カテゴリ: テレビ/ラジオ番組等

第2話と第3話を混同していました。6月8日(月)、6月12日(金)の第2話では湯畑の話にはならないようです。

テレビ番組の再放送情報です。

プロレス温泉 第3話 【草津温泉を満喫】武藤敬司が語ったアントニオ猪木の温泉秘話

BS TBS 2026年6月15日(月)  23:30〜00:00 6月19日(金)  23:30〜00:00

プロレス界のレジェンド、長州力&武藤敬司が後輩の清宮海斗を引き連れ温泉へ。無類の温泉好きのプロレスラーが極上の温泉宿で心と身体を癒す!  本能の赴くままに行動。せっかちなベテラン長州力&武藤敬司とせっかちな大先輩に振り回されるしっかり者な後輩・清宮海斗が織りなすデコボコ温泉旅。温泉旅を通して見られるレスラーの筋肉美、3人の食べっぷりは必見! 長州&武藤の現役時代の秘話などプロレス談義も繰り広げます。

長州力と裸の付き合いをして距離を縮めた清宮海斗に…翌朝、思いもよらぬ悲劇が! 長州の投稿したSNSが騒動を巻き起こす! 湯畑で先輩たちのために、おつかいに出かける清宮。その裏で長州&武藤はやりたい放題。大先輩の珍行動に清宮絶句! 驚愕の展開が…

【出演】長州力、武藤敬司、清宮海斗(プロレスリング・ノア)
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今年3月から始まった番組で、第3話の初回放映は3月31日(火)でした。

草津温泉にはシンボルの湯畑の周囲に巡らせた白御影の柵に、黒御影のプレートで「草津に歩みし百人」の名が刻まれています。草津町の町制100周年記念事業として平成12年(2000)に設置されました。
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古代から昭和の草津を訪れた著名人100人をセレクトし、氏名、肩書、いつ草津に来たかが刻まれています。複数回訪れている場合には主な来訪年。
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光太郎も含まれています。ありがたし。

というか、同時に刊行された冊子『草津に歩みし百人』では、光太郎詩「草津」(昭和2年=1927)が巻頭にドーンと。
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似顔絵はあまり似ていませんが(笑)。
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以前にも書きましたが、光太郎の草津行は、詩「草津」を書いた昭和2年(1927)以後も、記録に残る限り昭和4年(1929)にはおそらく交流の深かった詩人の尾崎喜八と共に、それから昭和8年(1933)にも心を病んだ智恵子の保養のために訪れています。残念ながら尾崎や智恵子の名は「百人」に入っていません。

さて、「プロレス温泉」。

ちらっと「草津に歩みし百人」が取り上げられます。湯畑で長州力さんと武藤敬司さんが座ったベンチの前にも刻名プレートがあり、「こりゃ何だ? ああ、そういうことか」という流れでした。
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しかも、たまたまお二人の目の前が光太郎のプレートで、「高村光太郎、知ってるぞ」的な(笑)。
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さらにお二人、「いくら金を出せば俺らの名前を入れてくれるかな?」(笑)。「そういう問題じゃないだろう」と思ったのですが、調べたところあながち無くもないようで、何と平成26年(2014)には101人目として「ルシウス・モデストゥス」が追加されていました。映画「テルマエ・ロマエ」で阿部寛さんが演じた古代ローマの浴場設計師で、現代の日本にタイムスリップし、草津も訪れたという設定でした。こういう遊び心も良いですね。
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ちなみに草津温泉、中心街から少し離れた囲山公園には、光太郎の「草津」詩碑があります。光太郎の実弟で人間国宝だった鋳金家・髙村豊周の弟子筋に当たる故・西大由氏によってパネルが制作されました。光太郎が遺した手控えの詩稿を拡大したもので、平成2年(1990)の建立です。
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草津を訪れられる方、ぜひこちらもご覧下さい。ご覧下さい、といえば、「プロレス温泉」も
ぜひ。
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【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 33 『高村光太郎選集 2 一九一二-一九二三年 大正一-一二年』増訂版

昭和56年(1981)10月20日 春秋社 吉本隆明・北川太一編
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目次
 詩  友の妻 
泥七宝(四) 人に ヹネチヤの旅人 怨言 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
    涙 おそれ 泥七宝(五) 犬吠の太郎 カフエにて 冬が来る 或る宵 カフエにて
    夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘 人に
    カフエにて 深夜の雪 人類の泉 よろこびを告ぐ 冬の詩 冬が来た 粘土 牛
    僕等 あたり前 現実 道程 晩餐
 評論 彫刻に関する二三の感想
 随筆 所感
 評論 言ひたい事を言ふ 大正博覧会の彫刻を見て所感を記す
    印象主義の思想と芸術
     一 概観 二 エドワール マネ 三 クロード モネ及び新印象派画家
     四 アルフレ シスレー 五 カミーユ ピサロ 六 オーギユスト ルノワール
     七 エドガー ドガ其他 八 ポール セザンヌ、附、後期印象派 九 附言
     年表
 詩  妹に 猫 小娘 (奇麗にお化粧した) メロン 丸善工場の女工達
 評論 文展分評 彫刻
 随筆 彫刻家ガツトソン ボーグラム氏 高村光太郎彫刻会趣意
 評論 ロダンに就いて二三の事
 翻訳 ロダンの言葉・続ロダンの言葉(抄)
 訳詩 明るい時(エミイル ヹルハアラン)
 詩  雨にうたるるカテドラル ラコツチイ マアチ 米久の晩餐 クリスマスの夜
    真夜中の洗濯 下駄 冬の送別 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ
    冬の子供 樹下の二人 Abraham Lincoln 鉄を愛す とげとげなエピグラム
    (詩歌の城に)
 随筆 「一隅の卓」より
 追補
  詩  かなしきこころ 或問
  翻訳 反逆――ジヤン クリストフ(ロマン ロラン)
  随筆 私の事
 解題1 <自然>の位置 吉本隆明
 解題2 第二巻収録作品について 北川太一
 月報 智恵子遺珠2
  書簡Ⅳ 長沼両親宛 長沼両親宛 
  女流作家の美術観
 女なる事を感謝する点 私の最も幸福と感じた時 海か山かに
  書簡Ⅴ 長沼せん子宛 長沼今朝吉宛 長沼せん子宛 斎藤辰之介宛
  後記

初版は昭和42年(1967)。編年体でさまざまなジャンルの作品を一冊に収めた全6巻の第2回配本です。

光太郎第二の故郷、岩手花巻の旧太田村ではかつて毎年5月15日に「高村祭」という催しがもたれていました。光太郎三回忌の年にあたる昭和33年(1958)に第一回が挙行され、その際には光太郎が7年間暮らした山小屋(高村山荘)を覆う形で建設された套屋のお披露目、敷地内にたてられた正式な光太郎詩碑の第1号、「雪白くつめり」詩碑の除幕が行われました。
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5月15日は、昭和20年(1945)、前月の空襲で駒込林町のアトリエ兼住居を失った光太郎が、宮沢家の誘いで疎開のために東京を発った日です。夜行列車で花巻に到着したのは翌日でしたが、きりもいいということもあったのでしょう、15日が「高村祭」ということになりました。

その後、「高村祭」は連綿と続けられました。当初は光太郎と直接交流のあった人々による回顧談的な講演、地元の山口小学校の児童による光太郎から贈られた楽器を使用しての音楽演奏などが行われていました。

その高村祭、令和元年(2019)の第62回をもって終了となってしまいました。翌年からはコロナ禍もありましたし、沈静化後も以前の形での開催はもはや難しい、との判断だったようです。

それに代わるというわけでもありませんが、「花巻 光太郎を知る会」さんという有志の市民団体が、「雪白くつめり」詩碑前にお集まりになり、かつての「高村祭」のように詩碑に献花(詩碑の地下には光太郎の遺髯が分骨のように埋められています)、光太郎詩の朗読などをなさっています。

昨日の様子。画像を送っていただきました。
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「高村祭」だった頃には市の協賛もあり、地元の皆さんの演芸大会的な要素もあったりで賑わっていました。何とかそれに近い形での復活を心から祈念いたしております。

花巻ついでに、「花巻 光太郎を知る会」さんと構成員がかぶるやつかの森LLCさんの活動。

まず厳冬期を除いて概ね月イチで、市内のワンデイシェフの大食堂さんで出店されている「こうたろうカフェ」。ワンデイシェフの大食堂さんがキッチンを貸し出す形で、さまざまな団体・個人がランチを作り、販売するというシステムです。

先月は28日(火)に出店されたそうで、その際の画像。
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「食の匠のバクロウおこわ」「コロコロチーズ入りミートローフ」「マカロニサラダ」「エッグボート」「クルミとゴボウの甘辛煮」「タラボの胡麻和え」「赤魚のお吸い物」「クレープシュゼットのオレンジバター」「コーヒー」。基本、光太郎が自炊していたメニューや使った食材などを参考にしたものです。

「食の匠のバクロウおこわ」とあるのは、令和6年度の「岩手県 食の匠」に認定された、やつかの森さんのメンバー・新渕和子さんが得意とする「ばくろう茸」を使用して作ったもの。花巻では正月などに振舞われるごちそうだそうです。

mit岩手めんこいテレビさんで毎週土曜日の18:30~19:00に「山・海・漬」という番組が放映されているそうです。番組説明欄には「岩手の魅力を満載した番組です。岩手の様々なジャンルと素材(ヒト、モノ、コト)を遊び心いっぱいに、新鮮パッケージ。話題のグルメや観光スポット、岩手にまつわる歴史・文化・伝統などを『山・海・漬』ならではの視点でご紹介。」とあります。
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まだ詳細情報が出ていませんが、来週、5月23日(土)の放映・#1324で「こうたろうカフェ」が取り上げられるそうです。ワンデイシェフの大食堂さんのオーナーさんの推薦だとのこと。確かに光太郎が自炊していたメニューや使った食材などを参考という点で、申し訳ありませんが他の一般の出店者さんとは一線を画す特徴的なコンセプトですので、テレビ的には扱いやすいでしょう。

上記の4月28日(火)にロケ隊が入られたそうです。
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視聴可能な地域の方、ぜひどうぞ。また、今日の放映(#1323 春の山菜・野菜バンザイ)オンエア後YoutUbeに予告動画が出るようです。そちらもご覧下さい。

「こうたろうカフェ」としての今月分ももうすぐで、5月20日(水)だそうです。メニューも予告されていて、以下の通りです。

・こうたろう春巻き ・帆立のドレッシングサラダ ・ワラビの辛子和え ・ウドとタコの味噌かけ ・ほうれんそうの白和え ・餃子とチンゲン菜のスープ ・雑穀ごはん ・旬の漬け物 ・よもぎ餅 ・コーヒー

もう1件、同じくやつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。毎月15日に限定10食の販売です。

昨日販売分。
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2605弁当
2605弁当メニュー
「ホッケの塩焼き」「アスパラ入りちくわ天ぷら」「わらびのおひたし」「ウドの金平」「卵焼き」「筍ご飯」「白米ばっけ味噌のせ」「よもぎ団子」。

「ばっけ」はフキノトウ。光太郎が最も好んで使った食材の一つです。「こうたろうカフェ」でもそうですが、季節がら山菜系が多用されていてヘルシーな感じですね。

本日取り上げたもろもろ、永続的に続いて欲しいものと思っております。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 13 『高村光太郎詩集』角川文庫

昭和31年(1956)9月30日 角川書店 高村光太郎著
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目次
 Ⅰ
  序曲(一九二〇) 丸善工場の女工達(一九二〇) 米久の晩餐(一九二一)
  雨にうたるるカテドラル(一九二一) かがやく朝(一九二一)
  ラコッチィ マアチ(一九二一) 真夜中の洗濯(一九二二) 沙漠(一九二二)
  五月のアトリエ(一九二二) 落葉を浴びて立つ(一九二二) 冬の言葉(一九二二)
  送別(一九二二) 鉄を愛す(一九二三) 春駒(一九二三)
  
月曜日のスケルツォ(一九二四) 氷上技戯(一九二四) 偶作七(一九二四)
  
少年を見る(一九二五) 葱(一九二五) 無口な船長(一九二六) 冬の奴(一九二六)
  
火星が出てゐる(一九二七) 或る墓碑銘(一九二七) 母をおもふ(一九二七)
  
怒(一九二七) 冬の言葉(一九二七) 美を見るもの(一九二七)
  
花下仙人に遇ふ(一九二八) 当然事(一九二八) さういふ友(一九二八)
  
街上比興(一九二八) その詩(一九二八) 或る日(一九二九) 人生(一九二九)
  
ひとり酸素を奪つて(一九二九) 上州湯桧曽風景(一九二九)
  上州川古「さくさん」風景(一九二九) 触知(一九二九) 冬(一九二九)
  刃物を研ぐ人(一九三〇) 冷熱(一九三〇) 孤坐(一九三〇) 似顔(一九三一)
  のつぽの奴は黙つてゐる(一九三一) 蝉を彫る(一九三一)
  
美の監禁に手渡す者(一九三二) 晴天に酔ふ(一九三三) 首の座(一九三三)
  ばけもの屋敷(一九三五) もう一つの自転するもの(一九三六)
  
手紙に添へて(一九三八) へんな貧(一九三九) 最低にして最高の道(一九四〇)
  雪白く積めり(一九四六) 山林(一九四七) 「ブランデンブルグ」(一九四八)
  脱卻の歌(一九四八) 人体飢餓(一九四八) 東洋的新次元(一九四八)
  おれの詩(一九四九) 悪婦(一九四九) 山荒れる(一九五〇)
  
月にぬれた手(一九五〇) 鈍牛の言葉(一九五〇) 典型(一九五〇)
  女医になつた少女(一九五〇) 東北の秋(一九五〇) 大地うるはし(一九五一)
  十和田湖畔の裸像に与ふ(一九五三)
 Ⅱ
  清廉(一九二四) 傷をなめる獅子(一九二五) 狂奔する牛(一九二五)
  白熊(一九二五) 象の銀行(一九二六) 鯰(一九二六) 苛察(一九二六)
  雷獣(一九二六) マント狒狒(一九二六) 象(一九二六) 森のゴリラ(一九二六)
  北冥の魚(一九二六) 潮を吹く鯨(一九二六) 龍(一九二八)
  
ぼろぼろな駝鳥(一九二八) よしきり鮫(一九三七)
 Ⅲ
  クリスマスの夜(一九二二) 車中のロダン(一九二二) 後庭のロダン(一九二二)
  十大弟子(一九二六) 聖ジヤンヌ(一九二六)
  
ミシェル・オオクレエルを読む(一九二七) 旅に病んで(一九二八) 存在(一九二八)
  北島雪山(一九二九) 古事一則(一九二九) 耳で時報をきく夜(一九三〇)
  南極(一九三一) レオン・ドウベル(一九三二) 村山槐多(一九三五)
  荻原守衛(一九三六) 老耼、道を行く(一九三七) 団十郎像由来(一九三八)
  芋銭先生景慕の詩(一九三九) つゆの夜ふけに(一九三九)
  
銅像ミキイヰッツに寄す(一九三九) 人間拒否の上に立つ(一九五一)
 Ⅳ
  樹下の二人(一九二三) 夜の二人(一九二六)
  
あなたはだんだんきれいになる(一九二七) 同棲同類(一九二八)
  風にのる智恵子(一九三五) 千鳥と遊ぶ智恵子(一九三七)
  
値ひがたき智恵子(一九三七) 山麓の二人(一九三八) レモン哀歌(一九三九)
  亡き人に(一九三九) 梅酒(一九四〇) 荒涼たる帰宅(一九四一)
  若しも智恵子が(一九四九) 元素智恵子(一九五〇) メトロポオル(一九五〇)
  裸形(一九五〇) 案内(一九五〇) あの頃(一九五〇) 吹雪の夜の独白(一九五〇)
  噴霧的な夢(一九五〇) 
  暗愚小伝(一九四七)
   家 転調 反逆 蟄居 二律背反 炉辺
 解説 草野心平
 年譜

光太郎が没した昭和31年(1956)の出版(手持ちのものは昭和42年=1967の第25版です)。

この頃、光太郎追悼出版的にいろいろな書籍が出されましたが、当会の祖にして本書の編集にもあたった草野心平が髙村家の番頭よろしく窓口となり、生前の光太郎と関わりの深かった出版社に「おたくはこれ」と、割り振りをしました。中央公論社では随筆集『山の四季』と詩集『典型以後』、新潮社だと随筆集『アトリエにて』及び新潮文庫版『智恵子抄』、筑摩書房に彫刻写真集『高村光太郎』と翌年から出る『高村光太郎全集』、そして角川書店に本書。

オリジナル『智恵子抄』版元の龍星閣のみ、それらと関わりなく単独で画集『赤城画帖』を出版しました。

3件ご紹介します。

まず、ラジオ。

保阪正康が語る昭和人物史 詩人 草野心平 第1回

NHKラジオ(AM) 2026年4月18日(土) 12:15-12:45

詩人の草野心平は、明治36年福島県の生まれ。大正8年に上京し慶應義塾に学びますが中退し、大正10年に中国広州の嶺南大学に入学しました。その後、兄の影響で詩を作り始め、同人誌「銅鑼」を創刊して高村光太郎とも知り合い、親交を深めます。昭和27年10月にラジオ第1で放送した「婦人の時間 智恵子抄について」では、命日を迎えた光太郎の妻・智恵子の思い出や、智恵子が残した「紙絵」の芸術性について語っています。

出演 保阪正康 梯久美子

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この番組では、4月4日(土)と18日(土)に「詩人・彫刻家 高村光太郎」として2回にわたり、光太郎の肉声が流されました。

まず自作詩の朗読。4月4日(土)の第1回では「風にのる智恵子」(昭和10年=1935)と「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)。いずれも昭和9年(1934)に智恵子が千葉九十九里浜で療養していた頃を回想して後に書かれた詩です。それから4月18日(土)の第2回で、智恵子没後の詩「梅酒」(昭和15年=1940)も流されました。すべて昭和27年(1952)、NHKのラジオ放送のため、花巻温泉松雲閣で詩人・真壁仁と行った対談後に収録されたものです。

他に対談。「彫刻と人生」と題した美術史家で晩年の光太郎に親炙した奥平英雄との対談で、昭和28年(1953)12月27日の録音、翌年1月7日に文化放送さんでオンエアされたものから、第1回、第2回ともに抜粋で取り上げられました。

第2回の方はNHKさんの聞き逃し配信サイトらじる★らじるで4月18日(土)午後0:45まで聴取可能です。

そして光太郎に続き、やはり2回にわたり当会の祖・草野心平。4月18日(土)の第1回では昭和27年(1952)10月6日にNHKラジオでオンエアされた「婦人の時間 智恵子抄について」から。光太郎とそれほど交流の深くなかった人物ではなく、最も側にいた心平の証言ですので、貴重だと思います。当方、聴いたことがありません。

肉声と言えば、昭和の終わりまで生きた心平の肉声はたくさん残っていると思われます。しかし、光太郎がらみとなるとそう多くはないでしょう。

市販されたものとしては、かつてNHKさんで販売していたCD『昭和の巨星肉声の記録 文学者編 室生犀星 高村光太郎』(平成8年=1996)に光太郎との対談「芸術よもやま話」が収められています。昭和30年(1955)のもので、確認出来ている限り光太郎肉声としては最後の録音です。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についても語られています。
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同じ対談は平成2年(1990)、同じくNHKさんで発行した『NHKカセットブック 肉声できく昭和の証言 作家編6』にも収録されています。
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それから、別テイクで『オーディオ詩集 高村光太郎』。株式会社アポロンで発行していた「アポロンカセットライブラリー」のラインナップの一つで、昭和52年(1977)のものです。
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27篇の詩朗読を含み、うち25篇は俳優の岡田英次(昭和42年=1967の松竹映画「智恵子抄」で柳敬助をモデルとした椿英介役でした)、そして2篇(「鉄を愛す」「樹下の二人」)が心平の朗読です。また、合間合間の10ヶ所ほどに心平による解説も入っています。「智恵子抄」収録詩篇や光太郎智恵子との思い出などが語られ、「保阪正康が語る……」で流されるのと同一音源なのかな、と思いましたが、こちらは明らかに光太郎没後の内容で、カセットの発行の頃に新たに録音されたもののようでした。

このカセット、デジタルでの復刻が望まれるところです。ちなみに同じシリーズでやはり心平が朗読、解説を担った「宮沢賢治詩集」もあります。

さて、紹介すべき事項が山積しており、テレビ番組についても。

やはり4月18日(土)のオンエア。

<土曜サスペンス>浅見光彦シリーズ22 首の女殺人事件

BSフジ 2026年4月18日(土) 13:00〜15:00

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は? 宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは? 浅見光彦が事件の真相にせまる!!

