昨日は上京しておりました。メインの目的は光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエ保存運動に関連して。また詳しくご紹介いたしますが、中野たてもの応援団さんの企画に乗っかる形で、11月に中野ZEROさんにおいて企画展示を行います。その展示用備品の確認でした。
そちらの終了後、原宿へ。エンパシーギャラリーさんで開催中の彫刻家・瀬戸優氏の個展「ime Traveler」を拝見して参りました。
今回並んでいるのほとんどの作が動物をモチーフとした具象彫刻で、目玉の一つが光太郎の父・光雲の「老猿」(明治25年)オマージュのもの。
事前に画像を拝見して、粘土なんだろうな、と思っていましたが、焼成して着色したテラコッタとのこと。画廊オーナーの方がギャラリートーク的にいろいろとご説明下さいました。その中で「へー」と思ったのが、目の処理。
仏像の玉眼のように、裏側からガラスを嵌め込み、着色。そして瞳がどの角度から見てもこちらを向くようにしてあるというのです。秘密の技法があるようで、これには驚きました。
他の作。
テーマの一つが「オマージュ」だそうで(猿もそうでしたが)、他にも過去のいろいろな系統からのオマージュが。上画像の犬は古代エジプトのアヌビス神像ですし、同じエジプトのカノプス壺(ミイラ制作の際に取り出した臓物を入れる容器)も。
西アジアから広まった祭器・リュトン。
一見、木彫に見えますが(それを狙っているようです)これもテラコッタ。
さらに東洋の十二支。
今年の干支、辰(ちなみに当方、年男です(笑))。
他にもライオンやら狼やら。
硬く焼き締められたテラコッタでありながら、もふもふ感が感じられるのが不思議です。そして躍動感というか、ムーヴマンというか、まぁ、光太郎曰くの「生(ラ・ヴィ)」ですね。アカデミックなにおいのしないワイルドさが好ましいところです。
下世話な話になりますが、かなり売約済となっていました。
「老猿」も。シールで隠れて価格が見えなかったので訊いたところ、99万円だったそうですが。
今後のさらなるご活躍を祈念いたします。
会期は明後日まで。ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
そちらの終了後、原宿へ。エンパシーギャラリーさんで開催中の彫刻家・瀬戸優氏の個展「ime Traveler」を拝見して参りました。
今回並んでいるのほとんどの作が動物をモチーフとした具象彫刻で、目玉の一つが光太郎の父・光雲の「老猿」(明治25年)オマージュのもの。
マルチアーティスト・井上涼氏曰くの「黙すれど語る背中」もしっかり再現。
仏像の玉眼のように、裏側からガラスを嵌め込み、着色。そして瞳がどの角度から見てもこちらを向くようにしてあるというのです。秘密の技法があるようで、これには驚きました。
他の作。
テーマの一つが「オマージュ」だそうで(猿もそうでしたが)、他にも過去のいろいろな系統からのオマージュが。上画像の犬は古代エジプトのアヌビス神像ですし、同じエジプトのカノプス壺(ミイラ制作の際に取り出した臓物を入れる容器)も。
西アジアから広まった祭器・リュトン。
一見、木彫に見えますが(それを狙っているようです)これもテラコッタ。
さらに東洋の十二支。
今年の干支、辰(ちなみに当方、年男です(笑))。
他にもライオンやら狼やら。
硬く焼き締められたテラコッタでありながら、もふもふ感が感じられるのが不思議です。そして躍動感というか、ムーヴマンというか、まぁ、光太郎曰くの「生(ラ・ヴィ)」ですね。アカデミックなにおいのしないワイルドさが好ましいところです。
下世話な話になりますが、かなり売約済となっていました。
「老猿」も。シールで隠れて価格が見えなかったので訊いたところ、99万円だったそうですが。
今後のさらなるご活躍を祈念いたします。
会期は明後日まで。ぜひ足をお運びください。
【折々のことば・光太郎】
お便りと「パンの会」といただき、ありがたく存じました。此の本は大変立派でパンの会にふさはしいと思ひました、かういふ混雑した時代の事を後で書き分けるのは随分苦労なことと推察します。
「パンの会」は明治末に起こった芸術運動。光太郎の欧米留学中に木下杢太郎、北原白秋、吉井勇らが始め、帰国した光太郎もたちまちその喧噪に巻き込まれます。連翹忌会場の日比谷松本楼さんでも大会が行われたことがありました。
評論家・野田宇太郎は文学散歩的な視点をメインに明治大正の文学史を俯瞰した書物を多く著しましたが、『パンの会』もその一つ。旧悪とまでは行きませんが、若気の至りの数々を記録に残された光太郎、苦笑しながらも懐かしんでいたのではないかと思われます。
昭和24年(1949)8月5日 野田宇太郎宛書簡より 光太郎67歳
「パンの会」は明治末に起こった芸術運動。光太郎の欧米留学中に木下杢太郎、北原白秋、吉井勇らが始め、帰国した光太郎もたちまちその喧噪に巻き込まれます。連翹忌会場の日比谷松本楼さんでも大会が行われたことがありました。
評論家・野田宇太郎は文学散歩的な視点をメインに明治大正の文学史を俯瞰した書物を多く著しましたが、『パンの会』もその一つ。旧悪とまでは行きませんが、若気の至りの数々を記録に残された光太郎、苦笑しながらも懐かしんでいたのではないかと思われます。