カテゴリ: 智恵子

智恵子の故郷・福島二本松からのイベント情報です。

第1回二本松市田舎暮らし体験ツアー

期 日  : 2019年6月22日(土)・23日(日)
場 所  : 福島県二本松市 
料 金  : 4,000円(宿泊費、初日昼食・夕食、2日目朝食・昼食代)
定 員  :  6名
問 い 合 わ せ   : 二本松市役所総務部秘書政策課 TEL 0243-24-7120/FAX 0243-22-7023
           Email energy@city.nihonmatsu.lg.jp
詳 細  : 
 <6月22日(土)>
  12:00 昼食(日程説明) ※ふくしま農家の夢ワイン㈱
  14:30 農業体験(有機農家の圃場で収穫体験)
  18:00 先輩移住者・地元の方との夕食交流会
  20:00 宿泊
 <6月23日(日)>
  9:00  農業体験(有機農家の圃場で収穫体験)
  11:30 昼食(ツアーの振り返り)
  13:00 二本松市内観光
  14:25 二本松駅着 
         

二本松市は、高村光太郎が「智恵子抄」の中で、妻・智恵子のあどけない話として「あだたら山の上に出ている青い空がほんとの空」だと伝えている『ほんとうの空』がある市として知られています。
二本松藩・丹羽家10万石の城下町として歴史を刻んできたエリア、安達太良山の麓にある岳温泉・安達太良高原エリア、東の阿武隈山系に連なる里山の恵み豊かな中山間地域エリアに分かれており、豊かな自然が住む人、訪れる人々をやさしく包んでくれます。
今回のツアーは、阿武隈山系に連なる地域で有機農業を営んでいる方々が、農業後継者と一緒に有機農業を営んでみたい方を募集するために企画したものです。農業を新たに始める方のサポート体制も整っておりますので、是非足を運んでみてください。お待ちしております!

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内容的には直接光太郎智恵子に関わるわけではないのでしょうが、「ほんとの空」の語を持ち出されると、紹介せざるを得ません(笑)。

有機農業に関心がおありの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

従つてわたくしには世上に於ける名誉がありません。しかし実力はあります。わたくしの彫刻は尠くとも根帯の無い砂上の家ではありません。外面的に見ても、わたくしは自分の彫刻が世界の芸術的市場に持ち出されて差支無いのみならず、必ず確固たる市価を得べきものだといふ事を疑ひません。

雑纂「高村光太郎彫刻会」より 大正6年(1917) 光太郎35歳

同じ文章に拠れば、ニューヨークで個展を開きたい、しかし金がない、ひいては彫刻を買ってほしい、だそうで。どの程度本気だったのか、何とも難しいところですが、賛助員には、金子堅太郎子爵をはじめ、水野勝興(親友・水野葉舟の父で日本勧業銀行監査役)、正木直彦(東京美術学校校長)、与謝野寛、武者小路実篤、岸田劉生、バーナード・リーチ、そして明治39年(1906)にニューヨークで世話になったガットソン・ボーグラムなど、錚々たるメンバーが名を連ねています。

結局、入会者が少なく、ニューヨークでの個展は実現しませんでしたが、ブロンズの「手」(大正7年=1918)、「裸婦坐像」(同6年=1917)などの代表作が作られました。

智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰を続けられている智恵子のまち夢くらぶさん。会員以外の方にも門戸を開いての研修旅行だそうです。

高村智恵子油絵「樟の樹」を訪ねる 山梨静岡の旅

期     日  : 2019年6月16日(日)・17日(月) 午前5時出発
集     合  : 智恵子の生家駐車場 福島県二本松市油井
料     金  : ¥40,000
コ   ー   ス   : 韮崎大村美術館―清春白樺美術館―富士川町高村光太郎文学碑
         河口湖畔(宿泊)
―忍野八海―沼津第一小学校―小田原城址公園
申 し 込 み  : 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷 0243-23-6743

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韮崎市の韮崎大村美術館さんでは、明治末に智恵子と同じく太平洋画会で智恵子と共に学んでいた亀高文子の絵画、光太郎のブロンズ「裸婦坐像」(大正6年=1917)が展示されているそうです。

清春白樺美術館さんは、山梨県北杜市。光太郎もサテライトメンバーだった白樺派の面々の作品に混じり、3枚しか現存が確認されていない智恵子の油絵のうちの1枚、「樟」が所蔵されており、現在、展示中だそうです。

そちらからほど近い、山梨県南巨摩郡富士川町。昭和17年(1942)、光太郎が詩部会長に就任した日本文学報国会と読売新聞社が提携して行われた「日本の母」顕彰事業のために光太郎が訪れたことを記念して建てられた文学碑があります。光太郎の自筆筆跡を拡大して刻んだ「うつくしきものみつ」の碑です。

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冬至の頃にはここから見える富士山頂と昇る朝日が重なる「ダイヤモンド富士」が観測できるスポットとしても人気です。一昨年、当方が訪れた際には、昭和17年(1942)に光太郎が訪ねていった井上家の建物も健在でした。

沼津第一小学校さんには、先述の智恵子の油絵「樟」に描かれた木が健在とのこと。当方、こちらには行ったことがありません。

時間と興味のある方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私は彫刻をあらゆる光線の下でつくるやうにしてゐる。最も不利な光線といはれるところでも作る。人工的に甘やかされたアトリエの室内光線でのみ製作するのはあぶない。いちばんいいのは外光の下で仕事することだ。このことはエジプト、ギリシヤの昔から抽象派の今日に至るまで変らない。

散文「焼失作品おぼえ書 1 ――アトリエにて9――」より
 昭和31年(1956) 光太郎74歳

明治末、留学からの帰朝後に作った父・光雲の肖像は、まだこういう点に思いいたらず、失敗したと自分では言っています。

昨日、山開きの情報と合わせて紹介すべきでしたが、智恵子の故郷・福島二本松の「ほんとの空」の下に聳える安達太良山に関して、追補です。

まず、二本松市さんの『広報にほんまつ』今月号。三保恵一市長のメッセージ。光太郎智恵子に触れて下さっています。  

市民が主役。~市長からの手紙~ 第65回安達太良山山開き

 待望のシーズン到来!「安達太良山山開き」が行われます。
 安達太良山は「日本百名山」「花の百名山」の一つであり、その山容から「乳首山」と慕われ、これまで神聖で清浄な信仰の山として、また、万葉集や高村光太郎の詩集「智恵子抄」で「ほんとの空」がある恋の山として、多くの人々に愛されてきました。
 山頂から見渡す三百六十度の大パノラマ。磐梯山、吾妻連峰、遠くは蔵王・那須・飯豊連峰を望むことができます。
 初夏には、新緑の中に清楚で純白のこぶしの花や、つつじ、シャクナゲなど、花が咲き薫り、五葉松や貴重な高山植物を眺め、野鳥がさえずり、雪どけ水を集めて流れる清冽な流れ、数々の滝を見ながら、悠久より続く美しい空間。
 喧騒とは無縁の神秘的な静かな空間の中で、しばし時の流れが止まってしまう。
 雪渓の残雪を一歩一歩踏みしめ山頂に立った時の感激。安達太良山の自然のぬくもり優しさに包まれ、新たな明日への活力につながり、素晴らしい至福のとき。
 変化に富んだ山でもあり、登山やトレッキングのメッカとして、女性、中高年者をはじめ、誰もが気軽に登れる山であります。
 山々の頂に憩いあり!
 安達太良山のきれいな稜線、端正なたたずまい。時に荒々しく、時に幻想的。安達太良山の多彩な美しさに、古来、私たちは、感動し、元気づけられてきました。
 安達太良山は、私たちの誇りであり、私たちが守り、次世代に引き継いでいかなければならないと思っております。
 美しい安達太良山を愛する皆さんの交流がさらに深まることを希望しており、多くの人々が頂上を目指し、雄大な自然を満喫されることを願っております。

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地元愛がひしひし伝わってくる文章ですね。


山開きが近いせいでしょうか、NHK BSプレミアムさんで、過去の放映の再放送も。 

にっぽん百名山・選「安達太良山」

NHK BSプレミアム 2019年5月13日(月) 19:30~20:00

3月、雪の残る福島・安達太良山(1700m)で、ウサギやリスなど春を待つ生き物の息吹に触れ、山のいで湯を堪能。さらに「霧氷」など雪山ならではの風景に出会う。

雪山の初級コースとして人気の福島・安達太良山(1700m)。早春3月、出発はあだたら高原スキー場の登山口から。雪の残る森を進み、鳥の巣作り、ウサギの足跡、リスの食べかすなどを次々と発見。山小屋で一泊し、源泉かけ流しの温泉と満天の星空を楽しむ。山頂までの斜面では雪山ならではの風景である霧氷を堪能。山頂からは磐梯山、吾妻連峰など東北の名峰を望む。また雪山で温泉の通り道を守る人々の営みを紹介する。

出演 五十嵐潤    語り 鈴木麻里子 高塚正也

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初回放映は昨年4月。ロケは3月で、まだ山頂付近は雪に覆われていた時期でした。番組冒頭近くで、光太郎智恵子について触れて下さいました。

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基本、登山系の番組ですので、山岳ガイド・五十嵐潤さんのナビゲートによる1泊2日の行程が紹介されます。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

だが、パリでそういう詩を読みはじめたら、実に身近な感じにうたれた。なにか苦しくなるようだ。決して日本の変な調子をつける詩のような変てこなものではない。もっと直接なもので、これならいいと思い、こういうものなら書くべきだと思つた。

談話筆記「遍歴の日」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

そういう詩」とは、明治末のパリで、フランス語の習得のために与えられたボードレールやヴェルレーヌなどの詩です。与えた先生はマリー・ノードリンガーという、プルースト研究家の女性でした。

日本の変な調子をつける詩」は、文語定型のいわゆる「象徴詩」です。そして明治42年(1909)に帰国すると、三木露風や北原白秋らが「てこなもの」ではない詩を書き始めており、それらにも影響されたと語っています。

毎年お伝えしていますが、今年もやって参りました。今年のキャッチコピーは「ほんとの空の下 心の晴れ渡る、感動深呼吸」だそうで。言わずもがなではありますが、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語が使用されています。 

第65回安達太良山山開き 

2019年5月19日(日曜日)

山頂イベント
 ○10時~   山開き参加ペナント配布(先着3,000名)
 ○11時~   安全祈願祭
 ○11時20分~ Ms.あだたらコンテスト(ミズ1名、準ミズ1名、入賞6名)
            (未婚、既婚は問いません。入賞者には記念品を贈呈します。)
 ※山頂の天候次第で、途中で中止や、予定していた時間も変更になる場合があります。
 ※雨天の場合は、山頂イベントは中止
   奥岳登山口入口にて8時からペナント配布、奥岳登山口 
  (レストラ
「ランデブー」)で10時から安全祈願祭を行います。

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シャトルバスが運行されます。

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ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

アメリカでは部屋に鍵を使うのが習慣であつて、また使わなければ危なくて仕様がない。その習慣をパトニーの下宿でやつたら、おかみさんが掃除ができないので弱つて、不思議がつた。ロンドンでは鍵をかけない習慣だという。
談話筆記「青春の日」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

明治末の留学生活の回顧ですが、現在でもそうなのでしょうか?

智恵子の故郷・福島二本松、智恵子生家のある旧安達町の道の駅「安達」智恵子の里さんでのイベントです。

みんなで愛のメッセージを書こう! 5月20日は、高村智恵子の誕生日です。

期   日 : 2019年5月18日(土)~5月31日(金)
会   場 : 道の駅「安達」智恵子の里下り線 銘産コーナー
             福島県二本松市米沢字下川原田105-2

レモンの木を、みんなのメッセージでいっぱいにしてたくさん実らせましょう!
参加のお客様にレモン飴をプレゼント☆ メッセージは、6月まで展示致します。みなさん、ぜひ参加して下さいねヽ(^。^)ノ

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道の駅「安達」智恵子の里さんは、全国的にも珍しい上下線に分かれている道の駅です。国道4号線の広い道路をはさんで、東京方面が上り線、仙台方面が下り線となっています。国道の下を通る立体交差があり、それぞれがつながってはいます。

で、上記は下り線側の「銘産コーナー」さんの新着情報としてサイトにアップされていました。同じ下り線側ですと、フードコート的なコーナーの一角には、光太郎智恵子の顔ハメがあったりもします。

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さらに、智恵子生家/智恵子記念館さんの割引チケットも販売中。通常大人410円のところが300円、小人200円は150円と、かなりの値引率です。こちらは上り線側の地域物産コーナーさん、和紙伝承館さんでの販売だそうです(5月末まで)。

また、智恵子がらみの新商品の開発や販売にも力を入れている様子。ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

或日、実家の裏山の松林を散歩してそこの崖に腰をおろし、パノラマのやうな見晴らしをながめた。水田をへだてて酒造りである実家の酒倉の白い壁が見え、右に「嶽(だけ)」と通称せられる阿多多羅山(安達太良山)が見え、前方はるかに安達ヶ原を越えて阿武隈川がきらりと見えた。

散文「「樹下の二人」」より 昭和26年(1951) 光太郎69歳

雑誌『婦人公論』の第37巻第10号に載ったものの一節です。この号には「自選自解現代詩人代表作品集」と題し、光太郎以下佐藤春夫、室生犀星、草野心平らの作品17篇と、それぞれの詩を作者自身が解説した短い文章が載っています。

で、「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」のリフレインで有名な、大正12年(1923)作の「樹下の二人」に添えられた文章から引用しました。詩の制作は大正12年(1923)ですが、モチーフとなった光太郎の二本松(旧油井村)訪問は、大正9年(1920)のことでした。

昨日に引き続き、智恵子の故郷・福島二本松から。参加申し込み受付は既に終わっているのですが、こういうイベントもあるんだ、ということで。 

2019全国さくらシンポジウムin二本松~ ほんとの空に さくら舞う ~

期   日 : 2019年4月11日(木) ・12日(金)
会   場 : 二本松市民会館 福島県二本松市榎戸1丁目92番地 他

時   間 : 4/11(シンポジウム)13:30~17:00  4/12(現地見学会)8:30~12:30
料   金 : 無料
主   催 : 日本花の会

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プログラム

4月11日(木) シンポジウム
 会場 : 二本松市民会館(福島県二本松市榎戸1-92)
  ◆オープニングアトラクション 13:30~14:00
   樋口 達哉 (オペラ歌手・二本松市観光大使)
  ◆開会セレモニー 14:00~14:30
  ◆記念講演 14:30~15:30
     演題 : 桜 ~「無常」と「あはれ」の花  講師:玄侑 宗久 (作家)
  ◆パネルディスカッション 15:40~16:40
     テーマ : 「ほんとの空に さくら舞う」桜の郷二本松を目指して
     コーディネーター : 公益財団法人日本花の会 主幹研究員 和田 博幸
     パネリスト : にほんまつ観光協会、合戦桜のしだれ桜 保存会、福島県樹木医会
  ◆次回開催地紹介・代表者あいさつ 16:40~17:00   岐阜県恵那市
  ◆閉会

