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昭和6年(1931)、光太郎は三陸沿岸各地を約1ヶ月旅し、宮城県牡鹿郡女川町にも逗留しました。それを記念して毎年開催されている女川光太郎祭、今年も開催されます。

地元紙『石巻かほく』さんに予告記事が出ています。

高村光太郎の足跡しのぶ 講演や朗読、献奏も 女川・来月9日

 詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)をしのぶ第34回女川「光太郎祭」(女川・光太郎の会主催)が8月9日午後1時から、女川町まちなか交流館で開かれる。入場無料。
 戦前に女川を訪れ、詩や紀行文を記した光太郎の足跡に触れる。高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表が講演するほか、町内外の12人が自ら選んだ光太郎の作品を朗読する。ギタリスト宮川菊佳さん、オペラ歌手本宮寛子さんによる献奏、献歌もある。
 光太郎は1931年夏、女川や石巻市、気仙沼市など三陸沿岸を巡り、多くの詩文を残した。女川湾に面した海岸広場には文学碑が建立されている。
 光太郎祭は地元の有志らで組織する女川・光太郎の会が92年から開催してきた。事務局のメンバーは「光太郎が残した文化や祭りの存在を次の世代の人たちにつなげていきたい」と話す。
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詳しい案内文書等が来ていないのですが、例年通りという連絡があり、おおむね以下のような感じのはずです。ただ、式典等の部が昨年までは14:00からでしたが、『石巻かほく』さんには13:00からと予告されていますので、そうなのでしょう。

女川光太郎祭

期 日 : 2025年8月9日(土)
会 場 : 献花 高村光太郎文学碑 宮城県牡鹿郡女川町海岸通り1番地
      式典等 まちなか交流館 宮城県牡鹿郡女川町女川2丁目65番地2
時 間 : 献花 10:00~ 式典等 13:00~
料 金 : 無料

10:00~ 高村光太郎文学碑へ献花
13:00~ 式典等
 黙祷
 記念講演 「高村光太郎の彫刻(その1)」 高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明
 ご挨拶 女川光太郎の会
 献花の模様動画投影
 光太郎紀行文・詩の朗読 町内外の皆さん
 祝辞
 アトラクション演奏 
ギタリスト宮川菊佳さん、オペラ歌手本宮寛子さん
18:00頃~
 懇親会

午前中に行われる、平成3年(1991)に当時の海岸公園に建てられた光太郎文学碑への献花は関係者で。見たい、という方はご覧下さって結構ですが。碑の建立を機に、翌年から光太郎祭が開催されるようになりました。碑は平成23年(2011)の東日本大震災で倒壊しましたが、令和2年(2020)に再建されています。

碑の建立や光太郎祭の運営に奔走された貝(佐々木)廣氏は震災で津波に呑まれて亡くなり、碑文の一部を揮毫されたり、永らく光太郎祭で記念公演を毎年されたりなさっていた、元当会顧問の北川太一先生も鬼籍に入られました。光太郎をはじめ、それらの皆さんへの思いこめての献花です。

午後の部、メインは町内外の方々(今年は12名だそうで)による光太郎詩文の朗読ですが、前座として当方の講演。最初は北川先生との対談形式で行い、その後10年ほど、光太郎と女川との繋がり、連作詩「暗愚小伝」に基づいて光太郎の生涯を紹介し、それも終わって、昨年は智恵子の生涯について語らせていただいています。今年以降、どうしようかと考えましたが、いつも話の枕として「光太郎は色々な分野に足跡を残した総合的な芸術家だった」ということを語っていることに思い至り、それならその「色々な分野」を一個ずつ取り上げていけばまた10年くらい何とかなるかと考えています。そこで今年と来年は「彫刻」。一般の方にもわかりやすいようにかみ砕いて、光太郎彫刻の成り立ちを語ります。

終了後は会場近くの町中華さんで懇親会。年に一度お会いする方々が多く、それが一つの楽しみです。

今年は土曜日の開催ですし、ご都合のつく方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小生昨年と今年とは療養のため多く臥床、来年はそろそろ又仕事にかかりたいと思つて居ります、

昭和30年(1955)11月28日 野見山朱鳥宛書簡より 光太郎73歳

余命約4ヶ月、もはや病状は彫刻制作にかかることを許さないほど悪化していたのですが、気持としてはやる気に溢れていたようです。あるいは日記等にも書かれているように、彫刻より「書」をイメージしていたのかもしれません。

智恵子のソウルマウンテン、福島二本松の安達太良山でのイベントです。プレスリリースから。

「あだたら高原リゾート」にて 光り輝く福島の夏の風物詩「あだたらイルミネーション」7/26(土)開幕! 日本百名山の一つ「安達太良山」を楽しめる

 今年で14年目を迎える「あだたらイルミネーション」は、あだたら高原リゾートの夏の風物詩として、毎年多くのお客様にご好評を博しております。冬はスキー場として親しまれている広大な斜面を舞台に、約65万球のイルミネーションが点灯し、幻想的な空間が広がります。
 花をモチーフとした「ビッグフラワーイルミネーション」や「ひまわり畑」が登場し、山の夜景とともに華やかな雰囲気をお楽しみいただけます。また、夜空に浮かぶ「光の天の川」や、「夏の大三角形」、「北斗七星」といった代表的な夏の星座が、光の粒となって地上を美しく彩ります。さらに、カラフルな可愛らしい動物モチーフのイルミネーションも見逃せません。
 加えて、今年は「あだたらやま」の「あ」に着目したユニークなモニュメント「【あ】のオブジェ」や「【あ】の道」の新たなイルミネーションが登場します。「あだたらやま」という名前は、よく見ると母音がすべてア段で構成されているという特徴を持っており、その一風変わったネーミングにフォーカスした仕掛けとなっています。阿武隈の山並みや安達太良の星空を背景に、思わず「何これ?」と驚き、誰かにシェアしたくなるようなインスタ映えする写真を撮影いただけます。
 昼間は爽やかな自然をたっぷりと満喫し、夜は一転して、幻想的な光の世界に包まれる――そんな心に残る特別な光のイベントとして、皆さまに忘れられない思い出をご提供いたします。この夏は、ファミリーやカップル、ご友人同士など、あだたら高原リゾートでロマンティックな夜をお楽しみ頂ける「あだたらイルミネーション」にご注目ください。
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「あだたらイルミネーション」概要
・開催期間 2025年7月26日(土)~9月21日(日)
 ※8月26日以降は、金・土・日・祝日のみの営業
・営業時間 19:00~21:00 
 ※ロープウェイの上り最終20:30、下り最終20:50
・料金
  入場料 中学生以上700円、小学生以下500円
  入場料+ロープウェイ乗車 中学生以上1,500円、小学生以下1,000円

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イルミネーションとともにお楽しみいただける、新メニュー「光るかき氷」や「光る氷ドリンク」が登場いたします。どちらもワンハンドで持てるので、イルミネーションとの撮影も可能です。
・限定メニュー
  光るかき氷 サイダー味、イチゴ味 600円
  光るドリンク ブルースカイ    600円

【あ】のオブジェ
 ロープウェイ山頂駅の旧スキーゲレンデ展望広場のフォトスポット「あだたらやま」の「【あ】のオブジェ」がイルミスポットに進化して新登場。様々なサイズの「あ」の文字が散りばめら「【あ】の道」もカラフルな光でライトアップされ、昼と夜とで違った魅力 をお楽しみ頂けます。「あ」ぶくまの山々を背景に、豊かな成長を繰り返す「あ」だたらやまで、不思議な「あ」の映え写真を撮ってみてはいかがですか。
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■【あ】のメニューも登場!
 「あ」のオブジェとともに、「あ」をモチーフとした、「あ」のチュロス、「あ」のソフトクリーム、「あ」のかき氷ソフトを発売します。鮮やかな緑の木々や青い空にかざして写真を撮ると、インスタ映え間違いなしです。「あ」だたらやまで「あ」のフードをご賞味ください。
<メニュー>
 ・「あ」のチュロス 600円 ・「あ」のソフトクリーム 500円 ・「あ」のかき氷ソフト 600円
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「あだたら高原リゾート」施設概要

■ロープウェイからの絶景、薬師岳パノラマパークからの雄大な景色を一望
 「日本百名山」の一つに数えられる安達太良山は、標高1,700mで夏でも涼しい環境で大自然を満喫できます。あだたら山ロープウェイに乗って約10分の空中散歩を楽しんだ後、山頂駅からは阿武隈山系や福島市街地を一望。さらに、散策道を10分程歩いたところにある「薬師岳パノラマパーク」では、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる、青く澄みきった空と絶景の大パノラマが楽しめるほか、山肌にはハートの形を発見することができ、見どころいっぱいです。
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■食堂・売店「富士急レストハウス」では夏メニューを販売開始
 暑い夏にぴったりのひんやりメニューを販売いたします。雪のようなふわふわ食感の「あだたらスノーアイス」や、夏の暑い日であだたらスノーアイスもさっぱりと味わえる「梅と蒸し鶏のおろしうどん」、かき氷をたっぷりのせた「かき氷そば」など夏限定メニューをご賞味いただけます。
<メニュー>
 ・あだたらスノーアイス  600円 ・梅と蒸し鶏のおろしうどん950円 
 ・かき氷そば       800円 ・冷やし担々麺      950円
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■絶景露天風呂「あだたら山奥岳の湯」でリフレッシュ!
 標高約950mに位置する「あだたら山奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂です。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。
【施設概要】
 ・営 業 日 年中無休 ※メンテナンス休業あり
 ・営業時間 10:00~19:00(最終入館18:30)
 ・施設内容 内湯(9㎡)、露天風呂(20㎡)※男女別
 ・利用料金 大人800円/小人(4才~小学生)500円
 ・泉質 単純酸性温泉
 ・適応症 神経痛 筋肉痛 関節痛 運動麻痺 慢性消化器病 冷え性 疲労回復
      健康増進 慢性皮膚病
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「あだたら高原リゾート」営業概要
 ・営業時間 8:30~16:30 ※日によって異なり、定休日もあります(HPをご参照下さい)
 ・お問い合わせ 福島県二本松市奥岳温泉  TEL:0243-24-2141
 ・アクセス 
  車/
東京から東北自動車二本松IC(約150分) 国道459号岳温泉経由県道386号(約20分)
  鉄道/東京駅→郡山駅(東北新幹線約90分)、郡山駅→二本松駅(東北本線約25分)、
     二本松駅→岳温泉(福島交通バス約25分)、岳温泉からタクシー約10分

現地は標高も高く、湿気も少ないので爽やかな感じです。ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

放送を聞かれた由、自分できいても声が不健康をあらはしてゐるやうにきこえました、

昭和30年(1955)10月29日 舟川栄次郎宛書簡より 光太郎73歳

「放送」は10月18日にNHKラジオでオンエアされた、当会の祖・草野心平との対談「芸術よもやま話」。平成8年(1996)にNHKソフトウェアさんから発売されたCD「昭和の巨星 肉声の記録~文学者編~ 室生犀星/高村光太郎」に収録されています。
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17分余りの対談で、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」にも触れています。この頃はほとんど臥床していることが多かったものの、書簡にあるほど不健康そうではなく、むしろ矍鑠とした感があるのですが……。

花巻レポート最終回です。

7月23日(水)、旧太田村の高村光太郎記念館さんでコンサート「花巻で響き合う 光太郎、賢治、声と箏」の準備を始める前、先日始まった特別展を拝見。

まずは玄関を入ってすぐ、「智恵子のエプロン復刻展示」。
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花巻南高校家庭クラブさんの力作です。エプロン自体は一昨年から昨年にかけて制作され、模造紙の説明資料は今年4月から5月、二本松の智恵子記念館さんで展示された際のものが転用されています。その際に当方が作ったパネル2枚も差し上げたので、一緒に並んでいます。

思えばこの高村光太郎記念館さんでの市民講座で講師を務めさせていただいた際にこのエプロンについても触れ、「どなたか作って下さいませんかね」と呟いたのがきっかけでした。呟いてみるもんですね(笑)。

エプロンについては以下をご参照下さい。
智恵子のエプロン。
世田谷文学館「コレクション展 衣裳は語る──映画衣裳デザイナー・柳生悦子の仕事」レポート
東北レポート その1 岩手花巻なはんプラザ 「五感で楽しむ光太郎ライフ」。
「五感で楽しむ光太郎ライフ」報道。
花巻南高校文芸部誌『門 ⅩⅧ』。
みちのく随想 私たちのリレー。
高村智恵子生誕祭 音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた/「智恵子のエプロン」復刻展示。
二本松レポート その2 光太郎智恵子聖地巡礼。

近々、『読売新聞』さんの岩手版で紹介されるはずです。一昨日、電話で取材を受けました。

続いて奥の展示室にて「高村光太郎花巻疎開80年企画展示事業 昔なつかし花巻駅」を拝見。
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メインのジオラマは平成30年(2018)に同館で開催された企画展「光太郎と花巻電鉄」の際にも制作をお願いした石井彰英氏と、お友達の土屋直久氏の合作。前回は石井氏に大変な御苦労をおかけし、ご自身でも「もうこりごりだ」的なこともおっしゃっていたので、その後当方は依頼を遠慮していたのですが、今回は当方を飛び越えて直接石井氏に依頼が行きました。「一人では無理」ということで、土屋氏を巻き込んで、というか、今回、土屋氏が主導で制作されたそうで、石井氏の名はクレジットされていませんでした。
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前回は戦後すぐの光太郎在住時をイメージして作っていただきましたが、今回の設定は昭和6年(1931)。さらに前回は花卷市内の光太郎と関わりのあるところをだいたいの位置関係で押し込んだ感じでしたが、今回は花巻駅周辺のみを、ほぼ正確な配置で。
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上の画像で、中央上の方が東北本線花巻駅。左の中段が花巻電鉄の駅、下段が軽便鉄道の駅。花巻電鉄、軽便鉄道ともに、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフの一つと言われています。
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精巧な出来栄えに目を見張りました。

周囲の壁には軽便鉄道関連で味のある古写真など。
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「光太郎と花巻電鉄」の際に作っていただいたジオラマも、通常の第2展示室に。
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その向かい側では、特別展「中原綾子への手紙」も開催中。
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というわけで、現在の記念館さんは非常に盛りだくさんです。

隣接する(といっても数百㍍)高村山荘。
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その奥の「雪白く積めり」碑。
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この後、コンサート「花巻で響き合う 光太郎、賢治、声と箏」となりました。

そちらを2公演、つつがなく終え、出演者のお二人、箏の元井美智子さん、朗読の荒井真澄さんともども大沢温泉山水閣さんに宿泊。
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翌朝、以前は宿泊棟「菊水館」として使われ,、光太郎や当方も泊まった(健在の頃は当方も定宿でした)「ギャラリー茅」で、「トトロとジブリとカンヤダと」展を三人で堪能。先月も拝見しましたが、その際は自炊部さんに宿泊で、同展は別料金だったのが、今回のように山水閣さんに泊まれば無料です。それは存じませんでした。
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フロントに戻り、チェックアウト。フロントにはジブリプロデューサーで「カンヤダ」展仕掛け人でもある鈴木敏夫氏の筆になる「雨ニモマケズ」屏風。
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続いて、大沢温泉さん近くの「山の駅 昭和の学校」さんへ。
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廃校になった小学校を使った施設で、館内は昔の商店街をイメージし、所狭しと昭和の品々が並んでいます。
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実際に小学校だった頃に、児童さんが作った卒業記念のオブジェ。郷土ゆかりの偉人ということでしょう、光太郎詩「道程」(大正3年=1914)がモチーフです。
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その後、元井さんのリクエストで、花巻東高校さんの大谷翔平選手・菊池雄星選手のモニュメントへ。こちらは当方初めてでした。
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最近は市内周遊のレトロジャンボタクシー「どんぐりとやまねこ号」のコースにも入るなど、すっかり新たな観光地化していて、この日も賑わっていました。
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最後は市の中心部に戻り、賢治御用達、さらに光太郎もよく足を運んだやぶ屋さんで昼食。ここでお二人と別れ、帰途に就きました。お二人はさらに宮沢賢治童話村に行かれたそうですが。

そんなこんなで充実の2泊3日でした。皆さまもこの夏、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

リンゴ感謝、今年は東北も不作ときいてゐましたが、二六園ではやはりいつものやうに立派なのが出来たと見えて見事です。中西夫人にもお分けしてよろこばれました。


昭和30年(1955)10月19日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎73歳

「二六園」は、光太郎を花巻に招いた一人、花巻病院の佐藤隆房院長が自宅敷地内に作ったリンゴ園です。

昨日まで2泊3日で、光太郎第二の故郷・岩手花巻に行っておりました。レポートいたします。

7月22日(火)、東北新幹線新花巻駅前で借りたレンタカーでまず向かったのは、同駅からそう遠くない花巻市博物館さん。
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こちらでは「令和7年度テーマ展 戦後80年 戦争と花巻」が開催中で、光太郎に関わる展示もあるだろうと思い、お邪魔しました。