出演者 中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作
    榎木孝明 野際陽子 ほか
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繰り返し再放送が為されているものですが、推理作家の故・内田康夫氏が昭和61年(1986)に発表された『「首の女(ひと)」殺人事件』を、ほぼ忠実に映像化した2時間ドラマです。初回放映は平成18年(2006)、光太郎彫刻の贋作を巡る殺人事件が描かれ、二本松の智恵子生家、花巻の旧高村記念館等でのロケが行われました。
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もう1件。こちらは来週。

歴史探偵 西郷隆盛 3つのミステリー

地上波NHK 総合 2026年4月22日(水) 22:00〜22:45

明治維新の英雄・西郷隆盛。日本史きっての有名人ながら、実はその生涯は謎だらけ。希代のカリスマとして新時代を築きながら、なぜ自らつくった政府に反旗を翻したのか?そして一度は逆賊とされながら、再び絶大な人気を得ることになったのはどうしてか?西郷をめぐる数々の謎を、各地に残る史料や証言、さらに上野の銅像などから徹底調査!今なお“西郷どん”が愛され続ける理由も解き明かす。あなたの知らない西郷がここにいる。

【司会】佐藤二朗 片山千恵子 【出演】多摩大学客員教授 河合敦 【リポーター】岡崎太希
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番組内容説明欄に「上野の銅像」とあり、光太郎の父・光雲が主任となって制作された西郷隆盛像も大きく取り上げられそうです。光雲の名が出るかどうか、というところですが……。

それぞれぜひご試聴ください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)21 『天平彫刻』 小山美術新書1

昭和19年(1944)11月10日 小山書店 児島喜久雄編者代表
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目次
 天平彫刻について 上野直昭
 天平時代の仏像に対する断片的考察 木下杢太郎
 天平彫刻の技法について 高村光太郎
 天平彫刻私観 平櫛田中
 天平彫刻雑感 安田靱彦
 素材より見たる奈良彫刻の特性 野間清六
 天平仏像の構造法 新納忠之介
 奈良時代の鋳もの 香取秀真
 東大寺建立と天平の仏像 筒井英俊
 戒壇院四天王像に見る「格」に就て 丸尾彰三郎
 天平時代の彫刻と万葉集との関係 久松潜一
 天平の肖像彫刻 小林剛
 天平彫刻と写真 大口理夫
 天平彫刻と様式問題 児島喜久雄
 須菩提 廣津和郎
 新薬師寺本尊に関する問題 田中倉琅子
 図版解説
 図版目次
  原色版 三月堂 梵天帝釈天(安田靱彦氏画)
  写真版 
   第一図 東大寺三月堂 不空羂索観音像(松山志郎氏撮影)
   第二図 東大寺三月堂 月光菩薩像(松山志郎氏撮影)
   第三図 東大寺三月堂 日光菩薩像(松山志郎氏撮影)
   第四図 東大寺三月堂 月光菩薩像(入江泰吉氏撮影)
   第五図 東大寺三月堂 日光菩薩像(入江泰吉氏撮影)
   第六図 東大寺三月堂 吉祥天像(入江泰吉氏撮影)
   第七図 東大寺三月堂 執金剛神像(入江泰吉氏撮影)
   第八図 東大寺戒壇院 持国天像(佐藤辰三氏撮影)
   第九図 東大寺戒壇院 増長天像(佐藤辰三氏撮影)
   第十図 東大寺戒壇院 廣目天像(佐藤辰三氏撮影)
   第十一図 東大寺戒壇院 多聞天像(佐藤辰三氏撮影)
   第十二図 東大寺戒壇院 持国天像部分(入江泰吉氏撮影)
   第十三図  東大寺戒壇院 増長天像部分(入江泰吉氏撮影)
   第十四図  東大寺戒壇院 廣目天像部分(入江泰吉氏撮影)
   第十五図 東大寺戒壇院 多聞天像部分(小川晴暘氏撮影)
   第十六図 増長天踏鬼(入江泰吉氏撮影)
   第十七図 廣目天踏鬼(入江泰吉氏撮影)
   第十八図 興福寺 阿修羅王像(佐藤辰三氏撮影)
   第十九図 興福寺 阿修羅王像部分(佐藤辰三氏撮影)
   第二十図 興福寺 五部浄像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十一図 興福寺 須菩提像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十二図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像部分(小川晴暘氏撮影)
   第二十三図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十四図 法隆寺夢殿 行信僧都像(小川晴暘氏撮影)
   第二十五図 新薬師寺 伐折羅像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十六図 聖林寺 十一面観音菩薩像(佐藤辰三氏撮影)
   第二十七図 東大寺大仏殿前 銅造燈籠扉(佐藤辰三氏撮影)
   第二十八図 東大寺大仏殿前 燈籠扉音声菩薩細部(松山志郎氏撮影)
   第二十九図 東大寺三月堂 不空羂索観音宝冠化仏(松山志郎氏撮影)
   第三十図 東大寺誕生釈迦仏像(松山志郎氏撮影)
   第三十一図 大安寺 聖観音像(佐藤辰三氏撮影)
   第三十二図 薬師寺金堂 三尊像(佐藤辰三氏撮影)
   第三十三図 法隆寺綱封蔵光背(小川晴暘氏撮影)

編輯にあたったのは、上記「保阪正康の……」の光太郎の回で対談者として音声が流れた美術史家の奥平英雄。その奥平の回想『忘れ得ぬ人々』(平成5年=1993、瑠璃書房)によれば、
 
製本所から小山書店に届けられたのはごく一部(部数は不詳)で、大半は十一月二十四日の空襲で製本所に在庫のまま灰燼に帰してしまった。マリアナ基地を飛び立ったB29約七十機が東京を初爆撃、神田錦町、鎌倉町一帯を爆撃した際、製本所も災害を被ったからである。こうして苦心の末出来上った『天平彫刻』も少数を残したまま烏有に帰したのである。したがって僅かに残った初版本は幻の書ともいうべき稀覯本となった。

とあります。

確かに昭和23年(1948)と同29年(1954)の復刻は時折市場に出ていますが、19年(1943)の初版は見かけません。しかし、実際のところ、「幻の書」と呼べるかどうか、と感じています。というのは、当方、三回、この本を手にしたからです。
 
まず、カバーなしの裸本を見つけて購入しました。その後、上記画像のカバーつきが売りに出ていたのでそれも入手。裸本は神奈川近代文学館さんに寄贈しました。さらにその後、たまたま訪れた名古屋の古書店でも初版を見かけ、手にとってみました。また、国会図書館さんにも19年版の所蔵があります。

それらは光太郎ら執筆者に届けられたものなのかもしれません。

NHKラジオさんで放送されている「保阪正康が語る昭和人物史」。 3月までタイトルが「放送100年 保阪正康が語る昭和人物史」で、毎週日曜日の夜にオンエアされていましたが、4月から「放送100年」が取れて、単に「保阪正康が語る昭和人物史」と改題、放送時間も土曜の昼に変更となったそうです。そのリニューアル後の記念すべき初回が、「詩人・彫刻家 高村光太郎 第1回」ということで、先週4月4日(土)のオンエアでした。光太郎の肉声も流されました。
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聞き逃し配信の「らじる★らじる」さんで拝聴しました。ご出演は評論家の保阪正康氏と、ノンフィクション作家・梯久美子氏。番組途中までは、お二人の光太郎智恵子への思いなど。概ね好意的に光太郎を評して下さり、敬愛の念が感じられ、その点は良かったと思いました。

一つ気になったのは「家事」。画家として大成することを目指していた智恵子が「家事」に追われ……みたいな。お二人ともそういう論調でした(光太郎を非難するという感じではありませんでしたが)。

実際、智恵子没後の光太郎の散文「智恵子の半生」に以下の一節があります。

互にその仕事に熱中すれば一日中二人とも食事も出来ず、掃除も出来ず、用事も足せず、一切の生活が停頓(ていとん)してしまふ。さういふ日々もかなり重なり、結局やつぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず……

結局やつぱり女性である彼女の方が家庭内の雑事を処理せねばならず」。この一言を以て「光太郎=結局は男尊女卑論者」説的なものがまかり通っています。80~90年代に毒舌のジェンダー論でテレビ番組に引っ張りだこだった女性論者など、頭からそう決めつけています。

しかしよく読むと、「一切の生活が停頓」する「さういふ日々」が「かなり重なり」ということは、実際にそういうことがたびたびあったわけで、智恵子が日々「家事」に追われていたわけでもないことが読み取れます。

また、同じ「智恵子の半生」で、

私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰つてゐた。田舎の空気を吸つて来なければ身体(からだ)が保(も)たないのであつた。

とあり、光太郎がゴリゴリの男尊女卑主義者であれば、そんなことは絶対に許さなかったのではないかと思われます。

また、光太郎は長男でありながら家督相続を放棄し、髙村家は実弟の豊周が嗣いで、光太郎は実家からは出たため、智恵子は舅姑の光雲夫妻と同居せず、「嫁」という立場ではなく、その分楽だったような気もしますし。それから、光太郎智恵子を知る人々の証言として、「光太郎が八百屋などで買い物をしているのはよく見かけたが、智恵子が買い物に出ているのは見たことがない」というのもあります。結局、光太郎、この当時としては一般の男性よりもかなり理解があったのではないかと思われますし、少なくとも「家父長論」的なものに縛られる人物ではなかったと断言できます。

閑話休題、放送の話に戻ります。番組中盤で、いよいよ光太郎肉声。

まずは昭和27年(1952)3月、やはりNHKのラジオ放送のため、花巻温泉松雲閣で詩人・真壁仁との対談が収録された後に収録された自作詩朗読3篇のうち、「風にのる智恵子」(昭和10年=1935)と「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)。いずれも昭和9年(1934)に智恵子が千葉九十九里浜で療養していた頃を回想して後に書かれた詩です。それから、智恵子没後の詩「梅酒」(昭和15年=1940)も収録されましたが、今回はオンエアされませんでした。

以前にも引用しましたが、録音に立ち会ったNHKの熊谷幸博アナウンサーの回想から。

 さらに私どもは詩の朗読の録音もお願いした。これも快く承諾されて、智恵子抄の中から“千鳥と遊ぶ智恵子”“梅酒”“風にのる智恵子”の三編を朗読された。梅酒のくだりではちょっと涙ぐんで朗読がとぎれた。この感動が伝わって私も涙ぐんだ。
(『日本放送史 下』昭和40年=1965 日本放送協会放送史編集室編 日本放送協会)

3篇全ての朗読はかつてNHKさんで販売していたCD『昭和の巨星肉声の記録 文学者編 室生犀星 高村光太郎』に収められています。その直前に収録された真壁との対談、それから下って最晩年の昭和30年(1955)、当会の祖・草野心平と行った対談も。
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また、「千鳥……」と「梅酒」の朗読は、平成14年(2002)山川出版社発行の中学校教材用CD『中学校 音の国語』にも収められています。それから「レモン哀歌」が現代の中田薫さんという方の朗読で。
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どちらも絶版のようですが……。

詩の朗読の後、美術史家で晩年の光太郎に親炙した奥平英雄との対談で、昭和28年(1953)12月27日の録音、翌年1月7日に文化放送さんでオンエアさた「彫刻と人生」から抜粋で。こちらは主に最近の生活ぶり。前年に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京して住んでいた中野の貸しアトリエで、一部はその前に7年間隠棲していた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)での暮らしです。

こちらは奥平著『晩年の高村光太郎』特装本(瑠璃書房 昭和52年=1977)に対談を収録したカセットテープが附録として付いており、そちらをお貸ししました。
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「彫刻と人生」は、新潮社さん発行の『新潮カセットブック 高村光太郎詩集』(平成2年=1990)に一部が収録されています。どちらも古書籍市場等でしか入手できないようですが……。

ほぼ全文は『高村光太郎全集』第11巻に文字起こしして収められています。ところが良寛の書について述べた数十秒程の部分がなぜか脱漏していまして、その部分は高村光太郎研究会さん発行の『高村光太郎研究(30)』(平成21年=2009)中の当方連載「光太郎遺珠」に収録しました。

さて、4月4日(土)の「第1回」、聞き逃し配信の「らじる★らじる」さんで4月11日(土)午後0:45の配信終了まで聴けます。どうぞお聴き下さい。

また、「第2回」のオンエアが今週末。

保阪正康が語る昭和人物史 詩人・彫刻家 高村光太郎 第2回

NHKラジオ(AM) 2026年4月11日(土) 12:15-12:45

今年没後70年の高村光太郎。大正3年に結婚した智恵子は、次第に体調を崩し、昭和13年に亡くなります。昭和16年太平洋戦争が始まると光太郎は戦争賛美の詩を多数作り、敗戦後は花巻市郊外の山荘で自給自足の生活を送ります。その折々の気持ちをどう表現しているのか?昭和27年3月放送の「自作朗読」で、光太郎は智恵子を思う詩「梅酒」を朗読。昭和29年1月文化放送の「彫刻と人生」では戦後の人生を語っています。

出演 保阪正康 梯久美子


「彫刻と人生」の「第1回」で放送されなかった部分から抜粋があります。

ついでというと何ですが(笑)、当会の祖・草野心平編が4月18日(土)と4月25日(土)です。以前に頂いた企画書的なデータによれば4月18日(土)は「婦人の時間 智恵子抄について」(昭和27年=1952)、4月25日(土)で「わが文学わが回想」(昭和58年=1983)から心平肉声が流れるようです。

それぞれぜひお聴き下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)15 『生活と文化技術』 

昭和16年(1941)11月20日 白水社 網戸武夫編者代表
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目次
 国防と文化 岸田国士      芸術と国民生活 高村光太郎
 生活の真の楽しさ 島木健作   生活と文化 内藤濯
 生活の秩序 片山敏彦      平衡感覚の鍛錬 颯田琴次
 医者の立場から 小林彰     家と生活合理化の方向 大泉博一郎
 住居・生活・文化 網戸武夫   国語教育 高倉テル
 これからの親の責任 波多野勤子 児童文化と児童観の問題 百田宗治
 演劇と生活 遠藤慎吾      文化政策 城戸幡太郎
 文化と教養 上泉秀信

太平洋戦争開戦目前ということで、目次を見てもキナ臭い感じです。光太郎の「芸術と国民生活」は、この年4月の心平主宰『歴程』に載ったものの転載です。

光太郎と同じくロダンによって目を開かせられ、光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛関連で2件。

まず、守衛を顕彰する信州安曇野の碌山美術館さんで、建屋2棟が新たに国の登録有形文化財指定を受けました。

『信濃毎日新聞』さん。

独特な意匠が特徴 安曇野市の碌山美術館の休憩室と旧収蔵庫、国登録有形文化財に

 文化審議会が登録有形文化財にするよう26日に答申した安曇野市にある碌山美術館の休憩室「グズベリーハウス」と旧収蔵庫「美術の倉」。いずれも開館10周年を記念して建てられ、独特な意匠が特徴。地域の教員や子どもが建築作業に携わり、手作りの温かみが感じられる。
 グズベリーハウスは1968(昭和43)年に作品展示や来館者の休憩が可能な「付属館」として建設。枕木を積み上げた校倉造りで屋根が小石で覆われている。同市出身の作家臼井吉見(1905~87年)の小説「安曇野」のラストシーンにも登場する。
 美術の倉は70年完成。床面積は7・3平方メートル。同館が作品収蔵する市出身の彫刻家荻原碌山(本名守衛(もりえ)、1879~1910年)がキリスト教の影響を受けたこともあり、扉などに十字架の装飾をあしらっている。
 碌山美術館では、荻原の作品を展示・収蔵する教会風の建物「碌山館」が2010年2月に国登録有形文化財となった。碌山館も地元住民や県内の子どもの寄付と協力で建てられた。学芸員の武井敏さんは敷地内の建物が「地域のボランティア精神によって完成したという経緯にも価値がある」と話している。
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『市民タイムス』さん。

碌山美術館の「グズベリーハウス」と「美術の倉」 国の登録有形文化財に

 安曇野市穂高の碌山美術館にある2棟の建造物が、国の登録有形文化財に登録されることになった。来館者の休憩室として使われている「グズベリーハウス」と、作品の収蔵庫として使われた「美術の倉」で、どちらも石置き板ぶき風の屋根や、払い下げの枕木を積み重ねて造った壁体が特徴だ。敷地の雰囲気に趣を添えている。
 国の文化審議会が26日、登録有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学大臣に答申した。登録される県内建造物は9件で、中信では同館の2件。
 グズベリーハウスは山小屋風の平屋93.9平方メートルで、会議や休憩用の場所として昭和43(1968)年に建設された。美術館設立に尽力した彫刻家・笹村草家人のデザインで、臼井吉見の長編大河小説『安曇野』の結末にも物語の舞台として登場する。
 美術の倉は高床式の7.3平方メートル。作品収蔵庫の不足を受けて45年に建設され、約20年前まで現役で使われた。破風板の上部に多くの十字架を飾り、屋根はこけむして独特な外観を有している。
 両棟とも旧南安曇郡の教員や学生らがボランティアで建設工事に携わった。グズベリーハウスのはりには、高校生の手による「自由 平等 献身」の言葉が彫り込まれている。学芸員の武井敏さん(52)は「ボランティアから始まった碌山美術館の成り立ちの一部を象徴している。珍しくもあり温かさもある建物を楽しんでほしい」と話している。
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SBC信越放送さん。

島崎藤村も訪れた楼閣風の建物や碌山美術館の展示施設も 新たに9件が国の登録有形文化財に登録へ

004 文豪の島崎藤村も訪れたという小諸市の水明楼や、安曇野市の碌山(ろくざん)美術館の展示施設など9件が、国の登録有形文化財に登録されることになりました。
 県の文化審議会が26日に文部科学大臣に対して登録有形文化財に登録するよう答申したものです。
 登録されることになったのは、長野市にある駒形嶽駒弓神社本殿、小山家住宅の主屋と土蔵及び離れ、長屋門、湯福神社の本殿と拝殿及び祝詞殿、小諸市にある水明楼、安曇野市にある碌山美術館のグズベリーハウスと倉の9件です。
 このうち、小諸市の水明楼は、小諸城跡南側の斜面に位置する小諸義塾塾長の木村熊二の旧書斎で、1900年に建設され島崎藤村なども訪れたという楼閣風の建物です。
 また、碌山美術館のグズベリーハウスは、1968年に美術館の開館10周年を記念して建てられたもので、払い下げられた枕木を積んで壁にしているほか、石置板葺風モルタル塗りの切妻屋根が特徴の山小屋風の展示施設です。
 登録有形文化財は、原則として建設後50年が経過し、国土の歴史的景観に寄与したり造形の規範になるなどしている建築物などを登録するもので、今回の9件が官報に告示されると県内の建造物の登録は671件になります。

