カテゴリ: 東北以外

都内から演奏会情報です。

銀座ぶらっとコンサート #216 宮本益光の王子な午後38 ~別れの歌~

期 日 : 2026年3月11日(水)
会 場 : 王子ホール 東京都中央区銀座4-7-5
時 間 : 13:30開演
料 金 : 全席指定 4,000円

平日の昼下がり、銀座でのお買い物のついでに、お友達との銀ぶらの途中に立ち寄れる気軽なコンサート、『銀座ぶらっとコンサート』第216回は、王子ことオペラ歌手の宮本益光が魅惑のバリトンと楽しいトークで綴る大人気シリーズの第38回。別れの歌を切々と、あっさりと、うじうじと、様々なシーンをお聴かせしましょう、お見せしましょう。

プログラム
 モーツァルト:オペラ『フィガロの結婚』より もう飛ぶまいぞこの蝶々
 文部省唱歌:仰げば尊し
 三木たかし:友だちはいいもんだ
 ハイドン:別れの歌
 ヴォルフ:あばよ
 モーツァルト:オペラ『魔笛』より パパゲーナ、パパゲーナ、パパゲーナ!
 グノー:オペラ『ファウスト』より 故郷を離れる前に
 加藤昌則:レモン哀歌
     :桜の背丈を追い越して
     :「刻(とき)の里標石(マイルストーン)」より じゃあね

出演 宮本益光(バリトン) 加藤昌則(作曲/ピアノ)
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これまでもたびたび宮本益光氏の歌唱で各種演奏会に取り上げられてきた、加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」がプログラムに入っています。令和4年(2022)にはCDもリリースされています。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)65 『愛の時』

昭和57年(1982)4月2日 アムリタ書房 ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 明るい時 LES HEURES CLAIRES
  Ⅰ おう さんらんたるわれらのよろこび
   O LA SPLENDEUR DE NORTRE JOIE
  Ⅱ 無言のままわれらの歩くこの明るい花園が
   QUOIQUE NOUS LE VOYIONS FLEURIR DEVANT NOS YEUX
  Ⅲ この野蛮な柱頭、そこには怪物等が身をもだえ
   CE CHAPITEAU BARBARE OU DES MONSTERES SE TORDENT
  Ⅳ 夜の空はひろがり
   LE CIEL EN NUIT S'EST DÉPLIÉ
  Ⅴ いつでも,かほど純真にふかい
   CHAQUE HEURE OÙ JE SONGE À TA BONTÉ
  Ⅵ あなたは時としてあのなよやかな美を示す,
   TU ARBORES PARFOIS CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅶ おう! 戸を叩かせて置かう,
   OH! LAISSE FRAPPER CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅷ あどけない頃のやうに,私は自分の心をあなたに上げた,
   COMME AUX ÂGES NAÏFS JE T'AI DONNÉ MON C CEUR
  Ⅸ わかい,気のやさしい春は
   LE PRINTEMPS JEUNE ET BÉNÉVOLE                           
  Ⅹ しづかに来て
   VIENS LENTEMENT T'ASSEOIR
  Ⅺ 火のやうな恍惚の眼をして
   COMBIEN ELLE EST FACILEMENT RAVIE
  Ⅻ 長い間私のくるしんでゐた時,
   AU TEMPS OÛ LONGUEMENT J'AVAIS SOUFFERT
  ⅩⅢ どういふわけか何故なのかいはれは何か
   ET QU'IMPORTENT ET LES POUQUOIS ET LES RAISONS
  ⅩⅣ 黄金と花との階段をしづしづ降りる
   A CES REINES QUI LENTEMENT DESCENDENT
  ⅩⅤ 私はあなたの涙に,あなたの微笑みに,
   JE DÉDIE À TES PLEURS, À TON SOURIRE
  ⅩⅥ 私はあなたの二つの眼の中に自分の魂全てを溺らす,
   JE NOIE EN TES DEUX YEUX MON ÂME TOUT ENTIÈRE
  ⅩⅦ われらの眼を愛するため
   POUR NOUS AIMER DES YEUX
  ⅩⅧ われらあの愛の園に,夏はつづく。
   AU CLOS DE NOTRE AMOUR, L'ÉTÉ SE CONTINUE
  ⅩⅨ あなたの明るい眼,あなたの夏の眼が,
   QUE TES YEUX CLAIRS, TES YEUX D'ÉTÉ
  ⅩⅩ 言つてごらん,私の質素な私の静かな友よ,
   DIS-MOI MA SIMPLE ET MA TRANQULLE AMIE
  ⅩⅪ われら自身以外の一切のものからこんなに遠く
   EN CES HEULES OÙ NOUS SOMMES PERDUS
  ⅩⅫ おお! この幸福!
   OH! CE BONHEUR!
  ⅩⅩⅢ 生きませう,われらの愛とわれらの熱情とに。
   VIVONS DANS NOTRE AMOUR ET NOYRE ARDEUR
  ⅩⅩⅣ われらの口の触れ合ふやいなや
   SITOT QUE NOS BOUCHES SE TOUCHENT
  ⅩⅩⅤ 底知れぬ深さ神のやうに聖い
   POUR QUE RIEN DE NOUS DEUX N'ÉCHAPPE ÀNOTRE ÉTREINTE
  ⅩⅩⅥ たとひもう,こよひ,
   BIEN QUE DÉJÁ, CE SOIR
  ⅩⅩⅦ からだを捧げるとは,魂のある以上,
   LE DON DU CORPUS, LORSQUE L'ÂME EST DONNÉE
  ⅩⅩⅧ われらのうちにたつた一つの心やさしさ,
   FUT-IL EN NOUS UNE SEULE TENDRESSE
  ⅩⅩⅨ 炎に花咲く美しい庭は
   LE BEAU JARDIN FLEURI DE FLAMMES
  ⅩⅩⅩ もし万一にも
   S'IL ARRIVE JAMAIS
 午後の時 LES HEURES D'APRÈS-MIDI
  Ⅰ 年は来ました、ひと足ひと足,ひと日ひと日,
   L'ÂGE EST VENU, PAS Á PAS, JOUR Á JOUR
  Ⅱ 六月の薔薇,おん身最も美しいもの,
   ROSES DE JUIN, VOUS LES PLUS BELLES
  Ⅲ 若しほかの花々が家をかざり
   SI D'AUTRES FLEURS DÉCORENT LA MAISON
  Ⅳ 陰は浄まりあけぼのは虹いろ。
   L'OMBRE EST LUSTRALE ET L'AUROPE IRISÉE
  Ⅴ 私は,こよひ,おみやげとして,あなたにあげる,
   JE T'APPORTE, CE SOIR, COMME OFFRANDE, MA JOIE
  Ⅵ ふたりして路ばたに腰かけよう,
   ASSEYONS-NOUS TOUS DEUX PRÈS DU CHEMIN
  Ⅶ しづかに,なほもしづかに,
   TRÈS DOUCEMENT, PLUS DOUCEMENT ENCORE
  Ⅷ われらの愛の生れるわけであつたこの家には,
   DANS KA MAISON OÚNOTR AMOUR A VOULU NATRE
  Ⅸ 窓をあけひろげて
   LE BON TRAVAIL, FENÊTRE OUVERTE
  Ⅹ まつたき信がわれらの愛の底に住む。
   TOUTE CROYANCE HABITE AU FOND DE NOTRE AMOUR
  Ⅺ  暁、陰、夕暮,空間,星。
   L'AUBE L'OMBRE, LE SOIR, L'ESPACE ET LES ÉTOIRES
  Ⅻ 今は善い時,ラムプのつく時。
   C'EST LA BONNE HEURE, OÛ LA LAMPE S'ALLUME
  ⅩⅢ 過ぎ去つた年の死んだ接吻が
   LES BAISERS MORTS DES DÉFUNTES ANNÉES
  ⅩⅣ われらが同じ思に生きてゐてもう十五年。
   VOICI QUINZE ANS DÉJÀ QUE NOUS PENZONS D'ACCORD
  ⅩⅤ 永遠にわれらの喜は麻痺したと思つた,
   J'AI CRU Á TOUT JAMAIS NOTRE JOIE ENGOURDIE
  ⅩⅥ われらのまはりに生きる一切のもの,
   TOUT CE QUI VIT AUTOUR DE NOUS
  ⅩⅦ 私の感覚,私の心,私の頭脳,
   AVEC MES SENS, AVEC MON C ŒUR ET MON CERVEAU
  ⅩⅧ 爽やかな静かな健康の日々,
   LES JOURS DE FRAICHE ET TRANQUILLE SANTÉ
  ⅩⅨ 私は眠の林から出て来た。
   JE SUIS SORTI DES BOSQUETS DU SOMMEIL
  ⅩⅩ ああ,病の鉛が,
   HÉLAS! LORSQUE LE PLOMB DES MALADIES
  ⅩⅪ 明るい庭こそ健康そのもの。
   LE CRAIR JARDIN, C'EST LA SANTÉ
  ⅩⅫ 六月であつた,庭での事,
   C'ÉTAIT EN JUIN, DANS LE JARDIN
  ⅩⅩⅢ 身を捧げるだけでは足らず,あなたは自身を濫費する。
   ET TE DONNNER NE SUFFIT PLUS, TU TE PRODIGUES
  ⅩⅩⅣ おう もの一つ動かぬ静かな夏の庭よ。
   O LE CALME JARDIN D'ÈTÈ OÚ RIEN NE BOUGE
  ⅩⅩⅤ 時間も気持ちも,まるで別,
   COMME Á D'AUTRES, L'HEURE ET L'HUMEUR
  ⅩⅩⅥ 美しい夏の金色の小舟等は,
   LES BARQUES D'OR DU BEL ÉTÉ
  ⅩⅩⅦ 感覚の熱,心情の熱,霊魂の熱,
   ARDEUR DES SENS, ARDEUR DES CŒURS, ARDEUR DES ÂMES
  ⅩⅩⅧ 不動の美は
   L'IMMOBILE BEAUTÉ
  ⅩⅩⅨ そなたは,あの夕,あんな美しい言葉をきかせてくれた。
   VOUS M'AVEZ DIT, TEL SOIR, DES PAROLES SI BELLES
  ⅩⅩⅩ 「明るい朝の時」「午後の時」
   《HEURES DU MATIN CLAIR》《HEURES D'APRÈS SI BELLES》
 夕の時 LES HEURES DE SOIR
  Ⅰ DES FLEURS FINES ET MOUSSEUSES COMME L'ÉCUME
  Ⅱ  S'IL ÉTAIT VRAI
  Ⅲ LA GLYCINE EST FANÉE ET MORTE EST L'AUBPINE
  Ⅳ METS TA CHAISE PRÉS DE LA MIENNE
  Ⅴ SOIS-NOUS PROPICE ET CONSOLANTE ENCOR
  Ⅵ HÉLAS! LES TEMPS SONT LOIN
  Ⅶ LE SOIS TOMBE, LA LUNE EST D'OR
  Ⅷ LORSQUE TA MAIN CONFIE
  Ⅸ ET MAINTENANT QUE SONT TOMBÉS
  Ⅹ QUAND LE CIEL ÉTOIREÉ COUVRE NOTRE DEMEUR
  ⅩⅠ  AVEC LE MÉME AMOUR QUE TU ME FUS JADIS
  ⅩⅡ  LES FLEURS DU CLAIR ACCUEIL
  ⅩⅢ  LORSQUE S'ÉPAND SUR NOTRE SEUIL
  ⅩⅣ SI LE SORT NOUS SAUVA DES BANALES ERREURS
  ⅩⅤ NON, MON ÂME JAMAIS DE TOI NE S'EST LASSÉE
  ⅩⅥ QUE NOUS SOMMES ENCORE HEUREUX
  ⅩⅦ SUBIRONS-NOUS, HÉLAS! LE POIDS MORT DES ANNÉES
  ⅩⅧ LES MENUS FAITS, LES MILLE RIENS
  ⅩⅨ VIENS JUSQU'Á NOTRE SEUIL RÉPANDRE
  ⅩⅩ QUAND NOTRE JARDIN CLAIR
  ⅩⅩⅠ AVEC MES VIEILLES MAINS
  ⅩⅩⅡ SI NOS CŒURS ONT BRÛLÉ EN DES JOURS EXALTANTS
  ⅩⅩⅢ EN CE RUGUEUX HIVER OU LE SOLEIL FLOTTANT
  ⅩⅩⅣ PEUT-ÊTRE
  ⅩⅩⅤ OH! TES SI DOUCES MAINS
  ⅩⅩⅥ LORSQUE TU FERMERAS MES YEUX Á LA LUMIÈRE
 ヹルハアラン 高村光太郎
 解説 北川太一

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの詩集「時の三部作」。このうち「明るい時」は光太郎訳で大正10年(1921)に芸術社から刊行されました。「午後の時」光太郎訳は各種雑誌やアンソロジーに断片的に収められたものの、まとめられたことはありませんでした。さらに光太郎は「夕の時」翻訳には手を出さなかったようです。そこで本書では「夕の時」はヴェルハーレンの原文で収録しています。

また、光太郎の評伝「ヹルハアラン」(昭和8年=1933)を追補、当会顧問であらせられた北川太一先生が解説をご執筆。「光太郎生誕100年記念出版」という位置づけでした。

広島市に本社を置く『中国新聞』さん。文化面のコラム「緑地帯」が50周年だそうで、それを記念して50年前の昭和51年(1976)に掲載された、岡山出身の詩人・永瀬清子の連載「会いたる人々」8回分が再掲されました。平成7年(1995)に亡くなった永瀬が生前に親交のあった文学者たちの思い出を語るものです。
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ラインナップは以下の通り。

① 高村先生の呼び声
② 春芬・佐藤惣之助
③ 北川冬彦の背中
④ 詩人の妻(仲町貞子)
⑤ 前掛けと三好達治
⑥ 忙しい小熊秀雄の生命
⑦ 発見者・草野心平
⑧ うぶなる人・井伏鱒二先生

いきなり初回が「髙村先生の呼び声」。

永瀬清子 会いたる人々① 高村先生の呼び声

 高村光太郎先生が、戦後岩手の山奥から東京へ出て来られて、中野の中西伊之助画伯のアトリヱに落ちつかれたのは昭和二十七年のころだった。
 私も戦後東京から岡山へ帰ってくらしていたが、夫が再び東京で勤務することになったので上京し、絶えて久しく高村さんにお会いしようとたずねていった。
 中西家の玄関で女中さんに来意を告げると、高村さんの方へ伝えて下さったらしい。玄関につづくお座敷があけはなされていて広い中庭をへだてて高い屋根のアトリヱがみえている。すると縞(しま)のちゃんちゃんこを着た、なつかしい先生が思いがけずアトリヱの入り口にあらわれ、
 「おーい、永瀬さあん」ととてつもなく大声で呼ばれた。それはまるで岩手の山の中で猟師が谷向こうの人を呼ぶような感じで、思わず私も「はあい」と答え、胸がせまった。
 中西家の横の路地をアトリヱの方へいそぎながら高村さんがいとしく思えてならなかった。
 戦争の責任をだれよりも強く感じて岩手の雪の中に自己を流謫(るたく)し、一人悔みの詩を書いていられた。そして今ようやく新しい彫刻作品を作ることによって、すべてを出なおしたいと決心して、老いた身で東京へ出て来られたのだ。でも今私を呼ばれたその度はずれな声は、まるでいじめっ子から母の懐へとびこむ幼な子のそれのようにも聞こえたではないか。
 おおそんなことを言えば人にしかられるだろう。でも少なくとも高村さんはいろいろのことから開放されて、私と話したく思っていられるのにちがいないのだ。以前駒込林町に住んでいられ、私の詩集の序文をも書いていただいた時から十数年。智恵子夫人も今はなく戦争をへだて言うに言われぬ重く痛い月日が過ぎ去った。その時私には高村さんという山獄のようにそびえ立った人が、まるで一羽の雀(すずめ)のようにかわいそうでならなかった。

「中西伊之助」は「中西利雄」の誤記です。永瀬が中西アトリエを訪れたのは、確認出来ている限り昭和29年(1954)4月25日と翌30年(1955)2月25日の2回。それぞれ日記に「午前真壁仁、永瀬清子同道くる、午后二(時)頃辞去」「午后永瀬清子さんくる、来月インド行の由」の記述があります。

語られているのはおそらく29年4月の初回訪問のことと思われます。昭和56年(1981)の永瀬のエッセイ集『かく逢った』に加筆訂正された「高村先生の呼び声」が収録されていて、それによれば「高村さんをお訪ねしたのはそれからあと、もう一、二度あったかと思います」とありますし、全体のニュアンスも久闊を叙したという感じですので。同道したはずの真壁仁については割愛されているようです。

『かく逢った』収録の加筆訂正された稿の方が、この際の訪問に関して詳しく語られていますが、末尾の「高村さんという山獄のようにそびえ立った人が、まるで一羽の雀(すずめ)のようにかわいそうでならなかった」あたりはかなりニュアンスが異なります。

ついでですので(笑)、当会の祖・草野心平の回。

永瀬清子 会いたる人々⑦ 発見者・草野心平

 昭和八年の春、はじめて草野心平さんが私の家へいらした。何かの会合ですでにお顔みしりだったが、そのころ職のない彼は名刺印刷の注文取りをしていて、その用で来たのだった。幸い夫が名刺の注文をし、草野さんは宮沢賢治の詩集「春と修羅」を、大変いい特集だから読んでごらんなさい、と言って置いていった。
 私がその詩集を読むと全く今までにない詩集で、空の遠くに星雲が渦まいているように感じた。しかしその宮沢さんがどんな人かすこしもわからないし、そのことを尋ねようにも草野さんの所がまたわからない。名刺の注文取りはしても草野さん自身の名刺は作っていなかったのだ。でも注文した名刺が出来て来た時、きけると思い心待ちにしていたら私が留守の時、弟さんが注文品を置いていかれたので駄目(だめ)だった。こうして翌九年の二月までそのまま詩集は私の手許(もと)にあった。
 何も知らぬ私はその作品だけを頼り、「麺麭」8月号に「宮沢賢治の“春と修羅”について」紹介と感想を書いたが、その雑誌をすぐ宮沢さんに送れたら、きっと生前読んでいただけたろうに、昭和八年九月二十一日に遠い岩手県で詩人は死なれ、ただ宮沢さんについて書いた最も早いものとしてこの拙(つたな)い文章は残った。
 翌年の二月に宮沢さんの弟の清六さんが上京して来られ、その時宮沢さんの第一回追悼会が新宿モナミで催された。久々に草野さんに会って詩集がうちにあることを言うと、忘れっぽい草野さんはとてもよろこんだ。草野さんは私の所だけでなく、ありとあらゆる知人の所へその詩集を持ってまわり、そして宮沢発掘のために尽くしたのだ。
 昨年はまた福島県の老女、吉野せいさんの「洟をたらした神」のために尽くし、大きな名声をかち得た。いい作品を発見する目と世の中へ紹介するための情熱、それはなまなかな者には不可能なことで、事実彼の詩人としての大きな仕事であった。

こちらも『かく逢った』に加筆訂正され「親分草野心平さん」と改題されたものが掲載されています。そちらでは昭和28年(1953)3月15日(永瀬は「昭和二十六、七年頃」としていますが)、心平が経営していた居酒屋「火の車」開店一周年の際に訪問したことも記されています。「大きな大福帳に訪れた人の思い思いのサインが墨書されていた」とあります。そこには1ページ目に光太郎のそれも残されているのですが、永瀬の回想には書かれていません。
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この日、日記に依れば光太郎は「火の車」には立ち寄っただけで長居はしなかったらしく、永瀬とはニアミスだったと思われます。

そして新宿モナミでの宮沢賢治追悼会。これについては、やはり『かく逢った』に収められている「「雨ニモマケズ」の発見――モナミの賢治追悼会――」という文章に詳しく語られています。

また、他に「会いたる人々」で取り上げられた佐藤惣之助、北川冬彦、仲町貞子、三好達治、小熊秀雄、井伏鱒二についても、おそらく「会いたる人々」からの加筆訂正が為された文章が『かく逢った』に収められています。さらに賢治実弟の宮沢清六、木下夕爾、宮本百合子、深尾須磨子、長谷川時雨、萩原朔太郎、横光利一、正宗白鳥らについてもそれぞれ項立てされています。古書市場でそう珍しくなく入手可能ですので、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)63 『日本美の源泉』

昭和47年(1972)8月10日 中央公論美術出版 高村光太郎著
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収録作品
 日本美の源泉 埴輪の美 法隆寺金堂の壁画 夢違観音 神護寺金堂薬師如来
 藤原期の仏画 能面「深井」


「著書」と言っていいものかどうかという感じのものではあります。昭和17年(1942)の7月から12月にかけ、中央公論社から発行されていた雑誌『婦人公論』に全6回で連載された美術評論で、その草稿を同社編集者の栗本和夫が和綴じに仕立て、保管していたものをそのまま復刻し、二重函帙入り別冊解説付き限定300部・定価15,000円で刊行しました。別冊解説は当会顧問であらせられた故・北川太一先生でした。

栗本が和綴じに仕立てた時点で、第四回の冒頭部分一枚が失われていまして、復刻出版のその箇所は、仕方がないので活字で補ってあります。その失われた一枚は、同じ中央公論社の編集者だった湯川龍造が譲り受けていたそうで、令和元年(2019)に売りに出て、驚きました。
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始まってしまっている展示の情報を2件。

