カテゴリ: 智恵子

一昨日は智恵子の故郷、福島二本松に聳え、「智恵子抄」にも謳われている安達太良山の山開きでした。報道をご紹介します。

まずFTV福島テレビさんのローカルニュース。

「いい思い出に」日本百名山・安達太良山で4年ぶり山開き 約4000人が登山を楽しむ

 日本百名山の一つの安達太良山は、毎年5月の第3日曜日に山開きをしている。山開きをした21日は、約4000人の登山客が訪れた。山頂では関係者が、山の事故が無いように今シーズンの安全を祈願した。
 通常どおりに山開きが開かれたのは4年ぶりで、登山客は山頂からの美しい眺望を楽しんでいた。登山客は「とても良い登山でした。孫たちも途中疲れたって言っていたんですけど、最後まで頂上まで登れて楽しかったみたいです。良い思い出になりました」と話した。
 福島県警察本部によると、2023年に入り県内では19件の山岳遭難が発生していて、入山する際には登山届の提出や十分な食料や水分などを備えるよう注意を呼びかけている。
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同じくTUFテレビユー福島さん。

安達太良山で4年ぶり山開き 観光大使なすびさんも参加

 本格的な夏山シーズンがやってきます。21日、福島県の安達太良山で山開きが行われ、大勢の登山客が山頂を目指しました。
  岳温泉観光協会・二瓶明子会長「多くの方々が安達太良山を目的に遠いところから来ているので、コロナの事は気にせずに思う存分安達太良山を楽しんでもらえるのかなと思う」
 今年は4年ぶりに通常の山開きとなった安達太良山。登山のスタートとなる「あだたら高原スキー場」のロープウェイ乗り場には、朝から多くの登山客が訪れました。
 21日の福島県内は晴れて登山日和となり、登山客は、残雪や安達太良山の自然を楽しみながらそれぞれのペースで山頂を目指していました。
 山頂では、先着順に山開きを記念したペナントが配られたほか、県内出身のタレントで、安達太良山の観光大使のなすびさんも登山に参加し、山頂を訪れた登山客と写真を撮るなどして交流しました。
 登山客「すごい天気も良くて気持ちよく登れた」
 登山客の子ども「(登るのが)辛いけど、高さがそんなに無かったからこれは楽だった」
 23日は尾瀬で、5月28日には磐梯山で山開きが行われることになっていて、福島県内はこれから本格的な夏山登山シーズンを迎えます。
 岳温泉観光協会・二瓶明子会長「安心安全に登れる山ではありますが、事故も時々起こるので、安全に次の目的地にたどり着くまで気を緩めることなく安達太良山を楽しんでもらいたい」
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続いて新聞系。まずは『福島民友』さん。

爽やかな薫風...4000人が山頂目指す 安達太良山で山開き

 福島県二本松市などにまたがる日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)の山開きが21日、同山頂付近で行われ、約4000人の登山者が爽やかな薫風を受けながら山頂を目指した。山頂では安全祈願祭に加え、記念ペナントの配布や「ミズあだたらコンテスト」など山頂行事全てが4年ぶりに通常開催された。
 登山者は山頂に達すると「やったー」と叫び、壮大な眺めを写真に収めるなどした。東京都内から家族で訪れた根本結衣さん(10)は「岩登りが楽しかった。まだ疲れていない」と余裕の表情を浮かべた。親戚と登頂した田村市の会社員大河原循子さん(58)は「登山者同士であいさつして、気持ちよく登れた」と笑顔で話した。
 安全祈願祭には観光関係者や登山者に加え、安達太良山観光大使でタレントのなすびさん(福島市出身)も出席し、無事故を願った。
 ミズあだたらコンテストには49人が参加し、登山に適した格好かどうかを競った。2度目のミズに輝いた桑折町の公務員平野恵梨華さん(30)は「選ばれてびっくり」と話し、準ミズの本宮市の中村嶺那さん(9)=岩根小4年=は「安達太良山は校歌にも登場する好きな山」と喜んだ。
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『福島民報』さん。

日本百名山の安達太良山で新緑満喫 4年ぶりに通常規模の山開き 福島県内外から4000人

 日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)は21日、山開きした。福島県内外からの登山者約4千人が新緑を満喫し、山頂付近の残雪を踏みしめながら山頂を目指した。山頂付近での記念ペナント配布とミズあだたらコンテストが復活し、4年ぶりの通常開催となった。
 山頂で神事を執り行い、安達太良連盟会長の三保恵一二本松市長らが登山者の安全を祈願した。先着3千人に記念ペナントを配布した。奥岳登山口では限定50個の缶バッジを販売した。
 山頂に着いた登山者は仲間と記念撮影をするなどして雄大な景色を満喫していた。福島市出身のタレントで安達太良山観光大使のなすびさんも大使として初めて山開きに参加した。
 安達太良山の中腹にある山小屋「くろがね小屋」が建て替えのため休業していることを受け、岳温泉の安達太良自然センターは、くろがね小屋前に試験的に1日限定で携帯トイレを設けた。
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さらに仙台に本社を置く『河北新報』さんも。

青空広く、山頂で達成感 安達太良山で山開き

 日本百名山の一つとして知られ、二本松市などにまたがる安達太良山(1700メートル)で21日、山開きがあった。晴天に恵まれ、県内外の登山愛好家らでにぎわった。
 登山者はロープウエーで山頂駅に向かい、汗を拭いながら約1時間半かけて尾根などを歩いた。周囲から突き出ていることから「乳首(ちちくび)山」とも呼ばれる山頂に着くと、美しい風景を写真に収めた。
 山頂付近では先着3000人に記念ペナントが配布され、安全祈願祭が開かれた。登山に適した格好を審査基準とするコンテストもあった。新型コロナウイルス禍の影響で中止や規模縮小していた山頂イベントの通常開催は2019年以来、4年ぶりとなった。
 姉2人と山頂からの眺望を楽しんだ仙台市宮城野区の会社員大内みな子さん(68)は「遠くに磐梯山がうっすらと見えて良かった。疲れもあるが、達成感が上回る」と満足そうに話した。
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最後に、二本松市長・三保恵一氏のツイート。「智恵子抄」「ほんとの空」の語を使って下さっています。ありがとうございました。
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当方も登ったコロナ禍前の令和元年(2019)には約9,000人の人出でしたが、この日は約4,000人だそうで、半減してしまいましたが、来年以降またじわじわと増え続けて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

暖炉には薪が音を立てゝ燃えてゐます 外はまつくらですが クリスマスにふさはしい霙がふつてゐます やがて雪になるでせう 明日の朝世界が真白な景色につゝまれてゐるかも知れないと思ふと子供のやうなうれしさを感じます 私は雪が犬の子のやうに好きですから 雪がつもるとすぐ外へ出て歩き廻ります

大正7年(1918)12月25日 渡辺湖畔宛書簡より 光太郎36歳

30年近く後、花巻郊外旧太田村で1年の3分の1は雪に包まれる生活を送ることになろうとは、この時点ではまったく考えていなかったでしょう。

昨日は智恵子の故郷・福島二本松に行っておりました。

智恵子生家/智恵子記念館さんを会場に、市の主催として昨日まで「高村智恵子生誕祭」が約1ヶ月間開催されており、さらに昨日は地元の智恵子顕彰団体・智恵子のまち夢くらぶさん主催による「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」も行われるということで、参上した次第です。

千葉の自宅兼事務所から愛車を駆って、片道3時間ちょっと。9時過ぎに到着しました。
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光太郎令甥の故・髙村規氏揮毫の「智恵子純愛通り」碑前で、「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」開会式。智恵子生家/智恵子記念館とさらに周辺の智恵子ゆかりの場所等を巡り、さらに光太郎詩碑の前で参加者が朗読をする、という内容です。似たような内容では以前も行われていましたが、今年から「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」と名付けたとのこと。参加者十数名でした。
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さっそく、碑のすぐ近くの智恵子生家、智恵子記念館へ。
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平常は非公開にしている生家二階部分の公開、昨日が最終日でした(また秋には実施されるはずですが)。
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何度も訪れているので、「また来ましたよ」と胸の内で智恵子の御霊にごあいさつ。
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一階部分では、これも昨日最終日だった「上川崎和紙で作る「智恵子の紙絵」体験」コーナー。
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道の駅「安達」智恵子の里内の二本松和紙伝承館さんの方がインストラクターで、和紙を切り貼りしてうちわを作れるそうで。こちらのうちわ一本、お土産に戴いてしまいました。

その後、車両3台に分乗して、附近のゆかりの場所巡り。

智恵子の母校、油井小学校さん。
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樹木のうち何本かは智恵子在学中(明治26年=1893~明治34年=1901)当時からあったそうで。

ちなみに以前に見つけて購入した明治末~大正初めの様式の古絵葉書。写っている松が上の画像の松です。
油井小学校
JR東北本線安達駅。一昨年除幕された、故・橋本堅太郎氏遺作の智恵子像「今 ここから」。
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一帯は現在、大規模区画整理中で、それが終わると像の正面、視線の先に安達太良山が望めるように設計されているそうです。

智恵子の実家・長沼家の菩提寺である満福寺さん内の長沼家墓所。
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酒造業を興した智恵子の祖父母、さらに発展させた両親、長沼酒造を嗣いで、しかし破産に導いてしまった弟・啓助、そして福島高等女学校在学中に夭折した末妹・チヨの墓石が並んでいます。花立てのうちの一基には「高村ちゑ」の名。智恵子の寄進です。
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ゆかりの地としてラストに生家裏手の鞍石山。光太郎詩「樹下の二人」詩碑が建っています。この詩碑も建立40周年だそうで。どうも元々光太郎の生誕100周年記念という意味合いもあって建てられたのではないでしょうか。

その詩碑の前で、参加なさった皆さんによる光太郎詩の朗読。
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さらに去る4月2日(日)の連翹忌の日に、二本松の「さつき山公園」というところであったイベントで光太郎智恵子がらみの「本当の空を忘れないで」という歌を披露されたユニット風信子(ヒヤシンス)さんのヴォーカリスト・村上有理香氏は、朗読に加えて「本当の空を忘れないで」をア・カペラで歌って下さいました。素晴らしい!
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ちなみにこの場所から見えた安達太良山頂とほんとの空。まだ雪が残っていました。昨日は山開きでしたが、麓から山頂が見えるということは、まずまずの天候だったようです。

最後は生家近くのかねすい智恵子の湯さんで昼食をいただき散会。その後、当方は引き続き現地調査を行い(国立国会図書館さんのデジタルデータリニューアルに伴い「むむむっ」という情報を得まして――ただし、ガセネタで、空振りでしたが(笑))、帰途に就きました。

地元紙『福島民報』さん、『福島民友』さんともに取材に来られていまして、いずれ報道が為されると存じます。ネットで拝読できる状況になれば、ご紹介します。

【折々のことば・光太郎】003

今年は世界の一隅に行はれてゐた殺戮がとにかく中止となつただけでも本当に心安らかな気持でゆかれるやうになりました どうかしても少し人間同士が了解し合ひ相愛し合つて 汚い私我を棄てゝ大きな宇宙の一つの精神に奉仕しつゝ生活してゆけるやうになりたいものと考へてゐます 少しでも其の為めになるやうに微少の自分も力を尽してゆきたいと念じてゐます 光りかゞやくものを人間の間に生みたいものとおもひます


大正7年(1918)12月25日 渡辺湖畔宛書簡より 光太郎36歳

世界の一隅に行はれてゐた殺戮」は、第一次世界大戦です。「も少し人間同士が了解し合ひ相愛し合つて 汚い私我を棄てゝ大きな宇宙の一つの精神に奉仕しつゝ生活してゆけるやうになりたい」、昨日、帰りがけの車中でウクライナ大統領ゼレンスキー氏の広島訪問の中継を見つつ、同じようなことを考えました。

しかしこう言っていた光太郎、約20年後の第二次世界大戦の際には、がっつり戦争に加担することになります。「光りかゞやくものを人間の間に生みたい」じゃなかったのか! です。

まずは地方紙『福島民友』さん、昨日の一面コラム。

編集日記 智恵子の生誕祭

「我(わ)が長沼智恵子などは、男をも凌(しの)ぐ新しさを持って、花のやうな未来を楽しんでゐる」。油井村(現二本松市)出身の画家高村智恵子は独身時代の1912年、大手新聞で「最も新しい女画家」と紹介された▼この評判に、夫の芸術家高村光太郎は後年、妻は無口で非社交的だったと「智恵子回想」で当惑気味に記した。ただ、この年26歳の智恵子は女性雑誌「青鞜(せいとう)」の表紙を描き、東京・上野の絵画展に出展するなど、充実した活動を送っていたのは確かだ▼その後、彼女は貧しい結婚生活の中で病を重くし、画家として世に出ることはなかった。今も広く知られるのは詩集「智恵子抄」のヒロイン、詩集を著した光太郎の妻として。そう考えるとやるせない▼智恵子の誕生日5月20日に合わせ二本松市の智恵子の生家と記念館で「生誕祭」が開かれている。そこで26歳の智恵子と出会える。青鞜の新年会の集合写真の真ん中で、彼女は編集長の平塚らいてうらを従えるように存在感を発揮している▼今や「女流」の言葉は消え、県内でも若手アーティストたちが個性を発揮する。そんな「花のような未来」を切り開いた一人が智恵子だった。写真の彼女を見ると、その思いが強くなる。

「大手新聞」は『読売新聞』。明治45年6月5日に連載「新しい女」の第17回として、以下の文章が載りました。
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△最も新しい女画家 日本の洋画界は日に日に新しい方へ新しい方へと進んで行く、印象派、後期印象派――未来派はまだ現はれないが、ホイツスラアはもうズツト古くなつて、ゴオホやゴオガンが、そこらこゝらに大胆な色彩と運筆とを競つてゐる。然し、それは男だけで、女には吉田ふじを、吉田ゆき子など油を溶くもののあるはあるが、皆忠実な『写す人』に過ぎない、この中にあつて我が長沼智恵子などは、男をも凌ぐ新しさを持つて、花のやうな未来を楽しんでゐる
△郊外の新屋 府下高田村雑司ヶ谷七百十九、鬼子母神境内の墓地を過(よぎ)つて埃の白い街道を左へ郊外の閒(しづ)かさを飽迄も吸つた新築の家、夫(それ)は六畳と四畳半と丈の、小さくて明くて、サツパリとしてそれ自らが画室の様だ、こゝに妹と二人で住んでゐる、室の一隅には露西亜更紗の三尺四方ばかりの上にプリミチブな泥人形やハリコ人形などが赤く青く白く黒く黄いろく散らかしてあり、床の間には古い印度瓶へ自分でエヂプト風の図案(デツサン)を描き、それに挿した芍薬の花が、もう萎れている、その傍にはやゝ大きな額縁が二つ、自由な意匠の小さな壺が三つ四つ、窓の前の卓子(テーブル)にはグラス函入の絹鞠が光り、その下の机には巻紙に何やら細かく書きかけてある、絵の具箱、カンバス――このほかには箪笥もなく鏡台も見えない、かうした周囲を背景にして、素袷の襟を搔きあはせつゝ赤白の碁盤縞の布をかけたチヤブ台の前に坐つた二十四歳の、新しい女の芸術家を、まづ想像して見たまへ
△女子大学出 女史の故郷は岩代国二本松、家は酒商、同胞(きようだい)は八人、三十六年に上京し女子大学校附属の高等女学校を卒業後すぐ同大学の家政科に進んだ、コクメイな家政科の学課が気分に合はなかつかことは言ふまでもないが、父は父として愛する娘を『女』にすることを誤まるまいとした。然し金はありあまるほどなので、四十二年に卒業して後は好きな画を描いて過すことを拒みはしなかつた。それで太平洋画会へ入つたが、辺り近所でモデルと首つ曳きでコツコツとやつてゐるのを見るとバカらしくてたまらない、四五十人の間にあつて女史のカンバスにだけはいつも自分の『心もち』が表はれた、然しその自由な形、自由な筆は、決して近ごろの流行に始まつたのではない、子どもの時、好んで土蔵の壁や石板へ『へのへのもへじ』や『てんぐ』を書いたものだが、其罪のないプリミチブな処こそ今もなほ尊く思はれるといふ
△ケチな芸術に非ず 『好きなのは、やはりゴオガンのです』話す時、その声は消えるやうに低くなる、『この頃描きましたのは――』と立つて壁によせかけた小さな板を裏返して『ぢきこの近くなのです』、見ると、木立の間から畠を越えて夕空が明るくのぞかれる、木の葉といひ草の葉といひ、女とは思はれぬほどつよくそして快く描いてある、ふとセザンヌの雨の画を思ひだしたので、そのことをいふと『えゝセザンヌもほんとにようございますわね』と子どもらしく口を開いて目をほそめた、好んで行くのは浅草の池の辺(ほとり)あの活動写真の小舎(こや)などの毒毒しい色彩がたまらないさうな、けれども売らなければ食へないといふのではない、そんなケチな芸術ではない、また世の中に知られようとも思はない、自分の芸術は自分のための芸術なのである、それで展覧会へも出品したことはなかつた、この春はじめて太平洋画会へ出品したが、『紙雛』の一枚は、すぐ売れてしまつた、美術界には盲はゐない、然し自分では『ホンノ小さな板ツぺらなのですの、』と嬉しいとも何んとも思はないらしかつた、やがて手づから台所へ行つて運んだ茶盆の上には赤と青との太い線を引いた茶碗と土瓶とが午後の光に浮かぶやうにのせられてあつた


全体のトーンとしては、好意的ですね。『青鞜』の面々に対しては非難囂々だったこの当時、珍しい評です。ところどころ史実と異なるところがあるのですが。

また、『福島民友』さんにある「青鞜の新年会の集合写真」はこちら。
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場所は大森の富士川という料亭。中央が智恵子、右から小磯俊子、平塚らいてう、保持研、左端が荒木郁子。なるほど、『福島民友』さんにあるように「真ん中で、彼女は編集長の平塚らいてうらを従えるように存在感を発揮してい」ますね(笑)。当方の考えとしては、こうした会合に智恵子が顔を出すことが稀だったので、そのため特別待遇で最前列中央に据えられたのではないかと思うのですが。

この写真、『青鞜』の明治45年1月号に掲載されました。同じ号には新年会のレポートも載りました。智恵子に関わる部分はこちらに抜粋してあります。

ところで最近、この時代の智恵子評で、これまでの光太郎智恵子関連書籍に載っていなかったと思われるものを見つけました。上記写真右端の小磯俊子が書いたものと思われます。智恵子だけでなく、らいてう、荒木郁子、尾竹紅吉らについても述べられていて、「青鞜の女」という題にまとめられています。掲載誌は『女子文壇』第8巻第10号、大正元年(1912)10月号です。
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智恵子に関する部分はこの通り。

