カテゴリ: 彫刻/絵画/アート等

本日開幕の企画展示です。昨日、ご紹介しようと書き始めたところ、公式サイトがメンテ中だったと見えてアクセス出来ませんでしたので……。

特別展 志村ふくみ 百一寿 ―夢の浮橋―

期 日 : 前期 2026年3月3日(火)~4月12日(日)
      後期 2026年4月14日(火)~5月31日(日)
会 場 : 細見美術館 京都市左京区岡崎最勝寺町6-3
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 毎週月曜日(ただし、5月4日は開館)、5月7日(木)
料 金 : 一般 2,000円 学生 1,500円

 紬織の重要無形文化財保持者であり、随筆家としても知られる志村ふくみ。自然から限りない色彩を抽き出し、経糸と緯糸の交わりによって深く果てしない世界を表現する稀有の染織作家です。2025年秋に101歳を迎えた現在も、美しいものを手に取りながら穏やかな日々を過ごし、心をゆさぶる自然や色彩への深いまなざしを持ち続けています。
 本展では『源氏物語』や「紫」、そして作家、石牟礼道子(いしむれみちこ)原作の新作能
『沖宮(おきのみや)』の装束など近年の特徴的なテーマを中心に、作品と綴られた言葉によって、色彩、生命、自然への尽きることのない思索と、未来へ語り伝える想いを紹介します。本展を機に構想・制作された作品2領を初公開。作家の永く実り豊かな歩みを称え、言祝ぐ展覧会です。
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主な出品作品
 新作 《朧月夜》 2025年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸・金糸/紫根、藍、臭木【通期展示】
 新作 《夢の浮橋》 2025年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸/紅花、茜、紫根、藍、刈安 【通期展示】
 《若紫》 2007年 絹糸/紫根、茜 【前期展示】
 舞衣《紅扇》 2021年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸/紅花、藍、刈安、臭木、紫根 【前期展示】
 小袖《Francesco》 2020年 志村ふくみ監修 制作 都機工房
  絹糸/臭木、藍 【前期展示】
 《月の湖》 1985年 絹糸/藍、玉葱 【前期展示】
 《風露》 2000年 絹糸/紅花、藍、刈安、紫根 【後期展示】
 《雛形 若菜》 2006年 絹糸 【前期展示】
 《雛形 紫格子白段》 2006年 絹糸 【前期展示】
 《雛形 蛍 生絹》 2006年 絹糸 【後期展示】
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 《五月のウナ電》 詩:高村光太郎 書・裂:志村ふくみ 【後期展示】
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光太郎詩「五月のウナ電」(昭和7年=1932)をモチーフとした裂(きれ)が展示されます。令和5年(2023)、都内の銀座大黒屋ギャラリーさんで開催された「志村ふくみ氏・洋子氏母子の作品展示販売会 五月のウナ電」の際にも展示されたものです。画像はその冒頭部分で、全体ではこの4倍ほどになっていました。

平成21年(2009)に人文書院さんから刊行された志村氏のエッセイ集『白夜に紡ぐ』中に、ずばり「五月のウナ電」というタイトルの一篇が含まれ、宇宙の彼方から、地球の木々や鳥獣禽魚たちに届けられた電報、そこに語られるアジテートへの共鳴がつづられています。

 いつの頃か、私はどこかの雑誌にのっていたこの詩につよく心ひかれて、ノートに写していた。そしていつかどんな形かで、この詩を自分の手で飾りたい、と思っていた。十数年経ったこの頃またまた読みかえし、思い切って和紙を貼ったパネルに筆でカタカナを書いてみた。全くぶっつけ本番に。そしたら文字が踊るようで、ゼンマイはうずまくし、ウソヒメやホホジロがうたい出すし、トチノキは蠟燭をたてるし、人間なんかにかまわずにみんながうたい出した。私はうれしくなって、ところどころの隙間に小さな裂をチョンチョン貼ってこの詩を飾った。

そして志村氏、交友のあった版画家の山室眞二氏と組まれて限定65部の『配達された五月のウナ電』という可愛らしい書籍も作られました。解説は当会顧問であらせられた故・北川太一先生。ちなみに山室氏は、光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八令孫の石黒敦彦氏が編まれた北川先生の『高村光太郎と尾崎喜八』の装丁もなさっています。
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関連行事として、ご令嬢の志村洋子氏による講演「うつろいゆく紫の物語」(5月10日(日))も開催されます。展示のメインとなる『源氏物語』系のお話が中心かとは存じますが、「五月のウナ電」にも触れていただきたいものです。
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《五月のウナ電》は後期(4月14日(火)~5月31日(日))での出品になりますが、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)60 『道程』名著復刻全集 近代文学館

昭和43年(1968)9月10日 日本近代文学館 高村光太郎著
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目次
 一九一〇年 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年 画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥
  声 風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏
  なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
  けもの
 あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年 青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 
  或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
  カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて
  師走十日
 戦闘
 一九一三年 人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実
  冬が来た
 冬の詩 牛 僕等
 一九一四年 道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ
  晩餐
 五月の土壌 淫心 秋の祈

大正3年(1914)に抒情詩社から出た初版のカバーまで含めた完全復刻です。最初の段階では復刻としての奥付は函に貼られていました。のち、ほるぷ出版さんに版元が移ってからの版は最終ページに奥付が附されたような記憶があります。おそらくそうしないと「初版」と偽って売る悪徳業者がいたのではないかと思われます。

これまた始まってしまった展示です。

本郷新生誕120年記念 コレクション展 マンガでわかる本郷新

期 日 : 2026年2月22日(日)~5月24日(日)
会 場 : 本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市中央区宮の森4条12丁目
時 間 : 午前10時~午後5時
休 館 : 月曜日 5月4日(月・祝)は開館し5月7日(水)は休館
料 金 : 一般350円(300円)、65歳以上300円(200円)、高大生150円、中学生以下無料
      ※(  )内は10名以上の団体料金

 札幌生まれの彫刻家・本郷新(1905~80年)は、彫刻の社会性、公共性を重視し、戦後、平和、希望、愛などをテーマにしたモニュメンタルな野外彫刻の制作に熱意を傾けました。
 本郷新記念札幌彫刻美術館では、2025年12月に生誕120年を迎える本郷新の功績を、次世代の子どもたちにも伝えていくために、マンガ『本郷新伝』を出版し、札幌市内の小学校などに配布する予定です。
 本展はこのマンガの出版に合わせて開催されます。マンガの主要な場面をいくつかパネル化し、実際の作品や資料と一緒に展示することで、本郷新の生涯や彫刻に込められた思いについて、初心者でも楽しく愛着を持って学ぶことができます。
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【関連事業】
◆『本郷新伝』出版記念トークイベント「マンガで伝える 彫刻家本郷新の思い」
 日 時 : 2026年3月21日(土)14:00-15:30(開場13:30)
 会 場 : SCARTSコート(札幌市民交流プラザ1階)
 登壇者 : 田中宏明(エアーダイブ代表)  三守小百合(エアーダイブ副編集長)
       鴨修平(漫画家)        桜井さよる(漫画家)
       吉崎元章(本郷新記念札幌彫刻美術館館長)
 定 員 : 80名(事前申込不要・先着順)
 受講料 : 無料
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マンガ『本郷新伝』について。

本郷新伝

発行日 : 2026年3月4日
著者等 : teamエアーダイブ/本郷新伝製作委員会
版 元 : Dybooks
定 価 : 990 円(税込)

「手」は人類が誕生して以来様々なものを生み出してきた。「物」も、「争い」も、そして「彫刻」……北海道・札幌に生まれ、平和を愛し、彫刻に生命を吹き込み、日本の社会的空間における彫刻の在り方を探求し続けた彫刻家・本郷新の物語が いま、始まる――

普段、何気なく見ている街なかの彫刻。それは、半世紀以上前に、本郷新がつくったものかもしれません。時代が移り変わっても、社会の中でずっと生き続けることを求めた造形。そして、そこに込めた人間愛と、反戦・平和への強い思い。この「本郷新伝」は、現代の視点から、それらを改めて見つめ直していきます。本郷新や彫刻に対する深い理解へと導く渾身作です。ぜひご一読ください。
 吉崎元章(本郷新記念札幌彫刻美術館 館長)

【目次】 1話:創り出す手 2話:差し伸べる手 3話:繋ぎあう手
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こちらには、本郷と交流のあった光太郎も登場するそうです。『北海道新聞』さん記事。

コレクション展 マンガでわかる本郷新

 札幌出身で戦後日本の彫刻界をけん引した本郷新(1905~80年)の生涯や考え方を紹介する漫画「本郷新伝」(teamエアーダイブ著)が3月4日、発売される。生誕120年記念で企画・監修した本郷新記念札幌彫刻美術館は、出版を記念する特別展を開く。作中の主要場面のパネルを彫刻や資料と並べ、本郷をより広く、深く知るきっかけにしてもらう考え。
 漫画では、広島市民の募金で平和記念公園に設置されたブロンズ像「嵐の中の母子像」や、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝に依頼された札幌・大通公園の「泉の像」の制作意図や背景を紹介。高村光太郎、山内壮夫、佐藤忠良ら、親交を深めた芸術家たちも登場する。また、本郷が36歳の時の彫刻論集に収録された「彫刻十戒」もイラストを用いて説明した。
 A5判128ページ、990円。道内主要書店で販売するほか、札幌市内の小中学校、図書館に寄贈する。漫画は館内で先行販売する。

UHB北海道文化放送さんのローカルニュース。

「生誕120周年」迎えた札幌出身の彫刻家・本郷新さんの生涯や彫刻に込めた思いを紹介「マンガでわかる本郷新」展はじまる 5月24日まで〈北海道札幌市〉

 札幌出身の彫刻家、本郷新さんの伝記漫画の出版を記念した特別展が2月22日から始まりました。
 この特別展は札幌出身の彫刻家、本郷新さんの伝記漫画、「本郷新伝」の出版に合わせて企画されたものです。
 漫画では戦後日本の彫刻界をけん引し、2025年12月に「生誕120周年」を迎えた本郷さんの生涯や彫刻に込めた思いが紹介されています。
 会場では本郷さんの彫刻などと一緒に並べられた漫画の主要場面を訪れた客が熱心に見入っていました。
 この特別展は、5月24日まで開かれています。
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展示にはぜひ足をお運びの上、『本郷新伝』もお買い求めあれ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)58 『智恵子抄』 改版

昭和42年(1967)12月15日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎著
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目次
人に(いやなんです) 或る夜のこころ  おそれ からくりうた 或る宵 梟の族
 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪 人類の泉 人に(遊びぢやない) 人類の泉 僕等
 愛の嘆美 晩餐 淫心 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視
 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人 或る日の記
 レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 松庵寺 報告(智恵子に) 噴霧的な夢
 もしも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 智恵子と遊ぶ 報告 うた六首 智恵子の半生 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 解説「悲しみは光と化す」 草野心平 覚え書 同 改訂覚え書 同

昭和31年(1956)5月20日に初版が出された新潮文庫版の改版です。編者・草野心平の意図で初版には省かれていた「或る日の記」が新たに収められました。カバーも智恵子紙絵を使ったものに変更、さらに口絵にも智恵子紙絵が入れられました。

おそらく数千冊ある光太郎関連蔵書の中で、1番を選べ、といわれたら迷わずこれを選びます。手持ちの物は昭和51年(1976)1月の第57刷。中途半端な時期の重刷、さらにボロボロの状態なため市場価格は無いに等しいもので、古書店では入口のワゴンに100円均一で並んでいるようなものでしょう。しかし、自分にとってはこれが1番です。なぜなら、数千冊に及ぶ光太郎関連蔵書の第1号がこれだからです。昭和51年(1976)にこれを手に入れて読み、雷に打たれたような衝撃を受けてしまった故に、現在の自分が居ます。

新刊です。

井上涼の美術でござる 三の巻

発行日 : 2026年2月25日
著者等 : 井上涼
版 元 : 毎日新聞出版
定 価 : 2,500円+税

「びじゅチューン!」でもおなじみ、井上涼の美術まんが 待望の第3弾! わがままヴィーナス、オフィーリアの秘密の伝言、老猿の大脱走......忍者B・忍者Cと世にもゆかいな名画の世界へ! "クセつよ"芸術家27人の作品と人柄を紹介するよ。

はじめての美術鑑賞にぴったりの一冊! 総ルビつきで幼児からたのしめます。プレゼントにもどうぞ。
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目次
 はじめに
 Ⅰ 不思議の国の忍者たち
  ブリューゲルの巻 ボスの巻 デ・キリコの巻 ダリの巻 山下清の巻
  じっくり見てみよう① 山下清《ロンドンのタワーブリッジ》
 Ⅱ ようこそ! ござる町へ
  マティスの巻 聖徳太子の巻 本阿弥光悦の巻 猪熊弦一郎の巻 ロートレックの巻
  描き下ろしまんが「ロートレックの巻」その後
 Ⅲ モノクロ世界で、もういいかい?
  雪村の巻 横山大観の巻 エッシャーの巻 ハマスホイの巻 棟方志功の巻
  じっくり見てみよう② ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》
 Ⅳ 発見! 動物植物のすごい絵
  高村光雲の巻 熊谷守一の巻 竹内栖鳳の巻 河鍋暁斎の巻 若冲の《動植綵絵》の巻
  ラスコー洞窟の壁画の巻 ガレの巻 田中一村の巻 ウィリアム・モリスの巻
  ジョン・エヴァレット・ミレイの巻 アルチンボルドの巻 ボッティチェリの巻
  じっくり見てみよう③ 田中一村《椿図屏風》
  じっくり見てみよう④ アルチンボルド 四季《夏》《冬》/四大元素《水》《大地》
 おわりに


NHK Eテレさんで放映中の「びじゅチューン!」でアニメーション制作から劇中歌の作詞作曲演奏、そして出演なさっての解説までをこなす井上涼氏が、『毎日小学生新聞』さんに平成28年(2016)から連載されている漫画の単行本化です。見開き2ページで一人の美術家や美術作品が取り上げられています。

掲載紙では平成31年(2019)に光太郎が取り上げられ、昨年刊行の二の巻に収録されました。そして光太郎の父・光雲を扱った「高村光雲の巻」は初出が平成5年(2023)で、今回の三の巻に収められました。
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メインで取り上げられるのは、トーハクさん所蔵の重要文化財「老猿」。同作は「びじゅチューン」でも令和4年(2022)に「老猿は主役じゃなくても」として扱われましたが、また別のストーリー。動物彫刻の制作ではモデルの善し悪しにこだわった光雲が猿を観察したいと望み、主人公の忍者たちが協力する、というものです。

実際、「老猿」制作に際し、光雲は浅草の「猿茶屋」から猿を借りてきてスケッチしています。
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その顛末は光雲の談話筆記『光雲懐古談』(昭和4年=1929)で語られています。

 モデルはその頃浅草奥山に猿茶屋があつて猿を飼つてゐたので、その猿を借りて来ました。この猿は実におとなしい猿で、能くいふことを聞いてくれまして、約束通りの参考にはなりました。物置に縛いで置いたが、どんなに縄をむづかしく堅くしばつて置いても、猿といふものは不思議なもので必ずそれを解いて逃げ出しました。一度は一軒置いてお隣りの多宝院の納所へ這入り坊さんのお夕飯に食べる初茸の煮たのを摘んでゐるところを捕まへました。一度は天王寺の境内へ逃げ込み、樹から樹を渡つて歩いて大騒ぎをしたことがありますが、根がおとなしい猿のことで捕まへました。

青空文庫さんでこの項全文が読めます。

井上氏、このくだりを参考になさったようで、「猿茶屋」ならぬ「猿カフェ」から借りてきた猿が大騒動を起こす、という話です。ちなみにちらっと光太郎も登場します。

他もおそらくそれぞれの美術家のエピソードなどを盛り込み、テキトーに描いているんじゃないなというのがよくわかります。それにしても「びじゅチューン」同様に、シュールですが(笑)。

ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)54 『美について』 

昭和35年(1960)11月10日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 触覚の世界
  触覚の世界 比例均衡 普遍と独自 永遠の感覚 写生の二面 書について 書の深淵
  感覚と生活 緑色の太陽 言ひたい事を言ふ
 彫刻の世界
  彫刻的なるもの 彫刻性について 肖像雑談 彫刻に何を見る 東洋と抽象彫刻
  蝉の美と造型 小刀の味 絶滅の美
 
ある首の幻想
  ある首の幻想 人の首 家 装幀について 某月某日  ほくろ 自分と詩との関係
  智恵子の切抜絵 九代目団十郎の首 自作肖像漫談
 美術の魅力
  日本の美
   埴輪について 仏像について(古式の美) 能面について 茶について
  彫刻の面白味 版画の話 静物画の新意義 日本画に対する感想 自刻木版の魅力
 オオギュスト・ロダン
  一 一個の全球 二 親ゆづり 三 善い姉さんと腹の出た家と 四 始まり 五 実地修行
  六 修道院 七 下働きと仕立女工 八 総決算と新時代 九 苦境と愉楽と 
  十 振出しへ返る事
 十一 自己の道 十二 「歩む人」と「地獄の門」と 十三 胸像群
  十四 記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義 十五 一九〇〇年以後
  十六 晩年、死、死 十七 「小さい花子」
 解説 伊藤信吉

同名の書籍が昭和16年(1941)に道統社から出ていますが、かなり内容が異なります。

詩人の若松英輔氏。光太郎についても関心がおありのようで、複数のご著作やオンライン講座、ラジオ番組等で光太郎に触れて続けてくださっています。

これまでに配信されたオンライン講座からセレクトされたもの、20余りの講座が「10~15%オフで再配信」だそうです。会員登録が必要とのことですが。

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★過去の音声講座の人気シリーズを今だけリバイバル!

