カテゴリ:文学 > 詩

軽く光太郎に関わる都内での企画展情報、2件ご紹介します。

まず、既に始まっていますが、新宿発。

松本竣介と『雜記帳』―下落合の「綜合工房」―

期 日 : 2026年10月3日(土)~11月23日(月・祝)
会 場 : 新宿区立新宿歴史博物館 新宿区四谷三栄町12-16
時 間 : 9:30~17:30
休 館 : 10 月13 日(火)、26 日(月)、11 月9 日(月)
料 金 : 一般300円(常設展とのセット券は500円)、中学生以下無料

 淀橋区下落合(現在の新宿区中井)に暮らした画家・松本竣介(1912-1948)。本展では、「綜合工房」(そうごうこうぼう)と名付けられた彼のアトリエを舞台に、妻・禎子とともに編集・発行した雑誌『雑記帳』(ざっきちょう)や、ここで生み出された絵画作品などを通して、竣介の創造の世界をたどります。このほか、アトリエに遺されたゆかりの品や、疎開先の家族に宛てた手紙などの貴重な資料を通して、新宿の地に生きた一人の芸術家の息遣いと、その人間像をご紹介します。

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関連行事
●記念講演会1「松本竣介と下落合の画家たち」 【講師】田中淳(大川美術館館長)
 10 月4 日(日) 14:00 ~ 16:00 ※終了しました

● 記念講演会2「《立てる像》の見つめているもの」
 10月18日(日)14:00~16:00 ※要事前申込
 【講師】長門佐季(神奈川県立近代美術館館長)  【料金】1,000 円 

● 連続講座「松本竣介の創作と交流―人・場・『雑記帳』―」
 10月31日・11月7日・14日いずれも土曜日 14:00~16;00 ※要事前申込
 ① 10月31日  松本竣介とアトリエ村の画家たち 弘中智子(板橋区立美術館 副館長)
 ② 11月7日  松本竣介のアトリエをめぐって 小此木美代子(大川美術館 学芸員)
 ③ 11月14日  『雑記帳』に寄稿した作家・詩人・思想家
               宮川匡司(元日本経済新聞社 編集委員)
 【料金】3,000円(単回受講不可)

● トークイベント「父、松本竣介を語る」
 11月15日(日)14:00~16:00 ※要事前申込
 【登壇者】松本莞(松本竣介ご子息、建築家)
 【料金】1,000円

●ホワイエ朗読会
 10月31日(土)13:00~(30分程度)申込不要

「立てる像」などで有名な画家の松本竣介。東京生まれですが幼くして花巻に転居、さらに盛岡に移り、旧制盛岡中学校に通いました。従って石川啄木や宮沢賢治の後輩に当たります。

昭和4年(1929)に上京して、かつて智恵子も在籍していた太平洋画会に加入、画家として活動。そのかたわら自ら編集して発行したのが雑誌『雑記帳』です。既に亡くなっていた賢治の作品を転載したり、萩原朔太郎、室生犀星、三好達治、佐藤春夫ら当時の錚々たる面々に寄稿を依頼したりしました。光太郎も終刊号の第2巻第11号(昭和12年=1937)に詩「晴天に酔ふ」を寄せました。
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『雑記帳』全14冊が展示されているようですし、寄稿者として光太郎の紹介もあるのではと思われます。また、関連行事の宮川匡司氏による講座「『雑記帳』に寄稿した作家・詩人・思想家」が11月14日(土)にありますが、そこで光太郎に触れていただかないと困ります(笑)。また、10月31日(土)の「ホワイエ朗読会」も掲載作品の朗読が為されるそうなので、「晴天に酔ふ」も是非お願いしたいところです。

もう1件、光太郎と縁の深い森鷗外関連。明後日開幕です。

特別展「観潮楼歌会―鷗外の歌壇観測」

期 日 : 2026年10月10日(土)~2027年1月11日(月)
会 場 : 文京区立森鷗外記念館 文京区千駄木1-23-4
時 間 : 10:00〜18:00
休 館 : 10月26日(月)・27日(火)、11月24日(火)・25日(水)
      12月21日(月)・22日(火)、12月29日(火)~1月3日(日)
料 金 : 一般600円(20名以上の団体:480円)  中学生以下無料

 観潮楼歌会は、1907(明治40)年3月から約3年間、森鴎外が主宰し自邸・観潮楼(現・当館)で開催した歌会です。短歌に関心をもっていた鴎外が、結社の隔たりを縮めようと、当時の歌壇を代表する伊藤左千夫(根岸短歌会)や与謝野寛(東京新詩社)、佐佐木信綱(竹柏会)らを招き、始まりました。出席者には変動がありますが、上田敏、北原白秋、吉井勇、石川啄木、木下杢太郎、斎藤茂吉ら、今でもよく知られる歌人たち延べ21人が参加しました。
 「趣味及作風の異つた同士が毎月一回自作を持寄つて、直截なる批評を交換する会」(与謝野寛『文芸彙報』)で、作者名を伏せた詠草(詠んだ歌を記した紙)を回覧・選歌し、盛んに批評が交わされたといいます。評価を意識した歌風の変化、歌会の枠を超えた文芸談義など、刺激を与えあう交流は、鴎外や参加者の新たな創作への動きにつながっていきました。
 観潮楼歌会の正式な記録は残っていませんが、30回ほどの開催が確認でき、鴎外と参加者の日記や書簡、回想などから歌会の様子をうかがい知ることができます。本展では、それらを辿りながら、観潮楼歌会の全体像を観測します。

観潮楼歌会の参加者一覧(参加順、全21名)
 伊藤左千夫(1864~1913) 佐佐木 信綱(1872~1963) 与謝野寛(1873~1935)
 平野万里(1885~1947)  上田敏(1874~1916)    長塚節(1879~1915) 
 石川啄木(1886~1912)  北原白秋(1885~1942)   吉井勇(1886~1960)
 都築甚之助(1869~1933) 賀古鶴所(1856~1931)   木下杢太郎(1885~1945)
 古泉千樫(1886~1927)  服部躬治(1875~1925)   平出修(1878~1914)
 斎藤茂吉(1882~1953)  平福百穂(1877~1933)   石井柏亭(1882~1958)
 森田草平(1881~1949)  高村光太郎(1883〜1956)  与謝野晶子(1878~1942) 
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関連行事
●展示関連講演会1「変遷・曲折・鴎外短歌」
 講師:今野寿美氏(歌人・宮中歌会始選者)
 日時:11月7日(土)14時~15時30分
 会場:文京区立森鴎外記念館 2階講座
 定員:50名(事前申込制)
 料金:無料(参加票と本展覧会観覧券(半券可)が必要)
 申込締切:10月26日(月)必着
 ※詳しくはこちら
 文豪鴎外の偉業のなかに伝統詩としての短歌はどう位置づけるべきか。観潮楼歌会とは、いったい何だったのかを探ります。
 
●展示関連講演会2「観潮楼歌会に集った若者たち-木下杢太郎を軸に交流を探る-」
 講師:丸井重孝氏(伊東市立木下杢太郎記念館前職員)
 日時:11月28日(土)14時~15時30分
 会場:文京区立森鴎外記念館 2階講座
 定員:50名(事前申込制)
 料金:無料(参加票と本展覧会観覧券(半券可)が必要)
 申込締切:11月13日(金)必着
 ※詳しくはこちら
 観潮楼歌会で鴎外の謦咳(けいがい)に接した若者たちの交流を、木下杢太郎を軸に辿ります。

光太郎の肖像写真もフライヤー表面に。確かに光太郎も観潮楼歌会に参加しています。しかし、光太郎は東京美術学校での恩師だった鷗外を敬して遠ざけるところがあり、歌会も積極的な参加ではありませんでした。逆に出来ればパス(笑)。

同館では光太郎から鷗外宛の葉書を4通所蔵していますが、以下の通りです。

拝啓 わざわざ例会の御案内にあづかりありありが度く存上候。当日遺憾ながら約束事の為め欠席仕るべくこの段御返事まで 草々頓首 三日夕 (明治42年=1909 12月3日)

御葉書難有存上候処当日丁度藤島先生の歓迎会有之候為め残念ながら出席いたしかね候。右御返事まで 二月三日夕 高村光太郎 光 (明治43年=1910 2月3日)

拝復 来五日の例会に御招き下され難有存上候ところ当夜よんどころなき用事有是遺憾ながら又又欠席仕るべくこの段御返事まで 草々頓首 四日 高村光太郎 (明治43年=1909 3月4日)
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拝復 十六日の例会の御案内状ありた度く存上候処丁度当日小生関西地方へ出発仕る事とて遺憾千万ながら欠席仕るべく 先是 右御返事まで 四月十二日 (明治43年=1909 4月13日)

結局、4通全て欠席の連絡です(笑)。ただ、出席した記録も残っています。明治42年(1909)の11月6日です。筑摩書房『高村光太郎全集』別巻の年譜には、「鷗外邸の観潮楼歌会例会に出席するが、つまらなくて一度でやめる。」とあります。この際に詠んだ歌が以下。当夜に同席していた石井柏亭が記録していました。

一力の小てるとわれと酒のめば飯をつぐとて盆を出すひと

「一力」は店の名、「小てる」は女給でしょうか。詳細が不明です。

さて、モリキネさんでの展示、おそらく上記の欠席通知はがきが並ぶのではないでしょうか。光太郎関連はこんなものですが、他の参会者等に関わる展示物は逸品が目白押しです。啄木からの「必ず出席する」と伝える葉書、平福百穂が歌会の様子を描いた絵、吉井勇や斎藤茂吉の歌会にまつわる自筆原稿等々。

新宿の「松本竣介と『雜記帳』―下落合の「綜合工房」―」展ともども、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 82 『現代短歌大系 第三巻 浪漫期』

昭和27年(1952)6月30日 河出書房 小泉苳三編
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収録作家
 与謝野晶子 山川登美子 増田雅子 間島琴山 小木曽旭晃 岡田鯨洋 村田光烈
 秋庭俊彦 半田良平 藤岡長和 高塩背山 三木露風 高瀬俊郎 岩淵要 川路柳虹
 井出八井 加藤武雄 橋田濤声 大貫かの子 佐野翠坡 白仁秋津 富田砕花 藤原東川
 前川千帆 長島豊田郎 岡田邦彦 原田琴子 加藤東籬 中川一政 小沢紫絃 夏山繁樹
 小田島孤舟 森鷗外 相馬御風 平野万里 平出修 高村光太郎 高村光太郎 茅野蕭々
 茅野雅子 万造寺齊 中原綾子 尾上柴舟 正富汪洋 尾張穂草 岩谷莫哀 森園天涙
 石井直三郎 小泉苳三 水町京子 上田英夫 岡山巌 岡野直七郎 井上雪下 細井魚袋
 淵浩一 鈴木康文 松田常憲 金子薫園 福田義三 武山英子 平井晩村 須藤鮭川
 吉植愛剣 佐々木寛綱 岡稲里 川合長流 矢ヶ崎柴垣 長谷川喬村 若山牧水 佐瀬蘭舟
 田波御白 前田夕暮 土岐湖友 吉植庄亮 太田水穂 川崎杜外 四賀光子 小田観蛍
 峰村国一 山下秀之助 芥川徳郎 野澤柿葺 大井廣 松木静泉


短歌のアンソロジーです。光太郎歌は明治期のものを中心に61首が掲載されています。大半は赤城山を舞台にし、『伊勢物語』を下敷きにして歌物語風に構成した連作短歌「毒うつぎ」(明治38年=1905)から。あとは欧米留学中のもの、『智恵子抄』所収の作、そして戦後の花巻郊外旧太田村での詠も含みます。

神奈川県鎌倉市での光太郎及び光太郎と交流の深かった尾崎喜八、それぞれの親族の方々による展示です。

回想 高村光太郎 尾崎喜八 詩と友情 その13

期 日 : 2026年10月2日(金)~11月24日(火)の火・金・土・日曜日
会 場 : 笛ギャラリー 神奈川県鎌倉市山ノ内215
時 間 : 11:00~16:00
休 業 : 月・水・木曜日
料 金 : 無料

関連行事 詩の朗読会 11月21日(土) 15:00~
 高村光太郎と尾崎喜八の詩を朗読します。詩を朗読して下さる方を募集しています。
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笛さんの店主、山端氏の奥様が光太郎の直ぐ下の妹・しづ(静子)の令孫にあたり、こちらには光太郎の直筆の書、彫刻などが遺されています。それから、すぐご近所に尾崎喜八令孫の石黒敦彦氏がお住まいで、そちらには尾崎関連のさまざまな品々。その中から展示品をセレクトして毎年開催されています。

特に目玉は、大正13年(1924)、尾崎と、光太郎の親友だった水野葉舟の息女・實子の結婚祝いに贈ったミケランジェロ模刻のブロンズ「聖母子像」。石膏原型は失われており、全国にこれ一点のみしか存在しません。下の画像で中央下です。
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追記 画像追加しました。
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すでに展示作業が終わったようで、山端氏のフェイスブック投稿に会場内の画像。
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11月21日(土)には例年行われている朗読会も予定されています。一般の方々によるもので、飛び入り参加も可。過去の様子は下記をご参照下さい。令和6年(2024)はブッキングで拝聴に伺えませんでした。
 
 令和4年(2022)  令和5年(2023)  令和7年(2025)

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

詩華集 75 『現代日本代表作詩集』

昭和23年(1948)10月30日 海口書店 池田克己編纂代表
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収録作家
 会田綱雄 浅井十三郎 飛鳥敬 鮎川信夫 安西冬衛 安藤一郎 池田克己 石井昌光
 伊東静雄 入江元彦 祝算之介 植村諦 右原尨 梅木三郎 江間章子 及川均 大江満雄
 大木実 岡崎清一郎 緒方昇 岡本潤 尾崎喜八 小野十三郎 金子光晴 川島豊敏
 上林猷夫 菊岡久利 北川冬彦 北園克衛 木原孝一 草野心平 蔵原伸二郎 黒木清次
 小池亮夫 小柳透 近藤東 坂井一郎 笹沢美明 更科源蔵 柴田元男 島崎曙海
 神保光太郎 菅原克已 杉浦伊作 杉山平一 杉山真澄 関根弘 高島高 高橋新吉
 高橋宗近 高見順 高村光太郎 瀧口武士 竹尾大吉 竹中郁 田中克己 田中冬二
 谷村博武 田村昌由 田村隆一 長光太 寺田弘 鳥見迅彦 中川信夫 永瀬清子
 西脇順三郎 野長瀬正夫 原田種夫 菱山修三 日高てる 平木二六 比良勢津子
 平林敏彦 深尾須磨子 福田律郎 藤原定 淵上毛銭 冬木康 堀口大学 真壁仁
 松畑優人 丸山薫 宮崎孝政 三好達治 三好豊一郎 村野四郎 向井孝 百田宗治
 八森虎太郎 山上順三 山中散生 山之口貘 山本信夫 吉田一穂 吉田欣一 吉塚勤治
 劉寒吉 和田徹三 伊藤信吉

編纂者代表の池田克己が主宰し、現在も続く詩誌『日本未来派』が母体のアンソロジーです。光太郎詩は「「ブランデンブルグ」」(タイトル自体に「」がついています)。

一昨日のこのブログでは花巻市と十和田市、昨日は二本松市と福島市、光太郎智恵子ゆかりの地での報道等をご紹介しました。本日はそれ以外の地の地方紙記事から。

掲載順に、9月14日(月)、『室蘭民報』さん。

はるみんオススメ書籍(34)『道程』 室蘭民報

 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る
 ああ、自然よ004
 父よ
 僕を一人立ちにさせた広大な父よ
 僕から目を離さないで守る事をせよ
 常に父の気魄を僕に充たせよ
 この遠い道程のため
 この遠い道程のため

 敬愛する叔父が逝って1年。いまだ心がその事実に追いつかず、どこか宙に浮いたままの日々を過ごしている。父を失ったときもそうだった。時間が少しずつ痛みを薄めてくれることは、頭ではわかっている。それでも、叔父の不在はまだ生活の輪郭に馴染んでくれない。
 叔父との最初の出会いは、父の従妹である叔母と叔父の結婚式だった。7歳の私と4歳の弟は、花束贈呈という大役を任され、300人を超える参列者の前で緊張のあまり「おめでとうございます」の一言も言えずに花束を差し出した。その日から叔父は、折に触れて静かに寄り添ってくれる存在になった。「叔父さんがいるから大丈夫」―幼い心に灯ったその思いは、長い年月を経ても消えることがなかった。
 父が亡くなったときも、真っ先に駆けつけてくれた。心細かった私に、「通夜と告別式は用事があって行かれないから、今日はいてやるからな」と優しく声をかけ、葬儀社との打ち合わせを黙って見守ってくれた。その温かさは、今も胸の奥に灯のように残っている。
 後年、半世紀以上働き続けた叔父と食事をした折「あ~幸せ幸せ」と呟きながら箸を進める姿を見た。なんと美しい生き方なのだろう―その一言に、叔父の人生観が凝縮されているように思えた。生前に叔父がしたためていた「来し方」を読むと、叔父はまさしく自らの足で人生を切り開いてきた人だったと知る。多くの苦難のなかにあっても「報恩・感謝・貢献」を胸に刻み、仕事においても「創造力・想像力、信念と納得」を貫いた人。静かだが揺るぎない、ひとつの道を歩んだ人だった。
 その生き方は、高村光太郎の「道程」を思わせる。誰も人生の道を用意してはくれない。歩いたあとに初めて〝道〟が生まれる。自分の生き方は自分で創り出すしかない―その詩の祈りと決意が、叔父の背中と重なって見える。私は叔父から受け取ったものに、果たして報いることができるだろうか。あとどれほど生きられるかは分からない。だからこそ、最期まで人知を尽くし天命を待ち、生き切った叔父のように、日々を丁寧に歩んでいこうと思う。
 叔父さん、今まで本当にありがとう。感謝してもしきれません。そして、披露宴のときに言えなかった言葉を、今ようやく届けます。 「おめでとうございます。お幸せに」。
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「道程」高村光太郎(日本図書センター/愛蔵版詩集シリーズ)

同日、仙台に本社を置く『河北新報』さん。

東北の本棚 書評『父、吉野弘』久保田奈々子・著 娘がひもとく詩人の生

008 <二人が睦(むつ)まじくいるためには 愚かでいるほうがいい>。披露宴のスピーチなどで誰もが聞いたことがあるかもしれない「祝婚歌」の詩人、山形県酒田市出身の吉野弘さん(1926~2014年)の評伝だ。母の死や戦争を挟む激動の時代など詩の背景を、長女がひもとく。
 弘さんは1歳半の時に疫痢にかかり、生死をさまよった。腎臓病を患った母貞さんは、弘さんが酒田商業学校(現酒田光陵高)1年の12歳の時、51歳の若さで亡くなった。後年、現代詩誌「詩学」の新人賞を受賞した「I was born」(1952年)は、母への手向けの作品とされる。
 模範的な作文を書いた皇国少年だった。家庭が貧しくて進学はかなわず、帝国石油に入社。1945年8月20日に陸軍に入隊予定だったが、敗戦で免れた。職場の先輩に高村光太郎らの詩を薦められたのがきっかけになった。
 戦後は一転して労働組合の専従職員に。過労のため結核にかかった。入院中に詩友と出会い、結核感染前から詩作を始めていた弘さんは文学の夢を膨らませていく。
 第1詩集「消息」を自費出版した時、妻喜美子さんは制作費に充てようと、内緒で宝くじを買った。ほとんどの詩の第1読者は喜美子さんだった。弘さんが筆で生きる覚悟を決め、会社を辞めた時の喜美子さんの一言は-。家族の物語こそ一篇(ぺん)の詩のようだ。(青土社・2420円)

著者の久保田奈々子氏、連翹忌の集いにも複数回ご参加下さっています。

ある程度詩に詳しい方なら、奈々子氏を謳った父君の詩「奈々子に」はご存じでしょう。第二詩集『幻・現実』に収められ、のちにそれを表題作とした詩選集も出版されています。

   奈々子に 009

 赤い林檎の頬をして
 眠っている 奈々子。

 お前のお母さんの頬の赤さは
 そっくり
 奈々子の頬にいってしまって
 ひところのお母さんの
 つややかな頬は少し青ざめた
 お父さんにも ちょっと
 酸っぱい思いがふえた。

 唐突だが
 奈々子
 お父さんは お前に
 多くを期待しないだろう。
 ひとが
 ほかからの期待に応えようとして
 どんなに
 自分を駄目にしてしまうか
 お父さんは はっきり
 知ってしまったから。
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 お父さんが
 お前にあげたいものは
 健康と
 自分を愛する心だ。

 ひとが
 ひとでなくなるのは
 自分を愛することをやめるときだ。

 自分を愛することをやめるとき
 ひとは
 他人を愛することをやめ
 世界を見失ってしまう。

 自分があるとき
 他人があり
 世界がある。
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 お父さんにも
 お母さんにも
 酸っぱい苦労がふえた。
 苦労は
 今は
 お前にあげられない。

 お前にあげたいものは
 香りのよい健康と
 かちとるにむづかしく
 はぐくむにむづかしい
 自分を愛する心だ。 

これまで奈々子氏、父君の詩集を編まれたり、父君の詩を中心とした朗読会等の主催をなさったりということはあおりでしたが、評伝等は執筆されてこなかったそうで、数十年を経て、いわばこの詩への返し歌のような出版ですね。奈々子氏のブログに、この詩を巡る思い出が綴られています。ご高覧下さい。

続いて9月15日(火)、『奈良新聞』さん。

きょうは「老人の日」。そして今月21日は……

 きょうは「老人の日」。そして今月21日は「敬老の日」。自宅のカレンダーに「老人の日」はないが、県民手帳は「老人週間」と併せて記している。
 振り返ってみると、以前は9月15日の「敬老の日」だけだった。2003年にこの日が9月の第3月曜日に変更され、同月15日は「老人の日」となった。
 「敬老の日」は国民の祝日の一つ。「老人の日」は、高齢者福祉への関心・理解を深めることなどが意義付けされている。だから老人週間も15日から。
 現在普及している電車やバスなどの「優先席」も、1973年9月15日に旧日本国有鉄道(国鉄)の電車内に「シルバーシート」の名称で導入されたのが始まりだ。
 シルバーシートが優先席になっていったのは1997年頃らしい。高齢者、障害者から負傷者、体調不良者、妊婦、乳幼児連れなどへと対象が拡大された。
 わが身は既に「高齢者」の域に入っているが、改めて「高齢者」とか「老人」とは何かと自問する。「死ねば死にきり。自然は水際立ってゐる」(高村光太郎『夏書十題』より)の心境を保ち続けたい、とも思う。
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かつて祝日「敬老の日」は9月15日に固定でした。その名残で同日は「老人の日」と命名されているようです。

引用されているのは、「夏書十題」(昭和3年=1928)の総題で10篇の短章を集めたもの。「夏書」は「げがき」と読み、仏教用語ですが夏の季語です。

    夏書十題

   青空

 青空は底が抜けて居るといふ。
 なるほど見てゐると
 真剣すぎるほどはるかなものだ。
 しばらく見てゐてそこらを見ると、001
 なんだかそこらがぺちゃんこだ。
 木でも草でも人間でも又鉄骨でも、
 ばかに近くて親密だ。
 あはは、同僚と言ひたくなる。

   底

 底がぬけるといふ事は
 そんなにやさしいことではない。
 だがまた
 そんなにやさしい事かも知れない。
 鏡の中に
 おれの眉毛が伸びてゐる。
 そんな文句は棄てて来い。002

   寒山詩

 蚊えぶしをたいて
 寒山詩をよんでゐると、
 小さな蚊がぱちんと落ちた。
 夜の風が櫻の葉を鳴らしてゐる。

   (一生かかつて)

 一生かかつて
 自己をジヤスチフアイしようとする。
 そいつは何かいやしい。
 そいつはなんだかうつたうしい。
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   さうか、寒公

 寒山はいふ、
 王秀才はおれの詩を見て、
 蜂腰鶴膝も知らず平仄も解せぬといふが、
 奴の詩は盲が月に詠ずるやうなものだと。
 寒山でもこんな事を言ふのか。
 さうか、寒公

   (夜明けのかなかなに)
 
 夜明けのかなかなに起された。
 眼をつぶつてきいてゐると、
 水色の、青磁色の、雨過霽天の
 あくまで透明の、あくまで一途の、019
 又うつさうと暗いほど青々した
 あの土用波ののつぴきならない
 積極無道の夏がぷんぷん匂つて来た。

   (ヤマノイモの)

 ヤマノイモの蔓が
 三間梯子にからみつく。
 一段、二段、三段、
 毎日うまくのぼつてゆく。
 平気な奴だ。

   死ねば
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 死ねば死にきり。
 自然は水際立つてゐる。


   無いからいい

 生きよ、生きよ、生き抜いて死ね。
 そのさきは無い、無いからいい。

   一人づつが

 一人づつが眼をあかないで、
 何の全体。
 おれは下からゆく。


続く一節の「生きよ、生きよ、生き抜いて死ね。/そのさきは無い、無いからいい。」あたりも実にいい感じですね。

さて、最後に『信濃毎日新聞』さん。9月18日(金)の掲載で、上田市での演劇公演「『智恵子という名の檸檬』〜わたしの手からとつた一つの檸檬を〜」の予告記事です。

一人の女性の人生、演劇で深める 松本市の俳優の1人芝居、上田市で22、23日に 詩人高村光太郎の詩集「智恵子抄」を題材に

 上田市の民間文化施設「犀(さい)の角」で22、23日、松本市の俳優下地尚子さん(37)が1人芝居「智恵子という名の檸檬(れもん)」を上演する。詩人高村光太郎が妻智恵子をしのんで編んだ詩集「智恵子抄」を題材にしつつ、智恵子の視点からその人生を描く。男性が多い劇団で女性が担う役割を多く演じ、違和感も抱いてきた下地さん。困難を抱えた人が駆け込める宿を併設する犀の角で、一人の女性の人生を深める。
 下地さんは神奈川県出身。2012年から松本市が拠点の劇団「TCアルプ」や「シアターランポン」で活動してきた。そのうち10年ほどは各劇団で唯一の女性。自然と「妻」や「母」といった役が多くなったが、男性の手がける脚本や演出で求められる女性像を演じることに、しっくりこない思いもあった。
 4月に1人芝居への挑戦を決めた時、女性の演出でやりたいと以前から交流があった松本市出身の劇作家・演出家の高山さなえさん(福島県)に協力を依頼。1人の女性の人生を深めることになった。
 高山さんが題材に選んだのが「智恵子抄」。精神の安定を徐々に失っていく智恵子が光太郎の視点から描かれるが、智恵子は画家であり、紙を切り抜いて絵画を作る「紙絵」の作家でもあった。下地さんは、女性の役割から離れたところで「戦いたい」という智恵子の気持ちを感じ取り、共感したという。
 犀の角は、支援の必要な女性の相談に乗っている宿「やどかりハウス」を併設しているだけに、今回の上演に特別の意味合いを感じるという声もある。犀の角スタッフの伊藤茶色さん(34)は、6月、智恵子抄を題材にした別の演劇が上演された際に、「(智恵子が舞台に現れる場面で)やどかりハウスの当事者の1人として来ている感覚もあった」と振り返る。
 下地さんは、女性、芸術家として先輩の智恵子と対話するようにして表現を磨いている。「共感できるところ、甘えだと思うところそれぞれに向き合ってみたい」と意気込む。上演は22日午後7時と23日午後2時から。一般3千円など。専用フォーム= https://forms.gle/X4T8ZKAb58MLMwXy8 =から予約できる。 
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芝居で使う小道具を確かめる下地さん(右)と伊藤さん

というわけで、今日はこれから愛車を駆って信州へと旅立ち、こちらを拝見して参ります。その前に安曇野の碌山美術館さんでの「高村光太郎没後70年 高村智恵子生誕140年 高村光太郎・智恵子展」も開幕しましたので、そちらも併せて拝見してきます。台風25号は通り過ぎましたが、途中で土砂崩れだの洪水だのが起こっていないことを祈るばかりです。

【高村光太郎書誌】

詩華集 65 『近代名詩選集』

昭和19年(1944)2月10日 千歳書房 山田岩三郎編者代表
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収録作家
 土井晩翠 島崎藤村 河井酔茗 野口米次郎 伊良子清白 蒲原有明 薄田泣菫 横瀬夜雨
 高村光太郎 山村暮鳥 北原白秋 千家元麿 川路柳虹 萩原朔太郎 室生犀星 三木露風
 三富朽葉 日夏耿之介 佐藤惣之助 西條八十 堀口大学 百田宗治 深尾須磨子
 尾崎喜八 宮澤賢治 吉田一穂 笹沢美明 壺井繁治 佐藤一英 蔵原伸二郎 三好達治
 北川冬彦 丸山薫 高橋新吉 村野四郎 佐伯郁郎 岡本潤 平田内蔵吉 立原道造
 乾直恵 草野心平 永瀬清子 阪本越郎 田中冬二 竹内てるよ 中山省三郞 神保光太郎
 大江満雄 山之口貘 壺田花子 伊東静雄 安藤一郎 山田岩三郎 高祖保 大木実
 菱山修三 菊岡久利 津村信夫 村上成実 野田宇太郎 大島博光 田中克己 江間章子
 稲津静雄

光太郎詩は「老耼、道を行く」「樹下の二人」「鯰」「レモン哀歌」「秋風辞」「地理の書」。翼賛詩でないものが中心で、他の作者のものもそうです。中にはコテコテの翼賛詩も含まれていますが、どうもそのあたりはカムフラージュかな、と思われます。大政翼賛会などの主導に依らない出版物には、この手の「反戦」とは行かないものの「厭戦」的なニュアンスが感じられるものも存在しました。

光太郎詩も取り上げられる朗読イベントを2件。

開催日時順に、まずは群馬県。

サンデーモーニング朗読会

期 日 : 2026年9月13日(日)
会 場 : 前橋文学館1階ロビー 群馬県前橋市千代田町三丁目12-10
時 間 : 11:30~12:00
料 金 : 無料
出 演 : 林健樹 前橋文学館友の会『楽しい朗読講座』受講生

毎週日曜日の午前11時30分から、前橋文学館1階ロビーで開かれる、ちいさな朗読会。いきた言葉が、なまの声で、いっしゅんで消えゆく展示物のように、文学館にうまれます。

「人生の詩」アメリカ先住民から樹木希林、吉田拓郎まで

《ラインナップ》
 坂村真民 高田敏子 高村光太郎 高見順 フレデリック・パールズ 竹内浩三
 相田みつを 星野富弘 中原中也 谷川俊太郎 茨木のり子 アメリカ先住民 樹木希林
 工藤直子 尹東柱 エミリー・ディキンソン 新川和江 吉行理恵
 金子みすゞ 吉田拓郎
 ポール・アンカ 岩谷時子
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光太郎詩が取り上げられるのは9月13日(日)ですが、その日に限らず毎週日曜日に開催されているとのこと。素晴らしいと思いました。会場の前橋文学館さんで行われている朗読講座によるもののようで、なるほど、単に講座を受けて終わりでは味気ないところ、こうして発表の機会がたくさんあればそれに向けてということでモチベーションも上がるでしょうし、それを聴いた皆さんで「私もやってみようか」となるケースもあるでしょう。

もう1件、次の週で横浜です。

令和8年度 瀨谷図書館 休日朗読会

期 日 : 2026年9月20日(日)
会 場 : 横浜市立瀨谷図書館 横浜市瀬谷区本郷3-22-1
時 間 : 13:30~14:30
料 金 : 無料 先着20名(事前申込制)
出 演 : 一般社団法人ソフィアの森 ボランティア部

