カテゴリ: 文学

22日、日曜日の『読売新聞』さん翌23日月曜日の『日本経済新聞』さんに、光太郎の名が出ました。といっても、それぞれちらりとで、光太郎がメインではありませんが。

まず『読売新聞』さんでは、日曜版の「名言巡礼」という連載で、光太郎と深い縁のあった詩人、尾崎喜八がメインに取り上げられた中で、喜八の紹介文の中に光太郎の名が。

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曰く、

尾崎喜八 1892~1974年。東京生まれ、京華商業学校卒。会社員、銀行員を経て、高村光太郎の影響のもと、20代から主に雑誌「白樺」で文学活動を開始した。1922年、初の詩集「空と樹木」を発表。ロマン・ロラン、ヘッセ、リルケなど欧州の作家の詩文の翻訳も手がけた。46年、長野県富士見村(現富士見町)に移住し、52年、東京に戻った。58年以降、それまでの作品を集大成した「尾崎喜八詩文集」(全10巻)を刊行した。富士見時代の作品を収めた詩集「花咲ける孤独」(55年)は、代表作とされる。

タイトルにある「名言」は以下の通り。

静かに賢く老いるということは満ちてくつろいだ願わしい境地だ(『春愁』より)

元になったのは、昭和30年代前半に書かれた「春愁(ゆくりなく八木重吉の詩碑の立つ田舎を通って)」という詩の冒頭部分です。

   春愁 
    (ゆくりなく八木重吉の詩碑の立つ田舎を通って)000
 静かに賢く老いるということは
 満ちてくつろいだ願わしい境地だ、
 今日しも春がはじまったという
 木々の芽立ちと若草の岡のなぞえに
 赤々と光りたゆたう夕日のように。
 だが自分にもあった青春の
 燃える愛や衝動や仕事への奮闘、
 その得意と蹉跌の年々に
 この賢さ、この澄み晴れた成熟の
 ついに間に合わなかったことが悔やまれる。
 ふたたび春のはじまる時、
 もう梅の田舎の夕日の色や
 暫しを照らす谷間の宵の明星に
 遠く来た人生とおのが青春を惜しむということ、
 これをしもまた一つの春愁というべきであろうか。


記事は喜八が戦後の7年間を過ごした(光太郎同様、戦争協力への反省です)長野県の富士見町を中心に書かれています。画像は八木です。

お嬢さんの榮子さん、お孫さんの石黒敦彦さんの談話なども。榮子さんは幼い頃、駒込林町の光太郎アトリエで智恵子にだっこして貰った記憶があるという方です。

当方、昨秋、鎌倉の光太郎縁戚の方が経営されている笛ギャラリーさんで、お二人にお会いしましたので、「ほう」と思いました。

ちなみにこの連載「名言巡礼」では、昨秋、光太郎をメインに扱って下さいました。

続いて、月曜日の『日本経済新聞』さん。

こちらはやはり光太郎と縁のあった画家、村山槐多を取り上げた記事です。

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光太郎の詩「村山槐多」(昭和10年=1935)からの引用があります。

   村山槐多

槐多(くわいた)は下駄でがたがた上つて来た。001
又がたがた下駄をぬぐと、
今度はまつ赤な裸足(はだし)で上つて来た。
風袋(かざぶくろ)のやうな大きな懐からくしやくしやの紙を出した。
黒チョオクの「令嬢と乞食」。

いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。
強くて悲しい火だるま槐多。
無限に渇したインポテンツ。

「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」
「居るよ。」
「僕は眼がつぶれたら自殺します。」

眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。
自然と人間の饒多の中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。


画家だった村山ですが、詩も書き、光太郎に見て貰ったりもしていました。それが「くしやくしやの紙」で、歿した翌年、大正9年(1920)には、『槐多の歌へる』の題で詩集が出版されています。光太郎は推薦文も寄せています。

記事にメインで紹介されている絵は、「尿(いばり)する裸僧」と題されたもので、村山の代表作の一つ。長野県上田市の信濃デッサン館に収蔵されています。


また、3年前には和歌山県田辺市立美術館で開催された「詩人たちの絵画」展に出品され、その時にも観て参りました。


先日も書きましたが、こうした新聞記事、公共図書館等で閲覧が可能です。ご利用下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月25日

昭和23年(1948)の今日、十字屋書店から歌集『白斧』が刊行されました。

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左は特製限定本(850部)、右は通常版です。明治期から戦後の光太郎短歌268首を収めています。編者は光太郎と交流があり、この時点では縁戚だった宮崎稔です。光太郎が取り持って、智恵子の最期を看取った智恵子の姪・春子と結婚していました。

奥付では前年11月刊行となっていますが、光太郎はこの歌集の刊行に同意せず、刊行がずれこみました。明治期の作品は鉄幹の添削ががっつり入っているので、自作と言い難いという光太郎の認識がそこにあります。

そこで、編者宮崎による「覚え書」を新たに印刷して巻末に貼り付け、漸く刊行にこぎ着けました。

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近刊情報です。

東京代官山のクラブヒルサイドさんからメールでお知らせ戴きました。

一昨年にクラブヒルサイドさんで行われた読書会「少女は本を読んで大人になる」を書籍化されるそうです。

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以下、添付のPDFファイルから。 

読書会から生まれた本『少女は本を読んで大人になる』が発売されます。

~魅力的な10人の女性たちと共に読む、少女が大人になる過程で読んでほしい10冊の古典的名作~
東京・代官山クラブヒルサイドにて、2013年の5月からおよそ1年続いた読書会「少女は本を読んで大人になる」は少女が大人になる過程で読んでほしい世界・日本の古典的名作を、多彩なゲストと共に読んでいくというもの。この読書会を1冊の本にまとめました。

ご自身の人生とも重ね合わせながら読み進めていく名作は、作品の魅力にぐっと迫りながら、ゲストの人柄も楽しめる内容になっています。また、読書会に合わせてオリジナルで作った作品にちなんだサンドウィッチレシピも収録。豪華な一冊になりました。

 
本編は、各ゲストが1冊の本を読み解いていくという形で構成されています。

 少女の頃繰り返し読んでいた作品。思い出の作品。人生に影響を与えてくれた大切な作品など。どんな風にその物語を解釈して、読み進めていったのか、ゲストによってその捉え方はさまざまに異なることがわかってきます。発見がちりばめられている本編をお楽しみください。

ゲストと共に読んだ名作10点004
平松洋子・『女たちよ!』(伊丹十三)
阿川佐和子・『悲しみよこんにちは』(フランソワーズ・サガン)
角田光代・『第七官界彷徨』(尾崎翠)
鴻巣友季子・『嵐が丘』(エミリー・ブロンテ)
末盛千枝子・『智恵子抄』(高村光太郎)
中村桂子・『キュリー夫人伝』(エーヴ・キュリー)
小林エリカ・『アンネの日記』(アンネ・フランク)
竹下景子・『苦海浄土』(石牟礼道子)
湯山玲子・森本千絵・『赤毛のアン』(L.M.モンゴメリ)『放浪記』(林芙美子)

サンドウィッチレシピを紹介
読書会では、毎回作品とゲストにちなんだオリジナルサンドウィッチを作りました。作品とゲストの印象から、発想したサンドウィッチです。
すべてのサンドウィッチのレシピが、収録されています。サンドウィッチを片手に読書なんて、いかがでしょう。

読書会が本になりました
全10回開催された読書会は毎回2時間、参加者のみなさんもゲストが選ぶ本を片手に、共に読み進めていきました。
会の流れはゲストによってさまざまで、朗読するときもあれば、グループディスカッションをして話し合うときもあり。その空気感が丸ごと収録され、書き起こされた一冊です。

森本千絵さんによる表紙絵
ゲストの一人である、コミュニケーションディレクターの森本千絵さんによる作品を、表紙の絵に使わせていただきました。この作品は「赤毛のアン」をイメージして描かれたもので、一人の少女が明日に向かって歩みはじめるような印象が、本書のテーマに重なります。


書名:少女は本を読んで大人になる価格:1,500円(税別)
編集者:クラブヒルサイド・スティルウォーター
ブックデザイン:大西隆介(direcIonQ)
サンドウィッチイラスト:山口潤(direcIonQ)
発行日:2015年3月12日(木)
販売場所:全国書店にて
出版元:現代企画室

クラブヒルサイド 
〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町30--‐2 ヒルサイドテラスアネックスB棟2F クラブヒルサイドサロン内
担当:菊池・西村  
info@clubhillside.jp phone:03-5489-1267


光太郎と交流のあった彫刻家の故・舟越保武氏のお嬢さんで、「千枝子」さんというお名前は、光太郎が名付け親だという編集者・絵本作家の末盛千枝子さんによる「智恵子抄」がラインナップに入っています。

末盛さん、その後、新潮社さんで発行している『波』というPR誌に、光太郎も絡むエッセイ「父と母の娘」を連載中ですし、昨年は5月15日の花巻高村祭でご講演くださいました(ちなみに今年は当方が講演をいたします)。

購入ご希望の方は、上記までお問い合わせ下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月16日

昭和22年(1947)の今日、花巻町の、宮澤賢治の姻戚・関登久也邸で開かれた歌会に出席しました。

関は尾山篤二郎に師事した歌人。この時期の光太郎には、花巻郊外太田村での生活に題を採った短歌の秀作がけっこうあり、こうした機会に詠まれたものと推定されます。

ちなみにこの歌会は午前中。午後には賢治の弟・宮澤清六とともに映画を観に行きました。その件は昨年の今日、このブログの【今日は何の日・光太郎 補遺】に書きました。

過日ご紹介しました登山系雑誌の『岳人(がくじん)』さんの最新号、2015年3月号が、昨日、発売になりました。

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表紙は畦地梅太郎の版画。いいですね。

特集記事として、「言葉の山旅 山と詩人 上高地編」が、30ページほどで組まれています。

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そのうち、8ページが「高村光太郎と智恵子の上高地」。光太郎詩文と拙稿です。

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上高地は、大正2年(1913)の夏、光太郎智恵子が一ヶ月ほどを共に過ごし、ここで結婚の約束を結んだ場所です。その辺りの経緯と、のちに智恵子が心を病んでしまってから、光太郎がその当時を回想して書いた詩文などに触れてみました。

編集部からは、引用部分を除き2,000字程度という指定で、先日の「歴史秘話ヒストリア」ではありませんが、短い尺の中に収めるのに苦労しました(笑)。もっと書きたいことがたくさんあったのですが、その中の一部は他の方の記事に書かれていましたので、安心しました。

他に尾崎喜八や竹内てるよ、草野心平に北原白秋といった、光太郎と縁の深かった詩人も取り上げられ、また、現代の山岳詩人・正津勉氏の玉稿もあり、非常に読みごたえのある特集です。

大規模書店なら店頭に並んでいますし、アウトドア用品メーカーのモンベルさんのショップにも並びます。また、版元やAmazonなどのネット通販でも入手可能です。定価は680円+税。ぜひお買い求め下さい!


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月15日

昭和54年(1979)の今日、書道雑誌『墨美』288号で、光太郎の特集「高村光太郎遺愛 黄山谷 子瞻帖(しせんじょう)」が組まれました。

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黄山谷は、中国北宋の進士、黄庭堅(こうていけん)の号。草書をよくし、宋の四大家の一人に数えられています。
 
光太郎は山谷の書を好み、最晩年には中野のアトリエの壁に黄山谷の書、「伏波神祠詩巻」の複製を貼り付け、毎日眺めていました。

「子瞻帖」は、黄山谷が師である蘇東坡の略歴を詩文にしたものです。光雲がその拓本を入手、光太郎がそれに惚れ込み、大切にしていたという品です。光太郎から書家の西山秋崖の手に渡りました。そうした経緯にも触れられています。

昨夜オンエアされた、NHKさんの教養番組「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」を拝見しました。

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当方、制作のお手伝いをさせていただきましたので、御覧になった方々の感想が気になるところです。いかがだったでしょうか。

一昨年放映された、同じNHKさんの「日曜美術館 智恵子に捧げた彫刻 ~詩人・高村光太郎の実像」の際にもお手伝いをさせていただき、その時は渋谷の放送センターで司会の井浦新さん、伊東敏恵アナ、ゲストの作家・平野啓一郎氏によるスタジオ収録に立ち会い、VTRの部分もその時に拝見しました。

しかし、今回は事前に観ておらず、放映を心待ちにしておりました。実際に観てみて「こういう風に仕上がったのか」と、感慨ひとしおでした。

コンセプトとしては『智恵子抄』」の成立過程から智恵子と光太郎の生き様を探る、といったものでした。ある意味手前味噌になりますが、いい出来だったと思います。45分という短い尺で、光太郎智恵子の生の軌跡をあますところなく伝えるのは物理的に不可能ですが、ダイジェストとしては、あれでほぼ十分と思いました。

「日本人の純愛の代名詞とまで言われる『智恵子抄』」という紹介が為されていましたが、「そりゃ持ち上げすぎだろ」と思いました(笑)。

他にも細かな表現等で、「正確に言うとそうではない」「そう言い切るのは危険」「それは以前の定説」という箇所がありましたが、それはしかたがないでしょう。

「日曜美術館」の時にエゴサーチしてみましたところ、そういうところで揚げ足を取って、鬼の首でも取ったかのようにブログやツイッターの記事を書いている人物がいましたが、心の狭い人だなあと思います。その程度ならともかく、揚げ足を取るのでなく、足すら揚げていないのに「お前、今、足揚げたろ」と突っ込んでくる不届き者もいます。番組の中で一言もそういうことを言っていない、全くそういう内容になっていないことを「こういう内容だった、ひどすぎる」などと勝手に決めつけてブログで全世界に発信しています。その人物、とにかく上から目線で、自分以外の全ての人間はバカだと思っているようです(笑)。それが教育関係者だというのですから呆れます。よっぽど抗議しようかと思いましたが、そういう輩には何を言っても無駄と思うので、放置していますが。

閑話休題。昨夜の「歴史秘話ヒストリア」は、「episode1 智恵子と光太郎 運命の出会い」「episode2 智恵子と光太郎 理想と挫折」「episode3 智恵子と光太郎 愛が生んだ奇跡」そして「智恵子亡きあと 光太郎を支え続けたのは」の4部構成でした。鈴木一真さんと前田亜希さんのお二人による再現ドラマを軸に、要所要所でいろいろな方のコメントや関連画像、動画が入る構成です。

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お二人の演技もなかなかよかったと思います。いつもながらに渡邊あゆみさんの語りも。

過日ご紹介し濵口奈菜さんという方は、二人を取り持った柳八重の役でした。

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小説『智恵子飛ぶ』を書かれた作家の津村節子さん、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生、花巻郊外太田村時代の光太郎を知る高橋愛子さんなどのコメント、いちいちうなずけました。

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最後は花巻、そして十和田湖。

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なかなか感動的でした。

しかし、先程も書きましたが、45分という枠はあっという間ですね。その中で二人の生の試みをダイジェスト的に足早に紹介しなければならない、これは大変なご苦労があったと思われます。

ロケも、昨日の放映になかった場所でもいろいろ行われていますが、割愛せざるを得なかったのでしょう。智恵子が療養していた九十九里浜、京都の国立国会図書館関西館(智恵子が口絵を描いた雑誌『少女世界』)などの部分は使われていませんでした。また、実際にロケは行われませんでしたが、ディレクター氏は宮城女川や福島裏磐梯にもロケハンに行かれたそうです。

そういうご苦労がしのばれるので、何も知らない部外者が勝手に「ひどすぎる」とか書いているのを見ると、本当に腹が立ちます。今回はそういう事がないようにと願っています。

さて、地域によって違うかも知れませんが、再放送がありますので、見逃した方はご覧下さい。

NHK総合 2015年2月17日(火) 24:40~25:25 です。正確に言うと18日(水)未明の午前0:40~ですが、テレビ番組表の表記は翌日未明の分は前日の続きとして表記されます。録画予約等される場合、御注意下さい。

(2/17 22:07追記)先程ディレクター氏から連絡がありました。東北地方の地震報道の影響で、10分遅れのスタートだそうです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月12日

昭和28年(1953)の今日、詩人の宮崎丈二と、新宿中村屋レストランで夕食にカレーを食べました。

中村屋さんは親友だった荻原守衛の関連で、縁の深い場所でした。昨秋、中村屋サロン美術館が開館し、光太郎の油絵「自画像」も展示されています。昨夜の「歴史秘話ヒストリア」でも映りました。

一昨日の『産経新聞』さんに、以下の記事が載りました。 

【「戦後日本」を診る 思想家の言葉】吉本隆明 政治に流されない感受性

■東日本国際大教授・先崎彰容

 昭和43年のことである。

 一冊の書物が世間を震撼(しんかん)させた。

 吉本隆明『共同幻想論』である。国家の成りたちの起源を『古事記』と『遠野物語』を徹底的に読むことで明らかにしたこの書は、熱狂的な歓迎を受けた。たしかに難解である、でも読まざるをえない、理解できなくても読んだと言わざるをえない、そんな雰囲気が学生を中心に漂っていたのだった。

 だが忘れてはいけない、吉本隆明はそれ以前、まずは「詩人」として文壇に現れたことを。高村光太郎について、言語にとって美とは何かについて考えると同時に、共同体とは何か、私たちにとって国家とは何かが問われた。こうして『共同幻想論』は世にでたのである。

 これらの問題意識は、一点から始まっている。それは戦争の「あの瞬間」からである。戦争体験、これが吉本を詩人にし、かつまた国家を問い続けることを強いたのである。

 たとえば戦争中、少年吉本は、自分の全てを動員して今回の戦争とは何かを考えつづけていた。結論は出た、今回の戦争は正しいものであり、自分はそのために死ぬべきであると思った。

