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ラジオパーソナリティーとしても長年にわたりご活躍された、評論家の秋山ちえ子さんの訃報が出ました。 

秋山ちえ子さん死去 ラジオ「談話室」 99歳

 日本の女性放送ジャーナリストの草分けで、40年以上に000わたってラジオ番組のパーソナリティーとして活躍した評論家の秋山ちえ子(あきやま・ちえこ、本名橘川ちゑ〈きっかわ・ちえ〉)さんが6日、呼吸器感染症のため東京都目黒区の自宅で死去した。99歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
 仙台市出身。ろうあ学校教師などを経て、48年のNHKラジオ「婦人の時間」で戦後女性の視野を広めるためのリポーターを担当。54年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
 57年に始まったTBSラジオ「秋山ちえ子の談話室」(スタート時は「昼の話題」)は、暮らしのささやかな話題から時事問題まで扱うコラム的番組として人気になり、02年まで1万2512回も続く長寿番組となった。
(『朝日新聞』)
 

<秋山ちえ子さん死去>ラジオから反戦訴え

 放送ジャーナリストの草分けで、ラジオ番組「秋山ちえ子の談話室」(TBSラジオほか全国で放送)を45年間続けた評論家の秋山ちえ子(あきやま・ちえこ、本名・橘川ちゑ=きっかわ・ちえ)さんが6日、呼吸器感染症のため東京都内の自宅で死去した。99歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は次男宣夫(のぶお)さん。

 ◇評伝 「談話室」45年

 市民の視点から生活実感のある評論でラジオによるルポルタージュという新分野を開拓した秋山さん。1948年からNHKラジオ「婦人の時間」のリポーターを務め、54年に第2回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

 57年から45年間続いた「秋山ちえ子の談話室」は、放送回数1万2512回を数えた。番組終了後も定期的にラジオに出演した。「国際間のもめごとを戦争で解決しないこと、置き去りにされる人のいない国づくり」のために語り続けた。

 菊池寛賞、東京都文化賞、エイボン女性年度賞などを受賞。華々しい功績を残す一方で、「それぞれができる小さなこと」を大事にする人だった。

 67年からは終戦記念日の8月15日に、東京・上野動物園で戦時中に餓死させられた象の物語「かわいそうなぞう」(土家由岐雄作・金の星社)の朗読を続け、戦争の悲惨さを訴え続けてきた。この朗読も、娘が持ち帰った児童書に収録されていたのを見つけたのがきっかけだった。

 弱い者の立場に立ち、子どもを慈しんだ。戦前には国立東京聾唖(ろうあ)学校教諭を務めた経験もある。スタジオの外に飛び出し、社会から置き去りにされた障害児支援に取り組み、毎日新聞小児がん征圧キャンペーンのコンサートにも足を運び、子どもたちを励ました。

 秋山さんの自宅を訪ねたのは2007年夏だった。「戦争の惨めさを知らない人が増えて、ちょっと勢いを得たように、憲法改正なんてとっても簡単におっしゃる。私は怖いのね」と声高ではなく、穏やかに語り、第1次安倍晋三内閣の政権運営を案じていた。

 昨年夏も、自宅で収録した「かわいそうなぞう」をラジオを通して読み聞かせた。「最後まで庭の草花を見ながらこの家で」と願った秋山さんは、最期も暮らしの中にいた。【本橋由紀】
(『毎日新聞』)


昨年までの3年間、このブログでは【今日は何の日・光太郎】というコーナーを設け、365日×3年間、毎日光太郎関連であった出来事をご紹介して参りました。その中で、昨年の5月4日に、秋山さんのことを書かせていただきました。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月4日

昭和29年(1954)の今日、中野のアトリエに、ラジオパーソナリティ・秋山ちえ子さんが訪問。ラジオ番組の録音を行いました。

当日の日記です。

晴、涼、 (略) NHK録音班3人と秋山ちゑ子さんくる、録音、

秋山ちえ子さんといえば、TBSラジオで放送されていた「秋山ちえ子の談話室」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。こちらは平日の朝、昭和32年(1957)から平成14年(2002)まで45年間もの長きにわたって放送されていました。

光太郎の談話が録音された昭和29年(1954)当時、秋山さんが担当していたのは、NHKさんの「私の見たこと、聞いたこと」という番組です。この時期の光太郎日記は記述が簡潔で、オンエアを聴いたという記述は見あたりません。当時のテープなどが残っていればと思うのですが、難しいでしょう。


というわけで、光太郎とも面識のあった秋山さん。今頃は空の上で、「その節は……」「いやいや、どうも」などと光太郎とお話ししているのでは、などと想像してしまいます。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【折々の歌と句・光太郎】

光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき
昭和13年(1938)頃 光太郎56歳頃

昭和20年(1945)の今日、太平洋戦争の空襲で、001東京駒込林町の光太郎アトリエが全焼しました。

大正の初めから智恵子と共に暮らした思い出深いアトリエと共に、多くの光太郎作品などが灰になりました。亡き智恵子が遺した紙絵は、それ以前に花巻、山形、茨城取手に分散疎開させていたので無事でした。

光太郎はその後、一時的に近くにあった妹の婚家に身を寄せ、さらに1ヶ月後、宮澤家の誘いで花巻に疎開、そのまま戦後もとどまり続け、昭和27年(1952)に、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再び上京するまで、岩手で暮らしました。

再上京した翌日、まだ更地だったこのアトリエ跡地を訪れ、感慨深そうにしていた光太郎の様子が、令甥の故・高村規氏の回想に記されています。

NHKさんで現在放映中の連続テレビ小説「あさが来た」。主人公・白岡あさのモデルとなった広岡浅子を始め、成澤泉こと成瀬仁蔵、田村宜こと井上秀など、光太郎智恵子と縁のあった人々が登場しています。

昨日のこのブログで書きましたが、光太郎の父・光雲と縁のあった人物も既に登場しています。松坂慶子さん演じる大隈綾子です。

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昭和4年(1929)、萬里閣書房から刊行された『光雲懐古談』という書物があります。大正11年(1922)から、光太郎と、光太郎の友人で作家の田村松魚が光雲の談話を聴き、田村がそれを書き留めたものが中心になっています。

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その中に、「大隈綾子刀自の思い出」という一項が設けられています。田村による聞き取りが行われていた大正12年(1923)、綾子が亡くなったことを受け、ちょうどいいい機会だから、と語ったものです。

それによると、綾子は御徒町に住んでいた旗本・三枝家の娘で、その三枝家が光雲の師匠・東雲の得意客であったことに端を発します。

一度は東雲が間に入って綾子が大工棟梁の家に嫁いだり(程なく不縁となり、出戻りましたが)、東雲が三枝家の屋敷を買い取ったり(移築されて、後に徴兵逃れのため光雲の養母となる東雲の姉・悦が暮らしました)、綾子の兄で当主の竜之介が東雲に大黒様の像を彫って貰ったところ、間もなく綾子と大隈重信の結婚がまとまり、大黒様の御利益だと評判になって、三枝家の親類筋からも大黒様の注文が入ったり……若き日の光雲はそうした経緯をそばで見聞きしていました。

また、綾子が大隈家に嫁いだ後、綾子が実家に残した厖大な「南無阿弥陀仏」の願文を、光雲が師匠に命じられて、川施餓鬼の時に、二、三時間かけて吾妻橋から隅田川に流したこともあるそうです。

光雲の綾子評。

噂に聞けば大隈夫人綾子と云ふ人は、大層よく出来た人だとの評判であるが、成程、娘時代からあれ丈けの辛抱をして心を錬つて居られた丈あつて、今日天下一二と云はれる政治家の夫人となつてもやはりその妻としての役儀を立派に仕終せるといふは、心掛けがまた別なものであるかと感心したことでありました。

綾子が亡くなった後、綾子の過去に関する誤った風聞――光雲曰く「元、料理屋の女中であつたなど、誰々の妾であつたなど」――が広まり、それを憂えた光雲が、懐古談の中で、特に綾子の話をしたというわけです。

ところで、年令の関係ですが、光雲は嘉永5年(1853)の生まれ。綾子は2つ上の嘉永3年(1851)生まれです。ちなみに広岡浅子は嘉永2年(1850)生まれ。浅子の方が年上です。

「あさが来た」では波瑠さん(あさ)と松坂慶子さん(綾子)で、どう見ても綾子の方が年上に見えますが、そこはドラマの演出上、仕方がないのでしょう。


ところで光雲の語った「大隈綾子刀自の思い出」、「青空文庫」さんで読むことが出来ます。ぜひお読み下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

春をりをり雨の寒さよ一人旅       明治42年(1909) 光太郎27歳

やっと暖かくなったと思ったら、寒の戻りで冷たい雨。「三寒四温」とはよく言ったものですね。

昨日に引き続き、NHKさんの「連続テレビ小説 あさが来た」ネタです。

新刊のムックをご紹介します。 

日経BPムック 広岡浅子のすべて 仕事と生涯

2016/02/20 日経BP社発行 定価815円+税

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約250点の写真、初公開史料、関係者インタビューで綴る「本当の広岡浅子」。
浅子の姉・春(ドラマでは「はつ」)、嫁いだ天王寺屋の末路は?
浅子死す! ―― その“最期”の状況は?
ドラマでは語られていない「真実」が、この1冊に!

今から約100年前、日本の経済、社会の豊かな発展と女性たちの輝かしい未来を祈った女性がいました。その人の名は、広岡浅子。

時代が大きく転換した幕末から明治の時代を駆け抜け、歴史に名を残す偉人に劣らぬ功績を、いくつも残した女性実業家でした。広岡浅子の生涯は今なお色褪せることのない学びや人生哲学に満ちています。

約250点の豊富な写真、初公開の最新史料、関係者インタビュー。そこから見える「広岡浅子」のすべてを、お伝えします――。

≪主な内容≫
NHK朝ドラのヒロインは“広岡浅子”がモデル
『あさが来た』で注目! 「白岡あさ」の物語

【第1章】 広岡浅子が生きた「九転十起」の人生
【第2章】 浅子が守った「加島屋」と文明開化の日本
【第3章】 浅子の仕事と明治の偉人たち
【第4章】 浅子が育てた人材、築いた「新しい時代」


B5判104頁で、なかなか読みごたえがありました。メインは実在の広岡浅子の紹介ですが、NHKさん提供のスチール写真もふんだんに使われ、番組の紹介も充実しています。

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さらに「【第4章】 浅子が育てた人材、築いた「新しい時代」」の中で、日本女子大学校つながりの智恵子も紹介されています。

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その他、光太郎智恵子と関係の深い平塚らいてう、小橋三四子、井上秀(ドラマでは田村宜)、一昨年の朝ドラ「花子とアン」の主人公・村岡花子らの紹介も充実しています。

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ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

夕ばえや氷河下界に流れ去らず      明治42年(1909) 光太郎27歳

春とはいえ、まだまだ寒い日が続きます。インフルエンザ等も流行中。皆様もご自愛ください。

明治の女性実業家・広岡浅子を主人003公としたNHKさんで放映中の連続テレビ小説「あさが来た」。 いよいよ女子大学校設立に向けての話になって参りました。モデルとなっている学校は、智恵子の母校・日本女子大学校。「日の出女子大学校」という仮名で扱われます。再来週の第23週で、ついに女子大学校開校が扱われるそうです。

同校の開校は明治34年(1901)、智恵子の入学は同36年(1903)。智恵子と浅子、さらに光太郎、そして初代校長・成瀬仁蔵(朝ドラでは成澤泉)との関わりについては、昨年末のこのブログでご紹介しました。

成瀬仁蔵(成澤泉)役の瀬戸康史さんも、なかなかはまり役ですね。ヘンデル作曲の「O' load correct me」を唄うシーンがありましたが、この歌は日本女子大学校の愛唱歌として受け継がれているそうです。「智恵子抄」などの光太郎の詩にオリジナル曲を付けて歌われているモンデンモモさんは、同校の附属高等学校のご出身ということもあり、「智恵子抄」を扱うコンサートではよくこの曲を歌われています。


あさの娘・千代(広岡亀子)の親友で、吉岡里帆さん演じる田村宜のモデルは、同校一回生にして、のちの第4代校長となる井上秀。秀と光太郎智恵子の関わりについても、昨年のこのブログでご紹介しました。

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秀の同級生である一回生には、他にも小橋三四子、柳八重、服部マスなど、光太郎智恵子と関わりの深い人物がたくさんいます。また、ゲスト的に出演なさった三宅裕司さん演じる渋沢栄一は、のちに同校の第3代校長になります(秀が就任するまでの短期間、つなぎのような感じだったようですが)。

また、あさと、既に亡くなってしまった五代友厚(ディーン・フジオカさん)との会話の中で、自転車に関する話題が何度かありました。

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同校ではいち早く自転車を取り入れました。そのための伏線なのでは、と思って見ていましたが、考えすぎでしょうか。ちなみに智恵子のいた寮では智恵子が一番乗りでマスターしたそうです。

今後も目が離せません。


【折々の歌と句・光太郎】

おたがひにおとしめなげく人間のあぢきなきゆゑ寂しさきはまる
大正13年(1924) 光太郎42歳 

朝ドラ「あさが来た」では、女子大学校の開校までの道のりがかなり険しかったこともきちんと描かれています。今朝の回は、あさが刺されて入院している場面でしたが、じっさいにそういうことがあったそうです。お互いに貶め、嘆く悲しき人間の性(さが)と言ってしまえばそれまでですが。

テレビ放映情報です。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2016年2月10日(水)  6時45分~6時55分  再放送 17時10分~17時20分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけてもらうことをねらいとしている。今回は、僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきおとこ、うた/スキー、道程

出演 小錦八十吉,神田山陽,おおたか静流 ほか

この番組では、時折光太郎作品を取り上げて下さっています。昨年暮れに亡くなった浪曲師・国本武春さんの歌による「ベベンの冬が来た」が定番の一つでしたが、もう一つ定番で、「道程」がよく取り上げられます。

子役たちの朗読によるバージョンと、坂本龍一さん作曲のうたによるバージョンとがありますが、今回の放映はどちらになるか不明です。また、過去の映像の使い回しか、新作かもわかりません。

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ついでに光太郎の周辺人物に関わるテレビ番組をご紹介しておきます。 

黒柳徹子のコドモノクニ 「宮沢賢治が残したメッセージ 童話から広がる宇宙への旅」

BS朝日 2016年2月10日(水)  22時00分~23時00分

BS朝日開局15周年特別企画▽大正から昭和にかけて発刊され、一流画家や詩人、作曲家がこぞって作品を寄せた伝説の絵雑誌『コドモノクニ』。藤田嗣治、東山魁夷、竹久夢二、野口雨情、北原白秋…。絵画、詩、童謡など様々なジャンルで、子どもたちのために本気になった大人たちの思いとは?黒柳徹子が今、未来へ続くメッセージを届ける。現代の芸術家・著名人が『コドモノクニ』からインスピレーションを得て生み出す新作にも注目!

