カテゴリ: 彫刻/絵画/アート等

岩波書店さんの岩波文庫が来年で100周年だそうで、それに伴って絶版となっているものの復刊リクエストが行われています。

岩波文庫創刊100年記念 読者リクエスト復刊2027

あなたのリクエストであの岩波文庫がよみがえる

来年2027年、岩波文庫は創刊100年を迎えます。岩波文庫創刊100年を記念して、読者の皆さまからリクエストをお寄せいただき、長らく品切れておりました名著・名作書目を一挙復刊いたします。
いつか読もうと思っていたあの本や、憧れのあの人が愛読したというあの本を、今こそ手にしたい——。創刊100年のこの機に、読者の皆さまのそのような思いにお応えできますと幸いです。

■企画概要
皆さまからのリクエストを募集いたします。復刊希望の岩波文庫のタイトルをお教えください。リクエストは以下の方法でお受けします。
■リクエスト方法
<特設ページ>
特設ページにアクセスいただき復刊希望書籍をご選択のうえご投票ください。
017
サイト上に候補作品がずらっと並んでいます。
018
その中に、光太郎がらみが2冊。訳書『ロダンの言葉抄』と、美術評論集の『緑色の太陽』です。
019 020
『ロダンの言葉抄』は、昭和35年(1960)に文庫化。大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た『続ロダンの言葉』から、光太郎と交流のあった共に彫刻家の高田博厚と菊池一雄が再編した厚冊です。図版も数多く収録されており、理解の手助けとなっています。
022 021
光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった豊周の『光太郎回想』(昭和37年=1962 有信堂)から。

 この頃、「ロダンの言葉」を訳しはじめたのは、兄にとっても、僕たちにとっても、今考えると全く画期的な大きな仕事だったと思う。
 雑誌にのった時は読まなかったけれど、本になってからは僕も繰返して愛読した。あの訳には実に苦心していて、ロダンの言葉を訳しながら兄の文体が出来上がっているようなところもあるし、芸術に対する考え方も決って来ているところが見え、また採用した訳語も的確で、「動勢」とか「返相」とか兄の造った言葉で今でも使われているものが沢山ある。そんな意味で、あれは兄には本当に大事な本だった。
 それだけに、他の学校は知らないが、上野の美術学校では、みなあの本を持っていて、クリスチャンの学生がバイブルを読むように、学生達に大きな強い感化を与えている。実際、バイブルを持つように若い学生は「ロダンの言葉」を抱えて歩いていた。その感化も表面的、技巧的ではなしに、もっと深いところで、彫刻のみならず、絵でも建築でも、あらゆる芸術に通ずるものの見方、芸術家の生き方の根本で人々の心を動かした。新芸術の洪水で何かを求めながら、もやもやとして掴めなかったものがあの本によって焦点を合わされ、はっきり見えて来て、「ははあ」と肯ずくことが一頁毎にある。ロダンという一人の優れた芸術家の言葉に導かれて、人々は自分の生を考える。そういう点で、あの本は芸術学生を益しただけでなく、深く人生そのものを考え、生きようとする多くの人々を益していると思われる。だからあの本の影響は思いがけないほど広く、まるで分野の違う人が、若い頃にあの本を読んだ感動を語っている。
 この本が、そんなに広く受入れられた原因の一つは、あの本の形式にもあるので、兄の読んだ種種な書物からの集積だから、自然にそうなったのだけれど、文章の区切りが大変短い。どんなに長くても数頁にしか渉らないから、読んでいて疲れないし、理解しやすい。この短かくて頭にはっきり全文が入るような形式が読者の感動をどんなに助けているかわからない。ことに本を読む習慣の少なかった美術学生にとって、これは有難かった。

正続それぞれの初版の後、叢文閣からペーパーバックの普及版正続が出、戦後にはやはり正続ともに新潮文庫のラインナップにも入りました。さらに平成17年(2005)に沖積舎から正続合本の復刻、平成19年(2007)には講談社文芸文庫で正続それぞれの抄出が出ました。すべて絶版です(講談社文芸文庫版のみまだ新刊で在庫があるようですが、重版は為されていないようです)。

『緑色の太陽』は、昭和57年(1982)が初版。当会顧問であらせられた故・北川太一先生の編集で、表題作「緑色の太陽」をはじめ、さまざまな雑誌や単行書に掲載された美術評論などを40篇ほど収めています。一部は随筆、文芸評論も。

表題作「緑色の太陽」は『スバル』第2年第4号(明治43年=1910)が初出。「人が「綠色の太陽」を畫いても僕は此を非なりとは言はないつもりである」という一節から採った題名で、その他、「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めてゐる。従つて、芸術家の PERSOENLICHKEITに無限の権威を認めようとするのである。あらゆる意味において、芸術家を唯一箇の人間として考へたいのである」という一節も有名です。「日本初の印象派宣言」とも評されています。

光太郎の評論集も現在、紙版の新刊で入手できるものは無く、電子書籍なら多少はあるか、という感じです。

それぞれ、特設サイトから復刊リクエストのいわば投票ができます。よろしくお願い申し上げます。

それにしても、光太郎がらみでない作もかなり絶版になっていて、今回の候補に入っているのに驚きました。特に「緑」の日本文学。詩集ですと、当会の祖・草野心平の『草野心平詩集』や、立原道造、伊東静雄、大手拓次、三好達治など軒並み絶版ですし、小説系でも谷崎潤一郎の『春琴抄』やら堀辰雄の『風立ちぬ』やら有島武郎の『生まれ生れ出ずる悩み』やら、それ絶版にしちゃいかんだろ、という感じです。

ソフトとしての日本文学、一部の愛好家だけのものとするのではなく、日本国民共有の文化遺産として、次の世代へとしっかり受け継いでいくことが現代に生きる我々の一つの義務だと思うのですが。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 22 『純』百年文庫96

平成23年(2011)10月7日 ポプラ社 武者小路実篤/高村光太郎/宇野千代著
PXL_20260710_025207379
PXL_20260710_025251866 PXL_20260710_025312038
目次
 武者小路実篤 馬鹿一
 高村光太郎 山の雪 宇野千代 八重山の雪
 人と作品 

ポプラ社さんの「百年文庫」。全100巻のシリーズもので、1冊に3人ずつが収められています。各巻のタイトルが漢字一文字になっています。「選集」というよりアンソロジーに近い形ですが、一応この項目に入れます。

武蔵野美術大学の前田恭二教授を通じて『世田谷美術館紀要』第27号を頂きました。同館学芸員の塚田美紀氏による論考「北川民次をめぐる大正初期の早稲田人脈――フュウザン会の画家・宮崎省吾との出会いから」が載っているためです。今年3月末の発行でした。
001 002
北川民次は明治27年(1894)の生まれ。メキシコの画家として有名ですが、現在のところ光太郎智恵子との直接の関わりは確認できていません。問題はサブタイトルにある「宮崎省吾」。山形の米沢出身で、若き日の北川に絵画の手ほどきをした人物と位置づけられています。北川も宮崎も早稲田大学商学部予科に通っていました。

この宮崎省吾、光太郎と共に大正元年(1912)の第一回ヒユウザン会(のちフユウザン会)展覧会に油絵を出品しています。
ヒユウザン会 003
出品者名予告には智恵子の名もありますが、結局、智恵子は出品しませんでした。宮崎は「自画像」他を出品しています。

また、宮崎は同じ1912年(大正改元前の明治45年)4月には早稲田文学社主催装飾美術展覧会にも出品しています。この際には光太郎智恵子も。
017
さらに5月には大阪の「吾八」という画廊のようなところで開催された「吾八団扇絵展覧会」に智恵子と共に出品しています。「吾八」店主の山内金三郎は東京美術学校出身でした。
日本美術年鑑 第3巻(大正元年度) 020
宮崎と光太郎らの繋がりには、やはりヒユウザン会中心メンバーだった斎藤与里あたりが介在しているのかな、という感じです。斎藤も上記の展覧会全てに関わっています。また、後述しますが、津田青楓の影も見え隠れします。

そして智恵子に限っていえば、宮崎の姉・千代が智恵子と同窓の日本女子大学校出身で、交流がありました。
016
右上集合写真では、千代は左から二番目です。中央は後に同校校長となる井上秀です。

千代は家政学部の第一回卒(智恵子は四回卒です)。智恵子と親しくなり、大正3年(1914)、上野精養軒で開かれた光太郎智恵子結婚披露宴に出席しています。また、智恵子から千代宛の書簡5通が現存しており、貴重な資料です(智恵子書簡は70通たらずしか見つかっていません)。千代は母校で勤務した後、貿易商の高月一郎と結婚し、夫と共に仏領インドシナなどに滞在したこともありました。

母校での勤務は、津田青楓の回想『老画家の一生』(昭和38年=1963)では寮監だったとのこと。
021
022
「亀吉」は津田自身です。

津田も光太郎智恵子と交流があった一人。光太郎とは留学仲間、智恵子は津田に絵を見てもらったことがあり、智恵子の有名な言葉として伝わる「世の中の習慣なんて、どうせ人間のこさへたものでせう。それにしばられて一生涯自分の心を偽つて暮すのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの、たつた一度きりしかない生涯ですもの。」は、津田の回想『漱石と十弟子』(昭和23年=1948)に書かれています。

智恵子と千代の親しい付き合いは、同じ東北出身ということもあって在学中からだったのか、或いはのちの省吾との関係からなのか、ニワトリが先か卵が先かで詳細が不明です。智恵子から千代宛の書簡も確認できている最初のものはそれぞれが卒業してしばらく経った大正元年(1912)のものですし。

松島光秋氏著『高村智恵子―その若き日―』(昭和52年=1977 永田書房)には、上記5通発見の様子、高月一郎・千代夫妻の長男の証言などが載っています。そちらを読んでも確たることは断言できない感じです。今後の課題としたいと思います。

さて、『世田谷美術館紀要』第27号所収の塚田美紀氏による論考「北川民次をめぐる大正初期の早稲田人脈――フュウザン会の画家・宮崎省吾との出会いから」。メインはあくまで北川民次ですが、宮崎姉弟についても光太郎智恵子とのからみなど言及されています。示唆に富むものでした。

最上部に奥付画像を載せてありますので、必要な方はそちらをご参照の上、お問い合わせ下さい。

ところで、宮崎省吾の絵画そのものは、図版などでは残っていますが、現物の所在が確認できていないようです。情報をお持ちの方、ご教示いただければ幸いです。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 19 『日本青春詩集』日本青春文学館12

昭和48年(1973)10月20日 立風書房 立風書房編集部編
PXL_20260710_010109689
PXL_20260710_010137832 PXL_20260710_010209478
目次
 この青春のうたごえ――日本青春詩ノート―― 吉田精一
 土井晩翠(詳細略)
 高村光太郎
  失はれたるモナ・リザ 父の顔 犬吠の太郎 さびしきみち 冬が来た 冬の朝のめざめ
  牛 道程 雨にうたるるカテドラル 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 傷をなめる獅子
  象の銀行 冬の言葉 ぼろぼろな駝鳥 当然事 手紙に添へて ――に 郊外の人に
  人類の泉 樹下の二人 あどけない話 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  レモン哀歌 亡き人に
 北原白秋(詳細略) 萩原朔太郎(詳細略) 室生犀星(詳細略) 佐藤春夫(詳細略)
 宮沢賢治(詳細略) 中原中也(詳細略) 立原道造(詳細略) 
 国木田独歩(詳細略) 河井酔茗(詳細略) 野口米次郎(詳細略) 蒲原有明(詳細略)
 
与謝野晶子(詳細略) 山村暮鳥(詳細略) 石川啄木(詳細略) 大手拓次(詳細略)
 
川路柳虹(詳細略) 三木露風(詳細略) 福士幸次郎(詳細略) 尾崎喜八(詳細略)
 
百田宗治(詳細略) 竹内勝太郎(詳細略) 村山槐多(詳細略) 笹沢美明(詳細略)
 
蔵原伸二郎(詳細略) 丸山薫(詳細略) 小熊秀雄(詳細略) 村野四郎(詳細略)
 
中野重治(詳細略) 伊藤整(詳細略) 安藤一郎(詳細略) 津村信夫(詳細略)
 
谷川俊太郎(詳細略)

光太郎を含む土井晩翠から立原道造まではまとまった数の作品を収め、独歩から谷川俊太郎までは1、2篇ずつという不思議な構成です。

光太郎の名が載った各地の新聞記事等、今日も2件ご紹介します。

まず仙台に本社を置く『河北新報』さん、7月5日(日)の記事。

大正時代にロダンブームがあった 熱狂のさなかに開かれた展覧会には著名文化人も関わる 岩手大教授が解明

 「近代彫刻の父」とされるフランスの彫刻家オーギュスト・ロダン(1840~1917年)に、大正期の日本が熱狂した「ロダンブーム」。岩手大の金沢文緒教授(西洋美術史)が、大学で2020年、偶然見つかった古い資料からブームの一端を解き明かした。長く幻とされた展覧会、ブームを起こした白樺派の文化人ら…。謎に迫った研究の成果は来年春、岩手県陸前高田市立博物館で公開される。
 探索のきっかけとなった資料は、ゴッホの絵画などを写した約200点の複製写真。大学施設の移転作業中に発見された。
 金沢教授の調査で、近代日本を代表する写真家野島康三(1889~1964年)が収集した写真と分かった。野島の死後、義理の弟が岩手大の非常勤講師だった縁で大学へ寄贈された。
 複製写真にロダン作品はなかったが、金沢教授は写真の入っていたファイル状の「紙挟み」に着目。6冊の紙挟み全てにフランス語で「オーギュスト・ロダンのデッサン」と印字されていた。
 紙挟みの出どころを追うと、野島が東京・神田で営んだ画廊「兜屋(かぶとや)画堂」で、1919~20年にあった展覧会の発行物と分かった。紹介されたのは、評価の高かったロダンのデッサンの複製写真。画廊の存在は先行研究で明らかにされていたが、この展覧会の詳細は不明だった。紙挟みは開催を裏付ける初めての資料だった。
 当時の新聞広告などから、展示されたのがダンテの「神曲」をモチーフとしたデッサンの複製写真集ということも判明した。写真集はフランスでも希少とされていた。
 浮世絵を愛好したロダンは、日本でのデッサン展を切望していたものの、生前に実現しなかった。遺志を受け継ぐように亡くなった2年後に開かれたのが、デッサンの複製展覧会だった。
 開催に向け、野島と親交のあった彫刻家・詩人の高村光太郎ら白樺派同人が奔走したことも突き止めた。高村は画廊運営にも携わり、作家大仏次郎が作品タイトルの翻訳を担うなど、白樺派以外の文化人の協力もあった。
 当時の資料を丹念に調べた一連の研究で、金沢教授は鹿島美術財団優秀賞を受賞。「最初は重要な資料と捉えず、学生の調査教材として扱っていた」と振り返る。複製写真は明治末期ごろから浸透した海外の芸術に触れる媒体だったが、多くは関東大震災や戦災で失われ、まとまった形で残る例は珍しいという。
 来年3月、名古屋市博物館からロダンの「考える人」を貸与されている陸前高田市立博物館で企画展を予定し、紙挟みや複製写真などを展示する。金沢教授は「大正期の日本人が西洋美術をどう受け入れていたのか、資料から読み取れる。多くの方に見てほしい」と話す。
 【ロダンブーム】 1910年代から20年代にかけて起きた現象。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎らによって10年に創刊された文学雑誌『白樺』で、フランスの彫刻家ロダンの作品や思想が積極的に紹介され、日本の美術界や知識人の間で急速に流行した。
020
画像にある岩手大学さんで見つかったゴッホ作品の写真が挟まれていた紙挟みが、大正8年(1919)と翌年に神田神保町の兜屋画堂で開催されたロダンのデッサンの複製を展示する展覧会のものだった、というわけで。

展覧会の名称は文献によって「ロダン複製素描展覧会」「ロダン素描複製画展覧会」と、まちまちでした。
019 018
この開催に「高村光太郎ら白樺派同人が奔走したことも突き止めた」だそうですが、光太郎がどの程度関わっていたのかは不明です。

兜屋画堂は写真家の野島康三が開いた画廊で、野島は光太郎の盟友だった斎藤与里と親しく、また、画堂およびその後の野島自邸での展覧会出品者の中には光太郎実弟にして鋳金家の髙村豊周の名も記録されています。

光太郎の書き残したものの中に、野島の名は見えませんが、大正8年(1919)10月9日の『読売新聞』に載った談話筆記「僕のアメリカ行きも」には「小品の個人展覧会を今年中に兜屋あたりでやらうと思つてゐます」とありますし、翌大正9年(1920)の『時事新報』には兜屋で開催された大森商二の個展を紹介する「大森商二君の木炭画」が載り、雑誌『絵画清談』に転載されました。

記事にある岩手大学さんの金沢教授の研究、ぜひ目を通したいものだと思って調べたところ、記事に「鹿島美術財団優秀賞を受賞」とあったので、そこから調べてみると、鹿島美術財団さんのサイトで『鹿島美術研究 年報第42号別冊』がヒットし、教授の論文「ロダンのデッサン複製展覧会(兜屋画堂1919-1920)再考――野島康三旧蔵資料(岩手大学所蔵)の検討を通じて――」に辿り着きました。まだ斜め読みで、これから精読いたします。

やはり記事にある陸前高田で来春開催予定という企画展も拝見に伺おうかと思っております。

紹介すべき事項が山積しておりまして、もう1件。今朝の『朝日新聞』さんから。

自筆原稿66点発見 北原白秋、推敲重ねた跡 「通説見直す資料」

 詩歌の分野で活躍した北原白秋(1885~1942)の自筆原稿など66点が弟子宅で見つかった。寄贈された岩手県北上市の日本現代詩歌文学館(高野ムツオ館長)が5月下旬、発表した。加筆訂正を繰り返した書き込みから詩作の過程が伝わる貴重な資料だ。
 発見されたのは、白秋の詩集「白金之独楽(はっきんのこま)」「抒情(じょじょう)小詩選 わすれなぐさ」、白秋が編集した雑誌「ARS(アルス)」の原稿。「白金之独楽」の詩稿は、原稿用紙の余白や欄外に青、黒、赤の3種類のインクによる書き込みがあり、削除や加筆を重ねた跡がとどめられている。従来は一気に成立した詩集と捉えられてきた。
 調査にあたった東北大学の佐藤伸宏名誉教授(近代文学)は「いったん清書された原稿が幾度にも及ぶ推敲(すいこう)を重ね、初めて成立に至ったことが判明した。通説を根本から見直す決定的資料だ」と語る。
 雑誌「ARS」創刊号に寄稿した室生犀星、萩原朔太郎、山村暮鳥、高村光太郎らの自筆原稿や、白秋の編集手記もあわせて見つかった。白秋の弟子でアルス社で編集者を務めた歌人・中村正爾(しょうじ)宅にあり、遺族から寄贈された。日本現代詩歌文学館では2027年3月以降の展示を予定している。

021
共同通信さんの配信記事などで既に5月には報じられていた件ですが、その際には光太郎の原稿が含まれていたことには触れられていませんでした。「何だ、光太郎のもあったのかい」という感じでした。

『ARS』創刊号(大正4年=1915)に載ったものだそうなので、ロダンの「ランスの本寺」翻訳と思われます。翌年に刊行された『ロダンの言葉』にも収められた一篇です。

「日本現代詩歌文学館では2027年3月以降の展示を予定」だそうで、もし光太郎のそれも出るようなら拝見に伺おうと思います。上記の陸前高田と近い時期ですし。

それぞれ近くなりましたら詳細情報を上げますのでよろしく。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 18 『北原白秋 高村光太郎 萩原朔太郎集』日本文学全集第19巻

昭和47年(1972)5月8日 集英社 北原白秋/高村光太郎/萩原朔太郎著
PXL_20260703_022030529
PXL_20260703_022046017 PXL_20260703_022102223
目次
 北原白秋集(詳細略)
 高村光太郎集
  智恵子抄 造型詩篇 道程 雨にうたるるカテドラル 猛獣篇 火星が出てゐる 典型
  山のともだち
 萩原朔太郎集(詳細略)
 注解 作家と作品 伊藤信吉 年譜
 月報
  白秋最晩年の旅 木俣修 先輩高村さん 尾崎喜八 ふるさとの絆 丸山薫
  現代文学史13 小田切秀雄

以前にも書きましたが、昭和40年代から50年代、そんなに需要があったのかと思われるくらい、さまざまな文学全集ものが刊行されました。

昭和31年(1956)、光太郎が没する直前、草野心平に編集を託し、その年の7月に初版が刊行された新潮文庫版『智恵子抄』。デザイナー・皆川明氏による新たなカバーデザインとなった新装版が発行されました。

新潮社さんのプレスリリースから。

不朽の名作、高村光太郎『智恵子抄』(新潮文庫)がminä perhonenデザイナー・皆川 明さんによる新装版カバーで登場。

詩人・彫刻家でもあった高村光太郎と、画家・紙絵作家の妻、智恵子。情熱のほとばしる恋愛時代から、短い結婚生活、智恵子の発病、そして永遠の別れ……。夫の光太郎がふたりの深い愛を謳った名詩集が『智恵子抄』です。

高村智恵子の切り絵を敬愛し、『智恵子抄』を長年愛読してきたminä perhonenデザイナー、皆川 明さんによる美しい切り絵で装いを新たにしました。 新装版は2026年「新潮文庫の100冊」にラインナップされており、全国書店にてお買い求めいただけます。

【切り絵でつながる『智恵子抄』】 
2026年は高村光太郎没後70年の年。長年カバーに使用されてきた高村智恵子による花柄の切り絵から、次の世代へとより長く愛され続けられるように、皆川 明さんによる花と鳥の切り絵を使用したカバーにうまれかわりました。 

光太郎と智恵子をイメージした鳥と花の切り絵は、切り絵ならではの細やかな影の表情を再現するために、カメラマンの白石和弘さんに撮影していただき、どこか懐かしく優しい雰囲気を持つ、手元にずっと置いておきたくなるような本となりました。 

【皆川 明さんのコメント】 
にがくて、すっぱくて、ときどき あまい 苦しくて愛おしいいのち
 
愛とはつかめない光のようでもありおおわれた影のようでもある。
宿命の海原で泳ぎ心の空を翔ぶように生きる姿が放つ光と影は智恵子の生きた証であり光太郎の生きがいであった。 

【書籍内容】
明治の末年、グロキシニヤの鉢植えをもってアトリエを訪れた智恵子嬢を“人類の泉”と讃えた恋愛時代から、「東京に空が無い」と語り合った幸福な結婚生活を経て、夫人の発病、そして昭和十三年十月にやってきた永遠の別れ――。死後なお募る思いを「智恵子の裸形を残して、わたくしは天然の素中に帰ろう」と歌い、昭和三十一年四月の雪の夜に逝った詩人の、全生涯を貫く稀有な愛の詩集である。

【著者紹介】高村光太郎(タカムラ・コウタロウ)
(1883-1956)上野公園の西郷隆盛像で知られる木彫家光雲の長男として東京に生れる。東京美術学校で彫刻、洋画を学ぶ。1906年、欧米留学。パリでは美術・彫刻の他、ヴェルレーヌ、ボードレールらの詩を学んだ。帰国後、気鋭の美術評論、評伝、エッセイを次々と発表して注目された。1914年、処女詩集『道程』で芸術院賞を受賞。1941年、『智恵子抄』を刊行。1950年、『典型』で読売文学賞を受賞。他に『ロダン』『造形美論』『暗愚小伝』など著書多数。享年73。

【書籍データ】
【タイトル】『智恵子抄』
【著者名】高村光太郎
【造本】文庫
【定価】473円(税込)
【ISBN】978-4-10-119602-2
015 016
カバーデザインの皆川明氏、座右の一冊的に『智恵子抄』を挙げて下さったことがおありです。

把握している範囲では、令和3年(2021)6月にマガジンハウスさんから出たムック『& Premium特別編集 あの人の読書案内。』、同年12月、同じくマガジンハウスさんの雑誌『BRUTUS』、2022年1月1日・15日合併号。後者に載ったものは令和6年(2024)発行のムック『BRUTUS特別編集 合本 本が人をつくる。』に再録されました
017 014
018 019
皆川氏曰く「好きだという気持ち以上の、お互いを肯定している無垢な二人の関係が伝わってくるようで、恋愛小説よりも強い気持ちが感じられます」「カフェに座ってこれを読んでいると落ち着く、というと簡単な表現ですが、頭の中には好きな世界が広がって、外側には違うカルチャーがある。それが案外心地いい

そういう思い入れがおありの皆川氏に白羽の矢を立てた新潮社さん、グッジョブです。

これまで、百数十刷を数える中で、何度か装幀・カバーデザインが変遷しています。
001
昭和31年(1956)の初版(左上)刊行時には、パラフィンカバーと帯のみ。昭和35年(1960)頃の版から新潮文庫全体としてカラー印刷のカバーがかけられるようになりました(右上)。袖には「カバー 眞淵聖」とクレジットが入っていますが、眞淵聖という人物、寡聞にして不分明です。

収録詩篇の改訂等があっての改版が昭和42年(1967)12月。その際に左下の智恵子紙絵を使ったカバーに変更されたと思われます。そして右下はつい最近まで使われていたカバー。

智恵子紙絵のカバーでなくなるのは少し寂しい気もしますが、おそらく巻頭の口絵には智恵子紙絵画像が残るのではないかと思われます。最近までの版で7葉使われていました。
002
そして『智恵子抄』、「新潮文庫の100冊」ラインナップに復帰というのが嬉しいところです。昭和51年(1976)から毎年夏に行われているフェアで、今年で50周年とのこと。
021 020
『智恵子抄』は昭和51年(1976)の初回から平成21年(2009)頃までラインナップに入っていましたが、その後に外れ、残念に思っておりました。それが復活ということで、ありがたし。大きめの新刊書店さん等では100冊を平積みにする特設コーナーなども作って下さいますし、売り上げが伸びるでしょうから。

ちなみに50年連続でラインナップ入りしているのは以下の10冊だそうです。

『こころ』夏目漱石/『人間失格』太宰治/『銀河鉄道の夜』宮沢賢治/『黒い雨』井伏鱒二/『塩狩峠』三浦綾子/『老人と海』ヘミングウェイ/『罪と罰』〈上下〉ドストエフスキー/『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ/『変身』カフカ/『異邦人』カミュ

というわけで、新装版『智恵子抄』、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 4 『高村光太郎集 萩原朔太郎集 宮澤賢治集』現代日本文学全集24

