北の大地から特別展情報です。
1966年の最初の北海道文学展以来、連綿と続けられてきた収集活動。現在の資料点数は38万点を超えます。 原則、分野別・作家別などに分類され配架される資料ですが、中には収蔵時のまとまりを保ちそれぞれの特色を存分に発揮しているものもあります。 装幀の美しい本が揃う蘭繋之文庫、作家の書斎を覗いたような船山馨文庫、北海道文学論考の基礎資料が集まる小笠原克文庫……。 本展では「〇〇文庫」「〇〇コレクション」などと称されるそれらの資料群に光を当て、文学の魅力を掘り下げていきます。意外性のある資料との出会いもお楽しみに。
関連行事
館蔵資料のうち、肉筆もの、稀覯本など含む、まとめて寄贈されたコレクションにスポットを当てての展示だそうです。
公式サイトに出品リストは出ていませんが、光太郎の第一詩集『道程』(大正3年=1914)も出ているとのこと。地元紙『北海道新聞』さんの報道で知りました。ネット上ではリード文的なところしか読めませんが。
同館では大正3年(1914)の『道程』を二冊お持ちで、一冊は通常のもの、それからもう一冊は白布装の異装本。こちらには光太郎自筆の書き込みも為されています。それらは一昨年に開催された特別展「100年の時を超える ―〈明治・大正期刊行本〉探訪―」で展示されました。今回も2種類出しているのかどうかは不明ですが。
どちらも今回のコンセプトであるまとめて寄贈されたコレクション中の「高橋留治文庫」に含まれています。「北海道拓殖銀行に勤める傍ら詩書を愛読した高橋留治氏(1911(明治44)年-1984(昭和59)年)が遺した膨大なコレクション」だそうで。高橋氏は、光太郎と交流の深かった詩人・宮崎丈二の研究もなさっていて、『評伝 無冠の詩人 宮崎丈二――その芸術と生涯――』(昭和49年=1974 北書房)という著書もおありでした。そこで同館ではやはり「高橋留治文庫」中の資料を中心に、平成28年(2016)には「文学館の中の美術―宮崎丈二」が開催されたりもしています。
公式サイトに出品リストは出ていませんが、フライヤーで紹介されているいわば「目玉」は、以下の通り。
・「北海道国郡全図」松浦開拓判官阿部弘(松浦武四郎) 明治2年(1869)
・船山馨自筆原稿「石狩平野」 昭和40年(1965)頃
・小笠原克『北海道 風土と文学運動』 昭和53年(1978)
・宮沢賢治『春と修羅』 大正13年(1924)
・蘭繁之によって作られた豆本全422集の内の一部
このうち賢治の『春と修羅』も「高橋留治文庫」に含まれるものです。
関連行事も充実していますね。
ぜひ足をお運び下さい。
期 日 : 2026年1月31日(土)~3月22日(日)
会 場 : 北海道立文学館 札幌市中央区中島公園1番4号
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日 ただし2月23日(月・祝)は開館し、2月24日(火)休館
料 金 : 一般500(400)円、高大生250(200)円 中学生以下・65歳以上無料
*観覧料のうち( )内は10名以上の団体料金
1966年の最初の北海道文学展以来、連綿と続けられてきた収集活動。現在の資料点数は38万点を超えます。 原則、分野別・作家別などに分類され配架される資料ですが、中には収蔵時のまとまりを保ちそれぞれの特色を存分に発揮しているものもあります。 装幀の美しい本が揃う蘭繋之文庫、作家の書斎を覗いたような船山馨文庫、北海道文学論考の基礎資料が集まる小笠原克文庫……。 本展では「〇〇文庫」「〇〇コレクション」などと称されるそれらの資料群に光を当て、文学の魅力を掘り下げていきます。意外性のある資料との出会いもお楽しみに。
関連行事
講演会「『声』から探る近代文学―昭和初期の自作朗読を聴く」
日時 2月23日(月・祝)14:00~15:30
当館講堂(聴講無料) 講師 新井高子(詩人)
定員 60名 2月10日(火)9:00から電話受付(要申込、先着順)
ギャラリーツアー
日時 2月14日(土)、21日(土)、3月7日(土)、14日(土)、21日(土)
いずれも11:00~約40分 特別展示室 ご案内 当館学芸員
定員 先着約10名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
ミニ解説&朗読会
学芸員による10分間ミニ解説後の朗読
日時 2月18日(水)、28日(土)、3月4日(水)、11日(水)、18日(水)
いずれも11:00~約40分 特別展示室
朗読作品
(順不同) 萩原朔太郎「猫町」/三浦綾子「銃口」より一部/船山馨「笛」/
小笠原克「北海道 風土と文学運動」より一部/森田たま「石狩少女」より一部
定員 先着約30名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
講座「コレクションを語る」
日時 3月15日(日)14:00~15:00
当館講堂(聴講無料) ご案内 当館学芸員
当館講堂(聴講無料) ご案内 当館学芸員
定員 60名 3月1日(日)9:00から電話受付(要申込、先着順)
館蔵資料のうち、肉筆もの、稀覯本など含む、まとめて寄贈されたコレクションにスポットを当てての展示だそうです。
公式サイトに出品リストは出ていませんが、光太郎の第一詩集『道程』(大正3年=1914)も出ているとのこと。地元紙『北海道新聞』さんの報道で知りました。ネット上ではリード文的なところしか読めませんが。
