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少し前にもこのブログでご紹介した、兵庫県人権啓発協会さん制作のビデオドラマ「ほんとの空」。東日本大震災の翌年に作られ、劇中に、智恵子の故郷・安達太良山の空を謳った光太郎詩「あどけない話」が使われています。

12月4日(日)から「人権週間」ということで、兵庫県のローカルテレビ局・サンテレビさんで放映があります。

親子テレビ ほんとの空

サンテレビ  2016年12月4日(日) 11:00~11:45 (45分) 

出演 白石美帆  鳥羽潤  湯浅美和子  浦上晟周  石川大樹  (他)

あらすじ

向井弓枝(白石美帆)は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障害のある人に対してイライラを募らせる。弓枝は、面倒な人が多く住むこのマンションではなく、一戸建てや新築マンションに引つ越したいと、夫の勇(鳥羽潤)に訴える。

弓枝の一人息子の輝(浦上晟周)は、空オタクだ。いつも空や雲のことを考えてしいて 友だちもいない。カメラを抱えた輝が自宅に帰つてくると、隣の部屋のドアが開き、見知らぬ外国人が引越をしている。外国人に対して偏見を持っている弓枝と勇の話を聞き 輝も「みんな不法滞在なんだから送り返せばいいJと言う。

輝がマンションの屋上に行くと、同じ年頃の少年 龍太(石川大樹)が空にカメラを向けていた。空好きの二人は意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと 龍太の母の美里(湯浅美和子)が、故郷福島の草木染めの布を持つてくる。最初は喜ぶ弓枝だったが、パート仲間の意見もあり 放射能への恐ろしさから布を捨ててしまう。そしてそれを、龍太がゴミ置き場で発見する。

学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけ加勢するが、二人とも投げ飛ばされる。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。それを同じマンションの高齢者 千代子とタイ人 ロークが止める。帰宅した輝は母を責め、家を飛び出す。

輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦□ークとノイのところにいた。夫婦はタイ料理店で働いていて、店を持ちたいので試食してほしいと申し出る。皆で食卓を囲みながら、ノイの思いを知った輝は、廊下の鉢植えを割ったことを謝り、勇も偏見を持っていたと告げる。握手をする勇と□ーク。その様子を笑顔で見つめる弓枝は ふと台所の隅に 自分が捨ててしまつた草木染めがあることに気づく。

ノイから 草木染めを譲ってもらった弓枝は 美里の家に。そして自分の気持ちを伝えようとするが… 。

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先日もご紹介しましたが、輝役の浦上晟周君は、現在、NHK大河ドラマ「真田丸」で、堺雅人さん演じる主人公・真田信繁(幸村)の嫡男・大助役で活躍中です。浦上君、今は立派な若武者役ですが、この「ほんとの空」は、4年前の制作ということで、まだあどけない子供の役です。

浦上君演じる輝は「空オタク」という設定で、同じマンションに引っ越してきた、やはり空が好きな転校生の龍太に、光太郎の「あどけない話」が福島の空を謳ったものだと教えようとします。しかし龍太は「知ってる、俺、住んでたから……」。輝は龍太が福島から避難してきたことを、その時点では知りませんでした。

その後、龍太は「原発いじめ」にあい、輝の母親・弓枝も深く考えずにとった心ない行動で、龍太の一家を傷つけるという展開になります。

非常に考えさせられる内容です。


兵庫県の方、ぜひ、ご覧下さい。もっとも、兵庫はドラマの制作地で、テレビ放映も初めてではないようですし、自治体主催の行事や学校などでも、かなり上映されているようですが。

このドラマの件について触れるときにはほぼ必ず書いていますが、全国ネットのテレビでも、ぜひ放映していただきたいものです。

追記 未明のうちに上記を書きましたが、午後になって、主演の白石美帆さんと、V6長野博さんのご結婚が報じられました。おめでとうございます。


テレビといえば、明日、明後日と、ATV青森テレビさんのロケに同行し、都内千駄木の光太郎アトリエ跡、当会顧問の北川太一先生宅、光太郎終焉の地・中野アトリエなどを廻ってきます。青森テレビさんで、来月、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を紹介する特別番組を放映するそうで、そのロケです。当方も出演予定です。また詳しくお知らせいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

うかびてはまたも消えゆくゐのこ雲ながめはてよとさそふ心か
明治35年(1902) 光太郎20歳

若き日の光太郎も、秋の空を見上げていました。

昨日、NHK BSプレミアムさんで放映の「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」を拝見しました。

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大正2年(1913)、光太郎智恵子が婚前旅行で訪れ、二人で歩いた島々から岩魚留、徳本峠を越える「クラシックルート」が扱われました。

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レポーターはモデルの中川希良さん。

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事前に制作会社さんからレファレンスがあり、岩魚止に聳え、後に光太郎智恵子が共にその思い出を語っている、桂の巨木についてご教示申し上げました。

ところがその話が出ず、「あれっ?」と思っていたところ、今回の「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」は、来年1月10日から、やはりNHK BSプレミアムさんで放映が始まる「にっぽんトレッキング100」の、ある意味番宣のための番組で、「上高地クラシックルート」として改めて1月25日に放映があるそうです。その中で、詳しく扱われるのでしょう。

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今回の番組の中でも、ちらっと光太郎智恵子に触れられはしました。

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また、上高地で光太郎智恵子とも宿を共にした、日本近代登山の父、ウォルター・ウエストンについては、今回からある程度詳しく紹介されていました。1月の放映ではさらに詳しい話が出るものと期待します。

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また近くなりまして、詳細な情報が入りましたらご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

いみじくもふかき地中のこゝろより天然の湯は湧きてあふるる
大正9年(1920) 光太郎38歳

昨日の放映では、各地の温泉も紹介されていました。

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温泉の恩恵を受けられる日本に生まれて、本当に良かったと思います。

光太郎もやはり日本人(笑)、温泉は大好きで、温泉を詠んだ短歌も多く残しています。

テレビ放映情報です。

ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!

NHK BSプレミアム  2016年11月26日(土)  21時00分~22時30分

山好き必見!日本の秋を満喫するベスト10を大公開!

トレッキングにぴったりの秋到来。日本の秋を満喫する、お勧めコースベスト10を大公開! 真っ赤に染まる紅葉、黄金色に輝く草原、そして心まで温まる癒やしの温泉! 女優の宮澤佐江さんは雄大な北海道・雌阿寒岳へ。モデルの仲川希良さんは上高地へと向かう知られざるクラシックルートを。タレントの田代さやかさんは紅葉真っ盛りの八幡平温泉へ。他にも黒部峡谷、奥日光、四万十川、雲仙など、北海道から九州まで深まる秋を体感!

出演 パトリックハ-ラン 宮澤佐江 田代さやか 仲川希良 青山草太 高橋庄太郎 小林千穂,
司会 森下絵里香
語り 渡部紗弓 柴崎行雄

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上記紹介にあるとおり、信州上高地が扱われます。しかも、トレッキングということで、車の通れない、島々から岩魚止、徳本峠を越える昔のルート。

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ここは、大正2年(1913)、光太郎智恵子が婚前旅行で訪れた場所。先に上高地に滞在していた光太郎が、後から追ってきた智恵子を迎えに岩魚留まで下りていきました。岩魚留には有名な桂の巨木があり、光太郎智恵子共々、後にこの木の思い出を語っています。

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そのあたり、昨年発行された山岳雑誌『岳人』さんに書かせていただきました。上記桂の写真も『岳人』さんから。そこでキャプションに「件(くだん)の」とあります。

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さて、花巻高村光太郎光太郎記念会さんを通し、今回放送される番組の制作会社さんから問い合わせがあり、件の桂の木についてレクチャーいたしました。尺の関係などでカットされなければ、そういう話が出るはずです。

ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

天然の湯に身をひたし人の世のこゝろのことを君は思ふか
大正9年(1920) 光太郎38歳

土曜日放映の「ザ・プレミアム」、テーマは「紅葉」と「温泉」だそうです。寒くなってきましたので、ゆっくり温泉に浸かりたいものです。

今月7日にNHKラジオ第二で放送された「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「高村光太郎」」の再放送があります。  

カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス

NHKラジオ第2  2016年11月14日(月) 午前10:00~午前10:30(30分)

この番組では、NHKが保有する貴重な「ラジオ・アーカイブス」の中から、作家を中心にセレクトし、懐かしい声を蘇らせます。自作朗読や文学・人生談義などを語る作家らの人間味あふれる魅力を肉声を通して伝えていきます。

「朝の訪問」(1952年3月30日放送)聞き手・詩人の真壁仁(花巻市にて)
彫刻家で詩人の高村光太郎(1883-1956)。彫刻家・光雲の長男に生まれ、東京美術学校を卒業し、欧米留学。帰国後、駒込にアトリエを開いた。長沼智恵子と結婚し、その死別後に詩集『智恵子抄』を出版した。戦後は岩手県花巻郊外の山荘で独居自炊生活を送った。今回の番組は1952年3月に放送した「朝の訪問」で、この山荘での生活ぶりや十和田湖畔に作った「乙女の像」について語っている。聞き手は詩人・真壁仁。

出演 大村彦次郎(元・文芸誌編集長) 宇田川清江アナウンサー

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7日の本放送を拝聴しました。光太郎と真壁仁の対談は11分ほどで、前後半に分けて流されました。その前後と合間に、雑誌『婦人倶楽部』、『小説現代』、『群像』などの編集に当たられていた大村彦次郎氏の解説が入ります。なかなかよく調べられており、感心させられました。

ただ、解説ではなく、番組としての説明の中で、録音場所を花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)と説明していましたが、花巻温泉の松雲閣別館の誤りです。

一般の方は、なかなか光太郎の肉声録音を聴ける機会はないと思いますので、ぜひお聴き下さい。


もう一件、訃報です。

りりィさん死去=64歳、「私は泣いています」の歌手、女優

009 「私は泣いています」で知られる歌手で女優のりりィ(本名鎌田小恵子=かまた・さえこ)さんが11日午前、肺がんのため死去した。
  64歳だった。福岡市出身。葬儀は近親者のみで行う。
  1972年デビュー。女性シンガー・ソングライターの先駆けとして注目され、74年に出したシングル「私は泣いています」が大ヒットした。女優としても活動し、映画「夏の妹」(大島渚監督)などに出演。近年も映画「パークアンドラブホテル」(熊坂出監督)に主演した他、「3年B組金八先生」「半沢直樹」「ラヴソング」などテレビドラマにも多数出演した。
  長男のJUONさんはミュージシャンで、「DREAMS COME TRUE」の吉田美和さんの夫。 
(時事通信 11/11(金) 13:42配信)


昨年公開された小栗康平監督映画「FOUJITA」に出演されていました。同映画は、光太郎と東京美術学校西洋画科で同級生だった画家・藤田嗣治を主人公とし、光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」が劇中に使われていました。

りりィさんの役は、戦時中に藤田が疎開していた先の農家の主婦・「おばあ」。加瀬亮さん演じる小学校教師の息子に召集令状が届き、戦争画の制作などで国策協力をしていた藤田は複雑な思いで彼を見送る、という設定でした。

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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

さて、当方、本日から1泊2日で福島浜通りに行って参ります。今日は川内村での「第6回天山・心平の会 かえる忌」、明日はいわき市の草野心平生家で没後29回忌「心平忌」 第23回心平を語る会」に出席します。「心平忌」の方では、講話を仰せつかっております。

帰りましたらレポートいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

うすぐらき二階にならぶCOGNAC(コニヤツク)の瓶に火をもすCINEMA(シネマ)の明り                          
明治42年(1909) 光太郎27歳

舞台は浅草と思われますが、ことによるとこの年7月まで過ごしたパリを回想しているのかも知れません。   

りりィさんの歌にでも出て来そうな、アンニュイな雰囲気ですね。

ラジオ放送の情報です。光太郎生前の肉声が流れます。 

カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「高村光太郎」

NHKラジオ第2  2016年11月7日(月) 午後8:30~午後9:00(30分)

この番組では、NHKが保有する貴重な「ラジオ・アーカイブス」の中から、作家を中心にセレクトし、懐かしい声を蘇らせます。自作朗読や文学・人生談義などを語る作家らの人間味あふれる魅力を肉声を通して伝えていきます。

「朝の訪問」(1952年3月30日放送)聞き手・詩人の真壁仁(花巻市にて)
彫刻家で詩人の高村光太郎(1883-1956)。彫刻家・光雲の長男に生まれ、東京美術学校を卒業し、欧米留学。帰国後、駒込にアトリエを開いた。長沼智恵子と結婚し、その死別後に詩集『智恵子抄』を出版した。戦後は岩手県花巻郊外の山荘で独居自炊生活を送った。今回の番組は1952年3月に放送した「朝の訪問」で、この山荘での生活ぶりや十和田湖畔に作った「乙女の像」について語っている。聞き手は詩人・真壁仁。

出演 大村彦次郎(元・文芸誌編集長) 宇田川清江アナウンサー


「NHKラジオアーカイブス」。当方寡聞にして、現在こういう番組が放送されていることを存じませんでした。NHKさんならではの貴重な取り組みですね。

今回放送される光太郎の肉声は、光太郎が花巻郊外太田村に在住時の昭和27年(1952)、やはりNHKラジオで放送されたものです。3月27日に、山形出身の詩人・真壁仁との対談で、花巻温泉の松雲閣別館で録音されました。オンエアは3月30日でした。

これに先立つ3月21日には、太田村の山小屋(高村山荘)に、建築家の谷口吉郎、詩人の藤島宇内が、佐藤春夫からの手紙を携えて訪ねてきています。青森県で計画が進んでいた、十和田湖の国立公園指定15周年記念モニュメントの制作依頼のためです。これが「十和田湖畔の裸婦像(通称・乙女の像)」として結実します。

対談の中で、「十和田湖」「裸婦像」といった単語は出て来ませんが、既に光太郎、乗り気になっていることがわかります。「今年あたりからいよいよ始まるですな、仕事が。」「これからは無駄なことをしないで猛烈にやるつもりですよ。」といった発言が見られます。

この対談、NHKサービスセンターさんの発行、BMGビクターさんの発売で、平成8年(1996)にCD化されています。

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他に昭和30年(1955)の草野心平との対談、自作詩朗読、それから室生犀星の肉声も収録されています。

文字にも起こされており、筑摩書房『高村光太郎全集』第11巻に収められています。

さて、「NHKラジオアーカイブス」。ラジオがうまく受信できないという方も、最近はよくしたもので、インターネットでリアルタイムの聴取が可能です。スマートフォン、タブレット、もちろんパソコンで、「NHKネットラジオらじる★らじる」のページからです。

また、リアルタイムで聴けなくとも、ストリーミングというわけで、過去の放送が聴けるようになっています。いずれ光太郎の回もアップロードされるでしょう。

ぜひお聴き下さい。


ラジオついでにテレビの件を。

昨日、とちぎテレビさん制作の「とちぎ発!旅好き! 感動!歴史と伝統の街~福島県二本松市~」が、提携している千葉テレビさんで放映されたので、拝見しました。

智恵子の故郷・二本松を取り上げるもので、光太郎智恵子にからむ内容かどうか、観るまでわからなかったのですが、いきなり冒頭近くで取り上げて下さいました。

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また、現在開催中の菊人形に関しても。

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当方は初日にお伺いしましたが、その際にはなかった光太郎人形が、智恵子人形の傍らに立っています(右の画像)。

その他、グルメ情報なども満載でした。

提携関係にある以下の各局で、これから放映されます。該当地域の方、ぜひご覧下さい。

群馬テレビ 2016/11/05(土) 午前11:30~
KBS京都  2016/11/06(日) 午前9:30~

埼玉のテレ玉さん、兵庫のサンテレビさんも提携はしているのですが、特別番組等のため、この回の放映はないようです。


また、年に1~2回、再放送されている2時間ドラマの放映もあります。

浅見光彦シリーズ22首の女殺人事件~福島‐島根、高村光太郎が繋ぐ殺人ルート!智恵子抄に魅せられた男が想いを託した首の女の謎

BSフジ 2016年11月8日(火)  12時00分~13時58分

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。
光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!

