カテゴリ: 東北

花巻高村光太郎記念館さんでの企画展情報です。

高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで

期 日 : 2025年12月13日(土)~2026年3月31日(火)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 12月28日(日)~1月3日(土)
料 金 : 一般 350(300)円 高校生・学生250(200)円 小中学生150(100)円
      ( )内は20名以上団体料金 高村山荘は別途料金 

 高村光太郎は、当時、無名だった宮沢賢治の作品に出会い、宮沢賢治を広く後世に知らしめるための大きな役割を果たしましたが、37歳で早逝した宮沢賢治の今日に至る評価に高村光太郎が関与したことは一般的には知られていません。
 賢治没後の昭和9年(1934)、光太郎も出席した新宿モナミで開かれた賢治追悼の会では、実弟の清六がトランクに入った賢治の遺稿を披露しました。その中の手帳には「雨ニモマケズ」の詩もあり、光太郎をはじめとする著名人たちが感銘を受け、全集刊行へと動き出します。
 当企画展では、光太郎が携わった4つの「宮沢賢治全集」に注目し、編集や装幀作業に係わるエピソードや宮沢賢治評について紹介します。また、賢治没後、清六と共に藤原嘉藤治が、文圃堂版と十字屋版の全集に編纂者の一員として携わっていたことにも焦点をあてています。

関連行事 トークイベント 光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―
 2026年2月21日(土) 10:00~11:30
 なはんプラザ コムズホール 岩手県花巻市大通一丁目2番21号
 講師 
  宮沢和樹 株式会社林風舎代表取締役
  瀬川正子 株式会社共同園芸取締役 第35回(2025年)イーハトーブ賞受賞
  小山弘明 高村光太郎連翹忌運営委員会代表

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光太郎が携わった4つの「宮沢賢治全集」」は、以下の通りです。

・文圃堂書店版『宮沢賢治全集』 全三巻 昭和9年(1934)~同10年(1935)
・十字屋書店版『宮沢賢治全集』 全六巻+別巻一 昭和14年(1939)~同19年(1944)
・日本読書購買利用組合『宮沢賢治文庫』 既刊六冊 昭和21年(1946)~同24年(1949)
・筑摩書房版『宮沢賢治全集』 全十一巻 昭和30年(1955)~同32年(1957)

このうち、『宮沢賢治文庫』は「全集」と冠されていませんが、先行する十字屋書店版に収録されていなかった作品も網羅するつもりで刊行が始まったものです。ただ、当初予定は全十一冊でしたが、第五冊及び第八冊以降が未刊のまま中絶してしまいました。

これら四種類の現物や、成立過程、周辺人物などについての解説パネルで構成されます。

解説パネルを執筆させていただきましたが、書き始めたら「あれも書きたい、これにも触れたい」で止まらなくなり(笑)、50枚程になってしまって、とても全てを出せませんので「ここから適当にセレクトして下さい」とお願いしました。パネルにならなかった稿も含め、図版を入れた冊子が作られ、販売される予定です。よろしければお買い求め下さい。
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詳細はまた改めて紹介いたしますが、来春2月21日(土)に花巻駅前のなはんプラザさんで関連行事としてのトークイベントが行われ、登壇いたします。こちらもぜひどうぞ。

ところで、企画展自体の詳細情報が、まだ花巻市さんのサイトに上がっていません。今月1日発行の『広報はなまき』には、トークイベントと共に小さく紹介されていますが。
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この手の企画展示の情報などは遅くとも1ヶ月前位には出していただきたいのですが、いつもギリギリ、下手すると始まってから出されます。もうそういうもの、という感じになってしまっているようで……。

同時開催で、4月に始まった特別展「中原綾子への手紙」も2月28日(土)まで開催しています。併せてご覧下さい。

【折々のことば・智恵子】

芸術――文学の使命は、それら一切のコンヴエンシヨンを如何に離れて、輝く天然の光りのうちにその全きを理法と愛とに生きむがため、一切を鋳なほし、息づまつた熱鬧に涼風をおくる、天に向つてあげる烽火ではあるまいか。

散文「現代日本の文学に対するアマチユアの注文と感想」より
大正12年(1923) 智恵子38歳

この文章は文学全般をイメージしてのものですが、光太郎同様、智恵子も賢治作品を愛していました。「輝く天然の光りのうちにその全きを理法と愛とに生きむがため、一切を鋳なほし、息づまつた熱鬧に涼風をおくる、天に向つてあげる烽火」、まさに賢治作品を彷彿とさせられます。

当会の祖・草野心平の回想「光太郎と賢治」(昭和31年=1956)から。 

 ある晩高村さんのアトリエで、その時は智恵子さんも傍にゐられた。なんかのきつかけから賢治の話が出て、高村さんは『春と修羅』を持ち出してきた。私はそれを受けとつて「小岩井農場」の一部をよんだ。ユーモラスなところにくると読みながら笑つた。すると今度は高村さんがそれを受けとつて、小さな声で読みながら、時々クツクツと含み声で、いかにも楽しさうに笑つた。

光太郎第二の故郷、花巻市内のワンデイシェフの大食堂さんで、月に一度出店されている「こうたろうカフェ」。主に食を通じて光太郎顕彰を進められているやつかの森LLCさんによるものです。12月3日(水)が今年最後の出店だったとのことでした。1764766631726

今月は以下のメニュー。

・鶏肉のハニーマスタード焼き
・ひじきの煮物
・糸コンの胡桃和え
・大学いも
・季節のサラダ
・漬け物
・舞茸ご飯
・彩り野菜のコンソメスープ
・栗ぜんざい
・抹茶入り玄米茶

現地では初雪も降り、しかもかなり積もったそうで、冬本番。メニュー的にも冬らしい感じが出ています。
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やつかの森さんからのメールの一節。

季節のサラダはクリスマスツリーをイメージしました。光太郎の手作りのお汁粉を栗ぜんざいとして搗き立てのお餅を入れました。さつまいも、カボチヤ、蕪、大根など野菜たっぷりです。舞茸たっぷりのご飯も好評でした。

栗ぜんざいに西瓜の皮の味噌漬けを添えました。シャキシャキして軽めの塩加減で激ウマです。


基本、光太郎が自炊した献立や使った食材などを参考にメニューを組み立てられています。なかなか考えるのも大変だと存じますが、アレンジの仕方は現代風なので、そうそうネタ切れになることもないのでしょう。間を置けば同じ品目があってもいいわけですし。

来年も御馳走が饗され続けることを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

巣籠つた二つの魂の祭壇。こゝろの道場。並んだ水晶の壺の如く、よきにせよ不可なるにせよ、掩ふものなく赤裸で見透しのそこに塵埃(ちりほこり)をとゞむるをゆるさない。それ故、清らかなるものに膏(あぶら)を沃(そゝ)ぎ、深められ掘り下げらるべき、内の世界――自らの性情と仕事に対し――血をもつてむかふ。それ故こゝに根ざす歓喜と苦難とは、更に新しく恒(つね)に無尽に、私達の愛と生命(せいめい)とを培ふ。


散文「病間雑記」より 大正12年(1923) 智恵子38歳

理想とすべき生活の在り方への言及です。文体はともかく、内容的には光太郎の追い求めていたそれとの驚く程の一致が見られます。そんなに肩肘張らず気楽に行こうよ、みたいな。

智恵子もこうした考えに至る過程を、光太郎によって強制されたある種のマインドコントロールとする見方もあれば、智恵子自身、そうした生きたかを求めていたとも考えられますし、何とも言えません。












智恵子の故郷・福島県二本松市の大山忠作美術館さん。同市出身の文化勲章受章画家にして、繰り返し上演された朗読劇「智恵子抄」で智恵子役を演じられた女優・一色采子さんのお父さまである大山忠作画伯の作品を収蔵・公開なさっています。

照明設備の改修工事が入るとのことで、今月から来年2月いっぱいまで休館だそうです。そのため、12月10日(水)~1月12日(月)でにほんまつ城報館さん、そして12月18日(木)~2月11日(水・祝)に智恵子記念館さんへ「移動美術館」という形で出開帳が行われます。一部、日程がかぶっていますので、作品を分散しての実施のようです。
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鯉の作品をはじめ、縁起物や高村智恵子に関する作品等の展示」とあり、おそらく智恵子モチーフの作品は智恵子記念館さんに出るのでは、と思われますが、それも複数あるのでにほんまつ城報館さんと分散されるかもしれません。

サムネイルに使われているのは、同館の目玉の一つ、「智恵子に扮する有馬稲子像」(左下)のためのスケッチ。昭和51年(1976)、「松竹女優名作シリーズ有馬稲子公演」中の北條秀司作の「智恵子抄」(一色さんの朗読劇もこちらが元です)で智恵子役だった有馬稲子さんを描いたものです。
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右上がスケッチですが、当方手元にはモノクロ画像しかありません。現物を一度、同館で拝見しましたところ、茶色のコンテで描かれているようでした。

ちなみに完成作(左上)に書かれている有馬さんのサインは、平成25年(2013)に同館で行われた有馬さんと一色さんのトークイベントの際に書いていただいたものです。

確認できている限りスケッチはもう1枚残っており(左下)、そちらは完成作と同じ衣裳のもの。今回、そちらの展示もあるかもしれません。
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他にも先述の通り画伯には智恵子モチーフの作品が複数ありますので、いっそそれらを全て出してほしいものです。右上は同館でクリアファイルやポストカードとして販売している「霧」(平成7年=1995)。他にもありますし、さらに画伯は光太郎詩の一節を書かれた書も残されています。ただ、智恵子記念館さんは手狭、画伯の完成作は100号超の大作が多く、なかなか難しいかも知れませんが。

さて、移動美術館の情報は『広報にほんまつ』今月号から拾いましたが、そちらには他の智恵子関連情報も載っていたので併せてご紹介します。

まず同市の合併20周年記念ページ。令和になってからの市のできごとをふりかえる中で、昨日もご紹介した橋本堅太郎氏作の智恵子像「今 ここから」除幕(令和3年=2021)と、今年も行われた智恵子生家ライトアップの初回(令和5年=2023)のスナップ。
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名誉市民の大山画伯と橋本氏の紹介。
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第30回智恵子のふるさと小学生紙絵コンクール」入賞者決定、表彰式実施という件。
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合併20周年という二本松市さん、今後とも「智恵子の故郷」を一つのハイライトとして行っていただけるとありがたいところです。

【折々のことば・智恵子】

苟且(かりそめ)にも恋愛によるならば、一切を投げ出して純真に自然に徹し、自然に傾倒し、そこに殉教的な信仰を持する事によつて、清らかな一途の道が開かれると思ひます。


アンケート「哀憐な美しさを見ます――「心中」の新らしい見方――」より
大正11年(1922) 智恵子37歳

雑誌『女性日本人』第3巻第9号の特集「心中=芝居=大東京」中のアンケート回答から。近松門左衛門の「曽根崎心中」や、その当時も少なくなかった心中事件についてのものです。智恵子の回答は全体に「心中」に対して否定的な見方です。

「自然に傾倒し、そこに殉教的な信仰を持する事」「清らかな一途の道」、ここに光太郎と共に送ろうと考えていた自身の理想的な生活の在り方が表されているように感じます。ただ、生涯の道と定めた絵画は進展せず、子宮後屈症の手術、結核性の肋膜炎、インフルエンザ、盲腸炎などで、健康状態はすぐれない日々が続き、相次ぐ家族の病死もあって、陰鬱な影の立ちこめていた日々でした。

智恵子の故郷・福島県の地方紙『福島民友』さん記事。

きらめく安達駅、東西口をライトアップ 二本松、2月1日まで

 二本松市のあだち観光協会は1日、安達駅イルミネーション点灯式を行った。2年目の今冬は、新たに智恵子像、折り鶴オブジェの足元を彩るなど発光ダイオード(LED)を2千個増やし、東西口合わせて約8千個が輝きを放っている。点灯は午後4時半~同10時。来年2月1日まで。
 駅利用者ににぎわいとぬくもりを届けようと行っている。東口には阿武隈川の流れをイメージした青色のイルミネーションを新設した。
 加藤和信会長は「多くの人に楽しんでもらえるよう点灯を昨年より1時間延長した。にぎわい創出へ努めていく」とあいさつした。
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JR東北本線安達駅は、二本松市に合併された旧安達町にあり、智恵子生家/智恵子記念館さん最寄り駅です。ただ、徒歩では20分以上かかりますが。

平成28年(2016)に新駅舎が完成、令和3年(2021)には光太郎の父・光雲の孫弟子に当たる彫刻家、故・橋本堅太郎氏の最後の作品「今 ここから」が設置されました。これが記事にある「智恵子像」です。

その「今 ここから」もイルミネーションで飾られ、とのこと。上記記事にその画像がありませんでしたが、あだち観光協会さんのX(旧ツィッター)投稿にありましたので、お借りします。
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実にエモーショナルですね。
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右上が『民友』さん記事にある「阿武隈川の流れをイメージした青色のイルミネーション」でしょう。
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ちなみに折り鶴のモニュメントは駅の改修前からあったもので、こちらも智恵子がらみと言えばそうなのでしょう。智恵子は南品川ゼームス坂病院で紙絵を作り始める前段階として、まずは折り鶴から始めましたので。

日が暮れてからでないと仕方がないので、なかなか見に行けないところですが、お近くの方などはぜひどうぞ。

明日も二本松・智恵子系のネタで。イベント目白押し・怒濤の11月も終わり、ネタが減って参りましたので小出しにします(笑)。

【折々のことば・智恵子】

 豊かな自然の嘆美、幸福は芸術から私(わたくし)へくる。その愛と光りは、苦しく寂しい、透徹した情熱です。
 恋愛は咲き満ちた花の、殆ど動乱に近いさかんな美を、私の生命に開展(かいてん)した。生命と生命に湧き溢れる浄清(じやうせい)な力と心酔の経験、盛夏のやうなこの幸福。凡ては天然の恩寵です。あゝ恋愛と芸術と、私にはこれを同時にお答へする外しかたがありません。


アンケート「私の最も幸福と感じた時」全文 大正6年(1917) 智恵子32歳

光太郎と結婚披露を行って約2年後のアンケート回答です。この時期にはまだ自分の将来に無限の可能性が拡がっているという感覚だったのでしょう。やがて一生の仕事と定めた絵画の道が頓挫していくのですが……。

11月30日(日)、港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」に出演させていただきました。
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いろいろといただきものがあってウハウハしていたところ、翌日になってやはり十和田湖関連で、しかし逆にいただきたくないものをいただいてしまいました。

青森の彫刻家・田村進氏の奥様からの喪中葉書。
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田村氏、4月30日(水)に亡くなられていたそうですが、存じませんで驚きました。過日お伝えした仙台の佐久間晟氏と同様でした。昭和8年(1933)のお生まれで、満92歳ということでした。

田村氏、中泊町にある太宰治(本名・津島修治)の銅像を作られたことで有名です。
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小説『津軽』(昭和19年=1944)中の、かつて津島家で働いていた女中さん・越野タケとの再会のシーンだそうで、太宰ファンの方なら「ああ、これか」でしょう。

やはり佐久間氏と同じく、田村氏も生前の光太郎をご存じでした。昭和28年(1953)10月23日、前々日に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式に出席した光太郎は、青森市の野脇中学校で催された文芸講演会で登壇、「乙女の像」などについて講演を行いました。また、光太郎と共に、像の制作に関わった当会の祖・草野心平や建築家の谷口吉郎、青森県と光太郎を仲介した佐藤春夫らも。若き日の田村氏は除幕式にも参列されて、さらにこの講演会もお聴きになり、終演後には光太郎とお話もなさったそうで。

