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毎年恒例ですが、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」ライトアップが為されます。

第61回十和田湖湖水まつり

期 日  : 2026年6月13日(土) 荒天の場合は6月14日(日)
会 場  : 十和田湖畔休屋桟橋憩いの広場 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486
問合せ  : 十和田湖観光交流センターぷらっと 0176-75-1531

タイムテーブル
 11:00 一の宮縁日(21:00まで)
 15:00 パフォーマーステージ(18:30まで)
 17:30 十和田湖メルティライト(バルーンランタン)引き換え開始 ・想い書込処オープン
 20:00 十和田湖ナイトクルーズ乗船開始
 20:15 十和田湖メルティライト(バルーンランタン)リリース
      十和田湖ナイトクルーズ出航
 20:30 メッセージ花火の打上げ
 20:45 湖水花火
 21:00 終了

北東北の夏の観光の幕開けを飾る「十和田湖湖水まつり」。静かな湖畔で、ランタンや花火でドラマチックに彩られる一日を体験してみませんか?
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一の宮縁日
 灯りとにぎわいが集まる「一の宮縁日」飲食店やキッチンカー、テント屋台が並ぶ一の宮エリア。ちょうちんの灯りとともに、レトロながら賑やかな縁日の雰囲気が広がります。

 豚専門店いろとん  さがり串 ホルモン串
 たご助  煮干したこ焼き トルネードポテト
 OIRASE TOWADAおまかせKitchen  バラ焼きうどん バラ焼きボール
 ほっとまん企画  生ハムカップ 生ハムサンド
 カレーハウスCoCo壱番屋  ポークカレー ロースカツカレー
 ナチュラルキャンディ&鶏笑  中津から揚げ フライドポテト
 トワダコボーイ  十和田バラ焼き風肉巻きおにぎり 油そば
 和のみせ  バラ焼きオムそば イカ焼き
 「こなもんや」田村商会  パイカ鍋 お好み焼き、オム焼きそば
 鉄板焼きかぐら  焼きそば 10円パン
 焼き芋専門店 芋姫  サツマスティック ロングチュロス
 宮本商店  たこ焼 バナナチョコ
 青空商店組合 華びし  シャカシャカポテト オム焼きそば
 湖白屋  ケバブサンド
 釡戸屋  はしまき てんぷら
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パフォーマーステージ
 まんなか広場では、パフォーマーによるステージを開催。会場を巡る途中に立ち寄って、のんびり過ごしながら音楽やパフォーマンスをお楽しみいただけます。

 15:00 声がヨーデル倶楽部 ソロ歌唱
 15:30 伊東恭子 民話の語りべ
 16:00 愛野由梨奈 弾き語り
 16:30 ギュゼル・ダンスチーム ベリーダンス
 17:00 Ast. HIPHOPダンス
 17:30 NAVILLERA K-POPダンス
 18:00 北里三源色 よさこい踊り
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飾らない十和田を飾る展/巡る展
 会場付近の「喫茶 憩い」「十和田神社」を含む「飾らない十和田」ポスターを展示します。また当日は、条件達成でプレゼントがもらえる「飾らない十和田を巡る展」も同時開催。詳細は、展示会場にてご確認ください。
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十和田神社 湖水まつり限定御朱印
 湖水まつり当日限定!十和田神社にて、数量限定で授与します。デザインは、湖水まつりをイメージした特別仕様。湖畔を巡る記念に、ぜひお受けください。
※初穂料500円 11:00〜17:00
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隠れ龍神をさがせ!
 十和田湖や十和田神社には、龍にまつわる言い伝えがあります。そんな龍をモチーフにした「隠れ龍神」が、会場内のちょうちん等に隠れています。一の宮縁日やまんなか広場など、会場を歩きながら探してみてください。
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十和田湖ナイトクルーズ 20:00~
 夜になると、十和田湖は静かにその表情を変える。湖の上で見るバルーンランタンと花火の共演。目の前いっぱいに広がるその景色は、ここでしか出会えない特別な時間です。限られた人だけが乗船できる「湖上の特等席」で、そのひとときをお過ごしください。
[早割] 6,800円 [通常] 7,200円
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十和田湖メルティライト 17:30~
 見上げる空と、見下ろす湖。その間に、私たちがいる。視界のすべてが光に彩られる時、あなたの知る十和田湖は、美しく塗り替えられる。世界で一つだけのバルーンランタンを打ち上げませんか。
[早割] 6,800円 [通常] 7,200円
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メッセージ花火 20:30~ 憩いの広場
 あなたの声をのせて、十和田湖の夜空へ花火を打ち上げる特別企画。 今年は、録音したあなた自身のボイスメッセージを会場内にお流しします。普段はなかなか伝えられない感謝の気持ち。記念日のお祝いや、新たな挑戦への宣言。そしてプロポーズの言葉まで。あなたの想い、お待ちしています。
 料金 10,000円(4号玉一発)~
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湖水花火 20:45~ 憩いの広場
 夜空を染める花火、湖上に浮かぶバルーンランタン。そのすべてを、十和田湖が映し出していく。 音楽にあわせて移り変わる光景は、 まるで空と湖がひとつにつながったよう。湖水まつりの最後を飾る幻想的なフィナーレです。

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公式サイトに記述がないのですが、問い合わせたところ、例年通りに「乙女の像」ライトアップも為されるとのことです。

厳冬期に開催される「十和田湖冬物語」の際には雪灯籠の灯りに照らされる「乙女の像」ですが、「湖水まつり」では夜空に浮かぶランタンや花火をバックにすることとなります。

ぜひ足をお運び下さい。ただし、クマ出没情報が出ていますので、十分にご注意を。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 31 『高村光太郎集』現代詩文庫1018

昭和55年(1980)6月15日 思潮社 芹沢俊介編・構成
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目次
 短歌
  明治三八年作 明治三九年作 明治四〇年作 明治四二年作
 詩篇
  明治四〇年(一九〇七)
   秒刻 マデル あらそひ 敗闕録㈣眠りてあれか目覚めよか
  明治四三年(一九一〇)
   失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
  明治四四年(一九一一)
   亡命者 侵蝕 寂寥 声 廃頽者より 父の顔 恐怖
  明治四五年・大正元年(一九一二)
   あをい雨 人に 或る夜のこころ さびしきみち 冬が来る 或る宵 狂者の詩
   郊外の人に
  大正二年(一九一三)
   よろこびを告ぐ 冬が来た
  大正三年(一九一四)
   道程 淫心
  大正五年(一九一六)
   妹に
  大正一〇年(一九二一)
   雨にうたるるカテドラル
  大正一二年(一九二三)
   樹下の二人
  大正一四年(一九二五)
   狂奔する牛
  大正一五年・昭和元年(一九二六)
   鯰 苛察 夜の二人
  昭和二年(一九二七)
   あなたはだんだんきれいになる 懐ふ 怒 母をおもふ その年私の十六が来た
   或る墓碑銘 冬の言葉
  昭和三年(一九二八)
   ぼろぼろな駝鳥 あどけない話 同棲同類 焼けない心臓
  昭和四年(一九二九)
   無題 激動するもの 孤独が何で珍らしい
  昭和五年(一九三〇)
   刃物を研ぐ人
  昭和六年(一九三一)
   美の監禁に手渡す者
  昭和七年(一九三二)
   非ヨオロツパ的なる もう一つの自転するもの
  昭和一〇年(一九三五)
   人生遠視 風にのる智恵子 ばけもの屋敷 詩の道
  昭和一一年(一九三六)
   堅冰いたる
  昭和一二年(一九三七)
   千鳥と遊ぶ智恵子 未曾有の時
  昭和一三年(一九三八)
   山麓の二人 或る日の記 正直一途なお正月
  昭和一四年(一九三九)
   レモン哀歌 つゆの夜ふけに 肉体 お化け屋敷の夜 へんな貧
  昭和一六年(一九四一)
   少女に 純潔のうた 必死の時 危急の日に 十二月八日 新しき日に
  昭和一七年(一九四二)
   寒夜読書
  昭和一八年(一九四三)
   戦に徹す
  昭和一九年(一九四四)
   必勝の品性
  昭和二〇年(一九四五)
   皇国骨髄の臣 戦火
  昭和二二年(一九四七)
   暗愚小伝
    家
     土下座 ちよんまげ 日清戦争 御前彫刻
    転調
     彫刻一途 パリ
    反逆
     親不孝 デカダン
    蟄居
     美に生きる おそろしい空虚
    二律背反
     協力会議 真珠湾の日 終戦
    炉辺
     報告
  昭和二三年(一九四八)
   人体飢餓
  昭和二五年(一九五〇)
   典型
 エッセイ
  詩壇の進歩 余はかく詩を観ず(アンケート) 生きた言葉 詩そのもの 詩について
  気について 詩の勉強 自分と詩との関係 詩精神 詩精神と日常生活 詩と表現
  詩の本質 戦争と詩 アンケート・貴方の愛読書は 詩について語らず 日本詩歌の特質
 年譜
 研究
  四月詩壇月評=福士幸次郎 福士さんへ=高村光太郎
 解説 光太郎の虚像と実像=芹沢俊介

この手のものとしては珍しく、ほぼ編年体による構成です。「詩集」と銘打ちつつ短歌や散文もそれなりの量が収められています。

今年もクマの季節になってきたようで……。

RAB青森放送さんローカルニュース。

【クマ出没情報】5月26日 十和田湖畔・乙女の像付近で1頭(十和田市)

 十和田市や青森県の「くまログあおもり」によりますと、5月26日午後0時5分ごろ、十和田市奥瀬で子グマ1頭が目撃されました。被害は確認されていません。現場は十和田湖畔休屋の乙女の像付近です。市は付近の住民や通行する人に注意を呼びかけています。
 青森県内では全域に「ツキノワグマ出没警報」が発表されていて、県は以下のことに注意するよう呼びかけています。
・クマの出没状況に注意し、出没が相次いでいる場所には近づかないようにしてください。
・山に入るときは、クマの活動が活発になる早朝と夕方は避け、なるべく複数人で音を出しながら歩きましょう。
・クマを引き寄せる食べ物や野菜くず等の生ごみを屋外に放置しないでください。
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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」附近での目撃情報。
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像の南側はホテルや飲食店、十和田湖観光交流センターぷらっとさんなどがある繁華街、像より北側は湖に突き出た二重カルデラ外輪山の半島で、原生林が広がる場所。確かにクマの出やすい環境です。
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平成28年(2016)には十和田湖を泳ぐ熊の姿が撮影されたというニュースも報じられました。

ニュースにあったサイト「くまログあおもり」によれば、近隣地区、奥入瀬渓流などでも目撃情報や「養蜂場が荒らされた」などの記述がありました。

クマといえば、岩手花巻郊外旧太田村の光太郎が7年間を過ごした山小屋(高村山荘)附近はきゃつらの巣窟ですし、福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館裏手の智恵子の杜公園でも今年3月に目撃情報がもたらされました。

それらの場所に行かれる方、十分にご注意を。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 26 『高村光太郎資料 第一集』全集補遺Ⅰ

昭和47年(1972)4月2日 文治堂書店 北川太一編
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目次
 詩
  N――女史に かなしきこころ 或問 
  カフエ ライオンにて
 (何もかも) (アメリカ帰りの)
  (人間劣性の)〔断片〕 酔中吟 (四つの仮面は)
 短歌
  「挿柊」より 「剣気」より 「新星録」より 高村豊周『赤城旅行記』に
  『晶子歌話』より 木彫「柘榴」に 木彫「蓮根」に 山どりの瀬戸 歌集に オベリスク
  此山に
 俳句
  雪の朝 雑感 ベネチアにて 中之条
 短句
  一六~二一
 評論――美術――
  英国ニ於ケル応用彫刻ニ就テ〔一〕 英国ニ於ケル応用彫刻ニ就テ〔二〕
  巴里式屋外広告 彫刻家のみた女の姿 美は真に等し 絵を買ふ人に 肖像に就いて
  家具及住宅の美〔断片〕 所謂好趣味の人たる勿れ 帝展彫刻の技術観 彫刻実習
  木彫ウソを作つた時 ロダンに就いて二三の事 巨匠ロダン翁 興福寺十大弟子
  美の日本的源泉 美の源泉 芸術と農業 石井柏亭君を送る 大森商二君の木炭画
  岸田君の芸術の事 宮坂君について 高田博厚渡仏後援彫刻頒布会趣意
  父・光雲作の仏像 彫刻家建畠大夢
 評論――文学――
  詩と表現 言葉の美しさ 詩の本質 戦争と詩 昭和二年詩壇概観〔断片〕
  「渝らぬ友」-尾崎喜八- 写真の顔――若山牧水追悼 追憶――山村慕鳥
  童心と叡智の詩人-北原白秋の業績- 天性の詩人白秋 あの頃――白秋の印象と思ひ出
  倉橋弥一さん 福士さんへ 『槐多の歌へる』 田中清一詩集『永遠への思慕』読後感
  『ホヰツトマン雑孝』 所感――推奨『東方古典叢刊』 『蛙』に寄す
  読みながら思へる――今井邦子歌集『明日香路』 『現代詩人集』について
  大野良子詩集『馬頭琴』読後感 矢野克子詩集『太洋ノ母』読後感
  仲村久慈著『湯地丈雄』 河合酔茗詩集『真賢木』を読む 藤井照子詩集『石花菜』序
  照井瓔三著『国民詩と朗読法』序 伊波南哲詩集『麗しき国土』序
  矢野克子詩集『いしずゑ』序
 随筆
  巴里より ルセルンの旅舎より 消息 恋愛――結婚の話 イギリスの女とフランスの女
  千駄木より 書簡 有望なのは天然的遊園地 恵まれたる優性遺伝の十八名家
  悪趣味を排す 遙にも遠い冬 ビールの味 某月某日 かういふわけ 往復書簡
  『道程』の思ひ出 美しく懐かしき国、日本
 アンケート
  松籟颯々 文芸に現はれたる好きな女と嫌ひな女 最近の感想
  私は斯んな見方で、斯んな新聞を読んでゐる 本月の詩歌壇
  この夏はどうしてお暮しになりますか 詩人の好める詩人及び詩風
  取締を帝国美術院に アメリカ趣味の流入を防げ 新時代の家庭におくる言葉
  十四年度作品批評 どんな芝居をやつて見たいか? 不滅の価値――山本鼎論
  断想――既成文壇の崩壊期に処す 名士と食物 後継詩壇を背負ふ人
  あなたの御健康は如何ですか 新年に当り歌壇に与ふる言葉 古美術と現代美術
  装幀について 貴方の愛読書は
 日記
  彫塑雑記 明治三十六、七年 日記 明治四十三年
 雑纂
  高等科二学年試験答案 『大原海岸』あとがき 高村豊周『赤城旅行記』あとがき
  第一回中央協力会議議案
 翻訳
  「パミイル」より(ジヨオジ シエエヌブエル)
  反逆――ジヤン・クリストフより(ロマン・ロラン)
  ロダンといふ人(ジユジト クラデル) シヷのをどり(アウギユスト ロダン)
 後記

当会顧問であらせられた北川太一先生が、昭和35年(1960)からガリ版刷りで発行されていた冊子『光太郎資料』の主要な記事を全六巻の上製本として刊行することになりました。第三巻までが、昭和33年(1958)に完結した第一次『高村光太郎全集』(筑摩書房)に漏れていた作品の集成、第四~六巻が光太郎智恵子周辺人物の書き残した光太郎智恵子論・回想です。一部、第六巻にも全集補遺作品が収められました。

第一次全集補遺作品群は、のちに平成6年(1994)から同じく筑摩書房で刊行が始まった増補版の『高村光太郎全集』の第19巻から21巻及び別巻に一部を除いて収められることになります。

情報入手が遅れまして、先月から始まっている企画展示のご紹介です。会期が長いので助かりました。

ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」登録10周年記念・三重県誕生150周年記念 第43回企画展 まつりを旅する 受け継いできた三重の宝もの

期 日 : 2026年4月25日(土)~6月21日(日)
会 場 : 三重県総合博物館 津市一身田上津部田3060
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)
料 金 : 一般 800(640)円  学生 480(380)円 高校生以下無料
      ( )内団体料金 他に基本展示とのセット観覧割引有

多様な地域性をもつ三重には、多くのまつりが伝承されています。コロナ禍を経て、地域と人々をつなぐまつりの復活を私たちは心待ちにしていました。折しも2026年は、県内3団体が構成団体となっているユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の登録10周年にあたります。世界的にも評価されるこれらの行事に加えて、県内各地で広く伝承されてきたかんこ踊りや獅子舞など、三重のまつりの様々な魅力を一堂に集めて紹介します。

第1章 江戸時代から続く都市のまつり
 「上野天神祭のダンジリ行事(伊賀市)」の鬼行列の供奉面、華やかな楼車の幕等を紹介します。また、津まつりで行われている唐人踊りの資料等を通じて、異国への好奇心に満ちた人々の思いを紹介します。

第2章 日本唯一! 鯨船のまつり
 古式捕鯨の伝統を伝える鯨船行事は、日本中で三重県にだけ伝えられている祭りです。「鳥出神社の鯨船行事(四日市市)」は、豪華に飾られた鯨船とハリボテの鯨との激しい攻防が陸上で繰り広げられる祭りです。鯨船山車を飾る華麗な彫刻や幕などを展示して、地域の人々の熱い想いを紹介します。

第3章 日本一やかましいまつり 桑名石取祭
 40台に及ぶ華麗な祭車に据えられた大きな鉦と太鼓を激しく叩く「桑名石取祭の祭車行事(桑名市)」は、日本一やかましい祭りとして知られています。その華麗な造り物や幕などを展示します。

第4章 村落の祈り かんこ踊り
 かんこ踊りは、三重県を代表する民俗芸能で、県内の内陸部は雨乞い、沿岸部は盆供養を目的とすることが多く、その装束や被り物も地域により多様で華麗です。「勝手神社の神事踊(伊賀市)」をはじめ、多様なかんこ踊りの装束や被り物等を展示して、その魅力を紹介します。

第5章 獅子の国 三重
 現在も各地域に特色のある多様な獅子舞が伝わる三重県は、全国的にも獅子舞のルーツの1つとして知られています。北勢・中勢地域には江戸時代に広い地域を巡舞した鈴鹿の獅子舞の伝統、伊賀地域でも同様に地域内を巡舞していた獅子舞の伝統が今に引き継がれています。伊勢地域では、古い歴史を有し、獅子頭を神聖視する御頭神事が伝えられています。また、桑名市には、全国を旅する伊勢大神楽が現在も伝承されています。三重県で最も古い獅子頭を始め、これらの地域に伝えられている歴史ある獅子頭等を展示して、私たちの身近にある獅子舞の歴史と魅力を紹介します。
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三重県内の代表的な祭り等を紹介する展示。そのうち、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」登録10周年記念ということで、桑名市の石取祭も取り上げられます。毎年第1日曜日とその前日の土曜日に行われ、40台ほどの祭車(山車)が鉦や太鼓を盛大に打ち鳴らしながら練り歩き、「日本一やかましい祭り」と言われています。

光太郎の父・光雲の手になる装飾彫刻を施した「羽衣」の祭車が現役です。また、人手不足なのでしょうか、最近は出されていない「太一丸」という祭車。こちらは光雲の工房が装飾に関わっています。
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その「太一丸」祭車の上に屹立する木彫の神鹿が展示されています。
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中心になって手がけたのは、共に光雲が制作主任を務めた上野の西郷隆盛像の犬、皇居前広場の楠木正成像の馬を手がけた後藤貞行。動物彫刻のスペシャリストでした。

神鹿の足もと、手前に見える木彫の飾り板も祭車に取りつけられていたものでしょう。こちらが光雲工房作。どの程度光雲本人の手が入っているか不明ですが。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 25 『智恵子抄・道程』アイドルブックス10

昭和45年(1970)10月5日 ポプラ社 高村光太郎著
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目次
 智恵子抄 道程 猛獣篇 典型
 解説 高村光太郎の人と作品 北川太一
 年譜

少年少女向けのシリーズ「アイドルブックス」ラインナップの一冊。当初は函入りでしたがのちに函は廃され、濃い緑色のカバーの付いた装幀になります。偕成社の「ジュニア版日本文学名作選」ともども、小中学校の図書室にはマストだったシリーズです。

埼玉県東松山市。元教育長の故・田口弘氏が戦時中から戦後にかけて光太郎と交流があり、昭和40年(1965)の連翹忌の集いで同じく光太郎と親しかった彫刻家・高田博厚と出会って意気投合、同市での高田個展の開催をお膳立てなさったた他、東武東上線高坂駅前から西に伸びる通りに高田の彫刻32体を配した「高坂彫刻プロムナード」建設にも尽力されました。
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32体には光太郎胸像(昭和34年=1959)も含まれています。
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他に肖像彫刻としては、海外だとポール・シニャック、タゴール、マハトマ・ガンジー、国内では棟方志功、新渡戸稲造、宮沢賢治、高橋元吉など。

その「高坂彫刻プロムナード」についての講座が開かれます。

文化芸術講座「高坂彫刻プロムナード」

期 日 : 2026年5月19日(火)
会 場 : 大岡市民活動センター 埼玉県東松山市大谷3400-10
時 間 : 10:30~12:00
料 金 : 無料
講 師 : 生涯学習課職員
対 象 : 市内在住・在勤・在学の人
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対象が「市内在住・在勤・在学の人」ということで、限られてしまうのですが、とりあえず。

同市は高田との結びつきで、毎年秋には「高田博厚展」を開催、それからシニア市民対象で様々な活動を行っているきらめき市民大学さんでの授業の一環で、毎年当方が一回講師を依頼され、光太郎、高田、そして田口氏の結びつきやプロムナード等についてお話をさせていただいています。

そういう関係で鎌倉にあった高田のアトリエ閉鎖に伴い、そちらにあった作品や遺品が同市に寄贈されたりもしました。

また、市内の新宿小学校さんにはこれも田口氏のお骨折りで光太郎筆跡「正直親切」を刻んだ碑も立っています。光太郎の母校・荒川区立第一日暮里小学校さんにも同じ碑が設置されているため、今後、光太郎がらみでの同区との交流なども視野に入れているそうです。

今後とも、彫刻の街として発展して行っていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 11 『高村光太郎詩集』

昭和28年(1953)6月25日 新潮社 伊藤信吉編
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ 根付の国 食後の酒 寂寥 新緑の毒素 廃頽者より
  地上のモナ・リザ 泥七宝(七章) 犬吠の太郎 さびしきみち 夜 冬が来た 冬の詩
  牛 道程 群集に 秋の祈
 『道程』以後 晴れゆく空
  小娘 無為の白日 丸善工場の女工達 米久の晩餐 雨にうたるるカテドラル
  ラコツチイマアチ クリスマスの夜 冬の送別 沙漠 落葉を浴びて立つ
 火星が出てゐる
  象の銀行 白熊 苛察 冬の奴 冬の言葉 火星が出てゐる 何をまだ指してゐるのだ
  彼は語る 花下仙人に遇ふ ぼろぼろな駝鳥 当然事 あの音 焼けない心臓
  或る筆記通話 上州湯桧曽風景 上州川古「さくさん」風景 冬 似顔
  非ヨオロツパ的なる 化けもの屋敷 もう一つの自転するもの つゆの夜ふけに
  最低にして最高の道 人間拒否の上に立つ
 刃物を研ぐ人
  鉄を愛す 葱 車中のロダン 後庭のロダン 鯰 偶作 刃物を研ぐ人 孤坐 蝉を彫る
  首の座 村山槐多 荻原守衛
 智恵子抄
  或る夜のこころ 郊外の人に 冬の朝のめざめ 樹下の二人 狂奔する牛 夜の二人
  同棲同類 あどけない話 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子
  山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 元素智恵子 メトロポオル
  裸形 案内 若しも智恵子が
 典型
  雪白く積めり 「ブランデンブルグ」 人体飢餓 山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉
  典型 山菜ミヅ 山口部落 クロツグミ クチバミ 山のともだち
 暗愚小伝
  彫刻一途 パリ 親不孝 デカダン 美に生きる おそろしい空虚 ロマン ロラン
  暗愚 報告 山林
 高村光太郎の詩業について 伊藤信吉