 夢から出て夢を通り夢に入る。さう云つた様な永沼さんといふ人。
 永沼智恵子――かう書いて私は永から手を出さうか智から手をつけて見様(みやう)か迷つて仕舞ふ様なまぼろしの女、其の人の話をじつと聞いて居ると、何処からどう声が出てどう通つてどう耳に流れ込むのか判然しない様な調子で話されてぶつつり、かと思ふとぼうつと尾が切れて仕舞ふ。暗い時に、人の居ない処で、かう云ふ声でかう云ふ調子で話しかけられたら、気の弱い女はふるへ上るかもしれない。
 綿をまるめてぶつつけたやうに、フワリとぶつかつて後(のち)は、ヒトダマの消える様に消える永沼さんと云ふ人は、すべての人をうつゝにおびき出す魔女の様だ。
 無気味で手の出しにくひ小さい目と、植木鉢をさかさまにして、その上に石をのせたのをかぶつて居る様な髪の後形(うしろかたち)とが、自身の性格の、いつはりなきあらはれぢやあるまいか。
 夏の真昼になまぬるいサイダーを歯の奥でかみしめる時、其の目とその髪型とを思ひ出さずには居られない。


語尾がはっきりしないしゃべり方だったけれど、それが不思議な魅力でもあったという智恵子の特徴がよく表されていますね。

既にお気づきと思いますが、智恵子の旧姓「長沼」が「永沼」と誤記されています。そのため、これまでに刊行された光太郎智恵子関連書籍に洩れていたのではないかと思われます。もっとも、よくよく探せば何処かには引用されていたかもしれません。どうも当方、この世界に入って最初の頃に読んだ文献は細かいところまで覚えていないきらいがありまして……。「これ、この本のここに載ってるよ」というのがありましたら御教示いただけると幸いです。

ところでこの文章、国会図書館さんのデジタルデータリニューアルに伴い、発見しました。正攻法ではなく搦め手からの発見です。ひねこびた性格の当方ですので、「昔から誤記や誤植はあったはず」と、光太郎智恵子の名、考えられる誤植のパターンで検索をかけた中で、「永沼智恵子」と入れてみたら見事にこれがヒットしたのです。

実は他にもありまして、「高村智恵子」ではなく「高村智慧子」で検索してみたところ、驚くべき発見もありました。大正12年(1923)6月1日発行の『女性日本人』第4巻第6号です。
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この号には「女性の好む男と男性の好む女のタイプ」というアンケートが掲載され、生田花世ら12名が回答を寄せていますが、智恵子のこの文章はそれに回答できなかった詫びで、巻末の「おたより」欄に別途掲載されています。たったこれだけの短いものですが、智恵子の遺した文章は絶対数が少ないので、これだけでも大きな発見といえます。

ちなみに智恵子は前年11月の同誌第3巻第9号に「哀憐な美しさを見ます」「芝居好きの婦人と読書好きの婦人と」の2本のアンケート回答を寄せていて、そちらは既刊の光太郎智恵子文献に掲載されています。ただ、これも当該号の目次欄では片方が「高村智慧子」と誤植されていました。

過日もお伝えしましたが、これまで広く紹介されていなかった智恵子写真や智恵子装幀の書籍などを見つけることもでき、ここにきて新たな智恵子の姿がまた見えてきたような気がします。

さて、「智恵子生誕祭」、さまざまなコンテンツが用意されています。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

「アルス」昨夜拝見。大変きれいに出来ました。お喜びを申上げます。「ランスの本寺」の訳文の文章の拙いのに心を痛めてゐます。ロダンに済まない気がしてなりません。どうかして其の償ひをしたい気がしてゐます。あゝ済まない、済まない。あの美しい文章がこんなになるとは何といふ事だらう。 あんまり字句に忠実すぎて却て堅くなり過ぎました。自分の馬鹿。


大正4年(1915)4月5日 北原白秋宛書簡より 光太郎33歳

アルス」は白秋が出していた雑誌で、この月に創刊されました。光太郎はロダンの翻訳「ランスの本寺」を寄稿していますが、それが納得行かなかったようで……。

その後の『アルス』に載せ続けた訳などを集成し、翌年には訳書『ロダンの言葉』が刊行されます。

先月2日、3回連続でコロナ禍により中止していた光太郎忌日・連翹忌の集いを4年ぶりに執り行いました。初めてご参加下さった方も多く、また少し輪を広げることができたかな、と感じました。

そうした中で、集まった方々の光太郎智恵子愛に啓発というか、触発というか、そんな感じで新たにいろいろなさった方の活動をご紹介します。

まず詩人の吹木文音氏(連翹忌にはご本名でご参加)。玉稿の載った同人誌をご送付下さいました。福島の「北方詩の会」さんで刊行されている『北方』。季刊のようで、今年1月の190号と4月の191号をお送り下さいました。
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002光太郎智恵子がらみですと、191号に「憧憬 智恵子の彩り」という散文。連翹忌の集いの様子にも触れて下さった上で、簡にして要を得た智恵子評伝。曰く「容姿、造作、衣服に止(とど)まらない、人間性から輝き出す真の彩り。憧れの智恵子に倣って、私も磨いてゆきたいと思う」。

また、190号に載った「白河の関に寄せて」という散文でも「高村光太郎の「智恵子抄」で「ほんとの空」と謳われた安達太良山の向こうの青空を求めて旅する人は、今も後を絶ちません」のひと言。ちなみに吹木氏ご自身は栃木県にお住まいですが。

奥付画像を貼っておきます。ご入用の方はご参考までに。

吹木氏、智恵子を主人公とした小説なども書いてみたい、的なこともおっしゃっています。期待大ですね。

もうお一方、茶山千恵子氏。富山県ご在住、彼の地で演劇や朗読等で光太郎智恵子の世界を広めて下さっている方です。大学が家政科食物栄養専攻だそうで、料理の腕前もプロフェッショナル。ご自宅を開放して、ランチやらスイーツやらを予約の方々に振る舞われる活動もなさっています。

で、今月14日から、月に一度、「光太郎ランチ」だそうで。
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元ネタが、岩手花巻で光太郎の顕彰活動をいろいろやられているやつかの森LLCさんで一昨年発行された「光太郎の食卓カレンダー」。かつて『花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)』さんに連載されていた「光太郎レシピ」をカレンダーにしたものです。

発行当時、これをごっそり戴いたので、SNSで「ご入用の方、送料のみでお頒けします」的な書き込みをしたところ、茶山氏も食いついてこられ(笑)お買い求め下さいました。で、今年の連翹忌でやつかの森LLCの方々とお会いになって許可を取り、再現なさるそうです。ただ、今月分は既に予約がいっぱいだとのことですが。

これを饗しながら、光太郎智恵子についてもレクチャーをして下さるようで、有り難いかぎりです。茶山氏のレポート等が届きましたらまたご紹介します。

以前も連翹忌の集いを通してお知り合いになった方々がタッグを組んで新たな活動を始められたりということが多々ありました。遠く昭和の世にもそういうことがあり、埼玉県東松山市に光太郎胸像を含む高田博厚の作品群を並べた「彫刻プロムナード」が出来たのも、同市教育長であらせられた故・田口弘氏が連翹忌の席上で高田と意気投合したのがそもそもの始まりと聞いています。そうした例はたくさんあったのでしょう。

そして今後もそうした例がふえることを願って已みません。やはり人々が直接顔を合わせ、その上で共鳴し合ったり、新たな出会いを通して新たな方向性が見えてきたりといったことがあるはずです。そういうきっかけを作れる場としての連翹忌の集いでありたいと思う今日この頃です。

【折々のことば・光太郎】

「道程」をみてくれた相で恐縮した 本来なら贈るのだがどうもあんまり不満足な作ばかりなのでつひ止して居た 「道程」はまだ駄目だ ただ此からやつと行ける道が見えただけだ まだ道程にも上つて居ない事が解つた あれを出した為めに自由になつた気がするだけはよかつた

大正3年(1914)12月27日 柳敬助宛書簡より 光太郎32歳

この月22日に行われた智恵子との結婚披露宴出席の礼状を兼ねた書簡から。10月に刊行した詩集『道程』に触れています。

智恵子との結婚も果たし、まさしく「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という心境だったのでしょう。しかし、それはある意味、「茨の道」でもあったのですが……。

どうでもいいことではありますが、このブログ、12年目に突入しました。昨日まで11年間、1日も休まずに更新しています。どこまで続くか自分でも楽しみです(笑)。

閑話休題。智恵子の故郷、福島県二本松市での智恵子生誕祭。さまざまなコンテンツの総称です。

『広報にほんまつ』さんの今月号から。
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先陣を切って始まった、紙絵の実物展示に関し、地元紙『福島民友』さんが報じています。

智恵子の紙絵実物を展示 二本松、記念館で生誕祭

005  二本松市の智恵子の生家・智恵子記念館は27日、同市出身の美術家高村智恵子の誕生日の5月20日にちなんだ恒例イベント「生誕祭」を始めた。5月21日まで、紙絵の実物展示や智恵子の居室特別公開など多彩に繰り広げている。
 実物展示は年2回行われ、今回は「菊」「白い小鉢」「花パターン」など10点を5月7日まで公開している。また女流画家を目指すなど自分を貫く生き方をした智恵子のエピソードを紹介、来館者にメッセージを書いてもらう企画も行っている。
 生家では29日からの大型連休中と土、日曜日に、普段公開していない智恵子の居室を特別公開する。5月13、14、20、21日には同市の伝統工芸「上川崎和紙」を使い、しおりなどを作る制作体験も行われる。
 開館時間は午前9時~午後4時半(最終入館は同4時)。水曜日休館(3日は開館)。入館料は高校生以上410円、小・中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。

もう1件、若干先の話ですが、やはり『広報にほんまつ』さんから。

智恵子のまち夢くらぶ主催 高村智恵子生誕祭 智恵子を偲ぶ鎮魂の集い

期 日 : 2023年5月21日(日)
会 場 : 智恵子純愛通り記念碑前(雨天時は智恵子の生家前)
時 間 : 9:00~14:00
料 金 : 一般 2,000円 中高生1、000円(昼食、入館料、保険含む)

内 容 
 第1章 智恵子ゆかりの地を巡る
 第2章 「樹下の二人」詩碑建立40年記念朗読会 参加者による一人一作品の朗読
 第3章 高村光太郎生誕140年記念「智恵子と光太郎を語る昼食会」 かねすい智恵子の湯

問い合わせ 智恵子のまち夢くらぶ 0243-23-6743

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こちらのイベントは市の主催ではなく、地元で智恵子顕彰活動をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん。

ふるってご参加下さい。

【折々のことば・光太郎】

Please acept my little book which has just been published. These are poems ; not so-colled poems. I simply hope that I live and breathe in them.


大正3年(1914)10月20日 バーナード・リーチ宛書簡より 光太郎32歳

邦訳は以下の通り。

今度公刊された僕の小さな本を受け取って下さい。これらは僕の詩です。世に言う詩ではない。僕はこれらの中に生き、呼吸したいと願う。

「僕の小さな本」は、光太郎第一詩集『道程』です。奥付では25日発行となっていますが。
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智恵子系のイベント情報等、3件まとめてご紹介します。

まずは智恵子の故郷、福島二本松から、「智恵子生誕祭」。期間中、さまざまなプログラムが用意されており、その総称です。

高村智恵子生誕祭

期 日 : 2023年4月27日(木)~5月21日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:30
休 館 : 5月10日(水) 5月17日(水)
料 金 : 大人(高校生以上)410円(360円)
      子供(小・中学生)210円(150円) (  )内団体料金

 智恵子の生家 二階特別公開
  公開日 4月29日(土) ~5月7日(日) 5月13日(土)・14日(日)・20日(土)・21日(日) 

 「紙絵」実物展示
  展示期間 4月27日(木)~5月7日(日)
  展示場所 智恵子記念館展示室
 
 上川崎和紙で作る「智恵子の紙絵」体験
  開催日 5月13日(土)・14日(日)・20日(土)・21日(日)
  開催場所 智恵子の生家

 智恵子の生き方を想う~自分らしく生きるために~
  “自分を貫く”人生を送った智恵子のように、皆様自身の“自分を貫く”生き方について
  考えてみませんか。館内のカードに自由にご記入下さい。
  開催日 4月27日(木)~5月21日(日)
  開催場所 智恵子記念館

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ちなみに智恵子の誕生日は明治19年(1886)5月20日です。

続いて、千葉から。朗読のイベントです。

【千葉県150周年記念】文学で千葉を旅するカフェ

期 日 : 2023年4月29日(土) 4月30日(日) 5月3日(水) 5月4日(木)
会 場 : 戸定が丘歴史公園内『松雲亭』 千葉県松戸市松戸714-1
時 間 : 各日11:00~ 13:00~
料 金 : 1,000円(チケット代、飲み物付き)

千葉県誕生150年と言う記念すべき年を祝し、県内各地を舞台にした文学作品(抜粋)の朗読とカフェを楽しんで頂く企画です。座敷用ローチェアのご用意もございます。事前にチケットをご購入の上、ご参加ください。(チケットのお申し込みは090-8101-9347まで)

朗読作品は、司馬遼太郎「北斗の人」、太宰治「黄金風景」、乙川優三郎「地先」、高村光太郎「智恵子抄」、田山花袋「弟」等です。
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最後に都内から。

ニヒル牛・旅の本展

期 日 : 2023年4月22日(土)~5月18日(木)
会 場 : ニヒル牛 東京都杉並区西荻南4丁目31−10
時 間 : 12時~20時
休 館 : 会期中無休
料 金 : 無料

2000年6月1日に開店した、石川浩司プロデュースのアートギャラリー雑貨店です。誰かにとって唯一の宝物が隠れている店。世界にひとつしかない手作りの物、かっこいい物はもちろんだけど、少しいびつだったり間抜けだったりする愛しい物達、それを見つけた瞬間のわくわくとした幸福に、出会える店が出来たらとニヒル牛は考えました。

今年も始まっております。ニヒル牛・旅の本展!ニヒル牛のGWはもちろんこれ!! 楽しい旅本、探しにいらして下さい。
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こちら、ギャラリーで、自主制作的な書籍を販売されているようです。

20冊ほどのラインナップの中に、「たむら来夢(うこわや)」さんという方の『2022年潜在意識を探る旅(二本松・桑名)』、750円。
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表紙は明治45年(1912)1~3月、雑誌『青鞜』に使われた智恵子によるアマドコロの表紙絵(かつては「スズラン」とされていましたが)があしらわれています。内容的にも智恵子に詳しく触れられているようで。

会場のニヒル牛さんによる評が「読み始めてすぐ、旅一番の目的がだめになるのに困惑したり、高村智恵子の性格にびっくりさせられたり。相変わらず、ハラハラドキドキが連続の旅本です。そしてタイトルの意味は?!」だそうで。

ちょっと気になりますので、会場に足を運んで購入してこようと思っております。

他のイベント共々、みなさまもぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

私は今クリストフを訳しながら激昂してゐます。クリストフの心理状態をよく了解出来るからだとおもひます。私は此を訳す事を喜んでゐます 其の純仏蘭西な魂も私を躍らせます。


大正2年(1913)2月22日 『フユーザン』掲載書簡より 光太郎31歳

クリストフ」はロマン・ロラン作の「ジャン・クリストフ」。この年、同作の光太郎による日本初の翻訳が「反逆-ジヤン クリストフより-」の題で、雑誌『フユーザン』に3回に分けて掲載されました。

智恵子の故郷・福島県二本松市の『広報にほんまつ』、今月号から。

このところ、毎年4月号は「安達太良の ほんとの空に さくら舞う」の見出しで市内の桜を特集しています。「ほんとの空に さくら舞う」は、令和元年(2019)に同市で開催された「2019全国さくらシンポジウム」のキャッチフレーズでした。
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智恵子生家/智恵子記念館も行程に入っている臨時の市内循環バス「春さがし号」(明後日から運行)の案内なども。

時刻表等は以下の通りです。
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新幹線等で訪れられる方は、これを使うのも一つの手ですね。

もう1件、日本税理士会連合会さんの監修、株式会社ぎょうせいさんの発行になる『月刊税理』の今月号。中央大学法科大学院教授の酒井克彦氏の連載「酒井教授の百名山おぢ散歩」(見開き2ページのコラム的な)が「第12回 安達太良山」で、光太郎智恵子に触れて下さっています。多謝。
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010ぎょうせいさんの公式サイト、Amazonさん等で、今月号のみ購入可能です。ただ、この後引用されている『智恵子抄』中の詩の制作背景等、ちょっと勘違いされているのですが……。

また後ほど詳しくご紹介いたしますが、二本松では今月末から恒例の「高村智恵子生誕祭」として、通常非公開となっている智恵子生家の2階部分の限定公開や、智恵子記念館では智恵子紙絵実物の展示もありますし、来月には安達太良山の山開き、さらに地元で智恵子顕彰をなさっている「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催のイベント等も計画されています。

まずは桜。もう関東では終わってしまっている感がありますが、東北はこれから盛りなのでしょう。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

来月末には僕の城郭も略ぼ竣工するだらう。


明治45年(1912)4月(推定) 水野葉舟宛書簡より 光太郎30歳

僕の城郭」は、駒込林町25番地の、住居兼アトリエ。光太郎自身が設計しました。安藤仁隆氏により、その詳細な図面等が復元され、イギリス風の建築であったことなど、かなり詳細な部分が解明されています。
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「智恵子抄」がらみの演奏会等情報を2件。

まずは都内から。

朝岡真木子歌曲コンサート第6回

期 日 : 2023年3月21日(火・祝)
会 場 : 王子ホール 東京都中央区銀座4-7-5
時 間 : 14:00開演
料 金 : 全席自由 4,500円

曲 目 
 「春を待つ歌」(新作初演) 詩:こわせ・たまみ 
 「わたしは魔女」( 〃 ) 詩:こわせ・たまみ
 「わたしが一番きれいだったとき」「吹抜保」 詩:茨木のり子
 「そのとき十八の春」「梅干し」 詩:岡崎カズヱ
 「きつねのよめいり」 詩:野上彰
 「春満開」 詩:柏木隆雄
 「海の宵待草」 詩:こわせ・たまみ
 「さくらと はなびら」 詩:まど・みちお
 組曲〈あなたへ〉より「あこがれ」「あなたへ」「夢とおく」 詩:星乃ミミナ
 組曲〈智惠子抄〉より「千鳥と遊ぶ智恵子」「値ひがたき智恵子」 詩:高村光太郎
 他

出 演
 木内弘子(ソプラノ) 黒川京子(ソプラノ) 品田昭子(ソプラノ)
 福成紀美子(ソプラノ) 前澤悦子(ソプラノ) 清水邦子(メゾ・ソプラノ)
 馬場眞二(バリトン) 朝岡真木子(作曲・ピアノ)

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作曲家・朝岡真木子氏の歌曲作品のコンサートです。

昨年9月、旧東京音楽学校奏楽堂さんにおいて行われた「清水邦子リサイタル 清水邦子が贈る朝岡真木子の世界」で演奏された「組曲 智惠子抄」から抜粋で「千鳥と遊ぶ智恵子」と「値ひがたき智恵子」が演奏されます。歌唱は同じく清水邦子氏、ピアノは朝岡氏ご本人です。

昨年11月には、今回と同じ王子ホールさんで「えつ子とまき子のコンサート 2022秋」が開催され、その際にはやはり清水氏が「組曲 智惠子抄」から抜粋の「あどけない話」と「レモン哀歌」を歌われました。

清水氏、すっかり「智恵子抄」の世界に嵌ってしまわれ、「組曲 智惠子抄」のみを収めたCDをリリースされます。ちなみに当方、ライナーノートを書かせていただきました。また改めてご紹介いたしますが、今回のコンサート会場で販売されるようです。また、日比谷松本楼さんで行う4月2日(日)の第67回連翹忌の集いにも朝岡氏、清水氏がご参加下さり、「組曲 智惠子抄」から抜粋で演奏をしていただきますし、会場内でCDの販売も行います。