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初回放送はもともとは平成18年(2006)。岩手花巻の、現在は使用されていない、元の高村記念館(ただしドラマでは花巻という設定ではありませんが)、福島二本松の智恵子の生家・智恵子記念館などでロケが行われました。

ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

腹へりてさびしくなりぬ空を見ん十一月のうらけき空を
大正13年(1924) 光太郎42歳

今日から11月ですね。関東は「うらけき空」とはいかず、雨模様です。

テレビ放映情報です。

まずはテレビ東京系で人気の「開運!なんでも鑑定団」の姉妹番組。BS放送です。   

極上!お宝サロン 開運!なんでも鑑定団

BSジャパン 2016年10月27日(木) 21時00分~21時54分

ただひとつのジャンルに、こだわり続けるコレクターがいます。
彼らは、それがどんなに高価であろうと労苦を厭わず金に糸目をつけず、あくなき探究心でお宝をゲットしていきます。
この番組は稀代のコレクターたちの「お宝の魅惑のトーク」と「秘蔵のコレクション」を披露する番組です。
舞台は、お宝コレクターたちが集うサロン。サロンの主人は、博覧強記にして多彩な趣味を持つ石坂浩二。毎週、自慢のお宝を持ったゲストと鑑定士、コレクターがやってくる。主人のさりげないもてなしから、コレクターたちが熱弁を振るいだす…。

ゲストは作家の松山猛。クォーツ式時計全盛の1970年代から機械式時計を愛好している。雑誌の編集者として機械式時計の素晴らしさを日本人へ伝えてきた。海外の時計師を取材し、友好を深め、ついたアダ名が「時計王」。40年以上の収集歴で投資額は「忘却」。 手元に残した選りすぐりの100点から、機械式時計の機能や魅力を伝えていく。

本日のコレクター≪七福神木彫≫ 収集歴38年。恵比寿大黒像だけでも458体あり、目標は500体収集だというコレクター。しかし中々気に入った恵比寿大黒には出会えないと言います。眼鏡にかなう木彫とは?「木」にこだわった自慢のお宝や、「変わり種恵比寿大黒」などを紹介。宮大工の流れをくむ職人の腕が光る、木彫りの魅力を語ります。極上の逸品には、高村光雲の師匠が彫ったという自慢のお宝を紹介。

出演者 サロンの主人 石坂浩二   コンシェルジュ 松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)
ゲスト  松山猛
鑑定士 川瀬友和(「ケアーズ」代表取締役)、大熊敏之(富山大学大学院芸術文化学研究科教授)


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「高村光雲の師匠」は、高村東雲。文政9年(1826)に生まれた江戸の仏師です。元々「奥村」姓でしたが、幕末に独立する際、師匠の高橋鳳雲から「雲」の字と、さらに「高橋」姓の「高」の字を貰い、「高村」姓を創出しました。歿したのは明治12年(1879)でした。

ちなみに光雲は元々「中島」姓。明治7年(1874)に独立しましたが、同じ年、徴兵忌避のため、子供のいなかった師匠の姉・悦の養子となり、高村姓となりました。明治初年の徴兵制では長男は対象外でしたが、光雲には大工だった異母兄がいたため、そのままでは徴兵にかかるおそれがあったのです。

東雲は明治12年(1879)に歿しましたが、嫡子栄吉が「東雲」を襲名、孫が「晴雲」、さらに「三代東雲」と号しました。そのさらにお孫さんが、三代晴雲として、現在もご活躍中です。

初代東雲の木彫、時折、市場に出てきます。ただ、50代で亡くなり、しかも明治初年の廃仏毀釈のあおりをもろに受け、遺っている作品は決して多くありません。

今回、どんなものが出るか楽しみです。

余談になりますが、姉妹番組のテレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」。スタジオ収録以外に「出張!なんでも鑑定団」というコーナーがあり、当方自宅兼事務所の所在地、千葉県香取市で12月3日(土)に収録があります。

自宅兼事務所には光太郎がらみの「お宝」がごろごろしていますが、特に鑑定していただかなくても価値はある程度わかっていますので、鑑定依頼はしませんでした。ただ、せっかくですので、文化会館での収録観覧希望の往復ハガキは投函しました。抽選に当たることを祈っております。

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もう1件。旅番組系です   

とちぎ発!旅好き! 感動!歴史と伝統の街~福島県二本松市~ 

とちぎテレビ  2016年10月27日(木)19:30~20:00 10月31日(月)19:00~19:30
東京MXテレビ 2016年10月30日(日)17:30~18:00
チバテレビ   2016年10月31日(月)10:30~11:00

【訪問先】福島県二本松市 【旅人】菊池元男
日本100名城に選定されている二本松城を始め安達太良山や阿武隈川を有し自然の中で、伝統文化を感じることができる二本松市の感動スポットを求めて菊池元男が巡る。

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とちぎテレビさん制作の番組で、同局の本放送は昨日オンエアされていました。ただ、再放送、さらに提携関係にある各地のローカル局での放映があります。上記以外にも、埼玉のテレ玉さん、群馬テレビさん、KBS京都さん、兵庫のサンテレビさんで放映があるようですが、来月以降になるようです。残念ながら福島では放映されないようです。

安達太良山にからめて光太郎詩、智恵子生家などの紹介があるといいのですが……。


【折々の歌と句・光太郎】

裏町は提灯暗き祭かな        大正中期(1910頃) 光太郎40歳頃

上記画像、二本松の提灯祭りですね。そろそろ各地の秋祭りも一段落でしょうか。

俳句の関連で4件ほど。

NHKEテレさんで日曜日の朝に放映している「NHK俳句」という番組。毎回お題を指定し、視聴者からの投句を募るというものです。

昨日のお題は「渡り鳥」。さまざまな投句があった中で、二席に輝いた作品は、智恵子の故郷、二本松と同じ福島県中通り地方にある西郷村の黒澤正行さんの句。光太郎詩「あどけない話」へのオマージュです。

見た目にはほんたうの空鳥渡る

どきっとさせられる句ですね。ぱっと見は本当の空、しかし、いまだ消えない放射線……。「見た目」だけでない、本当の「ほんたうの空」が戻る日は、いつになるのでしょうか……。

9/7、水曜日には再放送があります。ご覧下さい 

NHK俳句 題「渡り鳥」

NHKEテレ 2016年9月7日(水)  15時00分~15時25分

選者は正木ゆう子さん。ゲストは鳥類学者の樋口広芳さん。樋口さんは渡り鳥に送信機をつけ、人工衛星を使って渡りのルートを解明している。題は「渡り鳥」。今回は樋口さんにさまざまな鳥の渡りについてお話を伺う。

司会 岸本葉子(エッセイスト) 選者 正木ゆう子(俳人) ゲスト 樋口広芳(東京大学教授)

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同じく昨日、青森県の地方紙『陸奥新報』さんにも、「智恵子抄」からインスパイアされた句が載りました。「日々燦句」という、おそらく折々の句を紹介するコラムでしょう。

檸檬放る智恵子の空の只中に(聖雪)

解説が附いていました。

高村光太郎の「智恵子抄」は、汚れを知らぬ病妻へおおらかないとおしみを綴(つづ)った詩歌文集で知られる。智恵子は「東京には空がない」と阿多多羅山(あだたらやま)の空を恋い、〈檸檬(れもん)〉を口に含んで、トパアズいろの香気の中で他界したと言う。掲句は「智恵子抄」に取材して〈智恵子の空〉を愛のかたちに広げている。「新青森縣句集」から。


さらに先週の『朝日新聞』さん。005

「朝日俳壇」のページでしたが、句そのものではなく、俳人の恩田侑布子さんによる「俳句時評」というコラムに、光太郎の名が。

オウム真理教事件で死刑判決を受けた中川智正死刑囚が、独房で詠んだ句を引きつつ、光太郎に触れてくださっています。

曰く、「いったんこの世にあらわれた美は決してほろびないと高村光太郎も川端康成もいった。

71年前の原爆の閃光、22年前の狂信的な犯罪、そして5年前からの原発事故の放射線……。人間の罪業の深さ、しかし、人間にしかできない反省や贖罪……。

五七五というたった十七音から、いろいろと考えさせられるものです。


そして、光太郎の句。

【折々の歌と句・光太郎】

五十五年青いぶだうがまだあをい 

          昭和26年(1951) 光太郎69歳

光太郎晩年、五十五年ぶりに少年時代の木彫作品に再会した際の吟です。

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詩人・菊岡久利の回想から。

僕はそれを鎌倉の古物店で見つけたのだが、人々は、まだ塗らない鎌倉彫の生地のままの土瓶敷ぐらゐに思つたらしい。一五センチ四方、厚さ二センチの板にすぎないのだから無理もなく、ながくさらされてゐたものだ。
(略)
当時まだ岩手の山にゐた高村さんに届けると、『どうしてかゝるものを入手されたか、不思議に思ひます。確かにおぼえのあるもので、小生十三、四の頃の作』と書いて来、レリーフの裏に、
 五十五年
 青いぶだうが
 まだあをい
と詩を書いてよこしてくれたものだ。

右上の画像、左側に「明治廿九年八月七日 彫刻試験 高村光太郎」の署名。この年、下谷高等小学校を卒業した光太郎は、東京美術学校の予備校として同窓生たちが作った共立美術学館予備科に入学、中学の課程を学んでいます(翌年には東京美術学校に入学)。その頃の懐かしい作品がなぜか鎌倉からひょっこり現れ、入手した菊岡が光太郎に鑑定を依頼、まちがいなく自作だということで、新たに句を裏書きしてくれたというわけです。

筑摩書房『高村光太郎全集』にはなぜか脱漏している句です。

光太郎の実家のある東京都文京区では、「区民チャンネル」というケーブルテレビの配信を行っています。内容的には区の施策や行事、区の文化遺産などの紹介が中心です。個人でも加入できる他、公民館的な区の施設で視聴できたり、インターネット配信も行っていたりしています。

その中で、文京区ゆかりの文人の歴史や. 古き良き文京区の町並みを辿る「ぶんきょう浪漫紀行」という番組があり、先月から今月にかけ、前後編2回に分けて「高村光太郎」が放映されました。おのおの10分間、計20分間です。

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ナビゲーター役に、文京区ご在住の、当会顧問北川太一先生、同じく光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった豊周の令孫・髙村朋美さんと髙村達氏姉弟がご出演。

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豊富な画像と共に、光太郎の生涯が紹介されました。

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父・光雲や、妻・智恵子についても言及。

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光太郎の生の軌跡を知る入門編として、非常に良くできています。

動画配信サイト「youtube」にアップされており、そちらで視聴できます。ぜひご覧下さい。



全国放映のテレビ番組でも、ぽつりぽつり光太郎智恵子がらみがあり、有り難い限りです。最近放映されたものをご紹介します。

BS日テレさんで8月11日に放映された「イチオシ!2泊3日の旅 青森・奥入瀬~八甲田…水と緑の絶景!」。

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美容家の佐伯チズさんと、タレントの南美希子さんが、青森の奥入瀬渓流から十和田湖を経て、八甲田山までの旅。「乙女の像」もご紹介下さいました。

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NHKさんの「連続テレビ小説 とと姉ちゃん」。先週のサブタイトルが「鞠子、平塚らいてうに会う」。

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雑誌編集者として、壁にあたって悩む相良樹さん演じる鞠子(主人公・小橋常子-高畠充希さん-の妹)。

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書架から取り出したのは、かつて眼を開かされた『青鞜』。表紙のデザインは智恵子です。

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あてにしていた作家の原稿が落ち、急遽、真野響子さん扮する平塚らいてうに原稿執筆を依頼。

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曲折はあったものの、無事、執筆してもらうことに成功。

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NHKBSプレミアムさんでオンエアされた「新・BS日本のうた」。

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司会は千昌夫さんと森昌子さん。

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森さんが、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」を熱唱。

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こちらは明後日(8/19)、16時30分~18時00分にまた放映されます。同じくBSプレミアムさんです。

今後もこうした流れが続いてほしいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

空晴れぬ赤城は高し上つ毛の多胡(たこ)の夏ぐさ真青(まさを)の風や

明治37年(1904) 光太郎22歳

今朝の関東は台風一過、抜けるような青空です。

鉄幹与謝野寛等とともに、赤城山に登った折の作。というか、登る前に麓の多胡から見上げた、赤城山を謳っています。バックはよく晴れた夏の青空。啄木の「空に吸はれし十五の心」を彷彿とさせられます。

現在NHKさんで放映中の「連続テレビ小説 とと姉ちゃん」。これまでも智恵子がその表紙を描いた雑誌『青鞜』が、一つのモチーフとしてドラマの中で効果的に使われてきました。


来週のサブタイトルが「鞠子、平塚らいてうに会う」です。8月8日(月)~10日(水)あたりで、平塚らいてうが登場するようです。

連続テレビ小説 とと姉ちゃん「鞠子、平塚らいてうに会う」

第109回 2016年8月8日(月)
 水田(伊藤淳史)からのプロポーズに答えを出せない鞠子(相楽樹)。大学まで出たのに中途半端なまま仕事をやめる決心がつかない鞠子は仕事で成果を出そうと奮闘するが…。常子(高畑充希)が理由を尋ねると、大学まで出してもらったのに出版の仕事もままならず引け目を感じているのだと言う。東堂(片桐はいり)からの助言もあり、鞠子はまず仕事で成果を出そうと奮闘する。ある日、突然作家がおりてしまい予定の原稿に一つ穴があいてしまう。他に良い作家はいないかと花山(唐沢寿明)に言われ皆が悩む中、鞠子がある提案をする…。

第110回 2016年8月9日(火) 
 予定していた原稿に突然穴があき、騒然とする編集部。鞠子(相楽樹)は、平塚らいてう(真野響子)に原稿を依頼してはと提案する。信頼している編集者としか仕事をしないというらいてう。鞠子は門前払いを受けるも、担当編集者の元に何度も足を運び交渉を続け、やっと会うことができたらいてうに『青鞜』で自分が感動した様な女性に向けての言葉を寄稿してほしいと依頼する。しかしらいてうが提案してきたのは意外な内容だった…。

第111回 2016年8月10日(水)
 平塚らいてう(真野響子)からの原稿を無事受け取り帰社した鞠子(相楽樹)は、原稿を読んだ花山(唐沢寿明)から、すばらしい言葉を書かせたと褒められる。仕事に一区切りつけられたと感じた鞠子は、その帰り道、水田(伊藤淳史)にプロポーズを受けることを伝える。水田が小橋家に結婚の挨拶に行くと、常子(高畑充希)たちも大喜びで二人を迎える。早速結婚式の準備を始めた水田と鞠子は、花山に媒酌人を依頼するのだが…。


らいてうに扮するのは真野響子さん。前作「あさが来た」では元AKB48の大島優子さんが、日の出女子大学校(日本女子大学校)時代の小生意気ならいてうを演じられていました。成長した(笑)らいてうを、真野さんがどのように演じられるのか、楽しみです。


平塚らいてう、といえば、らいてうの生涯を追ったドキュメンタリー映画が上映されます。 

京橋映画小劇場No. 34 ドキュメンタリー作家 羽田澄子

会  期 : 2016年8月9日(火)−8月28日(日)
会  場 : 東京国立近代美術館 フィルムセンター小ホール 東京都中央区京橋 3-7-6
定  員 : 151名(各回入替制 観覧券は当日・当該回のみ有効)
料  金 : 一般520円/高校・大学生・シニア310円/小・中学生100円
                          障害者(付添者は原則1名まで)、
キャンパスメンバーズは無料

フィルムセンターは《京橋映画小劇場》第34回企画として、2009年の「ドキュメンタリー作家 土本典昭」以来7年ぶりに、日本の優れたドキュメンタリー映画監督の歩みを回顧する特集を開催します。今回は、1950年代から現在まで、幅広い対象を粘り強くとらえ続け、日本の社会や文化に新たな視座を提供している羽田澄子監督を取り上げます。

本特集は、羽田監督のデビュー作から最新作まで、計26作品を18プログラムに組んで上映し、その足跡をたどる格好の機会となります。ぜひご来場ください。

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上映26作品の中に「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」(140分)が含まれています。 

元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯

1911年,女性だけによる文芸誌『青鞜』の創刊により日本の女性解放運動の先駆けとなった平塚らいてう(1886-1971)。「その名をきくと,すべての女性の心に灯りがともる」という羽田が,らいてうの思想形成の原点になった禅の体験から説き起し,らいてうの一人称の語りとスチル写真によって,彼女を突き動かした時代の姿を再構築した。企画は1998 年に「平塚らいてうの記録映画をつくる会」から高野悦子を通じて羽田に持ち込まれた。平和運動に帰結したらいてうの生き方は,軍国主義の時代に青春を送った羽田の反戦への思いと重なる。
2001 企画:平塚らいてうの記録映画をつくる会 製作:自由工房
(140分・16mm・カラー)

