カテゴリ: 文学

先日、地元の新刊書店に行きました。

レジ近くに「新潮文庫の100冊」特設コーナー。対象図書に入ったものが平積みに。
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久々にラインナップに入った光太郎の『智恵子抄』も。
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デザイナー・皆川明氏による新たなカバーデザインの新装版として出されましたので、100冊の中でも特別な扱いにしていただいています。ありがたし。奥付を見たら今年の印刷で第133刷となっていました。

文庫サイズで64ページ、無料のPR誌『新潮文庫の100冊』をいただいて帰りました。
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100冊それぞれが紹介されており、基本、1ページに3冊ずつの配置ですが、『智恵子抄』は新装版となったことで特別扱い、1ページまるまる使われています。ありがたし。
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最終ページにこんな案内も。
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募集要項、活字にします。

第14回 新潮文庫ワタシの一行大賞 募集要項

対象図書の中から心に深く残った「一行」を選び、なぜその一行を選んだのかを、あなたの「経験」や「気持ち」などをまじえ、100~400字で自由に書いてください。住所・氏名・年齢・学校名・学年・電話番号、対象図書名と選んだ「一行」の掲載ページを別途必ず明記してください。

対  象  者 : 中・高校生の個人、または、団体の応募をお待ちしています。
対象図書  : 2026年「中学生に読んでほしい30冊」「高校生に読んでほしい50冊
        「新潮文庫の100冊」選定作品
締  切  : 2026年10月1日(当日消印有効)

発表 受賞作品は「波」2027年1月号(2026年12月28日発売予定)と新潮社ホームページにて、発表時に全文を掲載します。大賞作品は次年度の「中学生に読んでほしい30冊」「高校生に読んでほしい50冊」に掲載します。

賞品 大賞:1名、優秀賞・佳作:数名に、賞状と図書カードを贈呈。
宛先 郵便:〒162-8711 東京都新宿区矢来町71 新潮文庫ワタシの一行大賞係
Eメール:ichigyo@shinchosha.co.jp

※団体応募の場合は、作品総数を必ず未開封の状態で確認できる場所に明記してください。なお、応募原稿は返却いたしません。
※応募は何作でも受け付けますが、一書名についておひとりで複数のエッセイを応募することはできません。
※AIを利用して自動生成した文章での応募はできません。
※二次審査通過作品の発表時にホームページ上で氏名、学校名を掲載させて頂きます。ご了承ください。
※受賞作品の一部/全文を新潮社が管理するSNS等に掲載させていただく場合があります。
※応募原稿に記入いただいた個人情報は、選考・結果の発表、作品の掲載以外には許可なく使用いたしません。
※団体応募時には個々人の生徒の連絡先の記載は不要です。

対象図書のうち、「中学生に読んでほしい30冊」は以下の通り。
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下記が「高校生に読んでほしい50冊」のラインナップ。
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「新潮文庫の100冊」と一部、かぶっています。

で、「100冊」。
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ここで「?」。何度数えても101冊あります。萩尾望都氏『11人いる!』ではありませんが(笑)。よく見てみるとドストエフスキー『罪と罰』が上下巻で別々に載っていました。

また、PR誌『新潮文庫の100冊』の索引。
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こちらは何度数えても98冊しかありません。抜け落ちていたうちの一冊は井伏鱒二『黒い雨』。もう1冊あるはずですがわかりません(笑)。

ま、それはそれとして、中高生の皆さん、『智恵子抄』も対象に入っていますので、ぜひ『智恵子抄』から印象的な一行を抜き出し、奮ってご応募下さい。

【高村光太郎書誌】

詩華集 3 『新詩の作り方』

大正7年(1916)1月14日 いろは書房 樋口紋太著
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目次
 序 岩野泡鳴/三木露風
 新詩の歴史 詩は如何して作るか 詩を味ふ力 詩の解釈 作詩と感興 長編詩を作る苦心
 詩興と旅行と逍遙 詩と観察 詩を作る覚悟 眼に見て美しい詩 題の附け方 作詩と詩材
 詩と文法の変格 詩の用語 作詩と推敲 詩の形式 自由の詩形 詩の分類
 作例
  薄田泣菫 与謝野鉄幹 高村光太郎 百田宗治 西村茂 蒲原有明 相馬御風
  服部嘉香 水野葉舟 三木露風 山村暮鳥 加藤介春 ボードレール
 竹友藻風
  上田敏 岩野泡鳴 生田長江 北原白秋 河井酔茗 有本芳水 萩原朔太郎
  川路柳虹 森鷗外

題名の通り、詩の作り方を述べたハウツー本的なものですが、後半3分の1ほどが「作例」ということで、光太郎を含むアンソロジーになっています。収録されている光太郎詩は「師走十日」です。

一昨日のこのブログで、岩波書店さんの「岩波文庫創刊100年記念 読者リクエスト復刊2027」について書きました。同文庫が来年で100周年だそうで、それに伴って絶版となっているものの復刊リクエストが行われているという件。

対象書籍に、光太郎著の美術評論集『緑色の太陽』、光太郎訳の『ロダンの言葉』が含まれているので、投票をお願いしますとしましたが、光太郎の父・光雲がらみを失念していました。こちらも2冊あります。

まず光雲の単著で『幕末維新懐古談』(平成7年=1995)。元版は昭和4年(1929)、萬里閣書房から刊行された『光雲懐古談』。その前半3分の2ほどの「昔ばなし」編を一冊にしたもので、光太郎の友人だった作家・田村松魚が光雲宅に出向いて、光太郎の同席の上、光雲に語ってもらい筆録した回顧談です。一部はそれ以前に公の場で語ったものも含まれます。

仏師・高村東雲の元での徒弟時代の思い出から、戊辰戦争など幕末維新の混乱期の世相、独立後に手がけたいくつかの代表作についての解説など、非常に興味深い内容です。
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ちなみに元版の題字揮毫は息子の光太郎です。

同様に「昔ばなし」のみを一冊にまとめたものは、昭和42年(1967)に中央公論美術出版から『木彫七十年』の題で、昭和45年(1970)には新人物往来社が『高村光雲懐古談』と題して、さらに岩波さんで文庫化した後の平成12年(2000)に日本図書センターから「人間の記録」シリーズの一冊で『高村光雲 木彫七十年』として刊行されています。すべて絶版です。
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ただ、ネットの青空文庫さんで、岩波文庫版を底本に全文が登録されていますし、それをさらに転用した電子書籍も出ているようです。そちらで手軽に読めるため、岩波文庫版の売り上げも落ちてしまったのかも知れません。

もう一冊、『戊辰物語』(昭和58年=1983)。
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底本は昭和3年(1928)に萬里閣書房から出た同名の書。
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『東京日日新聞』に昭和2年(1927)から翌年にかけて連載された「戊辰物語」、大正15年(1926)の連載の「五十年前」、そして単行本化の際に増補された「維新前後」の三章から成ります。

各界著名人やその係累の談話筆記で、語り手は金子堅太郎子爵、近藤勇五郎(新選組局長・近藤勇の娘婿)、落語家の三代目柳家小さんなど。そこに光雲も含まれています。光雲の談話はまず「威勢の見せ処、門松すす払い」「淋しい江戸の春」「銭湯の七不思議女湯の刀掛け」「御諚かしこし江戸城の広さ」の項に。それぞれの項に複数人の談話が収められています。それから「彫刻が紙袋に入れられて」という項はまるまる全編が光雲。明治初年、廃仏毀釈で仏像の注文が途絶え、多くの仏師が輸出用の象牙彫刻に転じ、粗悪なものも多く作られるようになったという話です。

これら2冊も復刊されて然るべきと思われます。御協力をよろしくお願い申し上げます。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 2 『世界の名訳詩集Ⅱ』世界の名詩集 別巻2

昭和42年(1967)12月15日 三笠書房 山室静編
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目次
 堀口大学 「月下の一群」抄 (詳細略)
 高村光太郎 「明るい時」「午後の時」「天上の炎」抄
  明るい時
   一(エミイル・ヹルハアラン) 二(同) 四(同) 十(同) 十五(同)
  午後の時
   一(エミイル・ヹルハアラン) 二(同) 三(同) 四(同) 十二(同)
  天上の炎
   新らしい都(エミイル・ヹルハアラン) 今日の人に(同) 
   或る夕暮の路ゆく人に(同)
  他の詩集から
   パン焼(エミイル・ヹルハアラン) 吾家のまはり(同)
 日夏耿之介 「海表集」「英国神秘詩鈔」「ワイルド詩集」「唐山感情集」抄(詳細略)
 堀辰雄(詳細略)
 解説 山室静

訳詩に特化した選集です。光太郎訳は全てベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの作品です。

昨日は墨田区両国の両国シティコアさんに行っておりました。こちらのギャラリーΧ(カイ)さんで開催された「劇舎カナリア・シアター 『書声展』さっちゃんは戦争を知らない ちづちゃんは戦後を知らない 詩人と市井の人びと声なき声の展覧」拝観のためです。
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光太郎と交流のあった岩手出身の詩人・宮静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』(平成13年=2001 熊谷印刷出版部)、『山荘 光太郎残影』(平成4年=1992 同)を軸にした朗読劇ふうの公演でした。『山荘 光太郎残影』は、まるまる一冊、昭和26年(1951)に静枝が令甥と子息二人とを伴って花巻郊外旧太田村の光太郎の山小屋(高村山荘)を訪問したことを題材とした詩集で、その年の第33回晩翠賞に輝いた作です。
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受付で配られたフライヤー的なポストカードには、昭和26年(1951)の山小屋前での光太郎、静枝、そして子息の文彦氏の写真。『山荘 光太郎残影』にも同じショットが掲載されています。

会場がホールではなく、ギャラリーとして貸し出されているスペース。中央に大きな柱があり、四囲に椅子を配して聴衆はそこに座るという形。一応、正面は決まっているものの、それにとらわれず演者の皆さんは柱の周りを回りながら、朗読したり歌ったりでした。
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中央の柱、周囲の壁、それから正面に書作品。基本的に静枝の詩句を書いたもので、子息・文彦氏の奥様で、書家であらせられる宮絢子氏の書です。そこで公演タイトルに「書声展」と謳われ、書と声のコラボ、という位置づけでした。

開演前に見て廻って撮影しました。
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PXL_20260713_053716331『山荘 光太郎残影』に収められた詩からも。したがって光太郎の名が。
 
   飾り窓の女

 疎林を透かして
 日毎に静かな落日
 ハンの木の紐花がこぼす金色の花粉

 パリの飾り窓の女の
 遠い記憶の耳飾りを ふと思っている

「疎林」「ハンの木」は、山小屋の周りに現在も群生している榛の木で、地元では「やつか」「やっか」と呼んでいます。

「パリの飾り窓」については、明治末の滞仏体験を静枝に語ったことに由来するのでしょう。光太郎は山小屋周辺がパリのフォンテーヌブローの森と似ている、などとも語ったそうです。

   蟬を彫る

 晩秋のうすら陽の中PXL_20260713_053732406
 無心に蟬を彫る光太郎
 影がかすかに揺れる

 遠くで山鳴りがしている
 ノミを止めてふと思う
    どこから――なにゆえ――
 はるかな時間だったと思う
 きのうのこと とも思う
 放たれた一本の道を来るしかなかった

 いま光太郎は心の遠い風景のなかで
 一匹の蝉を残して去ろうとする
 シー
 心中でしきりに蝉が涕いている

 祖国とは光太郎にして
 一匹の蝉だったのだ
 十七年を地中にひそんでいて
 地上に七日生きる蝉の業と
 光太郎の負った人間の業が重なって重い
 旅は終焉に近い

 やがて山荘は雪の柩となるだろう


作品として発表することはありませんでしたし、現存が確認できていないのですが、山小屋でも光太郎は蝉を彫っていました。複数の目撃証言が残っています。うち一点は帯留めに仕立て、宮沢賢治の実弟・清六の夫人に贈りました。そんな話も静枝との間で為されたのでしょうか。

さて、開演。
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ささいけい子氏という方と寺田明子氏という方がメインで朗読されたり歌ったりでしたが、今回の公演のプロデューサー・山本健翔氏ご自身も出演され、書を書かれた絢子氏も朗読。文彦氏は最後のご挨拶まで喋られませんでしたが、正面の屏風の前で座られていました。その文彦氏視点での部分も多くありました。

先述の通り、静枝の詩集『さっちゃんは戦争を知らない』、『山荘 光太郎残影』を軸に、絢子氏のご両親の書き残されたもの(新潟・村上市の空襲で絢子氏の叔母様が亡くなられたそうで)、特攻兵の書き残した詩なども織り交ぜ、さらに劇作家・加藤道夫(女優の加藤治子氏の夫)のからみも。

全体に反戦を訴える内容で、まさに政治がおかしくなっている2026年の現代に刃を突きつけるような感じでした。

アンチテーゼとして、光太郎の負の遺産・黒歴史である翼賛詩「十二月八日」(昭和17年=1942)、「必死の時」(昭和16年=1941)、戦後になってそれを恥じた「わが詩をよみて人死に就けり」(昭和22年=1947)や「報告(智恵子に)」(同)、さらには「レモン哀歌」(昭和14年=1939)まで取り上げられました。

終演後。
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文彦氏、絢子氏、山本健翔氏、それから客席にいらしていた文彦氏のお兄様の暠成(こうせい)氏とお話をさせていただき、連翹忌の集いへのお誘いを致しました。ここ2年間、生前の光太郎を直接ご存じの方のご参加がありませんで、ぜひいらしていただいて皆様に光太郎の思い出話を賜りたいと存じまして。暠成(こうせい)氏も昭和26年(1951)に光太郎の山小屋を訪れられています。
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ちなみにご一行が光太郎の山小屋を訪れられたのは昭和26年(1951)11月11日。その2日前の11月9日には、後に宮城県歌人協会会長などを務められた佐久間晟氏と、奥様でやはり歌人のすゑ子氏が、花巻温泉の仲居さん・八重樫マサの案内で山小屋を訪れています。
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この際の様子を奥様が歌誌『地中海』平成17年(2005)1月号に短歌と文章で書かれ、たまたまその情報を得ましてお二人に連絡、お二人がお住まいの仙台でお会いし、貴重なお話を伺う事が出来ました。その内容を『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007)に「高村山荘訪問記 佐久間晟・すゑ子夫妻聞き書き」として掲載させていただきました。
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お話を伺った後、それをご存じなかったので、ご夫妻に「2日後に光太郎を訪問された方の詩集です」と、『山荘 光太郎残影』を古書市場で見つけて贈りましたところ、非常に喜ばれました。