最初、信越放送さんの記事見出しだけをネット上で見て、「碌山美術館」「登録有形文化財」といったワードで、てっきり本館にあたり、光太郎の名も刻まれた「碌山館」のことだと思い「あれっ?  とっくに指定されてたよな」と思いました。「碌山館」は平成22年(2010)に指定を受けています。
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ところが記事本体を読むと「グズベリーハウス」と「美術の倉」だとのことで「そっちかい」でした。
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「グズベリーハウス」は、毎年4月22日に開催される、守衛を偲ぶ碌山忌の集い会場です。毎回、冒頭に光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)が参加者全員で群読されます。

「美術の倉」は、元々収蔵庫だったもので、上記鳥瞰図にはその名が記されていませんが、受付兼ミュージアムショップの隣に立つ校倉造りの建屋です。

ともに昭和40年代の建造で、それほど古いものではないのに、と思ったのですが、昭和40年代というともう十分にそういう対象なのですね。昭和30年代生まれとしてはある意味複雑です(笑)。冗談はさておき、文化財指定、実に喜ばしいことですね。痛みの激しかったグズベリーハウスも令和4年(2022)に行われたクラウドファンディングで集まった資金の一部で補修が成されましたし。

昨年急逝された、同館の理事も務められていた太田寛前安曇野市長も泉下で喜ばれていることでしょう。

もう1件。3月29日(日)に放映された、NHK Eテレさんの「日曜美術館」。この日は銀座の王子ホールさんで開催された「朝岡真木子歌曲コンサート第9回@王子ホール」拝聴のため上京しておりまして、録画しておきました。帰ってから拝見したところ、碌山美術館さんにも触れられていまして、「おお!」でした。

この日の回は「日曜美術館」放映開始50周年記念の一環で、「放送開始50年特集 “わたし”の日曜美術館」と題された60分拡大版でした。スタジオには現司会者の守本奈実アナウンサーと坂本美雨さんに加え、歴代司会者のうち、檀ふみさん、井浦新さん、柴田祐規子アナウンサーが集われ、アーカイブ映像を振り返るというコンセプト。

その中で、初期の頃は各界の美術ファンが好きな絵画や芸術家について語る「私と○○」というコーナーがあったという流れで、碌山美術館さん。
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「私」が臼井吉見だったので、驚きました。臼井は昭和20年代、雑誌『展望』の編集長で、光太郎と交流の深かった人物です。光太郎は昭和22年(1947)、自身の半生と戦争責任を振り返る連作詩「暗愚小伝」20篇を『展望』に寄せ、一つのエポックメーキングとなりました。また、臼井は守衛や光太郎も登場する大河小説『安曇野』の作者でもあります。

当方、生きて動いている臼井の姿を動画で見るのは初めてでした。
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この言の裏側には、自身が親交のあった光太郎の姿も念頭に置かれていたのではないでしょうか。そして当方も自分自身光太郎顕彰に取り組む中で、いろいろ広がった人脈を思い、「そうなんだよなぁ」でした。

この頃の司会、太宰治息女の太田治子氏だったとは存じませんでした。司会と言えば、その後のアーカイブ映像で歴代司会者が続々映ったり、ビデオ出演されたりでしたが、こんな人も司会者だったんだと驚きの連続でしたし、臼井同様、存命だった美術作家や評論家などの生きて動いて喋っている姿もたくさんで、実に貴重だと感じました。

ちなみに同番組、光太郎メインの回(スタジオで収録を拝見しました)が「智恵子に捧げた彫刻~詩人・高村光太郎の実像~」として平成25年(2013)10月6日、光雲で「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」が平成27年(2015)5月31日にそれぞれ放映されましたが、今回の中では紹介されませんでした。何せ2,500回にも及ぶ放映でしたので、いたしかたありますまい。

再放送が4月5日(日)にオンエアされます。

日曜美術館 放送50周年 放送開始50年特集「“わたし”の日曜美術館」

NHK Eテレ 2026年4月5日(日) 20:00~21:00

 日美50特集の総決算の今回は、長年番組を愛していただいた視聴者、そして出演者の皆さんへの感謝祭。歴代の番組司会者が大集合して、番組が伝えてきた“美”を振り返る。
  2026年4月に迫った放送開始50年へのカウントダウンとして、昨年10月から制作してきた「日美50」プロジェクト。その総決算となる今回は、長年番組を愛していただいた視聴者、そして出演者の皆さんへの感謝祭。案内役として歴代の番組司会者が大集合!スタジオだけでなく、VTRやナレーションでも懐かしいあの顔、あの声が。半世紀の歴史の中で番組が伝えてきた「美」の魅力を改めて振りかえる。

【出演】檀ふみ 井浦新 小野正嗣 はな 山根基世 柴田祐規子
【司会】坂本美雨 守本奈実
【語り】石澤典夫 加賀美幸子 森田美由紀
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ぜひご覧下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)6 『世界美術全集別巻第七巻 西洋版画篇』

昭和5年(1930)12月15日 平凡社 下中弥三郎編
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目次
 総説
  西洋版画略史 石井柏亭     創始期の西洋版画 森口多里
  十八世紀の豔情版画 太田三郎  民俗版画 足立源一郎
  現代西洋版画展望 仲田定之助
 図版及解説

「図版及解説」中の「90 ユーゴー、ベローヌ ロダン作」を光太郎が執筆しました。分量はわずかですが、函には光太郎の名も執筆者として大きく掲げられています。

光太郎ゆかりの地、宮城県女川町で、東日本大震災後に全21基が建てられた「いのちの石碑」。建設資金は同町の光太郎文学碑を手本に、すべて募金でまかなわれるなど、文学碑の建立に尽力され、15年前、津波に呑まれて亡くなった当時の女川光太郎の会事務局長・貝(佐々木)廣氏の精神が受け継がれた活動です。

3月14日(土)、STV札幌テレビ放送さんのローカルニュースで、防災セミナーのために旭川を訪れられた、「いのちの石碑」建設中心メンバーお二人について報じられました。

あの日、被災した12歳は“父親”に…「繰り返してほしくない」東日本大震災を知らない世代へ 津波の記憶つなぐ

 あの日から15年。東日本大震災で被災した12歳の小学生はいま、娘を持つ父親になりました。震災を知らない世代が増えるなか、津波の記憶をつなごうと活動する男性の姿を追いました。

「亡くなった方も道端にいた」被災の経験を語り継ぐ
 「僕の家があった場所というのが、ちょっと坂を上った所の位置でして、津波、まあ来ないだろうなという思いでいました。僕の家の方も基礎しか残っていませんでした」
 被災した経験を語るのは、渡邊滉大さん27歳。ふるさとの宮城県で東日本大震災にあいました。
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 「マチはこんな感じで流されてしまっているので、(流された自宅に)行く道中は倒れた家だとか、大きい魚がごろごろいるような。亡くなった方ももちろん、道端にはいました」
 現在、札幌市内の会社に勤めている渡邊さん。15年前のあの日は、まだ小学6年生でした。
 「3月11日。あの日は雪が降っていたので。こんな感じのうっすらの雪」
 渡邊さんのふるさと・宮城県女川町。押し寄せた津波で800人以上が犠牲となり、マチは壊滅的な被害を受けました。
 「パキパキパキというすごい音が鳴って、その瞬間、誰かが『津波だ』と叫んだ。その声と同時に焦って逃げるように小学校のちょっと上に総合体育館があったので、そっちの方にみんなで逃げていく」
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 自宅にも津波が達し、親戚や知人が犠牲になった渡邊さん。選んだ道は、橋や道路を補修する仕事でした。
 「補修業界で、補修したことによって、災害が起きたときに緊急車両とかがいち早く現場に着けるような、違う角度から人の命を守る」

 「災害からいのちを守りたい」。その思いの原点が、女川に建てられた「いのちの石碑」です。
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「いのちの石碑」は、渡邊さんが中学生の時に同級生と考えた防災の取り組みです。津波が到達した地点よりも高い場所に、避難の目印となる「いのちの石碑」を設置。費用は募金でまかない、21基の石碑が完成しました。
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 「千年後の命を守るために」。石碑には中学生たちの思いが刻まれています。

当時12歳の少年は“父親”に「家族を守りたい」気持ちに変化
 震災から15年。渡邊さんにも家族ができました。妻の琳茄さんと娘の莉陽ちゃんです。
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 宮城県石巻市出身の琳茄さんは自らも被災した経験があります。
 「私たちが子どもの時に震災に遭って、悲しい思いだったり辛い経験をしたことを、できるだけ同じ思いはしてほしくないなと思うので」
 「いのちの石碑」に取り組んだ渡邊さん。社会人になってからも避難の教訓を伝える活動を続けています。
 「家族が増えて、家族を守りたい、自分の身を守ってほしい、そういう気持ちは強くなってきているかなと思います。これから震災を知らない子たちが何か起きたときに対応できるように、それをモチベーションにやっています」
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 甚大な被害をもたらした東日本大震災。実は北海道太平洋沖の千島海構沿いでは、それと同じクラスの超巨大地震と津波が切迫している可能性があります。
(北海道大学 高橋浩晃教授)「大体400年に1回ぐらいのペースで(地震が)繰り返し起こってきているということが明らかになっています。そして、前回の地震が今から400年前に起こったと、これも確かめられておりますので、次の地震はもう満期に達している」
 千島海溝沿いでは、陸側のプレートの下に海側のプレートが沈み込んでいますが、北海道大学などの研究チームが海底観測をした結果、海側と陸側のプレートがそれぞれ年間8センチ動いていることを確認しました。
 プレートの境界付近に巨大地震を引き起こすひずみが蓄積している可能性が高くなっていると分析しています。
(北海道大学 高橋浩晃教授)「400年の間に30メートルたまったエネルギーが一気に放出して大きな地震が発生する。超巨大地震が起こりますと、東日本大震災と同じような超巨大な津波が発生して、それが太平洋沿岸を襲うということになりますので、現在の想定では高さで言うと20メートルを超えるようなところもある」

子どもたちに震災の教訓を…「いつか思いがつながれば」
 この日、渡邊さんは講演のため、家族と一緒に旭川市を訪れました。渡邊さんの同級生で、一緒に「いのちの石碑」に取り組んだ鈴木智博さんも宮城県から駆け付けました。
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(渡邊滉大さん)「こういうタイミングでしか会う機会ないからね」
(鈴木智博さん)「ていうかこういうのも久々、かなり久しぶりだもんね。やっぱり15年経ってくるとなかなかちょっと少なくなってくるっていうのもあるし、お互いに引っ越したり仕事もある、少なくなってくる。呼んでもらえるのはありがたい」
(渡邊滉大さん)「本当にありがたい」
 3年ぶりの再会を喜ぶ間もなく、すぐに入念な打ち合わせに入ります。
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 震災の教訓を語り継ぐ講演会には、地域の住民や子どもたちが集まりました。ステージの傍らに設置されたのは、「いのちの石碑」のレプリカです。
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(渡邊滉大さん)「いま私たちの故郷の女川に何ができるか考えてみようというのが一番最初の授業でした。まず1つめ・絆を深める。2つめ・高台に避難できる街をつくる。3つめ・記録に残し、未来へ伝える。まだ若い世代だと思うので、将来、例えば僕が札幌で仕事をするように、どこで仕事をするかわからないような状態で、その時にタイミングが悪くてってこともあるかもしれない。そんなときに何か僕たちのこの話が役に立っていただければ幸い」
(鈴木智博さん)「震災後に起きた大津波によってふるさとは飲み込まれ、かけがえのないたくさんの宝物が奪われました。悲しみで涙を流すひとが少しでも減り、笑顔溢れる町になるよう祈り、そして信じています」
 「悲劇は2度と繰り返してほしくない」。その思いを15年前の2人と同じくらいの子どもたちにも伝えます。
(小学生)「こんなにも大きな被害が出ているとは思っていなかった」
(小学生)「自分の身の回りのことを気にしながら、そういう(防災の)ことを考えていきたいと思います」
(小学生)「今回だけでこの話を終わらせてはいけないと思うし、友達とかにもしっかり伝えて、災害の恐ろしさをずっとずっと伝えていきたいと思いました」
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(渡邊滉大さん)「15年が経つんだなっていうこと、僕も被災した当時はそのくらいの子だった。こんな話をして響くのかなって今の僕からしたらも思うんですけど、少なからずこの思いがどこかに響いて、つながってくれればいいなって思います」
 「千年後の命を守るために」。震災を知らない子どもたちに記憶をつなぐリレーはこれからも続きます。


15年の節目ということもあり、このところの数年間よりも今年は東日本大震災がらみの報道が多かったように感じました。例年ですと、3.11が過ぎるとそれらがぱたっと無くなっていたのですが、今年は3.11を過ぎても新聞報道やテレビ番組などで被災地の「今」が取り上げ続けられ、良いことだと思いました。

女川町に関しても、3月19日(木)、NHKさんで全国放送された「TOHOKU HEART FES」という音楽番組で取り上げられました。ゆずのお二人、宮世琉弥さん、佐々木莉佳子さんなど東北出身やゆかりというアーティストの皆さんがご出演され、仙台放送局さんが製作されたものでした。
無題7 無題8
無題9 無題10
その中で、震災直後から女川町を支援するために立ち上がったももいろクローバーZの皆さんと、女川町の方々との交流の様子が取り上げられました。

また、3月27日(金)の深夜には、NHK Eテレさんで「みるラジオ 中村雅俊、ロッコクを走る〜東日本大震災15年〜」という番組も放映されます。こちらは国道6号線(ロッコク)が縦断する福島県の浜通り地区が舞台ですが、番組予告ではわざわざ「宮城県女川町出身の中村雅俊さん」とことわられています。

みるラジオ 中村雅俊、ロッコクを走る〜東日本大震災15年〜

NHK Eテレ 2026年3月27日(金) 午後11:50〜午前0:40

福島県を南北に貫く国道6号線“ロッコク”。東日本大震災・原子力災害の影響で、ロッコク沿いの多くの町には全町民への避難指示が出された。震災から15年、避難指示は一部解除され、故郷に戻って来れた町民たちもいる。宮城県女川町出身の中村雅俊さんが、ロッコクを走り、メッセージ付きのラジオ体操を流すボランティア団体、土地を再生させる農家、震災の探究学習に取り組む高校生、夜の本屋を営む若者に会いに行く。

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ぜひご覧頂き、被災地の「今」、そして記憶の伝承、そういったことに思いを馳せいていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体) 80『高村光太郎秀作批評文集 美と生命 前篇』

平成22年(2010)3月30日 書肆心水 高村光太郎著
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目次
 生命の創造 彫刻の面白味 真に鑑賞する心 趣味という事 純一な芸術が欲しい
 芋と南瓜の触感 女みずから考えよ 女の生きて行く道 日本画に対する感想
 家具及住宅の美 所謂好趣味の人たるなかれ 芸術雑話 岩石のような性格
 令嬢の美しさと女優の美しさ 芸術鑑賞その他 家 日常の瑣事にいのちあれ 顔
 自刻木版の魅力 彫刻的なるもの ルイ十六世所刑の図 彫刻十個条 雑記帳より 人の首
 触覚の世界 生きた言葉 装幀について 夜の海 日本の秋と文学 七つの芸術
 詩人の知った事ではない 新茶の幻想 画に於ける詩精神 芸術する心 写生の二面
 小刀の味 能面の彫刻美 美意識について 蟻と遊ぶ 比例均衡 手
 某月某日(人間力の獰猛さ) 智恵子の切抜絵 某月某日(狂気と純粋性) ほくろ
 書について 

彫刻をはじめとする造型、それから文学についての光太郎評論を2分冊にまとめた前編です。一部、評論とはいえないエッセイ的なものも含みます。

この項、刊行順にご紹介しているのですが、昨日取り上げたハルキ文庫版『智恵子抄』と前後してしまいました。すみません。

今週土曜日のオンエアです。

土曜ゴールデン 温泉タオル集め旅21 この冬行きたい雪見の絶景露天SP 八幡平~花巻12湯 in岩手

地上波テレビ東京 2026年2月7日(土) 18:30〜20:55

これまで全国各地の温泉地を巡ってきた大久保・川村の温泉タオル集め旅。21回目の舞台となるのは、歴史と自然に包まれ、さまざまな泉質の名湯・秘湯がひしめく“岩手県”へ!旅をするのは、温泉好きな大久保佳代子と、温泉ソムリエアンバサダーの資格を持つ、たんぽぽの川村エミコ。道中には・・・
▽乳白色の野趣あふれる露天風呂
▽立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴
▽あわい緑色の美肌の湯など

岩手山の美しい稜線を望み、八幡平の山並みに囲まれた秘湯・松川温泉をスタート。入浴ヘビーローテーション。各施設のロゴ入り温泉タオルを計9枚集めながら、花巻温泉郷の奥座敷、新鉛温泉にある愛隣館の露天風呂に翌日午後5時までのゴールを目指す、1泊2日のガチンコ旅です!地元の人に聞き込みをしながら、その土地ならではの“絶品グルメ”や、“絶景の観光スポット”を大満喫。

スタートとゴール以外、向かう温泉地は2人で自由に決めてOK。ただし、温泉に入浴してからでなければタオルを買うことができない!せっかく温泉に入っても、タオルがレンタルのみや無地だった場合はノーカウントという厳しいルールも健在。今回の助っ人には、特別に2名が参戦!さらに旅を盛り上げます! 1日目に迎えたのは、お笑いトリオ3時のヒロインのゆめっち。2日目に迎えたのは、タレントの岡田結実。

2019年『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝を飾り、人気の波に乗るゆめっちと、2025年4月に一般男性との結婚を発表し、幸せオーラ全開の岡田は、1日5回以上の度重なる入浴や、モデル顔負けの早着替えに耐え、旅の助っ人として活躍できるのか? これまで13勝7敗と高い確率で成功を収めている大久保・川村。果たして21弾の舞台となる岩手県で無事ロゴ入り温泉タオルをゲットし、ゴールできるのか?

出演者 大久保佳代子(オアシズ)、川村エミコ(たんぽぽ) 
ゲスト ゆめっち(3時のヒロイン)、岡田結実
ナレーション 杉本るみ
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温泉好きの当方としては外せない番組で(笑)、ほぼ毎回拝見しています。

大久保佳代子さん、川村エミコさんのコンビと、毎回異なるゲストの方が温泉地巡りをし、温泉宿や公共入浴施設で販売されているタオルをゲット、そこに宿や施設オリジナルのロゴが入っていればOK、おおむね1泊2日で設定された規程枚数のタオルを集められればご褒美の豪華料理にありつけるというルールです。

令和3年(2021)4月に放映が始まり、今回で21回目。これまで光太郎智恵子の足跡が残る温泉地が何度か取り上げられました。福島岳温泉さん、栃木那須塩原温泉さん、信州別所温泉さんなど。しかし岩手が舞台になったことはなかったように思います。ただ、その2ヶ月前に放映されたシーズンゼロ的な「土曜スペシャル 冬本番! 雪見の名湯&絶景露天風呂SP~いいお湯・夢気分~」では、光太郎や宮沢賢治が愛した大沢温泉さんが取り上げられました。

今回は「花巻12湯」がサブタイトルに入っています。12湯には大沢温泉さん、それからやはり光太郎が通った鉛温泉さん、花巻温泉さん、台温泉さん、そして志戸平温泉さんが含まれます。番組説明欄に「立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴」とあるのは鉛温泉さんですね。それからゴールは
新鉛温泉の愛隣館さん。こちらは新しい宿ですが、12湯で初めて光太郎が浸かった西鉛温泉の系譜を継ぐ温泉地です。

2年程前だったか、番組のオリジナルグッズプレゼントにスマホから応募しまして、その際にコメント欄的な項目があったので「ぜひ花巻12湯を」と書きました。おそらく他にも同じような意見が寄せられていたのでしょう。

視聴可能な方、ぜひご覧下さい。テレ東系の放映が無い地域の方は、TVerさんなどの配信サービスでどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)35 『典型』 

昭和25年(1950)10月25日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 序
 雪白く積めり
 暗愚小伝
  家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  親不孝
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告 山林
 「ブランデンブルグ」
 脱卻の歌
 人体飢餓
 東洋的新次元
 おれの詩 悪婦
 山荒れる
 月にぬれた手
 鈍牛の言葉
 典型 
 田園小詩
  山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地
  岩手の人 山からの贈物 この年

旧著の再編や選詩集的なものを除くと、光太郎生涯最後のオリジナル詩集です。光太郎没後に『典型以後』が出されますが、そこに光太郎の意図は介在されていません。光太郎としてもおそらく生涯最後のオリジナル詩集となるだろうという予感はあったと思われます。

発行日が10月25日。第一詩集『道程』(大正3年=1914)も10月25日でした。意図してこの日にしたのか、偶然なのか、何ともいえないところですが。

テレビ放映情報です。

まずはアーカイブ映像の使い回しですが。

日本歌手協会歌謡祭プレミアム

BSテレ東 2025年12月17日(水)  19:00〜21:00

毎週水曜日は懐かしの名曲をたっぷりと聴くことが出来る2時間!赤、青、黄色・・・曲名や歌詞に「色」が入ったカラーソングをいろいろとお届けします!

