カテゴリ: テレビ/ラジオ番組等

追記 その後、発表された番組内容が変更になり、11/25(土)のオンエアではなくなりました。

さらに追記 結局、12/3のオンエアだそうです。


テレビ放映情報です。

<BSフジサンデースペシャル>『絶景百名山2時間スペシャル 第66回 「安達太良山・西吾妻山 秋」』

BSフジ 2017年11月25日(土) 27時00分~28時55分  (=11月26日(日) 午前3時00分~4時55分)

秋、様々な色に染まった木々の葉が山肌を美しく彩る紅葉の季節。
今回は東北地方の二つの百名山「安達太良山」と「西吾妻山」を2時間SPでご紹介。

安達太良山は、詩人・高村光太郎の「智恵子抄」に登場する福島を代表する山の一つ。
標高1,700mの裾野に広がる紅葉は美しく、秋は特に人気の高い山。

山の案内人は、麓の岳温泉で和菓子屋を営みつつ、山のガイドをしている渡辺茂雄さん(44歳)
幼い頃から安達太良山を見て育ち、その魅力に引き込まれた渡辺さんがガイドをするのは安達太良山のみ。
「多くの人に安達太良山と、自分の生まれ育った岳温泉のすばらしさを知ってもらいたい」
そんな渡辺さんのガイドは、地元の人だからこそ知っている情報が満載だ。
さらに渡辺さんは、温泉の源泉を管理する「湯守」という仕事を冬季限定で行なっている。
安達太良山の麓にある岳温泉の湯は、安達太良山の中腹にある湯元から8キロもの距離を下ろす日本一長い引湯。
冬の間は雪が深い為、登山技術のあるガイドが湯元の管理をするのだそうだ。
安達太良山を知り尽くす地元ガイド一押しの絶景とは…

西吾妻山は、福島県と山形県の境界に位置する吾妻連峰の最高峰、標高2,035mの山。
連峰の山の中で唯一2,000mを超える山であるが、周りの山々がそれに近い高さの為、
飛び抜けて主峰という感じはしない山。
日本百名山の著者・深田久弥も「つかみどころがない」と称するほど。

そんな山を愛してやまないというのが、今回の山の案内人。
西吾妻山の麓、天元台スキー場でペンションを営む山岳ガイドの近藤明さん(62歳)
ガイド歴は40年。8,000mを超えるシシャパンマに登頂した経験があり、
年間200日以上をガイドとしてこなす山のスペシャリスト。

そんな近藤さんにとって、一番好きな山が西吾妻山。
展望がまるでない山頂だが大好きだという。
理由を尋ねると、なるほど納得の答えが返ってきた。
その理由がまた、西吾妻山の魅力を良く表現できていることに驚かされる。
ベテランガイドが愛する西吾妻山の魅力を、絶景とともにお伝え致します。

ナレーター 小野寺昭

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この番組では、平成25年(2013)放映の第26回「秋から冬へ 上高地徳本峠」でも、光太郎智恵子に触れて下さいました。

今回の放映、当初は12月3日(日)と発表され、現在も公式サイトではそうなっていますが、変更になったのか、2回放映されるのか、何とも不明です。とりあえず、11月25日というか26日未明の放映は為されるはずですので、ご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

世界平和と人類破滅とが 仲よく隣同士でそこにいる。 こんな矛盾が矛盾にならないほど 微妙な天秤に人間はのつている。

詩「お正月の不思議」より 昭和30年(1955) 光太郎73歳

暮れも押し詰まりつつあった12月19日の作。光太郎の詩としての絶筆2篇のうちの一つです。翌年元日のNHKラジオ放送のため執筆されました。

最後まで人類の行く末を案じていたユマニスト光太郎の本質がよく表れています。

先週日曜の朝にオンエアされたNHKさんの日曜美術館「皇室の秘宝~奇跡の美術プロジェクト~」、今夜、再放送があります。現在、東京上野の東京藝術大学さんで開催中の東京藝術大学創立130周年記念特別展「皇室の彩(いろどり) 百年前の文化プロジェクト」」を取り上げています。

日曜美術館「皇室の秘宝~奇跡の美術プロジェクト~」

NHKEテレ 2017年11月19日(日)  20時00分~20時45分

昭和天皇のご結婚の際に献上された美術品が皇居から初めて持ち出され公開された。一流の工芸家たちが5年の歳月をかけた奇跡のプロジェクトの作品を紹介する。

東京芸術大学の美術館で開催されている展覧会。金のまき絵やらでんが一面に施された飾り棚。天皇と皇后用に1対で献上された豪華な作品である。また48人の工芸家が技法を競った作品が装飾されたびょうぶ。金工、木工、漆、陶芸など日本の伝統工芸がここに集約されている。実はこのプロジェクトには中止に追い込まれそうな危機があった。皇室の秘宝とともにその秘められた物語を紹介する。

出演 井浦新 高橋美鈴 古田亮(東京藝術大学准教授)


冒頭近くで、番組のつかみ的に、光太郎の父・高村光雲の「鹿置物」(大正9年=1920)が、大きく取り上げられました。

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番組進行役の井浦新さん、髙橋美鈴アナも感嘆しきり。


メインで取り上げられた作品は、大正13年(1924)の皇太子ご成婚を奉祝する御飾り棚一対(昭和3年=1928)。その超絶技巧があますところなく解説されていました。

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棚自体は、蒔絵師を中心とした職人達の手になるものですが、この棚を飾る各種工芸品などの中に、光雲の「木彫置物 養蚕天女」(昭和3年=1928)も含まれていました。

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この「養蚕天女」が単体の作でなく、このためのものだったというのは、同展の図録を読んで初めて知りました。ちなみに今回は展示されていませんが、皇室にはこれより一回り大きい「養蚕天女」も奉納されています。

関東大震災による甚大な被害を乗り越え、「こういう時だからこそ」と、自粛ムードをはねのけてこれらを作り上げた人々の思いにも言及されており、美術作品そのものだけでなく、背景のドラマを知ることの重要性も再認識しました。


もう1点、大きく取り上げられたのが、やはり一対の「二曲御屛風」(昭和3年=1928)。

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こちらには、光雲三男にして、家督相続000を放棄した光太郎に代わって髙村家を継いだ、鋳金の人間国宝・髙村豊周の作「石楠花(しゃくなげ)」も張り混ぜられています。

全体としては、48名の作家の扇面型、色紙型の作が配され、制作方法も多種多彩。金工あり、木工あり、七宝や象嵌、蒔絵、漆工芸など、百花繚乱の感があります。

この中では、豊周の「石楠花」は色合い的にも地味な作なので、番組では取り上げられませんでしたが、写るには写りました。

大きく取り上げられたのは、豊周の作の斜め下に配された青山泰石の「木画扇面 松叭々鳥」。これが筆で描いたものでなく、木に木をはめ込んで作られているというのですから驚きです。

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だからといって、豊周の鋳金の方が劣っているということにもなりません。技法がまるで違うもの同士、比べようがありませんから。

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藝大美術館さんでの展覧会(今月26日(日)まで)ともども、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

人類はじめてきのこ雲を知り、 みづからの探求は みづからの破滅の算出。 ノアの洪水に生きのこつた人間の末よ、 人類は原子力による自滅を脱し、 むしろ原子力による万物生々に向へ。

詩「新しい天の火」より 昭和29年(1954) 光太郎72歳

この時期、原子力の平和利用ということが、盛んに論じられていました。旧ソ連では世界初の原発が稼働、もう少し後には民間船舶にも原子力機関搭載の原子力船が導入されるようになります。まさに「原子力 明るい未来の エネルギー」的な風潮だったわけです。

しかし、第五福竜丸事件もこの年でした。それから広島、長崎の悲劇を踏まえ、懐疑的な見方を示しつつも、光太郎は基本的に原子力の平和利用推進には肯定的でした。このあたり、昔から社会認識の部分では、周囲に流されて「甘い」見方になってしまうという、一種の光太郎の弱点が露呈されてもいます。

およそ60年後の福島の惨状など、思いもよらなかったのでしょう。一概には責められませんが。

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テレビ放映情報です。

ザ・プロファイラー 夢と野望の人生 「彫刻に“生命”を刻んだ男~オーギュスト・ロダン~」(再放送)

NHKBSプレミアム 2017年11月8日(水)  18時00分~19時00分

岡田准一がMCを務める歴史エンターテインメント。「考える人」「地獄の門」で知られ、今年、没後100年を迎える彫刻家ロダン。30歳をすぎても、貧乏生活から抜け出すことができず、苦悩に満ちた日々を送った。こだわったのは「男の裸」。ところが、名声を得た後、1人の女性との関係をきっかけに、女性像や愛をテーマとした作品を発表するように。だが、その女性との関係は悲劇的な結末に。人間味あふれる人生に迫る。

司 会 岡田准一
ゲスト 鹿島茂,若村麻由美,篠原勝之

2日にオンエアされた本放送を拝見しました。

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光太郎が終生敬愛した彫刻家ロダン。その生涯を、代表作品や、周囲の人々との関わりから追ったものです。

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今月11日に封切られる映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」を紹介、弟子であり愛人でもあったカミーユ・クローデル、そして内縁の妻(最晩年に入籍)ローズ・ブーレとの三角関係。

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光太郎にも言及されました。

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連翹忌にも何度かご参加下さっている、日本大学芸術学部の髙橋幸次先生もご出演。

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なかなかのクオリティーでした。


同じく、光太郎と縁の深かった美術家ということで。

美の巨人たち “夭折の天才”村山槐多と関根正二…自画像に刻んだ鮮烈な人生

テレビ東京  2017年11月11日(土) 22時00分~22時30分 
BSジャパン  2017年11月29日(水) 23時00分~23時30分

燃えるようなガランスと染み入るようなバーミリオン。二つの赤に託された思いとは?二人の夭折の天才が残した自画像の変遷をたどり、その20年あまりの鮮烈な人生に迫る。

大正時代に彗星のごとく現れた画家・村山槐多と関根正二。98年前の1919年に二人はその生涯を閉じました。槐多22歳、正二20歳という若さで…。村山槐多は燃えるようなガランス、関根正二は染み入るようなバーミリオンを好みました。二つの赤に託された思いとはなんだったのか?夭折の天才が目指したものは何だったのか?自画像に秘められた真実に迫ります。

ナレーター 小林薫  神田沙也加

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今回取り上げられる二人のうち、村山槐多は、光太郎より13歳年下の明治29年(1896)生まれ。宮沢賢治と同年です。大正8年(1919)に、数え24歳で結核のため夭折。その晩年、光太郎と交流があり、光太郎はそのままずばり「村山槐多」(昭和10年=1935)という詩も書いています。

  村山槐多

槐多(くわいた)は下駄でがたがた上つて来た。
又がたがた下駄をぬぐと、
今度はまつ赤な裸足(はだし)で上つて来た。
風袋(かざぶくろ)のやうな大きな懐からくしやくしやの紙を出した。
黒チョオクの「令嬢と乞食」。

いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。
強くて悲しい火だるま槐多。
無限に渇したインポテンツ。

「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」
「居るよ。」
「僕は眼がつぶれたら自殺します。」

眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。
自然と人間の饒多の中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。

画家だった村山ですが、詩も書き、光太郎に見て貰ったりもしていました。それが「くしやくしやの紙」で、歿した翌年、大正9年(1920)には、『槐多の歌へる』の題で詩集が出版されています。光太郎は推薦文も寄せています。

そのあたり、番組で紹介されるといいのですが……。


もう一件。

日曜美術館「皇室の秘宝~奇跡の美術プロジェクト~」

NHKEテレ 2017年11月12日(日)  9時00分~9時45分
      再放送 11月19日(日)  20時00分~20時45分

昭和天皇のご結婚の際に献上された美術品が皇居から初めて持ち出され公開された。一流の工芸家たちが5年の歳月をかけた奇跡のプロジェクトの作品を紹介する。

東京芸術大学の美術館で開催されている展覧会。金のまき絵やらでんが一面に施された飾り棚。天皇と皇后用に1対で献上された豪華な作品である。また48人の工芸家が技法を競った作品が装飾されたびょうぶ。金工、木工、漆、陶芸など日本の伝統工芸がここに集約されている。実はこのプロジェクトには中止に追い込まれそうな危機があった。皇室の秘宝とともにその秘められた物語を紹介する。

出演 井浦新 高橋美鈴 古田亮(東京藝術大学准教授)

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こちらには光太郎の父・高村光雲作の「松樹鷹置物」(大正13年=1924)が展示されており、ちょっとでも紹介してほしいものです。


それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

不発か時限か、 ぶきみなものが そこらあたりにころがつて 太平楽をゆるさない。 人の命のやりとりが 今も近くでたけなはだ。

詩「遠い地平」より 昭和25年(1950) 光太郎68歳

翌年元日の『新岩手日報』のために書かれた詩の一節です。

朝鮮戦争を念頭に置いて書かれていますが、現代の日本にもあてはまりますね。ちょうど、宗主国から「ぶきみな」人物が来日している折ですし。ポチはシッポを振るのに余念がないようですが(笑)。

テレビ放映情報です。 

<BSフジサスペンス劇場>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ 2017年10月4日(水)  12時00分~13時58分

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!! 