まず秋田県鹿角市。最初に鹿角コミュニティFMさんのニュースから。

小坂出身の出版者、澤田の企画展 鹿角市の図書館

 小坂町の出身で、高村光太郎の詩集「智恵子抄」を世に送り出すなどした出版者、澤田伊四郎(さわだ・いしろう)の企画展が鹿角市の図書館で始まり、熱い思いがうかがえます。
 澤田は明治37年、現在の小坂町大地(だいじ)の生まれで、昭和8年に出版社「龍星閣(りゅうせいかく)」を立ち上げました。
 埋もれたもの、独自のものを掘り出して世に送ることを終始、出版の理念とし、また本の材質や美しさにもこだわり、「本の芸術家」とも呼ばれました。
 鹿角市毛馬内の十和田図書館で行われている企画展では、澤田にゆかりの本や絹刷りの絵など230点が展示されています。
 智恵子抄は、妻を失った高村に、澤田が思い出を詩にするように提案し、まとめ上げたものですが、龍星閣で出版した実物が展示されています。
 また大正ロマンを象徴する画家、竹久夢二の画集でブームを再燃させた立役者でもありますが、日ごろは保管されている、貴重な絹刷りの絵やポストカードが並んでいます。
 いっぽう、同じ小坂町出身の画家、福田豊四郎と交流があり、第一号の出版にあたり装丁を福田に依頼しており、その本も展示されています。
 ほかに、澤田のインタビューや、龍星閣の出版物の表紙の写真を掲載した本があり、作家の発掘や本の造りに情熱を注いでいた姿がうかがい知ることができます。
 見学した70代の男性は、「この人のおかげで世に出た作家、作品があるのだから、隣の鹿角の市民としてもうれしい。こうして、地元の人をどんどん紹介してほしい」と話しました。
 十和田図書館では、「鹿角に近い小坂出身の澤田が、こだわって本を作っていたことを大勢に知ってもらおうと企画した。普段見られないものもあるので、ぜひ足を運んでほしい」としています。
 この企画展は今月27日まで、図書館2階のギャラリーで開かれています。
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展示の詳細。

本の芸術家が生んだ浪漫の世界

期 日 : 2026年2月25日(水)~3月27日(金)
会 場 : 鹿角市立十和田図書館 秋田県鹿角市十和田毛馬内字城ノ下7-5
時 間 : 9:00~19:00 最終日は13:00まで
休 館 : 月曜日
料 金 : 無料

小坂町出身“本の芸術家”と呼ばれた澤田伊四郎氏が設立した出版社、『龍星閣』から出版された資料を中心に、澤田氏ゆかりの人物に関する資料を展示します。
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オリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)の版元、龍星閣創業者の澤田伊四郎にスポットを当てる展示です。澤田は鹿角に隣接する小坂町の出身で、平成30年(2018)には光太郎からの書簡や署名本などがごっそり小坂町に寄贈され、同町の総合博物館で展示されました。その後、都内の日比谷図書館さんでも澤田に関する展示「龍星閣がつないだ夢二の心―『出版屋』から生まれた夢二ブームの原点―」(令和5年=2023)が開催されたりもしています。

『智恵子抄』を含む「澤田にゆかりの本や絹刷りの絵など230点が展示」とのことで、画像を見ると「絹刷りの絵」は竹久夢二作品のようです。光太郎同様、夢二の書籍も龍星閣では多く手がけました。そのあたり、平成31年(2019)に刊行された『澤田伊四郎 造本一路 図録篇』に詳しく紹介されています。

続いて奈良県から、光太郎の父・光雲作品が出ている展示。

特別展「奈良のモダン ~美術をめぐる人々」

期 日 : 2026年1月17日(土)~3月15日(日)
会 場 : 奈良県立美術館 奈良市登大路町10-6
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 月曜日(ただし3月9日は開館)
料 金 : 一般=1,200(1,000)円、大学生=1,000(800)円 
      ※( )内は団体料金(20名以上)

 豊かな自然に恵まれた風光明媚な土地柄と、神社仏閣をはじめ歴史的な景観が点在する奈良は、古くから詩歌や文学、芸術の題材とされ、文人たちをも魅了する憧憬の地として知られてきました。明治時代に入ると、信仰と結びついた奈良の文化が改めて評価される中で、美術や行政に携わる人たちが盛んに訪れるようになり、古都・奈良の地にも徐々に新時代の息吹が芽生え始めます。大正時代から昭和戦前期にかけては、奈良の歴史や文化財に関する調査・研究も進展し、その魅力が広く浸透するとともに多くの文化人が集い、往来するようになりました。また、こうした動向は奈良の人々をも刺激して、両者は互いに交流を重ねながら時にはコミュニティーを形成し、地域文化の興隆を促しました。
 本展では、美術家をはじめ研究者や文学者から美術行政家まで、奈良に足跡を残した人々を、「第1.章 近代の息吹~對たい山ざん楼ろうに宿る人々」、「第2.章 華開くモダン~高畑界隈の人々」の2章により紹介します。美術を通じて展開された、これら文化人たちの活動を概観することで、奈良と美術との関わりを検証すると同時に、独自の文化が華開いた近代奈良の一面に目を向ける機会となれば幸いです。
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公式サイトに出品目録がPDFで出ていました。
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光雲については高弟たち(山崎朝雲、米原雲海、平櫛田中、山本瑞雲、吉田芳明、本山白雲)との合作「木彫額貼交二枚折屏風」。京都国立近代美術館さんの所蔵品です。
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他に、光雲・光太郎父子に関わる人物の作等が目白押し。美術系だと横山大観、小杉未醒(放菴)、新納忠之助、富本憲吉、浜田葆光、柳宗悦、藤田嗣治、有島生馬ら、文学では宮沢賢治、武者小路実篤、志賀直哉などなど。

こちら、会期終了間近です。

それぞれぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)62 『美について』改版

昭和46年(1971)4月10日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 触覚の世界
  触覚の世界 比例均衡 普遍と独自 永遠の感覚 写生の二面 書について 書の深淵
  感覚と生活 緑色の太陽 言ひたい事を言ふ
 彫刻の世界
  彫刻的なるもの 彫刻性について 肖像雑談 彫刻に何を見る 東洋と抽象彫刻
  蝉の美と造型 小刀の味 絶滅の美
 ある首の幻想
  ある首の幻想 人の首 家 装幀について 某月某日 手 ほくろ 自分と詩との関係
  智恵子の切抜絵 九代目団十郎の首 自作肖像漫談
 美術の魅力
  日本の美 埴輪について    仏像について(古式の美) 能面について 茶について
 彫刻の面白味
 版画の話
 静物画の新意義
 日本画に対する感想
 自刻木版の魅力
 オオギュスト・ロダン
  一 一個の全球 二 親ゆづり 三 善い姉さんと腹の出た家と 四 始まり 五 実地修行
  六 修道院 七 下働きと仕立女工 八 総決算と新時代 九 苦境と愉楽と
  十 振出しへ返る事 十一 自己の道 十二 「歩む人」と「地獄の門」と 十三 胸像群
  十四 記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義 十五 一九〇〇年以後
  十六 晩年、死、死 十七 「小さい花子」
 注釈
 解説 詩と彫刻の交流 伊藤信吉
 作品解説 北川太一
 主要参考文献
 年譜

昭和35年(1960)に出た最初の文庫版と収録作品等は同一ですが、旧仮名がすべて新仮名に変更、北川太一先生による「作品解説」などが附されました。

本日開幕の企画展示です。昨日、ご紹介しようと書き始めたところ、公式サイトがメンテ中だったと見えてアクセス出来ませんでしたので……。

特別展 志村ふくみ 百一寿 ―夢の浮橋―

期 日 : 前期 2026年3月3日(火)~4月12日(日)
      後期 2026年4月14日(火)~5月31日(日)
会 場 : 細見美術館 京都市左京区岡崎最勝寺町6-3
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日(ただし、5月4日は開館)、5月7日(木)
料 金 : 一般 2,000円 学生 1,500円

 紬織の重要無形文化財保持者であり、随筆家としても知られる志村ふくみ。自然から限りない色彩を抽き出し、経糸と緯糸の交わりによって深く果てしない世界を表現する稀有の染織作家です。2025年秋に101歳を迎えた現在も、美しいものを手に取りながら穏やかな日々を過ごし、心をゆさぶる自然や色彩への深いまなざしを持ち続けています。
 本展では『源氏物語』や「紫」、そして作家、石牟礼道子(いしむれみちこ)原作の新作能
『沖宮(おきのみや)』の装束など近年の特徴的なテーマを中心に、作品と綴られた言葉によって、色彩、生命、自然への尽きることのない思索と、未来へ語り伝える想いを紹介します。本展を機に構想・制作された作品2領を初公開。作家の永く実り豊かな歩みを称え、言祝ぐ展覧会です。
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主な出品作品
 新作 《朧月夜》 2025年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸・金糸/紫根、藍、臭木【通期展示】
 新作 《夢の浮橋》 2025年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸/紅花、茜、紫根、藍、刈安 【通期展示】
 《若紫》 2007年 絹糸/紫根、茜 【前期展示】
 舞衣《紅扇》 2021年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸/紅花、藍、刈安、臭木、紫根 【前期展示】
 小袖《Francesco》 2020年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸/臭木、藍 【前期展示】
 《月の湖》 1985年 絹糸/藍、玉葱 【前期展示】
 《風露》 2000年 絹糸/紅花、藍、刈安、紫根 【後期展示】
 《雛形 若菜》 2006年 絹糸 【前期展示】
 《雛形 紫格子白段》 2006年 絹糸 【前期展示】
 《雛形 蛍 生絹》 2006年 絹糸 【後期展示】
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 《五月のウナ電》 詩:高村光太郎 書・裂:志村ふくみ 【後期展示】
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光太郎詩「五月のウナ電」(昭和7年=1932)をモチーフとした裂(きれ)が展示されます。令和5年(2023)、都内の銀座大黒屋ギャラリーさんで開催された「志村ふくみ氏・洋子氏母子の作品展示販売会 五月のウナ電」の際にも展示されたものです。画像はその冒頭部分で、全体ではこの4倍ほどになっていました。

平成21年(2009)に人文書院さんから刊行された志村氏のエッセイ集『白夜に紡ぐ』中に、ずばり「五月のウナ電」というタイトルの一篇が含まれ、宇宙の彼方から、地球の木々や鳥獣禽魚たちに届けられた電報、そこに語られるアジテートへの共鳴がつづられています。

 いつの頃か、私はどこかの雑誌にのっていたこの詩につよく心ひかれて、ノートに写していた。そしていつかどんな形かで、この詩を自分の手で飾りたい、と思っていた。十数年経ったこの頃またまた読みかえし、思い切って和紙を貼ったパネルに筆でカタカナを書いてみた。全くぶっつけ本番に。そしたら文字が踊るようで、ゼンマイはうずまくし、ウソヒメやホホジロがうたい出すし、トチノキは蠟燭をたてるし、人間なんかにかまわずにみんながうたい出した。私はうれしくなって、ところどころの隙間に小さな裂をチョンチョン貼ってこの詩を飾った。

そして志村氏、交友のあった版画家の山室眞二氏と組まれて限定65部の『配達された五月のウナ電』という可愛らしい書籍も作られました。解説は当会顧問であらせられた故・北川太一先生。ちなみに山室氏は、光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八令孫の石黒敦彦氏が編まれた北川先生の『高村光太郎と尾崎喜八』の装丁もなさっています。
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関連行事として、ご令嬢の志村洋子氏による講演「うつろいゆく紫の物語」(5月10日(日))も開催されます。展示のメインとなる『源氏物語』系のお話が中心かとは存じますが、「五月のウナ電」にも触れていただきたいものです。
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《五月のウナ電》は後期(4月14日(火)~5月31日(日))での出品になりますが、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)61 『道程』名著復刻全集 近代文学館

昭和43年(1968)9月10日 日本近代文学館 高村光太郎著
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目次
 一九一〇年 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年 画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥
  声 風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏
  なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
  けもの
 あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年 青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 
  或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
  カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて
  師走十日
 戦闘
 一九一三年 人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実
  冬が来た
 冬の詩 牛 僕等
 一九一四年 道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ
  晩餐
 五月の土壌 淫心 秋の祈

大正3年(1914)に抒情詩社から出た初版のカバーまで含めた完全復刻です。最初の段階では復刻としての奥付は函に貼られていました。のち、ほるぷ出版さんに版元が移ってからの版は最終ページに奥付が附されたような記憶があります。おそらくそうしないと「初版」と偽って売る悪徳業者がいたのではないかと思われます。

これまた始まってしまった展示です。

本郷新生誕120年記念 コレクション展 マンガでわかる本郷新

期 日 : 2026年2月22日(日)~5月24日(日)
会 場 : 本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市中央区宮の森4条12丁目
時 間 : 午前10時~午後5時
休 館 : 月曜日 5月4日(月・祝)は開館し5月7日(水)は休館
料 金 : 一般350円(300円)、65歳以上300円(200円)、高大生150円、中学生以下無料
      ※(  )内は10名以上の団体料金

 札幌生まれの彫刻家・本郷新(1905~80年)は、彫刻の社会性、公共性を重視し、戦後、平和、希望、愛などをテーマにしたモニュメンタルな野外彫刻の制作に熱意を傾けました。
 本郷新記念札幌彫刻美術館では、2025年12月に生誕120年を迎える本郷新の功績を、次世代の子どもたちにも伝えていくために、マンガ『本郷新伝』を出版し、札幌市内の小学校などに配布する予定です。
 本展はこのマンガの出版に合わせて開催されます。マンガの主要な場面をいくつかパネル化し、実際の作品や資料と一緒に展示することで、本郷新の生涯や彫刻に込められた思いについて、初心者でも楽しく愛着を持って学ぶことができます。
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【関連事業】
◆『本郷新伝』出版記念トークイベント「マンガで伝える 彫刻家本郷新の思い」
 日 時 : 2026年3月21日(土)14:00-15:30(開場13:30)
 会 場 : SCARTSコート(札幌市民交流プラザ1階)
 登壇者 : 田中宏明(エアーダイブ代表)  三守小百合(エアーダイブ副編集長)
       鴨修平(漫画家)        桜井さよる(漫画家)
       吉崎元章(本郷新記念札幌彫刻美術館館長)
 定 員 : 80名(事前申込不要・先着順)
 受講料 : 無料
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マンガ『本郷新伝』について。

本郷新伝

発行日 : 2026年3月4日
著者等 : teamエアーダイブ/本郷新伝製作委員会
版 元 : Dybooks
定 価 : 990 円(税込)

「手」は人類が誕生して以来様々なものを生み出してきた。「物」も、「争い」も、そして「彫刻」……北海道・札幌に生まれ、平和を愛し、彫刻に生命を吹き込み、日本の社会的空間における彫刻の在り方を探求し続けた彫刻家・本郷新の物語が いま、始まる――

普段、何気なく見ている街なかの彫刻。それは、半世紀以上前に、本郷新がつくったものかもしれません。時代が移り変わっても、社会の中でずっと生き続けることを求めた造形。そして、そこに込めた人間愛と、反戦・平和への強い思い。この「本郷新伝」は、現代の視点から、それらを改めて見つめ直していきます。本郷新や彫刻に対する深い理解へと導く渾身作です。ぜひご一読ください。
 吉崎元章(本郷新記念札幌彫刻美術館 館長)

【目次】 1話:創り出す手 2話:差し伸べる手 3話:繋ぎあう手
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こちらには、本郷と交流のあった光太郎も登場するそうです。『北海道新聞』さん記事。

コレクション展 マンガでわかる本郷新

 札幌出身で戦後日本の彫刻界をけん引した本郷新(1905~80年)の生涯や考え方を紹介する漫画「本郷新伝」(teamエアーダイブ著)が3月4日、発売される。生誕120年記念で企画・監修した本郷新記念札幌彫刻美術館は、出版を記念する特別展を開く。作中の主要場面のパネルを彫刻や資料と並べ、本郷をより広く、深く知るきっかけにしてもらう考え。
 漫画では、広島市民の募金で平和記念公園に設置されたブロンズ像「嵐の中の母子像」や、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝に依頼された札幌・大通公園の「泉の像」の制作意図や背景を紹介。高村光太郎、山内壮夫、佐藤忠良ら、親交を深めた芸術家たちも登場する。また、本郷が36歳の時の彫刻論集に収録された「彫刻十戒」もイラストを用いて説明した。
 A5判128ページ、990円。道内主要書店で販売するほか、札幌市内の小中学校、図書館に寄贈する。漫画は館内で先行販売する。

UHB北海道文化放送さんのローカルニュース。

「生誕120周年」迎えた札幌出身の彫刻家・本郷新さんの生涯や彫刻に込めた思いを紹介「マンガでわかる本郷新」展はじまる 5月24日まで〈北海道札幌市〉

 札幌出身の彫刻家、本郷新さんの伝記漫画の出版を記念した特別展が2月22日から始まりました。
 この特別展は札幌出身の彫刻家、本郷新さんの伝記漫画、「本郷新伝」の出版に合わせて企画されたものです。
 漫画では戦後日本の彫刻界をけん引し、2025年12月に「生誕120周年」を迎えた本郷さんの生涯や彫刻に込めた思いが紹介されています。
 会場では本郷さんの彫刻などと一緒に並べられた漫画の主要場面を訪れた客が熱心に見入っていました。
 この特別展は、5月24日まで開かれています。
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展示にはぜひ足をお運びの上、『本郷新伝』もお買い求めあれ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)59 『智恵子抄』 改版

昭和42年(1967)12月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎著
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目次
 人に(いやなんです) 或る夜のこころ  おそれ からくりうた 或る宵 梟の族
 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪 人類の泉 人に(遊びぢやない) 人類の泉 僕等
 愛の嘆美 晩餐 淫心 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視
 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記
 レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 松庵寺 報告(智恵子に) 噴霧的な夢
 もしも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 智恵子と遊ぶ 報告 うた六首 智恵子の半生 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 解説「悲しみは光と化す」 草野心平 覚え書 同 改訂覚え書 同

昭和31年(1956)5月20日に初版が出された新潮文庫版の改版です。編者・草野心平の意図で初版には省かれていた「或る日の記」が新たに収められました。カバーも智恵子紙絵を使ったものに変更、さらに口絵にも智恵子紙絵が入れられました。

おそらく数千冊ある光太郎関連蔵書の中で、1番を選べ、といわれたら迷わずこれを選びます。手持ちの物は昭和51年(1976)1月の第57刷。中途半端な時期の重刷、さらにボロボロの状態なため市場価格は無いに等しいもので、古書店では入口のワゴンに100円均一で並んでいるようなものでしょう。しかし、自分にとってはこれが1番です。なぜなら、数千冊に及ぶ光太郎関連蔵書の第1号がこれだからです。昭和51年(1976)にこれを手に入れて読み、雷に打たれたような衝撃を受けてしまった故に、現在の自分が居ます。

始まってしまっている展示ですが……。

新収蔵品展「創作の生まれるところ」

期 日 : 2026年1月31日(土)~3月22日(日)
会 場 : 山梨県立文学館 甲府市貢川1-5-35
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 月曜日
料 金 : 無料

 2025年に新たに収蔵した資料より、樋口一葉・飯田蛇笏・芥川龍之介・村岡花子・山本周五郎・山崎方代・飯田龍太 などの、原稿や手紙、書画などを展示します。作家の創作の現場を直筆資料から想像してみてはいかがでしょうか。

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開催情報は得ていたものの、公式サイトの案内文等に光太郎の名がなかったので存じませんでしたが、光太郎の書簡が1点出ています。文芸評論家の故・吉田精一氏に宛てた葉書です。

日付は昭和21年(1946)12月8日。花巻郊外旧太田村の山小屋で蟄居生活を送っていた時期です。文面は以下の通り。

拝啓 貴著「日本近代詩鑑賞」一部御恵贈下され、ありがたく厚く御礼申上げます。中に小生の詩についても御解明の文あり、小生すら以前の事は忘却の事多き折柄拝読をたのしみに存じ居ります。よき参考と存ぜられます。小生目下辺陬の地に独居、長い一群の詩篇を書き試み居ります。 とりあへず御礼まで 艸々

「長い一群の詩篇」は、自らの半生と戦争責任を省察する連作詩「暗愚小伝」。翌年に雑誌『展望』に発表されました。

「日本近代詩鑑賞」は、天明社からこの年10月に出た『日本近代詩鑑賞 大正篇』。宛先の吉田氏の住所も「天明社気付」となっています。その前後に「明治篇」「昭和篇」が出、三冊セットでした。
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001「高村光太郎篇」として、25ページ。光太郎詩についてのまとまった評論はまだあまり出ていなかった当時、光太郎としても面はゆい気持で読んだのではないかと勝手に想像しております(笑)。

当方、平成2年(1990)に創拓社さんから復刻されたもので読みました。ただ、こちらはオリジナルの「昭和篇」に含まれていた日夏耿之介篇、西條八十篇、芥川龍之介篇、佐藤惣之助篇を含みます。

吉田氏と言えば、当方の学生時代にはまだご存命で、各種著作が大学のテキスト等にも使われ、どうもまだ歴史上の人物という気がいたしません。そこで「氏」をつけさせていただきます。