もう1件。こちらはサブタイトルに光太郎詩「あどけない話」由来の「ほんとうの空」(本当は「ほんとの空」ですが……)の語を冠してくださっています。

第16回 声楽アンサンブルコンテスト全国大会 - 感動の歌声 響け、ほんとうの空に -

期 日 : 2023年3月16日(木)~19日(日)
      3月16日(木)中学校部門 3月17日(金)高等学校部門
      3月18日(土)小学生・ジュニア部門、一般部門
      3月19日(日)各部門金賞受賞団体による本選、表彰式
会 場 : ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂) 福島県福島市入江町1-1
時 間 : 各日、開場9:30 開演10:00
料 金 : 各部門予選  前売り 1,500円 当日 2,000円 
      本選     前売り 2,500円 当日 3,000円
      4日間通し券 前売りのみ 8,000円

このコンテストは、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」に焦点をあて、全国からトップレベルの声楽アンサンブルグループが福島に集い、日本の合唱レベルの向上を図るとともに、音楽文化の振興発展に寄与し、歌うことの楽しさを全国に発信するコンテストです。
青く澄みわたる“ふくしまの空”に、皆さんの心のハーモニーを響かせてください。
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この大会、平成20年(2008)から行われているものですが、平成23年(2011)の第3回大会は東日本大震災のため中止。復活した翌年の第4回大会から、サブタイトルに復興の思いも込めてでしょう、「感動の歌声 響け、ほんとうの空に。」と冠して下さるようになりました。

その後、令和元年(2019)に第12回大会までは順調に開催。だんだん規模も大きくなり、海外からの参加やゲスト団体によるスペシャルコンサート、参加団体での交流会なども催されていました。ところが令和2年(2020)の第13回大会はコロナ禍のため中止、令和3年(2021)の第14回大会は無観客で規模を縮小して実施、昨年の第15回大会は、またもや直前に福島で起こった地震のため中止……。紆余曲折を経て今回に至ります。

コロナ禍からの復興という意味合いも含め、「感動の歌声 響け、ほんとうの空に。」を実現させてほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

驚きて走せ帰りたり。今より信州に遺骨を訪ふつもり、そんな事でもせずては荻原君の死んだのが本当に思へず、奈良の感興もめちやめちやなり


明治43年(1910)4月25日 水野葉舟宛書簡より 光太郎28歳

光太郎の親友・碌山荻原守衛の死はこの年4月22日。光太郎はこの時、奈良に旅行中でした。もう一人の親友、水野葉舟も後から奈良で合流する予定でした。

その葉舟の回想「日記の中より(故荻原守衛氏に対する記憶)」から。

 明治四十三年四月二十三日。この日は自分たちにとつて、記憶すべき日となつた。荻原氏の逝かれたのは、後で聞いたのではたしか其の前日であつたと思ふが、自分が此の意外な報道を見たのは此日であつた。
 この朝、自分は平常のやうに目を覚した。この頃は自分の心の中(うち)に、奈良旅行の計画と、その為めに順序を立てゝある仕事とで、占領され尽して居た。
(略)
 この旅に一緒に行かうと約束をした高村光太郎君は、一週間も前に、既に東京を発つてしまつた。自分はたゞ自分の仕事の上で気が急けるばかりで、早くこの旅に出たいといふばかりで、その朝も眠りから覚めたのであつた。
 で、起きると枕元に置いてある新聞を取つて広げて見た。すると荻原守衛氏逝くと書いた標題が目に入(い)つた。
 自分はまだ寝起きの極めてぼんやりした心持に、尚ほ微かに茫然とした。実に思はざる事だ!……
 暫くその標題を見詰めて居たが「偽だ!」と言ふやうな心持が、反抗的に胸に起つた。急いで、ありたけの新聞を広げて見たが、どれにも、明かに氏の逝かれたと言ふ事が書かれてあつた。とも角この三四十時間前に、此一芸術家が此世から去たと言ふ事が事実であつたらしい。
 自分はすぐ床を出た。そして書斎に入つて来ると、前夜までに仕かけた仕事が、ちやんと机の上に置いてある、それを見ながら、その前に坐ると、たゞ寞然と考へた。「荻原氏が死んだ!」と、はてしもなく考へた。
 先づ、第一に胸に起つたのは、奈良に行つて居る高村君はこの報道を聞くとすぐ引き返して来るだらう。吾々の奈良行きもこれで駄目だ……と言ふ事だつた。この考へがすぐ胸に来た。続いて、心が次第に氏の死なれたと言ふ事に集つて来た。
 道を歩いて居る人が倒れた。今迄、自分の目の前に確実(たしか)な足どりで道を歩いて居た人が、ばたりと倒れた。それと同時に、その人の思想も、手も、口も力が落ちた。自分は今、此偶然で、且驚く可き事実を眼前に見て居る。心が漸く沈んで深い暗いものに対して居るやうに思はれて来た。


予期せぬ急逝の報に接した場合の混乱がよく表されていますね。自分の生活は昨日までとまったく同じ延長線上にあるのに、他人の身の上に理不尽とも思える死が突然襲ってくる、という……。

当方も、1月に突然母を亡くしまして、同じような感懐を持ちました。

昭和48年(1973)竣工で、智恵子の紙絵を原画として使用した巨大壁画をもつ神戸文化ホールさんにつき、仙台に本社を置く『河北新報』さんが取り上げています。
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東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)さんの移転にともなう跡地利用等の問題の参考に、というコンセプトの記事ですが。

存続求める根強い声<Re 杜のまち 他都市の「跡地」(中)神戸・文化ホール>

 仙台市青葉区から移転することが決まっている東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)の跡地活用に注目が集まる。杜の都を象徴する定禅寺通から消えるにぎわいの拠点。「その後」を一体どうするのか。公的施設の老朽化に直面し、まちの再構築に取り組む他都市に学ぼうと、広島、神戸、秋田3市の現場を歩いた。
 視線の先に巨大なアジサイの壁画が現れた。高村智恵子作の紙絵がモチーフで、高さ10メートルを超える。9月で開館50年を迎える神戸市の神戸文化ホールの象徴だ。
 年間45万人が利用する音楽や演劇の拠点だが、2017年に移転話が浮上。市は「30年度以降」をめどに、中心地のJR三ノ宮駅前に大・中ホールを移す。ただ跡地は建物を解体するか、残すかも含めて検討が始まっていない。
 訪れたのは1月下旬。地域の人が跡地についてどう考えているかを聞こうと、向かいのラーメン店に入った。ホール利用者やコンサートの観客が大勢来店するそうで、店の休みは休館日に合わせている。
 「ホールのように人が集まる施設であればいいが、どうなるのだろう」。父の代から約20年、この地で営業する大谷祐己さん(40)は影響を測りかねていた。
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■にぎわいづくりに軸足
 市は移転理由の一つに施設の老朽化を挙げる。18年には劣化した天井の板が落下するなどしたため、3カ月の休館に追い込まれた。
 運営する市民文化振興財団常務理事の須藤晃司さん(55)は「幸いけが人はいなかったが、移転するまで気を抜けない」と言う。
 海外オーケストラの公演会場だった文化ホールでは近年、兵庫県内に大型ホールが複数できたこともあって、中高生の部活動や市民サークルが成果を発表する機会が増えた。
 隣の公園は演奏会の時、練習や昼食の場所として定着した。「移転する都心部に、こういう所があるだろうか」。須藤さんは不安を口にした。
 移転先の環境はどうか。大ホールが移る中央区役所などの跡地は、建物の解体工事が進んでいた。西側の土地には中ホールが移転する。ともに交通量の多い国道2号に面した一等地。屋外で練習するのは難しいだろうと率直に感じた。
 市は新ホールを「国際都市にふさわしい芸術文化施設」と位置付け、新バスターミナルや商業施設、オフィス棟、図書館、ホテルとの複合施設にする方針。
 「ホール移転は都心部再整備の目玉。来た人が周辺も歩く回遊性を持たせたい」。市文化交流課の担当者の説明を聞き、移転計画は街中のにぎわいづくりに軸足を置いていると思った。
 市の方針に、県内の文化芸術団体の関係者らでつくる市民団体「神戸をほんまの文化都市にする会」(神戸市)は異を唱える。
 代表の竹山清明さん(77)は「中途半端に造っても大阪に都市間競争で勝てない。文化芸術活動を活発にするため、現ホールを改修して、市民向けに開放するべきだ」と存続を求める。
 都心部のにぎわいか、市民や生徒らの活動の場の確保か-。
 神戸文化ホールの移転計画は、まちづくりの重要な課題を示している。50年の歳月が培った文化は地域に根付く。仙台市青葉区の東京エレクトロンホール宮城(宮城県民会館)の跡地活用を検討する際も、その視点を忘れてはならない。

[神戸文化ホール]2017年に大規模改修ではなく、建て替えを前提に検討する方向性をまとめた。現在の大ホール(2043席)と中ホール(904席)をJR三ノ宮駅前の再整備地区に移転し、多目的の大ホール(約1800席)と音楽や演劇に対応する中ホール(約700席)とする。市が21年8月に改定した整備計画で、跡地活用の記載は「全市的な視点により再整備の検討を進める」などにとどまる。

色即是空、諸行無常。形あるものはいずれ無に返るものではありますが……。

ところで、別件ですが、智恵子つながりでテレビ番組の再放送情報。もう今夜のオンエアです。

おかしな刑事〜居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査

BS朝日 2023年3月7日(火) 19:00〜20:54

「東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!」▽テレビ朝日系列で2011年に放送された第8シリーズ。

ある日、東京タワー近くの公園を訪れた鴨志田は、30年前に同所で起きた幼女誘拐事件の被害者の父と再会する。その事件の主犯は交通事故死、懸命な捜査の甲斐なく共犯者の行方もわからないままだった。その夜、会社社長の冬木が刺され、重体となる事件が発生。冬木のもとには「東京タワーは知っている」という脅迫状が届いていた。そんな中、ホームレスの男・駒田が刺殺体で発見された。鴨志田は“駒田”という名字が気にかかり…

◇出演者
伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 ほか
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初回放映時のサブタイトルが「地上333メートルの殺意!! ホームレスが隠した事件の謎!? 安達太良山で待ち受ける真実!! 『智恵子抄』に秘められた想いとは…」。

つい先月20日にも地上波テレ朝さんで再放送があったばかりですが……。ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

僕は来月あたり船にのりこんで帰途につくかも知れない。金の都合で一寸わからない。

明治42年(1909)4月27日 水野葉舟宛書簡より 光太郎27歳

その言葉通り、5月15日にはいったんパリからロンドンに渡り、テームズ河口から日本郵船の阿波丸に乗って帰国の途に就きます。

モデルの指の動き一つすらその真意を了解不可能な西欧に居続けるより、早く帰って日本に新しい芸術を根付かせる魁けたらんという決意、さらには徴兵検査を先延ばしにしていたことも理由の一つです。

今日は3月3日、桃の節句ですね。

智恵子の故郷、福島二本松の『広報にほんまつ』今月号から。

ひとつひとつに想いを込めてつくる つるし雛かざり

 子ども達の健やかな生長を願って手作りでひとつひとつ作られるつるし雛。市内各所で「おひなさま」や「つるし雛かざり」が飾られます。

 大平地区で活動している「ゆんたく」。平成22年に「手芸サークルをやりたいね」と話していたところ、翌年3月に東日本大震災が発生。大平地区にも多くの方が避難するようになりましたが、その年の秋に、浪江町の方も一緒に「手芸ボランティアサークル『ゆんたく』」として活動を始めました。
 活動としては、手芸のほか、社会福祉協議会の配食サービスに併せてプレゼントをしたり、地元の小学生に「ぞうりストラップ」をプレゼントしたりと、自分たちも楽しみを持ちながら「半分ボランティア半分たのしみ」として活動しています。
 つるし雛かざりは、半年ほど掛けて作っていきます。毎月集まって作り方を学び、翌月までに、宿題のようにつるし雛作りを進めてきます。
 桜まつりや曼珠沙華まつりの時期には、安達ヶ原ふるさと村の古民家にも、このつるし雛が飾られ、訪れる観光客の皆さんの目を楽しませてくれています。
 今年のテーマは「智恵子の折り鶴」。毎年テーマを決めていて、多い人では、今年で12個目のつるし雛かざりになります。大平住民センターでは、廊下や階段に、見る人を圧倒するほどたくさんのつるし雛が飾られます。
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今年のつるし雛かざりのテーマは?
 今年のテーマは、震災からの復興と新型コロナウイルスの収束を願って「智恵子の折り鶴」です。智恵子が病院で多くの紙絵を作成していた時、夫の光太郎は病院に多くの折り紙を差し入れ、また、智恵子もたくさんの鶴を折りました。そんな智恵子が愛した二本松、青い空を大平からご覧ください。
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楽しいところは?
 みんなで集まる機会があるのがよいところだと思います。コツコツと裁縫をしながらも、和気あいあいとした雰囲気でやっています。ひとりだとなかなかできないと思いますが、みんなでやるから何とかできています。つるし雛のほかにバッグなんかも楽しく作っています。
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難しかったところは?
 コロナの影響で、活動自体が難しい時期もありました。それでも、集まりを2部制にしてみたり、いろんなコロナ対策をしてみたりして、続けています。
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見てもらいたいところは?
 毎年、その年のテーマに向かって頑張って作っています。そうしてできあがったつるし雛をみなさんに見てもらうことが楽しみです。

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二本松市内では、各所でつるし雛かざりが為されているそうですが、そのうち、智恵子生家/智恵子記念館さんにほど近い大平地区の大平住民センターさんでは、「智恵子の折り鶴」をテーマにしたつるし雛かざりだそうです。

南品川ゼームス坂病院での智恵子、有名な紙絵制作を始める前、最初は折り鶴作りから始めたそうです。光太郎の随筆「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)から。

 精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つてゐる鶴の折紙がふえて美しかつた。そのうち、鶴の外にも紙燈籠だとか其他の形のものが作られるやうになり、中々意匠をこらしたものがぶら下つてゐた。すると或時、智恵子は訪問の私に一つの紙づつみを渡して見ろといふ風情であつた。紙包をあけると中に色がみを鋏で切つた模様風の美しい紙細工が大切さうに仕舞つてあつた。其を見て私は驚いた。其がまつたく折鶴から飛躍的に進んだ立派な芸術品であつたからである。私の感嘆を見て智恵子は恥かしさうに笑つたり、お辞儀をしたりしてゐた。

他にも道の駅「安達」智恵子の里さん、安達ヶ原ふるさと村さんなどでも、それぞれに地元の皆さんが手間をかけて作られたつるし雛かざりが展示されているとのこと。
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ぜひ足をお運び下さい。

ちなみに自宅兼事務所の雛かざり。自分のために出してあると勘違いしているやつが毎年よじ登ります(笑)。
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【折々のことば・光太郎】

旅は面白きものなり。僅か日の一旬あまりに過ぎざるに我の見、遇ひ、考へ、感じたる事の何ぞ多き。 今日羅馬に来れり。此処に暫く停まらん。


明治42年(1909)4月4日 山下新太郎宛書簡より 光太郎27歳

欧米留学最後を締めくくる1ヶ月のイタリア旅行中、留学仲間の画家・山下新太郎に宛てた絵葉書から。

新知見を得られる旅の醍醐味を見事に言い表していますね。




まず、『夕刊フジ』さん。2月14日(火)掲載の「週末、山へ行こう 「ほんとの空」求め福島の名峰へ 安達太良山 標高1700メートル」という記事の続編で、2月21日(火)の掲載でした。

週末、山へ行こう 雪原の先に「ほんとの空」求めて再び登山口へ 初心者でもチャレンジできるといわれている雪山 安達太良山 標高1700メートル

 2月の初め、再び安達太良山(あだたらやま)の奥岳登山口に立っていた。
 天気予報をいくつも確認し、一番天気が良さそうな日を選び、日帰りで歩くことにしたのだ。前回登れなかったのが悔しかったわけじゃない。単純に、智恵子さんの「ほんとの空」…「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出てゐる青い空」を見てみたいと思ったのだ。
 青空が広がっているけれど、思ったより風が強いなと思いながら歩き始めた。やわらかな日差しで体がじわじわと温まっていく。勢至平にたどり着き、前方を見ると山のあるところに白い雲が広がっているのが気にかかる。しかし雪原を歩くのは気持ちいい。
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 前回お世話になったくろがね小屋を過ぎ、山頂への登りにとりかかる。だいぶ雲が多めになってきたけれど、前回よりずっと視界はよいし、先行者の踏み跡もついている。山頂直下、峰ノ辻に到着すると山頂の山並みが間近に見渡せる…が、うっすらガスに覆われている。目印の竹竿(ざお)や、方向を確認しながら慎重に進む。稜線(りょうせん)に出ると一気に風が強くなった。ゆっくりと進み、最後に岩の塊を登ると、小さな石の祠(ほこら)と、風情ある山名の看板が転がっていた。
006
 快晴なら360度の展望が楽しめるそうだが、今日は全方向乳白色。風もだいぶ強いので、写真を撮ってそそくさと退散。再び峰ノ辻に下り立って振り返ると、山頂付近は厚い雲に覆われ、ときどき日が差して幻想的だった。一方、下る方向を眺めると青空が広がり、眼下に町並みも見渡せた。
 雪山初心者にもチャレンジできる山…とはいわれているけれど、山頂直下はなかなか手ごわかった。雪山における「初心者向け」はホントに「条件がそろっている」ことが前提なんだなあ。ひとつでもそろわなければ初心者向けではないのだと実感する。
 青空だけどだいぶ風が強く、寒くなってきたな…と思いながら来た道を下り、奥岳登山口へ到着。登山口の日帰り入浴施設で温まった。
 智恵子さんの言う「ほんとの空」には今回も出合えなかった。…いや違うな、前回と今回、安達太良山を歩きながら見た空が「ほんとの空」だったのか。青い空はまた来たときに見ればいい。
* * *
 登山にあたっては登山道の状況、バスの運行状況などを最新のデータでご確認ください。山行中は、歩行時に他の登山者との間隔をあけるなど新型コロナウイルス感染予防を心がけましょう。
■安達太良山(冬)おすすめルート 奥岳登山口…くろがね小屋…峰ノ辻…安達太良山…往路を戻る…奥岳登山口 歩行時間 約7時間/難易度★★★★(最高難易度★★★★★)
■コースガイド あだたら高原スキー場のある奥岳登山口から勢至平、くろがね小屋を経由して山頂へ。勢至平はのびやかな斜面で、安達太良山の頂上付近が眺められる。峰ノ辻から先は風が強く地面が露出しているところもある。山頂からは来た道を戻る。※くろがね小屋は改装工事のため2023年3月までの営業。
■おすすめシーズン 雪山登山が楽しめるのは12月からゴールデンウイーク頃まで。アイゼンやピッケル、スノーシューなど雪山専用の装備が必要。
■西野淑子(にしの・としこ)広く山歩きを楽しむライター。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。著書に「東京近郊ゆる登山」(実業之日本社)、『関東周辺 美味し愛しの下山メシ』(山と溪谷社)など。NHK文化センター「東京近郊ゆる登山講座」講師。

