カテゴリ: 智恵子

昨日に引き続き、智恵子の故郷、福島二本松ネタで。

まずは例年行われている、生家の2階部分の特別公開について、『広報にほんまつ』さんから

智恵子の生家2階特別公開

通常、非公開としている生家2階の一部を公開します。また、立ち入りを制限している座敷等を開放します。ぜひ、足をお運びいただき、当時、智恵子が暮らした旧長沼家の雰囲気を堪能してください。

会 期 10月10日(土)~11月23日(月・祝)のうち土日祝日の16日間 9:00~16:00
※2階を除く智恵子の生家・智恵子記念館は、通常通り平日も開館しています。(水曜日休館)
入館料金 
 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円 
 子ども(小・中学生) 個人:210円 団体:150円
※団体料金は20人以上の利用で該当します。
※身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳または療育手帳をお持ちの方は、無料です。(手帳をご提示ください。)
・来館の際にはマスクの着用と検温の実施にご協力ください。
・来場者が多い場合には、皆さまに安全で安心して観覧していただくため、人数制限をさせていただく場合があります。
◎問い合わせ… 智恵子記念館☎(22)6151文化課文化振興係 ☎(55)5154 Fax(23)1326

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それから、広報には記載がなかったのですが、隣接する智恵子記念館では、智恵子の紙絵の実物の公開も始まります(通常は複製の展示のみ)。今日、10月8日(木)~11月24日(火)までだそうです。

続いて、夏場にも行われていた観光タクシーの半額キャンペーン。地方紙『福島民友』さんの記事から

【二本松】秋の二本松、名所巡りやすく 観光タクシー通常の半額

 秋の観光シーズンに合わせ、二本松市では10月、公共交通機関が充実され、市内を訪れる行楽客に錦秋に彩られた二本松の魅力を味わってもらう。
 市内の観光名所を巡る「観光タクシー」を通常の半額で利用できるサービスを開始。観光タクシーの料金は一般利用の運賃よりも割安に設定されているが、その半額を二本松市が助成してさらに利用しやすくする。
 JR二本松駅と岳温泉を発着で市内を巡る10コースを想定。小型(4人乗り)の場合、二本松駅発着で霞ケ城公園や智恵子の生家記念館などを巡る「智恵子抄探訪」は5千円(通常1万円)、岳温泉発着で両施設に加え、東北サファリパークなどを訪れるのが6千円(同1万2千円)など。
 運行する昭和タクシーと丸や交通に予約する。二本松駅の乗降客は、駅構内のタクシー運転手に相談してもらえば対応する。来年2月28日まで。
 予約、問い合わせは昭和タクシー(電話0243・22・1155)か、丸や交通(電話0243・22・2744)へ。

他に、こんな記事も

【二本松】安達太良山の紅葉楽しんで 二本松駅と岳温泉、奥岳を結ぶ臨時バス

000 秋の観光シーズンに合わせ、にほんまつ観光協会と福島交通は3日から11月3日までの土、日曜、祝日に限り、安達太良山の紅葉を楽しむ行楽客のために、JR二本松駅と岳温泉、奥岳登山口を結ぶ臨時バス「奥岳臨時便」を運行する。
 臨時便は、同駅~岳温泉~奥岳登山口で運行する1便と、岳温泉~奥岳登山口を結ぶ往復計4便。
 運賃(中学生以上)は、二本松駅~奥岳登山口が800円、同駅~岳温泉が500円、岳温泉~奥岳登山口が300円。
 問い合わせは同協会(電話0243・24・5085)か、同社二本松営業所(電話0243・23・0123)へ

コロナ感染には十分気をつけつつ、ぜひご利用下さい。

さらに、市内各所の店舗が参加してのスタンプラリー(
総額100万円の賞品が抽選で当たるそうで)も開催中。そちらについてはまた改めてご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

今月はまたフランスでも革命記念日があり、お祭りの月です。フランスも盛んです。街の道に舞台を作って、そこで楽隊が音楽を始めます。また、踊りも始まります。フランスでは誰でもが楽器をやれるというほどに、大衆のものになっています。
談話筆記「高村光太郎先生説話 二四」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳

「今月」は7月です。およそ40年前、パリで過ごした日々を懐かしみ、もう一度行きたいと思い続けながら40年、しかしもう二度と行けないだろうという寂しさも裏側に隠されているような気がします。

一昨日、10月5日(月)は智恵子忌日「レモンの日」でした。例年ですと、それに最も近い日曜日というわけで、今年なら10月4日(日)に、智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集いが開催されるはずでしたが、やはりコロナ禍のため中止……。

しかし、「レモンの日」に合わせて智恵子の故郷・福島の地方紙『福島民友』さんが長い記事を掲載して下さいました

【高村光太郎の詩集】智恵子抄 心にずっと...古里の『ほんとの空』

「これがほんとの空だよ」
 こんなテレビCMが2007(平成19)年1~3月に放映されたのを覚えているだろうか。
 女優の宮崎あおいさんが出演したNTTドコモ東北の人気シリーズの第3弾。水面がきらめく阿武隈川の悠久の流れと、青空に稜線(りょうせん)が映える安達太良山の遠景を一緒に望める二本松市の智恵子大橋で、携帯電話を手にする愛らしい姿が記憶に残る。
000 「ほんとの空」。今では本県の豊かな自然を表す言葉だが、本来は安達太良山上空に広がる青空を指す。同市出身の洋画家高村智恵子の死後、夫で詩人、彫刻家の高村光太郎が著した詩集「智恵子抄」に収録された「あどけない話」に由来する。東京での暮らしに疲れた智恵子が古里への思いを吐露した時に言った。

 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空がみたいといふ。
 (中略)
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。

古里に深い愛
 智恵子抄は、光太郎が亡き妻への鎮魂の思いを込め1941(昭和16)年出版した。智恵子との純愛が詩と散文でつづられ、この中で光太郎は、彼女が一年のうち3、4カ月は郷里に帰っていたことを述懐し、病気をしても実家に帰省することで平癒したと書いている。その彼女が東京と古里の違いを表現したのが青い空。あどけない話からは、智恵子が古里を深く愛していたことが感じ取れる。
 光太郎はほんとの空をどんな思いで見たのだろうか。
 同じ智恵子抄の詩「樹下の二人」には「みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ」の歌が添えられており、詩の舞台がどこかという論争もあった。しかし研究が進み旧油井村(二本松市油井)の智恵子の生家に近い鞍石山に落ち着いた。
 光太郎と智恵子は1919(大正8)年、彼女の父長沼今朝吉の一周忌法要に参列するため、彼女の生家から山向かいの長沼家菩提寺(ぼだいじ)「満福寺」まで、鞍石山の山道を歩いている。
 智恵子の顕彰活動を展開するレモン会長の渡辺秀雄さん(88)=二本松市=は、寺の近くに住む知人が祖母から聞いたという話を紹介してくれた。「棒を持った大柄な人(男性)がいて驚いた。しゃがんでいたので気付かなかったが、洋服を着た女の人がすっと立ち上がったからまたびっくりした」と。それがその時の光太郎と智恵子だった。

赤子のように
 鞍石山には智恵子の杜(もり)公園が整備され、二人が歩いた道程のうち生家から山頂までが「愛の小径(こみち)」と命名された。光太郎の気持ちを感じてみようと、その道を妻と一緒に歩いてみた。
 公園入り口の急な石段を上ると、稲荷八幡神社に出る。境内には智恵子が「熊野大神」と揮毫(きごう)した石碑がある。境内奥の道に進むと、木立が優しく包んでくれた。木々の息吹を感じながら歩く緩やかな坂道は、優しい気持ちになる。少し疲れた様子の妻に歩調を合わせた。二人で雑談を交わしながら歩いたはずの光太郎も、病気がちの智恵子を気遣い、ゆっくりと歩を進めたに違いないと想像できた。
 鞍石山の頂上に、光太郎の直筆を刻んだ「樹下の二人」詩碑がある。木々の青葉の向こうに遠く安達太良山が望める。振り返ると阿武隈川もわずかに眺めることができた。

 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。
 (中略)
 ここはあなたの生れたふるさと、
 この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。

 思い詰めると他の一切を放棄しても悔やまない性格で、自分への愛と信頼の深さが乳飲み子のよう。これが光太郎の智恵子像。その異常なまでの純真さにひかれた。この実感が樹下の二人の詩を生んだ。
 造り酒屋に生まれ、何不自由ない生活を送った智恵子が、光太郎と結婚し明日の食べ物にも困る苦しい生活を強いられた。光太郎の創作に邪魔にならないよう、自分の芸術活動を削り家事に尽くした。誰もが清純で純愛に生きた女性だと理解する。
 でも渡辺さんは「智恵子は恋の駆け引きができた人」と話す。渡辺さんによると、光太郎が千葉県の犬吠埼に写生に出掛けた時、智恵子は妹らと3人で追い掛け、滞在先を突き止めると、妹たちに「帰っていいよ」と言った。渡辺さんは「妹をだしに使った」と考えていて「光太郎の気持ちをつなぐ作戦だった」と指摘する。智恵子の意外な一面に驚かされた。
 智恵子は亡くなる数時間前、光太郎が持参したレモンを喜んで食べた。だから10月5日は「レモン忌」。きょうは82回目の智恵子の命日だ。智恵子抄を開いてゆかりの地を探してみるのもいい。

 【アクセス】智恵子の生家・智恵子記念館と、智恵子と光太郎が歩いた「愛の小径」がある智恵子の杜公園へは、車の場合、東北道二本松インターチェンジから国道4号を経由して約10分。鉄道、バスの場合は、JR二本松駅から八軒まで約10分。
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 【高村智恵子】1886~1938年。明治時代末期から大正時代にかけての、当時としては珍しい女流洋画家で、1911(明治44)年創刊の平塚らいてうらによる婦人運動の雑誌「青鞜(せいとう)」の表紙絵を描いたことでも知られる。彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)と結婚後も油絵などの創作活動を続けた。病に侵されてからは病院で千数百点に上る紙絵を制作、智恵子の名を広く知らしめた。
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 【智恵子の生家、智恵子記念館】油井村漆原(現・二本松市油井)の造り酒屋で生まれた智恵子。生家は、屋号が「米屋」で、清酒「花霞」を醸造した。生家は智恵子の父の死後、事業の不振などで廃業したが、明治初期に建てられた当時の面影をそのままよみがえらせ、一般公開している。10日~11月23日の毎週土、日曜と祝日は智恵子の部屋がある2階が特別公開される。生家の裏庭には今、酒蔵をイメージした智恵子記念館がある。奇跡といわれる智恵子の美しい紙絵や当時の女性としては珍しい油絵などを展示する。8日~11月24日には「青い魚と花」など紙絵の実物が公開される。
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冒頭に紹介されているNTTさんのCM、以前のこのブログでご紹介しましたが、動画と画像をコピペしておきます。

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ガラケーが一周回って逆に新鮮ですね(笑)。

智恵子生家裏山の
「愛の小径」、「熊野大神」碑、「樹下の二人」碑など、昨年のレモン忌の後に歩きました。レポートはこちら。レモン忌は中止となってしまいましたが、来月には市民講座(上記CMにも出演されている「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催)講師をやることになっており、久々に行って参ります。

レモン忌を主催されている智恵子の里レモン会・渡辺会長の談話がいいですね。「智恵子は恋の駆け引きができた人」(笑)。千葉銚子の犬吠埼についても触れて下さり、ありがたく存じます。はじめに智恵子が妹・セキ、友人・藤井ユウとともに泊まったのが御風館、元々光太郎が滞在していて、のちに智恵子も同宿したのは暁鶏館です。

智恵子生家2階部分の公開等については、明日のこのブログにてご紹介いたします。


【折々のことば・光太郎】

山口はなかなかいいところです。人里からあまり遠くもないし、そばだと困りますが、ちょうどいいところで、とてもいい感じです。

談話筆記「高村光太郎先生説話 二三」より
昭和26年(1951) 光太郎69歳

「山口」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花卷郊外旧太田村山口地区。たしかに「山奥」というほどの場所ではありませんでした。

おそらく光太郎、ここにも「ほんとの空」があると感じていたのではないでしょうか。

テレビ番組の再放送をご紹介します

にほんごであそぼ「過ちて…」

NHK Eテレ 2020年10月7日(水) 6時35分~6時45分/17時00分~17時10分

日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら『日本語感覚』を身につける番組。言葉を覚え始めるお子さんから大人まで、あらゆる世代の方を対象に制作しています。今日は…野村萬斎/過ちて改めざる これを過ちという「論語」、名台詞かるた・ひつじのメェ~台詞/僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、あいだのじいさん「車のサイドミラーのあいだ」、うた「たのしやかぶき~夏祭~」

出演
美輪明宏 野村萬斎 中村勘九郎 中村勘太郎 中村いてう 中村仲助 池田鉄洋 万作の会
中尾隆聖 ほか

9月23日(水)に本放送がありました。
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光太郎詩「道程」(大正3年=1914)の書き出し「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」。まずは「名台詞かるた」というコーナーで。

続いて「ひつじのメェ~台詞」というコーナーでも。
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ひつじ役は俳優の池田鉄洋さんなのですが、なぜひつじなのか、よくわかりません(笑)。

続いてBS放送で、昨年、初回放映があったものです

偉人たちの健康診断 選「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」

NHK BSプレミアム 2020年10月8日(木)  23時45分~24時45分

太平洋戦争前夜の1941年、一冊の詩集「智恵子抄」がベストセラーとなった。彫刻家・高村光太郎が、画家を目指す妻・智恵子との出会いから死別までの27年間の愛の軌跡をつづった純愛詩集だ。そこには、夫・光太郎をこよなく愛しながらも数奇な運命に見舞われた智恵子の、心と体が発するSOSが記されていた! そして、ついに心を病んでしまった智恵子の心を、夫のもとにつなぎとめた奇跡の○○○とは? 時代を超えた純愛物語!

出演 関根勤 カンニング竹山 榊原郁恵
解説 郷原宏 河村正二 宮崎良文 池淵恵美
司会 渡邊あゆみ
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全体としては非常にいい作りになっていたのですが、「智恵子が色覚異常であった」と、ほぼ決めつけてしまっていたのが残念でした。

再現ドラマなどの部分は、当方も制作のお手伝いをさせていただき、平成27年(2015)にNHKさんの地上波総合テレビで放映された「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」とのシェアで、前田亜季さんが智恵子役でした。
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ぞれぞれご覧になっていない方(既にご覧になった方も)、ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

「詩を見てください」とよく頼まれます。しかし、僕は見ないことにしています。利己的で自分を認めてほしいというのかもしれません。「どこかに紹介してください」という虫のいい話をする人もいます。

談話筆記「高村光太郎先生説話 二〇」より
昭和25年(1950) 光太郎68歳

素人の詩など読んでいる暇はない、というより、静かに暮らしている山小屋まで押しかけてくる厚かましさへの辟易でしょう。

智恵子の故郷・福島は二本松がらみです。

まず、彼の地で智恵子顕彰に取り組んでいらっしゃる智恵子の里レモン会さんから会報が届きました。
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表紙の集合写真を含め、昨年10月の智恵子を偲ぶ第25回レモン忌のレポートが中心です。

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今年はコロナ禍のため中止だそうで、実に残念です。4月の連翹忌の集いも中止にいたしまして、その頃はレモン忌では皆さんに会えるだろう、と思っていたのですが……。

来年以降に期待します!

