カテゴリ: 東北

15年経ちました。

15年前のあの日、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町で光太郎顕彰団体「女川光太郎の会」を主宰なさっていた貝(佐々木)廣氏は、同町を襲った津波に呑まれ、還らぬ人となられました。

15年前、震災から数日間、自分は避難所となっていた当時の勤務先のPCで女川町の情報収集。現地の避難所に入ったという方々の手書き名簿PDFに貝氏の名を見つけ、一度は胸をなで下ろしたのですが、氏はいったん受付を済ませてから、まだ助けられる人がいるかもしれないと再び町中心部に向かい、そこで津波に……。後でわかったことでしたが……。

震災後、その女川町で、その年に当時の女川第一中学校に入学した生徒さんたちの発案で、「いのちの石碑」が建てられ続けました。町内21箇所のそれぞれ津波到達地点より高い場所を選び、避難の際の目印になるようにとのことでした。貝氏が中心となって、平成3年(1991)かつての女川港海岸公園に据えられた光太郎文学碑に倣い、建設資金はすべて募金でまかなうというプロジェクトでした。

震災から10年後の令和3年(2021)、最後の第21号碑が竣工。そこから数えてももう5年経つかという感じです。

その「いのちの石碑」について、『毎日新聞』さんの一面コラム。3月8日(日)の掲載でした。

余録 宮城県女川町には…

宮城県女川町には、津波発生時の避難の目安とするため「女川いのちの石碑」が沿岸部の21カ所に建立されている。2011年の東日本大震災。同町の津波による死者・行方不明者は827人に及んだ。当時小学6年生だった地元の子どもたちが、中学入学後「1000年後まで津波から命を守りたい」と考えた▲地元と連携して寄付を募り、津波の到達点を参考に建て続け、21年に完了した。国土地理院によると、東日本大震災の教訓を伝える自然災害伝承碑は、全国で130カ所が地図に載る▲あれほど苛烈だった津波被害も発災から約15年を経て、知らない世代の人が増えてくる。宮城県石巻市在住の藤間千尋さん(47)は、公益社団法人「3・11メモリアルネットワーク」(同市)のスタッフとして伝承活動に取り組む。「『津波を知らない子どもたち』を嘆くよりも、伝わる言葉を持っていない大人側の課題だと考えるべきです」と指摘する▲藤間さんは横浜市出身。震災後に石巻でボランティア活動を行い、移り住んだ。震災遺構などで見学者に説明する際は、自身は被災者でないことを事前に伝える。「伝承する役割を体験者だけに背負わせず、分かち合えれば」と語る▲語り部の活動、伝承碑、震災遺構の保存。共通の目的は未来の犠牲者を一人でも減らすことにある▲藤間さんが所属する同団体は、被災者でなくても関心を持つ大学生らが、震災遺構などでガイド役となる取り組みを始めた。多様な伝承のあり方を考えたい。
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建立当時の「女川いのちの石碑」のひとつ。女川中学校の卒業生が碑文について説明した=宮城県女川町出島で2015年10月31日

建立の中心メンバーだった皆さんは、災害伝承のために現在も活躍中です。3月8日(日)には、北海道旭川市で開催された災害時の地域のつながりを考えるセミナーで、渡辺滉大(あきと)さん、鈴木智博さんのお二人が講師を務められたそうです。
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鈴木さんは中学生時代、「女川光太郎祭」に複数回参加され、光太郎詩文の朗読もなさって下さいました。

3月7日(土)には、伊藤唯さん、それから彼らの先生だった阿部一彦さんらが、碑の清掃活動。そしてOX仙台放送さんのインタビューに。

東日本大震災の発生から15年 継続的に取材を続けてきた被災者に聞く「災害報道の在り方」〈宮城〉

 東日本大震災の発生から15年を迎えます。仙台放送ではこの間、多くの方にお話を伺いました。継続的に取材をしてきた2人に、私たちの報道について振り返っていただきました。
 女川町出身で現在は都内に住む伊藤唯さん、27歳。3月7日、古里に帰ってきた伊藤さんは、同級生や恩師とともに自らも制作にかかわった石碑の掃除を行いました。
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 震災で872人が死亡または行方不明となった女川町。町の人口の1割にあたる人が犠牲となりました。
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 悲劇を繰り返さないために…。立ち上がったのは伊藤さんをはじめ町内の中学生でした。震災発生から1カ月後に女川第一中学校に入学した生徒たちが考えた「いのちの石碑」。1000年後の命を守るを掲げ、町内21カ所の浜の津波到達地点より高い場所に、石碑を立てるというプロジェクトです。
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 資金の1000万円も生徒たちが募金で集めるなどし、全国から大きな注目を集めました。
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高橋咲良アナウンサー「これまで経験したことのない数のカメラを向けられて、あの時はどういう気持ちでしたか?」
伊藤唯さん「戸惑いがあったし、子供ながらに、大勢の知らない大人たちが環境が変わった状況の中に入ってくるというのは、すごく恐怖」
 自分の言葉がどういう伝わり方をするのか。伊藤さんは今も怖いと話しますが、それでも、大好きな町が一変したあの日の光景は、子供ながらに伝えなきゃいけないと感じたと言います。
高橋咲良アナウンサー「どんなことを伝えたいと思っていた?」
伊藤唯さん「震災直後は子供だったので、素直に自分が夢なんじゃないかと思った、あの日の出来事や光景をそのまま伝えられたらと思ったし、あの日初めて命と向き合ったというか。子供のころは命のこととか、あんまり考えないじゃないですか。だから命のことを考えるきっかけが震災だった」
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 伊藤さんが暮らしていた地区に建つ石碑。伊藤さんが中学生の時に考えた俳句が刻まれています。「愛すべき未来のために我が道を」
伊藤唯さん「今思い返してみると多分真っ暗闇の中でも、未来を見据えていたとすごく思う」

「いのちの石碑」、何と、今月行われた長野県の公立高校入試の問題でも取り上げられました。
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社会の地理的分野の問題ですが、こうしてみると、東日本大震災も「歴史」の一部となりつつあるかと思いました。しかし、それは風化させていいということではありませんし、福島では未だに原発事故の被害が継続中なわけで……。

3.11、今日という日が、いろいろと考えさせられる一日であってほしいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)69 『智恵子抄』 五十年記念愛蔵版 上製版

平成3年(1991)11月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 
 編集者附記 澤田伊四郎

この時期、『智恵子抄』の各種の異版が5種類ほど相次いで刊行されました。どれも不幸な「智恵子抄裁判」のからみで、当時は複雑な思いでいましたが、光太郎作品の伝承という意味では意義のあることと感じていました。

昭和16年(1941)にオリジナル『智恵子抄』を上梓した龍星閣では、第83刷を「五十年記念愛蔵版」として、バックラム(麻布をの生地目を浮き出して膠で固め着色したもの)装、特別な函入りで刊行しました。この他に後ほど御紹介しますが、「特装版」も出しています。

附録として澤田城子著『智惠子抄の五十年』が函に入れられていました。
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照明設備の改修工事で昨年12月から今年2月いっぱいまで休館中だった、二本松市の大山忠作美術館さんが再オープンしました。同市出身の文化勲章受章画家にして、繰り返し上演された朗読劇「智恵子抄」で智恵子役を演じられた女優・一色采子さんのお父さまである大山忠作画伯の作品を収蔵・公開なさり、一色さんが名誉館長を務められています。

地元紙『福島民報』さん。

大山忠作美術館が再開館 常設展「本日は日本画日和」開始 9月13日まで 福島県二本松市

 福島県の二本松市大山忠作美術館は改修工事による休館を経て再開館し、第32期常設展「本日は日本画日和」が始まった。同市出身の日本画家で文化勲章を受けた大山忠作さん(1922~2009年)の自然体で「描きたいものを描く」心を映す大作や扇面画などが並び、来館者を楽しませている。9月13日まで。
 LED照明の設置工事に伴い3カ月間休館し、今月1日に再開館した。「荷花」「天壇白日」「霧(高村智恵子)」などの大作をはじめ、春、夏の季節を感じられる作品、わが子の愛らしい姿を描いた「童女」、制作の過程がわかるスケッチや下絵もある。傘寿(80歳)を記念して制作した扇面画は、扇形の画面に清らかな花々や安達太良山が描かれ、「雷神午睡」「風神一服」などユーモアがにじむ作品の魅力も味わえる。展示点数は計70点。
 渡辺陽菜学芸員は、「照明が変わり、画面の鮮やかさが増した。大山家所蔵の初公開資料もあり、当美術館ならではの作品を楽しんでほしい」と来館を呼びかけている。開館時間は午前9時30分~午後5時。観覧料は一般410円、高校生以下210円。月曜休館(祝日の場合は翌日)。問い合わせは大山忠作美術館へ。

■大山采子さん 15日にトークイベント
 大山忠作さんの長女で大山忠作美術館名誉館長の大山采子(俳優・一色采子)さんのトークイベントは15日午後1時30分から二本松市市民交流センターで開かれる。
 美術館の再開館を記念し、楽しいトークを繰り広げる。終了後、美術館に移動してギャラリートークをする。定員120人で参加料は500円(常設展観覧券、ミニプレゼント付き)。申し込み・問い合わせは大山忠作美術館へ。
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000「霧(高村智恵子)」は右画像のもの。品切れになっていなければ、ミュージアムグッズとしてA4クリアファイルやポストカードも販売されています。

画伯には同郷だった智恵子をモチーフとした作品「智恵子抄」、「智恵子に扮する有馬稲子像」などがあり、特に「有馬稲子像」の方はデッサンも複数遺されています。

休館中、「移動美術館」という形で、それらを同市の智恵子記念館さんとにほんまつ城報館さんで公開していました。

リニューアル記念として、名誉館長の一色采子さんによるトークイベントが3月15日(日)に開かれるとのことで、早速申し込みました。

ついでというと何ですが、同じ福島県のいわき市では、市立の草野心平記念文学館さんで企画展「草野心平と川内村」が前日の3月14日(土)から始まるので、そちらも拝観して参ります。

当会の祖・草野心平を名誉村民として下さった川内村と心平の縁にスポットを当てるもので、直接的には光太郎に関わりませんが、フライヤー裏面画像に写る心平の別荘「天山文庫」は、建設委員に光太郎実弟の豊周も名を連ねていますし、豊周子息で写真家の故・規氏も何度も同村を訪れられています。もちろん当方も。
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それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)68 『詩集 道程』復元版 角川文庫リバイバルコレクション

平成元年(1989)6月30日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈
 注釈
 解説 高村光太郎―人と作品 藤原定
    作品解説 草野心平
 主要参考文献
 年譜

角川文庫40周年記念特別企画ということで、読者アンケートによる限定復刊が為されたうちの一冊です。はさまっていたフライヤーには30冊がラインナップに挙げられていました。近代日本文学系だと、他に『一葉青春日記』(樋口一葉)、『月に吠える』(萩原朔太郎)、『新訂版 石川啄木』(金田一京助)なども。各冊共通の金色のカバーが装着されました。それが第一期で、この後第三期まで、計74作品104冊が復刻出版されたそうです。

『道程』は昭和26年(1951)に角川文庫のラインナップに入り、この版が「改版十刷」でした。

2月21日(土)に岩手県花巻市で開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、地元紙『岩手日日』さんが報じて下さいました。もう一紙、『岩手日報』さんでも記事が出るかなと思って待っていたのですが、今朝の段階でネット上に出ていませんで、『岩手日日』さんの記事のみ御紹介します。

会いた光太郎と賢治関わりは 3人トークで思いはせ 花巻

 トークイベント「光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―」は21日、花巻市大通りのなはんプラザで開かれた。参加者は、関係者による講話を通じて彫刻家、詩人の高村光太郎(1883~1956年)と詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)との関わりに思いを巡らせた。
 高村光太郎記念館で開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展(3月31日まで)の関連行事。高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表、林風舎の宮沢和樹代表取締役、共同園芸の瀬川正子取締役の3人が講話し、市民ら約200人が聴講した。
 このうち小山代表は、2人が詩人・草野心平主宰の詩誌「銅鑼(どら)」の同人となったことで関係が始まったことや、1926(大正15)年に東京にある光太郎アトリエで1回だけ面会したことを紹介。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた追悼会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」が記された手帳を含む遺稿を持ち込み、光太郎や草野らが「このまま埋もれさせてはいけない」と一念発起し、数回にわたる「宮沢賢治全集」の編集刊行に取り組んだことなどを説明した。
 講和後は参加者から人脈が広がっていった経緯や、編さんに関わった賢治の親友で花巻高等女学校の音楽教師だった藤原嘉藤治に関する質問などが出された。
 父と参加した市立石鳥谷中学校2年の大竹彩未さんは「賢治作品が好きでよく読んでいる。面白い話が聞けて、人物同士の関係や作品の背景を知ることができて楽しかった」と話していた。
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その後、市役所さんからは、お聴き下さった一般の方々からのアンケート結果等も送られてきて、拝読したところ概ね好評で胸をなで下ろしました。

それにしても毎回感じますが、賢治と言えば花巻で、地元の皆さんの賢治愛。光太郎は現在の東京台東区の生まれ、没したのは中野区、最も長く住んだのは文京区ですが、それらの地域に賢治の花巻ほどのふるさと感が感じられません。それぞれの区で地元の偉人として光太郎を推しているかというとそうでもありません。文京区さんだけは公式サイト内の「文京ゆかりの文人」といページで光太郎も取り上げて下さっていますが、60名ほどの中の一人という扱いです。サムネイル画像つきでまず紹介されているのは森鷗外、夏目漱石、樋口一葉、石川啄木の4人です。鷗外・漱石・一葉はともかく、啄木の後塵を拝しているというのはくやしいところです(笑)。
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ちなみに60人ほどの中には、大正10年(1921)、菊坂に下宿して国柱会に通っていたということで賢治も含まれています。

文京区立本郷図書館さんで発行していた「谷根千ゆかりの文人まっぷ」でも同じような感じです。このエリアだけでも30人ほど。もっとも、谷中は文京区でなく台東区ですが。
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こういうところも東京一極集中ということなのでしょうか。漱石と一葉は東京出身ですが、鷗外と啄木はそれぞれ島根と岩手ですし、他の「文京ゆかりの文人」の60人ほど、「谷根千ゆかりの文人まっぷ」の30人ほども、半分くらいは地方出身者のようです。

閑話休題、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」、今月いっぱいです。ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)64 『CHIEKO’S SKY』

昭和53年(1978)2月 KODANSHA INTERNATIONAL 高村光太郎著 古田草一訳
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目次
 translator's preface to someone heart of one night fear peep-show song
 one evening to a woman in the suburbs winter morning awakening to someone
 midnight snow us in admiration of love supper beneath the trees
 stampede catfish a couple at night you get prettier and prettier innocent tale
 kinds cohabiting beauty's imprisonment distant view of life Chieko riding the wind
 at the foot of the mountain lemon elegy to the deased plim wine
 Chieko's papercuts the latter half of Chieko's life atomizing dream metropolis
 guiding thouse days blizzard night monologue Chieko the Element naked form
 to play with Chieko 

「智恵子抄」の英訳です。詩文の選択は独自のものがあり、昭和31年(1956)の新潮文庫版に収められた戦後のものも含みますが、新潮文庫版と完全に一致するわけでもなく、昭和16年(1941)龍星閣刊行のオリジナルとも異なっています。

始まってしまっている展示の情報を2件。

まず秋田県鹿角市。最初に鹿角コミュニティFMさんのニュースから。

小坂出身の出版者、澤田の企画展 鹿角市の図書館

 小坂町の出身で、高村光太郎の詩集「智恵子抄」を世に送り出すなどした出版者、澤田伊四郎(さわだ・いしろう)の企画展が鹿角市の図書館で始まり、熱い思いがうかがえます。
 澤田は明治37年、現在の小坂町大地(だいじ)の生まれで、昭和8年に出版社「龍星閣(りゅうせいかく)」を立ち上げました。
 埋もれたもの、独自のものを掘り出して世に送ることを終始、出版の理念とし、また本の材質や美しさにもこだわり、「本の芸術家」とも呼ばれました。
 鹿角市毛馬内の十和田図書館で行われている企画展では、澤田にゆかりの本や絹刷りの絵など230点が展示されています。
 智恵子抄は、妻を失った高村に、澤田が思い出を詩にするように提案し、まとめ上げたものですが、龍星閣で出版した実物が展示されています。
 また大正ロマンを象徴する画家、竹久夢二の画集でブームを再燃させた立役者でもありますが、日ごろは保管されている、貴重な絹刷りの絵やポストカードが並んでいます。
 いっぽう、同じ小坂町出身の画家、福田豊四郎と交流があり、第一号の出版にあたり装丁を福田に依頼しており、その本も展示されています。
 ほかに、澤田のインタビューや、龍星閣の出版物の表紙の写真を掲載した本があり、作家の発掘や本の造りに情熱を注いでいた姿がうかがい知ることができます。
 見学した70代の男性は、「この人のおかげで世に出た作家、作品があるのだから、隣の鹿角の市民としてもうれしい。こうして、地元の人をどんどん紹介してほしい」と話しました。
 十和田図書館では、「鹿角に近い小坂出身の澤田が、こだわって本を作っていたことを大勢に知ってもらおうと企画した。普段見られないものもあるので、ぜひ足を運んでほしい」としています。
 この企画展は今月27日まで、図書館2階のギャラリーで開かれています。
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展示の詳細。

本の芸術家が生んだ浪漫の世界

期 日 : 2026年2月25日(水)~3月27日(金)
会 場 : 鹿角市立十和田図書館 秋田県鹿角市十和田毛馬内字城ノ下7-5
時 間 : 9:00~19:00 最終日は13:00まで
休 館 : 月曜日
料 金 : 無料

小坂町出身“本の芸術家”と呼ばれた澤田伊四郎氏が設立した出版社、『龍星閣』から出版された資料を中心に、澤田氏ゆかりの人物に関する資料を展示します。
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オリジナル『智恵子抄』(昭和16年=1941)の版元、龍星閣創業者の澤田伊四郎にスポットを当てる展示です。澤田は鹿角に隣接する小坂町の出身で、平成30年(2018)には光太郎からの書簡や署名本などがごっそり小坂町に寄贈され、同町の総合博物館で展示されました。その後、都内の日比谷図書館さんでも澤田に関する展示「龍星閣がつないだ夢二の心―『出版屋』から生まれた夢二ブームの原点―」(令和5年=2023)が開催されたりもしています。

