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テレビ放映情報です。  

<BSフジサスペンス劇場>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ・181 2015年5月5日(火)  12時00分~13時55分
 
福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる !!
 
出演 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか
 
もともとは平成18年(2006)2月24日に、地上波フジテレビさんが放映した2時間ドラマです。地上波フジテレビさん、BSフジさんで、年に1~2回は再放送されています。

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岩手花巻の、現在は使用されていない、元の高村記念館(ただしドラマでは花巻という設定ではありませんが)、福島二本松の智恵子の生家・智恵子記念館などでロケが行われました。

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ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。


もう1件。 

歴史秘話ヒストリア 「高野山1200年へのいざない~平安のスーパースター空海の物語」

NHK総合 2015年5月13日(水) 22時~22時43分

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開創1200年を迎え、秘仏である金堂(総本堂)の本尊薬師如来(高村光雲作)が初めて開帳されています。それに触れられるかどうか不明ですが、とりあえずご紹介しておきます。

ただ、ネット上には、同番組で一昨年2月に放映された「空海からの贈りもの ~天空の聖地・高野山~」の回と同一の内容である旨の記述もあり、そうであれば、新たに撮っていないことになり、光雲作の薬師如来像には触れないような気がします。

詳細がわかりましたらまたご紹介します。



それから、同じく詳細はまだ発表されていませんが、今月末には光雲がメインの番組があります。

日曜美術館 一刀に命を込める 高村光雲が生きた道

NHK Eテレ 2015年5月31日(日) 9:00~10:00

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こちらは完全に新たな制作です。高村家には先週、そのための取材が入ったそうです。

これも詳細がわかりましたらまたご紹介します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 5月4日

昭和29年(1954)の今日、中野のアトリエに、ラジオパーソナリティ・秋山ちえ子さんが訪問。ラジオ番組の録音を行いました。

当日の日記です。

晴、涼、 (略) NHK録音班3人と秋山ちゑ子さんくる、録音、

秋山ちえ子さんといえば、TBSラジオで放送されていた「秋山ちえ子の談話室」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。こちらは平日の朝、昭和32年(1957)から平成14年(2002)まで45年間もの長きにわたって放送されていました。

光太郎の談話が録音された昭和29年(1954)当時、秋山さんが担当していたのは、NHKさんの「私の見たこと、聞いたこと」という番組です。この時期の光太郎日記は記述が簡潔で、オンエアを聴いたという記述は見あたりません。当時のテープなどが残っていればと思うのですが、難しいでしょう。

ちなみに秋山さん、大正6年(1917)のお生まれですが、まだご存命で、朗読などのご活動をなさっています。

2016/04/13追記 秋山さんが亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

テレビ放映情報です。

このブログでたびたびご紹介してきた宮城県女川町の「いのちの石碑」に関するドキュメントです。
 
 
同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。  

テレメンタリー2015「“3.11”を忘れない57 女川いのちを守る会~1000年後へのメッセージ~」

地上波テレビ朝日系 2015年4月20日(月)  26時21分~26時51分 = 4月21日(火)午前2時21分~2時51分

震災から4年。宮城県女川町も復興が進み、震災の影は少しずつ薄れてきました。「震災を記録に残そう」当時中学生だった子どもたちは、津波到達地点より高い場所に石碑を建てることを提案。震災の悲劇を語り継ぐため、そして次の震災への備えとして建設を続けています。今年3月には国際会議で世界に向けて発信することになりました。合言葉は「1000年後の命を守るために」。被災地に生きる子どもたちが1000年先まで語り継ぐ命のストーリー。

ナレーター 朝倉あき
制作  KHB東日本放送

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同番組は、テレビ朝日系列の全国24社が共同制作しているドキュメントで、系列各局での放映日程は以下の通りです。系列各局とも深夜、あるいは早朝のオンエアですので、リアルタイムで視聴するのはつらいという方、ぜひ録画予約をお願いします。

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昨年、仮設の「きぼうのかね商店街」近くに建てられ008た4号碑を実際に見て参りました。全部で21基立てる計画だそうです。

この碑を紹介するのではありませんが、女川からのレポート的ないくつかの番組で、この碑がちらっと映ることがあり、「ああ、あそこにも建ったんだ」などと、その後どうなっているのか、気になっているところでした。

女川といえば、先頃、JR石巻線の女川駅が復活しました。今年も8月9日の女川光太郎祭で講演をしに行きますので、どうなったのか、よく見てきたいと思っています。

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【今日は何の日・光太郎 拾遺】 4月15日

明治19年(1886)の今日、光太郎のすぐ下の弟妹・道利と、しづの双子が誕生しました。

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左から道利、しづ、光雲、光太郎。光雲に抱かれているのは道利・しづのさらに次に生まれた豊周です。明治24年(1891)の撮影です。

一昨日のスポーツ紙『デーリースポーツ』さんに、以下の記事が載りました。

コロムビア・ローズ三代そろい踏み

 日本コロムビアの所属歌手が一堂に会するコンサート「コロムビア大行進2015」が14日、東京・中野サンプラザで開かれ、初代(82)、二代目(70)、三代目(32)とコロムビア・ローズが三代そろい踏みした。3人が同じステージに立つのは12年10月の日本歌手協会主催の「秋の歌謡フェスティバル」以来約2年半ぶり。

 ステージでは、初代が「どうせひろった恋だもの」、二代目が「智恵子抄」とそれぞれの代表曲をソロで歌唱し、その後、三代そろって「東京のバスガール」を歌唱。三代目コロムビア・ローズ野村美奈は「名前を継がせていただいた先輩方とご一緒できて、緊張しながら歌わせていただきました」と振り返っていた。

 この日はコロムビア所属歌手の舟木一夫(70)、都はるみ(67)、八代亜紀(64)、大川栄策(66)、細川たかし(64)ら43組の歌手が出演。それぞれのヒット曲や故・美空ひばりさんら先輩歌手の名曲を歌唱し、最後は出演者全員で、故・島倉千代子さんの「人生いろいろ」を大合唱した。

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二代目コロムビア・ローズさん。記事にもある通り、代表曲が「智恵子抄」です。昭和39年(1964)のヒット曲で、智恵子の故郷・二本松市安達地区では今も子供達にも歌い継がれています。おそらく防災無線の時報でも流れていたと思います。

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「智恵子抄」のヒットで、その後リリースされた「二十四の瞳」のB面には、「智恵子のふるさと」という歌も収められました。観光客誘致に貢献したということで、作詞の丘灯至夫さん(二本松に近い小野町の出身で、同町に記念館があります)、作曲の戸塚三博さんともども、当時の二本松市長から感謝状を受けています。

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現在はアメリカ在住ということで、時折帰国なさってこうしたコンサートやテレビの歌謡番組などにご出演なさっています。下記は平成24年11月にテレビ東京系で放映された「木曜8時のコンサート~名曲!にっぽんの歌」。

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三代目ローズさん も、二代目のヒット曲ということで、この曲をカバー、平成17年(2005)にリリースの「異国の華」のカップリングになっています。

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ときおりコンサート等で歌われているようですが、この手のコンサートでは、事前に曲目が発表されることがまれなので、なかなかご紹介できずにいます。

追記・三代目ローズさんは平成27年(2015)、クラウンに移籍され、野村未奈に改名されたそうです。さらに平成29年(2017)、野村未菜と改名されたとのことです。

「智恵子抄」、これからも歌い継がれていってほしいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 3月16日

平成7年(1995)の今日、芳賀書店から『芸術夢紀行シリーズ① 高村光太郎 智恵子抄アルバム』が刊行されました。

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北川太一先生の的確な解説、カメラマンだった故・高村規氏の美しいイメージ写真、そして資料画像の豊富さでは他の追随を許しません。渡辺えりさん(4月2日、第59回連翹忌にご参加下さるそうです)の玉稿も掲載されています。ビジュアル的に光太郎・智恵子の生涯をたどりたい方にはお薦めです。

最近放映されたテレビ番組で、光太郎智恵子、光雲に関わるものの再放送が何件かあります。

まずは今夜。 
NHK総合 2015年2月17日(火) 24:40~25:25 =18日(水)午前0:40~1時25分

(22:07追記)先程ディレクター氏から連絡がありました。東北地方の地震報道の影響で、10分遅れのスタートだそうです。

彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。

今からおよそ100年前の1914年(大正3年)12月、彫刻家、詩人の高村光太郎と、画家の卵である長沼智恵子が、実験的な同居生活をスタートさせた。婚姻届を出さず、夫婦別姓。家事を分担し、対等な人間同士として、それぞれの創作に打ち込んだ。絶えざる戦争のわずかな合間、自由な文化が花開いた大正という時代を追い風にした「愛の試み」だった。光太郎と智恵子は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた。命を懸けて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは何か。バレンタインデーを前に、詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の物語を紹介する。

出演 前田亜季 鈴木一真
キャスター 渡邊あゆみ

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本放送は先週11日(水)でした。

その後、公式サイトに「バックナンバー」としてロケ地情報などがアップされています。智恵子の生家(二本松市智恵子記念館)、高村山荘(高村光太郎記念館)、十和田湖乙女の像……。


続いて明日。 本放送は地上波テレビ東京系で先月でした。 

美の巨人たち 森田藻己『竹の中の大工』

BSジャパン 2015年2月18日(水)23時00分~23時30分

毎回一つの作品にスポットを当て、そこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日の作品は、超絶技巧の根付、森田藻己(もりた・そうこ)作『竹の中の大工』。今ジャパニーズアートとして人気を博している、ひもの端に付ける留め具・根付。大正・昭和の藻己の活躍によって進化を遂げたといいます。手のひらに収まる大きさのこの根付は竹筒のような細工が施され、中をのぞくと大工さんの姿が…。ひとつの木片から彫り上げられたのですが一体どうやって彫ったのか?そこには伝説の根付師ならではのもくろみが。
 
ナレーター 小林薫
音楽 <オープニング・テーマ曲> 「The Beauty of The Earth」 作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン) 唄:ジョエル・タン  <エンディング・テーマ曲> 「India Goose」 中島みゆき
 
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こちらも公式サイトの「バックナンバー」に内容紹介があります。そちらには書かれていませんが、光雲が森田の根付けを愛用し、絶賛していたエピソードが紹介されました。


さらに明後日。今月初めに放映されたもので、正確に言うと再々放送です。 

にっぽん百名山「安達太良山」

NHKBSプレミアム 2015年2月19日(木) 11 時~11 時30分

番組内容
福島の安達太良山(1700m)、荒々しい火山と、みちのくの穏やかな自然を体感する山旅。登山口の野地温泉からブナなど広葉樹の紅葉に彩られた登山道を抜け、森林限界の低い偽高山帯と呼ばれる見晴らしの良いりょう線へ。最高峰の箕輪山(1728m)を経て、温泉のある山小屋で一泊、翌朝、空に突き出た山頂の姿から乳首山とも呼ばれる安達太良山の山頂をめざす。智恵子抄のエピソードや登山家の田部井淳子氏の誕生秘話も紹介。

出演 林千明
語り 山崎岳彦 吉川未来

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それぞれ見逃した方、または地上波で視聴できなかった地域の方、ぜひご覧下さい。

見逃した、と言えば、昨日、地上波テレビ東京系で放映された「昼めし旅~あなたのご飯見せてください~」という番組で、光太郎がちらっと紹介されたそうですが、当方、見逃しました。朝の段階で新聞のテレビ欄に「草津温泉へ 文豪愛したレトロ旅館」とあり、光太郎は草津を訪れたこともあったので、もしや、と思っていましたが、テレビを付け忘れました。悔しいですね。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月17日004

昭和20年(1945)の今日、日本橋三越で日本文学報国会、美術報国会主催の「愛国百人一首理念昂揚展覧会」が開幕しました。

「愛国百人一首」は、愛国の精神が表現されたとする名歌百首を選んだもの。光太郎が詩部会会長を務めていた日本文学報国会により、昭和17年(1942)に制定されました。古くは万葉時代の柿本人麻呂から、新しくは幕末の橘曙覧の作品が採られています。

選定は佐佐木信綱ら。光太郎は選者に入っていません。

三越での展覧会には、徳川吉宗の次男・田安(徳川)宗武の歌を光太郎が揮毫した書が展示されました。

歌は、

もののふの兜に立つる鍬形のながめ柏は見れどあかずけり

というものです。

十数年前でしたか、おそらくこの時のものと思われる光太郎の揮毫が古書市場に出ました。価格はなんと180万円。半切の大きなものですので、妥当な価格でしょう。

昨夜オンエアされた、NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」を拝見しました。

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当方、制作のお手伝いをさせていただきましたので、御覧になった方々の感想が気になるところです。いかがだったでしょうか。

一昨年放映された、同じNHKさんの「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」の際にもお手伝いをさせていただき、その時は渋谷の放送センターで司会の井浦新さん、伊東敏恵アナ、ゲストの作家・平野啓一郎氏によるスタジオ収録に立ち会い、VTRの部分もその時に拝見しました。

しかし、今回は事前に観ておらず、放映を心待ちにしておりました。実際に観てみて「こういう風に仕上がったのか」と、感慨ひとしおでした。

コンセプトとしては『智恵子抄』」の成立過程から智恵子と光太郎の生き様を探る、といったものでした。ある意味手前味噌になりますが、いい出来だったと思います。45分という短い尺で、光太郎智恵子の生の軌跡をあますところなく伝えるのは物理的に不可能ですが、ダイジェストとしては、あれでほぼ十分と思いました。

「日本人の純愛の代名詞とまで言われる『智恵子抄』」という紹介が為されていましたが、「そりゃ持ち上げすぎだろ」と思いました(笑)。

他にも細かな表現等で、「正確に言うとそうではない」「そう言い切るのは危険」「それは以前の定説」という箇所がありましたが、それはしかたがないでしょう。

「日曜美術館」の時にエゴサーチしてみましたところ、そういうところで揚げ足を取って、鬼の首でも取ったかのようにブログやツイッターの記事を書いている人物がいましたが、心の狭い人だなあと思います。その程度ならともかく、揚げ足を取るのでなく、足すら揚げていないのに「お前、今、足揚げたろ」と突っ込んでくる不届き者もいます。番組の中で一言もそういうことを言っていない、全くそういう内容になっていないことを「こういう内容だった、ひどすぎる」などと勝手に決めつけてブログで全世界に発信しています。その人物、とにかく上から目線で、自分以外の全ての人間はバカだと思っているようです(笑)。それが教育関係者だというのですから呆れます。よっぽど抗議しようかと思いましたが、そういう輩には何を言っても無駄と思うので、放置していますが。