ついでといっては何ですが、地方紙『福島民友』さんの記事をご紹介します。光太郎智恵子には直接関わりませんけれど

魅力的オリジナル商品 道の駅安達「智恵子の里」・二階堂貴子さん

004【二本松】特産物や名所など訪問先の魅力と出合える道の駅。その中で上下線ともに施設があるのは珍しい。上り線に紙すきが体験できる和紙伝承館、下り線に広い芝生広場などがあり、それぞれ異なる楽しみ方もできる。

 「行きたいと思う魅力にしたい」。オリジナル商品の開発に取り組み、年に5、6品を送り出す。

 今月には2商品を発売した。その一つが「野菜チップス」。7種の野菜を素揚げし、純米大吟醸の酒かすで作った「酒塩」で味を調えた。売れ行きは好調。「人に贈りたいと思ってもらえるよう味にこだわる。ぜひ食べてみて」。

 市内には安達とふくしま東和、さくらの郷と道の駅が三つある。これらを巡るスタンプラリーも開催中。「施設ごとに地域の特色があり、その魅力を確かめてほしい」とアピールした。

8月30日(日)の掲載でした。智恵子生家/智恵子記念館にほど近い道の駅安達「智恵子の里」の近況ですね。先月のこのブログでご紹介した「コロナに負けず! 地域元気回復! 豪華景品が当たる!にほんまつグルッと一周スタンプラリー」の件にも触れられています。


さらについでといっては何ですが、もう1件、その前日のやはり同紙から

伝統の「上川崎和紙」で自分の卒業証書 安達中3年生が紙すき

003 安達中3年生は26日、二本松市・道の駅安達「智恵子の里」内の市和紙伝承館で、千年以上の歴史を持つ地元の工芸品「上川崎和紙」で卒業証書を作る手すき体験に取り組んだ。

 同校は地元の伝統技術に親しむことを目的に毎年、3年生が自分の卒業証書を制作する。本年度は109人で、このうち3年2組の27人は、市和紙伝承館の地域おこし協力隊の菅野公幸さんの指導で、紙すきに挑戦。

 砕いたコウゾが入れられた水槽ですき桁を揺すり和紙をすいた。紙に厚みを出すため生徒たちは紙を3度すいて1枚の卒業証書の紙に仕上げた。

 上川崎地区から通う生徒(14)は「一生の思い出になる卒業証書なので緊張して最初は失敗したけど、最後は上手にできた」と笑顔を見せた。その上で「多くの人に紙すきを体験し、上川崎和紙を知ってほしい」とアピールした。

上川崎和紙を使っての卒業証書づくり、地域の伝統工芸の伝承にもつながるわけで、いい取り組みですね。

11月には彼の地で市民講座の講師を仰せつかっており、久しぶりに行って来る予定です。今後、新たにパンデミック的な事態にならぬことを心から祈念いたしております。


【折々のことば・光太郎】

世界はうつくし   短句揮毫 昭和22年(1947) 光太郎65歳

005埼玉県東松山市の教育長を務められていた故・田口弘氏旧蔵(現在は同市に寄贈)の色紙から。

昭和22年8月23日、花巻郊外旧太田村の山小屋で揮毫されたもの。田口氏はこれに先立つ同19年(1944)、南方への出征に際して駒込のアトリエを訪問、同じ句と「うつくしきもの満つ」の揮毫を貰い、さらに 日章旗へ署名をしてもらったそうです。しかし、南方戦線で氏の乗った輸送船が撃沈され、三点の書は海の藻屑となってしまいました。戦後、無事復員された氏が太田村の山小屋を訪ね、再度揮毫をして貰ったうちの一点です。
 詩の題名としては「美」を漢字で書いた「世界は美し」という詩(昭和16年=1941)があるのですが、ひらがなで「うつくし」と書いたものは他に類例を確認できていませんので、短句として登録しました。
 戦時中と、戦後になってから、それぞれの時点で光太郎がどういう思いで「世界はうつくし」と書いたのか、実に興味深いところです。

昨日は青森十和田湖での「第55回十和田湖湖水まつり2020」についてご紹介しましたが、同じくランタン打ち上げを伴うイベントです。 

期 日 : 2020年9月5日(土)、12日(土)、19日(土)、22日(火祝)
会 場 : あだたら高原リゾート レストハウス前 福島県二本松市奥岳温泉
時 間 : 18:00 受付開始 19:30 ランタン配布・説明 20:00 ランタンリリース
      20:30 終了予定
料 金 : スカイランタン1基 3,000円(税込)

 今回初の試みとなるこのイベントは、50万球のイルミネーションが煌めくあだたら高原の夜空に、願いを込めてたくさんのスカイランタンを浮かべる来場者参加型のイベントで、イルミネーションの輝きと相まって、ここでしか見られない幻想的な光景が広がります。
 使用するランタンは、株式会社スターリーナイトカンパニー(本社:兵庫県神戸市)が開発したもので、四角柱の和紙の中に特殊仕様の風船が入っており、さらにその中にLEDが入っています。風船に充填されたヘリウムガスで空高くまで浮かび上がりますが、糸と重りをつけており、回収できるため環境にも優しく、火を使わないことから安全性も高いランタンです。
 初秋の夜を彩る「スカイランタン」と「イルミネーション」の競演にご期待ください。

参加方法 予約制(各実施日前日までに予約申込。各日先着50名様限定)
申込先  富士急安達太良観光株式会社 TEL:0243-24-2141(9:00~17:00)

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案内にあるとおり、 8月1日(土)より開催されている「あだたらイルミネーション」とのタイアップ企画です。
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光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)中の「ほんとの空」の語を冠して下さり、ありがたく存じます。

コロナ禍による鬱勃たる気分、こうしたイベント等を通して晴らしていただきたいものですね。

明日も二本松/安達太良山ネタで。


【折々のことば・光太郎】

本物を創る為には本物にとらわれてはいけない。本物にとらわれて、本物に似せようとすると、本当の造型にはならないで、おもちやになつてしまう。

講演会筆録「炉辺雑感」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

「彫刻は、蝉なら蝉を創るにしても一遍蝉から離れて、別の立場に立つて創らなければならない。そうすることによつて、はじめて蝉が模写にもおもちやにもならず、本当の蝉となることができる。」と続きます。

光太郎、万物の造型を貫く天然自然の理法、そういうものに思いを馳せなければ、彫刻は不可能だといいます。

「本物の影のようなもの、泡みたいなものを掴んでこれが彫刻だと喜んでいる人も少なくないが、僕らはそんなものは彫刻と思えない」そうで。

智恵子の故郷、福島は二本松からキャンペーン情報です。 

開催期間 : 2020年8月8日(土)~2020年10月11日(日)
応募期間 : 2020年10月20日(火)まで

参加方法
 道の駅安達智恵子の里上り線 道の駅安達智恵子の里下り線 
 道の駅ふくしま東和 
道の駅さくらの郷 安達ヶ原ふるさと村 
 上記の各施設で、1会計につき500円以上のご利用でスタンプがもらえます。
 ※コンビニは除く

 スタンプラリー応募には、上記の施設のスタンプ3コ以上の押印が必要です。
 (道の駅ふくしま東和と道の駅さくらの郷は必須となります)

景品
 パーフェクト賞 170名様 スタンプ5コ/岳温泉宿泊券など
 がんばったで賞 80名様  スタンプ3コ以上/二本松市特産品など
 応募者の中から抽選により賞品をプレゼントします。
 発表は、当選通知または賞品の発送をもってかえさせていただきます。

応募方法
 スタンプが集まりましたら、応募票に必要事項を記入し、各施設窓口で確認を受けスタッフにお渡しください。各施設の確認を受けていない応募票は無効とさせていただきます。

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二本松市内4カ所の道の駅と、安達ヶ原ふるさと村さんの5カ所で500円以上の買い物をしてもらえるスタンプを、専用の用紙で集めて回るというものです。

チラシの周辺観光施設等紹介には、智恵子生家/智恵子記念館や、その裏手の鞍石山などの案内も。

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ご都合のつく方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

この四五年、夏になるときつと繰返し読む書物が二つあります、一つは『維摩経』。鬱蒼とした此の思想の森林を縦横に歩き廻る快味は比類少なく、殊に其のてきぱきした問答からは凉風がまき起るのを感じます。

散文「維摩経、自選日記」より 大正13年(1924) 光太郎41歳

「維摩経」は全編戯曲的な構成の中に旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗仏教の「空」の思想を説いた仏典です。

「凉風がまき起る」なら読んでみようかな、という気にもなりますね。というか、この紹介の仕方が絶妙というべきですか。

もう一冊挙げているのは、アメリカの詩人、ウォルト・ホイットマンの「自選日記」。光太郎の訳が『白樺』などに掲載され、大正10年(1921)には単行書として刊行されました。ここではその原典を指しているのでしょう。

全国31局のコミュニティFM局でオンエアされているラジオ番組で、「仮面女子 雪乃しほりのワクワクサワー」という番組があるそうです。

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そちらで、「智恵子抄」へのオマージュ的な「ほんとうの空・青い空」というラジオドラマが放送されるそうです。ネット局によって放送日時が異なりますが、8月17日(月)~8月23日(日)にかけてとのこと。


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画像クリックで拡大します。


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オンラインでも、ウェブサイト/スマホアプリの「ListenRadio(リスラジ)」を使えば聴取可能のようです。

ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

日本画なんか日本で威張つてゐるけれども、向ふの絵の側に持つていつて見ると、影法師で、薄つぺらで、見られやしない。さういふことがわかつて来て、それで本格的な絵ができて来る。

座談会筆録「菊池寛・尾崎士郎・高村光太郎文化鼎談」より
昭和16年(1941) 光太郎59歳

6月18日の収録です。この日に行われた大政翼賛会中央協力会議に各界代表として出席し、発言した菊地・尾崎と共に行った座談会の筆録から。

光太郎の日本画嫌いは筋金入りで、他にも同様の発言は多々見られます。実際、戦後になると、東山魁夷ら新しい日本画家は、西洋画に伍する新しい日本画の創出に腐心したわけで、その意味では光太郎の予言通りになったということになります。

J-POPアーティスト米津玄師さんのニューアルバムが発売されます。 

2020年8月5日(水) ソニーミュージック

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通常盤 CD only ¥3,000+税  おまもり盤 初回限定CD+ボックス+キーホルダー ¥4,500+税
アートブック盤 初回限定CD+Blu-ray or DVD+アートブック ¥6,800+税


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CD
 01. カムパネルラ
 02. Flamingo  ソニーワイヤレスヘッドホンCM
 03. 感電  TBS系金曜ドラマ「MIU404」主題歌
 04. PLACEBO + 野田洋次郎
 05. パプリカ
 06. 馬と鹿  TBS系日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」主題歌
 07. 優しい人
 08. Lemon TBS系金曜ドラマ「アンナチュラル」主題歌
 09. まちがいさがし
 10. ひまわり
 11. 迷える羊  カロリーメイトCM
 12. Décolleté
 13. TEENAGE RIOT  ギャツビーCM
 14. 海の幽霊  映画「海獣の子供」主題歌
 15. カナリヤ

Blu-ray・DVD(「アートブック盤」のみに収録)
 LIVE VIDEO 米津玄師 2019 TOUR / 脊椎がオパールになる頃
  01. Flamingo / 02. LOSER / 03. 砂の惑星 / 04. 飛燕 / 05. かいじゅうのマーチ /
  06. アイネクライネ / 07. 春雷 / 08. Moonlight / 09. fogbound / 10. amen / 11. Paper Flower /
  12. Undercover / 13. 爱丽丝 / 14. ピースサイン / 15. TEENAGE RIOT / 16. Nighthawks /
  17. orion / 18. Lemon / EN1. ごめんね / EN2. クランベリーとパンケーキ / EN3. 灰色と青

MUSIC VIDEO
 01. Lemon / 02. Flamingo / 03. TEENAGE RIOT / 04. 海の幽霊 / 05. パプリカ / 06. 馬と鹿


問題は(って、問題があるわけではないのですが(笑))、「Lemon」。米津さんご自身、「智恵子抄」収録の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)からのインスパイアもあるかもしれないとおっしゃっています。


ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

唯のほほんとした明るさでは困るが内に確かな覚悟を持つた上、百難を踏み越える心の明るさをほのぼのといつも身につけてゐることは、今日のやうな時代には殊に望ましい。その明るさはおのれ自身を好ましいものにさせると同時に、その周囲にゐるものをまで何となく心ゆたかにさせる。真の明るさは無敵である。

散文「『職場の光』詩選評 十二」より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

「今日のような時代」は戦時中という意味ですが、コロナ禍の現在にも通じるような気がします。

先週金曜日、それから昨日と、隣町の成田市立図書館さんに行っておりました。同館では今月からほぼすべてのサービスが復旧、国会図書館さんのデジタルデータ閲覧が可能となったためです。同データ、「図書館送信資料」ということで、自宅のPCでは見られない資料も、提携しているこうした大きめの公立図書館さん等で閲覧が可能です。国会図書館さん自体も再開はしましたが、入館は事前に抽選などと面倒な状態ですし、何より都内はまだコロナが怖いので、成田に行きました。

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デジタルデータでは、『高村光太郎全集』及びその補遺たる「光太郎遺珠」未収録だった戦前の光太郎短歌について、さらに光太郎に関する回想文(今秋発行予定の『光太郎資料』掲載のため)などについて閲覧、コピーをとってきました(そのあたり、おいおい紹介していきます)。

ついでに、新聞のコピーも。少し前の話になりますが、『毎日新聞』さん夕刊に詩人の和合亮一氏が月イチで連載されている「詩の橋を渡って」。5月28日(木)掲載分です。『毎日新聞』さん、当方、購読はしていません。こうした場合、朝刊なら市内のファミレスに行って購入(なぜかコンビニには置いてありませんで)、夕刊はそちらでも販売していないので、翌日以降、当方居住地の市立図書館さんでコピーをしていました。しかし、居住地の市立図書館さんは未だに閲覧やコピー等のサービスが再開して居らず、これも成田頼みとなりました。ちなみに毎日さんのサイトでは有料会員限定閲覧可です。

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詩の橋を渡って 生の喜び 真っすぐに

 東京の空はいつもこまぎれ

 それでもお前は 生きてる喜びつげる
 この小さな空は私だけの空

 世界を襲った新型コロナウイルスの猛威により、社会や命の意味をすぐ隣にあるものとして考えざるを得なくなった気がする。不要不急の外出は避けて、人と交わらない努力をして暮らしていった日々。「3密」や「ステイホーム」「巣ごもり」などのキーワードが頻出してそれに示されるかのようにして、お互いに警戒しながらじっと耐える日々を送った。緊急事態宣言が全面的に解除となっても、油断は許されない。
 家の中でずっと本を開いていた。読書に没頭することで支えられる何かを追い求めたいと思った。思えば九年前の東日本大震災の折に、原発が爆発した後で放射能の心配からやはり外出は出来なかったが、その時と同じような静けさと寂しさを強く感じた。人間が恋しいという感情に似ている。ブッシュ孝子の詩集『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は』(新泉社)を読み、毎日に緊張し続けていた心が揺すぶられた思いがした。