8 / 13(土)11:00am  8 / 25(木)2:00pm


らいてうは日本女子大学校家政学部で、智恵子の1級上の先輩でしたが、早生まれのため、生年は智恵子と同じ明治19年(1886)。したがって、智恵子と同じく、今年が生誕130周年にあたります。それを記念してのイベント等も企画されているようですので、また折を見てご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

小刀(こがたな)みな研ぎをはり夕闇のうごめくかげに蝉彫るわれは
大正13年(1924) 光太郎42歳

テレビ放映の情報です。 

新・BS日本のうた

NHKBSプレミアム 2016年8月7日(日)  19時30分~21時00分

今回は「もう一度逢いたい」「味噌汁の詩」「智恵子抄」「私が生まれて育ったところ」「夜空ノムコウ」「他人船」「奥入瀬」「不思議なピーチパイ」「帰らざる日々」「男の背中」【スペシャルステージ】は「兄弟仁義」「博多の女」「加賀の女」「函館の女」「矢切の渡し」「長崎の鐘」「夕霧岬」「男の勝負」「与作~秋田草刈唄入り~」【イマオシ!】は西方裕之、森昌子、千昌夫、北島三郎&藤あや子。

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6/23、神奈川県座間市での公開収録だったそうです。「智恵子抄」は、昭和39年(1964)、2代目コロムビアローズさんの歌唱でリリースされたものですが、森昌子さんがカヴァーして持ち歌にされています。今回も森さんの演奏です。森さんは千昌夫さんと共に司会も務められるそうです。
 

人権啓発映画「ほんとの空」(字幕スーパー)

RNC西日本テレビ(地上波) 2016年8月5日(金)  10:25~11:05

高齢者や外国人に対する排除、不利益な扱い、同和問題や原発事故に伴う風評被害の問題、これらに共通する根っこの部分は、誤った考え方や思い込み、偏見という「意識」である。誰もが他者の排除や差別がよくないことは理解している。その一方で、自分や身近な人に関わる出来事には敏感に反応するが、それ以外のことは他人事のように感じたりする。また、自分や家族の生活を守るために、あるいは誤解や偏見に気付づかず、他者を排除したり傷つけたりしがちである。 誤解や偏見に気づき人と深く向き合うこと、他者の気持ちを我がこととして思うこと。 すべての人権課題を自分に関わることとしてとらえ、日常の行動につなげていくようにと訴える。

出演  白石美帆 鳥羽潤 湯浅美和子 浦上晟周 石川大樹

RNC西日本テレビさんは、香川県に本社を置くローカル局。香川・岡山の両県で視聴可能です。

このブログで何度かご紹介してきました「ほんとの空」。光太郎詩「あどけない話」を一つのモチーフに、兵庫県人権啓発教会さんによる企画、県教委の協力で、東映さんが制作したものです。制作当初は各地で上映会が行われ、現在も時折学校さんなどで上映されています。DVDの個人向け貸し出しも行われており、それを活用して拝見しましたが、なかなか考えさせられる内容です。

香川・岡山両県の皆さん、ぜひご覧下さい。


ところで、昨日のNHK Eテレさんの「アートシーン」(「日曜美術館」とセットの番組)で、信州安曇野の碌山美術館さんで開催中の「夏季特別企画展 高村光太郎没後60年・高村智恵子生誕130年記念 高村光太郎 彫刻と詩 展 彫刻のいのちは詩魂にあり」。をご紹介いただきました。

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今週末の日曜日(8/7)には当方の記念講演もあります。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

どこに口があるかわからぬこの蝉に何をあたへんあたふるものなし

大正13年(1924) 光太郎42歳

本日はテレビ放映系のネタをいくつか。

7/13(水)、岩手盛岡少年刑務所での第39回高村光太郎祭での講演を仰せつかり、市街内丸の北ホテルさんに宿泊しておりましたが、その朝、NHKさんの「連続テレビ小説 とと姉ちゃん」で、智恵子がその創刊号表紙絵を描いた『青鞜』に触れられました。

この番組で『青鞜』ネタになるのは都合3回目。最初は、高畑充希さん演じる主人公・小橋常子(モデルは『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子)や妹の鞠子(相良樹さん)、親友の中田綾(阿部純子さん)らが女学校時代、片桐はいりさん扮する東堂先生に『青鞜』の存在を教えられ、影響を受けたというエピソード。2回目は、戦後、没落した綾が常子と再会、苦しい時も『青鞜』を心の支えとして頑張ってきたと語るシーンでした。

そして3回目。

大橋鎭子と共に『暮しの手帖』を刊行した花森安治がモデルの花山伊左次(唐沢寿明さん)が、過去を語る場面。亡くなった花山の母がやはり『青鞜』を精神的支柱としており、そこから、花山は言葉で人の心を豊かにすることを考えて、編集者の道を歩み始めたと語られました。

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しかし、戦争が始まり、事態は一変。花山は言葉によって、ある意味、国民を死に追いやることに加担したと述べます。その反省から、ペンを置くことにしたのだ、とも。

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このあたり、光太郎を彷彿とさせられます。

光太郎も戦時中の翼賛活動を恥じ、悔い、花巻郊外太田村の粗末な山小屋に7年間蟄居しました。ただし、その間、光太郎が置いたのはペンではなく、彫刻刀。光太郎は自身で「私は何を措いても彫刻家である」と語っていましたので、その本業である彫刻を封印することで、自らを罰したわけです。

他から許されないうちは、自分でも自分を許さないと決めた光太郎でしたが、7年後に、青森県から十和田湖の国立公園指定15周年記念事業としてのモニュメント制作の話があり、自らの死期がそう遠くないことも考え、依頼を受けます。それが「乙女の像」として結実するわけです。

結局花山は、困窮する常子一家の現状を見、さらに荒廃した人心を再び豊かにすることを考え、常子に協力して再びペンを執ることを選ぶところで、先週の放映が終わりました。


今後も『青鞜』はこのドラマの一つのモチーフとして活かされ続けるようです。というか、平塚らいてうが登場します。

昨日の『スポーツニッポン』さんの記事。 

「とと姉ちゃん」平塚らいてう役に真野響子 最後の追加出演者発表、古田新太ら出演

 女優の高畑充希(24)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」(月~土曜前8・00)の最後の追加キャストが15日に発表され、作家の平塚らいてう役を女優の真野響子(64)が務めることが分かった。俳優の筧利夫(53)、上杉柊平(24)、古田新太(50)、野間口徹(42)、矢野聖人(24)、石丸幹二(50)、吉本実憂(19)も出演する。

 昭和初期から高度経済成長期を背景に、亡き父親に代わり、一家の大黒柱として母親と2人の妹を守る「とと(=父)姉ちゃん」こと小橋常子(高畑)が戦後の東京で女性向け雑誌を創刊する姿を描く。モデルは雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子(しずこ)。

 真野は高畑演じる常子が女学校時代、夢中になって読んだ雑誌「青鞜」創刊メンバーの中心人物、平塚らいてう役。常子の妹・鞠子(相楽樹)から雑誌「あなたの暮し」への寄稿をお願いされる。

 古田は雑誌「あなたの暮し」で自社製品の評価が低かったことに激怒する電化製品メーカーの社長役。朝ドラ初出演となる吉本は、鞠子の長女で常子の最初のめいとなる水田たまきを演じる。常子に性格が似ていて、のちに「あなたの暮し」出版に入社する。

 筧は水田正平(伊藤淳史)の父、上杉は宗吉(ピエール瀧)が経営する「キッチン森田屋」のコック、野間口は古田演じる電化製品メーカー社長のおいで会社の部下、石丸は新聞記者を演じる。

 制作統括の落合将氏は「日本が戦争の傷跡から立ち直り、豊かになっていく時代の中でも、常子と花山(唐沢寿明)の“庶民の暮らし”を守るためのスタンスは変わりません。追加の豪華キャストの方々と、この物語の最後で常子と花山がどんなドラマを繰り広げるか、最後まで見守っていただければと願います」とコメントした。


前作、「あさが来た」では、終盤、日の出女子大学校(日本女子大学校)時代の小生意気ならいてうを、元AKB48の大島優子さんが演じていました。

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戦後になって成長した(笑)らいてうを、真野響子さんが演じるとのこと。レギュラー出演者ではないにせよ、朝ドラ2作続けて同一人物が描かれるというのは、例がないのではないでしょうか。楽しみです。


さて、テレビ放映系のネタということで、もう1件。明日のオンエアです。 

にっぽん百名山「安達太良山」

NHKBSプレミアム 2016年7月18日(月)  19時30分~20時00分

福島県の安達太良山は、ダイナミックな噴火口を持つ火山の荒々しい素顔と山麓に広がる新緑の森が対をなし、変化に富んだ景観で登山者を魅了する。今回は1泊2日の山旅だ。

安達太良山は、磐梯山と並んで福島を代表する名峰だ。ダイナミックな噴火口を持つ火山の荒々しさと山麓に広がるたおやかな樹林帯が対をなし、変化に富んだ景観が登山者を魅了する。今回は山の東側、塩沢登山口から1泊2日のコース。1日目は、初夏にふさわしい爽快感を味わえる新緑の森と渓谷沿いを進む。宿泊は「くろがね小屋」。2日目は、荒々しい岩石が連なる尾根を進み、大迫力の巨大噴火口跡の沼ノ平から絶景の山頂に。

出演 佐藤哲朗    語り 鈴木麻里子   テーマ曲「空になる」さだまさし

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この番組では、昨年にも安達太良山が取り上げられ、その再放送が今年3月にありました。再々放送かな、と思ったら、新作のようです。

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昨年のオンエアでは光太郎の「あどけない話」が取り上げられましたが、今回はどうなることか。ちょっとでもいいので触れて欲しいものです。


また、来週には十和田湖をメインで取り上げる番組もありますが、またのちほどご紹介いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

海にして太古(たいこ)の民のおどろきをわれふたたびす大空のもと
明治39年(1906) 光太郎24歳

かなり前にご紹介しましたが、明治39年(1906)、海外留学のため横浜から出航したカナダ太平洋汽船の貨客船、アセニアン船上で詠んだ短歌のうち、最も有名な作であり、光太郎自身も気に入っていたものです。「海を見て」となっているバージョンも存在します。

現在、NHKさんで放映中の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。5月の「第7週  常子、ビジネスに挑戦する」では『青鞜』がらみのエピソードがありました。その際には、高畠充希さん演じる主人公・常子の女学校の担任、東堂チヨ先生(片桐はいりさん)が、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』創刊号に載った平塚らいてうの「原始、女性は実に太陽であつた」という文言を生徒たちに語りました。その後、常子や妹の鞠子(相良樹さん)、親友の中田綾(阿部純子さん)らが、『青鞜』に大きな影響を受けた、という話の流れでした。

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今週放映されている「第14週 常子、出版社をおこす」で、中田綾が再登場しました。戦前、女学校を出て、すぐに
医者に嫁いだ綾でしたが、その夫は軍医として大陸に出征し戦病死、裕福だった実家も空襲で全焼、今は老母と幼い男児を抱え、苦労しています。

そして昨日のオンエアで、再び『青鞜』がでてきました。綾が、柳行李から取り出して常子に見せ、苦しい生活の中でもずっと心の支えにしてきた、と語るという場面でした。

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見逃された方、NHK BSプレミアムで、7/6(土)、一週間分の再放送があります。この回は朝10:00~のオンエアです。ご覧下さい。

また、来週放映の「第15週 常子、花山の過去を知る」でも、『青鞜』がらみのシーンがあるようです。「花山」は、唐沢寿明さん演じる花山伊佐次。のちに常子ともども雑誌『あなたの暮らし』を創刊します。モデルとなったのは、花森安治。実際に『美しい暮しの手帖』(のち『暮しの手帖』)を創刊、編集と、毎号の表紙絵を担当しました。

予定では7/13(水)放映の回で、その花山を女手一つで育ててくれた母が、やはり『青鞜』創刊号のらいてうの言葉を心のよりどころとしていた、というエピソードが語られるという設定になるようです(ただ、いわゆるネタバレサイトでの情報ですので、変更があるかも知れません)。こちらもご覧下さい。

ちなみにさらに先の放送で、片桐はいりさんの東堂先生も再登場するようです。

ところで、一昨年上期の朝ドラ「花子とアン」では、翻訳家の村岡花子、その親友の歌人・柳原白蓮が登場、それぞれ吉高由里子さん、仲間由紀恵さんが演じられました。すると、古書業界でちょっとした花子、白蓮ブームが起こり、その頃発行された古書店の目録には、二人の関連商品――書籍や自筆もの――が数多く載っていました。

このところ手元に届く古書目録には、「とと姉ちゃん」を受けて、花森安治の関連商品が目立ちます。明日から行われる明治古典会さん主催の「七夕古書大入札会2016」の目録にも載っていました。

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あたたかみのある、いい絵ですね。

その花森、戦後すぐは、戦時中の戦意高揚プロパガンダへの協力(有名なコピー「ほしがりません勝つまでは」の選定にも関わっているそうです)を恥じ、筆を折っていました。このあたり、光太郎を彷彿とさせられます。その点が「とと姉ちゃん」でどう描かれるか、楽しみです。


【折々の歌と句・光太郎】

葦の葉に君は笹舟たくみなりわれは流れの淀に棹さす
明治34年(1901) 光太郎19歳

今日は七夕、ということで何となくそれっぽい短歌をご紹介します。

朝の時点で、自宅兼事務所周辺はよく晴れていますが、夜はどうなることでしょうか。田舎なので光源が少なく、ほんとに快晴の晩には、天の川が見える時もあります。

昨日の続きになります。光太郎が晩年の7年間を過ごした花巻郊外旧太田村に建つ、高村光太郎記念館を運営されている花巻高村光太郎記念会さんからのいただきものをご紹介します。

旧太田村の高村光太郎記念館とは別に、花巻市街桜町、光太郎が碑文を揮毫した宮沢賢治の「雨ニモマケズ」詩碑近くに桜地人館があります。光太郎没後すぐ、現在の花巻高村光太郎記念会を立ち上げた総合花巻病院長だった故・佐藤隆房氏のコレクションなどが展示されています。今年5月に行われた花巻市主催の市民講座「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」の行程にも入っており、久々に訪問いたしました。その際のレポートがこちら

そちらのパンフレットも新しいものが作られ、送られてきました。A4判横長三つ折り、両面カラー印刷です。


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佐藤隆房と直接親交があった光太郎・賢治の関連の品々、それ以外にも岩手を代表する芸術家ということで、萬鉄五郎や舟越保武の作品などが展示されています。また、パンフレットには紹介されていませんが、光太郎・賢治と繋がっていた草野心平の書、館の前庭には高田博厚作の佐藤隆房像なども。


それからもう一点、今年2月に放映されたテレビ岩手さんの情報番組、「5きげんテレビ」を録画したDVDもいただきました。前述の市民講座「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」の際に拝見し、「下さい」とお願いしておいたものです。

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この番組は、平成25年(2013)にNHKさんで放映された連続テレビ小説「あまちゃん」に登場した架空のテレビ局・「岩手こっちゃこいテレビ」制作という設定の架空の番組「5時だべ わんこチャンネル」のモデルとも云われています。

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岩手県ご出身の福田萌さんが、司会者の福田萌さん役で(笑)ご登場なさっていました。


さて、本家「5きげんテレビ」。賢治生誕120年にちなむシリーズの一環で、「賢治と光太郎」という切り口での放送でした。レポーターは六串しずかさんという方。

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まずは旧太田村の高村光太郎記念館の紹介。

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「賢治と光太郎」ということで、展示品の中のこんなものも。

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賢治の実弟・清六と光太郎が編集し、装幀・題字も光太郎が手がけた日本読書購買利用組合(のち、日本読書組合)版の『宮沢賢治文庫』です。テロップが誤っており、発行は昭和21年(1946)~24年(1949)です。こちらは元々当方の蔵書で、記念会さんにお貸ししています。

昨年のNHKさんの「歴史秘話ヒストリア ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」の回では、やはり当方がお貸しした『智恵子抄』が写りましたが、妙な気分です。

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閑話休題。続いて記念会さんで取り組んだ、光太郎日記を元にした、光太郎の食事の再現。

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これで朝昼晩の三食分ですが、そば粉パンやら馬肉入りの汁物やら、なかなか豪勢です。

さらに記念館に隣接する高村山荘(光太郎が7年間暮らした山小屋)からのレポート。当時を知る地元の方々もご出演なさり、光太郎との思い出を語って下さっていました。

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こんなコーナーもありました。

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視聴者の皆さんは、リモコンの赤青黄のボタンを押す、ではなく、電話で参加。スタジオにオペレーターさんたちがいらっしゃる、という点で笑えました。