好評だった講座や、再販のご希望の多かったシリーズ講座を、10~15%オフで再配信します。聴講期間はたっぷり4月15日(水)まで。お好きな場所で、期間中は何回でもお聴き頂けます。聴きたかったあの講座を受講してみませんか?
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<講座一覧>
 ■詩を書くための「感覚入門」――感覚とつながる 
 ■小林秀雄・岡潔『人間の建設』――人生の本質を求めて
 ■太宰治『駈込み訴え』――愛は言葉よりコトバによって語られる 
 ■若松英輔『愛について』――誰かを愛するなかで、人は自分に出会う
 ■苦しみについて
 ■よろこびについて
 ■エーリッヒ・フロム『愛するということ』 
 ■はたらくための哲学 言葉とコトバ
 ■高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ
 ■『対訳 ブレイク詩集』――詩人になるとは、詩の使者となることである
 ■志村ふくみ『語りかける花』
 ■小林秀雄「信ずることと知ること」
 ■『新編 志樹逸馬詩集』――人生の一語に出会う
 ■遠藤周作 『深い河』
 ■遠藤周作『沈黙』
 ■マルクス・アウレリウス『自省録』――内なる光に出会う
 ■トルストイ『人は何で生きるか』――天使に課せられた3つの問い
 ■トルストイ『イワン・イリッチの死』――消えることのない人生の光を求めて
 ■内村鑑三『後世への最大遺物』――言葉を遺す、コトバを遺す
 ■カリール・ジブラン『預言者』――人生とは、真の自分に出会う旅である
 ■ヘルマン・ヘッセ『シッダルタ』――わたしという秘密をもとめて
 ■フランクル『それでも人生にイエスと言う』――苦しむことは、生きる意味でもある

※このページの音声講座は購入後すぐにお聞き頂けます(3営業日以内にお送りします)。
 他の音声講座とは配信日や聴講期間が異なります。詳しくは下記をご確認下さい。
※講座によっては、収録日時が古いため、現在の形式などと異なる場合がございます。

【配信】お申込み後、3営業日以内にメールにて、聴講のためのURLとレジュメなどをお送り致します。
【聴講期間】4月15日(水)まで ※いつご購入されても、聴講期限は同じです。
【お申込み方法】 「読むと書く」会員様のみご参加頂けます。 会員証をお持ちでない方は、初めての方はこちらよりお申し込み下さい。
・初めての方はアンケート・課題を当事務局で確認後のご入会およびご入金となりますので、お申込のタイミングにより、配信が遅れる場合がございます。お早めにお申込下さい。
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令和4年(2022)に配信のあった「高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ」がラインナップに入っています。

高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』――言葉のかたち、かたちであるコトバ

 高村光太郎訳の『ロダンの言葉』は、ある時期、画家や彫刻家だけでなく、文学、音楽を含む世界においても、ある種の啓示の書として読まれました。彫刻という「かたち」のなかに潜むコトバを語るロダンに美と叡知の地平を指し示す羅針盤のようなものを感じたのです。
 今日、ロダンはすでに不朽の名を歴史に刻んでいますが、彼は多くの誤解と中傷を受けながら、自らの芸術を深化させてきました。この本には、かたちを変えた詩の極意が語られています。
 言葉を超えたコトバとどのような関係をつむぐことができるのか、ロダンの言葉に導かれながら、皆さんと考えてみたいと思います。 (講師:若松英輔)

【講座時間】約90分
【テキスト】高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』(高田博厚編・岩波文庫)
【受講料】★全3回まとめて
・書くワーク付き 18,150円 →<12%オフ>15,972円(税込)
・書くワークなし 13,200円 →<12%オフ>11,616円(税込)

『ロダンの言葉抄』は、いずれ下記の【高村光太郎書誌】で取り上げますが、昭和35年(1960)刊行の岩波文庫の一冊。大正期の『ロダンの言葉』『続ロダンの言葉』から、光太郎と交流のあった彫刻家の菊池一雄と高田博厚がセレクトして編み、高田の「解説」が附されています。『ロダンの言葉』系は正続合わせて10種類近くが刊行されていますが、現在でも新刊で入手が可能なのはこちらと、講談社文芸文庫版『ロダンの言葉』。ただ講談社さん版は店頭で見かけることがほとんどありませんが、岩波さん版は気の利いた新刊書店さんなら置いてありますし、こちらの方が分量も多く、お勧めです。

と、ここまで書いて岩波書店さんのサイトを調べたら、何と「品切れ」。まだ店頭に残っている場合があるかとは存じますが、重刷が待たれます。
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その岩波さん版をテキストとした若松氏の講座です。

他にも上記の通り、さまざまな分野、内容の講座が用意されています。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)47 『アトリエにて』

昭和31年(1956)6月30日 新潮社 高村光太郎著
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目次
 アトリエにて
  日本芸術院のことについて 父との関係 荻原守衛 モデルいろいろ 生命の創造
  焼失作品おぼえ書
 わたしの青銅時代
 最後の本を前にして 尾崎喜八

雑誌『新潮』に昭和29年(1954)2月から没した直後の昭和31年(1956)5月まで、断続的な連載が為された「アトリエにて」全10回(一つの題で2~3回にわたった項もあります)に、昭和29年(1954)の雑誌『改造』に寄稿した「わたしの青銅時代」をプラスしたものです。光太郎と交流の深かった尾崎喜八が解説を執筆しました。その解説に「最後の本」という語が冠されているのがちょっとひっかかりますが(この後も追悼出版が続きますので)、「焼失作品おぼえ書」の最後の一枚が、発表されたものとしては絶筆になりましたので、そういう意味でしょう。

昨日は妻と共に栃木県佐野市へ行っておりました。レポートいたします。

まず向かったのが東石美術館さん。
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11年前に訪れた際には前身の佐野東石美術館という名称で、殺風景なビルの一角でしたが、一昨年にリニューアル。東石美術館さんを含む複合施設「東石スカイテラス」として生まれ変わりました。その名の通り、屋上は芝生の広がるテラスとなっており、前庭はイベントスペースとしても使用可。テラスに上がる階段が観覧席にもなる造りです。

メイン施設は東石美術館さん。
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こちらでは「令和八年第一回企画展 雪あかりと春のきざし」が開催中です。
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目玉の出品物の一つとしてポスターに画像が使われている狛犬が、光太郎の父・光雲の作です。顔の部分だけを拡大した獅子頭タイプはこれまでも各地で拝見しましたが、狛犬像は初めてでした。ちなみになぜか作品名が「狗犬」となっているのですが。

特に撮影禁止などの表示が見当たらなかったので、撮らせていただきました。
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像高一尺ほど。阿形の宝珠、吽形の角、それから双方の眼や爪牙、そして首飾りに金彩が施されていますが、それ以外は素の木肌で木目を実に上手く生かした造り。見事でした。360度で見られず、光雲の銘も視認出来なかったのが残念でしたが(銘を見ると単独作か工房作かある程度判断出来ます)。

他に光雲の一番弟子・山崎朝雲や、やはり光雲の系譜に連なる円鍔勝三らの彫刻、光雲に学んだ板谷波山の葆光彩磁、横山大観のナイアガラと万里の長城を描いた双幅の大きな屏風、喜多川歌麿(そういえば栃木とも縁がありました)や安藤広重の浮世絵など。
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眼福でした。

リニューアルされたもののそれほど大きな館ではなく、ちょっと物足りないなぐらいの感じが逆に良いと思いました。「これでもか、これでもか」と並べられるとお腹が一杯になり、結局は各出品物の印象が残らないというケースも多いので。

また、通常入館料は1,000円のところ、2人で行くと800円に割引。さらに今回の半券を次回に提示すればまた800円で入館可と、どこまで良心的なんだ、と思いました。

続いて、御朱印コレクターの妻のリクエストで、車で数分の佐野厄除大師さんへ。関東圏ではテレビCMもよく眼にします。
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分骨と言う定、かの田中正造翁の墓もあり「へ~」でした。また、佐野は「天明鋳物」と呼ばれる鋳造の町としても知られ、梵鐘は地元産だそうで。

帰ってから気づいたのですが、境内には石川啄木の歌碑もあったそうです。やはり足尾銅山の鉱毒事件にまつわるもので、社会問題にも意識高い系だった啄木ならではの歌ですね。

さらに道の駅マニアでもある妻の指示で、郊外の道の駅どまんなかたぬまさん。
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これまでに行ったどの道の駅よりも混雑していました。土曜ということもあったでしょうし、我々同様に佐野厄除大師さんからの流れという方も少なくなかったかもしれません。

ちょうど昼時になる頃でしたので、こちらで名物の佐野ラーメン。
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自分はチャーシュー麺、妻は野菜ラーメン。専門店でのそれには及ばないのかもしれませんが、十分に美味でした。

というわけで、佐野レポートを終わります。東石美術館さんの狛犬展示は3月24日(火)まで。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)46 『山の四季』

昭和31年(1956)5月20日 中央公論社 高村光太郎著
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目次

 山の四季
  山の雪 山の人々 山の春 山の秋 花卷温泉 みちのく便り 七月一日 年越し
  雪解けず 開墾 早春の山の花 季節のきびしさ 淋しさ知らぬ孤独 夏の食事
  十二月十五日
 工房にて
  制作現況 人体について 工房にて 美と真実の生活 書についての漫談 書の深淵
  黄山谷について
 回想録
 あとがき

この年4月2日に光太郎が没し、それまで単行書に収録されていなかった詩文等を集めた追悼出版的なものが相次いで出されますが、その第一弾。雑誌『婦人之友』、『婦人公論』などに載った戦後(特に花巻郊外旧太田村時代のもの)の随筆をまとめたものです。クレジットがありませんが、編集は「あとがき」を書いた当会の祖・草野心平でした。

昨日、途中まで書いて保存しておいた状態だったのを投稿してしまっていました。夕方になって削除したのですが「なんだこりゃ?」と思われた方、すみません。

あらためまして、この時期、中高大その他、入学試験がたけなわです。

そんな中、関西大学さんの日本史の問題に、光太郎の父・光雲が取り上げられました。
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(6)が、上野の西郷隆盛像制作の中心となった人物を問う穴埋め問題で、光雲の名が入ります。

予備校の先生によると思われる「評」が以下の通り。
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やや細かい知識が問われた」。常識の範疇かなと思っていましたが、確かに西郷像に関わるSNS投稿等には、「作者は高村光雲だったんだ、意外」といった文言も見られます。特に関西圏以西の方々にとってはこの像そのものが身近な存在ではないせいかもしれません。
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画像は像の鋳造完成後、西郷の故郷・鹿児島に移されて保存されていた木彫原型です。惜しくも太平洋戦争による空襲で焼け落ち、現存しません。

それでも「「老猿」などの作品でも知られる彫刻家」とヒントが書かれていますので、「高村光雲」とすぐ解るのではないかと思われます。「老猿」は中学校の歴史の教科書に出て来ます。
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上画像は平成27年(2015)検定、同28年(2016)発行の東京書籍さん中学生向け歴史教科書。裏表紙に「老猿」があしらわれています。

ちなみに表紙には智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』も小さく。
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現行のものはデザインが変わってしまい、表紙/裏表紙にこれらの画像は含まれていませんが、本文では双方しっかり載っています。

関西大さんの入試に戻りますが、他に選択肢で彫刻家は「キ」に荻原守衛、「フ」で平櫛田中。逆に「平櫛田中って誰?」という声が聞こえそうですが。そう考えるとこの問題の正答率は高かったように思われますが、どうでしょうか。

それから今年は私立中学校の入試に、光太郎が取り上げられました。横浜市にある捜真女学校さん中学部の問題です。先週、ネット上にPDFファイルがアップされました。大問ひとつ丸々使われており、問題文が昨年2月2日の『朝日新聞』さん一面コラム「天声人語」。光太郎詩「道程」(大正3年=1914)をネタにしたものでした。

PDFファイルで読んで、なかなかよくできた問題だな、と思っていたのですが、なぜか程なく削除されてしまいました。出た時点でスクリーンショットを取っておけばよかったのですが……。ただ、いまだに検索エンジン上に痕跡が残っていまして、そこから小問一つのみ復元できました。

筆者が冬の雪景色を高村光太郎の「道程」と重ねて想像した理由としてふさわしいものを次の. ア. ~. エ. の中から一つ選び、記号で. 答えなさい。
 ア. 冬の寒さの厳しさが、努力の大変さや 決断することの難しさにたとえられたから。
 イ. 雪が積もった道の美しさが、作品の舞台にふさわしいと思えたから
 ウ. 新しい雪を一人で踏みしめて進む姿が、人生を切り開く決意と重なったから。
 エ. 降り積もった雪が、未来へ続く道しるべのように感じられたから。

どれを正解としても大間違いではないような気がしますが、まぁ「ウ」なのでしょう。

ちなみに捜真女学校さん、かつてかの小倉遊亀が美術教師として教壇に立っていたそうで。

ところで入試というと、昨年の今ごろ、大学入試共通テストにやはり「老猿」が取り上げられたよ、という記事を書きました。その際に貼り付けた画像が違ってるよ、と、つい最近コメント欄からご指摘がありました。慌てて訂正しました。面目ありません。

最初に書いた通り、入試たけなわ。公立高校などはこれからがピークですね。またどこかで光太郎智恵子、光雲が取り上げられてほしいものです。

常々思っていますが、歴史上の主な事項や主要(と思われる)人物の事績などは、受験に向けての知識というよりこの国に生きる人間としての教養として身につけておくべきものだと思います。あまりに細かいところまでは別として、ですが。昨今、あまりにも歴史に学んでいない言動を多く耳にしますので……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)44 『ヴェルハアラン詩集』

昭和28年(1953)12月25日 創元社 高村光太郎訳
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目次
 フラマンド
  パン焼
 路傍
  たとへ
 錯覚の村村
  風
 生活の相貌
  海に向つて
 沸きかへる力
  わが人種 不可能 朝 砂浜で
 無量の壮麗
  空をたたふ 思想家 風を称ふ 吾家のまはり
 至上律
  ミケランジユ
 波うつ麦
  田舎の対話(六番) 燃える娘(村の唄) あけ渡せ(村の唄)
 全フランドル平原
  種馬 農家の庭
 小伝説
  小さな聖母(五月) サンジヤンさま(六月)
 天上の炎
  今日の人に 死者 東西南北 或る夕暮の路ゆく人に
 戦争の赤い翼
  一九一五年の春 病院 葬式
 あとがき 真壁仁

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の翻訳です。主な詩集から光太郎がセレクトし、大正から戦前にかけてさまざまな雑誌などに発表したものの集成で、この時点での新たな訳は含まれません。

過日、2月15日(日)に信州安曇野市で開催予定の「高校演劇部発表会 青春ドラマシアター2026」についてご紹介しましたが、同市には光太郎彫刻が常設展示されている碌山美術館さんがあるよ、ということでリンクを貼り付けました。

その作業の際に、久々にサイトを覗いてみたところ、同館発行の今年のカレンダーに光太郎作品2点の写真が使われていると知り、慌てて注文たところ、昨日届きました。

届いたのがこちら。
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A3版厚手の紙で、表紙的なのを含め各月1枚の全13枚。無綴です。一昨年の同館カレンダーはA4横版の冊子タイプだったので、この変更には驚きました。

いきなり1月と、それから11月が光太郎作品。
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左は11月で、光太郎絶作の「倉田雲平胸像」。右が1月で、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の中型試作です。

他のラインナップは以下の通り。
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当然、碌山荻原守衛の作品が中心ですが、守衛と直接交流があった光太郎、戸張孤雁や、やや遅れての笹村草家人と喜多武四郎、さらにほぼ現代の基俊太郎の作品が取り上げられています。全て彩色されていないものですので、モノクロ写真で十分その魅力が伝わってきます。

圧巻はやはり守衛の代表作「女」かな、という気がします。
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それから表紙的な1枚にあしらわれた、今井兼次設計になる本館・碌山館の尖塔部分もいい感じですね。

商品詳細、以下の通りです。

2026年碌山カレンダー

1月始まり・A3サイズ  150冊の限定販売品です

価格1,900円(税込)  別途:送料660円+払込手数料

碌山作品をメインに当館の収蔵作品を掲載しております。表紙、背表紙を含め14枚、すべてモノクロ写真。お好きなクリップに挟んでご掲示ください。(本品にクリップは付属されておりません)

商品のお問い合わせはこちら

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ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)41 『智恵子抄』特装版 

昭和27年(1952)9月30日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

「乙女の像」制作のため、光太郎が帰京した記念という今一つよく分からないコンセプトで発行されました。この頃、出版界では一種の限定本ブームが起こっており、その流れに乗ってのものでしょう。

内容、紙型は前年に刊行された「新版」と同一ですが、二重函で内函は布装、表紙は羊皮、限定200冊ということになっています。しかも外函には「百七拾冊製本、参拾冊廃棄」と書かれており、世に出た冊数はそんなものだったようです。

定価は通常の版が180円だったのに対し、こちらは1,500円でした。

よくある図書館さんでのミニ展示情報です。直接は光太郎に関わりませんが。

今月の展示 「種をまく」

期 日 : 2026年2月3日(火)~2月12日(木)
会 場 : さいたま市立中央図書館 さいたま市浦和区東高砂町11-1 (コムナーレ8階)
時 間 : 午前9時~午後9時
休 館 : 期間中無休
料 金 : 無料

節分が過ぎれば、暦の上では春。まだまだ寒い日が続きますが、暖かくなって種蒔きの時期が来る前に、種について学んでみませんか。

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配付されているリーフレットだと思うのですが、PDFが公開されていました。3ページ目に光太郎の名。

「種まく人」と社章 
 昭和8年12月から、出版社の岩波書店はミレーの〈種まき〉によるマークを使用している。創業者の岩波茂男が農家の出であることなどが理由とされ、文化の種を蒔くという意味も込められている。 
 なお、岩波茂男はマークに使うためのメダル作りを詩人で彫刻家の高村光太郎に依頼したが、その出来栄えが気に入らず、別の人が描いたものがマークに使用された。その後、岩波書店30周年に、再度鋳造された高村のメダルが贈られ、高村の没後には広告などに用いられている。 
参考資料 『岩波書店七十年』、『高村光太郎選集別巻』 

問題のメダルはこちら。
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以前にも書きましたが、光太郎自身の回想が残っています。

 直径五寸、石膏型。(略)これは岩波茂雄さんにたのまれて作つたものだが、結局は岩波さんの気に入らないで、私がひきとつて持つてゐたものである。戦争がまだあまり烈しくなかつた頃だと思ふが、或日岩波さんがきて店のマークにするのだからミレーの種まく人をメダルに作つてくれといふことだつた。頭や手がメダルの円の外へはみ出しても構はないから、のびのびと作つてくれといふ。私も面白いと思つて、ニユーヨークのメトロポリタン美術館にある種まき絵を原本にして直径五寸の粘土メダルを作り、それを石膏型にして根津に居たメダル縮圧工作家にたのんで洋服の胸につけるバツジ大にプレツスしてもらつた。ところがこれを岩波さんの店に届けると物議がおこつた。種まきの人物があまり威勢がよく、かぶつてゐるおかま帽がまるで鉄かぶとのやうに見え、総体に軍国調のにほひがするといふことであつた。さういはれてみると、あの農夫のおかま帽はその頃みなのかぶつてゐた鉄かぶとじみてゐるのに気づき、私も苦笑してこれは止すことにした。その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる。バツジに作つたかどうかは知らない。私は石膏の原型を引きとつて、アトリエにぶらさげて置いたが、これも焼けた。
(「焼失作品おぼえ書」 昭和31年=1956)

光太郎が引き取った原型以外に、鋳造のために取った原型が残っていたのでしょう。新たに贈られたメダルを元にしたというエッチングが、現在でもロゴとしていろいろなところで使用されています。
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ちなみにエッチングについて光太郎は「その後岩波さんは誰かにたのんで、もつとおだやかな種まく人を描いてもらひ、それを店のマークにして岩波文庫はじめ其他の出版物に用ゐ、今日でもつづいてゐる」と書きましたが、その「誰か」は画家の児島喜久雄という情報を得ています。ただ、まだよく分からない感じでして、もう少し調べてみます。

情報をお持ちの方はご教示いただけると幸甚です。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)40 『道程』復元版 

昭和26年(1951)7月15日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈
 解説 草野心平

昭和22年(1947)に札幌青磁社から出た『道程』復元版を文庫化というコンセプトです。仕掛け人はおそらく解説を執筆した当会の祖・草野心平。

この後、文庫本ブームが起きたのに伴い、光太郎の旧著が相次いで文庫化されていきます。

手持ちのものは昭和30年(1955)1月15日の9版でした。

まず、毎年8月9日に「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町からのニュースです。地元紙『石巻かほく』さんより。1月31日(土)の記事です。

「女川から日本一、うれしい」トレーラーホテル・エルファロ 63室、国内最多に認定

 トレーラーハウスを活用した女川町女川2丁目の「ホテル・エルファロ」(63室)が、日本記録認定協会から部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定された。女将(おかみ)の佐々木里子さん(57)は「アットホームなホテルが日本一になれてうれしい。多くの人に泊まってみてほしい」と語る。
   エルファロはトレーラーハウス40台を宿泊部屋に使う。東日本大震災で被災した旅館業者4社と株式会社エルファロで組織する共同事業体が運営。復興事業者の宿泊場所確保などにつなげようと、2012年12月に同町清水地区に開業した。復興事業の進展に伴い、17年8月に現在地のJR女川駅近くに移転した。
 車両は国産のトレーラーハウスを製造、販売する「カンバーランド・ジャパン」(長野県)の製品。国産木材を使い、梅雨や雪の湿気に強いという。カンバーランド社の関係者から「台数が日本一かもしれない」といった声を聞いていたため、ホテルの付加価値を高めて国内外に発信しようと、昨年12月に協会に申請し、今月9日に認定がかなった。
 エルファロの田中雄一朗社長(39)は「営業を続けてこられたのは地域の皆さんのおかげ。女川に日本一があるといういいニュースを届けられた」と喜ぶ。
 ピンクや緑などトレーラーのカラフルな外観も人気で、宿泊を目的にした旅行者も全国から集まる。能登半島地震で被災した石川県輪島市の旅館経営者や、セカンドハウスや集会所として購入を検討している人らも視察に訪れるという。佐々木さんは「いろいろな使い方ができるのも魅力」と語る。
 今後はギネス世界記録への申請も視野に入れる。田中社長は「メード・イン・ジャパンの魅力を女川から世界に発信したい」と話した。
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家族連れに人気なロフト付きの部屋。女将の佐々木さんは「アットホームな雰囲気を楽しんでほしい」と話す

JR石巻線女川駅裏のエルファロさん、女川光太郎祭でお邪魔した際にはほぼ毎回こちらに2泊させていただいており、それ以外にも個人的に宿泊したこともありまして、もう20泊以上しているはずです。

最初に泊めていただいたのが、平成26年(2014)。この頃は現在地ではなく、一山越えた谷間でした。平成23年(2011)の東日本大震災により壊滅した市街地の区画整理等がまだ進んでいなかったためです。「建築」ではないので認可がすぐおりたとのこと。その後、中心街の復興が進んだのに合わせ、可動式のトレーラーハウスとしての特性を生かして、平成29年(2017)に現在地に移転しました。
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トレーラー部分1台を前後に分割して2室になっているタイプにいつも泊めていただいておりますが、それでもベッドはツインでへたなビジネスホテルの部屋より広く、冷暖房やユニットバスなども完備されており、なかなかに快適です。難をいえば、方向音痴の方が敷地内で迷子になることくらい(笑)。