四六判、並製。同じく伊藤信吉によって編まれた新潮文庫版の『高村光太郎詩集』(昭和25年=1950)と似たような編集方針です。

昨日は日帰りで信州に行っておりました。

主目的は安曇野市の碌山美術館さんで開催された、光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛の忌日「碌山忌」のものろもろ。守衛は明治43年(1910)に亡くなりましたので、昨日で第116回でした。
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午前6時頃、千葉の自宅兼事務所から例によって愛車でかっ飛んで行ったのですが、少し遠回りして長野市に立ち寄ったり、途中で昼食を摂ったりで、着いたのは正午過ぎでした。
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13:30から講演があるということで、まずはその前に館内散策。
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真っ先に向かうは第一展示棟。光太郎作品が常設で展示されています。
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光太郎らの作品は入れ替えながらの展示となるため、行くたび展示されている作品が変わっており、現在は「手」(大正7年=1916)、「腕」(同)、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作(昭和28年=1953)、そして絶作の「倉田雲平胸像」(昭和29年=1954)。多い時はもう少し出して下さっていますが、今年は9月19日(土)~11月23日(月)の日程で「光太郎智恵子展」的な企画展をまたやって下さるそうなので、それに向けて今は少なめにしているようです。

第二展示棟。こちらは現在、守衛を敬愛し、ある意味その系譜を継いで、さらに館の設立に尽力した石井鶴三や笹村草家人、基俊太郎らの作品が並んでいます。
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また、特に企画展とは謳っていませんが、杜江館という棟では国指定重要文化財の守衛作「北條虎吉像」石膏原型も出ていました。令和5年(2023)、竹橋の東京国立近代美術館さんで開催された「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」にも出品されたものです。

そして本館とも云うべき碌山館。今井兼次設計による教会ふうロマネスク建築は館全体のシンボルでもあります。
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こちらは内部撮影可。
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シンボル中のシンボル「女」。
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守衛パリ留学中の作品で、光太郎がぜひ石膏にとって日本に持ち帰るようにと進言したため残った「坑夫」。
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ちなみに「坑夫」はお隣の穂高東中学校さんにも建てられています。台座のプレートは昭和30年(1955)、最晩年の光太郎の筆。平日で生徒さんもいる時間帯ですので、のちほど敷地外から。
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再び碌山館内部。奥の小部屋。
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守衛の年譜や現存しない彫刻の写真、光太郎を含む関係者の紹介等。上記「女」「坑夫」の解説板もそうですが、令和4年(2022)に行った碌山館補修のためのクラウドファンディングで余った資金をこちらの改訂にも使ったようで、きれいにアップデートされています。

碌山館裏の光太郎詩碑。
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つい先だって、登録有形文化財指定が決まった「グズベリーハウス」と「美術の倉」。
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館庭は天然の植物園。山吹やドウダンツツジなどが満開でした。
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恒例の草花の即売会も。今年は「三時草」というのを一鉢100円で購入しました。何だか娘がなぜか多肉植物にはまっていまして(笑)。
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右上は今撮ったもの。

そうこうしているうちに講演会で、再び杜江館に。下画像は講演会場の杜江館2階の窓から見たアルプスの山々。館庭からは見えにくいのですが、ここからはバッチリです。
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講師の丸尾リサ氏(右上画像は後の「偲ぶ会」でのもの)は、同館友の会のメンバーで、明治美術学会などにも所属されているとのこと。守衛、そしてその師・ロダンとの比較研究ということで、パリにもしばらく滞在なさっていたそうです。また、連翹忌の集いにもご参加下さったことがおありとおっしゃっていました。当方が引き継ぐ前のことだったようで、気がつきませんでした。
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今年の連翹忌においで下さった平沢重人新館長のご挨拶に続き、さっそくご講演。演題は「ロダンの後継者荻原守衛」。特に「女」に焦点を絞って、その構造や守衛の構想の中に、静止したポーズの中にも筋肉や骨格の動きというか、力というかが意図され、そのため止まっていてもアクションやひいては生命感といったものが存分に感じられる、といったお話。
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それはロダンやミケランジェロ、さらに遡って古代ギリシャ彫刻から学んだものであろうとし、そして本邦アカデミズム系の彫刻にはそうした要素が希薄だと、ある意味、厳しい指摘も。確かにおっしゃるとおりで、だから光太郎もアカデミズム系は「人形のよう」と断じましたし、当方も例えば守衛同様、重要文化財指定を受けているあるアカデミズム系彫刻家の作品を見てもあまり感心できません。異論もありましょうが。

こうした点を鑑みると、かえすがえす守衛の早世が惜しまれます。

その後、車2台に分乗して守衛の墓参。
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例年ですと荻原家ご当主の義重氏がいらっしゃるのですが、少し体調を崩されているということで、残念ながら今年はお会いできませんでした。来年以降、またお会いできることを祈念いたしております。
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墓所から見た常念岳。守衛も愛した山です。

館に戻り、18:00からグズベリーハウスで「偲ぶ会」。
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これも毎年恒例の、光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)参会者全員による群読からスタート。
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式辞的なご挨拶。まず安曇野市教育長・橋渡勝也氏。続いて元館長にして現・代表理事の高野博氏。
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平沢館長による1年間のご報告。一昨年、昨年とこの場にいらした当時の安曇野市長・太田寛氏(館の理事も兼任されていました)など、関係の方々の物故報告もあり、粛然とさせられました。やはり元館長で複数の守衛関連ご著書等があり、さらに連翹忌にも複数回ご参加下さった仁科惇氏も昨年亡くなったそうで、それは存じませんでしたので尚更でした。
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続いて今年3月末でご退任となった幅谷啓子前館長に花束贈呈。
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館長就任以前にも断続的に同館に勤務されたりなさった幅谷氏、ご挨拶の中では感極まって涙されていました。お疲れさまでした。

その後は和気藹々と会食。幅谷氏を筆頭に関係の女性陣、学芸員の武井敏氏などが腕をふるわれた手料理、心ののこもったそれに舌鼓を打たせていただきました。
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19:30に閉会、片付けをして20:00頃に帰途に就きました。その時間帯ならおおむね24:00頃自宅兼事務所にたどり着く、シンデレラ状態です(笑)。

昼間の話に戻りますが、昨日は入場無料ということもあってか、団体のツアーも入り(何と奈良県からのそれも)、盛況でした。館としては入場料が取れないのは痛し痒しでしょうが、今度はリピーターとしてご家族でいらしていただきたいものです。

上の方に書きましたが、9月19日(土)~11月23日(月)の日程で「光太郎智恵子展」的な企画展をまたやって下さるそうなので(平沢館長、今年の連翹忌で渡辺えりさんをロックオンし、関連行事でトークショーという約束を取り付けたそうです。やり手ですね(笑))、その頃にでも皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)27 『九官鳥 松木喜之七遺稿集』 

昭和25年(1950)12月 松木岳二 松木祥三 鞍立道子編刊
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目次
 扉(故人自筆)
 九官鳥の前書
 歌の記録  山の記録 
 思い出の記
  松木喜之七氏と私の鯉 高村光太郎      松木さんを憶ふ 富田砕花
  松木大人の七年忌をよみておくる 堆朱楊成  松木氏を憶ふ 堅山南風
  痛惜無限 伊原宇三郎            松木喜之七を偲ばん 飯塚琅玕齋
  松木さん 小山良修             忘れ難い松木さん 羽下修三
  思出の一端 河合卯之助           スキー追憶 小川勝次
  竹馬の友を憶う 加藤清一          戦友松木喜之七君 駒形十吉
  永遠の松木さん 反町栄一          蓮花香炉(写真)板谷波山
 カット 向井潤吉 北原千鹿 河合卯之助
 あとがき

松木喜之七は新潟・長岡の素封家でした。古美術好きの仲間と図って光太郎の父・光雲の作品展「高村光雲遺作木彫展観」を長岡の料亭で開催、その縁で光太郎の知遇を得ました。そして光太郎に鯉の木彫を依頼。それを制作中の光太郎を撮った土門拳の写真が遺されています。
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ところが光太郎自身が納得のいくものが出来ず、断念してしまいました。代わりに、と、光太郎は「鯰」の木彫を松木に渡しました。それが現在、愛知県小牧市のメナード美術館さんで所蔵しているものです。そうこうしているうちに松木は太平洋戦争末期、もういい年だったにもかかわらず「根こそぎ動員」で徴兵され、戦死してしまいました。

『九官鳥』は短歌も趣味だった松木の遺稿を中心に、遺族が自費出版したものです。光太郎は上記「鯉」の件などを書き下ろして寄稿しました。

詩人の高祖保などもそうですが、実際に交流のあった人物の戦死の報が戦後になってから次々と光太郎に寄せられ、改めて光太郎は自らの戦争責任を痛感させられることとなったように思われます。

光太郎の親友にして、ロダンに師事した碌山荻原守衛を偲ぶ碌山忌が開催されます。今回で第116回となります。

第116回碌山忌

期 日 : 2026年4月22日(水)
会 場 : 碌山美術館 長野県安曇野市穂高5095-1
時 間 : 10:00~ コンサート
      13:30~ 記念講演 「オーギュスト・ロダンの後継者 碌山荻原守衛」
           講師 丸尾リサ氏 杜江館
      16:00頃~ 墓参
      18:00頃~ 偲ぶ会 グズベリーハウス
料 金 : 当日終日入場無料 偲ぶ会のみ参加費1,000円

公式サイト等に情報が出ていないのですが(どうしちゃったのかな、という感じですが)、電話で問い合わせました。もしかすると細かな点で聞き違いがあるかも知れませんが、ご寛恕の程。

コンサートはおそらく地元の皆さんを中心に。記念講演は4月22日の当日ではない年もあるのですが、今年は当日ですのでありがたいところです。墓参は少し離れた場所にある守衛の墓(中村不折揮毫)へ。歩いていける距離ではありませんので、荻原家の方や館で出して下さる車に分乗して参ります。

そして18時頃から、先頃国指定有形文化財に登録されたグズベリーハウスで「偲ぶ会」。例年通りであれば会の冒頭に光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)を参会者全員で群読します。その後、関係のご婦人がたによる手料理等が饗され、そちらを頂きつつ和気あいあいと歓談。

と、まぁ、そんな流れです。

下記は今年の連翹忌の集いで託されて参会の皆様にお配りした最新のフライヤー2種類です。
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余談ですが、同館の館庭、天然の植物園状態です。画像はX(旧ツィッター)からお借りしました。
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そこで碌山忌の日(それ以外も?)にはさまざまな草木の苗や種子の販売も行われることがあります。

数年前にゲットしてきたシャガの苗を自宅兼事務所の庭に植えたところ、どんどん増殖し、現在満開です。
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また何か手に入れてこようと思っております。

皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)22 『能楽全書 第六巻 能・狂言の鑑賞』

昭和19年(1944)11月10日 創元社 矢部良策編
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目次
 能の美 阿部次郎       能の力 安倍能成
 能の絵画美 有島生馬     能の彫刻美 高村光太郎
 能の詩趣 土岐善麿      狂言の写真 瀧井孝作 
 謡本の話 高安吸江      能の曲目編成法 山崎楽堂
 能及び能楽堂の音響 小幡重一 能及び能楽堂の照明 朝比奈貞一
 附録
  能現行曲目 狂言現行曲目 能・謡曲文献解題 狂言文献解題 能・謡曲・狂言用語
 
敗戦まであと半年余り。物資不足はとっくに深刻化していたこの時期に、よくこんなしっかりした造本の書籍が刊行できたなという感じです。

光太郎の父・光雲関連で2件。

まずは雑誌の最新号です。

『芸術新潮』2026年4月号

発行日 : 2026年3月25日(水)
版 元 : 新潮社
定 価 : 1,700円(税込)
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【特集】東京国立博物館×国立西洋美術館 対話するコレクション 比べてわかる日本美術と西洋美術
 案内役 [東軍]山下裕二 [西軍]宮下規久朗

 昨年、東京と京都で開催された「西洋絵画、どこから見るか?」展をご記憶ですか。内容は、サブタイトルに「ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館VS国立西洋美術館」とある通り。両館のコレクションはルーヴルやプラド程の規模ではないものの、それぞれ強いジャンルがあり、優れた作品にも事欠かない。互いの長所を組合せ、独自の切口で見せる同展のあまりの面白さに、同じことを東博と西美でやってみたい!と思ったのが、特集「比べてわかる日本美術と西洋美術 対話するコレクション 東京国立博物館×国立西洋美術館」の出発点です。美術史家の山下裕二氏と宮下規久朗氏がセレクトした東博・西美の作品を肖像・風景・聖像などのジャンルや「巧い」「かわいい」「ほのぼの」などのキーワードでペアリングしました。スリリングな二十番の絵合わせにより、作品を見る解像度がグーっとアップすること受け合い。そう、“比べてわかる”は伊達ではないのです。
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 一番 忘れられない肖像画
  [東博]一休和尚像》×[西美]フォンターナ《アントニエッタ・ゴンザレスの肖像》
 二番 近代彫刻の横綱たち
  [東博]高村光雲《老猿》×[西美]ロダン《カレーの市民》
 三番 驚異の工芸品
  [東博]濤川惣助《七宝富嶽図額》×[西美]橋本コレクションの指輪
 四番 版画のビジュアル・ショック 
  [東博]東洲斎写楽 第一期連作大首絵×[西美]カロ《戦争の悲惨(大)》
 五番 狂気と美
  [東博]上村松園《焔》×[西美]スーティン《心を病む女》
 六番 空間を創出する風景画
  [東博]長谷川等伯《松林図屏風》×[西美]モネ《睡蓮》
 七番 その巧さに舌を巻く
  [東博]林十江《鰻図》×[西美]ブーグロー《小川のほとり》
 八番 かわいくてキュンキュンしちゃう
  [西美]クラーナハ《ホロフェルネスの首を持つユディト》×[東博]《埴輪 踊る人々》
 九番 その渋さがたまらない
  [東博]伝周文《竹斎読書図》×[西美]シャヴァンヌ《貧しき漁夫》
 十番 やんごとなき聖像
  [西美]カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》×[東博]《普賢菩薩像》
 十一番 美麗本
  [西美]内藤コレクションの中世写本×[東博]《古今和歌集(元永本)》
 十二番 謎に満ちている
  [東博]《菩薩立像》×[西美]フェルメール(に帰属)《聖プラクセディス》
 十三番 ほのぼの、しみじみ
  [東博]久隅守景《納涼図屏風》×ゴーガン《海辺に立つブルターニュの少女たち》
 十四番 パノラミックな群像劇
  [東博]岩佐又兵衛《洛中洛外図屏風》×[西美]ルカ・ジョルダーノ《マギの礼拝》
 十五番 動物へのまなざし
  [東博]伝毛松《猿図軸》×[西美]クールベ《罠にかかった狐》
 十六番 リアリズムの行き着くところ
  [西美]バスケニス《楽器のある静物》×[東博]速水御舟《京の舞妓》
 十七番 あの世からうらめしや
  [東博]葛飾北斎 木版連作「百物語」×
  [西美]フュースリ《グイド・カンティの亡霊に出会うテオドーレ》
 十八番 もっと評価されるべき
  [東博]渡辺省亭《赤坂離宮花鳥図画帳下絵》×
  [西美]ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《聖トマス》
 十九番 さすが東博、さすが西美 近年の新収蔵品
  [東博]李公麟《五馬図巻》×[西美]スルバラン《聖ドミニクス》
 二十番 選者交代! 好きなんです
  [西美]カぺ《自画像》×[東博]李氏《瀟湘臥遊図巻》
 東京国立博物館 本館のコレクション展エリアMAP
 国立西洋美術館 常設展エリアMAP

70ページほどで組まれた特集は、共に上野にある東京国立博物館さんと国立西洋美術館さんが舞台。それぞれの収蔵品から、20のテーマで東西の名品を紹介しつつ、「比べてわかる日本美術と西洋美術」ということで、共に美術史がご専門の、明治学院大学さん山下裕二教授、神戸大学の宮下規久朗教授のお二人が熱いトークを繰り広げるというコンセプトです。作品の選択もお二人と思われますが、それで勝負をして何勝何敗、というわけではありません。

光雲に関しては「二番 近代彫刻の横綱たち」で東京国立博物館さん所蔵の「老猿」。対するは国立西洋美術館さん前庭に立つロダンの「カレーの市民」。
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山下教授と言えば、光太郎嫌いで有名です。昔は光太郎芸術を好意的に紹介して下さっていたのですが、教授が推し進めている明治期のいわゆる「超絶技巧」系を光太郎が腐していると知るや、方向転換なさったのではないかと思われます。

例えば「自在置物」。江戸期の甲冑師の流れを汲む職人たちの手によって作られた金属工芸で、動物の模型を写実的に作るのみならず、体節・関節の部分を本物のように動かすことが可能な造りになっています。下記はやはりトーハクさん所蔵のもの。
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以前にも書きましたが、光太郎、こうした「自在置物」をこう評しています。談話筆記「炉辺雑感」(昭和28年=1953)から。

 世間にはよく実物そつくり創ろうとする人がいる。ことに金でつくつたのなんかには、実に巧みに本物と似せてつくられているものがある。例えば、エビやカニの場合だつたらその足が動くようにできている。しかし、そういうものはいかに本物そつくりにできていても本物をへだゝること遙かに遠い。本物を創る為には本物にとらわれてはいけない。本物にとらわれて、本物に似せようとすると、本当の造型にはならないで、おもちやになつてしまう。

「おもちゃ」は言い過ぎだろ、と思うのですが、「具象」をどう進めるかという点での光太郎のスタンスがよく表されています。

その前後にはこういう言も。
 
 蟬のあの脚を木でこしらえるのは、実に大変な仕事だ。芸術は一つの創造だから、事実ありのまゝの模写じやいけない。細いものを細く創つたんじや駄目。蟬の羽根は非常に薄いが、あれをそのまゝ薄く創つたんじや変なものになつてしまう。決して薄くなんて見えない。厚く見える。思いきつて厚く創ると却つて薄く見える。これが芸術というものである。
 
 彫刻は、蟬なら蟬を創るにしても一遍蟬から離れて、別の立場に立つて創らなければならない。そうすることによつて、はじめて蟬が模写にもおもちやにもならず、本当の蟬となることができる。人間の顔でも、その人を生写しにするというのでは彫刻にならない。たゞその人らしいものはできる。その人らしいもの、その人の影法師みたいなものはできるが、その人はできない。本物の影のようなもの、泡みたいなものを掴んでこれが彫刻だと喜んでいる人も少くないが、僕らはそんなものは彫刻と思えない。彫刻は、本当に出来れば、その人以上にその人となる。蟬以上に蟬、石以上に石となる。実物そつくりというわけじやないが、実物以上に実物となる。――これが造形芸術の奥の手である。

当方は「自在置物」のような超絶技巧を頭から否定するわけではありません。その複雑な機構を可能ならしめる技術には舌を巻くばかりですし、そうした技術の継承は成されるべきと思います。しかし、光太郎の言うように、それを「芸術」としていいものかというと、首をかしげざるを得ません。

作者が自身のフィルターを通さずただ見たものを見たままに表現するだけでは、「本物そっくりだ」で終わりです。その作品を通して作者が何を訴えたいのか、そういうものが見えてこなければ「芸術」とは言えますまい。やはり超絶技巧系の彩色牙彫など、まさにそんな感じだと思います。ひところちょっとしたブームになってさまざまなメディア等に取り上げられたり、企画展の目玉となったりしましたが、最近は飽きられてきたようで、あまり聞きません。

もっとも、超絶技巧系の作者たち(特に「自在置物」など)は、自らの作を「芸術」とは捉えていなかったように思われます。また、逆に技巧を伴わない稚拙な作品を「芸術」と呼べるか、ということにもなります。

光太郎、「書」を論じる中で、そのあたりにも言及しています。やはり基本的な技巧はしっかり身につけておくべきであると言うのが立脚点です。昭和14年(1939)の「書について」という散文から。

 書はもとより造形的のものであるから、その根本原理として造型芸術共通の公理を持つ。比例均衡の制約。筆触の生理的心理的統整。布置構造のメカニズム。感覚的意識伝達としての知性的デフオルマシヨン。すべてさういふものが基礎となつてその上に美が成り立つ。さういふものを無視しては書が存在し得ない。

ところが、時折、こまごまとした技巧に囚われない、我流だけれどもいい書に出会うことがあるとします。

 生れたままの自然発生的な書といふものにもいろいろあつて、生れながらに筆硯的感覚を多分に持つてゐる人のは、或る点まで立派に書格を保有し、無邪気で、自然で、いい加減な習字先生のよりも遙に優れたものとなる。(略)いつの間にか、性格まる出しの、まねてまねられない、或は奇逸の、或は平明清澄の妙域に進み入り、ことに老年にでもなると、おのづから一種の気品が備はつて来て、欲も得もない佳い字を書くやうになる。

後半部分、まるで相田みつをの書ですね。しかし、それを手放しで褒めるかというとそうではありません。

 さういふ佳品を目にするのはたのしいものであるが、さればといって、此を伝統の骨格を持ち、鍛冶の效をつんで厳然とした規格の地盤に根を張つた逸品の前に持ち出すと、やつぱり免れ難い弱さがあり、浅さがあり、何となく見劣りのするものである。

このくだりを読むと、書家の方々が相田みつをの書を書と認めない理由がうなずけるような気がします。

そしてこうも。

 人工から起つたものは何処までも人工の道を究めつくすのが本当であり、それには人工累積の美を突破しなければならないのである。生れながらに筆硯的感覚を持つてゐる人のですらさうであるから、もともとさういふ性来を持たない者の強引の書となると多くは俗臭に堕する傾がある。意地ばかりで出来た字、神経ばかりで出来た字、或は又逆に無神経ばかりで出来た字、ぐうたらばかりで出来た字が生れる。

「感性」頼りではだめ、ということですね。

ところが「技巧」ばかりでもいけないわけで、ちゃんとその点も押さえて「なまじつか習つた能筆風な無性格の書」「うまいけれどもつまらない」と、「技巧」だけのものも否定しています。

「感性」と「技巧」、結局は優れた「感性」を以て「人工累積の美を突破しなければならないのである」というところに尽きるかと思います。突破するためにはそれらをしっかり身につけた上で、ということにもなります。10代の少年のうちに写実の技法をほぼ究めてしまい、その上でキュビスムを編み出したピカソなどが良い例でしょう。

そういう見方でいわゆる「超絶技巧」の作品群を捉えたいものです。もっとも、さまざまな分野のものを「超絶技巧」とひとくくりにするのもどうかと思われますが。中には光太郎曰くの「人工累積の美を突破」したといえるものもあれば、「技巧」だけの「本物の影のようなもの」もあるわけで。

長くなりました。急ぎます。

光雲の木彫が出る展示、仙台で来月始まります。

春の展覧会 2026年度・上期『島川コレクション展』Ⅱ期

期 日 : 2026年4月6日(月)~10月8日(木)
会 場 : 島川美術館 宮城県仙台市青葉区本町2-14-24
時 間 : 11:00~15:00
休 館 : 毎週金・土・日 祝祭日
料 金 : 一般 1,000円(800円) 高校生 800円(300円) 小・中学生 300円(100円)
      ( )内20名以上団体料金 