受付で入館料を払うと、まず展示室に入る前の最初のショーウィンドウ的なコーナーに、いきなり38式歩兵銃や99式短小銃、軍刀など。のっけから粛然とした気持にさせられました。
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展示室に入ると、満州事変(昭和6年=1931)の頃から戦後までのリアル資料がずらり。
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花巻とその周辺地域に関わる品々が多く、時期はずれていましたが宮沢賢治が勤務していた花巻農学校の卒業生に関わるものなども。
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いわゆる「青い目の人形」。よくぞ残っていたものです。
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墜落した特攻機の残骸。
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戦死した搭乗員などの多くは、光太郎の書いた翼賛詩に心ふるわせながら戦地に赴いて行き、露と消えていきました。

そうした兵士への弔辞の一部。
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戦争末期には光太郎の詩もこんな感じになっていました。戦後になってその罪深さを感じて当然だったでしょう。他のほとんどの文学者は同じような作品を書いても「あれは軍の命令で仕方なく書いたのだ」と開き直ったり、自らの年譜の中でこの手の作品は無かったことにしたりしましたが。

その光太郎がらみ。

まずは昭和20年(1945)8月10日の花巻空襲関連で、詩「非常の時」の一節を刻んだ碑の拓本が出ていました。
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碑そのものは、旧太田村の光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)敷地内にあります。そもそもはこの詩を贈られた花巻病院長にして戦後は財団法人高村記念会を立ち上げた佐藤隆房医師の顕彰碑です。翌日撮ってきました。
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正面の題字は当会の祖・草野心平の揮毫。両サイドに「非常の時」の一節が光太郎自筆拡大で。元になった書は高村光太郎記念館さんで展示されています。空襲時の極限下で自らの危険を顧みず負傷者の救護にあたった佐藤ら医師や看護師、看護学校生を讃える内容のため、コロナ禍の最中に同じように頑張った現代の医療従事者へのエールともなる、と、少し注目もされました。

詩は終戦直後の9月に行われた病院の表彰式で光太郎自身が朗読しました。その際に表彰された女性への表彰状。
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こんなものも残っていたんだ、と、うるっときました。

その花巻空襲関連の展示。
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投下された(最新鋭のロケット弾も使われたということで、その場合は「発射された」)爆弾の破片も。「うわぁ」という感じでした。
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空襲時、光太郎は豊沢町の宮沢賢治実家に疎開していましたが、そこにも火の手が廻り、必死に消火にあたろうとしたものの、結局はどうにもできませんでした。その際に光太郎が被っていた鉄兜と手にしていた鳶口が現存しています。高村光太郎記念館さんの倉庫に眠っているのでしょう。眠らせておくのならいい機会なのでこちらに貸せばいいものを……と思うのですが、苦言を呈させていただければ、このあたりの連携がまるでなっていないというのが現状です。

直接光太郎に関わる展示がもう1件。戦後の昭和27年(1952)になってからの話ですが、藤根村(現・北上市)の元小学校教師・高橋峯次郎関連です。
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やはり拓本で、高橋が光太郎から贈られた書を写した石碑のもの。
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この碑も北上市内に現存します。小学校教師だった高橋が、戦死した教え子たちなどの供養のため建てた観音堂の境内です。光太郎が生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため再上京する直前に、高橋が光太郎に観音像の制作を依頼したのですが、無理、ということで代わりに贈られた書で、他にも複数の揮毫例がある観音讃仰の詩が刻まれています。

他に、光太郎と交流のあった岩手で育った画家・松本竣介の絵。
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やはり光太郎と交流のあった写真家・内村皓一の写真。「そういえば内村は大陸にいたんだっけ」でした。
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そして、花巻周辺に残る戦争遺跡などについても。
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最後は花巻らしく賢治の言葉を引用して終わっていました。
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陳腐な表現ですみませんが、実に考えさせられる展示でした。

時間もあるし、ということで、実際に戦争遺跡を見て回りました。以前から気になっていたのですが、場所がわかりにくく、事前に調べておかないとたどりつけそうにない感じで、今回初めて足を運びました。

まず若葉町の「防空監視哨聴音壕」。
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敵機の襲来をいちはやく察知するための施設です。いちはやくと言っても、既に実用化されていたレーダーなどを配備していたわけでもなく、目の良い兵士が目視で、耳の良い兵士が音を聴いて……。「そんなんで勝てる戦争じゃなかっただろう」というのは現代人だから言えることでしょうか。

続いて市役所さん近くの「花川橋」。
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昭和9年(1934)の架橋です。欄干の一部が大きく欠損しています。
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花巻空襲の際、近くに落ちた爆弾の破片による被害とのこと。
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生々しいという言葉がぴったりです。戦争被害を後世に伝えるためにあえて傷痕を残してあるのでしょう。

よく言われることですが、戦後80年の現在が「新たな戦前」とならないよう、一人一人がよく考えないと……と思いました。過日の参議院議員選挙の結果等を見ると、その点が心配でなりません。まぁ、「躍進」といわれる某政党も、ドサクサに紛れて当選した極右の作家もどきなども、そう遠くないうちに馬脚を現すでしょうが。

その後、翌日開催のコンサート「花巻で響き合う 光太郎、賢治、声と箏」でお世話になりますということで会場の一つのカフェ羅須さん、在来線の花巻駅前に新しくできた古書店「港」さんにお邪魔しました。
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さらに港さんの並びの林風舎さんで宮沢和樹氏としばしとりとめのない話を(笑)。
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この日の宿泊は駅前のグランシェールさん。全国的に子供たちの夏休みに入っているからでしょう、定宿の大沢温泉さんは、一人では予約不可でした(翌日は3人で泊まりましたが)。

夕食はすぐ近くの伊藤屋さん。かつて光太郎が市街で最も多く食事を摂った店です。
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この日のキーワードが「戦争」だったので、改めて駅ロータリーの「やすらぎの像」も拝見。
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平成7年(1995)に設置され、花巻空襲で亡くなった方々への慰霊の意味合いが込められています。この像の立っている辺りが、空襲時に最も被害が大きかった地点の一つでした。諸説在るようですが、花巻では50名程の方が亡くなりました。原型作者は花巻出身の故・池田次男氏。昭和30年(1955)、盛岡の岩手県立美術工芸学校(現・岩手大学)卒ということで、もしかすると、同校をたびたび訪れ、アドバイザー的なことも行っていた光太郎を直接ご存じだったかも知れません。

翌日は高村光太郎記念館さんとカフェ羅須さん。明日、レポートいたします。

【折々のことば・光太郎】

映画が学校で公開された由、随分多くカツトされてゐますが、記念にはなるでせう、

昭和30年(1955)10月8日 浅沼政規宛書簡より 光太郎73歳

「映画」は前年、ブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」。昭和28年(1953)に光太郎が一時帰村した際にも撮影班が同行し、旧太田村の山小屋や、浅沼が校長を務めていた山口小学校などでもロケが行われました。








記憶が正しければ今年3度目の花巻。今回は一昨日から2泊3日の行程で、今日が最終日です。現在、光太郎がよく泊まった大沢温泉山水閣さんでこれを書いております。
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普段は自炊部さんですが、都内からいらした箏曲奏者の元井美智子さん、仙台ご在住のヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんとご一緒させていただいており、ちと自炊部さんでは⋯⋯というわけで。

部屋は1階の渓流側。驚いたことに光太郎関連を含むいろいろと貴重な品々が展示されているコーナのすぐ近くです。
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というか、自分の部屋の外壁には、光太郎令甥の故・髙村規氏の書額が掲げられています。
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かつて光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)敷地で毎年五月に行われていました「高村祭」にご出席なさった際に揮毫されたものと思われます。

今回は、昨日開催された(名目上、当方が主催者扱いですので「開催した」というべきですか)、先述のお二人による朗読と箏曲のコラボのコンサート花巻で響き合う 光太郎、賢治、声と箏が二公演、そちらがメインでした。

一公演目が高村光太郎記念館さん。
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二公演目は市街地のカフェ羅須さん。
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それぞれつつがなく終え、三人で山水閣さんにお世話になっているわけです。

さらに花巻市博物館さんで「令和7年度テーマ展 戦後80年 戦争と花巻」、高村光太郎記念館さんでは「高村光太郎花巻疎開80年企画展示事業 昔なつかし花巻駅」と「智恵子のエプロン復刻展示」を拝見。今日もですが、他にもいろいろ回ります。
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今回は「詳しくは帰りましてから」の扱いにさせて頂きます(笑)。

昨日からまたまた花巻に来ております。ヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんと箏曲奏者の元井美智子さんとのお二人がコラボなさる公演「花巻で響き合う 光太郎、賢治、声と箏」の名目上の主催者でして、そのためです。同時に現在、花巻高村光太郎記念館さんでは「高村光太郎花巻疎開80年企画展示事業 昔なつかし花巻駅」と「智恵子のエプロン復刻展示」が始まりましたし、特別展「中原綾子への手紙」も開催中、さらに花巻市博物館さんでは「令和7年度テーマ展 戦後80年 戦争と花巻」(こちらは昨日拝観しました)。
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それぞれ帰りましてから詳しくレポートいたしますが、山積している紹介すべき事項を少しでも片付けないといけませんので、花巻関連のネタを(先月も同じようなことがありましたが(笑))。

毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。地元で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんで、光太郎の実際に作った献立、使った食材などを参考にされてメニューを考案なさっています。

1週間程経ってしまいましたが、今月分。
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献立は「豚肉と揚げじゃがいもの甘辛炒め」「揚げ鯖の甘酢だれ掛け」「なすの田楽」「茹でとうもろこし」「卵焼き」「胡麻ふかし」「しば漬けとおかかの俵握り」「きゅうりの漬物」「二色羊羹」。

個人的には「豚肉と揚げじゃがいもの甘辛炒め」をぜひいただきたいところです。「胡麻ふかし」は二枚目画像で言うと上の段の中央に鎮座する焦げ茶色のもの。餅米を使った岩手の郷土料理っぽいのですが、見た目の違うものが全国にあるようです。香ばしそうです。

やつかの森さんのもう一つの大きな活動として、花巻市東和町のワンデイシェフの大食堂さんでの「こうたろうカフェ」。やはり光太郎が自分で作った献立、使った食材などを参考にされて、実際に調理もやつかの森さんが担当されています。今年はおおむね月末に設定されているようで、次回が7月30日(水)。

予告されているメニューが「・アトランティックサーモンのステーキ」「豚肉とキクラゲの卵炒め」「茄子とピーマンの素揚げ」「春雨の彩り酢の物」「夏野菜のラタトゥイユ」「季節の漬け物」「ご飯」「麦わら色の冷たいスープ」「梅と柘榴の二色ゼリー」「コーヒー」だそうです。

梅雨も明け、猛暑の日々、夏バテ対策にはやはりきちんと食事を摂ることも大事ですね。

お近くの方(遠くの方も(笑))、ぜひどうぞ。

昨日は福島県双葉郡川内村に行っておりました。同村で毎年開催されている、当会の祖・草野心平を祀る天山祭りに列席のためです。今年は第60回の節目でした。
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第一回は、昭和41年(1966)。村人さんたちが心平のために建てて下さった天山文庫の竣工を祝ってのもので、もちろん心平も参加、郷土芸能の披露などが行われ、その後も約20年間、心平は都合のつく限り足を運び、村人さんたちと気のおけない交流を続けていました。

心平没後は、心平を祀る意味合いが付加。参加出来ない本人の代わりにドーンと大きな遺影。
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三度の飯より酒が好きだった心平に、日本酒の奉納。当会としても一本、持参しました。時系列が戻りますが、当会事務所兼自宅のある千葉県香取市に2軒残る造り酒屋のうちの1軒で、一昨日購入しました。
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終了後には5本に増えていました。遺影の右の方には川内村産のワインなども。
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ちなみに申し遅れましたが、会場は当初予定の天山文庫ではなく、降雨のため、村民体育センターに変更でした。
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昨年は本来の会場の天山文庫で実施できましたが、一昨年も雨でこちらの会場で行われました。

画像はSNS等で公開しないようにというお達しがあり、上げられませんが、連翹忌の集いにもご参加下さったことがおありの実行委員長・井出茂氏のご挨拶 → 遠藤雄幸村長、心平が主宰していた詩誌『歴程』同人の方などの祝辞 → 心平遺影への献花 → 生前の心平の自作詩朗読録音の放送 → 小中一貫の川内小中学園6・7年生の皆さんによる自作詩朗読 → 『歴程』同人・伊武トーマ氏による心平作「わが抒情詩」朗読 → 鏡開き、といった流れ。

そこまで進んだあたりで正午を過ぎ、昼食タイム。こちらの画像は上げてもノープロブレムでしょう。少し食べてしまいましたが(笑)。
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もちもちの赤飯、特産の岩魚の塩焼き、山菜や南瓜・椎茸の天ぷら。お弁当が饗されるのはコロナ禍後初めてで、やはりこれでなくちゃ、という感じでした。

その後、元々の天山祭りで行われていた郷土芸能の披露等があり、散会。

霧雨がぽつぽつでしたが、その程度なら大丈夫と判断し、本来の会場だった天山文庫に立ち寄りました。大雨ならぬかるむ山道でパスでしたが。
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花手水がしつらえられていたのは、ここで祭りをやる予定だったためでしょうか。

1年ぶりに内部へ。
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心平が村に寄贈した書籍類。元々、別荘兼書庫として機能をもつ建物です。

いったん外の画像ですが、別棟の酒樽をイメージした小屋も書庫です。右の木立の中に見えるのが本館。
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ふたたび本館内部の画像。

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二階の座敷。
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左手の小窓から、一階の座敷が見おろせる構造。嫌な客が来ると、心平は二階のこの部屋に隠れ、下で秘書のような人に対応させていたとのこと(笑)。

その部屋の窓からの庭。
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来年はやはりここでやりたいものだと思いました。

敷地の入口にある阿武隈民芸館さんにも立ち寄りました。心平メインの展示施設です。
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心平と川内村、天山文庫に関する内容の他、心平著作(光太郎が題字を揮毫したもの、光太郎関連の心平著書を含め)や書、書簡などがずらり。何度も訪れていますが、そのたび興味深く拝見しています。

「天山文庫設立協力委員会発起人」の一人として、光太郎実弟の豊周も。
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同会、豊周以外もあらためて錚々たるメンバーです。井上靖、金子光晴、唐木順三、河上徹太郎、川端康成、小林勇、武田泰淳、谷川徹三、中野重治、西脇順三郎、古田晁、松方三郎、武者小路実篤、村野四郎、山本健吉……。

それから豊周令息の写真家、故・髙村規氏から寄贈された写真パネル類。心平と光太郎の2ショットだったり、光太郎葬儀の際の心平だったり、中には規氏令息のやはり写真家・達氏とお姉様が若き日に心平と写ったものもあったり、髙村ファミリーと心平、という意味でも興味深い展示です。

足を運ばれたことがないという方、来年以降、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小生お医者さまのすすめで今日入院してしばらく病院生活をする事にしました、 校歌の方の事は草野心平さんにでも頼んだらどうでせう、宮沢清六さんに御相談なさつたら如何。


昭和30年(1955)4月30日 浅沼政規宛書簡より 光太郎73歳

浅沼はかつて光太郎が暮らしていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校長。「校歌」は同校のものか、近隣の学校のものか、ちと不明です。いずれにせよ光太郎は校歌の作詞は頑なに引き受けず、代わりに心平に頼んではどうか、心平の連絡先は賢治実弟の清六に訊いてくれ、という意味です。

そしてこの日から、7月8日まで赤坂山王病院に入院しました。病状は一進一退、結局、すぐにどうこうという状態でもなく、しかし入院したからといってここまで進んだ結核の完治は不可能と判断され、また中野のアトリエでの療養生活に戻ります。

宮沢賢治関連を中心に据えた文芸同人誌『ワルトラワラ』、第54号を頂きました。

ちなみに令和2年(2020)には第45号を頂いています。
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今回、下さったのは、賢治の故郷・花巻で「宮沢賢治・花巻市民の会」の活動をなさるかたわら、賢治生家近くに昨年「カフェ羅須」をオープンされた泉沢善雄氏。氏の玉稿「●生活者の視点で伝記的現場を歩く⑥〈宮沢賢治雑記帳〉 増谷文雄と大原外光そして……」が掲載されていて、当方の名も出て来るため送って下さったようです。多謝。

戦前、まだ賢治がマイナーだった頃、各種雑誌に賢治作品が掲載された経緯についての考察ですが、当方、賢治にはそれほど詳しい訳ではなく、タイトルにある「増谷文雄」「大原外光」ともに全く存じ上げない名でした。

増谷は光太郎もたびたび寄稿していた雑誌『青年』、同じく『真理』に関係し、そして賢治の親友だった藤原嘉藤治と親しかったようです。そこで、『青年』、『真理』に賢治作品が掲載された際(賢治没後の昭和14年=1939)に関わっているのではないかというお話。作品は童話「虔十公園林」ですが、なぜか「虔十の林」という題で掲載されているそうで、ちなみに挿画は光太郎とも親しかった深沢省三とのこと。

