カテゴリ: 東北

毎年恒例ですが、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」ライトアップが為されます。

第61回十和田湖湖水まつり

期 日  : 2026年6月13日(土) 荒天の場合は6月14日(日)
会 場  : 十和田湖畔休屋桟橋憩いの広場 青森県十和田市奥瀬字十和田湖畔休屋486
問合せ  : 十和田湖観光交流センターぷらっと 0176-75-1531

タイムテーブル
 11:00 一の宮縁日(21:00まで)
 15:00 パフォーマーステージ(18:30まで)
 17:30 十和田湖メルティライト(バルーンランタン)引き換え開始 ・想い書込処オープン
 20:00 十和田湖ナイトクルーズ乗船開始
 20:15 十和田湖メルティライト(バルーンランタン)リリース
      十和田湖ナイトクルーズ出航
 20:30 メッセージ花火の打上げ
 20:45 湖水花火
 21:00 終了

北東北の夏の観光の幕開けを飾る「十和田湖湖水まつり」。静かな湖畔で、ランタンや花火でドラマチックに彩られる一日を体験してみませんか?
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一の宮縁日
 灯りとにぎわいが集まる「一の宮縁日」飲食店やキッチンカー、テント屋台が並ぶ一の宮エリア。ちょうちんの灯りとともに、レトロながら賑やかな縁日の雰囲気が広がります。

 豚専門店いろとん  さがり串 ホルモン串
 たご助  煮干したこ焼き トルネードポテト
 OIRASE TOWADAおまかせKitchen  バラ焼きうどん バラ焼きボール
 ほっとまん企画  生ハムカップ 生ハムサンド
 カレーハウスCoCo壱番屋  ポークカレー ロースカツカレー
 ナチュラルキャンディ&鶏笑  中津から揚げ フライドポテト
 トワダコボーイ  十和田バラ焼き風肉巻きおにぎり 油そば
 和のみせ  バラ焼きオムそば イカ焼き
 「こなもんや」田村商会  パイカ鍋 お好み焼き、オム焼きそば
 鉄板焼きかぐら  焼きそば 10円パン
 焼き芋専門店 芋姫  サツマスティック ロングチュロス
 宮本商店  たこ焼 バナナチョコ
 青空商店組合 華びし  シャカシャカポテト オム焼きそば
 湖白屋  ケバブサンド
 釡戸屋  はしまき てんぷら
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パフォーマーステージ
 まんなか広場では、パフォーマーによるステージを開催。会場を巡る途中に立ち寄って、のんびり過ごしながら音楽やパフォーマンスをお楽しみいただけます。

 15:00 声がヨーデル倶楽部 ソロ歌唱
 15:30 伊東恭子 民話の語りべ
 16:00 愛野由梨奈 弾き語り
 16:30 ギュゼル・ダンスチーム ベリーダンス
 17:00 Ast. HIPHOPダンス
 17:30 NAVILLERA K-POPダンス
 18:00 北里三源色 よさこい踊り
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飾らない十和田を飾る展/巡る展
 会場付近の「喫茶 憩い」「十和田神社」を含む「飾らない十和田」ポスターを展示します。また当日は、条件達成でプレゼントがもらえる「飾らない十和田を巡る展」も同時開催。詳細は、展示会場にてご確認ください。
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十和田神社 湖水まつり限定御朱印
 湖水まつり当日限定!十和田神社にて、数量限定で授与します。デザインは、湖水まつりをイメージした特別仕様。湖畔を巡る記念に、ぜひお受けください。
※初穂料500円 11:00〜17:00
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隠れ龍神をさがせ!
 十和田湖や十和田神社には、龍にまつわる言い伝えがあります。そんな龍をモチーフにした「隠れ龍神」が、会場内のちょうちん等に隠れています。一の宮縁日やまんなか広場など、会場を歩きながら探してみてください。
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十和田湖ナイトクルーズ 20:00~
 夜になると、十和田湖は静かにその表情を変える。湖の上で見るバルーンランタンと花火の共演。目の前いっぱいに広がるその景色は、ここでしか出会えない特別な時間です。限られた人だけが乗船できる「湖上の特等席」で、そのひとときをお過ごしください。
[早割] 6,800円 [通常] 7,200円
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十和田湖メルティライト 17:30~
 見上げる空と、見下ろす湖。その間に、私たちがいる。視界のすべてが光に彩られる時、あなたの知る十和田湖は、美しく塗り替えられる。世界で一つだけのバルーンランタンを打ち上げませんか。
[早割] 6,800円 [通常] 7,200円
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メッセージ花火 20:30~ 憩いの広場
 あなたの声をのせて、十和田湖の夜空へ花火を打ち上げる特別企画。 今年は、録音したあなた自身のボイスメッセージを会場内にお流しします。普段はなかなか伝えられない感謝の気持ち。記念日のお祝いや、新たな挑戦への宣言。そしてプロポーズの言葉まで。あなたの想い、お待ちしています。
 料金 10,000円(4号玉一発)~
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湖水花火 20:45~ 憩いの広場
 夜空を染める花火、湖上に浮かぶバルーンランタン。そのすべてを、十和田湖が映し出していく。 音楽にあわせて移り変わる光景は、 まるで空と湖がひとつにつながったよう。湖水まつりの最後を飾る幻想的なフィナーレです。

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公式サイトに記述がないのですが、問い合わせたところ、例年通りに「乙女の像」ライトアップも為されるとのことです。

厳冬期に開催される「十和田湖冬物語」の際には雪灯籠の灯りに照らされる「乙女の像」ですが、「湖水まつり」では夜空に浮かぶランタンや花火をバックにすることとなります。

ぜひ足をお運び下さい。ただし、クマ出没情報が出ていますので、十分にご注意を。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 31 『高村光太郎集』現代詩文庫1018

昭和55年(1980)6月15日 思潮社 芹沢俊介編・構成
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目次
 短歌
  明治三八年作 明治三九年作 明治四〇年作 明治四二年作
 詩篇
  明治四〇年(一九〇七)
   秒刻 マデル あらそひ 敗闕録㈣眠りてあれか目覚めよか
  明治四三年(一九一〇)
   失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
  明治四四年(一九一一)
   亡命者 侵蝕 寂寥 声 廃頽者より 父の顔 恐怖
  明治四五年・大正元年(一九一二)
   あをい雨 人に 或る夜のこころ さびしきみち 冬が来る 或る宵 狂者の詩
   郊外の人に
  大正二年(一九一三)
   よろこびを告ぐ 冬が来た
  大正三年(一九一四)
   道程 淫心
  大正五年(一九一六)
   妹に
  大正一〇年(一九二一)
   雨にうたるるカテドラル
  大正一二年(一九二三)
   樹下の二人
  大正一四年(一九二五)
   狂奔する牛
  大正一五年・昭和元年(一九二六)
   鯰 苛察 夜の二人
  昭和二年(一九二七)
   あなたはだんだんきれいになる 懐ふ 怒 母をおもふ その年私の十六が来た
   或る墓碑銘 冬の言葉
  昭和三年(一九二八)
   ぼろぼろな駝鳥 あどけない話 同棲同類 焼けない心臓
  昭和四年(一九二九)
   無題 激動するもの 孤独が何で珍らしい
  昭和五年(一九三〇)
   刃物を研ぐ人
  昭和六年(一九三一)
   美の監禁に手渡す者
  昭和七年(一九三二)
   非ヨオロツパ的なる もう一つの自転するもの
  昭和一〇年(一九三五)
   人生遠視 風にのる智恵子 ばけもの屋敷 詩の道
  昭和一一年(一九三六)
   堅冰いたる
  昭和一二年(一九三七)
   千鳥と遊ぶ智恵子 未曾有の時
  昭和一三年(一九三八)
   山麓の二人 或る日の記 正直一途なお正月
  昭和一四年(一九三九)
   レモン哀歌 つゆの夜ふけに 肉体 お化け屋敷の夜 へんな貧
  昭和一六年(一九四一)
   少女に 純潔のうた 必死の時 危急の日に 十二月八日 新しき日に
  昭和一七年(一九四二)
   寒夜読書
  昭和一八年(一九四三)
   戦に徹す
  昭和一九年(一九四四)
   必勝の品性
  昭和二〇年(一九四五)
   皇国骨髄の臣 戦火
  昭和二二年(一九四七)
   暗愚小伝
    家
     土下座 ちよんまげ 日清戦争 御前彫刻
    転調
     彫刻一途 パリ
    反逆
     親不孝 デカダン
    蟄居
     美に生きる おそろしい空虚
    二律背反
     協力会議 真珠湾の日 終戦
    炉辺
     報告
  昭和二三年(一九四八)
   人体飢餓
  昭和二五年(一九五〇)
   典型
 エッセイ
  詩壇の進歩 余はかく詩を観ず(アンケート) 生きた言葉 詩そのもの 詩について
  気について 詩の勉強 自分と詩との関係 詩精神 詩精神と日常生活 詩と表現
  詩の本質 戦争と詩 アンケート・貴方の愛読書は 詩について語らず 日本詩歌の特質
 年譜
 研究
  四月詩壇月評=福士幸次郎 福士さんへ=高村光太郎
 解説 光太郎の虚像と実像=芹沢俊介

この手のものとしては珍しく、ほぼ編年体による構成です。「詩集」と銘打ちつつ短歌や散文もそれなりの量が収められています。

今年もクマの季節になってきたようで……。

RAB青森放送さんローカルニュース。

【クマ出没情報】5月26日 十和田湖畔・乙女の像付近で1頭(十和田市)

 十和田市や青森県の「くまログあおもり」によりますと、5月26日午後0時5分ごろ、十和田市奥瀬で子グマ1頭が目撃されました。被害は確認されていません。現場は十和田湖畔休屋の乙女の像付近です。市は付近の住民や通行する人に注意を呼びかけています。
 青森県内では全域に「ツキノワグマ出没警報」が発表されていて、県は以下のことに注意するよう呼びかけています。
・クマの出没状況に注意し、出没が相次いでいる場所には近づかないようにしてください。
・山に入るときは、クマの活動が活発になる早朝と夕方は避け、なるべく複数人で音を出しながら歩きましょう。
・クマを引き寄せる食べ物や野菜くず等の生ごみを屋外に放置しないでください。
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光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」附近での目撃情報。
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像の南側はホテルや飲食店、十和田湖観光交流センターぷらっとさんなどがある繁華街、像より北側は湖に突き出た二重カルデラ外輪山の半島で、原生林が広がる場所。確かにクマの出やすい環境です。
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平成28年(2016)には十和田湖を泳ぐ熊の姿が撮影されたというニュースも報じられました。

ニュースにあったサイト「くまログあおもり」によれば、近隣地区、奥入瀬渓流などでも目撃情報や「養蜂場が荒らされた」などの記述がありました。

クマといえば、岩手花巻郊外旧太田村の光太郎が7年間を過ごした山小屋(高村山荘)附近はきゃつらの巣窟ですし、福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館裏手の智恵子の杜公園でも今年3月に目撃情報がもたらされました。

それらの場所に行かれる方、十分にご注意を。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 26 『高村光太郎資料 第一集』全集補遺Ⅰ

昭和47年(1972)4月2日 文治堂書店 北川太一編
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目次
 詩
  N――女史に かなしきこころ 或問 
  カフエ ライオンにて
 (何もかも) (アメリカ帰りの)
  (人間劣性の)〔断片〕 酔中吟 (四つの仮面は)
 短歌
  「挿柊」より 「剣気」より 「新星録」より 高村豊周『赤城旅行記』に
  『晶子歌話』より 木彫「柘榴」に 木彫「蓮根」に 山どりの瀬戸 歌集に オベリスク
  此山に
 俳句
  雪の朝 雑感 ベネチアにて 中之条
 短句
  一六~二一
 評論――美術――
  英国ニ於ケル応用彫刻ニ就テ〔一〕 英国ニ於ケル応用彫刻ニ就テ〔二〕
  巴里式屋外広告 彫刻家のみた女の姿 美は真に等し 絵を買ふ人に 肖像に就いて
  家具及住宅の美〔断片〕 所謂好趣味の人たる勿れ 帝展彫刻の技術観 彫刻実習
  木彫ウソを作つた時 ロダンに就いて二三の事 巨匠ロダン翁 興福寺十大弟子
  美の日本的源泉 美の源泉 芸術と農業 石井柏亭君を送る 大森商二君の木炭画
  岸田君の芸術の事 宮坂君について 高田博厚渡仏後援彫刻頒布会趣意
  父・光雲作の仏像 彫刻家建畠大夢
 評論――文学――
  詩と表現 言葉の美しさ 詩の本質 戦争と詩 昭和二年詩壇概観〔断片〕
  「渝らぬ友」-尾崎喜八- 写真の顔――若山牧水追悼 追憶――山村慕鳥
  童心と叡智の詩人-北原白秋の業績- 天性の詩人白秋 あの頃――白秋の印象と思ひ出
  倉橋弥一さん 福士さんへ 『槐多の歌へる』 田中清一詩集『永遠への思慕』読後感
  『ホヰツトマン雑孝』 所感――推奨『東方古典叢刊』 『蛙』に寄す
  読みながら思へる――今井邦子歌集『明日香路』 『現代詩人集』について
  大野良子詩集『馬頭琴』読後感 矢野克子詩集『太洋ノ母』読後感
  仲村久慈著『湯地丈雄』 河合酔茗詩集『真賢木』を読む 藤井照子詩集『石花菜』序
  照井瓔三著『国民詩と朗読法』序 伊波南哲詩集『麗しき国土』序
  矢野克子詩集『いしずゑ』序
 随筆
  巴里より ルセルンの旅舎より 消息 恋愛――結婚の話 イギリスの女とフランスの女
  千駄木より 書簡 有望なのは天然的遊園地 恵まれたる優性遺伝の十八名家
  悪趣味を排す 遙にも遠い冬 ビールの味 某月某日 かういふわけ 往復書簡
  『道程』の思ひ出 美しく懐かしき国、日本
 アンケート
  松籟颯々 文芸に現はれたる好きな女と嫌ひな女 最近の感想
  私は斯んな見方で、斯んな新聞を読んでゐる 本月の詩歌壇
  この夏はどうしてお暮しになりますか 詩人の好める詩人及び詩風
  取締を帝国美術院に アメリカ趣味の流入を防げ 新時代の家庭におくる言葉
  十四年度作品批評 どんな芝居をやつて見たいか? 不滅の価値――山本鼎論
  断想――既成文壇の崩壊期に処す 名士と食物 後継詩壇を背負ふ人
  あなたの御健康は如何ですか 新年に当り歌壇に与ふる言葉 古美術と現代美術
  装幀について 貴方の愛読書は
 日記
  彫塑雑記 明治三十六、七年 日記 明治四十三年
 雑纂
  高等科二学年試験答案 『大原海岸』あとがき 高村豊周『赤城旅行記』あとがき
  第一回中央協力会議議案
 翻訳
  「パミイル」より(ジヨオジ シエエヌブエル)
  反逆――ジヤン・クリストフより(ロマン・ロラン)
  ロダンといふ人(ジユジト クラデル) シヷのをどり(アウギユスト ロダン)
 後記

当会顧問であらせられた北川太一先生が、昭和35年(1960)からガリ版刷りで発行されていた冊子『光太郎資料』の主要な記事を全六巻の上製本として刊行することになりました。第三巻までが、昭和33年(1958)に完結した第一次『高村光太郎全集』(筑摩書房)に漏れていた作品の集成、第四~六巻が光太郎智恵子周辺人物の書き残した光太郎智恵子論・回想です。一部、第六巻にも全集補遺作品が収められました。

第一次全集補遺作品群は、のちに平成6年(1994)から同じく筑摩書房で刊行が始まった増補版の『高村光太郎全集』の第19巻から21巻及び別巻に一部を除いて収められることになります。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で、主に食を通じて光太郎顕彰にあたられているやつかの森LLCさんが、光太郎の日記などを元に、光太郎の作ったメニューや使った食材などを現代風にアレンジし、ランチとして提供するこうたろうカフェ。市内の旧東和町土沢地区にあるワンデイシェフの大食堂さんで厳冬期を除き、月イチで行われています。

今月は20日(水)に出店されたそうで、その際の画像がこちら。
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メニューは「こうたろう春巻き」「帆立のドレッシングサラダ」「ワラビの辛子和え」「ウドとタコの味噌かけ」「ほうれんそうの白和え」「餃子とチンゲン菜のスープ」「雑穀ごはん」「旬の漬け物」「よもぎ餅」「コーヒー」。これで1,200円です。

旬の山菜をふんだんに使い、しかも光太郎が7年間の蟄居生活を送っていた旧太田村で調達したものも含まれるそうで。ただ、一時期気温が高かったためウドやワラビは成長しすぎて大変だったとのこと。

先月は28日(火)に出店され、その際にはmit岩手めんこいテレビさんで毎週土曜日の18:30~19:00に放映されている「山・海・漬」という番組のロケが行われ、オンエアが昨日でした。背景に映っているのが先月分のこうたろうカフェ提供ランチです。
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旧東和町土沢地区は、明治末から大正初めのヒユウザン会(のちフユウザン会)で光太郎と共に活動した萬鉄五郎の出身地で、萬鉄五郎記念美術館さんもあり、そちらでのロケも行われたようです。
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レポーターはめんこいテレビさんの西島芽アナ。
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右上画像を見ると、土沢地区には宮沢賢治の足跡も残っているようですね。

こうたろうカフェ、メニュー考案から食材調達、調理となかなか大変とは存じますが、末永く続けていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 21 『智恵子抄』ジュニア版日本文学名作選47

昭和43年(1968)9月 偕成社 高村光太郎著
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目次
 智恵子抄 道程 『道程』以後 猛獣篇 典型
 解説 村野四郎


タイトルは「智恵子抄」ですが、実質的には生涯の作品全体からの抄出です。手持ちのものは昭和55年(1980)の第15刷です。

偕成社版のジュニア版日本文学名作選、この赤いカバー、懐かしいと感じる方も多いのではないでしょうか。

智恵子の故郷・福島二本松系の話題が続きましたので、若干先の話も含めてやはり二本松系の小ネタを3件。

まずはボランティアの募集。

二本松市太田地区で竹切り作業のボランティアを募集します!

二本松市太田地区で、日々の農作業を支える大切な「道」の整備をお手伝いいただける方を募集しています。今回は、山間にある農地へと続く農道の整備のお手伝いをお願いします!

活  動  日 : 2026年5月30日(土)~31日(日) どちらか1日だけの参加もOK!
活動場所 : 福島県二本松市長折四本松
必要経費 : 無料
募集対象 : 社会人 / 大学生・専門学生 / 高校生 / シニア
 ・農村や田舎の暮らしにちょっとでも興味がある方
  (18歳以上/未成年の方は保護者と一緒にご参加ください)
 ・自然のなかで学ぶことに関心がある方
 ・農業や、地球にやさしい暮らしに興味がある方
 ・家族で自然とふれあう体験をしてみたい方
 ・地域の人たちと一緒に何かやってみたいと思っている方
 ・募集人数 10名

 二本松城(霞ヶ城)を中心とした城下町として栄えた歴史があり、戊辰戦争では「二本松少年隊」の悲劇で知られ、会津藩と並び戦災に見舞われた場所です。また、「智恵子抄」で知られる詩人・高村光太郎の妻、智恵子の生家があります。
 登山やスキーが楽しめる安達太良山をはじめ、岳温泉、霞ヶ城公園など、四季折々の自然と風景が楽しめる観光資源に恵まれています。
 阿武隈山系と安達太良山の麓に広がる中山間地域では、地形の特性を活かした農業が営まれており、果樹・野菜・米を中心に高品質な農産物が数多く生産されています。
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智恵子生家/智恵子記念館とは少し離れた場所ですが、「智恵子抄」の語を使われてしまっては、紹介せざるを得ません(笑)。

続いては、以前も同様の件をご紹介しましたが、移住相談会の実施について。

【R8.6.6東京開催】二本松市移住出張相談会を開催します

期 日 : 2026年6月6日(土)
会 場 : ふくしまぐらし相談センター窓口 千代田区有楽町2-10-1東京交通会館8F
時 間 : 10時30分~16時30分 ※ご相談1回あたり約60分×4回
料 金 : 無料

二本松市移住出張相談会とは
 「ふくしま市町村出張相談デスク」として、二本松市の移住担当職員と福島県の移住相談員(※)がタッグを組み、皆さんの移住などに関する相談を受け付ける1日だけの相談会です。
※福島県が東京有楽町に設置する移住相談窓口「ふくしまぐらし相談センター」の相談員。

 移住って何から始めればいいの・・・という移住全般の相談から、移住してから不安なこと、市町村に住んでいないとわからないリアルなことなど・・・移住生活に興味はあるけれど具体的にイメージできない方、移住に向けて一歩踏み込んだ話をしたい方など、ぜひこの機会にお気軽にご相談ください。

福島県二本松市はこんなところです
 首都圏から新幹線で約2時間程度。「智恵子抄」で詠われた『ほんとの空』が広がる二本松市は城下町として栄え、温泉や里山など田舎暮らしをしたい方の望むものが揃う一方、病院や公園などの遊び場も多く、子育て世帯も住みやすい街です。福島県の中でも、県庁所在地である福島市と、人が多く集まる商業都市である郡山市のちょうど中間地点に位置しており、利便性にも優れています!

ご相談内容の例
 地域おこし協力隊制度・募集情報のご紹介
 二本松市での暮らし、仕事、住まいについてのご相談
 具体的な移住支援制度についてのご紹介
 子育て支援についてのご案内
 移住された方の事例についてのご紹介

相談のご予約
 ご予約は下記URLから、ゆびナビぷらすページへアクセス。
 https://NihonmatsuCity.ubinavi-plus.com/yb/page/ybSurvey.php?hidReportList=RPT0000249
 必要事項を入力のうえ、第1~2希望まで相談時間を選択してください。
 決定した相談時間などについて、あらためて二本松市秘書政策課よりご連絡いたします。
 申込締め切り 令和8年6月5日(金)15時までとさせていただきます。

お問い合わせ 二本松市秘書政策課総合政策係 移住窓口
 〒964-8601 福島県二本松市金色403番地1
 電話 0243-24-7120 ファックス 0243-22-7023
 Mail sougouseisaku@city.nihonmatsu.lg.jp
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最後についでですのでテレビ放映情報も。平成23年(2011)初回放映の2時間ドラマです。年に1、2回は再放送が行われていますが。

おかしな刑事8 居眠り刑事とエリート警視の父娘捜査!東京タワーは見ていた!消えた少女の秘密・血痕が描く謎のルート!

地上波テレビ朝日 2026年5月25日(月) 13:55〜15:50

ある日、東京タワー近くの公園を訪れた鴨志田は、30年前に同所で起きた幼女誘拐事件の被害者の父と再会する。その事件の主犯は交通事故死、懸命な捜査の甲斐なく共犯者の行方もわからないままだった。その夜、会社社長の冬木が刺され、重体となる事件が発生。冬木のもとには「東京タワーは知っている」という脅迫状が届いていた。そんな中、ホームレスの男・駒田が刺殺体で発見された。鴨志田は“駒田"という名字が気にかかり…

◇出演者 伊東四朗、羽田美智子、石井正則、小倉久寛、辺見えみり、山口美也子、
     木場勝己、小沢象、丸山厚人、菅原大吉 ほか
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事件関係者の一人が二本松の出身、そこで容疑者(実は無実)が二本松に潜伏、という設定で、智恵子生家/智恵子記念館を含む智恵子の杜公園や安達太良山などでロケが行われました。
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ぜひご覧下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 18 『高村光太郎』日本詩人全集9

昭和41年(1966)11月10日 新潮社 高村光太郎著 草野心平編
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目次
 高村光太郎・人と作品 草野心平
 道程(詩集「道程」及びその時代)
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 寂寥 声 新緑の毒素 父の顔 泥七宝
  夏の夜の食慾 犬吠の太郎 さびしきみち 冬が来る 狂者の詩 よろこびを告ぐ
  冬が来た 牛 道程 群集に 婚姻の栄誦 五月の土壌 秋の祈 白昼の空気 泥七宝
  粘土 あたり前 わが家 海はまろく 晴れゆく空 無為の白日 序曲
  丸善工場の女工達 雨にうたるるカテドラル ラコツチイ マアチ 米久の晩餐
  クリスマスの夜 下駄 冬の送別 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す
  とげとげなエピグラム (詩歌の城に) 新茶
 猛獣篇(「猛獣篇」及びその時代)
  清廉 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 象の銀行 苛察 雷獣 ぼろぼろな駝鳥
  竜 よしきり鮫 マント狒狒 象 森のゴリラ 潮を吹く鯨 春駒 月曜日のスケルツオ
  氷上戯技 首狩 車中のロダン 無口な船長 後庭のロダン 葱
  ミシエル オオクレエルを読む 秋を待つ 深夜 火星が出てゐる 冬の奴 偉大なるもの
  怒 二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遇ふ エピグラム 母をおもふ
  天文学の話 偶作十五 或る墓碑銘 彼は語る 当然事 さういふ友 夏書十題 触知
  存在 旅にやんで その詩 首の座 晴天に酔ふ  上州湯桧曽風景 或る筆記通話 無題
  激動するもの 上州川古「さくさん」風景 孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人
  のつぽの奴は黙つてゐる 耳で時報をきく夜 似顔 霧の中の決意 レオン ドウベル
  もう一つの自転するもの ばけもの屋敷 村山槐多 鯉を彫る 荻原守衛 堅冰いたる
  老耼、道を行く 天日の下に黄をさらさう 団十郎像由来 地理の書 つゆの夜ふけに
  へんな貧 蝉を彫る 最低にして最高の道 朋あり遠方に之く 寒夜読書 美しき落葉
 智恵子抄
  人に(いやなんです) おそれ 或る宵 郊外の人に 人に(遊びぢやない) 僕等 晩餐
  淫心 樹下の二人 金 夜の二人 あなたはだんだんきれいになる あどけない話
  同棲同類 美の監禁に手渡す者 人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 うた六首
  松庵寺 もしも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形 あの頃 吹雪の夜の独白
  智恵子と遊ぶ
 典型(「典型」及びその時代)
  序 雪白く積めり 暗愚小伝 「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 おれの詩
  月にぬれた手 典型 田園小詩 人間拒否の上に立つ 十和田湖畔の裸像に与ふ
  弦楽四重奏 生命の大河
 詩の勉強 自分と詩との関係 生きた言葉 雅歌 雑記帳より 触覚の世界 人の首
 九代目団十郎の首 書について 楽聖をおもふ 満目蕭条の美 新茶の幻想 智恵子の半生
 姉のことなど 父との関係
 解説 草野心平
 高村光太郎年譜 北川太一
 月報
  高村豊周記(二篇) 林町のアトリエ 尾崎喜八 高村光太郎読書案内 北川太一

新書サイズよりやや大きめ、シリーズものの「日本詩人全集」の一冊です。

今日、5月20日は福島の安達太良山の麓で生まれた智恵子の誕生日です。生誕140年となります。

5月17日(日)に開催された第72回安達太良山山開きの報道を3件。

まず地方紙『福島民報』さん。

「ほんとの空」を間近で 安達太良山開きに4000人

 日本百名山の安達太良山(1700メートル)は17日、山開きした。晴天に恵まれ、県内外から訪れた約4000人の登山者は新緑を楽しみながら山頂を目指した。
 山開きは72回目。山頂で先着3000人にペナントが配られた。「ほんとの空大声コンテスト」もあり、男性部門は高橋武士さん(山形県天童市)、女性部門は林千明さん(猪苗代町)が大賞に輝いた。
 安全祈願祭は福島県二本松市の奥岳登山口で行われた。安達太良連盟会長の三保恵一市長、安達太良山観光大使でタレントのなすびさんらがシーズン中の無事故を祈った。
民報
同じく『福島民友』さん。

安達太良山開きに4000人 “ほんとの空”の下パノラマ満喫

 福島県二本松市、猪苗代町などにまたがる日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)で17日、第72回山開きが行われた。県内外から訪れた約4000人が新緑の登山道を歩き、山頂を目指した。
 登山者の多くがクマ鈴を鳴らしながら歩を進めた。山頂からは磐梯山や残雪の飯豊連峰、阿武隈の山並みが一望できる絶景のパノラマを満喫。
 仙台市から職場仲間同士で訪れた54歳女性と43歳女性は「安達太良は登りやすく、好きな山の一つ」と声を合わせた。

大声大会を初開催
 山頂では安達太良連盟が記念ペナント3000枚を配布したほか、初の大声コンテストが開かれ、”ほんとの空の下”で20人が「ホントの気持ち」「今年の目標」などを叫んだ。
 同連盟会長の三保恵一市長、安達太良山観光大使のタレントなすびさん(福島市出身)らが審査した。
 大賞には高橋武士さん(47)=山形県、林千明さん(54)=猪苗代町=が選ばれた。
民友
NHKさんのローカルニュースでも。