今回の展示、他にも吉田氏関連が出ているようです。他には下記『朝日新聞』さん報道をご参照下さい。

芥川小説の草稿など70点 新収蔵品展 山梨県立文学館で3月まで

 山梨県立文学館(甲府市貢川)で、新たに収蔵品となった資料を展示する「新収蔵品展 創作の生まれるところ」が始まった。昨年購入したり寄贈や寄託を受けたりした収蔵品の中から約70点を選んで展示している。
 同館が豊富なコレクションを誇る芥川龍之介(1892~1927)関連では、短編小説「お律と子等(こら)」の草稿の冒頭から7ページ目までが新たに加わった。発表された文章と表記に多少の違いはあるが、ほぼ同じ内容だといい、最初のページにはタイトルや署名もはっきりと書かれている。
 従来の収蔵品の中に同じ小説の別バージョンの草稿があり、それらを含む芥川関連のコレクションの充実ぶりを知った所有者から、寄託の申し出があったという。
 ともに山梨県出身の山本周五郎(1903~67)、村岡花子(1893~1968)の新たな資料も展示。山本の「赤ひげ診療譚(たん)」の原稿や、「赤毛のアン」を翻訳して日本に初めて紹介したことで知られる村岡が書いた随筆「わたしの愛読の作家 山本周五郎先生のこと」の原稿など。これらは古書店から購入し、両作家のコレクションに加えた。
 同館学芸課長の中野和子さんは「当館がどういったものを集めて展示しているかが伝わる、わかりやすい内容にしています。気軽に足を運んでいただけるとありがたい」と話す。
 3月22日まで。観覧無料。午前9時~午後5時(入室は4時半まで)。月曜(祝日除く。2月23日は開館)と2月24日は休館。問い合わせは同館(055・235・8080)へ。
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芥川龍之介「お律と子等」の草稿
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左:山本周五郎「赤ひげ診療譚」の原稿 右:村岡花子「わたしの愛読の作家 山本周五郎先生のこと」の原稿

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)58 『山のスケッチ』 

昭和41年(1966)3月5日 中央公論美術出版 高村光太郎著
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目次 なし


光太郎唯一の画集です。戦後、花巻郊外旧太田村に隠棲していた際に描いた山野草などのスケッチ帖から原色版で、さらに関連する文章等を添えています。当会顧問であらせられた故・北川太一先生が解説を執筆なさいました。

都内からのコンサート情報です。もう明日なのですが、一昨日の夜になって演目に光太郎がらみが含まれるという情報が出たもので……。

イーガルの現代音楽の世界 ー作曲の秘密、演奏の魔法ー Vol.2 現代詩と現代音楽

期 日 : 2026年2月20日(金)
会 場 :  PetitMOA 東京都新宿区歌舞伎町2-19-10 B1
時 間 : 開場 18:00/開演 18:30
料 金 : 予約3,000円 当日3,500円(どちらも+1ドリンク 700円別途)

現代音楽作曲家・ピアニスト イーガルによる、
自作の演奏と創作をめぐる対話を中心にしたライブイベント。今回はゲストに、冬木理森(歌)と
トークゲストに山﨑修平(詩人)を迎え
作曲と詩の関係、表現の奥行きを多角的に探ります。

出演:イーガル(ピアノ・歌) 冬木理森(歌)  こみてつ(チェロ)
トークゲスト:山﨑修平(詩人) 
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トークゲストの山﨑修平氏、昨年開催された目黒学園カルチャースクールさん主催の詩の講座「詩の創作と鑑賞講座 7月期」で光太郎を取り上げて下さった方でした。

当方、明日から花巻出張ですので伺えませんが、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)50 『赤城画帖』

昭和31年(1956)9月5日 龍星閣 高村光太郎著 西山勇太郎編
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目次
 赤城画帖 第一図~第二十八図  赤城相聞歌  赤城山の歌

上州赤城山は、光太郎にとってのソウルマウンテン。留学前の明治37年(1904)には5~6月と、7~8月にかけての2回、赤城の猪谷旅館に滞在し、それぞれ、親友の水野葉舟、与謝野鉄幹ら新詩社の面々と過ごしています。留学から帰朝した明治42年(1909)にもすぐ赤城山に登っています。

昭和4年(1929)には、草野心平、高田博厚らを引き連れて登っていますし、確認出来ている最後の赤城行は昭和6年(1931)で、この際には父・光雲も一緒でした。
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画帖は明治37年(1904)の滞在時に光太郎が残したスケッチ帖で、水野葉舟が譲り受けていましたが、詩人の風間光作の手に渡り、さらに風間からやはり詩人の西山勇太郎に。その後行方不明です。

平成12年(2000)、風間が原本から1枚抜き出して額装していたものが売りに出て、驚きました。
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西山の編集で、前半が画帖、後半は明治の第一期『明星』に載った赤城山関連の短歌を収めています。

画帖の存在は光太郎晩年の昭和26年(1951)、西山が光太郎に知らせ、光太郎は西山に以下の内容の書簡を送りました。

赤城写生帖といふやうなもの、まるで忘れても居ましたし、思ひ出さうとしても思い出せません。しかし、小生のものらしく、それがどうして貴下のところにあるのか実に不思議に堪へません。卅七年といへば日露戦当時、小生が美術学校に居た頃と思ひますが、そんなものが出て来ると怖いやうな気がします。

画帖部分、短歌の部分双方に、猪谷旅館の子息・六合雄(くにお)が解説を執筆しています。猪谷六合雄といえば日本スキー界の草分けで、さらに子息の千春氏は光太郎が歿した昭和31年(1956)のコルティナ・ダンペッツォ五輪で、日本人初の冬季五輪メダリストとなりました。現在行われているミラノ・コルティナ2026冬季五輪と会場がかぶります。

ちなみに現在94歳の千春氏、今回の五輪に合わせてコルティナ・ダンペッツォを再訪されたそうで。

コルティナで70年ぶりの再会 猪谷さん、当時の宿泊先家族と

 1956年コルティナダンペッツォ冬季五輪のアルペンスキー男子回転で2位に入った猪谷千春さん(94)が17日、大会で縁のあったマヌエラ・アンジェリさん(86)とコルティナダンペッツォで70年ぶりの再会を果たした。約1時間にわたって談笑し「昔のことを話し合えて楽しいし、うれしい」と感慨に浸った。
 猪谷さんは当時、アンジェリさんの家族が経営していたホテル「ビクトリア」に宿泊し、日本勢初の冬季五輪メダリストに輝いた。フィギュアスケートのイタリア代表だったアンジェリさんは別の滞在先から大会に出場したが、会話を交わした記憶があるという。今大会がきっかけで再会が実現。2人は「ビクトリア」のソファに腰を下ろし、対面した。
 猪谷さんは現役引退後、IOC副会長も務め、名誉委員となった。五輪の意義について問われ「技を競い、友情の輪を広げる。まさにこの2人の再会」と話した。来日したことがないというアンジェリさんには草履をプレゼントし「次は東京で会いましょう」と声をかけた。(共同通信)
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何度か取引させていただいた小金井市の美術専門古書店・えびな書店さんから新しい在庫目録が届きました。
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「一、新蒐品」のページには直接光太郎に関わる品はありませんでしたが、交流のあった人々の絵画作品や書作品、書簡、草稿なども多く、興味深く拝見しました。親友だった水野葉舟、柏亭・鶴三の石井兄弟、留学仲間の津田青楓や有島生馬、光太郎を敬愛していた少し年下の宮崎丈二・岸田劉生、姉貴分・与謝野晶子、智恵子の方でも平塚らいてうなどなど。

それら、他店と比較すると価格設定が明らかに良心的なのですが、さらに驚いたのが「二、精選在庫品」のページ。「開店44周年記念」というよくわからない理由で(笑)、全品2割引とのこと。

こちらには光太郎の書作品が3点出ていました。
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左上が「源にかへるもの力あり」。元ネタは昭和17年(1942)作の翼賛詩「みなもとに帰るもの」の一節のアレンジです。右下で「太田村 やまぐちやまの 山かげに ひえをくらひて 蟬彫る吾は」。花巻郊外旧太田村の山小屋で隠棲中に詠んだ短歌が認(したた)められているマクリです。最後に左下はフランスのことわざ「盃と口とは遠し」を書いた戦前と思われる色紙。「源に……」と「盃と……」は令和3年(2021)9月、「太田村……」は同年12月の目録に初登場でした。

ちなみに一緒に画像が並んでいる小杉放庵(未醒)も光太郎とわずかながら交流がありました。

後の方のページには、色紙「詩とは不可避なり」、詩人の中野秀人に宛てた書簡(昭和2年=1927)、それから光太郎実弟にして鋳金分野の人間国宝だった豊周の作も。色紙は令和2年(2020)6月、中野宛書簡は同年(2020)10月に売りに出ていました。ちなみにそれぞれの際も2割引フェア中でした。
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「二、精選在庫品」のページでは光太郎作品は5点のみですが、表紙には「在庫品全点2割引」とあります。上記以外にも「高村光太郎」で検索すると、以下の通り。
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金に糸目をつけない生活ができていれば、すべて入手したいところですが(笑)。

「二、精選在庫品」にも光太郎智恵子と交流のあった人々の作品等がずらっと出ています。2割引フェアがいつまでかは明記されていませんが、余裕のある方、ぜひどうぞ。できればその後、各種展覧会等への貸与もやぶさかでないよ、という方に買われてほしいものですが。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)49 『詩集 典型以後』

昭和31年(1956)9月5日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 東北の秋        昭和二十五年十一月「婦人の友」
 開拓に寄す              昭和二十五年十一月“岩手県開拓五周年祭”
 大地うるはし      昭和二十六年一月「婦人公論」
 人間拒否の上に立つ   昭和二十六年一月「心」
 明瞭に見よ       昭和二十六年一月「出版ニュース」
 船沈まず        昭和二十六年元旦「中部日本新聞」「西日本新聞」「北海道新聞」
 智恵子と遊ぶ      昭和二十七年一月「新女苑」
 山のともだち      昭和二十七年九月「婦人之友」
 ばた屋         昭和二十七年十月「中央公論」
 餓鬼            〃
 報告          昭和二十八年一月「いづみ」
 お正月に        昭和二十八年元旦「朝日新聞」
 東京悲歌        昭和二十八年四月「心」
 十和田湖畔の裸像に与ふ 昭和二十九年一月「婦人公論」
 かんかんたる君子    昭和二十九年元旦「毎日新聞」
 記者図                      昭和二十九年一月十四日「新聞協会報」
 弦楽四重奏       昭和二十九年三月「婦人之友」
 新しい天の火      昭和三十年元旦「読売新聞」
 開拓十周年       昭和三十年十月“岩手県開拓十周年”
 追悼          昭和三十年十二月「婦人之友」
 開びやく以来の新年   昭和三十一年元旦「中部日本新聞」「西日本新聞」「北海道新聞」
 お正月の不思議     昭和三十一年元旦NHK第二放送「季節のしおり」
 生命の大河       昭和三十一年元旦「読売新聞」
 あとがき  高村豊周

題名の通り、昭和25年(1950)刊行の詩集『典型』の後に書かれた詩の集成です。この年4月に没した光太郎にはこれらをまとめて出版する意図は無かったと思われますが、「あとがき」を執筆した実弟・豊周、当会の祖・草野心平、そして版元の中央公論社の強い希望があったと思われます。

当会として最大のイベント、高村光太郎を偲ぶ連翹忌を、忌日である4月2日(木)、下記の通り実行いたします。今年は光太郎没後70周年ということで、節目の第70回連翹忌となります。お誘い合わせの上、ご参加下さい。

第70回連翹忌

日 時  令和8年4月2日(木) 午後5時30分~午後8時

会 場  日比谷松本楼 2階宴会場 千代田区日比谷公園1-2 tel 03-3503-1451㈹
     地下鉄日比谷線・千代田線・三田線 日比谷駅 A14 出口
     地下鉄日比谷線・丸ノ内線 霞ヶ関駅 B2 / B1A / B3A 出口 
     JR 山手線・京浜東北線 有楽町駅 日比谷口
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会 費  12,000円(含食事代金)

ご参加申し込みについて
  ご出席の方は、下記の方法にて3月22日(日)までにご送金下さい。
  会費ご送金を以て出席確認とさせていただきます。

  郵便振替 郵便局備え付けの払込取扱票にて郵便局よりお願いいたします。
  ATM、窓口にて取り扱い可能です。申し訳ございませんが手数料はご負担下さい。
   ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明
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  ご送金後、急なご都合等でご欠席の場合、3月30日(月)までにご連絡頂ければ、
  後日、返金いたします。

  参加料の当日お支払いも可能ですが、座席数確保、名簿作成のため、
  事前のお申し込み連絡をお願いいたします。

  複数名の方でご参加下さる場合、払込取扱票の通信欄等をご利用の上、
  参加なさる方全員分のご氏名をお知らせ下さい。

配布物について
  会場でパンフレット、チラシ等配付をご希望の方は、150部ほどご用意いただき、
  4月1日(水) 必着で下記までご送付下さい。
  当日、参加の皆様に配付いたし、残部は欠席の方等にお送りいたします。
  公序良俗に反するものでなければ特に光太郎智恵子に関わらないものでも結構です。
  当日ご持参いただく場合には午後4時頃までに会場受付にお持ち下さい。
  書籍、CD等の販売も可能です。

  〒100-0012 千代田区日比谷公園1-2 日比谷松本楼 連翹忌宛(必ず明記)

  当日、お時間に余裕がおありの方には配付資料の袋詰めのお手伝いをお願いたします。
  早めに会場にお越しいただき、ご協力下さい。
  当方、午後4時頃会場入りしております。会場都合により昨年より1時間遅らせました。

当日備考
     着座ビュッフェ形式にて執り行います。ドレスコードは特に設けておりません。
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当会名簿に名のある方には上記要項及び払込取扱票を今日明日には発送いたします。

基本的にはどなたにも門戸を開放しております。政治活動その他全く関係ない目的での申し込みはご遠慮いただきますが。

このところ毎年ほぼ70名余のご参加をいただいておりますが、概ね下記のような方々です。
 ・高村家御血筋に連なる皆さん
 ・生前の光太郎をご存じの方々(年々減っていますが)
 ・光太郎智恵子と交流のあった人々の御血筋に連なる皆さん
 ・光太郎智恵子と交流のあった人々の顕彰活動等をなさっている方々
 ・全国の文学館さん、美術館さん等にお勤めの方々
 ・出版/教育関係の方々
 ・美術・文学・音楽・芸能系等で光太郎智恵子を扱って下さっている方々
 ・単なる光太郎智恵子ファン(当方もそうです)

コロナ禍中の令和2年(2020)から令和4年(2022)までは、松本楼さんでの集いは中止、当方が代表して染井霊園の光太郎墓所に墓参することで1回とカウントいたしましたが、令和5年(2023)より旧に復し、松本楼さんに戻りました。ちなみに松本楼さんは、明治末に光太郎智恵子が「氷菓」を食し、また光太郎も中心メンバーの一人だった芸術至上主義運動「パンの会」会場としても使われたゆかりのお店です。
参加資格はただ一つ「健全な心で光太郎・智恵子を敬愛している」ことのみです。よろしくお願いいたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)47 『智恵子抄』

昭和31年(1956)7月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎著
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目次
 ――に 
或る夜のこころ おそれ 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪
 人類の泉 人に 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視
 風に乗る智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌
 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 松庵寺 報告(智恵子に) 若しも智恵子が 元素智恵子
 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 智恵子と遊ぶ 報告
 うた六首 智恵子の半生 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 「悲しみは光と化す」 草野心平 覚え書 仝

昭和16年(1941)、龍星閣から出されたオリジナルの内容に、同時期の詩でありながら省いていたもの、さらに戦後の白玉書房版『智恵子抄』、『智恵子抄その後』所収のものなどを加えるなどの再編が為されています。

光太郎が没する直前の2月23日、新潮社の佐野英夫が光太郎の元を訪れ、文庫化の話を持ちかけました。光太郎としてはもはや自分で編むことは不可能と判断し、当会の祖・草野心平に託しました。

2度の改版を経て、現在でも版を重ねています。既に120版ぐらいは行っているようです。

正確にどの版からというのを解明していないのですが、昭和35年(1960)頃の版からカラー印刷のカバーがかけられるようになりました。
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カバーのデザインは昭和42年(1967)12月15日の第43刷での改版に伴い、智恵子紙絵画像が使われるようになります。

昨日は妻と共に栃木県佐野市へ行っておりました。レポートいたします。

まず向かったのが東石美術館さん。
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11年前に訪れた際には前身の佐野東石美術館という名称で、殺風景なビルの一角でしたが、一昨年にリニューアル。東石美術館さんを含む複合施設「東石スカイテラス」として生まれ変わりました。その名の通り、屋上は芝生の広がるテラスとなっており、前庭はイベントスペースとしても使用可。テラスに上がる階段が観覧席にもなる造りです。

メイン施設は東石美術館さん。
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こちらでは「令和八年第一回企画展 雪あかりと春のきざし」が開催中です。
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目玉の出品物の一つとしてポスターに画像が使われている狛犬が、光太郎の父・光雲の作です。顔の部分だけを拡大した獅子頭タイプはこれまでも各地で拝見しましたが、狛犬像は初めてでした。ちなみになぜか作品名が「狗犬」となっているのですが。

特に撮影禁止などの表示が見当たらなかったので、撮らせていただきました。
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像高一尺ほど。阿形の宝珠、吽形の角、それから双方の眼や爪牙、そして首飾りに金彩が施されていますが、それ以外は素の木肌で木目を実に上手く生かした造り。見事でした。360度で見られず、光雲の銘も視認出来なかったのが残念でしたが(銘を見ると単独作か工房作かある程度判断出来ます)。

他に光雲の一番弟子・山崎朝雲や、やはり光雲の系譜に連なる円鍔勝三らの彫刻、光雲に学んだ板谷波山の葆光彩磁、横山大観のナイアガラと万里の長城を描いた双幅の大きな屏風、喜多川歌麿(そういえば栃木とも縁がありました)や安藤広重の浮世絵など。
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眼福でした。

リニューアルされたもののそれほど大きな館ではなく、ちょっと物足りないなぐらいの感じが逆に良いと思いました。「これでもか、これでもか」と並べられるとお腹が一杯になり、結局は各出品物の印象が残らないというケースも多いので。

また、通常入館料は1,000円のところ、2人で行くと800円に割引。さらに今回の半券を次回に提示すればまた800円で入館可と、どこまで良心的なんだ、と思いました。

続いて、御朱印コレクターの妻のリクエストで、車で数分の佐野厄除大師さんへ。関東圏ではテレビCMもよく眼にします。
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分骨と言う定、かの田中正造翁の墓もあり「へ~」でした。また、佐野は「天明鋳物」と呼ばれる鋳造の町としても知られ、梵鐘は地元産だそうで。

帰ってから気づいたのですが、境内には石川啄木の歌碑もあったそうです。やはり足尾銅山の鉱毒事件にまつわるもので、社会問題にも意識高い系だった啄木ならではの歌ですね。

さらに道の駅マニアでもある妻の指示で、郊外の道の駅どまんなかたぬまさん。
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これまでに行ったどの道の駅よりも混雑していました。土曜ということもあったでしょうし、我々同様に佐野厄除大師さんからの流れという方も少なくなかったかもしれません。

ちょうど昼時になる頃でしたので、こちらで名物の佐野ラーメン。
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自分はチャーシュー麺、妻は野菜ラーメン。専門店でのそれには及ばないのかもしれませんが、十分に美味でした。

というわけで、佐野レポートを終わります。東石美術館さんの狛犬展示は3月24日(火)まで。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)46 『山の四季』

昭和31年(1956)5月20日 中央公論社 高村光太郎著
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目次

 山の四季
  山の雪 山の人々 山の春 山の秋 花卷温泉 みちのく便り 七月一日 年越し
  雪解けず 開墾 早春の山の花 季節のきびしさ 淋しさ知らぬ孤独 夏の食事
  十二月十五日
 工房にて
  制作現況 人体について 工房にて 美と真実の生活 書についての漫談 書の深淵
  黄山谷について
 回想録
 あとがき

この年4月2日に光太郎が没し、それまで単行書に収録されていなかった詩文等を集めた追悼出版的なものが相次いで出されますが、その第一弾。雑誌『婦人之友』、『婦人公論』などに載った戦後(特に花巻郊外旧太田村時代のもの)の随筆をまとめたものです。クレジットがありませんが、編集は「あとがき」を書いた当会の祖・草野心平でした。

この季節、この手の公演が少ないのでありがたいところです。神奈川県から朗読の公演情報です。

朗読スペース・春の公演

期 日 : 2026年2月27日(金)
会 場 : 文化創造拠点シリウスマルチスペース 神奈川県大和市大和南1丁目8番1号
時 間 : 14:00~
料 金 : 無料

時は春 日は朝(あした) / R・ブラウン作、上田敏訳「春の朝」。山村暮鳥は/おおい雲よ/と、みちのくの空に、おのが心の在り様をゆったりと広げる。「レモン哀歌」「落葉」など、「アンソロジー四季の詩歌」19篇。「枕草子」は清少納言が里住まいのつれづれと中宮とのやりとりなどを個性豊かに綴る。「春はあけぼの・・・むらさきだちたる雲の・・・」に始まり、エピローグを含めいくつかの段を抽き出し現代文と共に紹介します。
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ただ、ネット上にあまり詳しい情報が出ていませんで、出演者の方など不明ですが、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)45 『詩集 天上の炎』