「ルイジアナ・ママ」飯田久彦 「黒百合の歌」織井茂子 「イルカにのった少年」城みちる
「黒い花びら」湯原昌幸 「黒姫ものがたり」小沢あきこ 「桃色吐息」川中美幸
「赤と黒のブルース」鶴田浩二 「砂の十字架」中村晃子 「青い山脈」青山和子
「赤い花白い花」芹洋子 「真赤な太陽」秋元順子 「悲しき口笛」三山ひろし
「命くれない」瀬川瑛子 「白い花の咲く頃」岡本敦郎 「白い蝶のサンバ」森山加代子
「白いブランコ」ビリー・バンバン 「シクラメンのかほり」キム・ヨンジャ
「黄色いシャツ」浜村美智子
「黄色いさくらんぼ」牧山直江(スリー・キャッツ)、あべ静江、山田邦子
「みずいろの手紙」あべ静江 「月がとっても青いから」菅原都々子 「緑の地平線」青木光一
「新雪」高道(狩人) 「天使の誘惑」黛ジュン 「みかん色の恋」ずうとるび
「渡り鳥」三沢あけみ 「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ 「長崎の女」春日八郎
「亜麻色の髪の乙女」貴津章 「夏色のナンシー」早見優 「悲しい色やね」上田正樹

出演者 <司会>合田道人
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昭和39年(1964)にリリースされた、故・二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」の映像が使われます。これまでも同じ系統の番組で何パターンかが流されてきています。
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作詞は故・丘灯至夫氏。智恵子の故郷にして歌の舞台にもなっている二本松に近い小野町のご出身でした。
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二本松市では正午の防災無線のチャイムが「智恵子抄」です。


もう1件、番組ではなくCMですが、今月からオンエアされるようになったJR東日本さんの「大人の休日倶楽部」CMが「青森・奥入瀬」篇です。

冒頭にいきなり光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。
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ぼーっとテレビを見ていて突然「乙女の像」が写り、仰天しました(笑)。厳密にいうと「乙女の像」のある休屋地区は「奥入瀬」ではないのですが、よしとしましょう(笑)。

「大人の休日倶楽部」CMは、20年もの長きにわたり吉永小百合さんが出演されていましたが、今年から竹野内豊さんにバトンタッチされ、3月から放映されていた「福島・会津」篇に続いて2作目です。
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奥様役はJRさんでお名前を公表されていませんが、河井青葉さんという女優さんのようです。

お二人はJRバスに乗って、十和田湖から奥入瀬渓流へ。
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まさに今、現地はこんな感じなんでしょうね。

15秒バージョンとと30秒バージョンの2種が制作されています。



今後、ぜひ花巻篇や安達太良山篇、九十九里浜篇なども作っていただきたいものです(笑)。

【折々のことば・智恵子】

芸術の問題から、魂の事を除外しては――表現の技巧ばかりの事では――われわれを感動させる事は不可能です。


アンケート「好きな俳優=その理由=」より 大正13年(1924) 智恵子39歳

全ての芸術にあてはまることですね。

テレビ放映の情報です。

東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編

地上波NHK Eテレ 2025年11月29日(土) 16:30〜16:59

宮城県出身の鈴木京香さんが新しい東北の魅力を発見する旅番組!今回の目的地は、アート好きの京香さんがずっと行きたかった青森県十和田市。草間彌生など世界的アーティストの作品が並び、有名建築家が設計した美術館には国内外からアート好きが訪れる知る人ぞ知る人気スポット。京香さんはアート作品に大興奮!さらに“ひとりスナック”や伝統工芸「南部裂織」の体験にも挑戦!今まで見たことがない“素の鈴木京香”がいっぱい!(8月29日東北地方で放送)

出演者 【出演】鈴木京香 【語り】久保史緒里
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番組説明欄に「8月29日東北地方で放送」とあるのを当方、当時の配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。

今回の放映は30分の「パイロット版」だそうで、10月17日(金)には43分の「完全版」の放映もあった由、『朝日新聞』さんの青森版に記事が出ていました。そちらをご紹介した際「こうした地方限定の番組、系列のBS局などで放映してほしい」と書いたのですが、Eテレさんでオンエアされるとは意外でした。ただ、尺の関係もあるのでしょうか、「完全版」ではなく「パイロット版」です。それでも録画してDVDに残すことができますので大歓迎です。ネット上の動画等もDVD等に残す技があるのかも知れませんが、当方、そういうスキルはありません。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が取り上げられます。
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その他、市街地の十和田市現代美術館さん(先日の『朝日新聞』さんではそこのところを大きく取り上げていました)、南部裂織の工房、新刊書店、それから鈴木さん人生初スナック(笑)など。
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皆様もぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

ロダン夫人は、大きなサロンの中へ移されて、まるで睡つてゐるやうな様子であつた。ロダンはそれを見たがつた。彼は死者の顔の上へ身を屈めて、顔の上に接吻し、長い間つぶやきながら見てゐた。  ――美しい……古代彫刻の様に美しい……

光太郎訳 マルセル チレル「ロダン夫人の死」より
大正12年(1920)訳 光太郎41歳

ロダン夫人のローズ・ブーレは大正6年(1917)2月14日に亡くなりました。出会ったのは文久4年(1864)で、慶応2年(1866)には長男も誕生しますが、久しく内縁関係で(フランスでは事実婚は珍しくありませんでした)、正式な入籍は亡くなる2週間前の1月29日。ロダン自身も同じ年の11月17日に歿します。

このあたり、光太郎智恵子の関係にも通じますね。2人が出会ったのは明治44年(1911)、籍を入れずの結婚披露は大正3年(1914)、入籍は智恵子の心の病が昂進してからの昭和8年(1933)でした。そして妻に先立たれたという点も。

ローズが亡くなった際のロダンの様子からも、光太郎詩「レモン哀歌」や「荒涼たる帰宅」が想起されます。

ロダン貧窮時代にはさんざん苦労をかけられ、世に認められてからはカミーユ・クローデルとの愛人関係でまた一悶着。全てから解放されて亡くなって「古代彫刻の様に美しい」と言われて、嬉しかったかどうか……。

3件ご紹介します。

まずは完全に光太郎がらみで、ラジオ放送。

朗読のヒロバ 第59回 高村光太郎「智恵子抄」

TBSラジオ 11月23日(日) 05:05 ~05:15

日々研鑚したプロの技術で朗読すると、物語はより立体的に瑞々しく聞こえてくるものです。この番組では、TBSアナウンサーはじめ“声のプロ”である、アナウンサー、ナレーター、俳優、声優などが「ヒロバ」に集まる様な感覚で、毎月テーマを決めてお届けします。自らの技術を活かして、古今東西の名作を朗読!お楽しみに。

次回は、高村光太郎「智恵子抄」の作品を朗読!

【出演】佐藤文康 皆川玲奈 御手洗菜々
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続いてはテレビ番組。光太郎智恵子には触れられないような気もしますが……。

秘湯ロマン

地上波テレビ朝日 11月21日(金) 03:00~03:30

日本全国の秘湯と呼ばれる温泉の魅力を紹介します。今回の秘湯は福島県、飯坂温泉「鯖湖湯」「青葉旅館」「鯖湖湯」、穴原温泉「吉川屋」。

出演者 【旅人】佐藤あかり 【ナレーション】丸山未沙希
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福島市の穴原温泉・吉川屋さんが取り上げられます。光太郎智恵子が大正9年(1920)に泊まった宿です。画像は当方手持ちの古絵葉書。
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さらに、交流のあった作家・田村松魚に宛てた絵葉書。大正9年(1920)5月9日の消印です。
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穴原といふのは弦歌の巷 飯坂温泉の奥の幽邃の勝地です。君と一緒に一度遊びたいやうな気がします。
大阪時事の方はどうなつたか心懸りになつてゐます。
よろしく

松魚は智恵子の親友・田村俊子の夫で、夫婦ぐるみの交流がありましたが、この時点では既に離婚、俊子は新たな恋人・鈴木悦を追ってカナダに渡っていました。

建物は近代的な物に建て替わっているはずですが。

それから、番組では飯坂温泉も紹介されます。

「鯖湖湯」は共同浴場。
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平成14年(2002)に、飯坂温泉で故・北川太一先生を囲んで高村光太郎研究会が催されたことがあり、その際に入浴しました。50℃ほどもある熱い湯でしたが、ぬる湯は嫌いな当方としては大満足でした(笑)。

研究会会場で、宿泊もしたのは、なかむらやさんという蔵造りの宿でした。当時の写真を引っぱり出してみました。
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この研究会席上、北川先生から、行方不明になっていた光太郎木彫「栄螺」(現在は愛知小牧のメナード美術館さん所蔵)が見つかったと報告があり、仰天しました。昨日のように思い出します。

残念ながらなかむらやさんではく、近くの「旅館青葉」さん、それからやはり共同浴場の「十綱湯」さんが取り上げられます。

もう1件。こちらも光太郎智恵子の名は出て来ないとは思いますが……。

いいね!じゃぱん【行って楽しむ!日本のおすすめエリア特集!!】

BSテレ東 11月23日(日) 14:30〜16:00

毎回、日本全国にある「いいね!」と呼べるトピックを《いいね!探し隊》が、その土地ならではの良さを堀りさげてリポートします。まだまだ知られてない日本の魅力を徹底取材。観光スポットだけでなく、その地域ならではの産品や取り組み、人との繋がりなどたくさんのいいね!をお届けする地域情報番組です。

<山口県岩国市> 
 豪快!岩国寿司&清流が育む銘酒。着物で錦帯橋散策。老舗漬物店でぬか床作り体験。旅行のプロが注目する新たな岩国の魅力とは?

<岩手県花巻市> 
大谷翔平が育ったまちで未来のスターに遭遇? グルメもたっぷり堪能! 絶品ブランド豚&極上厚切り牛タン! &温泉地で見つけた売切必至の(秘)スイーツ

<福岡県八女市>
八女市を代表する“八女茶”は、この地域でしか出せない極上の味わい。100g10万円?高級玉露の味とは?さらに、八女に魅了された移住者たちに密着!

出演者 山川恵里佳(いいね!調査隊) 伊藤聡子(いいね!調査隊) <ナレーター> 根岸朗
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光太郎第二の故郷・岩手花巻が取り上げられます。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

私は五十歳頃まで、貧乏のあらゆる当惑を持つてゐました。しかし仕事する事の幸福が私をまつたく支へてゐました。それに、仕事しないと直ぐ、私は退屈します。物を作らないのは堪らない。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 ギユスターヴ コキヨ筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

ロダンが世に広く認められたのは、40歳近くなってから。さらにその後も経済的な困窮は暫く続きました。それでも彫刻制作ができるよろこびが自分を支えていた、と。

キーワードは「テレビ」です。

まず、10月29日(水)、IAT岩手朝日テレビさんのローカルニュース。花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」を紹介して下さいました。

高村光太郎の花巻市疎開から80年 企画展「昔なつかし花巻駅」【岩手・花巻市】

詩人で彫刻家の高村光太郎の花巻疎開80周年を記念した企画展が開かれています。
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岩手県花巻市にある高村光太郎記念館には、昭和初期の花巻駅周辺を当時の映像を参考に再現したジオラマが展示されています。
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花巻駅は、岩手軽便鉄道や花巻電鉄の開業とともに交通の要所として発展しました。
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会場では、秘蔵の映像を見ることができます。
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「昔なつかし花巻駅」と題したこの企画展は、11月30日まで開かれています。
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同じ件を既に地方紙『岩手日日』さん、NHKさん、IBC岩手放送さんでもご紹介下さっていますが、こうして時間差で取り上げていただいたほうがありがたいところです。報道を見て「行ってみようか」という方がいらっしゃるでしょうし、それが一気にではなく、その都度ということになったほうが、と思われますので。

もう1件、番組の再放送情報です。

わたしの芸術劇場 中村屋サロン美術館/中村彝アトリエ記念館

BS11(イレブン) 2025年11月3日(月) 01:05〜01:30

「美術館」をちょっと堅苦しい場所だと思っている方々へ送る番組。学芸員の方々が見せ方を工夫したり、今までにないテーマで企画展を開催したり、並々ならぬ苦労と最高のセンスで展示している。そんな美術館を「芸術を体験できる劇場」として捉え、舞台を鑑賞しているようなわくわくした気持ちにしてくれる番組。番組を見た後は、きっと美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は東京都新宿区にある中村屋サロン美術館。お菓子やカレーパンで有名な新宿中村屋が運営している美術館。創業者の相馬愛蔵は同郷の彫刻家 荻原守衛(碌山)や荻原を慕う若き芸術家などを支援し、明治末から大正、昭和初期にかけて多くの芸術家・文化人たちが、ここ中村屋に集った。日本近代美術の発展に大きく貢献した「芸術家たちのトキワ荘」、中村屋サロンに大きな拍手を!

出演者 片桐仁
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新宿の中村屋サロン美術館さんが取り上げられた回です。初回放映はTOKYO MXテレビさんで令和3年(2021)。BS11さんでは今年の7月2日(水)に放映がありました。

メインは中村彝。それから光太郎の親友だった荻原守衛にも触れられました。
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そして同館所蔵の光太郎油彩画「自画像」(大正2年=1913)も。
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BS11さんでのこの番組、以前からなのか最近のことなのか、ちょっと把握できていませんが、いろいろな曜日のさまざまな時間帯に放映されています。メインは土曜の午前中という位置づけのようですが、再放送がてんでバラバラの曜日・時間帯。
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他にも光太郎作品が取り上げられる回があり、今後も放映情報に注意してみます。

それはさておき、中村屋サロン美術館さんの回、ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

彼等は講義を聴く。或は実際の現実とは何の関係もない、曖昧な、抽象的な名辞のある術語で書かれた審美学の書物を読む。――其書物にはよく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです。かやうな有害な状態の下で何んな生徒が発達し得るでせう。


光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「彼等」は官立美術学校の生徒たち。ロダンのアカデミズム嫌いは徹底していました。

ところで「よく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです」。ネット上の情報でもそうですね。むしろ現代ではコピペが容易に出来るので、そうなりがちです。

閉口しているのは、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についての次の記述がネット上に溢れていること。

高村光太郎の最後の作品としても知られ、完成まで1年余りかかったと言われています。高さ2.1mの2人の裸婦が左手を合わせ向かい合っており、モデルは光太郎の愛妻で詩集「智恵子抄」で知られる智恵子夫人です。台座には婦人の故郷、福島産の黒御影石を利用しています。

まんまコピペしているサイト、多少の換骨奪胎がみられるものを含め、数十件見られますし、十和田湖に行かれた個人の方のブログなどでもあとからあとからこのフレーズ。見つけるたびに「またか」と頭を抱えています。

以前にも書きましたが、「乙女の像」は最後の作品ではありませんし(最後の作品は「乙女の像」除幕式で関係者に配付された記念メダル)、台座の石は福島産ではなく岩手産です。完成までにかかった時間は約半年ですし、「完成まで1年余りかかった」という書き方は「すごく長い時間をかけた」というニュアンスですが、逆にこの像は自らの死期の遠くないことを自覚していた光太郎が、異例の早さで仕上げたものです。

また改めてご紹介しますが、今月末に都内で開かれる「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」という催しで、パネルディスカッションのパネラーを仰せつかっており、ふと思い出した次第です。

テレビ番組の放映情報を2件。

まず、明日です。

わたしの芸術劇場 「千葉県立美術館(千葉県千葉市)」

BS11(イレブン) 2025年10月18日(土) 10時35分~11時00分

「美術館」を堅苦しい場所だと思っている方々へ送る。舞台を鑑賞しているような気持ちにしてくれ、番組を見た後は、美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は、千葉県立美術館。印象派から近代まで、女性像を描くことに情熱を注いださまざまな芸術家の作品を紹介。女性の肌の表現を探求したルノワールのさりげない高度なテクニックとこだわり。彼の影響を受けた多くのフランスの芸術家。そしてその風は日本にも。油絵の枠を超えて様々な作品に大きな影響を与えた。女性の表現を追求し続けた芸術家たちに、大きな拍手を。

出演:片桐仁

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元々はTOKYO MXテレビさんで放映されていたもので、今回のものは初回放映が令和4年(2022)2月12日でした。TOKYO MXテレビさん、自宅兼事務所のある千葉も田舎の方になると受信できず、当方も未見です。

メインで取り上げられるのはルノワールの絵画のようですが、光太郎のブロンズ「裸婦坐像」(大正6年=1917)も紹介されるようです。
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千葉と光太郎智恵子の縁は浅くないということもあるのでしょう、同館では光太郎ブロンズをいずれも新しい鋳造ながら8点収蔵してくださっています。

同番組、7月に放映のあった中村屋サロン美術館さんの回では、光太郎の油彩「自画像」(大正2年=1913)を取り上げて下さいました。
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もう1件、明後日です。

遠くへ行きたい【ますだおかだ増田が福島へ】名湯に絶品ソースかつ丼!

地上波日本テレビ  10月19日(日) 06:30〜07:00

ますだおかだ増田が福島の名湯と名物を巡る!
まずは安達太良山で高村光太郎の『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」と、秘湯の源泉の場所を教えてもらう。麓にある共同浴場「岳温泉」にお邪魔して湯につかってホッと一息。福島名産「桃狩り体験」でジューシーな桃にかぶりつく。そしていよいよ標高1500メートルにある秘境の源泉と対面することに! 安達太良山の自然が育む湯と名物を巡る福島旅のはじまりです!

旅のはじまりは福島県二本松市にある安達太良山から。増田は今回の旅の目的を秘湯と「ほんとの空」だと話す。高村光太郎の『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」が安達太良山にある、という。ロープウェイを降りると「安達太良・吾妻自然センター」の一瀬圭介さんが迎えてくれる。ほんとの空と秘湯の源泉もあると聞き、増田は一瀬さんといざ山道へ! 「この上の空がほんとの空です」との標識を見つけるが、残念ながら空には雲がかかっている。しかし、しばらくすると雲が晴れてきて――?!

安達太良山の麓にある「岳温泉」を散策する増田は、甘い匂いに誘われて「くろがね焼 玉川屋」へ。3代目・渡辺茂雄さんが目の前で焼いてくれる「くろがね焼」は玉子焼きのようないい香りがする! カステラ生地にこしあんが入ったシンプルな美味しさで岳温泉の名物だそう。

増田は渡辺さんがおすすめしてくれた共同浴場「岳の湯」へと向かう。湯の熱さが特徴だという。入浴料は大人400円、そのほかリーズナブルな値段で日帰り体験や素泊まりも可能だ。さっそく湯に入ろうとする増田、しかし本当に熱い! 先客の安齋善成さんが水道を少しひねって温度を調整してくれる。美肌の湯と有名なお湯の温度はなんと51度! さらに安齋さんが「湯守さんがいなくては湯を楽しめない」と教えてくれる。湯上がりに安齋さんの母・サチ子さんと対面した増田は、つやつやのお肌にびっくり!