1枚目の画像、十分に「ほんとの空」だと思いますが……。

続いて『神戸新聞』さん。一面コラムでやはり「ほんとの空」。2月24日(金)の掲載分です。

正平調

昨年秋、知人に誘われて大阪に避難するウクライナ人家族の部屋を訪れた。支援物資を運び、近況を聞く。通訳はスマホのアプリ。手土産に洋菓子を持参した◆両親と長女の3人と一緒にテーブルを囲むと、誰も座っていない席にもコーヒーと菓子が並べられた。祖国に残った30代の息子らの無事を祈り、毎日食事やお茶を用意するそう◆日本にも「陰膳」という風習があります。心配ですね。そう告げると母親が大きくうなずく。そして青空を背に家族5人がそろって写る写真を見ながら、そっと口にした。「来年には帰りたい」◆ロシアのウクライナ侵攻から1年。あの家族のように、戦火を逃れて欧州の各国へ北米へ、アジアへと渡った人たちにとって、とても長く感じられた1年だっただろう。帰りたい、帰れない、でも帰りたい◆〈智恵子は東京に空が無いという/(中略)阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出ている青い空が/智恵子のほんとの空だという〉(高村光太郎)。麦畑が広がる大地と青空の国で生まれ育ち、働き、家族と暮らし、老いていくはずだった人たち。ほんとの空を見られる日が一日も早く訪れますように◆昨年春、本紙に掲載された川柳より。〈ロシアにもウクライナにも春よ来い〉。西の空へ願い、祈る。

1日も早く、ウクライナの皆さんにも「ほんとの空」を取り戻してほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

ヹニスのゴンドラに乗りて遊び居り候。サンマルコ寺院の美しさ、この水の街の面白さ、帰るを忘れ申し候。


明治42年(1909)3月29日 与謝野寛宛(推定)書簡より 光太郎27歳

水の都、ヴェネツィア。いいですねぇ(笑)。

『夕刊フジ』さん、2月14日(火)掲載の記事です。

週末、山へ行こう 「ほんとの空」求め福島の名峰へ 安達太良山 標高1700メートル

 日本百名山に数えられる、福島を代表する山のひとつ、安達太良山。古くは万葉集に詠われた山であり、麓から見える山姿も美しい。
  1年を通じて多くの登山者でにぎわう人気の山だ。中腹には温泉のある山小屋「くろがね小屋」が建ち、小屋泊まりで山行を楽しめるのも魅力。冬もスキー場のロープウエーが運行していることもあり、雪山登山を楽しむ人が多い。
 安達太良山の名前を知ったのは、高村光太郎の詩集『智恵子抄』だ。光太郎の妻、智恵子が「ほんとの空」がある場所と言ったのが、阿多多羅山(あたたらやま)の山の上。美しく切ない詩とともに「あだたらやま」の名前が心に刻まれた。いつか登ってみたい、ほんとの空を見てみたいと思っていた。
 1月、安達太良山に行く機会を得た。天気のよさそうな日を選んで、くろがね小屋泊まりの1泊2日。今年3月までで改装のため休業となる人気の山小屋だが、運よく予約ができたのだ。ワクワクしながら電車とバスを乗り継ぎ、奥岳登山口に到着した。うっすら曇り空、雪を踏みしめながらゆっくりと歩く。ほとんど人とすれ違うこともなく、くろがね小屋に到着。天気がよければ山頂を往復しようと思ったが、風も強く視界もいまひとつ。小屋で何度も温泉につかってのんびり過ごす。まろやかな肌触り、ほんのり匂う濁り湯でよく温まる。
013
 「明日も天気はよくなさそうです」と小屋番さんが申し訳なさそうに言う。登れないくらい天気が悪ければ、無理せずここから下ればいい。くろがね小屋に泊まれただけでもよしとしよう。温泉は本当に心地よいし、夕食のカレーもおいしかった。「山頂に行かず、ここに泊まりにくるためだけに登ってくる人もいるんですよ」という小屋番さんの言葉に納得する。
 翌朝、小屋番さんの予告どおりの強風とガス。前日の夕方の悪天候よりは多少ましかもしれないと歩いてみたが、前夜の強風と雪で踏み跡はなく、視界も悪い。1時間歩いて撤収!
 来た道を戻っていくと、山麓は恨めしいほどの青空。しかし振り返ると山は真っ白い雲に覆われていた。また登りに来なさいと山に誘われているのだろう。そう思うことにして登山口に向かった。(続く)
014
 登山にあたっては登山道の状況、バスの運行状況などを最新のデータでご確認ください。山行中は、歩行時に他の登山者との間隔をあけるなど新型コロナウイルス感染予防を心がけましょう。
■安達太良山(冬)おすすめルート 奥岳登山口…くろがね小屋…峰ノ辻…安達太良山…往路を戻る…奥岳登山口 歩行時間 約7時間/難易度★★★★(最高難易度★★★★★)
■コースガイド あだたら高原スキー場のある奥岳登山口から勢至平、くろがね小屋を経由して山頂へ。勢至平はのびやかな斜面で、安達太良山の頂上付近が眺められる。峰ノ辻から先は風が強く地面が露出しているところもある。山頂からは来た道を戻る。※くろがね小屋は改装工事のため2023年3月までの営業。
■おすすめシーズン 雪山登山が楽しめるのは12月からゴールデンウイーク頃まで。アイゼンやピッケル、スノーシューなど雪山専用の装備が必要。
■西野淑子(にしの・としこ) 広く山歩きを楽しむライター。日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。著書に「東京近郊ゆる登山」(実業之日本社)、『関東周辺 美味し愛しの下山メシ』(山と溪谷社)など。NHK文化センター「東京近郊ゆる登山講座」講師。

光太郎智恵子、『智恵子抄』と、ご紹介下さりありがたく存じます。

2月10日(金)、NHKさんで放映された「ドキュメント72時間」では、くろがね小屋でのさまざまな人間模様が紹介されましたが、残念ながら光太郎智恵子関連の話にはなりませんでした。

テレビ放映といえば、年に数回再放送されているものですが、明日、やはり安達太良山、智恵子抄、光太郎智恵子がらみがあります。

おかしな刑事8 「居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査!東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!」

地上波テレビ朝日 2023年2月20日(月) 13:54〜15:48

ある日、東京タワー近くの公園を訪れた鴨志田は、30年前に同所で起きた幼女誘拐事件の被害者の父と再会する。その事件の主犯は交通事故死、懸命な捜査の甲斐なく共犯者の行方もわからないままだった。その夜、会社社長の冬木が刺され、重体となる事件が発生。冬木のもとには「東京タワーは知っている」という脅迫状が届いていた。そんな中、ホームレスの男・駒田が刺殺体で発見された。鴨志田は“駒田”という名字が気にかかり…

◇出演者
伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 ほか
017
事件関係者の一人が、智恵子の故郷・二本松出身という設定で、安達太良山、岳温泉、智恵子生家などでのロケが敢行されました。

ご覧になったことのない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

昨夕六時半無事巴里着、「ホテル、スフロー」に一泊して、今日より兎も角も畑正吉君に同宿致す事と致し 今日此処に引移り申候。気候も倫敦と大差無之候。

明治41年(1908)6月12日 高村光雲宛書簡より 光太郎26歳

およそ1年を過ごしたロンドンを後に、留学の最終目的地、パリに。この後のパリでの1年間は、光太郎の芸術的方向性を決定づけることになっていきます。

昨日もご紹介した国立国会図書館さんのデジタルコレクションがリニューアルされた件。自宅兼事務所のPCから閲覧出来る資料数が飛躍的に増大し、『高村光太郎全集』に漏れていた光太郎文筆作品が大量に見つかっています。

すると、智恵子についても驚くべき発見が2件ありました。

まず明治44年(1911)、博文館から出版された『家庭の友 西洋料理法』という書籍。著者は智恵子の母校・日本女子大学校の教授の手塚かね子という人物です。その手塚による序文に次の一節が。

本書の装幀は、女子大学校卒業生にして、専心絵画の研究に身をゆだねられまする長沼ちゑ子女史の巧妙なる図案に成つたものでございます。こゝに厚く感謝の意を表します。

なんとまぁ、結婚前の智恵子がこの書籍の装幀を手がけたというのです。これはこれまでに全く把握していない情報でした。

智恵子による書籍の装幀は、明治40年(1907)、日本女子大学校の同窓会(イベントとしての、ではなく組織としての)である桜楓会から刊行された『三つの泉』という書籍が先例としてありますが、確認出来ているものはそれだけでした。表紙絵を描いたというだけであれば、雑誌『青鞜』も含まれますが。

ところが『家庭の友 西洋料理法』の国会図書館さんのデジタルデータ、元本の破損がひどいらしく、肝心の表紙のデータが掲載されていません。が、他のサイト等で探したところ、不鮮明ながら表紙の画像を見つけることが出来ました。
西洋料理法 家庭の友
なるほど、という感じですね。

これはぜひ現物を入手しなくては、と思っております。

もう1件。新たな、というか、これまで未知だった智恵子の写真も見つかりました。しかも撮影年月日、撮影場所が特定出来るものです。

こちらは智恵子ではなく光太郎で検索をかけた際にたどりついたもので、昭和3年(1928)5月発行の雑誌『美術新論』に載ったもの。
美術新論 3(5)(19)
キャプションの通り、光太郎の父・光雲の喜寿を祝う祝賀会での撮影、日付はこの年4月16日、場所は日比谷に現在も健在の東京会館さんです。
000
美術新論 3(5)(19)-2
戦前に亡くなった智恵子の写真はこれまで30葉見つかっていたかどうか、それも少女時代のものが多く、結婚後のものは10葉足らずでしたので、仰天しました。

ちなみにこの日の様子を、光太郎は昭和5年(1930)になって「のつぽの奴は黙つてゐる」という特異な詩に書き表しています。

   のつぽの奴は黙つてゐる

『舞台が遠くてきこえませんな。あの親爺、今日が一生のクライマツクスといふ奴ですな。正三位でしたかな、帝室技藝員で、名誉教授で、金は割かた持つてない相ですが、何しろ佛師屋の職人にしちやあ出世したもんですな。今夜にしたつて、これでお歴々が五六百は来てるでせうな。喜壽の祝なんて冥加な奴ですよ。運がいいんですな、あの頃のあいつの同僚はみんな死んぢまつたぢやありませんか。親爺のうしろに並んでゐるのは何ですかな。へえ、あれが息子達ですか、四十面を下げてるぢやありませんか。何をしてるんでせう。へえ、やつぱり彫刻。ちつとも聞きませんな。なる程、いろんな事をやるのがいけませんな。万能足りて一心足らずてえ奴ですな。いい気な世間見ずな奴でせう。さういへば親爺にちつとも似てませんな。いやにのつぽな貧相な奴ですな。名人二代無し、とはよく言つたもんですな。やれやれ、式は済みましたか。ははあ、今度の余興は、結城孫三郎の人形に、姐さん連の踊ですか。少し前へ出ませうよ。』

『皆さん、食堂をひらきます。』

滿堂の禿あたまと銀器とオールバツクとギヤマンと丸髷と香水と七三と薔薇の花と。
午後九時のニツポン ロココ格天井(がうてんじやう)の食慾。
ステユワードの一本の指、サーヴイスの爆音。
もうもうたるアルコホルの霧。
途方もなく長いスピーチ、スピーチ、スピーチ、スピーチ。
老いたる涙。
萬歳。
痲痺に瀕した儀禮の崩壊、隊伍の崩壊、好意の崩壊、世話人同士の我慢の崩壊。

何がをかしい、尻尾がをかしい。何が残る、怒が残る。
腹をきめて時代の曝し者になつたのつぽの奴は黙つてゐる。
往来に立つて夜更けの大熊星を見てゐる。
別の事を考へてゐる。

世間的には成功者、上級国民となった父と、未だ世間には知られざる自分との対比、かつて大正初期には「僕の前に道はない/僕の後に道は出来る」と高らかに謳い、その決意は変わらねど、しかし成功にはほど遠い自らへの怒り、そして自分を認めない俗世間へのアイロニー……。

そんな生活に耐えかねた小柄な智恵子、実家の破産や生涯の仕事と定めた油絵への絶望もあり、この頃から徐々に心が毀れて行きます……。そうしたことに思いを馳せながら上記写真を見ると、感慨深いものがありますね。

というわけで、今後もさらに調査を継続します。

【折々のことば・光太郎】

后北川太一氏くる デユボンネ2本、バースデーケーキをもらふ、一緒にくふ、 辞去後椛沢さんくる、花もらふ、夕方まで、 夜食赤飯(中西さんより)その他野菜煮、

昭和31年(1956)3月13日の日記より 光太郎74歳

光太郎満73歳の誕生日、そして生涯最後の誕生日でした。

昨年暮れに出た、小説の新刊です。

名探偵の生まれる夜 大正謎百景

2022年12月19日 青柳碧人著 角川書店 定価1,600円+税

歴史的偉業の裏に「事件」あり。文豪たちによる大正浪漫ミステリ。

大正七年の秋、与謝野晶子は大阪で宙に浮かんでいた。夫である鉄幹と共に通天閣の足元に広がる遊園地「ルナパーク」を訪れたものの、夫の言葉に血がのぼり彼を置き去りにひとりでロープウェーに乗ったのだ。電飾まぶしい遊園地を見下ろし、夫婦というものの不確かさを嘆く晶子。そのとき突然ロープウェーが止まり、空中で動かなくなって……。(「夫婦たちの新世界」)

遠野には河童や山男など不思議なものがたくさん潜んでいるという。隣村を目指して朝もやの中を歩いていた花子は、「くらすとでるま…」という不思議な声を聞く。辺りを見回すと、そこには真っ赤な顔の老人がいた。かつて聞いたむかしばなしに出て来る天狗そっくりの老人から逃げ出そうとする花子だったが、今度は黒い頭巾に黒い蓑をまとった怪しい男から「面白い話を聞かせてくれないか」と尋ねられ……。(「遠野はまだ朝もやの中」)
001
ほか全8篇。

目次
 カリーの香る探偵譚
 野口英世の娘
 名作の生まれる夜
 都の西北、別れの歌
 夫婦たちの新世界
 渋谷駅の共犯者
 遠野はまだ朝もやの中
 姉さま人形八景

『むかしむかしあるところに、やっぱり死体がありました。』、『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』などがベストセラーとなった、青柳碧人氏の小説です。

8篇のオムニバスで、基本、大正時代が舞台。一部、登場人物がかぶりますが、8篇とも中心になる人物は異なります。

最終章「姉さま人形八景」で、我らが光太郎智恵子が登場します。この章のみ、昭和も舞台としており、光太郎が亡くなった昭和31年(1956)からスタート。ところが言わば倒叙法で、どんどん時代が遡っていきます。そこで、章内のチャプターの番号も「八」から始まり、「七」「六」「五」……と逆転しています。

章題にもなっている一体の古びた「姉さま人形」が、それぞれの想いを乗せて8人(組)の人々の手から手へと受け継がれて来たというストーリーで、最終(物語冒頭)の昭和31年(1956)には放浪の画家・山下清。清は新宿中村屋の相馬黒光から、以下、時計の針がどんどん戻りながら、「姉さま人形」を受け継いだ人々の物語が紡がれます。伊藤野枝有島武郎に波多野秋子、松井須磨子、光太郎智恵子、平塚らいてう尾竹紅吉。らいてうは冒頭に山下清と共に登場しており、最後に伏線回収というわけです。

その他の章でも、光太郎智恵子ゆかりの人物などがずらり。第一章「カリーの香る探偵譚」は、新宿中村屋が舞台の一つで、光太郎の親友だった碌山荻原守衛は既に亡くなっているという設定ですが、守衛を援助していた相馬愛蔵・黒光夫妻が主要登場人物です。第五章「夫婦たちの新世界」には光太郎の師・与謝野夫妻、第七章「遠野はまだ朝もやの中」で宮沢賢治

さらに、中村彝、ラース・ビハーリー・ボース、江戸川乱歩、岩井三郎(明智小五郎のモデル)、野口英世、星一(星新一の父)、芥川龍之介、鈴木三重吉、島村抱月、吉岡信敬、中山晋平、坪内逍遙、松下幸之助、上野英三郎、ハチ公、仕立屋銀次、南方熊楠、柳田国男……なんとも豪華なキャストです。

「大正謎百景」の副題通り、それぞれの章に「謎」や事件が描かれますが、血腥い事件ではないので、よい子の皆様にもお勧めです(笑)。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

奥平さん夕方来る、セキの発作のためねてゐて話せず、ぢきかへる、 夕食ハマグリ等、パン、

昭和31年(1956)3月3日の日記より 光太郎74歳

いよいよ余命1ヶ月となりました。未だ食慾はあるものの、時折、会話が困難となる日もありました。「奥平さん」は親しかった美術史家の奥平英雄です。

智恵子がらみの最近の地方紙記事を2件。

まずは共同通信さんの配信記事で、全国の地方紙に掲載された記事です。

東京舞台さんぽ 「レモン哀歌」詩碑のある大井町

 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883〜1956年)の「レモン哀歌」は、妻智恵子をしのんで編んだ詩集「智恵子抄」の中の1編。国語の教科書に取り上げられるなど、広く知られた近代詩の一つだ。東京都品川区のJR大井町駅近くにある詩碑を訪ねた。(共同通信=近藤誠)
 駅の東口から出て、北東にゆるゆると下るゼームス坂通りをしばらく進み、小道で左折すると、レモン哀歌の碑に出合う。晩年の智恵子はこの地にあったゼームス坂病院で療養生活を送り、38年に52歳で死去した。
006
 「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた/かなしく白くあかるい死の床で」。智恵子の臨終を詠んだ詩が刻まれた碑は、推定される智恵子の背丈に合わせ、地元有志によって建てられた。手向けられたレモンが、晩秋の陽光を受けて輝いていた。
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 病院の名前にも関連するゼームス坂は、幕末に来日し、明治維新後はお雇い外国人として旧日本海軍の指導に尽力したという英国人J・M・ゼームスが暮らしたことから名付けられた。
 もとは浅間坂と呼ばれる急坂で地元の人々が大変苦労して歩いていたが、坂の途中に住んでいたゼームスが私財を投じて緩やかな坂に改修した。いつとなく、親しみと感謝を込めてゼームス坂と呼ばれるようになったという。現在ゼームス邸跡にはマンションが立っている。
 JR大井町駅の西側に店を構える「お江戸鎧せんべい岩本米菓」では、2019年からレモン哀歌にあやかったおかき「品川浪漫 レモン愛菓」を販売している。一口頬張ると香ばしい米のおいしさと、爽やかなレモンの風味が広がる。
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 【メモ】詩人の萩原朔太郎(1886〜1942年)は25年に群馬県から上京、大井町で生活を始めた。大井町緑地児童遊園には詩集「青猫」をモチーフとした「花子と太郎」像が設置されている。
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訪れたことのない方、ぜひ一度、足をお運びいただき、智恵子に思いを馳せていただきたいものです。