昭和29年(1954)7月25日 筑摩書房 高村光太郎/萩原朔太郎/宮澤賢治著
PXL_20260622_010228562
PXL_20260622_010247326 PXL_20260622_010306399
目次
 高村光太郎集
  道程
   失はれたるモナ・リザ(明治四十三年) 生けるもの 根付の国
   画室の夜(明治四十四年) 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒
   寂寥 声 風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」
   夏 なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
   けもの あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿 青い葉が出ても(明治四十五年)
   赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾(大正元年) 或る夜のこころ
   おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
   或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日
   人に(大正二年) カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実
   冬が来た 冬の詩 牛 僕等 道程(大正三年) 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦
   万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈
  「道程」以後
   わが家(大正五年) 小娘(大正六年) 湯ぶねに一ぱい
   丸善工場の女工達(大正九年) 米久の晩餐(大正十年)
   クリスマスの夜(大正十一年) 沙漠 樹下の二人(大正十二年) 珍客(大正十三年)
   清廉 白熊(大正十四年) 傷をなめる獅子 狂奔する牛 車中のロダン 葱
   象の銀行(大正十五年) 十大弟子 鯰 苛察 夜の二人
   あなたはだんだんきれいになる (昭和二年) 怒 或る墓碑銘 美を見るもの
   龍(昭和三年) あどけない話 花下仙人に遇ふ ぼろぼろな駝鳥 或る日
   上州湯桧曽風景(昭和四年) 刃物を研ぐ人(昭和五年) 孤坐
   美の監禁に手渡す者(昭和六年) 蝉を彫る 先生山を見る(昭和七年)
   晴天に酔ふ(昭和八年) 人生遠視(昭和十年) 風にのる智恵子 村山槐多
   もう一つの自転するもの(昭和十一年) 荻原守衛 千鳥と遊ぶ智恵子(昭和十二年)
   値ひがたき智恵子 夢に神農となる 老耼、道を行く 山麓の二人(昭和十三年)
   団十郎像由来 レモン哀歌(昭和十四年) 芋銭先生景慕の詩 へんな貧
   梅酒(昭和十五年) 荒涼たる帰宅(昭和十六年) 寒夜読書(昭和十八年)
   救世観音を刻む人 南瓜賦(昭和十九年)
  典型
   雪白く積めり(昭和二十一年)
   暗愚小伝(昭和二十二年)
    家 転調 反逆 蟄居 二律背反 炉辺
   「ブランデンブルグ」(昭和二十三年) 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元
   おれの詩(昭和二十四年) 悪婦 山荒れる(昭和二十二年) 月にぬれた手
   鈍牛の言葉 典型
   田園小詩
    山菜ミヅ(昭和二十二年) 山のひろば 山口部落(昭和二十二年) かくしねんぶつ
    クロツグミ クチバミ(昭和二十五年) 別天地(昭和二十三年)
    岩手の人(昭和二十四年) 山からの贈物 この年
  「典型」以後
   元素智恵子(昭和二十五年) 案内 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 女医になつた少女
   人間拒否の上に立つ(昭和二十六年) 山のともだち
   十和田湖畔の裸像に与ふ(昭和二十九年)
 萩原朔太郎集  (略)
 宮澤賢治集    (略)
 高村光太郎の詩業 草野心平 萩原朔太郎 河上徹太郎 
 もろともにかがやく宇宙の塵となりて 谷川徹三 解説 伊藤信吉
 年譜
 月報
  彫刻の先覚高村光太郎 石井鶴三 高村光太郎氏素描 難波田龍起 萩原朔太郎断片 伊藤整
  朔太郎残影 恩地孝四郎 兄とレコード 宮澤清六

ともに生前に交渉のあった朔太郎と賢治と共に一冊が構成されたことについて、晩年の光太郎はどう感じたでしょうか。

明治後半から昭和20年(1945)まで、光太郎が住んでいた文京区千駄木(大正3年=1914から昭和10年=1935の間は智恵子も暮らしていました)に新たな施設が竣工しました。

プレスリリースから。

吉野石膏、千駄木にアートライブラリーを竣工 文化資産の保存・活用を通じた企業の社会貢献と、千駄木で新たな魅力の発信へ

 せっこう(石膏)を原料とする建築材料の製造・販売事業等を展開する吉野石膏株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:須藤 永作)は、創業家ゆかりの地である東京都文京区千駄木において、「千駄木林町 須藤記念アートライブラリー」を建設し、竣工しました。
本施設は、故 須藤恒雄会長、故 須藤永一郎会長の邸宅跡地に整備されたアートライブラリーです。
 ここでは、吉野石膏美術振興財団(現・千代田区丸の内)の約8,000冊の美術図書が閲覧できます。
 そして、吉野石膏が長年収集し、山形美術館と天童市美術館に寄託してきた絵画コレクションも本施設に集約し、展示します。
 また、所蔵するコレクションの展示にとどまらず、近代アートも含めた、企画展も行っていきます。

◆本施設の背景
 東京都文京区千駄木は、森鴎外記念館や高村光太郎旧居跡などの文化施設が点在し、文化人に縁のある地域です。
 本施設の敷地にかつてあった、故 須藤恒雄会長、故 須藤永一郎会長の邸宅では、吉野石膏黎明期に幹部が集い、会社の将来を語り合う場でした。
 「千駄木林町 須藤記念アートライブラリー」は、そうした歴史を持つ土地において、邸宅に宿る記憶や思想を受け継ぎながら、吉野石膏と吉野石膏美術財団が持つ文化資産を未来へ継承する場として整備したものです。

◆本施設について
 設計は建築家・隈研吾氏率いる隈研吾建築都市設計事務所が手掛け、日本の伝統的な建築様式である校倉造りに着想を得た、「AZEKURA」のデザインを採用しました。
 施行は大林組が手掛けました。
 多目的に利用可能な空間を屋内外に備えるほか、敷地内には旧邸宅の一部が再現されており、歴史的な記憶を未来へ紡ぐ設計となっています。

◆今後について
 今後は蔵書や美術品の収蔵および公開に向けた準備を段階的に進め、2027年秋頃の本格的な運用開始を目指してまいります。
 本施設の竣工は一つの到達点であると同時に、吉野石膏が培ってきた文化的な活動や価値を未来へ継承していく新たなスタートでもあります。
 今後は本施設を舞台に、多くの方々が文化や芸術に触れる機会を創出し、文化資産の継続的な保存と活用に貢献してまいります。
002
003
「タイガーボード」の吉野石膏さんですね。場所的には創業者の邸宅跡地ということで、現在の須藤公園に隣接するあたりではないかと思われます。
004
上記は森まゆみ氏著『「谷根千」地図で時間旅行』より。光太郎アトリエだけでなく、旧林町155番地の光太郎実家(光雲邸)、森鷗外の観潮楼(現・文京区立森鷗外記念館さん)、『青鞜』の最初の編集所があった物集高見邸跡などもすぐ近くです。また、須藤邸の左下(南西)に「この辺原っぱだった」とありますが、このあたりが光太郎詩「落葉を浴びて立つ」(大正11年=1922)の舞台ですし、その北に位置する「丸善工場」は「丸善工場の女工達」(大正9年=1920)に謳われています。

吉野石膏さん、公益財団法人の吉野石膏美術振興財団を傘下にお持ちです。そちらには、まず主に近代絵画のコレクション。
005
現在は、一部が山形美術館さんと天童市美術館さんへ寄託されているそうですが、手元に戻すそうで。「なぜ山形?」と思ったのですが、吉野石膏さんが元々は山形の吉野鉱山での石膏原石採掘から始まった企業だということで、山形との関係が深いということです。

それから、書籍。美術評論家の故・中山公男氏、美術史研究者の故・前川誠郎氏、同じく小佐野重利氏から寄贈された美術関係書籍、図録等が数千冊あるそうで、それらの閲覧もできるようになるとのことです。稀覯本にあたるようなもの(特に雑誌系)が含まれていると嬉しいのですが。

そしてプレスリリースによれば「所蔵するコレクションの展示にとどまらず、近代アートも含めた、企画展も行っていきます」とのことですので、この地にゆかりの光太郎智恵子・光雲らに関するそれも行っていただきたいものです。

オープンは今秋だそうです。またその頃に取り上げさせていただきます。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 1 『高村光太郎集 室生犀星集 萩原朔太郎集』現代詩人全集 第九巻

昭和4年(1929)10月15日 新潮社 高村光太郎 室生犀星 萩原朔太郎著
PXL_20260621_231522064
PXL_20260621_231543604 PXL_20260621_231611077
目次
 高村光太郎集
  「道程」時代
   失はれたるモナ・リザ 根付の国 画室の夜 鳩 食後の酒 寂寥 声 新緑の毒素
   髪を洗ふ女   「心中宵庚申」 はかなごと 地上のモナ・リザ 葛根湯 あつき日
   泥七宝 赤鬚さん ――に 或る夜のこころ さびしきみち カフエにて 冬が来る
   そればつかりは 現実 或る宵 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ 戦闘 人に
   深夜の雪 冬が来た 牛 道程 愛の嘆美 婚姻の栄誦 瀕死の人に与ふ 晩餐
   五月の土壌 秋の祈
  「道程」以後
   無為の白日 海はまろく 花のひらくやうに 晴れゆく空 丸善工場の女工達
   雨にうたるるカテドラル 沙漠 米久の晩餐 ラコッチイ マアチ 落葉を浴びて立つ
   五月のアトリエ 冬の送別 かがやく朝 樹下の二人 鉄を愛す Liluli 春駒
   月曜日のスケルツオ 氷上戯技 珍客 葱 車中のロダン 後庭のロダン 十大弟子
   無口な船長
  「猛獣篇」時代
   清廉 象の銀行 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 苛察 龍 雷獣
  「猛獣篇」以後
   滑稽詩 夜の二人 冬の奴 ミシエル オオクレエルを読む 火星が出てゐる
   偉大なるもの あなたはだんだんきれいになる 詩人 笑 美を見る者 「詩」
   北東の風、雨 偶作八篇 二つに裂かれたベエトオフエン 旅にやんで
   花下仙人に遇ふ 天文学の話 或る墓碑銘 ぼろぼろな駝鳥 当然事 あどけない話
   無限軌道 青空 古事一則 死ねば 無いからいい 一人づつが 或る日 人生
   ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話 触知 上州湯桧曽風景 その詩
   非ユークリツド的
 室生犀星集(略)
 萩原朔太郎集(略)

今日からのこの項、「選集等(部分)」ということで、光太郎を含む数人の作品が一冊にまとめられているものを扱います。ある程度の分量が載っているものに限り、数篇しか載っていないものは別に「詩華集等」ということで後ほど。

『高村光太郎集 室生犀星集 萩原朔太郎集』。光太郎自身が作品の選択と校訂も行い、大正3年(1914)の詩集『道程』以後、久しく単行詩集を刊行しなかった光太郎の、実質的には弟2詩集となりました。目次には入っていませんが、短い自伝が附されており、そちらは書き下ろしです。

6月13日(土)、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為された「第61回十和田湖湖水まつり」の模様を報じる報道です。

RAB青森放送さん。

バルーンと花火が夜空を彩る 十和田湖湖水まつり 青森・十和田市

 夏の十和田湖観光の幕開けを告げる十和田湖湖水まつりが開かれました。
 十和田湖湖水まつりは、十和田湖畔休屋地区を会場にきのう1日限定で開かれました。
 午後8時すぎには、来場者の願い事が書かれた350個のバルーンランタンが一斉に夜空へ放たれました。
 湖畔は幻想的な雰囲気に包まれました。
 最後は200発の花火も打ち上げられ、訪れた人たちを魅了していました。
000 001
002 007
003 004
005 006
008 009
地方紙『東奥日報』さん。

願いの光、夜空へ 十和田湖湖水まつり、幻想的に 青森県十和田市

 十和田湖湖水まつり(実行委員会主催)が13日、青森県十和田市の十和田湖畔休屋で開かれた。夜には参加者が願いや誓いを記したランタンを放ち、湖畔が幻想的な光に包まれた。
 電飾を施した遊覧船が桟橋を離れ、岸辺に並んだ来場者が一斉にランタンを空中に放つと、「きれい」などと歓声が上がった。湖から打ち上げられる花火が湖面を彩り、会場から拍手が起こった。
 県外から三沢市に帰省中の向谷地祈さん(27)は、家族と一緒に願い事やイラストをランタンに書き込んだ。「十和田湖に来るのは小さい時以来。改めて、山に囲まれた落ち着ける場所だなと思いました」と話した。
 まつりは今年で61回目。近年は2日間の開催が定着していたが、今年は物価高騰、人手不足などの影響で1日のみの開催となった。
010
鹿角コミュニティFMさん。

バルーンランタンでメルヘンな世界 十和田湖の湖水まつり

 秋田と青森にまたがる十和田湖で「湖水まつり」が開かれ、明かりがともる灯ろうが夜空にいくつも浮かぶメルヘンチックな光景が広がりました。
 湖水まつりは、観光客を呼び込もうと地元の関係者でつくる団体が開いていて、61回めのことしは、物価高騰などによる中止も選択肢にあったなか、2日から1日に減らして開催にこぎつけられました。
 催しの主役になった「バルーンランタン」は、縦横およそ30センチ、高さおよそ45センチのビニール製で、LEDでオレンジや青に光り、浮かび上がります。
 13日午後8時すぎ、会場の休屋地区の湖畔にカウントダウンがアナウンスされ、バルーンランタンを購入した人たちが一斉に浮かび上がらせました。
 優しい色に光るランタンおよそ330個がふわふわと浮かぶ光景はメルヘンチックで、訪れた人たちがうっとりと眺めたり、写真を撮ったりしていました。
 さらにフィナーレには打ち上げ花火との共演になり、大きな花火が夜空と湖面に広がるたびに、大きな歓声が上がりました。
 またランタンのリリースと花火の打ち上げにあわせ、電飾を施した遊覧船も運行され、来場者たちが湖の上から幻想的な光景を楽しみました。
 青森県平川市の20代の男性は、「初めて来ましたが、映画の中の世界みたいにきれいで、いい思い出になりました」と話していました。
 ことしのイベントでは、日中も楽しんでもらおうと、例年よりも多い飲食のブースでの販売やステージイベントが昼前から行われ、カップルや家族連れなどでにぎわいました。
 実行委員会では、「これまで見たことがない十和田湖を楽しんでもらうコンセプトにしました。新たな景色や思い出をもちかえってほしい」としています。
012
ここまで、「乙女の像」には触れられませんでしたが、主催の十和田湖湖水まつり実行委員会さんのX(旧・ツイッター)投稿に、「乙女の像」画像が。
014
013
ありがたし。

それにしても、近年は2日間の開催だったのが今年はなぜ1日だけ? と思っていたのですが、『東奥日報』さんによれば「今年は物価高騰、人手不足などの影響で1日のみの開催となった」、鹿角コミュニティFMさんによれば「中止も選択肢にあった」とのこと。こんなところにも政府の無策ぶりが表れているのかと思うと、憤懣やるかたない感じです。関係者の皆様には苦渋の決断だったのでしょうが。

まつりは終わりましたが、十和田湖、ぜひ足をお運びになり、地域活性化にご協力ください。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 44 『高村光太郎詩集』大活字本シリーズ

平成14年(2002)10月20日 埼玉福祉会 高村光太郎著
PXL_20260610_021920153
目次
  はしがき
 「道程」より
   失はれたるモナ・リザ 根付の国 画室の夜 寂寥 声 風 新緑の毒素 廃頽者より
   『心中宵庚申』 夏 けもの 父の顔 あをい雨 夏の夜の食慾 犬吠の太郎
  さびしきみち 狂者の詩 戦闘 カフエにて 山 冬が来た 冬の詩 牛 道程
  万物と共に踊る 秋の祈
 「道程」以後
  わが家 小娘 花のひらくやうに 丸善工場の女工達 米久の晩餐
  雨にうたるるカテドラル 落葉を浴びて立つ クリスマスの夜 鉄を愛す
  とげとげなエピグラム 清廉 月曜日のスケルツオ 白熊 傷をなめる獅子
  車中のロダン 葱 後庭のロダン 無口な船長 象の銀行 十大弟子 苛察
  ミシエル・オオクレエルを読む 火星がでてゐる 怒 偶作四篇 花下仙人に遇ふ
  母をおもふ 冬の言葉 旅にやんで ぼろぼろな駝鳥 当然事 首の座
  孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人 のつぽの奴は黙つてゐる 偶作 七 村山槐多
  ばけもの屋敷 象 孤坐 手紙に添へて 団十郎像由来 つゆの夜ふけに 冬 へんな貧
  蝉を彫る 救世観音を刻む人
 「智恵子抄」より
  人に 郊外の人に 深夜の雪 人類の泉 僕等 晩餐 樹下の二人 鯰
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 美の監禁に手渡す者 人生遠視
  風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
 あとがき(奥平英雄)

弱視の方々などのための、文字サイズを大きく組んだ「大活字本」です。
001
底本は昭和30年(1955)発行で、現在も版を重ねている岩波文庫版の『高村光太郎詩集』です。岩波書店さんの厚意によるとのことで、さすが岩波さんですね。

毎年恒例ですが、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」ライトアップが為されます。

第61回十和田湖湖水まつり

期 日  : 2026年6月13日(土) 荒天の場合は6月14日(日)
会 場  : 十和田湖畔休屋桟橋憩いの広場 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486
問合せ  : 十和田湖観光交流センターぷらっと 0176-75-1531

タイムテーブル
 11:00 一の宮縁日(21:00まで)
 15:00 パフォーマーステージ(18:30まで)
 17:30 十和田湖メルティライト(バルーンランタン)引き換え開始 ・想い書込処オープン
 20:00 十和田湖ナイトクルーズ乗船開始
 20:15 十和田湖メルティライト(バルーンランタン)リリース
      十和田湖ナイトクルーズ出航
 20:30 メッセージ花火の打上げ
 20:45 湖水花火
 21:00 終了

北東北の夏の観光の幕開けを飾る「十和田湖湖水まつり」。静かな湖畔で、ランタンや花火でドラマチックに彩られる一日を体験してみませんか?
000
一の宮縁日
 灯りとにぎわいが集まる「一の宮縁日」飲食店やキッチンカー、テント屋台が並ぶ一の宮エリア。ちょうちんの灯りとともに、レトロながら賑やかな縁日の雰囲気が広がります。

 豚専門店いろとん  さがり串 ホルモン串
 たご助  煮干したこ焼き トルネードポテト
 OIRASE TOWADAおまかせKitchen  バラ焼きうどん バラ焼きボール
 ほっとまん企画  生ハムカップ 生ハムサンド
 カレーハウスCoCo壱番屋  ポークカレー ロースカツカレー
 ナチュラルキャンディ&鶏笑  中津から揚げ フライドポテト
 トワダコボーイ  十和田バラ焼き風肉巻きおにぎり 油そば
 和のみせ  バラ焼きオムそば イカ焼き
 「こなもんや」田村商会  パイカ鍋 お好み焼き、オム焼きそば
 鉄板焼きかぐら  焼きそば 10円パン
 焼き芋専門店 芋姫  サツマスティック ロングチュロス
 宮本商店  たこ焼 バナナチョコ
 青空商店組合 華びし  シャカシャカポテト オム焼きそば
 湖白屋  ケバブサンド
 釡戸屋  はしまき てんぷら
004
パフォーマーステージ
 まんなか広場では、パフォーマーによるステージを開催。会場を巡る途中に立ち寄って、のんびり過ごしながら音楽やパフォーマンスをお楽しみいただけます。

 15:00 声がヨーデル倶楽部 ソロ歌唱
 15:30 伊東恭子 民話の語りべ
 16:00 愛野由梨奈 弾き語り
 16:30 ギュゼル・ダンスチーム ベリーダンス
 17:00 Ast. HIPHOPダンス
 17:30 NAVILLERA K-POPダンス
 18:00 北里三源色 よさこい踊り
005
飾らない十和田を飾る展/巡る展
 会場付近の「喫茶 憩い」「十和田神社」を含む「飾らない十和田」ポスターを展示します。また当日は、条件達成でプレゼントがもらえる「飾らない十和田を巡る展」も同時開催。詳細は、展示会場にてご確認ください。
006
十和田神社 湖水まつり限定御朱印
 湖水まつり当日限定!十和田神社にて、数量限定で授与します。デザインは、湖水まつりをイメージした特別仕様。湖畔を巡る記念に、ぜひお受けください。
※初穂料500円 11:00〜17:00
008
隠れ龍神をさがせ!
 十和田湖や十和田神社には、龍にまつわる言い伝えがあります。そんな龍をモチーフにした「隠れ龍神」が、会場内のちょうちん等に隠れています。一の宮縁日やまんなか広場など、会場を歩きながら探してみてください。
007
十和田湖ナイトクルーズ 20:00~
 夜になると、十和田湖は静かにその表情を変える。湖の上で見るバルーンランタンと花火の共演。目の前いっぱいに広がるその景色は、ここでしか出会えない特別な時間です。限られた人だけが乗船できる「湖上の特等席」で、そのひとときをお過ごしください。
[早割] 6,800円 [通常] 7,200円
003
十和田湖メルティライト 17:30~
 見上げる空と、見下ろす湖。その間に、私たちがいる。視界のすべてが光に彩られる時、あなたの知る十和田湖は、美しく塗り替えられる。世界で一つだけのバルーンランタンを打ち上げませんか。
[早割] 6,800円 [通常] 7,200円
009
メッセージ花火 20:30~ 憩いの広場
 あなたの声をのせて、十和田湖の夜空へ花火を打ち上げる特別企画。 今年は、録音したあなた自身のボイスメッセージを会場内にお流しします。普段はなかなか伝えられない感謝の気持ち。記念日のお祝いや、新たな挑戦への宣言。そしてプロポーズの言葉まで。あなたの想い、お待ちしています。
 料金 10,000円(4号玉一発)~
002
湖水花火 20:45~ 憩いの広場
 夜空を染める花火、湖上に浮かぶバルーンランタン。そのすべてを、十和田湖が映し出していく。 音楽にあわせて移り変わる光景は、 まるで空と湖がひとつにつながったよう。湖水まつりの最後を飾る幻想的なフィナーレです。

001
公式サイトに記述がないのですが、問い合わせたところ、例年通りに「乙女の像」ライトアップも為されるとのことです。

厳冬期に開催される「十和田湖冬物語」の際には雪灯籠の灯りに照らされる「乙女の像」ですが、「湖水まつり」では夜空に浮かぶランタンや花火をバックにすることとなります。

ぜひ足をお運び下さい。ただし、クマ出没情報が出ていますので、十分にご注意を。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 31 『高村光太郎集』現代詩文庫1018

昭和55年(1980)6月15日 思潮社 芹沢俊介編・構成
PXL_20260603_011255963
PXL_20260603_011317277 PXL_20260603_011333964.MP
目次
 短歌
  明治三八年作 明治三九年作 明治四〇年作 明治四二年作
 詩篇
  明治四〇年(一九〇七)
   秒刻 マデル あらそひ 敗闕録㈣眠りてあれか目覚めよか
  明治四三年(一九一〇)
   失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
  明治四四年(一九一一)
   亡命者 侵蝕 寂寥 声 廃頽者より 父の顔 恐怖
  明治四五年・大正元年(一九一二)
   あをい雨 人に 或る夜のこころ さびしきみち 冬が来る 或る宵 狂者の詩
   郊外の人に
  大正二年(一九一三)
   よろこびを告ぐ 冬が来た
  大正三年(一九一四)
   道程 淫心
  大正五年(一九一六)
   妹に
  大正一〇年(一九二一)
   雨にうたるるカテドラル
  大正一二年(一九二三)
   樹下の二人
  大正一四年(一九二五)
   狂奔する牛
  大正一五年・昭和元年(一九二六)
   鯰 苛察 夜の二人
  昭和二年(一九二七)
   あなたはだんだんきれいになる 懐ふ 怒 母をおもふ その年私の十六が来た
   或る墓碑銘 冬の言葉
  昭和三年(一九二八)
   ぼろぼろな駝鳥 あどけない話 同棲同類 焼けない心臓
  昭和四年(一九二九)
   無題 激動するもの 孤独が何で珍らしい
  昭和五年(一九三〇)
   刃物を研ぐ人
  昭和六年(一九三一)
   美の監禁に手渡す者
  昭和七年(一九三二)
   非ヨオロツパ的なる もう一つの自転するもの
  昭和一〇年(一九三五)
   人生遠視 風にのる智恵子 ばけもの屋敷 詩の道
  昭和一一年(一九三六)
   堅冰いたる
  昭和一二年(一九三七)
   千鳥と遊ぶ智恵子 未曾有の時
  昭和一三年(一九三八)
   山麓の二人 或る日の記 正直一途なお正月
  昭和一四年(一九三九)
   レモン哀歌 つゆの夜ふけに 肉体 お化け屋敷の夜 へんな貧
  昭和一六年(一九四一)
   少女に 純潔のうた 必死の時 危急の日に 十二月八日 新しき日に
  昭和一七年(一九四二)
   寒夜読書
  昭和一八年(一九四三)
   戦に徹す
  昭和一九年(一九四四)
   必勝の品性
  昭和二〇年(一九四五)
   皇国骨髄の臣 戦火
  昭和二二年(一九四七)
   暗愚小伝
    家
     土下座 ちよんまげ 日清戦争 御前彫刻
    転調
     彫刻一途 パリ
    反逆
     親不孝 デカダン
    蟄居
     美に生きる おそろしい空虚
    二律背反
     協力会議 真珠湾の日 終戦
    炉辺
     報告
  昭和二三年(一九四八)
   人体飢餓
  昭和二五年(一九五〇)
   典型
 エッセイ
  詩壇の進歩 余はかく詩を観ず(アンケート) 生きた言葉 詩そのもの 詩について
  気について 詩の勉強 自分と詩との関係 詩精神 詩精神と日常生活 詩と表現
  詩の本質 戦争と詩 アンケート・貴方の愛読書は 詩について語らず 日本詩歌の特質
 年譜
 研究
  四月詩壇月評=福士幸次郎 福士さんへ=高村光太郎
 解説 光太郎の虚像と実像=芹沢俊介

この手のものとしては珍しく、ほぼ編年体による構成です。「詩集」と銘打ちつつ短歌や散文もそれなりの量が収められています。

5月31日(日)、吉祥寺での「第20回明星研究会 与謝野寛・晶子を偲ぶ会」参加の前に、調布市の競輪場・東京オーヴァル京王閣さんで開催されていた「ごほうび浪漫博TOKYO」に立ち寄りました。この日と前日はレースが無く、広い敷地を使っての大規模なフリーマーケット的催しです。
PXL_20260531_015730428.MP
000
午前11:00からの開催で、10分ほど前に着いたのですが、入口には長蛇の列。こんなに混雑しているとは思っていませんでした。
PXL_20260531_020206935.MP
開門後、少しずつ入場させるという措置が為されており、入場できるまでにかなり時間がかかりましたが大きな混乱もなく、それはそれで良かったと思いました。いくつものエリアに分かれており入場客は思い思いに分散、入ってしまえばそれほどの大混雑ではありませんでした。
000
まず目指したのは「TAMAGAWA BOOK CARNIVAL」というエリア。
PXL_20260531_021119291
「言葉と表現を愛する人のための、本と知識の迷宮」というわけで、ZINE(個人や少人数で発行する自主的な出版物)や文学系の小物など、古書籍や一般に流通している新刊を販売する店舗が約90店舗。各地で開催されている文学フリマに近い感じなのでしょう。
PXL_20260531_021214213.MP
PXL_20260531_021227225.MP
その文学フリマにも出店されている「装幀室白亜」さん。
PXL_20260531_022020241.MP
近代文学の文豪たちの作品等をモチーフにしたZINEやハンドメイドの布製小物など。
005
001
こちらで光太郎詩「レモン哀歌」(昭和14年=1939)のZINEが販売されているということで、足を運んだ次第です。

ありました。
PXL_20260531_022031639
1,000円とのことで、一つゲット。
002 003
右上はパッケージから出した状態。びろーんと広がるようになっていました。「レモン哀歌」全文が印刷されています。
PXL_20260601_221729818
他に、光太郎と深い縁で結ばれた宮沢賢治系なども。購入はしませんでしたが。
PXL_20260531_022042861
落ち着きのある上品でさらに統一感のある品ぞろえ、ごちゃごちゃしていなくて実に良いと感じました。

他店舗にも光太郎系が無いかと見て回りました。古書籍も販売している店舗で光太郎作品の載った古い詞華集が複数売られていましたが、既に持っているものでした。他には見当たりませんでした。

ただ、やはり文豪系の小物を販売している店舗で、与謝野晶子モチーフのポストカード。「文画師Gani」さんという方のお店で、残念ながら光太郎はありませんでしたが、他の文豪ものも。
PXL_20260531_063544366 004
顔が浮かび上がっていますが、それぞれの文豪の作品を書いた文字がベースです。晶子のものは「君死にたまふことなかれ」(明治37年=1904)。「へー」と思って1枚購入し、この後参加した明星研究会主宰の松平盟子氏へのお土産としました。