 「常識」 小泉八雲/著 朗読:星野紀子
 「グチャグチャ飯」(『九十歳何がめでたい』より)  佐藤愛子/著 朗読:折戸瑛里佳
 『智恵子抄』より 高村光太郎/著 朗読:長谷川美知子
 「木犀の香」 薄田泣菫/著 朗読:池田玲子
 「ラブ・ミー・テンダー」 江國香織/著 朗読:小川あづみ
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こちらは東京都調布市に拠点を置く朗読教室「ソフィアの森」さんのご出演。同団体、平成29年(2017)にNHKさんで放映された朗読教室を題材とした竹野内豊さん、麻生久美子さんらご出演のドラマ「この声をきみに」のモデルとなったそうで。

まだまだ光太郎作品はとりあえず人口に膾炙し続けているようで、こうした機会に取り上げていただいています。こういうところで全く扱われなくなったら、「忘れられた作家」的な位置づけになってしまうような気がします。そうならないように「伝導」に務めたいと常日頃思ってはいるのですが、今後どうなっていくことやら、です。

閑話休題、それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

詩華集 52 『日本詩集』

昭和17年(1942)9月11日 洛陽書院 野長瀬正夫編
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収録作家
 伊福部隆彦 西村皎三 高村光太郎 中勘助 武者小路実篤 野長瀬正夫 増田晃
 江口隼人 佐藤惣之助 佐伯郁郎 阪本越郎 三ツ村繁蔵 千家元麿


光太郎作品は散文で「詩精神」、詩が「必死の時」「危急の日に」「独居自炊」「正直一途なお正月」「事変二週年」「最低にして最高の道」「彼等を撃つ」「新しき日に」「夜を寝ねざりし暁に書く」。作品選択は自選だそうですが、自身の校訂は入っていないようで、そのためか誤植等が目立ちます。この時期のアンソロジーはおしなべてそんな感じです。

土門拳撮影の肖像写真が口絵に使われています。新潟の素封家にして、このあと戦死することになる松木喜之七に依頼された木彫「鯉」製作中のショットです。
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まず、昨日の『日刊スポーツ』さん。

8月20日=今日はどんな日

蚊の日001

◆出来事
▼イギリスの細菌学者であるロナルド・ロスがハマダラカの胃からマラリアの原虫を発見(1897)▼詩人、彫刻家として」知られる高村光太郎の詩集「智恵子抄」が刊行(1941)▼夏の全国高校野球で早実-駒大苫小牧が延長15回引き分け(2006)
◆誕生日
▼桐島かれん(64年=タレント)▼梅宮アンナ(72年=タレント)▼勝地涼(86年=俳優)▼森崎ウィン(90年=俳優)▼三浦由衣(92年=女優)▼白石麻衣(92年=女優)▼秋元真夏(93年=タレント)▼奥田いろは(05年=乃木坂46)

龍星閣から光太郎第二詩集『智恵子抄』が刊行されて、85年が経ったということで。

上記は昨年10月、NHK Eテレさんで放映された「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」から。当方手持ちの初版本です。
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11年前にはやはりNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」にも「出演」しました(笑)。
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詳細はまた後ほど公式情報が出てからお伝えしますが、この秋には切手にも使われます。

オリジナルの智恵子抄は、明治末の智恵子との恋愛時代に始まり、その死後2年半経過した時点での「梅酒」までの29篇の詩、6首の短歌(厳密には詩「樹下の二人」に詞書的に短歌が附されているので7首)、3篇の散文から成ります。智恵子の葬儀の日を謳った詩「荒涼たる帰宅」のみ書き下ろしと推定されますが、他はさまざまな雑誌等に発表されたものを集めました。それぞれの作品を執筆、発表していた段階では、いずれ一冊の詩集にまとめるなどという意図は、光太郎には全くありませんでした。それを提言したのは版元の龍星閣社主・澤田伊四郎でした。

そういった事情を踏まえ、やなせたかし氏は「「智恵子抄」は構想されたのではなく、いつのまにか降る雪のようにつもった。あるいは光太郎の人生の足跡の上に自然に咲いた美しい花だ。」と評しました。言い得て妙、ですね。というか、これに勝るコピーを存じません。

コピーと言えば、よく使われるのが「純愛の詩集」といった文言。たしかにそういう面はあるでしょう。日本の詩史において、一人の女性への愛情を題材とした詩集というのはそれまで存在しませんでしたし。

しかし、ことはそう簡単ではなく、『智恵子抄』の持つ側面は多岐にわたっていると考えられます。言うなれば「悔恨の詩集」「鎮魂の詩集」「訣別の詩集」……。他の言い方も出来そうです。10月には智恵子の故郷・福島二本松で講演を仰せつかっていますが、そのあたりの話でもしようかと考えています。

もう1件。

昨日の新聞各紙等で、ICC=国際刑事裁判所の赤根智子所長がアメリカのトランプ大統領から「制裁対象」に指定されたというニュースが報じられました。ICCがイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃を巡り、ネタニヤフ首相に対して逮捕状を出したこと、駐留米兵の戦争犯罪捜査などが「主権に対する脅威」だそうで。アホか? と思います。トランプポチで会えばピョンピョン跳びはねるどこぞの国の首相もそうですが、まったく毎日のように次から次へととんでもない行動のオンパレードですね。

そして予想通りピョンピョン首相は「今回の措置は大変残念です」という外務報道官談話をなぞるのみ。

この件を受けて、今年1月にNHKさんが赤根氏に取材・インタビューしたニュース「大国の圧力に立ち向かう日本人 赤根智子さんの仕事の流儀」が再注目されています。長いので全文引用はしませんが、ロシアのプーチン大統領やネタニヤフ首相に逮捕状を出した件、それに伴ってロシアやアメリカからの強力な圧力にさらされていることについてです。
002
その中で、これは、と思われる赤根語録。

記者: なぜこれほどまでにICCへの期待が高まっていると思いますか。
「わたしたちは世界における法の支配の最後のとりでだと思っているし、被害者たちにとって最後の希望の光だと思っているので。やはり世界で戦争犯罪とか人道に対する犯罪というのがたくさん起きていて。起きたことは修復できないけれども、最後は誰かが正当な手続きによって、正当に処罰されるということがないかぎり、被害者たちが前を向くことはできない。それをできるのは、いまICCだけだということで、期待が高まっているのだと思います」

赤根所長はインタビューの間もさることながら、常に毅然とした態度を保っているのが印象的だ。大国の圧力の矢面に立ちつつ、なお冷静さを欠かさない理由は、どのような思いからなのか。
「1つはですね。私は外に対しての顔でなきゃいけないので。その時にリーダーとしては、苦しい顔をしたらですね、部下の人たち、働いてる人たちがどう思うだろうっていうのはあります。それとともに、苦しい中だからこそ、スタッフにも頑張ってもらいたいから。ある意味、何て言うんですかね、エールを送る、そういう形でみんなが明るく過ごす。自分の仕事に向かえるようにしたいなというのが心の中にあります。できるだけ笑顔で、あいさつするとか、そういうことをしています」

「みんな制裁とか、逮捕状とか、そういう目の前にあることだけを言っていて。これからどうするのっていうことばかり言ってるけど。そうじゃなくて、もっと広い見地から長い将来に向けて、見えないものに対してでも対処して欲しい。いろんな将来もあるし、未来もあるはずなのに。それはまだ目に見えないかもしれないけど、いろいろ考えながら今のことに対処しないと短視眼的な結論に至ってしまう可能性が多い」
どんなことがあっても、ICCの任務の根底にある人道や正義といった大義を見失ってはならないとする、強い信念が込められていた。

いちいちごもっともです。

そして……

記者:おそらく2025年より2026年のほうが苦しいことも想像されます。ことしはどのような1年に?
「2026年は明るい未来を展望するような。苦しくてもそういうやり方を、自分もそうだし、スタッフも目指してやりたい。そこはみんな苦しいだろうけど。目の前に道はないけれども、後ろに道が出来てるよっていう誰かの詩の話をして。ほらって。確かに私たちこんなにやったなっていう気分になってくれるように、ですね」

これは光太郎第一詩集『道程』表題作の「道程」(大正3年=1914)ですね。「誰か」でなく「高村光太郎」とおっしゃっていただきたかったところですが(笑)。何はともあれ光太郎詩が、こういう方の、ある意味心の支えの一つとなっているというのは喜ばしいことです。

しかし、一昨日ご紹介した翼賛詩「十二月八日」などは、軍部や大政翼賛会や、戦争に邁進する国民の戦意を鼓舞する役割を担ってしまった事実もあるわけで、詩とか言葉とかが両刃の剣であることの証左に他なりません。

それでも「ペンは剣よりも強し」と申します。「剣」を振りかざして憚らないトンデモ独裁者やそのポチどもに屈することなく、あくまで正義を貫いていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

詩華集 33 『東西名詩集 吟詠漢詩集』キング新年号附録

昭和11年(1936)1月1日 大日本雄弁会講談社 西條八十/塩谷温編
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収録作家(日本篇のみ)
 落合直文 大和田健樹 国木田独歩 佐佐木信綱 太田玉茗 武島羽衣 大町桂月
 島崎藤村 与謝野寛 土井晩翠 河井酔茗 薄田泣菫 横瀬夜雨 伊良子清白 平井晩村
 岩野泡鳴 平木白星 児玉花外 相馬御風 石川啄木 北原白秋 木下杢太郎 茅野蕭々
 三木露風 野口雨情 人見東明 正富汪洋 川路柳虹 加藤介春 高村光太郎 山村暮鳥
 福士幸次郎 竹友藻風 生田春月 富田砕花 室生犀星 竹久夢二 萩原朔太郎 矢野峰人
 佐藤春夫 白鳥省吾 柳沢健 西條八十 日夏耿之介 堀口大学 福田正夫 佐藤惣之助
 千家元麿 百田宗治

他に「外国篇」「吟詠漢詩集 皇朝篇 漢土篇」と続きます。

光太郎詩は「偶作」「詩人」「氷上戯技」でした。

最新号ではなくバックナンバー扱いですが……。

『図書』2026年7月号

発行日 : 2026年7月1日001
著者等 : 西澤昭方編
版 元 : 岩波書店
定 価 : 140円+税

目次
 海を巡って チョン・スユン
 スギモトノートで「絶滅」を読む 杉本博司
 ふたりアフリカ 小川待子
 ピアスさんの思い出 北野佐久子
 「無常」からの創造 木下華子
 舟の歌 大谷雅夫
 謎の「秋葉犬」、現る 森絵都
 亡霊たちの彷徨う都市 基隆 倉本知明
 空飛ぶ豚たちの饗宴 武田雅哉
 「理解できない」を楽しむ 小川哲
 「あなたゐない」と呟く自由 神野紗希
 漆黒の深海に現れし光の正体は 大場裕一
 医療文化史サロン展に集う人々 武田時昌
 岩波文庫の会と『文庫』/読者欄の楽しみ 山本貴光
 金融資産の登場と相続をめぐるドラマの変貌 鹿島茂
 こぼればなし
 七月の新刊案内
 (表紙=「引越し荷物を載せたオート三輪」©Hayao Miyazaki『宮﨑駿イメージボード全集3
  となりのトトロ』より)
 [表紙に寄せて]ネコバスに間に合うか/川内有緒

俳人・神野紗希氏の連載「抗うための十七音」の第7回「「あなたゐない」と呟く自由」で、光太郎詩「十二月八日」(昭和16年=1941)の半分ほどが引用されています(全文はこちら)。

 記憶せよ、十二月八日
 この日世界の歴史あらたまる。002
 アングロ・サクソンの主権、
 この日東亜の陸と海とに否定さる。
 否定するものは彼等のジヤパン、
 眇たる東海の国にして
 また神の国たる日本なり。
 (略)
 老若男女みな兵なり。
 大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
 世界の歴史を両断する
 十二月八日を記憶せよ。

それがメインではなく、いわばマクラなのですが、曰く

 光太郎は、戦地の人間だけでなく、銃後も含めた国民すべてが「兵」であり、日本のために一丸となって戦うのだ、と鼓舞(こぶ)しています。戦争に突き進む国家の意向に逆らわず、自らを国家と同一化して、読む人を扇動(せんどう)するこれらの言葉に、抗いを見出すことはできません。
 そもそもこれは詩でしょうか。文学評論家のウィリアム・エンプソンは「詩の源泉には曖昧という仕掛けがはたらいている」(『曖昧の七つの型 上』岩崎宗治訳、岩波文庫)と述べ、言葉の多義性や矛盾こそが詩を詩たらしめているのだと提示しました。しかし、この光太郎の詩に曖昧さはありません。お国のために戦おうという勇ましいメッセージが、がらんと響いているのみです。


そのとおりですね。光太郎は自分の体験したことのみを詩にするというスタイルが基本でしたので、翼賛詩にしても戦闘や軍隊生活をモチーフにしたものは多くなく、大半は銃後の国民の心構えとか、大和民族の優秀性などを題材にしたものです。一部、年少者向けの詩に、少年少女たちの視点で「お国のためにがんばろう」みたいなもの(「少年飛行兵の夢」「ぼくも飛ぶ」「少女戦ふ」など)もあるにはありますが。

いずれにしても詩としては愚にもつかないものですし、プロパガンダとして果たした役割は重罪です。そういった点を真摯に反省して、戦後は花巻郊外旧太田村の山小屋で、自虐にも等しい7年間もの蟄居生活を送ったのですが。

俳人の神野氏、さらに翼賛俳句の実例も挙げています。

 美しき御国の空に敵寄せじ 高浜虚子
 いくさして富士美しき国の春 富安風生
 現身に師走八日のよきめざめ 前田普羅
 どれにも日本が正しくて夕刊がばたばたたたまれてゆく 栗林一石路
 兵を送り秋の朝餉のうまきかな 東鷹女
 靖国で会ふ嬉しさや今朝の空 古野繁實


吐き気がします。ある界隈の人々は涙を流して喜びそうですが。

ちなみに手元にある光太郎詩も載った戦時中の詞華集にも同様の句が載っていますが、やはり高浜虚子や富安風生、それから飯田蛇笏や水原秋桜子、荻原井泉水、山口誓子らのそれも。寡聞にして存じませんが、彼らは戦後になって、戦時中のこうした句についてどう総括なりをしたのでしょうか?

そして逆に、反戦句的なものも。ただし、どちらも太平洋戦争開戦前のものですが。

 熱い味噌汁を啜(すす)りあなたゐない 波止影夫
 征く人の母は埋もれぬ日の丸に 井上白文地

波止影夫はいわゆる「京大俳句事件」で特高警察に逮捕された人物です。この句が神野氏の稿のタイトルに転用されています。

それから、推敲による改作の例。

存じ上げませんでしたが、三橋敏雄という俳人の句で、当初は「出征ぞ子供ら犬は歓べり」だったものが、師の西東三鬼が危険だと助言し「出征ぞ子供ら犬も歓べり」と改められて発表されたというのです。「子供ら犬は」だと、「子供らや犬は喜んでいるが、大人たちは……」ととられかねないが、「子供ら犬も」なら「皆等しく……」というわけで。

この一文字の改変、つい先日の「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」を想起しました。「何のことやら解らない」という方は「戦没者追悼式辞」「使役」で検索してみて下さい。

それにしても、冒頭で一部引用した「十二月八日」を、わざわざ終戦の日にSNSに上げて喜んでいる馬鹿野郎がいました。毎年12月8日にはたくさんいますが、終戦の日にというのは初めて見ました。「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」ということなのでしょうか? まったく嘆かわしいものですし、たとえ戦後に7年間もの蟄居生活を送ったとはいえ、改めて光太郎の犯した罪の重さについても考えさせられました。

【高村光太郎書誌】

詩華集 31 『日本山嶽短歌集』

昭和10年(1935)10月10日 交蘭社 橋本敏夫編
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目次
 序 関東地方 奥羽地方 中部地方 近畿地方 中国地方 四国 九州 北海道 台湾
 千島 樺太 朝鮮 関東州

題名の通り、山に関する短歌を集めたアンソロジーです。

光太郎歌は「おのづから雲こごりきて夏の夜の明神嶽の尾根をはなれず」。制作年代不詳ですが、「明神嶽」は大正2年(1913)に智恵子と一夏を過ごした上高地の山です。しかしこの書籍ではなぜか箱根の項に掲載されています。

一昨日の『東京新聞』さん一面コラム。7月28日(火)に発生した令和8年熊本地震に関してです。

筆洗

詩人の萩原朔太郎は風呂が嫌いだったと、長女で作家の萩原葉子さんが書いている▼「朔太郎! 今夜こそお風呂に入っておくれだろうね、いったい幾日入らないと、お思いだい」。朔太郎の母親が叱るとしぶしぶ風呂場に向かうが、からすの行水であっという間に上がってしまう▼反対にこのお母さんの方は大の風呂好きでときには2時間も入っていたそうだ。熊本地震の被災者のつらさがよく分かるのはお母さんの方か。現地では断水が続いており、お風呂になかなか入れない▼県内では最大10万戸超の断水が発生した。復旧作業を急いでいるが、水道管の破損箇所が把握しきれず、長期化の恐れも出ている▼長期間、しかもこの真夏に風呂のない暮らしは厳しい。風呂ばかりではない。飲料水、炊事、トイレ。蛇口から水が出ないのは食料品や生活物資が手に入らぬのと同じつらさ、あるいはそれ以上かもしれない。毎日、給水所に通って長い列に並び、重いポリタンクを運ぶ。地震に襲われた心身にはそれだけで負担だろう。宇城市など断水が目立つ地域は水道管の耐震化が遅れていたとの指摘もある。国全体の教訓としたい▼「すべての人人をひたして/すべての人人を再び新鮮ならしめるもの」(高村光太郎『湯ぶねに一ぱい』)。お湯の心地よさ。断水を一日も早く解消し、地震に疲れた人々に、お風呂を取り戻したい。

被災された方々には心より御見舞い申し上げます。地震、大雨、そして近年の酷暑、さらにはクマによる被害などなど、ますます災害大国の感を呈している我が国ですが、一番の災害はそうした災害に対して有効な手だてをとらず、ミサイルなどを買い漁っている政権であることのような気がします。亡くなった方も出た水道管の破裂事故なども併せ、不必要な兵器より各種インフラの整備を急げと言いたくなります。

しかし、そういう方針である政権を構成する政党(災害時に避難所となる学校等へのエアコン設置も、「エアコンを設置して体調を崩したこともある。環境への適応能力をつけるには、ある程度、耐える能力を鍛えることも必要だ」と公言している輩がいるわけで)に投票し続けている国民が多いということは、厳しい言い方をすれば自業自得なのかも知れません。

さて、引用されている光太郎詩「湯ぶねに一ぱい」(大正5年=1916)は、以下の通り。

    湯ぶねに一ぱい

 湯ぶねに一ぱい
 湯は002
 しづかに満ちこぼれてゐる
 爪さきからそろそろと私がはいれば
 ざあつとひとしきり溢れさわいで
 またもとの湯ぶねに一ぱい――
 かすかに湧き出る地中の湯は
 肩をこえて
 なめらかに岩角から流れ落ちる
 涌いてはながれ
 涌いてはながれ
 しづまり返つた山間の午後
 私は止め度もなく湧いて流れる
 温泉に身をとろかして
 心のこゑをきく
 止め度なく湧いて来るのは地中の泉か
 こころのひびきか
 しづかにして力強いもの
 平明にして奥深いもの
 人知れず常にこんこんと湧き出でるもの
 ああ湧き出でるもの
 声なくして湧き出でるもの
 止め度なく湧き出でるもの
 すべての人人をひたして
 すべての人人を再び新鮮ならしめるもの
 しづかに、しづかに
 満ちこぼれ
 流れ落ちるもの
 まことの力にあふれるもの

画像は昭和17年(1942)、上州宝川温泉で入浴中の光太郎です。詩自体も北関東のどこかの温泉が舞台と考えられます。

ちなみに「湯ぶねに一ぱい」、萩原朔太郎が室生犀星と共に立ち上げた雑誌『感情』が初出です。その朔太郎が風呂キャンセル界隈だったというのは存じませんでした。有名な話なのでしょうか? 寡聞にして分かりません。

光太郎も、戦後の花巻郊外旧太田村での隠棲中は風呂キャン界隈でした。元々、山小屋には風呂場が無く、手拭いで身体を拭く程度。見かねた村人達や宮沢家などが鉄砲風呂というタイプの風呂を贈りましたが、薪を大量に使わねばならず、結局あまり使わないまま近くの開拓地に住んでいた青年に譲ってしまいました。現物は現在も残っていて、花巻高村光太郎記念館さんに収蔵されています。
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その代わり、花巻温泉、台温泉、鉛温泉、大沢温泉などの温泉地に入浴に行くことも少なからずあり、また、花巻町に出た際には桜地区にあった花巻病院長・佐藤隆房邸の立派な風呂を「桜温泉」と称して楽しみにしていたそうです。

さて、『東京新聞』さんにあるとおり、「お湯の心地よさ。断水を一日も早く解消し、地震に疲れた人々に、お風呂を取り戻したい」。まさにその通りです。エアコンに電源が必要だと知らないとか、避難所滞在たったの3分などというふざけた界隈はあてになりません。今こそ叡智の結集を、と思います。

【高村光太郎書誌】

詩華集 18 『昭和詩選』

昭和2年(1927)6月5日 新潮社 白鳥省吾編輯者代表
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収録作家等
 生田春月 川路柳虹 加藤介春 河井酔茗 木下杢太郎 北原白秋 西條八十 佐藤惣之助
 佐藤春夫 佐藤清 白鳥省吾 千家元麿 高村光太郎 多田不二 茅野蕭々 野口雨情
 野口米次郎 萩原朔太郎 日夏耿之介 服部嘉香 福士幸次郎 福田正夫 堀口大学
 三木露風 室生犀星 百田宗治

光太郎詩は「偉大なるもの」「ミシエル-オオクレエルを読む」です。

ラジオ放送の情報です。文化放送さんサイトから。

戦後81年スペシャル『表現者たちの戦争 ~プロパガンダとプライド~』 出演: アーサー・ビナード、高橋源一郎/春風亭一蔵 8/11(火・祝)午前10時から放送

 8月11日(火・祝)午前10時00分から、特別番組「文化放送 戦後81年スペシャル『表現者たちの戦争 ~プロパガンダとプライド~』」を放送します。
 当番組は、パーソナリティに詩人のアーサー・ビナード、ゲストに作家の高橋源一郎を迎え、国家権力によるプロパガンダが横行した戦時下の日本で、表現者たちが何を書き、何を語ったのか、その実態を探る特別番組です。
 81年前に終わった戦争において、国民が一つになり戦争を遂行できるよう、当時の日本には国家権力の意向に沿った作品ばかりが世の中に出回っていた時期がありました。
当たり前のように娯楽や芸能、芸術までがプロパガンダとして利用された時代に、表現者たちは何を書き、何を語っていたのか。
 そして、彼らの胸に秘められた「本音」はどこにあったのか。本企画では、当時の表現者たちの知られざる真実に深く迫ります。
 番組では、「マンガ」「落語」「詩」の3つのジャンルから当時の表現に着目。
 まず、大政翼賛会が主導した国策マンガ「翼賛一家・大和家」の成立ちから広がり、そしてその巧妙なシステムを紐解きます。
 続いて「国策落語」に注目し、古典落語の名作を戦時下にアレンジした「新芝浜」を落語家の春風亭一蔵が特別に口演。
 名作「芝浜」をここまで改ざんをして許されるのだろうかと考えさせられる熱演をお届けします。
さらに、高村光太郎らが名を連ねた国策アンソロジー「詩集・大東亜」と、戦地の兵士が密かに残した幻の「野戦詩集」を読み比べます。
 勇ましく戦意を高揚させる言葉と、最前線の塹壕で生み出されたむき出しの言葉。その2つの世界の違いを、アーサー・ビナードと高橋源一郎による朗読と解説で、丁寧に読み解いていきます。2編の詩集はどちらも戦争の実態であり、戦争の悲劇でもあると気づかされます。
 「自分だったらどうするか?」という問いを通して考える、表現の責任と自由。「表現の自由」の尊さを改めて見つめ直す特別な時間を、リスナーの皆さんと共有します。

【特別番組概要】
■番組名:文化放送 戦後81年スペシャル『表現者たちの戦争 ~プロパガンダとプライド~』
■放送日時:8月11日(火・祝)午前10時00分~11時30分
■出演:アーサー・ビナード(詩人)、鈴木純子(文化放送アナウンサー)
 ゲスト:高橋源一郎(小説家)
 「新芝浜」口演: 春風亭一蔵
  (落語家/『春風亭一蔵 ラジオマガジンフライデー!』パーソナリティ)
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文化放送さん、フジサンケイグループの放送局なのに、随分とんがった内容ですね。「マンガ」「落語」「詩」の三本柱だそうです。

まず「マンガ」では、「翼賛一家・大和家」。フリーキャラクターだそうで、多くの漫画家(かの長谷川町子も含みます)がその一家を登場人物とした漫画を描き、『写真週報』などさまざまな雑誌等に載りました。お母さんは「早苗」さんかと思ったら「たみ子」さんでした(笑)。
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また、プロの漫画家だけでなく、一般からの投稿も募りました。
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吐き気がします。

続いて「落語」パートでは、古典落語の名作「芝浜」をアレンジした国策落語「新芝浜」を落語家の春風亭一蔵師匠が口演されるそうです。国策落語というのもひどいもので、主に古典を改編し、戦意高揚や節約・耐乏などを呼びかけるものでした。

そして「詩」。

「高村光太郎らが名を連ねた国策アンソロジー「詩集・大東亜」と、戦地の兵士が密かに残した幻の「野戦詩集」を読み比べ」、「勇ましく戦意を高揚させる言葉と、最前線の塹壕で生み出されたむき出しの言葉。その2つの世界の違いを、アーサー・ビナードと高橋源一郎による朗読と解説で、丁寧に読み解いていきます」とのこと。

高橋源一郎氏、既に令和4年」(2022)刊行の『ぼくらの戦争なんだぜ』で、同様に光太郎が序文を書き、作品も寄せた『詩集・大東亜』と、『野戦詩集』に触れられています。
 高橋源一郎『ぼくらの戦争なんだぜ』 その1。
 高橋源一郎『ぼくらの戦争なんだぜ』 その2。
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4年経ちますから、その繰り返しでなく、さらにアップデートされた論を期待したいところです。特に『ぼくらの戦争なんだぜ』に書かれていた、「金子光晴が翼賛詩文を書かなかった」という大間違いは電波に乗せないでいただきたいものです。

インターネットでも聴取可能と思われます。ぜひお聴き下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 14 『日本詩集 1925版』

大正14年(1925)4月28日 新潮社 詩話会編
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収録作家等
 相川俊孝 生田春月 石川善助 内野健児 小畠貞一 加藤介春 川路柳虹 河井酔茗
 後藤大治 佐藤一英 佐藤清 佐藤惣之助 佐藤春夫 沢ゆき子 白鳥省吾 杉江重英
 陶山篤太郎 鈴木信治 千家元麿 高村光太郎 高木斐瑳雄 多田不二 大藤治郎
 角田竹夫 富田砕花 中田信子 中西悟堂 中野秀人 中村恭二郎 南江二郎 野口雨情
 野口米次郎 萩原朔太郎 萩原恭次郎 橋爪健 林信一 春山行夫 平木二六 深尾須磨子
 福田正夫 福原清 藤森秀夫 藤田健次 松村又一 前田鉄之助 三石勝五郎 宮崎丈二
 室生犀星 百田宗治 山崎泰雄 山村暮鳥 井上康文 米沢順子 尾崎喜八
 大正十三年に於ける詩論の抜萃
 大正十三年詩壇の主なる事項

光太郎詩は「春駒」が掲載されています。

先日、地元の新刊書店に行きました。

レジ近くに「新潮文庫の100冊」特設コーナー。対象図書に入ったものが平積みに。
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久々にラインナップに入った光太郎の『智恵子抄』も。
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デザイナー・皆川明氏による新たなカバーデザインの新装版として出されましたので、100冊の中でも特別な扱いにしていただいています。ありがたし。奥付を見たら今年の印刷で第133刷となっていました。

文庫サイズで64ページ、無料のPR誌『新潮文庫の100冊』をいただいて帰りました。
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100冊それぞれが紹介されており、基本、1ページに3冊ずつの配置ですが、『智恵子抄』は新装版となったことで特別扱い、1ページまるまる使われています。ありがたし。
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最終ページにこんな案内も。
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募集要項、活字にします。

第14回 新潮文庫ワタシの一行大賞 募集要項

対象図書の中から心に深く残った「一行」を選び、なぜその一行を選んだのかを、あなたの「経験」や「気持ち」などをまじえ、100~400字で自由に書いてください。住所・氏名・年齢・学校名・学年・電話番号、対象図書名と選んだ「一行」の掲載ページを別途必ず明記してください。

対  象  者 : 中・高校生の個人、または、団体の応募をお待ちしています。
対象図書  : 2026年「中学生に読んでほしい30冊」「高校生に読んでほしい50冊」
        「新潮文庫の100冊」選定作品
締  切  : 2026年10月1日(当日消印有効)

発表 受賞作品は「波」2027年1月号(2026年12月28日発売予定)と新潮社ホームページにて、発表時に全文を掲載します。大賞作品は次年度の「中学生に読んでほしい30冊」「高校生に読んでほしい50冊」に掲載します。

賞品 大賞:1名、優秀賞・佳作:数名に、賞状と図書カードを贈呈。
宛先 郵便:〒162-8711 東京都新宿区矢来町71 新潮文庫ワタシの一行大賞係
Eメール:ichigyo@shinchosha.co.jp

※団体応募の場合は、作品総数を必ず未開封の状態で確認できる場所に明記してください。なお、応募原稿は返却いたしません。
※応募は何作でも受け付けますが、一書名についておひとりで複数のエッセイを応募することはできません。
※AIを利用して自動生成した文章での応募はできません。
※二次審査通過作品の発表時にホームページ上で氏名、学校名を掲載させて頂きます。ご了承ください。
※受賞作品の一部/全文を新潮社が管理するSNS等に掲載させていただく場合があります。
※応募原稿に記入いただいた個人情報は、選考・結果の発表、作品の掲載以外には許可なく使用いたしません。
※団体応募時には個々人の生徒の連絡先の記載は不要です。

対象図書のうち、「中学生に読んでほしい30冊」は以下の通り。
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下記が「高校生に読んでほしい50冊」のラインナップ。
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「新潮文庫の100冊」と一部、かぶっています。

で、「100冊」。
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ここで「?」。何度数えても101冊あります。萩尾望都氏『11人いる!』ではありませんが(笑)。よく見てみるとドストエフスキー『罪と罰』が上下巻で別々に載っていました。

また、PR誌『新潮文庫の100冊』の索引。
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こちらは何度数えても98冊しかありません。抜け落ちていたうちの一冊は井伏鱒二『黒い雨』。もう1冊あるはずですがわかりません(笑)。

ま、それはそれとして、中高生の皆さん、『智恵子抄』も対象に入っていますので、ぜひ『智恵子抄』から印象的な一行を抜き出し、奮ってご応募下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 3 『新詩の作り方』

大正7年(1916)1月14日 いろは書房 樋口紋太著
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収録作家等
 序 岩野泡鳴/三木露風
 新詩の歴史 詩は如何して作るか 詩を味ふ力 詩の解釈 作詩と感興 長編詩を作る苦心
 詩興と旅行と逍遙 詩と観察 詩を作る覚悟 眼に見て美しい詩 題の附け方 作詩と詩材
 詩と文法の変格 詩の用語 作詩と推敲 詩の形式 自由の詩形 詩の分類
 作例
  薄田泣菫 与謝野鉄幹 高村光太郎 百田宗治 西村茂 蒲原有明 相馬御風
  服部嘉香 水野葉舟 三木露風 山村暮鳥 加藤介春 ボードレール
 竹友藻風
  上田敏 岩野泡鳴 生田長江 北原白秋 河井酔茗 有本芳水 萩原朔太郎
  川路柳虹 森鷗外