次に増田は昼に行列のできていたソースカツ丼の店「成駒」を訪ねる。3代目・佐藤朋圭さんに「ソースカツ丼 ヒレ」をオーダーした増田は、出てきたカツ丼の分厚さとボリュームにびっくり! 成駒は昭和23年創業で、初代で祖父の伊助さんが終戦後の世でお腹いっぱい食べてほしい、との思いで始めたそう。その思いをつなげる朋圭さんの味と心意気に増田はうなる!

そしていよいよ標高1500メートルにある安達太良山の源泉を目指す! 増田は湯守の武田喜代治さんと遠藤憲雄さん、矢吹梓さんとともに山道を行く。途中までは車だが、かなりの悪路だ。それでも今日の安達太良山の空は青く、増田は「これがほんとの空?!」と感激する。源泉が通るパイプをさかのぼっていき、源泉のひとつに到着。透明なお湯が沸いている。ここから8キロ、約40分かけて麓の温泉へ流れていく。パイプの内側にはたくさんの湯花がついており、やわらかいうちに「湯花流し」という掃除を週に1度しなければならない。増田は湯守さんたちの労力を尊びながら、湯花流しをお手伝いする。

作業の終わりに増田は湯守さんおすすめの「ホテル光雲閣 山の湯 露天風呂」へ。湯花を流したあとの湯は乳白色になり「ミルキーデイ」と呼ばれている。増田は湯守さんたちに感謝しながらゆっくりと風呂につかる。

福島市には果樹園が多く、国道13号線は別名「ピーチライン」と呼ばれているそう。増田は「まるせい果樹園」を訪ね、全身ピーチ色の代表取締役・佐藤清一さんに迎えられる。桃には多くの品種があり、まるせい果樹園でも20~25種類ほどの品種を作っている。増田は佐藤さんと果樹園へ行き、佐藤さんが一番好きだという「川中島白桃」の収穫を体験! ジューシーな桃にかぶりついて大満足! 増田は佐藤さんに東日本大震災後の影響などについて聞きながら、温泉や桃、そして数々の名産を育む福島の自然と空を堪能した旅を振り返る。

出演者 ますだおかだ増田
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智恵子のソウルマウンテン・安達太良山とその周辺です。旧安達町の智恵子生家/智恵子記念館までは行程に入っていないようで残念ですが、ロープウェイ山頂駅近くの「この上の空がほんとの空です」木柱が取り上げられます。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

――歩行は景色の真相を見つけ出すのに一番いい方法です。自分の好きな程歩けて、自分の好きな時に立ち停れて、そして何もかも見てたのしめます。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

テレビで散歩番組などが隆盛なのも、こういうところからなのかも知れませんね。

昨夜、初回放映がありました。NHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」。かなりのクオリティーに仕上がっていて、胸をなで下ろしました。
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番組では「15代ヘンゼル」役の瀬戸康史さんと、「魔法のかまど」キムラ緑子さん(声のみのご出演)による調理や試食と、取り上げる人物紹介Vとが半々。

Vの方は、パリ、二本松、九十九里浜、十和田湖など、光太郎智恵子ゆかりの地の映像がふんだんに使われていたのが良かったと思いました。さすがNHKさん、この手のストックはかなりあるようです。
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それらをバックに光太郎詩文もたくさん取り上げて下さいました。

花巻に関しては、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館さん)制作の美術映画2種類から、光太郎自身の姿。
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当方を出演させて下さり、語らせていただきました。
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その他、語ったエピソードや、このブログから採られた内容などもキムラさんのナレーションでという部分も。
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これは智恵子の親友だった作家・田村俊子の弟子にあたる上田静栄の回想に書かれている大正4年(1915)頃のエピソードです。

高村先生がアトリエの北のすみの水屋にたたれて、レモンの浮いた冷たい飲み物をつくつてみなにすすめられた。たけの高いハイカラなガラスのコツプで、散歩のあとなのでとても美味しく頂いた。(未定稿「美しき思ひ出の人びと」昭和34年=1959頃 『歌文集 こころの押花』昭和56年=1981所収)

また、光太郎最晩年の日記にも「午后山口村の田頭さん奥さんと難波田さん夫人とくる、レモンスカツシ風にソーダ水をつくりて進ずる」(昭和29年=1954 8月22日)という記述があります。

手許にある『智恵子抄』初版(昭和16年=1941)も、やはりNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などに続いて「出演」。
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スタジオでは、「魔法のかまど」キムラさんのレクチャーで、「15代ヘンゼル」瀬戸さんが調理。レモンコーヒーがメインでしたが、レモンクレープも。
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最後にヘンゼルが試飲・試食。
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普段のこの番組ですと、お二人の会話が掛け合い漫才のようで時に爆笑させられるのですが、今回は基本的に切ない話でしたので、お二人もしんみりという場面が多い印象でした。
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それでも随所に仏語を盛り込むなど、あくまで軽妙に。

オープニングとエンディングには、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れました。
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放映終了後、X(旧ツィッター)でエゴサーチしたところ、そこに特化した書き込みも目立ちました(笑)。

さて、来週、再放送がありますし、NHKさんのサイト「NHK ONE」でも配信中です。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー(再)

NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

「智恵子抄」で知られる、詩人で彫刻家の高村光太郎。レモンには留学したパリで味わったコーヒーと、妻智恵子の思い出がしみ込んでいた。ロダンにあこがれ留学したパリで出会ったレモンコーヒーには、目の覚めるような思い出があった。一方、最愛の智恵子との悲しい別れにまつわるのも、レモンの記憶だ。智恵子の命日10月5日には、レモンを供え続けたという、光太郎の生涯とレモンの記憶をレモンスイーツとともにひもとく。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史

当初予定ではNHK総合さんでも10月13日(月)に再放送のはずでしたが、そちらは無くなったようで、残念ですが。

ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

――芸術に於ける描形(デツサン)は文学に於ける文体のやうなものです。目に立つやうに、出しやばつたり、様子ぶつたりする文体は悪い。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

気をつけます(笑)。

NHKさんで平成23年(2011)から放映されている「グレーテルのかまど」。そろそろ長寿番組ですね。
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10月6日(月)の放映では光太郎がメインで扱われます。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー

NHK Eテレ 2025年10月6日(月) 22:00~22:25
再放送 NHK総合 10月13日(月) 11:05~11:30  NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

高村光太郎とレモンにまつわる芸術と愛の物語を、パリでの出来事を書いた「珈琲店より」や智恵子抄の詩などとともに紹介します。スタジオでは「珈琲店より」に出てくるレモンコーヒーのほか、番組オリジナルのレモンコーヒーに合うレモンスイーツなどを作ります。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史
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スタジオでの調理や試食などと、取り上げる人物等のVでの紹介が半々、Vの方で出演させていただきます。製作会社さんからお話があり、先月、撮影クルー総勢4名の皆さんが千葉の事務所兼自宅へロケにいらして下さいました。都心からそこそこ遠いところ、申し訳なく存じました。

「珈琲店(カフヱ)より」は、明治43年(1910)4月、雑誌『趣味』に発表されたエッセイで、前年まで留学で滞在していたパリでの出来事が振り返られています。「レモンコーヒー」という語は書かれていませんが、「好きなCAFÉ AMRICANのCITRONの香ひを賞しながら室を見廻した」の一節があり、「CITRON」は「カフェ・ド・シトロン」を指すと考えられます。アメリカンコーヒーにグレナデンシロップを入れ、レモンスライスを浮かべたものだそうで。

スタジオ部分で出演、調理を担当される瀬戸康史さんは、グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」のヘンゼル15代目という設定。キムラ緑子さんがグレーテルかと思いきやそうではなく、「魔法のかまど」。お声のみのご出演で、ヘンゼルにレシピを伝授する役どころです。お二人の軽妙な掛け合いには毎回笑わせていただいております。
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瀬戸さんは平成27年(2015)秋から翌春にかけての連続テレビ小説「あさが来た」で、智恵子の母校・日本女子大学校の創設者、成瀬仁蔵を演じられました。光太郎は同校の依頼で成瀬の胸像を制作しています。
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キムラさんは、平成27年(2015)までBS朝日さんで放映されていた5分間番組「いにしへ日和」のナレーションを務められていました。同番組では「#107 福島県・二本松市・智恵子の空」(平成26年=2014)、「#122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉」(同)の2回、光太郎智恵子に触れてくださいました。

レモンと言えば智恵子。今回の放映も10月5日の智恵子忌日「レモンの日」にちなんでのもの。そこで智恵子についても語らせていただき、手許にある詩集『智恵子抄』初版も撮影されました。ちなみにこの初版本、やはりNHKさんの歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などにも「出演」。持ち主よりも活躍しています(笑)。
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また、昨夜放映された予告編では、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れていました。切ないメロディーが「レモン哀歌」の世界観にぴったりだと改めて感じました。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

又伝へるものは優美の事もあらうし、烈しい強さの事もあらうし、愛情的魅力の事もあらうし、制し難い激越の事もあらう。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

ロダンが彫刻について語った一節ですが、詩の世界にも言えることのような気がします。訳した光太郎もそう感じていたのではないでしょうか。

竹橋の東京国立近代美術館さんで開催され,光太郎著書なども展示されている「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」について。

まずテレビ放映の情報です。

日曜美術館 戦後80年 戦争画と向きあう

NHK Eテレ 2025年9月21日(日) 9:00~9:45  再放送 9月28日(日)  20:00~20:45

戦時中、軍の依頼を受け、画家・藤田嗣治や宮本三郎らが描いた「戦争記録画」。当時、国民の戦意昂揚を図るため描かれたそれらの作品と、今どのように向きあえばいいのか?

戦後80年を機に、東京国立近代美術館では「戦争記録画」二十数点を中心とした展覧会「記録をひらく 記憶をつむぐ」が開催中だ。番組では、祖父・宮本三郎の戦争画について考え続けてきた孫の宮本陽一郎さんをゲストに迎え、展覧会企画者の同館・鈴木勝雄さんとともに、宮本や藤田嗣治らによる戦争記録画の代表作をたどり、今、私たちがそれらの作品を通じて、どのように戦争の記憶を受け継いでいくのか、対話を重ねていく。

【出演】坂本美雨 放送大学特任教授/筑波大学名誉教…宮本陽一郎 千葉工業大学教授…河田明久
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今年は戦後80年ということでテレビ番組でもそれ系のものが多く制作されましたし、これまで同番組とセットの「アートシーン」でも取り上げられていなかったので、まるまる1回費やすかなと思っていたら、ビンゴでした。

同展については、センシティブな内容のためもあり、フライヤーもポスターも図録も制作されていません。その点が却って話題を呼ぶという逆転現象が起きています。

新聞各紙でも取り上げています(どうもある御用新聞は無視しているようですが)。ただ、多くは通常の取り上げ方。そんな中で、『東京新聞』さんは、かなり突っ込んだ紹介をしています。

見開き2ページで少し長いのですが、全文を。

東近美 最大規模の展示でもPR及び腰 戦争画は「センセーショナル」? GHQ接収、なお「貸与」状態 揺れる歴史認識 反発避けた? 派手にあおると「文脈見失う恐れ」

 東京国立近代美術館(東京都千代田区)が、現在開催中の展覧会で宣伝をほぼしないという異例の対応を取っている。展示の中心となるのは、戦時中に旧日本軍の委嘱などにより描かれた「戦争画」。これまで公開の機会が限られ、まとまって展示される機会は貴重なはずだがなぜか。経緯を追った。

ちらしもポスターもなし 来館者「もったいない」
 8月末、「こちら特報部」は展示会場を訪れた。
 マレー半島の浜辺を這(は)って敵陣の鉄条網を突破しようとする日本兵らを描いた「コタ・バル」(中村研一、1942年)や、日本軍守備隊が全滅した戦いを死闘図として描いた「アッツ島玉砕」(藤田嗣治、1943年)。激しい戦闘や果敢な日本兵の姿を題材にした大型絵画の数々が目を引く。戦時中、戦意高揚や戦争の記録のためにつくられた戦争画だ。東近美が管理する153点の戦争画のうち、過去最大規模となる延べ24点が10月26日まで公開される。
   当時のポスターや出版物などをそろえ、メディア環境も再現する。戦後の美術作品や、市民が被爆体験を描いた絵画も並ぶ。東近美は戦後80年を節目に、「美術が戦争をどのように伝えてきたかを検証する」企画だと説明するが――。
 実は今回、東近美は展覧会のちらしやポスターを作っていない。開催を知る方法は、同美術館のウェブサイトやメディアの記事に限られる。図録も作成されていない。
 さらに不思議なのは展覧会のタイトル。「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」と、戦争との関連性がわからない。会場のあいさつ文では「戦争体験を持たない世代がどのように過去に向き合うことができるかが問われている」と掲げるが、なぜ目立たない形で開催するのか。
  東近美側に意図を尋ねると、繰り返したのは「センセーショナルな宣伝をしたくなかった」との言葉だった。広報担当者は「美術館は歴史認識を問う立場ではなく、展示で戦争を扱うときはより丁寧な説明が必要。展示の文脈の意図と異なる切り取られ方をし、言葉が独り歩きすることは避けないといけない」と話す。
 当初は企業などとの共催を検討したが、集客のため「キャッチーな宣伝文句」を使われる恐れがあるとし、館単独で開催する自主展を選択したと説明。予算が限られ、他館からの作品輸送費などを優先し、ちらしや図録制作を断念したという。
 だが、実際に会場に足を運ぶと、幅広い年齢層の美術ファンや外国人旅行客で混雑し、「通常の自主展より多い」(広報担当者)というほど盛況。来場者に感想を聞いた。
   新聞記事で展示を知った大田区のパート女性(64)は「タイトルを見て地味な内容かと思っていたら、貴重な作品ばかり。こんなに迫力と見応えがあるのに、宣伝されないのはもったいない」と残念がる。「当時の人が戦争画に引き込まれた気持ちは分かる気がする」
 三鷹市の西本企良(きよし)さん(74)は「戦前からベトナム戦争まで扱い、アジア諸国への加害にも踏み込み、解説を含めて期待以上に深い内容だった」と驚く。「当時の日本人が戦争賛美に熱狂したことを知り、反省することは大事。もっと多くの人に絵を見てもらえるようにした方がいい」と注文した。

未来の「表現」考える契機「試み今後も積み重ねて」
 日本の戦争画の歴史は複雑な経過をたどってきた。 日中戦争から太平洋戦争にかけて、軍の委嘱を受けるなどし、多くの画家が戦地へ渡った。作品を発表した各地の展覧会は盛況だったとされる。終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が戦利品として多くの戦争画を接収。1970年にようやく「無期限貸与」の形で返還され、東近美に管理が委ねられた。
 返還後は修復を経て、1977年に同美術館で企画展が計画されたが、直前に中止に。日本に侵略されたアジア諸国や、自作だと認めたがらなかった画家らへの配慮があったなどといわれる。その後、同美術館は数点程度の展示にとどめてきた。 今回まとめて展示されたことに、一括展示の必要性を訴えてきた美術批評家の椹木野衣(さわらぎ・のい)氏は「返還後、最大規模の展示という点で画期的で、大きな前進」と捉える。
 一方、戦争画は国威発揚のプロパガンダに利用された点だけではなく、美術史の観点で捉えることも重要と説く。「描いたのは当時の日本の画壇のホープたち。日本の油彩画の歴史は浅く、歴史画や戦争画が主流の西洋美術を乗り越える千載一遇のチャンスとし、自ら進んでいった側面がある」とし、展示では「そうした歴史的位置付けはなされていない」と付け加えた。
 ようやく大規模展示に踏み切りつつ、宣伝に及び腰な東近美の姿勢に対し、美術ジャーナリストの永田晶子氏は「鑑賞者の立場に立っていない。国民の美的感性の育成も国立美術館の使命の一つだが、見てもらう積極性に欠ける」と指摘する。慎重な姿勢の背景を「歴史認識の問題が考えられる」とみる。「侵略か自衛かなどと、歴史認識は揺れている。アジア諸国の受け止めへの不安もあり、ハレーションを避けたかったのでは」 もっとも、東近美がちらし作成などをしなかった事情に予算上の問題を挙げたように、国立美術館の財政状況が厳しいのは確かだ。収入の多くを占める国の運営費交付金は、年々減少傾向にある。永田氏は「そうとはいえ、展覧会の周知が必要と考えたならある程度の予算調整はできたのではないか」と疑問視する。
 先の椹木氏は「米国からの無期限貸与の状態のままになっていることに縛られているのでは。今後、日本の『所蔵』に戻せるよう、国や米国への働きかけが必要になる」と述べた。 
 一方、戦争画に詳しい愛知県美術館長の平瀬礼太氏は、「派手であおるような宣伝は避けた方がいい」と理解を示す。宣伝や告知自体は必要としつつ、「ストーリーを作りすぎると、見る側が作品の文脈を見失う恐れがある」と強調する。
 写真と違って戦争画は場面を「創造」し、画家の戦争への関わり方も一様ではない。そのため、宣伝も展示説明も工夫が不可欠だという。「戦争の時代の美術は一つの解釈で語れるものではない。展示するからには、丁寧に背景を説明し、冷静に見てもらう仕組みが求められる」
 展示を巡る課題は多いが、現代の人々にとって戦争画と向き合う意義は何か。 ◇「戦争画は表現の多面性を教えてくれる」
 平瀬氏は「戦時下に画家がどう活動し、見る側がどう受け止めたのかを知ることは重要。これからの社会を見据えて表現はどうあるべきか、見る側も作る側も考えるきっかけになる。今回の試みを一過性のものとせず、新たな要素を加えながら積み重ねていくことが大切だ」と話す。
 永田氏は「現代美術では過去の出来事を批評的に捉え、自らの表現を生み出す作家は珍しくない」とし、こう期待した。「美術は見る人が生きている時代や社会、個人の価値観、作品が制作された歴史的背景や状況を知っているかどうかで見方が変わる。戦争画はそうした表現の多面性を教えてくれる」

デスクメモ
 冒頭の「コタ・バル」を鑑賞した太田記者は、鉄条網の合間から鋭く視線を送る日本兵と目が合い引き込まれたという。文化の力がプロパガンダに利用される普遍的な危うさを戦争画から見つめてみたい。抑制的なPRのために貴重な展示に触れる機会を失ってしまうとすれば残念だ。
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識者の意見がメインですが、フライヤーや図録を作らず、宣伝も余りしていないことについての鋭い突っ込み。言いたいことはよくわかります。ただ、館側の「派手にあおると文脈見失う恐れ」という言い分も首肯できますし、キュレーター的な仕事も行っている身としては、「むべなるかな」とも「やんぬるかな」とも感じますが……。

それにしても、「自作だと認めたがらなかった画家」が居たというのは初耳でした。文学方面ではそれに近いケースは結構ありましたが、美術方面でも「ブルータス、お前もか」。それ、いったい誰だ? と、興味深いところです。

同展、10月26日(日)までの会期です。まだご覧になっていない方、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