まだ時間がありましたので、「TAMAGAWA BOOK CARNIVAL」以外のエリアもぶらぶら。
PXL_20260531_022934341
PXL_20260531_022940230
PXL_20260531_023812249
PXL_20260531_020937250.MP
PXL_20260531_020942256.MP
自宅兼事務所付近でもフリマ的なイベントはありますが、千葉の田舎とは違い、さすが東京都、出店数が桁違いですし、何より一つ一つが実にシャレオツでした。逆にこちらにあるような穫れたて農産物の格安直売みたいなコーナー(笑)は見当たらず、まぁ、そういうコンセプトなんだろうなと思いましたが。

以上、レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 29 『高村光太郎』日本の詩

昭和50年(1975)12月1日 ほるぷ出版 岡庭昇編
PXL_20260528_000327033 PXL_20260528_000353911 PXL_20260528_000414562
目次
 道程以前
  にほひ
 道程
  生けるもの 根付の国 画室の夜 亡命者 食後の酒 寂寥 声 風 新緑の毒素
  廃頽者より 夏 手 葛根湯 けもの 父の顔 友の妻 夏の夜の食慾 犬吠の太郎
  さびしきみち カフエにて 冬が来る カフエにて 夜 狂者の詩 カフエにて
  カフエにて 山 現実 冬が来た 冬の詩 道程 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る
  瀕死の人に与ふ 五月の土壌 秋の祈
 道程時代
  友よ 泥七宝 恐怖 或問 カフエ ライオンにて 粘土 あたり前
 道程以後
  花のひらくやうに 海はまろく 序曲 雨にうたるるカテドラル 真夜中の洗濯 下駄
  冬の送別 沙漠 冬の子供 とげとげなエピグラム
 猛獣篇
  清廉 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 苛察 ぼろぼろな駝鳥 マント狒狒
  森のゴリラ 潮を吹く鯨 北冥の魚
 猛獣篇時代
  車中のロダン あの詩人 後庭のロダン 聖ジヤンヌ 感謝
  ミシエル オオクレエルを読む 秋を待つ 無題 二つの世界 不平な人に 怒
  二つに裂かれたベエトオフエン
  エピグラム
   超現実派 煩瑣派 卑近美派 新感覚派
  詩人 美を見る者 母をおもふ その年私の十六が来た 殺風景 天文学の話 偶作十五
  或る墓碑銘 冬の言葉 当然事 触知 存在 古事一則 街上比興 その詩 北島雪山
  激動するもの 孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人 消えずの火
  のつぽの奴は黙つてゐる
 友よ 霧の中の決意 冬が来る 未曾有の時
 大いなる日に
  その時朝は来る 銅像ミキイヰツツに寄す
 智恵子抄
  或る夜のこころ 涙 おそれ 郊外の人に 深夜の雪 人類の泉 人に 愛の嘆美
  晩餐 淫心 樹下の二人 金 夜の二人 あなたはだんだんきれいになる あどけない話
  同棲同類 人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子
  山麓の二人
 レモン哀歌 梅酒 荒涼たる帰宅 松庵寺 メトロポオル 裸形 あの頃
  智恵子の半生
 九十九里浜の初夏
 典型
  雪白く積めり
  暗愚小伝
   家
    土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告(智恵子に) 山林
  人と作品 岡庭昇

刊行された単行詩集の配列をもとにした編集です。度会純价氏による版画の挿画が実にエモい感じです。

手持ちのものは昭和60年(1985)の第三版です。

今年もクマの季節になってきたようで……。

RAB青森放送さんローカルニュース。

【クマ出没情報】5月26日 十和田湖畔・乙女の像付近で1頭(十和田市)

 十和田市や青森県の「くまログあおもり」によりますと、5月26日午後0時5分ごろ、十和田市奥瀬で子グマ1頭が目撃されました。被害は確認されていません。現場は十和田湖畔休屋の乙女の像付近です。市は付近の住民や通行する人に注意を呼びかけています。
 青森県内では全域に「ツキノワグマ出没警報」が発表されていて、県は以下のことに注意するよう呼びかけています。
・クマの出没状況に注意し、出没が相次いでいる場所には近づかないようにしてください。
・山に入るときは、クマの活動が活発になる早朝と夕方は避け、なるべく複数人で音を出しながら歩きましょう。
・クマを引き寄せる食べ物や野菜くず等の生ごみを屋外に放置しないでください。
003
光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」附近での目撃情報。
004
像の南側はホテルや飲食店、十和田湖観光交流センターぷらっとさんなどがある繁華街、像より北側は湖に突き出た二重カルデラ外輪山の半島で、原生林が広がる場所。確かにクマの出やすい環境です。
001
002
平成28年(2016)には十和田湖を泳ぐ熊の姿が撮影されたというニュースも報じられました。

ニュースにあったサイト「くまログあおもり」によれば、近隣地区、奥入瀬渓流などでも目撃情報や「養蜂場が荒らされた」などの記述がありました。

クマといえば、岩手花巻郊外旧太田村の光太郎が7年間を過ごした山小屋(高村山荘)附近はきゃつらの巣窟ですし、福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館裏手の智恵子の杜公園でも今年3月に目撃情報がもたらされました。

それらの場所に行かれる方、十分にご注意を。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 26 『高村光太郎資料 第一集』全集補遺Ⅰ

昭和47年(1972)4月2日 文治堂書店 北川太一編
PXL_20260527_235611385 PXL_20260527_235640221 PXL_20260527_235722747
目次
 詩
  N――女史に かなしきこころ 或問 
  カフエ ライオンにて
 (何もかも) (アメリカ帰りの)
  (人間劣性の)〔断片〕 酔中吟 (四つの仮面は)
 短歌
  「挿柊」より 「剣気」より 「新星録」より 高村豊周『赤城旅行記』に
  『晶子歌話』より 木彫「柘榴」に 木彫「蓮根」に 山どりの瀬戸 歌集に オベリスク
  此山に
 俳句
  雪の朝 雑感 ベネチアにて 中之条
 短句
  一六~二一
 評論――美術――
  英国ニ於ケル応用彫刻ニ就テ〔一〕 英国ニ於ケル応用彫刻ニ就テ〔二〕
  巴里式屋外広告 彫刻家のみた女の姿 美は真に等し 絵を買ふ人に 肖像に就いて
  家具及住宅の美〔断片〕 所謂好趣味の人たる勿れ 帝展彫刻の技術観 彫刻実習
  木彫ウソを作つた時 ロダンに就いて二三の事 巨匠ロダン翁 興福寺十大弟子
  美の日本的源泉 美の源泉 芸術と農業 石井柏亭君を送る 大森商二君の木炭画
  岸田君の芸術の事 宮坂君について 高田博厚渡仏後援彫刻頒布会趣意
  父・光雲作の仏像 彫刻家建畠大夢
 評論――文学――
  詩と表現 言葉の美しさ 詩の本質 戦争と詩 昭和二年詩壇概観〔断片〕
  「渝らぬ友」-尾崎喜八- 写真の顔――若山牧水追悼 追憶――山村慕鳥
  童心と叡智の詩人-北原白秋の業績- 天性の詩人白秋 あの頃――白秋の印象と思ひ出
  倉橋弥一さん 福士さんへ 『槐多の歌へる』 田中清一詩集『永遠への思慕』読後感
  『ホヰツトマン雑孝』 所感――推奨『東方古典叢刊』 『蛙』に寄す
  読みながら思へる――今井邦子歌集『明日香路』 『現代詩人集』について
  大野良子詩集『馬頭琴』読後感 矢野克子詩集『太洋ノ母』読後感
  仲村久慈著『湯地丈雄』 河合酔茗詩集『真賢木』を読む 藤井照子詩集『石花菜』序
  照井瓔三著『国民詩と朗読法』序 伊波南哲詩集『麗しき国土』序
  矢野克子詩集『いしずゑ』序
 随筆
  巴里より ルセルンの旅舎より 消息 恋愛――結婚の話 イギリスの女とフランスの女
  千駄木より 書簡 有望なのは天然的遊園地 恵まれたる優性遺伝の十八名家
  悪趣味を排す 遙にも遠い冬 ビールの味 某月某日 かういふわけ 往復書簡
  『道程』の思ひ出 美しく懐かしき国、日本
 アンケート
  松籟颯々 文芸に現はれたる好きな女と嫌ひな女 最近の感想
  私は斯んな見方で、斯んな新聞を読んでゐる 本月の詩歌壇
  この夏はどうしてお暮しになりますか 詩人の好める詩人及び詩風
  取締を帝国美術院に アメリカ趣味の流入を防げ 新時代の家庭におくる言葉
  十四年度作品批評 どんな芝居をやつて見たいか? 不滅の価値――山本鼎論
  断想――既成文壇の崩壊期に処す 名士と食物 後継詩壇を背負ふ人
  あなたの御健康は如何ですか 新年に当り歌壇に与ふる言葉 古美術と現代美術
  装幀について 貴方の愛読書は
 日記
  彫塑雑記 明治三十六、七年 日記 明治四十三年
 雑纂
  高等科二学年試験答案 『大原海岸』あとがき 高村豊周『赤城旅行記』あとがき
  第一回中央協力会議議案
 翻訳
  「パミイル」より(ジヨオジ シエエヌブエル)
  反逆――ジヤン・クリストフより(ロマン・ロラン)
  ロダンといふ人(ジユジト クラデル) シヷのをどり(アウギユスト ロダン)
 後記

当会顧問であらせられた北川太一先生が、昭和35年(1960)からガリ版刷りで発行されていた冊子『光太郎資料』の主要な記事を全六巻の上製本として刊行することになりました。第三巻までが、昭和33年(1958)に完結した第一次『高村光太郎全集』(筑摩書房)に漏れていた作品の集成、第四~六巻が光太郎智恵子周辺人物の書き残した光太郎智恵子論・回想です。一部、第六巻にも全集補遺作品が収められました。

第一次全集補遺作品群は、のちに平成6年(1994)から同じく筑摩書房で刊行が始まった増補版の『高村光太郎全集』の第19巻から21巻及び別巻に一部を除いて収められることになります。

情報入手が遅れまして、先月から始まっている企画展示のご紹介です。会期が長いので助かりました。

ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」登録10周年記念・三重県誕生150周年記念 第43回企画展 まつりを旅する 受け継いできた三重の宝もの

期 日 : 2026年4月25日(土)~6月21日(日)
会 場 : 三重県総合博物館 津市一身田上津部田3060
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)
料 金 : 一般 800(640)円  学生 480(380)円 高校生以下無料
      ( )内団体料金 他に基本展示とのセット観覧割引有

多様な地域性をもつ三重には、多くのまつりが伝承されています。コロナ禍を経て、地域と人々をつなぐまつりの復活を私たちは心待ちにしていました。折しも2026年は、県内3団体が構成団体となっているユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の登録10周年にあたります。世界的にも評価されるこれらの行事に加えて、県内各地で広く伝承されてきたかんこ踊りや獅子舞など、三重のまつりの様々な魅力を一堂に集めて紹介します。

第1章 江戸時代から続く都市のまつり
 「上野天神祭のダンジリ行事(伊賀市)」の鬼行列の供奉面、華やかな楼車の幕等を紹介します。また、津まつりで行われている唐人踊りの資料等を通じて、異国への好奇心に満ちた人々の思いを紹介します。

第2章 日本唯一! 鯨船のまつり
 古式捕鯨の伝統を伝える鯨船行事は、日本中で三重県にだけ伝えられている祭りです。「鳥出神社の鯨船行事(四日市市)」は、豪華に飾られた鯨船とハリボテの鯨との激しい攻防が陸上で繰り広げられる祭りです。鯨船山車を飾る華麗な彫刻や幕などを展示して、地域の人々の熱い想いを紹介します。

第3章 日本一やかましいまつり 桑名石取祭
 40台に及ぶ華麗な祭車に据えられた大きな鉦と太鼓を激しく叩く「桑名石取祭の祭車行事(桑名市)」は、日本一やかましい祭りとして知られています。その華麗な造り物や幕などを展示します。

第4章 村落の祈り かんこ踊り
 かんこ踊りは、三重県を代表する民俗芸能で、県内の内陸部は雨乞い、沿岸部は盆供養を目的とすることが多く、その装束や被り物も地域により多様で華麗です。「勝手神社の神事踊(伊賀市)」をはじめ、多様なかんこ踊りの装束や被り物等を展示して、その魅力を紹介します。

第5章 獅子の国 三重
 現在も各地域に特色のある多様な獅子舞が伝わる三重県は、全国的にも獅子舞のルーツの1つとして知られています。北勢・中勢地域には江戸時代に広い地域を巡舞した鈴鹿の獅子舞の伝統、伊賀地域でも同様に地域内を巡舞していた獅子舞の伝統が今に引き継がれています。伊勢地域では、古い歴史を有し、獅子頭を神聖視する御頭神事が伝えられています。また、桑名市には、全国を旅する伊勢大神楽が現在も伝承されています。三重県で最も古い獅子頭を始め、これらの地域に伝えられている歴史ある獅子頭等を展示して、私たちの身近にある獅子舞の歴史と魅力を紹介します。
004
005
三重県内の代表的な祭り等を紹介する展示。そのうち、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」登録10周年記念ということで、桑名市の石取祭も取り上げられます。毎年第1日曜日とその前日の土曜日に行われ、40台ほどの祭車(山車)が鉦や太鼓を盛大に打ち鳴らしながら練り歩き、「日本一やかましい祭り」と言われています。

光太郎の父・光雲の手になる装飾彫刻を施した「羽衣」の祭車が現役です。また、人手不足なのでしょうか、最近は出されていない「太一丸」という祭車。こちらは光雲の工房が装飾に関わっています。
007
その「太一丸」祭車の上に屹立する木彫の神鹿が展示されています。
006
008
中心になって手がけたのは、共に光雲が制作主任を務めた上野の西郷隆盛像の犬、皇居前広場の楠木正成像の馬を手がけた後藤貞行。動物彫刻のスペシャリストでした。

神鹿の足もと、手前に見える木彫の飾り板も祭車に取りつけられていたものでしょう。こちらが光雲工房作。どの程度光雲本人の手が入っているか不明ですが。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 25 『智恵子抄・道程』アイドルブックス10

昭和45年(1970)10月5日 ポプラ社 高村光太郎著
PXL_20260524_112258691
PXL_20260524_112329318 PXL_20260524_112350507
目次
 智恵子抄 道程 猛獣篇 典型
 解説 高村光太郎の人と作品 北川太一
 年譜

少年少女向けのシリーズ「アイドルブックス」ラインナップの一冊。当初は函入りでしたがのちに函は廃され、濃い緑色のカバーの付いた装幀になります。偕成社の「ジュニア版日本文学名作選」ともども、小中学校の図書室にはマストだったシリーズです。

「ごほうび浪漫博TOKYO」。大規模フリーマーケット的なイベントのようです。レース開催のない日の競輪場を会場に行われるということで、なかなかのアイディアですね。スペースはいくらでもありそうですから。

「調布経済新聞」さん記事。

調布・京王閣でカルチャーの祭典 300組出店で地域盛り上げる

 京王閣が企画するイベント「ごほうび浪漫博TOKYO-GOHOUBI&ROMAN EXPO-」が5月30日・31日、京王多摩川駅近くの「東京オーヴァル京王閣」(調布市多摩川4)で開催される。
 競輪で知られる「京王閣」は1927(昭和2)年に遊園地として開園。大浴場やビリヤード場などの遊戯施設や、メリーゴーラウンドや豆汽車など備え、「東洋の宝塚」と評されるほどのにぎわいを見せた。戦時中に畑や軍の業務に使われるようになり、1947(昭和22)年に閉園。1949(昭和24)年に「京王閣競輪場」が開設された。
 現在、京王電鉄が「京王多摩川駅前開発プロジェクト」として新しい街づくりを進める中、同施設は「歴史ある京王閣を地域に開き、イベント拠点とすることで、さらに街を盛り上げたい」と、「KTaMA NOSTALGIA(ケータマ・ノスタルジア)」プロジェクトを立ち上げた。
 「ごほうび浪漫博TOKYO」は、同プロジェクトの第1弾のイベントとして開催。会場は、各地のご当地キャラ39体と触れ合うことができる「ご当地キャラ偏愛サミット」、作者が自作のZINEやイラストなど約90店舗が出店する「TAMAGAWA BOOK CARNIVAL」)、約50台の名車のオーナーが自慢の車を特別展示エリアで披露する「京王閣HISTORICA G.P.」のほか、約30店舗が出店する「花とオヤツのうつわ集め市」、約60店舗の「アナログライフ百貨展」、約30店舗の「レトロ!ザ・ワールド」、約20店舗の「いっちょうらCollection-洋裁&Vintage-」の7つのゾーンで構成。「世界のつまみぐい倶楽部(クラブ)」として、キッチンカー30台が集まるフードエリアも用意する。 
 会場内では「スナックPoraris スペシャルver」と題して、調布市内の「非営利型株式会社Polaris(ポラリス)」が調布駅周辺で開催している交流イベントも実施。地域の人が「ママ、マスター」として出迎え交流を持つ。京王線高架下の「1YY CLUB」では、マルシェイベント「けーたまるしぇ」を同時開催する。
 同社事業グループでKTaMA NOSTALGIAプロデューサーの加藤周一さんは「かつて多くの人を笑顔にした遊園地の記憶をよみがえらせたいと考え企画した。暮らしを彩る買い物体験から、39組のご当地キャラ、世界の名車展示まで、世代を超えた楽しさを詰め込んでいる。入場無料なので、ぜひ気軽に来場いただき、新緑の京王閣で自分への『ご褒美』を見つけていただけたら」と呼びかける。
 開催時間は11時~18時。入場無料。
007
イベント詳細情報。

ごほうび浪漫博TOKYO

期 日 : 2026年5月30日(土)・31日(日)
会 場 : 東京オーヴァル京王閣 東京都調布市多摩川4丁目31-1
時 間 : 11:00~18:00
料 金 : 無料

レトロ、クラフト、ZINE、キャラ、名車などが集まる、異色の大規模マーケットフェス。

【2026年5月開催】調布・京王閣が“ロマン”に染まる2日間。7つの独立した文化イベントが集結する「ごほうび浪漫博TOKYO」開催! ―― 全200店舗規模+α。レトロ、クラフト、ZINE、キャラ、名車、そして食。自分の「好き」を労らう、異色の大規模文化博覧会 ――

AicoQ CircuLab(アイコクサーキュラボ:株式会社京王閣と愛国工業株式会社による共同事業体)は、2026年5月30日(土)・31日(日)の2日間、東京・調布の「東京オーヴァル京王閣」にて、独自の個性が光る7つのイベント(エリア)が集結する、大型文化祭典「ごほうび浪漫博TOKYO -GOHOUBI ROMAN EXPO-」を開催いたします。

新緑に包まれた歴史ある「京王閣」を舞台に、古き良き道具や手仕事の工芸品、レトロ雑貨に情熱的なZINE、愛らしいキャラ、クラシックカー、そして異国の香り漂うグルメが混ざり合い、ここでしか味わえない「エモくてちょっぴり不思議な非日常」を生み出します。会場を歩き回り、ふと目が合う。誰かの「ロマン」があなたの「ごほうび」に変わる。ぜんぶ見たい、全部ほしい。ワクワクしたいあなたのための新感覚よくばりワンダーランド。懐かしさの残る空間を背景に、あなただけの楽しみを見つけてくださいね。

【7大イベント(エリア)構成】
 1. 花とオヤツのうつわ集め市(約30店舗)
  最高の食卓と一輪の彩りを。心を満たす暮らしの庭
 2. アナログライフ百貨展(約60店舗)
  時を越えて愛される、一生モノの道具が集う交易局
 3. レトロ!ザ・ワールド(約30店舗)
  懐かしくて新しい「愛おしい」が交差する、記憶のパレード
 4. いっちょうらCollection -洋裁&Vintage-(約15店舗)
  自分を祝う「一着」に出会う。時を纏う服飾の郷
 5. ご当地キャラ偏愛サミット(キャラクター約35組)
  地域の魅力を再発見!キャラとふるさとの熱狂発信地
 6. TAMAGAWA BOOK CARNIVAL(約90店舗)
  言葉と表現を愛する人のための、本と知識の迷宮
 7. 京王閣HISTORICA G.P.(名車約50台 ※特別展示エリア)
  歴史を彩った名車が集結。時を忘れる大人の社交場

※会場内には「世界のつまみぐい倶楽部(約30組)」として、多種多様なグルメ・ドリンクを楽しめるフードエリアも登場します。
008
002
000
「TAMAGAWA BOOK CARNIVAL」というエリアが設けられ、80店舗以上が出店されるとのこと。「個性豊かなZINEや独立出版、活版印刷にイラスト、作り手の熱量がダイレクトに伝わる、紙とインクのロマンに浸るカーニバル」だそうです。「ZINE」は最近ちょっとしたブームの個人や少人数で発行する自主的な出版物を指します。
009
各地で開催されている「文学フリマ」のような感じで、実際、「文学フリマ」に出店なさっている方がこちらにも数多く出てこられるようです。

「文学フリマ」で光太郎詩「レモン哀歌」モチーフの商品を販売なさったりされたことがおありの「装幀室白亜」さんがやはり出店されるそうで、Instagram投稿に光太郎の名。


手製本ZINEと布小物のお店を開きます。ZINEは紙と印刷にこだわった手製本です。

《短編書簡シリーズ》
純文学の世界観に浸るための新しい本の形です。手紙型の製本の中には、以下の3点のアイテムをセットで封筒に入れてお渡ししております。
 短編小説 ・・・メインとなるお話が一話分
 紹介カード①・・・同作家の他の作品の文章を抜粋して紹介
 紹介カード②・・・同作家の他の作品の文章を抜粋して紹介
夏目漱石セット、宮沢賢治セットなど、それぞれの作家の世界観を楽しめる装幀を施しました。
物語の世界からの手紙のように、あなたの日々の隙間に届きますように。
 高村光太郎 レモン哀歌  夏目漱石 夢十夜  宮沢賢治 春と修羅、よだかの星
 小川未明 金の輪  小泉八雲 夜光虫

005
001
他店にも光太郎智恵子がらみがあるかもしれません。

5月31日(日)には昨日ご紹介した「第20回明星研究会 与謝野寛・晶子を偲ぶ会」に参りますので、方角的には同方向のため、ちょっとのぞいてみようかなと思っております。

他にもいろいろなコンテンツが用意されていますし、皆様方もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 24 『愛のきわみに』わが人生観13

昭和45年(1970)3月30日 大和出版 高村光太郎著
PXL_20260524_112108625
PXL_20260524_112133469 PXL_20260524_112149122
目次
 愛について ――智恵子と私の出会い――
  智恵子の半生 智恵子の切抜絵 新茶の幻想 九十九里浜の初夏 某月某日
 人生について
  趣味という事 女みづから考えよ 女の生きて行く道 岩石のような性格
  日常の瑣事にいのちあれ 母性のふところ 若い人へ 玄米四合の問題 若い人へ
  玄米四合の問題 美しい生活 生命の創造
 若き日の思い出
  わたしの青銅時代 青春の日 遍歴の日
 美と真実の生活
  開墾 みちのく便り 山の春 山の秋 美と真実の生活
 詩について
  詩について 生きた言葉 所感
 智恵子像と社会観―解説― 藤島宇内
 年譜

全30巻ほどの「わが人生観」シリーズの一冊として刊行されたもので、収録されているのはすべて散文です。

手持ちのものは昭和51年(1976)の第7刷です。カバーデザイン、造本などいろいろなバージョンがあるようです。

5月12日(火)の『朝日新聞』さん夕刊に光太郎の名。京橋のアーティゾン美術館さんで開催中の「クロード・モネ —風景への問いかけ」展がらみで、同館の母体である公益財団法人石橋財団さんの特別助成を受け、日仏美術学会さんの主催で4月25日(土)に開催された「日仏シンポジウム クロード・モネ、新たな研究の地平」のレポート的な記事でした。この部分の前にアーティゾンさんの「クロード・モネ —風景への問いかけ」展の紹介記事が入っていましたが、長くなりすぎるので割愛します。

誤解された「印象派」 日仏シンポ

002 東京都内では4月25日、日仏シンポジウム「クロード・モネ、新たな研究の地平」(日仏美術学会主催)も開かれ、既存イメージと異なるモネ像が示された。
 アーティゾン美術館のモネ展を監修したオルセー美術館のシルヴィ・パトリ主任学芸員は基調講演で、セザンヌの「モネは目にすぎない。しかし、なんと素晴らしい目なのか」という言葉をひき、理知的と見られにくかったと指摘した。
 鳥が歌うように描きたいとモネ自身が語ったため、即興性の強い作品と見られがちだったという。さらに印象派の呼称の起源になった「印象、日の出」(1872年)を描いたことで感覚的だとみなされたという。001
 同時に、「印象」というのは現実へのアプローチ、再構成であり、例えば人物画でも風景のように描いたと話した。ブーダンらの影響にも触れ、「モネの『目』は獲得された成果であって、偉大な芸術家との出会いと対話から生まれた」と、展覧会同様、時代と社会に位置づけて論じた。 
 「日本においてモネはどう語られたか?」と題して語った日本女子大の馬淵明子・名誉教授は、1900~70年代の文献を分析した結果、かつてはモネの国内評価は高くなかった、という今から見ると信じがたい状況を報告した。
000 例えば、詩人・彫刻家の高村光太郎は15年に「感覚の画家」「思索の無い」と指摘。セザンヌらポスト印象派の画家の思索や精神性を高く評価する視点といい、パトリさんの講演とも符合。50年代から再評価が見られ、70年代になって美術評論家の峯村敏明氏が革命性を認めるように。その評価の遅さを指摘した。
 このほか、国家的な評価の生まれ方などについて報告が続いた。


引用されている光太郎のモネ評「感覚の画家」「思索の無い」は、大正4年(1915)に書き下ろしで天弦堂書房から刊行された光太郎の美術評論『印象主義の思想と芸術』中の「三 クロード モネ(附 新印象派画家)」が出典です。

これも全文を引くと長いので、抜粋で。まず章の冒頭部分。

 モネを語る事は技巧を語る事である。モネを評する批評家は皆彼を「風景画の抒情詩人」だといふ。私も此の比喩を拒まない。彼が風景の感情を読んだといふ意味に於てである。けれども彼の感情は平俗の感情である。万人の常に感じる感情よりも高い、若しくは美しい感情といふわけでは無い。彼は其の感情を問題としないで、其の感情を如何に現はすかを問題とした。彼にとつては其の感情も一つの客観である。対象である。此の意味で彼は技巧の鋭い描写家である。此の方が真に近いと私は信ずる。彼の絵画に於ける描写は、ゴンクールの小説に於ける描写に酷似してゐる。其は物を輪郭づけないで、物に学んだ印象をそのまま捕捉する処にある。そして捕捉したものを現はすに目のくらむ様な錦繍の技巧を以てした処にある。そして又其の印象の底に常に或る理法の巌存する事を明らかに意識してゐた処にある。おまけに其の神経感覚の人並み外れて微に入り細を穿つ力を持つて居た処にある。描写は似てゐるが、描写された常体はちがふ。此小説家は明らかに厭世家であつたが、モネは楽天家であつた。楽天家といふよりも唯光明の讃美家であつた。

この後、簡略なモネの評伝が続き、まとめにかかった部分。

 彼は後に印象派的技巧と目される程の技巧を皆持つてゐる。むしろ其等は彼が創り出したのである。単色使用、色調区分、盛上げ、下瞰的構図、視野の狭窄、筆触の強調等である。そして風景の外に多くの静物と少数の人物とを画いてゐる。彼は印象派展覧会には大抵出品してゐたが、一八八〇年には「現代の生活」社の主催で独立展覧会をやり、一八八九年にはジヨーヂ プチでロダンの彫刻と一緒に展覧会を開いて百四十五枚並べた。彼は其頃から社会的にも認められて来て、漸く経済的安定を得た。後にレジヨン ドヌールに叙勲される処だつたのを彼は謝絶した。六七年前はヹニスに居たが、今は何処に居るか私は知らない。
 彼の製作は無数である。彼の製作の性質が特に一二のものに際立つた集中力を寄せるよりも連続して無数に書き棄てて行く可きものであるからである。彼は全く眼の画家である。感覚の画家である。そして自然の「現象」に傾倒して、其外何も思はなかつた画家である。思索の無い彼の画に精神的潜力の無いのは怪しむに足らぬ。彼は十九世紀末に於ける人間の一度はきつと行く可き処を代表して行つた人間である。彼は時代の進化動力にそそのかされた時代の子である。自然は彼を見て彼を安撫してゐるだらう。彼は人類の為めに或る経験を教へた。彼はそれだけでよい。