題名の通り、詩の作り方を述べたハウツー本的なものですが、後半3分の1ほどが「作例」ということで、光太郎を含むアンソロジーになっています。収録されている光太郎詩は「師走十日」です。

昨日は墨田区両国の両国シティコアさんに行っておりました。こちらのギャラリーΧ(カイ)さんで開催された「劇舎カナリア・シアター 『書声展』さっちゃんは戦争を知らない ちづちゃんは戦後を知らない 詩人と市井の人びと声なき声の展覧」拝観のためです。
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光太郎と交流のあった岩手出身の詩人・宮静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』(平成13年=2001 熊谷印刷出版部)、『山荘 光太郎残影』(平成4年=1992 同)を軸にした朗読劇ふうの公演でした。『山荘 光太郎残影』は、まるまる一冊、昭和26年(1951)に静枝が令甥と子息二人とを伴って花巻郊外旧太田村の光太郎の山小屋(高村山荘)を訪問したことを題材とした詩集で、その年の第33回晩翠賞に輝いた作です。
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受付で配られたフライヤー的なポストカードには、昭和26年(1951)の山小屋前での光太郎、静枝、そして子息の文彦氏の写真。『山荘 光太郎残影』にも同じショットが掲載されています。

会場がホールではなく、ギャラリーとして貸し出されているスペース。中央に大きな柱があり、四囲に椅子を配して聴衆はそこに座るという形。一応、正面は決まっているものの、それにとらわれず演者の皆さんは柱の周りを回りながら、朗読したり歌ったりでした。
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中央の柱、周囲の壁、それから正面に書作品。基本的に静枝の詩句を書いたもので、子息・文彦氏の奥様で、書家であらせられる宮絢子氏の書です。そこで公演タイトルに「書声展」と謳われ、書と声のコラボ、という位置づけでした。

開演前に見て廻って撮影しました。
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PXL_20260713_053716331『山荘 光太郎残影』に収められた詩からも。したがって光太郎の名が。
 
   飾り窓の女

 疎林を透かして
 日毎に静かな落日
 ハンの木の紐花がこぼす金色の花粉

 パリの飾り窓の女の
 遠い記憶の耳飾りを ふと思っている

「疎林」「ハンの木」は、山小屋の周りに現在も群生している榛の木で、地元では「やつか」「やっか」と呼んでいます。

「パリの飾り窓」については、明治末の滞仏体験を静枝に語ったことに由来するのでしょう。光太郎は山小屋周辺がパリのフォンテーヌブローの森と似ている、などとも語ったそうです。

   蟬を彫る

 晩秋のうすら陽の中PXL_20260713_053732406
 無心に蟬を彫る光太郎
 影がかすかに揺れる

 遠くで山鳴りがしている
 ノミを止めてふと思う
    どこから――なにゆえ――
 はるかな時間だったと思う
 きのうのこと とも思う
 放たれた一本の道を来るしかなかった

 いま光太郎は心の遠い風景のなかで
 一匹の蝉を残して去ろうとする
 シー
 心中でしきりに蝉が涕いている

 祖国とは光太郎にして
 一匹の蝉だったのだ
 十七年を地中にひそんでいて
 地上に七日生きる蝉の業と
 光太郎の負った人間の業が重なって重い
 旅は終焉に近い

 やがて山荘は雪の柩となるだろう


作品として発表することはありませんでしたし、現存が確認できていないのですが、山小屋でも光太郎は蝉を彫っていました。複数の目撃証言が残っています。うち一点は帯留めに仕立て、宮沢賢治の実弟・清六の夫人に贈りました。そんな話も静枝との間で為されたのでしょうか。

さて、開演。
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ささいけい子氏という方と寺田明子氏という方がメインで朗読されたり歌ったりでしたが、今回の公演のプロデューサー・山本健翔氏ご自身も出演され、書を書かれた絢子氏も朗読。文彦氏は最後のご挨拶まで喋られませんでしたが、正面の屏風の前で座られていました。その文彦氏視点での部分も多くありました。

先述の通り、静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』、『山荘 光太郎残影』を軸に、絢子氏のご両親の書き残されたもの(新潟・村上市の空襲で絢子氏の叔母様が亡くなられたそうで)、特攻兵の書き残した詩なども織り交ぜ、さらに劇作家・加藤道夫(女優の加藤治子氏の夫)のからみも。

全体に反戦を訴える内容で、まさに政治がおかしくなっている2026年の現代に刃を突きつけるような感じでした。

アンチテーゼとして、光太郎の負の遺産・黒歴史である翼賛詩「十二月八日」(昭和17年=1942)、「必死の時」(昭和16年=1941)、戦後になってそれを恥じた「わが詩をよみて人死に就けり」(昭和22年=1947)や「報告(智恵子に)」(同)、さらには「レモン哀歌」(昭和14年=1939)まで取り上げられました。

終演後。
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文彦氏、絢子氏、山本健翔氏、それから客席にいらしていた文彦氏のお兄様の暠成(こうせい)氏とお話をさせていただき、連翹忌の集いへのお誘いを致しました。ここ2年間、生前の光太郎を直接ご存じの方のご参加がありませんで、ぜひいらしていただいて皆様に光太郎の思い出話を賜りたいと存じまして。暠成(こうせい)氏も昭和26年(1951)に光太郎の山小屋を訪れられています。
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ちなみにご一行が光太郎の山小屋を訪れられたのは昭和26年(1951)11月11日。その2日前の11月9日には、後に宮城県歌人協会会長などを務められた佐久間晟氏と、奥様でやはり歌人のすゑ子氏が、花巻温泉の仲居さん・八重樫マサの案内で山小屋を訪れています。
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この際の様子を奥様が歌誌『地中海』平成17年(2005)1月号に短歌と文章で書かれ、たまたまその情報を得ましてお二人に連絡、お二人がお住まいの仙台でお会いし、貴重なお話を伺う事が出来ました。その内容を『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007)に「高村山荘訪問記 佐久間晟・すゑ子夫妻聞き書き」として掲載させていただきました。
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お話を伺った後、それをご存じなかったので、ご夫妻に「2日後に光太郎を訪問された方の詩集です」と、『山荘 光太郎残影』を古書市場で見つけて贈りましたところ、非常に喜ばれました。

75年前、2日違いで光太郎を訪問された佐久間ご夫妻、宮ご兄弟2組のそれぞれからお話を伺え、奇縁を感じております。

以上、レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 1 『美の本体 芸術に関する101章 ロダンの言葉 ゴッホの手紙 回想のセザンヌ ベートーヴェンの生涯』世界教養全集 12

昭和37年(1962)6月30日 平凡社
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目次
 美の本体 岸田劉生 (詳細略)
  解説 岸田麗子
 芸術に関する一〇一章 アラン 斎藤正二訳(詳細略)
  解説 斎藤正二
 ロダンの言葉 A.ロダン 高村光太郎訳 今泉篤男編
  ギュスターヴ コキヨ筆録 
  ロダン手記
   ヹヌス フランスの自然 ランスの本寺 花について 女の肖像
     若き芸術家達に(遺稿) 断片(『ロダンの言葉』より) 断片(『続ロダンの言葉』より)
  ジュヂト クラデル筆録 ポール グゼル筆録
  解説 今泉篤男
 ゴッホの手紙 V.ゴッホ 三好達治訳(詳細略)
  解説 石原八束
 回想のセザンヌ E.ベルナール 有島生馬訳(詳細略)
  解説 有島生馬
 ベートーヴェンの生涯 ロマン・ロラン 平岡昇訳(詳細略)
  解説 平岡昇

今日からのこの項、光太郎の翻訳を含む複数人による選集ものを扱います。文学全集ものが流行り出すと、海外の作品を集めたものも多く出版されるようになりました。

昨日は当会の祖・草野心平を祀る「第61回天山祭り」列席のため、心平を名誉村民として下さった福島県川内村に行っておりました。
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雨天の場合には村の体育館での実施と予告されていましたが、幸い晴れましたので、本来の会場である天山文庫での実施。村での心平の別荘です。
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こちらが天山文庫。繰り返し書いていますが、昭和41年(1966)の竣工、光太郎の実弟で心平と親しかった髙村豊周も設立協力委員会発起人メンバーの一人でした。

千葉の自宅兼事務所から愛車を駆って3時間ちょっとの行程でした。早く着きましたので、敷地内の草野心平資料館さんを見学。
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心平と村との関わり、心平が村に残した書などさまざまな品々が展示されています。心平著作もずらりと並び、『富士山』(昭和18年=1943)、『天』(昭和26年=1951)など光太郎が題字を揮毫したものも。それから豊周子息の写真家、髙村規氏寄贈になる光太郎や髙村家がらみの写真パネルのコーナーも。

天山文庫内も見学。年に数か月、ここで過ごすこともあった心平の息遣いが未だに残っているような。
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故・谷川俊太郎氏と一緒の写真も。

心平から寄贈された蔵書類を収めた書庫。
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光太郎関連書籍もかなりの分量。光太郎と賢治実弟の清六が編んだ『宮沢賢治文庫』(装幀・題字も光太郎)など、稀覯書も。
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ただし、稀覯とは言えないものは同じ書籍が何冊もあったりします。

光太郎とも交流のあった永瀬清子の著書。署名本でした。
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そうこうしているうちに開始時間が近くなったので、前庭に。

心平大明神の写真(笑)。いい顔していますね。
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下の2枚は終了後に撮りましたが、奉納された酒。心平の大好物です。
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当会からも千葉の地酒を一升。

さて、開会。
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実行委員長・井出茂氏、遠藤雄幸村長らのごあいさつなど、それぞれに心に染みいるものでした。いろいろな会合での型どおりのそれとはひと味もふた味も違うような。

それから元教育長で心平と親しかった石井芳信氏のスピーチも、心平の人となりがよくわかるもので、実に貴重な証言でした。人使いの荒い心平の無茶振りエピソードも満載でしたが(笑)、それはそれで氏に対する心平の深い愛情に基づいたもので。

朗読は3本立て。まず心平肉声の録音が流され、続いて小中一貫の川内小中学園6年生児童が自作の詩を群読。最後に心平が主宰した『歴程』同人の伊武トーマ氏による「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」。心平名言(迷言?(笑))の一つ「死んだら死んだで生きてゆくのだ」が含まれる詩です。バカボンのパパの言いそうな一言ですね(笑)。

開始前に撮った遠藤村長と伊武氏。
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伊武氏は当会主催の連翹忌の集いに何度か御参加いただいていますし、昨日はそういう方が数名いらっしゃいました。実行委員長の井出氏、いわき市立草野心平記念文学館の渡邊氏、詩人の吹木文音氏など。

このあと、郷土芸能等の披露があり、閉会となりました。

地方紙『福島民友』さんが報じています。

カエルの詩人・草野心平しのび「天山祭り」 福島・川内、児童ら詩を朗読

 福島県川内村の名誉村民で「カエルの詩人」として知られる草野心平をしのぶ「第61回天山祭り」が11日、同村の天山文庫前庭で開かれた。参加者が詩の朗読や郷土芸能の披露を通じて心平の魅力を再確認した。
 川内小中学園6年生や、心平らが創刊した同人詩誌「歴程」の同人が心平の詩を朗読。郷土芸能の「東郷神楽舞」「川内小唄」「川内甚句」も披露された。
 名誉村民となった心平が蔵書を村に寄贈したことを受け、村民が「天山文庫」を建設して1966年に完成し天山祭りが始まった。
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他社の報道がまだ見つかりませんが、出たらご紹介します。

いただいてきたいろいろ。変なやつが乱入していますが(笑)。
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米菓の原料となったお米は小中学園の児童さんたちが栽培したものを原料としているそうで。

いつもながらに心温まる時間でした。永続的に開催されることを祈念いたします。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 21 『昭和文学全集 第4巻 柳田国男 折口信夫 萩原朔太郎 宮澤賢治 高村光太郎 斎藤茂吉 高浜虚子 久保田万太郎 幸田露伴』

平成元年(1989)4月1日 小学館
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目次
 柳田国男(詳細略) 折口信夫(詳細略) 萩原朔太郎(詳細略) 宮澤賢治(詳細略)
 高村光太郎
 顔 人の首 九代目団十郎の首 自作肖像漫談 回想録 美術学校時代 荻原守衛
 ヒウザン会とパンの会 智恵子の半生 ミケランジェロの彫刻写真に題す (私はさきごろ)
 オオギュスト ロダンより 触覚の世界 小刀の味 蝉の美と造型 美の日本的源泉
 書について 黄山谷について 自分と詩との関係 詩について語らず 啄木と賢治
 山の雪 山の春 山の秋
 斎藤茂吉(詳細略) 高浜虚子(詳細略) 久保田万太郎(詳細略) 幸田露伴(詳細略)
 作家アルバム
 解説
  柳田国男 宮田登 折口信夫 岡野弘彦 萩原朔太郎 久保忠夫 宮澤賢治 天沢退二郎
  高村光太郎 粟津則雄 斎藤茂吉 本林勝夫 高浜虚子 稲畑汀子 久保田万太郎 古谷健三
  幸田露伴 篠田一士
 年譜
  柳田国男 岡谷公二 折口信夫 長谷川政春 萩原朔太郎 佐藤房儀 宮澤賢治 天沢退二郎
  高村光太郎 北川太一 斎藤茂吉 本林勝夫 高浜虚子 清崎敏郎 久保田万太郎 関場匣子
  幸田露伴 榎本隆司
 底本について 用字用語について
 月報
  置き土産 会田綱雄 柳田と折口、その沖縄の歌 来嶋靖夫
  昭和文学よもやま28 「外地」と昭和文学 鈴木貞美
  編集室より 次回配本

手持ちのものは平成5年(1993)の第二刷です。この時期にはこの手の文学全集ものの刊行はほとんどなされなくなり、重刷がかかるまで4年を要してもいます。需要があまりなくなった感があります。内容的にも一冊に数多くの作家の作品を収めるスタイルです。

立て続けに光太郎の名が新聞各紙に。光太郎メインだったりはしないものがほとんどですが。3回に分けてご紹介します。

6月28日(日)、『岩手日報』さん。

盛岡少年刑務所で高村光太郎祭

 盛岡少年刑務所(鈴木雅美所長)は12日、盛岡市上田の同刑務所で第49回高村光太郎祭を開き、受刑者約50人が更正と社会復帰への誓いを新たにした。
 光太郎が揮毫(きごう)した「心はいつでもあたらしく」の書と写真に献花。代表者が詩集の読書感想文と作文を発表し「道程」と「孤独が何で珍らしい」の詩を読み上げた。
 高村光太郎が1950年に同刑務所で講演したことから、78年以降に毎年開催してきた。鈴木所長は「高村さんの詩を理解し、人生を前向きに力強く生きてほしい」と呼びかけた。


記事にあるとおり、昭和53年(1978)から毎年開催されている行事です。年によって報道されるかされないかというところですが、令和5年(2023)には珍しく岩手めんこいテレビさんのローカルニュースで取り上げられました。かつては外部講師による光太郎についての講演もありました(当方も10年前にやらせていただきました)が、コロナ禍が契機だったかなという感じで、それは無くなったようです。

021朗読されたという「孤独が何で珍らしい」は以下の通り。昭和5年(1930)、鹿児島の同人雑誌『南方詩人』に寄せた一篇です。このころは送り仮名のルールが確立されておらず、現代では「珍しい」ですが光太郎を含め「珍らしい」とする場合が多くありました。誤植ではありません。
 
   孤独が何で珍らしい
 
 孤独の痛さに堪へ切つた人間同志の
 黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ
 孤独の鉄(かな)しきに堪へきれない泣虫同志の
 がやがや集まる烏合の勢に縁はない
 孤独が何で珍らしい
 寂しい信頼に千里をつなぐ人間ものの
 見通しのきいた眼と眼の力
 そこから来るのが尽きない何かの熱風だ

たとえ孤独であっても、孤独な者同士が手を差し出し合って野合ではない心の繋がりが生まれ、しかしあくまで個は個、という二重三重のロジックでしょうか。「寄らば大樹の陰」的な「がやがや集まる烏合の勢」の政治家たちにつきつけたい一篇ですね。

続いて掲載順が前後しますが6月27日(土)、『朝日新聞』さん書評欄。

『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』 熊谷誠人〈著〉 感受性育んだ母との幸福な経験016

 今年、生誕100年、没後20年を迎えた詩人・茨木のり子。関連書籍が次々と刊行される中、発見のつまった宝箱のような評伝が世に出た。
 茨木が詩を書き始めたのは24歳。本書はそこに至るまでの時期に絞り、驚くべき調査力と的確な作品の読み解きによって、少女時代の茨木の姿をあざやかに浮かびあがらせる。茨木の没後、作品の管理に携わり、全集の編纂(へんさん)などにも協力してきた甥の宮嵜治氏は〈穏やかに笑うティーンエイジャーののり子のポートレートがここに完成した〉という言葉を寄せている。
 茨木は、若い世代に向けた詩の入門書『詩のこころを読む』や、与謝野晶子や高村光太郎の評伝など、すぐれた散文の仕事も残している。だが自身の生い立ちやプライベートな事柄についてはあまり書き残しておらず、本書で初めて明らかにされたことは多い。中でも茨木の人生と作品を深く知るために重要と思われるのが、11歳で死別した母親への思いだ。
 母の死が心の傷になったことは、詩人の吉原幸子との対談でちらりと漏らしているだけで、詩として表現することはなかった。そこには父の後妻となった人への配慮もあったのではないだろうか。
 著者は茨木が書いたNHKのラジオドラマ「電話」の脚本を発見する。出演した女優・山本安英の回想録にタイトルが出てくるが内容は不明だったこの作品は、母を亡くした小学生の男の子が心の中の電話で母と対話し、それを支えに生きる物語だった。そこには〈母を失ったのり子が、どんなふうにして自分の心の傷との折り合いをつけて日々を生きていったのかを読み解く鍵が隠されているように思います〉と著者は書く。
 現在の愛知県西尾市に住んでいた茨木は、宝塚歌劇を愛した母に連れられ、名古屋や東京で公演を観(み)ている。著者はその日付や演目、出演者までを特定する。そして当時の茨木の日記にある、東京からの帰路の列車で宝塚歌劇団の一行に遭遇しサインをもらっったという喜びと興奮に満ちた記述を裏付けるのである。
 少女期、母とともに美しいものにふれた幸福な経験。それを明らかにすることは、その後の戦時下で彼女を精神的に支え、詩人としての感受性を育んだものを知る手がかりとなる。掘り起こされた伝記的事実が、茨木作品の深い読みへといざなうのだ。
 茨木のり子の研究を続けてきた著者は、彼女が育った愛知県で長く教職にある人。戦時中の学校生活など、時代背景についてもわかりやすく解説されている。若い読者にぜひ届いてほしい一冊だ。(評・梯久美子 ノンフィクション作家)

茨木のり子は、生誕100年ということで、ちょっとしたブームです。「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」など、鋭い刃物を突きつけられるような一篇です。

『詩のこころを読む』は昭和54年(1979)、岩波書店さんから出た岩波ジュニア新書の一冊。同世代かそれに近いの詩人たちの作品を取り上げています。「与謝野晶子や高村光太郎の評伝」は、『うたの心に生きた人々』。さ・え・ら書房さんから昭和42年(1967)に刊行され、後にちくま文庫(筑摩書房さん)ラインナップに入りました。与謝野晶子、光太郎、山之口貘、金子光晴の4人の評伝で、さらに平成19年(2007)、童話屋さんで4分冊として復刊し、光太郎のそれは『智恵子と生きた 高村光太郎の生涯』の題で出ています。
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晶子、光太郎、山之口貘の章は良い感じです。ただ、金子光晴のそれは、まぁ一般的にそうなので仕方がないのかも知れませんが「戦時中も反戦を貫いた」という感じの書き方になっており、実は翼賛詩文もそれなりに書いていたことに触れられていないのが残念です。どうも金子本人より取り巻きが躍起になってそれが「無かったこと」にしたいようで、そのため当方は金子の詩は眉に唾をつけないと読めません。

閑話休題、『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』、ご興味おありの方、ぜひお買い求め下さい。

長くなりますが、溜まってしまっているのでもう1件。6月28日(日)の『毎日新聞』さん。この日は大きなニュースが無かったようで、1面トップで、さらに3面にも続く長い記事でした。

「星野リゾートの自由人」(その1) 「地域の遺産」未来につなぐ

 西洋の古城を思わせる赤レンガ造りの建物が古都・奈良に威風を放つ。明治時代に建てられた5大監獄の一つ「旧奈良監獄」(奈良市般若寺町)。東大寺や奈良公園がある奈良観光の中心から北に約2キロ、古刹(こさつ)も残る閑静な住宅街に面して異形の建築はある。
 明治政府が不平等条約解消のため、受刑者の人権にも配慮した近代国家としての有りようを欧米列強に示さんと威信をかけて建設、1908(明治41)年に完成した。半円アーチを多用するロマネスク様式が取り入れられ、5大監獄で唯一建物群がほぼ完全な形で残る。
 2017年に100年以上にわたる刑務所としての役割を終えて国の重要文化財に指定された。そして今年、この歴史的建造物は高級ホテルと博物館として生まれ変わった。
  運営するのは高級リゾートホテルの展開で知られる「星野リゾート」。 国の重要文化財としては初めて、施設所有権を国が保有したまま民間に運営を委ねるコンセッション方式の民間活用で事業が進められる。 18年に首相の施政方針演説で、観光立国推進の目玉として取り上げられた一大プロジェクトだ。
 狙いは、民間の資金やノウハウを活用して公共文化財の維持・継承を図ることだ。星野リゾートは高級ホテル「星のや奈良監獄」(48室)と「奈良監獄ミュージアム」を組み合わせて収益化することで、「地域の遺産」を未来につなぐ。
 ミュージアムでは、史料の保存・展示にとどまらず、刑務所をテーマにアートも展開する。コンセプトは「美しき監獄からの問いかけ」。規律が支配する空間で「自由」について考えを巡らす体験を提供したい――。
 画一的なホテルチェーンとは異なり、施設ごとにその地の魅力を掘り起こし、掛け合わせ、新たな価値を生み出すという星野リゾートらしさが存分に盛り込まれた。

突き動かす好奇心
  肌寒く静けさに包まれた4月上旬のある晩、赤レンガの壁沿いを一人、足早に駆ける女性がいた。月末に開業するミュージアムの館長、八十田(やそだ)香枝さん(53)。プロジェクトのカギを握る一人だ。
 向かったのは展示棟。受刑者の暮らしなどを紹介するパネル展示を何度も読み返した。日中は国の担当者との打ち合わせなど館長業務に忙殺される。夜間が八十田さんの「自習」時間だ。開業まで1カ月に迫ると「通勤時間がもったいない」と近くに部屋も借りた。 
 エネルギッシュに動き回り、人一倍声が大きい。これまで星野リゾートで20年以上、ホテルや旅館の運営に携わってきた。「星野リゾートの自由人」を自称し、その印象はまさに大阪のおばちゃんだ。
 自らを突き動かすのは好奇心。館長就任を打診された時、大阪のホテルで思い入れのあるプロジェクトを進めていたが、即断した。「監獄で働くなんて普通のサラリーマンでは経験できない」。立ち止まるより、行動あるのみ。そんな言葉が似合う半生だった。
 大阪市内の下町生まれ。両親はキタの繁華街・北新地ですし店を営み、父が大将、母がおかみさんだった。動物好きで、子どもの頃には天王寺動物園に50回以上通ったほど。動物園で働くことを夢見ていたが、中学生の時に高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥(だちょう)」を読んでショックを受けた。
 詩にはこんな一節がある。
 〈何が面白くて駝鳥を飼うのだ。動物園の四坪半のぬかるみの中では、脚が大股すぎるぢゃないか〉
 野生で生きるはずのダチョウが動物園で自由を制限されているという詩の世界を思い涙した。飼育員ではなく、野生動物を保護する仕事を志すようになった。
 19歳の時には「アフリカの国立公園で働けないかな」と思い立ち、1人で旅立った。「母には泣かれ、おばあちゃんからは、帰ってこられないと思ったのか香典をもらいました」。アフリカでの夢はかなわなかったが国内で仕事を探し、97年、24歳で就職したのが、長野・軽井沢を拠点に野生動植物の調査やネーチャーツアーを行う自然保護団体「ピッキオ」だった。
 ピッキオは星野リゾートが92年に作った「野鳥研究室」が前身で、当時は同社の一部署。八十田さんはピッキオの森のいきもの案内人として、星野リゾートが営む軽井沢町の温泉や別荘の宿泊者に向けたガイドツアーを担当した。
 団体客を連れて森を歩き、野鳥や草木について解説。明るい性格を生かしたガイドは子供たちの心を刺戟した。ムササビの観察会をはじめ、ドラム缶風呂を用意したり、バウムクーヘンを焼いたりと体験を重視する企画に取り組んだ。
 仕事は充実していた。ただ30歳を前にある願望がこみ上げてきた。生や死、自身の生き方を真剣に考えてみたいというものだった。
 自立した活動のためには収益事業も重要だ――。野性動物の保護活動に対する星野リゾートの運営方針に違和感はなかった。
 1997年、同社が営む長野県軽井沢町の自然保護団体「ピッキオ」の職員になった八十田香枝さん(53)。野性動物を保護する仕事を志して見つけた職だったが、純粋な慈善活動や調査研究だけをするわけではない。「野鳥の森を保護するにも費用がかかる。ガイドでもうけないと事業は残らない」。商売人の家で育った八十田さんは収益源となるガイドツアーに熱心に取り組み、自然と会社の方針を体現していた。(以下略)
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星野リゾートさんが新たに手がけた奈良監獄ミュージアムさんの館長・八十田香枝氏の密着ドキュメントです。

八十田氏、元々動物好きということでしたが、光太郎詩「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)を読んで野性動物保護の道へ。アフリカへも行き、そちらで働くことは叶わなかったものの、星野リゾートさんでそうしたお仕事に……という流れです。

引用した部分のあとにも同じ位の長さで記事が続きますが、あまりに長いので割愛します。その後、八十田氏は「お金や利益が関わらなくても動物や人のために動けるんだろうか」と自問した末、インドの病院で大地震に伴う被災ボランティアをなさったり、帰国後は沖縄や大阪で星野リゾートさんの地域進出事業の先遣隊を務めたりなさったそうです。そして現在の奈良監獄ミュージアムさんに異動。おそるべきバイタリティーです。

そういう方の転機の一端を光太郎詩が担ったというのは、ある意味恐ろしいといえば恐ろしいことと思います。一篇の詩で人生が左右されてしまう、というわけで。

明日も3件ご紹介します。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 16 『高村光太郎 宮澤賢治集』日本近代文学大系第36巻

昭和46年(1971)6月10日 角川書店 伊藤信吉解説 飛高隆夫/恩田逸夫注釈
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目次
 凡例
 解説 伊藤信吉
 高村光太郎集
 宮沢賢治集
 高村光太郎集注釈 飛高隆夫
  道程 猛獣篇
 宮沢賢治集注釈 恩田逸夫
  春と修羅 補注 『春と修羅』関係地図
 参考文献
 年譜

 月報
  高村光太郎の情念と表現のあいだ――とくに『智恵子抄』について―― 藤島宇内
  『春と修羅』のころ 福島章
  作家の筆跡 高村光太郎 宮沢賢治
  明治大正風俗語典20 槌田満文
  編集後記

収録詩篇に出てくる語の注釈が実に充実しています。光太郎の部を担当された飛高隆夫氏はこのお仕事を基にさらに発展させ、『高村光太郎『道程』全詩鑑賞』(平成21年=2009 明治書院)という書籍も出版されました。

今朝の段階で村のサイト等に詳細な公式情報がまだ出ていないのですが、もう今週末です。当会の祖・草野心平を祀るイベントです。

第61回天山祭り

期 日 : 2026年7月11日(土)
会 場 : 天山文庫 福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513
       雨天時は旧川内中学校体育館 川内村大字下川内字宮渡29
時 間 : 午前10時~正午
料 金 : 1,000円

多くの形に親しまれております天山祭りでありますが、この度61回目の開催を迎える運びとなりました。万障繰り合わせのうえ、御参加いただきますようご案内申し上げます。
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元々は心平を祀る祭りではありませんでした。時系列的には、心平が「蛙の詩人」として名を馳せる→村に棲息するモリアオガエルが縁で心平が名誉村民に認定→心平が蔵書数千冊を村に贈る→その収蔵庫兼心平の別荘として「天山文庫」を村で建設→その落成記念に第1回天山祭り開催(昭和41年=1966)→以後、何度も心平が祭りに参加→昭和63年(1988)に心平が没すると心平を偲ぶ祭りへと変化、といった流れです。

さらに一時全村避難を余儀なくされた東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故後は、復興の祈念・確認といった意味合いも付加されるようになりました。
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以前にも書きましたが、心平と親しかった光太郎実弟の豊周が、天山文庫の設立協力委員会発起人に名を連ねました。豊周以外には井上靖、金子光晴、唐木順三、河上徹太郎、川端康成、小林勇、武田泰淳、谷川徹三、中野重治、西脇順三郎、古田晁、松方三郎、武者小路実篤、村野四郎、山本健吉。心平人脈の広さがうかがえるメンバーですね。
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いただいた案内には当日の詳細なプログラム等が印刷されていませんでしたが、例年通りであれば心平詩の朗読、郷土芸能等の披露がメインと思われます。

梅雨時ですので、本来の会場の天山文庫前庭でできない場合も多く、過去3年間のうち第58回(令和5年=2023)と第60回(令和7年=2025)は屋内でした。第59回(令和6年=2024)以来の天山文庫での開催が望まれます。昨年まで雨天時は村役場近くの村民体育センターさんでしたが、役場の移転に伴いそちらが取り壊されるようで、今年は旧川内中学校体育館だそうです。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 15 『高村光太郎・宮澤賢治集』現代日本文学大系27

昭和44年(1969)9月15日 筑摩書房 高村光太郎/宮澤賢治集著
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目次
 高村光太郎集
  巻頭写真 筆蹟
  道程 「道程」以後 猛獣篇 「猛獣篇」時代 典型 「典型」時代
  オオギユスト ロダン 自分と詩との関係 智恵子の半生 父との関係 荻原守衛
  宮澤賢治集
   巻頭写真 筆蹟
   春と修羅 第一集 春と修羅 第二集 よたかの星 どんぐりと山猫 注文の多い料理店
  ポラーノの広場 風の又三郎 銀河鉄道の夜 農民芸術概要綱要
 〔付録〕
  高村光太郎 草野心平 高村光太郎山居七年――山に入るまで 佐藤隆房
  わが生涯 高村光太郎/高見順 高村光太郎の回想 伊藤信吉
  宮沢賢治の童話の世界 寺田透 詩人・宮沢賢治 山本太郎
  年譜 著作目録 
 月報
 光太郎対賢治 天沢退二郎 光太郎と社会思想 高田博厚 心象開眼 紀野一義
 高村光太郎・宮沢賢治研究案内 紅野敏郎

手持ちのものは昭和54年(1979)の第11刷です。

都内からいっぷう変わった公演情報です。

劇舎カナリア・シアター 『書声展』さっちゃんは戦争を知らない ちづちゃんは戦後を知らない 詩人と市井の人びと声なき声の展覧

期 日 : 2026年7月13日(月)
会 場 : ギャラリーΧ(カイ) 東京都墨田区両国2-10-14 両国シティコア内
時 間 : 15:00/18:30
料 金 : 1,500円(全席自由)