 「素直なことばで/本当のことだけを語りたい」。このフレーズは初めて詩を書いた日に記したものである。詩人は二八歳でがんで亡くなった。これは闘病中に記された唯一の詩集である。逝去する五カ月前から書き始められた詩が収められている。一つ一つに生き様を教えられるかのような気がした。この詩句も初めの日に記している。「美しい言葉が次々と浮かび出て/眠れぬ夜がある/新しい詩が次々と生れでて/ 眠れぬ夜がある」。
 病の進行の不安にさいなまれながらも、こんなふうに創作の泉と出合っている姿がある。詩を書く人のみならず言葉を文学を愛する者の原点を見た思いである。読み耽(ふけ)りながら、心の中にせせらぎが生まれているような気がした。ウイルスに脅(おび)える日常に心がすっかりと渇いてしまっていることに初めて気づかされたのである。問いたくなった。詩を書くこと、生きることを願う気持ちが真っすぐに伝わる詩を、私は今書いているだろうか。

 「東京の空はいつもこまぎれ」。病室から見える都会の空の印象。高村光太郎の「 智恵子抄」の詩の一節「智恵子は東京に空が無いという」を思わせる。「 それでもお前は 生きてる喜びつげる/この小さな空は私だけの空」。室内に籠もる暮らしの中で窓が映す建物の影の間の空に生の喜びを見つけるまなざしがある。小さな風景と共に限られた歳月を生きる。「この空だけは誰にもあげない」。 真っすぐな眼(め)の先に詩と命の宿りを信じた。
 「かかえきれない歳月が/春の嵐に吹きつけられ/ きょうもまた傷口をひろげる」。たかとう匡子の新詩集『耳凪(な)ぎ目凪ぎ』(思潮社)。それでありそれではない何かを描き出すかのようにして日々の光景が独特の技法で描かれる。コロナ禍、東日本大震災、熊本の地震……、春の訪れと共に近年に経験した厄災。神戸の詩人がとらえた今が見える気がした。「鳥が石になり魚が砂になった過酷な時代/ といった詩人がいた」。言葉の警鐘が鳴る。=和合亮一(詩人)=毎月第4木曜掲載

ブッシュ孝子さん。懐かしい名前を目にしたな、という007のが第一印象でした。学生時代にその唯一の著書にして遺稿詩集の『白い木馬』(サンリオ出版 昭和49年=1974)を古本屋で購入、拝読したからです。ブッシュさんと言っても、元々日本の方で、「ブッシュ」はドイツ人の旦那さんの姓です。やはり昭和49年(1974)、ガンのため28才の若さで亡くなっています。

購入したきっかけは、萩原英彦氏という作曲家の方が、ブッシュさんの詩に曲をつけた合唱組曲「白い木馬」を作られ、それを聴いて「ああ、これ、いいな」と、そういうわけでした。

しかしなぜ、今、ブッシュ孝子さん? と思ったら、『白い木馬』が再刊、というか、未発表の作品も収録、『暗やみの中で一人枕をぬらす夜は ブッシュ孝子全詩集』として新たに刊行されていました。今000年4月のことです。寡聞にして存じませんでした。解説は若松英輔さんだそうで。

’70年代に注目された詩人が、21世紀に入って20年経とうとする現在、こうして再評価されるというのも稀有な例かと存じます。まぁ、それだけいいものだというのは有るのですが、やはり、優れた作品を次の世代に受け継ごうという、関係者の皆さんや、作品に惚れ込んだ方々のご努力の賜といえましょう。

当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、「どんなにすぐれた芸術家の作品であっても、次の世代の者がそれを後世に受け継ぐ努力をしなければ、やがて歴史の波に呑み込まれ、忘れ去られてしまう」と、いつも語られ、当方もその受け売りをあちこちで話したり書いたりしていますが、まさにそういうことなんだな、と、改めて思いました。


【折々のことば・光太郎】

彫刻はむずかしいもので、中にあるものが出て来なければ、おみやげ人形と同じだ。
座談会「高村先生を囲んで」より 昭和27年(1952) 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、花巻郊外旧太田村での蟄居生活を打ち切り、上京する直前に、親しかった村人たちと送別会を兼ねた酒宴が行われ、その席上での発言です。

「中にあるものが出て来なければ」。造形芸術に限らず、詩でも同じですね。

最近手に入れた古いものシリーズです。

大正8年(1919)12月発行、『福島高等女学校同窓会報告』第拾四号。76ページある冊子です。「同窓会報告」と言っても、イベントとして旧交を温める「同窓会」の報告ではなく、組織としての「同窓会」の活動報告等です。

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同校は、智恵子の母校。明治34年(1901)、生まれ育った安達郡油井村(現・二本松市)の油井小学校高等科を卒業し、第3学年に編入しました。この時、智恵子数え16歳です。卒業は同36年(1903)3月、卒業式では総代として答辞を読みました。4月には上京して日本女子大学校普通予科に進学しています。

智恵子に関して何か記述があるのでは、と思い、購入しました。すると、智恵子の書いた文章などは載っていませんでしたが、同窓会員の名簿に智恵子や妹たちの名。

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智恵子は高村姓で記載されていました。この時点では入籍していない(入籍は統合失調症が昂進した昭和8年=1933)事実婚だったのですが、雑誌等に寄稿した智恵子の文章等、やはり高村姓となっており、不思議ではありません。「同」は「明治36年=1903卒」という意味での「同」です。

上の画像で、右から2人目~4人目、「長沼ミツ」、「関本ヨシ」、「長沼セツ」が、智恵子の妹たちです。

智恵子が長女でミツは三女。智恵子の6歳下です。ミツの「同」は「明治42年=1909卒」の意。智恵子より早く大正2年(1913)に結婚しましたが、夫のDVがひどく、大正7年(1918)には二人の子を連れて実家に帰っています。したがって、旧姓の「長沼」で名簿に載っていました。二人の子のうち、上の子が、のちに南品川ゼームス坂病院で智恵子の最期(昭和13年=1938)を看取った春子。戦後になって、光太郎が間を取り持ち、詩人の宮崎稔と結婚しました。ミツ自身は結核を患い、大正11年(1922)に数え31歳の若さで歿しています。

ヨシは四女。明治28年(1895)生まれで智恵子より9歳下です。高等女学校は大正2年(1913)に卒業しています。智恵子の幼なじみ・関本ツギの弟の雄助と大正6年(1917)に結婚しましたが、こちらも昭和2年(1927)、数え33歳の若さで亡くなっています。産後の肥立ちが悪かったそうです。ちなみに筑摩書房『高村光太郎全集』他に掲載されている家系図では、ヨシの歿年齢を「29歳」としていますが、誤りです。計算が合いません。

五女はセツ。大正7年(1918)の卒業名簿に名がありました。のち斎藤新吉と結婚、昭和4年(1929)の長沼家破産後、千葉九十九里に落ち着き、母・センを引き取った他、同9年(1934)には半年余り、智恵子を自宅で療養させていました。

長女の智恵子以外にも、三女から五女まで、皆福島高等女学校の卒業だったのですね。この件は初めて確認できました。ちなみにセツの下にさらに六女のチヨがいたのですが、こちらは同校在学中に髄膜炎で急逝しています(大正8年=1919)。したがって同窓会名簿には載っていません。

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ここで疑問が一つ。「次女はどうした?」。次女のセキは、智恵子より2歳下。智恵子と同じく日本女子大学校を卒業しています。ただ、智恵子は家政学部でしたがセキは教育学部でした。さらに言うなら、日本女子大学校を卒(お)えてから、東京高等女子師範学校の保育実習科に編入したらしく、明治45年(1912)の卒業生名簿にその名が見えます。ところが福島高等女学校の同窓会名簿にはその名がありません。

考えられる理由は二つ。

一つは、除籍されてしまった可能性。セキは大正4年(1915)、半ば逐電するように渡米しました。その背景には、漱石門下の小宮豊隆と不倫の関係となり、子をなしてしまったということがあります。その子は智恵子の同級生だった上野ヤス(旧姓・大熊、上記画像に名を載せました)の婚家(静岡沼津)で産み、里子に出されたそうです。そうした経緯から、除籍処分となった可能性が考えられます。智恵子に『青鞜』の表紙絵を依頼した女子大学校の一年先輩・平塚らいてうも、やはり漱石門下の森田草平との心中未遂事件が元で、女子大学校同窓会の桜楓会から除籍されています(のちに復権)。

もう一つの可能性は、姉妹の中でセキだけが他の高等女学校に進んだということ。こちらの方が確率は高いのかな、という気がします。ただ、当時、県内の高等女学校は福島にしかありませんでしたので、そこでないとすると日本女子大学校の附属高等女学校ではないかと考えられます。そしてそのまま女子大学校に進んだ、と。平塚らいてうもそのコースでした。

このあたり、情報をお持ちの方はコメント欄等よりご教示いただければ幸いです。

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こちらは明治41年(1908)頃の、平穏だった時期の長沼一家。この幸福そうな様子が長続きしなかったのかと思うと、胸が痛みますね……。


【折々のことば・光太郎】

わたつみに敵をうつ  短句揮毫  昭和19年(1944) 光太郎62歳

平成16年(2004)頃、都内ご在住の藤尾正人氏のお宅に拝見にあがりました。氏が海軍に出征される際、日章旗に寄せ書きをして貰ったうちの一人が光太郎で、この一言を書いてくれたそうです。

詳しくはこちら

幸い、氏は無事に復員できましたが、同じように光太郎の元を訪れてから出征し、還らぬ人となった若者も多数いたわけで、そういった意味では光太郎の「負の遺産」の代表例です。

智恵子の故郷、福島・二本松に聳える安達太良山。やはり新型コロナの影響で、今年はいろいろと例年どおりではありません。

二本松市さんの広報誌『広報にほんまつ』の7月号、5月17日(日)に行われた第66回山開きについて報じています。 

第66回安達太良山山開き 神事で登山客の安全を祈る

 今年の安達太良山山開きは、規模を縮小し、5月17日、あだたら高原スキー場ランデブーで神事のみが行われました。
 この日は、福島県で新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言が解除された後の初めての日曜日で、例年に比べると登山客の姿は少なかったものの山登りを楽しむ姿が見られました。


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新聞報道はこちら

もう1件。「オンライン」やら「リモート」やらが流行ですが、安達太良山でも。 

安達太良山好き必見!5月にオンラインで開催した「スナックひかりと」、第2回は千功成とくろがね小屋のコラボです⛰✨

先代からの思いを引き継いで完成した銘柄「甑峰」について、山小屋の仕事について… 一緒に楽しくトークしましょう🥰

▽ゲスト 檜物屋酒造 社長・杜氏 齋藤一哉さん くろがね小屋小屋番 田畠翔さん
▽MC 二本松市地域おこし協力隊 丸田陽加里(ひかりママ)
▽日時 7/10(金)19:30〜21:30
▽定員 40名(先着順で受付いたします)
▽ご参加にあたって(必ずお読みください)
・参加者は「檜物屋酒造のお酒」もしくは、二本松の酒造産のお酒を出来るだけご用意して飲み会にご参加ください。
・Zoomオンラインでの開催です。先着40名様に当日、飲み会IDとパスワードをお送りします。
・ご利用環境等は参加者ご自身にて設定してください。設定等のお問い合わせはご遠慮ください。
・参加者はオンライン飲み会のマナーを厳守の上、ご参加ください。

▽お申し込み 
下記フォームよりお申し込みください。 https://forms.gle/ddADPMTk1uysjWRn7

▽「スナックひかりと」とは?
地元の人と「ヨソモノ」の交流の場を作りたい!という思いから、岳温泉で地域おこし協力隊として活動する、お酒好きのまるちゃんこと丸田ひかりがママをつとめる一日限定スナック。今年2月に第1回を開催しましたが、コロナウイルスの影響で現在開催を延期しています。5月にオンラインで大七酒造とコラボトークを行いました。

▽ひかりママからメッセージ
コロナウイルスの影響でFace to Faceのコミュニケーションが難しい状況ですが、逆に普段話せない人とも繋がることができるのが、オンラインの良いところでもあります。ぜひこの機会に二本松の魅力をよりディープに知っていただくと共に、アットホームな人との繋がりを感じられるイベントにできれば嬉しいです😊

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ご興味のある方、ぜひどうぞ。

上記、岳温泉観光協会さんのサイトで見つけた情報ですが、同じサイト内でこんなページも。 

智恵子抄に詠われた「ほんとの空」がクリームソーダになりました😊💕

どこまでも続く青空と雲をイメージして作られています☁チーズケーキ工房カフェ風花にてぜひお試しください🥤✨

阿多多羅山の上に毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
 高村光太郎「智恵子抄」より

ほんとの空と言われる、安達太良の空。そんな空をイメージしたソーダができました。どこまでも青い空を映したような「あおぞらソーダ」爽やかなアップルソーダです。バニラアイスはまるで空に浮かぶ雲のよう。溶かしながら色の変化も楽しめます。植物由来の着色料を使った青色です。

甘酸っぱいクランベリーソーダを使った「ゆうぐれソーダ」も😘

カフェ・テイクアウト両方で販売中です🥤

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チーズケーキ工房カフェ風花」さんは、岳温泉か003ら土湯温泉さん方面に向かう「ミドルライン」(国道459号線)沿い。岳温泉さんの中心街からはやや離れた場所です。住所は二本松市大関438-7。

秋には市民講座の講師を仰せつかっていますので、二本松に参ります。その際にでも堪能してこようと存じます。


【折々のことば・光太郎】

動勢  短句揮毫 昭和初期 光太郎45歳頃

筑摩書房さん『高村光太郎全集』、それからその補遺たる「光太郎遺珠」、ともに「短句」という項を設けています。主に書作品として色紙などに揮毫されたものから採っています。

基本方針としては、単語一語のみのものは除外、詩文から抜粋したものも除外、その色紙なら色紙にしか書かれていないというものを登録しています。

ただ、この「動勢」は例外としました。単語一語のみですが、この「動勢」という語、『ロダンの言葉』の翻訳に際し、仏語の「mouvement」の訳語として光太郎が創出した語です。「動き」、「流動感」といった意味と、彫刻の周囲を回ることで刻々変化する輪郭線を表すのにも使われています。

右は光太郎の実弟・豊周と親しかった染色工芸家・広川松五郎の旧蔵で、広川が軸装したものです。

イラストレーター・ただまひろさんのツイート「『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』」が話題になっています。

Yahoo!さんのニュースサイトから。 

飲み会に部活?『世界がもとに戻ったらしたいこと』ツイートに反響、自粛の我慢を希望へ変換

『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』と題した漫画のツイートが、大きな話題となったイラストレーター・ただまひろさん(@mappy_pipipi)。同ツイートは31.1万のいいねを集めたほか、「コロナが終息したら、みんなは何したい?」という問いかけに応えたユーザーから、多くの「したいこと」が寄せられ、1000件以上のコメントが付いた。この漫画に込めた思い、自粛生活を送るユーザーへのメッセージを聞いた。

■31.1万の“いいね”集めた漫画、大反響の裏に「みんなの我慢」

――『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』をツイートしようと考えたきっかけは?

【ただまひろさん】私にできることは、「自粛しよう」と注意喚起するよりも、漫画を読んでくれた方にこの先の楽しいことを想像してもらい、それを実現するために今がんばろうと感じてもらうことだと思い、公開しました。

――漫画の中には11個の「したいこと」が描かれていますが、どんなことを意識して制作したんですか?

【ただまひろさん】「したいこと」はもっといっぱいあると思いますが、自分がしたいことや、周りの人がしたいと言ってることを選びました。またイラストについても、読者の方が自分に当てはめて読めるように、一つのキャラクターを使うのではなく、いろんな人を描きました。

――“いいね”はもちろん、多くの人が自分のしたいことを書いてリプライしています。

【ただまひろさん】想像以上のたくさんの「したいこと」があって、今みんなが我慢してるんだと改めて感じました。みんなのしたいことを絶対できるようにするために、今一人一人ががんばらないといけないと思います。

――ただまひろさんは、イラストレーターのほかにクレープ屋でも働かれているとか。やはり、コロナの影響を感じますか?