75年前、2日違いで光太郎を訪問された佐久間ご夫妻、宮ご兄弟2組のそれぞれからお話を伺え、奇縁を感じております。

以上、レポートを終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(翻訳・部分) 1 『美の本体 芸術に関する101章 ロダンの言葉 ゴッホの手紙 回想のセザンヌ ベートーヴェンの生涯』世界教養全集 12

昭和37年(1962)6月30日 平凡社
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目次
 美の本体 岸田劉生 (詳細略)
  解説 岸田麗子
 芸術に関する一〇一章 アラン 斎藤正二訳(詳細略)
  解説 斎藤正二
 ロダンの言葉 A.ロダン 高村光太郎訳 今泉篤男編
  ギュスターヴ コキヨ筆録 
  ロダン手記
   ヹヌス フランスの自然 ランスの本寺 花について 女の肖像
     若き芸術家達に(遺稿) 断片(『ロダンの言葉』より) 断片(『続ロダンの言葉』より)
  ジュヂト クラデル筆録 ポール グゼル筆録
  解説 今泉篤男
 ゴッホの手紙 V.ゴッホ 三好達治訳(詳細略)
  解説 石原八束
 回想のセザンヌ E.ベルナール 有島生馬訳(詳細略)
  解説 有島生馬
 ベートーヴェンの生涯 ロマン・ロラン 平岡昇訳(詳細略)
  解説 平岡昇

今日からのこの項、光太郎の翻訳を含む複数人による選集ものを扱います。文学全集ものが流行り出すと、海外の作品を集めたものも多く出版されるようになりました。

岩波書店さんの岩波文庫が来年で100周年だそうで、それに伴って絶版となっているものの復刊リクエストが行われています。

岩波文庫創刊100年記念 読者リクエスト復刊2027

あなたのリクエストであの岩波文庫がよみがえる

来年2027年、岩波文庫は創刊100年を迎えます。岩波文庫創刊100年を記念して、読者の皆さまからリクエストをお寄せいただき、長らく品切れておりました名著・名作書目を一挙復刊いたします。
いつか読もうと思っていたあの本や、憧れのあの人が愛読したというあの本を、今こそ手にしたい——。創刊100年のこの機に、読者の皆さまのそのような思いにお応えできますと幸いです。

■企画概要
皆さまからのリクエストを募集いたします。復刊希望の岩波文庫のタイトルをお教えください。リクエストは以下の方法でお受けします。
■リクエスト方法
<特設ページ>
特設ページにアクセスいただき復刊希望書籍をご選択のうえご投票ください。
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サイト上に候補作品がずらっと並んでいます。
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その中に、光太郎がらみが2冊。訳書『ロダンの言葉抄』と、美術評論集の『緑色の太陽』です。
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『ロダンの言葉抄』は、昭和35年(1960)に文庫化。大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た『続ロダンの言葉』から、光太郎と交流のあった共に彫刻家の高田博厚と菊池一雄が再編した厚冊です。図版も数多く収録されており、理解の手助けとなっています。
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光太郎実弟にして鋳金の人間国宝だった豊周の『光太郎回想』(昭和37年=1962 有信堂)から。

 この頃、「ロダンの言葉」を訳しはじめたのは、兄にとっても、僕たちにとっても、今考えると全く画期的な大きな仕事だったと思う。
 雑誌にのった時は読まなかったけれど、本になってからは僕も繰返して愛読した。あの訳には実に苦心していて、ロダンの言葉を訳しながら兄の文体が出来上がっているようなところもあるし、芸術に対する考え方も決って来ているところが見え、また採用した訳語も的確で、「動勢」とか「返相」とか兄の造った言葉で今でも使われているものが沢山ある。そんな意味で、あれは兄には本当に大事な本だった。
 それだけに、他の学校は知らないが、上野の美術学校では、みなあの本を持っていて、クリスチャンの学生がバイブルを読むように、学生達に大きな強い感化を与えている。実際、バイブルを持つように若い学生は「ロダンの言葉」を抱えて歩いていた。その感化も表面的、技巧的ではなしに、もっと深いところで、彫刻のみならず、絵でも建築でも、あらゆる芸術に通ずるものの見方、芸術家の生き方の根本で人々の心を動かした。新芸術の洪水で何かを求めながら、もやもやとして掴めなかったものがあの本によって焦点を合わされ、はっきり見えて来て、「ははあ」と肯ずくことが一頁毎にある。ロダンという一人の優れた芸術家の言葉に導かれて、人々は自分の生を考える。そういう点で、あの本は芸術学生を益しただけでなく、深く人生そのものを考え、生きようとする多くの人々を益していると思われる。だからあの本の影響は思いがけないほど広く、まるで分野の違う人が、若い頃にあの本を読んだ感動を語っている。
 この本が、そんなに広く受入れられた原因の一つは、あの本の形式にもあるので、兄の読んだ種種な書物からの集積だから、自然にそうなったのだけれど、文章の区切りが大変短い。どんなに長くても数頁にしか渉らないから、読んでいて疲れないし、理解しやすい。この短かくて頭にはっきり全文が入るような形式が読者の感動をどんなに助けているかわからない。ことに本を読む習慣の少なかった美術学生にとって、これは有難かった。

正続それぞれの初版の後、叢文閣からペーパーバックの普及版正続が出、戦後にはやはり正続ともに新潮文庫のラインナップにも入りました。さらに平成17年(2005)に沖積舎から正続合本の復刻、平成19年(2007)には講談社文芸文庫で正続それぞれの抄出が出ました。すべて絶版です(講談社文芸文庫版のみまだ新刊で在庫があるようですが、重版は為されていないようです)。

『緑色の太陽』は、昭和57年(1982)が初版。当会顧問であらせられた故・北川太一先生の編集で、表題作「緑色の太陽」をはじめ、さまざまな雑誌や単行書に掲載された美術評論などを40篇ほど収めています。一部は随筆、文芸評論も。

表題作「緑色の太陽」は『スバル』第2年第4号(明治43年=1910)が初出。「人が「綠色の太陽」を畫いても僕は此を非なりとは言はないつもりである」という一節から採った題名で、その他、「僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めてゐる。従つて、芸術家の PERSOENLICHKEITに無限の権威を認めようとするのである。あらゆる意味において、芸術家を唯一箇の人間として考へたいのである」という一節も有名です。「日本初の印象派宣言」とも評されています。

光太郎の評論集も現在、紙版の新刊で入手できるものは無く、電子書籍なら多少はあるか、という感じです。

それぞれ、特設サイトから復刊リクエストのいわば投票ができます。よろしくお願い申し上げます。

それにしても、光太郎がらみでない作もかなり絶版になっていて、今回の候補に入っているのに驚きました。特に「緑」の日本文学。詩集ですと、当会の祖・草野心平の『草野心平詩集』や、立原道造、伊東静雄、大手拓次、三好達治など軒並み絶版ですし、小説系でも谷崎潤一郎の『春琴抄』やら堀辰雄の『風立ちぬ』やら有島武郎の『生まれ生れ出ずる悩み』やら、それ絶版にしちゃいかんだろ、という感じです。

ソフトとしての日本文学、一部の愛好家だけのものとするのではなく、日本国民共有の文化遺産として、次の世代へとしっかり受け継いでいくことが現代に生きる我々の一つの義務だと思うのですが。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 22 『純』百年文庫96

平成23年(2011)10月7日 ポプラ社 武者小路実篤/高村光太郎/宇野千代著
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目次
 武者小路実篤 馬鹿一
 高村光太郎 山の雪 宇野千代 八重山の雪
 人と作品 

ポプラ社さんの「百年文庫」。全100巻のシリーズもので、1冊に3人ずつが収められています。各巻のタイトルが漢字一文字になっています。「選集」というよりアンソロジーに近い形ですが、一応この項目に入れます。

昨日は当会の祖・草野心平を祀る「第61回天山祭り」列席のため、心平を名誉村民として下さった福島県川内村に行っておりました。
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雨天の場合には村の体育館での実施と予告されていましたが、幸い晴れましたので、本来の会場である天山文庫での実施。村での心平の別荘です。
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こちらが天山文庫。繰り返し書いていますが、昭和41年(1966)の竣工、光太郎の実弟で心平と親しかった髙村豊周も設立協力委員会発起人メンバーの一人でした。

千葉の自宅兼事務所から愛車を駆って3時間ちょっとの行程でした。早く着きましたので、敷地内の草野心平資料館さんを見学。
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心平と村との関わり、心平が村に残した書などさまざまな品々が展示されています。心平著作もずらりと並び、『富士山』(昭和18年=1943)、『天』(昭和26年=1951)など光太郎が題字を揮毫したものも。それから豊周子息の写真家、髙村規氏寄贈になる光太郎や髙村家がらみの写真パネルのコーナーも。

天山文庫内も見学。年に数か月、ここで過ごすこともあった心平の息遣いが未だに残っているような。
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故・谷川俊太郎氏と一緒の写真も。

心平から寄贈された蔵書類を収めた書庫。
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光太郎関連書籍もかなりの分量。光太郎と賢治実弟の清六が編んだ『宮沢賢治文庫』(装幀・題字も光太郎)など、稀覯書も。
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ただし、稀覯とは言えないものは同じ書籍が何冊もあったりします。

光太郎とも交流のあった永瀬清子の著書。署名本でした。
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そうこうしているうちに開始時間が近くなったので、前庭に。

心平大明神の写真(笑)。いい顔していますね。
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下の2枚は終了後に撮りましたが、奉納された酒。心平の大好物です。
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当会からも千葉の地酒を一升。

さて、開会。
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実行委員長・井出茂氏、遠藤雄幸村長らのごあいさつなど、それぞれに心に染みいるものでした。いろいろな会合での型どおりのそれとはひと味もふた味も違うような。

それから元教育長で心平と親しかった石井芳信氏のスピーチも、心平の人となりがよくわかるもので、実に貴重な証言でした。人使いの荒い心平の無茶振りエピソードも満載でしたが(笑)、それはそれで氏に対する心平の深い愛情に基づいたもので。

朗読は3本立て。まず心平肉声の録音が流され、続いて小中一貫の川内小中学園6年生児童が自作の詩を群読。最後に心平が主宰した『歴程』同人の伊武トーマ氏による「ヤマカガシの腹のなかから仲間に告げるゲリゲの言葉」。心平名言(迷言?(笑))の一つ「死んだら死んだで生きてゆくのだ」が含まれる詩です。バカボンのパパの言いそうな一言ですね(笑)。

開始前に撮った遠藤村長と伊武氏。
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伊武氏は当会主催の連翹忌の集いに何度か御参加いただいていますし、昨日はそういう方が数名いらっしゃいました。実行委員長の井出氏、いわき市立草野心平記念文学館の渡邊氏、詩人の吹木文音氏など。

このあと、郷土芸能等の披露があり、閉会となりました。

地方紙『福島民友』さんが報じています。

カエルの詩人・草野心平しのび「天山祭り」 福島・川内、児童ら詩を朗読

 福島県川内村の名誉村民で「カエルの詩人」として知られる草野心平をしのぶ「第61回天山祭り」が11日、同村の天山文庫前庭で開かれた。参加者が詩の朗読や郷土芸能の披露を通じて心平の魅力を再確認した。
 川内小中学園6年生や、心平らが創刊した同人詩誌「歴程」の同人が心平の詩を朗読。郷土芸能の「東郷神楽舞」「川内小唄」「川内甚句」も披露された。
 名誉村民となった心平が蔵書を村に寄贈したことを受け、村民が「天山文庫」を建設して1966年に完成し天山祭りが始まった。
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他社の報道がまだ見つかりませんが、出たらご紹介します。

いただいてきたいろいろ。変なやつが乱入していますが(笑)。
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米菓の原料となったお米は小中学園の児童さんたちが栽培したものを原料としているそうで。

いつもながらに心温まる時間でした。永続的に開催されることを祈念いたします。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 21 『昭和文学全集 第4巻 柳田国男 折口信夫 萩原朔太郎 宮澤賢治 高村光太郎 斎藤茂吉 高浜虚子 久保田万太郎 幸田露伴』

平成元年(1989)4月1日 小学館
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目次
 柳田国男(詳細略) 折口信夫(詳細略) 萩原朔太郎(詳細略) 宮澤賢治(詳細略)
 高村光太郎
 顔 人の首 九代目団十郎の首 自作肖像漫談 回想録 美術学校時代 荻原守衛
 ヒウザン会とパンの会 智恵子の半生 ミケランジェロの彫刻写真に題す (私はさきごろ)
 オオギュスト ロダンより 触覚の世界 小刀の味 蝉の美と造型 美の日本的源泉
 書について 黄山谷について 自分と詩との関係 詩について語らず 啄木と賢治
 山の雪 山の春 山の秋
 斎藤茂吉(詳細略) 高浜虚子(詳細略) 久保田万太郎(詳細略) 幸田露伴(詳細略)
 作家アルバム
 解説
  柳田国男 宮田登 折口信夫 岡野弘彦 萩原朔太郎 久保忠夫 宮澤賢治 天沢退二郎
  高村光太郎 粟津則雄 斎藤茂吉 本林勝夫 高浜虚子 稲畑汀子 久保田万太郎 古谷健三
  幸田露伴 篠田一士
 年譜
  柳田国男 岡谷公二 折口信夫 長谷川政春 萩原朔太郎 佐藤房儀 宮澤賢治 天沢退二郎
  高村光太郎 北川太一 斎藤茂吉 本林勝夫 高浜虚子 清崎敏郎 久保田万太郎 関場匣子
  幸田露伴 榎本隆司
 底本について 用字用語について
 月報
  置き土産 会田綱雄 柳田と折口、その沖縄の歌 来嶋靖夫
  昭和文学よもやま28 「外地」と昭和文学 鈴木貞美
  編集室より 次回配本