「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」の際には、十和田湖畔の「観光交流センターぷらっと」さんについても語らせていただきました。大町桂月や「乙女の像」にかかわる展示が為されているよ、ということで。その「ぷらっと」さんに、田村氏ご制作の光太郎胸像も展示されています。
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題して「冷暖自知光太郎山居」。光太郎が、昭和20年(1945)10月から同27年(1952)10月までの7年間、戦時中の戦争協力を恥じ、岩手県花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で蟄居生活を送っていた当時の肖像彫刻で、直接のモチーフは、昭和24年(1949)10月、太田村の光太郎のもとを訪れた写真家の濱谷浩が撮影した写真です。
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「冷暖自知」とは「仏法の悟りは、人から教えてもらうものでなく、氷を飲んでおのずからその冷暖を知るように、体験して親しく知ることのできるものである。」(岩波書店『広辞苑』)の意。『智恵子抄』にも収められた大正元年(1912)作の光太郎詩「或る宵」中、「彼らは自分等のこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた/曾て裸体のままでゐた冷暖自知の心を―― 」という一節に使われています。

題字揮毫は、晩年の光太郎と親しく交わり、その没後は筑摩書房『高村光太郎全集』の編集に当たるなどした、光太郎顕彰第一人者にして当会顧問であらせられた故・北川太一先生です。
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レリーフでの習作を経て、平成25年(2015)に完成、平成29年(2017)には十和田市に寄贈、翌年に「ぷらっと」さんでの展示が始まり、その年の秋には寄贈のセレモニーが開催されました。かつて当会主催の連翹忌の集いにもご参加下さっていた田村氏でしたが、この時にお会いしたのが最後となってしまいました。

青森市内にある氏のアトリエ(「彫夢」と書いて「ほるむ」だそうで)が公開されているという情報を、青森山田高校さんのサイトで少し前に知りました。それを読んで「田村さん、まだお元気なんだな」と思っておりましたが、逆でした。同サイトには亡くなったことが書かれていませんでしたが、亡くなったがためにアトリエを公開ということだったようです。

アトリエには光太郎胸像「冷暖自知」の石膏原型も保管されています。
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最上部に掲げた喪中葉書によれば「冬期間閉鎖」だそうですが、いずれまた青森方面に行く際にはご焼香がてら足を運んでみようと思っております。

遅ればせながら、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・智恵子】

「女である故に」といふことは、私の魂には係りがありません。女なることを思ふよりは、生活の原動はもつと根源にあつて、女といふことを私は常に忘れてゐます。

アンケート「女なる事を感謝する点」より 大正5年(1916) 智恵子31歳

完璧とは言えませんが、光太郎には「男尊女卑」という考えはほぼ無かったようで、かなりの部分で光太郎も家事労働を分担していました。そうした意味では智恵子は同時代の女性たちと較べると恵まれていた部分がありました。

しかし、それだけに女性の置かれている立場に対する眼が開かれてしまったところもあったかもしれません。婚家や夫にこき使われている女性たちの中には、それを「理不尽」と感じることすら出来ていなかった女性も多かったように思われます。

一昨日、都内港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」関連です。
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青森県の地方紙二紙が報道して下さいました。

『東奥日報』さん。

十和田湖の価値、未来へ 国立公園化に尽力・大町桂月没後100年 東京でフォーラム

 十和田湖や奥入瀬渓流を愛し、その名を全国に広めた高知県出身の文人・大町桂月(1869〜1925年)が蔦温泉で没して100年。今や青森県を代表する観光地となった十和田湖の未来を語るフォーラムが30日、東京都港区の赤坂区民センターで開かれた。パネリストらは大町の功績を振り返りつつ、自然、歴史、文化、観光などの視点からその価値をいかに継承していくか意見を出し合った。
 大町は、請願文を起草するなど十和田湖周辺の国立公園化に尽力した。「大町桂月を語る会」の谷川妙子事務局長は「美文で固められた請願文は大きな反響があった。筆の力で候補地に押し上げた」と説明した。
 大町らの功績をたたえる顕彰碑は詩人・彫刻家の高村光太郎(1883〜1956年)が制作、今は「乙女の像」として知られる。「高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会」の小山弘明代表は碑の制作経緯などを解説した。
 フォーラムには大町のひ孫に当たる大町芳通さん(69)も出席し、「桂月の愛した十和田の素晴らしい自然が活用され、地元がもっと発展するよう祈っています」と謝辞を述べた。
 東京青森県人会が主催、約70人が参加した。運営に当たった七戸町出身の山田安秀さんは「大町ら偉人たちが築いた土台を再認識することで、新しい未来をつくるための自信につなげたい」と話した。
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『デーリー東北』さん。

十和田湖の価値、再発見 ゆかりの文化人、足跡たどる 東京都内で県人会フォーラム

 東京青森県人会は30日、十和田湖について考えるフォーラムを東京都内で開いた。参加者約70人が、十和田湖に縁が深い文人の大町桂月や彫刻家の高村光太郎の歩みなどに理解を深め、多角的な視点から青森を代表する景勝地の歴史的価値を再発見した。
 第1部は、十和田奥入瀬観光機構元事務局長の山本隆一さんらが講演。第2部では、有識者が十和田湖の魅力を全国に広めた桂月や「乙女の像」を制作した高村の足跡、日本と米国の国立公園の違いなどについて解説した。
 「大町桂月を語る会」事務局長の谷川妙子さんは、桂月が起草した十和田湖を中心とする国立公園設置に関する請願文が、名文として大きな反響を呼んだエピソードに触れ「十和田を愛した桂月は、筆の力で国立公園の候補地に押し上げた」と紹介した。
 高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会」代表の小山弘明さんは、乙女の像の制作秘話を披露。作家の佐藤春夫が、当時の津島文治知事に高村を紹介した逸話などを明かした。参加者は、各登壇者の話に興味深そうに耳を傾け、十和田湖の歴史について思いをはせていた。
 ゼネラルプロデューサーとしてイベントを統括した山田安秀さん(七戸町出身)は取材に「大町桂月や高村光太郎といった非常に大きな存在が十和田湖に関わっていたことを若い世代に知ってもらい、未来につないでもらえれば将来は明るくなるのではないか」と話した。

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続いて、いただいてきた品々をご紹介します。

まずは聴衆の皆さんにも配られた配付資料で、トークイベントの際に登壇された谷川妙子氏率いる「大町桂月を語る会」さん作製の2種。

A4判両面印刷二つ折りの桂月紹介リーフレット。
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随所で光太郎や「乙女の像」にも触れて下さっています。

A2判両面印刷の「「奥羽一周記」現代訳マップ」。
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桂月が最初に雑誌『太陽』で十和田湖を紹介した明治41年(1908)の旅の記録です。

広げると、こんな感じ。
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これらは今回のイベントのために作られたのではなく、さまざまなところで活用されているのでしょう。

「乙女の像」制作の際、光太郎の助手を務めてくれた野辺地町出身の彫刻家・小坂圭二子息の竜氏からは、図録を2冊戴いてしまいました。

まず、お父さまのカタログ・レゾンネ(作品集)。昭和59年(1984)、日動画廊さんでの個展開催にあわせての発行でした。
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他の作家の作品とともに画像が収められている図録は手元にありましたが、まとめて拝見したのは初めてで、実に興味深いものでした。やはり光太郎のDNAを感じますし、キリスト教の洗礼を受けての作品などには、同じく光太郎の世界観を受け継いだ舟越保武にも通じるような。

竜氏、お父さまは小坂圭二ですが、母方のお祖父様は、画家の夏目利政(明26=1893~昭43=1968)ということで、平成9年(1997)に青梅市立美術館さんで開催された「夏目利政展」の図録も。
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夏目の画業は日本画からのスタートでしたが、のちに油彩画に転じています。小坂圭二同様、作品群画像をまとめて見たのは初めてで、これも驚嘆すべきものでした。

そして夏目利政と言えば、光太郎を知る前の智恵子が、利政の父・音作(象牙彫刻師だったとのこと)の家に下宿をしていたことでも知られています。明治40年(1907)に日本女子大学校を卒業した智恵子は、卒業生用の楓寮に入寮していましたが、同42年(1909)、楓寮が閉鎖となりました。おそらくその直後は寮近くの女子大学校の先輩だった永野初枝宅に一時的に厄介になったようですが、同じく女子大学校の同級生だった幡ナツ(旧姓・小松)が夫の英二と共に住んでいた本郷区動坂町(現・文京区本駒込)の夏目宅を紹介してくれたとのこと。同44年(1911)春まで、智恵子はここに住んでいたようです。

下は夏目家で撮られたショット。
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残念ながら写っていませんが、この時、数え16歳で既に日本画を描いていた利政もその家に暮らしていました。利政は智恵子が描く油彩画に興味を示し、智恵子もいろいろアドバイスをしたそうです。

下って昭和20年(1945)、利政は岩手県胆沢郡真城村(現・水沢市)に疎開。その後、光太郎も花巻の宮沢賢治実家に疎開。その宮沢家も終戦5日前の花巻空襲で全焼し、旧制花巻中学校の元校長・佐藤昌宅に転がり込んでいた光太郎の元に、利政がやってきます。どういう伝手(つて)だか、利政を案内したのは賢治実弟の清六でした。

昭和20年(1945)9月1日の光太郎日記の一節。

訪問客、清六さんが夏目利政氏佐々木さんといふケイオウ生徒をつれてくる、夏目氏は智恵子が止宿し居れる頃の事を話しくれる。その為水沢より来訪し来れるなり。

その後も9月25日には宮沢家で利政と会っています。

さらに下って昭和25年(1950)11月、当時の水沢町公民館で「智恵子切抜絵展」が1日だけ開催されましたが、その際に尽力したのが、智恵子紙絵の3分の1ほどを預かっていた花巻病院長・佐藤隆房と利政でした。パンフレット(ガリ版)を利政が制作、さらに記憶にある智恵子と、おそらくこんな感じだったろうという南品川ゼームス坂病院での紙絵制作中の智恵子を描いたカットを載せ、12ページにわたり智恵子についての思い出等を執筆しています。
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このパンフレットについては小坂竜氏、ご存じなかったそうで、これからコピーのコピーを取ってお送りする予定です。

続いて、上記『デーリー東北』さん記事にもお名前が挙げられている山本隆一氏からいただいたのがこちら。

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十和田市の相馬菓子舗さんで販売されている「十和田アップルケーキ」。リンゴの果肉を練り込んだずしりと重いパウンドケーキです。スポンジのしっとり感と当方大好物のリンゴのシャキシャキした歯触りのバランスが絶妙でした。箱に「乙女の像」をあしらっていただき、ありがたい限りです。ロゴの昭和感もたまりません(笑)。

そんなこんなで、いろいろといただけてそれもありがたいうえに、また各方面に人脈を拡げることもでき、実に有意義でした。

関係の皆様の今後のますますのご活躍と、十和田湖の発展を切に祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

さまざまな時代に、まことの芸術家達が、それぞれ自身の生命を掘り下げて行つた。その作品は、いきていまも、私達の前に息づく、それ等のものは、魂をめざめさせる、恰も自然が私達をめぐむ恵のやうに、清らかに力強く、押迫つて透徹する、私はそれ等の彫刻を愛し、それ等の絵画を思慕してやまない。心の底からその作者を尊敬し、又は崇拝してゐる。


散文「女流作家の美術観」より 大正5年(1916) 智恵子31歳

素晴らしい作品を残した先人へのリスペクトは大切なことですね。

こう語っていた智恵子自身、「紙絵」で、後代の人々から「思慕」や「尊敬」、「いきていまも、私達の前に息づく」という感覚を得る事が出来ています。しかし、その「紙絵」が心を病んでからのものだったことは残念と言えば残念です。

昨日は港区で開催された東京青森県人会さん主催の「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」に出演しておりました。

明治期に十和田湖の景勝美を広く世に紹介し、国立公園指定の礎を築いた大町桂月没後100年を記念してのもので、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が、元々は国立公園指定15周年、桂月ら「十和田の三恩人」を顕彰するモニュメントであることから、当方にも「乙女の像」についてしゃべれという依頼があった次第です。
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会場は赤坂見附の赤坂区民センターさん。
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当方も出演させていただいたトークイベントは3階ホールで14:15からでしたが、その前に13:00から4階会議室で展示品の公開が行われました。

桂月の書幅。
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十和田湖を紹介した桂月の紀行文「奥羽一周記」が載った『太陽』(明治41年=1908)。

桂月没後に、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が桂月をモチーフに詠んだ歌の幅。
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桂月は晶子の「君死に給ふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判しましたが、論争が終われば遺恨はさらりと流し、晶子は桂月を偲ぶ歌を詠んだりもしたわけです。

この幅は大阪堺の与謝野晶子記念館さんからお借りしたものだそうですが、こちらが展示されるという情報は事前に得ていませんでしたので驚きました。ちなみに会場に入って数㍍先に下がっているこれを見た瞬間にキャプションを見ずとも「あ、晶子だ!」とわかりまして、自分を褒めたくなりました(笑)。まぁそれほど独特な筆跡だからなのですが。

そして、光太郎作の「大町桂月メダル」。「乙女の像」除幕式(昭和28年=1953)に際し150個が鋳造され、関係者に配付されたもので、光太郎最後の完成作となったものです。
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14:15、3階ホールでトークイベント開幕。

2部構成で、第1部は4人の方々がお一人ずつ十和田湖や桂月、光太郎などについて語られました。
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トップバッターは環境省自然環境局国立公園課長の長田啓氏。そもそもの国立公園というシステムについてや、十和田湖畔の事務所で勤務されていた際のお話、十和田湖周辺の現状など。続いて十和田市議・中尾利香氏。ご実家が桂月と交流がおありだったそうで。
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お三方め、山本隆一氏。現在の肩書きは「十和田湖畔乙女の像研究会代表」とのことですが、定年退職される前は十和田市役所や十和田奥入瀬観光機構にお勤めで、『十和田湖乙女の像のものがたり』の刊行や十和田湖観光交流センターぷらっと」での展示などなどで十数年来お世話になっている方です。最後にお会いしたのが令和4年(2022)の1月で、久闊を叙させていただきました。

ちなみに上記画像のQRコード、詳細な資料へのリンクとなっていますので、御覧下さい。スマホで読み取ってそちらで見るか、PCに転送するかですね。

第1部最後はインテリアデザイナーの小坂竜氏。「乙女の像」制作に際し光太郎の助手を務めた彫刻家・小坂圭二(野辺地町出身)の子息です。
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右上画像は「乙女の像」除幕式(昭和28年=1953)の際の記録動画の一コマ。光太郎の背後で光太郎と佐藤春夫(光太郎と青森県の仲介役でした)に傘を差し掛けているのが父君です。ここに父君が映っていたというのは当方も気がついていませんでした。

休憩後、第二部。
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第一部に引き続き長田氏、十和田市の「大町桂月を語る会」谷川妙子事務局長、桂月の故郷・高知で桂月の名を冠した日本酒を製造販売されている土佐酒造代表取締役・松本宗己氏、米国ご出身で比較文化研究家のシエナ・ラッチ・デイリー氏、そして当方が登壇。モデレータで主催団体の山田安秀氏の進行でした。
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当方は「乙女の像」について語らせていただいたのですが、何せ時間が短く、意を尽くし得ませんでした。平成29年(2017)には十和田市でたっぷり時間をいただいて講演をすることができましたが、またそうした機会がどこかであれば、と祈念いたしております。