その他、1台で1室、ベッドが4つの大部屋もあり(ロフト付きというのはこのタイプでしょう)、ファミリー向けの対応も成されています。当会顧問であらせられた北川太一先生がご存命の頃、奥様、息子さんと3人でいらした際にご利用されていました。

メーカーのカンバーランド・ジャパンさんの所在地は長野市だそうで、それは存じませんでした。自宅兼事務所から車で10分足らずの川沿いにも、おそらく釣り人をメインターゲットとしたトレーラーハウス式の宿泊施設があり、そちらもそうなのかな、と思いました。能登半島地震に際しても活用が成されているとのことです。すばらしい。

そしてエルファロさん、日本版ギネスともいうべき日本記録認定協会さんから部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定とのこと。さらに本家ギネスブック登録ということになれば、その話題性からも女川の活性化につながると存じます。そうなってほしいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)37 『智恵子抄』 新版

昭和26年(1951)2月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次

 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

昭和16年(1941)にオリジナルの『智恵子抄』を刊行した龍星閣が戦時の休業から復興、前年に出した『智恵子抄その後』に続き、満を持して『智恵子抄』を再刊しました。

それに伴い、昭和22年(1947)から5版まで出ていた白玉書房版は絶版。そちらに収められていた戦後の詩「松庵寺」「報告」は削除されて、オリジナルの形に戻りました。

この赤い表紙の新版が、平成まで版を重ねることになります。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも行われているイベント「十和田湖冬物語2026」。一昨日開幕し、報道が為されています。残年ながら「乙女の像」にからめてのそれが見当たりませんが。

地方紙『東奥日報』さん。

きらめく"冬花火" 十和田湖畔で「冬物語」開幕/2月23日まで

 十和田湖畔の冬を満喫できるイベント「十和田湖冬物語」(実行委員会主催)が30日、青森県十和田市休屋地区の多目的広場で開幕した。会場では恒例の花火が打ち上げられ、冬の夜空を彩った。2月23日まで。
 雪が降りしきる中、午後8時に花火がスタート。次々に打ち上がる花火が辺り一面を照らし、訪れた観光客らが見入った。おいらせ町から家族5人で訪れた、百石小4年の山田胡桃さん(10)は「紫色の花火がきれいだった」と笑顔で話した。
 会場には屋台村「雪あかり横丁」が登場。ヒメマスの塩焼きや馬肉鍋、きりたんぽなど、十和田市や秋田県の温かいグルメが並び、多くの来場者が列を作った。このほか、雪の滑り台や、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットが設けられ、会場はにぎわった。
 火曜から木曜は定休日(祝日の2月11日は営業)。花火は期間中、毎日午後8時から約150発を打ち上げる。土曜、日曜は「冬の国境祭」と題し、北東北3県の芸能パフォーマンスなどが披露される。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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『東奥日報』さんでは別の記事でも。

雪遊び、グルメ 多彩に/十和田湖冬物語

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で開かれている「十和田湖冬物語」。多くの観光客や親子連れらが訪れ、雪遊びやグルメ、花火など多彩なイベントを楽しんでいる。
 全長約15メートルの雪の滑り台は子どもたちに大人気。家族4人で初めて訪れた、大阪府豊中市の茨木咲良さん(7)は「雪は初めて見た。楽しくて、雪が好きになった」と笑顔を見せた。
 期間中は雪上で楽しむバナナボートや、青森県や秋田県のグルメが並ぶ屋台村「雪あかり横丁」、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットなどを楽しむことができ、夜には花火が打ち上がる。土曜、日曜には北東北3県の芸能パフォーマンスなどを行う。
 会期は23日まで。火曜から木曜は定休日(祝日の11日は営業)。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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鹿角きりたんぽFMさん。

冬花火の美しさで魅了 十和田湖冬物語

 秋田と青森にまたがる十和田湖で冬の恒例のイベントが始まり、名物の花火の美しさが来場者たちを魅了しました。
 ことしで28回めとなる「十和田湖冬物語」が30日に始まり、夜には呼び物の花火のショーが休屋地区で行われました。
 音楽と一体化した演出になっており、曲の場面ごとにふさわしい色と形の花火がおよそ5分間、打ち上げられました。
 冬の澄んだ夜空に映る花火の美しさは格別で、赤やオレンジの光りが広がるたびに、訪れた人たちから歓声が上がっていました。
 東京都世田谷区から訪れていた30代の男性は、「東京から来たので雪自体が珍しいのに、花火と一緒の幻想的な世界を見られて感動しました。息子の2歳の誕生日なので、いい思い出になりました」と話していました。
 会場には、両県の名物などが提供される飲食のブースや、雪の大型滑り台なども設けられていて、訪れた人たちが思い思いのスタイルで楽しんでいました。
 また去年に続き、イベントと連動した冬の体験型アクティビティーも用意されていて、カヌー遊びやガイドウオーク、湖畔でのサウナなどで楽しませています。
 実行委員会では、「雪を楽しみたい外国人などが近年増えていて、手ごたえを感じている。ことしもイベントの期間中、十和田湖から青森、秋田の周遊を活発にしたい」と話しています。
 十和田湖冬物語は来月23日までの、祝日以外の火曜、水曜、木曜を除き、十和田湖休屋の多目的広場で開かれます。
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地方紙『北鹿新聞』さん。

十和田湖の魅力発信 花火や屋台村 23日まで「冬物語」 土、日は「冬の国境祭」も

 冬の北東北を代表するイベント「十和田湖冬物語」が先月30日、十和田湖畔の休屋で開幕した。今月23日まで土、日、祝日と月、金曜日に開かれる。夜に花火が打ち上げられるほか、会場の屋台村では温かい地元グルメが販売される。
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ぜひ足をお運びの上、幻想的な「乙女の像」ライトアップもご覧いただければと存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)32 詩集『智恵子抄』

昭和22年(1947)11月25日 白玉書房 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 松庵寺            昭和二十年十月五日
 報告             昭和二十一年十月五日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月
 記

昭和16年(1941)龍星閣発行のオリジナルの内容に、戦後の詩「松庵寺」と「報告」を追加して出版されました。

沢田伊四郎の龍星閣は太平洋戦争の激化に伴い昭和19年(1944)に休業。『智恵子抄』は店頭から姿を消していましたが、需要があると踏んだ白玉書房の鎌田敬止が復刊させました。

巻末に置かれた光太郎筆の「記」には以下の記述があります。

 今度あたらしく白玉書房をはじめられる鎌田敬止氏は沢田伊四郎氏の快諾を得て、「智恵子抄」の再出版を企てられ、その事を私に諮られた。

しかしこの件に関しては鎌田と沢田で認識の違いがあったようで、沢田は認めたつもりはないと激怒。沢田は昭和24年(1949)に龍星閣を再興し、翌年には『智恵子抄』を再刊します。それに伴い白玉書房版は昭和25年(1950)の第五版を以て絶版となりました。

手持ちのものはその第五版です。

本日開幕です。

十和田湖冬物語2026

期 日 : 2026年1月30日(金)~2月23日(月・祝)
会 場 : 十和田湖畔休屋 多目的広場 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
時 間 : 平日 午後4時~午後8時30分
 土日祝 午前11時〜午後9時
休 業 : 火曜日、水曜日、木曜日(2月11日(水)を除く)

あの光景に出会いたくて。
 1999年に始まった「十和田湖冬物語」は28回目を迎えます。親に連れられ、雪にまみれたあの日の子どもはいま、自分のこの手を引いている。温泉宿の夜、語り合った友人たちもあの頃から少しずつ、みんな、シワが増えた。⁡そんな長い月日が経っても十和田湖の冬は今年も美しく、あたたかく、灯ります。
⁡ 澄んだ夜空を彩る「冬花火」。匂いの先には「雪あかり横丁」。湯気の向こうで笑い合う人たち。時には、吹雪に鼻水を垂らすことも。それでも、ここが好きで、また来てしまう。
 ⁡冬の十和田湖へ。あの光景が、きっと待っている。

●冬花火
 真冬の澄み切った夜空を彩る冬花火。音楽との競演もお見逃しなく!
 大切なあの人へ メッセージ花火 一発8,800円~
 各開催日 20:00~
●屋台村「雪あかり横丁」
 ローカルの食材を使った美味しいグルメを楽しもう!
 平日 16:00~20:30 休日 11:00~21:00
●週末限定!冬の国境祭(くにざかいまつり)
 北東北の祭りや、地元有志によるパフォーマンスは必須!
 なまはげ太鼓/津軽三味線/ねぶた囃子/あけぼの祭典委員会/北里三原色他よさこい4団体
 花巻鹿踊
●かまくらの中で地酒やカクテルが楽しめる「かまくらバー」→中止
●スノーパーク
 会場には大きな雪の滑り台が誕生! あなたは何して遊ぶ?
●「乙女の像」ライトアップ
 イベント開催日のみ 17:00~20:30
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3回お邪魔しましたが、とにかく寒いイベントです(笑)。それを逆手にとって、寒さを楽しんでしまおうというわけで(笑)。

一時期、プロジェクションマッピングなどを主体にした時期もありましたが、数年前に旧に復し、屋台村をメインにした冬花火や雪のステージでのパフォーマンスが中心のスタイルに戻りました。昨年からだったと思いますが、光太郎第二の故郷・岩手花巻から鹿踊りの皆さんも参加なさっています。

そして、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されます。
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ただ、メイン会場からやや離れていまして、なかなかそちらまで足を運ぶ方は多くないようですが。吹雪の時などは遭難にくれぐれもご注意下さいのレベルです。
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八戸駅、十和田市街からのシャトルバスも完備。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)30 歌集『白斧』

昭和22年(1947)11月20日 十字屋書店 高村光太郎著 宮崎稔編
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目次
 無題 二首     明治三十三年十月
 無題 六首     明治三十三年十一月
 無題 十一首    明治三十四年一月
 無題 五首     明治三十四年六月
 ささ舟 十三首   明治三十四年七月
 無題 十一首    明治三十五年
 白斧 二十三首   明治三十七年一月
 無題 九首     明治三十七年八月
 赤城山の歌     明治三十七年十一月
 無題 九首     明治三十九年一月
 無題 十九首    明治四十二年十月
 無題 十六首    明治四十一年十一月
 無題 十一首    明治四十三年十一月
 工房より 五十首  大正十三年八月
 工房より 二十八首 大正十三年十一月
 工房より 八首   大正十四年一月
 那須にて 二首   大正十四年十月
 智恵子抄 六首      
 岩手移住後 五首    
 無題 十五首
 コロタイプ版 著者墨蹟
  赤城山 己の前に

第一期、第二期『明星』などに載った光太郎短歌を集めた歌集です。光太郎、最後までこの歌集の出版には同意せず、姻戚だった詩人の宮崎稔が強引に出版を押し切りました。そのため、光太郎自身は関与していない旨の宮崎による「覚え書」が奥付の前に貼り込まれています。

奥付は昭和22年(1947)11月20日ですが、「覚え書」は昭和23年(1948)2月25日付。この頃まで上梓がずれ込んだようです。

神戸のギャラリーでの個展開催情報です。既に始まっています。

内田太郎 + 小泉孝司 「IMAGINES ! 空想の世界へ」

期 日 : 2026年1月24日(土)~2月8日(日)
会 場 : GALERIE L'OEIL(ギャラリーロイユ) 神戸市中央区北長狭通3−2−10
時 間 : 13:00~18:00
休 館 : 水曜日、木曜日
料 金 : 無料

現実と虚構、その境界を行き来する二人の画家が不思議で思索的な絵画の世界へご案内します。想像力をひらく、二人展です。

アーティスト
内田太郎
佐賀県生まれ。九州産業大学芸術学部美術学科卒業。出鱈目な科学法則が成り立つ夢の中のような世界や、宇宙の外側の空間を思いつつ、写実というスタイルで現実と想像の間の世界を描く。

小泉孝司
同志社大学経済学部卒業。高橋睦郎、横溝正史、松本清張等の挿絵、装画を描きながら、オリジナル作品を制作。絵本 「手のひらのねこ」 文•舟崎靖子 (偕成社) 、画集 「七番目の空」 (光琳社出版)
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内田太郎氏は、最近ちょっと流行りの超写実絵画系に近いのでしょうか。先にグレートーンで印影を描き、後から色を乗せていくグリザイユという手法で描かれているようです。

000小泉孝司氏は、ルネ・マグリットを思わせるシュールな世界観。プロフィールに「高橋睦郎、横溝正史、松本清張等の挿絵、装画」とあるので少し調べたところ、角川書店さんの『野性時代』で'70年代に横溝の「病院坂の首縊りの家」が連載されていた際の挿画が小泉氏によるものでした。また、松本清張の未完の絶筆「神々の乱心」が『週刊文春』さんに'90年代に連載された際も。

その小泉氏の出展作の一つが「ほんとうの空」と題されています。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来と思われます。画廊主氏曰く「空の向こうの「闇」が雲の切れ間から差し込み、草原に立つ1本の木を燃え上がらせる彩墨・棒絵具で描かれた、シュールで幻想的な風景」。なるほど。

ご実家が和紙問屋さんだそうで、この作品も和紙に彩墨や棒絵具で描く独自の技法を駆使されているそうです。

先日、渋谷区で開催された写真展「UNBOUND#2」では、「智恵子抄」からのインスパイアの写真が展示されましたが、この手の二次創作は大歓迎です。もっとも、そこにリスペクトの精神を込めていただかないと困りますが。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)29 『道程』復元版

昭和22年(1947)6月15日 札幌青磁社 高村光太郎著 
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目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵
 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈

内容的には大正3年(1914)の初版と同一です。戦時中に「改訂版」「再訂版」が出ましたが、戦後になって旧に復したこの版が出されたわけです。

復興期の物資不足の折、造本は並製、函はなくカバー装です。

1月25日(日)、原宿キャットストリートのMIL galleryさんでの写真展「UNBOUND#2」拝観後、新橋に向かいました。次なる目的地はパナソニック汐留美術館さん。こちらで1月15日(木)に開幕した企画展「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」の拝観です。
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同じ敷地内には旧新橋停車場駅舎。古建築好きにはたまりません。
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隣接するパナソニック東京汐留ビルさんの4階がパナソニック汐留美術館さんです。
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今回、光太郎に直接関わる展示はほとんどありませんが、関わりの深かった人物が多く取り上げられているため参上しました。はじめは、お世話になっている宮沢和樹氏(宮沢賢治実弟・清六の令孫)のご講演が関連行事に組まれている2月14日(土)に伺うつもりでいましたが、そちらの予約があっという間に埋まり、だったらとっとと観に行こうと思った次第です。

周辺人物系は、まず白樺派。光太郎も写った大正8年(1919)、雑誌『白樺』10周年記念の会が催された芝公園三縁亭での写真が出ていました。

下記は手持ちの資料から採ったものですが、これのおおむねキャビネサイズのもの。神奈川近代文学館さんへの寄託品だそうで、おそらく当時のもので、写っている誰かか縁の深い人物の旧蔵と思われます。
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前列は左から柳宗悦、木村荘八、武者小路実篤、清宮彬、犬養健。後列も同じく左から尾崎喜八、佐竹弘行、八幡関太郎、新城和一、椿貞雄、バーナード・リーチ、小泉鉄、近藤経一、木下利玄、岸田劉生、志賀直哉、長与義郎、そして光太郎。

ここに写っている人々――リーチや岸田、柳などの作品も出ていていい感じでした。

それから宮沢賢治。花巻宮沢賢治記念館さんや、和樹氏の林風舎さんの所蔵品がかなり借り受けられており、多くは複製でしたが、十分に賢治のエッセンスを感じることができました。
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来月、花巻で和樹氏らとのトークショーに出演するので、少しでも賢治精神に触れておこうというのが今回の主目的でした。

これらとは別に、福島出身で現代の賢治著書に装画をした吉井忠によるスケッチ「花巻豊里(沢?)町 宮沢政次郎氏(賢治父)宅」も興味深く拝見。昭和18年(1943)のもので、2年後にはここに光太郎が疎開することになるわけで。
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他に山本鼎、立原道造、竹久夢二らに関する展示もなかなかに充実していました。

帰りがけ、ミュージアムショップで図録(2,200円)を購入。掲載論考等、これから精読させていただきます。
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会期は3月22日(日)まで。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)27 『をぢさんの詩』三版

昭和19年(1944)10月20日 太陽出版社 高村光太郎著
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目次
 序 さくら 軍艦旗 こどもの報告 カタバミの実 約束 路ばた 迎火 少年に与ふ
 少女に 少女立像 五月のうた 少女の思へる 少女よ こころに美をもつ 変貌する女性
 新しき日に 逞しき一念 手紙に添へて 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 山道のをばさん
 女性はみんな母である わが大空 新穀感謝のうた 歩くうた 鬱勃たる健康
 私は青年が好きだ 神の如く行へ みなもとに帰るもの 純潔のうた 四月の馬場
 新緑の頃 みかきにしん 漁村曙 仕事場にて 神これを欲したまふ さかんなるかな造船
 供木のことば 無口な船長 春駒 氷上戯技 大きな嚔 晴天に酔ふ 初夏言志
 先生山を見る 偶成二首 蝉を彫る 提督戦死

初版は前年11月に出、この版で版元が武蔵書房から太陽出版社に代わりました。その経緯は不明です。紙型は同一ですが、造本がハードカバーからペーパーバックに変わっています。

1月17日(土)にも上京したのですが、昨日も2件の展覧会を観て回りました。レポートいたします。

まず、渋谷区原宿で写真展「UNBOUND#2」を拝見して参りました。おそらく若手中心と思われる56名の写真家さんたちによる合同展です。
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現地に行ってから気づいたのですが、会場のMIL galleryさん、MIL 2ndさん、いわゆるキャットストリートに面していました。
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昨年11月、福岡で開催されたポートレート展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」に、「智恵子抄」オマージュの作品で参加されたYasuyuki Ibaraki氏という方が、同一の作品を出品なさるということで参上した次第です。
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昨年の福岡での展示と同一の作品もあれば、そうでないものも含まれ、いずれにしても確かに「智恵子抄」の世界観と感じました。「レモン哀歌」(昭和14年=1939)全文が掲げられていましたが、それ以外に智恵子の心の病が顕在化してからの「人生遠視」(同10年=1935)、「山麓の二人」(同13年=1938)あたりからのインスパイアかな、と。勝手な感想ですが。
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他の出品作家の方々の作品も一通り拝見。バリエーションに富んでいて、見飽きることがありませんでした。
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予想より多くの方で賑わっていて最初は意外に感じましたが、56名もの方々の作品が展示されているということで、出品作家の皆さんのお知り合いという風体の方が目につき(高級そうなカメラを首からぶら下げた方など)そういうことか、と納得。書道や絵画の公募展もこんな感じだっけというわけで。

会期が短かったのが残念でしたが、いたしかたありますまい。

出品作家の皆さんの今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)26 『詩集 記録』

昭和19年(1944)3月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 序篇
  白熊 象の銀行 北東の風、雨 のんきな会話 非欧米的なる 秋風をおもふ
  未曾有の時 新しき御慶 紀元二千六百年 重大なる新年 新年に与ふ 危急の日に
 主篇
  大詔渙発 彼等を撃つ 夜を寝ざりし暁に書く 特別攻撃隊の方々に
  或る講演会で読んだ言葉 独居自炊 帝都初空襲 戦歿報道戦士にささぐ
  民国の民と兵とに与ふ 真珠港特別攻撃隊 感激をかくさず 神とともにあり 新天地
  覆滅彼にあり われらの道 戦に清めらる 決戦の年に志を述ぶ 殄滅せんのみ
  紀元節を迎ふ 「撃ちてし止まむ」 あそこで斃れた友に 海軍魂を詠ず 軍人精神
  突端に立つ 厳然たる海軍記念日 五月二十九日のこと 山本元帥国葬
  報道の士をたたふ
 われらの死生 ビルマ独立 友来る おん魂来りうけよ 勤労報国
  粛然たる天兵 
救世観音を刻む人 フイリッピン共和国独立 四人の学生 全学徒起つ
  戦に徹す
 断じてかへさず 激戦未だ終らず 大決戦の日に入る
  第五次ブーゲンビル島沖航空戦
 十二月八日三度来る

『大いなる日に』(昭和17年=1942)、『をぢさんの詩』(同18年=1943)に続く三冊目の翼賛詩集です。

「序篇」は太平洋戦争開戦前の作品群。かつて帝国主義や人種差別を告発するものとして発表した連作詩「猛獣篇」に含まれる大正14年(1925)の「白熊」と同15年(1926)の「象の銀行」(ともに米国留学中の体験に基づく内容です)が、単にアメリカを批判しているということからここに収められるという光太郎自身による韜晦が行われています。