安達太良山で山開き 青空の下 登山客でにぎわう 福島

 「日本百名山」のひとつ、福島県の安達太良山で17日、ことしの山開きが行われ、青空の下、多くの登山客でにぎわいました。
000
 二本松市や猪苗代町などにまたがる標高およそ1700メートルの安達太良山は、磐梯朝日国立公園内にあり、県内外から多くの登山客が訪れます。
001
 17日は午前8時すぎから二本松市の「奥岳登山口」で安全祈願祭が行われ、地元の関係者などおよそ20人が玉串をささげて今シーズンの安全を祈りました。
 このあと、およそ4000人の登山客が、すっきりと晴れた青空の下、山頂を目指し、山の中腹では、周囲に連なる山々の景色を写真に収めたり、時折吹く心地よい風を受けて休憩したりしていました。
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 宮城県から訪れた女性は「最高の青空です。ほんとの空を見ることができてよかったです」と話していました。
003
 また、登山客の多くはクマ鈴をつけるなどのクマ対策を取っていて、郡山市から訪れた男性は「クマも心配ですが、人が多くいれば少し安心だと思って来ました。磐梯山や奥会津の山にも登ってみたいです」と話していました。
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 二本松市によりますと、今シーズンの奥岳登山口からの登山客は、昨シーズンと同じおよそ7万2000人を見込んでいるということです。
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このニュース、泊めていただいた郡山市の宿で、翌朝に拝見しました。全国ニュースの一部で、ダイジェスト版でしたが。
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山開き当日だけでなく、この後の登山シーズンを通して多くの形にいらしていただき、「ほんとの空」を実感していただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 17 『高村光太郎全詩集』

昭和41年(1966)1月15日 新潮社 高村光太郎著 尾崎喜八・草野心平・伊藤信吉・北川太一編纂
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目次
 「道程」以前
  秒刻 マデル 豆腐屋 博士 あらそひ
  敗闕録
   ㈠われ千たび君を抱かむ ㈡君を見き ㈢遁れたる君は遣らばや
   ㈣眠りてあれか目覚めよか
  にほひ
  LES IMPRESSIONS DES OũONNAS
   TU VOIS?
   LE SOURIRE CACHÉ
   L'ABSINTHE
   POUSSE―POUSSE Á LA GUM―WA
 詩集「道程」 
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗
  庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風 新緑の毒素 頽廃者より
  「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの 手 金秤 はかなごと
  めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日 父の顔
  泥七宝
   (ちらちらと) (家を出づるが) (きりきりと錐をもむ) (もらつた人形を)
   (それと知つて) (かなしや人は) (つくづく見れば) (われは気違ひとぞとよ)
   (長き睫毛の) (生れてより) (女よ、高ぶるなかれ) (読みてゆけば) (知らぬ顔の)
   (酔へる人の) (八重次の首は) (女の涙を) (人ごみのおもしろや)
   (たてひき知らぬ人に) (おもしろや) (淋しい顔は) (両国橋の橋の上)
   (われをなげけとか) (「勝てば官軍」) (妻もつ友よ) (月さへいでて) (弱きは女の)
   (たとひ離れて) (それでみんなか) (さきがさきなら) (ひとりものには)
   (腕をくんで考へる) (腹をたつたむかしも)
  ビフテキの皿 青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に(いやなんです)
  夏の夜の食慾 或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて
  梟の族 冬が来る カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ
  カフエにて 師走十日 戦闘 人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山
  よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩 牛 僕等 道程 愛の嘆美 群集に
  婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈
 「道程」時代
  友よ PRÉSENTATION 侵蝕 失走 或日の午後 街上夜曲 雪の午後 (別れぎは)
  (散りかかる) 縁日 狗ころ 祈祷 かるた 「おもひで」と「夜の舞踏」と 白昼の空気
  泥七宝
   (バタを造れば) (この守袋は) (陶宮には) (かの国より来し) (蛙が鳴く)
   (皮肉ものと) (言葉のほかにも) (無法な雷は) (蓮花の花の) (朝なれど)
   (はりに行くとは) (さけをつくるもね) (てんちりんち) (お嫁にゆくを)
   (ものおぼえよき人は) (こびとじまの画かきは)
  恐怖 隣のおきやん 雨 鍵と錠 プリマドンナ 二人 ヹネチヤの旅人 怨言 
  カフエ ライオンにて
   (何もかも) (アメリカ帰りの)
  粘土 あたり前
 「道程」以後
  わが家 花のひらくやうに 海はまろく 歩いても 湯ぶねに一ぱい 晴れゆく空 妹に
  無為の白日 猫 小娘 (奇麗にお化粧した) 序曲 メロン  丸善工場の女工達 
  雨にうたるるカテドラル かがやく朝  ラコツチイ マアチ 米久の晩餐  クリスマスの夜
  真夜中の洗濯 下駄 冬の送別 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ
  Yoki kora yo! 冬の子供 Abraham Lincoln 鐵を愛す Liluli
  とげとげなエピグラム
   (夜中になると) (大変いいけれども) (おれは求めてゐる) (雨蛙よ) (詩はおれの)
   (避難はたのもしい) (おもしろい電車の中) (自分のあたまの)
   (おれの手の届かないさきを) (人のよろこびまで) (おなかが減つて死んでも)
   (そんなにおれが) (人のきめてくれた) (自分で自分を) (いいわるいを抜きにして)
   (皮肉ならお止し、夜があけると) (それが哲学か) (君の思ふ壺から)
   (喰べたものを又喰べながら) (ロダンを嫌ふのが) (三界をまたにかけた)
   (彫刻は俺の錬金術) (「杉の芽のやうな」男に) (人麿よ、芭蕉よ)
   (あまりよく知りもせずに) (与謝野晶子の歌に) (六十を越したら)
   (どうかきめないでくれ) (この猛獣を馴らして) (詩歌の城に)
  新茶 Shina meshi
 猛獣篇
  「猛獣篇」Ⅰ (大正13年~昭和3年) 
   清廉 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 象の銀行 苛察 雷獣
   ぼろぼろな駝鳥 竜
  Ⅱ (昭和12年~昭和14年)
   よしきり鮫 マント狒狒 象 森のゴリラ 潮を吹く鯨 北冥の魚
 「猛獣篇」時代
  月曜日のスケルツオ 首狩 少年を見る 校庭 狂奔する牛 車中のロダン あの詩人
  後庭のロダン 珍客 葱 十大弟子 滑稽詩(穴蔵に先祖代々の) 聖ジヤンヌ 感謝
  ミシエル・オオクレエルを読む 秋を待つ 深夜 火星が出てゐる 冬の奴
  偉大なるもの 無題(すばらしいものを見た) 懐ふ 二つの世界 不平な人に あけぼの
  怒 笑 二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遭ふ
  エピグラム
   超現実派 煩瑣派 卑近美派 詩人 新感覚派
  美を見る者 「詩」
  名所
   大湧谷 草津
  母をおもふ その年私の十六が来た 北東の風、雨 昔話 殺風景 天文学の話
  偶作十五
   (彫刻はおそろしい) (どうせ死ぬ首の中に) (おれは眼を見て) (急にしんとして)
   (人間のからだは) (桃の実は) (くるみの種を) (人生への怒は) (人情ぽいものよ)
   (真の自由の) (女がぽかんと) (おれは力が足らないから) (木を彫ると)
   (ふつとさう思ふことがある) (朝晩少しひやひやするアトリエで)
   (平和的な平和を)
  平和時代 或る墓碑銘 冬の言葉 最後の工程 彼は語る 龍 当然事 なにがし九段
  さういふ友
  偶作二篇
   (うやうやしいのは虎の皮)  (御嶽山の行者は)
  あの音 無限軌道
  夏書十題
   青空 底 寒山詩 (一生かかつて) さうか、寒公 (夜明けのかなかなに)
   (ヤマノイモの) 死ねば 無いからいい 一人づつが
  何をまだ指さしてゐるのだ 或る日 焼けない心臓 触知 存在 古事一則
  独り酸素を奪つて 旅にやんで 街上比興 その詩 首の座 北島雪山 上州湯桧曽風景
  人生 或る筆記通話   無題(詩人とは) 秋が来たんだ 激動するもの
  上州川古「さくさん」風景 或る親しき友の親しき言葉に答ふ 孤独で何が珍らしい
  のんきな会話 刃物を研ぐ人 消えずの火 籠球スナツプ シヨツト
  “Die Welt ist scoen”
 のつぽの奴は黙つてゐる 耳で時報をきく夜 冷熱 南極
  機械、否、然り 友よ
 一艘の船が二艘になること 似顔 不許士商入山門 卓上の七月
  検温 霧の中の決意
 ゆつくり急がう レオン ドウベル 非ヨオロツパ的なる
  もう一つの自転するもの
 五月のウナ電 「藤島武二画集」に寄す 「悪魔の貞操」に寄す
  寸言 秋風をおもふ
 ばけもの屋敷 村山槐多 詩の道 鯉を彫る 荻原守衛
  堅氷いたる 冬が来る
 未曾有の時 詩について 団十郎像由来 孤坐 日本の秋
  吾が同胞 子を産む書物
 新しき御慶 米のめしの歌 芋銭先生景慕の詩
  つゆのよふけに 上海陸戦隊をおもふ
 乃木大将を懐ふ 肉体 愛について
  お化屋敷の夜 紀元二千六百年 発足点 冬
 重大なる新年 護国神社 落日 雷電の夜
  朋あり遠方に之く 世界は美し  新年に与ふ
  清くして苦きもの 或会議に列して
  われら文化を 三十年 寒夜読書
 大いなる日に
  詩集「大いなる日に」序 秋風辞 夢に神農となる 老耼、道を行く
  天日の下に黄をさらさう 若葉 地理の書 その時朝は来る 群長訓練
  正直一途なお正月 初夏到来 事変二周年 君等に与ふ 銅像ミキイヰツツに寄す
  紀元二千六百年にあたりて へんな貧 源始にあり ほくち文化 最低にして最高の道
  無血開城 式典の日に 太子筆を執りたまふ われら持てり 強力の磊塊たれ
  事変はもう四年を越す 百合がにほふ 新穀感謝の歌 必死の時 危急の日に
  十二月八日 鮮明な冬 彼等を撃つ 新しき日に 沈思せよ蒋先生 ことほぎの詞
  シンガポール陥落 夜を寝ざりし暁に書く 昭南島に題す
 記録
  詩集「記録」
   序
   <序篇>
    白熊 象の銀行 北東の風、雨 のんきな会話 非欧米的なる 秋風をおもふ
    未曾有の時 新しき御慶 紀元二千六百年 重大なる新年 新年に与ふ 危急の日に
   <主篇>
    大詔渙発 彼等を撃つ 夜を寝ざりし暁に書く 特別攻撃隊の方々に
    或る講演会で読んだ言葉 独居自炊 帝都初空襲 戦歿報道戦士にささぐ
    民国の民と兵とに与ふ 真珠港特別攻撃隊 感激をかくさず 神とともにあり
    新天地
 覆滅彼にあり われらの道 戦に清めらる 決戦の年に志を述ぶ
    殄滅せんのみ
 紀元節を迎ふ 「撃ちてし止まむ」 あそこで斃れた友に
    海軍魂を詠ず 軍人精神
 突端に立つ 厳然たる海軍記念日 五月二十九日のこと
    山本元帥国葬
 報道の士をたたふ われらの死生 ビルマ独立 友来る
    おん魂来りうけよ 勤労報国
 粛然たる天兵 救世観音を刻む人
    フイリッピン共和国独立 四人の学生 全学徒起つ
 戦に徹す 断じてかへさず
    激戦未だ終らず 大決戦の日に入る
 第五次ブーゲンビル島沖航空戦
    十二月八日三度来る
  「記録」以後
   「まつた」を知らず 「江田島」を読んで 海上日出 熱鉄烈火の年 新年よ、熟視せよ
   新年は見る 昭南島生誕二周年 臣ら一億楠氏とならん 品性の美 少年兵 陽春の賦
   敵ゆるすべからず 必勝の品性 春暁におもふ 山林頌 美をすてず 保育
   米英自ら知らず 合せ祀らるる靖国の神に われらの祈 戦意愈々昂し 古代の如く
   根元の道 婦女子凜烈たり 南瓜賦 米英来る 美しき落葉 神州護持
   十二月八日四度来る われらの雄たけび わたつみのうた 大東亜の子ども達よ
   満三年
 新春に面す  皇国骨髄の臣 梅花かをる 無想の剣 おほぞらのうた
   栗林大将に献ず
 戦火 琉球決戦 薫風の如く 勝このうちにあり 一億の号泣
   犯すべからず
   小曲二篇
    (花はなにとて)   (木の実草の実)
   石くれの歌
    (石くれは動かない)  (あかい佐渡石が)
   非常の時 松庵寺 武装せざる平和 永遠の大道
 をぢさんの詩
  詩集「をぢさんの詩」
   序
   さくら 軍艦旗 こどもの報告 カタバミの実 約束 路ばた 迎火 少年に与ふ
   少女に 少女立像 五月のうた 少女の思へる 少女よ こころに美をもつ
   変貌する女性 新しき日に 逞しき一念 手紙に添へて 与謝野夫人晶子先生を弔ふ
   山道のをばさん 女性はみんな母である わが大空 新穀感謝のうた  歩くうた
   鬱勃たる健康 私は青年が好きだ 神の如く行へ みなもとに帰るもの 純潔のうた
   四月の馬場 新緑の頃 みかきにしん 漁村曙 仕事場にて 神これを欲したまふ
   さかんなるかな造船 供木のことば 無口な船長 春駒 氷上戯技 大きな嚔
   晴天に酔ふ 初夏言志 先生山を見る 偶成二首 蝉を彫る 提督戦死
  「をぢさんの詩」以後
   春の一年生 純潔 艦隊を見る ぼくも飛ぶ 貴さ限りなし  少年飛行兵
   少年飛行兵の夢
 マキン、タラワの武人達 南洋眼前にあり 写真を見て
   たのしい少女 弾薬手
 ほんとの力 黒潮は何が好き 最大の誇りに起つ
   大東亜の子ども達よ
 二千六百五年のむかし 皇太子さま御乗馬 青春のうた
   力を知る 神潮特別攻撃隊
 海軍記念日に 皇太子さま 雲
 智恵子抄
  詩集「智恵子抄」
   人に(いやなんです) 或る夜のこころ おそれ からくりうた 或る宵 梟の族
   郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪 人類の泉 人に(あそびぢやない) 僕等
   愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 金 夜の二人
   あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者
   人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人
   或る日の記 レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 うた六首 
  松庵寺 報告(日本はすつかり) もしも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル
  裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 智恵子と遊ぶ
  報告(あなたのきらひな) 智恵子の半生 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 典型
  詩集「典型」
   序 雪白く積めり
   暗愚小伝
    家
     土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
    転調
     彫刻一途 パリ
    親不孝
     親不孝 デカダン
    蟄居
     美に生きる おそろしい空虚
    二律背反
     協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
    炉辺
     報告 山林 
   「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 おれの詩 悪婦 山荒れる
   月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型 田園小詩 山菜ミヅ 山のひろば 山口部落
   かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地 岩手の人 山からの贈物 この年
  「典型」時代
   和について 国民まさに餓へんとす 絶壁のもと (観自在こそ) 田植急調子
   (リンゴばたけに)
   暗愚小伝断片
       (死はいつでも) (わが詩を読みて人死に就けり)
   蒋先生に慙謝す 試金石 岩手山の肩 ヨタカ お祝いのことば 新年
   女医になつた少女 山の少女
   滑稽詩二篇
    Rilke Japonica etc. 赤トンボ
   建てましよ吾等の児童会館 あいさつ 一九五〇年 偶作(人が機械をつくるといふ)
   金田一国士頌
  「典型」以後
   東北の秋 開拓に寄す 大地うるはし 人間拒否の上に立つ 明瞭に見よ 船沈まず
   遠い地平 初夢まりつきうた 岩盤に深く立て 山のともだち ばた屋 餓鬼         
   お正月に
 東京悲歌 十和田湖畔の裸像に与ふ かんかんたる君子 記者図 弦楽四重奏
 新しい天の火 開拓十周年 追悼 開びやく以来の新年 お正月の不思議 生命の大河
 編集後記
 詩作品年譜
 附録
  晩秋の午後の夢想 尾崎喜八
  人間高村光太郎の断片 草野心平
  一途の人 伊藤信吉
  光太郎のアトリエ 無署名
  詩集のことその他 北川太一

この時点で確認できていた光太郎の詩作品のほとんど全てを収録しています。一部、短歌や散文も。

単行詩集ごとに作品を配列、そこに収録されなかったものをその前後に置き、いわば紀伝体的な編集です。

5月17日(日)、智恵子ソウルマウンテンの安達太良山で、第72回山開きに参加したのち、奥岳登山口から愛車で下山しました。

中腹にある岳温泉さんの日帰り入浴・岳の湯さんに立ち寄り、汗を流しました。登山口にも奥岳の湯さんという入浴施設がありますが、そちらは激混みのようでしたので。
無題
山頂付近の源泉から引かれてくる湯は、ここの湯口の温度で49°とかなり熱めです。入浴後、マッサージチェアで横たわり、仮眠。完全には疲れや筋肉痛が取れませんが、ある程度シャキッとはできました。

続いて温泉街から少し離れたチーズケーキ工房&カフェ風花さんへ。
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3月にもお邪魔しましたが、その際同様、2月に発売された新商品「ほんとの空サイダー」をゲット。下界に降りれば道の駅安達智恵子の里さん、東北自動車道の安達太良SAでも販売しているという情報を得ていましたが、日程的にその2箇所に行けるかどうか、それから売り切れているかもしれないという懸念がありましたので、確実に手に入るところで。

元々の予定では、間に合えば午後3時から二本松駅前の市民交流センターで、シャンソン系歌手のモンデンモモさんによるコンサート「モモの智恵子抄」拝聴、翌日に旧安達町の智恵子生家/智恵子記念館さん拝観というつもりでいました。このままで行けばコンサート開演に間に合いますし、その前に生家/記念館さんも廻れると思い、翌日は帰るだけとして、生家/記念館さんへ。
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智恵子生誕祭期間中の日曜ということで、通常は立ち入り禁止にしている生家二階部分(智恵子の居室、光太郎が宿泊した部屋を含みます)の公開が行われていました。
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白い折り鶴は、1年前の生誕祭で来場の人々が折った折り鶴です。当方も1羽折りました。昨秋のレモン祭で初めて展示されましたが、捨てるに捨てられないという感じなのでしょうか。

奥には智恵子手製と伝わる小物入れ。通常時は裏手の記念館で展示されているものですが、こちらに移されています。
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一階の座敷は、地元の上川崎和紙を使っての紙絵制作ワークショップ会場となっていました。
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担当の方が、出来上がっているポストカードを一枚、無料で下さいました。智恵子紙絵がモチーフです。ありがたし。
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縁側では、やはり上川崎和紙の小物、地元の銘菓などを販売中。
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ほんとの空サイダーも売られていました。「やられた」という感じでした(笑)。

こちらでは菓子処まつもとさんの「ねこどらレモン」、星野屋菓子店さんの「智恵子のふるさと音頭」、道の駅安達智恵子の里さんのドリップコーヒー(智恵子パッケージ)をゲット。
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その後、敷地内の智恵子記念館さんへ。

ロビーでは生家二階に展示してあった小物入れ関連。
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残念ながら、紙絵の実物展示の期間は終了していました。

3時近くになりましたので、コンサート会場へ。

この日、旧安達町の智恵子史跡等をめぐる「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」をなさっていた「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~」の皆さん、智恵子も所属していた太平洋画会の後身・太平洋美術会の坂本富江さん、それから二本松市長・三保恵一氏などのお姿も。下画像は三保市長とモモさんです。
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コンサートは2部構成。第一部が光太郎詩にモモさんがオリジナルの曲を付けて歌う「智恵子飛ぶ」。第二部はシャンソンのスタンダードナンバーを中心とした「高村光太郎とパリ」。
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色々とっ散らかっているのは演出上の関係です。休憩を挟みつつも3時間近い長丁場でした。

モモさん、来年以降は二本松を拠点に市民ミュージカル「智恵子抄」をやるという構想だそうです。光太郎智恵子の世界を地元で広めるには良い機会でしょう。

そんなこんなで福島行2日目が終わり、宿に戻ってコンビニ弁当の夕食を摂って就寝。翌朝、千葉に帰りました。以上、二本松レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 16 『高村光太郎詩集』銀河選書

昭和39年(1964)4月20日 大和書房 高村光太郎著 藤島宇内編
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目次
 道程時代 一九〇七-一九一四
  失われたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 亡命者 失走 寂寥 声 新緑の毒素
  廃頽者より なまけもの 泥七宝(一) 夜半 父の顔 泥七宝(二) あおい雨
  泥七宝(三) 友の妻 人に 或る夜のこころ 涙 おそれ 泥七宝(四) 犬吠の太郎
  さびしきみち カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ 戦闘
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 冬の詩 牛 僕等 現実 道程 愛の嘆美
  晩餐 淫心
 道程以後・智恵子抄以前 一九一六-一九二五
  無為の白日 小娘 丸善工場の女工達 雨にうたるるカテドラル ラコッチイ・マアチ
  米久の晩餐 五月のアトリエ 樹下の二人 鉄を愛す 清廉 白熊 首狩
  傷をなめる獅子 狂奔する牛 車中のロダン 後庭のロダン
 智恵子抄・猛獣篇時代 一九二六-一九四一
  金 十大弟子 鯰 象の銀行 苛察 夜の二人 雷獣 火星が出ている
  あなたはだんだんきれいになる 花下仙人に遇う 詩人 母をおもう 北東の風、雨
  平和時代 或る墓碑銘 ぼろぼろな駝鳥 彼は語る 竜 あどけない話 あの音
  同棲同類 その詩 上州湯桧曽風景 のっぽの奴は黙っている 似顔
  美の監禁に手渡す者 もう一つの自転するもの 人生遠視 風にのる智恵子
  ばけもの屋敷 村山槐多 荻原守衛 堅冰いたる マント狒狒 象 千鳥と遊ぶ智恵子
  値いがたき智恵子 秋風辞 未曾有の時 団十郎像由来 地理の書 群長訓練
  レモン哀歌 芋銭先生景慕の詩 つゆの夜ふけに 君等に与ふ 亡き人に
  お化け屋敷の夜 梅酒 荒涼たる帰宅
 大東亜戦争時代一九四一-一九四五
  大詔渙発 十二月八日 鮮明な冬 彼等を撃つ 沈思せよ蒋先生 夜を寝ざりし暁に書く
  民国の民と兵とに与う 山本元帥国葬 フイリッピン共和国独立 四人の学生
  最大の誇に起つ 満三年 琉球決戦
 智恵子抄その後 一九四五-一九五一
  一億の号泣 雪白く積めり 田植急調子 
  暗愚小伝
   家
    土下座 ちょんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調 
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告(智恵子に) 山林
  暗愚小伝断片
   (死はいつでも) わが詩を読みて人死に就けり
  蒋先生に慙謝す 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 噴霧的な夢 もしも智恵子が
  女医になった少女
  智恵子抄その後
   元素智恵子 メトロポル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
  鈍牛の言葉 山荒れる 一九五〇年 典型 人間拒否の上に立つ 船沈ます
  智恵子と遊ぶ
 東京における晩年 一九五二-一九五五
  餓鬼 報告 十和田湖畔の裸像に与ふ かんかんたる君子 生命の大河
 解説 藤島宇内

晩年の光太郎に親炙し、身の回りの世話なども焼いてくれた藤島宇内の編集です。奥付には記載がありませんが、函にその旨。概ね編年体、新仮名遣いです。戦後20年近く経ち、そろそろタブーも解けた感じで、翼賛詩もある程度含まれています。

横長の変わった版型で、角背の麻布装上製本。この後、通常の縦長並製のものも出されました。

昨日、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山に登って参りました。その後、予定では今日の午後に千葉へ帰りつく予定でしたが、先ほど帰って参りましたので、詳細なレポートを。

昨日は 第72回安達太良山山開き。前夜、泊めていただいた郡山の宿から愛車を走らせ、午前7:30頃に奥岳登山口に到着しました。あまり遅くなると下の方にしか駐車スペースが無くなりますので、早めに。
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ここから自分の足で登山道を上るのもありですが、そこまで本格的に登山をしたいわけでもありませんので、7合目くらいまで行けてしまうロープウェイに乗ることにしました。山開きの日のみ1時間早く運行開始で、すでに長蛇の列。
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わんこを連れている方も(笑)。ロープウェイ駅前では安全祈願祭の準備が進んでいました。

10分ほどで山頂駅。山頂といっても、安達太良山系の薬師岳山頂ということで、安達太良山頂まではまだ長い道のりです。

山頂駅には先月オープンした「「あ」の図書室」。
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入ってすぐ左に、市教委さんで設置されたと思われる「智恵子抄」がらみの大きなパネル。グッジョブです。
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靴を脱いで内部に。この時間は無人でした。
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ただ、数時間後、帰りがけにはけっこうにぎわっていました。
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駅舎を出て徒歩1分には「「あ」の広場」。

図書室も広場も、安達太良山が「ADATARAYAMA」で、すべての母音が「あ」ということからの命名で、広場には「あ」の巨大オブジェも。
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一昨年に作られたものですが、その時限定のものだと思い込んでおりまして、昨年、ここまで登ってきた時には見逃していました。

戻って、駅から徒歩5分ほどの薬師岳パノラマパーク、「ほんとの空」標柱。
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画像右奥が安達太良山山頂で、あそこまで登っていくわけです。ここからは自分の足が頼りです。

令和元年(2019)、第65回の山開きの際も登りましたが、その際は天候がよろしくなく、山頂付近は雲に覆われ、その雲の中に入っていくという感じでした。さらに雪融け水が登山道を流れ落ち、かなりの部分が泥の河状態でした。

今年も覚悟していたのですが、天候はこれ以上ないという位の快晴(まさしく「ほんとの空」が広がっていました)でしたし、雪融け水もほとんどの場所では影響ありませんでした。

それでも山頂手前には残雪。
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約1時間で山頂に到着。
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令和元年(2019)には悪天候で、最後の溶岩ドームはパスしたのですが、今年は登りました。ここだけ途中にハシゴを使うところがあります。
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ここにもわんこ(笑)。どうやってハシゴを登ってきたのでしょうか?
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ぐるっと360°、絶景でした。
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「智恵子抄」中の「山麓の二人」(昭和13年=1938)にも謳われた磐梯山。

安達太良山の爆裂火口・沼の平。
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やはり令和元年(2019)にはそちらもパスしましたが、行ってみることにしました。10分少々で行ける距離ではあります。

よく「地球とは思えない」と言われますが、まさにその通りでした。
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底の部分は硫化水素が吹きだしており、立ち入り禁止です。

そちらから見た山頂。
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また違った感じでした。

この後、午前11:00から山頂で初の試みの「大声コンテスト」が開かれるということでしたが、日を遮る場所もないところで1時間近く待つのもつらいと思い、元来た道を引き返しました。登山では上り優先ですので、まだまだたくさん登ってくる皆さんに路を譲り譲り下りていったところ、帰って下りの方が時間がかかったかも知れません。

再びロープウェイで登山口まで。
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下山後、二本松市街を目指しました。

長くなりましたので、続きは明日。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 15 『高村光太郎詩集』世界の詩 3

昭和38年(1963)7月20日 弥生書房 高村光太郎著 
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目次
 さびしきみち 
冬の朝のめざめ 山 冬の詩 牛 道程 五月の土壌 秋の祈 わが家
 湯ぶねに一ぱい 小娘 雨にうたるるカテドラル クリスマスの夜 米久の晩餐
 
落葉を浴びて立つ 樹下の二人 鉄を愛す 春駒 白熊 氷上戯技 傷をなめる獅子
 車中のロダン 無口な船長 葱 鯰 象の銀行 聖ジヤンヌ 雷獣 火星が出てゐる
 偉大なるもの あなたはだんだんきれいになる 二つに裂かれたベエトオフエン
 花下仙人に遇ふ 母をおもふ 北東の風、雨 或る墓碑銘 ぼろぼろな駝鳥 彼は語る 龍
 あどけない話 無限軌道 旅にやんで 首の座 上州湯桧曽風景
 或る親しき友の親しき言葉に答ふ 南極 レオン ドウベル 晴天に酔ふ 潮を吹く鯨
 地理の書 山麓の二人 レモン哀歌 蝉を彫る 梅酒 脱卻の歌 「ブランデンブルグ」
 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ ヨタカ 別天地 岩手の人 もしも智恵子が
 女医になつた少女 山の少女 山からの贈物 月にぬれた手 あの頃 山荒れる 典型
 東北の秋 十和田湖畔の裸像に与ふ 弦楽四重奏
 編纂者の後記 尾崎喜八

