カテゴリ: テレビ/ラジオ番組等

 
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このブログでたびたびご紹介してきた、宮城県女川町の「いのちの石碑」――同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトに関するドキュメントです。
 
 
当方、文字情報をいろいろと見てきましたし、過日は東京表参道山陽堂ギャラリーさんで行われた「女川だより――あの日からの「家族の肖像」展」のトークイベントを拝聴して参りましたが、映像で観るのはまた違うものでした。
 
「千年後のいのちのために」と、頑張る中学生達の姿には、素直に感動させられました。プロジェクトが始まった頃にはまだまだ子供っぽい顔つきだった彼らが、一基めの石碑を完成させる頃にはたくましい顔立ちになっていきます。若い世代のこうした姿を見ると、この国もまだまだ捨てたものではないな、と感じます。
 
BS放送、CS放送でも再放映されます。ご覧になっていない方、ぜひ。
BS日テレ        2014年4月13日(日) 11:00~11:30
CS日テレNEWS24  2014年4月13日(日) 18:30~19:00
 
映像もいいのですが、やはり実際に見てみたいものです。今年も8月9日には女川光太郎祭があるはずですが、その前に、智恵子のふるさと、福島は二本松で活動されている「智恵子のまち夢くらぶ」さんが、6月に研修旅行で女川に行かれるそうで、同道させてもらおうかと思つています。皆様もぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月8日

明治34年(1901)の今日、東京美術学校校友会倶楽部で、「彫塑会第二回展覧会」が開幕しました。 
 
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光太郎は石膏レリーフ「003仙」と「まぼろし」を出品しています。どちらも残念ながら現存が確認できておりません。

「まぼろし」については、光太郎自身、のちにこう語っています。
 
その頃初めて泥をいぢくり出し、例へば坊さんが月を見上げて感慨に耽つてゐるところや女の浴衣が釘にぶら下つてをるといふ妖気の漂ふ鏡花式みたやうなものを無闇に作つたが、それが当時の彫塑会では新しかつた。後にかういふことが間違つた新しい彫刻運動のもとになつたりした。
(「美術学校時代」昭和17年=1942 『知性』)
 
光太郎自身が後に否定する「文学的な彫刻」というわけです。

上の画像、『彫塑生面』は、この展覧会の図録的な冊子です。「仙」「まぼろし」の画像はここから取りました。
 

ひさびさにテレビ放映情報です。

NNNドキュメント'14 3・11大震災 シリーズ 千年後のあなたへ 15歳…いのちの石碑

地上波日本テレビ系  2014年4月6日(日)25:20~25:50=4/7(月)午前1:20~1:50
BS日テレ      2014年4月13日(日) 11:00~11:30
CS日テレNEWS24 2014年4月13日(日) 18:30~19:00
 
 千年後の命を守りたい…「地震がきたらこの石碑よりも上に逃げてください」と刻まれた“命の石碑”が津波の最大到達地点に建った。建てたのは宮城県女川町の中学生だ。今後、女川の21の浜のそれぞれの最大到達地点に21基建てる計画だ。必要な資金も自分たちで集めよう。修学旅行先や、企業へ出向いて募金を呼びかけた。1千万円を超える資金を彼らは集めきった。一基目の石碑にこう刻んだ。「夢だけは 壊せなかった 大震災」。
 
ナレーター 沢城みゆき
制作  宮城テレビ
 
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このブログでたびたびご紹介してきた宮城県女川町の「いのちの石碑」に関するドキュメントです。
 
 
同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。
 
明日は第58回連翹忌。高村光太郎、58回目の命日です。その直前にこの番組放送の情報を得、かつて毎年のようにご参加下さっていた女川光太郎の会事務局長だった故・貝(佐々木)廣氏――高村光太郎文学碑の建立に奔走され、2011年3.11の津波にてご逝去――のお導きかと思っております。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月1日

明治45年(1912)の今日、早稲田文学社主催装飾美術展覧会に、塑像「紫朝の首」を出品しました。
 
「紫朝」は盲目の新内語り、柳家紫朝。残念ながらこの彫刻はおそらく現存が確認できていません。
 
ちなみにこの展覧会には、智恵子も油絵を出品しています。

2月も今日で終わり、明日から3月です。そして近づく3・11……。というわけで、あちこちで関連イベントや出版物の刊行などがいろいろと企画されているようです。昨日ご紹介した銀座永井画廊さんの「高村智恵子紙絵展」もそうした一環です。
 
さて、地上波NHK総合で、月~金の午前8時15分から9時54分まで放映されている「あさイチ」。その中に9時台放送のレギュラーコーナーとして「ピカピカ☆日本」というコーナーがあります。
 
公式サイトより。

「地方を見回せば、そこかしこにキラリと光るピカピカのアイデアがあり、そこにはピカピカの笑顔があります。全国各地の元気な場所から日替わり生中継、「行ってみたい」「買ってみたい」情報満載でお届けします。」
 
やはり3・11が近づいてきたということで、来週は「バスで!列車で!アッキーがゆく“復興の地”」と題して被災地の宮城から福島、茨城がレポートされます。昨年も同様の企画で北海道から宮城までが扱われていたそうですが、その時は気づきませんでした。
 
公式サイトより。

「東日本大震災以降、たびたび被災地を訪問してきたアッキーこと篠山輝信さんの出会い旅。1年前は北海道根室市から宮城県石巻市までを、バスや列車を乗り継いで訪ね歩きました。今回は、その石巻市からスタートし、海沿いに宮城県から福島県へ。原発事故による帰還困難区域を前に、内陸部を経て再び沿岸へ。最後は茨城県へと至ります。」

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放送予定は以下の通りです。
 
3/3(月) 石巻市 → 3/4(火) 名取市 → 3/5(水) 相馬市・南相馬市・浪江町 → 3/6 (木)福島市・二本松市
 
このブログで何度もご紹介してきました光太郎・智恵子ゆかりの地を廻ります。光太郎・智恵子に直接言及されるかどうか不明ですが(おそらくその可能性は低いと思いますが)、被災地の「今」を知っていただき、さらに3年目を迎える3・11に思いをはせるためにも、ご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月28日

昭和28年(1953)の今日、東京中山文化研究所の婦人文化講座で「炉辺雑感」と題して講演を行いました。
 
この講演の筆録は「美と真実の生活」という題名で、この年6月発行の雑誌『婦人公論』に掲載され、『高村光太郎全集』第10巻に収録されました。ところが数年前、同じ月に発行された雑誌『女性教養』に載った「炉辺雑感」を読んだところ、「美と真実の生活」は「炉辺雑感」を7割ほどの分量にカットしたものだと判明しました。しかもカットされた部分にかなり重要な示唆があります。
 
アンカット版は昨年4月に高村光太郎研究会から発行された『高村光太郎研究(34)』中の、当方編集「光太郎遺珠⑧」に全文掲載いたしました。

テレビ放映情報です

美の巨人たち 荻原碌山(守衛)『女』

BSジャパン 2014年2月19日(水)  22時54分~23時24分
 
毎回一作品にスポットを当てそこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日の作品は荻原碌山(守衛)『女』。天才彫刻家が追い求めた芸術の境地とは?
番組内容
今日の作品は、“東洋のロダン"と呼ばれた彫刻家・荻原碌山(守衛)作『女』。高さ98cmのブロンズ彫刻。早世した荻原碌山の遺作であり、日本近代彫刻の幕開けといわれる作品です。両手は後ろに組まれ、地面に埋まるような足。顔は天を見上げ、苦悶の表情を浮かべています。この不思議なポーズが意図するものとは…?また苦悶の表情の正体とは…?二つの運命の出会いによって生み出された天才彫刻家の最高傑作をご紹介します。
ナレーター 小林薫
音楽
<オープニング・テーマ曲> 
 「The Beauty of The Earth」 作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン) 唄:ジョエル・タン 
 <エンディング・テーマ曲> 
 「終わらない旅」 西村由紀江

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1/25に地上波テレビ東京系で放映されたものです。その折は直前まで気づかず、放映前にご紹介できませんでした。

紹介・解説の部分では、連翹忌ご常連の碌山美術館学芸員・武井敏氏がご登場。ミニドラマの部分は「親友 故人荻原を偲ぶ」という題で、光太郎と戸張孤雁、そして相馬良(黒光)が、守衛の没後、思い出を語るという構成で、光太郎役は俳優の大浦龍宇一さんが演じられています。
 
地上波テレビ東京系は全国的に系列局が少ないのですが、今回はBS放送ですので全国で視聴できます。ただし、BS放送視聴の加入契約をしていないと不可能ですが。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月14日

平成6年(1994)の今日、テレビ東京系で「日本名作ドラマ 智恵子抄」が放映されました。
 
単発の2時間ドラマでした。キャストは光太郎役は滝田栄さん、智恵子役が南果歩さん、光雲役に昨年亡くなったすまけいさん、智恵子の母・センを渡辺美佐子さん、水野葉舟で中丸新将さんなど。「智恵子抄」の映像化は何度かなされていますが、この南さんの演じた智恵子は出色だったと思います。
 
この「日本名作ドラマ」、第1期(平成5年=1993 5~9月)と第2期(同10月~平成8年3月)に分かれ、第1期は前後編各2回にわけての連ドラ枠での放送でした。森鷗外「雁」に始まり、若き日の木村拓哉さん主演の川端康成「伊豆の踊子」、夏目漱石「門」、太宰治「斜陽」などのラインナップで、こちらはVHSテープで販売もされました。
 
「智恵子抄」は、樋口一葉「にごりえ」、織田作之助「夫婦善哉」などと同じ第2期で、こちらは不定期の単発2時間ドラマとしての放映でした。第2期に関しては残念ながら映像ソフト化がされていません。当方は当時のテレビ放映を録画したものを持っていますが。

こんなものを手に入れました。
 
『日曜美術館新聞』新春特別号。A2判二つ折り、全4頁です。
 
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NHKEテレさんで、日曜日の朝(本放送)と夜(再放送)に放映されている「日曜美術館」のPR誌のようです。
 
同番組では昨秋、「智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」と題し、光太郎をメインで取り上げて下さいまして、当方もアドバイザーとして参加させていただきました。
 
最近も、1/19の放映で東京美術学校で光太郎と同級生だった藤田嗣治を取り上げて下さっています。
 
で、『日曜美術館新聞』。この中で、現在東京国立博物館で開催中の「人間国宝展-生み出された美、伝えゆくわざ-」が大きく取り上げられています。
 
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曰く、
 
工芸は時代に合わせて、伝統的な技の上に創作性や個性的なデザインが加わり、変化し広く受け入れられてきた。作家の創意工夫によって多様化した日本の工芸。“クラフト”でなく、世界に誇る日本の“コーゲイ”の奥行き有る美しさを再発見し、伝統の枠組みを超え未来へ託される可能性を展望する機会となるにちがいない。
 
まさしくその通りですね。
 
以前にも書きましたが、同展では光太郎の弟で鋳金家の高村豊周、その弟子で光太郎ブロンズ彫刻の鋳造を手がけた斎藤明の作品も展示されています。
 
会期は来月23日(日)まで。ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月29日

明治44年(1911)の今日、智恵子の祖父・長沼次助が歿しました。
 
次助は新潟県南蒲原郡田上町の出身。郷里に妻子を残し、杜氏として二本松に来ていた際に、智恵子祖母の安斉ノシと所帯を持ち、長沼酒造を興しました。智恵子の母・センはノシの連れ子。したがって智恵子と次助に血のつながりはありません。それでも次助は智恵子をかわいがってくれたそうです。
 
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前列左端が次助、その後ろが智恵子。明治41年頃、長沼家の庭で撮られた一枚です。

最近放映されたテレビ番組のレポートを書きます。
 
まずはBS朝日さんで1/21(火)にオンエアされた「にほん風景物語 福島 川内村・いわき小川郷 ~詩人・草野心平が詠んだ日本の原風景~」。

 
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作家の島田雅彦氏が、光太郎と親交の深かった蛙の詩人・草野心平のゆかりの地を歩きました。心平の故郷・福島県いわき市小川地区、そしてモリアオガエルが縁で心平が愛した地・川内村。
 
川内村では、同村商工会長にして、天山・心平の会代表の井出茂氏が島田氏を御案内なさっていました。モリアオガエル生息地の平伏(へぶす)沼や、村人が心平のために建ててあげたという天山文庫、そして草野心平を偲ぶ集い「かえる忌」の会場となっている、井出氏が営む小松屋旅館さん。
 
その囲炉裏端で、井出氏が語られた、原発事故による全村避難を思い出して語られた言葉には、ぐっときました。村境の峠から川内村を振り返り、涙が止まらなかったというお話、「無くなっていい場所、無くなっていい故郷なんてどこにもない」というお言葉……。重たいものがありました。
 
それから、放映を見るまでまったく知らなかったのですが、昨秋の「かえる忌」の様子も映りました。テレビカメラが入っていたのには気づいていましたが、てっきり福島のローカルニュースか何かだと思っていました。当方の姿も約20秒。自分の姿をテレビ画面で見るというのは妙な気分ですね。それも映ると知らなかったのでなおさらです。


続いて、昨夜9時からBS-TBSさんで放映された「日本の名峰・絶景探訪 #32 雪煙舞う厳冬の安達太良山」。

 
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番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、ナビゲーター役の女優・春馬ゆかりさんのレポートがありました。
 