手持ちのものは平成5年(1993)の第二刷です。この時期にはこの手の文学全集ものの刊行はほとんどなされなくなり、重刷がかかるまで4年を要してもいます。需要があまりなくなった感があります。内容的にも一冊に数多くの作家の作品を収めるスタイルです。

光太郎の名が載った各地の新聞記事等、今日も2件ご紹介します。

まず仙台に本社を置く『河北新報』さん、7月5日(日)の記事。

大正時代にロダンブームがあった 熱狂のさなかに開かれた展覧会には著名文化人も関わる 岩手大教授が解明

 「近代彫刻の父」とされるフランスの彫刻家オーギュスト・ロダン(1840~1917年)に、大正期の日本が熱狂した「ロダンブーム」。岩手大の金沢文緒教授(西洋美術史)が、大学で2020年、偶然見つかった古い資料からブームの一端を解き明かした。長く幻とされた展覧会、ブームを起こした白樺派の文化人ら…。謎に迫った研究の成果は来年春、岩手県陸前高田市立博物館で公開される。
 探索のきっかけとなった資料は、ゴッホの絵画などを写した約200点の複製写真。大学施設の移転作業中に発見された。
 金沢教授の調査で、近代日本を代表する写真家野島康三(1889~1964年)が収集した写真と分かった。野島の死後、義理の弟が岩手大の非常勤講師だった縁で大学へ寄贈された。
 複製写真にロダン作品はなかったが、金沢教授は写真の入っていたファイル状の「紙挟み」に着目。6冊の紙挟み全てにフランス語で「オーギュスト・ロダンのデッサン」と印字されていた。
 紙挟みの出どころを追うと、野島が東京・神田で営んだ画廊「兜屋(かぶとや)画堂」で、1919~20年にあった展覧会の発行物と分かった。紹介されたのは、評価の高かったロダンのデッサンの複製写真。画廊の存在は先行研究で明らかにされていたが、この展覧会の詳細は不明だった。紙挟みは開催を裏付ける初めての資料だった。
 当時の新聞広告などから、展示されたのがダンテの「神曲」をモチーフとしたデッサンの複製写真集ということも判明した。写真集はフランスでも希少とされていた。
 浮世絵を愛好したロダンは、日本でのデッサン展を切望していたものの、生前に実現しなかった。遺志を受け継ぐように亡くなった2年後に開かれたのが、デッサンの複製展覧会だった。
 開催に向け、野島と親交のあった彫刻家・詩人の高村光太郎ら白樺派同人が奔走したことも突き止めた。高村は画廊運営にも携わり、作家大仏次郎が作品タイトルの翻訳を担うなど、白樺派以外の文化人の協力もあった。
 当時の資料を丹念に調べた一連の研究で、金沢教授は鹿島美術財団優秀賞を受賞。「最初は重要な資料と捉えず、学生の調査教材として扱っていた」と振り返る。複製写真は明治末期ごろから浸透した海外の芸術に触れる媒体だったが、多くは関東大震災や戦災で失われ、まとまった形で残る例は珍しいという。
 来年3月、名古屋市博物館からロダンの「考える人」を貸与されている陸前高田市立博物館で企画展を予定し、紙挟みや複製写真などを展示する。金沢教授は「大正期の日本人が西洋美術をどう受け入れていたのか、資料から読み取れる。多くの方に見てほしい」と話す。
 【ロダンブーム】 1910年代から20年代にかけて起きた現象。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎らによって10年に創刊された文学雑誌『白樺』で、フランスの彫刻家ロダンの作品や思想が積極的に紹介され、日本の美術界や知識人の間で急速に流行した。
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画像にある岩手大学さんで見つかったゴッホ作品の写真が挟まれていた紙挟みが、大正8年(1919)と翌年に神田神保町の兜屋画堂で開催されたロダンのデッサンの複製を展示する展覧会のものだった、というわけで。

展覧会の名称は文献によって「ロダン複製素描展覧会」「ロダン素描複製画展覧会」と、まちまちでした。
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この開催に「高村光太郎ら白樺派同人が奔走したことも突き止めた」だそうですが、光太郎がどの程度関わっていたのかは不明です。

兜屋画堂は写真家の野島康三が開いた画廊で、野島は光太郎の盟友だった斎藤与里と親しく、また、画堂およびその後の野島自邸での展覧会出品者の中には光太郎実弟にして鋳金家の髙村豊周の名も記録されています。

光太郎の書き残したものの中に、野島の名は見えませんが、大正8年(1919)10月9日の『読売新聞』に載った談話筆記「僕のアメリカ行きも」には「小品の個人展覧会を今年中に兜屋あたりでやらうと思つてゐます」とありますし、翌大正9年(1920)の『時事新報』には兜屋で開催された大森商二の個展を紹介する「大森商二君の木炭画」が載り、雑誌『絵画清談』に転載されました。

記事にある岩手大学さんの金沢教授の研究、ぜひ目を通したいものだと思って調べたところ、記事に「鹿島美術財団優秀賞を受賞」とあったので、そこから調べてみると、鹿島美術財団さんのサイトで『鹿島美術研究 年報第42号別冊』がヒットし、教授の論文「ロダンのデッサン複製展覧会(兜屋画堂1919-1920)再考――野島康三旧蔵資料(岩手大学所蔵)の検討を通じて――」に辿り着きました。まだ斜め読みで、これから精読いたします。

やはり記事にある陸前高田で来春開催予定という企画展も拝見に伺おうかと思っております。

紹介すべき事項が山積しておりまして、もう1件。今朝の『朝日新聞』さんから。

自筆原稿66点発見 北原白秋、推敲重ねた跡 「通説見直す資料」

 詩歌の分野で活躍した北原白秋(1885~1942)の自筆原稿など66点が弟子宅で見つかった。寄贈された岩手県北上市の日本現代詩歌文学館(高野ムツオ館長)が5月下旬、発表した。加筆訂正を繰り返した書き込みから詩作の過程が伝わる貴重な資料だ。
 発見されたのは、白秋の詩集「白金之独楽(はっきんのこま)」「抒情(じょじょう)小詩選 わすれなぐさ」、白秋が編集した雑誌「ARS(アルス)」の原稿。「白金之独楽」の詩稿は、原稿用紙の余白や欄外に青、黒、赤の3種類のインクによる書き込みがあり、削除や加筆を重ねた跡がとどめられている。従来は一気に成立した詩集と捉えられてきた。
 調査にあたった東北大学の佐藤伸宏名誉教授(近代文学)は「いったん清書された原稿が幾度にも及ぶ推敲(すいこう)を重ね、初めて成立に至ったことが判明した。通説を根本から見直す決定的資料だ」と語る。
 雑誌「ARS」創刊号に寄稿した室生犀星、萩原朔太郎、山村暮鳥、高村光太郎らの自筆原稿や、白秋の編集手記もあわせて見つかった。白秋の弟子でアルス社で編集者を務めた歌人・中村正爾(しょうじ)宅にあり、遺族から寄贈された。日本現代詩歌文学館では2027年3月以降の展示を予定している。

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共同通信さんの配信記事などで既に5月には報じられていた件ですが、その際には光太郎の原稿が含まれていたことには触れられていませんでした。「何だ、光太郎のもあったのかい」という感じでした。

『ARS』創刊号(大正4年=1915)に載ったものだそうなので、ロダンの「ランスの本寺」翻訳と思われます。翌年に刊行された『ロダンの言葉』にも収められた一篇です。

「日本現代詩歌文学館では2027年3月以降の展示を予定」だそうで、もし光太郎のそれも出るようなら拝見に伺おうと思います。上記の陸前高田と近い時期ですし。

それぞれ近くなりましたら詳細情報を上げますのでよろしく。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 18 『北原白秋 高村光太郎 萩原朔太郎集』日本文学全集第19巻

昭和47年(1972)5月8日 集英社 北原白秋/高村光太郎/萩原朔太郎著
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目次
 北原白秋集(詳細略)
 高村光太郎集
  智恵子抄 造型詩篇 道程 雨にうたるるカテドラル 猛獣篇 火星が出てゐる 典型
  山のともだち
 萩原朔太郎集(詳細略)
 注解 作家と作品 伊藤信吉 年譜
 月報
  白秋最晩年の旅 木俣修 先輩高村さん 尾崎喜八 ふるさとの絆 丸山薫
  現代文学史13 小田切秀雄

以前にも書きましたが、昭和40年代から50年代、そんなに需要があったのかと思われるくらい、さまざまな文学全集ものが刊行されました。

立て続けに光太郎の名が新聞各紙に。光太郎メインだったりはしないものがほとんどですが。3回に分けてご紹介します。

6月28日(日)、『岩手日報』さん。

盛岡少年刑務所で高村光太郎祭

 盛岡少年刑務所(鈴木雅美所長)は12日、盛岡市上田の同刑務所で第49回高村光太郎祭を開き、受刑者約50人が更正と社会復帰への誓いを新たにした。
 光太郎が揮毫(きごう)した「心はいつでもあたらしく」の書と写真に献花。代表者が詩集の読書感想文と作文を発表し「道程」と「孤独が何で珍らしい」の詩を読み上げた。
 高村光太郎が1950年に同刑務所で講演したことから、78年以降に毎年開催してきた。鈴木所長は「高村さんの詩を理解し、人生を前向きに力強く生きてほしい」と呼びかけた。


記事にあるとおり、昭和53年(1978)から毎年開催されている行事です。年によって報道されるかされないかというところですが、令和5年(2023)には珍しく岩手めんこいテレビさんのローカルニュースで取り上げられました。かつては外部講師による光太郎についての講演もありました(当方も10年前にやらせていただきました)が、コロナ禍が契機だったかなという感じで、それは無くなったようです。

021朗読されたという「孤独が何で珍らしい」は以下の通り。昭和5年(1930)、鹿児島の同人雑誌『南方詩人』に寄せた一篇です。このころは送り仮名のルールが確立されておらず、現代では「珍しい」ですが光太郎を含め「珍らしい」とする場合が多くありました。誤植ではありません。
 
   孤独が何で珍らしい
 
 孤独の痛さに堪へ切つた人間同志の
 黙つてさし出す丈夫な手と手のつながりだ
 孤独の鉄(かな)しきに堪へきれない泣虫同志の
 がやがや集まる烏合の勢に縁はない
 孤独が何で珍らしい
 寂しい信頼に千里をつなぐ人間ものの
 見通しのきいた眼と眼の力
 そこから来るのが尽きない何かの熱風だ

たとえ孤独であっても、孤独な者同士が手を差し出し合って野合ではない心の繋がりが生まれ、しかしあくまで個は個、という二重三重のロジックでしょうか。「寄らば大樹の陰」的な「がやがや集まる烏合の勢」の政治家たちにつきつけたい一篇ですね。

続いて掲載順が前後しますが6月27日(土)、『朝日新聞』さん書評欄。

『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』 熊谷誠人〈著〉 感受性育んだ母との幸福な経験016

 今年、生誕100年、没後20年を迎えた詩人・茨木のり子。関連書籍が次々と刊行される中、発見のつまった宝箱のような評伝が世に出た。
 茨木が詩を書き始めたのは24歳。本書はそこに至るまでの時期に絞り、驚くべき調査力と的確な作品の読み解きによって、少女時代の茨木の姿をあざやかに浮かびあがらせる。茨木の没後、作品の管理に携わり、全集の編纂(へんさん)などにも協力してきた甥の宮嵜治氏は〈穏やかに笑うティーンエイジャーののり子のポートレートがここに完成した〉という言葉を寄せている。
 茨木は、若い世代に向けた詩の入門書『詩のこころを読む』や、与謝野晶子や高村光太郎の評伝など、すぐれた散文の仕事も残している。だが自身の生い立ちやプライベートな事柄についてはあまり書き残しておらず、本書で初めて明らかにされたことは多い。中でも茨木の人生と作品を深く知るために重要と思われるのが、11歳で死別した母親への思いだ。
 母の死が心の傷になったことは、詩人の吉原幸子との対談でちらりと漏らしているだけで、詩として表現することはなかった。そこには父の後妻となった人への配慮もあったのではないだろうか。
 著者は茨木が書いたNHKのラジオドラマ「電話」の脚本を発見する。出演した女優・山本安英の回想録にタイトルが出てくるが内容は不明だったこの作品は、母を亡くした小学生の男の子が心の中の電話で母と対話し、それを支えに生きる物語だった。そこには〈母を失ったのり子が、どんなふうにして自分の心の傷との折り合いをつけて日々を生きていったのかを読み解く鍵が隠されているように思います〉と著者は書く。
 現在の愛知県西尾市に住んでいた茨木は、宝塚歌劇を愛した母に連れられ、名古屋や東京で公演を観(み)ている。著者はその日付や演目、出演者までを特定する。そして当時の茨木の日記にある、東京からの帰路の列車で宝塚歌劇団の一行に遭遇しサインをもらっったという喜びと興奮に満ちた記述を裏付けるのである。
 少女期、母とともに美しいものにふれた幸福な経験。それを明らかにすることは、その後の戦時下で彼女を精神的に支え、詩人としての感受性を育んだものを知る手がかりとなる。掘り起こされた伝記的事実が、茨木作品の深い読みへといざなうのだ。
 茨木のり子の研究を続けてきた著者は、彼女が育った愛知県で長く教職にある人。戦時中の学校生活など、時代背景についてもわかりやすく解説されている。若い読者にぜひ届いてほしい一冊だ。(評・梯久美子 ノンフィクション作家)

茨木のり子は、生誕100年ということで、ちょっとしたブームです。「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」など、鋭い刃物を突きつけられるような一篇です。