決してモネを認めていないわけではなく、もしろパイオニアとしての彼を高く評価していることが窺えます。ただ、その後、モネの切り開いた道をさらに深化させていったセザンヌらポスト印象派の方により強く惹かれていたのも事実です。この点は一人光太郎に限らず、光太郎がパリに滞在していた20世紀初頭の潮流でもありました。極論すれば、その時点で「モネはもう古い」という感覚だったのでしょう。

実際、明治42年(1909)の帰朝後の光太郎は、父・光雲との確執から日本彫刻界とは距離を置き、ほとんど油絵画家と言っていい時期があり、その頃描いていた絵(中村屋サロン美術館さん所蔵の「自画像」など)は特にフォービズムに影響を受けたものでした。これも一人光太郎に限らず、岸田劉生やら梅原龍三郎やらもそうだったはずです。ただ、文展を中心としたアカデミズム系の画家たちはまだモネの受容にすら辿りついてなかったと思われます。

日本人はモネが大好きですね。しかし、モネが幅広く受容されるようになったのは、'70年代に入ってからだったというのは少し意外でした。その半世紀前に、光太郎らは既にモネを通り越していたわけで、そのあたりの先進性には舌を巻かざるを得ないな、と改めて感じました。ただし、何でもかんでも新しい物がよいという感覚でもなかったわけで、そこに「生(ラ・ヴィ)」が感じられないものは認められない、という姿勢もありましたし、古典的なものでもいいものはいいというスタンスでした。そのあたりのバランス感覚は、見習いたいものだと改めて感じました。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 19 『高村光太郎詩集』ポケット版・日本の詩人7

昭和43年(1968)2月15日 河出書房 高村光太郎著
PXL_20260520_103841393
PXL_20260520_103912009 PXL_20260520_103934541
目次
 あたり前
 道程
  根付の国 あをい雨 犬吠の太郎 さびしきみち 戦闘 山 秋の祈 冬が来た 牛
  道程 歩いても 湯ぶねに一ぱい 小娘 冬の子供 雨にうたるるカテドラル
  とげとげなエピグラム
 猛獣篇
  傷をなめる獅子 苛察 雷獣 ぼろぼろな駝鳥 象 森のゴリラ 後庭のロダン
  蝉を彫る 葱 感謝 ミシエル オオクレエルを読む 火星が出てゐる 無題 母をおもふ
  当然事 或る日 五月のウナ電 晴天に酔ふ
 智恵子抄
  人類の泉 人に 深夜の雪 冬の朝のめざめ 晩餐 樹下の二人
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  レモン哀歌 亡き人に 裸形
 典型
  典型 人体飢餓 雪白く積めり 月にぬれた手 暗愚小伝 クチバミ
 大いなる手――高村光太郎の人間像―― 草野心平
 年譜

全18巻の「日本の詩人」シリーズの1冊です。巻末の草野心平による「大いなる手――高村光太郎の人間像――」は「伝記小説」と位置づけられ、40ページほどの長いもので、最も光太郎の近くにいた文学者であった心平の本領が発揮されたものです。

昨年もおおむね同じ内容で開催されたワークショップです。

永岡綾『製本家とつくる紙文具』ワークショップ 第10期⑤文庫本の改装〜ドイツ装~ at TEGAMISHA BOOKSTORE

期 日 : 2025年4月20日(日)
会 場 : TEGAMISHA BOOKSTORE 東京都立川市緑町3-1 グリーンスプリングス1階
時 間 : 13:30~17:00
料 金 : 5,300円(税込)

講 師 : 永岡綾
編集者。ときどき、製本家。イギリスでブックバインディング(製本)の基礎を、また製本家・伊藤篤氏に師事してルリユール(工芸製本)を学ぶ。著書に『週末でつくる紙文具』『製本家とつくる紙文具』(グラフィック社)、『ぼうけん図書館 エルマーとゆく100冊の冒険』(ブルーシープ)、編著書に『本をつくるー職人が手でつくる谷川俊太郎詩集』(河出書房新社)。編集の仕事に『エルマーのぼうけん展』『谷川俊太郎 絵本★百貨典』『クマのプーさん展公式図録 百町森のうた』『アーノルド・ローベルの全仕事』(すべてブルーシープ)などがある。noteにて、製本にまつわるあれこれを執筆中。
note)http://note.com/reliure

2017年12月に調布(柴崎)の書店でスタートし、その後オンライン、吉祥寺、文箱(松本店)、西調布のTEGAMISHA BOOKSTOREと場所を変えながら、毎月開催している「製本家とつくる紙文具」。ノートやファイルづくり、書籍の改装など、現在までに合計約80回、のべ800名以上の方に参加いただいている人気のワークショップです。

そして2026年5月からは、TEGAMISHA BOOKSTOREの移転に伴い、立川・グリーンスプリングスでの開催となります! 今まで通ってくださった方はもちろん、立川近辺の皆様もよろしくお願いいたします。

製本技術を使った紙文具作りを教えてくれるのは、2017年に『週末でつくる紙文具』(グラフィック社)を、また2025年には同書に16ページ・5アイデアを追加した増補版『製本家とつくる紙文具』(グラフィック社)を出版された永岡 綾さん。本業は編集者でありながらも、イギリスで製本技術を学ばれ製本家としても活動されています。

2026年1月からの第10期では、『製本家とつくる紙文具』に掲載の作品や、アレンジを加えた作品を教えていただいています。5月にトライするのは本ワークショップでも人気の「ドイツ装」 。「 ドイツ装」とは、表紙の「背」と「平(ヒラ)*表表紙と裏表紙の部分」に別の素材を使った「継ぎ表紙」のこと。今回のワークショップでは、背にはお好きな色のブッククロスを、平には手紙社のオリジナルペーパーからお好きな柄を選び、自分だけの組み合わせをお楽しみいただけます。

表紙に使う手紙社のオリジナルペーパーは、なんと約400種!! ブッククロスのほか花布、栞ひも、見返しは複数色の中からお選びいただけますので、組み合わせを楽しみながら、あなた好みの一冊を完成させてください。コントラストをきかせた色選びをして、キリっと端正な佇まいにするのもおすすめです。

仕上がりは、しっかりとしたハードカバーにより、上製本の安定感がありつつも、どこか軽やか。表紙にはお好きな文字で箔押しを。本のタイトルを入れるもよし、所有者のお名前を入れるもよし、模様を加えるもよし。自分だけの愛おしい一冊となりそうです。
*箔押しに関しては、もしも時間内に終えられなかった場合は、材料をお渡ししご自宅にて行なっていただきます。その場合も手順をお伝えしますのでご安心ください。

また今回は参加費に文庫本代が含まれますので、受付時に以下よりお好きなものをお選びください(在庫がある分に関しては、当日の変更も可能です)。
*5/14以降にお申し込みの場合は、発注時期の関係上、ご希望に添えない場合がございますので予めご了承ください。

– – – – –
<文庫本ラインナップ>

 『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)   『注文の多い料理店』(宮沢賢治)
 『檸檬』(梶井基次郎)      『グッド・バイ』(太宰治)
 『走れメロス』(太宰治)     『桜桃』(太宰治 )
 『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)    『地獄変』(芥川 龍之介 )
 『風たちぬ』(堀辰雄)      『みだれ髪』(与謝野晶子)
 『悲しき玩具』(石川啄木)    『智恵子抄』(高村光太郎)
 『家霊』(岡本かの子)      『堕落論』(坂口安吾)
 『一房の葡萄』(有島武郎)    『李陵・山月記』(中島敦)
 *全てハルキ文庫からのご用意となります。

手紙社のオリジナルペーパーを使って、製本技術を学びながら紙文具作りを行う「製本家とつくる紙文具」ワークショップは、各回新たな製本の技を習得しながら、わかりやすく教えていただけるので、1回のみの参加も大歓迎です。

本の改装ができるようになると、本棚の蔵書をおそろいに仕立て直したり、自作の本を特装版に仕立てたり、大切な人へのギフト本を特別に装丁したりと、楽しみは膨らむばかり……! ぜひお気軽にご参加ください。

<当日のスケジュール>
開催日:2026年5月24日(日) 
◎13:30 集合(受付は13:00〜です)
集合5分前までに、レジにて受付を行ってください
◎13:30〜17:00ワークショップ(3時間半)
400種ほどある中から表紙に使う紙を10分ほどでお選びいただきます。
紙は11:00〜13:30の間も店内にてじっくりご覧いただけます。
◎17:00終了予定
当日の状況により、終了時刻は前後する場合もありますのでご了承ください。
*ご希望の方にはご自宅で復習できる材料も販売いたします(参加者限定)。
003
004
書籍を自分好みの装幀に変えるという方法。海外ではけっこう一般的だったそうで、そこで「フランス装」「ドイツ装」などの分類があるようです。

書架に書籍を並べると、大きさ、背の色や文字のフォントなど、とにかくバラバラです。それが嫌で統一感を持たせたい、さらに分類ごとに色を変えたりなどといった意図もあるのだと思われます。洋画などで見かける富裕層の書斎、見事に整った書架を見かけることがありますね。

手持ちの古書の中にも、元の持ち主が装幀したのが明らかに分かるものが複数あります。ほぼ雑誌の合本ですが。背の文字など、金の箔押しになっていたりします。製本所などに頼んで作ってもらったんだろうな、という感じです。

光太郎著書でもそういうものを一冊ネットで入手したことがあります。元々、函なしカバー付きで出版されたものですが、函がついていてその函のデザインが元々のカバーと同じ。「「異装本」ってやつか?」と思って購入し、よく見てみると、カバーを裁断して別の函に貼り付けてあるものでした。手が込んでいましたが、オリジナルのカバー付きが既に手元にあったので、二冊あっても仕方ないと、自装本の方は古書店に売りました。

そういう自装本を作ろう、というワークショップです。

素材となる本はすべてハルキ文庫さんのラインナップで、昨年と同一。『智恵子抄』(平成23年=2011)も入っています。
006
ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 12 『高村光太郎詩集』岩波文庫

昭和30年(1955)3月25日 岩波書店 高村光太郎著
PXL_20260502_023942262 PXL_20260502_023952058 PXL_20260502_024020551
目次
 はしがき
 「道程」より
   失はれたるモナ・リザ 根付の国 画室の夜 寂寥 声 風 新緑の毒素 廃頽者より
   『心中宵庚申』 夏 けもの 父の顔 あをい雨 夏の夜の食慾 犬吠の太郎
  さびしきみち 狂者の詩 戦闘 カフエにて 山 冬が来た 冬の詩 牛 道程
  万物と共に踊る 秋の祈
 「道程」以後
  わが家 小娘 花のひらくやうに 丸善工場の女工達 米久の晩餐
  雨にうたるるカテドラル 落葉を浴びて立つ クリスマスの夜 鉄を愛す
  とげとげなエピグラム 清廉 月曜日のスケルツオ 白熊 傷をなめる獅子
  車中のロダン 葱 後庭のロダン 無口な船長 象の銀行 十大弟子 苛察
  ミシエル・オオクレエルを読む 火星がでてゐる 怒 偶作四篇 花下仙人に遇ふ
  母をおもふ 冬の言葉 旅にやんで ぼろぼろな駝鳥 当然事 首の座
  孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人 のつぽの奴は黙つてゐる 偶作 七 村山槐多
  ばけもの屋敷 象 孤坐 手紙に添へて 団十郎像由来 つゆの夜ふけに 冬 へんな貧
  蝉を彫る 救世観音を刻む人
 「智恵子抄」より
  人に 郊外の人に 深夜の雪 人類の泉 僕等 晩餐 樹下の二人 鯰
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 美の監禁に手渡す者 人生遠視
  風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌
  荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
 あとがき(奥平英雄)

この手のものとしては、光太郎生前最後となりました。また、この手のもので唯一、光太郎本人による「はしがき」が収められています。

編集は光太郎と親しかった美術史家の奥平英雄。収録詩の選択には光太郎の意図もかなり反映されているようです。

手持ちのものは昭和51年(1976)の第25刷です。カバーデザインは変わりましたが現在でも版を重ねています。

埼玉県東松山市。元教育長の故・田口弘氏が戦時中から戦後にかけて光太郎と交流があり、昭和40年(1965)の連翹忌の集いで同じく光太郎と親しかった彫刻家・高田博厚と出会って意気投合、同市での高田個展の開催をお膳立てなさったた他、東武東上線高坂駅前から西に伸びる通りに高田の彫刻32体を配した「高坂彫刻プロムナード」建設にも尽力されました。
004
32体には光太郎胸像(昭和34年=1959)も含まれています。
006 007
他に肖像彫刻としては、海外だとポール・シニャック、タゴール、マハトマ・ガンジー、国内では棟方志功、新渡戸稲造、宮沢賢治、高橋元吉など。

その「高坂彫刻プロムナード」についての講座が開かれます。

文化芸術講座「高坂彫刻プロムナード」

期 日 : 2026年5月19日(火)
会 場 : 大岡市民活動センター 埼玉県東松山市大谷3400-10
時 間 : 10:30~12:00
料 金 : 無料
講 師 : 生涯学習課職員
対 象 : 市内在住・在勤・在学の人
003
対象が「市内在住・在勤・在学の人」ということで、限られてしまうのですが、とりあえず。

同市は高田との結びつきで、毎年秋には「高田博厚展」を開催、それからシニア市民対象で様々な活動を行っているきらめき市民大学さんでの授業の一環で、毎年当方が一回講師を依頼され、光太郎、高田、そして田口氏の結びつきやプロムナード等についてお話をさせていただいています。

そういう関係で鎌倉にあった高田のアトリエ閉鎖に伴い、そちらにあった作品や遺品が同市に寄贈されたりもしました。

また、市内の新宿小学校さんにはこれも田口氏のお骨折りで光太郎筆跡「正直親切」を刻んだ碑も立っています。光太郎の母校・荒川区立第一日暮里小学校さんにも同じ碑が設置されているため、今後、光太郎がらみでの同区との交流なども視野に入れているそうです。

今後とも、彫刻の街として発展して行っていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 11 『高村光太郎詩集』

昭和28年(1953)6月25日 新潮社 伊藤信吉編
PXL_20260502_023740214 PXL_20260502_023751988 PXL_20260502_023919514
目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ 根付の国 食後の酒 寂寥 新緑の毒素 廃頽者より
  地上のモナ・リザ 泥七宝(七章) 犬吠の太郎 さびしきみち 夜 冬が来た 冬の詩
  牛 道程 群集に 秋の祈
 『道程』以後 晴れゆく空
  小娘 無為の白日 丸善工場の女工達 米久の晩餐 雨にうたるるカテドラル
  ラコツチイマアチ クリスマスの夜 冬の送別 沙漠 落葉を浴びて立つ
 火星が出てゐる
  象の銀行 白熊 苛察 冬の奴 冬の言葉 火星が出てゐる 何をまだ指してゐるのだ
  彼は語る 花下仙人に遇ふ ぼろぼろな駝鳥 当然事 あの音 焼けない心臓
  或る筆記通話 上州湯桧曽風景 上州川古「さくさん」風景 冬 似顔
  非ヨオロツパ的なる 化けもの屋敷 もう一つの自転するもの つゆの夜ふけに
  最低にして最高の道 人間拒否の上に立つ
 刃物を研ぐ人
  鉄を愛す 葱 車中のロダン 後庭のロダン 鯰 偶作 刃物を研ぐ人 孤坐 蝉を彫る
  首の座 村山槐多 荻原守衛
 智恵子抄
  或る夜のこころ 郊外の人に 冬の朝のめざめ 樹下の二人 狂奔する牛 夜の二人
  同棲同類 あどけない話 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子
  山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 元素智恵子 メトロポオル
  裸形 案内 若しも智恵子が
 典型
  雪白く積めり 「ブランデンブルグ」 人体飢餓 山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉
  典型 山菜ミヅ 山口部落 クロツグミ クチバミ 山のともだち
 暗愚小伝
  彫刻一途 パリ 親不孝 デカダン 美に生きる おそろしい空虚 ロマン ロラン
  暗愚 報告 山林
 高村光太郎の詩業について 伊藤信吉

四六判、並製。同じく伊藤信吉によって編まれた新潮文庫版の『高村光太郎詩集』(昭和25年=1950)と似たような編集方針です。

広島市に本社を置く『中国新聞』さん。50周年を迎えたという文化面のコラム「緑地帯」で、過去に掲載されたもののアーカイブが掲載されているようです。3月には光太郎と交流のあった岡山県出身の詩人・永瀬清子のそれが載り、光太郎にも言及されていました。

先月末には、広島県出身の日本画家・奥田元宗で、「筆洗余滴」と題され、8回にわたって再掲されました。そのうち第6回で光太郎の書について触れられています。初出は昭和56年(1981)10月でした。

奥田元宋 筆洗余滴⑥私観書道(日本画家、1912~2003年)【緑地帯 半世紀のアーカイブから】008

 私が一番啓示を受けたのは高村光太郎の書である。光太郎の書は非常に鍛え上げられたもので、謹厳な内にも柔かさが内抱されており、黄庭堅の書にちかい。光太郎は黄庭堅が相当好きだったらしく、晩年には自分の部屋に伏波神詞の拓本を貼(は)っていたという。そのくらい心酔していた。
 それでいて書には光太郎自身が厳然と座しているのである。私は書には自信がない。若い時はずいぶん絵の箱書きで困った。落款(かん)は同じでいいが、箱書きの時は画題を書かなければならないわけだから簡単にいかない。
 大観先生を初めとして先達たちの箱書きは実に堂々として自信に満ち、立派である。それにくらべて自分のような悪筆はいったいどうしたらいいものだろうと思い悩んだが、ある時、光太郎の書論を読んでいると、前記の黄庭堅の書が非常に好きで習っているとあった。さっそく黄庭堅の法帖を求めて見ると、これが私の気分にもぴったりと、くるものがあった。
 それでへたな手習いを少しずつやってみたのである。そのせいか近来、年をとると書を書くことがそんなにつらくなくなって、むしろちょっとばかり楽しい面も出てきた。
 つまり、うまく書こうと思わないで、ただ自分自身の宿命に徹することを考え、たとえ下手でも自分自身の性格にさからわないように心がける。リラックスして紙に向かうことが出来、自分に納得すればいいと思うようになった。
 絵に没頭していると、ときどき絵そのものが見えなくなることがある。そんな時、私はいい書を見ることにしている。熱海美術館にある無準の「帰雲」という書が大好きだが、よい書を見ると自分の絵のうえの道もまたおのずと開けるような気がするのである。
 また池大雅の書が好きだが、その書を見ていると、何か心のつながりが、画家として共通の言葉を見い出して元気が出るのである。一点の書が私を大変勇気づけてくれることもしばしばである。
 書は一発勝負である。やり直しがきかない。書くらい直載(ちょくさい)に人間そのものが出てしまう芸術はない。その意味で書は非常にこわいものであると思う。やはり書は心の鏡なのだろうか。私は書は畢竟(ひっきょう)「道」だと思う。道はなまはんかの修業ではできるものではない。
(芸術院会員・日本画家)

光太郎と、中国北宋時代の書家・黄庭堅(山谷)との関わりについて語られています。奥田が読んだという「光太郎の書論」は、おそらく「黄山谷について」(昭和30年=1955)。この年に出た平凡社版『書道全集』第7巻の月報が初出です。
009
この際ですので(どの際だ?(笑))全文を引用します。

 平凡社の今度の「書道全集」は製版がたいへんいいので見てゐてたのしい。それに中国のも日本のも典拠の正しい、すぐれた原本がうまく選ばれてゐるやうで、われわれ門外漢も安心して鑑賞できるのが何よりだ。
 今、このアトリエの壁に黄山谷の「伏波神祠詩巻」の冒頭の三句だけの写真がかかげられてゐる。「蒙々篁竹下、有路上壺頭」に始まる個所だ。多分「書道全集」の図版の原型になつた写真の大きな複写と思へるが、人からもらつた時一見するなり心をうたれて、すぐ壁にかかげたのである。それ以後毎日見てゐる。黄山谷の書は前から好きであつたが、この晩年の書を見るに及んでますます好きになつてしまつた。
 黄山谷の書ほど不思議な書は少い。大体からいつて彼の書はまづいやうに見える。まづいかと思ふとまづいともいへない。しかし普通にいふ意味のうまさはまず無い。彼は宋代に書家として蘇東坡、米元章と並んで三大家といはれてゐたが、他の二人とはまるでその性質がちがふ。東坡の書も米元章の書も実にうまい。まづいなどといふ分子はまるでない。どの一字をとつてみても巧妙である。そしてやはり唐代の余韻がある。新鮮ではあるが、唐代からの二王や顔真卿の縄張りをさう遠くは離れてゐない。どちらも妍媚だ。ところが黄山谷と来るとまるで飛び離れてゐる。黄山谷はむしろ稚拙野蛮だ。顔真卿の影響をうけてゐるといわれ、なるほどその趣もあるが、顔魯公よりも自由だ。勝手次第だ。一字ずつみると、その筆法は実に初心で、まるで習ひはじめの人のやうに筆をはねたりする。馬鹿にのんびりしてゐたり、又くしやくしやと書きつめる。線をたるんでゐるやうに書いたり、横に曲げたり、字のつづきも疎密にかまはない。行が片よつたり、字くばりがでこぼこだつたり、字の大小も方向も気にとめない。そして一々ぎゆつとおさへて書く。何しろひどく不器用に見える。
 それでゐて黄山谷の書は大きい。実に大きな感じで、これに比べると蘇東坡も米元章もなんだかよそゆきじみて来る。何よりも黄山谷の書は内にこもつた中心からの気魄に満ちてゐて、しかもそれが変な見てくれになつてゐない。強引さがない。よく禅僧などの墨せきにいやな力みの出てゐるものがあるが、さういふ厭味がまるでない。強いけれども、あくどくない。ぼくとつだが品位は高い。思ふままだが乱暴ではない。うまさを通り越した境に突入した書で、実に立派だ。彼の元祐年代頃の書と思ひくらべると、この「詩巻」の意味がよくわかる。
 朝、眼がさめると向ふの壁にかけてあるその写真の書が自然に見えるのだが、毎朝見るたびに、はつとするほどその書が新しい。書面全体からくる生きてるやうな精神の動きが私をうつ。この書が眼にはひると、たちまち頭がはつきりして、寝台からとび下りて、毎朝はじめて見るやうな思でその写真の前に立たずにゐられない。そして「蒙々篁竹下」とあらためてまた見る。吸ひよせられるやうな思で、「漢塁云々」まで来ると、もう顔を洗つたやうな気がする。まづいやうだなどといつては甚だ申しわけがない。それどころではないのである。尤もむかし王定国といふ人が彼の書を巧みでないといつたさうで、黄山谷自身も、この詩巻を書いた時は背中にできものができてゐて、手が思ふやうに動かないので字に成らなかつたといつたさうであるが、これはどうだか。手が動かうが動くまいが、こんな立派なものが書ければ申分ない。字に成らなかつたといはれるが、むしろその方がよかつたやうな気がする。殊にこの詩巻の自跋の数行はのびのびとしてゐて力強く、「水漲一丈、堤上泥深一尺」あたりの快さは無類である。随分癖のある書だが、それが少しもいやでなく、わざとらしくもない。そこがすばらしい。

かなり手放しの誉めようですね。しかしそれだけでなく、「まづいやうに見える。まづいかと思ふとまづいともいへない。しかし普通にいふ意味のうまさはまず無い」「内にこもつた中心からの気魄に満ちてゐて、しかもそれが変な見てくれになつてゐない。強引さがない」「強いけれども、あくどくない。ぼくとつだが品位は高い。思ふままだが乱暴ではない。うまさを通り越した境に突入」あたりには、彫刻にも通じる光太郎の芸術観――そのあるべき姿、理想――が表現されているように思われます。

黄山谷の書の複製をアトリエの壁に掛けてあったというのですが、亡くなった昭和31年(1956)の写真に写り込んでいました。左上の部分です。
003
その山谷の書に見守られるように、光太郎自身も筆を執って箱書きをしています。交流の深かった美術史家の奥平英雄に贈った画帖「有機無機帖」のそれでしょう。余談ですが、脚に掛けているのは大正末か昭和初め、智恵子にせがまれて買ったイギリスの染織工芸家、エセル・メレ作のホームスパン毛布と思われます。

壁の複製は平凡社の『書道全集』刊行に際し作られたものの冒頭部分と考えられます。第7巻には「黄山谷について」が掲載された月報とともに、その全巻複製の広告も挟まっていました。
001
002
全長二丈三尺三寸五分(7メートル超)、当時の価格で6,500円ですので、かなり高価でした。

奥田元宋の日本画も、紅葉を題材とした作品が有名ですが、どちらかというと奇を衒わない王道の、それでいて十分に個性の発揮されたものと思います。

奥田にとどまらず、そういう作風をよしとするさまざまな作家たちに与えた光太郎の影響の大きさを、しみじみと感じさせられました。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 3 『高村光太郎選集 Ⅲ 芸術論 上』

昭和26年(1951)9月1日 中央公論社 高村光太郎著
PXL_20260502_025225814
PXL_20260502_025204881 PXL_20260502_025241665 PXL_20260502_025320158
目次
 オオギユスト ロダン ミケランジエロ・ブオナローティ 現代の彫刻 美の日本的源泉
 素材と造型
 造型小論
  彫刻十個條 彫刻鑑賞の第一歩 彫刻性について 自分と詩との関係
  ミケランジエロの彫刻写真に題す 能の彫刻美 能面の彫刻美 九代目団十郎の首
  戒壇院の増長天 唐招提寺木彫如来像 十大弟子 江戸の彫刻 木彫地紋の意義
  彫刻の方向
 月報
  兄のプロフイル 高村豊周 この源泉に汲まん 中村草田男 随所彫刻 菊池一雄

全6巻で刊行された『高村光太郎選集』第1回配本です。奥付等に記載がありませんが、編集に当たったのは当会の祖・草野心平。掲載作品の採録には、戦前からの光太郎ファンだった故・田口弘氏が作成したスクラップブックも活用されました。

昨日は日帰りで信州に行っておりました。

主目的は安曇野市の碌山美術館さんで開催された、光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛の忌日「碌山忌」のものろもろ。守衛は明治43年(1910)に亡くなりましたので、昨日で第116回でした。
001
午前6時頃、千葉の自宅兼事務所から例によって愛車でかっ飛んで行ったのですが、少し遠回りして長野市に立ち寄ったり、途中で昼食を摂ったりで、着いたのは正午過ぎでした。
PXL_20260422_032058742 PXL_20260422_032139900.MP
13:30から講演があるということで、まずはその前に館内散策。
003
真っ先に向かうは第一展示棟。光太郎作品が常設で展示されています。
PXL_20260422_062235662 PXL_20260422_062147902
光太郎らの作品は入れ替えながらの展示となるため、行くたび展示されている作品が変わっており、現在は「手」(大正7年=1916)、「腕」(同)、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作(昭和28年=1953)、そして絶作の「倉田雲平胸像」(昭和29年=1954)。多い時はもう少し出して下さっていますが、今年は9月19日(土)~11月23日(月)の日程で「光太郎智恵子展」的な企画展をまたやって下さるそうなので、それに向けて今は少なめにしているようです。

