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本日開幕です。

CHIBA ハートフルアート展 ―「千葉市障害者作品展」出展者による作品展―

期 日 : 2023年7月19日(水)~8月20日(日)
会 場 : ちばぎんひまわりギャラリー
       東京都中央区日本橋室町一丁目 5 番 5 号 [コレド室町 3] 4 階
時 間 : 午前 10 時~午後 6 時  最終日は午後 4 時まで
休 館 : 月曜日
料 金 : 無料

本展は、障がい者が自らの障がいを乗り越え制作した作品を公開することで、社会に多様性の意義や価値を伝えるとともに、障がいを持つ方に自信と希望を持っていただきたいとの想いで開催するものです。多くの皆さまにご覧いただくことで、ダイバーシティーへのご理解と共生社会を実現し、作者のさらなる創作意欲向上の一助となることを希望しています。本企画展では、約 30 点の作品を一堂に展観しますので、この機会にご覧くださいますようご案内申し上げます。

おかげさまで、当ギャラリーは 2014 年 3 月のオープン以来、10 万人を超えるお客さまにご来場いただきました。今後も、多くの方々の心安らぐ空間となり、地域における文化・芸術活動の発展にお役に立てれば幸いです。
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いわゆる「パラアート」の展覧会。過去の「千葉市障害者作品展」出展作等が再び並ぶ、というコンセプトだそうです。

フライヤー裏面に、書の作品で「高村光太郎“樹下の二人”より」。
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一昨年開催された第27回展で千葉市議会議長賞に輝いた作品だそうです。その際にはそういう展覧会があり、この作品が入賞していたというのには気がつきませんでした。
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こうした作品をその時限りの展示で終わりにするのではなく、また改めて、さらに地元を出て都内での展示というところに、主催者の方々などの熱意が感じられます。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

「ロダンの言葉」別封で送ります。持つて参上したいと思つてゐたのですが、まだ仕事が片づかないので出られません。表紙をあのデツサンにしたので昔を思ひ出します。実に遠い昔のやうな気がします。


昭和4年(1929)3月24日 水野葉舟宛書簡より 光太郎47歳

「ロダンの言葉」は、この年、叢文閣から出版されたペーパーバックの普及版(元版は大正5年=1916、阿蘭陀書房)。この後、版を重ね、舟越保武、佐藤忠良等、次世代の彫刻家達がバイブルのように身辺に置いた書籍です。
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表紙画は、ロダンの裸婦デッサンです。光太郎、同一のデッサンを明治43年(1910)、親友の水野葉舟の小説集『おみよ』のカバーにも使おうとしました。ところが同書はこのデッサンのために「風俗壊乱」とされて発禁処分とされてしまいました。

そこで「表紙をあのデツサンにしたので昔を思ひ出します。実に遠い昔のやうな気がします」。

情報を得るのが遅れ、その上、会期が短く、既に終わってしまいましたが、こういうイベントもあったんだな、ということで……

第46回福祉作品展

期 日 : 2020年11月27日(金)~29日(日)001
会 場 : 福島市アクティブシニアセンター・アオウゼ
       福島市曽根田町1−18 MAXふくしま4階
時 間 : 27日 午後1〜4時 28・29日 午前10時〜午後4時
料 金 : 無料

障がいのある方や児童生徒、高齢者の方々の絵画・書(習字)・手工芸などの作品を展示
児童・生徒の部身体障がい者の部知的障がい者の部精神障がい者の部高齢者の部

のうち、高齢者の部で福島市長賞に輝かれた作品がこちら。
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「智恵子抄」中の絶唱の一つ、「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節。福島のご当地作品とも言えましょう。通所型リハビリテーション施設に通われている方の書です。

昨日のこのブログでは、東京都美術館さんで開催中の第42回東京書作展についてレポートいたしました。そちらでご紹介したような、気鋭の書家の方々によるキレッキレの書も、もちろん素晴らしいと存じますが、こうした方のこうした作品を見て、画像ですが、それでも襟を正したくなります。

多くの方々に光太郎作品を愛し、取り上げていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

思ひの外の朝日を見た。顔を洗ふ時の水の手ざはりや濡れた肌へ吹きつける風に新らしい秋の気が充ちてゐて、長い間の夏に征服せられてゐた元気が急に踊り出した。

明治43年(1910)9月12日の日記より 光太郎28歳

若干、季節外れですがご寛恕の程。光太郎の「夏嫌い」は若い頃からのものでした。また、注意深く読むと、触覚でさまざまなことを感じ取っている点も見て取れます。これも後々までの光太郎の特徴でした。
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画像は千葉県北東部、今朝の朝日です。