宮沢賢治は、後に「イーハトーブ」と名付ける自然豊かな故郷、岩手県花巻で野山を散策して石を集め、満天の星空に思いをはせて少年時代を過ごした。このときの「夢」が賢治の童話の世界を生み出すことになった…。賢治と同様に、石を集めることを趣味とする写真家・浅井愼平が賢治の作品の世界を探る。

死の2年前、小さな手帳にメモのように書き記した「雨ニモマケズ」。2011年の東日本大震災では、被災された方々へのエールとして多くの人々が「雨ニモマケズ」を朗読した。今も受け継がれる賢治の魂をたどる。

出演 黒柳徹子 浅井

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プレミアムカフェ(1)猫を愛した芸術家の物語(2)迷宮美術館 猫の展覧会

NHKBSプレミアム 2016年2月11日(木)  9時00分~11時13分  再放送 2月19日(金) 午前1時30分〜

(1)おまえなしでは生きていけない~猫を愛した芸術家の物語~藤田嗣治 パリで拾った愛と成功
(2)アートエンターテインメント 迷宮美術館 猫の展覧会

特集 愛すべきパートナー・ねこ (1)おまえなしでは生きていけない~猫を愛した芸術家の物語~藤田嗣治 パリで拾った愛と成功(初回放送:2011年)女と猫の画家とも称された藤田嗣治。天才の孤独を癒やした猫たちとの物語 (2)アートエンターテインメント 迷宮美術館 猫の展覧会(初回放送:2005年)名画に登場する猫たちがスタジオに集合!専門家を招き、猫学の視点から画の謎を読み解く

司会  段田安則,住吉美紀
 ゲスト 高木美保,吉村作治,濱田マリ,川崎麻世,千代間咲恵,中村有志

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ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

何ならん人間界に立ちまじるこのうつそ身の外なるものは
大正13年(1924) 光太郎42歳

光太郎は関東大震災後の、不穏な世の中、さまざまな社会の矛盾に対しての怒りを露わにします。詩ではそうした荒ぶる魂――人間界に立ちまじるうつそ身の外なるもの――をさまざまな猛獣に託した「猛獣篇」の連作が書かれました。

昨日、予約注文しておいたDVDが届きました。

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 《米沢~大間崎編》

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太川陽介&蛭子能収のコンビにマドンナ1名を迎え、男女3人が路線バスだけを乗り継ぎ3泊4日で目的地を目指すガチンコ旅。今回はマドンナとしてさとう珠緒を迎え、山形は米沢市から本州最北端・青森県大間崎を目指します。道も無い! 宿も無い! バスもそれほど走ってない!! 魅惑の酒造やバラ園を尻目に、ひたすら続くのは炎天下の徒歩の旅!? 数々の超絶トラブルを乗り越えて、果たして三人は大間のマグロにたどり着けるのか!? 蛭子とエビ子の迷(?)コンビも必見です!!

出演 太川陽介、蛭子能収、さとう珠緒、キートン山田(ナレーション)

特典
蛭子能収描きおろしイラストジャケット仕様 旅の経路マップ封入
<音声特典>  オーディオコメンタリー(太川陽介×蛭子能収×さとう珠緒)
<映像特典>  ・歴代マドンナ集合!大感謝祭 未公開映像集 <後編>
                        ・太川&蛭子DVD発売コメント
                        ・「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE」予告編
本編収録時間 : 約109分
定価 : 3,800円+税

テレビ東京系の人気番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の第15弾として、平成25年(2013)8月31日にオンエアされた《米沢~大間崎編》を核に、特典映像をおさめたものです。

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太川陽介さん、蛭子能収さんのお二人と、毎回変わる「マドンナ」――この回はさとう珠緒さん――が、路線バスを乗り継いで目的地を目指すというコンセプト。毎回、3泊4日という時間制限があり、さらに路線バス以外の交通機関利用禁止というルールがあります。

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この回は、山形県の米沢から本州最北端の青森県大間崎を目指す、走行距離約510㌔というものでした。

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4日目(最終日)の朝、一行は秋田の大湯温泉を出発、十和田湖に立ち寄っています。

光太郎関係の展示もある観光交流センターぷらっと(放映当時にはまだオープンしていませんでした)のすぐ前にあるバスターミナルに到着。

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続いて焼山行きのバスに乗り換える予定でしたが、待ち時間を利用して、このブログでもご紹介した喫茶店「茶房憩い」さんで一休み。

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光太郎作の「乙女の像」も写りました。

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その後、当方も何度か利用したJRさんのバス「みずうみ号」に乗り、奥入瀬渓流を通って先を目指します。

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果たしてゴール成るか、というところですが、それはご購入してのお楽しみ。

通常の旅番組と異なり、ある意味行き当たりばったりの珍道中。それでいて、訪れた場所の魅力もしっかり表現され、また、お三方の掛け合いも絶妙です。

テレ東さんのサイトから購入可能です。ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

あしきもの追儺(やら)ふとするや我船を父母(ちちはは)います地より吹く風
明治39年(1906) 光太郎24歳

今日は節分。各地の寺社などで豆まきなどが行われます。当方事務所兼自宅近くの香取神宮には大相撲の錣山親方(元寺尾関)と豊真将関、成田山新勝寺には市川海老蔵さん、横綱白鵬関、大関稀勢の里関、NHK大河ドラマ「真田丸」にご出演の草刈正雄さん、高畑淳子さん、西村雅彦さん、藤本隆宏さん、藤岡弘、さんなどがいらっしゃいますが、インフルエンザウィルスをもらいに行くような気もしますので行きません。

ところで節分は、元々は季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊払いの儀式であった宮中の伝統行事・「追儺(ついな)」に端を発します。「追儺」は「鬼追儺(おにやら)い」などとも称されました。

さて、明治39年(1906)の今日、光太郎は横浜港からカナダ太平洋汽船のバンクーバー行き貨客船アセニアンに乗り、出港。4年にわたる海外留学に出発しました。

まるで自分が邪鬼で、日本から追われるように感じたというところですね。

近々放映されるテレビ番組情報です。再放送も含みます。 
NHK Eテレ 2015年12月13日(日)  9時00分~9時45分
                     再放送 12月20日(日) 20時00分~20時45分

1月に閉館する神奈川県立近代美術館・鎌倉は“カマキン”の愛称で親しまれてきた。鶴田真由さんと最後の展覧会を訪ね、美術館の意義、収蔵作品や建物の魅力を紹介する。

“カマキン”の愛称で親しまれてきた神奈川県立近代美術館・鎌倉が、1月に閉館する。65年前日本最初の公立美術館として誕生、クレーやムンクを初めて本格的に紹介するなど先端的な存在であり続けた。番組では、幼いころからカマキンに親しんできた鶴田真由さんとともに最後の展覧会「鎌倉からはじまった。」を訪問。坂倉準三設計の建物の“ひかれる場所”を写真撮影しながら、美術館が人の心にどんな贈り物をしたのか振り返る。

司会 井浦新,伊東敏恵003

ゲスト
鶴田真由さん(女優)
長門佐季さん(神奈川県立近代美術館主任学芸員)
酒井忠康さん(世田谷美術館館長)
水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)


10月のこのブログでご紹介した、光太郎彫刻・油彩画も展示されている神奈川県立近代美術館・鎌倉館「鎌倉からはじまった。1951-2016 PART 3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生」」からの番組内容です。

出演者のうち、水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)、長門佐季さん(神奈川県立近代美術館主任学芸員)は、昨年の連翹忌にご参加下さいました。

実は今日、水沢館長のギャラリートークがあるというので、「カマキン」さんにお邪魔する予定でした。しかし、急遽、秋田横手の雄物川郷土資料館さんに行く先を変更しました。第3回特別展「横手ゆかりの文人展 大正・昭和初期編 ~あの人はこんな字を書いていました~」を拝見してきます。  

宿泊は花巻。花巻高村光太郎記念会の方々と、いろいろ打ち合わせ、さらに明後日は高村光太郎記念館企画展「高村光太郎山居七年」(後期)を拝見してきます。
 

あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~「宮城県女川町 勝又愛梨さん」

NHK総合 2015年12月14日(月)  23時20分~23時25分

東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県女川町の高校生、勝又愛梨さんは、大好きだったそう祖父母を奪った津波の怖さを後世に伝えるために災害の教材づくりに取り組む。

12/7(月)の昼間に本放送があり、今回は再放送です。同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」プロジェクトなどが取り上げられます。5分間の短い番組ですが、感動ものです。
 
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にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年12月17日(木)  6時45分~6時55分  再放送 17時10分~17時20分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、コニちゃんの相撲の決まり手/特殊技、文楽/白雪姫、ちょちょいのちょい暗記/7級「十二ヶ月」岐阜県 白川郷、うた/村の鍛冶屋、ベベンの冬が来た

出演者 豊竹咲甫大夫,鶴澤清介,三世 桐竹勘十郎,うなりやベベン,小錦八十吉,おおたか静流 ほか


こちらも再放送。本放送は12/3(木)でした。

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英雄たちの選択「藤田嗣治“アッツ島玉砕”の真実」

NHKBSプレミアム 2015年12月17日(木)  20時00分~21時00分

戦前、フランスに渡った藤田嗣治は、「乳白色の肌」の裸婦で高い評価を受け、本場の画壇で成功を収めた。しかし、時代が戦争へ傾くと、戦火を避け帰国、軍の要請を受諾し戦争画を制作する。1943年(昭和18年)、藤田が描いた「アッツ島玉砕」。藤田が、この戦争画にこめた思いは?戦意高揚のプロパガンダなのか、あるいは芸術なのか?「アッツ島玉砕」制作の真実に迫る。

司会  磯田道史,渡邊佐和子,
出演  一ノ瀬俊也,中野信子,高橋源一郎,三浦瑠麗,
語り  松重豊

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光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)が取り上げられる映画「FOUJITA」が公開中で、やはり我が国を代表する小栗康平監督作品ということもあり、関連番組も多く作られています。おそらく今回も映画「FOUJITA」の紹介があるでしょう。

光太郎は詩文による戦争協力、藤田は絵による戦争協力。そこには相通じるものがあるように感じます。そうした話が出ればなおよいのですが……。


以上、ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月12日

慶応元年(1865)の今日(旧暦ですが)、江戸浅草で大火がありました。

現在の駒形あたりから出火、強風にあおられて燃え広がり、浅草のランドマーク、浅草寺の雷門も焼け落ちました。

数え14歳だった光雲は、師匠・高村東雲のもとで年季修行中。師匠の家も焼け、命からがらの目に遭ったことが、昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』に記されています。画像は『光雲懐古談』に載った類焼地域の図です。

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ところでこの大火の日付ですが、ネットで調べると「12月12日」と「12月14日」と、2種類あります。『光雲懐古談』では14日。しかし、当時のかわら版などによると、どうも12日が正解のようです。浅草寺さんのHPなどでも12日説を採っています。

なにはともあれ、火の用心、ですね。

昨日、地上波フジテレビさんの系列で放映されている情報番組「ノンストップ!」で、西城秀樹さんによる光太郎詩「道程」(大正3年=1914)の朗読の話題が紹介されました。

テレビ番組情報サイト等で、「高村光太郎」「道程」といった単語が使われていなかったので見落としていたのですが、一昨日、花巻高村光太郎記念会さんから「光太郎肖像写真の画像を提供した」旨のメールを戴いて知った次第です。

先週のこのブログで2回にわたりご紹介した「「世界・日本名作集よりリーディング名作劇場「キミに贈る物語」~観て聴いて・心に感じるお話集~」 (渋谷Bunkamuraシアターコクーンで西城さんは12/3(木)、12/4(金)にご出演)の様子と、楽屋でのインタビューなどから構成されていました。

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2回、脳梗塞を発症した西城さん、後遺症と闘いながら、今回初めて朗読に挑戦。

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光太郎の「道程」を取り上げて下さいました。

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よく知られている9行の短い決定型(大正3年=1914の10月、詩集『道程』に収めたバージョン)ではなく、同じ年の2月に雑誌『美の廃墟』に発表した102行ある長いバージョンの中から抜粋して朗読されたようです。

長い原型バージョンはこちら。ちなみに今年4月にリニューアルオープンなった花巻高村光太郎記念館さんでは、声優の堀内賢雄さんによるこの長いバージョンなどの朗読が聴けるコーナーを設けてあります。

西城さん、報道で脳梗塞からのリハビリ中とは存じていましたが、映像で見ると、ほんとうに一語一語、絞り出すように語られていて、「ここまでの状態なのか」と、ある意味、ショックでした。しかし、そういうご自分の状態を隠さずに、あえて現状を公表する姿に感銘を受けました。

その後、楽屋でのインタビュー。

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旋律に乗せて「歌う」より、「喋る」方が困難だそうです。そういわれてみると、吃音の障害のある人も、歌になると滑らかに歌える場合があり、なるほど、と納得しました。

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あえてその困難な朗読に挑戦する姿には、頭が下がります。同様のご病気などで闘病中の皆さんの励みになるのではないでしょうか。

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その意気で、今後もがんばり続けて下さい!


