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宮城県牡鹿郡女川町。昨年三月の東日本大震災で20㍍を超える津波に襲われ、激甚な被害に見舞われた地です。俳優の中村雅俊さんの故郷でもあるそうです。
 
この地で平成4年(1992)から毎年、「女川・光太郎祭」というイベントが開かれています。
 
北川太一先生の近著『光太郎智恵子 うつくしきもの「三陸廻り」から「みちのく便り」まで』(このブログ6月24日の項参照)に詳しく書かれていますが、昭和6年(1931)夏、光太郎は『時事新報』に連載された紀行文「三陸廻り」執筆のため、約1ヶ月の行程で三陸地方を旅しています。女川にもその際に立ち寄りました。
 
光太郎がこの地を訪れたことを記念し、平成3年(1991)、女川港を望む海岸公園に、4基の石碑が建てられました。地元有志の方々が中心となって立ち上げた「女川・光太郎の会」が設立母体です。碑については明日のブログで詳しくご紹介します。

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翌平成4年(1992)から毎年8月9日(光太郎が三陸へ旅立った日)に、その海岸公園を会場にして「女川・光太郎祭」というイベントが開かれています。ほぼ毎年、北川太一先生によるご講演があったり、地元の方々による合唱や朗読、連翹忌常連のオペラ歌手・本宮寛子さん、シャンソン歌手・モンデンモモさん、ギタリスト・宮川菊佳さんらのアトラクションなどで、おおいに盛り上がっていたとのことです(当方、女川には行ったことがありますが、光太郎祭には参加したことがありません)。

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平成14年(2002)には、それまでの北川先生のご講演の筆録が一冊の本にまとまりました。約400頁の堂々たるものです。

「高村光太郎を語る-光太郎祭講演-」北川太一著 平成14年4月2日 女川・光太郎の会発行

非売品ですが、時折古書店サイト等で見かけます。是非お読み下さい。

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これらの活動の中心となって獅子奮迅の活躍をなさっていた女川・光太郎の会事務局長の貝(佐々木)廣氏。やはり連翹忌の常連でしたし、他のイベント等でもご一緒させていただいたことがありました。ものすごい行動力と、繊細な気づかいの心を持ち合わせた方でした。「でした」と、過去形にしなければならないのが残念です……。
 
震災直後、東北地方沿岸が激甚な被害に見舞われたということで、北川先生をはじめ、仲間うちで貝氏の消息について情報収集に努めましたが、なかなか消息がわかりませんでした。一度はネット上で避難所に入った方のリスト(手書きコピーのPDFファイル)にお名前を見つけ、安心したのですが、よく見るとお名前の上にうっすらと横線。単なる汚れなのか、それとも抹消されたということなのか、前者であって欲しいという願いも虚しく、津波に呑み込まれたという報が届きました。それでもまだどこかでひょっこり生き延びていられるのではと、一縷の望みを持っていましたが、やがて、ご遺体発見の報。ショックでした……。
 
テレビやネットで女川の惨状を見るにつけ、心が痛みました。しかし、事実を認めたくなくて、女川には足が向きませんでした。自分の中では、女川は豊かな緑に囲まれた美しい港町、そこに行けば貝氏が元気な笑顔で迎えて下さる街、そのままの姿で取っておきたいという思いでした。
 
昨夏、数えてみれば20回目の女川・光太郎祭。例年届いていた案内状も来ず、「もはや光太郎祭どころではないのだろう」と思つていました。しかし、あにはからんや、会場こそ女川第一小学校に移ったものの、しっかりと第20回女川・光太郎祭が開催されたとのこと。人間の持つ、逆境に屈しないパワーを改めて感じました。

さて、今年も第21回の女川・光太郎祭が開催されます。女川・光太郎の会の皆さん、さらには北川先生が高校教諭をなさっていた頃の教え子の皆さんの集まりである北斗会の方々のお骨折りです。
 
期日は例年通りの8月9日(木)。会場は女川の仮設住宅だそうです。15:00から北川先生のご講演。会場を移し、18:30から石巻グランドホテルにて懇親会。当方、北斗会の皆さんが手配して下さいまして、当日朝7時に池袋から貸し切りバスが出ますので、それに便乗します。帰着は翌10日の夕方です。お近くの方、そうでない方も御都合のつく方は、ぜひご参加ください。連絡をいただければ取り次ぎは致します。

2日続けて既に他の雑誌等に発表された文章が「転載」されている例を紹介しました。「転載」がらみでは他にも色々なケースがあります。
 
具体例を挙げましょう。
 
『高村光太郎全集』第19巻には「ツルゲーネフの再吟味」という短い文章が載っています。これは昭和11年(1936)、六芸社から発行された『ツルゲーネフ全集』新修普及版の内容見本(広告的な冊子)から採録したものです。ところがその後、遡ること2年、昭和9年(1934)に発行された『ツルゲーネフ全集』のオリジナル版の内容見本を発見しました。こちらにも光太郎の「ツルゲーネフの再吟味」が掲載されています。
 
