先週土曜日、テレビ東京さんの「美の巨人たち 上野のシンボル!高村光雲『西郷隆盛像』が愛され続ける理由」の放映がありました。
西郷の妻・糸が、除幕式の際に「うちの旦那さぁはこげな人じゃあいもはん」と言ったというエピソード(結局、当方が知りたいその出典は紹介されませんでしたが)から、像の制作にあたった光太郎の父・光雲らの苦労話が色々と紹介されました。
光雲については、西洋の写実を取り入れた先進性を紹介してくださいました。
コメンテーターとして、当方もお世話になっている小平市平櫛田中美術館さんの藤井明学芸員氏がご登場。
NHKさんの「日曜美術館」等にもご出演されている藤井氏、いつもながらに的確なコメントです。
今年初公開された、顔のない西郷像原型の写真なども使われました。
確実に本人だと言い切れる写真の残っていない西郷隆盛、そこで、光雲が参考にしたのがキヨッソーネの描いた肖像画。他に生前の西郷を知る人々の意見を随分聞いたそうです。
結果、何とか本人に似た顔になりましたが、糸は納得いきません。それは、顔の問題でなく、服装の問題。
この点に関しては、この像は兎狩りの姿だということで。しかし、なぜそんな姿になったのかというと、当初は軍服姿や騎馬像の構想があったものの、やはり恩赦で復権したとはいえ西南戦争で大君に弓を引いた人物、ということで、その構想が却下されたためでした。
そこで、西郷の従弟、大山巌が……
当方、このエピソードは存じませんでした。
その結果、着流し姿となったというわけです。
このあたりについて詳述している当時の文献、読んでみたいのですが……。
テレビ東京さん系列のBSテレ東さんで、12月29日(土)の18:00~18:30にも放映があります。テレビ東京さん系の放送局がない地域の方、こちらでご覧下さい。
そして日曜日には、NHKさんの大河ドラマ「西郷どん」最終話。
1月の第1話が西郷像の除幕式のシーンから始まり、最終話でも像に触れられるかと思っていましたが、残念ながら像は登場せず。しかし、西郷の死後、当時の人々が大接近していた火星を「西郷星」と呼んで拝んでいたというエピソードの中で、やはり糸が「うちの旦那さあはあげな高い所に居て人から見上げられるようなお人ではなかった」と言うシーンがありました。脚本の中園ミホさん、これが第1話の除幕式で糸が「うちの旦那さぁはこげな人じゃあいもはん」と言ったという理由につながるのですね。なるほど、そういう解釈も成り立つな、と思いました。
ところで当方、新選組や会津藩、彰義隊などを好むもので、この1年、「西郷どん」は観ていませんでした。そこで最終話を観て初めて知ったのですが、「美の巨人たち」でも紹介された、上野の西郷さんが連れている愛犬の「ツン」も登場していたのですね。存じませんでした。
それから、最後のかつての盟友・大久保利通がその開催に心血を注いだという設定になっていた内国勧業博覧会。「西郷どん」では触れられませんでしたが、この時に、光雲は師匠・高村東雲の名で白衣観音像を出品、見事に一等龍紋賞に輝きました。博覧会というものが全く周知されていなかったこの当時、東雲は出品の依頼に対し、わけがわからないし面倒だと考えたので高弟の光雲に自分の名で出品させたのです。それが一等龍紋賞。しかし、それがどれほどすごい賞かというのが、もらってからもよくわからなかったというのだから笑えます。そのあたり、昭和4年(1929)に刊行された光雲の談話筆記『光雲懐古談』に記述があります。「青空文庫」さんで公開して下さっていますので、お読み下さい。
「西郷どん」最終話、NHK総合さんで、12月22日(土)、13:05~14:05に再放送があります。見逃した方、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
妾がマツスネエを唄へば妾のマツスネエですよ。伊十郎が勧進帳を唄へば伊十郎の勧進帳ぢやありませんか。
散文「ノンシヤランス」より 明治44年(1911) 光太郎29歳
「ノンシヤランス」は仏語の「 nonchalance 」。「のんき」とか「投げやり」「無関心」といった意味です。女優と脚本家の会話、という設定で書かれたもので、ある意味、短編小説のような趣もあります。
引用部分は女優のセリフ。「妾」は「めかけ」ではなく「わたし」と読みます。「マツスネエ」はジュール・マスネ。「タイスの瞑想曲」などで有名なフランスの作曲家です。「伊十郎」は芳村伊十郎、長唄の名人でした。
要するに、扱う作品の芸術性も大事だが、演者の芸術性にもっと評価を与えるべき、という趣旨です。「何を」より「いかに」ということですね。造形芸術にも当てはまる問題です。