原  作 内田康夫
出演者 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか

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光太郎彫刻の贋作をめぐる殺人事件という設定で、初回放送は平成18年(2006)でした。年に1~2回、BSフジさんで再放送されています。

タビフク。#63「十和田湖・奥入瀬」小島藤子&宮崎香蓮

地上波TBS 2017年10月4日(水) 25時58分~26時28分=10月5日(木)午前1時58分~2時28分

プライベートでも仲の良い二人が究極のおしゃれ女子タビに。世界で二つしかない神秘の二重カルデラ湖「十和田湖」そして奥入瀬渓流へ小島藤子&宮崎香蓮がおしゃれ女子タビ。
素敵な日本の風景、極上のホテルルーム、あこがれのおしゃれ女子女子たちとまばゆいファッション・・・オンナの子の憧れがいっぱいにつまった番組。高精彩の4Kカメラにより撮影されています。残念ながら現在の地上波TVでは2Kフルハイビジョンでの放送となりますが、それでも映像の美しさは格別です。ぜひ極上の日本の風景をお楽しみください。

出   演   者 小島藤子&宮崎香蓮
番組案内役 タビフク。コンシェルジュ 季葉(きわ)

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光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖と、奥入瀬渓流が取り上げられます。予告編では、「乙女の像」は写っていませんでしたが、ぜひとも写っていてほしいものです。

プレミアムカフェ 鉄道乗りつくしの旅JR20000km全線走破 北陸甲信越ほか

NHKBSプレミアム 2017年10月2日(月) 9時00分~11時02分
                 再放送 24:45~26:50(10月3日午前0:45~)

ハイビジョン特集 列島縦断 鉄道乗りつくしの旅JR20000km全線走破 秋編 第1回 北陸甲信越 東北(初回放送:2005年):2004年の「関口知宏 最長片道切符の旅」でフォロー出来なかったJR路線を、“乗り潰す”旅の後半総集編。第1回は、福井県の九頭竜湖から宮城県の女川まで。

出演 関口知宏  語り 中川緑  スタジオゲスト 紀行作家・芦原伸  
スタジオキャスター 渡邊あゆみ

プレミアムカフェ 鉄道乗りつくしの旅JR20000km全線走破 東北編

NHKBSプレミアム 2017年10月3日(火) 9時00分~11時00分
                 再放送 24:30~26:30(10月4日午前0:30~)

ハイビジョン特集 列島縦断 鉄道乗りつくしの旅JR20000km全線走破 秋編 第2回 東北編(初回放送:2005年)2004年の「関口知宏 最長片道切符の旅」でフォロー出来なかったJR路線を、“乗り潰す”旅の総集編。今回は、宮城県の女川から青森県の三厩まで。

出演 関口知宏  語り 中川緑  スタジオゲスト 紀行作家・芦原伸  
スタジオキャスター 渡邊あゆみ

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2日連続の放送。光太郎を偲ぶ「女川光太郎祭」が毎年行われている、宮城県女川町が双方のちょうどつなぎ目です。初回放映が平成16年(2004)ですので、東日本大震災前。かつての女川の街並みが写ってほしいものです。


さて、先週ご紹介しました、テレビ朝日さんの「あなたの駅前物語 【二本松駅前/福島県】提灯祭りの駅前」。

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残念ながら、駅前の智恵子像と光太郎詩碑は取り上げられませんでしたが、安達太良山と阿武隈川の風景をバックに、二本松を紹介する俳人・黛まどかさんのナレーションで、「智恵子抄」に触れて下さいました。曰く「詩人で彫刻家の高村光太郎が詠んだ安達太良山と阿武隈川をはじめ、雄大な自然と文化の薫りが二本松の誇りです。」

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メインは10月4日(水)~6日(金)に開催される提灯祭り。300年以上も続いている祭りだそうで、智恵子もきっと見たことでしょう。

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ラストは「ほんとの空」をバックに黛さんの句。

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テレビ朝日さんのアーカイブサイトで、10月5日(木)まで公開されています。ご覧下さい。


二本松といえば、明日は智恵子を偲ぶ「第23回レモン忌」の集いが開催され、また行って参ります。


【折々のことば・光太郎】

ちよびちよびちよびちよび、 ぴいひよう、ぴいひよう、 こつちおいで、こつちおいで、こつちおいで、 こひしいよう、こひしいよう、 ぴい。 おや、さうなんか、クロツグミ。

詩「クロツグミ」より 昭和23年(1948) 光太郎66歳

クロツグミは広く日本に分布する渡り鳥です。その鳴き声をオノマトペで表していますが、途中から「こつちおいで」「こひしいよう」と聞こえたというのです。花巻郊外太田村の山小屋での独居生活も約3年が経過。青年期から憧れていた自然に包まれての生活ではありましたが、智恵子逝きてすでに10年、光太郎自身の心の叫びなのかも知れません。

東北の、光太郎智恵子に関わる地域などを取り上げるテレビ番組の放映情報です。

5人で挑む"最後の夏"~宮城・女川中バスケ部~

NHKBS1 2017年9月23日(土)  15時00分~15時30分

東日本大震災で大きな被害を受け人口が4割も減った宮城県女川町。今年、町の人々に勇気を与えたのが女川中学・女子バスケ部の快進撃だ。新入生をのぞくと部員は3年生の5人だけ。それでも全国大会出場という夢に向かって、並み入る強豪に立ち向かった。5人は小学3年生で震災を経験し、避難所で一緒に練習してきた仲間。大人たちも練習相手を買って出るなど、町が一丸となって夢に挑戦した熱い日々を追う。※初回放送2016年

語り 倉科カナ 

アニメドキュメント「女川中バスケ部 5人の夏」

NHKBS1 2017年9月23日(土)  15時30分~16時13分

震災で部員が減る中、最小人数で全国大会目指す5人の少女の感動の実話をアニメ化。ナレーションは綾瀬はるか。声の出演は倉科カナ、山寺宏一、サンドウィッチマンなど豪華メンバーが集結した!!宮城県女川町は津波で大きな被害を受け人口が4割も減少。名門・女川中バスケ部も3年生が5人だけに。しかし5人は震災をともに乗り越えてきた絆と、町の人たちの支えをうけて、ひたむきに戦い、奇跡的に県大会を勝ち進む…。

語り 綾瀬はるか
声  倉科カナ 山寺宏一 サンドウィッチマン 大神雄子 佐々木李子 三瓶由布子 伊瀬茉莉也 潘めぐみ 大和田仁美

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実話を元に、昨年の夏、全国大会出場を目指してがんばった、宮城県女川中学校女子バスケットボール部を描いた番組です。実写版とアニメ版がセットで再放送されます。

昭和6年(1931)、新聞『時事新報』の依頼で紀行文「三陸廻り」を書くために光太郎が立ち寄った、女川町。それを記念して、平成の初めに光太郎文学碑が建立されました。その後、平成23年(2011)の東日本大震災の津波で大きな被害を受け、その教訓から、光太郎文学碑の精神を受け継ぎ、建設費用を募金でまかない、当時の女川第一中学(現・女川中学)の生徒たちが中心となって、津波到達地点より高い場所、町内21ヶ所に非難の目安となる「いのちの石碑」が建立され続けています。

アニメ版では、「いのちの石碑」が背景に使われています。女川の補通の風景の一部と化しているという感覚でしょうか。

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続いて、智恵子の故郷・二本松。

あなたの駅前物語 【二本松駅前/福島県】提灯祭りの駅前

地上波テレビ朝日 2017年9月28日(木)  23時10分~23時15分

日本中の「駅前」を舞台に、そこに関わる人々、街が持つ「物語」をたどり、「街のぬくもり」とともに「ニッポンの良さ・味わい」への思いを呼び起こす番組。

#26 二本松駅/福島 安達太良山や阿武隈川をはじめ、雄大な自然と文化の香りが二本松の誇り。駅前には戊辰戦争で散った二本松少年隊の像があり、悲しい歴史を思い知らされる。10月初めには駅前を舞台に二本松提灯祭りが開催され、もう300年以上も続いている。提灯で飾られた太鼓台は“稲穂"と“鉾"を表し、五穀豊穣と疫病退散を祈る。しゃぎりと呼ばれる太鼓のリズムで子どもたちが祭りを盛り上げる。

ナレーター 黛まどか(俳人)


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10月4日(水)~6日(金)に、提灯祭りが開催されるJR東北本線二本松駅。番組説明では、駅前の二本松少年隊の像に触れられています。

少年隊像の逆サイドには、光太郎の父・高村光雲の孫弟子にあたる橋本堅太郎氏による智恵子像「ほんとの空」(平成21年=2009)、二つの中間には、光太郎筆跡を刻んだ「あどけない話」詩碑(昭和51年=1976)もあり、そちらもちらっとでいいので映ってほしいものです。

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もう1件。

ドラマ10 この声をきみに(3)「雨にも負けぬ男」

地上波NHK総合 2017年9月29日(金)  22時00分~22時50分

連続テレビ小説「あさが来た」で、同枠ドラマ今世紀最高視聴率(関東平均値)を叩き出した、脚本家・大森美香が満を持して送るオリジナル作品、上質な大人のエンターテインメント。そんな彼女がラブストーリーの舞台に選んだのが朗読教室。「時代遅れ」のイメージもある朗読教室だが、声を出して心を開放する癒しの場として再評価され、若者にも密かなブームである。 声の交流を通して、主人公が女教師と「愛」や「人生」のレッスンを重ね、 個性的な生徒たちと一緒に、成長をしていく姿をキュートに、ロマンチックに描きます。

孝(竹野内豊)がついに発表会の舞台へ!?偏屈で口下手な数学者・孝がひょんなことから、みんなと「雨ニモ負ケズ」を朗読することに。しかし緊張のあまり、言葉が出ない!

孝(竹野内豊)は奈緒(ミムラ)と一か月ぶりに会うことになった。そこで奈緒は、離婚を決意した理由を明かすが、孝への不満は想像を超えるものだった。一方、朗読教室ではライブに向け、泰代(片桐はいり)たちが群読の猛練習をしていた。孝も仲間に誘われるが、気乗りがせずに断る。そして発表会当日、トラブルが起き、朗読メンバーに欠員が出てしまう。孝は京子先生(麻生久美子)から、舞台へ上がって欲しいと頼まれるが…。

今回の朗読作品
「氷菓」作:室生犀星  「雨ニモマケズ」作:宮澤賢治  「くじらぐも」作:中川李枝子/絵:柿本幸造
 「津軽」作:太宰治

出演  竹野内豊 麻生久美子 柴田恭兵 ミムラ 杉本哲太 片桐はいり 堀内敬子
    大原櫻子 戸塚祥太
 趣里 平泉成 松岡充 仁科亜季子


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その「発見」の現場に立ち会ったり、碑文の揮毫をしたりと、光太郎とも縁の深い宮沢賢治の「雨ニモマケズ」がメインで取り上げられます。

ところで、昨夜の第2話で、その朗読ライブのチラシが映りました。そこには「雨ニモマケズ」と並んで「「智恵子抄」 高村光太郎」の文字が。

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しかし、番組公式サイトの予告では、残念ながら「智恵子抄」には触れられていませんでした。今後の回に期待したいところです。

それぞれ、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

けちな善意は大局に及ばず、 せまい直言は喜劇に類した。 わたくしは唯心を傾けて先生に慙謝し、 自分の醜を天日の下に曝すほかない。

詩「蒋先生に慙謝す」より 昭和22年(1947) 光太郎65歳

「蒋先生」は蒋介石。戦時中、その徹底した抗日思想を批判し「沈思せよ蒋先生」(昭和17年=1942)という詩を書いた光太郎。連作詩「暗愚小伝」を経て、みずからの誤りに思い至り、この詩を書きました。「けちな善意」「せまい直言」は、「沈思せよ蒋先生」での、蒋介石への呼びかけを指します。

ついでにいうなら、「自分の醜を天日の下に曝すほかない」も、初期の翼賛詩「天日の下に黄をさらさう」(昭和12年=1937)からの連想でしょう。「黄」は欧米人の蔑視する「黄色人種」の「黄」という意味でした。

テレビ放映情報です。

ブラタモリ #81 十和田湖・奥入瀬 ~十和田湖は なぜ“神秘の湖”に?~

NHK総合 2017年9月2日(土) 午後7時30分~8時15分

出演 タモリ/近江友里恵アナウンサー ナレーション 草彅剛 テーマソング 井上陽水

ブラタモリ、十和田湖・奥入瀬へ!
十和田湖といえば、青森と秋田の県境に広がる美しい湖。奥入瀬渓流とあわせて、年間100万の観光客がやってくる人気スポットです。
新緑のシーズンから秋の紅葉、そして厳しい雪景色と、1年を通じて「神秘的」な風景が楽しめる場所ですが・・・でもそもそも、どうして十和田湖は“神秘の湖”になったのでしょうか?十和田湖、そして奥入瀬の不思議な成り立ちと知られざる姿を、タモリさんがブラブラ歩いてひも解きます。
まずやってきたのは、十和田湖の湖畔。湖底に現れる神秘的な「白い筋」が、十和田湖の成り立ちを解き明かすカギだった?なぜか喫茶店の「ココアと練乳」であきらかになる十和田湖誕生の秘密!・・・っていったいどういうこと!?
実は十和田湖は、火山の噴火によって出来たカルデラ湖。しかもなんと出来たてホヤホヤの、世にも珍しい「二重カルデラ湖」だった!ボートで湖へ出たタモリさん、目の前にそそりたつ急な崖に大興奮!この崖こそ、火山の中身が見えるというダイナミックな神秘だった!
さらに十和田湖の神秘といえば、もともと魚がいなかったという湖に、なぜか棲んでいるヒメマス。ヒメマスが養殖できたのも、「二重カルデラ」がつくった湖の神秘的な地形がきっかけだった?
さらに美しい滝と渓谷で知られる、奥入瀬渓流へ。十和田湖の水がただひとつ流れ出るスポットにも神秘がいっぱい!14あるという滝に隠された、1万5000年前の奇跡とは?奥入瀬の美しい森を作り出したのは・・・何と「コケ」だった?コケが織り成す神秘的なミクロの世界にタモリさんもビックリ!

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というわけで、NHKさんの人気番組「ブラタモリ」。地質学の普及への貢献が評価され、日本地質学会さんから表彰されたりもしています。

今週はお休みですが、来週土曜日、9月2日の放送で、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖と、奥入瀬渓流が取り上げられます。予告編では、「乙女の像」は写っていませんでしたが、ぜひとも写っていてほしいものです。

他にも光太郎智恵子ゆかりの地で、銚子犬吠埼や安達太良山など、地質学的に特異な場所がいろいろありますので、そちらも取り上げて下さればとも存じます。


【折々のことば・光太郎】

石くれは動かない 不思議なので しやがんで いつまでも見てゐた

詩「石くれの歌」より 昭和20年(1945)頃 光太郎63歳頃

光太郎が手元に残した紙切れに書かれていたもので、おそらく雑誌等には未発表の詩です。ただ、実現しませんでしたが、戦争末期に『石くれの歌』という詩集を刊行する意図があったことは確かで、それに関わるという推理が可能なため、「昭和20年(1945)頃」としています。

不動の「石」に対し、自分でも余り予期していなかった「動き」――過激な戦争協力――をしてしまった、せざるをえなかった光太郎、何を見ていたのでしょうか……。

明日から3日間、テレビ番組でぽつりぽつりと光太郎智恵子が取り上げられます。

まずは、これまでも時折光太郎智恵子を取り上げて下さっている、NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」。明日と明後日の放映で「あどけない話」がラインナップに入っています。さらにそれぞれ来月に入ってからも再放送があります。

にほんごであそぼ

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。

2017年6月28日(水)・7月12日(水) NHK Eテレ 6:35~6:45   再放送 17:00~17:10  
文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、うなりやベベン/触らぬ神に祟り無し(ことわざ)、ひゃくにん・いっしゅの百人一首劇場/契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山…(清原元輔)、歌/浜辺の歌、五十三次ロケンロー。

2017年6月29日(木)・7月13日(木) NHK Eテレ 6:35~6:45   再放送 17:00~17:10  
玉屋鍵屋、文楽/智恵子は東京に空が無いといふ「あどけない話」高村光太郎、ヨシタケ×山陽のおよおよ/「蟹工船」小林多喜二、歌/浜辺の歌、五十三次ロケンロー。


「文楽」とありますが、同番組では、豊竹咲甫太夫さんらによる人形浄瑠璃文楽で、古今の文学作品の一節を演じるコーナーがあります。


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金曜日には、BS放送の番組で。 

武田鉄矢の昭和は輝いていた 昭和のロングセラー蚊取り線香&コカ・コーラ

2017年6月30日(金) BSジャパン  21時00分~21時54分

「激動の時代」と言われた「昭和」は、日本人が振り返りたくなる魅力にあふれています。 この番組では、昭和を象徴する「人」「モノ」「できごと」から、毎回ひとつのテーマをピックアップ。当時の映像・写真を盛り込み、「昭和」の魅力を再発掘していきます!