「わが詩をよみて人死に就けり」と戦時の詩作を悔い、反省し、山荘に籠った高村光太郎。その許を訪れ、「心の責め」を思いやった詩人宮静枝は、生涯に渡り平和を希求する詩を書き続けました。そして戦地で地獄を見て、戦争を「人間愚」と呼び、無反省な戦後に「反省のみがわれわれを道化芝居から救い出してくれる」と訴えながら、自裁した劇詩人加藤道夫。そんな詩人たちのことばと、静枝の身内である宮絢子さんと、そのご家族の戦争への思いを、書と声で展覧します。
「おかあさま、タカムラコータローとマッカーサーとどっちがえらいの?」と、光太郎の前で、母に問うた文彦さんも共に。「でもどうしておとなは せんそうすきなんだろうナ みんなでそうだんして せんそうしないことにしたらいいのにね」山本健翔

スタッフ 書:宮絢子 構成・演出:山本健翔 音楽:ささいけい子 製作:劇舎カナリア

キャスト 
ささいけい子 山本健翔 寺田明子 宮文彦 宮絢子
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案内文に「書と声で展覧」とありますが、「書」の方は書家の宮絢子氏の作品。「声」では「キャスト」にクレジットされている方々が朗読されるのではないでしょうか。

「キャスト」のお一人、宮文彦氏は、生前の光太郎をご存じの方です。お母さまが詩人の故・宮静枝氏。戦前から光太郎と交流があり、戦後の昭和26年(1951)、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隠棲していた光太郎を訪れ、その際の体験を基に平成4年(1992)『詩集 山荘 光太郎残影』を上梓、第33回晩翠賞を受賞されました。

その際に同行したのが甥御さんの千葉氏、そして息子さんの文彦氏と暠成(こうせい)氏でした。
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書の宮絢子氏は文彦氏の奥様で、姑である静枝氏の詩句などを書かれることもおありです。

やはり静枝氏の詩集『山荘』と、文彦氏のお兄様・暠成(こうせい)氏とのからみで、今年5月9日(土)には三軒茶屋で「朗読とお話 宮静枝の詩に投影された高村光太郎の戦後」というイベントが開催されたとのことです。世田谷区さんの広報誌で事前に小さく紹介が出ていましたが、気づきませんで「あ゛~」と思っていたところでした。
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今回は予約を入れさせていただきました。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 11 『カラー版 日本の詩 2 石川啄木 北原白秋 山村暮鳥 高村光太郎 宮沢賢治』

昭和42年(1967)5月15日 現代芸術社 金子光晴/高橋新吉監修
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目次
 カラー
  紺屋のおろく(白秋) 砂山(白秋) 城ヶ島の雨(白秋)
  東海の はたはたと ふるさとの 初恋(啄木)
  口笛 わが庭の かにかくに や はらかに(啄木)
  雲 おなじく ある時(暮鳥) 三人の処女(暮鳥) 荒涼たる帰宅(光太郎)
  千鳥と遊ぶ智恵子(光太郎) レモン哀歌(光太郎) 十一月三日・雨ニモマケズ(賢治)
  高原 市場帰り(賢治)
 グラビア
  道程(光太郎) 落葉松(白秋) 我を愛する歌(啄木) だんす 烙印(暮鳥)
  老漁夫の詩(暮鳥) 梅酒(光太郎) ぼろぼろな駝鳥(光太郎) 春と修羅(賢治)
  岩手軽便鉄道の一月(賢治)
 本文
  我を愛する歌(啄木) 煙一 煙二(啄木) 秋風のこころよさに(啄木)
  忘れがたき人人(啄木)
 手套を脱ぐ時(啄木) 沈める鐘(啄木)
  はてしなき議論の後(啄木)
  柳河(白秋) 六騎(白秋) 薊の花(白秋) あかき木の実(白秋) 片恋(白秋)
  春の鳥(白秋) 赤い夕日に(白秋) 幻滅(白秋) 汐首岬(白秋) 曼珠沙華(白秋)
  ちんちん千鳥(白秋) かやの木山の(白秋) ペチカ(白秋) この道(白秋)
  祭りもどり(白秋) 芭蕉(白秋) 泊り舟(白秋) 待ちぼうけ(白秋)
  岬(暮鳥) いのり(暮鳥) なやみに就て(暮鳥) 父上のおん手の詩(暮鳥)
  詩人・山村暮鳥氏(暮鳥) 月 おなじく(暮鳥)
  冬が来た(光太郎) 犬吠の太郎(光太郎) 秋の祈(光太郎) 車中のロダン(光太郎)
  ばけもの屋敷(光太郎) 手紙に添えて(光太郎) 人に(光太郎) 晩餐(光太郎)
  樹下の二人(光太郎) あなたはだんだんきれいになる(光太郎)
  風にのる智恵子(光太郎) 値ひがたき智恵子(光太郎) 山麓の二人(光太郎)
  春と修羅・序(賢治) 雲の信号 岩手山(賢治) 原体剣舞連(賢治)
  永訣の朝(賢治) 政治家(賢治) 和風は河谷いっぱいに吹く(賢治)
  生徒諸君に寄せる(賢治) 眼にて言ふ(賢治)
 解説(三好豊一郎)
 略年譜

 ソノシート
 1 高原 荒涼たる帰宅 かやの木山 待ちぼうけ この道 ペチカ 砂山 ちんちん千鳥
 2 泊り舟 芭蕉 城ヶ島の雨 落葉松 はたはたと 初恋 やはらかに 口笛 東海の かにかくに
   ふるさとの わが庭の
 演奏者 大町ますみ 田中路子 板橋勝 中村博之 ルナ・アルモニコ 新室内楽協会

いかにも「昭和」という感じの作りです。写真の具合といい、附録にソノシートが付いていることといい。ソノシートは作曲者名が書かれていませんが、それぞれ独唱歌曲です。光太郎の「荒涼たる帰宅」は昭和30年(1955)、故・清水脩氏作曲の歌曲集「智恵子抄」最終曲。大町ますみ氏(ボニージャックスの故・大町正人氏の奥様)の歌、伴奏は新室内楽協会でした。

昭和31年(1956)、光太郎が没する直前、草野心平に編集を託し、その年の7月に初版が刊行された新潮文庫版『智恵子抄』。デザイナー・皆川明氏による新たなカバーデザインとなった新装版が発行されました。

新潮社さんのプレスリリースから。

不朽の名作、高村光太郎『智恵子抄』(新潮文庫)がminä perhonenデザイナー・皆川 明さんによる新装版カバーで登場。

詩人・彫刻家でもあった高村光太郎と、画家・紙絵作家の妻、智恵子。情熱のほとばしる恋愛時代から、短い結婚生活、智恵子の発病、そして永遠の別れ……。夫の光太郎がふたりの深い愛を謳った名詩集が『智恵子抄』です。

高村智恵子の切り絵を敬愛し、『智恵子抄』を長年愛読してきたminä perhonenデザイナー、皆川 明さんによる美しい切り絵で装いを新たにしました。 新装版は2026年「新潮文庫の100冊」にラインナップされており、全国書店にてお買い求めいただけます。

【切り絵でつながる『智恵子抄』】 
2026年は高村光太郎没後70年の年。長年カバーに使用されてきた高村智恵子による花柄の切り絵から、次の世代へとより長く愛され続けられるように、皆川 明さんによる花と鳥の切り絵を使用したカバーにうまれかわりました。 

光太郎と智恵子をイメージした鳥と花の切り絵は、切り絵ならではの細やかな影の表情を再現するために、カメラマンの白石和弘さんに撮影していただき、どこか懐かしく優しい雰囲気を持つ、手元にずっと置いておきたくなるような本となりました。 

【皆川 明さんのコメント】 
にがくて、すっぱくて、ときどき あまい 苦しくて愛おしいいのち
 
愛とはつかめない光のようでもありおおわれた影のようでもある。
宿命の海原で泳ぎ心の空を翔ぶように生きる姿が放つ光と影は智恵子の生きた証であり光太郎の生きがいであった。 

【書籍内容】
明治の末年、グロキシニヤの鉢植えをもってアトリエを訪れた智恵子嬢を“人類の泉”と讃えた恋愛時代から、「東京に空が無い」と語り合った幸福な結婚生活を経て、夫人の発病、そして昭和十三年十月にやってきた永遠の別れ――。死後なお募る思いを「智恵子の裸形を残して、わたくしは天然の素中に帰ろう」と歌い、昭和三十一年四月の雪の夜に逝った詩人の、全生涯を貫く稀有な愛の詩集である。

【著者紹介】高村光太郎(タカムラ・コウタロウ)
(1883-1956)上野公園の西郷隆盛像で知られる木彫家光雲の長男として東京に生れる。東京美術学校で彫刻、洋画を学ぶ。1906年、欧米留学。パリでは美術・彫刻の他、ヴェルレーヌ、ボードレールらの詩を学んだ。帰国後、気鋭の美術評論、評伝、エッセイを次々と発表して注目された。1914年、処女詩集『道程』で芸術院賞を受賞。1941年、『智恵子抄』を刊行。1950年、『典型』で読売文学賞を受賞。他に『ロダン』『造形美論』『暗愚小伝』など著書多数。享年73。

【書籍データ】
【タイトル】『智恵子抄』
【著者名】高村光太郎
【造本】文庫
【定価】473円(税込)
【ISBN】978-4-10-119602-2
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カバーデザインの皆川明氏、座右の一冊的に『智恵子抄』を挙げて下さったことがおありです。

把握している範囲では、令和3年(2021)6月にマガジンハウスさんから出たムック『& Premium特別編集 あの人の読書案内。』、同年12月、同じくマガジンハウスさんの雑誌『BRUTUS』、2022年1月1日・15日合併号。後者に載ったものは令和6年(2024)発行のムック『BRUTUS特別編集 合本 本が人をつくる。』に再録されました
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皆川氏曰く「好きだという気持ち以上の、お互いを肯定している無垢な二人の関係が伝わってくるようで、恋愛小説よりも強い気持ちが感じられます」「カフェに座ってこれを読んでいると落ち着く、というと簡単な表現ですが、頭の中には好きな世界が広がって、外側には違うカルチャーがある。それが案外心地いい」

そういう思い入れがおありの皆川氏に白羽の矢を立てた新潮社さん、グッジョブです。

これまで、百数十刷を数える中で、何度か装幀・カバーデザインが変遷しています。
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昭和31年(1956)の初版(左上)刊行時には、パラフィンカバーと帯のみ。昭和35年(1960)頃の版から新潮文庫全体としてカラー印刷のカバーがかけられるようになりました(右上)。袖には「カバー 眞淵聖」とクレジットが入っていますが、眞淵聖という人物、寡聞にして不分明です。

収録詩篇の改訂等があっての改版が昭和42年(1967)12月。その際に左下の智恵子紙絵を使ったカバーに変更されたと思われます。そして右下はつい最近まで使われていたカバー。

智恵子紙絵のカバーでなくなるのは少し寂しい気もしますが、おそらく巻頭の口絵には智恵子紙絵画像が残るのではないかと思われます。最近までの版で7葉使われていました。
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そして『智恵子抄』、「新潮文庫の100冊」ラインナップに復帰というのが嬉しいところです。昭和51年(1976)から毎年夏に行われているフェアで、今年で50周年とのこと。
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『智恵子抄』は昭和51年(1976)の初回から平成21年(2009)頃までラインナップに入っていましたが、その後に外れ、残念に思っておりました。それが復活ということで、ありがたし。大きめの新刊書店さん等では100冊を平積みにする特設コーナーなども作って下さいますし、売り上げが伸びるでしょうから。

ちなみに50年連続でラインナップ入りしているのは以下の10冊だそうです。

『こころ』夏目漱石/『人間失格』太宰治/『銀河鉄道の夜』宮沢賢治/『黒い雨』井伏鱒二/『塩狩峠』三浦綾子/『老人と海』ヘミングウェイ/『罪と罰』〈上下〉ドストエフスキー/『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ/『変身』カフカ/『異邦人』カミュ

というわけで、新装版『智恵子抄』、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 4 『高村光太郎集 萩原朔太郎集 宮澤賢治集』現代日本文学全集24

昭和29年(1954)7月25日 筑摩書房 高村光太郎/萩原朔太郎/宮澤賢治著
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目次
 高村光太郎集
  道程
   失はれたるモナ・リザ(明治四十三年) 生けるもの 根付の国
   画室の夜(明治四十四年) 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒
   寂寥 声 風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」
   夏 なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
   けもの あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿 青い葉が出ても(明治四十五年)
   赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾(大正元年) 或る夜のこころ
   おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
   或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日
   人に(大正二年) カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実
   冬が来た 冬の詩 牛 僕等 道程(大正三年) 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦
   万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈
  「道程」以後
   わが家(大正五年) 小娘(大正六年) 湯ぶねに一ぱい
   丸善工場の女工達(大正九年) 米久の晩餐(大正十年)
   クリスマスの夜(大正十一年) 沙漠 樹下の二人(大正十二年) 珍客(大正十三年)
   清廉 白熊(大正十四年) 傷をなめる獅子 狂奔する牛 車中のロダン 葱
   象の銀行(大正十五年) 十大弟子 鯰 苛察 夜の二人
   あなたはだんだんきれいになる (昭和二年) 怒 或る墓碑銘 美を見るもの
   龍(昭和三年) あどけない話 花下仙人に遇ふ ぼろぼろな駝鳥 或る日
   上州湯桧曽風景(昭和四年) 刃物を研ぐ人(昭和五年) 孤坐
   美の監禁に手渡す者(昭和六年) 蝉を彫る 先生山を見る(昭和七年)
   晴天に酔ふ(昭和八年) 人生遠視(昭和十年) 風にのる智恵子 村山槐多
   もう一つの自転するもの(昭和十一年) 荻原守衛 千鳥と遊ぶ智恵子(昭和十二年)
   値ひがたき智恵子 夢に神農となる 老耼、道を行く 山麓の二人(昭和十三年)
   団十郎像由来 レモン哀歌(昭和十四年) 芋銭先生景慕の詩 へんな貧
   梅酒(昭和十五年) 荒涼たる帰宅(昭和十六年) 寒夜読書(昭和十八年)
   救世観音を刻む人 南瓜賦(昭和十九年)
  典型
   雪白く積めり(昭和二十一年)
   暗愚小伝(昭和二十二年)
    家 転調 反逆 蟄居 二律背反 炉辺
   「ブランデンブルグ」(昭和二十三年) 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元
   おれの詩(昭和二十四年) 悪婦 山荒れる(昭和二十二年) 月にぬれた手
   鈍牛の言葉 典型
   田園小詩
    山菜ミヅ(昭和二十二年) 山のひろば 山口部落(昭和二十二年) かくしねんぶつ
    クロツグミ クチバミ(昭和二十五年) 別天地(昭和二十三年)
    岩手の人(昭和二十四年) 山からの贈物 この年
  「典型」以後
   元素智恵子(昭和二十五年) 案内 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 女医になつた少女
   人間拒否の上に立つ(昭和二十六年) 山のともだち
   十和田湖畔の裸像に与ふ(昭和二十九年)
 萩原朔太郎集  (略)
 宮澤賢治集    (略)
 高村光太郎の詩業 草野心平 萩原朔太郎 河上徹太郎 
 もろともにかがやく宇宙の塵となりて 谷川徹三 解説 伊藤信吉
 年譜
 月報
  彫刻の先覚高村光太郎 石井鶴三 高村光太郎氏素描 難波田龍起 萩原朔太郎断片 伊藤整
  朔太郎残影 恩地孝四郎 兄とレコード 宮澤清六

ともに生前に交渉のあった朔太郎と賢治と共に一冊が構成されたことについて、晩年の光太郎はどう感じたでしょうか。

3件ご紹介します。

掲載順に、まず6月16日(火)『毎日新聞』さん夕刊。アナウンサーの近藤サトさんの寄稿です。

Media NOW! 動画隆盛とAI世界 芸術とは、人間とは何か=近藤サト

002 大学でアナウンスの実習授業を受け持つようになって15年になります。アナウンサーや音声表現者を目指す学生の受講が主ですが、15年の間に実習内容はかなり変わりました。今年初めて導入したのは動画制作です。これまでアナウンス実習では、さまざまな声の表現を学ぶことに特化してきましたが、なぜ、本来は番組制作実習で行う動画の撮影、編集が必要になったかというと、最近は音声表現者のみならず個人の動画配信が共通認識になってきたからです。
 音声表現者本人による動画配信は認知度の向上に限らず、販路や業務拡大につながる可能性が十分にあります。また多くの企業が動画選考を採用しているように、動画はすでに映りたい人だけのものですらなくなりました。
  その中でより効果的な動画を作るためには、声や体の表現に加え、高性能な編集アプリの使用や有効な配信のためのマーケティングも必要です。15年の間に、それら全てを一人でこなす技術が発達し、また今それができることは重要な能力だと判断しています。
 その上、栄華を誇ったテレビの足元が揺らいでいるとなれば、メディアを目指す学生には転換期の後に来るものに対しての備えが不可欠です。
 小中学生が将来なりたい職業ランキングでも依然、動画投稿者は人気があります。ユーチューバーがランクインしたばかりの頃、大人は「世も末か」と嘆きましたが、それもすでに過去。最近は姿や素性を明かさず、仮装のキャラクターで投稿するVチューバーが人気です。
 ですが、私が今行っている実習もあと何年もしないうちに全てAIで可能になるでしょう。もちろん、声自体も生成AIが本人になり代わり発声します。実習そのものが意味を持たなくなる可能性も。
 そうなったときにきっと直面するのは、芸術とは何か、美とは何か、人間とは何かという根源的な問いかもしれません。私は自分の命に限りがあるからこそ、その声の力や耀きがあると信じています。70年前、高村光太郎は「どのような転換が行われても芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかっているにちがいない」と言いました。学生を見ていると、今をどう生き、表現するかという切ない思いを感じます。
 ただもし、AIが死の概念を持ち得たら、その声は「いのち」すら宿すのでしょうか?

引用されているのは光太郎最晩年の昭和31年(1956)元日発行の『新潮』に載ったエッセイ「生命の創造-アトリエにて8-」の末尾の一節です。その部分を含む最終段落のみ引用します。

 いのちあるものを見るのは無限にたのしい。いのちあるものはまた無限にかなしい。このよろこびとかなしみとを定着しようとして人間は芸術といふ形に於て神をまね、神を冒した。今人間はそのいのちさへ、いのちなき物質から合成しようとしてゐる。芸術も亦大いに動乱を起して飛躍せねばならない世紀が来る。この世に芸術が生れてから幾十万年になるのか、この後人類が生きのびるのは幾千万年になるのか。芸術はどんな変貌を重ねてゆかうとするか。今日までの芸術はまだわかい。考えると目まひのするやうな今後の長い年月を思うと、今日芸術といはれてゐるやうなものが、果していつまでもその形式を持続してゆくかどうか分らない。ただどのやうな転変が行われても、芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかつてゐるにちがひない。人間の手による生命の創造が可能になつても、生きて動き、生れて死ぬいのちがこの世にある限り、人間は芸術によるいのちの創造を決してやめないだらう。

旧ソ連の科学者、アレクサンドル・オパーリンが来日して「生命の起源」について講演をしたことに触発されて書かれたものですが、そこから芸術論にもってゆき、近藤さんが引用したように「芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかつてゐるにちがひない」と結んでいます。常に「生(ラ・ヴィ)」を芸術の絶対の価値として生きてきた光太郎、最後までそれを貫き通しました(戦時中にはぶれましたが)。

それにしても、近藤さんの文章の前半にある、昨今の大学で行われているというメディア関連の授業内容、「そんなことまで学べるんだ」と、うらやましい限りです。ただ「個人での配信」には注意が必要ですね。世の中に問うレベルに達していないもの、ガセ情報、悪意はないものの間違いだらけなど、まだまだ何でも有りの状態ですし(したがってこのブログではほとんど無視しています)、そういったものは淘汰されるのではなく逆に増えていくような気がしています。

続いて熊本の地方紙『人吉新聞』さん、6月18日(木)の一面コラム。

瀬音003

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」。明治から昭和初期に活躍した詩人・高村光太郎さんの詩集「道程」を代表する一節で、各々が歩む人生の軌跡を表しており、教科書にも採用されている▼人は誰しも母から生まれ、幼少期を経て大人となり、そして晩年を迎えて人生に終わりを告げる。だからこそ毎日を懸命に生き、後世のために何かを残し、それをまた次の世代が引き継いでいく。その繰り返しが歴史を紡いできた▼過日、ある祝宴に出席する機会があった。お祝いに駆け付けた関係者で会場は混み合い、主役との思い出話は尽きなかった。人は決して一人では生きられず、家族や他者の支えがあってこそと改めて感じた▼80歳を超えたある経営者は「自分がこの世を去ってからも人々の記憶に残り、評価されるような事業家でありたい」と思いを口にした。第一線を退いた後も全国を飛び回り、社業発展に尽くしている経営者もいる。そのバイタリティーにいつも驚かされ、その度に尊敬の念を抱いている▼決められた道を歩むのではなく、自分自身で未来を切り開く大切さを高村さんは説いた。結果以上に過程を重要視し、次につなげていきたい。

光太郎数え32歳の詩「道程」(大正3年=1914)の冒頭部分が引用されていますが、先述の最晩年の「生命の創造」における「生きて動き、生れて死ぬいのちがこの世にある限り、人間は芸術によるいのちの創造を決してやめないだらう」と呼応しているようにも見えますね。

最後に宮城県の『石巻かほく』さん。昨日の記事です。

女川町制施行100周年 海と人とともに

 女川町は1926年の町制施行から100年を迎えた。
 「まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちている」。31年に町を訪れた彫刻家で詩人の高村光太郎は紀行文にそう記した。
 町は藩制時代の牡鹿郡女川組の20の浜が母体。海と山が迫る平地に漁村が連なった。三陸の豊かな漁場と天然の良港に恵まれ、水産の町として発展してきた。
 穏やかな海は時に牙をむいた。未曽有の災害となった東日本大震災では大津波が町をのみ込んだ。あれから15年。復興を遂げた町は変わらずに海と共にある。太平洋に向かって開かれた街並みに、なりわいの音や子どもたちの声が響く。新興の気力は今に通じる。
 町制施行100周年記念式典は21日午後1時半から、町生涯学習センターで開かれる。

須田善明町長インタビュー
 「女川町」が誕生して100年。29代で7人目の町長である須田善明氏に、100周年を迎えた思いや未来への展望をインタビューした。(聞き手は相沢春花)
-4月に町制施行100周年を迎えた。
 「戦争や東日本大震災などさまざまなことがあった。苦難に屈さず、皆さんが歩んできたからこその100年だ。これからも合併はせず、女川町であり続けたい」
-自身も女川町で生まれ育った。好きな風景や思い出は。
 「震災後に立ち入れなくなったが、崎山公園から眺める景色が大好きだった。今は御殿峠から見る風景が好き。万石浦方面まで一望できる。女川駅前のプロムナードから見る日の出もいい。れんが道の向こうにまっすぐ昇る初日の出を初めて見た時は感動した」 
 「子どもの頃は山で遊んだ記憶ばかり。小学1年ぐらいの時に、田んぼだった場所でけがをした脚の傷は今も残っている。通っていたのは女川二小。女川一小との学区の境にあった雑貨店で、両校の児童たちが集まる空間も面白かった」
-100周年の節目を盛り上げる施策は。
 「季節ごとの恒例行事をボリュームアップさせる。最大のイベントは秋に予定する音楽フェス。町民の皆さんが100周年を盛り上げるための取り組みも、町の予算でバックアップしていく」 
 「『結って生む』をテーマに、新型コロナウイルスの流行などで途切れたものを結い直す機会にしたい。町と関わってくれていた人たちとのつながりをもう一度結び直し、次の100年につながるものを新しく生んでいきたい」
-次の100年に向かう中で、人口減少などの課題にどう取り組むか。
 「町内外から活動人口を獲得しなければならない。人的資源が限られる中、いかに地域産業を細らせずに守っていくかは大きなテーマだ」 
 「つまらない町に人は集まらない。行政のまちづくりは、面白いことが展開される土壌をつくること。頑張っている人、真剣に何かと向き合っている人を応援する環境が女川にはある。『女川で種を植えたい』と思ってもらえる町であり続けたい」

記念イベント続々、フェスや運動会
 女川町は町制施行100周年に合わせ、町民に楽しんでもらったり、町を盛り上げたりするための記念行事を企画している。恒例の祭りを拡大したものや新たに実施するイベントなどで、1年を通してさまざまな催しが町を彩る。
 目玉行事は、今秋に開催を予定する音楽フェス(名称未定)。2日間の日程を予定し、町開催の音楽イベントでは過去最大となる1万人規模の来場を見込む。
 1日目はロックフェス形式。2日目は幅広い年代に楽しんでもらおうと、演歌や歌謡曲などのステージも構想する。町民は無料で招待し、多彩な音楽に触れてもらう計画。
 10月12日には、町民や町内で働く人を対象にした「大運動会」が開かれる。町スポーツ協会が主催し、未就学児から高齢者まで全世代がチームで楽しく競い合える競技を検討している。詳細が決まり次第、町の広報誌などで周知する。
 音楽フェスと大運動会以外の記念行事の予定は次の通り。
【7月】
▽4日 町民音楽祭第1弾「スーパー銭湯アイドル『純烈』コンサート」
▽26日 おながわみなと祭り100周年記念ドローンショー
▽29~31日 サッカープレミアリーグU-11 チャンピオンシップ2026
【8月】
▽15日 タイムカプセル開封
【9月】
▽19日 地区対抗ペタンク大会
【10月】
▽25日 オリンピックデーラン

◇日程調整中
▽おながわ秋の収獲祭(10月)▽芸術鑑賞会第2弾(11月)▽おながわ冬のまつり(12月か来年1月)▽eスポーツ大会(1月)▽町民カラオケ大会(2月)▽おながわ春のまつり(3月)▽町民音楽祭第2弾(3月)
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005
引用されている「まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちている」は、昭和6年(1931)の『時事新報』に連載された紀行文「三陸廻り」の一節です。その前後を抜粋します。

 牡鹿半島のつけ根のぎゆつとくびれて取れ相な処、その外側の湾内に女川がある。船で廻ると一日がかりだが石巻からバスで行けば水産学校のある渡波(わたのは)を通りぬけ、塩田のある万石浦に沿つて二時間足らずの道程だ。朝七時に出ると九時には着く。女川で船を見つけるつもりで出かける。女川湾は水が深くて海が静かだ。多くの漁船が争つて此の足場のいい港へその獲物を水上げする。海岸には東北水産株式会社といふものが巨大な清潔な魚市場を築造して漁船を待つてゐる。三陸沿岸では一番新らしい一番きれいな水上げ場だ。女川は極めて小さな、まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちてゐる。活発な魚類の取引を見てゐると今に釜石あたりをも凌ぐ様になるかも知れない気がする。ところで、海に面する此の新鮮きに対比して、町そのもののぼろの様な古さと小さきとには驚かされる。この古さは珍しい。魅力は此の新古均等の無いところにある。

光太郎が訪れたのは町制施行後5年という時期でした。光太郎は女川に隣接する石巻をスタートし、主に船を使って沿岸を北上、女川以外に、金華山、気仙沼、釜石、宮古などを訪れ、全10回のイラスト入り紀行文を書きました。
006
その事績を記念して、平成3年(1991)に、「高村光太郎文学碑」4基が、女川港に建てられました。翌年からは光太郎がこの旅のために東京を発った8月9日に、「女川光太郎祭」が催されることとなり、現在も続いています。そちらは町の主催でも共催でもありませんので、上記記事の行事予定には入っていませんが、例年通り8月9日(日)に開催される予定です。今年は日曜にあたりますし、ぜひおいでください。詳細は後ほど。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 48 『高村光太郎 作品アンソロジー 戦争への道、戦争からの道』

令和7年(2025)6月 田畑書店 高村光太郎著 大木志門編
PXL_20260620_004555716
PXL_20260620_004705667
目次
 「ぼろぼろな駝鳥」(動物詩集) 
「未曽有の時」(戦時詩集) 「某月某日」(エッセイ)
 「暗愚小伝」(連作詩) 「智恵子抄その後・典型」(戦後詩集) 「山の人々」(エッセイ)
 「新しい天の火」(晩年詩集) 「文人たちの思い出」(回想集)
 チュートリアルブック「戦争への道、戦争からの道」(大木志門)

解説の「チュートリアルブック」を含め、9冊の分冊になっています。表紙はDMM GAMESさんから配信されているオンラインゲーム「文豪とアルケミスト」の光太郎。同ゲームとのタイアップでの出版でした。

4月に刊行されたはずの書籍ですが、ネット上で書影を探しても見つかりませんでした。

『サンデー毎日』総目次・執筆者索引1945~1952  ―新聞社系週刊誌の戦後占領期2

発行日 : 2026年4月
著者等 : 石川偉子監修
版 元 : 金沢文圃閣
定 価 : 52,000円+税

 時局報道をまとめて伝える目的で始まった『週刊朝日』。―対して、生活に関する実用記事を強く意識した『サンデー毎日』。
 本書は総目次を作成することに対して懐疑的な世の中の風潮において、目次情報を確認するための総目次から一歩進んだ使い方が可能となるような書誌・資料目録の在り方を模索する中から編まれた。記事主タイトルや執筆者といった基本項目だけでなく、従来の総目次では採録されることのない記事小見出しや、記事内画像・カットのキャプションについても情報をまとめた。読み込むことで新たな気づきが得られる一冊を目指した。

【第一回配本】2026年4月 ISBN 978-4-86814-086-3 配本揃価48,000円
 上巻 (396頁)
  収録内容 
   『サンデー毎日』総目次 (1945年8 月12 日号~1949 年12 月25 日号)
    1945 年 解説—敗戦後の社会を生き抜くために(杉本佳奈)
    1946 年 解説—日常生活の変化と持続(片岡美有季)
    1947 年 解説—戦後の傷と膿みを綴る(松本拓真)
    1948 年 解説—『サンデー毎日』復活後の安定期(石井花奈)
    1949 年 解説—「ニュース雑誌」が追う革命闘争(須山智裕)
 下巻(482頁)
  収録内容
   『サンデー毎日』総目次(1950年1 月1 日号~1952 年5月10 日号)
    1950年 解説—方向性の模索と充実(渡部裕太)
    1951年 解説—1951年における『サンデー毎日』の映す日常(安藤史帆)
    1952年 解説—1952年の『サンデー毎日』(仲井眞建一)
   〈コラム〉占領期『サンデー毎日』の北海道現地印刷(石井花奈)
   〈コラム〉大佛次郎のもう一つの〝帰郷〟
―『サンデー毎日』連載作品『黒潮』における郷里(泉渓春)
   〈コラム〉『サンデー毎日』に描かれた「朝鮮動乱」(河田綾)
   〈コラム〉『サンデー毎日』に見る地方文化建設(牛路遥)
   〈コラム〉『サンデー毎日』にみるラジオ民間放送の開始(濱下知里)
【第二回配本】2026年10月 ISBN 978-4-86814-087-0 予価4,000円
 別冊(約170頁) 
  序論 戦後占領期『サンデー毎日』の刊行状況および誌面内容について(石川偉子)
  論考 戦後占領期の『サンデー毎日』における検閲(石川巧)
  索引
000
近代文学研究などをなさっている方々は「ああ、この手の本か」とすぐおわかりでしょうが、特定の雑誌の目次や執筆者を索引化したものです。主な雑誌などについては、色々な出版社からかなり刊行されており、これまでも随分と使わせていただいて参りました。