『智恵子抄』を含む「澤田にゆかりの本や絹刷りの絵など230点が展示」とのことで、画像を見ると「絹刷りの絵」は竹久夢二作品のようです。光太郎同様、夢二の書籍も龍星閣では多く手がけました。そのあたり、平成31年(2019)に刊行された『澤田伊四郎 造本一路 図録篇』に詳しく紹介されています。

続いて奈良県から、光太郎の父・光雲作品が出ている展示。

特別展「奈良のモダン ~美術をめぐる人々」

期 日 : 2026年1月17日(土)~3月15日(日)
会 場 : 奈良県立美術館 奈良市登大路町10-6
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 月曜日(ただし3月9日は開館)
料 金 : 一般=1,200(1,000)円、大学生=1,000(800)円 
      ※( )内は団体料金(20名以上)

 豊かな自然に恵まれた風光明媚な土地柄と、神社仏閣をはじめ歴史的な景観が点在する奈良は、古くから詩歌や文学、芸術の題材とされ、文人たちをも魅了する憧憬の地として知られてきました。明治時代に入ると、信仰と結びついた奈良の文化が改めて評価される中で、美術や行政に携わる人たちが盛んに訪れるようになり、古都・奈良の地にも徐々に新時代の息吹が芽生え始めます。大正時代から昭和戦前期にかけては、奈良の歴史や文化財に関する調査・研究も進展し、その魅力が広く浸透するとともに多くの文化人が集い、往来するようになりました。また、こうした動向は奈良の人々をも刺激して、両者は互いに交流を重ねながら時にはコミュニティーを形成し、地域文化の興隆を促しました。
 本展では、美術家をはじめ研究者や文学者から美術行政家まで、奈良に足跡を残した人々を、「第1.章 近代の息吹~對たい山ざん楼ろうに宿る人々」、「第2.章 華開くモダン~高畑界隈の人々」の2章により紹介します。美術を通じて展開された、これら文化人たちの活動を概観することで、奈良と美術との関わりを検証すると同時に、独自の文化が華開いた近代奈良の一面に目を向ける機会となれば幸いです。
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公式サイトに出品目録がPDFで出ていました。
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光雲については高弟たち(山崎朝雲、米原雲海、平櫛田中、山本瑞雲、吉田芳明、本山白雲)との合作「木彫額貼交二枚折屏風」。京都国立近代美術館さんの所蔵品です。
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他に、光雲・光太郎父子に関わる人物の作等が目白押し。美術系だと横山大観、小杉未醒(放菴)、新納忠之助、富本憲吉、浜田葆光、柳宗悦、藤田嗣治、有島生馬ら、文学では宮沢賢治、武者小路実篤、志賀直哉などなど。

こちら、会期終了間近です。

それぞれぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)62 『美について』改版

昭和46年(1971)4月10日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著
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目次
 触覚の世界
  触覚の世界 比例均衡 普遍と独自 永遠の感覚 写生の二面 書について 書の深淵
  感覚と生活 緑色の太陽 言ひたい事を言ふ
 彫刻の世界
  彫刻的なるもの 彫刻性について 肖像雑談 彫刻に何を見る 東洋と抽象彫刻
  蝉の美と造型 小刀の味 絶滅の美
 ある首の幻想
  ある首の幻想 人の首 家 装幀について 某月某日 手 ほくろ 自分と詩との関係
  智恵子の切抜絵 九代目団十郎の首 自作肖像漫談
 美術の魅力
  日本の美 埴輪について    仏像について(古式の美) 能面について 茶について
 彫刻の面白味
 版画の話
 静物画の新意義
 日本画に対する感想
 自刻木版の魅力
 オオギュスト・ロダン
  一 一個の全球 二 親ゆづり 三 善い姉さんと腹の出た家と 四 始まり 五 実地修行
  六 修道院 七 下働きと仕立女工 八 総決算と新時代 九 苦境と愉楽と
  十 振出しへ返る事 十一 自己の道 十二 「歩む人」と「地獄の門」と 十三 胸像群
  十四 記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義 十五 一九〇〇年以後
  十六 晩年、死、死 十七 「小さい花子」
 注釈
 解説 詩と彫刻の交流 伊藤信吉
 作品解説 北川太一
 主要参考文献
 年譜

昭和35年(1960)に出た最初の文庫版と収録作品等は同一ですが、旧仮名がすべて新仮名に変更、北川太一先生による「作品解説」などが附されました。

今年も3.11が近づいてきました。思えば「あの日」から15年目の3.11ですね。

智恵子の故郷、福島県での関連イベントをご紹介します。

まずは浜通り南相馬市から。地方紙『福島民報』さん記事。

「精霊の木」3月1日 投光 福島県南相馬市の牧草地 鎮魂、再生の願い込め

000 福島県南相馬市小高区摩辰地区の牧草地に、「精霊の木」と名付けられた1本の柿の木がたたずむ。命名されてから今年で10年。「精霊の木」が知られるきっかけとなったライトアップが3月1日に行われる。
 2017(平成29)年3月、東日本大震災の犠牲者の鎮魂と被災からの再生に願いを込める「光のモニュメント」が始まった。南相馬市原町区のシンボルだった原町無線塔をサーチライトの光で再現するイベントで、市内で飲食店を営む須藤栄治さん(53)が委員長を務める。
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域の設定が分かれた原町、鹿島、小高の各区を会場にして、絆を表現しようとした。小高区の会場を探していた須藤さんが、常磐自動車道を走行中、摩辰地区の整った農地を目にした。同地区は第2次世界大戦後に開拓された土地で、詩人高村光太郎の詩「開拓十周年」が刻まれた記念碑が建つ。近くの牧場には柿の木がりんとたたずみ、見る角度によってさまざまな表情をみせた。
 神秘的な姿にみせられた須藤さんは、開拓地に復興の思いを重ねた。柿の木を「精霊の木」と名付け、以来、光のモニュメント会場として投光を続けている。
 ライトアップされた幻想的な姿が広まり、写真愛好家らの人気スポットに育った。イベントも話題を呼び、会場は相双地方全域に広がった。「精霊の木の不思議な力を感じる」と須藤さんは語る。
 今年度の光のモニュメントは昨年11月から川内村で始まり、1日に精霊の木、11日に原町無線塔跡地の高見公園で締めくくられる。「これまでの10年は鎮魂と再生がメインだった。次は創造を目指したい」。須藤さんは会場となった相双地方を結ぶ物語の発信を目指している。

イベント詳細。

光のモニュメント(2025~2026)~再生と繁栄への願いを込めて~

期 日 : 2026年3月1日(日)
会 場 : 精霊の木/高村光太郎開拓十周年記念碑 福島県南相馬市小高地区
時 間 : 日没から20時頃まで
料 金 : 無料

 東日本大震災の再生と繁栄の願いを込めて、福島県相双地区各地で行われるサーチライトによるライトアップイベントです。
 11月2日から福島県川内村で始まった「光のモニュメント」は、来年3月11日まで相双地方10市町村12カ所で明かりを灯します。
 「再生と繁栄への願いを込めて」をテーマに力強い光を夜空に灯すことで、犠牲者への追悼と未来への再生、繁栄を願うととも地域に根ざした歴史や文化を再発見し、人々のつながりを深めることを目的としています。
 南相馬市では2026年1月25日に鹿島御子神社、御刀神社、3月1日に精霊の木、3月11日に高見公園で、日没から20時頃まで点灯する予定です。
追悼と未来への願いをこめて、空高くともされる光を見に訪れてみてはいかがでしょうか。
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「開拓十周年記念碑」は、光太郎最晩年の昭和30年(1955)に建てられました。小高区の金房開拓農業協同組合の発願で、中心になっていたのが平田良衛という人物。岩手盛岡で開催された岩手県開拓連盟の10周年記念式典で、同式典に寄せて作られた詩「開拓十周年」の光太郎筆跡を写した印刷物が配布されました。それを読んだ平田が感激、地元の書家にこの詩を筆写してもらって碑文としたものです。光太郎の許可を得たのかどうか微妙なところですが、数少ない光太郎生前に建てられた詩碑の一つです。

ちなみに光太郎に詩の制作を依頼したのは、岩手県開拓連盟の中心人物の一人だった藤原嘉藤治。嘉藤治は宮沢賢治の親友だった縁で、戦前の『宮沢賢治全集』編纂にも携わり、つい先週、花巻で開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」で取り上げました。

この碑は2回、拝見に伺いました。1度目はもう20年以上前。2度目は東日本大震災後の平成28年(2016)。「精霊の木」が近くにあるというのですが、記憶にあるような無いような、という感じです。右下は過去の同イベントの際の「精霊の木」。幻想的ですね。
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イベント「光のモニュメント」自体は昨年11月から始まっていて、リレー形式で浜通り各地をつないでの開催とのこと。スタートが川内村の長福寺さんだったそうで、驚きました。当会の祖・草野心平ゆかりの寺院であるためです。

続いて中通り郡山市から。クローズドっぽい感じですが記録のためにも取り上げておきます。

第56回全青司ふくしま全国大会/第59回全青司定時総会

期 日 : 2026年3月6日(金)~8日(日)
会 場 : けんしん郡山文化センター 福島県郡山市堤下町1番2号
日 程 : 
 3月6日(金) エクスカーション(視察研修)
  JR 郡山駅 8:30  福島第一原子力発電所 10:30〜14:20 道の駅なみえ 14:50〜15:50
  JR 郡山駅 / 郡山おみやげ館 18:15
 3月7日(土) 第56回 全青司ふくしま全国大会・懇親会
  13:00 開会式(けんしん郡山文化センター 中ホール)
   第1部 基調講演 第2部 研究発表 第3部 パネルディスカッション
  18:15 大会終了
  19:30 懇親会
 3月8日(日) 第59回 全青司定時総会
  9:30 定時総会(けんしん郡山文化センター 中ホール)
  13:00 閉会式

大会のテーマ 『ほんとの空へ』

 今回で56回目を迎える全青司の全国大会は、福島青年司法書士会の主管により、福島県郡山市において開催されます。そして、本大会のテーマは、「ほんとの空へ」です。
 このテーマには、法律専門家を名乗る私たちが、司法書士の「本分」について、今一度見つめなおすことで、本来自分たちが進むべき道のりの「はじめの一歩」を踏み出そう、参加した方々にそう思ってもらえる大会にしたいとの福島実行委員会の思いが込められています。

 本大会では、プロボノ活動を考えるにあたり、あらゆる側面から捉えたうえで、今の青年司法書士がどのように動くべきかを提案します。そして、その提案が、参加者の司法書士人生にとって新たな未来、「ほんとの空へ」と繋がっていくことを信じています。
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「全青司」って何? と思って調べたところ、「全国青年司法書士協議会」の略だそうでした。

この時期での福島での全国大会開催ということで、『智恵子抄』所収の「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語をテーマに冠し、福島第一原子力発電所の見学も組み込まれているそうです。

もう1件、こちらも郡山から。

3.11ふくしま集会 原発事故は終わってない

期 日 : 2026年3月11日(水)
会 場 : 郡山市労働福祉会館大ホール 福島県郡山市虎丸町7-7
時 間 : 13:00~
料 金 : 無料

ほんとの空の下で語られる本当の声を聴きに来てください。

福島原発事故から15年! 廃炉は本当にできるのか! 東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を許さない! 放射能汚染土・汚染水の拡散を許さない!

報告
 ・ふるさと返せ 津島原発訴訟  ・30年中間貯蔵施設地権者会
 ・放射能汚染土壌問題      ・放射能汚染水の海洋投棄を止める取り組み
 ・311子ども甲状腺がん裁判    ・さよなら柏崎刈羽原発プロジェクト

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一昨年からやはり「ほんとの空」の語を使っての開催となっています。

原発事故から15年。もはや選挙の争点にもならなくなってしまった感がありますが、未だに双葉、富岡、大熊、浪江、葛尾、飯舘、南相馬の7市町村で帰還困難区域の指定が解除されていないわけで、まさに「原発事故は終わってない」のです。それなのに各地でなし崩し的に相次ぐ原発の再稼働、それとてトラブル続きで……。暗澹たる気持にさせられます……。

本当の意味で「ほんとの空」が戻る日の到来を、強く望みます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)57 『猛獣篇』 

昭和37年(1962)4月2日 歴程社 高村光太郎著
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目次
 清廉 
白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 象の銀行 苛察 雷獣 ぼろぼろな駝鳥
 龍 よしきり鮫 マント狒狒 象 潮を吹く鯨 森のゴリラ
 「猛獣篇」について 北川太一 覚書 草野心平

光太郎七回忌記念として、当会の祖・草野心平が鉄筆を握って版下を作りました。謄写版印刷にあたったのは、当時まだ定時制高校にお勤めだった当会顧問であらせられた北川太一先生と、教え子の皆さん。250部限定での刊行でした。

連作詩「猛獣篇」を一冊にまとめる構想は大正期から既にあり、何度も刊行予告が出ましたが、結局実現せずにいました。
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「覚書」によれば、心平はどのような形で出版するか、あれやこれやといろいろ悩んだ挙げ句、結局「原点回帰」で、宮沢賢治や光太郎も同人だった大正期の同人誌『銅鑼』の昔に返り、謄写版印刷にするのが光太郎らしいと考えたとのこと。その通りですね。

岩手レポートの2回目です。

2月21日(土)、東北本線花巻駅前のなはんプラザさんで開催されたトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」に出演後、レンタカーを新花巻駅で返却し、東北新幹線で盛岡へ。当初、盛岡行きのつもりはなかったため、こうなりました。予定していれば盛岡までレンタカーで行っていました。

盛岡での目的地は鉈屋町のもりおか町家物語館さん。こちらで「岩手ゆかりの近代詩文書作品展」が開催され、光太郎詩の一節等を書かれた書が複数出ているという情報を直前に得たため、急遽向かった次第です。
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現地へは盛岡駅からタクシーで。行ってみるまで詳しく存じませんでしたが、鉈屋町一帯は古い街並みが残り、古民家をリノベーションした店舗なども多く、けっこう観光客の皆さんなどでにぎわっていました。余裕があればぜひ歩いてみたいところでしたが。

やがて到着。これも行ってみて気づいたのですが、複数の建物を使った複合施設でした。
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会場は「大正蔵」という大きな建物で、1階はショップやカフェ、2階がギャラリー。その2階です。
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30点あまりが並んでいます。
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「岩手ゆかり」ということで、石川啄木、宮沢賢治、新渡戸稲造など。

そして我らが光太郎。「岩手出身」とされてしまうと対象外ですが「ゆかり」としていただいているのでありがたいところです。
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言わずと知れた「道程」(大正3年=1914)。
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俳句「熊出ると いふ峠路の あけびかな」。昨今、岩手でも熊の出没情報や痛ましい人身被害の報道などが聞かれますが、この句はまだ光太郎が花巻疎開前の昭和17年(1942)、上州湯ノ小屋温泉で詠まれたもので、若い友人で共に詩人の風間光作、西山勇太郎との旅路の最中でした。この際には宝川温泉さんにも宿泊しています。
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「牛」(大正2年=1913)の一節。冒頭の「牛」一字が実にいい感じですね。
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冬を愛した光太郎の真骨頂、詩「冬の言葉」(昭和2年=1927)から。
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同じく「冬が来た」(大正2年=1913)から。
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左は詩「岩手の人」のよく引用される一節。右が『智恵子抄』中の絶唱「レモン哀歌」(昭和14年=1939)全文。

今回で4回目ということで、一昨年の第2回の際には光太郎がらみの報道も為されました。今後も継続されていくことを祈念いたします。

再びタクシーで盛岡駅に戻り、また花巻を通過して帰りました。以上、岩手レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)53 『ロダンの言葉』 

昭和34年(1959)7月25日 新潮社(新潮文庫) 高村光太郎訳著
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目次
 凡例
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 中世期芸術への入門―原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺
  本寺別記 断片 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 芸術に於ける動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一) 古代芸術の教訓(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)
  昔の仕事場と今日の学校 構造と肉付け 古代芸術の伝統的法則
 解説 尾崎喜八

大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版に準ずる内容です。新たに収められた解説は光太郎と交流の深かった尾崎喜八でした。

手持ちのものは昭和39年(1964)6月30日の第4刷です。

昨日まで1泊2日で岩手県に行っておりました。2回に分けてレポートいたします。

2月20日(金)、夕方までに着けばいいので、いつもより遅めの東北新幹線で北へ。途中、智恵子の故郷・福島二本松を通っていきますが、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の山の上には智恵子の「ほんとの空」が広がっていました。
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新花巻へは14時半過ぎに到着。

今回メインの目的は、翌日行われるトークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」出演でしたが、こちらは現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントでしたので、昨年12月の開幕直後に続き、もう1度展示を見ておさらいしておこうと思い、同館へ。例によってレンタカーです。
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同時開催の特別展「中原綾子への手紙」は2月28日(土)まで。
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隣接する高村山荘。光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋です。
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宿泊は大沢温泉山水閣さん。
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ふだん泊めていただいている自炊部さんとは館内で繋がっています。

自炊部さんの休憩コーナー。桃の節句が近いということで、素朴なひな飾り。
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光太郎ともども、大沢温泉さんに足跡を残す賢治の紹介も為されています。
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翌朝、大沢温泉さんを後に、市街地へ。

トークイベント会場のなはんプラザさん。
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花巻南高校さん他の御協力で、会場内にはいろいろと展示も。

先週まで、高村光太郎記念館さんロビーで展示されていた、授業の芸術書道を選択されていた生徒さんたちが書かれた光太郎詩文の書。
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一昨年に同じこの場で初披露され、その後、二本松の智恵子記念館さん、花巻高村光太郎記念館さんなどでも展示された、家庭クラブさんによる「智恵子のエプロン」。
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さらに、花巻のせがわ京染店さんが同じ型紙から複数作って下さったそうで。
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和装のマネキンに着せると、また違った感じになります。

さて、10:00開会。人が集まるのかな、と不安もありましたが、蓋を開けてみれば超満員でした。ありがたし。
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まず当方。20分ほどパワーポイントのスライドショーを使って語らせていただきました。光太郎と賢治のそもそものつながり、そこに介在した当会の祖・草野心平、生涯にたった1度の光太郎と賢治の出会い(ちょうど100年前です)、その後の4種類にわたる賢治全集への光太郎の関与、やはり賢治全集編纂に力を注いだ賢治実弟・清六や賢治の親友・藤原嘉藤治などについて。
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上画像は、仙台から駆けつけて下さったヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんが撮って下さいました。