ちなみに「象の銀行」は永らく初出発表誌が不明でしたが、ソウルで発行されていた『朝鮮芸術雑誌 朝』の創刊号(大正15年5月 朝鮮芸術社)と判明しました。

「主篇」は太平洋戦争開戦後のもの。

全ての詩篇に新たに書き起こした前書きが附され、その時々の光太郎の心境がよくわかります。
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奥付では3月20日発行となっていますが、「天皇陛下」を「天皇下陛」とする切腹ものの誤植が見つかり、シールを貼っての訂正のため、実際に店頭に並んだのは5月頃だったようです。

「智恵子抄」オマージュの作品も展示される写真展です。

UNBOUND#2

期 日 : 2026年1月24日(土)・25日(日)
会 場 : MIL gallery 渋谷区神宮前4-25-28 2F
      MIL 2nd      渋谷区神宮前4-25-29 2F  
時 間 : 1/24 12:00~21:00 1/25 9:00~11:00
料 金 : 無料

いわゆる裏原宿(ウラハラ)。圧巻の56名の作品が展示されます。MIL GallaryとMIL 2ndは隣り合わせです。どなたでもお気軽にお立ち寄りください。

主催者X投稿より

写真が好きな人も、展示は久しぶりな人も、たまたま通りかかった人も。

56人の写真家が、それぞれの「今」を持ち寄る展示UNBOUND #2 を開催します。ジャンルも、撮り方も、距離感もばらばら。だからこそ、きっと一枚くらい、自分の感覚に引っかかる写真があると思います。この展示は、僕自身が「今の写真の面白さ」をちゃんと見たくて、そして、ちゃんと誰かに届けたくてスタートしました。ありがたいことに前回は多くの人が足を運んでくれて、「来てよかった」「思ってたよりずっと良かった」そんな声をたくさんもらいました。

気負わずで大丈夫です。ふらっと入って、数枚見て、出ていくだけでもいい。でももし時間があれば、 
少しだけゆっくり見ていってください。56通りの「今」の中に、あなたの感覚と重なる一枚がきっとあります。
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昨年11月、福岡で開催されたポートレート展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」に、やはり「智恵子抄」インスパイアの作品で参加されたYasuyuki Ibaraki氏という方が、同一の作品を出品なさるようです。
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さすがに福岡は遠いな、と、昨年は欠礼しましたが、ありがたいことに都内での開催ということで、これは行かざぁなるめい、です。ついでというと何ですが、他にも展覧会のハシゴをして参ります。

皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)22 『詩集 大いなる日に』

昭和17年(1942)4月20日 道統社 高村光太郎著
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目次
 序 秋風辞 夢に神農となる 老耼、道を行く 天日の下に黄をさらさう 若葉 地理の書
 その時朝は来る 群長訓練 正直一途なお正月 初夏到来 事変二周年 君等に与ふ
 銅像ミキイヰツツに寄す 紀元二千六百年にあたりて へんな貧 源始にあり ほくち文化
 最低にして最高の道 無血開城 式典の日に 太子筆を執りたまふ われら持てり
 強力の磊塊たれ 事変はもう四年を越す 百合がにほふ 新穀感謝の歌 必死の時
 危急の日に 十二月八日 鮮明な冬 彼等を撃つ 新しき日に 沈思せよ蒋先生
 ことほぎの詞 シンガポール陥落 夜を寝ざりし暁に書く 昭南島に題す

『道程』(大正3年=1914)、『智恵子抄』(昭和16年=1941)に続く第3詩集です。ほぼ全編これ翼賛詩で、前年の『智恵子抄』とのあまりのギャップは、知らない人が読んだらとても同一人物の詩集とは思えないほどといえるでしょう。

しかし、元々ここに収められた詩篇は『智恵子抄』収録の珠玉のそれと並行して書かれていたものです。戦後の詩「元素智恵子」の中では、「うちに智恵子の睡る時わたくしは過ち/耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい」と書きました。これらの詩篇を書いていた時が「うちに智恵子の睡る時」だったのでしょう。

『智恵子抄』には実に色々な側面がありますが、そのうちの一つとして、次のような面もあったのではないかと考えます。すなわち、智恵子との日々を一冊の詩集にまとめることで、それを総括し、またそうした日々への訣別を宣言するという意味合い。

そして俗世間との関わりを極力避けて、芸術精進に生きようとした智恵子との生活が智恵子の心を病ましめたという反省、悔恨から、180度方向を転換し、自ら積極的に世の中と交わる方面に舵を切りました。もしかすると、そうでもしないと智恵子を失った空虚な自分も心を病むという危機感があったかもしれません。

そうした内面がよく表されているのが、収録されている「最低にして最高の道」(昭和15年=1940)です。戦時アトリエ前ピン

   最低にして最高の道
 
 もう止さう。
 ちひさな利慾とちひさな不平と、
 ちひさなぐちとちひさな怒りと、
 さういふうるさいけちなものは、
 ああ、きれいにもう止さう。
 わたくし事のいざこざに
 見にくい皺を縦によせて
 この世を地獄に住むのは止さう。
 こそこそと裏から裏へ
 うす汚い企みをやるのは止さう。
 この世の抜駆けはもう止さう。
 さういふ事はともかく忘れて
 みんなと一緒に大きく生きよう。
 見えもかけ値もない裸のこころで
 らくらくと、のびのびと、
 あの空を仰いでわれらは生きよう。
 泣くも笑ふもみんなと一緒に
 最低にして最高の道をゆかう。

昨日朝、NHK Eテレさんで放映の「アートシーン」で紹介され、知った次第です。
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KeMCo新春展2026「馬の跳ねる空き地」

期 日 : 2026年1月8日(木)~2月7日(土)
会 場 : 慶應義塾ミュージアム・コモンズ 東京都港区三田2-15-45
時 間 : 11:00~18:00
休 館 : 土日祝 特別開館 1月24日(土)、2月7日(土)臨時休館 1月26日(月)
料 金 : 無料

 2026年の干支は「午(うま)」。古来より、馬はその力強さ、美しさによって、移動・輸送から狩猟・農耕、娯楽まで、さまざまな場面で文明の発展を支えてきました。新年の幕開けを飾る本展覧会では、慶應義塾の多様なコレクションから、馬にまつわる稀覯本(きこうぼん)、絵巻物、浮世絵、埴輪など多様な作品を一堂に集め、馬と人との永い関係をたどり、改めてその魅力に迫ります。
 また、特別企画として、慶應義塾ゆかりのさまざまな芸術家が手掛けた、慶應義塾幼稚舎内雑誌『仔馬』の表紙原画もあわせてご紹介いたします。

主な出品作品
 『ポリグラフィア』、ヨハネス・トリテミウス著、1561年、慶應義塾図書館
 『ラテン語時禱書』、1480年頃、西洋中世写本コレクション、慶應義塾図書館
 二重橋楠公銅像、楊斎延一画、1899年、ボン浮世絵コレクション、慶應義塾図書館
 馬形埴輪、古墳時代後期、文学部民族学考古学専攻
 「ギバサン(四季のための二十七晩)」舞台写真、小野塚誠撮影、個人蔵
 『仔馬』、慶應義塾幼稚舎(撮影:村松桂(株式会社カロワークス))
 仔馬、岡本太郎、1965年、慶應義塾幼稚舎
 「『じゃじゃ馬馴らし』マーティン・ハーヴェイとN・デ・シルヴァ主演 プリンス・オブ・ウェールズ劇場」、小山内演劇絵葉書コレクション、慶應義塾図書館
 熊野新宮神宝図、宇治田忠郷撰、寛政6年(1794)、慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)
 群馬図、雲渓永怡筆、室町時代、常盤山文庫(慶應義塾寄託)
 アキレウスとヘクトール、ハンス・ゼーバルト・ベーハム作、 1518-30年頃、慶應義塾
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「主な出品作品」、そしてフライヤーに皇居前広場の「楠正成像」を描いた錦絵(明治32年=1899)。東京美術学校として請け負い、光太郎の父・光雲が主任となって制作されたものです。
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描いたのは楊斎延一。明治期の浮世絵師です。

同じ三枚組の「西郷隆盛像」も手がけ、そちらは江戸東京博物館さんに収蔵されており、同館が改修中だった一昨年には上野の東京都美術館さんで開催された「館外展示 出張!江戸東京博物館」で展示されました。
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当方、そちらをあしらったクリアファイルを所持しております。
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昨日の「アートシーン」で気づき、知っていれば1月17日(土)の上京時に行ったのに、と思ったのですが、土日祝は休館ということで、結局だめでした。

他に馬にまつわる内外の考古資料や古典籍、江戸期の絵巻、岡本太郎の書、さらには手塚治虫の『リボンの騎士』まで出ています。

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)19 『詩集 智恵子抄』

昭和16年(1941)8月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月

意外といえば意外ですが、『道程』(大正3年=1914)に次ぐ第二詩集です(『道程』改訂版を除く)。

龍星閣主・沢田伊四郎の発案で編まれ、それまでの全作品の中から、智恵子に関わるものの抄出ということで、「抄」の一字が附されました。ただ、ここに収められなかった智恵子関連の文筆作品はけっこうあります。作品の選択はほぼ光太郎の意志に依ったものと思われますが、連続性などを意識してのことのようです。

例えば智恵子に語りかける口調で書かれた詩の間に、そうでない客観描写の作品を挟むというようなことは光太郎が避けました。そのため、日比谷松本楼での一コマを謳った「涙」(大正元年=1912)などは割愛されています。

短歌も「うた六首」、それから「樹下の二人」に附された「みちのくの安達ヶ原の……」以外にも智恵子モチーフの作が複数あるのですが、採用されませんでした。短歌の方は詩と異なり、手控えの原稿を残していなかったからかもしれません。

太平洋戦争開戦直前に出版されたこの『智恵子抄』、冒頭の「いやなんです/あなたのいつてしまふのが――」に戦時の女性らは出征する男性たちに対する自らの思いを重ね合わせ、男性陣は残された恋人がそう思ってくれているであろうとの思いを胸に戦地に赴きました。

一人の女性に対する愛を一冊にまとめた我が国では前例のなかったこの詩集は、そうした世相も背景に広く世に受け入れられ、戦時にも関わらず、版元の龍星閣が休業を余儀なくされる昭和19年(1944)までの間に13刷まで版を重ねました。

昨日は今年初めて上京し、新宿のSOMPO美術館さんで「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」を拝見して参りました。
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ちなみに同館を訪れるのは平成16年(2004)の「高村光太郎展 彫刻、絵画、書――「いのち」の造型」展以来、21年半ぶりでした。
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今回は、近代美術の発信地の一つとして大きな役割を担うこととなった新宿界隈に焦点を当てるもので、そこに文学とのからみも語られ、総合的にとらえようという試みでした。

まずエレベータで5階へ。そこから4階、3階と下る順路となっている、よくあるパターンでした。まずは「ⅰ章 中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」。光太郎の親友だった碌山荻原守衛の小品2点「灰皿」と「香炉」(撮影禁止)が、いきなり最初にお出迎え。
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その後は守衛同様、中村屋サロンの主要メンバーで新宿にアトリエを構えた中村彝が中心でした。

その流れで「コラム1 文学と美術」。
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白樺派が大きく取り上げられ、ロダンや武者小路実篤、岸田劉生などが語られます。光太郎は中村屋サロンとともに白樺派の一員でもありました。右上は光太郎も寄稿した『白樺』第1巻第8号ロダン号(明治43年=1910)。

ここにフォービズムの影響を色濃く受けた光太郎の自画像(大正2年=1913)。
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同じ新宿の中村屋サロン美術館さんの所蔵で、同館の常設展示(コレクション展)にしょっちゅう出ているのですが、考えてみるとそちらに最近足を運んで居らず、久々に拝見しました。

光太郎とも交流のあった美校の後輩にして歌人の宮柊二の叔父・宮芳平の「歌」(大正4年=1915)。宮は中村彝に師事した画家でした。
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大正3年(1914)、美校在学中の宮は文展に出品するも落選。すると、宮は審査員だった森鷗外の観潮楼(光太郎アトリエ兼住居の近くです)に乗り込んで、なぜ落選だったのかと問い詰めるという暴挙に出ました。結局、鷗外にうまいこと言いくるめられて(笑)矛先を収め、以来、鷗外と個人的に交流するようになるのですが。そのあたり、鷗外の短編小説「天寵」に語られています。ちなみに今回の出品作「歌」も文京区立森鷗外記念館さんからの借り受けです。
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その「天寵」が載った『ARS』の創刊号(大正4年=1915)。光太郎も『ロダンの言葉』の一部を寄稿しています。
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『ARS』といえば、版元の阿蘭陀書房は北原白秋の実弟・鉄雄が社主。まさに「文学と美術」が現出されている一角でした。同様に、光太郎と親しかった岸田劉生による、これまた光太郎の盟友の一人・武者小路実篤の肖像(大正3年=1914)。
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ネットや各種書籍によく画像が載っているのですが、東京都現代美術館さんの所蔵だそうで、そうだったのか、という感じでした。

ⅱ章は「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」、ⅲ章が「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」。松本も光太郎と交流があり、解説パネルにその旨記述がありました。ありがたし。
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そして今回のフライヤーやポスターに使われている目玉作品「立てる像」(昭和17年=1942)。過日ご紹介したパナソニック汐留美術館さんでの「美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像」展では、こちらの下絵がフライヤーに使われています。松本も最近またあちこちで取り上げられる機会が増えてきたように感じています。

最後は現代につながる展示となり、終了。

昨日は開幕して間もない休日ということで、けっこう賑わっていました。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)18 『道程』改訂普及版

昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ  明治四十三年十二月十四日
  画室の夜        明治四十四年一月十二日
  寂寥                       明治四十四年三月十三日
  声           明治四十四年五月二十日
  新緑の毒素       明治四十四年六月十一日
  はかなごと
  地上のモナ・リザ    明治四十四年七月六日
  父の顔         明治四十四年七月十二日 
  泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
  ――に         明治四十五年七月二十一日
  或る夜のこころ     大正元年八月十八日
  おそれ
  犬吠の太郎       大正元年九月二十六日
  さびしきみち      大正元年十月八日
  梟の族         大正元年十月二十日
  或る宵         大正元年十月二十三日
  郊外の人に       大正元年十一月二十五日
  冬の朝のめざめ     大正元年11月三十日
  戦闘          大正元年十二月十四日
  人に          大正二年二月十八日
  人類の泉        大正二年三月十五日
  山           大正二年十一月四日
  冬の詩         大正二年十二月六日
  牛           大正二年十二月七日
  僕等          大正二年十二月九日
  道程          大正三年二月九日
  愛の嘆美        大正三年二月十二日
  婚姻の栄誦       大正三年三月六日
  万物と共に踊る     大正三年三月九日
  瀕死の人に与ふ     大正三年三月十四日
  晩餐          大正三年四月二十五日
  五月の土壌       大正三年五月十六日
  秋の祈         大正三年十月八日
 道程 以後
  わが家         大正五年
  小娘          大正六年
  無為の白日
  海はまろく
  雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
  沙漠
  クリスマスの夜     大正十一年一月
  冬の送別        大正十一年四月
  五月のアトリエ     大正十一年五月
  ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
  落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
  樹下の二人       大正十二年三月
  鉄を愛す        大正十二年五月
  氷上戯技
  珍客
  葱
  車中のロダン      大正十四年
  後庭のロダン      大正十四年二月
  十大弟子        大正十五年
  聖ジヤンヌ       大正十五年
 猛獣篇 時代
  清廉          大正十三年十二月
  傷をなめる獅子     大正十四年
  狂奔する牛
  鯰           大正十五年
  苛察          大正十五年
  雷獣          大正十五年六月
  龍           大正十六年
 【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵

奥付では「百五十部限定版」「書店版」と同じく昭和15年(1940)11月20日となっていますが、実際には昭和16年(1941)4月25日に「普及版」が出されました。「書店版」にあった函は廃され、カバー装になりました。以後、版型やカバーデザインを変えつつ昭和18年(1943)までに9刷を重ねました。

手持ちのものは昭和17年(1942)10月20日の8版。カバー無しの裸本ですが、見返しに編集者兼詩人だった小池吉昌宛の献呈署名が書かれています。コレクションの中で唯一の光太郎署名本です。あまり署名や識語の有無にこだわらないのですが、一冊くらいあっても良いかな、と購入しました。

重版の裸本で、蔵書印や書き込みもあり、そうなると市場価値は500円~1,000円というところですが、サイン入りということで、たしか18,000円くらいで入手しました。ほとんどサイン代です(笑)。

展覧会情報のご紹介を続けてきましたので、もう1件。

美しいユートピア 理想の地を夢みた近代日本の群像

期 日 : 2026年1月15日(木)~3月22日(日)
      前期1月15日(木)~2月17日(火) 後期2月19日(木)~3月22日(日)
会 場 : パナソニック汐留美術館 港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階
時 間 : 10:00~18:00 2月6日(金)、3月6日(金)、20(金)、21 (土)は午後8時まで開館
休 館 : 毎週水曜日 ただし2月11日と3月18日は開館
料 金 : 一般 1,200円 65歳以上 1,100円 大学生・高校生 700円 中学生以下 無料
      土曜日・日曜日・祝日は日時指定予約(平日は予約不要)

ユートピアは、イギリスの思想家トマス・モアの小説タイトルで、「どこにもない場所」を意味します。同じくイギリスの社会思想家、ウィリアム・モリスは自著『ユートピア便り』の中で、暮らしと芸術の総合を唱え、今ここにある課題をみつめ、どこにもない理想を夢みています。その思想が紹介された20世紀の日本でも、ユートピアは暮らしをめぐる課題と理想となりました。そして20世紀を通じあらゆる場所で、美術、工芸、建築など幅広いジャンルを結ぶ共同体が模索されます。新時代の異文化体験を通して近代化しつつあった日本は、かつての日本でもなく、同時代の世界のどこにもない場所だったのです。

この展覧会では暮らしにまつわる過去をたずね、未来を夢みるさまざまな運動を、「ユートピア」と呼びます。そして「美しさ」にまつわる芸術、装飾工芸、建築デザインにテーマを絞り、暮らしの中の「美しいユートピア」をみつめます。さらに「美しいユートピア」の歴史をたずねるだけでなく、未来への手がかりとします。美しい暮らしを求める20世紀日本のユートピアをたずね、当時の来るべき世界を振り返り、今日のユートピアを思い描く方法を探ります。

第1章 ユートピアへの憧れ 
 西欧に憧れ、アジアにめざめる。
雑誌『白樺』、「民藝」運動などから20世紀日本の理想主義が芽生える
 ジョン・ラスキン、ウィリアム・モリスの影響を受けた20世紀日本の理想主義を紹介します。20世紀初頭の大正デモクラシーに象徴される当時の日本では「民」が一つのキーワードでした。西欧美術に憧れ、自由と個性を尊重し自らのルーツを振り返った雑誌『白樺』。その白樺派同人たちの交流の中から柳宗悦が中心となり、民衆の暮らしの中の美を説いた「民藝」運動は、「民」をめぐる前後の理想主義を代表します。

第2章 たずね求める 周縁、国外でのフィールドワーク
 民家研究、民具調査など「民」をめぐるフィールドワークが、ジャンルや国境を越えてミュージアムを育む
 近代化するみずからの足元をみつめた、民家や民具などをめぐるフィールドワークを紹介します。農山漁村や周辺地域、民族をたずねる交流はジャンルや国境を越えて、失われてゆく「民」を記録し、未来へつなぐ「ミュージアム」を育みました。渋沢敬三が計画し今和次郎や蔵田周忠(ちかただ)も参画した国立の民族学博物館構想の図面も展示いたします。

第3章 夢みる 都市と郊外のコミュニティ
 関東大震災後、郊外アトリエや芸術家村が生まれる。その交友から「新人画会」が理想を戦後へつなぐ
 蔵田周忠や立原道造など、建築家や詩人、芸術家による関東大震災後の郊外アトリエや芸術家コロニーへの夢を紹介します。1920年代の都市化と鉄道網の発達は郊外住宅地の発達を促しました。分離派建築会の会員であった蔵田は、モリスに倣った田園のユートピアを目指し、世田谷や杉並に文学者や芸術家たちが集って住むモダンで快適なコミュニティを設計しました。同時期、アトリエ村の一つ、池袋モンパルナスの交友に始まる「新人画会」の理想はのちに戦後美術の出発点とされました。

第4章 試みる それぞれの「郷土」で
 山本鼎、宮沢賢治、竹久夢二、ブルーノ・タウト…郷土や「ドリームランド」で表現者の実践が始まる
 山本鼎の農民芸術運動や宮沢賢治の活動、竹久夢二、ブルーノ・タウトの美術工芸運動は、「ドリームランド」としての「ふるさと」に、美しい暮らしをもたらす協働の実践でした。同時代、前後して官民による郷土改良や産業化が始まりました。山本鼎の日本農民美術研究所で制作された工芸品やそのデザイン画、宮沢賢治によるドローイング、タウトデザインによる工芸品などを展示します。