この番組は登山系の番組なので、そのあとは最後まで春馬さんの登山の様子のレポートでした。
 
昨秋、NHKさんで放映された「小さな旅 シリーズ山の歌 秋 ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」では、やはり「智恵子抄」にからめ、錦秋の安達太良山が紹介されました。
 
今回は厳冬期。アイゼンを付けなければ登れないとか、樹氷ができていたりとか、同じ山でも季節が変わるとここまで違うのか、という感じでした。それが日本という国の良さでもありますね。
 


さらに連続して10時から、地上波テレビ東京さんの「美の巨人たち 荻原碌山(守衛)『女』」。

 
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実はこの放送があるというのは、朝、新聞のテレビ欄を見るまで気がついていませんでした。この番組はほぼ毎週欠かさず見ており、次週の内容を知らない、ということは滅多になかったのですが、たまたま先週の土曜日はテレビ東京系の局がない岩手県に逗留していたため、そうなったわけです。したがって、このブログで事前に紹介出来ませんでした。すみません。しかし、テレビ東京系BSジャパンさんで2/19(水)に再放送されますので、見逃した方はそちらをご覧下さい。
 
この番組、毎回、作品の紹介・解説の部分と、作品にまつわるミニドラマの部分が交互に進む構成になっています。紹介・解説の部分では、連翹忌ご常連の碌山美術館学芸員・武井敏氏がご登場。これも事前に知らされていなかったので、驚きました。そしてミニドラマの部分は「親友 故人荻原を偲ぶ」という題で、光太郎と戸張孤雁、そして相馬良(黒光)が、守衛の没後、思い出を語るという構成でした。
 
光太郎役は俳優の大浦龍宇一さん。実は昨秋、大浦さんのブログで「一日だけ高村光太郎さんになってきます。」という記述を見つけ、いろいろ検索したのですが、舞台、映画等の情報も引っかからず、「?」と思っていました。その疑問が氷解しました。オンエア情報も。
 
相馬良は夫の愛三とともに、新宿に、かの中村屋を開いた人物です。守衛は少年時代から良に惹かれ、しかし相手は人妻。その苦悶が彫刻「女」に表されているというのが通説です。そのあたりを武井氏は実にうまく解説されていました。また、光太郎は良に対していい感情を持っておらず、ある意味、守衛の夭折は良のせいだと考えていたふしがあります。ミニドラマでは、そのあたりの光太郎の複雑な思いもよく表現されていました。光太郎は写真を撮られるのが好きではなかった、という小ネタも「そのとおり」、という感じでよく調べているな、と感心しました。
 
先述の通り、BSジャパンさんで2/19(水)に再放送されますので、見逃した方はそちらをご覧下さい。22:54~のオンエアです。
 
短い間に光太郎に関わる番組がたくさん放映され、有難い限りです。もっともっと増えてほしいものですが。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月26日

大正15年(1926)の今日、築地小劇場で上演されていた、ロマンロラン作・片山敏彦訳の演劇「愛と死の戯れ」が千秋楽を迎えました。
 
初日は同月20日。公演期間中、毎日、光太郎を含む十人の講演者が、毎日二名ずつ交代で講演をしたそうです。

前回からの続きです。
 
福島市を後に、再び東北新幹線に乗って、次なる目的地、花巻を目指しました。途中、仙台を過ぎても平地には雪がほとんどありませんでしたが、やがて岩手県内に入ると徐々に雪が積もっている様子が目につくようになりました。新花巻駅に着いた頃は、すっかり白銀の世界でした。
 
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新花巻駅の観光案内的なコーナーでは、光太郎が出迎えてくれました。
 
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普段、花巻に行く時は、北上で東北新幹線から在来の東北本線に乗り換えることが多く、新花巻駅に降り立ったのは久しぶりでした。そのため、こういうコーナーがあることを存じませんでした。
 
新花巻駅から雪道を歩くこと約15分、花巻市博物館に到着しました。
 
 
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こちらでは、企画展「佐藤隆房展―医は心に存する―」が開催中です(2/11まで)。
 
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佐藤隆房は明治23年(1890)、栃木那須の生まれ。千葉医専(現・千葉大学医学部)卒業後、医療施設の少なかった東北での医療活動に従事することを志願、縁あって大正12年(1923)、花巻に花巻共立病院(現・総合花巻病院)を開業しました。
 
地元の有力者だった宮澤家も開院に協力、その関係で賢治晩年の主治医を務め、その最期を看取りました。賢治の詩「S博士に」は佐藤のことを描いたものだそうです。
 
さらに宮澤家の関連で、光太郎とも知遇を得、交流を深めました。宮澤家の意向を受けて既に戦時中に東京で光太郎に会い、花巻疎開を勧めたといいます。
 
光太郎が花巻に来てからは、旧太田村の山小屋に移る前、一時、自宅の離れに光太郎を住まわせたり、その後も折に触れ、行き来をしていたりしました。
 
光太郎歿後は財団法人高村記念会を創設、花巻での顕彰活動を牽引し、昭和54年(1979)歿。現在は子息・進氏が理事長を務めています。
 
企画展では佐藤の生涯と業績をたどる品々の他、賢治の草稿や光太郎の揮毫、彫刻なども展示されていました。一見の価値はあります。ぜひ足をお運びください。
 
その後、新花巻駅に戻り、そこから無料送迎バスでその日に泊まる鉛温泉藤三旅館に向かいました。そちらについてはまた明日。
 

 
BS-TBS 2014年1月25日(土)  21時00分~21時54分
 
「阿多多羅山(あだたらやま)の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ。」
安達太良山は、高村光太郎の『智恵子抄』に歌われたことで広く知られるようになりました。
 
南北9キロに渡って連なる安達太良連峰のひとつで、標高は1700メートル。なだらかに美しい稜線を引き、山頂には突き出た岩峰があるため遠目には女性の乳房のようにも見え、別名「乳首山(ちちくびやま)」とも言われています。
 
智恵子のふるさとの山であり、また、そのたおやかな山容から女性的なイメージを持たれる山ですが、実際に登って見るとまた別の姿を見せます。北西からの季節風が遮られることなく吹き付けるため、この時期の稜線は突風が吹き荒れます。また、連峰の山頂部には大きな火口跡があり、荒々しい景観が広がっています。安達太良山は火山活動によって生まれた山で、最近では明治時代に爆発を起こしています。
 
厳冬期の安達太良山を雪山初挑戦の女優の春馬ゆかりさんが目指します。雪の状態を見極め、アイゼンとスノーシューを履き替えながらの山行となりました。
 
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さすがに標高1700㍍の山ですね。ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月21日

昭和3年(1928)の今日、丸の内中央亭で開かれた第一回詩人協会総会に出席しました。
 
この席上、光太郎は年鑑編纂委員、評議委員を引き受けたそうです。同年6月には実際に『詩人年鑑1928』がアルスから刊行されました。
 
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いわゆる詩壇の大御所とは深いつきあいをしなかった光太郎ですが、この「詩人協会」はどちらかというと若い詩人を中心に結成されたもので、この時期の光太郎は若い詩人達にカリスマ的存在と見られていました。
 
しかし、その活動は長くは続かず、昭和6年には解散してしまいます。年鑑も1回限りの刊行でした。

昨日も自宅でテレビ三昧でした。
 
16:00からBS朝日さん放映の「惜櫟荘ものがたり」。岩波書店創業者の岩波茂雄が、昭和16年、熱海に建てた別荘「惜櫟荘」の解体修復を追ったドキュメントでした。
 
番組公式サイトで光太郎もここを訪れ、滞在したことがある由、記述がありました。ところが『高村光太郎全集』や、その他当方所有の文献にはおそらく「惜櫟荘」に関する記述がありません。
 
しかし番組内で、しっかり「惜櫟荘」で撮られた光太郎の写真や、岩波書店本社に保管されているという「惜櫟荘」訪問者の芳名帳に残る光太郎の名が映されました。
 
気になったのでさらに調べたところ、「惜櫟荘」現在の所有者である時代作家・佐伯泰英氏のエッセイ集『惜櫟荘だより』(当然のように岩波書店刊行)が出版されており、早速注文しました。

 


 
19:00からはNHKBSプレミアムさん放映の「皇室の宝 第2夜 世界が認めたジャパン・パワー」。
 
現在、京都国立近代美術館にて開催中で、光雲の作品も複数出品されている「皇室の名品-近代日本美術の粋」展に関わる番組で、今回は彫金の海野勝珉、日本画の竹内栖鳳をメインに取り上げていました。番組終わり近くになって、光雲の 「猿置物」(大正12年=1923)が映りました。
 


 
このあとも、光太郎がらみの番組がいくつか放映されます。

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014/01/08(水)8:40~8:50、17:15~17:25
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけてもらうことをねらいとしている。今回は、僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきおとこ、うた/スキー、道程。
出演者 小錦八十吉,神田山陽,おおたか静流 ほか
 
おそらく坂本龍一さん作曲の「道程」がオンエアされると思います。この番組では昨年末にも「道程」や「冬が来た」を扱って下さいましたが、おそらくまた新作だと思います。

<ドラマ名作選>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ・181 2014/01/09(木)12:00~13:55
 
福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる!!
 
出演者 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか
 
もともとは平成18年2月24日に金曜プレステージの枠で放映された2時間ドラマの再放送です。BSフジさんで、たびたび再放送しています。今はもう使われていない、花巻の古い高村記念館でロケが行われました。

木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌~スペシャル

テレビ東京 2014/01/09(木)19:58~21:48 004
 
新春最初の放送は2時間スペシャル。「モクハチ歌う新年会」ではゲストが好きな歌を続々披露。名曲の数々をたっぷりとお楽しみください。
 
ゲスト 大月みやこ、梶光夫、金沢明子、小金沢昇司、伍代夏子、ささきいさお、城之内早苗、城みちる、千昌夫、高田美和、田川寿美、新沼謙治、二代目コロムビア・ローズ、氷川きよし、藤あや子、水森かおり、宮路オサム、森進一、吉幾三、ロス・インディオス(50音順)  司会 宮本隆治、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)
 
曲目 「きよしのソーラン節」氷川きよし 「北国の春」千昌夫 「伊勢めぐり」水森かおり 「襟裳岬」森進一 「大東京音頭」金沢明子 「女人高野」田川寿美 「津軽恋女」新沼謙治 「イルカにのった少年」城みちる 「鳴門海峡」伍代夏子 「なみだの操」宮路オサム <モクハチ新年会> 「ペッパー警部」「夜霧よ今夜も有難う」「曼珠沙華」「Dream」「別れても好きな人」「時の流れに身をまかせ」「嫁に来ないか」「わが愛を星に祈りて」「おひまなら来てね」「宇宙戦艦ヤマト」「夢の中へ」「智恵子抄」「リンゴの村から」 「ひとひらの雪」小金沢昇司 「乱れ花」大月みやこ 「満天の瞳」氷川きよし 「海峡しぐれ」藤あや子 「酒よ」吉幾三 「富士山」森進一
 
二代目コロムビア・ローズさん、アメリカ在住ですが、時折帰国して演歌番組等にご出演なさっています。曲目は「智恵子抄」。昭和39年(1964)、ちょうど50年前のヒット曲です。

10min.ボックス(現代文)「道程(高村光太郎)」

NHKEテレ 2014/01/10(金) 午前1:40~1:50

『道程』は、1914年、大正時代に書かれた詩です。それまでの詩とは違い、ふだん話している言葉、口語体で書かれていました。若者が持つ将来への不安と、前向きな決意が感じられることから、多くの人々に親しまれてきました。この詩の作者は高村光太郎。詩人として、また彫刻家として、明治末から昭和にかけて活躍しました。
 
こちらも何度も放映されています。ネットで見ることもできてしまいます。

 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月3日

昭和21年(1946)の今日、雑誌『ポラーノの広場』臨時発行新年号に、「消息二」が掲載されました。
 
 何もかも生れてはじめての新年を迎へました。祖国の運命は開闢以来の難関にさしかかつてゐるし、私自身としては自分の故郷を離れて新年を祝つたのは、これまでにたつた一度銚子の海岸へ初日出を拝みに行つたことがあるだけで、毎年必ず自分の家の神だなの下で祖先を偲びながら、お雑煮をいただいたものでした。
 しかし私は今、希望に満ちてゐます。
 山に来てから健康は倍加するし、未来の仕事は大きいし、独居自炊孤坐黙念、胸のふくらむ思です。
 謹んで諸兄に年頭の賀をおくります。
 
 光太郎、花巻郊外太田村山口の山小屋に移って初めての新年でした。しかし、「私自身としては自分の故郷を離れて新年を祝つたのは、これまでにたつた一度銚子の海岸へ初日出を拝みに行つたことがあるだけ」は間違いで、明治末の欧米留学で日本を離れていたことを忘れていますね(笑)。

年が改まりました。この時期、テレビでは意外といい番組の放映が続きます。
 
昨日は、暮れのこのブログでご紹介したNHKBSプレミアムさんの「皇室の宝 第1夜 日本の危機を救った男たち」を観ました。
 
現在、京都国立近代美術館さんにて開催中で、光雲の作品も複数出品されている「皇室の名品-近代日本美術の粋」展に関わる番組で、光雲も取り上げられるかな、と思って観ましたが、昨夜に関しては名前のみの紹介でした。
 