【ただまひろさん】そうですね。今何も影響がないという人はいないと思います。いつまで続くのかわからない状態でストレスが溜まりますが、誰かのせいにはしたくないなと思っています。

■バイト先のクレープ屋にもコロナの影響、「誰かのせいにはしたくない」
――今回にしても、クレープ屋のお客さんを描いた漫画にしても、絵や言葉にとても温かみがありますね。描く際に心がけていることは何でしょうか?

【ただまひろさん】ありがとうございます。ちょっと笑えてホッとするものを目指してるので嬉しいです。一人一人思うことは似ていたとしても、まったく同じわけではありません。自分は良かれと思って描いたとしても、誰かを傷つけてしまうかもしれない。そういうことがなるべく無いように心がけています。

――多くの反響がありましたが、SNSで作品を発信することの良い点、また大変だと思うことはありますか?

【ただまひろさん】良い点は、実際に会ったことがない人にも作品を見てもらえたり、自分では想像できなかった考えを知れる点です。誰でも見られて何でも言えるのが良いところですが、それが大変な面でもあると思います。

■嘆いてもどうしようもない、「家でどう楽しく過ごすか考えることにシフトチェンジ」

――『世界がもとに戻ったらしたいことまとめ』の最後には「したいことを楽しみに過ごそう!」とありますが、まさにゴールデンウイークも自粛生活となっています。ユーザーへ何か伝えたいことは?

【ただまひろさん】私も、旅行や帰省など色々と計画を立てていました。もう近場にも行けない状態ですので、家でお菓子作って食べて筋トレしての繰り返し...の予定です。どこにも行けないのを嘆いていてもどうしようもないので、今は家でどう楽しく過ごすか考えることにシフトチェンジするほうがいいと思います。

――ちなみに、ただまひろさんの一番したいことは?

【ただまひろさん】まずは帰省して両親や祖父母に会いたいです。あとは友だちと集まって、ごはんや飲み会をパーッとやりたいです!

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したいことを楽しみに過ごそう!」というポジティブな考え方がいいですね!

当方も、「① 集まって、飲み会したい」、「③ お祭りに行く」、「④スーパー銭湯とサウナに行きたい」、「⑥ 旅行する」、「⑪ 普通の生活を送りたい」あたりはまさに当てはまります。

それ以外に是非やりたいこと、というか、今、やれなくて困っていることなのですが「図書館系で調べものをしたい」と思っています。

少し前に、このブログで紹介すべきネタが不足している、と嘆いたところ、メールで情報提供があったり、ネットでいろいろ調べている中で網にかかった情報があったりしています。で、その情報について詳しく調べたり、ご教示いただいた資料を閲覧したりしたいのですが、主要な図書館系はどこも休館中……。困っています。

例えば、当方と同じ千葉県ご在住で、連翹忌にもよくご参加いただいている方から、ご自宅近くだという千葉県文書館さんの情報をご提供いただきました。こちらは「県の行政文書や古文書などの資料を収集保存し、その活用を図るとともに、県の行政に関する情報を提供する施設」だそうですが、こちらにローカルテレビ局・チバテレさん制作の「房総プロムナード」という番組がDVDで保存されていて、視聴できるというのです。

同番組、現在は制作は終了しているようですが、'90年代末、'00年代くらいのものは、時折、再放送されています。ご教示いただいたのは、それより古いもので、2本。まず、昭和52年(1977)制作の「文学散歩 九十九里の浜」。こちらに当時存命だった智恵子の妹・斎藤セツが出演しているというのです。セツは昭和4年(1929)の智恵子実家・長沼家の破産後、あちこち転々としたのち、九十九里に夫や子ども、そして母・センと共に落ちつき、昭和9年(1934)には、半年余り、心を病んだ智恵子を引き取っていました。その智恵子の思い出を語っているということで、これはぜひ見てみたいと思っております。写真はいくつかの資料に載っているのですが、動画となると、見たことがありません。ちなみに下記は昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん、丹波哲郎さん主演)のパンフレットから。

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また、平成2年(1990)制作の「文学散歩 ~九十九里町~」。こちらには、智恵子が療養していた斎藤家(田村別荘)が紹介されているとのこと。やはり「智恵子抄」の故地、という扱いです。この建物は移築・保存されていたのですが、平成11年(1999)、感情的な行き違いが元で、突如、取り壊されてしまって今は見ることが出来ません。


それから、他の方からの情報提供で、どうも『高村光太郎全集』未収録の短歌が載っているらしい雑誌についても教えていただきましたし、先述の通りネットでいろいろ調べている中で網にかかった情報もあります。

そうした場合、平時であれば国会図書館さん、日本近代文学館さん、神奈川近代文学館さんなどに出向いて調べるのですが、三館とも休館中です。

昨日の政府見解では「図書館や公園の再開は容認」ということですが、個々の館の対応等まだ不透明ですし、たとえ再開しても、そこまで行くためには公共交通機関を利用しなければならず、結局はまだ当分無理でしょう。国会図書館さんのデジタルデータは、自宅兼事務所のPCで見られるものもありますが、当方が必要とする情報はほぼ「国立国会図書館内限定」か「図書館送信資料」。後者であれば隣町の成田市立図書館さんで見られますが、こちらも休館中(GW中、臨時に開館という話でしたが、PCの置いてあるフロアは閉鎖)……。

まったく、困っています。

それから、自分で自分に腹が立っていることが一つ。

当会として年2回発行しております『光太郎資料』、次号(智恵子命日の10月5日発行予定)の執筆にかかっているのですが、そのために必要な資料(光太郎と交流のあった詩人・風間光作執筆の回想)が見あたらなくなってしまっています。読んだ記憶が確かにあるので、書庫の蔵書のどこかに転載されているはずなのですが、いったいどの本に載っていたのか、忘れてしまいました。

言い訳させていただければ、書庫はこういう状況でして……。

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4畳半の部屋ですが、三方が作り付けの書棚(20年ほど前、現在の自宅兼事務所を新築した際に造ってもらいました)、それ以外にも通常の本棚を置いてあります。書棚は天井が吹き抜けですのでやけに高く、9段、天板の上まで使っているので10段です。蔵書がどれだけ冊数があるのか、数えるのは早々にやめてしまいました(笑)。書物以外に、上記の図書館さん系で取ってきたコピーなども多数。何処に何が書いてあるかほぼ頭に入っているのですが、どうしても今探している文章が見つかりません。

元は戦時中の雑誌に載っていたことが分かっていますので、やはり平時であれば、国会図書館さん等に出向いてすぐコピーが取れますが、いかんせん、主要な図書館さん系はこぞって休館中……。まいっています。

そんなわけで、「世界がもとに戻ったらしたいこと」、当方は、まず「図書館系で調べものをしたい」です。やっぱり、変わり者なのでしょうかね(笑)。

さて、皆さんの「世界がもとに戻ったらしたいこと」は何でしょうか? そして、ただまひろさんのツイートにある通り、「「したいことを楽しみに過ごそう!」ですね。


【折々のことば・光太郎】

美しきものをおさむ   短句揮毫  昭和24年(1949) 光太郎67歳

東北大学総長を務めた結核学者・熊谷岱蔵の描いた画帖を収める箱のための箱書きとして揮毫しました。

上記当方書庫、6:4、いや、7:3くらいで古書の方が多いと思います。中には100年以上前のものも。となるとかなりボロボロだったりもしますが、そこに描かれている内容は、光太郎の詩文をはじめこれもまた、まごうかたなき「美」です。

新型コロナの影響で、イベントの中止や延期が相次いでおりますが、「高村智恵子 生誕祭」、とりあえず二本松市さんの広報誌『広報にほんまつ』今月号に予告が出ています。 

高村智恵子 生誕祭

智恵子が生まれ育ち、愛した生家。中庭の庭園を眺めながら、切り絵(紙絵)体験ができます。智恵子の世界を身近に感じてみませんか。

上川崎和紙で作ろう智恵子の紙絵 
智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵から、上川崎和紙を使用したハガキ・しおり作成ができます。   
開催日時 5月16日(土) 17日(日) 23日(土) 24日(日) 30日(土) 31日(日)
     9:00~16:00(生家・記念館の開館時間内)
場 所 智恵子の生家「奥座敷」
内 容 智恵子の紙絵をモチーフとした切り絵・上川崎和紙を使用したハガキ・しおりの制作
     ※所要時間は10~20分程度
     ※料金は入館料に含まれます。

智恵子作「紙絵」実物展示公開
奇跡といわれる実物の紙絵をぜひご覧ください。
展示期間 5月26日(火)まで

展示場所 智恵子記念館

◎ 問い合わせ…智恵子記念館    ☎(22)6151 Fax(22)6151
            文化課文化振興係 ☎(55)5154 Fax(23)1326



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例年ですと、4月からの智恵子の生家二階部分の公開も、「高村智恵子 生誕祭」の一環としての実施でしたが、今年はやはり新型コロナの影響で、様子を見ながら小出しにしているという感じでしょうか。上記紙絵体験も、場合によっては中止ということも考えられます。

中止といえば、同じ『広報にほんまつ』には、安達太良山の山開き、山頂でのイベントが中止という記事も出ていました。

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ただ、例年山頂で行っている登山002者の安全を祈願する安全祈願祭は、奥岳登山口で10時から関係者のみで行うと、二本松観光連盟さんのサイトにありました。それから、これも例年楽しみにしている方が多い、ペナントの配付に関しては、「山開き当日以降、各登山口で随時配布予定です。(状況により変更となる場合あり)」だそうです。

日本山岳・スポーツクライミング協会や日本勤労者山岳連盟など山岳関係の4団体が、「事態の収束まで山岳スポーツ行為を厳に自粛してほしい」と呼び掛ける声明を、先月下旬に発表したことを受けての措置でしょう。

美しいポスター、フライヤーまで完成していて、誠に残念ですが、仕方ありませんね。

ちなみに昨年の様子はこちら

コロナ騒ぎの終息が少しでも早く訪れることを、本当に心待ちにしております。


【折々のことば・光太郎】

美に生く   短句揮毫   戦後期?

彫刻や絵画による造型の美、主に詩による言葉の美、そしてその二つの美を融合させた「書」と、生涯「美」を追い求め続けた光太郎ならではの一言ですね。

一昨日の『しんぶん赤旗』さんの日曜版。「たび」という連載で、福島二本松の智恵子生家とその周辺が大きく紹介されました。

たび ほんとの空がある 智001恵子の生家 福島・ 二本松

 福島二本松(にほんまつ)市を訪れました。市内油井(ゆい)の旧奥州街道沿いに、彫刻家・詩人の高村光太郎(1883~1956)の妻であり、詩集『智恵子抄』で知られる高村智恵子の生家と記念館があります。
 智恵子は福島県安達(あだち)郡油井村の大きな造り酒屋の長女として生まれ、油井小、福島高女を経て東京の日本女子大学に進学。生家の表玄関には屋号の「米屋」と酒の銘柄「花霞(はながすみ)」の看板が掲げられ、軒には新酒の醸成を伝える杉玉が下がっています。「昭和4(1929)年に長沼家が破産し人手に渡った家屋や土地を、平成初めに旧安達町が買収し、明治初期の建物を修復・保存しました」と市教育委員会文化課・池田高広さん。
 智恵子が愛聴したベートーベンの「田園」が流れる屋内は、1・2階合わせて18間もある重厚な町屋造りです。智恵子の居室は2階の2間でした。智恵子が実際に使っていた琴や蓄音機、はた織り機もあります。
 日本女子大在学中に油絵を描き始めた智恵子は卒業後、太平洋画会研究所に通い、洋画家を目指しました。光太郎と出会ったのもこのころです。
 記念館展示で特に目をひくのは、智恵子が描いた油絵「花(ヒヤシンス)」「静物」、デッサン画「男性裸像」「ミロのビーナス像」です。智恵子が統合失調症を発症し、東京のゼームス坂病院に入院したのは1935年。38年に  同病院で肺結核で死去するまで、千数百点の紙絵を制作しました。記念館は実物24点を所蔵。「通常は複製の展示ですが、春と秋期間限定で実物を10点ずつ展示します」と池田さん。
 記念館の脇道から石段を上り稲荷八幡神社へ。境内に「熊野大神」と刻まれた石碑があります。毛筆の才もあった智恵子が書いた文字です。さらに智恵子と光太郎お気に入りの散策路だった鞍石山(くらいしやま)山頂への道を登りました。一帯は「智恵子の杜公園」です。
 西に標高1700㍍の安達太良山(あだたらやま)、南に阿武隈(あぶくま)川を望む高台があります。「あれが阿多多羅山(あたたらやま)/あの光るのが阿武隈川」。光太郎の詩「樹下の二人」の舞台になった場所です。帰郷するたびに智恵子を癒やしたのが、安達太良山の上に広がる空でした。
 二本松駅前の老舗うなぎ屋で「ランチうな丼」を食べ、安達太良山麓の岳(だけ)温泉に1泊しました。
 ツルシカズヒオ
おことわり 新型コロナウイルス感染拡大防止のために、各地で外出自粛が呼びかけられています。本欄は「緊急事態宣言」発令前に取材したものです。


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同紙では、よく智恵子の生家周辺を紹介して下さっています。平成30年(2018)6月17日には「山の季 ほんとの空」という題名で、安達太良山。同年9月30日には同じ「たび」の連載で「智恵子の生家と「ほんとの空」」。それぞれ大きな記事でした。

少し前にも書きましたが、新型コロナの影響で、なかなか「ぜひ足をお運び下さい」とは書けないのですが、いずれ騒ぎが終息した後、「ぜひ足をお運び下さい」。


【折々のことば・光太郎】

凡そ何事に限らず随所随時之を筆録し置かざれば年と共に忘却する事あるを免れず。よし忘却する事なしとするも其楽ミや己れ一個人に局して他人に感ぜしむる事あたはず。されば心ある人にして日常の所見所感を筆にのこし置かざる者ある事無し。

雑纂「『大原海岸』あとがき」より 明治38年(1905) 光太郎23歳

『大原海岸』は、母・わかと弟・豊周、同じく孟彦、妹・よしの4人が房州大原(いすみ市)を旅行した際、光太郎が弟妹に命じて紀行文を書かせ、製本したものです。

要するに「日々の記録をとっておくと、備忘のために良いし、たとえ自分が忘れなくても、他人がそれを読めばその時々の感懐が共有できる」ということですね。

もうすぐこのブログも9年目に突入します。そこで、当方も時折上記のようなことを考えます。

例年、この時期と、秋の菊人形の時期に行われている、福島二本松の智恵子の生家、2階部分の特別公開が始まります当方、何度か智恵子の居室を含む2階に上がらせていただきましたが、まさしく智恵子の息吹が感じられる貴重な体験でした。

追記 やはり新型コロナのため、4月13日から約1ヶ月、休館だそうです。

智恵子の生家2階特別公開

期 日 : 2020年4月4日(土)~5月6日(水)の土・日・祝日
会 場 : 智恵子の生家 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:00
休 館 : 公開期間中無休
料 金 : 大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円 
      子供(小・中学生) 個人:210円 団体:150円

      智恵子記念館との共通観覧券 

智恵子を育んだ「生家」の2階を、特別公開します。智恵子が暮ら した旧長沼家の雰囲気をご堪能ください。5月には生誕祭を予定 しています。

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昨年までは、この時期に「高村智恵子生誕祭」として予告され、生家2階の公開もその一環という位置づけでしたが、今年は新型コロナの影響でしょうか、「生誕祭」については詳細未定のようで、生家2階の公開のみ先行して実施されるようです。ついでにいうなら、昨年まで運行されていた福島交通さんの臨時バス「二本松春さがし号」、今年はやはり新型コロナの影響で中止だそうです。

ちなみに生家2階公開の記事が載った『広報にほんまつ』の今月号、表紙を含め巻頭4ページが「ほんとの空にさくら舞う」と題し、市内の桜の名所の紹介になっています。

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智恵子生家裏の「智恵子の杜公園」006も取り上げられています。光太郎の名も。ありがたや。

「ほんとの空にさくら舞う」は、昨年4月に開催された「2019全国さくらシンポジウムin二本松」のキャッチコピーでしたが、それを転用しているようです。

桜も種類によってはまだまだ楽しめるようですし、生家2階の公開と併せ、「ぜひ足をお運び下さい」といいたいところですが、昨今、なかなか気軽にこの言葉を使えなくなってしまい、実に残念なところです……。


【折々のことば・光太郎】

大した失策をした事もないのですが、宿屋で室を間違へるのが昔からの私の癖で、十数年前、直江津の「いか権」で隣室の人のご馳走を自分の晩食と思つて喰べてしまつたり、東山温泉で芸者とお客とねてゐる室へ飛び込んだ位のところです。

アンケート「旅の失策話」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

いやいや、こういうのを「大した失策」というのですよ、光太郎さん(笑)。

同じアンケートの続きの部分では「一体宿屋の部屋位、人を馬鹿にしたものはないでせう。十六番と十七番を間違へるのに何の不思議がありますか。」と、逆ギレもしています(笑)。

静岡から演劇公演情報です。 

劇団静火実験公演『売り言葉』

期 日 : 2020年2月23日(日)
会 場 : 
人宿町やどりぎ座 静岡市葵区人宿町2丁目5-2 SOZOSYAキネマ館2F
時 間 : 15:00~16:00 19:00~20:00
料 金 : 一般 2,000円 25歳以下 1,000円

作 野田秀樹  演出 大石明世 ​出演 滝沢麻友・山内梓未


劇団静火実験公演 演目は...野田秀樹 作 「売り言葉」!! 是非観劇にいらしてください!

