は時間の裏空間の外をも見ます
 どんなに切なく辛(つら)く悲しい日にも
 この美はあなたの味方になります
 仮りの身がしんじつの身に変ります
 チルチルはダイヤモンドを廻します
 あなたの内部のボタンをちよつと押して
 もう一度その蜜柑をよく見て下さい

さて、連翹忌当日、光太郎が戦後の7年間隠棲した花巻郊外旧太田村では、太田地区振興会さん主催で、光太郎を偲ぶ「詩碑前祭」が開催されています。「詩碑」は、光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)敷地内の「雪白く積めり」碑。以前は5月15日(昭和20年=1945に光太郎が疎開のため東京を発った日)を記念する「高村祭」がこの碑の前で行われていました。昭和33年(1958)、光太郎自筆の原稿用紙を元に、実弟にして鋳金分野の人間国宝となった光太郎実弟の豊周がブロンズパネルに鋳造して作られ、地下には光太郎の遺髯が納められています。

今年、現地は霙(みぞれ)だったそうで、詩碑前ではなくやはり同じ敷地の高村光太郎記念館さんで開催したとのこと。岩手恐るべしで、数年に一度はこの日が雪だったりします。
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地元の皆さんが光太郎詩の朗読をなさって下さっています。中には生前の光太郎をご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

都内で連翹忌を主催している立場上、こちらには伺えませんが、末永く続いて欲しいものですし、5月15日の「高村祭」の復活も心より祈念いたしております。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)9 『青沼彦治翁遺功録』

昭和11年(1936)9月5日 菅原京司編刊
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目次
 青沼彦治翁遺功録序 鎌田三之助
 序 衆議院議員 岡田喜久治
 序 国幣中社志波彦神社塩竃神社宮司 古川左京
 序 高村光太郎
 遺功写真集
 緒言
 青沼家の家系と翁の略譜
 青沼家系図
 翁の経歴
 翁の村葬
 弔詞
 青沼彦治翁の御遺徳を偲びて 青沼幸之助
 遺徳千歳 雲洞庵 新井石龍
 青沼翁の為に聊か無縫塔を描く 壽徳寺住職 熊谷泰壽
 宿植徳本 修禅寺住職 武中文山師
 発菩提心修菩薩行 南浦静夫
 翁の功徳也不朽 龍興院 高塲泰映氏
 神社より見たる翁 斗瑩神社社掌 橋本純氏
 本県酒造組合に対する翁の功績 宮城県酒造組合長 小野惣助
 青沼翁を憶ふ 高清水小学校長従七位勲六等 鎌田謙吉
 所感 古川町長 佐々木君五郎
 青沼彦治君の片影 宮城県古川商業学校長 三原篤治
 翁の報謝生活と其の識見 元古川税務署長 大友喜四郎
 青沼彦治翁を偲ぶ 前大日本体育協会専務理事 佐藤武雄
 所感 株式会社七十七銀行頭取 大庭経之輔氏
 青沼翁を憶ふ 同七十七銀行副頭取 氏家清吉
 我が大崎酒造業界に於ける青沼彦治翁の功績を偲ぶ
 宮城県酒造組合古川支部長 新澤順吉
 青沼彦治翁を追慕して 仙台警察署長 千葉与左衛門
 感想 古川警察署長 舘山久米蔵
 感想 宮城県古川高等女学校長 田中浅次郎
 青沼彦治翁に対する感想 古川裁縫学校長 尾花勇
 故青沼翁を追憶す 元古川中学校長 山下勝太郎
 青沼彦治翁の一面 元志田郡長 下山鉄之助
 偉材青沼彦治翁 遠田郡北浦村長 千葉多利司
 翁の映像 札幌市 農学士 松本精一
 翁を通しての私感 同 医学士 松岡幸七
 青沼彦治翁遺功の片鱗 元荒雄小学校長 川田素助
 荒雄村在郷軍人分会と青沼翁 帝国在郷軍人会荒雄村分会長 工藤観禅
 翁と吾等の団体 荒雄村婦人会長 早坂いし
 翁の功績と感想の一端 荒雄村消防組頭 矢越亥八郎
 所感 仙台市 三神備克
 翁を思ひ出づるがまゝに 赤尾穆如
 翁を偲びて 仙台市七十七銀行塩竃町支店長 鈴木充仁
 所感 玉造郡鳴子温泉 高野善兵衛
 私の翁に私淑せる動気 古川町 佐々木与右衛門
 青沼彦治翁の幼時 小牛田駅前 伊勢忠太郎
 感想 荒雄村役場財務課 竹中明
 郡村分合に就て 荒雄村長濱 高橋悟
 所感 古川町 豊島庄之助
 所感 東京市宮城館主 浅野謙六
 福浦区民鎮守の森に翁の遺徳を偲ぶ事 荒雄村福浦区学務員 佐々木忠之助
 翁の先見 荒雄村字馬寄区学務員 青沼敏夫
 在りし日の翁を慕ひ
 荒雄村馬寄区村会議員兼馬寄耕地整理組合会計 佐々木正衛
 大旦那様と私 青沼商店内 佐藤覚右衛門
 鴻恩に浴せし私の所感 同 菅泉亀治
 感激 同 青沼養蔵
 旦那様と建築 荒雄村字江合大工職 村田吉助
 感想録 古川町 鉄工職 鈴木寛三郞
 青沼彦治翁の芸術感に就いて 古川町川端 表具師 横山豊助
 御主人公御夫妻と成田山 古川町裏町 武力職 石川萬
 所感 樋口光平
 青沼彦治翁と厥郷土 古川町横町電気器具商 大泉良平
 青沼彦治翁の葬儀 荒雄小学校高等二年生 千葉義夫
 故青沼彦治翁に就いて 荒雄小学校高等一年生 青沼常雄
 所感 龍銅院檀頭 早坂与兵衛
 所感 素荒雄村長 相沢琢造
 荒雄村基本財産 現荒雄村助役 高橋勇吉
 村の恩人青沼翁 同助役 高橋勇吉
 青沼彦治翁を憶ふ 荒雄小学校長 土田徹三
 翁の赤誠奉安殿を新築寄付す 同校長 土田徹三
 翁の教育に与せられし厚儀 同校長土田徹三
 青沼彦治翁の至誠と敬神思想 神官 祇園寺大亮
 青沼彦治翁龍洞院に対する功績所感 龍洞院住職 工藤観禅
 信心歓喜を忍ぶ 工藤観禅
 翁を偲びて 荒雄村馬寄排地整理組合長 佐々木与一
 噫青沼翁 荒雄小学校内 三浦利康
 所感 同小泉区 関庸之助
 所感 青沼勇吉
 感想 佐々木壽治
 余録

たぶん函がついていたと思うのですが、手持ちのものには欠けています。

青沼彦治(慶応2年=1866~昭和10年=1935)は宮城県志田郡荒雄村(現・大崎市)で醸造業を営んでいた素封家です。大正14年(1925)、光太郎が父・光雲の代作でその銅像原型を制作しました。像は戦時中の金属供出のため現存せず、台座のみが大崎に残っています。

この書籍は主に地元の人々が青沼の功績を讃える文章等を寄せたものです。光太郎の文章は「序」となっていますが、序文的な内容ではなく、おそらく通常の寄稿者と同様に寄稿したもの。数多い執筆者中の特筆すべき人物ということで巻頭に置き、「序」の扱いとしたかと思われます。全文はこちら。十数年前に見つけたもので、『高村光太郎全集』には漏れていました。青沼像について詳細に述べているのはこの文章のみで、貴重なものです。

下記はこの書籍に載った青沼像の写真の一部です。左下の方には光太郎、光雲、豊周の父子三人も写っています。
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光太郎第二の故郷、岩手花巻からの情報等です。

