カテゴリ: 智恵子

昨日のブログで、吉本隆明氏の著書『超恋愛論』を紹介しました。
 
その中の「恋愛というのは、男と女がある距離の中に入ったときに起きる、細胞同士が呼び合うような本来的な出来事」という定義。やはり光太郎智恵子を想起せずにはいられません。
 
そこで思い出したのが、先月、生活圏の古書店で購入した以下の書籍です。
 
『大正の女性群像』昭和57年(1982)12月1日 坪田五雄編 暁教育図書
 
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内容的には主に二本立てです。「人物探訪」の項で、大正期に名を馳せた各界の女性を扱い、「女性史発掘」の項で女性一般についての説明。どちらも豊富な図版、写真が添えられ、ビジュアル的にも豪華な本です。
 
「人物探訪」の項で扱われているのは、もちろん智恵子、そして平塚らいてう、伊藤野枝、松井須磨子、柳原白蓮、田村俊子、相馬黒光、九条武子、岡本かの子などなど。
 
それぞれに名を成した女性たちですが、程度の差こそあれ、それぞれの人生が激しい恋愛に彩られています。
 
ここにはやはり「大正」という時代の雰囲気がからんでいるのでしょう。ある意味閉塞的だった「明治」が終わって迎えた「大正」。「昭和」に入って泥沼の戦争の時代になるまで、束の間、新しい風が吹いた時代だと思います。
 
その「大正」に、光彩を放った女性たち。強引な考えかも知れませんが、彼女たちも一人では埋もれてしまっていたのではないでしょうか。吉本氏曰くの「男と女がある距離の中に入ったときに起きる、細胞同士が呼び合うような本来的な出来事」である激しい恋愛を経て、それぞれの輝きにたどり着いているような気がします。
 
その結果が決して幸福とはいえない人生につながってしまった女性もいるかも知れませんが……。
 
さて、今は「平成」。百年後の人々は、「平成」という時代をどう位置付けるのでしょうか……。

新刊を紹介します。 

吉本隆明著 2012/10/15 大和書房(だいわ文庫) 定価600円+税
 
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今年亡くなった評論家・吉本隆明氏の著書。2004年に同社からハードカバーで刊行されたものの文庫化です。
 
「男女が共に自己実現しようとして女性の側が狂気に陥った光太郎・智恵子の結婚生活」という項があり、光太郎・智恵子にふれています。
 
他にも夏目漱石、森鷗外、島尾敏雄、中原中也、小林秀雄らに言及し、「恋愛論」が展開されます。
 
いつも思うのですが、氏の論は決して突飛な論旨ではなく、ごく当たり前といえば当たり前のことを述べています。しかし、誰しもがそういうことを感じていながらうまく言葉で言い表せないでいたことを明快に言ってのけるところに氏のすごみを感じます。
 
例えば、恋愛に関しても「恋愛というのは、男と女がある距離の中に入ったときに起きる、細胞同士が呼び合うような本来的な出来事」と定義しています。
 
そして一つ何かを論じると、その裏の裏まで掘り下げ、読む者を納得させずにおかないという特徴もあります。論とか文章といったもの、こうあるべきだといういいお手本になります。是非お買い求めを。

今週土曜日、2012年11月24日に第57回高村光太郎研究会が開催されます。
 
この会、元々は昭和38年に、光太郎と親交のあった詩人の故・風間光作氏が始めた「高村光太郎詩の会」に端を発します。その後、明治大学や東邦大学などで講師を務められた故・請川利夫氏に運営が移り、「高村光太郎研究会」と改称、年に一度、研究発表会を行っています。現在の主宰は都立高校教諭の野末明氏。
 
ほぼ毎年、この世界の第一人者、北川太一先生もご参加下さっていて、貴重なお話を聞ける良い機会です。事前の参加申し込み等必要ありません。ただ、多人数の団体でご参加、というような場合にはご一報いただければ幸いです。
 
今年の研究会は今週土曜日、24日の14:00~17:00。当方の発表「光太郎と船、そして海-新発見随筆「海の思出」をめぐって-」と、國學院大にいらした傳馬義澄氏の講演「『智恵子抄』再読」です。
 
当方の発表は、新しく発見した主に海外留学(明治39年=1906~同42年=1909)の時の船旅に関する随筆をめぐってのもので、これまでの年譜等に記載されていない新事実がいろいろと新たにわかったことをレポートします。
 
会場は文京区湯島2-28-14にあるアカデミー湯島です。東京メトロ千代田線湯島駅、同じく丸ノ内線と都営大江戸線の本郷三丁目駅が最寄りです。
 
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参加費は五百円、終了後に懇親会があり、そちらは実費です。
 
ちなみに研究会に入会されると、年刊の機関誌「高村光太郎研究」が送られてきます。その中に当方の編集「光太郎遺珠」……光太郎の新発見作品集を連載させていただいています。研究会としての会費は年3,000円です。
 
入会しなくとも、年に一度の研究会のみご参加いただくことは可能です。こんな会なのか、と様子をご覧になってから入会するかどうか決めていただいてかまいません。どなたにも門戸を開いております。メンバーは大学や研究機関の先生ばかりでなく、文学館の学芸員や小中高校教員、学生の方、他のお仕事のかたわら執筆をなさっている方、そして当方のような自由人など、いろいろです。
 
はっきり言うと、このところ参加者が少なく、残念に思っています。是非ともこうした会も盛り上げていきたいので、よろしくお願いいたします。

野田首相が衆議院の解散を表明しました。ここはそういうサイトではないので、詳しい論評は避けますが、「何だかなぁ……」という感はぬぐえません。


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明日からまた東日本大震災被災地の福島に出かけます。復興の進捗状況はどうなのか、この眼で見てきます。むろん、地元の皆さんは頑張っているのでしょうが、おおもとの国が政治空白では、せっかくの地元の努力の足を引っ張ることになるのではないかと思います。
 