石川啄木に関する著書もある大原は増谷と親しく、『真理』の方で賢治を取り上げた記事を書いている人物とのこと。となると、『真理』への賢治作品の掲載に何らかの役割を果たしていたかもしれないそうで。

それから大原は、出版社東雲堂の西村陽吉とも繋がっていたそうです。このあたりでまた光太郎の影。光太郎は東雲堂発行の雑誌『朱欒』『創作』に深く関わっていますし、西村とも個人的に一緒に旅をする間柄だったことがわかりました。『高村光太郎全集』に名が出て来ず、これまで光太郎との個人的な繋がりがどの程度だったのかよく分かりませんでしたが、昨年、兵庫県たつの市の霞城館(かじょうかん)さんでの企画展「三木露風と交流のあった人々」展に、西村と光太郎の連名で三木露風に埼玉から送った『全集』未収録の絵葉書(大正4年)が展示され、一緒に旅する程度の仲だったことが分かりました。

三木露風も『春と修羅』を賞讃する手紙を賢治に送っています。露風と言えば『赤い鳥』。『赤い鳥』には、大正13年(1924)に賢治の『注文の多い料理店』の広告が出ました。これは同誌に挿画を描いていた深沢省三の仲介という説が強いようですが、光太郎、西村、露風らからの働きかけもあったかも、などと素人考えですが……。

さらに当会の祖・草野心平。心平も賢治作品に惚れ込み、心平自身やその人脈に連なる土方定一などの人々も賢治作品の紹介に骨折っています。泉沢氏曰く「賢治周辺の人脈はかなり広くなりそうな気がします。必ずしも深い交友でなくても影響し合っているのでしょう」。なるほど。

今年の冬には花巻の光太郎記念館さんで「賢治全集が出来るまで」的な展示をやるとのことで、関連行事として賢治実弟・清六令孫の宮沢和樹氏、嘉藤治顕彰の瀬川正子氏、そして自分とで来春に公開対談が予定されています。参考にさせていただきます。

さて、『ワルトラワラ』、泉沢氏のカフェ羅須さんの記事も出ています。また、奥付画像を載せておきます。ご入用の方、ご参考までに。
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【折々のことば・光太郎】

現金書留でお送りしますが、東京では時々ぬすまれるさうですが、田舎では大丈夫でせうか。

昭和30年(1955)3月1日 宮崎春子宛書簡より 光太郎73歳

未亡人となった智恵子の姪・春子への援助です。現金書留の盗難などもあったのですね。

少し前、昭和24年(1949)には、北海道から花巻郊外旧太田村の山小屋に送られたはずの麦が届かず、「おそらくは途中で、誰かの食料となつたのかも知れません、かうした世の中ですから」と書簡に認(したた)めたこともありました。

まず、明日開幕の件。

高村光太郎花巻疎開80年企画展示事業「昔なつかし花巻駅」

期 日 : 2025年7月12日(土)~11月30日(日)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 期間中無休
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円
      高村山荘は別途料金

 明治5(1872)年に新橋と横浜を結ぶ日本初の鉄道が開通。その後、全国で鉄道の整備が進み、明治23(1890)年には花巻駅が開業し、東京と花巻がレールで結ばれました。
 花巻駅開業当時は駅周辺は田畑が広がる場所でしたが、岩手軽便鉄道や花巻電鉄の開業とともに交通の要所として発展していきました。
 この展覧会では、昭和11(1936)年に撮影された記録資料と、それも参考にして今回制作した昭和初期の花巻駅を中心としたまちの賑わいの様子を情景として表現したジオラマを展示します。
このジオラマを通じて、当時の花巻駅やまちの雰囲気を感じていただきたいと思います。
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ジオラマの制作は、平成30年(2018)に同館で開催された企画展「光太郎と花巻電鉄」の際にも制作をお願いした石井彰英氏と、お友達の土屋直久氏。今回は土屋氏が中心にやられたそうですが。

前回は当方が仲介し、実現しました。江ノ電さんのジオラマ(運転士になりたかったものの病気で早世した少年にまつわるもの)などを作られていた石井氏が、ご自身のホームタウン・品川区大井町のジオラマも作成され、その中で智恵子が入院し、そこで亡くなったゼームス坂病院も組み込んで下さったのがご縁でした。

その際には仲介した責任上、何度か工房にもお邪魔し、さらに石井氏をロケハンにお連れしたり、資料類をお貸ししたりいたしました。そういえば、全体のレイアウトも当方が考えました。
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作品は企画展終了後も第二展示室の中央に置かれていましたが、先月お邪魔した際には、企画展用の小部屋に移動されていました。
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今回のものと一緒に並べるのかどうか、そこは訊いておりません。再来週伺いますので見て参ります。

今回の作品、石井氏のSNSから。
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前回は戦後すぐの光太郎在住時をイメージして作っていただきましたが、今回の設定は昭和6年(1931)だそうで、宮沢賢治存命中。したがってジオラマ中に賢治も居ます。
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今回は資料をお貸ししたくらいであまり関わって居らず(石井氏のところで土屋氏にもお会いしてお話ししましたが)、完成した現物は未見で、早く見てみたいものです。

もう1件、同館での特別展示が来週7月15日(火)から。

智恵子のエプロン復刻展示 岩手県立花巻南高等学校家庭クラブ制作

期 日 : 2025年7月15日(火)~8月21日(木)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 期間中無休
料 金 : 一般 350円 高校生・学生250円 小中学生150円
      高村山荘は別途料金

智恵子デザインのエプロンを高校生がつくりました。素敵なエプロンと制作過程を展示。

8月4日(月)10時から 高校生から来館者に手作りしおりプレゼント(なくなり次第終了)。

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こちらに関してはまだ市のサイト等に詳細情報が上げられていません(苦言を呈させていただければ、どうも花巻市さんはこの辺りの対応が後手後手です。ジオラマ展のフライヤーも作られているのか作られていないのか、ネット上に上がっていません)が、『広報はなまき』の今月号にちらっと紹介されています。

「智恵子のエプロン」。大正13年(1924)の雑誌『婦人之友』で写真と型紙図面入りで紹介されたものです。
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高村光太郎記念館さんで、『婦人之友』にかかわる市民講座を行った際、この件も紹介し、「どなたか復元して下さいませんかね」とつぶやいたところ、聴かれていた花巻南高文芸部顧問の菊池久恵先生が「それなら」と、家庭クラブさんに声を掛けて下さり、制作されました。

その後、昨年、花巻で開催されたイベント五感で楽しむ光太郎ライフ」で完成したエプロンを初披露。岩手の地方紙では大きく取り上げられました。出来上がったエプロンを拝見し、そのクオリティーの高さには舌を巻きました。
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また、今年は福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館さんでの「高村智恵子生誕祭」でも展示。家庭クラブさん、文芸部さんの生徒さんと顧問の先生方もご覧に来られました。
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で、今度は高村光太郎記念館さんでの展示です。

同館では特別展「中原綾子への手紙」も開催中。また、7月23日(水)には二本松の智恵子生誕祭でも公演をされたヴォイスパフォーマーの荒井真澄さんと箏曲家の元井美智子さんによるコンサート(詳細はまたのちほど)も予定されています。
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さらに駐車場脇の受付では、お子様向けに「木製輪ゴム鉄砲づくり」。実に盛りだくさんです。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生まだ外出しません、しかし今年は仕事しなければなりません、

昭和30年(1955)1月4日 宮崎春子宛書簡より 光太郎73歳

昭和30年(1955)の年が明け、光太郎、数えで73歳となりました。

この年、国際的にはワルシャワ条約機構が結成され、東西冷戦が激化。第1回原水爆禁止世界大会開催などもありました。国内ではいわゆる55年体制が始まりましたし、 森永ヒ素ミルク中毒事件などもありました。『広辞苑』や現行の1円玉、料金前納式の公衆電話機はこの年に登場。後楽園ゆうえんちが開園(アメリカではディズニーランド)。

光太郎は宿痾の肺結核がどんどん進行、春には赤坂山王病院に入院しますが、手の施しようがなく、結局、中野のアトリエでの療養生活に戻ります。しかし、詩や文章、そして書は制作を続けました。

東北からグルメ系の話題を2件。

まず、智恵子の故郷・副島二本松から。智恵子のソウルマウンテン・安達太良山麓の岳温泉さん近くにある「チーズケーキ工房・カフェ風花」さん。2025夏限定メニューのテーマが「ほんとの空」だそうで。言わずもがなですが、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来ですね。
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”星降るレアチーズケーキ”は、青いゼリーをのせたレアチーズケーキに、ブルーベリーチーズケーキ味のアイスを添えた、キラキラしたあだたらの星空をイメージしたワンプレートだそうです。気になるお値段は¥900とのこと。8月下旬まで。

ちなみに同店、令和2年(2020)から「ほんとの空のクリームソーダ」(¥650)もメニューに入れられ、郡山市での物産展などでも販売されました。
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続いて毎月ご紹介している、光太郎第二の故郷・岩手花巻のワンデイシェフの大食堂さんでの「こうたろうカフェ」。記録を基に光太郎が実際に自作して食したメニューや、使った食材などを現代風にアレンジしたメニューが饗されるもので、主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動です。
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メニュー (2)
豚ももロース、新玉ねぎ、トマト、ピーマンの串カツがメインディッシュのようで。
串カツ、オムレツ、サラダ
調理風景の画像も送られてきました。
串さし作業
光太郎も殊の外愛した山菜ミズ。メンバーで岩手県の「食の匠(たくみ)」に認定された新渕和子さんのご自宅で採集されたとのこと。
ミズのお浸し
コチュジャンの甘辛いタレで和える、韓国の和え麺・ビビンククス。
ビビンククス
他にジャガイモ、トマト、チーズなど具だくさんのオムレツ、お新香なども。
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デザートはミルク寒天ブルーベリーソース。
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毎度のことながら、よくこれで1,000円と低価格に設定出来るものだと感心させられます。

二本松のカフェ風花さんの「ほんとの空」系、花巻の「こうたろうカフェ」、それぞれ末永く続いて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

新鮮なソバ粉、キナ粉を送つて下され、ありがたく存じます、お正月のいい御馳走になります、東京のソバにはソバの香がありません、


昭和29年(1954)12月30日 駿河哲夫宛書簡より 光太郎72歳

駿河哲夫は、光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋の土地を提供してくれた駿河重次郎の子息です。

こうして昭和29年(1954)も暮れて行きました。

過日ご紹介しました福島県郡山市美術館さんでの「皇室を彩る美の世界―福島ゆかりの品々―」につき、内覧会を元にした報道が為されています。

地方紙『福島民報』さん。

皇室彩る美術工芸品並ぶ 福島県郡山市美術館、5日から企画展

 福島県郡山市美術館の企画展「皇室を彩る美の世界 福島ゆかりの品々」は5日、開幕する。狩野永徳や俵屋宗達、尾形光琳らの近世絵画をはじめ、皇室に伝来した貴重な美術工芸品を展示する。8月31日まで。
 同美術館と皇居三の丸尚蔵館の主催、文化庁などの特別協力。尚蔵館の収蔵品を中心として横山大観や東山魁夷による近代日本画、高村光雲や海野勝珉の彫刻・工芸作品が並ぶ。福島県関連では郡山市出身の渡辺晨畝の絵画をはじめ、幕末の会津藩主松平容保の孫で、昭和天皇の弟の秩父宮雍仁親王に嫁いだ秩父宮妃勢津子さまゆかりの品々を紹介する。
 開幕に先立ち4日、美術館で開会式を行った。椎根健雄市長や島谷弘幸皇居三の丸尚蔵館長らがテープカットを行った。5日午後2時から、皇居三の丸尚蔵館の研究員が講演する。
 観覧料は一般1200円、高校生・大学生・65歳以上は900円。問い合わせは美術館へ。
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同じく『福島民友』さん。

皇室ゆかりの品、一堂に 郡山市立美術館で企画展

 郡山市立美術館の企画展「皇室を彩る美の世界 福島ゆかりの品々」は5日、同美術館で開幕する。皇室に受け継がれた美術工芸品を保存する皇居三の丸尚蔵館の貴重な収蔵品や福島県ゆかりの品を展示する。8月末まで。
 文化庁や読売新聞社などの特別協力で開催。狩野永徳や俵屋宗達の屏風(びょうぶ)絵や尾形光琳の絵巻など近世の作品のほか、磐梯山の噴火を描いた山本芳翠の油彩画「磐梯山破裂之図」、横山大観の絹本墨画、高村光雲の木彫など、近代の記録画や美術を紹介。また現在の郡山市出身の渡辺晨畝(しんぽ)(1867~1938)の孔雀(くじゃく)画、会津松平家から秩父宮雍仁親王に嫁いだ「勢津子妃」ゆかりの品なども並ぶ。
 4日は、内覧会と開会式が行われ、皇居三の丸尚蔵館の島谷弘幸館長が「皇室ゆかりの展示品を見て、福島とのつながりを感じていただきたい」とあいさつした。
 企画展は8月3日までを前期、作品を一部入れ替え、同5~31日を後期として開催。一般1200円、高校・大学生、65歳以上900円、中学生以下、障害者手帳のある人は無料。午前9時半~午後5時。問い合わせは同美術館(電話024・956・2200)へ。
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二紙ともに光太郎の父・光雲の名を出して下さっています。やはり目玉の一つと位置づけられているためでしょう。
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出品作は「猿置物」(大正12年=1923)。猿本体は桜材、台の部分は桑の木だそうです。光雲円熟期の傑作の一つで、昭和天皇の弟君の秩父宮雍仁殿下から、母君の貞明皇后陛下に献上されたもの。「三番叟」とも称されます。秩父宮雍仁親王の奥方・勢津子妃殿下が会津藩主・松平容保の令孫ということで、「福島ゆかり」と位置づけられたのでしょうか。

秩父宮ご夫妻と光太郎にも、僅かながら縁が。

 秩父おろしの寒い風。
 勘違い。/女川から中継。
 上高地の常さん。

閑話休題。「皇室を彩る美の世界―福島ゆかりの品々―」、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

小生校歌といふものを書いた経験がないので、まるで分りません、経験のある人におたづねになるのが正しいでせう。


昭和29年(1954)12月19日 宮崎正男宛書簡より 光太郎72歳

宛先住所が「群馬県吾妻郡嬬恋村立西中学校」。おそらく宮崎正男という人物は、そこの校長先生か何かで、光太郎に校歌作詞を依頼したのではないかと思われます。光太郎、歌曲の作詞自体にあまり興味がありませんでしたし、特に校歌は自由に作れないということで、結局、一篇も作りませんでした。

ただ、校歌ならぬ団体歌は二篇だけ作詞しています。断り切れなかった感じです。

まず昭和17年(1942)、岩波書店の「店歌」として「われら文化を」。作曲は「海ゆかば」等で有名な信時潔でした。もう1曲は、「初夢まりつきうた」(昭和25年=1950)。こちらは正式な団体歌というわけではありませんし、詳しい経緯が不詳なのですが、おそらく花巻商工会議所などからの依頼で作った、いわば「商店街の歌」的なものです。邦楽奏者・杵屋正邦により作曲されています。

当会の祖・草野心平を祀る祭りです。

第60回天山祭り

期 日 : 2025年7月12日(土)
会 場 : 天山文庫 福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513
       雨天時は村民体育センター 川内村大字上川内字小山平15
時 間 : 午前11時~午後2時
料 金 : 1,000円

 今年度、60回目の天山祭りを開催する運びとなりました。これもひとえに皆様方の御指導、御支援によるものと深く感謝申し上げます。
 今年は60回目の節目の年であることから、原点に返り、飲食の提供を予定しておりますので、万障繰り合わせのうえ、ご参加いただきますようご案内申し上げます。

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川内村はモリアオガエルの繁殖地・平伏(へぶす)沼を有し、「蛙の詩人」として名高い心平が愛した村です。心平は蔵書を村にごっそり寄贈、村では心平を名誉村民に認定、別荘の「天山文庫」を建ててやりました。その建設の際には、光太郎顕彰を通じて心平と交流の深かった光太郎実弟の髙村豊周も建設委員に名を連ねました。下画像、背景の建物が天山文庫、手前に座っているおっさんが心平です(笑)。
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この天山文庫の前庭で行われる祭りには生前の心平もよく足を運んでは村人たちと交流、心平没後には心平を偲ぶ意味合いが加わり、さらに東日本大震災による福島第一原発の事故で余儀なくされた全村避難の解除後は、震災からの復興を確認するという目的も加わっています。
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鉢巻きの心平、バカボンのパパのようですね(笑)。

内容的には地元の皆さんによる郷土芸能の披露、心平詩の朗読、それから心平が主宰していた詩誌『歴程』同人の皆さんも心平詩の朗読等にあたられるはずです。

コロナ禍前には特産の岩魚の塩焼きなどが入ったお弁当が饗され、舌鼓を打たせていただいておりましたが、近年はそれが無く、若干寂しいなと思っていたところ、今年から復活のようです。岩魚の塩焼きはきっと入っていると信じています(笑)。

皆様方も是非どうぞ。

別件ですが、本日、午後1時半より中野区の産業文化振興センターに於いて「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」を開催いたします。『東京新聞』さんが、昨日、記事にして下さいました。