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さて、問題は……。

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これだけだと、①、②、③、全て正解ですが、光太郎が好きで、なおかつ旧山口小学校の校章デザインに使われた、という条件がつきます。おわかりでしょうか。

正解はこちら。

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上記の幔幕は、詩集『典型』(昭和25年=1950)が第2回読売文学賞に選ばれた際の賞金が化けたものです。デザインの原案も光太郎です。

締めは高村光太郎記念館、高村山荘の案内。

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ぜひとも全国ネットでも放映してほしいような内容でした。


上記の桜地人館ともども、ぜひ足をお運び下さい。



【折々の歌と句・光太郎】

少女等よ眉に黛(すみ)ひけあめつちに爾の如く醜きはなし
明治42年(1909) 光太郎27歳

欧米留学からの帰国直後、昨日も同趣旨の短歌をご紹介しましたが、日本人女性をこきおろす短歌が数多く作られました。

女性の皆さん、気を悪くなさらないで下さい。あくまで光太郎独自の感想ですので、当方の見解とは異なります(笑)。

昨日、紀尾井町福田家さんについてこのブログでご紹介しましたが、その記事の執筆のため、『高村光太郎全集』第13巻の、昭和24(1949)、同25年(1950)に書かれた「通信事項」という項を繰っておりました。

紀尾井町福田家さんの女将、福田マチに関する記述を探すのが目的でしたが、別件で、思いがけない名前を発見しました。

大橋鎭子。NHKさんの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で、高畑充希さん演じるヒロイン・小橋常子のモデルとなった人物です。鎭子に関しては、2週間ほど前のこのブログでご紹介しました。その際はドラマで『青鞜』が取り上げられるということを書きました。

その他、光太郎とのからみとして、戦前に鎭子が編集に当たっていた『日本読書新聞』に、光太郎が寄稿していることを書きました。それ以上のかかわりが、2週間前の時点ではつかめていませんでした。

ところが、昨日、改めて『高村光太郎全集』第13巻の「通信事項」を調べていて、鎭子の名を見つけ、驚いた次第です。「通信事項」は、日記が失われている昭和24(1949)、同25年(1950)の分のみ、日記の代わりとして『高村光太郎全集』第13巻に掲載されている、郵便物等の授受の記録のノートです。

なぜ昨日まで気付かなかったのか、これにはわけがあります。言い訳がましくなりますが、弁解させて下さい(笑)。当会顧問・北川太一先生が中心となって編まれ、平成10年(1998)に完結した増補版『高村光太郎全集』。全21巻+別巻1の構成で、別巻にはさまざまな索引が載っており、その中で、「人名索引」もあって、常に活用させていただいています。ところが、この「人名索引」には漏れがあるのです。「漏れ」というより、意図的にそうした編集方針を採ったのですが、「通信事項」の部分に表れる人名はカットされているのです。これは、「通信事項」の部分がほぼ人名の羅列だからということで、ここに書かれている人名までカウントすると、「人名索引」が現在の倍くらいになってしまうという判断だと思います。

たとえば光太郎と縁の深かった草野心平。縁が深かっ005ただけに、別巻の「人名索引」では右の通り、すでにかなりのスペースですが、ここに「通信事項」の第13巻415ページから542ページまでの分を入れると、さらにスペースを拡大しなければなりません。全ページに心平の名が載っていれば「415~542」で済みますが、実際にはとびとびに名が出て来ますので、「417,421,431,436,438~440,442……」などとなってしまい、煩雑です。

そこで、「通信事項」は「人名索引」の対象にしていないというわけです。

ところが、ここで困ることが一つ。「通信事項」にしか名前が出てこない人物がいるのです。昨日ご紹介した福田マチもそうでしたし、大橋鎭子もまたしかり。そういう場合も「人名索引」には名が載っていません。

福田マチに関しては、「通信事項」に名が載っていることを記憶していましたが、鎭子の名が載っていたことは完全に覚えていませんでした。というより、「大橋鎭子」の名を当方がしっかり認識したのは、「とと姉ちゃん」の放映が決まってからで、ここ1年くらいの話です。「通信事項」全体をちゃんと読み返したのは、1年以上前、花巻高村光太郎記念会さんの依頼で、『高村光太郎 山居七年 年譜』を執筆していた頃でしたので、その時点では鎭子の名はスルーしていました。不覚。


さて、「通信事項」に書かれた鎭子の名。まずは昭和25年(1950)7月6日です。

大橋鏡子さんよりテカミ(来訪の由)

「鏡子」となっていますが、「鎭子」の誤りです。この時期に光太郎が受け取った書簡のほとんどは、当会顧問・北川太一先生の手元にあり、おそらくそれと照合した結果、「鏡子」でなく「鎭子」と判断されたのでしょう。「鏡」の脇に「(鎭)」とルビが振ってあります。

「来訪」ということは、この後、鎭子が花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に、光太郎を訪ねたのだと考えられます。この時期の光太郎日記が失われているのが、かえすがえす惜しいことです。


続いて7月12日。

大橋鎭子さんよりテカミ

ここからは正しく「鎭子」となっています。おそらく、「先日はお忙しいところ、お邪魔いたしました」といった内容なのでは、と思われます。


さらに7月25日。

クラシの手帖より電報(原稿の事)

これは当時、鎭子が編集に当たっていた『美しい暮しの手帖』のことと思われます。ちなみにこの頃はまだ送りがな等のルールが確立して居らず、「暮らし」ではなく「暮し」です。


8月23日にも。

大橋鎭子さんよりテカミ(原稿の事)


そして8月30日。

大橋鎭子さんへ返ハカキ (略) 大橋鎭子さんより「くらしの手帳」八冊

光太郎から鎭子への発信の記録はこれだけです。


翌8月31日。

大橋鎭子さんよりテカミ

おそらく、「別便で『美しい暮しの手帖』八冊送りました」的な内容と思われます。


最後に少し飛んで、11月9日。

大橋鎭子さんよりテカミ(原稿の事)


見落としがなければ、以上です。ただし、『高村光太郎全集』には掲載されていませんが、翌年以降も「通信事項」ノートは継続されていますので、そちらにも鎭子の名があるかも知れません。


以下、推理です。

昭和25年(1950)7月上旬、鎭子が花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に光太郎を訪ね、『美しい暮しの手帖』への寄稿を依頼。戦前の『日本読書新聞』の関係で、2人は面識があったと思われます。ところが光太郎は生返事。そこで鎭子は「こんな雑誌です」ということで、『美しい暮しの手帖』のバックナンバーを送附。しかし気乗りしない光太郎、断りのハガキ。諦めない鎭子はまた依頼の書簡を送るも、光太郎は無視。

こんなところではないかと思われます。

『美しい暮しの手帖』への光太郎の寄稿は、確認できていません。ただ、未確認の寄稿がもしかするとあるかも知れませんし、時折、ハガキがそのまま載せられているというケースもありますので、調べてみます。

同時に、先述の通り、この時期の光太郎に宛てた書簡類、さらに昭和26年以降の「通信事項」ノートは、当会顧問・北川太一先生の手元に残っているはずですので、問い合わせてみます。

逆に昭和25年(1950)、8月30日に光太郎が鎭子に送ったハガキ、どこかに残っていないかな、と期待する次第です。また、鎭子の書いたものの中に、光太郎に関する記述がないかも気になります。


さて、「とと姉ちゃん」。先々週のオンエアで、『青鞜』がらみの展開となりました。

昭和11年(1926)、ヒロイン・常子(鎭子)の女学校での新しい担任・東堂チヨが、生徒の前で平塚らいてうの『青鞜』創刊の辞をぶちあげ、女性の自立を促しました。片桐はいりさんの熱演(怪演?)はさすがでした。

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衝撃を受けた常子は、東堂先生から『青鞜』を借ります。

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智恵子デザインの表紙です。前作「あさが来た」でも、終盤に大島優子さん演じる平塚らいてうが登場、小道具として使われました。

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「とと姉ちゃん」に戻ります。

常子はすっかり『青鞜』にはまります。

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そして、進学希望を打ち明けられず、悩んでいる妹の鞠子(相良樹さん)にまた貸し。鞠子もすっかりとりこになります。

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さらに、阿部純子さん演じる常子の親友の中田綾も、独自のルートで『青鞜』を入手、影響を受けたらしいことが語られます。

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常子、鞠子、綾は、戦後、『美しい暮しの手帖』(ドラマでは『あなたの暮し』)を立ち上げることになり、そのバックボーンになったのが『青鞜』だったという設定ですね。

今後の展開が楽しみです。


【折々の歌と句・光太郎】

衣かへてジヨツトの塔に登りけり    明治42年(1909) 光太郎27歳

「ジヨツトの塔」は、イタリア・フィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の鐘楼です。

光太郎がここを訪れたのは、明治42年(1909)3月末から4月はじめ。「衣かへ」は真冬の服装から春物への衣替えと思われますが、やはり「衣替え」といえば今の時期の季語ですので、今日、紹介させていただきます。

昨日、『青鞜』がらみの演劇公演をご紹介しましたので、さらに『青鞜』つながりで。

現在、NHKさんで放映中の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」から。 

連続テレビ小説 とと姉ちゃん 第7週 「常子、ビジネスに挑戦する」

NHK総合       (月~土)8:00~8:15  再放送 12:45~13:00
NHKBSプレミアム (月~土)7:30~7:45  再放送 23:00~23:15
                             (土) 9:30~11:00[1週間分]

戦前の静岡県遠州。繊維のまちで育った主人公・小橋常子(10)は三人姉妹の長女。染物工場の営業部長で子ども思いの父と優しい母を茶目っけたっぷりに「とと」「かか」と呼びながら、鞠子(まりこ)(9)と美子(よしこ)(4)という二人の妹の面倒をみるしっかりものの娘。 

経済的に不自由なく幸福な生活を送っていた常子たちだったが、父・竹蔵が結核にかかったことで生活は一変する。死の間際、竹蔵は常子だけを呼び寄せ「ととのいなくなったあとは、常子が自分の代わりに家族を守ってほしい」と遺言。常子はその言葉を胸に、二人の幼い妹と、母を守って生きていこうと、胸に誓う―。

そんな遠州での生活も、染物工場からの援助が閉ざされたことで、たち行かなくなり、母・君子(きみこ)は、仲違いしている東京・深川の母(三姉妹の祖母)に頭を下げて一家で上京することを決意。東京で待っていた祖母・滝子(たきこ)の援助を受けながら、三姉妹と君子は激動の時代を懸命に生きていく。

第37回 2016年5月16日(月)001
あと1年で女学校を卒業する学年になった常子(高畑充希)は、僅かでも給料の良い就職先を探していた。そんな折、新担任の東堂チヨ(片桐はいり)の演説に衝撃を受ける。

昭和11年春。常子(高畑充希)は女学校最高学年の五年生となる。クラスの同級生の大半が嫁いでいく中で、家族の食いぶちを稼ぐため、少しでも給料の高い仕事を探していた。そんな折、新たな担任としてやってきた東堂チヨ(片桐はいり)に出会う。「女性とはこうあるべき」という固定観念に捕われず、自分の気持ちに正直に挑戦する大切さを教わる。一方、鞠子(相楽樹)は進学したい思いを誰にも相談できず、深いため息をつく…。


第38回 2016年5月17日(火)000
悩む鞠子を心配し、常子は東堂から借りた「青鞜」を渡す。感銘を受けた二人は東堂に助言を受け、何かに挑戦したい気持ちになる。そんな時、災いを呼ぶ男・鉄郎が現れて…。

どこか元気のない鞠子(相楽樹)を心配し、常子(高畑充希)は、東堂(片桐はいり)から借りた「青鞜」を渡す。感銘を受けた二人は、女性だからという理由だけで尻込みせず、挑戦することが大切だと東堂から助言され、何かを始めたい気持ちが湧き上がる。一方、時代は次第にきな臭くなり、青柳や森田屋も不況の波が押し寄せ、自粛ムードが漂っていた。そんな折、鉄郎(向井理)が森田屋に現れ、どんちゃん騒ぎが始まってしまい…。


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連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。妹たちと共に、女性のための情報誌『暮しの手帖』を創刊した編集者・大橋鎭子をヒロイン・常子のモデルとしています。

『暮しの手帖』の創刊は戦後ですが、その契機の一つとなるエピソードとして、『青鞜』の影響が描かれるわけですね。また、妹の鞠子はらいてうに傾倒する、という流れになるようです。

実際にそういうことがあったのかどうか存じませんが、来週の物語の舞台は昭和11年(1936)、『青鞜』は明治44年(1911)に、平塚らいてうの編集、智恵子の手になる表紙絵で創刊され、その後、伊藤野枝に委ねられて大正5年(1916)に廃刊になっています。時期的にかなりの開きがあるので、おそらくドラマとしての演出なのでは、と思われます。

ちなみに常子のモデルとなった大橋鎭子は、東京府立第六高等女学校を昭和12年(1937)卒業、いったん銀行に就職しますが、日本女子大学校に入学し直します。智恵子の後輩となぅたわけですが、結核のためほどなく退学。その後、日本読書新聞社に入り、『日本読書新聞』の編集に当たります。それが太平洋戦争前のことで、朝ドラではどう描かれるかと期待しています。

光太郎、戦後の『暮しの手帖』への寄稿は確認できていませんが、『日本読書新聞』には、昭和17年(1942)から19年(1944)にかけ、たびたびエッセイや詩、アンケート回答を寄せています。

前作「あさが来た」では、光太郎智恵子と関わりのあった、広岡浅子や成瀬仁蔵が登場しましたし、一昨年の「花子とアン」でも、ヒロインのモデル・村岡花子や、作家の長谷川時雨など、光太郎と関わった人物が登場しました。しかし、光太郎智恵子は登場せずじまい。「とと姉ちゃん」では、どうなることでしょうか……。

5/30追記 光太郎と大橋鎭子について、さらに追記しました。ご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

乳色のぎやまん皿と赤茄子のうしろに光る初夏の風
明治43年(1910) 光太郎28歳

ここでの「赤茄子」はトマトのことのようです。前年に欧米留学から帰った光太郎、食習慣はかなり洋風になったとのことで、朝はパン食が多かったようです。

ラジオパーソナリティーとしても長年にわたりご活躍された、評論家の秋山ちえ子さんの訃報が出ました。 

秋山ちえ子さん死去 ラジオ「談話室」 99歳

 日本の女性放送ジャーナリストの草分けで、40年以上に000わたってラジオ番組のパーソナリティーとして活躍した評論家の秋山ちえ子(あきやま・ちえこ、本名橘川ちゑ〈きっかわ・ちえ〉)さんが6日、呼吸器感染症のため東京都目黒区の自宅で死去した。99歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
 仙台市出身。ろうあ学校教師などを経て、48年のNHKラジオ「婦人の時間」で戦後女性の視野を広めるためのリポーターを担当。54年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
 57年に始まったTBSラジオ「秋山ちえ子の談話室」(スタート時は「昼の話題」)は、暮らしのささやかな話題から時事問題まで扱うコラム的番組として人気になり、02年まで1万2512回も続く長寿番組となった。
(『朝日新聞』)
 

<秋山ちえ子さん死去>ラジオから反戦訴え

 放送ジャーナリストの草分けで、ラジオ番組「秋山ちえ子の談話室」(TBSラジオほか全国で放送)を45年間続けた評論家の秋山ちえ子(あきやま・ちえこ、本名・橘川ちゑ=きっかわ・ちえ)さんが6日、呼吸器感染症のため東京都内の自宅で死去した。99歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は次男宣夫(のぶお)さん。

 ◇評伝 「談話室」45年

 市民の視点から生活実感のある評論でラジオによるルポルタージュという新分野を開拓した秋山さん。1948年からNHKラジオ「婦人の時間」のリポーターを務め、54年に第2回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

 57年から45年間続いた「秋山ちえ子の談話室」は、放送回数1万2512回を数えた。番組終了後も定期的にラジオに出演した。「国際間のもめごとを戦争で解決しないこと、置き去りにされる人のいない国づくり」のために語り続けた。

 菊池寛賞、東京都文化賞、エイボン女性年度賞などを受賞。華々しい功績を残す一方で、「それぞれができる小さなこと」を大事にする人だった。

 67年からは終戦記念日の8月15日に、東京・上野動物園で戦時中に餓死させられた象の物語「かわいそうなぞう」(土家由岐雄作・金の星社)の朗読を続け、戦争の悲惨さを訴え続けてきた。この朗読も、娘が持ち帰った児童書に収録されていたのを見つけたのがきっかけだった。