続いて智恵子の故郷・福島県の『福島民友』さんから。

ほんとの空...古里の情景たっぷり 来春開校・二本松実業高の校歌

 県教委が8日発表した二本松実業高(二本松市)の校歌には、豊かな歴史と文化があり、美しい自然を持つ二本松市の風景が表現されている。同校は県立高校改革の一環で二本松工と安達東が統合して来春開校する。
 校歌は、両校の伝統を受け継ぎながら、機械システム科や生活文化科など専門的な知識を学ぶ学校の生徒として、地域社会と共に未来へ向けて歩んでいく生徒を表現した。
 歌詞は校歌制作委員会が決定し、「安達太良山」「阿武隈川」「睡蓮(すいれん)」など、二本松市の景色をイメージさせる言葉が登場する。4番まであり、「現在(いま)を生きる これからの人」、「創ろう未来 つなごう心」など前向きな言葉を共通の歌詞に仕上げた。
003 作曲は、富岡小、富岡中の校歌の作詞作曲などを担当した福島市ゆかりの音楽家・大友良英氏が手がける。
 ◇二本松実高校歌◇
  1番
 空の青さに 陽(ひ)の光
 榎戸(えのきど)の丘 一瞬(とき)の風
 力漲(みなぎ)り 舞う砂けむり
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 遥(はる)かな夢を ほんとの空に

  2番
 白く聳(そび)える 故郷(ふるさと)の
 安達太良山の 季節(とき)の雲
 掌(てのひら)見つめ 歯を食いしばり
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 明日(あす)を探して ほんとの空に
000
  3番
 瞳に映る 煌(きら)めきは
 阿武隈川の 悠久(とき)の色
 その身に宿る 手業の実り
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 希望を胸に ほんとの空に

  4番
 睡蓮(すいれん)の花 微笑(ほほえ)ほほえんで
 霞(かすみ)が池に 青春(とき)の影
 まっすぐな道 どこまでも往(ゆ)き
 現在(いま)を生きる これからの人
 創ろう未来 つなごう心
 いつの日か 生きた証(あかし)を ほんとの空に

4番まである校歌歌詞、すべての結びに光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を配して下さいました。現在の二本松工業高校さん、安達東高校さん両校の生徒さんから校歌に入れてほしい言葉を募り、両校の先生方で作る校歌制作委員会が作詞されたそうです。

そして作曲が何と「あまちゃん」や「いだてん」の大友良英氏。スカ調のにぎやかな校歌になるんじゃないかと、余計な心配をしてしまいます(笑)。是非とも野球の甲子園に出場していただき、この校歌を全国に響かせていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

「家の光」の人くる、「青年」を盤に吹込むとのこと、


昭和30年(1955)8月26日の日記より 光太郎73歳

『家の光』は光太郎もたびたび寄稿していた雑誌。版元の家の光協会は全国農業協同組合、現在のJAグループさんの関連団体でした。

そこで校歌ならぬ団体歌のような「家の光つどいの歌」のレコードを制作、そちらには光太郎は関わっていませんが、B面に光太郎詩「私は青年が好きだ」(昭和15年=1940)と、竹内てるよの「わたくし」の朗読をプレスしました。
018 017
上記画像、当方が入手した現物なのですが、ジャケット、歌詞カード的なものがついておらず、詳細が不明です。発行年月日、朗読者、「家の光つどいの歌」の方の作詞者、作曲者、歌手などなど。情報をお持ちの方、御教示いただければ幸いです。

当時流行っていた「ピクチャーレコード」という種類のSP盤ですが、レトロな感じが実にいいですね。

昨年上演されたものの、芸術祭参加作品としてパワーアップしての再演だそうです。

朗読劇『智恵子抄』

東京公演
 期 日 : 2022年11月10日(木)
 会 場 : 三越劇場 東京都中央区日本橋室町1-4-1
 時 間 : 14:30~ / 17:00~
 料 金 : 4,000円(全席指定)

福島公演
 期 日 : 2022年11月13日(日) 
 会 場 : 二本松市安達文化ホール 福島県二本松市油井字濡石1-2
 時 間 : 14:30~
 料 金 : 3,000円(全席指定)
003 002
原作 : 高村光太郎の詩集「智恵子抄」
脚本 : 北條秀司  
構成・演出 : 成瀬芳一
 
配役 : 高村光太郎 松村雄基  高村智恵子 一色采子  柳敬助・草野心平 二反田雅澄
     柳八重 小川絵莉
 
<ヴァイオリン>桐山なぎさ   <チェロ>阿部雅士

【ストーリー】
 長沼智恵子は、福島県二本松の近在の酒造りの家の長女として生れ、土地の高等女学校を卒業してから東京目白の日本女子大学校家政科に入学、洋画に興味を持ち始め、卒業後東京に留まり油絵を学んだ。そして同級生の柳八重の紹介で高村光太郎を知り、激しい恋心を抱くようになった。一方光太郎は、明治の名工高村光雲の長男として生れ、父の伝統を受けて彫刻家となったが、新進詩人としても華やかな存在だった。彼は放蕩無頼の芸術家達と交わり、自堕落な生活を送っていたが、智恵子を知ってからは、彼女の清らかな美しさに洗い清められ、以前の退廃生活から救い出されていた。
 智恵子の愛によって清められた光太郎は美の世界にとびこみ、彫刻の道に骨身をけずり、妻に迎えた智恵子との愛の歓喜を歌った詩がほとばしるように生まれた。
 その後智恵子の実家は凋落し、家屋敷が人手に渡った。芸術的精神と物資に恵まれない家庭生活との板挟みとなるような月日が二人に重くのしかかっていた。智恵子は訪ねて来た八重に、画を捨てて世話女房になって高村をたすける事を告げたが、同時に幻聴が襲って来る悩みも打ち明けた。
 その後無残にも智恵子は精神分裂症になりはてていた。
 静養のため九十九里浜に転地した智恵子の症状はややもち直したが、その後南品川のゼームズ坂病院に入院した智恵子の病状は悪化していった。昭和13年光太郎の献身的な介抱むなしく、智恵子の肉体は遂にこの世を去った。
 昭和20年、戦争で東京の住居を焼かれ、心に智恵子を抱きながら光太郎は、岩手花巻の山中に山小屋を作り、一人で生活していた……。

智恵子役は昨年に引き続き、一色采子さん。お父さまの故・大山忠作画伯が智恵子と同郷の二本松ご出身で、智恵子をモチーフにした絵を複数残されています。

昨年の公演についてはこちら。
 「朗読劇 智恵子抄」。
 「朗読劇 智恵子抄」稽古拝見。
 「朗読劇 智恵子抄」銀座公演。
 「朗読劇 智恵子抄」関連。
 「朗読劇 智恵子抄」二本松公演報道。

一色さん以外のキャストは昨年と一新、さらに今年は劇伴を生演奏で行うと云うことで、ヴァイオリンとチェロの方が加わられるそうです。

一色さんからご案内を頂いております。
001
コピーだとは存じますが、こう云われてしまうと参上せざるを得ないかな、というわけで(笑)、東京公演の方で申し込みました。

二本松公演に関しては、地元紙『福島民友』さんが報じています。

夫婦愛をドラマチックに 二本松、11月に朗読劇「智恵子抄」上演

004 詩人、彫刻家の高村光太郎の詩集「智恵子抄」を舞台にした朗読劇「智恵子抄」の二本松公演は11月13日午後2時30分から、高村智恵子の古里・二本松市の安達文化ホールで開かれる。
 朗読劇は、劇作家の北條秀司(1902~96年)が智恵子抄を基にまとめた戯曲が原作。構成・演出の成瀬芳一さんが「樹下の二人」や「あどけない話」など数編を織り交ぜ、光太郎と智恵子の夫婦愛を描いた。
 智恵子役は同市ゆかりの俳優一色采子さんが演じ、光太郎役を松村雄基さん、智恵子の同級生柳八重役を小川絵莉さん、いわき市出身の詩人草野心平役などを二反田雅澄さんが務める。
 二本松公演は、智恵子抄出版80年を記念した昨年に続き2度目。今年は、一色さんを除きキャストを一新したほか、劇伴にバイオリンとチェロの生演奏を採用した。一色さんは「光太郎が松村さんになり、昨年とは異なる智恵子を演じられると思う。新しい仕掛けもあり、よりドラマチックな舞台になる」とPRする。
 チケットは全席指定で3千円。市文化課や安達公民館、市民交流センターで取り扱う。問い合わせは主催・製作の新派アトリエの会(電話090・1617・3675)へ。

都内、二本松、いずれかに皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

〈(五月中旬来外出せず)〉

昭和29年(1954)8月29日の日記より 光太郎72歳

何気に書かれた一言ですが、宿痾の肺結核のため、もう三ヶ月以上、ほぼ臥床している毎日。この後もしばらくは起居していた中野の貸しアトリエから一歩も踏み出さない生活が続きます。ただ、翌年になると少し回復し、近所の散歩程度は出来るようになりました。

昨日は智恵子の故郷、福島二本松に行っておりました。二本松の秋の風物詩・菊人形と、智恵子生家で期間限定公開中の智恵子の花嫁衣装などを拝見して参りました。

花嫁衣装が既に出ているものだと勘違いしており、今月初めにも行きまして、着いてから誤りに気づいたという間抜けぶりでしたが(笑)、その際は、大山忠作美術館さん、JR東北本線安達駅に昨年除幕された智恵子像「今 ここから」などを拝見し、また、8月に亡くなった智恵子顕彰団体・智恵子の里レモン会長であらせられた故・渡辺秀雄氏の墓参なども行いましたので、それはそれで有意義でしたが。

途中の東北自動車道安達太良SAにて。
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前回訪問時はどんよりした天気だったため見られなかった「ほんとの空」、今回も「雲一つない快晴」とはいきませんでしたが、それなりに。
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続いて二本松市街の霞ヶ城へ。こちらが菊人形会場です。
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「ほんとの空」をバックにした紅葉もいい感じでした。

菊人形はコロナ禍のため一昨年は中止、昨年は規模を大幅に縮小しての開催、今年は3年ぶりに通常に戻った感じでした。今年のテーマは「竹取物語」。
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人形を拝見しつつ、何だか、智恵子は光太郎のもとにやってきたかぐや姫のような存在だったのでは……と思ってしまいました。無理くりですが(笑)。

人形以外に近郷近在の団体、個人が部門別に競う作品展的な展示等も例年行われています。
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その中で、当方にタダ券をくださった、元・智恵子の里レモン会の方の作品も、見事入賞されていました。素晴らしい。
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その他、大河ドラマ便乗(笑)。
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ドラマで野添義弘さんが演じていらした安達盛長は、奥州藤原氏攻めの後、陸奥国安達郡を所領としましたので、それもありかな、と。

会場すぐ裏手には、「智恵子の藤棚」。もと、智恵子生家の庭にあったものだそうです。
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さらに上っていけば光太郎詩碑もあるのですが割愛し、菊人形会場をあとに、旧安達町の智恵子生家/智恵子記念館さんへ。
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生家一階の座敷で、早速、お目当ての花嫁衣装を拝見。特別公開中で、二階のみならず一階も歩いて廻れます。
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何とも色鮮やかな打掛です。縁起物の鶴亀や松竹梅の模様は金糸銀糸などをふんだんに使った刺繍。
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雑誌に載った写真や、テレビで流れた映像では見たことがありますが、初めて実物を拝見し、眼福でした。智恵子実家の長沼酒造倒産後、金目の物は散逸し、廻り廻って現在は地元の呉服店さんが所有しているとのこと。以前は「これは何処に行っちゃったんだろう」と思っていましたが、こうして現存していたのは喜ばしい限りです。

ただし、キャプションは問題があります。以前にも書きましたが、智恵子と地元医師との縁談があったのはどうも明治45年(1912)ではないようで、その時点では問題の地元医師は既に妻帯、子まで為していました。この打掛が間違いなく明治45年(1912)に仕立てられたものだとすれば、縁談の相手は別の人物と云うことになると思われます。

「明治45年(1912)、地元医師との縁談」というのは、以前に書かれた光太郎や智恵子の評伝類で定説のようになってしまっており、一度そうなるとなかなか訂正されないという一つの類例ですね。

ところで、現在、生家の庭に据えられている灯籠のうちの一つも、一度人手に渡ったものが平成29年(2017)に二本松市に寄贈という形で戻ってきたりもしていますし、さらに遡れば、平成4年(1992)に生家が修復整備された際に戻ってきた品々(一階座敷の仏壇に納められた仏像など)もあり、まだ近隣には長沼家ゆかりの品が残っているのかも知れません。

それを言い出すと、以前から生家で展示されている智恵子愛用の機織り機や蓄音機、琴、鳥籠など、どういう経緯でここに納められているのか、それぞれにドラマがあったことと思われ、改めて関係の皆さんのご苦労が偲ばれました。
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さらに特別公開の二階へ。二階は智恵子や、おそらく妹たちの居室、さらに光太郎が訪れた際に泊まった部屋です。
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小さな畳は掘りごたつの炉の跡。

智恵子居室の電灯には、陶器製のローゼット。
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当時としては高級品、これが使われていたのはこの部屋だけだそうで。当方、何度もこの部屋を訪れていますが、いつもこれを撮影するのを忘れていて、初めて撮りました(笑)。

二階部分(というか一階も)への立ち入り、花嫁衣装の公開、ともに11月8日(火)までです。同じ敷地内の智恵子記念館での、智恵子紙絵実物展示は11月13日(日)まで。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

夕方小雨、雷雨あり、落雷と見えて二三強し それ以後停電、十時現在まだ電灯つかず、

昭和29年(1954)8月29日の日記より 光太郎72歳

最近はほとんど無くなったように思われますが、昔は落雷による停電が頻繁にありましたね。

ちなみに光太郎、世の中で最も恐ろしいと思っていたものの一つが雷でした。昭和15年(1940)には、ずばり「雷ぎらひ」というエッセイまで書いています。

そちらに曰く「私は生来の雷ぎらひである。どういふわけといふ理由も何もないが、あの比例外れな、途方もない、不合理極まる大音響が第一困る。これはまるで前世紀の遺物ではないか。イグアノドン、マストドンの夢ではないか」。そして落雷が近づくと、自分で電気のブレーカーを落とし、足袋のコハゼをはじめ、一切の金属を身体から遠ざけ、脚に滑り止めのゴムをはめた籐椅子に座り、難しい書物を読んで意識をそちらに向けて恐怖を紛らわしたそうです(笑)。

数え72歳だったこの頃はどうだったのでしょうか。

昨日は、智恵子の故郷である福島県二本松市に行っておりました。コロナ禍前には年に数回お邪魔していたのですが、イベント等もあまり行われなくなって足が遠のいておりました。そこで一昨年の11月以来、およそ2年ぶりでした。レポートいたします。

愛車を駆って午前10時過ぎには二本松市到着。まずJR東北線二本松駅前の市民交流センターさんへ。3階の大山忠作美術館さんで、コレクション展的な「心惹かれた人を描く」が開催中です。
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女優・一色采子さんのお父さまでもあらせられた文化勲章受章者の故・大山忠作画伯。二本松ご出身ということで、同郷の智恵子をモチーフに描かれた作品も複数有ります。そのうちの一枚「智恵子に扮する有馬稲子像」がフライヤーの表(おもて)面。それ以外に智恵子そのものを描いた「霧〈高村智恵子〉」、幼き日の一色采子さんがモデルの「童女」(フライヤー裏面右上)なども出ていました。

同じ交流センター3階の逆サイドでは、「第27回 智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」の入賞作品展も開催されていました。
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智恵子を題材にした作品も。ありがたし。
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続いて、すぐ目の前の二本松駅へ。

昭和51年(1976)設置の光太郎詩碑。「あどけない話」(昭和3年=1928)の一節が刻まれています。
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曰く「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」。よく晴れた日には傾斜のついたこの碑面に青空が映るのですが、残念ながら昨日はどんよりと曇り(笑)。

すぐそばの智恵子像「ほんとの空」。昨年亡くなった彫刻家・橋本堅太郎氏の平成21年(2009)の作です。
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その後、車で一つ先の安達駅に。こちらには同じ橋本氏の遺作となった智恵子像「今 ここから」が昨年、除幕されました。先述の通り、しばらく二本松に足を運んでいなかったもので、当方、初見でした。
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二本松駅前では洋装だった智恵子、こちらでは単衣(ひとえ)の着物姿です。袷(あわせ)ではボテッとしてしまう、と、生前の橋本氏が語られたそうで。

駅構内には、智恵子生家の大きな写真。以前に来た時にはなかったような……。
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さらに「駅ピアノ」。時間もありませんでしたし、暗譜ですらすら弾ける腕前でもないので(笑)、写真を撮るにとどめました。
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来た道を少し戻って、智恵子生家/智恵子記念館さんへ。こちらで智恵子の里レモン会の方と待ち合わせ。
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当方、てっきり智恵子の花嫁衣装の展示と、二階部分の特別公開が始まっていると思いこんでいましたが、そちらは10月27日(木)からでした。自分でブログに紹介しておきながら勘違いしていました。アホですね(笑)。

それでも、生家裏手の記念館さんでの紙絵実物公開は始まっており、拝見しました。
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また、記念館開館30周年記念の缶バッヂ(先着順)もゲット。
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花嫁衣装を見るため、月末にもう一度訪れようと思いましたが、その時までこれが残っていないかもしれないので、ラッキーでした。

記念館の展示を見てから、生家内部へ。
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PXL_20221009_022331779意外と来館者が多くいらしていました。バスツアーの団体さんという感じでもなく、御家族連れ的な方々が数組。ありがたいことです。

その後、レモン会の方に案内していただき、8月に亡くなられたレモン会会長であらせられた故・渡辺秀雄氏のお墓参りに。智恵子生家/智恵子記念館と同じ旧安達町にある、安達太良山円東寺さんにお墓がありました(「安達太良山」が山号です)。

同行して下さったレモン会の方によると、氏はクリスチャンであらせられたそうですが、仏教寺院にお墓。ちゃんと戒名も刻まれていましたが、それでもやはりクリスチャン風にちょっと変わったものでした。香華を手向け、手を合わせ、在りし日の氏を偲ばせていただきました。

レモン会の方と別れ、二本松市街へ。二本松城で開催されている菊人形の無料券をいただきましたが、駐車場がかなりの混雑で、申し訳ありませんがパスしました。そのまま市外を通り過ぎ、安達太良山中腹の岳温泉さんへ。
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一昨年泊めていただいた「あだたらの宿扇や」さんへ。こちらのフロントには、オーナーの方が入手された光太郎の書、智恵子の紙絵(複製ではなく真作)などが展示されているのですが、女将さんから、「新たに光太郎先生の写真なんかも増やしましたので、ぜひご覧ください」と連絡を頂いていたので、伺った次第です。

ところが折悪しく、女将さんは不在。それでも展示は拝見出来ました。
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なるほど、光太郎の写真が増えていました。戦後の7年間、蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)でのショットです。このネガもこちらで入手されているので、そこからプリントなさったのでしょう。
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さらに、智恵子の紙絵真作も一点増えていました。
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下記は一昨年にも展示されていたのですが。
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これらが常設で見られるというのはいいですね。

扇やさんをあとに、素泊まりで滞在する際に必ず行く食堂で昼食。そこも3年半ぶりくらいでした。

食べ終わると、猛烈な眠気。歳をとるごとに長距離の運転も負担に成りつつあります(笑)。思い切って駐めた車中で1時間ほど仮眠しました。日帰り温泉にでもつかろうかとも考えていたのですが、ここで温泉に入ったら、バタンキュー(死語ですね(笑))帰れなくなってしまいますので断念し、帰途に就きました。

そんなこんなの二本松。上記の通り、花嫁衣装の拝見のため、月末にもう一度行ってこようと思っております。
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皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