当方、桂月や国立公園のシステムなどについてはそれほど詳しいわけではありませんでしたので、谷川氏、松本氏の桂月がらみのお話、シエナ氏によるアメリカのnational parkと日本の国立公園の相違など、こちらも興味深いかぎりでした。

最後に桂月令曾孫の大町芳通氏による謝辞。
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いずれYoutubeでイベントの模様がアップされるそうですので、またその際にはお伝えいたします。

閉幕後は、近くの中華料理店で懇親会。この際には小坂氏や、芳通氏とは別の桂月令曾孫と同じテープルに着かせていただき、またいろいろな話で盛り上がりました。

さらに小坂氏からは貴重な書籍をいただいてしまいました。山本氏にいただいたものやイベントの配付資料ともども、明日ご紹介いたします。

十和田湖、それから同一地域といえる奥入瀬渓流や蔦温泉、旅行ブームの最盛期と比較すると人出はかなり減ったとのこと。さらに近年はコロナ禍が追い打ちをかけました。しかしその後回復傾向にあり、また、長田氏のお話では、周辺の廃墟と化したエリアの整備も少しずつ進んでいるとのこと。皆様方にはぜひ現地に足をお運びになり、「乙女の像」を御覧いただきたいものです。

ちなみにイベント前日の一昨日、NHK Eテレさんで全国放映された「東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編」、NHK ONEさんで配信されています。併せて御覧下さい。

【折々のことば・智恵子】

少なくも自己といふものに思ひ至りし程のものならば田子作のおかみさんも行き当り申すべき新旧思想の衝突に候。


散文「マグダに就て」 明治45年(1912) 智恵子27歳

智恵子が唯一『青鞜』に寄せた文章の一節です。幸い、この号を入手することができました。表紙は前年の創刊号と同じ、智恵子によるもの(ウイーン分離派の画家、ヨーゼフ・エンゲルハルト作品の模写)です。
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「マグダ」はズーダーマン作、島村抱月が翻訳した脚本で、松井須磨子主演、文芸協会の第3回公演として有楽座で上演されました。オペラ歌手・マグダがかつて自分と子供を捨てた男に復縁を迫られ、「家の名誉」的な発想でマグダの父親がマグダに復縁か死か、どちらかを選べと迫るというストーリー。結局、マグダはどちらも拒否します。この内容が「風紀紊乱」ということで、内務省から上演禁止の警告。抱月は終末部分を公演中に改変して上演継続の許可を取りつけました。

制作サイドは自立した新しい女性を描く意図でしたが、この程度の選択はごくあたりまえのこと(「田子作のおかみ」云々)に過ぎない、と、智恵子。さらにこの程度で上演禁止とは何事か、という意図も見え隠れします。

テレビ放映の情報です。

東北ココから 鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編

地上波NHK Eテレ 2025年11月29日(土) 16:30〜16:59

宮城県出身の鈴木京香さんが新しい東北の魅力を発見する旅番組!今回の目的地は、アート好きの京香さんがずっと行きたかった青森県十和田市。草間彌生など世界的アーティストの作品が並び、有名建築家が設計した美術館には国内外からアート好きが訪れる知る人ぞ知る人気スポット。京香さんはアート作品に大興奮!さらに“ひとりスナック”や伝統工芸「南部裂織」の体験にも挑戦!今まで見たことがない“素の鈴木京香”がいっぱい!(8月29日東北地方で放送)

出演者 【出演】鈴木京香 【語り】久保史緒里
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番組説明欄に「8月29日東北地方で放送」とあるのですが、7月29日だったはず。単純な間違いでしょうか? 当方、当時の配信サービス「NHKプラス」で拝見しました。

今回の放映は30分の「パイロット版」だそうで、10月17日(金)には43分の「完全版」の放映もあった由、『朝日新聞』さんの青森版に記事が出ていました。そちらをご紹介した際「こうした地方限定の番組、系列のBS局などで放映してほしい」と書いたのですが、Eテレさんでオンエアされるとは意外でした。ただ、尺の関係もあるのでしょうか、「完全版」ではなく「パイロット版」です。それでも録画してDVDに残すことができますので大歓迎です。ネット上の動画等もDVD等に残す技があるのかも知れませんが、当方、そういうスキルはありません。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」が取り上げられます。
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その他、市街地の十和田市現代美術館さん(先日の『朝日新聞』さんではそこのところを大きく取り上げていました)、南部裂織の工房、新刊書店、それから鈴木さん人生初スナック(笑)など。
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皆様もぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

ロダン夫人は、大きなサロンの中へ移されて、まるで睡つてゐるやうな様子であつた。ロダンはそれを見たがつた。彼は死者の顔の上へ身を屈めて、顔の上に接吻し、長い間つぶやきながら見てゐた。  ――美しい……古代彫刻の様に美しい……

光太郎訳 マルセル チレル「ロダン夫人の死」より
大正12年(1920)訳 光太郎41歳

ロダン夫人のローズ・ブーレは大正6年(1917)2月14日に亡くなりました。出会ったのは文久4年(1864)で、慶応2年(1866)には長男も誕生しますが、久しく内縁関係で(フランスでは事実婚は珍しくありませんでした)、正式な入籍は亡くなる2週間前の1月29日。ロダン自身も同じ年の11月17日に歿します。

このあたり、光太郎智恵子の関係にも通じますね。2人が出会ったのは明治44年(1911)、籍を入れずの結婚披露は大正3年(1914)、入籍は智恵子の心の病が昂進してからの昭和8年(1933)でした。そして妻に先立たれたという点も。

ローズが亡くなった際のロダンの様子からも、光太郎詩「レモン哀歌」や「荒涼たる帰宅」が想起されます。

ロダン貧窮時代にはさんざん苦労をかけられ、世に認められてからはカミーユ・クローデルとの愛人関係でまた一悶着。全てから解放されて亡くなって「古代彫刻の様に美しい」と言われて、嬉しかったかどうか……。

都内からイベント情報です。東京青森県人会さんの主催で、当方もパネリストの一人として登壇させていただきます。

十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~

期 日 : 2025年11月30日(日)
会 場 : 港区赤坂区民センター 港区赤坂4丁目18-13
時 間 : 展示/13:00〜16:30 トークイベント/14:15〜16:30
料 金 : 無料(事前申込制) 参加登録フォームはこちら

 明治・大正期に活躍した文人・大町桂月(1869〜1925)の没後100年を記念し、十和田湖・奥入瀬渓流の自然と文化の価値を再発見しながら、国立公園としての未来を展望するトークイベントです。
 桂月が全国を旅して自然の美を詠んだ足跡や、彼の影響で全国に広まった保勝運動、そして高村光太郎による**「乙女の像」**制作の背景などを紹介。
 また、日本とアメリカの国立公園制度を比較しながら、自然と文化の融合的価値を見つめ直します。会場では、桂月ゆかりの掛け軸や資料の展示も行われ、彼の文学と思想に触れられる貴重な機会です。

パネリスト(予定)
 谷川妙子(大町桂月を語る会)
 小坂竜(建築デザイナー)
 小山弘明(高村光太郎連翹忌運営委員会代表) ほか
 
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大町桂月は明治の文豪。十和田湖や周辺の景観を愛し、明治末にそれまで全国区では知られていなかったその美しさををさまざまな紀行文で広く世に紹介しました。明治44年(1911)、それらを読んだ皇太子時代の大正天皇が十和田湖に興味を持ち、当時の青森県知事・武田千代三郎に、北海道巡啓のついでに十和田湖に行ってみたいのだが現地の様子はどんな感じか? と問うたのですが、武田は十和田湖に足を運んだことがなく、ろくに答えられませんでした。それを恥じた武田は、地元の法奥沢村長兼県会議員の小笠原耕一と共に道路整備、国立公園指定の請願等に腐心、彼等の活動が実り、昭和11年(1936)には十和田湖周辺が国立公園に指定されました。
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下って戦後の昭和26年(1951)、当時の青森県知事・津島文治(太宰治実兄)が中心となり、国立公園指定15周年を期に、桂月等を「十和田の三恩人」として顕彰するモニュメントの建設を計画。しかしそういう前例のほとんど無かった時代で、どんな物を作るべきか、誰に頼めばいいのかなど、さっぱりわからずに頭を抱えていたところ、たまたま十和田の三本木高校の校歌を作詞した佐藤春夫が来県。津島知事から相談を受けた佐藤は「そういうことなら日本で一番の造型作家は高村光太郎先生だから」と、光太郎を推薦しました。
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光太郎は当時、花巻郊外旧太田村の山小屋に隠棲していましたが、佐藤からの「あなた以外の作品が十和田湖に建っては日本の恥だ」的な内容の懇切丁寧な書簡を読み、また、自身でも死期がそう遠くないことを自覚しており、そろそろ生涯最後の大作にかからねば、と考えていた時期だったこともあり、いろいろ逡巡したものの、結局、制作を引き受けました。その結果、「乙女の像」が誕生したわけです。ざっくりですが。
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太田村での山小屋では巨大彫刻の制作は不可能なので、光太郎は昭和27年(1952)、7年半ぶりに上京。貸しアトリエとして運用されていた中野区の中西利雄アトリエに入り、助手として野辺地町出身の彫刻家・小坂圭二を雇い、像の芯に針金を巻き付けたり、粘土をこねたりなどの力仕事を手伝ってもらいました。
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今回のイベントでは、小坂の子息・建築デザイナーとして活躍されている竜氏もご登壇なさるそうです。

メインは没後100年となった桂月。桂月といえば、光太郎の姉貴分・与謝野晶子が日露戦争に出征した弟・籌三郎の身を案じた「君死にたまふこと勿れ」(明治37年=1904)を痛烈に批判したことでも知られています。時を経て光太郎がその桂月顕彰に携わったというのも面白いところです。

当日はざっくりとそんな話をさせていただこうと思っております。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

いのちあるものに醜はない。人間の感情を暗示するもの、悲愁にしても苦痛にしても、温良にしても忿怒にしても、憎悪にしても、恋愛にしても、其は皆それぞれの美の刻印を持つてゐる。それ故、私は一切の存在は美であり、一切の美は真であるとする――人は真なるものの中から選択する権利を持つてゐる。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 クラリ筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

ロダンはつくづく「人間」が好きだったんだなぁと思わせられます。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じての光太郎顕彰を続けられているやつかの森LLCさんの取り組み。

毎月15日は、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチン花(フラワー)さんで、やつかの森さんがメニュー考案に当たられている弁当「光太郎ランチ」が販売されていまして、その今月分。
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品目は「鱈フライ」「大根と牛肉のきんぴら」「ポテトサラダ」「卵焼き」「漬物」「ハムカツサンド」「麦ご飯」「南瓜の茶巾と秋の果物」だそうです。基本的には、光太郎が実際に自作したメニューや使った食材を参考に組み立てられています。

同様の方法で、ランチを提供する「こうたろうカフェ」としての活動。市内のワンデイシェフの大食堂さんで、こちらも月に一度行われています。今月は一昨日でした。
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こちらのメニューは「こうたろう春巻き」「手羽元とコンニャクの甘辛煮」「柿ドレッシングサラダ」「のり巻き卵焼き」「ほうれん草のピーナッツ和え」「漬け物」「手作り味噌の具だくさん豚汁」「新米ごはん」「林檎のケーキ」「コーヒー」。

いずれも秋の実りがふんだんですね。秋、といっても、もうあちらでは既に初雪も降ったそうで、冬本番も間近のようですが。

双方の取り組み、末永く続く事を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

天賦の才といふものも其を価値あらしめるだけの意志がなければ何にもなりません。芸術家は一滴一滴岩に喰ひ込む水の辛抱強さを持たねばなりません。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

才能を生かすことができる才能というものも、確かにあるような気がします。逆にそれが欠けているばかりに、あたら天賦の才を無駄にしてしまった例も。

若干先の話ですが、申込〆切が近いもので……。

令和7年度第9回『はなまき通検定』

期 日 : 2025年12月14日(日)
会 場 : 花巻市交流会館 岩手県花巻市葛3-183-1
時 間 : 10:00~ 試験時間50分間
料 金 : 無料

◆はなまき通検定とは?
 花巻に関する知識の深さを認定する検定試験です。この検定を通じて、花巻の良さを再認識していただくとともに、観光に従事する方だけではなく市民皆で観光客をおもてなしできるよう、花巻の知識を習得していただくことを目的に実施します。今回は初級編の検定となります。

◆合格特典
 合格者全員に合格証と合格記念ピンバッジを進呈いたします。

◆お申込みについて
 お申込み期間:令和7年10月14日(火)~11月21日(金)
 お申込み方法:以下の申込み方法を参考にFAX(FAX:0198-29-4447)
        またはメール(kero@kanko-hanamaki.ne.jp)でお申込みください。
◆合格基準等
 出題・配点:4択問題形式、全50問(1問2点、100点満点)
 合格基準:80点以上合格 ※今回は簡単な初級編です。
 出題内容:花巻の市勢、歴史、文化、先人、観光、時事、旬な話題など

◆合格発表
 発表日時:令和6年12月18日(水)午前10時
 発表方法:花巻観光協会ホームページに合格者の受験番号を掲載します。
      合格者へは合格証と記念ピンバッジを併せて郵送いたします。 

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今回で第9回となる検定。事前にテキストが提示され、その内容を中心に出題されます。テキスト以外からも問題になるようで、注意が必要ですが。テキストはこれまでとほぼ同一と思われ、花巻を第二の故郷とした光太郎についても5ページにわたり記述があります。

昨年度の第8回検定の際には、光太郎に関する問題が4問出題されました。
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このブログの愛読者の皆さん(あまり居ないと思われますが(笑))にはチョロい問題ですね。念のため正解を書いておきますと、【問題30】は「3」の「約7年間」、【問題31】が「2」で「1936年(昭和11年)」、【問題32】だと「1」の「非常の時」、【問題33】では「3」の「れんぎょう」です。

他に宮沢賢治がらみの問題が15問ほど出ていまして、それも楽勝でしたが、方言の問題などはお手上げでした。「ごしゃっぱらげる」「とのげる」、何語ですか?(笑)

後は、花巻ゆかりの新渡戸稲造、萬鉄五郎、菊池雄星選手などについても出題されていました。

我こそはと思う方、ぜひどうぞ。また、全国の自治体/観光協会などの方、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

だが幾度も繰返すのが恥かしいほど、自明な、解り切つた、根本的な真理を再建するのに、何といふ努力のいる事だ! それにも拘らず此等の事は肝腎な事である。


光太郎訳 ロダン「ロダン手記 ゴチツクの天才 復興期及十八世紀に及ぶ」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

芸術に於いて、いわゆる「王道」を突き進もうとすると却って困難である、ということです。目先の新しさにとらわれ、変化球的なものがもてはやされる傾向がありますので。

ロダンに学んだ光太郎の芸術も、彫刻にしても詩にしても、外連味のない「王道」を根幹としています。しかし、それが却って正統派過ぎて高い評価を得られないことにもなっているような気もします。

いわゆる「読書会」の情報を2件。

まずは三重県から。

日本の詩を読もうぜ 第8回 高村光太郎

期 日 : 2025年11月21日(金)
会 場 : ブックハウスひびうた 三重県津市久居幸町1116番地
時 間 : 15:00~16:00
料 金 : 無料

「こころをうたう古本屋」ブックハウスひびうたがお送りする、詩に親しむための読書会です。イベント「日本の詩を読もうぜ」は今後も開催していきます!みなさんがもっと参加しやすい方法を模索しつつ...11月は21(金)15時~16時開催予定です。高村光太郎の詩を読む予定です。ぜひ!
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ブックハウスひびうたさん、古書店だそうですが、参加者の方々で朗読して紹介し合う「日本の詩を読もうぜ!」を昨年から開催されているそうです。これまでに宮沢賢治、中原中也、北原白秋などが取り上げられたとのことです。それ以外に特定の詩人に限定せず、「女性詩人」「十五年戦争の詩」といった枠取りでやられたこともあるそうです。

続いて、仙台。

読書会アパート3号室 11月読書会『智恵子抄』

期 日 : 2025年11月23日(日)
会 場 : 八木山市民センター和室1 仙台市太白区八木山本町1丁目43
時 間 : 13:00~16:00
料 金 : 一般800円 学生500円

なかなか本を読めない人のためのゆるい読書会。名作と呼ばれているのに「今まで読んでなかった」そんな作品を読むきっかけになれば。本はひとりで読んでも楽しいけれど、他の人の感想を聞くと、ますますおもしろくなります。お気軽にご参加ください。

失ってもなお、愛は残るのだろうか 11月『智恵子抄』読書会、申し込み開始します!