総展示作品は140点以上

メイン展示作品
 横山大観《霊峰不二》1939年      山川賀壽雄《朝(はじまり)》2017年
 川合玉堂《山村晩煙図》           葛西四雄《風景》
 森本草介《ひざまずくヌード》2007年  高村光雲《聖観世音菩薩》1928年
 森本純《夏みかん》            森本草介《ジャーマンアイリス》1978年
その他展示作品
 加山又造「しだれ桜」           岸田劉生「麗子像」
 小磯良平「踊り子」            佐伯祐三「キュラソーの瓶のある静物」
 杉山寧「嵤」               田中一村「黄昏」
 中島千波「紅牡丹」「白牡丹」      速水御舟「芙蓉」
 東山魁夷「春静」             平山郁夫「流沙浄土変」
 森本草介「POSE」            カシニョール「海に面したバルコニー」
 ユトリロ「サントセシル ラヴァールズ」 マリーローランサン「チェロと女」
 他
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001光雲作品は「聖観世音菩薩」昭和3年(1928)。当方、令和6年(2024)に拝見して参りました。光雲晩年の作で、見事な造りです。

しかし光太郎にかかると……

 父の作品には大したものはなかつた。すべて職人的、仏師屋的で、又江戸的であつた。楠公は五月人形のやうであり、「南洲」は置物のやうであり、数多い観音、阿弥陀の類にはどれにも柔媚の俗気がただよつてゐた。

やはりちょっと言い過ぎ感がありますね。山下教授、こういう言も光太郎を嫌う一因なのでしょうか。

続く部分では「老猿」についても容赦なく……

大きな栃の木で作つた「老猿」も部分の肉合ひなどに彫刻的面白味がないではないが、大体の着想なり、表現形式なりがあまり幼稚なので高くは買へない。

もっとも、光雲にしてみれば、「自分は「芸術家」などではない」という感覚だったのかも知れませんが。

引用文は昭和29年(1954)の「父との関係」からのものですが、同じ文章の中で光雲の若い頃の作は褒めています。

 むしろ丁稚奉公時代に作つた「犬の首」の木彫習作とか、宮内省蔵の「ちやぼ」とか、皇后職にある筈の「狆」とかいふものが、いちばんいい。それには青年の純粋な、真剣な意気込が感じられ、又自然の美にめざめた者の驚きとその美へのひたむきな肉迫とが見てとれる。これは時代的にも意義がある。

なかなか親子関係というものは難しいものですね……。

閑話休題、島川さんのコレクション展、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)3 『高村光太郎 与謝野晶子』傑作歌選別輯

大正4年(1915)12月5日 抒情詩社 高村光太郎/与謝野晶子著 内藤鋠策編
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目次
 高村光太郎 1902-1907
 第一
 第二
 第三
 第四
 与謝野晶子 1901-1913

光太郎、そして姉貴分の与謝野晶子の、主に『明星』に載った短歌を集めたものです。前年に出た詩集『道程』版元の抒情詩社の内藤鋠策が、光太郎の才能に惚れ込み、実入りにしてやろうと編みました。すでに『みだれ髪』で名を成していた晶子と一冊にすれば売れるだろうという意図だったそうです。

京都の春の夜を美しく彩るイベントです。

知恩院春のライトアップ2026

期 間 : 2026年3月25日(水)~4月5日(日)
時 間 : 17時45分~21時30分(21時受付終了)
場 所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 )
       友禅苑 国宝三門 女坂 国宝御影堂 阿弥陀堂(外観のみ)
料 金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)

今回は、「おてつぎ運動60周年記念企画」として、三門楼上(回廊のみ)公開を行います。普段、通常非公開の楼上となります。どうぞこの機会にお上がりください。素敵な景色が広がっています。
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みどころ

友禅苑 Yūzen-en garden
友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。
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三 門 Sanmon 国宝
おてつぎ運動60周年記念企画楼上(回廊のみ)公開。元和7(1621)年、徳川秀忠公が建立した高さ24m、幅50mの日本最大級の木造二重門。悟りの境地に到る「空門」「無相門」「無願門」の三解脱門を表すことから三門といいます。
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御影堂 Miei-dō 国宝
寛永16(1639)年、徳川家光公によって再建されました。間口45m、奥行き35mの壮大な伽藍は、お念仏の根本道場として多くの参拝者を受け入れてきました。
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Magnus RINN マグナス・リン
大阪・関西万博のアイルランド館のモニュメントが期間限定で知恩院に展示!作者はアイルランドの造形作家、Joseph Walsh(ジョセフ・ウォルシュ)氏。“輪”は円の形状をとり、人間と自然の関係性を象徴し、時間の流れや自然の循環を表象しています。
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関連行事
聞いてみよう!お坊さんのはなし
 テーマ『弘(ひろ)む願い、伝わる念(おも)い』~明るく、正しく、仲良く~
 開始時間:18:00~/18:45~/19:30~/20:15~
 (各回お話15~20分、木魚念仏体験5~10分程度)

月かげプレミアムツアー
ライトアップ拝観エリアすべてを僧侶と一緒に巡る特別ツアーです。御影堂内陣など通常非公開部もご案内! 1時間30分たっぷりと知恩院の魅力をご体感いただけます。
 日程:木・土・日
 開始時間:18:00~
 所要時間:約1時間30分
 定員:各回30名様まで
 料金:お1人様3,000円(小・中学生1,500円)
 ライトアップ拝観料込み。
 料金はツアー専用受付にてにて現金でお支払いください。

ライトアップ同時開催企画展示
 『千代紙の色と模様』 3月27日(金) ~ 3月29日(日)
  場所 友禅苑 茶室「白寿庵」「華麓庵」
  REKAO(千代紙)
  千代紙の掛け軸と屏風を、友禅苑の二つの茶室の空間の室礼として展示いたします。
  静けさの中に立ち上がる、千代紙の模様の美と物語をお楽しみください。
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 『春の余白-白磁のインスタレーション-』 4月3日(金) ~ 4月5日(日)
  場所 友禅苑 茶室「白寿庵」・「華麓庵」
  林侑子(陶芸家)
  白磁によるインスタレーション「春の余白」を開催いたします。
  土に鋏を入れる独自の技法から生まれるかたちは、光や気配と響き合いながら夜の空間に
  静かに広がります。明確なかたちと、言葉にならない余白。
  そのあわいに立ち上がる感覚を通して、それぞれの中にある“春”にそっと触れる時間とな
  れば幸いです。どうぞ静かなひとときをお過ごしください。
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境内の友禅苑という庭園の池のほとりに立つ光太郎の父・高村光雲作の聖観音菩薩立像、正確には東京美術学校として依頼され(明治25年=1892)、光雲が主任となって制作されました。木造原型は美校の後身である東京藝術大学さんに残されています。
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ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体) 80『高村光太郎秀作批評文集 美と生命 後篇』

平成22年(2010)3月30日 書肆心水 高村光太郎著
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目次
 某月某日(一つの型) 彫刻性について 普遍と独自 しゃっくり病 言葉の事
 某月某日(人間内部の矛盾撞着) 自分と詩との関係 春さきの好物 芸術上の良知
 蝉の美と造型 美の健康性 智恵子の半生 永遠の感覚 美の影響力 素人玄人
 某月某日(自分の詩) 美を求める慾望 七月の言葉 美の日本的源泉 詩と表現
 言葉の美しさ 彫刻その他 エジプトの彫刻の話 能の彫刻美 季節のきびしさ
 美しい生活 
山の雪 新春雑談 芸術と農業 たべものの話 おろかなる都 南沢座談
 人体について 美と真実の生活 農にほこりを持て 書の深淵 話言葉としての日本語
 アンケート
 初出一覧 高村光太郎略年譜 キーワード索引

彫刻をはじめとする造型、それから文学についての光太郎評論を2分冊にまとめた前編です。一部、評論とはいえないエッセイ的なものも含みます。

筑摩書房さんの『高村光太郎全集』を定本として編まれています。したがって全集完結の平成10年(1998)以降に見つかった作品は載せられていません。それでこちら一冊分位の分量が優にあるのですが。いずれまとめて公刊するべくデータにしてはありますが、それもどんどん新しい作品が見つかり、増殖中です。

いわゆる「コレクション展」ですが、単に「コレクション展」とするのでなく、サブタイトルをつけたり特別にフライヤーを作ったりなさっている場合は御紹介させていただいております。

そういうもので、広島から。光太郎の父・光雲の作品が出ています。

春の館蔵品展 近代彫刻展

期 日 : 2026年3月14日(土)~5月24日(日)
会 場 : 耕三寺博物館 広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2
時 間 : 午前9時~午後5時
休 館 : 年中無休
料 金 : 大人 1,400円(1,200円) 大学生・高校生 1,000円(800円)
      中学生以下 無料 ( )内20名以上の団体料金

 名称      作者    材質     時代
 ハイキング   安西順一  木造     S14第3回東邦彫塑院展
 龍女      阿井瑞芩  木造     S11年文展招待展
 松花堂像    赤堀信平  木造     昭和前期
 聖徳太子尊像  雨宮治郎  ブロンズ   S13年第2回新文展
 緑蔭      岡正敏   木造     S11年文展鑑査展
 髪を洗う女   北村正信  大理石    S13年第2回新文展
 維摩      工藤敬三  木造     S6年第12回帝展
 母と子     小瀬村清  木造     S6年第12回帝展
 乳母と子    佐藤静司  木造     S12年第1回新文展
 こども     佐藤匡義  木造     S11年文展鑑査展
 不動明王立像  澤田晴廣  木造     S14年
 聖徳太子    関野聖雲  木造     S14年第3回新文展
 阿弥陀如来坐像 高村光雲  木造截金彩色 昭和前期
 弥陀来迎龕   西村雅之  木造白檀   昭和前期
 春園      西山如拙  木造彩色   S11年文展鑑査展
 信女      橋本朝秀  木造     S11年文展招待展
 のぼるもの   長谷川榮作 木造彩色   S12年第1回新文展
 野飼にて    早川朝洋  木造     S13年第104回日本美術協会展
 裸婦      藤井浩祐  ブロンズ   昭和前期
 母子      本田徳義  木造     S13年第2回新文展
 芽生      松本昇   木造     S11年文展鑑査展
 風神      三木宗策  木造彩色   昭和前期
 銀線を描く   宮本朝濤  木造     S11年文展招待展
 海神の女    森山朝光  木造     T15年第1回聖徳太子奉賛展
 魚藍観音    山崎朝雲  木造     昭和前期
 愛育      山畑阿利一 大理石    昭和前期
 鉋       山根八春  木造     昭和前期
 鍾馗      吉田芳明  木造     昭和前期
 清宵      米原雲海  石膏     M40年
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001光雲作品は「阿弥陀如来坐像」。昭和9年(1934)に亡くなった光雲晩年の作と思われます。

平成14年(2002)に三重県立美術館、茨城県立近代美術館、千葉市立美術館と巡回した「高村光雲とその時代展」にも出品さたもので、その際に拝見しました。像高20㌢ほどの小さな仏様ですが、衣などに細かな截金(きりかね)が施されており、手の込んだ作です。

他にも光雲系統の作家による作品がずらり。関野聖雲、山崎朝雲、米原雲海などは「雲」一字を受け継いだ高弟ですが、それ以外に三木宗策、澤田晴廣も「雲」の字は入らないものの光雲の系譜に連なる彫刻家です。フライヤーで最も大きく取り上げられているのは三木宗策の「風神」ですが、見事な作ですね。

同時開催で中村不折、中村岳陵らの作が出ている「近代美術 日本画展」、それから「館蔵茶道具展」も開催されています。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)79 『智恵子抄』

平成23年(2011)4月15日 角川春樹事務所(ハルキ文庫) 高村光太郎著
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目次
 人に 或る夜のこころ おそれ 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪
 人類の泉 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 夜の二人 
 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視
 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記
 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒 うた六首 智恵子の半生 九十九里浜の初夏
 智恵子の切抜絵
 語註 略年譜
 エッセイ 蜂飼耳

昭和16年(1941)、龍星閣から刊行されたオリジナル『智恵子抄』を踏襲した構成で、従って戦後の作品は収録されていません。解説は詩人の蜂飼耳氏。現在でも新刊で入手可能です。

北海道での報道等を2件。

まずは昨日も御紹介した漫画『本郷新伝』について。『毎日新聞』さん北海道版で3月4日(水)に出た記事です。

戦後代表する彫刻家 本郷新の生涯 漫画に 札幌でコレクション展 生誕120年記念 反戦・平和の願い込め /北海道

 札幌市生まれで、戦後日本を代表する彫刻家、本郷新の生涯を描いた漫画「本郷新伝」(teamエアーダイブ著、ダイブックス)が出版された。生誕120年を記念して本郷新記念札幌彫刻美術館(中央区)が企画。現代と本郷の生きた時代を往還しながら物語が展開し、反戦・平和への願いを込めた制作エピソードも織り交ぜた。同館で原画パネルや作品のコレクション展「マンガでわかる本郷新」が開かれている。
 漫画は、札幌市内の漫画制作・出版会社「エアーダイブ」と鴨修平さん、桜井さよるさんの2人の漫画家が共同制作した。3話で構成。同館が史実に基づいて監修した。
 第1話は彫刻を始めた女子高校生が同館を訪れ、館長の案内で戦没学生の青年像「わだつみの声」像などの作品に込めた思いを知っていく。第2話は広島市平和記念公園の「嵐の中の母子像」にまつわる物語だ。母親が2人の幼子を懸命にかばって前かがみに進む像で、広島原爆で犠牲になったとみられる祖母を図書館員が追想する。 
 同館で先行販売しており、4日から書店発売の予定だ。市内の小中高には3月 中をめどに配る。梅村尚幸学芸員(38)は「純粋に漫画として面白い。漫画家の創造性を尊重し、本郷新からのイマジネーションを広げてストーリーを作ってもらった。大人から子供まで、彫刻を知らない人や詳しい人も楽しめる」と話している。梅村さんは漫画の途中に挿入された解説を書いた。
 巻末にブロンズ像の作り方の図解や札幌・全国の公共空間にある作品群も紹介。A5判128ページ。990円。
 コレクション展は原画の拡大パネル約60枚と作品31点のほか、本郷が幼少期に描いた絵や学生時代のノートなど貴重な資料も公開している。5月24日まで(月曜休館、5月4日開館、同7日休館)。
 出版を記念して3月21日午後2時、中央区の市民交流プラザでトークイベント「マンガで伝える彫刻家 本郷新の思い」を開催。エアーダイブの田中宏明代表、三守小百合副編集長、漫画家2人と同館 ... 問い合わせは同館(011・642・5709)へ。

 □人物略歴. 本郷新. 1905年12月生まれ。札幌二中(札幌西高)、東京の順天中学を経て北海中学(北海高)卒業。東京高等工芸学校(千葉大工学部)へ。在学中から師事した高村光太郎を通じてロダンの影響を受けた。東京で若手彫刻家たちと「新制作派協会彫刻部」を旗揚げ、彫刻界に新風を吹き込む。全国各地の公園などにモニュメントの彫刻が設置され、80点以上が現存する。80年2月、74歳で死去。札幌市中央区宮の森のアトリエを含む2棟が本郷新記念札幌彫刻美術館となっている。
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広島市平和記念公園の「嵐の中の母子像」(1960年設置)。後ろの建物は広島平和記念資料館本館=広島市中区で2022年11月、安味伸一撮影

最初の画像で展示されている3枚の原画が写っていますが、一番右のそれはちょうど光太郎が登場しているシーンです。

もう1件、『北海道新聞』さんの一面コラム。先週6日の掲載でした。

<卓上四季>高木美帆さんの「道程」

<僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る>。高村光太郎の「道程」の冒頭の詩句である。このとき光太郎は31歳。ひとりの芸術家として未知の荒野を突き進み、前例のない新たな道を切り開きたい―。ストイックかつ強い意志を感じさせる宣言であった▼北海道が生んだひとりのアスリートの軌跡が重なってみえる。スピードスケートの五輪金メダリスト、高木美帆さんだ▼中学生だった15歳で五輪の初舞台に立つ。以来、計4回も出場を重ねて、10個ものメダルを手にする。だれも到達することのできなかった高峰をめざし続けた▼輝きは成績にとどまらない。短距離から長距離までをカバーし、個人種目でも団体でも圧倒的な強さ。希代のオールラウンダーとして世界の尊敬を集めてきた▼ずっと順風満帆だったわけではない。五輪出場を逃したこともあるし、今季は好不調の波に苦しんだ。それでも体力と技術を極限まで高めてリンクに立った。試練に負けない求道者をみるようだった▼いつも道を切り開いてきた高木さんが引退を表明した。栄光の陰につらい日々もあっただろう。31歳までのがんばりに心から拍手を送りたい。オランダでの世界選手権がラストランとなる。<残りの期間も変わらずに、スケートに向き合い続け、高みへ挑みにいきます>。彼女らしいことばである。

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)の冒頭部分は、このように様々な分野でのパイオニア的な活躍を見せた人々を語るマクラとしてよく使われます。特に高木選手同様、レジェンドと化した皆さん(野茂英雄投手とか、将棋の藤井聡太六冠とか)。ただ、時折、そこまで行ってないだろ、という若手や、その後不祥事があったりで「何だかなぁ」という人物の形容にも使われることもあるのですが……。

光太郎自身、芸術分野に於ける日本でのパイオニアたらんとする自負や矜恃があって「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」としたのでしょう。パイオニアと言えば、「道程」の前年に発表された詩「人類の泉」では「私は自分のゆく道の開路者です」とし、「開路者」には「ピオニエエ」とルビを振っています。これは仏語の「pionnier」。英語の「pioneer(パイオニア)」に相当します。

ところで高木選手、昨日行われたオランダでの世界選手権オールラウンド部門では3位入賞を果たし、現役生活にピリオドを打ったそうです。
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お疲れさまでした、ですね。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)67 『愛の時』愛蔵版

昭和61年(1986)4月2日 アムリタ書房 ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 明るい時 LES HEURES CLAIRES
  Ⅰ おう さんらんたるわれらのよろこび
   O LA SPLENDEUR DE NORTRE JOIE
  Ⅱ 無言のままわれらの歩くこの明るい花園が
   QUOIQUE NOUS LE VOYIONS FLEURIR DEVANT NOS YEUX
  Ⅲ この野蛮な柱頭、そこには怪物等が身をもだえ
   CE CHAPITEAU BARBARE OU DES MONSTERES SE TORDENT
  Ⅳ 夜の空はひろがり
   LE CIEL EN NUIT S'EST DÉPLIÉ
  Ⅴ いつでも,かほど純真にふかい
   CHAQUE HEURE OÙ JE SONGE À TA BONTÉ
  Ⅵ あなたは時としてあのなよやかな美を示す,
   TU ARBORES PARFOIS CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅶ おう! 戸を叩かせて置かう,
   OH! LAISSE FRAPPER CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅷ あどけない頃のやうに,私は自分の心をあなたに上げた,
   COMME AUX ÂGES NAÏFS JE T'AI DONNÉ MON C CEUR
  Ⅸ わかい,気のやさしい春は
   LE PRINTEMPS JEUNE ET BÉNÉVOLE                           
  Ⅹ しづかに来て
   VIENS LENTEMENT T'ASSEOIR
  Ⅺ 火のやうな恍惚の眼をして
   COMBIEN ELLE EST FACILEMENT RAVIE
  Ⅻ 長い間私のくるしんでゐた時,
   AU TEMPS OÛ LONGUEMENT J'AVAIS SOUFFERT
  ⅩⅢ どういふわけか何故なのかいはれは何か
   ET QU'IMPORTENT ET LES POUQUOIS ET LES RAISONS
  ⅩⅣ 黄金と花との階段をしづしづ降りる
   A CES REINES QUI LENTEMENT DESCENDENT
  ⅩⅤ 私はあなたの涙に,あなたの微笑みに,
   JE DÉDIE À TES PLEURS, À TON SOURIRE
  ⅩⅥ 私はあなたの二つの眼の中に自分の魂全てを溺らす,
   JE NOIE EN TES DEUX YEUX MON ÂME TOUT ENTIÈRE
  ⅩⅦ われらの眼を愛するため
   POUR NOUS AIMER DES YEUX
  ⅩⅧ われらあの愛の園に,夏はつづく。
   AU CLOS DE NOTRE AMOUR, L'ÉTÉ SE CONTINUE
  ⅩⅨ あなたの明るい眼,あなたの夏の眼が,
   QUE TES YEUX CLAIRS, TES YEUX D'ÉTÉ
  ⅩⅩ 言つてごらん,私の質素な私の静かな友よ,
   DIS-MOI MA SIMPLE ET MA TRANQULLE AMIE
  ⅩⅪ われら自身以外の一切のものからこんなに遠く
   EN CES HEULES OÙ NOUS SOMMES PERDUS
  ⅩⅫ おお! この幸福!
   OH! CE BONHEUR!
  ⅩⅩⅢ 生きませう,われらの愛とわれらの熱情とに。
   VIVONS DANS NOTRE AMOUR ET NOYRE ARDEUR
  ⅩⅩⅣ われらの口の触れ合ふやいなや
   SITOT QUE NOS BOUCHES SE TOUCHENT
  ⅩⅩⅤ 底知れぬ深さ神のやうに聖い
   POUR QUE RIEN DE NOUS DEUX N'ÉCHAPPE ÀNOTRE ÉTREINTE
  ⅩⅩⅥ たとひもう,こよひ,
   BIEN QUE DÉJÁ, CE SOIR
  ⅩⅩⅦ からだを捧げるとは,魂のある以上,
   LE DON DU CORPUS, LORSQUE L'ÂME EST DONNÉE
  ⅩⅩⅧ われらのうちにたつた一つの心やさしさ,
   FUT-IL EN NOUS UNE SEULE TENDRESSE
  ⅩⅩⅨ 炎に花咲く美しい庭は
   LE BEAU JARDIN FLEURI DE FLAMMES
  ⅩⅩⅩ もし万一にも
   S'IL ARRIVE JAMAIS
 午後の時 LES HEURES D'APRÈS-MIDI
  Ⅰ 年は来ました、ひと足ひと足,ひと日ひと日,
   L'ÂGE EST VENU, PAS Á PAS, JOUR Á JOUR
  Ⅱ 六月の薔薇,おん身最も美しいもの,
   ROSES DE JUIN, VOUS LES PLUS BELLES
  Ⅲ 若しほかの花々が家をかざり
   SI D'AUTRES FLEURS DÉCORENT LA MAISON
  Ⅳ 陰は浄まりあけぼのは虹いろ。
   L'OMBRE EST LUSTRALE ET L'AUROPE IRISÉE
  Ⅴ 私は,こよひ,おみやげとして,あなたにあげる,
   JE T'APPORTE, CE SOIR, COMME OFFRANDE, MA JOIE
  Ⅵ ふたりして路ばたに腰かけよう,
   ASSEYONS-NOUS TOUS DEUX PRÈS DU CHEMIN
  Ⅶ しづかに,なほもしづかに,
   TRÈS DOUCEMENT, PLUS DOUCEMENT ENCORE
  Ⅷ われらの愛の生れるわけであつたこの家には,
   DANS KA MAISON OÚNOTR AMOUR A VOULU NATRE
  Ⅸ 窓をあけひろげて
   LE BON TRAVAIL, FENÊTRE OUVERTE
  Ⅹ まつたき信がわれらの愛の底に住む。
   TOUTE CROYANCE HABITE AU FOND DE NOTRE AMOUR
  Ⅺ  暁、陰、夕暮,空間,星。
   L'AUBE L'OMBRE, LE SOIR, L'ESPACE ET LES ÉTOIRES
  Ⅻ 今は善い時,ラムプのつく時。
   C'EST LA BONNE HEURE, OÛ LA LAMPE S'ALLUME
  ⅩⅢ 過ぎ去つた年の死んだ接吻が
   LES BAISERS MORTS DES DÉFUNTES ANNÉES
  ⅩⅣ われらが同じ思に生きてゐてもう十五年。
   VOICI QUINZE ANS DÉJÀ QUE NOUS PENZONS D'ACCORD
  ⅩⅤ 永遠にわれらの喜は麻痺したと思つた,
   J'AI CRU Á TOUT JAMAIS NOTRE JOIE ENGOURDIE
  ⅩⅥ われらのまはりに生きる一切のもの,
   TOUT CE QUI VIT AUTOUR DE NOUS
  ⅩⅦ 私の感覚,私の心,私の頭脳,
   AVEC MES SENS, AVEC MON C ŒUR ET MON CERVEAU
  ⅩⅧ 爽やかな静かな健康の日々,
   LES JOURS DE FRAICHE ET TRANQUILLE SANTÉ
  ⅩⅨ 私は眠の林から出て来た。
   JE SUIS SORTI DES BOSQUETS DU SOMMEIL
  ⅩⅩ ああ,病の鉛が,
   HÉLAS! LORSQUE LE PLOMB DES MALADIES
  ⅩⅪ 明るい庭こそ健康そのもの。
   LE CRAIR JARDIN, C'EST LA SANTÉ
  ⅩⅫ 六月であつた,庭での事,
   C'ÉTAIT EN JUIN, DANS LE JARDIN
  ⅩⅩⅢ 身を捧げるだけでは足らず,あなたは自身を濫費する。
   ET TE DONNNER NE SUFFIT PLUS, TU TE PRODIGUES
  ⅩⅩⅣ おう もの一つ動かぬ静かな夏の庭よ。
   O LE CALME JARDIN D'ÈTÈ OÚ RIEN NE BOUGE
  ⅩⅩⅤ 時間も気持ちも,まるで別,
   COMME Á D'AUTRES, L'HEURE ET L'HUMEUR
  ⅩⅩⅥ 美しい夏の金色の小舟等は,
   LES BARQUES D'OR DU BEL ÉTÉ
  ⅩⅩⅦ 感覚の熱,心情の熱,霊魂の熱,
   ARDEUR DES SENS, ARDEUR DES CŒURS, ARDEUR DES ÂMES
  ⅩⅩⅧ 不動の美は
   L'IMMOBILE BEAUTÉ
  ⅩⅩⅨ そなたは,あの夕,あんな美しい言葉をきかせてくれた。
   VOUS M'AVEZ DIT, TEL SOIR, DES PAROLES SI BELLES
  ⅩⅩⅩ 「明るい朝の時」「午後の時」
   《HEURES DU MATIN CLAIR》《HEURES D'APRÈS SI BELLES》
 夕の時 LES HEURES DE SOIR
  Ⅰ DES FLEURS FINES ET MOUSSEUSES COMME L'ÉCUME
  Ⅱ  S'IL ÉTAIT VRAI
  Ⅲ LA GLYCINE EST FANÉE ET MORTE EST L'AUBPINE
  Ⅳ METS TA CHAISE PRÉS DE LA MIENNE
  Ⅴ SOIS-NOUS PROPICE ET CONSOLANTE ENCOR
  Ⅵ HÉLAS! LES TEMPS SONT LOIN
  Ⅶ LE SOIS TOMBE, LA LUNE EST D'OR
  Ⅷ LORSQUE TA MAIN CONFIE
  Ⅸ ET MAINTENANT QUE SONT TOMBÉS
  Ⅹ QUAND LE CIEL ÉTOIREÉ COUVRE NOTRE DEMEUR
  ⅩⅠ  AVEC LE MÉME AMOUR QUE TU ME FUS JADIS
  ⅩⅡ  LES FLEURS DU CLAIR ACCUEIL
  ⅩⅢ  LORSQUE S'ÉPAND SUR NOTRE SEUIL
  ⅩⅣ SI LE SORT NOUS SAUVA DES BANALES ERREURS
  ⅩⅤ NON, MON ÂME JAMAIS DE TOI NE S'EST LASSÉE
  ⅩⅥ QUE NOUS SOMMES ENCORE HEUREUX
  ⅩⅦ SUBIRONS-NOUS, HÉLAS! LE POIDS MORT DES ANNÉES
  ⅩⅧ LES MENUS FAITS, LES MILLE RIENS
  ⅩⅨ VIENS JUSQU'Á NOTRE SEUIL RÉPANDRE
  ⅩⅩ QUAND NOTRE JARDIN CLAIR
  ⅩⅩⅠ AVEC MES VIEILLES MAINS
  ⅩⅩⅡ SI NOS CŒURS ONT BRÛLÉ EN DES JOURS EXALTANTS
  ⅩⅩⅢ EN CE RUGUEUX HIVER OU LE SOLEIL FLOTTANT
  ⅩⅩⅣ PEUT-ÊTRE
  ⅩⅩⅤ OH! TES SI DOUCES MAINS
  ⅩⅩⅥ LORSQUE TU FERMERAS MES YEUX Á LA LUMIÈRE
 ヹルハアラン 高村光太郎
 解説 北川太一