昭和30年(1955)6月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎訳
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目次
 未来(序詩) 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 私の集(題跋詩)
 ヴェルハアラン
 解説(金子光晴)

金子光晴による解説も含め、昭和28年(1953)に出た創元文庫版とほぼ同一の内容です。ただし、創元文庫版にあった、F・ヴァロトンによるヴェルハーラン肖像画の口絵は割愛され、逆に光太郎による評伝「ヴェルハアラン」(昭和8年=1933 原題「ヹルハアラン」)が追補されています。

なぜ立て続けに複数社から文庫化されたのか、そこは不明です。

北の大地から特別展情報です。

開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」

期 日 : 2026年1月31日(土)~3月22日(日)
会 場 : 北海道立文学館 札幌市中央区中島公園1番4号
時 間 : 9:30~17:00
休 館 : 月曜日 ただし2月23日(月・祝)は開館し、2月24日(火)休館
料 金 : 一般500(400)円、高大生250(200)円 中学生以下・65歳以上無料
      *観覧料のうち( )内は10名以上の団体料金

1966年の最初の北海道文学展以来、連綿と続けられてきた収集活動。現在の資料点数は38万点を超えます。 原則、分野別・作家別などに分類され配架される資料ですが、中には収蔵時のまとまりを保ちそれぞれの特色を存分に発揮しているものもあります。 装幀の美しい本が揃う蘭繋之文庫、作家の書斎を覗いたような船山馨文庫、北海道文学論考の基礎資料が集まる小笠原克文庫……。 本展では「〇〇文庫」「〇〇コレクション」などと称されるそれらの資料群に光を当て、文学の魅力を掘り下げていきます。意外性のある資料との出会いもお楽しみに。

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関連行事
 講演会「『声』から探る近代文学―昭和初期の自作朗読を聴く」
  日時 2月23日(月・祝)14:00~15:30
  当館講堂(聴講無料)  講師 新井高子(詩人)
  定員 60名 2月10日(火)9:00から電話受付(要申込、先着順)
 ギャラリーツアー
  日時 2月14日(土)、21日(土)、3月7日(土)、14日(土)、21日(土)
  いずれも11:00~約40分 特別展示室  ご案内 当館学芸員
  定員 先着約10名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
 ミニ解説&朗読会
  学芸員による10分間ミニ解説後の朗読
  日時 2月18日(水)、28日(土)、3月4日(水)、11日(水)、18日(水)
  いずれも11:00~約40分 特別展示室
  朗読作品
   (順不同) 萩原朔太郎「猫町」/三浦綾子「銃口」より一部/船山馨「笛」/
   小笠原克「北海道 風土と文学運動」より一部/森田たま「石狩少女」より一部
  定員 先着約30名 当日自由参加 ※観覧券をお求めの上、展示室入口へ。
 講座「コレクションを語る」
  日時 3月15日(日)14:00~15:00
  当館講堂(聴講無料)  ご案内 当館学芸員
  定員 60名 3月1日(日)9:00から電話受付(要申込、先着順)

館蔵資料のうち、肉筆もの、稀覯本など含む、まとめて寄贈されたコレクションにスポットを当てての展示だそうです。

公式サイトに出品リストは出ていませんが、光太郎の第一詩集『道程』(大正3年=1914)も出ているとのこと。地元紙『北海道新聞』さんの報道で知りました。ネット上ではリード文的なところしか読めませんが。

初版本、直筆稿…寄贈資料で作品に光 道立文学館で開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」

北海道立文学館(札幌市中央区中島公園)が作家や収集家からまとめて寄贈を受けた資料に光を当てた開館30周年特別展「文学館コレクションの輝き」が、同館で開かれている。詩人で彫刻家、画家の高村光太郎の初詩集「道程」(1914年)の初版本や、札幌出身の小説家船山馨(14~81年)の代表作「石狩平野」の自筆原稿など貴重な資料が並ぶ。
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小説家船山馨の代表作「石狩平野」の自筆原稿や親友の佐藤忠良が描いた口絵原画などが並ぶコーナー

同館では大正3年(1914)の『道程』を二冊お持ちで、一冊は通常のもの、それからもう一冊は白布装の異装本。こちらには光太郎自筆の書き込みも為されています。それらは一昨年に開催された特別展「100年の時を超える ―〈明治・大正期刊行本〉探訪―」で展示されました。今回も2種類出しているのかどうかは不明ですが。

どちらも今回のコンセプトであるまとめて寄贈されたコレクション中の「高橋留治文庫」に含まれています。「北海道拓殖銀行に勤める傍ら詩書を愛読した高橋留治氏(1911(明治44)年-1984(昭和59)年)が遺した膨大なコレクション」だそうで。高橋氏は、光太郎と交流の深かった詩人・宮崎丈二の研究もなさっていて、『評伝 無冠の詩人 宮崎丈二――その芸術と生涯――』(昭和49年=1974 北書房)という著書もおありでした。そこで同館ではやはり「高橋留治文庫」中の資料を中心に、平成28年(2016)には「文学館の中の美術―宮崎丈二」が開催されたりもしています。

公式サイトに出品リストは出ていませんが、フライヤーで紹介されているいわば「目玉」は、以下の通り。

・「北海道国郡全図」松浦開拓判官阿部弘(松浦武四郎) 明治2年(1869)
・船山馨自筆原稿「石狩平野」 昭和40年(1965)頃
・小笠原克『北海道 風土と文学運動』 昭和53年(1978)
・宮沢賢治『春と修羅』 大正13年(1924)
・蘭繁之によって作られた豆本全422集の内の一部 


このうち賢治の『春と修羅』も「高橋留治文庫」に含まれるものです。

関連行事も充実していますね。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)42 『みちのくの手紙 ―高村光太郎書簡集』

昭和28年(1953)2月5日 中央公論社 宮崎稔編
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目次
 昭和二十年 昭和二十二年 昭和二十三年 昭和二十四年 あとがき
 口絵写真 高村光太郎


姻戚だった茨城在住の詩人・宮崎稔が、自身や父で素封家だった仁十郎、妻・春子(智恵子の姪)に宛てた光太郎書簡を活字にしたものです。

収められているのは昭和20年(1945)と、同22年(1947)~24年(1949)のもの。抜けている21年(1946)と25年(1950)以後のものもあるのですが、採録されませんでした。その理由は不明です。

昭和22年(1947)の歌集『白斧』もそうでしたが、光太郎はこの出版に不同意。したがって奥付に光太郎の名は記されていません。それでも宮崎は強引に刊行に踏み切りました。こうした点が光太郎にとっては悩みの種の一つで、『高村光太郎全集』別巻の年譜では、当会顧問であらせられた北川太一先生、宮崎が没したこの年4月27日の項に「何かと光太郎の身辺を案じ、一面では光太郎の心労の一因でもあった宮崎稔が胃潰瘍による吐血の末、四十三歳で没した」と書きました。

過日、2月15日(日)に信州安曇野市で開催予定の「高校演劇部発表会 青春ドラマシアター2026」についてご紹介しましたが、同市には光太郎彫刻が常設展示されている碌山美術館さんがあるよ、ということでリンクを貼り付けました。

その作業の際に、久々にサイトを覗いてみたところ、同館発行の今年のカレンダーに光太郎作品2点の写真が使われていると知り、慌てて注文たところ、昨日届きました。

届いたのがこちら。
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A3版厚手の紙で、表紙的なのを含め各月1枚の全13枚。無綴です。一昨年の同館カレンダーはA4横版の冊子タイプだったので、この変更には驚きました。

いきなり1月と、それから11月が光太郎作品。
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左は11月で、光太郎絶作の「倉田雲平胸像」。右が1月で、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作です。

他のラインナップは以下の通り。
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当然、碌山荻原守衛の作品が中心ですが、守衛と直接交流があった光太郎、戸張孤雁や、やや遅れての笹村草家人と喜多武四郎、さらにほぼ現代の基俊太郎の作品が取り上げられています。全て彩色されていないものですので、モノクロ写真で十分その魅力が伝わってきます。

圧巻はやはり守衛の代表作「女」かな、という気がします。
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それから表紙的な1枚にあしらわれた、今井兼次設計になる本館・碌山館の尖塔部分もいい感じですね。

商品詳細、以下の通りです。

2026年碌山カレンダー

1月始まり・A3サイズ  150冊の限定販売品です

価格1,900円(税込)  別途:送料660円+払込手数料

碌山作品をメインに当館の収蔵作品を掲載しております。表紙、背表紙を含め14枚、すべてモノクロ写真。お好きなクリップに挟んでご掲示ください。(本品にクリップは付属されておりません)

商品のお問い合わせはこちら

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ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)41 『智恵子抄』特装版 

昭和27年(1952)9月30日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

「乙女の像」制作のため、光太郎が帰京した記念という今一つよく分からないコンセプトで発行されました。この頃、出版界では一種の限定本ブームが起こっており、その流れに乗ってのものでしょう。

内容、紙型は前年に刊行された「新版」と同一ですが、二重函で内函は布装、表紙は羊皮、限定200冊ということになっています。しかも外函には「百七拾冊製本、参拾冊廃棄」と書かれており、世に出た冊数はそんなものだったようです。

定価は通常の版が180円だったのに対し、こちらは1,500円でした。

よくある図書館さんでのミニ展示情報です。直接は光太郎に関わりませんが。

今月の展示 「種をまく」

期 日 : 2026年2月3日(火)~2月12日(木)
会 場 : さいたま市立中央図書館 さいたま市浦和区東高砂町11-1 (コムナーレ8階)
時 間 : 午前9時~午後9時
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料

節分が過ぎれば、暦の上では春。まだまだ寒い日が続きますが、暖かくなって種蒔きの時期が来る前に、種について学んでみませんか。

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配付されているリーフレットだと思うのですが、PDFが公開されていました。3ページ目に光太郎の名。

「種まく人」と社章 
 昭和8年12月から、出版社の岩波書店はミレーの〈種まき〉によるマークを使用している。創業者の岩波茂男が農家の出であることなどが理由とされ、文化の種を蒔くという意味も込められている。 
 なお、岩波茂男はマークに使うためのメダル作りを詩人で彫刻家の高村光太郎に依頼したが、その出来栄えが気に入らず、別の人が描いたものがマークに使用された。その後、岩波書店30周年に、再度鋳造された高村のメダルが贈られ、高村の没後には広告などに用いられている。 
参考資料 『岩波書店七十年』、『高村光太郎選集別巻』 

問題のメダルはこちら。
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以前にも書きましたが、光太郎自身の回想が残っています。

 直径五寸、石膏型。(略)これは岩波茂雄さんにたのまれて作つたものだが、結局は岩波さんの気に入らないで、私がひきとつて持つてゐたものである。戦争がまだあまり烈しくなかつた頃だと思ふが、或日岩波さんがきて店のマークにするのだからミレーの種まく人をメダルに作つてくれといふことだつた。頭や手がメダルの円の外へはみ出しても構はないから、のびのびと作つてくれといふ。私も面白いと思つて、ニユーヨークのメトロポリタン美術館にある種まき絵を原本にして直径五寸の粘土メダルを作り、それを石膏型にして根津に居たメダル縮圧工作家にたのんで洋服の胸につけるバツジ大にプレツスしてもらつた。ところがこれを岩波さんの店に届けると物議がおこつた。種まきの人物があまり威勢がよく、かぶつてゐるおかま帽がまるで鉄かぶとのやうに見え、総体に軍国調のにほひがするといふことであつた。さういはれてみると、あの農夫のおかま帽はその頃みなのかぶつてゐた鉄かぶとじみてゐるのに気づき、私も苦笑してこれは止すことにした。その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる。バツジに作つたかどうかは知らない。私は石膏の原型を引きとつて、アトリエにぶらさげて置いたが、これも焼けた。
(「焼失作品おぼえ書」 昭和31年=1956)

光太郎が引き取った原型以外に、鋳造のために取った原型が残っていたのでしょう。新たに贈られたメダルを元にしたというエッチングが、現在でもロゴとしていろいろなところで使用されています。
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ちなみにエッチングについて光太郎は「その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる」と書きましたが、その「誰か」は画家の児島喜久雄という情報を得ています。ただ、まだよく分からない感じでして、もう少し調べてみます。

情報をお持ちの方はご教示いただけると幸甚です。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)40 『道程』復元版 

昭和26年(1951)7月15日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈
 解説 草野心平

昭和22年(1947)に札幌青磁社から出た『道程』復元版を文庫化というコンセプトです。仕掛け人はおそらく解説を執筆した当会の祖・草野心平。

この後、文庫本ブームが起きたのに伴い、光太郎の旧著が相次いで文庫化されていきます。

手持ちのものは昭和30年(1955)1月15日の9版でした。

信州松本平地区から演劇公演の情報です。

高校演劇部発表会「青春ドラマシアター2026」

期 日 : 2026年2月15日(日)
会 場 : 安曇野市豊科公民館ホール 長野県安曇野市豊科4289番地1
時 間 : 10:00~14:20
料 金 : 無料

さあ、青春ドラマシアターの季節がやってきました。高校生たちの熱く充実した芝居を思う存分にお楽しみください。そして今年も、松本地区2高校演劇部が参加します。これは例年以上に盛り上がること間違いなし! こんな近くで高校生の芝居をまとめて観られる機会はありません。ぜひ、お越しいただき、高校演劇のパワーを感じてください。 

参加予定(出演順)
 ◎豊科高校    10:15~10:45 「さいのはな」 
 ◎南安曇農業高校 11:00~11:30 「サヨナラは雨の日・・・」 
 ◎松本県ヶ丘高校 11:45~12:05 「私には、言えない。」 
 ◎松本深志高校  13:00~13:35  「智恵子の深呼吸」 
 ◎穂高商業高校  13:50~14:20  「豚がいれば良かった教室」
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松本市と安曇野市の高校5校の演劇部さんによる競演。そのうち松本深志高校さんが「智恵子の深呼吸」という演目です。
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登場人物は光太郎智恵子の二人のみ。脚本はやはり地元で演劇部顧問をなさっている郷原玲氏という方だそうです。

松本深志高校さんといえば、旧開智学校の流れを汲む伝統校。松本市に隣接する安曇野市には光太郎の親友だった碌山荻原守衛を顕彰し、当方もさんざんお世話になっている碌山美術館さんがあり、光太郎ブロンズが複数常設展示されている他、企画展でもたびたび光太郎智恵子関連を取り上げて下さっています。明治43年(1910)に守衛が早世した際には、光太郎も安曇野に足を運びました。

その安曇野で光太郎智恵子の演劇ということで、喜びに堪えません。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)36 『智恵子抄その後』 

昭和25年(1950)11月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 智恵子抄その後
  元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 太田村山口にて
  年越し 雪解けず 開墾 早春の山の花 田植急調子 もしも智恵子が
  季節のきびしさ 七月一日 山の少女 噴霧的な夢 ある夫人への返事 信親と鳴瀧
  智恵子の遺作展 村にて 再び村にて 女医になつた少女 夏の食事 九月三十日
 あとがき

函には「詩集」と冠されていますが大半は散文で、言わば「詩文集」というべきものです。オリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)の版元・龍星閣が昭和19年(1944)に戦争の激化に伴い休業を余儀なくされましたが、この年、再開。その記念出版的な意味合いもありました。

標題になっている連作詩「智恵子抄その後」は、この年1月の雑誌『新女苑』に発表されたもので、他に智恵子に直接関わるものは詩「もしも智恵子が」(昭和24年=1949)、詩「噴霧的な夢」(昭和23年=1948)、散文「智恵子の遺作展」(昭和25年=1950)のみ。「智恵子抄」を舞踊にした藤間節子のリサイタルのパンフレットに寄せた「村にて」(昭和24年=1949)、「再び村にて」(昭和25年=1950)に智恵子の名が出て来ますが、メインではありません。

そういった意味では若干の羊頭狗肉感があるものです。

手持ちのものは昭和32年(1957)の版ですが、その時点で既に第18刷。翌年に刊行された新版『智恵子抄』とセットでよく売れていたようです。

昨日は久しぶりに九十九里町に行っておりました。昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が、実家の造り酒屋の破産後この地に移っていた実母・センと妹夫婦の暮らしていた小さな家(田村別荘)に預けられ、半年あまり療養生活を送ったところです。

何度も足を運んでいる場所ですが、昨日はフリーアナウンサーの早見英里子さん、朗読家の出口佳代さんのお二人をご案内する目的でした。

光太郎智恵子ファンでもあるお二人、昨年の第69回連翹忌の集い、中野区で7月に開催された「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」で光太郎詩の朗読をお願いし、それから11月には光太郎ゆかりの北鎌倉「笛」さんでの朗読会にもご出演。

さらにお二人で「ERIKO&KAYO」というユニットを結成、光太郎智恵子ゆかりの地に行かれ、朗読のライブ動画をSNSに上げられてもいます。
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その一環で、ぜひ九十九里町にも行ってみたいとのことで、ご案内した次第です。

JR千葉駅まで来ていただいたお二人を拾い、愛車を駆って九十九里へ。まずは通り道の東金九十九里有料道路・今泉パーキングの光太郎智恵子像。二人揃っての像は全国でここだけです。
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自動車道を下り、智恵子が暮らしていた田村別荘跡地。保養施設サンライズ九十九里さん近くのテニスコート付近です。昭和47年(1972)に、元の場所から500㍍ほど離れた隣町の大網白里町に移築され、「智恵子抄ゆかりの家」として保存されていましたが、それも平成11年(1999)にいろいろあって解体され、現在は跡形もありません。
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右上は平成のはじめ頃採った写真です。

続いて「千鳥と遊ぶ智恵子」(昭和12年=1937)の光太郎筆跡が刻まれた詩碑。
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光太郎没後の昭和36年(1961)、地元の俳句グループが発願し、当会の祖・草野心平が骨折って建てられました。碑陰記は心平の筆です。元々は砂浜だった場所ですが、碑と波打ち際の間に九十九里東金道路が出来、そのため古墳のような盛り土をしてかさ上げを行ったのですが、それでも海は見えなくなってしまいました。下画像は碑の除幕の翌年、昭和37年(1962)に刊行された『光太郎のうた』(社会思想社現代教養文庫 伊藤信吉編)の表紙です。建立当初はこんな感じでした。
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ここで「ERIKO&KAYO」による「千鳥と遊ぶ智恵子」朗読の動画収録。はたで聴いていてもさすがのクオリティーでした。

九十九里東金道路のガードをくぐり、さらに東日本大震災後に造られた巨大防潮堤を越えて海岸へ。
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千鳥は見当たりませんでしたが、鷗が一羽。

その後、昼食。せっかくなので地(じ)のものを召し上がっていただこうと思い(実は縄文系の自分が食べたかったのですが(笑))、浜焼きのお店「浜茶屋網元」さんへ。
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お二人、浜焼きは初体験だそうでしたが、ご満足いただけたとのことで、何よりでした。

食後、すこし北上して道の駅ならぬ海の駅九十九里さんへ。
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漁業系のちょっとした資料館的スペースと、地元の海産物や土産物の販売コーナー、それからパスしましたが2階はフードコートです。

これで九十九里町をあとにしました。

千葉駅に向かう途中、立ち寄ったのがこちら。
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東金市の「たぶん…世界一小さいチョコレート工場」さん。元々は米菓のメーカーさんが5年ほど前にオープンさせた工場兼店舗で、昨年、立て続けにテレビ番組で紹介されまして、通り道だし寄ってみようかと。

海の駅さんでもこちらでも、「ERIKO&KAYO」のお二人、ごっそり買われていました(笑)。千葉にお金を落として下さり、県民を代表して御礼申し上げます(笑)。

そんなこんなの珍道中でしたが、「ERIKO&KAYO」のお二人、今後も聖地巡礼とその地での朗読動画収録を続けられるとのことで、またご案内することになるかと存じます。他の方も、このての文学散歩ツアーのご用命があればガイド兼運転手を務めますので、お声がけ下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)31 歌集『白斧』特装限定本

昭和22年(1947)11月20日 十字屋書店 高村光太郎著 宮崎稔編
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目次
 無題 二首     明治三十三年十月
 無題 六首     明治三十三年十一月
 無題 十一首    明治三十四年一月
 無題 五首     明治三十四年六月
 ささ舟 十三首   明治三十四年七月
 無題 十一首    明治三十五年
 白斧 二十三首   明治三十七年一月
 無題 九首     明治三十七年八月
 赤城山の歌     明治三十七年十一月
 無題 九首     明治三十九年一月
 無題 十九首    明治四十二年十月
 無題 十六首    明治四十一年十一月
 無題 十一首    明治四十三年十一月
 工房より 五十首  大正十三年八月
 工房より 二十八首 大正十三年十一月
 工房より 八首   大正十四年一月
 那須にて 二首   大正十四年十月
 智恵子抄 六首      
 岩手移住後 五首    
 無題 十五首
 コロタイプ版 著者墨蹟
  地を去りて 赤城山 己の前に 太田むら

昨日ご紹介した通常版と同一の内容ですが、版型が二回りほど大きく、さらに光太郎墨跡が多く挿入されています。昨日書き忘れましたが、その部分の目次に誤植が多く、「赤城山」は「ああこれ山」、「己の前に」は「我が前に」です。