詩のこころを読む』は昭和54年(1979)、岩波書店さんから出た岩波ジュニア新書の一冊。同世代かそれに近いの詩人たちの作品を取り上げています。「与謝野晶子や高村光太郎の評伝」は、『うたの心に生きた人々』。さ・え・ら書房さんから昭和42年(1967)に刊行され、後にちくま文庫(筑摩書房さん)ラインナップに入りました。与謝野晶子、光太郎、山之口貘、金子光晴の4人の評伝で、さらに平成19年(2007)、童話屋さんで4分冊として復刊し、光太郎のそれは『智恵子と生きた 高村光太郎の生涯』の題で出ています。
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晶子、光太郎、山之口貘の章は良い感じです。ただ、金子光晴のそれは、まぁ一般的にそうなので仕方がないのかも知れませんが「戦時中も反戦を貫いた」という感じの書き方になっており、実は翼賛詩文もそれなりに書いていたことに触れられていないのが残念です。どうも金子本人より取り巻きが躍起になってそれが「無かったこと」にしたいようで、そのため当方は金子の詩は眉に唾をつけないと読めません。

閑話休題、『詩人茨木のり子の誕生 西尾の少女の物語』、ご興味おありの方、ぜひお買い求め下さい。

長くなりますが、溜まってしまっているのでもう1件。6月28日(日)の『毎日新聞』さん。この日は大きなニュースが無かったようで、1面トップで、さらに3面にも続く長い記事でした。

「星野リゾートの自由人」(その1) 「地域の遺産」未来につなぐ

 西洋の古城を思わせる赤レンガ造りの建物が古都・奈良に威風を放つ。明治時代に建てられた5大監獄の一つ「旧奈良監獄」(奈良市般若寺町)。東大寺や奈良公園がある奈良観光の中心から北に約2キロ、古刹(こさつ)も残る閑静な住宅街に面して異形の建築はある。
 明治政府が不平等条約解消のため、受刑者の人権にも配慮した近代国家としての有りようを欧米列強に示さんと威信をかけて建設、1908(明治41)年に完成した。半円アーチを多用するロマネスク様式が取り入れられ、5大監獄で唯一建物群がほぼ完全な形で残る。
 2017年に100年以上にわたる刑務所としての役割を終えて国の重要文化財に指定された。そして今年、この歴史的建造物は高級ホテルと博物館として生まれ変わった。
  運営するのは高級リゾートホテルの展開で知られる「星野リゾート」。 国の重要文化財としては初めて、施設所有権を国が保有したまま民間に運営を委ねるコンセッション方式の民間活用で事業が進められる。 18年に首相の施政方針演説で、観光立国推進の目玉として取り上げられた一大プロジェクトだ。
 狙いは、民間の資金やノウハウを活用して公共文化財の維持・継承を図ることだ。星野リゾートは高級ホテル「星のや奈良監獄」(48室)と「奈良監獄ミュージアム」を組み合わせて収益化することで、「地域の遺産」を未来につなぐ。
 ミュージアムでは、史料の保存・展示にとどまらず、刑務所をテーマにアートも展開する。コンセプトは「美しき監獄からの問いかけ」。規律が支配する空間で「自由」について考えを巡らす体験を提供したい――。
 画一的なホテルチェーンとは異なり、施設ごとにその地の魅力を掘り起こし、掛け合わせ、新たな価値を生み出すという星野リゾートらしさが存分に盛り込まれた。

突き動かす好奇心
  肌寒く静けさに包まれた4月上旬のある晩、赤レンガの壁沿いを一人、足早に駆ける女性がいた。月末に開業するミュージアムの館長、八十田(やそだ)香枝さん(53)。プロジェクトのカギを握る一人だ。
 向かったのは展示棟。受刑者の暮らしなどを紹介するパネル展示を何度も読み返した。日中は国の担当者との打ち合わせなど館長業務に忙殺される。夜間が八十田さんの「自習」時間だ。開業まで1カ月に迫ると「通勤時間がもったいない」と近くに部屋も借りた。 
 エネルギッシュに動き回り、人一倍声が大きい。これまで星野リゾートで20年以上、ホテルや旅館の運営に携わってきた。「星野リゾートの自由人」を自称し、その印象はまさに大阪のおばちゃんだ。
 自らを突き動かすのは好奇心。館長就任を打診された時、大阪のホテルで思い入れのあるプロジェクトを進めていたが、即断した。「監獄で働くなんて普通のサラリーマンでは経験できない」。立ち止まるより、行動あるのみ。そんな言葉が似合う半生だった。
 大阪市内の下町生まれ。両親はキタの繁華街・北新地ですし店を営み、父が大将、母がおかみさんだった。動物好きで、子どもの頃には天王寺動物園に50回以上通ったほど。動物園で働くことを夢見ていたが、中学生の時に高村光太郎の詩「ぼろぼろな駝鳥(だちょう)」を読んでショックを受けた。
 詩にはこんな一節がある。
 〈何が面白くて駝鳥を飼うのだ。動物園の四坪半のぬかるみの中では、脚が大股すぎるぢゃないか〉
 野生で生きるはずのダチョウが動物園で自由を制限されているという詩の世界を思い涙した。飼育員ではなく、野生動物を保護する仕事を志すようになった。
 19歳の時には「アフリカの国立公園で働けないかな」と思い立ち、1人で旅立った。「母には泣かれ、おばあちゃんからは、帰ってこられないと思ったのか香典をもらいました」。アフリカでの夢はかなわなかったが国内で仕事を探し、97年、24歳で就職したのが、長野・軽井沢を拠点に野生動植物の調査やネーチャーツアーを行う自然保護団体「ピッキオ」だった。
 ピッキオは星野リゾートが92年に作った「野鳥研究室」が前身で、当時は同社の一部署。八十田さんはピッキオの森のいきもの案内人として、星野リゾートが営む軽井沢町の温泉や別荘の宿泊者に向けたガイドツアーを担当した。
 団体客を連れて森を歩き、野鳥や草木について解説。明るい性格を生かしたガイドは子供たちの心を刺戟した。ムササビの観察会をはじめ、ドラム缶風呂を用意したり、バウムクーヘンを焼いたりと体験を重視する企画に取り組んだ。
 仕事は充実していた。ただ30歳を前にある願望がこみ上げてきた。生や死、自身の生き方を真剣に考えてみたいというものだった。
 自立した活動のためには収益事業も重要だ――。野性動物の保護活動に対する星野リゾートの運営方針に違和感はなかった。
 1997年、同社が営む長野県軽井沢町の自然保護団体「ピッキオ」の職員になった八十田香枝さん(53)。野性動物を保護する仕事を志して見つけた職だったが、純粋な慈善活動や調査研究だけをするわけではない。「野鳥の森を保護するにも費用がかかる。ガイドでもうけないと事業は残らない」。商売人の家で育った八十田さんは収益源となるガイドツアーに熱心に取り組み、自然と会社の方針を体現していた。(以下略)
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星野リゾートさんが新たに手がけた奈良監獄ミュージアムさんの館長・八十田香枝氏の密着ドキュメントです。

八十田氏、元々動物好きということでしたが、光太郎詩「ぼろぼろな駝鳥」(昭和3年=1928)を読んで野性動物保護の道へ。アフリカへも行き、そちらで働くことは叶わなかったものの、星野リゾートさんでそうしたお仕事に……という流れです。

引用した部分のあとにも同じ位の長さで記事が続きますが、あまりに長いので割愛します。その後、八十田氏は「お金や利益が関わらなくても動物や人のために動けるんだろうか」と自問した末、インドの病院で大地震に伴う被災ボランティアをなさったり、帰国後は沖縄や大阪で星野リゾートさんの地域進出事業の先遣隊を務めたりなさったそうです。そして現在の奈良監獄ミュージアムさんに異動。おそるべきバイタリティーです。

そういう方の転機の一端を光太郎詩が担ったというのは、ある意味恐ろしいといえば恐ろしいことと思います。一篇の詩で人生が左右されてしまう、というわけで。

明日も3件ご紹介します。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 16 『高村光太郎 宮澤賢治集』日本近代文学大系第36巻

昭和46年(1971)6月10日 角川書店 伊藤信吉解説 飛高隆夫/恩田逸夫注釈
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目次
 凡例
 解説 伊藤信吉
 高村光太郎集
 宮沢賢治集
 高村光太郎集注釈 飛高隆夫
  道程 猛獣篇
 宮沢賢治集注釈 恩田逸夫
  春と修羅 補注 『春と修羅』関係地図
 参考文献
 年譜

 月報
  高村光太郎の情念と表現のあいだ――とくに『智恵子抄』について―― 藤島宇内
  『春と修羅』のころ 福島章
  作家の筆跡 高村光太郎 宮沢賢治
  明治大正風俗語典20 槌田満文
  編集後記

収録詩篇に出てくる語の注釈が実に充実しています。光太郎の部を担当された飛高隆夫氏はこのお仕事を基にさらに発展させ、『高村光太郎『道程』全詩鑑賞』(平成21年=2009 明治書院)という書籍も出版されました。

今朝の段階で村のサイト等に詳細な公式情報がまだ出ていないのですが、もう今週末です。当会の祖・草野心平を祀るイベントです

第61回天山祭り

期 日 : 2026年7月11日(土)
会 場 : 天山文庫 福島県双葉郡川内村大字上川内字早渡513
       雨天時は旧川内中学校体育館 川内村大字下川内字宮渡29
時 間 : 午前10時~正午
料 金 : 1,000円

多くの形に親しまれております天山祭りでありますが、この度61回目の開催を迎える運びとなりました。万障繰り合わせのうえ、御参加いただきますようご案内申し上げます。
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元々は心平を祀る祭りではありませんでした。時系列的には、心平が「蛙の詩人」として名を馳せる→村に棲息するモリアオガエルが縁で心平が名誉村民に認定→心平が蔵書数千冊を村に贈る→その収蔵庫兼心平の別荘として「天山文庫」を村で建設→その落成記念に第1回天山祭り開催(昭和41年=1966)→以後、何度も心平が祭りに参加→昭和63年(1988)に心平が没すると心平を偲ぶ祭りへと変化、といった流れです。

さらに一時全村避難を余儀なくされた東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故後は、復興の祈念・確認といった意味合いも付加されるようになりました。
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以前にも書きましたが、心平と親しかった光太郎実弟の豊周が、天山文庫の設立協力委員会発起人に名を連ねました。豊周以外には井上靖、金子光晴、唐木順三、河上徹太郎、川端康成、小林勇、武田泰淳、谷川徹三、中野重治、西脇順三郎、古田晁、松方三郎、武者小路実篤、村野四郎、山本健吉。心平人脈の広さがうかがえるメンバーですね。
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いただいた案内には当日の詳細なプログラム等が印刷されていませんでしたが、例年通りであれば心平詩の朗読、郷土芸能等の披露がメインと思われます。

梅雨時ですので、本来の会場の天山文庫前庭でできない場合も多く、過去3年間のうち第58回(令和5年=2023)と第60回(令和7年=2025)は屋内でした。第59回(令和6年=2024)以来の天山文庫での開催が望まれます。昨年まで雨天時は村役場近くの村民体育センターさんでしたが、役場の移転に伴いそちらが取り壊されるようで、今年は旧川内中学校体育館だそうです。

ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 15 『高村光太郎・宮澤賢治集』現代日本文学大系27

昭和44年(1969)9月15日 筑摩書房 高村光太郎/宮澤賢治集著
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目次
 高村光太郎集
  巻頭写真 筆蹟
  道程 「道程」以後 猛獣篇 「猛獣篇」時代 典型 「典型」時代
  オオギユスト ロダン 自分と詩との関係 智恵子の半生 父との関係 荻原守衛
  宮澤賢治集
   巻頭写真 筆蹟
   春と修羅 第一集 春と修羅 第二集 よたかの星 どんぐりと山猫 注文の多い料理店
  ポラーノの広場 風の又三郎 銀河鉄道の夜 農民芸術概要綱要
 〔付録〕
  高村光太郎 草野心平 高村光太郎山居七年――山に入るまで 佐藤隆房
  わが生涯 高村光太郎/高見順 高村光太郎の回想 伊藤信吉
  宮沢賢治の童話の世界 寺田透 詩人・宮沢賢治 山本太郎
  年譜 著作目録 
 月報
 光太郎対賢治 天沢退二郎 光太郎と社会思想 高田博厚 心象開眼 紀野一義
 高村光太郎・宮沢賢治研究案内 紅野敏郎

手持ちのものは昭和54年(1979)の第11刷です。

6月30日(火)、堺市のさかい利晶の杜さん内のさかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ。」を拝観後、与謝野晶子記念館さん常設展示を拝見しました。

前身の「与謝野晶子文芸館」だった頃にお邪魔したことがあるのですが、その翌年にリニューアルされてからは初めてでした。
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常設展示も部分的にいろいろ入れ替えながらやられているようで、コーナー展示では「与謝野晶子と寛(鉄幹)の書」と銘打たれていました。
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明治44年(1911)、夫・寛の外遊資金を捻出するために書かれ、支援者らに買ってもらった「百首屏風」。
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複数点、出ていました。

奥の方は完全な常設展示のようで、寛・晶子夫妻の生涯の紹介など。
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人物相関図的な。
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不肖の弟子(笑)、光太郎も。
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下にモニターがあり、人物を選んで表示させることができます。
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別の場所には、光太郎の心の師・ロダンも。
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光太郎は、明治41年(1908)から翌年にかけてのパリ留学中に展覧会場でロダンに会っていますが、まだ何者でもない自分に気後れを感じたのでしょう、結局、声をかけることができませんでした。その少し前には親友だった荻原守衛は物怖じせずにロダンを訪ねていますし、明治45年(1912)の与謝野夫妻もそうでした。どうも光太郎には人見知り的な一面もあったようです。