閑話休題。昨夜の「歴史秘話ヒストリア」は、「episode1 智恵子と光太郎 運命の出会い」「episode2 智恵子と光太郎 理想と挫折」「episode3 智恵子と光太郎 愛が生んだ奇跡」そして「智恵子亡きあと 光太郎を支え続けたのは」の4部構成でした。鈴木一真さんと前田亜希さんのお二人による再現ドラマを軸に、要所要所でいろいろな方のコメントや関連画像、動画が入る構成です。

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お二人の演技もなかなかよかったと思います。いつもながらに渡邊あゆみさんの語りも。

過日ご紹介し濵口奈菜さんという方は、二人を取り持った柳八重の役でした。

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小説『智恵子飛ぶ』を書かれた作家の津村節子さん、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生、花巻郊外太田村時代の光太郎を知る高橋愛子さんなどのコメント、いちいちうなずけました。

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最後は花巻、そして十和田湖。

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なかなか感動的でした。

しかし、先程も書きましたが、45分という枠はあっという間ですね。その中で二人の生の試みをダイジェスト的に足早に紹介しなければならない、これは大変なご苦労があったと思われます。

ロケも、昨日の放映になかった場所でもいろいろ行われていますが、割愛せざるを得なかったのでしょう。智恵子が療養していた九十九里浜、京都の国立国会図書館関西館(智恵子が口絵を描いた雑誌『少女世界』)などの部分は使われていませんでした。また、実際にロケは行われませんでしたが、ディレクター氏は宮城女川や福島裏磐梯にもロケハンに行かれたそうです。

そういうご苦労がしのばれるので、何も知らない部外者が勝手に「ひどすぎる」とか書いているのを見ると、本当に腹が立ちます。今回はそういう事がないようにと願っています。

さて、地域によって違うかも知れませんが、再放送がありますので、見逃した方はご覧下さい。

NHK総合 2015年2月17日(火) 24:40~25:25 です。正確に言うと18日(水)未明の午前0:40~ですが、テレビ番組表の表記は翌日未明の分は前日の続きとして表記されます。録画予約等される場合、御注意下さい。

(2/17 22:07追記)先程ディレクター氏から連絡がありました。東北地方の地震報道の影響で、10分遅れのスタートだそうです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月12日

昭和28年(1953)の今日、詩人の宮崎丈二と、新宿中村屋レストランで夕食にカレーを食べました。

中村屋さんは親友だった荻原守衛の関連で、縁の深い場所でした。昨秋、中村屋サロン美術館が開館し、光太郎の油絵「自画像」も展示されています。昨夜の「歴史秘話ヒストリア」でも映りました。

一昨日の夜、NHK BSプレミアムで放映された「にっぽん百名山 安達太良山」を拝見しました。

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基本、登山系の番組ですので、福島県で山岳ガイドを務める林千明さんによる案内で進行。一泊二日の本格的な登山行をたどります。

途中、安達太良山ゆかりの人物ということで、麓の二本松出身の智恵子、そして光太郎が約2分間取り上げられました。

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智恵子生家とその周辺の映像も流れました。

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お約束の「あどけない話」が紹介されて、光太郎智恵子の紹介が終わります。

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撮影時期は秋。紅葉や秋晴れの「ほんとの空」が美しく広がる映像です。

同じNHK BSプレミアムで再放送があります。

2月15日(日)  6時30分~7時/2月19日(木) 11 時~11 時30分

見逃した方、ぜひご覧下さい。

ぜひご覧下さい、といえば、今夜10時からは、NHK総合で、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。

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ぜひぜひ、ご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月11日

大正9年(1920)の今日、有楽座で上演されていた演劇「青い鳥」を観ました。

翌日、親しかった作家の田村松魚(智恵子の親友だった同じく作家の田村俊子の夫)に宛てた葉書から。

昨夜は畑中氏のプロダクションを見に行きました。初日の為め時間が遅れたので中途で帰つて残念でした。畑中氏の苦心がおもひやられました。
チルチルになつた子は大変声の美しい子でした。ちよいと抱いてやりたい気のする子でした。

「畑中氏」は演出家の畑中蓼坡。その妻、静栄は、田村俊子の弟子で、駒込林町の光太郎智恵子アトリエにも出入りし、レモネードを御馳走になったなどの回想を残しています。昭和15年(1940)に刊行した詩集『海に投げた花』の序文は光太郎が執筆しました。

「チルチルになつた子」は、初代水谷八重子。昭和28年(1953)には生前の光太郎と会い、北條秀司作の演劇「智恵子抄」上演の約束を取り付けましたが、実現したのは光太郎没後の昭和31年(1956)でした。

毎週水曜日の夜に、NHK総合で放映されている「歴史秘話ヒストリア」。昨夜の放映終了後、公式サイトが更新され、来週の予定が出ました。以前にも書きましたが、いよいよ光太郎智恵子をメインに取り上げる「ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。 

歴史秘話ヒストリア第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年 2月11日(水)22:00~22:43   再放送 2月18日(水)0:40~1:25

彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。

今からおよそ100年前の1914年(大正3年)12月、彫刻家、詩人の高村光太郎と、画家の卵である長沼智恵子が、実験的な同居生活をスタートさせた。婚姻届を出さず、夫婦別姓。家事を分担し、対等な人間同士として、それぞれの創作に打ち込んだ。絶えざる戦争のわずかな合間、自由な文化が花開いた大正という時代を追い風にした「愛の試み」だった。光太郎と智恵子は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた。命を懸けて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは何か。バレンタインデーを前に、詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の物語を紹介する。

出演 前田亜季 鈴木一真
キャスター 渡邊あゆみ


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昨夜の放送の最後に、次週予告が25秒間放映されました。公式サイトでも視聴可能です。

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それが始まった瞬間、テレビ画面を指さして叫んでしまいました。「俺のじゃん!」と。

何が、と言うと、これがです。

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昨夏、岩手花巻の㈶高村光太郎記念会様を通じ、当方に協力要請があり、ここに写っている『智恵子抄』の初版をお貸ししました。20数年前に神田の田村書店さんで購入したものです。それがいきなり写ったので、驚いた次第です。

ちなみに画面左の方、扉のページが開けてありますが、影になっている左下の部分に、元の所蔵者の方の小さな蔵書印が押してあります。それが何ともうまく隠してあり、妙に感心しました。

ところで、昨日発行のNHKさんの番組ガイド誌『NHKウイークリーステラ』にも、写真入りで紹介が載っています。一般の書店で販売されています。

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再放送が17日(火)となっていますが、正しくは日付が変わって18日(水)になった未明です。テレビ番組の時間設定は、25時とか26時とカウントし、翌日の未明までは前日からのつながりで表記する習慣になっています。

「再現ドラマなどを交え、2人の足跡をたどる。」とありますが、光太郎役は鈴木一真さん、智恵子役は前田亜季さんが演じられます。また、濵口奈菜さんという方も出演されるそうで、彼女のブログにその旨の記述があります。察するに、智恵子の姪で、看護師として智恵子を看取った長沼(のち宮崎)春子あたりの役ではないかと思われます。違ったらすみません。

以前、ディレクター氏から戴いたスケジュール表によれば、九十九里、犬吠埼、東京、二本松、花巻、そして十和田湖と、東日本縦断のロケが敢行されていますし、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生や、小説『智恵子飛ぶ』を書かれた作家の津村節子氏のインタビューも流れるはずです。

ご期待下さい!


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月5日

平成12年(2000)の今日、光村図書から中学校3年生用の国語の教科書『国語3』が発行されました。

平成9年(1997)から使用されていたものの改版で、平成12年度用です。国語学者・宮地裕氏の随筆「言葉はどこからどこへ」が掲載されました。これは、昭和22年(1947)の夏、学生だった宮地氏が、花巻郊外太田村の光太郎の山小屋を訪れた際の思い出を根幹としています。また、グラビアページには、関連してブロンズの「手」の写真も載りました。

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宮地氏の訪問は、「言葉はどこからどこへ」に、日付が明記されていませんが、8月19日でした。当日の光太郎日記は以下の通り。

花巻より青年二人(東京と黒沢尻の人)来る。宮澤清六さんより委托のトマト一個、金瓜一個、胡瓜、せんべい等もらふ。二時過ぎまで談話。辞去。宮澤賢治研究者。

宮地氏の名前は書かれていませんが、昭和22年の夏、さらに光太郎への手みやげ(紹介状代わりに宮澤清六が持たせてくれたそうです)の品目から、この日と断定できました。

「言葉はどこからどこへ」、平成14年(2002)から17年(2005)の教科書では掲載されませんでしたが、18年(2006)度版から「胸の底の人と言葉たち」と解題されて、1年生の教科書に復活し、23年(2011)まで載っていました。

テレビ放映情報です。 

にっぽん百名山「安達太良山」

NHKBSプレミアム 2015年2月9日(月)  19時30分~20時00分 
再放送 2月15日(日)  6時30分~7時/2月19日(木) 11 時~11 時30分

番組内容
福島の安達太良山(1700m)、荒々しい火山と、みちのくの穏やかな自然を体感する山旅。登山口の野地温泉からブナなど広葉樹の紅葉に彩られた登山道を抜け、森林限界の低い偽高山帯と呼ばれる見晴らしの良いりょう線へ。最高峰の箕輪山(1728m)を経て、温泉のある山小屋で一泊、翌朝、空に突き出た山頂の姿から乳首山とも呼ばれる安達太良山の山頂をめざす。智恵子抄のエピソードや登山家の田部井淳子氏の誕生秘話も紹介。

出演 林千明
語り 山崎岳彦 吉川未来

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単に安達太良山の紹介だけでなく、「智恵子抄」がらみの内容になるというのがいいですね。


ちなみに同じ2/9の夕方には、再放送ですが、磐梯山の放映もあります。 

にっぽん百名山「磐梯山」

NHKBSプレミアム 2015年2月9日(月)  16時00分~16時30分

山旅へようこそ! 今回は福島県の磐梯山。ひとつの山で、ふたつの顔を持つ山。南側は、紅葉と溶岩が織り成す穏やかな光景。黒い岩肌を真っ赤な紅葉が彩る姿は、まるで日本庭園のよう。北側は、明治の噴火がもたらした荒々しい姿。切り立つ絶壁。噴火口の淵(ふち)、幅10mほどの山道を歩けば、両脇に山々を望む絶景が続く。磐梯山ならではの、ふたつの顔を存分に楽しむ山旅。

語り 鈴木麻里子

こちらは内容説明で「智恵子抄」の文字がありませんが、磐梯山といえば、昭和8年(1933)、統合失調症の昂進した智恵子を連れた光太郎が敢行した福島栃木などの温泉巡りの中で、その山麓を逍遥しています。


のちに昭和13年(1938)になって、その時の思い出を詩「山麓の二人」に記しました。

     山麓の二人004

二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡いて波うち
芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭する
――わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃(げき)として二人をつつむ此の天地と一つになつた


画像は磐梯山の後で訪れた栃木の塩原でのもの。現在確認されている智恵子最後の写真です。


さて、「にっぽん百名山」。安達太良山と磐梯山、ぜひ併せてご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月3日

昭和20年(1945)の今日、雑誌『美術』に談話筆記「回想録 二」が掲載されました。

前月の同じ『美術』に「一」が載り、二回で完結しています。聞き手は美術評論家の今泉篤男。筑摩書房『高村光太郎全集』の第十巻に掲載されていますが、「一」「二」併せて約50ページにもなる長大な談話筆記です。

主に幼少期から青年期の回想が主ですが、この時期にこれだけ長い回想が語られていることは、非常に興味深く感じます。もしかすると、長期化する太平洋戦争、次第に激しくなる空襲などにより、死の覚悟があったのかも知れません。

まずはテレビ放映情報です。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年1月30日(金)  6時35分~6時45分  再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきまつり、絵あわせかるた/きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、擬音アニメ/ちろんろん(粉雪)、うた/ペチカ、こころよ。
出演者 神田山陽,うなりやベベン,おおたか静流 ほか

1月16日に放映された内容と、全く同一のようです。光太郎の詩「冬が来た」が繰り返し扱われました。

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こういう番組を見て童心に返るのもいいものです。

ところで、ふと気になって、この番組の公式サイトを見てみたところ、新作のDVDが出ていました。光太郎がらみが2種類です。 

にほんごであそぼ ありがとう・童謡

販売価格 3,024円(税込) 004
 
人気幼児番組「にほんごであそぼ」最新の“うたのベスト”人気の番組オリジナル曲を集めた楽曲群と古くから歌い継がれてきた童謡をそれぞれ20曲収録した豪華版!

 【収録内容】
■オリジナル曲
ベベンのありがとう/とんでれみら/すずめのこ/ちゃわんむしのうた/雲/山のあなた/らららのら/ええじゃないか日本/いろは!/竹/ことわざしりとり/やまなし/ふるさとのうた/きりぎりすの山登り/道程/キックキックトントン/でんでらりゅうば/さよなら/小さき者へ/サーカス (全20曲)

■童謡
早春賦/朧月夜/あわて床屋/ずいずいずっころばし/茶摘み/毬と殿さま/マーチング・マーチ/夏は来ぬ/浜辺の歌/夕日/鉄道唱歌/どじょっこふなっこ/村祭/故郷/通りゃんせ/旅愁/冬景色/スキー/ペチカ ほか (全20曲)

【出演】
うなりやベベン、おおたかしずる、小錦八十吉、松元ヒロ、ラッキィ池田、藤原道山、立川志の輔、こどもたち ほか

【特典映像】
「珍・だくだく」(立川志の輔のオリジナル落語)

○2012~2014年 放送 収録時間本編80分+特典10分/16:9LB/ステレオ・ドルビー/カラー

「道程」は坂本龍一さんの作曲です。以前にご紹介した「にほんごであそぼ~元気コンサート in福島」というDVDにも収録されています。哀愁を帯びたジャジーなメロディーで、子供向けだからといっての妥協がありません。
販売価格 3,024円(税込) 

小錦八十吉、野村萬斎、おおたかしずる、うなりやベベンに加え、古典芸能の重鎮たちが勢ぞろい。豪華キャストでお届けします!好評の童謡や文楽もDVD初登場!