手持ちのものは本来ついていたカバーが失われています。

神戸のギャラリーでの個展開催情報です。既に始まっています。

内田太郎 + 小泉孝司 「IMAGINES ! 空想の世界へ」

期 日 : 2026年1月24日(土)~2月8日(日)
会 場 : GALERIE L'OEIL(ギャラリーロイユ) 神戸市中央区北長狭通3−2−10
時 間 : 13:00~18:00
休 館 : 水曜日、木曜日
料 金 : 無料

現実と虚構、その境界を行き来する二人の画家が不思議で思索的な絵画の世界へご案内します。想像力をひらく、二人展です。

アーティスト
内田太郎
佐賀県生まれ。九州産業大学芸術学部美術学科卒業。出鱈目な科学法則が成り立つ夢の中のような世界や、宇宙の外側の空間を思いつつ、写実というスタイルで現実と想像の間の世界を描く。

小泉孝司
同志社大学経済学部卒業。高橋睦郎、横溝正史、松本清張等の挿絵、装画を描きながら、オリジナル作品を制作。絵本 「手のひらのねこ」 文•舟崎靖子 (偕成社) 、画集 「七番目の空」 (光琳社出版)
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内田太郎氏は、最近ちょっと流行りの超写実絵画系に近いのでしょうか。先にグレートーンで印影を描き、後から色を乗せていくグリザイユという手法で描かれているようです。

000小泉孝司氏は、ルネ・マグリットを思わせるシュールな世界観。プロフィールに「高橋睦郎、横溝正史、松本清張等の挿絵、装画」とあるので少し調べたところ、角川書店さんの『野性時代』で'70年代に横溝の「病院坂の首縊りの家」が連載されていた際の挿画が小泉氏によるものでした。また、松本清張の未完の絶筆「神々の乱心」が『週刊文春』さんに'90年代に連載された際も。

その小泉氏の出展作の一つが「ほんとうの空」と題されています。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来と思われます。画廊主氏曰く「空の向こうの「闇」が雲の切れ間から差し込み、草原に立つ1本の木を燃え上がらせる彩墨・棒絵具で描かれた、シュールで幻想的な風景」。なるほど。

ご実家が和紙問屋さんだそうで、この作品も和紙に彩墨や棒絵具で描く独自の技法を駆使されているそうです。

先日、渋谷区で開催された写真展「UNBOUND#2」では、「智恵子抄」からのインスパイアの写真が展示されましたが、この手の二次創作は大歓迎です。もっとも、そこにリスペクトの精神を込めていただかないと困りますが。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)29 『道程』復元版

昭和22年(1947)6月15日 札幌青磁社 高村光太郎著 
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目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵
 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈

内容的には大正3年(1914)の初版と同一です。戦時中に「改訂版」「再訂版」が出ましたが、戦後になって旧に復したこの版が出されたわけです。

復興期の物資不足の折、造本は並製、函はなくカバー装です。

光太郎と断続的に長い付き合いのあった佐藤春夫旧蔵資料の数々(光太郎関連を含む)が、佐藤の故郷・和歌山県新宮市の佐藤春夫記念館さんに寄贈されました。

まず、寄贈資料の一部を委託保管していた実践女子大学さんの1月21日(水)付けプレスリリース。

実践女子大学で24日に作家・佐藤春夫の遺品の受贈式典。13000点以上が遺族から出身の和歌山県新宮市に

 大正期浪漫主義の旗手として活躍し、詩と小説の両分野において戦後にいたるまで文壇を牽引した作家・佐藤春夫(1892~1964)の旧蔵資料が、遺族の髙橋百百子氏より和歌山県新宮市立佐藤春夫記念館に寄贈されることになり、受贈式典が1月24日、実践女子大学渋谷キャンパスで遺族・新宮市長・実践女子大学学長らが出席して行われます。記録・保存のためデジタル撮影した新資料(挿絵原画・執筆資料・原稿・書簡等)だけで13000点以上に及びます。太宰治が芥川賞の受賞を望み、選考委員だった佐藤に懇願した書簡などがこれまでの調査でわかっており、今後、多くの文壇資料の発見が期待されます。
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高村光太郎作の肖像画や芥川賞を望む太宰治の佐藤に宛てた書簡など
 今回寄贈されるのは、和歌山県立近代美術館に保管中で、高村光太郎が若き佐藤を描いた「佐藤春夫像」(油彩画1914年)および実践女子大学に保管中の佐藤春夫資料一式(写真カット数13253枚分ほか)。
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 これらの資料は、佐藤春夫の長男佐藤方哉氏(1932~2010)が保管していたもの(一部は甥の竹田龍児氏(1908~1994)保管分を含む)で、2010年方哉氏没後、髙橋百百子氏(龍児氏長女・1941~)・牛山百合子氏(佐藤春夫研究者・1929~2020)・河野龍也氏(東京大学准教授/実践女子大学客員研究員・1976~)が、実践女子大学の支援を受けて整理を進めてきました。調査の過程で、芥川賞を懇願する太宰治の4mにおよぶ書簡(2015年報道)、佐藤春夫の1904年中学進学前後の日記(同)、芥川龍之介との親交を示す新出書簡(2022年報道)、太宰治の病状を報告する井伏鱒二の書簡(2023年報道)など発見が相次ぎ話題となりました。太宰治書簡は1935年~36年にかけて佐藤春夫に送られた43通(うち撮影済み42通)が確認されています。

今後「佐藤春夫デジタル文庫」を開設へ
 実践女子大学は2022年8月、新宮市立佐藤春夫記念館と連携協定を結び、研究協力関係にあることから、今回の受贈式の会場を提供することになりました。大学図書館・文芸資料研究所を中心に、今後「佐藤春夫デジタル文庫」を開設する計画もあります。
 寄贈された資料は式典後、新宮市(新宮市立佐藤春夫記念館)の帰属となり、一部は2026年秋に移転開館予定の佐藤春夫記念館の展示に活用されます。ただし当面は、現在資料を保管している和歌山県立近代美術館(高村光太郎油彩画)と実践女子大学(佐藤春夫資料一式)が管理を代行します。

谷崎、芥川ら著名な作家と幅広い交流。近年、海外からも注目され
 佐藤春夫は新宮市出身。1918年に小説「田園の憂鬱」でデビュー。谷崎潤一郎、芥川龍之介との交流や、井伏鱒二、太宰治、戦後は第三の新人など幅広い人脈を誇り「門弟三千人」と称されました。1960年には文化勲章を受章しています。近年では「女誡扇綺譚(じょかいせんきだん)」(1925年)ほか1920年の台湾旅行関連作品や、漢詩漢文の自由訳、魯迅の翻訳紹介に先鞭をつけたことなど、文化交流に果たした役割が海外からも注目され、2020年には台湾文学館で特別展が開催されました。
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河野龍也・東京大学准教授/実践女子大学客員研究員のコメント
 新宮市立佐藤春夫記念館は文京区関口にあった旧邸を移築して1989年に開館したもの。当時、記念館には春夫長男の方哉(まさや)氏から春夫の遺品が寄贈されたが、書簡や原稿、絵画資料等のうち未整理のものが佐藤家にはまだ多数残されていた。方哉氏の没後、資料の調査を進めてきた。2026年、記念館が新宮市内で移築再開されるにあたり、春夫の故郷である新宮のために役立てたいと、ご遺族が資料の寄贈を決断された。実践女子大学による調査協力も継続される。近代文学を代表する作家の貴重な資料をこれだけの規模で散逸させずに保管されてきたご遺族の努力に敬意を表したい。
 1927年に竣工した佐藤春夫邸は第二次世界大戦中の空襲被害に遭わなかった。戦前からの文壇資料が失われず残っていたのは極めて貴重。特に佐藤春夫は近代文学者では屈指の人脈を誇る。生涯にわたって受け取った手紙には、近代の文壇史が凝縮されている。春夫の師である与謝野鉄幹・生田長江・馬場孤蝶・永井荷風をはじめ、同世代の芥川龍之介・谷崎潤一郎・堀口大学・室生犀星、門弟であった井伏鱒二や太宰治など、年代や顔ぶれも豊か。書簡の分析から、文壇の人間関係で新しく分かることも多いだろう。
 今回の寄贈品に、文学資料と美術資料が含まれていることも注目される。文学資料で大正期から晩年に及ぶ原稿の下書きが貴重。作品の推敲過程が分かる。特に大正期のものは記念館にもほとんど所蔵されていなかった。美術資料では高村光太郎による若き日の春夫像、石井柏亭による表紙絵原画、谷中安規の版画、島田訥郎の挿絵原画のほか、春夫自身によるデザイン案も残されている。今回の資料から、文学と美術の垣根を超えて芸術活動に取り組んだ春夫の全体像がさらに明らかになっていくことに期待したい。

【佐藤春夫資料受贈式典】
日 時:1月24日10:00-10:30
会 場:実践女子大学渋谷キャンパス(東京都渋谷区東1-1-49)501教室
    その後、17階会議室(ファカルティラウンジ)にて展示資料を見学
出席者:髙橋百百子氏、上田勝之・新宮市長、辻本雄一・佐藤春夫記念館長、難波雅紀・実践女子大学学長、河野龍也・東京大学准教授/実践女子大学客員研究員ほか

受贈式典を報じた『紀南新聞』さん記事。

佐藤春夫の資料寄贈 太宰や芥川の書簡など1万3千点 記念館で展示予定

 大正、昭和期に活躍した新宮市名誉市民の作家、詩人・佐藤春夫の肖像画や、同時期に活躍した名だたる文豪が春夫に宛てた書簡などの貴重な資料が24日、同市新宮の佐藤春夫記念館に寄贈された。肖像画は親友の高村光太郎が描いたもので、太宰治、井伏鱒二など親交が深かった作家から送られた書簡のほか、執筆資料、原稿など実践女子大学(東京都)がデジタル化した1万3000点以上の膨大な資料とともに、一部が10月ごろリニューアルオープン予定の同館で展示される見通し。
  資料は春夫の長男・方哉さん(故人)が保管していたもので、方哉さんが2010(平成22)年に死去して以降、遠戚にあたる高橋百百子(ももこ)さんらが同大学の支援を受けて整理を進めた。芥川賞の受賞を熱望していた太宰が、当時選考委員だった春夫に「第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう(よう)。伏して懇願申し上げます」と訴える書簡や、挿絵入りの芥川龍之介の手紙など当時の文豪たちと春夫の関係が伝わるものが確認されている。
 1989(平成元)年の記念館開館に際し、方哉さんから一部の資料が寄贈されたが、未整理のものが佐藤家に大量に残されていたという。東京都文京区の旧宅は、幸い空襲をまぬがれていた。
 肖像画は、春夫と家族ぐるみの付き合いがあった光太郎が1914(大正3)年に描いた油彩画。和歌山市吹上の県立近代美術館に保管されており、合わせて寄贈が決まった。
 東京都渋谷区のキャンパス内で同日、寄贈式が行われ、高橋さんから辻本雄一館長、上田勝之市長ら市関係者に肖像画と目録が手渡された。高橋さんは「春夫の地元で展示してくれてありがたい。大切に保存されることを願う」と話した。辻本館長は「文化的な展示に力を入れていきたい」と応じ、上田市長は「名誉市民第一号の関係資料を寄贈いただいたことは、地域の文化意識を高める大切な機会となる。資料群は地域の文化遺産を守り、育てるうえで極めて貴重であり、次代へとつなぐ架け橋になる」と期待感を示した。
 また、記録、保存のためデジタル撮影が施されており、大学図書館内でも専門コーナーが設置される計画がある。国文学に詳しい河野龍也・東大准教授(実践女子大客員研究員)は「貴重な資料をこれだけの規模で散逸せず保管した遺族の努力に敬意を表したい。春夫が生涯にわたって受け取った手紙は、近代の文壇史が凝縮されている。春夫の全体像がさらに明らかになることを期待したい」とコメントした。
 春夫は1892(明治25)年、旧新宮町生まれ。上京後の1918(大正7年)、自らの病的な心情を描写した「田園の憂鬱」でデビューし、数々の小説や詩、評論を残した。市出身で、短編小説「岬」で芥川賞を受賞した作家・中上健次にも影響を与えた。
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寄贈を受けた新宮市立佐藤春夫記念館さんは、移転準備のため休館中。今秋、リニューアル開館予定だそうで、資料の一部はその際に展示予定だとのこと。

光太郎筆の佐藤肖像は和歌山県立美術館さんに寄託されていて、こちらも帰属が移ったそうですが、当面は同館で管理代行とのこと。他の資料類も引き続き実践女子大さんに留め置かれるようです。ちなみに上記画像に写っているのはセレモニー用に制作された複製でしょう。

13,000点以上にも及ぶということで、既に知られている貴重な資料以外にも、とんでもないものが含まれている可能性もありますね。

生涯にわたって受け取った手紙には、近代の文壇史が凝縮されている。春夫の師である与謝野鉄幹・生田長江・馬場孤蝶・永井荷風をはじめ、同世代の芥川龍之介・谷崎潤一郎・堀口大学・室生犀星、門弟であった井伏鱒二や太宰治など、年代や顔ぶれも豊か。」と書簡の件が報じられていますが、そこに光太郎からのものが含まれていないかと期待しております。付き合いが長かったにもかかわらず、光太郎から佐藤宛の書簡はこれまで一通しか確認できていません。それも筑摩書房版『高村光太郎全集』には掲載されて居らず、20年程前に古書店で売りに出されたものでした。
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もっとも、光太郎没後にすぐ始まった全集の編纂には佐藤も関わったはずなので、その時点で提供されなかったということは、既に佐藤の手元に無かったのかも知れませんが。

いずれにしても「佐藤春夫デジタル文庫」の開設が待たれます。

新宮の記念館さんにはまだ足を運んだことがありませんで、今秋、リニューアル開館後には一度ぜひ行ってみようと思っております。みなさまもぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)28 『道程』再訂版

昭和20年(1945)1月15日 青磁社 高村光太郎著
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目次
 画室の夜        明治四十四年一月
 寂寥          明治四十四年三月
 声           明治四十四年五月
 新緑の毒素       明治四十四年六月
 はかなごと
 父の顔         明治四十四年七月
 泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
 犬吠の太郎       大正元年九月
 さびしきみち      大正元年十月
 戦闘          大正元年十二月
 山           大正二年十一月
 冬の詩         大正二年十二月
 牛           大正二年十二月
 僕等          大正二年十二月
 道程          大正三年二月
 愛の嘆美        大正三年二月
 瀕死の人に与ふ     大正三年三月
 五月の土壌       大正三年五月
 秋の祈         大正三年十月
「道程」以後
 わが家         大正五年
 晴れゆく空               大正五年
 小娘          大正六年
 無為の白日
 海はまろく
 花のひらくやうに
 序曲          大正九年二月
 米久の晩餐       大正十年八月
 雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
 かがやく朝       大正十年十月
 クリスマスの夜     大正十一年
 沙漠                       大正十一年
 冬の送別        大正十一年四月
 五月のアトリエ     大正十一年五月
 ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
 落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
 冬の子供        大正十一年十二月
 鉄を愛す        大正十二年五月
 氷上戯技                  大正十三年
 偶作十一                  大正十三年
 少年を見る       大正十四年五月
 或る墓碑銘               昭和二年十二月
 葱                        大正十四年十二月
 車中のロダン      大正十四年八月
 後庭のロダン      大正十四年二月
 十大弟子        大正十五年
 聖ジヤンヌ       大正十五年
 冬の奴         昭和元年十二月卅日
 怒                        昭和二年三月
 偶作八篇        昭和二年
 母をおもふ       昭和二年八月
 その年私の十六が来た  昭和二年
 冬の言葉        昭和二年十二月
 なにがし九段      昭和三年五月
 旅に病んで       昭和三年十二月
 存在          昭和三年十一月
 何をまだ指してゐるのだ 昭和三年九月
 その詩         昭和三年十二月
 耳で時報をきく夜    昭和五年十月
 刃物を研ぐ人      昭和五年六月
「猛獣篇」より
 清廉          大正十三年十二月
 傷をなめる獅子     大正十四年三月
 苛察          大正十五年二月
 雷獣          大正十五年六月
 龍           昭和三年三月

詩集『道程』は大正3年(1914)に初版刊行、昭和15年(1940)には「改訂版」が出され、さらにこの「再訂版」。いずれも収録詩篇は大きく異なります。太平洋戦争末期と言っていいこの時期に、なぜ一篇の翼賛詩も含めずにこの「再訂版」を編んだのか、実に不思議な詩集です。

文庫サイズの小さな本で、戦後の昭和21年(1946)1月15日に第二刷が出されました。

1月17日(土)にも上京したのですが、昨日も2件の展覧会を観て回りました。レポートいたします。

まず、渋谷区原宿で写真展「UNBOUND#2」を拝見して参りました。おそらく若手中心と思われる56名の写真家さんたちによる合同展です。
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現地に行ってから気づいたのですが、会場のMIL galleryさん、MIL 2ndさん、いわゆるキャットストリートに面していました。
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昨年11月、福岡で開催されたポートレート展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」に、「智恵子抄」オマージュの作品で参加されたYasuyuki Ibaraki氏という方が、同一の作品を出品なさるということで参上した次第です。
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昨年の福岡での展示と同一の作品もあれば、そうでないものも含まれ、いずれにしても確かに「智恵子抄」の世界観と感じました。「レモン哀歌」(昭和14年=1939)全文が掲げられていましたが、それ以外に智恵子の心の病が顕在化してからの「人生遠視」(同10年=1935)、「山麓の二人」(同13年=1938)あたりからのインスパイアかな、と。勝手な感想ですが。
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他の出品作家の方々の作品も一通り拝見。バリエーションに富んでいて、見飽きることがありませんでした。
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予想より多くの方で賑わっていて最初は意外に感じましたが、56名もの方々の作品が展示されているということで、出品作家の皆さんのお知り合いという風体の方が目につき(高級そうなカメラを首からぶら下げた方など)そういうことか、と納得。書道や絵画の公募展もこんな感じだっけというわけで。

会期が短かったのが残念でしたが、いたしかたありますまい。

出品作家の皆さんの今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)26 『詩集 記録』

昭和19年(1944)3月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 序篇
  白熊 象の銀行 北東の風、雨 のんきな会話 非欧米的なる 秋風をおもふ
  未曾有の時 新しき御慶 紀元二千六百年 重大なる新年 新年に与ふ 危急の日に
 主篇
  大詔渙発 彼等を撃つ 夜を寝ざりし暁に書く 特別攻撃隊の方々に
  或る講演会で読んだ言葉 独居自炊 帝都初空襲 戦歿報道戦士にささぐ
  民国の民と兵とに与ふ 真珠港特別攻撃隊 感激をかくさず 神とともにあり 新天地
  覆滅彼にあり われらの道 戦に清めらる 決戦の年に志を述ぶ 殄滅せんのみ
  紀元節を迎ふ 「撃ちてし止まむ」 あそこで斃れた友に 海軍魂を詠ず 軍人精神
  突端に立つ 厳然たる海軍記念日 五月二十九日のこと 山本元帥国葬
  報道の士をたたふ
 われらの死生 ビルマ独立 友来る おん魂来りうけよ 勤労報国
  粛然たる天兵 
救世観音を刻む人 フイリッピン共和国独立 四人の学生 全学徒起つ
  戦に徹す
 断じてかへさず 激戦未だ終らず 大決戦の日に入る
  第五次ブーゲンビル島沖航空戦
 十二月八日三度来る

『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『をぢさんの詩』(同18年=1943)に続く三冊目の翼賛詩集です。

「序篇」は太平洋戦争開戦前の作品群。かつて帝国主義や人種差別を告発するものとして発表した連作詩「猛獣篇」に含まれる大正14年(1925)の「白熊」と同15年(1926)の「象の銀行」(ともに米国留学中の体験に基づく内容です)が、単にアメリカを批判しているということからここに収められるという光太郎自身による韜晦が行われています。

ちなみに「象の銀行」は永らく初出発表誌が不明でしたが、ソウルで発行されていた『朝鮮芸術雑誌 朝』の創刊号(大正15年5月 朝鮮芸術社)と判明しました。

「主篇」は太平洋戦争開戦後のもの。

全ての詩篇に新たに書き起こした前書きが附され、その時々の光太郎の心境がよくわかります。
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奥付では3月20日発行となっていますが、「天皇陛下」を「天皇下陛」とする切腹ものの誤植が見つかり、シールを貼っての訂正のため、実際に店頭に並んだのは5月頃だったようです。

都内での演奏会情報です。さまざまなコンテンツの用意された「都民音楽フェスティバル」の一環として開催されます。
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日本の歌・シリーズNo.4 日本のうた~歌曲集への誘い

期 日 : 2026年1月30日(金)
会 場 : 東京文化会館小ホール 台東区上野公園5-45
時 間 : 18:15開場/19:00開演
料 金 : 指定席 3,000円 学生割引(U-25):指定席 2,000円
      ハート割引(障害者手帳をお持ちの方):指定席 1,500円

曲 目 : 團伊玖磨:五つの断章 木下牧子:花のかず
      畑中良輔:八木重吉による五つの歌 山田耕筰:幽韻 別宮貞雄:智恵子抄
出 演 :
盛田麻央 Mao Morita/ソプラノ
国立音楽大学院修了。パリ・エコール・ノルマル音楽院、パリ国立高等音楽院修士課程を修了。第12回東京音楽コンクール第2位など。オペラやコンサートに多数出演。二期会会員、国立音楽大学非常勤講師。