メインで紹介されたのは、七宝の並河靖之、織物の川島甚兵衞。この二人は京都出身ということで、「作品が京都に里帰り」的な観点がありました。NHK京都さんの制作ですので、まぁしょうがないかな、と思いました。しかし、殖産興業の国是の中で、外貨獲得や万博で好評を得るといった、明治期工芸の流れがよくまとまっていました。
 
今夜は「第2夜 世界が認めたジャパン・パワー」が放映されます。予告編では、海野勝珉「蘭陵王置物」が大きく取り上げられていました。海野は京都ではなく水戸の出身です。光雲もぜひ取り上げてもらいたいものです。
 
その後、地上波NHK総合さんでオンエアされた「1914 幻の東京~よみがえるモダン都市~」を観ました。以下、NHKさんサイトから。
 
今から100年前の1914年(大正3年)、東京で最新の西洋文化を紹介する「東京大正博覧会」が開かれた。大観衆を集めた博覧会は、明治のエリートが独占していた西洋文化を急速に大衆化させていくきっかけとなる。同年、日本橋に三越新館が誕生し、日本初の常設エスカレーターが登場、大衆消費社会の幕開けに花を添える。東京駅の開業、日本初の流行歌、いずれも1914年に誕生した。浅草の活動写真、銀座ファッション、都市の大衆文化が一斉に開花し、東京は新興のモダン都市へと生まれ変わっていく。しかし、その9年後には関東大震災が襲い、当時の街並みは幻と化した。

 7年後のオリンピック開催が決まり、今もこれからもダイナミックに発展・変容していく東京。現代東京の“ルーツ”ともいえる100年前の東京の街と人々の暮らしをドラマと4Kの高精細VFXを駆使して再現・再発見し、新しい年の始まりに、日本の来し方行く末に思いを馳せる。

 100年前と現代を行き来するサラリーマン夫婦を演じるのは新進俳優・淵上泰史と長澤奈央。主題歌「カチューシャの唄」を歌うのは、実力派のボーカリスト、UA。
 
1914は大正3年。光太郎が第一詩集『道程』を上梓し、智恵子との結婚披露を行った年なので、もしかしたらちらっとでも紹介されるかな、と思ってみました。しかしこちらも空振り。ただし、智恵子が表紙を描いた『青鞜』や、光雲が出品鑑査官、審査員を嘱託された東京大正博覧会が紹介されました。その他、シーメンス事件や第一次世界大戦による好況、モダン都市化した東京の様子など、当時を知るには非常にいい番組でした。
 
今年は東京駅開業100周年にもあたるので、例年より「100年前」が注目されているようです。その流れの中で、詩集『道程』100周年、光太郎智恵子結婚披露100周年を取り上げてほしいものです。
 

さて、本日夕刻には、BS朝日さんで以下の番組が放映されます。  

BS朝日1 2014年1月2日(木)  16時00分~17時54分
 
日本の歴史的建築物「惜櫟荘(せきれきそう)」を守るため、歴史作家・佐伯泰英が立ち上がった。70年の時を経て、岩波茂雄、吉田五十八という二人の天才の夢が引き継がれる…

番組内容
日本の歴史的建築物を守るために立ち上がった歴史作家・佐伯泰英の情熱の物語。「惜櫟荘」という、日本を代表する数寄屋造りの取り壊しから修復・再建までを追いかけた、2年以上にわたるドキュメンタリー。

出演者 ナビゲーター 三上博史

昨年5月にオンエアされたものの再放送です。その時点で気づかなくて、このブログでは紹介しませんでしたが、番組サイトでは光太郎の名が記されています。
 
昭和16年9月。真珠湾攻撃の3か月前、一軒の小さな別荘が熱海に建てられた。 その名は惜櫟荘(せきれきそう)。ここに、志賀直哉や高村光太郎、幸田露伴、湯川秀樹ら日本の文豪や知識人が集い原稿をしたため、明日の日本を論じた。
 
もとはといえば、岩波書店の創業者・岩波茂雄の別荘だった。 この家を設計したのは、吉田五十八(よしだいそや)。歌舞伎座や吉田茂邸、文学賞の舞台である築地新喜楽などで知られる近代数寄屋建築の名手である。
 
あれから70年。
売却の憂き目に会おうとした惜櫟荘を、一人の作家が救った。時代小説で1500万部という人気を誇る、作家・佐伯泰英。名建築が無くなるのは忍びないと、私財を投じ、番人を買って出た。
 
日本の教養文化を育んだ出版人、岩波茂雄と稀代の建築家、吉田五十八。 二人のぶつかり合いから生まれた惜櫟荘の、解体から復元までの3年間を追いながら この30坪の小さな家に秘められた昭和のドラマを描きます。
 
後でこういう番組があったことを知り、残念に思っていたのですが、再放送されるということで、ありがたいかぎりです。
 
『高村光太郎全集』には岩波茂雄の名も何度か出てきますが、この惜櫟荘に関する記述が見あたりません。番組サイトにある「ここに、志賀直哉や高村光太郎、幸田露伴、湯川秀樹ら日本の文豪や知識人が集い原稿をしたため、明日の日本を論じた。」という事実もこちらでは確認できていません。どういうことなのか、放映をよく見てみようと思っています。

 追記 惜櫟荘で撮影された光太郎の写真を見つけました。

他にも光太郎に絡む、または絡みそうな番組の放映が続きます。そのあたりはまた明日。

 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 1月2日

昭和28年(1953)の今日、年下の友人達のために揮毫書き初めをしました。
 
美術史家の奥平英雄に「うつくしきもの」、詩人の宮崎稔が保管していた智恵子紙絵の箱に「高村智恵子遺作紙絵」、北川太一先生所蔵の『智恵子抄』特製本に詩「樹下の二人」の一節(画像参照)、同じく詩「晩餐」の一節をそれぞれ書きました。
 
書、さらに書き初めというのも日本の素晴らしい文化、そして風習ですね。当方は悪筆なのですが、いずれは取り組んでみたいと思っています。
 
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光雲の作品も出品され、京都国立近代美術館で開催中の「皇室の名品-近代日本美術の粋」展が、テレビで大きく取り上げられます。

皇室の宝「第1夜 日本の危機を救った男たち」「第2夜 世界が認めたジャパン・パワー」

NHKBSプレミアム 2014年1月1日(水)  19時00分~20時00分
NHKBSプレミアム  2014年1月2日(木)  19時00分~20時00分
 
豪華けんらん、唯一無二。皇室が収集してきた究極の宝が京都に集結。美術品に課せられた使命とは?かつて日本を救った職人たちの物語に女優の栗山千明が迫る。
 
宝石のように輝く七宝、再現不可能とされる謎の金属置物。明治以降、皇室が収集してきた究極のコレクションが京都に集結している。そんな名品ぞろいの展覧会を取材することになったのは新人ディレクターの宮崎京子(栗山千明)。静まり返った会場で不思議な光景を目にする。なんと作品たちが動き出したのだ!美術品に託された国家の命運、かつて日本の危機を救った職人たち。作品たちが物語る秘話に次第にのめり込んでゆく。
 
出演 栗山千明 井上順 山崎樹範 飯尾和樹 語り 國村隼
 
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NHKさんサイトから
 
現代技術では再現不可能と言われる色を放つ「七宝」、世界に衝撃を与えた超細密「金属工芸」、世界初の技術を駆使して織り上げた豪華絢爛「西陣織」など、明治から昭和にかけて皇室が集めた秘蔵コレクション。
 
これらの美術品が生まれたのは開国間もない明治時代。諸外国の干渉を退け、急速に近代化を推し進めるには、日本は工業も未成熟で、まだ体力が足りなかった。
 
そこで美術品を輸出し、大量に外貨を獲得しようという国家プロジェクトがあった。いわば国策によって生まれた究極の美術品たち。
 
しかしその後日本が成長し、西洋文化が入り込むにつれ、美術品とそれを作り上げた匠たちの技や思いは薄れていった。
 
番組は、ドラマ仕立ての中で、実際に取材したVTRを紹介する形で進行。主人公は、栗山千明さん扮する「宮崎京子(みやざききょうこ)」。京都にある架空の番組制作会社「京都町家(きょうとまちや)テレビ」に勤務するアシスタントディレクター。
 
その京子が、「京都町家テレビ」の社長兼プロデューサー・藤田(井上順)の命令で、先輩ディレクター・池田浩一(山崎樹範)と共に、京都国立近代美術館で開かれる「皇室の名品」展の取材にいく所から番組は始まる。
 
美術館の広報担当・林(飯尾和樹)の案内をうけ取材を進めていくと、突然、美術品たちが動き、京子にしゃべり出す。そこで語られるのは、美術品に駆使された高度な職人技や、生み出した職人達の埋もれた秘話。2夜連続でお伝えする。
 
番組サイトでは、二代 川島甚兵衞の綴錦「百花百鳥之図壁掛」、川之邊一朝、海野勝珉、六角紫水ほかによる「菊蒔絵螺鈿棚」、海野勝珉「蘭陵王置物」、並河靖之「七宝四季花鳥図花瓶」などの画像が使われています。
 
番組では光雲作品も取り上げていただけると有り難いのですが……。ちなみに光雲がらみの出品物は以下の通りです。
 
「矮鶏置物」(明治22年=1889)、「鶴亀置物」(明治40年=1907、竹内久一と合作)、「萬歳楽置物」(大正5年=1916、山崎朝雲と合作)、「猿置物」(大正12年=1923)、「松樹鷹置物」(大正13年=1924)。
 
新春を彩る絢爛たる世界。ぜひご覧下さい。
 
「皇室の名品-近代日本美術の粋」展についてはこちら。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月29日

昭和27年(1952)の今日、浅草のストリップ劇場「フランス座」に行きました。
 
数え70歳の光太郎、性的な関心というより、美しいものを観たいという欲求なのでしょう。ある意味、尊敬します。

先日、代官山のクラブヒルサイドサロンで行われた、編集者・絵本作家で、光太郎と交流のあった彫刻家・故舟越保武氏のお嬢さんでいらっしゃる末盛千枝子さんによる「読書会「少女は本を読んで大人になる」第6回高村光太郎『智恵子抄』」の模様が、主催のクラブヒルサイドさんのサイトにアップされましたので、ご紹介します。当方レポートと併せてご覧下さい。

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それから、一昨日ご紹介したけせんぬまさいがいエフエムさんの「水上洋甫のポエムディスカバリー」。3回に分けて光太郎を取り上げて下さり、そのうち2回分が動画サイト「youtube」にアップされましたのでご紹介しましたが、残る1回分も投稿されました。

2021/05/09 追記 その後、削除され、現在は見られません。
  
太平洋戦争から終焉までの光太郎生涯の解説と、詩「案内」の朗読で構成されています。
 
こちらもご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月18日

昭和63年(1988)の今日、静岡県立美術館で開催されていた「近代日本彫刻の歩み展 西欧との出会い」が閉幕しました。
 
光太郎彫刻が4点出品されました。

一昨日、今年最後の二本松行きでした。なんだかんだで今年は7回二本松を訪れまして、通算では何回になったかわかりません。非常に愛着のある街です。
 
一昨日は雪雲に覆われていて、安達太良山は見えませんでしたが、よく晴れた日の安達太良山は、それは見事なものです。その上に広がる「ほんとの空」も。
 
さて、本日はその安達太良山関連の情報を。
 
まずはテレビ放映情報です。 

BSジャパン 2013年12月24日(火)  22時54分~23時24分

番組内容
福島県本宮市。古くは奥州街道と会津街道が交わる宿場町として栄えました。本宮市郊外にある「蛇の鼻遊楽園」にある「蛇の鼻御殿」は、明治末期に土地の豪農が8年の歳月をかけて建てた別荘で、その贅を尽くした造りが、当時の農村の繁栄を今に伝えています。そして今でも、駄菓子屋さんに映画館、コッペパンが売り物のパン屋さんなど、どこか懐かしい、昭和の情緒が息づく風景と共に暮らす人々がいます。

◆ナレーション  荻野目洋子
 
本宮市は二本松市の南に隣接しています。東北自動車道では、二本松ICの一つ手前が本宮ICです。当方、今の今まで「本宮町」だと思いこんでいましたが、6年前に「本宮市」になっていました。
 
二本松まで行ってしまうと、かえって近すぎて安達太良山の山容がよく見えなかったりします。その点、山裾にある本宮から見る安達太良山は、非常に美しく見えます。
 
002昭和41年(1966)には、この本宮を舞台にした映画「こころの山脈」が公開されました。右の画像は、当方の持っているポスターです。
 
以下、『福島民友』さんのデータベースから。
 
映画「こころの山脈」(本宮市)
 
 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。
 ここはあなたの生れたふるさと

 阿武隈川にかかる昭代橋(下の橋)で、安達太良山を望みながら産休補充教師の本間秀代が教え子の清に「智恵子抄」(高村光太郎著)の詩の一節を語る。旧本宮町を舞台に教師と児童の心温まる交流を描いた映画「こころの山脈」(1966年)のワンシーンだ。
 作品は、良質な映画を子どもたちに見せようと、旧本宮町の母親たちが中心となりつくった「本宮方式映画製作の会」が、近代映画協会の協力で制作した。脚本は本県出身の千葉茂樹さん。映画監督吉村公三郎さんがメガホンをとり宇野重吉さん、山岡久乃さん、吉行和子さん、殿山泰司さんら一流俳優と本宮小の児童が出演。65(昭和40)年秋、本宮小、昭代橋などで撮影が行われた。
 「心豊かな子どもたちが育つようにと始めた。行動力はすごかった」と同会事務局の本田文子さん(84)は振り返る。撮影で使う着物や米びつなどを持ち寄り、運動会シーンでは町民が重箱を持ち大勢集まるなど町ぐるみで支援。制作費を集めるため全県にチケット購入を呼び掛けたという。本田さんは「この映画は本宮の一つの文化財」と話す。
 昭代橋のシーンでは問題児だった清が「先生、おれこれからうんと勉強する」と誓うと、本間先生が「子どもにはね、無限の可能性がある。清君のこと楽しみにしてるよ」と励ます。本宮の母親たちが映画を通して子どもに託した思いは、今も変わらない。
 
上記「みんなのまち」はその本宮を紹介する番組です。ぜひご覧下さい。
 
もう1件、来年のイベントです。 

日本百名山そしてあの有名な智恵子抄で御馴染みの安達太良山を走り抜けてみませんか?
 