続いて清六令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏。
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いつものことですが、とにかく宮沢家では光太郎に対してものすごい恩義を感じ続けてきたというお話で、逆にこちらとしては恐縮してしまいます。

藤原嘉藤治の顕彰をなさっている瀬川正子氏。賢治の精神を体現する優れた実践的な活動を毎年顕彰する「イーハトーブ賞」を昨年受賞なさいました。
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嘉藤治は最初の文圃堂版全集から編纂に関わりましたが、2度目の十字屋書店版では心平が中国に渡ってしまったこともあり、清六ともども中心的な役割を果たしました。
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さらに戦後は賢治精神を体現すべく、故郷・岩手に帰って開拓に乗り出し、そこでも光太郎と関わります。

休憩を挟んで、質問を受け付けながらのフリートーク。和樹氏は、戦後の昭和21年(1946)から同24年(1949)にかけ、清六と光太郎の二人だけで編んだ日本読書組案版の『宮沢賢治文庫』について。特に「生徒諸君に寄せる」を中心に。

さらに音楽教師だった嘉藤治と、音楽好きだった賢治とのチェロを通しての関わりにも。
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現在、花巻の宮沢賢治記念館さんで展示されている賢治旧蔵のチェロは、嘉藤治のチェロと交換したものだそうで、おかげで花巻空襲による被害を免れたとのこと。そして上画像で嘉藤治が持っている嘉藤治が使っていたチェロには穴が空いていて、それを補修した跡があり、賢治童話「セロ弾きのゴーシュ」で子鼠を穴からチェロに押し込む場面との関連が疑われるといったお話など。これは存じませんでした。
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瀬川氏も、会場からの「嘉藤治はどんな先生だったのですか」という質問に答える中で、やはりゴーシュのモデルは嘉藤治ではないかというお話。嘉藤治はゴーシュ同様、癇癪持ちの面もあって顔を真っ赤にして怒ることから「タコ先生」と呼ばれていたそうで(笑)。

そんなこんなであっという間に予定の時間となり、閉会。

ちなみに来場者のみなさんには、お土産ということで下記の冊子が無料で配られました。
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以前にもちらっと書きましたが、高村光太郎記念館さんでの展示説明パネルを書き始めたところ、あれも書きたい、これも書かなきゃ、とやっていたらかなりの枚数になってしまい、パネルはこの中から適当にセレクトして下さい、残りの部分も含めて冊子にして出版したらどうですかと提案したところ、そうなりました。

50ページ程で、頒価は600円。まだどのような形で販売されるのかよくわからない点がありまして、またのちほど詳しくご紹介いたします。

終了後、講師控え室で昼食。
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花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさん(今回の記念館さんでの展示、トークショー、冊子の発行にも御尽力)が光太郎日記などを元に、実際に光太郎が作ったメニューなどを参考に組み立て、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」のスペシャルバージョンでした。

てっきり今月15日に販売された分と同じメニューだろうと思っていたら、さにあらず。この日のためのスペシャルメニューでした。
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偏食気味のところがある当方を慮ってくださったようなメニュー構成で、恐縮でした(笑)。せっかくなので来月分にでも転用すればいいのに、と思いますが。

とにもかくにも一仕事終わりまして、関係の皆様、ご来場下さった方々に深く感謝しております。この後、盛岡まで足を伸ばしました。そのあたりはまた後ほど。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)52 『詩集 智恵子抄』 紅白版

昭和34年(1959)4月10日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

紙型は昭和26年(1951)に出た戦後新版と同一です。皇太子殿下と美智子さま(現・上皇ご夫妻)のご成婚記念という理由で表紙をおめでたい紅白の布装にし、「紅白版」として出されました。この頃になると結婚披露宴の引出物に『智恵子抄』というのが一つのトレンドだったそうで、そうしたところからの着想もあったように思われます。智恵子の最期を思うと複雑な気持ちになりますが……。

2ヶ月ぶりですが、今年初めて、光太郎第二の故郷・岩手花巻に来ております。
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先月はかなりの積雪だったそうですが、このところ少し暖かくなったとのことで、街なかではあまり雪がありませんでした。

それでもだらだら坂を登り、光太郎が隠棲していた旧太田村まで来ると、それなりに。
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光太郎の山小屋(高村山荘)。
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隣接する高村光太郎記念館さん。
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宿泊は光太郎もよく泊まった大沢温泉さんに。いつもは自炊部さんですが、今回は予約が取れませんで、通常の温泉ホテルタイプの山水閣さん。
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今日は街なかに戻り、駅前のなはんプラザさんで、現在花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントとして、賢治実弟・清六の令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏とのトークイベントに出演いたします。

詳しくは帰りましてからお伝え致します。



現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、先月の地元紙『岩手日報』さんに続き、やはり地元紙の『岩手日日』さんが報じて下さいました。

花巻ゆかり 2人に焦点 高村光太郎記念館 賢治全集、写真展示

 詩人、童話作家の宮沢賢治(1896~1933年)と、彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)の関わりに焦点を当てた企画展は、花巻市太田の高村光太郎記念館で開かれている。
 賢治を世に広めるために光太郎が果たした役割などを資料で紹介し、花巻にゆかりある両偉人の人生が交錯した軌跡をたどる。3月31日まで。
 光太郎と賢治は、東京の光太郎のアトリエで1度だけ面会した。賢治没後の34(昭和9)年、東京で開かれた賢治追悼の会に賢治の実弟・清六が「雨ニモマケズ」の記された手帳を含む遺稿を持ち込み、これに光太郎をはじめとする著名人が感銘を受けた。それから全集刊行の動きが起こり、光太郎と詩人草野心平の手により同年、「宮沢賢治全集」(全3巻)が初めて文圃堂から刊行された。
 高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治-宮沢賢治全集ができるまで」と銘打った同展では、最初の全集に加え、宮沢賢治全集全7巻(十字屋書店)、宮沢賢治文庫全7巻(日本読書組合)、宮沢賢治全集全11巻(筑摩書房)、光太郎揮毫(きごう)の書軸「東ニ病気ノ母アレバイッテ看病シテヤリ」、花巻で過ごす光太郎の写真などを展示。編さん者の一員として関わった賢治の友人の藤原嘉藤治の生涯や、光太郎、嘉藤治、清六の関係性にも触れている。
 展示している全集は、いずれも光太郎が編集や装幀作業に関わっており、自ら書きつづった題字や表紙の印刷についての所感も残されている。
 同展は市が主催。監修した高村光太郎連翹(れんぎょう)忌運営委員会の小山弘明代表は「賢治を世の中に出す大きな力になった一人が光太郎。2人をつないだ草野心平、清六、そこを埋めた嘉藤治らにより、賢治の作品が現在も読まれているということを知ってもらいたい」と意義を語る。
 今月21日午前10時からは、同市大通りのなはんプラザで小山代表、宮沢和樹林風舎代表取締役、瀬川正子共同園芸取締役によるトークイベントを開催する。参加無料。

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取材を受けたのは昨年12月でして、その折には「年内には記事にしたい」ということでしたが、一昨日に掲載されました。感触としては、記者氏、全くといっていいいほど賢治と光太郎の関わりをご存じなく、実に興味深そうで、「こりゃベタ記事にはするべきでない」と考えられたようで、お渡しした50ページほどの冊子資料を読み込まれてから大きく取り上げて下さったようです。ネット上ではリード文部分のみの公開となっていますが。

冊子資料は同館で販売されているかどうか(いろいろ面倒な事情がありまして)。記事の最後にあるトークイベントの際には大々的に売られると思われます。
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ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)39 『独居自炊』 

昭和26年(1951)6月15日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 独居自炊
 子供の頃
  父光雲のこと 母と姉 父の道をついで
 姉のことなど 母のこと 美術学校時代 彫刻家ガツトソン・ボオグラム氏
 ロダンの手記談話録 七月の言葉 一夏安居の弁 「道程」について 自分と詩との関係
 小刀の味 生きた言葉 触覚の世界 自作肖像漫談 へんな貧 春さきの好物 雷ぎらひ
 しやつくり病 ほくろ 悠久山の一本欅 谷中の家 二世代 蟻と遊ぶ 日記より
 がんがん三つ口 新茶の幻想 三十年来の常用卓 智恵子のにひ盆

光太郎エッセイ集としては2冊目。ただし戦時中の昭和18年(1943)、同じ龍星閣から出た『某月某日』とかなりの部分がかぶっています。

昨日、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町の話題で『石巻かほく』さんの記事をご紹介しましたが、系列の『河北新報』さんが一面コラムで昨年12月に光太郎の名を出して下さっていました。見落としていました。

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正直は美徳だと思っていた。通用しない世界があるようだ。台湾有事を巡る高市早苗首相の発言に中国の反発が収まらない。「武力の行使を伴うものであれば存立危機事態になり得る」。つい本音が出てしまった▼台湾は民主主義が根付き、独自の統治機構がある。東日本大震災では多大な支援を頂いた。武力行使はあってはならない。ただ中国にも立場がある。1972年の日中共同声明で中国は「台湾は領土の不可分の一部」と表明し、日本は「十分理解し、尊重」すると応えた▼歴代政権が台湾問題にあいまいな表現を戦略的にとり続けたゆえんだ。とかく世論はリーダーに力強さを求め、物事に黒白をつけたがる。84年前の太平洋戦争前夜もそうだった。斎藤茂吉や高村光太郎、志賀直哉…。名だたる知識人が開戦の一報に快哉(かいさい)を叫んだ▼政治学者の中西輝政さんは、どちらにも決まらぬ気持ち悪さに延々と耐え抜くことが世界史に大をなす国の必要条件と指摘する。秘すれば花である。尖閣諸島も対立必至の国有化は避け、したたかに権益を保全する手があったのではないか▼外交は相手国と51対49を争う。完勝はない。首相は内輪受けする威勢のよさではなく、冷徹さと誠実さを併せ持ち、日本の国益と東アジアの平和を守り抜いてほしい。(2025・12・5)

2ヶ月前のものですが、事態は好転どころか、悪化の一途を辿っていますね。10月初めに自民党総裁選が行われ、明日はこの時期としては異例の衆議院選挙。総裁選前から続く政治的空白は4ヶ月以上に及び、物価高や円安、旧統一協会の問題など喫緊の課題がなおざりになったままです。逆にコラムでも取り上げられている問題発言など、余計なことばかり。ちなみに衆議院解散に伴って、審議中だったりした法案が何と74本も廃案となったそうで。永らく議論されてきた選択的夫婦別姓法案や、先の参院選で問題となった企業・団体献金を規制する政治資金規正法改正案もです(まぁ、74本の中にはギャグとしか思えない「ナントカ損壊罪」についても含まれるようですが)。ついでに言うなら来年度予算の編成にも大きく影響します。

さらに嘆かわしいのが、平和憲法を軽視し、息を吐くように嘘を吐き、G7や党首討論で敵前逃亡を繰り返す騒動の当事者やその取り巻きをもてはやす声の多さ。まさに戦前の我が国を彷彿とさせるという論評がありますが、その通りですね。

過日ご紹介した小関素明氏著『「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史 擬態に対峙する詩人たち』は、そのあたりで非常に示唆に富むものでした。昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦直前、日中戦争の泥沼化、対日禁輸による各種の統制などで日本全体が包まれていた閉塞感に、開戦の詔勅や報が風穴を開け、これから訪れるであろうさらなる苦難の日々に思いを馳せることなく、ほとんどの国民がある種の開放感に包まれていたというものです。

コラムに名が上げられている通り、光太郎もその急先鋒の一人でした。同書では12月8日当日、大政翼賛会中央協力会議に参加していた光太郎の随想「十二月八日の記」が引用されています。

 時計の針が十一時半を過ぎた頃、議場の方で何かアナウンスのやうな声が聞えるので、はつと我に返つて議場の入口に行つた。丁度詔勅が捧読され始めたところであつた。かなりの数の人が皆立つて首をたれてそれに聴き入つてゐた。思はず其処に釘づけになつて私も床を見つめた。聴きゆくうちにおのづから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡が曇つて来た。私はそのままでゐた。捧読が終ると皆目がさめたやうに急に歩きはじめた。私も緊張して控室に戻り、もとの椅子に坐して、ゆつくり、しかし強くこの宣戦布告のみことのりを頭の中で繰りかへした。頭の中が透きとほるやうな気がした。
 世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである。現在そのものは高められ、確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなつた。
 この刻々の瞬間こそ後の世から見れば歴史転換の急曲線を描いてゐる時間だなと思つた。時間の重量を感じた。

ちなみに光太郎はこの頃の自分の愚かさを戦後になってしっかりと反省し、7年間もの過酷な蟄居生活を送ることとなります。

他の文学者たちのそれも紹介されています。

 今こそ全文化を目的意識と観念的規定の室から出して、凛然たる外気に当て、自然のままに生きてゆくものだけを生育せしめるやう、純粋化し、淘汰せねばならぬ。
 かういふ時期にこそ、文学には「文」の領域があることをはつきり認識することが出来る訳だ。今までのやうに「軍」や「政治」に追従してゐたのから去つて、明確に己が本然の使命の下に、今日の栄えある国民的試練の時を自力で生きてゆかなければならぬ。(河上徹太郎)

 本日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいといふか何といふかとにかく胸の清々しい気持だ。(略)宣戦の大詔を三度聞き三度読んだ。(黒田三郎)

 涙が流れた。言葉のいらない時が来た。(坂口安吾)

 ふと、自分は、ラジオを聴く前と、別人になつてゐるやうな気がした。(略)一間も二間もある濠を、一気に飛び越えたやうな気持がした。(獅子文六)

 それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変わつてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じ、あるひは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらを胸の中に宿したやうな気持。日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ。(太宰治)

 まつたく一日として神経の安まる日はないのであつた。私たちは今の言葉でいふ、ノイローゼになつてゐた。これ以上、こんな緊張の日々が続くのは耐へられない。そこへもつて十二月八日の太平洋開戦だ。なにはとまれ、これでどつちかへ片づく。ヤレヤレといふ気もちであつた。(徳川夢声)

 十二月八日、大詔が渙発せられ、米英との国交が断絶せられた事は、生をこの聖代にうけたものの真に重大事と考ふべき事である。
 これこそ世界歴史への一大転換の御命令であつて、吾々は過去と遮断して全く別の体系に這入つたことを自覚せねばならぬのである。(中河与一)

 真剣になれるにはいい気持だ。僕は米英と戦争が始まつた日は、何となく昂然とした気持で往来を歩いた。
 くるものなら来いといふ気持だ。自分の実力を示して見せるといふ気持だ。(武者小路実篤)

今回の選挙について、開票結果が明らかとなる明日以降、この手の感想を抱く人がたくさん現れるような事態を懸念して已みません。杞憂に終わることを祈りますが……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)38 詩集『天上の炎』 

昭和26年(1951)4月25日 白玉書房 エミイル ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序詩 未来 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 題跋詩 私の集
 ヹルハアラン

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

大正14年(1925)、新しき村出版部から出た初版の内容に、評伝「ヹルハアラン」(昭和8年=1933)を追補して刊行されました。

まず、毎年8月9日に「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町からのニュースです。地元紙『石巻かほく』さんより。1月31日(土)の記事です。

「女川から日本一、うれしい」トレーラーホテル・エルファロ 63室、国内最多に認定

 トレーラーハウスを活用した女川町女川2丁目の「ホテル・エルファロ」(63室)が、日本記録認定協会から部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定された。女将(おかみ)の佐々木里子さん(57)は「アットホームなホテルが日本一になれてうれしい。多くの人に泊まってみてほしい」と語る。
   エルファロはトレーラーハウス40台を宿泊部屋に使う。東日本大震災で被災した旅館業者4社と株式会社エルファロで組織する共同事業体が運営。復興事業者の宿泊場所確保などにつなげようと、2012年12月に同町清水地区に開業した。復興事業の進展に伴い、17年8月に現在地のJR女川駅近くに移転した。
 車両は国産のトレーラーハウスを製造、販売する「カンバーランド・ジャパン」(長野県)の製品。国産木材を使い、梅雨や雪の湿気に強いという。カンバーランド社の関係者から「台数が日本一かもしれない」といった声を聞いていたため、ホテルの付加価値を高めて国内外に発信しようと、昨年12月に協会に申請し、今月9日に認定がかなった。
 エルファロの田中雄一朗社長(39)は「営業を続けてこられたのは地域の皆さんのおかげ。女川に日本一があるといういいニュースを届けられた」と喜ぶ。
 ピンクや緑などトレーラーのカラフルな外観も人気で、宿泊を目的にした旅行者も全国から集まる。能登半島地震で被災した石川県輪島市の旅館経営者や、セカンドハウスや集会所として購入を検討している人らも視察に訪れるという。佐々木さんは「いろいろな使い方ができるのも魅力」と語る。
 今後はギネス世界記録への申請も視野に入れる。田中社長は「メード・イン・ジャパンの魅力を女川から世界に発信したい」と話した。
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家族連れに人気なロフト付きの部屋。女将の佐々木さんは「アットホームな雰囲気を楽しんでほしい」と話す

JR石巻線女川駅裏のエルファロさん、女川光太郎祭でお邪魔した際にはほぼ毎回こちらに2泊させていただいており、それ以外にも個人的に宿泊したこともありまして、もう20泊以上しているはずです。

最初に泊めていただいたのが、平成26年(2014)。この頃は現在地ではなく、一山越えた谷間でした。平成23年(2011)の東日本大震災により壊滅した市街地の区画整理等がまだ進んでいなかったためです。「建築」ではないので認可がすぐおりたとのこと。その後、中心街の復興が進んだのに合わせ、可動式のトレーラーハウスとしての特性を生かして、平成29年(2017)に現在地に移転しました。
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トレーラー部分1台を前後に分割して2室になっているタイプにいつも泊めていただいておりますが、それでもベッドはツインでへたなビジネスホテルの部屋より広く、冷暖房やユニットバスなども完備されており、なかなかに快適です。難をいえば、方向音痴の方が敷地内で迷子になることくらい(笑)。

その他、1台で1室、ベッドが4つの大部屋もあり(ロフト付きというのはこのタイプでしょう)、ファミリー向けの対応も成されています。当会顧問であらせられた北川太一先生がご存命の頃、奥様、息子さんと3人でいらした際にご利用されていました。