紀野洋孝 Hirotaka Kino/テノール
東京藝術大学卒業。宗次エンジェル基金/(公社)日本演奏連盟奨学生として同大学院修士課程を修了。日本歌曲の研究で同大学院博士課程を修了。博士号(音楽)取得。日本トスティ歌曲コンクール2015第2位。令和元年度奏楽堂日本歌曲コンクール第2位。

松浦宗梧 Shugo Matsuura/バリトン
福島県伊達市出身。東京音楽大学声楽専攻卒業。新国立劇場オペラ研修所第25期修了。第36回奏楽堂日本歌曲コンクール歌唱部門 第2位、畑中良輔賞を受賞。オペラ・歌曲の分野で幅広いレパートリーを活かして活動中。声楽を菅野宏昭、阿部絵美子に師事。

森裕子 Yuko Mori/ピアノ
東京藝術大学附属高校、同大学、同大学院修了。シュトゥットガルト音大でソロと歌曲伴奏法を学ぶ。奏楽堂日本歌曲コンクール優秀共演者賞、日本音楽コンクール木下賞(共演賞)。東京藝術大学非常勤講師。日本演奏連盟正会員。
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故・別宮貞雄氏作曲の歌曲集「智恵子抄」がプログラムに入っています。おそらく全9曲「Ⅰ 人に」「Ⅱ  深夜の雪」「Ⅲ 僕等」「Ⅳ 晩餐」「Ⅴ あどけない話」「Ⅵ 人生遠視」「Ⅶ 千鳥と遊ぶ智恵子」「Ⅷ 山麓の二人」「Ⅸ レモン哀歌」が演奏されるのではないかと思われます。

歌われるのは紀野洋孝氏。実演以外にも日本歌曲の研究で東京藝術大学さんの大学院博士課程を修了なさった方ですが、その際に取り上げたのが別宮氏の「智恵子抄」だったそうです。これまでも同曲集をさまざまな機会で歌われたり、CDに組み入れたりされています。

令和元年度奏楽堂日本歌曲コンクール入賞記念コンサート。
第二回 掬月会。

CDも含め、そのほとんどの機会で伴奏を務められた森裕子氏が今回もピアノを弾かれます。同曲集、言葉を大切にしつつ抒情的なメロディーで紡がれ、また全9曲を通してのドラマティックな展開が印象的な作品です。

紀野氏からご案内を頂いたのですが、その日は先約が入っており、伺えません。代わりに、というと何ですが、皆様、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)23 『智恵子抄』第9刷

昭和18年(1943)4月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月

内容的にはそれまでの版と同一ですが、昭和16年(1941)の初版以来、そのままとなっていた誤植を訂正し、全面的に改版がなされました。

かつて光太郎自筆の正誤表を挟んだ初版が市場に出たことがありましたが、これらがすべて反映されています。
智恵子抄正誤表

「智恵子抄」オマージュの作品も展示される写真展です。

UNBOUND#2

期 日 : 2026年1月24日(土)・25日(日)
会 場 : MIL gallery 渋谷区神宮前4-25-28 2F
      MIL 2nd      渋谷区神宮前4-25-29 2F  
時 間 : 1/24 12:00~21:00 1/25 9:00~11:00
料 金 : 無料

いわゆる裏原宿(ウラハラ)。圧巻の56名の作品が展示されます。MIL GallaryとMIL 2ndは隣り合わせです。どなたでもお気軽にお立ち寄りください。

主催者X投稿より

写真が好きな人も、展示は久しぶりな人も、たまたま通りかかった人も。

56人の写真家が、それぞれの「今」を持ち寄る展示UNBOUND #2 を開催します。ジャンルも、撮り方も、距離感もばらばら。だからこそ、きっと一枚くらい、自分の感覚に引っかかる写真があると思います。この展示は、僕自身が「今の写真の面白さ」をちゃんと見たくて、そして、ちゃんと誰かに届けたくてスタートしました。ありがたいことに前回は多くの人が足を運んでくれて、「来てよかった」「思ってたよりずっと良かった」そんな声をたくさんもらいました。

気負わずで大丈夫です。ふらっと入って、数枚見て、出ていくだけでもいい。でももし時間があれば、 
少しだけゆっくり見ていってください。56通りの「今」の中に、あなたの感覚と重なる一枚がきっとあります。
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昨年11月、福岡で開催されたポートレート展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」に、やはり「智恵子抄」インスパイアの作品で参加されたYasuyuki Ibaraki氏という方が、同一の作品を出品なさるようです。
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さすがに福岡は遠いな、と、昨年は欠礼しましたが、ありがたいことに都内での開催ということで、これは行かざぁなるめい、です。ついでというと何ですが、他にも展覧会のハシゴをして参ります。

皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)22 『詩集 大いなる日に』

昭和17年(1942)4月20日 道統社 高村光太郎著
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目次
 序 秋風辞 夢に神農となる 老耼、道を行く 天日の下に黄をさらさう 若葉 地理の書
 その時朝は来る 群長訓練 正直一途なお正月 初夏到来 事変二周年 君等に与ふ
 銅像ミキイヰツツに寄す 紀元二千六百年にあたりて へんな貧 源始にあり ほくち文化
 最低にして最高の道 無血開城 式典の日に 太子筆を執りたまふ われら持てり
 強力の磊塊たれ 事変はもう四年を越す 百合がにほふ 新穀感謝の歌 必死の時
 危急の日に 十二月八日 鮮明な冬 彼等を撃つ 新しき日に 沈思せよ蒋先生
 ことほぎの詞 シンガポール陥落 夜を寝ざりし暁に書く 昭南島に題す

『道程』(大正3年=1914)、『智恵子抄』(昭和16年=1941)に続く第3詩集です。ほぼ全編これ翼賛詩で、前年の『智恵子抄』とのあまりのギャップは、知らない人が読んだらとても同一人物の詩集とは思えないほどといえるでしょう。

しかし、元々ここに収められた詩篇は『智恵子抄』収録の珠玉のそれと並行して書かれていたものです。戦後の詩「元素智恵子」の中では、「うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち/耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい」と書きました。これらの詩篇を書いていた時が「うちに智恵子の睡る時」だったのでしょう。

『智恵子抄』には実に色々な側面がありますが、そのうちの一つとして、次のような面もあったのではないかと考えます。すなわち、智恵子との日々を一冊の詩集にまとめることで、それを総括し、またそうした日々への訣別を宣言するという意味合い。

そして俗世間との関わりを極力避けて、芸術精進に生きようとした智恵子との生活が智恵子の心を病ましめたという反省、悔恨から、180度方向を転換し、自ら積極的に世の中と交わる方面に舵を切りました。もしかすると、そうでもしないと智恵子を失った空虚な自分も心を病むという危機感があったかもしれません。

そうした内面がよく表されているのが、収録されている「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)です。戦時アトリエ前ピン

   最低にして最高の道
 
 もう止さう。
 ちひさな利慾とちひさな不平と、
 ちひさなぐちとちひさな怒りと、
 さういふうるさいけちなものは、
 ああ、きれいにもう止さう。
 わたくし事のいざこざに
 見にくい皺を縦によせて
 この世を地獄に住むのは止さう。
 こそこそと裏から裏へ
 うす汚い企みをやるのは止さう。
 この世の抜駆けはもう止さう。
 さういふ事はともかく忘れて
 みんなと一緒に大きく生きよう。
 見えもかけ値もない裸のこころで
 らくらくと、のびのびと、
 あの空を仰いでわれらは生きよう。
 泣くも笑ふもみんなと一緒に
 最低にして最高の道をゆかう。

昨日朝、NHK Eテレさんで放映の「アートシーン」で紹介され、知った次第です。
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KeMCo新春展2026「馬の跳ねる空き地」

期 日 : 2026年1月8日(木)~2月7日(土)
会 場 : 慶應義塾ミュージアム・コモンズ 東京都港区三田2-15-45
時 間 : 11:00~18:00
休 館 : 土日祝 特別開館 1月24日(土)、2月7日(土)臨時休館 1月26日(月)
料 金 : 無料

 2026年の干支は「午(うま)」。古来より、馬はその力強さ、美しさによって、移動・輸送から狩猟・農耕、娯楽まで、さまざまな場面で文明の発展を支えてきました。新年の幕開けを飾る本展覧会では、慶應義塾の多様なコレクションから、馬にまつわる稀覯本(きこうぼん)、絵巻物、浮世絵、埴輪など多様な作品を一堂に集め、馬と人との永い関係をたどり、改めてその魅力に迫ります。
 また、特別企画として、慶應義塾ゆかりのさまざまな芸術家が手掛けた、慶應義塾幼稚舎内雑誌『仔馬』の表紙原画もあわせてご紹介いたします。

主な出品作品
 『ポリグラフィア』、ヨハネス・トリテミウス著、1561年、慶應義塾図書館
 『ラテン語時禱書』、1480年頃、西洋中世写本コレクション、慶應義塾図書館
 二重橋楠公銅像、楊斎延一画、1899年、ボン浮世絵コレクション、慶應義塾図書館
 馬形埴輪、古墳時代後期、文学部民族学考古学専攻
 「ギバサン(四季のための二十七晩)」舞台写真、小野塚誠撮影、個人蔵
 『仔馬』、慶應義塾幼稚舎(撮影:村松桂(株式会社カロワークス))
 仔馬、岡本太郎、1965年、慶應義塾幼稚舎
 「『じゃじゃ馬馴らし』マーティン・ハーヴェイとN・デ・シルヴァ主演 プリンス・オブ・ウェールズ劇場」、小山内演劇絵葉書コレクション、慶應義塾図書館
 熊野新宮神宝図、宇治田忠郷撰、寛政6年(1794)、慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)
 群馬図、雲渓永怡筆、室町時代、常盤山文庫(慶應義塾寄託)
 アキレウスとヘクトール、ハンス・ゼーバルト・ベーハム作、 1518-30年頃、慶應義塾
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「主な出品作品」、そしてフライヤーに皇居前広場の「楠正成像」を描いた錦絵(明治32年=1899)。東京美術学校として請け負い、光太郎の父・光雲が主任となって制作されたものです。
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描いたのは楊斎延一。明治期の浮世絵師です。

同じ三枚組の「西郷隆盛像」も手がけ、そちらは江戸東京博物館さんに収蔵されており、同館が改修中だった一昨年には上野の東京都美術館さんで開催された「館外展示 出張!江戸東京博物館」で展示されました。
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当方、そちらをあしらったクリアファイルを所持しております。
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昨日の「アートシーン」で気づき、知っていれば1月17日(土)の上京時に行ったのに、と思ったのですが、土日祝は休館ということで、結局だめでした。

他に馬にまつわる内外の考古資料や古典籍、江戸期の絵巻、岡本太郎の書、さらには手塚治虫の『リボンの騎士』まで出ています。

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)19 『詩集 智恵子抄』

昭和16年(1941)8月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月

意外といえば意外ですが、『道程』(大正3年=1914)に次ぐ第二詩集です(『道程』改訂版を除く)。

龍星閣主・沢田伊四郎の発案で編まれ、それまでの全作品の中から、智恵子に関わるものの抄出ということで、「抄」の一字が附されました。ただ、ここに収められなかった智恵子関連の文筆作品はけっこうあります。作品の選択はほぼ光太郎の意志に依ったものと思われますが、連続性などを意識してのことのようです。

例えば智恵子に語りかける口調で書かれた詩の間に、そうでない客観描写の作品を挟むというようなことは光太郎が避けました。そのため、日比谷松本楼での一コマを謳った「涙」(大正元年=1912)などは割愛されています。

短歌も「うた六首」、それから「樹下の二人」に附された「みちのくの安達ヶ原の……」以外にも智恵子モチーフの作が複数あるのですが、採用されませんでした。短歌の方は詩と異なり、手控えの原稿を残していなかったからかもしれません。

太平洋戦争開戦直前に出版されたこの『智恵子抄』、冒頭の「いやなんです/あなたのいつてしまふのが――」に戦時の女性らは出征する男性たちに対する自らの思いを重ね合わせ、男性陣は残された恋人がそう思ってくれているであろうとの思いを胸に戦地に赴きました。

一人の女性に対する愛を一冊にまとめた我が国では前例のなかったこの詩集は、そうした世相も背景に広く世に受け入れられ、戦時にも関わらず、版元の龍星閣が休業を余儀なくされる昭和19年(1944)までの間に13刷まで版を重ねました。

昨日は今年初めて上京し、新宿のSOMPO美術館さんで「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」を拝見して参りました。
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ちなみに同館を訪れるのは平成16年(2004)の「高村光太郎展 彫刻、絵画、書――「いのち」の造型」展以来、21年半ぶりでした。
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今回は、近代美術の発信地の一つとして大きな役割を担うこととなった新宿界隈に焦点を当てるもので、そこに文学とのからみも語られ、総合的にとらえようという試みでした。

まずエレベータで5階へ。そこから4階、3階と下る順路となっている、よくあるパターンでした。まずは「ⅰ章 中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」。光太郎の親友だった碌山荻原守衛の小品2点「灰皿」と「香炉」(撮影禁止)が、いきなり最初にお出迎え。
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その後は守衛同様、中村屋サロンの主要メンバーで新宿にアトリエを構えた中村彝が中心でした。

その流れで「コラム1 文学と美術」。
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白樺派が大きく取り上げられ、ロダンや武者小路実篤、岸田劉生などが語られます。光太郎は中村屋サロンとともに白樺派の一員でもありました。右上は光太郎も寄稿した『白樺』第1巻第8号ロダン号(明治43年=1910)。

ここにフォービズムの影響を色濃く受けた光太郎の自画像(大正2年=1913)。
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同じ新宿の中村屋サロン美術館さんの所蔵で、同館の常設展示(コレクション展)にしょっちゅう出ているのですが、考えてみるとそちらに最近足を運んで居らず、久々に拝見しました。

光太郎とも交流のあった美校の後輩にして歌人の宮柊二の叔父・宮芳平の「歌」(大正4年=1915)。宮は中村彝に師事した画家でした。
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大正3年(1914)、美校在学中の宮は文展に出品するも落選。すると、宮は審査員だった森鷗外の観潮楼(光太郎アトリエ兼住居の近くです)に乗り込んで、なぜ落選だったのかと問い詰めるという暴挙に出ました。結局、鷗外にうまいこと言いくるめられて(笑)矛先を収め、以来、鷗外と個人的に交流するようになるのですが。そのあたり、鷗外の短編小説「天寵」に語られています。ちなみに今回の出品作「歌」も文京区立森鷗外記念館さんからの借り受けです。
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その「天寵」が載った『ARS』の創刊号(大正4年=1915)。光太郎も『ロダンの言葉』の一部を寄稿しています。
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『ARS』といえば、版元の阿蘭陀書房は北原白秋の実弟・鉄雄が社主。まさに「文学と美術」が現出されている一角でした。同様に、光太郎と親しかった岸田劉生による、これまた光太郎の盟友の一人・武者小路実篤の肖像(大正3年=1914)。
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ネットや各種書籍によく画像が載っているのですが、東京都現代美術館さんの所蔵だそうで、そうだったのか、という感じでした。

ⅱ章は「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」、ⅲ章が「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」。松本も光太郎と交流があり、解説パネルにその旨記述がありました。ありがたし。
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そして今回のフライヤーやポスターに使われている目玉作品「立てる像」(昭和17年=1942)。過日ご紹介したパナソニック汐留美術館さんでの「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」展では、こちらの下絵がフライヤーに使われています。松本も最近またあちこちで取り上げられる機会が増えてきたように感じています。

最後は現代につながる展示となり、終了。

昨日は開幕して間もない休日ということで、けっこう賑わっていました。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)18 『道程』改訂普及版

昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ  明治四十三年十二月十四日
  画室の夜        明治四十四年一月十二日
  寂寥                       明治四十四年三月十三日
  声           明治四十四年五月二十日
  新緑の毒素       明治四十四年六月十一日
  はかなごと
  地上のモナ・リザ    明治四十四年七月六日
  父の顔         明治四十四年七月十二日 
  泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
  ――に         明治四十五年七月二十一日
  或る夜のこころ     大正元年八月十八日
  おそれ
  犬吠の太郎       大正元年九月二十六日
  さびしきみち      大正元年十月八日
  梟の族         大正元年十月二十日
  或る宵         大正元年十月二十三日
  郊外の人に       大正元年十一月二十五日
  冬の朝のめざめ     大正元年11月三十日
  戦闘          大正元年十二月十四日
  人に          大正二年二月十八日
  人類の泉        大正二年三月十五日
  山           大正二年十一月四日
  冬の詩         大正二年十二月六日
  牛           大正二年十二月七日
  僕等          大正二年十二月九日
  道程          大正三年二月九日
  愛の嘆美        大正三年二月十二日
  婚姻の栄誦       大正三年三月六日
  万物と共に踊る     大正三年三月九日
  瀕死の人に与ふ     大正三年三月十四日
  晩餐          大正三年四月二十五日
  五月の土壌       大正三年五月十六日
  秋の祈         大正三年十月八日
 道程 以後
  わが家         大正五年
  小娘          大正六年
  無為の白日
  海はまろく
  雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
  沙漠
  クリスマスの夜     大正十一年一月
  冬の送別        大正十一年四月
  五月のアトリエ     大正十一年五月
  ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
  落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
  樹下の二人       大正十二年三月
  鉄を愛す        大正十二年五月
  氷上戯技
  珍客
  葱
  車中のロダン      大正十四年
  後庭のロダン      大正十四年二月
  十大弟子        大正十五年
  聖ジヤンヌ       大正十五年
 猛獣篇 時代
  清廉          大正十三年十二月
  傷をなめる獅子     大正十四年
  狂奔する牛
  鯰           大正十五年
  苛察          大正十五年
  雷獣          大正十五年六月
  龍           大正十六年
 【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵

奥付では「百五十部限定版」「書店版」と同じく昭和15年(1940)11月20日となっていますが、実際には昭和16年(1941)4月25日に「普及版」が出されました。「書店版」にあった函は廃され、カバー装になりました。以後、版型やカバーデザインを変えつつ昭和18年(1943)までに9刷を重ねました。

手持ちのものは昭和17年(1942)10月20日の8版。カバー無しの裸本ですが、見返しに編集者兼詩人だった小池吉昌宛の献呈署名が書かれています。コレクションの中で唯一の光太郎署名本です。あまり署名や識語の有無にこだわらないのですが、一冊くらいあっても良いかな、と購入しました。

重版の裸本で、蔵書印や書き込みもあり、そうなると市場価値は500円~1,000円というところですが、サイン入りということで、たしか18,000円くらいで入手しました。ほとんどサイン代です(笑)。

光太郎の父・光雲の木彫が出ている展示です。

令和八年第一回企画展「雪あかりと春のきざし」

期 日 : 2026年1月10日(土)~3月24日(火)
会 場 : 東石美術館 栃木県佐野市本町2892
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 毎週水曜・木曜
料 金 : 大人 1,000円(800円)ペア 1,800円  高・大学生 800円(600円)
      小・中学生 500円(400円)  ( )内団体料金

冬の静寂、春を予感させる彩々
 凍てつく夜、天上の光を吸い込んだ雪は地上に降り積もることで自らが柔らかなあかりとなりました。それは暗闇の中で自らを保つ、つかの間の希望を象徴しています。
 やがて、その白一色の世界の中から水や土、花の芽のやわらかな色がにじみ出、春を待ち望む心が起こす生命の兆しを感じさせます。
 本展では、この繊細でドラマチックな季節の移ろいを表現した選りすぐりの名品が一堂に会します。
 日本画の幽玄な光と影。洋画の重厚なマチエール。土から生まれた陶芸の温もり。生命を刻む木彫の静かな力。観る者の心の風景を鮮やかに変える、静かな感動の一期一会をぜひ。

◆主な展示品◆
横山大観《神国日本》、《瀑布(ナイアガラの滝、万里の長城)》、北大路魯山人《梅に月》、吉田登穀《浄地》、下村観山《田子の浦》、橋本雅邦《老松霊鷹》、狩野芳崖《江山一望之図》、高村光雲《狗犬》、山崎朝雲《建国》、圓鍔勝三《聖徳太子》、平野富山《稚児普賢》《七福神》、板谷波山《葆光彩磁椿文花瓶》ほか
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リニューアル前の同館には一度伺ったことがありまして、その際にはやはり光雲作の木彫「牧童」が出ていました。
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この作品は繰り返し展示されているもので、今回もこれかと思ったのですが、そうではなく「狗犬」という作品でした。
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「狗犬」と題されていますが、狛犬ですね。像高など画像だけではわかりませんが、さほど大きなものでもなさそうです。木目の生かし方が絶妙ですね。

ほぼ同じ顔を持ち、阿吽の口を呈している獅子頭は複数の作例があり、各地で何度か拝見しましたが、全身像は見たことがありません。まあ、あっても何ら不思議ではないのですが。
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阿吽の口の狛犬、獅子頭、そして沖縄のシーサー、さらには仁王像など、民俗学的に興味深いところでもあります。遡ればエジプトのスフィンクスも源流は同じだとか。

来週あたり拝見に行こうかと思っております。ついでに佐野ラーメンでも食べてこようかな、と(笑)。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)14 『続ロダンの言葉』普及版