『サンデー毎日』に関しては、ゆまに書房さんで創刊号(大正11年=1922 4月)から昭和20年(1945)8月12日号までを収録した『戦前期『サンデー毎日』総目次』が全三巻で既に刊行されています(現在はオンデマンド)。

今回のものは、昭和20年(1945)8月12日号から昭和27年(1952)年5月10日号まで。なぜ昭和27年(1952)で切ったのかよくわかりませんが。

戦前期を含め、光太郎の作品で『サンデー毎日』が初出、というものは今のところ確認できていません。ただ、他紙誌からの転載、光太郎について取材した記事などはいくつかありました。

まず転載系、今回のものの当該期間ですと、昭和25年(1950)10月20日の別冊中秋特別号。
008 009
巻頭にカラー印刷で7ページにわたり「秋風帖」と題し、7人の詩人の旧作に当代一流の画家たちの挿画を添えたページが設けられています。北原白秋/足立源一郎で「片恋」、佐藤春夫/東郷青児の「秋の夜」、萩原朔太郎/古沢岩美による「青空」、室生犀星/山口華楊コンビで「消えゆく虫」、山村暮鳥/福田豊四郎が「ある時」、堀口大学/宮田重雄ときて「秋のピエロ」、そして光太郎/宮本三郎の「或る日」。

「或る日」は昭和3年(1928)9月の作ですので、この時点で20年以上経っています。初出誌が不明でして、翌4年(1929)2月の雑誌『現代文芸』第6巻第2号(素人社)に載ったそうですが、当会顧問であらせられた北川太一先生によればこれも初出ではなく転載だろうとのことです。

元々、光太郎が好感を抱いていた秩父宮雍仁親王と、旧会津藩主松平容保の孫・勢津子妃殿下のご成婚に題を採った詩でした。しかし、『サンデー毎日』に附された挿画は田舎の花嫁が馬で輿入れする姿。転載に際し、光太郎自身が詩の内容や背景を忘れていて、「どんな詩だか思い出せないけど転載は構わないよ」ということでこうなってしまいました。発行されてから秩父宮親王関連だったと思い出した光太郎、「ありゃま」でした(笑)。

それから、遡って昭和22年(1947)6月15日の第26年第25号には「父と子と 愛情に描く“文化の群像” 高村光雲と高村光太郎、豊周」という記事が載っています。芸術家親子ということで、3人の紹介です。光雲は既に亡くなっていましたが。
001 002
今のところ当該期間で確認できている光太郎がらみはこの2冊です。しかしまだあってもおかしくありません。過日ご紹介した不二出版さんの『復刻版 海の旅』同様、国会図書館さんあたりで閲覧可能となったら調べてみようと思っております。国会図書館さんのデジタルデータでは、だいぶ新しい昭和42年(1967)の号からしか網羅されていません。

今回の当該期間外ですと、昭和31年(1956)4月15日の第35年第19号には、光太郎の追悼記事が出ています。
006 007005
ちなみにこの号と、上記の別冊中秋特別号は小磯良平、第26年第25号が光太郎と交流のあった硲伊之助が表紙を描いています。昔はそのあたり、豪華でしたね。

この手の特定の雑誌の目次や執筆者を索引化したもの、最近はかつてほど刊行されていないような気がしますが、そういう情報を得られていないだけかもしれません。「こんな雑誌についてのもこの間出たよ」という情報がありましたら、ご教示いただけると幸いです。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 38 『定本高村光太郎全詩集』

昭和57年(1982)6月30日 筑摩書房 北川太一編
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目次
 明治三十五年(一九〇二)
  なやみ
 明治四十年(一九〇七)
  秒刻 マデル 豆腐屋 博士 あらそひ 
  敗闕録
   ㈠われ千たび君を抱かむ ㈡君を見き ㈢遁れたる君は遣らばや
   ㈣眠りてあれか目覚めよか
 明治四二年(一九〇九)
  にほひ
 明治四三年(一九一〇)
  LES IMPRESSIONS DES OũONNAS TU VOIS? LE SOURIRE CACHÉ
   L'ABSINTHE POUSSE―POUSSE Á LA GUM―WA 失はれたるモナ・リザ
  友よ PRÉSENTATION 生けるもの 根付の国
 明治四四年(一九一一)
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 侵蝕 失走
  寂寥 或る日の午後 街上夜曲 雪の午後 声 風 (別れぎは) (散りかかる)
  新緑の毒素 夏 廃頽者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 なまけもの
  手 縁日  金秤 はかなごと 狗ころ
  泥七宝
   (ちらちらと) (家を出づるが) (きりきりと錐をもむ) (それと知つて)
   (つくづく見れば) (バタを造れば) (もらつた人形を) (かなしや人は)
   (長き睫毛の) (この守袋は) (淘宮には) (かの国より来し)
   (われは気違ひとぞとよ) (生れてより) (女よ) (蛙が鳴く)
  めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの  あつき日 かるた 髪を洗ふ女
  父の顔 「おもひで」と「夜の舞踏」と 白昼の空気
  泥七宝㈡
   (皮肉ものと) (言葉のほかにも) (読みてゆけば) (知らぬ顔の) (八重次の首は)
   (人ごみの) (無法な雷は) (蓮花の花の) (酔へる人の) (女の涙を) (朝なれど)
   (たてひき知らぬ人に) (おもしろや) (淋しい顔は) (はりに行くとは) (両国橋の)
  ビフテキの皿 恐怖
 明治四五年・大正元年(一九一二)
  青い葉が出ても 赤鬚さん 隣のおきやん 雨 鍵と錠 プリマドンナ 二人 あをい雨
  泥七宝㈢
   (われをなげけとてか) (「勝てば官軍」) (妻もつ友よ) (さけをつくるもね)
  友の妻
  泥七宝㈣
   (弱きは女の) (たとひ離れて) (てんちりんち) (お嫁にゆくを) (月さへいでて)
  人に(いやなんです) N――女史に(「人に」初出) 怨言 ヹネチヤの旅人
  夏の夜の食慾 或る夜のこころ 涙 おそれ からくりうた
  泥七宝㈤
   (ひとりものは) (それでみんなか) (さきがさきなら) (腕をくんで) (腹をたつた)
     (ものおぼえよき人は) (こびとじまの)
  犬吠の太郎 さびしきみち 寂しき道(「さびしきみち」異稿) 梟の族 かなしきこころ
  冬が来る(冬が来る) 或る宵 夜 或問 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ
  師走十日 戦闘
 大正二年(一九一三)
  人に(遊びぢやない) 深夜の雪 
  カフエにて
   (泥でこさえた) (何もかも) (アメリカ帰りの) (おれの魂を) (無理は天下の)
   (人間の心の影の)
  人類の泉 山 よろこびを告ぐ 冬が来た 冬の詩 粘土 牛 僕等 あたり前 現実
  現実(初出)
 大正三年(一九一四)
  道程 道程(初出) 愛の嘆美 群集に 婚姻の榮唱 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ
  晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈 
 大正五年(一九一六)
  わが家 我家(「わが家」初出) 花のひらくやうに 海はまろく 歩いても
  湯ぶねに一ぱい 晴れゆく空 妹に 無為の白日  無為の白日(初出) 猫
 大正六年(一九一七)
  小娘 (奇麗にお化粧した)
 大正九年(一九二〇)
  序曲 メロン 丸善工場の女工達 
 大正一〇年(一九二一)
  雨にうたるるカテドラル かがやく朝 かがやく朝(初出) ラコツチイ マアチ
  ベルリオの一片(「ラコツチイ マアチ」初出) 米久の晩餐 
 大正一一年(一九二二)
  クリスマスの夜 クリスマスの夜(初出) 真夜中の洗濯 下駄 冬の送別
  五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ Yoki kora yo! よき子等よ!(翻字)
  冬の子供 Fuyu no Kodomo(初出)
 大正一二年(一九二三)
  樹下の二人 Abraham Lincoln エブラハム リンコン(異稿) 鐵を愛す Liluli
  リリユリ(翻字)
  とげとげなエピグラム
   (夜中になると) (大変いいけれども) (おれは求めてゐる) (雨蛙よ)
   (詩はおれの安全弁) (避難はたのもしい) (おもしろい電車の中) (自分のあたまの)
   (おれの手の届かないさきを) (人のよろこびまで) (おなかが減つて)
   (そんなにおれが) (人のきめてくれた) (自分で自分を) (いいわるいを抜きにして)
   (皮肉ならお止し、夜が) (皮肉ならお止し、どうせ) (それが哲学か)
   (君の思ふ壺から) (喰べたものを) (ロダンを嫌ふのが) (三界をまたにかけた)
   (彫刻は俺の錬金術) (「杉の芽のやうな」) (人麿よ、芭蕉よ)
   (あまりよく知りもせずに) (与謝野晶子の歌に) (六十を越したら)
   (どうかきめないでくれ) (この猛獣を馴らして)
  Shine meshi 支那飯(翻字)
 大正一三年(一九二四)
  春駒 温泉と温泉場 清廉
 大正一四年(一九二五)
  月曜日のスケルツオ 白熊 氷上戯技 首狩 傷をなめる獅子 少年を見る
  ある首の幻想 校庭 狂奔する牛 車中のロダン あの詩人 無口な船長 後庭のロダン
  珍客 葱
 大正一五年・昭和元年(一九二六)
  路ばた 金 十大弟子 鯰 象の銀行 苛察 滑稽詩(穴蔵に先祖代々の兵糧が)
  夜の二人 聖ジヤンヌ 感謝 ミシエル・オオクレエルを読む 新茶 雷獣 秋を待つ
  深夜 大きな嚔 火星が出てゐる 冬の奴 偉大なるもの
 昭和二年(一九二七)
  あなたはだんだんきれいになる 無題(すばらしいものを見た) 懐ふ 二つの世界
  不平な人に あけぼの 怒 或日の日記より(「怒」初出) 笑
  二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遭ふ 
  エピグラム
   超現実派 煩瑣派 卑近美派 詩人 新感覚派
  美を見る者  「詩」
  名所
   大湧谷 草津
  母をおもふ 母をおもふ(初出) 北東の風、雨 昔話
  偶作十五篇
 
  (彫刻はおそろしい) (どうせ死ぬ首の中に) (おれは眼を見て) (急にしんとして)
   (翼のある人がある)(「急にしんとして」初出) (人間のからだは) (桃の実は)
   (くるみの種を) (人生への怒は) (人情ぽいものよ) (真の自由の) (女がぽかんと)
   (おれは力が) (木を彫ると) (ふつとさう思ふことがある)
   (朝晩少しひやひやするアトリエで) (平和的な平和を)
  天文学の話 平和時代 殺風景 或る墓碑銘 冬の言葉 その年私の十六が来た
 昭和三年(一九二八)
  ぼろぼろな駝鳥 最後の工程 彼は語る 竜 当然事 なにがし九段 さういふ友
  あどけない話
  偶作
   (うやうやしいのは) (御岳山の行者は)
  あの音 無限軌道 約束 
  夏書十題
   青空 底 寒山詩    うつたうしきもの (ヤマノイモの) さうか、寒公
   (夜明けのかなかなに) 死ねば 無いからいい 一人づつが  
  同棲同類 何をまだ指さしてゐるのだ 或る日 カタバミの実 焼けない心臓 触知
  存在 古事一則 旅にやんで 街上比興 その詩
 昭和四年(一九二九) 
  首の座 独り酸素を奪つて 北島雪山 上州湯桧曽風景 人生 或る筆記通話
  非ユークリツド的 偶作(詩歌の城に) (詩歌の城に)(「偶作」初出) 秋が来たんだ
  激動するもの 上州川古「さくさん」風景 或る親しき友の親しき言葉に答ふ
  孤独で何が珍らしい
 昭和五年(一九三〇)
  のんきな会話 のんきな会話(初出) 春の一年生 刃物を研ぐ人 消えずの火
  籠球スナツプ シヨツト “Die Welt ist scoen” のつぽの奴は黙つてゐる
  耳で時報をきく夜 冷熱 提要(「冷熱」異稿) 南極 機械、否、然り
  友よ(まづ第一に)
 昭和六年(一九三一)
  一艘の船が二艘になること 似顔 不許士商入山門 美の監禁に手渡す者 卓上の七月
  検温 霧の中の決意 ゆつくり急がう レオン ドウベル
 昭和七年(一九三二)
  非ヨオロツパ的なる 非欧米的なる(「非ヨオロツパ的  なる」改稿) 
  もう一つの自転するもの 五月のウナ電
 昭和九年(一九三四)
  「藤島武二画集」に寄す
 昭和一〇年(一九三五)
  人生遠視 風にのる智恵子 「悪魔の貞操」に寄す 寸言 秋風をおもふ ばけもの屋敷
  村山槐多 詩の道
 昭和一一年(一九三六)
  鯉を彫る 荻原守衛 堅氷いたる
 昭和一二年(一九三七)
  少年に与ふ わが大空 よしきり鮫 マント狒狒 象 千鳥と遊ぶ智恵子
  値ひがたき智恵子 秋風辞 夢に神農となる 晴天に酔ふ
  冬が来る(米予想収穫高の発表がすむと) 老耼、道を行く 未曾有の時 詩について
  天日の下に黄をさらさう
 昭和一三年(一九三八)
  手紙に添へて 団十郎像由来 森のゴリラ 潮を吹く鯨 若葉 地理の書 山麓の二人
  孤坐 日本の秋 或る日の記 吾が同胞 子を産む書物 その時朝は来る 群長訓練
  新しき御慶 正直一途なお正月 こどもの報告
 昭和一四年(一九三九)
  米のめしの歌 レモン哀歌 軍艦旗 芋銭先生景慕の詩 初夏言志 初夏到来
  つゆのよふけに 上海陸戦隊をおもふ 乃木大将を懐ふ 事変二周年 肉体 君等に与ふ
  亡き人に 愛について お化屋敷の夜 銅像ミキイヰツツに寄す 紀元二千六百年
  
発足点 北冥の魚 冬 先生山を見る 紀元二千六百年にあたりて へんな貧
  穴ずまひ(「へんな貧」初稿) 私は青年が好きだ 重大なる新年 源始にあり
 昭和一五年(一九四〇)
  ほくち文化 護国神社 蝉を彫る 落日 梅酒 五月のうた 新緑の頃 雷電の夜
  最低にして最高の道 無血開城 純潔 歩くうた 式典の日に 漁村曙 少女立像
  朋あり遠方に之く 世界は美し 太子筆を執りたまふ われら持てり 新年に与ふ
 昭和一六年(一九四一)
  さくら 四月の馬場 風かをる(「四月の馬場」異稿) 清くして苦きもの 少女に
  みかきにしん 協力の磊塊たれ 青年 荒涼たる帰宅 事変はもう四年を越す
     事変はもう四年を越す(初出) 或会議に列して 迎火 純潔のうた 百合がにほふ
  新穀感謝の歌 必死の時 こころに美をもつ 危急の日に 大詔渙発 十二月八日
  鮮明な冬 彼等を撃つ 新しき日に 神のごとく行へ
 昭和一七年(一九四二)
  沈思せよ蒋先生 ことほぎの詞 変貌する女性 シンガポール陥落
  夜を寝ねざりし暁に書く 昭南島に題す 或る講演会で読んだ言葉 特別攻撃隊の方々に
  独居自炊 帝都初空襲 戦歿報道戦士にささぐ 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 仕事場にて
  民国の民と兵とに与ふ 真珠港特別攻撃隊 鬱勃たる健康 われら文化を
  山道のをばさん 女性はみんな母である 感激をかくさず    感激をかくさず(不許可稿)
  三十年 神とともにあり 新天地 みなもとに帰るもの 少女よ 神これを欲したまふ
  逞しき一念 覆滅彼にあり 寒夜読書 戦にきよめらる われらの道
  決戦の年に志を述ぶ
 昭和一八年(一九四三)
  少女の思へる 殄滅せんのみ 紀元節を迎ふ さかんなるかな造船 「撃ちてし止まむ」
  供木のことば 監視哨 あそこで斃れた友に 艦隊を見る 海軍魂を詠ず 軍人精神
  提督戦死 厳然たる海軍記念日 山本元帥国葬 五月二十九日の事 報道の戦士をたたふ
  われらの死生 「まつた」を知らず 「江田島」を読んで ビルマ独立 友来る
  ぼくも飛ぶ おん魂来りうけよ 勤労報国 粛然たる天兵 救世観音を刻む人
  フイリツピン共和国独立 四人の学生 全学徒起つ 戦に徹す 断じてかへさず
  激戦未だ終らず 大決戦の日に入る 第五次ブーゲンビル島沖航空戦
  十二月八日三たび来る 貴さ限りなし 少年飛行兵 少年飛行兵の夢 少女戦ふ
  海上日出 熱鉄烈火の年 マキン、タラワの武人達 新年よ、熟視せよ 新年は見る
 昭和一九年(一九四四)
  昭南島生誕二周年 臣ら一億楠氏とならん 南洋眼前にあり 品性の美 少年兵
  陽春の賦 敵ゆるすべからず 必勝の品性 春暁におもふ 山林頌 美をすてず 保育
  写真を見て 米英自ら知らず 合せ祀らるる靖国の神に われらの祈 戦意愈々昂し
  古代の如く たのしい少女 弾薬手 根元の道 ほんとの力 婦女子凜烈たり
  黒潮は何が好き 南瓜賦 米英来る 美しき落葉 最大の誇りに起つ 神州護持
  十二月八日四度来る われらの雄たけび わたつみのうた 大東亜の子ども達よ 満三年
  新春に面す
  二千六百五年のむかし 皇太子さま御乗馬
 昭和二〇年(一九四五)
  皇国骨髄の臣 梅花かをる 青春のうた 力を知る 無想の剣 おほぞらのうた
  栗林大将に献ず 神潮特別攻撃隊 戦火 琉球決戦 海軍記念日に 薫風の如く
  勝このうちにあり
  小曲二篇
   (花はなにとて) (木の実草の実)
  石くれの歌
   (石くれは動かない) (あかい佐渡石が)
  一億の号泣 犯すべからず 小曲二篇 石くれの歌 非常の時 松庵寺 武装せざる平和
  永遠の大道 雪白く積めり
 昭和二十一年(一九四六)
  和について 皇太子さま 国民まさに餓ゑんとす 雲 絶壁のもと (観自在こそ)
 昭和二二年(一九四七)
  山菜ミヅ 田植急調子 (リンゴばたけに)
  暗愚小伝
   家
    土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告 山林
  暗愚小伝断片
   わが詩を読みて人死に就けり (死はいつでも)
  山のひろば 蒋先生に慙謝す 脱卻の歌 「ブランデンブルグ」 試金石 岩手山の肩
 昭和二三年(一九四八)
  人体飢餓 東洋的新次元
  山口より
   山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ ヨタカ 別天地
  噴霧的な夢 おれの詩 お祝のことば 新年 岩手の人 (人間劣性の)
 昭和二四年(一九四九)
  若しも智恵子が 女医になつた少女 悪婦 山の少女 山からの贈物  月にぬれた手
  滑稽詩二篇
   Rilke Japonica etc. 赤トンボ
  智恵子抄その後
   元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 
  鈍牛の言葉 山荒れる この年 あいさつ 一九五〇年
 昭和二五年(一九五〇)
  偶作(人が機械をつくるといふ)  典型 建てましよ吾等の児童会館 クチバミ
  金田一国士頌 東北の秋 開拓に寄す 大地うるはし 人間拒否の上に立つ 明瞭に見よ
  船沈まず 遠い地平 初夢まりつきうた 酔中吟
 昭和二六年(一九五一)
  岩盤に深く立て 智恵子と遊ぶ
 昭和二七年(一九五二)
  山のともだち ばた屋 餓鬼 (四つの仮面は) 報告(あなたのきらひな東京へ)
  お正月に
 昭和二八年(一九五三)
  東京悲歌 十和田湖畔の裸像に与ふ かんかんたる君子
 昭和二九年(一九五四)
  記者図 弦楽四重奏 新しい天の火
 昭和三〇年(一九五五)
  開拓十周年 追悼 開びゃく以来の新年 お正月の不思議 生命の大河
 解題(北川太一)
 年譜(北川太一編)
 編者覚え書(北川太一)
 詩題索引

この時点で確認できていた光太郎詩全編を編年体で収めてあります。初出発表形と決定稿がかなり異なる場合には、初出発表形もならべてあります。

先だつ昭和41年(1966)には新潮社から『高村光太郎全詩集』が出ていますが、そちらは詩集を根幹とした配列で言わば紀伝体でした。

明日以降何日間か、これから開催されるイベント等の紹介を致しますが、その前にそうした形で事前に紹介できず、終わってしまったものについて。記録のためにも紹介しておきます。

まず、4月18日(土)に新宿区の音楽の友ホールさんで開催された「バーゼル国際歌曲コンクール2026 ファイナル」。
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ピアノ、ヴァイオリン、声楽、フルート、ハープの5部門から成る「バーゼル国際音楽コンクール」の声楽部門で、国籍学籍不問、プロアマ不問、若手声楽家の登竜門的なもののようです。
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一次審査、二次審査はYouTubeだそうで、これも時代の流れかなと思いました。最近はそれが一般的なのでしょうか。ファイナルのみが会場審査で、4月18日(土)に音楽の友ホールさんで開催されました。

ちなみに審査員のお一人、テノールの樋口達哉氏は智恵子の故郷・二本松市のご出身で同市の観光大使も務められていて、故・湯浅譲二氏作曲の「二本松市民の歌」なども歌われていますし、平成31年(2019)に同市で開催された「2019全国さくらシンポジウムin二本松~ ほんとの空に さくら舞う ~」などにもご出演なさっていました。

本選では時間が割り当てられるのでしょう、12名の各出場者が3曲から5曲を歌って審査に臨んでいました。

で、結果が以下の通り。敬称略ですみません。

 第1位   Geng LI (LEE) バリトン  中国
 第2位   川出康平 Kohei KAWADE  テノール  日本
 第3位   三神祐太郎 Yutaro MIKAMI バリトン 日本 
     Jana CVETKOVIC メゾソプラノ セルビア
 第4位   Juhyung Kim  バリトン  韓国
 第5位   郭冬家 GUO Dongjia  テノール 中国
 第6位   Elena Xanthoudakis  ソプラノ  オーストラリア 
 聴衆賞  Jana CVETKOVIC メゾソプラノ  セルビア
009
このうちみごと第2位に輝かれた川出康平氏、演奏曲目が以下の通りでした。

 ・R.Strauss:“Heimliche Aufforderung”(リヒャルト・シュトラウス:“密やかな誘い”)
 ・R.Strauss:“Morgen!”(リヒャルト・シュトラウス:“明日に!”)
 ・O.Respighi:“Nevicata”(レスピーギ:“雪”)
 ・別宮貞雄:歌曲集「智恵子抄」より“人に”

国際コンクールですので(そうでなくてもそうかもしれませんが)、外国曲が3曲、そして故・別宮貞雄氏の歌曲集「智恵子抄」から「人に」。まさか樋口氏と二本松の関係から印象をよくしようとして選曲したというようなセコい意図はなかったはずですが(笑)、その偶然に驚きました。

別宮氏の「智恵子抄」、テノールの紀野洋孝氏が積極的に取り上げられ、さまざまな機会で歌われたり、CDに組み入れたりされています。また、他の声楽家の方もぽつりぽつり、毎年のようにどこかしらで歌われている感じです。

事前に曲目がわかっていれば、ぜひ聴きに行きたいところでした。

惜しくもグランプリは逃された川出氏ですが、「プロフェッショナル歌曲賞」も受賞、さらに川出氏の伴奏を務められたピアノの吉本有佑氏は「伴奏者賞」でした。

今後のさらなるご活躍に期待いたしますし、別宮氏の「智恵子抄」もどんどん取り上げていただきたいものです。

もう1件。5月9日(土)に世田谷区の三茶しゃれなあどホールさんで「朗読とお話 宮静枝の詩に投影された高村光太郎の戦後」というイベントが開催されたとのことです。世田谷区さんの広報誌で事前に小さく紹介が出ていましたが、気づきませんでした。
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気づいたのは、デザイナーの宮白羊氏のX(旧ツイッター)投稿で、当日でした。
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「父」というのが、写真家のみやこうせい氏(本名・宮暠成氏)です。

イベント標題にある「宮静枝」がこうせい氏のお母さま。岩手江刺の出身で、昭和26年(1951)秋に、花巻郊外太田村の光太郎の山小屋を訪れ、その時の体験を元に、平成4年(1992)、『詩集 山荘 光太郎残影』を上梓、第33回晩翠賞に輝いています。同書はまるっと一冊、光太郎を語った詩集で、実に多くの啓示を与えてくれるものでした。
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昭和26年(1951)11月11日の光太郎日記。

盛岡より宮静枝さん、甥(千葉氏)の人と子供二人つれてくる、新小屋。ライカにて撮影いろいろ、宮さんにカーテンぬつてもらふ。

「子供二人」にこうせい氏も含まれていますし、「ライカにて撮影」された写真が『詩集 山荘 光太郎残影』に14葉掲載され、そこにはこうせい氏も写っています。
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おそらくこうせい氏、この日の出来事などを語られたのでしょう。また、他の方々が『詩集 山荘 光太郎残影』から朗読をなさったのだと思われます。

下記は同書の復刻版を扱っているユニコ舎さんのX(旧ツイッター)投稿。
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これも事前に知っていたら、万難を排して駆けつけたのですが……。

『詩集 山荘 光太郎残影』、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 10 『現代日本名詩選 道程・典型』

昭和28年(1953)3月10日 筑摩書房 高村光太郎著
PXL_20260502_023545399 PXL_20260502_023603494 PXL_20260502_023624470
目次
 道程
  一九一〇年
   失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
  一九一一年
   画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
   新緑の毒素 廃頽者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏
   なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
   けもの あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
  一九一二年
   青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾
   或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
   カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて
   師走十日 戦闘
  一九一三年
   人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た
   冬の詩 牛 僕等
  一九一四年
   道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
   五月の土壌 淫心 秋の祈
 典型
 序
 雪白く積めり 
 暗愚小伝
    家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  反逆
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告 山林
 「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 おれの詩 悪婦 山荒れる
 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型 
 田園小詩
  山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地
  岩手の人 山からの贈物 この年 
 年譜
 解説 中山義秀

第一詩集『道程』(大正3年=1914)と、結局は生前最後の詩集となる『典型』(昭和25年=1950)を一冊にまとめたものです。

やはり光太郎の山小屋を訪れたこともある中山義秀の解説が秀逸です。

004「水タバコ」という嗜好品があるそうです。紙巻きタバコは数十年愛用していますが、寡聞にして詳しいことは存じませんでした。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、「中東で発展した喫煙具の一種」「シーシャ、水煙管(すいえんかん)、水ギセル(みずギセル)や水パイプ(みずパイプ)とも呼ばれ」るそうで、「欧米諸国でのブームを受けて日本でも水タバコが新たに注目を集めつつある」「2018年時点で、東京都内には200を超える水たばこ専門店がある」だそうです。

仕組みとしては、「火皿で燃えたタバコの煙を水にくぐらせ、濾過された煙を喫煙する。煙が水を通ることで冷やされ、やわらかい味わいになる」とのこと。物理や化学はお手上げの身としては、「煙が水を通る」というのがまずもって理解出来ませんが、「大型のものには吸い口が2本から4本とりつけられたものがあり、一包みのタバコを何人かで吸う。集まって車座になり、パイプをゆっくりと味わいながら喫茶や雑談をする生活様式に合わせられた喫煙具である」。また、「香りには果物からスパイス、花、コーヒー、ガムなど多くの種類がある。タバコ葉を原料としないノンニコチンフレーバーも登場した」。

そのあたりの説明を読んで、「ん? もしかしてあれがそれか?」と脳内で回路が繋がりました。ルーブル美術館蔵のウジェーヌ・ドラクロワ作「アルジェの女たち」(1834)。
006
調べたらビンゴでした。アルジェリアは中東ではありませんが、そちらの方にも伝わっていたようです。別にドラクロワは好きでもないものの、なぜかこの絵は記憶にインプットされていました。

さて、先述の通り、この「水タバコ」、日本でも「水タバコを提供する場所(主に個人経営によるカフェバーなど)が首都圏や近畿圏では増えた」とのことで、京都の専門店の仕掛け。

【5-6月限定シーシャミックスメニューのお知らせ】

いつもご愛顧いただきありがとうございます。shisha cafe SUIREN KYOTOです。

【2026年6月末迄予定】
お待たせいたしました!期間中はスタッフより限定シーシャミックス3種(各¥3,200/シェア:¥4,700)をお届けします! ★別途+¥300にて一部ダークリーフ追加も可能です。

1.植物図鑑 by トキ
有川浩さんにも同じ名前の恋愛小説がありますね。すべての植物にも名前はあるとはいいますが、なんの植物のフレーバーが入っているか、是非探ってみてください。

2.レモン哀歌 不条理のそよ風  by 次郎
高村光太郎さんの妻、智恵子さんを詠ったレモン哀歌にちなみました。明るいようでどこか虚無的。
初夏のレモンに、優しく微笑む不条理をのせて。激しく抵抗するのではなく静かに受け入れるような余韻。哀しくも軽やかな一息をお楽しみください。

3.灰燼の王国 by りゅうき
スタッフりゅうき限定です。ダブルアップルの濃厚さとアイスのドライ、この2つが皆さんの喉を焼きに行きます。★ダークリーフ指定なので、上記価格+¥300〜です。

どうぞよろしくお願いします。

※詳細は、InstagramDM・X/旧TwitterDM、または営業時間内お電話にて承ります。お取り置きも可能です。
★お席の状況によりシーシャ提供後2時間制とさせていただく場合がございます。何卒ご了承くださいませ。
★お越しの際は、事前に来店時間・人数・フレーバーの指定(あれば)をご連絡いただけますと、スムーズにご案内できます。
並びにご不明点等ございました際も、お気軽にお尋ねください。
008
shisha cafe SUIREN KYOTO(水たばこカフェ水蓮)さん、住所は京都市中京区大黒町42-1。京都市街中心部ですので「河原町三条」と言った方がわかりやすいかと思われます。金曜定休だそうです。
009
光太郎詩、特に「智恵子抄」系は、さまざまな美術、文学、音楽、舞台芸術、映像作品などの二次創作以外にも、そこからインスパイアされたシャレオツな紅茶、カクテル、ソフトドリンク、和菓子、それから飲食系でなくフレグランスなど、いろいろな商品等の元ネタとなっていますが、こういうのもありか、という感じでした。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 9 『高村光太郎選集 Ⅵ 随想 下』

昭和27年(1952)9月15日 中央公論社 高村光太郎著
6
6函 6扉 6奥付
目次
 1
  年越し 雪解けず 開墾 早春の山の花 季節のきびしさ 七月一日 ある夫人への返事
  夏の食事 みちのく便り 山の雪 山の人々 山の春
 2
  三陸廻り 雲と波 珈琲店より 出さずにしまつた手紙の一束 伊太利亜遍歴
 3
  与謝野先生を憶ふ 死んだ荻原守衛君 バアナアド・リイチのこと ヴアレリイに就て
  楽聖をおもふ 彫刻家ガツトソン・ボーグラム氏 宮澤賢治 八木重吉について
  逸見猶吉の死 尾形亀之助を思ふ
 4
  美の中心 天平彫刻の技法について カリカチュア 工房より 芸術を見る眼
  純一な芸術が欲しい 「夜明け前」雑感 琅玕洞より 一彫刻家の要求
  日本語の新しい美を 美の立場から 裸体画について 仏画賛 本面について
  上野の現代洋画彫刻 美術館の事その他
 5
  某月某日 七月の言葉 童謡・民謡・小唄 冬二題 触目いろいろ 間違のこと
  春さきの好物 雷ぎらひ しやつくり病 三十年来の常用卓 ほくろ 悠久山の一本欅
  蟻と遊ぶ 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 月報 リーチと高村さん 今泉篤男 高村光太郎小品展より