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智恵子を主人公とする野田秀樹さん作の演劇「売り言葉」。初演は大竹しのぶさんにより、平成14年(2002)に行われました。プロアマ問わず人気の演目のようで、昨年は、確認できている限り全国で6件上演され、今年に入っても既に1公演がありました。本来、登場人物は智恵子だけの一人芝居ですが、それを二人芝居にしてみたり、会場を凝った場所にしてみたりと、いろいろ工夫が為されています。

 evkk(エレベーター企画)『売り言葉』。
 サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』。
 thee第13回公演『売り言葉』。
 劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」。
 林亜佑美 一人芝居 売り言葉 他。
 演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉。
 thee第13回公演『売り言葉』(追加公演)。

これを通じて、光太郎智恵子の世界に興味を持って下さる方が増えることを期待します。

今回、どんな感じでやられるのか、不明ですが、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

人種の問題は今日まだ理論以上の力を持つ。人類は此の偏見を是非とも何とかせねばならぬ。この偏見が何に因って起るかの真理を糺さねばならぬ。たゞ道徳的なお説教のみでなしに。

散文「ヘルプの生活」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

明治39年(1906)から翌年にかけてのニューヨーク生活回顧録の末尾です。自身の被差別体験を元に、こう結んでいます。

およそ90年前に書かれた警句ですが、90年経っても状況はいっこうに変わっていませんね。

福島からイベント情報です。 

ふくしまイレブンめぐり スタンプラリー2

期 日 : 2020年2月8日(土)~3月15日(日)
会 場 : 福島圏域11市町村の道の駅・直売所
      福島市 二本松市 伊達市 本宮市 白石市 桑折町 国見町 川俣町 大玉村
      飯舘村 米沢市

福島圏域11市町村の道の駅や直売所をめぐるスタンプラリーを開催いたします。

台紙には1市町村で1個のスタンプを押してください。
ただし、福島市(①~③)と二本松市(④~⑦)はいずれか1箇所で押してください。

各スタンプ設置施設や各市町村庁舎等に設置されているチラシ兼台紙を入手して参加ください。
11市町村のスタンプをすべて押された方はA賞に応募できますが、チラシに記載されている情報をもとに12個目のスタンプが置いてある施設を探し当てスタンプを押せれば、パーフェクト賞も受け取ることができます。(先着500名まで賞品が豪華です)
各賞に必要なスタンプが貯まったら、スタンプ設置地点の回収ボックスに投函するか、台紙に切手を貼り郵便で応募ください。

賞品
A賞 スタンプ11個(全市町村制覇)
    5、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各1名)計11名
B賞 スタンプ7個以上 
    2、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各1名)計11名
C賞 スタンプ5個以上 
    1、000円相当の各市町村特産品等(11種類、各3名)計33名
パーフェクト賞 スタンプ12個
    パーフェクト達成者全員に粗品をプレゼント。
    また、先着500名には福島圏域11市町村の特産品もプレゼント。

問い合わせ先 福島圏域連携推進協議会事務担当(福島市農業振興課内)
 電話 024-529-7663 (平日8時30分~17時15分)

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福島市とその周辺、16カ所の道の駅や直売所等に設置されたスタンプを集めるスタンプラリーです。隣県の宮城、山形も巻き込んでいます(笑)。大規模ですね。

智恵子の故郷、二本松市には4カ所にスタンプが置かれていますが、うち2カ所は智恵子生家/智恵子記念館さんに近い「道の駅安達智恵子の里」さん。国道4号線をはさんで、上り線側と下り線側で別個の施設となっており、スタンプも2つゲットできます。

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上り線側の紹介には、「高村光太郎の詩「智恵子抄」で有名な安達太良山が一望できます。」の語も。

上下線ともども、これまでもさまざまな光太郎智恵子がらみのイベントの会場となったり、智恵子関連の新商品の開発販売に取り組んで下さったりで、ありがたい限りです。

福島圏域の皆さん、ぜひチャレンジしてみて下さい。


【折々のことば・光太郎】

世の中で一番好きなのは温泉なんです。箱根や伊香保なんぞのやうなのでなく、湧き出してくる野天の湯に浸つてゐたらどんなにいゝかと思ふ。塚原卜伝みたいな家を建てゝ年を取つたらさういふ所へ行き度いと思つてゐる。年を取つたらさうした所へ行くやうな気がする。東京を追ひ出されて――。

談話筆記「〔生活を語る〕」より 大正15年(1926) 光太郎44歳

およそ20年後にそのとおりになるとは、この時点で真剣にそう考えていたとも思えないのですが、不思議なものです。

新刊です

レジェンド文豪のありえない話

2020年1月1日 株式会社ダイアプレス 定価891円+税

総勢六十余名の神をも恐れぬご乱痴気!
酒癖、絡み症、女癖、我執…。文壇の先生方は一癖二癖、三癖が普通。そのくせ弱くて「死にたい…」とぽつり。そんな先生方の哀しくも過激でおもしろすぎるアンビリーバブルな言行録!!

〇明治の困った文豪たち
・坪内逍遥 ・夏目漱石 ・正岡子規 ・森鴎外 ・幸田露伴 ・広津柳浪 ・尾崎紅葉
・国木田独歩 ・樋口一葉 ・島村藤村 ・田山花袋 ・徳田秋声 ・泉鏡花 ・与謝野晶子

〇大正の小粋な文豪たち
・有島武郎 ・永井荷風 ・石川啄木 ・萩原朔太郎 ・芥川龍之介 ・谷崎潤一郎
・直木三十五 ・菊池寛 ・武者小路実篤 ・志賀直哉 ・内田百閒 ・室生犀星
・岡本かの子 ・佐藤春夫

〇昭和の微妙な文豪たち
・宮沢賢治 ・井伏鱒二 ・横山利一 ・江戸川乱歩 ・夢野久作 ・川端康成 
・梶井基次郎 ・小林多喜二 ・林芙美子 ・堀辰雄 ・中原中也 ・中島敦 ・ 坂口安吾
・檀一雄 ・太宰治 ・幸田文 ・大岡昇平 ・織田作之助 ・埴谷雄高 ・安部公房
・三島由紀夫


〇コラム
・明治文豪相関図 ・大正文豪相関図 ・昭和文豪相関図 ・文豪たちがしたためた恋文
・文豪たちのエロ妄想 ・文学と性表現 ・文豪たちのこだわり ・戦後小説と文壇の流れ

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「文豪」たちの、どちらかというと人間くさいエピソードの数々を、一般向けに堅苦しくなく紹介するものです。光太郎は目次の大項目に入っていませんが、コラム「文豪たちがしたためた恋文」で、大正2年(1913)、結婚前の智恵子に宛てた光太郎からの書簡が紹介されています。また、佐藤春夫ら、交流のあった「文豪」の項で名前が挙げられていたり、「相関図」に組み込まれていたりします。

肩のこらない書きっぷりですが、どうしてどうして意外と鋭い指摘(光太郎に関しては「狂気を孕んだ愛」の一言)や、ある種のタブーへの挑戦的な部分(狂信的ファンの間では神格化されている宮沢賢治が、実は春画コレクターだったことの紹介など)もあり、一種の「文春砲」のような(笑)。

ぜひお買い求めを。


【折々のことば・光太郎】

恋愛だけには人工的な理性が加はらない。昔からたつた一つ、人間の姿が生き生きして出て来るものは恋愛である。恋愛と云ふものは罪悪だとか、人間の精力をつぶして了ふとか、危険なものだとか、盲目なものだとか云ふ風に解釈するのは皆功利的な解釈の仕方である。

談話筆記「恋愛――結婚の話――」より 大正2年(1913) 光太郎31歳

こう語った頃、光太郎は智恵子との恋愛の真っ最中で、密かに上高地への婚前旅行を共謀していた時期でした。

昨日のこのブログで、智恵子を主人公とした野田秀樹氏作の演劇「売り言葉」が、智恵子の故郷・福島二本松で上演されることをご紹介しました。今年はなぜか「売り言葉」が人気で、各地で上演が相次いだのですが、さすがにもう今年は打ち止めだろうと思っていたところ、まだありました。昨日になって気がつきました。 

演劇創造ユニット [フキョウワ] 第一回公演 売り言葉

期 日 : 2019年12月21日(土)/12月22日(日)
会 場 : 
フジハラビル(アートギャラリーフジハラ) 大阪市北区天神橋1-10-4
時 間 : 12/21 11:00/15:00/19:00  12/22 11:00☆/16:00☆
      ☆……アフタートーク有り
料 金 :  一般 2,500 円  U23 1,500 円  U18 1,000 円 ※全席自由席
      ※当日料金は各500円増 
出 演 : 雀野ちゅん(うんなま)
演 出 : 下野佑樹

“智恵子抄”を題材に、高村光太郎の妻・智恵子の狂気を野田秀樹氏独自の視点と愛情で描いた作品。
2002初演(作・演出:野田秀樹 主演:大竹しのぶ)
今回の演出では、智恵子が自殺未遂をした際の情景から得た着想を元に、舞台全面をカンバスに仕立て上げ、そこに智恵子の半生を塗り重ねていく。000

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ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私くらゐの年配の読書人で、かつてドストエフスキイに捉へられ、魅惑せられ、魂を奪はれ、それから脱することの困難さと残り惜しさとを経験しなかつた者は少いであらう。此の渾沌たる魂の深淵をくぐりぬける事によつて人は霊につながる心の鍛錬をうける。

散文「『ドストエーフスキイ全集』推薦の言葉」より
 昭和16年(1941) 光太郎59歳

書評とはかくあるべし、というお手本のような文章ですね。豊富な語彙、その的確な用法、そして対象へのリスペクト。見倣いたいものです。

智恵子の故郷、福島二本松で智恵子の顕彰活動に当たられている智恵子のまち夢くらぶさんから情報を頂きました。 

林亜佑美 一人芝居 売り言葉

期 日 : 2019年12月22日(日)
会 場 : 
二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町2丁目3-1
時 間 : 第1回 13:00~  第2回 18:00~
料 金 : 一般 前売1,500円 当日1,800円  学生・地元の方は無料(各回先着50名のみ)
出 演 : 林亜佑美

安達郡油井村(現二本松市)で生誕した高村光太郎の妻智恵子。洋画家や紙絵作家として活躍し、夫の光太郎が彼女の死後に発表した詩集「智恵子抄」で知られる。今回、野田秀樹氏が脚本を書き上げた「売り言葉」を林亜佑美が一人芝居で演じる。


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林亜佑美さんという方、当方、寡聞にして存じませんでした。ネットで調べてみましたところ、「女子プロレスラー」の「林亜佑美」さんがヒットしまして、別人だろうなと思ったのですが、なんとご当人でした。また、昨年、神田神保町でも「売り言葉」を上演なさったとのことで、これも存じませんでした。

平成14年(2002)、野田秀樹氏の脚本、大竹しのぶさん出演で初めて上演された、登場人物は智恵子のみの一人芝居「売り言葉」。以前にも書きましたが、今年は「売り言葉」の当たり年です。把握しているだけで、既に4件の公演が各地で行われました

evkk(エレベーター企画)『売り言葉』。000
サキクサ創刊号公演・大塚由祈子ひとり芝居『売り言葉』。
thee第13回公演『売り言葉』。
劇団カタオモイ旗揚げ公演「売り言葉」。

今回は智恵子の故郷・二本松での公演ということで、地元の方にぜひ観ていただきたいものです。


ところで、ご案内下さった智恵子のまち夢くらぶさん、『智恵子講座'19文集』という冊子もお送り下さいました。タイトルの通り、今秋開催された「智恵子講座2019」など、同会の活動の報告的なものです。

同会、上記「売り言葉」の後援団体にも名を連ねています。地元での智恵子顕彰、その火を絶やさないようにと、いろいろやってくださっている点には頭が下がります。今後も継続してよろしくお願いしたいところです。

さて、「売り言葉」、ご都合の付く方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

文芸上の変革について考へるにボードレールの「悪の華」の出現ほど決定的な、又旧套掃滅のめざましい例は少い。「悪の華」は詩の世界を全く覆滅した。詩の概念を本質的に変革した。

散文「近代詩の祖ボードレール」より 昭和14年(1939) 光太郎57歳

「ボードレール」を「高村光太郎」、「悪の華」を「道程」と読み替えてもいいような気がします。

今月7日から始まった、花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示「光太郎からの手紙」につき、『朝日新聞』さんが岩手版で報じて下さっています。 

岩手)光太郎からの手紙展 花巻高村記念館

 終戦後の7年間、岩手県花巻市太田の山荘で暮らした彫刻家で詩人の高村光太郎が書いた手紙を集めた企画展「光太郎からの手紙」が同市の高村光太郎記念館で開かれている。新しく見つかった、山荘で暮らしていた頃にファンに返信したはがきも展示されている。
 宮沢賢治との縁で戦火の東京から花巻へ疎開後、7年間を山荘で暮らした光太郎。企画展では1945(昭和20)年の花巻疎開直前から、56(昭和31)年に東京のアトリエで亡くなるまでに書いたはがき28点と書簡11点などを集めた。
 山荘時代の光太郎を物心両面で支えた花巻の佐藤隆房医師(宮沢賢治の主治医)とやりとりした手紙が中心で、賢治との縁、虫雑草との戦いや食生活、十和田湖の乙女の像創作前後のことなど、山居7年から最晩年までの足跡や思いをたどることができる。
 このうち56年3月27日、東京に戻って病の床に伏していた光太郎が代筆で佐藤医師に宛てた手紙では「手許でみたくなりましたので」と、預けていた亡妻智恵子の切り絵を送るよう依頼している。光太郎が亡くなったのは6日後の4月2日。花巻高村光太郎記念会によると「現在知られている中では光太郎が差し出した最後の手紙」だという。
 企画展は来年1月27日まで。12月28日~1月3日は休館。(溝口太郎)