 弱い者の立場に立ち、子どもを慈しんだ。戦前には国立東京聾唖(ろうあ)学校教諭を務めた経験もある。スタジオの外に飛び出し、社会から置き去りにされた障害児支援に取り組み、毎日新聞小児がん征圧キャンペーンのコンサートにも足を運び、子どもたちを励ました。

 秋山さんの自宅を訪ねたのは2007年夏だった。「戦争の惨めさを知らない人が増えて、ちょっと勢いを得たように、憲法改正なんてとっても簡単におっしゃる。私は怖いのね」と声高ではなく、穏やかに語り、第1次安倍晋三内閣の政権運営を案じていた。

 昨年夏も、自宅で収録した「かわいそうなぞう」をラジオを通して読み聞かせた。「最後まで庭の草花を見ながらこの家で」と願った秋山さんは、最期も暮らしの中にいた。【本橋由紀】
(『毎日新聞』)


昨年までの3年間、このブログでは【今日は何の日・光太郎】というコーナーを設け、365日×3年間、毎日光太郎関連であった出来事をご紹介して参りました。その中で、昨年の5月4日に、秋山さんのことを書かせていただきました。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月4日

昭和29年(1954)の今日、中野のアトリエに、ラジオパーソナリティ・秋山ちえ子さんが訪問。ラジオ番組の録音を行いました。

当日の日記です。

晴、涼、 (略) NHK録音班3人と秋山ちゑ子さんくる、録音、

秋山ちえ子さんといえば、TBSラジオで放送されていた「秋山ちえ子の談話室」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。こちらは平日の朝、昭和32年(1957)から平成14年(2002)まで45年間もの長きにわたって放送されていました。

光太郎の談話が録音された昭和29年(1954)当時、秋山さんが担当していたのは、NHKさんの「私の見たこと、聞いたこと」という番組です。この時期の光太郎日記は記述が簡潔で、オンエアを聴いたという記述は見あたりません。当時のテープなどが残っていればと思うのですが、難しいでしょう。


というわけで、光太郎とも面識のあった秋山さん。今頃は空の上で、「その節は……」「いやいや、どうも」などと光太郎とお話ししているのでは、などと想像してしまいます。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

追記 秋山さんの書かれた『おそい目ざめ』(昭和52年=1977 文化出版局)中に光太郎の名が記されていました。

ともすればざらつきそうになる私の心も、仕事でお会いするステキな男性のおかげで、潤いは消えなかった。長谷川如是閑先生、山川均先生、詩人で彫刻家の高村光太郎先生など、その頃の私に忘れられない恩恵を与えてくださった方である。

【折々の歌と句・光太郎】

光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき
昭和13年(1938)頃 光太郎56歳頃

昭和20年(1945)の今日、太平洋戦争の空襲で、001東京駒込林町の光太郎アトリエが全焼しました。

大正の初めから智恵子と共に暮らした思い出深いアトリエと共に、多くの光太郎作品などが灰になりました。亡き智恵子が遺した紙絵は、それ以前に花巻、山形、茨城取手に分散疎開させていたので無事でした。

光太郎はその後、一時的に近くにあった妹の婚家に身を寄せ、さらに1ヶ月後、宮澤家の誘いで花巻に疎開、そのまま戦後もとどまり続け、昭和27年(1952)に、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再び上京するまで、岩手で暮らしました。

再上京した翌日、まだ更地だったこのアトリエ跡地を訪れ、感慨深そうにしていた光太郎の様子が、令甥の故・高村規氏の回想に記されています。

NHKさんで現在放映中の連続テレビ小説「あさが来た」。主人公・白岡あさのモデルとなった広岡浅子を始め、成澤泉こと成瀬仁蔵、田村宜こと井上秀など、光太郎智恵子と縁のあった人々が登場しています。

昨日のこのブログで書きましたが、光太郎の父・光雲と縁のあった人物も既に登場しています。松坂慶子さん演じる大隈綾子です。

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昭和4年(1929)、萬里閣書房から刊行された『光雲懐古談』という書物があります。大正11年(1922)から、光太郎と、光太郎の友人で作家の田村松魚が光雲の談話を聴き、田村がそれを書き留めたものが中心になっています。

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その中に、「大隈綾子刀自の思い出」という一項が設けられています。田村による聞き取りが行われていた大正12年(1923)、綾子が亡くなったことを受け、ちょうどいいい機会だから、と語ったものです。

それによると、綾子は御徒町に住んでいた旗本・三枝家の娘で、その三枝家が光雲の師匠・東雲の得意客であったことに端を発します。

一度は東雲が間に入って綾子が大工棟梁の家に嫁いだり(程なく不縁となり、出戻りましたが)、東雲が三枝家の屋敷を買い取ったり(移築されて、後に徴兵逃れのため光雲の養母となる東雲の姉・悦が暮らしました)、綾子の兄で当主の竜之介が東雲に大黒様の像を彫って貰ったところ、間もなく綾子と大隈重信の結婚がまとまり、大黒様の御利益だと評判になって、三枝家の親類筋からも大黒様の注文が入ったり……若き日の光雲はそうした経緯をそばで見聞きしていました。

また、綾子が大隈家に嫁いだ後、綾子が実家に残した厖大な「南無阿弥陀仏」の願文を、光雲が師匠に命じられて、川施餓鬼の時に、二、三時間かけて吾妻橋から隅田川に流したこともあるそうです。

光雲の綾子評。

噂に聞けば大隈夫人綾子と云ふ人は、大層よく出来た人だとの評判であるが、成程、娘時代からあれ丈けの辛抱をして心を錬つて居られた丈あつて、今日天下一二と云はれる政治家の夫人となつてもやはりその妻としての役儀を立派に仕終せるといふは、心掛けがまた別なものであるかと感心したことでありました。

綾子が亡くなった後、綾子の過去に関する誤った風聞――光雲曰く「元、料理屋の女中であつたなど、誰々の妾であつたなど」――が広まり、それを憂えた光雲が、懐古談の中で、特に綾子の話をしたというわけです。

ところで、年令の関係ですが、光雲は嘉永5年(1853)の生まれ。綾子は2つ上の嘉永3年(1851)生まれです。ちなみに広岡浅子は嘉永2年(1850)生まれ。浅子の方が年上です。

「あさが来た」では波瑠さん(あさ)と松坂慶子さん(綾子)で、どう見ても綾子の方が年上に見えますが、そこはドラマの演出上、仕方がないのでしょう。


ところで光雲の語った「大隈綾子刀自の思い出」、「青空文庫」さんで読むことが出来ます。ぜひお読み下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

春をりをり雨の寒さよ一人旅       明治42年(1909) 光太郎27歳

やっと暖かくなったと思ったら、寒の戻りで冷たい雨。「三寒四温」とはよく言ったものですね。

昨日に引き続き、NHKさんの「連続テレビ小説 あさが来た」ネタです。

新刊のムックをご紹介します。 

日経BPムック 広岡浅子のすべて 仕事と生涯

2016/02/20 日経BP社発行 定価815円+税

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約250点の写真、初公開史料、関係者インタビューで綴る「本当の広岡浅子」。
浅子の姉・春(ドラマでは「はつ」)、嫁いだ天王寺屋の末路は?
浅子死す! ―― その“最期”の状況は?
ドラマでは語られていない「真実」が、この1冊に!

今から約100年前、日本の経済、社会の豊かな発展と女性たちの輝かしい未来を祈った女性がいました。その人の名は、広岡浅子。

時代が大きく転換した幕末から明治の時代を駆け抜け、歴史に名を残す偉人に劣らぬ功績を、いくつも残した女性実業家でした。広岡浅子の生涯は今なお色褪せることのない学びや人生哲学に満ちています。

約250点の豊富な写真、初公開の最新史料、関係者インタビュー。そこから見える「広岡浅子」のすべてを、お伝えします――。

≪主な内容≫
NHK朝ドラのヒロインは“広岡浅子”がモデル
『あさが来た』で注目! 「白岡あさ」の物語

【第1章】 広岡浅子が生きた「九転十起」の人生
【第2章】 浅子が守った「加島屋」と文明開化の日本
【第3章】 浅子の仕事と明治の偉人たち
【第4章】 浅子が育てた人材、築いた「新しい時代」


B5判104頁で、なかなか読みごたえがありました。メインは実在の広岡浅子の紹介ですが、NHKさん提供のスチール写真もふんだんに使われ、番組の紹介も充実しています。

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さらに「【第4章】 浅子が育てた人材、築いた「新しい時代」」の中で、日本女子大学校つながりの智恵子も紹介されています。

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その他、光太郎智恵子と関係の深い平塚らいてう、小橋三四子、井上秀(ドラマでは田村宜)、一昨年の朝ドラ「花子とアン」の主人公・村岡花子らの紹介も充実しています。

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ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

夕ばえや氷河下界に流れ去らず      明治42年(1909) 光太郎27歳

春とはいえ、まだまだ寒い日が続きます。インフルエンザ等も流行中。皆様もご自愛ください。

明治の女性実業家・広岡浅子を主人003公としたNHKさんで放映中の連続テレビ小説「あさが来た」。 いよいよ女子大学校設立に向けての話になって参りました。モデルとなっている学校は、智恵子の母校・日本女子大学校。「日の出女子大学校」という仮名で扱われます。再来週の第23週で、ついに女子大学校開校が扱われるそうです。

同校の開校は明治34年(1901)、智恵子の入学は同36年(1903)。智恵子と浅子、さらに光太郎、そして初代校長・成瀬仁蔵(朝ドラでは成澤泉)との関わりについては、昨年末のこのブログでご紹介しました。

成瀬仁蔵(成澤泉)役の瀬戸康史さんも、なかなかはまり役ですね。ヘンデル作曲の「O' load correct me」を唄うシーンがありましたが、この歌は日本女子大学校の愛唱歌として受け継がれているそうです。「智恵子抄」などの光太郎の詩にオリジナル曲を付けて歌われているモンデンモモさんは、同校の附属高等学校のご出身ということもあり、「智恵子抄」を扱うコンサートではよくこの曲を歌われています。


あさの娘・千代(広岡亀子)の親友で、吉岡里帆さん演じる田村宜のモデルは、同校一回生にして、のちの第4代校長となる井上秀。秀と光太郎智恵子の関わりについても、昨年のこのブログでご紹介しました。

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秀の同級生である一回生には、他にも小橋三四子、柳八重、服部マスなど、光太郎智恵子と関わりの深い人物がたくさんいます。また、ゲスト的に出演なさった三宅裕司さん演じる渋沢栄一は、のちに同校の第3代校長になります(秀が就任するまでの短期間、つなぎのような感じだったようですが)。

また、あさと、既に亡くなってしまった五代友厚(ディーン・フジオカさん)との会話の中で、自転車に関する話題が何度かありました。

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同校ではいち早く自転車を取り入れました。そのための伏線なのでは、と思って見ていましたが、考えすぎでしょうか。ちなみに智恵子のいた寮では智恵子が一番乗りでマスターしたそうです。

今後も目が離せません。


【折々の歌と句・光太郎】

おたがひにおとしめなげく人間のあぢきなきゆゑ寂しさきはまる
大正13年(1924) 光太郎42歳 

朝ドラ「あさが来た」では、女子大学校の開校までの道のりがかなり険しかったこともきちんと描かれています。今朝の回は、あさが刺されて入院している場面でしたが、じっさいにそういうことがあったそうです。お互いに貶め、嘆く悲しき人間の性(さが)と言ってしまえばそれまでですが。

テレビ放映情報です。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2016年2月10日(水)  6時45分~6時55分  再放送 17時10分~17時20分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけてもらうことをねらいとしている。今回は、僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきおとこ、うた/スキー、道程

出演 小錦八十吉,神田山陽,おおたか静流 ほか

この番組では、時折光太郎作品を取り上げて下さっています。昨年暮れに亡くなった浪曲師・国本武春さんの歌による「ベベンの冬が来た」が定番の一つでしたが、もう一つ定番で、「道程」がよく取り上げられます。

子役たちの朗読によるバージョンと、坂本龍一さん作曲のうたによるバージョンとがありますが、今回の放映はどちらになるか不明です。また、過去の映像の使い回しか、新作かもわかりません。

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ついでに光太郎の周辺人物に関わるテレビ番組をご紹介しておきます。 

黒柳徹子のコドモノクニ 「宮沢賢治が残したメッセージ 童話から広がる宇宙への旅」

BS朝日 2016年2月10日(水)  22時00分~23時00分

BS朝日開局15周年特別企画▽大正から昭和にかけて発刊され、一流画家や詩人、作曲家がこぞって作品を寄せた伝説の絵雑誌『コドモノクニ』。藤田嗣治、東山魁夷、竹久夢二、野口雨情、北原白秋…。絵画、詩、童謡など様々なジャンルで、子どもたちのために本気になった大人たちの思いとは?黒柳徹子が今、未来へ続くメッセージを届ける。現代の芸術家・著名人が『コドモノクニ』からインスピレーションを得て生み出す新作にも注目!

宮沢賢治は、後に「イーハトーブ」と名付ける自然豊かな故郷、岩手県花巻で野山を散策して石を集め、満天の星空に思いをはせて少年時代を過ごした。このときの「夢」が賢治の童話の世界を生み出すことになった…。賢治と同様に、石を集めることを趣味とする写真家・浅井愼平が賢治の作品の世界を探る。

死の2年前、小さな手帳にメモのように書き記した「雨ニモマケズ」。2011年の東日本大震災では、被災された方々へのエールとして多くの人々が「雨ニモマケズ」を朗読した。今も受け継がれる賢治の魂をたどる。

出演 黒柳徹子 浅井

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プレミアムカフェ(1)猫を愛した芸術家の物語(2)迷宮美術館 猫の展覧会

NHKBSプレミアム 2016年2月11日(木)  9時00分~11時13分  再放送 2月19日(金) 午前1時30分〜

(1)おまえなしでは生きていけない~猫を愛した芸術家の物語~藤田嗣治 パリで拾った愛と成功
(2)アートエンターテインメント 迷宮美術館 猫の展覧会

特集 愛すべきパートナー・ねこ (1)おまえなしでは生きていけない~猫を愛した芸術家の物語~藤田嗣治 パリで拾った愛と成功(初回放送:2011年)女と猫の画家とも称された藤田嗣治。天才の孤独を癒やした猫たちとの物語 (2)アートエンターテインメント 迷宮美術館 猫の展覧会(初回放送:2005年)名画に登場する猫たちがスタジオに集合!専門家を招き、猫学の視点から画の謎を読み解く

司会  段田安則,住吉美紀
 ゲスト 高木美保,吉村作治,濱田マリ,川崎麻世,千代間咲恵,中村有志

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ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

何ならん人間界に立ちまじるこのうつそ身の外なるものは
大正13年(1924) 光太郎42歳

光太郎は関東大震災後の、不穏な世の中、さまざまな社会の矛盾に対しての怒りを露わにします。詩ではそうした荒ぶる魂――人間界に立ちまじるうつそ身の外なるもの――をさまざまな猛獣に託した「猛獣篇」の連作が書かれました。

昨日、予約注文しておいたDVDが届きました。

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 《米沢~大間崎編》

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太川陽介&蛭子能収のコンビにマドンナ1名を迎え、男女3人が路線バスだけを乗り継ぎ3泊4日で目的地を目指すガチンコ旅。今回はマドンナとしてさとう珠緒を迎え、山形は米沢市から本州最北端・青森県大間崎を目指します。道も無い! 宿も無い! バスもそれほど走ってない!! 魅惑の酒造やバラ園を尻目に、ひたすら続くのは炎天下の徒歩の旅!? 数々の超絶トラブルを乗り越えて、果たして三人は大間のマグロにたどり着けるのか!? 蛭子とエビ子の迷(?)コンビも必見です!!