さて、テレビついでに今夜の番組をご紹介します。昨日になって詳細情報が出ました。

美しい日本に出会う旅 憧れの紅葉・絶景スペシャル~錦秋の北アルプス・京都・奈良

BS-TBS 2015年12月9日(水)  19時00分~20時54分

美しい日本へ!行ってみたいあこがれの地。この目で見てみたい、あの絶景。味わってみたい絶品料理。今回は日本全国紅葉の絶景を楽しむ2時間スペシャル。
日本の秋の醍醐味は、錦に染まる紅葉。名所から穴場まで、2015年の紅葉を味わい尽くす2時間スペシャルです。京都では、秀吉が夢見た紅葉狩りの地から、とっておきの隠れ紅葉を訪ねます。東北の百名山・安達太良山は、見渡す限りの紅葉に染まります。奈良の聖地・天川村も紅葉一色。名物・柿の葉寿司も秋だけの紅葉色に!そして上高地へ抜ける、憧れの北アルプス紅葉街道へ。白骨温泉のにごり湯で、贅沢な紅葉狩り。もう一度、今年の紅葉を心に焼き付けましょう。

旅の案内人 中村七之助

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智恵子が「ほんとの空」(「あどけない話」)があるといった、安達太良山が取り上げられます。ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月9日000

平成21年(2009)の今日、桑田佳祐さんのシングルCD「君にサヨナラを」がリリースされました。

カップリング曲に「声に出して歌いたい日本文学 <Medley>」。18分42秒の大作で、「あどけない話」を含む近代日本の名作文学の一節を歌詞としています。ラインナップは以下の通り。

汚れつちまつた悲しみに(中原中也)/あどけない話(高村光太郎)/人間失格(太宰治)/みだれ髪(与謝野晶子)/蜘蛛の糸(芥川龍之介)/蟹工船(小林多喜二)/たけくらべ(樋口一葉)/一握の砂(石川啄木)/吾輩は猫である(夏目漱石)/銀河鉄道の夜(宮沢賢治)

この曲は、平成24年(2012)発売のアルバム「I LOVE YOU -now & forever-」にも収録されました。

テレビ放映情報です。

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 
本放送 2015年12月3日(木)   6時45分~6時55分  
再放送      〃       17時10分~17時20分
    2015年12月17日(木)  6時45分~6時55分  17時10分~17時20分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、コニちゃんの相撲の決まり手/特殊技、文楽/白雪姫、ちょちょいのちょい暗記/7級「十二ヶ月」岐阜県 白川郷、うた/村の鍛冶屋、ベベンの冬が来た

出演者 豊竹咲甫大夫,鶴澤清介,三世 桐竹勘十郎,うなりやベベン,小錦八十吉,おおたか静流 ほか

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この番組では、年に数回、光太郎作品を取り上げて下さっています。この時期は毎年のように「冬が来た」(大正2年=1913)。以前の映像の使い回しかも知れません。


  冬が来た
 004
きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹(いてふ)の木も箒になつた
 
きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬

草木に背(そむ)かれ、虫類に逃げられる冬が来た
 
冬よ005
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
 
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た


南関東に住んでいますと、まだそれほど「冬」という感覚ではないのですが、もう明日から12月ですね。十和田や花巻、そして女川、二本松など東北各地ではもはや冬本番なのでしょうが。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月30日

平成11年(1999)の今日、二玄社から『高村光太郎 書の深淵』が刊行されました。

当会顧問、北川太一先生のご著書です。

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テレビ放映情報です。 

趣味どきっ! 石川九楊の臨書入門 第8回▽最愛の妹への思い~宮沢賢治×トシ

本放送 NHKEテレ 2015年11月24日(火)21時30分~21時55分
再放送 NHK総合     2015年11月26日(木)10時15分~10時40分 
    NHKEテレ 2015年12月1日(火) 11時30分~11時55分

「銀河鉄道の夜」と宮沢賢治最愛の妹・トシの死とは、どんなの関わりがあるのか?「雨ニモマケズ」はいかに生まれたのか?故郷・花巻への旅、そして賢治の筆跡から探る。

岩手県花巻に生まれた宮沢賢治。農業高校に学びながら、鉱物や天体への知識も養い、独特の表現で多くの物語を創作した。そんな賢治の最大の理解者が妹のトシ。24歳の若さでこの世を去ったトシは賢治にとって、どんな存在だったのか。トシの筆跡にも触れ、強い絆で結ばれた兄と妹の関係をひもとく。また「雨ニモマケズ」は、賢治がどんな思いで書いたものなのか、精密に復元された手帳を見ながら、鉛筆を使って臨書に挑戦する。

出演 石川九楊 羽田美智子 牛崎敏哉(宮沢賢治記念館副館長)
        宮沢和樹(宮沢賢治の遺族・「林風舎」代表)

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過日、第5回として「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」が放映された番組の最終回です。取り上げられるのは宮澤賢治。花巻ということで、光太郎の回と同じ時期に収録が行われました。

毎回、女優の羽田美智子さんが、書家の石川九楊氏のご指導のもと、それぞれの人物の臨書に挑戦なさいますが、今回のお題は「雨ニモマケズ」。

この詩は賢治の代表作として認知されていますが、生前には発表されませんでした。元々は亡くなる2年前の昭和6年(1931)秋から翌年にかけ、主に病床で書き連ねた手帖に記されていたものです。

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賢治歿後の昭和9年(1934)、新宿で開かれた賢治追悼の会の席上、実弟の清六が持参した賢治のトランクから出て来たこの手帖に書かれていた「雨ニモマケズ」が「発見」されました。その場にいたのは光太郎、宮沢清六、草野心平、永瀬清子、巽聖歌、深沢省三、吉田孤羊、宮靜枝らでした。

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その場にいた詩人の永瀬清子の回想から。

昭和九年の二月になってふと宮澤賢治氏の追悼会をひらくので新宿の映画館の地下にある「モナミ」へ来るようにお通知が来た。
(略)
その会には弟の宮沢清六さんが来ていらした。はるばる岩手県の花巻から賢治さんの原稿のつまった大きなトランクをさげて上京されたのだ。多分あとで考えると宮沢賢治選集のはじめての出版のためであったものと思う。
 そのトランクからは数々の原稿がとりだされた。すべてきれいに清書され、その量の多いことと、内容の豊富なこと、幻想のきらびやかさと現実との交響、充分には読み切れないまま、すでにそれらは座にいる人々を圧倒しおどろかせた。
 原稿がとりだされたのはまだみんなが正式にテーブルの席につくより前だったような感じ。みな自由に立ったりかがみこんだりしてそのトランクをかこんでいた。
 そしてやがてふと誰かによってトランクのポケットから小さい黒い手帳がとりだされ、やはり立ったり座ったりして手から手へまわしてその手帳をみたのだった。
 高村さんは「ホホウ」と云っておどろかれた。その云い方で高村さんとしてはこの時が手帳との最初の対面だったことはたしかと思う。心平さんの表情も、私には最初のおどろきと云った風にとれ、非常に興奮してながめていらしたように私にはみえた。
 「雨ニモマケズ風ニモマケズ――」とやや太めな鉛筆で何頁かにわたって書き流してある。
 『春と修羅』はすでによんでいても、どうした人柄の方かすこしも聞いたことがなかったので、この時私には宮沢さんの本当の芯棒がまっすぐにみえた感じがした。或はその芯棒が私を打ったのかもしれない。でも私だけでなく一座の人々はそれぞれに何かこのめっそうもないようなものを感じとった風だった。
 この時の世の中で、この時の詩壇で、一般には考えられないようなことがそこには書いてあったのだ。それはその時までに詩のことばとして考えられていたもの以上だったから、或は粗雑で詩ではないと人はみるかもしれぬ。でもそこにはきらびやかな感覚の底にあった宮沢さん自身が、地上に露呈した鉱脈のように見えていた。又それがほかの清書された原稿ではなく、小さい小さい手帖だったから、自分自身のために書かれた一番小さい手帖だったから、いっそうその感が強かったのだ。
(『かく逢った』 昭和56年=1981 編集工房ノア)


その後、昭和11年(1936)になって、光太郎は宮澤家の依頼でこの詩の後半部分を揮毫、花巻の羅須地人協会跡にその書を刻んだ碑が建てられました。番組では、手帖発見の経緯はともかく、この碑くらいは紹介されるのではないかと思われます。ぜひ光太郎の筆跡であることも紹介していただきたいのですが、どうなりますか。市販されている番組のテキストには紹介がありますが、必ずしもテキストと番組の内容が一致はしていませんので……。

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さらに番組では、これまで毛筆での臨書に挑戦されていた羽田美智子さん、今回は硬筆(鉛筆)での臨書です。楽しみです。


書といえば、先日、京都の地方紙『丹波新聞』さんが、書についてのコラムの中で、光太郎の名を出して下さいました。 

人の縁結ぶ作品展

2015年11月15日
 「赤や黄に山々染める面白さ」。紅葉シーズンである。日に日に色づく周辺の景色を見るにつけ、秋の深まりを感じる。
  各地で作品展などが行われる中、丹波市氷上町犬岡地区の男性2人展(15日まで開催)はユニークな試み。地域に住む元会社の技術者と元教員という取り合わせも異色。写真と絵画のコラボで、地域の人たちにとっては、身近な人の作品だけに親しみがわき、刺激になったと思う。地域外からも訪れる人があり、交流の場になっている。
  どちらも定年後の趣味を生かしている点が共通する。所属するサークルなどに出品することはあるが、地元の公民館での作品展は初めて。各世帯に配りものをする地域の役員や成人の若者の笑顔をとらえた写真には、「地域ならではの作品だな」と感じた。写真を出品した人は大阪からのIターンで、新鮮な目で見た地域の風景や人が題材になった。スケッチ先で話をした老婆が作品に描かれた絵画は、会話の場面が浮かぶ。
  地域には様々な特技や趣味を持った人がいる。地域の隠れた人材を掘り起こす発表の場として、身近な場所で作品展が開けるのではないだろうか。背中を押す人も必要だ。歩いて見に行ける展覧会の輪が広がることを願う。
  詩人の高村光太郎に「甘酸是人生」という書がある。人生には、甘さと酸っぱさの両方がある。長年の仕事人生に裏打ちされた味のある作品を見ながら、そんな気持ちを抱いた。数日後、「感謝と笑顔があれば幸せは向こうからやってくる」という言葉に出合った。こういう気持ちも大切にしたい。「人と人結ぶ作品花開く」。(臼井 学)


「甘酸是人生」は、「趣味どきっ!」の光太郎の回で取り上げられた書です。おそらくこの記事を書かれた記者さん、番組をご覧くださったのでしょう。ありがたや。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月18日

昭和33年(1958)の今日、画家の木村荘八が歿しました。

木村は、光太郎と共に大正元年(1912)のヒユウザン会(のちフユウザン会)設立に関わるなど、光太郎と縁の深かった画家です。くわしくはこちら


書家・石川九楊氏と共に番組のナビゲータ役を務める女優の羽田美智子さんによる「レモン哀歌」の朗読から始まりました。

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JR在来の花巻駅に降り立った石川氏と羽田さん、路線バスに乗り込み、光太郎が戦後の昭和20年(1945)秋から7年間を過ごした旧太田村の高村山荘へ。花巻高村光太郎記念会の高橋氏がお出迎え。

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通常は立ち入れない、山荘内部に入り、ありし日の光太郎に想いを馳せられました。

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その後、隣接する花巻高村光太郎記念館に移動。太田村時代の書の数々を御覧になりました。

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ここで、羽田さんのナレーションによる、光太郎智恵子の生涯のレクチャー。毎年4月2日に、花巻連翹忌が行われる松庵寺さん(光太郎が毎年のように光雲・智恵子の法要を行い、詩碑も立っています)、二本松の智恵子生家、智恵子の書簡、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」なども次々紹介されました。カメラマン阿部徹雄撮影の写真や、当方の提供した古写真などが効果的に使われていました。

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その後、この番組の肝、羽田さんによる臨書。

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記念館に展示されている光太郎の書「甘酸是人生」の中から、「人生」の二文字に、羽田さんが挑戦しました。

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同じ番組で、与謝野晶子や太田垣蓮月の流れるような「女手」にはさほど苦労していなかった羽田さんでしたが、はじめは光太郎の独特の筆法に悪戦苦闘。しかし、石川氏の丁寧なご指導で、紙に筆で彫刻するような書き方を体感することができました。

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当方、かつて石川氏の著作などを拝読し、こうした筆遣いの特異性については頭では理解していたつもりでしたが、映像で臨書の場面を拝見し、実感がわきました。

見逃した方、再放送が2回あります。

NHK総合  2015年11月5日(木)   10時15分~10時40分
NHKEテレ 2015年11月10日(火)   11時30分~11時55分

さらに、今月末には最終回として「「雨ニモマケズ」 最愛の妹への思い 宮沢賢治×宮沢トシ」のオンエアがあります。こちらでも花巻つながりで光太郎に触れるかもしれません。ぜひご覧下さい。

本放送 NHKEテレ  2015年11月24日(火)   21時30分~21時55分
再放送 NHKEテレ 2015年12月1日(火)    11時30分~11時55分
(NHK総合での再放送は未定)

また、番組のテキストもぜひお買い求め下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月4日

明治44年(1911)の今日、鉄幹与謝野寛の渡欧送別会に出席しました。

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後列左から5人目が光太郎、前列左から6人目が鉄幹です。

その他、後列左から4人目は佐藤春夫、同じく8人目は北原白秋、その隣が木下杢太郎。前列左から3人目に永井荷風、その隣に森鷗外も写っています。

テレビ放映情報です。 

趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子

本放送 NHKEテレ 2015年11月3日(火)   21時30分~21時55分
再放送 NHK総合  2015年11月5日(木)   10時15分~10時40分
    NHKEテレ 2015年11月10日(火)   11時30分~11時55分

書から歴史上の人物像に迫る臨書入門。今回は詩集「智恵子抄」でも知られる彫刻家・高村光太郎。妻・智恵子の死、戦争とどう向き合ったのか?不思議な書が示すこととは?

明治から昭和にかけて彫刻、詩など数々の作品を発表した高村光太郎は、書でも唯一無二の存在。愛妻・智恵子の死、そして戦争賛美の詩を書いた自分を責め、終戦直後の7年間、岩手・花巻の山荘にこもり自己と向き合った光太郎。その時書いたのは、不思議な筆致の文字だった。この書が意味することとは何か?花巻の高村山荘を訪ね、直筆の書に出会い探る。また光太郎がリンゴ農家へ送った書「甘酸是人生」の「人生」を臨書する。

出演 石川九楊 羽田美智子

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今月から始まった「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」。書家の石川九楊氏と、女優の羽田美智子さんをナビゲーターに、歴史上の男女を1組ないし2組ずつ取り上げて、その書の魅力に迫る番組です。

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各回で、石川氏のご指導のもと、羽田さんがそれぞれの人物の書を臨書します。今回は、光太郎の書から「人生」の二文字。

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上記は現在、新刊書店で並んでいる同番組のテキストから。NHK出版さんのサイトからも購入できます。

テキスト、さらには番組内でも光太郎智恵子の人生について、レクチャーがあります。制作に協力させていただき、当方の提供した画像が画面を飾るはずです。お楽しみに。

この番組の第2回放送が「愛と情熱の歌人 夫のための百首 与謝野晶子×与謝野鉄幹」で、与謝野夫妻研究の第一人者・逸見久美様がご出演。逸見様も連翹忌のご常連のお一人で、当方を紹介していただきました。ありがたいかぎりです。

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鉄幹晶子の回は、駒場の日本近代文学館さんでロケが行われ、非常に丁寧な作りになっており、興味深く拝見しました。光太郎の回は、今年リニューアルオープンとなった花巻の高村光太郎記念館、隣接する光太郎が戦後の7年間を暮らした高村山荘での収録。臨書される「甘酸是人生」の書も、同館に収蔵されているものです。

ご期待下さい!