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4月12日(金) 現地見学会
 さくら色に染まる街へ。2つのコースをご用意しました。
 ●コース① 霞ヶ城公園→智恵子の生家→万燈桜→道の駅「安達」
 ●コース② 安達ヶ原ふるさと村→中島の地蔵桜→合戦場のしだれ桜
       →道の駅「さくらの郷」
 ※参加費無料。
 ※各コースとも募集定員40名様(最少催行人員20名様)。
 ※両コースとも8:30に霞ヶ城公園集合。
 ※解散時間は、コース①は12:00、コース②は12:30の予定です。
 ※天候や道路状況により行程に変更が生じる場合があります。予めご了承ください。


おそらく全国から参加される方がお集まりになると思われます。智恵子の故郷、「ほんとの空」のある街の魅力をぜひ堪能し、それぞれの地元でその情報を広めていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

日本でも人は猛暑のさなかにモオニングを着たり背広を着たり、つめ襟を着たりする。又それに順応するやうに人は錬成せられる。わたくしのやうな者はその錬成に於ける落伍者である。

散文「一夏安居の弁」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

「一夏安居」は仏教用語で「いちげあんご」と読みます。「夏安居」で、「僧が、夏(げ)の期間、外出せずに一所にこもって修行をすること」という意味で、「一」がつくと「90日間」というスパンが付加されます。

まあ、光太郎は敬虔な仏教徒だったわけではありませんので、それになぞらえ、不要不急の外出を避け、夏の暑さに弱い身を養う習慣だというわけです。

クールビズという習慣が広まる前は、まさに「猛暑のさなかにモオニングを着たり背広を着たり、つめ襟を着たり」という不合理があたりまえでしたね。ところが、クールビズはクールビズで、運用が難しいようです。4月からクールビズ期間という事業所もあるのですが、今日あたりは寒いのでネクタイを締めていた方が合理的です。しかし、「ネクタイを締めている職員とそうでない職員が混在していてはおかしい」のだそうで、ネクタイ禁止とのこと。結局、横並びでなければ気が済まない民族なのでしょうか。

智恵子の故郷・福島二本松。市内各所に桜の名所が点在しています。

同市の『広報にほんまつ』今月号から。

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「ほんとの空に さくら舞う」。このコピーをテーマに冠した「2019全国さくらシンポジウムin二本松」が、4月11日(木)に開催されますが、そちらの情報は明日ご紹介します。

今日は智恵子の生家・智恵子記念館さんでの「高村智恵子生誕祭」。智恵子の誕生日は5月20日ですが、4月、5月と2ヶ月かけて、さまざまな企画が予定され、一部既に始まっています。

高村智恵子生誕祭

智恵子の生家 2階特別公開
 期  日 : 2019年4月6日(土)~5月6日(月)の土日・祝日
 場  所 : 二本松市智恵子の生家
           福島県二本松市油井字漆原町36
 時  間 : 午前の部 9時00分から12時00分
            午後の部 13時00分から16時00分
 料  金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円  
        子供(小・中学生) 個人:200円 団体:150円
         ※団体料金は20名以上の利用 智恵子記念館観覧料も含みます

智恵子の「紙絵」の実物展示
 期  日 : 2019年4月27日(土)~5月28日(火)
 場  所 : 二本松市智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
 時  間 : 午前9時~午後4時30分
 料  金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円
        子供(小・中学生) 個人:200円 団体:150円
         ※団体料金は20名以上の利用  智恵子生家観覧料も含みます
 休 館 日  : 水曜日
 奇跡といわれる実物の紙絵をぜひご覧ください。


上川崎和紙で作ろう切り絵体験
 期  日 : 2019年5月11日(土) 12日(日) 18日(土) 19日(日)
         25日(土) 26日(日)
 場  所 : 二本松市智恵子の生家「奥座敷」 福島県二本松市油井字漆原町36
 時  間 : 9:00~16:00 ※所要時間は10~20分程度 お一人様1回限り、
                 材料がなくなり次第終了
 料  金 : 無料 (入館料に込み)
 内  容 : 智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵、上川崎和紙を使用したハガキ・
          しおりの制作
 問  合  : 智恵子記念館☎0243(22)6151  文化課文化振興係0243(55)5154
 

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公共交通機関を利用される場合、臨時バスが出ています。

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ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

わたくしの体細胞の無限の先祖は、おそらく少くとも海抜一万尺以上の高原地帯の乾いた空気の中の生活に順応するやうに長い間馴らされてゐたものと見える。
散文「七月の言葉」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

夏の高温と湿度を極端に苦手としていた光太郎。中央アジアの乾燥帯あたりを夢見ていたのでしょうか。

合唱系の情報を2件。

鹿児島高等学校音楽部 第71回全日本合唱コンクール全国大会出場記念 特別演奏会

期    日 : 2019年3月17日(日)
会    場 : かごしま県民交流センター 県民ホール 鹿児島県鹿児島市山下町14
時    間 : 14:00開場  14:30開演
料    金 : 無料

本校音楽部の全日本合唱コンクール全国大会出場を記念して、特別演奏会を開催します。
コンクールの自由曲「レモン哀歌」、合唱劇「星の王子さま(冒頭15分)」など、感謝の気持ちを込めて歌います。
皆様ぜひお越しください。

客演/桃坂 寛子(ピアノ)
賛助出演/丸山 真也(本校2016年度卒業・東京藝術大学2年)・aiwendil(インターカレッジ男声合唱団)

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昨秋、長野市で開催された第71回全日本合唱コンクール全国大会高等学校部門に、九州代表として出場した鹿児島高等学校音楽部さんの演奏会です。自由曲で西村朗氏作曲「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」を演奏されましたが、そちらもプログラムに入っています。

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もう1件。毎年ご紹介していますが。
会    場 : 福島市音楽堂大ホール 福島県福島市入江町1-1 
時    間 : 9:30開場  10:00開演
料    金 : 3/21~23 2,500円    3/24 3,000円

声楽アンサンブルコンテスト全国大会は、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」に焦点をあてた、2名から16名までの少人数編成の合唱グループによるコンテストです。全国の合唱レベルの向上を図るとともに、歌うことの楽しさを福島から全国に発信することを目的として、2008年(平成20年)から開催し、今大会で12回目を迎えます。

3月21日(木・祝) 中学校部門
3月22日(金)           高等学校部門
3月23日(土)   小学校・ジュニア部門、一般部門
3月24日(日)   本選

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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節から採られ、福島では復興の合い言葉となっている「ほんとうの空」(光太郎詩では「ほんとの空」)の語が、サブタイトルに使われています。当初は単なる合唱アンサンブルコンテストでしたが、平成23年(2011)のやはりこの時期に計画されていた第4回大会が東日本大震災によりやむなく中止となり、平成25年(2013)の第6回大会から、震災からの復興を祈念する意味もあって「ほんとうの空」の語がサブタイトルに盛り込まれるようになりました。

毎年そうなのですが、出演団体は発表されるものの、それぞれの演奏曲がわかりません。改善していただきたいところなのですが……。


【折々のことば・光太郎】

古代仏画にある暈繝彩色の叡智に驚く。もう一度あの色調の深さを生かさねばなるまい。もう一度あの超現実的真理の現実性を把握せねばなるまい。今日の日本画の稀薄さを救ふためには。

散文「某月某日」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

最近になって評価が高まってきた伊藤若冲や曾我蕭白などの作画を見たら、光太郎はどんな感想を持っただろうと思います。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

『週刊朝日』さんの先週号。情報を得るのが遅れ、慌てて買いに行ったら店頭ではもう今週号に切り替わっており、しかたなくネット通販で手に入れました。

「文語の湯宿」という連載が為されており、その第63回だそうで、光太郎智恵子がメインに取り上げられています。

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「湯宿」は、栃木県の那須塩原温泉に今も健在の柏屋旅館さん。昭和8年(1933)に、光太郎智恵子が滞在しています。 

【文豪の湯宿】 高村光太郎・智恵子が新婚写真を撮影した、最後の2人旅

 文豪たちの作品に登場する温泉宿を訪ねる連載「文豪の湯宿」。今回は「高村光太郎・智恵子」の「柏屋旅館」(栃木県・塩原温泉 塩の湯)だ。
 因習を嫌った高村光太郎と智恵子は大正3年の結婚披露宴以降も入籍を拒んできた。だが、昭和6年に精神を病んだ智恵子が、その翌年に睡眠薬自殺未遂を起こすと、光太郎は全精力を智恵子の回復のために注いだ。昭和8年8月23日に入籍したのも智恵子を守るためだった。
  入籍の翌日から2人は、墓参りを兼ねて智恵子の故郷に近い東北地方の温泉をめぐる3週間の療養の旅に出る。福島・宮城の湯治場を回り、9月4日には旅程の最後となる栃木県塩原温泉・柏屋旅館に到着した。2人はその翌日、智恵子の母・長沼セン宛てに絵葉書を送っている。
 <(塩原塩ノ湯柏屋にて)帰りかけに塩原へよりました 智恵>
  十数日間の滞在中、宿の下を流れる鹿股川で、2人は写真屋に記念写真を撮ってもらっている。数少ない貴重なツーショット写真となった。
  9月18日、療養の旅を終え帰宅したが、智恵子の病状は<上野駅に帰着した時は出発した時よりも悪化していた>(「智恵子の半生」)。
  光太郎の必死の看病にもかかわらず智恵子は、昭和13年に結核で死去。塩原は最後の2人旅となった。(文/本誌・鈴木裕也)
■柏屋旅館(かしわやりょかん)  栃木県那須塩原市塩原364

よくまとまっています。

「新婚」といっても、文中にあるとおり、正式な入籍に対しての「新婚」で、光太郎智恵子、事実婚の開始は大正3年(1914)に上野の精養軒で行った結婚披露よりさらに遡ります。当時の(現在でもそうだそうですが)フランスでは事実婚のまま入籍しないカップルが多いとのことで、それにあやかったのでしょう。この時期に正式に入籍したのは、やはり文中にあるとおり、心の病が顕在化した智恵子の身分保障のためでした。智恵子もそうでしたが、既に光太郎自身も結核に冒されており、万一、自分の方が先に逝くことになったら……という配慮です。

そして、智恵子の愛した「ほんとの空」のある東北方面の温泉地で療養すれば、智恵子の心の病も快方に向かうのではないかという淡い期待の元、昭和8年(1933)8月24日からおそらく9月中旬まで、二人は4ヵ所の温泉地を廻りました。

まず、福島の裏磐梯川上温泉。ここにはこの湯治旅行で最も短く、一泊しかしませんでしたが、この際に、「わたしもうぢき駄目になる」のリフレインで有名な詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)が着想されました。

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013続いて向かったのは、宮城県蔵王山中の青根温泉。二人が泊まった湯元不忘閣さんは今も健在です。青根に「一週間ばかり滞在」したという二人は、8月末か9月の頭に、次なる投宿地、福島土湯温泉に向かいました。土湯では旅館街から山奥に入った不動湯に宿泊しました。この旅館は平成25年(2013)に火災焼失、現在は焼け残った露天風呂を使い、日帰り入浴施設として再オープンしています。

そして、不動湯に9月4日まで滞在した二人は、福島市方面に山を下ります。おそらく東北本線を使って移動。翌5日に塩原温泉から、智恵子の母・センに宛てて、『週刊朝日』さんに紹介されている連名の絵葉書を送っています。

塩原では、柏屋旅館に投宿。柏屋は、塩原の中でも鹿股川の渓谷沿いの「塩の湯」というエリアにあり、塩原温泉の中心街からは離れて位置しています。いったいに、この湯治行では、一件宿だったり、温泉街のはずれだったりのいずれも静かな宿が選ばれました。症状の思わしくない智恵子や、他の湯治客への配慮でしょう。

そして、『週刊朝日』さんにも載った、右の写真が撮られました。これが確認できている限り、智恵子最期の写真です。

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上は戦後すぐと思われる柏屋さんのパンフレット、それから戦前と思われる絵葉書です。絵葉書には、上記ツーショット写真にも写っている橋が。残念ながらこの橋は戦時中に金属供出に遭い、現存しません。

9月19日には、二人で撮った写真を使った絵葉書を、やはり連名でセンに送っています。

 しばらく方々を歩いてゐましたが先日帰宅しました、秋になりましたがお変りありませんか、当方無事、

文面は光太郎の筆跡で、差出人欄の「智恵」署名のみ智恵子の手になると思われます。そうとすれば、現存が確認できる智恵子最後の筆跡です。

19日の時点で「先日」と書かれているので、そう遠くない9月中旬の帰京だったのでしょう。『週刊朝日』さんには「9月18日、療養の旅を終え帰宅した」とありますが、こちらでは正確な帰京の日付を特定できていません。何か新資料でもあったのでしょうか? 柏屋の後に、二人が他の温泉宿に寄ったという記録が見あたらないので、ここには10日ほども滞在したと考えられます(今後、書簡等の発見で、新事実が出て来るかも知れませんが)。

「文豪の湯宿」、ぜひ単行本化していただきたいものですね。


【折々のことば・光太郎】

智恵子は私との不如意な生活の中で愛と芸術との板ばさみに苦しみ、その自己の異常性に犯されて、刀折れ矢尽きた感じである。精一ぱいに巻き切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつたのだ。

散文「某月某日」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

精一ぱいに巻き切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつた」、恐ろしいまでに的確な、しかし哀しい比喩です。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

直接的には光太郎智恵子と関わりませんが……。  

恋からはじまる物語~作家たちの恋愛事情~

期    日 : 2019年2月26日(火)~5月6日(月)
会    場 : 田端文士村記念館  東京都北区田端6丁目1-2
時    間 : 10:00~17:00
料    金 : 無料
休 館 日  : 月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日と水曜日が休館)
          祝日の翌日(祝日の翌日が土・日曜日の場合は、翌週火曜日が休館)