◆夏のシンボル「金鳥・蚊取り線香」。長い間売れ続ける商品の隠された物語。渦巻きの秘密や、記憶に残る美空ひばりさんのCMに驚きの真実があることが判明!世界初の明治の蚊取り線香も登場。 ◆夏の清涼飲料水「コカ・コーラ」アメリカ発の飲料が日本で流行した立役者は?その知られざる苦労と懐かしのCMで、昭和の若者風俗を懐古します。

司 会 武田鉄矢 須黒清華(テレビ東京アナウンサー)
ゲスト 上山久史(大日本除虫菊株式会社専務取締役) 荻原博子(経済ジャーナリスト)
     町田忍(庶民文化研究所所長)

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コカ・コーラの項で、光太郎がちらっと紹介されるはずです。

光太郎の第一詩集『道程』に、「狂者の詩」という詩が収められています。初出は大正元年(1912)12月の雑誌『白樺』です。その中で「コカコオラ」の語が使われており、文学作品におけるコーラの最も早い使用例の一つです。

コーラと光太郎については、以前のこのブログでもご紹介しています。こちらをご覧下さい。

少し前に、花巻高村光太郎記念会さんから電話がありました。番組制作会社からの問い合わせに関してのヘルプ要請でした。問題は「狂者の詩」の読み方。「詩」一文字が「し」なのか、「うた」なのか、ということでした。

基本的にルビが振らていない漢字の読み方は、よほど度外れた読み方でない限り、不正解とは言えません。したがって、「し」と読んでも、「うた」と読んでもいいと思います。ただ、作者(光太郎)がどちらをイメージしていたのかを考えることは可能です。時代背景的に、「詩」を「うた」と読むようになるのはおそらくそれほど古い習慣ではないはずで、「し」の方が正解に近い気がします。だからといって、「うた」と読んだら×、というわけではないと思います。どうしても「うた」と読みたければ、どうぞ、それで結構――と答えておきました。

同様の問い合わせは結構あります。

少し前に、作曲家の野村朗氏からは、詩「樹下の二人」(大正12年=1923)に出てくる「愛の海ぞこ」の読み方を訊かれました。「うみぞこ」か「うなぞこ」か、と。『広辞苑』を調べても、どちらの読み方も登録されていません。もはや、こういう場合にはどちらで読んでも不正解とは言えないでしょう。ただし、他の詩との整合性ということを考えると、明治40年(1907)作の「博士」という詩の中に、「大海底」と書いて「おほうなぞこ」とルビが振られている箇所があり、「うなぞこ」の方が正解に近いのかな、という気がします。しかし、だからといって、「うみぞこ」と読んでもダメ出しはできないでしょう。

固有名詞についても、結構困る場合があります。やはり野村氏から、それからそれ以前に「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像~」制作のお手伝いをしていた中で、詩「案内」(昭和25年=1950)中の「毒が森」に関して、レファレンス依頼がありました。光太郎が戦後の七年間を暮らした花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)付近の地名として、「うしろの山つづきが毒が森。」という一節があります。こちらは固有名詞ですから、さまざまな読み方は無いわけで、本当の読み方は「ぶすがもり」です。

狂言の題目にもありますが、猛毒のトリカブトの別名が「附子(ぶす)」。そこからの連想で、「毒」に「ぶす」と訓読みを当てる場合があり、地名やら人名やらで使われています。ちなみに不美人を「ブス」というのは、トリカブトを食べて苦悶する人のような顔、という連想から来ているとか。

光太郎の山小屋の裏山も、正しくは「ぶすがもり」です。サイト「岩手の自然 毒ガ森山塊」などにもそう紹介されています。ところが、地元でも「ぶすがもり」という地名が忘れられつつあるようで、毎年5月の花巻高村祭で、地元の方がこの詩を朗読しますが、「どくがもり」と読んでいます。もはや地名としての「ぶすがもり」が忘れ去られているのであれば、「どくがもり」と読んでもいいのかな、などと思っております。

こうした詩句の読み方に関しては、ある意味、これだという正解が存在しない場合が多いと思います。大切なのは、読む人それぞれが、これはどう読むのだろう、とか、こう読む根拠は、などと考えを廻らせることではないでしょうか。とはいうものの、エラいセンセイなどが、いわゆる「論文」で、たった一語の読み方にこだわって、ああでもない、こうでもないとやっているのを見ると、「木を見て森を見ず」の感がぬぐえませんが。

さて、「武田鉄矢の昭和は輝いていた」。「し」と読むのか「うた」と読むのか、とりあえず注視します。もっとも、テレビ番組の場合、収録の尺などの関係で、レファレンスした内容がばっさりカットされることも珍しくありません。光太郎に触れずじまい、と、それは避けていただきたいのですが、どうなることやら……。


【折々のことば・光太郎】

潔さと美と飢と入水とを等分に持つたドウベル 低くなり得ぬもの詩人ドウベル
詩「レオン ドウベル」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

レオン・ドーベルは、フランスの詩人。貧困の中でマルヌ川に投身自殺したそうです。パリにいた彫刻家・高田博厚がその胸像制作にあたり、光太郎も援助しました。

詩人が「低くなる」というのは、自分の主義主張を曲げ、大衆や権力者に阿(おもね)る作品を書く、ということでしょうか。それができなかったドーベルに、光太郎は真の詩人の姿を見ているのだと思われます。

ところが光太郎自身は、この頃から大政翼賛の方向へ梶を切り始めます。この年は満州事変のあった年でした。おそらく、智恵子の心の病を引き起こした、「都会のまんなかに蟄居」(「蟄居」 昭和22年=1947)するような生活への反省、そうした生活を続けることで自身も心を病みそうな予感、そういったものが、光太郎を動かしていったものと思われます。

テレビ放映情報です。

連続ドラマW 宮沢賢治の食卓

WOWOWプライム 2017年6月17日(土) 22時00分~23時00分 第1話無料放送

『銀河鉄道の夜』『雨ニモマケズ』などで知られる、国民的作家・宮沢賢治。
孤高の存在として語られる印象とは裏腹に、じつはユーモアに溢れた好奇心の人でした。 賢治とは一体どんな人物で、如何なるものを食したのでしょうか!?
賢治の愛した食べ物には、家族や隣人、そしてやがて早逝する最愛の妹への深い愛情が秘められていました―。
若かりし頃の天真爛漫な宮沢賢治の青春時代を、彼の愛した食やクラシック音楽を通して、家族や親しい人たちとの関わりを描いた感涙必至の物語。
特に傑作詩篇「永訣の朝」にうたわれた最愛の妹・トシとの死別に描かれる兄妹愛の行く末は、涙なくして観られません。今までの映像作品ではなかなか描かれなかった、泣いて笑って躍動する、瑞々しい宮沢賢治 by 鈴木亮平に是非ご期待ください!!

第一話「幸福のコロッケ」
東京に家出をしていた質店の長男・宮沢賢治(鈴木亮平)は妹・トシ(石橋杏奈)の病気の電報を受け、岩手・花巻に帰郷する。母・イチ(神野三鈴)や弟妹たちには歓迎されるも、厳格な父・政次郎(平田満)とはなかなかうまくいかない。食、音楽、文学とあらゆることに興味のある賢治だが、自分を熱くするものを見つけられずにいた。そんなある日、農家の吉盛(柳沢慎吾)一家に出会う。

原作 魚乃目三太(少年画報社刊「思い出食堂」より)
脚本 池田奈津子
音楽 サキタハヂメ
監督 御法川修
出演 鈴木亮平、石橋杏奈、山崎育三郎、市川実日子、柳沢慎吾、井之脇海、神野三鈴、平田満 他


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設定は大正10年(1921)頃のようです。その5年後に、光太郎とただ一度だけ出会い、光太郎の生涯にも大きく関わる宮沢賢治が主人公のドラマです。全5話で、有料放送のWOWOWプライムさんでの放映ですが、第1話のみ無料放送だとのこと。

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鈴木亮平さん演じる賢治自身も光太郎を敬愛し、大正15年(1926)、自ら本郷区駒込林町の光太郎アトリエを訪ねていますが、より光太郎と深く関わった、賢治の家族が登場する点で、興味を引かれています。

賢治の父・政次郎。平田満さんです。賢治歿後に、『宮沢賢治全集』の発刊や、花巻に建った賢治詩碑の揮毫などで世話になった光太郎に恩義を感じ、昭和20年(1945)、空襲でアトリエを焼け出された光太郎を花巻に招きました。

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その妻・イチ。神野三鈴さんが演じます。宮沢家に疎開した光太郎は、すぐに結核性の肺炎で高熱を発し、約1ヶ月臥床。その間、そしてその後も、自宅が空襲で焼ける8月10日まで、かいがいしく光太郎の世話をして下さいました。

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こちらが光太郎(右)と、リアル政次郎・イチ夫妻です。

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賢治の弟・清六(井之脇海さん)と、妹・シゲ(畦田ひとみさん)。

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兄を亡くした二人にとって、光太郎は兄のように思えたのでしょうか、何くれとなく光太郎の面倒を見てくれたりしました。

賢治が歿した翌年の昭和9年(1934)、新宿モナミで開かれた賢治追悼の会の席上、清六が持参した賢治遺品のトランクから出て来た手帖に書かれていた「雨ニモマケズ」が「発見」されました。その場にいたのが光太郎、草野心平、永瀬清子、巽聖歌、深沢省三、吉田孤羊、宮靜枝らでした。

昭和21年(1946)から24年(1949)にかけて、日本読書組合から発行された『宮沢賢治文庫』は、清六と光太郎の共編です。光太郎が花巻郊外太田村に移ってからも、二人はお互いに行き来していました。

シゲは光太郎が疎開してきた際には、既に岩田家に嫁いでいましたが、ちょくちょく実家に帰り、やはり光太郎の世話を色々焼いてくれました。亡き智恵子が織った反物から、羽織やモンペを仕立ててくれたのもシゲですし、光太郎が宮沢家に厄介になっていた頃には、光太郎のために毎日山羊の乳を入手する手配をしてくれました。

それから、賢治の親友・藤原嘉藤治(山崎育三郎さん)。やはり賢治つながりで、光太郎と親交がありました。

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リアル嘉藤治(中央)と光太郎(左)。

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石橋杏奈さん演じる賢治の最愛の妹・トシは、賢治が光太郎と出会う以前の大正11年(1922)に亡くなっていますが、その死を謳った賢治の絶唱「永訣の朝」は、光太郎が智恵子の最期に題材をとぅた「レモン哀歌」に影響を与えていると考えられます。ちなみに、やはり面識はなかったと思われますが、トシは智恵子と同じ日本女子大学校に通っていました。

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動画投稿サイト「YouTube」から。

連続ドラマW 宮沢賢治の食卓/メイキング映像



ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

孤独の痛さに堪へ切つた人間同志の 黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ 孤独の鐵(かな)しきに堪へきれない泣蟲同志の がやがや集まる烏合の勢に縁はない 

詩「
孤独が何で珍らしい」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

トシ、賢治と、我が子二人を逆縁の不孝で失った政次郎。妻・智恵子に先立たれ、空襲で住処も無くした光太郎に、黙って手を差し伸べてくれました。まさしく「黙つてさし出す丈夫な手と手のつながり」ですね。

欲得ずくで集まっただけのどこぞの政党や、自分の都合が悪くなるとトカゲのしっぽよろしく、手のひらを返して手を切ろうとする大臣閣下諸氏――「孤独の鐵(かな)しきに堪へきれない泣蟲同志の がやがや集まる烏合の勢」――に贈りたい文言です(笑)。

まず、テレビ再放送情報。

にほんごであそぼ

2017年5月25日(木)  NHK Eテレ  6:35~6:45   再放送 17:00~17:10  (4月から放送時間変更)

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今週はごもじもじ・リクエスト特集!歌舞伎/「菅原伝授手習鑑」竹田出雲・三好松洛・並木千柳、飛行機さんよう/「人に」高村光太郎、ごもじもじ、ちょい暗記/7級「十二ヶ月」、文楽/河童のゴーカート、歌/あかたすんどぅんち~しーやーぷー~、よさ恋そめし

出演 美輪明宏,神田山陽,三世 桐竹勘十郎,中村勘九郎,中村勘太郎,おおたか静流 ほか


5/11のオンエアの再放送です。

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夙に指摘されていますが、幼児向けでありながら、なかなかシュールな番組です。今回の「飛行機さんよう/「人に」高村光太郎」(約35秒)も、シュール全開です(笑)。


さて、もう1件。同番組で生まれた楽曲のCDです。
販売価格 2,916円(税込)

『日本一!』 には、「こころよ」「うなりやベベンの平家物語」など、名作がたっぷりの月歌を、野村萬斎とのコラボレーションで話題となった最新作「ベベンの風の又三郎」まで、完全収録!さらに、ベベンの紙芝居・全8作や、元気コンサートでのライブ音源まで、心に残る名曲が満載です。

『名調子!』 には、早口言葉や回文などの言葉あそびから、俳句・詩・小説まで、様々な名文を50作以上収録!ベベンさんの多彩な魅力があふれ、たくさんの名文も覚えてしまうお得な一枚です。

番組にとってベベンさんの存在はあまりに大きいため、その作品群を収めるのにCD1枚ではもちろん足りません。今回は豪華2枚組となっての登場です。

笑いと感動がいっぱいの二枚組。永久保存版です!


一昨年の暮れに、55歳の若さで亡くなった同番組レギュラーの「うなりやベベン」こと、浪曲師・国本武春さんの楽曲を集めた、追悼的なCDです。昨年、発売されていました。

光太郎詩「冬が来た」をにぎやかに歌う「ベベンの冬が来た」が、2バージョンで収録されています。

「うなりやベベン」、同番組ではいまだに「出演」しています。このNHKさんの粋なはからいに、思わずほろっとしました。

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やはりシュールですが(笑)。


【折々のことば・光太郎】

この心は棄てられない。 いくら夢だときめてみても 頑としてそこに居る。
詩「焼けない心臓」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

火刑に処されたジャンヌ・ダルクの遺体で、心臓が焼けずに残っていたという逸話を下敷きにしています。この時期、光太郎はジャンヌやイエス・キリスト、松尾芭蕉など、古今東西の自らの信念に殉じた人々を詩のモチーフに多用しています。

光太郎自身は、貧しさに耐えながら、俗世間を超越しようとしていた芸術精進の毎日で、それが自らの信念でした。その結果、他の要因も相まって、智恵子の心の病が加速していくのです。

NHK Eテレさんの子供向け番組「にほんごであそぼ」。「楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができる番組」というコンセプトで、時折、光太郎の詩を取り上げて下さっています。今週、ひさびさに光太郎詩が使われます。

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2017年5月11日(木) 6:35~6:45  再放送 17:00~17:10(4月から放送時間変更)

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今週はごもじもじ・リクエスト特集!歌舞伎/「菅原伝授手習鑑」竹田出雲・三好松洛・並木千柳、飛行機さんよう/「人に」高村光太郎、ごもじもじ、ちょい暗記/7級「十二ヶ月」、文楽/河童のゴーカート、歌/あかたすんどぅんち~しーやーぷー~、よさ恋そめし

出演 美輪明宏,神田山陽,三世 桐竹勘十郎,中村勘九郎,中村勘太郎,おおたか静流 ほか

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「飛行機さんよう」は、講談師の神田山陽さんのコーナーで、なぜか飛行機の着ぐるみを装着なさっています。下記は一昨年、「冬が来た」を扱って下さった回。

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今回は「人に」ということですが、光太郎の「人に」という詩は二つあります。

一つは明治45年(1912)7月作のもの。大正に改元となって9月、雑誌『劇と詩』への発表当初は「N――女史に」という題でした。大正3年(1914)の詩集『道程』に収められた際に「――に」と改題、内容もかなり改訂され、さらに最終的には昭和16年(1941)の詩集『智恵子抄』の巻頭を飾っています。

