先月末から今月にかけての、光太郎智恵子光雲にちらっと触れて下さっている新聞記事等、2回に分けてご紹介します。
まず11月28日(水)、『毎日新聞』さん北海道版。
国際高校生選抜書展 札幌北高が3年連続V 道地区大会、67校から1280点 /北海道
「書の甲子園」の愛称で知られる第27回国際高校生選抜書展(毎日新聞社、毎日書道会主催)の審査結果が27日、発表された。北海道地区は67校から1280点の出品があり、団体部門は札幌北高が3年連続4回目の地区優勝に輝いた。個人部門は札幌北高3年、阿部穂乃加さんと旭川商高3年、小清水琢人さんの2人が大賞を受賞したのをはじめ優秀賞6人、秀作賞10人の計18人が入賞し、162人が入選を果たした。
(略)
◆大賞
◇「詩の力強さ表現」 札幌北高3年・阿部穂乃加さん
高村光太郎の詩から「歩いても歩いても惜しげもない大地 ふとっぱらの大地」との一節を作品に仕上げた。濃墨をたっぷりと2 本の筆に含ませ、紙面からはみ出すほどの勢いで一気に書き上げた。 「線の強弱のバランスや空間の取り方が難しかった。詩の意味を考えて、力強さを表現しようと心がけた」と振り返る。出来栄えには、自分なりに手応えはあったが「大賞をいただけるとは予想していなかった」。 本格的に書道を始めたのは、高校で書道部に入部してから。選抜書展では1、2年時に連続で入選し、昨年夏には長野県松本市で開催された全国高校総合文化祭に道代表として作品が展示された。 大学入試が間近に迫っており、 受験勉強の日々が続く。将来、医療関係の仕事を目指しており、「進学後も書道は続けていきたい」と抱負を語った。
札幌北高校さんのサイト中の書道部さんのページに作品の写真が出ていました。同じ作品が今夏に松本市で開催された第42回全国高等学校総合文化祭(信州総文祭2018)でも出品されたようです。力強い作品ですね。
取り上げて下さった「歩いても歩いても惜しげもない大地 ふとっぱらの大地」は、大正5年(1916)の詩「歩いても」の一節です。
続いて11月26日(月)、『読売新聞』さんの投稿俳句欄。
「智恵子像ゆるき着物に秋の風」。なるほど、いい句ですね。おそらく智恵子生家の縁側で、明治末に撮られたと推定される右の写真からのインスパイアのようです。
さらに12月1日(土)の『日本経済新聞』さん読書面。「リーダーの本棚」というコーナーで、お茶の水女子大学学長の室伏きみ子氏。昭和42年(1967)、童心社さんから刊行されたアンソロジー『<詩集>こころのうた』を、真っ先にご紹介下さっています。
父親が元文学青年で、仕事のかたわら詩も書く人でした。 家には本があふれていました。
美しい絵は、本を読む楽しみの一つです。幼稚園児のころから好きだったのが、初山滋さんです。詩集『こころのうた』は、初山さんが装画を担当しました。高村光太郎、三好達治、立原道造、 八木重吉さんら、自分が大好きな詩人の詩が収められています。
同書には『智恵子抄』中の三篇、「人に」(大正元年=1912)、「レモン哀歌」(昭和14年=1939)、「案内」(昭和24年=1949)が掲載されています。
最後に『朝日新聞』さんの千葉版。12月5日(水)に掲載されました。
光太郎の父・光雲と、高弟の米原雲海による信濃善光寺の仁王さまのおみ足です。なるほど面白い写真ですね。
ちなみに記事を読む前に、写真だけ見て「おっ、善光寺の仁王さまだ」とわかった自分を自分で褒めたくなりました(笑)。
この項、明日も続けます。
【折々のことば・光太郎】
今の公衆と芸術批評家との間に、何の差別を見出さんか。芸術と言ふものに対しては、全く同類の盲目なるは無残な事に候。BOURGEOIS+0+0=CRITIQUE+0+0に候。
散文「琅玕洞より」より 明治43年(1910) 光太郎28歳
当時の新聞に載った美術批評の頓珍漢さを嘆き、一般人の芸術理解のレベルが低いことをも嘆く文章の一節です。「BOURGEOIS」はブルジョア、中産階級の市民、「CRITIQUE」は批評家、共に仏語です。それぞれ鑑賞眼ゼロだと、厳しく切り捨てています。