佐藤隆房


今月7日のこのブログの記事で「どうも話を聞くと『全集』未収録のものも含まれているような気がします。」と書きましたが、画像の書簡がまさにそうでした。しかも、現時点では「最後の手紙」となります。

これまでに確認できていた「最後の手紙」は、昭和31年(1956)3月1日付けで、智恵子の姪にして看護師の資格を持ち、智恵子の最期を看取った宮崎春子にあてた現金書留でした。

このごろいたみが少しつよいので閉口しています、 金同封します、 光太郎 宮崎春子様

「いたみ」は結核によるもので、光太郎はそのために翌月2日に歿しました。

春子は、30歳で早世した智恵子の妹・ミツの娘。前述の通り、昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院し、同13年(1938)、同院で亡くなった智恵子の付き添いを務めました。有名な智恵子の紙絵の制作現場を目撃した、ほぼ唯一の人物です。

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昭和20年(1945)には、光太郎が間を取り持って、詩人の宮崎稔と結婚。花巻郊外太田村の光太郎が暮らした山小屋も訪問しています。ところが、夫の稔は昭和28年(1953)に胃潰瘍で死亡。子供2人を抱えて途方に暮れる春子に、光太郎は経済的援助を惜しみませんでした。

で、今回展示されている上記画像のものは、さらに下って亡くなる6日前のものです。さすがにその時点では長い文面を自ら書き記す力はほとんど残っていなかったようで、借りていた貸しアトリエの大家である中西富江に代筆して貰っています。しかし、翌日には体調が少しだけ戻ったようで、散文「焼失作品おぼえ書」の最後の一枚を自ら書いていますが。ちなみに短い日記は3月30日まで書いています。

 拝啓
  御無沙汰いたしておりますが お変り御座いませんか
  大変突然ですが 御預り願つておりました
  智恵子の紙絵を御送附いただきたく思います
  手許で見たくなりましたので…
  永い間、御預りいただいてゐましたこと深謝にたへません。
  鉄道便箱づめにして御送り下さい。同封の送料で何卒よろしくお願いします。

   三十一年三月二十七日
                    高村光太郎
                    代筆中西富江
  佐藤隆房様

宛先は佐藤隆房。昭和20年(1945)、宮澤賢治の父・政次郎らと共に光太郎の花巻疎開に尽力し、宮澤家が8月10日の花巻空襲で焼けたあと、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に入るまで1ヶ月間、自宅離れ に光太郎を住まわせてくれた人物です。花巻病院の院長でもあった佐藤は、花巻到着後にすぐ高熱を発して倒れた光太郎を看護したりもしています。その後も足かけ8年花巻及び郊外太田村で暮らした光太郎と深い交流を続けました。光太郎歿後は、花巻に財団法人高村記念会を立ち上げ、初代理事長を務めています。隆房没後は、子息の故・佐藤進氏があとを継ぎました。

「紙絵」云々は、昭和20年(1945)3月、空襲がひどくなって、それまで駒込林町の光太郎自宅兼アトリエ(4月13日の空襲で全焼)に保管されていた千点を超える智恵子紙絵を、山形の詩人・真壁仁、茨城取手の宮崎稔、そして花巻の佐藤の元に分散疎開させたことにかかわります。従来、当会の祖・草野心平の勧めもあって、光太郎最晩年に、再び光太郎の元に戻ったとされてきましたが、今回の手紙が書かれたのが亡くなる6日前。果たして間に合ったのでしょうか。

それにしても、おそらく光太郎最後の手紙に、最愛の妻・智恵子の名、そして智恵子がこの世に残した生きた証である紙絵の件が記されたことには、感動を禁じ得ません。

というわけで、「光太郎からの手紙」、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

結局詩人の天から与へられた智慧といふものは、三歳の童子の持つやうな直覚的な智慧なんでそれが尊いのである。

談話筆記「童心と叡智の詩人――北原白秋の業績――」より
 昭和17年(1942) 光太郎60歳

白秋の亡くなった日に語られ、翌日の『読売報知新聞』に載った談話の一節。ベクトルは異なれど、論理的な思考から言葉を紡ぐのではなく、「直覚的な智慧」から詩作を行ったという意味では相通じていた朋友・白秋への手向けの言葉です。

今日から花巻高村光太郎記念館さんで、企画展「光太郎からの手紙」が始まります。

それに合わせて、地方紙『岩手日報』さんが以下の記事を載せて下さいました。 

光太郎 ファンへ「礼状」 花巻・記念館であすから展示007 (2)

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)が、ファンへつづったはがきが7日から、花巻市太田の高村光太郎記念館(藤原睦館長)で展示される。神奈川県横須賀市の高橋光枝さん(85)が花巻市に寄贈した。1945(昭和20)年から7年間、現在の同市太田で山居生活を送った光太郎が、高橋さんのファンレターへ返信した。光太郎を顕彰する関係者によると、ファンへの返信は珍しく、残りの生涯への決意を示す貴重な資料と評価される。
 「小生の作ったものが若い人達(たち)の心に触れたといふお話をきくと(中略)大変はげまされます」「この山にいて小生死ぬまで詩や彫刻を作るつもりで居ります」。味のある筆跡で光太郎の思いが記されている。
 同館の冬季企画展「光太郎からの手紙」は来年1月27日まで。午前8時半~午後4時半。入場料は一般350円、高校・学生250円、小中学生150円。問い合わせは同館(0198・28・3012)へ。


この葉書の寄贈については、『朝日新聞』さんが岩手版で先月14日、全国版でも同21日に報じて下さっています。『岩手日報』さんは、企画展の開催に合わせ、この時期に記事にしたとのこと。

先日、電話取材があり、全文の読み(光太郎の筆跡に慣れていない人には、「触れた」などが読みにくいようで)や、こういう内容だよ、といった点をお答えしました。かなり根掘り葉掘り訊かれたのでずいぶん詳しく回答しましたが、記事になってみるとそれがあまり反映されて居らず、短い記事でした(笑)。まぁ、新聞紙面はスペースが限られていますので、ニュースが多い時には個々の記事が短くなり、そうでない時は普段は記事にならないようなことも扱われる(『朝日』さんの全国版に載った時がそうなのだと思います)、という相対的な面がありますので、致し方ないでしょう。

ちなみに終末近くの「味のある筆跡で」は当方の発言です。

さて、企画展「光太郎からの手紙」。記念館さんから連絡があり、概要をお聞きしました。それによると、上記葉書以外は、昭和20年(1945)、宮澤賢治の父・政次郎らと共に光太郎の花巻疎開に尽力し、宮澤家が空襲で焼けたあと、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に入るまで1ヶ月間、自宅離れに光太郎を住まわせてくれた佐藤隆房に宛てたものだそうです。

花巻病院の院長でもあった佐藤は、花巻到着後にすぐ高熱を発して倒れた光太郎を看護したりもしています。その後も足かけ8年花巻及び郊外太田村で暮らした光太郎と深い交流を続けました。光太郎歿後は、花巻に財団法人高村記念会を立ち上げ、初代理事長を務めています。隆房没後は、子息の故・佐藤進氏があとを継ぎました。

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後ろで立っているのが賢治実弟の清六、前列左から、賢治の父・政次郎、佐藤隆房邸に厄介になる前に半月ほど光太郎を住まわせてくれていた元旧制花巻中学校長・佐藤昌、光太郎、佐藤隆房、賢治の妹・クニ、清六夫人・愛子、賢治の母・イチ、賢治の妹・岩田シゲです。

で、光太郎から隆房宛で葉書30通ほど、封書が10通ほどを展示するとのこと。基本、『高村光太郎全集』に掲載されているものですが、『全集』掲載時、葉書や封書の現物から引き写したのではなく、『岩手日報』から採録した場合があり、そうした際にありがちな誤読、写し間違いがあるようです。また、どうも話を聞くと『全集』未収録のものも含まれているような気がします。あとでデータを送ると言われていますので、その際に精査しようと思っております。

それから関連資料として、昭和25年(1950)11月、当時の水010沢町(現・奥州市)公民館で1日だけ開催された「高村光太郎先生夫人智恵子“切抜絵”」展のパンフレット。

奥州市立水沢図書館さんに現物が保存されており、平成27年(2015)に拝見に伺いましたが、その後、光太郎遺品の中にも同じものがあったのが見つかり、今回、初めて展示されます。

当時、水沢に疎開していた日本画家の夏目利政が、この展覧会の開催に尽力しました。夏目は明治42年(1909)、駒込動坂町の自宅に智恵子を下宿させてくれた人物です。

日本女子大学校を同40年(1907)に卒業した智恵子は、卒業後も女子大学校が運営する寮に住み続けていましたが、突如その寮が閉鎖されることになりました。途方に暮れる智恵子に手をさしのべたのが、やはり女子大学校の卒業生で福島出身の幡ナツ(旧姓・小松)。自分が住んでいた夏目の家に智恵子を斡旋してくれました。下の写真は夏目家で撮影されたもの。夏目は写っていませんが、左端がナツの夫・幡英二、一人おいて智恵子、右端がナツです。幡夫妻はその後、福島市で現在も続く明治病院さんを開院しました。

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その夏目は水沢に疎開していて、近くに光太郎も疎開していると聞き、コンタクトを取ったわけです。自分と知り合う前の智恵子を知っている人物と出会い、光太郎は驚いたそうです。

で、「高村光太郎先生夫人智恵子“切抜絵”」展のパンフレット。夏目が描いた智恵子の絵が表紙を含め、三葉載っています。佐藤隆房に宛てた光太郎の手紙の中に、この展覧会について言及しているものがあり、関連資料として展示するとのことです。

高村光太郎記念館さんでは、佐藤に宛てたものの他にも大量に光太郎書簡類をお持ちですが、今回は上記の高橋光枝さんに宛てたもののみが新発見ということで出す以外、展示しないそうです。「多方面にわたると焦点がぼやける」そうで。で、「今回は」ということでして「次回」も構想に入れ、次のこうした機会には佐藤に宛てたもの以外を出そうと考えているとのことでした。

というわけで、「光太郎からの手紙」、ぜひ足をお運び下さい。


【折々のことば・光太郎】

詩は決してただの大袈裟な概念によつてのみは出来ない。自己の実感として真実に身についたところから詩は生れる。一見甚だつまらないやうな些細な日常の生活からでも生れる。

散文「『職場の光』詩選評 三」より 昭和17年(1942) 光太郎60歳

なるほど、光太郎の詩には「一見甚だつまらないやうな些細な日常の生活」を題材にしたものも数多くあります。ただ、それを詩にするためには「詩精神」=「物の中心をつかむ心の眼」が必要だとも述べています。

演劇の公演情報です。 

二兎社公演43 私たちは何も知らない

期日・会場

 
埼玉公演 2019年11月24日(日) 富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ 


 東京池袋公演 2019年11月29日(金)~12月22日(日) 東京芸術劇場

 
東京亀戸公演 2019年12月28日(土) 亀戸文化センター


 兵庫公演 2020年1月4日(土) 兵庫県立芸術文化センター


 長野公演 2020年1月8日(水) まつもと市民芸術館


 三重公演 2020年1月10日(金) 三重県総合文化センター


 愛知豊橋公演 2020年1月13日(月・祝) 穂の国とよはし芸術劇場PLAT


 滋賀公演 2020年1月18日(土) 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール


 愛知名古屋公演 2020年2月1日(土) ウインクあいち


 石川公演 2020年2月8日(土)・9日(日) 能登演劇堂

 『ザ・空気』( 2017 )『ザ・空気 ver.2』( 2018 ) と、観客が「今、日本で起きていること」をリアルに体感する話題作を立て続けに発表してきた永井愛が、一転、明治〜大正期に発行された雑誌『青鞜』の編集部を舞台にした青春群像劇を書き下ろします。

 
 平塚らいてうを中心とする「新しい女たち」の手で編集・執筆され、女性の覚醒を目指した『青鞜』は、創刊当初は世の中から歓迎され、らいてうは「スター」のような存在となる。しかし、彼女たちが家父長制的な家制度に反抗し、男性と対等の権利を主張するようになると、逆風やバッシングが激しくなっていく。やがて編集部内部でも様々な軋轢が起こり―


作・演出   永井愛
出 演   朝倉あき(平塚らいてう) 藤野涼子(伊藤野枝) 大西礼芳(岩野清)
      夏子(尾竹紅吉) 富山えり子(保持研) 須藤蓮(奥村博)
      枝元萌(山田わか)  


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智恵子がその創刊号の表紙絵を描いた『青鞜』をめぐるドラマですね。残念ながら智恵子の名はキャストに入っていませんが、智恵子と交流のあった平塚らいてう尾竹紅吉、その他青鞜社の面々が登場します。

各地で上演されますので、お近くの公演にぜひどうぞ。



【折々のことば・光太郎】

彼は多くの人の期待と予望とを背負ひながら死んでしまつた。神秘の扉はしまつてしまつた。彼にかはる者は無い。無いとなると世界中に無い。実に言ひやうもなく惜しい。

散文「岸田兄の死を悼む」より 昭和5年(1930) 光太郎48歳

「岸田兄」は岸田劉生。光太郎が最も高く評価した画家の一人です。

まず、現在発売中の『週刊新潮』さん2019年11月7日号。

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グラビアページで「「ほんとの空の下」の山小屋」という記事が3ページにわたって掲載されています。

智恵子の故郷、福島二本松に聳える安達太良山の山小屋「くろがね小屋」さんの紹介です。

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「ほんとの空」の語が使われる光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)も取り上げられています。ありがたし。


その二本松市の『広報にほんまつ』11月1日号。「第24回智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」の金賞受賞作品が紹介されています。

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5年生の部の作品は、智恵子の母校・油井小学校の児童さん。先輩・智恵子の生家をモチーフにして下さいました。

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背景の「ほんとの空」が実にいい色合いですね。


テレビ放映でも、「ほんとの空」系が。

秘湯ロマン #413 「福島県 岳温泉・土湯温泉」

テレ朝チャンネル2(CS) 2019年11月2日(土) 15時15分~15:40 

福島県の秘湯

岳温泉「ながめの館 光雲閣」
福島県・安達太良山麓に湧く秘湯・岳温泉。雪の山々をする一望する絶景のお湯には、不思議な魅力が。

あだたら山奥岳の湯
岳温泉の奥まったところ、周囲はスキー場という雪深い一画にある立ち寄り湯。お湯は少し熱めの42度。かつて高村光太郎が「ほんとの空」と詠った安達太良山の澄み切った空の下で絶景温泉を満喫します。岳温泉の源泉は標高1500メートルの山の中にあるため、温泉街まで8キロもの距離を「引き湯」されています。