最終詩形がこちら。

   人に003

 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが――

 花よりさきに実のなるやうな
 種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
 夏から春のすぐ来るやうな
 そんな理窟に合はない不自然を
 どうかしないでゐて下さい
 型のやうな旦那さまと
 まるい字をかくそのあなたと
 かう考へてさへなぜか私は泣かれます
 小鳥のやうに臆病で
 大風のやうにわがままな
 あなたがお嫁にゆくなんて

 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが――

 なぜさうたやすく
 さあ何といひませう――まあ言はば
 その身を売る気になれるんでせう
 あなたはその身を売るんです
 一人の世界から
 万人の世界へ
 そして男に負けて
 無意味に負けて
 ああ何といふ醜悪事でせう
004
 まるでさう
 チシアンの画いた絵が
 鶴巻町へ買物に出るのです

 私は淋しい かなしい
 何といふ気はないけれど
 ちやうどあなたの下すつた
 あのグロキシニヤの
 大きな花の腐つてゆくのを見る様な
 私を棄てて腐つてゆくのを見る様な  
 空を旅してゆく鳥の
 ゆくへをぢつとみてゐる様な
 浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
 はかない 淋しい 焼けつく様な
 ――それでも恋とはちがひます
 サンタマリア
 ちがひます ちがひます
 何がどうとはもとより知らねど
 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが――
 おまけにお嫁にゆくなんて
 よその男のこころのままになるなんて


おそらく、今回の「にほんごであそぼ」で取り上げて下さるのは、これでしょう。平成25年(2013)の放映でも、こちらが取り上げられました。

追記 午後になって番組公式ホームページが更新されました。それによるとやはり「いやなんです」の「人に」でした。

もう一つの「人に」は、大正2年(1913)の作。やはり智恵子をモチーフとしますが、詩集『道程』に採られたものの、詩集『智恵子抄』には収録されませんでした(草野心平編の新潮文庫版『智恵子抄』 昭和31年=1956には入っています)。その分、前記「人に」より知られていません。

   人に

 遊びぢやない
 暇つぶしぢやない

 あなたが私に会ひに来る005
 ――画もかかず、本も読まず、仕事もせず――

 そして二日でも、三日でも
 笑ひ、戯れ、飛びはね、又抱き
 さんざ時間をちぢめ
 数日(すうじつ)を一瞬に果す
 ああ、けれども
 それは遊びぢやない
 暇つぶしぢやない
 充ちあふれた我等の余儀ない命である
 生である
 力である
 浪費に過ぎ過多に走るものの様に見える
 八月の自然の豊富さを
 あの山の奥に花さき朽ちる草草や
 声を発する日の光や
 無限に動く雲のむれや
 ありあまる雷霆や

 雨や水や
 緑や赤や青や黄や
 世界にふき出る勢力を
 無駄づかひと何うして言へよう
 あなたは私に躍り
 私はあなたにうたひ
 刻刻の生を一ぱいに歩むのだ
 本を抛つ刹那の私と
 本を開く刹那の私と
 私の量は同(おんな)じだ
 空疎な精励と
 空疎な遊惰とを
 私に関して聯想してはいけない
 愛する心のはちきれた時
 あなたは私に会ひに来る
 すべてを棄て、すべてをのり超え
 すべてをふみにじり
 又嬉嬉として


こちらもいい詩ですね。もっと知られてほしいものです。


さて、「にほんごであそぼ」。ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

正しさ、美しさに引かれるから 磁石の針にも化身するのだ。 あたりまへな事だから 平気でやる事をやらうとするのだ。

詩「当然事」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

「磁石の針にも化身」は、光太郎が好んで揮毫した「いくらまはされても針は天極をさす」に関わります。ぶれない自分の表象です。

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「正しさ、美しさに引かれ」、「あたりまえな事」を「平気でやる」。簡単なようで、難しいことです。

ともにBS放送の番組、2本ご紹介します。

実践! にっぽん百名山 「安達太良山」

NHKBS1 2017年4月18日(火)  14時00分~14時30分

福島を代表する名峰・安達太良山(標高1700m)を行く1泊2日の山旅。山麓に広がる新緑の樹林帯、春の訪れを告げる花々、ダイナミックな噴火口など登るごとに景色が変わる登山を楽しむ。ヤマ塾は、長く歩き続けるテクニックを紹介する。脚の運び方から、ペース配分、脚の疲労を軽減するためのグッズなど、脚力に自信のない人でも安心して山を登るためのノウハウを解説する。

司会 工藤夕貴 萩原浩司   語り 鈴木麻里子   出演 佐藤哲朗 金子貴俊

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今月8日に本放送があり、そちらを拝見しました。

司会は工藤夕貴さんと萩原浩司さん、ゲストは金子貴俊さん。

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冒頭近く、光太郎智恵子に絡めて安達太良山をご紹介くださいました。

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以降は、地元登山ガイドの方によるナビゲートで、実際の登山レポート。

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さまざまな表情を持つ山だというのがよくわかる作りになっていました。


続いて、先月、地上波テレビ東京系で放映された「美の巨人たち」。

美の巨人たち 平櫛田中『鏡獅子』彫刻家の信念と覚悟▽5代目尾上菊之助の思い

BSジャパン 2017年4月19日(水)  23時00分~23時30分

6代目尾上菊五郎演じる新歌舞伎十八番を捉えた『鏡獅子』。明治・大正・昭和を生き抜いた彫刻界の巨人・平櫛田中が着想から完成までなんと22年をかけたこの作品に迫ります。

6代目尾上菊五郎演じる新歌舞伎十八番[春輿鏡獅子]。今回の作品は、その一場面を捉えた高さ2mの木造彫刻『鏡獅子』。国立劇場のロビーに展示されています。作者は彫刻家・平櫛田中(ひらくしでんちゅう)。今にも動き出さんばかりの躍動感!しかも裸の姿まで彫り上げています。これこそが田中の頂点を極めた作品だといいます。

田中が作品に挑んだのは65歳。完成は22年後。そこまで歳月をかけたのには、彫刻家と歌舞伎俳優の深い絆と信頼が。知られざる『鏡獅子』誕生物語に迫ります。さらに『鏡獅子』を何度も演じている、5代目尾上菊之助が作品と対面。“6代目”を前に感じたその思いを語ります。

ナレーター 小林薫  蒼井優

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光雲門下の平櫛田中(でんちゅう)の代表作、木彫彩色の「鏡獅子」が取り上げられます。

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これも冒頭近く、田中の経歴的な話の中で、光雲に触れられました。

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光雲の後ろにいる学帽が光太郎なのですが、そこはスルー(笑)。田中と光太郎はかなり親しかったのですが。


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さらにゲストは歌舞伎の5代目尾上菊之助さん。

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昨年、100年ぶりに見つかった田中の木彫「尋牛」も写りました。

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興味深かったのは、「鏡獅子」の制作過程。はじめに小型の試作を作り、それを正確に拡大したところ、納得が行かなかったというのです。

この点については、田中の弟子筋にあたる、橋本堅太郎氏(二本松駅前の智恵子像の作者)が的確な解説を加えてくださっていました。

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このあたり、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」にも通じるような気がしました。「乙女の像」は、小型試作、中型試作、そして実際の像と、3段階で作られました。下の画像、左が小型試作、右が実際の像です。

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なるほど、という感じでした。


それぞれ、ぜひご覧ください。


【折々のことば・光太郎】

この世の美からは逃げられない。 首をかけても、 この世の美からはどかれない。
詩「美を見る者」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

造形作家として、まさしくそうだったのでしょう。

そして、平櫛田中、それから安達太良山の「ほんとの空」を見つめながら画家としての大成を目指した智恵子も同じだったのではないでしょうか。

テレビ放映情報です。ともにNHKさんのBS1で、智恵子の故郷・二本松にそびえる安達太良山が取り上げられます。

実践! にっぽん百名山 「安達太良山」

NHKBS1 2017年4月8日(土)  17時00分~17時30分

福島を代表する名峰・安達太良山(標高1700m)を行く1泊2日の山旅。山麓に広がる新緑の樹林帯、春の訪れを告げる花々、ダイナミックな噴火口など登るごとに景色が変わる登山を楽しむ。ヤマ塾は、長く歩き続けるテクニックを紹介する。脚の運び方から、ペース配分、脚の疲労を軽減するためのグッズなど、脚力に自信のない人でも安心して山を登るためのノウハウを解説する。

司会 工藤夕貴 萩原浩司   語り 鈴木麻里子   出演 佐藤哲朗 金子貴俊

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15分でにっぽん百名山「安達太良山」

NHKBS1 2017年4月10日(月)  16時30分~16時45分

安達太良山は、磐梯山と並んで福島を代表する名峰だ。ダイナミックな噴火口を持つ火山の荒々しさと山麓に広がるたおやかな樹林帯が対をなし、変化に富んだ景観が登山者を魅了する。今回は山の東側、塩沢登山口から1泊2日のコース。1日目は、初夏にふさわしい爽快感を味わえる新緑の森と渓谷沿いを進む。宿泊は「くろがね小屋」。2日目は、荒々しい岩石が連なる尾根を進み、大迫力の巨大噴火口跡から絶景の山頂に。

語り 鈴木麻里子   出演 佐藤哲朗 


一昨年に、やはりNHKさんのBS1で放映された、「実践!」がつかない「にっぽん百名山」という番組の安達太良山編では、智恵子が愛したほんとの空がある山、的なアプローチをしていただきました。

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昨年も、同じ「にっぽん百名山」で安達太良山編の新作が放映され、そちらでは残念ながら、光太郎智恵子には触れられませんでした。

「実践!」がついた今回の番組は、「「これから百名山に登りたい!」そんな方々に向けた、実践的な登山番組です。毎回「 にっぽん百名山」のひとつの山を取り上げ、ルートの見どころや注意点を詳しく解説。 すぐに役立つ、山登りのテクニックや装備、便利グッズもたっぷり紹介します。」とのことで、より「登山」に重きを置いた作りになっているようです。

「15分で……」の方は、そのダイジェスト版でしょうか。どちらにも地元の山岳ガイド・佐藤哲朗氏がご出演。

昨年放映され、光太郎智恵子に触れられなかった「にっぽん百名山」が、やはり佐藤氏のご出演によるもので、どうも今回の放映はそちらを編集したものかな、という気がします。ただ、編集された中で、新たに光太郎智恵子の名を出していただきたいものです。

安達太良山といえば、山開きが来月21日だそうです。そちらのキャッチコピーが「ほんとの空が、ここにある」。

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こちらの情報は、また近くなりましたら詳しくお伝えします。


【折々のことば・光太郎】

一人の詩人がいふ、 「あの頃の仲間はとにかくみんな、 功成り、名遂げてゐるな。」 私はびつくりして その可憐な詩人の顔を見る。 近頃剃り落した髭の迹が青黒く、 鼻の下が烏のやうに尖つてゐた。 「君、君、しつかりしろよ」といへないほど、 その詩人はみじめであつた。

詩「二つの世界」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「詩人」であることと、「功成り名遂げる」ことは、光太郎にとって、両立すべからざる「二つの世界」。同じ考えだと信じていた旧知の詩人が、実はそうではなかったというわけですね。それが誰なのか、興味深いところですが、不明です。

花巻郊外、豊沢川沿いに点在する花巻南温泉峡。昭和20年(1945)から7年間を稗貫郡太田村(現・花巻市太田)の山小屋で過ごした光太郎は、たびたびこの地の温泉を訪れていました。老境にさしかかり、結核にも蝕まれていた身体を癒す、一番の妙薬だったのかも知れません。

そのうちの大沢温泉さんと鉛温泉さんが、このところ、テレビ番組で立て続けに取り上げられています。

先週土曜日(3/4)、NHK BSプレミアムさんで放映された「ぜんぶ、温泉。 岩手・花巻を浴びる」。

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まずは大沢温泉さん。


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語りは伊武雅刀さん。とぼけた感じがよかったです。

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名物の混浴露天風呂「大沢の湯」にはじまり、別館・菊水館の「南部の湯」にも。

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湯治部の部屋。

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さらに鉛温泉さん。

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立ったまま入る深さ125㌢の「白猿の湯」。

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実に「ゆるい」感じの番組で、見ているだけで癒されました(笑)。ぜひ再放送を望みます。


再放送といえば、それぞれたびたび再放送されている大沢温泉さん、鉛温泉さんを取り上げた番組の再放送があります。

まず、大沢温泉さん。

美の壺 アンコール「風雪に生きる 東北の温泉」

NHKBSプレミアム 2017年3月9日(木)  6時30分~7時00分

3つのツボで観賞指南する新感覚美術番組。今回は「東北の温泉」。色とりどりの濁り湯から、湯船の木肌の味、野趣あふれる露天風呂まで。

冬の東北、一面の雪景色に彩られた山あいに、今日もモクモクと湯気が立ち上る。美しく温かい、東北の温泉の最高の姿を集めて東北縦断! 福島・吾妻山から湧き出る源泉を、淡い空色の「にごり湯」に変える、温泉の魔法使い・湯守の技とは? 長い年月をかけて「湯舟」をしっとり輝かせる高級木材・青森ヒバの秘密とは? 岩手のわびた「湯治場」には風雪に耐えながら湯と共に暮らしてきた、おおらかな日本の原風景がありました。

案内役:草刈正雄 語り:木村多江

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後半に、写真家の北井一夫氏による大沢温泉さん湯治部のレポートがあります。日本の原風景がここにある、的な。

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実は今日も再放送していました。


続いて鉛温泉さん。

スギちゃんのいい湯だぜぇ #11岩手 花巻温泉郷編

BS12トゥエルビ 2017年3月14日(火)  20時00分~20時30分

スギちゃん×姿勢調律士が岩手の名湯「花巻温泉郷」を巡る。カリスマもオススメ!「おもてなし温泉」を紹介。女性がよろこぶ温泉宿&1度で3度おいしい温泉宿を堪能。

温泉ソムリエの上位資格「カリスマ温泉ソムリエ」を持つお笑い芸人スギちゃんが数ある温泉の中で一生に一度は浸かりたい、全国の極上温泉を巡る!!旅のお供の野口早苗(姿勢調律士・温泉ソムリエ)が紹介する入浴中でもできる簡単ストレッチでさらなる健康効果も。これまで紹介されてきた全国の名湯&秘湯もこの番組を見れば新鮮な驚きと発見が満載!果たしてカリスマ温泉ソムリエ・スギちゃんはどんな温泉を選ぶのか!?

出演:スギちゃん、野口早苗(姿勢調律士・温泉ソムリエ)

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もう一つ。

明日へ1min.「おいで、東北」23 君に見せたい東北がある~冬 岩手県花巻市編

NHK総合1・東京 2017年3月8日(水)  14時54分~14時55分

「君に見せたい東北がある」番組特設サイトに旅プラン掲載中!見る、食べる、体感する楽しみがいっぱいの花巻へ、「おいで・東北」。

東北各地を舞台に、地元を愛する男性が方言をまじえながら、おすすめのスポットをご案内!今回は花巻編。宮沢賢治のふるさと花巻には、町中に賢治のメルヘンあふれる世界が。大のそば好きだった賢治にちなみ、名物わんこそばに挑戦。また立ったまま湯船につかる温泉など、賢治も楽しんだ世界をたっぷり紹介。見る、食べる、体感する楽しみがいっぱいの花巻へ「おいで、東北」。番組特設サイトに旅プラン掲載中!