第二展示棟。こちらは現在、守衛を敬愛し、ある意味その系譜を継いで、さらに館の設立に尽力した石井鶴三や笹村草家人、基俊太郎らの作品が並んでいます。
PXL_20260422_062215901
また、特に企画展とは謳っていませんが、杜江館という棟では国指定重要文化財の守衛作「北條虎吉像」石膏原型も出ていました。令和5年(2023)、竹橋の東京国立近代美術館さんで開催された「東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密」にも出品されたものです。

そして本館とも云うべき碌山館。今井兼次設計による教会ふうロマネスク建築は館全体のシンボルでもあります。
PXL_20260422_034224371
こちらは内部撮影可。
PXL_20260422_034345807
シンボル中のシンボル「女」。
PXL_20260422_035634601 PXL_20260422_035618878
PXL_20260422_034506876 PXL_20260422_035530405
守衛パリ留学中の作品で、光太郎がぜひ石膏にとって日本に持ち帰るようにと進言したため残った「坑夫」。
PXL_20260422_034430532 PXL_20260422_035521855
ちなみに「坑夫」はお隣の穂高東中学校さんにも建てられています。台座のプレートは昭和30年(1955)、最晩年の光太郎の筆。平日で生徒さんもいる時間帯ですので、のちほど敷地外から。
PXL_20260422_062821456.MP PXL_20260422_062831959
再び碌山館内部。奥の小部屋。
PXL_20260422_035220736 PXL_20260422_035040416
守衛の年譜や現存しない彫刻の写真、光太郎を含む関係者の紹介等。上記「女」「坑夫」の解説板もそうですが、令和4年(2022)に行った碌山館補修のためのクラウドファンディングで余った資金をこちらの改訂にも使ったようで、きれいにアップデートされています。

碌山館裏の光太郎詩碑。
PXL_20260422_035756566
つい先だって、登録有形文化財指定が決まった「グズベリーハウス」と「美術の倉」。
PXL_20260422_035916413.MP PXL_20260422_035939201
館庭は天然の植物園。山吹やドウダンツツジなどが満開でした。
PXL_20260422_063034328 PXL_20260422_062955405
恒例の草花の即売会も。今年は「三時草」というのを一鉢100円で購入しました。何だか娘がなぜか多肉植物にはまっていまして(笑)。
PXL_20260422_063103361 PXL_20260423_001736218
右上は今撮ったもの。

そうこうしているうちに講演会で、再び杜江館に。下画像は講演会場の杜江館2階の窓から見たアルプスの山々。館庭からは見えにくいのですが、ここからはバッチリです。
PXL_20260422_053153130
PXL_20260422_040955603 PXL_20260422_095247542
講師の丸尾リサ氏(右上画像は後の「偲ぶ会」でのもの)は、同館友の会のメンバーで、明治美術学会などにも所属されているとのこと。守衛、そしてその師・ロダンとの比較研究ということで、パリにもしばらく滞在なさっていたそうです。また、連翹忌の集いにもご参加下さったことがおありとおっしゃっていました。当方が引き継ぐ前のことだったようで、気がつきませんでした。
PXL_20260422_043048406.MP PXL_20260422_043355142
今年の連翹忌においで下さった平沢重人新館長のご挨拶に続き、さっそくご講演。演題は「ロダンの後継者荻原守衛」。特に「女」に焦点を絞って、その構造や守衛の構想の中に、静止したポーズの中にも筋肉や骨格の動きというか、力というかが意図され、そのため止まっていてもアクションやひいては生命感といったものが存分に感じられる、といったお話。
PXL_20260422_050645652 PXL_20260422_050343059
それはロダンやミケランジェロ、さらに遡って古代ギリシャ彫刻から学んだものであろうとし、そして本邦アカデミズム系の彫刻にはそうした要素が希薄だと、ある意味、厳しい指摘も。確かにおっしゃるとおりで、だから光太郎もアカデミズム系は「人形のよう」と断じましたし、当方も例えば守衛同様、重要文化財指定を受けているあるアカデミズム系彫刻家の作品を見てもあまり感心できません。異論もありましょうが。

こうした点を鑑みると、かえすがえす守衛の早世が惜しまれます。

その後、車2台に分乗して守衛の墓参。
PXL_20260422_071320984.MP PXL_20260422_071641373
例年ですと荻原家ご当主の義重氏がいらっしゃるのですが、少し体調を崩されているということで、残念ながら今年はお会いできませんでした。来年以降、またお会いできることを祈念いたしております。
PXL_20260422_073115923
墓所から見た常念岳。守衛も愛した山です。

館に戻り、18:00からグズベリーハウスで「偲ぶ会」。
002
これも毎年恒例の、光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)参会者全員による群読からスタート。
PXL_20260422_090442058.MP PXL_20260422_090457128.MP
式辞的なご挨拶。まず安曇野市教育長・橋渡勝也氏。続いて元館長にして現・代表理事の高野博氏。
PXL_20260422_090626710.MP PXL_20260422_090932499
平沢館長による1年間のご報告。一昨年、昨年とこの場にいらした当時の安曇野市長・太田寛氏(館の理事も兼任されていました)など、関係の方々の物故報告もあり、粛然とさせられました。やはり元館長で複数の守衛関連ご著書等があり、さらに連翹忌にも複数回ご参加下さった仁科惇氏も昨年亡くなったそうで、それは存じませんでしたので尚更でした。
PXL_20260422_091114495 003
続いて今年3月末でご退任となった幅谷啓子前館長に花束贈呈。
PXL_20260422_091649269.MP
館長就任以前にも断続的に同館に勤務されたりなさった幅谷氏、ご挨拶の中では感極まって涙されていました。お疲れさまでした。

その後は和気藹々と会食。幅谷氏を筆頭に関係の女性陣、学芸員の武井敏氏などが腕をふるわれた手料理、心ののこもったそれに舌鼓を打たせていただきました。
PXL_20260422_092410161.MP
19:30に閉会、片付けをして20:00頃に帰途に就きました。その時間帯ならおおむね24:00頃自宅兼事務所にたどり着く、シンデレラ状態です(笑)。

昼間の話に戻りますが、昨日は入場無料ということもあってか、団体のツアーも入り(何と奈良県からのそれも)、盛況でした。館としては入場料が取れないのは痛し痒しでしょうが、今度はリピーターとしてご家族でいらしていただきたいものです。

上の方に書きましたが、9月19日(土)~11月23日(月)の日程で「光太郎智恵子展」的な企画展をまたやって下さるそうなので(平沢館長、今年の連翹忌で渡辺えりさんをロックオンし、関連行事でトークショーという約束を取り付けたそうです。やり手ですね(笑))、その頃にでも皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)27 『九官鳥 松木喜之七遺稿集』 

昭和25年(1950)12月 松木岳二 松木祥三 鞍立道子編刊
PXL_20260411_105905656
PXL_20260411_105838567 PXL_20260411_105933500 PXL_20260411_105953558.MP
目次
 扉(故人自筆)
 九官鳥の前書
 歌の記録  山の記録 
 思い出の記
  松木喜之七氏と私の鯉 高村光太郎      松木さんを憶ふ 富田砕花
  松木大人の七年忌をよみておくる 堆朱楊成  松木氏を憶ふ 堅山南風
  痛惜無限 伊原宇三郎            松木喜之七を偲ばん 飯塚琅玕齋
  松木さん 小山良修             忘れ難い松木さん 羽下修三
  思出の一端 河合卯之助           スキー追憶 小川勝次
  竹馬の友を憶う 加藤清一          戦友松木喜之七君 駒形十吉
  永遠の松木さん 反町栄一          蓮花香炉(写真)板谷波山
 カット 向井潤吉 北原千鹿 河合卯之助
 あとがき

松木喜之七は新潟・長岡の素封家でした。古美術好きの仲間と図って光太郎の父・光雲の作品展「高村光雲遺作木彫展観」を長岡の料亭で開催、その縁で光太郎の知遇を得ました。そして光太郎に鯉の木彫を依頼。それを制作中の光太郎を撮った土門拳の写真が遺されています。
004
ところが光太郎自身が納得のいくものが出来ず、断念してしまいました。代わりに、と、光太郎は「鯰」の木彫を松木に渡しました。それが現在、愛知県小牧市のメナード美術館さんで所蔵しているものです。そうこうしているうちに松木は太平洋戦争末期、もういい年だったにもかかわらず「根こそぎ動員」で徴兵され、戦死してしまいました。

『九官鳥』は短歌も趣味だった松木の遺稿を中心に、遺族が自費出版したものです。光太郎は上記「鯉」の件などを書き下ろして寄稿しました。

詩人の高祖保などもそうですが、実際に交流のあった人物の戦死の報が戦後になってから次々と光太郎に寄せられ、改めて光太郎は自らの戦争責任を痛感させられることとなったように思われます。

光太郎の親友にして、ロダンに師事した碌山荻原守衛を偲ぶ碌山忌が開催されます。今回で第116回となります。

第116回碌山忌

期 日 : 2026年4月22日(水)
会 場 : 碌山美術館 長野県安曇野市穂高5095-1
時 間 : 10:00~ コンサート
      13:30~ 記念講演 「オーギュスト・ロダンの後継者 碌山荻原守衛」
           講師 丸尾リサ氏 杜江館
      16:00頃~ 墓参
      18:00頃~ 偲ぶ会 グズベリーハウス
料 金 : 当日終日入場無料 偲ぶ会のみ参加費1,000円

公式サイト等に情報が出ていないのですが(どうしちゃったのかな、という感じですが)、電話で問い合わせました。もしかすると細かな点で聞き違いがあるかも知れませんが、ご寛恕の程。

コンサートはおそらく地元の皆さんを中心に。記念講演は4月22日の当日ではない年もあるのですが、今年は当日ですのでありがたいところです。墓参は少し離れた場所にある守衛の墓(中村不折揮毫)へ。歩いていける距離ではありませんので、荻原家の方や館で出して下さる車に分乗して参ります。

そして18時頃から、先頃国指定有形文化財に登録されたグズベリーハウスで「偲ぶ会」。例年通りであれば会の冒頭に光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)を参会者全員で群読します。その後、関係のご婦人がたによる手料理等が饗され、そちらを頂きつつ和気あいあいと歓談。

と、まぁ、そんな流れです。

下記は今年の連翹忌の集いで託されて参会の皆様にお配りした最新のフライヤー2種類です。
001
002
004
003
余談ですが、同館の館庭、天然の植物園状態です。画像はX(旧ツィッター)からお借りしました。
005
そこで碌山忌の日(それ以外も?)にはさまざまな草木の苗や種子の販売も行われることがあります。

数年前にゲットしてきたシャガの苗を自宅兼事務所の庭に植えたところ、どんどん増殖し、現在満開です。
PXL_20260417_214149825 PXL_20260417_214208465
また何か手に入れてこようと思っております。

皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)22 『能楽全書 第六巻 能・狂言の鑑賞』

昭和19年(1944)11月10日 創元社 矢部良策編
PXL_20260411_105137814
PXL_20260411_105154668 PXL_20260411_105221021
目次
 能の美 阿部次郎       能の力 安倍能成
 能の絵画美 有島生馬     能の彫刻美 高村光太郎
 能の詩趣 土岐善麿      狂言の写真 瀧井孝作 
 謡本の話 高安吸江      能の曲目編成法 山崎楽堂
 能及び能楽堂の音響 小幡重一 能及び能楽堂の照明 朝比奈貞一
 附録
  能現行曲目 狂言現行曲目 能・謡曲文献解題 狂言文献解題 能・謡曲・狂言用語
 
敗戦まであと半年余り。物資不足はとっくに深刻化していたこの時期に、よくこんなしっかりした造本の書籍が刊行できたなという感じです。

光太郎と同じくロダンによって目を開かせられ、光太郎の親友だった彫刻家・碌山荻原守衛関連で2件。

まず、守衛を顕彰する信州安曇野の碌山美術館さんで、建屋2棟が新たに国の登録有形文化財指定を受けました。

『信濃毎日新聞』さん。

独特な意匠が特徴 安曇野市の碌山美術館の休憩室と旧収蔵庫、国登録有形文化財に

 文化審議会が登録有形文化財にするよう26日に答申した安曇野市にある碌山美術館の休憩室「グズベリーハウス」と旧収蔵庫「美術の倉」。いずれも開館10周年を記念して建てられ、独特な意匠が特徴。地域の教員や子どもが建築作業に携わり、手作りの温かみが感じられる。
 グズベリーハウスは1968(昭和43)年に作品展示や来館者の休憩が可能な「付属館」として建設。枕木を積み上げた校倉造りで屋根が小石で覆われている。同市出身の作家臼井吉見(1905~87年)の小説「安曇野」のラストシーンにも登場する。
 美術の倉は70年完成。床面積は7・3平方メートル。同館が作品収蔵する市出身の彫刻家荻原碌山(本名守衛(もりえ)、1879~1910年)がキリスト教の影響を受けたこともあり、扉などに十字架の装飾をあしらっている。
 碌山美術館では、荻原の作品を展示・収蔵する教会風の建物「碌山館」が2010年2月に国登録有形文化財となった。碌山館も地元住民や県内の子どもの寄付と協力で建てられた。学芸員の武井敏さんは敷地内の建物が「地域のボランティア精神によって完成したという経緯にも価値がある」と話している。
016
017
『市民タイムス』さん。

碌山美術館の「グズベリーハウス」と「美術の倉」 国の登録有形文化財に

 安曇野市穂高の碌山美術館にある2棟の建造物が、国の登録有形文化財に登録されることになった。来館者の休憩室として使われている「グズベリーハウス」と、作品の収蔵庫として使われた「美術の倉」で、どちらも石置き板ぶき風の屋根や、払い下げの枕木を積み重ねて造った壁体が特徴だ。敷地の雰囲気に趣を添えている。
 国の文化審議会が26日、登録有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学大臣に答申した。登録される県内建造物は9件で、中信では同館の2件。
 グズベリーハウスは山小屋風の平屋93.9平方メートルで、会議や休憩用の場所として昭和43(1968)年に建設された。美術館設立に尽力した彫刻家・笹村草家人のデザインで、臼井吉見の長編大河小説『安曇野』の結末にも物語の舞台として登場する。
 美術の倉は高床式の7.3平方メートル。作品収蔵庫の不足を受けて45年に建設され、約20年前まで現役で使われた。破風板の上部に多くの十字架を飾り、屋根はこけむして独特な外観を有している。
 両棟とも旧南安曇郡の教員や学生らがボランティアで建設工事に携わった。グズベリーハウスのはりには、高校生の手による「自由 平等 献身」の言葉が彫り込まれている。学芸員の武井敏さん(52)は「ボランティアから始まった碌山美術館の成り立ちの一部を象徴している。珍しくもあり温かさもある建物を楽しんでほしい」と話している。
003
002
SBC信越放送さん。

島崎藤村も訪れた楼閣風の建物や碌山美術館の展示施設も 新たに9件が国の登録有形文化財に登録へ

004 文豪の島崎藤村も訪れたという小諸市の水明楼や、安曇野市の碌山(ろくざん)美術館の展示施設など9件が、国の登録有形文化財に登録されることになりました。
 県の文化審議会が26日に文部科学大臣に対して登録有形文化財に登録するよう答申したものです。
 登録されることになったのは、長野市にある駒形嶽駒弓神社本殿、小山家住宅の主屋と土蔵及び離れ、長屋門、湯福神社の本殿と拝殿及び祝詞殿、小諸市にある水明楼、安曇野市にある碌山美術館のグズベリーハウスと倉の9件です。
 このうち、小諸市の水明楼は、小諸城跡南側の斜面に位置する小諸義塾塾長の木村熊二の旧書斎で、1900年に建設され島崎藤村なども訪れたという楼閣風の建物です。
 また、碌山美術館のグズベリーハウスは、1968年に美術館の開館10周年を記念して建てられたもので、払い下げられた枕木を積んで壁にしているほか、石置板葺風モルタル塗りの切妻屋根が特徴の山小屋風の展示施設です。
 登録有形文化財は、原則として建設後50年が経過し、国土の歴史的景観に寄与したり造形の規範になるなどしている建築物などを登録するもので、今回の9件が官報に告示されると県内の建造物の登録は671件になります。

最初、信越放送さんの記事見出しだけをネット上で見て、「碌山美術館」「登録有形文化財」といったワードで、てっきり本館にあたり、光太郎の名も刻まれた「碌山館」のことだと思い「あれっ?  とっくに指定されてたよな」と思いました。「碌山館」は平成22年(2010)に指定を受けています。
015 013
ところが記事本体を読むと「グズベリーハウス」と「美術の倉」だとのことで「そっちかい」でした。
014
「グズベリーハウス」は、毎年4月22日に開催される、守衛を偲ぶ碌山忌の集い会場です。毎回、冒頭に光太郎詩「荻原守衛」(昭和11年=1936)が参加者全員で群読されます。

「美術の倉」は、元々収蔵庫だったもので、上記鳥瞰図にはその名が記されていませんが、受付兼ミュージアムショップの隣に立つ校倉造りの建屋です。

ともに昭和40年代の建造で、それほど古いものではないのに、と思ったのですが、昭和40年代というともう十分にそういう対象なのですね。昭和30年代生まれとしてはある意味複雑です(笑)。冗談はさておき、文化財指定、実に喜ばしいことですね。痛みの激しかったグズベリーハウスも令和4年(2022)に行われたクラウドファンディングで集まった資金の一部で補修が成されましたし。

昨年急逝された、同館の理事も務められていた太田寛前安曇野市長も泉下で喜ばれていることでしょう。

もう1件。3月29日(日)に放映された、NHK Eテレさんの「日曜美術館」。この日は銀座の王子ホールさんで開催された「朝岡真木子歌曲コンサート第9回@王子ホール」拝聴のため上京しておりまして、録画しておきました。帰ってから拝見したところ、碌山美術館さんにも触れられていまして、「おお!」でした。

この日の回は「日曜美術館」放映開始50周年記念の一環で、「放送開始50年特集 “わたし”の日曜美術館」と題された60分拡大版でした。スタジオには現司会者の守本奈実アナウンサーと坂本美雨さんに加え、歴代司会者のうち、檀ふみさん、井浦新さん、柴田祐規子アナウンサーが集われ、アーカイブ映像を振り返るというコンセプト。

その中で、初期の頃は各界の美術ファンが好きな絵画や芸術家について語る「私と○○」というコーナーがあったという流れで、碌山美術館さん。
007
006
「私」が臼井吉見だったので、驚きました。臼井は昭和20年代、雑誌『展望』の編集長で、光太郎と交流の深かった人物です。光太郎は昭和22年(1947)、自身の半生と戦争責任を振り返る連作詩「暗愚小伝」20篇を『展望』に寄せ、一つのエポックメーキングとなりました。また、臼井は守衛や光太郎も登場する大河小説『安曇野』の作者でもあります。

当方、生きて動いている臼井の姿を動画で見るのは初めてでした。
008
009
010
011
012
この言の裏側には、自身が親交のあった光太郎の姿も念頭に置かれていたのではないでしょうか。そして当方も自分自身光太郎顕彰に取り組む中で、いろいろ広がった人脈を思い、「そうなんだよなぁ」でした。

この頃の司会、太宰治息女の太田治子氏だったとは存じませんでした。司会と言えば、その後のアーカイブ映像で歴代司会者が続々映ったり、ビデオ出演されたりでしたが、こんな人も司会者だったんだと驚きの連続でしたし、臼井同様、存命だった美術作家や評論家などの生きて動いて喋っている姿もたくさんで、実に貴重だと感じました。

ちなみに同番組、光太郎メインの回(スタジオで収録を拝見しました)が「智恵子に捧げた彫刻~詩人・高村光太郎の実像~」として平成25年(2013)10月6日、光雲で「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」が平成27年(2015)5月31日にそれぞれ放映されましたが、今回の中では紹介されませんでした。何せ2,500回にも及ぶ放映でしたので、いたしかたありますまい。

再放送が4月5日(日)にオンエアされます。

日曜美術館 放送50周年 放送開始50年特集「“わたし”の日曜美術館」

NHK Eテレ 2026年4月5日(日) 20:00~21:00

 日美50特集の総決算の今回は、長年番組を愛していただいた視聴者、そして出演者の皆さんへの感謝祭。歴代の番組司会者が大集合して、番組が伝えてきた“美”を振り返る。
  2026年4月に迫った放送開始50年へのカウントダウンとして、昨年10月から制作してきた「日美50」プロジェクト。その総決算となる今回は、長年番組を愛していただいた視聴者、そして出演者の皆さんへの感謝祭。案内役として歴代の番組司会者が大集合!スタジオだけでなく、VTRやナレーションでも懐かしいあの顔、あの声が。半世紀の歴史の中で番組が伝えてきた「美」の魅力を改めて振りかえる。

【出演】檀ふみ 井浦新 小野正嗣 はな 山根基世 柴田祐規子
【司会】坂本美雨 守本奈実
【語り】石澤典夫 加賀美幸子 森田美由紀
018
019
ぜひご覧下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)6 『世界美術全集別巻第七巻 西洋版画篇』

昭和5年(1930)12月15日 平凡社 下中弥三郎編
PXL_20260323_105242116 PXL_20260323_105311801
PXL_20260323_105422620
目次
 総説
  西洋版画略史 石井柏亭     創始期の西洋版画 森口多里
  十八世紀の豔情版画 太田三郎  民俗版画 足立源一郎
  現代西洋版画展望 仲田定之助
 図版及解説

「図版及解説」中の「90 ユーゴー、ベローヌ ロダン作」を光太郎が執筆しました。分量はわずかですが、函には光太郎の名も執筆者として大きく掲げられています。

光太郎の父・光雲関連で2件。

まずは雑誌の最新号です。

『芸術新潮』2026年4月号

発行日 : 2026年3月25日(水)
版 元 : 新潮社
定 価 : 1,700円(税込)
006 008
【特集】東京国立博物館×国立西洋美術館 対話するコレクション 比べてわかる日本美術と西洋美術
 案内役 [東軍]山下裕二 [西軍]宮下規久朗

 昨年、東京と京都で開催された「西洋絵画、どこから見るか?」展をご記憶ですか。内容は、サブタイトルに「ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館VS国立西洋美術館」とある通り。両館のコレクションはルーヴルやプラド程の規模ではないものの、それぞれ強いジャンルがあり、優れた作品にも事欠かない。互いの長所を組合せ、独自の切口で見せる同展のあまりの面白さに、同じことを東博と西美でやってみたい!と思ったのが、特集「比べてわかる日本美術と西洋美術 対話するコレクション 東京国立博物館×国立西洋美術館」の出発点です。美術史家の山下裕二氏と宮下規久朗氏がセレクトした東博・西美の作品を肖像・風景・聖像などのジャンルや「巧い」「かわいい」「ほのぼの」などのキーワードでペアリングしました。スリリングな二十番の絵合わせにより、作品を見る解像度がグーっとアップすること受け合い。そう、“比べてわかる”は伊達ではないのです。
007
 一番 忘れられない肖像画
  [東博]一休和尚像》×[西美]フォンターナ《アントニエッタ・ゴンザレスの肖像》
 二番 近代彫刻の横綱たち
  [東博]高村光雲《老猿》×[西美]ロダン《カレーの市民》
 三番 驚異の工芸品
  [東博]濤川惣助《七宝富嶽図額》×[西美]橋本コレクションの指輪
 四番 版画のビジュアル・ショック 
  [東博]東洲斎写楽 第一期連作大首絵×[西美]カロ《戦争の悲惨(大)》
 五番 狂気と美
  [東博]上村松園《焔》×[西美]スーティン《心を病む女》
 六番 空間を創出する風景画
  [東博]長谷川等伯《松林図屏風》×[西美]モネ《睡蓮》
 七番 その巧さに舌を巻く
  [東博]林十江《鰻図》×[西美]ブーグロー《小川のほとり》
 八番 かわいくてキュンキュンしちゃう
  [西美]クラーナハ《ホロフェルネスの首を持つユディト》×[東博]《埴輪 踊る人々》
 九番 その渋さがたまらない
  [東博]伝周文《竹斎読書図》×[西美]シャヴァンヌ《貧しき漁夫》
 十番 やんごとなき聖像
  [西美]カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》×[東博]《普賢菩薩像》
 十一番 美麗本
  [西美]内藤コレクションの中世写本×[東博]《古今和歌集(元永本)》
 十二番 謎に満ちている
  [東博]《菩薩立像》×[西美]フェルメール(に帰属)《聖プラクセディス》
 十三番 ほのぼの、しみじみ
  [東博]久隅守景《納涼図屏風》×ゴーガン《海辺に立つブルターニュの少女たち》
 十四番 パノラミックな群像劇
  [東博]岩佐又兵衛《洛中洛外図屏風》×[西美]ルカ・ジョルダーノ《マギの礼拝》
 十五番 動物へのまなざし
  [東博]伝毛松《猿図軸》×[西美]クールベ《罠にかかった狐》
 十六番 リアリズムの行き着くところ
  [西美]バスケニス《楽器のある静物》×[東博]速水御舟《京の舞妓》
 十七番 あの世からうらめしや
  [東博]葛飾北斎 木版連作「百物語」×
  [西美]フュースリ《グイド・カンティの亡霊に出会うテオドーレ》
 十八番 もっと評価されるべき
  [東博]渡辺省亭《赤坂離宮花鳥図画帳下絵》×
  [西美]ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《聖トマス》
 十九番 さすが東博、さすが西美 近年の新収蔵品
  [東博]李公麟《五馬図巻》×[西美]スルバラン《聖ドミニクス》
 二十番 選者交代! 好きなんです
  [西美]カぺ《自画像》×[東博]李氏《瀟湘臥遊図巻》
 東京国立博物館 本館のコレクション展エリアMAP
 国立西洋美術館 常設展エリアMAP

70ページほどで組まれた特集は、共に上野にある東京国立博物館さんと国立西洋美術館さんが舞台。それぞれの収蔵品から、20のテーマで東西の名品を紹介しつつ、「比べてわかる日本美術と西洋美術」ということで、共に美術史がご専門の、明治学院大学さん山下裕二教授、神戸大学の宮下規久朗教授のお二人が熱いトークを繰り広げるというコンセプトです。作品の選択もお二人と思われますが、それで勝負をして何勝何敗、というわけではありません。

光雲に関しては「二番 近代彫刻の横綱たち」で東京国立博物館さん所蔵の「老猿」。対するは国立西洋美術館さん前庭に立つロダンの「カレーの市民」。
PXL_20260328_090002215
山下教授と言えば、光太郎嫌いで有名です。昔は光太郎芸術を好意的に紹介して下さっていたのですが、教授が推し進めている明治期のいわゆる「超絶技巧」系を光太郎が腐していると知るや、方向転換なさったのではないかと思われます。

例えば「自在置物」。江戸期の甲冑師の流れを汲む職人たちの手によって作られた金属工芸で、動物の模型を写実的に作るのみならず、体節・関節の部分を本物のように動かすことが可能な造りになっています。下記はやはりトーハクさん所蔵のもの。
009
以前にも書きましたが、光太郎、こうした「自在置物」をこう評しています。談話筆記「炉辺雑感」(昭和28年=1953)から。

 世間にはよく実物そつくり創ろうとする人がいる。ことに金でつくつたのなんかには、実に巧みに本物と似せてつくられているものがある。例えば、エビやカニの場合だつたらその足が動くようにできている。しかし、そういうものはいかに本物そつくりにできていても本物をへだゝること遙かに遠い。本物を創る為には本物にとらわれてはいけない。本物にとらわれて、本物に似せようとすると、本当の造型にはならないで、おもちやになつてしまう。