ついでにもう1件。   

歴史秘話ヒストリア第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年11月3日(火)  27時08分~27時51分 =4日(水)午前3時08分~3時51分

彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。

今からおよそ100年前の1914年(大正3年)12月、彫刻家、詩人の高村光太郎と、画家の卵である長沼智恵子が、実験的な同居生活をスタートさせた。婚姻届を出さず、夫婦別姓。家事を分担し、対等な人間同士として、それぞれの創作に打ち込んだ。絶えざる戦争のわずかな合間、自由な文化が花開いた大正という時代を追い風にした「愛の試み」だった。光太郎と智恵子は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた。命を懸けて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは何か。バレンタインデーを前に、詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の物語を紹介する。

出演 前田亜季 鈴木一真
キャスター 渡邊あゆみ

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今年2月に放映されたものの再放送です。7月に放映された「第223回 漱石先生と妻と猫~“吾輩は猫である”誕生秘話~」と2本セットで放映するとのこと。2月の放送を見逃した方、ぜひどうぞ。ただし、深夜、というか未明です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月28日000

昭和27年(1952)の今日、終焉の地となった中野のアトリエで、雑誌『アトリヱ』のため、編集者の国安芳雄と対談を行いました。

対談は12月の同誌313号に掲載されました。次の前書きが付されていました。

 青森県の要請に依りその湖畔に等身の裸女を制作するため、七年ぶりで上京された高村光太郎氏を訪ねる。幸い旧知の本誌、国安(旧姓住友)との間に話題は間断なく流れ、七〇有余歳、尚青年の如き高村氏の情熱にききほれる。生涯をこめての、きびしい歩みの果に、この純白のアトリエに籠り、彫刻の意味を究明しようという翁の健康に幸あれと祈る。

光太郎は戦前の昭和3年(1928)には、当時住友姓だった国安の肖像彫刻を制作しました。「S君の像」、「住友君の首」といった題をつけられたこの彫刻、おそらく昭和20年(1945)の空襲で焼失、現存が確認できていません。

明日からNHKさんで放映が始まる連続テレビ小説「あさが来た」。

三井財閥のお嬢様で、大阪の豪商・加島屋に嫁ぎ、女性実業家として活躍した広岡浅子が、波瑠さん演じる主人公・今井(のち白岡)あさのモデルです。下記は昨日の『朝日新聞』さんの土曜版です。

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広岡浅子は、夫の信五郎(ドラマでは新次郎・玉木宏さん)ともども、実業家として、大同生命、尼崎紡績(現・ユニチカ)などを創立し、銀行業や炭坑事業なども手広く手がけました。といって、金、金、金の我利我利亡者ではなく、幼い日に自らが学問を禁じられた悔しさから、女子教育への支援も行いました。

明治34年(1901)に開校した日本女子大学校(現・日本女子大)の創立者・成瀬仁蔵は、浅子の援助を受けて開校にこぎ着けました。目白台の校地は、浅子の実家・三井家の土地でした。浅子自身も、上京した折には来校し、生徒と交流を深めたといいます。

そこで光太郎智恵子とつながります。

智恵子は明治36年(1903)に同校普通予科に入学していますので、たびたび同校を訪れた浅子と顔を合わせている可能性が非常に高いと思われます。智恵子の一学年上には平塚らいてう、三学年上の一回生には光太郎との間を取り持った柳敬助夫人・八重、同じく小橋三四子などがいました。やはり一回生で、のちに同校初の女性校長となった井上秀も、光太郎に講演の依頼をするなどしています。

特に小橋は卒業後、同校同窓会である桜楓会の機関誌『家庭週報』の編集に携わり、浅子とさらに縁が深くなります。浅子は同校以外の若い女性にも門戸を開き、大正3年(1914)から亡くなる前年の同7年(1918)まで、静岡御殿場の別荘で勉強会を開いていましたが、そこには小橋の紹介で市川房枝も参加していました。ちなみに昨年上期の連続テレビ小説「花子とアン」の主人公・村岡花子もこの勉強会に参加していたそうです。さらに言うなら、この時期には宮澤賢治の妹で、夭折したトシが同校に在学していました。

筑摩書房の『高村光太郎全集』には、浅子の名は出て来ませんが、平成11年(1999)の全集完結後、新たに見つかった光太郎文筆作品等を収めている「光太郎遺珠」に収録した小橋あての光太郎書簡に、浅子の名が出ていました。大正7年(1918)の浅子死去に際してのものです。

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拝啓
今日新聞で広岡浅子刀自のなくなられた事を知り非常に感動を受けました
先達て頂戴した一週一信をよんではじめて刀自の真生活を知つたばかりの時此の訃音に接して残り惜しい心に堪へません
あなたの御心もお察し出来る気がいたします
しかし刀自の魂は此から後どの位実際的に人〻を導くか知れない事と信じます
どうも黙つてゐられない気がして此の手がみを書きました
刀自に対する尊敬と吊意とをおくみ取り下さい
  一月十六日                                                 高村光太郎
 小橋三四子様


文面にある「一週一信」というのは、前年12月に刊行された浅子の随筆集です。編集と、発行人の名義も、婦人週報社に移っていた小橋です。

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上記は浅子の書いた序文と奥付です。

そういうわけで、「あさが来た」には、成000瀬仁蔵や小橋も登場するでしょうし、小橋がらみで光太郎智恵子も登場しないかと期待しています。ただ、登場するにしても仮名となるでしょうが。

ちなみに光太郎、浅子の死と同じ年(大正8年=1919)、成瀬仁蔵の胸像(右画像)制作を、日本女子大学校から依頼されました。その際には成瀬も死の間際で、光太郎は病床の成瀬を見舞っています。画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。

ところが完成したのは何と14年後の昭和8年(1933)。光太郎のこだわりで、作っては毀しの試行錯誤が続いたのと、昭和6年(1931)頃から智恵子の心の病が昂進していったことも遅延の要因の一つでしょう。

ちなみに『家庭週報』には、製作中の光太郎訪問記が3回掲載されており、現在製作中の当方編集の冊子『光太郎資料44』に掲載しました。またこちらについては後述します。

さて、浅子の生涯について書かれた書籍を紹介します。 
古川智映子著 昭和63年(1988)10月5日初版001
平成27年(2015)2月16日新装改版
潮出版社 定価1,600円+税

連続テレビ小説「あさが来た」の原案本です。「小説」ということで、若干、史実と異なる部分があるようですが、浅子の生涯がよくまとまっています。

実は、今年はじめの時点で広岡浅子が取り上げられると知ってすぐ購入しようとしたところ、絶版でした。古書市場では数千円の値が付いていました。おそらくその店主が、これなら数千円でも売れる、と踏んで値をつけ、実際に買った人もいるのでしょう。

2月には新装改版が出て、当方、そちらを購入しました。まるで昨年の東京駅開業100周年記念スイカのような話でした。


それから、このところ、新刊書店ではムック系の浅子本が何種類か平積みで売られています。それだけ朝ドラへの関心が高いと言うことなのでしょう。そんな中で、書店で実際に見て、これは、と思って買ったのが以下のものです。 

別冊宝島 広岡浅子の生涯

平成27年(2015)10月4日 宝島社 003
定価800円+税

写真を豊富に使い、ビジュアル的にとらえるのには格好の一冊です。

また、浅子だけでなく、同時代の人々……特に交流がなかった人物も含め……に関する記述も充実しており、それが決め手で購入しました。

光太郎智恵子と交流の深かった人物では、浅子同様、明治期に活躍した女性、ということで新宿中村屋の創業者・相馬愛藏夫人の黒光、雑誌『明星』の新詩社の与謝野晶子、平塚らいてうをはじめとする『青鞜』をめぐる女性たちなど。『青鞜』創刊号の表紙を智恵子が描いたことも記されていました。

当然、成瀬仁蔵や小橋三四子、井上秀などについても詳しく書かれています。

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また、購入していませんが、こんな書籍も今月刊行されています。 
中江克己著 2015年9月13日 第三文明社004
定価1,500円+税

版元サイトより

明治・大正の著名な女性72人を一覧できるエピソード集。2015年後半の朝ドラ「あさが来た」の主人公・広岡浅子、「花子とアン」に登場した村岡花子・柳原白蓮、大河ドラマ「花燃ゆ」の吉田松陰の妹・文(ふみ)、「八重の桜」の新島八重なども登場。女優の川上貞奴、松井須磨子や、著名人の妻である伊藤梅子(伊藤博文夫人)、小泉節子(ラフカディオ・ハーン夫人)、夏目鏡子(夏目漱石夫人)、乃木静子(乃木希典夫人)らも。──次の「朝ドラ」ヒロインはここにいる!

[もくじ]
はじめに
登場女性の生年・没年
第1章 女性の自立を目指した事業家・活動家
第2章 鹿鳴館・国際舞台での活躍
第3章 芸の道で花開く
第4章 新しい波を起こす文芸界の才女
第5章 恋に生き、愛を貫く
第6章 世を騒がせ、話題になった女性
第7章 医療への道、教育への情熱
人名索引 主な参考文献

ちなみに「第5章 恋に生き、愛を貫く 」では、智恵子も扱われています。


さて、長くなりましたが、ぜひとも「あさが来た」、智恵子や光太郎にも登場してほしいものです。明日から楽しみに拝見します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月27日

昭和28年(1953)の今日、『週刊サンケイ』に、終焉の地・中野のアトリエの光太郎訪問記が掲載されました。

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それを制作するために、花巻郊外太田村から再上京した「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」は既に完成、翌月には除幕、という時期でした。バックに像の小型試作が写っています。

テレビ関連の情報です。

まず、今朝はテレビ朝日系「グッド!モーニング」中の林修氏のコーナーで、光太郎が紹介されました。

ただ、肩すかしを喰らいました。ディレクター氏からの文書によれば、日比谷松本楼さんの「10円カレー」の日であるため、光太郎詩「涙」にからめた内容にする予定でした。しかし、予定は未定にして決定にあらず、10円カレーは紹介されましたが、詩「涙」は紹介されず、「日比谷松本楼は多くの文豪に愛された」というところで光太郎、漱石、太宰が紹介されたにとどまりました。

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このブログで過日ご紹介した際に、「ディレクター氏からの文書には「企画段階であり、放送では内容が変更となる場合がございます。」とありました。そうならないことを祈ります。」と書きましたが、その通りになってしまいました。

出演者の都合なのか(林氏は今日のオンエアでは録画でのご出演でした)、他にニュースが多かったためか、そのありはよくわかりませんが、まあ、しょうがないでしょう。


さて、テレビついでで今後の放映情報です。 

いっしょに歩こう!ふくしま・わがまま!気まま!旅気分 愛か、お笑いか!?初恋カップルIN福島~城下町・二本松の旅

FTV福島テレビ 2015年9月26日(土) 10時30分~11時25分
BSフジ      2015年10月3日(土) 7時~7時55分

たんぽぽ白鳥久美子さんが初めての彼氏・チェリー吉武さんと福島県二本松市を旅するデート企画!高村光太郎と智恵子の純愛物語をはぐくんだ場所でラブラブモード全開か!?

たんぽぽ白鳥久美子さんと初めての彼氏・チェリー吉武さん。多忙でなかなかデートができないという白鳥さんのために番組が公開デートを企画! 舞台の福島県二本松市は、県の中部に位置する城下町。 そして・・・高村光太郎と智恵子の純愛物語をはぐくんだ場所でもあります。 白鳥さん&チェリーさんの「ラブラブ旅行」を、福島テレビアナウンサーがエスコート。ロマンチックタイム(?)を各所で展開! しかし、お笑い芸人の2人。カメラが回れば、恋より面白さを優先か? そして・・・旅の感想&恋の結論を出す白鳥さん・チェリーさん。 はたして、永遠の愛を誓うのか? それとも、「ずっと居るのは、ちょっと無理!」なのか? チェリー吉武さんの魅力・ギネス記録芸にも迫ります。

出演者 白鳥久美子(たんぽぽ) チェリー吉武  藺草英己(福島テレビアナウンサー)  ナレーション 豊嶋啓亮(福島テレビアナウンサー)


福島テレビさん制作の番組で、福島では明日のオンエアです。ご出演なさる白鳥久美子さんのブログによれば、BSフジさんでも1週間遅れで放映されるとのこと。同じく白鳥さんのブログには、智恵子生家でのスナップ、「ほんとの空」を守るため結成された二本松少年隊とおぼしき写真も載っていました。ちなみに白鳥さんは郡山ご出身だそうです。

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当初、福島でしか放映されないのか……と残念に思っていましたが、BSフジさんでも放映があるようで、安心しました。BSフジさんでは、系列の地方局が制作したものを、土曜の朝に「わがまま!気まま!旅気分」という番組として取り上げているようです。先週はサガテレビさん、明日は東海テレビさん制作のものとなっていました。

また予定変更にならないことを祈っております。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月25日

昭和60年(1985)の今日、詩人の更科源蔵が歿しました。

更科は明治37年(1904)、北海道弟子屈の生まれ。アイヌ文化の研究でも有名です。

光太郎は昭和6年(1931)、雑誌『犀』に「更科源蔵詩集「種薯」感想」を寄稿した他(『釧路新聞』に転載)、同18年(1943)には更科の詩集『凍原の歌』の題字を揮毫しています。

また、元々北方志向、自然志向が強かった光太郎は、更科を頼って、何度か北海道移住を計画したりもしました。さらに、戦前にはプロレタリア文学運動や社会主義、無政府主義にも一定の理解を示していた光太郎、昭和3年(1928)には、更科から聴いた話をモチーフに、資本家への怒りを表す「彼は語る」という詩を、草野心平の雑誌『銅鑼』に寄稿しています。

   彼は語る

彼は語る無題
北見の熊は荒いのですなあ
釧路の熊は何もせんのですなあ
かまはんけれや何もせんのですなあ
放牧の馬などを殺すのは
大てい北見から来た熊ですなあ

彼は語る
地震で東京から逃げて来た人達に
何も出来ない高原をあてがつた者があるのですなあ
ジヤガイモを十貫目まいたら
十貫目だけ取れたさうですなあ
草を刈るとあとが生えないといふ
薪にする木の一本もない土地で
幾家族も凍え死んださうですなあ
いい加減に開墾させて置いて
文句をつけて取り上げるさうですなあ

彼は語る
実地にはたらくのは、拓殖移住手引の
地図で見るより骨なのですなあ
彼等にひつかかるとやられるのですなあ

昨日ご紹介したNHK Eテレさんの「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」同様、当方がちょっとだけお手伝いさせていただいたテレビ番組の情報です。  

グッド!モーニング

テレビ朝日 2015年9月25日(金) 4時55分~8時00分

テレビ・新聞・ネットの情報をまとめてお届け。もっと知りたいニュースをわかりやすく解説。天気や言葉のクイズに答えてプレゼントが当たる。「快適な朝」をお届けします。.