それだけなら、『高村光太郎全集』の解題を訂正すればいいだけの話です。前回紹介した「天川原の朝」などと同じパターンです。ところが、オリジナル版と新修普及版、それぞれを読み比べてみると、オリジナル版の方が長いのです。つまり新修普及版の内容見本に転載(というか再録)する際に、オリジナル版の内容から一部をカットしているわけです。こうなると、優先されるのはカットされる前のオリジナル版の方ということになります。そこで、平成18年(2006)発行の「光太郎遺珠」②に全文を掲載しました。
 
こういう例は他にもあります。
 
昭和28年(1953)6月1日発行の『女性教養』第173号という雑誌をネットで入手しました。光太郎の「炉辺雑感」という長い散文(講演の筆録)が載っており、当方作成のリストに載っていなかったからです。さて、手許に届いて早速読んでみましたところ、読み進めていくうちに、「あれ、これ、読んだことあるぞ」と気づきました。出てくるエピソード-その昔、キリスト教に興味を持ちながらどうしても入信に踏み切れなかった話、花巻の山小屋での農作業の話など-が記憶に残っていました。「ちっ、転載か」と思い、調べてみると、『全集』第10巻所収の『婦人公論』第37巻第6号に載った「美と真実の生活」という題名の講演会筆録と内容がかぶっています。ところがこれも、今回入手した『女性教養』の「炉辺雑感」の方が長いのです。『婦人公論』の「美と真実の生活」は、『女性教養』の「炉辺雑感」を換骨奪胎し、7割程の長さに圧縮してあることが分かりました。不思議なことに、両方とも昭和28年(1953)6月1日発行です。まあ、実際に店頭に並んだのは奥付記載の発行日通りではないかも知れませんが。これなどはちょっと変わったケースです。「炉辺雑感」、来年4月発行予定の『高村光太郎研究34』に所収予定の「光太郎遺珠」⑧に掲載予定です(「予定」ばかりですみません)。

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また、「転載」の結果、ほとんど別の作品に変わってしまっている、という例もあります。
 
よく知られている有名な詩「道程」。たった9行の短い詩ですが、大正3年3月、雑誌『美の廃墟』に発表された段階では102行もある長い詩でした。それが8ヶ月後に詩集『道程』に収められた段階ではばっさりと削られ、たった9行に。こうなるとほとんど別の作品といっていい程の改変です。詩の場合、あまりに変えられたものは『全集』第19巻に「初出・異稿」として改変前のものもまとめて載せられています。散文でもこういうケースがあり、転載された前後で、同じ題名で内容的にも同じ、しかし細かな言い回しを含め、100カ所以上の異同などというものもあります。こうなると、次に『全集』が編纂される際には双方を掲載しなければならないかもしれません。
 
このように基礎テキストの校訂すらまだまた途上の状態です。しかし、光太郎程の人物が書き残したもの、出来る限り完全に近い形で次の世代へと受けついでいく努力は続けていきたいと思っています。

今月末に続々出た光太郎関連新資料、第3弾が昨日また届きました。一日ごとに届いています。

爆笑問題の日曜サンデー 27人の証言

TBSラジオ編 TBSサービス刊 平成24年6月25日 定価1,365円

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現在、TBSラジオで日曜日の午後にオンエアされている番組、「爆笑問題の日曜サンデー」の中に、「27人の証言」というコーナーがあります。これは有吉佐和子の小説「悪女について」になぞらえて、著名人や場所、ものにまつわる証言を集めて、今まで語られなかったエピソードを紹介するというコンセプトです。
 
 「悪女について」はインターネットサイト「フリー百科事典ウィキペディア」によれば、「女性実業家・富小路公子が突然、謎の死を遂げる。公子は持ち前の美貌と才能を駆使して、一代で財を成した一方で数々のスキャンダルを起こしたことから、マスコミからは「虚飾の女王」「魔性の女」などと悪評を書きたてられていた。物語は、そんな公子と関わった人物27人へのインタビューを綴ったものである。」とのこと。
 
「27人」というのはここからとったもので、実際には毎回5人前後の「証言」で構成されています。第1回の放送は平成20年4月。今までに150回ほどの回を重ねています。
 
その約150回の中から、15回分をえりすぐって書籍化したのがこの本です。平成21年(2009)4月5日オンエアの「高村光太郎」も含まれています。他に紹介されているのは手塚治虫、甲子園、松田優作、石ノ森章太郎、藤田嗣治、東京オリンピック、阿佐ヶ谷、夏目雅子、岡本太郎、上野動物園、阿久悠、今村昌平、太宰治、有吉佐和子。
 
光太郎の部は5人の証言、合間合間の爆笑問題のお二人のトークから成っています。TBSアナウンサー 長峰由紀氏/父から母へ送られた『智恵子抄』、元日本詩人クラブ会長 寺田弘氏/『自分の家が燃えるってのはきれいなもんだね』、北川太一先生/目上の人でも下の人でも同じ態度の人、高村光太郎記念会理事長 高村規氏/生証言、そして当方の証言・「光太郎の足は三十センチあった!?」。「真面目な」証言は諸先輩方に任せ、当方は番組的な流れを考え、小ネタで攻めました(笑)。
 