会場は池袋駅西口の東京芸術劇場。昨秋開催された、書家の金子大蔵氏の個展「近代詩文書の可能性をを探る(高村光太郎の詩を書く)」と同じ場所でした。

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展示のメインは東京精神科病院協会加盟の病院で治療を受けられている方々を中心とする公募作品です。

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今日は午後1時からギャラリートークということで、全員ではありませんが、出品者の方が自作の解説などをしたりなさっていました。006

漫画家の吾妻ひでお氏も作品(漫画の生原稿、オブジェ)を出品、トークにもご参加。氏はアルコール中毒での治療経験があるそうです。

会場の一角に、「特集展示 高村智恵子」。

紙絵の複製20数点、智恵子の自筆書簡2通、智恵子と光太郎の文筆作品の掲載誌、詩碑の拓本や光太郎肉筆揮毫などが並んでいました。

紙絵の複製は写真家だった故・高村規撮影の写真をもとに作られたもので、複製でありながらかなり立体感が感じられるものです。

光太郎の散文「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)や、ほとんど唯一、智恵子紙絵の制作現場を見た姪で看護師の長沼(のち宮崎)春子の回想などが抜粋されてパネルになっており、来場の皆さん、興味深そうにご覧になっていました。

パネルといえば、この展覧会のために書き下ろされた当会顧問北川太一先生の玉稿「智恵子の場合」も。図録にも収録されています。


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こちらが智恵子書簡。

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上は大正2年(1913)、光太郎との上高地婚前旅行のため、二本松の実家に滞在費用を無心する書簡です。封筒が実家の長沼酒店の文字入りというのを初めて知りました。

下は翌大正4年(1915)、前年暮れの上野精養軒での結婚披露の後、二人をとりもった柳敬助夫人八重に送った披露宴参加の礼状です。

だいぶ前に北川先生のお宅で拝見したことがありますが、やはり感慨深いものがあります。流麗な筆跡、保存状態も良く、100年以上経過しているとは思えません。

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こちらは光太郎智恵子の文筆作品などの掲載誌。

さらに図録(1500円)です。

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現代の皆さんの作品と併せ、人間の「表現」に対する欲求のありかた、みたいなことを考えさせられる展覧会でした。

外界に向かって、何かを表現せずには居られないのが人間だと思います。それが造形芸術の形を取ったり、文筆作品の形を取ったり、はたまた音楽でそれが表現されたり、または身体を使ってのパフォーマンス、そう考えるとスポーツもそういう面があるかも知れません。

そうした行為を通し、自己表現、さらには自分の中でバランスを取ることにもつながるのではないか、などと思いながらこの展覧会を拝見しました。


会期は短くて残念ですが、明日(6/21・日曜日)まで。明日も13:00~ギャラリートークが催されます。入場は無料。ぜひ足をお運び下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月20日

昭和57年(1982)の今日、桜楓社から潟沼誠二著 『高村光太郎におけるアメリカ』 が刊行されました。

明治39年(1906)から3年余り、光太郎はア007 (2)メリカ、イギリス、フランスに留学しました。さらにその最後の頃にはスイス経由でイタリア旅行も。

その中で、一番長く滞在していたのはアメリカ・ニューヨークです。

光太郎の留学というと、パリでの体験が大きく取り上げられますが、やはり一番長く滞在していたアメリカでの体験も見過ごせない、ということで書かれたのが本書です。

表紙はアメリカの観光案内でよく使われるマウント・ラッシュモアの巨大彫刻。ワシントン、リンカーン、ジェファーソン、ルーズベルトという4人の大統領の肖像です。この作者のガットソン・ボーグラムに光太郎は師事しました。

当会顧問、北川太一先生から情報のご提供を戴きました。 

第5回 心のアート展 創る・観る・感じる パッション――受苦・情念との稀有な出逢い

主  催 : 社団法人東京精神科病院協会
会  期 : 平成27年6月17日(水)~6月21日(日) 10時~19時(最終日は17時まで)
会  場 : 東京芸術劇場 ギャラリー1  東京都豊島区西池袋1-8-1

心のアート展 ―新たな使命としての芸術・文化活動―
 〈社団法人〉東京精神科病院協会では、平成20年度より芸術展「心のアート展」を企画、平成21年度からは「心のアート展実行委員会」という専門委員会を設け、作品の募集、発掘、審査、ディスカッション、展示準備、展覧会運営、展覧会カタログの作成、広報などの展覧会活動をおこなっている。
 展覧会のメインは公募作品展示。協会会員の66病院に呼びかけ作品を公募し、それを審査員長・加賀乙彦(小説家、精神科医)、審査員・立川昭二(北里大学名誉教授、医学医療史)、仙波恒雄(日本精神科病院協会名誉会長)、齋藤章二(斎藤病院理事長・院長)、安彦講平(〈造形教室〉主宰)の5名の審査員が、一作一作、真摯に向き合い、心ゆさぶられ、熱意を込めて審査。「声なき声、呟き、ため息、独り言、そして魂の叫び」を表現した多様な世界を展示、紹介している。