立体的理法は物の主眼であつて外観ではありません。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

この一節のみ、全体に傍点が附されています。クラデルの原著がそうなのか、光太郎が訳した際にそうしたのか不明ですが。

NHKさんで初回放映が平成7年(1995)に為されたドキュメンタリー番組「老友へ~83歳 彫刻家ふたり~」が、先週、「時をかけるテレビ 今こそ見たい! この1本」の中で再放送されました。ともに光太郎と交流があり、そのDNAを色濃く受け継いだ、佐藤忠良舟越保武が出演していました。事前のネット上の番組案内に光太郎の名が出ていなかったので、気づきませんでしたが、見逃し配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。
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「時をかける……」としては、ナビゲーターが池上彰さん、ゲストコメンテーターが武田鉄矢さん。
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「老友へ~83歳 彫刻家ふたり~」。平成7年(1995)の制作ということで、佐藤・舟越ともに存命でした。
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二人とも1912年に出生。ただし、改元の関係で、佐藤は明治45年、舟越は大正元年の生まれです。結婚前の光太郎と智恵子が日比谷松本楼で氷菓を食し、千葉銚子犬吠埼に絵を描きに行った光太郎を追って智恵子も来銚、愛を確かめ合った年です。ついでに言うなら、佐藤は宮城県黒川郡大和町、舟越は岩手県二戸郡一戸町、同じみちのくの生まれです。

そして共に昭和9年(1934)に東京美術学校彫刻科に入学、卒業後には新制作派協会彫刻部創立に参加。光太郎は同会の活動には好意的で、機関誌『新制作派』に寄稿もしています。
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さらに戦後には、佐藤が「群馬の人」で昭和35年(1960)、舟越は「長崎26殉教者記念像」で昭和37年(1962)に高村光太郎賞を受賞しました。
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光太郎を巡る二人の共通点は、まだあります。それぞれのお嬢さん。佐藤の息女・オリエさんは昭和45年(1970)にTBS系テレビで放映された「花王愛の劇場 智恵子抄」で、智恵子役を演じられました(光太郎は故・木村功さん)。忠良はその際のオリエさんをモデルに「智恵子抄のオリエ」という作品も残しています。舟越の息女・千枝子さんは光太郎に名前を付けてもらい、光太郎に会ってもいます。

二人はお互い、良き友、そしてライバルとして切磋琢磨しながら、日本の具象彫刻を牽引していきます。
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番組制作は平成7年(1995)でしたが、それに先立つ昭和62年(1987)、舟越が脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になります。それでも舟越は不屈の精神で彫刻制作を続けました。

硬い石や木を削るカーヴィング、粘土を積み上げるモデリングはもはや不可能。ではどうするかというと、粘土の塊から左手一本でヘラを使って搔き落とすカーヴィングでの制作でした。
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作られているのはキリスト像。体力的に、長時間の作業は不可能。休み休み、しかし他者の手はほとんど借りずの作業です。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作時の光太郎もかくや、という気がしました。

一方の佐藤も、舟越に比べればまだ自由に歩き回ったりはできるものの、やはり83歳。若い時には考えられなかったような痛恨のミス。ちょうど取材中に制作していた作品が、夜のうちに回転台のサスペンダーから外れ、倒壊してしまうという不運に見舞われます。
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しかしその部分を番組でカットさせなかった佐藤、素晴らしいと思いました。

かくして平成7年(1995)に新制作派展に並んだ二人の作品(佐藤は立像の出品は断念)。
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改めて、その時点でのお互いへの思い。
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共通の同級生だった昆野恒の展覧会での一コマ。
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不覚にもうるっと来てしまいました。

佐藤にとっての舟越、舟越にとっての佐藤のような存在が、光太郎には居ませんでした。そうなるはずだった碌山荻原守衛は数え32歳で急逝。高田博厚とは14歳も差がありましたし、高田は昭和6年(1931)に渡仏、以後、光太郎が没するまで帰国しませんでした。その他の同世代の彫刻家は、光太郎の嫌ったアカデミズム系に行ってしまいました。妻・智恵子は厳しい言い方ですが、光太郎にとって「ライバル」となる技倆も、そして覚悟も足りなかったようです。

閑話休題、「時をかけるテレビ 今こそ見たい! この1本 老友へ~83歳 彫刻家ふたり~」、NHKプラスでは9月19日(金)まで視聴可能。その他、U-NEXTなどでも配信があるようです。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

人間の体は歩く殿堂です。又、殿堂の様に、中心点を持つてゐます。其をめぐつていろいろの量が位置を占め又ひろがります。全く動く建築です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

佐藤も舟越も、この文章の収められた訳書『ロダンの言葉』で彫刻家としての眼を開かせられました。

毎週金曜日の19:30から、NHK総合さんは東北地方で「鈴木京香の東北オトナ旅」という番組を放映しています。女優の鈴木さん、宮城県のご出身だそうで。この枠は地方によって放映されている番組が違い、関東地方では「首都圏情報 ネタドリ!」が放映されています。

一昨日、7月29日(火)の「鈴木京香の東北オトナ旅」は「青森県十和田市編」でした。千葉の自宅兼事務所ではリアルタイム視聴が出来ませんでしたが、NHKさんの見逃し配信サイト「NHKプラス」さんで拝見しました。
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最初に鈴木さんが向かわれたのが十和田湖。
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しかも光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」でした。
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鈴木さん、幼い頃にも訪れられ、その思い出を辿るという側面も。
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像のポーズで写真撮影、「乙女の像あるあるですね」(笑)。

傍らに立つ光太郎詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」(昭和28年=1953)を刻んだ詩碑も取り上げられました。
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ナイスコメントです(笑)。

この後、鈴木さんは「乙女の像」の足をスマホで撮影。
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踵(かかと)が両足ともべたっと地面についていますね。この点に関し、光太郎曰く

あの像では後の足をスーツとひいているが、あの場合には踵が上るのが本当なんだけれども(立ち上がつて姿態を作り)こういうふうにわざと地につけている。彫刻ではそういう不自然をわざとやるんです。あれが踵が上つていたら、ごくつまらなくなる。そういうところに彫刻の造型の意味があります。(「高村氏制作の苦心語る ”見て貰えば判ります” 像の意味は言わぬが花」昭和28年=1953)

光太郎の心の師・ロダンも「説教する洗礼者ヨハネ」などで全く同じことをやっています。

さて、鈴木さん、何ゆえ足の写真なのかというと、一人旅の行った先々でご自分のお顔ならぬおみ足を自撮りなさることにはまられているそうで……。
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ぜひ1冊の本にして出版していただき、「乙女の像」の足も収めていただきたいものです(笑)。

十和田湖の後は、市街へ。十和田市現代美術館さんや、新しくオープンした新刊書店、そこで紹介されたスナックなどを巡られました。

先述のようにNHKプラスさんで9/12(金)午後7:56まで視聴可能です。

NHKプラスさんといえば、もう1件、光太郎がらみが配信中です。8月24日(日)放映の、「日曜美術館」とセットの「アートシーン」。茨城県の水戸芸術館さんで開催中の「日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」がメインでしたが、愛知県小牧市のメナード美術館さんでの「なつやすみ所蔵企画 えともじ展 文字で読み解く美術の世界」も取り上げられ、同展出品中の光太郎木彫「鯰」(昭和6年=1931)が紹介されています。
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この回、本来は今夜再放送のはずでしたが、高校野球の関係で「日曜美術館」本体が1回休止となった影響でしょう、残念ながら再放送が為されません。NHKプラスさんでは今日の朝9:59まで。視聴可能な方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

不幸な事が起つた。僕は昨日女の胸像を仕上げたと思つたのです。其をめちやめちやにしてしまひました。もう一度やり返さなければなるまい。三週間の損!

光太郎訳 ロダン「手紙」より 明治43年(1910)頃訳 光太郎28歳頃

「芸術家あるある」です。作品をほぼ作り終えたところで改めて見返すと気に入らず、自分で壊してしまう……。光太郎もよくやりました。

ただし「乙女の像」に関しては、もはや自分の命の残り火が少ないとわかっていましたので、それをする時間が残されていませんでした。そのため、光太郎自身でも納得の行く作ではなかったようです。像にサインが刻まれていないのがその一つの傍証です。

令和2年(2020)に集英社さんから刊行された村山由佳氏の小説『風よ あらしよ』。伊藤野枝を主人公とし、『青鞜』時代や辻潤、大杉栄との生活、そして関東大震災直後の一家鏖殺までが描かれ、光太郎智恵子も登場しています。

令和4年(2022)にはNHKさんで全3回でドラマ化。それが再編されて劇場版映画として令和6年(2024)に公開されました。残念ながらこちらには光太郎智恵子は登場しませんが、智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』創刊号が重要なアイテムとして繰り返し使われています。
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さて、NHK BSさんで再放送があります。

ドラマ・選 風よあらしよ(1)

NHK BS 2025年8月31日(日) 22:00〜22:50 9月6日(土) 23:10〜00:00

今から100年前。女性の地位は低く、良妻賢母が求められた時代。福岡の片田舎で育った伊藤野枝(吉高由里子)は、東京の女学校へ入学し教師の辻(稲垣吾郎)から「青鞜」の存在を教わり心を掴まれる。貧しい家を支える為の結婚を蹴り、自由を求め再び上京した野枝に才能を感じ取った辻は、彼女に知識を与え、導く。溢れんばかりの情熱を持った野枝はらいてう(松下奈緒)の青鞜社の門をたたき時代の若きアイコンとなる。

【出演】吉高由里子 永山瑛太 松下奈緒 美波 山田真歩 朝加真由美 山下容莉枝
    渡辺哲 栗田桃子 石橋蓮司 稲垣吾郎
【原作】村山由佳  【脚本】矢島弘一  【音楽】梶浦由記

それから、野枝の故郷・福岡県では映画館で劇場版の「バリアフリー上映会」。

福岡に本社を置く『西日本新聞』さんの案内記事。

「風よ あらしよ劇場版」バリアフリー上映会

 女性解放運動家・伊藤野枝を描いた村山由佳さんの同名小説が原作のドラマ「風よ あらしよ」の劇場版を上映する。
 福岡の田舎で育った伊藤野枝は、貧しい家を支えるための結婚を断り上京する。平塚らいてうに感銘を受けた野枝は、らいてうらが中心となって結成された女流文学集団・青鞜社に参加。青鞜社は野枝が中心になり婦人解放を唱える戦う集団となってゆく。野枝を吉高由里子さん、らいてうを松下奈緒さん、野枝の最初の夫辻潤を稲垣吾郎さん、後に生涯のパートナーとなる大杉栄を永山瑛太さんが演じる。脚本は矢島弘一さん、演出は柳川強さん。

開催日 ふくふくホール8月30日(土)①午前11時②午後2時、さいとぴあ9月10日(水)①午後2時半②同6時半、アミカス11日(木)①午後2時半②午後6時半

開催場所 福岡市市民福祉プラザ(ふくふくプラザ) さいとぴあ(福岡市西部地域交流センター)、福岡市男女共同参画推進センター・アミカス4階ホール 〒8100062 福岡県福岡市中央区荒戸3丁目3-39

料金 一般1400円(前売り1200円)、障害者当日600円(視覚障害者の介助者は無料)
参加条件 要申し込み URL 
https://cinema-arci.net/events/
主催・問合せ 九州シネマ・アルチ 092(712)5297 arci1210@bcj.ne.jp
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「バリアフリー上映会」とは、音声ガイドや字幕などを使い、多くの方に楽しんでいただけるように配慮された公開方法です。テレビドラマ版で副音声や字幕が作成されているので、それを転用するのではないでしょうか。

こうした動きが一般的になっていけばいいと思います。

【折々のことば・光太郎】

大きな商人や金持ちの好事家の役に立つ才能を持たないのは惜しい事です。してみれば結局厭に思はないで、君みたいに、僕の選ぶ彫刻を取つてくれるのは、文学家と芸術家だけだといふ事になるのです。


光太郎訳ロダン「手紙」より 明治43年(1910)頃訳 光太郎28歳頃

美術評論家ロジェ・マルクスに宛てたロダンの手紙の一節です。注文主と作者との考えの相違、それにまつわるトラブルなどの「あるある」に関わります。光太郎にもそういうことがありましたが、ロダンの場合はそれがしょっちゅうでした。

ひさびさにテレビ番組の放映情報です。

まず再放送ですが、新宿の東京オペラシティアートギャラリーさんで開催中の「難波田龍起」展が取り上げられています。

日曜美術館 アートシーン「難波田龍起」展

NHK Eテレ 2025年8月24日(日) 20:45~21:00

「難波田龍起」(東京オペラシティアートギャラリー 7月11日〜10月2日)ほか展覧会情報


NHK Eテレさんの「日曜美術館」とセットの「アートシーン」。初回放映が8月17日(日)の朝でした。
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本郷区駒込林町の光太郎アトリエ兼住居のすぐ裏手に住み、光太郎の影響で芸術家となった難波田ですので、番組内でも光太郎の名が連呼されました。ありがたし。
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光太郎がロダンから学んだ「生命」の芸術は、難波田ら後進の芸術家にも受け継がれていった、と。

番組をご覧の上、展覧会そのものにもぜひ足をお運び下さい。

もう1件、やはり再放送系ですが。

わたしの芸術劇場 #21「小平市平櫛田中彫刻美術館(東京都小平市)」

BS11(イレブン) 2025年8月23日(土) 10時35分~11時00分

「美術館」をちょっと堅苦しい場所だと思っている方々へ送る番組。

学芸員の方々が見せ方を工夫したり、今までにないテーマで企画展を開催したり、並々ならぬ苦労と最高のセンスで展示している。そんな美術館を「芸術を体験できる劇場」として捉え、舞台を鑑賞しているようなわくわくした気持ちにしてくれる番組。番組を見た後は、きっと美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は、「小平市平櫛田中彫刻美術館」。明治生まれの木工彫刻を得意とした平櫛田中は、岡山県の田中家に生まれ10歳で平櫛家の養子となり、実家の田中と養家の平櫛、両方の姓を用いて「平櫛田中(ひらくし でんちゅう)」と名乗る。22年の歳月をかけて制作した国立劇場の《鏡獅子》で、田中の集大成を見ることができるが、107年の生涯で亡くなる直前まで作品を作り続けた。100 歳を超えてもなお創作意欲がつきなかった平櫛田中に、大きな拍手を!

出演:片桐仁

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光太郎の父・光雲の弟子にあたる平櫛田中の旧居跡に建てられた小平市平櫛田中彫刻美術館さんが舞台です。当方もいろいろお世話になっている学芸員の藤井明氏もご出演。

この番組、元々はTOKYO MXテレビさんで放映されていたもので、当該回は令和4年(2022)5月20日が初回放映でした。

ちなみにTOKYO MXさんで令和3年(2021)3月、BS11さんで先月放映された中村屋サロン美術館さんの回では、同館所蔵の光太郎の油彩自画像(大正2年=1913)も取り上げて下さいました。
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今回もちらっとでいいので田中の師・光雲の話になればと思っております。

もう1件。5分間番組で、微妙なところですが紹介しておきます。

国立公園の絶景 5分ミニ(2)

NHK BS 2025年8月27日 00:55〜01:00

国立公園の絶景5分ミニ(2)雲仙天草・大山隠岐・十和田八幡平


5分間で3箇所の国立公園が紹介されます。ちらっとでも光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が映るといいのですが……。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

諸君は、今日の人々が意味する「独創(オリジナル)」とは何をか知つてゐるか。其は「類から離れる事(デパレイエ)」である。

光太郎訳ロダン「断片」より 大正5(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「独創(オリジナル)」とそれまでの「類」との格闘、芸術家にとって永遠の課題の一つですね。

テレビ放映情報です。

わたしの芸術劇場 中村屋サロン美術館/中村彝アトリエ記念館

BS11(イレブン) 2025年7月5日(土) 10:35〜11:00

「美術館」をちょっと堅苦しい場所だと思っている方々へ送る番組。学芸員の方々が見せ方を工夫したり、今までにないテーマで企画展を開催したり、並々ならぬ苦労と最高のセンスで展示している。そんな美術館を「芸術を体験できる劇場」として捉え、舞台を鑑賞しているようなわくわくした気持ちにしてくれる番組。番組を見た後は、きっと美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は東京都新宿区にある中村屋サロン美術館。お菓子やカレーパンで有名な新宿中村屋が運営している美術館。創業者の相馬愛蔵は同郷の彫刻家 荻原守衛(碌山)や荻原を慕う若き芸術家などを支援し、明治末から大正、昭和初期にかけて多くの芸術家・文化人たちが、ここ中村屋に集った。日本近代美術の発展に大きく貢献した「芸術家たちのトキワ荘」、中村屋サロンに大きな拍手を!

出演者 片桐仁
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新作かと思ったら、さにあらず。TOKYO MXさんで令和3年(2021)の11月27日に放映されたものでした。BS11さんは、この手の地上波ローカル局さんが制作された番組をあとから放映することがよくあり、これもその一つでした。

ナビゲーターは俳優の片桐仁さん。多摩美大さんのご出身で、おん自らもアート制作をいろいろなさり、こうしたアート系のテレビ番組ご出演も多い方です。

で、訪問先が、まず新宿の中村屋サロン美術館さん。光太郎の親友だった碌山荻原守衛をはじめ、光太郎を含めた中村屋サロンに集った芸術家たちの作品が数多く収蔵されています。光太郎作品は油彩の「自画像」(大正2年=1913)。番組では常設展示に当たる「コレクション展」開催中で、「自画像」も出ていたはずなのですが、画面に映って欲しいものです。

ちなみに現在の中村屋サロン美術館さん、やはり「コレクション展」開催中(他に「會津八一の歌を映す写真コンテスト」)で、7月13日(日)まで。その後、展示替えのための休館をはさみ、また7月23日(水)から「コレクション展」です。どちらにも「自画像」が出品。ぜひ足をお運び下さい。

それから同じく新宿区の中村彝アトリエ記念館さん。彝(つね)も中村屋サロンの一員で、おそらく光太郎と顔なじみだったと思われますし、光太郎に出会う以前の智恵子が彝に絵のアドバイスを受けたりということもありました。

というわけで、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生只今からだを悪くし、医者の言により安静療法をやつて居り、人にあひません、 右御了承下さい、


昭和29年(1954)7月7日 篠田定吉宛書簡より 光太郎72歳

結核の悪化により、ほぼ面会謝絶。それでも出版社の編集者や、当会の祖・草野心平などは例外でしたが。少し後には、心平の骨折りでまだ一般的ではなかった電気冷蔵庫を購入、さらにアトリエと母屋をつなぐ呼び鈴のベルなども設置しました。

NHKさんの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。平成28年(2016)に放映されたものですが、現在再放送が平日の12時30分から為されています。

日本女子大学校での智恵子の先輩・平塚らいてうが主宰し、智恵子が創刊号の表紙絵を描いた雑誌『青鞜』が、劇中でたびたび重要なモチーフとして使われます。

まず、明後日から2日間連続で。

【連続テレビ小説】とと姉ちゃん 第7週 常子、ビジネスに挑戦する

第38回 NHK総合 2025年6月26日(木) 12:30~12:45

昭和11年春。常子(高畑充希)は女学校最高学年の五年生となる。クラスの同級生の大半が嫁いでいく中で、家族の食いぶちを稼ぐため、少しでも給料の高い仕事を探していた。そんな折、新たな担任としてやってきた東堂チヨ(片桐はいり)に出会う。「女性とはこうあるべき」という固定観念に捕われず、自分の気持ちに正直に挑戦する大切さを教わる。一方、鞠子(相楽樹)は進学したい思いを誰にも相談できず、深いため息をつく…。

第39回 NHK総合 2025年6月27日(金) 12:30~12:45

どこか元気のない鞠子(相楽樹)を心配し、常子(高畑充希)は、東堂(片桐はいり)から借りた「青鞜」を渡す。感銘を受けた二人は、女性だからという理由だけで尻込みせず、挑戦することが大切だと東堂から助言され、何かを始めたい気持ちが湧き上がる。一方、時代は次第にきな臭くなり、青柳や森田屋も不況の波が押し寄せ、自粛ムードが漂っていた。そんな折、鉄郎(向井理)が森田屋に現れ、どんちゃん騒ぎが始まってしまい…。

【出演】高畑充希 木村多江 相楽樹 伊礼姫奈 ピエール瀧 坂口健太郎 大野拓朗 浜野謙太
    谷田部俊 杉山裕之 片桐はいり 向井理 片岡鶴太郎 大地真央
【語り】檀ふみ