◇番組内容
視聴者に快適な朝をお届けする『グッド!モーニング』。テレビ・新聞・ネットからきょう話題になる情報をキャッチ!わかりやすい解説でニュースをチャージ!「ことば検定」「お天気検定」に参加しプレゼントをゲットしよう。林先生の「金曜言葉塾」で思わず「へぇ」と。Oggiスタイリストによる女子アナ衣装も出勤の参考に。

◇出演者
坪井直樹、松尾由美子、宇賀なつみ、依田司、山本里菜、林修、一色清


グッド!モーニング」はテレビ朝日さんで放映中の朝のニュース・情報番組です。

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その中で、毎週金曜日、「今でしょ」で知られる予備校の東進ハイスクール講師、林修氏による「林修の金曜言葉塾」というコーナーがあります。7時25分過ぎからCMをはさんで10分ちょっとの枠です。下記は今朝のオンエアから。


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おおむね、放映日前後の「○○の日」に合わせ、「○○」に関する文学作品や言葉などについての短い講義を林氏が行う、というコンセプトです。今朝のオンエアでは明日が「苗字の日」だそうで、苗字についてのお話でした。難読苗字、苗字の成り立ち、「姓」「名字」「苗字」の違いなど、「へぇ」と思わせるものでした。

さて、来週25日のオンエアで、光太郎が取り上げられます。

9月25日は、毎年、日比谷公園内のレストラン、日比谷松本楼さんで「10円カレーチャリティー」というイベントを行っています。こちらはユニセフさんとのタイアップで、午前11:00~、松本楼さんの看板メニューの一つであるカレーを先着1,500名に10円で振る舞い、代わりに募金をして貰うというものです。

日比谷松本楼さんといえば、当会の主催、毎年4月2日の光太郎忌日・連翹忌会場です。光太郎ゆかりのお店というわけで、平成11年(1999)から使わせていただいています。

日比谷松本楼さんと光太郎のつながりは、主に二つ。

まずは明治42年(1909)、欧米留学から帰国した年ですが、10月23日に日比谷松本楼さんで開催された「パンの会」大会の発起人に名を連ねています。

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パンの会」はフランスのカフェ芸術運動に倣って始まったもので、文芸誌『スバル』、美術雑誌『方寸』などに依っていた文学者、美術家、さらには演劇界などからも参加者があり、若き芸術家達が大いに気焔をあげた集まりでした。通常の会と、案内状まで発行された大会の二種があり、日比谷松本楼さんでも大会が一度開かれています。


それからもう一点、大正元年(1912)発表の詩「涙」です。

    涙

 世は今、いみじき事に悩み
 人は日比谷に近く夜ごとに集ひ泣けり004
 われら心の底に涙を満たして
 さりげなく笑みかはし
 松本楼の庭前に氷菓を味へば
 人はみな、いみじき事の噂に眉をひそめ
 かすかに耳なれたる鈴の音す
 われら僅かに語り
 痛く、するどく、つよく、是非なき
 夏の夜の氷菓のこころを嘆き
 つめたき銀器をみつめて
 君の小さき扇をわれ奪へり
 君は暗き路傍に立ちてすすり泣き
 われは物言はむとして物言はず
 路ゆく人はわれらを見て
 かのいみじき事に祈りするものとなせり
 あはれ、あはれ
 これもまた或るいみじき歎きの為めなれば
 よしや姿は艶に過ぎたりとも
 人よ、われらが涙をゆるしたまへ

「われら」は結婚前の光太郎と智恵子です。「いみじき事」は明治天皇の危篤。人々が天皇の平癒祈願のため皇居周辺に集まって「涙」を流している中、自分たち二人は自分たちの恋愛問題で「涙」を流している、という構図です。

来週オンエアの「林修の金曜言葉塾」では、この詩が取り上げられます。内容の確認で、少しだけお手伝いをさせていただきました。ただ、ディレクター氏からの文書には「企画段階であり、放送では内容が変更となる場合がございます。」とありました。そうならないことを祈ります。

時折、日比谷松本楼さんがテレビ等で取り上げられる場合に、やはりこの詩が紹介されます。テレビ東京系のBSジャパンさんでは、平成24年(2012)に「小林麻耶の本に会いたい」という番組で、山田五郎さんによるこの詩のレクチャーがありました。

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ちなみに日比谷松本楼さんの「10円カレーチャリティー」、前日から泊まり込みで並ばれる方もいるそうです。このカレーも、もしかすると光太郎智恵子が口にしたかも知れません。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月18日

昭和4年(1929)の今日、改造社から『現代日本文学全集 第三十八編 現代短歌集 現代俳句集』が刊行されました。

光太郎も自選短歌44首を寄せています。

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少しだけ当方の関わったテレビ番組とそれに伴う出版物についてご紹介します。

まず、出版物

NHKテレビテキスト 趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門

2015年9月25日 NHK出版 定価1,000円+税 講師:石川九楊

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NHK Eテレ(旧教育テレビ)さんで放映されている生涯学習系の番組「趣味どきっ!」の来月からのテキストです。番組内容に関しては、まだNHKさんのサイトにアップされていませんが、先行して発売されるテキストの販売情報があちこちのサイトに出ていますのでご紹介してしまいます。

「趣味どきっ!」はNHK Eテレさんで月曜から水曜の午後9:30~9:55のオンエア(昼間にはNHK総合さんも含め再放送・再々放送もなされています)で、曜日ごとに異なるテーマの講座(おおむね全9回)が放映されています。現在の内容は月曜が「チーム芹澤に学ぶゴルフ 90切りへの近道」(講師:芹澤信雄)、火曜に「一声入魂!アニメ声優塾」(塾長:中川翔子)、水曜で「ボールペンだけで描ける!簡単&かわいいイラスト」(講師:坂本奈緒/カモ 2014年6月~7月に「趣味Do楽」で放送した番組の再放送)となっています。

10月からのラインナップは、月曜に「スマホで簡単!動画のプレゼント」(田代光輝 講師)、火曜が「女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」、水曜の「ニコライ・バーグマンが贈る 北欧スタイル 花のある暮らし」となるそうです。

その火曜放送の「女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」で、光太郎智恵子が扱われます。全8回の放送で、1回ごとに異なる歴史上の男女ペア(夫婦だったり、師弟、兄妹だったりです)を取り上げ、書家の石川九楊氏の指導のもと、女優の羽田美智子さんがその人々の作品の臨書に挑戦、さらにはゆかりの地の探訪などもあるという構成だとのことです。ラインナップは以下の通り。

 10/6  聖武天皇×光明皇后
 10/13 与謝野晶子×与謝野鉄幹
 10/20 細川ガラシャ×細川忠興
 10/27 大田垣蓮月×富岡鉄斎
 11/3  高村光太郎×高村智恵子
 11/10 良寛×貞心尼
 11/17 岡本太郎×岡本かの子
 11/24 宮沢賢治×宮沢トシ

光太郎智恵子の回は、先日、光太郎が昭和20年(1945)~同27年(1952)までを過ごした花巻郊外の山小屋(高村山荘)、隣接する高村光太郎記念館でロケが行われました。同じ花巻ということで、宮澤賢治の回のロケも前後して行われたそうです。

また折を見てご紹介しますが、石川氏は複数のご著書の中で光太郎の書を繰り返し激賞なさっていますし、書道雑誌で、当会顧問・北川太一先生や故・吉本隆明氏らと光太郎書をメインにした対談をなさったりしています。今回も記念館所蔵の光太郎の書を食い入るように見つめ、予定時間を大幅にオーバーしたとのことでした。番組ではさらに智恵子の書も紹介されます。

羽田美智子さんの臨書は、記念館所蔵の光太郎書から。あまり詳しくご紹介するとネタバレになりますので、あとは観てのお楽しみです。

さて、冒頭にご紹介したテキスト、9/25発売ですが、すでにAmazonその他の通販サイトなどで予約販売受付が始まっています。「ゆかりの地を訪ねて」ということで、光太郎智恵子に関しては、花巻の高村山荘・高村光太郎記念館、さらに福島二本松の智恵子生家・智恵子記念館が紹介されています。校正、番組で紹介される内容の確認等で少しだけお手伝いさせていただきましたので、当方の名前も協力、ということで載せて下さっているそうです。ぜひお買い求め下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月17日

大正10年(1921)の今日、麹町の与謝野家で、雑誌『明星』の復刊相談会に参加しました。

雑誌『明星』は、最初、明治33年(1900)~同41年(1908)まで、与謝野夫妻の新詩社から刊行されていました。安全保障関連法案がらみでまた脚光を浴びている与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は、明治37年(1904)の同誌に発表されたものです。光太郎の本格的な文学活動もこの『明星』から始まりました。その後、『スバル』がその後継誌の役割を担いましたが、そちらも大正2年(1913)に廃刊となっていました。

そして『明星』復刊の機運が盛り上がり、光太郎、永井荷風、石井柏亭、平野万里らが参加、後には森鷗外も顧問格で編集会議に加わります。11月には復刊第1号が刊行、光太郎は長詩「雨にうたるるカテドラル」を寄稿しました。その後も光太郎は昭和2年(1927)の終刊まで、毎号のように詩、翻訳、短歌、随筆、さらには絵画も発表しています。

文学史的には、第一次『明星』より見るべき所は少ないといわれる第二次『明星』ですが、こと光太郎に関しては、人生の円熟期にさしかかり、智恵子も健康で、貧しいながらも平穏な生活を送っていた時期、珠玉の作品群の発表の場となりました。

昨日、BSフジさんで放映された発掘!歴史に秘めた恋物語「〜高村光太郎と智恵子〜決して女神でない」を拝見しました。

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なかなかよくまとまっていました。 一般の皆さんが、入門編として少し詳しく智恵子と光太郎について知りたい、という場合にはいい手引きになるだろうと思いました。

スタジオでのMCは勝村政信さん。今回のゲストは、以前にもご紹介しましたが、平成16年(2004)に、柄本明さんとの二人芝居「れもん」で智恵子役を演じらた石田えりさんと、昭和58年(1983)に、未来社から『詩人の妻 高村智恵子ノート』という書籍を刊行された郷原宏氏。リスペクトの念の感じられるお話が展開され、それでいて光太郎智恵子を無条件に持ち上げるわけでもなく、バランスが取れていました。

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その他、VTRには当会顧問の北川太一先生、毎年の智恵子の命日・「レモン忌」でお世話になっている「智恵子の里レモン会」の根本豊徳さんもご登場。

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出演、ということになると、再現ビデオの部分での光太郎智恵子役の役者さんもいい芝居をしていました。特に智恵子役の女優さん、松之井綾さんという方ですが、ご自身のブログに記述がありました。

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智恵子の故郷・二本松や、昭和9年(1934)に智恵子が療養していた九十九里浜の映像も入りました。

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最後には智恵子の顔を持つといわれる十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)。

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詩集『智恵子抄』や智恵子の紙絵も。

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ただ、どちらかというと智恵子中心の構成だったためか、戦後足かけ8年にわたる花巻時代の光太郎について触れられなかったのが残念でした。まあ、実質45分間という尺の問題もあるでしょうし、制作費用や期間の問題もあるので、いたしかたないでしょう。


さて、この番組、毎週のオンエアが新作ばかりでなく、かなり旧作の再放送が入ります。先週は5月に放映された日野富子編を再放送していました。智恵子編もいずれ再放送されると思います。情報が入りましたらまたご紹介しますので、見逃された方はぜひどうぞ。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月4日

平成2年(1990)の今日、群馬県草津温泉で、「光太郎と心平」をテーマに「『歴程』夏の詩のゼミナール」が始まりました。

6日までの3日間で、ガーデンハウス別館、天狗山レストランハウス大ホールなどを会場に、いわき市立草野心平記念文学館長・粟津則雄氏の「光太郎の『暗愚小伝』のことなど」、当会顧問の北川太一先生の「光太郎と心平」などの講演がありました。

8月5日には囲山公園で光太郎詩「草津」を刻んだ碑の除幕も行われました。下記は真冬に撮ってきた写真です。季節はずれですみません(笑)。

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宮城県牡鹿郡女川町からのイベント情報です。

昭和6年(1931)、新聞『時事新報』に連載された紀行文「三陸廻り」執筆のため、光太郎は同年8月9日に東京を発って、約1ヶ月、石巻、金華山、女川、気仙沼、釜石、宮古と、主に船で旅をしました。それを記念して、毎年8月9日に行われている、光太郎顕彰のイベントです。

元々、中心になって運営なさっていた「女川光太郎の会」事務局長だった貝(佐々木)廣氏は、東日本大震災の津波で還らぬ人となってしまいました。その遺志を継ぎ、奥様の佐々木英子さんを中心に、細々とですが、続けられています。


そして今年。ネット上などに情報が出ず、電話で確認したのと、昨年の要項を参考にまとめてみました。こんな感じだと思います

第24回女川光太郎祭

期 日 : 2015年8月9日(日)
時 間 : 午後2:00~
場 所 : きぼうのかね商店街 宮城県牡鹿郡女川町浦宿浜字十二神
内 容 : 
 献花
 光太郎紀行文、詩などの朗読
 講演 「高村光太郎、その生の軌跡 ―連作詩「暗愚小伝」をめぐって③―」
     高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明 
 ギター・オペラ演奏 宮川菊佳(ギタリスト) 本宮寛子(オペラ歌手)
 太鼓演奏 女川潮騒太鼓 轟会


今年は日曜日にあたっていますので、多くの皆さんのご参加を期待しております。

女川は今年3月にJR石巻線の女川駅がリニューアルオープンし、だいぶ様変わりしているようです。かつて港に建っていた光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」プロジェクトも継続中。震災から5年目の夏、女川の様子をぜひご覧下さい。


さて、今夜、BSフジさんで、「発掘!歴史に秘めた恋物語「〜高村光太郎と智恵子〜決して女神でない」が放映されます。

先週、このブログでご紹介した段階では、番組公式サイトに詳細情報が出ていませんでしたが、その後、アップされました

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また、先週のオンエアを見ていましたら、合間にCM的に次週予告が入りました。

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ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 8月3日

平成14年(2002)の今日、詩人の伊藤信吉が歿しました。

伊藤信吉(明39=1906~平14=2002)は、前橋市の出身。室生犀星や萩原朔太郎と縁の深かった詩人ですが、一時、群馬に住んでいた草野心平や光太郎とも交流があり、特に戦後は何度か光太郎詩集の編集に携わったり、光太郎没後は『高村光太郎全集』の編集にも関わったりしています。
 
晩年は群馬県立土屋文明記念文学館の初代館長に就任。そんなわけで同館には氏の旧蔵になる光太郎がらみの資料も数多く収蔵されています。

テレビ放映情報です。 

発掘!歴史に秘めた恋物語「~高村光太郎と智恵子~決して女神でない」

BSフジ・181 2015年8月3日(月)  22時00分~22時55分

高村光太郎が『智恵子抄』に描いた童女のような智恵子と美しい愛の物語。しかしその陰には智恵子の限りない苦悩が!そして光太郎と智恵子に訪れた奇跡とは?.
今から70年以上前の戦時中に売り出されベストセラーとなった一冊の詩集・智恵子抄。 作中では夫に献身的な愛を注ぎやがて精神を病んで死んでいく妻の姿が描かれた。 作者は詩人で彫刻家の高村光太郎。妻の名は智恵子。光太郎が美しく描いた智恵子は本当の智恵子の姿ではなかった。本当の智恵子はどんな女性だったのか。女優・石田えり、詩人・郷原宏とともに紐解いて行く。

出演者 勝村政信 石田えり 郷原宏(文芸評論家)