晶子の実家の菓子舗、駿河屋を復元したコーナー。
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その脇には、夫妻の主な訪問先等を紹介する巨大なモニター。こちらもタッチパネルで都道府県ごとに検索ができます。これは存じませんでしたが、光太郎第二の故郷・岩手花巻にも夫妻の足跡が残っていました。ただし、夫妻の花巻行は昭和6年(1931)。光太郎が居着く十数年前でした。
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戦後の光太郎もたびたび宿泊した花巻温泉に夫妻の歌碑があるそうで、存じませんでした。

夫妻の足跡は、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のたつ青森十和田湖(大正14年=1925)、当方自宅兼事務所のある千葉県香取市(明治44年=1911と昭和6年=1931)にも残されていますが、そちらは割愛されていました。

常設展示、こんな感じでした。

1階ロビーでは、昔の堺の街並みを再現したジオラマが展示されていたり、さまざまなグッズの販売も行われたりでした。
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ぜひ皆様も足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 14 『現代名詩選(上)』

昭和44年(1969)8月25日 新潮社(新潮文庫) 伊藤信吉編
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目次
 島崎藤村 土井晩翠 与謝野鉄幹 与謝野晶子 河井酔茗 伊良子清白 薄田泣菫
 蒲原有明 石川啄木 北原白秋 三木露風 木下杢太郎 高村光太郎 川路柳虹
 野口米次郎 福士幸次郎 山村暮鳥 武者小路実篤 千家元麿 白鳥省吾 百田宗治
 福田正夫 大手拓次 三富朽葉 竹内勝太郎
 解説 伊藤信吉

巻頭の目次に詳細な表示がありませんが、採録されている光太郎詩は以下の通り。

 失はれたるモナ・リザ 寂寥 冬が来る 冬が来た 道程 秋の祈 小娘
 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 鯰 ぼろぼろな駝鳥 火星が出てゐる 或る墓碑銘
 首の座 上州湯檜曾風景 刃物を研ぐ人 もう一つの自転するもの 蟬を彫る 樹下の二人
 あどけない話 千鳥と遊ぶ智恵子 山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒
 雪白く積めり 月にぬれた手 女医になつた少女 クロツグミ 十和田湖畔の裸像に与ふ


手持ちのものは昭和61年(1986)の第24刷です。

都内からいっぷう変わった公演情報です。

劇舎カナリア・シアター 『書声展』さっちゃんは戦争を知らない ちづちゃんは戦後を知らない 詩人と市井の人びと声なき声の展覧

期 日 : 2026年7月13日(月)
会 場 : ギャラリーΧ(カイ) 東京都墨田区両国2-10-14 両国シティコア内
時 間 : 15:00/18:30
料 金 : 1,500円(全席自由)

「わが詩をよみて人死に就けり」と戦時の詩作を悔い、反省し、山荘に籠った高村光太郎。その許を訪れ、「心の責め」を思いやった詩人宮静枝は、生涯に渡り平和を希求する詩を書き続けました。そして戦地で地獄を見て、戦争を「人間愚」と呼び、無反省な戦後に「反省のみがわれわれを道化芝居から救い出してくれる」と訴えながら、自裁した劇詩人加藤道夫。そんな詩人たちのことばと、静枝の身内である宮絢子さんと、そのご家族の戦争への思いを、書と声で展覧します。
「おかあさま、タカムラコータローとマッカーサーとどっちがえらいの?」と、光太郎の前で、母に問うた文彦さんも共に。「でもどうしておとなは せんそうすきなんだろうナ みんなでそうだんして せんそうしないことにしたらいいのにね」山本健翔

スタッフ 書:宮絢子 構成・演出:山本健翔 音楽:ささいけい子 製作:劇舎カナリア

キャスト 
ささいけい子 山本健翔 寺田明子 宮文彦 宮絢子
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案内文に「書と声で展覧」とありますが、「書」の方は書家の宮絢子氏の作品。「声」では「キャスト」にクレジットされている方々が朗読されるのではないでしょうか。

「キャスト」のお一人、宮文彦氏は、生前の光太郎をご存じの方です。お母さまが詩人の故・宮静枝氏。戦前から光太郎と交流があり、戦後の昭和26年(1951)、花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隠棲していた光太郎を訪れ、その際の体験を基に平成4年(1992)『詩集 山荘 光太郎残影』を上梓、第33回晩翠賞を受賞されました。

その際に同行したのが甥御さんの千葉氏、そして息子さんの文彦氏と暠成(こうせい)氏でした。
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書の宮絢子氏は文彦氏の奥様で、姑である静枝氏の詩句などを書かれることもおありです。

やはり静枝氏の詩集『山荘』と、文彦氏のお兄様・暠成(こうせい)氏とのからみで、今年5月9日(土)には三軒茶屋で「朗読とお話 宮静枝の詩に投影された高村光太郎の戦後」というイベントが開催されたとのことです。世田谷区さんの広報誌で事前に小さく紹介が出ていましたが、気づきませんで「あ゛~」と思っていたところでした。
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今回は予約を入れさせていただきました。皆様もぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 11 『カラー版 日本の詩 2 石川啄木 北原白秋 山村暮鳥 高村光太郎 宮沢賢治』

昭和42年(1967)5月15日 現代芸術社 金子光晴/高橋新吉監修
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目次
 カラー
  紺屋のおろく(白秋) 砂山(白秋) 城ヶ島の雨(白秋)
  東海の はたはたと ふるさとの 初恋(啄木)
  口笛 わが庭の かにかくに や はらかに(啄木)
  雲 おなじく ある時(暮鳥) 三人の処女(暮鳥) 荒涼たる帰宅(光太郎)
  千鳥と遊ぶ智恵子(光太郎) レモン哀歌(光太郎) 十一月三日・雨ニモマケズ(賢治)
  高原 市場帰り(賢治)
 グラビア
  道程(光太郎) 落葉松(白秋) 我を愛する歌(啄木) だんす 烙印(暮鳥)
  老漁夫の詩(暮鳥) 梅酒(光太郎) ぼろぼろな駝鳥(光太郎) 春と修羅(賢治)
  岩手軽便鉄道の一月(賢治)
 本文
  我を愛する歌(啄木) 煙一 煙二(啄木) 秋風のこころよさに(啄木)
  忘れがたき人人(啄木)
 手套を脱ぐ時(啄木) 沈める鐘(啄木)
  はてしなき議論の後(啄木)
  柳河(白秋) 六騎(白秋) 薊の花(白秋) あかき木の実(白秋) 片恋(白秋)
  春の鳥(白秋) 赤い夕日に(白秋) 幻滅(白秋) 汐首岬(白秋) 曼珠沙華(白秋)
  ちんちん千鳥(白秋) かやの木山の(白秋) ペチカ(白秋) この道(白秋)
  祭りもどり(白秋) 芭蕉(白秋) 泊り舟(白秋) 待ちぼうけ(白秋)
  岬(暮鳥) いのり(暮鳥) なやみに就て(暮鳥) 父上のおん手の詩(暮鳥)
  詩人・山村暮鳥氏(暮鳥) 月 おなじく(暮鳥)
  冬が来た(光太郎) 犬吠の太郎(光太郎) 秋の祈(光太郎) 車中のロダン(光太郎)
  ばけもの屋敷(光太郎) 手紙に添えて(光太郎) 人に(光太郎) 晩餐(光太郎)
  樹下の二人(光太郎) あなたはだんだんきれいになる(光太郎)
  風にのる智恵子(光太郎) 値ひがたき智恵子(光太郎) 山麓の二人(光太郎)
  春と修羅・序(賢治) 雲の信号 岩手山(賢治) 原体剣舞連(賢治)
  永訣の朝(賢治) 政治家(賢治) 和風は河谷いっぱいに吹く(賢治)
  生徒諸君に寄せる(賢治) 眼にて言ふ(賢治)
 解説(三好豊一郎)
 略年譜

 ソノシート
 1 高原 荒涼たる帰宅 かやの木山 待ちぼうけ この道 ペチカ 砂山 ちんちん千鳥
 2 泊り舟 芭蕉 城ヶ島の雨 落葉松 はたはたと 初恋 やはらかに 口笛 東海の かにかくに
   ふるさとの わが庭の
 演奏者 大町ますみ 田中路子 板橋勝 中村博之 ルナ・アルモニコ 新室内楽協会

いかにも「昭和」という感じの作りです。写真の具合といい、附録にソノシートが付いていることといい。ソノシートは作曲者名が書かれていませんが、それぞれ独唱歌曲です。光太郎の「荒涼たる帰宅」は昭和30年(1955)、故・清水脩氏作曲の歌曲集「智恵子抄」最終曲。大町ますみ氏(ボニージャックスの故・大町正人氏の奥様)の歌、伴奏は新室内楽協会でした。

昭和31年(1956)、光太郎が没する直前、草野心平に編集を託し、その年の7月に初版が刊行された新潮文庫版『智恵子抄』。デザイナー・皆川明氏による新たなカバーデザインとなった新装版が発行されました。

新潮社さんのプレスリリースから。

不朽の名作、高村光太郎『智恵子抄』(新潮文庫)がminä perhonenデザイナー・皆川 明さんによる新装版カバーで登場。

詩人・彫刻家でもあった高村光太郎と、画家・紙絵作家の妻、智恵子。情熱のほとばしる恋愛時代から、短い結婚生活、智恵子の発病、そして永遠の別れ……。夫の光太郎がふたりの深い愛を謳った名詩集が『智恵子抄』です。

高村智恵子の切り絵を敬愛し、『智恵子抄』を長年愛読してきたminä perhonenデザイナー、皆川 明さんによる美しい切り絵で装いを新たにしました。 新装版は2026年「新潮文庫の100冊」にラインナップされており、全国書店にてお買い求めいただけます。

【切り絵でつながる『智恵子抄』】 
2026年は高村光太郎没後70年の年。長年カバーに使用されてきた高村智恵子による花柄の切り絵から、次の世代へとより長く愛され続けられるように、皆川 明さんによる花と鳥の切り絵を使用したカバーにうまれかわりました。 

光太郎と智恵子をイメージした鳥と花の切り絵は、切り絵ならではの細やかな影の表情を再現するために、カメラマンの白石和弘さんに撮影していただき、どこか懐かしく優しい雰囲気を持つ、手元にずっと置いておきたくなるような本となりました。 

【皆川 明さんのコメント】 
にがくて、すっぱくて、ときどき あまい 苦しくて愛おしいいのち
 
愛とはつかめない光のようでもありおおわれた影のようでもある。
宿命の海原で泳ぎ心の空を翔ぶように生きる姿が放つ光と影は智恵子の生きた証であり光太郎の生きがいであった。 

【書籍内容】
明治の末年、グロキシニヤの鉢植えをもってアトリエを訪れた智恵子嬢を“人類の泉”と讃えた恋愛時代から、「東京に空が無い」と語り合った幸福な結婚生活を経て、夫人の発病、そして昭和十三年十月にやってきた永遠の別れ――。死後なお募る思いを「智恵子の裸形を残して、わたくしは天然の素中に帰ろう」と歌い、昭和三十一年四月の雪の夜に逝った詩人の、全生涯を貫く稀有な愛の詩集である。

【著者紹介】高村光太郎(タカムラ・コウタロウ)
(1883-1956)上野公園の西郷隆盛像で知られる木彫家光雲の長男として東京に生れる。東京美術学校で彫刻、洋画を学ぶ。1906年、欧米留学。パリでは美術・彫刻の他、ヴェルレーヌ、ボードレールらの詩を学んだ。帰国後、気鋭の美術評論、評伝、エッセイを次々と発表して注目された。1914年、処女詩集『道程』で芸術院賞を受賞。1941年、『智恵子抄』を刊行。1950年、『典型』で読売文学賞を受賞。他に『ロダン』『造形美論』『暗愚小伝』など著書多数。享年73。

【書籍データ】
【タイトル】『智恵子抄』
【著者名】高村光太郎
【造本】文庫
【定価】473円(税込)
【ISBN】978-4-10-119602-2
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カバーデザインの皆川明氏、座右の一冊的に『智恵子抄』を挙げて下さったことがおありです。

把握している範囲では、令和3年(2021)6月にマガジンハウスさんから出たムック『& Premium特別編集 あの人の読書案内。』、同年12月、同じくマガジンハウスさんの雑誌『BRUTUS』、2022年1月1日・15日合併号。後者に載ったものは令和6年(2024)発行のムック『BRUTUS特別編集 合本 本が人をつくる。』に再録されました
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皆川氏曰く「好きだという気持ち以上の、お互いを肯定している無垢な二人の関係が伝わってくるようで、恋愛小説よりも強い気持ちが感じられます」「カフェに座ってこれを読んでいると落ち着く、というと簡単な表現ですが、頭の中には好きな世界が広がって、外側には違うカルチャーがある。それが案外心地いい

そういう思い入れがおありの皆川氏に白羽の矢を立てた新潮社さん、グッジョブです。

これまで、百数十刷を数える中で、何度か装幀・カバーデザインが変遷しています。
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昭和31年(1956)の初版(左上)刊行時には、パラフィンカバーと帯のみ。昭和35年(1960)頃の版から新潮文庫全体としてカラー印刷のカバーがかけられるようになりました(右上)。袖には「カバー 眞淵聖」とクレジットが入っていますが、眞淵聖という人物、寡聞にして不分明です。

収録詩篇の改訂等があっての改版が昭和42年(1967)12月。その際に左下の智恵子紙絵を使ったカバーに変更されたと思われます。そして右下はつい最近まで使われていたカバー。

智恵子紙絵のカバーでなくなるのは少し寂しい気もしますが、おそらく巻頭の口絵には智恵子紙絵画像が残るのではないかと思われます。最近までの版で7葉使われていました。
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そして『智恵子抄』、「新潮文庫の100冊」ラインナップに復帰というのが嬉しいところです。昭和51年(1976)から毎年夏に行われているフェアで、今年で50周年とのこと。
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『智恵子抄』は昭和51年(1976)の初回から平成21年(2009)頃までラインナップに入っていましたが、その後に外れ、残念に思っておりました。それが復活ということで、ありがたし。大きめの新刊書店さん等では100冊を平積みにする特設コーナーなども作って下さいますし、売り上げが伸びるでしょうから。