メーカーのカンバーランド・ジャパンさんの所在地は長野市だそうで、それは存じませんでした。自宅兼事務所から車で10分足らずの川沿いにも、おそらく釣り人をメインターゲットとしたトレーラーハウス式の宿泊施設があり、そちらもそうなのかな、と思いました。能登半島地震に際しても活用が成されているとのことです。すばらしい。

そしてエルファロさん、日本版ギネスともいうべき日本記録認定協会さんから部屋数が最も多い「日本最大の国産トレーラーハウスホテル」に認定とのこと。さらに本家ギネスブック登録ということになれば、その話題性からも女川の活性化につながると存じます。そうなってほしいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)37 『智恵子抄』 新版

昭和26年(1951)2月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次

 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月 

昭和16年(1941)にオリジナルの『智恵子抄』を刊行した龍星閣が戦時の休業から復興、前年に出した『智恵子抄その後』に続き、満を持して『智恵子抄』を再刊しました。

それに伴い、昭和22年(1947)から5版まで出ていた白玉書房版は絶版。そちらに収められていた戦後の詩「松庵寺」「報告」は削除されて、オリジナルの形に戻りました。

この赤い表紙の新版が、平成まで版を重ねることになります。

今週土曜日のオンエアです。

土曜ゴールデン 温泉タオル集め旅21 この冬行きたい雪見の絶景露天SP 八幡平~花巻12湯 in岩手

地上波テレビ東京 2026年2月7日(土) 18:30〜20:55

これまで全国各地の温泉地を巡ってきた大久保・川村の温泉タオル集め旅。21回目の舞台となるのは、歴史と自然に包まれ、さまざまな泉質の名湯・秘湯がひしめく“岩手県”へ!旅をするのは、温泉好きな大久保佳代子と、温泉ソムリエアンバサダーの資格を持つ、たんぽぽの川村エミコ。道中には・・・
▽乳白色の野趣あふれる露天風呂
▽立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴
▽あわい緑色の美肌の湯など

岩手山の美しい稜線を望み、八幡平の山並みに囲まれた秘湯・松川温泉をスタート。入浴ヘビーローテーション。各施設のロゴ入り温泉タオルを計9枚集めながら、花巻温泉郷の奥座敷、新鉛温泉にある愛隣館の露天風呂に翌日午後5時までのゴールを目指す、1泊2日のガチンコ旅です!地元の人に聞き込みをしながら、その土地ならではの“絶品グルメ”や、“絶景の観光スポット”を大満喫。

スタートとゴール以外、向かう温泉地は2人で自由に決めてOK。ただし、温泉に入浴してからでなければタオルを買うことができない!せっかく温泉に入っても、タオルがレンタルのみや無地だった場合はノーカウントという厳しいルールも健在。今回の助っ人には、特別に2名が参戦!さらに旅を盛り上げます! 1日目に迎えたのは、お笑いトリオ3時のヒロインのゆめっち。2日目に迎えたのは、タレントの岡田結実。

2019年『女芸人No.1決定戦 THE W』で優勝を飾り、人気の波に乗るゆめっちと、2025年4月に一般男性との結婚を発表し、幸せオーラ全開の岡田は、1日5回以上の度重なる入浴や、モデル顔負けの早着替えに耐え、旅の助っ人として活躍できるのか? これまで13勝7敗と高い確率で成功を収めている大久保・川村。果たして21弾の舞台となる岩手県で無事ロゴ入り温泉タオルをゲットし、ゴールできるのか?

出演者 大久保佳代子(オアシズ)、川村エミコ(たんぽぽ) 
ゲスト ゆめっち(3時のヒロイン)、岡田結実
ナレーション 杉本るみ
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温泉好きの当方としては外せない番組で(笑)、ほぼ毎回拝見しています。

大久保佳代子さん、川村エミコさんのコンビと、毎回異なるゲストの方が温泉地巡りをし、温泉宿や公共入浴施設で販売されているタオルをゲット、そこに宿や施設オリジナルのロゴが入っていればOK、おおむね1泊2日で設定された規程枚数のタオルを集められればご褒美の豪華料理にありつけるというルールです。

令和3年(2021)4月に放映が始まり、今回で21回目。これまで光太郎智恵子の足跡が残る温泉地が何度か取り上げられました。福島岳温泉さん、栃木那須塩原温泉さん、信州別所温泉さんなど。しかし岩手が舞台になったことはなかったように思います。ただ、その2ヶ月前に放映されたシーズンゼロ的な「土曜スペシャル 冬本番! 雪見の名湯&絶景露天風呂SP~いいお湯・夢気分~」では、光太郎や宮沢賢治が愛した大沢温泉さんが取り上げられました。

今回は「花巻12湯」がサブタイトルに入っています。12湯には大沢温泉さん、それからやはり光太郎が通った鉛温泉さん、花巻温泉さん、台温泉さん、そして志戸平温泉さんが含まれます。番組説明欄に「立ったまま入浴する深さ1.25mの足元湧出の混浴」とあるのは鉛温泉さんですね。それからゴールは
新鉛温泉の愛隣館さん。こちらは新しい宿ですが、12湯で初めて光太郎が浸かった西鉛温泉の系譜を継ぐ温泉地です。

2年程前だったか、番組のオリジナルグッズプレゼントにスマホから応募しまして、その際にコメント欄的な項目があったので「ぜひ花巻12湯を」と書きました。おそらく他にも同じような意見が寄せられていたのでしょう。

視聴可能な方、ぜひご覧下さい。テレ東系の放映が無い地域の方は、TVerさんなどの配信サービスでどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)35 『典型』 

昭和25年(1950)10月25日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 序
 雪白く積めり
 暗愚小伝
  家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  親不孝
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告 山林
 「ブランデンブルグ」
 脱卻の歌
 人体飢餓
 東洋的新次元
 おれの詩 悪婦
 山荒れる
 月にぬれた手
 鈍牛の言葉
 典型 
 田園小詩
  山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地
  岩手の人 山からの贈物 この年

旧著の再編や選詩集的なものを除くと、光太郎生涯最後のオリジナル詩集です。光太郎没後に『典型以後』が出されますが、そこに光太郎の意図は介在されていません。光太郎としてもおそらく生涯最後のオリジナル詩集となるだろうという予感はあったと思われます。

発行日が10月25日。第一詩集『道程』(大正3年=1914)も10月25日でした。意図してこの日にしたのか、偶然なのか、何ともいえないところですが。

短歌系の話題で2件。

まずは1月14日(水)に皇居・宮殿「松の間」で開かれた歌会始の儀に関連して、『福島民友新聞』さんから。

「空がきれい」亡き妻の言葉歌に…歌会始、福島の86歳佳作

007 新春恒例の「歌会始の儀」が14日、皇居・宮殿「松の間」で開かれた。題は「明」で、天皇、皇后両陛下や皇族、一般の入選者10人の歌が独特の節回しで披露された。天皇陛下は、新たな年の平安を祈った時の気持ちを詠まれた。昨年9月に成年式を終えた秋篠宮家の長男悠仁さまは初めて出席した。
 福島県内関係では、福島市の逸見征勝さん(86)が詠んだ「退院にあらず転医の道すがら『空がきれい』と妻は明るし」が佳作に選ばれた。逸見さんは2019年に初入選して以来の応募で、24年に亡くなった妻静子さんとの日常を歌にした。
 逸見さんは「図らずも妻にささげる歌になった。ご厚意に感謝する」と喜ぶ。
 登山好きで長年「山」を短歌にし続け、吾妻山を歌った19年の歌会始で初入選した。しかしこの後、静子さんが倒れ、リハビリ生活に。「そんな中、妻が空を見て『きれい』と言った。この言葉を歌にしたかった」。気丈な静子さんの姿がお題の「明」に重なった。自身もここ数年で足腰を痛め、リハビリのため通院する日々を送る。山や短歌から遠のいた。応募は19年以来。
 きっかけは知人が持ってきた今年の歌会始の募集記事だった。作品を練る中で、妻の何げない一言が思い出されたという。
 「山にこだわってきたが、生活の変化に合った短歌を詠みたい」。共にリハビリに励む仲間との時間をはじめ、日常の一こまを歌にしようと思いを巡らせる逸見さん。創作意欲に火を付けてくれた静子さんに「ヒントをありがとう」と口にした。

佳作に選ばれた短歌、直接光太郎智恵子に関わるわけではありませんし、作者の方がそれを意識していなかったのではとも思いますが、「福島」「空」「山」「病妻」といったキーワードから、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)が彷彿とさせられるものですね。あと一歩及ばず「佳作」ということで、皇居・宮殿「松の間」でのご本人による披露には至りませんでしたが。

平成25年(2013)の歌会始では、やはり福島の方が「安達太良の馬の背に立ちはつ秋の空の青さをふかく吸ひ込む」という歌で入選され、「(高村光太郎の)『智恵子抄』にうたわれたように、安達太良山の上には福島の本当の空がある。津波の影響や原発の問題がある中、福島のよさを知ってもらおうと歌を作りました」とのコメントを発表されました。それが頭にあったので、今回の方の作にも一脈通じるものがあるなと思った次第です。

続いてNHK財団さん、NHK厚生文化事業団さん主催の「新・介護百人一首」。2ヶ月前の話ですが、発表された入選作中の一首に、こちらは完全に「智恵子抄」の語。

「新・介護百人一首2025」入選作品100首が決定!

 このたび、皆さまからたくさんのご応募をいただきました「新・介護百人一首2025」につきまして、厳正なる選考の結果、入選作品100首が決定いたしました。
 入選作品100首は、こちら→(2025 入選作品100首)よりご覧いただけます。ぜひ「介護する」「介護される」中で感じた思いが込められた短歌をお楽しみください。
 今回も全国から 5,840人の皆さまより、合計 12,943首の短歌が寄せられました。ご応募いただいた皆さま、誠にありがとうございました。
 なお、入選作品を収めた作品集は 2026年2月頃 に発行し、応募者の皆さまへ進呈する予定です。
 これからも「新・介護百人一首」にご注目ください。
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百首に選ばれたうちの一首がこちら
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手を振りてデイサービスに妻は行き静かになりて智恵子抄読む」。歌会始の福島の方の作品に通じる内容。これも福島の方の作歌だったら出来過ぎかなと思いましたが、茨城県の方の作品です。

どちらの歌も、作者の方の姿に光太郎が重なって見えます。光太郎の場合は智恵子に対し「介護」ではなく「看護」でしたが。

それにしても、いずれこうした立場になることもあり得るな、と思いました。逆も然りです。心の準備はしておきたいものですね。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)34 『印象主義の思想と芸術』 筑摩選書

昭和24年(1949)8月5日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 一 概観  二 エドワール マネ  三 クロード モネ及び新印象派画家
 四 アルフレ シスレー  五 カミーユ ピサロ  六 オーギユスト ルノワール
 七 エドガー ドガ其他  八 ポール セザンヌ 附 後期印象派
 九 附言  年表

昨日ご紹介した『造型美論』とセットで、戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された『造型美論』を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。「印象主義の思想と芸術」は、元々は大正4年(1915)に単体で刊行されたものでしたが、昭和17年(1942)の『造型美論』に組み入れられ、そしてまた切り離されて刊行されました。

ちょっと前ですが、1月21日(水)の『朝日新聞』さん岩手版に以下の記事が載りました。

岩手独特の住所表記「地割=チワリ」の謎 逆境公務員の苦心の結果?

 岩手では普通でも、県外出身者は首をかしげる住所表記の「地割」。私も昨年4月に盛岡に赴任して初めて知った。「ちわり」と読むらしい。これは岩手だけ? だとしたらなぜ? 1年足らずぼんやり抱えていた疑問について、探ってみた。
 「○○市××第5地割30番」のように使われる「地割」。私は岩手に接する青森、秋田、宮城の3県で勤務経験があるが、大字(××)に続く表記は「丁目」「番地」が一般的だ。
 ネットで検索すれば関連情報は出てくるが、確証が持てない。まずは手堅そうな岩手県庁のいくつかの部署に尋ねたが、答えは出ず。中には「他県にはないのですか?」と驚く職員もいた。かつて調査したことがあるという県立図書館も、当時の担当者が不明で詳細な説明はできないとのこと。
 探し回った結果、かつて似た疑問を覚え、調べたという県立博物館専門学芸調査員の工藤健さんに出会えた。
 「『地割』は岩手で独自に生まれたと考えられます。確認できる史料で最初に現れるのは、明治初期の地租改正時。県が地権者に発行した『地券』に出てくるんです」
 地租改正は、明治新政府が行った課税制度の改革だ。それまで村落単位で課せられていた税は、個人への課税に変わった。県や府が実態調査し、土地の所有者を証明する「地券」を地権者に発行。そこに「地割」の文字が記されたという。
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■仙台藩領はなし008
 ではなぜ、そんな文言が記されたのか? ヒントは江戸後期、盛岡藩が徴税のために作った地図にあった。
 各村の地図には、線引きされて「い」「ろ」「は」などと仮名で印が付いた区画が記されていた。その各区画が地租改正後、「第○地割」となっていったことが史料から確認できたという。
 「この『い』『ろ』『は』にもそれぞれ、元来の地名がありました。しかし、個人の土地所有の根拠となる地券に『地割』と記されたことで、そっちが正式な地名になっていったんです」
 このため、北上市近辺より南の仙台藩領だった地域は「地割」がない。元は盛岡藩でも、地租改正の作業時には岩手県ではなかった今の八幡平市の一部も同様だ。こうしたことからも地租改正時、岩手県が盛岡藩の資料を基に、独自に「地割」を導入したことが分かる、と工藤さんは解説する。
 しかし、元の地名をなくして数字化するとはずいぶん大胆な……。
 「証拠がなく、あくまで想像ですが」と断った上で、工藤さんは語る。
 「明治の新政府から届く膨大な命令に、なんとか対応しようとした県職員の苦心の末の策だったのでは。大量の事務仕事を乗り切るため、整理しやすい地名にしたのかもしれません」

■3分割に耐えて
 戊辰戦争で幕府側に付き、賊軍となった盛岡藩は明治に入り3分割され、他藩の管理下に。1870(明治3)年にそのひとつが盛岡県になった後も、江刺県(旧盛岡藩領)や胆沢県(旧仙台藩領)との統廃合などを経て、今の岩手県として落ち着くのは76(明治9)年。地租改正は、そのさなかの大事業だった。
 「岩手で『地割』が生まれた時代の印象は、高村光太郎が『岩手の人沈深牛の如(ごと)し』とうたった詩に重なります。逆境でも人々は思慮深い牛のように沈着に耐え、『その成すべきを成す』日に備えていたのでしょう」
 地租改正から45年。盛岡出身の原敬が初の平民宰相に就いた。そう考えると、「地割」の語感も味わい深く響いた。


「地割」。当方も以前から気になっていました。実際、花巻の高村光太郎記念館さんの住所が「花巻市太田第3地割3-9」だったり、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんは「花巻市轟木第7地割203」だったりするものですから。

地租改正、地券発行の際に分かりやすく、という説はうなずけますね。ちなみに以前に書きましたが、自宅兼事務所のある千葉県北東部では住所に「イ」「ロ」「ハ」が使われていて、これも珍しいケースだそうです(他に石川県にもあるそうですが)。自分の生まれた場所は「佐原市佐原ロ」でしたし、よく行く隣町の県立図書館さんの分館は「旭市ハ」。「くち」や「はち」と間違えられます(笑)。これらも同じような由来なのかも知れないなと思いました。

記事にある「岩手の人沈深牛の如(ごと)し」は、詩「岩手の人」(昭和23年=1948)の一節です。

    岩手の人009

 岩手の人眼(まなこ)静かに、
 鼻梁秀で、
 おとがひ堅固に張りて、
 口方形なり。
 余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
 たまたま岩手の地に来り住して、
 天の余に与ふるもの
 斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
 岩手の人沈深牛の如し。
 両角の間に天球をいただいて立つ
 かの古代エジプトの石牛に似たり。
 地を往きて走らず、
 企てて草卒ならず、
 つひにその成すべきを成す。
 斧をふるつて巨木を削り、
 この山間にありて作らんかな、
 ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
 未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

記事ではちょっと無理くり取って付けたような引用ですが(笑)、光太郎に触れて下さりありがとうございます。

こうした先人の遺した地名も、一つの文化遺産です。そうした意味でしっかりと受け継いでいくべきものと思われます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)33 『造型美論』 筑摩選書

昭和24年(1949)3月10日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 現代の彫刻
  実技家の場合 概観 二つの源流について 時間的一瞥 フランスの彫刻 ブルデル
  マイヨル デスピオ ベルナアル 「ぢか彫り」騒動 穏健群 形式主義群団
  ドイツの彫刻 イギリスの彫刻 残余の諸国 現代日本の彫刻
 素材と造型
  素材と造型 造型といふ語 造型芸術 造型本能 造型芸術の本質 造型的諸要素
  造型美 造型芸術の種類 素描 日本画と色彩 日本画に於ける油画について 彫刻
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條

戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された同名の書を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。もう一冊は『印象主義の思想と芸術』。明日、紹介します。

光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも行われているイベント「十和田湖冬物語2026」。一昨日開幕し、報道が為されています。残年ながら「乙女の像」にからめてのそれが見当たりませんが。

地方紙『東奥日報』さん。

きらめく"冬花火" 十和田湖畔で「冬物語」開幕/2月23日まで

 十和田湖畔の冬を満喫できるイベント「十和田湖冬物語」(実行委員会主催)が30日、青森県十和田市休屋地区の多目的広場で開幕した。会場では恒例の花火が打ち上げられ、冬の夜空を彩った。2月23日まで。
 雪が降りしきる中、午後8時に花火がスタート。次々に打ち上がる花火が辺り一面を照らし、訪れた観光客らが見入った。おいらせ町から家族5人で訪れた、百石小4年の山田胡桃さん(10)は「紫色の花火がきれいだった」と笑顔で話した。
 会場には屋台村「雪あかり横丁」が登場。ヒメマスの塩焼きや馬肉鍋、きりたんぽなど、十和田市や秋田県の温かいグルメが並び、多くの来場者が列を作った。このほか、雪の滑り台や、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットが設けられ、会場はにぎわった。
 火曜から木曜は定休日(祝日の2月11日は営業)。花火は期間中、毎日午後8時から約150発を打ち上げる。土曜、日曜は「冬の国境祭」と題し、北東北3県の芸能パフォーマンスなどが披露される。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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『東奥日報』さんでは別の記事でも。