BSフジさんで、昨年始まった番組です。これまでに竹久夢二や谷崎潤一郎、岡本一平・かの子などを取り上げてきています。始まった段階で、タイトルを見て「いずれ光太郎智恵子を取り上げてほしいものだ」と思っていましたところ、5月くらいでしたか、当会顧問の北川太一先生から、8月3日オンエアで、番組制作会社のテレコムスタッフさんが取材に来る、というお話を聞きました。先生のお手元にある智恵子書簡などの資料を使うとのこと。当方も連絡をとってみましたが、結局こちらには協力要請は来ませんでした。

余談になりますが、秋に放映予定のNHKさんの番組でやはり光太郎智恵子が取り上げられます。そちらの協力要請は少し前にありました。また近くなりましたら詳細をお伝えします。

さて、「歴史に秘めた恋物語」。MCの勝村政信さん以外に、ゲスト二人のスタジオトークが入るというのは制作会社さんに伺い、どなたがご出演されるのかと気になっていましたが(妙な人に依頼が行って、番組をぶちこわされると困りますので……)、石田えりさんに郷原宏氏と知って、安心いたしました。

石田さんは、平成16年(2004)に、柄本明さんとの二人芝居「れもん」で智恵子役を演じられました。

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郷原氏は、昭和58年(1983)に、未来社から『詩人の妻 高村智恵子ノート』という書籍を刊行されています。もとは同社の雑誌『未来』に昭和55年(1980)から17回にわたり連載されたものです。

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また、平成10年(1998)、日本テレビ系列で放映された「知ってるつもり?! 高村智恵子」にもコメンテーターとしてご出演されました。

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当方、今回は制作に関わっていませんので、どういう話になっているかわかりませんが、楽しみです。

ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月27日

昭和22年(1947)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、ネズミがわなにかかりました。

当日の日記の一部です。

夜鼠ワナにかかる。一匹。

太田村の山小屋での7年間は、ネズミなどの動物や虫との戦いの日々でした。同じ月の日記にもたびたびネズミについての記述があります。「アンツウ」は殺鼠剤です。

鼠気息えんえんの状態にてあるきまはり居り、一匹。捕らえんとすればにげる。アンツウの為ならん。(7/9)

鼠大なるもの昼間出る、アンツウ入ソバ団子を五個つくりて所々に置く。中に唐辛子も入れる、(7/22)

後刻水汲みの時、鼠一匹井戸の中にて溺れてゐるのを発見、引き上げて南瓜の肥料に埋める。多分薬をくつた鼠ならん。井戸の蓋を必ずすることにする。(7/23)


この年の冬には、こんな短歌も詠んでいます。

毒物を置きて鼠にあたえむとしつつきびしき寒夜を感ず

わが前にとんぼがへりをして遊ぶ鼠の来ずて夜を吹雪くなり

テレビ放映情報です。

まずは今夜。智恵子の故郷、二本松市でのロケが行われた番組です。

きらり!えん旅 ~伍代夏子 福島・川俣町 二本松市へ~

NHKBSプレミアム 2015年7月22日(水)  19時30分~20時00分 
再放送 7月28日(火) 18時30分~19時00分  7月29日(水) 11時05分~11時35分

番組内容
歌手の伍代夏子さんがまず訪ねたのは福島県川俣町。名物の川俣シャモを飼育する農家や、避難指示解除準備区域でトルコギキョウを育てる農家に会い、これまでの苦労話を聞いた。続いて訪れた隣の二本松市には、近くの浪江町から原発事故で避難してきた人たち2千人以上が暮らしている。浪江の人たちと二本松の人たちをつないだのが、野菜がいっぱい入った郷土料理「ざくざく」。伍代さんも早速ごちそうになった。

出演者 伍代夏子  語り 冨永みーな

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こちらは2012年に始まって、息の長い番組となってきました。初期の頃に由紀さおりさんによる二本松訪問の様子も放映され、光太郎智恵子がらみの内容となっていました。今回もそうした話が出ることを期待します。


続いて26日の日曜日、通称「乙女の像」の立つ十和田湖が紹介されます。また、大正2年(1913)に光太郎智恵子が婚前旅行で訪れた信州・上高地も。

夏の絶景 いい旅スペシャル

テレビ東京 2015年7月26日(日)  18時30分~20時54分

北海道・知床の滝と雲海、青森の緑溢れる奥入瀬渓流と秘湯、長野の人気の避暑地・上高地と安曇野の夏の絶景をお届け!涼やかな風景を圧倒的な映像美で魅せる旅番組。

出演者
≪旅人≫
北海道 知床   ダイヤモンド☆ユカイ、杉村太蔵、北川弘美
青森県 奥入瀬渓流~八甲田山   林家三平、国分佐智子
長野県 白馬~安曇野~上高地   野口五郎、新田恵利、秋元才加 
ナレーター 広中雅志

旅番組での夫婦共演は初めて!林家三平・国分佐智子夫妻が訪れるのは、青森県奥入瀬渓流~八甲田山。まず向かったのは夏の青森の絶景名所「奥入瀬渓流」。雲井の滝や銚子大滝ほか、300種類以上も自生しているコケの美しい世界も楽しむ。穴場のイタリアンでは青森の味覚を堪能し、さらなる絶景を求めて十和田湖へ。遊覧船からの夏ならではの絶景を堪能し、蔦温泉へ。「1000年の秘湯」と呼ばれる宿で、名曲も生まれた部屋で過ごす。
そして早朝、鏡のように八甲田の山々を映す蔦沼で、日の出の絶景を拝む。さらに足をのばし、八甲田山へ。ロープウェーで山頂に上がり、夏の絶景を望む。さらに散策路を進んで、田茂萢岳(たもやちだけ)湿原へ。八甲田の山々とそれらを映す湿原の水面の絶景に酔いしれる。下山して、萱野高原へ。新緑の絨毯を敷き詰めたような高原から、八甲田の山々を一望する絶景ポイントを巡る。

新御三家の野口五郎と、おニャン子クラブの新田恵利、元AKBの秋元才加の元アイドル3人で巡るのは、人気の避暑地・信州! 白馬では熱気球に乗って、地上30メートルから北アルプスの山々の絶景を楽しむ。 さらに長野オリンピックで日本ジャンプチームが金メダルに輝いた、白馬ジャンプ競技場へ。リフトでスタート地点へ登り雄大な景色を堪能する。
安曇野では、穂高の天然水を使ったそばに舌鼓を打ち、広大な敷地に1日12万トンもの湧水をたたえるわさび農場も訪れる。 そして、緑に囲まれた純白の白骨温泉へ。手つかずの自然の静寂の中で、名湯の源泉かけ流しの贅沢に浸る。 さらに翌日は上高地へ。穂高連峰や焼岳など雄大な自然を望む。

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こちらも、少しでも光太郎智恵子にふれてほしいものです。

ちなみに27日の月曜日にも、BSジャパンさんで「にっぽん!いい旅「夏の青森!完全制覇」」の放映がありますが、こちらは昨年放映されたものの再放送で、「乙女の像」にはふれていなかったと思います。


テレビ放映の場合、事前に細かな内容が告知されないと、実際に視聴するまで光太郎智恵子にふれるかどうかわかりません。そのため、このブログで事前の紹介が漏れるケースが多く、残念に思っております。

7月19日の日曜日には、BSジャパンさんで「美しき日本百景~Beautiful Japan」という番組が「北の春  新緑と清流 ~青森 十和田湖・・奥入瀬~」でした。「乙女の像」にふれるかどうか微妙だな、と思って、このブログでご紹介しませんでしたが、いざ放映されてみると、都合1分間ほどでしたが、像の紹介がありました。

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昨夜はNHK総合さんで「歌謡コンサート」。サブタイトルが「手紙で綴(つづ)る愛の名曲集」。こちらは直前にスタッフさんのブログで光太郎智恵子にふれることが紹介されましたが、ネット上の番組紹介のページではそれはありませんでした。

演奏の合間に、大竹しのぶさんが、さまざまな「手紙」の朗読をなさいました。寺山修司から九條今日子への手紙、南極観測隊員の妻から隊員である夫への手紙、福岡在住の一般女性が最近書いた70年前に戦争で亡くなった夫への手紙などなど。そして「手紙」ではありませんが、『智恵子抄』にも収められた光太郎詩「あなたはだんだんきれいになる」の一節も朗読されました。

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大竹さんといえば、平成14年(2002)に、野田秀樹作の一人芝居「売り言葉」で智恵子を演じられています。昨夜はその大竹さんも歌を披露。中島みゆきさん作詞作曲、研ナオコさんの歌唱でヒットした「かもめはかもめ」のカバーでした。


日々、洪水のように制作され続けるテレビ番組、いちいち事前に細かな内容を告知するのは不可能でしょうが、各局番宣担当の皆さん、できる限りをお願いしたいものです当方もなるべく細かい情報収集に心がけます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 7月22日

昭和29年(1954)の今日、所得税、地方税を銀行振り込みで納めました。

昭和27年(1952)、十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)制作のため、岩手太田村から上京した光太郎でしたが、住民票はしばらくそのまま太田村に残し、したがって、税金も太田村に納めていました。それもこの年までで、翌年には東京に住民票を戻します。合併による太田村消滅もその理由ですし、もはや自らの命が永くないことを悟っていたようです。

NHKEテレさんで、本日放映の日曜美術館「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」を観ました。

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いつもながらに丁寧な番組造りで、高村光雲という巨匠の生きざまが、しっかりと浮き彫りになっていました。

代表作「老猿」や「矮鶏」、東京美術学校として取り組んだ「楠木正成像」など、そして息子・光太郎の視点を通じ、「職人」なのか「芸術家」なのかという問に対する答えを導き出そうという試みがなされていました。結論としては、単に旧来の江戸の伝統を守るだけでなく、文明開化によって流入してきた西洋美術の方向性も取り入れようとしたその姿勢が高く評価されていました。

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軸足を旧来の伝統に置きながら、新しい西洋の美も取り込もうとした光雲。ロダンをはじめとする西洋近代美術を自己の核として、しかし幼い頃から叩き込まれた日本の良き伝統も忘れなかった光太郎。言い換えれば、単なる守旧にとどまらなかった光雲と、軽薄な西洋かぶれに終わらなかった光太郎。結局、光雲と光太郎は表裏一体なのではないかと思います。

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番組では、開創1200年を迎え、特別開帳された光雲晩年の作である高野山金堂の秘仏も紹介されました。ここにも単なる守旧にとどまらなかった光雲の真髄が表されているように感じました。

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そして、石橋蓮司さんによる、昭和4年(1929)の『光雲懐古談』などからの朗読。ぴったりでした。

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再放送が来週日曜日、6月7日の20時00分から、やはりNHKEテレさんです。ご覧になっていない方、ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月31日

昭和25年(1950)の今日、細川書店から日本ペンクラブ編纂『現代日本文学選集Ⅺ 現代詩』が刊行されました。

光太郎作品「冬が来た」「秋の祈」「山麓の二人」「雷獣」が収められました。

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テレビ放映情報です。 

日曜美術館「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」

NHKEテレ 2015年5月31日(日)  9時00分~9時45分  再放送 6月7日 20時00分~20時45分

日本の近代彫刻を切り拓いた高村光雲。高野山金剛峰寺におさめた本尊が80年ぶりに公開されるのを機に、職人としての姿勢を貫きながら新たな芸術を探求した生涯に迫る。

開創1200年を迎えた高野山で、金剛峯寺金堂の本尊が、昭和9年におさめられて以来、初めて開帳された。作者は、幕末から昭和にかけて、日本の近代彫刻を切りひらいた彫刻家・高村光雲。金堂の本尊は、70歳を過ぎ、なみなみならぬ思いで彫り上げたこん身の作。職人であることに誇りを持ちながら、新たな時代の彫刻を探求し続けた、その生涯に迫る。
高村光雲は、11歳で仏師のもとに弟子入りし、ひとりの職人としてその道を歩み始めた。
明治維新の後、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などの影響で、木彫の世界が厳しい状況に追い込まれる中、決して信念を曲げず修行を重ねた。西洋の彫刻を学んだ息子の光太郎は、職人としての姿勢を貫こうとする光雲を強く批判したが、光雲自身も新しい彫刻を模索し、「老猿」など、近代彫刻を代表する傑作を世に送り出した。

そんな光雲が、最晩年「現代第一流ノ人格手腕ヲ具備スル彫刻家」と目され、依頼を受けたのが高野山の秘仏だった。死を意識しながら、何を目指したのか。職人と芸術家、相反する領域をひょうひょうと行き来しながら、木彫一筋に生きた光雲の実像に迫る。

出演 アーティスト…須田悦弘
司会 井浦新 伊東敏恵
朗読 石橋蓮司

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高野山開創1200年の特別開帳にからめての内容のようです。007 (2)

昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』をはじめ、光雲は詳細な談話筆記を大量に残しています。おそらく石橋蓮司さんの朗読というのは、そのあたりからでしょう。ぴったりの感じがします。

ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月26日

明治31年(1898)の今日、臨画「布袋図」を描きました。

無題光太郎数え16歳、東京美術学校の予備ノ課程に在学中でした。「乙 高村光太郎」と署名があります。他の作品では「予備科乙」となっているものがあり、「乙」はクラス名のようです。

縦98センチ、横44センチ。驚嘆の出来ですね。

この頃の日本画の講師には川端玉章らがいました。

橋本雅邦は、この年4月に校長・岡倉天心へのバッシング、「美術学校事件」に連座して、図案科の助教授だった横山大観らと共に退職しています。

ちなみに嘱託職員には座学の美学担当で森鷗外がいました。

テレビ放映情報です。  

<BSフジサスペンス劇場>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ・181 2015年5月5日(火)  12時00分~13時55分
 
福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる !!
 