昭和11年(1936)という設定で、明治44年(1911)の『青鞜』創刊から四半世紀後ですが、高畑充希さん演じる主人公・小橋常子らが『青鞜』の影響を受ける、という流れです。らいてうには言及されますが、残念ながら智恵子の名は出されません。
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きっかけをつくったのは、常子の通う女学校に新たに赴任してきた東堂先生(片桐はいりさん)。早速、最初の授業だかホームルームだかで、一席ぶちます(笑)。
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衝撃を受けた常子は東堂先生から『青鞜』創刊号を借り、はまってしまいます。
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常子のモデルは、現在も続く雑誌『暮しの手帖』を戦後になって立ち上げた大橋鎭子ですが、実際に若い頃にこういうエピソードがあったのかは不明です。

ちなみに大橋は光太郎に『暮しの手帖』への寄稿を依頼するため花巻郊外旧太田村の山小屋を訪れたり、書簡を複数回送ったりしましたが、結局、光太郎はそれに応えなかったようです。

『青鞜』は、常子以外にも、相楽樹さん演じる常子の妹・鞠子(第39回)や、阿部純子さん扮する友人の中田綾(第14週)らにも影響を、といったエピソードも。
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また、第15週では『暮しの手帖』編集長の花森安治がモデルの花山伊左次(唐沢寿明さん)も、母親が『青鞜』愛読者だったと明かしたりもします。
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ちなみに花山は戦争協力を恥じ一度は筆を折る、ということで、光太郎にも通じる部分がある描き方でした。

そして第19週では、真野響子さんのらいてう自身も登場。
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そういうわけで、平成28年(2016)の初回放映をご覧になっていない方(ご覧になった方も)、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

先日お揃ひで御来訪の節は愉快でした、ところが最近五、六日間このかた急に息切がつよくなり、外出して歩行中呼吸困難を感ずることがあるので、只今外出せず、在宅静かに仕事してゐます、静かにしてゐれば何の異状もないのですが。

昭和29年(1954)5月4日 細田明子宛書簡より 光太郎72歳

細田は戦前から光太郎が常連だった三河島のトンカツ屋・東方亭の娘。光太郎に実の娘のようにかわいがられていました。戦後、医師となり、光太郎詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)のモデルにも。
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医者仲間の関川大司と婚約し、その挨拶と披露宴の招待状を届けるために中野の貸しアトリエを訪れました。

BS11(イレブン)さん及び一部地域の地上波で放映中の深夜アニメ「ざつ旅-That's Journey-」。KADOKAWAさんの月刊コミック誌『電撃マオウ』で連載の石坂ケンタ氏による漫画が原作です。新人賞に入賞し、プロの漫画家をめざす女子大生・鈴ヶ森ちかを主人公とし、ちかの一人旅や友人たちとの女子旅などが描かれます。

4月オンエアの第2旅「伊達じゃない! きときとふたり旅」では、宮城県の松島が舞台となり、瑞巌寺さんに納められている光太郎の父・光雲作の聖観音像も登場しました。
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そして来週月曜放映分は、後半が光太郎第二の故郷・花巻です。

ざつ旅-That's Journey- 第10旅「ココロのふるさと」 

BS11 イレブン 2025年6月9日(月) 23:00〜23:30

潮岬で初日の出を拝んだちかは、バスで熊野川沿いの道を行き、初詣のために熊野本宮大社へ。そこで彼女が願ったものとは? 1月末、ちかは暦と岩手県の新花巻駅に来ていた。しかし、どこか暦の元気がないようで……!?

出演 月城日花 鈴代紗弓 平塚紗依 佐藤聡美 日笠陽子 小林ゆう 窪田等
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東北新幹線/釜石線の新花巻駅ですね。
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光太郎に関する展示も為されている宮沢賢治記念館さん。
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市街地へ出て、マルカン大食堂さんで定番の10段巻きソフトクリーム。

そして、光太郎や賢治に愛された大沢温泉さん。当方も再来週、またお世話になります。
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おおむね廻る箇所は原作に忠実になっているようです。
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残念ながら花巻高村光太郎記念館さんには廻らないようですが、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

二十五六日頃でかけるつもりで居りますが、汽車からすぐ大沢温泉にまゐります。今度は山で映画撮影の事などあるので、お目にかかるのは月末か十二月初めと存ぜられますし、宿泊は大沢等の温泉地だけにするつもりで居ります。

昭和28年(1953)11月23日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎71歳

前年まで7年間の蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村へ、約1年ぶりの帰村。ただ、当会の祖・草野心平や、美術映画「高村光太郎」撮影スタッフが一緒で、元の山小屋で寝泊まりはしませんでした。
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それでも村人たちと旧交を温めました。
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今年1月から3月にかけて、地上波日本テレビさんなどで放映されていたアニメ「花は咲く、修羅の如く」のBlu-rayディスク上巻を入手しました。
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高校の放送部員たちの青春を描いたもので、原作・武田綾乃氏、むっしゅ氏作画のコミックが原作で、令和4年(2022)に単行本第1巻が集英社さんから発売されています。

ディスクには全12話中の第6話までが収録されており、第1話で光太郎詩「道程」(大正3年=1914)が扱われています。
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「修羅の如く」という題名の通り、宮沢賢治の「春と修羅」も。
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ディスク1枚と、ブックレットが付いています。ブックレットには原作の武田綾乃氏によるオリジナルのスピンオフ短編小説「高架橋橋脚下」が収められています。

製品詳細は以下の通り。

「花は咲く、修羅の如く」Blu-ray上巻

発行日 : 2025年4月30日
著者等 : 武田綾乃・むっしゅ・集英社・すももが丘高校放送部
版元等 : キングレコード
定 価 : ¥20,900(税抜価格:¥19,000)
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ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

この頃住所定まらず、予定もはつきりしません。今月中か十月には東北へまゐりますがどの位そこに居るか、其時にならないと分りません、冬に又東京に来たいと思つてゐますけれど。


昭和28年(1953)9月10日 川島たかし宛書簡より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」も完成し、翌月に行われるその除幕式で関係者に配付する記念メダルも仕上げ、エアポケットのような空白の時間が生じました。

当初予定では、前年まで蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村に帰るつもりでしたが、医師から止められたこともあり、寒い時期には東京、それ以外は太田村と、二重生活も考え始めましたが、具体的にはどうするかと思案中です。そこで「住所定まらず」としています。

BS11(イレブン)さん他で、4月7日(月)から放映が始まった深夜アニメ「ざつ旅-That's Journey-」。原作は石坂ケンタ氏による漫画で、KADOKAWAさんの月刊コミック誌『電撃マオウ』で平成31年(2019)に連載が始まり、コミックス(単行本)は既に12巻まで出ています。

新人賞は獲ったものの、まだ連載は持たせてもらっていない、プロの漫画家志望の女子大生・鈴ヶ森ちかが主人公で、作品のインスピレーションを受けるため、日本各地を旅するというストーリー。行き当たりばったりで雑な計画の旅が多く、そこで「ざつ旅」。

アニメの第2話の行き先が宮城県松島周辺です。

ざつ旅-That's Journey- 第2旅「伊達じゃない! きときとふたり旅」 

BS11 イレブン 2025年4月14日(月) 23:00〜23:30

漫画賞の新人賞を受賞した漫画家志望の女子大生・鈴ヶ森ちかは、ある日、編集部に新作のネームを3本持ち込んだものの全ボツを食らってしまう。心が折れそうになったとき、唐突に胸の中に溢れてくるものがあった。
「どこか、旅にでたい…」
面白半分でSNSにて旅先のアンケートを取ってみると、まさかの大きな反響があり、引くに引けない状態に…!

でも、旅にでたい気持ちは本物。覚悟を決めたちかは、アンケート頼りの行き当たりばったりな旅を始めることに。時に一人で、時に友人たちと−−。「ざつ」だからこそ思いがけない出会いが待っている、“ざつ旅"へ出発 !

またしてもネームがボツになったちかは、悪循環を断ち切るために再び旅に出ようとする。アンケートの結果、今回の旅先は宮城県の松島に決定! 松尾芭蕉も訪れた…。

出演 月城日花 鈴代紗弓 平塚紗依 佐藤聡美 日笠陽子 小林ゆう 窪田等
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松島と言えば瑞巌寺さんですね。こちらの庫裡(くり)には光太郎の父・光雲の手になる巨大な聖観音像(通称「光雲観音」)が納められています。

原作の石坂氏の漫画では、主人公・ちかが瑞巌寺さんを訪れ、おそらく「光雲観音」も目にしたという感じになっていますが、権利関係への配慮でしょうか、像自体は描かれていませんでした。
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ところがアニメでは、いろいろクリア出来たのでしょう、「光雲観音」が登場します。
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過日もちらっと書きましたが、先日、昭和3年(1928)の「光雲観音」落成法要の際に配付された『松島聖観世音奉安趣意書』を入手しました。

それによれば、元々は注文主もなく観音信仰の篤かった光雲が畢生の作を作ろうと独自に作り始め、やがて噂を聞きつけた個人や法人から「ぜひ買いたい」との声が殺到。いろいろ審査した結果、当時あった宮城電気鉄道という会社が落札したという感じです。同社は現在のJR仙石線にあたる路線を保有し運行していまして、昭和2年(1927)には路線が松島公園駅(現在の松島海岸駅)へと延伸され、その記念と、無事故等の祈願のためという趣旨でした。当初は瑞巌寺さんではなく、松島公園駅近くのお堂に奉納されましたが、その後、太平洋戦争の影響で同社は消滅、像も瑞巌寺さんへ移されました。ただ、移転の時期は当方把握しておりません。

また、趣意書に像高は一丈二尺(約3.64㍍)であることも明記されていました。よくある規格の一丈六尺(約4.85㍍)かと思っていましたが、一回り小さいサイズでした。

さて、アニメ「ざつ旅-That's Journey-」、先週の「第1旅 はじめの1225段」を拝見しました。行き先は会津、「1225段」は羽黒山湯上神社さんの石段。その他、飯森山や栄螺堂、東山温泉などが舞台でしたが、それぞれの風景の絵がとにかく緻密で感心しました。日本のアニメーション技術の凄さを再確認した感じです。上の画像にある次回の「光雲観音」も精妙に描かれています。おそらく写真等をCG処理しているのだと思われますが。

漫画「ざつ旅-That's Journey-」。通読はしていませんが、以前から存じていました。コミックス第3巻(令和2年=2020)で、光太郎第二の故郷・岩手花巻が舞台となり、主人公・ちか他が当方も定宿としている大沢温泉自炊部さんに宿泊、という設定でしたので。
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その頃には東北新幹線新花巻駅にポスターが貼ってありました。また、当の大沢温泉自炊部さんの無料休憩スペースに現物が置いてあり、拝読。残念ながら光太郎ゆかりの宿、という記述がありませんでしたが、花巻の旅全体としては宮沢賢治記念館さんやマルカン大食堂さんなどが舞台となっていて「ふむふむ」という感じでした。花巻の方にはおなじみの「満州にらラーメン」も登場します。

アニメの放映がいつまでで、コミックスの何巻までが扱われるのか等不明ですが、花巻編まで含めていただきたいものです。

ちなみにBSイレブンさん以外にも、地方の地上波局でも放映があります。
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まずは第2旅・松島編、ご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

東京にゆくと随分もみくちやにされさうですが、なるべく逃げて仕事第一としますが、貴下とは以前から考へてゐたこととていづれゆつくりのみたいものです、

昭和27年(1952)10月6日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、再上京する直前の書簡です。一見のんきなことを書いていますが、自らの余命がそう永くないことを自覚していた光太郎、とにかく像の完成を第一に考えていました。そのため訪問客やいろいろな誘いはできるだけ断るつもりでした。

一昨日は光太郎忌日・第69回連翹忌でした。光太郎智恵子ゆかりの日比谷松本楼さんにおいて関係の方々にお集まりいただき集いを開催いたしまして、その関連でご紹介すべき事項も残っているのですが、一旦離れます。

本日はテレビ放映関連で。

まず、終わってしまった話ですが一昨日の連翹忌当日、テレビ朝日さん系の「グッド!モーニング」内の「林修のことば検定」。視聴者向けのクイズ形式、リモコンのⓓボタンで解答受付というスタイルですが、光太郎が問題に取り上げられました。

当方は連翹忌の集いに持参する配付資料などを車に積み込んだりしている最中でしたので拝見出来ませんでしたが、ご覧になった方がスマホでテレビ画面を撮影、画像を送って下さいました。
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詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の「智恵子は東京に空が無いといふ」をマクラに、光太郎が昭和20年(1945)、生まれ故郷の東京から岩手に移った理由についてでした。
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常に緑ボタンの選択肢はダジャレです(笑)。
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で、宮沢家との関わりに触れ、結局正解は赤の「疎開」。
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さらに宮沢家も終戦5日前の空襲で焼け出され、戦後になって花巻郊外旧太田村の山小屋に移るのですが、そこで戦時中の翼賛活動を深く反省したというお話も。ありがたし。

ちなみに昨年の連翹忌の日にもこのコーナーで光太郎を取り上げて下さいました。

昨年はマニアックな問題だったためでしょう、スマホやパソコンで正解を調べようとした皆さんがこのブログサイトに殺到(笑)。
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今年も通常の6倍くらいの閲覧数となりました。ありがたいところです(笑)。

さて、これとは別に明日放映の番組。

新美の巨人たち【春のアート旅(1) 上野恩賜公園×本仮屋ユイカ】

地上波テレビ東京 2025年4月5日(土)  22:00〜22:30
BSテレ東      2025年4月12日(土)   23:30~24:00

▼春の上野公園でアート旅!なぜ上野はアートの発信地となったのか?▼その秘密を400年前に誕生した巨大寺院から地下空間の巨大オブジェまで時代を象徴する作品を楽しみながら探っていく▼広重の浮世絵に描かれた情緒ある上野のお山。明治以降は公園に生まれ変わり日本の近代化の舞台となった▼日本初の動物園や音楽ホール、美術館が次々と誕生して上野は文字通り文化の中心となっていく▼そんな上野公園の華麗な美の歴史を俳優の本仮屋ユイカさんが辿る。

出演者 アートトラベラー:本仮屋ユイカ  ナレーション:上野樹里
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上野恩賜公園が舞台ということで、光太郎の父・光雲が主任となって制作された西郷隆盛像なども紹介されるかな、というところです。予告動画等には映っていませんでしたが……。

もう1件。

“団塊"物語「比較文学研究の大家 平川祐弘氏が語る日本と日本人」

BSイレブン 2025年4月6日(日) 19:30〜20:00

戦後80年を経た今、私たち日本人は本当の意味で国際人となり得たのだろうか?『和魂洋才の系譜』の著者である比較文学研究の大家、平川祐弘氏が、日本と日本人に問う。

今回のゲストは、東京大学名誉教授で比較文化史家の平川祐弘氏。比較文学研究の大家である平川氏が翻訳を手掛けたダンテの『神曲』は、出版から半世紀以上の時を経た今でも、名訳として広く読み継がれている。また、森鴎外を通じて急激な近代化する明治期の日本の精神性を解き明かした『和魂洋才の系譜』は、トップエリートたちに多大な影響を与えてきた。敗戦から高度経済成長を成し遂げた昭和、“失われた30年"といわれながらも経済大国の地位を維持してきた平成、令和。時代が移り変わる中でも、戦後80年にわたって日本は、国際社会の一角で存在感を示してきた。しかし、私たち日本人は本当の意味で国際人となり得たのであろうか?平川氏の問いかけは、日本の将来に向けて鋭く問いかける。

出演者 【司会者】牛島信(弁護士・作家) 田村あゆち(フリーキャスター)
    【ゲスト】平川祐弘(東京大学名誉教授 比較文化史家)
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平川祐弘氏がご出演、御著『和魂洋才の系譜 内と外からの明治日本』(昭和46年=1971)を中心に語られるとのこと。同書は番組説明にあるように森鷗外がメインの書物ですが、光太郎や与謝野晶子、徳富蘇峰らにも触れられています。ちらっとでも光太郎の話題になってほしいものです。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

此間は折角来られたのに大したお構ひも出来ず失礼しました、それでも此処の様子を見てもらつて本望でした、まだ今後何処へゆくか分りませんが当分はここにゐるつもり、後には北海道屈斜路湖の方へ移住するかも知れません、

昭和27年(1952)8月13日 藤岡孟彦宛書簡より 光太郎70歳

孟彦は光太郎実弟。光雲四男でしたが藤岡家に養子に出ました。植物学を修め、戦前から兵庫県農業試験場に勤務していましたが、この時期には茨城県の鯉淵学園に勤務。現在の鯉淵学園農業栄養専門学校さんです。

秋に光太郎が再上京するということで、それなら鯉淵学園で講演を一席頼まれてくれないか、というわけで、花巻郊外旧太田村の山小屋を訪れたようです。そこで11月に講演が実現しました。その筆録は翌年1月発行の『農業茨城』第5巻第1号に「芸術と農業」の題で掲載され、筑摩書房刊『高村光太郎全集』第19巻に収録されています。
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当分はここにゐるつもり」は、「乙女の像」が完成したらまた太田村に戻ることを意味します。「後には北海道屈斜路湖の方へ移住するかも」は、どの程度本気だったのか……というところです。

「春が来た」といいたいところですが、まだまだ今日明日あたりは寒波が居座るようで……。

先日、岐阜県白川町さんの広報誌『広報しらかわ』今月号に光太郎詩「冬が来た」(大正2年=1913)が取り上げられていたのをご紹介しましたが、同様に北海道新篠津村さんの『広報新しのつ』さん今月号にも「冬が来た」が取り上げられていました。

UP DATE 地域おこし協力隊「冬が来た」

003 私の好きな高村光太郎さんの「冬が来た」という詩を紹介します。

  冬が来た
 
 きつぱりと冬が来た
 八つ手の白い花も消え
 公孫樹(いてふ)の木も箒になつた

 きりきりともみ込むやうな冬が来た
 人にいやがられる冬
 草木に背(そむ)かれ、虫類に逃げられる冬
  が来た
 
 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
 
 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のやうな冬が来た

 この詩は、冬の厳しさを人生の困難に例えているように感じられます。しかし、きっぱりとそれを潔く受け入れて迎えようとする強い意志が感じられるように思います。私達しんしのつの冬もまた、様々な厳しさがありますが、この激しい雪も、雪溶けの豊かな恵み深い水に繋がって行くことを思い起こし、毎日黙々と雪かきに向かいたいと思います。
 さて、今年も冬の最大イベント「しんしのつ天灯(ランタン)祭り」が2月22日(土)に開催されます。初めての試みとして『冬の花火』を打ち上げます。
 春は『桜』、秋は『紅葉』、冬は『雪』、そして夏が『花火』。四季を彩る風物詩の中で、唯一つ自然が織りなすものでないのが『花火』。人が作り演出しなければならないのが花火です。これを冬の風物詩『雪』の中で『天灯』とともに願いを込めて打ち上げます。
 しんしのつの冬は、毎日しんしんと雪が降り続きますが、村の人も村外の人も一緒にランタン祭りを楽しみましょう!