中西夫人に此頃は買物を頼む、 夜在宅、 〈相当いたむ〉


昭和29年(1954)5月9日の日記より 光太郎72歳

相当いたむ」のは、結核性の肋間神経痛。そのため、日々の買い物も、起居していた貸しアトリエの大家(おおや)の「中西夫人」に頼むようになりました。

そのためのメモが中西家に大量に現存しています。

最新号ではないのですが……。

『財界ふくしま』2022年9月号

2022年8月4日 ㈱財界21発行 定価682円+税

■シリーズ第3弾 板倉病院の〝負の連鎖〟が止まらない
■2022首長選レポート 中島村長選情報
■特別インタビュー 近内幸雄いしかわ医研代表/長谷川祐一県薬剤師会長
           橋本克也須賀川市長/小野利廣県経営者協会連合会長
           志賀博之福島さくら農業協同組合代表理事組合長
           舟見敬成県理学療法士会長
           原喜代志会津よつば農業協同組合代表理事組合長
■2022インタビュー 本多洋八いわき信用組合理事長
          石川俊石川建設工業(株)代表取締役社長
■編集長インタビュー/管野啓二JA福島五連会長
■連載⑪/ふくしまから地球文明の未来を
 時代の最先端を走り抜いた福島県出身の偉大な女性たち、そして現在日本の看護を支える
 「令和の瓜生岩子」―新島八重、高村智恵子、田部井淳子、そして福井トシ子―
 森田実 政治評論家・ 東日本国際大学名誉学長
■連載/県内大学リレー寄稿「フクシマの未来像」瀬川洋(学)晴川学舎奥羽大学歯学部長
■連載/世界のフクシマ県人会 ワペンスキー英子北加福島日系人会長
■連載/森林(もり)とともに85年―福島・日本の未来へのメッセージ―
 國井常夫元全国森林組合連合会会長(現・西白河地方森林組合組合長)
■連載④/一千年の時を刻む薬師如来―仏都会津の慧日寺御本尊を復元―
 五十嵐源市元磐梯町長
■特別座談会/「再生可能エネルギーが築く未来社会」
 足立淳星のや竹富島ファシリティマネージャー
 柴幸秀ゼネラルヒートポンプ工業(株)専務取締役
 白石昇央(株)エナジア代表取締役
■首長メッセージ/大玉村、平田村、湯川村、会津坂下町、柳津町
■特集/2022参院選
■ざいかい短信 新地町長選
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東日本国際大学名誉学長・森田実氏による連載「ふくしまから地球文明の未来を」。近現代の「時代の最先端を走り抜いた福島県出身の偉大な女性たち」を紹介なさっています。その中で、智恵子も取り上げて下さいました。

最初の部分。
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特に目新しいことが書かれているわけではありませんが、こういう風に取り上げられるとついつい購入してしまうかなしい性(さが)の当方です(笑)。

他に「八重の桜」の新島八重、登山家の故・田部井淳子さん、そして日本看護協会会長・福井トシ子さん。たしかに「時代の最先端を走り抜いた福島県出身の偉大な女性たち」と言えましょう。そういう土壌が福島には何かあるのでしょうか。当方の存じ上げる福島の女性の皆さんも、皆、素敵な方々です(ヨイショ(笑))。

さて、今日はその福島に行って参ります。二本松の智恵子生家/智恵子記念館を中心に(智恵子の花嫁衣装も観て参ります)、8月22日に亡くなられた智恵子の里レモン会長であらせられた渡辺秀雄氏の墓参など。時間が許せば岳温泉や安達太良山も(登りはしませんが)と考えております。

追・花嫁衣裳の特別公開、と思っていましたが、公開はまだでした。自分でブログに紹介しておきながら日程を勘違いしていました(笑)。

【折々のことば・光太郎】

久しぶりにタバコ一服、メマヒす、


昭和29年(1954)5月6日の日記より 光太郎72歳

肺結核による肋間神経痛は数年前からでしたし、さらにこの時期は息切れ等で苦しんでいたのですが……。

今日10月5日(水)はレモンの日。昭和13年(1938)の今日、智恵子が南品川ゼームス坂病院で、いまわの際に光太郎が持参したレモンをがりりと噛んだことに由来します。

かつて数々の女優さんが演じてきたそのシーン。

昭和32年(1957)、東宝映画「智恵子抄」で、原節子さん。
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その10年後、昭和42年(1967)の松竹映画「智恵子抄」では、岩下志麻さん。
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テレビでは、平成3年(1991)、NHKさんで放映されたスペシャルドラマ「智恵子と光太郎 極北の愛」で、佐久間良子さん。
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テレ東さんでも、平成6年(1994)に「日本名作ドラマ 智恵子抄」。南果歩さんが演じられました。
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それから、ドラマではありませんがNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」(平成27年=2015)。再現Vのパートで前田亜希さん。
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智恵子役といえば、平成21年(2009)、日テレさん系の深夜ドラマ「妄想姉妹~文學という名のもとに~」 での紺野まひるさんが、個人的には非常にいいと思ったのですが、ドラマの演出上、レモンを噛む智恵子臨終のシーンはありませんでした。
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さて、真面目な話も(ここまでが不真面目だったわけではありませんが(笑))。

最近、こんな絵葉書を入手しました。

明治40年(1907)、智恵子の母校・日本女子大学校の同窓会(イベントとしての同窓会ではなく、組織としての)である桜楓会発行のもので、エンボス加工(レリーフのように図柄を盛り上げた印刷)が為されており、カラーですし、当時としては高級なもののようです。
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「Souvenir Post Card. The Ofukai Bazar 1907-」「桜楓会バザー記念」の文字。このバザーというのが、日本女子大学校の名物行事の一つでした。その際に来場者にお土産として配付されたものでしょうか。

平成2年(1990)、二本松市教育委員会刊行の『アルバム高村智恵子-その愛と美の軌跡-』(当会顧問であらせられた北川太一先生編)所収の智恵子年譜に拠れば「当時のバザー、学芸会の装飾、背景などは、智恵子によるものが少なくない」とのこと。すると、この絵葉書も原画は智恵子が描いたものなのかもしれません。

傍証は、図柄。書籍が描かれていますが、背の部分に「三つの」という金文字が見えます。どうやらこの書籍は『三つの泉』ではないかと推定出来ます。

『三つの泉』は、明治39年(1906)、日本女子大学校で、皇族等を招いて大々的に開催された「秋期文芸会」(今で言う学園祭的な行事)を記念して、翌年(上記絵葉書と同じ年です)に、やはり桜楓会から刊行されたものです。
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こちらはその表紙、中のカット(右上、写真の周りの縁取り)を智恵子が描いたことが既にわかっています。

となると、上記絵葉書もやはり智恵子が原画を描いたと考えるのが妥当なような気がします。花の描き方も、『三つの泉』のカットと共通するような……。

作者のサインがありませんので断言できないのですが……。

これが智恵子の手になるものだということが証明出来る、光太郎智恵子、あるいは周辺人物の回想文や書簡などが出て来ることを望みます。

さて、今日は「レモンの日」。皆様方には、ぜひ智恵子という鮮烈な生き方をした人物を、それぞれの場で偲んでいただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

筑摩書房の人くる、全集用の写真をかし又色紙一枚かく、「いろはにほへと」とかく、

昭和29年(1954)4月23日の日記より 光太郎72歳

全集」は『現代日本文学全集』。第24巻が「高村光太郎 萩原朔太郎 宮沢賢治集」でした。「いろはにほへと」の書は、光太郎の部の最初に印刷されています。
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一昨日のこのブログサイトで、智恵子の故郷・福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館のイベント情報(紙絵の実物公開/生家二階部分の特別公開等)についてご紹介しましたが、追加情報です。

昨日になって、二本松市さんのサイトに以下の告知が出ました。『広報にほんまつ』さんにはその情報が出ていませんでした。

智恵子記念館開館30周年記念事業のご案内 「智恵子“幻”の花嫁衣裳」特別展示

今年度は智恵子記念館開館30周年を迎えるにあたり、高村智恵子ゆかりの品として、初公開となる「智恵子“幻”の花嫁衣裳」を展示いたします。

智恵子が纏うはずであった花嫁衣裳を、夫・高村光太郎が著した「智恵子抄」の詩などと共にご覧ください。

展示期間・時間
 10月27日(木曜日)~11月8日(火曜日)
 午前9時00分から午後4時00分
 ※10月30日(日曜日)は智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール表彰式が実施されるため、午前12時30分から午後4時00分のみ公開となります。
 展示場所 智恵子の生家内
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市のサイトには、現物の画像は出されていません。「是非デザインをご想像の上お越し下さい」だそうで。

当方も現物は見たことがありません。しかし「初公開」とありますが、開館当初の一時期、公開されていたことがあったのではないかと思われます。平成6年(1994)、講談社さん発行の女性誌『SOPHIA』1994年3月号に載った「ソフィア・スペシャル 高村智恵子の結婚の條件〈シリーズ=時代を道づれにした女〉」という16ページある記事に、生家座敷で撮影されたカラーの大きな画像が出ていますし、同10年(1998)に日テレさん系で放映された「知ってるつもり!?」の智恵子の回で同様の映像が使われました。
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まぁ、二本松市さんが「是非デザインをご想像の上お越し下さい」とおっしゃってますので、画像は出しませんが(笑)、実に豪華な作りの目にもあでやかな着物です。他の智恵子愛用品(琴や機織り台、蓄音機など)は寄贈されて常設展示されていますが、この着物は所有権が市に移っていないのか、あるいは市の所蔵にはなっているものの、常設で出すと染色の劣化が進むので通常は展示していないのか、そんなところだろうと思います。画像があまり世に出ていないことを考えると、可能性が高いのは前者の方でしょうか。

ところで、智恵子の結婚話。

以前に書かれた光太郎や智恵子の評伝類では、明治45年(1912)頃、智恵子に二本松の医師・寺田三郎との縁談が持ち上がり、光太郎はそれを受けて詩「人に」(原題「N――女史に」)で「いやなんです あなたのいつてしまふのが――」「小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて」と謳い、それを読んだ智恵子が、実家に帰ってすったもんだの末に縁談の破棄を認めさせ、光太郎の元に走った(光太郎が滞在していた犬吠埼まで追いかけていった)とされています。

ところが最近、この年には寺田は既に妻帯しており、子まで為していたということが明らかになりました。どうも関係者の記憶違いがあったようです。おそらく、寺田との縁談は確かにあったのでしょうが、もっと前。しかし光太郎が「小鳥のやうに臆病で 大風のやうにわがままな あなたがお嫁にゆくなんて」と謳ったのは、間違いなくこの年ですので、他の縁談があったのか、それとももしかすると、煮え切らない光太郎に対して智恵子が「嫁に行く」と嘘をついたのかも知れません。そうだとすると、光太郎、まんまと智恵子の手練手管にはまったわけですね(笑)。しかし、今となっては真相は闇の中です。

というわけで、智恵子生家/智恵子記念館、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

NHKの録音班三人くる、30分第一回分を吹込、これは20日の事、

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ラジオ連続講座「美の世界」の収録です。2回に分けての放送で、初回が「破壊と美」、第2回が「都市美について」の副題でした。残念ながらこの録音はNHKさんに残っていないようです。

智恵子の故郷・福島二本松市の広報誌『広報にほんまつ』10月号から。

まず、「二本松ふるさと人物史」という連載の第6回の扱いで、智恵子が大きく紹介されています。
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それから、智恵子生家/智恵子記念館さんで毎年恒例の、秋のイベントの案内。智恵子紙絵の実物公開(普段は複製が展示されています)、通常は立ち入りできない生家二階部分の特別公開の件です。
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紙絵の実物展示が10月8日(土)~11月13日(日)、二階部分の特別公開が10月27日(木)~11月8日(火)だそうです(水曜休館)。例年は期間中の土日・祝日の実施だったと記憶していますが、今年は平日も行うのですね。

記念館の開館30周年だそうで、記念バッヂの無料配付も。これは心が動きます(笑)。

さらに智恵子顕彰団体「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催の「智恵子講座2022」。
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当方もたびたび講師を仰せつかってきましたが、今年は同会代表・熊谷健一氏が全3回の講師を務められるそうで。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

逆に残念なお知らせも。

10月5日の智恵子忌日(レモンの日)に合わせ、その前後の日曜日に開催されていた(ここ数年はコロナ禍のため中止)智恵子を偲ぶ「レモン忌」の集い。主催なさっていた「智恵子の里レモン会」さんの渡辺秀雄代表が亡くなり、それに伴って会が解散ということになったそうです。当方、会員ではありませんでしたが、その通知、画像で頂きました。
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そこで、「レモン忌」の集いは無くなることに……。残念です。どなたか代わって主催を引き受けて下って、復活することを希望します。

【折々のことば・光太郎】

北川太一氏くる、生きた鯉2尾持参、明日の誕生日の祝の由、


昭和29年(1954)3月12日の日記より 光太郎72歳

当会顧問であらせられた故・北川太一先生。光太郎の誕生日祝いは欠かしませんでした。この年は生きた鯉。どうやって入手されたのか、光太郎にどうしてほしかったのか(食べるとか飼うとか)、そして光太郎が実際にどうしたのか、謎です。生きた鯉を貰っても困ると思うのですが……。北川先生ご存命中に訊いておけばよかったと反省しきりです。

ちなみに光太郎から北川先生宛の葉書には、以下の記述があります。

先日は見事な生きた鯉を二尾もいただいてまことに感謝しました、遅ればせながら。

新聞2紙から。

まず智恵子の故郷・福島の『福島民報』さん、昨日の一面コラム。

あぶくま抄 路傍の花(9月6日)

二本松市岳温泉の医師で九十歳の鈴木孝雄さんはこの夏、自宅近くの野に咲く花を写真と短文で紹介する「路傍の花-安達太良山東麓 岳台地を歩く-」を出版した。三年かけて約二百種を撮った。ほんとの空の下にそっと息づく生命を慈しむ▼新年を祝うフクジュソウ、春夏のシャクナゲ、安達太良の象徴として歌に詠まれるマユミ…。朝夕の散歩中、足元にほころぶかれんな姿に引かれ、カメラを向ける。診療実務を退いた後、患者の楽しみにと、クリニックのホームページに載せた企画を一冊にまとめた▼「ミヤコザサ線」と呼ばれる植生の境界が岳台地を通る。最高積雪が五十センチとなる地点を南北に結ぶ。この線を境に、雪の少ない太平洋側にミヤコザサ、雪の多い日本海側にチマキザサが生える。岳では、両側の植生が見られることを知った。身近な自然の面白さに取りつかれ、観察を続ける▼岳温泉文化協会が二十年以上にわたり刊行している会報を、会長として本にするのが次の目標だ。ヒメボタルやモリアオガエルの研究など、地域の宝を掘り起こす多彩な成果に光を当てる。年齢を重ねて、ますます盛んな好奇心と探究心が古里の道端を照らす。

何とも地元愛溢れる活動に頭が下がります。安達太良山の山の上に毎日広がる「ほんとの空」とともに、東京にいても草花を愛し続けた智恵子も、泉下で眼を細めているような気がします。

続いて『夕刊フジ』さん。

夫婦で歩いた山から望む「ほんとの空」 高村光太郎『智恵子抄』福島県二本松市・智恵子の杜公園

000 ほんとの空、を見たくなった。
 〈智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ(中略)阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ〉
 彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の有名な詩「あどけない話」。最初に知ったときは、郷愁をうまく表現したなぁ、とのんきな感想を抱いた。
 でも、先立たれた妻を追想しながら光太郎が編んだ『智恵子抄』を通読すると、少し印象が変わる。夫婦で愛を育む一方で、智恵子は画家として挫折し、生活苦や闘病などを経て、次第に精神を病んでいった。光太郎はこの詩を紹介しつつ、智恵子は年に3、4カ月は帰郷していたと記す。なぜなら〈田舎の空気を吸って来なければ身体がもたない〉から。「ほんとの空」は、それほど切実な欲求だったのだ。
 阿多多羅山は、福島・中通りにそびえる安達太良山のこと。酒造りを営んでいた智恵子の生家が二本松市に残っている。訪ねてみると、記念館が併設されていて、智恵子が病床で制作した切紙絵などを鑑賞できた。
 生家から安達太良山は見えない。案内図をもらって、近くにある鞍石山への遊歩道をたどってみる。夫婦二人でそこを散策するシーンを描いた「樹下の二人」という詩を参照しながらのんびり歩く。
  〈がらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸はう。あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう〉
 東京生まれの光太郎も、智恵子を癒してくれる自然を愛しんでいた。都会へ戻ることをこんなふうに書くほどに。〈私は又あした遠く去る、あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ〉
 鞍石山は「智恵子の杜公園」として整備されていて、「樹下の二人」の詩碑も発見。頂上付近の展望台からは安達太良山が望めた。〈あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。ここはあなたの生れたふるさと…〉
 空を見上げて深呼吸。二人の別天地を少しだけ近く感じられたひととき。だがしかし、私も無頼の都へ帰らねば。

一昨年に始まったコロナ禍のため、各種イベント等の中止が相次ぎ、当方も2年近く二本松方面に行っておりません。何とかこの秋には、と思っているのですが……。

皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

文部省芸術課長宇野俊夫氏くる、芸術院会員のこと、再考受諾の話ありたれど理由を話して断る、領解してかへる、

昭和28年(1953)12月19日の日記より 光太郎71歳

芸術院会委員への推薦を光太郎が断ったことに関わります。この日訪れた役人はいったん了承して帰りましたが、結局これで万事終了とは成りませんでした。

昨日に引き続き、智恵子の故郷・福島からのイベント情報です。

プレスリリースから。

60万球が光り輝く福島の夏の風物詩「あだたらイルミネーション」7/31(土)開幕! カラフルなインスタ映えメニューも多数登場!