オンエアの際には元埼玉県東松山市教育長で光太郎と親交のあった田口弘氏の証言もありましたが、書籍ではカットされています。
 
本書、当初は4月に刊行の予定で、3月はじめに制作会社から連絡があってゲラの確認等をしたのですが、刊行がずれこみました。4月に入ってからは「まだか、まだか?」とやきもきしていましたが、何はともあれ無事刊行されてひと安心です。15回分で100人超の証言が載っていますので、掲載許可等の手続きが大変だったのではないでしょうか。たくさんの人の証言を集めるというコンセプトについては、本書前書きにパーソナリティーを務める爆笑問題のお二人の談話として、「放送作家を何十人もタダで雇ってるみたいなものでありがたい。」というくだりがあります。我々証言者、なんだか上手くのせられているなと笑ってしまいました。実際、オンエアに関しても、出版に関してもノーギャラですし。
 
しかし、約150回分の放送の中から書籍に選ばれたのが15回分。そこに光太郎が入ったのは嬉しい限りです。
 
さて、メジャーどころの爆笑問題のお二人の書籍ですので、一般の書店でも平積みで並ぶのではないかと思います。是非お買い求め下さい!

今月末に続々刊行の光太郎関連新資料、第2弾が昨日また届きました。この世界の第一人者、北川太一先生の新刊です。
二玄社 高村光太郎/北川太一著 平成24年6月20日 定価1,600円+税

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昭和6年(1931)、光太郎は新聞社・時事新報社の依頼で、約1ヶ月かけて、石巻から金華山、女川、気仙沼、釜石、そして宮古までをほぼ航路で旅し、紀行文「三陸廻り」を執筆しています。また、戦後、花巻郊外の山小屋で、雑誌『すばる』に「みちのく便り」という文章を断続的に連載しています。
 
本書は東北を描いたその二つの作品を軸に、同時期や二つをつなぐ時期の光太郎詩文を紹介しつつ、光太郎、さらには智恵子の内面を考える試みです。著者が「高村光太郎/北川太一」となってるのは、そういうわけです。
 
昨年の秋でしたか、千駄木の北川先生のお宅にお邪魔した際、この書籍に話になり、「なかなか進まなくて……」とぼやかれていたのを思い出します。ここ数年、手術を受けられたり、おみ足の調子もよろしくないとのことで、出歩くこともほとんどないとのことですし、御手紙には「毎日リハビリで……」というようなことも書かれています。そんな中、ついにこの書籍が刊行されたということで、我が事のように喜んでおります。
 
後にまた書きますが、ここで取り上げられた「三陸廻り」が縁で、彼の地での光太郎顕彰活動も湧き起こりました。しかし、ご存知の通りの昨年の大震災での大きな被害。顕彰活動の中心になっていた方も、あの津波に呑み込まれ、亡くなりました。そうした経緯をふまえ、北川先生は「あとがき」でこのように書かれています。
 
 光太郎の目に映り、心に残った三陸は、ことに今度の3.11の災害の後では、もうこれを読む人々のこころの中にしかありません。しかしそれは無くしてもいいものでしょうか。過去の度重なる災害から不死鳥のように蘇ったかけがえのないこの風土と人情は、更に純化され再生されなければなりません。
 
まさしくその通りだと思います。

過日のブログで、今月末には光太郎関連の新資料が続々出る旨書きました。その第一弾です。注文しておいたのが昨日届きました。朗読のCDです。 

永遠に残したい日本の詩歌大全集(5) 高村光太郎・萩原朔太郎詩集

平成24年6月20日 ポニーキャニオン 定価¥2,000
 
俳優の小林稔侍さんによる朗読です。「永遠に残したい日本の詩歌大全集」全10巻のうちの5巻目で、光太郎と萩原朔太郎の詩、それぞれ20篇余りが収録されています。ジャケット(といっていいんでしょうか、CDの場合)には取り上げられている詩の全文と、作家下重暁子氏の解説も載っています。光太郎の部のラインナップは以下の通り。
 
 1.根付の国
 2.父の顔000
 3.冬が来る
 4.冬が来た
 5.道程
 6.秋の祈
 7.クリスマスの夜
 8.落葉を浴びて立つ
 9.ぼろぼろな駝鳥
 10.秋を待つ
 11.母をおもふ
 12.当然事
 13.最低にして最高の道
 14.美しき落葉
 15.僕等
 16.樹下の二人
 17.あどけない話
 18.風にのる智恵子
 19.値ひがたき智恵子
 20.山麓の二人
 21.レモン哀歌
 22.荒涼たる帰宅
 23.裸形
 24.雪白く積めり
 25.月にぬれた手
 
小林稔侍さん独特の、やや無骨な訥々とした語り口で、聴いていて心地よいものでした。
 
小林稔侍さんといえば、平成3年(1991)11月9日にNHK総合で放映された単発のドラマ「極北の愛 智恵子と光太郎」(脚本・寺内小春)に出演、東京駒込の光太郎アトリエの隣で炭屋を営む「岩吉」という架空の人物を演じられました(アトリエの隣は実際には植木屋さんだったそうですが)。