たとえば自治体職員。友人の地方公務員から聞いたのですが、ひとたび選挙になると全然関係ない部署の職員までかり出されるとのこと。その間、本来の業務はどうしても遅滞するそうで、はっきり言って、被災地ではそれどころではないはず。もちろん、政府、日本という国としても同じ事ではないのでしょうか。
 
だからと言って、現状の永田町のままではどうにもなりません。また、政府と政治家の無能が暗殺とクーデター計画を連発させた戦前の日本のようになっても困ります。どこが政権をにぎるにしても、新体制が発足したら与野党一丸となって被災地の復興を最優先に進めてほしいものです。
 
そこで思い出したのが、大正13年(1924)5月に雑誌『女性』に載った智恵子の文章。「総選挙に誰れを選ぶか?」の問いに対するアンケートの回答です。『高村光太郎全集』別巻に収録されています。
 
  棄権 -総選挙に誰れを選ぶか?-
 
もしあったら……リンカーンのやうな政治家を選びませう。日本にだつて一人ぐらゐ、正しい事のために利害なんかを度外に置いて、大地にしつかりと誠実な根を持ち、まつすぐに光りに向つて、その力いつぱいの生活をする喬木のやうな政治家があつてもいゝだらうとおもひます。さういふ政治家なら有頂天になつて投票することでせうとおもひます。しかしうまくその時までに、私達がほんとに尊敬し信ずることの出来る政治家が出てくれなければ、棄権するよりほかないかとおもはれます。情実や術数の巣のやうな政党なんかてんでだめですね。
 
90年前の文章とは思えませんね。現在、街頭インタビューをしても同じような回答があるのではないかと思います。
 
今年は東日本大震災の翌年ですが、大正13年(1924)は奇しくも関東大震災の翌年です。ちなみにまだ普通選挙法も制定されていませんし、ましてや女性の選挙権は戦後にならないと与えられません。そうした時代に既にこういう事を言っていた智恵子の先進性をほめるべきなのか、90年前と変わらない日本の後進性を憂うべきなのか……。

さて、明日からモンデンモモさんのコンサートツアーにサポートスタッフとして帯同、被災地福島を回ってきます。

昨日は朗読のCDを御紹介しましたが、今日はやはり最近入手した合唱のCDを御紹介します。

最近人気の作曲家、鈴木輝昭氏の合唱曲集です。4つの組曲(計16曲)が収録されています。そのうちの一つが「組曲 智恵子抄 ~女声合唱とピアノのための~」。「Ⅰ.レモン哀歌」「Ⅱ.亡き人に」「Ⅲ.裸形」の3曲から成っています。
 
元々、福島県立橘高校合唱団の委嘱作品で、同校は昨年までの3年間、この3曲を1曲ずつ自由曲として全日本合唱コンクール全国大会に出場、金賞1回と銀賞2回に輝いています。橘高校は智恵子の母校・福島高等女学校の後身です。
 
そういうわけで、演奏は橘高校合唱団。コンクールのライヴ録音ではなく、作曲者自ら立ち会ってのテイクです。
 
価格は税込み3,000円。他に宮澤賢治の詩に曲をつけた「組曲 春と修羅~無伴奏混声合唱のための~」「ネネムの歌《イーハトーヴ組曲第2集》」などが収められています。

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「ハーモニーの祭典 高等学校部門 VOL.3 Bグループ 第64回全日本合唱コンクール全国大会」 ブレーン株式会社

その橘高校合唱団が昨年、全日本合唱コンクール全国大会で銀賞を獲得した際のライブ録音が含まれています。曲目は「組曲 智恵子抄」中の「Ⅱ.亡き人に」。
 
価格は同じく税込み3,000円です。
 
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橘高校合唱団、先日行われた今年の全日本合唱コンクール全国大会でも銀賞を獲得しています。今年はどんな曲をやるのだろうと思っていましたが、やはり鈴木輝昭氏の作曲で、新川和江作詞の曲でした。
 
智恵子の後輩達、頑張っています。

昨日、10月5日は智恵子の命日、レモンの日でした。
 
智恵子が亡くなったのは昭和13年(1938)10月5日。没後74年ということになりますか。
 
下の画像は智恵子の死亡記事と、死亡広告です。

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これを読むと、葬儀は8日に行われたことがわかります。その葬儀の日を謳った光太郎の詩。
 

   荒涼たる帰宅001
 
 あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
 智恵子は死んでかへつて来た。
 十月の深夜のがらんどうなアトリエの
 小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
 私は智恵子をそつと置く。
 この一個の動かない人体の前に
 私はいつまでも立ちつくす。
 人は屏風をさかさにする。
 人は燭をともし香をたく。
 人は智恵子に化粧する。
 さうして事がひとりでに運ぶ。
 夜が明けたり日がくれたりして
 そこら中がにぎやかになり、
 家の中は花にうづまり、
 何処かの葬式のやうになり、
 いつのまにか智恵子が居なくなる。
 私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
 外は名月といふ月夜らしい。
 
残された詩稿によれば、智恵子没後3年近く経った昭和16年6月11日の作。雑誌等に発表された形跡がなく、おそらくこの年8月20日刊行の『智恵子抄』のために書き下ろされたと推定されます。
 