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの詩集「時の三部作」。4年前に「光太郎生誕100年記念出版」として出版されたものが、ハードカバーになって「光太郎没後30周年記念」として再刊されました。

札幌の本郷新記念札幌彫刻美術館さんで開催中の「本郷新生誕120年記念 コレクション展 マンガでわかる本郷新」がらみで、そのマンガそのものがネットで入手できるようになったため、早速購入しました。

タイトルは『本郷新伝』。同館が企画、監修し、札幌のエアーダイブさんが制作・刊行。A5版120ページほどです。作画はエアーダイブさんに所属されているんだか、契約なさっているんだかの方々なのでしょう、鴨修平氏と桜井さよる氏。
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3話構成で、「1話:創り出す手」「2話:差し伸べる手」「3話:繋ぎあう手」となっています。主人公というか、狂言廻しというかが、「1話」と「3話」が札幌在住で高校の美術部に所属する女子生徒(「3話」では美大に進学したという設定)。さらに「2話」では広島での被爆者の孫にあたる中年男性。それぞれに本郷の彫刻、そこに込められた思いなどに触れ、新たな目を開かされるというストーリーです。

途中途中に本郷の評伝的な部分がちりばめられ、「1話」中には光太郎も。ロダンにも触れられています。
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本郷は東京高等工芸学校の出身。本郷新記念札幌彫刻美術館さんの公式サイトによれば関東大震災の翌年、大正13年(1924)に入学しています。「フリー百科事典 ウィキペディア」の本郷の項では、「東京美術学校志望だったが親に反対され、産業との関係が深い東京高等工芸学校彫刻部(現千葉大学工学部)に1925年に入学。作品が完成するたびに高村光太郎のもとを訪れ批評を受けた。ただしこの頃の高村はすでに彫刻を離れ、詩作に専念していた時期であった。間違いだらけです。まず、工芸学校入学の年が違っています。本郷新記念札幌彫刻美術館さんの公式サイトの方が間違っているということはありえないでしょう。さらに頓珍漢なのは「ただしこの頃の高村はすでに彫刻を離れ、詩作に専念していた時期であった」。まったく逆で、大正13、14年(1924、25)は一時期離れていた木彫を再開し、「蝉」「柘榴」「鯰」「魴鮄」「鷽(うそ)」などを作り、好評を博していた時期です。あらためて「ウィキペディア」をそのまま信用するのは危険だなと思いました。

ちなみに東京高等工芸学校といえば、かの「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏の母校でもあります。やなせ氏の在学期間は昭和12年(1937)~同15年(1940)。昨年の朝ドラ「あんぱん」でも同校の場面がかなり描かれていましたね。
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また、本郷新記念札幌彫刻美術館さんの公式サイトでは「1928年(昭和3年)22歳 卒業後、国画創作協会第7回展に《少女の首》初入選。この頃より高村光太郎に師事」。『本郷新伝』では「高等工芸学校の卒業前後に高村光太郎の自宅を訪ね彫刻を見てもらうようになる」。「卒業前後」の幅がどの位の期間なのか、光太郎の書き残したものの中には記述がありません。『高村光太郎全集』には本郷の名は最晩年の昭和30年(1955)と翌年の日記に数回出て来るだけでして。その中では、光太郎が作りたいと思っていたものの、健康状態がもはやそれを許さず断念した藤島武二の胸像を代わりに本郷に作ってもらうよう頼んだとあります。
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おそらくこちらでしょう。画像は「ken's銅像探索日誌」というサイトからお借りしました。

ただ、本郷新記念札幌彫刻美術館さんには、光太郎から本郷宛の書簡が残されているということで、『高村光太郎全集』やその補遺である当方編の「光太郎遺珠」には掲載されていないものです。そちらを拝見できれば本郷と光太郎の交流の様子がもう少し明らかにできると思っております。

漫画以外の部分も充実しています。間に挟まれているコラム的なページ、それから巻末には資料編的なページも。項目名を列挙すると「わだつみの声」「本郷新と関係の深い人物・団体」「彫刻の美」「なぜ、服を着ていないの?」「嵐の中の母子像」「泉の像」「彫刻鑑賞のポイント」「ブロンズ像の作り方」「北海道内の公共空間にある彫刻」「北海道内の公共空間にある彫刻」。

本郷作品、当会事務所兼自宅のある千葉県香取市と利根川を挟んだ隣町になる茨城県神栖市の市立図書館さんに設置されています。「北海道内の公共空間にある彫刻」の項でちゃんと紹介されていました。
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3、4日前に撮影して参りました。
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さて、『本郷新伝』、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)66 『芸術論集 緑色の太陽』

昭和57年(1982)6月16日 岩波書店(岩波文庫) 高村光太郎著
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目次
 Ⅰ 自伝 父との関係
 Ⅱ 人の首 木彫ウソを作った時 蝉の美と造型
 Ⅲ 緑色の太陽 彫刻鑑賞の第一歩 彫刻十個条 触覚の世界 生命の創造
 Ⅳ ミケランジェロ・ブオナローティ ロダンに就いて二、三の事 荻原守衛
 Ⅴ 手 信親と鳴滝 美の日本的源泉
 Ⅵ 書について 書の深淵 黄山谷について 書についての漫談
 Ⅶ 詩についてⅠ
    余はかく詩を観ず 詩そのもの 詩について 小感 気について 詩の深さ
    詩と表現 私の詩の理法
   詩についてⅡ 生きた言葉 自分と詩との関係 詩について語らず 日本詩歌の特質
 解説 北川太一

当会顧問であらせられた故・北川太一先生が編まれ、解説されたものです。光太郎生前には『緑色の太陽』という書籍は存在しませんでした。岩波書店さんのサイトでは「品切れ」。重版が待たれます。

これまた始まってしまった展示です。

本郷新生誕120年記念 コレクション展 マンガでわかる本郷新

期 日 : 2026年2月22日(日)~5月24日(日)
会 場 : 本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市中央区宮の森4条12丁目
時 間 : 午前10時~午後5時
休 館 : 月曜日 5月4日(月・祝)は開館し5月7日(水)は休館
料 金 : 一般350円(300円)、65歳以上300円(200円)、高大生150円、中学生以下無料
      ※(  )内は10名以上の団体料金

 札幌生まれの彫刻家・本郷新(1905~80年)は、彫刻の社会性、公共性を重視し、戦後、平和、希望、愛などをテーマにしたモニュメンタルな野外彫刻の制作に熱意を傾けました。
 本郷新記念札幌彫刻美術館では、2025年12月に生誕120年を迎える本郷新の功績を、次世代の子どもたちにも伝えていくために、マンガ『本郷新伝』を出版し、札幌市内の小学校などに配布する予定です。
 本展はこのマンガの出版に合わせて開催されます。マンガの主要な場面をいくつかパネル化し、実際の作品や資料と一緒に展示することで、本郷新の生涯や彫刻に込められた思いについて、初心者でも楽しく愛着を持って学ぶことができます。
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【関連事業】
◆『本郷新伝』出版記念トークイベント「マンガで伝える 彫刻家本郷新の思い」
 日 時 : 2026年3月21日(土)14:00-15:30(開場13:30)
 会 場 : SCARTSコート(札幌市民交流プラザ1階)
 登壇者 : 田中宏明(エアーダイブ代表)  三守小百合(エアーダイブ副編集長)
       鴨修平(漫画家)        桜井さよる(漫画家)
       吉崎元章(本郷新記念札幌彫刻美術館館長)
 定 員 : 80名(事前申込不要・先着順)
 受講料 : 無料
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マンガ『本郷新伝』について。

本郷新伝

発行日 : 2026年3月4日
著者等 : teamエアーダイブ/本郷新伝製作委員会
版 元 : Dybooks
定 価 : 990 円(税込)

「手」は人類が誕生して以来様々なものを生み出してきた。「物」も、「争い」も、そして「彫刻」……北海道・札幌に生まれ、平和を愛し、彫刻に生命を吹き込み、日本の社会的空間における彫刻の在り方を探求し続けた彫刻家・本郷新の物語が いま、始まる――

普段、何気なく見ている街なかの彫刻。それは、半世紀以上前に、本郷新がつくったものかもしれません。時代が移り変わっても、社会の中でずっと生き続けることを求めた造形。そして、そこに込めた人間愛と、反戦・平和への強い思い。この「本郷新伝」は、現代の視点から、それらを改めて見つめ直していきます。本郷新や彫刻に対する深い理解へと導く渾身作です。ぜひご一読ください。
 吉崎元章(本郷新記念札幌彫刻美術館 館長)

【目次】 1話:創り出す手 2話:差し伸べる手 3話:繋ぎあう手
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こちらには、本郷と交流のあった光太郎も登場するそうです。『北海道新聞』さん記事。

コレクション展 マンガでわかる本郷新

 札幌出身で戦後日本の彫刻界をけん引した本郷新(1905~80年)の生涯や考え方を紹介する漫画「本郷新伝」(teamエアーダイブ著)が3月4日、発売される。生誕120年記念で企画・監修した本郷新記念札幌彫刻美術館は、出版を記念する特別展を開く。作中の主要場面のパネルを彫刻や資料と並べ、本郷をより広く、深く知るきっかけにしてもらう考え。
 漫画では、広島市民の募金で平和記念公園に設置されたブロンズ像「嵐の中の母子像」や、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝に依頼された札幌・大通公園の「泉の像」の制作意図や背景を紹介。高村光太郎、山内壮夫、佐藤忠良ら、親交を深めた芸術家たちも登場する。また、本郷が36歳の時の彫刻論集に収録された「彫刻十戒」もイラストを用いて説明した。
 A5判128ページ、990円。道内主要書店で販売するほか、札幌市内の小中学校、図書館に寄贈する。漫画は館内で先行販売する。

UHB北海道文化放送さんのローカルニュース。

「生誕120周年」迎えた札幌出身の彫刻家・本郷新さんの生涯や彫刻に込めた思いを紹介「マンガでわかる本郷新」展はじまる 5月24日まで〈北海道札幌市〉

 札幌出身の彫刻家、本郷新さんの伝記漫画の出版を記念した特別展が2月22日から始まりました。
 この特別展は札幌出身の彫刻家、本郷新さんの伝記漫画、「本郷新伝」の出版に合わせて企画されたものです。
 漫画では戦後日本の彫刻界をけん引し、2025年12月に「生誕120周年」を迎えた本郷さんの生涯や彫刻に込めた思いが紹介されています。
 会場では本郷さんの彫刻などと一緒に並べられた漫画の主要場面を訪れた客が熱心に見入っていました。
 この特別展は、5月24日まで開かれています。
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展示にはぜひ足をお運びの上、『本郷新伝』もお買い求めあれ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)59 『智恵子抄』 改版

昭和42年(1967)12月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎著
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目次
 人に(いやなんです) 或る夜のこころ  おそれ からくりうた 或る宵 梟の族
 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪 人類の泉 人に(遊びぢやない) 人類の泉 僕等
 愛の嘆美 晩餐 淫心 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視
 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記
 レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 松庵寺 報告(智恵子に) 噴霧的な夢
 もしも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 智恵子と遊ぶ 報告 うた六首 智恵子の半生 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 解説「悲しみは光と化す」 草野心平 覚え書 同 改訂覚え書 同

昭和31年(1956)5月20日に初版が出された新潮文庫版の改版です。編者・草野心平の意図で初版には省かれていた「或る日の記」が新たに収められました。カバーも智恵子紙絵を使ったものに変更、さらに口絵にも智恵子紙絵が入れられました。

おそらく数千冊ある光太郎関連蔵書の中で、1番を選べ、といわれたら迷わずこれを選びます。手持ちの物は昭和51年(1976)1月の第57刷。中途半端な時期の重刷、さらにボロボロの状態なため市場価格は無いに等しいもので、古書店では入口のワゴンに100円均一で並んでいるようなものでしょう。しかし、自分にとってはこれが1番です。なぜなら、数千冊に及ぶ光太郎関連蔵書の第1号がこれだからです。昭和51年(1976)にこれを手に入れて読み、雷に打たれたような衝撃を受けてしまった故に、現在の自分が居ます。

新刊です。

井上涼の美術でござる 三の巻

発行日 : 2026年2月25日
著者等 : 井上涼
版 元 : 毎日新聞出版
定 価 : 2,500円+税

「びじゅチューン!」でもおなじみ、井上涼の美術まんが 待望の第3弾! わがままヴィーナス、オフィーリアの秘密の伝言、老猿の大脱走......忍者B・忍者Cと世にもゆかいな名画の世界へ! "クセつよ"芸術家27人の作品と人柄を紹介するよ。

はじめての美術鑑賞にぴったりの一冊! 総ルビつきで幼児からたのしめます。プレゼントにもどうぞ。
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目次
 はじめに
 Ⅰ 不思議の国の忍者たち
  ブリューゲルの巻 ボスの巻 デ・キリコの巻 ダリの巻 山下清の巻
  じっくり見てみよう① 山下清《ロンドンのタワーブリッジ》
 Ⅱ ようこそ! ござる町へ
  マティスの巻 聖徳太子の巻 本阿弥光悦の巻 猪熊弦一郎の巻 ロートレックの巻
  描き下ろしまんが「ロートレックの巻」その後
 Ⅲ モノクロ世界で、もういいかい?
  雪村の巻 横山大観の巻 エッシャーの巻 ハマスホイの巻 棟方志功の巻
  じっくり見てみよう② ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》
 Ⅳ 発見! 動物植物のすごい絵
  高村光雲の巻 熊谷守一の巻 竹内栖鳳の巻 河鍋暁斎の巻 若冲の《動植綵絵》の巻
  ラスコー洞窟の壁画の巻 ガレの巻 田中一村の巻 ウィリアム・モリスの巻
  ジョン・エヴァレット・ミレイの巻 アルチンボルドの巻 ボッティチェリの巻
  じっくり見てみよう③ 田中一村《椿図屏風》
  じっくり見てみよう④ アルチンボルド 四季《夏》《冬》/四大元素《水》《大地》
 おわりに


NHK Eテレさんで放映中の「びじゅチューン!」でアニメーション制作から劇中歌の作詞作曲演奏、そして出演なさっての解説までをこなす井上涼氏が、『毎日小学生新聞』さんに平成28年(2016)から連載されている漫画の単行本化です。見開き2ページで一人の美術家や美術作品が取り上げられています。

掲載紙では平成31年(2019)に光太郎が取り上げられ、昨年刊行の二の巻に収録されました。そして光太郎の父・光雲を扱った「高村光雲の巻」は初出が平成5年(2023)で、今回の三の巻に収められました。
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メインで取り上げられるのは、トーハクさん所蔵の重要文化財「老猿」。同作は「びじゅチューン」でも令和4年(2022)に「老猿は主役じゃなくても」として扱われましたが、また別のストーリー。動物彫刻の制作ではモデルの善し悪しにこだわった光雲が猿を観察したいと望み、主人公の忍者たちが協力する、というものです。

実際、「老猿」制作に際し、光雲は浅草の「猿茶屋」から猿を借りてきてスケッチしています。
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その顛末は光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)で語られています。

 モデルはその頃浅草奥山に猿茶屋があつて猿を飼つてゐたので、その猿を借りて来ました。この猿は実におとなしい猿で、能くいふことを聞いてくれまして、約束通りの参考にはなりました。物置に縛いで置いたが、どんなに縄をむづかしく堅くしばつて置いても、猿といふものは不思議なもので必ずそれを解いて逃げ出しました。一度は一軒置いてお隣りの多宝院の納所へ這入り坊さんのお夕飯に食べる初茸の煮たのを摘んでゐるところを捕まへました。一度は天王寺の境内へ逃げ込み、樹から樹を渡つて歩いて大騒ぎをしたことがありますが、根がおとなしい猿のことで捕まへました。

青空文庫さんでこの項全文が読めます。

井上氏、このくだりを参考になさったようで、「猿茶屋」ならぬ「猿カフェ」から借りてきた猿が大騒動を起こす、という話です。ちなみにちらっと光太郎も登場します。

他もおそらくそれぞれの美術家のエピソードなどを盛り込み、テキトーに描いているんじゃないなというのがよくわかります。それにしても「びじゅチューン」同様に、シュールですが(笑)。

ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)55 『美について』 

昭和35年(1960)11月10日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 触覚の世界
  触覚の世界 比例均衡 普遍と独自 永遠の感覚 写生の二面 書について 書の深淵
  感覚と生活 緑色の太陽 言ひたい事を言ふ
 彫刻の世界
  彫刻的なるもの 彫刻性について 肖像雑談 彫刻に何を見る 東洋と抽象彫刻
  蝉の美と造型 小刀の味 絶滅の美
 
ある首の幻想
  ある首の幻想 人の首 家 装幀について 某月某日  ほくろ 自分と詩との関係
  智恵子の切抜絵 九代目団十郎の首 自作肖像漫談
 美術の魅力
  日本の美
   埴輪について 仏像について(古式の美) 能面について 茶について
  彫刻の面白味 版画の話 静物画の新意義 日本画に対する感想 自刻木版の魅力
 オオギュスト・ロダン
  一 一個の全球 二 親ゆづり 三 善い姉さんと腹の出た家と 四 始まり 五 実地修行
  六 修道院 七 下働きと仕立女工 八 総決算と新時代 九 苦境と愉楽と 
  十 振出しへ返る事
 十一 自己の道 十二 「歩む人」と「地獄の門」と 十三 胸像群
  十四 記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義 十五 一九〇〇年以後
  十六 晩年、死、死 十七 「小さい花子」
 解説 伊藤信吉

同名の書籍が昭和16年(1941)に道統社から出ていますが、かなり内容が異なります。

詩人の若松英輔氏。光太郎についても関心がおありのようで、複数のご著作やオンライン講座、ラジオ番組等で光太郎に触れて続けてくださっています。

これまでに配信されたオンライン講座からセレクトされたもの、20余りの講座が「10~15%オフで再配信」だそうです。会員登録が必要とのことですが。

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<講座一覧>
 ■詩を書くための「感覚入門」――感覚とつながる 
 ■小林秀雄・岡潔『人間の建設』――人生の本質を求めて
 ■太宰治『駈込み訴え』――愛は言葉よりコトバによって語られる 
 ■若松英輔『愛について』――誰かを愛するなかで、人は自分に出会う
 ■苦しみについて
 ■よろこびについて
 ■エーリッヒ・フロム『愛するということ』 
 ■はたらくための哲学 言葉とコトバ
 ■高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ
 ■『対訳 ブレイク詩集』――詩人になるとは、詩の使者となることである
 ■志村ふくみ『語りかける花』
 ■小林秀雄「信ずることと知ること」
 ■『新編 志樹逸馬詩集』――人生の一語に出会う
 ■遠藤周作 『深い河』
 ■遠藤周作『沈黙』
 ■マルクス・アウレリウス『自省録』――内なる光に出会う
 ■トルストイ『人は何で生きるか』――天使に課せられた3つの問い
 ■トルストイ『イワン・イリッチの死』――消えることのない人生の光を求めて
 ■内村鑑三『後世への最大遺物』――言葉を遺す、コトバを遺す
 ■カリール・ジブラン『預言者』――人生とは、真の自分に出会う旅である
 ■ヘルマン・ヘッセ『シッダルタ』――わたしという秘密をもとめて
 ■フランクル『それでも人生にイエスと言う』――苦しむことは、生きる意味でもある