雪遊び、グルメ 多彩に/十和田湖冬物語

 青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で開かれている「十和田湖冬物語」。多くの観光客や親子連れらが訪れ、雪遊びやグルメ、花火など多彩なイベントを楽しんでいる。
 全長約15メートルの雪の滑り台は子どもたちに大人気。家族4人で初めて訪れた、大阪府豊中市の茨木咲良さん(7)は「雪は初めて見た。楽しくて、雪が好きになった」と笑顔を見せた。
 期間中は雪上で楽しむバナナボートや、青森県や秋田県のグルメが並ぶ屋台村「雪あかり横丁」、奥入瀬渓流の氷瀑(ひょうばく)をイメージしたフォトスポットなどを楽しむことができ、夜には花火が打ち上がる。土曜、日曜には北東北3県の芸能パフォーマンスなどを行う。
 会期は23日まで。火曜から木曜は定休日(祝日の11日は営業)。イベントの詳細は公式ホームページで確認できる。
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鹿角きりたんぽFMさん。

冬花火の美しさで魅了 十和田湖冬物語

 秋田と青森にまたがる十和田湖で冬の恒例のイベントが始まり、名物の花火の美しさが来場者たちを魅了しました。
 ことしで28回めとなる「十和田湖冬物語」が30日に始まり、夜には呼び物の花火のショーが休屋地区で行われました。
 音楽と一体化した演出になっており、曲の場面ごとにふさわしい色と形の花火がおよそ5分間、打ち上げられました。
 冬の澄んだ夜空に映る花火の美しさは格別で、赤やオレンジの光りが広がるたびに、訪れた人たちから歓声が上がっていました。
 東京都世田谷区から訪れていた30代の男性は、「東京から来たので雪自体が珍しいのに、花火と一緒の幻想的な世界を見られて感動しました。息子の2歳の誕生日なので、いい思い出になりました」と話していました。
 会場には、両県の名物などが提供される飲食のブースや、雪の大型滑り台なども設けられていて、訪れた人たちが思い思いのスタイルで楽しんでいました。
 また去年に続き、イベントと連動した冬の体験型アクティビティーも用意されていて、カヌー遊びやガイドウオーク、湖畔でのサウナなどで楽しませています。
 実行委員会では、「雪を楽しみたい外国人などが近年増えていて、手ごたえを感じている。ことしもイベントの期間中、十和田湖から青森、秋田の周遊を活発にしたい」と話しています。
 十和田湖冬物語は来月23日までの、祝日以外の火曜、水曜、木曜を除き、十和田湖休屋の多目的広場で開かれます。
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地方紙『北鹿新聞』さん。

十和田湖の魅力発信 花火や屋台村 23日まで「冬物語」 土、日は「冬の国境祭」も

 冬の北東北を代表するイベント「十和田湖冬物語」が先月30日、十和田湖畔の休屋で開幕した。今月23日まで土、日、祝日と月、金曜日に開かれる。夜に花火が打ち上げられるほか、会場の屋台村では温かい地元グルメが販売される。
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ぜひ足をお運びの上、幻想的な「乙女の像」ライトアップもご覧いただければと存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)32 詩集『智恵子抄』

昭和22年(1947)11月25日 白玉書房 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四十五年七月
 或る夜のこころ        明治四十五年八月
 おそれ            明治四十五年八月
 或る宵            大正元年十月
 郊外の人に          大正元年十一月
 冬の朝のめざめ        大正元年十一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年十二月
 愛の嘆美           大正三年二月
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正十二年三月十一日
 狂奔する牛          大正十四年六月十七日
 鯰              大正十五年二月五日
 夜の二人           大正十五年三月十一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月十六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月十二日
 人生遠視           昭和十年一月二十二日
 風にのる智恵子        昭和十年四月二十五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和十二年七月十一日
 値ひがたき智恵子       昭和十二年七月十二日
 山麓の二人          昭和十三年六月二十日
 或る日の記          昭和十三年八月二十七日
 レモン哀歌          昭和十四年二月二十三日
 荒涼たる帰宅         昭和十六年六月十一日
 亡き人に           昭和十四年七月十六日
 梅酒             昭和十五年三月三十一日
 松庵寺            昭和二十年十月五日
 報告             昭和二十一年十月五日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和十五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和十六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和十四年一月
 記

昭和16年(1941)龍星閣発行のオリジナルの内容に、戦後の詩「松庵寺」と「報告」を追加して出版されました。

沢田伊四郎の龍星閣は太平洋戦争の激化に伴い昭和19年(1944)に休業。『智恵子抄』は店頭から姿を消していましたが、需要があると踏んだ白玉書房の鎌田敬止が復刊させました。

巻末に置かれた光太郎筆の「記」には以下の記述があります。

 今度あたらしく白玉書房をはじめられる鎌田敬止氏は沢田伊四郎氏の快諾を得て、「智恵子抄」の再出版を企てられ、その事を私に諮られた。

しかしこの件に関しては鎌田と沢田で認識の違いがあったようで、沢田は認めたつもりはないと激怒。沢田は昭和24年(1949)に龍星閣を再興し、翌年には『智恵子抄』を再刊します。それに伴い白玉書房版は昭和25年(1950)の第五版を以て絶版となりました。

手持ちのものはその第五版です。

本日開幕です。

十和田湖冬物語2026

期 日 : 2026年1月30日(金)~2月23日(月・祝)
会 場 : 十和田湖畔休屋 多目的広場 青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
時 間 : 平日 午後4時~午後8時30分
 土日祝 午前11時〜午後9時
休 業 : 火曜日、水曜日、木曜日(2月11日(水)を除く)

あの光景に出会いたくて。
 1999年に始まった「十和田湖冬物語」は28回目を迎えます。親に連れられ、雪にまみれたあの日の子どもはいま、自分のこの手を引いている。温泉宿の夜、語り合った友人たちもあの頃から少しずつ、みんな、シワが増えた。⁡そんな長い月日が経っても十和田湖の冬は今年も美しく、あたたかく、灯ります。
⁡ 澄んだ夜空を彩る「冬花火」。匂いの先には「雪あかり横丁」。湯気の向こうで笑い合う人たち。時には、吹雪に鼻水を垂らすことも。それでも、ここが好きで、また来てしまう。
 ⁡冬の十和田湖へ。あの光景が、きっと待っている。

●冬花火
 真冬の澄み切った夜空を彩る冬花火。音楽との競演もお見逃しなく!
 大切なあの人へ メッセージ花火 一発8,800円~
 各開催日 20:00~
●屋台村「雪あかり横丁」
 ローカルの食材を使った美味しいグルメを楽しもう!
 平日 16:00~20:30 休日 11:00~21:00
●週末限定!冬の国境祭(くにざかいまつり)
 北東北の祭りや、地元有志によるパフォーマンスは必須!
 なまはげ太鼓/津軽三味線/ねぶた囃子/あけぼの祭典委員会/北里三原色他よさこい4団体
 花巻鹿踊
●かまくらの中で地酒やカクテルが楽しめる「かまくらバー」→中止
●スノーパーク
 会場には大きな雪の滑り台が誕生! あなたは何して遊ぶ?
●「乙女の像」ライトアップ
 イベント開催日のみ 17:00~20:30
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3回お邪魔しましたが、とにかく寒いイベントです(笑)。それを逆手にとって、寒さを楽しんでしまおうというわけで(笑)。

一時期、プロジェクションマッピングなどを主体にした時期もありましたが、数年前に旧に復し、屋台村をメインにした冬花火や雪のステージでのパフォーマンスが中心のスタイルに戻りました。昨年からだったと思いますが、光太郎第二の故郷・岩手花巻から鹿踊りの皆さんも参加なさっています。

そして、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップも為されます。
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ただ、メイン会場からやや離れていまして、なかなかそちらまで足を運ぶ方は多くないようですが。吹雪の時などは遭難にくれぐれもご注意下さいのレベルです。
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八戸駅、十和田市街からのシャトルバスも完備。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)30 歌集『白斧』

昭和22年(1947)11月20日 十字屋書店 高村光太郎著 宮崎稔編
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目次
 無題 二首     明治三十三年十月
 無題 六首     明治三十三年十一月
 無題 十一首    明治三十四年一月
 無題 五首     明治三十四年六月
 ささ舟 十三首   明治三十四年七月
 無題 十一首    明治三十五年
 白斧 二十三首   明治三十七年一月
 無題 九首     明治三十七年八月
 赤城山の歌     明治三十七年十一月
 無題 九首     明治三十九年一月
 無題 十九首    明治四十二年十月
 無題 十六首    明治四十一年十一月
 無題 十一首    明治四十三年十一月
 工房より 五十首  大正十三年八月
 工房より 二十八首 大正十三年十一月
 工房より 八首   大正十四年一月
 那須にて 二首   大正十四年十月
 智恵子抄 六首      
 岩手移住後 五首    
 無題 十五首
 コロタイプ版 著者墨蹟
  赤城山 己の前に

第一期、第二期『明星』などに載った光太郎短歌を集めた歌集です。光太郎、最後までこの歌集の出版には同意せず、姻戚だった詩人の宮崎稔が強引に出版を押し切りました。そのため、光太郎自身は関与していない旨の宮崎による「覚え書」が奥付の前に貼り込まれています。

奥付は昭和22年(1947)11月20日ですが、「覚え書」は昭和23年(1948)2月25日付。この頃まで上梓がずれ込んだようです。

現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」につき、地元紙『岩手日報』さんが報じて下さいました。

賢治全集 支えた光太郎 花巻で企画展 デザインした貴重初版 作品広めた弟らも紹介

 彫刻家・詩人高村光太郎(1883~1956年)らと宮沢賢治全集の関わりを伝える企画展が、花巻市内で開かれている。光太郎が装丁した全集を展示し、賢治の実弟らも編集に携わったエピソードなどを紹介。貴重な資料から、賢治作品を世に広めようと尽力した功労者の軌跡を知ることができる。
 同市太田の高村光太郎記念館に数十点の資料が並ぶ。見どころは童話や詩を集約した4種類の全集計28冊で、珍しい初版も含まれる。企画展を主催した市によると、全集をまとめて披露するのは初の試み。初版は数が少なく、劣化もあり、一般の人が目にするのは貴重な機会という。
 展示資料で光太郎が全集の題字などをデザインしたと解説。編集に関わった賢治の実弟・清六と親友・藤原嘉藤治(かとうじ)のやりとりを記す書簡の複製には、方言を分かりやすく言い換えようとしていた記録などが残り、当時の思いに触れることができる。
 光太郎関連の事業に取り組む同市の合同会社「やつかの森」が協力。藤原正代表は「彫刻家の光太郎がこだわったデザインを見てほしい。賢治のために力を添えたことはあまり知られていない」と説明する。
 同社によると、戦争空襲で宮沢家を頼り、同市旧太田村に疎開した光太郎が、賢治作品を高く評価していたという。
 3月31日まで。午前8時半~午後4時半。期間中無休。入館料は一般350円、高校生・学生250円、小中学生150円。
 2月21日は同市大通りのなはんプラザで、全集をテーマにしたトークショーを開催。全国で光太郎の顕彰活動を行う小山弘明さん=千葉県香取市=らを招く。問い合わせは市生涯学習課(0198・41・3587)へ。

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記事を書かれたのが新人記者氏だそうで、いろいろ突っ込みどころがあるのですが(光太郎が疎開したのは花巻町中心街の宮沢家で太田村には戦後になってから移ったとか、当方は「全国で顕彰活動」というわけではないとか)、大きく取り上げて下さったのはありがたいところです。

ところで記事終末にある関連行事としてのトークイベントのフライヤーが完成したそうで、載せておきます。
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足をお運びくださらば幸甚に存じます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)25 『をぢさんの詩』

昭和18年(1943)11月3日 武蔵書房 高村光太郎著
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目次
 序 
さくら 軍艦旗 こどもの報告 カタバミの実 約束 路ばた 迎火 少年に与ふ
 少女に 少女立像 五月のうた 少女の思へる 少女よ こころに美をもつ 変貌する女性
 新しき日に 逞しき一念 手紙に添へて 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 山道のをばさん
 女性はみんな母である わが大空 新穀感謝のうた 歩くうた 鬱勃たる健康
 私は青年が好きだ 神の如く行へ みなもとに帰るもの 純潔のうた 四月の馬場
 新緑の頃 みかきにしん 漁村曙 仕事場にて 神これを欲したまふ さかんなるかな造船
 供木のことば 無口な船長 春駒 氷上戯技 大きな嚔 晴天に酔ふ 初夏言志
 
先生山を見る 偶成二首 蝉を彫る 提督戦死

青少年向けとして編まれた翼賛詩集です。交流のあった詩人の高祖保が編纂に当たってくれました。高祖には申し訳ありませんが、平易な口調で書かれた詩が多く、それだけにかえってグロテスクさが際立ちます。「これこそが光太郎詩の精髄、真髄、真骨頂」と涙を流さんばかりにありがたがる意味不明のあんぽんたんがいて困っているのですが……。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」。今年最初の販売が行われました。
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メニューはぶり大根、揚げじゃがいもの甘辛煮、菜花のおひたし、切干大根の酢の物、卵焼き、そば粉クレープ、赤飯、芋羊羹とのこと。

そば粉をパン状にするのは光太郎がよく行っていた調理法です。他も基本的に光太郎日記等から作った料理や使った食材を参考にし、現代風にアレンジしています。メニュー考案やリーフレットの作成はやつかの森LLCさんです。

令和2年(2020)10月から販売が始まり、もう5年以上です。できうるかぎり続けていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)21 『造型美論』

昭和17年(1942)1月26日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 素材と造型
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條
 現代の彫刻
 印象主義の思想と芸術

大正4年(1915)刊行の『印象主義の思想と芸術』、昭和8年(1933)刊行の『現代の彫刻』全文、それから共著で刊行された書籍の光太郎担当部分、さらに前年刊行の『美について』に洩れていた雑誌等に発表した評論などを集めて一冊にしたものです。

昭和18年(1943)の第四刷まで確認出来ています。物資不足が深刻化しつつあり、第四刷ではそれまでの函が無くなり、代わりにカバー装となりました。

光太郎第二の故郷・岩手花巻から。

まずは1月15日(木)発行の『広報はなまき』。毎月15日発行分には最終ページに「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載が為されており、市の施設などに所蔵されている逸品の数々が紹介されています。光太郎に関しても時折取り上げられ、今号も。
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一昨年にご遺族から市に寄贈された、与謝野晶子の弟子にして主に第二期『明星』に依った歌人の中原綾子に宛てた光太郎書簡のうちの一通です。

歌人・中原綾子宛のはがき 太田村山口から発出

 彫刻家で詩人として知られる高村光太郎。昭和20年4月の空襲で東京のアトリエを失った光太郎は、同年5月、宮沢賢治の実家に疎開しました。敗戦後の同年10月には、太田村(当時)の山口地区に移住し、粗末な山小屋(現在の高村山荘)で7年間一人暮らしをしました。
 このはがきは、昭和26年3月に、光太郎が歌人・中原綾子宛てに2枚続けて出したはがきの1枚です。肋間(ろっかん)神経痛に悩まされ、1カ月ほど花巻病院長宅や温泉で療養したことが書かれています。花巻病院長とは、宮沢賢治の主治医でもあった佐藤隆房のことです。佐藤は、光太郎の花巻疎開にも尽力し、光太郎没後は財団法人高村記念会を設立。光太郎が住んだ「高村山荘」の保存と光太郎の顕彰に力を注ぎました。
 使われているのは昭和26年の年賀はがきですが、光太郎は3月に使っています。ちなみに、お年玉くじ付き年賀はがきは、昭和25年から始まりました。

◎特別展「中原綾子への手紙」
 ■会期…2月28日(土)まで
《同時開催》 ◎高村光太郎花巻疎開80年企画展「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」
 ■会期…3月31日(火)まで


記事にあるとおり、花巻高村光太郎記念館さんで特別展「中原綾子への手紙」が開催中ですが、寄贈された書簡がかなりの量なので、4期に分けての展示です。今回紹介されたものが現在出ているかどうかは不明です。

ちなみに文面は以下の通り。001

おてがみ忝くいただきました。小生今冬
は旧臘おしせまつてから肋間神経痛と
いふものにやられ、中々ひどく字も書けない
位でした。それで一カ月近く、山を不在に
して花巻病院長私宅や温泉に行つて
ゐました。山に帰つてからも痛みはまだ
治らず、雪道歩行困難なので引籠つて
ゐます。不在中の郵便物山積、整理
もつかず、又筆とるのが苦手なので爾
来諸方に御無音失礼してゐます。
御恵贈の小包はたしかに年末年始の頃
無事落手しまして、いろいろ珍らしくいた
だきましたが、発病当時の事とて、つい
其由申上げずにそのままだつたものと思へます
ツヅク

この年の光太郎は結核性の肋間神経痛に悩み、それまで行っていた農作業もほぼ放棄するほど症状が悪化していました。ただ、翌年になると小康状態を得ることになります。 「花巻病院長」は佐藤隆房。宮沢賢治の主治医で、その詩「S博士に」のモデルとしても知られています。宮沢家ともども光太郎の花巻疎開に尽力、宮沢家が昭和20年(1945)8月10日の花巻空襲で全焼した後、郊外旧太田村に移るまで約1ヶ月間、光太郎を自宅離れに仮寓させてもくれました。「温泉」は隣村・湯口村(現・花巻市)の大沢温泉さんです。

同展についてはこちら。

花巻レポート 高村光太郎記念館特別展「中原綾子への手紙」他。
『広報はなまき』8月15日号。
東北地方紙記事等。

寄贈された書簡の全文を翻字し、画像や解説をつけて図録的な書籍として出版する企画が進行中です(執筆を担当しています)。2度ほどゲラの確認を致しましたが、翻字にしても解説文にしても我ながら誤字脱字が多く「バカか、お前は」と自分で自分を叱りたくなっております(笑)。wordで原稿を作成したのですが、普段使い慣れていないせいかもしれません。そちらに関してはまた改めてご紹介いたします。

さて、特別展「中原綾子への手紙」、2月28日(土)までです。同時開催の「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」ともども、よろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)20 『美について』