いつの時代も恋は人々の心を大きく揺さぶり、人生を左右する一大事です。幸、不幸を往来するのは恋の宿命ですが、それゆえに恋の数だけドラマも生まれます。 本展では芥川文・平塚らいてう・林芙美子・佐多稲子など、 田端ゆかりの女性たちに焦点を当て、それぞれの恋愛事情を様々な資料から紹介します。

佐多稲子×窪川鶴次郎  板谷まる×板谷波山  林きむ子×林柳波  池田蕉園×池田輝方  
山田順子×竹久夢二・徳田秋声  林芙美子×手塚綠敏  芥川文×芥川龍之介  平塚らいてう×奥村博史

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関連行事

講演会 「芥川龍之介さんとわたし」 
講師 : 伊藤比呂美   3/16(土)14:00開演   定員 : 100名(応募多数の場合は抽選)
現代詩から古典やお経の現代語訳まで、常に新しい分野を開拓する詩人・伊藤比呂美が、初めて「芥川龍之介」について語ります。

3月ひととき散歩 「田端の女性たち~文学への情熱と苦悩~」
ご案内 : 当館研究員  3/17(日)13:00開演  当日先着80名(直接当館にお越し下さい)
文壇が男性主流の時代に、様々な逆境を越えて活躍した林芙美子、佐多稲子など田端ゆかりの女性作家の活動を中心にご紹介します。1時間ほど館内で講義をした後、1時間ほど旧居跡などを散歩します。天候により講義のみになることがあります。


日本女子大学校家政学部でで智恵子の一級上でテニス仲間、卒業後に『青鞜』の表紙を智恵子に依頼するなどした平塚らいてうがラインナップに入っています。らいてうも恋多き女でしたが、相方として取り上げられるのは、終生の伴侶となった「若いツバメ」こと画家の奥村博史です。

芸術界全体があまり広くなかったこの時代、他に取り上げられる人々のうちの何人かも、回り回って光太郎智恵子・光雲と関わりがあったりします。

ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

概括してヒウザン会の傾向をのべると、フオウビズム、印象派、後期印象派の三つに分れ、われわれの崇拝の的はゴオガンとゴツホであつた。先輩の中で、われわれの兎も角承認したのは黒田清輝氏ただ一人である。

散文「ヒウザン会とパンの会」より 昭和11年(1936) 光太郎54歳

田端文士村に集った人々もそうですが、それより若干早く、日本橋周辺で気焔を上げていた光太郎ら「パンの会」のメンバー、そしてそこから生まれた「ヒユウザン会(のちフユウザン会)」の造形作家たち。日本の芸術界全体が若かった頃に花開いた動きでした。

第63回連翹忌(2019年4月2日(火))の参加者募集中です。詳細はこちら

智恵子の故郷、福島二本松でその顕彰活動に取り組む智恵子のまち夢くらぶさんの主催による「高村智恵子没後80年記念事業」。これまでに「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」、「全国『智恵子抄』朗読大会」などが行われましたが、その最後のイベントです。  

高村智恵子没後80年記念事業 智恵子カフェ

期 日 : 2018年12月16日(日)
会 場 : 二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町二丁目3番地1
時 間 : 午後1:00~
料 金 : 一般 1,000円  中高生600円
申 込 : 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷 0243-23-6743

内 容 : 
 第一部 紙芝居 「夢を描いた人 ~高村智恵子の生涯」
  読み聞かせ 坂本富江さん(太平洋美術会・高村光太郎研究会)
 第二部 智恵子カフェ
  智恵子スイーツパーティー 智恵子抄しゃべり場

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第一部が紙芝居だそうです。制作、そして演じられるのは坂本富江さん。明治末、智恵子が学んだ太平洋画会の後身・太平洋美術会に所属され、これまでも智恵子の生涯を描いた紙芝居を二本松で上演なさっている他、『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』というご著書もあり、今年は智恵子生家での個展も開かれました。

第二部は智恵子カフェということで、市内外のメーカーさんが作った智恵子の名を冠したスイーツを食べつつ、智恵子についての思いを語り合うそうです。

「ほんとの空」の下、安達太良山も雪化粧に被われているようです。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

小生当市美術学校へ入りてより毎日先生と喧嘩腰にて勉強致し居り、面白き事かぎり無く候。小生は俗悪なる一種の亜米利加趣味を嫌ふこと甚だしく候。

散文「紐育より 五」より 明治39年(1906) 光太郎24歳

「美術学校」はアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク。現存します。入学前に約3ヶ月、助手として雇ってくれたガットソン・ボーグラムが教鞭を執っていました。他の生徒から人種差別的な嫌がらせに遭い、怪しげな柔道技でやっつけたというエピソードも残っています。生徒だけでなく、先生とも丁々発止だったのですね。

昨日は護国寺で「第63回高村光太郎研究会」、今日は日比谷で「第12回明星研究会 シンポジウム与謝野晶子の天皇観~明治・大正・昭和を貫いたもの」ということで、2日連続で都内に出ねばならず、それぞれ午後からなので、この際、ついでにいろいろ片付けてしまおう、と、都内あちこち歩き回っております。

昨日は、まず、駒場の日本近代文学館さん。来年1月に埼玉県東松山市で、光太郎と、同市に縁の深い彫刻家・高田博厚、さらに同市元教育長で、昨年逝去された田口弘氏の三人の交流について市民講座を持つことになり、そのための調べ物でした。


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「津村節子展」の方は、平成11年(1999)、智恵子を主人公とした小説『智恵子飛ぶ』を書かれた津村節子さんのご主人、故・吉村昭氏の文学館ということで、津村さんの故郷・福井県ふるさと文学館さんとの共同開催となっています。

津村さんのこれまでを回顧するコンセプトで、幼少期の通信簿や日記、長じて文学活動を始めてからの作品掲載誌、原稿、御著書、取材メモ、その他身の回りの品々など、様々な展示品が並んでいました。『智恵子飛ぶ』関連も。

図録が発行されており、購入して参りました。B5判63ページ、カラー画像も多く、津村さんご本人や、吉村氏、さらに加賀乙彦氏の文章が掲載されており、それがなんとたったの350円。超お買い得でした。


トピック展示の方は、9月に「前期」を拝見して参りましたが、先週から「後期」ということになっており、若干の展示替えがありました。

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特に興味を引いたのが『智恵子飛ぶ』のための取材メモ。曰く、

 昭和十六年私が女学校に入学した年の十二月八日太平洋戦争 智恵子抄を読んだのはその二年ほどあと 私は昭和三年に生れ 満州事変、日中戦争、太平洋戦争
 個人の自由はない 目的は一億一身勝利のみ 人間らしい感情を持つことは罪悪だった。
 世俗に背を向け尊敬と信頼と愛を抱き合いお互いの芸術の道に精進し共に伸びて行こうとする共棲生活に憧れ強い印象を受ける。
(略)
 しかし、なぜこのような理想的な二人の生活が破局に至ったのか。

その問いに、津村さんなりの答を出したのが、『智恵子飛ぶ』だったわけですね。

これからも、ご健筆を祈念いたします。

ところで、昨日は関連行事として、竹下景子さんによる『智恵子飛ぶ』の朗読会があったのですが、先述の通り、第63回高村光太郎研究会とかぶっていましたので、申し込みもしませんでした。その点は非常に残念でした。

「津村節子展」は12月19日(水)まで、トピック展示は来年1月16日(水)までです。ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

自然は極微の細胞にすら宇宙の大と威厳とを示顕してゐることを思へば、心を空しくして詩に斯の如く精進するものの必ず到るべき天地はおのづから開かれるであらう。

散文「菊池正詩集「北方詩集」序」より 昭和19年(1944) 光太郎62歳

『北方詩集』、元版は樺太在住の著者による非売私家版の詩集です。のちに内地でも刊行されましたが、そちらも稀覯書籍です。

先週17日の新聞に、智恵子の母校・日本女子大学さんの元学長・青木生子さんの訃報が出ました。

朝、購読している『朝日新聞』さんの社会面で見つけました。 

青木生子さん死去001

 青木生子さん(あおき・たかこ=元日本女子大学長・理事長、日本上代文学)14日死去、97歳。葬儀は近親者で営む。12月26日に東京都文京区目白台2の8の1の同大目白キャンパスで大学葬を行う予定。


『毎日新聞』さんの方が、よりくわしく業績等記述されているので、そちらも。 

<訃報>青木生子さん97歳=日本女子大元学長・国文学者

 青木生子さん97歳(あおき・たかこ=日本女子大元学長・国文学者)14日、死去。葬儀は近親者で営み、12月26日に東京都文京区目白台2の8の1の日本女子大・成瀬記念講堂で大学葬を開く。時間などは未定。
 東北大など卒。万葉集の研究で知られ、女子教育論も手掛けた。著書に「日本古代文芸における恋愛」「万葉挽歌論」など。93年に勲三等宝冠章。

002

青木さん、ご専門の上代文学以外でも、日本女子大さんに関する御著書が複数あり、当方、一冊持っています。平成2年(1990)、講談社さん刊行の『近代詩を拓いた女性たち 日本女子大に学んだ人たち』。同大の教養部での特別講義の筆録をもとにしたもので、智恵子にも一章割かれています。

基本的な論調は「伝説化された智恵子ではなく、できるだけ生身の人間としての智恵子を、女性として身近に引き寄せながら、彼女の生き方にまなざしを注いでみたいと思います」ということで、同大の同窓会誌である『家庭週報』などの記事を引用するなど、刊行当時としては、智恵子に関するあまり知られていなかった資料が提示されていました。

智恵子以外には、山川登美子、上代たの、平塚らいてう、丹下うめ、大村嘉代子、宮沢トシ(賢治の妹)、網野菊、原口鶴子、高良とみ、茅野雅子が取り上げられています。

残念ながら絶版となっていますが、古書サイト等で入手可能です。


ところで、同じ日の『朝日新聞』さんに、以下の記事も載りました。 

さくらさんへ、明るく別れの歌 ありがとうの会003

 8月に53歳で亡くなった漫画家さくらももこさんをしのぶ「さくらももこさん ありがとうの会」が16日、東京都港区の青山葬儀所で開かれ、約1千人が参列した。笑いを届け続けたさくらさんの意向で、会は「明るくなごやか」がテーマに。参列者はさくらさんの名前にちなんで桜色の小物を身に着けた。
 アニメ「ちびまる子ちゃん」で主人公まる子を演じる声優のTARAKOさんは、まる子の声で「天国へ行くあたしへ。そっちでもたまに、まる子描いてよね」と語りかけた。さくらさんから手紙で歌詞が届き、作曲を依頼された際のエピソードを披露したのは歌手の桑田佳祐さん。「またいつかお会いしましょう」と述べ、2人で共作したアニメのエンディングテーマ曲「100万年の幸せ ‼」を歌った。


亡くなった際には失念していましたが、さくらさん、明治大学教授の斎藤孝氏とのコラボで、平成15年(2003)、集英社さんから『ちびまる子ちゃんの音読暗誦教室』という書籍を刊行されています(著者名は斎藤氏のみのクレジット)。こちらも残念ながら絶版です。

基本、児童書ですが、古今東西の「名文」50余篇を紹介し、斎藤氏の解説に、まる子を主人公とした四コマ漫画が添えられています。で、光太郎詩「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)が取り上げられています。004

   あなたはだんだんきれいになる

 をんなが附属品をだんだん棄てると
 どうしてこんなにきれいになるのか。
 年で洗はれたあなたのからだは
 無辺際を飛ぶ天の金属。

 見えも外聞もてんで歯のたたない
 中身ばかりの清冽な生きものが

 生きて動いてさつさつと意慾する。
 をんながをんな
を取りもどすのは
 かうした世紀の修業によるのか。
 あなたが黙つて立つてゐると

 まことに神の造りしものだ。
 時時内心おどろくほど
 あなたはだんだんきれいになる。



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この書籍、手許にありながらその存在を忘れており、さくらさんが亡くなってしばらくしてから思い出し、このブログでご紹介するタイミングを失って、「しまった」と思っていたところでした。

それが、青木さんの訃報と同じ日にさくらさんのお別れ会の記事が出、「このタイミングで紹介するしかない」と思い、本日、記述いたしました。何か不思議な縁を感じます。ともあれ、お二人のご冥福をお祈り申し上げます。



【折々のことば・光太郎】

感じてゐながら言葉でそれを捉へる事のむつかしさを詩を書くほどのものは皆知つてゐる。よほど素直な心と、美を見る感覚との優れてゐるものでなければ此の境にまでは到り得ない。

散文「八木重吉詩集序」より 昭和18年(1953) 光太郎61歳

昭和2年(1927)に数え30歳で早世した八木重吉は、それが出来ていた稀有な詩人の一人、というわけでしょう。光太郎ファンの当方にとっては、光太郎、あなたもですよ、と言いたくなりますが(笑)。

この前年、草野心平らの尽力で、山雅房から『八木重吉詩集』が刊行されましたが、さらに八木の未亡人・とみ子の編集による決定版詩集の刊行が企図されました。光太郎はそれに向けて上記の一節を含む序文を執筆、さらに題字候補ということで3種類の揮毫をとみ子に送りました。

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八木の詩の題名から採った「麗日」二種、やはり八木の詩「うたを味わう」中の短章の題名から採った「花がふつてくるとおもふ」。それぞれ味のある筆跡ですね。

結局、戦局の悪化等もあり、この時点では決定版的八木詩集は刊行できず、序文、題字揮毫ともお蔵入りとなりました。

ネット上に、謎のゆるキャラが……。

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「ちえこちゃん」だそうです。

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Twitterの「ちえこちゃん@福島県二本松市」というアカウントです。

福島県二本松市のご当地キャラ【ちえこちゃん】公式アカウントです。二本松市、智恵子の里・安達の各種イベントに参加したいと思いますので、末永く応援よろしくお願いします。」だそうです。

二本松市さんのサイトを調べても、記述がありません。今後紹介されるのか、それとも千葉県船橋市の「ふなっしー」のような「非公認ご当地キャラ」なのか、何とも不明です。

11月3日(土)、二本松市の智恵子の生家/智恵子記念館でデビューしたそうですが、今後も彼の地の各種イベントに参加したいとのことで、いずれお会いする機会もあるかと存じます。