昭和4年2月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 アウギユスト ロダン(オクターヴ ミルボー)
 若き芸術家達に(遺稿)
 ロダン手記
  花について
  女の肖像
  芸術家の一日
   庭園の朝 古代彫刻の断片 庭園の夕 
  ゴチツクの線と構造
   ゴチツク建築家は写真家である 面と相反と 釣合の知識 石のレース細工 外陣
   くりかた
  芸術と自然
   古代芸術―ギリシヤ 古代芸術の豊かさは肉づけにある 高肉とキヤロスキユロ
    ローマ及ローマ芸術 アメリカの為に
  ゴチツクの天才
   ノートルダム サン トウスターシユ 彫刻に於ける色調について 十八世紀 断片
    五部のスレスコ 手紙
  ギユスターヴ コキヨ筆録
  ジユヂト クラデル筆録
  フレデリク ロートン外二三氏筆録
  ポール グゼル筆録
   「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美
  「本寺」より(手記)
   断片 ムラン マント ネエル アミヤン ル マン ソワツソン シヤルトル

正続2冊セットで並製本として刊行され、内容的には大正9年(1916)に同じ叢文閣から出た初版と同一です。カバーの背文字は光太郎本人の筆。表紙絵はロダンの素描です。

当方手持ちのものは最終刷となった昭和12年(1937)9月20日の版です。

光太郎筆の油彩画「自画像」(大正2年=1913)が出ています。

開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」

期 日 : 2026年1月10日(土)~2月15日(日)
会 場 : SOMPO美術館 新宿区西新宿1-26-1
時 間 : 10:00~18:00(金曜日は20:00まで)
休 館 : 月曜日、1月13日(火)
料 金 : 一般(26歳以上)1,500円 25歳以下 1,100円 小中高生 無料

 1976年7月、SOMPO美術館は新宿に開館しました。このたび、SOMPO美術館の開館50周年を記念し、新宿をテーマとした展覧会を開催いたします。
 日本の近代美術(モダンアート)の歴史は、新宿という地の存在なくしては語れません。明治時代末期の新宿には新進的な芸術家が集まりました。そして、新宿に生きる芸術家がさらに芸術家を呼び込み、近代美術の大きな拠点の一つとなりました。本展は、中村彝、佐伯祐三から松本竣介、宮脇愛子まで、新宿ゆかりの芸術家たちの約半世紀にわたる軌跡をたどる、新宿の美術館として初めての試みです。

ⅰ章 「中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」
 新宿に創業した中村屋のもとに新進芸術家たちが集い、サロンが生まれました。中村彝(つね)をはじめ、中村屋にゆかりの作家を取り上げます。
コラム1 文学と美術
 1910年に創刊された雑誌『白樺(しらかば)』を中心に、新宿に生きた文学者や画家たちにゆかりの作品を紹介します。

ⅱ章 「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」
 佐伯祐三は、パリと新宿を行き来しながら活動しました。アトリエの建つ下落合の風景を描いた作品を中心に展示します。
コラム2 描かれた新宿
 1923年に発生した関東大震災からの復興で変貌を遂げた街を描いた版画集『画集新宿』『新東京百景』を中心に、大正から昭和初期の新宿の風景を描いた作品を紹介します。

ⅲ章 「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」
 松本竣介(しゅんすけ)は綜合(そうごう)工房を構え、雑誌『雑記帳』を刊行しました。竣介を中心に、二科会や『雑記帳』で活動をともにした作家たちを取り上げます。

ⅳ章 「阿部展也と瀧口修造 美術のジャンルを超えて」
 阿部展也(のぶや)(芳文)のアトリエには、瀧口修造を始めとする芸術家たちが集まりました。彼ら/彼女らの交流は、既存の美術の枠を超えた豊かな作品群を生み出していきました。
エピローグ 新宿と美術の旅はつづく
 新宿に生まれた版画家・清宮質文(せいみやただふみ)。静かな叙情あふれる静謐(せいひつ)な清宮の版画によって、本展の幕をとじます。


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光太郎の「自画像」は、「コラム1 文学と美術」の中で展示されています。
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やはり新宿区の中村屋サロン美術館さんの所蔵で、同館の常設展示(コレクション展)ではほぼ常時出ているものです。

「新宿」といえば、その中村屋サロン、さらに落合文士村。ⅰ章では中村屋サロンがメインで、荻原守衛や斎藤与里ら、光太郎とも縁の深かった面々の作品が並んでいます。その流れで「コラム1 文学と美術」。やはり光太郎と親しかった岸田劉生、有島生馬など。「おっ」と思ったのは宮芳平。シブいところが出ているな、という感じでした。それから、光太郎も寄稿した『白樺』の第1巻第8号(明治43年=1910)と『ARS』の創刊号(大正4年=1915)もこの並びでしょうか。

光太郎、落合系ではメインの佐伯祐三とは直接の関わりはなかったようですが、松本竣介主宰の『雑記帳』には寄稿をしています。また、林芙美子は自著『放浪記』で光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)に触れるなど、かすかな繋がりが。

週末、ぽこっと時間が空きましたので、拝見に伺おうかなと考えております。みなさまもぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)13 『ロダンの言葉』普及版

昭和4年2月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

正続2冊セットで刊行され、内容的には大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版、同10年(1921)の目黒分店版と同一です。それらがハードカバーでしたが、こちらは並製の廉価版で、繰り返し版を重ねました。当方手持ちのものは最終刷となった昭和12年(1937)9月20日の版です。

カバー背の題字は光太郎自身の揮毫、描かれている裸婦像はロダンの素描です。同一の図案は明治43年(1910)、親友の水野葉舟の小説集『おみよ』のカバーにも使いましたが、同書はこのデッサンのために「風俗壊乱」とされて発禁になってしまいました。

佐藤忠良ら光太郎のDNAを受け継ぐ次世代の彫刻家たちはこの並製本を刷りきれるほど読んだようです。

もう少し早くご紹介するべきところでしたが、日付を勘違いしておりました。明日の公演です。

大人のための朗読会『あの空、あの声』-ふるさとの記憶-

期 日 : 2026年1月12日(月・祝)
会 場 : 成増アートギャラリー 東京都板橋区成増3丁目13-1
時 間 : 14:00~15:00 
料 金 : 無料

出 演 : 朗読ワークショップ声流
演 目 : 鹿児島感傷旅行/向田邦子 海酒/田丸雅智 あどけない話/高村光太郎 ほか

遠く離れても、深く心に刻まれた場所…ふるさと  いろいろな想い出、風の匂い、日差し、親しかった人びと…その場所を振り返るとき人は皆、胸を締め付けられる ふるさとを思い起こす朗読会です。
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主催は板橋区成増図書館さん。朗読ワークショップ声流さんによる「大人のための朗読会」は定期的に開催されているようです。平成31年(2019)には『道一その先』のサブタイトルで行われ、やはり光太郎詩「道程」がプログラムに入っていました。

今回は「『あの空、あの声』-ふるさとの記憶-」だそうで、「空」といえば「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」の「あどけない話」(昭和3年=1928)ですね。

それからフライヤーを見て一瞬、「あどけない話」と同じく『智恵子抄』所収の「梅酒」(昭和15年=1940)かと思ったのですが、田丸雅智氏の「海酒」。やはり主人公が不思議なバーでメニューに書かれた「海酒」の文字を「梅酒」と勘違いするストーリーです(笑)。

ご都合つく方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)11 『ロダン』アルス美術叢書 24

昭和2年(1927)4月17日 アルス 高村光太郎著
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目次
 一、一個の全球
 二、親ゆづり
 三、善い姉さんと腹の出た家と
 四、始まり
 五、実地修行
 六、修道院
 七、下働きと仕立女工
 八、総決算と新時代
 九、苦境と愉楽と
 十、振出しへ返る事
 十一、自己の道
 十二、「歩む人」と「地獄の門」と
 十三、胸像群
 十四、記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義
 十五、一九〇〇年以後
 十六、晩年、死、死
 十七、「小さい花子」

光太郎が終生敬愛したロダンの書き下ろし評伝です。

最終章「小さい花子」は、ロダン彫刻のモデルを務めた確認出来ている限り唯一の日本人・花子こと太田ひさを岐阜に訪ねたレポートです。ひさは森鷗外の短編小説「花子」にも描かれました。

明日からは昨年暮れの報道等を紹介しますが、それに先だって松の内の間に正月っぽいネタを。

元日の『日本経済新聞』さん文化面から。

騎馬像は馬も上手い? 名将支える相棒、国内150体巡る  山口洋史(元JRA職員)

 伊達政宗、山内一豊、前田利家、井伊直政――。武将たちをたたえる騎馬像を見上げた時、注目されるのは主役の偉人だ。となると、下の馬は見過ごされがち。
 馬好きの多くは、生きた馬の美しさに魅了されて、彫像は見向きもしない。かくいう私も同類。仕事の前に馬に乗れると聞いて日本中央競馬会(JRA)に就職したくらいだ。
 騎馬像の馬を意識したきっかけは、2011年のイタリア旅行だ。ずっと見たかったダヴィデ像への道すがら、騎馬像に出会った。コジモ1世だ。馬は丸々と肥え、頭が小さく、軽快に動いているように見えた。でも、私が好きなのはサラブレッド。ちらっと見て、通り過ぎた。
 その後も騎馬像に出会う。フェルディナンド1世、エマニュエル2世、マルクス・アウレリウス帝。妙に印象に残った。
 帰国後しばらくして馬事講座のネタ探しをしていた時、ふと騎馬像を思い出した。案外面白いのでは。とはいえイタリアには簡単には行けない。日本の騎馬像でも巡るか。なんとなく始まったが、結局150ほどある各地の像を制覇した。
 日本の騎馬像でまず外せないのが皇居外苑(がいえん)にある楠木正成像だ。騎馬像巡りで最初に見た像だが、馬をずっと見てきた私でも驚くほど、とにかく馬が上手(うま)い。正成がイケメンなのもいい。
 1900年に完成したこの像は、別子銅山200年記念事業として当時の東京美術学校(現東京芸大)を代表する芸術家が集まって作った。高村光雲が正成の顔を作り、歴史画家の川崎千虎が史実を踏まえて甲冑(かっちゅう)の図案を作り、彫刻家の後藤貞行が実際の馬の解剖もしながら馬を担当した。原型作りに3年、完成まで10年かけた。
 馬はグーッと力を入れて進もうとするが、正成が手綱を引く。顎がぐっと後ろに引っ張られた馬は興奮しているのか、前膝を高く上げて目を見開いている。胸前、前肢の付け根、おしりの筋肉も盛り上がって、全身に力を蓄えている。
 「この体勢はありえない」。写実性を重視した後藤は、光雲に抗議したという。だが誇張やデフォルメで、前進する力とそれを引き留める力が拮抗する緊張感が伝わる。
 完成当初は馬が大きいという批判もあったらしいが、現代の目で見ると逆に馬が小さく、首も少し短く感じるかもしれない。ただ、とにかくエネルギーはすごい。
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 正成像は、日本でほぼ最初に作られた近代的な騎馬像だ。これだけ人と時間と費用をかけて最初からこんなものを作ったら、後続はどうしても似てしまう。
そんな中、独自路線を行く像もある。
 例えばJR鹿児島本線伊集院駅前にある島津義弘像。馬は後肢をぐっと曲げて踏ん張り、頭を左に少しひねりながら前半身を高く上げている。馬の首の部分の筋肉の力強く張り詰めた膨らみ、全身の流れるような美しいライン。前歯や後歯、歯が生えていない歯槽間縁も正確に作られている。同じ騎馬像でも馬の力強さを別の形で描写した彫刻家の中村晋也の想像力に圧倒される。

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 ところが、そもそも馬を理解せずに作られたものもある。馬の肢(あし)は人間の脚とは違う。私が見た限りでは、馬の肢が本来とは逆向きに、まるで人の腕や脚のように曲がった像が2体ほどあった。
 こんなの許せない――。当初はそう思った。でも、騎馬像を見ていくうちに考えは変わった。馬のひづめや蹄鉄(ていてつ)の正確さまで、ちゃんと捉えているのは彫刻家の北村西望ぐらい。それでも多くの像は、地域で大切にされている。精いっぱいの思いが込められている。
 愛知県吉良町(現西尾市)といえば、忠臣蔵の吉良上野介の地元だ。ここには、6体もの上野介の騎馬像があった。日本中に悪役と思われても、地元はこの殿を支えるという意気込みだろうか。
 北海道江別市の榎本公園にある榎本武揚像の馬は、いかにも騎馬像らしいダイナミックさはない。でも華奢(きゃしゃ)な体にもかかわらず目はキリッとしていて、武揚の指示をじっと待っている。旧幕府、新政府の両方で重用された偉人も、相棒の馬といつも一緒にあちこち回ったのかもしれない。
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 船に乗りレンタカーを借りて佐渡島の山奥の公園にたどり着くと合戦開始目前、2人の騎馬兵が向き合う像があった。馬の像はやや詰めが甘いところがあるものの、全体としてダイナミックだ。
 ところがはるばる来た公園の近くにあるのは公衆トイレぐらい。30分ほど見ていたが、そばを通るのはトイレを目指す地元の人ばかり。せっかくの騎馬像、もう少しかっこつけてあげてほしいが、史実に忠実に場所を選んだ結果なのだろう。
 作り手や設置者の思い、あるいは何かしらの事情が垣間見える騎馬像は、今の時代にも新たに作られている。どうせなら愛される像を作ってほしい。願わくば、馬にもどうか気を使ってあげてほしい。

当会としての今年の年賀状図案に使った皇居外苑の「楠木正成像」を真っ先に挙げて下さいました。ありがたし。

執筆された山口氏、元JRA職員とのことで、見方が違いますね。楠公像に関しては「前進する力とそれを引き留める力が拮抗する緊張感」という評がまさに我が意を得たり、という感じでした。

楠公像の馬を担当した後藤貞行は、このために東京美術学校に雇われました。光雲が当時の校長だった岡倉天心に頼み込んでの実現でした。後藤が「この体勢はありえない」と言ったエピソードは、光雲の談話筆記『光雲懐古談』を昭和42年(1967)に中央公論美術出版さんが『木彫七十年』の題で復刊した際に附された、光雲三男にして家督相続を放棄した光太郎に代わって髙村家を継いだ豊周による「あとがき」に語られています。

 楠公の馬は左足を勢いよくあげ、踵を上へまげている。ここが問題になった。馬の専門家である後藤さんは馬の足というものはあんなにあがるものではない、それは嘘だといって反対した。けれども父が話すには、嘘でも馬が勢い込んで走ってくるところを手綱をぐっとひきしぼる、勢いが余って足があがる、その動きの激しいところをみせるためにも、また銅像全体としてみて、颯爽とした形のいいところをみせるためにも、例え嘘でもよいから片足をあげないと格好がつかない、そういうことを父はいったけれども、後藤さんは何しろ正確なことを尊ぶ本当の研究家だから、嘘になるから私は出来ないという。それで非常に困ってしまった。父は、いや芸術というものはそういうものではない、時には嘘でもよいのだ。その嘘を承知の上で作った方がかえって本当に見えるんだ。本当の馬のように作ると、かえって、少しも馬の勢いが出てこない、動勢というものがあらわれてこない、それではなんにもならない。嘘が本当にみえればそれでよいのだから、その気持ちをのみこんでもらわなくてはいけないということを、銅像制作の主任としての立場から、父はめんめんとして後藤さんを口説き、やっとのことで嫌がる後藤さんに承知してもらったという。

この件は『光雲懐古談』本文には記述がありません。それを書き残して置いてくれた豊周、グッジョブですね。もちろん、こうした措置を執った光雲、その提案をのんだ後藤もですが。まぁ、こうしたデフォルメは彫刻としては初歩的な技法ですが。しかし、こうした点、山口氏曰く「作り手や設置者の思い」を知った上で見るのと、そうでないのとではまるで見方が変わってくると思われます。

午年の今年、全国に150体以上あるという騎馬像、少し注意して観てみてください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)6 『ロダンの言葉』目黒分店版

大正10年(1921)11月28日 目黒分店 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版と装幀は異なりますが、中身の紙型は同一のようです。阿蘭陀書房は大正6年(1917)に社名をアルスと改称、そのあたりのバタバタもあってか『ロダンの言葉』の重版が十分に出来なかったようで、目黒分店版が刊行されました。

のちほどご紹介しますが、叢文閣からの正続2冊組の普及版も出されます。

松の内の間に正月っぽいネタを片付けてしまおうと思います。

『京都新聞』さん、元日の「社説」。

社説:新しい年に 京都、滋賀に希望の物語紡ごう

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 京都の書店で、画集の上に「檸檬(れもん)」を置いて出てきたと小説に書いたのは、梶井基次郎である。
 病床にあった詩人高村光大郎の妻は、レモンを<きれいな歯ががりりと嚙んだ(略) 天のものなるレモンの汁はぱつとあなたの意識を正常にした>(智恵子抄(ちえこしょう))
 私たちの舌と多くの芸術家を刺激してきた酸っぱいレモンが、京都で作られている。5年ほど前から始まった挑戦の結実だ。
 仕掛けたのは農産物加工品の製造・販売会社「日本果汁」(京都市下京区)。健康志向で拡大する国産レモンの需要に、生産が追いつかない。取引のある農家や専門家に、京都での栽培を打診する。

未来を刺激する実り 
 舞鶴、亀岡、木津川、京田辺など府内20超の農家が手を上げた。行政や企業の支援も得て、耕作放棄地を活用。防寒対策など2年ほどの試行錯誤で木が根付く。
 実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫で、先月に終えた年間収穫は7トン前後。「京檸檬」として加工品用に出荷し、地元の宝酒造(伏見区)が酎ハイ、ロマンライフ(山科区)が洋菓子に用いるなど商品化している。
 日本果汁の河野聡社長は「新たな特産品で持続可能な地域づくりに貢献できれば。目標は10年以内に100トン。生食や京料理などでの使用にも広げたい」と話す。
 府南部では鮮烈なグリーンのレモンが、茶園やネギ畑のそばで実っていた。緑の競演だ。<がりりと嚙んだ>ら通常より酸味が柔らかい。京の名前が良く似合う。多くの人の口に届いてほしい。

つなぎ、つながる多様性
 本紙は昨年から一つの地域で、複数の地方版を読めるように紙面を改めた。京都、滋賀で多くの人やグループ、団体が「わがまち」の資源を生かしたり、新たに作り出したりして地域社会を動かすニュースを連日、報じている。
 そこから読み解けるのは「つながり」「つなぐ」ことの大切さだ。糸をたぐり京滋に希望の物語を紡ぐ-。次の主役は、あなたやあなたの周囲の人かもしれない。
 政治には、そうした営みを後押しする方策を求めたい。
 30年来続けてきた国の少子化対策は、めぼしい効果をもたらしていない。結婚や出産、子育てについて行政が環境を整えることは重要だが、いずれも個人の自由であり、それでただちに出生率が持ち直すわけではない。
 結婚をためらう非正規労働者など雇用環境の改革、「伝統的な家族観」を女性に押しつける考え方など、複合的な社会の障壁を除くことが必要である。「多様性」と「寛容」が鍵になろう。
 ここ10年、政府が旗を振った「地方創生」も残念ながら、地域社会を疲弊させた面が大きい。官邸と霞が関が中央統制を強め、自治体間で住民や税金、補助金を奪い合わせたからだ。
 国は人口や経済成長をコントロールできるという幻想の物語を振りまき、真に必要な改革から逃げてきたのではないか。政府推計で、15年後には生産年齢人口(15〜64歳)が今より1100万人も減る。不都合でも直視したい。
 その点で、地方創生について政府自身が検証報告で行き詰まりを認め、昨年6月に閣議決定した今後10年の基本構想に「人口減少を正面から受け止め、誰もが安心して生活できる適応策を講じる」と明記したのは意義深い。
 地域社会の持続的な発展には、性別や世代、国籍を問わず支え合い、参加し、ゆるやかに連帯する暮らしと働く場が欠かせない。

政治が亀裂深めるな 
 それを支えるのは、医療・介護や教育施設、交通網、農林漁業といった広義のインフラだろう。東京大や同志社大で教えた経済学の泰斗、故宇沢弘文氏は「社会的共通資本」と呼んだ。
 人口減への適応策として、国と自治体は、その維持を優先すべきだ。「縮むまち」に合わせて、身の丈を整える青写真を各自治体は描く時ではないか。
 それを国は支えつつ、自らも人口減・低成長に即した「日本のかたち」を示し、「成熟型」の社会保障や財政、経済戦略を再構築すべきである。負担のわかちあいなど厳しい面もあろうが、次世代へのツケ送りは慎まねばならない。
 心配なのは、つながり、共に生きるより、交流サイト(SNS)を介して対立や不確かな情報をあおり、自分と考えの違う人や少数者、外国人を排撃する動きだ。
 昨秋、高支持率で出発した高市早苗政権は、その波頭に乗っているかに見える。持論や右派の支持層向けの言葉が、日本を分かつ壁を築いていないか。
 分断の溝を埋めるのは、誰もを包み込む地域社会に違いない。

よくある話のマクラに光太郎智恵子が使われるパターンですが(笑)、それも大歓迎です。マクラにさえ使われなくなったらゆゆしきことです。

「京檸檬」のブランド名で、レモンの栽培が拡がっているとのこと。調べてみたところ、社説で紹介されている日本果汁さんとロマンライフさんが会員企業、宝酒造さんが協賛企業として名を連ねている「京檸檬プロジェクト協議会」という団体さんがいろいろと頑張ってらっしゃるようです。
011
耕作放棄地の活用など、意義のある取り組みですね。「京檸檬」と漢字にしているのもシャレオツなイメージです。まぁ何であっても「京××」としただけで垢抜けした感じになるような気がしますが(笑)。