 富士急安達太良観光株式会社が展開する「あだたら高原リゾート」(福島県二本松市)では、2022年7月30日(土)~9月19日(月祝)の期間、「あだたらイルミネーション」を開催いたします。

 今年で11年目を迎える本イベントは、光の天の川を中心に花や動物などをモチーフにしたイルミネーションで輝くあだたら高原リゾートの夏の風物詩です。今年の見どころは、ゲレンデに広がる光の天の川に、わし座・こと座・はくちょう座で構成される「夏の大三角形」や「北斗七星」、「カシオペア座」といった夏の星座をイルミネーションで楽しめるほか、ここでしか見ることができない光り輝く二本松のマスコットキャラクター「菊松くん」のフォトスポットや昨年から黄色の輝きがさらにパワーアップした「光のひまわり回廊」など、夜の安達太良山を美しく彩ります。また、暗闇に光るかき氷や光るドリンクなど、イルミネーションを鑑賞しながら楽しめるひんやりメニューも登場いたします。
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 さらに、期間中の特定日には、安達太良山の夜空に願いを込めてたくさんのスカイランタンを浮かべる参加型イベント「LEDスカイランタンフェスティバル」も開催。イルミネーションの輝きと相まって、世界でここだけの幻想的な光景が広がります。

 夜だけではなく昼から来ても楽しめるあだたら高原リゾートでは、岳温泉名物の温泉たまご「とろんたま」がトッピングされた「とろんたま入り台湾風まぜそば」や、かき氷のようでかき氷ではない、アイスクリームともまた違う、雪のようなふわふわ食感の冷たいスイーツ「あだたらスノーアイス」など、夏にぴったりのメニューが新登場。ぜひ、ご賞味ください。

 あだたら高原リゾートでは、ご来場いただく全てのお客様に安心してお楽しみいただけるよう、新型コロナウイルス感染症対策を徹底しております。この夏は、阿武隈の山々を見渡す絶景の大パノラマと幻想的なイルミネーションの世界を楽しみに、「あだたら高原リゾート」へぜひお越しください。

【「あだたらイルミネーション」概要】
・開催期間  2022年7月30日(土)~9月19日(月祝)
 ※8月29日以降は、金・土・日・祝日のみの営業
・営業時間  19:00~21:00
 ※ロープウェイの上り最終20:30、下り最終20:50
・料金
  入場料:中学生以上600円、小学生以下400円
  入場料とロープウェイ乗車料のセット:中学生以上1,400円、小学生以下900円
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LEDスカイランタン【ほんとの空に願いをこめて】

 今年で3年目を迎える「LEDスカイランタンフェスティバル」がこの夏も皆様の期待にお応えし開催いたします。オレンジ、ピンク、グリーン、ブルー、レッドの5色のランタンが夜空に浮かび、ここでしか見られない幻想的で美しい光景が広がります。
・開催日 8月6日(土)、13日(土)、20日(土)、27日(土)、
     9月3日(土)、10日(土)、17日(土)、18日(日)
・時間  18:00受付開始、20:00ランタンリリース予定
・料金  3,500円(ランタン1基、イルミネーション入場料1名分含む)
・参加方法  各開催日前日までの予約申込み ※各日先着80名様限定​
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■インスタ映え間違いなしの光るメニューが登場!    
 「富士急レストハウス」では、イルミネーション期間中限定で、「光るかき氷」と「光るドリンク」を販売いたします。「光るドリンク」には安達太良山の夜空に輝く星座をイメージした「スターライト(バラフライピーシロップ入)」が新登場!キラキラと光り輝く様子はイルミネーションをさらに華やかに彩ること間違いなしです。
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■インスタグラム写真投稿キャンペーン開催!
 公式インスタグラム(@ adatara_illumination)をフォローの上、指定ハッシュタグ「#あだたらイルミ2022の思い出」をつけ、場内で撮影したイルミネーションの写真を投稿していただいた方の中から抽選で、地元特産品をセットにした賞品やリフト券&温泉入浴券セットをプレゼントいたします。この機会に、ぜひご参加ください。
【A賞】岳温泉十二支めぐり&温泉の素3種(5名様)
【B賞】桃の恵みジュース&温泉の素3種&あだたら山ピンバッチ(5名様)
【C賞】スキーリフト券&奥岳の湯入浴券セット(5組10名様)
◎賞品概要
「岳温泉十二支めぐり」は、岳温泉観光協会が企画・作成したもので、温泉街にある十二支の石柱をめぐり、ポストカードに版画を写して温泉街を巡ることができます。温泉の素は、岳温泉街にある佐藤物産館オリジナルの入浴剤で、「岳の湯」をはじめ「大玉の湯」など福島県内の温泉が再現されています。JAふくしま未来の「桃の恵み」は、桃の旨味をそのまま閉じ込めた果汁100%ジュースで、桃の名産地福島だからできた商品です。あだたら山ピンバッチは、あだたら高原リゾートオリジナル商品で、ロープウェイ山麓駅のレストハウス(売店)、「あだたら山奥岳の湯(売店)」のみでしか購入できない限定品になります。
 
■夏の爽やかメニュー多数登場!
 「富士急レストハウス」では、7月16日(土)より暑い夏にぴったりのメニューを多数販売いたします。辛いものがお好きな方に向けて、岳温泉名物の温泉たまご「とろんたま」が辛い麺と絡み合う「とろんたま入り台湾風まぜそば」や麻婆豆腐がたっぷりのった「麻婆そば」、かき氷のようでかき氷ではない、かといってアイスクリームとも違うまるで雪のようなふわふわ食感の冷たいスイーツ「あだたらスノーアイス」が新登場。お好みのソース(ストロベリー、ピーチ、チョコ)をかけて、お召し上がりください。
 さらに、昨年の夏に販売しご好評をいただいた、梅の酸味が食欲をそそる「梅とチキンのさっぱり冷やしうどん」や見た目も鮮やかでボリューム満点の「具だくさんの冷やし鶏塩ラーメン」もご賞味いただけるほか、「あだたらかき氷ソフト」と「あだたらソーダ」に今夏桃フレーバーが仲間入り。青空や緑の木々をバックに撮影すれば、インスタ映えすること間違いなしです!ぜひ、この機会にご賞味ください。
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【昼から来ても楽しめる魅力がいっぱい!】
■ロープウェイからの絶景、薬師岳パノラマパークからの雄大な景色を一望
 「日本百名山」の一つに数えられる安達太良山は、標高1,700mで夏でも涼しい環境で大自然を満喫できます。あだたら山ロープウェイに乗って約10分の空中散歩を楽しんだ後、山頂駅からは阿武隈山系や福島市街地を一望。さらに、散策道を10分程歩いたところにある「薬師岳パノラマパーク」では、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる、青く澄みきった空と絶景の大パノラマが楽しめるほか、山肌にはハートの形を発見することができ、見どころいっぱいです。
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■絶景露天風呂「あだたら山奥岳の湯」でリフレッシュ!
 標高約950mに位置する「あだたら山奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂で、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる「ほんとの空」を全身で楽しんでいただくことができます。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。
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ここまで「ほんとの空」の語を連発されては、紹介しないわけにはいきません(笑)。

コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

群像の人くる、迎の車で西銀座「出井」といふ料亭で、金子光晴、三好豊一郎氏と三人詩の座談会、

昭和28年(1953)8月13日の日記より 光太郎71歳

「出井」はつい先頃まで健在だった割烹料亭です。この日の座談会の模様は、この年11月の雑誌『群像』に「現代詩について」の題で掲載されました。

3日前の日曜日、調べ物があって、隣町にある県立図書館の分館に行って参りました。その帰途、ふと立ち寄った道の駅的な(公的な「道の駅」ではないのですが、似たような)施設で、見つけました。
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グロキシニアの鉢です。ちなみに1鉢300円でした。

「智恵子抄」に複数回登場するので、光太郎智恵子ファンにはその名が広く知られていますが、一般には珍しい花の部類だと思います。当方、それほどフラワーショップ等に足繁く通っている訳ではありませんが、店頭で売られているのを見つけたのは初めてでした。もっとも、都会のシャレオツなフラワーショップさんなどでは、意外と普通に売られているのかも知れませんが。

かつて自宅兼事務所に1鉢あったのですが、残念ながら枯死してしまいました。そちらは平成28年(2016)、智恵子の故郷、福島二本松で開催された智恵子を偲ぶ「レモン忌」の際に会場内に飾られていて、それをいただいて帰ったものでした。平成30年(2018)までは元気に咲いていたのですが、その年の冬は越せませんでした。

なぜ「智恵子抄」にグロキシニアが出て来るかというと……。

まず散文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)。

彼女はひどく優雅で、無口で、語尾が消えてしまひ、ただ私の作品を見て、お茶をのんだり、フランス絵画の話をきいたりして帰つてゆくのが常であつた。私は彼女の着こなしのうまさと、きやしやな姿の好ましさなどしか最初は眼につかなかつた。彼女は決して自分の画いた絵を持つて来なかつたのでどんなものを画いてゐるのかまるで知らなかつた。そのうち私は現在のアトリエを父に建ててもらふ事になり、明治四十五年には出来上つて、一人で移り住んだ。彼女はお祝にグロキシニヤの大鉢を持つて此処へ訪ねて来た。

光太郎智恵子が出会ったのは明治44年(1911)末、翌年の6月に、駒込林町の光太郎実家近くにアトリエ兼住居が竣工し、その新築祝いにと、智恵子が持ってきたのがそもそもです。

その頃の光太郎は、欧米留学で身につけてきた新しい彫刻のありようが日本で認められない苦悩を抱え、荒んだ生活を送っていました。そこで、智恵子を受け入れるかどうかも、非常に逡巡。そんな時期に書かれた詩「あをい雨」に、初めてグロキシニアが現れます。長い詩なのでその部分だけ抜粋します。
無題2
寄席で、大川端で
そして
ミステリアスな南米の花
グロキシニアの花弁の奥で
薄紫の踊り子が、楽屋(フオワイエエ)の入口で
さう、さう
流行(はやり)の小唄をうたひながら
夕方、雷門のレストオランで
怖い女将(おかみ)の眼をぬすんで
待つてゐる、マドモワゼルが
待つてゐる、私を――


この詩が書かれたのが明治45年(1912)6月21日。6月6日には新築なったアトリエに転居した通知を方々に出していますので、智恵子が鉢を持って訪れたのもおそらくこの月。貰ってすぐに詩に詠んでいるわけです。ただし、この詩は「智恵子抄」には収められませんでした。

「智恵子抄」でのグロキシニア初出は、巻頭の詩「人に」。同じ年7月作のもの。「大正」に改元となった9月、雑誌『劇と詩』への発表当初は「N――女史に」という題でした。大正3年(1914)の詩集『道程』に収められた際に「――に」と改題、内容もかなり改訂され、さらに最終的には昭和16年(1941)の詩集『智恵子抄』の巻頭を飾っています。最終詩形がこちら。

   人に
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 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが――

 花よりさきに実のなるやうな
 種子(たね)よりさきに芽の出るやうな
 夏から春のすぐ来るやうな
 そんな理窟に合はない不自然を
 どうかしないでゐて下さい
 型のやうな旦那さまと
 まるい字をかくそのあなたと
 かう考へてさへなぜか私は泣かれます
 小鳥のやうに臆病で
 大風のやうにわがままな
 あなたがお嫁にゆくなんて

 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが――

 なぜさうたやすく
 さあ何といひませう――まあ言はば
 その身を売る気になれるんでせう
 あなたはその身を売るんです
 一人の世界から
 万人の世界へ0324
 そして男に負けて
 無意味に負けて
 ああ何といふ醜悪事でせう
 まるでさう
 チシアンの画いた絵が
 鶴巻町へ買物に出るのです
 私は淋しい かなしい
 何といふ気はないけれど
 ちやうどあなたの下すつた
 あのグロキシニヤ
 大きな花の腐つてゆくのを見る様な
 私を棄てて腐つてゆくのを見る様な  
 空を旅してゆく鳥の
 ゆくへをぢつとみてゐる様な
 浪の砕けるあの悲しい自棄のこころ
 はかない 淋しい 焼けつく様な
 ――それでも恋とはちがひます
 サンタマリア
 ちがひます ちがひます
 何がどうとはもとより知らねど
 いやなんです
 あなたのいつてしまふのが――
 おまけにお嫁にゆくなんて
 よその男のこころのままになるなんて

次にグロキシニアが謳われるのは、智恵子没後の詩「亡き人に」(昭和14年=1939)。

   亡き人に
無題
 雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く
 枕頭のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く

 朝風は人のやうに私の五体をめざまし
 あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい

 私は白いシイツをはねて腕をのばし
 夏の朝日にあなたのほほゑみを迎へる

 今日が何であるかをあなたはささやく
 権威あるもののやうにあなたは立つ

 私はあなたの子供となり
 あなたは私のうら若い母となる

 あなたはまだゐる其処にゐる
 あなたは万物となつて私に満ちる

 私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
 あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

書かれているシチュエーションがフィクションでなければ、おそらく智恵子没後に智恵子を偲ぶため、智恵子を象徴する花であったグロキシニアを購入したのだと思われます。

フィクションではないことを祈ります。というのは、同じ頃書かれた「レモン哀歌」はフィクションくさい部分がありまして……。

末尾の二行、「写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう」とありますが、この詩が書かれたのは2月、桜など咲いていようはずがありません。雑誌『新女苑』への発表が4月になるということで、それに合わせたのでしょう。まぁ、「桜咲く4月にはそうしよう」と思っていて、実際、4月になったらそうしたのだとは思いたいところですが……。

ところでグロキシニア。以前にいただいたものは、悪い奴に囓られてほとんど丸坊主になってしまったことがありました。そこから復活して花を咲かせましたが、その時の無理がたたったのか、翌年は駄目になってしまいました。凶悪犯人ならぬ極悪犯猫(はんにゃん)はこいつです(笑)。
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今度は気を付けます(笑)。

【折々のことば・光太郎】

三宅坂にて下りモニユマンを見る、


昭和28年(1953)2月23日の日記より 光太郎71歳

モニユマン」は「モニュメント」。仏語で表すと「モニュマン」となる感じです。

具体的には、現在の最高裁前、内堀通りに青山通りがぶつかる丁字路のかたわらにある、菊池一雄制作の「平和の群像」を指します。
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昭和26年(1951)に設置されたもので、おそらく野外の公共空間に置かれた初めての裸婦像ではないかと思います。戦後の風潮の中で、裸婦像は平和や自由を象徴するものとして、これを皮切りに流行します。

同じ公共空間の裸婦像ということで、光太郎も生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作の参考にするために見たのでしょう。菊池は「乙女の像」制作のための下見にも同行し、光太郎に助手として小坂圭二を紹介しましたし、健康に不安があった光太郎は、自分が倒れて制作不能になった場合の代わりの制作者に菊池を指名していました。

また、台座との関わりも、光太郎は参考にしたと思われます。

「平和の群像」、一見して、台座とのバランスが非常に悪いのですが、それもそのはず、この台座の上には、もともと北村西望制作になる、寺内正毅陸軍大将の騎馬像が乗っていました。寺内は戊辰戦争では長州藩士として箱舘戦争まで戦い、その後、陸軍大臣、朝鮮総督、そして内閣総理大臣も務めています。ちなみに尖った禿頭がアメリカ生まれのキャラクター「ビリケン」に似ており、さらに総理在任中は国民から国民無視の政権運営だと不評で、「非立憲(ビリケン)宰相」と揶揄されました。結局、第一次大戦後の米騒動がきっかけで政権の座を追われています。同じ長州の「でんでん宰相」は、いかに不評でも自分で投げ出すまで居座り続けましたが(笑)。

その寺内像が戦時の金属供出で無くなり、残っていた台座を「平和の群像」に転用したわけです。ある意味、象徴的なできごとですね。

光太郎、この像の台座と本体とのバランスの悪さが気になり、「乙女の像」では同じ轍を踏むまいと、この後、鋳造を担当した伊藤忠雄の工房の庭に、台座の雛形を木で作ってもらい、台座とのバランス、向かいあう二体の像の位置関係など、ああでもないこうでもないと、いろいろ試行錯誤しました。
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5月15日(日)、過日ご紹介した、智恵子の故郷・福島二本松の安達太良山山開きが行われました。

地元紙『福島民友』さんから。

ほんとの空広がる頂 安達太良山で山開き

 日本百名山に数えられる安達太良山(1700メートル)の山開きは15日、行われた。3年ぶりに山頂での安全祈願祭も再開され、多くの登山客が残雪を踏みしめながら頂上を目指していた。
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止していた安全祈願祭は参列者を制限して開催。登山客が見守る中、関係者が登山の安全を祈った。ミズあだたらコンテストは中止となったが、登山口では記念ペナントの配布も行われた。
 安達太良連盟によると、15日の登山者は約3000人。山頂には青空が広がり、登山者が360度の大パノラマを眺めながら仲間と食事を共にするなど思い思いに過ごしていた。
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同じく『福島民報』さん。

安達太良山で山開き 福島県の日本百名山 3000人が山頂目指す

002 日本百名山の一つ、福島県の安達太良山(1700メートル)は15日、山開きした。県内外からシーズンを待ちわびた約3000人の登山者が訪れ、新緑を満喫しながら山頂を目指した。新型コロナウイスル感染拡大の影響で中止していた山頂行事の一部も3年ぶりに復活した。
 山頂で参列者を制限して安全祈願祭を執り行った。二本松市などでつくる安達太良連盟の会長を務める三保恵一市長ら関係者が登山者の安全やコロナ禍の収束を願った。
 各登山口で先着3000人に記念ペナントを配布したほか、山開きに参加した人から登山を楽しむ様子などを交流サイト(SNS)のインスタグラムに投稿してもらうキャンペーンも実施した。
 安全祈願祭後の恒例の風物詩となっていたミズあだたらコンテストはコロナ禍で3年連続の中止となった。

一昨年昨年と、コロナ禍のため大幅に規模を縮小して行われていた安達太良山の山開き。まだコロナ禍前の状況まで完全には戻っていませんが、3年ぶりに山頂での安全祈願祭が復活など、着実に前進しているようです。

元に戻る日がそう遠くないことを切に祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

午前モデル、 午后藤島氏、 便 彫刻3尺もの支度、


昭和27年(1952)12月8日の日記より 光太郎70歳

彫刻3尺もの」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作です。

日記に記述がありませんが小型試作(像高約57㌢・左下画像)が2日後に完成、中型試作(同112㌢・右下画像)は、手の原寸大試作を経て翌年1月12日から着手されました。
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午前モデル」「午后藤島氏」といった書き方は、来訪者の記録。それから、これまで触れてきませんでしたが、「便」。光太郎、必ずといっていいほど、便通の記録をつけています。腹がゆるくなっていた日には「下痢便」など、細かに。

福島県観光情報サイト「ふくしまの旅」さんから。

ほんとの空がここにある。 5/15「第68回安達太良山山開き」開催!