泉下の光太郎や智恵子が苦笑しているような気もします(笑)。


【折々のことば・光太郎】

おのれに無いものは断乎としてそこに無い。此は強い魂の特長である。世に多い詩工の事は知らず、およそ此を土台にしないで、どんな詩人の業が確かであらう。
散文「廣田末松遺稿詩集「午前の歌」跋」より
 昭和5年(1930) 光太郎48歳

この年1月、25歳の若さで早世した詩人・廣田末松――己の「弱さ」を自覚していたその木訥篤実な性格、そして性格そのままの素直な作風の詩作品を、光太郎は愛しました――の、おそらく唯一の詩集に寄せた跋文から。

「おのれに無いもの」を、さも有るが如く書き記す似非詩人=「世に多い詩工」への批判も兼ねています。

昨日ご紹介した、東京都荒川区の吉村昭記念文学館さん。平成18年(2006)に亡くなった、荒川区ご出身の作家・吉村昭氏の顕彰施設ですが、氏の奥様、津村節子氏の郷里・福井の福井県ふるさと文学館さんと昨年、「おしどり文学館協定」を締結、このたび、合同企画展が開催されています。小説『智恵子飛ぶ』(平成9年=1997)で芸術選奨文部大臣賞を受賞され、一昨年には文化功労者にも選ばれた津村さんにスポットをあてたものです。  

おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展「津村節子~これまでの歩み、そして明日への思い~」

期   日  : 平成30年10月26日(金)~31年1月23日(水)
場   所  : 福井県ふるさと文学館 福井県福井市下馬町51-11 福井県立図書館内
時   間  : [火~金]9:00~19:00  [土・日・祝]9:00~18:00
料   金  : 無料 
休 館 日 : 月曜日(祝日の場合は翌日) 11/22 12/20 12/29~1/3 

 県ふるさと文学館では、文壇のおしどり夫婦といわれた吉村昭氏と本県出身の津村節子氏のそれぞれの出身地に建つご縁に基づき、昨年11月に荒川区立ゆいの森あらかわ吉村昭記念文学館と全国初の「おしどり文学館協定」を締結しました。
 1周年を記念し、福井県と荒川区において、合同企画展と記念講演会をそれぞれ行います。
 

関連イベント

記念講演会「津村・吉村文学の魅力」
 日 時:平成30年10月28日(日)14:00~15:30
 会 場:福井県立図書館多目的ホール
 講 師:出久根達郎氏(直木賞作家)
 定 員:150名(申込順、参加無料)
 申 込:電話、FAX、メールにて、または直接ふるさと文学館窓口
      TEL:0776-33-8866 FAX:0776-33-8861
      E-mail:
bungakukan@pref.fukui.lg.jp
 その他:手話通訳、音声の文字表示を行います。

津村節子氏撮り下ろしインタビュー特別上映会
 表 題:「津村節子氏人生を語る~これまでの歩み そして明日への思い~」
 日 時:平成30年10月26日(金)~10月28日(日) 
     各日10:00~、13:00~、15:30~(約20分)
 会 場:福井県ふるさと文学館 映像ルーム
 定 員:各回40名(当日受付、参加無料)

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ところで、「おしどり文学館」ということであれば、花巻高村光太郎記念館さんと、二本松市智恵子記念館さんも、そのような協定を結べば、それで一つの宣伝にもなりますし、展示の共同開催、資料の相互貸借などなど、いろいろ便利だと思うのですが、どうも行政がからむと、そうした部分、腰が重いのが現状です。

閑話休題、福井展、お近くの方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

詩とは決して別の世界があつて、その世界に我々を誘ひ出すものでなく、事実の中の事実が正しい言葉に具体された時、それが即ち詩なのだといふ確信を終に失ひ得ない自分は、此等の諸篇の中に立派な詩を見出して喜ぶ。

散文「更科源蔵詩集「種薯」感想」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

北海道弟子屈で開拓にあたりながら詩を書いた更科源蔵の詩集への讃辞です。

他者への評でありながら、光太郎詩論が端的に語られています。

第2回 トピック展示「津村節子『智恵子飛ぶ』の世界~高村智恵子と夫・光太郎の愛と懊悩~」が開催中の荒川区ゆいの森あらかわ内の吉村昭記念文学館さんで、それとは別個の展示が始まっています。  

おしどり文学館協定締結1周年記念 荒川区・福井県合同企画展「津村節子展 生きること、書くこと」

期   日  : 平成30年10月20日(土曜)~12月19日(水曜)
場   所  : 吉村昭記念文学館 東京都荒川区荒川二丁目50番1号 ゆいの森あらかわ内
時   間  : 午前9時30分から午後8時30分まで
料   金  : 無料 
休 館 日 : 11月15日(木) 12月7日(金)

平成29年11月5日に、吉村昭記念文学館と福井県ふるさと文学館はおしどり文学館協定を締結しました。荒川区出身の作家、吉村昭氏と、妻で福井県出身の作家、津村節子氏の「おしどり夫婦」になぞらえ、両館が協力して相互に魅力を高めていくため、締結したものです。協定の締結1周年を記念して、福井県と合同で企画展を開催します。

昭和40年に「玩具」で芥川賞を受賞して以来、力強く生きる女性の姿を書き続けてきた作家、津村節子。今年で90歳を迎え、現在も精力的に執筆活動を行う津村氏の約60年に及ぶ創作活動を、自筆原稿や取材メモ、愛用品などを通して紹介します。

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関連イベント

◆記念講演会「果てなき往復書簡―一編集者から見た吉村昭・津村節子」
 日程:11月4日(日曜)14時~16時(開場は13時30分)
 講師:山口昭男氏(岩波書店前代表取締役社長)
 参加費:無料   定員:100名※申込順   会場:ゆいの森あらかわ1階ゆいの森ホール

◆朗読会「智恵子飛ぶ」
 日程:11月23日(金曜・祝)14時~15時30分(開場は13時30分)
 出演:竹下景子氏(俳優)
 参加費:無料   会場:ゆいの森あらかわ1階ゆいの森ホール
 定員:100名(応募多数の場合は抽選。11月4日(日曜)までにお申込下さい。当選者のみ、11月17日(土曜)までに葉書でお知らせします。)

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◆文学館学芸員による展示解説
 日 時  :11月3日(土曜)15時~ 15時30分  12月5日(水曜)15時~15時30分
参加費:無料  定 員  : 15名※申込順   会 場  :ゆいの森あらかわ3階企画展示室

イベント申込方法
ゆいの森あらかわホームページ(イベント予約)、ゆいの森あらかわ1階総合カウンター、FAX(03-3802-4350)でお申込み下さい。
イベント名(展示解説の場合は、参加希望日)・参加者の氏名(2人まで)・代表者の住所と電話番号を、ゆいの森あらかわへ。

なんとまあ、竹下景子さんが、津村さんの代表作の一つである『智恵子飛ぶ』から朗読をなさるそうです。



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上記会場は、荒川区の吉村昭記念文学館さん。平成18年(2006)に亡くなった、荒川区ご出身の作家・吉村昭氏の顕彰施設です。亡くなる直前、吉村氏は、区の財政負担を考慮し、単独の文学館ではなく図書館等の施設と併設することを条件に文学館の設置を承諾なさったということで、ゆいの森あらかわさんの中にオープンしました。

そして奥様の津村節子さんの出身地・福井の福井県ふるさと文学館さん。おしどり夫婦それぞれゆかりの文学館ということで、昨年、「おしどり文学館協定」を締結、展示の共同開催、資料の相互貸借を行うそうで、今回もその一環です。

荒川区・福井県合同企画展ということで、もう一方の福井県ふるさと文学館さんでも「津村節子~これまでの歩み、そして明日への思い~」が開催されます。明日はそちらをご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

此の北地に闘つてゐる人のまぎれのない声は、どんなジヤスチフイケイシヨンがあらうとも結局まだ中途に立つてゐる私などの腹わたに強くこたへる。私は其をまともに受ける。かういふ強さは、ひねくれた強さでないから、痛打を受ける事が既に身になる。

散文「猪狩満直詩集「移住民」に就て」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

猪狩満直は、福島いわき出身の詩人。同郷の草野心平の詩誌『銅鑼』同人でした。『移住民』は、前年に北海道阿寒に移っての開墾生活を題材としています。

明治末に、やはり北海道移住を志した光太郎。あまりの無計画で、ひと月ですごすご逃げ帰りました。そうした負い目が読み取れますね。

昨日は、都内2ヶ所を廻っておりました。

まず、日暮里の太平洋美術会研究所さん。明治40年(1907)からのおそらく数年間、智恵子が通った太平洋画会の後身です(智恵子が通っていた頃と、場所は変わっていますが)。

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こちらで、智恵子の名も載った昔の名簿的なものが出てきたというので、拝見させていただこうと、参上した次第です。隣接する第一日暮里小学校さんでの特別授業などで知遇を得ていた、同会の松本氏が対応して下さいました。

こちらがその名簿。昭和に入ってから書かれたものでした。

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智恵子の名は、昭和7年(1932)の「第二回卒業者」という中にありました。「千恵子」と誤記されていましたが、「高村光太郎夫人」と薄く書き込みがしてありました。さらに「明治三十八年通学」「こゝに記載」「卒業者とする」などの書き込みも。何をもって同会の卒業という扱いにしたのか、なぜ昭和7年の項に名前があるのかなど、詳しいことは不明とのことでした。

ちなみに智恵子が同会に通い始めたのは日本女子大学校を卒業した明治40年(1907)とされています。明治38年(1905)は、まだ女子大学校に在学中でした。しかし、もしかすると、在学中に松井昇などの手引きで、同会に通い始めたことも考えられなくはないな、と思いました。ただ、名簿が書かれたのが昭和に入ってからなので、智恵子が通っていたのはその時点で20年以上前。関係者の記憶や記録があやふやだったための誤記とも考えられます。

当方がお伺いするということで、松本氏、光太郎に関する資料も引っ張り出していて下さいました。明治から大正にかけての雑誌『秀才文壇』。国会図書館さんには所蔵がなく、駒場の日本近代文学館さん、横浜の神奈川近代文学館さんでは、とびとびにしか所蔵されていないため、光太郎が寄稿しているはずの号がこれまで未見でした。

以前に、当会顧問・北川太一先生から、「光太郎にこういう文筆作品があるはずだから見つけるように」と渡されたリストに、『秀才文壇』に掲載されたはず、というもののタイトルが複数記されていました。しかし、これまで折に触れて捜していましたが、見つからないでいたものです。

その『秀才文壇』がドンと出てきたので、驚愕しました。なんとまあ、編集長の野口安治が、松本氏の御曾祖父にあたられるそうで、こちらに所蔵されているとのこと。

そして、ありました!

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ロダンの秘書だった、ジュディト・クラデルが書き、光太郎が訳した「ロダンといふ人」。明治43年(1910)の『秀才文壇』に3回にわたって掲載されたのですが、筑摩書房『高村光太郎全集』刊行時点では、そのうちの第3回のみしか見つけられず、第1回、第2回が漏れています。それがあったので、驚愕した次第です。

また、野口に宛てたと推定される、大正6年(1917)の年賀状も紹介されていました。「賀正」一言の簡素なものでしたが、これも『高村光太郎全集』に未収のものでした。

他にも色々ありそうなので、自宅兼事務所に帰って早速調べた内容と、さらなる調査を依頼する文言を書いて、松本氏に手紙を書きました。今後に期待しております。


そんなこんなで太平洋美術会研究所さんを後にし、次なる目的地、谷中の台東区立朝倉彫塑館さんへ。先月から特別展「彫刻家の眼―コレクションにみる朝倉流哲学」が始まっています。

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こちらでは、こちら001の所蔵の、光太郎ブロンズ彫刻代表作「手」が展示されています。3点しか確認できていない、大正期の鋳造、さらに台座の木彫部分も光太郎の手になる物の一つです。

同館では他館の様々な企画展等に貸し出していて、他の場所で何度も見た作品ですが、こちらで見るのは初めてでした。また、以前に伺ったときにはなかった新商品ということで、「手」のポストカード(100円)が販売されていまして、思わず10枚も買ってしまいました(笑)。

その他、光太郎とも交流のあった大工道具鍛冶・千代鶴是秀の手になる刃物類などがたくさん並んでおり、興味深く拝見しました。「用の美」がにじみ出ている実用的なものもそうですし、遊び心溢れる非実用的な魚の形のものなど、そのどれもこれもですが、特に切り出し刀は「切れる」というのが見ただけで分かります。朝倉や、光雲弟子筋の平櫛田中などが惚れ込んだというのもうなずけました。

こちらは12月24日(月)までの長い会期となっています。ぜひ足をお運びください。

今日はこの後、信州安曇野碌山美術館さんでの開館60周年の記念行事に行って参ります。


【折々のことば・光太郎】

「故郷図絵集」をよんで其の中にある一脈の「荒さ」に強く心をひかれました。この荒さといふ事に就ては或は自己流の説明を要するかも知れませんが、とにかくオリヂナルのものに必ず潜む「あらたへ」の感じです。芭蕉が持つてゐて其の弟子達に少いものです。荒々しい文字に必ずしもあると言へないところのもの、オリヂナルならざるものには絶無の或る感じです。

散文「所感の一端――室生犀星詩集「故郷図絵集」――」より
昭和2年(1927) 光太郎45歳

「故郷図絵集」は、この年刊行された室生犀星の詩集。「あらたへ」は、織り目の粗い粗末な織物のことです。

智恵子関連新聞記事等、4件ご紹介します。

まず先週の『神戸新聞』さんの一面コラム。 

正平調 2018/10/08

湊川神社西側の坂を上ると神戸文化ホールの大壁画が目に入る。印象的な青いアジサイ。このモザイク画は高村智恵子の紙絵から制作された。ホールの完成は1973年だから、半世紀近く市民に親しまれている◆智恵子の名は、彫刻家・詩人である夫高村光太郎の愛に満ちた詩集「智恵子抄(ちえこしょう)」で知られるが、明治時代に洋画を学んだ先進的な女性だった◆精神を病んで、病床で紙絵を作り続けた智恵子は38年10月に52歳で没した。それから80年を迎える今年、郷里の福島県二本松市では智恵子抄の朗読大会などが開かれるという◆ホールのモザイク画の下には小さな石碑がある。光太郎の詩「晩餐(ばんさん)」の一節を刻む。〈われらのすべてに溢(あふ)れこぼるるものあれ われらつねにみちよ〉。光太郎と親交のあった詩人草野心平が書いた◆アジサイの元絵を収める画集「智恵子紙絵」を開けば、花や果物、動物などを題材にした繊細な作品が次々と現れる。これをホールの壁に選んだセンスに、今更ながら敬服する◆紙絵は智恵子の詩であり叙情であったと、光太郎は記す。「私に見せる時の智恵子の恥かしさうなうれしさうな顔が忘れられない」。ホールは三宮への移転が計画されている。その後も、この壁画が残ってくれればいいのだが。