※このページの音声講座は購入後すぐにお聞き頂けます(3営業日以内にお送りします)。
 他の音声講座とは配信日や聴講期間が異なります。詳しくは下記をご確認下さい。
※講座によっては、収録日時が古いため、現在の形式などと異なる場合がございます。

【配信】お申込み後、3営業日以内にメールにて、聴講のためのURLとレジュメなどをお送り致します。
【聴講期間】4月15日(水)まで ※いつご購入されても、聴講期限は同じです。
【お申込み方法】 「読むと書く」会員様のみご参加頂けます。 会員証をお持ちでない方は、初めての方はこちらよりお申し込み下さい。
・初めての方はアンケート・課題を当事務局で確認後のご入会およびご入金となりますので、お申込のタイミングにより、配信が遅れる場合がございます。お早めにお申込下さい。
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令和4年(2022)に配信のあった「高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ」がラインナップに入っています。

高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ

 高村光太郎訳の『ロダンの言葉』は、ある時期、画家や彫刻家だけでなく、文学、音楽を含む世界においても、ある種の啓示の書として読まれました。彫刻という「かたち」のなかに潜むコトバを語るロダンに美と叡知の地平を指し示す羅針盤のようなものを感じたのです。
 今日、ロダンはすでに不朽の名を歴史に刻んでいますが、彼は多くの誤解と中傷を受けながら、自らの芸術を深化させてきました。この本には、かたちを変えた詩の極意が語られています。
 言葉を超えたコトバとどのような関係をつむぐことができるのか、ロダンの言葉に導かれながら、皆さんと考えてみたいと思います。 (講師:若松英輔)

【講座時間】約90分
【テキスト】高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』(高田博厚編・岩波文庫)
【受講料】★全3回まとめて
・書くワーク付き 18,150円 →<12%オフ>15,972円(税込)
・書くワークなし 13,200円 →<12%オフ>11,616円(税込)

『ロダンの言葉抄』は、いずれ下記の【高村光太郎書誌】で取り上げますが、昭和35年(1960)刊行の岩波文庫の一冊。大正期の『ロダンの言葉』『続ロダンの言葉』から、光太郎と交流のあった彫刻家の菊池一雄と高田博厚がセレクトして編み、高田の「解説」が附されています。『ロダンの言葉』系は正続合わせて10種類近くが刊行されていますが、現在でも新刊で入手が可能なのはこちらと、講談社文芸文庫版『ロダンの言葉』。ただ講談社さん版は店頭で見かけることがほとんどありませんが、岩波さん版は気の利いた新刊書店さんなら置いてありますし、こちらの方が分量も多く、お勧めです。

と、ここまで書いて岩波書店さんのサイトを調べたら、何と「品切れ」。まだ店頭に残っている場合があるかとは存じますが、重刷が待たれます。
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その岩波さん版をテキストとした若松氏の講座です。

他にも上記の通り、さまざまな分野、内容の講座が用意されています。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)48 『アトリエにて』

昭和31年(1956)6月30日 新潮社 高村光太郎著
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目次
 アトリエにて
  日本芸術院のことについて 父との関係 荻原守衛 モデルいろいろ 生命の創造
  焼失作品おぼえ書
 わたしの青銅時代
 最後の本を前にして 尾崎喜八

雑誌『新潮』に昭和29年(1954)2月から没した直後の昭和31年(1956)5月まで、断続的な連載が為された「アトリエにて」全10回(一つの題で2~3回にわたった項もあります)に、昭和29年(1954)の雑誌『改造』に寄稿した「わたしの青銅時代」をプラスしたものです。光太郎と交流の深かった尾崎喜八が解説を執筆しました。その解説に「最後の本」という語が冠されているのがちょっとひっかかりますが(この後も追悼出版が続きますので)、「焼失作品おぼえ書」の最後の一枚が、発表されたものとしては絶筆になりましたので、そういう意味でしょう。

昨日は妻と共に栃木県佐野市へ行っておりました。レポートいたします。

まず向かったのが東石美術館さん。
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11年前に訪れた際には前身の佐野東石美術館という名称で、殺風景なビルの一角でしたが、一昨年にリニューアル。東石美術館さんを含む複合施設「東石スカイテラス」として生まれ変わりました。その名の通り、屋上は芝生の広がるテラスとなっており、前庭はイベントスペースとしても使用可。テラスに上がる階段が観覧席にもなる造りです。

メイン施設は東石美術館さん。
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こちらでは「令和八年第一回企画展 雪あかりと春のきざし」が開催中です。
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目玉の出品物の一つとしてポスターに画像が使われている狛犬が、光太郎の父・光雲の作です。顔の部分だけを拡大した獅子頭タイプはこれまでも各地で拝見しましたが、狛犬像は初めてでした。ちなみになぜか作品名が「狗犬」となっているのですが。

特に撮影禁止などの表示が見当たらなかったので、撮らせていただきました。
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像高一尺ほど。阿形の宝珠、吽形の角、それから双方の眼や爪牙、そして首飾りに金彩が施されていますが、それ以外は素の木肌で木目を実に上手く生かした造り。見事でした。360度で見られず、光雲の銘も視認出来なかったのが残念でしたが(銘を見ると単独作か工房作かある程度判断出来ます)。

他に光雲の一番弟子・山崎朝雲や、やはり光雲の系譜に連なる円鍔勝三らの彫刻、光雲に学んだ板谷波山の葆光彩磁、横山大観のナイアガラと万里の長城を描いた双幅の大きな屏風、喜多川歌麿(そういえば栃木とも縁がありました)や安藤広重の浮世絵など。
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眼福でした。

リニューアルされたもののそれほど大きな館ではなく、ちょっと物足りないなぐらいの感じが逆に良いと思いました。「これでもか、これでもか」と並べられるとお腹が一杯になり、結局は各出品物の印象が残らないというケースも多いので。

また、通常入館料は1,000円のところ、2人で行くと800円に割引。さらに今回の半券を次回に提示すればまた800円で入館可と、どこまで良心的なんだ、と思いました。

続いて、御朱印コレクターの妻のリクエストで、車で数分の佐野厄除大師さんへ。関東圏ではテレビCMもよく眼にします。
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分骨と言う定、かの田中正造翁の墓もあり「へ~」でした。また、佐野は「天明鋳物」と呼ばれる鋳造の町としても知られ、梵鐘は地元産だそうで。

帰ってから気づいたのですが、境内には石川啄木の歌碑もあったそうです。やはり足尾銅山の鉱毒事件にまつわるもので、社会問題にも意識高い系だった啄木ならではの歌ですね。

さらに道の駅マニアでもある妻の指示で、郊外の道の駅どまんなかたぬまさん。
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これまでに行ったどの道の駅よりも混雑していました。土曜ということもあったでしょうし、我々同様に佐野厄除大師さんからの流れという方も少なくなかったかもしれません。

ちょうど昼時になる頃でしたので、こちらで名物の佐野ラーメン。
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自分はチャーシュー麺、妻は野菜ラーメン。専門店でのそれには及ばないのかもしれませんが、十分に美味でした。

というわけで、佐野レポートを終わります。東石美術館さんの狛犬展示は3月24日(火)まで。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)46 『山の四季』

昭和31年(1956)5月20日 中央公論社 高村光太郎著
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目次

 山の四季
  山の雪 山の人々 山の春 山の秋 花卷温泉 みちのく便り 七月一日 年越し
  雪解けず 開墾 早春の山の花 季節のきびしさ 淋しさ知らぬ孤独 夏の食事
  十二月十五日
 工房にて
  制作現況 人体について 工房にて 美と真実の生活 書についての漫談 書の深淵
  黄山谷について
 回想録
 あとがき

この年4月2日に光太郎が没し、それまで単行書に収録されていなかった詩文等を集めた追悼出版的なものが相次いで出されますが、その第一弾。雑誌『婦人之友』、『婦人公論』などに載った戦後(特に花巻郊外旧太田村時代のもの)の随筆をまとめたものです。クレジットがありませんが、編集は「あとがき」を書いた当会の祖・草野心平でした。

昨日、途中まで書いて保存しておいた状態だったのを投稿してしまっていました。夕方になって削除したのですが「なんだこりゃ?」と思われた方、すみません。

あらためまして、この時期、中高大その他、入学試験がたけなわです。

そんな中、関西大学さんの日本史の問題に、光太郎の父・光雲が取り上げられました。
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(6)が、上野の西郷隆盛像制作の中心となった人物を問う穴埋め問題で、光雲の名が入ります。

予備校の先生によると思われる「評」が以下の通り。
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やや細かい知識が問われた」。常識の範疇かなと思っていましたが、確かに西郷像に関わるSNS投稿等には、「作者は高村光雲だったんだ、意外」といった文言も見られます。特に関西圏以西の方々にとってはこの像そのものが身近な存在ではないせいかもしれません。
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画像は像の鋳造完成後、西郷の故郷・鹿児島に移されて保存されていた木彫原型です。惜しくも太平洋戦争による空襲で焼け落ち、現存しません。

それでも「「老猿」などの作品でも知られる彫刻家」とヒントが書かれていますので、「高村光雲」とすぐ解るのではないかと思われます。「老猿」は中学校の歴史の教科書に出て来ます。
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上画像は平成27年(2015)検定、同28年(2016)発行の東京書籍さん中学生向け歴史教科書。裏表紙に「老猿」があしらわれています。

ちなみに表紙には智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』も小さく。
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現行のものはデザインが変わってしまい、表紙/裏表紙にこれらの画像は含まれていませんが、本文では双方しっかり載っています。

関西大さんの入試に戻りますが、他に選択肢で彫刻家は「キ」に荻原守衛、「フ」で平櫛田中。逆に「平櫛田中って誰?」という声が聞こえそうですが。そう考えるとこの問題の正答率は高かったように思われますが、どうでしょうか。

それから今年は私立中学校の入試に、光太郎が取り上げられました。横浜市にある捜真女学校さん中学部の問題です。先週、ネット上にPDFファイルがアップされました。大問ひとつ丸々使われており、問題文が昨年2月2日の『朝日新聞』さん一面コラム「天声人語」。光太郎詩「道程」(大正3年=1914)をネタにしたものでした。

PDFファイルで読んで、なかなかよくできた問題だな、と思っていたのですが、なぜか程なく削除されてしまいました。出た時点でスクリーンショットを取っておけばよかったのですが……。ただ、いまだに検索エンジン上に痕跡が残っていまして、そこから小問一つのみ復元できました。

筆者が冬の雪景色を高村光太郎の「道程」と重ねて想像した理由としてふさわしいものを次の. ア. ~. エ. の中から一つ選び、記号で. 答えなさい。
 ア. 冬の寒さの厳しさが、努力の大変さや 決断することの難しさにたとえられたから。
 イ. 雪が積もった道の美しさが、作品の舞台にふさわしいと思えたから
 ウ. 新しい雪を一人で踏みしめて進む姿が、人生を切り開く決意と重なったから。
 エ. 降り積もった雪が、未来へ続く道しるべのように感じられたから。

どれを正解としても大間違いではないような気がしますが、まぁ「ウ」なのでしょう。

ちなみに捜真女学校さん、かつてかの小倉遊亀が美術教師として教壇に立っていたそうで。

ところで入試というと、昨年の今ごろ、大学入試共通テストにやはり「老猿」が取り上げられたよ、という記事を書きました。その際に貼り付けた画像が違ってるよ、と、つい最近コメント欄からご指摘がありました。慌てて訂正しました。面目ありません。

最初に書いた通り、入試たけなわ。公立高校などはこれからがピークですね。またどこかで光太郎智恵子、光雲が取り上げられてほしいものです。

常々思っていますが、歴史上の主な事項や主要(と思われる)人物の事績などは、受験に向けての知識というよりこの国に生きる人間としての教養として身につけておくべきものだと思います。あまりに細かいところまでは別として、ですが。昨今、あまりにも歴史に学んでいない言動を多く耳にしますので……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)44 『ヴェルハアラン詩集』

昭和28年(1953)12月25日 創元社 高村光太郎訳
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目次
 フラマンド
  パン焼
 路傍
  たとへ
 錯覚の村村
  風
 生活の相貌
  海に向つて
 沸きかへる力
  わが人種 不可能 朝 砂浜で
 無量の壮麗
  空をたたふ 思想家 風を称ふ 吾家のまはり
 至上律
  ミケランジユ
 波うつ麦
  田舎の対話(六番) 燃える娘(村の唄) あけ渡せ(村の唄)
 全フランドル平原
  種馬 農家の庭
 小伝説
  小さな聖母(五月) サンジヤンさま(六月)
 天上の炎
  今日の人に 死者 東西南北 或る夕暮の路ゆく人に
 戦争の赤い翼
  一九一五年の春 病院 葬式
 あとがき 真壁仁

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の翻訳です。主な詩集から光太郎がセレクトし、大正から戦前にかけてさまざまな雑誌などに発表したものの集成で、この時点での新たな訳は含まれません。

過日、2月15日(日)に信州安曇野市で開催予定の「高校演劇部発表会 青春ドラマシアター2026」についてご紹介しましたが、同市には光太郎彫刻が常設展示されている碌山美術館さんがあるよ、ということでリンクを貼り付けました。

その作業の際に、久々にサイトを覗いてみたところ、同館発行の今年のカレンダーに光太郎作品2点の写真が使われていると知り、慌てて注文たところ、昨日届きました。

届いたのがこちら。
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A3版厚手の紙で、表紙的なのを含め各月1枚の全13枚。無綴です。一昨年の同館カレンダーはA4横版の冊子タイプだったので、この変更には驚きました。

いきなり1月と、それから11月が光太郎作品。
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左は11月で、光太郎絶作の「倉田雲平胸像」。右が1月で、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作です。

他のラインナップは以下の通り。
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当然、碌山荻原守衛の作品が中心ですが、守衛と直接交流があった光太郎、戸張孤雁や、やや遅れての笹村草家人と喜多武四郎、さらにほぼ現代の基俊太郎の作品が取り上げられています。全て彩色されていないものですので、モノクロ写真で十分その魅力が伝わってきます。

圧巻はやはり守衛の代表作「女」かな、という気がします。
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それから表紙的な1枚にあしらわれた、今井兼次設計になる本館・碌山館の尖塔部分もいい感じですね。

商品詳細、以下の通りです。

2026年碌山カレンダー

1月始まり・A3サイズ  150冊の限定販売品です

価格1,900円(税込)  別途:送料660円+払込手数料

碌山作品をメインに当館の収蔵作品を掲載しております。表紙、背表紙を含め14枚、すべてモノクロ写真。お好きなクリップに挟んでご掲示ください。(本品にクリップは付属されておりません)

商品のお問い合わせはこちら

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ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)41 『智恵子抄』特装版 

昭和27年(1952)9月30日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

「乙女の像」制作のため、光太郎が帰京した記念という今一つよく分からないコンセプトで発行されました。この頃、出版界では一種の限定本ブームが起こっており、その流れに乗ってのものでしょう。

内容、紙型は前年に刊行された「新版」と同一ですが、二重函で内函は布装、表紙は羊皮、限定200冊ということになっています。しかも外函には「百七拾冊製本、参拾冊廃棄」と書かれており、世に出た冊数はそんなものだったようです。

定価は通常の版が180円だったのに対し、こちらは1,500円でした。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも行われているイベント「十和田湖冬物語2026」。一昨日開幕し、報道が為されています。残年ながら「乙女の像」にからめてのそれが見当たりませんが。

地方紙『東奥日報』さん。

きらめく"冬花火" 十和田湖畔で「冬物語」開幕/2月23日まで

 十和田湖畔の冬を満喫できるイベント「十和田湖冬物語」(実行委員会主催)が30日、青森県十和田市休屋地区の多目的広場で開幕した。会場では恒例の花火が打ち上げられ、冬の夜空を彩った。2月23日まで。
 雪が降りしきる中、午後8時に花火がスタート。次々に打ち上がる花火が辺り一面を照らし、訪れた観光客らが見入った。おいらせ町から家族5人で訪れた、百石小4年の山田胡桃さん(10)は「紫色の花火がきれいだった」と笑顔で話した。
 会場には屋台村「雪あかり横丁」が登場。ヒメマスの塩焼きや馬肉鍋、きりたんぽなど、十和田市や秋田県の温かいグルメが並び、多くの来場者が列を作った。このほか、雪の滑り台や、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットが設けられ、会場はにぎわった。
 火曜から木曜は定休日(祝日の2月11日は営業)。花火は期間中、毎日午後8時から約150発を打ち上げる。土曜、日曜は「冬の国境祭」と題し、北東北3県の芸能パフォーマンスなどが披露される。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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『東奥日報』さんでは別の記事でも。

雪遊び、グルメ 多彩に/十和田湖冬物語

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で開かれている「十和田湖冬物語」。多くの観光客や親子連れらが訪れ、雪遊びやグルメ、花火など多彩なイベントを楽しんでいる。
 全長約15メートルの雪の滑り台は子どもたちに大人気。家族4人で初めて訪れた、大阪府豊中市の茨木咲良さん(7)は「雪は初めて見た。楽しくて、雪が好きになった」と笑顔を見せた。
 期間中は雪上で楽しむバナナボートや、青森県や秋田県のグルメが並ぶ屋台村「雪あかり横丁」、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットなどを楽しむことができ、夜には花火が打ち上がる。土曜、日曜には北東北3県の芸能パフォーマンスなどを行う。
 会期は23日まで。火曜から木曜は定休日(祝日の11日は営業)。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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鹿角きりたんぽFMさん。

冬花火の美しさで魅了 十和田湖冬物語

 秋田と青森にまたがる十和田湖で冬の恒例のイベントが始まり、名物の花火の美しさが来場者たちを魅了しました。
 ことしで28回めとなる「十和田湖冬物語」が30日に始まり、夜には呼び物の花火のショーが休屋地区で行われました。
 音楽と一体化した演出になっており、曲の場面ごとにふさわしい色と形の花火がおよそ5分間、打ち上げられました。
 冬の澄んだ夜空に映る花火の美しさは格別で、赤やオレンジの光りが広がるたびに、訪れた人たちから歓声が上がっていました。
 東京都世田谷区から訪れていた30代の男性は、「東京から来たので雪自体が珍しいのに、花火と一緒の幻想的な世界を見られて感動しました。息子の2歳の誕生日なので、いい思い出になりました」と話していました。
 会場には、両県の名物などが提供される飲食のブースや、雪の大型滑り台なども設けられていて、訪れた人たちが思い思いのスタイルで楽しんでいました。
 また去年に続き、イベントと連動した冬の体験型アクティビティーも用意されていて、カヌー遊びやガイドウオーク、湖畔でのサウナなどで楽しませています。
 実行委員会では、「雪を楽しみたい外国人などが近年増えていて、手ごたえを感じている。ことしもイベントの期間中、十和田湖から青森、秋田の周遊を活発にしたい」と話しています。
 十和田湖冬物語は来月23日までの、祝日以外の火曜、水曜、木曜を除き、十和田湖休屋の多目的広場で開かれます。
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地方紙『北鹿新聞』さん。

十和田湖の魅力発信 花火や屋台村 23日まで「冬物語」 土、日は「冬の国境祭」も

 冬の北東北を代表するイベント「十和田湖冬物語」が先月30日、十和田湖畔の休屋で開幕した。今月23日まで土、日、祝日と月、金曜日に開かれる。夜に花火が打ち上げられるほか、会場の屋台村では温かい地元グルメが販売される。
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ぜひ足をお運びの上、幻想的な「乙女の像」ライトアップもご覧いただければと存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)32 詩集『智恵子抄』

昭和22年(1947)11月25日 白玉書房 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 松庵寺            昭和二十年十月五日
 報告             昭和二十一年十月五日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月
 記

昭和16年(1941)龍星閣発行のオリジナルの内容に、戦後の詩「松庵寺」と「報告」を追加して出版されました。

沢田伊四郎の龍星閣は太平洋戦争の激化に伴い昭和19年(1944)に休業。『智恵子抄』は店頭から姿を消していましたが、需要があると踏んだ白玉書房の鎌田敬止が復刊させました。

巻末に置かれた光太郎筆の「記」には以下の記述があります。

 今度あたらしく白玉書房をはじめられる鎌田敬止氏は沢田伊四郎氏の快諾を得て、「智恵子抄」の再出版を企てられ、その事を私に諮られた。

しかしこの件に関しては鎌田と沢田で認識の違いがあったようで、沢田は認めたつもりはないと激怒。沢田は昭和24年(1949)に龍星閣を再興し、翌年には『智恵子抄』を再刊します。それに伴い白玉書房版は昭和25年(1950)の第五版を以て絶版となりました。

手持ちのものはその第五版です。

本日開幕です。

十和田湖冬物語2026

期 日 : 2026年1月30日(金)~2月23日(月・祝)
会 場 : 十和田湖畔休屋 多目的広場 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
時 間 : 平日 午後4時~午後8時30分
 土日祝 午前11時〜午後9時
休 業 : 火曜日、水曜日、木曜日(2月11日(水)を除く)

あの光景に出会いたくて。
 1999年に始まった「十和田湖冬物語」は28回目を迎えます。親に連れられ、雪にまみれたあの日の子どもはいま、自分のこの手を引いている。温泉宿の夜、語り合った友人たちもあの頃から少しずつ、みんな、シワが増えた。⁡そんな長い月日が経っても十和田湖の冬は今年も美しく、あたたかく、灯ります。
⁡ 澄んだ夜空を彩る「冬花火」。匂いの先には「雪あかり横丁」。湯気の向こうで笑い合う人たち。時には、吹雪に鼻水を垂らすことも。それでも、ここが好きで、また来てしまう。
 ⁡冬の十和田湖へ。あの光景が、きっと待っている。

●冬花火
 真冬の澄み切った夜空を彩る冬花火。音楽との競演もお見逃しなく!
 大切なあの人へ メッセージ花火 一発8,800円~
 各開催日 20:00~
●屋台村「雪あかり横丁」
 ローカルの食材を使った美味しいグルメを楽しもう!
 平日 16:00~20:30 休日 11:00~21:00
●週末限定!冬の国境祭(くにざかいまつり)
 北東北の祭りや、地元有志によるパフォーマンスは必須!
 なまはげ太鼓/津軽三味線/ねぶた囃子/あけぼの祭典委員会/北里三原色他よさこい4団体
 花巻鹿踊
●かまくらの中で地酒やカクテルが楽しめる「かまくらバー」→中止
●スノーパーク
 会場には大きな雪の滑り台が誕生! あなたは何して遊ぶ?
●「乙女の像」ライトアップ
 イベント開催日のみ 17:00~20:30
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3回お邪魔しましたが、とにかく寒いイベントです(笑)。それを逆手にとって、寒さを楽しんでしまおうというわけで(笑)。

一時期、プロジェクションマッピングなどを主体にした時期もありましたが、数年前に旧に復し、屋台村をメインにした冬花火や雪のステージでのパフォーマンスが中心のスタイルに戻りました。昨年からだったと思いますが、光太郎第二の故郷・岩手花巻から鹿踊りの皆さんも参加なさっています。

そして、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されます。
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ただ、メイン会場からやや離れていまして、なかなかそちらまで足を運ぶ方は多くないようですが。吹雪の時などは遭難にくれぐれもご注意下さいのレベルです。
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八戸駅、十和田市街からのシャトルバスも完備。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)30 歌集『白斧』

昭和22年(1947)11月20日 十字屋書店 高村光太郎著 宮崎稔編
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目次
 無題 二首     明治三十三年十月
 無題 六首     明治三十三年十一月
 無題 十一首    明治三十四年一月
 無題 五首     明治三十四年六月
 ささ舟 十三首   明治三十四年七月
 無題 十一首    明治三十五年
 白斧 二十三首   明治三十七年一月
 無題 九首     明治三十七年八月
 赤城山の歌     明治三十七年十一月
 無題 九首     明治三十九年一月
 無題 十九首    明治四十二年十月
 無題 十六首    明治四十一年十一月
 無題 十一首    明治四十三年十一月
 工房より 五十首  大正十三年八月
 工房より 二十八首 大正十三年十一月
 工房より 八首   大正十四年一月
 那須にて 二首   大正十四年十月
 智恵子抄 六首      
 岩手移住後 五首    
 無題 十五首
 コロタイプ版 著者墨蹟
  赤城山 己の前に