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こちらも単発ではなく、さまざまなラインナップで月に1回開催されてきた中の一環です。もう既に来年のプログラムも決まっているようです。こちらのラインナップは小説系がメインのようですが、「智恵子抄」はある意味、連作叙事詩でもあり、この流れの中に置いても違和感がありませんね。
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それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

着物を脱ぐモデルが美術家に示す眩い立派さは雲を貫く太陽の効果を持つてゐる。ヹヌス、イブ、此等は女の美を現すには弱い言葉だ。

光太郎訳 ロダン「ロダン手記 女の肖像」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

人体の持つ美についての礼讃ですが、やはり構造上の性差は厳然としてあるわけで、ここでは女体の持つ美しさが延々と語られています。「ヹヌス」はヴィーナスです。

一昨日、昨日と、みちのくひとり旅でした。レポートいたします。

まずは光太郎第二の故郷・岩手花巻。
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東北新幹線で新花巻駅に降り立ち、いつもそうしていますが、レンタカーを借り受けました。

まずは道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんへ。
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リンゴを箱買いし、自宅兼事務所に宅配便で発送。この季節のルーティンです(笑)。

続いて、光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)/高村光太郎記念館さんへ。そこに到るまでも既にそうでしたが、紅葉が実にいい感じでした。
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ここでも問題となっている熊の対策。
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山荘脇には電気柵が設置されていました。とうとうここまでやる必要が出てきたか、という感じでした。

隣接する高村光太郎記念館さん。
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富山県ご在住で、連翹忌の集いにもご参加下さったり、地元で光太郎智恵子に関する講座をなさったり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたり、地元都内で一人芝居「智恵子抄」の公演をなさったりと、精力的に活動されている茶山千恵子さんとばったり出会いました。
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SNSで、二本松・花巻に行かれるというお話は存じておりましたが、細かな行程は訊いておりませんでしたので、ここで出会うかと驚きました。

記念館で現在開催されている企画展「昔なつかし花巻駅」。土屋直久氏・石井彰英氏による精巧なジオラマがメインです。
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7月に伺った時には機器の故障で見られなかった、昭和11(1936)年に撮影された岩手軽便鉄道の記録フィルムも拝見。
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こちらは今月いっぱいです。

同時開催で、特別展「中原綾子への手紙」。与謝野晶子門下の歌人・中原綾子に宛てた書簡、中原主宰の雑誌への寄稿の原稿などが、中原ご遺族からごっそり寄贈され、4期に分けて来年2月末まで展示しています。現在は第3期です。光太郎が序文や題字を書いた中原の歌集・詩集・主宰の雑誌、中原が光太郎を詠んだ短歌が載った歌集、光太郎から中原に贈られた書など、当方手持ちのものも展示されています。
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事務室で、新たに寄贈された光太郎の写った写真を拝見。
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一緒に写っているのは光太郎が名付け親となった児童劇団「花巻賢治子供の会」の皆さんと思われます。メンバーにはご存命の方もいらっしゃり、昨年、公開対談をさせていただきました。

高村山荘・高村光太郎記念館さんを後に、一旦、宿泊先の鉛温泉藤三旅館さんにチェックイン。過去3回、光太郎が泊まった31号室をはじめ、いずれも本館の方に泊めていただいたのですが、今回は自炊部。
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深さ約1.3㍍、立って入る白猿の湯が有名ですが、内部は撮影禁止なので、廊下に掲げてあったタペストリー。光太郎も堪能した湯です。

その後、再びレンタカーで市街に出て、来月から高村光太郎記念館さんで開催予定の企画展「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」及び来春2月21日(金)に開催予定の、賢治実弟・宮沢清六令孫の和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏と当方によるトークイベントに向けて、両氏、市役所の方々、企画されたやつかの森LLCの皆さんなどと打ち合わせ。

フライヤーの原案が出来ていました。まだ原案ですので小さく載せておきます。
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賢治の全集は、「全集」と銘打たなかった戦後の日本読書購買組合版『宮沢賢治文庫』(昭和21年=1946~同24年=1949)を含め、4種類の刊行に光太郎が関与しました。最初の文圃堂版(昭和9年=1934~同10年=1935)、それを引き継いだ十字屋書店版(昭和14年=1939~同19年=1944)、先述の『宮沢賢治文庫』、そして光太郎最晩年の筑摩書房版(昭和31年=1956~)。さらにそれぞれに関わった清六や藤原、さらに当会の祖・草野心平他の人々にもスポットを当てます。

和樹氏が打ち合わせに持参された文圃堂版。題字揮毫は光太郎。
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あまりに状態が良く、瞠目しました。経年劣化の進んだものでも現在の市場価格が20万円以上です。

打ち合わせ後に会食、それも終わり、宿に戻りました。その時点でとっぷり日も暮れていましたので、駐車場から玄関までは熊に遭遇しないかとヒヤヒヤものでした。翌朝、昨日書いたように露天風呂で熊騒ぎ。まったく困ったものです。

チェックアウト後、レンタカーを新花巻駅で返し、新幹線はやぶさとやまびこを乗り継いで福島駅へ。そこで改めてレンタカーを借り、南下。さすがに花巻からレンタカーを運転し続けるパワーはありませんで(笑)。

福島での最初の目的地は、智恵子の故郷・二本松市の道の駅安達智恵子の里さん。智恵子のソウルマウンテン・安達太良山が遠望出来る場所です。
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こちらでは新商品のパッケージに智恵子をあしらったドリップコーヒーなどをゲット。これを買いに寄ったようなものです。他に二本松のリンゴも買いましたが(笑)。
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続いて、智恵子生家/智恵子記念館さん。
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先月から開催されている「高村智恵子レモン祭」期間中です(11月16日(日)まで)。平日でしたので、生家二階の智恵子の居室に上がることはできませんでしたし、居るかなと思っていたゆるキャラ「ちえこちゃん」もお休みでした。

見たかったのはこちら。
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4月から5月にかけて開催された「高村智恵子生誕祭」で、来場の人々が折った折り鶴です。
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心を病んで入院した南品川ゼームス坂病院で、智恵子は紙絵の制作を始めますが、その前段階として、まずは折り鶴を盛んに作りました。

光太郎のエッセイ「智恵子の切抜絵」(昭和14年=1939)から。

精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいてゐたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだつた千代紙を持つていつた。智恵子は大へんよろこんで其で千羽鶴を折つた。訪問するたびに部屋の天井から下つてゐる鶴の折紙がふえて美しかつた。

生誕祭の際には、当会プロデュースで「音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた」「智恵子のエプロン 復刻展示」を盛り込んでいただきまして、コンサートにご出演のヴォイスパフォーマー・荒井真澄さん、テルミン奏者大西ようこさんご夫妻、エプロンを制作して下さった花巻南高校家庭クラブの生徒さんたちも折り鶴にチャレンジなさいました。もちろん当方も。
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その鶴がどこかにはあるのでしょう。
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その後またレンタカーで南下、郡山駅で返却し、新幹線で帰りました。というわけで、なかなか強行軍のみちのく一人旅でした。

花巻、二本松、みなさまもぜひどうぞ。ただし、熊には十分お気をつけ下さい。

【折々のことば・光太郎】

彫刻家諸君。君達の内に奥行(深み)の感を強めよ。精神はなかなか此の観念と親しみにくい。表面だけしか明らかには心に描かれない。形を奥行で想像する事はむづかしい。それにも拘らず此が君達の務めです。


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

「奥行」は「立体感」であると同時に、形而上的な「精神性」といった意味も含むと思われます。花巻高村光太郎記念館さんで光太郎ブロンズを見、そんなことも考えました。









今年4回目、来月もまた来るのですが、光太郎第二の故郷・花巻に来ております。
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今回の宿泊は、いつもの花巻南温泉峡・大沢温泉さんではなく、さらに奥まった鉛温泉さん。こちらも光太郎がたびたび泊まった宿です。
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先程、川岸の露天風呂に行ったら、先に入浴されていた方々が「熊が出た!」と騒がれていました。対岸に親子連れの熊がいたそうです。当方が行ったらもう立ち去った後でしたが。

今回は来春行われる市主催のイベントの打ち合わせで参りました。のちほど詳しくご紹介いたしますが、「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」という企画展示が来月から始まり、その関連行事として来春2月21日(金)に、賢治実弟・宮沢清六令孫の和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏と当方によるトークイベントが予定されています。昨夜はその方々や市の皆さんなどとの打ち合わせでした。

その前に、花巻高村光太郎記念館さん、隣接する高村山荘(光太郎が7年間暮らした山小屋)に。
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記念館では現在は企画展「昔なつかし花巻駅」と特別展示「中原綾子への手紙」(第三期)が同時進行で開催されています。

先週、地元のIBC岩手放送さんのローカルニュースで「中原綾子への手紙」が紹介されました。ついでというと何ですが、このタイミングでないと紹介できませんので引用しておきます。他に取り上げる事項が山積しておりますので。

親しい友人に宛てた手紙から高村光太郎の素顔や苦悩を感じられる企画展「中原綾子への手紙」 岩手・花巻市

 詩人で、彫刻家としても活躍した高村光太郎が、友人で歌人の中原綾子に送った手紙を集めた企画展が、花巻市で開かれています。
 この企画展は中原綾子の親族から花巻市に寄贈された、高村光太郎が中原綾子に送った手紙60点を4期に分けて行われているもので、今回がその3期にあたります。
今回の展示では高村光太郎の直筆の葉書、封書や関連資料合わせて30点あまりが公開されています。
中原綾子に宛てた直筆での手紙が公開されるのは今回が初めてです。
 高村光太郎が書いた葉書は下書きをせず、一気に書き進めているため、最初は行間が広めに設けられているのに、後半になると行間が狭まり、左下の隅のほうまで文字が細かく書き込まれています。
このことにより、光太郎と綾子が気の置けない友人であり、光太郎には綾子に伝えたいことがあふれていたことが想像できます。
 また一方で封書には「ちえ子の狂気は日増しにわろく」や「此を書いているうちにもちえ子は治療の床の中で出たらめの嚀語を絶叫してゐる始末でございます」などと、精神分裂病(現在は統合失調症)を患っていた智恵子の病状を伝えています。光太郎は「智恵子抄」を発表するまで、親類にしか智恵子の病気のことを伝えていなかったといわれていることから、綾子のことを信頼し、話を聞いて欲しかったのではないか、ということが感じられます。
 花巻高村光太郎記念会事務局の高橋卓也さんは「智恵子抄に至るまでの道のりを示す貴重な資料です」と話していました。
 この企画展は年内いっぱい第3期の展示が続けられます。
そして、展示内容を入れ替えて1月から第4期の展示となり、2月28日まで行われる予定です。
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今回はあまり長居ができませんで、この後、智恵子の故郷・福島二本松に立ち寄って帰ります。そちらではまだ「高村智恵子レモン祭」が開催中でして。

それに関しては、帰りましてからレポートいたします。

光太郎第二の故郷・花巻市のワンデイシェフの大食堂さん。日替わりで個人やグループの方々がランチタイムにシェフを務めるというスタイルのレストランです。同地で主に食を通じての光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、おおむね月に一度「こうたろうカフェ」として出店なさっています。

10月29日(水)分の画像。42食完売だそうです。
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品目は、「白身魚のフライ&タルタルソース」「コールスローサラダ」「鶏つくねの串焼き」「菊の胡麻和え」「バターナッツのポタージュスープ」「蕪の漬物」「新米ご飯」「マロンブラウニー」「コーヒー」。基本、光太郎が自炊した料理や使った食材などを参考にというコンセプトです。諸物価高騰の折、これまで1,000円だった定価が1,200円に値上げ(全出店者共通です)だそうですが、それでも割安感がありますね。

やつかの森さんからのメールの一節。

菊の花の胡桃和えやバターナッツのポタージュは、初めてという方も結構いらしてとても喜ばれました。根生姜が効いたつくねは絶品‼️ 白身魚フライはサクサクで軽く何枚でもいけちゃう美味しさ。サラダも沢山の食材で好評。かぶと白菜ときゅうりの漬物も赤かぶを添えて彩り良く柔らかくて美味。北上市の二子の里芋と昆布の煮物も蓮根、人参、枝豆を入れてほっとする味。ブラウニーは大きな栗たっぷりと胡桃を散らして。誰一人残さずにペロリと完食でした‼️ 八幡平市から友人がきてくれたり、赤ちゃん連れのご家族もゆっくりランチを楽しんでました。ありがたきかな。

次回ご出店は11月18日(火)だそうです。

ところで最近、こんな雑誌を入手しました。
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タイトルが『鶏の研究』。そのまんま「鶏の研究社」という社からの刊行物ですが、養鶏業者や食肉加工業者向けの月刊誌です。巻号は第26巻第10号、光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居していた昭和26年(1951)10月号です。

なぜこんなマニアックな古雑誌を購入したかというと、以下のアンケートが載っており、光太郎の回答もありましたので。『高村光太郎全集』に洩れていたものです。
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こうあってほしい鶏卵肉」というテーマで、質問項目は8つ。

一、鶏卵はお好きですか。
二、生ですか、それとも料理(例えば?)したものを好まれますか。
三、卵殻は赤いのと白いのとどちらを好まれますか。
四、卵を召上がつてこうだつたら良い、こういうのは嫌だと思われること。例えば栄養、価格、内容、外観、何でも結構です。
五、鶏肉はお好きですか。
六、どんな料理をして召上りますか、お得意の料理法がありましたら公開して下さい。
七、鶏を飼つて居られますか、どんな鶏がお好きですか。
八、その他養鶏についての御所感を。


これらに対しての光太郎の回答は、

一、好きです。殊に夏は肉が腐り易いので鶏卵は恰好な動物質蛋白質源と思います。
二、非常に急な場合は生で食べ、時間のある時は料理します。生みたてに近い卵がいつでもあります。
三、殻の赤白に好き嫌いはありません。
四、殻に必ず日附をつけたいと思います。飼養の條件がすぐ卵にあらわれます。
五、鶏肉は好きです。殊に所謂モツを賞味します。
六、特別変つた料理法も知りません。多く中華料理風にして食べます。卵は五分間半熟が甚だ便利です。
七、独居自炊の山中生活なので自家では飼えません。飼うと外出が出来なくなります。
八、人がもつと多く鶏を飼つて利用するといいと思います。