昭和16年(1941)8月20日 道統社 高村光太郎著
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目次
 詩精神 国民的美意識 芸術と国民生活 永遠の感覚 奉祝展に因みて 彫刻家の場合
 美の健康性 芸術上の良知 自分と詩との関係 肖像雑談 言葉の事 美 書について
 気について 比例均衡 美意識について 小刀の味 彫刻新人展評 一彫刻家の要求
 詩人の知つた事ではない 日本語の新しい美 七つの芸術 童謡、民謡、小唄 冬二題
 触目いろいろ 生きた言葉 触角の世界 楽聖をおもふ 日本工業美術界に望む 
 彫刻的なるもの 或る音の幻想 自刻木版の魅力 美の立場から 裸体画について 家
 彫刻鑑賞の第一歩 バーナード・リーチを送る 芸術鑑賞その他 ホヰトマンのこと
 岩石のやうな性格 ロダン逝く 芸術雑話 ガツトソン・ボーグラム先生 芭蕉寸言

さまざまな雑誌等に発表された美術評論、文芸評論の集成で、奥付に依れば『智恵子抄』と同じ日の刊行です。昭和17年(1942)8月31日の第10版まで確認できています。手持ちのものは昭和16年(1941)9月15日の2刷です。

目次部分に誤植が多く、「日本語の新しい美」は「日本語の新しい美を」と「を」が抜けていますし、「ホヰトマン」は「ホヰツトマン」、また、「触角」は「触覚」です(光太郎は昆虫ではありません(笑))。

「智恵子抄」、「ほんとの空」の語を使われてしまっては、紹介しないわけに参りません(笑)。

【東京開催】二本松市移住出張相談会

期 日 : 2026年1月18日(日)
会 場 : ふくしまぐらし相談センター窓口 千代田区有楽町2-10-1東京交通会館8F
時 間 : 10時30分~17時00分 ※ご相談1回あたり約45分×6回
料 金 : 無料

二本松市移住出張相談会とは
 「ふくしま市町村出張相談デスク」として、二本松市の移住担当職員と福島県の移住相談員(※)がタッグを組み、皆さんの移住などに関する相談を受け付ける1日だけの相談会です。
※福島県が東京有楽町に設置する移住相談窓口「ふくしまぐらし相談センター」の相談員。

 移住って何から始めればいいの・・・という移住全般の相談から、移住してから不安なこと、市町村に住んでいないとわからないリアルなことなど・・・移住生活に興味はあるけれど具体的にイメージできない方、移住に向けて一歩踏み込んだ話をしたい方など、ぜひこの機会にお気軽にご相談ください。

福島県二本松市はこんなところです
 首都圏から新幹線で約2時間程度。「智恵子抄」で詠われた『ほんとの空』が広がる二本松市は城下町として栄え、温泉や里山など田舎暮らしをしたい方の望むものが揃う一方、病院や公園などの遊び場も多く、子育て世帯も住みやすい街です。福島県の中でも、県庁所在地である福島市と、人が多く集まる商業都市である郡山市のちょうど中間地点に位置しており、利便性にも優れています!

ご相談内容の例
 地域おこし協力隊制度・募集情報のご紹介
 二本松市での暮らし、仕事、住まいについてのご相談
 具体的な移住支援制度についてのご紹介
 子育て支援についてのご案内
 移住された方の事例についてのご紹介

お問い合わせ 二本松市秘書政策課総合政策係 移住窓口
 〒964-8601 福島県二本松市金色403番地1
 電話 0243-24-7120 ファックス 0243-22-7023
 Mail sougouseisaku@city.nihonmatsu.lg.jp
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申し込み〆切が1月15日(木)まででしたが、まだ空きがあるかもしれませんし記録のためにもご紹介しておきます。

ところで、フライヤーにある「Uターン」と「Iターン」は解りましたが、「Jターン」というのは存じませんでした。「J」の字面からして、「U」まで戻らなくても途中まで、という意味なのかと思って調べたら、そんな感じでした。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)17 『道程』改訂版 書店版

昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ  明治四十三年十二月十四日
  画室の夜        明治四十四年一月十二日
  寂寥                       明治四十四年三月十三日
  声           明治四十四年五月二十日
  新緑の毒素       明治四十四年六月十一日
  はかなごと
  地上のモナ・リザ    明治四十四年七月六日
  父の顔         明治四十四年七月十二日 
  泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
  ――に         明治四十五年七月二十一日
  或る夜のこころ     大正元年八月十八日
  おそれ
  犬吠の太郎       大正元年九月二十六日
  さびしきみち      大正元年十月八日
  梟の族         大正元年十月二十日
  或る宵         大正元年十月二十三日
  郊外の人に       大正元年十一月二十五日
  冬の朝のめざめ     大正元年11月三十日
  戦闘          大正元年十二月十四日
  人に          大正二年二月十八日
  人類の泉        大正二年三月十五日
  山           大正二年十一月四日
  冬の詩         大正二年十二月六日
  牛           大正二年十二月七日
  僕等          大正二年十二月九日
  道程          大正三年二月九日
  愛の嘆美        大正三年二月十二日
  婚姻の栄誦       大正三年三月六日
  万物と共に踊る     大正三年三月九日
  瀕死の人に与ふ     大正三年三月十四日
  晩餐          大正三年四月二十五日
  五月の土壌       大正三年五月十六日
  秋の祈         大正三年十月八日
 道程 以後
  わが家         大正五年
  小娘          大正六年
  無為の白日
  海はまろく
  雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
  沙漠
  クリスマスの夜     大正十一年一月
  冬の送別        大正十一年四月
  五月のアトリエ     大正十一年五月
  ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
  落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
  樹下の二人       大正十二年三月
  鉄を愛す        大正十二年五月
  氷上戯技
  珍客
  葱
  車中のロダン      大正十四年
  後庭のロダン      大正十四年二月
  十大弟子        大正十五年
  聖ジヤンヌ       大正十五年
 猛獣篇 時代
  清廉          大正十三年十二月
  傷をなめる獅子     大正十四年
  狂奔する牛
  鯰           大正十五年
  苛察          大正十五年
  雷獣          大正十五年六月
  龍           大正十六年
 【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵

同日刊行された「百五十部限定版」と内容、紙型は同一です。「百五十部限定版」で青いクロス貼りの表紙に金押しされていた「獅子の顔」素描は空押しになり、見返しに印刷されていた光太郎署名はありません。定価は「百五十部限定版」が4円80銭、こちらは2円80銭です。

さらにこの後「普及版」が刊行されます。

地方紙『岩手日報』さん、昨日の記事から。

書で迫る高村光太郎 県高校教員展 盛岡

 県高校教員書道展(県高校教育研究会書道部主催)は12日まで、盛岡市盛岡駅西通のキオクシアアイーナで開かれている。墨痕鮮やかな力作が来場者の目を引きつける。
 書道教育に携わる28人の約80点を展示。「高村光太郎に寄せて」の共通テーマに沿って詩文をつづったり、好きな言葉や思いなどをしたためたりして、内容も形式も自由で個性が光る作品が並ぶ。
 事務局を務める盛岡市立の伊藤聖子教諭(43)は「教員の研さんの場であり、訪れる方との交流の機会にもなっている。好きな作品を見つけ、書を身近に感じて欲しい」と願う。
 午前9時~午後5時(最終日は同4時)。各日先着10人に色紙などのプレゼントがある。入場無料。
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この書道展についてはまったく存じませんでした。会場のキオクシアアイーナさんのサイトには先月の時点で予告が出ていましたが、「岩手県高等学校で書道を教えている教員による、地域交流を目的とした楽しい書作展です。」というだけで「高村光太郎」の文字が入っていませんで……。

調べたところ、テレビ岩手さんのローカルワイド「5きげんテレビ」でもちらっと紹介されていました。こちらでも「県内の高校で書道を教えている教員たちのバラエティ豊かな作品が並ぶ教員書道展。毎日先着10名様に今年の干支「午」にちなんだ作品のプレゼントもあります。もしかしたら知っている先生の作品もあるかもしれませんよ。」ということで、光太郎の名が出ていませんでした。
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会期は3日間だけで今日までだそうです。もう少し長くてもいいような気がしますね。それならば光太郎がらみの作品だけでも、花巻の高村光太郎記念館さんか、道の駅はなまき西南さんあたりに巡回して下さるとありがたいのですが……。記事に添えられた写真では、左から2点目の幅が光太郎の書論「黄山谷について」(昭和30年=1955)の一節です。曰く「何よりも黄山谷の書は内にこもつた中心からの気魄に満ちてゐて、しかもそれが変な見てくれになつてゐない。強引さがない」。黄山谷(黄庭堅)は中国北宋時代の書家で、自身も独自の書を残した光太郎がことに愛した一人です。

ちなみに花巻高村光太郎記念館さんでは、現在、花巻南高校さんで芸術書道を選択なさった生徒さんたちの光太郎詩文の書が展示されています。先月伺った際、ちょうどその展示が始まるところでした。同校サイトでも紹介されています。
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光太郎自身は自らを「書家」と定義したことはありませんが、独特の優れた書を多く残し、またその書論も同時代では抜きんでた炯眼によって書かれたものでした。今後とも光太郎と書について、掘りさげられた企画が為されることを切に望みます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)12 『ロダン』 アルス美術叢書普及版

昭和3年(1928)4月4日 アルス 高村光太郎著
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目次
 一、一個の全球
 二、親ゆづり
 三、善い姉さんと腹の出た家と
 四、始まり
 五、実地修行
 六、修道院
 七、下働きと仕立女工
 八、総決算と新時代
 九、苦境と愉楽と
 十、振出しへ返る事
 十一、自己の道
 十二、「歩む人」と「地獄の門」と
 十三、胸像群
 十四、記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義
 十五、一九〇〇年以後
 十六、晩年、死、死
 十七、「小さい花子」

昨日ご紹介した、前年刊行の通常版と本文の紙型は同一で、ハードカバーではなくペーパーバックとして出されたものです。

このところ新聞記事ネタが続いていますので、続けます。

昨日の『読売新聞』さん他、地方紙でも同じ記事が出ていました。

[岩手のお風呂2026⑦大沢温泉「湯治屋」]冬の自然美墨絵の世界 文化人魅了 心安らぐ情緒

 しんしんと雪が降る昨年12月上旬、大沢温泉「湯治屋」(花巻市)の本館には、続々と温泉客が入っていった。古い日本家屋のようなたたずまいの本館の建築年代はわかっていないが、板敷きの廊下や障子などは昭和の趣を残し、どこか郷愁を感じさせる。
 窓から雪の様子を眺めながら廊下を歩くと、奥にあるのが混浴の大露天風呂「大沢の湯」だ。風呂にゆっくり肩までつかって景色を眺めると、粉雪の白と、山々の墨色といった美しい自然のコントラストが広がる。眼下に流れる豊沢川や、川をまたぐ「曲り橋」、川の奥にある 茅葺かやぶ き建築のギャラリー「菊水舘」も含め、まるで絵画のような風景にほれぼれする。
 「3月にも来たんだけど、この雪景色が見たくてリピーターになったよ」。神奈川県から訪れた男性(66)はリラックスした表情でそう話す。この自然が数々の温泉客を魅了してきたのだろう。
 ずっと変わらぬ冬景色はもちろん、弱アルカリ性で無色透明の湯は保温性が高く、一度入浴すれば体の中から湧き出る温かさが長く続くという。
 大沢の湯は約1200年前に坂上田村麻呂が傷を癒やしたという伝説が残り、江戸末期には盛岡藩主・南部利剛が湯治に訪れたという由緒ある温泉だ。
 数々の文化人にも愛されてきた。幼い頃に何度も訪れた花巻出身の宮沢賢治は、教師時代に生徒たちを連れて来たこともある。戦時中に花巻に疎開していた彫刻家の高村光太郎は戦後もたびたび足を運び、「本当の温泉の味がする」と評した。
000
 大沢温泉は、古い建物の「湯治屋」と新しい旅館「山水閣」、ギャラリー「菊水舘」の三つからなる。近年ではスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーらも湯治屋を定期的に訪れているといい、その縁からジブリ関連の企画展が開催されている。
 湯治屋の支配人・西村真之介さん(53)は、「人の息づかいや人間らしさが感じられる」と魅力を語る。かつては農家や漁業者が仕事が一息ついた冬の時期に数週間投宿して体を休めた。滞在中は海の幸と山の幸などを物々交換したり、漁業者は来期に向けて漁網を手直ししたりし、英気を養っていたという。そうした湯治文化が今につながっており、当時の建物が残る湯治屋では名残を感じられる。
 「変わらぬ文化と自然、そして大沢の湯。絶対の自信があります」と、西村さんは胸を張る。せわしない世間を一時忘れ、心を安らげる力が温泉にはある。

畳の部屋余韻に浸って 
 温泉や公衆浴場は入浴はもちろん、その後の「余韻」に浸るのも 醍醐だいご 味だ。すぐ帰るなんてもったいない。
 湯治屋の待合室は畳の部屋で、温泉を堪能した後、ここで寝っ転がるのが至福の時間だ。1人だったらぼんやりとするのもいいし、友人と訪れたら卓を囲んで会話を楽しむのもいい。漫画もテレビもあり、ゆったりとした時間を過ごすことができる。
 壁にかかっているのは、宮沢賢治が幼い頃に大沢温泉を訪れた100年以上も前の写真。岩手の偉人もこの温泉に触れたのかと、感慨深い思いになった。
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戦後の花巻郊外旧太田村での蟄居生活中、光太郎が何度も宿泊した大沢温泉さんの紹介記事です。

当方も花巻出張の際には可能な限りこちらを利用させていただいております。現在、花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関係で、先月も泊めていただきました。次回は同展関連行事のトークイベントのため来月お邪魔します。

豊沢川添いの雪見の露天風呂は格別ですし、記事の最後に紹介されている畳の部屋もマストです。当方、着いた日には夕方、それから朝と、ここで地元紙『岩手日報』さんや『岩手日日』さんに目を通すのがルーティンです。

皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)10 『天上の炎』

大正14年(1925)3月25日 新しき村出版部 エミイル・ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序詩 未来 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に
 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森
 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 題跋詩 私の集

大正10年(1921)刊行の『明るい時』に続き、ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

元々、函とカバーが付いていましたが、手持ちのものには欠けています。完全な状態のものはほとんど市場に出ません。

しばらく訳書の紹介が続きましたが、共著を除いて翻訳以外はしばらく出版されませんでした。大正期には光太郎自身、「翻訳をやると一番安全に金になつたから、たとえば「ロダンの言葉」なども一つは生活のために書いた」(「遍歴の日」昭和26年=1951)と述懐しています。

今日明日と、遡って旧臘中の報道をご紹介します。

まず、12月28日(日)付けの『朝日新聞』さん岩手版。

花巻の鉛温泉・藤三旅館本館と白猿の湯 国登録有形文化財に

 多くの文豪が滞在、執筆したことでも有名な岩手県花巻市の鉛温泉・藤三旅館本館と白猿(しろざる)の湯が、国登録有形文化財(建造物)に登録される見通しになった。国の文化審議会が11月、文部科学相に答申した。
   藤三旅館本館は豊沢川沿いに建つ1941年建築の木造3階建て。南面東寄りに唐破風(からはふ)造りの玄関が突出し、入母屋(いりもや)屋根になっている。内部は各階の廊下の南北に客室が並んでいる。
 岩盤をくりぬいた白猿の湯は深さが1・3メートルあり、浴槽に立って入る。浴槽の周囲の床は石敷きで重厚な造り。上部は吹き抜けで開放的な雰囲気だ。
 県内の登録有形文化財(建造物)は今回を含めて111件になる。
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花巻の有形文化財建築といえば、ここと山一つはさんだ花巻温泉さんの旧松雲閣別館、市街地の旧菊池家住宅西洋館と、それぞれ光太郎の足跡が残る建造物です。そして今回も。「多くの文豪が滞在」とあるうちの一人が光太郎です。戦後の花巻郊外旧太田村での蟄居生活中、確認出来ている限り、昭和23年(1948)に3回、一泊ずつ宿泊しています。

まず4月25日の日記。

朝、村長さん来訪、どこかへ一緒に遊びにゆきたしと誘はる。今日円万寺観音山の祭に行く予定の旨答へる。午后村長さんも観音山に来て夕方より鉛温泉に一泊する事約束。(略)四時頃村長さん奥さん尋ね来る、五時辞去。 奥さんと共に二ツ堰。村長さんも自転車でくる。共に鉛温泉行。七時過着、入浴、酒、夜食。

「観音山」は親しくなった僧侶にして仏教学者の多田等観が暮らしていた山、「二ツ堰」は当時鉛温泉方面に走っていた花巻電鉄の駅です。「尋ね」は「訪ね」の誤記ですね。

翌26日。

昨夕温泉に久しぶりにて入る。深い共同浴場にも入る。泉質よきやうなり。温度余に適す。 沼田の吉二さんといふ人村長さんを訪ね来り、濁酒一升もらひ皆でのむ。 吉二さん(村の肴配給掛)と同宿。朝五時頃入浴。二三人老人が入り居るのみ。きれい也。

続いて5月11日。

午后五時五分の電車にて二ツ堰発、鉛温泉まで。 宿にては村長さんより電話ありたりとて待つてゐたり。此前と同じ室三階三十一号室。畳あたらし。 入浴、抹茶、夕飯後又抹茶、甚だ快適なり。入浴客も少し。椛沢さんも喜ぶ。 夜宿の主人と帳場の老人話にくる。史跡の話などきかせる。椛沢さん詩の朗読をしてきかせる、夜十一時半に至る。自然風呂の方の温泉に入浴。一人も客無し。十二時頃ねる。 セキも多く出ずよくやすむ。 雨もふらず。心地よし。

「椛沢さん」は椛沢佳乃子。戦時中からの知り合いで、東京から訪ねてきたお茶の先生です。

翌12日。

朝七時頃までねてゐる。 入浴。 朝食後抹茶。 午后一時十七分の電車にてかへる事にきめ、中食をたのむ。談話、休憩、入浴、十二時中食丼なり。会計をすます。五百円と少し。少々やす過ぎると思ひしが帰宅後うけとりを調べると宿料一人分のみ記入しあり。余の分をとらざりしと見ゆ。宿の主人電車まで送り来る。県道が秋田大曲の方へ開ける由語る。今は客二百名位。八月には千名余になる由。