出演 太川陽介、蛭子能収、さとう珠緒、キートン山田(ナレーション)

特典
蛭子能収描きおろしイラストジャケット仕様 旅の経路マップ封入
<音声特典>  オーディオコメンタリー(太川陽介×蛭子能収×さとう珠緒)
<映像特典>  ・歴代マドンナ集合!大感謝祭 未公開映像集 <後編>
                        ・太川&蛭子DVD発売コメント
                        ・「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE」予告編
本編収録時間 : 約109分
定価 : 3,800円+税

テレビ東京系の人気番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の第15弾として、平成25年(2013)8月31日にオンエアされた《米沢~大間崎編》を核に、特典映像をおさめたものです。

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太川陽介さん、蛭子能収さんのお二人と、毎回変わる「マドンナ」――この回はさとう珠緒さん――が、路線バスを乗り継いで目的地を目指すというコンセプト。毎回、3泊4日という時間制限があり、さらに路線バス以外の交通機関利用禁止というルールがあります。

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この回は、山形県の米沢から本州最北端の青森県大間崎を目指す、走行距離約510㌔というものでした。

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4日目(最終日)の朝、一行は秋田の大湯温泉を出発、十和田湖に立ち寄っています。

光太郎関係の展示もある観光交流センターぷらっと(放映当時にはまだオープンしていませんでした)のすぐ前にあるバスターミナルに到着。

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続いて焼山行きのバスに乗り換える予定でしたが、待ち時間を利用して、このブログでもご紹介した喫茶店「茶房憩い」さんで一休み。

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光太郎作の「乙女の像」も写りました。

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その後、当方も何度か利用したJRさんのバス「みずうみ号」に乗り、奥入瀬渓流を通って先を目指します。

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果たしてゴール成るか、というところですが、それはご購入してのお楽しみ。

通常の旅番組と異なり、ある意味行き当たりばったりの珍道中。それでいて、訪れた場所の魅力もしっかり表現され、また、お三方の掛け合いも絶妙です。

テレ東さんのサイトから購入可能です。ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

あしきもの追儺(やら)ふとするや我船を父母(ちちはは)います地より吹く風
明治39年(1906) 光太郎24歳

今日は節分。各地の寺社などで豆まきなどが行われます。当方事務所兼自宅近くの香取神宮には大相撲の錣山親方(元寺尾関)と豊真将関、成田山新勝寺には市川海老蔵さん、横綱白鵬関、大関稀勢の里関、NHK大河ドラマ「真田丸」にご出演の草刈正雄さん、高畑淳子さん、西村雅彦さん、藤本隆宏さん、藤岡弘、さんなどがいらっしゃいますが、インフルエンザウィルスをもらいに行くような気もしますので行きません。

ところで節分は、元々は季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊払いの儀式であった宮中の伝統行事・「追儺(ついな)」に端を発します。「追儺」は「鬼追儺(おにやら)い」などとも称されました。

さて、明治39年(1906)の今日、光太郎は横浜港からカナダ太平洋汽船のバンクーバー行き貨客船アセニアンに乗り、出港。4年にわたる海外留学に出発しました。

まるで自分が邪鬼で、日本から追われるように感じたというところですね。

近々放映されるテレビ番組情報です。再放送も含みます。 
NHK Eテレ 2015年12月13日(日)  9時00分~9時45分
                     再放送 12月20日(日) 20時00分~20時45分

1月に閉館する神奈川県立近代美術館・鎌倉は“カマキン”の愛称で親しまれてきた。鶴田真由さんと最後の展覧会を訪ね、美術館の意義、収蔵作品や建物の魅力を紹介する。

“カマキン”の愛称で親しまれてきた神奈川県立近代美術館・鎌倉が、1月に閉館する。65年前日本最初の公立美術館として誕生、クレーやムンクを初めて本格的に紹介するなど先端的な存在であり続けた。番組では、幼いころからカマキンに親しんできた鶴田真由さんとともに最後の展覧会「鎌倉からはじまった。」を訪問。坂倉準三設計の建物の“ひかれる場所”を写真撮影しながら、美術館が人の心にどんな贈り物をしたのか振り返る。

司会 井浦新,伊東敏恵003

ゲスト
鶴田真由さん(女優)
長門佐季さん(神奈川県立近代美術館主任学芸員)
酒井忠康さん(世田谷美術館館長)
水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)


10月のこのブログでご紹介した、光太郎彫刻・油彩画も展示されている神奈川県立近代美術館・鎌倉館「鎌倉からはじまった。1951-2016 PART 3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生」」からの番組内容です。

出演者のうち、水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)、長門佐季さん(神奈川県立近代美術館主任学芸員)は、昨年の連翹忌にご参加下さいました。

実は今日、水沢館長のギャラリートークがあるというので、「カマキン」さんにお邪魔する予定でした。しかし、急遽、秋田横手の雄物川郷土資料館さんに行く先を変更しました。第3回特別展「横手ゆかりの文人展 大正・昭和初期編 ~あの人はこんな字を書いていました~」を拝見してきます。  

宿泊は花巻。花巻高村光太郎記念会の方々と、いろいろ打ち合わせ、さらに明後日は高村光太郎記念館企画展「高村光太郎山居七年」(後期)を拝見してきます。
 

あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~「宮城県女川町 勝又愛梨さん」

NHK総合 2015年12月14日(月)  23時20分~23時25分

東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県女川町の高校生、勝又愛梨さんは、大好きだったそう祖父母を奪った津波の怖さを後世に伝えるために災害の教材づくりに取り組む。

12/7(月)の昼間に本放送があり、今回は再放送です。同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」プロジェクトなどが取り上げられます。5分間の短い番組ですが、感動ものです。
 
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にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年12月17日(木)  6時45分~6時55分  再放送 17時10分~17時20分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、コニちゃんの相撲の決まり手/特殊技、文楽/白雪姫、ちょちょいのちょい暗記/7級「十二ヶ月」岐阜県 白川郷、うた/村の鍛冶屋、ベベンの冬が来た

出演者 豊竹咲甫大夫,鶴澤清介,三世 桐竹勘十郎,うなりやベベン,小錦八十吉,おおたか静流 ほか


こちらも再放送。本放送は12/3(木)でした。

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英雄たちの選択「藤田嗣治“アッツ島玉砕”の真実」

NHKBSプレミアム 2015年12月17日(木)  20時00分~21時00分

戦前、フランスに渡った藤田嗣治は、「乳白色の肌」の裸婦で高い評価を受け、本場の画壇で成功を収めた。しかし、時代が戦争へ傾くと、戦火を避け帰国、軍の要請を受諾し戦争画を制作する。1943年(昭和18年)、藤田が描いた「アッツ島玉砕」。藤田が、この戦争画にこめた思いは?戦意高揚のプロパガンダなのか、あるいは芸術なのか?「アッツ島玉砕」制作の真実に迫る。

司会  磯田道史,渡邊佐和子,
出演  一ノ瀬俊也,中野信子,高橋源一郎,三浦瑠麗,
語り  松重豊

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光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)が取り上げられる映画「FOUJITA」が公開中で、やはり我が国を代表する小栗康平監督作品ということもあり、関連番組も多く作られています。おそらく今回も映画「FOUJITA」の紹介があるでしょう。

光太郎は詩文による戦争協力、藤田は絵による戦争協力。そこには相通じるものがあるように感じます。そうした話が出ればなおよいのですが……。


以上、ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月12日

慶応元年(1865)の今日(旧暦ですが)、江戸浅草で大火がありました。

現在の駒形あたりから出火、強風にあおられて燃え広がり、浅草のランドマーク、浅草寺の雷門も焼け落ちました。

数え14歳だった光雲は、師匠・高村東雲のもとで年季修行中。師匠の家も焼け、命からがらの目に遭ったことが、昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』に記されています。画像は『光雲懐古談』に載った類焼地域の図です。

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ところでこの大火の日付ですが、ネットで調べると「12月12日」と「12月14日」と、2種類あります。『光雲懐古談』では14日。しかし、当時のかわら版などによると、どうも12日が正解のようです。浅草寺さんのHPなどでも12日説を採っています。

なにはともあれ、火の用心、ですね。

昨日、地上波フジテレビさんの系列で放映されている情報番組「ノンストップ!」で、西城秀樹さんによる光太郎詩「道程」(大正3年=1914)の朗読の話題が紹介されました。

テレビ番組情報サイト等で、「高村光太郎」「道程」といった単語が使われていなかったので見落としていたのですが、一昨日、花巻高村光太郎記念会さんから「光太郎肖像写真の画像を提供した」旨のメールを戴いて知った次第です。

先週のこのブログで2回にわたりご紹介した「「世界・日本名作集よりリーディング名作劇場「キミに贈る物語」~観て聴いて・心に感じるお話集~」 (渋谷Bunkamuraシアターコクーンで西城さんは12/3(木)、12/4(金)にご出演)の様子と、楽屋でのインタビューなどから構成されていました。

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2回、脳梗塞を発症した西城さん、後遺症と闘いながら、今回初めて朗読に挑戦。

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光太郎の「道程」を取り上げて下さいました。

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よく知られている9行の短い決定型(大正3年=1914の10月、詩集『道程』に収めたバージョン)ではなく、同じ年の2月に雑誌『美の廃墟』に発表した102行ある長いバージョンの中から抜粋して朗読されたようです。

長い原型バージョンはこちら。ちなみに今年4月にリニューアルオープンなった花巻高村光太郎記念館さんでは、声優の堀内賢雄さんによるこの長いバージョンなどの朗読が聴けるコーナーを設けてあります。

西城さん、報道で脳梗塞からのリハビリ中とは存じていましたが、映像で見ると、ほんとうに一語一語、絞り出すように語られていて、「ここまでの状態なのか」と、ある意味、ショックでした。しかし、そういうご自分の状態を隠さずに、あえて現状を公表する姿に感銘を受けました。

その後、楽屋でのインタビュー。

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旋律に乗せて「歌う」より、「喋る」方が困難だそうです。そういわれてみると、吃音の障害のある人も、歌になると滑らかに歌える場合があり、なるほど、と納得しました。

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あえてその困難な朗読に挑戦する姿には、頭が下がります。同様のご病気などで闘病中の皆さんの励みになるのではないでしょうか。

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その意気で、今後もがんばり続けて下さい!


さて、テレビついでに今夜の番組をご紹介します。昨日になって詳細情報が出ました。

美しい日本に出会う旅 憧れの紅葉・絶景スペシャル~錦秋の北アルプス・京都・奈良

BS-TBS 2015年12月9日(水)  19時00分~20時54分

美しい日本へ!行ってみたいあこがれの地。この目で見てみたい、あの絶景。味わってみたい絶品料理。今回は日本全国紅葉の絶景を楽しむ2時間スペシャル。
日本の秋の醍醐味は、錦に染まる紅葉。名所から穴場まで、2015年の紅葉を味わい尽くす2時間スペシャルです。京都では、秀吉が夢見た紅葉狩りの地から、とっておきの隠れ紅葉を訪ねます。東北の百名山・安達太良山は、見渡す限りの紅葉に染まります。奈良の聖地・天川村も紅葉一色。名物・柿の葉寿司も秋だけの紅葉色に!そして上高地へ抜ける、憧れの北アルプス紅葉街道へ。白骨温泉のにごり湯で、贅沢な紅葉狩り。もう一度、今年の紅葉を心に焼き付けましょう。

旅の案内人 中村七之助

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智恵子が「ほんとの空」(「あどけない話」)があるといった、安達太良山が取り上げられます。ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月9日000

平成21年(2009)の今日、桑田佳祐さんのシングルCD「君にサヨナラを」がリリースされました。

カップリング曲に「声に出して歌いたい日本文学 <Medley>」。18分42秒の大作で、「あどけない話」を含む近代日本の名作文学の一節を歌詞としています。ラインナップは以下の通り。

汚れつちまつた悲しみに(中原中也)/あどけない話(高村光太郎)/人間失格(太宰治)/みだれ髪(与謝野晶子)/蜘蛛の糸(芥川龍之介)/蟹工船(小林多喜二)/たけくらべ(樋口一葉)/一握の砂(石川啄木)/吾輩は猫である(夏目漱石)/銀河鉄道の夜(宮沢賢治)

この曲は、平成24年(2012)発売のアルバム「I LOVE YOU -now & forever-」にも収録されました。

テレビ放映情報です。

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 
本放送 2015年12月3日(木)   6時45分~6時55分  
再放送      〃       17時10分~17時20分
    2015年12月17日(木)  6時45分~6時55分  17時10分~17時20分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、コニちゃんの相撲の決まり手/特殊技、文楽/白雪姫、ちょちょいのちょい暗記/7級「十二ヶ月」岐阜県 白川郷、うた/村の鍛冶屋、ベベンの冬が来た

出演者 豊竹咲甫大夫,鶴澤清介,三世 桐竹勘十郎,うなりやベベン,小錦八十吉,おおたか静流 ほか

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この番組では、年に数回、光太郎作品を取り上げて下さっています。この時期は毎年のように「冬が来た」(大正2年=1913)。以前の映像の使い回しかも知れません。


  冬が来た
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きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹(いてふ)の木も箒になつた
 
きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬

草木に背(そむ)かれ、虫類に逃げられる冬が来た
 
冬よ005
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
 
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た


南関東に住んでいますと、まだそれほど「冬」という感覚ではないのですが、もう明日から12月ですね。十和田や花巻、そして女川、二本松など東北各地ではもはや冬本番なのでしょうが。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月30日

平成11年(1999)の今日、二玄社から『高村光太郎 書の深淵』が刊行されました。

当会顧問、北川太一先生のご著書です。

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テレビ放映情報です。 

趣味どきっ! 石川九楊の臨書入門 第8回▽最愛の妹への思い~宮沢賢治×トシ

本放送 NHKEテレ 2015年11月24日(火)21時30分~21時55分
再放送 NHK総合     2015年11月26日(木)10時15分~10時40分 
    NHKEテレ 2015年12月1日(火) 11時30分~11時55分

「銀河鉄道の夜」と宮沢賢治最愛の妹・トシの死とは、どんなの関わりがあるのか?「雨ニモマケズ」はいかに生まれたのか?故郷・花巻への旅、そして賢治の筆跡から探る。

岩手県花巻に生まれた宮沢賢治。農業高校に学びながら、鉱物や天体への知識も養い、独特の表現で多くの物語を創作した。そんな賢治の最大の理解者が妹のトシ。24歳の若さでこの世を去ったトシは賢治にとって、どんな存在だったのか。トシの筆跡にも触れ、強い絆で結ばれた兄と妹の関係をひもとく。また「雨ニモマケズ」は、賢治がどんな思いで書いたものなのか、精密に復元された手帳を見ながら、鉛筆を使って臨書に挑戦する。

出演 石川九楊 羽田美智子 牛崎敏哉(宮沢賢治記念館副館長)
        宮沢和樹(宮沢賢治の遺族・「林風舎」代表)

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過日、第5回として「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」が放映された番組の最終回です。取り上げられるのは宮澤賢治。花巻ということで、光太郎の回と同じ時期に収録が行われました。

毎回、女優の羽田美智子さんが、書家の石川九楊氏のご指導のもと、それぞれの人物の臨書に挑戦なさいますが、今回のお題は「雨ニモマケズ」。

この詩は賢治の代表作として認知されていますが、生前には発表されませんでした。元々は亡くなる2年前の昭和6年(1931)秋から翌年にかけ、主に病床で書き連ねた手帖に記されていたものです。

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賢治歿後の昭和9年(1934)、新宿で開かれた賢治追悼の会の席上、実弟の清六が持参した賢治のトランクから出て来たこの手帖に書かれていた「雨ニモマケズ」が「発見」されました。その場にいたのは光太郎、宮沢清六、草野心平、永瀬清子、巽聖歌、深沢省三、吉田孤羊、宮靜枝らでした。

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その場にいた詩人の永瀬清子の回想から。

昭和九年の二月になってふと宮澤賢治氏の追悼会をひらくので新宿の映画館の地下にある「モナミ」へ来るようにお通知が来た。
(略)
その会には弟の宮沢清六さんが来ていらした。はるばる岩手県の花巻から賢治さんの原稿のつまった大きなトランクをさげて上京されたのだ。多分あとで考えると宮沢賢治選集のはじめての出版のためであったものと思う。
 そのトランクからは数々の原稿がとりだされた。すべてきれいに清書され、その量の多いことと、内容の豊富なこと、幻想のきらびやかさと現実との交響、充分には読み切れないまま、すでにそれらは座にいる人々を圧倒しおどろかせた。
 原稿がとりだされたのはまだみんなが正式にテーブルの席につくより前だったような感じ。みな自由に立ったりかがみこんだりしてそのトランクをかこんでいた。
 そしてやがてふと誰かによってトランクのポケットから小さい黒い手帳がとりだされ、やはり立ったり座ったりして手から手へまわしてその手帳をみたのだった。
 高村さんは「ホホウ」と云っておどろかれた。その云い方で高村さんとしてはこの時が手帳との最初の対面だったことはたしかと思う。心平さんの表情も、私には最初のおどろきと云った風にとれ、非常に興奮してながめていらしたように私にはみえた。
 「雨ニモマケズ風ニモマケズ――」とやや太めな鉛筆で何頁かにわたって書き流してある。
 『春と修羅』はすでによんでいても、どうした人柄の方かすこしも聞いたことがなかったので、この時私には宮沢さんの本当の芯棒がまっすぐにみえた感じがした。或はその芯棒が私を打ったのかもしれない。でも私だけでなく一座の人々はそれぞれに何かこのめっそうもないようなものを感じとった風だった。
 この時の世の中で、この時の詩壇で、一般には考えられないようなことがそこには書いてあったのだ。それはその時までに詩のことばとして考えられていたもの以上だったから、或は粗雑で詩ではないと人はみるかもしれぬ。でもそこにはきらびやかな感覚の底にあった宮沢さん自身が、地上に露呈した鉱脈のように見えていた。又それがほかの清書された原稿ではなく、小さい小さい手帖だったから、自分自身のために書かれた一番小さい手帖だったから、いっそうその感が強かったのだ。
(『かく逢った』 昭和56年=1981 編集工房ノア)