光太郎と交流の深かった尾崎喜八の編集です。初期から最晩年まで、おおむね編年体で幅広く作品を選択しています。

手持ちのものは平成3年(1991)の第31版です。

実は昨夜から福島県に来ております。2度ほど泊めていただいたゲストハウス郡山さん。
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こちらを拠点に2泊し、これから安達太良山に登って参ります。今日が智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の第72回山開きなもので。

その智恵子関連で報道等を2件。

まず一昨日の地方紙『福島民報』さん一面コラム。

あぶくま抄 偉大な女性芸術家

「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか?」。米国の女性美術史家リンダ・ノックリンの論文タイトルだ。1971(昭和46)年に発表された。半世紀を経た今も、この問いは社会に重く突き刺さったままだろう▼背景を探っている。美術教育や師弟制度が女性を排除してきた歴史がある。「偉大さ」「芸術」の基準が、男性の価値観によって作られてきたと喝破した。決して能力が劣っているわけでない。これまでの社会制度が足かせとなり、名を上げることが難しかった▼二本松市に生を受けた。「ほんとの空」の高村智恵子は洋画家でもある。女性解放を掲げた文芸雑誌「青鞜」創刊号の表紙を描いた。すっと背を伸ばした、異国風の淑女が描かれている。発起人平塚雷鳥の「元始、女性は太陽であった」という歴史的宣言を表現したとされる。夫の彫刻家光太郎との結婚では、妻の役割を求められた。芸術と「家」のはざまで精神の均衡を欠く▼今年は智恵子生誕140年の節目に当たる。生家近くの「智恵子の杜公園」を訪ねてみた。光沸く5月の大空が語りかけてくる。「日本には偉大な女性芸術家がいた」のだと。苦しみの果てに、美を見つけた。4c388e03-s

智恵子が手がけた明治44年(1911)の『青鞜』創刊号表紙絵について言及されています。元神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏により、智恵子オリジナルではなく、ヨーゼフ・エンゲルハルトというオーストリアの画家が、明治37年(1904)のセントルイス万博のために制作した寄木細工「Merlinsage」を模写したものと判明しています(おそらく執筆された方はご存じないのでしょう)が、そうであっても「青鞜」の文字や全体の装幀などには智恵子の芸術性が見てとれますが。

そしてその後の紙絵など、ある意味哀しい作品源ですが「日本には偉大な女性芸術家がいた」と言うにふさわしいと思われます。

もう1件、『朝日新聞』さん。今月9日、福島版の記事で、4月23日(木)から開催されている「令和8年度 高村智恵子生誕祭」についてです。

「智恵子抄」の高村智恵子生誕140年、故郷で催し 居室の特別公開

 詩人や彫刻家として活躍した高村光太郎の妻で、光太郎による追憶の詩「智恵子抄」で知られる福島県二本松市出身の洋画家・高村智恵子の生誕140年を祝う催しが、同市油井の市智恵子記念館で開かれている。5月24日まで。
 催しの期間中は、普段公開されていない智恵子の生家2階の居室が見学できる。居室では智恵子自作の小物入れが特別公開されているほか、記念館には夫の光太郎に見せるためだけにつくった紙絵の実物も展示されている。
 智恵子の生家の酒蔵でつくられていた清酒「花霞(はながすみ)」の振る舞い(数量限定)も行われる。生家2階の公開は5月24日までの土日と20日。紙絵の実物展示は10日まで。入館料は高校生以上410円、小中学生210円。問い合わせは智恵子記念館(0243・22・6151)へ。
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こちらには明日、足を運ぶつもりでおります。

皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 14 『光太郎のうた』現代教養文庫

昭和37年(1962)10月15日 社会思想社 高村光太郎著 伊藤信吉編
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目次
 刃物を研ぐ人――造型詩篇――
  五月のアトリエ 鉄を愛す 金 鯰 首の座 刃物を研ぐ人 蝉を彫る 美しき落葉
  十和田湖の裸像に与う
  触覚の世界 芸術の純粋性 裸体の美 蝉の木彫 人の首
 失はれたるモナ・リザ――『道程』前期――
  失はれたるモナ・リザ 根付の国 寂寥 泥七宝 父の顔 食後の酒
  パンの会のころ
 秋の祈――『道程』後期――
  道程 秋の祈 冬が来る 冬が来た 晴れゆく空 落葉を浴びて立つ 火星が出てゐる
  母をおもふ 或る墓碑銘 さういう友 或る筆記通話
  冬の美 ホヰツトマンのこと 母の愛
 花のひらくやうに
  五月の土壌 わが家 花のひらくやうに 小娘 丸善工場の女工達 手紙に添へて
  クリスマスの夜 雨にうたるるカテドラル
  新茶のころ イタチのいる家 音楽のこと ノートルダム
 レモン哀歌
  郊外の人に 樹下の二人 あどけない話 風にのる智恵子 山麓の二人
  千鳥と遊ぶ智恵子 レモン哀歌 梅酒 裸形
  その人と為り 智恵子のこと 生きている面影
 ぼろぼろな駝鳥――猛獣篇――
  白熊 象の銀行 雷獣 ぼろぼろな駝鳥 潮を吹く鯨
  智恵子の切抜絵
 もう一つの自転するもの
  激動するもの 上州湯桧曽風景 機械、否、然り もう一つの自転するもの
  上州川古「さくさん」風景
  詩における自己表現 奥利根の旅 詩作の立場 私の常用卓 手
 山小屋の四季
  山口部落 クロツグミ 別天地 山のともだち 女医になつた少女 山の少女
  山からの贈物
  山小屋で 畑作り
 雪白く積めり
  雪白く積めり 月にぬれた手 典型
  みちのく便り 東京のアトリエにて
 彫刻家としての生い立ち
 美術関係の著作
 交遊の輪
 「智恵子抄」の成立ち
 ぼろぼろな駝鳥 
 智恵子夫人の切抜絵
 高村光太郎の詩の世界
 高村光太郎年譜

目次では各章、詩と散文を分けていますが、詩の合間に散文が挟まれています。また、一篇ごとに編者の伊藤信吉による解説や語注も付され、さらに画像も多用。表紙は九十九里浜の「千鳥と遊ぶ智恵子」碑で、建立当時の画像です。まだ碑と波打ち際の間に自動車道が通っていない頃でした。

平成14年(2002)に版元の社会思想社が廃業し、店頭から姿を消しましたが、それが実に惜しまれる一冊です。

光太郎第二の故郷、岩手花巻の旧太田村ではかつて毎年5月15日に「高村祭」という催しがもたれていました。光太郎三回忌の年にあたる昭和33年(1958)に第一回が挙行され、その際には光太郎が7年間暮らした山小屋(高村山荘)を覆う形で建設された套屋のお披露目、敷地内にたてられた正式な光太郎詩碑の第1号、「雪白くつめり」詩碑の除幕が行われました。
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5月15日は、昭和20年(1945)、前月の空襲で駒込林町のアトリエ兼住居を失った光太郎が、宮沢家の誘いで疎開のために東京を発った日です。夜行列車で花巻に到着したのは翌日でしたが、きりもいいということもあったのでしょう、15日が「高村祭」ということになりました。

その後、「高村祭」は連綿と続けられました。当初は光太郎と直接交流のあった人々による回顧談的な講演、地元の山口小学校の児童による光太郎から贈られた楽器を使用しての音楽演奏などが行われていました。

その高村祭、令和元年(2019)の第62回をもって終了となってしまいました。翌年からはコロナ禍もありましたし、沈静化後も以前の形での開催はもはや難しい、との判断だったようです。

それに代わるというわけでもありませんが、「花巻 光太郎を知る会」さんという有志の市民団体が、「雪白くつめり」詩碑前にお集まりになり、かつての「高村祭」のように詩碑に献花(詩碑の地下には光太郎の遺髯が分骨のように埋められています)、光太郎詩の朗読などをなさっています。

昨日の様子。画像を送っていただきました。
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「高村祭」だった頃には市の協賛もあり、地元の皆さんの演芸大会的な要素もあったりで賑わっていました。何とかそれに近い形での復活を心から祈念いたしております。

花巻ついでに、「花巻 光太郎を知る会」さんと構成員がかぶるやつかの森LLCさんの活動。

まず厳冬期を除いて概ね月イチで、市内のワンデイシェフの大食堂さんで出店されている「こうたろうカフェ」。ワンデイシェフの大食堂さんがキッチンを貸し出す形で、さまざまな団体・個人がランチを作り、販売するというシステムです。

先月は28日(火)に出店されたそうで、その際の画像。
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「食の匠のバクロウおこわ」「コロコロチーズ入りミートローフ」「マカロニサラダ」「エッグボート」「クルミとゴボウの甘辛煮」「タラボの胡麻和え」「赤魚のお吸い物」「クレープシュゼットのオレンジバター」「コーヒー」。基本、光太郎が自炊していたメニューや使った食材などを参考にしたものです。

「食の匠のバクロウおこわ」とあるのは、令和6年度の「岩手県 食の匠」に認定された、やつかの森さんのメンバー・新渕和子さんが得意とする「ばくろう茸」を使用して作ったもの。花巻では正月などに振舞われるごちそうだそうです。

mit岩手めんこいテレビさんで毎週土曜日の18:30~19:00に「山・海・漬」という番組が放映されているそうです。番組説明欄には「岩手の魅力を満載した番組です。岩手の様々なジャンルと素材(ヒト、モノ、コト)を遊び心いっぱいに、新鮮パッケージ。話題のグルメや観光スポット、岩手にまつわる歴史・文化・伝統などを『山・海・漬』ならではの視点でご紹介。」とあります。
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まだ詳細情報が出ていませんが、来週、5月23日(土)の放映・#1324で「こうたろうカフェ」が取り上げられるそうです。ワンデイシェフの大食堂さんのオーナーさんの推薦だとのこと。確かに光太郎が自炊していたメニューや使った食材などを参考という点で、申し訳ありませんが他の一般の出店者さんとは一線を画す特徴的なコンセプトですので、テレビ的には扱いやすいでしょう。

上記の4月28日(火)にロケ隊が入られたそうです。
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視聴可能な地域の方、ぜひどうぞ。また、今日の放映(#1323 春の山菜・野菜バンザイ)オンエア後YoutUbeに予告動画が出るようです。そちらもご覧下さい。

「こうたろうカフェ」としての今月分ももうすぐで、5月20日(水)だそうです。メニューも予告されていて、以下の通りです。

・こうたろう春巻き ・帆立のドレッシングサラダ ・ワラビの辛子和え ・ウドとタコの味噌かけ ・ほうれんそうの白和え ・餃子とチンゲン菜のスープ ・雑穀ごはん ・旬の漬け物 ・よもぎ餅 ・コーヒー

もう1件、同じくやつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。毎月15日に限定10食の販売です。

昨日販売分。
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2605弁当
2605弁当メニュー
「ホッケの塩焼き」「アスパラ入りちくわ天ぷら」「わらびのおひたし」「ウドの金平」「卵焼き」「筍ご飯」「白米ばっけ味噌のせ」「よもぎ団子」。

「ばっけ」はフキノトウ。光太郎が最も好んで使った食材の一つです。「こうたろうカフェ」でもそうですが、季節がら山菜系が多用されていてヘルシーな感じですね。

本日取り上げたもろもろ、永続的に続いて欲しいものと思っております。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 13 『高村光太郎詩集』角川文庫

昭和31年(1956)9月30日 角川書店 高村光太郎著
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目次
 Ⅰ
  序曲(一九二〇) 丸善工場の女工達(一九二〇) 米久の晩餐(一九二一)
  雨にうたるるカテドラル(一九二一) かがやく朝(一九二一)
  ラコッチィ マアチ(一九二一) 真夜中の洗濯(一九二二) 沙漠(一九二二)
  五月のアトリエ(一九二二) 落葉を浴びて立つ(一九二二) 冬の言葉(一九二二)
  送別(一九二二) 鉄を愛す(一九二三) 春駒(一九二三)
  
月曜日のスケルツォ(一九二四) 氷上技戯(一九二四) 偶作七(一九二四)
  
少年を見る(一九二五) 葱(一九二五) 無口な船長(一九二六) 冬の奴(一九二六)
  
火星が出てゐる(一九二七) 或る墓碑銘(一九二七) 母をおもふ(一九二七)
  
怒(一九二七) 冬の言葉(一九二七) 美を見るもの(一九二七)
  
花下仙人に遇ふ(一九二八) 当然事(一九二八) さういふ友(一九二八)
  
街上比興(一九二八) その詩(一九二八) 或る日(一九二九) 人生(一九二九)
  
ひとり酸素を奪つて(一九二九) 上州湯桧曽風景(一九二九)
  上州川古「さくさん」風景(一九二九) 触知(一九二九) 冬(一九二九)
  刃物を研ぐ人(一九三〇) 冷熱(一九三〇) 孤坐(一九三〇) 似顔(一九三一)
  のつぽの奴は黙つてゐる(一九三一) 蝉を彫る(一九三一)
  
美の監禁に手渡す者(一九三二) 晴天に酔ふ(一九三三) 首の座(一九三三)
  ばけもの屋敷(一九三五) もう一つの自転するもの(一九三六)
  
手紙に添へて(一九三八) へんな貧(一九三九) 最低にして最高の道(一九四〇)
  雪白く積めり(一九四六) 山林(一九四七) 「ブランデンブルグ」(一九四八)
  脱卻の歌(一九四八) 人体飢餓(一九四八) 東洋的新次元(一九四八)
  おれの詩(一九四九) 悪婦(一九四九) 山荒れる(一九五〇)
  
月にぬれた手(一九五〇) 鈍牛の言葉(一九五〇) 典型(一九五〇)
  女医になつた少女(一九五〇) 東北の秋(一九五〇) 大地うるはし(一九五一)
  十和田湖畔の裸像に与ふ(一九五三)
 Ⅱ
  清廉(一九二四) 傷をなめる獅子(一九二五) 狂奔する牛(一九二五)
  白熊(一九二五) 象の銀行(一九二六) 鯰(一九二六) 苛察(一九二六)
  雷獣(一九二六) マント狒狒(一九二六) 象(一九二六) 森のゴリラ(一九二六)
  北冥の魚(一九二六) 潮を吹く鯨(一九二六) 龍(一九二八)
  
ぼろぼろな駝鳥(一九二八) よしきり鮫(一九三七)
 Ⅲ
  クリスマスの夜(一九二二) 車中のロダン(一九二二) 後庭のロダン(一九二二)
  十大弟子(一九二六) 聖ジヤンヌ(一九二六)
  
ミシェル・オオクレエルを読む(一九二七) 旅に病んで(一九二八) 存在(一九二八)
  北島雪山(一九二九) 古事一則(一九二九) 耳で時報をきく夜(一九三〇)
  南極(一九三一) レオン・ドウベル(一九三二) 村山槐多(一九三五)
  荻原守衛(一九三六) 老耼、道を行く(一九三七) 団十郎像由来(一九三八)
  芋銭先生景慕の詩(一九三九) つゆの夜ふけに(一九三九)
  
銅像ミキイヰッツに寄す(一九三九) 人間拒否の上に立つ(一九五一)
 Ⅳ
  樹下の二人(一九二三) 夜の二人(一九二六)
  
あなたはだんだんきれいになる(一九二七) 同棲同類(一九二八)
  風にのる智恵子(一九三五) 千鳥と遊ぶ智恵子(一九三七)
  
値ひがたき智恵子(一九三七) 山麓の二人(一九三八) レモン哀歌(一九三九)
  亡き人に(一九三九) 梅酒(一九四〇) 荒涼たる帰宅(一九四一)
  若しも智恵子が(一九四九) 元素智恵子(一九五〇) メトロポオル(一九五〇)
  裸形(一九五〇) 案内(一九五〇) あの頃(一九五〇) 吹雪の夜の独白(一九五〇)
  噴霧的な夢(一九五〇) 
  暗愚小伝(一九四七)
   家 転調 反逆 蟄居 二律背反 炉辺
 解説 草野心平
 年譜

光太郎が没した昭和31年(1956)の出版(手持ちのものは昭和42年=1967の第25版です)。

この頃、光太郎追悼出版的にいろいろな書籍が出されましたが、当会の祖にして本書の編集にもあたった草野心平が髙村家の番頭よろしく窓口となり、生前の光太郎と関わりの深かった出版社に「おたくはこれ」と、割り振りをしました。中央公論社では随筆集『山の四季』と詩集『典型以後』、新潮社だと随筆集『アトリエにて』及び新潮文庫版『智恵子抄』、筑摩書房に彫刻写真集『高村光太郎』と翌年から出る『高村光太郎全集』、そして角川書店に本書。

オリジナル『智恵子抄』版元の龍星閣のみ、それらと関わりなく単独で画集『赤城画帖』を出版しました。

智恵子の故郷・福島二本松で智恵子顕彰に当たられている「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会~」さん主催のイベントおよびそれとセットで開催されるコンサートの案内です。

高村智恵子生誕祭~智恵子を偲ぶ鎮魂の集い~

期 日 : 2026年5月17日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館周辺 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 8:45~
料 金 : 1,500円
申 込 : 熊谷健一 TEL/FAX 0243-23-6743 〒969-1404 二本松市油井八軒町75

智恵子の生家、記念館、「樹下の二人」詩碑などゆかりの地を説明を聴きながら巡り歩き最後に安達駅前「智恵子像」の前で参加者による「智恵子抄」朗読を行います。定員20名(先着順)。

001
二本松市のさらに旧安達町内、それほど広くない範囲で智恵子ゆかりの地を巡るいわば文学散歩的な催しです。たぶん参加費に昼食代が含まれていると思われます。
002
当方、令和5年(2023)とその翌年に参加いたしました。それほど広くない範囲ですが、歩いて巡るとなるとけっこう大変です(「青空ウォーク」と銘打ってそうしていた時期もかつてありましたが)し、雨天の場合も有り得るので、近年は夢くらぶさん会員の方の車に分乗して巡るスタイルになっています。

最後にJR東北本線安達駅前の智恵子像「今 ここから」(光太郎の父・光雲孫弟子の故・橋本堅太郎氏作)でオープンマイク的に朗読会だそうで。

それが終わった段階で、二本松市街地に移動して下記のコンサート鑑賞という流れのようです。おそらく希望者のみということになるのでしょうが。

モモの智恵子抄

期 日 : 2026年5月17日(日)
会 場 : 二本松市民交流センター 福島県二本松市本町2-3-1
時 間 : 15:00~
料 金 : 前売 3,500円 当日 4,000円
申 込 : モンデンビューロー  mondenmomo@mac.com

 高村智恵子さん生誕140年記念のイベントが今年の5月に二本松で行われます。そしてこれは2028年ミュージカル『智惠子抄』へのスタートでもあります。二本松市 二本松市教育委員会 二本松音楽協会 そして智恵子のまち夢くらぶの後援をいただきモンデンモモの智惠子抄 音楽劇『智恵子飛ぶ』そして前夜祭として劇団徳子福島公演『MOMO NO MOMO』の公演が行われます。
 いよいよ準備が本格的にはじまりました
 1990年から 智惠子抄を歌でお届けする活動が始まりました。そして2023年 舞踊音楽劇として『智恵子飛ぶ』が上演されました。今回リクエスト公演として高村智恵子さん生誕140年にむけ智恵子さんの生誕の地で再演されます。それは2028年のミュージカル『智惠子抄』への始まりでもあります。
 智恵子さんの学ばれた油井小学校の子供達に智恵子さんの素敵さを上演していただきたい演じていただきたいそんな思いから4歳から90歳までのプロと愛好家の最高の融合をモットーとする劇団徳子が 手がけます
 油井の子供達と大人たちと輝く智恵子さんの『懐かしい未来』を〜お伝えしたいとかんがえています。 素敵な、そしてすごい時代です!! 東京からたくさんの仲間たちが引っ越し公演をいたします。あなたも!!二本松に!!いらしてくださいね!!おまちしています。
001
光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われている、シャンソン系歌手・モンデンモモさんによるコンサートです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 6 『高村光太郎選集 Ⅴ 随想 上』

昭和26年(1951)12月10日 中央公論社 高村光太郎著
5
5函 5扉 5奥付
目次
 回想録など
  回想録 子供の頃 母のこと 姉のことなど 美術学校時代 揺籃の歌 谷中の家
  智恵子の半生 二世代
 彫刻のことなど
  肖像雑談 自作肖像漫談 蝉の美と造型 ロダンの素描 ロダンの手記談話録
  自刻木版の魅力 彫刻的なるもの 彫刻寸言 美の健康性 芸術上の良知 永遠の感覚
  普遍と独自 美 比例均衡 美意識について 美の影響力 美を求める欲望 詩の深さ
  書について 気について 小感 言葉の事 生きた言葉 触覚の世界
  詩人の知つた事ではない
 アトリエにて
  小刀の味 信親と鳴滝 ある首の幻想 手 鷗外先生の「花子」 家
 
断片
  新茶の幻想 「道程」改訂版 内部の矛盾 木つ葉童子の手紙 ジヤン コクトウ
  さやゑん豆 鯉の木彫 或日 文語 智恵子の新盆 型
 月報 個人として(上) 高田博厚 アトリエのあつたお家 森田たま

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第3回配本です。「随想」の題ですが、評論とエッセイとが入り交じっています(どちらともつかないものもあるのですが)。

編年体ではなく、おおむね内容による分類。一応時期での区切りがあり、戦後のものは含んでいません。ただ、後に出る「随想 下」では遡って明治期のものが収められたりします。

毎年この時期にご紹介していますが、「ほんとの空」の広がる安達太良山の山開きが行われます。

第72回 安達太良山山開き001

期 日 : 2026年5月17日(日)

福島県出身のタレントなすびさん(安達太良山観光大使)が今年も山開きに参加!! ぜひ一緒に登山を楽しみましょう!!(記念撮影可能)

奥岳登山口(あだたら高原スキー場)でのイベント
 安全祈願祭【午前8時~】
  1年間の安達太良山登山の無事を参加者で祈願します。
  (荒天時はランデブー内で実施します)

山頂でのイベント
 ➀ペナント配布【午前9時30分~】
  先着3,000枚を配布します。(無くなり次第、終了となります)
 ②ほんとの空大声コンテスト【午前11時~】
  山頂で募集します。テーマに沿った内容で大声を出してもらいます。
  男性部門の大賞、女性部門の大賞を決定します。(定員20名)
  大賞には豪華景品をご用意しております。また、参加された方へも参加賞がございます。
  ※荒天時は中止となります。ご了承ください。
000
かつて行われていた「ミズあだたらコンテスト」が昨年から無くなり、代わって「ほんとの空大声コンテスト」が山頂で予定されています。昨年も計画には入っていたのですが、荒天のため中止となってしまったので、今年行われるとすれば初の開催ということになります。

『広報にほんまつ』今月号、山開き全般。
002
三保恵一市長の連載コラム。
015
公式サイトにシャトルバスの情報がまだアップされていませんが、例年通りであればJR東北本線二本松駅から、中腹の岳温泉を経由、奥岳登山口までのそれが運行されるはずです。

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 5 『高村光太郎選集 Ⅰ 詩 上』

昭和26年(1951)10月10日 中央公論社 高村光太郎著
1
1函 1扉 1奥付
目次
 秒刻 マデル 博士 あらそひ 
 敗闕録
  ㈠われ千たび君を抱かむ ㈡君を見き ㈢遁れたる君は遣らばや
  ㈣眠りてあれか目覚めよか
 LES IMPRESSIONS DES OũONNAS
  TU VOIS?  LE SOURIRE CACHÉ  L'ABSINTHE 
  POUSSE―POUSSE Á LA GUM―WA
 友よ PRÉSENTATION 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 画室の夜
 熊の毛皮 人形町 甘栗 亡命者 寂寥 侵蝕 祈祷 或日の午後 声 新緑の毒素
 廃頽者より 『河内屋与兵衛』 髪を洗ふ女 手 『おもひで』と『夜の舞踏』と 白昼の空気
 金秤 はかなごと 地上のモナ・リザ 夜半 けもの 父の顔 泥七宝 恐怖 あをい雨
 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 涙 からくりうた
 さびしきみち カフエにて ビフテキの皿 梟の族 冬が来る カフエにて 或る宵 夜
 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ 師走十日 戦闘 カフエにて 深夜の雪
 人類の泉 人に 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩 牛 僕等 道程
 愛の嘆美 群集に 婚姻の榮唱 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐 五月の土壌
 淫心 秋の祈 わが家 晴れゆく空 小娘 海はまろく 花のひらくやうに 歩いても
 湯ぶねに一ぱい 無為の白日 序曲 丸善工場の女工達 米久の晩餐 
 雨にうたるるカテドラル かがやく朝 ラコツチイ マアチ クリスマスの夜 冬の送別
 真夜中の洗濯 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ

 月報 根付の国 日夏耿之介 無題 吉野秀雄 山小屋の人 伊藤信吉

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第2回配本です。明治40年(1907)の「秒刻」から大正11年(1922)の「落葉を浴びて立つ」までの詩が、編年体で収められています。

しばらくの間、智恵子およびその故郷・福島二本松関連の話題が続くかも知れません。

今日は智恵子のソウルマウンテン・安達太良山にオープンした「「あ」の図書室」関連の報道を2本。

まず、業界紙『観光経済新聞』さん。

山頂駅に無料図書室をオープン 「あ」がモチーフ あだたら山ロープウェイ

 富士急安達太良観光(福島県二本松市)は11日、同社が展開するあだたら高原リゾートの「あだたら山ロープウェイ山頂駅」内休憩所をリニューアルし、「あ」をモチーフにした図書室をオープンした。文学にゆかりのある同地ならではの”静かな過ごし方”を提案。休憩室と展望室を兼ねた空間として、無料開放する。
 あだたら高原リゾートでは近年、グリーンシーズンの楽しみ方を拡充させる取り組みを展開している。2024年からは、「あだたらやま」の「あ」に着目した空間演出など、自然と遊び心を感じられる体験づくりを提供。山頂展望広場に設置された「あ」のオブジェはその代表作で、多くの来場者に親しまれている。
 今回新たにオープンする「あ」の図書室は静かな過ごし方を提案する空間として整備。高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」の舞台として知られる安達太良山の山頂で本を手に取り、ゆったりとした時間を堪能できる。図書室には、詩集のほか登山などのアウトドア、 旅行、二本松市紹介関係の書籍が置かれている。
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「高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」の舞台として知られる安達太良山の山頂」とありますが、正確には「安達太良山の山頂」ではありません。安達太良山系の薬師岳山頂ということで、ロープウェイは「山頂駅」と命名されていますが。安達太良山自体の山頂(標高1,700㍍)は、ここからさらに2時間ほど登ったところ。さすがに立派な建造物を建てるのは不可能でしょう。

続いて、TUFテレビユー福島さんのローカルニュース。

“ほんとうの空”の下で読書を…安達太良山の山頂駅に図書室オープン 福島

これから本格的な登山シーズンを迎えますが、それを前に、福島県の安達太良山の休憩所がリニューアルオープンです。この休憩所、空を見渡しながらあることを楽しめるそうです。

平岡沙理アナウンサー「きょうは雲一つない青空!気持ちいいですね!山頂駅にある休憩所がリニューアルしたということで、どんな施設に生まれ変わったのか行ってきます!」
000
やってきたのは、標高1700メートル、日本百名山に数えられている安達太良山。早速ロープウェーに乗り、出発進行!といきたいところでしたが…高所恐怖症の平岡アナは若干苦笑い。それでも、ゴンドラに乗ると見える雄大な景色に、うっとりしています。

およそ10分、ロープウェーの旅を楽しんで山頂駅に到着!

