テレビ番組の放映情報を2件。
まずは光太郎の父・光雲が主任となって、東京美術学校総出で作られた上野の西郷隆盛像がらみ。
▽「慎吾ママの部屋」西郷隆盛(塚地)が登場。明治維新や日本の近代化に貢献したカリスマ・西郷が「やっちまった」エピソードの数々を披露。あの銅像の真実も明らかに。
もう1件。光太郎智恵子に触れられるかどうか……。
出演者 【旅人】佐藤あかり 【ナレーション】丸山未沙希塩原温泉郷の柏屋旅館さん。心の病が昂進した智恵子をなんとかしようと、昭和8年(1933)に一ヶ月ほど東北から北関東の温泉巡りをした際、最後に光太郎智恵子が逗留した宿です。
同じ番組で令和2年(2020)にも柏屋さんが取り上げられ、その際には光太郎智恵子にも触れて下さいました。今回も期待したいところです。
近年の書籍では令和元年(2019)、『“裸”になって本音を見せた 文豪が泊まった温泉宿50』。
『週刊朝日』さん連載の単行本化でした。
さて、「ワルイコあつまれ」「秘湯ロマン」、それぞれぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
まずは光太郎の父・光雲が主任となって、東京美術学校総出で作られた上野の西郷隆盛像がらみ。
ワルイコあつまれ(113)
地上波NHK総合 2025年1月21日(火) 23:00〜23:30▽「慎吾ママの部屋」西郷隆盛(塚地)が登場。明治維新や日本の近代化に貢献したカリスマ・西郷が「やっちまった」エピソードの数々を披露。あの銅像の真実も明らかに。
▽「カレーなる賭け」大好物の“米”への愛が強すぎて、みずから地元の農家に弟子入りしたという小学6年生が登場。自身で育てた白米を持参しての挑戦に、ディーラー吾郎(稲垣)は絶妙のかけひきで対峙するが、その結果は…!
▽「株式会社ジンタイ」胆のう君(草彅)がなぜか苦手にしている舌主任の話題に。「口がうまくて調子がいいイメージ」と持論を語るが、脾ぞう君(稲垣)が別の一面を語りはじめると…?
▽「株式会社ジンタイ」胆のう君(草彅)がなぜか苦手にしている舌主任の話題に。「口がうまくて調子がいいイメージ」と持論を語るが、脾ぞう君(稲垣)が別の一面を語りはじめると…?
【出演】稲垣吾郎,草彅剛,香取慎吾,塚地武雅,【声】平野正人,【語り】是永千恵
西郷像に関しては、軽く触れられる程度だと思われますが。それにしても、塚地武雅さん、伝え聞く西郷の風貌に似ているといえば似ているかも知れませんね(笑)。もう1件。光太郎智恵子に触れられるかどうか……。
秘湯ロマン
地上波テレビ朝日 1月18日(土) 03:00〜03:30日本全国の秘湯と呼ばれる温泉の魅力を紹介します。今回の秘湯は栃木県、塩原温泉郷「柏屋旅館」、「静観荘 古山」、「やまなみ荘」、那須湯本温泉「雲海閣」。
出演者 【旅人】佐藤あかり 【ナレーション】丸山未沙希
同じ番組で令和2年(2020)にも柏屋さんが取り上げられ、その際には光太郎智恵子にも触れて下さいました。今回も期待したいところです。
柏屋さん、意外とその点を売りになさっているようで、ちょくちょく各種メディアにその件が。
テレビ番組ですと、令和3年(2021)、当方も制作に協力させていただいた日テレさんの5分間番組「心に刻む風景」でも「最後の旅 泣きやまぬ童女(どうじょ)のやうに慟哭(どうこく)する」というサブタイトルで取り上げられました。
テレビ番組ですと、令和3年(2021)、当方も制作に協力させていただいた日テレさんの5分間番組「心に刻む風景」でも「最後の旅 泣きやまぬ童女(どうじょ)のやうに慟哭(どうこく)する」というサブタイトルで取り上げられました。
『週刊朝日』さん連載の単行本化でした。
さて、「ワルイコあつまれ」「秘湯ロマン」、それぞれぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
「智恵子抄」については御返事が少々厄介です。もともと澤田さんが発行してゐたもので、言はば澤田さんによつて地上にひろめられたやうなものですから、白玉書房は一時刊行したものの、龍星閣く復起したとすれば、龍星閣に返して上げたら如何ですか。さうすればおだやかだと思いますが如何でせう。
詩集『智恵子抄』は、澤田伊四郎の龍星閣から昭和16年(1941)に初版が刊行されました。その後、太平洋戦争の激化に伴い、龍星閣は一時休業。戦後になって鎌田の白玉書房から復刊されました。その際、光太郎は鎌田から、龍星閣に版権をゆずられたという説明を受けていたようですが、どうもそのあたりの真相が闇の中なのですが、澤田としてはゆずった覚えはない、龍星閣を再興するので版権を返して欲しい、という申し出があったようです。
結局、白玉書房版は絶版となり、龍星閣から戦後版が刊行されることとなります。赤い布表紙の有名な版です。
昭和26年(1951)4月24日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎69歳
詩集『智恵子抄』は、澤田伊四郎の龍星閣から昭和16年(1941)に初版が刊行されました。その後、太平洋戦争の激化に伴い、龍星閣は一時休業。戦後になって鎌田の白玉書房から復刊されました。その際、光太郎は鎌田から、龍星閣に版権をゆずられたという説明を受けていたようですが、どうもそのあたりの真相が闇の中なのですが、澤田としてはゆずった覚えはない、龍星閣を再興するので版権を返して欲しい、という申し出があったようです。
結局、白玉書房版は絶版となり、龍星閣から戦後版が刊行されることとなります。赤い布表紙の有名な版です。