開催日 2014年8月24日 (日) 
開催地 福島県(安達郡大玉村)
エントリー期間  2013年12月18日 0:00~2014年7月20日
主催 緑豊かな福島路を走ろう会
種目・参加資格 25km
男女別18歳以上 制限時間:6時間
参加料 6400円
 
だいぶ先の話なのですが、明日から受け付け開始ということで……。
 
まだまだ復興途上の福島県。もっともっと盛り上げていきたいものです。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月17日

昭和28年(1953)の今日、中野のアトリエに、花巻のリンゴ農家・阿部博からリンゴが届けられました。
 
リンゴの美味しい季節になりました。コタツでミカンもいいものですが、当方、ルーツは信州ですのでリンゴも大好物です。
 
それはさておき、阿部博は花巻農学校の卒業生で、晩年の宮澤賢治とも知遇を得ていた人物。昭和21年(1946)、賢治の命日に宮澤家へリンゴを届けた折に光太郎を紹介され、以後、親しく交わるようになりました。光太郎が花巻を離れてからもリンゴを送り続けたとのこと。
 
昭和24年(1949)頃、光太郎は、「酔中吟」という即興の詩を阿部に贈っています。その自筆揮毫を刻んだ碑が花巻市石上に現在も続く阿部家のリンゴ園に建てられています。
 
 奥州花巻リンゴの名所
 リンゴ数々品ある中に
 阿部のたいしよが手しほにかけた
 国光紅玉デリシヤス

003

宮城県気仙沼市のローカルFMで、「けせんぬまさいがいエフエム」という局があります。
 
そちらで「水上洋甫のポエムディスカバリー」という番組がオンエアされているそうです。
 
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その中で、今年10月に光太郎が扱われました。さすがに当方の住む千葉県では宮城のFMは受信できませんが、動画サイト「youtube」にアップされましたのでご紹介します。全3回のうち、2回分ですね。

2021/05/09 追記 その後、削除され、現在は見られません。

第1回は10/16オンエアで「道程」、第2回は10/30オンエアの「レモン哀歌」。それぞれ詩の朗読だけでなく、その頃の光太郎について解説がなされています。
 
気仙沼といえば、このブログでたびたび紹介している女川や石巻同様、昭和6年(1931)に光太郎が『時事新報』の依頼で紀行文を書くために訪れています。平成5年(1993)には、旧唐桑町に、短歌「黒潮は 親潮をうつ 親潮は さ霧をたてゝ 船にせまれり」を刻んだ歌碑が作られました。当方、10年以上前になりますが、ここを訪れたことがあります。
 
 
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当時はのどかな漁村の風景を楽しんだのですが、やはり東日本大震災による大津波……。
 
その気仙沼で、光太郎を扱ったラジオ番組ということで紹介させていただきました。
 
この碑は健在だそうですので、また折を見て、行ってみようと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月16日

昭和27年(1952)の今日、丸ビル内の中央公論社画廊でこの年11月に開催された「高村光太郎小品展」御礼として一万円を受け取りました。
 
光太郎生前に開かれた唯一の個展です。
 
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 そういえば、「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」。昨日をもって全国3館巡回、全て終了しました。またそちらについては書きますが、ご来場下さった皆様、本当にありがとうございました。

今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」。12月に入007り、いよいよ大詰めとなってきました。おそらくあと2回で最終回だと思います。智恵子と同じく福島出身の女性・新島八重が主人公ということもあり、欠かさず見続けています。
 
二本松を舞台にした回では、八重役の綾瀬はるかさんが「あれが安達太良山」とつぶやくシーンもありました。
 
昨日放映の第48回は、明治22年(1889)から翌23年(1890)が舞台でした。既に光太郎・智恵子は生誕し、光雲が東京美術学校に奉職しはじめた時期です。
 
というわけで、「八重の桜」登場人物の中には、光太郎や光雲と縁の深い人物が何人かいます。
 
まず、吉川晃司さんが演じていた西郷隆盛。直接面識はなかったと思われますが、光雲が制作主任となって、明治東京美術学校総出で上野にその銅像が造られました。竣工は明治31年(1898)です。
 
それから光雲がらみでいうと、伊藤博文。キャストは加藤虎ノ介さん。こちらも光雲と直接面識があったかどうか微妙ですが、昭和7年(1932)に朝鮮の京畿道京城府に伊藤の菩提を弔うべく建立された博文寺の本尊は光雲の作です。
 
 
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左端が光雲、右端に伊藤の遺影が写っています。
 
光雲と直接面識があったのが確かなのが、反町隆史さん演ずる大山巌。西郷像の制作に関わり、会っています。
 
光太郎がらみの人物としては、蘇峰徳富猪一郎(キャスト・中村蒼さん)。光太郎が詩部会長を務めた日本文学報国会(昭和17年=1942結成)の会長を務めていて、『高村光太郎全集』にもその名前が散見されます。
 
それから非常に細かい話ですが、前々回の第47回で、オダギリジョーさん演ずる新島襄が、東京で財界人相手に同志社大学設立のための募金呼びかけを行ったシーン。参加者の名簿の中に大倉喜八郎の名がありました。大倉はホテルニューオークラなどの大倉財閥を築いた人物。昭和2年(1927)に、光雲が大倉の肖像を木彫で作っています。さらに肖像をやや苦手としていた光雲のために、原型はその前年に光太郎が粘土で作成。その時の様子を光太郎は、のちに詩「似顔」(昭和6年=1931)に書いています。曰く、「九十一歳の鯰」(大倉のこと)、「このグロテスクな顔面に刻まれた日本帝国主義発展の全実歴」等々。
 
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左が光雲作の木彫、右はその原型として光太郎が作った塑像をブロンズに鋳造したものです。
 
とりあえず気づいたところではこんなところですが、あと2回のオンエアでさらに関連する人物が出てくるかもしれません。
 
逆に「八重の桜」キャストをみると、以前に光太郎がらみの映像作品等に出演されていた方がたくさんいらっしゃいます。以前に連続テレビ小説「あまちゃん」に関して同じようなことを書き、好評でしたのでまた書いてみます。
 
まず主演の綾瀬はるかさん。平成21年(2009)に映画「おっぱいバレー」でやはり主人公の寺島美香子を演じられました。この映画は光太郎の詩集『道程』が重要なモチーフになっていました。
 
同じ「おっぱいバレー」で、綾瀬さんの少女時代を演じていたのが大後寿々花さん。「八重の桜」では、同志社女学校の生徒・小松リツ 役でしたが、かつて会津戦争で薩摩藩士だった父親を八重に射殺されたという設定でした。
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続いて会津藩家老・西郷頼母役の西田敏行さん。平成0086年(1994)オンエアの連続ドラマ「いつも心に太陽を」で主演。これはやはり光太郎の詩集『智恵子抄』が重要なモチーフになっていました。ちなみに準主役の観月ありささんは「智恵子」という役名でした。
 
会津藩がらみでいくと、藩主・松平容保(綾野剛さん)の姉・照姫(稲森いずみさん)の侍女・滝瀬役の筒井真理子さん。昨年公開の反原発映画で、やはり『智恵子抄』へのオマージュにもなっていた「希望の国」にご出演。故・夏八木勲さん演じる主人公の隣人で、原発から20キロ圏内に自宅があって強制的に待避させられる役でした。
 
同じ「希望の国」では、「八重の桜」で土方歳三役だった村上淳さんが、主人公の息子役で出演されていましたし、避難民役の並樹史朗さんも共に会津藩士役で「八重の桜」に出演なさっていました。 

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さらに会津藩勘定役・中野平内の長女で、娘子隊を率いて薙刀をふるい、壮絶な戦死を遂げた中野竹子役の黒木メイサさん。平成22年(2010)にユニクロのCM「何処もかもだ」篇にご出演。これは光太郎詩「冬の詩」を使っていて、かなりインパクトのあるものだったので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。
 
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ユニクロのCMで黒木さんと共演した松田龍010平さんは「あまちゃん」でミズタクこと能年玲奈さん演じる天野アキのマネージャー・水口琢磨役でしたが、以前にこのブログで「あまちゃん」について書いた時にうっかり失念していました。追記しておきます。
 
やはり会津藩大砲奉行で壮絶な戦死を遂げた林権助役は風間杜夫さん。TBS系の「浅見光彦シリーズ」で沢村一樹さん演じる浅見光彦の兄にして警察庁刑事局長の浅見陽一郎役をなさっていました。このシリーズでは平成21年(2009)に、連ドラ枠として「浅見光彦 最終章」がオンエアされましたが、その最終回が「草津・軽井沢編」。光太郎の彫刻の贋作を巡る事件が扱われました。
 
その際に犯人役を演じたのが清水綋治さん。「八重の桜」では新島襄の父親・新島民治役で重厚な演技を見せて下さいました。
 
浅見陽一郎といえば、フジテレビ版の中村俊介さん演じるシリーズでは榎木孝明さんが演じられています。フジテレビ版でも光太郎の贋作を巡る「「首の女」殺人事件」がオンエアされました(平成18年=2006)。榎木さんは「八重の桜」では井伊直弼役でした。
 
とりあえず思いついたのは以上です。
 
さて、「八重の桜」。本編はあと2回でしょうし、例年通りなら年末に総集編が放映されるはずです。ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月2日

昭和18年(1943)の今日、光太郎が委員として関わり、東京都美術館で開催されていた藤島武二遺作展覧会が閉幕しました。
 
藤島は、黒田清輝などとともに、光太郎が留学直前の明治38年(1905)に再入学した東京美術学校洋画科で教鞭を執っていました。
 
光太郎の同級生には藤田嗣治、岡本一平(岡本太郎の父)などがいました。教師も生徒も錚々たるメンバーですね。

注文していた楽譜が届きました。  

「女声合唱とピアノのための 組曲 智恵子抄」

作詞 高村光太郎  作曲 鈴木輝昭
2013/12/10(奥付記載) 音楽之友社 定価 2,000円+税
 
高村光太郎の詩集『智恵子抄』による女声合唱とピアノのための作品。智恵子の死の瞬間を詠った〈レモン哀歌〉に始まり、智恵子の死後を連綿と綴った〈亡き人に〉〈裸形〉へと続く全3曲から成る組曲。
「音楽は、調的な背景を媒質として成立しているが、その中にあって狂気を含む逸脱した音群、劇性の強い増幅された表現が色濃く投影される。また、冒頭ピアノによって提示される上行音形は、組曲全体の気配を象徴する統一主題として、持続の中で反復、循環して語られる」(作曲者)
福島県立橘高等学校により委嘱、初演された。(指揮=大竹隆/ピアノ=鈴木あずさ)
(同社サイトから)
 
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作品紹介にあるとおり、福島県立橘高等学校合唱団による委嘱作品です。以前にも書きましたが、橘高校さんは、智恵子の母校・福島高等女学校の後身です。
 
これも以前にも書きましたが、同校合唱団は、この組曲全3曲の中から1曲ずつを自由曲とし、平成21年(2009)から3年間、全日本合唱コンクール全国大会に出場し、上位入賞しています。
 
第62回大会 平成21年(2009) 高等学校部門Bグループ 自由曲「レモン哀歌」 金賞
第63回大会 平成22年(2010) 高等学校部門Bグループ 自由曲「裸形」 銀賞
第64回大会 平成23年(2011) 高等学校部門Bグループ 自由曲「亡き人に」 銀賞
 
全国大会に出場するだけでも大変だと思いますが、なおかつ上位入賞を続けているというのはものすごいことだと思います。その後も橘さんは、光太郎がらみの曲ではありませんが、昨年、そして今年も同大会で銀賞に輝いています。
 
それぞれのライブ録音が、ブレーン株式会社発行のCDで発売されています。
 
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また、同じく橘高校さんの演奏で、ライブではないホールでの録音によるテイクを収めたCD「鈴木輝昭 合唱の地平」も、日本アコースティックレコーズさんからリリースされています。
 
で、今回の楽譜出版。あらためて上記CDを、楽譜を見ながら聴いてみました。
 
はっきり言って、非常に難易度の高い組曲です。同社サイトでは「[対象]中学生・高校生・一般合唱団」となっていますが、この曲の演奏、一般のアマチュア合唱団にはまず無理ですね。
 