出演 「おいで、東北」花巻編の地元案内人…小森林克弥

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1分間番組です。2分間のバージョンもあるそうですが、そちらは拝見したことがありません。イケメンのお兄さんがナビゲーター役。デルモ系かなと思ったら、何と花巻市の職員の方だそうです。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

すつかり裸の野のけものの清浄さは、野性さは、愛くるしさは、 ああ、鬣に毛臭い生き物の香を靡かせて、 ただ一心に草を喰ふ。

詩「春駒」より 大正13年(1924) 光太郎42歳

親友の水野葉舟が隠棲していた、成田三里塚にあった御料牧場を謳った詩です。跡地は成田三里塚記念公園となり、光太郎に触れる展示も為されている御料牧場記念館、光太郎詩「春駒」碑などがあります。

「自然」を愛した光太郎、ここでは飼われている馬ですが、こうした動物にもシンパシーを感じていたようです。

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テレビ放映情報です。

ぜんぶ、温泉。 岩手・花巻を浴びる

NHKBSプレミアム 2017年3月4日(土) 20時30分~21時00分

温泉を目で、耳で、心で楽しむ!ヘッドホンをつければ臨場感倍増!? 岩手県、湯治の一軒宿が点在する温泉郷・花巻。温泉マニア(伊武雅刀)目線のカメラが見たものは…

露天の雪景色やお湯しぶき、湯船の底から上がってくる足元湧出のあぶく。昭和の香りいっぱいのレトロな湯治棟。南部藩の殿様ゆかりのわらぶき屋根。地元のみなさんから問わず語りに飛び出すふだん着のお国言葉。刺さるような寒さや初めて作る自炊せんべい汁、高い吹き抜け天井のもと、立ったまま入る深~い風呂。温泉分析書を熟読し、裸になって大地の恵みをただただ、堪能。みんなまとめてホット・スプリング・ハズ・カム!

温泉旅行の真の楽しみは「温泉そのもの」を味わいつくすことにある!慌ただしく周辺を観光、夕方投宿、温泉には1回か2回浸かって翌日慌ただしく帰る…という温泉旅行の定番ではつまらない…とお考えのあなたに捧げる、2度目に行く人でも絶対に楽しい『温泉郷まるかじり疑似体験ツアー』。温泉をこよなく愛する旅人目線の一人称カメラが、その土地ならではの温泉文化、温泉の愛し方などを次々と体験。駘蕩(たいとう)とした「気持ちよさ」を徹底的に味わい尽し、ひたすら温泉快楽の根源に迫る。今回の舞台は岩手県の花巻温泉郷。最近流行の「プチ湯治」の聖地として、アラフォー女子の人気を集める温泉街。ここで温泉三昧の漂泊が始まる…

【語り】伊武雅刀

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「ぜんぶ、温泉。」は、NHK BSプレミアムさんで、不定期に放映されている番組です。

今回は、ともに光太郎や宮沢賢治が愛した花巻南温泉峡の大沢温泉さんと、鉛温泉さんが紹介されるようです。番組サイトに賢治の名はありますが、光太郎も愛した温泉だと、紹介していただきたいものです。

事前に情報を得られず、ご紹介できませんでしたが、昨日、テレビ東京さんで放映された「土曜スペシャル どうしても入りたい!にっぽん“雪見の名湯”BEST10」でも大沢温泉さんが第6位にランクインし、紹介されていました。たまたま観ていたら大沢温泉さんが出て来て驚きました。考えてみれば、ランクインするにふさわしい名湯です。

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詳細が決まりましたらまたご紹介しますが、花巻市の高村光太郎記念館さんで、予定では4月から6月にかけ、光太郎と花巻の温泉を巡る企画展示が為されます。

今年も何度か花巻には足を運ぶことになりそうで、楽しみです。


【折々のことば・光太郎】

それでは足をのびのびと投げ出して、 このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。 あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、 すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。

詩「樹下の二人」より 大正12年(1923) 光太郎41歳

「あれが阿多多羅山、 あの光るのが阿武隈川。」のリフレインで有名な詩です。大正3年(1914)の結婚披露後、初めて智恵子が詩の中に現れました。謳われているのは、同9年(1920)、智恵子の父・今朝吉の三回忌法要で訪れた智恵子の故郷・油井村(現・二本松市)のパノラマです。

このフレーズでは、澄んだ冬の空気を視覚、嗅覚、そして触覚でとらえ、見事に表現しています。

テレビ放映情報です。

スタジオパークからこんにちは クローズアップあおもり「十和田湖をみつめて」

NHK総合 2017年2月15日(水)  14時05分~14時54分

国立公園に指定されて今年で80年を迎えた十和田湖。NHKがこの1年撮影してきた四季折々の雄大な風景と湖畔の人々の営みを美しい映像とともにたっぷりとお送りします。

鮮やかな新緑、澄み渡る空の青、燃えるような紅葉、真っ白な雪景色…。山々の色彩を鏡のように映し出す十和田湖には、四季折々の魅力が詰まっています。十和田湖から流れ出る奥入瀬渓流の美しさも、人々の心を引きつけてやみません。一方、湖畔を開拓して暮らしてきた地元の人たちは、厳しい自然の中でさまざまな努力や工夫を重ね、山と湖の恵みをうけて生活を営んできました。湖が育む豊かな動植物と人々の暮らしを見つめます。

出演 比嘉愛未    キャスター 亀谷渉子    司会 榊原郁恵 伊藤雄彦

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この番組は第1部と第2部に分かれ、第2部では各地のNHK支局がその地域向けに放送した地域情報番組を全国放送しています。

そこで、青森放送局制作の「クローズアップあおもり「十和田湖をみつめて」」が放映されます。青森では昨年4月にオンエアがありました。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されている「十和田湖冬物語」が先週開幕した十和田湖が扱われます。乙女の像が少しでも映ってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】001

わが家(や)の屋根は高くそらを切り その下に窓が七つ 小さな出窓は朝日をうけて まつ赤にひかつて夏の霧を浴びてゐる

詩「わが家」より
大正5年(1916) 光太郎34歳

智恵子との結婚披露、及び詩集『道程』の上梓から、ほぼ2年ぶりに発表された詩です。

智恵子との愛の巣であった駒込林町のアトリエ兼住居を高らかに歌い上げています。

しかし、およそ20年後には同じアトリエが「ばけもの屋敷」と表現されることになります。

昨年暮れにATV青森テレビさんで製作された特別番組「「乙女の像」への追憶~十和田国立公園指定八十周年記念~」を録画したDVDが、同局から送られてきまして、早速拝見しました。

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実質25分の番組で、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」建立の背景を紹介するもの。当方も製作に協力させていただきました。

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進行役は同局アナウンサーだった川口浩一氏。この番組を最後に退社されたそうです。十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんが、一昨年刊行された書籍『十和田湖 乙女の像のものがたり』にもご執筆なさっています。

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ナレーションは佐藤香アナウンサー。

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ブログにこの番組についての御記述もなさっています。

「乙女の像」は、元々、十和田湖周辺の国立公園指定15周年記念として、彼の地を広く紹介した明治の文豪で、光太郎とも面識のあった大町桂月、インフラ整備に功績のあった明治末から大正初めの青森県知事・武田千代三郎、当時の法奥沢村長・小笠原耕一の三氏を顕彰するモニュメントとして計画されました。

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計画時の知事は、太宰治の実兄・津島文治。

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太宰つながりで佐藤春夫が光太郎との仲介にあたりました。

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こうした経緯がわかりやすく説明されていました。

そして、光太郎。花巻や東京ロケの映像、古写真、ブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」からの動画、乙女の像除幕式の16㍉フィルムなどをふんだんに使い、光太郎の姿が浮き彫りにされていきました。

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智恵子にも触れて下さいました。

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関係者の証言も豊富。大町桂月の令孫・芳章氏、当会顧問の北川太一先生、花巻時代の光太郎を知る高橋愛子さん、像の制作場所だった中野アトリエの現所有者・中西利一郎氏など。

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当方も15秒ほど出演、締めのコメント。

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乙女の像は、光太郎が生涯を掛けて追い求めた美とか愛とかの象徴、そうすると、智恵子の顔を持たざるを得ない、的な。おいしいところを担当させていただきました(笑)。

番組自体の締めは、光太郎詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和29年=1954)。

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青森だけでの放映では残念でしたが、4月4日(火)の午後11時から、系列のCS放送・TBSニュースバードさんでオンエアされるそうです。また近くなりましたらご紹介します。

十和田湖では昨日から「十和田湖冬物語」が始まり、乙女の像のライトアップが為されています。足をお運びの上、像に込められたさまざまな人々の思いを偲んでいただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

一人にめざめよ 一人の力を尊び 一人の意味をしのべ

詩「群衆に」より 大正3年(1914) 光太郎32歳

社会に対し、孤高の姿勢を貫こうとしていた若き日の光太郎の気概が見て取れます。「孤高」が「孤立」になっては困りますが……。

昨日に引き続き、光太郎周辺人物に関するテレビ番組放映の情報です。

プレミアムカフェ選 宮沢賢治への旅 第1部・第2部

NHKBSプレミアム 2017年2月3日(金)  9時00分~10時34分 
再放送 26時25分~28時00分(4日(土) 午前2時25分~4時)

宮沢賢治への旅 第1部 イーハトーブの光と風&第2部 ほんとうの幸せを求めて(初回放送:1996年)賢治生誕120年の節目に、賢治の世界観がどのように形成されたのかを探る文学紀行(前後編)を紹介

出演者 スタジオキャスター石井かおる


初回放送が賢治生誕100年の平成8年(1996)で、これまでもたびたび再放送されています。昨年10月にも放映がありました。

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前後編併せて1時間30分ほど。尺が長いので、賢治の生涯をほぼ余すところなく紹介しています(ただ、コテコテの賢治ファンにはまだ不十分なのでしょうが)。

後編(第二部)「ほんとうの幸せを求めて」では、光太郎が碑文の文字を揮毫した、花巻に建つ「雨ニモマケズ」碑が紹介され、光太郎の名も出ます。

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光太郎が揮毫したことにも触れて下さっています。

また、賢治の教え子ということで、宮沢賢治記念館の初代館長も務められた故・照井謹二郎氏がご出演。

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氏は永らく幼児教育に取り組まれ、その中で、「花巻賢治子供の会」を立ち上げ、賢治作品を児童劇にして公演されていました。

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その第一回公演は昭和22年(1947)。花巻郊外太田村の、光太郎が暮らす山小屋の前でした。もともとは僻地生活を送る光太郎の無聊を慰問する目的もありました。その後、光太郎のアドバイスで本格的に公演をするようになりましたが、年に一度は山小屋近くの山口分教場(のち小学校に昇格)でも公演を行い、光太郎に見てもらっていました。

その辺りのエピソードは番組では紹介されませんでしたが、光太郎と親しかった人物の映像ということで、貴重な記録です。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

あたり前の事でも僕は言ふ あたり前の事でも僕はする あたり前でない事でも僕は言ふ あたり前でない事でも僕はする

詩「あたり前」 大正2年(1913) 光太郎31歳

これで全文、たった四行の短い詩です。あたり前のことはあたり前にこなし、それプラス、いい意味であたり前でないことまで手を広げ、自らを高めようというところでしょうか。或いは良くない意味であたり前でないことをやってしまうこともあるだろうけれど、そこはいい意味でのあたり前でないことと相殺、ということでしょうか。

あたり前のことをあたり前に、というのもなかなかどうして難しいものです。

光太郎を巡る人々を取り上げるテレビ番組が相次いで放映されます。

美の巨人たち ボーグラム『マウント・ラシュモア・ナショナル・メモリアル』

テレビ東京  2017年2月4日(土)  22時00分~22時30分
BSジャパン 2017年3月1日(水) 23時00分~23時30分

新大統領の動向に注目が集まるアメリカ。その中西部ラシュモア山に、偉大なる4人の大統領の顔が彫られた巨大彫刻があります。一体どのように彫られたのか?その苦闘の物語。

今回の作品は、アメリカ中西部サウスダコタ州ラシュモア山に彫られた巨大彫刻。4人の大統領の顔が彫られた、壮麗で精密な作品です。そのうちの一人、ワシントンの顔の長さは18m30cm、7階建てのビルとほぼ同じ高さです。作者はアメリカの彫刻家ガッツォン・ボーグラム。53歳の時依頼を受け、驚きの工法で作り上げました。しかしなぜこの4人?なぜこの並び?また、山頂にある謎の小部屋、そこに秘められた思いとは?彫刻家と作業員たちの苦闘の物語、お見逃しなく。

ナレーター 小林薫  蒼井優


毎回一つ(時折複数)の美術作品を取り上げ、その背景や人間ドラマを掘り下げる番組で、平成12年(2000)のスタートですから、もう長寿番組の範囲に入ったといっていいでしょう。

今回取り上げられるのは、アメリカの彫刻家・ボーグラム。たしか、この番組では初めて取り上げられるはずです。番組説明では、「ガッツォン・ボーグラム」となっていますが、フリー百科事典ウィキペディアでは「ガットスン・ボーグラム」で登録されています。また「ガットソン・ボーグラム」と表記する場合もあります。

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ファーストネームのカタカナ表記が定まっていないほど、日本ではなじみの薄い人物ですが、この作品は「ああ、これか」という方が多いのではないでしょうか。

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明治39年(1906)、3年半にわたる欧米留学に出た光太郎、まずはニューヨークに落ち着きます。まずアメリカで経済的にめどを付けるのが、当時の私費留学生の多くが辿った道で、碌山荻原守衛などもそうでした。

光太郎は東京美術学校教授・岩村透が書いてくれた紹介状を手に、彫刻家のヘルモン・アトキンス・マクニールやダニエル・チェスター・フレンチを訪ねますが、皆歓待はしてくれるものの、雇うとは言ってくれません。そこで、メトロポリタン美術館でその作品を見て感心したボーグラムに体当たり的に求職。すると、日給1ドルで助手として採用してくれました。ボーグラムは光太郎以前にも、光太郎の先輩に当たる本保義太郎という彫刻家を雇っていた時期があり、日本人には慣れていたようですし、困っている者を抛っておけない義侠心の持ち主だったようです。

ここで光太郎は実践的な彫刻制作を学びます。木彫は幼少時から父・光雲に叩き込まれてきた光太郎ですが、粘土による塑像制作は、東京美術学校で経験があるものの、教える方のレベルも低く、まだまだ不十分でした。それが、ボーグラムの仕事を目の当たりにし、非常に役に立ったといいます。

しかし、光太郎はボーグラムの彫刻を、それほど高く評価しませんでした。スケジュール通りにこなすビジネスライクな仕事ぶりには失望したと回想していますし、のちに取り組む岩壁の巨大彫刻もキワモノと見ていたようです。

ボーグラムは「美の巨人たち」で今回取り上げられるマウント・ラシュモアの大統領群像(1927~1941)以前にも、ジョージア州ストーンマウンテンの岩壁に南北戦争の英雄、リー将軍やジャクソン将軍などの巨大レリーフを手がけています。この制作の際には、光太郎やロダンにも声をかけたとのこと。