今月の担当:早瀬 慶四郎(農商工連携推進員)


新篠津村さんというのが北海道のどの辺なのか全く存じませんでしたが(すみません)、調べたところ、札幌の北東、岩見沢の西、日本海側ですので豪雪地帯なのでしょう。
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温暖な房総で「寒い、寒い」と言っているのが申し訳なく存じます。

「冬が来た」ついでにもう1件。

NHK Eテレさんで今月18日の未明に「NHK高校講座 言語文化 冬が来た(高村光太郎)」の放映がありました。てっきり再放送だと思っていたのですが、初回放映だったようで、放映後になってNHKさんのサイトで動画が公開されました。
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ナビゲーターはナレーター・声優の木本景子さん、解説で中央大学杉並高等学校さん教諭の齋藤祐氏、詩朗読がフリーアナウンサー・高山久美子さん。
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なかなかよくできた作りでした。
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特に「冬」と「僕」は一体化してしまっている、といったくだり。
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なるほど。

ぜひNHKさんのサイトからご覧下さい。

それにつけてもやはり「春が来た」と早く言いたいものです(笑)。

【折々のことば・光太郎】

東京も寒くなつたとききます。こちらも厳寒となりました。


昭和27年(1952)1月7日 草野心平宛書簡より 光太郎70歳

昭和27年(1952)の年が明け、光太郎、数え70歳となりました。以前から「70になったら本当の仕事を始める」と宣言していた通り、この年の秋には花巻郊外旧太田村での蟄居生活を切り上げ、上京。生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作にかかります。その話が舞い込むのは春になってからで、この時点では未だ伝えられていませんでした。

3番組ご紹介します。

まず再放送。

にほんごであそぼ「喜び」

地上波NHK Eテレ 2025年2月15日(土) 07:00~07:10

書道で学ぶにほんご(青柳美扇)・立体紙切り(辻笙)・ぐうたらちんたら/喜び、朗読(高杉真宙)/「智恵子抄 深夜の雪」高村光太郎、漢字アニメ/喜、偉人とダンス/喜びとは苦悩の大木に実る果実である(ヴィクトル・ユーゴー)、うた「ほのぼのよき」

【出演】南野巴那 高杉真宙 青柳美扇 辻笙 世田一恵 中村彩玖 川原瑛都 川田秋妃

2月10日(月)に初回放映があり、昨日も再放送がありましたが、また明朝にオンエアされます。

俳優・高杉真宙さんによる光太郎詩「深夜の雪」朗読が含まれます。
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NHKプラスさんで配信も為されていますが、ぜひご覧下さい。

同じくNHK Eテレさん。こちらも初回放映ではないと思うのですが……。

NHK高校講座 言語文化 冬が来た(高村光太郎)

地上波NHK Eテレ 2025年2月18日(火) 01:40〜02:00

この講座では、優れた日本の古典作品や、漢文・漢詩、明治時代以降に発表された文学的な文章を読み味わいます。また、それぞれの時代の人々の感じ方や考え方を紐解きます。

口語自由詩で描かれる風景を味わいます。今回、取り上げるのは高村光太郎作の口語自由詩「冬が来た」。まずは、リズムを確かめながら音読します。その後、作者は冬をどのようなものとして捉えているか、考えていきます。

【出演】高等学校教諭…齋藤祐,木本景子,【朗読】高山久美子
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こちらは公式サイトに動画が上がっていますが、このとおりの画面で放映されるのかどうか……。

ついでというと何ですが、もう1件。おそらく光太郎らにはからまないと思われますが、一応。

じゅん散歩

地上波テレビ朝日 2025年2月17日(月)~2月21日(金) 09:55〜10:25

「一歩歩けば、そこにひとつの出会いが生まれる…」
三代目散歩人・高田純次が“一歩一会(いっぽいちえ)"をテーマに自由気ままに街を歩きます!

2月17日(月) 三代目散歩人・高田純次が「根津」を散策▽人気の谷根千! 文豪に愛された街▽ボールペンだけで描く繊細アート▽ニラたっぷりの絶品中華そば

2月18日(火) 三代目散歩人・高田純次が「谷中」を散策▽外国人殺到! 名物商店街▽俊足でお馴染み…韋駄天をまつる寺▽空中庭園で人気の芋ブリュレ

2月19日(水) 三代目散歩人・高田純次が「千駄木」を散策▽人気の谷根千! 坂道と路地の街▽種類豊富! 家族で営む豆の専門店▽希少品も…舶来のボタンギャラリー

2月20日(木) 三代目散歩人・高田純次が「日暮里」を散策▽工房が並ぶ“モノづくり"の街▽職人技! ブリキ缶の塗装とは…▽全国土産品のアウトレット店

2月21日(金) 三代目散歩人・高田純次が「谷中」を散策▽人気の谷根千! リノベ施設巡り▽日本画に魅了された米国人芸術家▽街のシンボル“ヒマラヤ杉"とは…

【出演】高田純次
◆テーマ曲:斉藤和義
 『純風』 ◆エンディング曲:山下圭志 『一瞬の光』
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来週1週間が、光太郎のホームタウン・谷根千及び日暮里。「人気の谷根千! 文豪に愛された街」というワードもあり、気になるところです。

それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

おハガキで御主人御逝去の事を知りました、おくやみ申上げます、戦争以来人の死ぬのを何とも思はなくなりましたが、旧知の方の他界はやはり感慨を起させられます、

昭和26年(1951)11月17日 山端静子宛書簡より 光太郎69歳

山端静子(しづ)は直ぐ下の実妹。夫の寅三逝去の報せに対する返信の一節です。「何とも思はなくなりました」は無関心という意味ではなく、死者10万人とも言われる東京大空襲、さらに終戦5日前にも花巻空襲を経験し、人は呆気なく逝くものだという無常観のようなものを刻みつけられたということでしょう。

3件ご紹介します。

まずはNHK Eテレさんの長寿番組。

にほんごであそぼ「喜び」

地上波NHK Eテレ 2025年2月10日(月) 08:35~08:45
再放送   2月13日(木) 15:35~15:45  2月15日(土) 07:00~07:10

書道で学ぶにほんご(青柳美扇)・立体紙切り(辻笙)・ぐうたらちんたら/喜び、朗読(高杉真宙)/「智恵子抄 深夜の雪」高村光太郎、漢字アニメ/喜、偉人とダンス/喜びとは苦悩の大木に実る果実である(ヴィクトル・ユーゴー)、うた「ほのぼのよき」

【出演】南野巴那 高杉真宙 青柳美扇 辻笙 世田一恵 中村彩玖 川原瑛都 川田秋妃
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昨年の大河ドラマ「光る君へ」で、主人公・まひろ(紫式部/吉高由里子さん)の弟・藤原惟規を演じられた高杉真宙さんによる朗読で、「智恵子抄」の中から「深夜の雪」。

高杉さん、一昨年には同番組で「あどけない話」朗読もなさって下さいました。
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後は再放送系。

プレイバック日本歌手協会歌謡祭 お名前ソング

BSテレ東 2025年2月10日(月) 17:56〜19:00

「日本歌手協会歌謡祭」名曲&懐かしの名場面を一挙放送!

「東京アンナ」大津美子/「ダイナ」ディック・ミネ/「ダイアナ」鈴木ヤスシ
「硝子のジョニー」谷龍介/「傷だらけのローラ」高道(狩人)
「シェリー」九重佑三子、田辺靖雄/「ジョニィへの伝言」ペドロ&カプリシャス
「メリー・ジェーン」つのだ☆ひろ/「サチコ」ニック・ニューサ
「ひとみちゃん」神戸一郎/「そんな夕子にほれました」増位山太志郎
「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ/「お吉物語」天津羽衣
「おーい中村君」若原一郎/「ハチのムサシは死んだのさ」セルスターズ
「姿三四郎」姿憲子/「与三さん」照菊

<司会>合田道人
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「お名前ソング」ということで、タイトルに人名の入った懐かしの曲がずらり。過去の映像を使っての放映となります。

昭和39年(1964)リリース、その年の紅白歌合戦でも歌われた二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(丘灯至夫作詞・戸塚三博作曲)もラインナップに入っています。

もう1件。

おかしな刑事〜居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査

BS朝日 2025年2月11日(火) 19:00〜21:00 

「東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!」▽テレビ朝日系列で2011年に放送された第8シリーズ

ある日、東京タワー近くの公園を訪れた鴨志田は、30年前に同所で起きた幼女誘拐事件の被害者の父と再会する。その事件の主犯は交通事故死、懸命な捜査の甲斐なく共犯者の行方もわからないままだった。その夜、会社社長の冬木が刺され、重体となる事件が発生。冬木のもとには「東京タワーは知っている」という脅迫状が届いていた。そんな中、ホームレスの男・駒田が刺殺体で発見された。鴨志田は“駒田"という名字が気にかかり…。

出演者 伊東四朗 羽田美智子 石井正則 小倉久寛 辺見えみり 山口美也子 木場勝己 小沢象
    丸山厚人 菅原大吉 (他)
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初回放映は平成23年(2011)。その際のサブタイトルが「地上333メートルの殺意!! ホームレスが隠した事件の謎!? 安達太良山で待ち受ける真実!! 『智恵子抄』に秘められた想いとは…」。事件関係者の一人が、智恵子の故郷・二本松出身という設定で、安達太良山、岳温泉、智恵子生家などでのロケが敢行されました。
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それぞれ、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

年代は自分でもややこしくて間違ひ勝ちです。日本式年号で数へると間違ひ易く、西暦一九〇七年二月日本出発、一九〇八年ロンドンへ渡り、一九〇九年パリに行き、一九一〇年七月に日本に帰つたのが本当のやうです。


昭和26年(1951)9月24日 西山勇太郎宛書簡より 光太郎69歳

自分が何をしたのが何年だったかというのは、意外と覚えていないものですね。この書簡に書かれた年も1年ずつ間違っています(笑)。渡米は明治39年(1906)、ロンドンへは同40年(1907)に渡り、パリに移ったのは同41年(1908)で、帰国は同42年(1909)です。

ちなみに昨年、これより後に書かれたと思われる光太郎手書きの年譜画像を発見しました。そちらはほぼ正しく書かれていました。
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『日本近代文学図録』(昭和39年=1964 日本近代文学館編 毎日新聞社)に写真版が載っていました。光太郎筆跡であることは間違いありませんが、いつ、何の目的で書かれたものかは不明です。

テレビ番組の放映情報を2件。

まずは光太郎の父・光雲が主任となって、東京美術学校総出で作られた上野の西郷隆盛像がらみ。

ワルイコあつまれ(113)

地上波NHK総合 2025年1月21日(火) 23:00〜23:30

▽「慎吾ママの部屋」西郷隆盛(塚地)が登場。明治維新や日本の近代化に貢献したカリスマ・西郷が「やっちまった」エピソードの数々を披露。あの銅像の真実も明らかに。
▽「カレーなる賭け」大好物の“米”への愛が強すぎて、みずから地元の農家に弟子入りしたという小学6年生が登場。自身で育てた白米を持参しての挑戦に、ディーラー吾郎(稲垣)は絶妙のかけひきで対峙するが、その結果は…!
▽「株式会社ジンタイ」胆のう君(草彅)がなぜか苦手にしている舌主任の話題に。「口がうまくて調子がいいイメージ」と持論を語るが、脾ぞう君(稲垣)が別の一面を語りはじめると…?

【出演】稲垣吾郎,草彅剛,香取慎吾,塚地武雅,【声】平野正人,【語り】是永千恵
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西郷像に関しては、軽く触れられる程度だと思われますが。それにしても、塚地武雅さん、伝え聞く西郷の風貌に似ているといえば似ているかも知れませんね(笑)。

もう1件。光太郎智恵子に触れられるかどうか……。

秘湯ロマン

地上波テレビ朝日 1月18日(土)  03:00〜03:30 

日本全国の秘湯と呼ばれる温泉の魅力を紹介します。今回の秘湯は栃木県、塩原温泉郷「柏屋旅館」、「静観荘 古山」、「やまなみ荘」、那須湯本温泉「雲海閣」。

出演者 【旅人】佐藤あかり 【ナレーション】丸山未沙希
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塩原温泉郷の柏屋旅館さん。心の病が昂進した智恵子をなんとかしようと、昭和8年(1933)に一ヶ月ほど東北から北関東の温泉巡りをした際、最後に光太郎智恵子が逗留した宿です。

同じ番組で令和2年(2020)にも柏屋さんが取り上げられ、その際には光太郎智恵子にも触れて下さいました。今回も期待したいところです。
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柏屋さん、意外とその点を売りになさっているようで、ちょくちょく各種メディアにその件が。

テレビ番組ですと、令和3年(2021)、当方も制作に協力させていただいた日テレさんの5分間番組「心に刻む風景」でも「最後の旅 泣きやまぬ童女(どうじょ)のやうに慟哭(どうこく)する」というサブタイトルで取り上げられました。
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近年の書籍では令和元年(2019)、『“裸”になって本音を見せた 文豪が泊まった温泉宿50』
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週刊朝日』さん連載の単行本化でした。

さて、「ワルイコあつまれ」「秘湯ロマン」、それぞれぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

「智恵子抄」については御返事が少々厄介です。もともと澤田さんが発行してゐたもので、言はば澤田さんによつて地上にひろめられたやうなものですから、白玉書房は一時刊行したものの、龍星閣く復起したとすれば、龍星閣に返して上げたら如何ですか。さうすればおだやかだと思いますが如何でせう。
昭和26年(1951)4月24日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎69歳

詩集『智恵子抄』は、澤田伊四郎の龍星閣から昭和16年(1941)に初版が刊行されました。その後、太平洋戦争の激化に伴い、龍星閣は一時休業。戦後になって鎌田の白玉書房から復刊されました。その際、光太郎は鎌田から、龍星閣に版権をゆずられたという説明を受けていたようですが、どうもそのあたりの真相が闇の中なのですが、澤田としてはゆずった覚えはない、龍星閣を再興するので版権を返して欲しい、という申し出があったようです。

結局、白玉書房版は絶版となり、龍星閣から戦後版が刊行されることとなります。赤い布表紙の有名な版です。

面目ない話で、第1回放映が終わってから気づきましたが、記録のためにご紹介しておきます。来週以降も放映は続きますし、各種配信もありますし。

花は咲く、 修羅の如く #01 花奈と瑞希

地上波日本テレビ 2025年1月8日(水) 01:35〜02:05
BS日テレ       2025年1月8日(水) 23:30~00:00

<ストーリー>
人口600人の小さな島・十鳴島(となきじま)に住む花奈(はな)は、島の子供たちに向けて朗読会を行うほど朗読が好きだった。花奈の“読み”に人を惹きつける力を感じた瑞希(みずき)は、自身が部長を務める放送部へ誘う。「お前の本当の願いを言え、アタシが叶えてやる」「私、放送部に入りたいです」入部を決意した花奈は、たくさんの“初めて”を放送部のメンバーと共にし、大好きな朗読を深めていく…。
<キャスト>
春山花奈:藤寺美徳/薄頼瑞希:島袋美由利/夏江杏:和泉風花/冬賀萩大:千葉翔也/秋山松雪:山下誠一郎/整井良子:安野希世乃/箱山瀬太郎:坂泰斗
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原作・武田綾乃氏、むっしゅ氏作画のコミックが原作で、令和4年(2022)に単行本第1巻が集英社さんから発売されています。いきなり第1話で光太郎詩「道程」。
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アニメでは……
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それから、宮沢賢治も。
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タイトルの「修羅」は賢治の『春と修羅』から来ているのでしょう。
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原作は単行本1巻以降読んでいないのですが、その後も光太郎や賢治に触れられたシーンはあったのでしょうか。詳しい方、ご教示いただけると幸いです。最近は新刊書店で立ち読みも出来ませんし、千葉のど田舎ですと漫画喫茶等もありませんし……(笑)。

何はともあれ、若い皆さんが朗読や近現代文学に親しむひとつのきっかけとなってもらえれば、と存じます。

ちなみに4月にはアニメのブルーレイが発売されるようです。またその頃、取り上げさせていただきます。

【折々のことば・光太郎】

五月に又リサイタルをやられるさうですが相変らず小生東京へは行かれないでせう。宮沢さんのものの事は実家へ直接申送られていいでせう。そのうち小生からも其由申上げて置きます。


昭和26年(1951)3月28日 藤間節子宛書簡より 光太郎69歳

藤間節子は舞踊家。昭和24年(1949)に「智恵子抄」を舞踊化し、帝国劇場でのリサイタルで発表しました。その後もたびたび「智恵子抄」を取り上げています。賢治作品の舞踊化にも意欲を示し、光太郎没後の昭和33年(1958)には「原体剣舞連」を発表しました。

3件ご紹介します。

まずは光太郎に関わるかどうか、微妙なところですが……。

日曜美術館 人生で美しいとは何か 彫刻家・舟越保武と子どもたち

NHK Eテレ 2025年1月12日(日) 9:00~9:45 再放送 1月19日(日)  20:00~20:45

戦後日本を代表する彫刻家・舟越保武(1912−2002)。カトリックの信仰を主題にした精緻で存在感あふれる作品は見るものに「美しさとは何か?」を問いかける。保武の7人の子どもたちは、その多くが芸術関係の道を選んだ。長女は児童図書出版の世界で活躍。次男と三男は父と同じ彫刻家に。そして末娘は紆余曲折を経てアーティストへ。子どもたちの人生と言葉を通して、舟越保武が体現した「美しさ」を考察する。

【出演】舟越保武 舟越桂 末盛千枝子 【語り】守本奈美

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光太郎と交流があり、そのDNAを受け継いだと言える彫刻家の一人、舟越保武。同じ彫刻の道に進み、昨年亡くなった次男の桂氏、そのお姉様で、光太郎が名付け親となった編集者の末盛千枝子氏がビデオ出演。ちらっとでも光太郎に触れていただきたいところですが、どうなりますやら……。

続いて、やはり微妙なところでもう1件。明日の放映です。

又吉・せきしろのなにもしない散歩 #144

BSよしもと 2025年1月8日(水) 19:00~19:30 再放送 1月10日(金) 16:00〜16:30

ピースの又吉直樹と作家のせきしろの二人が、五七五の定型にとらわれず自由な表現をする【自由律俳句】を生み出していく。東北各地を歩きながら様々な人やモノと出会う中で、二人のここでしか見られない独特のかけ合いや、新たな俳句を生み出す姿は必見です。

今回は青森県十和田市をブラリ旅。果たしてどんな自由律俳句が生まれるのか!?
新渡戸記念館、食事処とちの茶屋 ほか
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この番組、訪れる場所は東北限定でして、昨年には花巻高村光太郎記念館さん及び高村山荘、福島二本松の智恵子記念館さんと智恵子生家、さらに当会の祖・草野心平の別荘「天山文庫」(福島県川内村)が取り上げられました。

今回は十和田湖。光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」近くの砂浜で撮られたカットも公開されており、そのまま「乙女の像」まで行かれたのか、行かれなかったのか、というところです。
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ぜひともお二人に「乙女の像」ポーズをとってもらいたいものですが(笑)。

最後は2時間ドラマの再放送。

<BSフジサスペンス傑作選>浅見光彦シリーズ22首の女殺人事件

BSフジ 2025年1月10日(金) 12:00〜14:00

福島と島根で起こった二つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は? 宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは? 浅見光彦が事件の真相にせまる!!

<出演者>
中村俊介 紫吹淳 姿晴香 菅原大吉 冨家規政 中谷彰宏 伊藤洋三郎 新藤栄作
榎木孝明 野際陽子 ほか
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推理作家の故・内田康夫氏が昭和61年(1986)に発表された「「首の女(ひと)」殺人事件」を原作に、ほぼ忠実に映像化した2時間ドラマです。初回放映は平成18年(2006)、光太郎彫刻の贋作を巡る殺人事件が描かれ、二本松の智恵子生家、花巻の旧高村記念館等でのロケが敢行されました。その後、繰り返し再放送が為されています。
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それぞれぜひ御覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

貴下からいただいた即席餅といふものを今日作つてみましたら、大変おもしろく、煮小豆に入れたり、黄粉にくるんだりして賞味しました。今日は小生の誕生日でした。

昭和26年(1951)3月13日 西出大三宛書簡より 光太郎69歳

元日に数え69歳となった光太郎、この日で満68歳になりました。

前年の誕生日はたまたま講演旅行中で、岩手県立美術工芸学校長・森口多里の家で饗応にあずかりましたが、この年は一人寂しく誕生日を餅で祝いました。

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