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ドラマはその岩吉が、昭和24年、吹雪の夜に光太郎が住む花巻の山小屋を訪れるところから始まります。ちなみに光太郎役は小林薫さん。岩吉は昔からの習慣で、光太郎を「若先生」と呼びますが、光太郎ももう老齢です。「若先生」に対しての「大(おお)先生」は、故・佐藤慶さん演じる光雲です。他の主なキャストは智恵子が佐久間良子さん、田村俊子が小野みゆきさん、智恵子の最期を看取った姪の春子が喜多嶋舞さん、岩吉の奥さんが高橋ひとみさん、森鷗外に渡辺篤史さん。
 
ドラマは光太郎と岩吉、二人が昔を回想するという手法で進みます。両小林さん、いい演技をしていました。特にラスト近くの二人の会話は圧巻です。

岩 吉 すごいもんですねェ、惚れるってのは。……女にはかなわない。……人間商売やめちまう位、男に惚れることが出来るんだから……男はとてもかなわないね。

光太郎 僕は智恵子の事を詩に書いたが……どれだけ智恵子という女をわかっていたのか……。

岩 吉 あの御本は、智恵子奥様お一人だけに見せておあげになればよかったですね……。奥様はいつも若先生だけを見て生きておられたから……。

光太郎 ……。

岩 吉 お二人のことはお二人だけの心の中にそっとしまっておきたかったんじゃないですかね、奥様は。

光太郎 ……。

岩 吉 でも、あれを書いて若先生の御心が安まったことを奥様は喜んでいらっしゃいますよ、きっと。

光太郎 (呟く)智恵子に聞いてみよう。……多分もうすぐ行けるから。(微笑と咳)

岩 吉 (光太郎を見る)……。
 
ちなみにこのシーン、当方が入手した台本では「シーン121・山小屋・内」となっていますが、実際の放送を録画した映像で確認してみますと、山小屋の外で頭や肩に雪を積もらせながらの会話となっています。演出家などのスタッフの発案なのか、俳優さんの発案なのか、おもしろいところです。
 
さて、今回の朗読CD、amazonなどのオンライン販売で容易に手に入りますので、是非お求め下さい。
 
続々出る光太郎関連新資料、また届き次第ご紹介します。

今週いただいた新刊資料2冊を紹介します。奇しくも双方とも、今年亡くなった吉本隆明氏に関連するものです。

ご存知の方も多いかとは思いますが、氏は昭和三十年代から光太郎を論じはじめ、その論評が未だに我々研究者のバックボーンの一つとなっています。 

資料集 永瀬清子の詩の世界

赤磐市教育委員会編 平成24年(2012)3月31日 赤磐市教育委員会熊山分室 非売品?

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岡山県から届きました。光太郎と親交のあった詩人、赤磐市ゆかりの永瀬清子に関する資料です。以前、「遺珠」①にて永瀬宛光太郎書簡を御遺族の方を通じてご提供いただいたりしたご縁です。ありがたいことです。

光太郎の名は出て来ませんが、光太郎が序文を執筆した詩集『諸国の天女』に触れる部分等があります。

目次を抄録します。
 
 永瀬清子講演録「のびゆくひと」
 永瀬清子の詩の世界-焔に薪を 石原武
 永瀬清子の詩の世界-私は地球 吉本隆明
 対談 感覚をもとめつつ労働する 井坂洋子 伊藤敏恵
 永瀬清子の詩の世界-光っている窓 谷川俊太郎 山根基世
 永瀬清子の詩の世界- 西本多喜江
 
吉本氏をはじめ、錚々たるメンバーです。吉本氏が永瀬清子にも目を向けていたというのは、当方、寡聞にして存じませんでした。
 
それにしても、地方の一教育委員会が、地元の詩人についてこのようにしっかりと顕彰事業を行っているというのが素晴らしいと思います。当方の持論で、あちこちで同じようなことを書いたり喋ったりしていますが、どんなにすぐれた芸術作品でも、後の時代の人間がその価値を正しく理解し、次の世代へと受けつぐ努力をしなければ、やがては歴史の波の中に埋もれてしまうものです(光太郎も例外ではありません)。そういった意味では、赤磐市の取り組みは、そうはさせまいという意気込みが伝わってきます。 

雑誌『春秋』539号

春秋社 平成24年(2012)5月25日 定価71円

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当会顧問・北川太一先生から頂きました。先生の玉稿「死なない吉本」が紙面を飾っています。
 
北川先生と吉本氏は戦争を挟んだ数年間、東京府立化学工業学校・東京工業大学で机を並べ、互いのお宅を行き来する仲だったとのこと。もちろんそこには「光太郎」という共通項があったわけです。
 
これまでに発表された追悼談話の数々は、氏を半ば神格化しつつあるかと思います。確かに当方などにとっては雲上人ですし、もう少し前の世代のある立場の人々にとっては、北川先生も引用なさっている通り「日本の英雄」的な扱いも無理からぬことです。しかし、それを「「よせやい!」という彼一流の苦笑いさえ見えるようだ。」と評するあたたかな北川先生の眼差しが感じられます。
 