ちなみに50年連続でラインナップ入りしているのは以下の10冊だそうです。

『こころ』夏目漱石/『人間失格』太宰治/『銀河鉄道の夜』宮沢賢治/『黒い雨』井伏鱒二/『塩狩峠』三浦綾子/『老人と海』ヘミングウェイ/『罪と罰』〈上下〉ドストエフスキー/『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ/『変身』カフカ/『異邦人』カミュ

というわけで、新装版『智恵子抄』、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 4 『高村光太郎集 萩原朔太郎集 宮澤賢治集』現代日本文学全集24

昭和29年(1954)7月25日 筑摩書房 高村光太郎/萩原朔太郎/宮澤賢治著
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目次
 高村光太郎集
  道程
   失はれたるモナ・リザ(明治四十三年) 生けるもの 根付の国
   画室の夜(明治四十四年) 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒
   寂寥 声 風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」
   夏 なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
   けもの あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿 青い葉が出ても(明治四十五年)
   赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾(大正元年) 或る夜のこころ
   おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る カフエにて
   或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日
   人に(大正二年) カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実
   冬が来た 冬の詩 牛 僕等 道程(大正三年) 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦
   万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈
  「道程」以後
   わが家(大正五年) 小娘(大正六年) 湯ぶねに一ぱい
   丸善工場の女工達(大正九年) 米久の晩餐(大正十年)
   クリスマスの夜(大正十一年) 沙漠 樹下の二人(大正十二年) 珍客(大正十三年)
   清廉 白熊(大正十四年) 傷をなめる獅子 狂奔する牛 車中のロダン 葱
   象の銀行(大正十五年) 十大弟子 鯰 苛察 夜の二人
   あなたはだんだんきれいになる (昭和二年) 怒 或る墓碑銘 美を見るもの
   龍(昭和三年) あどけない話 花下仙人に遇ふ ぼろぼろな駝鳥 或る日
   上州湯桧曽風景(昭和四年) 刃物を研ぐ人(昭和五年) 孤坐
   美の監禁に手渡す者(昭和六年) 蝉を彫る 先生山を見る(昭和七年)
   晴天に酔ふ(昭和八年) 人生遠視(昭和十年) 風にのる智恵子 村山槐多
   もう一つの自転するもの(昭和十一年) 荻原守衛 千鳥と遊ぶ智恵子(昭和十二年)
   値ひがたき智恵子 夢に神農となる 老耼、道を行く 山麓の二人(昭和十三年)
   団十郎像由来 レモン哀歌(昭和十四年) 芋銭先生景慕の詩 へんな貧
   梅酒(昭和十五年) 荒涼たる帰宅(昭和十六年) 寒夜読書(昭和十八年)
   救世観音を刻む人 南瓜賦(昭和十九年)
  典型
   雪白く積めり(昭和二十一年)
   暗愚小伝(昭和二十二年)
    家 転調 反逆 蟄居 二律背反 炉辺
   「ブランデンブルグ」(昭和二十三年) 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元
   おれの詩(昭和二十四年) 悪婦 山荒れる(昭和二十二年) 月にぬれた手
   鈍牛の言葉 典型
   田園小詩
    山菜ミヅ(昭和二十二年) 山のひろば 山口部落(昭和二十二年) かくしねんぶつ
    クロツグミ クチバミ(昭和二十五年) 別天地(昭和二十三年)
    岩手の人(昭和二十四年) 山からの贈物 この年
  「典型」以後
   元素智恵子(昭和二十五年) 案内 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 女医になつた少女
   人間拒否の上に立つ(昭和二十六年) 山のともだち
   十和田湖畔の裸像に与ふ(昭和二十九年)
 萩原朔太郎集  (略)
 宮澤賢治集    (略)
 高村光太郎の詩業 草野心平 萩原朔太郎 河上徹太郎 
 もろともにかがやく宇宙の塵となりて 谷川徹三 解説 伊藤信吉
 年譜
 月報
  彫刻の先覚高村光太郎 石井鶴三 高村光太郎氏素描 難波田龍起 萩原朔太郎断片 伊藤整
  朔太郎残影 恩地孝四郎 兄とレコード 宮澤清六

ともに生前に交渉のあった朔太郎と賢治と共に一冊が構成されたことについて、晩年の光太郎はどう感じたでしょうか。

昭和6年(1931)夏、当時あった新聞『時事新報』の依頼で紀行文「三陸廻り」執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して光太郎文学碑が建てられ、さらに毎年「女川光太郎祭」が有志により開催されている宮城県女川町。6月21日(日)に町制施行100周年の記念式典が開催されました。

仙台に本社を置く『河北新報』さん、当日の一面コラム。

河北春秋(6/21)

東日本大震災後に再建された宮城県女川町はコンパクトで海が見える街として注目される。海岸広場の震災遺構「旧女川交番」の展示には「これからも海とともに生きることを選んだ」と決意が記してある▼中心部の道の駅「おながわ」から女川港を望むと海のきらめきがまぶしいほど。防潮堤に頼らないまちづくりと誤解されることもあるが、リアス海岸の貴重な平地を減らさないよう町全体を防潮堤の高さ以上にかさ上げしてできた▼「還暦以上は口を出さず」も女川の復興を象徴する言葉。若手商工者らが震災翌年、岩手県紫波町の公民連携のまちづくり「オガールプロジェクト」を学び、再建に生かした▼道の駅ではテナントを決めた後に入居者の意向に沿い建物を整備するオガール流を取り入れた。テナントの一つ「お魚いちばおかせい」は、海を眺めて海鮮丼を食べられるテラス席が連日にぎわう。「目指したのは女川の海や景色、人の温かさまで楽しんでいただける場所」と店の人は言う▼女川町ではきょう、町制100周年の式典が開かれる。95年前の1931(昭和6)年、町を訪れた詩人高村光太郎は「新興の気力が海岸には満ちている」と記し、海岸広場の文学碑に刻まれている。その気風は震災後のまちづくりにも生きている。

6月20日(土)の河北新報さん系の『石巻かほく』さんでも引用された「三陸廻り」の一節がこちらでも。ありがたし。

式典の模様を報じる記事、同じく『河北新報』さん。

「力を合わせて輝かしい未来を」 宮城・女川の児童生徒が力強く宣言 町制施行100周年式典

 宮城県女川町の町制施行100周年を祝う記念式典が21日、町生涯学習センターであった。町内の団体代表や行政区長ら、関係者約350人が出席。これまでの町の歩みを振り返り、新たな未来に向け心を一つにした。
 須田善明町長はあいさつで「この地に可能性を見いだした人々がさまざまな壁を乗り越えて結集し、切り開いてきた」と町の100年の歩みについて紹介。
 2011年に発生した東日本大震災の津波が町にもたらした甚大な被害と復興過程を振り返り、「年配者が現役世代にかじ取りを委ねた町づくりの在り方に、地域で受け継がれてきた精神性やアイデンティティーが表れた。次の100年に向かうための大切な羅針盤だ」と述べた。
 式典では、女川小中学校の児童生徒12人が登壇。「未来へのメッセージ」として「豊かな自然と笑顔で包まれた町が発展していけるよう、力を合わせて輝かしい未来を作っていきます」と力強く宣言した。
 女川町は1926(大正15)年、当時の女川村が町に移行して誕生し、4月に100周年を迎えた。
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『石巻かほく』さん。

女川町100周年 発展願う 記念式典、歩み振り返る

 女川町は21日、町制施行100周年の記念式典を町生涯学習センターで開いた。町内の行政区長や団体代表ら関係者計約350人が出席。甚大な被害を受けた東日本大震災とその後の復興、水産業の振興など100年の歩みを振り返り、町のさらなる発展を願った。
   須田善明町長は式辞で、第2次世界大戦や震災などの苦難を振り返り「幾多の試練があったが、変化を恐れず、時代の壁にチャレンジして乗り越えてきた」と語った。町の礎を築いた先人や現在の町民に感謝し「郷土の未来に、一つでも多くの笑顔と希望と幸せをともしていけるよう、力を合わせて歩んでいく」と決意を述べた。
 式典では、写真で歴史を振り返ったり、町民が町の好きなところを紹介したりする記念映像を上映した。女川小中学校の児童生徒12人は「未来へのメッセージ」を発表。「女川は震災を経てより強く生まれ変わった。復興の支援に感謝し、震災の教訓を必ず次の世代に伝える。伝統と歴史を大切に、輝かしい未来をつくっていく」と誓った。
 式典に出席した、町行政区長会の阿部求会長(78)=小乗行政区長=は「100周年を迎えられて感無量だ。これからは若い方がまちづくりに参加し、町を盛り上げてほしい」と期待した。
 メッセージを発表した女川中3年の千葉一夢珂(ひめか)さん(14)は「記念すべき年に女川中生であることを誇りに思う。震災を乗り越えたように、つらいときには手を取り合える町民でありたい」と話した。
 女川町は1926年4月、町制施行で女川村が町に移行して誕生した。オープニングでは、2020年度に女川小中学校で文化芸術体験講座を開いた、仙台市出身のジャズピアニストで作曲家の秩父英里さんが演奏を披露した。
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ちなみに女川町、大正15年(1926)の町制施行以来、一度も他の市町村との合併をしていないという、全国的にも稀有な例だそうです。

町中心部が壊滅状態となるほどの甚大な被害をもたらした東日本大震災から15年の今年、町制施行100周年の新たな門出を迎えたというのも奇縁と感じます。まだまだ課題は山積と思われますが、新しい女川の発展を願って已みません。

【高村光太郎書誌】

選集等(部分) 3 『高村光太郎 萩原朔太郎集』昭和文学全集22

昭和28年(1953)10月15日 角川書店 高村光太郎/萩原朔太郎著
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目次
 高村光太郎集
  筆蹟(うゐのおくやま)
  道程
   失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 画室の夜 食後の酒 寂寥 声
   新緑の毒素 廃頽者より 髪を洗ふ女 なまけもの 地上のモナ・リザ あつき日
   父の顔 泥七宝 犬吠の太郎 さびしきみち ビフテキの皿 梟の族 冬が来る 夜
   狂者の詩 師走十日 戦闘 山 よろこびを告ぐ 冬が来た 冬の詩 牛 道程
   群集に 婚姻の栄誦 瀕死の人に与ふ 五月の土壌 秋の祈 侵蝕 或日の午後
   白昼の空気 疾走 縁日 狗ころ 祈祷
  「道程」以後
   晴れゆく空 海はまろく 花のひらくやうに 無為の白日 丸善工場の女工達
   米久の晩餐 雨にうたるるカテドラル かがやく朝 ラコツチイ マアチ 冬の送別
   五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ 鉄を愛す 春駒 月曜日のスケルツオ
   氷上戯技 珍客 車中のロダン 葱 後庭のロダン 無口な船長 わが家 小娘
   真夜中の洗濯 歩いても 湯ぶねに一ぱい 序曲 クリスマスの夜
   とげとげなエピグラム 聖ジヤンヌ
  「猛獣篇」時代
   清廉 象の銀行 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 苛察 龍 雷獣 象
   北冥の魚 潮を吹く鯨
  「猛獣篇」以後
   冬の奴 ミシエル・オオクレエルを読む 火星が出てゐる 偶作八篇
   二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遇ふ 天文学の話 或る墓碑銘
   ぼろぼろな駝鳥 当然事 無限軌道 夏書十題 ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓
   上州湯桧曽風景 その詩 怒 母をおもふ 冬の言葉 何をまだ指してゐるのだ
   彼は語る 街上比興 さういふ友 あの音 北島雪山 上州川古「さくさん」風景 冬
   無題 刃物を研ぐ人 孤坐 美の監禁に手渡す者 似顔 のつぽの奴は黙つてゐる
   南極 蝉を彫る 先生山を見る 晴天に酔ふ 首の座 村山槐多 ばけもの屋敷
   もう一つの自転するもの 荻原守衛 手紙に添へて 芋銭先生景慕の詩
   つゆの夜ふけに 初夏言志 銅像ミキイヰツツに寄す へんな貧 最低にして最高の道
  智恵子抄より
   ――に 或る夜のこころ おそれ 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ   深夜の雪
   人類の泉 人に 僕等 晩餐 樹下の二人 夜の二人 あなたはだんだんきれいになる
   あどけない話 同棲同類 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子
   山麓の二人 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
  「智恵子抄」その後より
   元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
  典型
   「ブランデンブルグ」 人体飢餓 東洋的新次元 おれの詩 山荒れる 月にぬれた手
   鈍牛の言葉 典型 山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 クロツグミ 別天地 クチバミ
   岩手の人 山からの贈物 女医になつた少女 東北の秋 大地うるはし
   暗愚小伝
    家
     土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
    転調
     彫刻一途 パリ
    反逆
     親不孝 デカダン
    蟄居
     美に生きる おそろしい空虚
    二律背反
     協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
    炉辺
     報告(智恵子に) 山林
   回想録など
  回想録
   子供の頃 母のこと 姉のことなど 美術学校時代 智恵子の半生 智恵子の新盆
   智恵子の半生 智恵子の切抜絵
  随想
   年越し 雪解けず 開墾 早春の山の花 季節のきびしさ 夏の食事 山の雪
   山の人々 山の春 雷ぎらひ しやつくり病 三十年来の常用卓 ほくろ
  詩について
   自分と詩との関係 詩の深さ 小感 言葉の事 生きた言葉 詩人の知つた事ではない
   文語 「道程」改訂版 宮澤賢治
  芸術論
   造型小論 彫刻性について 能の彫刻美 能面の彫刻美 十大弟子 江戸の彫刻
  彫刻のことなど
   蝉の美と造型 ロダンの素描 ロダンの手記談話録 自刻木版の魅力 彫刻的なるもの
   彫刻寸言 美の健康性 芸術上の良知 永遠の感覚 普遍と独自 比例均衡
   美意識について 美の影響力
  出さずにしまつた手紙の一束
  解説 伊藤信吉
  年譜
 萩原朔太郎集  (略)
 解説 伊藤信吉