【収録曲】005
・なぞなぞなーに ~見えぬけれどもあるんだよ~
・うれしやかぶき ~知らざぁ言って・石川五右衛門~
・朧月夜
・おくのほそ道 ~春~
・うなりやベベンの平家物語
・茶摘み
・そうとうほんきの助数詞マンボ
・はやくち音頭
・まんじゅうこわい ~落語より~
・なぞなぞなーに ~牛が鳴きながら~
・ポッシャリ、ポッシャリ ~「十力の金剛石」~
・吾れ十有五にして…
・なぞなぞなーに ~うつくしや~
・じゅげむじゅげむ(アニメバージョン)
・おくのほそ道 ~夏~
・鉄道唱歌
・草にすわる
・蟻とイナゴの事
・なぞなぞなーに ~ひとつの愛~
・たのしやかぶき ~切られ与三・武蔵坊弁慶~
・ベベンの冬が来た
・夕日
・星めぐりの歌(コニちゃんバージョン)
・ベベンの草枕 

【出演】
小錦八十吉/神田山陽/市川亀治郎/豊竹咲甫大夫/鶴澤清介/桐竹勘十郎
野村萬斎/万作の会/うなりやベベン/おおたかしずる/こどもたち

【特典映像】
・文楽:春雨じゃ…/駆け込み訴え/世界は一つの…/小さき者へ
・萬斎:私と小鳥と鈴と/からだことば(目)/ややこしや ~堕落論~/合点か(はじめちょろちょろ)/かなしみはちからに
・元気コンサート!(未放送映像)


○2011年 放送 収録時間本編49分+特典25分

「ベベンの冬が来た」は、1/30の放映でも流れます。こちらは楽しいロック調です。

こういうものを介し、幼少時から日本の有名な文学作品等に親しむことも大切だと思います。特に子育て中の方、ぜひお買い求めを。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月28日007

平成4年(1992)の今日、東京渋谷の津田ホールで「第7回森田澄夫テノールリサイタル」が開催されました。

第一ステージが、「――愛と狂気、そして戯れ――」と題され、中島はる作曲の歌曲「智恵子抄」(委託初演 「人に」「樹下の二人」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」)、別宮貞夫作曲の歌曲「智恵子抄」(抜粋―「人に」「あどけない話」「
人生遠視」「山麓の二人」「レモン哀歌」)が演奏されました。

プログラムには北川太一先生の玉稿「弾む期待――森田澄夫氏の『智恵子抄』に寄せて――」も掲載されました。

毎週水曜日の夜に、NHK総合で放映されている「歴史秘話ヒストリア」。昨夜の放映終了後、公式サイトが更新され、来月の予定が出ました。以前にもちらっと書きましたが、いよいよ光太郎智恵子をメインに取り上げる「ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。
 
元々、昨年11月にオンエアの予定でしたが、台風接近に伴う災害報道のため、予定がずれ、「愛の詩集」ということで、バレンタインデー近くに持ってくることにしたそうです。 

歴史秘話ヒストリア ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年 2月11日(水)22:00~22:43   再放送 2月18日(水)深夜
キャスター 渡邊あゆみ
 
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昨年の夏に、花巻の高村光太郎記念会様を通して、この番組を制作しているNHK大阪放送局から協力要請があり、ディレクター氏に千葉の当方自宅兼事務所にお越し頂き、光太郎智恵子ゆかりの犬吠埼、九十九里浜のロケハンに同行しました。また、取材先等をご紹介、光太郎の著書や関係する写真を提供しました。
 
公式サイトでは、今のところサブタイトルだけの予告ですが、ロケは他にも福島二本松や花巻、十和田湖等で行われ、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生や、小説『智恵子飛ぶ』を書かれた作家の津村節子氏などへのインタビューもあり、なかなかいい出来になっているはずです。
 
詳細が出ましたら、またご紹介します。
 
 
その他、いくつかテレビ放映の情報を。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年1月16日(金)  6時35分~6時45分  再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきまつり、絵あわせかるた/きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、擬音アニメ/ちろんろん(粉雪)、うた/ペチカ、こころよ。
出演者 神田山陽,うなりやベベン,おおたか静流 ほか 

聖火リレー戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回

NHKEテレ2015年1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)

戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。個の自立を説き、大学紛争の時代、若者たちの支持を得た。独自の思想を上野千鶴子さん、高橋源一郎さん他の証言で見つめる。.
 
戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。六〇年安保闘争では学生の先頭にたって国会に突入。68年の大学紛争時には、代表作『共同幻想論』を発表。個としての思考の自立を説き、若者の圧倒的な支持を得た。高度消費社会を前向きにとらえ、大衆の行動に意味を見出した吉本。常に常識を疑い、権威と闘ったその軌跡を社会学者・西部邁さん、上野千鶴子さん、橋爪大三郎さん、作家・高橋源一郎さんら幅広い証言で見つめていく。
 
出演者 語り 守本奈実   朗読 古舘寛治
 
1/10にあった本放送の再放送です。見逃した方はぜひご覧下さい。吉本の思想的源流の一つに、光太郎の戦争詩に関する考察があることが語られます。北川太一先生ご夫妻もご登場。
 
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美の巨人たち 森田藻己『竹の中の大工』

テレビ東京 2015年1月17日(土)  22時00分~22時30分
再放送 BSジャパン 2月18日(水)23時00分~23時30分
 
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毎回一つの作品にスポットを当て、そこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日の作品は、超絶技巧の根付、森田藻己(もりた・そうこ)作『竹の中の大工』。今ジャパニーズアートとして人気を博している、ひもの端に付ける留め具・根付。大正・昭和の藻己の活躍によって進化を遂げたといいます。手のひらに収まる大きさのこの根付は竹筒のような細工が施され、中をのぞくと大工さんの姿が…。ひとつの木片から彫り上げられたのですが一体どうやって彫ったのか?そこには伝説の根付師ならではのもくろみが。
 
ナレーター 小林薫
音楽 <オープニング・テーマ曲> 「The Beauty of The Earth」 作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン) 唄:ジョエル・タン  <エンディング・テーマ曲> 「India Goose」 中島みゆき
 
 
森田藻己は光雲とも交流のあった根付師です。光雲がらみの話が出ればいいのですが……。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月15日

昭和26年(1951)の今日、岩手水沢町(現・奥州市)の文化ホールで、成人式の講演をしました。
 
「成人の日」は昭和23年(1948)に制定され、永らく1月15日でした。
 
昨今の幼稚な新成人の乱行を、泉下の光太郎はどう思うのでしょうか。

昨日は、東京本郷にて、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生を囲む新年会に参加させていただきました。昨年からお声がけいただくようになり、2度目の参加でした。
 
主催は北川先生が都立向丘高校に勤務されていた頃の教え子の皆さんである「北斗会」さん。「教え子」といっても、80代の方も多く、昨年もそうでしたが、30名程の参加者の中で、当方が最も若いという状況でした。
 
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北川先生は、今年の誕生日が来れば満90歳。しかし、そうとは思えぬほどお元気です。また、結婚記念日が来れば60周年のダイヤモンド婚式。奥様の節子先生もお元気です。
 
昨日戴いた、座席表兼年賀状。北川先生の直筆です。曰く「ひつじ雲もくもく よき春を呼べ 太一卆寿」。
 
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さて、さらに同じく昨日。深夜11:00~12:30、NHK Eテレさんの教養番組「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回吉本隆明」の放映がありました。
 
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吉本の思想的源泉の一つが、戦時中の光太郎の戦争協力に対する考察だったことが紹介されました。
  
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その話の流れの中で、東京工業大学等で吉本の同級生だった北川先生がご登場。
 
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二人の光太郎にまつわるエピソードが語られました。
 
節子先生も、ちらりとご登場(笑)。
 
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その後の吉本の活動について、たっぷり90分間の中で、批判的な意見もおりまぜつつ紹介されました。非常に見応えのある内容でした。
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再放送が、やはり深夜ですが、1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分にあります。見逃した方、ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月11日

昭和28年(1953)の今日、秩父宮雍仁親王の逝去に際し、『朝日新聞』の取材を受けました。
 
この時の談話は、翌日、同紙に散文「悲しみは光と化す」の題で掲載されました。哀惜の念のよく表された談話です。光太郎は昭和3年(1928)の秩父宮親王ご成婚に際し、詩「或る日」を作っています。
 
のちに草野心平が、新潮文庫版『智恵子抄』(昭和31年=1956)の解説で、光太郎自身の追悼のために、この「悲しみは光と化す」の題名を拝借しています。

テレビ放映情報です。 

大竹まことの金曜オトナイト 【ゲスト】天野ひろゆき(キャイ~ン)

BSジャパン 2015年1月9日(金)  23時30分~24時00分
 
社会問題から性の事まで独断と偏見で選んだニュース。ニッポンの今を裏から取材した特集。超毒舌なエンタメコーナーで送る「刺激的な夜のワイドショー」
 
◆流出ワイド◆ (秘)超気持ちいい ! 一発で卵の黄身を取り出す方法 (秘)クレームによりジャポニカ学習帳の表紙から昆虫が消える (秘)夫が妻の話を聞いている時間は約6分 (秘)高2当時に採取 12年凍結した卵子で出産◆文化情報コーナー◆ 街で直撃取材! 「あなたの持っている本見せて下さい」 天野ひろゆきオススメ本 「智恵子抄」 さらにおススメ映画、漫画まで !
 
出演者
レギュラー:大竹まこと、山口もえ、碓井広義(上智大学教授) 進行:繁田美貴(テレビ東京アナウンサー) ゲスト:天野ひろゆき(キャイ~ン)
 
 
どうも天野さんと「智恵子抄」が結びつきにくいのですが……(笑)。
 
 
先日もちらっとご紹介しましたが、さらにもう一本。  

戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回

NHKEテレ  2015年1月10日(土)  23時00分~24時30分
再放送1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)

戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。個の自立を説き、大学紛争の時代、若者たちの支持を得た。独自の思想を上野千鶴子さん、高橋源一郎さん他の証言で見つめる。.
 
戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。六〇年安保闘争では学生の先頭にたって国会に突入。68年の大学紛争時には、代表作『共同幻想論』を発表。個としての思考の自立を説き、若者の圧倒的な支持を得た。高度消費社会を前向きにとらえ、大衆の行動に意味を見出した吉本。常に常識を疑い、権威と闘ったその軌跡を社会学者・西部邁さん、上野千鶴子さん、橋爪大三郎さん、作家・高橋源一郎さんら幅広い証言で見つめていく。
 
出演者 語り 守本奈実   朗読 古舘寛治
 
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吉本の盟友にして高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生は、昨年刊行された『吉本隆明全集』第5巻の月報にこう記されています。
 
戦い終わり、海軍技術科士官として飛行予科練習生たちといのちをかけた南四国から帰ったあと、工業大学進学を選んだ時、すでに吉本は大学にいた。そして二人ともアトリエを焼かれて花巻郊外に孤坐しているという高村光太郎が、いま何を考えているか、そればかりが気になった。光太郎がここに至った道を明らかにしない限り、これから何が出来ようかと思いつめた。
 
吉本の思想的源泉に、大きく影響した光太郎。北川先生もご登場なさるはずですし、光太郎についても語られると思います。
 
しかし、こういう良い番組は深夜の放映なのですね。録画して観ようと思います。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月4日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、村人が雪下ろしをしてくれました。
 
この時期、花巻近辺はもうすっぽり雪に覆われていることでしょう。岩手県の雪量観測情報によれば、光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)に近い鉛温泉あたりで73㌢の積雪だそうです。

テレビ放映情報です。 

いにしへ日和 #122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉

BS朝日 2014年12月25日(木)  21時54分~22時00分  再放送2015年1月1日(木) 22時54分~23時00分
 
日本の東国各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。美しい景色の中に息づく「時の記憶」。旅をしながら、現在と過去を自由に行き来する。そんな気分を味わう番組です。時をこえ、小さな旅に出かけよう。今日は、いにしへ日和…日本の各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。
 
高村光太郎は、1945年花巻に疎開し、7年の間、この地で過ごしました。 光太郎62歳。最愛の妻・智恵子も既に他界し、東京大空襲で自宅とアトリエを失ってやってきた花巻。 そんな光太郎が「本当の温泉の味がする」と、何度も訪れた大沢温泉を訪ねます。
 
出演 ナレーター キムラ緑子
 
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JR東日本さん提供の5分間番組です。
 
今年5月には、「#107 福島県・二本松市・智恵子の空」ということで、二本松の智恵子生家周辺を取り上げて下さいました。公式サイトはこちら
 
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今回は、光太郎が何度も訪れた、花巻郊外の大沢温泉さんからです。宮澤賢治や相田みつをゆかりの宿としても有名です。
 
当方も定宿としています。一昨年はつごう7泊ほど泊めていただきました。しかし、今年は花巻には2回行きつつも、1回も泊まりませんでした。1度目は1月下旬。大沢さんがいっぱいで、やはり光太郎が何度か訪れた鉛温泉さんに泊めていただきました。2度目は5月15日の光太郎祭でしたが、この時は夜行高速バスを使い、車中泊でした。だからしばらく行っていません。テレビを見て、懐かしみたいと思います。
 
ただ、来年は既に泊めていただくことが決まっています。今から楽しみです。とにかく温泉が素晴らしいし、料理や部屋、そして宿全体の雰囲気が非常にいい感じです。
 
一年中、いつ行っても、それぞれの季節ごとの良さがありますが、一番お薦めなのは、冬です。
 
こちらは4年前の今頃撮った画像です。今の季節はこんな感じです。
 
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寒さは半端ではありませんが、雪見の露天風呂、そして温泉で火照った身体に染み渡る清冽な冷気、そして寒くなったらまたザブン。たまりません。
 
ただし、この冬は近くの高村山荘・高村光太郎記念館は、グランドオープンに向けてのリニューアルで閉鎖中ですので、お気をつけ下さい。
 
さて、「いにしへ日和」。ぜひご覧下さい。本放送は明後日、再放送が来年1月1日。再放送とはいえ、元日から光太郎がらみの放映があるというのは、幸先がいいですね。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月23日
 
昭和20年(1945)の今日、詩「雪白く積めり」を執筆しました。
 

   雪白く積めり
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雪白く積めり。
雪林間の路をうづめて平らかなり。
ふめば膝を没して更にふかく
その雪うすら日をあびて燐光を発す。
燐光あをくひかりて不知火に似たり。
路を横ぎりて兎の足あと点々とつづき
松林の奥ほのかにけぶる。
十歩にして息をやすめ
二十歩にして雪中に坐す。
風なきに雪蕭々と鳴つて梢を渡り
万境人をして詩を吐かしむ。
早池峯(はやちね)はすでに雲際に結晶すれども
わが詩の稜角いまだ成らざるを奈何にせん。004
わづかに杉の枯葉をひろひて
今夕の炉辺に一椀の雑炊を煖めんとす。
敗れたるもの卻て心平らかにして
燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。
美しくしてつひにとらへ難きなり。
 
この年、秋、花巻町から郊外の太田村山口に移り住んだ光太郎。鉱山の飯場小屋だった建物を村人の協力で移築してもらい、7年間の孤独な山小屋(高村山荘)暮らしを始めました。北川太一先生曰く「生涯で最も鮮烈な冬」。その山小屋での冬を謳った、記念すべき第一作です。右上の画像は、昭和23年(1948)冬に撮影された光太郎の山小屋です。
 