その後、昭和11年(1936)になって、光太郎は宮澤家の依頼でこの詩の後半部分を揮毫、花巻の羅須地人協会跡にその書を刻んだ碑が建てられました。番組では、手帖発見の経緯はともかく、この碑くらいは紹介されるのではないかと思われます。ぜひ光太郎の筆跡であることも紹介していただきたいのですが、どうなりますか。市販されている番組のテキストには紹介がありますが、必ずしもテキストと番組の内容が一致はしていませんので……。

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さらに番組では、これまで毛筆での臨書に挑戦されていた羽田美智子さん、今回は硬筆(鉛筆)での臨書です。楽しみです。


書といえば、先日、京都の地方紙『丹波新聞』さんが、書についてのコラムの中で、光太郎の名を出して下さいました。 

人の縁結ぶ作品展

2015年11月15日
 「赤や黄に山々染める面白さ」。紅葉シーズンである。日に日に色づく周辺の景色を見るにつけ、秋の深まりを感じる。
  各地で作品展などが行われる中、丹波市氷上町犬岡地区の男性2人展(15日まで開催)はユニークな試み。地域に住む元会社の技術者と元教員という取り合わせも異色。写真と絵画のコラボで、地域の人たちにとっては、身近な人の作品だけに親しみがわき、刺激になったと思う。地域外からも訪れる人があり、交流の場になっている。
  どちらも定年後の趣味を生かしている点が共通する。所属するサークルなどに出品することはあるが、地元の公民館での作品展は初めて。各世帯に配りものをする地域の役員や成人の若者の笑顔をとらえた写真には、「地域ならではの作品だな」と感じた。写真を出品した人は大阪からのIターンで、新鮮な目で見た地域の風景や人が題材になった。スケッチ先で話をした老婆が作品に描かれた絵画は、会話の場面が浮かぶ。
  地域には様々な特技や趣味を持った人がいる。地域の隠れた人材を掘り起こす発表の場として、身近な場所で作品展が開けるのではないだろうか。背中を押す人も必要だ。歩いて見に行ける展覧会の輪が広がることを願う。
  詩人の高村光太郎に「甘酸是人生」という書がある。人生には、甘さと酸っぱさの両方がある。長年の仕事人生に裏打ちされた味のある作品を見ながら、そんな気持ちを抱いた。数日後、「感謝と笑顔があれば幸せは向こうからやってくる」という言葉に出合った。こういう気持ちも大切にしたい。「人と人結ぶ作品花開く」。(臼井 学)


「甘酸是人生」は、「趣味どきっ!」の光太郎の回で取り上げられた書です。おそらくこの記事を書かれた記者さん、番組をご覧くださったのでしょう。ありがたや。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月18日

昭和33年(1958)の今日、画家の木村荘八が歿しました。

木村は、光太郎と共に大正元年(1912)のヒユウザン会(のちフユウザン会)設立に関わるなど、光太郎と縁の深かった画家です。くわしくはこちら


書家・石川九楊氏と共に番組のナビゲータ役を務める女優の羽田美智子さんによる「レモン哀歌」の朗読から始まりました。

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JR在来の花巻駅に降り立った石川氏と羽田さん、路線バスに乗り込み、光太郎が戦後の昭和20年(1945)秋から7年間を過ごした旧太田村の高村山荘へ。花巻高村光太郎記念会の高橋氏がお出迎え。

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通常は立ち入れない、山荘内部に入り、ありし日の光太郎に想いを馳せられました。

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その後、隣接する花巻高村光太郎記念館に移動。太田村時代の書の数々を御覧になりました。

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ここで、羽田さんのナレーションによる、光太郎智恵子の生涯のレクチャー。毎年4月2日に、花巻連翹忌が行われる松庵寺さん(光太郎が毎年のように光雲・智恵子の法要を行い、詩碑も立っています)、二本松の智恵子生家、智恵子の書簡、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」なども次々紹介されました。カメラマン阿部徹雄撮影の写真や、当方の提供した古写真などが効果的に使われていました。

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その後、この番組の肝、羽田さんによる臨書。

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記念館に展示されている光太郎の書「甘酸是人生」の中から、「人生」の二文字に、羽田さんが挑戦しました。

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同じ番組で、与謝野晶子や太田垣蓮月の流れるような「女手」にはさほど苦労していなかった羽田さんでしたが、はじめは光太郎の独特の筆法に悪戦苦闘。しかし、石川氏の丁寧なご指導で、紙に筆で彫刻するような書き方を体感することができました。

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当方、かつて石川氏の著作などを拝読し、こうした筆遣いの特異性については頭では理解していたつもりでしたが、映像で臨書の場面を拝見し、実感がわきました。

見逃した方、再放送が2回あります。

NHK総合  2015年11月5日(木)   10時15分~10時40分
NHKEテレ 2015年11月10日(火)   11時30分~11時55分

さらに、今月末には最終回として「「雨ニモマケズ」 最愛の妹への思い 宮沢賢治×宮沢トシ」のオンエアがあります。こちらでも花巻つながりで光太郎に触れるかもしれません。ぜひご覧下さい。

本放送 NHKEテレ  2015年11月24日(火)   21時30分~21時55分
再放送 NHKEテレ 2015年12月1日(火)    11時30分~11時55分
(NHK総合での再放送は未定)

また、番組のテキストもぜひお買い求め下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月4日

明治44年(1911)の今日、鉄幹与謝野寛の渡欧送別会に出席しました。

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後列左から5人目が光太郎、前列左から6人目が鉄幹です。

その他、後列左から4人目は佐藤春夫、同じく8人目は北原白秋、その隣が木下杢太郎。前列左から3人目に永井荷風、その隣に森鷗外も写っています。

テレビ放映情報です。 

趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子

本放送 NHKEテレ 2015年11月3日(火)   21時30分~21時55分
再放送 NHK総合  2015年11月5日(木)   10時15分~10時40分
    NHKEテレ 2015年11月10日(火)   11時30分~11時55分

書から歴史上の人物像に迫る臨書入門。今回は詩集「智恵子抄」でも知られる彫刻家・高村光太郎。妻・智恵子の死、戦争とどう向き合ったのか?不思議な書が示すこととは?

明治から昭和にかけて彫刻、詩など数々の作品を発表した高村光太郎は、書でも唯一無二の存在。愛妻・智恵子の死、そして戦争賛美の詩を書いた自分を責め、終戦直後の7年間、岩手・花巻の山荘にこもり自己と向き合った光太郎。その時書いたのは、不思議な筆致の文字だった。この書が意味することとは何か?花巻の高村山荘を訪ね、直筆の書に出会い探る。また光太郎がリンゴ農家へ送った書「甘酸是人生」の「人生」を臨書する。

出演 石川九楊 羽田美智子

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今月から始まった「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」。書家の石川九楊氏と、女優の羽田美智子さんをナビゲーターに、歴史上の男女を1組ないし2組ずつ取り上げて、その書の魅力に迫る番組です。

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各回で、石川氏のご指導のもと、羽田さんがそれぞれの人物の書を臨書します。今回は、光太郎の書から「人生」の二文字。

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上記は現在、新刊書店で並んでいる同番組のテキストから。NHK出版さんのサイトからも購入できます。

テキスト、さらには番組内でも光太郎智恵子の人生について、レクチャーがあります。制作に協力させていただき、当方の提供した画像が画面を飾るはずです。お楽しみに。

この番組の第2回放送が「愛と情熱の歌人 夫のための百首 与謝野晶子×与謝野鉄幹」で、与謝野夫妻研究の第一人者・逸見久美様がご出演。逸見様も連翹忌のご常連のお一人で、当方を紹介していただきました。ありがたいかぎりです。

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鉄幹晶子の回は、駒場の日本近代文学館さんでロケが行われ、非常に丁寧な作りになっており、興味深く拝見しました。光太郎の回は、今年リニューアルオープンとなった花巻の高村光太郎記念館、隣接する光太郎が戦後の7年間を暮らした高村山荘での収録。臨書される「甘酸是人生」の書も、同館に収蔵されているものです。

ご期待下さい!


ついでにもう1件。   

歴史秘話ヒストリア第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年11月3日(火)  27時08分~27時51分 =4日(水)午前3時08分~3時51分

彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。

今からおよそ100年前の1914年(大正3年)12月、彫刻家、詩人の高村光太郎と、画家の卵である長沼智恵子が、実験的な同居生活をスタートさせた。婚姻届を出さず、夫婦別姓。家事を分担し、対等な人間同士として、それぞれの創作に打ち込んだ。絶えざる戦争のわずかな合間、自由な文化が花開いた大正という時代を追い風にした「愛の試み」だった。光太郎と智恵子は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた。命を懸けて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは何か。バレンタインデーを前に、詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の物語を紹介する。

出演 前田亜季 鈴木一真
キャスター 渡邊あゆみ

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今年2月に放映されたものの再放送です。7月に放映された「第223回 漱石先生と妻と猫~“吾輩は猫である”誕生秘話~」と2本セットで放映するとのこと。2月の放送を見逃した方、ぜひどうぞ。ただし、深夜、というか未明です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月28日000

昭和27年(1952)の今日、終焉の地となった中野のアトリエで、雑誌『アトリヱ』のため、編集者の国安芳雄と対談を行いました。

対談は12月の同誌313号に掲載されました。次の前書きが付されていました。

 青森県の要請に依りその湖畔に等身の裸女を制作するため、七年ぶりで上京された高村光太郎氏を訪ねる。幸い旧知の本誌、国安(旧姓住友)との間に話題は間断なく流れ、七〇有余歳、尚青年の如き高村氏の情熱にききほれる。生涯をこめての、きびしい歩みの果に、この純白のアトリエに籠り、彫刻の意味を究明しようという翁の健康に幸あれと祈る。

光太郎は戦前の昭和3年(1928)には、当時住友姓だった国安の肖像彫刻を制作しました。「S君の像」、「住友君の首」といった題をつけられたこの彫刻、おそらく昭和20年(1945)の空襲で焼失、現存が確認できていません。

明日からNHKさんで放映が始まる連続テレビ小説「あさが来た」。

三井財閥のお嬢様で、大阪の豪商・加島屋に嫁ぎ、女性実業家として活躍した広岡浅子が、波瑠さん演じる主人公・今井(のち白岡)あさのモデルです。下記は昨日の『朝日新聞』さんの土曜版です。

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広岡浅子は、夫の信五郎(ドラマでは新次郎・玉木宏さん)ともども、実業家として、大同生命、尼崎紡績(現・ユニチカ)などを創立し、銀行業や炭坑事業なども手広く手がけました。といって、金、金、金の我利我利亡者ではなく、幼い日に自らが学問を禁じられた悔しさから、女子教育への支援も行いました。

明治34年(1901)に開校した日本女子大学校(現・日本女子大)の創立者・成瀬仁蔵は、浅子の援助を受けて開校にこぎ着けました。目白台の校地は、浅子の実家・三井家の土地でした。浅子自身も、上京した折には来校し、生徒と交流を深めたといいます。

そこで光太郎智恵子とつながります。

智恵子は明治36年(1903)に同校普通予科に入学していますので、たびたび同校を訪れた浅子と顔を合わせている可能性が非常に高いと思われます。智恵子の一学年上には平塚らいてう、三学年上の一回生には光太郎との間を取り持った柳敬助夫人・八重、同じく小橋三四子などがいました。やはり一回生で、のちに同校初の女性校長となった井上秀も、光太郎に講演の依頼をするなどしています。

特に小橋は卒業後、同校同窓会である桜楓会の機関誌『家庭週報』の編集に携わり、浅子とさらに縁が深くなります。浅子は同校以外の若い女性にも門戸を開き、大正3年(1914)から亡くなる前年の同7年(1918)まで、静岡御殿場の別荘で勉強会を開いていましたが、そこには小橋の紹介で市川房枝も参加していました。ちなみに昨年上期の連続テレビ小説「花子とアン」の主人公・村岡花子もこの勉強会に参加していたそうです。さらに言うなら、この時期には宮澤賢治の妹で、夭折したトシが同校に在学していました。

筑摩書房の『高村光太郎全集』には、浅子の名は出て来ませんが、平成11年(1999)の全集完結後、新たに見つかった光太郎文筆作品等を収めている「光太郎遺珠」に収録した小橋あての光太郎書簡に、浅子の名が出ていました。大正7年(1918)の浅子死去に際してのものです。

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拝啓
今日新聞で広岡浅子刀自のなくなられた事を知り非常に感動を受けました
先達て頂戴した一週一信をよんではじめて刀自の真生活を知つたばかりの時此の訃音に接して残り惜しい心に堪へません
あなたの御心もお察し出来る気がいたします
しかし刀自の魂は此から後どの位実際的に人〻を導くか知れない事と信じます
どうも黙つてゐられない気がして此の手がみを書きました
刀自に対する尊敬と吊意とをおくみ取り下さい
  一月十六日                                                 高村光太郎
 小橋三四子様


文面にある「一週一信」というのは、前年12月に刊行された浅子の随筆集です。編集と、発行人の名義も、婦人週報社に移っていた小橋です。

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上記は浅子の書いた序文と奥付です。

そういうわけで、「あさが来た」には、成000瀬仁蔵や小橋も登場するでしょうし、小橋がらみで光太郎智恵子も登場しないかと期待しています。ただ、登場するにしても仮名となるでしょうが。

ちなみに光太郎、浅子の死と同じ年(大正8年=1919)、成瀬仁蔵の胸像(右画像)制作を、日本女子大学校から依頼されました。その際には成瀬も死の間際で、光太郎は病床の成瀬を見舞っています。画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。

ところが完成したのは何と14年後の昭和8年(1933)。光太郎のこだわりで、作っては毀しの試行錯誤が続いたのと、昭和6年(1931)頃から智恵子の心の病が昂進していったことも遅延の要因の一つでしょう。

ちなみに『家庭週報』には、製作中の光太郎訪問記が3回掲載されており、現在製作中の当方編集の冊子『光太郎資料44』に掲載しました。またこちらについては後述します。

さて、浅子の生涯について書かれた書籍を紹介します。 
古川智映子著 昭和63年(1988)10月5日初版001
平成27年(2015)2月16日新装改版
潮出版社 定価1,600円+税

連続テレビ小説「あさが来た」の原案本です。「小説」ということで、若干、史実と異なる部分があるようですが、浅子の生涯がよくまとまっています。

実は、今年はじめの時点で広岡浅子が取り上げられると知ってすぐ購入しようとしたところ、絶版でした。古書市場では数千円の値が付いていました。おそらくその店主が、これなら数千円でも売れる、と踏んで値をつけ、実際に買った人もいるのでしょう。

2月には新装改版が出て、当方、そちらを購入しました。まるで昨年の東京駅開業100周年記念スイカのような話でした。


それから、このところ、新刊書店ではムック系の浅子本が何種類か平積みで売られています。それだけ朝ドラへの関心が高いと言うことなのでしょう。そんな中で、書店で実際に見て、これは、と思って買ったのが以下のものです。 

別冊宝島 広岡浅子の生涯

平成27年(2015)10月4日 宝島社 003
定価800円+税

写真を豊富に使い、ビジュアル的にとらえるのには格好の一冊です。

また、浅子だけでなく、同時代の人々……特に交流がなかった人物も含め……に関する記述も充実しており、それが決め手で購入しました。

光太郎智恵子と交流の深かった人物では、浅子同様、明治期に活躍した女性、ということで新宿中村屋の創業者・相馬愛藏夫人の黒光、雑誌『明星』の新詩社の与謝野晶子、平塚らいてうをはじめとする『青鞜』をめぐる女性たちなど。『青鞜』創刊号の表紙を智恵子が描いたことも記されていました。

当然、成瀬仁蔵や小橋三四子、井上秀などについても詳しく書かれています。

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また、購入していませんが、こんな書籍も今月刊行されています。 
中江克己著 2015年9月13日 第三文明社004
定価1,500円+税

版元サイトより

明治・大正の著名な女性72人を一覧できるエピソード集。2015年後半の朝ドラ「あさが来た」の主人公・広岡浅子、「花子とアン」に登場した村岡花子・柳原白蓮、大河ドラマ「花燃ゆ」の吉田松陰の妹・文(ふみ)、「八重の桜」の新島八重なども登場。女優の川上貞奴、松井須磨子や、著名人の妻である伊藤梅子(伊藤博文夫人)、小泉節子(ラフカディオ・ハーン夫人)、夏目鏡子(夏目漱石夫人)、乃木静子(乃木希典夫人)らも。──次の「朝ドラ」ヒロインはここにいる!