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第6回配本で、これで完結です。第5巻の「随想 上」同様、評論とエッセイとが入り交じっています(どちらともつかないものもあるのですが)。編年体ではなく、おおむね内容による分類。第5巻には含まれなかった戦後の作品が入り、しかし明治期のものも収められています。

紹介すべき事項の山積で後回しになっておりましたが、新刊書籍のご紹介も少しずつ。「エッセイ」と銘打っていますが、評論に近いものです。

詩旋律 詩の美 高畑耕治エッセイ集

発行日 : 2026年4月15日
著者等 : 高畑耕治
版 元 : 愛のうたの絵ほん
定 価 : 2,700円+税

「詩の美 高畑耕治エッセイ集」の第1冊目

「詩旋律」では、日本語の詩の美、詩の抒情は言葉の音楽、歌の調べによって生まれてきたこと、生まれることを、優れた作品と、歌論、詩論から浮き彫りにする。

第一章と第五章は、詩と詩作、文学、芸術についてのエッセイ。第二章は口語自由詩をめぐる中原中也、高村光太郎、萩原朔太郎の詩論をとらえなおす。第三章は和歌の調べ。万葉集、和泉式部、式子内親王、藤原定家、永福門院の、美しい心に響く歌の調べを聞きとり、藤原俊成の歌論にもふれる。第四章は俳句の調べ。松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶の句と種田山頭火の自由律俳句には、美しい音楽性が響いていることに耳を澄ませる。
001
<目次>
 第一章 詩想
  詩を生むもの 詩が生まれでるふたつのかたち 詩を息づかせるもの なぜ言葉で
  詩だから伝えられるもの 詩のしらべ 詩と詩集についての覚え書 詩と若さ 詩の容姿
  詩って、ほんとはなんだろう 詩想『詩集 こころうた こころ絵ほん』
  詩想『詩集銀河、ふりしきる』 作品が生まれる、時 
 第二章 口語自由詩の韻律
  中原中也の「ゆたりゆたり」 高村光太郎、胸中から迸り出る言葉
  萩原朔太郎
   『月に吠える』序 「自由詩のリズムに就て」 
   『詩の原理』 詩語としての口語論 小倉百人一首の韻律美 『恋愛名歌集』
   歌の韻律美と口語自由詩
 第三章 和歌の調べ
  万葉集、好きな歌 藤原俊成『古来風躰抄』 和泉式部、あくがれる魂の歌
  式子内親王、言魂の韻律美 藤原定家の象徴詩 永福門院、調想不離の美
  伏見天皇宸翰「源氏物語抜書」散らし書きの花
 第四章 俳句の調べ
  書の美。松尾芭蕉と近現代文学者の直筆 変体仮名 俳句の調べ 松尾芭蕉の破調
  与謝蕪村、音の美 小林一茶。見据える目
 種田山頭火の自由律俳句
 第五章 詩想の木魂
  日本語のかそけさ 詩行中の意味のまとまり、息継ぎの間、句切り
  脚韻は詩であるための必須条件ではない 和歌の韻律 言葉の音楽性 詩の創作
  創作意思
 音数律論の偏狭さ 作品宇宙の必然 現代の詩の可能性について
  メロディーの翼
 現代詩の衰弱の主要因 中国詩との個性の違い
  寄物陳思、正述心緒の泉の清流
 日本語生来の資質と美の姿
  詩、定型詩の音数律と韻律のひみつ 
詩歌の韻律と朗読について
  無限諧音詩歌 日本語詩とフランス語詩、英語詩とドイツ語詩
  言葉の発音の変化 詩を愛す。 文語と短詩のこと 「日本詩の押韻」九鬼周造を再読して
  芸術、作品について 文語生まれの音感 現代短歌の文語表現について
  芸術作品の驚きとときめき 芸術家の言葉の棘を 現代短歌と現代詩
  詩と短歌の文語表現
 詩と、芸術表現について 降り注がれ、授けられた詩歌
  現代性と、花鳥風月
 小説と脚本と詩 文学、創作のこと 言葉の生命力
  詩と詩作について
 出典・参照文献

著者の高畑耕治氏、詩人だそうです。そこで実作者としての立場からの詩論、詩作の方法論といった内容が中心です。

興味深かったのは、ご自分がいわゆる「現代詩人」というくくりの埒外に居る、というスタンス。全体に古人へのリスペクトや敬愛に貫かれつつ、いわゆる「現代詩人」たちには容赦がありません。

例えば

言葉の象牙の塔をこねくりあげて、一般の読者にはわからないだろうと仲間うちで持ちあげあう人の知的な言葉の書き連ねを、私は詩とは思えず、いいと感じません。そのような奇抜性をてらい競う言葉遊びは、万葉集にも「無心所着歌(むしんしょじゃくか)」などとしてあったし、いつの時代にもあったけれどつまらないと思います。 (詩と詩集についての覚え書)

詩界(というものが意味あるものならば)、そこでは、現代詩の愛好家が偏狭な詩観、特権を押しつけて、詩を貧しくしていると、私は感じてきました。現代詩人どうしが与えあう仲間うちの賞の受賞作に、私が感動する詩はあまりありません。 (詩って、ほんとうはなんだろう)

私が現代詩より現代短歌に惹かれてしまうのはなぜか。現代詩が高学歴お勉強知識こそ優れているという世俗の常識エリート学歴崇拝社会に侵され、賢い頭で言葉の組み合わせの綾を弄び淫し自嘲しつつそれでも賢くて凄いだろと、高等遊民であると思い込んだ高みから普通の人、「大衆」を馬鹿だと見下げる傲慢さに閉じこもりカチコチに枯れてしまっていて、感情、想い、感性、感受性にこそ詩心(しごころ)が宿ること、美しい、ほんとうの、善くあれるかもしれない、希望、願い、心の響き、音楽、心の絵、色彩やどる詩歌、ポエムが詩であることを、忘れ気づけず衰えているからです。 (現代短歌と現代詩)

なるほど。

しかし、フォローも忘れていません。

ただし、現代詩というくくりは曖昧で、わたしが心から共感する詩を今、書かれている詩人はいらっしゃるので、集団としてすべていっしょくたにしてしまうのは愚かです。詩はあくまで一人きりの個性からの表現ですから。 (詩って、ほんとうはなんだろう)

ここまで含めれば、激しく同意します。

そして近代詩、万葉・古今・新古今などの秀歌、古典俳句などを例に、メインタイトルの「詩旋律」、特に音韻論を中心に論が展開されていきます(ただ、先達の評論家等が既に指摘している論考を抜き書きという部分が多いのですが)。また、関連する音楽や朗読についても言及されています。

近代では、萩原朔太郎を中心に、光太郎や中原中也、宮沢賢治などの作品が敬すべき対象として取り上げられています。光太郎に関しては「高村光太郎、胸中から迸り出る言葉」という項が設けられている他、他の箇所でも論じられています。

全編とにかく詩歌への愛が語られ、その情熱には頭が下がりました。

「ポエム」という語が、揶揄の意味合いで使われるようになって既に久しいと思われます。しかし、詩という形式でしか表せないものは確かにあるわけで、そうである限り「詩」というジャンルが生き延びていかねばならないと感じました。

というわけで、ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)32 『天平彫刻』増補版 

昭和29年(1954)11月5日 生活百科刊行会 児島喜久雄編者代表
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目次
 天平彫刻について 上野直昭
 天平時代の仏像に対する断片的考察 木下杢太郎
 天平彫刻の技法について 高村光太郎
 天平彫刻私観 平櫛田中
 天平彫刻雑感 安田靱彦
 素材より見たる奈良彫刻の特性 野間清六
 天平仏像の構造法 新納忠之介
 奈良時代の鋳もの 香取秀真
 東大寺建立と天平の仏像 筒井英俊
 戒壇院四天王像に見る「格」に就て 丸尾彰三郎
 天平時代の彫刻と万葉集との関係 久松潜一
 天平の肖像彫刻 小林剛
 天平彫刻と写真 大口理夫
 天平彫刻と様式問題 児島喜久雄
 須菩提 廣津和郎
 新薬師寺本尊に関する問題 田中倉琅子
 図版解説
 図版目次
 原色版 三月堂 帝釈天図(安田靱彦氏画 明治四十一年写生)
 写真版 
  第一図 東大寺三月堂 不空羂索観音像
  第二・三図 東大寺三月堂 月光菩薩像
  第四図 東大寺三月堂 吉祥天像
  第五図 東大寺三月堂 不空羂索観音像宝冠化仏
  第六図 東大寺三月堂 金剛力士(東方)像
  第七図 東大寺三月堂 金剛力士(西方)像
  第八・九図 東大寺三月堂執金剛神像
  第十図 東大寺戒壇院 持国天像
  第十一図 東大寺戒壇院 増長天像
  第十二図 東大寺戒壇院 廣目天像
  第十三図 東大寺戒壇院 多聞天像
  第十四・十五図 新薬師寺伐折羅大将像
  第十六・十七図 興福寺 阿修羅像
  第十八図 興福寺 羅睺羅像
  第十九図 興福寺 須菩提像
  第二十図 興福寺 富樓那像
  第二十一図 法隆寺夢殿 行信僧都像
  第二十二・二十三図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像
  第二十四・二十五図 聖林寺 十一面観音菩薩像
  第二十六・二十七図  東大寺大仏殿前燈籠扉音声菩薩像
  第二十八図 東大寺大仏蓮弁毛彫
  第二十九図 東大寺誕生釈迦仏像
  第三十図 薬師寺金堂 日光菩薩像
  第三十一図 薬師寺金堂 薬師如来像
  第三十二図 唐招提寺金堂 毘蘆舎那仏像

昭和19年(1944)の初版(小山書店)は、製本所が空襲されたため店頭に並ぶ前にほとんどが焼失してしまったそうです。戦後の昭和23年(1948)には同じ小山書店が復刊。さらに増補版と言うことで、版元を変えてこの版が出されました。おそらく、いわゆる「チャタレイ夫人裁判」のからみで小山書店が昭和25年(1950)に倒産したこととも無関係ではないでしょう。

今年、光太郎は没後70周年、智恵子は生誕140周年です。

だから、と言うわけでもないのでしょうが、このところ、2人の名を新聞紙上でよく見かけます。ちょうど4月2日(木)の連翹忌前後のこのブログでも計4件ご紹介しました。

その後もそれが続きまして、今日明日と2日間に分け、また4件ほどご紹介します。

まず『東京新聞』さん、4月4日(土)掲載の劇作家・鴻上尚史氏によるコラム。

知識人まで「狂喜乱舞」した12月8日…太平洋戦争を選んだのは「国民」だった〈鴻上尚史の月2回コラム〉003

 「戦争反対」に関するSNS上の発言がまだ話題ですが、「戦争反対」に対する批判というか突っ込みで「戦争に賛成する者なんかいない。当たり前のことを偉そうに言うな」という反論を、ちらほらと見かけるようになりました。
  ◆開戦した12月8日、知識人が感じたことは
 まあ、確かに、「戦争賛成」とSNSで投稿する人は、日本では珍しいかもしれません。
 「ガザ攻撃支持」とか「ウクライナ撃滅」だの「イラン撃破」なんて勇ましい(?)言葉を海外のSNSで見ることはありますが、今のところ、戦争そのものを無条件で全面的に肯定した書き込みをする人は、日本では少数派でしょう。
 みんな一応、建前というか、原則としては「戦争はよくない」「戦争はなるべくはしてはいけないものだ」というスタンスだと思います。
 『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』(方丈社)という本があります。
 昭和16年、12月8日のアジア・太平洋戦争が始まった日に、日本人はどう感じ、何を考えたのかを、当時の知識人・著名人50人余りの日記や回想録から集めた本です。
◆坂口安吾は東条首相の話をラジオで聞いて…
 戦後思想の巨人、吉本隆明氏は、17歳の時で、開戦のニュースを聞いた時は「ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした」と回想しています。
 『ごん狐』が教科書で有名な童話作家、新美南吉は28歳の時で、「いよいよはじまったかと思った。何故か體(からだ)ががくがくと慄(ふる)へた。ばんざあいと大聲(おおごえ)で叫びながら駆け出したいやうな衝動も受けた」と書きました。
 『堕落論』で戦後注目された、坂口安吾は35歳の時で、東条首相の話をラジオで聞いて、「涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ」と感じました。
◆多くの著名人が「新世界が始まるような」感情に
 同じく作家の横光利一は43歳の時で、「戦はついに始まった。そして大勝した。先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ」と書きました。
 詩人室生犀星は52歳で、「十二月八日」と題した詩は、冒頭
「何かを言いあらわそうとする者/そして言いあらわせない者/よろこびの大きさに打たれて/ここで凝乎として喜んでいる者/よろこび過ぎて言葉を失った瞬間/人は初めて自分の我欲をなくし/何とかして/偉大な喜びをあらわしたいとあせる」
としました。
 同じく詩人の高村光太郎は58歳。「おのずから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡が曇って来た」「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである。現在そのものは高められ確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった」
 民俗学者の折口信夫は54歳で「宣戦のみことのりの降ったをりの感激、せめてまう十年若くて、うけたまはらなかったことの、くちをしいほど、心をどりを覺(おぼ)えた」と書きました。
 歌人の斎藤茂吉は59歳。「老生ノ紅血躍動!」と書きました。
 軍人や政治家が開戦を肯定的に評価するのは、当然かもしれませんが、圧倒的多数の著名人や知識人が12月8日を「感動し、落涙し、身が引き締まる思いがし、新世界が始まるような」肯定的な感情で迎えたことが、この本から分かります。
◆だからこそ「戦争反対」と言い続けたい
 反発したのは、ほんの少数。
 詩人の金子光晴は45歳で「僕は、アメリカとの戦争が始まった時、二、三の客を前にしながら、不覚にも慎みを忘れ、『ばかやろう!』と大声でラジオにどなった」と回想しました。
 「芸術は爆発だ」の岡本太郎は30歳。「まさか──私はガク然とした。日本は独伊と同盟を結んでいた。しかしそれは米英などとのさまざまの交渉を有利に展開するためのかけひきであって、強硬なのも結局ポーズだけかと思っていたのに。
 もう入隊はきまっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ。死んでやろう。私ははり裂ける思いで家の外に飛び出した。ふりあおいだ冬空は限りなく青かった」と書きました。
 軍部が暴走したわけでも、政府にだまされたわけでも、資本家が先頭を走ったわけでもなく、まず国民が率先して戦争を選んだ。そして、戦争が始まったことに狂喜乱舞した。
 だからこそ、ふだんから「戦争反対」と言い続け、魂の奥底まで刻むことが大切なのだと僕は思います。

引用されている光太郎作品は「十二月八日の記」と題する散文です。昭和16年(1941)のこの日、光太郎は議員を務めていた第二回中央協力会議出席のため丸ノ内の大政翼賛会本部に居ました。しかし予定の時刻を過ぎても会議が始まらず、待たされている間に開戦の詔勅が放送され、引用されているのはそれを聴いての感想の部分です。

その他、まだ学生だった吉本隆明、新美南吉、坂口安吾、横光利一、室生犀星、折口信夫、斎藤茂吉……。異口同音に開戦時を語っています。岡本太郎や金子光晴は「反発」と扱われています。しかし岡本太郎はともかく、金子光晴に関しては額面通りに受け取れません。以前にも書きましたが、金子は戦後になって、本人というより取り巻きの操作で「戦時中も反戦を貫いた」という評が為され、そのように受けとめられています(現代の文芸評論界の大御所もころっと騙されています)が、開戦後には数は少ないもののコテコテの翼賛詩文を書いて発表しています。光太郎ほどの積極的協力ではなかったにせよ「戦時中も反戦を貫いた」とはとても言い難いのです。「『ばかやろう!』と大声でラジオにどなった」のも、ヒューマニスティックな心の叫びというより、個人的なものにすぎないでしょう。

「軍部が暴走したわけでも、政府にだまされたわけでも、資本家が先頭を走ったわけでもなく、まず国民が率先して戦争を選んだ。そして、戦争が始まったことに狂喜乱舞した。」この愚を繰り返してはいけないわけですが、昨今の世情をみるに、つのるのは危機感ばかりです。

その後、戦争を煽った光太郎は戦後になってそれを深く悔い、花巻郊外旧太田村の劣悪な環境で7年間もの蟄居生活を送りました。その間、天職と定めていた彫刻も封印。それは自らに課した最大の罰でした。だから光太郎は偉い、と言うつもりもありませんが(犯した罪は消えませんので)、他のほとんどの文学者たちは、戦時中の行動を無かったことにしたり、強制されてのもので本意ではなかったと言い訳したり、戦後になっても皇国史観から抜け出せずに開き直ったりしました。

そんな醜い姿は見たくありませんね。

続いて『朝日新聞』さん。編集委員・高橋純子氏の稿。4月11日(土)掲載分です。

(多事奏論)現れぬ首相と光の波 主権者のパワー、畏れぬわけには

002 高市早苗首相に聞きたいことがある。
 先の総選挙で歴史的大勝を収めたからこそ、依然として高い支持率を維持しているからこその純粋かつ単純、そして根本的な疑問。感情的にならぬようゆっくりと、腹に力を込めて、聞きたい。
 どうしてあなたは、なんのためにあなたは、首相になったのですか?
     *
 これほど「現れない」首相は前代未聞だろう。新年度予算案をめぐる参院集中審議への出席は10時間弱。石破茂政権の4分の1。おきて破りの型破り。この国に住まう人びとが必死に働いて納めた税金をどう使うのか。この国が抱える多くの課題に、どう対処するつもりなのか。首相たるもの、国権の最高機関である国会で説明し、できるだけ多くの納得を得るよう力を尽くすのは当然のことだ。イロハのイ、50音ならア、アルファベットならA。そこから始まる。そこからしか始まらない。
 中東情勢の緊迫化は、私たちの生活にどのような影響を及ぼすのか。情報が入り乱れ、日に日に増す人びとの不安をなだめられるのは、政治リーダーの明確なメッセージしかない。ただし、メッセージとは単なる言葉ではない。思いの乗った、身体性を宿した言葉だからこそ人びとに届き、刺さる。ゆえに政治リーダーは「現れ」なければならないのだ。
 ところが高市首相は記者会見を開かない。ぶら下がり取材もごくまれ。言いたいことがある時はXに投稿し、終わり。
 たとえば4月4日夕の投稿は「中東情勢に伴い供給が制約を受ける可能性がある重要物資の安定確保のための高市内閣の取組の現状について、説明致します」と、○○を実現した、××を進めていると日報のごとく細かく列挙したうえで、「繰り返しになりますが、原油及び石油製品の『日本全体として必要な量』は確保されています」。そして最後は「高市内閣の総力を挙げて、きめ細かく対応してまいります!」
 “日本全体として必要な量”をカギカッコでくくる「大本営発表」ぶりも鼻につくが、それよりなにより、供給不足や値上げに頭を抱えている業者、人工透析が続けられるのかと不安におびえている患者らへ向けた、いたわりやねぎらいがひとことも、ただのひとこともないことには驚きを禁じ得ない。そして最後、突如として繰り出される「!」。私はやってる!私は間違ってない!――どんな局面でも「私」が前面に出てくる、この感じ。私はシンプルに、こわいと思う。
 智恵子は「東京には空がない」と言ったが、私は「高市首相には『畏(おそ)れ』がない」と言いたい。多寡はともかく安倍―菅―岸田―石破首相には確かにあった、国民の命を預かっているという、畏れ。
 想像してみる。権力者が極限状態に置かれ、「玉砕せよ!」と命を下さねばならぬ局面を。高市氏はとても滑らかに命じてみせるのではないかと、危惧する。
     *
004 「戦争反対!」「憲法守れ!」「高市政権いますぐ退陣!」。コール&レスポンスが夜空に響く。歩道を埋め尽くす色とりどりのペンライトがそのたびに揺れ、美しい波となる――。8日夜、国会前で開かれたデモに、主催者発表で3万人が参加した。「国民なめるな!」のコールも聞こえる。この国の主は主権者ひとりひとりであることを、主権者にはパワーがあることを、光の波は教える。畏れを知らぬ首相もいずれ、この波を見るだろう。畏怖(いふ)せずにいられないはずだ。まともな権力者であるならば。

「智恵子は「東京には空がない」と言った」は本題とはあまり関係ありませんが(笑)。しかし、「東京には空がない」と言った智恵子は、光太郎曰くかつてこの国に存在していた(現代でもそれに近い輩が居ますが)「傍若無人のがさつな階級」を「身ぶるひする程いやがつていた」そうです。

010   報告(智恵子に)
 
 日本はすつかり変りました。
 あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
 あの傍若無人のがさつな階級が
 とにかく存在しないことになりました。
 すつかり変つたといつても、
 それは他力による変革で
 (日本の再教育と人はいひます。)
 内からの爆発であなたのやうに、
 あんないきいきした新しい世界を
 命にかけてしんから望んだ
 さういふ自力で得たのでないことが
 あなたの前では恥しい。
 あなたこそまことの自由を求めました。
 求められない鉄の囲ひの中にゐて、
 あなたがあんなに求めたものは、
 結局あなたを此世の意識の外に逐ひ、
 あなたの頭をこはしました。
 あなたの苦しみを今こそ思ふ。
 日本の形は変りましたが、
 あの苦しみを持たないわれわれの変革を
 あなたに報告するのはつらいことです。

自らの半生と戦時中の翼賛活動を省察する連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)終末近くに置かれた詩です。新潮文庫版の『智恵子抄』に掲載されています。敗戦後のGHQ主導による大変革を目の当たりにし、それを智恵子がどう受けとめるか、という内容です。

そういうのであれば、なぜ智恵子が「身ぶるひする程いやがつていた」「傍若無人のがさつな階級」にとことん協力したんだ、と突っ込みたくなりますが、それをやらないわけにはいかない世情だったわけで……。

つくづく「傍若無人のがさつな」人物の思うようにされる、そういう世の中に戻してはいけないと、強く思います。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)18 『日本の母』 

昭和18年(1943)4月18日 春陽堂書店 日本文学報国会編
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目次
 序 徳富猪一郎
 日本の母を頌ふ 作詞 佐藤春夫
 信仰で乗切る荒波(樺太・水本ハマコさん) 甲賀三郎
 北海道の原野を開墾(北海道・浅井リヘさん) 丸山義二
 巨きな母の手(青森県・豊川やささん) 土師清二
 嬰児・妊婦の温き母(岩手県・伊藤尚子刀自) 土屋文明
 黙々と二十年(秋田県・佐々木スヱさん) 和田伝
 日本一子宝部隊長(宮城県・白戸キミさん) 辰野九紫
 雄々しや女集配手(山形県・土井於末さん) 結城哀草果
 三代続く誉れの寡婦(福島県・室井キヤさん) 加藤武雄
 忠臣の裔(東京府・篠尾はる子さん) 菊池寛
 浅草の「日本の母」(東京府・平間りつさん) 久保田万太郎
 明朗に豊かに生きてゐる人(茨城県・八代まつさん) 佐藤春夫
 出征兵を叱る慈愛(栃木県・新井種子刀自) 長谷川伸
 家の為に子の為にお国の為に(群馬県・小板橋はるさん) 佐佐木信綱
 母性愛像ををろがむ(千葉県・富田てるさん) 吉植庄亮
 遺愛の柿の木紅し(埼玉県・金子淳美さん) 大佛次郎
 女手一つに護る田畑(神奈川・村野かめよさん) 岩田豊雄
 巻頭(まきがしら)の妻の心(新潟県・星野とよさん) 貴司山治
 女手で通した牛飼(富山県・三村ちよさん) 尾崎一雄
 白衣の夫と卅七年(石川県・遠藤常盤さん) 深田久弥
 良き母は良き妻(福井県・高島フジヲさん) 中野実
 遺骨を抱きしめて(岐阜県・沼田ミツさん) 日比野士郎
 真実こもる農作物(長野県・井上ツタエさん) 川端康成
 山道の小母さん(山梨県・井上くまさん) 高村光太郎
 萩咲く日(静岡県・鈴木せいさん) 水原秋桜子
 男勝りの鎌・腰に(愛知県・橋本すずさん) 富安風生
 母ひとり子ひとり(滋賀県・高橋政栄さん) 野澤富美子
 花売り・日雇ひ二十年(京都府・谷本このさん) 川田順
 右眼犠牲の機織り(大阪府・西田フジさん) 藤澤恒夫
 老いてなほ増産報国(奈良県・松辺キクさん) 西條八十
 扶助も断り青物行商(三重県・横山ちうさん) 古谷綱武
 尊し・音なき愛の鞭(和歌山・久保まつゑさん) 大庭さち子
 心に責む子の戦病死(兵庫県・前川きみさん) 豊田正子
 故山に独り墓守り(鳥取県・山谷よしさん) 舟橋聖一
 石見の国に我見たり(島根県・岡村トキさん) 尾崎喜八
 戦死した子に済まぬ(岡山県・武田春さん) 棟田博
 港の誇る「母の水船」(広島県・中村セキノさん) 竹田敏彦
 空の子へ愛の座布団(山口県・氏木アキさん) 中山義秀
 平凡の美徳(香川県・棚田キノさん) 壺井栄
 塩田に働く健女(徳島県・西トクヱさん) 海野十三
 戦盲の夫へ戦況地図(高知県・入間貴久衛さん) 濱本浩
 五児に通ふ鍬の心(愛媛県・高井キクヨさん) 岡田禎子
 誉の家守る苦闘三年(福岡県・三原乙女さん) 白井喬二
 切々の書に戦友泣く(佐賀県・桃井フデさん) 小島政二郞
 陶土にまみれ廿年(長崎県・太田フキさん) 福田清人
 男も唸る材木担ぎ(大分県・森島マサキさん) 真杉静枝
 親の心知る子供達(熊本県・野口ハルさん) 坪田譲治
 兄は陸軍弟は海軍(宮崎県・高山ハツヲさん) 中村武羅夫
 兵隊さん故伜さん〃(広島県・小村セイさん) 戸川貞雄
 南風の章(沖縄県・比嘉カナさん) 劉寒吉
 跋 読売新聞社編集局長 中浦義親

光太郎が詩部会長を務めていた日本文学報国会によるものです。当時の『読売報知新聞』とタイアップ、同紙に49回にわたって連載された「日本の母」を一冊にまとめたもの。

黙々とわが子を育み、戦場に送る無名の「母」を顕彰するため、各府県の軍人援護会などの協力で取材対象者をピックアップし、光太郎ら49人の文士を現地に派遣して書かれました。

光太郎の稿「山道の小母さん」で取り上げられている井上くまは、山梨県南巨摩郡穂積村(現・富士川町上高下(かみたかおり)地区)在住の寡婦で、早くに夫を亡くし女手一つで育てた2人の息子は共に召集、この時点で次男の方は満州で戦病死していました。

それでも気丈に生きる彼女に会って感動した光太郎は、「山道のをばさん」という詩も作りました。現地にはこの際に光太郎が訪れたゆかりの地ということで、短句「うつくしきものみつ」を刻んだ碑が建てられています。

上記『朝日』さんで槍玉に挙げられている「傍若無人のがさつな」人物、こういう書籍が出版される世の中に戻したいのでしょうか。

今日、令和8年4月2日(木)は、第70回連翹忌です(「光太郎忌」という呼称は使っておりません)。本日午後には当方は、光太郎らの眠る染井霊園の髙村家墓所に参拝、その後、日比谷松本楼さんで全国から関係の方にお集まりいただき、集いを開催いたします。
001
毎年同じようなことを書いていますが、昭和31年(1956)4月2日早暁、季節外れの大雪にすっぽり包まれた中野の中西利雄アトリエで光太郎が没し、ちょうど70年が経過しました。

翌年、同アトリエで記念すべき第一回連翹忌の集いが執り行われました。その際はリンゴ箱に板を渡し、テーブルクロス代わりの白い布を敷いただけの即席会場だったそうですが、50人ほどが集まり、光太郎を偲んだそうです。「連翹忌」の名付け親は、発起人だった佐藤春夫や草野心平でした。席上、春夫は黒い手帳を取り出し、次の短歌を披露しました。
 
  れんげうにかなしみのいろあらたなりきみゆきてよりひととせをへぬ
 
以後、一ツ橋如水会館、銀座資生堂パーラーなどに会場が変遷しつつ集いは連綿と続き(パリでの開催もありました)、平成11年(1999)から日比谷松本楼さんに会場が落ち着いて今日に至っています。 日比谷松本楼さんは、明治末に光太郎と智恵子が訪れ、現在でも名物の氷菓(アイスクリーム)を食べた店ですし、光太郎も参加した芸術運動「パンの会」会場として使われたこともありました。途中、東日本大震災やコロナ禍により、集いは中止して代表者による染井霊園墓参だけとした年もありましたが、まがりなりにも70回の節目を迎えられたことを喜ばしく存じます。ひとえに皆様方のご協力の賜物と感謝いたしております。

連翹忌が今日であることにちなみ、近い日でということで、明後日、NHKラジオさんが光太郎の肉声を流して下さいます。来週土曜と2週連続の前後編です。

保阪正康が語る昭和人物史 詩人・彫刻家 高村光太郎

NHKラジオ(AM) 2026年4月4日(土)/4月11日(土) ともに12:15-12:45

「放送100年 保阪正康が語る昭和人物史」は2026年4月からタイトルが「保阪正康が語る昭和人物史」になります。放送時間はNHK AM 土曜昼0時15分からです。放送後1週間、らじる★らじる聴き逃し配信でいつでも聴くことができます。

詩人で彫刻家の高村光太郎は、明治16年東京生まれ、東京美術学校を卒業した後、詩集「道程」を発表し注目されます。その後のちに妻となる長沼智恵子と生活を共にし、昭和16年に詩集「智恵子抄」を出版します。昭和27年3月にラジオ第2で放送した「自作朗読」では、光太郎が「千鳥と遊ぶ智恵子」などの詩を朗読。昭和29年1月に文化放送で放送した「彫刻と人生」では、智恵子の思い出や岩手での一人暮らしを語っています。

出演 保阪正康 梯久美子
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ついでというと何ですが(笑)、当会の祖・草野心平編が4月18日(土)と4月25日(土)です。

光太郎編については制作に協力させていただきました。流される肉声のうち、「彫刻と人生」は美術史家で晩年の光太郎に親炙した奥平英雄との対談で、昭和28年(1953)12月27日の録音、翌年1月7日に文化放送さんでオンエアされました。奥平著『晩年の高村光太郎』特装本(瑠璃書房 昭和52年)に対談を収録したカセットテープが附録として付いており、そちらをお貸ししました。NHKラジオさんで光太郎の肉声は、一昨年、昭和24年(1949)に花巻郊外旧太田村での暮らしぶりを語った「朝の訪問」(聞き手は高橋忠アナウンサー)、同じ題で昭和27年(1952)に詩人の真壁仁と対談した録音も平成28年(2016)に使われ、それらNHKさんのアーカイブに残っている以外に何か無いか? というので。

