一昨日、昨日と、みちのくひとり旅でした。レポートいたします。
まずは光太郎第二の故郷・岩手花巻。
東北新幹線で新花巻駅に降り立ち、いつもそうしていますが、レンタカーを借り受けました。
まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
リンゴを箱買いし、自宅兼事務所に宅配便で発送。この季節のルーティンです(笑)。
続いて、光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)/高村光太郎記念館さんへ。そこに到るまでも既にそうでしたが、紅葉が実にいい感じでした。
ここでも問題となっている熊の対策。
山荘脇には電気柵が設置されていました。とうとうここまでやる必要が出てきたか、という感じでした。
隣接する高村光太郎記念館さん。
富山県ご在住で、連翹忌の集いにもご参加下さったり、地元で光太郎智恵子に関する講座をなさったり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたり、地元や都内で一人芝居「智恵子抄」の公演をなさったりと、精力的に活動されている茶山千恵子さんとばったり出会いました。
SNSで、二本松・花巻に行かれるというお話は存じておりましたが、細かな行程は訊いておりませんでしたので、ここで出会うかと驚きました。
記念館で現在開催されている企画展「昔なつかし花巻駅」。土屋直久氏・石井彰英氏による精巧なジオラマがメインです。
7月に伺った時には機器の故障で見られなかった、昭和11(1936)年に撮影された岩手軽便鉄道の記録フィルムも拝見。
こちらは今月いっぱいです。
同時開催で、特別展「」。与謝野晶子門下の歌人・中原綾子に宛てた書簡、中原主宰の雑誌への寄稿の原稿などが、中原ご遺族からごっそり寄贈され、4期に分けて来年2月末まで展示しています。現在は第3期です。光太郎が序文や題字を書いた中原の歌集・詩集・主宰の雑誌、中原が光太郎を詠んだ短歌が載った歌集、光太郎から中原に贈られた書など、当方手持ちのものも展示されています。
事務室で、新たに寄贈された光太郎の写った写真を拝見。
一緒に写っているのは光太郎が名付け親となった児童劇団「花巻賢治子供の会」の皆さんと思われます。メンバーにはご存命の方もいらっしゃり、昨年、公開対談をさせていただきました。
高村山荘・高村光太郎記念館さんを後に、一旦、宿泊先の鉛温泉藤三旅館さんにチェックイン。過去3回、光太郎が泊まった31号室をはじめ、いずれも本館の方に泊めていただいたのですが、今回は自炊部。
深さ約1.3㍍、立って入る白猿の湯が有名ですが、内部は撮影禁止なので、廊下に掲げてあったタペストリー。光太郎も堪能した湯です。
その後、再びレンタカーで市街に出て、来月から高村光太郎記念館さんで開催予定の企画展「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」及び来春2月21日(金)に開催予定の、賢治実弟・宮沢清六令孫の和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏と当方によるトークイベントに向けて、両氏、市役所の方々、企画されたやつかの森LLCの皆さんなどと打ち合わせ。
フライヤーの原案が出来ていました。まだ原案ですので小さく載せておきます。
賢治の全集は、「全集」と銘打たなかった戦後の日本読書購買組合版『宮沢賢治文庫』(昭和21年=1946~同24年=1949)を含め、4種類の刊行に光太郎が関与しました。最初の文圃堂版(昭和9年=1934~同10年=1935)、それを引き継いだ十字屋書店版(昭和14年=1939~同19年=1944)、先述の『宮沢賢治文庫』、そして光太郎最晩年の筑摩書房版(昭和31年=1956~)。さらにそれぞれに関わった清六や藤原、さらに当会の祖・草野心平他の人々にもスポットを当てます。
和樹氏が打ち合わせに持参された文圃堂版。題字揮毫は光太郎。
あまりに状態が良く、瞠目しました。経年劣化の進んだものでも現在の市場価格が20万円以上です。
打ち合わせ後に会食、それも終わり、宿に戻りました。その時点でとっぷり日も暮れていましたので、駐車場から玄関までは熊に遭遇しないかとヒヤヒヤものでした。翌朝、昨日書いたように露天風呂で熊騒ぎ。まったく困ったものです。
チェックアウト後、レンタカーを新花巻駅で返し、新幹線はやぶさとやまびこを乗り継いで福島駅へ。そこで改めてレンタカーを借り、南下。さすがに花巻からレンタカーを運転し続けるパワーはありませんで(笑)。
福島での最初の目的地は、智恵子の故郷・二本松市の道の駅安達智恵子の里さん。智恵子のソウルマウンテン・安達太良山が遠望出来る場所です。
こちらでは新商品のパッケージに智恵子をあしらったドリップコーヒーなどをゲット。これを買いに寄ったようなものです。他に二本松のリンゴも買いましたが(笑)。
続いて、智恵子生家/智恵子記念館さん。
先月から開催されている「高村智恵子レモン祭」期間中です(11月16日(日)まで)。平日でしたので、生家二階の智恵子の居室に上がることはできませんでしたし、居るかなと思っていたゆるキャラ「ちえこちゃん」もお休みでした。
見たかったのはこちら。