出演 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか
 
もともとは平成18年(2006)2月24日に、地上波フジテレビさんが放映した2時間ドラマです。地上波フジテレビさん、BSフジさんで、年に1~2回は再放送されています。

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岩手花巻の、現在は使用されていない、元の高村記念館(ただしドラマでは花巻という設定ではありませんが)、福島二本松の智恵子の生家・智恵子記念館などでロケが行われました。

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ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。


もう1件。 

歴史秘話ヒストリア 「高野山1200年へのいざない~平安のスーパースター空海の物語」

NHK総合 2015年5月13日(水) 22時~22時43分

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開創1200年を迎え、秘仏である金堂(総本堂)の本尊薬師如来(高村光雲作)が初めて開帳されています。それに触れられるかどうか不明ですが、とりあえずご紹介しておきます。

ただ、ネット上には、同番組で一昨年2月に放映された「空海からの贈りもの ~天空の聖地・高野山~」の回と同一の内容である旨の記述もあり、そうであれば、新たに撮っていないことになり、光雲作の薬師如来像には触れないような気がします。

詳細がわかりましたらまたご紹介します。



それから、同じく詳細はまだ発表されていませんが、今月末には光雲がメインの番組があります。

日曜美術館 一刀に命を込める 高村光雲が生きた道

NHK Eテレ 2015年5月31日(日) 9:00~10:00

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こちらは完全に新たな制作です。高村家には先週、そのための取材が入ったそうです。

これも詳細がわかりましたらまたご紹介します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月4日

昭和29年(1954)の今日、中野のアトリエに、ラジオパーソナリティ・秋山ちえ子さんが訪問。ラジオ番組の録音を行いました。

当日の日記です。

晴、涼、 (略) NHK録音班3人と秋山ちゑ子さんくる、録音、

秋山ちえ子さんといえば、TBSラジオで放送されていた「秋山ちえ子の談話室」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。こちらは平日の朝、昭和32年(1957)から平成14年(2002)まで45年間もの長きにわたって放送されていました。

光太郎の談話が録音された昭和29年(1954)当時、秋山さんが担当していたのは、NHKさんの「私の見たこと、聞いたこと」という番組です。この時期の光太郎日記は記述が簡潔で、オンエアを聴いたという記述は見あたりません。当時のテープなどが残っていればと思うのですが、難しいでしょう。

ちなみに秋山さん、大正6年(1917)のお生まれですが、まだご存命で、朗読などのご活動をなさっています。

2016/04/13追記 秋山さんが亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

テレビ放映情報です。

このブログでたびたびご紹介してきた宮城県女川町の「いのちの石碑」に関するドキュメントです。
 
 
同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。  

テレメンタリー2015「“3.11”を忘れない57 女川いのちを守る会~1000年後へのメッセージ~」

地上波テレビ朝日系 2015年4月20日(月)  26時21分~26時51分 = 4月21日(火)午前2時21分~2時51分

震災から4年。宮城県女川町も復興が進み、震災の影は少しずつ薄れてきました。「震災を記録に残そう」当時中学生だった子どもたちは、津波到達地点より高い場所に石碑を建てることを提案。震災の悲劇を語り継ぐため、そして次の震災への備えとして建設を続けています。今年3月には国際会議で世界に向けて発信することになりました。合言葉は「1000年後の命を守るために」。被災地に生きる子どもたちが1000年先まで語り継ぐ命のストーリー。

ナレーター 朝倉あき
制作  KHB東日本放送

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同番組は、テレビ朝日系列の全国24社が共同制作しているドキュメントで、系列各局での放映日程は以下の通りです。系列各局とも深夜、あるいは早朝のオンエアですので、リアルタイムで視聴するのはつらいという方、ぜひ録画予約をお願いします。

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昨年、仮設の「きぼうのかね商店街」近くに建てられ008た4号碑を実際に見て参りました。全部で21基立てる計画だそうです。

この碑を紹介するのではありませんが、女川からのレポート的ないくつかの番組で、この碑がちらっと映ることがあり、「ああ、あそこにも建ったんだ」などと、その後どうなっているのか、気になっているところでした。

女川といえば、先頃、JR石巻線の女川駅が復活しました。今年も8月9日の女川光太郎祭で講演をしに行きますので、どうなったのか、よく見てきたいと思っています。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月15日

明治19年(1886)の今日、光太郎のすぐ下の弟妹・道利と、しづの双子が誕生しました。

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左から道利、しづ、光雲、光太郎。光雲に抱かれているのは道利・しづのさらに次に生まれた豊周です。明治24年(1891)の撮影です。

一昨日のスポーツ紙『デーリースポーツ』さんに、以下の記事が載りました。

コロムビア・ローズ三代そろい踏み

 日本コロムビアの所属歌手が一堂に会するコンサート「コロムビア大行進2015」が14日、東京・中野サンプラザで開かれ、初代(82)、二代目(70)、三代目(32)とコロムビア・ローズが三代そろい踏みした。3人が同じステージに立つのは12年10月の日本歌手協会主催の「秋の歌謡フェスティバル」以来約2年半ぶり。

 ステージでは、初代が「どうせひろった恋だもの」、二代目が「智恵子抄」とそれぞれの代表曲をソロで歌唱し、その後、三代そろって「東京のバスガール」を歌唱。三代目コロムビア・ローズ野村美奈は「名前を継がせていただいた先輩方とご一緒できて、緊張しながら歌わせていただきました」と振り返っていた。

 この日はコロムビア所属歌手の舟木一夫(70)、都はるみ(67)、八代亜紀(64)、大川栄策(66)、細川たかし(64)ら43組の歌手が出演。それぞれのヒット曲や故・美空ひばりさんら先輩歌手の名曲を歌唱し、最後は出演者全員で、故・島倉千代子さんの「人生いろいろ」を大合唱した。

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二代目コロムビア・ローズさん。記事にもある通り、代表曲が「智恵子抄」です。昭和39年(1964)のヒット曲で、智恵子の故郷・二本松市安達地区では今も子供達にも歌い継がれています。おそらく防災無線の時報でも流れていたと思います。

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「智恵子抄」のヒットで、その後リリースされた「二十四の瞳」のB面には、「智恵子のふるさと」という歌も収められました。観光客誘致に貢献したということで、作詞の丘灯至夫さん(二本松に近い小野町の出身で、同町に記念館があります)、作曲の戸塚三博さんともども、当時の二本松市長から感謝状を受けています。

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現在はアメリカ在住ということで、時折帰国なさってこうしたコンサートやテレビの歌謡番組などにご出演なさっています。下記は平成24年11月にテレビ東京系で放映された「木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌」。

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三代目ローズさん も、二代目のヒット曲ということで、この曲をカバー、平成17年(2005)にリリースの「異国の華」のカップリングになっています。

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ときおりコンサート等で歌われているようですが、この手のコンサートでは、事前に曲目が発表されることがまれなので、なかなかご紹介できずにいます。

追記・三代目ローズさんは平成27年(2015)、クラウンに移籍され、野村未奈に改名されたそうです。さらに平成29年(2017)、野村未菜と改名されたとのことです。

「智恵子抄」、これからも歌い継がれていってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月16日

平成7年(1995)の今日、芳賀書店から『芸術夢紀行シリーズ① 高村光太郎 智恵子抄アルバム』が刊行されました。

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北川太一先生の的確な解説、カメラマンだった故・高村規氏の美しいイメージ写真、そして資料画像の豊富さでは他の追随を許しません。渡辺えりさん(4月2日、第59回連翹忌にご参加下さるそうです)の玉稿も掲載されています。ビジュアル的に光太郎・智恵子の生涯をたどりたい方にはお薦めです。

最近放映されたテレビ番組で、光太郎智恵子、光雲に関わるものの再放送が何件かあります。

まずは今夜。 
NHK総合 2015年2月17日(火) 24:40~25:25 =18日(水)午前0:40~1時25分

(22:07追記)先程ディレクター氏から連絡がありました。東北地方の地震報道の影響で、10分遅れのスタートだそうです。

彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。

今からおよそ100年前の1914年(大正3年)12月、彫刻家、詩人の高村光太郎と、画家の卵である長沼智恵子が、実験的な同居生活をスタートさせた。婚姻届を出さず、夫婦別姓。家事を分担し、対等な人間同士として、それぞれの創作に打ち込んだ。絶えざる戦争のわずかな合間、自由な文化が花開いた大正という時代を追い風にした「愛の試み」だった。光太郎と智恵子は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた。命を懸けて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは何か。バレンタインデーを前に、詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の物語を紹介する。

出演 前田亜季 鈴木一真
キャスター 渡邊あゆみ

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本放送は先週11日(水)でした。

その後、公式サイトに「バックナンバー」としてロケ地情報などがアップされています。智恵子の生家(二本松市智恵子記念館)、高村山荘(高村光太郎記念館)、十和田湖乙女の像……。


続いて明日。 本放送は地上波テレビ東京系で先月でした。 

美の巨人たち 森田藻己『竹の中の大工』

BSジャパン 2015年2月18日(水)23時00分~23時30分

毎回一つの作品にスポットを当て、そこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日の作品は、超絶技巧の根付、森田藻己(もりた・そうこ)作『竹の中の大工』。今ジャパニーズアートとして人気を博している、ひもの端に付ける留め具・根付。大正・昭和の藻己の活躍によって進化を遂げたといいます。手のひらに収まる大きさのこの根付は竹筒のような細工が施され、中をのぞくと大工さんの姿が…。ひとつの木片から彫り上げられたのですが一体どうやって彫ったのか?そこには伝説の根付師ならではのもくろみが。
 
ナレーター 小林薫
音楽 <オープニング・テーマ曲> 「The Beauty of The Earth」 作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン) 唄:ジョエル・タン  <エンディング・テーマ曲> 「India Goose」 中島みゆき
 
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こちらも公式サイトの「バックナンバー」に内容紹介があります。そちらには書かれていませんが、光雲が森田の根付けを愛用し、絶賛していたエピソードが紹介されました。


さらに明後日。今月初めに放映されたもので、正確に言うと再々放送です。 

にっぽん百名山「安達太良山」

NHKBSプレミアム 2015年2月19日(木) 11 時~11 時30分

番組内容
福島の安達太良山(1700m)、荒々しい火山と、みちのくの穏やかな自然を体感する山旅。登山口の野地温泉からブナなど広葉樹の紅葉に彩られた登山道を抜け、森林限界の低い偽高山帯と呼ばれる見晴らしの良いりょう線へ。最高峰の箕輪山(1728m)を経て、温泉のある山小屋で一泊、翌朝、空に突き出た山頂の姿から乳首山とも呼ばれる安達太良山の山頂をめざす。智恵子抄のエピソードや登山家の田部井淳子氏の誕生秘話も紹介。

出演 林千明
語り 山崎岳彦 吉川未来

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それぞれ見逃した方、または地上波で視聴できなかった地域の方、ぜひご覧下さい。

見逃した、と言えば、昨日、地上波テレビ東京系で放映された「昼めし旅~あなたのご飯見せてください~」という番組で、光太郎がちらっと紹介されたそうですが、当方、見逃しました。朝の段階で新聞のテレビ欄に「草津温泉へ 文豪愛したレトロ旅館」とあり、光太郎は草津を訪れたこともあったので、もしや、と思っていましたが、テレビを付け忘れました。悔しいですね。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月17日004

昭和20年(1945)の今日、日本橋三越で日本文学報国会、美術報国会主催の「愛国百人一首理念昂揚展覧会」が開幕しました。

「愛国百人一首」は、愛国の精神が表現されたとする名歌百首を選んだもの。光太郎が詩部会会長を務めていた日本文学報国会により、昭和17年(1942)に制定されました。古くは万葉時代の柿本人麻呂から、新しくは幕末の橘曙覧の作品が採られています。

選定は佐佐木信綱ら。光太郎は選者に入っていません。

三越での展覧会には、徳川吉宗の次男・田安(徳川)宗武の歌を光太郎が揮毫した書が展示されました。

歌は、

もののふの兜に立つる鍬形のながめ柏は見れどあかずけり

というものです。

十数年前でしたか、おそらくこの時のものと思われる光太郎の揮毫が古書市場に出ました。価格はなんと180万円。半切の大きなものですので、妥当な価格でしょう。

昨夜オンエアされた、NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」を拝見しました。

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当方、制作のお手伝いをさせていただきましたので、御覧になった方々の感想が気になるところです。いかがだったでしょうか。

一昨年放映された、同じNHKさんの「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」の際にもお手伝いをさせていただき、その時は渋谷の放送センターで司会の井浦新さん、伊東敏恵アナ、ゲストの作家・平野啓一郎氏によるスタジオ収録に立ち会い、VTRの部分もその時に拝見しました。

しかし、今回は事前に観ておらず、放映を心待ちにしておりました。実際に観てみて「こういう風に仕上がったのか」と、感慨ひとしおでした。

コンセプトとしては『智恵子抄』」の成立過程から智恵子と光太郎の生き様を探る、といったものでした。ある意味手前味噌になりますが、いい出来だったと思います。45分という短い尺で、光太郎智恵子の生の軌跡をあますところなく伝えるのは物理的に不可能ですが、ダイジェストとしては、あれでほぼ十分と思いました。

「日本人の純愛の代名詞とまで言われる『智恵子抄』」という紹介が為されていましたが、「そりゃ持ち上げすぎだろ」と思いました(笑)。

他にも細かな表現等で、「正確に言うとそうではない」「そう言い切るのは危険」「それは以前の定説」という箇所がありましたが、それはしかたがないでしょう。

「日曜美術館」の時にエゴサーチしてみましたところ、そういうところで揚げ足を取って、鬼の首でも取ったかのようにブログやツイッターの記事を書いている人物がいましたが、心の狭い人だなあと思います。その程度ならともかく、揚げ足を取るのでなく、足すら揚げていないのに「お前、今、足揚げたろ」と突っ込んでくる不届き者もいます。番組の中で一言もそういうことを言っていない、全くそういう内容になっていないことを「こういう内容だった、ひどすぎる」などと勝手に決めつけてブログで全世界に発信しています。その人物、とにかく上から目線で、自分以外の全ての人間はバカだと思っているようです(笑)。それが教育関係者だというのですから呆れます。よっぽど抗議しようかと思いましたが、そういう輩には何を言っても無駄と思うので、放置していますが。

閑話休題。昨夜の「歴史秘話ヒストリア」は、「episode1 智恵子と光太郎 運命の出会い」「episode2 智恵子と光太郎 理想と挫折」「episode3 智恵子と光太郎 愛が生んだ奇跡」そして「智恵子亡きあと 光太郎を支え続けたのは」の4部構成でした。鈴木一真さんと前田亜希さんのお二人による再現ドラマを軸に、要所要所でいろいろな方のコメントや関連画像、動画が入る構成です。

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お二人の演技もなかなかよかったと思います。いつもながらに渡邊あゆみさんの語りも。

過日ご紹介し濵口奈菜さんという方は、二人を取り持った柳八重の役でした。

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小説『智恵子飛ぶ』を書かれた作家の津村節子さん、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生、花巻郊外太田村時代の光太郎を知る高橋愛子さんなどのコメント、いちいちうなずけました。

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最後は花巻、そして十和田湖。

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なかなか感動的でした。

しかし、先程も書きましたが、45分という枠はあっという間ですね。その中で二人の生の試みをダイジェスト的に足早に紹介しなければならない、これは大変なご苦労があったと思われます。

ロケも、昨日の放映になかった場所でもいろいろ行われていますが、割愛せざるを得なかったのでしょう。智恵子が療養していた九十九里浜、京都の国立国会図書館関西館(智恵子が口絵を描いた雑誌『少女世界』)などの部分は使われていませんでした。また、実際にロケは行われませんでしたが、ディレクター氏は宮城女川や福島裏磐梯にもロケハンに行かれたそうです。

そういうご苦労がしのばれるので、何も知らない部外者が勝手に「ひどすぎる」とか書いているのを見ると、本当に腹が立ちます。今回はそういう事がないようにと願っています。