「おもちゃ」は言い過ぎだろ、と思うのですが、「具象」をどう進めるかという点での光太郎のスタンスがよく表されています。

その前後にはこういう言も。
 
 蟬のあの脚を木でこしらえるのは、実に大変な仕事だ。芸術は一つの創造だから、事実ありのまゝの模写じやいけない。細いものを細く創つたんじや駄目。蟬の羽根は非常に薄いが、あれをそのまゝ薄く創つたんじや変なものになつてしまう。決して薄くなんて見えない。厚く見える。思いきつて厚く創ると却つて薄く見える。これが芸術というものである。
 
 彫刻は、蟬なら蟬を創るにしても一遍蟬から離れて、別の立場に立つて創らなければならない。そうすることによつて、はじめて蟬が模写にもおもちやにもならず、本当の蟬となることができる。人間の顔でも、その人を生写しにするというのでは彫刻にならない。たゞその人らしいものはできる。その人らしいもの、その人の影法師みたいなものはできるが、その人はできない。本物の影のようなもの、泡みたいなものを掴んでこれが彫刻だと喜んでいる人も少くないが、僕らはそんなものは彫刻と思えない。彫刻は、本当に出来れば、その人以上にその人となる。蟬以上に蟬、石以上に石となる。実物そつくりというわけじやないが、実物以上に実物となる。――これが造形芸術の奥の手である。

当方は「自在置物」のような超絶技巧を頭から否定するわけではありません。その複雑な機構を可能ならしめる技術には舌を巻くばかりですし、そうした技術の継承は成されるべきと思います。しかし、光太郎の言うように、それを「芸術」としていいものかというと、首をかしげざるを得ません。

作者が自身のフィルターを通さずただ見たものを見たままに表現するだけでは、「本物そっくりだ」で終わりです。その作品を通して作者が何を訴えたいのか、そういうものが見えてこなければ「芸術」とは言えますまい。やはり超絶技巧系の彩色牙彫など、まさにそんな感じだと思います。ひところちょっとしたブームになってさまざまなメディア等に取り上げられたり、企画展の目玉となったりしましたが、最近は飽きられてきたようで、あまり聞きません。

もっとも、超絶技巧系の作者たち(特に「自在置物」など)は、自らの作を「芸術」とは捉えていなかったように思われます。また、逆に技巧を伴わない稚拙な作品を「芸術」と呼べるか、ということにもなります。

光太郎、「書」を論じる中で、そのあたりにも言及しています。やはり基本的な技巧はしっかり身につけておくべきであると言うのが立脚点です。昭和14年(1939)の「書について」という散文から。

 書はもとより造形的のものであるから、その根本原理として造型芸術共通の公理を持つ。比例均衡の制約。筆触の生理的心理的統整。布置構造のメカニズム。感覚的意識伝達としての知性的デフオルマシヨン。すべてさういふものが基礎となつてその上に美が成り立つ。さういふものを無視しては書が存在し得ない。

ところが、時折、こまごまとした技巧に囚われない、我流だけれどもいい書に出会うことがあるとします。

 生れたままの自然発生的な書といふものにもいろいろあつて、生れながらに筆硯的感覚を多分に持つてゐる人のは、或る点まで立派に書格を保有し、無邪気で、自然で、いい加減な習字先生のよりも遙に優れたものとなる。(略)いつの間にか、性格まる出しの、まねてまねられない、或は奇逸の、或は平明清澄の妙域に進み入り、ことに老年にでもなると、おのづから一種の気品が備はつて来て、欲も得もない佳い字を書くやうになる。

後半部分、まるで相田みつをの書ですね。しかし、それを手放しで褒めるかというとそうではありません。

 さういふ佳品を目にするのはたのしいものであるが、さればといって、此を伝統の骨格を持ち、鍛冶の效をつんで厳然とした規格の地盤に根を張つた逸品の前に持ち出すと、やつぱり免れ難い弱さがあり、浅さがあり、何となく見劣りのするものである。

このくだりを読むと、書家の方々が相田みつをの書を書と認めない理由がうなずけるような気がします。

そしてこうも。

 人工から起つたものは何処までも人工の道を究めつくすのが本当であり、それには人工累積の美を突破しなければならないのである。生れながらに筆硯的感覚を持つてゐる人のですらさうであるから、もともとさういふ性来を持たない者の強引の書となると多くは俗臭に堕する傾がある。意地ばかりで出来た字、神経ばかりで出来た字、或は又逆に無神経ばかりで出来た字、ぐうたらばかりで出来た字が生れる。

「感性」頼りではだめ、ということですね。

ところが「技巧」ばかりでもいけないわけで、ちゃんとその点も押さえて「なまじつか習つた能筆風な無性格の書」「うまいけれどもつまらない」と、「技巧」だけのものも否定しています。

「感性」と「技巧」、結局は優れた「感性」を以て「人工累積の美を突破しなければならないのである」というところに尽きるかと思います。突破するためにはそれらをしっかり身につけた上で、ということにもなります。10代の少年のうちに写実の技法をほぼ究めてしまい、その上でキュビスムを編み出したピカソなどが良い例でしょう。

そういう見方でいわゆる「超絶技巧」の作品群を捉えたいものです。もっとも、さまざまな分野のものを「超絶技巧」とひとくくりにするのもどうかと思われますが。中には光太郎曰くの「人工累積の美を突破」したといえるものもあれば、「技巧」だけの「本物の影のようなもの」もあるわけで。

長くなりました。急ぎます。

光雲の木彫が出る展示、仙台で来月始まります。

春の展覧会 2026年度・上期『島川コレクション展』Ⅱ期

期 日 : 2026年4月6日(月)~10月8日(木)
会 場 : 島川美術館 宮城県仙台市青葉区本町2-14-24
時 間 : 11:00~15:00
休 館 : 毎週金・土・日 祝祭日
料 金 : 一般 1,000円(800円) 高校生 800円(300円) 小・中学生 300円(100円)
      ( )内20名以上団体料金 

総展示作品は140点以上

メイン展示作品
 横山大観《霊峰不二》1939年      山川賀壽雄《朝(はじまり)》2017年
 川合玉堂《山村晩煙図》           葛西四雄《風景》
 森本草介《ひざまずくヌード》2007年  高村光雲《聖観世音菩薩》1928年
 森本純《夏みかん》            森本草介《ジャーマンアイリス》1978年
その他展示作品
 加山又造「しだれ桜」           岸田劉生「麗子像」
 小磯良平「踊り子」            佐伯祐三「キュラソーの瓶のある静物」
 杉山寧「嵤」               田中一村「黄昏」
 中島千波「紅牡丹」「白牡丹」      速水御舟「芙蓉」
 東山魁夷「春静」             平山郁夫「流沙浄土変」
 森本草介「POSE」            カシニョール「海に面したバルコニー」
 ユトリロ「サントセシル ラヴァールズ」 マリーローランサン「チェロと女」
 他
010
001光雲作品は「聖観世音菩薩」昭和3年(1928)。当方、令和6年(2024)に拝見して参りました。光雲晩年の作で、見事な造りです。

しかし光太郎にかかると……

 父の作品には大したものはなかつた。すべて職人的、仏師屋的で、又江戸的であつた。楠公は五月人形のやうであり、「南洲」は置物のやうであり、数多い観音、阿弥陀の類にはどれにも柔媚の俗気がただよつてゐた。

やはりちょっと言い過ぎ感がありますね。山下教授、こういう言も光太郎を嫌う一因なのでしょうか。

続く部分では「老猿」についても容赦なく……

大きな栃の木で作つた「老猿」も部分の肉合ひなどに彫刻的面白味がないではないが、大体の着想なり、表現形式なりがあまり幼稚なので高くは買へない。

もっとも、光雲にしてみれば、「自分は「芸術家」などではない」という感覚だったのかも知れませんが。

引用文は昭和29年(1954)の「父との関係」からのものですが、同じ文章の中で光雲の若い頃の作は褒めています。

 むしろ丁稚奉公時代に作つた「犬の首」の木彫習作とか、宮内省蔵の「ちやぼ」とか、皇后職にある筈の「狆」とかいふものが、いちばんいい。それには青年の純粋な、真剣な意気込が感じられ、又自然の美にめざめた者の驚きとその美へのひたむきな肉迫とが見てとれる。これは時代的にも意義がある。

なかなか親子関係というものは難しいものですね……。

閑話休題、島川さんのコレクション展、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)3 『高村光太郎 与謝野晶子』傑作歌選別輯

大正4年(1915)12月5日 抒情詩社 高村光太郎/与謝野晶子著 内藤鋠策編
PXL_20260323_104310323 PXL_20260323_104340266 PXL_20260323_104400642
目次
 高村光太郎 1902-1907
 第一
 第二
 第三
 第四
 与謝野晶子 1901-1913

光太郎、そして姉貴分の与謝野晶子の、主に『明星』に載った短歌を集めたものです。前年に出た詩集『道程』版元の抒情詩社の内藤鋠策が、光太郎の才能に惚れ込み、実入りにしてやろうと編みました。すでに『みだれ髪』で名を成していた晶子と一冊にすれば売れるだろうという意図だったそうです。

福岡から企画展示情報です。

第4回福岡アートアワード受賞作品展

期 日 : 2026年3月28日(土)~6月21日(日)
会 場 : 福岡市美術館 福岡市中央区大濠公園1-6
時 間 : 午前9時30分~午後5時30分 3月28日(土)は午後1時30分より開室
休 館 : 月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は、その後の最初の平日)
料 金 : 一般 200円(150円) 高大生 150円(100円) 中学生以下無料
      (  ) 内は20名以上の団体料金

福岡市内で目覚ましい活動を行うアーティストを顕彰する福岡アートアワード。第4回の受賞作家・作品が決定しました。受賞作品展は、3月28日(土)から6月21日(日)まで、2階コレクション展示室 近現代美術室Bにて開催します。(初日のみ午後1時30分より開室)

会場では、写真では伝わらないスケールや素材の質感、空間そのものをぜひご体感ください。福岡から生まれる新たな表現の力をどうぞお見逃しなく。

■市長賞 宮本華子《在る家の日常》
■優秀賞 谷澤紗和子《お喋りの効能》
      川辺ナホ《樂園を探して(-Et in Arcadia Ego)》
      平野薫《空の衣服(untitled -war kimono-)》
001 002
003 004
関連行事
第4回 福岡アートアワード 受賞作家によるギャラリートーク
 日時|2026年3月28日(土) 14:00~15:00
 会場|福岡市美術館 2階 コレクション展示室近現代美術室B(福岡市中央区大濠公園1-6)
 料金|コレクション展観覧料が必要/事前予約不要

「福岡アートアワード」。「彩りにあふれたアートのまちづくり」を掲げ、令和4年(2022)年から福岡市が推進する「Fukuoka Art Next(FaN)」プロジェクトの一環として、福岡市美術館さんが、福岡市内で活動をおこない、今後飛躍が期待できるアーティストを対象に、作品の買い上げをもって贈賞するものだそうです。当方もさんざんお世話になっている、元神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏が審査員のお一人です。

智恵子の紙絵や油絵、智恵子による『青鞜』表紙絵などをモチーフとした切り絵作品等を精力的に発表なさっている谷澤紗和子氏が入賞され、作品「お喋りの効能」が展示されます。こちらも智恵子オマージュの作品で、昨年、福岡の画廊で開催された個展の出品作のようです。
000
開幕日の3月28日(土)には、受賞作家の方々ご自身によるギャラリートークだそうで、贅沢ですね。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体) 81『Poèmes à Chieko』

令和3年(2021)4月 UNIVERSITAICRES DE BORDEAUX 高村光太郎著 中里まき子/エリック・ブノワ訳
PXL_20260323_053043383
目次
 Préface         
 Introduction
 Chronologie
 À quelqu'un 人に(いやなんです)
 Le cœur d'une nuit 或る夜のこころ
 Larmes 涙
 La peur おそれ
 Chanson d'une poupée mécanique からくりうた
 Une soirée 或る宵
 Le clan des hiboux 梟の族
 À une femme de banlieue 郊外の人に
 Le réveil au matin d'hiver 冬の朝のめざめ
 La neige de minuit 深夜の雪
 À quelqu'un 人に(遊びぢやない)
 La fontaine d'humanité 人類の泉
 Nous 僕等
 Admiration de l'amour 愛の嘆美
 UN dîner 晩餐
 Émotion obscène 淫心
 Tous les deux sous les arbres 樹下の二人
 Des taureaux dans use course déchaînén 狂奔する牛
 L'or 金
 Poisson-chat 鯰
 Tous les deux dans la nuit 夜の二人
 Tu es de plus en plus belle あなたはだんだんきれいになる
 Conversation enfantine あどけない話
 Qui se ressemble s'assemble 同棲同類
 Clelui qui met la beauté en prison 美の監禁に手渡す者
 La vie vue de loin 人生遠視
 Chieko sur le vent 風にのる智恵子
 Chieko jouant avee des pluviers 千鳥と遊ぶ智恵子
 Chieko est inestimable 値ひがたき智恵子
 Tous les deux au pied la montagne 山麓の二人
 Une petite remarque dans la journée 或る日の記
 Élégie(Le citron) レモン哀歌
 À quelqu'un qui est mort 亡き人に
 Liqueur de prune 梅酒
 Retour désolé 荒涼たる帰宅
 Shôan-ji 松庵寺
 Compte rendu(à Chieko) 報告(智恵子に)
 Réve vaporeux 噴霧的な夢
 Si Chieko … もしも智恵子が
 Chieko à l'état élémentaire 元素智恵子
 Métropole メトロポオル
 La forme nue 裸形
 Le guide 案内
 En ce temps-là あの頃
 Monologue dans une nuit de tempête de neige 吹雪の夜の独白
 Jouer avee Chieko 智恵子と遊ぶ
 Compte rendu 報告
 Six tankas うた六首
 La vie de Chieko 智恵子の半生

『智恵子抄』仏語訳です。フランスのボルドー大学さんから出版されました。

見開きで光太郎の原詩が日本語で載っています。詩の選択は、新潮文庫版『智恵子抄』(昭和31年=1956)が底本となっており、戦後の詩篇も含まれています。散文「智恵子の半生」も。しかし、「智恵子の半生」と、それから冒頭20頁ほど、光太郎智恵子の簡略な評伝となっているようですが、そちらは仏語のみでした。散文「九十九里浜の初夏」、同じく「智恵子の切抜絵」は割愛されていました。

京都の春の夜を美しく彩るイベントです。

知恩院春のライトアップ2026

期 間 : 2026年3月25日(水)~4月5日(日)
時 間 : 17時45分~21時30分(21時受付終了)
場 所 : 浄土宗 総本山知恩院(京都市東山区林下町400 )
       友禅苑 国宝三門 女坂 国宝御影堂 阿弥陀堂(外観のみ)
料 金 : 大人800円(高校生以上) 小人400円(小・中学生)

今回は、「おてつぎ運動60周年記念企画」として、三門楼上(回廊のみ)公開を行います。普段、通常非公開の楼上となります。どうぞこの機会にお上がりください。素敵な景色が広がっています。
000
001
みどころ

友禅苑 Yūzen-en garden
友禅染の祖、宮崎友禅斎の生誕300年を記念して造園された、華やかな昭和の名庭です。池泉式庭園と枯山水で構成され、補陀落池に立つ高村光雲作の聖観音菩薩立像が有名です。
002
三 門 Sanmon 国宝
おてつぎ運動60周年記念企画楼上(回廊のみ)公開。元和7(1621)年、徳川秀忠公が建立した高さ24m、幅50mの日本最大級の木造二重門。悟りの境地に到る「空門」「無相門」「無願門」の三解脱門を表すことから三門といいます。
004
御影堂 Miei-dō 国宝
寛永16(1639)年、徳川家光公によって再建されました。間口45m、奥行き35mの壮大な伽藍は、お念仏の根本道場として多くの参拝者を受け入れてきました。
003
Magnus RINN マグナス・リン
大阪・関西万博のアイルランド館のモニュメントが期間限定で知恩院に展示!作者はアイルランドの造形作家、Joseph Walsh(ジョセフ・ウォルシュ)氏。“輪”は円の形状をとり、人間と自然の関係性を象徴し、時間の流れや自然の循環を表象しています。
006
関連行事
聞いてみよう!お坊さんのはなし
 テーマ『弘(ひろ)む願い、伝わる念(おも)い』~明るく、正しく、仲良く~
 開始時間:18:00~/18:45~/19:30~/20:15~
 (各回お話15~20分、木魚念仏体験5~10分程度)

月かげプレミアムツアー
ライトアップ拝観エリアすべてを僧侶と一緒に巡る特別ツアーです。御影堂内陣など通常非公開部もご案内! 1時間30分たっぷりと知恩院の魅力をご体感いただけます。
 日程:木・土・日
 開始時間:18:00~
 所要時間:約1時間30分
 定員:各回30名様まで
 料金:お1人様3,000円(小・中学生1,500円)
 ライトアップ拝観料込み。
 料金はツアー専用受付にてにて現金でお支払いください。

ライトアップ同時開催企画展示
 『千代紙の色と模様』 3月27日(金) ~ 3月29日(日)
  場所 友禅苑 茶室「白寿庵」「華麓庵」
  REKAO(千代紙)
  千代紙の掛け軸と屏風を、友禅苑の二つの茶室の空間の室礼として展示いたします。
  静けさの中に立ち上がる、千代紙の模様の美と物語をお楽しみください。
007
 『春の余白-白磁のインスタレーション-』 4月3日(金) ~ 4月5日(日)
  場所 友禅苑 茶室「白寿庵」・「華麓庵」
  林侑子(陶芸家)
  白磁によるインスタレーション「春の余白」を開催いたします。
  土に鋏を入れる独自の技法から生まれるかたちは、光や気配と響き合いながら夜の空間に
  静かに広がります。明確なかたちと、言葉にならない余白。
  そのあわいに立ち上がる感覚を通して、それぞれの中にある“春”にそっと触れる時間とな
  れば幸いです。どうぞ静かなひとときをお過ごしください。
008
境内の友禅苑という庭園の池のほとりに立つ光太郎の父・高村光雲作の聖観音菩薩立像、正確には東京美術学校として依頼され(明治25年=1892)、光雲が主任となって制作されました。木造原型は美校の後身である東京藝術大学さんに残されています。
009
010
ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体) 80『高村光太郎秀作批評文集 美と生命 後篇』

平成22年(2010)3月30日 書肆心水 高村光太郎著
PXL_20260318_080132933
PXL_20260318_080155225 PXL_20260318_080218074
目次
 某月某日(一つの型) 彫刻性について 普遍と独自 しゃっくり病 言葉の事
 某月某日(人間内部の矛盾撞着) 自分と詩との関係 春さきの好物 芸術上の良知
 蝉の美と造型 美の健康性 智恵子の半生 永遠の感覚 美の影響力 素人玄人
 某月某日(自分の詩) 美を求める慾望 七月の言葉 美の日本的源泉 詩と表現
 言葉の美しさ 彫刻その他 エジプトの彫刻の話 能の彫刻美 季節のきびしさ
 美しい生活 
山の雪 新春雑談 芸術と農業 たべものの話 おろかなる都 南沢座談
 人体について 美と真実の生活 農にほこりを持て 書の深淵 話言葉としての日本語
 アンケート
 初出一覧 高村光太郎略年譜 キーワード索引

彫刻をはじめとする造型、それから文学についての光太郎評論を2分冊にまとめた前編です。一部、評論とはいえないエッセイ的なものも含みます。

筑摩書房さんの『高村光太郎全集』を定本として編まれています。したがって全集完結の平成10年(1998)以降に見つかった作品は載せられていません。それでこちら一冊分位の分量が優にあるのですが。いずれまとめて公刊するべくデータにしてはありますが、それもどんどん新しい作品が見つかり、増殖中です。

いわゆる「コレクション展」ですが、単に「コレクション展」とするのでなく、サブタイトルをつけたり特別にフライヤーを作ったりなさっている場合は御紹介させていただいております。

そういうもので、広島から。光太郎の父・光雲の作品が出ています。

春の館蔵品展 近代彫刻展

期 日 : 2026年3月14日(土)~5月24日(日)
会 場 : 耕三寺博物館 広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田553-2
時 間 : 午前9時~午後5時
休 館 : 年中無休
料 金 : 大人 1,400円(1,200円) 大学生・高校生 1,000円(800円)
      中学生以下 無料 ( )内20名以上の団体料金

 名称      作者    材質     時代
 ハイキング   安西順一  木造     S14第3回東邦彫塑院展
 龍女      阿井瑞芩  木造     S11年文展招待展
 松花堂像    赤堀信平  木造     昭和前期
 聖徳太子尊像  雨宮治郎  ブロンズ   S13年第2回新文展
 緑蔭      岡正敏   木造     S11年文展鑑査展
 髪を洗う女   北村正信  大理石    S13年第2回新文展
 維摩      工藤敬三  木造     S6年第12回帝展
 母と子     小瀬村清  木造     S6年第12回帝展
 乳母と子    佐藤静司  木造     S12年第1回新文展
 こども     佐藤匡義  木造     S11年文展鑑査展
 不動明王立像  澤田晴廣  木造     S14年
 聖徳太子    関野聖雲  木造     S14年第3回新文展
 阿弥陀如来坐像 高村光雲  木造截金彩色 昭和前期
 弥陀来迎龕   西村雅之  木造白檀   昭和前期
 春園      西山如拙  木造彩色   S11年文展鑑査展
 信女      橋本朝秀  木造     S11年文展招待展
 のぼるもの   長谷川榮作 木造彩色   S12年第1回新文展
 野飼にて    早川朝洋  木造     S13年第104回日本美術協会展
 裸婦      藤井浩祐  ブロンズ   昭和前期
 母子      本田徳義  木造     S13年第2回新文展
 芽生      松本昇   木造     S11年文展鑑査展
 風神      三木宗策  木造彩色   昭和前期
 銀線を描く   宮本朝濤  木造     S11年文展招待展
 海神の女    森山朝光  木造     T15年第1回聖徳太子奉賛展
 魚藍観音    山崎朝雲  木造     昭和前期
 愛育      山畑阿利一 大理石    昭和前期
 鉋       山根八春  木造     昭和前期
 鍾馗      吉田芳明  木造     昭和前期
 清宵      米原雲海  石膏     M40年
000
001光雲作品は「阿弥陀如来坐像」。昭和9年(1934)に亡くなった光雲晩年の作と思われます。

平成14年(2002)に三重県立美術館、茨城県立近代美術館、千葉市立美術館と巡回した「高村光雲とその時代展」にも出品さたもので、その際に拝見しました。像高20㌢ほどの小さな仏様ですが、衣などに細かな截金(きりかね)が施されており、手の込んだ作です。

他にも光雲系統の作家による作品がずらり。関野聖雲、山崎朝雲、米原雲海などは「雲」一字を受け継いだ高弟ですが、それ以外に三木宗策、澤田晴廣も「雲」の字は入らないものの光雲の系譜に連なる彫刻家です。フライヤーで最も大きく取り上げられているのは三木宗策の「風神」ですが、見事な作ですね。

同時開催で中村不折、中村岳陵らの作が出ている「近代美術 日本画展」、それから「館蔵茶道具展」も開催されています。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)79 『智恵子抄』

平成23年(2011)4月15日 角川春樹事務所(ハルキ文庫) 高村光太郎著
PXL_20260307_065703340
PXL_20260307_065720281 PXL_20260307_065738237
目次
 人に 或る夜のこころ おそれ 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪
 人類の泉 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 夜の二人 
 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視
 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記
 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒 うた六首 智恵子の半生 九十九里浜の初夏
 智恵子の切抜絵
 語註 略年譜
 エッセイ 蜂飼耳

昭和16年(1941)、龍星閣から刊行されたオリジナル『智恵子抄』を踏襲した構成で、従って戦後の作品は収録されていません。解説は詩人の蜂飼耳氏。現在でも新刊で入手可能です。

3月15日(日)、安達太良山中腹のチーズケーキ工房・カフェ風花&もりのこうぼうさんを後に、智恵子の故郷・二本松の市街に。同市出身の文化勲章受章画家・大山忠作画伯を顕彰する大山忠作美術館さんが最終目的地でした。

同館の入っている市民交流センターさんの駐車場に愛車を駐め、まだ時間に余裕があったので、歩いてJR東北本線二本松駅へ。

コンコース入り口脇、城壁を模した壁に嵌め込まれた光太郎詩碑。
PXL_20260315_034253258.MP
PXL_20260315_034234407
「あどけない話」の一節「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」が、光太郎のペン字を拡大して刻まれています。昭和51年(1976)に設置されました。

こころもちつけられた角度により、天気がよいと碑面の黒御影石に「ほんとの空」が反射して映えるのですが、この日は多少雲が多く……。

すぐそばに、智恵子像「ほんとの空」。
PXL_20260315_034133141 PXL_20260315_034152708
二本松にルーツを持ち、光太郎の父・光雲の系譜に連なる彫刻家の故・橋本堅太郎氏の作です。智恵子の指さす先、雲の切れ間にわずかながら「ほんとの空」。

像の背後が大山忠作美術館さんの入っている市民交流センターさんです。
PXL_20260315_034327606
3階が大山忠作美術館さんで、そのホワイエから見える安達太良山。
PXL_20260315_053946040.MP
のちほど、名誉館長にして画伯のご息女・一色采子さんによるギャラリートークがあるということで、この時点では展示は拝見せず、1階の多目的室へ。そちらで一色さんのトークイベントです。

昨年12月から照明の抜本的改修工事のため3ヶ月休館していた同館が3月1日(日)を以て再オープン(休館中は「移動美術館」として智恵子モチーフの作品などは智恵子記念館で展示されていました)、さらに昨秋、一色さんが名誉館長にご就任ということもあり、このイベントの開催ということになりました。昔から名誉館長だったと思い込んでいたのですが、そうではありませんでした。
PXL_20260315_053213776.MP
PXL_20260315_044731609.MP
三保恵一市長から花束贈呈。

この後、スクリーンに画伯の作品を投影しつつ、ご家族としての視点から見た画伯のありのままの姿、それぞれの作品に込められた思いなどといったお話を。「私は学芸員ではないので、専門的なためになるお話はできません」と謙遜なさっていましたが、実は一色さん、女子美短大のご出身ですので、構図のお話などなかなか鋭い視点でのものでした。

この後、3階に移動、一色さんによるギャラリートーク。再オープンに伴う展示替えで「本日は日本画日和」と題された展示になっています。
021 022
019
020
000今回は複数ある智恵子を描いた作品のうち、「霧(高村智恵子)」が展示されています。100号超の大きさで平成7年(1995)の日展出品作とのことです。当方、実作を見たのは今回が初めてだったかも知れません。

この作品に関しても、一色さん、鋭いご説明。画伯ご本人もそうおっしゃっていたのかも知れませんが、「失敗作」だそうで。他の作品でもそういう試みをなさっていたとのことですが、風景画と人物画の融合を狙ったものの、それが中途半端に終わってしまっていると。

しかし腐すだけでなく「心を病んで頭の中に「霧」がかかっている智恵子さんの状態はよく表せている」。なるほど、と思いました。

ちなみに画伯のお母さまは生前の智恵子をよく見かけたそうです。いつも綺麗な着物を着ていたそうで。

ショップには「霧」をプリントしたA4判クリアファイル、しっかり並んでいました。
PXL_20260315_063251455
再オープンに伴い新たに作られたパンフレット。100部いただいて来ましたので、4月2日(木)、当会主催の連翹忌の集いご参加の方には差し上げます。ちなみに連翹忌の集いでは、一色さんと渡辺えりさんが光太郎詩朗読をなさってくださいます。
001
002
目玉作の一つとして(今回は展示されていませんが)、「智恵子に扮する有馬稲子像」も載っています。昭和51年(1976)、「松竹女優名作シリーズ有馬稲子公演」中の北條秀司作「智恵子抄」で智恵子役だった有馬稲子さんを描いたものです。
000 PXL_20260315_054929636
右上は、ついでですので一色さんと当方(笑)。

そんなこんなの福島レポート、以上で終わります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)76 『荻原守衛』