ぜひお聴き下さい。

それから、連翹忌が近いからというわけではないのかもしれませんが、立て続けに新聞各紙に光太郎の名が。

3月31日(火)、『岩手日報』さん一面コラム。

風土計

通り雨が降る午後5時。東京・千駄木の通りで若い女性の工員たちと高村光太郎はすれ違う。その時の情景を詩にしている。〈ああすれちがつた今の女工達/丸善インキ工場の女工達/君達は素直だな〉▼〈さびしさうで賑(にぎ)やかで/つつましさうで快活だ/いろんな心配事がありさうで/又いろんな夢で一ぱいさうだ〉。寂しそうで控えめでも、にぎやかで快活。不安と夢が入り交じる工員たちを詩人は優しく見守る▼年度末の今だからかもしれない。若さへの賛歌であろうこの詩が、新たな一歩を踏み出す人への応援歌に響いてくるのは。あすの入社式に臨む若者たちも、いろんな心配事とともに、いろんな夢でいっぱいだろう▼新入社員だけではない。きょう退職辞令を受け、新しい世界に飛び込む人がいる。継続雇用でも、違う仕事に取り組む人がいる。転勤で新天地に赴く人がいる。不安と夢が入り交じるのは年齢に関係あるまい▼まだ見ぬ未来には、どんな世界が待っているのだろう。詩人は工員たちの姿に想像力を働かせる。〈さびしいが又たのしい世界/遠いやうで又近いやうな世界だ〉と▼入社の後も、退社してからも、人生の道のりは長い。長渕剛さんの「乾杯」から借りれば〈遙(はる)か長い道のりを歩き始めた君に幸せあれ〉。新たな世界で、「いろんな夢」がかないますように。

引用されている詩はずばり「丸善工場の女工達」(大正9年=1920)。

   丸善工場の女工達

 「それでも善い方なのよ003
 傘貸してくれる工場なんか外に無い事よ」
 番傘の相合傘の若い女工の四五人連れ
 午後五時の夕立の中を
 足つま立つて尻はしよりしをらしく
 千駄木の静かな通を帰つてゆく

 ああすれちがつた今の女工達
 丸善インキ工場の女工達
 君たちは素直だな
 さびしさうで賑やかで
 つつましさうで快活だ
 いろんな心配事がありさうで
 又いろんな夢で一ぱいさうだ
 想像もつかない面白い可笑しい夢でね
 有り余る青春に
 ぱつと花開いた君達だ
 君達自身で悟るには勿体ないほどのだ酣酔だ
 八百屋から帰つて来る
 こののつぽのをぢさんを
 君達の一人は見て笑つたね
 をぢさんはその笑が好きなんだ
 いはれも無く可笑しい笑を
 ああ何といふ長い間私は忘れてゐた事ぞ004

 丸善の番傘の中に一かたまり
 若い小さな女工達は
 雨のしぶきに濡れながらいそいそと
 道をひろつて帰つてゆく
 どうやら通り雨らしい土砂降の雨あし
 ふと耳にした女工の言葉に
 不思議な世界は展開する
 さびしいが又たのしい世界
 遠いやうで又近いやうな世界だ
 何処かでもうがちやがちやが啼き出した

丸善インキ工場は、本郷区駒込林町(現・文京区千駄木)の光太郎アトリエ兼住居の近くにありました。

続いて掲載順は前後しますが、3月30日(月)の『日本経済新聞』さん夕刊。

匂いで読む、大地の予兆 土壌学者・藤井一至

 ここだけの話だが、私には特殊能力が備わっている。そう思っていた。雨が降る直前に気付く。風が匂うのだ。
 残念ながら、私以外にも類似の能力を持つ人々がいる。詩人、高村光太郎もその一人だ。「五月の土壌」には「野に まんまんたる気魄(きはく)はこもる (中略) 一面に沸き立つ生物の匂よ (中略) わが足に通(かよ)つて来る土壌の熱に 我は烈(はげ)しく人間の力を思ふ」という一節がある。土の生命力を讃(たた)えている。私は雨の匂いをエッセーに、高村光太郎は土の匂いを感知して詩に残した。
 まだ5月ではないが、すでに土は匂い始めている。温暖化の影響だろうか、約110年前(大正3年)の東京の5月上旬の気温(16度)と現在の3月下旬の暖かい日の気温は近い。冬のあいだは土の匂いは少ないが、虫が動き出す暦(啓蟄(けいちつ)。今年は3月5日)を前後して土は匂いを増す。生物活動の証(あかし)だ。
 特に、長く乾燥した土に雨が降ると、独特の香りがする。これはペトリコールと呼ばれ、ペトロスは石、イコールは神々の霊液を意味する。厳密には、石ではなく土から、神々の霊液ではなく根や微生物のエキスが出ている。乾燥を耐え抜くために植物や微生物が体内にため込んだ物質、雨によって死んだり増えたりした微生物の代謝産物、すなわちオナラが放出される。ペトリコールは単一の物質ではなく、数十以上の揮発性物質を含む。土の匂いは空気と反応し、雷とともにオゾンも発生させる。私が雨の直前に感知していたのも土の匂いだった。
 雨が続くと「大地の香り」と呼ばれる匂い物質、ゲオスミンが増加する。放線菌(ストレプトマイセス属の細菌)が出すオナラだ。かつて砂漠の町を結ぶシルクロードを旅したラクダのキャラバンが迷子にならなかったのは、オアシスから漂うゲオスミンのおかげだ。細菌の出す匂いがラクダを呼び寄せ、ラクダが土を掘って水にありつくと、胞子が鼻に付着して細菌は労せず胞子を拡散できる。私の特殊能力はラクダの鼻と同じで、多くの人の嗅覚は土の匂いを敏感に感知できることが分かっている。私の特殊能力はラクダの鼻と同じで、多くの人の嗅覚は土の匂いを敏感に感知できることが分かっている。科学はいろいろと面白いことを教えてくれるが、私に現実を直視することを迫る厳しさもある。
 皆が土の匂いを感知できることで落ち込んでいるのは私だけで、社会的にはプラスの面が大きい。土砂崩れが起きる手前、近隣住民から「腐った土の匂いがした」という証言が多数ある。この前兆もゲオスミンだ。酢酸発酵と同じ原理で、湿った土で増加する酢酸を取り込んだ放線菌がゲオスミンを大量に発生させる。伝統的な知恵と先端科学を活かせたならば、事前に避難して命を守る可能性が増す。
 ゲオスミンは魚や水道の泥臭さの原因物質でもあり、私たちは口にする前に鮮度を判断できる。一方で、ゲオスミンはワインの香りに深みを与えることもある物質だ。特殊な匂いに気付くことができるかどうかは、日ごろから匂いを意識しているかどうかにかかっている。例えば、森からは松由来のピネン、広葉樹由来のリモネン(レモンの香り)などがごく微量に含まれている。土の中のあまたの微生物たちが放出している名もなき物質も多く含まれる。季節の香りを楽しむ特殊能力を持つのは私だけではないのだから。 

「土壌」といえば宮沢賢治のような気もしますが(笑)。こちらで引用されているのは「五月の土壌」。内容的には、戦後花巻郊外旧太田村に隠棲し晴耕雨読の生活に入ってからのような感じですが、第一詩集『道程』に収められた大正3年(1914)、初期の詩です。

    五月の土壌

 五月の日輪はゆたかにかがやき
 五月の雨はみどりに降りそそいで
 野に
 まんまんたる気魄はこもる
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 肉体のやうな土壌は
 あたたかに、ふくよかに
 まろく、うづたかく、ひろびろと
 無限の重量を泡だたせて
 盛り上り、もり上り
 遠く地平に波をうねらす

 あらゆる種子をつつみはぐくみ
 虫けらを呼びさまし
 悪きもの善きものの差別をたち
 天然の律にしたがつて
 地中の本能にいきづき
 生くるものの為には滋味と塒とを与へ
 朽ち去るものの為には再生の穏忍を教へ
 永劫に
 無窮の沈黙を守つて
 がつしりと横はり
 且つ堅実の微笑を見する土壌よ
 ああ、五月の土壌よ

 土壌は汚れたものを恐れず
 土壌はあらゆるものを浄め
 土壌は刹那の力をつくして進展する
 見よ
 八反の麦は白緑にそよぎ
 三反の大根は既に分列式の儀容をなし
 其処此処に萌え出る無数の微物は
 青空を見はる嬰児の眼をしてゐる
 ああ、そして
 一面に沸き立つ生物の匂よ
 入り乱れて響く呼吸の音よ
 無邪気な生育の争闘よ

 わが足に通つて来る土壌の熱に
 我は烈しく人間の力を思ふ

なるほど、「一面に沸き立つ生物の匂よ」。ふと思ったのですが、光太郎詩には「におい」「香り」が盛り込まれているのが結構あるような気がします。まんま「にほひ」という題名の詩(明治42年=1909)ともありますし、かの「レモン哀歌」(昭和14年=1939)では「トパアズ色の香気」。他にもあったような……。それを言えば、嗅覚以外にも味覚、触覚、聴覚、そして当然視覚の五感がフル活用されているようにも感じます。「五月の土壌」でも「入り乱れて響く呼吸の音」だの「わが足に通つて来る土壌の熱」だの……。こんなところに着目すれば論文の一本二本、直ぐに書けそうです(笑)。

もう1件、『東京新聞』さん。

〈視点〉「ふるさと」とは何か 福島へのラブレター 前福島特別支局長・片山夏子

 桜、菜の花が一斉に開花し、春の訪れを知らせる。福島市の支局に着任して5年8カ月。4月からは東京本社での勤務になる。
 「ある日突然、住んでいた町から人が消えた。いったいどこに消えたんだろうって不思議な気持ちになる。人の声も、生活の音も、夕飯の香りも」
 原発事故が起きた年の暮れ。福島第1原発で働く福島県浪江町の作業員が、避難で人影が消えた町の写真を見せながらつぶやいた言葉が心に残る。「何年かかっても帰りたい。山があって海があって、何があるってわけじゃないけど何より人がいい。1人でふらりと飲みに行っても親しい飲み仲間ができる。そんな町だった」
 ふるさととは何か。東京で生まれ育った私は「何年たっても故郷に」という記事を書きながら、このとき何もわかっていなかった。原発事故から10年を前に、福島に住むようになってようやく「ふるさと」の意味を実感していく。
 磐梯山、安達太良(あだたら)山、信夫(しのぶ)山…。福島の山は、雄大で険しい山もあるが、やさしい稜線(りょうせん)の山が多い。県内どこを車で走っても、周囲を山々に囲まれ、山に抱かれているような気持ちになる。それを自覚したのは、郡山市から新潟市に避難した人が福島を懐かしむ言葉がきっかけだった。「新潟にも海も山もある。でもここは平地が広く、海も山も遠く感じる」
 避難先の家々を訪ねると、よく「ふるさとに風景が似ているからここにした」と聞いた。その気持ちに胸が痛んだ。
 詩人・高村光太郎の「智恵子抄」に書かれた「ほんとの空」の意味も知った。福島では、朝焼けから夕焼け、星空まで、とにかく空をよく見た。それは日常であり、空を見て地震が来ないか、あすの天気はどうかと地元の人に教えてもらった。いくつの美しい夕日を見ただろう。周辺の山々や紺碧(こんぺき)の海とともに心に残った。
 ふるさとの風景だけではない。避難で地域のつながりが無くなったことは人々を打ちのめした。「車が通れば誰の車かすぐわかった」「雨が降ったら洗濯物を誰かが取り込んでおいてくれた」「野菜も魚ももらったりあげたりだった」「悩んでも、近所でお茶飲みしながら話すうちに気持ちが晴れた」「地域みんなで子育てをし高齢者を手伝うのは当たり前だった」
 言葉の問題もあった。「福島の言葉が聞きたくて」。福島いのちの電話には、県外避難者からそんな電話がかかってくるという。
 福島第1原発に他県から来た作業員から「コンビニでも話しかけてくれる。地元の人と交流するうちに、福島のために役に立ちたいと思うようになった」とよく聞いた。福島のために、と思わせる人間関係や人柄の良さがあった。
 いつの間にか福島は私の帰りたい場所になっていった。そして思う。記者として話を聞き、1人でも心が少し晴れる時間がつくれただろうか。これは6年近く住み、これからも通う福島へのラブレターである。

今年は福島二本松出身の智恵子生誕140周年にもあたります。光太郎没後70年と併せ、各地でそれらを記念してのイベント等が計画(一部は既に実施)されております。

今後ともその灯を絶やすことなく、次の世代へと引き継いでいきたいと存じますので、 さらなるご助力をお願いいたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)7 『近代作家論』岩波講座世界文学第九回配本

昭和8年(1933)8月15日 岩波書店 
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目次
 ホヰツトマン 長沼重隆  ボオドレエル 辰野隆
   ヹルハアラン 高村光太郎
 ショオ 石田憲次     ウェデキント 相良守峯  カイザー 武田忠哉

光太郎は敬愛していたベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンについて書きおろしています。

分冊もののペーパーバックで、同じシリーズに光太郎単独執筆の『現代の彫刻』があります。同じ年に出た第7回配本でした。

昨日は福島県の浜通り地区、中通り地区をうろうろしておりました。

まず向かったのは、当会の祖・草野心平を顕彰するいわき市の市立草野心平記念文学館さん。こちらでは企画展「草野心平と川内村」が一昨日に始まりまして、その拝観。
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光太郎智恵子には直接関わらないのですが、川内村は当方も毎年のように訪れさせていただいており、これは観ておかなければ、と思い、参じた次第です。

心平はいわき市の出身ですが、川内村の名誉村民に認定していただいております。そもそもは昭和24年(1949)、蛙をこよなく愛した心平の「モリアオガエルを見たい」という発言に、村の長福寺さんの矢内俊晃住職が、モリアオガエルの棲む平伏沼(へぶすぬま)が村にあるので来てほしいと手紙を出して招いたことに始まります。心平の川内村訪問は4年後の昭和28年(1953)が最初でした。

その後、すっかり同村の風土や人情が気に入った心平は、長福寺さんを宿にして何度も訪村し、心平は蔵書3,000冊を寄贈、昭和41年(1966)にはそれを納める場所兼心平の別荘として、「天山文庫」が建てられました。設立協力委員には、心平と親しかった髙村豊周(光太郎実弟)も名を連ねました。心平、長い時は半年程もここに滞在したそうです。毎年7月(雨さえ降らなければ)、ここで心平を偲ぶ「天山祭り」が開催されています。

いただいてきた簡易図録(全8ページ)の裏表紙には天山文庫、長福寺さん、平伏沼の紹介も。
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展示は長福寺さん、元同村教育長の石井芳信氏、そして同村教育委員会さん所蔵のもの。
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長福寺さん所蔵の書が圧巻でした。同寺や平伏沼に建てられた心平碑の原本となった書など。
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今回お貸し下さったのが10点ほど。特に村との関わりが色濃く表れているものに限ったとのことで、同寺ではそうでもない書をまだまだたくさんお持ちだそうです。それから村と心平を結びつけた矢内住職宛の書簡。交流のさまが生き生きと残る貴重なものです。簡易図録にはそれらの画像が無く、ちょっと残念でしたが。

それから心平の写る村での写真類が半切ほどのパネルでずらっと。天山文庫と同じ敷地内にあるかわうち草野心平記念館(阿武隈民芸館)さんにも類似のもの展示されていたり、平成元年(1989)に同村教育委員会さん刊行の『草野心平とかわうち』という書籍にやはり村でのショットが掲載されたりしていますが、それらとかぶるものがほとんど無く、ほぼ初見のものばかりで「へー」という感じでした。前日に開幕のテープカットで訪れられた遠藤雄幸川内村長も、見たことが無い写真が多いと驚かれていたそうです。
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それらは簡易図録やフライヤーにに掲載されています。
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また簡易図録には、心平と同村との交流に絞った年譜も。こちらには豊周が「天山文庫設立協力委員」の一人だったことも記されています。
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ちなみに今回の展示、天山文庫の落成と、第一回天山祭りの開催が昭和41年(1966)、そこから数えて60周年の記念という意味合いでの企画だそうで。会期は6月7日(日)までと、かなり長めです。
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それから同時開催で「スポット展示 草野天平」(3月22日(日)まで)。天平は心平の7歳下の弟で、やはり詩人。妻の梅乃ともども光太郎とも交流がありました。昭和27年(1952)、数え43歳で病没。没後の昭和34年(1959)、『定本草野天平詩集』で第2回高村光太郎賞を受賞しました。同賞は『高村光太郎全集』の印税を原資に、豊周の発案で詩と造型の2部門、10年間の期間限定で実施されたものです。

また、4月25日(土)~5月24日(日)の期間に、「小さな企画展 モリアオガエル展」が開催されるということです。

ぜひ足をお運び下さい。

……「ぜひ足をお運びください」と言えば、川内村自体にも。

東日本大震災から15年が経ち、同村の置かれている現状、非常に厳しいものがあります。今年の3.11当日にNHKさんで放映された「NHKスペシャル わたしたちの“復興” 震災15年・当事者たちの告白」を拝見し、「いやー、これほどか」と改めて思いました。

45分の番組中、3分の1ほどをとって、遠藤村長への密着取材。
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過去のアーカイヴ映像を交え、村役場はもちろん、都内の陳情先、ご自宅にも。

いつも天山祭りでお会いする村長は、にこやかにそしてユーモラスに振る舞われていますが、その陰にこれほどの苦悩がおありだったかと、粛然とさせられました。
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訪れるだけでもささやかな復興支援となります。衷心よりよろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)73 『道程』愛蔵版

平成11年(1999)12月25日 日本図書センター 高村光太郎著
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目次

 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈
 解題 越山美樹
 全集・主要参考文献
 年譜

日本図書センターさんでは、この時期「愛蔵版詩集シリーズ」と銘打って、40冊を刊行。大正3年(1914)初版の『道程』もラインナップに入れて下さいました。

2月21日(土)に岩手県花巻市で開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、地元紙『岩手日日』さんが報じて下さいました。もう一紙、『岩手日報』さんでも記事が出るかなと思って待っていたのですが、今朝の段階でネット上に出ていませんで、『岩手日日』さんの記事のみ御紹介します。

会いた光太郎と賢治関わりは 3人トークで思いはせ 花巻

 トークイベント「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」は21日、花巻市大通りのなはんプラザで開かれた。参加者は、関係者による講話を通じて彫刻家、詩人の高村光太郎(1883~1956年)と詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)との関わりに思いを巡らせた。
 高村光太郎記念館で開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展(3月31日まで)の関連行事。高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表、林風舎の宮沢和樹代表取締役、共同園芸の瀬川正子取締役の3人が講話し、市民ら約200人が聴講した。
 このうち小山代表は、2人が詩人・草野心平主宰の詩誌「銅鑼(どら)」の同人となったことで関係が始まったことや、1926(大正15)年に東京にある光太郎アトリエで1回だけ面会したことを紹介。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた追悼会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」が記された手帳を含む遺稿を持ち込み、光太郎や草野らが「このまま埋もれさせてはいけない」と一念発起し、数回にわたる「宮沢賢治全集」の編集刊行に取り組んだことなどを説明した。
 講和後は参加者から人脈が広がっていった経緯や、編さんに関わった賢治の親友で花巻高等女学校の音楽教師だった藤原嘉藤治に関する質問などが出された。
 父と参加した市立石鳥谷中学校2年の大竹彩未さんは「賢治作品が好きでよく読んでいる。面白い話が聞けて、人物同士の関係や作品の背景を知ることができて楽しかった」と話していた。
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その後、市役所さんからは、お聴き下さった一般の方々からのアンケート結果等も送られてきて、拝読したところ概ね好評で胸をなで下ろしました。

それにしても毎回感じますが、賢治と言えば花巻で、地元の皆さんの賢治愛。光太郎は現在の東京台東区の生まれ、没したのは中野区、最も長く住んだのは文京区ですが、それらの地域に賢治の花巻ほどのふるさと感が感じられません。それぞれの区で地元の偉人として光太郎を推しているかというとそうでもありません。文京区さんだけは公式サイト内の「文京ゆかりの文人」といページで光太郎も取り上げて下さっていますが、60名ほどの中の一人という扱いです。サムネイル画像つきでまず紹介されているのは森鷗外、夏目漱石、樋口一葉、石川啄木の4人です。鷗外・漱石・一葉はともかく、啄木の後塵を拝しているというのはくやしいところです(笑)。
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ちなみに60人ほどの中には、大正10年(1921)、菊坂に下宿して国柱会に通っていたということで賢治も含まれています。

文京区立本郷図書館さんで発行していた「谷根千ゆかりの文人まっぷ」でも同じような感じです。このエリアだけでも30人ほど。もっとも、谷中は文京区でなく台東区ですが。
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こういうところも東京一極集中ということなのでしょうか。漱石と一葉は東京出身ですが、鷗外と啄木はそれぞれ島根と岩手ですし、他の「文京ゆかりの文人」の60人ほど、「谷根千ゆかりの文人まっぷ」の30人ほども、半分くらいは地方出身者のようです。

閑話休題、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」、今月いっぱいです。ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)64 『CHIEKO’S SKY』

昭和53年(1978)2月 KODANSHA INTERNATIONAL 高村光太郎著 古田草一訳
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目次
 translator's preface to someone heart of one night fear peep-show song
 one evening to a woman in the suburbs winter morning awakening to someone
 midnight snow us in admiration of love supper beneath the trees
 stampede catfish a couple at night you get prettier and prettier innocent tale
 kinds cohabiting beauty's imprisonment distant view of life Chieko riding the wind
 at the foot of the mountain lemon elegy to the deased plim wine
 Chieko's papercuts the latter half of Chieko's life atomizing dream metropolis
 guiding thouse days blizzard night monologue Chieko the Element naked form
 to play with Chieko 

「智恵子抄」の英訳です。詩文の選択は独自のものがあり、昭和31年(1956)の新潮文庫版に収められた戦後のものも含みますが、新潮文庫版と完全に一致するわけでもなく、昭和16年(1941)龍星閣刊行のオリジナルとも異なっています。

広島市に本社を置く『中国新聞』さん。文化面のコラム「緑地帯」が50周年だそうで、それを記念して50年前の昭和51年(1976)に掲載された、岡山出身の詩人・永瀬清子の連載「会いたる人々」8回分が再掲されました。平成7年(1995)に亡くなった永瀬が生前に親交のあった文学者たちの思い出を語るものです。
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ラインナップは以下の通り。

① 高村先生の呼び声
② 春芬・佐藤惣之助
③ 北川冬彦の背中
④ 詩人の妻(仲町貞子)
⑤ 前掛けと三好達治
⑥ 忙しい小熊秀雄の生命
⑦ 発見者・草野心平
⑧ うぶなる人・井伏鱒二先生

いきなり初回が「髙村先生の呼び声」。

永瀬清子 会いたる人々① 高村先生の呼び声

 高村光太郎先生が、戦後岩手の山奥から東京へ出て来られて、中野の中西伊之助画伯のアトリヱに落ちつかれたのは昭和二十七年のころだった。
 私も戦後東京から岡山へ帰ってくらしていたが、夫が再び東京で勤務することになったので上京し、絶えて久しく高村さんにお会いしようとたずねていった。
 中西家の玄関で女中さんに来意を告げると、高村さんの方へ伝えて下さったらしい。玄関につづくお座敷があけはなされていて広い中庭をへだてて高い屋根のアトリヱがみえている。すると縞(しま)のちゃんちゃんこを着た、なつかしい先生が思いがけずアトリヱの入り口にあらわれ、
 「おーい、永瀬さあん」ととてつもなく大声で呼ばれた。それはまるで岩手の山の中で猟師が谷向こうの人を呼ぶような感じで、思わず私も「はあい」と答え、胸がせまった。
 中西家の横の路地をアトリヱの方へいそぎながら高村さんがいとしく思えてならなかった。
 戦争の責任をだれよりも強く感じて岩手の雪の中に自己を流謫(るたく)し、一人悔みの詩を書いていられた。そして今ようやく新しい彫刻作品を作ることによって、すべてを出なおしたいと決心して、老いた身で東京へ出て来られたのだ。でも今私を呼ばれたその度はずれな声は、まるでいじめっ子から母の懐へとびこむ幼な子のそれのようにも聞こえたではないか。
 おおそんなことを言えば人にしかられるだろう。でも少なくとも高村さんはいろいろのことから開放されて、私と話したく思っていられるのにちがいないのだ。以前駒込林町に住んでいられ、私の詩集の序文をも書いていただいた時から十数年。智恵子夫人も今はなく戦争をへだて言うに言われぬ重く痛い月日が過ぎ去った。その時私には高村さんという山獄のようにそびえ立った人が、まるで一羽の雀(すずめ)のようにかわいそうでならなかった。

「中西伊之助」は「中西利雄」の誤記です。永瀬が中西アトリエを訪れたのは、確認出来ている限り昭和29年(1954)4月25日と翌30年(1955)2月25日の2回。それぞれ日記に「午前真壁仁、永瀬清子同道くる、午后二(時)頃辞去」「午后永瀬清子さんくる、来月インド行の由」の記述があります。

語られているのはおそらく29年4月の初回訪問のことと思われます。昭和56年(1981)の永瀬のエッセイ集『かく逢った』に加筆訂正された「高村先生の呼び声」が収録されていて、それによれば「高村さんをお訪ねしたのはそれからあと、もう一、二度あったかと思います」とありますし、全体のニュアンスも久闊を叙したという感じですので。同道したはずの真壁仁については割愛されているようです。

『かく逢った』収録の加筆訂正された稿の方が、この際の訪問に関して詳しく語られていますが、末尾の「高村さんという山獄のようにそびえ立った人が、まるで一羽の雀(すずめ)のようにかわいそうでならなかった」あたりはかなりニュアンスが異なります。

ついでですので(笑)、当会の祖・草野心平の回。

永瀬清子 会いたる人々⑦ 発見者・草野心平

 昭和八年の春、はじめて草野心平さんが私の家へいらした。何かの会合ですでにお顔みしりだったが、そのころ職のない彼は名刺印刷の注文取りをしていて、その用で来たのだった。幸い夫が名刺の注文をし、草野さんは宮沢賢治の詩集「春と修羅」を、大変いい特集だから読んでごらんなさい、と言って置いていった。
 私がその詩集を読むと全く今までにない詩集で、空の遠くに星雲が渦まいているように感じた。しかしその宮沢さんがどんな人かすこしもわからないし、そのことを尋ねようにも草野さんの所がまたわからない。名刺の注文取りはしても草野さん自身の名刺は作っていなかったのだ。でも注文した名刺が出来て来た時、きけると思い心待ちにしていたら私が留守の時、弟さんが注文品を置いていかれたので駄目(だめ)だった。こうして翌九年の二月までそのまま詩集は私の手許(もと)にあった。
 何も知らぬ私はその作品だけを頼り、「麺麭」8月号に「宮沢賢治の“春と修羅”について」紹介と感想を書いたが、その雑誌をすぐ宮沢さんに送れたら、きっと生前読んでいただけたろうに、昭和八年九月二十一日に遠い岩手県で詩人は死なれ、ただ宮沢さんについて書いた最も早いものとしてこの拙(つたな)い文章は残った。
 翌年の二月に宮沢さんの弟の清六さんが上京して来られ、その時宮沢さんの第一回追悼会が新宿モナミで催された。久々に草野さんに会って詩集がうちにあることを言うと、忘れっぽい草野さんはとてもよろこんだ。草野さんは私の所だけでなく、ありとあらゆる知人の所へその詩集を持ってまわり、そして宮沢発掘のために尽くしたのだ。
 昨年はまた福島県の老女、吉野せいさんの「洟をたらした神」のために尽くし、大きな名声をかち得た。いい作品を発見する目と世の中へ紹介するための情熱、それはなまなかな者には不可能なことで、事実彼の詩人としての大きな仕事であった。

こちらも『かく逢った』に加筆訂正され「親分草野心平さん」と改題されたものが掲載されています。そちらでは昭和28年(1953)3月15日(永瀬は「昭和二十六、七年頃」としていますが)、心平が経営していた居酒屋「火の車」開店一周年の際に訪問したことも記されています。「大きな大福帳に訪れた人の思い思いのサインが墨書されていた」とあります。そこには1ページ目に光太郎のそれも残されているのですが、永瀬の回想には書かれていません。
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この日、日記に依れば光太郎は「火の車」には立ち寄っただけで長居はしなかったらしく、永瀬とはニアミスだったと思われます。

そして新宿モナミでの宮沢賢治追悼会。これについては、やはり『かく逢った』に収められている「「雨ニモマケズ」の発見――モナミの賢治追悼会――」という文章に詳しく語られています。

また、他に「会いたる人々」で取り上げられた佐藤惣之助、北川冬彦、仲町貞子、三好達治、小熊秀雄、井伏鱒二についても、おそらく「会いたる人々」からの加筆訂正が為された文章が『かく逢った』に収められています。さらに賢治実弟の宮沢清六、木下夕爾、宮本百合子、深尾須磨子、長谷川時雨、萩原朔太郎、横光利一、正宗白鳥らについてもそれぞれ項立てされています。古書市場でそう珍しくなく入手可能ですので、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)63 『日本美の源泉』

昭和47年(1972)8月10日 中央公論美術出版 高村光太郎著
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収録作品
 日本美の源泉 埴輪の美 法隆寺金堂の壁画 夢違観音 神護寺金堂薬師如来
 藤原期の仏画 能面「深井」


「著書」と言っていいものかどうかという感じのものではあります。昭和17年(1942)の7月から12月にかけ、中央公論社から発行されていた雑誌『婦人公論』に全6回で連載された美術評論で、その草稿を同社編集者の栗本和夫が和綴じに仕立て、保管していたものをそのまま復刻し、二重函帙入り別冊解説付き限定300部・定価15,000円で刊行しました。別冊解説は当会顧問であらせられた故・北川太一先生でした。

栗本が和綴じに仕立てた時点で、第四回の冒頭部分一枚が失われていまして、復刻出版のその箇所は、仕方がないので活字で補ってあります。その失われた一枚は、同じ中央公論社の編集者だった湯川龍造が譲り受けていたそうで、令和元年(2019)に売りに出て、驚きました。
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先月18日、『毎日新聞』さんに詩人の蜂飼耳氏による以下の記事が出ました。令和5年(2023)からおおむね月イチで掲載されている「詩の遊歩道」という連載の先月分です。

詩に身体を差し入れる

005 野村喜和夫の詩集『地面の底のわれわれの顔――わが近未来近代』(思潮社)は「二十世紀日本語詩」を独自の受け止め方と解釈のもとに「書き換え」た作品から成る。
 同時刊行の評論集『萩原VS西脇――二十世紀日本語詩の可能性』(同前)で論じられる萩原朔太郎と西脇順三郎の詩はもとより、蒲原有明、高村光太郎、北原白秋、宮沢賢治、三好達治、中原中也、立原道造など、詩史に鮮烈な足跡を刻む詩人たちの作品に対して、斬新なアプローチが試みられている。
 萩原の「竹」のパロディである「カオカオカオⅠ」は、石に顔を出現させる。「顔があらわれ/石から顔があらわれ/笑みの顔うれいの顔/ときに鼻は欠け眼はつぶれて/だがあらわれつづけ」。パロディだけでなく、原詩にアレンジやサンプリングが施された作も見られる。諧謔(かいぎゃく)もパロディも、野村にふさわしい。取り上げられた詩の多くは各作者の代表作に数えられるもので、詩の読者ならなじみのある作品が多いはずだ。とすれば、ここで野村が行っていることは何か。それは、原詩の言葉に身体的に分け入ることで明らかになる秘密や魅力があるはずだと、信じることだろう。原詩を揺さぶり、刻み、解体し、繋(つな)ぎ 合わせ、謳(うた)う。
 先に触れた評論集では、西脇の重要性について念を押すような言及が繰り返されるが、それと照らし合うかたちで、詩集においても西脇を取り上げた章はとくに鮮明な印象を残す。たとえば、パロディの対象は「雨」。「名づけるとは/むかし雨という/柔らかな女神の行列がそうしたように/寺院や魚や/大地や草を/はこべやははこぐさを/うっすらと濡(ぬ)らすこと/乾いてきたら/また名づけ直さなければならない」
 西脇の「雨」について、評論集では「雨と女神は比喩し比喩される関係において対等であり、相互浸透的であり」と論じられ、一方向の比喩ではない点が強調されている。ランボーの「あけぼの」に書かれる女神と比較する視点も示される。今回の詩集と評論集はそれぞれを独立した一冊と受け取ることもできるが、併読するとき、複層的に見えてくるものがあることは確かだ。
(略)
 詩を書くこと、詩を読むことは、詩の言葉に身体を差し入れることだ。詩は、その性質からして、散文よりもずっと予定調和的な運びを好まないところがある。道なき道を突き進み、未踏の場へ出て、驚愕(きょうがく)の絶景と出会いたいのだ。