さて、このブログを書いている今日、これから一寝入りして国会図書館経由で福島・二本松に向かいます。

昨日入手した新刊資料を紹介します。 

 関川夏央 NHK出版 平成24年(2012)5月10日

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新刊です。新書判で、これなら近所の書店で並んでいるだろうと思っていましたが、意外と新書判の品揃えはあまり多くなく、隣の成田市の大きな書店でようやく見つけました。少し前に「新書ブーム到来か?」などといわれ、新規に参入する出版社が相次ぎましたが、現実には地方の書店ではなかなか入荷されません。昨日やっとみつけたものも、ついているはずの帯がついていませんでしたし、これが地方の現状です。
 
カバーに書かれた紹介文です。「日露戦争に勝利した一九〇五年(明治三十八)、日本は国民国家としてのピークを迎えていた。そんな時代を生きた著名文学者十二人の「当時」とその「晩年」には、近代的自我の萌芽や拝金主義の発現、海外文化の流入と受容、「表現という生業」の誕生といった現代日本と日本人の「発端」が存在した――。いまを生きる私たちと同じ悩みを持ち、同じ欲望を抱えていた「彼ら」に、現代人の祖形を探る、意欲的な試み」。
 
ちなみに12人は森鷗外、津田梅子、幸田露伴、夏目漱石、島崎藤村、国木田独歩、高村光太郎、与謝野晶子、永井荷風、野上弥生子、平塚らいてう、石川啄木です。
 
著者の関川氏は文芸評論、ノンフィクションなどを幅広く手がけ、平成10年(1998)には氏の原作、谷口ジロー氏作画の連作漫画『「坊ちゃん」の時代』で第2回手塚治虫文化賞を受賞されています。
 
『「坊ちゃん」の時代』は「凛烈たり近代 なお生彩あり明治人」をテーマに、「明治」という時代と格闘したあまたの文学者を描く群像ドラマです。完結までに10年を要した大河作品で、第1部が出た昭和62年には「漫画もここまで来たか」と驚いたことを覚えています。その後、同じような系列の作品がいろいろな方によって作られるようになりました。その意味では嚆矢です。
ラインナップは以下の通り。

 第1部「「坊っちゃん」の時代」 夏目漱石
 第2部「秋の舞姫」 森鷗外
 第3部「かの蒼空に」石川啄木
 第4部「明治流星雨」幸徳秋水
 第5部「不機嫌亭漱石」夏目漱石
 
第5部で明治43年(1910)の漱石の「修善寺の大患」を描き、「明治」の終焉が描かれましたが、「明治」を引きずり続けた「明治人」ということで、光太郎を主人公にした第6部を作ってくれないかな、などと思っていました。
 
その願いは叶いませんでしたが、本書が「「明治」を引きずり続けた「明治人」」を描くというコンセプトにもなっているようです。先に名前を挙げた12人の多くが「「坊ちゃん」の時代」に登場しています。
 
実は昨日買ってきて、まだ読んでいません。明日から1泊で福島二本松に参りますので、道中、新幹線の車内で読もうと思っています。
 
さて、「新刊」ということになると、今月末には楽しみにしていた光太郎関連の新刊が続々刊行されます。それぞれ手元に届いたら紹介しましょう。

今日も少し前に出版されたもので、光太郎関連のものをご紹介します。 

長沼智恵子と高村光太郎 純愛の検証-『智恵子抄』の物語

 鈴木豊次著 東京文芸館 平成21年(2009)4月8日 定価2,000円+税

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『智恵子抄』および『智恵子抄その後』に収められた詩篇をたどりつつ、光太郎・智恵子の世界観に迫っています。目次を抄録させていただきましょう。

 序章 「『智恵子抄』の物語」理解のために
  1 『智恵子抄』についての疑問
  2 『智恵子抄』のテキスト
 第一章 「あなた」と呼ばれる智恵子-恋愛の時代-
  1 犬吠岬(正しくは「埼」)・上高地の「僕等」
  2 新しい女・智恵子の結婚
 第二章 「樹下の二人」あなたから智恵子へ-結婚の時代-
  1 「樹下の二人」までの空白
  2 病みがちだった智恵子と「樹下の二人」
  3 安達町智恵子記念館
     閑話休題 光太郎と真壁仁  「樹下の二人」の詩碑
  4 天上的な智恵子
  5 光太郎の「同棲同類」
  6 智恵子にとっての「同棲同類」
  7 あどけない話
     閑話休題 光太郎と中原綾子
 第三章 智恵子狂気-狂気の時代-
  1 「人生遠視」
  2 狂気する妻
  3 「千鳥と遊ぶ智恵子」と九十九里浜
     閑話休題 九十九里浜有情
 第四章 「レモン哀歌」-智恵子回想-
 第五章 智恵子に-智恵子への報告-
 終 章 『智恵子抄』の評価をめぐって
 補 遺 『智恵子抄』余聞
  カミーユ・クローデルについて 室生犀星の「光太郎の印象」について
  丸山薫が『智恵子抄』を「あれはお線香だよ」といい捨てたことについて
 