特集展示 高村智恵子
近代日本を代表する彫刻家・詩人、高村光太郎の妻、高村智恵子(1886-1938)の紙絵復刻、関連資料を展示・紹介します。49才で「ゼームス坂病院」に入院した智恵子は、寝食を忘れるほど紙絵の制作に取り組み、千をこえる作品を遺しました。潤沢で豊穣な芸術家の魂の表現をご覧下さい。

ギャラリートーク(20.21日 13:00~)
「病む」とは何か、「表現」とは何か、「生きる」とは何か。実作品を前に作者や関係者の方々に、作品解説や制作の背景について語っていただきます。参加自由。

座談会(20日 16:00~)
審査員やゲストを交え、表現活動やアートの持つ力、意味、可能性について語り合いましょう。参加自由。

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 というわけで、智恵子の紙絵の複製、関連資料(どういったものか不明です。すみません)の展示があります。

社団法人東京精神科病院協会さんの主催ということで、通常の美術展とはまた違った切り口で智恵子紙絵の紹介が為されるのではないかと期待しております。

ぜひ足をお運び下さい。


6/12追記 智恵子書簡(実物)も展示されるそうです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 6月4日

昭和16年(1941)の今日、『読売新聞』に「芸術局の創設 文学で貫く民の声・四銃士の肚決る」という記事が掲載されました。

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「四銃士」とは光太郎、菊池寛、尾崎士郎、山本有三。記事本文では「翼賛四銃士」となっており、タイトルもこれを受けてのものです。

この月16日から20日にかけ、大政翼賛会第一回中央協力会議が開催され、四名とも出席。これに先立つ3日に築地の料亭錦水で発言内容等の打ち合わせを四名が行ったというのが記事の趣旨です。

光太郎の談話も掲載されています。

日本の芸術といへば外国人はすぐに浮世絵とか三味線といつたものを連想する、珍しいもの、変つたものだけが日本の芸術だと思つてゐる、これだから日本の国威が外国に宣揚されないのです、もつと日本芸術の本当の厚みとか深さといふものを彼等に知らせて精神的な圧力を加へてやりたい、このために日本芸術による国威を海外に示したいものだ

時に太平洋戦争開戦前夜。智恵子を失った「おそろしい空虚」(連作詩「暗愚小伝」 昭和22年=1947)を埋めるように、積極的に社会と関わろうとしていた光太郎。その社会がとんでもない方向に進んでいったのは、大きな悲劇でした。

2週間ほど前に、このブログで、彩流社刊・近藤祐氏著『脳病院をめぐる人びと  帝都・東京の精神病理を探索する』をご紹介しました。
 
12月22日付の『朝日新聞』に、作家の荒俣宏氏による書評が出ました。
 
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◇別角度の文学史が見えてくる

 日本近代の精神科病院は、公立施設に限定するならば、都市の美観と治安を守るために路上生活者を一掃する政策から誕生した。明治5年にロシア皇太子が訪日するのに合わせ、困窮者や病者を収容すべく設置された「養育院」内の「狂人室」が起源である。
 
 病者には背に「狂」の字を染めた衣服が着せられ、手枷足枷(てかせあしかせ)を付けられた。明治12年にはこれが独立して東京府癲狂(てんきょう)院となるのだが、やがて有名な相馬事件が発生、発狂と称して癲狂院に押し込められた旧相馬藩主を忠臣が救いだすという大騒動となった。
 
 監獄まがいの悪いイメージを嫌った病院側も、癲狂という語句を抹消するが、「内分泌の多い患者の睾丸(こうがん)を別の患者の腕に移植する」怪実験が行われた戸山脳病院が業務停止になるなど、おぞましい話に付き纏(まと)われた。
 
 本書は知られざる脳病院の歴史を東京エリアに絞って詳述した後、後半で精神科病院が林立する大正期前後に精神を病んだ著名文学者の運命を検証する。
 
 芥川龍之介や宇野浩二の眼(め)に「死ぬまで出られぬ監獄」と映った脳病院の情況を筆頭に、高村光太郎が妻の智恵子を入院させることを最後まで躊躇(ちゅうちょ)し、結局は入院後すぐに彼女を亡くした事情、その脳病院で治療する側にいた歌人斎藤茂吉の心情などを読み進むうちに、精神科病院を介して意外なほど多数の文学者が深く関係を結んでいたことに驚かされる。この文脈で別角度の文学史が語れる。
 