第一期、第二期『明星』などに載った光太郎短歌を集めた歌集です。光太郎、最後までこの歌集の出版には同意せず、姻戚だった詩人の宮崎稔が強引に出版を押し切りました。そのため、光太郎自身は関与していない旨の宮崎による「覚え書」が奥付の前に貼り込まれています。

奥付は昭和22年(1947)11月20日ですが、「覚え書」は昭和23年(1948)2月25日付。この頃まで上梓がずれ込んだようです。

光太郎の父・光雲の木彫が出ている展示です。

令和八年第一回企画展「雪あかりと春のきざし」

期 日 : 2026年1月10日(土)~3月24日(火)
会 場 : 東石美術館 栃木県佐野市本町2892
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 毎週水曜・木曜
料 金 : 大人 1,000円(800円)ペア 1,800円  高・大学生 800円(600円)
      小・中学生 500円(400円)  ( )内団体料金

冬の静寂、春を予感させる彩々
 凍てつく夜、天上の光を吸い込んだ雪は地上に降り積もることで自らが柔らかなあかりとなりました。それは暗闇の中で自らを保つ、つかの間の希望を象徴しています。
 やがて、その白一色の世界の中から水や土、花の芽のやわらかな色がにじみ出、春を待ち望む心が起こす生命の兆しを感じさせます。
 本展では、この繊細でドラマチックな季節の移ろいを表現した選りすぐりの名品が一堂に会します。
 日本画の幽玄な光と影。洋画の重厚なマチエール。土から生まれた陶芸の温もり。生命を刻む木彫の静かな力。観る者の心の風景を鮮やかに変える、静かな感動の一期一会をぜひ。

◆主な展示品◆
横山大観《神国日本》、《瀑布(ナイアガラの滝、万里の長城)》、北大路魯山人《梅に月》、吉田登穀《浄地》、下村観山《田子の浦》、橋本雅邦《老松霊鷹》、狩野芳崖《江山一望之図》、高村光雲《狗犬》、山崎朝雲《建国》、圓鍔勝三《聖徳太子》、平野富山《稚児普賢》《七福神》、板谷波山《葆光彩磁椿文花瓶》ほか
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リニューアル前の同館には一度伺ったことがありまして、その際にはやはり光雲作の木彫「牧童」が出ていました。
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この作品は繰り返し展示されているもので、今回もこれかと思ったのですが、そうではなく「狗犬」という作品でした。
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「狗犬」と題されていますが、狛犬ですね。像高など画像だけではわかりませんが、さほど大きなものでもなさそうです。木目の生かし方が絶妙ですね。

ほぼ同じ顔を持ち、阿吽の口を呈している獅子頭は複数の作例があり、各地で何度か拝見しましたが、全身像は見たことがありません。まあ、あっても何ら不思議ではないのですが。
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阿吽の口の狛犬、獅子頭、そして沖縄のシーサー、さらには仁王像など、民俗学的に興味深いところでもあります。遡ればエジプトのスフィンクスも源流は同じだとか。

来週あたり拝見に行こうかと思っております。ついでに佐野ラーメンでも食べてこようかな、と(笑)。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)14 『続ロダンの言葉』普及版

昭和4年2月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 アウギユスト ロダン(オクターヴ ミルボー)
 若き芸術家達に(遺稿)
 ロダン手記
  花について
  女の肖像
  芸術家の一日
   庭園の朝 古代彫刻の断片 庭園の夕 
  ゴチツクの線と構造
   ゴチツク建築家は写真家である 面と相反と 釣合の知識 石のレース細工 外陣
   くりかた
  芸術と自然
   古代芸術―ギリシヤ 古代芸術の豊かさは肉づけにある 高肉とキヤロスキユロ
    ローマ及ローマ芸術 アメリカの為に
  ゴチツクの天才
   ノートルダム サン トウスターシユ 彫刻に於ける色調について 十八世紀 断片
    五部のスレスコ 手紙
  ギユスターヴ コキヨ筆録
  ジユヂト クラデル筆録
  フレデリク ロートン外二三氏筆録
  ポール グゼル筆録
   「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美
  「本寺」より(手記)
   断片 ムラン マント ネエル アミヤン ル マン ソワツソン シヤルトル

正続2冊セットで並製本として刊行され、内容的には大正9年(1916)に同じ叢文閣から出た初版と同一です。カバーの背文字は光太郎本人の筆。表紙絵はロダンの素描です。

当方手持ちのものは最終刷となった昭和12年(1937)9月20日の版です。

昨年開催されたイベントの報道が最近為されていますので、ご紹介しておきます。

まず、11月13日(木)~11月30日(日)に茨城県取手市の東京藝術大学大学美術館取手館さんで開催され、光太郎の卒業制作「獅子吼」石膏原型が展示された「藝大取手コレクション展2025」につき、同市の『広報とりで』今月号。

発見~開館30周年と収蔵棟完成を祝う祭典! 「藝大取手コレクション展2025」

 令和6年に開館30周年を迎えた東京藝術大学大学美術館と、 未来の学生たちの作品を十分に保管できるスペースを持った取手収蔵棟が同年竣工したことを記念し、「藝大取手コレクション展2025」が令和7年11月13日から30日まで開催されました。取手東小学校の3年生も学校行事でコレクションを鑑賞しました。鑑賞した児童からは「いろいろな作品が見られて楽しかった。作品ごとに違う雰囲気や面白さがあった」と話し、“アートのまち取手”ならではの貴重な体験をしました。
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学校教育との連携は大切なことですね。未来のアーティストや評論家などが生まれる一つのきっかけとならないともかぎりませんし。

続いて11月30日(日)に港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」につき、青森の地方紙『東奥日報』さん。同紙では翌日にもすでに報道して下さったのですが、改めて昨年大晦日に長い記事にして下さいました。

十和田湖の未来を語る東京フォーラム 11月30日に東京で開催 先人の思いを礎に「感動体験」が人を呼ぶ好循環へ

 山は富士、湖水は十和田、広い世界に一つずつ――。明治・大正期の文人で、俳句や美文で十和田湖や奥入瀬渓流の自然美を世に紹介した大町桂月が、蔦温泉で没して100年。今や十和田八幡平国立公園は本県を代表する観光地となっています。「十和田湖の未来を語る東京フォーラム」が11月30日、東京都港区の赤坂区民センターで開かれました。大町の人柄や功績、本県との関わりを振り返り、十和田湖と周辺地域の未来に視線を向けたフォーラムの様子を紙面で採録します。

蔦温泉で二度越冬
 フォーラムは東京青森県人会の主催で、参加者の皆さんは十和田湖の歴史、自然、文化、観光に詳しい方々による講演とパネルディスカッションに熱心に耳を傾けていました。大町桂月(以下、桂月)の足跡をたどり、業績を後世に伝える活動を続けている「大町桂月を語る会」の谷川妙子事務局長は、桂月が「日本の昔の好い人情が東北のこの地にまだ残されている」と話していたことや、二度の越冬時にはユーモラスな絵と文で厳冬期や春の雪解けなども楽しんだ滞在の様子を書き残していることを紹介しました。
 また、「『十和田湖一帯の地は山水の衆美(しゅうび)を集め啻(ただち)に日本に秀絶(しゅうぜつ)するのみならず世界に冠絶(かんぜつ)す』という美文で固めた請願文が大きな反響を呼びました」と、筆の力で国立公園に大きく押し上げた桂月の功績をたたえました。

湖の感動を表した像
 十和田湖のシンボルとして愛されている「乙女の像」について、高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会の小山弘明代表が制作に至る経緯などを解説しました。像の設立は国立公園15周年を記念して、十和田開発の功労者である大町桂月、青森県知事の武田千代三郎、十和田村長で県会議員の小笠原耕一の三氏の功績を讃える目的で、詩人・彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が制作。高村は、桂月と同様に自分が湖から受けた感動をそのまま正直に表す思いで像を造ることとし、完成後の像は自分の手を離れて十和田湖の自然の中に溶け込むことを願っていたというエピソードを紹介しました。

感動体験から保護・活用へ
 初任地が十和田湖事務所だったという環境省自然環境局国立公園課長の長田啓さんは、「自然豊かな日本で一番贅沢な通勤路だった」と話し、会場を沸かせました。その上で、十和田八幡平国立公園は環境省が世界に誇れる国立公園を作る「国立公園満喫プロジェクト」において全国の先行的な取り組みを進める地域の一つに選ばれていることを紹介。訪れた人の感動体験が公園を「守ろう」という意識づけになり、利用によって得られる利益が保護に回る好循環を目指しています。神秘的な自然美、十和田神社の信仰といった歴史文化を守りながら宿泊施設の整備などで滞在環境の上質化を進め、国内外からより多くの訪問者が来ることへの期待を伝えました。
 ゼネラル・プロデューサー山田安秀氏は、地域の歴史や自然文化の複合的な価値と、将来を考える機会になればと話し、パネルディスカッションを締め括りました。
 フォーラムの最後に登壇した桂月のひ孫にあたる大町芳通さんは、「桂月が愛した十和田の素晴らしい自然を青森の観光資源として維持、活用することを知恵を持って成し遂げていただき、地元がもっと発展するよう祈っています」と謝辞を述べ、会場からは大きな拍手が送られました。

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この他、大町桂月の詳細なプロフィール、フォーラム登壇者の全氏名と肩書き、東京青森県人会役員の方々からの「応援メッセージ」などが掲載されていますが、長くなるので割愛します。

また改めてご紹介しますが、十和田湖では今月末から来月末にかけ、「乙女の像」ライトアップも為される「第28回十和田湖冬物語」というイベントも開催予定です。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)8 『明るい時』

大正10年(1921)10月15日 芸術社 ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序文
 明るい時
  一 おうさんらんたるわれらのよろこび     二 無言のままわれらの歩く
  三 この野蛮な柱頭              四 夜の空はひろがり
  五 いつでも、かほど純真にふかい     
  六 あなたは時としてあのなよやかな美を示す
  七 おう! 戸を叩かせて置かう        八 あどけない頃のやうに
  九 わかい、気のやさしい春は         一〇 しづかに来て                        
  一一 火のやうな恍惚の眼をして        一二 長い間私のくるしんでゐた時 
  一三 どういふわけか何故なのかいはれは何か
  一四 黄金と花との階段をしづしづ降りる    
  一五 私はあなたの涙に、あなたの微笑に       一六 私はあなたの二つの眼の中に
  一七 われらの眼を愛するため                   一八 われらの愛の園に、夏はつづく
  一九 あなたの明るい眼、あなたの夏の眼が   二〇 言つてごらん                        
  二一 われら自身以外の一切のものを            二二 おお! この幸福!                  
  二三 生きませう               二四 われらの口の触れ合ふやいなや
  二五 底知れぬ深さ神のやうに聖い       二六 たとひもう、こよひ                  
  二七 からだを捧げるとは、魂のある以上   
  二八 われらのうちにたつた一つの心やさしさ  二九 炎に花咲く美しい庭は                
  三〇 もし万一にも                        
 小曲二章
  小さな聖母  サンジヤンさま
 二篇
  風をたたふ  吾家のまはり

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)が、妻のマルト・マッサンとの日々を謳った連作詩「明るい時」の翻訳を根幹としたものです。後の『智恵子抄』が想起されます。

光太郎による序文では、「詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の「詩」はやはり向うに残る。其を知りつつ訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである。」と記されています。言わずもがなですが、「フランス語を知らない一人の近親者」は智恵子です。

明日からは昨年暮れの報道等を紹介しますが、それに先だって松の内の間に正月っぽいネタを。

元日の『日本経済新聞』さん文化面から。

騎馬像は馬も上手い? 名将支える相棒、国内150体巡る  山口洋史(元JRA職員)

 伊達政宗、山内一豊、前田利家、井伊直政――。武将たちをたたえる騎馬像を見上げた時、注目されるのは主役の偉人だ。となると、下の馬は見過ごされがち。
 馬好きの多くは、生きた馬の美しさに魅了されて、彫像は見向きもしない。かくいう私も同類。仕事の前に馬に乗れると聞いて日本中央競馬会(JRA)に就職したくらいだ。
 騎馬像の馬を意識したきっかけは、2011年のイタリア旅行だ。ずっと見たかったダヴィデ像への道すがら、騎馬像に出会った。コジモ1世だ。馬は丸々と肥え、頭が小さく、軽快に動いているように見えた。でも、私が好きなのはサラブレッド。ちらっと見て、通り過ぎた。
 その後も騎馬像に出会う。フェルディナンド1世、エマニュエル2世、マルクス・アウレリウス帝。妙に印象に残った。
 帰国後しばらくして馬事講座のネタ探しをしていた時、ふと騎馬像を思い出した。案外面白いのでは。とはいえイタリアには簡単には行けない。日本の騎馬像でも巡るか。なんとなく始まったが、結局150ほどある各地の像を制覇した。
 日本の騎馬像でまず外せないのが皇居外苑(がいえん)にある楠木正成像だ。騎馬像巡りで最初に見た像だが、馬をずっと見てきた私でも驚くほど、とにかく馬が上手(うま)い。正成がイケメンなのもいい。
 1900年に完成したこの像は、別子銅山200年記念事業として当時の東京美術学校(現東京芸大)を代表する芸術家が集まって作った。高村光雲が正成の顔を作り、歴史画家の川崎千虎が史実を踏まえて甲冑(かっちゅう)の図案を作り、彫刻家の後藤貞行が実際の馬の解剖もしながら馬を担当した。原型作りに3年、完成まで10年かけた。
 馬はグーッと力を入れて進もうとするが、正成が手綱を引く。顎がぐっと後ろに引っ張られた馬は興奮しているのか、前膝を高く上げて目を見開いている。胸前、前肢の付け根、おしりの筋肉も盛り上がって、全身に力を蓄えている。
 「この体勢はありえない」。写実性を重視した後藤は、光雲に抗議したという。だが誇張やデフォルメで、前進する力とそれを引き留める力が拮抗する緊張感が伝わる。
 完成当初は馬が大きいという批判もあったらしいが、現代の目で見ると逆に馬が小さく、首も少し短く感じるかもしれない。ただ、とにかくエネルギーはすごい。
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 正成像は、日本でほぼ最初に作られた近代的な騎馬像だ。これだけ人と時間と費用をかけて最初からこんなものを作ったら、後続はどうしても似てしまう。
そんな中、独自路線を行く像もある。
 例えばJR鹿児島本線伊集院駅前にある島津義弘像。馬は後肢をぐっと曲げて踏ん張り、頭を左に少しひねりながら前半身を高く上げている。馬の首の部分の筋肉の力強く張り詰めた膨らみ、全身の流れるような美しいライン。前歯や後歯、歯が生えていない歯槽間縁も正確に作られている。同じ騎馬像でも馬の力強さを別の形で描写した彫刻家の中村晋也の想像力に圧倒される。

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 ところが、そもそも馬を理解せずに作られたものもある。馬の肢(あし)は人間の脚とは違う。私が見た限りでは、馬の肢が本来とは逆向きに、まるで人の腕や脚のように曲がった像が2体ほどあった。
 こんなの許せない――。当初はそう思った。でも、騎馬像を見ていくうちに考えは変わった。馬のひづめや蹄鉄(ていてつ)の正確さまで、ちゃんと捉えているのは彫刻家の北村西望ぐらい。それでも多くの像は、地域で大切にされている。精いっぱいの思いが込められている。
 愛知県吉良町(現西尾市)といえば、忠臣蔵の吉良上野介の地元だ。ここには、6体もの上野介の騎馬像があった。日本中に悪役と思われても、地元はこの殿を支えるという意気込みだろうか。
 北海道江別市の榎本公園にある榎本武揚像の馬は、いかにも騎馬像らしいダイナミックさはない。でも華奢(きゃしゃ)な体にもかかわらず目はキリッとしていて、武揚の指示をじっと待っている。旧幕府、新政府の両方で重用された偉人も、相棒の馬といつも一緒にあちこち回ったのかもしれない。
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 船に乗りレンタカーを借りて佐渡島の山奥の公園にたどり着くと合戦開始目前、2人の騎馬兵が向き合う像があった。馬の像はやや詰めが甘いところがあるものの、全体としてダイナミックだ。
 ところがはるばる来た公園の近くにあるのは公衆トイレぐらい。30分ほど見ていたが、そばを通るのはトイレを目指す地元の人ばかり。せっかくの騎馬像、もう少しかっこつけてあげてほしいが、史実に忠実に場所を選んだ結果なのだろう。
 作り手や設置者の思い、あるいは何かしらの事情が垣間見える騎馬像は、今の時代にも新たに作られている。どうせなら愛される像を作ってほしい。願わくば、馬にもどうか気を使ってあげてほしい。

当会としての今年の年賀状図案に使った皇居外苑の「楠木正成像」を真っ先に挙げて下さいました。ありがたし。

執筆された山口氏、元JRA職員とのことで、見方が違いますね。楠公像に関しては「前進する力とそれを引き留める力が拮抗する緊張感」という評がまさに我が意を得たり、という感じでした。

楠公像の馬を担当した後藤貞行は、このために東京美術学校に雇われました。光雲が当時の校長だった岡倉天心に頼み込んでの実現でした。後藤が「この体勢はありえない」と言ったエピソードは、光雲の談話筆記『光雲懐古談』を昭和42年(1967)に中央公論美術出版さんが『木彫七十年』の題で復刊した際に附された、光雲三男にして家督相続を放棄した光太郎に代わって髙村家を継いだ豊周による「あとがき」に語られています。

 楠公の馬は左足を勢いよくあげ、踵を上へまげている。ここが問題になった。馬の専門家である後藤さんは馬の足というものはあんなにあがるものではない、それは嘘だといって反対した。けれども父が話すには、嘘でも馬が勢い込んで走ってくるところを手綱をぐっとひきしぼる、勢いが余って足があがる、その動きの激しいところをみせるためにも、また銅像全体としてみて、颯爽とした形のいいところをみせるためにも、例え嘘でもよいから片足をあげないと格好がつかない、そういうことを父はいったけれども、後藤さんは何しろ正確なことを尊ぶ本当の研究家だから、嘘になるから私は出来ないという。それで非常に困ってしまった。父は、いや芸術というものはそういうものではない、時には嘘でもよいのだ。その嘘を承知の上で作った方がかえって本当に見えるんだ。本当の馬のように作ると、かえって、少しも馬の勢いが出てこない、動勢というものがあらわれてこない、それではなんにもならない。嘘が本当にみえればそれでよいのだから、その気持ちをのみこんでもらわなくてはいけないということを、銅像制作の主任としての立場から、父はめんめんとして後藤さんを口説き、やっとのことで嫌がる後藤さんに承知してもらったという。

この件は『光雲懐古談』本文には記述がありません。それを書き残して置いてくれた豊周、グッジョブですね。もちろん、こうした措置を執った光雲、その提案をのんだ後藤もですが。まぁ、こうしたデフォルメは彫刻としては初歩的な技法ですが。しかし、こうした点、山口氏曰く「作り手や設置者の思い」を知った上で見るのと、そうでないのとではまるで見方が変わってくると思われます。

午年の今年、全国に150体以上あるという騎馬像、少し注意して観てみてください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)6 『ロダンの言葉』目黒分店版

大正10年(1921)11月28日 目黒分店 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版と装幀は異なりますが、中身の紙型は同一のようです。阿蘭陀書房は大正6年(1917)に社名をアルスと改称、そのあたりのバタバタもあってか『ロダンの言葉』の重版が十分に出来なかったようで、目黒分店版が刊行されました。

のちほどご紹介しますが、叢文閣からの正続2冊組の普及版も出されます。

上野のトーハクさんで元日から始まっている企画展示です。

博物館に初もうで

期 日 : 2026年1月1日(木)~1月25日(日)
会 場 : 東京国立博物館 台東区上野公園13-9
時 間 : 9時30分~17時00分 毎週金・土曜日および1月11日(日)は20時00分まで
休 館 : 月曜日 1月12日(月・祝)は開館
料 金 : 東博コレクション展観覧料でご覧いただけます。一般1,000円、 大学生500円

新年恒例の「博物館に初もうで」は、2026年は1月1日(木・祝)13時より開催します
 東京国立博物館(館長:藤原誠)は、2026年は1月1日(木・祝)13時より開館し、恒例の正月企画「博物館に初もうで」を開催します。
 干支をテーマにした特集展示や、長谷川等伯筆 国宝「松林図屛風」(1月1日(木・祝)~1月12日(月・祝) 本館2室にて展示)をはじめ、本館、東洋館の各展示室で、新年の訪れを祝して吉祥作品や名品の数々をご覧いただけます。
 また、当館アンバサダーであり、世界的に活躍する日本画家・千住 博氏より、新作《ウォーターフォール》をご寄贈いただくことになり、1月1日〜1月12日まで本館大階段上にて特別に展示します。1月1・2・3日には本館前ステージでは和太鼓、獅子舞、吟剣詩舞など、新春限定の企画も開催します。
 新たな年のスタートは、ぜひ当館でお迎えください。

常設展示を新春らしくおめでたいものや干支にちなんだ作品で揃え、「博物館に初もうで」としゃれこみましょう、というコンセプトで毎年行われている企画です。
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サムネイル的に使われているのが、後藤貞行作の木彫「馬」(明治26年=1893)です。

光太郎の父・光雲の4歳年下だった後藤は変わった経歴を持つ彫刻家です。旧幕府の騎兵所や、維新後は陸軍省の軍馬局などに勤務した後、馬の彫刻を作りたい一心で光雲の門を叩いて木彫を学び、さらに東京美術学校に奉職、皇居前広場の楠木正成像の馬や、上野の西郷隆盛像の犬などを任されました。

というだけならこのブログでこの展示をわざわざ紹介しませんが、旧臘に発行された『東京国立博物館ニュース』の第783号(2025-2026年12・1・2月号)でこの「馬」が紹介され、「師の高村が1893年に開催されたシカゴ万国博覧会に出品するために制作した老猿(ろうえん 重要文化財、当館蔵)と同じ木から、本作を彫り出したと述べています」との記述。実物を何度か拝見していましたが、これは存じませんでした。
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光雲が「老猿」に使った木材は、栃木県鹿沼市の山林に自生していた栃の巨木でした。昨年は鹿沼でそのあたりに関するイベント等も行われています。そのあたり『東京国立博物館ニュース』では「高村は老猿の材木を求めて栃木県鹿沼市で直径2メートルほどの巨大なトチの木を購入し、東京都台東区の自宅まで運びました。後藤がこのトチの木の調達に尽力したこともあって、材木の一部を譲りうけたのでしょう」と記されています。

いわば「老猿」とこの「馬」、兄弟だったのですね。
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そう思って観ると、また見え方が違ってくるような気がします。

他に群馬県大泉町出土の馬型埴輪や、長谷川等伯筆の「松林図屛風」なども出ているとのこと。それから関連行事として1月10日(土)には本物の馬がトーハクさんにやってきての「在来馬とのふれあい」イベントなども企画されています。
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ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)3 『ロダンの言葉』(近代思潮叢書 第五編)