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編集部で描いたのでしょうが、似ているような似ていないような光太郎横顔のカットも(笑)。それはさておき、しっかり自炊していた光太郎の言だけに説得力があるように感じました。

他の回答者は山川菊栄、越路吹雪、藤山一郎、横綱千代の山、元首相片山哲、箏曲の宮城道雄、歌舞伎の市川海老蔵、将棋の木村義雄名人など割と豪華なメンバーでした。

こんなふうに昔の雑誌には各界著名人に回答を求めるアンケート欄が普通にあり、光太郎のアンケート回答はこれまでに100篇超が見つかっています。最近も見つけ続けていますし、これからも見つかるでしょう。ただ、アンケートの場合、掲載誌の目次に回答者名が全て載って居らず「諸名家」などとなっている場合も少なくありませんで、なかなか大変です。

さて、やつかの森さんには、いずれ光太郎回答にあるような「中華料理風」や「所謂モツ」を使ったメニューも考案していただきたいものです(笑)。今回の「こうたろうカフェ」でも「鶏つくねの串焼き」が入っていましたが。

【折々のことば・光太郎】

われらの不安、われらの失望、われらの感激、われらの壮烈、われらの情熱、われらの肉感、彼は一切を訳出し、一切を表現した。詩人よりも善く、言葉によるよりも善く、形によつてだ。

光太郎訳 オクーヴ・ミルボー「アウギユスト ロダン」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

訳書『続ロダンの言葉』巻頭に置かれた評論の一節です。光太郎の目指した彫刻のありようも、こういうことだったのかもしれません。

まず東北の地方紙記事から3件ご紹介します。

最初は仙台に本社を置く『河北新報』さん、昨日の一面コラムです。

河北春秋

詩人、彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の詩に<その詩を戦地の同胞がよんだ。人はそれをよんで死に立ち向つた>という一節がある。光太郎が戦後に書いた『わが詩をよみて人死に就けり』。光太郎は戦時中、戦意高揚の詩を量産した。その反省に立った詩だ▼光太郎の父は皇室をあつく敬い、光太郎も天皇崇拝は変わらなかった。1945年5月に岩手県花巻市に疎開したまま、戦後も7年間を花巻郊外の山小屋に暮らした光太郎には戦争協力への贖罪(しょくざい)意識があったとされる▼「妻智恵子が生きていたら、光太郎は戦争に協力しただろうか」。こんな疑問を抱くのは、智恵子の古里、福島県二本松市の熊谷健一さん(75)。20年前から智恵子顕彰活動に取り組む「智恵子のまち夢くらぶ」の代表を務める▼智恵子は関東大震災後に社会運動家の大杉栄らが憲兵に殺害された事件に関し、婦人雑誌のアンケートに「暴力は臆病の変形」と寄せた。智恵子が他界した38年に国家総動員法が制定され、光太郎も戦争に巻き込まれる。熊谷さんが想像を巡らせるゆえんだ▼くらぶは11月、智恵子没後の光太郎をテーマに講座を3回開く。戦争との関わりも考える。「事実から目をそらさずに学びたい」。熊谷さんの姿勢から2人への愛が伝わる。

最初に紹介されている「わが詩をよみて……」は、昭和22年(1947)、連作詩「暗愚小伝」に組み込むつもりで書いたものの、結局はボツにした詩篇です。全文はこちら。光太郎の精神史を語る上では外せない一篇ではあります。

智恵子の「暴力は臆病の変形」は、コラムにある通り、大正12年(1923)の関東大震災後、光太郎も支援していた大杉栄と妻の伊藤野枝が、憲兵大尉・甘粕正彦によって虐殺された事件に対してのもの。全文はこちら

その智恵子の故郷・福島二本松で顕彰を続ける智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会さんの講座については、改めて記事にするつもりでいましたが、ついでですのでご紹介してしまいます。

智恵子講座2025 智恵子没後の高村光太郎~晩年の人生と芸術に迫る~

期 日 : 2025年11月3日(月・祝) 11月16日(日) 11月24日(月・振休)
会 場 : 11/3・11/16 ラポートあだち 11/24 安達公民館
時 間 : 10:00~12:30
料 金 : 3,000円
講 師 : 熊谷健一(智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会代表)

美の求道者として同志愛を貫いた高村光太郎と智恵子。智恵子亡き後の光太郎はどのように生き、どんな作品を残したのでしょうか。光太郎晩年の人生と芸術に肉迫します。
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次に、光太郎第二の故郷・岩手の『岩手日日』さん。これも昨日掲載されました。

光太郎直筆の手紙初展示 花巻・記念館特別展 人柄や悩み伝える

 高村光太郎記念館の特別展「中原綾子への手紙」は、花巻市太田の同館で開かれている。同人の中原綾子に宛てた光太郎直筆の手紙が展示され、光太郎の人柄や当時抱えていた悩みなどを伝えている。2026年2月28日まで。
 中原は与謝野晶子門下の歌人。文芸誌「明星」に作品を発表しており、同誌に作品を寄せていた光太郎とは交流があった。交流は光太郎が花巻に疎開してからも続き、1951年9月に山荘を訪れて光太郎を見舞うなど生涯にわたり古流を持つ間柄であつたとされる。
 特別展では「智恵子抄」などの作品に通じる光太郎の心境を、中原に宛てた手紙でたどっている。手紙の内容自体は既出で、市内の図書館にある「高村光太郎全集」などで確認できるが、直筆の手紙を展示するのは初という。
 34年12月28日付の手紙には、「ちえ子の狂気は日増しにわろく、最近は転地先にも居られず、再び自宅に引きとりて看病と療治とに尽していますが連日連夜の狂暴状態に徹夜つづき、さすがの小生もいささか困却いたして居ります」とあり、統合失調症を患う妻智恵子に対する苦悩が赤裸々につづられている。
 51年10月5日付の手紙では、体調が優れない中原に対し「食事の十分とれますまで酒タバコは一寸お休みになる方がいいかと存じます」と助言しており、2人の関係性や光太郎の人柄がうかがえる。
 特別展を担当する花巻高村光太郎記念会の高橋卓也事務局長補佐は「活字ではなく、光太郎直筆の手紙が見られる珍しい機会を通じて、光太郎の人柄や中原との関係性などを感じてほしい」と話す。
 開館時間は午前8時30分~午後4時30分。問い合わせは同館=0198(28)3012へ。
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4月から4期に分けて開催されている特別展「中原綾子への手紙」に関してです。4月から始まっているのに「なぜ今?」という感じなのですが、どうも岩手県ではこういう風習なのだと思われます。光太郎も岩手在住中、服の仕立を頼んだものの、その後梨のつぶてで困惑する記述を残していましたが、出来上がってみると実に丁寧な仕事で、文句の附けようもない、みたいな。

今回出品されている書簡関しても、全文を翻字し、画像をつけて図録として出版という話で、原稿はとっくに送ってあるのですが、いつになるやら……という感じです。通常は会期が始まる前に作っておいて販売するものだと思うのですが……。

後は、記事に誤りがありますので訂正しておきます。「手紙の内容自体は既出で、市内の図書館にある「高村光太郎全集」などで確認できる」とありますが、『高村光太郎全集』にもれている書簡も5通ほど。その意味でも図録の完成が待たれます。

続いて同じく花巻ネタで『岩手日報』さん。一昨日の掲載でした。

おいでよ道の駅 はなまき西南 偉人ゆかり 弁当人気

005 今後も地域住民とドライバーの憩いの場であり続けます――。県道盛岡和賀線沿いに位置し、今年開業5周年を迎えた花巻市轟木の道の駅はなまき西南(高橋有希駅長)は、地元の偉人にちなんだオリジナルメニューが好評を博している。
 戦争空襲で宮沢賢治の実家を頼り、花巻市の旧太田村に疎開した高村光太郎(1883~1956年)に関連し、駅の愛称は「賢治と光太郎の郷(さと)」。光太郎の日記を基に再現し、毎月15日に10食限定で販売する地元食材が中心の月替わり弁当は常連客の人気商品だ。
 ボリューム満点のランチを食べたい時は、 地元住民が愛してやまない焼き肉の老舗・味楽苑「道の駅店」へ。名物のささまホルモン(単品660円)は、貴重な豚の直腸を全国から厳選して仕入れている。自家製のみそダレが絶妙に絡み、ぽっべたが落ちそうだ。
 近くに大型商業施設がなく、人口減少が進む太田・笹間地区を活気づけようと、住民の働きかけで2020年に開業。今年8月には来場者200万人を達成した。高橋駅長(38)は「ここにしかない歴史と『魅力』を届けたい。皆さんにとって居心地のよい場所になってもらえばうれしい」と願う。
 売店の営業時間は午前9時~午後5時。年末年始は一部施設休業。
イチ押し しっとり塩あんぱん
 はなまき西南限定の塩あんぱん(300円)を食べてほしい。花巻温泉の温泉ベーカリーとのコラボ商品。ぎっしり詰まった粒あんは、ほのかな塩気でしっとりした味わい。自動販売機で冷凍販売しており、解凍するのを待ちながら周囲の観光地を巡ってみよう。同温泉の日帰り入浴200円割引券付きのお得なセットで、心も体も「ほっと」一息ついてみてはいかが。

花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰をなさっているやつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、毎月15日に道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」に触れられています。

そのやつかの森さん、今月行われた土澤アートクラフトフェアなど、花巻南高校家庭クラブさんといろいろ共同でなさっている関係で、10月23日(木)には同市で開催された岩手県高等学校家庭クラブ研究発表大会に招聘され、光太郎に関わる寸劇を披露されたとのこと。
人物紹介
小岩井バター 雪白く朗読
コーヒー煎れる 姪宛てハガキ
勝治と訪問者 お礼にお菓子
そんなこんなで、光太郎智恵子ゆかりの東北では、二人の顕彰活動が活発ですが、こういう動きが東北に留まらず、全国に広がって欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

量とは何か。其は物体が空気の中で位置を占める空間(スペース)の事です。芸術の本質的基礎は此の正確な空間を定める事です。此が始であり終であります。

光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

かなり概念的な表現ですが、ロダンはけっこう彫刻の本質的な在り方、制作方法のキモを言葉にしています。光太郎は一語一語を噛みしめながら翻訳し、自作に生かしていたようですし、後進の芸術家達も光太郎の訳によってその精神に触れ、各自がその実践を行おうとしていきました。

福島を拠点に活動されている音楽ユニット風信子(ヒヤシンス)さんの、今月リリースされた自主制作盤CDです。

風の旅人〜夕焼け空の色はふるさとの色〜

発行日 : 2025年10月13日002
発行元 : 風信子
定 価 : 1,500円

作詞・作曲 : 村上有理香
編 曲 : 吉田賢市
演 奏 : 風信子

風信子(ヒヤシンス)第2弾CD『風の旅人〜夕焼け空の色はふるさとの色〜』(1500円) が10月13日(祝月)にリリースされました🌸

風信子の代名詞、オリジナルご当地ソング8曲がすべて収録されています😊また今回は様々な効果音が使われていて、まるで物語の世界を旅しているような雰囲気も味わっていただけると思います✨️

風信子の音楽で、ぜひ楽しい旅に出かけて下さい💐

曲 目 :
 1、大好き♡曽根田駅
 2、遊びにおいでよ飯坂へ
 3、ここが飯野☆ここが好いの♡
 4、本当の空を忘れないで  (二本松)
 5、ぼくらの町の桃源郷 (二本松・さつき山公園テーマソング)
 6、ふるさとの町〜伊達に帰ろう〜
 7、喜多方の街 (喜多方・福島DC勝手に応援歌~喜多方編 準グランプリ受賞曲)
 8、想い出をたどれば  (いわき、浜通り)

曲目タイトルでお判りかと存じますが、全曲福島各地の「ご当地ソング」的な。M4の「本当の空を忘れないで」に、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)の「ほんとの空」から派生した「本当の空」の語を使い、安達太良山、阿武隈川、二本松霞ヶ城、提灯祭りなどが謳い込まれています。ジャケットの夕景画像も安達太良山ですね。
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キーボードやウクレレを弾きつつリードボーカルの村上有理香さん(左)と、ギター・コーラスの吉田賢市さん(右)、お二人によるユニット・風信子(ヒヤシンス)。これらの曲などを引っ提げて、主に県内各地のイベントなどにご出演なさっています。
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村上さんが、一昨年5月に二本松で行われた「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」(智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~さん主催)にご参加、その際に知遇を得まして、今回、CDを購入させていただきました。

福島愛溢れる歌詞と優しいメロディー、軽やかな演奏をぜひご堪能いただきたく、ご紹介いたします。ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

彼等の彫刻には静がある。驚く可き静と休息とがある。官学風の静ではない。官学風のは自然の欠乏、生命の欠乏です。さうでは無くて、強力の静、意識力の静、精神の下にある肉体から来る印象です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「彼等」はロダンが手本とした古代ギリシャの彫工たち。「強力の静」となると一見矛盾した表現ですが、「考える人」などは見事にそれが体現されていると思います。それを光太郎も目指したのでしょう。
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オリジナルが改訂版となり、さらに文庫化されたもの。光太郎の名もちらっと出ています。

鉄人文庫 改訂版 日本ボロ宿紀行

発行日 : 2025年9月25日 
著者等 : 上明戸聡
版 元 : 鉄人社
定 価 : 1,000円+税

懐かしの人情宿が、”旅心”を刺激する
観光でも出張でもない、目的なき旅の途中で出会った“ボロ宿”たち。
ベストセラー旅行記が、改訂文庫版で新たに甦る!