細かくみていきます。
 
1曲目、「レモン哀歌」。女声四部です。通常、女声合唱はソプラノ、メゾソプラノ、アルトの三部ですが、ソプラノがⅠ、Ⅱに分かれています。さらに歌い出しは5拍子ですが、途中でめまぐるしく拍子が変わり、2拍子から6拍子までが混ざり合っています。
 
2曲目、「亡き人に」。ドッペルコールです。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトでワンセットとして、それが二組、さらにパート内で2部に分かれ、最大7声になっている箇所があります。また、「レモン哀歌」ほどではないものの、やはり変拍子があります。
 
3曲目、「裸形」。これも四部。「♯」「♭」「♮」が雨あられで、一貫した「調」が存在しないという感じです。やはり変拍子も雨あられで、なんと2.5拍子とか3.5拍子、さらには1.5拍子という小節があります。
 
3曲ともソプラノの最高音はb(シの♭)。五線を突き抜けています。ポリフォニー(パート間で異なるリズム)、2度や7度のぶつかる音程はあたりまえに出てきます。逆に平易な当たり前の和音だったり、全くのユニゾン(全てのパートが同じ音程)の箇所もあったりして、そのギャップがまた効果的です。
 
これほどの曲をしっかり歌え、全国上位入賞を果たした橘高校合唱団さん、本当に凄いと思いました。
 
一般のアマチュア合唱団は無理だと思いますが、プロの方々、アマでもコンクール全国大会を目指しているような団体の皆様、レパートリーに加えてみてはいかがでしょうか。
 
 
音楽ネタついでに、テレビ放映情報です。

クラシック倶楽部 第82回 日本音楽コンクール~作曲部門~

NHKBSプレミアム 2013年12月6日(金)  6時00分~6時58分
 
第82回日本音楽コンクール本選会~作曲部門~▽59作品の応募の中から7作品が本選に進出▽2013年10月30日 東京オペラシティコンサートホール

番組内容

第82回日本音楽コンクール本選会~作曲部門~▽佐原洸/引地誠/今野哲也/杉本友樹/中村ありす:RCH(NH2)COOH for Clarinet in B♭ & Piano forte/松波匠太郎:DISSOLUTION for Flute,Clarinet,Horn and Piano/網守将平:Drunky Jet Addiction -for 6 players-

出演者

  • 佐原洸,引地誠,今野哲也,杉本友樹,中村ありす,松波匠太郎,網守将平,ソプラノ…佐竹由美,テノール…布施雅也,指揮…安良岡章夫,小鍛冶邦隆,演奏…アール・レスピラン

過日、このブログでご紹介した「第82回日本音楽コンクール本選会」の録画です。
 
今野哲也氏の「『智恵子抄』への月影─「慈悲深き箴言」を擁する」もエントリーされましたが、残念ながら1~3位には入りませんでした。12/6は抜粋で放送されるようです。
 
【今日は何の日・光太郎】 12月1日

昭和30年(1955)の今日、雑誌『新潮』のために散文「生命の創造」を書きました。

もう1日、十和田ネタで書きます。
 
一昨日、BSジャパンで「空から日本を見てみよう+ 青森県八戸から 紅葉の奥入瀬渓流、十和田湖へ」が放映され、湖畔の裸婦像、通称「乙女の像」が紹介されましたが、来週も十和田湖周辺がテレビ放映で扱われます。 

美しい日本に出会う旅 憧れの紅葉 絶景スペシャル~京都・日光・奥入瀬・北アルプス

BS-TBS 2013年12月4日(水)  19時00分~20時54分
 
美しい日本に出会う旅に出かけましょう!行ってみたい、あこがれの地。この目で見てみたい、あの絶景。味わってみたい絶品料理の数々。日本の美しい魅力を訪ねます。
 
日本全国、紅葉の大絶景を楽しむスペシャルです。北アルプス、立山黒部アルペンルートではロープウェイで紅葉を天空散歩。雄大な立山連峰を彩る錦の紅葉に出会います。青森、十和田湖から奥入瀬渓流へ。清流の流れと紅葉の彩りを堪能します。秘境蔦温泉では絶景の沼めぐり。秋田では角館武家屋敷散策と乳頭温泉を楽しみます。日光、世界遺産輪王寺の庭園「逍遥園」で安らぎの庭園美を感じます。“もみじ”日本一の名所と言われる愛知、香嵐渓。山を彩る4000本のもみじは圧巻の絶景です。紅葉の京都では、和菓子や和紙細工など、職人の手仕事からも季節を感じ、寺社仏閣の彩りを満喫します。
 
旅の案内人 中村勘九郎
 
また裸婦像が紹介されるといいのですが……。
 
ところで、十和田湖奥入瀬観光ボランティアの会さんからいただいたペットボトル入りの「十和田湖美水」、おいしくいただいております。そのまま飲むもよし、珈琲やお茶を淹れるのに使うもよし、で、重宝しております。
 
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ついでにもう1件、テレビ放映情報です。ただ、過去に放送されたものの使い回しかも知れません

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2013年12月2日(月)  8時40分~8時50分 再17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親を対象に制作。番組を通して、日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけてもらうことをねらいとしている。コミュニケーション能力や自己表現する感性を育てる番組。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、野村萬斎/冬至、うた/冬景色、道程
 
出演 小錦八十吉,野村萬斎,おおたか静流
 
【今日は何の日・光太郎】 11月28日007

大正3年(1914)の今日、『時事新報』に彫刻制作のモデル募集広告を出しました。
 
●モデル  体格よき婦人を求む当方彫刻家 午前在宅(本郷区駒込林町二十五 高村光太郎)
 
彫刻制作において、モデルの手配には常に苦労していました。依頼を受けての肖像彫刻であればその本人をモデルにすればよいのですが、そうでなければ友人知己を拝み倒してモデルになってもらったり、智恵子をモデルにしたりしています。
 
008変わったところでは、大正6年(1917)作の「裸婦坐像」。画像は光太郎令甥にして写真家・髙村規氏の撮影になるものです。詳しいいきさつが不明なのですが、駒込林町のアトリエに一時かくまった横浜のチャブ屋(外国人相手の売春宿)で働いていた百合子という女性をモデルにしています。
 
この彫刻のモデルを智恵子だと勘違いしている記述を時折見かけますが、違います。
 
また、ある時雇った男性のモデルが、いわゆる露出狂で、宴会などの席上で得意になって全裸になるなどということがあり、結局は光太郎曰く「日比谷公園の入口に立つて演説をはじめ、火星から地球攻撃の軍隊が来るといつて絶叫し、つひに病院に入れられて、そこで死んださうである。」とのことでした(「モデルいろいろ-アトリエにて6・7-」昭和30年=1955)。
 
同じ文章によれば『時事新報』の広告も、応募者はたくさんあったものの、よい体格の者がおらず、逆に「めいめいに窮迫した身上話などを長々と述べ立てて、是非使つてくれといふやうに要請されるので、これを断るのに骨が折れ、おまけにその日一日分の日当を払はなければ、気の毒でかへせなかつた。」ということでした。

 
湖畔の裸婦像、通称「乙女の像」が約20秒紹介されtました。最近、十和田湖周辺を紹介する番組があっても、この像は紹介されないケースが多かったので、よかったと思います。

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その他にも十和田湖周辺に関する豆知識が満載で、「そうだったのか」という点が多くありました。地元の方にはあたりまえなのかもしれませんが、十和田湖が二重カルデラ湖だとか、紅葉のシーズンには遊覧ヘリコプターが出るとか、当方の知らないことばかりでした。
 
まさに「錦秋」の映像も美しく、この番組のコンセプトである「空撮」がうまく活かされていました。公式サイトはこちら

この番組、好評だった回はDVD化されて販売されています。今回の2週にわたる青森編もそうなることを望みます。
 
ところで、以前にご紹介した「十和田湖畔遊歩道の愛称募集」、結果が出ました。以下、十和田湖国立公園協会さんのページから。 

十和田湖畔遊歩道の愛称決定!

経過概要
十和田湖畔遊歩道の愛称募集は8月から9月末の間で募集して参りましたところ、465件のご応募をいただき、愛称選考委員会による審査の結果、下記のネーミングが最優秀賞に決定いたしました。
たくさんのご応募をいただき、誠にありがとうございました!

最優秀賞
 
乙女の湖道 (おとめのこみち)

応募総数
 全国39都道府県から465件の応募がありました。

決定理由

親しみやすいこと、呼びやすいこと、幅広い年代層に受け入れられること、周辺観光スポット名(十和田神社から乙女の像~御前ヶ浜~開運の小道~桂ヶ浜)と調和すること、オリジナリティであること等を基本として選考いたしました。

 
「乙女の湖道」、いいセンスですね。
 
これを機に錦秋の十和田湖、さらに「空から日本を……」でも少し紹介されましたが、2月には「十和田湖冬物語2014」というイベントも開かれます。ぜひ足をお運び下さい。当方も機会を見て行って参ります。
 
ちなみに下の画像は昔のテレホンカードです。今、こんな感じなのでしょうね。
 
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【今日は何の日・光太郎】 11月27日

大正5年(1916)の今日、光太郎翻訳『ロダンの言葉』が刊行されました。
 
光太郎が敬愛していた彫刻家、オーギュ007スト・ロダンが折に触れて語った言葉を、近しい人々が筆録していたものを集めての翻訳です。したがってロダンの母国・フランスに『ロダンの言葉』という書籍があったわけではありません。
 
版元は北原白秋の弟・鉄雄が経営していた阿蘭陀書房。右がその画像ですが、保存のためのパラフィン紙を函にかけてあるので薄ぼけています。すみません。題字は光太郎の書です。白抜きの文字にする籠書きという手法で、光太郎はこれを得意にしていました。味のある文字ですね。
 
光太郎はさらに大正9年には『続ロダンの言葉』を翻訳刊行、正続併せて後に普及版や文庫版などが出て、美術を専攻する若者に大きな影響を与え続けました。
 
特に舟越保武、佐藤忠良ら、一世代後の彫刻家達は、こぞってこの本に大きく影響を受けたと公言しています。

今週火曜日、BSジャパンにて放送された「空から日本を見てみよう+ 青森県八戸から 紅葉の奥入瀬渓流、十和田湖へ」を拝見しました。
 
八戸からスタートし、十和田市、奥入瀬渓流が詳しく紹介されていました。そしていよいよ十和田湖へ、光太郎作の裸婦像が映るかな、と思ったところで番組終了。なんと青森編は2週連続でした。
 
というわけで、来週火曜日の放送内容をご紹介します。 

空から日本を見てみよう+ 絶景! 紅葉の青森県十和田湖から雄大な秋田県八幡平へ

BSジャパン 2013年11月26日(火)  20時00分~20時55分
 
紅葉の最盛期を迎える青森県十和田湖の絶景を堪能し秋田県へ。鉱山で栄えた小坂町や鹿角市を経て雄大な山並みの広がる八幡平まで、不思議な発見をしながら眺めて行きます。
 
全国屈指の人気紅葉スポット十和田湖からスタート。色づく紅葉と青い湖のコントラストが織りなす絶景を眺めて行きます。湖に突き出る半島の断崖や鱒の養殖場、70年を超える歴史を誇る木造三階建ての十和田ホテルなどを見ながら、山を越えて鉱山で栄えた秋田県小坂町の中心へ。かつての栄華を今に伝える味わい深い娯楽施設などを見て行きます。その後鹿角市では田んぼの中に不思議なストーンサークルを発見。十和田南駅からJR花輪線に沿って飛んで行きます。きりたんぽ鍋を味わいさらに進むと、巨大な煙突が建つ一角が。ここも鉱山の跡地。日本で最も多い採掘量を誇った時期もある尾去沢鉱山は鉱脈に沿って掘り進んだ地下トンネルが実に総延長700kmにも及ぶ、想像を絶する規模です。紅葉の美しい湯瀬渓谷沿いの温泉を経て、雄大でなだらかな山並みの八幡平へ。山頂からの絶景を堪能します。

出演者

伊武雅刀(くもじい) 柳原可奈子(くもみ)
 
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ついでにもう一つ、テレビ放映情報です。  

もっと温泉に行こう! #49「福島県 岳温泉・土湯温泉編」

フジテレビNEXT 2013年11月28日(木)  23時00分~24時00分
 
今回訪れるのは、福島県二本松市にある岳温泉と福島県福島市にある土湯温泉。 岳温泉の泉質は無味澄透で無臭、天然湧泉の中でも珍しい酸性泉で、他の温泉では体験することのできない湯上り後の爽快感を、心ゆくまで感じてほしい温泉である。 土湯温泉は、古より湯治場として利用されており、自然環境にも恵まれ、豊富な泉質・湯量が特徴の温泉地である。
 
#38の「花巻編」を以前にこのブログでご紹介しました。番組紹介では「かの文豪、宮沢賢治や高村光太郎も愛した温泉地として知られる。」と紹介され、花巻の風景として、光太郎が碑文を揮毫した宮澤賢治の「雨ニモマケズ」詩碑が映ります。こちらは不定期に再放送され続けています。
 
で、今回の#49「福島県 岳温泉・土湯温泉編」は最新作で、初公開になります。岳温泉は智恵子の愛した安達太良山の「ほんとの空」の下にあり、土湯温泉は光太郎智恵子そろって訪れています。
 
以前にも書きましたが、この番組は「※撮影のためバスタオルを着用しています」というテロップが出ません。そのテロップを出す必要がない珍しい番組です。そのためオンエアは深夜限定。ただし、有料のCS放送ですので、契約していないと見られません。007
 