 
月報 第二十二号
  一つのこと 草野心平 高村光太郎氏 室生犀星 萩原君の詩 日夏耿之介
     萩原さんといふ人 三好達治
 朔太郎と光太郎 笹沢美明
 主要研究書目・参考文献

戦後の混乱も徐々に収まり、いわゆる「文学全集」ものが各社から刊行が相次ぐようになると、光太郎もラインナップにほぼ必ず入るようになりました。光太郎単独で一冊が編まれた場合もあり、数人で一冊の場合も多くありました。

3件ご紹介します。

掲載順に、まず6月16日(火)『毎日新聞』さん夕刊。アナウンサーの近藤サトさんの寄稿です。

Media NOW! 動画隆盛とAI世界 芸術とは、人間とは何か=近藤サト

002 大学でアナウンスの実習授業を受け持つようになって15年になります。アナウンサーや音声表現者を目指す学生の受講が主ですが、15年の間に実習内容はかなり変わりました。今年初めて導入したのは動画制作です。これまでアナウンス実習では、さまざまな声の表現を学ぶことに特化してきましたが、なぜ、本来は番組制作実習で行う動画の撮影、編集が必要になったかというと、最近は音声表現者のみならず個人の動画配信が共通認識になってきたからです。
 音声表現者本人による動画配信は認知度の向上に限らず、販路や業務拡大につながる可能性が十分にあります。また多くの企業が動画選考を採用しているように、動画はすでに映りたい人だけのものですらなくなりました。
  その中でより効果的な動画を作るためには、声や体の表現に加え、高性能な編集アプリの使用や有効な配信のためのマーケティングも必要です。15年の間に、それら全てを一人でこなす技術が発達し、また今それができることは重要な能力だと判断しています。
 その上、栄華を誇ったテレビの足元が揺らいでいるとなれば、メディアを目指す学生には転換期の後に来るものに対しての備えが不可欠です。
 小中学生が将来なりたい職業ランキングでも依然、動画投稿者は人気があります。ユーチューバーがランクインしたばかりの頃、大人は「世も末か」と嘆きましたが、それもすでに過去。最近は姿や素性を明かさず、仮装のキャラクターで投稿するVチューバーが人気です。
 ですが、私が今行っている実習もあと何年もしないうちに全てAIで可能になるでしょう。もちろん、声自体も生成AIが本人になり代わり発声します。実習そのものが意味を持たなくなる可能性も。
 そうなったときにきっと直面するのは、芸術とは何か、美とは何か、人間とは何かという根源的な問いかもしれません。私は自分の命に限りがあるからこそ、その声の力や耀きがあると信じています。70年前、高村光太郎は「どのような転換が行われても芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかっているにちがいない」と言いました。学生を見ていると、今をどう生き、表現するかという切ない思いを感じます。
 ただもし、AIが死の概念を持ち得たら、その声は「いのち」すら宿すのでしょうか?

引用されているのは光太郎最晩年の昭和31年(1956)元日発行の『新潮』に載ったエッセイ「生命の創造-アトリエにて8-」の末尾の一節です。その部分を含む最終段落のみ引用します。

 いのちあるものを見るのは無限にたのしい。いのちあるものはまた無限にかなしい。このよろこびとかなしみとを定着しようとして人間は芸術といふ形に於て神をまね、神を冒した。今人間はそのいのちさへ、いのちなき物質から合成しようとしてゐる。芸術も亦大いに動乱を起して飛躍せねばならない世紀が来る。この世に芸術が生れてから幾十万年になるのか、この後人類が生きのびるのは幾千万年になるのか。芸術はどんな変貌を重ねてゆかうとするか。今日までの芸術はまだわかい。考えると目まひのするやうな今後の長い年月を思うと、今日芸術といはれてゐるやうなものが、果していつまでもその形式を持続してゆくかどうか分らない。ただどのやうな転変が行われても、芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかつてゐるにちがひない。人間の手による生命の創造が可能になつても、生きて動き、生れて死ぬいのちがこの世にある限り、人間は芸術によるいのちの創造を決してやめないだらう。

旧ソ連の科学者、アレクサンドル・オパーリンが来日して「生命の起源」について講演をしたことに触発されて書かれたものですが、そこから芸術論にもってゆき、近藤さんが引用したように「芸術のよりどころとなる一点はいのちの有無にかかつてゐるにちがひない」と結んでいます。常に「生(ラ・ヴィ)」を芸術の絶対の価値として生きてきた光太郎、最後までそれを貫き通しました(戦時中にはぶれましたが)。

それにしても、近藤さんの文章の前半にある、昨今の大学で行われているというメディア関連の授業内容、「そんなことまで学べるんだ」と、うらやましい限りです。ただ「個人での配信」には注意が必要ですね。世の中に問うレベルに達していないもの、ガセ情報、悪意はないものの間違いだらけなど、まだまだ何でも有りの状態ですし(したがってこのブログではほとんど無視しています)、そういったものは淘汰されるのではなく逆に増えていくような気がしています。

続いて熊本の地方紙『人吉新聞』さん、6月18日(木)の一面コラム。

瀬音003

「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」。明治から昭和初期に活躍した詩人・高村光太郎さんの詩集「道程」を代表する一節で、各々が歩む人生の軌跡を表しており、教科書にも採用されている▼人は誰しも母から生まれ、幼少期を経て大人となり、そして晩年を迎えて人生に終わりを告げる。だからこそ毎日を懸命に生き、後世のために何かを残し、それをまた次の世代が引き継いでいく。その繰り返しが歴史を紡いできた▼過日、ある祝宴に出席する機会があった。お祝いに駆け付けた関係者で会場は混み合い、主役との思い出話は尽きなかった。人は決して一人では生きられず、家族や他者の支えがあってこそと改めて感じた▼80歳を超えたある経営者は「自分がこの世を去ってからも人々の記憶に残り、評価されるような事業家でありたい」と思いを口にした。第一線を退いた後も全国を飛び回り、社業発展に尽くしている経営者もいる。そのバイタリティーにいつも驚かされ、その度に尊敬の念を抱いている▼決められた道を歩むのではなく、自分自身で未来を切り開く大切さを高村さんは説いた。結果以上に過程を重要視し、次につなげていきたい。

光太郎数え32歳の詩「道程」(大正3年=1914)の冒頭部分が引用されていますが、先述の最晩年の「生命の創造」における「生きて動き、生れて死ぬいのちがこの世にある限り、人間は芸術によるいのちの創造を決してやめないだらう」と呼応しているようにも見えますね。

最後に宮城県の『石巻かほく』さん。昨日の記事です。

女川町制施行100周年 海と人とともに

 女川町は1926年の町制施行から100年を迎えた。
 「まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちている」。31年に町を訪れた彫刻家で詩人の高村光太郎は紀行文にそう記した。
 町は藩制時代の牡鹿郡女川組の20の浜が母体。海と山が迫る平地に漁村が連なった。三陸の豊かな漁場と天然の良港に恵まれ、水産の町として発展してきた。
 穏やかな海は時に牙をむいた。未曽有の災害となった東日本大震災では大津波が町をのみ込んだ。あれから15年。復興を遂げた町は変わらずに海と共にある。太平洋に向かって開かれた街並みに、なりわいの音や子どもたちの声が響く。新興の気力は今に通じる。
 町制施行100周年記念式典は21日午後1時半から、町生涯学習センターで開かれる。

須田善明町長インタビュー
 「女川町」が誕生して100年。29代で7人目の町長である須田善明氏に、100周年を迎えた思いや未来への展望をインタビューした。(聞き手は相沢春花)
-4月に町制施行100周年を迎えた。
 「戦争や東日本大震災などさまざまなことがあった。苦難に屈さず、皆さんが歩んできたからこその100年だ。これからも合併はせず、女川町であり続けたい」
-自身も女川町で生まれ育った。好きな風景や思い出は。
 「震災後に立ち入れなくなったが、崎山公園から眺める景色が大好きだった。今は御殿峠から見る風景が好き。万石浦方面まで一望できる。女川駅前のプロムナードから見る日の出もいい。れんが道の向こうにまっすぐ昇る初日の出を初めて見た時は感動した」 
 「子どもの頃は山で遊んだ記憶ばかり。小学1年ぐらいの時に、田んぼだった場所でけがをした脚の傷は今も残っている。通っていたのは女川二小。女川一小との学区の境にあった雑貨店で、両校の児童たちが集まる空間も面白かった」
-100周年の節目を盛り上げる施策は。
 「季節ごとの恒例行事をボリュームアップさせる。最大のイベントは秋に予定する音楽フェス。町民の皆さんが100周年を盛り上げるための取り組みも、町の予算でバックアップしていく」 
 「『結って生む』をテーマに、新型コロナウイルスの流行などで途切れたものを結い直す機会にしたい。町と関わってくれていた人たちとのつながりをもう一度結び直し、次の100年につながるものを新しく生んでいきたい」
-次の100年に向かう中で、人口減少などの課題にどう取り組むか。
 「町内外から活動人口を獲得しなければならない。人的資源が限られる中、いかに地域産業を細らせずに守っていくかは大きなテーマだ」 
 「つまらない町に人は集まらない。行政のまちづくりは、面白いことが展開される土壌をつくること。頑張っている人、真剣に何かと向き合っている人を応援する環境が女川にはある。『女川で種を植えたい』と思ってもらえる町であり続けたい」

記念イベント続々、フェスや運動会
 女川町は町制施行100周年に合わせ、町民に楽しんでもらったり、町を盛り上げたりするための記念行事を企画している。恒例の祭りを拡大したものや新たに実施するイベントなどで、1年を通してさまざまな催しが町を彩る。
 目玉行事は、今秋に開催を予定する音楽フェス(名称未定)。2日間の日程を予定し、町開催の音楽イベントでは過去最大となる1万人規模の来場を見込む。
 1日目はロックフェス形式。2日目は幅広い年代に楽しんでもらおうと、演歌や歌謡曲などのステージも構想する。町民は無料で招待し、多彩な音楽に触れてもらう計画。
 10月12日には、町民や町内で働く人を対象にした「大運動会」が開かれる。町スポーツ協会が主催し、未就学児から高齢者まで全世代がチームで楽しく競い合える競技を検討している。詳細が決まり次第、町の広報誌などで周知する。
 音楽フェスと大運動会以外の記念行事の予定は次の通り。
【7月】
▽4日 町民音楽祭第1弾「スーパー銭湯アイドル『純烈』コンサート」
▽26日 おながわみなと祭り100周年記念ドローンショー
▽29~31日 サッカープレミアリーグU-11 チャンピオンシップ2026
【8月】
▽15日 タイムカプセル開封
【9月】
▽19日 地区対抗ペタンク大会
【10月】
▽25日 オリンピックデーラン

◇日程調整中
▽おながわ秋の収獲祭(10月)▽芸術鑑賞会第2弾(11月)▽おながわ冬のまつり(12月か来年1月)▽eスポーツ大会(1月)▽町民カラオケ大会(2月)▽おながわ春のまつり(3月)▽町民音楽祭第2弾(3月)
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引用されている「まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちている」は、昭和6年(1931)の『時事新報』に連載された紀行文「三陸廻り」の一節です。その前後を抜粋します。

 牡鹿半島のつけ根のぎゆつとくびれて取れ相な処、その外側の湾内に女川がある。船で廻ると一日がかりだが石巻からバスで行けば水産学校のある渡波(わたのは)を通りぬけ、塩田のある万石浦に沿つて二時間足らずの道程だ。朝七時に出ると九時には着く。女川で船を見つけるつもりで出かける。女川湾は水が深くて海が静かだ。多くの漁船が争つて此の足場のいい港へその獲物を水上げする。海岸には東北水産株式会社といふものが巨大な清潔な魚市場を築造して漁船を待つてゐる。三陸沿岸では一番新らしい一番きれいな水上げ場だ。女川は極めて小さな、まだ寂しい港町だが、新興の気力が海岸には満ちてゐる。活発な魚類の取引を見てゐると今に釜石あたりをも凌ぐ様になるかも知れない気がする。ところで、海に面する此の新鮮きに対比して、町そのもののぼろの様な古さと小さきとには驚かされる。この古さは珍しい。魅力は此の新古均等の無いところにある。

光太郎が訪れたのは町制施行後5年という時期でした。光太郎は女川に隣接する石巻をスタートし、主に船を使って沿岸を北上、女川以外に、金華山、気仙沼、釜石、宮古などを訪れ、全10回のイラスト入り紀行文を書きました。
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その事績を記念して、平成3年(1991)に、「高村光太郎文学碑」4基が、女川港に建てられました。翌年からは光太郎がこの旅のために東京を発った8月9日に、「女川光太郎祭」が催されることとなり、現在も続いています。そちらは町の主催でも共催でもありませんので、上記記事の行事予定には入っていませんが、例年通り8月9日(日)に開催される予定です。今年は日曜にあたりますし、ぜひおいでください。詳細は後ほど。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 48 『高村光太郎 作品アンソロジー 戦争への道、戦争からの道』

令和7年(2025)6月 田畑書店 高村光太郎著 大木志門編
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目次
 「ぼろぼろな駝鳥」(動物詩集) 
「未曽有の時」(戦時詩集) 「某月某日」(エッセイ)
 「暗愚小伝」(連作詩) 「智恵子抄その後・典型」(戦後詩集) 「山の人々」(エッセイ)
 「新しい天の火」(晩年詩集) 「文人たちの思い出」(回想集)
 チュートリアルブック「戦争への道、戦争からの道」(大木志門)

解説の「チュートリアルブック」を含め、9冊の分冊になっています。表紙はDMM GAMESさんから配信されているオンラインゲーム「文豪とアルケミスト」の光太郎。同ゲームとのタイアップでの出版でした。

手前味噌で恐縮ですが、執筆させていただいた書籍です。2月には出ていましたが、ようやくサイトに情報がアップされましたので、このタイミングで。

令和7年度高村光太郎記念館特別展 中原綾子への手紙 高村光太郎発中原綾子宛 書簡集

発行日 : 2026年2月28日
著者等 : 小山弘明監修
版 元 : 花巻市立高村光太郎記念館
定 価 : 1,100円(税込)