この詩を刻んだ碑が、のちに山小屋近くに建てられ、毎年5月15日には、この碑の前の広場で光太郎を偲ぶ高村祭が行われています。
 
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こちらは30年程前、初めてここを訪れた時に撮影したものです。3月下旬でしたが、日陰にはまだ膝まで雪が残っていました。

『吉本隆明全集5[1957‐1959]』。注文しておいたのが、届きました。
 
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昭和32年(1957)、吉本最初の単行本、『高村光太郎』ほか、光太郎や同時代の詩人たちを論じた評論が多数収められています。
 
『高村光太郎』は、3回ほど読みましたが、また改めて読み返してみたいと思います。他の短めの評論の中には未読のものが多く、こうしてまとめていただけると、非常に有り難く感じます。
 
 
そして月報。高村光太郎記念会事務局長にて、吉本の同窓、北川太一先生の玉稿『吉本と光太郎』が掲載されています。まずこの月報から読みましたが、感動しました。人と人との出会い、絆、そういったものの不思議さ、素晴らしさを存分に感じさせる名文です。
 
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戦前の初めての出会い、戦後すぐの再会、その時点でお二人とも、光太郎を読み解くことなくして、あの時代を生きる方向性がつかめない、と考えられていたそうです。やがて光太郎没後、北川先生の編集で、昭和32年(1957)から刊行が始まった『高村光太郎全集』の月報に載った、吉本の「『出さずにしまつた手紙の一束』のこと」のお話、お二人で編んだ昭和56年(1981)の春秋社版『高村光太郎選集』増訂版のお話などなど……。
 
『吉本隆明全集5[1957‐1959]』。定価6400円+税と、値段は張りますが、それだけの価値は十分にあります。当方、自分へのクリスマスプレゼントとします(笑)。
 
 
さて、過日もちらっとご紹介しましたが、NHK Eテレさんの教養番組「日本人は何をめざしてきたのか。 知の巨人たち」の詳細情報が公表されました。「第5回 吉本隆明」ということで、後半4回のトップが吉本です。

日本人は何をめざしてきたのか。 知の巨人たち 第5回 吉本隆明

 来年の戦後70 年を前に、3年がかりで取り組む「戦後史証言プロジェクト」の第5~8回を、1月10日から放送する。
 敗戦から占領下の民主化、高度経済成長...時代の分岐点で、著名な知識人は何を考え、どのような未来を思い描いたのか。関係者を幅広くインタビューし、今につながる戦後日本の課題を考えていく。
 
第5回 吉本隆明 1月10日(土) 午後11:00~午前0:30 放送
 戦後の言論界を走り続け てきた思想家・吉本隆明。膨大な仕事は、文学から政治、宗教、社会思想、そしてサブカルチャーに至るまで 幅広い。六〇年安保では学生達の先頭となり国会に突入、六八年の 大学紛争時には、 代表作『共同幻想論』を発表、個としての思考の自立を説き、大学生たちの圧倒的な支持を得た 。高度消費社会を前向きにとらえ、大衆の行動に意味を見出した。同時に、常に常識を疑い、権威と闘い、時には物議を醸す発言もした。社会学者・西部邁さん、上野千鶴子 さん、橋爪大. 三郎さん、作家・高橋源一郎さん、ミュージシャン遠藤ミチロウさん、 幅広い層からの証言で紡いでいく。
 
北川先生のところにも取材が入ったそうですので、上記の「」に、北川先生も含まれるのではないかと思われます。当方、ちょうどこの日に、北川先生を囲む新年会に参加予定でして、なにか不思議な感覚です。
 
ちなみに同番組、第6回以降は、石牟礼道子、三島由紀夫、手塚治虫というラインナップになっています。
 
ぜひご覧下さい。
 
 
吉本といえば、昨日の『朝日新聞』さんの読書欄に、筑摩書房の『吉本隆明〈未収録〉講演集』刊行開始の記事が載りました。

『吉本隆明〈未収録〉講演集』

 『吉本隆明〈未収録〉講演集』(筑摩書房、宮下和夫編)の刊行が始まった。1957年の「明治大正の詩」から2009年の「孤立の技法」までの124講演をテーマ別に、第1巻『日本的なものとはなにか』(2052円)から『芸術言語論』までの全12巻。単著に収められていなかったもののほか、新たに音源が発見された8講演を含む。第1巻には付録として「全講演リスト」がつく。今後あらたに音源が見つかった場合は、第13巻を刊行したいという。
 
全12巻(もしくは13巻)中には、光太郎がらみの講演も含まれるかも知れません。詳細が分かり次第、お知らせします。
 
 
昨日の『朝日新聞』さんの読書欄といえば、このブログでご紹介した、智恵子に触れた池川玲子著『ヌードと愛国』の書評も載りました。 『日本経済新聞』さんには早々に書評が載りましたし、先週は『読売新聞』さんにも載りました。かなり注目を浴びているようですね。 

聖火リレー池川玲子著『ヌードと愛国』

 絵画や映画、写真などで表現されてきたあまたのヌードを近現代日本文化史という視点で眺めてみると、そこには、「『日本』をまとったヌード」という系譜が現れてくるという。明治期に長沼智恵子が描いたリアルすぎるヌードから、70年代のパルコの「手ブラ」ポスターまで、7体のヌードの謎を解き、日本近現代を「はだか」にする試み。(講談社現代新書・864円)
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月22日

昭和4年(1929)の今日、雑誌『いとし児』にアンケート「児童と映画」が掲載されました。
 
質問は三項目。以下の通りでした。000
 
一、お子様に映画をお見せになりますや、否や、その理由。
二、月に何回ぐらゐ。
三、種類の御選択は。
 
それに対する光太郎の回答は、ずばり一言のみ。
 
私には子供がありません。
 
このアンケート、光太郎を含む77名の回答が載っていますが、出版社も子供がいるかいないかくらい調べてから依頼しろと言いたくなりますね。さらにこの光太郎の回答をボツにせず、そのまま載せるというのも何だかなあ、という感じです。
 
ちなみに昨年の今日、このブログの【今日は何の日・光太郎】に載せましたが、今日は光太郎智恵子、大正3年(1914)、上野精養軒での結婚披露100周年です。金金婚式ですね(笑)。
 
しかし、入籍は実に昭和8年(1933)。智恵子の統合失調症が進み、光太郎も健康に不安を抱え、自分に万一の事があった場合の遺産相続等を考えての光太郎の決断でした。
 
二人にはとうとう子供はできませんでした。その理由について、いろいろな憶測がなされていますが、結局は謎です。

テレビ放映情報です。  はっきり 光太郎に関わるのは1件のみですが、ついでなので5件ご紹介します。

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014年12月22日(月) 6時35分~6時45分 
     再放送 12月22日(月)17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、野村萬斎/冬至、うた/冬景色、道程
 
出演 小錦八十吉,野村萬斎,おおたか静流 ほか
 
この番組では「冬が来た」「道程」ともに何度か扱って下さっています。朗読的に取り上げたり、「道程」は坂本龍一さん作曲の歌にもなっていたり、そのあたりの使い回しかも知れません。むろん新作かも知れません。
 
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日曜美術館 アンコール放送「野の花のように描き続ける~画家・宮芳平~」

NHKEテレ 2014年12月21日(日) 9時00分~9時45分 再放送 12月28日(日)20時00分~20時45分
 
去年、生誕120年を記念した展覧会が開かれたのを機に注目された画家、宮芳平。知られざる魅力に迫る。
 
司 会 井浦新,伊東敏恵   ゲスト ドリアン助川
 
 いま、一人の無名の画家の絵が、人々の共感を集めている。長野の高校で美術を教えながら、生涯で数千枚に及ぶ油絵を残した宮芳平(みや・よしへい 1893~1971)。
生誕120年を記念して去年から始まった初めての大規模な回顧展が全国を巡回。すると「澄んだ魂から生まれたような絵」「自然、植物への愛情の深さを感じた」「これまででいちばん心にしみる絵画」といった感動の声が無数に寄せられ、都内で開かれた展覧会をアートシーンで紹介すると、「作品をじっくり見たい」「画家のことが知りたい」といった声が番組宛にも届いた。
宮が描いたのは、鮮やかな色と抽象的な形がおりなす長野の自然風景。優しさに満ちた母子の肖像。そして深い精神性を感じさせる、聖書を題材にした聖地巡礼のシリーズ。こうした絵の背景には、若き宮を愛した文豪・森鴎外との交流。教師と画家の狭間で揺れながら、独自の表現へと至る苦悩の日々が秘められていた。家族や教え子の証言、画家自身の言葉から知られざる実像に迫る。
 
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アンコール放送、ということで、今年8月に放映されたものの再放送です。光太郎と交流のあった画家・宮芳平の生涯を追っています。残念ながら、光太郎の名は出て来ませんでしたが、見応えのある内容でした。見逃した方、ぜひご覧下さい。
 
 
ここからは、このブログでご紹介してきたゆかりの地、特に東日本大震災被災地からのレポートです。 

震災ドキュメント2014「サッカーが勇気をくれた~コバルトーレ女川の挑戦~」

NHK 総合 2014年12月21日(日)  16時15分~16時40分
 
震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町。地元を勇気づける存在がサッカーチームのコバルトーレ女川だ。将来のJリーグ参入を目指し、現在は下部リーグで戦いを続けている。チームも震災で活動中止を余儀なくされ、多くの選手がチームを去った。しかし、地元の熱い思いに応えるように年々成績を上げてきた。リーグ戦終盤、優勝を目指すコバルトーレ。果たして結果は?その戦いを追い、選手やサポーターの思いをつづる。
 
ナレーター 笠井大輔
 
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こちらも再放送です。本放送は10月でした。毎年8月に「女川光太郎祭」を開催している宮城県女川町からのレポートです。
 
同じ21日に、もう1本女川からのレポートがあります。 

学ぼうBOSAI 東日本大震災 被災者に学ぶ「看護師~宮城・女川町~」

NHK Eテレ 2014年12月21日(日) 18時30分~18時40分
 
東日本大震災の被災地を訪ね、震災を経験した人の話を聞く「東日本大震災 被災者に学ぶ」シリーズ。大災害のとき、地域住民はどのように判断し、いかに行動したのか…。小中学生の子供たちが自分で判断し行動するためのヒントを提供する。宮城県女川町の医療センターで、医療品や食料が津波で流され、多数の避難者が押し寄せた事態に看護師はどう対応したか。中学生の子供リポーター、俳優の濱田龍臣さんが被災地を訪ね話を聞く。
 
リポーター 濱田龍臣
 
 
さらに、同じ被災地ということで、草野心平ゆかりの福島県川内村からも。こちらは明日の放送です。

きらり!えん旅~マギー審司 福島・川内村へ~

NHK BSプレミアム 2014年12月17日(水)  19時30分~20時00分
 
マジシャンのマギー審司さんが福島県川内村を訪ねた。村の東部地区は福島第一原発から20キロ圏内にあり10月1日に避難指示が解除されたばかり。マギー審司さんは、原発事故後「作付け制限区域」に指定されながら米を作り続けた農家から当時の苦労話を聞き、新米で作ったおむすびをごちそうになった。また子どもたちの笑顔いっぱいの小学校やLEDを使った最新鋭の野菜工場を訪ねた。
 
出演 マギー審司  語り冨永みーな
 
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こちらは2012年に始まって、息の長い番組となってきました。初期の頃に由紀さおりさんによる二本松訪問の様子も放映されました。
 
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「被災」が続く限り、この手の番組も続けてほしいものです。
 
今回ご紹介したのは、すべてNHKさん。やはりこういう番組を作るのも、公共放送の役目でしょう。さて、上記では紹介順と放映順が一致していませんでしたので、下記にまとめます。
 
きらり!えん旅~マギー審司 福島・川内村へ~
 NHK BSプレミアム 12月17日(水) 19時30分~20時00分
 
日曜美術館 アンコール放送「野の花のように描き続ける~画家・宮芳平~」
 NHK Eテレ 12月21日(日) 9時00分~9時45分
 
震災ドキュメント2014「サッカーが勇気をくれた~コバルトーレ女川の挑戦~」
 NHK 総合 12月21日(日) 16時15分~16時40分
 
学ぼうBOSAI 東日本大震災 被災者に学ぶ「看護師~宮城・女川町~」
 NHK Eテレ 12月21日(日)18時30分~18時40分
 
にほんごであそぼ
 NHK Eテレ 12月22日(月) 6時35分~6時45分 
     再放送 12月22日(月)17時15分~17時25分
 
日曜美術館 アンコール放送「野の花のように描き続ける~画家・宮芳平~」(再)
 NHK Eテレ 12月28日(日) 20時00分~20時45分
 
それぞれぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月16日
 
平成14年(2002)の今日、牧野出版から籠谷典子編『東京ウォーキング 文学と歴史を巡る10000歩 №18文京区』が刊行されました。
 
「⑤高村光太郎居住跡」「⑥高村光雲終焉の地」000「⑦青鞜社発祥の地」などで、光太郎、光雲、智恵子に詳しくふれています。
 
こうした町歩き的な書籍で、ほんの1、2ページ、光太郎らにふれているものは実に多いのですが、この書籍は実に約30ページ、光太郎関連です。
 
他に漱石、鷗外、宮本百合子、サトウハチロー、竹久夢二、さらに歴史ということで、団子坂、須藤公園、東大などが扱われています。
 
平成17年(2005)の改版が、現在も流通しているようです。

3件ご紹介します

アートシーン 中村屋サロン美術館開館記念特別展 中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた― 

NHKEテレ 2014年11月16日(日)  9:時45分~10時00000
                     
 再放送20時45分~21時00分
 
司会 井浦新,伊東敏恵
 
今回のメインは、多くの芸術家たちが集った中村屋サロンの展覧会。明治の終わり、パン屋として開業した新宿のレストランに、彫刻家の荻原守衛や高村光太郎、画家の中村彝など、若き才能が集い、切磋琢磨(せっさたくま)しながら数々の傑作を生み出しました。そのほかにも話題の展覧会をピックアップ。お楽しみに。
 
「日曜美術館」とセットの15分間番組です。過日レポートした新宿中村屋サロン美術館開館記念特別展がメインで扱われます。16日(日)、朝と夜、2回放送です。 

五木寛之「風のCafe」1周年記念スペシャル ゲスト:渡辺えり

BSフジ 2014年 11月15日(土)17:30~18:30
 
番組ホスト 五木寛之(作家)
番組アシスタント 冴木彩乃(出版プロデューサー)
ゲスト 渡辺えり(劇作家・演出家・女優) 
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 今回のゲストは、渡辺えり。そして、“もう一度聞きたい、あの話”をまじえての60分スペシャル!これまでCafeを訪れた各界の著名人、13人のゲストの名言を再びお届けする。
 五木から演劇界きっての歌唱力の持ち主と称賛される渡辺えりは、五木が作詞した歌を2曲もつ。その一つ「昼の花火」の歌詞は還暦を前にした渡辺にとって、今あらためて読むと泣きそうになるという。その歌詞のもつ意味は?
 戦時中、高村光太郎に心酔した父により、家に飾ってあった光太郎の写真をずっと自分の祖父だと思って育った渡辺。いじめられっ子だった小学校時代。そこから自信を持てるようになったきっかけ、そして山形から上京することになった理由の一つ、ジュリーこと沢田研二への憧れについて語る。
 そして、五木と渡辺のいくつもの接点。その一つが池袋の「舞台芸術学院」でのすれ違い。さらに、「ゲゲゲのげ」岸田國士賞受賞のきっかけをつくった「唐十郎」とのこと。唐は当時無名の渡辺の初期作品を候補作と間違えて読み、その実力を看破したという。また、美輪明宏にこの授賞式の衣装を買ってもらった話や、同時受賞した野田秀樹などの不思議な縁を話す。
 劇団「3○○」や演劇活動のかたわら、テレビにも出演。庶民的で可笑しなキャラクターを演じ人気を博している“国民的女優渡辺えり”。しかし、映像で見るイメージとは違い、劇作家渡辺えりの描く芝居はシュールなものだ。そのギャップが違いすぎて、お客さんが戸惑い理解されない、という悩みも打ち明ける。今度の舞台「天使猫」は東日本大震災の後、はじめて書き下ろした作品だ。被災地に思いを馳せ、復興未だ叶わぬ現地でもテントで上演される。そのきっかけは、共演する宇梶剛士と地元の人たちの「ここでやりたい、やってくれ」という言葉だった。
 渡辺えりは様々な顔をみせる。プロデューサー、脚本家、作家、評論家、タレント、そして俳優・・・あらゆる役割をこなす渡辺えりを、五木は「百姓」という言葉で例える。「百姓」という言葉には、元々「様々な職業」という意味があるのだ。五木は彼女に100歳までの舞台を期待する!
 