神戸文化ホールさん、20年ほど前に、現地に行って観て参りました。

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原画はこちら。

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どういう経緯で智恵子の紙絵が神戸の地に採用されたのか寡聞にして存じませんが、こんな感じで智恵子作品が使われているのは全国でここだけです。

壁画の下には、記事にもある、当会の祖・草野心平揮毫の碑。

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壁画ともども、残していただきたいものです。


続いて、やはり先週、10日付の『朝日新聞』さん。投書欄の一角にある、風刺の効いた一言で笑いを誘う短文投稿欄的なコーナーです。 

かたえくぼ 羽田新ルート001


東京には日本の空がない  ――高村智恵子  (亘理・光太郎)




背景の解説的な、『東京新聞』さんの記事がこちら。 

<すぐそこに米軍 首都圏基地問題>横田空域の返還求めず 羽田新ルートで政府

 東京都心上空を初めて通る羽田空港(東京都大田区)の新飛行ルートが在日米軍が管制権をもつ横田空域を一時的に通過する問題で、日本政府が通過空域の返還を求めない方針であることが、国土交通、外務両省や米軍への取材で分かった。日米は管制業務の分担について協議を続けている。(皆川剛)
 新飛行ルートは二〇二〇年の東京五輪・パラリンピックに向け、羽田空港の国際線の発着枠を増やすために導入される。東京湾の上を通って離着陸するこれまでの原則を変え、都心上空を通過することになる。その際、横田空域の東端をかすめることになり、国交省と米軍の実務者間で対応を協議してきた。
 現在、羽田を利用する民間機は横田空域を避けて航行しており、新ルートに合わせて〇八年以来となる空域返還の可能性も取り沙汰された。しかし、国交省管制課と外務省日米地位協定室は本紙取材に、「横田空域の削減(返還)は求めない」との見解を示した。
 国交省の担当者は「〇八年の削減で当面の航空需要には対応できており、これ以上の削減を求めるのは米軍の運用上も難しい」と説明した。
 在日米軍司令部も「横田空域のいかなる部分に関しても、永久的な返還の実質的な交渉は行っていない」と文書で回答した。
 横田空域を維持したまま新飛行ルートを運用すれば、着陸間際の航空機の通る空域が羽田、横田、羽田と変わる。短時間の間にパイロットが交信先を二度変えねばならず、安全性の面からも懸念が大きい。国交省は、横田空域を通過する際も日本側が管制を一元的に担当する案も含めて米軍と協議するとしている。
 <横田空域> 東京から静岡や新潟まで1都8県にまたがり、高度約2400~7000メートルの階段状に広がる。域内にある厚木や入間などの基地を離着陸する米軍機や自衛隊機の管制を、横田基地の米軍人が行っている。民間機も飛行計画を提出すれば通れるが、現在、羽田空港の定期便の航空路は通っていない。

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こちらも寡聞にして存じませんでしたが、東京はじめ1都8県の空域は、ほぼ米軍の管理下にある実情だそうで。結局、アメリカのポチなんですね(笑)。


お次は『福島民友』さん。今週月曜の記事です。 

「智恵子の居室」特別公開 二本松の生家、初日から大勢の観光客

002 二本松市智恵子の生家・記念館自主事業として二本松市にある智恵子の生家2階の特別公開が13日、始まった。11月25日までの土、日曜日と祝日に公開される。
 生家の2階は通常公開されず、市内で繰り広げられている重陽の芸術祭の一環で「智恵子の居室」として披露された。
 初日から観光客らが大勢訪れ、興味深げに部屋の中を見て回っていた。時間は午前9時~正午と午後1時~同4時。
 切り絵アーティストの福井利佐さんの作品展も13日、智恵子の生家で始まった。同展は重陽の芸術祭プログラムの一つで、11月25日まで開かれている。智恵子の生家内の至る所に作品が飾られ、来場者を楽しませている。

福島ビエンナーレ」の一環としての取り組みです。昨年の様子はこちら。今年は切り絵作家の福井利佐さんによるインスタレーションが行われており、当方、来週末に行って参ります。福井さんのブログに展示風景がアップされています。


最後に一昨日の『福島民報』さん。 

飲食業者が全国大会 35都道府県1000人、復興応援

 全国社交飲食業代表者福島大会は十五日、福島市のとうほう・みんなの文化センター(福島県文化センター)で開かれた。席上、厚生労働省医薬・生活衛生局長表彰の太田和彦氏(郡山市、味の串天)、全国生活衛生同業組合中央会理事長感謝状の高野豊氏(会津若松市、ゑびす亭)、全国社交飲食業生活衛生同業組合連合会会長表彰の鴫原岩男氏(二本松市、クラブキーボード)らをたたえた。
  全国社交飲食業生活衛生同業組合連合会の主催、県社交飲食業生活衛生同業組合の主管。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を応援しようと「ほんとの空・みんなの笑顔・よみがえる福島」を大会テーマに三十五都道府県から約千人が参加した。
  実行委員長の鈴木悦朗県社交飲食業生活衛生同業組合専務理事(福島市、轟座)ら都道府県ごとに組合旗を掲げて入場した。大会委員長の佐藤吉昭県社交飲食業生活衛生同業組合理事長(福島市、談妃留)が震災と原発事故後の全国からの支援に感謝を伝え「福島の魅力を味わってほしい」と歓迎した。畠利行副知事、木幡浩福島市長が祝辞を述べた。
  組合活性化のための人材育成に努め、組織の強化拡大などを盛り込んだ大会宣言を採択した。
  太田氏、高野氏、鴫原氏以外の県内受賞者は次の通り。
  ▽全国生活衛生同業組合中央会理事長感謝状=高橋光子(福島市、フラワーロード)伊藤小百合(須賀川市、スナック鶴つう)
  ▽全国社交飲食業生活衛生同業組合連合会会長表彰=中島隆(伊達市、FineBar Sora)

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語、福島の復興の合い言葉として、広く一人歩きしている感があります。もっともっと広まってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

芸術品としての価値について今更贅語を費すのは、雪を冷たいと説明するやうな愚に近いのを感ずる。

散文「北原白秋の「思ひ出」」より 明治44年(1911) 光太郎29歳

この年刊行された白秋の詩集『思ひ出』を評する文章の一節です。現代に於いても、「雪は冷たい」式のエラいセンセイ方の「評論」がまかり通っていますね(笑)。

一泊二日の行程を終え、昨日の夕方、千葉の自宅兼事務所に戻りました。

一昨日は智恵子を偲ぶ「第24回レモン忌」に参加、さらに智恵子生家で開催中の「坂本富江展 「智恵子抄」に魅せられて そして~今~ パートⅡ」を拝見。岳温泉さんに宿泊いたしました。

昨日は午前10時から、二本松駅前の市民交流センターで「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」が行われました。その前に、早く目が覚めてしまいましたので、智恵子の愛した「ほんとの空」を堪能しようと、安達太良山奥岳登山口まで愛車で行くことにしました。

8時前には宿を出たのですが、登山口の手前、2㎞ほどのところから渋滞。驚きました。

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結局、登山口より数百メートル手前の無料駐車場に車を駐め、歩きました。

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下界はまだまだ点々とでしたが、下から見る限り、山頂付近はもうかなり紅葉に色づいていました。そして台風一過の「ほんとの空」。

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さて、とって返して二本松市街へ愛車を向けました。その頃になると登りの渋滞は倍以上に伸びていました。多くの方に訪れていただき、ありがたい限りです。

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市民交流センターに到着。午前10時、智恵子検定開会。

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結局、受検人数はあまり多くなかったので、少し残念でした。開会式的な時間の中で、監修の当方も一言ご挨拶だけさせていただき、皆さんの健闘を祈りつつ、二本松を後にしました。

その前後、一昨日から昨日にかけ、二本松で新聞各紙を購入しました。

一昨日の『福島民友』さん。坂本富江さんの個展の記事が掲載されました。

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昨日の『朝日新聞』さん福島版。一昨日の「レモン忌」を大きく取り上げて下さいました。

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ネット上にも。 

福島)没後80年、智恵子しのぶ 二本松で「レモン忌」

 詩人で彫刻家の高村光太郎の妻智恵子をしのぶ24回目の「レモン忌」が7日、生家がある二本松市であった。主催した「智恵子の里レモン会」の会員ら約40人が集い、智恵子の好きだったレモンと花を肖像画に捧げ、光太郎が妻への愛を記した「亡き人に」を朗読した。
 智恵子が所属して洋画を学んだ美術団体の後継団体である「太平洋美術会」会員の坂本富江さんが記念講演し、智恵子の画学生時代の足跡などを紹介した。
 レモン会会長の渡辺秀雄さん(86)は「光太郎の妻」「優しく病気がちな女性」というイメージとは異なる面に智恵子の魅力を感じるという。渡辺さんによると、智恵子が残した文章の中に、関東大震災後の復興策や憲兵隊の横暴を批判したものがある。「しっかりした意見を持って社会に目を向けていた。新しい時代の女性だったと思う」と渡辺さんは評価する。
 今年は智恵子の没後80年にあたり、様々なイベントが開かれる。
 坂本さんは「智恵子抄」をテーマにした絵画作品展を智恵子の生家で9日まで開催。8日には「智恵子のまち夢くらぶ」の主催で「智恵子検定」が市民交流センターで開催される。また11月18日には、智恵子や光太郎への思いを詩の朗読やスピーチなどで表現してもらう「全国『智恵子抄』朗読大会」が市コンサートホールで開かれる。(杉村和将、奥村輝)

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それから、昨日の『福島民報』さん。『福島民友』さんで先週取り上げた「好きです智恵子純愛通り」CDについてです。

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CDそのものも、いただいて参りました。

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手作りといいますか、草の根といいますか、地方でのこうした地道な取り組みが大事なんだよな、と感じました。


この後、山形県天童市へ。明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

佐藤氏は詩魔に憑かれた魔性の人のやうに見えた。端倪を知らずとは正に此の詩人の詩業の事である。

散文「詩魔佐藤惣之助氏」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

佐藤惣之助は光太郎より7歳年少の詩人。前年に急逝した佐藤の追悼文集に寄せた文章の一節です。

端倪を知らず」は、その全体像を安易に推し量るべきでない、といった意味。「詩魔に憑かれた魔性の人」といい、光太郎自身の評としてもよいような気がします。

本日、10月5日は、智恵子の命日「レモンの日」です。昭和13年(1938)に亡くなった智恵子、今年で没後80年となりました。

それにちなみ、昨日の『福島民友』さんの一面コラム。  

【10月4日付編集日記】高村智恵子没後80年

 1990年代の半ば、ロックバンド・ミスターチルドレンの桜井和寿さんが文芸雑誌「ダ・ヴィンチ」の表紙を飾った。写真の中の桜井さんは愛読書だという文庫本を手にしている
 ▼その文庫本は、高村光太郎の「智恵子抄」だ。ダ・ヴィンチのインタビューで桜井さんは智恵子抄について、一人の人を愛し抜くパワーに感動したと述べていた。愛する喜びと苦悩に満ちた光太郎の詩は、桜井さんの曲づくりにも影響を与えたに違いない
 ▼智恵子が52歳で亡くなってから、明日で80年を迎える。節目の年に合わせ、地元・二本松市では智恵子を顕彰している団体がさまざまな記念事業を予定している
 ▼11月には智恵子抄の朗読大会を初めて開く。このほかにも智恵子に関する知識を問う検定や、二人にちなんだお菓子を食べながら語り合うカフェなども企画する。同団体は、時代を超えて読み継がれてきた智恵子抄の魅力を広く発信していきたい考えだ
 ▼同市には、智恵子の生家がいまも残る。二人が手を取り合って歩き、安達太良山や阿武隈川を眺めた鞍石山などゆかりの場所もある。節目の年に智恵子の古里を訪れてみれば、心を通わせ合った二人の存在をより身近に感じられるはずだ。

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当方、寡聞にしてミスチルの桜井さんが光太郎智恵子ファンとは存じませんでした。言われてみれば「愛する喜びと苦悩に満ちた光太郎の詩は、桜井さんの曲づくりにも影響を与えたに違いない」、納得できますね。

けっこう芸能界には隠れ光太郎智恵子ファンの方々がいらっしゃるようです。引退なさった山口百恵さん、現在もご活躍中の声優・能登麻美子さん、連翹忌や、二本松で開催されている「レモン忌」にもご出席いただいている一色采子さん(昨年は智恵子生家で朗読イベント「智恵子・レモン忌 あいのうた」にご出演なさいました)などなど。

隠れ、ではないのが当会001会友・渡辺えりさんお父様の渡辺正治氏が光太郎本人と交流があったご関係で、ご自身、幼い頃から(あまり想像できませんが(笑))、光太郎詩を聞かされて育たれたそうです。そんな関係で光太郎を主人公とした「月にぬれた手」という舞台をなさったり、各地の講演やさまざまなテレビ番組などでお父様と光太郎のエピソードをご紹介なさったりして下さっています。

そういえば、10月7日(日)14時〜15時、二本松で第24回レモン忌が行われる日ですが(したがって当方は欠礼します)、同じ福島の、いわき市立草野心平記念文学館さんで、渡辺さんのご講演があります。

当会の祖・草野心平を祀る(笑)文学館でのご講演ですので、やはり光太郎智恵子に関わるお話があるかと存じます。

事前予約制で、おそらく既に定員に達していると思いますが、もしかするとキャンセル等が有るかも知れません。同館にお問い合わせ下さい。


最後に、本日放送の福島でのテレビ放映情報を。 

はまなかあいづToday▽高村智恵子没後80年 ▽カフェ?子育て女性注目の働く場

NHK総合1・福島 2018年10月5日(金)  18時10分~18時52分 

▽きょう高村智恵子没後80年 ▽まるでカフェ…子育て女性注目の働く場 ▽気象情報 ▽県内の放射線測定値 

キャスター 吾妻謙 岩間瞳 平川沙英  リポーター 後藤万里子  気象予報士 齋藤郁子

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福島県の方、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