 220頁ほどの労作ですが、残念なことにネット販売では取り扱っていないようです。一般の書店で注文するしかないかもしれません。当方は古書店の在庫目録で見つけました。 

恋する女 一葉・晶子・らいてうの時代と文学

 高良留美子著 學藝書林 平成21年(2009)6月5日 定価3,000円+税

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女流詩人であり、ジェンダー的な方面にも造詣の深い著者による評論集です。「Ⅰ 一葉の恋」「Ⅱ 晶子の挑発」「Ⅲ らいてうの飛翔」ときて「Ⅳ ロマンティック・ラブの時代へ」の中に「第3章 三角形の恋 光太郎・智恵子・俊子-女性へのサディズムと火あぶり幻想」(書き下ろし)が含まれています。
 
この部分以外でも、光太郎・智恵子と交流のあった与謝野晶子や平塚らいてう等に関する部分も興味深く拝読しました。こちらはネットでも手に入りそうです。
 
もう少し、この項目を続けます。

最近入手した光太郎関連の書籍のうち、比較的最近出版されたものを紹介します。 

第66回安古びた登山日記

市川五十二著 風詠社 平成23年(2011)11月29日 定価1,575円

著者の市川氏は登山を趣味とされている方です。著者曰く「過去の山行から六つを選び、山岳小説風にまとめたものが本書である」とのことで、第一章が「ほんとの空に抱かれし山 安達太良山」。光太郎、智恵子の文筆作品を引きながら、二本松・旧安達町の智恵子記念館やその裏手の鞍石山への訪問記が書かれています。
 
第二章は「みちのくの山 早池峰と岩手山」。やはり光太郎が愛した山ですが、ここでは光太郎には触れられず、宮澤賢治や石川啄木にからめられています。
 
ちなみに当方、今週末には久しぶりに二本松に行って参ります。

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詩の在りか-口語自由詩をめぐる問い

佐藤伸宏著 笠間書院 平成23年(2011)3月15日 定価3,200円+税

東北大学教授である著者による論考です。光太郎、室生犀星、萩原朔太郎、三富朽葉の4人に焦点を当て、口語自由詩がいかに生まれ、根付いていったかが論じられています。
 
光太郎に関しては第二章「口語自由詩と<声>-高村光太郎『道程』」「1高村光太郎の<自由詩>の理念」「2 光太郎に於ける<文語自由詩/口語自由詩/小曲>」「3 光太郎に於ける口語自由詩の確立」に分け、詳細に述べられています。

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「専門馬鹿」という言葉があります。自分の専門分野だけは詳しいが、他はさっぱり、という意味ですね。そうならないように、近・現代の詩や美術の流れの中での光太郎の位置付けや、周辺人物との関わりの中での光太郎像といった点にも目を向けなければ、と思っています。

今日は第67回千葉県合唱祭に参加してきました。これは、千葉県合唱連盟に加盟している合唱団が、6/3、6/10、6/17の3日間、3会場に分かれて発表し合うというものです。コンクール形式ではないので、コンクールでは全国大会常連の団から、結成して日の浅い団まで、老若男女、混声・男声・女声、それぞれの持ち味を生かした合唱が聴けます。
 
当方の所属する合唱団は、光太郎の朋友・吉井勇作詞の「ゴンドラの歌」他1曲を歌いました。なぜか客席から「bravo!」の声が。それなりに存在感を示せたのではないかと思っています。
 
さて、当方の所属する合唱団の3つ後は、船橋を拠点とする歴史ある男声合唱団、HGメンネルコールさんの演奏でした。曲目は先日のブログで紹介した清水脩作曲の「智恵子抄巻末のうた六首」。男声合唱では定番の曲の一つなのですが、当方、生演奏で聞くのは初めてで、ラッキーでした。詩集「智恵子抄」に収められた短歌六首を無伴奏合唱曲にしたものです。

 ひとむきにむしやぶりつきて為事(しごと)するわれをさびしと思ふな智恵子
 気ちがひといふおどろしき言葉もて人は智恵子をよばむとすなり
 いちめんに松の花粉は浜をとび智恵子尾長のともがらとなる
 わが為事いのちかたむけて成るきはを智恵子は知りき知りていたみき
 この家に智恵子の息吹みちてのこりひとりめつぶる吾(あ)をいねしめず
 光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき
 
一時期、それがあまり作られず不満に思っていたのですが、このところ、光太郎作詞、というか光太郎の詩に曲を付けた合唱曲がまた少しずつ世に出ています。
 
智恵子の母校、福島高等女学校の後継校である福島県立橘高等学校合唱団さんは、光太郎の詩に曲を付けた鈴木輝昭氏の作品(委嘱作品だと思われます)で、ここ3年間、全日本合唱コンクール全国大会入賞を続けています。平成21年が「レモン哀歌」(金賞)、22年が「裸形」(銀賞)、昨年が「亡き人に」(銀賞)。橘さんの入賞自体はその前からですが、光太郎作品で、というのが嬉しいですね。智恵子の後輩達、頑張っています! ちなみにCDも発売されています。