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11月1日に放映されたものの再放送です。「父の戦争体験と詩人・高村光太郎」ということで、お父様と光太郎のつながりについてのお話があります。
 
現在、全国ツアー中の、宮澤賢治を主人公とした舞台「天使猫」についてのお話も。
 
1日の本放送を見逃した方、どうぞ。 

土曜スペシャル「秋の東北 激走1200km“滝&紅葉スポット”制覇旅2」 

テレビ東京 2014年11月15日(土)  18時30分~20時54分

東北ぐるり1200km “滝&紅葉”めぐり旅2

錦秋に染まる日本列島…
そこで今回は、東北にある滝をめぐって「滝と紅葉」をカメラにおさめ、紅葉写真のベストショットを競い合う!
 
盛岡をスタートし岩手・青森県をめぐるチームと秋田県をめぐるチームに分かれ目指すは青森・弘前城!3日間の移動距離は2チーム合わせて1200km!

 落差100メートル・東北屈指の大きさを誇る安の滝、海に落ちるマニア垂涎の珍しい滝、弥勒菩薩を祀ったソーメン滝、青森を代表する景勝地・奥入瀬渓流が誇る銚子大滝など東北地方の名瀑をめぐる。道中では、田沢湖、十和田湖などの紅葉スポットに、絶品ご当地料理をはじめ今が旬の秋の味覚を味わい、さらに紅葉を愛でながら浸かる絶景の露天風呂なども堪能!

 果たして、紅葉写真のベストショットに選ばれるのはどっちのチームなのか!?  錦秋に染まる名瀑をご覧あれ!
 
【出演者】  金山一彦、マルシア、福井仁美、金子昇、秋野暢子、相沢まき
 
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十和田湖ということで、乙女の像がぜひ写ってほしいものです。
 
 
ところで、以前にも書きましたがもう一度。
 
NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア」で、今月26日に「ふたりの時よ 永遠に  愛の詩集「智恵子抄」」というサブタイトルで、光太郎智恵子がメインの回がある予定でした。しかし、さきごろ、台風の緊急報道があった影響で放送がずれ込み、さらに12月は真珠湾攻撃や忠臣蔵など、旬の内容を扱うそうでずらせず、延期になりました。「愛の詩集」ならバレンタインデー、とのことで、来年2月11日(再放送は18日)のオンエアだそうです。
 
 
11/15追記
こういう情報を書いたその日、しかもこの記事を書いている最中、TBSさんの朝の情報番組「いっぷく!」で過日ご紹介した「あだたら恋カレー」や「おっ!PAIぷり~ん」が取り上げられていたとのこと。事前に情報を得られず見逃しました。残念です。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 11月14日
昭和5年(1930)の今日、光太郎の木彫「栄螺」が出品された、大阪の高島屋長堀店で開催されていた「木耀会木彫展覧会」が閉幕しました。
 
木彫「栄螺」。即売会を兼ねたこの展覧会で買い手が付き、以後、行方が判らなくなっていましたが、平成15年(2003)、70余年を経て再び世に出て来ました。
 
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現在は愛知県小牧市のメナード美術館さんに所蔵されています。

またまたテレビ放映情報です。

五木寛之「風のCafe」1周年記念スペシャル ゲスト:渡辺えり

BSフジ 2014年11月 1日(土)17:30~18:30  再放送 11月15日(土)17:30~18:30
 
番組ホスト 五木寛之(作家)
番組アシスタント 冴木彩乃(出版プロデューサー)
ゲスト 渡辺えり(劇作家・演出家・女優) 
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 今回のゲストは、渡辺えり。そして、“もう一度聞きたい、あの話”をまじえての60分スペシャル!これまでCafeを訪れた各界の著名人、13人のゲストの名言を再びお届けする。
 五木から演劇界きっての歌唱力の持ち主と称賛される渡辺えりは、五木が作詞した歌を2曲もつ。その一つ「昼の花火」の歌詞は還暦を前にした渡辺にとって、今あらためて読むと泣きそうになるという。その歌詞のもつ意味は?
 戦時中、高村光太郎に心酔した父により、家に飾ってあった光太郎の写真をずっと自分の祖父だと思って育った渡辺。いじめられっ子だった小学校時代。そこから自信を持てるようになったきっかけ、そして山形から上京することになった理由の一つ、ジュリーこと沢田研二への憧れについて語る。
 そして、五木と渡辺のいくつもの接点。その一つが池袋の「舞台芸術学院」でのすれ違い。さらに、「ゲゲゲのげ」岸田國士賞受賞のきっかけをつくった「唐十郎」とのこと。唐は当時無名の渡辺の初期作品を候補作と間違えて読み、その実力を看破したという。また、美輪明宏にこの授賞式の衣装を買ってもらった話や、同時受賞した野田秀樹などの不思議な縁を話す。
 劇団「3○○」や演劇活動のかたわら、テレビにも出演。庶民的で可笑しなキャラクターを演じ人気を博している“国民的女優渡辺えり”。しかし、映像で見るイメージとは違い、劇作家渡辺えりの描く芝居はシュールなものだ。そのギャップが違いすぎて、お客さんが戸惑い理解されない、という悩みも打ち明ける。今度の舞台「天使猫」は東日本大震災の後、はじめて書き下ろした作品だ。被災地に思いを馳せ、復興未だ叶わぬ現地でもテントで上演される。そのきっかけは、共演する宇梶剛士と地元の人たちの「ここでやりたい、やってくれ」という言葉だった。
 渡辺えりは様々な顔をみせる。プロデューサー、脚本家、作家、評論家、タレント、そして俳優・・・あらゆる役割をこなす渡辺えりを、五木は「百姓」という言葉で例える。「百姓」という言葉には、元々「様々な職業」という意味があるのだ。五木は彼女に100歳までの舞台を期待する!
 
 
生前の光太郎と面識のあったお父様の影響で、光太郎を主人公とした演劇「月にぬれた手」を作られた渡辺えりさんがゲストです。
 
お父様と光太郎にまつわるエピソードは、かつての連翹忌、一昨年5月9日の「徹子の部屋」、昨年5月15日の花巻光太郎祭での講演などでご披露されました。
 
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今回もそのあたりのお話が聴けるのではないでしょうか。
 
また、現在、渡辺さんは宮沢賢治を主人公とした舞台「天使猫」の全国ツアー中。そのあたりも内容説明に入っています。
 
ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月31日
 
昭和43年(1968)の今日、中央公論美術出版から、光太郎の弟・高村豊周著『自画像』が刊行されました。
 
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基本、鋳金の人間国宝として活躍した豊周の自伝ですが、随所で光太郎智恵子、光雲についても語られており、貴重な記録です。

テレビ放映情報です。 
BS-TBS 2014年11月1日(土) 21:00~21:54
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古くは「万葉集」に歌われ、高村光太郎の詩で「智恵子のほんとうの空」として広く日本人の心に響いた山、郷愁を誘う山となったのが安達太良山です。
 
単独峰ではなく、1700メートル級のピークのつらなりで、安達太良連峰とも呼ばれます。活発な火山活動によって生み出された頂きはそれぞれユニークです。中でも安達太良本峰と呼ばれる主峰は、山頂にドーム状の岩峰を突き出したシルエットから「乳首山(ちちくびやま)」とも呼ばれています。
 
今回安達太良山を登るのは、女優の春馬ゆかりさん。昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山です。山会は吹雪の中、白銀の頂を目指しましたが、今回は、錦絵のような見事な紅葉の安達太良山と出会います。
  
【ロケ日:10月6~9日】
 
出演される春馬さん、「昨冬の雪山登山に続いて2度目の安達太良山」とあるとおり、同じ番組の今年1月のオンエア、#32 「雪煙舞う厳冬の安達太良山」で、やはりご出演なさいました。
 
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番組冒頭近く、俳優・津嘉山正種さん(やはり福島を舞台にした昨年の大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老・神保内蔵助役)による「安達太良連峰。その山の上に広がる空は、一つの詩によって、多くの日本人の心に刻みこまれた。」というナレーションのあと、「あどけない話」の後半部分が朗読され、智恵子生家裏の鞍石山に建つ「樹下の二人」詩碑から、春馬さんのレポートがありました。
 
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今回も上記内容説明に光太郎智恵子の名がありますので、少しでも紹介があるといいなと思います。ただ、基本、登山系の番組ですので、それほど深く突っ込まれないとは思いますが。前回は白銀の世界でしたが、今回は紅葉がメインのようです。
 
ちなみに(その1)、テレビといえば、NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア」で、来月26日に「ふたりの時よ 永遠に  愛の詩集「智恵子抄」」というサブタイトルで、光太郎智恵子がメインの回がある予定でした。しかし、さきごろ、台風の緊急報道があった影響で放送がずれ込み、さらに12月は真珠湾攻撃や忠臣蔵など、旬の内容を扱うそうでずらせず、延期になりました。「愛の詩集」ならバレンタインデー、とのことで、来年2月11日(再放送は18日)のオンエアだそうです。当方、ロケハンでディレクター氏を犬吠埼や九十九里にご案内したり、放映用に資料を提供したり致しましたので、ご連絡を頂きました。
 
過日、当方が刊行した『光太郎資料』第42集。全国の関係団体や個人の皆様にお送りしましたが、その添え状に「歴史秘話ヒストリア」の放映が11月26日、と書きました。しかし、そういうわけで延期です。添え状の内容、ガセネタではありませんのでよろしくお願い申し上げます。
 
話を安達太良山の紅葉に戻します。
 
過日、福島の相馬方面に行った際、道の駅で入手した無料の『福島県観光ガイドブック\秋・冬のふくしまを巡る!/』によれば、安達太良山の紅葉の見頃は今月中旬までとのこと。しかし、平地の二本松霞ヶ城あたりでは来月下旬までだそうです。菊人形もまだ開催中。
 
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ちなみに(その2)、二本松といえば、智恵子生家・記念館があります。
 
過日行われたレモン忌の際、智恵子の描いた明治44年(1911)、雑誌『少女世界』の口絵としてカラー印刷された「お人形」という作品があり、そのページだけ切り取った状態のものを入手したので、智恵子記念館で展示して下さいということで、寄贈して参りました。
 
同館学芸員の方から展示しました、ということでメールを戴きました。証拠として(笑)画像も添付されていました。
 
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順路のほぼ最後、矢張り智恵子の描いた油絵「ヒヤシンス」(こちらは肉筆です)の隣に展示していただきました。菊人形期間中は紙絵の実物の展示もありますので、ぜひ足をお運び下さい。
 
ちなみに(その3)、二本松といえば、智恵子の顕彰活動をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん。昨日、研修旅行で、成田からパリに向けてご出発なさいました。発会10周年ということで、豪勢に1週間近く、パリでの光太郎の足跡をたどるツアーだそうです。
 
成田空港は、当方自宅兼事務所からものの30分足らずの距離でして、お見送りに行って参りました。
 
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「智恵子抄」をはじめとする光太郎詩にオリジナルの曲を附けて歌われているモンデンモモさんもご参加。
 
1週間近くのご滞在で、途中、日本の味が恋しくなるだろうと思い、当方自宅兼事務所のある香取市名産のおせんべいを差し入れました。来週末には帰国早々のモモさんとまた一緒に仕事が入っていまして、その際には土産話と素敵なパリ土産が戴けるものと期待しております。エビでタイを釣る、とはこのことですね(笑)。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 10月28日
 
平成7年(1995)の今日、品川区立品川歴史館で、特別展「高村智恵子 紙絵とその生涯」が開幕しました。
 
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品川は智恵子終焉の地、ゼームス坂病院があったところです。同じ平成7年には病院跡地に智恵子の臨終を謳った光太郎詩「レモン哀歌」を刻んだ詩碑が建立されています。

近々放映されるテレビ番組の情報です。

10min.ボックス(現代文)「道程(高村光太郎)」

NHKEテレ 2014年10月2日(木)25時20分~25時30分=10月3日(金)午前1時20分~1時30分

『道程』は、1914年、大正時代に書かれた詩です。それまでの詩とは違い、ふだん話している言葉、口語体で書かれていました。若者が持つ将来への不安と、前向きな決意が感じられることから、多くの人々に親しまれてきました。この詩の作者は高村光太郎。詩人として、また彫刻家として、明治末から昭和にかけて活躍しました。
 
この回は、朗読にこだわる。同じ作品でも、解釈の違いが朗読にあらわれる。様々な人にこの詩を自由に解釈してもらい、その人なりの朗読を聞かせてもらう。
 
出演 加賀美幸子
 
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繰り返し何度も放映されています。ネットで見ることもできてしまいます。
  