 だが敗戦のあの日以来、世間はガラリと変わってしまう。戦争は誤りであり悪であり間違っていたというのだ。だとすれば、あの時自分の全てを賭けて出した結論は不正解だったことになる。どれだけ真剣に真面目に出した結論であっても、人間は間違う可能性があるのだ。

 8月15日を境に、世間の価値観は百八十度転換した。にもかかわらず、人びとは何事もなかったかのように生きているではないか。戦後に配給された価値観になんら疑いをもたず飛びつき生きている。この事実を吉本は理解できなかった。昨日まで骨の髄まで正しいと思っていたことが崩壊する。なのに、人はなぜ傷つかないのか、つまずかないのか。

 激しい人間不信が、吉本を襲ってきた。社会全体は嘘で塗り固められている。しかも自分もまた、いくら真剣に考えてもその嘘にだまされてしまう。私たちはなんとつまらない存在なのだ-だから吉本は、人間を生への根源的違和感を抱えたもの、こう定義した。もっと分かりやすく言おう、つまずいて生きている不器用な人間にとって、人生は、吐き気を感じるような面倒くさい営みなのだ。

 だから吉本は詩を書いた。言葉を紡ぐことで、どうにかして世間に流されないようにしたかった。戦後民主主義はもちろん、政治的な自由を絶叫するスターリン的マルクス主義も、私は絶対に信じない。なぜなら彼らは、繊細な個人の心を全て政治運動にささげよ、こう言ってくるからだ。

 なぜ彼らはそんなに政治が好きなのか。スローガンに流されるのか。言葉が政治に敗れていることに気づかないのか。

 ある日、吹く風に顔を上げ春の到来を知り、生きようと思う。そんな感受性を棄(す)ててまで、政治活動にささげる自由を私は信じない-「元個人(げんこじん)とは私なりの言い方なんですが、個人の生き方の本質、本性という意味。社会的にどうかとか政治的な立場など一切関係ない。生まれや育ちの全部から得た自分の総合的な考え方を、自分にとって本当だとする以外にない」(『「反原発」異論』)。

 この感受性に注目すべきだ。

 小林秀雄と江藤淳さらには福田恆存(つねあり)、そう、わが国で批評家になるための必要条件は、この繊細で弾力ある感性の系譜にあった。政治的な左右は、批評家にとって重要ではない。批評家になったつもりで一家をなせば、そこにまた他者との比較、批判、排除がおきている。党派をなして、人を罵(ののし)る。これはもう立派な政治ではないか。

 感性とは不断の自己点検、自分が政治的になることへの警戒である。晩年まで主張した吉本の反原発批判も、こうした感性から読まれるべきなのである。


 次回「高坂正堯(まさたか)」は3月5日に掲載します。


 ■知るための3冊

 ▼『共同幻想論』(角川ソフィア文庫) 刊行当時、熱狂的な支持をもって迎えられたこの書は、一方で難解であることでも知られる。吉本が「詩人」として出発したことを念頭に序文を精読すれば、この書の問題意識が見えてくるはずだ。
 ▼『吉本隆明初期詩集』(講談社文芸文庫) 吉本が詩人として出発したことは、くれぐれも忘れてはならない。「エリアンの手記と詩」「固有時との対話」「転位のための十篇」など初期吉本を語るうえで欠かせない詩を全て収める。
 ▼『「反原発」異論』(論創社) 東日本大震災以前から、吉本は一貫して反核運動に批判的な立場をとり物議をかもした。本書は震災直後からのインタビュー記事などを含む、最晩年の遺著的著作。


【プロフィル】吉本隆明
 よしもと・たかあき 大正13(1924)年、東京生まれ。東京工業大卒業。工場勤務のかたわら私家版の詩集などを発表し、昭和30年代に本格的に評論活動を開始。既成左翼を批判しつつ、『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』など独自の思索を発表、全共闘世代から熱烈な支持を得る。バブル期には大衆消費社会を肯定して注目された。平成24年、死去。


【プロフィル】先崎彰容
 せんざき・あきなか 昭和50年、東京都生まれ。東大文学部卒業、東北大大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。専門は近代日本思想史。著書に『ナショナリズムの復権』など。


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吉本氏が亡くなってもうすぐ3年。新たに全集の刊行も始まり、このところ、「結局、吉本とは何だったのか」という検証が活発になってきました。NHKさんの教養番組「日本人は何をめざしてきたのか。 知の巨人たち」で取り上げられたりもしています。

その思想的源流の一つとなった、戦時中の光太郎についての検証。吉本を考える際に併せて考えていただきたい問題だと思いますし、吉本が出し切れなかった答えは、後の我々に託されたのだと考えたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月7日004

大正15年(1926)の今日、詩「象の銀行」を執筆しました。

   象の銀行

セントラル・パアクの動物園のとぼけた象は、
みんなの投げてやる銅貨(コツパア)や白銅(ニツケル)を、
並外れて大きな鼻づらでうまく拾つては、
上の方にある象の銀行(エレフアンツバンク)にちやりんと入れる。

時時赤い眼を動かしては鼻をつき出し、
「彼等」のいふこのジヤツプに白銅を呉れといふ。
象がさういふ、
さう言はれるのが嬉しくて白銅を又投げる。

印度産のとぼけた象、
日本産の寂しい青年。
群集なる「彼等」は見るがいい、
どうしてこんなに二人の仲が好過ぎるかを。

夕日を浴びてセントラル・パアクを歩いて来ると、
ナイル河から来たオベリスクが俺を見る。
ああ、憤る者が此処にもゐる。
天井裏の部屋に帰つて「彼等」のジヤツプは血に鞭うつのだ。


明治39年(1906)から翌年にかけての、ニューヨーク留学中の記憶を元にした詩です。のちのロンドンやパリではそういうこともなかったようですが、最初に滞在したニューヨークでは、かなりあからさまな人種差別にあった光太郎、同じアジア産の動物園の象に、自らの姿を仮託しています。

以前にも書きましたが、この「象の銀行」、光太郎の詩の中では比較的有名な一篇であるにもかかわらず、初出誌が不明です。昭和4年(1929)に改造社から刊行された、いわゆる「円本」の「現代日本文学全集」第37篇『現代日本詩集/現代日本漢詩集』に収められていますが、それ以前にどこかの雑誌などに発表されているはずです。しかし、どこに発表されたのかが判っていません。

情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。

新刊、といっても昨年12月の刊行です。
株式会社金曜日刊 発売日 2014/12/11 著者:  辺見庸・佐高信  定価:  1500円+税

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版元サイトより

「人間はここまでおとしめられ、見棄てられ、軽蔑すべき存在でなければならないのか」――辺見庸

侵略という歴史の無化。軍事国家の爆走と迫りくる戦争。人間が侮辱される社会・・・。二人の思索者が日本ファシズムの精神を遡り、未来の破局を透視。誰かが今、しきりに世界を根こそぎ壊している。日本では平和憲法を破棄しようとする者が大手を振っている。
喉元に匕首を突きつけて私たちは互いに問うた。なぜなのだ?あなたならどうする?呻きにも似た、さしあたりの答えが本書である。

目次
第1章 戦後民主主義の終焉、そして人間が侮辱される社会へ
コンピュータ化と人間身体/資本と安倍ファシズム/もはや「どつきあい」は避けられない/スムーズに消してゆく装置/サブスタンスはあったのか/死ぬ気でやるのか

第2章 「心」と言い出す知識人とファシズムの到来
ジャーナリストのパッション/ジャーナリストとは、ゆすり、たかり、強盗/「心」と「美しい国」と同じ/どちらにも展望はない/ファシズムの情動的基盤

第3章 「根生い」のファシストに、個として闘えるか?
知性の劣化/訴えられる覚悟/共産党も巻き込んだ「祖国防衛論争」/なかったふりをするな/「禁中」と天皇利用主義者/決断を迫られる時がくる

 
第4章 日本浪曼派の復活とファシズムの源流
老いと夜/日本浪漫派の血脈/慰安婦問題を身体的なこととしてとらえる/日本思想史の中の免罪の歴史/実時間の表現

第5章 ジャーナリズムと恥
クーデター、三島由紀夫と安倍晋三/偽なるものの力能/書くことと自己嫌悪/特定秘密保護法とジャーナリズムの恥

第6章 とるに足らない者の反逆
魯迅のアナキズム/中国という圧倒的事実/とるに足らないものからの発想/絶望の深みから

第7章 歴史の転覆を前にして徹底的な抵抗ができるか?
これから何が起きないかはわかる/歴史の転覆/否定的思惟がなくなった/徹底的な抵抗の弾け方/権力こそが非合法

第8章 絶望という抵抗
真実の不確定性、記憶のうごめき/自己申告する歴史と、見られた歴史/年寄りが鉄パイプを持って突撃する/身体を担保した抵抗

ジャーナリスト・辺見庸氏と、評論家・佐高信氏の対談集です。元々は雑誌『週刊金曜日』の連載でしたが、さらにそれをふくらませたものです。ともに左派の論客として知られるお二人だけに、今をときめく人々をバッサバッサと斬りまくっています。

斬られている主な人々は以下の通り。敬称は略します。

まず、安倍晋三、麻生太郎、百田尚樹、籾井勝人、曾野綾子、田母神俊雄、長谷川三千子、小松一郎といった右寄り(極右?)の人々。それでいて、元産経新聞社長の住田良能などには高い評価。そうかと思えば、御厨貴、池上彰、姜尚中、古舘伊知郎、五木寛之、吉本隆明、大江健三郎といった人々もバッサバッサ。そういう意味ではバランスは取れています。

その対象は歴史的な人々にも及び、保田與重郎、石原莞爾、三島由紀夫、渡辺一夫、唐牛健太郎、斎藤茂吉らもメッタ斬りです。

光太郎も俎上に登っていますが、好意的に扱われています。

佐高 藤沢周平を思い出しました。一見すると穏やかな人ですが、珍しく講演で、同郷の歌人である斎藤茂吉を痛罵しているんです。その際、斎藤茂吉に高村光太郎を対置している。高村光太郎は戦中に戦争協力詩を書いたことを自己否定し、戦後しばらく花巻に隠棲する。それにくらべて斎藤茂吉は何の反省もしていない、と。(略)自己批判というものがなかった戦後日本の風景の中では、高村光太郎の自己否定には胸を打つものがありますよね。
辺見 そうですね。吉本(隆明)さんも高村光太郎の自己否定から出発しているところがあると思います。光太郎の反省の深さはおっしゃるとおり、「個」として過ちを引きうけている点でこの国では例外的ではないでしょうか。

ただし、おさえるところはきちんとおさえています。

辺見 でもぼくは、高村が自己否定に至るまでに相当の戦争協力詩を書いていることを決して見逃したくないんです。高村にかぎらず、たいていの詩人や作家がそうなんですが、戦争詩となると呆れるほど下手になるのですよ。なぜか。一つは、結局プロパガンダにすぎないからです。もう一つは、個人として十五年戦争の根っこと未来を見通す知性がなかったからです。それは日本の誰一人としてなかったと思う。これは無惨なことですよ。

逆に光太郎の戦争詩だけをことさらに取り上げて、「これぞ大和魂」などともちあげる愚昧なヘイトスピーカー、ヘイト出版社がありますが、そういう輩にこそ、この書を読んでほしいですね。

しかし、惜しむらくは出版のスピードが、世の中のスピードに追いつかないという点。昨年暮れの大義なき抜き打ち解散総選挙や、昨今のイスラム国の問題などはこの出版に間に合っていません。そういう意味でも続編を期待します。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月6日

大正5年(1916)の今日、雑誌『美術週報』に、智恵子のエッセイ「女流作家の美術観」が掲載されました。

 批評は要らない、是非の批評はすべての004専門家にある、たゞ私には、なくて叶はぬものとしてある、この芸術を、考へるさへ、身にあまる幸福を感じられる。
 さまざまな時代に、まことの芸術家達が、それぞれ自身の生命を掘り下げて行つた。その作品は、いきていまも、私達の前に息づく、それ等のものは、魂をめざめさせる、恰も自然が私達をめぐむ恵のやうに、清らかに力強く、押迫つて透徹する、私はそれ等の彫刻を愛し、それ等の絵画を思慕してやまない。心の底からその作者を尊敬し、又は崇拝してゐる。
 ロダンはあらゆる時代の魂の積畳であつて、又海山の自然の反映であるとおもはれる。暁のやうなその作品は、暗い魂に、鋭い光りと優しい温味とを、ほのぼのと投げかける。ロダンをおもふことは私の、栄光である。セザンヌもまた、親しく自分のいまの生活に、糧となつて輝いてゐる、たくさんの星のなかで、この二人をかぞへて、今は、うらみとはしまい、その一つも、どれ程大きなことであらう。古くから、又それぞれの世に、光りは輝くのだ。私は愛念をもつて、それ等を仰ぎみて、よろこびにあふれる。
 そして近くこの日本の芸術にも、私はそれ等の美しい魂を見ることの出来る幸をものべておかう。

明らかに光太郎の影響が見とれる文章です。

毎週水曜日の夜に、NHK総合で放映されている「歴史秘話ヒストリア」。昨夜の放映終了後、公式サイトが更新され、来週の予定が出ました。以前にも書きましたが、いよいよ光太郎智恵子をメインに取り上げる「ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。 

歴史秘話ヒストリア第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年 2月11日(水)22:00~22:43   再放送 2月18日(水)0:40~1:25

彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。

今からおよそ100年前の1914年(大正3年)12月、彫刻家、詩人の高村光太郎と、画家の卵である長沼智恵子が、実験的な同居生活をスタートさせた。婚姻届を出さず、夫婦別姓。家事を分担し、対等な人間同士として、それぞれの創作に打ち込んだ。絶えざる戦争のわずかな合間、自由な文化が花開いた大正という時代を追い風にした「愛の試み」だった。光太郎と智恵子は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた。命を懸けて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは何か。バレンタインデーを前に、詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の物語を紹介する。

出演 前田亜季 鈴木一真
キャスター 渡邊あゆみ


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昨夜の放送の最後に、次週予告が25秒間放映されました。公式サイトでも視聴可能です。

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それが始まった瞬間、テレビ画面を指さして叫んでしまいました。「俺のじゃん!」と。

何が、と言うと、これがです。

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昨夏、岩手花巻の㈶高村光太郎記念会様を通じ、当方に協力要請があり、ここに写っている『智恵子抄』の初版をお貸ししました。20数年前に神田の田村書店さんで購入したものです。それがいきなり写ったので、驚いた次第です。

ちなみに画面左の方、扉のページが開けてありますが、影になっている左下の部分に、元の所蔵者の方の小さな蔵書印が押してあります。それが何ともうまく隠してあり、妙に感心しました。

ところで、昨日発行のNHKさんの番組ガイド誌『NHKウイークリーステラ』にも、写真入りで紹介が載っています。一般の書店で販売されています。

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再放送が17日(火)となっていますが、正しくは日付が変わって18日(水)になった未明です。テレビ番組の時間設定は、25時とか26時とカウントし、翌日の未明までは前日からのつながりで表記する習慣になっています。

「再現ドラマなどを交え、2人の足跡をたどる。」とありますが、光太郎役は鈴木一真さん、智恵子役は前田亜季さんが演じられます。また、濵口奈菜さんという方も出演されるそうで、彼女のブログにその旨の記述があります。察するに、智恵子の姪で、看護師として智恵子を看取った長沼(のち宮崎)春子あたりの役ではないかと思われます。違ったらすみません。

以前、ディレクター氏から戴いたスケジュール表によれば、九十九里、犬吠埼、東京、二本松、花巻、そして十和田湖と、東日本縦断のロケが敢行されていますし、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生や、小説『智恵子飛ぶ』を書かれた作家の津村節子氏のインタビューも流れるはずです。

ご期待下さい!