愛する者の死を謳い、詩集『智恵子抄』刊行。それで一区切りと考えたのでしょうか、以後、詩の中に智恵子が謳われることがなくなり、空虚な戦争詩の乱発の時期になります。再び智恵子が詩の中に登場するのは戦後になってからでした。
 
ひとまずレモンの日関連、これで終わります。

今日、10月5日は智恵子の命日、レモンの日です。
 
思い立って、駒込染井霊園の高村家のお墓に行って参りました。今年の連翹忌(4月2日、光太郎の命日)以来ですので半年ぶりです。
 
着いたのは午(ひる)近くでしたが、すでに同じようにお参りされた方がいらっしゃったようでした。花やお線香、そしてお約束のレモンが供えてありました。自分もお線香とレモンをお供えして参りました。
 
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光太郎智恵子ゆかりの方でしょうか。それとも当方のような光太郎智恵子ファンでしょうか。はたまた最近は「墓参ラー」といって著名人のお墓参りを趣味にしている方も多いと聞きます。そういう方でしょうか。
 
いずれにせよ、誰もお参りに来ない、という状況にはなってほしくないものです。光太郎智恵子が世の中から忘れ去られてしまったら、そういうことも起こりえます。そうならないように、二人の業績などを語り継ぐ役割をしっかり果たしたいと、改めて思いました。

明日、10月5日は智恵子の命日。「レモンの日」と名付けられています。
 
「レモン」とは、智恵子の臨終を謳った光太郎詩「レモン哀歌」からの命名です。
 
    レモン哀歌                                     
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 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
 かなしく白くあかるい死の床で
 わたしの手からとつた一つのレモンを
 あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
 トパアズ色の香気が立つ
 その数滴の天のものなるレモンの汁は
 ぱつとあなたの意識を正常にした
 あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
 わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
 あなたの咽喉に嵐はあるが
 かういふ命の瀬戸ぎはに
 智恵子はもとの智恵子となり
 生涯の愛を一瞬にかたむけた
 それからひと時
 昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
 あなたの機関はそれなり止まつた
 写真の前に挿した桜の花かげに
 すずしく光るレモンを今日も置かう
 
昭和6年(1931)頃から統合失調症の症状が顕在化してきた智恵子は、九十九里浜での療養を経て、昭和10年(1935)から南品川のゼームス坂病院に入院しました。有名な紙絵はこのゼームス坂病院での制作です。
 
亡くなったのは昭和13年(1938)10月5日午後9時20分。直接の死因は粟粒性肺結核。数え年53の早すぎる死でした。
 
智恵子の生涯や、光太郎との愛の形については、いろいろな人がいろいろなアプローチで論じています。それは決して肯定的な論調ばかりではありません。たとえば「レモン哀歌」にしても実際に作ったのは2月。終わり2行の「写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう」というのはフィクションです。雑誌『新女苑』の4月号に載るということで、桜を持ち出してきているわけです。こういう点などをことさらにあげつらい、光太郎の愛は虚構だ、と決めつける論もあります。また、この臨終の場面が「お涙ちょうだいのクサい芝居みたいだ」とこき下ろされることもあります。
 
しかし、どうでしょう。二人の生涯を俯瞰した時、それを「虚構」「クサい芝居」で片付けていいものでしょうか。それではいけない、というのが正直な感想です。といって、逆に「たぐいまれなる崇高な純愛のドラマ」と、諸手を挙げて肯定するのもどうかと思います。
 
結論。公正な眼で、二人の残したいろいろな事物を視野に入れながら捉えることが重要。そのためにもまだまだ埋もれている光太郎智恵子の遺珠を探し続けていきたいと思っております。
 
昨日見せていただいた神奈川近代文学館所蔵の上田静栄あて書簡の中にも、智恵子三回忌にからんで「まる二年たつたといふのにまだ智恵子を身近にばかり感じてゐます」という一文がありました。シニカルな論者はこういうのも光太郎のポーズだと決めつけるのでしょうが……。

新着情報です。
 
まずはイベント系。二本松市で行われている「智恵子講座’12」。先日、詩人の木戸多美子さんが講師を務められた第4回に行って参りましたが、あまり間をおかず第5回が開催されますのでお知らせします。 

智恵子講座’12 第5回

期 日 : 2012年10月8日 (祝)
会 場 : 二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町二丁目3番地1
時 間 : 午前10時~
料 金 : 1,000円
内 容 :
 「闘病別離期を中心に」 講師 小野浩氏(元いわき市立草野心平記念文学館学芸員)
 
全7回のうちの5回目で、希望する会だけの参加も可能とのことです(参加費1,000円)。申込先は智恵子のまち夢くらぶの熊谷さん。tel/fax0243-23-6743。1週間前ですから来月はじめまで申し込み受付中のようです。
 
今回は当方、別件の用事があり、欠席いたします。
 
 
続いてテレビ放映。CS放送です。十和田湖が扱われるようです。 

山崎まゆみの混浴秘湯めぐり Part2 #1

CS362 旅チャンネル

2012年9月26日(水) 25時00分~25時30分 (正確には9月27日(木)午前1時00分~1時30分)
再放送 9月29日(土)9:30 ~ 10:00  10月8日(月)26:00 ~ 26:30
 
「青森県・酸ヶ湯温泉」 温泉 混浴秘湯 伝統的な湯治場や野趣溢れる野天風呂の混浴温泉をご案内 広さ160畳のヒバ千人風呂 出演:山崎まゆみ(温泉エッセイスト)