日曜美術館「アートの海に飛び込め ヨコハマトリエンナーレ2014」

NHKEテレ 2014年10月5日(日)  9時00分~9時45分 
再放送 2014年10月12日(日)  20時00分~20時45分
 
海外からも多くのアーティストが参加する現代アートの祭典「ヨコハマトリエンナーレ」。美術家・森村泰昌が中高生と会場を巡る。アートとの出会いが生む驚きと発見の冒険。
 
3年に1度、横浜を舞台に開かれる現代アートの祭典「ヨコハマトリエンナーレ」。今回、美術家の森村泰昌がアーティスティック・ディレクターを務め、「忘却」をテーマに、海外からも多くの作品を集めた。その会場で、森村と中高生がアートを巡る冒険を繰り広げる。時に難解といわれる現代アートの世界、しかし一歩踏み出して飛び込んでみれば、驚きと発見が待っている。最先端のアートを紹介しながら、冒険の様子をドキュメント。
 
出演 森村泰昌 井浦新 伊東敏恵
 
 
横浜美術館さんで開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2014 華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」が取り上げられます。同展には、「大谷芳久コレクション」というコーナーがあり、光太郎の詩集『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『記録』(同19年=1944)を含む、戦時下の文芸書、17点が展示されています。そこにふれるかどうかわかりませんが、とりあえず紹介しておきます。
 
 
実はBS日テレさんで先日放映された「ぶらぶら美術・博物館」という番組でも、「ヨコハマトリエンナーレ2014」が取り上げられましたが、「大谷芳久コレクション」は紹介されませんでした。
 
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月28日
 
昭和25年(1950)の今日、詩文集『智恵子抄その後』初版の稿料として30,000円を受けとりました。
 
この年の日記は現存が確認無題できておらず、書簡等の発受を記録した「通信事務」というノートの記述に依りました。
 
澤田伊四郎氏より三〇、〇〇〇円小切手(「智恵子抄その後」初版の礼として寸志) 同氏より校正刷 同氏より川根茶
 
版元の龍星閣は明確な印税制をとらず、その都度払いでした。
 
『智恵子抄その後』はこの年1月の雑誌『新女苑』に発表された同名の連作詩、「元素智恵子」「メトロポオル」「裸形」「案内」「あの頃」「吹雪の夜の独白」の六篇を根幹に、他の智恵子に関する詩文、山小屋生活に関する詩文を集めて編まれ、この年11月に刊行されました。

テレビ放映情報です。 

ETV特集「それでも道はできる~福島・南相馬 コメ農家の挑戦~」

NHKEテレ 2014年9月19日(金)24:00~25:15 = 9月20日(土) 午前00時00分~1時15分
 
福島県南相馬市で農業再生に取り組む農家を1年追ったドキュメンタリー。放射能に対する不安を抱えながら研究を続け、今年2月にはチェルノブイリの農家を訪ねる旅に出た。
 
番組内容
原発20キロ圏の内と外にまたがる南相馬市太田地区。ここでは農家自らが放射性物質の移行を究明しようと田の水や土を細かく調べ研究者と共に試験田を作ってきた。さらに収入確保のために太陽光パネルを設置、売電事業を始めるなど農業の火を消さないよう努力を続けている。今年2月にはウクライナを訪問、チェルノブイリ原発事故で被災した農家に会い農業再生のヒントを探った。30年後の「ふるさと」を見据えた農家の取り組み。
 
語り 上田早苗
 
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再放送です。本放送は9/13のやはり深夜にありました。番組内容の説明等に光太郎や智恵子の語がないのでノーマークでしたが、番組の感想をつづったツイッターの投稿などから、番組最後に光太郎の「道程」が引用されていたという情報を得ました。まあ、それがメインではないので、番組内容の告知にそれが入っていないのは仕方がないでしょう。
 
こういうケースは結構あります。テレビ番組に限らず、イベントやコンサートなどにしてもそうですが、終わってから光太郎智恵子に絡む内容だったというのが判明するケースです。終わった後で事前の告知をネットで見つけてみても、詳細が書かれておらず、光太郎智恵子に絡む内容であることが事前にわかりようがなかったりします。
 
今回のように再放送があればいいのですが、そうでない場合はそれっきりです。イベントにしても同様ですね。そういう場合には、「こんなイベント(テレビ番組)がありました」と、このブログでご紹介するのをためらいますし、紹介しないで済ませてしまうこともたびたびです。事前の告知をきちんとやらないということで、制作者なり主催者なりの意気込みがそれほどでないのかな、と判断し、そういうものを紹介する気にならないというスパイラルです。
 
つい先日も、ある伝統芸能の公演でそういうことがありました。それを観た方のブログでそういう公演があったと知り、事前告知的なページを探したところ、やはり詳細が書かれていなかったケースです。その方のブログには「例によって特にコレといって宣伝も告知もされていなかった印象で、ガラガラというほどでもないけど、スカスカという感じ。「○○回記念公演」というには、いささか寂しい」「素朴なギモン的に、 それで結局、いったい何のためにやっているのだろう?やっぱし思い出作りかな?」といった文言が並んでいました。「例によって」とあるので、いつものことなのでしょう。しかし、終わった後に新聞では紹介されています。主催者はそういうところにあぐらをかいているのではないかとうがった見方をしてしまいます。
 
「仲間うちでこぢんまりとやる」とか、それこそ自分たちの「思い出づくりのためにやる」というのならいいのですが、だったら「公演」と銘打つなと思います。
 
話がそれましたが、「ETV特集」、ぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 9月18日
 
平成5年(1993)の今日、埼玉県加須市の福祉会館大ホールで、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生の講演「与里と光太郎の時代」がありました。
 
「与里」とは斎藤与里。明治45年(1912)、岸田劉生や光太郎らとヒユウザン会(のちフユウザン会)を結成し、日本洋画の革新を目指した画家です。
 
加須は与里の故郷で、この日の講演は「斎藤与里記念館建設をすすめる会」の報告会の一環でした。他に光太郎詩の朗読、合唱、資料展示なども行われたとのことです。

テレビ放映情報です。  

土曜スペシャル「東北縦断700キロ!名峰・名湯を巡る旅」

 テレビ東京 2014年8月16日(土)  18時30分~20時54分
 
番組内容
渡辺正行と秋本奈緒美のドライブ旅、第4弾!ゲストは舟山久美子。今回の舞台は、日本の原風景が残る東北地方!宮城・松島をスタートし、世界遺産平泉~八幡平~田沢湖~乳頭温泉~白神山地~十和田湖~奥入瀬渓流~八甲田山を巡る!道中には夏限定の絶景や名湯、美味がズラリ!
 
出演者
渡辺正行、秋本奈緒美、舟山久美子 ナレーター キートン山田


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ニッポン絶景街道 十和田・奥入瀬水神街道「大和朝廷も恐れたみちのく謎の文化とは」 

BS朝日1 2014年8月21日(木)  22時00分~22時54分
 
番組内容
昨今話題となっている国内最大級の縄文集落跡が発見された三内丸山遺跡。ここ10年で発掘が進み、注目を浴びているこの場所で、かつて存在した縄文王国に思いを馳せます。その後、二人は八甲田山へ。緑深いブナの森を抜けると、神秘的な雰囲気の中にひっそりとたたずむ蔦沼が現れます。美しい景色を堪能した後は、十和田名物・バラ焼きで腹ごしらえ。鉄板で焼く牛肉の香ばしい香りが食欲をそそります。さらに、避暑地として人気のスポット、奥入瀬渓流へ。十和田湖から流れ出た水が長い歳月をかけ、千変万化の美しい流れを形成しています。その流れに沿って歩くと、緑豊かな樹木や大小様々な滝に癒されます。歴史散策の最終地点は十和田湖。約2千年前にできた美しい湖には、地元に根付く深い信仰がありました。みちのくの地に古くから伝わる文化や信仰の秘密に触れ、奥入瀬水神街道の絶景が物語る歴史を体験する旅です。
 
出演者
鵜川真由子(写真家)、梶本晃司(歴史街道案内人)
 
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どちらも十和田湖が扱われます。少しでも光太郎に触れてくれればいいなと思っております。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月16日
 
昭和20年(1945)の今日、詩「一億の号泣」を執筆しました。
 
   一億の号泣
 
 綸言一たび出でて一億号泣す
 昭和二十年八月十五日正午
 われ岩手花巻町の鎮守
 島谷崎(とやがさき)神社社務所の畳に両手をつきて
 天上はるかに流れ来(きた)る
 玉音(ぎよくいん)の低きとどろきに五体をうたる
 五体わななきてとどめあへず
000
 玉音ひびき終りて又音なし
 この時無声の号泣国土に起り 普天の一億ひとしく
 宸極に向つてひれ伏せるを知る
 微臣恐惶ほとんど失語す
 ただ眼(まなこ)を凝らしてこの事実に直接し
 荀も寸豪も曖昧模糊をゆるさざらん
 鋼鉄の武器を失へる時
 精神の武器おのずから強からんとす
 真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
 必ずこの号泣を母胎としてその形相を孕まん
 
 
この詩は、翌日の『朝日新聞』『岩手日報』に掲載されました。
 
ここには、戦時中、日本の正当性をひたすら信じ、天皇の神格をかたくなに疑わず、一途に国民の戦意昂揚に努めてきた光太郎の、目的を失った衝撃がよく表されています。
 
この後、花巻郊外太田村の山小屋での農耕自炊に入り、厳しい自然の中での生活が、光太郎をして自己の戦争責任の省察へと向かわせます。
 

同じ終戦の日の玉音放送を題材にした「終戦」という詩が書かれたのは、昭和22年(1947)。こちらは20篇から成る連作詩「暗愚小伝」の中の1篇です。
 
   終戦
 
 すつかりきれいにアトリエが焼けて、001
 私は奥州花巻に来た。
 そこであのラヂオをきいた。
 私は端坐してふるへてゐた。
 日本はつひに赤裸となり、
 人心は落ちて底をついた。
 占領軍に飢餓を救はれ、
 わずかに亡滅を免れてゐる。
 その時天皇はみづから進んで、
 われ現人神(あらひとがみ)にあらずと説かれた。
 日を重ねるに従つて、
 私の目からは梁(うつばり)が取れ、
 いつのまにか六十年の重荷は消えた。
 再びおぢいさんも父も母も
 遠い涅槃の座にかへり、
 私は大きく息をついた。
 不思議なほどの脱卻のあとに
 ただ人たるの愛がある。
 雨過天青の青磁いろが
 廓然とした心ににほひ、
 いま悠々たる無一物に
 私は荒涼の美を満喫する。
 
 
日を重ねるに従つて/私の目からは梁(うつばり)が取れ、」は、戦時中の光太郎をつき動かしていた軍部主導の国家倫理です。そこから自由になったことで「不思議なほどの脱卻」が訪れたというのです。
 
しかし、光太郎は他の多くの文学者のように、無邪気に民主主義を謳歌するというわけではありませんでした。同じ「暗愚小伝」の終曲、「山林」という詩では、以下のように謳っています。
 
 おのれの暗愚をいやほど見たので、
 自分の業績のどんな評価をも快く容れ、
 自分に鞭する千の避難も素直にきく。
 それが社会の約束ならば
 よし極刑とても甘受しよう。
 
他の多くの文学者たちが、戦時中に書いた戦意昂揚の作品を「あれは軍の命令で仕方なく書いたものだ」と言い訳していたなか、光太郎はこのように述べているのです。こうした自らの過ちを潔く認め、さらに自らを罰することを実践する(花巻郊外太田村での過酷な独居生活、彫刻の封印は7年に及びました)、そういう点こそ、光太郎の素晴らしさだと考えられます。
 
こうした戦後の光太郎の内面に眼を向けず、光太郎自身が否定した戦意昂揚の作品のみに眼を向け、「御用詩人」と断じるのはどうかと思います。逆に「これこそ大和魂」などと、戦時中の光太郎を賛美するのは論外ですね。
 
晩年の光太郎は、「終戦」の末尾の「いま悠々たる無一物に私は荒涼の美を満喫する。」の句をよく色紙などに揮毫していました。まさに当時の心境をよく表す句だったのでしょう。
 
「一億の号泣」の方は、終戦直後のまだ自己省察が進んでいなかった頃に、頼まれて揮毫することがありましたが、のちにはこれも戦意昂揚の詩の延長としてとらえるようになりました。
 
花巻に「一億の号泣」の詩碑を建立する、という話が起こった時、そうした光太郎の意を汲んで、光太郎の実弟・豊周や、過日亡くなった令甥・規氏、北川太一先生らが抗議、一旦は勝手に建てられた碑が撤去されたという経緯があります。しかし、撤去された碑はいつのまにか勝手に元に戻されてしまっています。別に光太郎の汚点だから無かったことにしろ、というわけではありませんが、残念です。

光太郎に関わる(関わるかも知れない)テレビ放映がぽつぽつあります。 

とことん歴史紀行2時間スペシャル「宮沢賢治~イーハトーブに見た夢~岩手・花巻」

BS11 2014年8月8日(金)  19時00分~21時00分
 
「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」「000グスコーブドリの伝記」など数々の名作を遺した宮沢賢治。彼の作品は今なお多くの日本人の心を掴んで離さない。今回は宮沢賢治が理想郷・イーハトーブとして描き、こよなく愛した岩手県花巻市を中心にゆかりの地を訪ねながら、宮沢賢治の素顔と知られざるエピソードに迫ります。さらにに「銀河鉄道の夜」に影響を受けたという漫画家・松本零士さん。宮沢賢治への想いを熱く語ります。番組では林風舎、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、大沢温泉、羅須地人協会、石と賢治のミュージアムや賢治が通ったそば屋・やぶ屋、小岩井農場なども訪れます。また「銀河鉄道の夜」をイメージした客車の"SL銀河"の勇壮な走りもお楽しみください。
 
ナレーション:石丸謙二郎
 
 
光太郎も 愛した大沢温泉が扱われます。さらに光太郎揮毫の「雨ニモマケズ」詩碑などが紹介されれば、と思います。
 

<ドラマ名作選>『浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件』

BSフジ・181 2014年8月9日(土)003  12時00分~13時55分
 
福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは?浅見光彦が事件の真相にせまる !!
 