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それから別の鈴木氏ですが、昨年から今年にかけ、鈴木憲夫氏作曲の合唱曲「レモン哀歌」の女声版混声版がカワイ出版から相次いで出版されましたし、合唱ではありませんが同じ鈴木憲夫氏の「歌曲集レモン哀歌」も出版されています。

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こうした分野でももっともっと光太郎が取り上げられ、それを演奏する人、聴く人が、光太郎・智恵子の世界に興味を持ってくれれば、と思っております。

一昨日観て参りました渡辺えりさん率いる劇団おふぃす3○○(さんじゅうまる)の舞台、「月にぬれた手」と「天使猫」、会場の座・高円寺ロビーで売られていた資料を紹介します。 

「月にぬれた手」「天使猫」パンフレット

A4判36ページの厚いもので、内容も盛りだくさんです。各出演者のプロフィールや一言のページには直筆サイン入りです。
その他、以下の文章が載っており、大変興味深く拝読致しました。
 鵜山仁「再演にあたって」
 北川太一「高村光太郎のたどった道」
 「光太郎、ある日」北川太一さんの日記から
 渡辺正治「昭和20年4月10日光太郎先生との一期一会」(以前紹介した『月刊絵手紙』に載った文章とほぼ同一です)
 「月にぬれた手」出演者トーク「高村光太郎のアトリエを訪ねて…。」
 内河啓介「岩手旅行記」
 宮澤和樹「高村光太郎先生と宮澤賢治」
 安斉重夫「宮澤賢治の作品の魅力を鉄で表す」
 渡辺えり「東北の地の感情」


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雑誌『悲劇喜劇』第64巻第6号

2011,6 早川書房

演劇専門誌です。「月にぬれた手」のシナリオ全文が掲載されています。

当方、昨年、渡辺さんから直接いただきました。

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牛田守彦著 ぶんしん出版 

先日の「徹子の部屋」をレポートした時のブログにも載せましたが、光太郎と親交のあった渡辺さんのお父様・正治氏(中島飛行機-現・富士重工=自動車のスバルのメーカーです-に動員されていました)の体験が書かれています。帯にはえりさんの推薦文。

「月にぬれた手」にはえりさんのご両親をモデルにした登場人物もいて、ほぼ正確に光太郎とのエピソードが使われています。

それ以外にも悲惨な空襲の実態が豊富な写真や表などを使って語られており、こうした記憶を風化させまいとする筆者の熱意が伝わってきます。

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昨日、朗読を扱ったコミック、片山ユキヲ『花もて語れ』を紹介しましたので、コミックつながりでもう一冊、最近入手したものを紹介します。 

 真山知幸監修 平成24年(2012)2月16日 東京書籍 定価1200円+税

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帯に記されたコピーです。「すすり泣く漱石、意地をはる中也。不器用だけど、あったかい。漱石も鷗外も太宰も、恋をしたから文学できた。日本文学史上にかがやく文豪たち10人の恋バナが切ない系コミックになりました。」このコピーを書いたライターさんには感心します。これだけ読めばよく内容がわかるようにしっかりと凝縮されていますので。
 
扱われているのは他に谷崎潤一郎、芥川龍之介、石川啄木、川端康成、島崎藤村。そして光太郎も。光太郎の項は「空を見つけて」というサブタイトルで、14ページ。作画はyocoさん。やはり『智恵子抄』から「あどけない話」「レモン哀歌」などをベースにまとめています。
 
こういった文学入門的なものを契機に、それぞれの作家の作品、生涯に興味を持ってくれる方が増えることを願ってやみません。

話は変わりますが、「シューマンと智恵子抄」朗読の荒井真澄さんからメールを頂きました。過分な御礼の言葉に恐縮しきりです。
 
添付されていた画像です。左から墨画の一関恵美さん、朗読の荒井真澄さん、ピアノの齋藤卓子さんです。

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全国の表現者のみなさん。こういった光太郎・智恵子を扱うイベントがあればできる限り駆けつけますので、お声がけ下さい。

朗読イベントに出かけて参りましたので、最近入手した光太郎を扱った朗読関連の物を紹介しましょう。 

片山ユキヲ 平成23年(2011)4月4日 小学館 定価562円+税

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小学館の『月刊!スピリッツ』に連載されていたコミックス(漫画)です。この5月から掲載誌が週刊の『ビッグコミックスピリッツ』に移行しました。作画は片山ユキヲ氏。
 
ここ数年、いろいろな分野(それも一般にはなじみの薄い意外な分野)が漫画のモチーフとなり、成功を収めている例が目立ちます。クラシック音楽、百人一首や書道など。この「花もて語れ」は朗読をモチーフにした漫画で、引っ込み思案なダメOLと、引きこもりの経験を持つ社長令嬢が、朗読を通して成長していくというストーリーです。日本朗読館主宰の東百道氏が監修しています。
 
現在、4巻まで発行されていますが、そのうち2巻目に、光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」の朗読が扱われています。他には宮澤賢治「やまなし」「春と修羅」、斎藤隆介「花咲き山」など。
 
漫画家とよ田みのる氏による推薦文です。

想いは届く! なんて愛おしい漫画でしょうか。朗読で人が救われるお話です。フィクションだと思いますか。いえいえ現実だってそんなことは起こるんです。漫画も朗読も同じ様に、精一杯思いを込め、あなたに届けと願います。そしてそれが届いた時、ちょっとだけ心が広くなりお互いが救われるのです。そんな奇跡を描いたキラキラと輝くような本当に大切な物語です。この作品に込められた想いがあなたに届きますように!
 