僕が日本に帰つてから、先生から手紙で、南部のストーン マウンテーンの絶壁の、一マイルも離れた場所から見える一枚岩の平らなところに、南軍のリー将軍だのジヤクソン将軍だのの像を彫るから、手伝いに来いと言つて来た。クレーンのようなものを山の上からつつて、彫る人はそのクレーンから鎖でぶら下る。電気仕掛けののみで、どこを何フイート彫れと下から電話があれば、そこをダダダダダダダとやつて、後それをこなしてゆけば彫れるという仕組である。フランスのロダンにも加勢してくれと頼んだからと、手紙には書いてあつたが、もちろんロダンは直ぐ断つたらしい。僕には、そんなことを考えるアメリカ人というものは不思議な気がした。(「青春の日」 昭和26年=1952)

ところが光太郎、人間的にはボーグラムを敬愛し続けていたようで、大正6年(1917)、ニューヨークでの個展を企画し、そのための資金集めに彫刻頒布の会を立ち上げます。入会者を募り、当時の金額で300円から5,500円の範囲で彫刻の注文を受けるというものです。その趣意書にはボーグラムの名も。

わたくしは彫刻家であります。親ゆづりの彫刻家であります。幼少の比から彫刻の中で育ち、やがて東京美術学校彫刻科卒業後、アメリカに往つて紐育の彫刻家ボーグラム先生の内弟子兼助手となつて働らき、技倆に就てもかなりの信用を得ました。(略)今度の戦争終結後、適当の時に、紐育市で個人展覧会を開かうと言ふ気になりました。ボーグラム先生も喜んでゐてくれます。

「幼少の比」は「幼少の頃」或いは「幼少の日」の誤植ではないかと思われます。「今度の戦争」は第一次世界大戦です。

そして最後に22名の賛同者の名が挙げられていますが、ボーグラムの名も入っています。

ちなみにこの彫刻頒布会は、結局入会者が少なくものにならず、ニューヨークでの個展も幻と終わりました。しかし、これを機に、代表作の「手」、「裸婦坐像」などの秀作が生まれました。

しかし、恩人とはいえ、やはり彫刻家としての評価はあまり高くなかったというのが正直なところのようです。昭和8年(1933)に岩波書店から光太郎の書き下ろしで刊行された、世界の彫刻事情を紹介する『現代の彫刻』には、

アメリカからはまだ然るべき人が出ない。もつと地面から生れた彫刻が欲しい。

という一節があります。


実を言うと当方、ほとんど光太郎の書いたものを通してしかボーグラムという彫刻家を存じません。「美の巨人たち」で勉強しようと思います。

皆様もぜひご覧下さい。


もう1件、光太郎にも触れる宮沢賢治についてのテレビ番組放映もありますが、長くなりましたので明日に廻します。


【折々のことば・光太郎】

僕等はいのちを惜しむ 僕等は休む事をしない 僕等は高く どこまでも高く僕等を押し上げてゆかないではゐられない

詩「僕等」より 大正二年(1913) 光太郎31歳

「僕等」はむろん、光太郎と智恵子です。恋愛が成就し、共に手を携えて芸術の道に精進していこうという高揚感に溢れています。画家として歩み始めていた智恵子も当初はそのように考えていたのでしょうが、しかし、途中で脱落。デッサンやデザインには特異な才能を持っていた智恵子でしたが、油絵の具で彩色する段になると、どうしても自分で納得の行くものが出来ませんでした。それが後の大いなる悲劇の最も大きな要因だったように思われます。

昨夜、NHK BSプレミアムさんで放映された「にっぽんトレッキング100」を拝見しました。

昨秋、番宣的な特集番組「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」放映され、そこでベスト10として紹介した山々を、今年に入ってからおのおの30分で詳しく取り上げています。

昨日は「「絶景満載!峡谷のクラシックルート~長野・上高地~」。

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かつてバスがなかった時代、麓の新島々から上高地までは、徒歩で登るしかなかったわけで、そのルートを2日かけて改めて歩く、というコンセプトでした。

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ナビゲーター役は、ファッションモデルの仲川希良さん。登山ガイドの方と一緒に歩かれました。

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このルートは、大正2年(1913)、翌年に結婚する光太郎智恵子も歩いたルートということで、途中の岩魚留小屋に着いたあたりで、その話が出ました。

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小屋の傍らに聳える推定樹齢数百年という桂の巨木。

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後に、光太郎智恵子それぞれが、この木の思い出を書き残しています。

「徳本峠の山ふところを埋めてゐた桂の木の黄葉の立派さは忘れ難い。彼女もよくそれを思ひ出して語つた」(光太郎 「智恵子の半生」昭和15年=1940)
「絶ちがたく見える、わがこの親しき人、彼れは黄金に波うつ深山の桂の木」(智恵子 「病間雑記」大正11年=1912)

智恵子の言葉は番組で引用されました。ただ、「晩年」と紹介されていましたが、そう言うにはちょっと早いのですが……。

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その他、日本アルプスの魅力を海外に発信し、さらに国内に近代登山を広めたウォルター・ウェストンのエピソードがふんだんに紹介されました。ちなみに光太郎智恵子もウェストンと会っています。

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予定では来月はじめまで、各地の紅葉風景を紹介されます。

また紅葉の季節が近づいた頃、再放送していただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

私の苦しみはこれから本当にしん身の苦しみになるに違ひない 私の悩みは私に死力を出さないでは置かないに違ひない 私の悲しみは私をしばしば濡れしぼませるに違ひない しかし、私の喜は私の生(いのち)を意識する時たちまち強大な力となつてあらはれるに違ひない 

詩「よろこびを告ぐ ――TO B.LEACH――」より
 
大正2年(1913) 光太郎31歳

上高地で智恵子と夢のような日々を過ごし、新機軸の団体展「ヒユウザン会展」を無事に終え、ますます意気軒昂だった時期の言葉です。

「B.LEACH」は陶芸家のバーナード・リーチ。ロンドンで光太郎と知り合って、光太郎より一足早く来日し、奮闘していました。同じリーチに宛て、2年前には「廃頽者より――バアナアド・リイチ君に呈す――」という詩を贈った光太郎。その頃はデカダン生活からの脱却はまだ不完全でしたが、智恵子との邂逅を経て、ようやく自分の道を見つけたという「よろこび」を語っています。

テレビ放映情報です。

にっぽんトレッキング100「絶景満載!峡谷のクラシックルート~長野・上高地~」

NHK BSプレミアム 2017年1月25日(水)  19時00分~19時30分 

北アルプスの玄関、長野・上高地。今ではバスで直行できるこの場所も、かつては徒歩で二日かけて歩いた。そんなクラシックルートを辿り、知られざる穂高岳の絶景に出会う。

穂高や槍ヶ岳の玄関口として知られる上高地。そこへ向かうかつての登山道は、今「クラシックルート」と呼ばれ、脚光を浴びている。目の当たりにしたのは、七色に染まる峡谷の山肌。日本の近代登山の父と呼ばれるウォルター・ウェストンは、それを「驚嘆すべき色彩の響宴」と評した。さらにその先には「日本で一番雄大な眺望」とたたえた絶景が待っているという。著名な登山家たちが愛した風景を辿り、手付かずの大自然を満喫する。

出演 仲川希良  語り 渡部沙弓

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昨秋、番宣的な特集番組「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」放映されました。その中でも、大正2年(1913)に婚前旅行で上高地を訪れた光太郎智恵子にちらっと触れられました。そこでベスト10として紹介した山々を、今年に入ってからおのおの30分で詳しく取り上げています。

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そして上高地クラシックルート編が、来週水曜日の放映。

事前に制作会社さんからレファレンスがあり、岩魚止に聳え、後に光太郎智恵子が共にその思い出を語っている、桂の巨木についてご教示申し上げました。そのあたりは一昨年、山岳雑誌『岳人』さんに書かせていただきました。尺の都合などでカットされなければ、そういった話が出るものと思われます。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

おれの魂をつかんでくれ おれの有り様(やう)を見つめてくれ 「夜目遠目笠のうち」 そればつかりは真平(まつぴら)だ

詩「カフエにて」 大正元年(1912) 光太郎30歳

「夜目遠目笠のうち」は、よく見えないものを、実際よりずっと美しいものに仕立ててしまうものだということ。買いかぶらずに、醜さや汚さも内包した生身の「高村光太郎」を見てくれ、という内容です。

誰に? やはり、智恵子に、でしょう。

テレビ番組の放映情報です。

鉄道・絶景の旅 「あったか料理!名湯!人情!雪景色のみちのく紀行」

BS朝日 2017年1月10日(火)  19時00分~20時54分

日本国内の人気鉄道路線とその車内外からの絶景、名所、食事処、温泉宿など、沿線の魅力を余すところなく紹介。鉄道ファンならずとも楽しめる鉄道紀行番組の決定版!

八戸名物!朝市▽版画家・棟方志功ゆかりの地▽奥入瀬渓流&十和田湖▽雪見の露天風呂▽石川啄木の故郷で文学の原点にふれる▽縄文時代の暮らし体験▽雪景色を施した岩手山

みちのくの名湯を満喫!▽人情と味覚を満喫!日本一元気な朝ご飯▽みちのく・岩手に受け継がれる伝統文化!▽様々な飛行機がズラリと並ぶ三沢航空科学館▽岩手の郷土料理「ひっつみ」とは?▽雪のベールが色を添える広大な陸奥湾▽ユニーク!けつめい茶のワッフル&ラテ▽青森の冬の風物詩!オオハクチョウ▽八甲田山の険しくも美しい山並み▽小川原湖・しじみすいとん▽あったか鍋と陸奥湾の幸▽IGRいわて銀河鉄道▽青い森鉄道

ナビゲーター 峠恵子(ナレーション・挿入歌歌唱)

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検索ワード「十和田湖」でひっかかりました。「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が紹介されるといいのですが……。

続いてもBS朝日さん。5分間番組ですが、こちらはキーワード「高村光太郎」「二本松」でヒットしました。

暦を歩く #99「冬の詩人」(福島県二本松)

BS朝日 2017年1月15日(日)  20時54分~21時00分

日本には四季がある、歌がある−。 草木や花々、川の流れや空の色、多様な生きものたち、人々の日々の暮らしや祭り…。 私たち日本人は、一年の時の移ろい=「暦」を四季折々の「歌」に織り込み、この国ならではの感性を磨いてきました。私たちが愛唱してきた「歌」を通して、日本の風景を見つめ直すとともに、それぞれの歌に息づく日本人の原風景を、一篇の詩のような美しい映像でお届けします。

「冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ」
「冬の詩人」と呼ばれる高村光太郎。冬を人生の困難な時期にたとえ、そこに強く立ち向かう詩を多く詠みました。福島県二本松出身の女性、智恵子と出会い、作風が大きく変わります。冬は立ち向かうものではなくなり、愛する人と二人で過ごす冬をやさしく歌い、「あたたかい雪」という言葉まで使うようになりました。

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ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

無法な雷(らい)は今も鳴る 細かい文明の情緒を踏みつけて鳴る 野蕃なる自然よ
詩「泥七宝(二)」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

この頃から詩の中に「自然」の語が目立つようになります。後の「道程」で「ああ、自然よ」と謳われた「自然」。ちまちまこせこせした面倒くさい人間社会の対極として位置づけられているようです。

大晦日にNHK総合さんで放映された連続テレビ小説「とと姉ちゃん」総集編を拝見しました。

雑誌『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子をモデルとしたドラマで、昨年4月から10月にかけての本放送では、明治44年(1911)、智恵子がその表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が重要なモチーフの一つとしてくりかえし使われ、『青鞜』主宰の平塚らいてうも登場していましたが、総集編でもそれらのシーンがふんだんに使われていました。

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さて、NHK BSプレミアムさんでも放映があります。

前編 NHK BSプレミアム  2017年1月8日(日)  12時45分~14時15分
連続テレビ小説「とと姉ちゃん」総集編の前編。1週目、ととから託された約束を胸に、家族を守る決意をした常子は、断絶した祖母と母の絆を奔走して取り戻し、さらに新たな人生の決断をする。女性のための雑誌をつくろうとする前の、常子の少女時代・青春時代を描きます。

後編 NHK BSプレミアム  2017年1月8日(日)  14時00分~15時28分
連続テレビ小説「とと姉ちゃん」総集編の後編。11週から26週間までを網羅。常子が戦中の経験を経て出版社を起こし、戦後の日本で奮闘する一家の姿を描く。魂のパートナー花山伊佐次との出会いと別れを主軸に描く。

出演 高畑充希 西島秀俊 木村多江 相楽樹 向井理 片岡鶴太郎 大地真央 坂口健太郎 秋野暢子 ピエール瀧 平岩紙 杉咲花 川栄李奈 浜野謙太 佐藤仁美 上杉柊平 阿部純子 石丸幹二 野間口徹 矢野聖人 伊藤淳史 奥貫薫 古田新太 唐沢寿明 ほか

語り 壇ふみ

ぜひご覧下さい。


ところで、『青鞜』。

昨年末に、明治45年(1912)6月発行の、第2巻第6号を入手しました。

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前年9月の創刊号と同じ、智恵子の作品を表紙に使っています。

さらに、この号は智恵子が書いた「マグダに就て」という文章が載っています。

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『青鞜』には智恵子の表紙絵は2種類(少しだけデザインの異なるものを含めれば3種類)、のべ8回使われましたが、文章の寄稿はこれが唯一のものです。
「マグダ」は、島村抱月の文芸協会が上演した演劇で、松井須磨子が主人公・マグダを演じ、自立しようとする女性像を描いたものでした。ただし、智恵子にしても、平塚らいてうにしても、やや批判的な評を載せています。

文章自体は『高村光太郎全集』別巻などに再録されていますし、基本、この手のものは蒐集の対象にはしていないのですが、安く売りに出ていたので購入しました。やはり、再録された資料で読むよりも、当時の刊行物ですので、何やら智恵子の息吹のようなものが感じられます。

展示等でお貸しすることも可能ですので、必要とあらば、このブログコメント欄(非公開設定可)にて連絡ください。


【折々のことば・光太郎】

自然に向へ 人間を思ふよりも生きた者を先に思へ 自己の王国に主たれ 悪に背(そむ)け
詩「声」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

詩「声」は、二人の人物の論争という形式で書かれています。一人は自然志向、アウトドア派で、都会の生活に否定的。「みじんこ生活の都会が何だ」「すべてを棄てて兎に角石狩の平原に来い」と誘います。

もう一人は都会派。「そんな隠退主義に耳をかすな」「絵に画いた牛や馬は綺麗だが/生きた牛や馬は人間よりも不潔だぞ」と、警告を発します。

上記のことばは、自然志向の人物が発した言葉です。このことばの通り、この年、光太郎は酪農を営みつつ芸術を生み出す生活を夢見て、実際に北海道に渡りました。

昨日、大晦日と年明けに総集編がオンエアされる、NHKさんの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」についてご紹介しました。

今日は出版関連で。

連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の撮影に密着してきた「NHKステラ」が、ドラマ全26週を写真やインタビューで振り返る!
[内容]
 ●  常子の思ひ出ノオト
 ●  独占ラストインタビュー ヒロイン・高畑充希
 ●  全26週のあらすじとシーン写真
 ●  名場面クローズアップ!
 ●  〈とと姉ちゃん〉の衣♪食♪住!(衣装、消え物、セット&小道具紹介)
 ●  ステラインタビュー セレクション(+本誌未掲載 はみだしトーク♪)
 ●  物語を彩る 音楽の世界
 ●  貼り絵&実写で描く タイトルバックの世界&主題歌「花束を君に」歌詞
 ●  登場人物”ほぼ”全紹介
 ● 壇ふみ特別エッセイ〈とと姉ちゃん〉とわたしのはなし
 ●  〈とと姉ちゃん〉モチーフ  大橋鎭子と花森安治が『暮しの手帖』にかけた夢
 ●  脚本家・西田征史インタビュー
 ●  チーフプロデューサー・落合将メッセージ  
 ☆ 特別付録:小橋3姉妹仲よしピンナップ