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思潮社さんから出ている野村喜和夫氏の詩集『地面の底のわれわれの顔――わが近未来近代』が紹介されていました。他に七月堂さん刊行の栗原ミライ氏著『未来形で死んでいた』も取り上げられていましたが、ここでは紙幅の都合で(「紙」ではありませんが(笑))割愛しました。

で、『地面の底の……』。「詩史に鮮烈な足跡を刻む詩人たちの作品に対して、斬新なアプローチが試みられている」ということで、その中に光太郎の名も。そんな詩集が出ていたのかと思い、早速購入しました。

地面の底のわれわれの顔―わが近未来近代

発行日 : 2025年11月30日
著者等 : 野村喜和夫
版 元 : 思潮社
定 価 : 3,400円+税

プロジェクトは完了だ、私はもう詩は書かないが、
その沈黙をこのタワーに巻きつけて、黒い繭、
朔太郎の黒い繭としてそびえる、
断乎、そびえるのだ、
(「コクーン市逍遥――朔太郎をサンプリングしながら」)

蒲原有明から吉増剛造まで―20世紀日本語詩の豊饒な可能性を、多彩な書き換え行為によって解き放つ、時間錯誤的・近未来近代的新詩集。
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目次
 Ⅰ わが近未来近代
  蝶の変容
   ――抒情ペーパー全史
  有明ベース
   智慧の相者は我を見て――現代語訳蒲原有明
   香の渦輪、彩の嵐――アレンジ蒲原有明
  光太郎ベース
   道程崩壊プログラム――カットアップ高村光太郎
   それぞれの道程――パロディ高村光太郎

  白秋ベース
   罌粟ひらく――リミックス北原白秋
   ひとぐるま――パロディ北原白秋
  百年の暮鳥
   ――『聖三稜玻璃』を思い出しながら
  朔太郎ベース
   夜汽車――現代語訳萩原朔太郎
   カオカオカオⅠ――パロディ萩原朔太郎
   カオカオカオⅡ――アレンジ萩原朔太郎
   コクーン市逍遥――朔太郎をサンプリングしながら
  順三郎ベース
   雨――パロディ西脇順三郎
   超越と永遠――アレンジ西脇順三郎
   わが完璧の詩法あるいは秋――パラフレーズ西脇順三郎
   女神VS女神――西脇、ランボーに語りかける
  光晴ベース
   女人大世界――リミックス金子光晴
   水の皮膚――金子光晴へのオマージュ
  賢治ベース
   わたくしといふ現象へのありきたりな註――リミックス宮澤賢治
   七つ森の婚礼の床の上で――アレンジ宮澤賢治
  達治ベース
   あるいは豚小屋――パロディ三好達治
   老年の日――アリュージョン三好達治
  中也ベース
   振るかな、腕なんか、無限の前に――挑発的リミックス中原中也
   ほらほらこれがぼくの骨――アレンジ中原中也
   正午――パロディ中原中也
   朝鮮女――現代語訳中原中也
  道造ベース
   ヒヤシンスハウスまで――立原道造の方へ
   月蝕句会――アリュージョン立原道造
   のちのおもひに――パラフレーズ立原道造
  雪のラプソディ
   ――抒情ペーパー全史続
 Ⅱ わが近未来近代の余白に
  戦後詩ベース
   あの青い空の波の音が聞こえるあたりに――パロディ谷川俊太郎
   赤壁と地面と私たちと――リミックス萩原朔太郎/吉増剛造
   血は流れた――吉岡実を思い出しながら
   都市と歳月と眠りと――入沢康夫を思い出しながら
 あとがき


読んでみると、想像していたものとは違っていました。目次でおわかりかと存じますが、基本、先人たちの作品のパロディです。ただ、それも「リミックス」「アレンジ」「アリュージョン」などとなっているとおり、いろいろな手法を駆使してのもの。

例えば「道程崩壊プログラム――カットアップ高村光太郎」では、詩集『道程』(大正3年=1914)所収のものを中心にした十数篇の詩から特徴的なフレーズをピックアップし(一部改変しつつ)、つなぎ合わせて一篇の詩にしています。そうかと思うと「それぞれの道程」は、「マザコン男子」「AI」「詩人」が「道程」を書いたらどうなるか……といった手法。一時期話題になった神田桂一氏と菊池良氏による『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』を想起しました。

他の詩人たちの作品に対しても、様々な手法でのアプローチ。笑える箇所が多いのですが、さりとてそれだけでなく、考えさせられる部分も。通底しているのは各作者に対するリスペクトやフレンドシップ的な感性です。「嘲笑」とか「痛罵」などとは無縁で、そこがいいと思いました。ただ、元ネタがわかっていないと理解不能の部分もあり、読み手の資質が問われます。当方もなじみのない詩人のパートではそうでした。

ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)60 『美について』筑摩選書96

昭和42年(1967)10月25日(日) 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 触覚の世界 素材と造型 彫塑総論 彫刻鑑賞の第一歩 MÉDITATIONS SUR LE MAÎTRE
 現代の彫刻 緑色の太陽 黏土と画布 工房雑感 第三回文部省展覧会の最後の一瞥
 日本画に対する感想 蝉の美と造型 木彫地紋の意義 信親と鳴滝 自刻木版の魅力
 カリカチユア 絵における詩精神 自分と詩との関係 美の日本的源泉
 天平彫刻の技法について 本邦肖像彫刻技法の推移 能の彫刻美 仏画賛 書について
 解説 生野幸吉

『美について』は、オリジナルが昭和16年(1941)に道統社から、文庫版が昭和35年(1960)に角川文庫のラインナップで、それぞれ出されていましたが、ソフトカバーの「筑摩選書」の一冊として刊行されました。さまざまな雑誌等に発表された主に美術評論の集成で、オリジナル、文庫版、そして筑摩選書版と、それぞれに収録作品がかなり異なっています。

昨日ご紹介した新潮文庫版『智恵子抄』改版と順番が前後していました。すみません。

今年も3.11が近づいてきました。思えば「あの日」から15年目の3.11ですね。

智恵子の故郷、福島県での関連イベントをご紹介します。

まずは浜通り南相馬市から。地方紙『福島民報』さん記事。

「精霊の木」3月1日 投光 福島県南相馬市の牧草地 鎮魂、再生の願い込め

000 福島県南相馬市小高区摩辰地区の牧草地に、「精霊の木」と名付けられた1本の柿の木がたたずむ。命名されてから今年で10年。「精霊の木」が知られるきっかけとなったライトアップが3月1日に行われる。
 2017(平成29)年3月、東日本大震災の犠牲者の鎮魂と被災からの再生に願いを込める「光のモニュメント」が始まった。南相馬市原町区のシンボルだった原町無線塔をサーチライトの光で再現するイベントで、市内で飲食店を営む須藤栄治さん(53)が委員長を務める。
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域の設定が分かれた原町、鹿島、小高の各区を会場にして、絆を表現しようとした。小高区の会場を探していた須藤さんが、常磐自動車道を走行中、摩辰地区の整った農地を目にした。同地区は第2次世界大戦後に開拓された土地で、詩人高村光太郎の詩「開拓十周年」が刻まれた記念碑が建つ。近くの牧場には柿の木がりんとたたずみ、見る角度によってさまざまな表情をみせた。
 神秘的な姿にみせられた須藤さんは、開拓地に復興の思いを重ねた。柿の木を「精霊の木」と名付け、以来、光のモニュメント会場として投光を続けている。
 ライトアップされた幻想的な姿が広まり、写真愛好家らの人気スポットに育った。イベントも話題を呼び、会場は相双地方全域に広がった。「精霊の木の不思議な力を感じる」と須藤さんは語る。
 今年度の光のモニュメントは昨年11月から川内村で始まり、1日に精霊の木、11日に原町無線塔跡地の高見公園で締めくくられる。「これまでの10年は鎮魂と再生がメインだった。次は創造を目指したい」。須藤さんは会場となった相双地方を結ぶ物語の発信を目指している。

イベント詳細。

光のモニュメント(2025~2026)~再生と繁栄への願いを込めて~

期 日 : 2026年3月1日(日)
会 場 : 精霊の木/高村光太郎開拓十周年記念碑 福島県南相馬市小高地区
時 間 : 日没から20時頃まで
料 金 : 無料

 東日本大震災の再生と繁栄の願いを込めて、福島県相双地区各地で行われるサーチライトによるライトアップイベントです。
 11月2日から福島県川内村で始まった「光のモニュメント」は、来年3月11日まで相双地方10市町村12カ所で明かりを灯します。
 「再生と繁栄への願いを込めて」をテーマに力強い光を夜空に灯すことで、犠牲者への追悼と未来への再生、繁栄を願うととも地域に根ざした歴史や文化を再発見し、人々のつながりを深めることを目的としています。
 南相馬市では2026年1月25日に鹿島御子神社、御刀神社、3月1日に精霊の木、3月11日に高見公園で、日没から20時頃まで点灯する予定です。
追悼と未来への願いをこめて、空高くともされる光を見に訪れてみてはいかがでしょうか。
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「開拓十周年記念碑」は、光太郎最晩年の昭和30年(1955)に建てられました。小高区の金房開拓農業協同組合の発願で、中心になっていたのが平田良衛という人物。岩手盛岡で開催された岩手県開拓連盟の10周年記念式典で、同式典に寄せて作られた詩「開拓十周年」の光太郎筆跡を写した印刷物が配布されました。それを読んだ平田が感激、地元の書家にこの詩を筆写してもらって碑文としたものです。光太郎の許可を得たのかどうか微妙なところですが、数少ない光太郎生前に建てられた詩碑の一つです。

ちなみに光太郎に詩の制作を依頼したのは、岩手県開拓連盟の中心人物の一人だった藤原嘉藤治。嘉藤治は宮沢賢治の親友だった縁で、戦前の『宮沢賢治全集』編纂にも携わり、つい先週、花巻で開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」で取り上げました。

この碑は2回、拝見に伺いました。1度目はもう20年以上前。2度目は東日本大震災後の平成28年(2016)。「精霊の木」が近くにあるというのですが、記憶にあるような無いような、という感じです。右下は過去の同イベントの際の「精霊の木」。幻想的ですね。
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イベント「光のモニュメント」自体は昨年11月から始まっていて、リレー形式で浜通り各地をつないでの開催とのこと。スタートが川内村の長福寺さんだったそうで、驚きました。当会の祖・草野心平ゆかりの寺院であるためです。

続いて中通り郡山市から。クローズドっぽい感じですが記録のためにも取り上げておきます。

第56回全青司ふくしま全国大会/第59回全青司定時総会

期 日 : 2026年3月6日(金)~8日(日)
会 場 : けんしん郡山文化センター 福島県郡山市堤下町1番2号
日 程 : 
 3月6日(金) エクスカーション(視察研修)
  JR 郡山駅 8:30  福島第一原子力発電所 10:30〜14:20 道の駅なみえ 14:50〜15:50
  JR 郡山駅 / 郡山おみやげ館 18:15
 3月7日(土) 第56回 全青司ふくしま全国大会・懇親会
  13:00 開会式(けんしん郡山文化センター 中ホール)
   第1部 基調講演 第2部 研究発表 第3部 パネルディスカッション
  18:15 大会終了
  19:30 懇親会
 3月8日(日) 第59回 全青司定時総会
  9:30 定時総会(けんしん郡山文化センター 中ホール)
  13:00 閉会式

大会のテーマ 『ほんとの空へ』

 今回で56回目を迎える全青司の全国大会は、福島青年司法書士会の主管により、福島県郡山市において開催されます。そして、本大会のテーマは、「ほんとの空へ」です。
 このテーマには、法律専門家を名乗る私たちが、司法書士の「本分」について、今一度見つめなおすことで、本来自分たちが進むべき道のりの「はじめの一歩」を踏み出そう、参加した方々にそう思ってもらえる大会にしたいとの福島実行委員会の思いが込められています。

 本大会では、プロボノ活動を考えるにあたり、あらゆる側面から捉えたうえで、今の青年司法書士がどのように動くべきかを提案します。そして、その提案が、参加者の司法書士人生にとって新たな未来、「ほんとの空へ」と繋がっていくことを信じています。
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「全青司」って何? と思って調べたところ、「全国青年司法書士協議会」の略だそうでした。

この時期での福島での全国大会開催ということで、『智恵子抄』所収の「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語をテーマに冠し、福島第一原子力発電所の見学も組み込まれているそうです。

もう1件、こちらも郡山から。

3.11ふくしま集会 原発事故は終わってない

期 日 : 2026年3月11日(水)
会 場 : 郡山市労働福祉会館大ホール 福島県郡山市虎丸町7-7
時 間 : 13:00~
料 金 : 無料

ほんとの空の下で語られる本当の声を聴きに来てください。

福島原発事故から15年! 廃炉は本当にできるのか! 東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を許さない! 放射能汚染土・汚染水の拡散を許さない!

報告
 ・ふるさと返せ 津島原発訴訟  ・30年中間貯蔵施設地権者会
 ・放射能汚染土壌問題      ・放射能汚染水の海洋投棄を止める取り組み
 ・311子ども甲状腺がん裁判    ・さよなら柏崎刈羽原発プロジェクト

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一昨年からやはり「ほんとの空」の語を使っての開催となっています。

原発事故から15年。もはや選挙の争点にもならなくなってしまった感がありますが、未だに双葉、富岡、大熊、浪江、葛尾、飯舘、南相馬の7市町村で帰還困難区域の指定が解除されていないわけで、まさに「原発事故は終わってない」のです。それなのに各地でなし崩し的に相次ぐ原発の再稼働、それとてトラブル続きで……。暗澹たる気持にさせられます……。

本当の意味で「ほんとの空」が戻る日の到来を、強く望みます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)57 『猛獣篇』 

昭和37年(1962)4月2日 歴程社 高村光太郎著
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目次
 清廉 
白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 象の銀行 苛察 雷獣 ぼろぼろな駝鳥
 龍 よしきり鮫 マント狒狒 象 潮を吹く鯨 森のゴリラ
 「猛獣篇」について 北川太一 覚書 草野心平

光太郎七回忌記念として、当会の祖・草野心平が鉄筆を握って版下を作りました。謄写版印刷にあたったのは、当時まだ定時制高校にお勤めだった当会顧問であらせられた北川太一先生と、教え子の皆さん。250部限定での刊行でした。

連作詩「猛獣篇」を一冊にまとめる構想は大正期から既にあり、何度も刊行予告が出ましたが、結局実現せずにいました。
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「覚書」によれば、心平はどのような形で出版するか、あれやこれやといろいろ悩んだ挙げ句、結局「原点回帰」で、宮沢賢治や光太郎も同人だった大正期の同人誌『銅鑼』の昔に返り、謄写版印刷にするのが光太郎らしいと考えたとのこと。その通りですね。

手前味噌で恐縮ですが、当方著書です。著書と言っても並製の冊子に近いもので、ISBNコードも附されていないものですが。

光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで

発行日 : 2026年2月21日059
著者等 : 小山弘明
版 元 : やつかの森LLC
定 価 : 600円

「天才は天才を知る」
賢治作品が世界的に広まった背景には、光太郎と清六、嘉藤治らの尽力があった。

目次
 『春と修羅』・『銅鑼』
 光太郎と賢治、その出会い
 『宮沢賢治追悼』
 幻の書物展望社版『宮沢賢治全集』
 文圃堂版『宮沢賢治全集』
 十字屋書店版『宮沢賢治全集』
 十字屋書店『宮沢賢治研究』
 組合版『宮沢賢治文庫』
 花巻での光太郎の賢治顕彰
 筑摩書房版『宮沢賢治全集』
 光太郎と藤原嘉藤治


現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」に関わるもので、図録というわけではありませんが、20葉くらいは関連画像も入れてあります。全体で50ページほどです。

目次の通りで、光太郎と賢治、当会の祖・草野心平を介したそもそもの交流の始まりから、生涯一度きりに終わった二人の出会い、その後の光太郎が関わった賢治全集や関連書籍、全集編纂に加わった賢治の親友・藤原嘉藤治と光太郎の交流など。

光太郎と清六が初めて会った、昭和9年(134)に新宿モナミで開催された賢治追悼会の件、昭和11年(1936)に光太郎楼が碑文を揮毫して花巻町に建てられた賢治詩碑第1号の「雨ニモマケズ」碑の件、戦後の児童劇団・花巻賢治子供の会と光太郎の交流の件など、書こうと思えばまだまだいくらでもネタがあるのですが。

販売元は花巻のやつかの森LLCさん。同社からフライヤー画像が送られてきました。
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上記画像をご参照の上、お申し込み下さい。よろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)54 『続ロダンの言葉』 

昭和34年(1959)9月10日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎訳著
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目次
はしがき
アウギユスト ロダン(オクターヴ ミルボー)
若き芸術家達に(遺稿)
ロダン手記
 花について
 女の肖像
 芸術家の一日
  庭園の朝  古代彫刻の断片  庭園の夕
 ゴチツクの線と構造
 ゴチツク建築家は写真家である 
 面と相反と
 
 釣合の知識
 石のレース細工 
 外陣
 
 くりかた
 芸術と自然
  古代芸術―ギリシヤ  古代芸術の豊かさは肉づけにある  高肉とキヤロスキユロ
  ローマ及ローマ芸術  アメリカの為に
 ゴチツクの天才
  ノートルダム サン トウスターシユ 彫刻に於ける色調について 十八世紀
 断片
 手紙
ギユスターヴ コキヨ筆録
ジユヂト クラデル筆録
フレデリク ロートン外二三氏筆録
 パトレツト筆録 クラリ筆録 フレデリク ロートン筆録 フランシス ド ミオマンドル筆録
 ポール グゼル筆録
  「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美
「本寺」より(手記)
ロダン論(アサア サイマンス)
ロダン夫人の死(マルセル チレル)
ロダンのモデエル達(マルセル チレル)
ドユ モーパスサンの描いたロダン
解説 北川太一

7月に同じ新潮文庫のラインナップに入れられた正編に続く出版。内容的には大正9年(1916)に叢文閣から出た初版をほぼ踏襲していますが、末尾の4篇のロダン論はオリジナルには入っていなかったものです。

解説は当会顧問であらせられた故・北川太一先生でした。

北の大地から特別展情報です。

開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」

期 日 : 2026年1月31日(土)~3月22日(日)
会 場 : 北海道立文学館 札幌市中央区中島公園1番4号
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日 ただし2月23日(月・祝)は開館し、2月24日(火)休館
料 金 : 一般500(400)円、高大生250(200)円 中学生以下・65歳以上無料
      *観覧料のうち( )内は10名以上の団体料金

1966年の最初の北海道文学展以来、連綿と続けられてきた収集活動。現在の資料点数は38万点を超えます。 原則、分野別・作家別などに分類され配架される資料ですが、中には収蔵時のまとまりを保ちそれぞれの特色を存分に発揮しているものもあります。 装幀の美しい本が揃う蘭繋之文庫、作家の書斎を覗いたような船山馨文庫、北海道文学論考の基礎資料が集まる小笠原克文庫……。 本展では「〇〇文庫」「〇〇コレクション」などと称されるそれらの資料群に光を当て、文学の魅力を掘り下げていきます。意外性のある資料との出会いもお楽しみに。

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関連行事
 講演会「『声』から探る近代文学―昭和初期の自作朗読を聴く」
  日時 2月23日(月・祝)14:00~15:30
  当館講堂(聴講無料)  講師 新井高子(詩人)
  定員 60名 2月10日(火)9:00から電話受付(要申込、先着順)
 ギャラリーツアー
  日時 2月14日(土)、21日(土)、3月7日(土)、14日(土)、21日(土)
  いずれも11:00~約40分 特別展示室  ご案内 当館学芸員
  定員 先着約10名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
 ミニ解説&朗読会
  学芸員による10分間ミニ解説後の朗読
  日時 2月18日(水)、28日(土)、3月4日(水)、11日(水)、18日(水)
  いずれも11:00~約40分 特別展示室
  朗読作品
   (順不同) 萩原朔太郎「猫町」/三浦綾子「銃口」より一部/船山馨「笛」/
   小笠原克「北海道 風土と文学運動」より一部/森田たま「石狩少女」より一部
  定員 先着約30名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
 講座「コレクションを語る」
  日時 3月15日(日)14:00~15:00
  当館講堂(聴講無料)  ご案内 当館学芸員
  定員 60名 3月1日(日)9:00から電話受付(要申込、先着順)

館蔵資料のうち、肉筆もの、稀覯本など含む、まとめて寄贈されたコレクションにスポットを当てての展示だそうです。

公式サイトに出品リストは出ていませんが、光太郎の第一詩集『道程』(大正3年=1914)も出ているとのこと。地元紙『北海道新聞』さんの報道で知りました。ネット上ではリード文的なところしか読めませんが。

初版本、直筆稿…寄贈資料で作品に光 道立文学館で開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」

北海道立文学館(札幌市中央区中島公園)が作家や収集家からまとめて寄贈を受けた資料に光を当てた開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」が、同館で開かれている。詩人で彫刻家、画家の高村光太郎の初詩集「道程」(1914年)の初版本や、札幌出身の小説家船山馨(14~81年)の代表作「石狩平野」の自筆原稿など貴重な資料が並ぶ。
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小説家船山馨の代表作「石狩平野」の自筆原稿や親友の佐藤忠良が描いた口絵原画などが並ぶコーナー

同館では大正3年(1914)の『道程』を二冊お持ちで、一冊は通常のもの、それからもう一冊は白布装の異装本。こちらには光太郎自筆の書き込みも為されています。それらは一昨年に開催された特別展「100年の時を超える ―〈明治・大正期刊行本〉探訪―」で展示されました。今回も2種類出しているのかどうかは不明ですが。

どちらも今回のコンセプトであるまとめて寄贈されたコレクション中の「高橋留治文庫」に含まれています。「北海道拓殖銀行に勤める傍ら詩書を愛読した高橋留治氏(1911(明治44)年-1984(昭和59)年)が遺した膨大なコレクション」だそうで。高橋氏は、光太郎と交流の深かった詩人・宮崎丈二の研究もなさっていて、『評伝 無冠の詩人 宮崎丈二――その芸術と生涯――』(昭和49年=1974 北書房)という著書もおありでした。そこで同館ではやはり「高橋留治文庫」中の資料を中心に、平成28年(2016)には「文学館の中の美術―宮崎丈二」が開催されたりもしています。

公式サイトに出品リストは出ていませんが、フライヤーで紹介されているいわば「目玉」は、以下の通り。

・「北海道国郡全図」松浦開拓判官阿部弘(松浦武四郎) 明治2年(1869)
・船山馨自筆原稿「石狩平野」 昭和40年(1965)頃
・小笠原克『北海道 風土と文学運動』 昭和53年(1978)
・宮沢賢治『春と修羅』 大正13年(1924)
・蘭繁之によって作られた豆本全422集の内の一部 


このうち賢治の『春と修羅』も「高橋留治文庫」に含まれるものです。

関連行事も充実していますね。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)42 『みちのくの手紙 ―高村光太郎書簡集』

昭和28年(1953)2月5日 中央公論社 宮崎稔編
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目次
 昭和二十年 昭和二十二年 昭和二十三年 昭和二十四年 あとがき
 口絵写真 高村光太郎


姻戚だった茨城在住の詩人・宮崎稔が、自身や父で素封家だった仁十郎、妻・春子(智恵子の姪)に宛てた光太郎書簡を活字にしたものです。

収められているのは昭和20年(1945)と、同22年(1947)~24年(1949)のもの。抜けている21年(1946)と25年(1950)以後のものもあるのですが、採録されませんでした。その理由は不明です。

昭和22年(1947)の歌集『白斧』もそうでしたが、光太郎はこの出版に不同意。したがって奥付に光太郎の名は記されていません。それでも宮崎は強引に刊行に踏み切りました。こうした点が光太郎にとっては悩みの種の一つで、『高村光太郎全集』別巻の年譜では、当会顧問であらせられた北川太一先生、宮崎が没したこの年4月27日の項に「何かと光太郎の身辺を案じ、一面では光太郎の心労の一因でもあった宮崎稔が胃潰瘍による吐血の末、四十三歳で没した」と書きました。

現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、先月の地元紙『岩手日報』さんに続き、やはり地元紙の『岩手日日』さんが報じて下さいました。

花巻ゆかり 2人に焦点 高村光太郎記念館 賢治全集、写真展示

 詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)と、彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の関わりに焦点を当てた企画展は、花巻市太田の高村光太郎記念館で開かれている。
 賢治を世に広めるために光太郎が果たした役割などを資料で紹介し、花巻にゆかりある両偉人の人生が交錯した軌跡をたどる。3月31日まで。
 光太郎と賢治は、東京の光太郎のアトリエで1度だけ面会した。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた賢治追悼の会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」の記された手帳を含む遺稿を持ち込み、これに光太郎をはじめとする著名人が感銘を受けた。それから全集刊行の動きが起こり、光太郎と詩人草野心平の手により同年、「宮沢賢治全集」(全3巻)が初めて文圃堂から刊行された。
 高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治-宮沢賢治全集ができるまで」と銘打った同展では、最初の全集に加え、宮沢賢治全集全7巻(十字屋書店)、宮沢賢治文庫全7巻(日本読書組合)、宮沢賢治全集全11巻(筑摩書房)、光太郎揮毫(きごう)の書軸「東ニ病気ノ母アレバイッテ看病シテヤリ」、花巻で過ごす光太郎の写真などを展示。編さん者の一員として関わった賢治の友人の藤原嘉藤治の生涯や、光太郎、嘉藤治、清六の関係性にも触れている。
 展示している全集は、いずれも光太郎が編集や装幀作業に関わっており、自ら書きつづった題字や表紙の印刷についての所感も残されている。
 同展は市が主催。監修した高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表は「賢治を世の中に出す大きな力になった一人が光太郎。2人をつないだ草野心平、清六、そこを埋めた嘉藤治らにより、賢治の作品が現在も読まれているということを知ってもらいたい」と意義を語る。
 今月21日午前10時からは、同市大通りのなはんプラザで小山代表、宮沢和樹林風舎代表取締役、瀬川正子共同園芸取締役によるトークイベントを開催する。参加無料。

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取材を受けたのは昨年12月でして、その折には「年内には記事にしたい」ということでしたが、一昨日に掲載されました。感触としては、記者氏、全くといっていいいほど賢治と光太郎の関わりをご存じなく、実に興味深そうで、「こりゃベタ記事にはするべきでない」と考えられたようで、お渡しした50ページほどの冊子資料を読み込まれてから大きく取り上げて下さったようです。ネット上ではリード文部分のみの公開となっていますが。

冊子資料は同館で販売されているかどうか(いろいろ面倒な事情がありまして)。記事の最後にあるトークイベントの際には大々的に売られると思われます。
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ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)39 『独居自炊』 

昭和26年(1951)6月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 独居自炊
 子供の頃
  父光雲のこと 母と姉 父の道をついで
 姉のことなど 母のこと 美術学校時代 彫刻家ガツトソン・ボオグラム氏
 ロダンの手記談話録 七月の言葉 一夏安居の弁 「道程」について 自分と詩との関係
 小刀の味 生きた言葉 触覚の世界 自作肖像漫談 へんな貧 春さきの好物 雷ぎらひ
 しやつくり病 ほくろ 悠久山の一本欅 谷中の家 二世代 蟻と遊ぶ 日記より
 がんがん三つ口 新茶の幻想 三十年来の常用卓 智恵子のにひ盆

光太郎エッセイ集としては2冊目。ただし戦時中の昭和18年(1943)、同じ龍星閣から出た『某月某日』とかなりの部分がかぶっています。

現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、地元紙『岩手日報』さんが報じて下さいました。

賢治全集 支えた光太郎 花巻で企画展 デザインした貴重初版 作品広めた弟らも紹介

 彫刻家・詩人高村光太郎(1883~1956年)らと宮沢賢治全集の関わりを伝える企画展が、花巻市内で開かれている。光太郎が装丁した全集を展示し、賢治の実弟らも編集に携わったエピソードなどを紹介。貴重な資料から、賢治作品を世に広めようと尽力した功労者の軌跡を知ることができる。
 同市太田の高村光太郎記念館に数十点の資料が並ぶ。見どころは童話や詩を集約した4種類の全集計28冊で、珍しい初版も含まれる。企画展を主催した市によると、全集をまとめて披露するのは初の試み。初版は数が少なく、劣化もあり、一般の人が目にするのは貴重な機会という。
 展示資料で光太郎が全集の題字などをデザインしたと解説。編集に関わった賢治の実弟・清六と親友・藤原嘉藤治(かとうじ)のやりとりを記す書簡の複製には、方言を分かりやすく言い換えようとしていた記録などが残り、当時の思いに触れることができる。
 光太郎関連の事業に取り組む同市の合同会社「やつかの森」が協力。藤原正代表は「彫刻家の光太郎がこだわったデザインを見てほしい。賢治のために力を添えたことはあまり知られていない」と説明する。
 同社によると、戦争空襲で宮沢家を頼り、同市旧太田村に疎開した光太郎が、賢治作品を高く評価していたという。
 3月31日まで。午前8時半~午後4時半。期間中無休。入館料は一般350円、高校生・学生250円、小中学生150円。
 2月21日は同市大通りのなはんプラザで、全集をテーマにしたトークショーを開催。全国で光太郎の顕彰活動を行う小山弘明さん=千葉県香取市=らを招く。問い合わせは市生涯学習課(0198・41・3587)へ。

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記事を書かれたのが新人記者氏だそうで、いろいろ突っ込みどころがあるのですが(光太郎が疎開したのは花巻町中心街の宮沢家で太田村には戦後になってから移ったとか、当方は「全国で顕彰活動」というわけではないとか)、大きく取り上げて下さったのはありがたいところです。

ところで記事終末にある関連行事としてのトークイベントのフライヤーが完成したそうで、載せておきます。
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足をお運びくださらば幸甚に存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)25 『をぢさんの詩』

昭和18年(1943)11月3日 武蔵書房 高村光太郎著
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目次
 序 
さくら 軍艦旗 こどもの報告 カタバミの実 約束 路ばた 迎火 少年に与ふ
 少女に 少女立像 五月のうた 少女の思へる 少女よ こころに美をもつ 変貌する女性
 新しき日に 逞しき一念 手紙に添へて 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 山道のをばさん
 女性はみんな母である わが大空 新穀感謝のうた 歩くうた 鬱勃たる健康
 私は青年が好きだ 神の如く行へ みなもとに帰るもの 純潔のうた 四月の馬場
 新緑の頃 みかきにしん 漁村曙 仕事場にて 神これを欲したまふ さかんなるかな造船
 供木のことば 無口な船長 春駒 氷上戯技 大きな嚔 晴天に酔ふ 初夏言志
 
先生山を見る 偶成二首 蝉を彫る 提督戦死

青少年向けとして編まれた翼賛詩集です。交流のあった詩人の高祖保が編纂に当たってくれました。高祖には申し訳ありませんが、平易な口調で書かれた詩が多く、それだけにかえってグロテスクさが際立ちます。「これこそが光太郎詩の精髄、真髄、真骨頂」と涙を流さんばかりにありがたがる意味不明のあんぽんたんがいて困っているのですが……。

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