6月30日(火)、堺市のさかい利晶の杜さん内の「」を拝観後、与謝野晶子記念館さん常設展示を拝見しました。
前身の「与謝野晶子文芸館」だった頃にお邪魔したことがあるのですが、その翌年にリニューアルされてからは初めてでした。
常設展示も部分的にいろいろ入れ替えながらやられているようで、コーナー展示では「与謝野晶子と寛(鉄幹)の書」と銘打たれていました。
明治44年(1911)、夫・寛の外遊資金を捻出するために書かれ、支援者らに買ってもらった「百首屏風」。
複数点、出ていました。
奥の方は完全な常設展示のようで、寛・晶子夫妻の生涯の紹介など。
人物相関図的な。
不肖の弟子(笑)、光太郎も。
下にモニターがあり、人物を選んで表示させることができます。
別の場所には、光太郎の心の師・ロダンも。
光太郎は、明治41年(1908)から翌年にかけてのパリ留学中に展覧会場でロダンに会っていますが、まだ何者でもない自分に気後れを感じたのでしょう、結局、声をかけることができませんでした。その少し前には親友だった荻原守衛は物怖じせずにロダンを訪ねていますし、明治45年(1912)の与謝野夫妻もそうでした。どうも光太郎には人見知り的な一面もあったようです。
晶子の実家の菓子舗、駿河屋を復元したコーナー。
その脇には、夫妻の主な訪問先等を紹介する巨大なモニター。こちらもタッチパネルで都道府県ごとに検索ができます。これは存じませんでしたが、光太郎第二の故郷・岩手花巻にも夫妻の足跡が残っていました。ただし、夫妻の花巻行は昭和6年(1931)。光太郎が居着く十数年前でした。
戦後の光太郎もたびたび宿泊した花巻温泉に夫妻の歌碑があるそうで、存じませんでした。
夫妻の足跡は、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ青森十和田湖(大正14年=1925)、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市(明治44年=1911と昭和6年=1931)にも残されていますが、そちらは割愛されていました。
常設展示、こんな感じでした。
1階ロビーでは、昔の堺の街並みを再現したジオラマが展示されていたり、さまざまなグッズの販売も行われたりでした。
ぜひ皆様も足をお運び下さい。
巻頭の目次に詳細な表示がありませんが、採録されている光太郎詩は以下の通り。
失はれたるモナ・リザ 寂寥 冬が来る 冬が来た 道程 秋の祈 小娘
落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 鯰 ぼろぼろな駝鳥 火星が出てゐる 或る墓碑銘
首の座 上州湯檜曾風景 刃物を研ぐ人 もう一つの自転するもの 蟬を彫る 樹下の二人
あどけない話 千鳥と遊ぶ智恵子 山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
雪白く積めり 月にぬれた手 女医になつた少女 クロツグミ 十和田湖畔の裸像に与ふ
手持ちのものは昭和61年(1986)の第24刷です。
前身の「与謝野晶子文芸館」だった頃にお邪魔したことがあるのですが、その翌年にリニューアルされてからは初めてでした。
常設展示も部分的にいろいろ入れ替えながらやられているようで、コーナー展示では「与謝野晶子と寛(鉄幹)の書」と銘打たれていました。
明治44年(1911)、夫・寛の外遊資金を捻出するために書かれ、支援者らに買ってもらった「百首屏風」。
複数点、出ていました。
奥の方は完全な常設展示のようで、寛・晶子夫妻の生涯の紹介など。
人物相関図的な。
不肖の弟子(笑)、光太郎も。
下にモニターがあり、人物を選んで表示させることができます。
別の場所には、光太郎の心の師・ロダンも。
光太郎は、明治41年(1908)から翌年にかけてのパリ留学中に展覧会場でロダンに会っていますが、まだ何者でもない自分に気後れを感じたのでしょう、結局、声をかけることができませんでした。その少し前には親友だった荻原守衛は物怖じせずにロダンを訪ねていますし、明治45年(1912)の与謝野夫妻もそうでした。どうも光太郎には人見知り的な一面もあったようです。
晶子の実家の菓子舗、駿河屋を復元したコーナー。
その脇には、夫妻の主な訪問先等を紹介する巨大なモニター。こちらもタッチパネルで都道府県ごとに検索ができます。これは存じませんでしたが、光太郎第二の故郷・岩手花巻にも夫妻の足跡が残っていました。ただし、夫妻の花巻行は昭和6年(1931)。光太郎が居着く十数年前でした。
戦後の光太郎もたびたび宿泊した花巻温泉に夫妻の歌碑があるそうで、存じませんでした。
夫妻の足跡は、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ青森十和田湖(大正14年=1925)、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市(明治44年=1911と昭和6年=1931)にも残されていますが、そちらは割愛されていました。
常設展示、こんな感じでした。
1階ロビーでは、昔の堺の街並みを再現したジオラマが展示されていたり、さまざまなグッズの販売も行われたりでした。
ぜひ皆様も足をお運び下さい。
【高村光太郎書誌】
選集等(部分) 14 『現代名詩選(上)』
蒲原有明 石川啄木 北原白秋 三木露風 木下杢太郎 高村光太郎 川路柳虹
野口米次郎 福士幸次郎 山村暮鳥 武者小路実篤 千家元麿 白鳥省吾 百田宗治
福田正夫 大手拓次 三富朽葉 竹内勝太郎
解説 伊藤信吉
解説 伊藤信吉
巻頭の目次に詳細な表示がありませんが、採録されている光太郎詩は以下の通り。
失はれたるモナ・リザ 寂寥 冬が来る 冬が来た 道程 秋の祈 小娘
落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 鯰 ぼろぼろな駝鳥 火星が出てゐる 或る墓碑銘
首の座 上州湯檜曾風景 刃物を研ぐ人 もう一つの自転するもの 蟬を彫る 樹下の二人
あどけない話 千鳥と遊ぶ智恵子 山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
雪白く積めり 月にぬれた手 女医になつた少女 クロツグミ 十和田湖畔の裸像に与ふ
手持ちのものは昭和61年(1986)の第24刷です。













































































































































































![KIMG5919[1]](https://livedoor.blogimg.jp/koyama287/imgs/0/2/02a78824-s.jpg)








光太郎自身、この短歌が気に入っていたようで、複数の揮毫例が存在しますし、日記にも「誰々のために蝉の歌を揮毫」的な記述が散見されます。




「超貴重。詩人・高村光太郎が海を前に詠んだ短歌の直筆短冊」は、当方所蔵のものです。揮毫されている短歌は明治39年(1906)、留学のため横浜港を出航したカナダ太平洋汽船の貨客船・アセニアンの船上で詠んだ短歌。翌年元日発行の雑誌『明星』未歳第1号に掲載されました。


