まず地方紙『岩手日報』さんに載った、都内の方からの投稿。

光太郎と賢治感じた花巻旅

◇花巻へ行った。2日の旅の初日3月13日。太田の高村山荘。偶然だがその日は高村光太郎の誕生日だった。宮沢賢治を世に知らしめた光太郎。天才は天才を知るという。この2人の関係はまさにそれだ。
 こんなにも質素な住まいに7年暮らした光太郎。田畑を耕し詩作や書の芸術にも専念する姿は、堅持の精神を具現化するものと言っていい。その精神力と体力は信じがたいほど強かったに相違ないが、同時に地元の人々との交流と支えがなければ続かなかったことと思う。
 光太郎は岩手を心から愛していた。「岩手の人沈深牛の如し」「つひにその成すべきを成す」「ニッポンの背骨岩手」とうたい上げている。
 賢治と光太郎ゆかりの大沢温泉に1泊し、翌日「雨ニモマケズ」の賢治詩碑を訪ねた。光太郎の書によるものだが、詩の後半部分のみで誤字脱字のまま刻印されたとの挿話も心引かれる。
 早池峰山は白く輝き美しい。こんなにもすばらしい場所に羅須地人協会はあったのか。昼食は花巻市街でそばを食べサイダーを飲んだ。心の洗われる2日間であった。

冨田淳治 64歳 東京都北区 公務員

現在、高村光太郎記念館さんでは「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」が開催中で(今月いっぱい)、そちらをご覧下さった上での内容となっています。ありがとうございます。

続いて、主に「食」を通して光太郎顕彰に取り組まれているやつかの森LLCさんの取り組み。市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」としてやつかの森さんが厳冬期を除いてランチタイムに月イチで出店されていますが、今年初の出店が3月24日(火)でした。
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基本、光太郎の日記などを元に、実際に光太郎が作った料理や使った食材などを現代風にアレンジして饗するランチです。

「和風なタンドリーチキン」「大根のそぼろ餡」「漬けマグロのとろろかけ」「葱の酢味噌」「鱈子と糸コンの和え物」「旬の漬け物」「ふんわりニラ卵汁」「白ご飯・バッケみそ」「花巻銀糖」「コーヒー」。これで価格は1,200円だそうですので、割安感があります。

「バッケ」は方言でふきのとう。光太郎が好んで使った食材の一つです。全国的にそうでしょうが、特に東北では春を告げる象徴的なものですね。

この取り組み、長く続くことを願って已みません。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)2 『後期印象派』現代の洋画第十六号

大正2年(1913)8月1日 日本洋画協会 北山清太郎編
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目次
 後期印象派論(リュイス・ハンド) 木村荘八
 ポール・セザンヌ(マイエル・グレーフェ) 同
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(同) 同
 ポール・ゴーガン(同) 高村光太郎
 ポール・セザンヌ(テオドル・ドュレ) 木村荘八
 ポール・セザンヌ(ジェムス・ハネカー) 同
 画論(アンリ・マティス) 高村光太郎
 トウルーズ・ロートレク(アルビーン・アレキサンドル) 同
 ゴォホとゴーガン 岸田劉生
 挿画目次

今日からこの項、光太郎が部分的に執筆していたり、他の人物との共著だったりの書籍をご紹介して参ります。雑誌、序跋文を書いただけもの、多数の作者の作品を集めたアンソロジーはここでは除外します。

初回がいきなり例外で雑誌ですが、この号は特別号で、現代の感覚のムックに近いもののため、実質的に光太郎、木村、岸田の共著書籍として捉えられることがほとんどです。

まず花巻高村光太郎記念館さんについて。同館を含む花巻市立の社会教育施設等数館が、来年度から休館日や開閉館時間の設定を変更するそうです。今後行かれる方はご注意下さい。

同市のサイトから。

社会教育施設等の開館時間・休館日の見直しを実施します

 市の社会教育施設等は、観光客の利便性を考慮し、シフト制により職員の勤務日や勤務時間を割り振ることで、年末年始を除きほぼ通年で開館してきました。しかし、通年で開館することにより、施設の点検や清掃などの日程調整に苦慮しているほか、積雪時には早朝から職員が除雪作業を行うなど時間外勤務が発生していました。
 これらの課題を改善するため、令和8年4月1日から毎週の休館日を設定し、開館時間を変更します。これにより施設の定期的な点検や清掃を確実に実施し、利用者サービスの向上と職員の働き方改革を図ります。

高村光太郎記念館
現行
 休館日:12月28日から1月3日
 開閉館時間:午前8時30分から午後4時30分
令和8年4月1日から
 休館日:毎週月曜日(祝日と重なったときはその次の平日)、12月28日から1月3日
 開閉館時間:午前9時から午後4時30分
問い合わせ 高村光太郎記念館 電話:0198-28-3012
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平成25年(2013)に現在の建物にその機能が移って以来、これまで休館は年末年始のみだったのは、基本的に毎週月曜日休館となるそうです。また、開館時間がこれまでより30分遅くなり、午前9時からに変更とのこと。

通常、この手の館は週に1日の休館日を設定していることがほとんどですし、これまでのように午前8時30分開館というところはほとんど無いように思われ、全国的に見ても平均的な設定になる気がします。

ついでですので、光太郎と縁の深かった宮沢賢治関連の施設についても変更点をご紹介しておきます。

宮沢賢治記念館
現行
 休館日:12月28日から1月1日
 開閉館時間:午前8時30分から午後4時30分
令和8年4月1日から
 休館日:毎週火曜日(祝日と重なったときはその次の平日)、12月28日から1月3日
 開閉館時間:午前9時から午後4時30分
問い合わせ 宮沢賢治記念館 電話:0198-31-2319 

宮沢賢治イーハトーブ館
現行
 休館日:12月28日から1月1日
 開閉館時間:午前8時30分から午後4時30分
令和8年4月1日から
 休館日:毎週火曜日(祝日と重なったときはその次の平日)、12月28日から1月3日
 開閉館時間:午前9時から午後4時30分
問い合わせ 宮沢賢治イーハトーブ館 電話:0198-31-2116
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003開閉館時間に関しては、高村光太郎記念館さんと同じく、午前9時からに変更とのこと。そして休館日。高村光太郎記念館さんは毎週月曜になるそうですが、賢治関連2館さんは毎週火曜日の設定だそうです。となると、月・火は1日で高村光太郎記念館さんと賢治関連2館さんを回るのは不可能になります。

花巻市の老舗タクシー会社・文化タクシーさんでは「どんぐりとやまねこ号」という最大9人乗りのジャンボタクシーを運行して下さっていて、現在運行されている「午前コース」がまさに高村光太郎記念館さんと賢治関連2館さんを回るコース設定になっています。ところがそうなると、月・火はその設定が成り立たなくなるということで、祝日を除く月曜日は高村光太郎記念館さんの代わりに、賢治菩提寺にしてその墓のある身照寺さんが入り、火曜日は全面運休だそうです。

「午後コース」は、花巻東高校さんに設置されたMLB菊池雄星投手/大谷翔平選手のモニュメント、南部杜氏伝承館・酒匠館さん、宮沢賢治記念館さんを回るコースです。「午前コース」、「午後コース」を併せて「1日コース」とすることも可能で、その場合は午後の宮沢賢治記念館さんの分は宮沢賢治童話村さんとするそうで。で、火曜日も同様の変更とするそうです。