安達太良山は日本百名山に数えられる標高1700mの山で、南北9kmにわたって連なる安達太良連峰の主峰です。花の百名山としても知られ、4月から10月上旬まで高原の花が順次開化し、訪れる人の目を楽しませます。二本松市出身の画家・高村智恵子の夫である高村光太郎は『智恵子抄』に「智恵子は東京に空が無いといふ、(中略)阿多多羅(あだたら)山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。」と記しました。

5月15日(日)の山開きでは、各登山口にて7時30分から先着で3,000枚ペナントを配布します。5月29日(日)までの期間は、土日限定で二本松駅前や岳温泉を通るシャトルバスが運行され、電車でお越しの方や、岳温泉に宿泊される方におすすめです。

また、山開きを主催する安達太良連盟は公式インスタグラムを開設しました。インスタグラムキャンペーンも実施予定です。ぜひフォローしておでかけください。

【日にち】2022年5月15日(日)
【時間】7:30~ 山開き記念ペナント配布
※無くなり次第、終了となります。
※安達太良山山頂で行われる安全祈願祭は関係者のみで行われます。一般の方は神事エリア内への入場はご遠慮ください。
【問い合わせ先】安達太良連盟事務局(二本松市観光課内)
TEL:0243-55-5122
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地元紙『福島民友』さん。

「安達太良山」5月15日に山開き 3年ぶり山頂で安全祈願祭へ インスタグラムに公式ページを開設 安達太良連盟

 日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)は15日、第68回山開きを迎える。新型コロナウイルスの感染防止のため、ミズあだたらコンテストが中止されるものの、3年ぶりに山頂で安全祈願祭が行われる。午前11時から。
 恒例の記念ペナントは、3年連続で各登山口での配布となり、午前7時30分から先着3000人に配られる。
 安全祈願祭は、新型コロナの拡大を受けて過去2年、二本松市の奥岳登山口で参列者を来賓らに制限して行われていた。参列者の制限は、今年も継続される。
 15日の安達太良山山開きを控え、関係市町村などでつくる安達太良連盟は6日、写真共有アプリ「インスタグラム」に公式ページを開設した。山開き当日のイベント情報や、登山道整備などの準備状況を発信する。006
 今年初めて、山開きに参加した人から登山を楽しむ様子などをインスタグラムに投稿してもらい、優秀作品を審査して賞品を贈るキャンペーンを行うことなどを踏まえて設けた。
 アカウント名は「adatarayama_yamabiraki」。初日は同連盟事務局がある二本松市役所から望む安達太良山や、山開きまでのカウントダウンをする職員らの写真が投稿された。問い合わせは同市観光課(電話0243・55・5122)へ。

一昨年昨年と、コロナ禍のため大幅に規模を縮小して行われていた安達太良山の山開き、今年は3年ぶりに山頂での安全祈願祭が復活するそうです。ただし関係者のみで、一般の登山客は神事エリアへの立ち入りは遠慮してもらうということで、まだ完全にコロナ禍前に復するわけではなさそうです。かつて行われていた「ミズあだたら」コンテストも無しだそうで。まぁ、それでも一歩前進ですね。

それから、細かい話ですが、一昨年(左下)、昨年(右下)はポスターから「ほんとの空」の語が消えていたのですが、今年はそれも3年ぶりに復活しました。
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さらに来年以降は完全に旧に復してほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

午后三時頃木村修吉郎氏くる、一緒に車、佐藤春夫氏宅によりて氏と同乗銀座ハゲ天、武者小路、辰野隆、豊島与志雄氏等と座談会、後豊島佐藤氏と火の車によりてかへる、

昭和27年(1952)11月25日の日記より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため帰京してからまだ1ヶ月余りでしたが、すでに4回目の座談会です(これ以外に講演も2回)。今回のものは「湖畔の彫像」と題し、翌年、武者小路実篤主宰の雑誌『心』に掲載されました。劇作家の木村修吉郎、仏文学者の辰野隆、それぞれ『心』の編集等に関係していました。

会場の「銀座ハゲ天」は現在も健在の天ぷら屋、「火の車」は当会の祖・草野心平が経営していた居酒屋です。

智恵子の故郷・福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館で、先月末から開催されている「高村智恵子生誕祭」についての報道等です。

まず『福島民友』さん。

29日まで高村智恵子生誕祭 生家の居室を特別公開 福島県二本松市の記念館

 高村智恵子生誕祭は29日まで福島県二本松市油井の智恵子の生家・智恵子記念館で開かれている。生家2階の「智恵子の居室」を特別公開し、繊細な美しさの紙絵の実物を展示している。
 20日の智恵子の誕生日に合わせた事業。居室は智恵子が光太郎と結婚後に帰郷したときも過ごしたとされ、当時の状態で保存されている。大型連休の8日までと、14、15、20、21、22、28、29の各日に公開する。
 智恵子が闘病中に制作した「青い魚と花」などの紙絵10点をも公開している。紙絵をモチーフにしたしおり作りも実施する。
 入館料は高校生以上410円、小中学生210円。
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続いて、『福島民報』さん。

高村智恵子作の紙絵...実物展示 二本松の生家・記念館で生誕祭

002 二本松市出身の洋画家高村智恵子が誕生した5月20日にちなみ、同市の智恵子の生家・智恵子記念館で4月28日、生誕祭が始まった。智恵子が制作した紙絵の実物展示や居室の特別公開など、多彩なイベントを繰り広げている。今月29日まで。
 同記念館は、智恵子がゼームズ坂病院で入院中に制作した千数百点の紙絵のうち24点を収蔵。通常は作品の劣化を防ぐために複製を展示する。実物は生誕祭などの年2回に限り公開する。今回は代表作の「青い魚と花」をはじめ「紋様」「果物」など10点を展示した。
 非公開の智恵子の居室の特別公開は8日までの大型連休中の毎日と、14日以降の週末など。14日からは土、日曜日に同市の伝統工芸品「上川崎和紙」で紙絵の制作が体験できる。また開館30周年を記念し、メッセージカードに智恵子への思いなどを記入してもらうと、缶バッジを進呈する企画も展開している。
 開館時間は午前9時~午後4時30分(最終入館は同4時)。水曜日休館。入館料は高校生以上410円、小・中学生210円。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。

最後に『広報にほんまつ』さんの今月号。
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上記の通り、5月29日(日)までの期間中、さまざまなイベント等が企画されています。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后宮崎稔氏くる、てんらん会にいつてきた由、


昭和27年(1952)11月17日の日記より 光太郎70歳

宮崎稔」は、智恵子の最期を看取った姪の春子と結婚した詩人。「てんらん会」は、この日開幕した「高村光太郎小品展」と推測されます。

会場は東京駅丸の内口前の丸ビル2階、中央公論社画廊。そちらの柿(こけら)落としを兼ねたものでした。この頃、同社で当会の祖・草野心平編集による『高村光太郎選集』の刊行が進んでおり、その関係もありました。

確認できている限り、光太郎生前唯一の彫刻個展でしたが、当の本人はあまり興味がなかったようで、日記には見に行った記述がありません。記述がないだけで行ったのかもしれませんが……。
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5月20日の智恵子の誕生日に合わせてのイベントです。

高村智恵子生誕祭 智恵子への想い メッセージに託しませんか

 高村智恵子の生誕祭が4月28日~5月29日、二本松市油井にある智恵子の生家と智恵子記念館で開かれます。
 智恵子は明治19年(1886年)5月20日、「花霞」の造り酒屋に生まれ、激動の時代に光太郎と純愛をはぐくみました。生家ではふだん公開していない2階「智恵子の居室」を週末・祝日を中心に特別公開するほか、通常立ち入ることができない1階のお座敷も開放されます。また、智恵子への想い、イラストなどのメッセージを募り、記入者に記念の缶バッジをプレゼント。5月14日からは上川崎和紙を使い、智恵子の紙絵をモチーフにしたしおりづくり体験も予定しています。
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・奇跡といわれる「紙絵」の実物展示
 2022年4月28日(木)~5月29日(日) 二本松市智恵子記念館
 開館30周年を迎える智恵子記念館では、奇跡といわれる紙絵の実物を展示します。
 開館時間は午前9時~午後4時30分。入場料は高校生以上410円、小中学生210円。
 問い合わせは同記念館(電話0243-22-6151)へ。

・智恵子の想いをメッセージカードに記してみよう
 2022年4月28日(木)~5月29日(日) 智恵子の生家
 智恵子に対する想いや生家を見学した感想、イラストなど
 メッセージカードに自由にご記入下さい。
 記入者全員に記念の缶バッヂを贈呈します(無くなり次第終了となります)。


・智恵子の生家2階特別公開
 2022年4月29日(金)・4月30日(土)・5月4日(水)~5月8日(日)・5月14日(土)・
 5月15日(日)・5月20日(金)~5月22日(日)・5月28日(土)・5月29日(日)
 通常公開していない「智恵子の居室」を特別に公開します。

・上川崎和紙で作る「智恵子の紙絵」体験
 2022年5月14日(土)・5月15日(日)・5月21日(土)・5月22日(日)・5月28日(土)・5月29日(日)

ほぼ例年通りの企画ですが、メッセージカード→缶バッヂというのが新しい試みです。コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午前帝国銀行、通帳、30萬円現金 往復タキシ、一時頃かへる、


昭和27年(1952)10月29日の日記より 光太郎70歳

帝国銀行」というと、当方は「帝銀事件」を想起します。光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋で蟄居生活を送っていた昭和23年(1948)、同行の椎名町支店に現れた厚生省技官を名乗る男が、近くで赤痢の集団感染が出た、予防薬を飲むべしと言って、行員らに毒薬を飲ませて殺害、現金や小切手を奪ったというものです。画家の平沢貞通が「犯人」として逮捕されましたが、未だに謎の多い事件です。

千葉の自宅兼事務所周辺では、桜はもう終わってしまっていますが、東北では今が盛り、あるいはこれからのようですね。

智恵子の故郷・福島二本松。このところ「桜の街」としてもPRに力を入れており、令和元年(2019)には「2019全国さくらシンポジウム」の会場となり、その際のテーマ「ほんとの空にさくら舞う」を、その後も使い続けています。

今月の『広報にほんまつ』。
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実際、桜の名所や名木が多く、それらの紹介。

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智恵子生家/智恵子記念館を含む智恵子の杜公園もピックアップされています。
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さらに、桜がらみのイベント案内等。
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智恵子生家/智恵子記念館も廻る市内循環臨時バス「春さがし号」についても。乗降自由のフリーパスがワンコインだそうで、お得ですね。
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月末には、恒例となっている、智恵子生家の、通常非公開の2階部分(智恵子居室を含みます)特別公開も始まりますが、そちらはまた後ほど詳しくご紹介します。

福島には桜の名所が他にも多く、二本松とそう遠くない三春の滝桜を妻が見たいというので、明日、行って参ります。ただ、二本松まで足を伸ばす時間的余裕がありませんが……。

【折々のことば・光太郎】

朝九時四十五分上野着、 新聞社のフラッシ、佐藤春夫草野心平他関係者一同出迎、 地下にて生ビール、天神下すし榮にてすし、155番地にゆく、 夜すき焼にて夕食、 155番地2階にてねる、


昭和27年(1952)10月12日の日記より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため、7年半ぶりに帰京しました。「天神下すし榮」は「上野鮨 榮」さん。そのうち行ってみようと思います。「155番地」は、千駄木の光太郎実家。昭和20年(1945)の空襲被害を免れました。指呼の距離にあった光太郎アトリエ兼住居(25番地)は全焼しましたが。

光太郎実弟にして「155番地」を受け継いだ、鋳金分野人間国宝の豊周の回想から。

008 どんな恰好で帰ってくるかな、と思いながら、僕達は常磐線のホームに出迎えに行った。ことによると三等で帰って来はしないかと想像していたのだが、いざ着いてみると、悠々と、いばって二等車に腰掛けている。服装は例の山の服で、山小屋で使っていた汚い長靴をはいている。この頃は東京ではもう身なりも整っていた頃だから、これはやはり目に立った。山にいるとうまく調和しているのに、常磐線からホームに降り立った兄は、東京の空気となじまない、いかにも不諧調な感じで、おかしかった。
 出迎えの人も沢山いて、いきなりビールを飲みに行こう、などという話になってしまったので、僕達は一足先に家に帰ることにした。
「じゃあ、あとで待っているから、一通り済んだら、車で帰って来て下さい。」
と頼んで置いて別れて来たが、駅の地下道なんかから始めて、方々を飲み廻って来たらしい。兄はいい機嫌で帰って来た。この頃はもう健康をそこねていた筈だが、気の張りもあってか、いかにも健康そうに見えた。
 家に落着いた兄とどんな話をしたか、いまは、はっきり憶えていないが、恐らくとりとめもないことだったろう。家に戦前から働いていた婆やがその時まだ居て、
「先生、お帰りなさいまし。」
と挨拶すると、兄は、
「あんた、ずっといてくれたか。そうか、よく居てくれたな。おばさんがいるとは思わなかった。じゃあ、おばさんにお小遣をやろう。」
と実に喜んで、お小遣を五千円出した。この婆やは二十年も家にいて、すこしも東京風になじまず、純朴な女で、心から兄のことを心配していたから、涙をぽろぽろこぼしていた。
「先生無事でよかった。山の中の奥の奥の方にいるなんて、いつもみんなから聞いて、心配してたんですよ。」
そんな老人の話を、
「そうかい、そうかい。」
と言って聞いていた。
 兄の山からのみやげ物は、干からびて真黒になった木の子とちぢくれた山菜とだった。


ちなみに「乙女の像」といえば、今日、NHK青森さんのローカル番組「あっぷるワイド」(18:10~19:00)の中で、「乙女の像」が詳しく取り上げられます。十和田で像の文化的価値等を伝えで下さっているボランティアガイドさん、花巻郊外旧太田村の光太郎が暮らした山小屋等が取り上げられます。当方もビデオ出演。先月末にわざわざ八戸支局さんから千葉の自宅兼事務所まで、ディレクター氏、カメラさん、音声さんがお三方で取材にいらっしゃいました。

ウクライナ危機にもからめ、「戦争」、「平和」といったキーワードから、像に込めた光太郎の思いなどを掘りさげるそうです。視聴可能な地域にお住まいの方、ぜひご覧下さい。
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福島発の情報を2件ご紹介します。共に『智恵子抄』所収の光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)がらみで。

まずは、富士急行さんのプレスリリースから。

今だけの“残雪の安達太良山”を堪能「あだたら山ロープウェイ」臨時営業 3/19(土)~4/10(日)の土日祝日実施!スノーシュートレッキングもお得に楽しめる!

 あだたら高原リゾート(福島県二本松市)では、2022年4月16日(土)からのグリーンシーズン営業開始に先立ち、3月19日(土)から4月10日(日)の土日祝日限定で、「あだたら山ロープウェイ」の臨時営業を実施いたします。
 今年の冬は積雪が多かったおかげで、標高1,350mのロープウェイ山頂駅から続く薬師岳付近にはまだ1m近く雪が残っており、澄んだ空気の中、残雪の美しい安達太良山や一面に広がる雪景色を堪能することができます。
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また、臨時営業にあわせて、「安達太良山・オリジナルピンバッチ」を各日先着10名様にプレゼントいたします。このピンバッチは、日本百名山である安達太良山とシャクナゲをモチーフにしており、レストハウス(売店)でしか購入できないオリジナルグッズです。
 さらに、ロープウェイの臨時営業にあわせ、あだたら高原スキー場に併設するスノーシューコースで静寂な森林の雪道を散策し、野うさぎやキツネなどの小動物の足跡を探すスノーシュートレッキングと絶景露天風呂が人気の「あだたら山奥岳の湯」入浴券がセットになったプランを通常より最大で1,150 円もお得にお楽しみいただけます。
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 この春は、あだたら高原リゾートで、この時期にしか見ることができない残雪の美しい安達太良山をぜひお楽しみください。

「あだたら山ロープウェイ」臨時営業概要
■営業日 3 月19 日(土)、20 日(日)、21 日(月祝)、26 日(土)、27 日(日)
      4 月2 日(土)、3 日(日)、9 日(土)、10 日(日)
■営業時間 8:30~16:30(上り最終15:50、下り最終16:20)
税込料金 大人(中学生以上)片道 1,050 円 往復 1,750 円
     小人(4才以上~小学生以下)片道 800 円 往復 1,350 円
■安達太良山のオリジナルピンバッチをプレゼント
臨時営業期間中、各日先着10 名様に安達太良山とシャクナゲがあしらわれたオリジナルピンバッジをプレゼントいたします。
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スノーシュートレッキング概要
■営業日
3 月19 日(土)、20 日(日)、21 日(月・祝)、26 日(土)、27 日(日)
4 月2 日(土)、3 日(日)、9 日(土)、10 日(日)
※あだたら山ロープウェイの臨時営業日と同様です。
※融雪が進み、積雪状況により営業できない場合があります。
■営業時間 10:00~15:00
■コース 全長約1km(ゆっくり歩いて60 分~90 分程度)
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■料金
スノーシュー+ブーツ+ポール+「あだたら山奥岳の湯」入浴券付
大人(中学生以上) 通常価格3,650 円を → 特別価格2,500 円
小人(小学生以下) 通常価格2,950 円を → 特別価格2,000 円
※金額は税込です。
※帽子、手袋、サングラスなどはご自身でご用意ください。
※トレッキングガイド(有料・事前予約制)が必要な場合には、別途ご相談ください。
■お問合せ 富士急安達太良観光株式会社 TEL:0243-24-2141

大好評、絶景の露天風呂「あだたら山奥岳の湯」も営業中!
標高約950mに位置する「あだたら山 奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂で、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と詠ったことで知られる「ほんとの空」を全身で楽しんでいただくことができます。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5 の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。
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【施設概要】
所 在 地:福島県二本松市奥岳温泉
営 業 日:年中無休 ※メンテナンス休業あり
営業時間:10時00分~18時00分
施設内容:収容可能人数80人(男女各40人)
内湯(9㎡)、露天風呂(20㎡) ※男女別
利用料金:大人 650円 /小人(4才~小学生)450円
p H 値:2.5(強酸性)
泉 質:単純酸性温泉
適 応 症:神経痛・筋肉痛・関節痛・運動麻痺・慢性
消化器病・冷え性・疲労回復・慢性皮膚病

通常、4月から運行開始の「あだたら山ロープウェイ」が、今年は一足早く臨時運行を始めるそうです。残雪の中での「ほんとの空」、登山口での温泉露天風呂も乙なものでしょう。

もう1件、音楽イベントです。

第15回 声楽アンサンブルコンテスト全国大会 - 感動の歌声 響け、ほんとうの空に。 -

期 日 : 2022年3月18日(金)~21日(月・祝)
      3月18日(金)中学校部門 3月19日(土)高等学校部門
      3月20日(日)小学生・ジュニア部門、一般部門
      3月21日(月・祝)各部門金賞受賞団体による本選、表彰式
会 場 : ふくしん夢の音楽堂(福島市音楽堂) 福島県福島市入江町1-1

 声楽アンサンブルコンテスト全国大会は、音楽を創りあげるもっとも基礎となる要素「アンサンブル」 に焦点をあてた、2名から16名までの少人数編成の合唱グループによるコンテストです。
 全国の合唱レベルの向上を図るとともに、歌うことの楽しさを福島から全国に発信することを目的として、2008年(平成20年)から開催、今大会で第15回目を迎えました。
 本大会の特色として、伴奏楽器及び伴奏の形態が自由で多様な合唱音楽を追求、部門、年代を越えて演奏し合います。また、海外の合唱グループも公募し、音楽を通じて交流を図ります。

 なお、今大会は規模を縮小し、感染拡大防止策を講じながら開催する予定ですが、今後の新型コロナウイルス感染症の感染状況によっては、大会の中止又は内容を変更する場合があります。
※外国人審査員の招聘、海外団体の募集、特別企画(スペシャルコンサート)、プレコンサート、交流会等は実施しません。

 新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、次のとおり開催することとしますのでお知らせします。
・一般入場券は販売しません。客席へ入場できるのは、当日出演する団体で出演者入場券をお持ちの方のみとします。
・大会の様子を御覧になれるライブ配信チケットを販売中です。視聴手続きは、「チケット販売」を御覧ください。
・3月21日の本選のみ表彰式を開催します。また、表彰式の模様はYouTubeで無料配信します。詳細は「チケット販売」を御覧ください。
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「合唱王国」との称され、各種コンクールで上位入賞を果たす団体が実に多い福島県で、毎年開催されている声楽アンサンブルコンテスト全国大会。やはり「あどけない話」からのインスパイアで、「ほんとうの空」の語を冠して下さっています。

一昨年はコロナ禍のため完全に中止昨年は復活しましたが、一般客の会場入場は無く、オンライン配信での公開でした。今年も同様の方式となるようです。

コロナ第6波も徐々にピークアウトしつつあり、各種イベントもかなり再開の傾向ですが、まだまだ予断を許しません。少しでも早く、旧に復することを願って已みません。

【折々のことば・光太郎】

21日浅虫より汽車、花巻着、花巻温泉に一泊、


昭和27年(1952)6月21日の日記より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための下見から帰りました。ただ、すぐには蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋には戻らず、花巻温泉で旅の疲れを癒やしています。どれだけ温泉好きなんだ? という感じですが(笑)。

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