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月5日

平成12年(2000)の今日、光村図書から中学校3年生用の国語の教科書『国語3』が発行されました。

平成9年(1997)から使用されていたものの改版で、平成12年度用です。国語学者・宮地裕氏の随筆「言葉はどこからどこへ」が掲載されました。これは、昭和22年(1947)の夏、学生だった宮地氏が、花巻郊外太田村の光太郎の山小屋を訪れた際の思い出を根幹としています。また、グラビアページには、関連してブロンズの「手」の写真も載りました。

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宮地氏の訪問は、「言葉はどこからどこへ」に、日付が明記されていませんが、8月19日でした。当日の光太郎日記は以下の通り。

花巻より青年二人(東京と黒沢尻の人)来る。宮澤清六さんより委托のトマト一個、金瓜一個、胡瓜、せんべい等もらふ。二時過ぎまで談話。辞去。宮澤賢治研究者。

宮地氏の名前は書かれていませんが、昭和22年の夏、さらに光太郎への手みやげ(紹介状代わりに宮澤清六が持たせてくれたそうです)の品目から、この日と断定できました。

「言葉はどこからどこへ」、平成14年(2002)から17年(2005)の教科書では掲載されませんでしたが、18年(2006)度版から「胸の底の人と言葉たち」と解題されて、1年生の教科書に復活し、23年(2011)まで載っていました。

東京は杉並区からの情報です。 

郷土史講座2月例会 「高村光太郎と智恵子 愛の詩を読みましょう」

【開  催  日】 2015年2月15日(日) 午後1時30分から午後3時30分
【開催場所】  阿佐谷地域区民センター 第4・5会議室  阿佐谷南1丁目47番17号
                            TEL 03-3314-7211(地域区民センター) 03-3314-7435(地域活動係) 
【講        師】 元都立武蔵・三鷹高校教諭 上島光正 
【対        象】 区内在住の方
【定        員】 80名(先着順)
【参  加  費】 500円
【申  込  み】 当日、直接会場へお越しください。
【問合せ先】  杉並郷土史会 会長 新村康敏 電話03-3397-0908 

杉並区といえば、「阿佐ヶ谷文士村」と言われ、太宰治をはじめ、数多の文人の足跡が残っています。光太郎は昭和27年(1952)から、亡くなる同31年(1956)まで、お隣中野区に住んでいました。その間、杉並区内で直接関わる場所は、浴風園という老人病院。こちらで正式に結核の診断を受けています。その他はちょっとすぐには思い当たりません。

さて、こういう形でも、光太郎智恵子をどんどん取り上げていただきたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 2月2日

昭和28年(1953)の今日、中央公論社画廊で「高村智恵子紙絵展覧会」が始まりました。

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東京では、光太郎帰京前の昭和26年(1951)に開催されたのに続き、2度目でした。

1/28、今週水曜日の『朝日新聞』さんの千葉版に、以下の記事が載りました。 

千葉)福島の詩を希望の歌に 松戸の市民合唱団

 松戸市を拠点に活動する「東葛合唱団はるかぜ」が、6月の25周年記念コンサートで、東日本大震災と原発事故で大きな被害を受けた福島県の子どもらの詩に曲を付けた音楽構成作品「僕らの出番がきっとくる!」を歌う。1月から記念コンサートに向けた練習を始めた団員たちは、「子どもや大人の心が響き合うやさしい曲で、南相馬との架け橋になるコンサートにしたい」と意気込んでいる。

 「はるかぜ」は1989年に発足。2年に1回コンサートを開いており、12回目となる今回を25周年記念と位置づける。

 東日本大震災後、合唱団は2012年3月から南相馬市の仮設住宅を訪れ、歌による交流を続けている。訪問は10回を超え、交流が深まるにつれ心の中を打ち明けてくれる人も増えてきた。母を一人仮設住宅に残し南相馬を離れて申し訳ないとわびる、娘からの手紙を見せてくれたお年寄りもいる。「はるかぜ」団長の太田幸子さん(68)は「まだまだたいへんなのに、私たちが逆に、福島の人たちに生きる力強さを教えられることも多い」と話す。

 そんな団員たちが、14年4月に紹介されたのが、福島県の子どもたちが17字の詩に家族や地域で経験したさまざまなこと、その時の思いなどを表現した文集。同県教育委員会が02年度から取り組んでいる「十七字のふれあい事業」で、子どもが五・七・五で作った詩に、家族や地域の大人らが返歌したものが一つの作品になる。手にした南相馬など相双(そうそう)地域の10~13年度の文集には、亡くなった家族や友人、離れて暮らす古里への思い、悲しみの中で希望を見つけてなんとか前を向こうとする気持ちなどを表現した作品が詰まっていた。

 家の跡涙をふいて手をつなぐ(中学3年) 大津波心の痛みも連れていけ(祖父)
 ほうしゃのうひなん先から祖母思う(小学5年) 大震災離れてわかる家族愛(祖母)
 十年後僕らの出番がきっとくる(小学4年) その笑顔明るい未来の道開く(母)

 記念コンサートでは団員たちが選んだ18作品を取り上げる。詩には合唱団の指揮者で作曲家の安藤由布樹さん(53)=東京都=が曲を付けた。

 1月18日、明市民センターでの第1回練習には団員や、作品を歌うために集まった市民ら約80人が参加。練習中、安藤さんは、高村光太郎の詩集「智恵子抄」を例に挙げ、団員たちに「古里の福島を自慢した智恵子がもしかしたら立ち、美しいと感じていたかも知れない場所に、今は放射線量を知らせるメーターがある。その思いを込めて歌おう」と呼びかけた。

 記念コンサートは6月7日、森のホール21(松戸市千駄堀)。合唱の参加者も募集中。問い合わせは太田さん(047・384・4759)。(小渕明洋)

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もうあと1ヶ月ほどで、「あの日」から4年になります。しかし、進まぬ復興、反比例して風化する記憶、被災地とそれ以外の温度差、逆行する政策……。そうした中で、こういう取り組みには頭が下がります。

同じ1/28の『朝日新聞』さんの、全国版社会面には、やはり福島の被災者の方々が作った詩について、以下の記事が載りました。

吉永小百合さんが朗読 原発被災者らの詩をCDに

 原爆投下と終戦の年に生まれ、広島・長崎004の原爆詩の朗読を続けてきた俳優の吉永小百合さん(69)が福島第一原発事故の被災者らの詩を朗読し、CDに収録した。「第二楽章 福島への思い」と題し、東日本大震災から4年になる3月11日に発売される。吉永さんは「今も故郷に戻れない福島の方たちの思いを私たちみんなで受け止め、寄り添えれば」と願っている。

 吉永さんは1986年、戦争や原爆の過ちを二度と起こさないために原爆詩の朗読活動を始め、97年に「第二楽章」(広島編)、99年に「第二楽章 長崎から」のCDを出した。2006年には「第二楽章 沖縄から」も作製。「第二楽章」の名には「戦後50年を経た今は第一楽章ではなく第二楽章。声高ではなく、柔らかい口調で語り継いでいきたい」との思いがこもる。

 3・11以降は、福島での被災後にツイッターで発信し続けた和合亮一さんや福島県富岡町を追われた佐藤紫華子(しげこ)さんらの詩も朗読。広島と長崎、沖縄、そして福島で起きたことを「忘れない、風化させない、なかったことにしない」とする吉永さんは、福島の人々の詩を「CDに」との思いを募らせていた。

 吉永さんはCD収録前の昨年末、帰還困難区域がある福島県葛尾(かつらお)村を訪れた。今月、東京都内で取材に応じた吉永さんは「一回行ってみないと本当の悲しみが分からないんじゃないかと思って。想像以上のショックでした。もうすぐ4年なのに何も変わってない」と語り、心を痛めていた。

 さらに「今3・11の事故後に思うのは、これだけ小さな国で、地震がいっぱいある風土で、原発というのはやめてほしい、と私は思いますね。人間が安全に暮らしていくためには、もっともっと私たちが工夫しなければいけないと思うんです」と強調した。
     ◇
 「第二楽章 福島への思い」の詩は23編。和合さんの詩や和合さんが指導する「詩の寺子屋」の子どもたちの作品など約300の最終候補から吉永さんが選んだ。音楽は尺八演奏家の藤原道山(どうざん)さん(42)に依頼した。CDはJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントから発売。挿絵はスタジオジブリ作品の美術監督を務めた男鹿和雄さん。

 3月10日には東京・千駄ケ谷の津田ホールで「吉永小百合朗読会」を開く。CDつき5千円。公演の問い合わせは日本伝統文化振興財団(03・3222・4155)、チケット予約は0570・08・0089へ。


もしかしたら光太郎がらみ、「智恵子抄」がらみの詩も含まれているかと期待しています。というのも、和合亮一氏が関係されているためです。氏はやはり光太郎ファン的なところがありますので、このブログにもたびたびご登場いただいています。


まあ、そうでなくとも素晴らしい取り組みです。吉永さん、ありがとうございます。

ちなみに3月10日の朗読会のチケットは既に完売しています。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月31日

明治43年(1910)の今日、光雲が東京美術学校校長代理を命ぜられました。

正木直彦校長が英国出張ということで、その間の措置でした


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こちらに伺うのは、平成15年(2003)年に「高村光太郎・智恵子展」が開催されて以来ですので、12年ぶりでした。

一昨日は、当方の住む南関東でも朝方に少し雪が積もり、今日は雨です(都心では雪のようですが)。しかし昨日はよく晴れていたので、助かりました。

館内に入って、突きあたりの大きな窓にプリントされた心平の詩「猛烈な天」そのままの青空でした。

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     猛烈な天

 血染めの天の。
 はげしい放射にやられながら。
 飛び上がるやうに自分はここまで歩いてきました。
 帰るまへにもう一度この猛烈な天を見ておきます。

 仮令無頼であるにしても眼玉につながる三千年。
 その突端にこそ自分はたちます。
 半分なきながら立つてゐます。
 

 ぎらつき注ぐ。
 血染めの天。
 三千年の突端の。
 なんたるはげしいしづけさでせう。

さて、「平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎 往復書簡にみる交友」。

タイトルに「往復書簡」とあるように、メインは光太郎と心平の間に交わされた約40通の書簡でした。期間は昭和23年(1948)から同27年(1952)、光太郎が花巻郊外太田村の山小屋に隠棲していた時期のものです。

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展示された光太郎から心平宛の書簡は、全て筑摩書房『高村光太郎全集』第15巻に収録されているもの。心平から光太郎宛の書簡は二玄社から刊行され、のち講談社文芸文庫で再刊された心平の『わが光太郎』に収録されています。

したがって、初めて読むものではないのですが、やはり一通ごとの細かな内容までは暗記していませんでしたし、何よりバラバラに読むのではなく、往復書簡として交互に読むことで、一連のドラマのように感じました。また、やはり活字で読むよりも、自筆の筆跡として読む方がはるかに両者の体温、息づかいといったものが伝わってきます。もっとも、見慣れた光太郎の筆跡はともかく、心平の字は達筆すぎて中々読めませんでした。しかし、パネルに活字で翻刻してあり、助かりました。

ちょっと驚いたのは、心平から光太郎宛の書簡の多くに、光太郎の筆跡で年月日がメモしてあること。ある意味几帳面な光太郎の性格が見て取れます。

自らの戦争責任を恥じて岩手の山中に隠棲する光太郎に、心平は繰り返し帰京を促しています。しかし光太郎は、何やかやと理屈をつけ(時には屁理屈も)、かわしています。最終的には十和田湖畔の裸婦群像(通称「乙女の像」)制作のため、帰京することになるのですが、そこにいたるまでの光太郎の内面がよく読み取れます。読んでいて、涙が出そうになりました(笑)。

その他、両者がお互いのために手がけたりした書籍、雑誌の類、心平の自筆の日記、光太郎の彫刻も並んでいました。

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改めて二人のつながりの深さが実感できました。

その後、常設展を拝見。以前に訪れた時よりも凝った展示になっており、感心しました。

3月22日(日)までの会期です。ぜひ足をお運びください。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月30日

昭和24年(1949)の今日、眞善美社から新日本文学会詩研究会編『近代詩人研究』が刊行されました。

岡本潤が概論を書き、光太郎、藤村、鉄幹、白秋、朔太郎、賢治、啄木ら10人の詩人について、秋山清、小野十三郎らが論じています。光太郎の項は、遠地輝武が執筆しました。

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まずは新刊紹介です。

YAMAKEI CREATIVE SELECTION Frontier Books 山小町 -恋-

やぎた 晴著   山と渓谷社刊   発売日:2014年12月19日   定価 1,900円+税

版元サイトより

雄大な山に抱かれて成長するひとりの女性の姿を描く山岳小説。

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京都在住の保母にして山ガール・佳子と、安曇野出身で現在は東京でサラリーマン生活を始めた春生。ともに思い立って単独行に入った北アルプスで出会い、恋に落ちるというストーリーです。

台風の接近に伴う暴風雨に見舞われ、ハラハラドキドキの展開になります。このあたり、「タイタニック」を髣髴とさせますが、貴族の娘とプータロー、大惨事といったケレン味はなく、あくまで現実にありそうな話です。

また、明記されてはいませんが、昭和40年代が舞台のようで、レトロ感もあふれています。「歌声喫茶」「ラッパズボン」「おさげ髪」etc。

上高地も舞台の一つとなります。そこで、大正2年(1913)、光太郎智恵子が婚前旅行で上高地に1ヶ月程をともにしたことに、少しだけ触れられています。

ところで驚いたのは、オンデマンド出版であること。デジタル版と紙媒体があり、紙媒体の方は注文を受けてから製本、発送するというシステムになっています。楽譜などは以前からそういう形態で販売されていますが、通常の書籍もこうなってきたか、という感じです。

ところで「上高地」ということでもう1件。005

『山小町―恋―』版元の山と渓谷社刊行の雑誌『山と渓谷』と並ぶ有名な山岳雑誌に『岳人』があります。来月発行の3月号で、「言葉の山旅 山を詠う―上高地・北アルプス編―」という特集が組まれます。

今月号に載った次号予告には、「山を想えば人恋し、人を想えば山を恋し」。山々は時代を問わず人の心をひきつけてやまない。山を詠い、人を詠い、自らの心を詠う。詩人たちが綴る言葉の世界に導かれ、山へ思いを馳せてみませんか。」とあります。

この中で、光太郎智恵子も扱われます。実は、岩手花巻の㈶ 高村光太郎記念会さんを通じ、当方に執筆依頼がありました。光太郎詩文と拙稿とで8ページ程になります。

光太郎智恵子以外には、若山牧水を取り上げるそうです。

発売は2月14日。大きな書店なら店頭に並びますし、アウトドア用品メーカーのモンベルのショップにも並びます。また、ネット通販でも入手可能。ぜひお買い求め下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月29日

大正5年(1916)の今日、美術評論家の坂井犀水の慰労会に出席、彫刻「ラスキン胸像」を贈りました。

下記は当時の『読売新聞』です。

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「ラスキン胸像」は、ニューヨークで光太郎が師事したガットソン・ボーグラムの模刻です。

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まずはテレビ放映情報です。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年1月30日(金)  6時35分~6時45分  再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきまつり、絵あわせかるた/きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、擬音アニメ/ちろんろん(粉雪)、うた/ペチカ、こころよ。
出演者 神田山陽,うなりやベベン,おおたか静流 ほか

1月16日に放映された内容と、全く同一のようです。光太郎の詩「冬が来た」が繰り返し扱われました。

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こういう番組を見て童心に返るのもいいものです。

ところで、ふと気になって、この番組の公式サイトを見てみたところ、新作のDVDが出ていました。光太郎がらみが2種類です。 

にほんごであそぼ ありがとう・童謡

販売価格 3,024円(税込) 004
 
人気幼児番組「にほんごであそぼ」最新の“うたのベスト”人気の番組オリジナル曲を集めた楽曲群と古くから歌い継がれてきた童謡をそれぞれ20曲収録した豪華版!

 【収録内容】
■オリジナル曲
ベベンのありがとう/とんでれみら/すずめのこ/ちゃわんむしのうた/雲/山のあなた/らららのら/ええじゃないか日本/いろは!/竹/ことわざしりとり/やまなし/ふるさとのうた/きりぎりすの山登り/道程/キックキックトントン/でんでらりゅうば/さよなら/小さき者へ/サーカス (全20曲)

■童謡
早春賦/朧月夜/あわて床屋/ずいずいずっころばし/茶摘み/毬と殿さま/マーチング・マーチ/夏は来ぬ/浜辺の歌/夕日/鉄道唱歌/どじょっこふなっこ/村祭/故郷/通りゃんせ/旅愁/冬景色/スキー/ペチカ ほか (全20曲)

【出演】
うなりやベベン、おおたかしずる、小錦八十吉、松元ヒロ、ラッキィ池田、藤原道山、立川志の輔、こどもたち ほか

【特典映像】
「珍・だくだく」(立川志の輔のオリジナル落語)

○2012~2014年 放送 収録時間本編80分+特典10分/16:9LB/ステレオ・ドルビー/カラー

「道程」は坂本龍一さんの作曲です。以前にご紹介した「にほんごであそぼ~元気コンサート in福島」というDVDにも収録されています。哀愁を帯びたジャジーなメロディーで、子供向けだからといっての妥協がありません。
販売価格 3,024円(税込) 

小錦八十吉、野村萬斎、おおたかしずる、うなりやベベンに加え、古典芸能の重鎮たちが勢ぞろい。豪華キャストでお届けします!好評の童謡や文楽もDVD初登場!