番組内容

日本人がこよなく愛し、その文化を育んできた「温泉」。その原風景ともいえる「混浴」という習慣。この番組では、「だから混浴はやめられない」(新潮新書)等の著作で知られる、温泉エッセイスト山崎まゆみが、伝統的な湯治場や野趣溢れる野天風呂の混浴温泉をご案内。さらにその地に伝わる歴史や文化を体験し、温泉を介した人との出会いを楽しみます。 第1話「青森県・酸ヶ湯温泉」今回は300年の歴史を誇り、160畳もの広さを誇る混浴のヒバ千人風呂で有名な温泉、青森県の酸ヶ湯温泉を訪れます。酸ヶ湯温泉は海抜900メートルの高さにあり、雲上の霊泉とも称され、その豊富な温泉の湧出量や効能、さらには清純な環境が認められて国民温泉第1号として指定を受けたほどの名湯。そんな酸ヶ湯温泉の魅力を八甲田の自然や十和田湖の美しさを交え、たっぷりとご紹介いたします。


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無料放映の期間に当たっているようです。衛星放送受信用アンテナが必要ですが、観られる環境の方、ぜひどうぞ。

今日も新着情報をお届けします。
 
テレビ放送です。 

にほんごであそぼ

NHKEテレ1 2012年9月24日(月) 7時30分~7時40分  再放送17時15分~17時25分 
 
楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につける番組。今回は、僕の前に道はない「道程」高村光太郎、文楽/風の又三郎、山陽 旬、うた/「鉄道唱歌」「ええじゃないか日本」

番組内容
日本語の豊かな表現に慣れ親しんで、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることをねらいとしている。今回は、僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る「道程」高村光太郎、文楽/どっどど どどうど どどうど どどう「風の又三郎」宮沢賢治、ひこうき山陽 しゅんしゅん旬~秋~/きりぎりす、絵あわせかるた/こころよ では いっておいで「心よ」八木重吉、うた/「鉄道唱歌」「ええじゃないか日本」。

出演 神田山陽,豊竹咲甫大夫,鶴澤清介,おおたか静流,うなりやベベン,桐竹勘十郎 ほか

こちらの番組、過去の放映がCDやDVDになっており、光太郎作品を含むものもあります。

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CD 「にほんごであそぼ 名文しりとり」  詩「冬が来た」収録
平成18年(2006) NHKエデュケーショナル/ワーナーミュージックジャパン ¥2,400

 
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DVD 「にほんごであそぼ コニちゃん満腹」 詩「あどけない話」収録
平成17年(2005) NHKエデュケーショナル/NHKエンタープライズ ¥2,857+税
 
子供の頃から、自然な形で日本の優れた文学作品に触れるということも、大切なことだと思います。
 
 
もう一件、「高村智恵子」をキーワードにしたニュース検索でひっかかりました。

長寿者:「いつまでもお元気で」 萩市長、高村さん100歳祝う /山口

毎日新聞 9月15日(土)14時14分配信
 敬老の日(17日)を前に、萩市の野村興児市長は14日、100歳になったばかりの高村智恵子さん=同市平安古=を訪ね、お祝い金と果物を贈呈した。
 同市の長寿者は、106歳の小橋ツルさん=同市玉江浦=を最高に、100歳以上が44人(14日現在)。65歳以上の人は約1万9000人で、高齢化率は35・39%。
 高村さんは長男の龍夫さん(74)とかずえさん(74)の3人暮らし。子供3人、孫5人、ひ孫8人がいる。100歳の誕生日の11日は、家族に囲まれてお祝いをしたという。
 健康の秘訣(ひけつ)は、テレビを見たり、月3、4回のデイサービスで趣味の絵を描くこと。刺し身や肉が好物という。耳が遠いほかは元気で、野村市長が「誕生おめでとうございます。いつまでも元気でいてください」と話しかけると、「ありがとうございます」と手を合わせていた。【川上敏文】
〔山口版〕
 
いい意味で笑いました。高村智恵子さん、これからもお元気で。
 
ちなみに本物の(?)高村智恵子は明治19年(1886)生まれ。昭和13年(1938)に満52歳で亡くなりました。存命なら今年で126歳ですね。
 
ちなみに今年は大正に換算すると大正101年です。もはやご存命の明治生まれの方はすべて100歳以上なんですね。いつまでもお元気で。

今日は二本松に日帰りで行って参りました。新幹線で行くより安いし早いので、車で行きました。
 
朝10時から智恵子の生家近くで「第4回智恵子純愛通り記念碑建立祭」。遅れてはいけないと思い、早くに家を出たところ、あまりに早く着きすぎてしまいました。そこで、久しぶりに智恵子生家とそれに附属して建てられている智恵子記念館、智恵子の実家長沼家の墓所のある満福寺さん、生家裏手にある「樹下の二人」詩碑に行きました。
 
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智恵子生家
 
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「ほんとの空」
 
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長沼家墓所
 
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智恵子献納の花立て
 
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「樹下の二人」詩碑
 
さて、肝心の建立祭。主催者挨拶のあと、昭和39年(1964)、二代目コロムビア・ローズさんが歌ってヒットした「智恵子抄」を全員で歌いました。小学生もすらすら歌える、というのが驚きでした。さすがご当地。指揮は6月の「智恵子講座」で講師を務められた二本松在住の児童文学者・金田和枝先生。ちなみに今日がお誕生日だったそうです(さすがにここでは女性の年齢は公表しませんが)。

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碑への献花、小中学生を含む地元の皆様の詩の朗読、地元のハーモニカサークルの発表など、1時間ほどのプログラムでした。

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午後は二本松市民交流センターに会場を移し、第4回「智恵子講座」。今回の講師は二本松在住の詩人、木戸多美子氏。光太郎・智恵子の結婚後、智恵子の統合失調症発症までの二人の文筆作品をメインに、詩人らしい鋭い感性でお話をされました。