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このドラマでは、明治44年(1911)、智恵子がその表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が重要なモチーフの一つとして使われ、後半には真野響子さん演じる平塚らいてうが登場しました。

そのあたりにも触れられています。

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ちなみに、余談になりますが、「とと姉ちゃん」、他に光太郎智恵子がらみの仕事をなさった俳優さんが、何人か出演されていました。

常子(高畠充希さん)一家が、一時寄寓していた弁当屋・森田屋の若女将、照代役の平岩紙さん。平成24年(2012)、渡辺えりさん制作の舞台「月にぬれた手」で、智恵子役を演じられました。

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常子と共に『あなたの暮し』を作った花山(唐沢寿明さん)の戦友の父親を演じた寺田農さん。

1990年代に発売されたVHSビデオ「日本文学紀行 名作の風景 智恵子抄」でナレーションを務められました。


常子の妹・鞠子(相良樹さん)と結婚した水田(伊藤淳史さん)の母親役・高橋ひとみさん。

平成3年(1991)、やはりNHKさんで放映されたスペシャルドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」で、光太郎(小林薫さん)のアトリエの隣に住む炭屋の女将を演じられました。

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このドラマのラストシーンは、小林稔侍さん演じる旦那さんと、光太郎歿後、「十和田湖畔の裸婦群像(乙女の像)」を訪れるシーンでした。

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それぞれをなつかしく思い出しながら、「とと姉ちゃん」を拝見していました。

さて、『とと姉ちゃん メモリアルブック』。人気ドラマだっただけに、まだ大きな書店さんでは店頭に並んでいますし、もちろん、ネットでも購入可能です。総集編のオンエアともども、お楽しみ下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

さびしさに執れば先づ成る俳諧歌われなる者を筆に傷みぬ
明治36年(1903) 光太郎21歳

いよいよ今年も最終週となりました。この【折々の歌と句・光太郎】のコーナーも、あと僅かです(来年は別のコーナーに意匠替えします)。

これまでに360余の短歌、俳句、川柳などを一つずつご紹介してきましたが、それらに対する作者光太郎のスタンスは、「歌は随時よみすてゝゆきます。書きとめてもありません。うたは呼吸のやうなものですから、その方が頭がらくです。」(昭和21年=1946 喜田聿衛宛て書簡)というようなものでした。ここで自作を「俳諧歌」としているのも、同じ感覚でしょう。

しかし、どうしてどうして、それぞれに味わい深い作ばかりだったように思われます。残りあと5作品も、期待していて下さい。

今年4月から10月にかけ、NHKさんで放映された連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の総集編が、地上波で大晦日に、年明けにはBS放送でオンエアされます。

連続テレビ小説「とと姉ちゃん」総集編

前編 NHK総合       2016年12月31日(土) 8時45分~10時15分  
   NHK BSプレミアム    2017年1月8日(日)  12時45分~14時15分
後編 NHK総合       2016年12月31日(土) 10時20分~11時48分  
   NHK BSプレミアム  2017年1月8日(日)  14時00分~15時28分

出演 高畑充希 西島秀俊 木村多江 相楽樹 向井理 片岡鶴太郎 大地真央 坂口健太郎 秋野暢子 ピエール瀧 平岩紙 杉咲花 川栄李奈 浜野謙太 佐藤仁美 上杉柊平 阿部純子 石丸幹二 野間口徹 矢野聖人 伊藤淳史 奥貫薫 古田新太 唐沢寿明 ほか

語り 壇ふみ

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このドラマでは、明治44年(1911)、智恵子がその表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が重要なモチーフの一つとして使われました。主人公・小橋常子(高畠充希さん)、その妹・鞠子(相良樹さん)、親友の綾(阿部純子さん)、恩師の東堂先生(片桐はいりさん)、そしてもう一人の主人公ともいうべき花山伊左次(唐沢寿明さん)らに、その人生の節目節目で大きな影響を与えるという扱いでした。

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また、後半には、真野響子さん演じる平塚らいてうが登場。常子らの発行していた『あなたの暮し』に、特別に寄稿してくれる、という展開でした
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007今年、生誕130年だった智恵子とらいてう、ある意味それぞれにいい供養になったのではないでしょうか。

また、戦時中に戦意高揚のための文章を書いたことを恥じ、一度はペンを折った花山のエピソードは、花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に7年間蟄居した光太郎に通じるものがあります。


総集編では、これらのエピソードがどの程度使われるか不明ですが、それぞれに大事なシーンですので、それなりには扱われるでしょう。ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

わが前にとんぼがへりをして遊ぶ鼠の来ずて夜を吹雪くなり

昭和22年(1947) 光太郎65歳

花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)に蟄居していた際の作です。

メートル単位で雪に覆われる山小屋。さすがにこの季節は訪れる人も少なく、唯一の同居人(笑)、鼠も吹雪の今夜は現れなかった、というわけです。

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来週、ATV青森テレビさんで、下記の番組が放映されます。

「乙女の像」への追憶~十和田国立公園指定八十周年記念~

ATV青森テレビ 2016年12月29日(木) 16時55005分~17時25分

「乙女の像」の制作はなぜ、高村光太郎に依頼されたのか、実写映像など貴重な資料をもとに辿ります。

 十和田湖が1936年(昭和11年)2月1日に国立公園に指定されてから、今年で80年を迎えました。
 十和田湖休屋の畔にたたずむ「乙女の像」は、国立公園指定に向けてさまざまな取り組みをした3人の功労者を顕彰すると共に、国立公園指定15周年を記念して昭和28年に建てられたものです。製作は彫刻家で詩人としても名を馳せていた高村光太郎に依頼されました。
 番組では「乙女の像」の制作がなぜ高村光太郎に依頼されたのか、当時を知る関係者の証言を中心に描きながら、高村光太郎が鉛筆で走り書きした最初の「乙女の像」の構想スケッチや制作中の実写映像など貴重な資料を織り交ぜながら構成していきます。

出演 ◆小山田久・十和田市長 ◆奈良秀則・青森県観光コンベンション協会会長 ◆高村規(高村光太郎の甥・故人) ◆北川太一(文芸評論家・高村光太郎研究の第一人者)◆小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表)


同局から協力要請があり、先月30日と今月1日、都内での取材・撮影に同行いたしました。文京区の光太郎アトリエ跡、実家、当会顧問・北川太一先生のお宅でインタビュー、さらに中野区の光太郎終焉のアトリエ。その際に当方へのインタビューも撮影されましたので、尺の都合でカットされていなければ、映るでしょう。

光太郎の令甥である故・高村規氏の部分は、平成25年(2013)に、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会の皆さんが、『十和田湖乙女の像のものがたり』を刊行するためにお話をお聞きした(その折も同行させていただきました)際の映像が転用されるようです。

追記・残念ながらその部分はカットでした。

青森限定での放映というのが残念ですが、青森にお知り合いのいらっしゃる方、録画をお願いしてみてはいかがでしょうか。

こちらにはDVDが届くことになっております。拝見するのが楽しみです。届きましたらまたレポートいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

火はあかし雪は白しのことわりにかしこや諸手(もろで)胸にくむ世ぞ

明治34年(1901) 光太郎19歳

「かしこ」は「畏」の字を宛て、「畏れ多い」といった畏怖の気持ちを表します。神社の祝詞で使われる「畏み申さく」なども同源です。

ここでは火を赤く、雪を白く創り上げた大いなる自然の力への畏怖、といった意味でしょうか。

火といえば、新潟糸魚川の火災、大変な状況です。亡くなった方はいらっしゃらないようで、不幸中の幸いと存じますが、焼け出された方々、さぞや大変だろうと胸が痛みます。謹んで御見舞い申し上げます。

改めて、火の取り扱いには畏れをもって接したいと思いました。

今朝、犬の散歩から帰ると、妻が「今、「乙女の像」がテレビで紹介されていたよ」とのたまいました。光太郎の名も紹介されていたとのこと。

テレビ朝日さん系列の「朝だ!生です旅サラダ」でした。サブタイトルが「女優・手塚理美が冬の青森で感激!!香港最新(秘)グルメ初公開 !?」。

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時折あるのですが、前日までネットにも詳細な内容が紹介されず、放映当日を迎えるパターンだったようで、まったく情報をえていませんでした。残念……。


今日は、午後からNHK BSプレミアムさんで先月放映された「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」の再放送があります。来年1月10日から、やはりNHK BSプレミアムさんで放映が始まる「にっぽんトレッキング100」の、ある意味番宣のための番組です。

ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!

NHK BSプレミアム  2016年12月10日(土)  13時30分~15時00分

山好き必見!日本の秋を満喫するベスト10を大公開!

トレッキングにぴったりの秋到来。日本の秋を満喫する、お勧めコースベスト10を大公開! 真っ赤に染まる紅葉、黄金色に輝く草原、そして心まで温まる癒やしの温泉! 女優の宮澤佐江さんは雄大な北海道・雌阿寒岳へ。モデルの仲川希良さんは上高地へと向かう知られざるクラシックルートを。タレントの田代さやかさんは紅葉真っ盛りの八幡平温泉へ。他にも黒部峡谷、奥日光、四万十川、雲仙など、北海道から九州まで深まる秋を体感!

出演 パトリックハ-ラン 宮澤佐江 田代さやか 仲川希良 青山草太 高橋庄太郎 小林千穂,
司会 森下絵里香
語り 渡部紗弓 柴崎行雄

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本編は来年1月25日(水)ですが、今回もちらっと光太郎智恵子が紹介されます。


もう1件。

あらすじ名作劇場 「銀河の詩人・宮沢賢治「風の又三郎」「雨ニモマケズ」」

BS朝日1 2016年12月14日(水) 22時00分~23時00分 

名前は聞いたことあるけど、実は読んだことがない…
でも、いまさら知らないなんて、恥ずかしくて言えない…
そんなアナタに!
「読むヒマないなら、観ればいい!」
新感覚の番組が誕生!王道・定番・世界の名作文学の“あらすじ”を、オリジナル「再現ドラマ」でわかりやすく超解説!あの有名な物語が伝えたかったこと、隠された裏話、作者にまつわる秘話も紹介。時にはゆかりの地を、ぶらりと歩くことも。
これでアナタも文学ツウ!時を超えて語り継がれる名作は、あらすじにしても名作なのです。

「観て学ぶ。名作は、あらすじだけでも面白い」をコンセプトに、文学・落語・歌舞伎・童話…あらゆる“名作"の「あらすじ」をオリジナルの超訳ドラマや朗読でわかりやすく解説!作者の知られざるエピソードや、その作品が生まれた時代背景など、裏話・秘話もあわせて紹介!

ストーリーテラー:平泉成  MC:本仮屋ユイカ

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「雨ニモマケズ」は、その「発見」の現場に光太郎が立ち会い、その後半部分を刻んだ石碑が、賢治の最初の詩碑として光太郎の揮毫により花巻に立てられました。現在も賢治の命日・9月21日に、その碑の前で「賢治祭」が開催されています。今年は当方もスピーチを仰せつかりました。

そのあたりの、光太郎と賢治の交流に関するエピソードが紹介されればいいのですが……。


【折々の歌と句・光太郎】

ヤツガレハスコシオクレテサンズベシズブロクグデンノタカムラサイウ
明治44年(1911) 光太郎29歳

そろそろ忘年会シーズンということでこの歌を。

漢字平仮名交じりで表記すれば「僕(やつがれ)は 少し遅れて 参ずべし ずぶろくぐでんの 高村砕雨」。

『高村光太郎全集』に漏れていた短歌で、『短歌研究』第十三巻第五号(短歌研究社 昭和31年=1956 5月)に所収の、堀口大学「白い手の記憶 ――高村光太郎の思い出――」に載っていたのを今年、見つけました。

堀口曰く、
 
  それは初夏の頃だったと記憶するが、一夜百首の徹夜の歌会が新詩社で催された。常に待たれる人、高村さんは、その夜もみんなに待たれたが、仲々姿は現われなかった。十時頃に電報が来た。鉄幹先生が披露された。《ヤツガレハスコシオクレテサンズベシズブロクグデンノタカムラサイウ》――
  「高村君は今夜もヨカロウらしい。」鉄幹先生がぽつんと言われた。誰やらが発信局を尋ねた。――「浅草本局です。」 ヨカロウも浅草本局も、二つながら雷門の近くにあった。その夜、会者十数人の中、百首の結字が全部出詠出来たのは晶子先生ただお一人だった。待たるる人、高村さんは遂に翌朝になっても見えずにしまった。鉄幹先生ばかりか私もがっかりしたことを覚えている。

この年の暮れに長沼智恵子と運命的な邂逅を果たす光太郎は、前年に吉原河内楼の娼妓・若太夫(真野しま)に失恋、この頃は浅草のカフェ・よか楼の女給だった「お梅」に入れあげていました。

 「ずぶろく」も「ぐでん」も泥酔状態を表す語で、「ぐでん」は現代でも「ぐでんぐでんに酔っぱらう」などと使われますね。「ずぶろく」の方は、当方、存じませんでした。

「砕雨(さいう)」は新詩社に於ける光太郎の雅号。欧米留学からの帰朝(明治42年=1909)以降も使用例が見られ、矛盾しません。

昨日ご紹介したカキの歌にしてもそうですが、巫山戯た歌を詠んで完全に師・与謝野鉄幹をないがしろにしていますね(笑)。しかしそんな光太郎を鉄幹はかわいがっていました。

一昨日、昨日と、ATV青森テレビさんの撮影で、都内の光太郎ゆかりの地を歩き、光太郎本人を知る方々へのインタビューに同行しました。

予定では暮れも押し詰まった12月29日(木)、16:55から、同局で「乙女の像への追憶――十和田湖国立公園80周年記念」という30分番組が放映されることとなり、旧知の同局アナウンサー、川口浩一氏がレポーター役でご出演、当方に協力要請があった次第です。

十和田湖周辺が国立公園指定80周年というわけで、同じく15周年を記念して制作された、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を特集する番組です。これまでに十和田湖、花巻でのロケが終了、そして東京で、というわけです。

ゆかりの場所の全てをまわったわけではありませんが、さながら都内光太郎文学散歩的な2日間でした。

一昨日、上京して来られる青森テレビさんと上野駅で待ち合わせ。予算の関係で、クルーはディレクター氏と川口氏のお二人だけです。ディレクター氏おん自らカメラを回すとのこと。それでも青森の局が東京まで取材に来るというのは異例のことだそうです。

上野で昼食を摂りました。どうせですので、光太郎の父・光雲が制作主任を務めた西郷隆盛像近くのお店に入りました。

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スカイツリーとのツーショット。

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上野公園内、紅葉と、それから画像ではわかりにくいのですが、桜も咲いていました。

JR、東京メトロ千代田線と乗り継いで、光太郎が永らく住んだ文京区千駄木に向かいました。

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団子坂を上って右に曲がり、旧駒込林町、光太郎のアトリエ跡地へ。