大正5年(1916)11月27日 阿蘭陀書房 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

光太郎初の訳書です。元々、フランスにも『ロダンの言葉』という書物は存在せず、さまざまなところで発表されたロダンの談話を光太郎が集めて一冊にまとめました。

装幀は光太郎自身。函題字は光太郎が得意とした白黒反転の「籠書き」文字で書かれています。

当方手持ちのものは大正7年(1918)10月20日改訂増補五版です。

昨日の『南日本新聞』(本社・鹿児島市)さんに光太郎の父・光雲の名がちらっと出ました。

写真ないのに西郷像はどう作った? 彫刻家・安藤照が残したミステリー、元鹿児島市立美術館長が制作過程を著書で解き明かす

 元鹿児島市立美術館長の大山直幸さん(71)が「西郷隆盛像 安藤照の制作経過」を自費出版した。「安藤の著作や新聞記事などを基に調べた。今後の研究に使ってほしい」と話している。同書から、西郷像完成までの経緯を振り返ってみた。
 西郷隆盛銅像は1937(昭和12)年、鹿児島市城山町に建立された。高さ(身長)5.25メートル。制作したのは同市出身の彫刻家・安藤照(1892~1945年)だった。
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西郷隆盛の銅像=鹿児島市城山町

 建立計画はその10年前の27年、南洲神社50年祭の記念事業として始まった。翌年、安藤が制作を依頼された。当時36歳。大山さんは「若手彫刻家として実績や活躍ぶりから当然の成り行き」だったと記す。
 安藤は、写真のない西郷の顔を探し、西郷を知る人に聞き取りを行い、孫や血縁者の胸像も制作した。「血縁者の容貌の中に共通するものを捉えることにより、そこから翁の姿を思い描いてみようとしたのだろう」と推測する。
 制作に関する全ては安藤に一任されていた。安藤は「鹿児島に建てること高さ二丈(約6メートル)内外にすることの外、経費も年限も何も制限されてはいないのです」と話している(「鹿児島新聞」30年7月3日付)。
 西郷像の服装は銅像建設奉賛会評議員会が「羽織袴(はかま)の礼装」を希望していたが、安藤の意向も踏まえて「陸軍大将の服」になった。
 そのきっかけとなったのは、安藤が鹿児島から取り寄せた西郷の服。明治初めに千葉県習志野で行われた陸軍特別大演習で着用したものだった。
 「誠に幸いと云う可き(いうべき)は、この習志野に於(おい)て雨の為(ため)シミのはいった服装が、他の遺品と共に今日尚(な)お西郷家に保存せられてある事である。これが今度の銅像製作の第一の足場となったのである」(安藤「大西郷と銅像」)。
 西郷像のモデルの一人に同市出身の洋画家・藤島武二がいた。銅像制作の相談役に就いており、「体格が良かった藤島が陸軍大将の服を着ることになったのだろう」と想像する。
 同書には、安藤と藤島が同席している写真が掲載されている。場所は安藤のアトリエで35年撮影とみられる。大山さんが県立図書館で見つけた。「藤島が相談役として安藤を実際に援助していたことを示すもの」で「藤島の兄二人が翁とともに西南戦争に参加して亡くなっており、藤島自身も銅像制作について特別な思いがあったに違いない」と記している。
 建立場所は当初、上竜尾町の浄光明寺としていた。同寺には東京・上野にある西郷銅像の原型となった高村光雲作の木像があった。この像は空襲で焼失している。
 だが34年、市庁舎移転に伴い跡地が候補地となった。翌年、隣接する旅館の土地まで買収し、建設地として決定した。
 完成した西郷像は築山の上に置かれた。安藤は「人工の及ばざる自然の大いさを感ずる造園的築山風の台座が出来た」と記す(安藤「大西郷と銅像」)。
 除幕式は37年5月23日に行われた。安藤は「南洲翁を語る会」で「除幕式場では、銅像を仰ぎ見ることは出来なかった」と話し、翌日に行われた銅像建立奉告祭に出て「帰りにやっと見上ぐることが出来た」と語ったそうだ。
 大山さんは同書の最後にこの部分を引用し「この時、安藤は南洲翁に何と語りかけ、翁はそれに何と応えたのだろう」と締めくくっている。
 同書はA4判、54ページ、2200円(税込み)。大山さん=099(224)2714。
 大山さんは27日午後2時から、同市の西郷南洲顕彰館で「西郷隆盛銅像の制作の経過について」と題して話す。一般400円(鹿児島市内在住者300円)。敬老、友愛パス持参者、賛助会員は無料。同館=099(247)1100。
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作業着姿の安藤照(左から2人目)と藤島武二(右から2人目)
が写る「西郷隆盛銅像作製関係写真資料」(鹿児島県立図書館蔵)

現在も鹿児島市に立つ西郷隆盛銅像に関して。原型作者は安藤照。記事では触れられていませんが、戦時中に金属供出で失われた初代「ハチ公」の作者です。現在、渋谷駅前に立つ二代目「ハチ公」は安藤の子息でやはり彫刻家の安藤士(たけし)が復刻したものです。

西郷像竣工は昭和12年(1937)。生前のきちんとした写真が1枚も残っていないとされる西郷ですので、制作には苦労があったとのこと。

この点、先行する上野の西郷隆盛像と共通します。こちらは明治31年(1898)の除幕で、東京美術学校に制作が依頼され、光雲が主任となって作られたものです。この折には明治10年(1877)に戦死した西郷の記憶は多くの人が持っていたので、光雲は榎本武揚や西南戦争時の西郷の部下ら、直接西郷を知る人々の意見を参考にしたとも伝わっています。ちなみに光太郎はまだ美校入学前で、制作には参加しませんでした。

記事では上野の西郷像の原型の木型について触れられています。上野の銅像の竣工後、原型は鹿児島に運ばれ、浄光明寺さんという寺院に納められました。下は当方手持ちの古絵葉書です。右下の写真など、何だか仁王像のようですね。
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残念ながらこの原型は戦時中の空襲で焼失してしまいました。

はじめ、鹿児島の西郷像も浄光明寺に立てられる計画だったとのこと。それは存じませんでした。

さて、安藤が制作にかかった昭和3年(1928)の時点では、西郷の死から50年以上経っていましたから、なかなか西郷の顔立ちについての証言を集めるのは大変だったでしょう。

ちなみに昨夜、BSフジさんで放映された「TimeTrip 幕末の肖像-古写真に秘められた謎-」というスペシャル番組を拝見しました。ちょうど西郷の写真やキヨッソーネ筆の肖像画について触れられましたし、光雲の名は出ませんでしたが上野の西郷像も画像として再三使われました。
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他に当方が尊敬してやまない土方歳三や、坂本龍馬、龍馬の妻・お龍の写真についても。

それから、記事では安藤が西郷の軍服を取り寄せ、体格がよかった藤島武二がそれを着てモデルになったというエピソードも紹介されています。西郷の身長は推定180㌢ほど。藤島もそれに近かったのでしょうか。おそらくこの軍服と同じものも、光雲が上野の西郷造成作の際に参考にしています。

昭和9年(1934)1月7日の『小樽新聞』に載った光雲の談話から。

西郷さんのきてゐた軍服や長靴、晴子などを取り寄せてもらつて調べて見たところズボンはわたしの胸まで来るし、長靴はももまでもはゐるといふ代物、帽子のあご革は西郷さんの汗や脂で、真つ黒になつてゐたが、これまたわたしの顔を一ト回り半もする長いものでとにかく非常に大男だつたことは、はつきりしたわけだ。

「ズボンはわたしの胸まで来る」、笑えますね(笑)。それはさておき、安藤が鹿児島の西郷像制作にかかっていた頃はまだ光雲は存命でしたので、藤島同様、何らかのアドバイスをした可能性はあるな、と思いました。もしかすると軍服の存在も光雲から教えられたのかも知れません。

それから意外だったのは、藤島の兄二人が西南戦争で西郷と共に戦死、という件。これも全く存じませんでした。

初代ハチ公像などとは異なり、鹿児島の西郷像も上野の西郷像と共に戦時の金属供出は免れたわけで、その点は良かったと思われます。今後とも鹿児島の人々に愛されて欲しいものですし、今回、記事になった元鹿児島市立美術館長の大山直幸氏がなさったように、その制作背景などの研究等がさらに進むことを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

大空をみて一ぱいにいきをすいませうよ。

昭和3年(1928)10月 長沼セン宛書簡より 智恵子43歳

昭和3年(1928)といえば、光太郎が詩「あどけない話」で「智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ」「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ。」と謳った、まさしくその年です。

10年前に智恵子の父・今朝吉が歿して弟の啓助があとを継いでから、徐々に傾き始めた実家の長沼酒造はこの年にはもはやどうにもならない状態に陥り、「あどけない話」が書かれた前日には、不動産登記簿によると長沼家の家屋の一部が福島区裁判所の決定により仮差し押さえの処分を受けています。

そんな中で出した、母を励ます手紙の一節です。しかし、翌年には完全に破産、母と弟は僅かに残った山林などの所有権を巡り裁判沙汰。一家は離散することとなります。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」関連で2件。

まず、先月30日(日)に港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」で登壇なさった山本隆一氏が、同フォーラムの様子を報じた地元紙2紙を送って下さいました。そのうち『東奥日報』さんで、同フォーラムの記事の下に以下の記事が載っていました。

東北新幹線・新青森-八戸開業15周年 3駅で記念カード配付

 東北新幹線・新青森-八戸間が4日に開業15周年を迎えるのを記念し、JR東日本は1日から、新青森、七戸十和田、八戸の3駅で「駅カード」を枚数限定で配布する。当日有効の乗車券類か入場券(定期券を除く)を、各駅の新幹線の有人改札で提示すると、1人1枚もらえる。駅カードで3駅を取り上げるのは今回が初めて。
 駅カードは鉄道車両と地域の特色を組み合わせたデザインとなっており、JR東など鉄道会社がキャンペーン企画の一環として制作することが多い。新青森駅のカードはE5系新幹線「はやぶさ」と青森ねぶた、七戸十和田駅はE2系新幹線「はやて」と十和田湖、八戸駅は観光列車「TOHOKU EMOTION」と八戸えんぶりをそれぞれ描いている。
 本県では弘前駅や五所川原駅、深浦駅などが題材となったことがある。
 4日は新青森駅と七戸十和田駅で開業15周年セレモニーなどの記念企画を行う予定。
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七戸十和田駅の駅カードに「乙女の像」があしらわれています。記事本文に「乙女の像」の語が入っていなかったので、掲載紙が送られてくるまで気づきませんでした。

新青森駅、八戸駅のものはこちら。
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「こりゃ欲しいな」と思いまして、ネットオークションのサイトを見てみると、早速売りに出ていました。しかし3枚で8,000円。まぁ、好きな人はその価格でも買うのでしょうが、何だかなぁ……です。

もう1件。やはり地元紙の『秋田魁新報』さんで12月20日(土)に掲載された記事です。

遠い風近い風[畑澤聖悟]神秘の十和田は田沢と共に

 今年で3年目となる「北のまほろば祭り」は、私が主宰する渡辺源四郎商店の定例イベントである。本拠地である青森市の渡辺源四郎商店しんまち本店で、秋から冬にかけて、月終わりの週末にリーディングや一人芝居など、語り芸を中心に短編2、3本を上演する。今回は11月~来年1月に実施。毎回、期間中に計8~12作品が集まることから、「北の小さな演劇祭」を名乗っている。
 先月の公演タイトルは「千古水澄む十和田湖いだき」。ズバリ、十和田湖がテーマである。ゲストに秋田の「けやはす演劇部」を招いた。おととし1月にあきた芸術劇場ミルハスで上演された県民参加型ミュージカル「欅(けやき)の記憶・蓮(はす)のトキメキ」の出演者有志を中心に結成した劇団で、昨年に引き続きの登板である。
 演目は「神秘の十和田は田沢と共に」。秋田を憂う謎の集団「秋田賢人会議」が秘密会議を行う。県境にまたがる十和田湖を青森県が独り占めしようとしている。そうはさせじ。「十和田湖が名実ともに秋田のものであることを強く意識させるためには、物語を利用せばいい!」とリーダーが号令する。
 十和田湖、田沢湖、八郎湖を巡る「三湖伝説」を、都合のいい「秋田史観」で改変しようと試みるのだ。台本を持った演者8人によるリーディング公演であるが、歴史うんちくあり、アクションあり、ギャグあり。盛りだくさんの28分。客席は沸きに沸いた。劇団代表である伊藤展洋氏の記念すべき初の作・演出作品。堂々のデビューである。
 迎え撃つ「小なべの会」は、渡辺源四郎商店の若手によるユニット。これまで劇団内ワークショップ、台本評論、作詞作曲、演出練習などの活動を経て、今回が初公演となった。演目は「智恵子と智恵子」(沼畑枝里作・演出)。十和田湖畔に立つ裸像、通称乙女の像が主人公。制作途中の像が、作者の高村光太郎が寝ている間に動き出し、歌ったり漫才をしたりする。コント風の展開だが、亡き妻、智恵子への高村の愛情が徐々に浮かび上がってくる。ゲストに負けぬ大受けであった。
 終演後はロビーで出演者、スタッフ、観客が入り乱れての座談会「まほろばトーク」。そして乾杯。そのまま打ち上げになだれ込んだ。大量に持ち込まれた秋田の美酒とお土産がありがたい。
 私が「欅の記憶・蓮のトキメキ」の演出を担当させてもらってから間もなく3年。あの日、演劇の世界に足を踏み入れた彼らは、自作を引っ提げて遠征するまでになり、アウェーの観客を大いに喜ばせた。そして、初めて私の手を離れて芝居を打ったウチの若手たち。みんな楽しそうに芝居談義をしている。これはすごいことである。報われた気がした。空きビルを大工仕事で劇場に改装したのも、身銭を切って劇団を19年続けてきたのも、何もかもこのためだったのではないか。
 けやはすの面々とは「またね」と言って別れた。また、いい芝居やりましょう。そして、楽しく飲みましょう。芝居は終われば何も残らないが、縁は続くのである。
 (劇作家・演出家、五城目町出身、青森市住)

このイベントについても事前に把握できていませんでした。公式サイトにやはり「乙女の像」の語が無く、さらに演目題名も「智恵子と智恵子」ということで、「高村」の語を書いていただければ見逃さなかったのですが、「智恵子」だけでは検索網でカバーしきれません。
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ちなみに「千古水すむ十和田湖いだき」という「青森市民の歌(愛市の歌)」の歌い出しの一節を総題にした3本仕立ての演劇公演で「神秘の十和田は田沢と共に」「十和田湖のこわい話」そして「智恵子と智恵子」だったそうです。智恵子の顔を持つ「乙女の像」の制作意図が、光太郎曰く「人間の心の中を、内部を見る。そういう一種の感じをうけたんで、その一つの人間が、同じものが、どこを見ているかわからないが、とにかく向かいあって見合っている――片方は片方の内部で、片方は片方の外形なのです」ということで、「智恵子と智恵子」だったのでしょう。

「乙女の像」が主人公というと、10年ちょっと前に十和田湖国立公園協会さんでから刊行された能町みね子氏の『十和田湖アイドル伝説! 乙女の像S 解散の危機 !?』が思い出されました。

これからも「乙女の像」、地元で、さらに全国区で愛されてほしいものです。

【折々のことば・智恵子】

この世に生れて来た甲斐に、どれだけの事が成功するか、各自に与へられた力の最善を尽して一生の使命を果すので、誰れにとつても生やさしい面白いおかしい事ではなく、いつも目的を最高の処に置いて立派な、悔いのない、あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯を築く覚悟がなければなりません。


大正11年(1922)12月1日 長沼啓助・禎子宛書簡より 智恵子37歳

大正7年(1918)に歿した父・今朝吉の跡を継いで長沼酒造を任された弟・啓助と、その妻となった禎子との若い二人に宛てた書簡から。

智恵子自身、昭和13年(1938)に南品川ゼームス坂病院でその生涯を閉じる際、「あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯」だったのでしょうか……。

光太郎の父・光雲の作品が出ています。

冬季所蔵品展 私たち七尾美術館PR隊!

期 日 : 2025年12月20日(土)~2026年2月8日(日)
会 場 : 石川県七尾美術館 石川県七尾市小丸山台1-1
時 間 : 午前9時〜午後5時
休 館 : 毎週月曜日  (1/12は開館)、1/13
      12/29(月)から1/3(土)までの6日間
料 金 : 一般350円(280円) 大学生280円(220円) 高校生以下無料
      ( )は20名以上の団体料金

 令和6年能登半島地震により1年9カ月にわたって臨時休館を余儀なくされた当館。臨時休館中には文化財レスキューや市内学校への出前講座などを行っていました。
 そんな中、臨時休館が続く当館の状況を知った七尾市立小丸山小学校の5年生(当時)が、再開館に向けて自分たちにできることはないかと考え、昨年の総合学習の一環として「震災に負けずに立ち上がろう。七尾美術館PR隊」という活動を行ってくれました。
 その活動内で、子どもたちに当館所蔵品の中からお気に入りの作品ベスト3を挙げてもらい、それを元に学芸員が展示品を選抜・展示計画を作成しました。
 そして、子どもたちには自分たちなりの視点で作品の見どころを伝える「作品解説」を書いてもらいました。
 子どもたちの「作品解説」とあわせてお楽しみください。

同時開催 まなざしの先
 「目は口ほどに物を言う」ということわざがあるように、私たちの「目」は時に言葉以上に相手に感情を訴えかける力があります。
 それは喜びであったり、悲しみであったり、あるいは怒りであったりと様々ですが、相手の顔を見た時に、思いがけない感情に気づき、ドキッとした経験は誰しもあるのではないでしょうか。
 本テーマではこの「まなざし」に着目。現代絵画を中心に、写真や工芸などの当館所蔵品のうち、まなざしや視線、あるいは表情が印象的な作品を展示します。
 それぞれの作品の「まなざしの先」に何があるのか、皆さまも思いを馳せてみてください。
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004案内文にある通り、昨年1月の能登半島地震により同館は臨時休館となり、地震発生の際に開催中だった企画展示「彫刻って面白い!〜これってなんだ?からそっくりまで〜」は途中で打ち切られました。

2年近くの休館中、被害の少なかった石川県立歴史博物館さんでの出開帳「令和6年能登半島地震復興応援特別展 七尾美術館 in れきはく」などを行ってきましたが、今秋から再開とのことで、喜ばしく存じます。

「彫刻って面白い!」「七尾美術館 in れきはく」にも出品された、光雲作の聖観音像(昭和6年=1931)が今回も展示されます。七尾市出身の実業家で、美術品コレクターでもあった池田文夫氏(1907~87)が蒐集した美術工芸品「池田コレクション」の一つです。他に多く作られた聖観音像と少し趣が異なり、工房作かな、という感じもします。

地元の小学校さんの協力も入った展示だそうで、タイトルに「七尾美術館PR隊」。すばらしい取り組みですね。

訪れるだけでも復興支援の一環となります。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・智恵子】

人間はお互に助け合はねばならないでせう 人を教へるとか 又は与へる力があるなぞと誰しも思ふものはないことゝ思ふけれど 元来信仰の問題は知識ではなく(知も一部ではあるが)随て教へるなどゝいふ事とは遠いことのやうに私は思ひます

大正10年(1921) 斎藤辰之介宛書簡より 智恵子36歳

斎藤は智恵子と同郷の彫刻家。光雲の孫弟子にあたります。のち、二本松霞ヶ城に建てられた光太郎詩碑の建立に尽力しました。

斎藤の母が智恵子の妹・ミツの肺結核による東京病院(のちの慈恵医大病院)入院に付き添っており、末期の患者にどんな話をしたらよいのか、といった質問に対する返答の一節です。

ミツは翌年死去。その遺児・春子はのちに当時の一等看護婦の資格を取得、智恵子晩年のゼームス坂病院での付き添いを務めることとなります。

12月7日(日)、地方紙『岩手日日』さんに載った記事です。ご執筆は東京国立近代美術館(MOMAT)さんの主任研究員・成相肇氏。ネット上に見当たらず、同紙独自なのか、よくある通信社等の配信記事なのか判然としませんが。

手は物語る…1 高村光太郎「手」 和と洋、静と動 感じる彫刻

000 東京国立近代美術館のコレクションの中から、「手」にまつわる作品を紹介していきましょう。時代や表現方法を問わずさまざまに表されてきた手の図像の中に、美術の魅力の手掛かりを探ります。
 ちょうど新聞紙片面の横幅くらいの高さの大きなブロンズ製の手。詩人として も知られる高村光太郎(1883~1956年)の彫刻です。あるとき自身の左手をじっと見ていると「自分の手でないやうな気が」して、「何か大きなものの見えない手が不意に形を現はした」かのように思えた。そして、おもむろに「施無畏印(せむいいん)」(奈良の大仏と同じポーズ)の形にしたときに感じた「自分の手の威厳」と「霊光」をどうにか再現しようと思った、と光太郎は述べています。
 実際、この作品のてのひらに正対して眺めてみると、仏像のように穏やかで落ちついた印象です。そういえば光太郎の父・光雲は江戸時代に仏師からキャリアを始めた彫刻家でした。
 この作品で何より興味深いのは、台座に対して手が少し横を向いている点です。この台座は作者が彫った木ですから、角度にも意図が込められています。そこで今度は台座に対してまっすぐ向き合ってみると、たちまち緊張した指の筋肉が際立ち、ダイナミックな動きが立ち現れます。光太郎は近代彫刻の祖とされるオーギュスト・ロダンを日本に紹介した人物でもありました。この手の力強いひねり、張り詰めた劇的な筋肉の動きは、まさしくロダンからの影響といえるでしょう。
 「霊光」はこのひねりにこそ宿っています。すなわちこの作品には、一点において和と洋が、静と動が、同居しているのです。ほんのわすかな角度の差で、洋の東西が大きくシフトする。真横から見ると鳥のような優美な形をしたこの「手」は、まさしく近代の彫刻が飛躍しようとする一瞬を凝縮した作品なのです。
 当館ウェブサイトでは、本作のブロンズ部分を台座から引き抜いてみる解説動画や、作品を全方向から見られるデータも公開しています。自宅でも、ぐるぐるといろんな角度から眺めて楽しんでみてください。

前半に引用されている「自分の手でないやうな気が」「何か大きなものの見えない手が不意に形を現はした」などは、大正8年(1919)1月25日発行の雑誌『芸術公論』第3巻第1号に載った光太郎の「手紙」と題する散文の一節です。筑摩書房『高村光太郎全集』にもれていたものですが、「手」に関して最も多くが語られており、しかもほぼ制作リアルタイムのもので、これを参照しなければ「手」の考察は不可能と言っていいくらいのものです。MOMATさんでも気づいて下さったかという感じでした。

その後の「角度」の話や「和と洋」「動と静」といった解釈、確かにその通りですね。ただ、同じ光太郎生前鋳造の「手」でもMOMATさんのもの(有島武郎・秋田雨雀旧蔵)と朝倉彫塑館さん所蔵のもの(朝倉文夫が購入したもの)では微妙に角度が異なり、そのあたり詳細な考察が為されることを期待します(或いは既に為されているかもしれませんけれど)。それを言えば、台座の形状、ブロンズの仕上げ(つやの有無)もかなり異なります。

最後に「当館ウェブサイトでは、本作のブロンズ部分を台座から引き抜いてみる解説動画や、作品を全方向から見られるデータも公開しています」とありますが、「台座から引き抜いて……」はこちら、「全方向から見られるデータ」はこちらをご参照下さい。

「手」は、同じ型から鋳造されたものが数多く存在します。ぱっと思いつくだけで、 国立東京近代美術館(MOMAT)さん、朝倉彫塑館さん、髙村家、碌山美術館さん、花巻高村光太郎記念館さん、島根県立美術館さん、たましん美術館さん、呉市立美術館さん、岩手大学さん、千葉県立美術館さん、山口県宇部市さん(なぜか中国地方に多いのが不思議です)。その他の公的機関でもまだ所蔵があるような気もしますし、オークションに出たこともあります(ただ、中には「レプリカ」と断られているものもあるようで)。