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いつも書いていますが、こういう地域に根ざした活動というのは非常に大切なことだと思います。連翹忌は毎年4月2日に東京で行っていますが、単に東京を会場にしているというだけで、東京の人々が光太郎の地元だから、という理由でご参加いただくことがありません。そう言う意味で、花巻、女川、二本松、こういう地域に根ざした活動を、今後も盛り上げていっていただきたいものです。

福島二本松で発行されている雑誌『現代史研究』69号を、主宰者であり「智恵子のまち夢くらぶ」会員の渡辺元蔵氏より頂きました。氏のレポート「光太郎智恵子ゆかりの旅行-花巻と十和田の旅-」が掲載されています。

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「智恵子のまち夢くらぶ」さんの主催で、今年7月15,16の2日間、花巻、十和田を巡られたそうです。
 
明日は同じく「智恵子のまち夢くらぶ」さんの主催で、午前10時から「第4回智恵子純愛通り記念碑建立祭」。午後からは「智恵子講座’12」の第4回(講師は詩人の木戸多美子さん)ということで、行って参ります。
 
「智恵子純愛通り記念碑」というのは、智恵子生家前の約2キロを「智恵子純愛通り」と愛称を付け、智恵子没後70年の顕彰事業として平成20年(2008)に建立されたものです。揮毫は光太郎の令甥・高村規氏です。 
 
こうした地域に根ざした活動、大切なことだと思います。

7月に刊行された『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅』。
 
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お書きになった坂本富江さんから、「あちこちの新聞などで御紹介いただいています」というお知らせがありましたので、「それならブログで紹介しますので、コピーでもお送り下さい」と申しましたところ、昨日、届きました。各紙とも、非常に好意的に紹介しています。
 
6/24(?) 陸奥新報     
6/30  岩手日報
7/10  福島民報
7/26  山梨日日新聞
8/7   都政新聞
8/11  読売新聞(都民版)
8/28  東京新聞(夕刊)
 
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その他にも、ネット上でもいろいろ報じられています。
 
智恵子の足跡のある所をくまなく扱われているので、地方紙も積極的に取り上げて下さっているようです。無論、書籍として素晴らしいものであるという前提条件がありますが。
 
是非、お買い求めを。
 
また、他の近刊などで「ここにこんな風に紹介されてるよ」という情報が有れば、ご提供いただければ幸いです。

昨年、平成23年(2011)は、昭和16年(1941)に『智恵子抄』が刊行されて70周年ということで、イベントや特集記事的なものがぽつぽつありました。
 
そんな一つ、朝日新聞の福島版では12月13日から一週間、「「ほんとの空」を探して」と題する特集記事を組み、各界で活躍中の方々の談話等が載りました。
 
ラインナップは次の通りです。
 
(1)驚嘆の人気 世代超え/愛の詩集 (12/13)    岩下志麻さん/新潮社さん
(2)権威に反発 自由求め/光太郎の素顔 (12/14)  加藤剛さん
(3)自然と対峙 孤独紡ぐ (12/15)         二本松市文化課さん/和合亮一さん
(4)自立への気概空回り (12/16)          大島裕子さん
(5)守り抜いた命の芸術 (12/17)          北川太一先生
(6)どっしりとして森厳 (12/19)          山本隆一さん
(7)言霊は世代を超えて (12/20)          モンデンモモさん/高村規さん
 
第一回に昭和42年(1967)の松竹映画「智恵子抄」で智恵子を演じた岩下志麻さんがご登場です。光太郎役の故・丹波哲郎さんのエピソードも語られています。丹波さんのマネージャー氏曰く、数多くのテレビ、映画にご出演なさった丹波さんが、いちばんお好きだった作品が「智恵子抄」とのこと。
 
そして、岩下さん、DVD化されていないのを残念がられています。「(丹波さんの)ご仏前で見せてあげたい」そうです。
 
DVD化、当方も切に望みます。
 
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松竹「智恵子抄」 完成記念特別披露公開 丸の内ピカデリー 昭和42年6月3日~9日 チケット袋

気がつけば8月も下旬。しかし厳しい残暑が続いています。
 
来月行われる光太郎智恵子関連イベントの情報がいくつか入っていますので、ご紹介します。 

智恵子講座’12 第4回 9月16日(日)

 以前にもご紹介しました福島・二本松の「智恵子のまち夢くらぶ」さんの主催です。会場は二本松市市民交流センター。 「芸術精神期を中心に」と題し、講師は木戸多美子さん(詩人)。
 
ちなみに9/16は敬老の日を含む3連休の中日です。ついでに周辺観光も如何でしょうか。 

今年4月に大阪で行われた朗読系の公演が東京でおこなわれます。会場は渋谷・パルコ劇場。
 
こちらも詳細は上記のリンクをご参照下さい。

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yahoo!のテレビ番組検索で1件ヒットしていますので、紹介します。 

「妄想姉妹~文學という名のもとに~」 第5話「智恵子抄」高村光太郎

BS日本映画専門ch(255ch) 2012年7月23日(月)25時00分~25時28分=24日(火)午前1時~ 
 
元々は地上波日本テレビ系で平成20001年(2009)に深夜ドラマとして放映されていたものです。ブレイクする前の吉瀬美智子さん、紺野まひるさん、それから最近色々なドラマでちょくちょく見かける田中哲司さんらが出演しています。
 