「三階三十一号室」には当方も一度泊めていただきました。ほぼ当時のままのようでした。

さらに5月18日。

午后支度して宮崎さんと一緒に出かけ、二ツ堰より電車にて鉛温泉。 乗車中豪雨降る。後止み、晴れる。温泉にては前と同じ31号室(三階)。宮崎さんも喜ばる。鉛の共同風呂に入浴。この湯甚だよろし。あまり混雑せず。持参の玉露を入れたりする。休憩。 夜食時濁酒半分ばかりのむ。 幾度か入浴、十時頃ねる。

「宮崎さん」は姻戚の茨城在住だった詩人・宮崎稔です。

翌朝。

午前八時〇七分の電車にて花巻西公園まで。弁当のむすびをもらふ。宿にて米を少し返却し来る。会計全部にて435円也。

確認出来ているのはこの三泊ですが、昭和24年(1949)と25年(1950)の日記が失われている他、それ以外の時期にも日記が抜けている時期もぽつぽつあり、もう少し多いかもしれません。

生前最後の談話筆記「花巻温泉」でも、大沢温泉さん、台温泉さんなどとともに鉛温泉さんに詳しく触れています。

 花巻の駅から一時間かかって、やっとたどりつく四つ目の駅、鉛温泉は、かなり上った山奥の湯で、今はラッセルがあるから心配はないが、私がいた頃は雪が降ると電車が止って厄介だった。
 鉛温泉の湯は昔から名湯とされている。非常に大きな湯舟が一軒別棟でできていて、一杯の人が入っている。その様を小高い所から見下せるが、まるで大根が干してあるように人間の像がズラリと並んで、それは壮観である。
 たいていの温泉は引湯だが、鉛はじかに湯が湧いている。湯の起りの底の砂利を足でかき廻すとプクプクあぶくが出てきて身体中にくつついてピチンとはねるのも面白いが、大変薬効のある湯といわれている。
 昔は男女混浴で、お百姓さんや、土地の娘さんや、都会の客などがみんな一緒に湯を愉しんでいたが、だんだんに警察がうるさくなって、「男女区別しなけりやいかん」ということで、形式的に羽目を立てた。が、これがまた一層湯を愉しくした。
 はじめのうちは男女両方に分れて入っているが、土地の女というのが男以上に逞しくて、湯に入りながら盛んにいいノドをきかせる。と、男の方はこれに合せて音頭をとりだし、しまいに掛け合いで歌をはじめ、片方が歌うと片方が音頭をとるというわけで、羽目をドンドンと叩くからたまらない、羽目がはずれて大騒ぎになる。なんとも云えない愉しさだ。
 宿もこんな山の中によく建つたと驚くような大きなもので、鉄筋コンクリート建である。


この「鉄筋コンクリート建」が、今回、有形文化財登録になるという本館と思われますが、冒頭の記事では「木造」となっています。思うに純粋な木造ではなく、コンクリートとの折衷ではないかと。

ちなみに『朝日』さんでは暮れに報じていてその時点で気づいたのですが、既に11月には地元で報道が為されていました。

IBC岩手放送さんのローカルニュース。

鉛温泉・藤三旅館と白猿の湯が国の登録有形文化財に 岩手・花巻市

 岩手県花巻市の鉛温泉にある旅館と浴室用の建物2件が、新たに国の登録有形文化財に登録されることになりました。
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 国の登録有形文化財に登録されるのは、花巻市鉛の「鉛温泉藤三旅館本館」です。この建物は1941年に建てられ突き出した玄関の屋根が曲線の美しい唐破風造(からはふづくり)となっています。
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 もう1件は、この旅館の浴室用の建物「白猿の湯」です。建設時期は昭和の前期で、中には岩盤をくり抜いた深さ約1.3メートルの大浴槽があり、上が吹き抜けとなっています。県内にある国の登録有形文化財は、今回を含め111件となります。
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『朝日』さんに戻りますが、「多くの文豪が滞在、執筆したことでも有名」とあるうち、「滞在」には宮沢賢治が含まれます。童話「なめとこ山の熊」に「腹の痛いのにも利けば傷もなほる。鉛の湯の入口になめとこ山の熊の胆ありといふ昔からの看板もかかつてゐる」という記述があります。元々、藤三旅館の経営者だった藤井家は宮沢家とは親戚関係でした。熊といえば、つい先日、宿泊した際には白猿の湯ではない豊沢川沿いの露天風呂で熊とニアミスがあり肝を冷やしました。

また「執筆」は田宮虎彦。「銀心中」という短編小説はこの宿をモデルにし、ここで書かれたそうで、公式サイトでもそのあたりが紹介されています。忘れ去られつつある作家に光を当てるのも大事ですが、先述のようにいろいろ書き残している光太郎ももっと前面に押し出していただきたいのですが……。

ところで、光太郎が泊まったというと、鉛温泉さんよりやや南の大沢温泉さん。こちらの自炊部は江戸時代の建築ですし、光太郎も愛した露天風呂「大沢の湯」も歴史あるなかなかの風情で、一説には能舞台を模した造りとも言われているようです。こちらもぜひ有形文化財登録を目指してほしいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)7 『回想のゴツホ』

大正10年(1921)4月22日 叢文閣 エリザベツト・ゴツホ著 高村光太郎訳
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目次
 小序 
 一 準備
 二 はじまり
 三 再び仏蘭西へ
 四 をはり
 附録 ゴオガンに宛てた手紙 最後に就てのゴオガンの手紙 略年譜 挿画目録

フィンセント・ヴァン・ゴッホの妹であるエリザベットによる兄の回想録です。

これも本来カバー付きですが、手元のものはカバーが欠けています。カバー付きが市場に出ることはまずありませんので半分諦めているのですが、若松英輔氏のモクレン文庫さんで数年前に出ました。その稀少価値をご存じなかったのか、超廉価で。気づいた時には既に売れていました。

智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰活動に当たられている「二本松市 智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~」さんから今年1年の活動報告的な「文集 2025」が届きました。
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B4判縦長で50枚程のコピーを綴じたもの。手作り感に溢れています。

表紙は智恵子が所属した太平洋画会の後身・太平洋美術会さんに所属され、書籍『スケッチで訪ねる『智恵子抄』の旅 高村智恵子52年間の足跡』や絵本『夢を描くひと―高村智恵子―』などを書かれた坂本富江さん。こちらの会員でもあらせられるということで。

目次を載せておきます。それから裏表紙。
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まず会として行った事業の紹介。けっこう皆さんであちこち出かけられたそうで、そのスナップが裏表紙に載っています。

詩人の吹木文音氏(ご本名・中島宏美さん)もこの会の会員だそうで、先月、都内で行われた「第68回高村光太郎研究会」でのご発表に関しても。

それから花巻南高校文芸部さんの部誌『門』今年8月発行の第19号からのコピー。当会が仲介しまして、4月から5月にかけて二本松の智恵子記念館さんで、「高村智恵子生誕祭」のコンテンツの一つとして同校家庭クラブさんの制作になる「智恵子のエプロン」復刻展示が行われ、文芸部さんと家庭クラブさんの顧問の先生方、生徒さんが観にいらした関係です。近隣の智恵子ゆかりの地を夢くらぶの方にご案内していただきました。

その他、5月に行われた「智恵子純愛通り記念碑建立祭」では、地元の小中高生の皆さんに光太郎詩の朗読を依頼、その際に一言ずつスピーチもしてもらったそうで、その原稿。さらに会員の方々が自由に書かれた文章など。

こうした地域に根ざした草の根の活動も大切なことと存じます。しかり顕彰する人々が居なければ、対象の人物はどんどん歴史の波に呑み込まれて忘れ去られてしまいますので。

来年以降もさらなる活動のご発展を祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

いづれは私達は皆ゆくべき処へおそかれ早かれゆくのですから、人間相手でなし神にむかつて、精一ぱいのよい生き方をして、人間にはどのやうにもあれ決して不平はもつまいと私は決心してやつてゐます。


昭和3年(1928)8月21日 長沼セン宛書簡より 智恵子43歳

智恵子も実母のセンも、クリスチャンだったというわけではありません。したがってここでいう「神」とは漠然としたイメージと思われます。

もうこの頃には実家の長沼酒造は恐慌のあおりで大きく傾き、翌年には破産してしまいます。

光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」関連で2件。

まず、先月30日(日)に港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」で登壇なさった山本隆一氏が、同フォーラムの様子を報じた地元紙2紙を送って下さいました。そのうち『東奥日報』さんで、同フォーラムの記事の下に以下の記事が載っていました。

東北新幹線・新青森-八戸開業15周年 3駅で記念カード配付

 東北新幹線・新青森-八戸間が4日に開業15周年を迎えるのを記念し、JR東日本は1日から、新青森、七戸十和田、八戸の3駅で「駅カード」を枚数限定で配布する。当日有効の乗車券類か入場券(定期券を除く)を、各駅の新幹線の有人改札で提示すると、1人1枚もらえる。駅カードで3駅を取り上げるのは今回が初めて。
 駅カードは鉄道車両と地域の特色を組み合わせたデザインとなっており、JR東など鉄道会社がキャンペーン企画の一環として制作することが多い。新青森駅のカードはE5系新幹線「はやぶさ」と青森ねぶた、七戸十和田駅はE2系新幹線「はやて」と十和田湖、八戸駅は観光列車「TOHOKU EMOTION」と八戸えんぶりをそれぞれ描いている。
 本県では弘前駅や五所川原駅、深浦駅などが題材となったことがある。
 4日は新青森駅と七戸十和田駅で開業15周年セレモニーなどの記念企画を行う予定。
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七戸十和田駅の駅カードに「乙女の像」があしらわれています。記事本文に「乙女の像」の語が入っていなかったので、掲載紙が送られてくるまで気づきませんでした。

新青森駅、八戸駅のものはこちら。
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「こりゃ欲しいな」と思いまして、ネットオークションのサイトを見てみると、早速売りに出ていました。しかし3枚で8,000円。まぁ、好きな人はその価格でも買うのでしょうが、何だかなぁ……です。

もう1件。やはり地元紙の『秋田魁新報』さんで12月20日(土)に掲載された記事です。

遠い風近い風[畑澤聖悟]神秘の十和田は田沢と共に

 今年で3年目となる「北のまほろば祭り」は、私が主宰する渡辺源四郎商店の定例イベントである。本拠地である青森市の渡辺源四郎商店しんまち本店で、秋から冬にかけて、月終わりの週末にリーディングや一人芝居など、語り芸を中心に短編2、3本を上演する。今回は11月~来年1月に実施。毎回、期間中に計8~12作品が集まることから、「北の小さな演劇祭」を名乗っている。
 先月の公演タイトルは「千古水澄む十和田湖いだき」。ズバリ、十和田湖がテーマである。ゲストに秋田の「けやはす演劇部」を招いた。おととし1月にあきた芸術劇場ミルハスで上演された県民参加型ミュージカル「欅(けやき)の記憶・蓮(はす)のトキメキ」の出演者有志を中心に結成した劇団で、昨年に引き続きの登板である。
 演目は「神秘の十和田は田沢と共に」。秋田を憂う謎の集団「秋田賢人会議」が秘密会議を行う。県境にまたがる十和田湖を青森県が独り占めしようとしている。そうはさせじ。「十和田湖が名実ともに秋田のものであることを強く意識させるためには、物語を利用せばいい!」とリーダーが号令する。
 十和田湖、田沢湖、八郎湖を巡る「三湖伝説」を、都合のいい「秋田史観」で改変しようと試みるのだ。台本を持った演者8人によるリーディング公演であるが、歴史うんちくあり、アクションあり、ギャグあり。盛りだくさんの28分。客席は沸きに沸いた。劇団代表である伊藤展洋氏の記念すべき初の作・演出作品。堂々のデビューである。
 迎え撃つ「小なべの会」は、渡辺源四郎商店の若手によるユニット。これまで劇団内ワークショップ、台本評論、作詞作曲、演出練習などの活動を経て、今回が初公演となった。演目は「智恵子と智恵子」(沼畑枝里作・演出)。十和田湖畔に立つ裸像、通称乙女の像が主人公。制作途中の像が、作者の高村光太郎が寝ている間に動き出し、歌ったり漫才をしたりする。コント風の展開だが、亡き妻、智恵子への高村の愛情が徐々に浮かび上がってくる。ゲストに負けぬ大受けであった。
 終演後はロビーで出演者、スタッフ、観客が入り乱れての座談会「まほろばトーク」。そして乾杯。そのまま打ち上げになだれ込んだ。大量に持ち込まれた秋田の美酒とお土産がありがたい。
 私が「欅の記憶・蓮のトキメキ」の演出を担当させてもらってから間もなく3年。あの日、演劇の世界に足を踏み入れた彼らは、自作を引っ提げて遠征するまでになり、アウェーの観客を大いに喜ばせた。そして、初めて私の手を離れて芝居を打ったウチの若手たち。みんな楽しそうに芝居談義をしている。これはすごいことである。報われた気がした。空きビルを大工仕事で劇場に改装したのも、身銭を切って劇団を19年続けてきたのも、何もかもこのためだったのではないか。
 けやはすの面々とは「またね」と言って別れた。また、いい芝居やりましょう。そして、楽しく飲みましょう。芝居は終われば何も残らないが、縁は続くのである。
 (劇作家・演出家、五城目町出身、青森市住)

このイベントについても事前に把握できていませんでした。公式サイトにやはり「乙女の像」の語が無く、さらに演目題名も「智恵子と智恵子」ということで、「高村」の語を書いていただければ見逃さなかったのですが、「智恵子」だけでは検索網でカバーしきれません。
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ちなみに「千古水すむ十和田湖いだき」という「青森市民の歌(愛市の歌)」の歌い出しの一節を総題にした3本仕立ての演劇公演で「神秘の十和田は田沢と共に」「十和田湖のこわい話」そして「智恵子と智恵子」だったそうです。智恵子の顔を持つ「乙女の像」の制作意図が、光太郎曰く「人間の心の中を、内部を見る。そういう一種の感じをうけたんで、その一つの人間が、同じものが、どこを見ているかわからないが、とにかく向かいあって見合っている――片方は片方の内部で、片方は片方の外形なのです」ということで、「智恵子と智恵子」だったのでしょう。

「乙女の像」が主人公というと、10年ちょっと前に十和田湖国立公園協会さんでから刊行された能町みね子氏の『十和田湖アイドル伝説! 乙女の像S 解散の危機 !?』が思い出されました。

これからも「乙女の像」、地元で、さらに全国区で愛されてほしいものです。

【折々のことば・智恵子】

この世に生れて来た甲斐に、どれだけの事が成功するか、各自に与へられた力の最善を尽して一生の使命を果すので、誰れにとつても生やさしい面白いおかしい事ではなく、いつも目的を最高の処に置いて立派な、悔いのない、あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯を築く覚悟がなければなりません。


大正11年(1922)12月1日 長沼啓助・禎子宛書簡より 智恵子37歳

大正7年(1918)に歿した父・今朝吉の跡を継いで長沼酒造を任された弟・啓助と、その妻となった禎子との若い二人に宛てた書簡から。

智恵子自身、昭和13年(1938)に南品川ゼームス坂病院でその生涯を閉じる際、「あゝこれでよかつたと、生の終りに自分で感謝する事の出来る生涯」だったのでしょうか……。

雑誌新刊です。

『Begin』2026年2月号

発行日 : 2025年12月16日
版 元 : 世界文化社
定 価 : 745円+税

●大特集:2025年の人気モノランキング!  2026年の大モノ先駆けスクープ!「Begin Best 100」
●第2特集:「本当に使える」北欧デザインの雄 イノベーターの“革新”を学ぶ
●第3特集:いつもの年末年始を10倍回復させる!「リカバリーギフトCATALOG」

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主に男性向けのシャレオツなグッズを紹介する雑誌です。

「ミュージアムグッズ愛好家」なる肩書きの大澤夏美氏という方による「博ブツ観」という連載が為されており(今号は第32回だそうで)、「岩手県花巻市で発見 高村光太郎記念館 本革しおり Bookmark」のサブタイトルで、そのままずばり、高村光太郎記念館で販売されているしおりをご紹介下さいました。ありがたし。
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問題の(別に問題もありませんが(笑))しおり、モチーフは本文で詳しく語られていますが、光太郎が戦後の七年間を過ごした山小屋(高村山荘)に隣接するトレの壁に自らが彫りつけた明かり採りの窓です。
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トイレの内部から見ると「光」の文字が反転して見えるわけで。現在ではトイレも套屋で覆われていますが、裏側から右上画像のように外光が差し込むさまが見られるようになっています。
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この反転バージョンを、同館ではロゴや、今回のしおりなどさまざまなグッズに使用しているというわけです。ところでしおり、イタリアの牛革製だそうで、それは存じませんでした。

ただ、現在の物販はというと、二重三重四重五重にいろいろ面倒くさい問題がありまして、非常に品数が少ない状態です。もっとうまくやれよ、と言いたいのですが……。

閑話休題、大澤氏曰く

 一枚のしおりをきっかけに、光太郎と智恵子、そして山荘に射し込む「光」という小さな物語へと誘われたのかもしれません。まだしばらく続く寒い季節の読書時間に、そんな“自分だけの光”を運んでくれるしおりを忍ばせてみるのも、悪くないのかも。

なるほど。

さて、『Begin』2月号、Amazonさんなどでも扱っています。ぜひお買い求めを。

【折々のことば・智恵子】

こんどといふこんどこそは、何がなんでもいゝ絵をかいて そして生活をしてゆかなければ 私はかうしてはゐられないのですから 今からいそいでかゝなければならないのですから

大正2年(1913)8月12日 長沼セン宛書簡より 智恵子28歳

結婚前の二人でしめしあわせ、光太郎が先行滞在していた信州上高地に智恵子も追って行くのですが、そのための旅費を実家の母親に無心する手紙の一節です。もっとも、そうした事情は一切語らず、いわばだまし討ちですね。結果的には金銭を送ってもらい、上高地で光太郎と合流、二人は婚約を果たします。

花巻レポートの承前です。

12月15日(月)、旧太田村の高村光太郎記念館さんにて「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」拝観の前、同じく旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんに立ち寄りました。
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まず農産物等の直売や土産物等の販売を行っている「すぎの樹」さんで、林檎を箱買いして自宅兼事務所に発送(左下)。この季節のルーティンです。後述のやつかの森LLCさんから既に大量に送られてきている(右下)のですが、いくらあっても困りませんので(笑)。
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「すぎの樹」さんの正面の壁には光太郎を描いた大きな壁画。
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その右下に、弁当やお総菜を販売なさっているミレットキッチン花(フラワー)さんがあります。
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こちらでは毎月15日、豪華弁当「光太郎ランチ」を限定10食で販売中。ちょうど15日でしたので、「どれどれ」と見に行きました。