第5章 ふりかえる/よみがえる ユートピアのゆくえ
 戦後復興をデザインする芸術・建築と、「失われてゆく世界」を記録し未来への手がかりを求める運動が前後して生まれ…
 戦後まもなく、芸術、建築による都市再生に着手した群馬県高崎の文化活動家・井上房一郎と、彼に協力した建築家レーモンド夫妻や磯崎新。そして高度経済成長期の大きく変貌する都市と社会で向かうべき方向を模索して、日本の伝統的な共同体を実測調査し図面化した60年代後半からの「デザイン・サーヴェイ」。それらの動きは芸術と民衆の力を原動力に未来への手がかりをつかもうとしたものです。
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関連行事

ミュージアムコンサート「美しいユートピアをたずねて」
展覧会で紹介する群馬音楽ホールを拠点とする群馬交響楽団の演奏、そして音楽と美術と建築をめぐるトークをお楽しみいただくコンサートです。2回とも同じ内容です。

Program エリック・サティ:ジュ・トゥ・ヴー/ピアソラ:リベルタンゴ 他
出 演 群馬交響楽団 弦楽カルテット
トーク 服部想之介(声優)
日時 2月7日(土)
 ①午後1時30分~午後2時10分(開場午後1時)
 ②午後4時~午後4時40分(開場午後 3時30分)
定 員 各回110名、要予約
聴講費 無料(ただし本展の観覧券が必要です)
会場 パナソニック東京汐留ビル 5階ホール
*未就学児はご遠慮ください。
*展覧会観覧には、事前の日時指定予約が必要です。

展覧会記念講演会「祖父、清六から聞いた宮澤賢治」
宮澤賢治の8歳年下の弟、祖父清六から聞いた「賢治さんの美術、宗教、科学に対しての考え方。日常での様子。
自分へ向けて書いた『雨ニモマケズ…』の願い。」を、残された資料、家族写真などをスクリーンに映しながらお話しいただきます。

講 師 宮澤和樹氏(宮澤賢治、8歳下の実弟清六の孫、株式会社林風舎代表取締役)
日 時 2月14日(土)午後2時~午後3時30分(開場午後1時30分)
定 員 150名、要予約
聴講費 無料(ただし本展の観覧券が必要です)
会 場 パナソニック東京汐留ビル 5階ホール
*未就学児はご遠慮ください。
*展覧会観覧には、事前の日時指定予約が必要です。

キーワードは「ユートピア」。この国にそれを現出しようと活動した人々の軌跡を追うもので、一種の地政学な要素を含みつつ、しかしその対象が特定の地域ではなく架空の「ユートピア」。なるほど、そういうアプローチもありか、と感じました。

光太郎に関しても軽く関わります。「第1章 ユートピアへの憧れ」で白樺派が取り上げられ、光太郎も写った「白樺創刊十周年記念写真」(大正8年=1919)が出ます。それから「第4章 試みる それぞれの「郷土」で」には宮沢賢治関連の展示品(賢治記念館や林風舎さんの所蔵品)がたくさん並びますので、光太郎も寄稿した雑誌『農民芸術』など。
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他にも出品目録に依れば賢治関連で、現代の賢治著書に装画をした吉井忠による絵画「花巻豊里町 宮沢政次郎氏(賢治父)宅」が「第2章 たずね求める 周縁、国外でのフィールドワーク」に出品されます。「豊里町」は「豊沢町」の誤植ではないかと思うのですが……。誤植と言えば、「グスコーブドリ」とすべきところも「グスコンブドリ」となっています。当方、賢治に関してそれほど詳しいわけではないのでよくわかりませんが、最初の構想では「グスコンブドリ」だったとか、そういうわけではありませんよね。

賢治関連が多数出品ということで、関連行事として賢治実弟・清六令孫の和樹氏による講演が予定されています。ちょうどその1週間後には花巻で、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰をなさっている瀬川正子氏、それから当方と3人でのトークイベントも企画されており、和樹氏、大忙しですね。

どうせならその日に拝見に伺おうかと日程を調整しております。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)15 『現代の彫刻』岩波講座世界文学第七回配本

昭和8年(1933)6月5日 岩波書店 高村光太郎著
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目次
 実技家の場合 概観 二つの源流について 時間的一瞥 フランスの彫刻 ブルデル
 マイヨル デスピオ ベルナアル 「ぢか彫り」騒動 穏健群 形式主義群団 ドイツの彫刻
 イギリスの彫刻 残余の諸国

「岩波講座世界文学」はいわゆる分冊もの。光太郎はこれ以外にも長沼重隆や辰野隆らとの共著で第9回配本『近代作家論』にも執筆しています(のちほどご紹介します)。

50余ページのペーパーバックですが、ロダン亡き後の世界の彫刻界についての非常にわかりやすい概論です。

光太郎の父・光雲の木彫が出ている展示です。

令和八年第一回企画展「雪あかりと春のきざし」

期 日 : 2026年1月10日(土)~3月24日(火)
会 場 : 東石美術館 栃木県佐野市本町2892
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 毎週水曜・木曜
料 金 : 大人 1,000円(800円)ペア 1,800円  高・大学生 800円(600円)
      小・中学生 500円(400円)  ( )内団体料金

冬の静寂、春を予感させる彩々
 凍てつく夜、天上の光を吸い込んだ雪は地上に降り積もることで自らが柔らかなあかりとなりました。それは暗闇の中で自らを保つ、つかの間の希望を象徴しています。
 やがて、その白一色の世界の中から水や土、花の芽のやわらかな色がにじみ出、春を待ち望む心が起こす生命の兆しを感じさせます。
 本展では、この繊細でドラマチックな季節の移ろいを表現した選りすぐりの名品が一堂に会します。
 日本画の幽玄な光と影。洋画の重厚なマチエール。土から生まれた陶芸の温もり。生命を刻む木彫の静かな力。観る者の心の風景を鮮やかに変える、静かな感動の一期一会をぜひ。

◆主な展示品◆
横山大観《神国日本》、《瀑布(ナイアガラの滝、万里の長城)》、北大路魯山人《梅に月》、吉田登穀《浄地》、下村観山《田子の浦》、橋本雅邦《老松霊鷹》、狩野芳崖《江山一望之図》、高村光雲《狗犬》、山崎朝雲《建国》、圓鍔勝三《聖徳太子》、平野富山《稚児普賢》《七福神》、板谷波山《葆光彩磁椿文花瓶》ほか
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リニューアル前の同館には一度伺ったことがありまして、その際にはやはり光雲作の木彫「牧童」が出ていました。
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この作品は繰り返し展示されているもので、今回もこれかと思ったのですが、そうではなく「狗犬」という作品でした。
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「狗犬」と題されていますが、狛犬ですね。像高など画像だけではわかりませんが、さほど大きなものでもなさそうです。木目の生かし方が絶妙ですね。

ほぼ同じ顔を持ち、阿吽の口を呈している獅子頭は複数の作例があり、各地で何度か拝見しましたが、全身像は見たことがありません。まあ、あっても何ら不思議ではないのですが。
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阿吽の口の狛犬、獅子頭、そして沖縄のシーサー、さらには仁王像など、民俗学的に興味深いところでもあります。遡ればエジプトのスフィンクスも源流は同じだとか。

来週あたり拝見に行こうかと思っております。ついでに佐野ラーメンでも食べてこようかな、と(笑)。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)14 『続ロダンの言葉』普及版

昭和4年2月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 アウギユスト ロダン(オクターヴ ミルボー)
 若き芸術家達に(遺稿)
 ロダン手記
  花について
  女の肖像
  芸術家の一日
   庭園の朝 古代彫刻の断片 庭園の夕 
  ゴチツクの線と構造
   ゴチツク建築家は写真家である 面と相反と 釣合の知識 石のレース細工 外陣
   くりかた
  芸術と自然
   古代芸術―ギリシヤ 古代芸術の豊かさは肉づけにある 高肉とキヤロスキユロ
    ローマ及ローマ芸術 アメリカの為に
  ゴチツクの天才
   ノートルダム サン トウスターシユ 彫刻に於ける色調について 十八世紀 断片
    五部のスレスコ 手紙
  ギユスターヴ コキヨ筆録
  ジユヂト クラデル筆録
  フレデリク ロートン外二三氏筆録
  ポール グゼル筆録
   「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美
  「本寺」より(手記)
   断片 ムラン マント ネエル アミヤン ル マン ソワツソン シヤルトル

正続2冊セットで並製本として刊行され、内容的には大正9年(1916)に同じ叢文閣から出た初版と同一です。カバーの背文字は光太郎本人の筆。表紙絵はロダンの素描です。

当方手持ちのものは最終刷となった昭和12年(1937)9月20日の版です。

光太郎筆の油彩画「自画像」(大正2年=1913)が出ています。

開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」

期 日 : 2026年1月10日(土)~2月15日(日)
会 場 : SOMPO美術館 新宿区西新宿1-26-1
時 間 : 10:00~18:00(金曜日は20:00まで)
休 館 : 月曜日、1月13日(火)
料 金 : 一般(26歳以上)1,500円 25歳以下 1,100円 小中高生 無料

 1976年7月、SOMPO美術館は新宿に開館しました。このたび、SOMPO美術館の開館50周年を記念し、新宿をテーマとした展覧会を開催いたします。
 日本の近代美術(モダンアート)の歴史は、新宿という地の存在なくしては語れません。明治時代末期の新宿には新進的な芸術家が集まりました。そして、新宿に生きる芸術家がさらに芸術家を呼び込み、近代美術の大きな拠点の一つとなりました。本展は、中村彝、佐伯祐三から松本竣介、宮脇愛子まで、新宿ゆかりの芸術家たちの約半世紀にわたる軌跡をたどる、新宿の美術館として初めての試みです。

ⅰ章 「中村彝と中村屋 ルーツとしての新宿」
 新宿に創業した中村屋のもとに新進芸術家たちが集い、サロンが生まれました。中村彝(つね)をはじめ、中村屋にゆかりの作家を取り上げます。
コラム1 文学と美術
 1910年に創刊された雑誌『白樺(しらかば)』を中心に、新宿に生きた文学者や画家たちにゆかりの作品を紹介します。

ⅱ章 「佐伯祐三とパリ/新宿 往還する芸術家」
 佐伯祐三は、パリと新宿を行き来しながら活動しました。アトリエの建つ下落合の風景を描いた作品を中心に展示します。
コラム2 描かれた新宿
 1923年に発生した関東大震災からの復興で変貌を遂げた街を描いた版画集『画集新宿』『新東京百景』を中心に、大正から昭和初期の新宿の風景を描いた作品を紹介します。

ⅲ章 「松本竣介と綜合工房 手作りのネットワーク」
 松本竣介(しゅんすけ)は綜合(そうごう)工房を構え、雑誌『雑記帳』を刊行しました。竣介を中心に、二科会や『雑記帳』で活動をともにした作家たちを取り上げます。

ⅳ章 「阿部展也と瀧口修造 美術のジャンルを超えて」
 阿部展也(のぶや)(芳文)のアトリエには、瀧口修造を始めとする芸術家たちが集まりました。彼ら/彼女らの交流は、既存の美術の枠を超えた豊かな作品群を生み出していきました。
エピローグ 新宿と美術の旅はつづく
 新宿に生まれた版画家・清宮質文(せいみやただふみ)。静かな叙情あふれる静謐(せいひつ)な清宮の版画によって、本展の幕をとじます。


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光太郎の「自画像」は、「コラム1 文学と美術」の中で展示されています。
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やはり新宿区の中村屋サロン美術館さんの所蔵で、同館の常設展示(コレクション展)ではほぼ常時出ているものです。

「新宿」といえば、その中村屋サロン、さらに落合文士村。ⅰ章では中村屋サロンがメインで、荻原守衛や斎藤与里ら、光太郎とも縁の深かった面々の作品が並んでいます。その流れで「コラム1 文学と美術」。やはり光太郎と親しかった岸田劉生、有島生馬など。「おっ」と思ったのは宮芳平。シブいところが出ているな、という感じでした。それから、光太郎も寄稿した『白樺』の第1巻第8号(明治43年=1910)と『ARS』の創刊号(大正4年=1915)もこの並びでしょうか。

光太郎、落合系ではメインの佐伯祐三とは直接の関わりはなかったようですが、松本竣介主宰の『雑記帳』には寄稿をしています。また、林芙美子は自著『放浪記』で光太郎のブロンズ代表作「手」(大正7年=1918)に触れるなど、かすかな繋がりが。

週末、ぽこっと時間が空きましたので、拝見に伺おうかなと考えております。みなさまもぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)13 『ロダンの言葉』普及版

昭和4年2月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

正続2冊セットで刊行され、内容的には大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版、同10年(1921)の目黒分店版と同一です。それらがハードカバーでしたが、こちらは並製の廉価版で、繰り返し版を重ねました。当方手持ちのものは最終刷となった昭和12年(1937)9月20日の版です。

カバー背の題字は光太郎自身の揮毫、描かれている裸婦像はロダンの素描です。同一の図案は明治43年(1910)、親友の水野葉舟の小説集『おみよ』のカバーにも使いましたが、同書はこのデッサンのために「風俗壊乱」とされて発禁になってしまいました。

佐藤忠良ら光太郎のDNAを受け継ぐ次世代の彫刻家たちはこの並製本を刷りきれるほど読んだようです。

このところ新聞記事ネタが続いていますので、続けます。

昨日の『読売新聞』さん他、地方紙でも同じ記事が出ていました。

[岩手のお風呂2026⑦大沢温泉「湯治屋」]冬の自然美墨絵の世界 文化人魅了 心安らぐ情緒

 しんしんと雪が降る昨年12月上旬、大沢温泉「湯治屋」(花巻市)の本館には、続々と温泉客が入っていった。古い日本家屋のようなたたずまいの本館の建築年代はわかっていないが、板敷きの廊下や障子などは昭和の趣を残し、どこか郷愁を感じさせる。
 窓から雪の様子を眺めながら廊下を歩くと、奥にあるのが混浴の大露天風呂「大沢の湯」だ。風呂にゆっくり肩までつかって景色を眺めると、粉雪の白と、山々の墨色といった美しい自然のコントラストが広がる。眼下に流れる豊沢川や、川をまたぐ「曲り橋」、川の奥にある 茅葺かやぶ き建築のギャラリー「菊水舘」も含め、まるで絵画のような風景にほれぼれする。
 「3月にも来たんだけど、この雪景色が見たくてリピーターになったよ」。神奈川県から訪れた男性(66)はリラックスした表情でそう話す。この自然が数々の温泉客を魅了してきたのだろう。
 ずっと変わらぬ冬景色はもちろん、弱アルカリ性で無色透明の湯は保温性が高く、一度入浴すれば体の中から湧き出る温かさが長く続くという。
 大沢の湯は約1200年前に坂上田村麻呂が傷を癒やしたという伝説が残り、江戸末期には盛岡藩主・南部利剛が湯治に訪れたという由緒ある温泉だ。
 数々の文化人にも愛されてきた。幼い頃に何度も訪れた花巻出身の宮沢賢治は、教師時代に生徒たちを連れて来たこともある。戦時中に花巻に疎開していた彫刻家の高村光太郎は戦後もたびたび足を運び、「本当の温泉の味がする」と評した。
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 大沢温泉は、古い建物の「湯治屋」と新しい旅館「山水閣」、ギャラリー「菊水舘」の三つからなる。近年ではスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーらも湯治屋を定期的に訪れているといい、その縁からジブリ関連の企画展が開催されている。
 湯治屋の支配人・西村真之介さん(53)は、「人の息づかいや人間らしさが感じられる」と魅力を語る。かつては農家や漁業者が仕事が一息ついた冬の時期に数週間投宿して体を休めた。滞在中は海の幸と山の幸などを物々交換したり、漁業者は来期に向けて漁網を手直ししたりし、英気を養っていたという。そうした湯治文化が今につながっており、当時の建物が残る湯治屋では名残を感じられる。
 「変わらぬ文化と自然、そして大沢の湯。絶対の自信があります」と、西村さんは胸を張る。せわしない世間を一時忘れ、心を安らげる力が温泉にはある。

畳の部屋余韻に浸って 
 温泉や公衆浴場は入浴はもちろん、その後の「余韻」に浸るのも 醍醐だいご 味だ。すぐ帰るなんてもったいない。
 湯治屋の待合室は畳の部屋で、温泉を堪能した後、ここで寝っ転がるのが至福の時間だ。1人だったらぼんやりとするのもいいし、友人と訪れたら卓を囲んで会話を楽しむのもいい。漫画もテレビもあり、ゆったりとした時間を過ごすことができる。
 壁にかかっているのは、宮沢賢治が幼い頃に大沢温泉を訪れた100年以上も前の写真。岩手の偉人もこの温泉に触れたのかと、感慨深い思いになった。
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戦後の花巻郊外旧太田村での蟄居生活中、光太郎が何度も宿泊した大沢温泉さんの紹介記事です。

当方も花巻出張の際には可能な限りこちらを利用させていただいております。現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関係で、先月も泊めていただきました。次回は同展関連行事のトークイベントのため来月お邪魔します。

豊沢川添いの雪見の露天風呂は格別ですし、記事の最後に紹介されている畳の部屋もマストです。当方、着いた日には夕方、それから朝と、ここで地元紙『岩手日報』さんや『岩手日日』さんに目を通すのがルーティンです。

皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)10 『天上の炎』

大正14年(1925)3月25日 新しき村出版部 エミイル・ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序詩 未来 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に
 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森
 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 題跋詩 私の集

大正10年(1921)刊行の『明るい時』に続き、ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

元々、函とカバーが付いていましたが、手持ちのものには欠けています。完全な状態のものはほとんど市場に出ません。

しばらく訳書の紹介が続きましたが、共著を除いて翻訳以外はしばらく出版されませんでした。大正期には光太郎自身、「翻訳をやると一番安全に金になつたから、たとえば「ロダンの言葉」なども一つは生活のために書いた」(「遍歴の日」昭和26年=1951)と述懐しています。

戦前に亡くなった智恵子、その写真は30葉くらいしか確認できていません。それもお嬢様だった少女時代のものが多く、光太郎との結婚後のものは少ない状況です。3年ほど前に、国立国会図書館さんのデジタルコレクションのリニューアルに伴い、昭和3年(1928)4月16日、日比谷の東京会館で撮られた光太郎の父・光雲の喜寿祝賀会でのショットを見つけましたが。
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そんな中、ずっと気になっていた写真がありました。平成5年(1993)発行の『週刊女性』第37巻第14号(左下)や、昭和57年(1982)、暁教育図書さん発行の『日本発見人物シリーズ 大正の女性群像』(右下)に載っていたもの。
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かなり鮮明な写真であるにもかかわらず、いつ、どこで撮られたものか把握出来ていませんでした。

その謎がようやく解けました。

きっかけは1月6日(火)の『東京新聞』さん、「政党政治への期待は、恨みに変わって… 希望を失った民衆は「新しさ」を求め、「国家や天皇」に流れた」という記事。

記事自体は慶応大学さんの松沢裕作教授(日本近代史)への取材を通し、1920年代頃の国家主義が台頭した時代を追うもので、女性参政権運動にも触れられ、その一翼を担ったのが平塚らいてうだったため、「東京・新宿の中村屋に集う婦人参政権運動を進める青鞜社の旧同人たち=1929年6月26日(日本電報通信社撮影、共同)」というキャプションで、下記の写真が載りました。ちなみに記事本文にはらいてうや智恵子の名も『青鞜』誌名も書かれていませんでしたが。
1929年6月26日(日本電報通信社撮影、共同)
右から二人目がまさしく智恵子。拡大するとこんな感じです。
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昭和4年(1929)6月26日というと、キャプションの通り新宿中村屋で『青鞜』旧同人の同窓会的な集まりが持たれ、そのショットでした。この模様は当時の『朝日新聞』で報じられています。
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写真も添えられていましたが、不鮮明な上に、肝腎の智恵子は野上弥生子の陰に隠れ、顔がはっきり写っていませんでした。
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これとほぼ同時に写されたのが、『東京新聞』さんに載ったもので、上記の『週刊女性』などに載った写真はここから採られたものでした。

『朝日』記事には写っているメンバー全員の氏名が並び順に紹介されており、それを信用すると下記のようになります。
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「小野よし子」「藤浪和子」はそれぞれ創立メンバーの保持研子、物集和子です。大正12年(1923)に殺害された伊藤野枝や、カナダ在住だった田村俊子がいないのはともかく、富本一枝(尾竹紅吉)、木内錠子、中野初子、岡本かの子、岡田八千代らの姿も見えないのは残念ですが。