古風な日本女性といった感じの長女(吉瀬美智子さん)、自由奔放な次女(紺野まひるさん)、病弱な文学少女の三女(高橋真唯さん)の三姉妹が、父(田中哲司さん)が遺した11冊の近代文学作品を通して亡き両親の愛の形を確かめる、というストーリーです。11冊の近代文学作品に入りこんだ三姉妹の「妄想」によってドラマが進みます。全話、女性の監督が起用され、女性ならではの視点で映像が創られています。

第五話が「智恵子抄」。次女の紺野まひるさんが「妄想」の中で智恵子を美しくも妖しく演じています。
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ちなみに他のラインナップは以下の通り。

 第1話 与謝野晶子「みだれ髪」
 第2話 夏目漱石「虞美人草」
 第3話 堀辰雄「風立ちぬ」
 第4話 泉鏡花「外科室」
 第6話 坂口安吾「白痴」
 第7話 江戸川乱歩「お勢登場」
 第8話 太宰治「女生徒」
 第9話 樋口一葉「にごりえ」
 第10話 芥川龍之介「藪の中」
 第11話 夢野久作「瓶詰地獄」
 
さて、今回のオンエアはBS日本映画専門ch(255ch)ですので、契約していないと見られない有料放送ですが、DVDボックスが発売されていますので、ぜひお買い求めになり、御覧下さい。お勧めです。

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深夜ドラマとしてはかなり視聴率も取りましたし、続編が期待されていたのですが、この後、吉瀬さんや紺野さんがブレイクしてしまったので、このキャストではもう無理でしょう。
 
『智恵子抄』や、光太郎・智恵子の生き様、どしどしドラマ化してほしいものです。

今日は二本松での光太郎・智恵子関連のイベントをご紹介します。 

智恵子講座’12

先日、当方が参加してきたのがこれの第3回だったわけです。主催は智恵子のまち夢くらぶ。今年度はあと3回の講演が予定されています。希望する回だけの参加も可能だそうです。
 
次回(9/16)講師は詩人の木戸多美子氏。また都合がつけば当方も行ってみようと思っています。
 

2012年詩人会議 夏の詩の学校 高村光太郎『智恵子抄』の安達太良山の空を見よう!

当方、寡聞にして知りませんでしたが「詩人会議」という団体があるそうです。そちらで主催しているイベントが来月15(日)~17(火)の3日間で行われるとのこと。
 
岳温泉を拠点に2泊3日の日程で、福島大学教授の澤正宏氏、夢くらぶの熊谷会長のご講演、安達太良山登山などの予定が組まれています。こちらも2泊3日のうち、都合のつく部分だけの参加も可とのことです。
 
澤氏には「詩の成り立つところ 日本の近代詩、現代詩への接近」(翰林書房 平成13年=2001)などのご著書があります。同書は「第2章 与謝野晶子と高村光太郎」その他の部分の随所で光太郎に言及されています。

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昨日も書きましたが、東北の復興支援のためにも、現地を訪れることは大事だと思います。ふるってご参加を!

福島・二本松レポートの2回目です。
 
午前中の「智恵子のまち夢くらぶ」主催の「智恵子講座’12」のあと、智恵子生家にほど近い夢くらぶの熊谷会長のお宅にお邪魔し、周辺を案内していただきました。
 
「智恵子講座’12」の2回目が先月20日で、その際は「智恵子ゆかりの地を歩く~好きです智恵子青空ウォーク」という催しで、その日は仙台に行っていましたので、参加できませんでした。その後、当日の資料を送っていただいたところ、「こんなところがあったんだ」という場所がいくつかあり、今回、無理にお願いして案内していただきました。
 
下の画像は、「智恵子ゆかりの地を歩く~好きです智恵子青空ウォーク」の際に、夢くらぶの会員で元油井小学校(智恵子の母校)の校長先生でいらした本多長氏が作られた地図です。

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この中で、智恵子の生家や記念館、裏手の山一帯は、当方、何度か訪れたことがありました。しかし、③「祖父次助ゆかりの地」④「弟啓助ゆかりの碑」⑤「父今朝吉、母センゆかりの地」⑯「明治期建造物、旧大谷屋」といったあたりは存じませんで、それと知らずに通り過ぎていました。
 
まず⑯「明治期建造物、旧大谷屋」。明治初期の建築で、当時としては珍しい木造三階建てです。元はこの地有数の割烹旅館で芸者衆もいたそうで、智恵子の弟・啓助もここで遊蕩にふけったらしいとのことです。

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続いて③「祖父次助ゆかりの地」。ここは現在、JAの葬祭場の駐車場となり、何も残っていません。旧安達町の町史によれば、慶応2年(1866)、米谷藻兵衛(茂兵衛とも記述)がここに糀屋-後に造り酒屋を開き、越後から智恵子祖父の次助を雇ったそうです。次助はのちに独立して近くに新しく造り酒屋を開き、ここが現在も復元されて残る智恵子生家です。
 
そこからものの50㍍ほどのところに⑤「父今朝吉、母センゆかりの地」。白木屋と号した呉服屋で、ここで智恵子の父・今朝吉と母・センがともに働いていたとのことです。ここも当時の建物は残っておらず、医院の駐車場となっていますが、道を挟んだ向かいにはやはり元の造り酒屋の古い建物が残っています。画像、手前が白木屋のあった現在の駐車場、奥が元の造り酒屋です。