平岡アナ「着きました!ちょっと怖かったです。行きましょう!気を取り直して!」

 「ほんとうの空」の下で、読書を
駅を降りて見えてきたのは、大きく書かれた「あ」の文字。ここが、新しくできた読書ラウンジ「あ」の図書室です。安達太良山の母音がすべて「あ」であることから、その名前が付けられました。
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4月11日にオープンしたこの図書室には、絵本や登山の本、さらにはマンガまで、およそ300冊がそろっています。こだわりは内装にも。
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平岡アナ「中は木が基調となっていて、この階段をのぼると、見てください!絶景が広がっています。柔らかな日差しも浴びられてとても心が落ち着きます」

安達太良山の空といえば、高村光太郎の妻・智恵子が愛した「ほんとうの空」。「あ」の図書室では、この「ほんとうの空」の下で、読書を楽しむことができます。大自然に囲まれた静かな空間で、登山や日々の疲れを癒してほしいという思いから、生まれました。
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東京から訪れた人「(この場所は)知らなくて、祖父がこっち出身で連れてきてもらいました。すごく景色も良くて来てよかったと思います」

新潟県から訪れた人「来てみてちょっとおもしろそうなのがあったから入ってみようかなという感じで、ゴンドラが真横に見えて、なかなか撮れないかなと思って」

「あ」の図書室は入場無料で、ゴールデンウィーク期間中の5月10日までは毎日営業しています。ぜひ皆さんも、静かな空間に癒されてみてはいかがでしょうか?図書室に行くまでのロープウェーは、別途料金がかかりますので詳しくはホームページでご覧ください。

二本松に足を運ばれる際は、ぜひお立ち寄りください。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 4 『高村光太郎詩集』創元選書

昭和26年(1951)9月15日 創元社 高村光太郎著
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目次
 明治四十年(一九〇七)
  秒刻 マデル 豆腐屋 博士 あらそひ
  敗闕録
   (一)われ千たび君を抱かむ (二)君を見き (三)遁れたる君は遣らばや
   (四)眠りてあれか眼覚めよか
 明治四十三年(一九一〇)
  Les impressions des oũonnas
   tu vois? le sourire cache l'absinthe pousse-pousse a la gum-wa 友よ
      Presentation 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国  
 明治四十四年(一九一一)
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 侵蝕
  失走 縁日 狗ころ 祈祷 或日の午後 声 風 新緑の毒素 夏 頽廃者より
  「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 なまけもの 手
  『おもひで』と『夜の舞踏』と 白昼の空気 金秤 はかなごと めくり暦
  地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日 父の顔 泥七宝 恐怖
 明治四十五年(一九一二)
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に  夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 涙 からくりうた さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
  カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて
  師走十日 戦闘
 大正二年(一九一三)
  カフエにて 深夜の雪 人類の泉 人に 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等 道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ
  晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈
 大正五年(一九一六)
  わが家
 大正六年(一九一七)
  晴れゆく空 小娘 海はまろく 花のひらくやうに 歩いても 湯ぶねに一ぱい
  無為の白日
 大正九年(一九二〇)
  序曲 丸善工場の女工達
 大正十年(一九二一)
  米久の晩餐 雨にうたるるカテドラル かがやく朝 ラコツチイ マアチ
 大正十一年(一九二二)
  クリスマスの夜 冬の送別 真夜中の洗濯 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ
 大正十二年(一九二三)
  樹下の二人 鉄を愛す Liluli 春駒 とげとげなエピグラム
 大正十三年(一九二四)
  氷上戯技 偶作 七 珍客 清廉 月曜日のスケルツオ
 大正十四年(一九二五)
  白熊 傷をなめる獅子 少年を見る 狂奔する牛 車中のロダン 葱 後庭のロダン
 大正十五年(一九二六)
  象の銀行 十大弟子 鯰 苛察 聖ジヤンヌ 夜の二人 雷獣 冬の奴 無口な船長
  滑稽詩 マント狒狒 象 森のゴリラ 北冥の魚 潮を吹く鯨
 昭和二年(一九二七)
  あなたはだんだんきれいになる 怒 偶作 四篇 母をおもふ 或る墓碑銘
  北東の風、雨 冬の言葉 ミシエル オオクレエルを読む 火星が出てゐる
  偉大なるもの 美を見るもの 「詩」
 昭和三年(一九二八)
  龍 あどけない話 同棲同類 何をまだ指しているのだ 存在 旅にやんで その詩
  彼は語る 二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遇ふ 天文学の話
  ぼろぼろな駝鳥 当然事 無限軌道 街上比興 さういふ友 あの音 夏書十題
 昭和四年(一九二九)
  北島雪山 古事一則 或る日 人生 ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話
  触知 上州湯桧曽風景 無題 上州川古「さくさん」風景 冬 名所 昔話 無題
 昭和五年(一九三〇)
  のんきな会話 刃物を研ぐ人 耳で時報をきく夜 冷熱 孤坐
 昭和六年(一九三一)
  美の監禁に手渡す者 似顔 のつぽの奴は黙つてゐる 南極 蝉を彫る
 昭和七年(一九三二)
  非ヨオロツパ的なる レオン ドウベル 先生山を見る
 昭和八年(一九三三)
  晴天に酔ふ 首の座
 昭和十年(一九三五)
  人生遠視 風にのる智恵子 村山槐多 ばけもの屋敷 「藤島武二画集」に題す
  「悪魔の貞操」に題す
 昭和十一年(一九三六)
  もう一つの自転するもの 荻原守衛
 昭和十二年(一九三七)
  千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 よしきり鮫 夢に神農となる 老耼、道を行く
 昭和十三年(一九三八)
  一艘の船が二艘になること 地理の書 山麓の二人 団十郎像由来 手紙に添へて
  子を産む書物
 昭和十四年(一九三九)
  レモン哀歌 芋銭先生景慕の詩 つゆの夜ふけに 初夏言志 亡き人に
  銅像ミキイヰッツに寄す へんな貧
 昭和十五年(一九四〇)
  梅酒 最低にして最高の道 秋風をおもふ 太子筆を執りたまふ
 昭和十六年(一九四一)
  荒涼たる帰宅 青年
 昭和十七年(一九四二)
  与謝野夫人晶子先生を弔ふ 三十年
 昭和十八年(一九四三)
  寒夜読書 救世観音を刻む人
 昭和十九年(一九四四)
  南瓜賦
 昭和二十一年(一九四六)
  雪白く積めり
 昭和二十二年(一九四七)
  山菜ミヅ 
  暗愚小伝
   家
    土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告(智恵子に) 山林
  山のひろば
 昭和二十三年(一九四八)
  「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 山口部落 かくしねんぶつ
  クロツグミ 別天地
 昭和二十四年(一九四九)
  おれの詩 悪婦 岩手の人 若しも智恵子が 山からの贈物
 昭和二十五年(一九五〇)
  山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型 クチバミ 元素智恵子 メトロポオル
  裸形
 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 田植急調子 噴霧的な夢 女医になつた少女
  東北の秋
 昭和二十六年(一九五一)
  大地うるはし 人間拒否の上に立つ
 編纂覚え書 草野心平


編年体による、この時点で編纂者の草野心平が把握していた光太郎詩をほぼすべて網羅したものです。ただし、戦前・戦時中の翼賛的なものはほとんどカットしました。それ以外でも抜け落ちている詩篇はまだまだありましたが、それは心平の検索の網に引っかからなかったものでしょう。

福島県二本松市。4月23日(木)から智恵子生家/智恵子記念館さんで「令和8年度 高村智恵子生誕祭」が開催されていますが、その関連で。

まず智恵子生家/智恵子記念館さんと同じ旧安達町にある道の駅安達智恵子の里さんでのタイアップ的なイベント。

銘産コーナーより、5月の智恵子生誕祭のお知らせ

5月20日は「高村智恵子」の誕生日です!

銘産コーナーでは、5月のお菓子フェアを開催
5/1(金)~5/31(日)まで

~5月だけの限定商品もたくさんあります~
〈まつもと〉ねこどらレモン 〈星野屋〉レモン大福 〈虎屋〉ワッフルレモン味
智恵子のサブレ、レモン飴などなど盛沢山!
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手書きのPOP、温かみがあってなかなかいいと思います。

菓子処まつもとさんの「ねこどらレモン」はこんな感じ。
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智恵子のサブレ」は道の駅安達さんのオリジナル商品だそうです。どうりで高速のSAなどで見かけないなと思っていました。
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他にPOPにはありませんが、チーズケーキ工房&カフェ風花さんの新商品「ほんとの空サイダー」も道の駅安達さんで取り扱いを始めたそうです(東北自動車道安達太良SAでも)。

智恵子生家/智恵子記念館さんでの「令和8年度 高村智恵子生誕祭」そのものに関しては、『広報にほんまつ』の今月号で大きく紹介されています。先月号でもほぼ同じ内容の紹介がありましたが、今月も。
016
同じ今月号では、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の山開き(5月17日(日))に関しても智恵子がらみで紹介されていますが、そちらはまたのちほどご紹介します。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)1 『彫刻真髄』

明治44年(1911)4月20日 博文館 荻原守衛著
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目次
 荻原守衛君小伝
 論説
  欧洲美術界の趨勢 仏国彫刻界 ロダンと埃及彫刻 義太夫と彫刻
  予が見たる東西の彫刻 談話の一節 彫刻芸術の大勢 成就院に遊ぶ 談片
  解剖学のはなし 迷へる青年美術家 信仰と美術との関係 芸術修業苦心談
  オランダの旅 
フロレンスの美術館を観る 公設展覽会評 東京市の銅像を論ず
  日本現時の彫刻界 
美術展覽会所感 彫刻家の見たる美人
  日本現代の彫刻は西洋のイミテエション
 荻原守衛氏 書籍等の跋文
  帰朝後の塑像製作年表 絵画制作年表
 側面観
  碌山荻原守衛君 井ロ喜源治   家庭に於ける荻原オヂサン 中村黒光
  荻原守衛君に就て 中村不折   故荻原守衛君に就て 柳敬助 
  同 戸張孤雁          死んだ荻原君 高村光太郎
  荻原守衛氏 小山菊野      荻原守衛君の追懐 齊藤与里
  四則 信濃毎日新聞       荻原君に就ての記臆 ウオター パック
  有の儘 戸張孤雁        新帰朝の青年美術家 東京朝日新聞
  木像の批評 中村星湖      荻原君のアトリエ 成功
  休憩室 相馬御風        故荻原守衛君追悼記 犀水生

「本人著作(部分)」の項でいの一番に紹介すべき書籍でしたが、失念していました。そこで昨日までのこの項の番号は訂正しました。

前年に急逝した光太郎の親友、碌山荻原守衛の一周忌にあわせての出版です。前半は生前の守衛が雑誌等に発表した文章や守衛に対する聞き書きで「論説」。後半の「側面観」が光太郎のそれを含む周辺人物の守衛評などです。

光太郎の「死んだ荻原君」は書き下ろしではなく、前年の雑誌『方寸』に発表された「死んだ荻原守衛君」の改題転載です。

一昨日から福島二本松の智恵子生家/智恵子記念館さんで「令和8年度 高村智恵子生誕祭」が開催されています。

地方紙『福島民友』さんから、予告的な案内記事。他の様々なイベントとともに紹介されました。

【どこいこ】おでかけスポット情報・浜通り(4月24日~)

■高村智恵子生誕祭 開催中
 二本松市の智恵子の生家・智恵子記念館。5月24日まで。25日から週末・祝日に生家2階の智恵子の居室を特別公開、5月10日までは奇跡といわれる智恵子の紙絵実物を展示している。
 生家は明治初期に建てられた造り酒屋で、酒銘は花霞。智恵子は1886年5月20日に生まれ、育った。5月9、10、19、20日に縁側で「花霞」振る舞い酒、16、17、23、24日に1階で、上川崎和紙で作る紙絵体験を行う。午前9時~午後4時30分。水曜日定休(祝日除く)。入館料は410円(小・中学生210円)。問い合わせは同館(電話)0243・22・6151
007
ご紹介下さったのはありがたいのですが水曜日定休(祝日除く)」とあるのは誤りですね。今年は生誕祭期間中は無休だそうです。
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平常時は確かに水曜定休のところ、今年は智恵子生誕140周年ということもあるからでしょうか、二本松市さんとしては気合いを入れているようです。お間違いなきよう。

それから同じく『福島民友』さん、あだたら山ロープウェイ山頂駅にオープンした「【あ】の図書室」について。4月17日(金)掲載の記事です。

「ほんとの空」の下、出会う一冊 ロープウエーの駅に図書室

 「ほんとの空」の下、読書と眺望がのんびり楽しめる図書室が福島県二本松市のあだたら高原リゾート・ロープウエイ山頂駅に登場した。
 安達太良山(あだたらやま)は6文字全て「あ」音のため【あ】の図書室と名付けられ、智恵子抄や二本松に関する本をはじめ、登山、旅、温泉、花の本や雑誌、児童書など約300冊が並んでいる。土足厳禁のサロン風スペース。
 奥岳登山口から結ぶロープウエーの運行は午前8時半~午後4時半。料金は往復一般2200円、4歳~小学生1700円。水曜日運休(祝日除く)。同駅近くには薬師岳パノラマパークがあり、標高1350メートルからの景色が楽しめる。
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続いて『朝日新聞』さん、4月21日(火)の夕刊。

(私のイチオシコレクション)二本松市智恵子記念館 橋本真紀

■紙絵に託した、光太郎への愛と感性 市教育委員会文化課主任主事・橋本真紀
 大胆な配色とシンメトリーの構図。シンプルかつ目を引くこの「紙絵」は、高村光太郎の詩集「智恵子抄」のモデルとして知られる妻、智恵子(1886~1938)が最晩年、紙を折り、切り抜いて作った作品です。
 「東京には空がない」とこぼした智恵子は、当館がある福島県油井村(現二本松市)の造り酒屋の家に生まれました。大学を卒業後、女性としては当時まだ珍しい洋画家として歩み始めますが、芸術界の巨匠になっていく夫とは対照的に、徐々に心身を病んでいきます。創作活動の行き詰まりが一因ともいわれます。
 しかし亡くなる約2年前から病床で紙絵作りに没頭し、千数百点もの作品を残しました。本作は、ピンクと青の反対色の組み合わせが印象的です。当時は配色が病的と指摘されたこともありましたが、感性の赴くままに表現した、智恵子の芸術性が存分に開花した作品の一つです。
 紙絵は、病床で誰にも見せず、ひそかに作られました。千代紙や包装紙、薬の袋が、マニキュアはさみを使って大胆に、時に繊細に切り出され、鮮やかに組み合わせられました。それらは、光太郎にだけ見せたといいます。紙絵は、智恵子の思いを託した光太郎へのメッセージだったのではないでしょうか。
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  一方、洋画家・智恵子の作品として確認されている油絵は3点しかありません。うち1点が大正初期、帰省中に描かれたと伝わる「花(ヒヤシンス)」です。署名はなく、額装されていない状態で見つかりました。もしかすると、未完成なのかもしれません。
 若い頃、完璧主義の一面があったという智恵子は、どんなに筆を進めても満足できず、何より芸術家である夫・光太郎に認められたいと、理想と現実の間でもがいていたのだと思います。
 光太郎を愛し、認められたいと願った若き日から、最期は智恵子にしかなし得ない表現で、光太郎ただ一人のために作品を残したのです。
(聞き手・三品智子)
 
011《二本松市智恵子記念館》 福島県二本松市油井漆原町36(☎0243・22・6151)。午前9時~午後4時半(入館は30分前まで)。水(祝休の場合は翌平日)休み。410円。紙絵は保護のため複製展示。23日~5月10日は実物を公開予定。


市教育委員会文化課主任主事 橋本真紀 
 はしもと・まき 2022年から現職。智恵子の誕生日と命日に合わせた「生誕祭」「レモン祭」の企画運営や生家のライトアップイベントを手がける。

橋本氏、当方もさんざんお世話になっている方ですので「ありゃま」という感じでした。

「おやっ」と思ったのは、油絵「ヒヤシンス」について。「額装されていない状態で見つかりました」という点、存じませんでした。郷里で見つかったとか、署名がないなどの点は、旧安達町発行の図録的な書籍『命と愛のメッセージ』(初版・平成4年=1992/改版・平成14年=2002)に、当会顧問であらせられた故・北川太一先生が書かれていましたが。
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考えてみればあり得る話ですが、改めてよくぞこの絵が残っていてくれたものだ、と思わせられます。

同じく二本松にあったはずの、智恵子が祖父・次助を描いた肖像画は行方不明です。明治40年(1907)の日本女子大学校卒業後、郷里に帰らず東京で絵画の修業を続けたいという智恵子の希望に対し、はじめ反対していた家族たちもこの肖像画を見て「これほどの腕前なら……」と翻意したというエピソードがあり、ぜひ見てみたいものなのですが……。どこかからひょっこりでてこないものかと思っております。

最後にやはり『朝日新聞』さん、4月15日(水)付の読者投稿川柳欄。
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お題が「智恵」ということで、入選句の七句が掲載されました。秀逸句的な作が「智恵子なら戦地に空は無いといふ」。選評では「「智恵子抄」の類句多」だそうで、「ほんとの空」に関し、それなりに人口に膾炙しているのだなと嬉しくなりました。ただ、内容が内容だけに手放しで喜ぶのも不謹慎かとは存じますが。

これを読んで想起させられたのが、俳人・秋元不死夫の句「鳥わたるこきこきこきと罐切れば」。戦後間もない昭和21年(1946)の作で、まだ回復しない食糧事情の中、入手した貴重な缶詰めを缶切りで開ける様子。そしてふと見上げた空には渡り鳥、という情景です。

この句に関しては貴重な缶詰めとか、「こきこきこき」のオノマトペとかに着目した評が為されることがほとんどですが、やはり季語である「鳥わたる」を中心に据えれば、戦争が終わり、空を飛んでいるのは爆撃機でも戦闘機でもなく渡り鳥だ、平和な世になったんだなぁ、という実感が見てとれるような気がします。

ちなみに秋元は戦時中、新興俳句の同人誌、その作者らが治安維持法に基づいて大量検挙された「京大俳句事件」で2年間投獄されました。戦後、自由の身となったというのもこの句の背景にあるのでしょう。

つくづくこういう句が詠まれる世に戻してはならないと思うのですが、国会審議を経ない閣議決定とやらでなし崩し的に武器輸出が容認されるとのこと。我々の納めた税金が人殺しのための武器に使われる、日本製の無人ドローンなどで戦地の「ほんとの空」が覆われるなど、あってはならないことだと思うのですが……。

しかしおよそ一般教養や常識に欠ける幼稚なネトウヨなどには「「智恵子なら戦地に空は無いといふ」の句も、何を言ってるのかさっぱりわからないのでしょうね。嘆かわしいものですが、そういう輩が多数派とならないようにしていきたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)29 『世界美術全集 第25巻 日本Ⅳ』 

昭和26年(1951)11月30日 平凡社 下中弥三郎編
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目次
 近代日本の成立と発達 
 明治、大正、昭和の建築
 明治、大正、昭和の彫刻
 明治、大正、昭和の日本画(版画を含む)
 明治前期の西洋画
 印象主義以後
 明治、大正、昭和の工芸
 図版 原色版 一七図 グラビア版 一二八図 本文挿図 二七六図
 図版解説
 年表
 参考書目録
 挿図目録
 図版目録

光太郎執筆箇所は「図版解説」中の「17 老夫 長沼守敬」「18 老猿 高村光雲」「21 銀盤(柳敬助像) 荻原守衛」「23 北條虎吉肖像 荻原守衛」。

大先輩の長沼や亡父光雲はともかく、早世さえしなければ共に手を取り合って日本彫刻界をリードしていくはずだった親友の荻原守衛の作を解説というあたり、光太郎にとっては特別な感慨があったのではないでしょうか。

まず毎月ご紹介しています、光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動。

毎月15日には光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。やつかの森さんがメニュー考案に携わられています。

今月分がこちら。
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品目は「チキンとウインナーのソテー」「焼き鮭」「ポテトサラダ」「ほうれんそうのおひたし」「紫芋の甘煮」「椎茸の含め煮」「ばっけ味噌の焼きおにぎり」「よもぎ入りパンケーキ小豆添え」「漬物」。

「ばっけ」は光太郎がことのほか好んだふきのとうです。味噌と合わせて焼きおにぎりにトッピング、香ばしそうですね。

道の駅内での店頭販売は毎月10食限定ですが、今月は事前に別途20食の注文があったそうで、喜ばしい限りです。

同じくやつかの森さんがこちらは調理まで担当する「こうたろうカフェ」。市内のワンデイシェフの大食堂さんで概ね月末にやつかさんが出店しています(ワンデイシェフの名の通り、さまざまな団体、個人がキッチンを借りて出店する方式のお店です)。

今月は28日(火)の予定で、既にメニューが告知されています。「食の匠のバクロウおこわ」「コロコロチーズ入りミートローフ」「マカロニサラダ」「エッグボート」「クルミとゴボウの甘辛煮」「タラボの胡麻和え」「赤魚のお吸い物」「クレープシュゼットのオレンジバター」「コーヒー」だそうです。

「食の匠のバクロウおこわ」とあるのは、令和6年度の「岩手県 食の匠」に認定された、やつかの森さんのメンバー・新渕和子さんが得意とする「ばくろう茸」を使用して作ったもの。花巻では正月などに振舞われるごちそうだとのこと。

「光太郎ランチ」「こうたろうカフェ」、いずれも基本的に光太郎が実際に自炊していたメニューや使った食材を参考に現代風アレンジを加えたもの。いずれも永く続いてほしい取り組みです。

もう1件、花巻市の『広報はなまき』4月15日号から。月2回発行の同誌は15日発行分に「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載が為されており、市の施設などに所蔵されている逸品の数々が紹介されています。光太郎に関しても時折取り上げられ、今号も。

3月いっぱいまで花巻高村光太郎記念館さんで開催されていた企画展「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の流れで、光太郎が題字を揮毫した文圃堂版『宮沢賢治全集』が紹介されています。

高村光太郎の題字 宮沢賢治全集

 宮沢賢治の作品は、今や全集はもとよりそれぞれの作品や絵本、作品の評論や関連の随筆、研究など、数多くの出版物が発刊されています。しかし、宮沢賢治の作品を広く知らしめることに高村光太郎が大きく関わっていたことはあまり知られていません。
 宮沢賢治は、大正十五(一九二六)年上京した際に、高村光太郎に会いに行っています。その頃、高村光太郎は既に著名な作家でしたが、宮沢賢治はまだ無名でした。
 賢治は昭和八(一九三三)年に若くして亡くなります。賢治を高く評価していた光太郎はとても残念がり、賢治の作品を世に出すべく、詩人の草野心平らとともに作品の出版に取り組みます。幸い賢治の弟の宮沢清六が、兄賢治の思いを受け、数多くの原稿を保管していたため、賢治が亡くなった翌年には全集を発刊する動きとなりました。ただし、宮沢賢治を知る人がまだ少ない中、初めての全集はすべての作品を収録したものではありませんでした。
 昭和九(一九三四)年に文圃堂書店(東京)から発刊された最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています。
問い合わせ 高村光太郎記念館 ☎28-3012  
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「最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています」とありますが、正確にはその後に出た三種類の全集(日本読書購買利用組合『宮沢賢治文庫』を含む)でも、装幀、題字揮毫を手がけています。

『広報はなまき』のこの項、自筆ものが紹介されることはしばしばありましたが、出版物(それも近代の)が扱われたのは珍しいことです。それでも稀覯本や文学史上のエポックメーキング的なものはやはり文化財的な扱いが成されてしかるべきだな、と改めて思いました。

今後もこういったものの紹介をして頂きたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)24 『現代詩講座 2 詩の技法』 

昭和25年(1950)5月30日 創元社 村野四郎他著
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目次
 1 現代詩の構成 村野四郎  現代詩のレトリック 丸山薫
   現代詩の韻律 神保光太郎 現代詩のボキャブラリー 野田宇太郎
   現代詩のイデエ 吉田一穂
 2 日本詩の詩型について 日夏耿之介  西洋の詩に於ける定型詩について 鈴木信太郎
 3 現代詩のイマアジュとその表現 安西冬衛   詩語としての日本語 釈迢空
   現代詩に於ける「俳句」と「短歌」 三好達治   個性と表現 草野心平
 4 抒情詩 伊藤信吉   自由詩 北園克衛   散文詩 神西清
   定型詩 中村真一郎
 5 私の詩作について 高村光太郎   私の詩作について 金子光晴
   私の詩作について 草野心平    私の詩作について 中野重治
   私の詩作について 西脇順三郎   私の詩作について 三好達治
   私の詩作について 釈迢空
 6 歌のための詩 野上彰   歌謡曲の作詩法 佐伯孝夫

戦後5年が経ち、内容的にも戦争の影は無くなって、平和な時代となったのだなという感じです。

光太郎を筆頭に7人が書いている「5」の章は目次だと全て「私の詩作について」と題されていますが、本文ではそれぞれに別個の題が付いており、光太郎の稿は「詩について語らず(編集子への手紙)」。

光太郎の詩論としてなかなかに興味深いものです。

 詩の講座のために詩について書いてくれといふかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないやうな心的状態にあるので書かずに居たところ、編集子の一人が膝づめ談判に来られていささか閉口、なほも固辞したものの、結局その書けないといういはれを書くやうにといはれてやむなく筆をとります。
 ところが、書けないといういはれを書かうとするとこれが又なかなか書けません。なぜ書けないかがはつきり分るくらゐなら、当然それは書けるわけであり、本当はただいはれ知らずに書けないのだといふ外はないのでせう。
 詩は書いてゐながら、詩そのものについて語ることが今どうしても出来ないのです。どうしてでせう。以前には断片的ながら詩について書いたこともありましたが、詩についてだんだんいろいろの問題が心の中につみ重なり、複雑になり、却て何も分らなくなつてしまつた状態です。今頃になつてますます暗中摸索といふ有様なのです。
 元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積のエネルギー放出に外ならず、実はそれが果して人のいふ詩と同じものであるかどうかさへ今では自己に向つて確言出来ないとも思へる時があります。明治以来の日本に於ける詩の通念といふものを私は殆ど踏みにじつて来たといへます。従つて、藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。詩といふ言葉から味はれるあの一種の特別な気圧層を私は無視してゐます。私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を言語造型によつて放電せざるを得ない衝動をうけるのです。このものは彫刻絵画の本質とは全く違つた方向の本質を持つてゐて、現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だらうと考へますが、不幸にして私は音楽の世界を寸毫も自分のものにしてゐないので、これはどうすることも出来ず、やむなく言語による発散放出に一切をかけてゐる次第です。実は言語の持つ意味が邪魔になつて、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思ふのです。言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考へるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によつて放電作用を行ふといふわけです。それからさきの方法と技術と、その結果としての形式と、その発源としての感覚領域とについては今なほいろいろと研鑽中の始末で、これが又、日本語といふ特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので、なかなか生半可な考へ方に落ちつくわけにゆきません。ともかく私は今いはゆる刀刃上をゆく者の境地にゐて自分だけの詩を体当り的に書いてゐますが、その方式については全く暗中摸索といふ外ありません。いつになつたらはつきりした所謂詩学(ポエテイク)が持てるか、そしてそれを原則的の意味で人に語り得るか、正直のところ分りません。私は以上のやうな者であり、又以上のやうな場に居ます。これで今私が詩について書けないといふいはれを書いたことになるでせうか。ともかくもこの通りです。

色を変えた部分あたりは多くの研究書等で引用される箇所です。

齢68歳、もはや晩年の光太郎にしてまだきちんと方法論を掴めていない、と、これは謙遜でも何でもなく、まさにそのとおりだったのでしょう。あくまで己の本業は彫刻だ、という意識がその裏にあるのでしょうが。

毎年恒例、5月20日(水)の智恵子誕生日に合わせ、さまざまなコンテンツでそれを盛り上げる智恵子生誕祭が、智恵子の故郷・福島二本松で開催されます。

高村智恵子生誕祭

期 日 : 2026年4月23日(木)~5月24日(日)
会 場 : 智恵子生家/智恵子記念館 福島県二本松市油井字漆原町36
時 間 : 9:00~16:00
休 館 : 期間中無休
料 金 : 大人(高校生以上)410円(360円)
      子供(小・中学生)210円(150円) (  )内団体料金
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本市(旧安達町)出身の芸術家・高村智恵子の生誕日である5月20日にかけて、令和8年度春季自主事業「高村智恵子生誕祭」を開催します。また、今年は智恵子生誕140年を迎えることから、記念特別企画も実施しますので、この機会にぜひご来館ください。

実施企画

智恵子の生家 2階特別公開
通常公開していない「智恵子の居室」を下記の日程で特別公開します。また、2階にて『智恵子自作の小物入れ』も展示します。
公開日:4月23日(木)~5月24日(日)までの間の土・日・祝日及び5月20日(水)
公開時間:午前9時00分~午後4時00分

智恵子の「紙絵」の実物展示
奇跡といわれる「紙絵」の実物展示をおこないます。
展示期間:4月23日(木)~5月10日(日)
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 ~智恵子生誕140年記念特別企画~ 復活!長沼酒造『花霞』ふるまい
智恵子生誕140年を記念し、生家に清酒『花霞』が復活!数量限定でふるまいを行います。
実施日:5月9日(土)、10日(日)、19日(火)、20日(水)の4日間
実施時間:午前10時00分~午後4時00分
 ※運転される方、20歳未満の方の飲酒は固く禁止します。
  なお、お酒以外の物販もありますのでぜひお楽しみください。
【協力】大天狗酒造株式会社
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上川崎和紙で作る「智恵子の紙絵体験」
上川崎和紙を使用し、智恵子の紙絵をモチーフにしたグッズを作成できます。また、ちょっとした喫茶スペースとお土産コーナーも併設します。
開催日:5月16日(土)、17日(日)、23日(土)、24日(日)の4日間 
【協力】二本松市和紙伝承館
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智恵子とおそろい!?ハートの小物入れを作ろう
生家2階公開時に展示する『智恵子自作の小物入れ』風ハートの小物入れを作ってみませんか。
実施期間:4月23日(木)~5月24日(日) 
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昨年は生誕祭期間中に、当会プロデュースのコンサート「音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた」を智恵子生家一階座敷で開催しました。筝曲及びテルミンの演奏に乗せた、詩集『智恵子抄』の朗読公演で、荒井真澄さん(朗読)、大西ようこさん(テルミン)、元井美智子さん(箏曲)のトリオによるものでした。