ぜひ読んでみて下さい!

今日はこれから放送される光太郎関連のテレビ番組から。

土曜ワイド「浅見光彦シリーズ22首の女殺人事件~福島‐島根、高村光太郎が繋ぐ殺人ルート!智恵子抄に魅せられた男が想いを託した首の女の謎」 

2012年5月19日(土) 15時30分~17時30分 地上波フジテレビ系

内田康夫原作の人気シリーズの第22弾。 福島と島根で起こった2つの殺人事件。ルポライターの浅見光彦(中村俊介)と幼なじみの野沢光子(紫吹淳)は、事件の解決のため、高村光太郎の妻・智恵子が生まれた福島県岳温泉に向かう。光子とお見合いをした劇団作家・宮田治夫(冨家規政)の死の謎は?宮田が戯曲「首の女」に託したメッセージとは? 光太郎彫刻の贋作を巡り、思わぬ展開を見せる事件の真相は?
 
キャスト
浅見光彦……中村俊介  野沢光子…… 紫吹淳   真杉伸子……姿晴香   橋田刑事……菅原大吉
宮田治夫……冨家規政  真杉民秋……中谷彰宏  柴山亮吾……新藤栄作  浅見陽一郎……榎木孝明
浅見雪江……野際陽子  ほか
 
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もともとは平成18年(2006)2月24日に金曜プレステージの枠で放映された2時間ドラマの再放送です。

原作は内田康夫著『「首の女」殺人事件』(昭和61年=1986 8月31日 トクマノベルス)。この年5/6~6/1に東京セントラル美術館で実際に開かれた「the光太郎・智恵子展」が事件の発端になっています。
 
当方、学生時代にこの展覧会も見に行きました。光太郎・智恵子の企画展を見たのはこれが初めてで、印象に残っています。そしてその展覧会をモチーフにした作品ということで、『「首の女」殺人事件』も購入、その後、内田氏の浅見光彦シリーズにけっこうはまり、文庫や新書になった作品はすべて読みました。
 
この2時間ドラマも平成18年(2006)の本放送で見ました。花巻の光太郎記念館や岳温泉でのロケが行われ、意外と良くできていて感心しました。本放送をご覧になっていない方、ぜひご覧下さい。
 
ちなみにテレビの浅見光彦シリーズは、フジテレビ系の中村俊介主演のものと、TBS系の沢村一樹主演のものがあり、沢村一樹主演の方でも、平成21年1(2009)2月16日に「「首の女」殺人事件」がオンエアされました。この時は全9回の連ドラ枠で「浅見光彦~最終章~」という題名。サブタイトルは「最終話 草津・軽井沢編」でした。原作での物語の舞台に草津や軽井沢は出てこないのですが、なぜか草津・軽井沢となっていました。こちらはDVD-BOXとして販売されています。
 
フジテレビの中村俊介主演のシリーズはDVD化されていないので、残念です。
 
他にも光太郎・智恵子がらみのテレビ番組、映画等でDVD化してほしいものがたくさんあるのですが、なかなか難しいようですね。今後に期待しますが。

4月14日(土)、横浜のそごう美術館さんを後にし、000一路、新宿へと向かいました。
 
老舗のライヴハウス、ミノトール2さんにて、高木馨さんの『高村光太郎考 ぼろぼろな駝鳥』出版記念イベントがあったためです。同書は、昨年10月に文治堂書店さんから刊行されました。原稿用紙500枚という大作です。
 
さて、イベントは高木さんの親友で詩人・刀道の達人、佐土原台介氏の司会で始まりました。
 
光太郎関連では、中西利一郎氏の興味深いお話がありました。中西氏は、水彩画家の故・中西利雄氏(明33~昭23)のご子息で、中野区ご在住です。光太郎がその最晩年、十和田湖畔に建つ裸婦像(通称・乙女の像)の制作のため借りたのが中西利雄のアトリエ。

ちなみに光太郎はこちらの庭に咲いていた連翹を愛し、そこから光太郎の命日が「連翹忌」と命名されました。中西利一郎氏は、写真のパネル等を持参され、光太郎の回想を披瀝されました。
 
続いて当方のスピーチ。連翹忌についての話をメインに、15分ほどしゃべらせていただきました。
 
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その後は高木さんのお仲間のみなさんによるアトラクション。シンガーソングライター小藤博之さん、
ピアノ引き語りいまむら直子さんとシューフィーズの皆さん、アコースティックギター中村ヨシミツさんと歌の三原ミユキさん、フラメンコ手下倭里亜さんと手下ダンススタジオの皆さん。
 
この手のイベントが有れば、出来る限り駆けつけますし、しゃべれと言われればしゃべりますので、お声がけ下さい。

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