というわけで、4月以降、光太郎関連、賢治関連で花巻を訪れようという方、ご注意下さい。

それから、福島二本松の智恵子記念館さんについても。こちらは新年度からの変更点というのはありませんが、ショッキングなニュースが入ってきました。

FCT福島中央テレビさんのローカルニュース。

公園の滑り台にいたのは…体長約1メートルの熊 警察が注意呼びかけ 福島県二本松市

 21日午後4時過ぎ、二本松市の公園にある滑り台で熊が目撃され、警察が注意を呼びかけています。
 熊が目撃されたのは、二本松市油井の「智恵子の杜公園」です。警察によりますと、21日午後4時20分ごろ、公園を散歩していた40代の男性が、滑り台の滑り出し口にいる、体長約1メートルの熊1頭を目撃したということです。
 男性はすぐにその場から離れ、この熊によるけが人や被害は、これまでに確認されていません。その後、熊の行方は分かっていませんが、警察は、引き続き警戒するとともに、付近の住民に注意を呼びかけています。

同じ件で、TUFテレビユー福島さん。

【クマ出没情報】公園のすべり台で目撃 21日午後4時すぎ 福島・二本松市

 21日午後4時20分頃、福島県二本松市油井の智恵子の杜公園で、散歩をしていた男性がすべり台のすべり出し口にいるクマ1頭(体長約1メートル)を目撃しました。男性はすぐに現場から立ち去り、その後クマはいなくなったということです。
 これまでに周辺で被害は確認されていません。警察はパトカーで周辺の警戒にあたるとともに周辺住民に注意を呼びかけています。
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現場は智恵子記念館さんを含む智恵子の杜公園。記念館さんから光太郎智恵子も歩いたという「愛の小径」を登っていった「ふれあいの広場」と思われます。距離的には200㍍あるかないかです。
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花巻高村光太郎記念館さんや宮沢賢治記念館さん周辺では当たり前のように熊が棲息しており、高村光太郎記念館さんや隣接する光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)などでは看板や外壁が熊の爪痕だらけですが、二本松の智恵子記念館さん周辺で熊というのは初めて聞きました。下記の航空写真で左上の方、何となく遊具っぽいのが見て取れるかと存じます。
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周辺には民家もそれなりにある場所ですので、今後、人的被害が出ないことを祈ります。

こちらに関しても、今後、行かれる場合にはご注意下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体) 82『The Onsen of Hanamaki 花卷温泉』

令和5年(2023)4月 花巻市 高村光太郎著 森川沙紀/ガットマン・ジェシー訳
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目次
 Takamura Kotaro's profile 高村光太郎プロフィール
 The Onsen of Hanamaki 花卷温泉
 Hanamaki as a Town of Onsen 温泉のまち 花卷
 Publisher's Note 冊子に寄せる思い

花巻市の地域おこし協力隊として活動されていた森川沙紀氏による制作。光太郎が亡くなる2ヶ月前の昭和31年(1956)に語った生前最後の談話筆記「花巻温泉」の全文と、その英訳が載せられています。「花巻温泉」というタイトルですが、光太郎、花巻温泉さんだけでなく大沢温泉さん、鉛温泉さん、台温泉さん、志戸平温泉さんなど、自分が足を運んだ温泉宿は細かに語っています。

毎月15日、光太郎第二の故郷・岩手花巻の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントミレットキッチン花(フラワー)さんで限定販売される弁当「光太郎ランチ」。光太郎が実際に作った料理や使った食材などを参考にしたメニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんから今月分の画像が届きました。
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品目は「赤飯」「五目飯」「ヒレカツ」「揚げ大根の野菜あんかけ」「ほうれんそうととうもろこしのナムル」「ネギとワカメの酢味噌和えイカ添え」「卵焼き」「芋羊羹」「漬物」だそうです。

「地域ニュースサイト号外NET」というサイトがあり、そちらで3月16日(月)に紹介されています。今月分というわけではなく、毎月の取り組み全般についてですが。

【花巻市】毎月15日販売! 10食限定! 手作り弁当「光太郎ランチ」を知っていますか?006

 高村光太郎を知っていますか? 教科書で「智恵子抄」や「道程」を学んだ人もいるかもしれません。詩人であり、彫刻家である高村光太郎は、実は花巻市とゆかりのある人物です。
 高村光太郎は、晩年宮沢賢治の実家を頼って疎開して7年間花巻に住みました。その時の作品は、高村光太郎記念館に展示してあります。
 道の駅はなまき西南では、光太郎goodsコーナーがあります。休憩コーナーには、宮沢賢治と高村光太郎との関係を開設したボードも展示してあります。
 とても関係の深い花巻市と高村光太郎なのですが、道の駅はなまき西南では、特別なお弁当を月に1回だけ販売しています。そのお弁当の名前は「光太郎ランチ」です。
 光太郎ランチは、高村光太郎が残した日記の中の食事を再現したものです。「光太郎ランチ」を調理・販売されているのは、ミレットキッチン花さんです。地元の野菜をたくさん使った弁当は税込み800円、限定10食です。
 献立は毎月異なります。光太郎と一緒のメニューを食べながら、その世界観を身近に感じてみませんか?

道の駅はなまき西南
 住所 〒025-0131 岩手県花巻市轟木7地割203番地
 営業時間
  ●インフォメーション9:00~17:00
  ●直売所「すぎの樹」9:00~17:00 
  ●味楽苑 昼 11:00~14:00(L.O 13:30) 
       夜 火曜~金曜 17:30~21:00(L.O 20:30)
       土曜・日曜 17:00~21:00(L.O 20:30)
  ●ミレットキッチン 花 9:00~12:00
  ●トイレ・休憩スペース 24時間
 定休日 年末年始
 電話番号 0198-29-5522

もう1箇所、同じ花卷市内の東和地区にあるワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」としてやつかの森さんが厳冬期を除いてランチタイムに月イチで出店されていますが、今年初の出店が3月24日(火)です。

予告されているメニューが以下の通り。
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 ・和風なタンドリーチキン
 ・大根のそぼろ餡
 ・ヒッコロ酢味噌
 ・漬けマグロのとろろかけ
 ・鱈子と糸コンの和え物
 ・旬の漬け物
 ・ふんわりニラ卵汁
 ・白ご飯~バッケみそ~
 ・花巻銀糖
 ・コーヒー


こちらは1,200円だそうで。

それぞれぜひご堪能下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)77 『ロダンの言葉』現代日本の翻訳

平成19年(2007)5月10日 講談社(講談社文芸文庫) 高村光太郎編・訳
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目次
 凡例
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヴェヌス 中世期芸術への入門――原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺
  本寺別記 断片 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(其一)  古代芸術の教訓(其二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)
  昔の仕事場と今日の学校 構造と肉づけ 古代芸術の伝統的法則
 若き芸術家達に(遺稿)
 解説 湯原かの子
 年譜 北川太一
 著書目録

筑摩書房版の『高村光太郎全集』を定本に、大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た『続ロダンの言葉』からピックアップして編まれた文庫版です。新漢字、新かな遣いに改め、多少ふりがなを加える措置が為されています。未だに新刊として入手可能のようです。

本日、生誕143周年目となった光太郎。その生前の姿をご存じの方によるエッセイ集です。

加賀野の春

発行日 : 2026年3月10日
著 者 : 小野寺苓(おのでられい)
版 元 : 文藝春秋企画出版部
定 価 : 1,600円+税

著者は昭和7年(1932)東京都生まれ、岩手県盛岡市育ち。長く一関市で暮らし、『みちのく腑分け始末』『茶杓 消えた伊達家老』などの歴史小説や、詩集、随筆集『北窓の風景』『心の旅 井上靖紀行』などを上梓。とりわけ平成8年(1996)刊の随筆集『女の名前』は評価が高く、小学館文庫に入りロングセラーとなった。

本書には、それ以降、書き溜めた作品から、9篇の詩と47篇の随筆を厳選。高村光太郎から聞いたテイル・シチューの話。2010年、講演に招かれた福島県新地町の人たちとの力強い握手。日本で初めて『悪の華』を訳した同郷の矢野茫土とその仕事を守った家族。東京駅で懐かしげに夫に話しかけた謎の男。そして百回も続いた「井上靖文学を読む会」のことなど、忘れがたい人との縁が、端正な名文で綴られる。