【収録曲】005
・なぞなぞなーに ~見えぬけれどもあるんだよ~
・うれしやかぶき ~知らざぁ言って・石川五右衛門~
・朧月夜
・おくのほそ道 ~春~
・うなりやベベンの平家物語
・茶摘み
・そうとうほんきの助数詞マンボ
・はやくち音頭
・まんじゅうこわい ~落語より~
・なぞなぞなーに ~牛が鳴きながら~
・ポッシャリ、ポッシャリ ~「十力の金剛石」~
・吾れ十有五にして…
・なぞなぞなーに ~うつくしや~
・じゅげむじゅげむ(アニメバージョン)
・おくのほそ道 ~夏~
・鉄道唱歌
・草にすわる
・蟻とイナゴの事
・なぞなぞなーに ~ひとつの愛~
・たのしやかぶき ~切られ与三・武蔵坊弁慶~
・ベベンの冬が来た
・夕日
・星めぐりの歌(コニちゃんバージョン)
・ベベンの草枕 

【出演】
小錦八十吉/神田山陽/市川亀治郎/豊竹咲甫大夫/鶴澤清介/桐竹勘十郎
野村萬斎/万作の会/うなりやベベン/おおたかしずる/こどもたち

【特典映像】
・文楽:春雨じゃ…/駆け込み訴え/世界は一つの…/小さき者へ
・萬斎:私と小鳥と鈴と/からだことば(目)/ややこしや ~堕落論~/合点か(はじめちょろちょろ)/かなしみはちからに
・元気コンサート!(未放送映像)


○2011年 放送 収録時間本編49分+特典25分

「ベベンの冬が来た」は、1/30の放映でも流れます。こちらは楽しいロック調です。

こういうものを介し、幼少時から日本の有名な文学作品等に親しむことも大切だと思います。特に子育て中の方、ぜひお買い求めを。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月28日007

平成4年(1992)の今日、東京渋谷の津田ホールで「第7回森田澄夫テノールリサイタル」が開催されました。

第一ステージが、「――愛と狂気、そして戯れ――」と題され、中島はる作曲の歌曲「智恵子抄」(委託初演 「人に」「樹下の二人」「千鳥と遊ぶ智恵子」「レモン哀歌」)、別宮貞夫作曲の歌曲「智恵子抄」(抜粋―「人に」「あどけない話」「
人生遠視」「山麓の二人」「レモン哀歌」)が演奏されました。

プログラムには北川太一先生の玉稿「弾む期待――森田澄夫氏の『智恵子抄』に寄せて――」も掲載されました。

長野県の松本平地区で発行されている『市民タイムス』という地方紙があります。そちらの一面コラム「みすず野」で、昨日、光太郎に触れて下さいました。 

みすず野 1月23日(金)

雪はしんしんと降る、と言う。雨はさんさん、ざんざんであり、日はさんさんと照る、と言う。日本語の表現は多様で、美しく、趣深い。雪のしんしんは、漢字では「深深」、夜がしんしんと更ける、しんしんと冷えると同じで、ひっそり静まり返るさまを表す◆確かに、雪が降り積もる日は、昼間でも車のエンジン音など音が吸い込まれて、とても静かである。「雪白く積めり。/雪林間の路をうづめて平らかなり。/ふめば膝を没して更にふかく/その雪うすら日をあびて燐光を発す。(後略)」と詠ったのは、詩人で彫刻家の高村光太郎だ◆光太郎は、昭和20(1945)年4月の東京空襲で焼け出され、宮沢賢治との縁で岩手花巻に疎開、敗戦後は花巻郊外の山小屋に移り、独り農耕自炊の生活を7年間続けた。冬は深い雪に閉ざされ、つらく厳しいものだったが、自らに戦争責任の罪を科した。「雪白く積めり」の詩には、その覚悟が込められている◆中信地方も湿った雪が降り、交通機関は乱れ、多くの人が雪かきに追われた。山間部は大雪だろう。高齢者宅など心配になる。車の運転に焦りは禁物、余裕を持って出勤を。
 
 
引用されている詩「雪白く積めり」は昭和20年(1945)、花巻郊外太田村の山小屋に移って間もない頃に書かれたものです。この詩を刻んだ碑が、のちに山小屋近くに建てられ、毎年5月15日には、この碑の前の広場で光太郎を偲ぶ高村祭が行われています。
 
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こちらが、光太郎が暮らしていた当時の山小屋の写真。
 
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こちらは去年の今頃の山小屋の写真です。
 
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この冬は、東北でも信越方面でも積雪量が多く、雪崩などの被害もかなり報道されています。暦の上ではもうすぐ立春。気温はまだまだ低い状態ですが、昼間の陽射しには、確実に春の息吹が感じられます。雪国の皆さん、もう少しの辛抱です。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月24日

昭和28年(1953)の今日、終の棲家となった中野のアトリエに、十和田湖畔の裸婦群像制作のための機材、資材類が届きました。
 
当日の日記から。
 
大宮工作所より回転台、心棒届く、又板も届く、 小坂さんくる、とりつけ夕方になる、
 
「小坂さん」は小坂圭二。裸婦像制作の際に助手を務めた、新制作派所属の彫刻家です。下の画像、左の人物です。
 
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「回転台」は、上の画像で、像の足もとに写っています。もともと軍用で、高射砲の台座に使われていたものだということです。

今週火曜日の『岩手日報』さんの一面コラム「風土計」が、光太郎に触れて下さいました。 

風時計 2015.1.13

戦後、岩手には1万戸もの開拓農家が入植した。開拓5周年の労苦をたたえ、1950年に高村光太郎が寄せた詩がある
▼<宮沢賢治のタンカルや源始そのものの石灰を唯ひとつの力として、何にもない終戦以来を戦つた人がここに居る>(開拓に寄す)。タンカルとは宮沢賢治が名付けた肥料用の炭酸石灰。晩年の賢治は土壌を改良するため、この普及に命を懸けた
▼志半ばで逝ったが、その尽力は戦後の開拓で花開いたと言える。光太郎が記すように、酸性の火山灰土壌と闘う人々はタンカルを力とした。岩手の開拓者たちは、まず土を変え、不毛の荒れ地を豊かな耕地に一変させた
▼国連の「国際土壌年」の今年、土が大きな国際テーマになる。世界にある農地の半分で土が劣化し、1年に砂漠化する面積は日本の国土の3割に及ぶ。食料供給の危機でありながら忘れられた資源にようやく光が当たる年だ
▼賢治は酸性土を「病土」とみて健康にしようとした。国際年の標語「健全な暮らしは健全な土地から」に通じる。厳しい現状でも、救いは日本の技術が途上国の土壌改良に役立っていることだろう
▼開拓10年に光太郎は再び寄せた。<見わたすかぎりはこの手がひらいた十年辛苦の耕地の海だ>。知と技で、病土を耕地の海にする。それに勝る国際貢献はなかろう。
 
 
引用されている詩は二つ。まず、昭和25年(1950)に盛岡市で行われた岩手県開拓五周年記念開拓祭に寄せた「開拓に寄す」。

   開拓に寄す000
 
岩手開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
人間ひとりひとりが成しとげた
いにしへの国造りをここに見る。
 
エジプト時代と笑ふものよ、
火田の民とおとしめるものよ、
その笑ひの終らぬうち、
そのおとしめの果てぬうちに、
人は黙つてこの広大な土地をひらいた。
見渡す限りのツツジの株を掘り起こし、
掘つても掘つてもガチリと出る石ころに悩まされ、
藤や蕨のどこまでも這ふ細根(ほそね)に挑(いど)まれ、
スズラン地帯やイタドリ地帯の
酸性土壌に手をやいて
宮澤賢治のタンカルや
源始そのものの石灰を唯ひとつの力として、001
何にもない終戦以来を戦つた人がここに居る。
 
トラクターもブルドウザも、
そんな気のきいたものは他国の話、
神代にかへつた神々が鍬をふるつて
無から有(う)を生む奇蹟を行じ、
二万町歩の曠土(あかつち)が人の命の糧(かて)となる
麦や大豆や大根やキヤベツの畑となつた。
さういふ歴史がここにある。
 
五年の試煉に辛くも堪へて、
落ちる者は落ち、去る者は去り、
あとに残つて静かにつよい、
くろがね色の逞ましい魂の抱くものこそ
人のいふフランテイアの精神、
切りひらきの決意、
ぎりぎりの一念、
白刃上(はくじんじやう)を走るものだ。
開拓の精神を失ふ時、002
人類は腐り、
開拓の精神を持つ時、
人類は生きる。
精神の熱土に活を与へるもの、
開拓の外にない。
 

開拓の人は進取の人。
新知識に飢ゑて
実行に早い。
開拓の人は機会をのがさず、
運命をとらへ、
万般を探つて一事を決し、
今日(けふ)は昨日(きのふ)にあらずして
しかも十年を一日とする。
心ゆたかに、
平気の平左(へいざ)で
よもやと思ふ極限さへも突破する。
開拓は後(あと)の雁(がん)だが
いつのまにか先の雁になりさうだ。
 
開拓五周年、
二万戸、二万町歩、
岩手の原野山林が
今、第一義の境(さかひ)に変貌して
人を養ふもろもろの命の糧を生んでゐる。
 
 
この詩の一節を刻んだ碑が、花巻郊外旧太田村の光太郎が暮らした山小屋(高村山荘)近くに建っています。昭和51年(1976)建立の「太田開拓三十周年記念碑」です。
 
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もう一篇の「開拓十周年」は、昭和30年(1955)にやはり盛岡市の県教育会館で行われた岩手県開拓十周年記念大会に寄せたものです。
 
  開拓十周年
 
赤松のごぼう根がぐらぐらと003
まだ動きながらあちこち残つていても、
見わたすかぎりはこの手がひらいた
十年辛苦の耕地の海だ。
 
今はもう天地根元造りの小屋はない。
あそこにあるのはブロツク建築。
サイロは高く絵のようだし、
乳も出る、卵もとれる。
ひようきんものの山羊も鳴き、
馬こはもとよりわれらの仲間。
 
こまかい事を思いだすと
気の遠くなるような長い十年。
だがまた、こんなに早く十年が
とぶようにたつとも思わなかつた。
はじめてここの立木へ斧を入れた時の
あの悲壮な気持を昨日のように思いだす。
歓迎されたり、疎外されたり、
矛盾した取扱いになやみながら004
死ぬかと思い、自滅かと思い、
また立ちあがり、かじりついて、
借金を返したり、ふやしたり、
ともかくも、かくの通り今日も元気だ。
 
開拓の精神にとりつかれると
ただのもうけ仕事は出来なくなる。
何があつても前進。
一歩でも未墾の領地につきすすむ
精神と物質との冒険。
一生をかけ、二代、三代に望みをかけて
開拓の鬼となるのがわれらの運命。
食うものだけは自給したい。
個人でも、国家でも、
これなくして真の独立はない。
そういう天地の理に立つのがわれらだ。
開拓の危機はいくどでもくぐろう。
開拓は決して死なん。
 
開拓に花のさく時、
開拓に富の蓄積される時、
国の経済は奥ぶかくなる。
国の最低線にあえて立つわれら、
十周年という区切り目を痛感して
ただ思うのは前方だ。
足のふみしめるのは現在の地盤だ。
静かに、つよく、おめずおくせず、
この運命をおおらかに記念しよう。
 
 
どちらも晩年の作。智恵子の死や戦争や、さまざまなことを経てたどりついた境地が表されています。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月16日

昭和3年(1928)の今日、『東京日日新聞』に、散文「日本家庭大百科事彙」が掲載されました。
 
書肆・冨山房により前年から刊行が開始された「日本家庭大百科事彙」の書評です。同書は日本女子大学校での智恵子の先輩で、光太郎と智恵子の間を取り持った柳八重が家事家政方面の編集に当たり、自らも執筆しています。他に、光雲(木彫)、豊周(工芸美術、室内装飾)も執筆者に名を連ねました。
 
ところで日本女子大学校といえば、NHKさんの今年後期の連続テレビ小説(朝ドラ)が、同校の設立に奔走した女性実業家・広岡浅子が主人公の「あさが来た」となることが発表されました。
 
広岡は、光太郎がその胸像を作った同校初代校長成瀬仁蔵や、柳八重、さらに同じく智恵子の先輩・小橋三四子などとも深いつながりがありました。もしかすると智恵子や光太郎も登場するかも、と期待しています。

毎週水曜日の夜に、NHK総合で放映されている「歴史秘話ヒストリア」。昨夜の放映終了後、公式サイトが更新され、来月の予定が出ました。以前にもちらっと書きましたが、いよいよ光太郎智恵子をメインに取り上げる「ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」が放映されます。
 
元々、昨年11月にオンエアの予定でしたが、台風接近に伴う災害報道のため、予定がずれ、「愛の詩集」ということで、バレンタインデー近くに持ってくることにしたそうです。 

歴史秘話ヒストリア ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年 2月11日(水)22:00~22:43   再放送 2月18日(水)深夜
キャスター 渡邊あゆみ
 
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昨年の夏に、花巻の高村光太郎記念会様を通して、この番組を制作しているNHK大阪放送局から協力要請があり、ディレクター氏に千葉の当方自宅兼事務所にお越し頂き、光太郎智恵子ゆかりの犬吠埼、九十九里浜のロケハンに同行しました。また、取材先等をご紹介、光太郎の著書や関係する写真を提供しました。
 
公式サイトでは、今のところサブタイトルだけの予告ですが、ロケは他にも福島二本松や花巻、十和田湖等で行われ、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生や、小説『智恵子飛ぶ』を書かれた作家の津村節子氏などへのインタビューもあり、なかなかいい出来になっているはずです。
 
詳細が出ましたら、またご紹介します。
 
 
その他、いくつかテレビ放映の情報を。 

にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年1月16日(金)  6時35分~6時45分  再放送 17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、ひこうきさんようしゅんしゅん旬~冬~/ゆきまつり、絵あわせかるた/きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、擬音アニメ/ちろんろん(粉雪)、うた/ペチカ、こころよ。
出演者 神田山陽,うなりやベベン,おおたか静流 ほか 

聖火リレー戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回

NHKEテレ2015年1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)

戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。個の自立を説き、大学紛争の時代、若者たちの支持を得た。独自の思想を上野千鶴子さん、高橋源一郎さん他の証言で見つめる。.
 
戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。六〇年安保闘争では学生の先頭にたって国会に突入。68年の大学紛争時には、代表作『共同幻想論』を発表。個としての思考の自立を説き、若者の圧倒的な支持を得た。高度消費社会を前向きにとらえ、大衆の行動に意味を見出した吉本。常に常識を疑い、権威と闘ったその軌跡を社会学者・西部邁さん、上野千鶴子さん、橋爪大三郎さん、作家・高橋源一郎さんら幅広い証言で見つめていく。
 
出演者 語り 守本奈実   朗読 古舘寛治
 
1/10にあった本放送の再放送です。見逃した方はぜひご覧下さい。吉本の思想的源流の一つに、光太郎の戦争詩に関する考察があることが語られます。北川太一先生ご夫妻もご登場。
 
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美の巨人たち 森田藻己『竹の中の大工』

テレビ東京 2015年1月17日(土)  22時00分~22時30分
再放送 BSジャパン 2月18日(水)23時00分~23時30分
 
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毎回一つの作品にスポットを当て、そこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日の作品は、超絶技巧の根付、森田藻己(もりた・そうこ)作『竹の中の大工』。今ジャパニーズアートとして人気を博している、ひもの端に付ける留め具・根付。大正・昭和の藻己の活躍によって進化を遂げたといいます。手のひらに収まる大きさのこの根付は竹筒のような細工が施され、中をのぞくと大工さんの姿が…。ひとつの木片から彫り上げられたのですが一体どうやって彫ったのか?そこには伝説の根付師ならではのもくろみが。
 
ナレーター 小林薫
音楽 <オープニング・テーマ曲> 「The Beauty of The Earth」 作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン) 唄:ジョエル・タン  <エンディング・テーマ曲> 「India Goose」 中島みゆき
 
 
森田藻己は光雲とも交流のあった根付師です。光雲がらみの話が出ればいいのですが……。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月15日

昭和26年(1951)の今日、岩手水沢町(現・奥州市)の文化ホールで、成人式の講演をしました。
 
「成人の日」は昭和23年(1948)に制定され、永らく1月15日でした。
 
昨今の幼稚な新成人の乱行を、泉下の光太郎はどう思うのでしょうか。

劇作家・平田オリザさん率いる劇団青年団さんの舞台「暗愚小伝」、東京公演が昨秋行われましたが、西日本に巡回です。兵庫県伊丹市と、香川県善通寺市で、ほぼ連続して行われます。 

青年団第73回公演 『暗愚小傳』伊丹・善通寺公演

伊丹公演 2015年1月16日(金)- 1月19日(月) 5ステージ
AI・HALL(伊丹市立演劇ホール) 兵庫県伊丹市伊丹2-4-1 

善通寺公演 2015年1月22日(木)- 1日24日(土) 3ステージ
四国学院大学ノトススタジオ 香川県善通寺市文京町3-2-1
 
作・演出:平田オリザ
高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。平田オリザ90年代初期の名作、10年ぶり、三回目の再演。

出演
山内健司 松田弘子 永井秀樹 川隅奈保子 能島瑞穂 堀 夏子 森内美由紀 木引優子 伊藤 毅 井上みなみ 折原アキラ 佐藤 滋
 
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一昨日の『毎日新聞』さんの大阪夕刊に伊丹公演の紹介記事が載りました。  

暗愚小傳:高村光太郎描く、平田オリザ初期作

毎日新聞 2015年01月08日 大阪夕刊
 劇作家の平田オリザが率いる劇団「青年団」が、平田の初期の代表作「暗愚小傳(あんぐしょうでん)」(平田演出)を16〜19日、兵庫県伊丹市のアイホールで上演する。
 10年ぶり3度目の再演。舞台は、詩人の高村光太郎(1883〜1956)と妻が暮らす自宅アトリエ。新婚時代、智恵子の発病、智恵子の死と戦争、戦後の隠遁(いんとん)−−の4場面を通して高村の等身大の生活を描く。平田は「高い知性を持つ詩人が、なぜ戦争詩を書いてしまったのか。20代の時からそれを考えていて書いた戯曲」と言う。5回公演。3000円、学生・65歳以上2000円、高校生以下1500円。同ホール(072・782・2000)。【畑律江】
 
 
西日本のみなさん、ぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月10日
 
平成10年(1998)の今日、二玄社から『高村光太郎 美に生きる』が刊行されました。
 
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版元サイトから
 
光太郎の生涯を、形成、反逆、美に生きる、生命の大河の4章に分け、その彫刻、デッサン、書など主要な美術作品の写真と、詩文、評論などから選りすぐった文章で浮き彫りにする、画期的画文集。明治、大正、昭和の三代を生き抜いた、巨人の足跡。
 
現在でも新刊で入手できます。定価は2,800円+税です。
 
故・高村規氏撮影の写真をふんだんに使い、主に造形作家としての光太郎の生涯を俯瞰するものです。いつもながらに北川太一先生の解説「美を追う人」が見事です。
 
ちなみに当方、今日は東京本郷にて、北川太一先生を囲む新年会に行って参ります。

新刊です。  

空の走者たち

増山実著 2014/12/08 角川春樹事務所  定価 1600円+税
 
2020年4月18日――。通信社の若手記者・田嶋庸介は興奮していた。陸運から発表された東京オリンピック女子マラソン日本代表3名の中に、円谷ひとみの名があったからだ。田嶋が7年前にこの少女と出会ったのは、福島県須賀川市。そこは、1964年の東京オリンピックマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉と、ウルトラマンの生みの親・円谷英二の故郷であった。当時の円谷ひとみは、陸上をやめ、自分のやりたいことが見えずに暗中模索中の高校2年生。なぜ彼女は、日本を代表するランナーへと成長できたのか。その陰には、東京オリンピックと「あどけない青空」によって結ばれた、不思議な出会いがあった……。須賀川、宝塚、東京、ハンガリー。どんなに雨が降り続こうとも、いつか必ず見えるはずの青空を思い、それぞれの空の下を懸命に駆け抜けた走者たちの物語。
 