しかし智恵子、凜とした目つきですね。いわゆる「目力」に圧倒されそうです。この2年後には心の病が顕在化するのですが……。

とにかく写真が少ない智恵子、この後も新たなショットが見つかることを祈念いたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)9 『リリユリ』

大正13年(1924)5月10日 古今書院 ロマン・ロラン著 高村光太郎訳
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目次 なし

『リリユリ(Liluli)』は光太郎が敬愛していたロマン・ロラン(1866~1944)の戯曲。大正7年(1918)に原典が刊行されました。光太郎、2年後には片山敏彦、尾崎喜八、倉田百三、高田博厚らと「ロマン・ロラン友の会」を立ち上げます。

昨年開催されたイベントの報道が最近為されていますので、ご紹介しておきます。

まず、11月13日(木)~11月30日(日)に茨城県取手市の東京藝術大学大学美術館取手館さんで開催され、光太郎の卒業制作「獅子吼」石膏原型が展示された「藝大取手コレクション展2025」につき、同市の『広報とりで』今月号。

発見~開館30周年と収蔵棟完成を祝う祭典! 「藝大取手コレクション展2025」

 令和6年に開館30周年を迎えた東京藝術大学大学美術館と、 未来の学生たちの作品を十分に保管できるスペースを持った取手収蔵棟が同年竣工したことを記念し、「藝大取手コレクション展2025」が令和7年11月13日から30日まで開催されました。取手東小学校の3年生も学校行事でコレクションを鑑賞しました。鑑賞した児童からは「いろいろな作品が見られて楽しかった。作品ごとに違う雰囲気や面白さがあった」と話し、“アートのまち取手”ならではの貴重な体験をしました。
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学校教育との連携は大切なことですね。未来のアーティストや評論家などが生まれる一つのきっかけとならないともかぎりませんし。

続いて11月30日(日)に港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」につき、青森の地方紙『東奥日報』さん。同紙では翌日にもすでに報道して下さったのですが、改めて昨年大晦日に長い記事にして下さいました。

十和田湖の未来を語る東京フォーラム 11月30日に東京で開催 先人の思いを礎に「感動体験」が人を呼ぶ好循環へ

 山は富士、湖水は十和田、広い世界に一つずつ――。明治・大正期の文人で、俳句や美文で十和田湖や奥入瀬渓流の自然美を世に紹介した大町桂月が、蔦温泉で没して100年。今や十和田八幡平国立公園は本県を代表する観光地となっています。「十和田湖の未来を語る東京フォーラム」が11月30日、東京都港区の赤坂区民センターで開かれました。大町の人柄や功績、本県との関わりを振り返り、十和田湖と周辺地域の未来に視線を向けたフォーラムの様子を紙面で採録します。

蔦温泉で二度越冬
 フォーラムは東京青森県人会の主催で、参加者の皆さんは十和田湖の歴史、自然、文化、観光に詳しい方々による講演とパネルディスカッションに熱心に耳を傾けていました。大町桂月(以下、桂月)の足跡をたどり、業績を後世に伝える活動を続けている「大町桂月を語る会」の谷川妙子事務局長は、桂月が「日本の昔の好い人情が東北のこの地にまだ残されている」と話していたことや、二度の越冬時にはユーモラスな絵と文で厳冬期や春の雪解けなども楽しんだ滞在の様子を書き残していることを紹介しました。
 また、「『十和田湖一帯の地は山水の衆美(しゅうび)を集め啻(ただち)に日本に秀絶(しゅうぜつ)するのみならず世界に冠絶(かんぜつ)す』という美文で固めた請願文が大きな反響を呼びました」と、筆の力で国立公園に大きく押し上げた桂月の功績をたたえました。

湖の感動を表した像
 十和田湖のシンボルとして愛されている「乙女の像」について、高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会の小山弘明代表が制作に至る経緯などを解説しました。像の設立は国立公園15周年を記念して、十和田開発の功労者である大町桂月、青森県知事の武田千代三郎、十和田村長で県会議員の小笠原耕一の三氏の功績を讃える目的で、詩人・彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が制作。高村は、桂月と同様に自分が湖から受けた感動をそのまま正直に表す思いで像を造ることとし、完成後の像は自分の手を離れて十和田湖の自然の中に溶け込むことを願っていたというエピソードを紹介しました。

感動体験から保護・活用へ
 初任地が十和田湖事務所だったという環境省自然環境局国立公園課長の長田啓さんは、「自然豊かな日本で一番贅沢な通勤路だった」と話し、会場を沸かせました。その上で、十和田八幡平国立公園は環境省が世界に誇れる国立公園を作る「国立公園満喫プロジェクト」において全国の先行的な取り組みを進める地域の一つに選ばれていることを紹介。訪れた人の感動体験が公園を「守ろう」という意識づけになり、利用によって得られる利益が保護に回る好循環を目指しています。神秘的な自然美、十和田神社の信仰といった歴史文化を守りながら宿泊施設の整備などで滞在環境の上質化を進め、国内外からより多くの訪問者が来ることへの期待を伝えました。
 ゼネラル・プロデューサー山田安秀氏は、地域の歴史や自然文化の複合的な価値と、将来を考える機会になればと話し、パネルディスカッションを締め括りました。
 フォーラムの最後に登壇した桂月のひ孫にあたる大町芳通さんは、「桂月が愛した十和田の素晴らしい自然を青森の観光資源として維持、活用することを知恵を持って成し遂げていただき、地元がもっと発展するよう祈っています」と謝辞を述べ、会場からは大きな拍手が送られました。

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この他、大町桂月の詳細なプロフィール、フォーラム登壇者の全氏名と肩書き、東京青森県人会役員の方々からの「応援メッセージ」などが掲載されていますが、長くなるので割愛します。

また改めてご紹介しますが、十和田湖では今月末から来月末にかけ、「乙女の像」ライトアップも為される「第28回十和田湖冬物語」というイベントも開催予定です。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)8 『明るい時』

大正10年(1921)10月15日 芸術社 ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序文
 明るい時
  一 おうさんらんたるわれらのよろこび     二 無言のままわれらの歩く
  三 この野蛮な柱頭              四 夜の空はひろがり
  五 いつでも、かほど純真にふかい     
  六 あなたは時としてあのなよやかな美を示す
  七 おう! 戸を叩かせて置かう        八 あどけない頃のやうに
  九 わかい、気のやさしい春は         一〇 しづかに来て                        
  一一 火のやうな恍惚の眼をして        一二 長い間私のくるしんでゐた時 
  一三 どういふわけか何故なのかいはれは何か
  一四 黄金と花との階段をしづしづ降りる    
  一五 私はあなたの涙に、あなたの微笑に       一六 私はあなたの二つの眼の中に
  一七 われらの眼を愛するため                   一八 われらの愛の園に、夏はつづく
  一九 あなたの明るい眼、あなたの夏の眼が   二〇 言つてごらん                        
  二一 われら自身以外の一切のものを            二二 おお! この幸福!                  
  二三 生きませう               二四 われらの口の触れ合ふやいなや
  二五 底知れぬ深さ神のやうに聖い       二六 たとひもう、こよひ                  
  二七 からだを捧げるとは、魂のある以上   
  二八 われらのうちにたつた一つの心やさしさ  二九 炎に花咲く美しい庭は                
  三〇 もし万一にも                        
 小曲二章
  小さな聖母  サンジヤンさま
 二篇
  風をたたふ  吾家のまはり

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)が、妻のマルト・マッサンとの日々を謳った連作詩「明るい時」の翻訳を根幹としたものです。後の『智恵子抄』が想起されます。

光太郎による序文では、「詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の「詩」はやはり向うに残る。其を知りつつ訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである。」と記されています。言わずもがなですが、「フランス語を知らない一人の近親者」は智恵子です。

今日明日と、遡って旧臘中の報道をご紹介します。

まず、12月28日(日)付けの『朝日新聞』さん岩手版。

花巻の鉛温泉・藤三旅館本館と白猿の湯 国登録有形文化財に

 多くの文豪が滞在、執筆したことでも有名な岩手県花巻市の鉛温泉・藤三旅館本館と白猿(しろざる)の湯が、国登録有形文化財(建造物)に登録される見通しになった。国の文化審議会が11月、文部科学相に答申した。
   藤三旅館本館は豊沢川沿いに建つ1941年建築の木造3階建て。南面東寄りに唐破風(からはふ)造りの玄関が突出し、入母屋(いりもや)屋根になっている。内部は各階の廊下の南北に客室が並んでいる。
 岩盤をくりぬいた白猿の湯は深さが1・3メートルあり、浴槽に立って入る。浴槽の周囲の床は石敷きで重厚な造り。上部は吹き抜けで開放的な雰囲気だ。
 県内の登録有形文化財(建造物)は今回を含めて111件になる。
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花巻の有形文化財建築といえば、ここと山一つはさんだ花巻温泉さんの旧松雲閣別館、市街地の旧菊池家住宅西洋館と、それぞれ光太郎の足跡が残る建造物です。そして今回も。「多くの文豪が滞在」とあるうちの一人が光太郎です。戦後の花巻郊外旧太田村での蟄居生活中、確認出来ている限り、昭和23年(1948)に3回、一泊ずつ宿泊しています。

まず4月25日の日記。

朝、村長さん来訪、どこかへ一緒に遊びにゆきたしと誘はる。今日円万寺観音山の祭に行く予定の旨答へる。午后村長さんも観音山に来て夕方より鉛温泉に一泊する事約束。(略)四時頃村長さん奥さん尋ね来る、五時辞去。 奥さんと共に二ツ堰。村長さんも自転車でくる。共に鉛温泉行。七時過着、入浴、酒、夜食。

「観音山」は親しくなった僧侶にして仏教学者の多田等観が暮らしていた山、「二ツ堰」は当時鉛温泉方面に走っていた花巻電鉄の駅です。「尋ね」は「訪ね」の誤記ですね。

翌26日。

昨夕温泉に久しぶりにて入る。深い共同浴場にも入る。泉質よきやうなり。温度余に適す。 沼田の吉二さんといふ人村長さんを訪ね来り、濁酒一升もらひ皆でのむ。 吉二さん(村の肴配給掛)と同宿。朝五時頃入浴。二三人老人が入り居るのみ。きれい也。

続いて5月11日。

午后五時五分の電車にて二ツ堰発、鉛温泉まで。 宿にては村長さんより電話ありたりとて待つてゐたり。此前と同じ室三階三十一号室。畳あたらし。 入浴、抹茶、夕飯後又抹茶、甚だ快適なり。入浴客も少し。椛沢さんも喜ぶ。 夜宿の主人と帳場の老人話にくる。史跡の話などきかせる。椛沢さん詩の朗読をしてきかせる、夜十一時半に至る。自然風呂の方の温泉に入浴。一人も客無し。十二時頃ねる。 セキも多く出ずよくやすむ。 雨もふらず。心地よし。

「椛沢さん」は椛沢佳乃子。戦時中からの知り合いで、東京から訪ねてきたお茶の先生です。

翌12日。

朝七時頃までねてゐる。 入浴。 朝食後抹茶。 午后一時十七分の電車にてかへる事にきめ、中食をたのむ。談話、休憩、入浴、十二時中食丼なり。会計をすます。五百円と少し。少々やす過ぎると思ひしが帰宅後うけとりを調べると宿料一人分のみ記入しあり。余の分をとらざりしと見ゆ。宿の主人電車まで送り来る。県道が秋田大曲の方へ開ける由語る。今は客二百名位。八月には千名余になる由。

「三階三十一号室」には当方も一度泊めていただきました。ほぼ当時のままのようでした。

さらに5月18日。

午后支度して宮崎さんと一緒に出かけ、二ツ堰より電車にて鉛温泉。 乗車中豪雨降る。後止み、晴れる。温泉にては前と同じ31号室(三階)。宮崎さんも喜ばる。鉛の共同風呂に入浴。この湯甚だよろし。あまり混雑せず。持参の玉露を入れたりする。休憩。 夜食時濁酒半分ばかりのむ。 幾度か入浴、十時頃ねる。

「宮崎さん」は姻戚の茨城在住だった詩人・宮崎稔です。

翌朝。

午前八時〇七分の電車にて花巻西公園まで。弁当のむすびをもらふ。宿にて米を少し返却し来る。会計全部にて435円也。

確認出来ているのはこの三泊ですが、昭和24年(1949)と25年(1950)の日記が失われている他、それ以外の時期にも日記が抜けている時期もぽつぽつあり、もう少し多いかもしれません。

生前最後の談話筆記「花巻温泉」でも、大沢温泉さん、台温泉さんなどとともに鉛温泉さんに詳しく触れています。

 花巻の駅から一時間かかって、やっとたどりつく四つ目の駅、鉛温泉は、かなり上った山奥の湯で、今はラッセルがあるから心配はないが、私がいた頃は雪が降ると電車が止って厄介だった。
 鉛温泉の湯は昔から名湯とされている。非常に大きな湯舟が一軒別棟でできていて、一杯の人が入っている。その様を小高い所から見下せるが、まるで大根が干してあるように人間の像がズラリと並んで、それは壮観である。
 たいていの温泉は引湯だが、鉛はじかに湯が湧いている。湯の起りの底の砂利を足でかき廻すとプクプクあぶくが出てきて身体中にくつついてピチンとはねるのも面白いが、大変薬効のある湯といわれている。
 昔は男女混浴で、お百姓さんや、土地の娘さんや、都会の客などがみんな一緒に湯を愉しんでいたが、だんだんに警察がうるさくなって、「男女区別しなけりやいかん」ということで、形式的に羽目を立てた。が、これがまた一層湯を愉しくした。
 はじめのうちは男女両方に分れて入っているが、土地の女というのが男以上に逞しくて、湯に入りながら盛んにいいノドをきかせる。と、男の方はこれに合せて音頭をとりだし、しまいに掛け合いで歌をはじめ、片方が歌うと片方が音頭をとるというわけで、羽目をドンドンと叩くからたまらない、羽目がはずれて大騒ぎになる。なんとも云えない愉しさだ。
 宿もこんな山の中によく建つたと驚くような大きなもので、鉄筋コンクリート建である。


この「鉄筋コンクリート建」が、今回、有形文化財登録になるという本館と思われますが、冒頭の記事では「木造」となっています。思うに純粋な木造ではなく、コンクリートとの折衷ではないかと。

ちなみに『朝日』さんでは暮れに報じていてその時点で気づいたのですが、既に11月には地元で報道が為されていました。

IBC岩手放送さんのローカルニュース。

鉛温泉・藤三旅館と白猿の湯が国の登録有形文化財に 岩手・花巻市

 岩手県花巻市の鉛温泉にある旅館と浴室用の建物2件が、新たに国の登録有形文化財に登録されることになりました。
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 国の登録有形文化財に登録されるのは、花巻市鉛の「鉛温泉藤三旅館本館」です。この建物は1941年に建てられ突き出した玄関の屋根が曲線の美しい唐破風造(からはふづくり)となっています。
004
 もう1件は、この旅館の浴室用の建物「白猿の湯」です。建設時期は昭和の前期で、中には岩盤をくり抜いた深さ約1.3メートルの大浴槽があり、上が吹き抜けとなっています。県内にある国の登録有形文化財は、今回を含め111件となります。
005
『朝日』さんに戻りますが、「多くの文豪が滞在、執筆したことでも有名」とあるうち、「滞在」には宮沢賢治が含まれます。童話「なめとこ山の熊」に「腹の痛いのにも利けば傷もなほる。鉛の湯の入口になめとこ山の熊の胆ありといふ昔からの看板もかかつてゐる」という記述があります。元々、藤三旅館の経営者だった藤井家は宮沢家とは親戚関係でした。熊といえば、つい先日、宿泊した際には白猿の湯ではない豊沢川沿いの露天風呂で熊とニアミスがあり肝を冷やしました。

また「執筆」は田宮虎彦。「銀心中」という短編小説はこの宿をモデルにし、ここで書かれたそうで、公式サイトでもそのあたりが紹介されています。忘れ去られつつある作家に光を当てるのも大事ですが、先述のようにいろいろ書き残している光太郎ももっと前面に押し出していただきたいのですが……。

ところで、光太郎が泊まったというと、鉛温泉さんよりやや南の大沢温泉さん。こちらの自炊部は江戸時代の建築ですし、光太郎も愛した露天風呂「大沢の湯」も歴史あるなかなかの風情で、一説には能舞台を模した造りとも言われているようです。こちらもぜひ有形文化財登録を目指してほしいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)7 『回想のゴツホ』

大正10年(1921)4月22日 叢文閣 エリザベツト・ゴツホ著 高村光太郎訳
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目次
 小序 
 一 準備
 二 はじまり
 三 再び仏蘭西へ
 四 をはり
 附録 ゴオガンに宛てた手紙 最後に就てのゴオガンの手紙 略年譜 挿画目録

フィンセント・ヴァン・ゴッホの妹であるエリザベットによる兄の回想録です。

これも本来カバー付きですが、手元のものはカバーが欠けています。カバー付きが市場に出ることはまずありませんので半分諦めているのですが、若松英輔氏のモクレン文庫さんで数年前に出ました。その稀少価値をご存じなかったのか、超廉価で。気づいた時には既に売れていました。

明日からは昨年暮れの報道等を紹介しますが、それに先だって松の内の間に正月っぽいネタを。

元日の『日本経済新聞』さん文化面から。

騎馬像は馬も上手い? 名将支える相棒、国内150体巡る  山口洋史(元JRA職員)

 伊達政宗、山内一豊、前田利家、井伊直政――。武将たちをたたえる騎馬像を見上げた時、注目されるのは主役の偉人だ。となると、下の馬は見過ごされがち。
 馬好きの多くは、生きた馬の美しさに魅了されて、彫像は見向きもしない。かくいう私も同類。仕事の前に馬に乗れると聞いて日本中央競馬会(JRA)に就職したくらいだ。
 騎馬像の馬を意識したきっかけは、2011年のイタリア旅行だ。ずっと見たかったダヴィデ像への道すがら、騎馬像に出会った。コジモ1世だ。馬は丸々と肥え、頭が小さく、軽快に動いているように見えた。でも、私が好きなのはサラブレッド。ちらっと見て、通り過ぎた。
 その後も騎馬像に出会う。フェルディナンド1世、エマニュエル2世、マルクス・アウレリウス帝。妙に印象に残った。
 帰国後しばらくして馬事講座のネタ探しをしていた時、ふと騎馬像を思い出した。案外面白いのでは。とはいえイタリアには簡単には行けない。日本の騎馬像でも巡るか。なんとなく始まったが、結局150ほどある各地の像を制覇した。
 日本の騎馬像でまず外せないのが皇居外苑(がいえん)にある楠木正成像だ。騎馬像巡りで最初に見た像だが、馬をずっと見てきた私でも驚くほど、とにかく馬が上手(うま)い。正成がイケメンなのもいい。
 1900年に完成したこの像は、別子銅山200年記念事業として当時の東京美術学校(現東京芸大)を代表する芸術家が集まって作った。高村光雲が正成の顔を作り、歴史画家の川崎千虎が史実を踏まえて甲冑(かっちゅう)の図案を作り、彫刻家の後藤貞行が実際の馬の解剖もしながら馬を担当した。原型作りに3年、完成まで10年かけた。
 馬はグーッと力を入れて進もうとするが、正成が手綱を引く。顎がぐっと後ろに引っ張られた馬は興奮しているのか、前膝を高く上げて目を見開いている。胸前、前肢の付け根、おしりの筋肉も盛り上がって、全身に力を蓄えている。
 「この体勢はありえない」。写実性を重視した後藤は、光雲に抗議したという。だが誇張やデフォルメで、前進する力とそれを引き留める力が拮抗する緊張感が伝わる。
 完成当初は馬が大きいという批判もあったらしいが、現代の目で見ると逆に馬が小さく、首も少し短く感じるかもしれない。ただ、とにかくエネルギーはすごい。
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 正成像は、日本でほぼ最初に作られた近代的な騎馬像だ。これだけ人と時間と費用をかけて最初からこんなものを作ったら、後続はどうしても似てしまう。
そんな中、独自路線を行く像もある。
 例えばJR鹿児島本線伊集院駅前にある島津義弘像。馬は後肢をぐっと曲げて踏ん張り、頭を左に少しひねりながら前半身を高く上げている。馬の首の部分の筋肉の力強く張り詰めた膨らみ、全身の流れるような美しいライン。前歯や後歯、歯が生えていない歯槽間縁も正確に作られている。同じ騎馬像でも馬の力強さを別の形で描写した彫刻家の中村晋也の想像力に圧倒される。