「読み返し、偶然と言うべきか不思議と言うべきか沢山の素晴らしい方々との出会いが私を成長させて下さったことに改めて気がつきます」(「あとがき」より)
巻末に、『女の名前』以来の愛読者・桜木紫乃さんによる解説を収録。
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目次
 詩 愛
 赤いバイオリン/椿の庭/蜘蛛の巣    
 詩 沈黙
 ははとじとまなご/ミラー刺繡/水晶/網タイツの菩薩/黒い仏像    
 詩 フウセンカズラ
 握手/消えたチーズ/茶杓/観光と大観/石庭      
 詩 パラオの少年
 フタリワイイ/東山魁夷と子供たち/氷の階段/レッスン/矢野文夫(茫土)/画家の遺族
 青イシグナル   
 詩 桜は咲かなかった
 ジャカランダの花/あの世でも/陰膳/飯盒炊さん/テイル・シチュー/夏の終わり  
 詩 萱草
 たばこ/女物のハンカチ/衝突/目撃者/錦木/原敬と狸/赤穂の殿様    
 詩 想
 感謝/保険医廃業/人名漢字/同姓同名/芳名簿/勘違い/圧迫骨折/落穂拾い
 天使との出会い/ 加賀野の春     
 詩 道
 徳島の旅/白神山地は拒絶した/曖昧の弱さ/読む・百回のステージ 
 詩 よみがえり
 あとがき
 解説 桜木紫乃

小野寺 苓
昭和7年(1932)東京都生まれ。岩手県盛岡で育つ。小説に『玉蕾』(岩手日報社)、『みちのく腑分け始末』(新人物往来社)、『茶杓 消えた伊達家老』『火 みちのく一関忠臣蔵』(勝どき書房)、随筆に『北窓の風景』(おのまき)、『女の名前』(小学館文庫)、『心の旅 井上靖紀行』(土曜美術出版販売)。北川れいのペンネームで、詩集『ママンの木』『蓮台野』(Láの会)、『花の郵便』『托鉢の朝』(土曜美術出版販売)がある。


著者の小野寺苓氏、「よく間違われる」と本文中にも繰り返し記されていますが、女性です。「苓(れい)」一字のお名前は、漢文学の教養がおありだった父君による命名とのこと。現在では常用漢字にも人名漢字にも含まれない字だそうですが。

東京のお生まれで盛岡で育ち、永らく一関にお住まいで、現在は盛岡の介護施設に入ってらっしゃるそうで、タイトルの「加賀野」はその施設名から。同時に施設周辺の地名でもあるようです。

「テイル・シチュー」という項で、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隠棲していた光太郎の元を訪問したことが語られています。訪問時には「花巻市の高校生だった」そうで「数人の友人と訪ねて行った」とのことでした。季節的には「あの日の山荘の外は白い雪景色」。光太郎は囲炉裏ばたにいたそうですが、小野寺氏一行を見て開口一番「名前を聞いても仕方がない」(笑)。しかし、歓待はしてくれたようで、それは「私たちが乏しい小遣いから出し合って買っていった土産の煎餅や焼き芋をひどく気に入った」ためのようです(笑)。

そして「テイル・シチュー」。

 高校生の私たちを相手に話してくれたのは、文学や彫刻の事ではなくパリ在住時代の食べ物の話ばかりだった。
 テイル・シチュー、タン・シチュー、フランスパンのことなど懐かし気に話していた。パリの肉屋から殆どただみたいに貰ってくる牛のシッポを肩からだらりと下げてパリの街中を歩く姿を想像したのだが、まさかそんな恰好ではなかったろう。


光太郎のテイル・シチュー好きは筋金入りで、山小屋隠棲中にも作っていましたし、講演などでもその魅力を繰り返し語っていました。当時まだ一般的ではなかったこともあり、講演を聴いた聴衆が挙ってシッポを買い求め、肉屋さんとしては「何事だ?」状態だったとのこと(笑)。

その後、最近の話として浅田次郎氏の小説『蒼穹の昴』の話題に。その中にテイル・シチューについての記述があって、旦那さまが肉屋さんに材料を頼み、小野寺氏が作ってみたとのこと。そこから遠い日の光太郎から聞かされた話を思い出した、という流れでした。

光太郎、残っている日記には結構細かく来訪者と貰った土産などを記録しているので、あたってみました。雪の季節で、高校生が数人、持参したのは煎餅と焼き芋。しかし、残年ながら該当する記述は見つかりませんでした。昭和24年(1949)と翌25年(1950)の日記は大部分が失われており、その間だったのだろうと思われます。

その他、光太郎と交流のあった人物についての項も複数。彫刻家の土方久功、詩人・美術評論家・日本画家の矢野文夫、画家の松本竣介、そして岩手と言えば宮沢賢治。さらにご交流がおありの桜木紫乃氏による解説が附されています。

どの項も軽妙かつユーモアに溢れ、それでいて考えさせられることも多く、最近読んだこの手のものの中では出色でした。ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)71 『新編 智恵子抄』

平成6年(1994)4月15日 ノーベル書房 高村光太郎著 髙村規監修
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目次
 智恵子の貼り絵
 詩
  人に 或る夜のこころ おそれ 涙 からくりうた 梟の族 或る宵 郊外の人に
  冬の朝のめざめ 深夜の雪 人に 人類の泉 僕等 愛の嘆美 晩餐 淫心 樹下の二人
  狂奔する牛 金 鯰 夜の二人 あなたはだんだんきれいになる あどけない話
  同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
  荒涼たる帰宅 松庵寺 噴霧的な夢 もしも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形
  案内 あの頃 吹雪の夜の独白 智恵子と遊ぶ 報告
 短歌
 随筆
  智恵子の半生 新茶の幻想 某月某日 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵 年越し
  智恵子の遺作展 村にて 再び村にて 九月三十日 あとがき(智恵子抄その後より)
  樹下の二人 二本松霞ヶ城 ×月×日 某月某日 某月某日 自作肖像漫談
 書簡
  智恵子宛光太郎書簡

少し前ににも書きましたが、この時期、『智恵子抄』の各種の異版が5種類ほど相次いで刊行されました。どれも不幸な「智恵子抄裁判」のからみです。そのうち、髙村家として出したという感じのものです。他の『智恵子抄』に収録されなかった作品も積極的に採る、というコンセプトだったようです。

2月21日(土)に岩手県花巻市で開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、地元紙『岩手日日』さんが報じて下さいました。もう一紙、『岩手日報』さんでも記事が出るかなと思って待っていたのですが、今朝の段階でネット上に出ていませんで、『岩手日日』さんの記事のみ御紹介します。

会いた光太郎と賢治関わりは 3人トークで思いはせ 花巻

 トークイベント「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」は21日、花巻市大通りのなはんプラザで開かれた。参加者は、関係者による講話を通じて彫刻家、詩人の高村光太郎(1883~1956年)と詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)との関わりに思いを巡らせた。
 高村光太郎記念館で開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展(3月31日まで)の関連行事。高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表、林風舎の宮沢和樹代表取締役、共同園芸の瀬川正子取締役の3人が講話し、市民ら約200人が聴講した。
 このうち小山代表は、2人が詩人・草野心平主宰の詩誌「銅鑼(どら)」の同人となったことで関係が始まったことや、1926(大正15)年に東京にある光太郎アトリエで1回だけ面会したことを紹介。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた追悼会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」が記された手帳を含む遺稿を持ち込み、光太郎や草野らが「このまま埋もれさせてはいけない」と一念発起し、数回にわたる「宮沢賢治全集」の編集刊行に取り組んだことなどを説明した。
 講和後は参加者から人脈が広がっていった経緯や、編さんに関わった賢治の親友で花巻高等女学校の音楽教師だった藤原嘉藤治に関する質問などが出された。
 父と参加した市立石鳥谷中学校2年の大竹彩未さんは「賢治作品が好きでよく読んでいる。面白い話が聞けて、人物同士の関係や作品の背景を知ることができて楽しかった」と話していた。
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その後、市役所さんからは、お聴き下さった一般の方々からのアンケート結果等も送られてきて、拝読したところ概ね好評で胸をなで下ろしました。