この時点で13:00近かったのですが、残り2食。
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売り切れていたら画像が出せないなと思っていたのでラッキーでしたし、逆に全然売れていなくても悲しいところで、いい塩梅でした。

現物を見るのは3度目でした。最初は販売が始まった令和2年(2020)のお披露目会の折、2度目はやはりたまたま15日に訪れ、ゲットして帰って妻と二人でいただいた一昨年の冬。今回は1泊2日の初日で、既に新幹線車内で駅弁を食した後だったので購入はしませんでした。

メニューの考案には、地元で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが担当されています。そのやつかの森さんから送られてきた画像。
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品目は「チキンの照り焼き」「牛すき煮」「大根とさつま揚げの煮物」「卵焼き」「さつま芋入り蒸しパン」「青豆入り麦ご飯」「大学芋」「みかん」。今月は当方の好物が並んでおり、こりゃ食べたかったな、というメニューでした。

それにしても、この諸物価高騰の折、変わらず800円というのがすごいと思います。令和2年(2020)の段階では800円だと安くはないな、という感じでしたが、現在ではお手頃価格感です。なし崩し的に諸物価高騰に馴らされてしまっているようで、逆に怖いなと思いました。壺が大好きな無策な政府の思う壺にはまっているようで(笑)。

今年はこれで終了ですが、来年以降も愛され続けることを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

この繁雑な世の中に出て奮闘するには随分よく心身をきたへて置かねばなりませんよ くれぐれも祈ります


明治42年(1909)2月7日 鈴木謙二郎宛書簡より 智恵子24歳

鈴木謙二郎は、明治40年(1907)に智恵子が父・今朝吉やきょうだいと共に宿泊した福島相馬の原釜海岸にあった金波館という宿で知り合った、その当時の旧制米沢中学生です。智恵子は7歳年下の鈴木と姉弟のように親しくなり、確認できている限り明治44年(1911)まで文通を続けていました。

のち、鈴木は山形県伊佐沢村村長や長井市教育委員などを歴任します。
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監修させていただいた「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関係で、12月15日(月)・16日(火)と1泊2日で花巻に行っておりました。

14日(日)にちょっとした降雪があったそうで、郊外旧太田村の高村光太郎記念館さんはこんな感じ。
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入ってすぐ、「おっ!」と思ったのがこちら。まだ正式に展示が始まってはいなということですが、花巻南高校さん書道部の生徒さんたちの書。

追記:書道部さんではなく、授業で書道を選択された生徒さんたちだそうでした。
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すべて違う生徒さんの作品で、それぞれ思い思いに光太郎詩の一節を書いて下さっています。「卒業記念」的な意味合いもあるそうで。こういうのを見ると、不覚にもうるっときてしまいます(笑)。

同校の文芸部さんと家庭クラブさんにはいろいろとお世話になっていますが、今度は書道部さんも巻き込んだか、という感じでした(笑)。若い世代に光太郎を知ってもらうという意味でも、良い試みですね。

奥の企画展示室へ。
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花巻と光太郎を結びつけたキーパーソンである宮沢賢治との繋がりに焦点を当てました。
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2人が実際に顔を合わせたのは、大正15年12月のたった1度だけでした。しかし、2人の天才は、それぞれの作品を通してお互いを深く敬愛していましたし、残念ながら賢治が歿してからになりますが、その結びつきはより強固なものとなっていくことになります。

昭和8年(1933)に賢治が亡くなり、すぐ翌年には光太郎も編集者として名を連ねた『宮沢賢治全集』の刊行が始まります。光太郎が関わった賢治の全集は4種類。それらにより、生前は無名の地方詩人に過ぎなかった賢治の名が世に広く知られていくことになります。

そこで今回の展示では、光太郎が関与した4種類の全集にスポットを当て、それらの成立過程やさらに派生して刊行された書籍、それらに関わった人々の思いといったところを前面に押し出しました。

最初の文圃堂版全三巻(昭和9年=1934~同10年=1935)。
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それを補完する形で出された十字屋版(昭和14年=1939~昭和19年=1944)。
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『全集』とは冠されていませんが、戦後の日本読書購買利用組合『宮沢賢治文庫』(昭和21年=1946~同24年=1949)。
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そして筑摩書房版(昭和30年=1955~同32年=1957)。
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装幀、題字揮毫は全て光太郎です。特に筑摩書房版は、光太郎のこの手の仕事の最後のものとなりました。

賢治作品を世に出す強い意志を持って臨んだ実弟の清六、賢治の親友だった藤原嘉藤治についても詳しく紹介されています。当会の祖・草野心平についても。
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テレビモニターでは、昭和11年(1936)、光太郎が碑文を揮毫した「雨ニモマケズ」碑除幕式の様子。碑の近くの桜地人館さんで常時上映されているものです。
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桜地人館さんでは、戦後の光太郎書も貸して下さいました。これまで門外不出だったものですが。
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右上は、藤原嘉藤治の顕彰をなさっている瀬川正子氏ご提供の写真。世に出るのは初めてではないかと思われるものです。

賢治の遺言で、没後に配付された「国訳妙法蓮華経」。
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なかなかに充実した展示でした。

その他、同時開催中の4月に始まった特別展「中原綾子への手紙」(2月28日(土)まで)。
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先月末まで開催されていた企画展「昔なつかし花巻駅」に出品されていたジオラマは、第一展示室に移動されていました。
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その後、隣接する高村山荘(光太郎が戦後の七年間を過ごした山小屋)へ。
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少し早かったのですが、寒いので(笑)、宿泊先の光太郎も愛した大沢温泉さんへ。
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最近は予約を取るのもけっこう一苦労です。

翌朝(昨日ですが)、再び高村光太郎記念館さんに。この日はNHKさんの取材ということで。余裕を持って行きましたので、まずまた山荘に。夜のうちに新たに雪が降り積もることもほぼなく、助かりました。
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さらに奥の「雪白く積めり」碑。この地下には光太郎の遺髯が埋まっています。
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碑の前の広場。熊の足跡でしょうか。
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明らかに狐や兎ではありません。

裏山の智恵子展望台からの眺め。
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記念館に戻り、取材を受けました。NHKさん以外に地方紙『岩手日日』さんにも。

NHKさんには、「民間通信員」という制度があり、業務委託された民間の方が取材、撮影なさり、放送局でそれを編集し放映するシステムになっています。今回いらしたのは旧知の北山公路氏。花巻のタウン誌『Machicoco』の編集・発行もなさっている方です。
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早速昨日のうちに夕方のローカルニュースで流れ、ネットにも出ました。

高村光太郎と宮沢賢治のつながり紹介する企画展 花巻

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 詩人で彫刻家の高村光太郎と花巻市出身の詩人で童話作家の宮沢賢治のつながりを紹介する企画展が、花巻市で開かれています。
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 花巻市の「高村光太郎記念館」で開かれている企画展では、光太郎が賢治の作品に出会って賢治の家族と交流を深め、賢治の死後に発行された全集の編集や装丁を手がけた過程などが、4種類の全集などとともに紹介されています。
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 また、賢治の作品を広めた、賢治の弟の清六や賢治の親友の藤原嘉藤治の功績も一緒に紹介されていて、昭和11年に市内に設置された「雨ニモマケズ」が刻まれた賢治の詩碑の除幕式を撮影した動画を見ることができます。
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 企画展を監修した高村光太郎研究者の小山弘明さんは「生前は無名だった賢治が世界的に有名になった過程に、光太郎が関わっていたことを広く知ってほしい」と話していました。
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 また、主催する花巻市生涯学習課の菊池功昇課長補佐は「賢治と花巻の関わりは広く知られているが、光太郎と花巻の関わりについても、もっと市民に知ってほしい」と話していました。
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 この企画展は、来年3月末まで開かれています。

次回は来年2月21日(土)、関連行事として、清六令孫にして林風舎代表取締役・宮沢和樹氏、藤原嘉藤治の顕彰を勧められている瀬川正子氏とのトークショーの際に参ります。

というわけで、皆様もぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・智恵子】

この福島がいゝ人もあるか知れませんが私には一向よくもありませんねー 住めばみやこの習にて人気少ない家郷の山川もしのぶの空にすむ身には降りしきる五月雨につけ何となうなつかしう存られ候

明治34年(1901)7月5日 安田卯作宛書簡より 智恵子16歳

安田卯作は智恵子の母校・油井村の油井小学校に勤務していた教師です。この年、同校高等科を卒業した智恵子は福島町(現・福島市)の町立高等女学校に進み、大熊ヤスら同級生とともに町内の弁護士方に下宿していました。3ヶ月程でホームシックになっていたようです。

「しのぶの空」は女学校近くの信夫山(しのぶやま)に関わります。『古今和歌集』や『小倉百人一首』に収められた源融(河原左大臣)の有名な歌「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」も背景にあるでしょう。

そして故郷の山川を「偲ぶ」と、信夫山の「しのぶ」の掛詞(かけことば)。智恵子少女の教養の高さが窺えます。また、その筆跡の見事さも。
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今年5回目(たぶん(笑))、そして今年最後となりますが、光太郎第二の故郷・岩手花巻に来ております。
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先週末に高村光太郎記念館さんで、監修させていただいた「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」が始まりまして、そちらの拝観。さらに来春開催予定の関連行事としてのトークイベントの打ち合わせ。
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隣接する高村山荘(光太郎が戦後の7年間を過ごした山小屋)、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんなどに寄り(ほぼいつも代わり映えしないのですが(笑))、現在は光太郎ゆかりの大沢温泉さんに宿泊しております。
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今日また朝から記念館さんに参り、企画展につきNHKさんの取材を受け(ローカルニュース用でしょう)、それで帰ります。

詳しくは帰りましてからお伝え致します。

テレビ放映情報です。

まずはアーカイブ映像の使い回しですが。

日本歌手協会歌謡祭プレミアム

BSテレ東 2025年12月17日(水)  19:00〜21:00

毎週水曜日は懐かしの名曲をたっぷりと聴くことが出来る2時間!赤、青、黄色・・・曲名や歌詞に「色」が入ったカラーソングをいろいろとお届けします!

「ルイジアナ・ママ」飯田久彦 「黒百合の歌」織井茂子 「イルカにのった少年」城みちる
「黒い花びら」湯原昌幸 「黒姫ものがたり」小沢あきこ 「桃色吐息」川中美幸
「赤と黒のブルース」鶴田浩二 「砂の十字架」中村晃子 「青い山脈」青山和子
「赤い花白い花」芹洋子 「真赤な太陽」秋元順子 「悲しき口笛」三山ひろし
「命くれない」瀬川瑛子 「白い花の咲く頃」岡本敦郎 「白い蝶のサンバ」森山加代子
「白いブランコ」ビリー・バンバン 「シクラメンのかほり」キム・ヨンジャ
「黄色いシャツ」浜村美智子
「黄色いさくらんぼ」牧山直江(スリー・キャッツ)、あべ静江、山田邦子
「みずいろの手紙」あべ静江 「月がとっても青いから」菅原都々子 「緑の地平線」青木光一
「新雪」高道(狩人) 「天使の誘惑」黛ジュン 「みかん色の恋」ずうとるび
「渡り鳥」三沢あけみ 「智恵子抄」二代目コロムビア・ローズ 「長崎の女」春日八郎
「亜麻色の髪の乙女」貴津章 「夏色のナンシー」早見優 「悲しい色やね」上田正樹

出演者 <司会>合田道人
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昭和39年(1964)にリリースされた、故・二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」の映像が使われます。これまでも同じ系統の番組で何パターンかが流されてきています。
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作詞は故・丘灯至夫氏。智恵子の故郷にして歌の舞台にもなっている二本松に近い小野町のご出身でした。
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二本松市では正午の防災無線のチャイムが「智恵子抄」です。


もう1件、番組ではなくCMですが、今月からオンエアされるようになったJR東日本さんの「大人の休日倶楽部」CMが「青森・奥入瀬」篇です。

冒頭にいきなり光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。
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ぼーっとテレビを見ていて突然「乙女の像」が写り、仰天しました(笑)。厳密にいうと「乙女の像」のある休屋地区は「奥入瀬」ではないのですが、よしとしましょう(笑)。

「大人の休日倶楽部」CMは、20年もの長きにわたり吉永小百合さんが出演されていましたが、今年から竹野内豊さんにバトンタッチされ、3月から放映されていた「福島・会津」篇に続いて2作目です。
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奥様役はJRさんでお名前を公表されていませんが、河井青葉さんという女優さんのようです。

お二人はJRバスに乗って、十和田湖から奥入瀬渓流へ。
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まさに今、現地はこんな感じなんでしょうね。

15秒バージョンとと30秒バージョンの2種が制作されています。



今後、ぜひ花巻篇や安達太良山篇、九十九里浜篇なども作っていただきたいものです(笑)。

【折々のことば・智恵子】

芸術の問題から、魂の事を除外しては――表現の技巧ばかりの事では――われわれを感動させる事は不可能です。


アンケート「好きな俳優=その理由=」より 大正13年(1924) 智恵子39歳

全ての芸術にあてはまることですね。

花巻高村光太郎記念館さんでの企画展情報です。

高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで

期 日 : 2025年12月13日(土)~2026年3月31日(火)
会 場 : 高村光太郎記念館 岩手県花巻市太田3-85-1
時 間 : 午前8時30分~午後4時30分
休 館 : 12月28日(日)~1月3日(土)
料 金 : 一般 350(300)円 高校生・学生250(200)円 小中学生150(100)円
      ( )内は20名以上団体料金 高村山荘は別途料金 

 高村光太郎は、当時、無名だった宮沢賢治の作品に出会い、宮沢賢治を広く後世に知らしめるための大きな役割を果たしましたが、37歳で早逝した宮沢賢治の今日に至る評価に高村光太郎が関与したことは一般的には知られていません。
 賢治没後の昭和9年(1934)、光太郎も出席した新宿モナミで開かれた賢治追悼の会では、実弟の清六がトランクに入った賢治の遺稿を披露しました。その中の手帳には「雨ニモマケズ」の詩もあり、光太郎をはじめとする著名人たちが感銘を受け、全集刊行へと動き出します。
 当企画展では、光太郎が携わった4つの「宮沢賢治全集」に注目し、編集や装幀作業に係わるエピソードや宮沢賢治評について紹介します。また、賢治没後、清六と共に藤原嘉藤治が、文圃堂版と十字屋版の全集に編纂者の一員として携わっていたことにも焦点をあてています。

関連行事 トークイベント 光太郎と賢治―宮沢賢治全集ができるまで―
 2026年2月21日(土) 10:00~11:30
 なはんプラザ コムズホール 岩手県花巻市大通一丁目2番21号
 講師 
  宮沢和樹 株式会社林風舎代表取締役
  瀬川正子 株式会社共同園芸取締役 第35回(2025年)イーハトーブ賞受賞
  小山弘明 高村光太郎連翹忌運営委員会代表

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光太郎が携わった4つの「宮沢賢治全集」」は、以下の通りです。

・文圃堂書店版『宮沢賢治全集』 全三巻 昭和9年(1934)~同10年(1935)
・十字屋書店版『宮沢賢治全集』 全六巻+別巻一 昭和14年(1939)~同19年(1944)
・日本読書購買利用組合『宮沢賢治文庫』 既刊六冊 昭和21年(1946)~同24年(1949)
・筑摩書房版『宮沢賢治全集』 全十一巻 昭和30年(1955)~同32年(1957)

このうち、『宮沢賢治文庫』は「全集」と冠されていませんが、先行する十字屋書店版に収録されていなかった作品も網羅するつもりで刊行が始まったものです。ただ、当初予定は全十一冊でしたが、第五冊及び第八冊以降が未刊のまま中絶してしまいました。

これら四種類の現物や、成立過程、周辺人物などについての解説パネルで構成されます。

解説パネルを執筆させていただきましたが、書き始めたら「あれも書きたい、これにも触れたい」で止まらなくなり(笑)、50枚程になってしまって、とても全てを出せませんので「ここから適当にセレクトして下さい」とお願いしました。パネルにならなかった稿も含め、図版を入れた冊子が作られ、販売される予定です。よろしければお買い求め下さい。
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詳細はまた改めて紹介いたしますが、来春2月21日(土)に花巻駅前のなはんプラザさんで関連行事としてのトークイベントが行われ、登壇いたします。こちらもぜひどうぞ。

ところで、企画展自体の詳細情報が、まだ花巻市さんのサイトに上がっていません。今月1日発行の『広報はなまき』には、トークイベントと共に小さく紹介されていますが。
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この手の企画展示の情報などは遅くとも1ヶ月前位には出していただきたいのですが、いつもギリギリ、下手すると始まってから出されます。もうそういうもの、という感じになってしまっているようで……。

追記 12月10日(水)に市の方で詳細情報を出しましたので、最上部、リンクを貼りました。

同時開催で、4月に始まった特別展「中原綾子への手紙」も2月28日(土)まで開催しています。併せてご覧下さい。

【折々のことば・智恵子】

芸術――文学の使命は、それら一切のコンヴエンシヨンを如何に離れて、輝く天然の光りのうちにその全きを理法と愛とに生きむがため、一切を鋳なほし、息づまつた熱鬧に涼風をおくる、天に向つてあげる烽火ではあるまいか。

散文「現代日本の文学に対するアマチユアの注文と感想」より
大正12年(1923) 智恵子38歳

この文章は文学全般をイメージしてのものですが、光太郎同様、智恵子も賢治作品を愛していました。「輝く天然の光りのうちにその全きを理法と愛とに生きむがため、一切を鋳なほし、息づまつた熱鬧に涼風をおくる、天に向つてあげる烽火」、まさに賢治作品を彷彿とさせられます。

当会の祖・草野心平の回想「光太郎と賢治」(昭和31年=1956)から。 

 ある晩高村さんのアトリエで、その時は智恵子さんも傍にゐられた。なんかのきつかけから賢治の話が出て、高村さんは『春と修羅』を持ち出してきた。私はそれを受けとつて「小岩井農場」の一部をよんだ。ユーモラスなところにくると読みながら笑つた。すると今度は高村さんがそれを受けとつて、小さな声で読みながら、時々クツクツと含み声で、いかにも楽しさうに笑つた。

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