「中西アトリエ」ゆかりの朗読会 中野であす 高村光太郎らの詩や小説題材

 洋画家の中西利雄(1900〜48年)が東京都中野区内に建てたアトリエを知ってもらおうと、アトリエゆかりの文人による作品の朗読会が6日午後1時半から、区内で開かれる。詩人で彫刻家の高村光太郎(1883〜1956年)をはじめとする6人の詩や小説の世界が楽しめる。
 アトリエは、大正から昭和にかけて活躍し「水彩画の巨匠」と呼ばれた中西が建設。完成した48年に死去したため、貸しアトリエとして使われた。
 高村は晩年に暮らし、十和田湖畔にある代表作「乙女の像」の塑像などを制作。没後は家族ぐるみの交流があった、詩人で随筆家の尾崎喜八(1892〜1974年)が、編集室として使ったという。中西の息子が2023年に亡くなった後は保存活用の在り方が問われており、存続の危機にある。
 朗読会は有志による「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」(俳優・劇作家の渡辺えり代表)が主催。朗読家や詩人らが高村や尾崎のほか、詩人で小説家の佐藤春夫、詩人で書家の草野心平、小説家の太宰治、詩人で童話作家の宮沢賢治による小説や詩など15作品ほどを読み上げる。フルートやギターの演奏もある。
 同会の曽我貢誠(こうせい)事務局長(72)は、「アトリエでは高村を起点に、文人たちがつながり合っていた。そんな建物が中野区にあることを知ってほしい」と呼びかける。
 「高村光太郎終焉(しゅうえん)の地 中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」は、区産業振興センター(中野2)で。入場無料。定員80人。問い合わせは保存する会=sogakousei@mva.biglobe.ne.jp=へ。
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予約を受け付けていましたが、まだ空席があるようです。このまま予約なしでいらしていただいて結構です。よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

小生の居ない山口(の小)屋を訪問したいろいろの人から時々たよりをもらひますが、小屋も無事、畑も出来て居り、梅の花も咲き、桃もきれいといふことで、皆重次郎翁のお手入れのおかげとありがたく存じてゐます。来年は汽車に乗れるやうに健康回復次第、山口に行つてみたいと思ひます。時々東京に居ても山口の美しい山林にあこがれます、


昭和29年(1954)11月3日 駿河重次郎宛書簡より 光太郎72歳

駿河重次郎は、光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村山口地区の山小屋の土地を提供してくれた村の顔役。光太郎上京後も小屋の管理を手抜かり無く行ってくれていました。

細かなところでは色々異なりますが、光太郎にとっての太田村と、心平にとっての川内村は、似たような意味合いがあったのかも知れません。

本日開幕の企画展示です。

令和7年度テーマ展「戦後80年 戦争と花巻」

期 日 : 2025年7月5日(土)~8月24日(日)
会 場 : 花巻市博物館 岩手県花巻市高松第26地割8-1
時 間 : 午前8時30分 から 午後4時30分 まで
休 館 : 期間中無休
料 金 : 一般 350(300)円 高校生・学生 250(200)円 小中学生 150(100)円
      ( )内は20名以上の団体料金

 1945年8月15日、日本全体で310万人以上にも及ぶ犠牲者を出した太平洋戦争が終結しました。そして、終戦間際の8月10日、ここ花巻でもアメリカ軍による空襲の被害にさらされ、多くの尊い命が失われました。
 太平洋戦争の終結から80年が経過しますが、未だ世界から戦争は無くなっていません。日本においても、かつての戦争の記憶をもつ人々が少なくなっていく時代に至り、私たち博物館には戦争を二度と繰り返さないと発信する役割があると考えます。
 本展では、1931年の満州事変から1945年の終戦までの約15年間を中心に、花巻や周辺地域における戦争の歴史を、当時の貴重な資料を通して紹介します。
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関連イベント

特別講演会「花巻と戦争」
 『花巻が燃えた日』の著者で、郷土史家の加藤昭雄氏を講師に迎え、80年前の岩手県内での空襲について、花巻がなぜ攻撃されたのか、どのような被害があったのか、また花巻に残る戦争遺構についてをご講演いただきます。
 日時:7月20日(日曜)午後1時30分から3時
 講師:加藤昭雄氏(岩手・戦争を記録する会事務局長、『花巻が燃えた日』著者)
 演題:花巻と戦争
 場所:花巻市博物館 講座体験学習室
 定員:30名(要申込)
 費用:聴講無料(入館料不要)
 申込期間:6月20日(金曜)午前8時30分から7月19日(土曜)午後4時30分
 特別講演会はお電話または二次元コードの申し込みフォームから申込みいただけます。
 (注)定員に達し次第申し込みを締め切らせていただきます。
 キャンセルがあった場合は、応募期間内であれば再度申し込みができます。

特別上映会「戦争の足跡を追って 北上・和賀の十五年戦争」
 北上市出身の都鳥兄弟が制作した、北上・和賀地域の「戦争の足跡」を追った、ドキュメンタリー映画を上映します。
 (注)本上映会では著作権保護への配慮から、上映中の録音、録画、および写真撮影は固くお断りいたします。
 日時:8月11日(月曜・祝日)午後1時30分から3時30分
 監督:都鳥 伸也氏(登壇予定)
 場所:花巻市博物館 講座体験学習室
 定員:40名(要申込)
 費用:観覧無料(入館料不要)
 申込期間:7月11日(金曜)午前8時30分から8月10日(日曜)午後4時30分
 特別上映会はお電話または二次元コードの申し込みフォームから申込みいただけます。
 (注)定員に達し次第申し込みを締め切らせていただきます。
 キャンセルがあった場合は、応募期間内であれば再度申し込みができます。

ギャラリートーク
 日時:7月21日(月曜・祝日)、8月9日(土曜)
 両日とも午後1時30分から2時30分
 場所:花巻市博物館 企画展示室
 申込:不要
 費用:参加される場合入館料が必要となります。

同時開催「令和7年度花巻市非核平和展
 ヒロシマ・ナガサキの原爆写真ポスターを展示します。今年は戦後80年になります。この機会に平和の尊さについて考えてみませんか。
 開催期間:令和7年7月5日(土曜)から令和7年8月24日(日曜)まで
 開催時間:午前8時30分 から 午後4時30分 まで
 開催場所:花巻市博物館 企画展示室:花巻市高松26-8-1
 費用:一般 350円 高校生・学生 250円 小・中学生 150円
 主催:花巻市担当総合政策部総務課法規文書係

光太郎に関わるかどうか微妙なところですが、関連行事として予定されている特別講演会「花巻と戦争」の講師を務められる加藤昭雄氏は、御著書『花巻が燃えた日』(熊谷印刷出版部 平成11年=1999)、『絵本 花巻がもえた日』(ツーワンライフ 平成24年=2012)で、宮沢賢治実家が8月10日の花巻空襲に遭った際の光太郎について触れて下さっており、そのあたりで期待が持たれます。

ちなみに昭和20年(1945)の戦争末期、終戦直後の光太郎の動向は以下の通り。

 4月13日  いわゆる城北空襲で本郷区駒込林町の住居兼アトリエ全焼。
      近くにあった妹の婚家に避難。
 5月3日  杉並の思想家・江渡狄嶺宅(江渡自身は前年に没)を訪れ1泊。
      リヤカーを借り、徳田秀一と共に荷物を茨城取手駅まで運搬。
 5月9日  リヤカー返却。
 5月14日  近くに住んでいた画家・池田永治が着ていたチョッキに揮毫。
 5月15日  のちに縁戚となる宮崎稔と共に上野駅から花巻に向けて出発。
 5月16日  雨中、花巻に到着。宮沢家に入る。
 5月17日  急性肺炎で高熱を出し、倒れる。
 6月15日  この日まで佐藤隆房医師の診療を受けて臥床。
 6月18日  予後を養うため西鉛温泉へ湯治に出発。
 6月24日  西鉛温泉から帰還。
 8月10日  花巻空襲。宮沢家全焼。旧制花巻中学校元校長・佐藤昌宅に移る。
 8月13日  旧太田村の太田小学校山口分教場教師、佐藤勝治に村への移住を誘われる。
 8月14日  朝日新聞記者からの極秘情報で敗戦を知る。
 8月15日  終戦の玉音放送を鳥谷ヶ崎神社で聴く。
 8月17日  詩「一億の号泣」が『朝日新聞』、『岩手日報』に掲載。
 8月21日 初めて太田村に足を踏み入れる。
 8月25日 盛岡に行き一泊。県庁内で講演
 9月5日  佐藤隆房の花巻病院にて空襲下で決死の看護に当たった職員の表彰式出席。
      詩「非常の時」を朗読。
 9月10日  佐藤隆房宅離れに移る。
 9月16日  19日まで太田村視察。佐藤勝治らの手配で移築中の山小屋を見る。
 10月10日 松庵寺で智恵子の法要を営む。
 10月17日 太田村に移る。しばらく分教場宿直室で寝泊まり。自身で山小屋の造作。
 11月17日 山小屋で生活開始。

なかなか激動の半年間ですね。

今回の展示及び関連行事の講演等で、少しでもこうした光太郎に触れていただけるとありがたいところです。

また月末近くに花巻に参りますので、観てきます。皆様もぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

東北一といふ定評のある二六園の見ごとなリンゴ一箱昨日いただき感謝の至りです。青森リンゴのはんらんしてゐる東京では特に珍重に存じます。


昭和29年(1954)11月3日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎72歳

「二六園」は佐藤が自宅敷地内に作ったリンゴ園。「東北一といふ定評」あたりはかなりヨイショが入っているように思われますが(笑)。「青森リンゴ」も悪いものではありませんし……。

花巻観光協会さん主催のワークショップです。うっかりご紹介を失念しており、すでに始まっています。

木製輪ゴム鉄砲づくり

期 日 : 2025年7月1日(火)~8月31日(日) 期間より早く終了する場合もございます。
会 場 : 高村光太郎記念館受付 岩手県花巻市太田3-91-3
時 間 : ①10:00~12:00 ②14:00~16:00
休 館 : 期間中無休 屋外テントでの実施のため、暴風雨の場合など天候により直前に
      中止となる場合がございます。
料 金 : 1,800円 ⇒ 900円

高村山荘周辺で採れた木を使用したキットで木製の輪ゴム鉄砲づくり!
彫刻家や詩人として知られる高村光太郎が晩年を過ごした高村山荘。その裏手に広がる山口山の豊かな景観のなか、木製の輪ゴム鉄砲を作って的当てで遊ぼう!

花巻市では、小学生以下のお子様を対象に、ドキドキわくわくの体験がなんと【半額】で楽しめるお得なキャンペーンを開催! 雄大な北上川をゴムボートで楽しむ遊覧体験や、水面を自由に探検するカヌー&ボート体験、そして、手びねりやろくろでつくる創造的な陶芸体験!普段はなかなかできない特別な体験が、花巻にはいっぱい!

さあ、家族みんなで手をつないで、笑顔あふれる花巻で、忘れられない夏の思い出を作ろう! 小学生以下のお客様を対象に、お子様向け体験の体験料が半額になるお得なキャンペーン! 花巻観光協会からのお申込み&体験終了後のアンケートにご協力いただくことで、お得な料金にてお楽しみいただけます。
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花卷市内各所で行われる「はなまきサマーキャンペーン」の一環だそうで、高村記念館さんでは木製輪ゴム鉄砲づくり。他にもカヌーやバギーなどの体験、陶芸や和紙の手漉きなどの伝統工芸系、野菜の収穫体験、果てはわんこそばも(笑)。

お子様と共に親御さんたちもぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今年は汽車にのるのが無理なので山口に行かれさうもありません、来年はゆきたいものです。子供等によろしく。


昭和29年11月3日 浅沼政規宛書簡より光太郎72歳

浅沼は光太郎が蟄居生活を送っていた郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)近くの山口小学校長。浅沼と、小学校の児童たちから届いた書簡への返信です。前年には病をおして10日間ほど一時帰村したのですが、もはやそれも不可能な健康状態でした。

福島から展覧会情報です。光太郎の父・光雲の木彫が出ます。

皇室を彩る美の世界―福島ゆかりの品々―

期 日 : 2025年7月5日(土)~8月31日(日)
会 場 : 郡山市美術館 福島県郡山市安原町字大谷地 130-2
時 間 : 9 時30 分~17 時00 分
休 館 : 毎週月曜日( 7 月 21 日(月・祝)、8 月11 日(月・祝)は開館、翌日休館)
料 金 : 一般:1,200(960)円/高・大学生、65 歳以上:900(720)円
       ( )内は20 名以上の団体料金

 皇居三の丸尚蔵館は、皇室に代々受け継がれた美術品を保存・調査研究・公開するため、平成5年(1993)に皇居東御苑内に開館した「宮内庁三の丸尚蔵館」を前身とする施設です。収蔵品は、絵画・書跡・工芸品など、各時代・各分野を代表する名品が多く含まれ、その数は約6,100 件に及びます。
 令和5年(2023)に名称を新たに施設の一部がリニューアルオープンし、令和8年の全館完成までの期間中に、多くの方々に優れた作品をご覧いただき、皇室や日本の文化に親しんでいただけるよう、これまで全国各地で収蔵品を紹介する展覧会が開催されてきました。
 このたび、福島県郡山市で開催する本展では、皇居三の丸尚蔵館が収蔵する皇室に伝来した美術工芸品のなかから、狩野永徳や俵屋宗達、尾形光琳ら近世絵画の優品をはじめ、明治初期に描かれた記録性の高い洋画の数々、近代日本画を代表する横山大観や東山魁夷、さらに郡山出身の渡邊晨畝らの秀作のほか、高村光雲や海野勝珉の至高の彫刻・工芸作品、精巧で可憐なボンボニエールなど、貴重な収蔵品をご覧いただきます。さらに、会津松平家から秩父宮雍仁親王に嫁ぎ、皇室と福島の人々の心の架け橋となった勢津子妃ゆかりの品々をご紹介します。
 皇室が守り伝え、育んできた日本美術の精華をどうぞお楽しみください。
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関連イベント

講演会「皇居三の丸尚蔵館収蔵品にみる皇室と福島」
日時:7 月5 日(土曜日)午後2 時から 会場:多目的スタジオ(入場無料)
講師:田中純一朗氏(皇居三の丸尚蔵館研究員)

美術講座「山本芳翠と磐梯山の噴火」
日時: 7 月19 日(土曜日)午後2 時から 会場:講義室(入場無料)
講師:佐藤公氏(磐梯山噴火記念館館長)、当館学芸員
会場:講義室(入場無料)

「郡山の画家の渡邊晨畝の活動」
日時:8 月10 日(日曜日)午後2 時から 会場:講義室(入場無料)
講師:当館学芸員

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日時:7 月13 日(日)、8 月3 日(日) 午後2 時から 会場:企画展示室(要観覧券)

​​東儀秀樹 コンサート 〜伝統を紡ぎ 新たな地平を拓く〜
日時:2025年7月6日(日曜日)

案内文にある通り、皇居三の丸尚蔵館さんの収蔵品が出品されます。同館は一昨年、リニューアルしオープンしましたが、完全完成は来年ということで、それまでの間いわば「出開帳」が各地で行われ続けています。光雲作品もぽつりぽつりと。

今回の光雲の作品は「猿置物」(大正12年=1923)。目玉の一つということでフライヤーの裏面に大きく画像が出ています。昭和天皇の弟の秩父宮殿下から、母親の貞明皇后陛下に献上されたもので「三番叟」とも称されます。

郡山は智恵子の故郷・二本松にもほど近く、合わせて智恵子生家/智恵子記念館などにもぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

昨10月5日は智恵子の十七回忌の命日でありましたが、今日御親切なお手紙と御芳志の見事な栗の小包とを拝受、まことにありがたく存じました。

昭和29年(1954)10月6日 秋広アサ子宛書簡より 光太郎72歳

秋広は、遠く明治期に日本女子大学校の寮で智恵子と同室でした。50年ほど経っても命日には墓参をしたり、光太郎にというか智恵子仏前にというわけで贈り物をしたりしてくれました。ありがたいことです。

演奏会情報を2件。

まずは広島県から。

広島中央合唱団第58回定期演奏会

期 日 : 2025年7月6日(日)
会 場 : はつかいち文化ホールウッドワンさくらぴあ 広島県廿日市市下平良一丁目11-1
時 間 : 14:00~15:40
料 金 : 一般 900円 学生 500円

ジャズミサでは、ピアノにサックス、トランペット、ベースギター、パーカッションも加わります!!日本語曲も、ストラヴィンスキー演りますよ✨️お楽しみに〜🎵

Ⅰステ
 相澤直人 / 混声三部とピアノのための「なんとなく・青空」から
  『なんとなく・青空』『みえない手紙』『あいたくて』
 鈴木憲夫 / 混声合唱曲「レモン哀歌」
 Will Todd / Jazz Missa Brevis より Kyrie, Gloria, Sanctus, Benedictus, Agnus Dei
Ⅱステ
  Stravinsky -V. Gryaznov / Symphony of Psalms
エンディング ソング
 I. Stravinsky / Pater Noster (Otche Nash)
 山崎朋子 / すべてのもの
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鈴木憲夫氏作曲の混声合唱曲「レモン哀歌」がプログラムに入っています。ゆったりと落ちついた曲調の中で、去りゆく智恵子と見送る光太郎の哀切が情調豊かに描かれ、数ある「レモン哀歌」系楽曲の中でも当方の特に好きなもののひとつです。