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主な舞台は福島県須賀川市。光太郎の「智恵子抄」に収められた「あどけない話」が重要なモチーフになっています。
 
昭和39年(1964)の東京五輪・男子マラソン銅メダリスト円谷幸吉、「特撮の神様」・円谷英二。ともに須賀川の出身で、親戚だそうです。さらに『おくのほそ道』の旅で須賀川を訪れた松尾芭蕉や、東日本大震災で被災した架空の少女たちが織りなす物語。クライマックスは平成32年(2020)の2度目の東京五輪。平成25年(2013)、昭和40年(1965)、そして元禄2年(1689)。それぞれの須賀川をつなぐキーワードが「空」。さらにはマルセル・プルースト『失われた時を求めて』、坂本九、ゴジラ、ザ・ビートルズ、銭湯、大阪万博……。
 
スポ根的要素、SF的要素、昭和懐古的要素、震災復興支援的要素と、てんこ盛りの一冊です。
 
ぜひお買い求めを。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月8日

昭和28年(1953)の今日、終の棲家となった中野のアトリエで、煙突掃除をしました。
 
十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)を制作していた時期で、この日は午前中に手の試作を仕上げています。夕方から、詩人の藤島宇内に手伝ってもらって、煙突掃除。これはストーブからつながっていたものでした。
 
最近は、レンガ造りのイミテーションを除き、一般家庭で「煙突」という物体を見ることがほぼなくなりましたね。

近刊です。 

近代文学草稿・原稿研究事典

日本近代文学館編/編集委員:安藤宏・栗原敦・紅野謙介・十重田裕一・中島国彦・宗像和重
八木書店発行
予価(本体予価12,000円+税)
A5判・上製本・カバー装 420頁
 
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完成された作品では分からない、近代文学研究に不可欠な作品の生成過程を明らかに
 
<内容説明>
 第一部から第三部では、作家の原稿に接する楽しさ、原稿用紙・筆記用具の変遷、原稿から印刷出版に於ける様々な過程、代作・検閲などの実態、古書店による発掘・流通などについての論考を収める。
 第四部では、65人の作家の事例を具体的に取り上げた。原稿の残存状況、所蔵機関、使用原稿用紙の変遷などを記し、多数の原稿図版を掲出した。原稿用紙に加除訂正をはじめとする様々な情報から、活字化された本文では見えてこない創作時に於ける作家の状況を解読し、新たな作品研究の可能性を示した。
 また、文芸編集者や古典研究者など自筆物と関連の深い分野からのコラムを掲げるほか、原稿草稿の所蔵機関とその閲覧の手引きとなる資料を付録として付す。 
 
<目次>
第一部 草稿研究入門
原稿・草稿を読む楽しみ(中島国彦)、原稿用紙とはなにか(宗像和重)、筆記用具の痕跡(安藤宏)
 
第二部 草稿から出版へ
草稿から出版へ(十重田裕一)、組版印刷から見えるもの(栗原敦)、検閲と伏字(浅岡邦雄)
 
第三部 草稿をどう生かすか
自筆原稿からの本文作成の問題点(秋山豊)、代作・代筆問題(小林修)、草稿・原稿が持つ可能性(十川信介)、草稿・原稿は流通する(紅野謙介)
 
第四部 作家的事例
芥川龍之介(庄司達也)・有島武郎(内田真木)・石川啄木(太田登)・泉鏡花(吉田昌志)・伊藤整(飯島洋)・井上ひさし(今村忠純)・井伏鱒二(東郷克美)・宇野浩二(宗像和重)・宇野千代(尾形明子)・江戸川乱歩(浜田雄介)・遠藤周作(藤田尚子)・大岡昇平(花﨑育代)・岡本かの子(宮内淳子)・小川未明(小埜裕二)・尾崎紅葉(須田千里)・織田作之助(日高昭二)・梶井基次郎(河野龍也)・川端康成(片山倫太郎)・菊池寛(片山宏行)・北原白秋(中島国彦)・北村透谷(尾西康充)・久保田万太郎(石川巧)・久米正雄(山岸郁子)・幸田露伴(出口智之)・小林多喜二(島村輝)・小林秀雄(権田和士)・斎藤茂吉(品田悦一)・坂口安吾(大原祐治)・佐多稲子(長谷川啓)・里見弴(武藤康史)・島崎藤村(高橋昌子)・高見順(竹内栄美子)・高村光太郎(杉本優)・武田泰淳(井上隆史)・太宰治(安藤宏)・谷崎潤一郎(千葉俊二)・田村俊子(小平麻衣子)・田山花袋(小林修)・坪内逍遙(梅沢宣夫)・徳田秋聲(大木志門)・富永太郎(杉浦静)・永井荷風(真銅正宏)・中上健次(辻本雄一)・中里介山(紅野謙介)・中島敦(山下真史)・中野重治(林淑美)・中原中也(中原豊)・中村真一郎(池内輝雄)・夏目漱石(十川信介)・萩原朔太郎(阿毛久芳)・林芙美子(今川英子)・樋口一葉(戸松泉)・二葉亭四迷(高橋修)・堀辰雄(渡部麻実)・牧野信一(柳沢孝子)・正岡子規(金井景子)・正宗白鳥(中丸宣明)・三島由紀夫(佐藤秀明)・宮沢賢治(栗原敦)・向田邦子(嶋田直哉)・武者小路実篤(寺澤浩樹)・室生犀星(大橋毅彦)・森?外(須田喜代次)・山田美妙(山田俊二)・横光利一(十重田裕一)
 
コラム:文芸編集者の立場から(藤田三男)・記憶に残る原稿(東原武文)・近世文学研究と自筆資料(木越治)・外国文学の研究との違いについて(松澤和宏)・文学館活動における原稿に関する法律問題について(中村稔)
付  録: 主要原稿所蔵館一覧・ 複製原稿刊行リスト・ 全国文学館一覧・他
 
 
昨秋、版元の八木書店さんから内容見本が送られてきました。そちらには「2014年12月20日刊行予定」とありましたが、予定は未定にして決定にあらず、2月までずれこむようです。やはりこれだけの労作、かなり大変なのでしょう。
 
第四部の光太郎の項は、群馬県立女子大学教授、杉本優氏のご執筆です。氏は高村光太郎研究会員、連翹忌にも時折ご参加いただいております。
 
光太郎以外にも、光太郎智恵子と関わりの深い作家がラインナップに入っています。奮発して購入しようと思っております。
 
皆様もぜひどうぞ。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月6日

平成7年(1995)の今日、銀座和光六階ホールに於いて、高村規写真展「木彫・高村光雲―没後六十年記念―」が開幕しました。
 
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昨年亡くなった、光太郎の令甥、高村規氏の写真展です。全国に散在する光雲作品の写真撮影に3年余を費やされ、さらにこの後、平成11年(1999)に刊行された『木彫 高村光雲―高村規全撮影』(中教出版)に繋がるお仕事でした。
 
同展図録から、規氏のお言葉。
 
光雲の作品は動感のなかに艶を感じさせます。作品に対峙したとき自然に伝はる熱い思いが作品の息吹、詩魂と共に表現され、真髄に迫ることが出来たかどうか皆様の御批評を賜れば望外の喜びです。

福島から企画展の情報です。  

平成26年度所蔵品展 草野心平と高村光太郎 往復書簡にみる交友 

   いわき市立草野心平記念文学館 福島県いわき市小川町高萩字下タ道1番地の39
   平成27年1月17日(土曜日)から3月22日(日曜日)まで(月曜休館)
   午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
   一般430円(340円)高校・高専・大学生320円(250円)
      小学生・中学生160円(120円) 
※( )内は20名以上の団体割引料金

 1948年から1952年にかけての草野心平と高村光太郎の往復書簡をとおして、それぞれの創作活動とそれにともなう葛藤や苦悩などを紹介します。あわせて、心平が光太郎について記した日記をはじめ、詩集等の書籍、そして光太郎の彫塑などにより二人の交流をたどります。展示点数50点。

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昭和初期から、光太郎が歿する同31年(1956)まで、固い絆で結ばれた二人の軌跡をたどる展覧会です。固い絆、ということをいえば、光太郎没後も心平はその顕彰活動に先鞭を付け、発展させ、自身が歿する昭和63年(1988)まで、それは途絶えませんでした。
 
会期も比較的長い展覧会です。ぜひ御都合をつけ、足をお運び下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月5日

平成14年(2002)の今日、テレビ朝日系でスペシャル番組「文豪の愛した北の宿」が放映されました。
 
旅人はシンガーソングライター・みなみらんぼうさん。石坂洋次郎らの訪れた老舗旅館等をめぐる番組で、最後に光太郎智恵子が取り上げられました。
 
二本松(当時は安達町)の智恵子生家、記念館、裏手の「樹下の二人」詩碑のある鞍石山からのレポートの後、一昨年に火災により焼失してしまった福島市郊外の不動湯温泉を訪れたみなみさん。光太郎智恵子の泊まった部屋や、光太郎が書いた宿帳を見せてもらっていました。
 
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この部屋も宿帳も灰になってしまった今、動画として残っている貴重な記録です。

テレビ放映情報です。 

大竹まことの金曜オトナイト 【ゲスト】天野ひろゆき(キャイ~ン)

BSジャパン 2015年1月9日(金)  23時30分~24時00分
 
社会問題から性の事まで独断と偏見で選んだニュース。ニッポンの今を裏から取材した特集。超毒舌なエンタメコーナーで送る「刺激的な夜のワイドショー」
 
◆流出ワイド◆ (秘)超気持ちいい ! 一発で卵の黄身を取り出す方法 (秘)クレームによりジャポニカ学習帳の表紙から昆虫が消える (秘)夫が妻の話を聞いている時間は約6分 (秘)高2当時に採取 12年凍結した卵子で出産◆文化情報コーナー◆ 街で直撃取材! 「あなたの持っている本見せて下さい」 天野ひろゆきオススメ本 「智恵子抄」 さらにおススメ映画、漫画まで !
 
出演者
レギュラー:大竹まこと、山口もえ、碓井広義(上智大学教授) 進行:繁田美貴(テレビ東京アナウンサー) ゲスト:天野ひろゆき(キャイ~ン)
 
 
どうも天野さんと「智恵子抄」が結びつきにくいのですが……(笑)。
 
 
先日もちらっとご紹介しましたが、さらにもう一本。  

戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回

NHKEテレ  2015年1月10日(土)  23時00分~24時30分
再放送1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)

戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。個の自立を説き、大学紛争の時代、若者たちの支持を得た。独自の思想を上野千鶴子さん、高橋源一郎さん他の証言で見つめる。.
 
戦後の言論界を走り続けた思想家・吉本隆明。六〇年安保闘争では学生の先頭にたって国会に突入。68年の大学紛争時には、代表作『共同幻想論』を発表。個としての思考の自立を説き、若者の圧倒的な支持を得た。高度消費社会を前向きにとらえ、大衆の行動に意味を見出した吉本。常に常識を疑い、権威と闘ったその軌跡を社会学者・西部邁さん、上野千鶴子さん、橋爪大三郎さん、作家・高橋源一郎さんら幅広い証言で見つめていく。
 
出演者 語り 守本奈実   朗読 古舘寛治
 
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吉本の盟友にして高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生は、昨年刊行された『吉本隆明全集』第5巻の月報にこう記されています。
 
戦い終わり、海軍技術科士官として飛行予科練習生たちといのちをかけた南四国から帰ったあと、工業大学進学を選んだ時、すでに吉本は大学にいた。そして二人ともアトリエを焼かれて花巻郊外に孤坐しているという高村光太郎が、いま何を考えているか、そればかりが気になった。光太郎がここに至った道を明らかにしない限り、これから何が出来ようかと思いつめた。
 
吉本の思想的源泉に、大きく影響した光太郎。北川先生もご登場なさるはずですし、光太郎についても語られると思います。
 
しかし、こういう良い番組は深夜の放映なのですね。録画して観ようと思います。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月4日

昭和26年(1951)の今日、花巻郊外太田村の山小屋で、村人が雪下ろしをしてくれました。
 
この時期、花巻近辺はもうすっぽり雪に覆われていることでしょう。岩手県の雪量観測情報によれば、光太郎の暮らした山小屋(高村山荘)に近い鉛温泉あたりで73㌢の積雪だそうです。

福島は郡山から講座の情報です。 

文芸作品の鑑賞~名作への旅~

日本、外国の小説・紀行文・詩歌・俳句・000随筆などの名作を鑑賞し、その歴史や文化にも触れ、当時の面影を辿ります。4月期は、「宮澤賢治」童話と詩、高村光太郎「智恵子抄」を取り上げます。
 
期 日 : 2015/1/9~3/27 の第2・4金曜  全6回
会 場 : 10:00~12:00
時 間 : NHK文化センター郡山教室
                   郡山市麓山1-5-21 NHK郡山放送会館内
料 金 : 10,044円 (税込み)  

 師 : 元日本大学教授・文芸家 永塚功
申 し 込 み   NHK文化センター郡山教室  024-933-0022
 
いわゆるカルチャー教室、市民講座の類ですね。
 
「生涯教育」という語は定着しました。知的探求心を持ち続けるのは大切なことだと思います。福島の皆さん、ぜひ、お申し込み下さい。
 
当方もぽつぽつこの手の講座の講師等、やらせていただいています。今年も数回、講師としてお声がけいただいております。これからお考えの団体さん、日程さえ合えば、条件は二の次でお受けいたします。こちらまでご連絡下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 1月2日
 
昭和17年(1942)の今日、日本女子大学校発行の『家庭週報』に、詩「新しき日に」が掲載されました。
 
  新しき日に001
 
新しき年真に新たなり。
東方の光世界に東方の意味を宣す。
幾千年の力鬱積していま爆発するのみ。
東方は倫理なり。
東方は美なり。
断じて西暦千幾年の弱肉強食にあらず。
世界の人類倫理に飢う。
飢うるものにわが食を与ふるなり。
わが食は道なり。
道を体するもの東方日出づる国に住む。
その一挙一動は中正にして愛に満つ。
死はかろく義はおもく、
古来東方の女性 ことごとく美し。
その美驕らず出しやばらず、
内に湛へて堅忍の力あり、
男子みなその力に支へらる。
世界の歴史いま新たなり。
東方の倫理世界に布く。
美しき東方の女徳いよいよ凛たり。
 
 
戦時中の作品ということで、きな臭い部分もあり、ヘイトスピーカーが喜びそうです。そういった部分は抜きにして、日本人としての気概を表した「道を体するもの東方日出ずる国に住む。その一挙一動は中正にして愛に満つ。」といった一節は非常に良いですね。第一、ヘイトスピーカーの言動は「中正にして愛に満」ちていませんし、「道を体する」とは絶対に言えません。

『朝日新聞』さんの夕刊で連載中の、女優・黒木瞳さんのエッセイ「黒木瞳のひみつのHちゃん」。先週の木曜日は、以下の内容でした。 

来年も歩く この遠い道程のため

 “僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る”
 当たり前じゃん、ってちょっと乱暴な感想を抱く少女だった頃。それでもこの、高村光太郎の「道程」(原形)という詩が好きだった。“どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない”っていう1行目。誰かが決めてくれた人生を歩いているのではない、っていうその言葉から漲(みなぎ)るエネルギーが、私の心にバンバンつき刺さった。
 実は久々にこの詩を思い出させてくれたのがKさん。兄のような人生の先輩のような存在だ。そのKさんがこの間「僕は70まで生きるとしたら、あと7年。何回のクリスマス、何回のGW、何回の誕生日、何回の春っていう風に考える。365日×7の夕食。無駄な人とは夕食はしたくないんだ」って私の目を真っ直(す)ぐ見つめて熱く語った。
 人生は、タラタラと時間に追われて過ごすのではなく、1日1日を具体的に意味のある日として歩くのだと、彼の瞳が訴えていた。影響力のある人っているけど、まさにKさんが、そう。人を虜(とりこ)にする魔法のようなオーラがKさんから迸(ほとばし)っている。
 そしてKさんは話を続けた。「地位も名誉も財産も運もない人がいて、他人から見たら、その人は可哀想な人生ねって思われたとする。でも、人の人生を他人が判断することではない。その人にとってどうだったか、ということが全てだから。僕は、自分の人生の終焉(しゅうえん)に、僕自身が僕の人生“マル”だったっていうフダをあげたい。“マル”のフダをあげられる人生を送りたい。それが、僕の夢だよ」と。
 Kさんが言うところのご自分のクリスマスはあと7回。今日は7分の1のクリスマス。勿論(もちろん)、あと7回は言葉のアヤ。今日も、いい時間を満喫していらっしゃるに違いない。
 “歩け歩け/どんなものが出て来ても/乗り越して歩け”と、詩は今も力強く私に訴えかけてくる。2015年も、どんなものが出て来ても乗り越して歩いていかなければ……。
 
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今年、執筆から100周年を迎えた、光太郎の代表作「道程」を扱って下さいました。ありがたや。
 
「道程」は、大正3年(1914)2月9日に今知られている詩型の原型となる長大な詩を執筆、それが3月5日に雑誌『美の廃墟』に発表され、10月25日には詩集『道程』が出版されています。この時点でオリジナルの102行あった「道程」はわずか9行に圧縮されました。
 
『道程』100周年の最後に、大きくクローズアップしてくださり、ありがたいかぎりです。
 
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「2015年も、どんなものが出て来ても乗り越して歩いていかなければ……。」そのとおりですね。
 
ところで「道程」原型。当方ブログからコピペして使って下さるのは結構ですが、詩型は変えないで下さい。長くて読みにくいからと言って、途中で勝手に1行空きを設定したり、読みにくいだろうからと、もともとないところにルビを( )で書いたり、そういう行為は詩型の改変に当たります。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月28日