さて、地域によって違うかも知れませんが、再放送がありますので、見逃した方はご覧下さい。

NHK総合 2015年2月17日(火) 24:40~25:25 です。正確に言うと18日(水)未明の午前0:40~ですが、テレビ番組表の表記は翌日未明の分は前日の続きとして表記されます。録画予約等される場合、御注意下さい。

(2/17 22:07追記)先程ディレクター氏から連絡がありました。東北地方の地震報道の影響で、10分遅れのスタートだそうです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月12日

昭和28年(1953)の今日、詩人の宮崎丈二と、新宿中村屋レストランで夕食にカレーを食べました。

中村屋さんは親友だった荻原守衛の関連で、縁の深い場所でした。昨秋、中村屋サロン美術館が開館し、光太郎の油絵「自画像」も展示されています。昨夜の「歴史秘話ヒストリア」でも映りました。

一昨日の夜、NHK BSプレミアムで放映された「にっぽん百名山 安達太良山」を拝見しました。

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基本、登山系の番組ですので、福島県で山岳ガイドを務める林千明さんによる案内で進行。一泊二日の本格的な登山行をたどります。

途中、安達太良山ゆかりの人物ということで、麓の二本松出身の智恵子、そして光太郎が約2分間取り上げられました。

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智恵子生家とその周辺の映像も流れました。

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お約束の「あどけない話」が紹介されて、光太郎智恵子の紹介が終わります。

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撮影時期は秋。紅葉や秋晴れの「ほんとの空」が美しく広がる映像です。

同じNHK BSプレミアムで再放送があります。

2月15日(日)  6時30分~7時/2月19日(木) 11 時~11 時30分

見逃した方、ぜひご覧下さい。

ぜひご覧下さい、といえば、今夜10時からは、NHK総合で、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。

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ぜひぜひ、ご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月11日

大正9年(1920)の今日、有楽座で上演されていた演劇「青い鳥」を観ました。

翌日、親しかった作家の田村松魚(智恵子の親友だった同じく作家の田村俊子の夫)に宛てた葉書から。

昨夜は畑中氏のプロダクションを見に行きました。初日の為め時間が遅れたので中途で帰つて残念でした。畑中氏の苦心がおもひやられました。
チルチルになつた子は大変声の美しい子でした。ちよいと抱いてやりたい気のする子でした。

「畑中氏」は演出家の畑中蓼坡。その妻、静栄は、田村俊子の弟子で、駒込林町の光太郎智恵子アトリエにも出入りし、レモネードを御馳走になったなどの回想を残しています。昭和15年(1940)に刊行した詩集『海に投げた花』の序文は光太郎が執筆しました。

「チルチルになつた子」は、初代水谷八重子。昭和28年(1953)には生前の光太郎と会い、北條秀司作の演劇「智恵子抄」上演の約束を取り付けましたが、実現したのは光太郎没後の昭和31年(1956)でした。

毎週水曜日の夜に、NHK総合で放映されている「歴史秘話ヒストリア」。昨夜の放映終了後、公式サイトが更新され、来週の予定が出ました。以前にも書きましたが、いよいよ光太郎智恵子をメインに取り上げる「ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。 

歴史秘話ヒストリア第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年 2月11日(水)22:00~22:43   再放送 2月18日(水)0:40~1:25

彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。

今からおよそ100年前の1914年(大正3年)12月、彫刻家、詩人の高村光太郎と、画家の卵である長沼智恵子が、実験的な同居生活をスタートさせた。婚姻届を出さず、夫婦別姓。家事を分担し、対等な人間同士として、それぞれの創作に打ち込んだ。絶えざる戦争のわずかな合間、自由な文化が花開いた大正という時代を追い風にした「愛の試み」だった。光太郎と智恵子は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた。命を懸けて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは何か。バレンタインデーを前に、詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の物語を紹介する。

出演 前田亜季 鈴木一真
キャスター 渡邊あゆみ


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昨夜の放送の最後に、次週予告が25秒間放映されました。公式サイトでも視聴可能です。

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それが始まった瞬間、テレビ画面を指さして叫んでしまいました。「俺のじゃん!」と。

何が、と言うと、これがです。

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昨夏、岩手花巻の㈶高村光太郎記念会様を通じ、当方に協力要請があり、ここに写っている『智恵子抄』の初版をお貸ししました。20数年前に神田の田村書店さんで購入したものです。それがいきなり写ったので、驚いた次第です。

ちなみに画面左の方、扉のページが開けてありますが、影になっている左下の部分に、元の所蔵者の方の小さな蔵書印が押してあります。それが何ともうまく隠してあり、妙に感心しました。

ところで、昨日発行のNHKさんの番組ガイド誌『NHKウイークリーステラ』にも、写真入りで紹介が載っています。一般の書店で販売されています。

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再放送が17日(火)となっていますが、正しくは日付が変わって18日(水)になった未明です。テレビ番組の時間設定は、25時とか26時とカウントし、翌日の未明までは前日からのつながりで表記する習慣になっています。

「再現ドラマなどを交え、2人の足跡をたどる。」とありますが、光太郎役は鈴木一真さん、智恵子役は前田亜季さんが演じられます。また、濵口奈菜さんという方も出演されるそうで、彼女のブログにその旨の記述があります。察するに、智恵子の姪で、看護師として智恵子を看取った長沼(のち宮崎)春子あたりの役ではないかと思われます。違ったらすみません。

以前、ディレクター氏から戴いたスケジュール表によれば、九十九里、犬吠埼、東京、二本松、花巻、そして十和田湖と、東日本縦断のロケが敢行されていますし、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生や、小説『智恵子飛ぶ』を書かれた作家の津村節子氏のインタビューも流れるはずです。

ご期待下さい!


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月5日

平成12年(2000)の今日、光村図書から中学校3年生用の国語の教科書『国語3』が発行されました。

平成9年(1997)から使用されていたものの改版で、平成12年度用です。国語学者・宮地裕氏の随筆「言葉はどこからどこへ」が掲載されました。これは、昭和22年(1947)の夏、学生だった宮地氏が、花巻郊外太田村の光太郎の山小屋を訪れた際の思い出を根幹としています。また、グラビアページには、関連してブロンズの「手」の写真も載りました。

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宮地氏の訪問は、「言葉はどこからどこへ」に、日付が明記されていませんが、8月19日でした。当日の光太郎日記は以下の通り。

花巻より青年二人(東京と黒沢尻の人)来る。宮澤清六さんより委托のトマト一個、金瓜一個、胡瓜、せんべい等もらふ。二時過ぎまで談話。辞去。宮澤賢治研究者。

宮地氏の名前は書かれていませんが、昭和22年の夏、さらに光太郎への手みやげ(紹介状代わりに宮澤清六が持たせてくれたそうです)の品目から、この日と断定できました。

「言葉はどこからどこへ」、平成14年(2002)から17年(2005)の教科書では掲載されませんでしたが、18年(2006)度版から「胸の底の人と言葉たち」と解題されて、1年生の教科書に復活し、23年(2011)まで載っていました。

テレビ放映情報です。 

にっぽん百名山「安達太良山」

NHKBSプレミアム 2015年2月9日(月)  19時30分~20時00分 
再放送 2月15日(日)  6時30分~7時/2月19日(木) 11 時~11 時30分

番組内容
福島の安達太良山(1700m)、荒々しい火山と、みちのくの穏やかな自然を体感する山旅。登山口の野地温泉からブナなど広葉樹の紅葉に彩られた登山道を抜け、森林限界の低い偽高山帯と呼ばれる見晴らしの良いりょう線へ。最高峰の箕輪山(1728m)を経て、温泉のある山小屋で一泊、翌朝、空に突き出た山頂の姿から乳首山とも呼ばれる安達太良山の山頂をめざす。智恵子抄のエピソードや登山家の田部井淳子氏の誕生秘話も紹介。

出演 林千明
語り 山崎岳彦 吉川未来

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単に安達太良山の紹介だけでなく、「智恵子抄」がらみの内容になるというのがいいですね。


ちなみに同じ2/9の夕方には、再放送ですが、磐梯山の放映もあります。 

にっぽん百名山「磐梯山」

NHKBSプレミアム 2015年2月9日(月)  16時00分~16時30分

山旅へようこそ! 今回は福島県の磐梯山。ひとつの山で、ふたつの顔を持つ山。南側は、紅葉と溶岩が織り成す穏やかな光景。黒い岩肌を真っ赤な紅葉が彩る姿は、まるで日本庭園のよう。北側は、明治の噴火がもたらした荒々しい姿。切り立つ絶壁。噴火口の淵(ふち)、幅10mほどの山道を歩けば、両脇に山々を望む絶景が続く。磐梯山ならではの、ふたつの顔を存分に楽しむ山旅。

語り 鈴木麻里子

こちらは内容説明で「智恵子抄」の文字がありませんが、磐梯山といえば、昭和8年(1933)、統合失調症の昂進した智恵子を連れた光太郎が敢行した福島栃木などの温泉巡りの中で、その山麓を逍遥しています。


のちに昭和13年(1938)になって、その時の思い出を詩「山麓の二人」に記しました。

     山麓の二人004

二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡いて波うち
芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃(げき)として二人をつつむ此の天地と一つになつた


画像は磐梯山の後で訪れた栃木の塩原でのもの。現在確認されている智恵子最後の写真です。


さて、「にっぽん百名山」。安達太良山と磐梯山、ぜひ併せてご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月3日

昭和20年(1945)の今日、雑誌『美術』に談話筆記「回想録 二」が掲載されました。

前月の同じ『美術』に「一」が載り、二回で完結しています。聞き手は美術評論家の今泉篤男。筑摩書房『高村光太郎全集』の第十巻に掲載されていますが、「一」「二」併せて約50ページにもなる長大な談話筆記です。

主に幼少期から青年期の回想が主ですが、この時期にこれだけ長い回想が語られていることは、非常に興味深く感じます。もしかすると、長期化する太平洋戦争、次第に激しくなる空襲などにより、死の覚悟があったのかも知れません。

まずはテレビ放映情報です。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年1月30日(金)  6時35分~6時45分  再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきまつり、絵あわせかるた/きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、擬音アニメ/ちろんろん(粉雪)、うた/ペチカ、こころよ。
出演者 神田山陽,うなりやベベン,おおたか静流 ほか

1月16日に放映された内容と、全く同一のようです。光太郎の詩「冬が来た」が繰り返し扱われました。

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こういう番組を見て童心に返るのもいいものです。

ところで、ふと気になって、この番組の公式サイトを見てみたところ、新作のDVDが出ていました。光太郎がらみが2種類です。 

にほんごであそぼ ありがとう・童謡

販売価格 3,024円(税込) 004
 
人気幼児番組「にほんごであそぼ」最新の“うたのベスト”人気の番組オリジナル曲を集めた楽曲群と古くから歌い継がれてきた童謡をそれぞれ20曲収録した豪華版!

 【収録内容】
■オリジナル曲
ベベンのありがとう/とんでれみら/すずめのこ/ちゃわんむしのうた/雲/山のあなた/らららのら/ええじゃないか日本/いろは!/竹/ことわざしりとり/やまなし/ふるさとのうた/きりぎりすの山登り/道程/キックキックトントン/でんでらりゅうば/さよなら/小さき者へ/サーカス (全20曲)

■童謡
早春賦/朧月夜/あわて床屋/ずいずいずっころばし/茶摘み/毬と殿さま/マーチング・マーチ/夏は来ぬ/浜辺の歌/夕日/鉄道唱歌/どじょっこふなっこ/村祭/故郷/通りゃんせ/旅愁/冬景色/スキー/ペチカ ほか (全20曲)

【出演】
うなりやベベン、おおたかしずる、小錦八十吉、松元ヒロ、ラッキィ池田、藤原道山、立川志の輔、こどもたち ほか

【特典映像】
「珍・だくだく」(立川志の輔のオリジナル落語)

○2012~2014年 放送 収録時間本編80分+特典10分/16:9LB/ステレオ・ドルビー/カラー

「道程」は坂本龍一さんの作曲です。以前にご紹介した「にほんごであそぼ~元気コンサート in福島」というDVDにも収録されています。哀愁を帯びたジャジーなメロディーで、子供向けだからといっての妥協がありません。
販売価格 3,024円(税込) 

小錦八十吉、野村萬斎、おおたかしずる、うなりやベベンに加え、古典芸能の重鎮たちが勢ぞろい。豪華キャストでお届けします!好評の童謡や文楽もDVD初登場!

【収録曲】005
・なぞなぞなーに ~見えぬけれどもあるんだよ~
・うれしやかぶき ~知らざぁ言って・石川五右衛門~
・朧月夜
・おくのほそ道 ~春~
・うなりやベベンの平家物語
・茶摘み
・そうとうほんきの助数詞マンボ
・はやくち音頭
・まんじゅうこわい ~落語より~
・なぞなぞなーに ~牛が鳴きながら~
・ポッシャリ、ポッシャリ ~「十力の金剛石」~
・吾れ十有五にして…
・なぞなぞなーに ~うつくしや~
・じゅげむじゅげむ(アニメバージョン)
・おくのほそ道 ~夏~
・鉄道唱歌
・草にすわる
・蟻とイナゴの事
・なぞなぞなーに ~ひとつの愛~
・たのしやかぶき ~切られ与三・武蔵坊弁慶~
・ベベンの冬が来た
・夕日
・星めぐりの歌(コニちゃんバージョン)
・ベベンの草枕 

【出演】
小錦八十吉/神田山陽/市川亀治郎/豊竹咲甫大夫/鶴澤清介/桐竹勘十郎
野村萬斎/万作の会/うなりやベベン/おおたかしずる/こどもたち

【特典映像】
・文楽:春雨じゃ…/駆け込み訴え/世界は一つの…/小さき者へ
・萬斎:私と小鳥と鈴と/からだことば(目)/ややこしや ~堕落論~/合点か(はじめちょろちょろ)/かなしみはちからに
・元気コンサート!(未放送映像)


○2011年 放送 収録時間本編49分+特典25分

「ベベンの冬が来た」は、1/30の放映でも流れます。こちらは楽しいロック調です。

こういうものを介し、幼少時から日本の有名な文学作品等に親しむことも大切だと思います。特に子育て中の方、ぜひお買い求めを。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月28日007

平成4年(1992)の今日、東京渋谷の津田ホールで「第7回森田澄夫テノールリサイタル」が開催されました。

第一ステージが、「――愛と狂気、そして戯れ――」と題され、中島はる作曲の歌曲「智恵子抄」(委託初演 「人に」「樹下の二人」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」)、別宮貞夫作曲の歌曲「智恵子抄」(抜粋―「人に」「あどけない話」「
人生遠視」「山麓の二人」「レモン哀歌」)が演奏されました。

プログラムには北川太一先生の玉稿「弾む期待――森田澄夫氏の『智恵子抄』に寄せて――」も掲載されました。

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