同団、昨秋に広島市内の教会で開催された「Autmun Concert~Can't wait for Christmas~」でも同曲を演奏して下さいました。

もう1件、同日で福島から。

「ほんとうの空」の村 黒坂黒太郎 コカリナ コンサート

期 日 : 2025年7月6日(日)
会 場 : あだたらふるさとホール 福島県安達郡大玉村玉井字西庵183
時 間 : 13:30~
料 金 : 高校生以上 500円 小中学生 300円

演奏予定曲
 本当の空の村 黒坂黒太郎
 チャルダッシュ モンティ
 アメージング・ピース 讃美歌 他

出演 黒坂黒太郎(コカリナ)  山口周美(ボーカル)

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大玉村は、智恵子の故郷・二本松市に隣接し、やはり安達太良山麓に位置する村です。そこで光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」、そこから派生した「ほんとうの空」「本当の空」などの語を使ったりして、官民あげていろいろやって下さっています。

「智恵子抄」系商品 ワイン「OOtama blue」 万年筆「ほんとの星空。」。
「第69回全国植樹祭ふくしま2018 育てよう希望の森をいのちの森を」サテライト会場レポート。
ほんとの空からペルーの空へ。

今回のコンサートでは「ほんとうの空の村」と冠し、さらにコカリナ奏者の黒坂黒太郎氏がオリジナル曲「本当の空の村」を演奏なさいます。

それぞれご興味おありの方どうぞ。

と、いつもでしたらここで終わるのですが、双方の開催される7月6日(日)は、都内で先週ご紹介した「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」もありますので、そちらもよろしくお願い申し上げます。
 
【折々のことば・光太郎】

レントゲン検査の結果、イソニコチン酸ヒドラジツドをのまされたり、又心臓肥大症のためヂギタリスをのんだりしています。


昭和29年(1954)6月3日 舟川栄次郎宛書簡より 光太郎72歳

「イソニコチン酸ヒドラジツド」は抗結核薬の一つで、この2年ほど前から一般に処方されるようになりました。やがてヒドラジッド、ストレプトマイシン、パスの3剤併用で結核の死亡率を劇的に下げる治療法が用いられるようになりましたが、光太郎に対しては既に時遅しだったようです。

ちなみに当方も、肺を冒されるには至りませんでしたが、幼少時、結核の強陽性で、ヒドラジッドを服用し続けていた時期がありました。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の紹介も為されている、十和田湖畔にの十和田湖観光交流センター「ぷらっと」が、「外国人観光案内所カテゴリー2」に認定されたとのことです。

プレスリリースが出ています。

十和田湖観光交流センター「ぷらっと」、外国人観光案内所カテゴリー2に認定されました! 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構 2025年6月19日

 十和田湖観光交流センター「ぷらっと」は、十和田湖、奥入瀬渓流などの観光に関する情報、市民との交流の場などを提供し、十和田市の魅力発信、賑わい創出などの観光振興を目的に、2014年10月8日に設置されました。
 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構(TOWADA TRAVEL)では、設立年の2019年4月より当施設の指定管理業務を担い、観光案内所として、地域情報の発信や観光案内、外国人対応などの役割を担ってまいりました。このたび「ぷらっと」は、多言語対応の体制整備に加え、案内の提供範囲が十和田湖・十和田市周辺にとどまらず、青森市や弘前市などの津軽方面、秋田県北地域も含む広域的なエリアにも拡大していることから、2025年5月29日付で、独立行政法人 国際観光振興機構(JNTO)より外国人観光案内所のカテゴリー2に認定されました。
 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構(TOWADA TRAVEL)は地域づくり法人(DMO)及び当施設の指定管理者として、引き続きインバウンド受入体制の整備に資し、海内外の観光客に高い満足度を提供し得る観光施設運営を目指して参ります。
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十和田湖観光交流センター「ぷらっと」
【住所】〒018-5501 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486
【開館時間】9:00〜17:00
【定休日】年中無休
【入館料】無料
【観光案内対応言語】日本語、英語、中国語、フランス語
【常設展示】
 ・十和田湖ひめます(4月〜11月頃) ・十和田湖畔休屋周辺のジオラマ
 ・和井内貞行、高村光太郎、大町桂月の資料
【アクセシブルなサービス】
 ・交流室貸出 ・授乳室 ・休憩スペース ・フリーWi-Fi ・コンセント ・エレベーター
 ・オストメイト対応トイレ ・車椅子貸出
【ウェブページ】
https://tic.jnto.go.jp/jpn/detail.php?id=3702(日本の認定外国人観光案内所)
【指定管理者】
 一般社団法人十和田奥入瀬観光機構(TOWADA TRAVEL) 理事長:岩間 惠美郎
【連絡先】
・電話番号:0176-75-1531
・ファクス:0176-75-1535
・メール:towadako@towada.travel
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「ぷらっと」さん、平成26年(2014)にオープンし、「乙女の像」作者の光太郎コーナーも設けて下さいました。説明パネル等は当方が執筆いたしました。その後も少しずつ展示が拡充、各種イベントの会場としても活用されています。また、オープン当初は冬期間閉鎖でしたが、現在は年中無休。頭が下がります。

周辺にはインバウンドの方々も多く、その対応ということで、今回は独立行政法人 国際観光振興機構(JNTO)さんより外国人観光案内所のカテゴリー2に認定ということだそうです。
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どうせなら、カテゴリー3認定を目指し、さらなる体制の整備等をお願いしたいところです。

皆様もぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

お届けしたいものもありながら、参上出来ずにゐる次第です。


昭和29年(1954)5月11日 細田明子宛書簡より 光太郎72歳

つい先日も書きましたが、明子は戦前から光太郎が常連だった三河島のトンカツ屋・東方亭の娘です。光太郎に実の娘のようにかわいがられていました。戦後、医師となり、光太郎詩「女医になつた少女」(昭和24年=1949)のモデルにもなりました。

「お届けしたいもの」は、この月に医者仲間の関川大司と結婚する明子への祝いの品、結婚記念帳でした。
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のちに明子は「過分なお祝いと結婚記念帳を頂戴し、そこに心暖まるお祝のお言葉まで書いていただいた。」と書きました(「高村光太郎さんと私」平成10年=1998『福島民友新聞』)。

光太郎の言葉は以下の通り。

明子様 昭和廿九年    光太郎 心臓をわるくしてゐて お祝に出られなかつた お二人は殊に心臓がおつよいといふ事だし それにあやかりたかつたが是非もなかつた たゞ新郎が心臓専門なのは心づよい 光太郎

当会の祖・草野心平メインですが、心平の故郷・福島県いわき市さんの『広報いわき』に光太郎の名。今月ももう終わりですが、今月号です。少し前に気づいたものの紹介する機を失っていました。
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表紙をめくってすぐの2ページにわたって「特集1 草野心平を知る」。

今更感がないでもありませんが、住民の世代は交代していくわけで、定期的に(不定期でも、ですが)こういった形で紹介することが「語り継いでいくこと」につながり、特に昭和63年(1988)に亡くなった心平を直接ご存じでない若い世代の皆さんに読んでいただきたい記事です。

光太郎の名は2ページ目に。その項だけ活字にします。

 作品の魅力
 心平の詩は「●」が一つだけ書かれた「冬眠」や、一行を「る」で埋めた「生殖 Ⅰ」など、蛙を描いた詩が有名です。心平は、蛙の方が人間より長い間地球に生存し続けていることなどに共感し、蛙の詩を作り続けました。
 その他にも、天や富士山、石、海などを主題とした作品もあり、その根底にある「すべてのものと共に生きる」という独特の共生感によって生み出された作品は、生命力にあふれています。さらに、絵画や記号のような文字使いや、蛙の鳴き声を表現した「ケルルン クック」などの独創的な擬音(オノマトペ)、そして独自の言語「蛙語」は、唯一無二の世界観を作り出しています。
 心平は、宮沢賢治らを発掘・紹介するとともに、高村光太郎や萩原朔太郎、中原中也などと親交を深めながら多くの詩人を育てました。それらが渾然一体となって心平の魅力を生み出していると言えるでしょう。 
 また、市内17の小中学校をはじめ、全国各地で100以上の校歌を作詞し、世代を超え歌い継がれています。

従来の「詩」という概念をぶちこわそうというレベルまで行った独特の作品群も大きな魅力を放っていますが(一世代前の光太郎は、明治末から大正初めに『道程』所収の詩などでそれまでの気取った「文語定型詩」の概念を突き抜けた「口語自由詩」を確立し、光太郎に心酔した心平はさらにそれを進めて「詩」という上位概念すら無視した作品を書きました)、もう一つの心平の大きな業績はそのプロデュース能力に負うところが大きいと思います。

すなわち、宮沢賢治などの才能ある詩人の発掘、光太郎ら先輩を含め発表の場の提供など。

今年の冬から開催される花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示で『宮沢賢治全集』をメインに取り上げることが決まっています。特に最初の全集である文圃堂版(昭和9年=1934~昭和10年=1935)、そしてそれを引き継いだ十字屋書店版(昭和14年=1939~昭和19年=1944)。さらに戦後の日本読書組合版や筑摩書房版についても。
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それら全てに光太郎が関わっていますし、他のキーマンとして、賢治実弟の清六、賢治の親友だった藤原嘉藤治、谷川俊太郎氏の父君・谷川徹三、横光利一、中島健蔵など。
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そして心平も。004

そうした関係もあり、このところ、昨年刊行された瀬川正子氏編『賢治さんの人格・芸術を世界へ 藤原かとうじが残したもの』(先日、花巻で頂いてきました)や、手許にある心平の評伝等数冊を読み返しているところです。

『賢治さんの……』には、世の中の常識の枠組みからもはみ出してぶっ飛んでいた心平の姿が語られ、「おいおい」と云うところも少なからずありますが(笑)。

花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示で『宮沢賢治全集』をメインに取り上げる件、また近くなりましたら詳細をお伝えいたします。

閑話休題、心平について、いわき市民の皆さん、それ以外も、しっかりと語り継いで行っていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

静坐してゐれば何ともないですが、動いたり、歩いたりすると息がくるしくなります。外出の用事は中西夫人に皆お願ひしてゐます


昭和29年(1954)5月11日 細田明子宛書簡より 光太郎72歳

宿痾の肺結核は確実に身体を蝕み、そろそろほとんど外出不可能になっていきます。そのため、それまで自分でやっていた日々の買い物なども、貸しアトリエの大家・中西富江に頼むようになります。中西家には、光太郎が富江や、のちに雇った家政婦さんに託した膨大な買い物メモや金銭出納メモが現存しています。メモは時に図入りで、当時の光太郎の需要や嗜好もわかり、貴重なものです。
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一昨日から1泊2日で光太郎第二の故郷・岩手花巻に行っておりまして、昨夜帰宅いたしました。レポートします。

メインの目的は、昨日行われた、さまざまな方面でご活躍中の花巻市の登録ボランティアの方々への講演でしたが、もう一つ、花巻高村光太郎記念館さんで4月26日(土)に始まった特別展「中原綾子への手紙」の拝観。
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中原は与謝野晶子の弟子の歌人、詩人。戦前から同門ともいうべき光太郎と交流があり、自身で雑誌『いづかし』『スバル』などを主宰して光太郎の寄稿をあおいだり、複数の自著歌集・詩集にも光太郎に序文を書いてもらったりしています。記念館さんのある花巻郊外旧太田村の山小屋にも訪れ、その際の様子や、昭和31年(1956)に光太郎が歿したことなどを大量の短歌に詠んだりもしています。
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昨年、ご遺族より中原から光太郎宛の書簡類、原稿類がごそっと寄贈され、そのうち書簡類のお披露目です。原稿等に関しては来年度以降とのこと。
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量が多いので、4期に分け、現在第1期です。
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それでもこうした場合に使う小部屋では狭すぎて、通常の第2展示室を縦断する形でパーテーションのボードを立て、その両面に。ちなみに小部屋の方ではブリヂストン美術館歳作制作の「美術映画 高村光太郎」をモニターで流し、第二展示室中央にあったジオラマを移動させています。
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ケースに入れての展示も。
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宛先苗字が「曽我」や「小野」となっているものもあるのは、中原が結婚・離婚を繰り返したためです。結局、ペンネーム的には「中原」姓を使い続けましたが。

書簡類だけでは地味ですし、一般の方には馴染みの薄い名前なので、ビジュアル的な部分と、こういう業績を残した人物なんだよ、という意味で、手許にあった(一部は新たに購入した)光太郎がらみの中原の著書や主宰雑誌など関連史料をお貸ししました。それらもケースで展示して下さっています。
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中原が光太郎に贈られ、光太郎没後に自著詩集『灰の詩』に口絵として写真版を掲載した色紙も。
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昨年、タイミング良く京都の思文閣さんで入札に出したものです。七五調四句の今様スタイルで「観自在こそたふとけれ/まなこひらきてけふみれば/此世のつねのすがたして/吾身はなれずそひたまふ」。複数の揮毫が確認出来ています。

これを包んでいた畳紙(たとう)も額に入れてお貸ししました。題箋は中原の自筆なので。
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「高村光太郎先生色紙 昭和廿六年九月岩手県太田村山口にて染筆たまはりたるもの 綾子誌す」。一度、「山口村」と誤記して「太田村山口」と訂正されています。

寄贈された書簡の中には、他に類例のない、智恵子の心の病の病状を事細かに記したものも複数あります。それらは今回はあまり展示されず、2期以降となります。

また、今後、短期間で実にいろいろと他の企画が目白押しです。当会を含めたいろいろな組織等がそれぞれ別個に「あれもやりたい、これもやりたい」となってしまったようで。また近くなりましたらそれぞれご紹介いたします。

拝観後、隣接する山小屋(高村山荘)へ。ルーティンですがこちらにおわすであろう光太郎のご分霊にご挨拶。
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宿泊は定宿の大沢温泉さん。
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翌日が市街地で講演でしたが、9時過ぎに会場入りすればいいということなので、朝はゆっくり致しました。

以前は宿泊棟「菊水館」として使われ,、光太郎や当方も泊まった「ギャラリー茅」。スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫氏が大沢温泉さんのご常連ということで、ミニジブリ美術館的な感じで運用されています。
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現在は「トトロとジブリとカンヤダと」展が開催中(入館料600円)。
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ジブリ関係のお仕事も多数なさっているカメラマンのカンヤダ・プラテン氏の作品など。
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当方、ジブリファンというわけではありませんが、朝からほっこりさせていただきました(笑)。

講演会場へ。
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宮沢賢治が教鞭を執っていた花巻農学校跡地のぎんどろ公園、賢治の菩提寺・身照寺さん近くの花巻市総合福祉センターさん。

「光太郎はなぜ花巻に来たのか」という題で、90分ほど語らせていただきました。
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光太郎とはどういう人物だったのかのアウトライン、そして賢治本人や、賢治没後の宮沢家との関係、花卷市内に残る光太郎関連史跡などなど。

終了後、昼食をやつかの森LLCさんに御馳走になってしまい、恐縮。

さらに市街豊沢町のカフェ羅須さんへ。
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来月当会がらみで、こちらと、それから高村光太郎記念館さんとで、箏曲家の元井美智子さん、ヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんのコンサート(詳細はまたのちほど)を開催させていただくことになりまして、ご挨拶。
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こちらはギャラリーも併設されています。現在は市内の高校さんで教壇に立たれている髙橋圭子さんという方の作品が飾られています。
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ポストカードが販売中。高村山荘を描かれたものがあり、購入させていただきました。いい感じです。
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こちらには何度かお邪魔していたものの、その際に気づきませんでしたが、賢治の親友で、光太郎とも交流のあった藤原嘉藤治が写った写真も掲示されていました。
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今後、嘉藤治がらみでいろいろ調べたりしなければならないことがあるので、奇縁に驚きました。

そんなこんなで用件を済ませ、帰途に就きました。

途中にも書きましたが、花卷では今後もいろいろなイベントが企画されています。また後ほどご紹介いたしますのでよろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

小生も肋間神経痛といふものがあつて、動きまはるのに不自由を感じてゐます、東京の街上へもあまり出ないでゐる始末なので、録音なども先方から来てもらつてやつてゐます、泊町まで果して行けるかどうか、まだ決定しかねてゐます、