中原君の詩は所謂抒情詩の域を超えた抒情詩といふべきで、それは愬へたり、うたつたりする段階から遙に超脱して、心や物がそのまま声を発するものであつた。インキ壺を書くのでなくて、インキ壺が書くのであつた。むしろインキ壺がただ在るのであつた。

散文「夭折を惜しむ――中原中也のこと――」より 
昭和14年(1939) 光太郎57歳 

愬へたり」は「うったえたり」と読みます。

智恵子の翌年に亡くなった中原中也の追悼文から。中也独特の詩の世界を端的に言い得ていますね。

昭和13年(1938)に亡くなった智恵子、今年で歿後80周年となる10月5日(金)「レモンの日」に合わせ、故郷の二本松市では、その前後にさまざまなイベントが企画されています。

昨日は二本松で智恵子顕彰に取り組む「智恵子の里レモン会」さん主催の「坂本富江展 「智恵子抄」に魅せられて そそして~今~ パートⅡ」、「第24回レモン忌」をご紹介しましたが、本日は、同じく智恵子顕彰に取り組む「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催のイベントを。  

智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問

期  日 : 2018年10月8日(月・祝)
会  場 : 二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町二丁目3番地1
時  間 : 受付 午前9:30   開始 午前10:00
料  金 : 一般 1,000円  中高生600円
申し込み   : 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷 0243-23-6743

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文字通り、智恵子についての00150問の問題に答える検定試験です。

50問すべて四択で、原案は智恵子のまち夢くらぶさんの熊谷代表が考え、当方が監修ということで、一部手直しをしたり、パソコンで打ち込んだりしました。

超難問カルト問題の連続というレベルでもなく、さりとて全国民の一般常識というわけでもなく、この種のものとしては妥当な問題かな、と自負しております。

基本、智恵子その人に関する問題ですが、一部、光太郎についての問題も。ただし、智恵子と無関係ではありません。

正答数に応じ、「称号」がもらえます。

 全問正解   「智恵子プラチナマイスター」
 45問以上正解 「智恵子ゴールドマイスター」
 35問以上正解 「智恵子シルバーマイスター」
 25問以上正解 「智恵子ブロンズマイスター」
 24問以下正解 「智恵子フレンド」

ことによるとプラチナマイスターが複数出るかも、と思っております。

称号の授与式は、11月18日(日)、同じく智恵子のまち夢くらぶさん主催の「全国『智恵子抄』朗読大会」(また後ほど詳しくご紹介します)会場で行うとのこと。

ぜひチャレンジしてみて下さい!


【折々のことば・光太郎】

先生が日本詩歌界に曾てまき起した変革の性質は、ロダンがフランス彫刻界に曾てまき起した変革の真意義と相通ずるものがある。其は死せるものに生命の鼓動を呼びさましめ、遠いものを近くし、間接のものを直接にし、人間性の横溢をその芸術に齎しめて全く面目一新の実を挙げた事である。

散文「与謝野先生を憶ふ」より 昭和10年(1935) 光太郎53歳

与謝野先生は、鉄幹与謝野寛。光太郎の才を見ぬき、そして愛し、本格的な文学へ誘った師匠です。彼なくして後の詩人光太郎は生まれなかったといえます。

この年、気管支カタルで亡くなった鉄幹への追悼文の一節です。

来る10月5日(金)は、智恵子の命日「レモンの日」です。昭和13年(1938)に亡くなった智恵子、今年で歿後80周年となります。

そういう関係もあり、今月は智恵子の故郷・福島二本松で、智恵子関連のイベント等が目白押しです。

10/4(木)~9(火)     坂本富江展「智恵子抄」に魅せられてそして~今~パートⅡ
           智恵子の生家
10/7(日)         第24回レモン忌  ラポートあだち
10/8(月・祝)       高村智恵子没後80周年記念事業 智恵子検定 市民交流センター
10/11(木)~11/27(火)  智恵子紙絵実物展示  智恵子記念館
10/13(土)~11/25(日)  福島ビエンナーレ重陽の芸術祭 福井利佐展  智恵子の生家
    〃       智恵子生家二階特別公開  智恵子の生家
10/14(日)        第2回ほんとの空マルシェinあだたら    岳温泉

何回かに分けて詳しくご紹介します。  

坂本富江展 「智恵子抄」に魅せられて そして~今~ パートⅡ

期   日 : 2018年10月4日(木)~9日(火)
会   場 : 智恵子生家 福島県二本松市油井字漆原町36
時   間 : 9:00~16:30
料   金 : 智恵子生家/智恵子記念館入館料として大人410円 高校生以下200円

智恵子の足跡をたどりながら、坂本さんが各地で描いてきた風景画等を展示します。

≪坂本富江プロフィール≫
山梨県生まれ。太平洋美術会会員であり、高村光太郎研究会会員でもある。現在は、山梨県韮崎市のふるさと大使を務めている。

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なぜ「パートⅡ」なのか? と思いましたが、今年4月に新宿のヒルトピアアートスクエアさんで開催された坂本さんの個展が「パートⅠ」だったということのようです。

筋金入りの智恵子ファンのお一人、坂本さんとしては、智恵子生家で個展が開催できるというのは望外の喜びでしょう。


続いて、その会期中に行われる、智恵子を偲ぶ集い「レモン忌」。  

第24回レモン忌

期   日 : 2018年10月7日(日)
会   場 : ラポートあだち 福島県二本松市油井字濡石16
時   間 : 10:00~14:00
料   金 : 3,000円

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以前の様子はこちら。


毎年、記念講演があり、当方も仰せつかったことがありますが、今年は坂本さんです。当方もスライドショーの投影でご協力させていただきます。

ご興味のある方、上記連絡先まで。


【折々のことば・光太郎】

人は随分気むつかしくなつてゐる時でも、その気むつかしさをてんで問題にしない、ひろびろとした野原のやうな魂に接すると又思ひかへして、一寸心の転轍の出来る事があるものだ。「小公子」はいつの間にかあのやかまし屋のおぢいさんを軟化させた。

散文「所感――詩人廣瀬操吉観――」より 昭和3年(1928) 光太郎46歳

「小公子」は、アメリカのバーネット夫人が明治19年(1886)に書いた児童文学。明治24年(1891)には若松賤子の訳で日本でも刊行され、昭和2年(1927)には岩波文庫のラインナップに入っていますが、光太郎、こうしたものも読んでいたのですね。

詩人・廣瀬操吉の作品には、そういう魂があると褒めています。

特に智恵子の関連で、新聞雑誌各紙誌にいろいろ出ていますので、ご紹介します。

まずは9月20日(木)、『朝日新聞』さんの北海道版。「歌壇」という欄で、読者の方々からの投稿短歌欄です。

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函館の作山宗邦さんという方の作。

妻持ちし文学全集抜きだして智恵子抄読む新盆の朝

「持ちし」と過去形ですから、「新盆」は奥様のそれだったのでしょう。「智恵子抄」をご生前に好まれていたのでしょうか。切ない歌ですが、厨(くりや)で智恵子の遺した梅酒を見つけた光太郎のような、リアル「智恵子抄」短歌ですね。


続いて、『しんぶん赤旗』さん。9月23日(日)の日曜版で、「智恵子の生家と「ほんとの空」」ということで、智恵子の故郷、二本松の紹介が載りました。

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智恵子生家・記念館を大きく扱って下さいました。同紙では、今年6月にも智恵子がらみで安達太良山を取り上げて下さっています。


それから、日本古書通信社さん発行の雑誌『日本古書通信』9月号。巻末に全国の古書店さんの在庫目録的なページがついていますが、その中で、神田の八木書店さんのページに、光太郎の書簡が。

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出版社文一路社の社主、森下文一郎に宛てたもので、筑摩書房の『高村光太郎全集』に漏れているものです。智恵子が亡くなる前年の昭和12年(1937)のものと推定され、智恵子にも触れています。

拝復 先日はおてがみ忝く拝見しました、一寸いそぎの事がありました為め御返事失礼しました、
今年の暑は殊にからだにこたへ毎日閉口して居ります、やむを得ず仕事はして居りますがはかどりません、
あなたの方はお変りなく御健勝で居られますか、 おてがみによれば何か御用との事ですが、若しお急ぎの事でなければ秋涼の頃まで待つて頂ければありがたく存じます、この暑さで半病人の有様で居ますので殆と人にも会はずに暮して居ます、全く夏ばかりは一切をすてたく思ひます、 智恵子がまだ悪かつたりしますので尚更小生は腐つて居ます、早く秋風高く吹いてくれればいいとそれのみ望んで居る次第です、
御見舞の御礼かたがた御返事まで    艸々
   七月十五日
       高村光太郎
  森下文一郎様
  二伸 若しお急ぎの事でしたらおてがみでおきかせ下されば早速御返事いたします、

何げなく書かれた一言が、やはり切なく感じられます。


最後に、智恵子は絡みませんが、『月刊絵手紙』さん10月号。花巻高村光太郎記念館さんのご協力で、昨年の6月号から「生(いのち)を削って生(いのち)を肥やす 高村光太郎のことば」という連載が為されています。

今号は、昭和29年(1954)に書かれた「書をみるたのしさ」の一節が取り上げられています。

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併せて紹介しておきます。


さらに、雑誌というわけではありませんが、智恵子の故郷・二本松市の広報紙『広報にほんまつ』さんで、今月の様々なイベント等が紹介されています。そちらは明日。


【折々のことば・光太郎】

私はかかる意味のフランスに感謝してゐる。「感謝」といふ詩にも書いた通り其は黙つてゐても物のわかるといふ、あの人間精神文化の最尖端を鷹揚に持つところの一種の気質である。

散文「熱情と理解の人――川路柳虹の印象――」より
 昭和2年(1927) 光太郎45歳

「美」や「芸術」が人々の生活に深く根付き、無意識に文化的な生活を送っているフランス国民への讃仰です。光太郎の朋友だった詩人・川路柳虹もそうした気質を備えていたと言っています。

新刊情報です。 

文豪たちのラブレター

2018/09/21 別冊宝島編集部編 宝島社 定価1,380円+税

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芥川龍之介が後の妻・文に送ったラブレターの一節は、思わず赤面してしまうくらい恥ずかしく、それでいて恋する心情が伝わってくる「生っぽい」文章です。かの文豪たちも、ラブレターともなると、その人自身のパーソナリティが色濃く反映されてしまうもの。本書は、中島敦、太宰治、谷崎潤一郎、夏目漱石、森鴎外など、あの文豪たちが実際に書いたラブレターを、当時の状況の解説とともに掲載した一冊です。

目次

 はじめに

 第一集 君のことを愛しています。——愛する手紙
  芥川龍之介からのちの妻、塚本 文へ
  樋口一葉から師、半井桃水へ
  国木田独歩からのちの妻、佐々城信子へ
  坂口安吾から恋人、矢田津世子へ
  高村光太郎からのちの妻、長沼智恵子へ

 第二集 君のためなら何でもする。——赤裸々な手紙
  佐藤春夫からのちの妻、谷崎千代(潤一郎妻)へ
  谷崎潤一郎からのちの二番目の妻、古川丁未子、のちの三番目の妻、根津松子へ
  若山牧水から片想いの石井貞子、のちの妻、太田喜志子へ
  倉田百三から恋人、山本久子(仮名)へ
  島村抱月から愛人、松井須磨子へ

 第三集 あなたを、好きになれてよかった。——切ない手紙
  太宰 治から愛人、太田静子へ
  小林多喜二から恋人、田口タキへ
  有島武郎から「お仲よし」唐澤秀子、愛人、波多野秋子へ
  石川啄木から恋人、菅原芳子へ
  北原白秋からのちの妻、福島俊子へ

 第四集 お前は、私の妻であればよい。——想う手紙
  夏目漱石から妻、夏目鏡子へ
  森 鷗外から妻、森志げへ
  堀 辰雄からのちの妻、加藤多恵子へ
  中島 敦からのちの妻、橋本たかへ

手紙の出典・参考文献一覧


というわけで、結婚前に光太郎から智恵子に宛てた、大正2年(1913)の1月28日の書簡が紹介されています。

この年9月、信州上高地で婚約する二人ですが、この時智恵子は、新潟にあった日本女子大学校時代の友人・旗野スミ(澄子)の実家に滞在し、スキーに興じたりしていましたその智恵子に送った「ラブレター」です。

手紙画像はこちら。現物は当会顧問・北川太一先生がお持ちです。

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全文翻刻はこちら。

光太郎から智恵子に宛てた手紙は、現在、4通しか現存が確認できていません。そのうち、ラブレター的なものはこの1通のみ。そういうわけで、時折、取り上げられます。平成14年(2002)には、故・渡辺淳一氏著『キッス キッス キッス』で、同25年には、NHKさんの「探検バクモン「男と女 愛の戦略」」で。


他に、光太郎と交流のあった石川啄木、北原白秋、佐藤春夫、森鷗外らの「ラブレター」も紹介されており、興味深く拝読(かえって、内容を知らなかったそちらの方が……)。

何はともあれ、ぜひお買い求め下さい。


【折々のことば・光太郎】

自然が或る人間を特に人生の為に役立てようと思ふ時、其の使ひ方の決定的な巧妙さは驚くばかりだ。丁度或る時に丁度或る場所に丁度或る環境を与へて丁度或る強さの人間を生まれさせる。どうする事も出来ない。無自覚的にも自覚的にも、其の人間全体が一つの使命となる。その力は恐ろしい。

散文「ホヰツトマンのこと」より 大正8年(1919) 光太郎37歳

歴史上、そういう人物はいろいろいると思います。日本でいえば、源義経、織田信長、西郷隆盛などに其れを感じますし、世界的にはチンギス・ハーンやロダンなどがそうでしょうか。光太郎はこの文章で、アメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンがそうであると言っています。

口語自由詩の確立や、近代彫刻の輸入といった部分では、光太郎もそうでしょう。

現在発売中の『サンデー毎日』さん。歌人の田中章義氏による連載「歌鏡(うたかがみ)」で、光太郎の短歌を取り上げて下さいました。

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詩集『智恵子抄』に収められた「この家に智恵子の息吹みちてのこりひとりめつぶる吾(あ)をいねしめず」です。いわずもがなですが「この家」は、かつて光太郎智恵子が暮らした本郷区駒込林町25番地のアトリエ兼住居です。


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光太郎の生涯の概略、智恵子が心を病み、九十九里浜での療養を経て、昭和13年(1938)に亡くなったことなどがわかりやすくまとめられています。そして合間に同じく詩集『智恵子抄』に収められた「気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり」、九十九里での智恵子を謳った「いちめんに松の花粉は浜をとび智恵子尾長のともがらとなる」も紹介されています。