今年の生誕祭ではその手の企画がありませんが、同じお三方による公演を秋の「レモン祭」期間中の11月8日(日)にやはり智恵子生家一階座敷で予定しています。ちなみにその前後、同じく「レモン祭」に合わせてにほんまつ城報館さんで光太郎智恵子展的な企画展も開催されます。10月17日(土)には関連行事としての当方の講演も。まだ先の話ですが。

また、民間の「智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会」さんでは、5月17日(日)に二本松市交流センターさんでシャンソン系歌手のモンデンモモさんによる「智恵子抄」コンサートを企画されています。同日には智恵子ゆかりの地を巡ったり、オープンマイク的に参加者に「智恵子抄」詩篇を朗読してもらったりする企画「智恵子を偲ぶ鎮魂の集い」が予定されています。のちほどまた詳細をご紹介します。

今年は光太郎没後70年であると同時に、智恵子生誕140年にも当たります。『広報にほんまつ』今月号では、生誕祭と共にそちらの紹介も。
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「智恵子生誕140年記念ロゴマーク」も制定されました。
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智恵子の紙絵ふう、だそうで。「ほんとの空」をイメージしたであろう空色の四角が直線の正方形になっていないあたりもこだわりがあるようです。

というわけで、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)23 『天平彫刻』 小山美術新書1

昭和23年(1948)9月25日 小山書店 児島喜久雄編者代表
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目次
 天平彫刻について 上野直昭
 天平時代の仏像に対する断片的考察 木下杢太郎
 天平彫刻の技法について 高村光太郎
 天平彫刻私観 平櫛田中
 天平彫刻雑感 安田靱彦
 素材より見たる奈良彫刻の特性 野間清六
 天平仏像の構造法 新納忠之介
 奈良時代の鋳もの 香取秀真
 東大寺建立と天平の仏像 筒井英俊
 戒壇院四天王像に見る「格」に就て 丸尾彰三郎
 天平時代の彫刻と万葉集との関係 久松潜一
 天平の肖像彫刻 小林剛
 天平彫刻と写真 大口理夫
 天平彫刻と様式問題 児島喜久雄
 須菩提 廣津和郎
 新薬師寺本尊に関する問題 田中倉琅子
 図版解説
 図版目次
  原色版 三月堂 梵天帝釈天(安田靱彦氏画 明治四十一年写生)
  写真版 
   第一図 東大寺三月堂 不空羂索観音像(入江泰吉氏撮影)
   第二図 東大寺三月堂 月光菩薩像(入江泰吉氏撮影)
   第三図 東大寺三月堂 日光菩薩像(松山志郎氏撮影)
   第四図 東大寺三月堂 吉祥天像(入江泰吉氏撮影)
   第五図 東大寺三月堂 執金剛神像(入江泰吉氏撮影)
   第六図 東大寺戒壇院 持国天像(松山志郎氏撮影)
   第七図 東大寺戒壇院 廣目天像(松山志郎氏撮影)
   第八図 興福寺 須菩提像(松岡光彦氏撮影)
   第九図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像(入江泰吉氏撮影)
   第十図 唐招提寺衆宝王菩薩像(奈良博物館撮影)
   第十一図 聖林寺 十一面観音菩薩像(米田大三郎氏撮影)
   第十二図 東大寺三月堂 不空羂索観音宝冠化仏(松山志郎氏撮影)
   第十三図 東大寺大仏殿前 銅造燈籠扉音声菩薩(入江泰吉氏撮影)
   第十四図 薬師寺金堂 三尊像(佐藤辰三氏撮影)
   第十五図 新薬師寺伐折羅大将像(入江泰吉氏撮影)

製本所が空襲されたため、店頭に並ぶ前にほとんどが焼失してしまった昭和19年(1944)の初版を戦後になって復刊したものです。本文の紙型は初版と同一ですが、写真図版はかなりの異同があります。

東日本大震災から15年ということで、今年は例年に較べ、3.11が過ぎても震災がらみの報道等が多いように感じています。記憶の風化を防ぐためにも重要なことですね

震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町の「いのちの石碑」。避難の際の目印となるようにと、津波到達地点より高い場所、全21箇所に設置されたランドマークです。平成25年(2013)から当時の中学生たちが、同じ女川町の、あの日津波に呑まれて亡くなった貝(佐々木)廣氏が中心となって建てられた光太郎文学碑を参考に、「100円募金」で建てました。いわば光太郎文学碑の精神を受け継ぐプロジェクトです。最後の21基めの完成が令和3年(2021)でした。

そちらにも関わる内容で、MMTミヤギテレビさん制作のニュース映像。

「自分も力になりたい」震災後 人口減少進むふるさとに戻った『27歳』、津波で失った家業再建した家族のもとに…・宮城

 人口減少が進む宮城・女川町に、1人の男性が戻ってきました。津波で失った家業を再建した家族のもとで、ふるさとを支えていきます。
 3月末。女川町の高台にあるビジネスホテル「ステイイン鈴家」。木のぬくもりが感じられる食堂でひとり、夕食会場の準備をするのは鈴木元哉さん(27)。
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 元哉さん「きょうは60人以上ですね、66人とか」
 2025年の夏。元哉さんは経営する両親の後を継ぐため、地元へと戻りました。
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 東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた女川町。800人あまりが、犠牲となりました。
 当時、元哉さんの両親は、町の中心部で祖父の代から続く旅館を営んでいました。
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  元哉さん「(Q震災前が?)こういうやつ(写真)ですね。旅館で、町の真ん中のところで旅館やってました。だいぶ中心部で、一番大きい建物がマリンパル女川ってところだったんですけど、そこの裏にあった建物だったので」
 自宅兼店舗だった旅館は、津波にのまれました。目先の生活もままならない避難生活、それでも両親は地元・女川で商売を続けるため、震災から3年後の2014年、海を見渡す高台に現在のホテルをオープンしました。
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 元哉さんは、震災当時 小学校の卒業間近。母や弟・妹と高台の病院に逃げ、津波を目の当たりにしました。

 中学に入学して同級生とともに行ったのは、津波が到達した地点より高い場所に避難の目印を建てる『いのちの石碑』プロジェクトです。
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 “1000年後の命を守る”――中学1年生からアイディアを出し合い、修学旅行で行った東京でも募金活動も行いました。女川町に21あるすべての浜に石碑を建て、防災の教科書制作にも取り組みました。
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 元哉さん(2016年当時)
「思いを一つ一つ教科書を通してより多くの人に伝えられたらなと思い、もっと内容を深くして多くの人に伝えていきたい」
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 高校卒業後は、仙台の大学へ。就職先に選んだのは、東京の企業でした。
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 元哉さん「いずれ戻ってもいいかなと思ってたんですけど、(両親に)頼るのも嫌なので、今後伸びる業界で、確実に手に職がつくところって選んで東京のITの会社に新卒で入った」

 就職して4年。今の環境を変えたいと、考えていた時です。両親から「女川に戻ってこないか」と打診され、故郷に戻ることを決めました。
 元哉さん「他の田舎にいくとか、他の土地で働くってのも全然あったんですけど、戻るならやっぱり女川がいいなって思って」
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 ビジネス利用での長期滞在や団体客が多い「ステイイン鈴家」。料理を担当するのは父・哲也さんです。
 父・哲也さん「まだ包丁持ってまもないので。 やれることって限られるから、 補助役」
 普段の料理と、お客さんに出す料理は別物。父の背中を見ながら、一つ一つ仕事を覚えるため“修行”の毎日です。 30合のコメを炊くのも元哉さんの仕事。
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 元哉さん「だいぶ一苦労です。間違えちゃうと、30合無駄になっちゃうので。何回かそういうミスしてるんで、 ヒヤヒヤしながらおコメ研いでます。って忘れちゃったので(やり直し…笑う)」

 震災前 1万人以上いた女川町の人口は5600人ほどにまで減少しました。家族も、元哉さんの決断を喜んでいます。
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 母・由美子さん「これから大変だなと実感してたんですけど、心から本当によく帰ってきてくれたなっていう感謝の気持ちでいっぱいですね。震災後、人口もすごい流出してて、 若者の流出が止まらないってこともありましたので、 これから先 女川町とか町全体として力入れていかないと」
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 生まれ育った大切な故郷が、これからもっと元気になるように――。
 元哉さん「大人になってから戻ってきて、 全然見方が変わっていて、学生だった頃わからなかった大人の頑張りとか、 裏でこういうことやってたんだっていうのがひしひしと伝わったので、自分もその力になりたいというか。20~30年は頑張って働きたいなと思ってますし、もしまかせてくれるようなものやことがあれば力になりたいなと思ってます」

鈴木元哉さん。これまでも「いのちの石碑」の何基目が今度はどこどこに建った的な報道の際に何度かご登場。下記は平成30年(2018)のローカルニュースから。
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鈴家さんの息子さんとは存じませんでした。鈴家さんには平成27年(2015)の女川光太郎祭の折に2泊させていただきました。

それから、今回のニュースで、震災前は町中心部でマリンパル女川さんの裏手にあったとあり、さらに当時の画像を見て驚きました。
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光太郎文学碑が女川に出来て間もない平成の初め頃、それを見に初めて女川に行った際に泊めていただいたのもおそらくこちらでした。屋号まで記憶にありませんでしたが、画像を見て思い出しました。予約もせず飛び込みでしたが、快く泊めて下さったのを覚えています。

その鈴家さんの息子さんだったか……と、感慨深い次第です。

いわゆるUターン。人それぞれに個別の事情や考えがあるので、闇雲に推奨するというわけではありませんが、東京一極集中や地方の過疎化への対策として、悪いことではありません。当方も一応Uターン組ですし、息子は鉄砲玉のように各地を転々としていますが、娘はUターンで帰ってきています。

「地方創生」という言葉、最近はあまり聞かれなくなりました。大事なことだと思うのですが……。もっとも、地方だ都会だと云う前に、この国そのものが存立危機事態、国難ではどうにもなりません。わざわざそうしようとしているとしか思えない輩の跳梁跋扈が非常に気になる昨今ですが……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)20 『名品手帖 日本美術論集』 

昭和19年(1944)8月15日 創芸社 大口理夫編
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目次
 一 夢殿観音菩薩像に就て 菅原安男  
二 十大弟子 高村光太郎
 三 観心寺秘仏 白畑よし       四 鳳凰堂に於ける建築意匠 大岡實
 五 青不動画 亀田孜         六 隆能源氏を模写して 縣治朗
 七 吉野水分の女神 丸尾彰三郎    八 駿牛図巻に就いて 森暢
 九 西芳寺の庭 田中倉琅子      一〇 伝周文筆山水図屏風に就て 谷信一
 一一 雪舟画山水論試稿 熊谷宣夫   一二 等伯の松林図屏風 土居次義
 一三 光琳燕子花図屏風 大口理夫   一四 大雅小懐録 龍村謙
 一五 陶磁三名工 豊田次郎坊主人
 図版目次
 一-二 夢殿観音像 奈良 法隆寺蔵  三-六 十大弟子像 奈良 興福寺蔵
 七-九 如意輪観音像 大阪 観心寺蔵 一〇 同像台座連弁 大阪 観心寺蔵
 一一-一五 鳳凰堂 京都 平等院所在 一六 鳳凰堂阿弥陀如来像 京都 平等院蔵
 一七 鳳凰堂天蓋 京都 平等院蔵   一八-一九 青不動像 京都 青蓮院蔵
 二〇-二二 源氏物語絵詞 東京 尾張徳川黎明会蔵
 二三-二四 玉依姫命像 奈良吉野水分神社蔵
 二五 駿牛図残闕 男爵 益田太郎氏蔵   同 帝室博物館蔵
 二六 駿牛図残闕 東京 田中親美氏蔵   同 東京 瀬津伊之助氏蔵
 二七 西芳寺庭園          
 二八 湘南亭 京都 西芳寺所在
 二九-三〇 伝周文筆山水図屏風 侯爵 前田利建氏蔵
 三一-三二 伝周文筆山水図屏風 神奈川 原壽枝子氏蔵
 三三 雪舟筆慈照院伝来山水図(部分) 帝室博物館蔵
 三四-三五 雪舟筆曼珠院伝来山水図 帝室博物館蔵
 三六 雪舟筆天橋立図 侯爵 山内豊景氏蔵
 三七-三九 等伯筆松林図屏風 子爵 福岡孝紹氏蔵
 四〇-四二 光琳筆燕子花図屏風 東京 根津美術館蔵
 四三-五六 十便十宜画冊 山口 桝谷晴弘氏蔵
 五七-五八 木米作呉須山水絵煎茶碗 岡山 小野久彦氏蔵
 五九 道八作赤絵赤壁賦水注 岡山 小野久彦氏蔵
 六〇 保全作旭薄螳螂図茶碗 帝室博物館蔵

敗戦のちょうど一年前に刊行された美術評論集です。

本邦美術名品の紹介ですが、西洋美術を一切排するあたり、大和民族の優秀性を喧伝し、国民の一致団結、戦意高揚を図り、そして国威発揚といった意図が透けて見えます。

今日も2件、ご紹介します。

まず4月1日(水)付け『毎日新聞』さん。

山田詠美さん(作家) 女流という「鬼」書く使命 『三頭の蝶の道』 先輩作家らの生、小説に003

 女流。昭和のある時期まで女性作家たちはそう呼ばれた。侮蔑的な意味もあり、今や文壇では死語となった。だが「女流と呼ばれていた時代の人たちが切磋琢磨(せっさたくま)しながら小説を書いてきた事実をなかったことにはできない」と作家の山田詠美さんは言う。
 デビュー40周年の節目に発表された新刊『三頭の蝶(ちょう)の道』(河出書房新社)で描くのは、女流という呼び名をプライドに変え、小説を編んだ女たちの物語だ。
 同時代に活躍した女性作家3人をめぐる群像劇。3章構成の各章は、それぞれの死にまつわる場面から始まり、編集者や親交のあった作家、親族らの回想から、彼女たちの生きた時間がひもとかれる。山田さんと交流のあった河野多恵子さんや瀬戸内寂聴さん、大庭みな子さんらを思わせる人物が登場するが、物語はあくまでフィクションの形をとる。
  3人の大作家は互いに<愛に近い敬意、そして嫉妬に近い憎しみ>を募らせつつ、ひたすら自分の文学世界を追求した。「性別なんか関係なく、文学を愛してきたんだっていうところは強調したかった」。その姿は、男も女も超えた「文学の鬼」だ。 <作家は、脳内で人を殺せてこそ、花。そう思わない?> 登場人物の一人、河合理智子の言葉にはすごみがある。
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 山田さんが作家デビューしたのは、男女雇用機会均等法が成立した1985年。26歳の時に書いた『ベッドタイムアイズ』で、河野さんらが選考委員を務める文芸賞を受賞したのがきっかけだった。芥川賞・直木賞初の女性選考委員として河野さんや田辺聖子さんらが就任した87年には、『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞を受賞。時代の変化を肌で味わってきた。
  「女流の名をものともせず、自分が人間であることを文学で証明していくような人たちの姿を、私は末席で見続けた最後の世代」と自認する。ある日、若い女性作家が女流という言葉に吐き気がすると書いた文章を読み、違和感を覚えた。「『女流』たちがいたから、あなたたちが自由にものを書ける世界が広がったのではないか」と。 その名に誇りと無念さを抱きながら、今に続く道をならしてきた「女流」。彼女たちのことを小説に残すのは私しかいない。そんな「使命感」が本作に向かわせた。
 執筆の際、「先輩たちのことを思い浮かべるだけで広がるものがあった。何しろ存在そのものがドラマチックな人が多かったから」と振り返る。
 瀬戸内さんは最晩年、自身と河野さん、大庭さんのことを小説『いのち』(2017年)に書いたが、「同じ相手と付き合っていても人によって見え方は違う。私が見たものはそうではない、というところも意識しました」と話す。
 タイト15年、亡くなる約3週間前に病院へ見舞いに行った時のこと。「飛んでいる蝶を見て『あ、蝶が2匹』と言ったら、『蝶は1頭2頭と数えるの』と教えてくれました。その時、いつかこのことを書く時が来るって思ったんです。河野さんとのお別れは近いと感じていたから、ちょっとセンチメンタルにもなっていたのね」
 人間には見えないとされる、蝶だけの道のイメージと、自らの文学に身をささげた「女流」作家の生が重なり、物語が動き始めた。
 戦前、女の書く小説は主流ではないとみなされた時代に、女性作家たちは「日本女流文学者会」を立ち上げた。男性に名付けられるのではなく、自ら「女流」と名乗ることで自分たちの文学を肯定したのだ。<差別語を逆手に取って、自分たちの存在を主張するのは、言葉による決起ね>と理智子は言う。
 そうやって奮起し、闘ってきた女たちの歴史をこそ書き留めたかった。
 「女流という言葉は差別用語だから使うのはいけない、と言うのは簡単です。その中にあるさまざまな事情を書くのが小説であり、世の中が言っている事や『正しさ』みたいなものに小説はくみしない」
 小説家は、全員で何かを糾弾するところから「一人抜けて書く」ことを常に意識すべきだと考える。「数が多いと自分が強くなった気になるけど、それじゃダメ。弱いところにいて書かないと」. 敬愛する先輩たちも「女流」の旗の下にただ集まったのではない。文学に魅入られた一人一人が自分だけの言葉があると確信し、探し求めていた。「それらがだんだんと絡み合い、生まれてきた熱いもの」が時代を切り開いてきた。本作はその「熱い」年月を、山田さんだけの目と、耳と、感覚で捉えた一冊だ。 後ろの道しか見えない. 作家の道を歩み続けて40年 これからを問うと「私ね、高村光太郎(の『道程』)じゃないけど、後ろの道しか見えない」と返ってきた。「あした死ぬかもしれないっていつも思っていて、そうすると昨日までのことが重要に思えてくる」。いくつもの足跡が残る「昨日」が小説を形作るものになっていく。 「一つの小説を書き終えて、さあどうしようと考えていると、体の中に埋め込まれた記憶の引き出しが開くの。それでまた、ああそうだ、私まだまだこれを書かないと死ねないわって思うんです」

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)はほんの刺身のツマ以下ですが(笑)。

本題は「女流」の語。現代の文壇では死語となったそうですが、確かにかつてはあたりまえのように使われていました。「女流文学」と大きな括りの場合もあれば、ジャンルごとに「女流作家」「女流詩人」「女流歌人」などとも。

女性と男性とでは、やはり物の見方、考え方、その他いろいろな相違は確かにあるのでしょう。しかしそれが生来のものである部分と、社会から「推奨」乃至は「強制」されたものである部分とがあるような気がします。そうした「推奨」乃至は「強制」に抗ってきた人々の歴史があってこそ文壇で「女流」の語が死語となったのだ、と、いうわけで。

山田氏の『三頭の蝶の道』、登場人物のモデルは河野多恵子、瀬戸内寂聴、大庭みな子を彷彿とさせられるそうですが、大正末から昭和一桁の生まれの人々ですね。さらに遡れば、この人々と交流があったり、影響を及ぼしたりした一世代前の「女流」として、光太郎智恵子とも交流の深かった与謝野晶子や平塚らいてうなどが浮かびますし、そこまで有名でなくても智恵子の親友で瀬戸内寂聴が評伝的小説を書いた田村俊子もいます。もっと遡れば樋口一葉などに近代としての源流があるのでしょう。山田氏曰く「女流の名をものともせず、自分が人間であることを文学で証明していくような人たち」。

ところで、文壇で「女流」の語が使われなくなったとはいえ、未だに「女性ならではの……」「女性特有の……」などといった形容は生き残っているような気はします。「男性ならでは……」「男性特有……」とは言いませんね。また、文学に限りませんが「女子力」というのも考えてみれば不思議な言葉ですね。

ちなみに現代、「女流」の語が現役で残っているのは囲碁・将棋の世界。囲碁の世界はよく存じませんが、将棋だと男女の別を撤廃し女流にもプロ編入に門戸を開いているようですが、現実にそれに挑戦する例は少なく、また、それで勝ち抜いた女流棋士はまだいないようです。今後の活躍に期待します。

さて、もう1件。4月7日(火)付けの『福島民報』さん一面コラム。

あぶくま抄 継承の旅路

震災と原発事故から、ちょうど2カ月後。沈んだ「ほんとの空」を、一機の自衛隊ヘリが横切った。計画的避難区域に指定された飯舘村と川俣町の上空に差しかかった時だった。「あそこがそうですね」▼声の主は、被災地訪問から帰路に就かれた今の上皇ご夫妻。言葉から、うかがえる。お二人がどれだけ「ふくしま」に心を寄せ、事前に状況を把握されていたか。県民とともに歩むご意思は、天皇、皇后両陛下に受け継がれた。即位後初めて浜通り入りされた。住民と温かく語らい、いばらの歩みに理解を深めている▼思いはさらに、世代を超えてつながれる。両陛下のご意向で長女愛子さまが同行されている。4年前、成年に当たっての記者会見。「苦難の道を歩む方々に思いを寄せ続けることも大切にしたい」と語った。はにかむ表情は待ちわびた春の陽光のよう。15年間固く張り詰めた心の氷を優しく、静かに解かす。今、清らかな風が舞う▼愛子さまのお名前の由来は、孟子の「人を愛するものは、他人も常にその人を愛す」。誰かを愛する人の輪が幾重にも、ほんとの空を覆ってくれたら。おじいさまと、おばあさまも、きっとそう願っておいでだ。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を繰り返して下さいました。ありがたし。「誰かを愛する人の輪が幾重にも、ほんとの空を覆ってくれたら」、そのとおりですね。

現実には真逆に「国論を二分する」とか何とか、わざわざ分断を煽ろうとする女性がなぜかもてはやされている現状で、実に頭の痛いところですし、その女性は何の権限があってか愛子さまをないがしろにしようとしているようですが……。

ところで東日本大震災、それに伴う原発事故から15年。明日はその関連で。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)19 『佐藤惣之助覚え帖』 

昭和18年(1943)8月25日 桜井書店 潮田武雄編
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目次
 大正型の詩人 河合酔茗     
 追弔三句 北原白秋
 詩魔佐藤惣之助氏 高村光太郎   佐藤惣之助君を憶ふ 川路柳虹
 ばら 室生犀星          佐藤惣之助君を想ふ 千家元麿
 佐藤惣之助君を悼む 白鳥省吾   佐藤は生きてゐる 福田正夫
 惣之助さん 深尾須磨子      遅いお礼 井上康文
 惣之助さんと交遊 勝承夫     佐藤惣之助さん 三好達治
 想ひ出の花束 高木斐瑳雄     男には三分の非人情 笹沢美明
 佐藤惣之助氏と私 尾崎士郎    遙かな潜水夫 釈迢空
 昔の水音 荻原井泉水       佐藤君の脚本 渥美清太郎
 佐藤氏を憶ふ 保田与重郎     うまのあつた釣友達 上山草人
 畏友・佐藤さん 大村能章     四十年の友 室積徂春
 憶ひ出 野間仁根         佐藤惣之助を悼む 高田力蔵
 夢の断片・釣と旅 飯田九一    畏友佐藤惣之助を追悼す 鈴木保徳
 大魚さん 高橋心一        折本会と佐藤君 雲井隣静
 酔花佐藤を憶ふ 栗原愛塔     故佐藤惣之助君追憶 佐藤栄秀
 川崎と兄さん 加藤斧青      ある夜の佐藤氏 潮田謙三郎
 惣之助の幼い頃 佐藤うめ     夫のこと 佐藤周子
 痛哭唱 潮田武雄         回想断片 椎橋好
 惣師死別 飯倉尚         五十年の旅 塩川秀次郎
 追悼惣先生 渡辺修三       あの日あの頃 久保田彦穂
 先生の俳句 門脇英鎮       惣師のことども 伊波南哲
 告別式の日其他 清水房之丞    楡の花が散ります 古川賢一郎
 「詩の家」の頃 杉浦杜夫       北南 津喜山一穂
 五月十五日 丸山泰        思想体系のない 三ツ村繁蔵
 雲丹を送らざるの記 夢野艸一   古赤絵の味 岡田悦哉
 最初のこと最後のこと 岡田榛名  巨師の横顔 中島勝利
 先生の霊に捧ぐ 村上就徳     ひとひらの蟲と化したまひし 戸塚八重子
 パパの思ひ出 天野静子      おもひで 壺田花子
 南方的詩人 澤木隆子       消えし人 永瀬清子
 ひぐらし 方等みゆき       先生の御臨終記 小山省
 惣之助の素描 椎橋好       後記 室生犀星
 佐藤惣之助ノート

前年に亡くなった詩人の佐藤惣之助の追悼文集です。ちなみに佐藤は作詞家でもあり、代表作は阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」。逆に言うと、それ以外の部分では忘れられつつあるかな、という感じです。

光太郎は佐藤が主宰した詩誌『詩之家』にたびたび寄稿、さらにその題字も書いています。また、それより以前にやはり佐藤主宰の『テラコツタ』『嵐』などにも寄稿しているようなのですが、それらがかなり稀覯の部類に入るようで、いまだに確認出来ていません。情報をお持ちの方、ご教示頂ければ幸いです。

智恵子のふるさと、福島二本松からの情報。

まず市の広報誌『広報にほんまつ』今月号。同市は令和元年(2019)に「全国さくらシンポジウム」会場となり、それ以来その際のキャッチコピーで光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空にさくら舞う」を、毎年の4月号に転用し、市内の桜の名所を紹介しています。
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そして桜がらみの各種情報。その中で、智恵子の生家などを巡る周遊バス「二本松春さがし号」についても。

その件で、地方紙『福島民報』さん記事。

二本松市街地の桜楽しんで 観光協企画の循環バス運行

 福島県二本松市市街地の桜を楽しむ循環臨時バス「二本松春さがし号」は6日、運行を始めた。15日まで毎日6便が走る。
 にほんまつ観光協会の企画。JR二本松駅発着で、智恵子の生家、霞ケ城公園、大隣寺などを巡る。割安な1日フリー乗車券は中学生以上500円、小学生250円。
 初日にJR二本松駅前で出発式を行い、塩田英勝にほんまつ観光協会事務局長、鈴木友和福島交通二本松営業所長がテープカットした。
 問い合わせは同営業所 電話0243(23)0123、または観光協会 電話0243(24)7702へ。
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運行されている福島交通さんサイトから。

二本松の名所旧跡を巡る「二本松春さがし号」を運行いたします。

 二本松駅前より、詩人で彫刻家である高村光太郎の妻智恵子が育んだ住まい、少年隊も眠る丹羽家の菩提寺「大隣寺」などを巡る、二本松市内を循環する “二本松春さがし号”臨時バスを運行しますので、是非ご利用ください。
【注意事項】
・道路交通状況等により遅れが発生します。列車への乗り継ぎには十分余裕をお取りください。
・混雑時のマスク着用にご協力ください。
 ご理解ご協力を重ねてお願い申し上げますとともに、皆様のご乗車をお待ちいたしております。

運 行 日   : 2026年4月6日(月)~4月15日(水)毎日運行
運賃・時刻表  : 「二本松春さがし号」ご案内(以下PDFよりご確認ください)
お問い合せ先  : 福島交通㈱二本松営業所 0243-23-0123
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1日フリー乗車券で大人でもワンコインだそうですから、実に良心的ですね。

続いて智恵子のソウルマウンテン・安達太良山情報。奥岳登山口周辺であだたら高原リゾートを展開する富士急さんのプレスリリースから。

詩人・高村光太郎の妻 智恵子 が焦がれた “ほんとの空” の下、あだたら山ロープウェイ山頂駅に絶景読書ラウンジ【あ】の図書室 4月11日 始動

 富士急グループの富士急安達太良観光株式会社(福島県二本松市、取締役社長:渡邉康治)が展開する「あだたら高原リゾート」(同市)では、あだたら山ロープウェイ山頂駅にある休憩所をリニューアルし、2026年4月11日(土)に【あ】の図書室をオープンいたします。
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 あだたら高原リゾートでは、2024年のグリーンシーズンに山頂での楽しみ方を拡充する取り組みとして、「あだたらやま」の「あ」に着目した空間演出など、自然と遊び心を感じられる体験づくりを行ってきました。山頂展望広場に設置された【あ】のオブジェも、その一環として多くの来場者に親しまれています。
 今回新たにオープンする【あ】の図書室は、文学にゆかりのあるこの地ならではの“静かな過ごし方”を提案する空間です。安達太良山は、高村光太郎の詩集『智恵子抄』に登場する「ほんとの空」の舞台として知られ、その空を焦がれた智恵子の想いが今も息づいています。雄大な自然と、四季折々に表情を変える山並みに囲まれた山頂で、本を手に取り、ゆったりとした時間をお過ごしいただけます。
 日常から少し離れた場所で、デジタルデトックスとともに味わう、すこやかなひとときをお楽しみください。