土湯温泉「山水荘」
吾妻連峰に抱かれた土湯温泉では、かわいいこけしと、湯量豊富な広い風呂がお出迎え。


川上温泉
土湯温泉から、渓谷をさらに遡った山あいにあるのが、奥土湯の秘湯・川上温泉。創業400年を超える、趣のある純和風の老舗旅館です。「万人風呂」と名付けられた内湯は、縦10メートル、横4メートルという大きさ。露天風呂の脇に大きな洞窟があります。半分露天、半分洞窟ということで、その名も「半天岩窟風呂」と名付けられています。湯船は青森ヒバでできていて、宿のご主人によれば、木造りの露天風呂としては、県内有数の大きさだそうです。

出演 秦瑞穂


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昨年、地上波テレビ朝日さんで放映されたものの再放送だそうです。

基本、このブログではCS放送の番組はご紹介していませんが、今回はちょうど無料放映の日にあたっていますので、BSの受信設備が有れば視聴可能です。

テレビ放映といえば、安達太良山系ではありませんが、以下も。

まず、過日ご紹介したNHKさんの「ブラタモリ#146「草津温泉~最強の湯力とは?~」。先月オンエアの予定でしたが、台風関連の報道のため、明日に変更になっています。再放送は5日(火)23時50分~です。

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それから、同じく過日ご紹介したNHK Eテレさんで放映の「日曜美術館 わしがやらねばたれがやる~彫刻家・平櫛田中~」。再放送が3日(日)20時00分~です。


岡山県井原市の田中美術館さんで開催中の田中回顧展「没後40年 平櫛田中 美の軌跡」とのタイアップで、田中代表作の一つ、「鏡獅子」をメインに扱っています。


田中の師・光雲についても言及して下さいました。しかし、一昨年、テレビ東京さん系で放映された「美の巨人たち」でもそうでしたが、光雲の後ろに写っている学生服姿の光太郎についてはスルー(笑)。

ちなみに田中は明治39年(1906)に渡米する光太郎に、禅宗の教義書『無門関』を餞別に贈り、それは光太郎の座右の書ともなりました。

ロダンの影響や、「鏡獅子」以外の作品についても言及。


ビデオ出演を含め、ゲストも多彩でした。


メインコメンテーターは大分大学の田中修二教授。その他、当方もお世話になっております小平市平櫛田中彫刻美術館の藤井明学芸員、「鏡獅子」のモデルとなった六代目尾上菊五郎の曾孫・尾上右近さん、田中の弟子(つまり光雲の孫弟子)の橋本堅太郎氏。


橋本氏は、JR東北本線二本松駅前の智恵子像「ほんとの空」の004作者です。ここでほんとの空に話を戻すあたり、当方もなかなかやりますね(笑)。ちなみに明日から一泊でまた東北出張。この像も拝見して参ります。


さて、『週刊新潮』さん、それからご紹介したテレビ番組、それぞれぜひご覧下さい。



【折々のことば・光太郎】

私は彫刻こそ余り出品しませんが、詩歌の類を十数年来発表してゐて、今更批評をいやがる程初心でもないのです。作品を発表して批評を聞くのは褒貶共に面白いものであり、且つ素より自他双方の研究となります。

散文「小倉右一郎氏に」より 大正15年(1926) 光太郎44歳 

小倉右一郎は、光太郎と同じく東京美術学校卒の彫刻家。光太郎より2歳年長で、文展(文部省美術展覧会)審査員などを務めました。


その小倉が、光太郎の審査を伴う展覧会には出品しないという方針を皮肉った文章――自作を批評されるのを嫌がるケツの穴の小さい奴だ、的な――に対しての反論です。

10月6日(日)、朝4:30に千葉の自宅兼事務所を出まして、1泊2日の東北周遊へ。

まずは前日が忌日だった智恵子を偲ぶ「第25回レモン忌」が開催される、智恵子の故郷・福島二本松。いつもは愛車を駆って馳せ参じていますが、今回はその日のうちに岩手花巻まで行く都合上、公共交通機関を利用しました。

会場は智恵子生家に近い、ラポートあだちさん。

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千葉を出た時はちょっとした雨でしたが、こちらは曇り空。かすかに雲間に青空がのぞいていました。

午前10時、開会。まずは第一部の開会行事。

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ステージ上の智恵子肖像に献花・献果。果実はもちろんレモンです。

参会者(40名ちょっと)全員で、光太郎詩「風にのる智恵子」を群読。

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主催されている智恵子の里レモン会、渡辺会長のご挨拶。

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渡辺会長、過日の千葉大停電の際には、お見舞いということで早々に二本松銘菓・玉嶋屋さんの羊羹をお送り下さり、当方、大感激でした。

レモン会さんが設立30周年ということで、その関係のお話も。

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全員で記念撮影をした後、第二部の記念講演。このブログにたびたびご登場いただいているテルミン奏者・大西ようこさんによる「もう一つの智恵子抄」。

音楽ユニット「ぷらイム」としてご一緒に活動されているギターの三谷郁夫氏とともに、演奏や掛け合い漫才のような楽しいトークを交え、しかし内容的には昭和16年(1941)のオリジナル『智恵子抄』をわかりやすく、しかも深く考察されたお話でした

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当方、お二人の背景のスクリーンに投影されるスライドショーの担当で、タブレットを操作しつつ拝聴しました。時折、次ぎに行くタイミングを間違え、怒られました(笑)。


第三部は昼食を頂きながらの懇親会。連翹忌スタイルで、スピーチが入ります。

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智恵子と同郷で、智恵子をモチーフにした作品も数多く遺した故・大山忠作画伯のご息女にして、女優の一色采子さん。二本松観光大使も務めていらっしゃいます。

お父様の作品を集めた二本松駅前の大山忠作美術館さんで、今週末から始まる「新五星山展」のPR。

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名前に「山」のつく五人の日本画家の作品を集めた展覧会です。今回は横山大観、山口蓬春、杉山寧、横山操、そして大山画伯。「今回は」というのは、前回があったわけで、「新」がつかない「五星山展」が(東山魁夷、高山辰雄、平山郁夫、加山又造、大山忠作)平成25年(2013)に開催されています。思えば一色さんとのお付き合いはここから始まりまして、もう五年経つか、という感じです。今回、一色さんがギャラリートークを務められるということで、来月初めにお伺いすることにしました。

スピーチの合間に一色さんといろいろお話させていただきました。渡辺えりさんと共演なさった昨年の舞台「喜劇 有頂天団地」の件、渡辺さん作の舞台「私の恋人」を拝見した際「一色さんによろしく」と伝言された件、それから今年5月の「第35回アイメイトチャリティーコンサート」の件、そして拝見・拝聴に伺うはずが愛車の故障で断念した先月の「にほんまつart fes」の件などなど。何と今回一色さんが二本松に来られる途中で愛車が故障ということで、難儀されたそうです(笑)。


書家の菊地雪渓氏。今年の連翹忌でもご披露いただきました、「智恵子抄」から六篇を書かれ、第38回日本教育書道藝術院同人書作展会長賞を受賞された書をご持参。

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仙台ご在住でたびたび「智恵子抄」を取り上げて下さっている朗読家・荒井真澄さん。

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このあと、荒井安達駅から仙台駅までご一緒させていただきました。普段は味気ない一人旅の当方が、すてきな女性と二人、夢のような時間でした(笑)。

最後に有志の方々が二本松のソウルソングである二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」(昭和39年=1964)を熱唱。

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来年の再開を約して閉会となりました。

参会後、レモン会の方が車を出して下さり、大西さんとそのご一行、荒井さんと共に智恵子の生家/智恵子記念館へ。

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この時期には、普段は非公開の智恵子の居室を含む2階部分、そして智恵子紙絵の複製でない実物が期間限定公開されています。

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2階にはなぜか顔ハメが(笑)。

さらに裏山の「愛の小径」へ。ここを訪れた光太郎を智恵子が案内して歩いたという証言が残されています。

稲荷八幡神社さんには、大正5年(1916)、帰省中だった智恵子の筆になる「熊野大神」碑。

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堂々とした書ですね。

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)詩碑(「詩碑」というより光太郎詩をモチーフにしたオブジェ、という感じですが)、さらに「樹下の二人」(大正12年=1923)詩碑。

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さらに展望台まで足をのばし、「あれが阿多多羅山」、「あの光るのが阿武隈川」、智恵子生家、そして「ほんとの空」などを展望。
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その後、レモン会の方に安達駅まで送り届けていただき、鉄路を乗り継いで花巻へ。花巻篇は明日、レポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

常に物の中心を掴む事、むしろ常に物の中心を掴まうとする内心の生活、此が大切なのだ。此所からいろんな貴重なものが発足するのだ、此所を発足点にしないと、千差万別の途に迷ふ事となる。

散文「所謂好趣味の人たる勿れ」より 大正6年(1917) 光太郎35歳

ここで光太郎が否定しているのは、外面的な観察、半端な知識の摂取に終始することです。

明日、10月5日は智恵子の命日・「レモンの日」です。偲ぶ集い「レモン忌」は明後日、智恵子の故郷、福島二本松のラポートあだちさんで開催されます。

さて、二本松で智恵子の顕彰活動を進めている智恵子のまち夢くらぶさん主催の講座です。

智恵子講座2019

期  日 : 2019年10月14日(月・祝) 11月17日(日) 12月15日(日)
会  場 : 福島県男女共生センター 福島県二本松市郭内一丁目196-1
参加費 : 全4回 4,000円 1回のみ1,000円
申  込 : 智恵子のまち夢くらぶ 熊谷 0243-23-6743
内容等 : テーマ「高村智恵子の言葉を読み解く」
10/14 10:00~12:00 第1回講座 講師 木戸多美子さん(詩人)
11/17 10:00~12:00 第2回講座 講師 坂本富江さん(太平洋美術研究所 高村光太郎研究会)
    午後「智恵子のまち夢くらぶ発会15周年記念祝賀会・
好きです智恵子純愛通り発表コンサート」
12/15 10:00~15:30 第3回講座 講師 澤正宏さん(福島大学名誉教授)
            午後は第4回講座「参加者による智恵子を語るつどい」

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昨年は智恵子没後80周年だったということで、講座ではなく記念事業として「智恵子検定 チャレンジ! 智恵子についての50問」、「全国『智恵子抄』朗読大会」、「智恵子カフェ」が開催されまして、講座としては一昨年以来の2年ぶりの開催。講師陣、以前の智恵子講座でもお馴染みの皆さんです。

智恵子ファン、光太郎ファンの皆さん、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

綺麗な絵や、うまいところを描いた絵が必ずしも悪いばかりだとは云はないが、綺麗であつたり、道具建てばかりうまくとも、内容が現はされてゐない絵には決して味がない。

談話筆記「絵を買ふ人に」より 大正5年(1916) 光太郎34歳

絵に限らずすべての芸術に当てはまることがらですね。

智恵子を偲ぶ「レモン忌」。第25回となり、今年も智恵子の故郷・二本松市(旧安達町)で開催されます。智恵子命日「レモンの日」は前日の5日ですが、そこに最も近い日曜日、という設定で開催されています。

第25回レモン忌

期   日 : 2019年10月6日(日)
会   場 : ラポートあだち 福島県二本松市油井字濡石16
時   間 : 10:00~14:00
料   金 : 3,000円
問い合わせ : 戸田屋商店 0243-23-4858


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過去の様子はこちら。

第24回(2018年)

例年通りですと、午前中に献花、献果(レモン)、参会者全員での詩の朗読などの式典、記念講演、正午頃から昼食を兼ねての懇親会というパターンです。

今年の記念講演は、テルミン奏者の大西ようこさん。

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筋金入りの智恵子ファンで、これまでに連翹忌レモン忌で演奏を披露して下さったり、各地で光太郎智恵子をモチーフとしたコンサート等を開催なさったりしています。

「朗読とテルミンで綴る 智恵子抄」。
「テルミンと語りで紡ぐ愛の物語り智恵子抄」。


ご興味のおありの方、ぜひどうぞ。

また、会場から徒歩10分ほどの智恵子生家では、普段非公開の2階部分の特別公開、隣接する智恵子記念館では智恵子紙絵の実物展示(通常時は複製)が行われています。レモン忌参加者は入場無料です。併せてどうぞ。

ちなみに当方、昨年に引き続き、パワーポイント担当です(笑)。

ついでにご紹介しますが、翌日、10月7日(月)は、光太郎第二の故郷・花巻と、隣接する北上市を巡る市民講座の講師です。タイトルが「詩と林檎のかおりを求めて 小山先生と訪ねる碑めぐり」(笑)。

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花巻・北上の光太郎がらみの石碑廻りのバスツアーです。対象が花巻市内ご在住かご勤務の方ということで、特にこのブログではご紹介しませんでした。

詳しくは終了後にレポートいたします。


【折々のことば・光太郎】

紐育で厭な感じを受け、倫敦で余りに呆気なき広告を見た目で巴里の市街を見ると、恰も眠より醒めた様な感がある。広告の総て面白く綺麗に出来て居るので、広告を見て歩いても面白い。

談話筆記「巴里式屋外広告」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

『読売新聞』に載った、3年半にわたる留学から帰国した翌年の、屋外広告に関するインタビュー記事です。ニューヨークは「コテコテ広告がしてあ」って、「滅茶苦茶で、恰も日本と同様」、「配合(とりあはせ)が俗悪な為に悪い感じを与へる」。ロンドンは「驚く可(べき)地味」、「余りにヂミな為に是で広告の効力があるかと疑はれる位」。そして上記のパリへとつながります。なるほど、パリではロートレックやミュシャの手になる美しいポスターが街を飾っていました。

日本を含め、100年経ってもそれぞれの国の様子はあまり変わっていないような気がします。

昨日は埼玉県和光市に行き、オペラ歌手・和田タカ子さん主催のトークイベント「オペラ勧進 歌と芸術よもやま話 「智恵子抄」を読み解いてみませんか」を拝聴して参りました。

会場は東武東上線和光市駅近くの音楽レストラン クロシェット ドゥ ボワさん。

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月に1回、オペラにまつわる様々なお話を和田さんがなさる催しで、今回が134回目だそうです。ギャラリーは20名ほど。当方以外は常連さんのようでした。

和田さん、仙道作三氏作曲、山本鉱太郎氏脚本、当会顧問・北川太一先生監修の「オペラ智恵子抄」に4回出演されたそうで、その関連のお話もなされました。それに関連して、光太郎令甥の故・髙村規氏の思い出なども。

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本題は智恵子の人となり、芸術的足跡。一般の方にもわかりやすいよう、お手持ちの書籍の図版などを示されつつ、語られました。

和田さん、過日、NHKBSプレミアムさんで放映された「偉人たちの健康診断「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」」をご覧になって、いろいろ思うところがあり、今回、智恵子を取り上げられたとのこと。

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智恵子色覚異常説についても言及されました。当方にも振られたのでお話しさせていただきました。オンエア後のレポートにも書きましたが、番組内で「智恵子は色覚異常だった」とほぼ断定していたのは問題です。

智恵子色覚異常説の根拠は主に二点。一つは、智恵子が福島高等女学校時代の親友・上野ヤスに「自分は色覚異常だ」と語ったというエピソード。もう一つは、結局、油絵画家として大成できなかったという状況証拠です。その他、智恵子がエメラルドグリーンを好んで多用していたのを色覚異常に結びつけようとする向きもありますが、これは牽強付会と言わざるを得ないでしょう。

反証はいくらでも上げられます。まず、上野ヤス以外に智恵子から色覚の件を話されたという人物がいないこと。色覚に関し智恵子がきちんと医師の診断を受けた記録がないこと。智恵子の血縁に色覚異常者がいたという記録もないこと(100%遺伝ですので、特に血縁男性に同じ症状が出ていなければおかしいのです)。女性の場合は発症率が500人に1人と、非常に低いこと。そして何より、晩年の紙絵。あの色鮮やかな作品の数々には、異常性が感じられません。