“ボロ宿”は決して悪口ではありません。歴史的価値のある宿から、古い安宿までひっくるめ、愛情を込めてそう呼んでいます。ボロ宿は最高の誉め言葉です――。テレビ東京でドラマ化された傑作旅行記の決定版、待望の文庫化! 歴史的宿から湯治宿、商人宿、駅前旅館まで、古い建物を守り続ける宿を愛してやまない著者のベストセラー旅行記がリニューアル復刻。懐かしの人情宿が“旅心”を刺激する。

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目次
 グラビア
 改訂版の文庫化にあたって
 はじめに
 第一章 昔の姿を残す青森の湯治宿
  八戸 新むつ旅館 五所川原 音治郎温泉旅館 黒石 温湯温泉飯塚旅館
 第二章 花巻のお馴染み宿から、遠野へ
  花巻 大沢温泉・自炊部 遠野 旅館福山荘 花巻 鉛温泉藤三旅館
 第三章 つげ義春ゆかりの宿を訪ねて西伊豆へ
  伊豆 天城湯ヶ島温泉白壁荘 松崎 長八の宿山光荘 松崎 岩地温泉民宿大清水
 第四章 忍者の里をさまよい歩く
  伊賀 薫楽荘
 第五章 伊勢から鳥羽へ歴史を訪ねる旅
  伊勢 星出館 伊勢 旅館海月
 第六章 四国から瀬戸内を渡って尾道へ
  松山 道後温泉ホテル椿館 大崎上島 きのえ温泉ホテル清風館 尾道 佐藤旅館 
 第七章 鳥取の限界集落と出雲への旅
  智頭町 河内屋旅館 出雲 持田屋旅館 境港 かぐら旅館
 第八章 熊本の日奈久温泉から鹿児島へ
  八代 日奈久温泉新湯旅館 出水 白木川内温泉旭屋旅館
 第九章 雪国を旅する
  横手 尾張屋旅館 角館市 高橋旅館 弘前市 石場旅館
 第十章 震災後の東北を巡る旅
  酒田 最上屋旅館 東鳴子温泉 まるみや旅館 千厩 勢登屋旅館 能代市 民宿水月
 第十一章 熱海から小田原へ昭和レトロを求めて
  熱海 福島屋旅館 小田原 日乃出旅館
 第十二章 町にも宿にもドラマあり
  長浜市 三谷旅館 大津市 ホテル大津 鳥取市 旅館常天
 第十三章 瀬戸内海の風と光に魅せられて
  小豆島 オリーブ温泉小豆島グランドホテル水明 津山あけぼの旅館
  今治 ビジネス旅館 ビジネス旅館笑福


解説文にあるとおり、「ボロ宿」は蔑称ではなく、限りない愛着を込めての呼称です。新しさや利便性とは無縁の、しかし温かみにあふれる全国のレトロな宿がこれでもか、と紹介されています。本書でも取り上げられているつげ義春氏が愛したような宿、といえば通じる方も多いと思われます(笑)。

戦後の7年間の蟄居生活中に光太郎が何度も訪れた、花巻南温泉峡の大沢温泉さんと鉛温泉さんが取り上げられています。鉛温泉さんの項では光太郎の名は出て来ませんが、大沢温泉さんの方には「平安時代に坂上田村麻呂が見つけ、宮沢賢治や高村光太郎のお気に入りだったという歴史あるお湯」と紹介されています。

なぜか文春さんのサイトに大沢温泉さんの項がほぼ全文引用されており、それで本書の存在を知って購入した次第です。そちらには本書ではモノクロ画像で載っているものがカラーで掲載されています。
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当方も年に数回、大沢温泉さんに泊めていただいており、「そうそう、こういうところがたまらないんだよな」などと思いながら拝読いたしました。ただし、平成20年(2008)時点でのレポートなので、菊水館さんの休業、その後の「ギャラリー茅」としてのリニューアルなどには触れられていませんが。

自炊部さんは江戸時代の建物を使っており、まさに「ボロ宿」(これも良い意味での、です)ですが、根強い固定ファンも多いようで、このところ予約に苦労しています。やはり菊水館さんに泊まれなくなったことでキャパ自体も減りましたし。この冬には来月、12月、来年2月と3回花巻行きの予定ですが、自炊部さんがとれたのは2月だけでした。12月は建物が繋がっている近代的な温泉ホテルの山水閣さん、来月は本書でも取り上げられている鉛温泉さんの自炊部をとりました。こちらも光太郎ゆかりの宿で、3回ほど泊めていただいたことがあります。やはり寒い時期はシティホテルより大きな温泉が望ましいところです。

12月には同じ花巻南温泉峡に「大江戸温泉物語Premium 岩手花巻」がオープンします(元々渡り温泉で他の宿だったところですが)。ファミリーや、手軽なお得感、がっつりの食事などを優先される方々はそちらへ泊まっていただけると、大沢温泉さんの予約も取りやすくなるかな、等と考えていますが、どうでしょうか。

ところで『日本ボロ宿紀行』、上記解説文に「テレビ東京でドラマ化された」とありますが、平成31年(2019)のことでした。原案は『日本ボロ宿紀行2』ですが、売れない歌手・桜庭龍二(高橋和也さん)と芸能プロダクション社長兼マネージャー・篠宮春子(深川麻衣さん)がプロモーションのためボロ宿を泊まり歩くという、書籍とは全く異なる設定になっていました。

当方の自宅兼事務所のある千葉県香取市の木の下旅館さんというボロ宿(現在は旅館業は廃業し、食堂になっています)も舞台となったので、放映当時にリアルタイムで拝見しました。桜庭の唯一のヒット曲「旅人」のPVを新たに制作するというストーリーで、背景は木の下旅館とその周辺。調べたところ、YouTubeにまだ動画が残っていました。昭和レトロを茶化す感じがたまりません(笑)。


ちなみにこの場所では、昭和42年(1967)公開の松竹映画「智恵子抄」のロケも行われています。

閑話休題、『改訂版 日本ボロ宿紀行』、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

――自然は至上の建築家です。何もかも最美の釣合で建てられてゐます。それに何もかも三角か、六面体か或は其の変化の中に閉ぢ込められてゐます。私は此原則を自分の彫像を組立てる時に使ひます。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

葛飾北斎が『北斎漫画』『略画早指南』などで万物がコンパスと定規で描けるとしていたのを想起しました。
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我々凡人とは見え方が違うのかも知れません。

それぞれ既に始まっているイベントです。

まず智恵子の故郷・福島県二本松市で。地方紙『福島民友』さん記事から。

二本松巡って宿泊券や和牛など豪華賞品 「ドライブスタンプラリー」12月21日まで

 秋~初冬の二本松市の名所や直売所を巡り、スタンプを集めると豪華賞品が当たるドライブスタンプラリーが12月21日まで行われている。観光まちづくり団体にほんまつDMOの主催、JAF福島支部の協力。
 市内23スポットを訪ね、スマホの位置情報でスタンプを集めるとスタンプ数に応じて岳温泉宿泊券3万円分、和牛焼き肉用1万5千円分、スキー場リフト券・温泉チケットペア券などが抽選で120人に当たる。
 問い合わせは同DMO(電話0243・24・7702)へ。スポット次の通り。
 ▽市街地=にほんまつ城報館、安達ケ原ふるさと村、東北サファリパーク、二本松神社、JAこらんしょ市二本松店
 ▽安達=稚児舞台、道の駅安達智恵子の里和紙伝承館智恵子の生家、山ノ入ダム
 ▽岳・塩沢=あだたら高原リゾート、岳温泉神社、鏡ケ池公園、ささや親水公園
 ▽東和=隠津島神社、ウッディハウスとうわ、ふくしま農家の夢ワイン、道の駅ふくしま東和、夏無沼展望台
 ▽岩代=杉沢の大杉、天狗塚公園、岩代図書館、道の駅さくらの郷、名目津温泉
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スポットのひとつ・あだたら高原リゾート
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フライヤー画像は主催されているにほんまつDMOさんのサイトから。個人的には「和牛焼き肉用1万5千円分」が気になります(笑)。

『民友』さん記事では、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山のあだたら高原リゾートの画像が使われています。

ついでですので(笑)、一昨日オンエアされた日本テレビさん系の「遠くへ行きたい【ますだおかだ増田が福島へ】名湯に絶品ソースかつ丼!」での安達太良山。
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旅のキーワードの一つが「ほんとの空」という設定にして下さいまして、ありがとうございました。TVerさんなどで無料配信中です。ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

それにしても、もう最近は「スタンプラリー」と言っても、昔ながらの台紙にゴム印を押して廻るものより、スマホのアプリと連動してのデジタル化したものが主流になりつつありますね。昭和世代としては一抹の味気なさを感じてしまいますが(笑)。

主にその昭和世代向けのイベントで、同じ福島の、会津地方から。やはり『福島民友』さんの記事。

昭和感たっぷり…懐かしのレトロ映画ポスター展、福島・湯川で11月7日まで

 映画「男はつらいよ」に関する資料などを展示する福島県湯川村の湯川たから館で20日から、「懐かしのレトロ映画ポスター展」が開かれる。11月7日まで。
 村商工会の主催。会津新富座の協力で昭和時代の作品を中心にポスター50点、パネル5点を展示する。「釣りバカ日誌」や「智恵子抄」「スケバン刑事」などの作品のポスターが並ぶ。担当者は「さまざまなジャンルのポスターがある。昭和を振り返ってみてほしい」と話した。
 来場者に抽選で村産コシヒカリの新米を贈る。
 時間は午前9時~午後4時。入場無料。問い合わせは村商工会(電話0241・27・3957)へ。
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湯川村は会津若松市と喜多方市の中間といった場所の、小さな村です。そちらにある「湯川たから館」さんは、同村出身の映画カメラマンの故高羽哲夫氏の遺品で、主に山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズ関連の品々が常設展示されているそうです。

そちらでの企画展示で、さまざまな映画ポスター等が並んでいます。『民友』さん、福島ゆかりの作品ということで、「智恵子抄」も記事に載せられたのでしょう。

ただ、映画の「智恵子抄」は、昭和32年(1957)の熊谷久虎監督、原節子さん、山村聰さんご出演の東宝作品と、昭和42年(1967)の中村登監督、岩下志麻さん、丹波哲郎さんご出演の松竹作品の2種類があり、両方なのか、それともどちらか一方なのか、そこまでは書かれていませんでした。画像にも写っていません。いずれも二本松ロケは行われています(特に東宝の方は智恵子生家そのものでも)が。

こちらは入場無料の上、「来場者に抽選で村産コシヒカリの新米」だそうで、上記スタンプラリーの「和牛焼き肉用1万5千円分」といい、どんだけ太っ腹なんだ? という感じですね。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

――日本芸術は其の何処までも辛抱強い観察と、極小のものにある美の探求とでわれわれの芸術より秀れてゐます。日本人は他の者の無視してゐた一つの葉脈をも研究しました。そして何処の国でも出来なかつた発見によつて報いられました。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

印象派の画家たちほどには影響を受けなかったようですが、ロダンもジャポニスムに対しては好意的でした。どの国のものでもいいものはいい、というわけで、「偏狭なナショナリズム」「無責任なポピュリズム」とは無縁の世界ですね(笑)。

智恵子のソウルマウンテン、福島の安達太良山で紅葉が見頃だそうで。

FTV福島テレビさんのローカルニュースから。

紅葉が山肌一面に ロープウェイで安達太良山へ ほんとうの空と色鮮やかな紅葉のコントラスト 福島

 福島県の安達太良山の紅葉は、今がまさに見頃となっている。10月15日は天気にも恵まれてより一層山肌を鮮やかに染めた。福島が誇る紅はこれからが本番だ。
■日本百名山・安達太良山の紅葉
 日本百名山の一つ、標高約1700mの安達太良山。絶景を求めてロープウェイで標高1350メートルの山頂駅を目指す。
 乗車して約3分、200mほど上がってきたが、赤や黄色に色づいた木々が目立ってきた。標高が上がるにつれて、紅葉の色づきも増していく。眼下に広がる雄大な景色を楽しんでいると、あっという間に到着だ。
 ほんとうの空の下、さらに登っていけば...山肌一面に映える色鮮やかな紅葉。まさに見頃を迎え、青空との美しいコントラストを織りなしている。福島の秋を象徴するこの美しい景色に、心打たれる。
 群馬から訪れた女性は「もう感動の一言です」と話し、東京から訪れた夫婦は「いいですね、ここはやっぱりね。ベストいくつとかに入ってますんで、やっぱ綺麗なんですよね、他に比べても」と話す。
 季節のうつろいとともに表情を変える安達太良山。山を染める紅葉は10月19日ごろまでが見頃だ。
■福島県の紅葉の見ごろ
 福島県内はこれから絶好の紅葉シーズンとなる。安達太良山、そして磐梯吾妻スカイライン・尾瀬沼は見ごろを迎えている。他にも裏磐梯の五色沼、田子倉湖、甲子高原が色づき始めていて、10月25日頃には見ごろとなりそうだ。
 今週、紅葉を楽しみたい方は青空が広がる17日金曜日と暖かくなる18日土曜日に行くのがオススメ。服装は金曜日は長そでシャツ一枚、土曜日は半袖でよさそうだが、標高が高い所に行かれる際は、羽織るものがあると安心だ。
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地方紙『福島民友』さん。

ほんとうの空、錦秋の絶景…安達太良山 紅葉、今月いっぱい

 日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)の紅葉がピークを迎え、青空が広がった15日、多くの登山客や行楽客が錦秋の絶景を満喫した。
 福島県二本松市奥岳登山口からロープウエーで標高1350メートルの山頂駅に向かい、5分ほど歩くと薬師岳パノラマパークに到着。安達太良山頂が眼前に広がり、山肌を彩る紅葉と吾妻~蔵王、阿武隈の山並みを一望できる。
 紅葉は今月いっぱい楽しめそう。あだたら高原リゾートは11月3日までの土、日曜日と祝日、ロープウエーの運行開始を通常より1時間早め、午前7時半から運行する。問い合わせは同リゾート(電話0243・24・2141)へ。
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福テレさんでは「10月19日ごろまで」、民友さんだと「今月いっぱい」(笑)。まぁ、標高1,700㍍の山頂付近と同900㍍台の登山口とでは、紅葉の進み具合も異なるでしょうし。ちなみに直上の画像は同1,350㍍ぐらいの地点です。

相変わらず紹介すべき事項の山積が続いており、新聞ついでにもう1件。『秋田魁新報』さんの一面コラム、10月11日(土)掲載分です。

北斗星

「一杯ぐっとのむとそれが食道を通るころ、丁度ヨットの白い帆を見た時のような、いつでも初めて気のついたような、ちょっと驚きに似た快味をおぼえる」。「それ」とはビールのことである。詩人高村光太郎の随筆「ビールの味」(1936年)の一文だ▼高村は麦の香りとともに、ビールの喉越しが気に入っていたらしい。ユニークな表現は、この喉を通る感覚を言葉にしようと生まれたのかもしれない▼随筆が発表されたのはビール人気が急伸していた頃。欧米中心だったビール人口はやがて世界中に拡大。ビール会社の調べでは2023年に世界で飲まれたビールのうち3割がアジア、2割が中南米だった▼そのビールが将来、気軽に飲めなくなるかもしれないという報道が先日あった。原因は温暖化。欧州などでは近年、原料の大麦やホップが減収するといった影響が指摘されている▼国内有数のホップ産地・横手市大雄では、今夏初めて収穫ボランティアを募った。大雄ホップ農業協同組合によると、気象データの分析で収穫適期が早まっていることが分かったという。今のところ収量や品質に影響はないが、人手不足で適期の間に作業を終えることに懸念があった。気候変動にも対応するため、この試みは続けていくそうだ▼苦みの印象が強いホップだが、香りは甘く爽やか。その香りはビールを飲んだ時の喉越しにも影響するという。ボランティアで汗を流した後の一杯は、さぞかしうまいことだろう。

随筆「ビールの味」、けっこう色々なところで取り上げられています。左党の皆さんには「あるある」なのかもしれません。
大本泉『作家のまんぷく帖』。
岩手日報「風土計」。
森鷗外記念館コレクション展「文学とビール―鷗外と味わう麦酒(ビール)の話」。
『毎日新聞』/『山形新聞』。
『ビールは泡ごとググッと飲め——爽快苦味の63編』。

今回もそうですが、新聞の一面コラムに取り上げられることが多い感じです。共感を得やすい文章だということでしょうか。それも大切なことですね。

【折々のことば・光太郎】

彼は――芸術家は考へるものです。全体について考へます。部分に就いても考へます。そして部分の研究は彼にとつて全体を更によく掴む為めの道なのです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

彫刻に限った話ではないのでしょうね。絵画でも、工芸でも、いや、造型芸術でなくとも文学や音楽などにも通じることだと思います。

10月12日(日)、13日(月)と、花巻市の土澤地区で開催された「土澤アートクラフトフェア」に、花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが参加なさったそうです。
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この催しは基本、「アート」と「クラフト」の「フェア」で、それ系が約300店、それから来場の皆様や出店者の方々に販売するということでしょう、飲食系の出店が100店近く。なかなか大規模なイベントですね。