【今日は何の日・光太郎】 11月22日

昭和27年(1952)の今日、中野のアトリエにガスを引きました。
 
炊事、それから暖房にも使用していたようです。
 
花巻郊外太田村山口の山小屋では、右の画像のように囲炉裏で生活していたわけで、それから考えると雲泥の差ですね。

 
いい番組でした。
 
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光太郎・智恵子の話を枕に、澄み切った青い「ほんとの空」と、まさしく「錦秋」の安達太良山山腹の画像。こういう風景を見ると、つくづくこの国に生まれてよかったと思います。
 
そして、安達太良山を訪れたり、そこで働いたりしている人々の横顔。美しいだけでないこの国の現状が凝縮されていました。
 
沢登りが趣味だという男性。毎月、山を歩きながら放射線量を測定、ネットで公開しているそうです。
 
標高1400㍍付近の山小屋・くろがね小屋で働く会津の男性。長引く不況で職を失い、ハローワークを通して山小屋の仕事に就き、単身赴任中だそうです。
 
登山に訪れた初老の夫婦。福島第一原発のある大熊町から避難しているとのこと。
 
最後は、安達太良山で訓練中の地元・安達高校山岳部女子部員。最近の若者は本格的な登山など敬遠するのではないかと思っていましたが、二本松で生まれ育ち、毎日安達太良山を見上げ、6歳で初めて登った安達太良山の「ほんとの空」が心に残ったとのこと。そして、一昨年の震災。自宅も学校も除染対象となり、大変な思いをしたそうですが、「くじけずに、立ち向かう心を持ちたい。」ということで、今年入学した高校で、山岳部を選んだそうです。
 
それぞれの思いを胸に、「ほんとの空」の下に暮らし、そこを訪れる人々がいます。そうした人々に思いをはせて下さい。
 
今回の「小さな旅」、NHK総合、以下の日程で再放送されます。見逃した方、ご覧下さい。
11/23(土) 午前5:15~
 
11/21(木) 午前11:05~にも、一部地域で放映があります。

 
【今日は何の日・光太郎】 11月17日

昭和24年(1949)の今日、盛岡の岩手県立美術工芸学校で講演を行いました。

テレビ放映情報です。

シリーズ山の歌 秋「ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」

NHK総合1 2013/11/17(日)8:00~8:25 
紅葉の福島県・安達太良山。高村光太郎の妻、智恵子は「ほんとの空」があると言った。
山小屋で再起を目指す人、地元高校の女子山岳部員。故郷の空に抱かれた人に出会う。
語り 山田敦子
 
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この番組、かつては「関東甲信越小さな旅」というタイトルでNHK首都圏さんの放送でしたが、現在では一部地域を除き、全国放送になっているようです。ぜひご覧下さい。
 
東北や高山地帯では、紅葉も見頃でしょう。先日、有馬稲子さんと一色采子さんのトークショーで二本松に行きましたが、途中の磐越自動車道・阿武隈高原付近はかなり木々が色づいていました。また、明日から一泊で花巻に行きます。高村山荘周辺もいい感じになっているのでは、と期待しています。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月10日008

昭和10年(1935)の今日、東京美術学校校庭に光太郎作「光雲一周忌記念胸像」が除幕されました。
 
この彫刻は、現在でも東京美術学校の後身・東京芸術大学の中庭で見ることができます。光太郎作の数少ない野外彫刻の一つです。
 
現在、愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館にて開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展でも、同じ型から作ったものが並んでいます。
 
それから同展では、明治45年(1912)に作られた「光雲の首」も展示されています。こちらはおそらく光雲還暦記念に作られたものの試作(還暦記念胸像自体は現存が確認できていません)。
 
約20年を経て、同じモチーフをどう扱い分けているか、ぜひ見比べていただきたいものです。

そろそろ次のネタに行010こうと思っていたのですが、レモン忌ネタがもう一つ入りましたのですみません。
 
調べ物があったので、午前中、隣町・成田の市立図書館に行って参りました。
 
とりあえず調査が終了し、帰りがけ。ふと出入り口のドアを見ると貼り紙が。福島県の避難者支援事業の一環として、福島の地方紙『福島民報』さんと『福島民友』さんのバックナンバーを置き始めたとのこと。 
 
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そこで、10月6日のレモン忌の記事が載っているかと思い、館内に引き返し、ページをめくってみました。
 
すると、7日付の『福島民友』さんの方に右の記事が載っていました。
 
ネット検索では見つからなかったのですが、ちゃんと記事になっていたのですね。ありがたいことです。
 
それにしても、関東の普通の図書館で福島の新聞を置くというアイディアは素晴らしいと思いました。
 
福島からこちらの方に避難している方に向けてという配慮がメインなのでしょうが、被災地の現状をご存じない方に対しての情報発信という意味でも、意義深いことだと思いました。これも立派な復興支援ですね。
 
こうした取り組みが全国でどの程度行われているのか存じませんが、未実施の各自治体の方々、ご一考を。
 
話は変わりますが、昨日、NHK『日曜美術館』担当ディレクター氏から、同じ10月6日オンエア分のDVDが届きました。あたりまえですが、家庭で録画したものより格段に画質が良く、ありがたいかぎりでした。
 
お見逃しの方、13日の夜に再放送があります。ぜひご覧下さい。 

日曜美術館「智恵子に捧げた彫刻~詩人・高村光太郎の実像~」

2013年10月13日(日)  20時00分~20時45分 NHKEテレ

番組内容

『智恵子抄』で知られる高村光太郎。今回は、日本の近代彫刻を切り拓いた偉大な彫刻家としての人生に注目する。傑作誕生の陰には、妻・智恵子との知られざる物語があった。
まっすぐに天をさす人差し指。一瞬の動きを見事に捉えたブロンズ彫刻「手」。日本近代彫刻のれい明期を告げる作品の作者は、「智恵子抄」で知られる高村光太郎だ。明治彫刻界の巨人・高村光雲の長男として生まれ、フランス留学をきっかけに独自の彫刻を模索。そんな光太郎を支えたのが妻・智恵子の存在だった。最晩年の大作など傑作の数々を紹介しながら、生涯を智恵子の面影と共に生きた、彫刻家・高村光太郎の実像に迫る。

出演者

  • 出演 芥川賞作家…平野啓一郎 
  • 司会 井浦新 伊東敏恵
また、担当デレクター氏から、番組に寄せられた感想について教えていただきました。内部情報にあたる部分もあり、詳しくはご紹介できませんが、おおむね好意的なご意見が寄せられていました(少し手厳しいご意見もあったようですが)。ネット上のいろいろな方のブログ等でも同様です。
 
ただ、一般の方々の持つ光太郎のイメージは、やはり「『智恵子抄』の詩人」というのが第一なのだな、と改めて知りました。光太郎自身は「私は何を措いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとひ善くても悪くても、私の宿命的な彫刻家である事には変りがない。」(「自分と詩との関係」昭和十五年)と述べています。もちろん「詩人」としての光太郎も魅力的ですが、もっともっと「彫刻家」としての光太郎にもスポットが当てられるべきだと思います。
 
そういう意味では今回の「日曜美術館」、そして開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」、非常によい企画だと思います。
 
【今日は何の日・光太郎】 10月10日

昭和9年(1934)の今日、光雲が胃癌のため歿しました。享年満82歳でした。
 
智恵子は九十九里で自らも千鳥となっていた時期です。光雲の遺産はその後の智恵子の療養費に充てられました。
 
光太郎が若い頃には留学の費用、画廊・琅玕洞の開店費用、詩集『道程』の出版費用などを全て出してくれた光雲。自らの歿後には、その遺産で智恵子の療養費をまかなってくれました。こうした経済的な部分だけでなく、本当にさまざまな面で光太郎智恵子を支え続けた一生でした。

昨日、渋谷のNHK放送センターに行って参りました。10/6(日)放送の「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像~」のスタジオ収録を観るためです。

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司会は伊東敏恵アナと俳優のARATA改め井浦新たさん、ゲストは美術にも造詣の深い作家の平野啓一郎氏でした。
 
驚いたのは、ほとんどぶっつけ本番だということ。収録本番前に軽くリハーサルもあったのですが、それも「カメラ戻し」―VTRが終わってスタジオの映像に戻ること―のタイミングの確認ぐらいで、実際のトークは撮り直しを一切せず、一発収録でした。
 
お三方とも、光太郎・智恵子についてよくお調べになっていたようで、話ははずみ、結局カメラが回っていたのは1時間近くだったでしょうか。45分の番組中、VTRが約30分、逆算するとスタジオでの部分は約15分ということになります。お三方のお話の部分もこれから編集し、それくらいの時間にまとめるとのこと。つまり放映されるのはスタジオでのお話の約3分の1というわけです。いろいろいいお話だっただけに、残念な気もします。逆に言うと、当方は全部のお話が聴けてラッキーでした。
 
約30分のVTRもよくできていました。8月からの短期間でよくぞこれだけ作ったという感じです。ネタバレになるのであまり細かくご紹介できませんが、千駄木や品川、花巻や十和田など光太郎ゆかりの地の映像、「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」が次に巡回される愛知県碧南市藤井達吉現代美術館木本館長、高村光太郎記念会事務局長北川太一先生の的確な談話、そして花巻時代の光太郎の思い出ということで、花巻高村記念会理事の浅沼隆さんのお話がありました。その他、当時の写真や動画(昭和29年=1954、ブリヂストン美術館作成の美術映画『高村光太郎』から抜粋)、そして井原市立田中美術館で実際にいろいろな角度から撮影された光太郎彫刻の数々……十分ネタバレになっていしまいました、すみません(笑)。
 
伊東敏恵アナのナレーション、バックに流れる音楽も素晴らしく、これぞテレビの持つ威力、という気がしました。Vを観終わる頃にはなぜか涙が出そうになりました。
 
ただ、番組全体の方向性が、どちらかというと彫刻の技法やら美術史上における位置づけといったことよりも、人間・光太郎に突っ込んだ作りになっており、特にサブタイトルにもあるとおり、智恵子との関わりがかなり深く追求されています。その意味では「日曜美術館」といいながら、彫刻や美術史の専門家の方々には不満の残る内容かも知れません。
 
しかし、これは一般向けのテレビ放送であって、学会での研究発表等ではありません。スタジオでのお話も、出演者の方々それぞれの個人としてのご発言ということで、お考え下さい。当方のような立場の人間がああいう発言をすると問題があるかな、という部分もあります。ですが、一般向けに光太郎智恵子の世界を紹介するには、十分すぎる内容だと思います。
 
惜しむらくは45分という時間の枠ですね。また別の機会に「日曜美術館 高村智恵子」または「高村光雲」、さらには他の番組でも取り上げられることを期待します。
 
さて、昨日発売のNHKさんのPR誌『NHKウィークリーステラ』で、今回の放送について1ページ、紹介が載っています。一般書店でも販売されています。前田敦子さんの表紙が目印です。ぜひお買い求め下さい。
 
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【今日は何の日・光太郎】 10月3日

昭和6年(1931)の今日、新聞『時事新報』で、光太郎の紀行文「三陸廻り」の連載がスタートしました。
 
実際に旅したのは8月から9月ですが、その旅の間に留守を預かる智恵子に統合失調症の症状が顕在化したそうです。日本という国時代も泥沼の戦争に向かう時期。光太郎にとって大きな転機の時期の始まりです。

次の日曜日(10/6)、午前9時からNHK Eテレで「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」。が放映されます。 

日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像

NHK Eテレ 2013年10月6日(日)  9時00分~9時45分
       再放送
 10月13日(日) 20時00分~20時45分
 
『智恵子抄』で知られる高村光太郎。今回は、日本の近代彫刻を切り拓いた偉大な彫刻家としての人生に注目する。傑作誕生の陰には、妻・智恵子との知られざる物語があった。

番組内容

まっすぐに天をさす人差し指。一瞬の動きを見事に捉えたブロンズ彫刻「手」。日本近代彫刻のれい明期を告げる作品の作者は、「智恵子抄」で知られる高村光太郎だ。明治彫刻界の巨人・高村光雲の長男として生まれ、フランス留学をきっかけに独自の彫刻を模索。そんな光太郎を支えたのが妻・智恵子の存在だった。最晩年の大作など傑作の数々を紹介しながら、生涯を智恵子の面影と共に生きた、彫刻家・高村光太郎の実像に迫る。

出演者

  • 出演 芥川賞作家…平野啓一郎,
  • 司会 井浦新,伊東敏恵

同番組の公式サイトにも詳細情報がアップされました。

 
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まっすぐに天をさす人差し指、呼応するようにほかの指は内側に力強く折り込まれていく。一瞬の動きを見事に捉えたブロンズ彫刻『手』。日本近代彫刻のれい明期を告げるこの作品、作者は『智恵子抄』の詩で知られる高村光太郎(1883~1956)だ。

明治彫刻界の巨人・高村光雲の長男として生まれた光太郎は、将来を約束された日本彫刻界のプリンスだった。しかし、東京美術学校・彫刻科在学中に近代彫刻の父・オーギュスト・ロダンの存在を知り、日本独自の近代彫刻を創造する決意をする。フランス留学を経て帰国した光太郎は先鋭的な活動をスタート。旧態依然とした日本の美術界を徹底的に批判し、どこまでも理想を求める中で孤独を深めていくようになる。そんな光太郎を絶望の淵から救い出し、一変させたのが妻・智恵子との出会いだった。「智恵子の純愛に接し、退廃生活から救い出された」と語る光太郎は、以後、智恵子ともに手に手を取り合って、彫刻に打ち込み、数々の作品を生み出していく。