意外と寒い京都ですが、「実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫」だそうで、そうすると智恵子の故郷・福島や光太郎ゆかりの岩手でも不可能ではないかもしれません。関係の方、ご一考をお願いしたいところです。

さらに社説では少子化や地方の問題、分断主義や排外主義の台頭への憂慮等も語られています。この国が「美しい国」であるために為すべきことは何なのか、年頭に当たって考えたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)5 『自選日記』

大正10年(1921)9月17日 叢文閣 ウォルト・ホイットマン著 高村光太郎訳
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目次
 序。大英帝国島に於ける諸君へ
 幸福な時間の命令 懇望する友への返事 系統――ヷンヹルサルとホヰツトマン
 古いホヰツトマン及びヷンヹルソルの墓地 母方の屋敷地……二つの昔の家族の内部
 ポマノクと、私の子供として又若者としての其処での生活 
 私の最初の読書――ラフアイエツト 印刷所――昔のブルツクリン 成長――健康――為事
 渡しに対する熱情 ブロードヱーの光景 乗合馬車旅行と馭者 芝居も歌劇も
 八年間――性格の源泉――結果――一八六〇年 南北戦争の開始
 国民の蹶起と義勇兵の志願 驕慢の気……ブルランの戦、一八六一年七月
 昏迷は去る――別の事が始まる 戦線にて 最初のフレデリツクスパーグ戦の後
 ワシントンに帰る 負傷のまま戦場に置かれた五十時間 病院の光景と人物
 専売特許局病院 月光下のホワイト ハウス 一軍隊病舎 コンネチカツトの一患者
 二人のブルツクリンの子供 分離派軍の一勇者 チヤンセラースヸルからの負傷兵
 夜戦、一週間余以前の事 最も勇敢な兵卒は名も知られずに居る 或る代表的患者
 私の訪問準備 傷病兵運搬車の行列 重傷――青年 戦時の壮観中最も元気あるもの
 ゲツチスバーグの戦 騎兵の野営 ニユーヨークの一兵卒 手製の音楽 
 アブラハム リンカーン 炎熱期 兵卒と談話と ヰスコンシンの一士官の死 病院の概観
 静かな夜の散策 兵卒中の霊的性格者 ワシントン附近の牛の群 病院の混雑 戦線にて
 奨励金支払 流言、異動、其他 ヷージニヤ 一八六四年の夏
 アメリカに適する新らしい軍隊組織 一英雄の死 病院の光景――偶発事
 ヤンキーの一兵卒 南方に於ける合衆軍の捕虜 脱走兵 戦争地獄図の一瞥
 贈物――金銭――分つた事 ノートブツクからの数項 第二ブルランからの一患者
 軍医――援助の欠乏 到る処青 模範病院 軍隊中の子供達 一看護婦の葬式
 兵卒にとつての女性看護へ 南軍の逃避兵 瓦斯燈下の政庁 就任式
 戦時に於ける外国政府の態度 天候―天候も此の時勢と照応するか 就任式舞踏会
 政庁に於ける一光景 古典的一ヤンキー 傷病兵 大統領リンカーンの死
 シヤーマン軍の歓呼――その突然の停止 リンカーンの善き肖像無し
 南軍から放免された合衆軍の捕虜 ペンシルヷニアの一兵卒の死 凱旋軍隊 大観兵式
 西部の兵卒達 一兵卒のリンカーン観 二人の兄弟、一人は南、一人は北
 痛ましい患者がまだゐる カルフーンの真の記念像 病院閉鎖 模範的兵卒 「痙攣的」
 三個年の総〆 百万の死の同じく総〆 真の戦争は書物の中に決して無い 中間の一節
 新らしい主題に入る 長い農家の小径に入る事 泉と流とに 初夏の起床喇叭
 真夜中に渡る鳥 くまん蜂 シダー(杉)の実 夏の風物と安逸
 日没のかをり――鶉の声――ハーミツト鶫 池の畔の七月の午後 ローカストとケチヂツド
 木の教訓 秋日小景 天空――昼と夜――幸福 色彩――対照 七六年十一月八日
 烏、烏……海岸の冬の一日 海浜の空想 トマス ペーンの追憶 二時間の氷上の渡船
 春の前奏曲――嬉戯 一つの人間の奇癖 或る午後の光景 門は開かる 大地、土
 鳥、鳥、鳥 星に満ちた夜 マリン、マリン……遠方の物音 日光浴――裸体 樫の木と私
 五行詩 初霜――おぼえ……三人の若者の死 二月の日 メドーラーク……日没の光
 樫の木の下での思ひ――夢 クロヷーと刈草の匂 知らぬもの
 鳥の啼声……馬薄荷……われら三人 ヰリヤム カレン ブライヤントの死
 ハドソン河を遡る 幸福とラズベリーと 放浪家族の一標本 湾から見たマンハツタン
 人間的な英雄的なニユーヨーク 魂にとつての時間 麦わら色其他の蝶
 夜の記憶……野生の花 遅蒔の礼儀……デラヱヤ河――昼と夜と
 渡船及河の光景――昨冬の夜 チエストナツト街の最初の春の日
 ハドソン河をアルスター郡に遡る JBの家に於ける日々――芝火――春の歌
 隠者に会ふ……アルスター郡の滝 ヲルター デユモントと彼のメダル ハドソン河の光景
 市の二つの地域、或る時間 セントラル、パーク散歩と談話 美しい午後、四時から六時
 大汽船の出発……ミネソタ艦上の二時間 盛夏の日夜 博覧会の建物――新市庁――河遊び
 河の上の燕 長い西遊旅行を始める 寝台車にて ミズーリ州
 ローレンスとトピーカ、カンサス州 平原、(及び口演しなかつた演説)
 デンヷーへ――国境の出来事 キノーシヤ山嶺の一時間 手前勝手な「発見」
 新らしい感覚、新らしい歓喜 蒸気動力、電信、其他 アメリカの脊骨
 パーク……芸術的容姿 デンヷーの印象 南に向ひ――やがて又再び東に
 果たされなかつた望――アーカンサス河 静かな小さなお伴――コレオプシス
 詩に於ける平原(プレーリー)と大野原 スパニツシユ高峯――野原の夕暮
 アメリカ独特の風景 地上最も重要な流 平原の対比者――樹木の問題 ミシシピ流域文学
 訪問記者の一記事 西の女……無言の将軍 大統領ヘイズの演説 セントルイス備忘
 ミシシピー河の幾夜 われら自身の国土の上 エドガー ポーの真意義
 ベトーヴエンの七部合奏曲 荒い自然の一暗示 森の中の遊びぐらし コントラルトの声
 ナイヤガラを有利に見る カナダへの旅 狂人と一緒に居た日曜日
 エリヤス ヒツクスの追憶 偉大な土着人の増加 合衆国カナダ間の関税同盟
 セント ローレンス水路 荒凉たるサグネー河 エターニテー及びトリニテー岬
 シクチミとハハ入江 住民――美食 杉の実のやうな――名称 トマス カライルの死
 アメリカ的見地から見たカライル 旧友の一二――コルリツジの一小片
 一週間のボストン訪問 今日のボストン 四詩人に対する私の讃辞
 ミレーの絵画……最後の数項 島――そして一つの注意 私の備忘録の見本
 今一度私の生れ故郷の砂と嵐と 炎暑のニユーヨーク 「カスター将軍の最後の集軍」
 或る古馴染――追憶 老年の発見 R、W、エマーソンへの最後の訪問
 他のコンコルド所見 ボストン コンモン――更にエマーソン
 オシヤン的の夜――最も親しい友達 ほんの一艘の新らしい渡船 ロングフエローの死
 新聞を起す事 吾等も其一部である大不安息 エマーソンの墓にて 当今の事――私事
 或書を読みかけた後 最後の告白――文学の試験標準 自然と平民主義と――道徳性
 附録(英国版の為一八八七年に書かれたもの)

原典はアメリカの詩人、ウォルト・ホイットマン(1819~1892)の日記で、雑誌『白樺』などに断続的に訳出掲載されたものの単行本化です。

その自然崇拝的態度などに、光太郎は共感を寄せていたようです。ただ、ホイットマン、南北戦争時には北軍を鼓舞する詩篇を書いてもいます(負傷兵の看護に当たるなどの慈善活動も行いましたが)。のちの15年戦争時に光太郎が大量の翼賛詩文を書き殴った一つの源流が、ここにも見えるような気がします。

暮れから年始にかけ、新聞各紙や地方自治体の広報誌などで光太郎智恵子、その父・光雲の名が散見されていまして、明日から少しずつご紹介して参ります。

その前に、ちょっと先の開催ですが申し込み〆切が迫っているイベントを。

近代文学講座 作家たちの異文化体験

期 日 : 2026年1月16日(金)、1月23日(金)、1月30日(金)
会 場 : 久里浜コミュニティセンター 神奈川県横須賀市久里浜6丁目14番2号
時 間 : 13時00分~15時00分
料 金 : 無料

文学好きの皆さん、近代日本文学の巨匠たちが海外で体験した異文化との出会いに興味はありませんか?

横須賀市の久里浜コミュニティセンターでは、2026年1月16日・23日・30日の3回にわたり「近代文学講座 作家たちの異文化体験」を開催します。夏目漱石や高村光太郎、横光利一、島崎藤村といった文豪たちが異国の地で何を見つめ、どんな思いを抱いたのかを深く学べる貴重な機会です。

第1回 1月16日(金曜日)13時00分~15時00分 漱石、光太郎のロンドン
第2回 1月23日(金曜日)13時00分~15時00分 横光利一、金子光晴のパリ
第3回 1月30日(金曜日)13時00分~15時00分 島崎藤村、林芙美子のパリ

講師 奥出健氏(元大学教員)

申込方法 以下のいずれかの方法でお申し込みください:
 往復はがき 1月6日(火曜日)必着
 久里浜コミュニティセンター窓口にご来館(返信用郵便はがき持参)
 電子申請
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3回にわたっての文学講座で、取り上げられるのは夏目漱石、高村光太郎、横光利一、金子光晴、島崎藤村、林芙美子。その市ゆかりの芸術家について詳しくというのは時折見かけますが、市としての講座でいろいろな人物を幅広く扱うこの手のものは珍しいような気がします。

光太郎についてはロンドンだそうですが、光太郎のロンドン滞在は明治40年(1907)6月から翌年6月までのまる一年でした。ロンドンの前にはニューヨークに1年4ヶ月ほど、ロンドンの後はパリに渡って1年。その間にスイス経由のイタリア旅行も1ヶ月ほど行っています。

まず腰を落ちつけたニューヨークでは日本で培われた価値観を根底から覆され、人種差別の洗礼も受けました。最後のパリでは近代芸術家として、さらに一人の人間としての開眼。間に挟まれたロンドン滞在中には、大きな転機というものが無かったように感じられますが、そのあたりどう扱われるのだろうと思っております。

イギリスにはニューヨークからホワイトスター社の客船・オーシャニック号で渡り、サザンプトンで上陸、ロンドンに向かいました。ニューヨークでも世話になった東京美術学校の先輩・白瀧幾之助が先に渡英しており、当初はその下宿に厄介になるなどまたその力を借ります。その後、パトニー地区の下宿に落ちつき、ザ・ロンドン・スクール・オブ・アートや一般人向けの技芸学校ポリテクニックに通います。その間、バーナード・リーチと知り合ったり、先にパリに渡っていた荻原守衛が訪ねて一緒に大英博物館に行ったり、逆にパリの守衛の元を訪れたりもしました。やがてチェルシー地区に転居、フランス語の勉強を急ぎ、満を持して渡仏します。留学の最終目的地はあくまでパリでした。

光太郎晩年の回想「父との関係」(昭和29年=1954)から。

私はロンドンの一年間で真のアングロサクソンの魂に触れたやうに思つた。実に厚みのある、頼りになる、悠々とした、物に驚かず、あわてない人間のよさを眼のあたり見た。そしていかにも「西洋」であるものを感じとつた。これはアメリカに居た時にはまるで感じなかつた一つの深い文化の特質であつた。私はそれに馴れ、そしてよいと思つた。

イギリスの雰囲気や国民性には好感を持っていたようですが、ただ、美術の部分ではあまり学ぶところはないと感じていたようです。やはり晩年の回想「青春の日」(昭和26年=1951)から。

イギリスの彫刻には、中世期のものを除いてはあまり興味はなかつたし、絵もどうしても好きにはなれなかつた。バーン ジヨーンズなども嫌いではないが、心から惹きつけられない。ブレークなどは、ひかれるところと嫌いなところが半分半分ぐらいずつある。リーチは現代画家の中で、オーガスタス ジヨーンを賞めたが、僕にはそれほどに思えない。イギリスという国の伝統の中に、どこか芸術を私有物的、一地方的にリミツトしたがる傾向があつて、それが絶えず新しい芸術の気運を阻んでいるのではないかという気がした。

なかなか鋭い見方ですね。

ついつい筆が止まらなくなりましたが(笑)、そんなこんなのロンドン体験、今回の講師の奥出健氏という方がどのように語っていただけるのかな、という感じです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)4 『続ロダンの言葉』

大正9年(1920)5月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 アウギユスト ロダン(オクターヴ ミルボー)
 若き芸術家達に(遺稿)
 ロダン手記
  花について
  女の肖像
  芸術家の一日
   庭園の朝 古代彫刻の断片 庭園の夕 
  ゴチツクの線と構造
   ゴチツク建築家は写真家である 面と相反と 釣合の知識 石のレース細工 外陣
   くりかた
  芸術と自然
   古代芸術―ギリシヤ 古代芸術の豊かさは肉づけにある 高肉とキヤロスキユロ
    ローマ及ローマ芸術 アメリカの為に
  ゴチツクの天才
   ノートルダム サン トウスターシユ 彫刻に於ける色調について 十八世紀 断片
    五部のスレスコ 手紙
  ギユスターヴ コキヨ筆録
  ジユヂト クラデル筆録
  フレデリク ロートン外二三氏筆録
  ポール グゼル筆録
   「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美
  「本寺」より(手記)
   断片 ムラン マント ネエル アミヤン ル マン ソワツソン シヤルトル

前作『ロダンの言葉』の補遺的に刊行されました。大正6年(1917)に亡くなったロダンの追悼的な意識もあったでしょう。

上野のトーハクさんで元日から始まっている企画展示です。

博物館に初もうで

期 日 : 2026年1月1日(木)~1月25日(日)
会 場 : 東京国立博物館 台東区上野公園13-9
時 間 : 9時30分~17時00分 毎週金・土曜日および1月11日(日)は20時00分まで
休 館 : 月曜日 1月12日(月・祝)は開館
料 金 : 東博コレクション展観覧料でご覧いただけます。一般1,000円、 大学生500円

新年恒例の「博物館に初もうで」は、2026年は1月1日(木・祝)13時より開催します
 東京国立博物館(館長:藤原誠)は、2026年は1月1日(木・祝)13時より開館し、恒例の正月企画「博物館に初もうで」を開催します。
 干支をテーマにした特集展示や、長谷川等伯筆 国宝「松林図屛風」(1月1日(木・祝)~1月12日(月・祝) 本館2室にて展示)をはじめ、本館、東洋館の各展示室で、新年の訪れを祝して吉祥作品や名品の数々をご覧いただけます。
 また、当館アンバサダーであり、世界的に活躍する日本画家・千住 博氏より、新作《ウォーターフォール》をご寄贈いただくことになり、1月1日〜1月12日まで本館大階段上にて特別に展示します。1月1・2・3日には本館前ステージでは和太鼓、獅子舞、吟剣詩舞など、新春限定の企画も開催します。
 新たな年のスタートは、ぜひ当館でお迎えください。

常設展示を新春らしくおめでたいものや干支にちなんだ作品で揃え、「博物館に初もうで」としゃれこみましょう、というコンセプトで毎年行われている企画です。
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サムネイル的に使われているのが、後藤貞行作の木彫「馬」(明治26年=1893)です。

光太郎の父・光雲の4歳年下だった後藤は変わった経歴を持つ彫刻家です。旧幕府の騎兵所や、維新後は陸軍省の軍馬局などに勤務した後、馬の彫刻を作りたい一心で光雲の門を叩いて木彫を学び、さらに東京美術学校に奉職、皇居前広場の楠木正成像の馬や、上野の西郷隆盛像の犬などを任されました。

というだけならこのブログでこの展示をわざわざ紹介しませんが、旧臘に発行された『東京国立博物館ニュース』の第783号(2025-2026年12・1・2月号)でこの「馬」が紹介され、「師の高村が1893年に開催されたシカゴ万国博覧会に出品するために制作した老猿(ろうえん 重要文化財、当館蔵)と同じ木から、本作を彫り出したと述べています」との記述。実物を何度か拝見していましたが、これは存じませんでした。
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光雲が「老猿」に使った木材は、栃木県鹿沼市の山林に自生していた栃の巨木でした。昨年は鹿沼でそのあたりに関するイベント等も行われています。そのあたり『東京国立博物館ニュース』では「高村は老猿の材木を求めて栃木県鹿沼市で直径2メートルほどの巨大なトチの木を購入し、東京都台東区の自宅まで運びました。後藤がこのトチの木の調達に尽力したこともあって、材木の一部を譲りうけたのでしょう」と記されています。

いわば「老猿」とこの「馬」、兄弟だったのですね。
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そう思って観ると、また見え方が違ってくるような気がします。

他に群馬県大泉町出土の馬型埴輪や、長谷川等伯筆の「松林図屛風」なども出ているとのこと。それから関連行事として1月10日(土)には本物の馬がトーハクさんにやってきての「在来馬とのふれあい」イベントなども企画されています。
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ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)3 『ロダンの言葉』(近代思潮叢書 第五編)

大正5年(1916)11月27日 阿蘭陀書房 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

光太郎初の訳書です。元々、フランスにも『ロダンの言葉』という書物は存在せず、さまざまなところで発表されたロダンの談話を光太郎が集めて一冊にまとめました。

装幀は光太郎自身。函題字は光太郎が得意とした白黒反転の「籠書き」文字で書かれています。

当方手持ちのものは大正7年(1918)10月20日改訂増補五版です。

毎年のルーティンで、昨日の元日は九十九里浜に初日の出を拝みに行っておりました。

九十九里浜と行っても南北にやたら長く、昭和9年(1934)に智恵子が半年余り療養していた旧片貝村(現・九十九里町)はその中央あたり、ここ数年行っているのは自宅兼事務所のある香取市に隣接する旭市で、浜の北端近くです。

大晦日に見た天気予報では、日の出を観るにはあまり良い条件ではなさそうでしたし、自宅兼事務所を出た5時半頃の段階ではやはり雲が多めでした。それでも雲の切れ間から木星などが見え、一縷の望みを抱きつつ愛車を駆って浜を目指しました。

着いた時はこんな感じ。
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ここ数年で、最も条件の良くない感じでした。

ちなみに去年(左下)と一昨年(右下)は同じ場所でこんな感じでした。
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ここまでは行かなくとも、雲の隙間から少しでも陽光が差すのを期待して待ちました。これもルーティンですが、待つ間に流木を集めて焚き火。
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午前6時45分、日の出の時刻を過ぎました。
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やはりだめでした。7時過ぎまでねばりましたが、「あのあたりにお日様があるんだろう」とわかる程度。
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しっかり見えなかったのは令和2年(2020)以来でしたが、ま、こういう年もあるさと思いつつ、帰りました。

自宅兼事務所に着いて、庭から撮った画像。
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正午前、妻と二人で自宅兼事務所から徒歩15分程の諏訪神社さんへ初詣。

一帯は公園となっており、一角には大熊氏廣原型作の伊能忠敬像が鎮座ましましています。大正8年(1919)の作です。忠敬は九十九里の生まれですが、香取の商家に婿養子に入り、隠居後に実測による日本地図の製作に当たりました。地元の偉人です。
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諏訪神社さん、正面から行くと約130段の石段。しかもけっこうきつい勾配です。
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例年、初日の出の太陽にお願いしている今年一年の平穏無事、光太郎智恵子界隈の盛況をこちらでお願いして参りました。

余談ですが本殿右の椎の巨木は、平成21年(2009)にTBSさん系で放映された大沢たかおさん主演のドラマ「JIN-仁-」で、内野聖陽さん扮する坂本龍馬が腰かけた木です。物語では長崎の設定でしたが。
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今年1年、皆様方にも幸多からんことを祈念いたしております。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)2 『印象主義の思想と芸術』(近代思潮叢書 第五編)

大正4年(1915)7月26日 天弦堂書房 高村光太郎著

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目次
 一 概観(印象主義の名称。アングル。ドラクロワ。クールベ。印象派画家の態度、主張。)
 二 エドワール マネ(附 モリゾ。エヷゴンザレ。カサツト。)
 三 クロード モネ(附 新印象派画家)
 四 アルフレ シスレー
 五 カミーユ ピサロ
 六 オーギユスト ルノワール
 七 エドガー ドガ(附 フオラン。ラフハエリ。ロートレク。)
 八 ポール セザンヌ(附 後期印象派)
 九 附言
 年表

光太郎初の美術評論集。書き下ろしです。昨日の『道程』同様、本来はカバー付きでしたが手持ちのものはカバー欠です。

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