やつかの森さんは出店者名簿に名がありませんでしたが、おおむね月に一度「こうたろうカフェ」として出店されている「ワンデイシェフの大食堂」さん名義でワンデイさんのスタッフの方々共々ご参加、「こうたろう弁当」を販売されたとのこと。
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やつかの森さんの作られる料理はいつもそうですが、光太郎の日記などを元に、実際に光太郎が自分用に調理したメニューや、使った食材などを参考に現代風にアレンジされたものです。

昨秋の「土澤アートクラフトフェア」で、智恵子にちなむレモンケーキを配付なさった花巻南高校家庭クラブさん。今年もやつかの森さん、ワンデイシェフの大食堂さんのヘルプに入られたそうです。
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特筆すべきは、生徒さんたちがまとっているエプロン。大正時代の『婦人之友』に紹介され、彼女たちが復刻して下さった智恵子のエプロンをアレンジしたものです。

オリジナルは智恵子の実家である福島の長沼酒造で使われていた酒袋(酒を搾るのに使うもの)の再利用でしたが、それだとまず素材を入手するのが大変ですし、布地も硬く縫製が難しい(復刻の際にはミシンの針が折れたそうです)とのことで、現代の普通の生地を使っての制作。これなら量産がききますね。これはこれで売りに出せば売れるような気もします。

そんなこんなで、今後のますますの活動の発展に期待したいところです。

【折々のことば・光太郎】

――感情に種類のあるやうに美にも多くの種類があります。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「美」のありようは、美術方面、造型芸術に限らないということでしょうか。当然、文学や音楽などにもそれぞれの「美」がありますし、人間が介在しない自然界にも「美」は溢れています。

10月5日(日)、智恵子忌日の「レモンの日」に合わせ、福島二本松の智恵子生家ではライトアップが行われました。地元紙『福島民友』さんから。

生家ライトアップ、智恵子に思いはせ 福島・二本松、11月16日も実施

 詩人・彫刻家高村光太郎の妻で詩集「智恵子抄」の「レモン哀歌」でも知られる福島県二本松市出身の洋画家高村智恵子の命日の5日、同市の智恵子の生家・記念館はライトアップイベントを行った。
 「高村智恵子レモン祭」の一環として昨年に続き実施した。生家に智恵子と光太郎のシルエットが浮かび上がり、幻想的な映像で秋の夜を彩った。
 このほか生家内は上川崎和紙のランプシェードで演出され、来場者が智恵子への思いをはせた。レモン祭は11月16日まで。生家のライトアップは最終日(午後5時~同8時)にも行われる。問い合わせは同館(電話0243・22・6151)へ。
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10月2日(木)から開催されている「高村智恵子レモン祭」の一環としての実施で、一昨年から行われています。今年は復活を果たしたゆるキャラ・ちえこちゃんもかけつけたようですね。あと1回、レモン祭千穐楽の11月16日(日)にも開催予定です。

レモンと言えば、一昨日、NHK Eテレさんで放映された「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」。SNS等エゴサーチしましたところ、おかげさまでおおむね好評を頂いており、安堵しております。昔の知り合いからも複数「見たよ」という声も戴きました。

番組内で行われる調理の監修を担当されている辻調理師専門学校さんのサイトに、スタジオ撮影の様子や簡易レシピ、さらにそこからリンクでPDFによる詳細なレシピも掲載されています。
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ご興味おありの方、ぜひチャレンジしてみて下さい。

【折々のことば・光太郎】

――大家達を会得するやうに力めませう。彼等を愛しませう。彼等の天才に酔ひませう。だが、薬剤師の薬品みたいに「レツテル」を貼らない様に用心しませう。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

作家に対してもですが、作品に対しても同じことが言えますね。「智恵子抄」=「純愛の詩集」のような。「智恵子抄」は本当に複雑な側面を多々持っています。「追憶の詩集」であり、「鎮魂の詩集」であり、「悔恨の詩集」であり、「懺悔の詩集」でもあり、「智恵子のみならずそれまでの自らへの訣別の詩集」でもあります。……と、こういうのも「レッテル」ですかね(笑)。

昭和13年(1938)の今日、南品川ゼームス坂病院で、智恵子が光太郎の持参したレモンをがりりと噛んだことにちなみ、今日、10月5日は「レモンの日」です。

そういう日にこんな話題をお届けするのも心苦しいのですが……昨日の午後、X(旧ツィッター)上で「日本終了」がトレンド入りしていました。面白いことに、ある人々は「「日本終了」にならなくて良かった」と大喜びし、逆に「「日本終了」の始まりだ」と嘆く人々も居ます。同じワードがプラスマイナス両面で使われています。日本もアメリカのような分断社会に突入するのか、すでにそうなっているのか、というところですね。

こうした事態になることを憂慮してでしょうか、先週10月1日(水)の広島に本社を置く『中国新聞』さん一面コラム。光太郎の名がマクラに使われています。

天風録 値上げと上振れ

その飲み物は大正初めに米国からやってきた。早速、高村光太郎の詩に〈コカコオラ〉、芥川龍之介が門下の作家に宛てた手紙にも〈コカコラ〉で登場する。当時のインテリ層の間ではおしゃれな飲み物だったと察する▲「コカ・コーラ」を含む飲料や食品3千品目超がきょう値上げされる。500ミリリットル入りの他の清涼飲料水も相次ぎ価格が上昇する。自動販売機の表示には200円台がずらり並びそうだ▲今年1年間に見込まれる値上げ品目は2万以上に及ぶ。原材料費の高騰に加え、政府が旗振る賃上げ分の上乗せで物価上昇は長引く可能性がある▲物価高対策が大きな争点の自民党総裁選は終盤戦へ。各候補が減税や交付金などを打ち出せど、元手をどう工面するかの議論は乏しい。物価高による負担増が積み上がった税収の「上振れ」頼みでは何とも心もとない▲参院選大敗は税の使い道に恩恵を感じない国民が離れた結果でもある。なのに総裁選で目立つのは配信動画でヨイショ投稿を促す「ステマ問題」や、外国人を巡る「奈良のシカを蹴り上げる人がいる」発言。これらで支持の上振れを期待した面々に、自販機のボタンをすんなり押せぬ気持ちは分かるまい。

なるほどね、という感じですね。

コカコーラと光太郎に関してはこちら。
「昭和32年 コーラ本格上陸 みんな作って、みんないい」/「「乙女の像」制作 朗読劇で 劇団「エムズ・パーティ」16、17日十和田で上演」。
都内レポートその2 「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」。
『イチからつくる コーラ』。

神聖なレモンの日にこの件で終わるのも癪なので(笑)、もう一件。同じくドリンク系の話題で智恵子の故郷、福島二本松から。

智恵子生家/智恵子記念館に近い、安達ヶ原ふるさと村さんのX(旧ツィッター)投稿から。

【新商品のお知らせ】

大人気オリジナルプリント柄のドリップコーヒーに新柄が登場!

秋らしい『錦秋の安達太良山』や『菊人形』など二本松を満喫できるパッケージです❤

安達ヶ原ふるさと村 と道の駅安達上下線で販売中☺※「バッピーちゃん」はふるさと村限定

お土産や日々の癒し時間にぜひ!
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「大人気オリジナルプリント柄のドリップコーヒー」は、先月ご紹介した智恵子イラストを含む5種類のパッケージです。
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ちなみに他の画像も発見しまして、それぞれの柄の紙袋も別売りで出ていることが判明しました。
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これはますますゲットせねば、と思っております。

今回の追加分は、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の写真を使ったものが含まれる他、菊人形イラストも智恵子のイメージに近い感じです。

高村智恵子レモン祭」期間中に一度行ってこようかなと思っております。皆様もぜひどうぞ。しかし、鬼婆の顔は誰かさんの顔に見えて仕方ありません(笑)。

最後にレモンの日ついでですが、明日、10月6日(月)、NHK テレさんで「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」の初回放映があります。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

芸術こそ人間の最も崇高な使命です。世界を会得しようと力め又其を会得させようと力める思想のはたらきだからです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

物価高による負担増で、芸術どころじゃないという人々も多いのが、この国の現状でもありますが……。

001当会で会報的に発行している『光太郎資料』。第64集が完成しまして、関係の団体や個人の方々へ順次発送しております。

元々は当会顧問であらせられた故・北川太一先生が、筑摩書房版第一次『高村光太郎全集』完結後、その補遺などを最初の目的として昭和35年(1960)に刊行を始めたものです。以後、平成5年(1993)の第36集まで不定期に発行が続き、全集の補遺や、その他、光太郎智恵子光雲に関する様々な「資料」が収められました。

平成24年(2012)に当会としてその名跡をお譲りいただき、4月の連翹忌と10月のレモンの日に合わせて、年2回の発行としています。

今号の内容は以下の通り。

「光太郎遺珠」から 第二十八回 岩手にて その二
増補版『高村光太郎全集』(平成10年=1998に完結)後に見つかった光太郎文筆を集成しています。昭和20年(1945)から7年半暮らした花巻町と郊外旧太田村で書かれたもののうち、今号では昭和20年(1945)と翌年前半の、主に書簡です。

光太郎回想・訪問記 『宮沢賢治批判』まえがきより 佐藤勝治/出会いの重みについて 四竈経夫(しかまつねお)
前者は『山荘の高村光太郎』(昭和31年=1956 現代社)を書いた、元太田小学校山口分教場の教師・佐藤勝治によるもの。同書と重なる部分もありますが、多少のニュアンスの違いもあったので採りました。光太郎の旧太田村移住の経緯等が記されています。

後者は『海のように深く 現代の忘れもの』(平成5年=1993 宝文館出版)より。四竈は学徒出陣後、戦後は東京女学館中学高校長を務めた人物であった他、八木重吉に関する著書もあります。光太郎日記の昭和20年(1945)9月10日の項に「午後佐藤院長さん宅へ清六さんの知人四カマ氏といふ航空気象の軍人来訪、詩の話などす。余の詩を読んでゐる人。水沢へ来たついでとの事。」の記述があります。この日は8月10日の花巻空襲で宮沢賢治の実家を焼け出された後、身を寄せていた旧制花巻中学校元校長・佐藤昌宅から、花巻病院長・佐藤隆房邸へ移った当日でした。これまで「四カマ氏」については不分明でしたが、四竈自身の回想を発見したことで、詳細が明らかにできました。

光雲談話筆記集成 善光寺仁王尊の製作 米原雲海/高村光雲
大正8年(1919)、光雲とその高弟の米原を中心に制作された信州善光寺さんの仁王像他について。制作過程や細部の意図、参考にした他寺院の仁王像について等が語られています。

昔の絵葉書で巡る光太郎紀行  安房館山周辺(千葉県)
大正10年(1921)に与謝野夫妻、深尾須磨子ら新詩社の一行10名程で、さらに同14年(1925)には光太郎智恵子二人で訪れた安房館山を紹介しました。
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音楽・レコードに見る光太郎  「家の光つどいの歌」
昭和30年(1955)にリリースされた、光太郎詩「私は青年が好きだ」(昭和15年=1940)朗読(朗読者は不明)が吹き込まれたSPレコードに関してです。2種類の盤が確認出来ています。
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第六十九回連翹忌報告
4月2日(水)に日比谷松本楼さんで執り行った、第69回連翹忌の集いについてです。
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高村光太郎初出索引
現在把握できている光太郎文筆作品を、初出掲載誌題名によりソート・抽出し、初出掲載年順に表にしています。今号では昭和11年(1936)から翌年に初出のあったものを掲載しました。智恵子が南品川ゼームス坂病院に入院していた時期です。
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ご入用の方にはお頒けいたします(ご希望が有れば37集以降のバックナンバーも)。一金10,000円也をお支払いいただければ、年2回、永続的にお送りいたします。通信欄に「光太郎資料購読料」と明記の上、郵便局備え付けの「払込取扱票」にてお願いいたします。ATMから記号番号等の入力でご送金される場合は、漢字でフルネーム、ご住所、電話番号等がわかるよう、ご手配下さい。申し訳ありませんが手数料はご負担下さい。

ゆうちょ口座 00100-8-782139  加入者名 小山 弘明

今号のみ欲しい、などという方は、このブログのコメント欄等でご連絡いただければと存じます。送料プラスアルファで1冊200円とさせていただきます。

【折々のことば・光太郎】

良い彫刻家が人間の胴体を作る時、彼の再現するのは筋肉ばかりではありません。其は筋肉を活動させる生命です。……生命よりも以上のもの、……力です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

光太郎訳の『ロダンの言葉』は、日本の若き芸術家たちにバイブルの如き扱いを受けました。やはりこういう一節などが沁みたのでしょう。

智恵子の故郷・福島二本松の「ほんとの空」を旅するイベントです。

~にほんまつ東北~ほんとの空の旅 in 赤そば畑 バルーン搭乗体験

期 日 : 2025年10月12日(日)
会 場 : 下川崎東北赤そば畑 福島県二本松市下川崎字東北166-1
時 間 : 受付開始 6:30~ 搭乗 7:30~
料 金 : 中学生以上500円 小学生以下 無料

10月上旬から11月上旬に開催される「東北赤そば祭り」に合わせて、熱気球(バルーン)の体験搭乗会を開催します。赤そばの花(赤)と安達太良連峰などの大パノラマ(緑)、ほんとの空(青)による圧巻の景色をお楽しみください。

先着100名 ※当日、搭乗場所入口の受付で受付順番券を配布します。
搭乗人数 3名程度/1回  搭乗時間 約5分/1回
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本日開幕の「下川崎字東北赤そば祭り2025」の一環としての実施です。現地は智恵子生家/智恵子記念館さんから直線距離で5キロ弱といったところ。バルーンが高く舞い上がれば、生家/記念館も見えるのではないでしょうか。もちろん光太郎詩「樹下の二人」に謳われた安達太良山や阿武隈川はばっちりだと思われます。在りし日の智恵子を搭乗させてあげたかったところですね。

赤そばは、「高嶺ルビー」のブランド名で、信州伊那地方のものが有名ですが、二本松の東北(とうぎた)集落では、令和2(2020)年度から福島県地域創生総合支援事業を活用し、遊休農地に赤そば栽培事業を開始したそうです。伊那の赤そばはヒマラヤ原産ですが、こちらも同じ品種なのでしょうか? 寡聞にして存じません。

それにしても、料金500円というのは何とも良心的ですね。搭乗時間3分とはいえ、です。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

他の人々にとつては森や地面に過ぎないものが、偉大な風景画家には広大無辺なものの顔としてあらはれるのです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

この際、ロダンが例として挙げていたのがコローやミレー。

智恵子にとっても二本松の風物は、他の人々とは違った広大無辺なものっだったのでしょう。もっとも、東京でうまくいかない時に心を癒してくれる故郷の眺め、という意味合いが付随していましたが。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で、10月5日(日)の智恵子の忌日「レモンの日」に行われるイベントです。

第2回 レモンの日イベント

期 日 : 2025年10月5日(日)
会 場 : 田舎labo 岩手県花巻市湯口字蟹沢13−1
時 間 : 11:00~16:00
料 金 : 無料

10月5日〈レモンの日〉にちなんで開催 レモンいっぱい、お楽しみに!
花巻ゆかりの彫刻家で詩人・高村光太郎氏の“レモン哀歌”にちなんで制定された、特別なレモンの記念日です。いろんなジャンルの飲食店が、いちおしのレモンメニューを持って集まります。レモン尽くしの爽やかな1日をぜひお楽しみください🍋

出店者一覧
 焼き菓子工房シャノアール (レモンビスケット・レモンケーキ他)
 バックシュトゥーべ (檸檬トルテ)
 うずら森のこよみ (レモンカード)
 志たあめや (レモンたぬきさん)
 んだばシトラス (レモネード・レモンジンジャートニック)
 スイーツ工房ヘンゼル2 (蜂蜜レモンタルト・レモンヨーグルトシフォンケーキ他)
 Cocoon BAKE (レモンパイ)
 ぱん☆d'argileさんの『デリバリーひよこ隊レモンバージョン』を数量限定販売します!
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花巻と、附近の自治体さんにある複数のお店によるレモン系スイーツの饗宴です。

昨年
から開催が始まり、2回目の実施です。昨年は告知に気づくのが遅れ、当日になってあわててご紹介しましたが、今年は早めに(笑)。個人的には「レモンたぬきさん」が気にかかります(笑)。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

散歩する度び散歩は私にとつていつでも新らしい驚嘆です。都会で疲れた後などは、広大な恢復期の中に浸つてゐる様です。一切のものが悦楽です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

光太郎もそうでしたが、ロダンにも田舎志向があったようで……。

10月5日(日)の智恵子の忌日「レモンの日」に合わせての、毎年恒例のイベントです。

高村智恵子 レモン祭

期 日 : 2025年10月2日(木)~11月16日(日)
会 場 : 智恵子の生家/智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:00
休 館 : 水曜 ※祝日の場合は翌日
料 金 : 大人(高校生以上)410円(360円)
      子供(小・中学生)210円(150円) (  )内団体料
      10月26日(日)は「東北文化の日」のため無料開放

普段は公開していない智恵子の生家2階の公開や、智恵子作「紙絵」の実物展示などを行います。また、智恵子の命日には生家がライトアップされます。ライトアップを堪能するとともに、智恵子への哀悼の意を表しませんか?