しかしその幸せは長くは続かなかった。智恵子の死、戦争、そして戦争賛美の詩人というレッテル・・・。さまざまな紆余曲折の中で、一生を通じて智恵子の面影とともに生きた彫刻家・高村光太郎。その実像に迫っていく。
 
アドバイザーとして番組制作に関わらせていただきましたが、驚きました。何に驚いたかというと、45分の番組を制作するのにここまでこだわるか、という姿勢です。
 
担当ディレクター氏からは3日にあげずメールやら電話やらが入り、質問攻勢でした。たとえば……
 ・ 光太郎が生まれた旧下谷区西町3番地の現在の正確な番地は。
 ・ 光太郎がロダンの存在に衝撃を受けたことを示す文筆作品というと。
 ・ 光太郎が死んだはずの智恵子とビールを飲んだというエピソードがあるようだが、その出典は。
 ・ 光太郎の木彫作品の制作過程にどのような試行錯誤があったのか。
 ・ 木彫作品を入れていた袋や袱紗は智恵子が縫ったという説があるが本当か。
 ・ 智恵子が懐に入れて歩いたという木彫作品は特定できるか。
 ・ 『青鞜』創刊号の智恵子の表紙絵は何を描いたものか。
 ・ 光太郎がパリでロダンの「考える人」を実際に見た事が証明できるか。
 ・ 智恵子が好きだった花は。
などです。
 
担当ディレクター氏曰く「五月雨式」にそれらの質問が矢継ぎ早に来て、その都度分かる範囲のことはお答えしました。「豚もおだてりゃ木に登る」というわけで、「この度の番組制作では、そちらがいてくださるだけで、どれだけ心強いかわかりません。本当にありがとうございます。」という言葉にまんまとのせられてしまいました(笑)
 
それにしても、「事実ではないことは盛り込みたくない」ということで、かなり細かい点まで突っ込まれています。その姿勢には感心しました。昨今、番組制作の在り方についていろいろ批判が起こることがありますが、この番組については素晴らしいと思いました。
 
ぜひご覧下さい!
 
さて、明後日10/2にはスタジオ収録が行われます(放映直前に収録というのには驚きました)。当方、出演はしませんが、撮影に立ち会わせていただけることになりましたので、渋谷のNHKさんに行って参ります。
 
また、同じく10/2発行のNHKさんのPR誌「NHKウィークリーステラ」に今回の放送の紹介が載るそうです。一般書店で販売していますので、ぜひお買い求め下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月30日

1950(昭和25年)の今日、光太郎が部分的に解説を担当した『世界美術全集 第24巻 西洋十九世紀Ⅲ』が平凡社から刊行されました。
 
光太郎が担当したのはロダン作「考える人」「姉と弟」の解説。以後、断続的に昭和28年(19853)まで、『世界美術全集』の解説を手がけています。ロダン以外にはミケランジェロや古代エジプト彫刻、光雲などでした。

昨日、NHKさんの連続テレビ小説「あまちゃん」がとうとう最終回を迎えました。
 
震災の被災地が舞台ということで、当方、被災地の方々といろいろ付き合いがあるため、4月の放映開始から毎日観ていました。
 
三陸といえば光太郎とも縁の深い土地柄です。昭和6年(1931)、『時事新報』の依頼で紀行文を書くため、三陸沿岸に約1ヶ月の旅をしています。ただ、物語の舞台「北三陸市」のモデルとなった久慈市までは足をのばさず、少し南の宮古までだったようですが。ちなみにBGMとして、岩手出身の宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりのうた」が使われてもいました。
 
もう一つ、「あまちゃん」を見始めた理由として、渡辺えりさんが出演されていたこともあります。
 
以前にも書きましたが、渡辺さんは、お父様が光太郎と直接交流があり、その関係でご自身も光太郎を敬愛、光太郎を主人公とした演劇「月にぬれた手」を作られました。
「月にぬれた手」「天使猫」レポート。
 
連翹忌にもご参加いただき、さらに今年は5月15日の花巻光太郎祭、更に翌日には花巻市文化会館で光太郎に関する講演をなさいました。


 
渡辺さん演じる天衣無縫な海女の弥生さん、渡辺さんご自身は「わけの分からないキャラクター」だとおっしゃっていましたが、毎回笑わせて下さいました。
 
ところで、「あまちゃん」のキャストには、他にもかつて光太郎智恵子がらみの演劇、映画、ドラマなどに出演された方がたくさん名を連ねていました。
 
やはり海女の長内かつ枝役の木野花さん。渡辺さんの書かれた「月にぬれた手」に、光太郎の暮らす花巻郊外太田村山口の農婦役でご出演。
 
光太郎に投げつける「戦争中にこいづが書いた詩のせいでよ、その詩ば真に受げて、私の息子二人とも戦死だ。」「おめえがよ、そんなにえらい芸術家の先生なんだらよ。なしてあんだな戦争ば止めながった? なしてあおるだげあおってよ。自分は生ぎでで、私の息子だけ死ねばなんねんだ。」という台詞、重たいものがありました。
 
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画像は「月にぬれた手」のパンフレット。サインは直筆です。
 
木野さんといえば、当方が「月にぬれた手」の公演を観に行った日、舞台がはねた後、高円寺の駅でお見かけしました。女優さんというとタクシーで移動というイメージでしたが、普通に電車に乗って帰られるところでした。かえってそういうところに好感が持てました。
 
同じく海女の熊谷美寿々役・美保純さん。
 
光太郎詩「樹下の二人」の朗読が入っていた映画「春色のスープ」(平成20年=2008)に、盲学校で朗読のボランティアをしている女性の役でご出演。

 
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漁業組合長で木野花さんのご主人・長内六郎役のでんでんさん、商工会長で渡辺えりさんのご主人・今野あつし役の菅原大吉さんは、「智恵子抄」オマージュの要素もあった反原発映画「希望の国」(平成24年=2012)でも共演されていました。
 
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でんでんさんは、故・夏八木勲さん演じる主人公の隣人で、原発事故の直後に半ば強制的に待避させられる役。菅原さんは頑固に自宅にとどまる主人公に待避を勧める役場職員の役でした。
 
ちなみに菅原さんは、平成18年(2006)にオンエアされたフジテレビ金曜プレステージ「浅見光彦シリーズ22首の女殺人事件~福島‐島根、高村光太郎が繋ぐ殺人ルート!智恵子抄に魅せられた男が想いを託した首の女の謎」で、中村俊介さん演じる主人公・浅見光彦とともに事件解決に当たる橋田刑事の役もなさっています。
 
浅見光彦といえば、平成21年(2009)・TBSの沢村一樹さん主演のシリーズ「浅見光彦~最終章~」の「最終話 草津・軽井沢編」(『首の女殺人事件』)で、光彦の幼馴染みという設定の宮田治夫(内田康夫氏の原作とはかなり設定が違います)役を、北三陸市観光協会長役の吹越満さんが演じていました。

 
探せば他にもいらっしゃるかもしれませんんが、思いつくのは以上です。
 
それにしても「あまちゃん」。パ・リーグ楽天同様、東北をだいぶ元気づけてくれたと思います。終盤の震災後の描写は、当方も訪れた石巻や女川などの様子とダブって見えました。肩肘張らず「復興」への歩みを描いた手法には感心しました。
 
ところで、世間では少し前から「あまロス症候群」なる語がささやかれています。「あまちゃん」放映終了後に訪れるであろう虚脱感、ということですね。放映終了前からそうなるのが怖い、という声がネットを賑わせていました。当方もそうなりそうです(笑)
 
スタッフ、キャストの皆さん、お疲れ様でした。そして感動をありがとうございました。
 
12/2追記
同じNHKさんの「八重の桜」について同じようなことを書いていて気づきました。
 
ミズタクこと能年玲奈さん演じる天野アキのマネージャー・水口琢磨役の松田龍平さんが、平成22年(2010)にユニクロのCM「何処もかもだ」篇に、黒木メイサさんとご出演。これは光太郎詩「冬の詩」を使っていて、かなりインパクトのあるものだったので、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。
 
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【今日は何の日・光太郎】 9月29日

明治43年(1910)の今日、神田淡路町に光太郎が開いた日本初といわれる画廊・琅玕洞で開催されていた洋画家・斎藤与里の個展が閉幕しました。

昭和51年(1976)に放映が始まったNHK Eテレ(旧教育テレビ)さんの「日曜美術館」。美術番組の嚆矢ですね。
 
これまでの放送で光太郎がメインで取り上げられたことはなかったそうですが、10月6日のオンエアでついにそれが実現します。題して「智恵子に捧げた彫刻~詩人・高村光太郎の実像~」。同番組のサイトで予告が出ましたのでお知らせします。
 
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岡山県井原市立田中美術館で現在開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」にからめての内容になります。制作はNHK広島放送局です。
 
先月はじめ、田中美術館の次に巡回される愛知県碧南市藤井達吉現代美術館を通し、協力要請がありました。そして広島放送局の担当ディレクター氏に当方事務所兼自宅までお越しいただき、いろいろと打ち合わせを致しました。その後、メール等でやりとりしながらあちらのご質問に答えたり、種々の情報をご提供したりで、現在番組制作中です。田中美術館や東北各地でのロケはもう行われ、北川太一先生の談話も撮られたそうです。
 
光太郎の彫刻家としての歩みに智恵子との関わりをからめ、その歩みの集大成として十和田湖畔の裸婦像にたどり着くという流れでの45分間だそうです。
 
本放送は10月6日(日)9:00~、NHK Eテレにて。再放送は特に何もなければ同じくNHK Eテレにて、1週間後の10月13日(日)20:00~になるはずです。ぜひご覧下さい!
 
【今日は何の日・光太郎】 9月16日011

昭和48年(1973)の今日、兵庫県神戸市の神戸文化ホールが開館しました。外壁に智恵子の紙絵「紫陽花」をあしらった田中岑氏による巨大モザイクが作られました。
 
同時に壁画の下には草野心平筆による光太郎詩「晩餐」の一節、「われらのすべてに溢れこぼるるものあれ
われらつねにみちよ」を刻んだ碑も設置されました。
 
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 この碑の元になった心平の揮毫は、心平を偲ぶ集い「かえる忌」の会場となっている福島県川内村の小松屋旅館さんに現存します。

追記:どうも工芸による複製のようです。
 

昨日のブログで十和田市の「ろまんヒストリー講座」をご紹介しましたが、来週のテレビ放映で十和田湖が取り上げられます。 

にっぽん原風景紀行 青森県 稲生川に息づく開拓の歴史~青森県・十和田市

BSジャパン 2013年9月9日(月)  21時00分~22時00分  

番組内容
郷愁を誘う原風景…。今回は青森県・十和田市を訪ねる。旅人は、女優・西原亜希。名勝として知られるカルデラ湖“十和田湖"。古くから続くヒメマス漁。十和田湖を水源とし太平洋に注ぐ奥入瀬川…その上流にある名勝“奥入瀬渓流"。新渡戸稲造の祖父による開拓の歴史…江戸時代に作られた奥入瀬川から分かれる人工の川“稲生川"は十和田の農業の生命線。いまも残る稲生川の水が荒れ地にもたらした初田の水田。

出演者 西原亜希  ナレーター 平田満
 
ついでといっては何ですが、明日は宮城女川も扱われます。 

きらり!えん旅~八神純子 宮城・女川町へ~

NHKBSプレミアム 2013年9月5日(木)  19時30分~20時00分
再放送 2013年9月11日(水)  11時00分~11時30分

番組内容
歌手の八神純子さんが宮城県女川町を訪れた。八神さんは米国在住だが震災後たびたび被災地を訪れ支援活動を行ってきた。今回、仮設住宅などで暮らす女性たちの布草履作りの輪に加わったり、トレーラーハウスのホテルを訪ねた後、独特の製法で作られた名産のぎんざけをごちそうになる。旅の終わりに八神さんは「みずいろの雨」などを熱唱した。八神さんは女川のリーダーたちの「最初の勇気ある一歩」に感銘を受けたという。

出演者 八神純子  語り 冨永みーな
 
どちらも光太郎に関わる部分があるかどうか微妙ですが、とりあえず。
 
【今日は何の日・光太郎】 9月4日

大正元年(1912)の今日、智恵子と過ごした千葉・犬吠埼の旅から帰りました。
 
「智恵子抄」が映画やドラマ、小説、漫画などになった際、一つの山場となる銚子・犬吠埼への旅。お互いに惹かれ合いながらも、光太郎は自分の生活力のなさなどが原因でふんぎりがつきません。智恵子は智恵子で郷里に縁談が持ち上がっていました。
 
光太郎は8月に犬吠埼に写生旅行に出かけ、暁鶏館(ぎょうけいかん)という宿に滞在します。智恵子は遅れて妹・セキ、それから日本女子大学校英文科に学んだ友人・藤井勇(ゆう)を伴って犬吠を訪れ、御風館(ごふうかん)という別の旅館に宿をとります。これを偶然とする説もありますが、智恵子が光太郎を追っていったというのが真相でしょう。
 