昭和29年(1954)4月20日 舟川栄次郎宛書簡より 光太郎72歳

「結核」の語は使っていませんが、もはやかなりの重度でした。「泊町」は富山県。ぜひ一度おいであれ、というのですが、それが可能な状態ではありません。

結局、前年11月から12月にかけて旧太田村に帰村したのを最後に、一歩も東京を出ることはありませんでした。

ところが花卷の宮沢賢治記念館では、宮沢家で撮られた集合写真のキャプションに「昭和29年」。賢治関連の複数の文献にそう書かれていて、そのまま引き写されているのですが、大間違いです。昨日はその話もさせていただきました。
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昨日から1泊2日の行程で、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市に来ております。
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いつものように宿泊は大沢温泉さん。光太郎や宮沢賢治ゆかりの宿です。
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クローズドのイベントなので告知しませんでしたが、今日はこれから市のボランティアの方々に講演です。
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昨日は夕方に来花、旧太田村の花巻高村光太郎記念館さんと、光太郎が昭和20年(1945)から7年間の蟄居生活を送った山小屋(高村山荘)に足を運びました。
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そちらのレポートは帰りましてから。

しかし、取り上げるべき事項が山積しておりまして、花巻ネタを今日のこのタイミングで扱わせていただきます。

毎月15日、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。地元で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんで、光太郎の実際に作った献立、使った食材などを参考にされてメニューを考案なさっています。

今月分がこちら。
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「鮭の塩焼き」、「イカとアスパラのバター醤油炒め」、「ワラビの煮物」、「きゃら蕗」、「ミズときゅうりの漬物」、「ニラチャーハン」、「白六穀ご飯」、「紫芋の羊羹」だそうで。

やつかの森さんからのメールによれば、「ミズとキュウリの漬物・・・塩味の浅漬け、ミズの歯触りが心地よいです。きゃら蕗 ・・・ 蕗の香りがする甘辛でご飯が進みます。わらびの煮物・・・わらびは、ふんわり仕上がり、他の具材との相性もよく程よい味でした。」とのこと。ミズは光太郎が殊の外好んだ山菜です。

また、今月は販売日の15日が日曜だったため、普段(10個)より多めに出したそうですが、完売だったのではないでしょうか。

個人的には「ニラチャーハン」にそそられます(笑)。

さて、そういうわけで、これからべしゃくって参ります。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ十和田湖。光と影の明暗が分かれる報道が為されています。「光」の部分は、一昨日お伝えした「第60回記念十和田湖湖水まつり報道」。多くの方で賑わって……というわけで。

「影」の方、ここ数日で、さまざまなメディアが一斉に報じました。一部、ご紹介します。

地元紙『東奥日報』さん。

国立公園・十和田湖の放置遊覧船 青森県が撤去勧告 所有者側への指導26回、対応なく

 十和田湖の宇樽部桟橋(青森県十和田市)に不法係留されている放置遊覧船が横倒しになっている問題で、船を所有する十和田湖遊覧船企業組合(同市、解散)の清算人に対し、県が撤去勧告を出していたことが16日、県への取材で分かった。県がこの清算人に対し、撤去勧告を出したのは初めて。県はこれまで、前段階の撤去指導を26回にわたり行ってきたが、具体的な対応がなかった。
 同桟橋には4隻の遊覧船が不法係留されており、うち1隻が横倒しになっている。勧告は5月30日付で、全4隻を対象に行った。
 県によると、清算人は同組合の関係者で、連絡は取れている。これまで何度も現地に赴き、放置遊覧船の状況は確認しているものの、撤去に向けた動きを見せていないという。
 撤去勧告は強制力がない行政指導。一段階上の撤去命令は強制力が生じる行政処分で、県港湾空港課の担当者は「まずは相手の対応を見極めたい」と話した。
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RAB青森放送さんのローカルニュース。

「使わなくなったものはきれいに…」十和田湖観光への悪影響を“懸念” 不法係留の放置遊覧船に「撤去勧告」も所有者側は対応とらず… 青森県十和田市

十和田湖で不法係留されている4隻の遊覧船です。県が所有者の清算人に5月30日付で撤去勧告を出しました。
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十和田湖宇樽部地区の桟橋に不法係留されている4隻の遊覧船について、県は所有者で2016年に事業を停止した「十和田湖遊覧船企業組合」の清算人に対して、5月30日付で「撤去勧告」を初めて出しました。
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4隻は2015年から不法係留され、県はこれまで26回にわたり「撤去指導」を行ってきました。県は勧告で速やかな撤去を求めていますが、撤去勧告に強制力はありません。
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ことし2月には雪の重みで、4隻のうちの1隻「第3十和田丸」が横転し、今もロープで固定されシートが被せられています。
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十和田湖では、きのうまで夏の観光シーズン幕開けとなる十和田湖湖水まつりが開かれ、多くの観光客が訪れていました。
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観光関係者は景観や環境面でも悪影響を与えかねないとして、早期撤去を求めています。
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★十和田奥入瀬観光機構 安藤巖乙事務局次長
「十和田湖の美しい景観を守るために、放置遊覧船だったりとか休屋地区の廃屋もそうですけど、使わなくなったものはしっかりきれいになっていくといいなと思っています」
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★県港湾空港課 橋本公学課長
「所有者側に対してはこれまで撤去指導を行ってきたところですが、現状対応が取られていないということを踏まえて、一歩踏み込んだ撤去勧告を発出した」
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県によりますと、いまのところ組合から勧告の求めに応じる連絡はないということです。

全国ニュースでも。FNNさん系のテレビニュース。

まるで“船の墓場”…横倒しになった船も放置に地元住民「もう何十年も…みっともない」県が撤去指導26回も解決めど立たず 青森・十和田湖

青森県と秋田県にまたがる十和田湖で“廃船群”が問題となっており、なかには横倒しになったままの船もある。青森県は何度も組合関係者に撤去を求めてきたというが、解決のめどは立っていない。
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横倒しになった船が放置も… 東北地方を代表する観光名所の一角に広がる、まるで船の墓場のような光景。
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船体はさびだらけで、クモの巣も張り放題。さらには横倒しになったままの船もあった。
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地元住民は「10年もこうほっぽり投げられるんじゃ、置かれた方はたまったもんじゃないですよ」と話す。
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廃船群が問題となっているのは、青森県と秋田県にまたがる十和田湖。十和田湖は世界でも珍しい「二重カルデラ湖」で、周辺の木々とともに織り成す自然の造形美は東北きっての観光ポイントとして知られている。
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約10年間、不法係留状態の船 そうした十和田湖の観光に欠かせないのが遊覧船なのだが、青森県側のある桟橋に行ってみると、放置された船があった。船体に書かれた文字が一部読み取れないほどはがれた塗装。船の至る所が汚れとサビにまみれ、長年人の手が入っていない様子がうかがえる。

付近の住民:
もう何十年もこのままですから、みっともないですよ。(観光の)お客さんにも申し訳ないなと思って。
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この桟橋に係留されている5隻のうち4隻が、約10年もの間、不法係留状態。この4隻はかつて地元の企業組合が遊覧船として使用していたが、その組合はすでに解散済みだという。
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地元住民は、「どうにもならない。完全に撤去するしかないでしょ」と話していた。
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青森県はこれまで、組合の関係者に何度も撤去を求めてきた。
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青森県 港湾空港課・橋本公学課長:
これまで26回ほど指導をしております。先方からは前向きな回答をいただけなかったと。
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「朝起きたらひっくり返ってた」
すると2025年、ある異変が起こったという。

FNNのカメラが25年前に撮影していた「第3十和田丸」の塗装作業。この時、船体は光り輝いていた。そして、その「第3十和田丸」の現在はというと、横転してロープでつながれ、シートがかぶせられている。横転直後に撮影された「第3十和田丸」の写真。2025年2月ごろ、大雪の重みに耐えかね、船体が傾いていったのだという。
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付近の住民:
「この船危ないね」って言ってたらもう本当に斜めになってて、朝起きたら本当にひっくり返ってたんですよね。
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景観の悪化どころか、周辺の安全にまで大きな影響を及ぼし始めた十和田湖の廃船群。この事態を受け、県は5月末、これまでの指導よりも一段階踏み込んだ“撤去勧告”を関係者に行ったという。ただ、勧告には強制力はない。
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青森県 港湾空港課・橋本公学課長:
まだ今のところ、先方からの回答はございません。速やかに対応していただきたい、これに尽きるかと。
(「イット!」6月18日放送より)

問題の廃船が放置されているのは、「乙女の像」のたつ休屋地区と、奥入瀬渓流への入口に当たる子(ね)の口地区の中間に位置する宇樽部地区。解散したという組合が運行していた遊覧船は休屋-子の口間を航行する途中で宇樽部の桟橋にも立ち寄っていたと記憶しています。

宇樽部にはキャンプ場があり、また、民家も建ち並んでいます。かつては旅館等もあり、昭和27年(1952)、「乙女の像」設営の下見のため十和田を訪れた光太郎は宇樽部の東湖館という宿に泊まり、智恵子の顔を持つ像を作ろう、と決意しました。その東湖館の建物は平成29年(2017)まで残っていましたが、残念なことに解体。逆に撤去されるべき廃船が繋留されたままだそうで……。
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廃船の剥がれかけた塗装に「乙女の像」の文字が読み取れるのが悲しい感じです。

ずどんとテンションが下がりましたので、上げます。『朝日新聞』さん、6月14日(土)の東北版。

みちのく歌壇 梶原さい子選

湖(うみ)ひかりふたりの智恵子影為合(しあ)ふ「乙女の像」に姿を化(は)けて (仙台市)大橋勝

【評】 十和田湖の「乙女の像」を詠む。古語の使用が、歌にふさわしいたおやかな風情を増している。


読者短歌の投稿欄から。
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像の建立に一役買った佐藤春夫が詠ったごとく「あわれ いみじき 湖畔の乙女 ふたりむかいて 何をか語る」という感じですね。

【折々のことば・光太郎】

あの魴鮄が現存してゐる事を確認したのは愉快でした、製作年代の分つたのもありがたく、これで他の木彫の年代もおよそ類推することが出来ます、


昭和29年(1954)3月10日 宮崎丈二宛書簡より 光太郎72歳

木彫「魴鮄」は大正13年(1924)の作。永らく行方不明でしたが、詩人の宮崎と親しかった材木商・浅野直也がこの年、当時の価格13万円で入手しました。

浅野はやがて中野の貸しアトリエに居住していた光太郎に現物を見せに行き、宮崎は詩「蘭と魴鮄」を書きました。029

   蘭と魴鮄

 花を開き初めた春蘭が
 葉を垂れてゐる鉢の傍へ
 高村光太郎作魴鮄を置いて眺める
 これはいゝ
 思はず自分はさう云ひながらも
 この心に叶つた快さを
 どう説明していゝかは知らない

 魴鮄はその面魂(つらだましひ)を
 それに打ち込んだ作者をさながらに現して
 むき出しにしてゐる
 ぎりぎりの簡潔さ しかも余すところなく
 きつぱりとそのかたちに切られて
 そして今こゝに
 蘭の薫を身に染ませて

「他の木彫の年代もおよそ類推」とありますが、昭和20年(1945)の空襲で記録類が焼けてしまったためもあるでしょうが、光太郎、意外と自作の制作年代をちゃんと記憶していませんでした。

6月15日(日)、智恵子の故郷・福島二本松で開催された「藤木大地カウンターテナー・リサイタル 二本松音楽協会第100回定期演奏会」について、地元紙『福島民報』さんが報じていますのでご紹介します。

同じ『民報』さんで2バージョンの記事。まず県内全域向けと思われる方。ネット上でもこの内容でした。

第100回定演祝う歌声響く 二本松音楽協会 「からくりうた」を初演 福島県二本松市

 二本松音楽協会の第100回定期演奏会は15日、福島県二本松市コンサートホールで開かれ、地域の音楽文化発展に貢献してきた演奏会の節目を祝った。
 カウンターテナーの藤木大地さん、ピアノの佐藤卓史さんが出演。高村光太郎の詩集「智恵子抄」から、佐藤さんが作曲した「からくりうた」を初演した。深く澄んだ歌声で日本情緒豊かに表現し喝采を浴びた。「あどけない話」「レモン哀歌」なども披露し、100回の歴史を祝福した。シューベルトの「白鳥の歌」全14曲も歌い上げ、感動を呼んだ。
 1988(昭和63)年のホール完成を機に有志が協会を結成し、1989(平成元)年から毎年数回、クラシックを中心に手作りのコンサートを開いている。太田英晴会長(大七酒造社長)は「100回の歴史を重ねることができたのは市民の音楽を愛する心のたまもの。これからも長く続けていきたい」と語った。
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おそらく二本松市を含む中通り地区向けと思われるバージョン。こちらの方が「智恵子抄」に詳細に触れています。

二本松音楽協第100回定演 「智恵子抄」の曲初演 情感ある旋律伸びやかに

 二本松音楽協会が15日に二本松市コンサートホールで開いた第100回定期演奏会では、カウンターテナーの藤木大地さん、ピアノの佐藤卓史さんが高村光太郎の詩集「智恵子抄」より「からくりうた」を初演し、節目に花を添えた。
 「二本松」「阿武隈川」などが登場する詩に佐藤さんが情感あふれる旋律を付けた曲。藤木さんが澄んだ歌声で伸びやかに歌い上げた。「あどけない話」とともにアンコールでも披露し、詰めかけた聴衆を喜ばせた。
 藤木さんは「100回の歴史の一部となることができて本当にうれしい。『からくりうた』は民謡調で、日本酒を飲みながら楽しんでもらうのもいい」などと提案した。太田英晴会長は「素晴らしい曲で、間違いなく二本松の宝になる。藤木さん、佐藤さんも二本松での再演を約束してくれた」と喜んでいる。
 市コンサートホールは今後、改修工事に入る。次回の第101回定期演奏会は9月23日に安達文化ホールでピアノの鬼武みゆきさんのコンサート、第102回は来年3月8日に市民交流センターで市内出身のオーボエ奏者鹿又寒太郎さんらによるトリオ・ダンシュのコンサートを開く。


初演された「からくりうた」。作曲され、当日はご自身でピアノを弾かれた佐藤卓史氏のX(旧ツィッター)投稿で、さわりの部分のみ動画がアップされていました。


確かに「民謡調」ですね。

お二方の今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

別件で、やはり福島での楽曲「智恵子抄」がらみの報道。須賀川市で発行されている「あぶくま時報」さんの記事です。

太鼓演奏などで長寿祝う 八幡町町内会「敬老会」

 須賀川市八幡町町内会「敬老会」は15日、町内の75歳以上25人が参加して八幡山集会所で開かれ、子どもたちの太鼓演奏や日本舞踊などアトラクションで親ぼくを深めた。
 全員で物故者に黙とうを捧げ、佐藤富二会長は「みなさんお越しくださりありがとうございます。長年、町内発展のためにいろいろとご協力くださりほんとうにありがとうございます。今日は一日楽しんでゆっくりと過ごしてください」とあいさつした。来賓の大寺正晃市長も祝辞を述べた。
 アトラクションは八幡町子ども育成会の太鼓演奏「神炊館(おたきや)」を元気いっぱい演奏し、懐かしい昔話「ふくろうの染物屋」を方言混じりで披露された。
 藤蔭流三藤会が「智恵子抄」など4曲を披露し、最後に参加者全員で懐かしい「須賀川盆踊り」を楽しんだ。
 須賀川市は今年度も自主的に敬老事業を開く行政区・町内会を支援しており、22日は東町と南上町、29日は下宿町で実施する。
 ほかに敬老祝い商品券・一日温泉入浴券を喜寿・傘寿・卒寿。白寿に、米寿と賀寿には祝い金をそれぞれ贈る。
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おそらく「智恵子抄」は、小野町出身の故・丘灯至夫氏作詞で、故・二代目コロムビア・ローズさんの歌唱になる昭和39年(1964)の「智恵子抄」と思われます。

こちらの「智恵子抄」も末永く愛されて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

小生もまづ健康で、毎日胸像制作にかかつて居り、夜は原稿を書いてゐます、まつたく殆ど余分の時間がありませんが、時々温泉に行きたくなります、うまく仕事のきれ目を見て一寸大沢温泉あたりにゆきたいです、

昭和29年(1954)3月10日 浅沼政規宛書簡より 光太郎72歳

002「胸像」は、倉田雲平胸像。光太郎実弟の豊周が仲介し、2月から制作にかかりました。倉田はツチヤ地下足袋(現・ムーンスターさん)の初代社長。嘉永4年(1851)生まれで、光太郎の父・光雲の一つ年上です。大正6年(1917)に亡くなっていたのですが、ぜひその胸像を、という社からの依頼でした。

しかし、健康状態の悪化により、結局は完成させることができず、まさに「遺作」となってしまいました。

豊周の回想から。

 あの彫刻にかかった時間はほんのわずかで、あとは体がわるくなり、とうとう死ぬまでそのままだったが、途中で二度ほど僕に見せた。兄の没後、未完成のままブロンズにしたものを、九州から副社長と、初代在世中から会社に勤続している大久保彦左衛門のような番頭さんが検分に来たが、やっと骨組みが出来ているだけで、仕上げるとどうなるということは一寸素人にはわかりにくい。僕は何と言うかと思っていた。ところがその番頭さんが先代様にそっくりだと涙を流さんばかりに喜んでいる。
 久留米にブリヂストンの美術館が出来、その記念の展覧会にも出品されて反響を呼んだということだが、未完成の荒いタッチが不思議な迫力を持っている。石井鶴三は鎌倉の美術館でこの胸像を見て、これは未完成じゃない、これで完成している、と言ってくれたりした。