それにしても毎回感じますが、賢治と言えば花巻で、地元の皆さんの賢治愛。光太郎は現在の東京台東区の生まれ、没したのは中野区、最も長く住んだのは文京区ですが、それらの地域に賢治の花巻ほどのふるさと感が感じられません。それぞれの区で地元の偉人として光太郎を推しているかというとそうでもありません。文京区さんだけは公式サイト内の「文京ゆかりの文人」といページで光太郎も取り上げて下さっていますが、60名ほどの中の一人という扱いです。サムネイル画像つきでまず紹介されているのは森鷗外、夏目漱石、樋口一葉、石川啄木の4人です。鷗外・漱石・一葉はともかく、啄木の後塵を拝しているというのはくやしいところです(笑)。
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ちなみに60人ほどの中には、大正10年(1921)、菊坂に下宿して国柱会に通っていたということで賢治も含まれています。

文京区立本郷図書館さんで発行していた「谷根千ゆかりの文人まっぷ」でも同じような感じです。このエリアだけでも30人ほど。もっとも、谷中は文京区でなく台東区ですが。
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こういうところも東京一極集中ということなのでしょうか。漱石と一葉は東京出身ですが、鷗外と啄木はそれぞれ島根と岩手ですし、他の「文京ゆかりの文人」の60人ほど、「谷根千ゆかりの文人まっぷ」の30人ほども、半分くらいは地方出身者のようです。

閑話休題、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」、今月いっぱいです。ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)64 『CHIEKO’S SKY』

昭和53年(1978)2月 KODANSHA INTERNATIONAL 高村光太郎著 古田草一訳
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目次
 translator's preface to someone heart of one night fear peep-show song
 one evening to a woman in the suburbs winter morning awakening to someone
 midnight snow us in admiration of love supper beneath the trees
 stampede catfish a couple at night you get prettier and prettier innocent tale
 kinds cohabiting beauty's imprisonment distant view of life Chieko riding the wind
 at the foot of the mountain lemon elegy to the deased plim wine
 Chieko's papercuts the latter half of Chieko's life atomizing dream metropolis
 guiding thouse days blizzard night monologue Chieko the Element naked form
 to play with Chieko 

「智恵子抄」の英訳です。詩文の選択は独自のものがあり、昭和31年(1956)の新潮文庫版に収められた戦後のものも含みますが、新潮文庫版と完全に一致するわけでもなく、昭和16年(1941)龍星閣刊行のオリジナルとも異なっています。

岩手レポートの2回目です。

2月21日(土)、東北本線花巻駅前のなはんプラザさんで開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」に出演後、レンタカーを新花巻駅で返却し、東北新幹線で盛岡へ。当初、盛岡行きのつもりはなかったため、こうなりました。予定していれば盛岡までレンタカーで行っていました。

盛岡での目的地は鉈屋町のもりおか町家物語館さん。こちらで「岩手ゆかりの近代詩文書作品展」が開催され、光太郎詩の一節等を書かれた書が複数出ているという情報を直前に得たため、急遽向かった次第です。
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現地へは盛岡駅からタクシーで。行ってみるまで詳しく存じませんでしたが、鉈屋町一帯は古い街並みが残り、古民家をリノベーションした店舗なども多く、けっこう観光客の皆さんなどでにぎわっていました。余裕があればぜひ歩いてみたいところでしたが。

やがて到着。これも行ってみて気づいたのですが、複数の建物を使った複合施設でした。
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会場は「大正蔵」という大きな建物で、1階はショップやカフェ、2階がギャラリー。その2階です。
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30点あまりが並んでいます。
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「岩手ゆかり」ということで、石川啄木、宮沢賢治、新渡戸稲造など。

そして我らが光太郎。「岩手出身」とされてしまうと対象外ですが「ゆかり」としていただいているのでありがたいところです。
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言わずと知れた「道程」(大正3年=1914)。
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俳句「熊出ると いふ峠路の あけびかな」。昨今、岩手でも熊の出没情報や痛ましい人身被害の報道などが聞かれますが、この句はまだ光太郎が花巻疎開前の昭和17年(1942)、上州湯ノ小屋温泉で詠まれたもので、若い友人で共に詩人の風間光作、西山勇太郎との旅路の最中でした。この際には宝川温泉さんにも宿泊しています。
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詩「牛」(大正2年=1913)の一節。冒頭の「牛」一字が実にいい感じですね。
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冬を愛した光太郎の真骨頂、詩「冬の言葉」(昭和2年=1927)から。
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同じく「冬が来た」(大正2年=1913)から。
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左は詩「岩手の人」のよく引用される一節。右が『智恵子抄』中の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)全文。

今回で4回目ということで、一昨年の第2回の際には光太郎がらみの報道も為されました。今後も継続されていくことを祈念いたします。

再びタクシーで盛岡駅に戻り、また花巻を通過して帰りました。以上、岩手レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)53 『ロダンの言葉』 

昭和34年(1959)7月25日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎訳著
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目次
 凡例
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 中世期芸術への入門―原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺
  本寺別記 断片 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 芸術に於ける動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一) 古代芸術の教訓(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)
  昔の仕事場と今日の学校 構造と肉付け 古代芸術の伝統的法則
 解説 尾崎喜八

大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版に準ずる内容です。新たに収められた解説は光太郎と交流の深かった尾崎喜八でした。

手持ちのものは昭和39年(1964)6月30日の第4刷です。

昨日まで1泊2日で岩手県に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

2月20日(金)、夕方までに着けばいいので、いつもより遅めの東北新幹線で北へ。途中、智恵子の故郷・福島二本松を通っていきますが、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の山の上には智恵子の「ほんとの空」が広がっていました。
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新花巻へは14時半過ぎに到着。

今回メインの目的は、翌日行われるトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」出演でしたが、こちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントでしたので、昨年12月の開幕直後に続き、もう1度展示を見ておさらいしておこうと思い、同館へ。例によってレンタカーです。
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同時開催の特別展「中原綾子への手紙」は2月28日(土)まで。
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隣接する高村山荘。光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋です。
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宿泊は大沢温泉山水閣さん。
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ふだん泊めていただいている自炊部さんとは館内で繋がっています。

自炊部さんの休憩コーナー。桃の節句が近いということで、素朴なひな飾り。
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光太郎ともども、大沢温泉さんに足跡を残す賢治の紹介も為されています。
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翌朝、大沢温泉さんを後に、市街地へ。

トークイベント会場のなはんプラザさん。
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花巻南高校さん他の御協力で、会場内にはいろいろと展示も。

先週まで、高村光太郎記念館さんロビーで展示されていた、授業の芸術書道を選択されていた生徒さんたちが書かれた光太郎詩文の書。
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一昨年に同じこの場で初披露され、その後、二本松の智恵子記念館さん、花巻高村光太郎記念館さんなどでも展示された、家庭クラブさんによる「智恵子のエプロン」。
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さらに、花巻のせがわ京染店さんが同じ型紙から複数作って下さったそうで。
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和装のマネキンに着せると、また違った感じになります。