その後、セキと藤井は先に帰京、智恵子は光太郎と同じ暁鶏館に移ります。なかなか大胆です。
 
そして光太郎が帰京したのが9月4日。従来、この旅の細かな日程がわかっていませんが、数年前に見つけた編集者の前田晁に送った5日付の絵葉書に「昨夕帰つて来ましたら東京の静かなのに驚きました」とあることから帰京の日は判明しました。
 
それ以外に光太郎がいつから犬吠に滞在していたのか(同じ前田宛の別の絵葉書では8月31日付で「ふいと出てきたので又出直さうとおもつてます」とあり、8月も下旬だったとだけは言えそうです)、智恵子が追いかけていった日はいつなのか、セキと藤井が先に帰ったのはいつか、智恵子は光太郎と一緒に帰京したのか、などなど、わからないことだらけです。
 
いずれまたこの件に関しては詳しく書くつもりです。

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暁鶏館

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暁鶏館から見た犬吠埼灯台

9/1追記 不動湯温泉全焼のため、当該番組は内容差し替えとなりました。
 
つい先日、昭和8年(1933)に光太郎・智恵子が立ち寄った福島の不動湯温泉をこのブログで紹介しましたが、タイムリーなことにテレビで放映されます  

湯のまち放浪記「福島県~天空の秘湯をめぐる 土湯温泉、ぬる湯温泉、高湯温泉」

BS-TBS 2013年9月3日(火)  22時00分~22時54分
 
番組内容
今宵の放浪は、福島県土湯温泉、ぬる湯温泉、高湯温泉。高村光太郎と智恵子が立ち寄ったという秘湯や、ビックリするくらいぬるい「ぬる湯温泉」に宿泊したりと、智恵子の云う「ほんとうの空」のもと、ゆったりと温泉を楽しみます。

出演者 温泉バガボンド 清水国明 湯のまちパートナー 矢野直美

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今も残る光太郎智恵子の泊まった部屋、光太郎直筆の宿帳などが映るといいのですが……。ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎】 8月28日

大正4年(1915)の今日、光雲が農商務省より第三回図案及応用作品展覧会審査委員を嘱託されました。

テレビ放映情報です。 

きらり!えん旅~日野美歌 福島・二本松市

NHKBSプレミアム 2013年8月22日(木)  19時30分~20時00分

歌手・日野美歌さんが福島県二本松市を訪れ、リンゴ農家が震災後初めて取り組んだリンゴ酒、44回目のロードレース大会、仮設工房で復活した隣町浪江町の焼物を楽しんだ。

番組内容
歌手・日野美歌さんが福島県二本松市を訪れた。震災後ほとんど売れずに廃棄していたリンゴを生かせないかと農家が挑戦した発泡リンゴ酒を味わう。7月7日、44回目のロードレース大会が開かれた。地元の果物などが並ぶ給水所が参加者に人気。隣町浪江町からの避難者たちが仮設の工房で復活させた大堀相馬焼を楽しむ。旅の最後に日野美歌さんはコンサートを開き、被災者を思い自ら作詞した「桜空」などを心を込めて熱唱した。

出演 日野美歌
語り 冨永みーな


この番組は震災の復興支援のため、東北を中心に被災地からいろいろと情報が発信されています。昨年は同じ二本松を由紀さおりさんが訪れ、智恵子生家の裏山にある光太郎詩碑の丘でロケが行われ、地元の「智恵子のまち夢くらぶ」の熊谷氏がご出演されました。
 
今回は智恵子がらみのネタがあるかどうかわかりませんが、番組の最後で流れる日野さんのコンサートで流れる「桜空」。「歌凛」のペンネームで日野さん自身が作詞された曲です。動画サイトで聴いてみましたが、「さよなら告げず 空の彼方あなたは帰らない」など、ぐっとくる歌詞のてんこ盛りです。福島で「空」といえば智恵子の愛した「ほんとの空」。そのあたりで智恵子がらみの話になることを期待します。
 
ちなみに「きらりえん旅!」、9月5日のオンエアは、八神純子さんで女川です。
 
もう一点、今日8月20日オンエアのテレビ東京系、「開運!なんでも鑑定団」。新聞の番組欄はこうなっていました。
 
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同番組の公式サイトで予告動画を見ると、詳しくは出ませんでしたが、どうやら光雲、またはの弟子の誰かの作品が出るようです。
 
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【今日は何の日・光太郎】 8月20日

昭和16年(1941)の今日、龍星閣から詩集『智恵子抄』が刊行されました。
 
その後、現代までに様々な版が出版されましたが、オリジナルの『智恵子抄』が出たのが72年前の今日です。 
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今週、テレビ放映で十和田湖が相次いで紹介されます。 

発見!体感!緑輝く渓流 奥入瀬川紀行

2013年7月31日(水)  22時00分~23時00分 NHKBSプレミアム
 
美しい渓流で知られる青森県の奥入瀬川。河口から源流までを俳優の藤本隆宏さんが旅する。絶品のカニに舌鼓。山の秘湯を体感。緑輝く奥入瀬渓流の絶景を心ゆくまで堪能する


番組内容
青森県を流れる奥入瀬川。森の中を縫うように続く渓流の美しさで全国に知られる。俳優の藤本隆宏さんが、河口から十和田湖までを旅する。まずは漁師さん絶賛のカニ料理に舌鼓。野鳥の楽園では珍しい鳥を発見。開拓にかけた人々の知られざる歴史にも触れる。さらに、本州一の透明度を誇る赤沼の自然を体感。山の秘湯で疲れを癒やし、最後は、達人の案内で、緑に輝く奥入瀬渓流の絶景を心ゆくまで堪能する。奥入瀬の夏の魅力が満載。

出演者 藤本隆宏

 


 

土曜スペシャル「涼しい湖畔を探索!湖ぐるり一周!ふれあい旅2」

2013年8月3日(土)  18時30分~20時54分 テレビ東京1
 
山梨・山中湖を一周!!世界文化遺産・富士山を一望できる露天風呂やスケルトンカヌー、グルメを堪能▽北海道・洞爺湖湖畔の牧場で酪農体験&希少動物観察!!▽秋田・十和田湖

番組内容
暑さが厳しいこの時期、心地よい湖の風を感じながら湖畔をぐるりと歩けば涼しさ満点!絶景はもちろんのこと、その土地ならでは名所や名湯、旬の味覚もご紹介します。 巡るのは、山中湖、十和田湖、洞爺湖の3つ。スピード満点のボートツアーを体験したり、展望台から湖を一望できる絶景を堪能したり、湖畔の丘上にある牧場で酪農体験をしたり、貴重な動物を観察したり…。豊かな自然を存分に楽しみます! また、湖畔には立ち寄り湯のある施設も複数存在。温泉で休息をはさみながら進んでいくため、ゆったりと旅を楽しむことができます。 湖畔を一周したからこそ味わえる、スケール感満点で最高のひととき。ぜひ、夏の旅のご参考にいかがですか?
 
出演者  山中湖 野村真美&藤田朋子  十和田湖 TIM&田代さやか
  洞爺湖 アンガールズ
 
どちらの放映でも、十和田湖畔の裸婦像(乙女の像)、取り上げられるといいのですが……。
 

【今日は何の日・光太郎】 7月28日000

昭和21年(1946)の今日、花巻郊外太田村山口の山小屋で、ネズミに布団をかじられました。
 
山小屋生活に入って初めての夏。いろいろ苦労も多かったようです。この次の年の冬には、こんな短歌も作っています。
 
わが前にとんぼがへりをして遊ぶ鼠の来ずて夜を吹雪くなり
 
毒物を置きて鼠にあたへむとしつつ厳しき寒夜を感ず
 
画像は明治29年(1896)、数え13歳の時の光太郎作木彫手板です。

季節外れのタイトルで申し訳ありません(笑)。
 
一昨日、福島市公会堂で開催された宇宙飛行士・山崎直子さんの講演会につき、オープニングに出演したシャンソン歌手モンデンモモさんがブログに書かれています。
 
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画像は「道程」を歌うモモさん。当方がモモさんのiPadで撮影しました。
 
ところで曲のタイトルを「道程」としましたが、正確には「道程~冬が来た」です。一種のメドレーで、最初にヘ長調(F)・♩=75・グランディオーソで「道程」。中間部でヘ短調(Fマイナー)に転調、♩=135と倍速に近いアップテンポで「冬が来た」が挿入され、ダルセーニョ。また「道程」に戻り、途中からCodaに入って終わり、という構成です。
 
要するに「道程」の途中に曲調を変えて「冬が来た」が挿入されているということです。
 
  冬が来た
 
きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹(いてふ)の木も箒になつた
 
きりきりともみ込むやうな冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背(そむ)かれ、虫類に逃げられる冬が来た
 
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
 
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た
 
この「冬が来た」。「道程」とほぼ同じ時期の作品(「道程」(雑誌発表形)は大正3年=1914の2月、「冬が来た」は前年12月)です。
 
「道程」ほどではありませんが、光太郎作品の中では有名なものの一つですね。教科書等にも採用されていると思います。
 
そこで、NHKラジオ第2放送でオンエアされている「NHK高校講座 国語総合」で、この「冬が来た」が扱われます。講師は都立国分寺高等学校教諭・渡部真一氏、今週土曜日(7/27)午後8:10~8:30です。
 
ちなみに「理解度チェック」というページも発見しました。
 
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設問3つに回答し、「決定」を押すと正解と解説、正解者の割合などが表示されます。ぜひ挑戦してみて下さい。
 
しかし、自作の詩がこういう使われ方をしていると知ったら、空の上の光太郎は苦笑しそうな気がします(笑)。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月24日

昭和30年(1955)の今日、中野のアトリエに神田淡路町の中華料理店「好々(ハオハオ)」の料理人に来てもらい、出張料理を堪能しました。
 
ちなみにこの店は現存します。

注文していたCDが届きました。  
2013.06.26 発売¥2,286+税/WPCL-11429001

1. ええじゃないか日本 
2. 山のあなた 
3. すずめのこ 
4. やせがえる 
5. 夏は来ぬ 
6. ことわざしりとり 
7. なせばなる 
8. 雲 
9. 浜辺の歌  
10. きりぎりすの山登り 
11. 道程 (高村光太郎「道程」より) 
12. 故郷  000
13. 竹 
14. キックキックトントン (宮沢賢治「雪渡り」より) 
15. 冬景色 (文部省唱歌) 
ボーナストラック  「元気コンサート in 福島」より
16. さよなら
17. 元気でいこう!ごもじもじ 
18. もちづくし (侭田亀治郎「糯尽」 狂言「業平餅」 井上ひさし「薮原検校」より)
 
NHKEテレ(旧NHK教育テレビ)で放映中の子供向け番組「にほんごであそぼ」の最新CDです。

子供向けCDと侮るなかれ。「道程」は坂本龍一さんの作曲です(他に「すずめのこ」「やせがえる」「なせばなる」「もちづくし」も)。さらにそれぞれの曲のピアノ伴奏も坂本さん自身が務めています。
 
「坂本龍一」というネームバリューでありがたがるわけではありませんが、やはりひと味違いますね。例えば「道程」。歌詞として使っているのは有名な冒頭の二行「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」だけ。それを不思議なメロディーに乗せて、2回リフレインしています(歌っているのは同番組に出演している子役)。したがって1分30秒の短い曲です。くどくど作らずサビの部分だけ、という感じですが、一度聴いたら忘れられないきれいな、しかし不思議なメロディーです。
 
ボーナストラック3曲は、昨年12月28日、福島県文化センターで開催された「にほんごであそぼ 元気コンサート in 福島」のライヴ録音です。この時は、坂本さんや尺八奏者の藤原道山さんなどがゲスト出演、「道程」も演奏されたそうです。その模様は今年1月6日にテレビ放映されたのですが、見逃しました。
 
その「にほんごであそぼ 元気コンサート in 福島」もDVDとして発売されましたので、早速注文しました。届いたらまたレポートします(ネタは小出しにするのがブログを長く続ける秘訣です)。
 
さて、奇しくも「道程」「福島」というキーワードで、来週月曜日、7月22日午後1時半からイベントがあります。宇宙飛行士の山崎直子さんの講演会です。会場は福島市公会堂。明日はそちらをご紹介します(ネタは小出しにすべし。くどいようですが)。
 
【今日は何の日・光太郎】 7月20日

昭和48年(1973)の今日、NHK総合テレビで放映の光太郎智恵子を描いた「銀河テレビ小説 生きて愛して」が、最終回を迎えました。
 
「銀河テレビ小説」は昭和40年代から平成のはじめまで、NHK総合テレビで放映されていた夜の帯ドラマです。一定以上の年代の方には懐かしいでしょう。「生きて愛して」は昭和48年(1973)6月1日から7月20日までのオンエア。智恵子役が大空真弓さん、光太郎役が片岡孝夫(現・片岡仁左衛門)さんでした。他に渡辺美佐子さん、水沢アキさんなどが出演されていました。

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ちなみに仁左衛門さんの次女・片岡京子さんは、平成12年(2000)に津村節子さん原作の「智恵子飛ぶ」が新橋演舞場で舞台化された際、智恵子役を演じました。ただし、元々智恵子役をやる予定だった女優さんが身内の不祥事で急遽降板してしまったための代役でした。光太郎役は平幹次郎さん、のち近藤正臣さん(京都公演)でした。
 
時を隔てて親子で光太郎・智恵子を演じるというのも不思議な縁ですね。

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