6月14日(土)・15日(日)に開催され、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為された「第60回記念十和田湖湖水まつり」についての報道をご紹介します。ただし、「乙女の像」ライトアップには触れられていませんが……。

RAB青森放送さんのローカルニュース。

【幻想的】湖畔を彩る350個のランタンと打ち上げ花火…夏の観光幕開けを告げる「十和田湖湖水まつり」が開幕! 青森県十和田市

 夏の十和田湖観光の幕開けを告げる十和田湖湖水まつりが開幕し、訪れた人たちが幻想的な景色を楽しみました。
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 今回で60回目となる十和田湖湖水まつりは14日開幕しました。
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 十和田湖畔休屋地区の会場には屋台やキッチンカーが並び、よさこいなどのパフォーマンスで盛り上がりました。
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 午後8時すぎには、願い事を書き込んだバルーンランタンが夜空に放たれました。
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 小雨が降るあいにくの天気となりましたが、およそ350個のランタンが湖畔を彩り幻想的な景色が広がりました。
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★千葉から
「とてもきれいでした 幻想的な景色でした 参加してよかったです」
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最後は200発の花火が打ち上げられ訪れた人たちが楽しみました。まつりは15日まで開かれています。
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鹿角きりたんぽFMさん。

「湖水まつり」人気定着で人出 十和田湖

 秋田と青森にまたがる十和田湖で「湖水まつり」が14日、2日間の日程で始まり、大勢の来場者でにぎわっています。
 湖水まつりは、観光客を呼び込もうと地元の関係者でつくる団体が開いていて、60回めのことしは去年に続き、観光シーズンの平準化などを目的に以前の日程から1か月前倒しされました。
 今や見ものとして定着したバルーンランタンの打ち上げでは、会場にアナウンスされたカウントダウンとともに、バルーンランタンを購入した人たちが一斉に浮かび上がらせました。
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 雨の影響で長い間、楽しむことはできなかったものの、オレンジや青のLEDが光るバルーンランタンおよそ400個が夜空に浮かぶ光景はメルヘンチックで、訪れた人たちがうっとりと眺めたり、写真を撮ったりしていました。010
 フィナーレの打ち上げ花火は、あいにくの天候で、打ち上げ地点の近くではほとんど見えませんでしたが、離れた場所で見ている人たちが夏の雰囲気を味わいました。
 弘前市から訪れていた20代の男性は、「花火があまり見えなくて残念でしたが、ランタンが幻想的だった。いい思い出になったし、来年の楽しみもできた」と話していました。
 湖水まつりは5年前のバルーンランタンの導入以降、人気がさらに高まり、近年は大勢の人出でにぎわっています。
 この日もバルーンランタン400個が早々に完売し、名物の「乙女もち」などを販売する屋台やキッチンカーの前に行列ができるとともに、駐車場待ちの渋滞も長くつながりました。
 主催する祭りの連携会議では、「6月の開催でも大勢に来てもらえて、手ごたえをつかんでいる。十和田湖にいろいろな季節に人を呼び込んでいきたい」としています。

「乙女の像」には触れられていませんが、像にちなんでネーミングされたであろう「乙女もち」に言及されています。きりたんぽと同じ味噌ダレがまぶされていて、2人の女人が向かい合って立つ「乙女の像」をイメージ、2個の餅が串に刺さっています。ただ、お店によっては3個ですが(笑)。
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地方紙で『デーリー東北』さん。

花火やランタン夜空彩る/十和田湖水まつり、15日まで016

 第60回十和田湖湖水まつりが14日、十和田湖畔休屋地区で開幕した。夜は雨が降る中、願い事が書き込まれたバルーンランタンと大輪の花火が打ち上げられ、湖面を彩った。15日まで。
 同まつり連携会議と十和田奥入瀬観光機構が主催。今回も混雑回避や観光時期の平準化を目的に、昨年に引き続いて約1カ月早く開催した。
 日中は郷土芸能などのパフォーマンス披露や、キッチンカーを楽しむ人でにぎわった。午後8時過ぎには、オレンジ色や青色のバルーンランタン約350個が湖岸から一斉に放たれたほか、最後は音楽に合わせて花火200発を打ち上げ。あいにくの雨だったが、夜空を幻想的に染め上げた。 東北町から訪れた会社員中塚巴泰さん(27)は「バルーンランタンがディズニー映画のようで、とてもきれだった」と語った。
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同じく『東奥日報』さん。

湖水まつり開幕/十和田湖畔休屋

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋で14日、「十和田湖湖水まつり」が2日間の日程で始まり、初夏の湖畔が市民や観光客らでにぎわいを見せている。
 初日は歌やダンス、よさこいなどストリートパフォーマンスが行われ、来場者らは肉料理やスイーツなどの屋台やキッチンカーに行列を作っていた。
 夜のイベントはあいにくの天気だったが、家族連れらはひもを使って、願い事を書いたバルーンランタンを飛ばした。
 この日は打ち上げ花火も行われたが、濃い霧と煙でほとんど見えなかった。青森市から家族で来ていた五十嵐敬子さん(68)は「悪天候で残念だったけど、ランタンを一度は飛ばすことができたので願いはかなうと思う」と話した。
 60回目を迎えた今年のまつりは、十和田湖の魅力を世に広めた文人・大町桂月の没後100年を記念して行っている。
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こちらのみ、「乙女の像」で顕彰されている大町桂月没後100年記念に触れられていました。その活動に同紙も関係しているのかもしれません。

というわけで、「十和田湖湖水まつり」、末永く続いてほしいものですし、当方、一度行っただけなので(「冬物語」等では何度もお邪魔しましたが)、再訪しようかという気になりました。来年以降、皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

鋳金代については、県の方へ、貴下のお話通りに二万円程度と話してあります、それも最後的におきめ下さい。又台座、荷造、運賃等は別ですから、その様に御請求を願ひます。出来上りましたら直接貴下から県庁にあててお送り下さい。 小生は青森に行つたら、その時見ます。


昭和29年(1954)2月18日 伊藤忠雄宛書簡より光太郎72歳

伊藤忠雄は「乙女の像」の鋳造を担当した鋳金家。

「乙女の像」本体は前年に除幕されましたが、それとは別に記念として像の小型試作を新たに二体鋳造し、県に贈ることになり、その相談です。この際の小型試作は現在も青森県で所有しています。

たまたまですが、一昨日、Yahooオークションでこれと同型の小型試作が出品されました。平成15年(2003)の新しい鋳造ですが。開始価格18万円。この価格で落とせれば実にお買い得ですが、おそらく競られて上がると思われます。
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智恵子の故郷・二本松系の投稿が続いておりますので、今日も。正確には二本松ではなく福島市ですが、老舗菓子店さんが智恵子の名を冠した新商品を出されました。

ちえこのレモン

レモン果汁、レモンピール、ラムレーズン、蜂蜜を加え、香り爽やかに焼き上げたやさしい風味のスイーツです。

単 価 : 151円
販売元 : お菓子のそよか 本店 福島市西中央4丁目15-4
              パセオ店 
福島市万世町5-1 万世町ビル1F
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レモン風味プラス、外側のクッキー部分のシルエットがレモンの形なのですね。

10個入りの箱詰めもあるようです。そもそもそちらをパッケージデザインされた仙台のデザイン会社「enround」さんのサイトで発売を知りました。
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光太郎智恵子のシルエット、安達太良山?と阿武隈川などが配され、なかなか秀逸なデザインですね。

元々、智恵子生家/智恵子記念館さんに近い道の駅安達智恵子の里さんでは、「智恵子の里だよりレモンサブレ」、「れもんドーナッツ」などが販売されていますが、新たなラインナップは大歓迎です。
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ただ、「レモンサブレ」などは基本的に道の駅安達さんでの限定販売でして(オンラインもありますが)、高速道路のSAなどでは見かけません。

また、4月から先月にかけて智恵子生家/智恵子記念館さんで開催されていた「高村智恵子生誕祭」の中で、紙絵制作のワークショップをやられた道の駅安達智恵子の里さんのテナント・二本松和紙伝承館さんが限定企画でいろいろ販売なさいました。
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「限定」でなく、常に入手出来る状態であってほしいのですが……。

今回のお菓子のそよかさんも、ぜひ手広く販売をお願いしたいところです。

【折々のことば・光太郎】

鉄道便にてリンゴお送り下され、ありがたく落手いたしました、 数年前にお植ゑになつた苗が御丹精の甲斐あつてかくも立派なリンゴを実らせました事を考へ、小生までうれしく存じ上げました、


昭和28年(1953)12月14日 浅沼菊蔵宛書簡より 光太郎71歳

「レモン」ならぬリンゴがらみ。

浅沼は前年まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村山口地区の住民。おそらく、光太郎と交流のあった阿部博の指導でリンゴ栽培を始めたのでしょう。

こちらの検索の網に「智恵子抄」、「ほんとの空」の語でヒットしました。都内で開かれる、智恵子の故郷・福島二本松市主催のイベントです。

二本松市移住出張相談会 一緒に地域おこししませんか?

期 日 : 2025年6月15日(日)
会 場 : 東京交通会館8階ふるさと回帰支援センター 千代田区有楽町2-10-1
時 間 : 10:30~17:00 (1枠45分)
料 金 : 無料

移住に興味をお持ちの方へ、ぜひ二本松市を選択肢の一つに加えてみませんか?

首都圏から新幹線で約2時間程度。「智恵子抄」で詠われた『ほんとの空』が広がる二本松市は城下町として栄え、温泉や里山など田舎暮らしをしたい方の望むものが揃う一方、病院や公園などの遊び場も多く、子育て世帯も住みやすい街です。福島県の中でも、県庁所在地である福島市と、人が多く集まる商業都市である郡山市のちょうど中間地点に位置しており、利便性にも優れています!
 地域おこし協力隊としての活動先をご検討中の方、移住生活に興味はあるけれど具体的にイメージできない方、移住に向けて一歩踏み込んだ話をしたい方など、ぜひこの機会にお気軽にご利用ください。
 あなたのご参加をお待ちしております♪

■ご相談内容の例
 ・地域おこし協力隊活動についてのご相談
 ・二本松市での暮らし、仕事、住まいについてのご相談
 ・具体的な移住支援制度についてのご紹介
 ・子育て支援についてのご案内
 ・移住された方の事例についてのご紹介
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以前にも同様の相談会等の情報が「智恵子抄」、「ほんとの空」の語でヒットしました。コロナ禍中の令和3年(2021)には、やはり二本松市さんがオンラインで相談会を開催。それ以前の令和元年(2019)には実際に二本松市内で「田舎暮らし体験ツアー」。この年には二本松市を含む「福島圏域」としての合同セミナーも今回と同じ東京交通会館さんで開催されました。

また、今回の要項では「地域おこし協力隊」関連も視野に入れていることが窺えます。同隊員の募集も今年始めにこのブログで紹介させていただきました。

さらに、光太郎第二の故郷・岩手県花巻市さんでも「花巻市外から移住した方、移住者と交流したい市民、市へ移住希望の方向け」ということで、「移住者交流会・花巻めぐりバスツアー」などの取り組みを行っています。

東京一極集中の弊害が叫ばれて久しいところですし、コロナ禍を機に広まったリモートワークの充実も追い風と言えるでしょう。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

椛沢さんが指圧療法を修得されて中々うまいやうですが、あなたも椛沢さんにそれを習つてみたらどんなものでせう、田舎でなら繁昌するかもしれないやうに思はれますがどうでせう、


昭和28年(1953)12月7日 宮崎春子宛書簡より 光太郎71歳

宮崎春子は智恵子の姪で、その最期を看取りました。この年に夫の稔を亡くし、光太郎としては幼子二人を抱えた義姪の生活のたづきを心配していました。ただ、稔の父・仁十郎は茨城取手の素封家で、この頃はいまだ健在、春子もすぐに困窮というわけではありませんでした。

智恵子の故郷、福島二本松からコンサート情報です。

藤木大地カウンターテナー・リサイタル 二本松音楽協会第100回定期演奏会

期 日 : 2025年6月15日(日)
会 場 : 二本松市コンサートホール 福島県二本松市亀谷1-5-1
時 間 : 13:00開場 13:30開演 
料 金 : 一般前売 3,700円 一般当日 4,000円 小中高生 1,000円

昨年名古屋にて半分だけ演奏した「白鳥の歌」を、シューベルト愛だだもれる佐藤卓史さんの懐を再びお借りして、福島にて全曲演奏することにしました。またレパートリーが増えちゃうぞ。二本松音楽協会の「1️⃣0️⃣0️⃣回」記念にふさわしい演奏会になるようがんばります! 縁の地にて、智恵子抄もあるよ!

演奏予定曲目 
 中田喜直 マティネ・ポエティクによる四つの歌曲
 「智恵子抄」より 
  佐藤卓史 あどけない話/からくり歌(初演)  加藤昌則 レモン哀歌 

 F・シューベルト 歌曲集「白鳥の歌」

出演 藤木大地(カウンターテナー) 佐藤卓史(ピアノ)

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藤木氏、加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」をレパートリーの一つとされていて、今回も含め、たびたびコンサートでプログラムに入れて下さっています。また、今回もピアノを弾かれる佐藤卓史氏とタッグを組まれ、佐藤氏作曲の「あどけない話」も。把握している限りでは昨夏、名古屋でずばり「藤木大地(カウンターテナー)&佐藤卓史(ピアノ)リサイタル 白鳥の歌/智恵子抄」と、「智恵子抄」をタイトルに冠した公演も行われました。

そして今回初演の「からくりうた」。昭和16年(1941)刊行のオリジナル『智恵子抄』には入っていない詩ですが、まさに二本松の智恵子を謳ったものです。

   からくりうた
     (覗きからくりの絵の極めてをさなきをめづ)
婦人公論
 国はみちのく、二本松のええ
 赤の煉瓦の
 酒倉越えて
 酒の泡からひよつこり生れた
 酒のやうなる
 よいそれ、女が逃げたええ
 逃げたそのさきや吉祥寺
 どうせ火になる吉祥寺
 阿武隈川のええ
 水も此の火は消せなんだとねえ
 酒と水とは、つんつれ
 ほんに敵同志ぢやええ
 酒とねえ、水とはねえ


大正元年(1912)9月の『スバル』第4年第9号に発表された詩です。細棹の三味線をチントンシャンとつま弾きながら唄う小唄の歌詞のような詩ですね。

智恵子の名は入っていませんが、智恵子をイメージして書かれたことは明白です。「吉祥寺」は八百屋お七の巷説が背景にあるようです。

ちなみに掲載誌『スバル』の同じ号には「或る夜のこころ」、「」、「おそれ」も掲載されていて、「からくりうた」を含めて「詩群」の総題がつけられています。おそらくいずれもこの年8月の作で、それぞれ智恵子との恋愛関係をどうするかの逡巡をテーマにしたものです。8月末か9月初めには、銚子犬吠埼に絵を描きに来ていた光太郎を追って智恵子も現れ、ここに二人の恋愛が成就する直前です。

把握している限りでは、「からくりうた」にメロディーがつけられた楽曲は、ギタリストのソンコ・マージュ氏が弾き語りで歌われ、アナログLP「日本の心」(昭和49年=1974 日本コロムビア)に収められたものしか存じません。佐藤氏、あまり取り上げられない詩に曲をつけてくださり、ありがたく存じます。
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というわけで、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

御文書により、(文学部門と伝聞いたしますが)日本芸術院会員候補者に小生を御推せんの趣承りましたが、右は御辞退申上げたく存じますので、よろしく御取りはからい願います、


昭和28年(1953)12月7日 宇野俊郎宛書簡より 光太郎71歳

宇野は日本芸術院事務局長。同院会員推薦辞退に関わります。

BS11(イレブン)さん及び一部地域の地上波で放映中の深夜アニメ「ざつ旅-That's Journey-」。KADOKAWAさんの月刊コミック誌『電撃マオウ』で連載の石坂ケンタ氏による漫画が原作です。新人賞に入賞し、プロの漫画家をめざす女子大生・鈴ヶ森ちかを主人公とし、ちかの一人旅や友人たちとの女子旅などが描かれます。

4月オンエアの第2旅「伊達じゃない! きときとふたり旅」では、宮城県の松島が舞台となり、瑞巌寺さんに納められている光太郎の父・光雲作の聖観音像も登場しました。
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そして来週月曜放映分は、後半が光太郎第二の故郷・花巻です。

ざつ旅-That's Journey- 第10旅「ココロのふるさと」 

BS11 イレブン 2025年6月9日(月) 23:00〜23:30

潮岬で初日の出を拝んだちかは、バスで熊野川沿いの道を行き、初詣のために熊野本宮大社へ。そこで彼女が願ったものとは? 1月末、ちかは暦と岩手県の新花巻駅に来ていた。しかし、どこか暦の元気がないようで……!?