出演 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作 榎木孝明 野際陽子ほか
 
もともとは平成18年(2006)2月24日に金曜プレステージの枠で、地上波フジテレビさんが放映した2時間ドラマの再放送です。BSフジさんで、たびたび再放送しています。今はもう使われていない、花巻の古い高村記念館でロケが行われました。
 
原作は内田康夫さん。昭和61年(1986)に刊行された浅見光彦シリーズの第10作です。
 
こちらのドラマはかなり原作に忠実に作られています。 

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014年8月11日(月)  6時35分~6時45分 再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたいコミュニケーション能力や自己表現する感性を育てる番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、痩蛙まけるな一茶是に有(小林一茶)、歌舞伎/「ドンタッポ」、はい!ここで名文/僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎、うた/マーチング・マーチ、やまなし。
 
出演 中村勘九郎,中村いてう,中村仲助,小錦八十吉,おおたか静流 ほか
 
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「はい! ここで名文」のコーナーで、「道程」が扱われます。このコーナーは、
 
ヨシタケシンスケさんのほんわかイラストと、名文が出会ったら、こんな楽しい世界になりました。日常生活のさりげないひとコマにどんな名文が出てくるのでしょう。みなさんも当ててみてくださいね。
 
だそうです。004
 
 
それぞれ、ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月5日
 
平成2年(1990)の今日、群馬県草津温泉に、光太郎詩「草津」の詩碑が除幕されました。
 
温泉街から少し離れた囲山公園に建てられたこの碑は、推敲の跡が激しく残る光太郎自筆原稿をもとに、鋳金家の西大由がステンレスパネルを制作、自然石に嵌め込んだものです。
 
当方、初めてここに行った時は真冬で、こんな感じでした。
 
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注文しておいた書籍が届きました。NHK Eテレさんで放映中の「日曜美術館」で司会を務められている、俳優の井浦新さんのエッセイ集です。 
2014年8月6日 青幻舎 定価1,600円+税
 
素顔のエッセイ
ポートレート満載、書き下ろしコラムも掲載
自分が興味をもったことに対して、
とことん突き詰めていく面白さを、
この本を通じて、体感してもらえると嬉しいです。
歴史・美術・日本の手仕事を、心から愛する井浦新が、
NHK「日曜美術館」での感動体験から人生観までを語りました。
紹介作家 本阿弥光悦、鈴木其一、河鍋暁斎、河井寛次郎、植田正治、藤城清治、ムンクほか全18篇。
特別コラム 「崇徳院が僕に舞い降りた」「展覧会の僕的見方」、「実はメモ魔なんです」ほか収録。
 
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井浦さんが司会に抜擢された昨年からの放映で、特に心に残っている18本について、それぞれの作家や作品を軸に、軽妙なエッセイが展開されています。
 
昨秋放映の「智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」も取り上げて下さいました。ありがたや。
 
その際には渋谷のNHKさんで、スタジオ収録に立ち会わせていただいたのですが、光太郎の彫刻に対する井浦さんの的確な表現に感心しました。今回もそれが生かされています。
 
ブロンズの『手』は、「関節のゴツゴツした感じや肉感が、ものをつくる人の手に見えてくる。職人の手というか、働いている人の生々しい手で、リアルさに迫力を感じます。」。
 
木彫の「鯰」には、「《鯰》の愛嬌のある顔と、木彫なのに、ヌメッとしているような皮膚感覚がたまりません。」。
 
同じく木彫の「蟬」では、「《蟬》の表現は、鋭い観察眼によるものですが、なんともさらっと彫られているところが凄い。」。
 
などなど。
 
特に感心したのは、「十和田湖畔の裸婦群像」(通称乙女の像)に対してです。番組の中では、十和田湖で実際に見て、なぜこの像がここのためにつくられたのか、違和感を感じたとおっしゃっていました。今回もそういう記述がありますが、それだけでなく、こうも書かれいています。
 
 だけど、今回の「日曜美術館」で、その違和感の理由が少しわかったような気がします。
 光太郎の生涯をとりまいていた、しがらみを一切脱ぎ捨てて、ひとりの人間として智恵子に向かった証でもあり、智恵子と自分のためだけに《裸婦像》をつくった。だから、人に見せるための「作品」になっていないのではないでしょうか。
 
十和田湖畔の裸婦像に対しては、以下のような、十和田の自然と一体化しているという評が一般的です。
 
 構想のすばらしさと、その大きさからくる重量感と、更にこの像の背景に原始林と湖のあることを念頭においたとき、私は宇宙性をもった或る深い「詩魂」を感じた。この像の立体感は、おそらく十和田湖の水面に対して過不足あるまい。
 (亀井勝一郎「美術と文学(二)」『群像』 講談社 昭和30年=1955)
 
 自然の中に置く彫刻はむずかしい。自然の大変な圧力を持ちこたえるだけの力のものか、あるいは自然の力の中に溶けてしまつているのだけが、美を感じさせる。湖畔の樹木の間に立っている緑青(ろくしよう)の二人の若い女は、自然の中にそれを見る者の心を反撥させることなく、調和していた。日本では、これだけに外の自然の中に出しておける彫刻は他に一つもない。ヨーロッパにだって滅多にない。
 (高田博厚「十和田湖像が意味するもの」『東京新聞』 昭和35年=1960)
 
しかし、井浦さんは、逆に十和田湖の風景の中のこの像に違和感を感じたそうです。それは、この像が智恵子の顔を持つことに由来し、個人的な制作動機も背景に持つことを鋭く見抜いているからで、ある意味、慧眼です。
 
光太郎自身も、公共の彫刻であるこの像に、個人的な制作動機が入っていることに後ろめたさを感じている部分があったようです。
 
 なお、東京のアトリエのことなどを相談しているうちに、「智恵子を作ろう」と、ひとりごとのように高村さんはいわれた。それはこんどの彫刻に対する作者自身の作意を洩されたものであつたが、高村さんはその言葉のあとで、そんな個人的な作意を十和田湖のモニユマンに含ませることは、計画者の青森県にすまないような気がすると、そんな意味の言葉を申し添えられたのである。
(谷口吉郎「十和田記念像由来」『文芸』臨時増刊号 河出書房 昭和31年=1956)

 
というわけで、なかなか鋭い井浦さんのご著書。ぜひお買い求めを。
 
光太郎以外にも、岡倉天心、宮澤賢治(藤代清治さんの影絵にからめて)、朝倉文夫など、光太郎と関わりの深い人物にも言及されています。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 8月2日
 
明治37年(1904)の今日、新詩社清遊会で赤城山を訪れた与謝野鉄幹、三宅克己、石井柏亭、伊上凡骨、大井蒼梧、平野万里を案内しました。
 
光太郎は前月から赤城山に滞在、後から来た一行を迎えての案内でした。
 
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左から、大井、鉄幹、伊上、光太郎、石井、平野、撮影は三宅です。

テレビ放映情報です。

日曜美術館 「野の花のように描き続ける ~画家・宮芳平~」

NHK Eテレ 2014年8月3日(日) 9時00分~9時45分 
        再放送 8月10日(日)20時00分~20時45分
 
去年、生誕120年を記念した展覧会が開かれたのを機に注目された画家、宮芳平。知られざる魅力に迫る。
 
司 会  井浦新,伊東敏恵
ゲスト   ドリアン助川
 
 いま、一人の無名の画家の絵が、人々の共感を集めている。長野の高校で美術を教えながら、生涯で数千枚に及ぶ油絵を残した宮芳平(みや・よしへい 1893~1971)。
生誕120年を記念して去年から始まった初めての大規模な回顧展が全国を巡回。すると「澄んだ魂から生まれたような絵」「自然、植物への愛情の深さを感じた」「これまででいちばん心にしみる絵画」といった感動の声が無数に寄せられ、都内で開かれた展覧会をアートシーンで紹介すると、「作品をじっくり見たい」「画家のことが知りたい」といった声が番組宛にも届いた。
宮が描いたのは、鮮やかな色と抽象的な形がおりなす長野の自然風景。優しさに満ちた母子の肖像。そして深い精神性を感じさせる、聖書を題材にした聖地巡礼のシリーズ。こうした絵の背景には、若き宮を愛した文豪・森鴎外との交流。教師と画家の狭間で揺れながら、独自の表現へと至る苦悩の日々が秘められていた。家族や教え子の証言、画家自身の言葉から知られざる実像に迫る。
 
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宮芳平は新潟生まれ、東京美術学校卒の画家。歌人の001宮柊二の叔父にあたるそうです。森鷗外の短編小説「天寵」の主人公としても知られています。
 
光太郎とも縁がありました。
 
宮芳平自伝』に、まだ学生の宮が、大正8年(1919)、腸チフスで駒込病院に入院していた光太郎を見舞ったという記述があります。また、宮の遺品の中から、この頃と推定される、光太郎からの葉書も見つかっています。
 
此間はだしぬけにお目にかかつたので却つて大変よろこびを感じました。
お葉書で今のあなたの生活をうらやましいほどにおもひます。 秋頃になつたら一度行つて遊びたくおもつてゐます。 砂の上をころがり廻らない事もう二年余になります。皆さんによろしく
 
そして昭和9年(1934)、信州諏訪で開かれた宮の個展の発起人に、光太郎も名を連ねました。
 
さらに、のちに宮の妻となる駒谷エンが、光太郎彫刻のモデルを務めたこともあるということです。
 
はっきりいって、マイナーな画家でしたが、昨年が生誕120年にあたり、各地で企画展「生誕120年 宮芳平展-野の花として生くる。」が巡回中で、ここにきてスポットがあたっています。同展は長野茅野市美術館、練馬区立美術館、島根県立石見美術館、新潟県立近代美術館と廻り、現在は安曇野市豊科近代美術館さんで開催中です(また稿を改めて書きたいと思っています)。
 
さて、「日曜美術館」。宮と光太郎とのかかわりが、少しでも紹介されればいいのですが……。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月29日
 
昭和6年(1931)の今日、智恵子が母・センに宛てて長い手紙を書きました。
 
智恵子の実家、長沼酒造は昭和4年(1929)に破産、一家は離散しています。僅かに残った山林の所有権をめぐり、セン、智恵子、弟の啓助の間に内容証明郵便が行き交い、骨肉の争いとなっていました。
 
この頃、センは、中野にあった智恵子の妹セツの嫁ぎ先、齋藤新吉の住まいに、のちに智恵子を看取る智恵子の姪・春子とともに身を寄せていました。しかし、智恵子はこのことを光太郎には秘密にしていたそうです。
 
直後に光太郎は『時事新報』の依頼で、紀行文執筆のため約1ヶ月の三陸旅行に出ます。その間に駒込林町のアトリエを訪ねてきたセンとセツが、智恵子の「異状」に気づきます。
 
この手紙も、文脈はおかしくないものの、非常に追い詰められている様子がうかがえます。
 
母上様
 きのふは二人とも悲くわんしましたね。しかし決して決して世の中の運命にまけてはなりません。われわれは死んではならない。いきなければ、どこ迄もどこ迄も生きる努力をしませう。皆で力をあはせて皆が死力をつくしてやりませう。心配しないでぶつ倒れるまで働きませう。生きてゆく仕事にそれぞれとつかゝりませう。私もこの夏やります。やります。そしていつでも満足して死ねる程毎日仕事をやりぬいて、それで金も取れる道をひらきます。かあさん決して決して悲しく考へてはなりません。私は勇気が百倍しましたよ。やつてやつて、汗みどろになつて一夏仕事をまとめて世の中へ出します。悲しい処ではない。そしてそれが自分の為であり、かあさん達の為にもなるのです。
(中略) 
 力を出しませう。私、不幸な母さんの為に働きますよ 死力をつくしてやります。金をとります。いま少しまつてゐて下さい。決して不自由かけません。もしまとめて金がとれるやうになつたら、みんなかあさんの貯金にしてあげますよ。決して悲観して(は)なりません。けふは百倍の力が出てきました。それではまた。

 
のちにセンともども、齋藤一家は九十九里に転居。昭和9年(1934)には、智恵子がここに転地療養することになります。

テレビ放映情報です。 

いにしへ日和 #107 福島県・二本松市・智恵子の空

BS朝日 2014年5月29日(木)  21時54分~22時00分
     再放送
 2014年6月5日(木) 21時54分~22時00分
 
時をこえ、小さな旅に出かけよう。今日は、いにしへ日和…日本の各地をめぐり、歴史上の人々が残した足跡をたどります。
 
“あれが阿多多良山、あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生まれたふるさと…"二本松市は「智恵子抄」のモデルとなった高村智恵子が生まれた地。造り酒屋だった生家が今も残され、光太郎との結婚後も1年の半分をここで過ごしたといわれています。
 
智恵子は、この故郷の空を「ほんとの空」だと言いました。 彼女が愛した故郷を訪ねます。
 
出演 ナレーター キムラ緑子
 
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5分間番組です。とはいえ智恵子をメインにあつかっていただけるので、ありがたい限りです。
 
放送予定が変更になったようで、実は2週間ぐらい前にこの内容が予告で出たのですが、すぐに取り消されました。「まさかお蔵入りか?」と思ったのですが、無事放送されるようで何よりです。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月24日000

平成7年(1995)の今日、日本放送出版協会から『みちのく文学散歩』が刊行されました。

当時、NHK-BSで放映されていた同名の30分番組全20回を出版化したものです。
 
メディアプロデューサー・残間里江子氏による「高村光太郎-『詩集・典型』を含みます。この項では、詩集『典型』(昭和25年=1950)が編まれた、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)をメインに、十和田湖も取り上げられています。
 
当時、この放送を見逃してしまいました。NHKさんの過去の番組は、一部のものが埼玉川口のNHKアーカイブス施設などに行けば「番組公開ライブラリー」ということで視聴可能なのですが、この番組は入っていません。販売用DVD等にもなっていません。
 
同じ番組の石川啄木を取り上げた回は、昨年、やはりBSの「プレミアムアーカイブス」という枠で再放送されました。これはNHKさんのBSや総合テレビで放送された番組の中から、反響の大きかったものをもう一度放映するというもの。光太郎の回もぜひ放映してほしいものです。
 
また、他にも光太郎智恵子を扱った番組が多数ありますので、そちらも観たいものです。

昨日、NHK Eテレさんで放映された「日曜美術館000」を拝見しました。
 
日本橋の三井記念美術館さんにて開催中の「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」展にリンクして制作されており、非常に見応えがありました。
 
同展出品作の中から、主に3つが大きく取り上げられました。
 
まず、安藤緑山作の牙彫「筍」。明珍一派の手になる自在置物、西村総右衛門による刺繍絵画「孔雀図屏風」。
 
それぞれ、現在も類似の作品を作っている工芸家の方にインタビューしたり、技法を再現してもらったりしながら紹介されており、興味深い内容でした。
 
それらの方々や、コメンテーターとしてご出演なさった同展監修者の山下祐二明治学院大学教授の語録です。
 
「人の手で出来る限界を追求している」
「人間3Dプリンター」
「誰が見たってびっくりする凄いもの」
「スポーツ選手が技の極限に挑戦するアスリート的な意識に似ている」
 