この世界、結構そういう例があるのですが、誤った伝聞や判断、証拠不十分の仮説が「定説」となってしまうのが恐ろしいと感じています。

例えば……002

・智恵子が『青鞜』の表紙絵に描いたのはスズランである。
   ↓
 「アマドコロ」という全く別の植物です。

・智恵子は、故郷で医師との縁談が進んでいた。
   ↓
 相手とされる医師はその時点で既に結婚していました。

・智恵子の心の病は脳梅毒によるものである。
   ↓
 光太郎智恵子ともその検査を受け、陰性と診断されています。

・宮澤賢治の「雨ニモマケズ」中の「ヒドリノトキハ」を「ヒデリ
  ノトキハ」と改竄したのは光太郎で、そのために花巻の賢治 詩碑に「ヒデリ」と刻まれている。
   ↓
 光太郎が碑文を揮毫する以前から「ヒデリノトキハ」の形で流布していました。

・花巻郊外の料亭で光太郎が出刃包丁で座卓に大きく文字を刻みつけた。
   ↓
 店の主人が正体不明の老人を、あれはきっと高村光太郎だろう、と思ったに過ぎません。

・光太郎は「うつくしきもの三つ」という書を残している。「三つ」うちの一つは……。
   ↓
 「満つ」の「満」を変体仮名的にカタカナで「ミ」と書いたものです。

・靖国神社の狛犬は光太郎が原型を作成した。
   ↓
 全くの別人の作です。どこから光太郎の名が結びつけられたのかも不明です。


他にもありますが、きりがないので……。


閑話休題。和田さん、ご自身オペラ歌手ですが、最近はプロデュースの方面でご活躍なさっています。そうした中で、オペラの普及のためにということで、「オペラ勧進」。

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今後とも、ご活躍を祈念いたしております。

オペラの「智恵子抄」、仙道氏以外にも原嘉壽子さんという方も作曲なさり(台本・まえだ純氏)、昭和60年(1985)に初演がなされました。当方、NHKさんのFM放送で拝聴しました。

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なかなかオペラでの上演は難しいかもしれませんが、合唱曲、独唱歌曲などにもなっていますし、インストゥルメンタルでも「智恵子抄」へのオマージュ的な取り組みがなされています。

もっともっといろいろな方に、それぞれの味付けで取り上げていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

詩歌の城に詩は住まず、 そこに住むのは家老ばかり、 とうの昔に町へ出て 殿さま御帰還あそばさず。

詩断片「偶作(詩歌の城に)」異稿全文
 大正12年(1923) 光太郎41歳

他の詩を書いた原稿用紙の欄外に走り書きされ、赤鉛筆で抹消されています。のち、『現代詩人全集第九巻』(昭和4年=1929)に収められた際、後半2行が「威儀三千は家老に問へ 詩だけはただの親父にきかう」と改められました。

詩人としての魂を、浮世離れしたお城のようなところに閉じこめ、花鳥風月を愛でてばかりいるようではだめだ、もっと世の中を見ろ、ということでしょうか。この時期、プロレタリア詩の方向に傾きつつあった心境が垣間見えます。

昨日、NHK BSプレミアムさんで放映された「偉人たちの健康診断 東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」を拝見しました。

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全体的にはなかなかのクオリティでした。

健康系の番組ですので、心を病んだ智恵子がメイン。そこから様々な知恵を学び取ろうというコンセプトです。

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再現ビデオの部分は、予想通り平成27年(2015)にNHKさんの地上波総合テレビで放映された、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」からの使い回しでした。しかし、久しぶりに見て、やはり感動してしまいました(笑)。そういえば、MCの渡邉あゆみさん、当時「ヒストリア」でも司会でした。

龍星閣版『智恵子抄』初版の映像も「ヒストリア」からの転用。したがって、「ヒストリア」の際にお貸しした当方手持ちの『智恵子抄』です(笑)。

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コメンテーターとしてご出演なさった、『詩人の妻 高村智恵子ノート』(昭和58年=1983 未来社)の著者・郷原宏氏をはじめ、医学系の専門家の方々による分析や説明など、「なるほど」という点が多く、その点がすばらしいと思いました。

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智恵子の故郷・福島二本松、戦後に光太郎が逼塞した花巻郊外旧太田村、そして光太郎最後の大作にして智恵子の顔を持つ「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の立つ十和田湖などの映像もふんだんに使われていました。

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また、光太郎彫刻や智恵子の紙絵、古写真、ブリヂストン美術館さん制作の美術映画「高村光太郎」から光太郎の動画なども使われ、手間がかかっている丁寧な作りだと感心しました。

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当会顧問・北川太一先生ご所蔵の、智恵子から母・センに宛てた書簡(昭和6年=1931)も。

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同じく北川先生ご所蔵の、結婚前の光太郎から智恵子へのラブレター(大正2年=1913)は紹介されませんでした。

しかし、一点、苦言を呈させていただくと、「智恵子が色覚異常であった」と、ほぼ断言していた点。

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確かにそういう説はあります。その根拠は、智恵子が福島高等女学校時代の親友だった上野ヤスにそう語ったことがある、という証言です。あとは状況証拠的に、結局、油絵で大成できなかったことや、画学生時代に人と違う色遣いを好んでいたという証言、それから光太郎の残した「彼女は色彩について実に苦しみ悩んだ。」(「智恵子の半生」昭和15年=1940)、「その油絵にはまだ色彩に不十分なもののある事は争はれなかつた。その素描にはすばらしい力と優雅とを持つてゐたが、油絵具を十分に克服する事がどうしてもまだ出来なかつた。」(同)という回想がある程度です。

智恵子が色覚について医師の診断を受けたという記録は見あたりません。また、番組でも解説されていましたが、女性の場合は発症率が非常に低い(番組では500人に1人としていました)のです。色覚異常はほぼ100%遺伝によるもので、女性の場合、両親双方から遺伝因子を受け継がないと発症しません。となると、智恵子の父母弟妹などにもその症状が現れているはずなのですが、そうした記録も見あたりません(もっとも、智恵子以外は自覚することができなかったのかもしれませんが)。

そう考えると、智恵子が色覚異常だったと断定するのは早計だと思われます。

ただ、その後の専門家の方の解説が非常に興味深いものでした。人類に一定の割合で色覚異常が発現するのは、狩りをしていた太古の時代の名残だろうというのです。

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保護色で目くらましをはかる獲物や、人類の天敵たる肉食獣を発見しやすいそうで。これは存じませんでした。

後半は、やはりパラアート的な部分、アートセラピーなどの関連で智恵子の紙絵が紹介されました。

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智恵子同様、切り絵に取り組んでいる患者さんもご出演。興味深く拝見しました。

ラストは「乙女の像」。

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8月1日(木)、午前8:00から9:00、同じNHK BSプレミアムさんで再放送があります。ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

私はふざけた事は大厭ひなんですけれど、上品なユーモアは好きです。変なあくどい漫画は、手許にあれば裂き捨てる位なんですが、気品高きものは、飽かず眺めます。

談話筆記「悪趣味を排す」より 大正14年(1925) 光太郎43歳

漫画とは同列に扱えないとは思いますが、後の智恵子の紙絵も、「上品なユーモア」「気品高きもの」として、「飽かず眺め」たことでしょう。

以前もちらっとご紹介しましたテレビ放映情報です。

偉人たちの健康診断「東京に空が無い “智恵子抄”心と体のSOS」

NHK BSプレミアム 2019年7月25日(木) 20時00分~21時00分  再放送 8月1日(木) 8時00分~9時00分

健康のヒントは歴史にあり!歴史上の人物の日常生活や病歴、さらには健康へのこだわりから、現代の私たちが元気で長生きするためのヒントを探ります。

太平洋戦争前夜の1941年、一冊の詩集「智恵子抄」がベストセラーとなった。彫刻家・高村光太郎が、画家を目指す妻・智恵子との出会いから死別までの27年間の愛の軌跡をつづった純愛詩集だ。そこには、夫・光太郎をこよなく愛しながらも数奇な運命に見舞われた智恵子の、心と体が発するSOSが記されていた!そして、ついに心を病んでしまった智恵子の心を、夫のもとにつなぎとめた奇跡の○○○とは?時代を超えた純愛物語!

【出演】 関根勤 カンニング竹山 榊原郁恵
【解説】 郷原宏 河村正二 宮崎良文 池淵恵美
【司会】 渡邊あゆみ

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当会顧問・北川太一先生がお持ちの、智恵子から母・センに宛てた書簡が紹介されるそうで、その他、NHKさんですのでCMが入りませんから、正味1時間、けっこうみっしり詰まった内容になるかと存じます。

スタジオゲストの郷原宏氏は、昭和58年(1983)に、未来社から『詩人の妻 高村智恵子ノート』という書籍を刊行された方で、平成27年(2015)にBSフジさんで放映された「発掘!歴史に秘めた恋物語~高村光太郎と智恵子~決して女神でない」にもご出演なさいました。

NHKさんというと、やはり平成27年(2015)に、「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」を放映して下さいましたが、その際の映像がいろいろと使い回しされるようです。

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今回の予告編に出たこちら。左は「ヒストリア」の再現Vに出演された鈴木一真さんと前田亜希さん。右の『智恵子抄』は、「ヒストリア」の際にお貸しした当方手持ちの『智恵子抄』です(笑)。昨年放映された「民謡魂 ふるさとの唄 福島県二本松市」でも使われました。どうもNHKさん内部でアーカイブ的な映像として登録されているようです。

こちらも前田亜希さんですね。

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番組内容紹介にある「心を病んでしまった智恵子の心を、夫のもとにつなぎとめた奇跡の○○○とは?」の「○○○」、最初は「レモン」かな、と思っていました。昭和13年10月5日(水)、南品川ゼームス坂病院で、光太郎が持参したレモンをがりりと噛んで、一瞬、意識が正常に戻って逝ってしまった智恵子。そこで、レモンには精神を落ち着かせる効用が……的な話になるのかなと思っていましたが、どうもそうではないようです。

予告編に拠れば「○○○」は「アート」。なるほど、最近はやりのパラアート的な部分、アートセラピーなどの分野で智恵子の紙絵が取り上げられることも多いので、そっちか、という感じでした。

ぜひご覧下さい。


【折々のことば・光太郎】

自分の彫刻がもう一ぺん生きかえつて来たのを、大変ありがたいと思つて感謝しております。

談話筆記「裸婦像完成記念会挨拶」より 昭和28年(1953) 光太郎71歳

智恵子の顔を持つ、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の完成記念会での挨拶から。

よくあるたとえの、ローソクの火が燃え尽きる前に一瞬輝きを増す、まさしくそれが起こったわけで、同じ挨拶で光太郎が述べたとおり、像の制作中はそれまで悩まされていた結核性の喀血も不思議と止んだそうです。

まじめな論文などでは許されないのでしょうが、あの世から智恵子が力を貸してくれた、的な、そんな解釈をしたくなります。

過日ご紹介した、智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰を続けられている智恵子のまち夢くらぶさんの山梨、静岡方面への研修旅行がつつがなく終わったそうで、同行された太平洋美術会の坂本富江さんから、静岡の地元紙『沼津朝日』さんのコピーが届きました。

高村夫妻顕彰団体が一小を訪問 智恵子の絵画作品に登場の木を見学

 詩人で彫刻家の高村光太郎の妻として知られる高村智恵子の足跡をたどって、智恵子の出身地、福島県二本松市の市民団体が17日、一小を訪れた。
 画家として活動していた智恵子は、光太郎と婚約した年の1913年、沼津にあった親友宅に滞在し「樟(くす)」と題する油絵を描いた。これは3点しか現存しない智恵子の作品の一つで、現在は山梨県北杜市の清春白樺美術館に収蔵されている。
 二本松市で智恵子・光太郎夫妻の顕彰活動を行っている団体「智恵子のまち夢くらぶ」は、毎年開催している夫妻の足跡をたどる旅の一環として、今年は智恵子ゆかりの沼津を選んだ。
 会員13人が山梨県で「樟」の実物を鑑賞した後、絵のモデルとなった木を見るため、一小を訪れた。同校校庭には江戸時代初期の沼津藩主大久保忠佐の墓である道喜塚(どうきづか)があり、その隣の大木が絵のモデルとなった。
 夢くらぶの熊谷健一代表はモデルの木を見学した感想として「美術館で見た原画は、図録で見るよりもはるかに良かった。モデルの木は大火でも生き残っただけあって、たくましい生命力を感じる。この木を智恵子が描いた意味合いを感じ取れた」と話す。
 今年の訪問先として「樟」ゆかりの地を提案した菅野ミチ子さんは、夢くらぶの会員になった理由として、「以前、観光客に智恵子のことを訪ねられたことがあったが、答えられませんでした。地元のことなのに勉強不足だと思い、学ぶために参加しました。」と話す。
 智恵子の生涯を研究している画家でエッセイストの坂本富江さん(東京都板橋区在住)の著書が今回の旅のきっかけとなった。『スケッチで訪ねる「智恵子抄」の旅 高村智恵子52年間の足跡』という題で、2015年に発売された増補改訂版では「樟」のモデル探しの旅が新たに付け加えられた。今回の来訪に案内人として付き添った坂本さんは「本がつないだ縁だと思っています。この機会を通して沼津も知ってもらえて嬉しい」と話している。

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「一小」というのは、沼津市立第一小学校さんです。

以前にも書きましたが、坂本さん、記事にあるとおり、現存が確認できている3点しかない智恵子の油絵のうちの1点「樟」に描かれている木が沼津一小さんに現存することをつきとめられました。

智恵子の福島高等女学校時代の親友・上野(旧姓・大熊)ヤスが沼津に転居しており、大正2年(1913)、そちらを訪れて描きました。ヤス自身は沼津で結婚後、夫の転勤で外地に渡ったそうですが、その頃、智恵子のすぐ下の妹で、智恵子と同じ日本女子大学校、さらに東京女子高等師範学校を卒業したセキが、漱石門下の小宮豊隆と不倫の関係となり、小宮の子を沼津のヤスの家で出産。ヤスの母親が親身になって世話をしてくれました。智恵子の沼津訪問もその関係です。その後、セキは渡米、生まれた子は里子に出されました。

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前列右端が智恵子、後列右から2人目がヤスです。

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「樟」の絵。以前は欅(けやき)と思われていました。

上記『沼津朝日』さんに載った写真を拡大すると……。

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たしかにこの木なのでしょう。

今後も枯れることなく、健在でいてほしいものです。


【折々のことば・光太郎】

健康の大切な事を真実に知る事。女学生時代に過度の運動をせぬ事。如何なる境遇にあつても自己の健康を護る事に本気になる事。旧時代の女性が健康を気にする程度の消極的な事でなく、もつと積極的、内面的、叡智的に。

アンケート「新時代の女性に望む資格のいろいろ」より
 大正15年(1926) 光太郎44歳

大正8年(1919)には、智恵子が順天堂病院に入院。これは子宮後屈症の手術のためでした。どうもこの際に、女学生時代の乗馬が原因と診断されたらしく、そのことが念頭に置かれた発言に思われます。

その他にも結婚後、常に健康を害していた智恵子。後屈症の手術直後には湿性肋膜炎(おそらく結核性)で入院していますし、大正11年(1922)には盲腸炎にも罹患しています。

ちなみにまた稿を改めてご紹介しますが、同じ「新時代の女性に望む資格のいろいろ」というアンケートには、智恵子も回答を寄せています。

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