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最後に秋葉神社という所にある④「弟啓助ゆかりの碑」。大正7年(1918)に作られた碑ですが、元々はもっと北の方の全く別の場所に建てられていたものが、ここに移されたそうです。大正6年(1917)7月に東北本線の安達駅が開業、それに伴い旧街道と駅を結ぶ新道が拡幅され、その完成を記念した碑です。工事は全額地元の寄付金(当時の金額で2,643円)と使役で賄われ、寄付者名が碑に刻まれています。その中に智恵子の弟・啓助の名も。熊谷会長、十年程前に町内会の草刈りの時にたまたま気が付いたそうです。確かに他の庚申塔などは社殿のすぐそばにまとめて並んでいるのに、この碑だけ神社境内のはずれにぽつんと建っており、そこに通じる道もなく、草むらをかきわけて行かなければたどり着けない場所です。
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この手の情報はやはり地元の方に訊かないとなかなかわかりませんね。
 
智恵子の生家・智恵子記念館は一昨年5月に入館者100万人に達したそうです。ただ、やはり原発事故以来、訪れる人は減っています。観光客がたくさん訪れることも復興につながります。是非、皆さん、二本松へお越しを。そして智恵子の生家・智恵子記念館を訪れたら、少し足をのばして周辺の散策もおすすめです。また、二本松市中心部も昨日紹介したように大山忠作美術館、「ほんとの空」の彫刻、さらに二本松駅や二本松霞が城にある光太郎の筆跡を刻んだ碑や智恵子生家にあったと伝えられる藤棚など、光太郎智恵子ファンにとっては見どころ満載です。
 
もう少し二本松ネタを続けます。

福島・二本松に行って参りました。二回に分けてレポートいたします。
 
目的は、二本松で活動を続けている「智恵子のまち夢くらぶ」主催の「智恵子講座’12」参加のためです。昨日が第3回、二本松在住の児童文学者・金田和枝氏による講演「求愛熱愛期を中心にして」でした。
 
前日は安達太良山麓の岳温泉に一泊。熱めの酸性の湯、温泉温泉した温泉で、(意味お判りでしょうか?)ここの湯も当方、大好きです。路線バスで山を下り、午前十時の開会に合わせ、会場に入りました。
 
会場は平成21年、二本松駅前に新たに建てられた二本松市民交流センター。ちなみにこちらは大山忠作美術館さんを併設しています。故・大山忠作は同市出身の日本画家で、同館には「智恵子に扮する有馬稲子像」などの作品が展示されています。これは題名の通り、昭和51年(1976)の作で、新橋演舞場で公演された「智恵子抄」の主演、有馬稲子さんを描いた作品です。縦2メートル以上の巨大な絵で、その色調などとあいまって、不思議な存在感のある絵です。

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ちなみに交流センターと川を挟んだ向かい側、駅ロータリーの一角にはやはり平成21年(2009)に智恵子をイメージしたという彫刻「ほんとの空」も設置されました。作者は元・日展理事長橋本堅太郎氏です。
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さて、肝心の講演ですが、講師の金田氏は昭和5年(1930)、東京品川の生まれ。戦時に疎開で二本松に移り住み、長らく小学校の先生をなさっていた方です。地元福島の出版社・歴史春秋社から『智恵子と光太郎 たぐいなき二つの魂の出会い』『ふくしま女の時代』(共著)などの御著書があります。

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講演は『智恵子抄』の前半に収められた詩を中心に、光太郎・智恵子の恋愛期を追究するものでした。氏の女性ならではの、また、失礼とは存じますが、豊富な人生経験をふまえられての視点は、素晴らしかったと思います。また、時にユーモアを交え、聴く者を飽きさせないすばらしいご講演でした。

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講演の後、少し時間が余ったと言うことで、当方に15分程しゃべれ、という指令が。先月の仙台びすた~りさんでの荒井真澄さん・齋藤卓子さんの朗読イベントでもそうでしたし、こういう突然の振りにも慣れて参りました。連翹忌の宣伝や、光太郎・智恵子顕彰活動の意義、特に地域に根ざした活動の重要性などを話しました。
 
閉会後は近くにできた古民家レストラン(先日の仙台編でも書きましたが、やはり流行ですね)で、金田氏や夢くらぶのみなさんと昼食。御馳走になってしまいました。たった15分の話で一食浮きました。有り難いことです(笑)。
 
しかし、その席上ではやはり現在の福島ならではのお話が。どこどこの放射線量がどうの、タケノコや山菜がどうの、仮設住宅がどうの……。心が痛みました。また、泊まった岳温泉でも、地元紙「福島民報」「福島民友」さんを読みましたが、ちょうど関西電力大飯原発再開に関する記事が出ており、中央の新聞とは明らかに異なる怒りを露わにした論評。「無理もない」と感じました。岳温泉といえば、老舗のホテル松渓苑さんというのがかつてあったのですが、震災で損壊した設備の復旧のめどが立たず、廃業となりました。こちらの社長さんも智恵子顕彰活動にも取り組まれていた方で、連翹忌にもいらしていただいた方だっただけに、やはり心が痛みました。
 
一日も早く、「ほんとの空」の復興を願ってやみません。
 
さて、その後は、智恵子生家にほど近い夢くらぶの熊谷会長のお宅にお邪魔し、周辺を案内したりしていただきました。そちらについては明日、またレポートいたします。

東北本線普通列車に乗っています。昨日から一泊で福島県二本松を訪れ、帰路についたところです。郡山から新幹線に乗り換えます。

実りの多い福島行でした。詳しくは明日以降のブログにて。

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今日も少し前に出版されたもので、光太郎関連のものをご紹介します。 

長沼智恵子と高村光太郎 純愛の検証-『智恵子抄』の物語

 鈴木豊次著 東京文芸館 平成21年(2009)4月8日 定価2,000円+税

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『智恵子抄』および『智恵子抄その後』に収められた詩篇をたどりつつ、光太郎・智恵子の世界観に迫っています。目次を抄録させていただきましょう。