【あ】の図書室概要
■リニューアルオープン 2026年4月11日(土)
■営業時間 9:00~16:00
※ロープウェイの上り最終15:50、下り最終16:20
■利用料金 無料 ※山頂に行くロープウェイの料金が必要となります。
【ロープウェイ料金】
 大人(中学生以上)片道: 1,300円、往復2,200円
 小人(4歳~小学生)片道: 1,000円、往復1,700円
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【あ】のオブジェ
 ロープウェイ山頂広場には「あだたらやま」の「あ」をモチーフにした不思議なモニュメント【あ】のオブジェがあります。大小さまざまな「あ」が並ぶ「あ」の道の先には、高さ約180cmのモニュメントがあり、安達太良山の空と阿武隈の山並みを背景に撮影を楽しめるフォトスポットとなっています。
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「あだたら高原リゾート」施設概要
■ロープウェイからの絶景、薬師岳パノラマパークからの雄大な景色を一望
 「日本百名山」の一つに数えられる安達太良山は、標高1,700mで夏でも涼しい環境で大自然を満喫できます。あだたら山ロープウェイに乗って約10分の空中散歩を楽しんだ後、山頂駅からは阿武隈山系や福島市街地を一望。さらに、散策道を10分程歩いたところにある「薬師岳パノラマパーク」では、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と謳ったことで知られる、青く澄みきった空と絶景の大パノラマが楽しめるほか、山肌にはハートの形を発見することができ、見どころいっぱいです。
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■絶景露天風呂「あだたら山奥岳の湯」でリフレッシュ!
 標高約950mに位置する「あだたら山奥岳の湯」は、遮るもののない眺望が自慢の露天風呂です。また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。
【施設概要】
・営業日 年中無休※メンテナンス休業あり
・営業時間 10:00~19:00(最終入館18:30)
・施設内容 内湯(9㎡)、露天風呂(20㎡)※男女別
・利用料金 大人800円/小人(4才~小学生)500円
・泉質 単純酸性温泉
・適応症 神経痛・筋肉痛・関節痛・運動麻痺・慢性消化器病・冷え性・疲労回復・健康増進
     慢性皮膚病

「あだたら高原リゾート」営業概要
・営業時間 8:30~16:30
  ※日によって異なり、定休日もあります(HPをご参照下さい)
・お問い合わせ 福島県二本松市奥岳温泉 TEL:0243-24-2141
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奥岳登山口から出発するロープウェイの山頂駅に、今日「【あ】の図書室」がオープンするそうです。なぜに【あ】かというと、「だたらやま」の「あ」でもありますし、「あだたらやま」がローマ字だと「ADATARAYAMA」で、母音が全て【あ】ということに由来します。一昨年にはやはり山頂駅の外に「【あ】のオブジェ」が設置され、そちらと呼応する感じですね。

ところで「【あ】のオブジェ」、てっきり期間限定での設置だと思い込んでいまして、昨年4月に山頂駅に行った際に見逃しました。次に行く際には「【あ】の図書室」ともども拝見します。ちなみに山頂駅近くの薬師岳パノラマパークには、有名な「この上の空がほんとの空です」碑がありますので、これから行かれる方、そちらにもどうぞ。

長くなりましたがもう1件、お付き合い下さい(笑)。

やはり『福島民報』さんで、4月7日(火)掲載のコラム。

こけし

▽二本松市のチーズケーキ工房&カフェ風花が開発した新商品「ほんとの空サイダー」が人気を集めている。▽詩集・智恵子抄で詠まれた「ほんとの空」をイメージし、クチナシ由来の天然着色料で空色を表現。県産リンゴ果汁を用いた味わいが特徴。安達太良山の風景をラベルに描いた。360円(税込み)。店内のほか、道の駅安達などで販売している。▽企画担当の長田花梨さんは「温泉後の一杯に安達太良山を眺めつつ味わって」と青空のように爽やかなドリンクをPRしている。
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過日、当方も購入して参りました「チーズケーキ工房・カフェ風花&もりのこうぼう」さんの「ほんとの空サイダー」。人気を集めているそうで、「おお!」という感じでした。

実際、気になる方が多いようで、花巻からも「オンラインで手に入らんか?」と問い合わせがありましたし、過日の連翹忌の集いに持っていって光太郎智恵子関連の新刊書籍やパンフレット等と一緒に並べておいたら、参会の方から「これ、都内で手に入りませんかね?」。ちなみに持っていった一本は渡辺えりさんにさしあげました(笑)。

いろいろ調べたのですがどうも現地に行かないと無理っぽい感じです。「チーズケーキ工房・カフェ風花&もりのこうぼう」さんは岳温泉近く、それから今回の『民報』さんで、道の駅安達智恵子の里さんでも販売と知りました。智恵子生家/智恵子記念館に行った際にゲットしようと思いました。

他にも二本松・安達太良山・ほんとの空がらみのいろいろがあるのですが、他にも紹介すべき事項が山積しておりまして、また後日。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)13 『ミケランヂェロ』 

昭和16年(1941)8月20日 アトリヱ社 天田文雄編
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目次
 ミケランヂエロの彫刻作品に題す 高村光太郎
 図版
 ミケランヂエロ年譜 富永惣一
 図版目次


ミケランジェロ・ブオナローティは、ロダン同様、あるいはそれ以上に光太郎が敬愛し続けた彫刻家です。その大判の彫刻写真集です。光太郎の文章が巻頭に置かれ、序文に近い感じですが、一応、部分的執筆の項に入れました。

たまたまなのでしょうが、発行日が昭和16年(1941)8月20日。これは詩集『智恵子抄』初版、それから散文集『美について』それぞれの発行日と全く同じ日です。

この項、刊行順に紹介していますが、一昨日取り上げた『仏蘭西詩集』、昨日の『生活と文化技術』と順番が前後してしまいました。すみません。

既に始まっている展示の情報を2件。

まずは岩手から。地方紙『岩手日報』さん記事。

高村光太郎 交流の足跡 八重樫健一さん 花巻疎開80年で企画展

日報 北上市江釣子の八重樫健一さん(76)は地元の江釣子地区交流センターで、彫刻家・詩人高村光太郎の花巻疎開80年を記念した企画展を開いている。光太郎と住民の交流の様子などを伝えている。
 光太郎の作品や関連資料約150点を展示。本人と密接な関わりがあり、高村記念会事務局長などを務めた故宮森祐昭さんや疎開当時に世話人を務めた人物らの談話、さまざまな資料を八重樫さんが分かりやすくまとめた。
 光太郎を題材としたドラマの台本など、関係者から提供を受けた貴重な資料も並ぶ。関心を持ち、2年ほど前から準備してきた八重樫さんは「展示会を通した語り部として、(光太郎)先生の功績や苦楽を伝えたい。当時を知る人たちによるトークショーも開きたい」と語った。
 30日までで、午前8時半~午後5時。入場無料。


同じ件で『岩手日日』さん。

光太郎 花巻疎開80年 江釣子地区交流セ 記録、資料展示

日日 北上市江釣子の八重樫健一さん(76)は展示会「高村光太郎花巻疎開80年」を、同市の江釣子地区交流センターで開いている。彫刻家、詩人の高村光太郎(1883~1956)が花巻に疎開していた時代の記録や、地元住民との交流の記録を紹介している。30日まで。
 八重樫さんは、義理のいとこの宮森祐昭さんが疎開中の光太郎と交流を持ち、高村光太郎記念館の館長を20年務めたことなどをきっかけに研究を開始。今回の展示会は2年間の研究の成果として開催した。
 展示では、光太郎が太田村山口(現花巻市)に疎開していた7年間について解説する資料など約150点を展示。宮森さんの他、光太郎の疎開期間中に同村村長を務めていた高橋雅郎さんら光太郎を支えた地域住民についても紹介している。
 八重樫さんは「光太郎先生の花巻疎開から80年になり、当時を語れる人もわずかになった今、展示を通した語り部として先生の功績を伝えられればいいと開催した」とし「当時の人でも元気な人はいる。先生をしのぶトークショーなどの機会があれば、供養につながるのではないか」と話していた。


北上市は光太郎ゆかりの花巻市の南に位置しています。生前の光太郎と交流があり、財団法人高村記念会(現・花巻高村光太郎記念会)の事務局長を永らく務められた宮森祐昭氏の親族の方が個人的に企画したものだそうです。

どんなものが出品されているのか細かいところは不明ですが、花巻で光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCの皆さんでご覧になってくるということなので、報告を待ちたいと存じます。

続いて兵庫県。

こちらも報道というか、プレスリリースから。

【兵庫教育大学】文学を見て、触れて、嗅いで、いざ物語の世界へ飛び込もう!『ぞわる文学~五感がいざなう魅惑の世界』展を開催中!

 兵庫教育大学教材文化資料館では、2026年4月1日から8月31日まで企画展『ぞわる文学~五感がいざなう魅惑の世界』を開催中です。
 本展では、日本近代文学を中心に、梶井基次郎の『檸檬』や宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』など、五感を刺激する作品を紹介します。さらに、それら作品の一場面をそれぞれの感覚に焦点を当てて再現し、実際に香りを嗅いだり、音楽を聴いたりと「読む」だけではない、体で感じる文学体験をお楽しみいただけます。
 教科書でお馴染みの作品に加え、学校では教わらなかった妖しい作品も並びます。文豪たちの、ときに鋭く、ときに繊細な表現を、その文章のみでなく、見て、触れて、嗅いで、より物語に没入してみませんか。
 ぞわっと鳥肌が立つような、背筋がぞくりとするような、そんな魅惑の世界へご案内します。

2.主催   兵庫教育大学附属図書館 教材文化資料館
3.会期   2026年4月1日(水)から2026年8月31日(月)まで
4.開館時間 平日:8時45分から20時まで、土日祝:10時から17時まで
       ※開館日時は兵庫教育大学附属図書館に準じます。
5.会場   兵庫教育大学附属図書館内 教材文化資料館展示室
        〒673-1494 兵庫県加東市下久米942-1
                             https://www.hyogo-u.ac.jp/museum/
6.観覧料  無料
7.展示資料数 約40点

見て、嗅いで、触れて、あのワンシーンを体感しよう
 のれんをくぐった先の展示の入り口では、積み重なった画集の上に置かれたレモンが出迎えます。ここでは五感のひとつ、嗅覚に着目した展示として、梶井基次郎の『檸檬』、高村光太郎の『レモン哀歌』をとりあげます。それぞれの作品の中でレモンはどのように表現され、またどのような効果をもたらしているのでしょうか。詩や小説の一節を読みながら、その場で実際にレモンの香りを嗅いでご自身の鼻で確かめてみてください。すっぱいレモンの香りが、文学の世界へぐっと引き込んでくれます。
 また、展示室の中央には、江戸川乱歩の『人間椅子』の一節とともに、立派なアンティークチェアが置かれています。どうぞ、ご自由にお座りください。一見するとただの椅子ですが、『人間椅子』の内容に触れてから座ると、それはもうただの椅子ではないかもしれません。知ってしまったが最後、気づけば文豪が紡ぎ出す妖しくも魅惑的な世界の登場人物の一人になっていることでしょう。

懐かしの教科書作品から最新の映画化作品まで紹介
 文学作品の楽しみ方は「読む」だけにとどまりません。その文章からすこし目線を上げると、文学作品がさまざまな形で展開し、楽しみ方を広げていることが分かります。例えば、文学作品を朗読したオーディオブックは「聴く」という楽しみ方を提供しています。本展では、夏目漱石の『夢十夜-第一夜』と有島武郎の『一房の葡萄』の一節を朗読者を変え聴き比べることができます。女性か男性か、幼いか渋いかといった朗読者の声の違いは、同じ文章であっても物語の印象をどう変えるでしょうか。
 他にも、本の表紙デザインを「観て」楽しむコーナーや、学校で学んだ文学作品を振り返るコーナー、映画化作品のコーナーまで、文学作品の楽しみ方をあらゆる角度からご紹介しています。
 本を手に取って帰りたくなるような、そんな時間をお過ごしください。
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おそらく、現在も版を重ねている近代文学作品の書籍や当時ものの書籍、雑誌等を並べ、解説パネルで作品や作者について詳しく説明、そして作品からインスパイアされた現代アートのインスタレーション的な展示も為されている、と、そんな感じだと思われます。
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フライヤーでサムネイルとして取り上げられているのが集英社文庫で川端康成『伊豆の踊子』、太宰治『人間失格』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、リブレさんから出ている『江戸川乱歩傑作集3芋虫』、KADOKAWAさんの漫画『芋虫』(丸尾末広・画)、KADOKAWAホラー文庫で『芋虫江戸川乱歩ベストセレクション2』。

画像を見て、紹介されているのが確認出来る作家は、芥川龍之介、森鷗外、中原中也、夏目漱石、志賀直哉、中島敦。プレスリリースの本文中には梶井基次郎と光太郎の名も。

「ぞわる」の語の通り、妖しい感じですね(笑)。

それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)14 『仏蘭西詩集』 

昭和16年(1941)11月19日 青磁社 村上菊一郎編
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目次
 高村光太郎 午後の時 エミイル・ヹルハアラン
 小林秀雄 酩酊船 アルチュル・ランボオ
 堀辰雄 窓 ライナア・マリア・リルケ
 菱山修三 海辺の墓地 ポオル・ヴァレリイ
 三好達治 祝祷 シャルル・ボオドレエル
 堀口大学 知られぬ海 ジュウル・シュペルヴィエル其他
 村上菊一郎 ランボオ詩鈔
 山内義雄 散文詩 マルセル・プルウスト
 編纂者の言葉

後に設ける「詩華集(アンソロジー)」の項に入れようかとも迷ったのですが、光太郎の頁数も多く、とりあえず「本人著作(部分執筆)」の項に入れておきます。

その後出された各種の版が存在します。

昨日から宮城県に来ております。現在地は亘理町のファミリーロッジ旅籠屋仙台亘理店。モーターホテルタイプの宿で、3度目の利用です。
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何ゆえ宮城に来ているかと申しますと、過日の連翹忌の集いにもご参加くださり、いろいろお手伝い下さいました声優・朗読家の荒井真澄さんの朗読公演「声優による朗読の夕べ」がありまして、そちらが第一目的でした。公演の中で荒井さんも参会の方々にご紹介下さいましたが、平成24年(2012)以来の長い付き合いです。

そちらが昨日夕方で、その前に光太郎や宮沢賢治と交流があった仙台出身のマイナー詩人、石川善助についての調査。まず石川がらみの古い同人誌的な雑誌に光太郎が寄稿しているというこれまで知らなかった情報を得、その雑誌が仙台文学館さんに所蔵されていることをつきとめ、閲覧に伺いました。
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しかし残念ながら、石川の詩集「亜寒帯」に光太郎が寄せた序文の転載でした。まあ、よくあるケースです。他に数種類の雑誌など閲覧しましたが、結局収穫はありませんでした。

気を取り直して、石川の詩碑がたつ太白区の愛宕神社さんへ。詩碑そのものでなくかたわらの説明板に光太郎の名が記されているという情報を得たもので。
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「仙台総鎮守」と称するなかなかに由緒あるお社でした。

広瀬川流れる岸辺の河岸段丘に鎮座ましまし、市街が一望、遠く見える雪山は蔵王山系でしょうか。
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碑は境内の一角に。
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説明板には確かに光太郎の名。さらに賢治や当会の祖・草野心平の名も記されています。ガセ情報ではなくて、胸をなで下ろしました。

さて、朗読公演に。

会場は宮城野区の「となりのえんがわ」さん。こちらも由緒ある納豆工場の一角、倉庫をリノベーションして作られたレンタルスペース的な施設です。
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どうせ車なのでということで、彩りを添えるために智恵子紙絵と油絵の複製、それから過日の連翹忌の集いで参会の皆さんに配布した様々なフライヤーの残部を持参。
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申し遅れましたが、今回の公演は智恵子抄づくし。
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荒井さんの一つのポリシー的な感じで、全体を一つの流れにし、荒井さん曰く「私は旗を持ってツアー客の皆さんを先導するガイドさんのようなもので、ついて来てくだされば全てがわかります」という形にしたいとのことでした。なるほど、と思いました。

その荒井さん。
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照明の関係であまり写りが良くありませんが、実物は実に可愛らしい方です(笑)。

お客様は20名ほど。皆さん、光太郎智恵子の世界に聴き入られていました。過日、花巻で宮沢賢治実弟の清六令孫の宮沢和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子さんと当方の鼎談「トークイベント 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」を聴きにいらした一関の方もいらっしゃり、ありがたい限りでした。

終演後、荒井さんと夕食。この後も智恵子の故郷・福島二本松などで朗読なさるとのことでそのあたりの打ち合わせを兼ねて。

光太郎智恵子、それから荒井さんは元々賢治ファンでもあらせられ、末永くその世界の伝道師としてご活躍いただきたいものです。

当方、今日はこの後、千葉に帰ります。「高村光太郎書誌」は休みます。

一昨日は光太郎忌日、第70回連翹忌でした。当日、『読売新聞』さん夕刊のコラムで触れて下さいました。

よみうり寸評

駅までの道中、川べりの土手で菜の花が咲いていた。その先の桜並木はもう満開。薄紅の花びらによる天然の回廊を道行く人が時折、立ち止まって見上げていた。◆草木の色の共演が楽しい季節になった。黄色の花を鈴なりにつける連翹(れんぎょう)も、街角に春を告げる使者であろう。きょう2日は、この花を好んだ詩人高村光太郎の命日、連翹忌である。今年で没後70年となる◆高村は「手紙に添えて」という詩のなかで、自然の美を生み出すこの世界を〈不思議に満ちた精密機械の仕事場〉と表現し、こう続けている。〈たった一度何かを新しく見てください/あなたの心に美がのりうつると/あなたの眼は時間の裏空間の外をも見ます〉◆心を病んだ妻智恵子を最期まで愛した高村は晩年、岩手県の山小屋で隠遁(いんとん)生活を送った。ひとり自然と向き合い、時間の裏や空間の外に心が飛ぶ経験をしたのかもしれない◆行き過ぎて尚連翹の花明り(中村汀女)。世俗を離れられぬ身なれども自然の美に心震わす感性は持ち続けたいものである。

引用されている「手紙に添へて」は昭和13年(1938)1月の作。全文は以下の通りです。題名を含め『読売』さんでは新仮名遣いで表記していますが、旧仮名遣いで。

   手紙に添へて

 どうして蜜柑は知らぬまに蜜柑なのでせう
 どうして蜜柑の実がひつそりとつつましく
 中にかわいい部屋を揃へてゐるのでせう
 どうして蜜柑は葡萄でなく
 葡萄は蜜柑でないのでせう001
 世界は不思議に満ちた精密機械の仕事場
 あなたの足は未見の美を踏まずには歩けません
 何にも生きる意味の無い時でさへ
 この美はあなたを引き止めるでせう
 たつた一度何かを新しく見てください
 あなたの心に美がのりうつると
 あなたの眼は時間の裏空間の外をも見ます
 どんなに切なく辛(つら)く悲しい日にも
 この美はあなたの味方になります
 仮りの身がしんじつの身に変ります
 チルチルはダイヤモンドを廻します
 あなたの内部のボタンをちよつと押して
 もう一度その蜜柑をよく見て下さい

さて、連翹忌当日、光太郎が戦後の7年間隠棲した花巻郊外旧太田村では、太田地区振興会さん主催で、光太郎を偲ぶ「詩碑前祭」が開催されています。「詩碑」は、光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)敷地内の「雪白く積めり」碑。以前は5月15日(昭和20年=1945に光太郎が疎開のため東京を発った日)を記念する「高村祭」がこの碑の前で行われていました。昭和33年(1958)、光太郎自筆の原稿用紙を元に、実弟にして鋳金分野の人間国宝となった光太郎実弟の豊周がブロンズパネルに鋳造して作られ、地下には光太郎の遺髯が納められています。

今年、現地は霙(みぞれ)だったそうで、詩碑前ではなくやはり同じ敷地の高村光太郎記念館さんで開催したとのこと。岩手恐るべしで、数年に一度はこの日が雪だったりします。
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地元の皆さんが光太郎詩の朗読をなさって下さっています。中には生前の光太郎をご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

都内で連翹忌を主催している立場上、こちらには伺えませんが、末永く続いて欲しいものですし、5月15日の「高村祭」の復活も心より祈念いたしております。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)9 『青沼彦治翁遺功録』

昭和11年(1936)9月5日 菅原京司編刊
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目次
 青沼彦治翁遺功録序 鎌田三之助
 序 衆議院議員 岡田喜久治
 序 国幣中社志波彦神社塩竃神社宮司 古川左京
 序 高村光太郎
 遺功写真集
 緒言
 青沼家の家系と翁の略譜
 青沼家系図
 翁の経歴
 翁の村葬
 弔詞
 青沼彦治翁の御遺徳を偲びて 青沼幸之助
 遺徳千歳 雲洞庵 新井石龍
 青沼翁の為に聊か無縫塔を描く 壽徳寺住職 熊谷泰壽
 宿植徳本 修禅寺住職 武中文山師
 発菩提心修菩薩行 南浦静夫
 翁の功徳也不朽 龍興院 高塲泰映氏
 神社より見たる翁 斗瑩神社社掌 橋本純氏
 本県酒造組合に対する翁の功績 宮城県酒造組合長 小野惣助
 青沼翁を憶ふ 高清水小学校長従七位勲六等 鎌田謙吉
 所感 古川町長 佐々木君五郎
 青沼彦治君の片影 宮城県古川商業学校長 三原篤治
 翁の報謝生活と其の識見 元古川税務署長 大友喜四郎
 青沼彦治翁を偲ぶ 前大日本体育協会専務理事 佐藤武雄
 所感 株式会社七十七銀行頭取 大庭経之輔氏
 青沼翁を憶ふ 同七十七銀行副頭取 氏家清吉
 我が大崎酒造業界に於ける青沼彦治翁の功績を偲ぶ
 宮城県酒造組合古川支部長 新澤順吉
 青沼彦治翁を追慕して 仙台警察署長 千葉与左衛門
 感想 古川警察署長 舘山久米蔵
 感想 宮城県古川高等女学校長 田中浅次郎
 青沼彦治翁に対する感想 古川裁縫学校長 尾花勇
 故青沼翁を追憶す 元古川中学校長 山下勝太郎
 青沼彦治翁の一面 元志田郡長 下山鉄之助
 偉材青沼彦治翁 遠田郡北浦村長 千葉多利司
 翁の映像 札幌市 農学士 松本精一
 翁を通しての私感 同 医学士 松岡幸七
 青沼彦治翁遺功の片鱗 元荒雄小学校長 川田素助
 荒雄村在郷軍人分会と青沼翁 帝国在郷軍人会荒雄村分会長 工藤観禅
 翁と吾等の団体 荒雄村婦人会長 早坂いし
 翁の功績と感想の一端 荒雄村消防組頭 矢越亥八郎
 所感 仙台市 三神備克
 翁を思ひ出づるがまゝに 赤尾穆如
 翁を偲びて 仙台市七十七銀行塩竃町支店長 鈴木充仁
 所感 玉造郡鳴子温泉 高野善兵衛
 私の翁に私淑せる動気 古川町 佐々木与右衛門
 青沼彦治翁の幼時 小牛田駅前 伊勢忠太郎
 感想 荒雄村役場財務課 竹中明
 郡村分合に就て 荒雄村長濱 高橋悟
 所感 古川町 豊島庄之助
 所感 東京市宮城館主 浅野謙六
 福浦区民鎮守の森に翁の遺徳を偲ぶ事 荒雄村福浦区学務員 佐々木忠之助
 翁の先見 荒雄村字馬寄区学務員 青沼敏夫
 在りし日の翁を慕ひ
 荒雄村馬寄区村会議員兼馬寄耕地整理組合会計 佐々木正衛
 大旦那様と私 青沼商店内 佐藤覚右衛門
 鴻恩に浴せし私の所感 同 菅泉亀治
 感激 同 青沼養蔵
 旦那様と建築 荒雄村字江合大工職 村田吉助
 感想録 古川町 鉄工職 鈴木寛三郞
 青沼彦治翁の芸術感に就いて 古川町川端 表具師 横山豊助
 御主人公御夫妻と成田山 古川町裏町 武力職 石川萬
 所感 樋口光平
 青沼彦治翁と厥郷土 古川町横町電気器具商 大泉良平
 青沼彦治翁の葬儀 荒雄小学校高等二年生 千葉義夫
 故青沼彦治翁に就いて 荒雄小学校高等一年生 青沼常雄
 所感 龍銅院檀頭 早坂与兵衛
 所感 素荒雄村長 相沢琢造
 荒雄村基本財産 現荒雄村助役 高橋勇吉
 村の恩人青沼翁 同助役 高橋勇吉
 青沼彦治翁を憶ふ 荒雄小学校長 土田徹三
 翁の赤誠奉安殿を新築寄付す 同校長 土田徹三
 翁の教育に与せられし厚儀 同校長土田徹三
 青沼彦治翁の至誠と敬神思想 神官 祇園寺大亮
 青沼彦治翁龍洞院に対する功績所感 龍洞院住職 工藤観禅
 信心歓喜を忍ぶ 工藤観禅
 翁を偲びて 荒雄村馬寄排地整理組合長 佐々木与一
 噫青沼翁 荒雄小学校内 三浦利康
 所感 同小泉区 関庸之助
 所感 青沼勇吉
 感想 佐々木壽治
 余録

たぶん函がついていたと思うのですが、手持ちのものには欠けています。

青沼彦治(慶応2年=1866~昭和10年=1935)は宮城県志田郡荒雄村(現・大崎市)で醸造業を営んでいた素封家です。大正14年(1925)、光太郎が父・光雲の代作でその銅像原型を制作しました。像は戦時中の金属供出のため現存せず、台座のみが大崎に残っています。

この書籍は主に地元の人々が青沼の功績を讃える文章等を寄せたものです。光太郎の文章は「序」となっていますが、序文的な内容ではなく、おそらく通常の寄稿者と同様に寄稿したもの。数多い執筆者中の特筆すべき人物ということで巻頭に置き、「序」の扱いとしたかと思われます。全文はこちら。十数年前に見つけたもので、『高村光太郎全集』には漏れていました。青沼像について詳細に述べているのはこの文章のみで、貴重なものです。

下記はこの書籍に載った青沼像の写真の一部です。左下の方には光太郎、光雲、豊周の父子三人も写っています。
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光太郎の父・光雲関連で2件。

まずは雑誌の最新号です。

『芸術新潮』2026年4月号

発行日 : 2026年3月25日(水)
版 元 : 新潮社
定 価 : 1,700円(税込)
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【特集】東京国立博物館×国立西洋美術館 対話するコレクション 比べてわかる日本美術と西洋美術
 案内役 [東軍]山下裕二 [西軍]宮下規久朗

 昨年、東京と京都で開催された「西洋絵画、どこから見るか?」展をご記憶ですか。内容は、サブタイトルに「ルネサンスから印象派まで サンディエゴ美術館VS国立西洋美術館」とある通り。両館のコレクションはルーヴルやプラド程の規模ではないものの、それぞれ強いジャンルがあり、優れた作品にも事欠かない。互いの長所を組合せ、独自の切口で見せる同展のあまりの面白さに、同じことを東博と西美でやってみたい!と思ったのが、特集「比べてわかる日本美術と西洋美術 対話するコレクション 東京国立博物館×国立西洋美術館」の出発点です。美術史家の山下裕二氏と宮下規久朗氏がセレクトした東博・西美の作品を肖像・風景・聖像などのジャンルや「巧い」「かわいい」「ほのぼの」などのキーワードでペアリングしました。スリリングな二十番の絵合わせにより、作品を見る解像度がグーっとアップすること受け合い。そう、“比べてわかる”は伊達ではないのです。
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 一番 忘れられない肖像画
  [東博]一休和尚像》×[西美]フォンターナ《アントニエッタ・ゴンザレスの肖像》
 二番 近代彫刻の横綱たち
  [東博]高村光雲《老猿》×[西美]ロダン《カレーの市民》
 三番 驚異の工芸品
  [東博]濤川惣助《七宝富嶽図額》×[西美]橋本コレクションの指輪
 四番 版画のビジュアル・ショック 
  [東博]東洲斎写楽 第一期連作大首絵×[西美]カロ《戦争の悲惨(大)》
 五番 狂気と美
  [東博]上村松園《焔》×[西美]スーティン《心を病む女》
 六番 空間を創出する風景画
  [東博]長谷川等伯《松林図屏風》×[西美]モネ《睡蓮》
 七番 その巧さに舌を巻く
  [東博]林十江《鰻図》×[西美]ブーグロー《小川のほとり》
 八番 かわいくてキュンキュンしちゃう
  [西美]クラーナハ《ホロフェルネスの首を持つユディト》×[東博]《埴輪 踊る人々》
 九番 その渋さがたまらない
  [東博]伝周文《竹斎読書図》×[西美]シャヴァンヌ《貧しき漁夫》
 十番 やんごとなき聖像
  [西美]カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》×[東博]《普賢菩薩像》
 十一番 美麗本
  [西美]内藤コレクションの中世写本×[東博]《古今和歌集(元永本)》
 十二番 謎に満ちている
  [東博]《菩薩立像》×[西美]フェルメール(に帰属)《聖プラクセディス》
 十三番 ほのぼの、しみじみ
  [東博]久隅守景《納涼図屏風》×ゴーガン《海辺に立つブルターニュの少女たち》
 十四番 パノラミックな群像劇
  [東博]岩佐又兵衛《洛中洛外図屏風》×[西美]ルカ・ジョルダーノ《マギの礼拝》
 十五番 動物へのまなざし
  [東博]伝毛松《猿図軸》×[西美]クールベ《罠にかかった狐》
 十六番 リアリズムの行き着くところ
  [西美]バスケニス《楽器のある静物》×[東博]速水御舟《京の舞妓》
 十七番 あの世からうらめしや
  [東博]葛飾北斎 木版連作「百物語」×
  [西美]フュースリ《グイド・カンティの亡霊に出会うテオドーレ》
 十八番 もっと評価されるべき
  [東博]渡辺省亭《赤坂離宮花鳥図画帳下絵》×
  [西美]ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《聖トマス》
 十九番 さすが東博、さすが西美 近年の新収蔵品
  [東博]李公麟《五馬図巻》×[西美]スルバラン《聖ドミニクス》
 二十番 選者交代! 好きなんです
  [西美]カぺ《自画像》×[東博]李氏《瀟湘臥遊図巻》
 東京国立博物館 本館のコレクション展エリアMAP
 国立西洋美術館 常設展エリアMAP