さて、10:00開会。人が集まるのかな、と不安もありましたが、蓋を開けてみれば超満員でした。ありがたし。
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まず当方。20分ほどパワーポイントのスライドショーを使って語らせていただきました。光太郎と賢治のそもそものつながり、そこに介在した当会の祖・草野心平、生涯にたった1度の光太郎と賢治の出会い(ちょうど100年前です)、その後の4種類にわたる賢治全集への光太郎の関与、やはり賢治全集編纂に力を注いだ賢治実弟・清六や賢治の親友・藤原嘉藤治などについて。
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上画像は、仙台から駆けつけて下さったヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんが撮って下さいました。

続いて清六令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏。
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いつものことですが、とにかく宮沢家では光太郎に対してものすごい恩義を感じ続けてきたというお話で、逆にこちらとしては恐縮してしまいます。

藤原嘉藤治の顕彰をなさっている瀬川正子氏。賢治の精神を体現する優れた実践的な活動を毎年顕彰する「イーハトーブ賞」を昨年受賞なさいました。
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嘉藤治は最初の文圃堂版全集から編纂に関わりましたが、2度目の十字屋書店版では心平が中国に渡ってしまったこともあり、清六ともども中心的な役割を果たしました。
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さらに戦後は賢治精神を体現すべく、故郷・岩手に帰って開拓に乗り出し、そこでも光太郎と関わります。

休憩を挟んで、質問を受け付けながらのフリートーク。和樹氏は、戦後の昭和21年(1946)から同24年(1949)にかけ、清六と光太郎の二人だけで編んだ日本読書組案版の『宮沢賢治文庫』について。特に「生徒諸君に寄せる」を中心に。

さらに音楽教師だった嘉藤治と、音楽好きだった賢治とのチェロを通しての関わりにも。
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現在、花巻の宮沢賢治記念館さんで展示されている賢治旧蔵のチェロは、嘉藤治のチェロと交換したものだそうで、おかげで花巻空襲による被害を免れたとのこと。そして上画像で嘉藤治が持っている嘉藤治が使っていたチェロには穴が空いていて、それを補修した跡があり、賢治童話「セロ弾きのゴーシュ」で子鼠を穴からチェロに押し込む場面との関連が疑われるといったお話など。これは存じませんでした。
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瀬川氏も、会場からの「嘉藤治はどんな先生だったのですか」という質問に答える中で、やはりゴーシュのモデルは嘉藤治ではないかというお話。嘉藤治はゴーシュ同様、癇癪持ちの面もあって顔を真っ赤にして怒ることから「タコ先生」と呼ばれていたそうで(笑)。

そんなこんなであっという間に予定の時間となり、閉会。

ちなみに来場者のみなさんには、お土産ということで下記の冊子が無料で配られました。
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以前にもちらっと書きましたが、高村光太郎記念館さんでの展示説明パネルを書き始めたところ、あれも書きたい、これも書かなきゃ、とやっていたらかなりの枚数になってしまい、パネルはこの中から適当にセレクトして下さい、残りの部分も含めて冊子にして出版したらどうですかと提案したところ、そうなりました。

50ページ程で、頒価は600円。まだどのような形で販売されるのかよくわからない点がありまして、またのちほど詳しくご紹介いたします。

終了後、講師控え室で昼食。
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花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん(今回の記念館さんでの展示、トークショー、冊子の発行にも御尽力)が光太郎日記などを元に、実際に光太郎が作ったメニューなどを参考に組み立て、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」のスペシャルバージョンでした。

てっきり今月15日に販売された分と同じメニューだろうと思っていたら、さにあらず。この日のためのスペシャルメニューでした。
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偏食気味のところがある当方を慮ってくださったようなメニュー構成で、恐縮でした(笑)。せっかくなので来月分にでも転用すればいいのに、と思いますが。

とにもかくにも一仕事終わりまして、関係の皆様、ご来場下さった方々に深く感謝しております。この後、盛岡まで足を伸ばしました。そのあたりはまた後ほど。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)52 『詩集 智恵子抄』 紅白版

昭和34年(1959)4月10日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

紙型は昭和26年(1951)に出た戦後新版と同一です。皇太子殿下と美智子さま(現・上皇ご夫妻)のご成婚記念という理由で表紙をおめでたい紅白の布装にし、「紅白版」として出されました。この頃になると結婚披露宴の引出物に『智恵子抄』というのが一つのトレンドだったそうで、そうしたところからの着想もあったように思われます。智恵子の最期を思うと複雑な気持ちになりますが……。

2ヶ月ぶりですが、今年初めて、光太郎第二の故郷・岩手花巻に来ております。
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先月はかなりの積雪だったそうですが、このところ少し暖かくなったとのことで、街なかではあまり雪がありませんでした。

それでもだらだら坂を登り、光太郎が隠棲していた旧太田村まで来ると、それなりに。
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光太郎の山小屋(高村山荘)。
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隣接する高村光太郎記念館さん。
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宿泊は光太郎もよく泊まった大沢温泉さんに。いつもは自炊部さんですが、今回は予約が取れませんで、通常の温泉ホテルタイプの山水閣さん。
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今日は街なかに戻り、駅前のなはんプラザさんで、現在花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントとして、賢治実弟・清六の令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏とのトークイベントに出演いたします。

詳しくは帰りましてからお伝え致します。



現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、先月の地元紙『岩手日報』さんに続き、やはり地元紙の『岩手日日』さんが報じて下さいました。

花巻ゆかり 2人に焦点 高村光太郎記念館 賢治全集、写真展示

 詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)と、彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の関わりに焦点を当てた企画展は、花巻市太田の高村光太郎記念館で開かれている。
 賢治を世に広めるために光太郎が果たした役割などを資料で紹介し、花巻にゆかりある両偉人の人生が交錯した軌跡をたどる。3月31日まで。
 光太郎と賢治は、東京の光太郎のアトリエで1度だけ面会した。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた賢治追悼の会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」の記された手帳を含む遺稿を持ち込み、これに光太郎をはじめとする著名人が感銘を受けた。それから全集刊行の動きが起こり、光太郎と詩人草野心平の手により同年、「宮沢賢治全集」(全3巻)が初めて文圃堂から刊行された。
 高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治-宮沢賢治全集ができるまで」と銘打った同展では、最初の全集に加え、宮沢賢治全集全7巻(十字屋書店)、宮沢賢治文庫全7巻(日本読書組合)、宮沢賢治全集全11巻(筑摩書房)、光太郎揮毫(きごう)の書軸「東ニ病気ノ母アレバイッテ看病シテヤリ」、花巻で過ごす光太郎の写真などを展示。編さん者の一員として関わった賢治の友人の藤原嘉藤治の生涯や、光太郎、嘉藤治、清六の関係性にも触れている。
 展示している全集は、いずれも光太郎が編集や装幀作業に関わっており、自ら書きつづった題字や表紙の印刷についての所感も残されている。
 同展は市が主催。監修した高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表は「賢治を世の中に出す大きな力になった一人が光太郎。2人をつないだ草野心平、清六、そこを埋めた嘉藤治らにより、賢治の作品が現在も読まれているということを知ってもらいたい」と意義を語る。
 今月21日午前10時からは、同市大通りのなはんプラザで小山代表、宮沢和樹林風舎代表取締役、瀬川正子共同園芸取締役によるトークイベントを開催する。参加無料。

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取材を受けたのは昨年12月でして、その折には「年内には記事にしたい」ということでしたが、一昨日に掲載されました。感触としては、記者氏、全くといっていいいほど賢治と光太郎の関わりをご存じなく、実に興味深そうで、「こりゃベタ記事にはするべきでない」と考えられたようで、お渡しした50ページほどの冊子資料を読み込まれてから大きく取り上げて下さったようです。ネット上ではリード文部分のみの公開となっていますが。

冊子資料は同館で販売されているかどうか(いろいろ面倒な事情がありまして)。記事の最後にあるトークイベントの際には大々的に売られると思われます。
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ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)39 『独居自炊』 