 ただ、本書では作家たちの病歴や妄想幻覚の深い分析が慎重に控えられている。精神科病院に入院させられた中原中也が自宅の屋根に座って弟を見送る場面で、芥川龍之介最後の映像がやはり高い木に登っているシーンだったとする指摘などが興味深いだけに、もう少し突っ込んでもよかった。蛇足だが、中村古峡や石井柏亭の人名が誤植のままなのは、稀(まれ)な書だけに残念。
 
なかなか的確な評です。
 
実は当方、まだ読んでいる途中です。荒俣氏も指摘していますが、時代遅れで、牽強付会に過ぎる精神分析学的手法を取っていないため、読んでいて納得いかない部分はありません。また、芥川や辻潤、宇野浩二らがどんな病状だったのかというあたりを、当時の社会状況や思想史的な潮流に当てはめた論旨が非常に興味深いのですが、やはり何というか、読んでいて非常に痛々しいものがあります。そう感じさせる著者の筆致に感心させられる部分が大きいともいえます。
 
この後、太宰治、中原中也と続いていきます。近いうちに読み終えようと思っています。
 
ところで版元の彩流社さん。今度は光太郎と特異な交流を持っていた詩人、野澤一(のざわ・はじめ)関連の書籍を刊行しました。題して『森の詩人 日本のソロー・野澤一の詩と人生』。さっそく注文しましたので、届き次第詳しくご紹介します。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月25日006

昭和21年(1946)の今日、宮澤清六と共に編者を務めた日本読書組合版『宮澤賢治全集』全6巻の刊行が始まりました。
 
第一回配本の「第二冊」は、『春と修羅』などの詩を収めています。
 
装幀、題字も光太郎。実にいい文字だと思いませんか?
 
黒いもやもやはシミではなくそういうデザインです。

新刊です。 

脳病院をめぐる人びと  帝都・東京の精神病理を探索する

近藤祐著 彩流社刊 定価2500円+税
 
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戦前の東京地図に散見し、しかし現在はその場所から消失した「脳病院」とは何か!?
 
芥川龍之介が神経衰弱の末に自殺した昭和二年以降、文学史にさまざまな狂気が連鎖する。辻潤は天狗となって二階窓からの飛翔を試み、太宰治はパビナール中毒で強制入院させられる。愛児を失った中原中也は忘我状態となり、高村智恵子は精神分裂病で生涯を終えた。わずか十年余りに連鎖するこれらの狂気には、何か共通因子があるのか。また彼らはどのような治療を施されたのか。明治・大正・昭和と帝都東京における脳病院の成立と変転を辿り、都市と人間、社会と個人の軋轢の精神史を探索する。
(帯より)
 
目次は以下の通りです。
 
プロローグ
第一部 
 第一章 初期癲狂院
 第二章 正系としての帝国大学医科大学・呉秀三・府立巣鴨病院
 第三章 脳病院の登場
 第四章 郊外へ
第二部
 第一章 芥川龍之介の小さな世界
 第二章 辻潤または飛翔するニヒリスト
 第三章 家族はどうしたのか ―高村光太郎と長沼智恵子―
 第四章 ここほ、かの、どんぞこの ―太宰治の分岐点―
 第五章 中原中也 暴走する精密装置
エピローグ
主要参考文献
年表
あとがき
 
昨日手元に届き、まだ光太郎智恵子に関する章しか読んでいませんが、それだけでもなかなかのものです。
 
著者の近藤氏はその道の専門家ではない、とのことですが、かえってそれだけに同じく専門家でない我々にわかりやすい書き方になっています。といって、門外漢が浅薄な知識で論じているものではなく、精神医学史についての調査は綿密に行き届いています。智恵子発病時に光太郎が短期間治療を依頼した諸岡存についての記述など、当方も知らなかったことがたくさんありました。
 
また、光太郎がなぜ智恵子の入院先として南品川のゼームス坂病院を選んだか、といった点の考察も、なるほど、と思わせるものでした。
 
惜しむらくは年代の記述で若干の事実誤認があるのですが……。
 
版元・彩流社さんのサイトへから注文可能です。

 
【今日は何の日・光太郎】 12月13日

平成4年(1992)の今日、日本テレビ系の教養番組「知ってるつもり?!」で、光太郎がメインで取り上げられました。
 
関口宏さんの司会で、比較的長寿の番組でしたので、ご記憶の方も多いでしょう。かつてはこういう番組がけっこうありましたが、最近、特に民放ではこの手の番組は減ってしまいましたね……。

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