70ページほどで組まれた特集は、共に上野にある東京国立博物館さんと国立西洋美術館さんが舞台。それぞれの収蔵品から、20のテーマで東西の名品を紹介しつつ、「比べてわかる日本美術と西洋美術」ということで、共に美術史がご専門の、明治学院大学さん山下裕二教授、神戸大学の宮下規久朗教授のお二人が熱いトークを繰り広げるというコンセプトです。作品の選択もお二人と思われますが、それで勝負をして何勝何敗、というわけではありません。

光雲に関しては「二番 近代彫刻の横綱たち」で東京国立博物館さん所蔵の「老猿」。対するは国立西洋美術館さん前庭に立つロダンの「カレーの市民」。
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山下教授と言えば、光太郎嫌いで有名です。昔は光太郎芸術を好意的に紹介して下さっていたのですが、教授が推し進めている明治期のいわゆる「超絶技巧」系を光太郎が腐していると知るや、方向転換なさったのではないかと思われます。

例えば「自在置物」。江戸期の甲冑師の流れを汲む職人たちの手によって作られた金属工芸で、動物の模型を写実的に作るのみならず、体節・関節の部分を本物のように動かすことが可能な造りになっています。下記はやはりトーハクさん所蔵のもの。
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以前にも書きましたが、光太郎、こうした「自在置物」をこう評しています。談話筆記「炉辺雑感」(昭和28年=1953)から。

 世間にはよく実物そつくり創ろうとする人がいる。ことに金でつくつたのなんかには、実に巧みに本物と似せてつくられているものがある。例えば、エビやカニの場合だつたらその足が動くようにできている。しかし、そういうものはいかに本物そつくりにできていても本物をへだゝること遙かに遠い。本物を創る為には本物にとらわれてはいけない。本物にとらわれて、本物に似せようとすると、本当の造型にはならないで、おもちやになつてしまう。

「おもちゃ」は言い過ぎだろ、と思うのですが、「具象」をどう進めるかという点での光太郎のスタンスがよく表されています。

その前後にはこういう言も。
 
 蟬のあの脚を木でこしらえるのは、実に大変な仕事だ。芸術は一つの創造だから、事実ありのまゝの模写じやいけない。細いものを細く創つたんじや駄目。蟬の羽根は非常に薄いが、あれをそのまゝ薄く創つたんじや変なものになつてしまう。決して薄くなんて見えない。厚く見える。思いきつて厚く創ると却つて薄く見える。これが芸術というものである。
 
 彫刻は、蟬なら蟬を創るにしても一遍蟬から離れて、別の立場に立つて創らなければならない。そうすることによつて、はじめて蟬が模写にもおもちやにもならず、本当の蟬となることができる。人間の顔でも、その人を生写しにするというのでは彫刻にならない。たゞその人らしいものはできる。その人らしいもの、その人の影法師みたいなものはできるが、その人はできない。本物の影のようなもの、泡みたいなものを掴んでこれが彫刻だと喜んでいる人も少くないが、僕らはそんなものは彫刻と思えない。彫刻は、本当に出来れば、その人以上にその人となる。蟬以上に蟬、石以上に石となる。実物そつくりというわけじやないが、実物以上に実物となる。――これが造形芸術の奥の手である。

当方は「自在置物」のような超絶技巧を頭から否定するわけではありません。その複雑な機構を可能ならしめる技術には舌を巻くばかりですし、そうした技術の継承は成されるべきと思います。しかし、光太郎の言うように、それを「芸術」としていいものかというと、首をかしげざるを得ません。

作者が自身のフィルターを通さずただ見たものを見たままに表現するだけでは、「本物そっくりだ」で終わりです。その作品を通して作者が何を訴えたいのか、そういうものが見えてこなければ「芸術」とは言えますまい。やはり超絶技巧系の彩色牙彫など、まさにそんな感じだと思います。ひところちょっとしたブームになってさまざまなメディア等に取り上げられたり、企画展の目玉となったりしましたが、最近は飽きられてきたようで、あまり聞きません。

もっとも、超絶技巧系の作者たち(特に「自在置物」など)は、自らの作を「芸術」とは捉えていなかったように思われます。また、逆に技巧を伴わない稚拙な作品を「芸術」と呼べるか、ということにもなります。

光太郎、「書」を論じる中で、そのあたりにも言及しています。やはり基本的な技巧はしっかり身につけておくべきであると言うのが立脚点です。昭和14年(1939)の「書について」という散文から。

 書はもとより造形的のものであるから、その根本原理として造型芸術共通の公理を持つ。比例均衡の制約。筆触の生理的心理的統整。布置構造のメカニズム。感覚的意識伝達としての知性的デフオルマシヨン。すべてさういふものが基礎となつてその上に美が成り立つ。さういふものを無視しては書が存在し得ない。

ところが、時折、こまごまとした技巧に囚われない、我流だけれどもいい書に出会うことがあるとします。

 生れたままの自然発生的な書といふものにもいろいろあつて、生れながらに筆硯的感覚を多分に持つてゐる人のは、或る点まで立派に書格を保有し、無邪気で、自然で、いい加減な習字先生のよりも遙に優れたものとなる。(略)いつの間にか、性格まる出しの、まねてまねられない、或は奇逸の、或は平明清澄の妙域に進み入り、ことに老年にでもなると、おのづから一種の気品が備はつて来て、欲も得もない佳い字を書くやうになる。

後半部分、まるで相田みつをの書ですね。しかし、それを手放しで褒めるかというとそうではありません。

 さういふ佳品を目にするのはたのしいものであるが、さればといって、此を伝統の骨格を持ち、鍛冶の效をつんで厳然とした規格の地盤に根を張つた逸品の前に持ち出すと、やつぱり免れ難い弱さがあり、浅さがあり、何となく見劣りのするものである。

このくだりを読むと、書家の方々が相田みつをの書を書と認めない理由がうなずけるような気がします。

そしてこうも。

 人工から起つたものは何処までも人工の道を究めつくすのが本当であり、それには人工累積の美を突破しなければならないのである。生れながらに筆硯的感覚を持つてゐる人のですらさうであるから、もともとさういふ性来を持たない者の強引の書となると多くは俗臭に堕する傾がある。意地ばかりで出来た字、神経ばかりで出来た字、或は又逆に無神経ばかりで出来た字、ぐうたらばかりで出来た字が生れる。

「感性」頼りではだめ、ということですね。

ところが「技巧」ばかりでもいけないわけで、ちゃんとその点も押さえて「なまじつか習つた能筆風な無性格の書」「うまいけれどもつまらない」と、「技巧」だけのものも否定しています。

「感性」と「技巧」、結局は優れた「感性」を以て「人工累積の美を突破しなければならないのである」というところに尽きるかと思います。突破するためにはそれらをしっかり身につけた上で、ということにもなります。10代の少年のうちに写実の技法をほぼ究めてしまい、その上でキュビスムを編み出したピカソなどが良い例でしょう。

そういう見方でいわゆる「超絶技巧」の作品群を捉えたいものです。もっとも、さまざまな分野のものを「超絶技巧」とひとくくりにするのもどうかと思われますが。中には光太郎曰くの「人工累積の美を突破」したといえるものもあれば、「技巧」だけの「本物の影のようなもの」もあるわけで。

長くなりました。急ぎます。

光雲の木彫が出る展示、仙台で来月始まります。

春の展覧会 2026年度・上期『島川コレクション展』Ⅱ期

期 日 : 2026年4月6日(月)~10月8日(木)
会 場 : 島川美術館 宮城県仙台市青葉区本町2-14-24
時 間 : 11:00~15:00
休 館 : 毎週金・土・日 祝祭日
料 金 : 一般 1,000円(800円) 高校生 800円(300円) 小・中学生 300円(100円)
      ( )内20名以上団体料金 

総展示作品は140点以上

メイン展示作品
 横山大観《霊峰不二》1939年      山川賀壽雄《朝(はじまり)》2017年
 川合玉堂《山村晩煙図》           葛西四雄《風景》
 森本草介《ひざまずくヌード》2007年  高村光雲《聖観世音菩薩》1928年
 森本純《夏みかん》            森本草介《ジャーマンアイリス》1978年
その他展示作品
 加山又造「しだれ桜」           岸田劉生「麗子像」
 小磯良平「踊り子」            佐伯祐三「キュラソーの瓶のある静物」
 杉山寧「嵤」               田中一村「黄昏」
 中島千波「紅牡丹」「白牡丹」      速水御舟「芙蓉」
 東山魁夷「春静」             平山郁夫「流沙浄土変」
 森本草介「POSE」            カシニョール「海に面したバルコニー」
 ユトリロ「サントセシル ラヴァールズ」 マリーローランサン「チェロと女」
 他
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001光雲作品は「聖観世音菩薩」昭和3年(1928)。当方、令和6年(2024)に拝見して参りました。光雲晩年の作で、見事な造りです。

しかし光太郎にかかると……

 父の作品には大したものはなかつた。すべて職人的、仏師屋的で、又江戸的であつた。楠公は五月人形のやうであり、「南洲」は置物のやうであり、数多い観音、阿弥陀の類にはどれにも柔媚の俗気がただよつてゐた。

やはりちょっと言い過ぎ感がありますね。山下教授、こういう言も光太郎を嫌う一因なのでしょうか。

続く部分では「老猿」についても容赦なく……

大きな栃の木で作つた「老猿」も部分の肉合ひなどに彫刻的面白味がないではないが、大体の着想なり、表現形式なりがあまり幼稚なので高くは買へない。

もっとも、光雲にしてみれば、「自分は「芸術家」などではない」という感覚だったのかも知れませんが。

引用文は昭和29年(1954)の「父との関係」からのものですが、同じ文章の中で光雲の若い頃の作は褒めています。

 むしろ丁稚奉公時代に作つた「犬の首」の木彫習作とか、宮内省蔵の「ちやぼ」とか、皇后職にある筈の「狆」とかいふものが、いちばんいい。それには青年の純粋な、真剣な意気込が感じられ、又自然の美にめざめた者の驚きとその美へのひたむきな肉迫とが見てとれる。これは時代的にも意義がある。

なかなか親子関係というものは難しいものですね……。

閑話休題、島川さんのコレクション展、ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)3 『高村光太郎 与謝野晶子』傑作歌選別輯

大正4年(1915)12月5日 抒情詩社 高村光太郎/与謝野晶子著 内藤鋠策編
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目次
 高村光太郎 1902-1907
 第一
 第二
 第三
 第四
 与謝野晶子 1901-1913

光太郎、そして姉貴分の与謝野晶子の、主に『明星』に載った短歌を集めたものです。前年に出た詩集『道程』版元の抒情詩社の内藤鋠策が、光太郎の才能に惚れ込み、実入りにしてやろうと編みました。すでに『みだれ髪』で名を成していた晶子と一冊にすれば売れるだろうという意図だったそうです。

光太郎第二の故郷、岩手花巻からの情報等です。

まず地方紙『岩手日報』さんに載った、都内の方からの投稿。

光太郎と賢治感じた花巻旅

◇花巻へ行った。2日の旅の初日3月13日。太田の高村山荘。偶然だがその日は高村光太郎の誕生日だった。宮沢賢治を世に知らしめた光太郎。天才は天才を知るという。この2人の関係はまさにそれだ。
 こんなにも質素な住まいに7年暮らした光太郎。田畑を耕し詩作や書の芸術にも専念する姿は、堅持の精神を具現化するものと言っていい。その精神力と体力は信じがたいほど強かったに相違ないが、同時に地元の人々との交流と支えがなければ続かなかったことと思う。
 光太郎は岩手を心から愛していた。「岩手の人沈深牛の如し」「つひにその成すべきを成す」「ニッポンの背骨岩手」とうたい上げている。
 賢治と光太郎ゆかりの大沢温泉に1泊し、翌日「雨ニモマケズ」の賢治詩碑を訪ねた。光太郎の書によるものだが、詩の後半部分のみで誤字脱字のまま刻印されたとの挿話も心引かれる。
 早池峰山は白く輝き美しい。こんなにもすばらしい場所に羅須地人協会はあったのか。昼食は花巻市街でそばを食べサイダーを飲んだ。心の洗われる2日間であった。

冨田淳治 64歳 東京都北区 公務員

現在、高村光太郎記念館さんでは「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」が開催中で(今月いっぱい)、そちらをご覧下さった上での内容となっています。ありがとうございます。

続いて、主に「食」を通して光太郎顕彰に取り組まれているやつかの森LLCさんの取り組み。市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」としてやつかの森さんが厳冬期を除いてランチタイムに月イチで出店されていますが、今年初の出店が3月24日(火)でした。
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基本、光太郎の日記などを元に、実際に光太郎が作った料理や使った食材などを現代風にアレンジして饗するランチです。

「和風なタンドリーチキン」「大根のそぼろ餡」「漬けマグロのとろろかけ」「葱の酢味噌」「鱈子と糸コンの和え物」「旬の漬け物」「ふんわりニラ卵汁」「白ご飯・バッケみそ」「花巻銀糖」「コーヒー」。これで価格は1,200円だそうですので、割安感があります。

「バッケ」は方言でふきのとう。光太郎が好んで使った食材の一つです。全国的にそうでしょうが、特に東北では春を告げる象徴的なものですね。

この取り組み、長く続くことを願って已みません。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)2 『後期印象派』現代の洋画第十六号

大正2年(1913)8月1日 日本洋画協会 北山清太郎編
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目次
 後期印象派論(リュイス・ハンド) 木村荘八
 ポール・セザンヌ(マイエル・グレーフェ) 同
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(同) 同
 ポール・ゴーガン(同) 高村光太郎
 ポール・セザンヌ(テオドル・ドュレ) 木村荘八
 ポール・セザンヌ(ジェムス・ハネカー) 同
 画論(アンリ・マティス) 高村光太郎
 トウルーズ・ロートレク(アルビーン・アレキサンドル) 同
 ゴォホとゴーガン 岸田劉生
 挿画目次

今日からこの項、光太郎が部分的に執筆していたり、他の人物との共著だったりの書籍をご紹介して参ります。雑誌、序跋文を書いただけもの、多数の作者の作品を集めたアンソロジーはここでは除外します。

初回がいきなり例外で雑誌ですが、この号は特別号で、現代の感覚のムックに近いもののため、実質的に光太郎、木村、岸田の共著書籍として捉えられることがほとんどです。

まず花巻高村光太郎記念館さんについて。同館を含む花巻市立の社会教育施設等数館が、来年度から休館日や開閉館時間の設定を変更するそうです。今後行かれる方はご注意下さい。

同市のサイトから。

社会教育施設等の開館時間・休館日の見直しを実施します

 市の社会教育施設等は、観光客の利便性を考慮し、シフト制により職員の勤務日や勤務時間を割り振ることで、年末年始を除きほぼ通年で開館してきました。しかし、通年で開館することにより、施設の点検や清掃などの日程調整に苦慮しているほか、積雪時には早朝から職員が除雪作業を行うなど時間外勤務が発生していました。
 これらの課題を改善するため、令和8年4月1日から毎週の休館日を設定し、開館時間を変更します。これにより施設の定期的な点検や清掃を確実に実施し、利用者サービスの向上と職員の働き方改革を図ります。

高村光太郎記念館
現行
 休館日:12月28日から1月3日
 開閉館時間:午前8時30分から午後4時30分
令和8年4月1日から
 休館日:毎週月曜日(祝日と重なったときはその次の平日)、12月28日から1月3日
 開閉館時間:午前9時から午後4時30分
問い合わせ 高村光太郎記念館 電話:0198-28-3012
001
平成25年(2013)に現在の建物にその機能が移って以来、これまで休館は年末年始のみだったのは、基本的に毎週月曜日休館となるそうです。また、開館時間がこれまでより30分遅くなり、午前9時からに変更とのこと。

通常、この手の館は週に1日の休館日を設定していることがほとんどですし、これまでのように午前8時30分開館というところはほとんど無いように思われ、全国的に見ても平均的な設定になる気がします。

ついでですので、光太郎と縁の深かった宮沢賢治関連の施設についても変更点をご紹介しておきます。

宮沢賢治記念館
現行
 休館日:12月28日から1月1日
 開閉館時間:午前8時30分から午後4時30分
令和8年4月1日から
 休館日:毎週火曜日(祝日と重なったときはその次の平日)、12月28日から1月3日
 開閉館時間:午前9時から午後4時30分
問い合わせ 宮沢賢治記念館 電話:0198-31-2319 

宮沢賢治イーハトーブ館
現行
 休館日:12月28日から1月1日
 開閉館時間:午前8時30分から午後4時30分
令和8年4月1日から
 休館日:毎週火曜日(祝日と重なったときはその次の平日)、12月28日から1月3日
 開閉館時間:午前9時から午後4時30分
問い合わせ 宮沢賢治イーハトーブ館 電話:0198-31-2116
002
003開閉館時間に関しては、高村光太郎記念館さんと同じく、午前9時からに変更とのこと。そして休館日。高村光太郎記念館さんは毎週月曜になるそうですが、賢治関連2館さんは毎週火曜日の設定だそうです。となると、月・火は1日で高村光太郎記念館さんと賢治関連2館さんを回るのは不可能になります。

花巻市の老舗タクシー会社・文化タクシーさんでは「どんぐりとやまねこ号」という最大9人乗りのジャンボタクシーを運行して下さっていて、現在運行されている「午前コース」がまさに高村光太郎記念館さんと賢治関連2館さんを回るコース設定になっています。ところがそうなると、月・火はその設定が成り立たなくなるということで、祝日を除く月曜日は高村光太郎記念館さんの代わりに、賢治菩提寺にしてその墓のある身照寺さんが入り、火曜日は全面運休だそうです。

「午後コース」は、花巻東高校さんに設置されたMLB菊池雄星投手/大谷翔平選手のモニュメント、南部杜氏伝承館・酒匠館さん、宮沢賢治記念館さんを回るコースです。「午前コース」、「午後コース」を併せて「1日コース」とすることも可能で、その場合は午後の宮沢賢治記念館さんの分は宮沢賢治童話村さんとするそうで。で、火曜日も同様の変更とするそうです。

というわけで、4月以降、光太郎関連、賢治関連で花巻を訪れようという方、ご注意下さい。

それから、福島二本松の智恵子記念館さんについても。こちらは新年度からの変更点というのはありませんが、ショッキングなニュースが入ってきました。

FCT福島中央テレビさんのローカルニュース。

公園の滑り台にいたのは…体長約1メートルの熊 警察が注意呼びかけ 福島県二本松市

 21日午後4時過ぎ、二本松市の公園にある滑り台で熊が目撃され、警察が注意を呼びかけています。
 熊が目撃されたのは、二本松市油井の「智恵子の杜公園」です。警察によりますと、21日午後4時20分ごろ、公園を散歩していた40代の男性が、滑り台の滑り出し口にいる、体長約1メートルの熊1頭を目撃したということです。
 男性はすぐにその場から離れ、この熊によるけが人や被害は、これまでに確認されていません。その後、熊の行方は分かっていませんが、警察は、引き続き警戒するとともに、付近の住民に注意を呼びかけています。

同じ件で、TUFテレビユー福島さん。

【クマ出没情報】公園のすべり台で目撃 21日午後4時すぎ 福島・二本松市

 21日午後4時20分頃、福島県二本松市油井の智恵子の杜公園で、散歩をしていた男性がすべり台のすべり出し口にいるクマ1頭(体長約1メートル)を目撃しました。男性はすぐに現場から立ち去り、その後クマはいなくなったということです。
 これまでに周辺で被害は確認されていません。警察はパトカーで周辺の警戒にあたるとともに周辺住民に注意を呼びかけています。
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現場は智恵子記念館さんを含む智恵子の杜公園。記念館さんから光太郎智恵子も歩いたという「愛の小径」を登っていった「ふれあいの広場」と思われます。距離的には200㍍あるかないかです。
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花巻高村光太郎記念館さんや宮沢賢治記念館さん周辺では当たり前のように熊が棲息しており、高村光太郎記念館さんや隣接する光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)などでは看板や外壁が熊の爪痕だらけですが、二本松の智恵子記念館さん周辺で熊というのは初めて聞きました。下記の航空写真で左上の方、何となく遊具っぽいのが見て取れるかと存じます。
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周辺には民家もそれなりにある場所ですので、今後、人的被害が出ないことを祈ります。

こちらに関しても、今後、行かれる場合にはご注意下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体) 82『The Onsen of Hanamaki 花卷温泉

令和5年(2023)4月 花巻市 高村光太郎著 森川沙紀/ガットマン・ジェシー
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目次
 Takamura Kotaro's profile 高村光太郎プロフィール
 The Onsen of Hanamaki 花卷温泉
 Hanamaki as a Town of Onsen 温泉のまち 花卷
 Publisher's Note 冊子に寄せる思い

花巻市の地域おこし協力隊として活動されていた森川沙紀氏による制作。光太郎が亡くなる2ヶ月前の昭和31年(1956)に語った生前最後の談話筆記「花巻温泉」の全文と、その英訳が載せられています。「花巻温泉」というタイトルですが、光太郎、花巻温泉さんだけでなく大沢温泉さん、鉛温泉さん、台温泉さん、志戸平温泉さんなど、自分が足を運んだ温泉宿は細かに語っています。

光太郎ゆかりの地、宮城県女川町で、東日本大震災後に全21基が建てられた「いのちの石碑」。建設資金は同町の光太郎文学碑を手本に、すべて募金でまかなわれるなど、文学碑の建立に尽力され、15年前、津波に呑まれて亡くなった当時の女川光太郎の会事務局長・貝(佐々木)廣氏の精神が受け継がれた活動です。

3月14日(土)、STV札幌テレビ放送さんのローカルニュースで、防災セミナーのために旭川を訪れられた、「いのちの石碑」建設中心メンバーお二人について報じられました。

あの日、被災した12歳は“父親”に…「繰り返してほしくない」東日本大震災を知らない世代へ 津波の記憶つなぐ

 あの日から15年。東日本大震災で被災した12歳の小学生はいま、娘を持つ父親になりました。震災を知らない世代が増えるなか、津波の記憶をつなごうと活動する男性の姿を追いました。

「亡くなった方も道端にいた」被災の経験を語り継ぐ
 「僕の家があった場所というのが、ちょっと坂を上った所の位置でして、津波、まあ来ないだろうなという思いでいました。僕の家の方も基礎しか残っていませんでした」
 被災した経験を語るのは、渡邊滉大さん27歳。ふるさとの宮城県で東日本大震災にあいました。
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 「マチはこんな感じで流されてしまっているので、(流された自宅に)行く道中は倒れた家だとか、大きい魚がごろごろいるような。亡くなった方ももちろん、道端にはいました」
 現在、札幌市内の会社に勤めている渡邊さん。15年前のあの日は、まだ小学6年生でした。
 「3月11日。あの日は雪が降っていたので。こんな感じのうっすらの雪」
 渡邊さんのふるさと・宮城県女川町。押し寄せた津波で800人以上が犠牲となり、マチは壊滅的な被害を受けました。
 「パキパキパキというすごい音が鳴って、その瞬間、誰かが『津波だ』と叫んだ。その声と同時に焦って逃げるように小学校のちょっと上に総合体育館があったので、そっちの方にみんなで逃げていく」
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 自宅にも津波が達し、親戚や知人が犠牲になった渡邊さん。選んだ道は、橋や道路を補修する仕事でした。
 「補修業界で、補修したことによって、災害が起きたときに緊急車両とかがいち早く現場に着けるような、違う角度から人の命を守る」

 「災害からいのちを守りたい」。その思いの原点が、女川に建てられた「いのちの石碑」です。
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「いのちの石碑」は、渡邊さんが中学生の時に同級生と考えた防災の取り組みです。津波が到達した地点よりも高い場所に、避難の目印となる「いのちの石碑」を設置。費用は募金でまかない、21基の石碑が完成しました。
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 「千年後の命を守るために」。石碑には中学生たちの思いが刻まれています。

当時12歳の少年は“父親”に「家族を守りたい」気持ちに変化
 震災から15年。渡邊さんにも家族ができました。妻の琳茄さんと娘の莉陽ちゃんです。
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 宮城県石巻市出身の琳茄さんは自らも被災した経験があります。
 「私たちが子どもの時に震災に遭って、悲しい思いだったり辛い経験をしたことを、できるだけ同じ思いはしてほしくないなと思うので」
 「いのちの石碑」に取り組んだ渡邊さん。社会人になってからも避難の教訓を伝える活動を続けています。
 「家族が増えて、家族を守りたい、自分の身を守ってほしい、そういう気持ちは強くなってきているかなと思います。これから震災を知らない子たちが何か起きたときに対応できるように、それをモチベーションにやっています」
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 甚大な被害をもたらした東日本大震災。実は北海道太平洋沖の千島海構沿いでは、それと同じクラスの超巨大地震と津波が切迫している可能性があります。
(北海道大学 高橋浩晃教授)「大体400年に1回ぐらいのペースで(地震が)繰り返し起こってきているということが明らかになっています。そして、前回の地震が今から400年前に起こったと、これも確かめられておりますので、次の地震はもう満期に達している」
 千島海溝沿いでは、陸側のプレートの下に海側のプレートが沈み込んでいますが、北海道大学などの研究チームが海底観測をした結果、海側と陸側のプレートがそれぞれ年間8センチ動いていることを確認しました。
 プレートの境界付近に巨大地震を引き起こすひずみが蓄積している可能性が高くなっていると分析しています。
(北海道大学 高橋浩晃教授)「400年の間に30メートルたまったエネルギーが一気に放出して大きな地震が発生する。超巨大地震が起こりますと、東日本大震災と同じような超巨大な津波が発生して、それが太平洋沿岸を襲うということになりますので、現在の想定では高さで言うと20メートルを超えるようなところもある」

子どもたちに震災の教訓を…「いつか思いがつながれば」
 この日、渡邊さんは講演のため、家族と一緒に旭川市を訪れました。渡邊さんの同級生で、一緒に「いのちの石碑」に取り組んだ鈴木智博さんも宮城県から駆け付けました。
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(渡邊滉大さん)「こういうタイミングでしか会う機会ないからね」
(鈴木智博さん)「ていうかこういうのも久々、かなり久しぶりだもんね。やっぱり15年経ってくるとなかなかちょっと少なくなってくるっていうのもあるし、お互いに引っ越したり仕事もある、少なくなってくる。呼んでもらえるのはありがたい」
(渡邊滉大さん)「本当にありがたい」
 3年ぶりの再会を喜ぶ間もなく、すぐに入念な打ち合わせに入ります。
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 震災の教訓を語り継ぐ講演会には、地域の住民や子どもたちが集まりました。ステージの傍らに設置されたのは、「いのちの石碑」のレプリカです。
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(渡邊滉大さん)「いま私たちの故郷の女川に何ができるか考えてみようというのが一番最初の授業でした。まず1つめ・絆を深める。2つめ・高台に避難できる街をつくる。3つめ・記録に残し、未来へ伝える。まだ若い世代だと思うので、将来、例えば僕が札幌で仕事をするように、どこで仕事をするかわからないような状態で、その時にタイミングが悪くてってこともあるかもしれない。そんなときに何か僕たちのこの話が役に立っていただければ幸い」
(鈴木智博さん)「震災後に起きた大津波によってふるさとは飲み込まれ、かけがえのないたくさんの宝物が奪われました。悲しみで涙を流すひとが少しでも減り、笑顔溢れる町になるよう祈り、そして信じています」
 「悲劇は2度と繰り返してほしくない」。その思いを15年前の2人と同じくらいの子どもたちにも伝えます。
(小学生)「こんなにも大きな被害が出ているとは思っていなかった」
(小学生)「自分の身の回りのことを気にしながら、そういう(防災の)ことを考えていきたいと思います」
(小学生)「今回だけでこの話を終わらせてはいけないと思うし、友達とかにもしっかり伝えて、災害の恐ろしさをずっとずっと伝えていきたいと思いました」
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(渡邊滉大さん)「15年が経つんだなっていうこと、僕も被災した当時はそのくらいの子だった。こんな話をして響くのかなって今の僕からしたらも思うんですけど、少なからずこの思いがどこかに響いて、つながってくれればいいなって思います」
 「千年後の命を守るために」。震災を知らない子どもたちに記憶をつなぐリレーはこれからも続きます。