昭和13年(1928)の今日、作曲家の箕作秋吉に書簡を送りました。
 
啓上、文部省へも此の通りなのを送りました。甚だ妙なものが出来てしまひましたが、ともかくも御送りいたします、言葉など十分御斧正を願ひます、御注意下さるところはいくらでもなほします、もつと違つた題材のも未完であるのですが、そのうち出来たらそれもおめにかけます。十二月廿八日 高村光太郎 箕作秋吉様
 000
これに先立つ12月11日の『朝日新聞』です。
 
新国民歌六つ 紀元節に公表
新しき時代の子の歌として今後毎年選定されてゆくことになつた文部省選定国民歌の打合せ会は既報の如く十日文相官邸で開かれたが文部当局、文壇人、楽壇人との間で協議をした結果第一回国民歌として左の六曲を作製、明春紀元節の佳き日に公表する事になつた、新国民歌は大体一章六行四章から成るもので題目は未定であるが左の六テーマのもとに作製される筈
△大陸の歌 作詞北原白秋、作曲山田耕筰△日本の自然 作詞斎藤茂吉、作曲大木正夫△農村に取材した国民生活 作詞佐藤春夫、作曲池内友次郎△自然と生活 作詞高村光太郎、作曲箕作秋吉△日本女性 作詞茅野雅子、作曲信時潔△海洋の歌 作詞土岐善麿、作曲堀内敬三
 
記事の通り、文部省が音頭を取って、「日本国民歌」なる企てがスタートしました。日中戦争はすでに激化、太平洋戦争前夜といえる時期で、国民精神高揚のため、これに先立つ昭和11年(1936)には日本放送協会大阪中央放送局がラジオ番組「国民歌謡」の放送を開始しており、光太郎作詞、飯田信男作曲、徳山璉歌唱の「歩くうた」(昭和15年=1940)も後にラインナップに組み込まれます。国としても同様の運動の展開に本腰を入れ始めたわけです。
 
光太郎は「日本国民歌」用に、「こどもの報告」という詩を執筆、箕作がこれに曲を付け、翌年発表。関種子歌唱によるレコードも発売されました。
 
ただし、他のコンビによる作品ともども不評で、1回限りで計画はポシャりました。
 
     一
  めがさめる、とびおきる。001
  晴れても降つても、一二三。
  朝のつめたい水のきよさよ。
  こころも、からだも、はつらつ。
  お父さま、お早うございます。

  お母さま、お早うございます。
  みんなもお早う。
  テテチー テテチー
  テタテ チト テタタ ター
  かしこきあたりを直立遙拝。
  それからご飯だ、ああうれし。

  かうしてぼくらのその日がはじまる。
  その日がはじまる。
 
      二
  日がくれる、戸をしめる。
  勝つても負けても、ヂヤンケンポン。
  夜のたのしいうちのまとゐよ。002
  こころも、からだも、のびのび。
  お父さま、おやすみなさいませ。
  お母さま、おやすみなさいませ。
  みんなもおやすみ。
  タタタタ  タテタテ チー
       チテチテ  タテタト ター
  お国のまもりへ直立敬礼。
  それからお寝まき、ああらくだ。
  かうしてぼくらのその日がをはるよ。
  その日がをはるよ。
 
上記は、昭和18年(1943)に刊行された光太郎詩集『をぢさんの詩』収録詩型。作曲されたものとは若干の異同があります。
 
このあたりの詩型の変遷など、非常に興味深い背景があり、当方刊行の冊子『光太郎資料』で、3回にわたり考察を掲載中です。来春刊行予定の『光太郎資料43』で終了の予定です。ご希望の方は方はこちらまで。

今年10月25日に、岩手県民会館大ホールにて行われた第67回全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟、朝日新聞社主催)の高校部門で、Aグループ(8~32人)に出場し、光太郎作詞、鈴木輝昭氏作曲の「女声合唱とピアノのための組曲 智恵子抄」」から自由曲を選んだ学校が二つありましたが、ともに上位入賞を果たしました。
 
「亡き人に」を自由曲に選んだ神奈川の清泉女学院さんは、金賞。北海道の帯広三条高校さんは、「レモン哀歌」で挑み、銀賞でした。どちらも女声合唱です。
 
ブレーン株式会社さんから、ライブ録音のCDが発売されたので、注文しました。出場順の関係で、帯広三条さんはvol1、清泉女学院さんはvol2に収録されており、2枚買いました。
 
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届きましたので、早速聴いてみました。どちらも透き通った美しい声で、情感たっぷりのいい演奏でした。高校生らしい張りのある若々しい声質も好ましいと思いました。
 
ブレーンさんでは、昨年までは金賞授賞団体の演奏のみを収めたDVDを発売していましたが、今年から全出場団体のDVD、さらにブルーレイも発売されています。ただし、受注生産ということで、コスト的にCDよりもかかるようで、DVDが1枚5,000円+税、ブルーレイは同じく6,000円+税(CDは3,000円+税)です。やはり出場順の関係で、帯広三条さんと清泉女学院さんが別々のディスクに収録されており、2枚買わなければなりません。ちょっと悩んでいます。
 
こうしたコンクールだけでなく、各種演奏会でも、もっともっと光太郎作詞の(というか、光太郎の詩に作曲した)楽曲を演奏していただきたいものですし、ラインナップも増えてほしいものです。
 
 
さて、今日は、音楽でなく演劇で、「智恵子抄」を観て参ります。過日ご紹介した「微笑企画第4弾 一人芝居 人に~智恵子抄より」です。楽しみです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月24日

大正7年(1918)の今日、光太郎智恵子連名で、小橋三四子(みよこ)に宛ててクリスマスカードを送りました。
 
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小橋三四子は日本女子大学校での智恵子の先輩に当たります。洋画家柳敬助の妻・八重ともども、光太郎と智恵子が出会うきっかけを作った一人です。読売新聞記者として活躍した他、雑誌『婦人週報』を創刊したりもしました。今年上半期の朝ドラ「花子とアン」の主人公、村岡花子とも親しい間柄でした。
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文面は以下の通りです。
 
クリスマスのおよろこびを私達からもお受け下さい。
あなたの清い心と同朋を思ふ熱い情とにますます祝福のある様にといのります。
此のフラ、アンジエリコの描いた天子達の晴朗な和平を世に持ち来すことに努めませう。
 
表面の差出人の部分は智恵子の筆跡と思われ、現存数の少ない智恵子筆跡の一つとして貴重です。宛名部分と裏面は光太郎の筆跡です。
 
用紙はイタリア製の絵葉書で、ルネサンス期のフィレンツェ出身の画家、フラ・アンジェリコの描いた宗教画「聖母戴冠(部分)」が印刷されています。

『吉本隆明全集5[1957‐1959]』。注文しておいたのが、届きました。
 
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昭和32年(1957)、吉本最初の単行本、『高村光太郎』ほか、光太郎や同時代の詩人たちを論じた評論が多数収められています。
 
『高村光太郎』は、3回ほど読みましたが、また改めて読み返してみたいと思います。他の短めの評論の中には未読のものが多く、こうしてまとめていただけると、非常に有り難く感じます。
 
 
そして月報。高村光太郎記念会事務局長にて、吉本の同窓、北川太一先生の玉稿『吉本と光太郎』が掲載されています。まずこの月報から読みましたが、感動しました。人と人との出会い、絆、そういったものの不思議さ、素晴らしさを存分に感じさせる名文です。
 
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戦前の初めての出会い、戦後すぐの再会、その時点でお二人とも、光太郎を読み解くことなくして、あの時代を生きる方向性がつかめない、と考えられていたそうです。やがて光太郎没後、北川先生の編集で、昭和32年(1957)から刊行が始まった『高村光太郎全集』の月報に載った、吉本の「『出さずにしまつた手紙の一束』のこと」のお話、お二人で編んだ昭和56年(1981)の春秋社版『高村光太郎選集』増訂版のお話などなど……。
 
『吉本隆明全集5[1957‐1959]』。定価6400円+税と、値段は張りますが、それだけの価値は十分にあります。当方、自分へのクリスマスプレゼントとします(笑)。
 
 
さて、過日もちらっとご紹介しましたが、NHK Eテレさんの教養番組「日本人は何をめざしてきたのか。 知の巨人たち」の詳細情報が公表されました。「第5回 吉本隆明」ということで、後半4回のトップが吉本です。

日本人は何をめざしてきたのか。 知の巨人たち 第5回 吉本隆明

 来年の戦後70 年を前に、3年がかりで取り組む「戦後史証言プロジェクト」の第5~8回を、1月10日から放送する。
 敗戦から占領下の民主化、高度経済成長...時代の分岐点で、著名な知識人は何を考え、どのような未来を思い描いたのか。関係者を幅広くインタビューし、今につながる戦後日本の課題を考えていく。
 
第5回 吉本隆明 1月10日(土) 午後11:00~午前0:30 放送
 戦後の言論界を走り続け てきた思想家・吉本隆明。膨大な仕事は、文学から政治、宗教、社会思想、そしてサブカルチャーに至るまで 幅広い。六〇年安保では学生達の先頭となり国会に突入、六八年の 大学紛争時には、 代表作『共同幻想論』を発表、個としての思考の自立を説き、大学生たちの圧倒的な支持を得た 。高度消費社会を前向きにとらえ、大衆の行動に意味を見出した。同時に、常に常識を疑い、権威と闘い、時には物議を醸す発言もした。社会学者・西部邁さん、上野千鶴子 さん、橋爪大. 三郎さん、作家・高橋源一郎さん、ミュージシャン遠藤ミチロウさん、 幅広い層からの証言で紡いでいく。
 
北川先生のところにも取材が入ったそうですので、上記の「」に、北川先生も含まれるのではないかと思われます。当方、ちょうどこの日に、北川先生を囲む新年会に参加予定でして、なにか不思議な感覚です。
 
ちなみに同番組、第6回以降は、石牟礼道子、三島由紀夫、手塚治虫というラインナップになっています。
 
ぜひご覧下さい。
 
 
吉本といえば、昨日の『朝日新聞』さんの読書欄に、筑摩書房の『吉本隆明〈未収録〉講演集』刊行開始の記事が載りました。

『吉本隆明〈未収録〉講演集』

 『吉本隆明〈未収録〉講演集』(筑摩書房、宮下和夫編)の刊行が始まった。1957年の「明治大正の詩」から2009年の「孤立の技法」までの124講演をテーマ別に、第1巻『日本的なものとはなにか』(2052円)から『芸術言語論』までの全12巻。単著に収められていなかったもののほか、新たに音源が発見された8講演を含む。第1巻には付録として「全講演リスト」がつく。今後あらたに音源が見つかった場合は、第13巻を刊行したいという。
 
全12巻(もしくは13巻)中には、光太郎がらみの講演も含まれるかも知れません。詳細が分かり次第、お知らせします。
 
 
昨日の『朝日新聞』さんの読書欄といえば、このブログでご紹介した、智恵子に触れた池川玲子著『ヌードと愛国』の書評も載りました。 『日本経済新聞』さんには早々に書評が載りましたし、先週は『読売新聞』さんにも載りました。かなり注目を浴びているようですね。 

聖火リレー池川玲子著『ヌードと愛国』

 絵画や映画、写真などで表現されてきたあまたのヌードを近現代日本文化史という視点で眺めてみると、そこには、「『日本』をまとったヌード」という系譜が現れてくるという。明治期に長沼智恵子が描いたリアルすぎるヌードから、70年代のパルコの「手ブラ」ポスターまで、7体のヌードの謎を解き、日本近現代を「はだか」にする試み。(講談社現代新書・864円)
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月22日

昭和4年(1929)の今日、雑誌『いとし児』にアンケート「児童と映画」が掲載されました。
 
質問は三項目。以下の通りでした。000
 
一、お子様に映画をお見せになりますや、否や、その理由。
二、月に何回ぐらゐ。
三、種類の御選択は。
 
それに対する光太郎の回答は、ずばり一言のみ。
 
私には子供がありません。
 
このアンケート、光太郎を含む77名の回答が載っていますが、出版社も子供がいるかいないかくらい調べてから依頼しろと言いたくなりますね。さらにこの光太郎の回答をボツにせず、そのまま載せるというのも何だかなあ、という感じです。
 
ちなみに昨年の今日、このブログの【今日は何の日・光太郎】に載せましたが、今日は光太郎智恵子、大正3年(1914)、上野精養軒での結婚披露100周年です。金金婚式ですね(笑)。
 
しかし、入籍は実に昭和8年(1933)。智恵子の統合失調症が進み、光太郎も健康に不安を抱え、自分に万一の事があった場合の遺産相続等を考えての光太郎の決断でした。
 
二人にはとうとう子供はできませんでした。その理由について、いろいろな憶測がなされていますが、結局は謎です。

【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月18日
 
大正15年(1926)の今日、駒込林町のアトリエを、宮澤賢治が訪れました。
 
20日という説もあるそうですが、賢治と光太郎、二人の天才の、最初で最後の出会いでした。
 
光太郎の談話筆記「宮澤さんの印象」(昭和21年=1946 『ポラーノの広場』)、全文です。
 
 宮澤さんは、写真で見る通りのあの外套を着てゐられたから、冬だつたでせう。
 夕方暗くなる頃突然訪ねて来られました。
 僕は何か手をはなせぬ仕事をしかけてゐたし、時刻が悪いものだから、明日の午後明るい中に来ていただくやうにお話したら、次にまた来るとそのまま帰つて行かれました。
 あとで聞いたら、尾崎喜八氏の所にも寄られたさうで、何でも音楽のことで上京されたらしく、新響の誰とかにチエロを習ふ目的だつたやうです。十日間で完成するつもりだと言つてをられたさうです。
 あの時、玄関口で一寸お会ひしただけで、あと会へないでしまひました。また来られるといふので、心待ちに待つてゐたのですが……。口数のすくない方でしたが、意外な感がしたほど背が高く、がつしりしてゐて、とても元気でした。
 
ちなみに上野の聚楽で光太郎と賢治が会食をした、という伝聞がまことしやかに伝えられていた時期がありましたが、どうも眉唾もののようです。

二人を結びつけたのは草野心平でした。
 
心平と光太郎の出会いは、大正14年(1925)。心平は、中国の嶺南大学留学中に知り合った詩人・黄瀛(こうえい)に連れられて、駒込林町の光太郎アトリエを訪れ、以後、足繁く通うようになります。
 
心平が前年に刊行された賢治の詩集『春と修羅』を光太郎に紹介、光太郎はその詩的世界を激賞しました。また、光太郎は黄瀛からやはり同じ年に刊行された童話集『注文の多い料理店』を借り、その素晴らしさを広めるため、さらに水野葉舟に又貸しするなどしています。
 
光太郎の賢治評です。
 
内にコスモスを持つものは世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的の存在から脱する。内にコスモスを持たない者はどんな文化の中心に居ても常に一地方的の存在として存在する。岩手県花巻の詩人宮澤賢治は稀にみる此のコスモスの所持者であつた。彼の謂ふところのイーハトヴは即ち彼の内の一宇宙を通しての此の世界全般のことであつた。
(「コスモスの所持者宮澤賢治」 昭和8年=1933 『宮澤賢治追悼』)
 
 宮澤賢治の全貌がだんだんはつきり分つて来てみると、日本の文学家の中で、彼ほど独逸語で謂ふ所の「詩人(デヒテル)」といふ風格を多分に持つた者は少いやうに思はれる。往年草野心平君の注意によつて彼の詩集「春と修羅」一巻を読み、その詩魂の厖大で親密で源泉的で、まつたく、わきめもふらぬ一宇宙的存在である事を知つて驚いたのであるが、彼の死後、いろいろの詩稿を目にし、又その日常の行蔵を耳にすると、その詩篇の由来する所が遙かに遠く深い事を痛感する。
(略)
彼こそ、僅かにポエムを書く故にポエトである類の詩人ではない。そして斯かる人種をこそ、われわれは長い間日本から生れる事を望んでゐたのである。
(「宮澤賢治に就いて」 昭和9年=1934 『宮澤賢治全集内容見本』)
 
他にも繰り返し、光太郎は賢治を激賞しています。
 
さらに三回にわたる『宮澤賢治全集』の発刊に関わり、花巻に建てられた「雨ニモマケズ」碑の揮毫をしたりもした光太郎を、宮澤家でも恩人として遇し、昭和20年(1945)、空襲で駒込林町のアトリエを失った光太郎を花巻に呼び寄せたことはあまりにも有名です。その結果、賢治の父・政次郎や賢治の弟・清六とは、年齢差を越えた深い交流が生まれました。
 
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こちらは先程も名前の出て来た尾崎喜八撮影の写真。左から光太郎、心平、清六、そして賢治の甥の幸三郎です。昭和9年(1934)、駒込林町のアトリエ前です。ここで賢治と光太郎も出会いました。
 
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こちらは花巻郊外太田村山口の山小屋。政次郎・イチ夫妻と光太郎です。
  
光太郎と賢治、実は、二人が出会うチャンスはもう一度ありました。それは昭和6年(1931)夏、賢治は東北砕石工場技師を務めるかたわら、童話「風の又三郎」を書いていた時期です。光太郎は『時事新報』の依頼で紀行文を書くため、女川を含む宮城、岩手の三陸海岸を旅しています。その際に賢治は光太郎が花巻に寄ってくれることを望んでいたそうですが、実現しませんでした。
 
細かな事情は不明なのですが、光太郎が旅している間に、東京では智恵子の統合失調症の症状が顕著となったということで、もしかするとその知らせを受けた光太郎、急ぎ帰宅したのかも知れません。

追記 どうも船の関係のような気もしてきました。光太郎、東京―三陸間も船で移動した可能性があり、そうすると、船の便が月2本しかなかったのです。

それにしても、賢治と光太郎、たとえ一度でも実際に出会っていることの意味は大きいでしょう。光太郎にしても、賢治と出会わずじまいであれば、どんなに書かれたものを読んで感心したとしても、あれほど激賞することはなかったのではないかと思います。 
 