4月から5月にかけて開催された「高村智恵子生誕祭」で、来場の人々が折った折り鶴です。
心を病んで入院した南品川ゼームス坂病院で、智恵子は紙絵の制作を始めますが、その前段階として、まずは折り鶴を盛んに作りました。
光太郎のエッセイ「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)から。
精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つてゐる鶴の折紙がふえて美しかつた。
生誕祭の際には、当会プロデュースで「音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた」「智恵子のエプロン 復刻展示」を盛り込んでいただきまして、コンサートにご出演のヴォイスパフォーマー・荒井真澄さん、テルミン奏者大西ようこさんご夫妻、エプロンを制作して下さった花巻南高校家庭クラブの生徒さんたちも折り鶴にチャレンジなさいました。もちろん当方も。
その鶴がどこかにはあるのでしょう。
その後またレンタカーで南下、郡山駅で返却し、新幹線で帰りました。というわけで、なかなか強行軍のみちのく一人旅でした。
花巻、二本松、みなさまもぜひどうぞ。ただし、熊には十分お気をつけ下さい。
【折々のことば・光太郎】
彫刻家諸君。君達の内に奥行(深み)の感を強めよ。精神はなかなか此の観念と親しみにくい。表面だけしか明らかには心に描かれない。形を奥行で想像する事はむづかしい。それにも拘らず此が君達の務めです。
「奥行」は「立体感」であると同時に、形而上的な「精神性」といった意味も含むと思われます。花巻高村光太郎記念館さんで光太郎ブロンズを見、そんなことも考えました。
まずは光太郎第二の故郷・岩手花巻。
東北新幹線で新花巻駅に降り立ち、いつもそうしていますが、レンタカーを借り受けました。
まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
リンゴを箱買いし、自宅兼事務所に宅配便で発送。この季節のルーティンです(笑)。
続いて、光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)/高村光太郎記念館さんへ。そこに到るまでも既にそうでしたが、紅葉が実にいい感じでした。
ここでも問題となっている熊の対策。
山荘脇には電気柵が設置されていました。とうとうここまでやる必要が出てきたか、という感じでした。
隣接する高村光太郎記念館さん。
富山県ご在住で、連翹忌の集いにもご参加下さったり、地元で光太郎智恵子に関する講座をなさったり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたり、地元や都内で一人芝居「智恵子抄」の公演をなさったりと、精力的に活動されている茶山千恵子さんとばったり出会いました。
SNSで、二本松・花巻に行かれるというお話は存じておりましたが、細かな行程は訊いておりませんでしたので、ここで出会うかと驚きました。
記念館で現在開催されている企画展「昔なつかし花巻駅」。土屋直久氏・石井彰英氏による精巧なジオラマがメインです。
7月に伺った時には機器の故障で見られなかった、昭和11(1936)年に撮影された岩手軽便鉄道の記録フィルムも拝見。
こちらは今月いっぱいです。
同時開催で、特別展「」。与謝野晶子門下の歌人・中原綾子に宛てた書簡、中原主宰の雑誌への寄稿の原稿などが、中原ご遺族からごっそり寄贈され、4期に分けて来年2月末まで展示しています。現在は第3期です。光太郎が序文や題字を書いた中原の歌集・詩集・主宰の雑誌、中原が光太郎を詠んだ短歌が載った歌集、光太郎から中原に贈られた書など、当方手持ちのものも展示されています。
事務室で、新たに寄贈された光太郎の写った写真を拝見。
一緒に写っているのは光太郎が名付け親となった児童劇団「花巻賢治子供の会」の皆さんと思われます。メンバーにはご存命の方もいらっしゃり、昨年、公開対談をさせていただきました。
高村山荘・高村光太郎記念館さんを後に、一旦、宿泊先の鉛温泉藤三旅館さんにチェックイン。過去3回、光太郎が泊まった31号室をはじめ、いずれも本館の方に泊めていただいたのですが、今回は自炊部。
深さ約1.3㍍、立って入る白猿の湯が有名ですが、内部は撮影禁止なので、廊下に掲げてあったタペストリー。光太郎も堪能した湯です。
その後、再びレンタカーで市街に出て、来月から高村光太郎記念館さんで開催予定の企画展「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」及び来春2月21日(金)に開催予定の、賢治実弟・宮沢清六令孫の和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏と当方によるトークイベントに向けて、両氏、市役所の方々、企画されたやつかの森LLCの皆さんなどと打ち合わせ。
フライヤーの原案が出来ていました。まだ原案ですので小さく載せておきます。