[もくじ]
はじめに
登場女性の生年・没年
第1章 女性の自立を目指した事業家・活動家
第2章 鹿鳴館・国際舞台での活躍
第3章 芸の道で花開く
第4章 新しい波を起こす文芸界の才女
第5章 恋に生き、愛を貫く
第6章 世を騒がせ、話題になった女性
第7章 医療への道、教育への情熱
人名索引 主な参考文献

ちなみに「第5章 恋に生き、愛を貫く 」では、智恵子も扱われています。


さて、長くなりましたが、ぜひとも「あさが来た」、智恵子や光太郎にも登場してほしいものです。明日から楽しみに拝見します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月27日

昭和28年(1953)の今日、『週刊サンケイ』に、終焉の地・中野のアトリエの光太郎訪問記が掲載されました。

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それを制作するために、花巻郊外太田村から再上京した「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」は既に完成、翌月には除幕、という時期でした。バックに像の小型試作が写っています。

テレビ関連の情報です。

まず、今朝はテレビ朝日系「グッド!モーニング」中の林修氏のコーナーで、光太郎が紹介されました。

ただ、肩すかしを喰らいました。ディレクター氏からの文書によれば、日比谷松本楼さんの「10円カレー」の日であるため、光太郎詩「涙」にからめた内容にする予定でした。しかし、予定は未定にして決定にあらず、10円カレーは紹介されましたが、詩「涙」は紹介されず、「日比谷松本楼は多くの文豪に愛された」というところで光太郎、漱石、太宰が紹介されたにとどまりました。

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このブログで過日ご紹介した際に、「ディレクター氏からの文書には「企画段階であり、放送では内容が変更となる場合がございます。」とありました。そうならないことを祈ります。」と書きましたが、その通りになってしまいました。

出演者の都合なのか(林氏は今日のオンエアでは録画でのご出演でした)、他にニュースが多かったためか、そのありはよくわかりませんが、まあ、しょうがないでしょう。


さて、テレビついでで今後の放映情報です。 

いっしょに歩こう!ふくしま・わがまま!気まま!旅気分 愛か、お笑いか!?初恋カップルIN福島~城下町・二本松の旅

FTV福島テレビ 2015年9月26日(土) 10時30分~11時25分
BSフジ      2015年10月3日(土) 7時~7時55分

たんぽぽ白鳥久美子さんが初めての彼氏・チェリー吉武さんと福島県二本松市を旅するデート企画!高村光太郎と智恵子の純愛物語をはぐくんだ場所でラブラブモード全開か!?

たんぽぽ白鳥久美子さんと初めての彼氏・チェリー吉武さん。多忙でなかなかデートができないという白鳥さんのために番組が公開デートを企画! 舞台の福島県二本松市は、県の中部に位置する城下町。 そして・・・高村光太郎と智恵子の純愛物語をはぐくんだ場所でもあります。 白鳥さん&チェリーさんの「ラブラブ旅行」を、福島テレビアナウンサーがエスコート。ロマンチックタイム(?)を各所で展開! しかし、お笑い芸人の2人。カメラが回れば、恋より面白さを優先か? そして・・・旅の感想&恋の結論を出す白鳥さん・チェリーさん。 はたして、永遠の愛を誓うのか? それとも、「ずっと居るのは、ちょっと無理!」なのか? チェリー吉武さんの魅力・ギネス記録芸にも迫ります。

出演者 白鳥久美子(たんぽぽ) チェリー吉武  藺草英己(福島テレビアナウンサー)  ナレーション 豊嶋啓亮(福島テレビアナウンサー)


福島テレビさん制作の番組で、福島では明日のオンエアです。ご出演なさる白鳥久美子さんのブログによれば、BSフジさんでも1週間遅れで放映されるとのこと。同じく白鳥さんのブログには、智恵子生家でのスナップ、「ほんとの空」を守るため結成された二本松少年隊とおぼしき写真も載っていました。ちなみに白鳥さんは郡山ご出身だそうです。

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当初、福島でしか放映されないのか……と残念に思っていましたが、BSフジさんでも放映があるようで、安心しました。BSフジさんでは、系列の地方局が制作したものを、土曜の朝に「わがまま!気まま!旅気分」という番組として取り上げているようです。先週はサガテレビさん、明日は東海テレビさん制作のものとなっていました。

また予定変更にならないことを祈っております。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月25日

昭和60年(1985)の今日、詩人の更科源蔵が歿しました。

更科は明治37年(1904)、北海道弟子屈の生まれ。アイヌ文化の研究でも有名です。

光太郎は昭和6年(1931)、雑誌『犀』に「更科源蔵詩集「種薯」感想」を寄稿した他(『釧路新聞』に転載)、同18年(1943)には更科の詩集『凍原の歌』の題字を揮毫しています。

また、元々北方志向、自然志向が強かった光太郎は、更科を頼って、何度か北海道移住を計画したりもしました。さらに、戦前にはプロレタリア文学運動や社会主義、無政府主義にも一定の理解を示していた光太郎、昭和3年(1928)には、更科から聴いた話をモチーフに、資本家への怒りを表す「彼は語る」という詩を、草野心平の雑誌『銅鑼』に寄稿しています。

   彼は語る

彼は語る無題
北見の熊は荒いのですなあ
釧路の熊は何もせんのですなあ
かまはんけれや何もせんのですなあ
放牧の馬などを殺すのは
大てい北見から来た熊ですなあ

彼は語る
地震で東京から逃げて来た人達に
何も出来ない高原をあてがつた者があるのですなあ
ジヤガイモを十貫目まいたら
十貫目だけ取れたさうですなあ
草を刈るとあとが生えないといふ
薪にする木の一本もない土地で
幾家族も凍え死んださうですなあ
いい加減に開墾させて置いて
文句をつけて取り上げるさうですなあ

彼は語る
実地にはたらくのは、拓殖移住手引の
地図で見るより骨なのですなあ
彼等にひつかかるとやられるのですなあ

昨日ご紹介したNHK Eテレさんの「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」同様、当方がちょっとだけお手伝いさせていただいたテレビ番組の情報です。  

グッド!モーニング

テレビ朝日 2015年9月25日(金) 4時55分~8時00分

テレビ・新聞・ネットの情報をまとめてお届け。もっと知りたいニュースをわかりやすく解説。天気や言葉のクイズに答えてプレゼントが当たる。「快適な朝」をお届けします。.

◇番組内容
視聴者に快適な朝をお届けする『グッド!モーニング』。テレビ・新聞・ネットからきょう話題になる情報をキャッチ!わかりやすい解説でニュースをチャージ!「ことば検定」「お天気検定」に参加しプレゼントをゲットしよう。林先生の「金曜言葉塾」で思わず「へぇ」と。Oggiスタイリストによる女子アナ衣装も出勤の参考に。

◇出演者
坪井直樹、松尾由美子、宇賀なつみ、依田司、山本里菜、林修、一色清


グッド!モーニング」はテレビ朝日さんで放映中の朝のニュース・情報番組です。

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その中で、毎週金曜日、「今でしょ」で知られる予備校の東進ハイスクール講師、林修氏による「林修の金曜言葉塾」というコーナーがあります。7時25分過ぎからCMをはさんで10分ちょっとの枠です。下記は今朝のオンエアから。


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おおむね、放映日前後の「○○の日」に合わせ、「○○」に関する文学作品や言葉などについての短い講義を林氏が行う、というコンセプトです。今朝のオンエアでは明日が「苗字の日」だそうで、苗字についてのお話でした。難読苗字、苗字の成り立ち、「姓」「名字」「苗字」の違いなど、「へぇ」と思わせるものでした。

さて、来週25日のオンエアで、光太郎が取り上げられます。

9月25日は、毎年、日比谷公園内のレストラン、日比谷松本楼さんで「10円カレーチャリティー」というイベントを行っています。こちらはユニセフさんとのタイアップで、午前11:00~、松本楼さんの看板メニューの一つであるカレーを先着1,500名に10円で振る舞い、代わりに募金をして貰うというものです。

日比谷松本楼さんといえば、当会の主催、毎年4月2日の光太郎忌日・連翹忌会場です。光太郎ゆかりのお店というわけで、平成11年(1999)から使わせていただいています。

日比谷松本楼さんと光太郎のつながりは、主に二つ。

まずは明治42年(1909)、欧米留学から帰国した年ですが、10月23日に日比谷松本楼さんで開催された「パンの会」大会の発起人に名を連ねています。

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パンの会」はフランスのカフェ芸術運動に倣って始まったもので、文芸誌『スバル』、美術雑誌『方寸』などに依っていた文学者、美術家、さらには演劇界などからも参加者があり、若き芸術家達が大いに気焔をあげた集まりでした。通常の会と、案内状まで発行された大会の二種があり、日比谷松本楼さんでも大会が一度開かれています。


それからもう一点、大正元年(1912)発表の詩「涙」です。

    涙

 世は今、いみじき事に悩み
 人は日比谷に近く夜ごとに集ひ泣けり004
 われら心の底に涙を満たして
 さりげなく笑みかはし
 松本楼の庭前に氷菓を味へば
 人はみな、いみじき事の噂に眉をひそめ
 かすかに耳なれたる鈴の音す
 われら僅かに語り
 痛く、するどく、つよく、是非なき
 夏の夜の氷菓のこころを嘆き
 つめたき銀器をみつめて
 君の小さき扇をわれ奪へり
 君は暗き路傍に立ちてすすり泣き
 われは物言はむとして物言はず
 路ゆく人はわれらを見て
 かのいみじき事に祈りするものとなせり
 あはれ、あはれ
 これもまた或るいみじき歎きの為めなれば
 よしや姿は艶に過ぎたりとも
 人よ、われらが涙をゆるしたまへ

「われら」は結婚前の光太郎と智恵子です。「いみじき事」は明治天皇の危篤。人々が天皇の平癒祈願のため皇居周辺に集まって「涙」を流している中、自分たち二人は自分たちの恋愛問題で「涙」を流している、という構図です。

来週オンエアの「林修の金曜言葉塾」では、この詩が取り上げられます。内容の確認で、少しだけお手伝いをさせていただきました。ただ、ディレクター氏からの文書には「企画段階であり、放送では内容が変更となる場合がございます。」とありました。そうならないことを祈ります。

時折、日比谷松本楼さんがテレビ等で取り上げられる場合に、やはりこの詩が紹介されます。テレビ東京系のBSジャパンさんでは、平成24年(2012)に「小林麻耶の本に会いたい」という番組で、山田五郎さんによるこの詩のレクチャーがありました。

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ちなみに日比谷松本楼さんの「10円カレーチャリティー」、前日から泊まり込みで並ばれる方もいるそうです。このカレーも、もしかすると光太郎智恵子が口にしたかも知れません。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月18日

昭和4年(1929)の今日、改造社から『現代日本文学全集 第三十八編 現代短歌集 現代俳句集』が刊行されました。

光太郎も自選短歌44首を寄せています。

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少しだけ当方の関わったテレビ番組とそれに伴う出版物についてご紹介します。

まず、出版物

NHKテレビテキスト 趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門

2015年9月25日 NHK出版 定価1,000円+税 講師:石川九楊

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NHK Eテレ(旧教育テレビ)さんで放映されている生涯学習系の番組「趣味どきっ!」の来月からのテキストです。番組内容に関しては、まだNHKさんのサイトにアップされていませんが、先行して発売されるテキストの販売情報があちこちのサイトに出ていますのでご紹介してしまいます。

「趣味どきっ!」はNHK Eテレさんで月曜から水曜の午後9:30~9:55のオンエア(昼間にはNHK総合さんも含め再放送・再々放送もなされています)で、曜日ごとに異なるテーマの講座(おおむね全9回)が放映されています。現在の内容は月曜が「チーム芹澤に学ぶゴルフ 90切りへの近道」(講師:芹澤信雄)、火曜に「一声入魂!アニメ声優塾」(塾長:中川翔子)、水曜で「ボールペンだけで描ける!簡単&かわいいイラスト」(講師:坂本奈緒/カモ 2014年6月~7月に「趣味Do楽」で放送した番組の再放送)となっています。

10月からのラインナップは、月曜に「スマホで簡単!動画のプレゼント」(田代光輝 講師)、火曜が「女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」、水曜の「ニコライ・バーグマンが贈る 北欧スタイル 花のある暮らし」となるそうです。

その火曜放送の「女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」で、光太郎智恵子が扱われます。全8回の放送で、1回ごとに異なる歴史上の男女ペア(夫婦だったり、師弟、兄妹だったりです)を取り上げ、書家の石川九楊氏の指導のもと、女優の羽田美智子さんがその人々の作品の臨書に挑戦、さらにはゆかりの地の探訪などもあるという構成だとのことです。ラインナップは以下の通り。

 10/6  聖武天皇×光明皇后
 10/13 与謝野晶子×与謝野鉄幹
 10/20 細川ガラシャ×細川忠興
 10/27 大田垣蓮月×富岡鉄斎
 11/3  高村光太郎×高村智恵子
 11/10 良寛×貞心尼
 11/17 岡本太郎×岡本かの子
 11/24 宮沢賢治×宮沢トシ

光太郎智恵子の回は、先日、光太郎が昭和20年(1945)~同27年(1952)までを過ごした花巻郊外の山小屋(高村山荘)、隣接する高村光太郎記念館でロケが行われました。同じ花巻ということで、宮澤賢治の回のロケも前後して行われたそうです。

また折を見てご紹介しますが、石川氏は複数のご著書の中で光太郎の書を繰り返し激賞なさっていますし、書道雑誌で、当会顧問・北川太一先生や故・吉本隆明氏らと光太郎書をメインにした対談をなさったりしています。今回も記念館所蔵の光太郎の書を食い入るように見つめ、予定時間を大幅にオーバーしたとのことでした。番組ではさらに智恵子の書も紹介されます。

羽田美智子さんの臨書は、記念館所蔵の光太郎書から。あまり詳しくご紹介するとネタバレになりますので、あとは観てのお楽しみです。

さて、冒頭にご紹介したテキスト、9/25発売ですが、すでにAmazonその他の通販サイトなどで予約販売受付が始まっています。「ゆかりの地を訪ねて」ということで、光太郎智恵子に関しては、花巻の高村山荘・高村光太郎記念館、さらに福島二本松の智恵子生家・智恵子記念館が紹介されています。校正、番組で紹介される内容の確認等で少しだけお手伝いさせていただきましたので、当方の名前も協力、ということで載せて下さっているそうです。ぜひお買い求め下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月17日

大正10年(1921)の今日、麹町の与謝野家で、雑誌『明星』の復刊相談会に参加しました。

雑誌『明星』は、最初、明治33年(1900)~同41年(1908)まで、与謝野夫妻の新詩社から刊行されていました。安全保障関連法案がらみでまた脚光を浴びている与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は、明治37年(1904)の同誌に発表されたものです。光太郎の本格的な文学活動もこの『明星』から始まりました。その後、『スバル』がその後継誌の役割を担いましたが、そちらも大正2年(1913)に廃刊となっていました。

そして『明星』復刊の機運が盛り上がり、光太郎、永井荷風、石井柏亭、平野万里らが参加、後には森鷗外も顧問格で編集会議に加わります。11月には復刊第1号が刊行、光太郎は長詩「雨にうたるるカテドラル」を寄稿しました。その後も光太郎は昭和2年(1927)の終刊まで、毎号のように詩、翻訳、短歌、随筆、さらには絵画も発表しています。

文学史的には、第一次『明星』より見るべき所は少ないといわれる第二次『明星』ですが、こと光太郎に関しては、人生の円熟期にさしかかり、智恵子も健康で、貧しいながらも平穏な生活を送っていた時期、珠玉の作品群の発表の場となりました。

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