この二人の最初で最後の出会いが、88年前の今日。感慨深いものがあります。
 
実は当方、賢治が書いたり発言したりした光太郎評については不分明です。詳しい方、はこちらまでご教示いただければ幸いです。

テレビ放映情報です。  はっきり 光太郎に関わるのは1件のみですが、ついでなので5件ご紹介します。

にほんごであそぼ

NHKEテレ 2014年12月22日(月) 6時35分~6時45分 
     再放送 12月22日(月)17時15分~17時25分
 
2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、野村萬斎/冬至、うた/冬景色、道程
 
出演 小錦八十吉,野村萬斎,おおたか静流 ほか
 
この番組では「冬が来た」「道程」ともに何度か扱って下さっています。朗読的に取り上げたり、「道程」は坂本龍一さん作曲の歌にもなっていたり、そのあたりの使い回しかも知れません。むろん新作かも知れません。
 
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日曜美術館 アンコール放送「野の花のように描き続ける~画家・宮芳平~」

NHKEテレ 2014年12月21日(日) 9時00分~9時45分 再放送 12月28日(日)20時00分~20時45分
 
去年、生誕120年を記念した展覧会が開かれたのを機に注目された画家、宮芳平。知られざる魅力に迫る。
 
司 会 井浦新,伊東敏恵   ゲスト ドリアン助川
 
 いま、一人の無名の画家の絵が、人々の共感を集めている。長野の高校で美術を教えながら、生涯で数千枚に及ぶ油絵を残した宮芳平(みや・よしへい 1893~1971)。
生誕120年を記念して去年から始まった初めての大規模な回顧展が全国を巡回。すると「澄んだ魂から生まれたような絵」「自然、植物への愛情の深さを感じた」「これまででいちばん心にしみる絵画」といった感動の声が無数に寄せられ、都内で開かれた展覧会をアートシーンで紹介すると、「作品をじっくり見たい」「画家のことが知りたい」といった声が番組宛にも届いた。
宮が描いたのは、鮮やかな色と抽象的な形がおりなす長野の自然風景。優しさに満ちた母子の肖像。そして深い精神性を感じさせる、聖書を題材にした聖地巡礼のシリーズ。こうした絵の背景には、若き宮を愛した文豪・森鴎外との交流。教師と画家の狭間で揺れながら、独自の表現へと至る苦悩の日々が秘められていた。家族や教え子の証言、画家自身の言葉から知られざる実像に迫る。
 
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アンコール放送、ということで、今年8月に放映されたものの再放送です。光太郎と交流のあった画家・宮芳平の生涯を追っています。残念ながら、光太郎の名は出て来ませんでしたが、見応えのある内容でした。見逃した方、ぜひご覧下さい。
 
 
ここからは、このブログでご紹介してきたゆかりの地、特に東日本大震災被災地からのレポートです。 

震災ドキュメント2014「サッカーが勇気をくれた~コバルトーレ女川の挑戦~」

NHK 総合 2014年12月21日(日)  16時15分~16時40分
 
震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町。地元を勇気づける存在がサッカーチームのコバルトーレ女川だ。将来のJリーグ参入を目指し、現在は下部リーグで戦いを続けている。チームも震災で活動中止を余儀なくされ、多くの選手がチームを去った。しかし、地元の熱い思いに応えるように年々成績を上げてきた。リーグ戦終盤、優勝を目指すコバルトーレ。果たして結果は?その戦いを追い、選手やサポーターの思いをつづる。
 
ナレーター 笠井大輔
 
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こちらも再放送です。本放送は10月でした。毎年8月に「女川光太郎祭」を開催している宮城県女川町からのレポートです。
 
同じ21日に、もう1本女川からのレポートがあります。 

学ぼうBOSAI 東日本大震災 被災者に学ぶ「看護師~宮城・女川町~」

NHK Eテレ 2014年12月21日(日) 18時30分~18時40分
 
東日本大震災の被災地を訪ね、震災を経験した人の話を聞く「東日本大震災 被災者に学ぶ」シリーズ。大災害のとき、地域住民はどのように判断し、いかに行動したのか…。小中学生の子供たちが自分で判断し行動するためのヒントを提供する。宮城県女川町の医療センターで、医療品や食料が津波で流され、多数の避難者が押し寄せた事態に看護師はどう対応したか。中学生の子供リポーター、俳優の濱田龍臣さんが被災地を訪ね話を聞く。
 
リポーター 濱田龍臣
 
 
さらに、同じ被災地ということで、草野心平ゆかりの福島県川内村からも。こちらは明日の放送です。

きらり!えん旅~マギー審司 福島・川内村へ~

NHK BSプレミアム 2014年12月17日(水)  19時30分~20時00分
 
マジシャンのマギー審司さんが福島県川内村を訪ねた。村の東部地区は福島第一原発から20キロ圏内にあり10月1日に避難指示が解除されたばかり。マギー審司さんは、原発事故後「作付け制限区域」に指定されながら米を作り続けた農家から当時の苦労話を聞き、新米で作ったおむすびをごちそうになった。また子どもたちの笑顔いっぱいの小学校やLEDを使った最新鋭の野菜工場を訪ねた。
 
出演 マギー審司  語り冨永みーな
 
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こちらは2012年に始まって、息の長い番組となってきました。初期の頃に由紀さおりさんによる二本松訪問の様子も放映されました。
 
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「被災」が続く限り、この手の番組も続けてほしいものです。
 
今回ご紹介したのは、すべてNHKさん。やはりこういう番組を作るのも、公共放送の役目でしょう。さて、上記では紹介順と放映順が一致していませんでしたので、下記にまとめます。
 
きらり!えん旅~マギー審司 福島・川内村へ~
 NHK BSプレミアム 12月17日(水) 19時30分~20時00分
 
日曜美術館 アンコール放送「野の花のように描き続ける~画家・宮芳平~」
 NHK Eテレ 12月21日(日) 9時00分~9時45分
 
震災ドキュメント2014「サッカーが勇気をくれた~コバルトーレ女川の挑戦~」
 NHK 総合 12月21日(日) 16時15分~16時40分
 
学ぼうBOSAI 東日本大震災 被災者に学ぶ「看護師~宮城・女川町~」
 NHK Eテレ 12月21日(日)18時30分~18時40分
 
にほんごであそぼ
 NHK Eテレ 12月22日(月) 6時35分~6時45分 
     再放送 12月22日(月)17時15分~17時25分
 
日曜美術館 アンコール放送「野の花のように描き続ける~画家・宮芳平~」(再)
 NHK Eテレ 12月28日(日) 20時00分~20時45分
 
それぞれぜひご覧下さい。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月16日
 
平成14年(2002)の今日、牧野出版から籠谷典子編『東京ウォーキング 文学と歴史を巡る10000歩 №18文京区』が刊行されました。
 
「⑤高村光太郎居住跡」「⑥高村光雲終焉の地」000「⑦青鞜社発祥の地」などで、光太郎、光雲、智恵子に詳しくふれています。
 
こうした町歩き的な書籍で、ほんの1、2ページ、光太郎らにふれているものは実に多いのですが、この書籍は実に約30ページ、光太郎関連です。
 
他に漱石、鷗外、宮本百合子、サトウハチロー、竹久夢二、さらに歴史ということで、団子坂、須藤公園、東大などが扱われています。
 
平成17年(2005)の改版が、現在も流通しているようです。

昨日は衆議院選挙でした。結果は自公の圧勝。野党のだらしなさが目立ちました。
 
それを受けての『神奈川新聞』さんの一面コラムです。 

【照明灯】この道

 詩人・彫刻家の高村光太郎は〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉とうたった。漂泊の俳人・種田山頭火は〈この道しかない春の雪ふる〉と詠んだ。ともに人生や芸術を考え極めた末に、ほとばしり出た「道」という言葉だろう▼「景気回復、この道しかない」のキャッチフレーズを掲げ、衆院選を戦った安倍自民党が圧勝した。審判の結果を厳粛に受け入れざるを得ないとしても、経済政策に「アベノミクス」という道しかなかったのかという疑問は残る▼有権者に「この道」以外の明確な選択肢を提示できなかった野党には重い責任がある。争点を絞り込むことで選挙戦を有利に運ぼうとした安倍首相の思惑に対抗し、幅広いテーマで論戦を挑む力も乏しかった▼首相は長期安定政権を視野に入れた。この国を導こうとする道の先には「戦後レジームからの脱却」の実現による大きな変容が待つのだろうか▼〈此の道を行けば/どうなるのかと/危ぶむなかれ/危ぶめば/道はなし〉。アントニオ猪木氏が引用し、広く知られるようになった宗教家・清沢哲夫氏の詩「道」である。〈わからなくても/歩いて行け/行けば/わかるよ〉。しかし、気付いたら後戻りのできない道に踏み込んでいたという状況は困るのだ。
 
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気付いたら後戻りのできない道に踏み込んでいたという状況は困る」というのが、本当にその通りですね。集団的自衛権の問題や、右傾化の問題もそうですが、特に原発の問題でそれを特に感じます。
 
福島の小選挙区は全部で5つ。白河市をはじめとする第3区は民主党の玄葉光一郎氏、会津地方の第4区は維新の党の小熊慎司氏が当選しましたが、残る3選挙区は自民党の候補が当選、さらに比例代表でも2枠のうち1つは自民党候補でした。つまり7分の4を自民党が取ったわけですね。原発を「重要なベースロード電源」と規定する自民党が福島で過半数を取っているのです。それが福島県民の皆さんの選択なら、ここでああだこうだ言っても仕方がないのでしょうが……。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月15日
 
昭和29年(1954)の今日、参加予定だった「碌山を偲ぶ会」を欠席しました。
 
この月、信濃教育会から「彫刻家荻原碌山」(東京芸術大学石井教授研究室編)が刊行され、それを受けて新宿中村屋で「碌山を偲ぶ会」が開催されました。石井鶴三、相馬黒光とともに発起人に名を連ねていた光太郎ですが、体調不良のため、欠席しました。
 
光太郎はこの年6月には、雑誌『新潮』の連載「アトリエにて」の第5回として「荻原守衛」というエッセイを発表しました。44年前に逝ってしまった親友を想い、次のように結んでいます。
 
 芸術上の新気運は無限に発展してとどまるところもなく進むであらうし、造型上の革命も幾度か起るべきであるが、しかしその根元をなす人間の問題は千古不磨である。誠実ならざるもの、第二思念あるもの、手先だけにたよるもの、気概だけに終始するもの、一切のかういふものは、いつか存在の権利を失ふであらう。荻原守衛の芸術の如きは、時代的にふるくなればなるほど、人に郷愁のやうなものを感じさせ、人の心をとらへ、人を喜ばせ、美の一典型のやうなものを感じさせてやまないであらう。私はこの世で荻原守衛に遭つた深い因縁に感謝してゐる。
 
1年4ヶ月後にはこの世を去る光太郎。暮れにはやや回復しましたが、この年は病臥の時期が長く、「守衛よ、そろそろ俺もそっちに行くよ」という気持ちだったのかも知れません。
 
ところで、「誠実ならざるもの、第二思念あるもの、手先だけにたよるもの、気概だけに終始するもの、一切のかういふものは、いつか存在の権利を失ふであらう。」と言う光太郎の言葉。政治の世界にも当てはまるような気がします。何ら手を打てなかった今回の野党各党がそうですし、勝った自民党も「誠実ならざるもの」と評されればたちまち下野に追い込まれるのは、平成17年(2009)総選挙で歴史的な大敗北を喫した時の歴史が証明しています。

今日、12月10日は「世界人権デー」だそうです。悲惨な第二次世界大戦が終わった後、昭和23年(1948)に開催された第3回国連総会で、「世界人権宣言」が採択された日にちなむとのこと。さらに日本ではそれに先立つ12月4日から10日までを「人権週間」と位置づけています。
 
このブログで何度かご紹介した、兵庫県人権啓発協会さん作成の「ほんとの空」というドラマがあります。光太郎の詩「あどけない話」にからめ、福島の原発事故による風評差別などを扱ったもので、昨年度、人権啓発資料法務大臣表彰映像作品部門優秀賞を受賞した作品です。
 
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各地の自治体や学校さんで上映会が開かれたり、地方のテレビ局さんで放映されたりしています。最近、単発の場合はこのブログでもご紹介していませんでしたが、この前の日曜日、12月7日には制作もとの兵庫県の地方局、サンテレビさんが放映して下さいました。それを御覧になった兵庫の方のブログに、感想が綴られています。この方は、最初からこのドラマを御覧になるつもりではなく、勘違いしてチャンネルを合わせたのだそうですが、ひきこまれてしまったそうです。
 
「自分でも気がつかないうちに、なんとなく人の話に流されたり、先入観や偏見から本当のことを調べもしないで人を傷つけてしまったり…といった内容でした。(略)なんか、すごくいいドラマを 何が始まるのかわからないまま見てしまって、もう涙がポロポロ出てきて、涙が出たら当然 鼻水も出るので鼻もかみながらで、突然の号泣ドラマ鑑賞となってしまいました。」
 
また、同じ兵庫県では、12月1日に開催された「阪神淡路20年―1.17 は忘れない―平成26年度人権のつどい」の中でも上映して下さいました。
 
ちなみに、ドラマ「ほんとの空」の制作地がなぜ兵庫県?と思っていましたが、上記人権のつどいの「趣旨」を見て、何となく納得できました。阪神淡路大震災の経験から、同じく震災に見舞われた東北、特にいわれのない風評差別に苦しむ福島県へのエールという意味なのだと思います。
 
東日本大震災からの復旧復興の過程で、人と人のつながりの大切さが改めて認識されています。来年1月17 日で阪神・淡路大震災から20年を迎えるこの時期に、その大切さと共に「人権週間」の意義を顧み、一人ひとりが互いに尊重され、共に生きる「共生社会」の実現に向けた人権意識の普及高揚を図る「人権のつどい」を、阪神淡路20年事業として開催します。
 
以前も書きましたが、ドラマ「ほんとの空」、全国ネットでの放映を期待します(当方はまだ観たことがありません)。広く人権問題を考えるきっかけにしてほしいものです。
 
 
しかし、逆に人権無視のヘイトスピーカーが跳梁跋扈するのもこの時期だというのが、情けないところです。12月8日が太平洋戦争開戦の日(『開戦記念日』という表記を見かけますが、記念してどうするのでしょうか?)だということで、「大東亜戦争は聖戦だった」とするヘイトスピーカーたちが世迷い言を垂れ流します。
 
そして、この時期と、8月の終戦記念日前後には、ヘイトスピーカーの中ににわか光太郎ファンが続出し、光太郎の戦争詩「十二月八日」(昭和16年=1941)や「鮮明な冬」(同17年=1942)などを持ち出して、「これぞ大和魂」と持ち上げるのです。
 
光太郎は全詩作のおよそ4分の1、約200篇の戦争詩を書きました。散文でも時局に協力するものがたくさんあります。しかし、戦後になって、そうした作品を読んで散っていった前途有為な若者の多かったことに心を痛め、自らを断罪する意味で足かけ8年にわたる蟄居生活を、岩手花巻郊外の寒村に送りました。
 
そうした経緯も知らず、または知りながら無視し、戦争詩のみをもてはやすのはやめて欲しいと思います。
 
下記は今年1月に発表された、ジャーナリスト・江川紹子氏の文章「国内問題として首相の靖国参拝を考える」からの抜粋です。
 
靖国神社の価値観は、この遊就館で上映されている映画を見ると分かりやすい。次のようなことが語られている。
日本は満州に「五族協和の王道楽土」を築こうとし、軍事行動を慎んでいたのに、中国の「過激な排日運動」や「テロ」「不当な攻撃」のために、やむなく「支那事変」に至った。そして、「日本民族の息の根を止めようとするアメリカ」に対する「自存自衛の戦い」としての「大東亜戦争」があった。この日本の戦いは、白人たちの植民地支配を受けていた「アジアの国々に勇気と希望を与えた」…。
昭和の初めから戦時中にかけての政府・軍部の宣伝そのものだ。靖国神社では、先の大戦は今なお聖戦扱い。まるで時間が止まったように、戦前の価値観が支配している。
太平洋戦争においては、日本兵の多くが餓死・病死した。その数は死者の6割に上る、との指摘もある。だが、そうした武勇にそぐわない事実や戦争指導者の責任は、ここでは一切無視されている。「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓のために、捕虜になって生還することができず、民間人まで「自決」せざるを得なかった理不尽さも記されない。戦争指導者に対して批判的な考えを記した学徒兵の手記なども、示されない。
映画では、「黒船以来の総決算の時が来た」との書き出しで始まる、高村光太郎の詩「鮮明な冬」が紹介されている。そこには日米開戦の時の高揚した気持ちと当時の一国民としての使命感が高らかにうたわれている。高村は、その後も勇ましい戦争賛美、戦意高揚の詩をいくつも書いた。しかし、遊就館の映画は、その後の高村については一切触れない。
彼は終戦後、己の責任と真摯に向かい合いながら、岩手の山小屋で独居生活を送った。そして、戦前戦中の「おのれの暗愚」を見つめた「暗愚小伝」を書いた。それには全く目を向けずに、「暗愚」の時代の作品だけが高らかに取り上げられ、今なお戦争賛美に使われていることは、泉下の高村の本意ではあるまい。
 
こと光太郎に関しては、全くその通りです。
 
 
さて、折しも衆議院選挙が近づいています。どうも原発の問題、人権の問題など、今ひとつ争点になっていないような気がします。真にこの国を愛するのであれば、外せない問題だと思うのですが……。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月10日
 