15年の節目ということもあり、このところの数年間よりも今年は東日本大震災がらみの報道が多かったように感じました。例年ですと、3.11が過ぎるとそれらがぱたっと無くなっていたのですが、今年は3.11を過ぎても新聞報道やテレビ番組などで被災地の「今」が取り上げ続けられ、良いことだと思いました。

女川町に関しても、3月19日(木)、NHKさんで全国放送された「TOHOKU HEART FES」という音楽番組で取り上げられました。ゆずのお二人、宮世琉弥さん、佐々木莉佳子さんなど東北出身やゆかりというアーティストの皆さんがご出演され、仙台放送局さんが製作されたものでした。
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その中で、震災直後から女川町を支援するために立ち上がったももいろクローバーZの皆さんと、女川町の方々との交流の様子が取り上げられました。

また、3月27日(金)の深夜には、NHK Eテレさんで「みるラジオ 中村雅俊、ロッコクを走る〜東日本大震災15年〜」という番組も放映されます。こちらは国道6号線(ロッコク)が縦断する福島県の浜通り地区が舞台ですが、番組予告ではわざわざ「宮城県女川町出身の中村雅俊さん」とことわられています。

みるラジオ 中村雅俊、ロッコクを走る〜東日本大震災15年〜

NHK Eテレ 2026年3月27日(金) 午後11:50〜午前0:40

福島県を南北に貫く国道6号線“ロッコク”。東日本大震災・原子力災害の影響で、ロッコク沿いの多くの町には全町民への避難指示が出された。震災から15年、避難指示は一部解除され、故郷に戻って来れた町民たちもいる。宮城県女川町出身の中村雅俊さんが、ロッコクを走り、メッセージ付きのラジオ体操を流すボランティア団体、土地を再生させる農家、震災の探究学習に取り組む高校生、夜の本屋を営む若者に会いに行く。

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ぜひご覧頂き、被災地の「今」、そして記憶の伝承、そういったことに思いを馳せいていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体) 80『高村光太郎秀作批評文集 美と生命 前篇』

平成22年(2010)3月30日 書肆心水 高村光太郎著
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目次
 生命の創造 彫刻の面白味 真に鑑賞する心 趣味という事 純一な芸術が欲しい
 芋と南瓜の触感 女みずから考えよ 女の生きて行く道 日本画に対する感想
 家具及住宅の美 所謂好趣味の人たるなかれ 芸術雑話 岩石のような性格
 令嬢の美しさと女優の美しさ 芸術鑑賞その他 家 日常の瑣事にいのちあれ 顔
 自刻木版の魅力 彫刻的なるもの ルイ十六世所刑の図 彫刻十個条 雑記帳より 人の首
 触覚の世界 生きた言葉 装幀について 夜の海 日本の秋と文学 七つの芸術
 詩人の知った事ではない 新茶の幻想 画に於ける詩精神 芸術する心 写生の二面
 小刀の味 能面の彫刻美 美意識について 蟻と遊ぶ 比例均衡 手
 某月某日(人間力の獰猛さ) 智恵子の切抜絵 某月某日(狂気と純粋性) ほくろ
 書について 

彫刻をはじめとする造型、それから文学についての光太郎評論を2分冊にまとめた前編です。一部、評論とはいえないエッセイ的なものも含みます。

この項、刊行順にご紹介しているのですが、昨日取り上げたハルキ文庫版『智恵子抄』と前後してしまいました。すみません。

毎月15日、光太郎第二の故郷・岩手花巻の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントミレットキッチン花(フラワー)さんで限定販売される弁当光太郎ランチ。光太郎が実際に作った料理や使った食材などを参考にしたメニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんから今月分の画像が届きました。
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品目は「赤飯」「五目飯」「ヒレカツ」「揚げ大根の野菜あんかけ」「ほうれんそうととうもろこしのナムル」「ネギとワカメの酢味噌和えイカ添え」「卵焼き」「芋羊羹」「漬物」だそうです。

地域ニュースサイト号外NET」というサイトがあり、そちらで3月16日(月)に紹介されています。今月分というわけではなく、毎月の取り組み全般についてですが。

【花巻市】毎月15日販売! 10食限定! 手作り弁当「光太郎ランチ」を知っていますか?006

 高村光太郎を知っていますか? 教科書で「智恵子抄」や「道程」を学んだ人もいるかもしれません。詩人であり、彫刻家である高村光太郎は、実は花巻市とゆかりのある人物です。
 高村光太郎は、晩年宮沢賢治の実家を頼って疎開して7年間花巻に住みました。その時の作品は、高村光太郎記念館に展示してあります。
 道の駅はなまき西南では、光太郎goodsコーナーがあります。休憩コーナーには、宮沢賢治と高村光太郎との関係を開設したボードも展示してあります。
 とても関係の深い花巻市と高村光太郎なのですが、道の駅はなまき西南では、特別なお弁当を月に1回だけ販売しています。そのお弁当の名前は「光太郎ランチ」です。
 光太郎ランチは、高村光太郎が残した日記の中の食事を再現したものです。「光太郎ランチ」を調理・販売されているのは、ミレットキッチン花さんです。地元の野菜をたくさん使った弁当は税込み800円、限定10食です。
 献立は毎月異なります。光太郎と一緒のメニューを食べながら、その世界観を身近に感じてみませんか?

道の駅はなまき西南
 住所 〒025-0131 岩手県花巻市轟木7地割203番地
 営業時間
  ●インフォメーション9:00~17:00
  ●直売所「すぎの樹」9:00~17:00 
  ●味楽苑 昼 11:00~14:00(L.O 13:30) 
       夜 火曜~金曜 17:30~21:00(L.O 20:30)
       土曜・日曜 17:00~21:00(L.O 20:30)
  ●ミレットキッチン 花 9:00~12:00
  ●トイレ・休憩スペース 24時間
 定休日 年末年始
 電話番号 0198-29-5522

もう1箇所、同じ花卷市内の東和地区にあるワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」としてやつかの森さんが厳冬期を除いてランチタイムに月イチで出店されていますが、今年初の出店が3月24日(火)です。

予告されているメニューが以下の通り。
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 ・和風なタンドリーチキン
 ・大根のそぼろ餡
 ・ヒッコロ酢味噌
 ・漬けマグロのとろろかけ
 ・鱈子と糸コンの和え物
 ・旬の漬け物
 ・ふんわりニラ卵汁
 ・白ご飯~バッケみそ~
 ・花巻銀糖
 ・コーヒー


こちらは1,200円だそうで。

それぞれぜひご堪能下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)77 『ロダンの言葉』現代日本の翻訳

平成19年(2007)5月10日 講談社(講談社文芸文庫) 高村光太郎編・訳
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目次
 凡例
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヴェヌス 中世期芸術への入門――原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺
  本寺別記 断片 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(其一)  古代芸術の教訓(其二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)
  昔の仕事場と今日の学校 構造と肉づけ 古代芸術の伝統的法則
 若き芸術家達に(遺稿)
 解説 湯原かの子
 年譜 北川太一
 著書目録

筑摩書房版の『高村光太郎全集』を定本に、大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た『続ロダンの言葉』からピックアップして編まれた文庫版です。新漢字、新かな遣いに改め、多少ふりがなを加える措置が為されています。未だに新刊として入手可能のようです。

3月15日(日)、安達太良山中腹のチーズケーキ工房・カフェ風花&もりのこうぼうさんを後に、智恵子の故郷・二本松の市街に。同市出身の文化勲章受章画家・大山忠作画伯を顕彰する大山忠作美術館さんが最終目的地でした。

同館の入っている市民交流センターさんの駐車場に愛車を駐め、まだ時間に余裕があったので、歩いてJR東北本線二本松駅へ。

コンコース入り口脇、城壁を模した壁に嵌め込まれた光太郎詩碑。
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「あどけない話」の一節「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」が、光太郎のペン字を拡大して刻まれています。昭和51年(1976)に設置されました。

こころもちつけられた角度により、天気がよいと碑面の黒御影石に「ほんとの空」が反射して映えるのですが、この日は多少雲が多く……。

すぐそばに、智恵子像「ほんとの空」。
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二本松にルーツを持ち、光太郎の父・光雲の系譜に連なる彫刻家の故・橋本堅太郎氏の作です。智恵子の指さす先、雲の切れ間にわずかながら「ほんとの空」。

像の背後が大山忠作美術館さんの入っている市民交流センターさんです。
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3階が大山忠作美術館さんで、そのホワイエから見える安達太良山。
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のちほど、名誉館長にして画伯のご息女・一色采子さんによるギャラリートークがあるということで、この時点では展示は拝見せず、1階の多目的室へ。そちらで一色さんのトークイベントです。

昨年12月から照明の抜本的改修工事のため3ヶ月休館していた同館が3月1日(日)を以て再オープン(休館中は「移動美術館」として智恵子モチーフの作品などは智恵子記念館で展示されていました)、さらに昨秋、一色さんが名誉館長にご就任ということもあり、このイベントの開催ということになりました。昔から名誉館長だったと思い込んでいたのですが、そうではありませんでした。
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三保恵一市長から花束贈呈。

この後、スクリーンに画伯の作品を投影しつつ、ご家族としての視点から見た画伯のありのままの姿、それぞれの作品に込められた思いなどといったお話を。「私は学芸員ではないので、専門的なためになるお話はできません」と謙遜なさっていましたが、実は一色さん、女子美短大のご出身ですので、構図のお話などなかなか鋭い視点でのものでした。

この後、3階に移動、一色さんによるギャラリートーク。再オープンに伴う展示替えで「本日は日本画日和」と題された展示になっています。
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000今回は複数ある智恵子を描いた作品のうち、「霧(高村智恵子)」が展示されています。100号超の大きさで平成7年(1995)の日展出品作とのことです。当方、実作を見たのは今回が初めてだったかも知れません。

この作品に関しても、一色さん、鋭いご説明。画伯ご本人もそうおっしゃっていたのかも知れませんが、「失敗作」だそうで。他の作品でもそういう試みをなさっていたとのことですが、風景画と人物画の融合を狙ったものの、それが中途半端に終わってしまっていると。

しかし腐すだけでなく「心を病んで頭の中に「霧」がかかっている智恵子さんの状態はよく表せている」。なるほど、と思いました。

ちなみに画伯のお母さまは生前の智恵子をよく見かけたそうです。いつも綺麗な着物を着ていたそうで。

ショップには「霧」をプリントしたA4判クリアファイル、しっかり並んでいました。
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再オープンに伴い新たに作られたパンフレット。100部いただいて来ましたので、4月2日(木)、当会主催の連翹忌の集いご参加の方には差し上げます。ちなみに連翹忌の集いでは、一色さんと渡辺えりさんが光太郎詩朗読をなさってくださいます。
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目玉作の一つとして(今回は展示されていませんが)、「智恵子に扮する有馬稲子像」も載っています。昭和51年(1976)、「松竹女優名作シリーズ有馬稲子公演」中の北條秀司作「智恵子抄」で智恵子役だった有馬稲子さんを描いたものです。
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右上は、ついでですので一色さんと当方(笑)。

そんなこんなの福島レポート、以上で終わります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)76 『荻原守衛』

平成18年(2006)7月20日 碌山美術館 高村光太郎著
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目次
 死んだ荻原君
 荻原守衛
 荻原守衛―アトリエにて5―

光太郎の親友だった碌山荻原守衛を顕彰する信州安曇野の碌山美術館さんの発行。光太郎文筆作品のうち、守衛をメインにした3篇――エッセイ「死んだ荻原君」(明治43年=1910『方寸』)、詩「荻原守衛」(昭和11年=1396 『詩洋』)、エッセイ「荻原守衛―アトリエにて5―」(昭和29年=1954 『新潮』)を収めた冊子です。

これを光太郎の「本人著作」と言っていいのかどうかという気もしますが、さりとて他のどのカテゴリに分類すればいいのか、ということにもなりますので……。

3月15日(日)、いわき市立草野心平記念文学館さんを後に、智恵子の故郷・二本松に愛車を向けました。

二本松でのメインの目的は、市立の大山忠作美術館さんでの名誉館長・大山采子(芸名・一色采子)さんによるトークイベントでしたが、開会まで時間があるので、その前に智恵子のソウルマウンテン・安達太良山方面に。

東北道二本松ICで下り、国道459号線に入って山麓から見た安達太良山。まだ雪を戴いています。
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目指すは「チーズケーキ工房・カフェ風花&もりのこうぼう」さん。岳温泉さんの中心街を土湯温泉さん方面に向かって通り過ぎ、1,5㌔㍍ほどの場所です。
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以前から足を運ぼうと思いつつ、なかなか果たせませんで、今回初の訪問。

こちらでは令和2年(2020)に「ほんとの空のクリームソーダ」を発売、その後、郡山市で開催された物産展などにも出店され、「ほんとの空のクリームソーダ」も販売なさったりされました。また、昨年には夏限定メニューとして「ほんとの空」をイメージした「星降るレアチーズケーキ」などもラインナップに。

さらに先月、新商品として瓶詰めの「ほんとの空サイダー(あおぞら)」をご発表。
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その時点で御紹介しようとも考えたのですが、どうせなら買いに行ってしまえ、というわけで(笑)。

で、店内。ありました。
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さらにカップに入ったテイクアウトタイプの「ほんとの空ソーダ」も健在。
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こちらはクリームの有無、それから「あおぞら」と「ゆうぐれ」が選べます。

まだ寒いということもあり(敷地内にも雪が残っていました)、クリームなしの「あおぞら」を注文しました。
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店外のテラス席で、わかりにくいのですが安達太良山をバックに。

右下の赤い箱は、土産を買って帰らないとふくれる(常に膨れていますが(笑))妻に、「にゃんサンド」。
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サイダーは

安達太良山の上に広がる「ほんとの空」(智恵子抄より)の空色をイメージした、青く透き通ったサイダーです♪ 福島県産のりんご果汁を使用した、爽やかなりんご味🍎 天然着色料を使用したこだわりの青色です✨ ラベルには、二本松市の上川崎和紙で安達太良山の風景を表現にしました⛰️ ご旅行やお出かけ、ドライブ🚗で見た『ほんとの空』の思い出をぜひお持ち帰りしませんか?🤗

だそうで、地産地消の観点からもすぐれものですね。特にラベルが上川崎和紙だというのには驚きました。

その後、市街へ向かう愛車を運転しつつ、テイクアウト用のカップ入りをいただきました。

皆様も二本松に行かれる際は、ぜひこちらまで足を伸ばし、「ほんとの空サイダー/ソーダ」お試し下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)75 『ロダンの言葉』覆刻

平成12年(2000)12月1日 沖積舎 高村光太郎編訳
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目次
 ロダンの芸術(カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其  他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)   同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)
 アウギユスト ロダン(オクターヴ ミルボー)
 若き芸術家達に(遺稿)
 ロダン手記
  花について 女の肖像
  芸術家の一日
    庭園の朝 古代彫刻の断片 庭園の夕
  ゴチツクの線と構造
    ゴチツク建築家は写真家である 面と相反と 釣合の知識 石のレース細工 外陣
    くりかた
  芸術と自然
    古代芸術―ギリシヤ 古代芸術の豊かさは肉づけにある 高肉とキヤロスキユロ
    ローマ及ローマ芸術 アメリカの為に
  ゴチツクの天才
    ノートルダム サン トウスターシユ 彫刻に於ける色調 十八世紀 断片 
   五部のスレスコ 手紙
 ギユスターヴ コキヨ筆録
 ジユヂト クラデル筆録
 フレデリク ロートン外二三氏筆録
 ポール グゼル筆録
  「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美
 「本寺」より(手記)
  断片 ムラン マント ネエル アミヤン ル マン ソワツソン シヤルトル
 解説 金原宏行

名著の復刻がちょっとしたブームになっていたので、その流れでというわけでしょう。大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た初版『続ロダンの言葉』を一冊にまとめた厚冊です。新たに版下を組むのではなく、正続それぞれを写真製版し(続の方はオリジナルかららしいのですが、正の方は昭和4年(1929)刊行の普及版からのようです)、そのまま使っています。したがって旧字旧仮名です。美術評論家の金原宏行氏が解説をご執筆されています。

昨日は福島県の浜通り地区、中通り地区をうろうろしておりました。

まず向かったのは、当会の祖・草野心平を顕彰するいわき市の市立草野心平記念文学館さん。こちらでは企画展「草野心平と川内村」が一昨日に始まりまして、その拝観。
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光太郎智恵子には直接関わらないのですが、川内村は当方も毎年のように訪れさせていただいており、これは観ておかなければ、と思い、参じた次第です。

心平はいわき市の出身ですが、川内村の名誉村民に認定していただいております。そもそもは昭和24年(1949)、蛙をこよなく愛した心平の「モリアオガエルを見たい」という発言に、村の長福寺さんの矢内俊晃住職が、モリアオガエルの棲む平伏沼(へぶすぬま)が村にあるので来てほしいと手紙を出して招いたことに始まります。心平の川内村訪問は4年後の昭和28年(1953)が最初でした。

その後、すっかり同村の風土や人情が気に入った心平は、長福寺さんを宿にして何度も訪村し、心平は蔵書3,000冊を寄贈、昭和41年(1966)にはそれを納める場所兼心平の別荘として、「天山文庫」が建てられました。設立協力委員には、心平と親しかった髙村豊周(光太郎実弟)も名を連ねました。心平、長い時は半年程もここに滞在したそうです。毎年7月(雨さえ降らなければ)、ここで心平を偲ぶ「天山祭り」が開催されています。

いただいてきた簡易図録(全8ページ)の裏表紙には天山文庫、長福寺さん、平伏沼の紹介も。
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展示は長福寺さん、元同村教育長の石井芳信氏、そして同村教育委員会さん所蔵のもの。
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長福寺さん所蔵の書が圧巻でした。同寺や平伏沼に建てられた心平碑の原本となった書など。
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今回お貸し下さったのが10点ほど。特に村との関わりが色濃く表れているものに限ったとのことで、同寺ではそうでもない書をまだまだたくさんお持ちだそうです。それから村と心平を結びつけた矢内住職宛の書簡。交流のさまが生き生きと残る貴重なものです。簡易図録にはそれらの画像が無く、ちょっと残念でしたが。

それから心平の写る村での写真類が半切ほどのパネルでずらっと。天山文庫と同じ敷地内にあるかわうち草野心平記念館(阿武隈民芸館)さんにも類似のもの展示されていたり、平成元年(1989)に同村教育委員会さん刊行の『草野心平とかわうち』という書籍にやはり村でのショットが掲載されたりしていますが、それらとかぶるものがほとんど無く、ほぼ初見のものばかりで「へー」という感じでした。前日に開幕のテープカットで訪れられた遠藤雄幸川内村長も、見たことが無い写真が多いと驚かれていたそうです。
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それらは簡易図録やフライヤーにに掲載されています。
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また簡易図録には、心平と同村との交流に絞った年譜も。こちらには豊周が「天山文庫設立協力委員」の一人だったことも記されています。
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ちなみに今回の展示、天山文庫の落成と、第一回天山祭りの開催が昭和41年(1966)、そこから数えて60周年の記念という意味合いでの企画だそうで。会期は6月7日(日)までと、かなり長めです。
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それから同時開催で「スポット展示 草野天平」(3月22日(日)まで)。天平は心平の7歳下の弟で、やはり詩人。妻の梅乃ともども光太郎とも交流がありました。昭和27年(1952)、数え43歳で病没。没後の昭和34年(1959)、『定本草野天平詩集』で第2回高村光太郎賞を受賞しました。同賞は『高村光太郎全集』の印税を原資に、豊周の発案で詩と造型の2部門、10年間の期間限定で実施されたものです。

また、4月25日(土)~5月24日(日)の期間に、「小さな企画展 モリアオガエル展」が開催されるということです。

ぜひ足をお運び下さい。

……「ぜひ足をお運びください」と言えば、川内村自体にも。

東日本大震災から15年が経ち、同村の置かれている現状、非常に厳しいものがあります。今年の3.11当日にNHKさんで放映された「NHKスペシャル わたしたちの“復興” 震災15年・当事者たちの告白」を拝見し、「いやー、これほどか」と改めて思いました。

45分の番組中、3分の1ほどをとって、遠藤村長への密着取材。
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過去のアーカイヴ映像を交え、村役場はもちろん、都内の陳情先、ご自宅にも。

いつも天山祭りでお会いする村長は、にこやかにそしてユーモラスに振る舞われていますが、その陰にこれほどの苦悩がおありだったかと、粛然とさせられました。
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訪れるだけでもささやかな復興支援となります。衷心よりよろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)73 『道程』愛蔵版

平成11年(1999)12月25日 日本図書センター 高村光太郎著
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目次

 一九一〇年
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
 一九一一年
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
  新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏 なまけもの
  手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの あつき日
  父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
 一九一二年
  青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ
  おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
  或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日 戦闘
 一九一三年
  人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩
  牛 僕等
 一九一四年
  道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
  五月の土壌 淫心 秋の祈
 解題 越山美樹
 全集・主要参考文献
 年譜

日本図書センターさんでは、この時期「愛蔵版詩集シリーズ」と銘打って、40冊を刊行。大正3年(1914)初版の『道程』もラインナップに入れて下さいました。

現在開催中の企画展示についての報道を2件。

まず、『秋田魁新報』さん、鹿角市十和田図書館さんで開催中の「本の芸術家が生んだ浪漫の世界」について。

出版社「龍星閣」を設立、澤田伊四郎の業績知って 十和田図書館で資料展

 出版社「龍星閣」を設立した秋田県小坂町出身の澤田伊四郎(1904~88年)ゆかりの資料を集めた展示=写真=が、鹿角市の十和田図書館で開かれている。27日まで。
 芸術性の高い装丁にこだわった澤田。画家・竹久夢二の画集の権利を買い取り、龍星閣から順次刊行して夢二の再ブームに一役買ったとされる。
 展示は、鹿角市在住の澤田の親族が寄贈した、夢二のポストカード大の作品を中心に約230点陳列。妻を亡くした高村光太郎に、澤田が詩作を提案したという龍星閣刊の「智恵子抄」も並ぶ。小林光代館長は「地域の先人の業績を知ってほしい」と話す。
 午前9時~午後7時(最終日は1時)。月曜休館。問い合わせは十和田図書館TEL0186・35・3239
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続いて『京都新聞』さん。こちらは細見美術館さんで開催中の特別展「志村ふくみ 百一寿 ―夢の浮橋―」 の紹介。

特別展 「志村ふくみ 百一寿 ―夢の浮橋―」 3日から細見美術館で

 紬織(つむぎおり)の人間国宝で随筆家でもある志村ふくみさんは、命ある植物から引き出した色で独自の美を追求し続けている。京都市左京区の細見美術館で3日に始まる特別展「志村ふくみ 百一寿-夢の浮橋-」では、昨年秋に101歳を迎えた志村さんが監修した新作2領など約40件を観覧できる。
 特別展のために制作した二つの新作は、志村さんがライフワークとする「源氏物語シリーズ」の作品だ。展覧会のタイトルにもなっている「夢の浮橋」は源氏物語の最終巻の名前。そこに登場する浮舟は、薫と匂宮の間で揺れ、やがて俗世を離れた。志村さんの娘、洋子さんは「母は年を重ね、源氏物語でもキラキラした前半より終盤の宇治十帖を意識するようになった。夢の浮橋については、約5年前から構想していた」と語る。作品は、美しくかれんな浮舟がまとう着物をイメージして制作された。
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《夢の浮橋》2025年         《朧月夜》2025年

 もう一つの新作「朧月夜」は、源氏を惑わせて失脚の一因をつくった女性の名だ。情熱的で華やかな宮廷恋愛を楽しんだ朧月夜だが、作品の色は華やかさとは真逆。「ミステリアスな部分がないと、源氏は好きにならなかった」(洋子さん)。
 この二つの新作には、生の紫根が用いられている。志村さんが大切にする色「紫」を生み出す植物だが、生産量は年々減少している。志村さんの孫、宏さんが滋賀県で紫根の生産を始めたことで新鮮な紫根が手に入り、洋子さんは「より美しい紫が出せた」と喜ぶ。
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《若紫》2007年          小袖《Francesco》2020年

新作2領や能衣装も
 作家の故石牟礼道子さんの遺作で、2018年に初演された新作能「沖宮(おきのみや)」の衣装も並ぶ。沖宮は石牟礼さんの故郷の天草を舞台に、干ばつに苦しむ村のため人柱になる少女・あやを、島原の乱で散った天草四郎の霊が導くという物語だ。
 東日本大震災後、生命の尊さ、自然への畏敬が薄れる現代日本に危機感を抱いた石牟礼さんは、友人の志村さんと往復書簡を交わす中で、新作能の構想を育んだという。衣装はすべて志村さんが監修した。あやがまとう「紅扇」は関西初公開。鮮やかな緋色を間近で見ることができる。
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舞衣《紅扇》2021年

 志村さんはこれまでに織ってきた着物の残り布や小さな端切れを、愛おしいものとして大切に保管してきた。これらの布を使ったコラージュ作品も会場に並ぶ。
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《雛形 蛍 生絹》2006年     《雛形 紫格子白段》 2006年
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《五月のウナ電》 詩 高村光太郎 書・裂 志村ふくみ【後期展示】

■会  期 前期=3月3日(火)~4月12日(日)

       後期=4月14日(火)~5月31日(日)。
       月曜日と5月7日休館(5月4日は開館)
■会  場 細見美術館(京都市左京区岡崎最勝寺町)
■開館時間 午前10時~午後5時
■入館料  一般2000円、学生1500円。会期中、着物姿で来館すると200円割引。
■主  催 細見美術館、京都新聞
■協  力 都機工房、アトリエシムラ
■監  修 志村ふくみ、志村洋子

キャプションにある通り、「五月のウナ電」は4月14日(火)からの後期展示です。

それぞれ、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)73 『詩集 智恵子抄』愛蔵版

平成11年(1999)3月25日 日本図書センター 高村光太郎著
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目次
 人に             明治四五年七月
 或る夜のこころ        明治四五年八月
 おそれ            明治四五年八月
 或る宵            大正元年一〇月
 郊外の人に          大正元年一一月
 冬の朝のめざめ        大正元年一一月
 深夜の雪           大正二年二月
 人類の泉           大正二年三月
 僕等             大正二年一二月
 愛の嘆美           大正三年二月 
 晩餐             大正三年四月
 樹下の二人          大正一二年三月一一日
 狂奔する牛          大正一四年六月一七日
 鯰              大正一五年二月五日
 夜の二人           大正一五年三月一一日
 あなたはだんだんきれいになる 昭和二年一月六日
 あどけない話         昭和三年五月十日
 同棲同類           昭和三年八月一六日
 美の監禁に手渡す者      昭和六年三月一二日
 人生遠視           昭和一〇年一月二二日
 風にのる智恵子        昭和一〇年四月二五日
 千鳥と遊ぶ智恵子       昭和一二年七月一一日
 値ひがたき智恵子       昭和一二年七月一二日
 山麓の二人          昭和一三年六月二〇日
 或る日の記          昭和一三年八月二七日
 レモン哀歌          昭和一四年二月二三日
 荒涼たる帰宅         昭和一六年六月一一日
 亡き人に           昭和一四年七月一六日
 梅酒             昭和一五年三月三一日
 うた六首                         
 智恵子の半生         昭和一五年九月
 九十九里浜の初夏       昭和一六年五月
 智恵子の切抜絵        昭和一四年一月
 校訂覚え書 北川太一
 年譜 北川太一

「智恵子抄裁判」の結果、龍星閣で出していた『智恵子抄』は出版差し止めとなりました。他のいろいろな『智恵子抄』がありましたが、昭和16年(1941)のオリジナルの形のものが無くなってしまったということで、当会顧問であらせられた北川太一先生が仕掛け人となって刊行されました。

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