昭和26年(1951)6月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 独居自炊
 子供の頃
  父光雲のこと 母と姉 父の道をついで
 姉のことなど 母のこと 美術学校時代 彫刻家ガツトソン・ボオグラム氏
 ロダンの手記談話録 七月の言葉 一夏安居の弁 「道程」について 自分と詩との関係
 小刀の味 生きた言葉 触覚の世界 自作肖像漫談 へんな貧 春さきの好物 雷ぎらひ
 しやつくり病 ほくろ 悠久山の一本欅 谷中の家 二世代 蟻と遊ぶ 日記より
 がんがん三つ口 新茶の幻想 三十年来の常用卓 智恵子のにひ盆

光太郎エッセイ集としては2冊目。ただし戦時中の昭和18年(1943)、同じ龍星閣から出た『某月某日』とかなりの部分がかぶっています。

今週土曜日のオンエアです。

土曜ゴールデン 温泉タオル集め旅21 この冬行きたい雪見の絶景露天SP 八幡平~花巻12湯 in岩手

地上波テレビ東京 2026年2月7日(土) 18:30〜20:55

これまで全国各地の温泉地を巡ってきた大久保・川村の温泉タオル集め旅。21回目の舞台となるのは、歴史と自然に包まれ、さまざまな泉質の名湯・秘湯がひしめく“岩手県”へ!旅をするのは、温泉好きな大久保佳代子と、温泉ソムリエアンバサダーの資格を持つ、たんぽぽの川村エミコ。道中には・・・
▽乳白色の野趣あふれる露天風呂
▽立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴
▽あわい緑色の美肌の湯など

岩手山の美しい稜線を望み、八幡平の山並みに囲まれた秘湯・松川温泉をスタート。入浴ヘビーローテーション。各施設のロゴ入り温泉タオルを計9枚集めながら、花巻温泉郷の奥座敷、新鉛温泉にある愛隣館の露天風呂に翌日午後5時までのゴールを目指す、1泊2日のガチンコ旅です!地元の人に聞き込みをしながら、その土地ならではの“絶品グルメ”や、“絶景の観光スポット”を大満喫。

スタートとゴール以外、向かう温泉地は2人で自由に決めてOK。ただし、温泉に入浴してからでなければタオルを買うことができない!せっかく温泉に入っても、タオルがレンタルのみや無地だった場合はノーカウントという厳しいルールも健在。今回の助っ人には、特別に2名が参戦!さらに旅を盛り上げます! 1日目に迎えたのは、お笑いトリオ3時のヒロインのゆめっち。2日目に迎えたのは、タレントの岡田結実。

2019年『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝を飾り、人気の波に乗るゆめっちと、2025年4月に一般男性との結婚を発表し、幸せオーラ全開の岡田は、1日5回以上の度重なる入浴や、モデル顔負けの早着替えに耐え、旅の助っ人として活躍できるのか? これまで13勝7敗と高い確率で成功を収めている大久保・川村。果たして21弾の舞台となる岩手県で無事ロゴ入り温泉タオルをゲットし、ゴールできるのか?

出演者 大久保佳代子(オアシズ)、川村エミコ(たんぽぽ) 
ゲスト ゆめっち(3時のヒロイン)、岡田結実
ナレーション 杉本るみ
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温泉好きの当方としては外せない番組で(笑)、ほぼ毎回拝見しています。

大久保佳代子さん、川村エミコさんのコンビと、毎回異なるゲストの方が温泉地巡りをし、温泉宿や公共入浴施設で販売されているタオルをゲット、そこに宿や施設オリジナルのロゴが入っていればOK、おおむね1泊2日で設定された規程枚数のタオルを集められればご褒美の豪華料理にありつけるというルールです。

令和3年(2021)4月に放映が始まり、今回で21回目。これまで光太郎智恵子の足跡が残る温泉地が何度か取り上げられました。福島岳温泉さん、栃木那須塩原温泉さん、信州別所温泉さんなど。しかし岩手が舞台になったことはなかったように思います。ただ、その2ヶ月前に放映されたシーズンゼロ的な「土曜スペシャル 冬本番! 雪見の名湯&絶景露天風呂SP~いいお湯・夢気分~」では、光太郎や宮沢賢治が愛した大沢温泉さんが取り上げられました。

今回は「花巻12湯」がサブタイトルに入っています。12湯には大沢温泉さん、それからやはり光太郎が通った鉛温泉さん、花巻温泉さん、台温泉さん、そして志戸平温泉さんが含まれます。番組説明欄に「立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴」とあるのは鉛温泉さんですね。それからゴールは
新鉛温泉の愛隣館さん。こちらは新しい宿ですが、12湯で初めて光太郎が浸かった西鉛温泉の系譜を継ぐ温泉地です。

2年程前だったか、番組のオリジナルグッズプレゼントにスマホから応募しまして、その際にコメント欄的な項目があったので「ぜひ花巻12湯を」と書きました。おそらく他にも同じような意見が寄せられていたのでしょう。

視聴可能な方、ぜひご覧下さい。テレ東系の放映が無い地域の方は、TVerさんなどの配信サービスでどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)35 『典型』 

昭和25年(1950)10月25日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 序
 雪白く積めり
 暗愚小伝
  家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  親不孝
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告 山林
 「ブランデンブルグ」
 脱卻の歌
 人体飢餓
 東洋的新次元
 おれの詩 悪婦
 山荒れる
 月にぬれた手
 鈍牛の言葉
 典型 
 田園小詩
  山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地
  岩手の人 山からの贈物 この年

旧著の再編や選詩集的なものを除くと、光太郎生涯最後のオリジナル詩集です。光太郎没後に『典型以後』が出されますが、そこに光太郎の意図は介在されていません。光太郎としてもおそらく生涯最後のオリジナル詩集となるだろうという予感はあったと思われます。

発行日が10月25日。第一詩集『道程』(大正3年=1914)も10月25日でした。意図してこの日にしたのか、偶然なのか、何ともいえないところですが。

ちょっと前ですが、1月21日(水)の『朝日新聞』さん岩手版に以下の記事が載りました。

岩手独特の住所表記「地割=チワリ」の謎 逆境公務員の苦心の結果?

 岩手では普通でも、県外出身者は首をかしげる住所表記の「地割」。私も昨年4月に盛岡に赴任して初めて知った。「ちわり」と読むらしい。これは岩手だけ? だとしたらなぜ? 1年足らずぼんやり抱えていた疑問について、探ってみた。
 「○○市××第5地割30番」のように使われる「地割」。私は岩手に接する青森、秋田、宮城の3県で勤務経験があるが、大字(××)に続く表記は「丁目」「番地」が一般的だ。
 ネットで検索すれば関連情報は出てくるが、確証が持てない。まずは手堅そうな岩手県庁のいくつかの部署に尋ねたが、答えは出ず。中には「他県にはないのですか?」と驚く職員もいた。かつて調査したことがあるという県立図書館も、当時の担当者が不明で詳細な説明はできないとのこと。
 探し回った結果、かつて似た疑問を覚え、調べたという県立博物館専門学芸調査員の工藤健さんに出会えた。
 「『地割』は岩手で独自に生まれたと考えられます。確認できる史料で最初に現れるのは、明治初期の地租改正時。県が地権者に発行した『地券』に出てくるんです」
 地租改正は、明治新政府が行った課税制度の改革だ。それまで村落単位で課せられていた税は、個人への課税に変わった。県や府が実態調査し、土地の所有者を証明する「地券」を地権者に発行。そこに「地割」の文字が記されたという。
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■仙台藩領はなし008
 ではなぜ、そんな文言が記されたのか? ヒントは江戸後期、盛岡藩が徴税のために作った地図にあった。
 各村の地図には、線引きされて「い」「ろ」「は」などと仮名で印が付いた区画が記されていた。その各区画が地租改正後、「第○地割」となっていったことが史料から確認できたという。
 「この『い』『ろ』『は』にもそれぞれ、元来の地名がありました。しかし、個人の土地所有の根拠となる地券に『地割』と記されたことで、そっちが正式な地名になっていったんです」
 このため、北上市近辺より南の仙台藩領だった地域は「地割」がない。元は盛岡藩でも、地租改正の作業時には岩手県ではなかった今の八幡平市の一部も同様だ。こうしたことからも地租改正時、岩手県が盛岡藩の資料を基に、独自に「地割」を導入したことが分かる、と工藤さんは解説する。
 しかし、元の地名をなくして数字化するとはずいぶん大胆な……。
 「証拠がなく、あくまで想像ですが」と断った上で、工藤さんは語る。
 「明治の新政府から届く膨大な命令に、なんとか対応しようとした県職員の苦心の末の策だったのでは。大量の事務仕事を乗り切るため、整理しやすい地名にしたのかもしれません」