 序章 「『智恵子抄』の物語」理解のために
  1 『智恵子抄』についての疑問
  2 『智恵子抄』のテキスト
 第一章 「あなた」と呼ばれる智恵子-恋愛の時代-
  1 犬吠岬(正しくは「埼」)・上高地の「僕等」
  2 新しい女・智恵子の結婚
 第二章 「樹下の二人」あなたから智恵子へ-結婚の時代-
  1 「樹下の二人」までの空白
  2 病みがちだった智恵子と「樹下の二人」
  3 安達町智恵子記念館
     閑話休題 光太郎と真壁仁  「樹下の二人」の詩碑
  4 天上的な智恵子
  5 光太郎の「同棲同類」
  6 智恵子にとっての「同棲同類」
  7 あどけない話
     閑話休題 光太郎と中原綾子
 第三章 智恵子狂気-狂気の時代-
  1 「人生遠視」
  2 狂気する妻
  3 「千鳥と遊ぶ智恵子」と九十九里浜
     閑話休題 九十九里浜有情
 第四章 「レモン哀歌」-智恵子回想-
 第五章 智恵子に-智恵子への報告-
 終 章 『智恵子抄』の評価をめぐって
 補 遺 『智恵子抄』余聞
  カミーユ・クローデルについて 室生犀星の「光太郎の印象」について
  丸山薫が『智恵子抄』を「あれはお線香だよ」といい捨てたことについて
 
 220頁ほどの労作ですが、残念なことにネット販売では取り扱っていないようです。一般の書店で注文するしかないかもしれません。当方は古書店の在庫目録で見つけました。 

恋する女 一葉・晶子・らいてうの時代と文学

 高良留美子著 學藝書林 平成21年(2009)6月5日 定価3,000円+税

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女流詩人であり、ジェンダー的な方面にも造詣の深い著者による評論集です。「Ⅰ 一葉の恋」「Ⅱ 晶子の挑発」「Ⅲ らいてうの飛翔」ときて「Ⅳ ロマンティック・ラブの時代へ」の中に「第3章 三角形の恋 光太郎・智恵子・俊子-女性へのサディズムと火あぶり幻想」(書き下ろし)が含まれています。
 
この部分以外でも、光太郎・智恵子と交流のあった与謝野晶子や平塚らいてう等に関する部分も興味深く拝読しました。こちらはネットでも手に入りそうです。
 
もう少し、この項目を続けます。

昨日、朗読を扱ったコミック、片山ユキヲ『花もて語れ』を紹介しましたので、コミックつながりでもう一冊、最近入手したものを紹介します。 

 真山知幸監修 平成24年(2012)2月16日 東京書籍 定価1200円+税

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帯に記されたコピーです。「すすり泣く漱石、意地をはる中也。不器用だけど、あったかい。漱石も鷗外も太宰も、恋をしたから文学できた。日本文学史上にかがやく文豪たち10人の恋バナが切ない系コミックになりました。」このコピーを書いたライターさんには感心します。これだけ読めばよく内容がわかるようにしっかりと凝縮されていますので。
 
扱われているのは他に谷崎潤一郎、芥川龍之介、石川啄木、川端康成、島崎藤村。そして光太郎も。光太郎の項は「空を見つけて」というサブタイトルで、14ページ。作画はyocoさん。やはり『智恵子抄』から「あどけない話」「レモン哀歌」などをベースにまとめています。
 
こういった文学入門的なものを契機に、それぞれの作家の作品、生涯に興味を持ってくれる方が増えることを願ってやみません。

話は変わりますが、「シューマンと智恵子抄」朗読の荒井真澄さんからメールを頂きました。過分な御礼の言葉に恐縮しきりです。
 
添付されていた画像です。左から墨画の一関恵美さん、朗読の荒井真澄さん、ピアノの齋藤卓子さんです。

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全国の表現者のみなさん。こういった光太郎・智恵子を扱うイベントがあればできる限り駆けつけますので、お声がけ下さい。

最近刊行された雑誌を紹介します。雑誌系はぼやぼやしていると店頭や版元に無くなってしまいますので。

2012/3/20 祥伝社発行 定価 838円+税

特集 谷村志穂「この時代のことばを探しに。」~福島・安達太良山紀行

カラーグラビアを含め、13ページにわたり、安達太良山や智恵子生家周辺の現状(3・11から一年経って)のレポート。昨日の時点で近所の書店の店頭にまだ並んでいました。
 
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2012/3/30 六曜社発行 定価 1428円+税

『青鞜』創刊100周年記念特集
 青鞜物語
 特別対談 瀬戸内寂聴×森まゆみ 「青鞜の女たち」
 宝石箱-「青鞜」短歌を読んで 林あまり
 青鞜の俳句・らいてうの俳句 飯島ユキ
 「青鞜」異聞-「青鞜」的な、余りに「青鞜」的な-或る恋の行く末
   正津勉
 
80頁にわたり、豪華執筆陣が様々な角度から『青鞜』が語られています。光太郎・智恵子にも触れられます。 

日本古書通信2012年4月号

2012/4/15 日本古書通信社発行 定価667円+税

川島幸希氏の連載「私がこだわった初版本」で、驚いたことに、おそらく献本として一部あるいは少部数作られたと思われる『道程』私家版について語られています。光太郎の識語署名三カ所、三方金、桐箱入(箱書・佐藤春夫)だそうで、当会顧問の北川太一先生にこの本の正体を尋ねるくだりもあったりし、とても興味深い内容でした。

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普通の書店では置いていないと思いますので、リンク先からご注文を。
 
最近入手した雑誌以外の書籍についても、後ほどレポートします。

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