北海道立文学館(札幌市中央区中島公園)が作家や収集家からまとめて寄贈を受けた資料に光を当てた開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」が、同館で開かれている。詩人で彫刻家、画家の高村光太郎の初詩集「道程」(1914年)の初版本や、札幌出身の小説家船山馨(14~81年)の代表作「石狩平野」の自筆原稿など貴重な資料が並ぶ。
小説家船山馨の代表作「石狩平野」の自筆原稿や親友の佐藤忠良が描いた口絵原画などが並ぶコーナー
同館では大正3年(1914)の『道程』を二冊お持ちで、一冊は通常のもの、それからもう一冊は白布装の異装本。こちらには光太郎自筆の書き込みも為されています。それらは一昨年に開催された特別展「100年の時を超える ―〈明治・大正期刊行本〉探訪―」で展示されました。今回も2種類出しているのかどうかは不明ですが。
どちらも今回のコンセプトであるまとめて寄贈されたコレクション中の「高橋留治文庫」に含まれています。「北海道拓殖銀行に勤める傍ら詩書を愛読した高橋留治氏(1911(明治44)年-1984(昭和59)年)が遺した膨大なコレクション」だそうで。高橋氏は、光太郎と交流の深かった詩人・宮崎丈二の研究もなさっていて、『評伝 無冠の詩人 宮崎丈二――その芸術と生涯――』(昭和49年=1974 北書房)という著書もおありでした。そこで同館ではやはり「高橋留治文庫」中の資料を中心に、平成28年(2016)には「文学館の中の美術―宮崎丈二」が開催されたりもしています。
公式サイトに出品リストは出ていませんが、フライヤーで紹介されているいわば「目玉」は、以下の通り。
・「北海道国郡全図」松浦開拓判官阿部弘(松浦武四郎) 明治2年(1869)
・船山馨自筆原稿「石狩平野」 昭和40年(1965)頃
・小笠原克『北海道 風土と文学運動』 昭和53年(1978)
・宮沢賢治『春と修羅』 大正13年(1924)
・蘭繁之によって作られた豆本全422集の内の一部
このうち賢治の『春と修羅』も「高橋留治文庫」に含まれるものです。
関連行事も充実していますね。
ぜひ足をお運び下さい。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)42 『みちのくの手紙 ―高村光太郎書簡集』
昭和28年(1953)2月5日 中央公論社 宮崎稔編
目次
昭和二十年 昭和二十二年 昭和二十三年 昭和二十四年 あとがき
口絵写真 高村光太郎
姻戚だった茨城在住の詩人・宮崎稔が、自身や父で素封家だった仁十郎、妻・春子(智恵子の姪)に宛てた光太郎書簡を活字にしたものです。
収められているのは昭和20年(1945)と、同22年(1947)~24年(1949)のもの。抜けている21年(1946)と25年(1950)以後のものもあるのですが、採録されませんでした。その理由は不明です。
昭和22年(1947)の歌集『白斧』もそうでしたが、光太郎はこの出版に不同意。したがって奥付に光太郎の名は記されていません。それでも宮崎は強引に刊行に踏み切りました。こうした点が光太郎にとっては悩みの種の一つで、『高村光太郎全集』別巻の年譜では、当会顧問であらせられた北川太一先生、宮崎が没したこの年4月27日の項に「何かと光太郎の身辺を案じ、一面では光太郎の心労の一因でもあった宮崎稔が胃潰瘍による吐血の末、四十三歳で没した」と書きました。
目次
昭和二十年 昭和二十二年 昭和二十三年 昭和二十四年 あとがき
口絵写真 高村光太郎
姻戚だった茨城在住の詩人・宮崎稔が、自身や父で素封家だった仁十郎、妻・春子(智恵子の姪)に宛てた光太郎書簡を活字にしたものです。
収められているのは昭和20年(1945)と、同22年(1947)~24年(1949)のもの。抜けている21年(1946)と25年(1950)以後のものもあるのですが、採録されませんでした。その理由は不明です。
昭和22年(1947)の歌集『白斧』もそうでしたが、光太郎はこの出版に不同意。したがって奥付に光太郎の名は記されていません。それでも宮崎は強引に刊行に踏み切りました。こうした点が光太郎にとっては悩みの種の一つで、『高村光太郎全集』別巻の年譜では、当会顧問であらせられた北川太一先生、宮崎が没したこの年4月27日の項に「何かと光太郎の身辺を案じ、一面では光太郎の心労の一因でもあった宮崎稔が胃潰瘍による吐血の末、四十三歳で没した」と書きました。













































































































































































































































1990年代、「広告は私たちに微笑みかける死体」というセンセーショナルなタイトルの本が話題になった。当時ベネトンのアートディレクターだった著者による広告哲学や創作論で、ただ「購買意欲を刺激し商品を買わせる」ためだけではなく、社会や世界が抱える問題に対して広告がどんな一石を投じ得るのか、が書かれていて、非常に面白く読んだ。



