出演 月城日花 鈴代紗弓 平塚紗依 佐藤聡美 日笠陽子 小林ゆう 窪田等
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東北新幹線/釜石線の新花巻駅ですね。
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光太郎に関する展示も為されている宮沢賢治記念館さん。
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市街地へ出て、マルカン大食堂さんで定番の10段巻きソフトクリーム。

そして、光太郎や賢治に愛された大沢温泉さん。当方も再来週、またお世話になります。
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おおむね廻る箇所は原作に忠実になっているようです。
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残念ながら花巻高村光太郎記念館さんには廻らないようですが、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

二十五六日頃でかけるつもりで居りますが、汽車からすぐ大沢温泉にまゐります。今度は山で映画撮影の事などあるので、お目にかかるのは月末か十二月初めと存ぜられますし、宿泊は大沢等の温泉地だけにするつもりで居ります。

昭和28年(1953)11月23日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎71歳

前年まで7年間の蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村へ、約1年ぶりの帰村。ただ、当会の祖・草野心平や、美術映画「高村光太郎」撮影スタッフが一緒で、元の山小屋で寝泊まりはしませんでした。
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それでも村人たちと旧交を温めました。
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昨日お伝えした、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ、青森県十和田湖での「第60回記念十和田湖湖水まつり」とも関わる内容で、現地の地方紙『東奥日報』さんの一面コラム。5月30日(金)の掲載分です。

天地人

 十和田市の古木「法量のイチョウ」の枝が今冬の大雪で折れた。心配していたが、十和田古道フォーラム参加者ら約30人と訪れて見上げ、変わらぬ威容にほっとした。
 近くを通る国道102号はかつてなく、奥入瀬川が法量のイチョウ下の巨岩にぶつかって流れる石門状の地形だったという。参詣者は巨岩脇を登って越え、十和田湖に向かった。斉藤利男弘前学院大特任教授は「ここから先は神域」と説明、鈴木健郎専修大教授は「日本の宗教的に、巨岩は神が降りる場所。非常に重要だったことが分かる」と注目する。
 十和田開発の功労者として、1908年に本県に赴任した官選知事の武田千代三郎、文人・大町桂月、法奥沢村長で県議の小笠原耕一が挙げられる。十和田湖畔の「乙女の像」は3人の顕彰で建てられたという。
 武田は十和田湖と奥入瀬を一体ととらえており、自著で十和田湖を詳細に記述。貴重な財産だと説き、自身の着任前に行政が許した伐採等の影響で一部景観が「名勝變(へん)じて凡境と化した」と嘆き、自然破壊行為を厳に慎むよう苦言を呈した。
 斉藤特任教授はさらに、八甲田も含めた一帯が広大な霊場だったと推測する。一時どん底だった十和田湖観光は、歴史を生かした再起のエネルギーが起きている。悠久の歴史を知るにつれ、われわれにこの得難い財産を後世に残す責務があると身が引き締まる。

「乙女の像」の正式名称は「十和田国立公園功労者顕彰記念碑」。昭和25年(1950)に、時の青森県知事・津島文治(太宰治の実兄)の肝煎りで準備委員会が発足、同27年(1952)に正式に「十和田国立公園功労者顕彰会」となり、建設が具体化していきます。コンセプトは十和田湖周辺の国立公園指定15周年の記念と、その指定に功績のあった「十和田の三恩人」、大町桂月・武田千代三郎・小笠原耕一の顕彰でした。
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明治の文豪・大町桂月は、それまで一般に知られていなかった十和田湖の景観美をさまざまな紀行文で広く世に紹介しました。
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明治44年(1911)、それらを読んだ皇太子時代の大正天皇が十和田湖に興味を持ち、当時の青森県知事・武田千代三郎に、北海道巡啓のついでに十和田湖に行ってみたいのだが現地の様子はどんな感じか? と問うたのですが、武田は十和田湖に足を運んだことがなく、ろくに答えられませんでした。それを恥じた武田は、地元の法奥沢村長兼県会議員の小笠原耕一と共に道路整備、国立公園指定の請願等に腐心しました。

昨日お伝えした通り、「十和田湖湖水まつり」は今年が60回の節目の年で、さらに十和田湖の景観美を広く世に知らしめた大町桂月の没後100年記念も兼ねています。

桂月といえば、与謝野晶子が日露戦争に出征した弟・籌三郎の身を案じた「君死にたまふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判したことでも知られています。
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この当時、光太郎は既に与謝野夫妻の『明星』に依り、新詩社社中の新鋭の一人と目されていました。したがって、桂月にしてみれば憎き晶子の弟分(笑)。その光太郎が時を経て、桂月顕彰の意味合いも含めて「乙女の像」を制作したわけで、そのあたりも念頭に、光太郎自身は次のように語っています。

僕は若い頃大町さんに怒鳴られたりなんかして、よく知つてゐるんだから、貴様こんなものを立てたといつて怒られるだらうといふ事が、頭に出て来て、それでどうも弱つたんです。
(座談「自然の中の芸術」 昭和29年=1954)

ここにはなぜ裸婦像なのか、という問題も含まれています。それについても同じ対談で、

初めは三人の首をといふ事がすぐ頭に出たんですけれども、これは何だか獄門みたいになりますから考へて、止しました。(略)とにかく僕に自由なものをやつていゝと言ふと、大町さんとの関係がなくなつてしまふんですよ。たゞ裸の像では大町さんは寧ろ嫌ひですよ。(略)だからあの時は姑息な事を考へてね、像に木の枝を持たせて、その木を桂の木にしようと思つた。月の桂で桂月を意味するし、そんな馬鹿な事も考へたけれども、段々やつてゐる内に、一切さういふ事を離れちまつて、自分が湖から受ける感じ――桂月さんが湖から受けてあれだけ感動したんだから、自分が湖から受ける感動をそのまま正直に出せば、結局同じなんじゃないか。(略)桂月が草鞋ばきで尻を端折つてあそこを歩いてゐたやうな時の姿をあそこへ置いたら、どんな滑稽か分からない。これはもう恐らくどんなによく拵へてもをかしい。

などと発言しています。

さて、桂月没後100年ということで、十和田や都内でそのあたりの記念行事等も予定されています。その中で、「乙女の像」、さらには像の作られた中野のアトリエの保存などについても、スポットが当たることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

昨夜草野心平さんにあつた処山口での撮影には立合ひたいといふ事でしたが、ブリツヂストンでその費用を果してだすものでせうか、一応貴下から先方の意向をきいてくれませんか、

昭和28年(1953)11月15日 難波田龍起宛書簡より 光太郎71歳

「山口」は前年まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村山口地区。この月25日に帰村し12月5日まで滞在しました。
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「撮影」はブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」のためのもの。前半は中野の貸しアトリエでの「乙女の像」制作風景などを、後半を旧太田村で撮影しました。

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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ、青森県十和田湖からイベント情報です。

第60回記念十和田湖湖水まつり

期 日  : 2025年6月14日(土) 15日(日)
      荒天の場合
       ①6月14日(土)が中止の場合
→6月15日(日)、6月21日(土)開催
       ②6月15日(日)中止→6月14日(土)、6月21日(土)開催
       ③6月14日(土)、6月15日(日)中止→6月21日(土)、6月22日(日)開催
       ④6月14日(土)、6月21日(土)中止→6月15日(日)、6月22日(日)開催
       ⑤6月14日(土)、6月15日(日)、6月21日(土)中止→6月22日(日)のみ開催
       ⑥6月14日(土)、6月15日(日)、6月21日(土)、6月22日(日)中止→湖水まつり中止
会 場  : 十和田湖畔休屋桟橋前 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486 
問合せ  : 十和田湖観光交流センターぷらっと 0176-75-1531

 遡ること1908(明治41)年夏、高知県出身の文人・大町桂月が、十和田湖をはじめて訪れました。その時に桂月が感じた雄大さや自然の美しさを、雑誌に寄稿したことが、十和田湖を景勝地として世に広めるきっかけとなりました。その後、何度も十和田湖を訪れた桂月。病を悟りながらも最期の地に選んだのも十和田でした。1925(大正14)年6月10日、緑萌ゆる蔦温泉で、56歳の若さで亡くなりました。今年は、その没後100年にあたります。
 大町桂月が世に広めた十和田湖の変わらない美しさ。その美しさを、北東北の夏の観光シーズンの幕開けを飾る花火大会として続いてきた湖水まつりをきっかけに、多くの人に知ってほしい。そうした思いで、記念すべき年の第60回湖水まつりを開催します。
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十和田の夏を盛り上げるコンテンツ満載!

バルーンランタン
十和田湖の夜空に、願いを込めたランタンを一斉に浮かべましょう。湖面に映る無数の光が、幻想的な景色をつくり出します。バルーンランタンには、お好きな文字やイラストを描いて、世界に一つだけの灯りを届けることができます。
 6/14(土) バルーンランタン 1個あたり 6,600円
 6/15(日) バルーンランタン 1個あたり 6,200円
 50個限定!早期購入で400円引き!
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メッセージ花火
大切な人へのメッセージを花火と共に贈りませんか?
ご指定のメッセージをアナウンスした後に、花火を打ち上げさせていただきます。
 1玉+メッセージ読み上げ 10,000円
 3玉+メッセージ読み上げ 28,000円
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ナイトクルーズ
十和田湖ナイトクルーズは年に一度、湖水まつり限定! バルーンランタンと打ち上げ花火を湖上鑑賞してみませんか? 十和田のカルデラに包まれながらの特別な時間を約束します。
 時間:20:15〜
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今年は屋台コーナーも登場!
時間 : 11:00〜22:00
 キッチンカーコーナー
  うれしいうれしい一品(みたらし団子、わらび餅)
  ほっとまん企画(おつまみセット、チーズセット、生ハム)
  たご助(煮干したご焼き、トルネードポテト)
  豚専門店 いろとん(豚つくね串、じろう串、ホルモン串)
  ナイトマーケット(大分中津からあげ、フライドポテト)
  OIRASETOWADA おまかせKitchen(バラ焼きうどん、わんぱくナポリタン、パフェ)
 露店コーナー
  湖白家(ポテト、チュロス、肉巻、シャーピン)
  和の店(からあげ、オム焼きそば、あげたこ)
  田村商会こなもんや(オムそば、豚まん、たこ焼)
  かばさわ商店(フライドポテト、かき氷)
  鎌田功誠(フルーツ飴、はしまき)
  Enjoyとわだこ(行者ニンニクぎょうざ、日本酒/新政10種・花邑)
  マルショウ(トルネードポテト、肉巻き棒、サツマイモチップス)
  宮本商店(たこ焼き、バナナチョコ)
  メディアサポートシステム(ジャンボ牛串、マシュマロスティック)
   ※()内は主なメニュー

パフォーマンス団体/個人を募集中!
十和田湖湖水まつりでは、音楽、ダンス、郷土芸能など、様々なジャンルからのパフォーマンスを募集しております。
 ◇会 場:桟橋前広場(十和田湖が背景になります)
 ◇特典:カメラマンによる出演写真をご提供
 ◇申込み〆切(第一次):5月16日(金)
  申込み〆切(第二次):5月30日(金)※応募枠に余裕がある場合のみ実施(先着順)
 ◇発表:主催者による簡易審査の結果次第随時

公式サイトに記述がありませんが、問い合わせたところ、夕方から「乙女の像」ライトアップも為されるそうです。下記は過去の画像ですが。
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今年は湖水まつり自体が60回の節目、さらに十和田湖の景観美を広く世に知らしめた明治の文豪・大町桂月の没後100年だそうで(「乙女の像」は桂月ら「十和田の三恩人」顕彰というコンセプトも含めて作られました)、今回の案内文には桂月についても触れられています。

というわけで、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

十和田湖旅行のかへりに山口にゆくつもりでしたが、青森でいろいろの事をするので相当疲れると思ひ、今度は一旦東京に帰り、少々休んでから、十一月に又あらためて山口に行き大沢あたりで休養したいと思つてゐます、

昭和28年(1953)10月15日 浅沼政規宛書簡より 光太郎71歳

浅沼政規は、前年まで光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの山口小学校長。「十和田湖旅行」は、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式出席のためでした。除幕式に直接関わる書簡が、今のところ発見出来ておりません。
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遺言はオープンに

智恵子のソウルマウンテン・二本松市の安達太良山でのイベントです

第24回オリエンテーリングあだたら高原大会・あだたら高原ロゲイニング大会 走って 歩いて 楽しんで 「ほんとの空」を探そう 

期 日 : 2025年6月8日(日) 雨天決行
会 場 : あだたら高原・岳温泉周辺(福島県二本松市)
実施種目・競技形式
 ①ポイントオリエンテーリング:個人競技 ミドルディスタンス
 ②スコアオリエンテーリング※:グループもしくは個人 制限時間60分
  決められた時間内に自由にコントロールを廻り、より多くの得点を獲得する競技方式
 ③ロゲイニング:制限時間5時間、3時間
  グループを基本としますが、3時間の部はソロ※での参加も可能です。
  ソロは試験実施です。表彰の際、メダルの授与はありません。
 どなたでも参加できます。
 ※ ただし、ロゲイニングについては、以下の条件を満たすチームのみが参加できます。
 ① 中学生以下の参加者がいるチームには、保護者(20歳以上)を必ず含めてください。
 ② 高校生のみのグループで参加する場合は、保護者からの承諾が必要です。

スケジュール
     7:15 ロゲイニング5時間受付
     8:00 ロゲイニング5時間スタート
     8:15 開場
     9:15 ロゲイニング3時間スタート
     9:45~グループクラス初心者説明(※希望者のみ)
   10:00~オリエンテーリング個人スタート
   10:15 オリエンテーリンググループスタート
   13:00 表彰式、閉会式
   13:30 フィニッシュ閉鎖(予定)
   14:30 閉場
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実は申込期限を過ぎてしまっていましたが、オリエンテーリングのみ当日も仕込みも可能だとのこと。ロゲイニングの方もキャンセル等あるかも知れませんし、記録のためにもご紹介しておきます。

オリエンテーリングとロゲイニングの違いは、オリエンテーリングが全てのチェックポイントを回った「時間」で競う競技であることに対し、ロゲイニングは制限時間は固定して時間内でチェックポイントを回って稼いだ「点数」で競うのが大きな違いだそうです。

「智恵子抄」所収の光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を冠して下さっています。参加する皆さんには光太郎智恵子に思いを馳せつつ、「ほんとの空」の元、現地の自然を堪能していただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

帰つて来た時角筈のアトリエで見たのはデスペヤだつたやうです、「労働者」がその時出来かかつてゐたかどうか記憶がありません。「北条虎吉」はもつと後だつたと思ひます。「柳さん」のはもつと後だつたでせう。

昭和28年(1928)10月10日 笹村草家人宛書簡より 光太郎71歳

光太郎の親友だった碌山荻原守衛に関わります。「帰つて来た時」は、光太郎が欧米留学から帰朝した明治42年(1909)、「角筈のアトリエ」は先に帰っていた守衛が構えていたアトリエです。

この頃、笹村を顧問格に迎え、守衛の地元の信州穂高で「荻原碌山研究委員会」が立ち上げられ、守衛の顕彰活動が本格化しました。やがてそれが昭和33年(1958)の碌山美術館さん開館につながってゆきます。
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光太郎第二の故郷・岩手花巻で、主に「食」を通して光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、記録を基に光太郎が実際に自作して食したメニューや、使った食材などを現代風にアレンジしたメニューを饗する「こうたろうカフェ」。花巻市東和町のワンデイシェフの大食堂さんで月に一回、開催されています。こちらは日替わりで様々な個人や団体にキッチンを貸し出し、ランチを販売というスタイルのレストランです。

5月分が一昨日でした。
5月ワンデイ
5月ワンデイシェフ
鶏ももスティック天、人参シリシリ、イブりガッコクリームチーズオリーブオイルかけ。
鶏ももスティック天・人参シリシリ・イブりガッコクリームチーズオリーブオイルかけ
葉わさび奴、蕨のお浸し、サクの煮物、新玉ねぎシーフードサラダ。
葉わさび奴・蕨のお浸し・サクの煮物・新玉ねぎシーフードサラダ
筍ご飯、トマトと卵のジンジャースープ。
筍ご飯・トマトと卵のジンジャースープ
食べられる花ナスタチウムとレタス。
食べられる花ナスタチウム・レタス
別腹で(笑)ヨモギ餅粒あんのせ、コーヒー。
ヨモギ餅粒あんのせ
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いつも書いていますが、首都圏ではあり得ない1,000円というお手頃価格です。季節的に山菜系を素材としたメニューが多く、実にヘルシーな感じですね。山菜の採取もやつかの森さんがご自分たちで行ったそうです。

次回は6月27日(金)だそうで、今年度はほぼ毎月末に取り組まれるようです。光太郎も自分で採取し、好んで食材に使った山菜「ミズ」をつかわれるとのこと。

末永く続いてほしい取り組みです。

【折々のことば・光太郎】

鋳金像はやつと工場で出来上り、あと十日間位で十和田休屋といふ所の湖畔にたち、廿一日に除幕式、小生も十九日には出かけて列席、


昭和28年(1953)10月8日 西山勇太郎宛書簡より 光太郎71歳

「鋳金像」は生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。鋳金家・伊藤忠雄の都内の工房でブロンズに鋳造され、十和田湖に運ばれました。
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