平成18年(2006)7月20日 碌山美術館 高村光太郎著
PXL_20260317_233321061.MP PXL_20260317_233328496.MP PXL_20260317_233408176
目次
 死んだ荻原君
 荻原守衛
 荻原守衛―アトリエにて5―

光太郎の親友だった碌山荻原守衛を顕彰する信州安曇野の碌山美術館さんの発行。光太郎文筆作品のうち、守衛をメインにした3篇――エッセイ「死んだ荻原君」(明治43年=1910『方寸』)、詩「荻原守衛」(昭和11年=1396 『詩洋』)、エッセイ「荻原守衛―アトリエにて5―」(昭和29年=1954 『新潮』)を収めた冊子です。

これを光太郎の「本人著作」と言っていいのかどうかという気もしますが、さりとて他のどのカテゴリに分類すればいいのか、ということにもなりますので……。

照明設備の改修工事で昨年12月から今年2月いっぱいまで休館中だった、二本松市の大山忠作美術館さんが再オープンしました。同市出身の文化勲章受章画家にして、繰り返し上演された朗読劇「智恵子抄」で智恵子役を演じられた女優・一色采子さんのお父さまである大山忠作画伯の作品を収蔵・公開なさり、一色さんが名誉館長を務められています。

地元紙『福島民報』さん。

大山忠作美術館が再開館 常設展「本日は日本画日和」開始 9月13日まで 福島県二本松市

 福島県の二本松市大山忠作美術館は改修工事による休館を経て再開館し、第32期常設展「本日は日本画日和」が始まった。同市出身の日本画家で文化勲章を受けた大山忠作さん(1922~2009年)の自然体で「描きたいものを描く」心を映す大作や扇面画などが並び、来館者を楽しませている。9月13日まで。
 LED照明の設置工事に伴い3カ月間休館し、今月1日に再開館した。「荷花」「天壇白日」「霧(高村智恵子)」などの大作をはじめ、春、夏の季節を感じられる作品、わが子の愛らしい姿を描いた「童女」、制作の過程がわかるスケッチや下絵もある。傘寿(80歳)を記念して制作した扇面画は、扇形の画面に清らかな花々や安達太良山が描かれ、「雷神午睡」「風神一服」などユーモアがにじむ作品の魅力も味わえる。展示点数は計70点。
 渡辺陽菜学芸員は、「照明が変わり、画面の鮮やかさが増した。大山家所蔵の初公開資料もあり、当美術館ならではの作品を楽しんでほしい」と来館を呼びかけている。開館時間は午前9時30分~午後5時。観覧料は一般410円、高校生以下210円。月曜休館(祝日の場合は翌日)。問い合わせは大山忠作美術館へ。

■大山采子さん 15日にトークイベント
 大山忠作さんの長女で大山忠作美術館名誉館長の大山采子(俳優・一色采子)さんのトークイベントは15日午後1時30分から二本松市市民交流センターで開かれる。
 美術館の再開館を記念し、楽しいトークを繰り広げる。終了後、美術館に移動してギャラリートークをする。定員120人で参加料は500円(常設展観覧券、ミニプレゼント付き)。申し込み・問い合わせは大山忠作美術館へ。
001
002
000「霧(高村智恵子)」は右画像のもの。品切れになっていなければ、ミュージアムグッズとしてA4クリアファイルやポストカードも販売されています。

画伯には同郷だった智恵子をモチーフとした作品「智恵子抄」、「智恵子に扮する有馬稲子像」などがあり、特に「有馬稲子像」の方はデッサンも複数遺されています。

休館中、「移動美術館」という形で、それらを同市の智恵子記念館さんとにほんまつ城報館さんで公開していました。

リニューアル記念として、名誉館長の一色采子さんによるトークイベントが3月15日(日)に開かれるとのことで、早速申し込みました。

ついでというと何ですが、同じ福島県のいわき市では、市立の草野心平記念文学館さんで企画展「草野心平と川内村」が前日の3月14日(土)から始まるので、そちらも拝観して参ります。

当会の祖・草野心平を名誉村民として下さった川内村と心平の縁にスポットを当てるもので、直接的には光太郎に関わりませんが、フライヤー裏面画像に写る心平の別荘「天山文庫」は、建設委員に光太郎実弟の豊周も名を連ねていますし、豊周子息で写真家の故・規氏も何度も同村を訪れられています。もちろん当方も。
010 011
それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)68 『詩集 道程』復元版 角川文庫リバイバルコレクション

平成元年(1989)6月30日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
PXL_20260207_132825514
PXL_20260207_132859744
PXL_20260207_133018425 PXL_20260207_133037551
目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈
 注釈
 解説 高村光太郎―人と作品 藤原定
    作品解説 草野心平
 主要参考文献
 年譜

角川文庫40周年記念特別企画ということで、読者アンケートによる限定復刊が為されたうちの一冊です。はさまっていたフライヤーには30冊がラインナップに挙げられていました。近代日本文学系だと、他に『一葉青春日記』(樋口一葉)、『月に吠える』(萩原朔太郎)、『新訂版 石川啄木』(金田一京助)なども。各冊共通の金色のカバーが装着されました。それが第一期で、この後第三期まで、計74作品104冊が復刻出版されたそうです。

『道程』は昭和26年(1951)に角川文庫のラインナップに入り、この版が「改版十刷」でした。

北海道での報道等を2件。

まずは昨日も御紹介した漫画『本郷新伝』について。『毎日新聞』さん北海道版で3月4日(水)に出た記事です。

戦後代表する彫刻家 本郷新の生涯 漫画に 札幌でコレクション展 生誕120年記念 反戦・平和の願い込め /北海道

 札幌市生まれで、戦後日本を代表する彫刻家、本郷新の生涯を描いた漫画「本郷新伝」(teamエアーダイブ著、ダイブックス)が出版された。生誕120年を記念して本郷新記念札幌彫刻美術館(中央区)が企画。現代と本郷の生きた時代を往還しながら物語が展開し、反戦・平和への願いを込めた制作エピソードも織り交ぜた。同館で原画パネルや作品のコレクション展「マンガでわかる本郷新」が開かれている。
 漫画は、札幌市内の漫画制作・出版会社「エアーダイブ」と鴨修平さん、桜井さよるさんの2人の漫画家が共同制作した。3話で構成。同館が史実に基づいて監修した。
 第1話は彫刻を始めた女子高校生が同館を訪れ、館長の案内で戦没学生の青年像「わだつみの声」像などの作品に込めた思いを知っていく。第2話は広島市平和記念公園の「嵐の中の母子像」にまつわる物語だ。母親が2人の幼子を懸命にかばって前かがみに進む像で、広島原爆で犠牲になったとみられる祖母を図書館員が追想する。 
 同館で先行販売しており、4日から書店発売の予定だ。市内の小中高には3月 中をめどに配る。梅村尚幸学芸員(38)は「純粋に漫画として面白い。漫画家の創造性を尊重し、本郷新からのイマジネーションを広げてストーリーを作ってもらった。大人から子供まで、彫刻を知らない人や詳しい人も楽しめる」と話している。梅村さんは漫画の途中に挿入された解説を書いた。
 巻末にブロンズ像の作り方の図解や札幌・全国の公共空間にある作品群も紹介。A5判128ページ。990円。
 コレクション展は原画の拡大パネル約60枚と作品31点のほか、本郷が幼少期に描いた絵や学生時代のノートなど貴重な資料も公開している。5月24日まで(月曜休館、5月4日開館、同7日休館)。
 出版を記念して3月21日午後2時、中央区の市民交流プラザでトークイベント「マンガで伝える彫刻家 本郷新の思い」を開催。エアーダイブの田中宏明代表、三守小百合副編集長、漫画家2人と同館 ... 問い合わせは同館(011・642・5709)へ。

 □人物略歴. 本郷新. 1905年12月生まれ。札幌二中(札幌西高)、東京の順天中学を経て北海中学(北海高)卒業。東京高等工芸学校(千葉大工学部)へ。在学中から師事した高村光太郎を通じてロダンの影響を受けた。東京で若手彫刻家たちと「新制作派協会彫刻部」を旗揚げ、彫刻界に新風を吹き込む。全国各地の公園などにモニュメントの彫刻が設置され、80点以上が現存する。80年2月、74歳で死去。札幌市中央区宮の森のアトリエを含む2棟が本郷新記念札幌彫刻美術館となっている。
004

006
広島市平和記念公園の「嵐の中の母子像」(1960年設置)。後ろの建物は広島平和記念資料館本館=広島市中区で2022年11月、安味伸一撮影

最初の画像で展示されている3枚の原画が写っていますが、一番右のそれはちょうど光太郎が登場しているシーンです。

もう1件、『北海道新聞』さんの一面コラム。先週6日の掲載でした。

<卓上四季>高木美帆さんの「道程」

<僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る>。高村光太郎の「道程」の冒頭の詩句である。このとき光太郎は31歳。ひとりの芸術家として未知の荒野を突き進み、前例のない新たな道を切り開きたい―。ストイックかつ強い意志を感じさせる宣言であった▼北海道が生んだひとりのアスリートの軌跡が重なってみえる。スピードスケートの五輪金メダリスト、高木美帆さんだ▼中学生だった15歳で五輪の初舞台に立つ。以来、計4回も出場を重ねて、10個ものメダルを手にする。だれも到達することのできなかった高峰をめざし続けた▼輝きは成績にとどまらない。短距離から長距離までをカバーし、個人種目でも団体でも圧倒的な強さ。希代のオールラウンダーとして世界の尊敬を集めてきた▼ずっと順風満帆だったわけではない。五輪出場を逃したこともあるし、今季は好不調の波に苦しんだ。それでも体力と技術を極限まで高めてリンクに立った。試練に負けない求道者をみるようだった▼いつも道を切り開いてきた高木さんが引退を表明した。栄光の陰につらい日々もあっただろう。31歳までのがんばりに心から拍手を送りたい。オランダでの世界選手権がラストランとなる。<残りの期間も変わらずに、スケートに向き合い続け、高みへ挑みにいきます>。彼女らしいことばである。

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)の冒頭部分は、このように様々な分野でのパイオニア的な活躍を見せた人々を語るマクラとしてよく使われます。特に高木選手同様、レジェンドと化した皆さん(野茂英雄投手とか、将棋の藤井聡太六冠とか)。ただ、時折、そこまで行ってないだろ、という若手や、その後不祥事があったりで「何だかなぁ」という人物の形容にも使われることもあるのですが……。

光太郎自身、芸術分野に於ける日本でのパイオニアたらんとする自負や矜恃があって「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」としたのでしょう。パイオニアと言えば、「道程」の前年に発表された詩「人類の泉」では「私は自分のゆく道の開路者です」とし、「開路者」には「ピオニエエ」とルビを振っています。これは仏語の「pionnier」。英語の「pioneer(パイオニア)」に相当します。

ところで高木選手、昨日行われたオランダでの世界選手権オールラウンド部門では3位入賞を果たし、現役生活にピリオドを打ったそうです。
010
お疲れさまでした、ですね。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)67 『愛の時』愛蔵版

昭和61年(1986)4月2日 アムリタ書房 ヹルハアラン著 高村光太郎訳
PXL_20260307_062814596 PXL_20260307_062837218.MP
PXL_20260307_062901235 PXL_20260307_062921626
目次
 明るい時 LES HEURES CLAIRES
  Ⅰ おう さんらんたるわれらのよろこび
   O LA SPLENDEUR DE NORTRE JOIE
  Ⅱ 無言のままわれらの歩くこの明るい花園が
   QUOIQUE NOUS LE VOYIONS FLEURIR DEVANT NOS YEUX
  Ⅲ この野蛮な柱頭、そこには怪物等が身をもだえ
   CE CHAPITEAU BARBARE OU DES MONSTERES SE TORDENT
  Ⅳ 夜の空はひろがり
   LE CIEL EN NUIT S'EST DÉPLIÉ
  Ⅴ いつでも,かほど純真にふかい
   CHAQUE HEURE OÙ JE SONGE À TA BONTÉ
  Ⅵ あなたは時としてあのなよやかな美を示す,
   TU ARBORES PARFOIS CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅶ おう! 戸を叩かせて置かう,
   OH! LAISSE FRAPPER CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅷ あどけない頃のやうに,私は自分の心をあなたに上げた,
   COMME AUX ÂGES NAÏFS JE T'AI DONNÉ MON C CEUR
  Ⅸ わかい,気のやさしい春は
   LE PRINTEMPS JEUNE ET BÉNÉVOLE                           
  Ⅹ しづかに来て
   VIENS LENTEMENT T'ASSEOIR
  Ⅺ 火のやうな恍惚の眼をして
   COMBIEN ELLE EST FACILEMENT RAVIE
  Ⅻ 長い間私のくるしんでゐた時,
   AU TEMPS OÛ LONGUEMENT J'AVAIS SOUFFERT
  ⅩⅢ どういふわけか何故なのかいはれは何か
   ET QU'IMPORTENT ET LES POUQUOIS ET LES RAISONS
  ⅩⅣ 黄金と花との階段をしづしづ降りる
   A CES REINES QUI LENTEMENT DESCENDENT
  ⅩⅤ 私はあなたの涙に,あなたの微笑みに,
   JE DÉDIE À TES PLEURS, À TON SOURIRE
  ⅩⅥ 私はあなたの二つの眼の中に自分の魂全てを溺らす,
   JE NOIE EN TES DEUX YEUX MON ÂME TOUT ENTIÈRE
  ⅩⅦ われらの眼を愛するため
   POUR NOUS AIMER DES YEUX
  ⅩⅧ われらあの愛の園に,夏はつづく。
   AU CLOS DE NOTRE AMOUR, L'ÉTÉ SE CONTINUE
  ⅩⅨ あなたの明るい眼,あなたの夏の眼が,
   QUE TES YEUX CLAIRS, TES YEUX D'ÉTÉ
  ⅩⅩ 言つてごらん,私の質素な私の静かな友よ,
   DIS-MOI MA SIMPLE ET MA TRANQULLE AMIE
  ⅩⅪ われら自身以外の一切のものからこんなに遠く
   EN CES HEULES OÙ NOUS SOMMES PERDUS
  ⅩⅫ おお! この幸福!
   OH! CE BONHEUR!
  ⅩⅩⅢ 生きませう,われらの愛とわれらの熱情とに。
   VIVONS DANS NOTRE AMOUR ET NOYRE ARDEUR
  ⅩⅩⅣ われらの口の触れ合ふやいなや
   SITOT QUE NOS BOUCHES SE TOUCHENT
  ⅩⅩⅤ 底知れぬ深さ神のやうに聖い
   POUR QUE RIEN DE NOUS DEUX N'ÉCHAPPE ÀNOTRE ÉTREINTE
  ⅩⅩⅥ たとひもう,こよひ,
   BIEN QUE DÉJÁ, CE SOIR
  ⅩⅩⅦ からだを捧げるとは,魂のある以上,
   LE DON DU CORPUS, LORSQUE L'ÂME EST DONNÉE
  ⅩⅩⅧ われらのうちにたつた一つの心やさしさ,
   FUT-IL EN NOUS UNE SEULE TENDRESSE
  ⅩⅩⅨ 炎に花咲く美しい庭は
   LE BEAU JARDIN FLEURI DE FLAMMES
  ⅩⅩⅩ もし万一にも
   S'IL ARRIVE JAMAIS
 午後の時 LES HEURES D'APRÈS-MIDI
  Ⅰ 年は来ました、ひと足ひと足,ひと日ひと日,
   L'ÂGE EST VENU, PAS Á PAS, JOUR Á JOUR
  Ⅱ 六月の薔薇,おん身最も美しいもの,
   ROSES DE JUIN, VOUS LES PLUS BELLES
  Ⅲ 若しほかの花々が家をかざり
   SI D'AUTRES FLEURS DÉCORENT LA MAISON
  Ⅳ 陰は浄まりあけぼのは虹いろ。
   L'OMBRE EST LUSTRALE ET L'AUROPE IRISÉE
  Ⅴ 私は,こよひ,おみやげとして,あなたにあげる,
   JE T'APPORTE, CE SOIR, COMME OFFRANDE, MA JOIE
  Ⅵ ふたりして路ばたに腰かけよう,
   ASSEYONS-NOUS TOUS DEUX PRÈS DU CHEMIN
  Ⅶ しづかに,なほもしづかに,
   TRÈS DOUCEMENT, PLUS DOUCEMENT ENCORE
  Ⅷ われらの愛の生れるわけであつたこの家には,
   DANS KA MAISON OÚNOTR AMOUR A VOULU NATRE
  Ⅸ 窓をあけひろげて
   LE BON TRAVAIL, FENÊTRE OUVERTE
  Ⅹ まつたき信がわれらの愛の底に住む。
   TOUTE CROYANCE HABITE AU FOND DE NOTRE AMOUR
  Ⅺ  暁、陰、夕暮,空間,星。
   L'AUBE L'OMBRE, LE SOIR, L'ESPACE ET LES ÉTOIRES
  Ⅻ 今は善い時,ラムプのつく時。
   C'EST LA BONNE HEURE, OÛ LA LAMPE S'ALLUME
  ⅩⅢ 過ぎ去つた年の死んだ接吻が
   LES BAISERS MORTS DES DÉFUNTES ANNÉES
  ⅩⅣ われらが同じ思に生きてゐてもう十五年。
   VOICI QUINZE ANS DÉJÀ QUE NOUS PENZONS D'ACCORD
  ⅩⅤ 永遠にわれらの喜は麻痺したと思つた,
   J'AI CRU Á TOUT JAMAIS NOTRE JOIE ENGOURDIE
  ⅩⅥ われらのまはりに生きる一切のもの,
   TOUT CE QUI VIT AUTOUR DE NOUS
  ⅩⅦ 私の感覚,私の心,私の頭脳,
   AVEC MES SENS, AVEC MON C ŒUR ET MON CERVEAU
  ⅩⅧ 爽やかな静かな健康の日々,
   LES JOURS DE FRAICHE ET TRANQUILLE SANTÉ
  ⅩⅨ 私は眠の林から出て来た。
   JE SUIS SORTI DES BOSQUETS DU SOMMEIL
  ⅩⅩ ああ,病の鉛が,
   HÉLAS! LORSQUE LE PLOMB DES MALADIES
  ⅩⅪ 明るい庭こそ健康そのもの。
   LE CRAIR JARDIN, C'EST LA SANTÉ
  ⅩⅫ 六月であつた,庭での事,
   C'ÉTAIT EN JUIN, DANS LE JARDIN
  ⅩⅩⅢ 身を捧げるだけでは足らず,あなたは自身を濫費する。
   ET TE DONNNER NE SUFFIT PLUS, TU TE PRODIGUES
  ⅩⅩⅣ おう もの一つ動かぬ静かな夏の庭よ。
   O LE CALME JARDIN D'ÈTÈ OÚ RIEN NE BOUGE
  ⅩⅩⅤ 時間も気持ちも,まるで別,
   COMME Á D'AUTRES, L'HEURE ET L'HUMEUR
  ⅩⅩⅥ 美しい夏の金色の小舟等は,
   LES BARQUES D'OR DU BEL ÉTÉ
  ⅩⅩⅦ 感覚の熱,心情の熱,霊魂の熱,
   ARDEUR DES SENS, ARDEUR DES CŒURS, ARDEUR DES ÂMES
  ⅩⅩⅧ 不動の美は
   L'IMMOBILE BEAUTÉ
  ⅩⅩⅨ そなたは,あの夕,あんな美しい言葉をきかせてくれた。
   VOUS M'AVEZ DIT, TEL SOIR, DES PAROLES SI BELLES
  ⅩⅩⅩ 「明るい朝の時」「午後の時」
   《HEURES DU MATIN CLAIR》《HEURES D'APRÈS SI BELLES》
 夕の時 LES HEURES DE SOIR
  Ⅰ DES FLEURS FINES ET MOUSSEUSES COMME L'ÉCUME
  Ⅱ  S'IL ÉTAIT VRAI
  Ⅲ LA GLYCINE EST FANÉE ET MORTE EST L'AUBPINE
  Ⅳ METS TA CHAISE PRÉS DE LA MIENNE
  Ⅴ SOIS-NOUS PROPICE ET CONSOLANTE ENCOR
  Ⅵ HÉLAS! LES TEMPS SONT LOIN
  Ⅶ LE SOIS TOMBE, LA LUNE EST D'OR
  Ⅷ LORSQUE TA MAIN CONFIE
  Ⅸ ET MAINTENANT QUE SONT TOMBÉS
  Ⅹ QUAND LE CIEL ÉTOIREÉ COUVRE NOTRE DEMEUR
  ⅩⅠ  AVEC LE MÉME AMOUR QUE TU ME FUS JADIS
  ⅩⅡ  LES FLEURS DU CLAIR ACCUEIL
  ⅩⅢ  LORSQUE S'ÉPAND SUR NOTRE SEUIL
  ⅩⅣ SI LE SORT NOUS SAUVA DES BANALES ERREURS
  ⅩⅤ NON, MON ÂME JAMAIS DE TOI NE S'EST LASSÉE
  ⅩⅥ QUE NOUS SOMMES ENCORE HEUREUX
  ⅩⅦ SUBIRONS-NOUS, HÉLAS! LE POIDS MORT DES ANNÉES
  ⅩⅧ LES MENUS FAITS, LES MILLE RIENS
  ⅩⅨ VIENS JUSQU'Á NOTRE SEUIL RÉPANDRE
  ⅩⅩ QUAND NOTRE JARDIN CLAIR
  ⅩⅩⅠ AVEC MES VIEILLES MAINS
  ⅩⅩⅡ SI NOS CŒURS ONT BRÛLÉ EN DES JOURS EXALTANTS
  ⅩⅩⅢ EN CE RUGUEUX HIVER OU LE SOLEIL FLOTTANT
  ⅩⅩⅣ PEUT-ÊTRE
  ⅩⅩⅤ OH! TES SI DOUCES MAINS
  ⅩⅩⅥ LORSQUE TU FERMERAS MES YEUX Á LA LUMIÈRE
 ヹルハアラン 高村光太郎
 解説 北川太一

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの詩集「時の三部作」。4年前に「光太郎生誕100年記念出版」として出版されたものが、ハードカバーになって「光太郎没後30周年記念」として再刊されました。

札幌の本郷新記念札幌彫刻美術館さんで開催中の「本郷新生誕120年記念 コレクション展 マンガでわかる本郷新」がらみで、そのマンガそのものがネットで入手できるようになったため、早速購入しました。

タイトルは『本郷新伝』。同館が企画、監修し、札幌のエアーダイブさんが制作・刊行。A5版120ページほどです。作画はエアーダイブさんに所属されているんだか、契約なさっているんだかの方々なのでしょう、鴨修平氏と桜井さよる氏。
001
3話構成で、「1話:創り出す手」「2話:差し伸べる手」「3話:繋ぎあう手」となっています。主人公というか、狂言廻しというかが、「1話」と「3話」が札幌在住で高校の美術部に所属する女子生徒(「3話」では美大に進学したという設定)。さらに「2話」では広島での被爆者の孫にあたる中年男性。それぞれに本郷の彫刻、そこに込められた思いなどに触れ、新たな目を開かされるというストーリーです。

途中途中に本郷の評伝的な部分がちりばめられ、「1話」中には光太郎も。ロダンにも触れられています。
003
005
本郷は東京高等工芸学校の出身。本郷新記念札幌彫刻美術館さんの公式サイトによれば関東大震災の翌年、大正13年(1924)に入学しています。「フリー百科事典 ウィキペディア」の本郷の項では、「東京美術学校志望だったが親に反対され、産業との関係が深い東京高等工芸学校彫刻部(現千葉大学工学部)に1925年に入学。作品が完成するたびに高村光太郎のもとを訪れ批評を受けた。ただしこの頃の高村はすでに彫刻を離れ、詩作に専念していた時期であった。間違いだらけです。まず、工芸学校入学の年が違っています。本郷新記念札幌彫刻美術館さんの公式サイトの方が間違っているということはありえないでしょう。さらに頓珍漢なのは「ただしこの頃の高村はすでに彫刻を離れ、詩作に専念していた時期であった」。まったく逆で、大正13、14年(1924、25)は一時期離れていた木彫を再開し、「蝉」「柘榴」「鯰」「魴鮄」「鷽(うそ)」などを作り、好評を博していた時期です。あらためて「ウィキペディア」をそのまま信用するのは危険だなと思いました。

ちなみに東京高等工芸学校といえば、かの「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏の母校でもあります。やなせ氏の在学期間は昭和12年(1937)~同15年(1940)。昨年の朝ドラ「あんぱん」でも同校の場面がかなり描かれていましたね。
007 006
また、本郷新記念札幌彫刻美術館さんの公式サイトでは「1928年(昭和3年)22歳 卒業後、国画創作協会第7回展に《少女の首》初入選。この頃より高村光太郎に師事」。『本郷新伝』では「高等工芸学校の卒業前後に高村光太郎の自宅を訪ね彫刻を見てもらうようになる」。「卒業前後」の幅がどの位の期間なのか、光太郎の書き残したものの中には記述がありません。『高村光太郎全集』には本郷の名は最晩年の昭和30年(1955)と翌年の日記に数回出て来るだけでして。その中では、光太郎が作りたいと思っていたものの、健康状態がもはやそれを許さず断念した藤島武二の胸像を代わりに本郷に作ってもらうよう頼んだとあります。
002
おそらくこちらでしょう。画像は「ken's銅像探索日誌」というサイトからお借りしました。

ただ、本郷新記念札幌彫刻美術館さんには、光太郎から本郷宛の書簡が残されているということで、『高村光太郎全集』やその補遺である当方編の「光太郎遺珠」には掲載されていないものです。そちらを拝見できれば本郷と光太郎の交流の様子がもう少し明らかにできると思っております。

漫画以外の部分も充実しています。間に挟まれているコラム的なページ、それから巻末には資料編的なページも。項目名を列挙すると「わだつみの声」「本郷新と関係の深い人物・団体」「彫刻の美」「なぜ、服を着ていないの?」「嵐の中の母子像」「泉の像」「彫刻鑑賞のポイント」「ブロンズ像の作り方」「北海道内の公共空間にある彫刻」「北海道内の公共空間にある彫刻」。

本郷作品、当会事務所兼自宅のある千葉県香取市と利根川を挟んだ隣町になる茨城県神栖市の市立図書館さんに設置されています。「北海道内の公共空間にある彫刻」の項でちゃんと紹介されていました。
004
3、4日前に撮影して参りました。
PXL_20260304_030252551 PXL_20260304_030258371
さて、『本郷新伝』、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)66 『芸術論集 緑色の太陽』

昭和57年(1982)6月16日 岩波書店(岩波文庫) 高村光太郎著
PXL_20260307_062625229 PXL_20260307_062643412 PXL_20260307_062713380
目次
 Ⅰ 自伝 父との関係
 Ⅱ 人の首 木彫ウソを作った時 蝉の美と造型
 Ⅲ 緑色の太陽 彫刻鑑賞の第一歩 彫刻十個条 触覚の世界 生命の創造
 Ⅳ ミケランジェロ・ブオナローティ ロダンに就いて二、三の事 荻原守衛
 Ⅴ 手 信親と鳴滝 美の日本的源泉
 Ⅵ 書について 書の深淵 黄山谷について 書についての漫談
 Ⅶ 詩についてⅠ
    余はかく詩を観ず 詩そのもの 詩について 小感 気について 詩の深さ
    詩と表現 私の詩の理法
   詩についてⅡ 生きた言葉 自分と詩との関係 詩について語らず 日本詩歌の特質
 解説 北川太一

当会顧問であらせられた故・北川太一先生が編まれ、解説されたものです。光太郎生前には『緑色の太陽』という書籍は存在しませんでした。岩波書店さんのサイトでは「品切れ」。重版が待たれます。