そして、「眼を閉じても浮かんでくる亡き妻を思う作者」として、「この家に……」の解説。

確かにそのように読めてしまう短歌です。龍星閣版のオリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)では、智恵子の臨終を謳った絶唱「レモン哀歌」、その葬儀をモチーフとした「荒涼たる帰宅」、さらに智恵子歿後の内容である「亡き人に」と「梅酒」のあとに短歌6首が置かれているため、自然に読めば「この家に智恵子の息吹みちてのこり」と言われると、「亡き妻」と思ってしまいます。

ところがこの短歌、初出は歌人の中原綾子が主宰していた雑誌『いづかし通信』の昭和13年(1938)9月16日号。つまり、10月5日に亡くなった智恵子はまだ南品川ゼームス坂病院で存命中です。したがって、この短歌において「眼を閉じても浮かんでくる亡き妻を思う作者」というのは当てはまりません。もっとも、智恵子が歿した後、改めてそういう思いに駆られたことはもちろんあったでしょうが。

また、この歌が詠まれた時点で、生きた智恵子がこの家に帰ってくる事はあるまい、という推測があったのか、さらにはうがった見方かも知れませんが、もはや光太郎の中では智恵子は「亡き妻」と化してしまっているという解釈も成り立つかもしれません。それを裏付けるかのように、光太郎は智恵子が亡くなった10月5日まで、5ヶ月間、病院に見舞いに行きませんでした。そのあたりはだいぶ以前にこのブログで書いております(五ヶ月の空白①。  五ヶ月の空白②。

さて、「歌鏡(うたかがみ)」の田中氏、「『智恵子抄』は日本文学史上に煌(きら)めく挽歌(ばんか)の詩集として、今後も長く読み継がれていくことだろう。」と結んでいます。そうであってほしいものですし、そうなるよう、努力して行きたいと存じます。


【折々のことば・光太郎】

随分つまらない詩から立派な音楽も出来るし、随分立派な詩からつまらない音楽も出来る。それは詩人の知つた事ではない。

散文「詩人の知つた事ではない」より 昭和6年(1931) 光太郎49歳

朋友の北原白秋や三木露風などと異なり、歌曲の作詞にあまり興味を抱かなかった光太郎ならではの言です。

最初から歌詞として作られた光太郎詩は十指に満たず、光太郎生前に既に書かれていた詩に曲が付けられたケースも多くありません。それらに対し賛辞を送っている場合がありますが、どうも社交辞令的なもののようで、本心からすばらしい歌曲が出来たと思ったことは一度もないようです。具体的な作品名は伏せているものの、自分の作詞で「つまらない音楽」を作られてしまった、的な発言もあります。

そう考えると、のちのシンガーソングライターのように、自分で詩を書き、自分で曲を付けるというのが、ある意味、本道なのかもしれません。

昨日は、隣町の成田市立図書館さんに行っておりました。目当ては福島関連の報道。自宅兼事務所や、自宅兼事務所のある香取市の図書館さんでは入手できない新聞記事をゲットしてまいりました。

まず、6月10日の日曜日に、南相馬市で開催された「第69回全国植樹祭ふくしま2018 育てよう希望の森をいのちの森を」の報道。成田市立図書館さんでは、地方紙『福島民報』さんと『福島民友』さんが閲覧できます。おそらく東日本大震災に伴う福島第一原発の事故で、成田近辺に避難してきている方がいらっしゃるということへの配慮でしょう。

記事そのものはネット上で拝読できたのですが、やはり実際の紙面でどのように扱われているか気になり、閲覧いたしました。すると、想像していた以上に大きな扱いで、驚きました。

地元の高校生たちが演じた「智恵子抄」をモチーフにしたメインアトラクションに関するページのみ、カラーコピーを取って参りました。

『福島民報』さん。見開き2ページぶちぬきで、メインアトラクションはメインだけに大きな文字で見出しが付けられていました。さらに感心したのは、「主役」の二人――光太郎智恵子――以外の樹木や大地の精と思われる大勢の生徒さんの写真も大きく掲載していること。すばらしいですね。

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『福島民友』さんはグランドフィナーレの写真をメインに据え、やはり大勢の生徒さんの姿を捉えていました。

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続いて、別件ですが、『朝日新聞』さんの福島版に載った連載記事「(お湯ぶら)県北編:4 奥岳の湯 二本松市 白い湯の花「当たり湯」」。先週水曜日・13日の掲載です。

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こちらは、館内のパソコンで『朝日新聞』さんの記事データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」が利用できるので、それでプリントアウトして拝読しました。平成27年(2015)、安達太良山の登山口にオープンした「奥岳の湯」を紹介する記事ですが、左下の部分で光太郎太郎智恵子に触れて下さっています。「ほんとの空 高村光太郎の詩集『智恵子抄』の「あどけない話」に登場する。「阿多多羅(あたたらやま)山の山の上に毎日出ている青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」。


それから、たまたまなのでしょうが、17日の日曜日、『しんぶん赤旗』さんの別刷り日曜版でも、「ほんとの空」という題名で安達太良山を大きく紹介してくださいました。写真家・西田省三氏による連載「山の季」というコーナーで、まるまる1ページ取られています。

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福島県中部に位置する安達太良山1700㍍。詩人で彫刻家の高村光太郎の詩集「智恵子抄」に出てくる智恵子の故郷の山で、「ほんとの空」のフレーズでもよく知られています。」という書き出しで始まっています。

『しんぶん赤旗』さんは、当方の住まう香取市の図書館さんでも閲覧できますが、そちらでは日曜版は外してしまっており、見られません。成田の図書館さんでは一緒に綴じて下さっていて、ラッキーでした。


「安達太良山」、そして「福島」といえば「ほんとの空」、となるよう、もっともっと「ほんとの空」の語が広まってほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

美術家にとつて七十歳代は最も豊穣の十年である。

散文「三つの死」より 昭和15年(1940) 光太郎59歳

この年、相次いで亡くなった恩師と知友三人――日本画家・邨田丹陵、元東京美術学校校長・正木直彦、彫刻家・明珍恒夫――の追悼文の一節で、邨田丹陵の項の終末近くに出てきます。

美術家にとつて七十歳代は最も豊穣の十年」。88歳まで生きたミケランジェロを念頭に置いた表現でしょうが、奇しくも光太郎自身、この12年後、数え71歳になって、生涯最後の大作、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」に取り組むことになります。

今年2月に都内で公演があった演劇が、西日本へ巡回します。 

ひとり芝居プロジェクト新作公演 立本夏山 智恵子抄

尼崎公演
 期 日  : 2018年6月26 (火)
 時 間 : 19:00~20:00
 会 場 : 兵庫県立尼崎青少年創造劇場 ピッコロシアター 兵庫県尼崎市南塚口町3-17-8
 料 金 : 前売り:2,000円 /  当日:2,500
 申 込 : 市川 080-4164-4150 mail@kazan-office.com

 期 日  : 2018年6月28 (木)
 時 間 : 19:00~20:00
 会 場 : シアターねこ 愛媛県松山市緑町1-2-1
 料 金 : 前売り:2,000円 /  当日:2,500
 申 込 : mail@kazan-office.com
 備 考 : 6月27日(水)19:30~ プレトーク&パフォーマンス開催

 期 日  : 2018年6月30 (土)/7月1日(日)
 時 間 : 6/30 19:00~20:00   7/1 14:00~15:00 19:00~20:00
 会 場 : ミニシアター蛸蔵 高知県高知市南金田28
 料 金 : 前売り:1,500円 /  当日:2,000
 申    込 : mail@kazan-office.com
 備    考 : KOCHI演劇祭参加

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話題作「智恵子抄」が早くも兵庫尼崎、愛媛松山、高知の3都市で続演される。

夏山は2014年にArt Chiyodaで行われた千代田芸術祭で太宰治の小説「駆込み訴え」を題材にした一人芝居で伊藤千枝賞を受賞するなど、文学を扱った一人芝居も多数手がけてきた。

高村光太郎の「智恵子抄」は光太郎が智恵子に出会って恋に落ちてから、同棲、結婚。闘病、死別、そしてその後、約30年にわたって書いた智恵子についての詩をまとめた詩篇である。

光太郎は彫刻家、智恵子は画家、芸術を志す者同士のお互いを求め合う、愛を越えた絆。俳優の動きを際だたせるシンプルな舞台装置、陰影に富んだ照明、洗練された舞台空間で、濃密かつ重層的に繰り広げられる言葉。

光太郎の情熱的な愛の言葉の濁流に立木夏山がどう挑んでいくのか、見どころです。


お近くの方々、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

 Shûkyôga to iwareru mono wa, mukashi kara dossari atta ga, kindai ni okeru hontô no imi no shûkyôga to iu beki mono wa Millet no “Angelus” de aru. Kore wa Shûkyôjô no gishiki ni tsukau Christ ya Maria nado no e no yô ni tada katachi dake no Shûkyôga to wa chigau. Honrai geijutsu wa mina Shûkyôteki de aru ga, kindai ni oite Millet no e hodo Shûkyôteki na mono wa sukunai.

散文「“Angelus”」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

雑誌『ローマ字』に寄せた文000章ですので、全篇ローマ字表記です。ローマ字の普及運動を展開していたこの雑誌に共鳴した光太郎、たびたび寄稿しています。上記は書き下ろしですが、詩の旧作をローマ字にしたものなども掲載されています。印刷は福音印刷。村岡花子の義父・村岡平吉が社主でした。

上記を書き下すと、以下の通り。

宗教画といはれるものは、昔からどつさりあつたが、近代における本当の意味の宗教画といふべきものはミレーの「晩鐘」である。こらは宗教上の儀式に使ふキリストやマリアなどの絵のやうにただ形だけの宗教画とは違ふ。本来芸術は皆宗教的であるが、近代においてミレーの絵ほど宗教的なものは少ない。

この後、ミレーの簡略な、しかし的を得た評伝が続きます。

「晩鐘」は、1857年頃(日本では安政年間)の作です。

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註文しておいた雑誌が届きました。  

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いわゆるタウン誌とも少し違い、「大切に守り伝えたい「いいもの・いい心」を 広島から発信する“生活文化情報誌”」と謳っています。季刊でA4判112ページとなかなかのボリュームです。主に広島県内の観光地、イベント、店舗、扱われている特色ある商品などの紹介ですが、隣接県の情報も。今号は島根県の江の川が大きく取り上げられています。

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で、広島方面とは直接の関係は無いのですが、カラーアナリスト・児玉紀子さんの連載(と思われます)「色を読む」という稿で、智恵子と光太郎をメインに扱って下さっています。題して「智恵子抄 高村光太郎」。

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主に終焉の地となったゼームス坂病院で智恵子が制作した「紙絵」についての内容で、色彩の専門家らしく、こう評されています。

闘病の苦しみの中でも、魂の中に満ち満ちていた万物の美しい色彩を、智恵子は童女のような澄んだ心になってはじめて作品の中に解き放った。その造形、色の組み合わせや重ね方、切ないくらい穏やかで優しいたくさんの紙絵を残し、智恵子はあまりにも激しく純粋に生きた人生を閉じる。

すばらしい讃辞をありがとうございます。光太郎智恵子に成り代わりまして、御礼申し上げます。

実際、智恵子の紙絵に表された造形感覚、色彩のセンスなどは、まさしく超凡。一度、千駄木の髙村家で、何枚かの現物を手に取って拝見させていただきましたが、超凡かつ「あえかな」作品の数々に、涙が出そうでした。

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さて、「智恵子の紙絵」というと、花々をモチーフにしたものが多く含まれます。そして「智恵子」→「花」とくれば、「グロキシニア」。明治45年(1912)6月、駒込林町25番地に、後に二人の愛の巣となる光太郎のアトリエが竣工した際、智恵子がお祝いに鉢植えで持参した花です。

そのうち私は現在のアトリエを父に建ててもらふ事になり、明治四十五年には出来上つて、一人で移り住んだ。彼女はお祝にグロキシニヤの大鉢を持つて此処へ訪ねて来た。(散文「智恵子の半生」 昭和15年=1940)

寄席で、大川端で/そして/ミステリアスな南米の花/グロキシニアの花弁の奥で/薄紫の踊り子が、楽屋(フオワイエエ)の入口で/さう、さう/流行(はやり)の小唄をうたひながら/夕方、雷門のレストオランで/怖い女将(おかみ)の眼をぬすんで/待つてゐる、マドモワゼルが/待つてゐる、私を―― (詩「あをい雨」 明治45年=1912)

私は淋しい かなしい/何といふ気はないけれど/ちやうどあなたの下すつた/あのグロキシニアの/大きな花の腐つてゆくのを見る様な/私を棄てて腐つてゆくのを見る様な/空を旅してゆく鳥の/ゆくへをぢつとみてゐる様な/浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ (詩「人に」 大正元年=1912)

雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く/枕頭(ちんとう)のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く (詩「亡き人に」 昭和14年=1939)

先週、わが家のグロキシニアが花を咲かせました。

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一昨年の秋、智恵子を偲ぶ第22回レモン忌の際に、お土産として会場に飾られていて、いただいて帰ったものです。あまり花屋さんなどで見かけない花なので、栽培が難しいのかと思いきや、ほっぽらかしていても元気です。

ただ、一度、悪い奴の手にかかり、葉や茎がむしられて、枯れかけました。犯人(人ではありませんが)はこいつです。

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ちょっと目を離すと、猫草がわりに鉢やプランターの植物を、囓る囓る(笑)。グロキシニアもあやうく丸坊主にされかかりました。

そこで、どんどん囓っていいよ、ということで与えたのがこちら。

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ラディッシュの鉢植えです。こちらは囓られても囓られても新しい葉を出しますので。

閑話休題。『Grande ひろしま Vol.21(2018年夏号)』、版元サイトから購入ページにリンクされています。是非お買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

パリにはロダンが現に居て、会場などでは時々見かけたが、そのアトリエを訪問する勇気はなかつた。むやみと人を訪問して、仕事の邪魔をする無作法と厚かましさとは私が父や祖父から固く戒められてゐた事である。あつかましいといふ言葉ほど江戸伝来の家系にとつて卑しまれたものはないのである。
散文「ロダンの手記談話録」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