各地で「手」をご覧になる方、上記のような点に注意して観て下さい。ちなみに当方、また明後日、花巻で観て参ります。

【折々のことば・智恵子】

あなた御自身、如何なる方向、如何なる境遇、如何なる場合に処するにも、たゞ一つ内なるこゑ、たましひに聞くことをお忘れにならないやう。この一事(いちじ)さへ確かならあらゆる事にあなたを大胆にお放ちなさい。 それは最も旧く最も新しい、生長への唯一の人間の道と信じます故。

アンケート「新時代の女性に望む資格のいろいろ」より
 大正15年(1926) 智恵子41歳

この一節も、智恵子の言葉としてはよく引用されるものの一つです。

結局、智恵子は「あらゆる事にあなたを大胆にお放ち」出来なかったと思われますが……。

現在開催中の企画展示についての報道を2件。いずれも『毎日新聞』さんから。

まず、北海道版。札幌の本郷新記念美術館さんの「彫刻三昧(ざんまい)―札幌芸術の森美術館の名品50選」についてです。

著名作家の名品、彫刻三昧-50選 本郷新記念美術館/北海道

 展覧会「彫刻三昧(ざんまい)―札幌芸術の森美術館の名品50選」が、札幌市中央区の本郷新記念札幌彫刻美術館で開かれている。ロダン、高村光太郎、佐藤忠良をはじめとする国内外の著名作家の作品50点を展示している。2026年1月4日まで。
 展覧会は、札幌芸術の森(南区)開園40周年を記念して開催。収集してきた彫刻コレクションから50展を選んだ。印象派の画家、ルノアールの彫刻も含まれ、2点展示。ブロンズ「ヴェールを持つ踊り子」(1908年)は優美な動きを感じさせる。ルノアールは晩年、リウマチに苦しみながら弟子と共に彫刻を制作した。 日本の近代彫刻の先駆け荻原守衛の作品も展示している。ブロンズ「文覚」(同年)は筋骨隆々とした男性が厳しい表情で腕を組む。荻原は渡仏して、近代彫刻の父ロダンに影響を受けた。 休館日は月曜と年末年始(12月29日~1月3日)。問い合わせは同館(011・642・5709)へ。
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光太郎作品は「薄命児男児頭部」(明治38年=1905)。
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明けて1月4日(日)までの会期です。ただ、前日まで年末年始休館ですが。

続いては大阪国立国際美術館さんの「特別展 プラカードのために」。

「周縁」を問う、7人の闘い 特別展「プラカードのために」 大阪・国立国際美術館

 生活者の視点から創作を続け、既存の制度や構造に問いを投げかける7人の作家の作品を集めた特別展「プラカードのために」が大阪市北区の国立国際美術館で開かれている。
 タイトルは出展作家の一人で、時代に先駆けたフェミニズム作品で再評価が進む田部光子さん(1933~2024年)が、61年に発表した文章から取っている。当時の安保闘争や三池闘争、米公民権運動、コンゴ動乱などを背景に<大衆のエネルギーを受け止められるだけのプラカードを作>り、<たった一枚のプラカードの誕生>によって、社会を変える可能性を記した文章だ。思いは同年制作の5点のコラージュ作品「プラカード」(61年)に結実した。
 本展を企画した同館主任研究員の正路佐知子さんは<たった一枚のプラカード>とは「行き場のない声をすくいあげ、解放の出発点となるような、生きた表現の象徴でもある」と指摘。それが本展を貫く一つの道標となっている。
 田部さんは福岡発の前衛芸術家集団「九州派」(57~68年)の主要メンバーとして活躍。90年代からは海外にも活動の場を広げ、10年代まで旺盛な創作活動を続けた。本展では「プラカード」や、同時に発表された妊娠からの女性解放をうたったオブジェ「人工胎盤」(61年、04年に再制作)など28点を展示している。
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 壁一面に色とりどりの切り絵が並び、天井からもつり下がる。谷澤紗和子さん(82年生まれ)の作品群だ。11枚組みの新作インスタレーション「目の前に開ける明るい新しい道」(25年)のほか、洋画家・切り絵作家の高村智恵子(1886~1938年)への手紙などを切り絵にした連作「はいけいちえこさま」など女性表現者の先達との架空の「対話」によって生み出されたシリーズを展示。
 「目の前に~」のうちの一作「お喋りの効能(西瓜(すいか))」は、中国の民間芸術「剪紙(せんし)」作家、庫淑蘭(クー・シューラン)さん(1920~2004年)の作品を基にしている。庫さんは季節の表象としてスイカを配置したが、谷澤さんはスイカがパレスチナ連帯のモチーフとして知られていることもふまえ、現代の視点で再構成した。作品を縁取る枠に並ぶ切り抜き文字は、無政府主義者の大杉栄らが虐殺された甘粕事件について智恵子が書いた文章。谷澤さんの作品は幾重にも覆われた「周縁化」のベールを一枚ずつめくり内にあるものを見つめる視点を持つ。「切り絵」という芸術もまた、美術史の中では周縁化されてきた。
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 暗い地下道を男が何かつぶやきながら歩いている。飯山由貴さん(88年生まれ)の映像作品「In−Mates」(21年)はそんな場面から始まる。飯山さんは社会の周辺に置かれた人々への聞き取りや記録資料を糸口に個人と社会の関係を考察し、作品づくりに取り組んできた。「In~」は、戦前に東京都内の精神科病院に隔離入院していた2人の朝鮮人患者の看護日誌を基に、関東大震災時の朝鮮人虐殺などの歴史を追う。22年、東京都人権プラザでの上映を「企画趣旨に合わない」などとして都が認めず問題となった。美術館での上映は初。
 「In~」は、川崎市出身の在日コリアンのラッパー、FUNIさんが、看護日誌に残った2人の言葉や葛藤を自身の肉体を通して「再現」し、現在まで続く差別の歴史を重ね合わせていく。冒頭から登場する地下道は、彼らが隔離された精神科病院にも、在日コリアンらが置かれた、あるいは私たち自身が置かれた閉塞(へいそく)した状況にも見える。自由への問いは、さまざまな自由を知らぬ間に手放しつつある私たちへも鋭く突き刺さる。
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 ひときわ大きな空間をひときわ大きな空間を使っているのが福岡県八女市在住の牛島智子さん(58年生まれ)の新作インスタレーション「ひとりデモタイ箒(ほうき)*筆*ろうそく」(25年)だ。牛島さんは地元の産業や歴史に根ざした素材を使ったインスタレーションで知られる。 本作は八女和紙とコンニャク糊(のり)で作った二十七角形の巨大な「フィールド」の上に、家や箒、ろうそく、筆などを模した造形物が置かれ、天井からは牛島さんの詩や言葉を記した和紙のカードがつるされる。家の屋根の上に座っているのは一人の女性。歴史的に「家」に閉じ込められてきた「家婦」(家庭の中で仕事をする妻)がその外に出ている姿だ。 牛島さんは展示室の空間を見て「すぐに革命前夜の沸き立つイメージが出てきた」と語る。あらがうのは「私」であり、でも、一人一人が集まれば「隊」にもなる。タイトルにはそんな思いも込められている。
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 このほか、労働と支配の関係を問う笹岡由梨子さんのインスタレーション▽複数の男性と女性1人による自身の共同生活を撮影し、家族や結婚の常識を問う金川晋吾さんの写真シリーズ▽08年から宮城県で暮らし、制作する志賀理江子さんの映像インスタレーションなど。来年2月15日まで。

こちらに関しては、年が明けてから行こうと思っています。年内はまだあちこち足を運ぶ予定がつまっていまして。

皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・智恵子】

すべてを破壊し尽した今、われわれの偉大な理想へのよき機会を逸してはならない。建築に対する新しい道程は開かれてゐる。急がずあせらず、自然界の生長の如く、微細に入念にそして大胆に、生命の奥底に仕事を育たしめよ。

散文「建設の根源は此処に在り」より 大正12年(1923) 智恵子38歳

関東大震災を受けての文章の一節です。

昨日の青森での大地震には驚きました。地震そのもので亡くなった方がいなかったようなのは不幸中の幸いですが。

光太郎の父・光雲とその高弟・米原雲海作の木彫についてです。地方紙『信濃毎日新聞』さんから。

100年ぶり 善光寺仁王門の木彫り像2体の修復始まる

 善光寺(長野市)は2日、仁王門内に設置されている三宝荒神像と三面大黒天像の修復を始めた。善光寺事務局によると、両像の修復作業は100年余ぶり。同日は、文化財修復の専門家が像表面に積もったほこりを、はけを使って丁寧に落としていた。
 両像は、1919年(大正8)年に彫刻家の高村光雲と弟子の米原雲海が作った木彫り像。仁王門内の東側で守護矢を手に持つ三宝荒神像は、災害から寺や参拝者を守る。同門内の西側にある三面大黒天像には、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の願いが込められている。
 この日は文化財修復を専門とする藤白彫刻研究所(東京都)の藤曲隆哉代表(43)=東京都=ら5人が三面大黒天像の清掃を進めた。高さ約3・5メートルある像の周辺に組んだ足場を使い、像の頭を黒く染めたほこりを丁寧に払った。
 作業は4日まで続き、像の欠落箇所の修復などを予定している。長野市内の大沢真弓さん(79)は「毎朝(像の)お顔を見ている。きれいになってお出迎えしてくれるのが楽しみです」とほほ笑んだ。
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記事を読んで「あれっ?」と思いました。たしか10年くらい前にも補修が入っていたような……という気がしまして「100年ぶり」というのに引っかかりを覚えました。

ところが調べたところ、10年前に補修されていたのは善光寺史料館さんで展示されている3分の1スケールの雛形でした。今回のものは仁王門で仁王像の裏側に据えられている完成作です。

画像にある三面大黒天像と対になっている三宝荒神像の方も補修が入り、記事が出たのが12月3日(水)。2日(火)に作業開始で4日(木)には終わるとのことですから、それほど大々的な補修ではないようです。もう既に元の通りに据えられているのではないかと思われます。

気になるのが褪色した彩色ですが、おそらくそれはそのままなのでしょう。彩色にまで手を入れるとなると、その場では不可能でしょうし、3日ばかりで終わるとも思えません。

ちなみに仁王像の方は、最初に制作された際にあえて彩色は施さなかったそうです。

光雲の談話筆記「善光寺仁王尊の製作 参考資料と新しき意企」(大正8年=1919)から。

 由来仁王像は大抵着色したものであるが、我々は少しく考ふる処があつて今度は殆ど着色をしなかつた。彩色をしようとしても我々の期待に添ふ丈の立派の着色をして呉れるものゝ無いのが其理由の一つであるが又一方着色が出来たとしても、何十年何百年経過する内には自然彩色は剥落して醜いものとなる。此場合は勢い着色の修理をすると云ふ順序となり、此修理を重ねる場合には、遂に製作当初の価値を失ふ事になるのは明らかな事である。此意味から無彩色の方が此像の存する限りは、製作当初の真価を永劫に伝へる事が出来ると云ふ理由で彩色をしなかつたのである。一体着色すると云ふ事は木の継ぎはぎの無様を隠す事にも利用されたものであるから、彩色をしないと云ふ為には、木地の無様をかくす事が出来ず、従つて醜くない様に仕上げなければならなかつたから、此辺の苦心は着色以上な処があつた。又此仁王には玉眼を入れなかつた。此理由も、要するに無着色の理由と同様である。

なるほど、と思わされました。

しかし、裏側に配した三面大黒天像と三宝荒神像は彩色を行ったわけで、そこの違いがよくわかりませんが。

これらの計4体、令和4年(2022)のご開帳時、に夜間のライトアップ、翌朝に通常の状態とを拝見して以来、見に行っておりません。来年あたりは久々に参拝しようかなと思いました。みなさまもぜひどうぞ。

【折々のことば・智恵子】

われわれが死せるものに生命を与へ得ない限り、これに手を触れる事はゆるされない。他人の生命に手をかけるなんて、何といふ醜悪な考でせう。暴力こそ臆病の変形です。


アンケート「暴力は臆病の変形――甘粕事件に関する感想――」より
大正12年(1923) 智恵子38歳

関東大震災直後のドサクサで、アナーキスト大杉栄と内縁の妻・伊藤野枝、そして大杉の甥の橘橘宗一少年を、憲兵大尉・甘粕正彦らが虐殺した事件に対しての感想です。しごくまっとうな意見ですね。

光太郎は大杉らのグループに対し、シンパのような立ち位置でした。

ちなみに甘粕の妻・ミネは智恵子と同郷。それだけでなくミネの叔母・服部マスは智恵子の先輩にして恩師でしたが、智恵子はそれを知らなかったのではないかと思われます。

智恵子の故郷・福島県の地方紙『福島民友』さん記事。

きらめく安達駅、東西口をライトアップ 二本松、2月1日まで

 二本松市のあだち観光協会は1日、安達駅イルミネーション点灯式を行った。2年目の今冬は、新たに智恵子像、折り鶴オブジェの足元を彩るなど発光ダイオード(LED)を2千個増やし、東西口合わせて約8千個が輝きを放っている。点灯は午後4時半~同10時。来年2月1日まで。
 駅利用者ににぎわいとぬくもりを届けようと行っている。東口には阿武隈川の流れをイメージした青色のイルミネーションを新設した。
 加藤和信会長は「多くの人に楽しんでもらえるよう点灯を昨年より1時間延長した。にぎわい創出へ努めていく」とあいさつした。
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JR東北本線安達駅は、二本松市に合併された旧安達町にあり、智恵子生家/智恵子記念館さん最寄り駅です。ただ、徒歩では20分以上かかりますが。

平成28年(2016)に新駅舎が完成、令和3年(2021)には光太郎の父・光雲の孫弟子に当たる彫刻家、故・橋本堅太郎氏の最後の作品「今 ここから」が設置されました。これが記事にある「智恵子像」です。

その「今 ここから」もイルミネーションで飾られ、とのこと。上記記事にその画像がありませんでしたが、あだち観光協会さんのX(旧ツィッター)投稿にありましたので、お借りします。
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実にエモーショナルですね。
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右上が『民友』さん記事にある「阿武隈川の流れをイメージした青色のイルミネーション」でしょう。
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ちなみに折り鶴のモニュメントは駅の改修前からあったもので、こちらも智恵子がらみと言えばそうなのでしょう。智恵子は南品川ゼームス坂病院で紙絵を作り始める前段階として、まずは折り鶴から始めましたので。

日が暮れてからでないと仕方がないので、なかなか見に行けないところですが、お近くの方などはぜひどうぞ。

明日も二本松・智恵子系のネタで。イベント目白押し・怒濤の11月も終わり、ネタが減って参りましたので小出しにします(笑)。

【折々のことば・智恵子】

 豊かな自然の嘆美、幸福は芸術から私(わたくし)へくる。その愛と光りは、苦しく寂しい、透徹した情熱です。
 恋愛は咲き満ちた花の、殆ど動乱に近いさかんな美を、私の生命に開展(かいてん)した。生命と生命に湧き溢れる浄清(じやうせい)な力と心酔の経験、盛夏のやうなこの幸福。凡ては天然の恩寵です。あゝ恋愛と芸術と、私にはこれを同時にお答へする外しかたがありません。


アンケート「私の最も幸福と感じた時」全文 大正6年(1917) 智恵子32歳

光太郎と結婚披露を行って約2年後のアンケート回答です。この時期にはまだ自分の将来に無限の可能性が拡がっているという感覚だったのでしょう。やがて一生の仕事と定めた絵画の道が頓挫していくのですが……。

一昨日、都内港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」関連です。
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青森県の地方紙二紙が報道して下さいました。

『東奥日報』さん。

十和田湖の価値、未来へ 国立公園化に尽力・大町桂月没後100年 東京でフォーラム

 十和田湖や奥入瀬渓流を愛し、その名を全国に広めた高知県出身の文人・大町桂月(1869〜1925年)が蔦温泉で没して100年。今や青森県を代表する観光地となった十和田湖の未来を語るフォーラムが30日、東京都港区の赤坂区民センターで開かれた。パネリストらは大町の功績を振り返りつつ、自然、歴史、文化、観光などの視点からその価値をいかに継承していくか意見を出し合った。
 大町は、請願文を起草するなど十和田湖周辺の国立公園化に尽力した。「大町桂月を語る会」の谷川妙子事務局長は「美文で固められた請願文は大きな反響があった。筆の力で候補地に押し上げた」と説明した。
 大町らの功績をたたえる顕彰碑は詩人・彫刻家の高村光太郎(1883〜1956年)が制作、今は「乙女の像」として知られる。「高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会」の小山弘明代表は碑の制作経緯などを解説した。
 フォーラムには大町のひ孫に当たる大町芳通さん(69)も出席し、「桂月の愛した十和田の素晴らしい自然が活用され、地元がもっと発展するよう祈っています」と謝辞を述べた。
 東京青森県人会が主催、約70人が参加した。運営に当たった七戸町出身の山田安秀さんは「大町ら偉人たちが築いた土台を再認識することで、新しい未来をつくるための自信につなげたい」と話した。
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『デーリー東北』さん。

十和田湖の価値、再発見 ゆかりの文化人、足跡たどる 東京都内で県人会フォーラム

 東京青森県人会は30日、十和田湖について考えるフォーラムを東京都内で開いた。参加者約70人が、十和田湖に縁が深い文人の大町桂月や彫刻家の高村光太郎の歩みなどに理解を深め、多角的な視点から青森を代表する景勝地の歴史的価値を再発見した。
 第1部は、十和田奥入瀬観光機構元事務局長の山本隆一さんらが講演。第2部では、有識者が十和田湖の魅力を全国に広めた桂月や「乙女の像」を制作した高村の足跡、日本と米国の国立公園の違いなどについて解説した。
 「大町桂月を語る会」事務局長の谷川妙子さんは、桂月が起草した十和田湖を中心とする国立公園設置に関する請願文が、名文として大きな反響を呼んだエピソードに触れ「十和田を愛した桂月は、筆の力で国立公園の候補地に押し上げた」と紹介した。
 高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会」代表の小山弘明さんは、乙女の像の制作秘話を披露。作家の佐藤春夫が、当時の津島文治知事に高村を紹介した逸話などを明かした。参加者は、各登壇者の話に興味深そうに耳を傾け、十和田湖の歴史について思いをはせていた。
 ゼネラルプロデューサーとしてイベントを統括した山田安秀さん(七戸町出身)は取材に「大町桂月や高村光太郎といった非常に大きな存在が十和田湖に関わっていたことを若い世代に知ってもらい、未来につないでもらえれば将来は明るくなるのではないか」と話した。

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続いて、いただいてきた品々をご紹介します。

まずは聴衆の皆さんにも配られた配付資料で、トークイベントの際に登壇された谷川妙子氏率いる「大町桂月を語る会」さん作製の2種。

A4判両面印刷二つ折りの桂月紹介リーフレット。
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随所で光太郎や「乙女の像」にも触れて下さっています。

A2判両面印刷の「「奥羽一周記」現代訳マップ」。
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桂月が最初に雑誌『太陽』で十和田湖を紹介した明治41年(1908)の旅の記録です。

広げると、こんな感じ。
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これらは今回のイベントのために作られたのではなく、さまざまなところで活用されているのでしょう。

「乙女の像」制作の際、光太郎の助手を務めてくれた野辺地町出身の彫刻家・小坂圭二子息の竜氏からは、図録を2冊戴いてしまいました。

まず、お父さまのカタログ・レゾンネ(作品集)。昭和59年(1984)、日動画廊さんでの個展開催にあわせての発行でした。
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他の作家の作品とともに画像が収められている図録は手元にありましたが、まとめて拝見したのは初めてで、実に興味深いものでした。やはり光太郎のDNAを感じますし、キリスト教の洗礼を受けての作品などには、同じく光太郎の世界観を受け継いだ舟越保武にも通じるような。

竜氏、お父さまは小坂圭二ですが、母方のお祖父様は、画家の夏目利政(明26=1893~昭43=1968)ということで、平成9年(1997)に青梅市立美術館さんで開催された「夏目利政展」の図録も。
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夏目の画業は日本画からのスタートでしたが、のちに油彩画に転じています。小坂圭二同様、作品群画像をまとめて見たのは初めてで、これも驚嘆すべきものでした。

そして夏目利政と言えば、光太郎を知る前の智恵子が、利政の父・音作(象牙彫刻師だったとのこと)の家に下宿をしていたことでも知られています。明治40年(1907)に日本女子大学校を卒業した智恵子は、卒業生用の楓寮に入寮していましたが、同42年(1909)、楓寮が閉鎖となりました。おそらくその直後は寮近くの女子大学校の先輩だった永野初枝宅に一時的に厄介になったようですが、同じく女子大学校の同級生だった幡ナツ(旧姓・小松)が夫の英二と共に住んでいた本郷区動坂町(現・文京区本駒込)の夏目宅を紹介してくれたとのこと。同44年(1911)春まで、智恵子はここに住んでいたようです。

下は夏目家で撮られたショット。
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残念ながら写っていませんが、この時、数え16歳で既に日本画を描いていた利政もその家に暮らしていました。利政は智恵子が描く油彩画に興味を示し、智恵子もいろいろアドバイスをしたそうです。

下って昭和20年(1945)、利政は岩手県胆沢郡真城村(現・水沢市)に疎開。その後、光太郎も花巻の宮沢賢治実家に疎開。その宮沢家も終戦5日前の花巻空襲で全焼し、旧制花巻中学校の元校長・佐藤昌宅に転がり込んでいた光太郎の元に、利政がやってきます。どういう伝手(つて)だか、利政を案内したのは賢治実弟の清六でした。

昭和20年(1945)9月1日の光太郎日記の一節。

訪問客、清六さんが夏目利政氏佐々木さんといふケイオウ生徒をつれてくる、夏目氏は智恵子が止宿し居れる頃の事を話しくれる。その為水沢より来訪し来れるなり。

その後も9月25日には宮沢家で利政と会っています。

さらに下って昭和25年(1950)11月、当時の水沢町公民館で「智恵子切抜絵展」が1日だけ開催されましたが、その際に尽力したのが、智恵子紙絵の3分の1ほどを預かっていた花巻病院長・佐藤隆房と利政でした。パンフレット(ガリ版)を利政が制作、さらに記憶にある智恵子と、おそらくこんな感じだったろうという南品川ゼームス坂病院での紙絵制作中の智恵子を描いたカットを載せ、12ページにわたり智恵子についての思い出等を執筆しています。
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このパンフレットについては小坂竜氏、ご存じなかったそうで、これからコピーのコピーを取ってお送りする予定です。

続いて、上記『デーリー東北』さん記事にもお名前が挙げられている山本隆一氏からいただいたのがこちら。

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十和田市の相馬菓子舗さんで販売されている「十和田アップルケーキ」。リンゴの果肉を練り込んだずしりと重いパウンドケーキです。スポンジのしっとり感と当方大好物のリンゴのシャキシャキした歯触りのバランスが絶妙でした。箱に「乙女の像」をあしらっていただき、ありがたい限りです。ロゴの昭和感もたまりません(笑)。

そんなこんなで、いろいろといただけてそれもありがたいうえに、また各方面に人脈を拡げることもでき、実に有意義でした。

関係の皆様の今後のますますのご活躍と、十和田湖の発展を切に祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

さまざまな時代に、まことの芸術家達が、それぞれ自身の生命を掘り下げて行つた。その作品は、いきていまも、私達の前に息づく、それ等のものは、魂をめざめさせる、恰も自然が私達をめぐむ恵のやうに、清らかに力強く、押迫つて透徹する、私はそれ等の彫刻を愛し、それ等の絵画を思慕してやまない。心の底からその作者を尊敬し、又は崇拝してゐる。


散文「女流作家の美術観」より 大正5年(1916) 智恵子31歳

素晴らしい作品を残した先人へのリスペクトは大切なことですね。

こう語っていた智恵子自身、「紙絵」で、後代の人々から「思慕」や「尊敬」、「いきていまも、私達の前に息づく」という感覚を得る事が出来ています。しかし、その「紙絵」が心を病んでからのものだったことは残念と言えば残念です。

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