賢治の全集は、「全集」と銘打たなかった戦後の日本読書購買組合版『宮沢賢治文庫』(昭和21年=1946~同24年=1949)を含め、4種類の刊行に光太郎が関与しました。最初の文圃堂版(昭和9年=1934~同10年=1935)、それを引き継いだ十字屋書店版(昭和14年=1939~同19年=1944)、先述の『宮沢賢治文庫』、そして光太郎最晩年の筑摩書房版(昭和31年=1956~)。さらにそれぞれに関わった清六や藤原、さらに当会の祖・草野心平他の人々にもスポットを当てます。
和樹氏が打ち合わせに持参された文圃堂版。題字揮毫は光太郎。
あまりに状態が良く、瞠目しました。経年劣化の進んだものでも現在の市場価格が20万円以上です。
打ち合わせ後に会食、それも終わり、宿に戻りました。その時点でとっぷり日も暮れていましたので、駐車場から玄関までは熊に遭遇しないかとヒヤヒヤものでした。翌朝、昨日書いたように露天風呂で熊騒ぎ。まったく困ったものです。
チェックアウト後、レンタカーを新花巻駅で返し、新幹線はやぶさとやまびこを乗り継いで福島駅へ。そこで改めてレンタカーを借り、南下。さすがに花巻からレンタカーを運転し続けるパワーはありませんで(笑)。
福島での最初の目的地は、智恵子の故郷・二本松市の道の駅安達智恵子の里さん。智恵子のソウルマウンテン・安達太良山が遠望出来る場所です。
こちらでは新商品のパッケージに智恵子をあしらったドリップコーヒーなどをゲット。これを買いに寄ったようなものです。他に二本松のリンゴも買いましたが(笑)。
続いて、智恵子生家/智恵子記念館さん。
先月から開催されている「高村智恵子レモン祭」期間中です(11月16日(日)まで)。平日でしたので、生家二階の智恵子の居室に上がることはできませんでしたし、居るかなと思っていたゆるキャラ「ちえこちゃん」もお休みでした。
見たかったのはこちら。
4月から5月にかけて開催された「高村智恵子生誕祭」で、来場の人々が折った折り鶴です。
心を病んで入院した南品川ゼームス坂病院で、智恵子は紙絵の制作を始めますが、その前段階として、まずは折り鶴を盛んに作りました。
光太郎のエッセイ「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)から。
精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つてゐる鶴の折紙がふえて美しかつた。
生誕祭の際には、当会プロデュースで「音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた」「智恵子のエプロン 復刻展示」を盛り込んでいただきまして、コンサートにご出演のヴォイスパフォーマー・荒井真澄さん、テルミン奏者大西ようこさんご夫妻、エプロンを制作して下さった花巻南高校家庭クラブの生徒さんたちも折り鶴にチャレンジなさいました。もちろん当方も。
その鶴がどこかにはあるのでしょう。
その後またレンタカーで南下、郡山駅で返却し、新幹線で帰りました。というわけで、なかなか強行軍のみちのく一人旅でした。
花巻、二本松、みなさまもぜひどうぞ。ただし、熊には十分お気をつけ下さい。
【折々のことば・光太郎】
彫刻家諸君。君達の内に奥行(深み)の感を強めよ。精神はなかなか此の観念と親しみにくい。表面だけしか明らかには心に描かれない。形を奥行で想像する事はむづかしい。それにも拘らず此が君達の務めです。
光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃
「奥行」は「立体感」であると同時に、形而上的な「精神性」といった意味も含むと思われます。花巻高村光太郎記念館さんで光太郎ブロンズを見、そんなことも考えました。

























































































































































































































































































































































































































































































![PXL_20240925_003338795[1]](https://livedoor.blogimg.jp/koyama287/imgs/6/c/6c95ed5a-s.jpg)




























































































































