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 ところが、そもそも馬を理解せずに作られたものもある。馬の肢(あし)は人間の脚とは違う。私が見た限りでは、馬の肢が本来とは逆向きに、まるで人の腕や脚のように曲がった像が2体ほどあった。
 こんなの許せない――。当初はそう思った。でも、騎馬像を見ていくうちに考えは変わった。馬のひづめや蹄鉄(ていてつ)の正確さまで、ちゃんと捉えているのは彫刻家の北村西望ぐらい。それでも多くの像は、地域で大切にされている。精いっぱいの思いが込められている。
 愛知県吉良町(現西尾市)といえば、忠臣蔵の吉良上野介の地元だ。ここには、6体もの上野介の騎馬像があった。日本中に悪役と思われても、地元はこの殿を支えるという意気込みだろうか。
 北海道江別市の榎本公園にある榎本武揚像の馬は、いかにも騎馬像らしいダイナミックさはない。でも華奢(きゃしゃ)な体にもかかわらず目はキリッとしていて、武揚の指示をじっと待っている。旧幕府、新政府の両方で重用された偉人も、相棒の馬といつも一緒にあちこち回ったのかもしれない。
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 船に乗りレンタカーを借りて佐渡島の山奥の公園にたどり着くと合戦開始目前、2人の騎馬兵が向き合う像があった。馬の像はやや詰めが甘いところがあるものの、全体としてダイナミックだ。
 ところがはるばる来た公園の近くにあるのは公衆トイレぐらい。30分ほど見ていたが、そばを通るのはトイレを目指す地元の人ばかり。せっかくの騎馬像、もう少しかっこつけてあげてほしいが、史実に忠実に場所を選んだ結果なのだろう。
 作り手や設置者の思い、あるいは何かしらの事情が垣間見える騎馬像は、今の時代にも新たに作られている。どうせなら愛される像を作ってほしい。願わくば、馬にもどうか気を使ってあげてほしい。

当会としての今年の年賀状図案に使った皇居外苑の「楠木正成像」を真っ先に挙げて下さいました。ありがたし。

執筆された山口氏、元JRA職員とのことで、見方が違いますね。楠公像に関しては「前進する力とそれを引き留める力が拮抗する緊張感」という評がまさに我が意を得たり、という感じでした。

楠公像の馬を担当した後藤貞行は、このために東京美術学校に雇われました。光雲が当時の校長だった岡倉天心に頼み込んでの実現でした。後藤が「この体勢はありえない」と言ったエピソードは、光雲の談話筆記『光雲懐古談』を昭和42年(1967)に中央公論美術出版さんが『木彫七十年』の題で復刊した際に附された、光雲三男にして家督相続を放棄した光太郎に代わって髙村家を継いだ豊周による「あとがき」に語られています。

 楠公の馬は左足を勢いよくあげ、踵を上へまげている。ここが問題になった。馬の専門家である後藤さんは馬の足というものはあんなにあがるものではない、それは嘘だといって反対した。けれども父が話すには、嘘でも馬が勢い込んで走ってくるところを手綱をぐっとひきしぼる、勢いが余って足があがる、その動きの激しいところをみせるためにも、また銅像全体としてみて、颯爽とした形のいいところをみせるためにも、例え嘘でもよいから片足をあげないと格好がつかない、そういうことを父はいったけれども、後藤さんは何しろ正確なことを尊ぶ本当の研究家だから、嘘になるから私は出来ないという。それで非常に困ってしまった。父は、いや芸術というものはそういうものではない、時には嘘でもよいのだ。その嘘を承知の上で作った方がかえって本当に見えるんだ。本当の馬のように作ると、かえって、少しも馬の勢いが出てこない、動勢というものがあらわれてこない、それではなんにもならない。嘘が本当にみえればそれでよいのだから、その気持ちをのみこんでもらわなくてはいけないということを、銅像制作の主任としての立場から、父はめんめんとして後藤さんを口説き、やっとのことで嫌がる後藤さんに承知してもらったという。

この件は『光雲懐古談』本文には記述がありません。それを書き残して置いてくれた豊周、グッジョブですね。もちろん、こうした措置を執った光雲、その提案をのんだ後藤もですが。まぁ、こうしたデフォルメは彫刻としては初歩的な技法ですが。しかし、こうした点、山口氏曰く「作り手や設置者の思い」を知った上で見るのと、そうでないのとではまるで見方が変わってくると思われます。

午年の今年、全国に150体以上あるという騎馬像、少し注意して観てみてください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)6 『ロダンの言葉』目黒分店版

大正10年(1921)11月28日 目黒分店 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版と装幀は異なりますが、中身の紙型は同一のようです。阿蘭陀書房は大正6年(1917)に社名をアルスと改称、そのあたりのバタバタもあってか『ロダンの言葉』の重版が十分に出来なかったようで、目黒分店版が刊行されました。

のちほどご紹介しますが、叢文閣からの正続2冊組の普及版も出されます。

上野のトーハクさんで元日から始まっている企画展示です。

博物館に初もうで

期 日 : 2026年1月1日(木)~1月25日(日)
会 場 : 東京国立博物館 台東区上野公園13-9
時 間 : 9時30分~17時00分 毎週金・土曜日および1月11日(日)は20時00分まで
休 館 : 月曜日 1月12日(月・祝)は開館
料 金 : 東博コレクション展観覧料でご覧いただけます。一般1,000円、 大学生500円

新年恒例の「博物館に初もうで」は、2026年は1月1日(木・祝)13時より開催します
 東京国立博物館(館長:藤原誠)は、2026年は1月1日(木・祝)13時より開館し、恒例の正月企画「博物館に初もうで」を開催します。
 干支をテーマにした特集展示や、長谷川等伯筆 国宝「松林図屛風」(1月1日(木・祝)~1月12日(月・祝) 本館2室にて展示)をはじめ、本館、東洋館の各展示室で、新年の訪れを祝して吉祥作品や名品の数々をご覧いただけます。
 また、当館アンバサダーであり、世界的に活躍する日本画家・千住 博氏より、新作《ウォーターフォール》をご寄贈いただくことになり、1月1日〜1月12日まで本館大階段上にて特別に展示します。1月1・2・3日には本館前ステージでは和太鼓、獅子舞、吟剣詩舞など、新春限定の企画も開催します。
 新たな年のスタートは、ぜひ当館でお迎えください。

常設展示を新春らしくおめでたいものや干支にちなんだ作品で揃え、「博物館に初もうで」としゃれこみましょう、というコンセプトで毎年行われている企画です。
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サムネイル的に使われているのが、後藤貞行作の木彫「馬」(明治26年=1893)です。

光太郎の父・光雲の4歳年下だった後藤は変わった経歴を持つ彫刻家です。旧幕府の騎兵所や、維新後は陸軍省の軍馬局などに勤務した後、馬の彫刻を作りたい一心で光雲の門を叩いて木彫を学び、さらに東京美術学校に奉職、皇居前広場の楠木正成像の馬や、上野の西郷隆盛像の犬などを任されました。

というだけならこのブログでこの展示をわざわざ紹介しませんが、旧臘に発行された『東京国立博物館ニュース』の第783号(2025-2026年12・1・2月号)でこの「馬」が紹介され、「師の高村が1893年に開催されたシカゴ万国博覧会に出品するために制作した老猿(ろうえん 重要文化財、当館蔵)と同じ木から、本作を彫り出したと述べています」との記述。実物を何度か拝見していましたが、これは存じませんでした。
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光雲が「老猿」に使った木材は、栃木県鹿沼市の山林に自生していた栃の巨木でした。昨年は鹿沼でそのあたりに関するイベント等も行われています。そのあたり『東京国立博物館ニュース』では「高村は老猿の材木を求めて栃木県鹿沼市で直径2メートルほどの巨大なトチの木を購入し、東京都台東区の自宅まで運びました。後藤がこのトチの木の調達に尽力したこともあって、材木の一部を譲りうけたのでしょう」と記されています。

いわば「老猿」とこの「馬」、兄弟だったのですね。
013
そう思って観ると、また見え方が違ってくるような気がします。

他に群馬県大泉町出土の馬型埴輪や、長谷川等伯筆の「松林図屛風」なども出ているとのこと。それから関連行事として1月10日(土)には本物の馬がトーハクさんにやってきての「在来馬とのふれあい」イベントなども企画されています。
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ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)3 『ロダンの言葉』(近代思潮叢書 第五編)

大正5年(1916)11月27日 阿蘭陀書房 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
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目次
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)  同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)

光太郎初の訳書です。元々、フランスにも『ロダンの言葉』という書物は存在せず、さまざまなところで発表されたロダンの談話を光太郎が集めて一冊にまとめました。

装幀は光太郎自身。函題字は光太郎が得意とした白黒反転の「籠書き」文字で書かれています。

当方手持ちのものは大正7年(1918)10月20日改訂増補五版です。

昨日の『南日本新聞』(本社・鹿児島市)さんに光太郎の父・光雲の名がちらっと出ました。

写真ないのに西郷像はどう作った? 彫刻家・安藤照が残したミステリー、元鹿児島市立美術館長が制作過程を著書で解き明かす

 元鹿児島市立美術館長の大山直幸さん(71)が「西郷隆盛像 安藤照の制作経過」を自費出版した。「安藤の著作や新聞記事などを基に調べた。今後の研究に使ってほしい」と話している。同書から、西郷像完成までの経緯を振り返ってみた。
 西郷隆盛銅像は1937(昭和12)年、鹿児島市城山町に建立された。高さ(身長)5.25メートル。制作したのは同市出身の彫刻家・安藤照(1892~1945年)だった。
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西郷隆盛の銅像=鹿児島市城山町

 建立計画はその10年前の27年、南洲神社50年祭の記念事業として始まった。翌年、安藤が制作を依頼された。当時36歳。大山さんは「若手彫刻家として実績や活躍ぶりから当然の成り行き」だったと記す。
 安藤は、写真のない西郷の顔を探し、西郷を知る人に聞き取りを行い、孫や血縁者の胸像も制作した。「血縁者の容貌の中に共通するものを捉えることにより、そこから翁の姿を思い描いてみようとしたのだろう」と推測する。
 制作に関する全ては安藤に一任されていた。安藤は「鹿児島に建てること高さ二丈(約6メートル)内外にすることの外、経費も年限も何も制限されてはいないのです」と話している(「鹿児島新聞」30年7月3日付)。
 西郷像の服装は銅像建設奉賛会評議員会が「羽織袴(はかま)の礼装」を希望していたが、安藤の意向も踏まえて「陸軍大将の服」になった。
 そのきっかけとなったのは、安藤が鹿児島から取り寄せた西郷の服。明治初めに千葉県習志野で行われた陸軍特別大演習で着用したものだった。
 「誠に幸いと云う可き(いうべき)は、この習志野に於(おい)て雨の為(ため)シミのはいった服装が、他の遺品と共に今日尚(な)お西郷家に保存せられてある事である。これが今度の銅像製作の第一の足場となったのである」(安藤「大西郷と銅像」)。
 西郷像のモデルの一人に同市出身の洋画家・藤島武二がいた。銅像制作の相談役に就いており、「体格が良かった藤島が陸軍大将の服を着ることになったのだろう」と想像する。
 同書には、安藤と藤島が同席している写真が掲載されている。場所は安藤のアトリエで35年撮影とみられる。大山さんが県立図書館で見つけた。「藤島が相談役として安藤を実際に援助していたことを示すもの」で「藤島の兄二人が翁とともに西南戦争に参加して亡くなっており、藤島自身も銅像制作について特別な思いがあったに違いない」と記している。
 建立場所は当初、上竜尾町の浄光明寺としていた。同寺には東京・上野にある西郷銅像の原型となった高村光雲作の木像があった。この像は空襲で焼失している。
 だが34年、市庁舎移転に伴い跡地が候補地となった。翌年、隣接する旅館の土地まで買収し、建設地として決定した。
 完成した西郷像は築山の上に置かれた。安藤は「人工の及ばざる自然の大いさを感ずる造園的築山風の台座が出来た」と記す(安藤「大西郷と銅像」)。
 除幕式は37年5月23日に行われた。安藤は「南洲翁を語る会」で「除幕式場では、銅像を仰ぎ見ることは出来なかった」と話し、翌日に行われた銅像建立奉告祭に出て「帰りにやっと見上ぐることが出来た」と語ったそうだ。
 大山さんは同書の最後にこの部分を引用し「この時、安藤は南洲翁に何と語りかけ、翁はそれに何と応えたのだろう」と締めくくっている。
 同書はA4判、54ページ、2200円(税込み)。大山さん=099(224)2714。
 大山さんは27日午後2時から、同市の西郷南洲顕彰館で「西郷隆盛銅像の制作の経過について」と題して話す。一般400円(鹿児島市内在住者300円)。敬老、友愛パス持参者、賛助会員は無料。同館=099(247)1100。
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作業着姿の安藤照(左から2人目)と藤島武二(右から2人目)
が写る「西郷隆盛銅像作製関係写真資料」(鹿児島県立図書館蔵)

現在も鹿児島市に立つ西郷隆盛銅像に関して。原型作者は安藤照。記事では触れられていませんが、戦時中に金属供出で失われた初代「ハチ公」の作者です。現在、渋谷駅前に立つ二代目「ハチ公」は安藤の子息でやはり彫刻家の安藤士(たけし)が復刻したものです。

西郷像竣工は昭和12年(1937)。生前のきちんとした写真が1枚も残っていないとされる西郷ですので、制作には苦労があったとのこと。

この点、先行する上野の西郷隆盛像と共通します。こちらは明治31年(1898)の除幕で、東京美術学校に制作が依頼され、光雲が主任となって作られたものです。この折には明治10年(1877)に戦死した西郷の記憶は多くの人が持っていたので、光雲は榎本武揚や西南戦争時の西郷の部下ら、直接西郷を知る人々の意見を参考にしたとも伝わっています。ちなみに光太郎はまだ美校入学前で、制作には参加しませんでした。

記事では上野の西郷像の原型の木型について触れられています。上野の銅像の竣工後、原型は鹿児島に運ばれ、浄光明寺さんという寺院に納められました。下は当方手持ちの古絵葉書です。右下の写真など、何だか仁王像のようですね。
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残念ながらこの原型は戦時中の空襲で焼失してしまいました。

はじめ、鹿児島の西郷像も浄光明寺に立てられる計画だったとのこと。それは存じませんでした。

さて、安藤が制作にかかった昭和3年(1928)の時点では、西郷の死から50年以上経っていましたから、なかなか西郷の顔立ちについての証言を集めるのは大変だったでしょう。

ちなみに昨夜、BSフジさんで放映された「TimeTrip 幕末の肖像-古写真に秘められた謎-」というスペシャル番組を拝見しました。ちょうど西郷の写真やキヨッソーネ筆の肖像画について触れられましたし、光雲の名は出ませんでしたが上野の西郷像も画像として再三使われました。
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他に当方が尊敬してやまない土方歳三や、坂本龍馬、龍馬の妻・お龍の写真についても。

それから、記事では安藤が西郷の軍服を取り寄せ、体格がよかった藤島武二がそれを着てモデルになったというエピソードも紹介されています。西郷の身長は推定180㌢ほど。藤島もそれに近かったのでしょうか。おそらくこの軍服と同じものも、光雲が上野の西郷造成作の際に参考にしています。

昭和9年(1934)1月7日の『小樽新聞』に載った光雲の談話から。

西郷さんのきてゐた軍服や長靴、晴子などを取り寄せてもらつて調べて見たところズボンはわたしの胸まで来るし、長靴はももまでもはゐるといふ代物、帽子のあご革は西郷さんの汗や脂で、真つ黒になつてゐたが、これまたわたしの顔を一ト回り半もする長いものでとにかく非常に大男だつたことは、はつきりしたわけだ。

「ズボンはわたしの胸まで来る」、笑えますね(笑)。それはさておき、安藤が鹿児島の西郷像制作にかかっていた頃はまだ光雲は存命でしたので、藤島同様、何らかのアドバイスをした可能性はあるな、と思いました。もしかすると軍服の存在も光雲から教えられたのかも知れません。

それから意外だったのは、藤島の兄二人が西南戦争で西郷と共に戦死、という件。これも全く存じませんでした。

初代ハチ公像などとは異なり、鹿児島の西郷像も上野の西郷像と共に戦時の金属供出は免れたわけで、その点は良かったと思われます。今後とも鹿児島の人々に愛されて欲しいものですし、今回、記事になった元鹿児島市立美術館長の大山直幸氏がなさったように、その制作背景などの研究等がさらに進むことを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

大空をみて一ぱいにいきをすいませうよ。

昭和3年(1928)10月 長沼セン宛書簡より 智恵子43歳

昭和3年(1928)といえば、光太郎が詩「あどけない話」で「智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ」「阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だといふ。」と謳った、まさしくその年です。

10年前に智恵子の父・今朝吉が歿して弟の啓助があとを継いでから、徐々に傾き始めた実家の長沼酒造はこの年にはもはやどうにもならない状態に陥り、「あどけない話」が書かれた前日には、不動産登記簿によると長沼家の家屋の一部が福島区裁判所の決定により仮差し押さえの処分を受けています。

そんな中で出した、母を励ます手紙の一節です。しかし、翌年には完全に破産、母と弟は僅かに残った山林などの所有権を巡り裁判沙汰。一家は離散することとなります。

新刊、といっても2ヶ月半経ってしまいましたが……。

印象派の超克 近代日本における西洋美術受容の言説史

発行日 : 2025年10月10日(金)
著者等 : 松本和也
版 元 : 思文閣出版
定 価 : 7,000円+税

モネやルノワールなど、日本人がこよなく愛する印象派は、どのようにして日本の美術界に受け容れられてきたのか?