光太郎がロダンを訪問しなかったのは、厚かましさを嫌ったのみではなく、まだ何者でもない画学生に過ぎなかった気後れもあったのではと思われます。それにしても、「むやみと人を訪問して、仕事の邪魔をする無作法と厚かましさ」を厭う美徳、「電話」と言い換えてもいいような気もします。自宅兼事務所の固定電話にかかってくる電話の半分以上はわけのわからないセールスです。あるいはあわよくば金をせしめようとする特殊詐欺も含まれているのかも知れません。

一昨日、昨日に引き続き、「ほんとの空」関連です。

まず福島の地元紙『福島民友』さんの連載記事「ふくしま湯けむり探訪」。 

ふくしま湯けむり探訪 【二本松市・奥岳温泉】 ほんとの空...抱かれて 開放感がいっぱい

 「ほんとの空」の下003、眼前に広がる雄大な自然と四季の移ろいを楽しめる露天風呂が、開放的で気持ちいいと聞いた。日本百名山・安達太良山の中腹にある二本松市岳温泉のさらに奥。曲がりくねった山道を約6キロ進み、たどり着くのが標高約950メートルに位置する奥岳温泉「あだたら山 奥岳の湯」である。
 施設は男女ともに内湯と露天風呂が各一つ。泉質は全国的にも珍しい酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、皮膚病への効能があるという。源泉は岳温泉と同じ鉄山付近にあり、約4キロの距離を引湯している。露天風呂の正面に囲いがなく、まるで自然と湯船が融合しているようだ。40人ほどが入れるという大きな長方形の湯船につかって深呼吸すると、体がすっと軽くなった気分になる。なるほど評判通りの開放感だ。
 安達太良山の標高は約1700メートルで、福島、二本松、郡山の3市と、大玉村、猪苗代町にまたがる。美しい山体が魅力的で、眺める場所によって山容が変わる。個人的には大玉村方面から眺める広々とした光景が好みだ。二本松市側のゴンドラリフトで薬師岳(標高約1300メートルほど)まで上れるため、初心者でも登りやすい。
 ◆要望に応え再開
 日本最古の和歌集「万葉集」では安達太良山について3首も詠まれ、古代の人々も印象深く捉えていた。詩人・彫刻家の高村光太郎は二本松市出身の妻智恵子との愛をつづった「智恵子抄」で、「あれが阿多多羅山~」(樹下の二人)や「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が 智恵子のほんとの空だという」(あどけない話)と触れている。
 主要登山口の奥岳には「あだたら高原スキー場」がある。1929(昭和4)年、岳温泉関係者が冬の誘客策としてスキーに着目し、開発が許可されて営業が始まった。規模拡大やリフト増設などが進んだが、運営会社が経営難に陥り、72年から富士山麓一帯の観光開発を進める「富士急行」(山梨県)に移行、新設された富士急安達太良観光(二本松市)の経営で現在に至る。
 「あだたら山 奥岳の湯」も安達太良観光が経営する。前身は77年から一軒宿として営業してきた「あだたら高原富士急ホテル」。東日本大震災で設備が壊れて廃業したが、同ホテル跡地を活用し、2015(平成27)年に日帰り湯として開業した。鷹取健二社長(51)は「富士急は地元の皆さんと手を携えて歩んできた。美しい四季が楽しめる安達太良山の魅力を広く発信したい」と意気込む。
 入湯客は登山者やスキー客ばかりかと思いきや、温泉目当ての人も多いという。「多くの人に癒やしのひとときを味わってほしい」。安斎誠支配人(53)は大玉村出身で、子どもの頃から安達太良山に親しみ、19歳から安達太良観光で働いてきた。震災後に温泉施設の営業が途絶え、再開を求める多くの声に励まされたという。利用客でにぎわう現在の光景に安斎さんは「やっぱり再開して良かった」と安堵(あんど)する。
 きょう20日は安達太良山の山開き。今年も多くの登山客の疲れを癒やすであろう湯船から「ほんとの空」を眺め、至福の時間に浸った。
 【メモ】あだたら山 奥岳の湯=料金は大人600円、子ども400円。日帰り入浴のみ。時間は午前10時~午後8時(11月中旬~4月中旬は同5時)。年中無休。
(2018/05/20)

平成27年(2015)に、中腹のロープウェー駅付近にオープンした温泉入浴施設、「奥岳の湯」が大きく取り上げられました。当方も一度入湯させていただきましたが、標高1,000㍍弱、開放感あふれるいい湯でした。


もう一件、やはり地元紙『福島民報』さんの一面コラム「あぶくま抄」、一昨日の掲載分です。

あぶくま抄 上昇気流

 米国人飛行家チャールズ・リンドバーグはニューヨークをプロペラ機で飛び立つ。正面に窓はなく、視界が遮られる構造だった。決死の挑戦は33時間余り続いた。初めて大西洋を単独無着陸で越え、パリに降りたのが91年前の5月21日だった。
 福島市在住のエアレースパイロット室屋義秀さんも初めは先行きを見通せなかったかもしれない。練習拠点のふくしまスカイパークは農産物を空輸する目的で誕生した。だが、事業はつまずく。周囲は不思議がった。なぜ負のイメージの強い場所を選ぶのか。「比較的自由に飛べるし、何より良い空だ」。屈託のない笑顔は20年前から変わらない。
 「時速400キロでガレージに駐車するようなもの」。ある選手は世界最速レースに求められる技術を、こう表現した。1000分の1秒差が勝敗を分ける。「ほんとの空」で磨いた技が過酷な世界で戦い抜く操縦を支える。
 今季も好調だ。世界に挑む「サムライパイロット」に福島からの声援が上昇気流をもたらす。26、27の両日には大会3連覇を目指して千葉の空をかける。昨年に続く総合優勝にも期待が高まる。希望の翼が今年も大きく広がろうとしている。
(2018/05/21)


「空のF1」とも言われる飛行機競技「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」の室屋義秀選手に触れられています。奈良県ご出身の室屋選手、福島を練習拠点になさっており、「ほんとの空」と切っても切り離せないというわけです。

一昨年の第3戦・千葉大会で優勝し、一躍注目を集め、昨年はなみいる強豪を抑え、年間チャンピオンにも輝きました。今年もこれまで2戦を終えて3位につけ、次戦は今週末、験のいい千葉大会です。ぜひ3連覇を果たし、「ほんとの空」の語をさらに広めていただきたいものですね。


【折々のことば・光太郎】

彼はこつこつと地味な道を歩いた。彼は中世期的写実と古典的優雅とを婚姻させた。製作技法は徹底酷烈な写実で押し通し、主題の取扱や、布置意匠などに古典の美を取り入れた。彼は地上の人間に飽くなき興味を持ち、つひに天上の夢を知らなかつたやうな彫刻家である。

散文「ドナテロ小感」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「ドナテロ」は14世紀から15世紀にかけてのイタリア人彫刻家。「ドナテッロ」、「ドナテルロ」とも表記されます。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ・ブオナローティら、ルネサンス彫刻家に先行し、彼等に影響を与えてもいます。

徹底酷烈な写実」、「地上の人間に飽くなき興味」といったあたり、光太郎の目指した彫刻の在り方にも通じるような気がします。光太郎自身も、仏像や女神像などをほとんど手がけず、「つひに天上の夢を知らなかつたやうな彫刻家」だったように感じます。

「花がさき 鳥がなき 風かおる ほんとうの空」を今年のキャッチコピーに冠した、智恵子の故郷・福島二本松に聳える安達太良山の山開きが、20日の日曜(今年は奇しくも智恵子の誕生日と重なりました)に開催されました。


NHKさんのローカルニュースから。

安達太良山で山開き

 福島県の中部にある安達太良山で山開きが行われ、家族連れなど大勢の人が登山やイベントを楽しみました。
 磐梯朝日国立公園内にある標高およそ1700メートルの安達太良山は、「日本百名山」の1つに数えられ、毎年、多くの登山客が県の内外から訪れます。
 山開きの20日、晴れ渡った青空のもと、家族連れや登山グループの一行は次々と登山道に入り、標高が高くなるにつれて残雪や氷ついている樹木が現れると、姿を変える山の景色を写真に収めていました。
また、山頂では、山開きを祝う記念のペナントが配られたり、女性登山者のコンテストが開かれたりして、にぎわっていました。
 郡山市からカップルで訪れた20代の女性は、「安達太良山の風景は、とても美しかったので、良い思い出になりました。次は磐梯山に挑戦したいです」と話していました。
また、祖母と山登りをしていた小学生の男子児童は、「初めて安達太良山に登りました。空気もきれいで楽しかったのでまた来たい」と話していました。
 警察では、例年5月ごろから山の事故が増え始めることから、事前に登山届けを出すことや、十分な装備、それに体調の管理や天候のチェックなどを呼びかけています。

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地元紙『福島民友』さんから。 

「安達太良山」山開きにぎわう 1万1000人参加、絶景を満喫

 福島県二本松市などにまたがる安達太良山(1700メートル)の山開きが20日行われ、青空の下、大勢の登山客が山頂で大パノラマを楽しみながら心と体をリフレッシュした。
 山頂付近では登山客が足元に注意しながら残雪を踏みしめ、記念イベントが開かれる山頂を目指した。友人と一緒に登山した福島市の保育士(29)は「会話をしながら楽しく登れた」と笑顔。主催者の安達太良連盟によると、山開きの参加者は昨年の1万3000人を下回る1万1000人となった。
 山頂でのミズあだたらコンテストには40人が参加。ミズに福島市の公務員遠藤由香子さん(29)、準ミズには郡山市の主婦橋本祐子さん(29)が選ばれた。遠藤さんは「同僚と来て、賞をもらえてびっくりしている」、橋本さんは「夫と2人の子どもを抱えて登ったかいがあった」と話した。

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毎年のように、一度は山頂まで登って、そこからの「ほんとの空」を観てみたいと思いつつ、まだ果たしておりません。今年こそは、と004考えております。みなさまもぜひどうぞ。


明日も安達太良山ネタで。


【折々のことば・光太郎】

製作家の側からいうと、ものを大きく見る力のあるということは一つの重要な資質(カリテ)である。ものを小さくしか見られないということは、製作家としての一つの劣性を意味する。これはむしろ製作以前の精神の特性によるものであるところにその運命的深さがある。

散文「古代エジプトの作品」より
 昭和28年(1953) 光太郎71歳

平凡社刊『世界美術全集 第四巻 古代エジプト』に寄せた作品解説4篇のうち、エジプト第四王朝時代の木彫「シエイク エル バラド」(村の有力者の像)解説中の一節です。

上記のような「大きく見る」見方が出来ている実例として紹介されています。

当方、美術の実作はやらないので、なかなか実感がわかないのですが、雄大な景観などで、「大きく見る」ことの重要性を感じることはあります。そういう意味からも、やはり安達太良山頂に行かねばと思います。

智恵子の故郷・福島二本松からの情報です。

まずは智恵子の生家・智恵子記念館さんから。

高村智恵子生誕祭

智恵子の「紙絵」の実物展示
奇跡といわれる実物の紙絵をぜひご覧ください。
期 日 : 2018年4月28日(土)~5月29日(火)
場 所 : 二本松市智恵子記念館  福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 午前9時~午後4時30分
料 金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円
      子供(小・中学生) 個人:200円 団体:150円
           ※団体料金は20名以上の利用
休 館 : 水曜日

上川崎和紙で作ろう切り絵体験
智恵子が生まれ育ち、愛した生家。中庭の庭園を眺めながら、切り絵(紙絵)体験ができます。
期 日 : 2018年5月19日(土) 20日(日) 26日(土) 27日(日)
場 所 : 二本松市智恵子の生家「奥座敷」  福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:00 ※所要時間は10~20分程度
         お一人様1回限り、材料がなくなり次第終了
料 金 : 無料 (入館料に込み)
内 容 : 智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵、上川崎和紙を使用したハガキ・しおりの制作
問 合 : 智恵子記念館 ☎0243(22)6151  文化課文化振興係0243(55)5154
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生誕祭としては、先月から今月初めに企画された智恵子生家の二階特別公開がありましたが、裏手の記念館さんでは智恵子紙絵の実物展示(通常は複製)、生家の奥座敷を使っての紙絵制作体験だそうです。


同じ時期に、智恵子が愛した「ほんとの空」の下に聳える安達太良山の山開きがありますので、併せてご紹介します。 

第64回安達太良山山開き

2018年5月20日(日)

【お問い合わせ】  安達太良連盟事務局(二本松観光協会)TEL:0243-55-5122

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◆山頂イベント◆
10:00~ ふくしまアフターDC記念山開き参加ペナント配布(先着3,000名)
11:00~ 安全祈願祭
11:20~ Ms.あだたらコンテスト(ミズ1名、準ミズ1名、入賞6名)
  (未婚、既婚は問いません。入賞者には記念品を贈呈します。)

山頂の天候次第で、途中で中止となったり、予定していた時間も変更となる場合があります。
雨天の場合は、山頂イベントは中止し、奥岳登山口入口にて8時からペナント配布、奥岳登山口(レストラ
ン「ランデブー」)で10時から安全祈願祭を行います。

◆バスでおいでの方へ◆  
岳方面の路線バスは、岳温泉止まりです。 奥岳へは、シャトルバスをご利用ください。

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今年のキャッチコピーは「花がさき 鳥がなき 風かおる ほんとうの空」。たまたまですが、当日、5月20日(日)は智恵子132回目の誕生日にあたります。


ところで上記情報、『広報にほんまつ』さんの今月号を参照させていただきましたが、その表紙がこちら。

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2016「二本松の四季」観光フォトコンテスト「春の風景」部門で入賞した作品で、タイトルは『藤とつつじのコラボ』。撮影されたのは、二本松にお住まいの宮内信雄さんです。霞ヶ城公園内の霞池畔にある智恵子の藤棚――もともとは智恵子の生家の庭先にあったもの――です。例年だと5月上旬から中旬に見頃を迎えるそうですので、あわせて足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

兎に角、芸術作品を商品だといふ観念がなくならねばいかぬ。

談話筆記「美術家と生活」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

作品を売って金儲けをし、自宅や庭を俗物根性丸出しに飾る美術家への批判、国や自治体が美術家を支援し、美術家はそれに応えて社会に貢献するシステムの構築、といったことにも言及されています。

智恵子の紙絵は、智恵子が心を病んで南品川ゼームス坂病院に入院してからの作でした。そこには金銭といった感覚は一切なく、純粋な造型への欲求、そして光太郎に見てほしいという願い、それのみでした。ある意味、これぞ芸術、でしょう。

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