■3分割に耐えて
 戊辰戦争で幕府側に付き、賊軍となった盛岡藩は明治に入り3分割され、他藩の管理下に。1870(明治3)年にそのひとつが盛岡県になった後も、江刺県(旧盛岡藩領)や胆沢県(旧仙台藩領)との統廃合などを経て、今の岩手県として落ち着くのは76(明治9)年。地租改正は、そのさなかの大事業だった。
 「岩手で『地割』が生まれた時代の印象は、高村光太郎が『岩手の人沈深牛の如(ごと)し』とうたった詩に重なります。逆境でも人々は思慮深い牛のように沈着に耐え、『その成すべきを成す』日に備えていたのでしょう」
 地租改正から45年。盛岡出身の原敬が初の平民宰相に就いた。そう考えると、「地割」の語感も味わい深く響いた。


「地割」。当方も以前から気になっていました。実際、花巻の高村光太郎記念館さんの住所が「花巻市太田第3地割3-9」だったり、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんは「花巻市轟木第7地割203」だったりするものですから。

地租改正、地券発行の際に分かりやすく、という説はうなずけますね。ちなみに以前に書きましたが、自宅兼事務所のある千葉県北東部では住所に「イ」「ロ」「ハ」が使われていて、これも珍しいケースだそうです(他に石川県にもあるそうですが)。自分の生まれた場所は「佐原市佐原ロ」でしたし、よく行く隣町の県立図書館さんの分館は「旭市ハ」。「くち」や「はち」と間違えられます(笑)。これらも同じような由来なのかも知れないなと思いました。

記事にある「岩手の人沈深牛の如(ごと)し」は、詩「岩手の人」(昭和23年=1948)の一節です。

    岩手の人009

 岩手の人眼(まなこ)静かに、
 鼻梁秀で、
 おとがひ堅固に張りて、
 口方形なり。
 余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
 たまたま岩手の地に来り住して、
 天の余に与ふるもの
 斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
 岩手の人沈深牛の如し。
 両角の間に天球をいただいて立つ
 かの古代エジプトの石牛に似たり。
 地を往きて走らず、
 企てて草卒ならず、
 つひにその成すべきを成す。
 斧をふるつて巨木を削り、
 この山間にありて作らんかな、
 ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
 未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

記事ではちょっと無理くり取って付けたような引用ですが(笑)、光太郎に触れて下さりありがとうございます。

こうした先人の遺した地名も、一つの文化遺産です。そうした意味でしっかりと受け継いでいくべきものと思われます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)33 『造型美論』 筑摩選書

昭和24年(1949)3月10日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 現代の彫刻
  実技家の場合 概観 二つの源流について 時間的一瞥 フランスの彫刻 ブルデル
  マイヨル デスピオ ベルナアル 「ぢか彫り」騒動 穏健群 形式主義群団
  ドイツの彫刻 イギリスの彫刻 残余の諸国 現代日本の彫刻
 素材と造型
  素材と造型 造型といふ語 造型芸術 造型本能 造型芸術の本質 造型的諸要素
  造型美 造型芸術の種類 素描 日本画と色彩 日本画に於ける油画について 彫刻
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條

戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された同名の書を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。もう一冊は『印象主義の思想と芸術』。明日、紹介します。

現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、地元紙『岩手日報』さんが報じて下さいました。

賢治全集 支えた光太郎 花巻で企画展 デザインした貴重初版 作品広めた弟らも紹介

 彫刻家・詩人高村光太郎(1883~1956年)らと宮沢賢治全集の関わりを伝える企画展が、花巻市内で開かれている。光太郎が装丁した全集を展示し、賢治の実弟らも編集に携わったエピソードなどを紹介。貴重な資料から、賢治作品を世に広めようと尽力した功労者の軌跡を知ることができる。
 同市太田の高村光太郎記念館に数十点の資料が並ぶ。見どころは童話や詩を集約した4種類の全集計28冊で、珍しい初版も含まれる。企画展を主催した市によると、全集をまとめて披露するのは初の試み。初版は数が少なく、劣化もあり、一般の人が目にするのは貴重な機会という。
 展示資料で光太郎が全集の題字などをデザインしたと解説。編集に関わった賢治の実弟・清六と親友・藤原嘉藤治(かとうじ)のやりとりを記す書簡の複製には、方言を分かりやすく言い換えようとしていた記録などが残り、当時の思いに触れることができる。
 光太郎関連の事業に取り組む同市の合同会社「やつかの森」が協力。藤原正代表は「彫刻家の光太郎がこだわったデザインを見てほしい。賢治のために力を添えたことはあまり知られていない」と説明する。
 同社によると、戦争空襲で宮沢家を頼り、同市旧太田村に疎開した光太郎が、賢治作品を高く評価していたという。
 3月31日まで。午前8時半~午後4時半。期間中無休。入館料は一般350円、高校生・学生250円、小中学生150円。
 2月21日は同市大通りのなはんプラザで、全集をテーマにしたトークショーを開催。全国で光太郎の顕彰活動を行う小山弘明さん=千葉県香取市=らを招く。問い合わせは市生涯学習課(0198・41・3587)へ。

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記事を書かれたのが新人記者氏だそうで、いろいろ突っ込みどころがあるのですが(光太郎が疎開したのは花巻町中心街の宮沢家で太田村には戦後になってから移ったとか、当方は「全国で顕彰活動」というわけではないとか)、大きく取り上げて下さったのはありがたいところです。

ところで記事終末にある関連行事としてのトークイベントのフライヤーが完成したそうで、載せておきます。
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足をお運びくださらば幸甚に存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)25 『をぢさんの詩』

昭和18年(1943)11月3日 武蔵書房 高村光太郎著
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目次
 序 
さくら 軍艦旗 こどもの報告 カタバミの実 約束 路ばた 迎火 少年に与ふ
 少女に 少女立像 五月のうた 少女の思へる 少女よ こころに美をもつ 変貌する女性
 新しき日に 逞しき一念 手紙に添へて 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 山道のをばさん
 女性はみんな母である わが大空 新穀感謝のうた 歩くうた 鬱勃たる健康
 私は青年が好きだ 神の如く行へ みなもとに帰るもの 純潔のうた 四月の馬場
 新緑の頃 みかきにしん 漁村曙 仕事場にて 神これを欲したまふ さかんなるかな造船
 供木のことば 無口な船長 春駒 氷上戯技 大きな嚔 晴天に酔ふ 初夏言志
 
先生山を見る 偶成二首 蝉を彫る 提督戦死

青少年向けとして編まれた翼賛詩集です。交流のあった詩人の高祖保が編纂に当たってくれました。高祖には申し訳ありませんが、平易な口調で書かれた詩が多く、それだけにかえってグロテスクさが際立ちます。「これこそが光太郎詩の精髄、真髄、真骨頂」と涙を流さんばかりにありがたがる意味不明のあんぽんたんがいて困っているのですが……。

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