言い得て妙、です。
 
また、MCの井浦新さんが、自在置物の数々を実際に手にとられていました。画像の「蛇」など、すべての接合部が可動する仕組みになっており、どれだけ手間がかかっているんだと、舌を巻く思いでした。それは「筍」や「孔雀図屏風」にもいえることです。「孔雀図屏風」は、人間国宝の福田喜重氏によれば、「制作に3年かかるだろう」とのこと。
 
ちなみに自在置物の作者、「明珍」は、甲冑師の家系です。江戸時代になって、甲冑の需要が激減したことにより、その技術を応用してこうした自在置物に転じたとのことです。
 
ただ、明珍一派の全てが自在置物に転じたかというとそうではありません。東京美術学校で光太郎の一学年下だった明珍恒夫は、光雲の元で仏像彫刻の技術に磨きをかけ、卒業後は奈良美術院で古仏修復の仕事にあたりました。
 
こうした「工芸」の数々。評価が難しいところだと思います。技術的には本当に素晴らしいもので、まさに「超絶技巧」です。日本の職人の「ものづくり」に対する精神の極致といえるでしょう。
 
しかし、「芸術」という観点からみたらどうなのでしょうか。
 
光太郎晩年の談話筆記「炉辺雑感」(昭和28年=1953)の中に、おそらく自在置物を指すと思われる次のような一節があります。
 
 世間にはよく実物そつくり創ろうとする人がいる。ことに金でつくつたのなんかには、実に巧みに本物と似せてつくられているものがある。例えば、エビやカニの場合だつたらその足が動くようにできている。しかし、そういうものはいかに本物そつくりにできていても本物をへだゝること遙かに遠い。本物を創る為には本物にとらわれてはいけない。本物にとらわれて、本物に似せようとすると、本当の造型にはならないで、おもちやになつてしまう。
 
その前後にはこういう言も。
 
 蟬のあの脚を木でこしらえるのは、実に大変な仕事だ。芸術は一つの創造だから、事実ありのまゝの模写じやいけない。細いものを細く創つたんじや駄目。蟬の羽根は非常に薄いが、あれをそのまゝ薄く創つたんじや変なものになつてしまう。決して薄くなんて見えない。厚く見える。思いきつて厚く創ると却つて薄く見える。これが芸術というものである。
 
 彫刻は、蟬なら蟬を創るにしても一遍蟬から離れて、別の立場に立つて創らなければならない。そうすることによつて、はじめて蟬が模写にもおもちやにもならず、本当の蟬となることができる。人間の顔でも、その人を生写しにするというのでは彫刻にならない。たゞその人らしいものはできる。その人らしいもの、その人の影法師みたいなものはできるが、その人はできない。本物の影のようなもの、泡みたいなものを掴んでこれが彫刻だと喜んでいる人も少くないが、僕らはそんなものは彫刻と思えない。彫刻は、本当に出来れば、その人以上にその人となる。蟬以上に蟬、石以上に石となる。実物そつくりというわけじやないが、実物以上に実物となる。――これが造形芸術の奥の手である。
 
一言で言えば、方向性の違いだと思います。
 
光太郎は具象彫刻の作家だと言われますが、「人間3Dプリンター」のような方向性ではなく、具象の中にも抽象的な表現を取り入れています。それこそ蟬の羽根の厚さに対する処理などです。
 
それに対して安藤緑山の牙彫や明珍一派の自在置物などは、具象の極致。そこには「芸術」という意識はないのかも知れません。すると、どちらが上、どちらが優れている、そういう議論は不毛のような気がします。目指すものが違うのですから。
 
ともあれ、三井記念美術館さんで開催中、さらには来年まで全国巡回されるこの展覧会、ぜひご覧頂きたいと思います。
 
また、「日曜美術館」、今回の内容が来週日曜日、午後8時00分から再放送されます。ご覧になっていない方はこちらもお見逃しなく。同展に出品されている光雲作の木彫について言及されていなかったのが残念ですが……。
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【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月12日

平成10年(1998)の今日、広島県立美術館において「南薫造展―イギリス留学時代を中心に」が開幕しました。
 
南薫造は広島出身の画家。東京美術学校卒、光太郎と同年です。明治末にイギリス、フランスに留学。ロンドンでは光太郎と留学の時期が重なり、同じく画家の白瀧幾之助を交え、よく行き来していました。
 
同展では、明治40年(1907)と推定される光太郎から南に宛てた絵手紙も出展されました。
 
昨夕引越し申候。
ポリテクニツクの直ぐ側に候へば学校の御帰りがけにても御寄り披下度候。午後二時頃には小生大抵帰宅致し居候。夜は大方在宅の筈に候。
高村光太郎
 
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テレビ放映情報です。 

日曜美術館 「明治の工芸 知られざる超絶技巧」

NHKEテレ 2014年5月11日(日)  9時00分~9時45分 再放送 5月18日(日)  20時00分~20時45分
 
万国博覧会などを舞台に西欧に輸出され、爆発的な人気を誇った「明治の工芸」。時代が変貌する中、危機に見舞われた職人たちが、技の限りを尽くして生み出した驚異の世界。
 
象牙で作られた本物そっくりのタケノコ。体が自由自在に動く金属のヘビ。刺しゅうで描かれた巨大なクジャク。激動の時代、日本人の技と誇りをかけて生まれた驚異の世界がある。「明治の工芸」。万国博覧会などを通して西欧に輸出されたため、作品の多くが海外のコレクターの手に渡った。日本では長く忘れ去られた存在だったが「現代では再現不可能」とまで言われる超絶技巧にいま注目が集まっている。技の再現に挑み、秘密に迫る。
 
出演 明治学院大学教授…山下裕二, 司会 井浦新,伊東敏恵
 
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日本橋の三井記念美術館さんにて開催中の「超絶技巧!明治工芸の粋―村田コレクション一挙公開―」に関連しての番組です。出展中の光雲作木彫「西王母」「法師狸」も紹介されるといいのですが……。
 
ところで、番組公式ページに依れば、同展の巡回情報が更新されています。期日未定だった山口県立美術館さんが2015年2月21日~4月12日、さらに巡回先が一つ増えています。富山県水墨美術館さんで2015年6月中旬~8月上旬だそうです。
 
展覧会、番組ともにご高覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 5月5日

大正5年(1916)の今日、雑誌『婦人週報』に、智恵子のアンケート回答「女なる事を感謝する点」が載りました。
 
曰く、
 
 私に恋愛生活(現在の)が始まつてから、始めてさういふ感じを意識しました。これは一つの覚醒です。其の他にはまだ私には経験がありません。「女である故に」といふことは、私の魂には係りがありません。女なることを思ふよりは、生活の原動はもつと根源にあつて、女といふことを私は常に忘れてゐます。
 
いかにも智恵子らしい発言ですね。

テレビ放映情報です。

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014年4月28日(月)  6時35分~6時45分 
      再放送 2014年4月28日(月)  17時15分~17時25分 
 
コミュニケーション能力や自己表現する感性を育てる番組。今回は、痩蛙まけるな一茶是に有(小林一茶)、「ドンタッポ」、 「道程」、 うた/マーチング・マーチ、やまなし。
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけけることができます。今回は、痩蛙まけるな一茶是に有(小林一茶)、歌舞伎/「ドンタッポ」、はい!ここで名文/僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる「道程」高村光太郎、うた/マーチング・マーチ、やまなし。
 
中村勘九郎,中村いてう,中村仲助,小錦八十吉,おおたか静流 ほか
 
この番組オリジナルの坂本龍一さん作曲「道程」が使われると思います。しつこいようですが今年、平成26年(2014)年は「道程」100周年。100年経っても色あせず、幼い世代にも語りかけているのですね。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月22日

大正10年(1921)の今日、叢文閣からエリザベット・ゴッホ著、光太郎訳『回想のゴツホ』が刊行されました。
 
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エリザベット・ゴッホは画家のフィンセント・ファン・ゴッホの妹です。内容的には題名の通り、ゴッホの評伝が根幹です。
 
光太郎の翻訳になるこの書籍、元々はカバーが附いた状態で発行されましたが、現在、なかなかカバー付きのものに出会えません。当方が持っているのも裸本です(上記画像)。
 
たまにカバー付きが古書市場に出ても、カバーが大きく破損しているものが多いのです。カバーはこんな感じの筈。色合いはよくわかりません。
 
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完品を安く手に入れたいものです。当方、古書の場合、状態にはそれほどこだわりませんが、光太郎本人の著作は、できるだけ光太郎が手に取った状態に近いものであるにこしたことはありません。

福島は安達太良山関連のテレビ放映情報です。 

特集 小さな旅「山の歌」

2014/04/12(土)15:05~16:00 【NHK総合1・福島】
 
各地の山を訪ね、雄大な景色と峰に思いを寄せる人々の姿を見つめる「小さな旅・山の歌」総集編。花の名山、北海道の夕張岳。神戸の背後にそびえ、近代登山のはじまりとされる兵庫県の六甲山地。山小屋に物資を運ぶ歩荷(ぼっか)の思いに触れる秋の尾瀬。智恵子抄の「ほんとの空」の舞台、福島県の安達太良山。滝雲がりょう線を覆う新潟県の越後駒ヶ岳など、多彩な山々の映像美と、山人たちが織りなす物語をつづります。
 
出演者 語り 国井雅比古,山田敦子
 
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昨秋放映された「シリーズ山の歌 秋 ほら、空が近くに~福島県安達太良山~」を含む総集編のようです。
 
光太郎・智恵子の話を枕に、澄み切った青い「ほんとの空」と、安達太良山を訪れたり、そこで働いたりしている人々の横顔。美しいだけでないこの国の現状が凝縮されていました。
 

旅するハイビジョン 全国百線鉄道の旅 第85回「北へ向う大幹線 東北本線」

2014/04/13(日)15:00~16:00 【BSフジ・181】
 
首都・東京と岩手県盛岡を結ぶ全長575.7kmの東北本線。北の玄関口・上野駅からは寝台特急が出発、旅情をかきたてます。大宮、宇都宮と北関東の都市を結びつつも日光、そして那須高原へと東京の奥座敷、観光地への移動手段でもあります。高村光太郎の詩で有名な安達太良山や、吾妻山、蔵王連峰を眺めながら福島を南北に抜け、桜の名所で有名な白石川堤では毎年春、桜の花に染められた景色の中を列車が走ります。
 
ナレーター 八木早希
 
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番組説明の中で光太郎の名が出ていますので、少しは紹介されると思います。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月9日

明治45年(1912)の今日、京都府立図書館で開催され、光太郎も賛助出品していた津田青楓作品展が閉幕しました。
 
津田青楓は京都在住の洋画家。光太郎は留学先のパリで津田と相知り、帰国後もしばらくは交流が続きました。

 
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このブログでたびたびご紹介してきた、宮城県女川町の「いのちの石碑」――同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトに関するドキュメントです。
 
 
当方、文字情報をいろいろと見てきましたし、過日は東京表参道山陽堂ギャラリーさんで行われた「女川だより――あの日からの「家族の肖像」展」のトークイベントを拝聴して参りましたが、映像で観るのはまた違うものでした。
 
「千年後のいのちのために」と、頑張る中学生達の姿には、素直に感動させられました。プロジェクトが始まった頃にはまだまだ子供っぽい顔つきだった彼らが、一基めの石碑を完成させる頃にはたくましい顔立ちになっていきます。若い世代のこうした姿を見ると、この国もまだまだ捨てたものではないな、と感じます。
 
BS放送、CS放送でも再放映されます。ご覧になっていない方、ぜひ。
BS日テレ        2014年4月13日(日) 11:00~11:30
CS日テレNEWS24  2014年4月13日(日) 18:30~19:00
 
映像もいいのですが、やはり実際に見てみたいものです。今年も8月9日には女川光太郎祭があるはずですが、その前に、智恵子のふるさと、福島は二本松で活動されている「智恵子のまち夢くらぶ」さんが、6月に研修旅行で女川に行かれるそうで、同道させてもらおうかと思つています。皆様もぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月8日

明治34年(1901)の今日、東京美術学校校友会倶楽部で、「彫塑会第二回展覧会」が開幕しました。 
 
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光太郎は石膏レリーフ「003仙」と「まぼろし」を出品しています。どちらも残念ながら現存が確認できておりません。

「まぼろし」については、光太郎自身、のちにこう語っています。
 
その頃初めて泥をいぢくり出し、例へば坊さんが月を見上げて感慨に耽つてゐるところや女の浴衣が釘にぶら下つてをるといふ妖気の漂ふ鏡花式みたやうなものを無闇に作つたが、それが当時の彫塑会では新しかつた。後にかういふことが間違つた新しい彫刻運動のもとになつたりした。
(「美術学校時代」昭和17年=1942 『知性』)
 
光太郎自身が後に否定する「文学的な彫刻」というわけです。

上の画像、『彫塑生面』は、この展覧会の図録的な冊子です。「仙」「まぼろし」の画像はここから取りました。
 

ひさびさにテレビ放映情報です。

NNNドキュメント'14 3・11大震災 シリーズ 千年後のあなたへ 15歳…いのちの石碑

地上波日本テレビ系  2014年4月6日(日)25:20~25:50=4/7(月)午前1:20~1:50
BS日テレ      2014年4月13日(日) 11:00~11:30
CS日テレNEWS24 2014年4月13日(日) 18:30~19:00
 
 千年後の命を守りたい…「地震がきたらこの石碑よりも上に逃げてください」と刻まれた“命の石碑”が津波の最大到達地点に建った。建てたのは宮城県女川町の中学生だ。今後、女川の21の浜のそれぞれの最大到達地点に21基建てる計画だ。必要な資金も自分たちで集めよう。修学旅行先や、企業へ出向いて募金を呼びかけた。1千万円を超える資金を彼らは集めきった。一基目の石碑にこう刻んだ。「夢だけは 壊せなかった 大震災」。
 
ナレーター 沢城みゆき
制作  宮城テレビ
 
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このブログでたびたびご紹介してきた宮城県女川町の「いのちの石碑」に関するドキュメントです。
 
 
同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。
 
明日は第58回連翹忌。高村光太郎、58回目の命日です。その直前にこの番組放送の情報を得、かつて毎年のようにご参加下さっていた女川光太郎の会事務局長だった故・貝(佐々木)廣氏――高村光太郎文学碑の建立に奔走され、2011年3.11の津波にてご逝去――のお導きかと思っております。
 
ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 4月1日

明治45年(1912)の今日、早稲田文学社主催装飾美術展覧会に、塑像「紫朝の首」を出品しました。
 
「紫朝」は盲目の新内語り、柳家紫朝。残念ながらこの彫刻はおそらく現存が確認できていません。
 
ちなみにこの展覧会には、智恵子も油絵を出品しています。

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