 明治後期に流れこんだ印象派は、日本の洋画界に新たな波をもたらした。なかでも「日本のモネ」と称された洋画家・山脇信徳は、その絵画表現によって注目を集め、印象派の是非をめぐる論争の渦中に立った。第三回文展で褒賞となった《停車場の朝》や、その数年後に描かれた《夕日》などの山脇作品は、画壇・文壇を横断した二度の大論争を巻き起こす。それは、印象派以降の西洋美術が日本に受容される際に生じる反発や葛藤の、いわば象徴的事例であった。
 本書では、山脇信徳とその絵画表現を結節点として、齋藤輿里、高村光太郎、岸田劉生、そして白樺派など、時代のキーパーソンの言論を丹念に読み解きながら、西洋美術の新潮流が日本にもたらした文化的衝突、そしてそれがしだいに「日本化」され超克されていくさまを明らかにしていく。

★★★編集からのひとこと★★★
 今でこそ多くの日本人に愛される印象派。その独特の重ね塗りは「筆触分割」という技法によるものらしいのですが、それが「醜い」とさえ評されていた時代がありました。何が美しく、何が美しくないのか。あるいは何が芸術とそれ以外とを隔て得るのか。それは現代のアートシーンにも通底する問いであり、その意味で時代は絶えず繰り返されているのかもしれません。
 本書では、明治晩年の日本で、絵画の新技法が反発を招きながらも、次第に受け入れられていった過程を跡付けていきます。その議論を通して、時代を越えて鑑賞者・批評者に突き付けられる問いにも迫る1冊です。
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目次
 はじめに 日本の印象派
 Ⅰ
  第一章 山脇信徳へのアプローチ――洋画史・〝日本のモネ〟・言説史
  第二章 西洋美術の新傾向をめぐる言説史――印象派、ポスト印象派を中心に
  第三章 帰朝する新進洋画家――パイオニアとしての有島生馬・齋藤與里・高村光太郎
 Ⅱ
  第四章 「生の芸術」論争・再考――「DAS LEBEN」/「地方色」からみた山脇信徳《停
   車場の朝》
  第五章 山脇信徳作品展覧会をめぐる「絵画の約束」論争・再考――「自己」か「公衆」
   か
  第六章 山脇信徳「断片」の歴史的意義──フォーヴィスム/エキスプレッショニズムへ
 Ⅲ
  第七章 「自然」と「生活」をめぐる岸田劉生の芸術論――白樺派言説を補助線として
  第八章 ヒュウザン会(フュウザン会)展覧会の同時代評価──印象派以降の展開
  第九章 「心的印象」を象徴的に描くこと──萬鐵五郎の「新しい原始時代」
 結論 印象派の超克
 初出一覧
 あとがき

著者・編者略歴
1974年生。立教大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了、博士(文学)。現在、神奈川大学国際日本学部教授。日本近現代文学・演劇・美術。著書に、『昭和一〇年代の文学場を考える 新人・太宰治・戦争文学』(立教大学出版会、2015)、『文学と戦争 言説分析から考える昭和一〇年代の文学場』(ひつじ書房、2021)、『戦時下の〈文化〉を考える──昭和一〇年代〈文化〉の言説分析』(思文閣出版、2023)ほか。論文に、「萱野二十一「道成寺」同時代受容分析」(『国語国文』2024. 9)、「見えにくい世界/新しい景色──宮永愛子のオペレーション」(『人文研究』2024. 9)ほか。

特に絵画に注目し、西洋美術の新潮流がどのように日本に受容されていったのか、それも明治末から大正初めに重きを置いて、印象派やポスト印象派の影響が中心に論じられています。

完全な書き下ろしではなく、『大衆文化』『人文学研究所報』などに掲載された論文をベースにされた章もありますが、「大幅な加筆修正を施してある」そうで、多少、繰り返しになる部分はあるものの、ほぼきちんと一本の流れになっています。300ページ超の労作です。

また、人名索引がきちんとつけられているのがありがたいところですね。
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論じられているのは、ちょうど光太郎が明治39年(1906)から同42年(1909)の3年半に亘る欧米留学から帰朝し、実際に肌で触れてきた新しい芸術を日本に根づかせようと、画廊・琅玕洞やヒユウザン会(のちフユウザン会)などの活動に取り組んでいた時期です。そこで光太郎の名はほぼ初めから終わりまで出ずっぱり。章の題名としては「第三章 帰朝する新進洋画家――パイオニアとしての有島生馬・齋藤與里・高村光太郎」のみですが、他の全ての章にその名が刻まれています。

最も注目されているのが、山脇信徳。現在では一般には忘れられかけている存在ですが、明治42年(1909)の第3回文部省美術展覧会(文展)に出品された「停車場の朝」が物議を醸しました。
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光太郎と親しかった石井柏亭は「こんな色彩は日本の風景には存在しない」。光太郎は「作者がそういう色に見えるならそれは作者の自由だ」。いわゆる「地方色論争」です。そこから有名な光太郎の評論「緑色の太陽」(明治43年=1910)が生み出されました。

残念ながら「停車場の朝」そのものはモノクロ画像が伝わっているだけですが、同時期の山脇の作品を見れば、ほぼどんな感じだったかは想像がつきます。ちなみに本書のカバーにあしらわれているのは山脇の「夕日」と題する作品。明治43年(1910)のものです。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・智恵子】

人間は根本が間違つてさへゐなければお互に其精神の根を信じて、あとの細々した事はすべてゆるしあひ、いたはりあつてゆく外ありません。


昭和3年(1928)4月4日長沼セン宛書簡より 智恵子43歳

とかく排外主義に陥りがちで不寛容な現代人にこそ贈りたい一節です。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」関連で2件。

まず、先月30日(日)に港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」で登壇なさった山本隆一氏が、同フォーラムの様子を報じた地元紙2紙を送って下さいました。そのうち『東奥日報』さんで、同フォーラムの記事の下に以下の記事が載っていました。

東北新幹線・新青森-八戸開業15周年 3駅で記念カード配付

 東北新幹線・新青森-八戸間が4日に開業15周年を迎えるのを記念し、JR東日本は1日から、新青森、七戸十和田、八戸の3駅で「駅カード」を枚数限定で配布する。当日有効の乗車券類か入場券(定期券を除く)を、各駅の新幹線の有人改札で提示すると、1人1枚もらえる。駅カードで3駅を取り上げるのは今回が初めて。
 駅カードは鉄道車両と地域の特色を組み合わせたデザインとなっており、JR東など鉄道会社がキャンペーン企画の一環として制作することが多い。新青森駅のカードはE5系新幹線「はやぶさ」と青森ねぶた、七戸十和田駅はE2系新幹線「はやて」と十和田湖、八戸駅は観光列車「TOHOKU EMOTION」と八戸えんぶりをそれぞれ描いている。
 本県では弘前駅や五所川原駅、深浦駅などが題材となったことがある。
 4日は新青森駅と七戸十和田駅で開業15周年セレモニーなどの記念企画を行う予定。
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七戸十和田駅の駅カードに「乙女の像」があしらわれています。記事本文に「乙女の像」の語が入っていなかったので、掲載紙が送られてくるまで気づきませんでした。

新青森駅、八戸駅のものはこちら。
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「こりゃ欲しいな」と思いまして、ネットオークションのサイトを見てみると、早速売りに出ていました。しかし3枚で8,000円。まぁ、好きな人はその価格でも買うのでしょうが、何だかなぁ……です。

もう1件。やはり地元紙の『秋田魁新報』さんで12月20日(土)に掲載された記事です。

遠い風近い風[畑澤聖悟]神秘の十和田は田沢と共に

 今年で3年目となる「北のまほろば祭り」は、私が主宰する渡辺源四郎商店の定例イベントである。本拠地である青森市の渡辺源四郎商店しんまち本店で、秋から冬にかけて、月終わりの週末にリーディングや一人芝居など、語り芸を中心に短編2、3本を上演する。今回は11月~来年1月に実施。毎回、期間中に計8~12作品が集まることから、「北の小さな演劇祭」を名乗っている。
 先月の公演タイトルは「千古水澄む十和田湖いだき」。ズバリ、十和田湖がテーマである。ゲストに秋田の「けやはす演劇部」を招いた。おととし1月にあきた芸術劇場ミルハスで上演された県民参加型ミュージカル「欅(けやき)の記憶・蓮(はす)のトキメキ」の出演者有志を中心に結成した劇団で、昨年に引き続きの登板である。
 演目は「神秘の十和田は田沢と共に」。秋田を憂う謎の集団「秋田賢人会議」が秘密会議を行う。県境にまたがる十和田湖を青森県が独り占めしようとしている。そうはさせじ。「十和田湖が名実ともに秋田のものであることを強く意識させるためには、物語を利用せばいい!」とリーダーが号令する。
 十和田湖、田沢湖、八郎湖を巡る「三湖伝説」を、都合のいい「秋田史観」で改変しようと試みるのだ。台本を持った演者8人によるリーディング公演であるが、歴史うんちくあり、アクションあり、ギャグあり。盛りだくさんの28分。客席は沸きに沸いた。劇団代表である伊藤展洋氏の記念すべき初の作・演出作品。堂々のデビューである。
 迎え撃つ「小なべの会」は、渡辺源四郎商店の若手によるユニット。これまで劇団内ワークショップ、台本評論、作詞作曲、演出練習などの活動を経て、今回が初公演となった。演目は「智恵子と智恵子」(沼畑枝里作・演出)。十和田湖畔に立つ裸像、通称乙女の像が主人公。制作途中の像が、作者の高村光太郎が寝ている間に動き出し、歌ったり漫才をしたりする。コント風の展開だが、亡き妻、智恵子への高村の愛情が徐々に浮かび上がってくる。ゲストに負けぬ大受けであった。
 終演後はロビーで出演者、スタッフ、観客が入り乱れての座談会「まほろばトーク」。そして乾杯。そのまま打ち上げになだれ込んだ。大量に持ち込まれた秋田の美酒とお土産がありがたい。
 私が「欅の記憶・蓮のトキメキ」の演出を担当させてもらってから間もなく3年。あの日、演劇の世界に足を踏み入れた彼らは、自作を引っ提げて遠征するまでになり、アウェーの観客を大いに喜ばせた。そして、初めて私の手を離れて芝居を打ったウチの若手たち。みんな楽しそうに芝居談義をしている。これはすごいことである。報われた気がした。空きビルを大工仕事で劇場に改装したのも、身銭を切って劇団を19年続けてきたのも、何もかもこのためだったのではないか。
 けやはすの面々とは「またね」と言って別れた。また、いい芝居やりましょう。そして、楽しく飲みましょう。芝居は終われば何も残らないが、縁は続くのである。
 (劇作家・演出家、五城目町出身、青森市住)

このイベントについても事前に把握できていませんでした。公式サイトにやはり「乙女の像」の語が無く、さらに演目題名も「智恵子と智恵子」ということで、「高村」の語を書いていただければ見逃さなかったのですが、「智恵子」だけでは検索網でカバーしきれません。
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ちなみに「千古水すむ十和田湖いだき」という「青森市民の歌(愛市の歌)」の歌い出しの一節を総題にした3本仕立ての演劇公演で「神秘の十和田は田沢と共に」「十和田湖のこわい話」そして「智恵子と智恵子」だったそうです。智恵子の顔を持つ「乙女の像」の制作意図が、光太郎曰く「人間の心の中を、内部を見る。そういう一種の感じをうけたんで、その一つの人間が、同じものが、どこを見ているかわからないが、とにかく向かいあって見合っている――片方は片方の内部で、片方は片方の外形なのです」ということで、「智恵子と智恵子」だったのでしょう。

「乙女の像」が主人公というと、10年ちょっと前に十和田湖国立公園協会さんでから刊行された能町みね子氏の『十和田湖アイドル伝説! 乙女の像S 解散の危機 !?』が思い出されました。

これからも「乙女の像」、地元で、さらに全国区で愛されてほしいものです。

【折々のことば・智恵子】

この世に生れて来た甲斐に、どれだけの事が成功するか、各自に与へられた力の最善を尽して一生の使命を果すので、誰れにとつても生やさしい面白いおかしい事ではなく、いつも目的を最高の処に置いて立派な、悔いのない、あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯を築く覚悟がなければなりません。


大正11年(1922)12月1日 長沼啓助・禎子宛書簡より 智恵子37歳

大正7年(1918)に歿した父・今朝吉の跡を継いで長沼酒造を任された弟・啓助と、その妻となった禎子との若い二人に宛てた書簡から。

智恵子自身、昭和13年(1938)に南品川ゼームス坂病院でその生涯を閉じる際、「あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯」だったのでしょうか……。

光太郎の父・光雲の作品が出ています。

冬季所蔵品展 私たち七尾美術館PR隊!

期 日 : 2025年12月20日(土)~2026年2月8日(日)
会 場 : 石川県七尾美術館 石川県七尾市小丸山台1-1
時 間 : 午前9時〜午後5時
休 館 : 毎週月曜日  (1/12は開館)、1/13
      12/29(月)から1/3(土)までの6日間
料 金 : 一般350円(280円) 大学生280円(220円) 高校生以下無料
      ( )は20名以上の団体料金

 令和6年能登半島地震により1年9カ月にわたって臨時休館を余儀なくされた当館。臨時休館中には文化財レスキューや市内学校への出前講座などを行っていました。
 そんな中、臨時休館が続く当館の状況を知った七尾市立小丸山小学校の5年生(当時)が、再開館に向けて自分たちにできることはないかと考え、昨年の総合学習の一環として「震災に負けずに立ち上がろう。七尾美術館PR隊」という活動を行ってくれました。
 その活動内で、子どもたちに当館所蔵品の中からお気に入りの作品ベスト3を挙げてもらい、それを元に学芸員が展示品を選抜・展示計画を作成しました。
 そして、子どもたちには自分たちなりの視点で作品の見どころを伝える「作品解説」を書いてもらいました。
 子どもたちの「作品解説」とあわせてお楽しみください。

同時開催 まなざしの先
 「目は口ほどに物を言う」ということわざがあるように、私たちの「目」は時に言葉以上に相手に感情を訴えかける力があります。
 それは喜びであったり、悲しみであったり、あるいは怒りであったりと様々ですが、相手の顔を見た時に、思いがけない感情に気づき、ドキッとした経験は誰しもあるのではないでしょうか。
 本テーマではこの「まなざし」に着目。現代絵画を中心に、写真や工芸などの当館所蔵品のうち、まなざしや視線、あるいは表情が印象的な作品を展示します。
 それぞれの作品の「まなざしの先」に何があるのか、皆さまも思いを馳せてみてください。
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004案内文にある通り、昨年1月の能登半島地震により同館は臨時休館となり、地震発生の際に開催中だった企画展示「彫刻って面白い!〜これってなんだ?からそっくりまで〜」は途中で打ち切られました。

2年近くの休館中、被害の少なかった石川県立歴史博物館さんでの出開帳「令和6年能登半島地震復興応援特別展 七尾美術館 in れきはく」などを行ってきましたが、今秋から再開とのことで、喜ばしく存じます。

「彫刻って面白い!」「七尾美術館 in れきはく」にも出品された、光雲作の聖観音像(昭和6年=1931)が今回も展示されます。七尾市出身の実業家で、美術品コレクターでもあった池田文夫氏(1907~87)が蒐集した美術工芸品「池田コレクション」の一つです。他に多く作られた聖観音像と少し趣が異なり、工房作かな、という感じもします。

地元の小学校さんの協力も入った展示だそうで、タイトルに「七尾美術館PR隊」。すばらしい取り組みですね。

訪れるだけでも復興支援の一環となります。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・智恵子】

人間はお互に助け合はねばならないでせう 人を教へるとか 又は与へる力があるなぞと誰しも思ふものはないことゝ思ふけれど 元来信仰の問題は知識ではなく(知も一部ではあるが)随て教へるなどゝいふ事とは遠いことのやうに私は思ひます

大正10年(1921) 斎藤辰之介宛書簡より 智恵子36歳

斎藤は智恵子と同郷の彫刻家。光雲の孫弟子にあたります。のち、二本松霞ヶ城に建てられた光太郎詩碑の建立に尽力しました。

斎藤の母が智恵子の妹・ミツの肺結核による東京病院(のちの慈恵医大病院)入院に付き添っており、末期の患者にどんな話をしたらよいのか、といった質問に対する返答の一節です。

ミツは翌年死去。その遺児・春子はのちに当時の一等看護婦の資格を取得、智恵子晩年のゼームス坂病院での付き添いを務めることとなります。

昨日は上京、「第19回 明星研究会シンポジウム 『明星』と美術~ 華麗にして心に響くカタチ」に出演しておりました。
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会場は御茶ノ水のワイム貸会議室さんでしたが、zoomによるオンラインでの同時配信も行われました。
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カメラで司会者・発表者の顔を写す部分、パワーポイントのスライドショーとも連動させての部分もある配信だということで、時代は進んでいるんだなぁ、という感じでした。このあたりの新技術や風潮が広まったのだけは、コロナ禍による良かったことだと思います。

当方を含む3人の発表。

まずは大阪堺の与謝野晶子記念館学芸員・森下明穂氏。「与謝野晶子 美しい本の世界へ」と題してのご発表でした。
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主に装幀に関わるお話で、どんな人物がどういう感じで晶子著書の装幀を行ったか、といったお話を、画像をふんだんに使われてのご発表でした。

なるほど、発表題にある通り美しいものが多く、各装幀者や晶子のこだわりといったものが垣間見えました。また、時期による流行のような点も。
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主な装幀者は、藤島武二、中澤弘光、有島生馬、石井柏亭、津田青楓、正宗得三郎、山本鼎など。光太郎の人脈ともほぼ重なる人々です。

それから、光太郎というより、実弟の豊周と昵懇の間柄だった広川松五郎。ここで広川が出てくるか、と、驚きました。
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挿画についてもお話があり、すると、光太郎にも触れられました。光太郎は晶子の夫・寛の著書では装幀を手がけましたが、晶子の著作では装幀は行っていません。しかし、光太郎の挿画は使われています。
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右下が大正9年(1920)の『晶子短歌全集 第三巻』に載った光太郎の挿画。ちなみにあと2点は第一巻、第二巻の藤島武二、中澤弘光によるものです。

この光太郎の挿画については当方の発表の中でも触れましたので、現物も持参し、会場に展示させていただきました。他の光太郎装幀本・挿画の載った書籍、ついでに彫刻も。
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続いて当方の発表。
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今回のシンポジウムの総題が「『明星』と美術」ということでしたので、新詩社メンバー中、美術実作者として活躍した光太郎についてしゃべれ、ということで担ぎ出されました。

第一期『明星』(明治33年=1900~同41年=1908)、その後継誌ともいうべき第一期『スバル』(明治42年=1909~大正2年=1913)、その少し後くらいまでにスポットを当て、光太郎を取り巻く当時の文学界・美術界などについて、光太郎との関わりからべしゃくらせていただきました。

そのために今回作成したのが、下記の人物相関図。
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はなはだ不完全なもので、しかも線が錯綜して見づらいものですが、とりあえずこのくらいかな、という感じです。本当はあと30人ほどは入れたいところですし、線の結びつきも、両端にいるこの人物とこの人物がこういう関係があったというのを、もうこれ以上線が引けないということで随分と割愛しています。たとえば右上の方にいる荻原守衛と右下の方に配した斎藤与里が留学仲間だったとか、これも右上の方にある『少女世界』に晶子も寄稿していたとか、同様に下の方には光太郎が度々寄稿した『文章世界』だの『詩歌』だの『早稲田文学』だのも配したものの、名を出した人物でこれらに寄稿している人物がいるはずで、その線は書いてありません。

これが大正後半や昭和に入ると違った様相を呈します。また、与謝野夫妻なり、啄木なり白秋なり守衛なりを中心に据えればまた異なる感じの相関図が出来上がるでしょう。それぞれがご専門の方々がそれらを造り、つなぎ合わせて畳一枚分くらいの大曼荼羅のようなような相関図が出来れば面白いな、などという話もさせていただきました(笑)。

これを作ったことで、自分でも今までわかっていなかったことがおぼろげながら見えてきた感じがしました。すなわち、なぜ光太郎が様々な分野に手を出していたのか、です。美術方面では彫刻、絵画、装幀、書、建築、美術評論など、文学方面では詩、短歌、俳句、随筆、翻訳、戯曲など。もちろんそれぞれに才能があったからですが、それ以外に光太郎自身、好奇心というか、新しいことに挑戦しようという積極性というか、そういうものがあって、いろいろやったわけです。ここまではこれまでもそう思っていたのですが、今回、相関図を作ったことで、光太郎のそうしたマルチな才能が周囲から重宝されていたと思いあたりました。

光太郎と同世代の人物たちにしてみれば、一世代前の巨匠たち(黒田清輝、藤島武二、与謝野寛、森鷗外など)に頼みにくいことも光太郎になら頼めるし、光太郎としても留学からの帰朝後、父・光雲を頂点とする日本彫刻界とは距離を置いたので生活の途に困り、仕事の注文が入ればありがたいと、まぁ、ウィンウィンの関係だったと言えるのではないでしょうか。

しかし光太郎も唯々諾々と各注文に応じていたわけでもなく、けっこう毒をしのばせたりもし、一筋縄ではいかなかったとも感じました。

休憩後、最後のご発表は主催の明星研究会をとりまとめてらっしゃる歌人・松平盟子氏。
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時系列に沿って『明星』発刊の前後からの新詩社と美術家たちの関わりなどについてのお話。題して「憧憬と戦略 『明星』を彩った洋画家と晶子短歌」。

第一期『明星』が単なる短歌雑誌ではなく、後の『白樺』同様、美術にも軸足を置いていたという件、そこには与謝野寛の西洋美術への「憧憬」があり、また、翻訳文学の紹介や、晶子を含む女性を積極的に登用し、それまでにない誌面が作られていったという流れでした。そこが主宰の寛の「戦略」ですね。光太郎も留学先から翻訳を寄稿しています。

特に関わりが深かったのが、黒田清輝や藤島武二(共に光太郎の美校時代の恩師でもあります)らの白馬会、さらに一條成美や長原孝太郎(止水)、そして美術家ではありませんが、美校の教壇にも立った(やはり光太郎の恩師に当たります)森鷗外。そして鷗外と親しかった原田直次郎などにも触れられました。

そういう『明星』のコンセプトを反映させた晶子短歌の実際の表現といった点にも言及されました。
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第一期『明星』がそうした雑誌であったからこそ、美校在学中の光太郎がぜひ書かせてくれ、と、新詩社に加入したんだろうなと、実感が湧きました。単なる短歌の雑誌に留まるものであったなら、光太郎がそれほど関心を示したとも思えません。
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さて、zoomによるオンラインでの同時配信が行われましたが、アーカイブ配信(有料)もするそうです。詳しくはこちらにある連絡先まで。

同シンポジウム、来年には第20回記念とのこと。今後の関係の皆様のますますのご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

旧冬私ども結婚の節は御多用の御内をお揃で御臨席下されましてありがたく存じました。また其折は結構なお祝ひを頂戴いたし御礼を申上げます


大正4年(1915)1月3日 柳八重宛書簡より 智恵子30歳

前年12月22日、上野精養軒で行った光太郎との結婚披露宴参列への礼状から。「お揃」は、八重の夫・柳敬助も出席したことを指します。

八重は智恵子の日本女子大学校での先輩、敬助は光太郎の留学仲間。明治44年(1911)、柳夫妻が光太郎智恵子を引き合わせました。元々は智恵子の方から、先輩芸術家の話を聴く一環として留学帰りの光太郎を紹介して欲しいと持ちかけたのですが、柳夫妻としても、帰朝後に荒れた生活を送っていた光太郎を案じ、「芸術の話ができる女友達でも出来れば」と、応じたと思われます。

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