智恵子の生家2階公開
 公開日 10月……4(土)-5(日)、11(土)-13(月・祝)18(土)-19(日)、25(土)-26(日)
     11月……1(土)-3(月・祝)、8(土)-9(日)、15(土)-16(日)
      10月25日(土)午前は「紙絵コンクール」表彰式典のため公開一時中止の場合有

 奇跡といわれる智恵子の「紙絵」実物展示
  展示期間 10月2日(木)~10月19日(日)
  展示場所 智恵子記念館内

 蘇る智恵子season3~生家のライトアップ~
  実施日時 10月5日(日) 11月16日(日) 午後5時~8時

 智恵子を偲ぶ折り鶴展~展示編~
  今春開催した“生誕祭”にて作製いただいた皆さまの折り鶴を展示いたします。
  生家ライトアップ時の演出も含めぜひお楽しみください。
  展示期間 10月2日(木)~11月16日(日)
  展示場所 智恵子の生家 奥座敷

 「チヱのレモン菓子屋さん」オープン
  市内菓子店より、レモンを使用した菓子等を集めて販売いたします。
  美しい庭園を眺めながら、ぜひご賞味下さい。
  実施日時 【1期】10月…10(金)-12(日)
       【2期】11月…1(土)-3(月・祝)
  実施場所 智恵子の生家 縁側 他
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生家ライトアップは一昨年から始まりました。フライヤーの画像は昨年のものと思われます。昨年は地元紙で取り上げられています。

フライヤーといえば、ゆるキャラ・ちえこちゃんが印刷されています。一時期お休みしていましたが、今年、復活を果たしました。「気まぐれに登場」だそうで出没日時等不明ですが(笑)。

折り鶴の中には当方の作った一羽もあるはずです(笑)。

そして例年通りの智恵子生家2階部分の特別公開(通常非公開)、智恵子紙絵の実物展示(通常は複製展示)も企画されています。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

心は敏捷である事を要しません。のろい事はあらゆる意味に於いて思慮を意味します。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

創造には「のろさ=気の長さ」も必要だそうで。短気な当方には耳の痛い言葉です(笑)。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の語を冠したイベントを二つ。まぁ、それぞれ話の枕やタイトルに使われている程度で、本題としては光太郎智恵子にあまり関わらないとは存じますが。

まずは公開講座です。

2025年度 東京都立大学プレミアム・カレッジ 公開イベント「都市のヒートアイランド現象はなぜ起こるのか? ―智恵子は東京に空が無いといふ―」

期 日 : 2025年9月27日(土) 
会 場 : 東京都立大学南大沢キャンパス 京王相模原線「南大沢」駅改札口より徒歩5分
時 間 : 13:15~14:15
配 信 : 10/14(火)~11/25(火)
料 金 : 無料・事前申込制
講 師 : 特任教授 高橋日出男

都市の表面は、コンクリートで覆われ、そしてたくさんの中高層建築物が建ち並んでいます。このような人工的環境が都市のヒートアイランド現象を発生させる仕組みを、熱・エネルギーの収支(出入り)や大気の立体構造から考えます。智恵子抄の中で、智恵子は東京に空が無いといっていますが、建築物で空が見えないことも要因の一つです。

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対面方式の方は申し込みが終わっていまして(もしかするとキャンセル等あるかもしれませんが)、オンデマンド配信をご選択下さい。

続いて智恵子の故郷、福島二本松から演奏会情報です。

音を通した楽しいふれあい ほんとの空ふれあい音楽祭

期 日 : 2025年9月27日(土)
会 場 : 安達文化ホール 福島県二本松市油井字濡石1-2
時 間 : 13:00~
料 金 : 無料

障がいがある方の芸術・文化活動を通じて、障がい者、介護者および市民の皆さんに、より一層の交流を深めていただくため、音楽祭を開催します。

各団体によるステージ発表や、福島県警音楽隊による演奏のほか、各障がい者施設の活動展示、お菓子や木工製品等の自主製品販売を行います。

手話通訳があります。


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それぞれ、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

公衆は天才といふものは本来の意味の芸術にしか存在しないものだと思つてゐます。自分の家をよく整理する女、自分の子供を育てる母、其を人間に作り上げる母、此等も天才を持つてゐるのです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「天才」というのは限定された分野のみのものではなく、各家庭にも存在するのだ、と、いうわけで。着眼点はいいのですが、「男」や「父」としていないあたり、突っ込みが入りそうですね。

紹介すべき事項が山積しておりまして、4件まとめて。キーワードは「グルメ」です。

まず毎月ご紹介しています、光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動。花巻市のワンデイシェフの大食堂さんで、ランチタイムにやつかの森さんが調理されて饗される「こうたろうカフェ」。先月29日の分をまだご紹介していませんでした。
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「ハーブのパリパリグリルチキン」「焼き茄子の香味たれ」「オクラと卵の寒天寄せ」「じゃが芋とトマトのバター煮」「サーモンサラダ」「季節の漬物」「ご飯」「モロヘイヤのスープ」「スフレフロマージュ」「コーヒー」。

ワンデイシェフの大食堂さんは、キッチンを貸し出し、日替わりで個人や団体が調理を担当し、ランチを出すというシステム。やつかの森さんは光太郎の日記等を元に、光太郎が調理したメニュー、使った食材などを参考にされています。今月はやつかの森さんとしてはお休みだそうです。

やつかの森さんによる同様のメニューの組み方で、毎月15日に道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」9月15日(月)分。
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こちらは「南瓜コロッケ」「鮭の塩焼き」「豚肉と茸のソテー」「卵焼き」「栗ご飯」「おはぎ」「漬物」「ぶどう」。秋の味覚がたっぷりですね。

同じくグルメ系ということで、智恵子の故郷・福島二本松でも。

二本松市内の旧安達町区域の給食のメニューが同一で、年に数回、各学校さんからのメニューの考案を元に組まれ、そのうちの一つが智恵子の母校・油井小学校さんによる「ほんとの空給食」で、以前にも何度かご紹介しました。で、9月16日(火)がそれだったそうです。
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油井小さんのサイトによれば「給食委員会が選んだメニューを、給食センターで栄養バランスを考えて献立にしてくださいました。わかめご飯、ワンタンスープ、鶏肉のからあげ、春雨サラダ、サワーゼリー、牛乳。どれも子どもたちの大好きなメニューです。もりもり食べる1年生教室と6年生教室にお邪魔しました。みんな笑顔で食べていました。」とのこと。

各校・各学級でなぜ「ほんとの空」のネーミングなのか、子供達に語っていただきたいところですね。

最後にやはり二本松から。地元紙『福島民友』さん、9月16日(火)の記事です。

高村智恵子や鬼婆イメージ!ドリップコーヒー 福島・二本松、パッケージ5種類

 道の駅安達を運営する福島県の二本松市振興公社は、同市出身の美術家高村智恵子や安達ケ原の鬼婆(おにばば)伝説をイメージしたドリップコーヒーを販売している。
 智恵子と折り鶴、花をあしらったものや「ROUTE4 ADACHI」の文字、オニババと出刃包丁のイラストなどパッケージは計5種類。飲みやすいブレンドコーヒーでお土産に人気という。
 1個230円、3個は650円、5個は1000円で販売中。5個がピッタリ入る6種類の特製紙袋(各100円)も用意している。道の駅安達上下線のほか、オニババ3種は安達ケ原ふるさと村で購入できる。
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「鬼婆」は智恵子生家と同じ旧安達町内の観世寺さんに伝わる鬼婆伝説に基づきます。なぜコーヒーなんだ?と突っ込みたくなりますが(笑)。

鬼婆はともかく、智恵子コーヒーは次に二本松に行った際にゲットしようと思っております。

「食」は生命を支える基本。それを通して光太郎智恵子に触れることも大切ですね(無理くりのまとめですが(笑))。

【折々のことば・光太郎】

――恋愛こそ生命の花です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「恋多き」人だったロダンにとっては「食」よりも「恋」だったようです。

昨日は1週間ぶりに上京しておりました。行き先は品川区大井町にある、ジオラマ作家の石井彰英氏の工房兼スタジオ(氏はミュージシャンでもあらせられますので)。昨日もご紹介した、土屋直久氏と石井氏が作成され、高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」で展示されている昭和10年代の花巻駅付近のジオラマの関係です。

石井氏はこれまでもジオラマ作成と並行してジオラマをビデオで撮影し、DVDも制作なさっています。

品川区大井町-智恵子終焉の地・ゼームス坂病院を含む-のジオラマDVD
「高村光太郎ジオラマDVD」。
「高村光太郎ジオラマDVD」上映会。
中原中也ジオラマDVD ダダさん。

今回もDVD制作をなさり、昨日はその上映会というわけで、馳せ参じた次第です。
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石井氏、土屋氏以外に集まられたのは、DVDのBGMを演奏された石井氏の音楽仲間の皆さんや、これまでのジオラマの関連で石井氏と親しくなられた方々。
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おおむね40分程の映像です。
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光太郎第二の故郷・花巻の玄関口、花巻駅周辺。展示されているジオラマ本体には無い建造物等も、これ用に作成されているようです。
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先週行われた「花巻まつり」も。昭和10年代という設定ですので、宮沢賢治やその妹・トシは既に亡くなっていますが、二人の魂が祭りを堪能しているというわけで。
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現在のJR釜石線にあたる岩手軽便鉄道がメインですので、花巻の東、遠野方面も。
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さらに古写真や現在の現地の写真。
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最後に制作日誌。
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2年以上かかっての制作、実に頭が下がります。

花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示は11月30日(日)まで。おそらく記念館さんでDVDの販売も為されているかと存じます。

また、今回、あまり協力しなかったにもかかわらず、8枚ばかりいただいてしまいました。数枚は花巻のお世話になっている方々に送ろうと考えていますが、まだ残りそうなのでご連絡いただければお送りします。大口のご注文等は、石井氏まで。

【折々のことば・光太郎】

あなたは頭がどういふ様に頸に嵌り込んでゐるかを注意しなかつた。あなたはモデルを顎の下から見ませんでしたね。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

女弟子の一人が製作を見て貰ひに来た時」という小題が付いた部分の一節です。「女弟子」はカミーユ・クローデルかもしれません。

頭は頭、胴体は胴体、ではなく、部分部分の繋がりが大切、と、当たり前と言えば当たり前ですが、造型芸術ではなかなかそれがうまく出来にくいのでしょう。

今日はこれから上京します。現在、高村光太郎記念館さんでの企画展「昔なつかし花巻駅」で展示されている昭和10年代の花巻駅付近のジオラマを作成したお一人、石井彰英氏の工房にお邪魔する予定です。

石井氏、ジオラマを制作された後は、ビデオカメラで作品を撮影し、DVD化することをルーティンとされており、その完成記念に、メインで制作された土屋直久氏、その他協力者を招いての上映会だそうで、当方も招かれました。今回はほとんど協力もして居らず恐縮なのですが。

企画展「昔なつかし花巻駅」、少し前に地元紙『岩手日日』さん、NHKさんのローカルニュースで取り上げられましたが、地元テレビ局IBC岩手放送さんのニュースでも紹介されました。

昭和11年に撮影された記録映画をもとに、当時の花巻駅周辺を表現 精巧なジオラマ公開 岩手・花巻

昭和11年7月に作られた記録映画をもとに製作された、昭和初期の花巻駅周辺を情景として表現したジオラマが岩手県花巻市で公開されています。
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このジオラマは昭和初期の花巻駅やまちの雰囲気を感じてもらおうと、高村光太郎記念館が企画、東京の土屋直久さんに依頼して製作されたものです。
高村光太郎記念会の初代会長である佐藤孝房さんが昭和11年に撮影した、岩手軽便鉄道の記録映画に残る花巻駅周辺の街並みを表現しました。
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 ジオラマのサイズはヨコ180センチ、タテ60センチとかなりの大きさ。
当時の花巻駅は岩手軽便鉄道、花巻電鉄、日本国有鉄道の三路線が乗り入れ、かなりの賑わいを見せていたことがわかります。
こちらが日本国有鉄道の花巻駅。
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 着物姿で駅の案内板に見入る親子の姿に、当時の日常が垣間見られます。

そしてこちらは岩手軽便鉄道の花巻駅。
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 二階建ての駅舎です。2階にはレストランがありました。
外観からも、かなりハイカラな駅舎だったことが分かります。

こちらは岩手軽便鉄道の花巻駅構内。
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停車している蒸気機関車のすぐ近くには給水塔と石炭台があります。
ここで水と石炭を補給し、列車は終着駅の仙人峠を目指しました。

こちらは、駅前にあったタクシー会社。
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 レトロな車の形状が、今見ると逆にオシャレでカッコ良いです。

会場では、モニターで昭和11年7月に撮影された記録映画を見ることもできます。
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そこに映し出された当時の人々の姿や表情を見るだけでも、ここを訪れる価値があります。
(筆者は終点の仙人峠駅に「駕籠かき」の姿が映っていることに驚きました)
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高村光太郎記念会事務局の高橋卓也事務局長補佐は「電気鉄道(花巻電鉄)を含めた3路線が乗り入れている駅は、当時は非常に珍しかった。是非、花巻駅の当時の賑わいを感じて欲しい」と話していました。
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 このジオラマと記録映画は11月30日(日)まで、花巻市の高村光太郎記念館で公開されています。

石井氏工房でのDVD上映、9月23日(火・祝)に一般向けにも開催されるそうです。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

確かに、のろいといふ事は一つの美です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

〆切に追われる仕事では、いいものは作れない、と。わかっていながらなかなかできないのですが(笑)。

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