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現在は一般の民家が建っています。

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すぐ近くの光太郎実家。
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こちらは現在も高村家です。光太郎が幼い頃からあったという椎の木も健在。

団子坂方面に戻ります。天保年間創業のそば屋・巴屋さん。よく光太郎実家に出前を届けたそうです。

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青鞜社跡地、それから現在は記念館となっている森鷗外旧宅跡地。
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団子坂を下りると、明治8年(1875)創業の「菊見せんべい」さん。

光太郎も買いに来たという話がありますし、少年期、ここの看板娘さんが気になって気になってしょうがなかったそうで、美術学校への行き帰り、顔が赤くなって困るので、わざわざ遠回りしたそうです。光太郎、ウブでした(笑)。

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そして、やはり千駄木の、当会顧問・北川太一先生宅に。こちらで北川先生と当方のインタビューを収録しました。

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北川先生には、インタビューというより、事前に「こういうお話を……」と伝えておき、カメラは回しっぱなしで自由に語っていただきました。おん年91歳ですが、語り出したら止まらないもので(笑)。結局この日も、1時間以上、光太郎について熱く語って下さいました。やはり、生前の光太郎本人をご存じの方のお話は違います。

この日はここまで。


翌日(昨日)は、朝、中野駅で待ち合わせ。光太郎終焉の地にして、「乙女の像」が制作された中西家アトリエへ。

昭和23年(1948)、新制作派所属の水彩画家・中西利雄が建てたアトリエですが、中西自身が早逝してしまい、昭和27年(1952)から光太郎が借り受けました。光太郎の前には、やはり彫刻家のイサム・ノグチも借りていました。ノグチの妻は、一昨年亡くなった李香蘭こと山口淑子さんでした。

そしてここは、光太郎一周忌の昭和32年(1957)、草野心平らの呼びかけにより、第一回連翹忌が開かれた場所。いわば当会発祥の地です。

まずは旧桃園川だった緑道(現在は暗渠)から撮影。

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中に入れていただき、中西画伯の子息・利一郎氏に取材。氏は「乙女の像」制作中の光太郎を間近にご覧になっていた方です。

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中西家に遺る、光太郎ゆかりの品々も撮影させていただきました。

左・中西夫人と光太郎。右・花巻郊外太田村から中西夫人に宛てた葉書。「これからお世話になります」的な。

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左・中西夫人に託した買い物メモ。右・利一郎氏ら、お子さんたちへのお年玉の熨斗袋。といっても、原稿用紙を折りたたんで作られています。こういう生活臭のある物、いいですね。

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昼になったところで辞去。昨年も中西家にお邪魔してお話を伺いましたが、今回、その際には出なかったお話も聞け、実に有意義でした。

この他にも、光太郎が学んだ日暮里尋常小学校(現・第一日暮里小学校)や東京美術学校(現・東京芸大)、智恵子が学んだ日本女子大学校(現・日本女子大)、智恵子終焉の地・ゼームス坂病院跡(南品川)、駒込染井霊園の高村家墓所などなど、ゆかりの地をあげればきりがありませんが、さすがにそこまで廻る余裕はありませんでした。

番組は先述の通り、12/29のオンエアです。また近くなりましたら詳細をお伝えします。


【折々の歌と句・光太郎】

うづだかき泥をひねもすこねしかばかひな太ももふとりて張りけり
大正15年(1926) 光太郎44歳

「泥」は彫刻用の粘土です。駒込林町のアトリエで、彫刻制作に脂の乗っていた時期の短歌です。

少し前にもこのブログでご紹介した、兵庫県人権啓発協会さん制作のビデオドラマ「ほんとの空」。東日本大震災の翌年に作られ、劇中に、智恵子の故郷・安達太良山の空を謳った光太郎詩「あどけない話」が使われています。

12月4日(日)から「人権週間」ということで、兵庫県のローカルテレビ局・サンテレビさんで放映があります。

親子テレビ ほんとの空

サンテレビ  2016年12月4日(日) 11:00~11:45 (45分) 

出演 白石美帆  鳥羽潤  湯浅美和子  浦上晟周  石川大樹  (他)

あらすじ

向井弓枝(白石美帆)は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障害のある人に対してイライラを募らせる。弓枝は、面倒な人が多く住むこのマンションではなく、一戸建てや新築マンションに引つ越したいと、夫の勇(鳥羽潤)に訴える。

弓枝の一人息子の輝(浦上晟周)は、空オタクだ。いつも空や雲のことを考えてしいて 友だちもいない。カメラを抱えた輝が自宅に帰つてくると、隣の部屋のドアが開き、見知らぬ外国人が引越をしている。外国人に対して偏見を持っている弓枝と勇の話を聞き 輝も「みんな不法滞在なんだから送り返せばいいJと言う。

輝がマンションの屋上に行くと、同じ年頃の少年 龍太(石川大樹)が空にカメラを向けていた。空好きの二人は意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと 龍太の母の美里(湯浅美和子)が、故郷福島の草木染めの布を持つてくる。最初は喜ぶ弓枝だったが、パート仲間の意見もあり 放射能への恐ろしさから布を捨ててしまう。そしてそれを、龍太がゴミ置き場で発見する。

学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけ加勢するが、二人とも投げ飛ばされる。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。それを同じマンションの高齢者 千代子とタイ人 ロークが止める。帰宅した輝は母を責め、家を飛び出す。

輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦□ークとノイのところにいた。夫婦はタイ料理店で働いていて、店を持ちたいので試食してほしいと申し出る。皆で食卓を囲みながら、ノイの思いを知った輝は、廊下の鉢植えを割ったことを謝り、勇も偏見を持っていたと告げる。握手をする勇と□ーク。その様子を笑顔で見つめる弓枝は ふと台所の隅に 自分が捨ててしまつた草木染めがあることに気づく。

ノイから 草木染めを譲ってもらった弓枝は 美里の家に。そして自分の気持ちを伝えようとするが… 。

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先日もご紹介しましたが、輝役の浦上晟周君は、現在、NHK大河ドラマ「真田丸」で、堺雅人さん演じる主人公・真田信繁(幸村)の嫡男・大助役で活躍中です。浦上君、今は立派な若武者役ですが、この「ほんとの空」は、4年前の制作ということで、まだあどけない子供の役です。

浦上君演じる輝は「空オタク」という設定で、同じマンションに引っ越してきた、やはり空が好きな転校生の龍太に、光太郎の「あどけない話」が福島の空を謳ったものだと教えようとします。しかし龍太は「知ってる、俺、住んでたから……」。輝は龍太が福島から避難してきたことを、その時点では知りませんでした。

その後、龍太は「原発いじめ」にあい、輝の母親・弓枝も深く考えずにとった心ない行動で、龍太の一家を傷つけるという展開になります。

非常に考えさせられる内容です。


兵庫県の方、ぜひ、ご覧下さい。もっとも、兵庫はドラマの制作地で、テレビ放映も初めてではないようですし、自治体主催の行事や学校などでも、かなり上映されているようですが。

このドラマの件について触れるときにはほぼ必ず書いていますが、全国ネットのテレビでも、ぜひ放映していただきたいものです。

追記 未明のうちに上記を書きましたが、午後になって、主演の白石美帆さんと、V6長野博さんのご結婚が報じられました。おめでとうございます。


テレビといえば、明日、明後日と、ATV青森テレビさんのロケに同行し、都内千駄木の光太郎アトリエ跡、当会顧問の北川太一先生宅、光太郎終焉の地・中野アトリエなどを廻ってきます。青森テレビさんで、来月、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を紹介する特別番組を放映するそうで、そのロケです。当方も出演予定です。また詳しくお知らせいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

うかびてはまたも消えゆくゐのこ雲ながめはてよとさそふ心か
明治35年(1902) 光太郎20歳

若き日の光太郎も、秋の空を見上げていました。

昨日、NHK BSプレミアムさんで放映の「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」を拝見しました。

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大正2年(1913)、光太郎智恵子が婚前旅行で訪れ、二人で歩いた島々から岩魚留、徳本峠を越える「クラシックルート」が扱われました。

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レポーターはモデルの中川希良さん。

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事前に制作会社さんからレファレンスがあり、岩魚止に聳え、後に光太郎智恵子が共にその思い出を語っている、桂の巨木についてご教示申し上げました。

ところがその話が出ず、「あれっ?」と思っていたところ、今回の「ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!」は、来年1月10日から、やはりNHK BSプレミアムさんで放映が始まる「にっぽんトレッキング100」の、ある意味番宣のための番組で、「上高地クラシックルート」として改めて1月25日に放映があるそうです。その中で、詳しく扱われるのでしょう。

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今回の番組の中でも、ちらっと光太郎智恵子に触れられはしました。

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また、上高地で光太郎智恵子とも宿を共にした、日本近代登山の父、ウォルター・ウエストンについては、今回からある程度詳しく紹介されていました。1月の放映ではさらに詳しい話が出るものと期待します。

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また近くなりまして、詳細な情報が入りましたらご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

いみじくもふかき地中のこゝろより天然の湯は湧きてあふるる
大正9年(1920) 光太郎38歳

昨日の放映では、各地の温泉も紹介されていました。

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温泉の恩恵を受けられる日本に生まれて、本当に良かったと思います。

光太郎もやはり日本人(笑)、温泉は大好きで、温泉を詠んだ短歌も多く残しています。

テレビ放映情報です。

ザ・プレミアム にっぽんトレッキング100 紅葉 温泉 秋のオススメ BEST10!

NHK BSプレミアム  2016年11月26日(土)  21時00分~22時30分

山好き必見!日本の秋を満喫するベスト10を大公開!

トレッキングにぴったりの秋到来。日本の秋を満喫する、お勧めコースベスト10を大公開! 真っ赤に染まる紅葉、黄金色に輝く草原、そして心まで温まる癒やしの温泉! 女優の宮澤佐江さんは雄大な北海道・雌阿寒岳へ。モデルの仲川希良さんは上高地へと向かう知られざるクラシックルートを。タレントの田代さやかさんは紅葉真っ盛りの八幡平温泉へ。他にも黒部峡谷、奥日光、四万十川、雲仙など、北海道から九州まで深まる秋を体感!

出演 パトリックハ-ラン 宮澤佐江 田代さやか 仲川希良 青山草太 高橋庄太郎 小林千穂,
司会 森下絵里香
語り 渡部紗弓 柴崎行雄

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上記紹介にあるとおり、信州上高地が扱われます。しかも、トレッキングということで、車の通れない、島々から岩魚止、徳本峠を越える昔のルート。

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ここは、大正2年(1913)、光太郎智恵子が婚前旅行で訪れた場所。先に上高地に滞在していた光太郎が、後から追ってきた智恵子を迎えに岩魚留まで下りていきました。岩魚留には有名な桂の巨木があり、光太郎智恵子共々、後にこの木の思い出を語っています。

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そのあたり、昨年発行された山岳雑誌『岳人』さんに書かせていただきました。上記桂の写真も『岳人』さんから。そこでキャプションに「件(くだん)の」とあります。

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さて、花巻高村光太郎光太郎記念会さんを通し、今回放送される番組の制作会社さんから問い合わせがあり、件の桂の木についてレクチャーいたしました。尺の関係などでカットされなければ、そういう話が出るはずです。

ぜひご覧下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

天然の湯に身をひたし人の世のこゝろのことを君は思ふか
大正9年(1920) 光太郎38歳

土曜日放映の「ザ・プレミアム」、テーマは「紅葉」と「温泉」だそうです。寒くなってきましたので、ゆっくり温泉に浸かりたいものです。

今月7日にNHKラジオ第二で放送された「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「高村光太郎」」の再放送があります。  

カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス

NHKラジオ第2  2016年11月14日(月) 午前10:00~午前10:30(30分)

この番組では、NHKが保有する貴重な「ラジオ・アーカイブス」の中から、作家を中心にセレクトし、懐かしい声を蘇らせます。自作朗読や文学・人生談義などを語る作家らの人間味あふれる魅力を肉声を通して伝えていきます。

「朝の訪問」(1952年3月30日放送)聞き手・詩人の真壁仁(花巻市にて)
彫刻家で詩人の高村光太郎(1883-1956)。彫刻家・光雲の長男に生まれ、東京美術学校を卒業し、欧米留学。帰国後、駒込にアトリエを開いた。長沼智恵子と結婚し、その死別後に詩集『智恵子抄』を出版した。戦後は岩手県花巻郊外の山荘で独居自炊生活を送った。今回の番組は1952年3月に放送した「朝の訪問」で、この山荘での生活ぶりや十和田湖畔に作った「乙女の像」について語っている。聞き手は詩人・真壁仁。

出演 大村彦次郎(元・文芸誌編集長) 宇田川清江アナウンサー

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7日の本放送を拝聴しました。光太郎と真壁仁の対談は11分ほどで、前後半に分けて流されました。その前後と合間に、雑誌『婦人倶楽部』、『小説現代』、『群像』などの編集に当たられていた大村彦次郎氏の解説が入ります。なかなかよく調べられており、感心させられました。

ただ、解説ではなく、番組としての説明の中で、録音場所を花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)と説明していましたが、花巻温泉の松雲閣別館の誤りです。

一般の方は、なかなか光太郎の肉声録音を聴ける機会はないと思いますので、ぜひお聴き下さい。


もう一件、訃報です。

りりィさん死去=64歳、「私は泣いています」の歌手、女優

009 「私は泣いています」で知られる歌手で女優のりりィ(本名鎌田小恵子=かまた・さえこ)さんが11日午前、肺がんのため死去した。
  64歳だった。福岡市出身。葬儀は近親者のみで行う。
  1972年デビュー。女性シンガー・ソングライターの先駆けとして注目され、74年に出したシングル「私は泣いています」が大ヒットした。女優としても活動し、映画「夏の妹」(大島渚監督)などに出演。近年も映画「パークアンドラブホテル」(熊坂出監督)に主演した他、「3年B組金八先生」「半沢直樹」「ラヴソング」などテレビドラマにも多数出演した。
  長男のJUONさんはミュージシャンで、「DREAMS COME TRUE」の吉田美和さんの夫。 
(時事通信 11/11(金) 13:42配信)


昨年公開された小栗康平監督映画「FOUJITA」に出演されていました。同映画は、光太郎と東京美術学校西洋画科で同級生だった画家・藤田嗣治を主人公とし、光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」が劇中に使われていました。

りりィさんの役は、戦時中に藤田が疎開していた先の農家の主婦・「おばあ」。加瀬亮さん演じる小学校教師の息子に召集令状が届き、戦争画の制作などで国策協力をしていた藤田は複雑な思いで彼を見送る、という設定でした。

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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

さて、当方、本日から1泊2日で福島浜通りに行って参ります。今日は川内村での「第6回天山・心平の会 かえる忌」、明日はいわき市の草野心平生家で没後29回忌「心平忌」 第23回心平を語る会」に出席します。「心平忌」の方では、講話を仰せつかっております。

帰りましたらレポートいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

うすぐらき二階にならぶCOGNAC(コニヤツク)の瓶に火をもすCINEMA(シネマ)の明り                          
明治42年(1909) 光太郎27歳

舞台は浅草と思われますが、ことによるとこの年7月まで過ごしたパリを回想しているのかも知れません。   

りりィさんの歌にでも出て来そうな、アンニュイな雰囲気ですね。

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