昭和41年(1966)の今日、春秋社から『高村光太郎選集』全6巻・別巻1の刊行が開始されました。
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編年体によるもので、第一回配本は「一八九七 ― 一九一二年 明治三〇 ― 四五年」。筑摩書房の『高村光太郎全集』が編年体ではなく、第一巻から第三巻が「詩」、第四巻から第八巻が「評論」、第九・十巻が「随筆」といった形ですので、また違った読み取り方が出来るものです。「別巻」は「造型」の巻で、これがものすごく重宝しています。
 
編者は故・吉本隆明氏、北川太一先生。野球で言えば王・長嶋、プロレスで言えば馬場・猪木(笑)。最強黄金タッグです。
 
各巻に吉本氏の「解題」が掲載されています。一昨日昨日とご紹介した晶文社さんから現在刊行中の『吉本隆明全集』全38巻・別巻1にも、やがて収録されるのではないかと思われます。
 
右の画像は昭和56年(1981)の増訂版です。

昨日、晶文社さんから刊行中の『吉本隆明全集』全38巻+別巻1のうち、評論「高村光太郎」が掲載予定の第5巻をご紹介しました。
 
その記事を書くために調べていたところ、既刊の第7巻(第2回配本)と第4巻(第3回配本)にも光太郎がらみの文章が載っていることに気づきましたので、ご紹介します。 
2014年6月24日 晶文社 定価6300円+税無題
 
【目次】
Ⅰ丸山真男論
1 序論/2 「日本政治思想史研究」/3 総論

社会主義リアリズム/戦後文学の転換/日本のナショナリズムについて/近代精神の詩的展開/戦後文学の現実性/情況に対する問い/情況における詩/“終焉”以後/詩的乾こう(ママ)/“対偶”的原理について/反安保闘争の悪煽動について/戦後文学論の思想/「政治と文学」なんてものはない/非行としての戦争/模写と鏡/「政治文学」への挽歌/いま文学に何が必要かⅠ/戦後思想の価値転換とは何か/性についての断章/いま文学に何が必要かⅡ/「近代文学」派の問題/いま文学に何が必要かⅢ

日本のナショナリズム/過去についての自註

死者の埋められた砦/佃渡しで/沈黙のための言葉/信頼/われわれはいま――

詩のなかの女/江藤淳『小林秀雄』/斎藤茂吉/本多秋五/埴谷雄高の軌跡と夢想/埴谷雄高氏への公開状/埴谷雄高『垂鉛と弾機』/渋澤龍彦『神聖受胎』/清岡卓行論/啄木詩について/折口学と柳田学/「東方の門」私感/ルソオ『懺悔録』/高村光太郎鑑賞/中野重治/壺井繁治/金子光晴/倉橋顕吉論/無方法の方法/本多秋五『戦時戦後の先行者たち』/『花田清輝著作集Ⅱ』

「思想の科学」のプラスとマイナス/『ナショナリズム』編集・解説関連/宍戸恭一『現代史の視点』/中村卓美『最初の機械屋』/「言語にとって美とはなにか」連載第三回註記/『擬制の終焉』あとがき/『吉本隆明詩集(思潮社版)』註記/「丸山真男論」連載最終回附記/『丸山真男論(増補改稿版)』後註/『模写と鏡』あとがき/「試行」第3~12号後記/三たび直接購読者を求める/「報告」
解題〈間宮幹彦〉 
2014年10月9日 晶文社 定価6400円+税000
 
【目次】

固有時との対話/転位のための十篇

蹉跌の季節/昏い冬/ぼくが罪を忘れないうちに/涙が涸れる/控訴/破滅的な時代へ与へる歌/少年期/きみの影を救うために/異数の世界へおりてゆく/挽歌――服部達を惜しむ――/少女/悲歌/反祈禱歌/戦いの手記/明日になつたら/日没/崩壊と再生/贋アヴアンギヤルド/恋唄/恋唄/二月革命/首都へ/恋唄

アラゴンへの一視点/現代への発言 詩/労働組合運動の初歩的な段階から/日本の現代詩史論をどうかくか/マチウ書試論――反逆の倫理――
/蕪村詩のイデオロギイ/前世代の詩人たち――壺井・岡本の評価について――/一九五五年詩壇 小雑言集/「民主主義文学」批判――二段階転向論――/不毛な論争/戦後詩人論/挫折することなく成長を/文学者の戦争責任/民主主義文学者の謬見/現代詩の問題/現代詩批評の問/現代詩の発展のために/鮎川信夫論/「出さずにしまつた手紙一束」のこと/昭和17年から19年のこと/日本の詩と外国の詩/前衛的な問題/定型と非定型――岡井隆に応える――/番犬の尻尾――再び岡井隆に応える――/戦後文学は何処へ行ったか/芸術運動とはなにか/西行小論/短歌命数論/日本近代詩の源流

ルカーチ『実存主義かマルクス主義か』/善意と現実/新風への道/関根弘『狼がきた』/『浜田知章詩集』/三谷晃一詩集『蝶の記憶』/奥野健男『太宰治論』/谷川雁詩集『天山』/服部達『われらにとって美は存在するか』/島尾敏雄『夢の中での日常』 井上光晴『書かれざる一章』/平野謙『政治と文学の間』/野間宏『地の翼』上巻/山田清三郎『転向記』/埴谷雄高『鞭と独楽』『濠渠と風車』/堀田善衛『記念碑』『奇妙な青春』批判/中村光夫『自分で考える』/『大菩薩峠』/『純愛物語』

戦後のアヴァンギャルド芸術をどう考えるか/〈現代詩の情況〉[断片]/北村透谷小論[断片Ⅰ]/北村透谷小論[断片Ⅱ]/一酸化鉛結晶の生成過程における色の問題
解題〈間宮幹彦〉
 
 
今回の晶文社さんの全集は、編年体による編集であるため、複数巻にまたがって光太郎論が掲載されることとなります。上記目次のうち、色つきにしたものが、光太郎に詳しく言及している評論です。他にも短く光太郎を扱っている評論も含まれているかも知れませんが、わかりかねます。申し訳ありません。
 
さて、話は変わりますが、NHK Eテレ(旧教育テレビ)さんの教養番組「日本人は何をめざしてきたのか」で、来月、吉本が取り上げられます。今年度は「知の巨人たち」というサブタイトルで、前半4本が7月に放映され、後半4本を来月放送予定だそうです。まだ詳細な情報が出ていないのですが、後半4本の中に吉本が入ります。
 
ちなみに7月に放映された前半4本では湯川秀樹とその共同研究者・武谷三男、鶴見俊輔、丸山眞男、司馬遼太郎が取り上げられました。そして吉本他3名(誰になるか、まだ情報を得ていません)が後半のラインナップです。先月には吉本の盟友で、高村光太郎記念会事務局長・北川太一先生のところに取材が入ったそうです。詳細が判明しましたら、またご紹介します。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月9日
 
明治39年(1906)の今日、東京市本所区須崎町(現・墨田区向島5丁目)に、光雲が原型制作主任を務めた西村勝三銅像が除幕されました。
 
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西村は明治期の実業家。像は西郷隆盛像や楠正成像同様、東京美術学校としての制作でした。残念ながら戦時中の金属供出により、現存しません。

近刊です。  
2014年12月16日刊行予定 晶文社 定価6400円+税
 
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長く深い時間の射程で考えつづけた思想家の全貌と軌跡がここにある。
第5巻には、最初の単行本である代表的作家論『高村光太郎』と、初期の重要な評論「芸術的抵抗と挫折」「転向論」、および花田・吉本論争の諸篇を収録する。そのほか、新たに1篇の単行本未収録原稿を収める。
月報は、北川太一氏・・ハルノ宵子氏が執筆!
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【目次】

高村光太郎/『道程』前期/『道程』論/『智恵子抄』論/詩の註解/戦争期/敗戦期/戦後期/年譜/参考文献目録

「戦旗」派の理論的動向/文学の上部構造性/宗祇論/抵抗詩/くだらぬ提言はくだらぬ意見を誘発する――加藤周一に――/三種の詩器/「四季」派の本質――三好達治を中心に――/芸術的抵抗と挫折/街のなかの近代/情勢論/今月の作品から/芥川龍之介の死/転向論/中野重治「歌のわかれ」

死の国の世代へ――闘争開始宣言――

不許芸人入山門――花田清輝老への買いコトバ――/「乞食論語」執筆をお奨めする/アクシスの問題/芸術大衆化論の否定/近代批評の展開/天皇制をどうみるか/橋川文三への返信/高村光太郎の世界/戦争中の現代詩――ある典型たち――/詩人の戦争責任論――文献的な類型化――/異端と正系/十四年目の八月十五日/現代詩のむつかしさ/海老すきと小魚すき/転向ファシストの詭弁

内的な屈折のはらむ意味――『井之川巨・浅田石二・城戸昇 詩集』――/堀田善衞『乱世の文学者』/阿部知二他編『講座現代芸術Ⅲ芸術を担う人々』/草野心平編『宮沢賢治研究』/戦後学生像の根――戦中・戦後の手記を読んで――/江藤淳『作家は行動する』/武田泰淳『貴族の階段』/久野収・鶴見俊輔・藤田省三『戦後日本の思想』/阿部知二『日月の窓』

『風前の灯』
『夜の牙』
『大菩薩峠』(完結篇)

飯塚書店版『高村光太郎』あとがき/『芸術的抵抗と挫折』あとがき/『抒情の論理』あとがき
解題〈間宮幹彦〉
 
 
一昨年亡くなった思想家・吉本隆明の全集です。晶文社さんが、今年3月から刊行を始め、全38巻・別巻1の予定で刊行中のものの、第4回配本です。
 
上記目次の通り、評論「高村光太郎」が収録されます。こちらは我々光太郎研究者にとってのバイブルに等しいものの一つです。吉本氏の盟友・北川太一先生の書かれた「死なない吉本」(『春秋』539号 平成24年=2012 5月)から、この評論についての部分を抜粋させていただきます。
 
工大の特別研究生として再び一緒になったのは昭和二十四年になってからだった。彼の研究室は同じ階にあった。二年間のその第一期を終わって吉本は東洋インキ製造に入社、二十七年には詩集『固有時との対話』が出来て、それを届けてくれた時、日本の明治以後の詩史を広く見通すための資料が見たいという希望が添えられていた。お花茶屋や駒込坂下町の吉本の家を訪ねたり、時に日本橋の我が家に来てくれたりが続いたけれど、昭和三十年に吉本が『現代詩』に『高村光太郎』を発表し始めたことは、僕を興奮させた。年譜を補充するために光太郎の聞き書きを取り始めていた僕は、すぐその雑誌を死の前年の光太郎に見せて、わが友吉本隆明について語ったのを覚えている。
 
それをふまえ、単行書『高村光太郎』。
 
吉本によって高村光太郎についてのこの国で最初の単行書が鶴岡政男の装丁で飯塚書店から刊行されたのは、昭和三十二年七月のことであった。自らの青春と重ねて、戦争期の光太郎の二重性の意味をつきとめようとするところから始めたこの仕事は、五月書房(昭和三十三年 改稿版)、春秋社(昭和四十一年 決定版)と増補されつつ進化し続けた。
 
評論「高村光太郎」は、その他、勁草書房の『吉本隆明全著作集8』(昭和48年=1973 絶版)、講談社文芸文庫『高村光太郎』(平成3年=1991)にも収められました。特に勁草書房版は、光太郎に関する他の小論、講演も収めており、便利です。ただし絶版です。
 
それが今回、また収録されるということですし、目次を見ると他にも光太郎がらみの評論が収められているようです。また、月報には北川先生の玉稿が載ります。ぜひお買い求めを。
 
明日も吉本関連で。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月8日
 
昭和20年(1945)の今日、日本共産党が神田共立講堂で「戦争犯罪人追及人民大会」を開催しました。
 
以下の決議文をGHQに提出しています。
 
日本の人民大衆をして彼の恐るべき強盗侵略戦争に駆り立てゝ惨虐極まる犠牲の血を流さしめたる犯罪人に対する厳重処罰は日本勤労民衆の総意が切に希望する所であり且又、吾が日本共産党がポツダム宣言の精神に立脚し不断に強調しつゝある所である。天皇制支配機構に於ける一切の指導的分子即ち天皇を始め重臣、軍閥、行政司法の官僚、財閥戦争協力地主、貴族院衆議院議員、反動団体のゴロツキ等が犯罪的侵略戦争の指導者、組織者であることは全く疑いなき事実である。今回梨本宮、平沼を始め五十九名に対する連合軍最高司令部の逮捕命令は戦争犯罪人の牙城に対する鉄鎚として全日本の人民大衆に深い感銘を与える所である。吾が党第四回全国大会は連合軍の今回の措置を全面的に支持すると共に今日尚日本の政治経済機構に深く巣喰つている多数の戦争犯罪人に対する厳正処断が日本の民主化のための根本前提として急速になされることを茲に熱望して止まないものである。
右決議す
 
同時に昭和天皇をはじめとする1,000名の「戦争犯罪人名簿」を発表、その中には光太郎の名も記されていました。
 
この時党員として糾弾する側に廻っていた詩人の壺井繁治などは、自身も戦時中にはこんな詩を書いていました。
 
   鉄瓶に寄せる歌
 
 お前を古道具屋の片隅で始めて見つけた時、錆だらけだつた。
 俺は暇ある毎に、お前を磨いた。
 磨くにつれて、俺の愛情はお前の肌に浸み通つて行つた。
 お前はどんなに親しい友達よりも、俺の親しい友達となつた。

 お前は至つて頑固で、無口であるが、
 真赤な炭火で尻を温められると、唄を歌ひ出す。
 ああ、その唄を聞きながら、厳しい冬の夜を過したこと、幾歳だらう。
 だが、時代は更に厳しさを加へ来た。俺の茶の間にも戦争の騒音が聞えて来た。

 お前もいつまでも俺の茶の間で唄を歌つてはゐられないし、
 俺もいつまでもお前の唄を楽しんではゐられない。
 さあ、わが愛する南部鉄瓶よ。さやうなら。行け! 
 あの真赤に燃ゆる熔鉱炉の中へ! 

 そして新しく熔かされ、叩き直されて、
 われらの軍艦のため、不壊の鋼鉄鈑となれ!
 お前の肌に落下する無数の敵弾を悉くはじき返せ!
 
先述の吉本隆明も、こうした壺井の変節には怒り心頭です。
 
もしこういう詩人が、民主主義的であるなら、第一に感ずるのは、真暗な日本人民の運命である。
(『抒情の論理』 未来社 昭和34年=1959)

だからと言って、全詩作の約4分の1、実に200篇近くに及ぶ光太郎の戦争詩が許されるか、というとそうではありませんが……。

新刊です。
2014/11/01 株式会社花美術館発行 定価1200円+税
 
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目次(抄)000
 祈り―東日本大震災
 啄木、賢治の共通性 望月善次
   長男としての誕生―戸籍と誕生日の揺れ
   誕生時の恵まれた環境
   宗教の家
   盛岡中学校入学と挫折
   先進的教育教授と中途退職
   夭死
   国民的人気と国際的展開
   献身的支援者~肉親の証言から
 明治の青春 金田一秀穂
 生涯にわたる兄への敬愛と献身-宮澤清六 宮澤明裕
 啄木、賢治の異質性 望月善次
   文学的ジャンルの相違―「童話」VS「評論・日記」
   宗教への態度―遠ざかる(拡散)VS格闘(集中)
   結婚の有無―積極的VS消極的
   美術的側面―デザインVS絵画
   全集発行時期―死後8年VS死後1年
   学問と知識―文系人間VS理系人間
   運の在り方―文学的幸運VS経済的幸運
 『一握の砂』と『注文の多い料理店』その装丁 原田光
 郷愁のモニュメント 藤田観龍
 美術館紹介 石川啄木記念館/岩手県立美術館/宮澤賢治イーハトーブ館/宮澤賢治記念館
 
というわけで、岩手の生んだ二人の天才、石川啄木と宮澤賢治について、故郷岩手を軸にした53ページの特集です。特に賢治に関し、その世界を世に広める功績のあった光太郎の名が随所に現れます。
 
後半は「現代の短詩型文学-故郷と幻想の間」「現代作家-原風景への憧憬」「現代工芸-美の精粋」ということで、各分野の現代作家の皆さんの作品がたくさん。
 
その中で白井敬子さんという歌人の方の作品です。
 
光太郎・北斎・虚子・百閒忌花の四月に皆連れ立ちて
 
4月2日、光太郎忌日連翹忌を題材になさって下さいました。ちなみに葛飾北斎の北斎忌は18日、高浜虚子の虚子忌(椿寿忌)は8日、内田百閒の百閒忌は20日。短歌ではなく、俳句としては季語にもなり、歳時記に載っているようです。
 
さて、『花美術館』、ぜひお買い求めを。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 12月7日
 
平成20年(2008)の今日、愛知県一宮市尾西歴史民俗資料館で開催されていた、「特別展 花子とロダン―知られざる日本人女優と彫刻の巨匠との出会い―」が閉幕しました。
 
花子といっても、今年度上半期のNHKさんの001朝ドラ「花子とアン」の村岡花子ではなく、明治期の日本人女優、花子です。
 
明治元年(1868)、岐阜県の生まれ。本名・太田ひさ。旅芸人一座の子役、芸妓、二度の結婚失敗を経て、明治34年(1901)、流れ着いた横浜で見たコペンハーゲン博覧会での日本人踊り子募集の広告を見て、渡欧。以後、寄せ集めの一座を組み、欧州各地を公演。非常な人気を博しました。明治39年(1906)、その舞台を見たロダンの強い要望で、彫刻作品のモデルを務めました。
 
大正10年(1921)には帰国、その際、自身をモデルにしたロダン彫刻2点を持って帰りました。それらは一時、東京美術学校に寄託され、光太郎の目にとまりました。昭和2年(1927)にアルスから評伝『ロダン』を出版する取材の一環として、光太郎は花子を岐阜の実家に訪ねています。
 
同展ではその後送られた光太郎からの書簡も展示されました。
 
 
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