本日開幕の企画展示です。昨日、ご紹介しようと書き始めたところ、公式サイトがメンテ中だったと見えてアクセス出来ませんでしたので……。

特別展 志村ふくみ 百一寿 ―夢の浮橋―

期 日 : 前期 2026年3月3日(火)~4月12日(日)
      後期 2026年4月14日(火)~5月31日(日)
会 場 : 細見美術館 京都市左京区岡崎最勝寺町6-3
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日(ただし、5月4日は開館)、5月7日(木)
料 金 : 一般 2,000円 学生 1,500円

 紬織の重要無形文化財保持者であり、随筆家としても知られる志村ふくみ。自然から限りない色彩を抽き出し、経糸と緯糸の交わりによって深く果てしない世界を表現する稀有の染織作家です。2025年秋に101歳を迎えた現在も、美しいものを手に取りながら穏やかな日々を過ごし、心をゆさぶる自然や色彩への深いまなざしを持ち続けています。
 本展では『源氏物語』や「紫」、そして作家、石牟礼道子(いしむれみちこ)原作の新作能
『沖宮(おきのみや)』の装束など近年の特徴的なテーマを中心に、作品と綴られた言葉によって、色彩、生命、自然への尽きることのない思索と、未来へ語り伝える想いを紹介します。本展を機に構想・制作された作品2領を初公開。作家の永く実り豊かな歩みを称え、言祝ぐ展覧会です。
000
主な出品作品
 新作 《朧月夜》 2025年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸・金糸/紫根、藍、臭木【通期展示】
 新作 《夢の浮橋》 2025年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸/紅花、茜、紫根、藍、刈安 【通期展示】
 《若紫》 2007年 絹糸/紫根、茜 【前期展示】
 舞衣《紅扇》 2021年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸/紅花、藍、刈安、臭木、紫根 【前期展示】
 小袖《Francesco》 2020年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸/臭木、藍 【前期展示】
 《月の湖》 1985年 絹糸/藍、玉葱 【前期展示】
 《風露》 2000年 絹糸/紅花、藍、刈安、紫根 【後期展示】
 《雛形 若菜》 2006年 絹糸 【前期展示】
 《雛形 紫格子白段》 2006年 絹糸 【前期展示】
 《雛形 蛍 生絹》 2006年 絹糸 【後期展示】
006
 《五月のウナ電》 詩:高村光太郎 書・裂:志村ふくみ 【後期展示】
002
光太郎詩「五月のウナ電」(昭和7年=1932)をモチーフとした裂(きれ)が展示されます。令和5年(2023)、都内の銀座大黒屋ギャラリーさんで開催された「志村ふくみ氏・洋子氏母子の作品展示販売会 五月のウナ電」の際にも展示されたものです。画像はその冒頭部分で、全体ではこの4倍ほどになっていました。

平成21年(2009)に人文書院さんから刊行された志村氏のエッセイ集『白夜に紡ぐ』中に、ずばり「五月のウナ電」というタイトルの一篇が含まれ、宇宙の彼方から、地球の木々や鳥獣禽魚たちに届けられた電報、そこに語られるアジテートへの共鳴がつづられています。

 いつの頃か、私はどこかの雑誌にのっていたこの詩につよく心ひかれて、ノートに写していた。そしていつかどんな形かで、この詩を自分の手で飾りたい、と思っていた。十数年経ったこの頃またまた読みかえし、思い切って和紙を貼ったパネルに筆でカタカナを書いてみた。全くぶっつけ本番に。そしたら文字が踊るようで、ゼンマイはうずまくし、ウソヒメやホホジロがうたい出すし、トチノキは蠟燭をたてるし、人間なんかにかまわずにみんながうたい出した。私はうれしくなって、ところどころの隙間に小さな裂をチョンチョン貼ってこの詩を飾った。

そして志村氏、交友のあった版画家の山室眞二氏と組まれて限定65部の『配達された五月のウナ電』という可愛らしい書籍も作られました。解説は当会顧問であらせられた故・北川太一先生。ちなみに山室氏は、光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八令孫の石黒敦彦氏が編まれた北川先生の『高村光太郎と尾崎喜八』の装丁もなさっています。
007
関連行事として、ご令嬢の志村洋子氏による講演「うつろいゆく紫の物語」(5月10日(日))も開催されます。展示のメインとなる『源氏物語』系のお話が中心かとは存じますが、「五月のウナ電」にも触れていただきたいものです。
004
《五月のウナ電》は後期(4月14日(火)~5月31日(日))での出品になりますが、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)61 『道程』名著復刻全集 近代文学館

昭和43年(1968)9月10日 日本近代文学館 高村光太郎著
PXL_20260301_020932547
PXL_20260301_020852228 PXL_20260301_021011887
目次
 一九一〇年 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年 画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥
  声 風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏
  なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
  けもの
 あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年 青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 
  或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
  カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて
  師走十日
 戦闘
 一九一三年 人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実
  冬が来た
 冬の詩 牛 僕等
 一九一四年 道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ
  晩餐
 五月の土壌 淫心 秋の祈

大正3年(1914)に抒情詩社から出た初版のカバーまで含めた完全復刻です。最初の段階では復刻としての奥付は函に貼られていました。のち、ほるぷ出版さんに版元が移ってからの版は最終ページに奥付が附されたような記憶があります。おそらくそうしないと「初版」と偽って売る悪徳業者がいたのではないかと思われます。

これまた始まってしまった展示です。

本郷新生誕120年記念 コレクション展 マンガでわかる本郷新

期 日 : 2026年2月22日(日)~5月24日(日)
会 場 : 本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市中央区宮の森4条12丁目
時 間 : 午前10時~午後5時
休 館 : 月曜日 5月4日(月・祝)は開館し5月7日(水)は休館
料 金 : 一般350円(300円)、65歳以上300円(200円)、高大生150円、中学生以下無料
      ※(  )内は10名以上の団体料金

 札幌生まれの彫刻家・本郷新(1905~80年)は、彫刻の社会性、公共性を重視し、戦後、平和、希望、愛などをテーマにしたモニュメンタルな野外彫刻の制作に熱意を傾けました。
 本郷新記念札幌彫刻美術館では、2025年12月に生誕120年を迎える本郷新の功績を、次世代の子どもたちにも伝えていくために、マンガ『本郷新伝』を出版し、札幌市内の小学校などに配布する予定です。
 本展はこのマンガの出版に合わせて開催されます。マンガの主要な場面をいくつかパネル化し、実際の作品や資料と一緒に展示することで、本郷新の生涯や彫刻に込められた思いについて、初心者でも楽しく愛着を持って学ぶことができます。
002
005
【関連事業】
◆『本郷新伝』出版記念トークイベント「マンガで伝える 彫刻家本郷新の思い」
 日 時 : 2026年3月21日(土)14:00-15:30(開場13:30)
 会 場 : SCARTSコート(札幌市民交流プラザ1階)
 登壇者 : 田中宏明(エアーダイブ代表)  三守小百合(エアーダイブ副編集長)
       鴨修平(漫画家)        桜井さよる(漫画家)
       吉崎元章(本郷新記念札幌彫刻美術館館長)
 定 員 : 80名(事前申込不要・先着順)
 受講料 : 無料
004
マンガ『本郷新伝』について。

本郷新伝

発行日 : 2026年3月4日
著者等 : teamエアーダイブ/本郷新伝製作委員会
版 元 : Dybooks
定 価 : 990 円(税込)

「手」は人類が誕生して以来様々なものを生み出してきた。「物」も、「争い」も、そして「彫刻」……北海道・札幌に生まれ、平和を愛し、彫刻に生命を吹き込み、日本の社会的空間における彫刻の在り方を探求し続けた彫刻家・本郷新の物語が いま、始まる――

普段、何気なく見ている街なかの彫刻。それは、半世紀以上前に、本郷新がつくったものかもしれません。時代が移り変わっても、社会の中でずっと生き続けることを求めた造形。そして、そこに込めた人間愛と、反戦・平和への強い思い。この「本郷新伝」は、現代の視点から、それらを改めて見つめ直していきます。本郷新や彫刻に対する深い理解へと導く渾身作です。ぜひご一読ください。
 吉崎元章(本郷新記念札幌彫刻美術館 館長)

【目次】 1話:創り出す手 2話:差し伸べる手 3話:繋ぎあう手
008 006
こちらには、本郷と交流のあった光太郎も登場するそうです。『北海道新聞』さん記事。

コレクション展 マンガでわかる本郷新

 札幌出身で戦後日本の彫刻界をけん引した本郷新(1905~80年)の生涯や考え方を紹介する漫画「本郷新伝」(teamエアーダイブ著)が3月4日、発売される。生誕120年記念で企画・監修した本郷新記念札幌彫刻美術館は、出版を記念する特別展を開く。作中の主要場面のパネルを彫刻や資料と並べ、本郷をより広く、深く知るきっかけにしてもらう考え。
 漫画では、広島市民の募金で平和記念公園に設置されたブロンズ像「嵐の中の母子像」や、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝に依頼された札幌・大通公園の「泉の像」の制作意図や背景を紹介。高村光太郎、山内壮夫、佐藤忠良ら、親交を深めた芸術家たちも登場する。また、本郷が36歳の時の彫刻論集に収録された「彫刻十戒」もイラストを用いて説明した。
 A5判128ページ、990円。道内主要書店で販売するほか、札幌市内の小中学校、図書館に寄贈する。漫画は館内で先行販売する。

UHB北海道文化放送さんのローカルニュース。

「生誕120周年」迎えた札幌出身の彫刻家・本郷新さんの生涯や彫刻に込めた思いを紹介「マンガでわかる本郷新」展はじまる 5月24日まで〈北海道札幌市〉

 札幌出身の彫刻家、本郷新さんの伝記漫画の出版を記念した特別展が2月22日から始まりました。
 この特別展は札幌出身の彫刻家、本郷新さんの伝記漫画、「本郷新伝」の出版に合わせて企画されたものです。
 漫画では戦後日本の彫刻界をけん引し、2025年12月に「生誕120周年」を迎えた本郷さんの生涯や彫刻に込めた思いが紹介されています。
 会場では本郷さんの彫刻などと一緒に並べられた漫画の主要場面を訪れた客が熱心に見入っていました。
 この特別展は、5月24日まで開かれています。
015
009 010
011 012
014 013
展示にはぜひ足をお運びの上、『本郷新伝』もお買い求めあれ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)59 『智恵子抄』 改版

昭和42年(1967)12月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎著
PXL_20260207_134045584
PXL_20260207_134120236
PXL_20260207_134148237

目次
 人に(いやなんです) 或る夜のこころ  おそれ からくりうた 或る宵 梟の族
 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪 人類の泉 人に(遊びぢやない) 人類の泉 僕等
 愛の嘆美 晩餐 淫心 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視
 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記
 レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 松庵寺 報告(智恵子に) 噴霧的な夢
 もしも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 智恵子と遊ぶ 報告 うた六首 智恵子の半生 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 解説「悲しみは光と化す」 草野心平 覚え書 同 改訂覚え書 同

昭和31年(1956)5月20日に初版が出された新潮文庫版の改版です。編者・草野心平の意図で初版には省かれていた「或る日の記」が新たに収められました。カバーも智恵子紙絵を使ったものに変更、さらに口絵にも智恵子紙絵が入れられました。

おそらく数千冊ある光太郎関連蔵書の中で、1番を選べ、といわれたら迷わずこれを選びます。手持ちの物は昭和51年(1976)1月の第57刷。中途半端な時期の重刷、さらにボロボロの状態なため市場価格は無いに等しいもので、古書店では入口のワゴンに100円均一で並んでいるようなものでしょう。しかし、自分にとってはこれが1番です。なぜなら、数千冊に及ぶ光太郎関連蔵書の第1号がこれだからです。昭和51年(1976)にこれを手に入れて読み、雷に打たれたような衝撃を受けてしまった故に、現在の自分が居ます。

新刊です。

井上涼の美術でござる 三の巻

発行日 : 2026年2月25日
著者等 : 井上涼
版 元 : 毎日新聞出版
定 価 : 2,500円+税

「びじゅチューン!」でもおなじみ、井上涼の美術まんが 待望の第3弾! わがままヴィーナス、オフィーリアの秘密の伝言、老猿の大脱走......忍者B・忍者Cと世にもゆかいな名画の世界へ! "クセつよ"芸術家27人の作品と人柄を紹介するよ。

はじめての美術鑑賞にぴったりの一冊! 総ルビつきで幼児からたのしめます。プレゼントにもどうぞ。
001
目次
 はじめに
 Ⅰ 不思議の国の忍者たち
  ブリューゲルの巻 ボスの巻 デ・キリコの巻 ダリの巻 山下清の巻
  じっくり見てみよう① 山下清《ロンドンのタワーブリッジ》
 Ⅱ ようこそ! ござる町へ
  マティスの巻 聖徳太子の巻 本阿弥光悦の巻 猪熊弦一郎の巻 ロートレックの巻
  描き下ろしまんが「ロートレックの巻」その後
 Ⅲ モノクロ世界で、もういいかい?
  雪村の巻 横山大観の巻 エッシャーの巻 ハマスホイの巻 棟方志功の巻
  じっくり見てみよう② ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》
 Ⅳ 発見! 動物植物のすごい絵
  高村光雲の巻 熊谷守一の巻 竹内栖鳳の巻 河鍋暁斎の巻 若冲の《動植綵絵》の巻
  ラスコー洞窟の壁画の巻 ガレの巻 田中一村の巻 ウィリアム・モリスの巻
  ジョン・エヴァレット・ミレイの巻 アルチンボルドの巻 ボッティチェリの巻
  じっくり見てみよう③ 田中一村《椿図屏風》
  じっくり見てみよう④ アルチンボルド 四季《夏》《冬》/四大元素《水》《大地》
 おわりに


NHK Eテレさんで放映中の「びじゅチューン!」でアニメーション制作から劇中歌の作詞作曲演奏、そして出演なさっての解説までをこなす井上涼氏が、『毎日小学生新聞』さんに平成28年(2016)から連載されている漫画の単行本化です。見開き2ページで一人の美術家や美術作品が取り上げられています。

掲載紙では平成31年(2019)に光太郎が取り上げられ、昨年刊行の二の巻に収録されました。そして光太郎の父・光雲を扱った「高村光雲の巻」は初出が平成5年(2023)で、今回の三の巻に収められました。
PXL_20260224_215715951
メインで取り上げられるのは、トーハクさん所蔵の重要文化財「老猿」。同作は「びじゅチューン」でも令和4年(2022)に「老猿は主役じゃなくても」として扱われましたが、また別のストーリー。動物彫刻の制作ではモデルの善し悪しにこだわった光雲が猿を観察したいと望み、主人公の忍者たちが協力する、というものです。

実際、「老猿」制作に際し、光雲は浅草の「猿茶屋」から猿を借りてきてスケッチしています。
003
その顛末は光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)で語られています。

 モデルはその頃浅草奥山に猿茶屋があつて猿を飼つてゐたので、その猿を借りて来ました。この猿は実におとなしい猿で、能くいふことを聞いてくれまして、約束通りの参考にはなりました。物置に縛いで置いたが、どんなに縄をむづかしく堅くしばつて置いても、猿といふものは不思議なもので必ずそれを解いて逃げ出しました。一度は一軒置いてお隣りの多宝院の納所へ這入り坊さんのお夕飯に食べる初茸の煮たのを摘んでゐるところを捕まへました。一度は天王寺の境内へ逃げ込み、樹から樹を渡つて歩いて大騒ぎをしたことがありますが、根がおとなしい猿のことで捕まへました。

青空文庫さんでこの項全文が読めます。

井上氏、このくだりを参考になさったようで、「猿茶屋」ならぬ「猿カフェ」から借りてきた猿が大騒動を起こす、という話です。ちなみにちらっと光太郎も登場します。

他もおそらくそれぞれの美術家のエピソードなどを盛り込み、テキトーに描いているんじゃないなというのがよくわかります。それにしても「びじゅチューン」同様に、シュールですが(笑)。

ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)55 『美について』 

昭和35年(1960)11月10日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
PXL_20260207_133655343 PXL_20260207_133710041 PXL_20260207_133724305
目次
 触覚の世界
  触覚の世界 比例均衡 普遍と独自 永遠の感覚 写生の二面 書について 書の深淵
  感覚と生活 緑色の太陽 言ひたい事を言ふ
 彫刻の世界
  彫刻的なるもの 彫刻性について 肖像雑談 彫刻に何を見る 東洋と抽象彫刻
  蝉の美と造型 小刀の味 絶滅の美
 
ある首の幻想
  ある首の幻想 人の首 家 装幀について 某月某日  ほくろ 自分と詩との関係
  智恵子の切抜絵 九代目団十郎の首 自作肖像漫談
 美術の魅力
  日本の美
   埴輪について 仏像について(古式の美) 能面について 茶について
  彫刻の面白味 版画の話 静物画の新意義 日本画に対する感想 自刻木版の魅力
 オオギュスト・ロダン
  一 一個の全球 二 親ゆづり 三 善い姉さんと腹の出た家と 四 始まり 五 実地修行
  六 修道院 七 下働きと仕立女工 八 総決算と新時代 九 苦境と愉楽と 
  十 振出しへ返る事
 十一 自己の道 十二 「歩む人」と「地獄の門」と 十三 胸像群
  十四 記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義 十五 一九〇〇年以後
  十六 晩年、死、死 十七 「小さい花子」
 解説 伊藤信吉

同名の書籍が昭和16年(1941)に道統社から出ていますが、かなり内容が異なります。

詩人の若松英輔氏。光太郎についても関心がおありのようで、複数のご著作やオンライン講座、ラジオ番組等で光太郎に触れて続けてくださっています。

これまでに配信されたオンライン講座からセレクトされたもの、20余りの講座が「10~15%オフで再配信」だそうです。会員登録が必要とのことですが。

音声講座キャンペーン

★過去の音声講座の人気シリーズを今だけリバイバル!

好評だった講座や、再販のご希望の多かったシリーズ講座を、10~15%オフで再配信します。聴講期間はたっぷり4月15日(水)まで。お好きな場所で、期間中は何回でもお聴き頂けます。聴きたかったあの講座を受講してみませんか?
001
<講座一覧>
 ■詩を書くための「感覚入門」――感覚とつながる 
 ■小林秀雄・岡潔『人間の建設』――人生の本質を求めて
 ■太宰治『駈込み訴え』――愛は言葉よりコトバによって語られる 
 ■若松英輔『愛について』――誰かを愛するなかで、人は自分に出会う
 ■苦しみについて
 ■よろこびについて
 ■エーリッヒ・フロム『愛するということ』 
 ■はたらくための哲学 言葉とコトバ
 ■高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ
 ■『対訳 ブレイク詩集』――詩人になるとは、詩の使者となることである
 ■志村ふくみ『語りかける花』
 ■小林秀雄「信ずることと知ること」
 ■『新編 志樹逸馬詩集』――人生の一語に出会う
 ■遠藤周作 『深い河』
 ■遠藤周作『沈黙』
 ■マルクス・アウレリウス『自省録』――内なる光に出会う
 ■トルストイ『人は何で生きるか』――天使に課せられた3つの問い
 ■トルストイ『イワン・イリッチの死』――消えることのない人生の光を求めて
 ■内村鑑三『後世への最大遺物』――言葉を遺す、コトバを遺す
 ■カリール・ジブラン『預言者』――人生とは、真の自分に出会う旅である
 ■ヘルマン・ヘッセ『シッダルタ』――わたしという秘密をもとめて
 ■フランクル『それでも人生にイエスと言う』――苦しむことは、生きる意味でもある

※このページの音声講座は購入後すぐにお聞き頂けます(3営業日以内にお送りします)。
 他の音声講座とは配信日や聴講期間が異なります。詳しくは下記をご確認下さい。
※講座によっては、収録日時が古いため、現在の形式などと異なる場合がございます。

【配信】お申込み後、3営業日以内にメールにて、聴講のためのURLとレジュメなどをお送り致します。
【聴講期間】4月15日(水)まで ※いつご購入されても、聴講期限は同じです。
【お申込み方法】 「読むと書く」会員様のみご参加頂けます。 会員証をお持ちでない方は、初めての方はこちらよりお申し込み下さい。
・初めての方はアンケート・課題を当事務局で確認後のご入会およびご入金となりますので、お申込のタイミングにより、配信が遅れる場合がございます。お早めにお申込下さい。
000
令和4年(2022)に配信のあった「高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ」がラインナップに入っています。

高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ

 高村光太郎訳の『ロダンの言葉』は、ある時期、画家や彫刻家だけでなく、文学、音楽を含む世界においても、ある種の啓示の書として読まれました。彫刻という「かたち」のなかに潜むコトバを語るロダンに美と叡知の地平を指し示す羅針盤のようなものを感じたのです。
 今日、ロダンはすでに不朽の名を歴史に刻んでいますが、彼は多くの誤解と中傷を受けながら、自らの芸術を深化させてきました。この本には、かたちを変えた詩の極意が語られています。
 言葉を超えたコトバとどのような関係をつむぐことができるのか、ロダンの言葉に導かれながら、皆さんと考えてみたいと思います。 (講師:若松英輔)

【講座時間】約90分
【テキスト】高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』(高田博厚編・岩波文庫)
【受講料】★全3回まとめて
・書くワーク付き 18,150円 →<12%オフ>15,972円(税込)
・書くワークなし 13,200円 →<12%オフ>11,616円(税込)

『ロダンの言葉抄』は、いずれ下記の【高村光太郎書誌】で取り上げますが、昭和35年(1960)刊行の岩波文庫の一冊。大正期の『ロダンの言葉』『続ロダンの言葉』から、光太郎と交流のあった彫刻家の菊池一雄と高田博厚がセレクトして編み、高田の「解説」が附されています。『ロダンの言葉』系は正続合わせて10種類近くが刊行されていますが、現在でも新刊で入手が可能なのはこちらと、講談社文芸文庫版『ロダンの言葉』。ただ講談社さん版は店頭で見かけることがほとんどありませんが、岩波さん版は気の利いた新刊書店さんなら置いてありますし、こちらの方が分量も多く、お勧めです。

と、ここまで書いて岩波書店さんのサイトを調べたら、何と「品切れ」。まだ店頭に残っている場合があるかとは存じますが、重刷が待たれます。
002
その岩波さん版をテキストとした若松氏の講座です。

他にも上記の通り、さまざまな分野、内容の講座が用意されています。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)48 『アトリエにて』

昭和31年(1956)6月30日 新潮社 高村光太郎著
PXL_20260207_134957053 PXL_20260207_135007394 PXL_20260207_135024899
目次
 アトリエにて
  日本芸術院のことについて 父との関係 荻原守衛 モデルいろいろ 生命の創造
  焼失作品おぼえ書
 わたしの青銅時代
 最後の本を前にして 尾崎喜八

雑誌『新潮』に昭和29年(1954)2月から没した直後の昭和31年(1956)5月まで、断続的な連載が為された「アトリエにて」全10回(一つの題で2~3回にわたった項もあります)に、昭和29年(1954)の雑誌『改造』に寄稿した「わたしの青銅時代」をプラスしたものです。光太郎と交流の深かった尾崎喜八が解説を執筆しました。その解説に「最後の本」という語が冠されているのがちょっとひっかかりますが(この後も追悼出版が続きますので)、「焼失作品おぼえ書」の最後の一枚が、発表されたものとしては絶筆になりましたので、そういう意味でしょう。

昨日は妻と共に栃木県佐野市へ行っておりました。レポートいたします。

まず向かったのが東石美術館さん。
PXL_20260214_013341358
11年前に訪れた際には前身の佐野東石美術館という名称で、殺風景なビルの一角でしたが、一昨年にリニューアル。東石美術館さんを含む複合施設「東石スカイテラス」として生まれ変わりました。その名の通り、屋上は芝生の広がるテラスとなっており、前庭はイベントスペースとしても使用可。テラスに上がる階段が観覧席にもなる造りです。

メイン施設は東石美術館さん。
PXL_20260214_013422634.MP
こちらでは「令和八年第一回企画展 雪あかりと春のきざし」が開催中です。
031df1c9 PXL_20260214_015252187
目玉の出品物の一つとしてポスターに画像が使われている狛犬が、光太郎の父・光雲の作です。顔の部分だけを拡大した獅子頭タイプはこれまでも各地で拝見しましたが、狛犬像は初めてでした。ちなみになぜか作品名が「狗犬」となっているのですが。

特に撮影禁止などの表示が見当たらなかったので、撮らせていただきました。
PXL_20260214_014553493
像高一尺ほど。阿形の宝珠、吽形の角、それから双方の眼や爪牙、そして首飾りに金彩が施されていますが、それ以外は素の木肌で木目を実に上手く生かした造り。見事でした。360度で見られず、光雲の銘も視認出来なかったのが残念でしたが(銘を見ると単独作か工房作かある程度判断出来ます)。

他に光雲の一番弟子・山崎朝雲や、やはり光雲の系譜に連なる円鍔勝三らの彫刻、光雲に学んだ板谷波山の葆光彩磁、横山大観のナイアガラと万里の長城を描いた双幅の大きな屏風、喜多川歌麿(そういえば栃木とも縁がありました)や安藤広重の浮世絵など。
PXL_20260214_014204866 PXL_20260214_015310433
PXL_20260214_014214146 PXL_20260214_015323914
眼福でした。

リニューアルされたもののそれほど大きな館ではなく、ちょっと物足りないなぐらいの感じが逆に良いと思いました。「これでもか、これでもか」と並べられるとお腹が一杯になり、結局は各出品物の印象が残らないというケースも多いので。

また、通常入館料は1,000円のところ、2人で行くと800円に割引。さらに今回の半券を次回に提示すればまた800円で入館可と、どこまで良心的なんだ、と思いました。

続いて、御朱印コレクターの妻のリクエストで、車で数分の佐野厄除大師さんへ。関東圏ではテレビCMもよく眼にします。
PXL_20260214_021141916 PXL_20260214_021044590
001 002
分骨と言う定、かの田中正造翁の墓もあり「へ~」でした。また、佐野は「天明鋳物」と呼ばれる鋳造の町としても知られ、梵鐘は地元産だそうで。

帰ってから気づいたのですが、境内には石川啄木の歌碑もあったそうです。やはり足尾銅山の鉱毒事件にまつわるもので、社会問題にも意識高い系だった啄木ならではの歌ですね。

さらに道の駅マニアでもある妻の指示で、郊外の道の駅どまんなかたぬまさん。
PXL_20260214_033244630
これまでに行ったどの道の駅よりも混雑していました。土曜ということもあったでしょうし、我々同様に佐野厄除大師さんからの流れという方も少なくなかったかもしれません。

ちょうど昼時になる頃でしたので、こちらで名物の佐野ラーメン。
PXL_20260214_025854539 PXL_20260214_025857801
自分はチャーシュー麺、妻は野菜ラーメン。専門店でのそれには及ばないのかもしれませんが、十分に美味でした。

というわけで、佐野レポートを終わります。東石美術館さんの狛犬展示は3月24日(火)まで。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)46 『山の四季』

昭和31年(1956)5月20日 中央公論社 高村光太郎著
PXL_20260207_134510802 PXL_20260207_134629404
PXL_20260207_134547817
目次

 山の四季
  山の雪 山の人々 山の春 山の秋 花卷温泉 みちのく便り 七月一日 年越し
  雪解けず 開墾 早春の山の花 季節のきびしさ 淋しさ知らぬ孤独 夏の食事
  十二月十五日
 工房にて
  制作現況 人体について 工房にて 美と真実の生活 書についての漫談 書の深淵
  黄山谷について
 回想録
 あとがき

この年4月2日に光太郎が没し、それまで単行書に収録されていなかった詩文等を集めた追悼出版的なものが相次いで出されますが、その第一弾。雑誌『婦人之友』、『婦人公論』などに載った戦後(特に花巻郊外旧太田村時代のもの)の随筆をまとめたものです。クレジットがありませんが、編集は「あとがき」を書いた当会の祖・草野心平でした。

↑このページのトップヘ