高村光太郎記念館受付で販売しています。郵送での販売も行っています。注)郵送での購入については、図録購入申込書をご覧ください。

購入をご希望の方は、申込書に必要事項をご記入のうえ、送料分の切手を同封し、ご送付ください。図録代は、現金または郵便定額小為替でお支払いください。なお、現金でお送りいただく場合は、現金書留をご利用ください。
001 000
目次
 書簡[高村光太郎発、中原綾子宛]
  昭和四年(一九二九)
  昭和六年(一九三一)   昭和九年(一九三四)   昭和十年(一九三五)
  昭和十一年(一九三六)  昭和十二年(一九三七)  昭和十三年(一九三八)
  昭和十四年(一九三九)  昭和十五年(一九四〇)  昭和十六年(一九四一)
  昭和十七年(一九四二)  昭和十九年(一九四四)  昭和二十年(一九四五)
  昭和二十四年(一九四九) 昭和二十五年(一九五〇) 昭和二十六年(一九五一)
  年代不明
 原稿[綾子著書・主宰雑誌へ]
  「惻隠」に寄す  はしがき  みちのく便り  みちのく便り(二)
  みちのく便り(三)  みちのく便り
 参考資料
  通信事項メモ  日記  綾子「第二期明星の頃」  詩集『灰の詩』口絵 書
  綾子「高村先生のお手紙」  綾子歌集『閻浮提』から
  高村光太郎・中原綾子関連略年譜


昨年4月から今年2月にかけ、花巻高村光太郎記念館さんで4期に分けて開催された特別展「中原綾子への手紙」で展示された、光太郎から歌人の中原綾子に宛てた書簡等70点ほどの全点を画像入りで紹介するものです。いつもそう書いていますが、何度見ても光太郎の文字は味があります。
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中原綾子は与謝野晶子門下の歌人です。短歌以外に自由詩の詩集なども遺しています。光太郎とは大正期に与謝野家での歌会で知り合い、光太郎晩年まで断続的に交流が続きました。戦後の7年間、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)や、昭和27年(1952)に移り住んだ中野の貸しアトリエにも綾子は足を運んでいます。

書簡類は一昨年、綾子の令孫から花巻市に寄贈されました。大部分は筑摩書房『高村光太郎全集』に既出のものでしたが、一部、未収録のものも含まれていました。

すべての翻字と、それぞれの背景の解説を執筆させていただきました。『高村光太郎全集』に収める段階では、当会顧問であらせられた北川太一先生が筆写したものから活字にしたのですが、その筆写が誤っていたりするところもあったり、走り書きに近く判読に苦しむ文字があったりでした。その作業中、何だか集中力が途切れて当方も誤写し、花巻市の担当の方に「ここはこうじゃありませんか?」と指摘され、「ああ、たしかに」と訂正する箇所も多く、赤面しきりでした。

書簡の中で特筆すべきは、昭和10年(1935)前後の心を病んだ智恵子の具体的な病状を記した一連のもの。光太郎は親友だった水野葉舟にも同様の書簡を送りましたがその数は少なく、綾子にあてたものはかなりの分量です。そのため、光太郎智恵子の研究書などの類によく引用され、いわば『智恵子抄』裏面史のような感じで扱われています。

例えば、

ちゑ子の病状悪化とで殆と寧日なく今年も既になくならうといたして居ります、ちゑ子の狂気は日増しにわろく、最近は転地先にも居られず、再び自宅に引きとりて看病と療治とに尽してゐますが連日連夜の狂暴状態に徹夜つづき、さすがの小生もいささか困却いたして居ります、何とか方法を講ずる外ないやうに存じます、
(略)
此を書いてゐるうちにも ちゑ子は治療の床の中で出たらめの嚀語を絶叫して居る始末でございます、
看護婦を一切寄せつけられぬ事とて一切小生が手当いたし居り 殆と寸暇もなき有様です、
(昭和9年=1934 12月28日)

一日に小生二三時間の睡眠でもう二週間ばかりやつてゐます、病人の狂躁状態は六七時間立てつづけに独語や放吟をやり、声かれ息つまる程度にまで及びます、拙宅のドアは皆釘づけにしました、往来へ飛び出して近隣に迷惑をかける事二度。器物の破壊、食事の拒絶、小生や医師への罵詈、薬は皆毒薬なりとてうけつけません、今僅かに諸岡存博士の発熱療法といふのにたよつてゐます、もう三回注射しました、注射すると熱が四十度近く出て、其で幾分でも恢復の途につくのだといふ事です、まだ効果は見えませんが四五回はやつてみるつもりです、(昭和10年=1935 1月8日)

チヱ子は今日は又荒れてゐます、アトリエのまん中に屹立して独語と放吟の法悦状態に没入してゐます、さういふ時は食物も何もまつたくうけつけません、私はただ静かに同席して書物などよんでゐます、仕事はまつたく出来ません、(昭和10年=1935 1月22日)

チヱ子もさびしく病室に孤坐してひとり自分の妄想の中にひたりこみ、相変らず独語をくり返してゐる事でせう、先日あつた時わりに静かにはしてゐるものの、家に居る時と違つて如何にも精神病者らしい風姿を備へて来たのを見て実にさびしく感じました、まはりに愛の手の無いところに斯ういふ病人を置く事を何だか間違つた事のやうに感じました、 仕事といふ使命さへ無ければ一生をチヱ子の病気の為に捧げたい気がむらむらと起ります、チヱ子、チヱ子と家でくりかへし呼びます(昭和10年=1935 3月12日)

などなど。

いわゆるジェンダー系の論者やその信奉者は、こういう内容が細かく書かれていないので詩集『智恵子抄』は嘘くさい、きれいすぎる、生身の智恵子が居ない、などとほざいています。

反論は幾らでもできます。まず、いくら「詩は心の叫びだ」などといったところで、こういう内容をわざわざ詩に細かく書く必要があるのか、ということ。

また、光太郎はもし智恵子の心の病が寛解した際、心の病に関する光太郎の文筆を読んだらどう思うだろうかということを、光太郎は気にしていました。綾子がそれを指摘し、「なるほど」と思ったようです。

先日お送りした短詩について発表の御心配をうけ、小生まるで気がつかなかつた事なので成程と思ひました、
(略)
小生はまるで気がつきませんでしたが智恵子が全快でもしたあとでそれを見たら変なものだろうとも考へました、(昭和10年=1935 2月8日)

「先日お送りした短詩」は、初めて智恵子の心の病を謳った「人生遠視」です。

それでも少し後には結局、智恵子の心の病を中心にした詩を書いています。「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」「山麓の二人」など。白眉というべきは「値(あ)ひがたき智恵子」。

  値(あ)ひがたき智恵子無題

 智恵子は見えないものを見、
 聞えないものを聞く。

 智恵子は行けないところへ行き、
 出来ないことを為(す)る。

 智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、
 わたしのうしろのわたしに焦がれる。

 智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
 限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。

 わたしをよぶ声をしきりにきくが、
 智恵子はもう人間界の切符を持たない。

浅い読み方しかできない人は、この象徴的な詩句の一言一言の裏側にどれだけ深い光太郎の苦悩があるのかが見えないのでしょうね。

「参考資料」の項には、綾子の光太郎に関する文筆も収めました。特にいいなと思ったのは、綾子歌集『閻浮提(えんぶだい)』(昭和35年=1960)に載った短歌。60首ほどが光太郎がらみで、旧太田村の山小屋を2度訪れた際のもの、東京にいて光太郎の詩集『典型』(昭和25年=1950)を読んで戦前を思い出した詠、そして昭和31年(1956)の光太郎の死に際しての挽歌。

いくつか引いてみます。

 おどろきてわれを見たまふ先生にもの言はざるは泣かざらんため

 畏みて高村翁と人は言へわれには若き光大郎先生20250321_131554

 さよならと手を振りたまふ先生にべそかける顔をふりむけにけり

 先生を岩手の山の一つ家に閉ぢこむる雪の都にも降る

 先生のアトリエ焼けてわが知らぬ他人の家の建ちてありけり

 駒込の林町二十五番地にわがなつかしき昔は残る

 先生の小屋の屋根見ゆ萩すすき 野菊なんどは踏みしだき急ぐ

 高村光太郎 死す てふ文字が眼に痛し氷の山に月照れるごとし

 壇上に白木の柩ひとつありて森林の気は四囲をこめたり(告別式にて)

また、綾子詩集『灰の詩』(昭和34年=1959)に口絵として載った光太郎色紙の画像なども。

花巻市役所の生涯学習部生涯学習課生涯学習係さんに申し込めば送って下さるそうです。ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 43『高村光太郎詩集』

平成14年(2002)3月13日 高村記念会 高村光太郎著 北川太一編
002
目次
 『道程』
  失はれたるモナ・リザ 根付の国 声 廃頽者より 父の顔 泥七宝(抄) 友の妻
  人に 涙 おそれ さびしきみち 或る宵 郊外の人に 人類の泉 よろこびを告ぐ
  冬が来た 牛 道程 秋の祈 雨にうたるるカテドラル 米久の晩餐 クリスマスの夜
  鉄を愛す とげとげなエピグラム(抄)
 『猛獣篇』とその時代
  清廉 白熊 傷をなめる獅子 鯰 象の銀行 苛察 ぼろぼろな駝鳥 象 森のゴリラ
  氷上戯技 車中のロダン 火星が出てゐる 冬の奴 花下仙人に遇ふ 母をおもふ
  冬の言葉 当然事 さういふ友 上州湯桧曽風景   孤独が何で珍らしい 刃物を研ぐ人
  耳で時報をきく夜 レオン ドウベル もう一つの自転するもの ばけもの屋敷 荻原守衛
  堅冰いたる 手紙に添へて 孤坐 つゆの夜ふけに お化け屋敷の夜
  銅像ミキイヰツツに寄す へんな貧 蝉を彫る 独居自炊 美しき落葉
 『智恵子抄』
  樹下の二人 あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類
  美の監禁に手渡す者 人生遠視 山麓の二人 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子
  値ひがたき智恵子 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 梅酒 松庵寺 元素智恵子
  メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
 『典型』
  雪白く積めり 「ブランデンブルグ」 人体飢餓 月にぬれた手 山荒れる 典型
  クチバミ 大地うるはし 十和田湖畔の裸像に与ふ 弦楽四重奏 生命の大河
 年譜

昭和44年(1969)、旺文社文庫版『高村光太郎詩集』を定本に、四六判で出されたものです。当時の高村記念会(現・花巻高村光太郎記念会)さんの刊行です。現在も花巻高村光太郎記念館さんで販売中です。

手元にあったはずなのですが見当たりませんで、失念しておりました。

大阪から企画展示情報です。

さかい利晶の杜×文豪とアルケミスト企画展 明キ星ヲ繋グ

期 日 : 2026年6月27日(土)~9月6日(日)
会 場 : さかい利晶の杜 大阪府堺市堺区宿院町西2丁1番1号
時 間 : 9:00~18:00
休 館 : 7月21日(火)、8月18日(火)
料 金 : 大人 300円 高校生 200円 中学生以下無料

明治33年(1900)に与謝野鉄幹によって文学美術雑誌『明星』が刊行され、石川啄木、北原白秋、吉井勇などの若い歌人たちの才能を開花させました。本展では、その『明星』に関わりが深い5人の文豪に焦点をあて、直筆資料や作品集などの展示とともに、彼らの作品をパネルで紹介します。また、「文豪とアルケミスト」とのタイアップ展示として、キャラクターの等身大パネルも展示します。

展示内容とみどころ
① 歴史的資料・文学作品の展示(すべて堺市博物館蔵)
 与謝野鉄幹・晶子合筆掛軸(1934年)
 与謝野鉄幹・晶子合筆歌 貼交屏風 二曲一双(1931年以降)
 北原白秋 歌集「桐の花(初版)」(1913年)
 石川啄木 歌集「悲しき玩具(再版)」(1912年)
 高村光太郎 自筆原稿「短歌の言葉」および原稿「自伝」(1955年)
 吉井勇 与謝野晶子原稿「朝の客」(題字:吉井勇)
② 「文豪とアルケミスト」タイアップ展示・特典
 キャラクターパネル: 対象文豪5名の等身大キャラクターパネルを館内に設置。
 限定グッズ販売: さかい利晶の杜でしか手に入らない「限定アクリルスタンド」を販売。
 来場者特典(数量限定): 公式InstagramまたはX(旧Twitter)の本企画展に関する投稿を
 リポスト(リツイート)した画面を提示すると、先着で「限定しおり」が無料配布されます
 (無くなり次第終了)。
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関連イベント
 ■こども向け 絵本よみきかせ
  *日 時* 7月20日(月・祝)10:20~10:50/11:30~12:00
  *会 場* 茶室広間 ※靴下の着用が必要です
  *参加費* 無料
  *申込み* 不要、0歳児~参加OK ※読む絵本は、4歳以上の向けのものとなります
  *出 演* 声の表現 ハミングプロ代表:千代(せんだい) 真由美氏
 ■大人向け 朗読会
  *日 時* 8月11日(火・祝)10:30~11:30
  *会 場* 茶室広間 ※靴下の着用が必要です
 *参加費* 無料
 *申込み* 7月1日(水)9:00より申込み開始(先着30名)
 *出 演* 山根基世の朗読指導者養成講座修了生:藤本えり氏、望月えみこ氏

文京区立森鷗外記念館さんで開催中の特別展「近代文学でよむ文(ふみ)の京(みやこ)の坂と名所」などもそうですが、ゲーム「文豪とアルケミスト」とのタイアップ企画。各地の文学館さんなどで同様の企画がこれまでにも多数。花巻高村光太郎記念館さんと宮沢賢治記念館さんなど4館でも、令和4年(2022)にスタンプラリーの形で実施されました。ただ、キャラクターの多いゲームですので、いつもいつも光太郎が取り上げられるわけではありません。

今回は、与謝野夫妻を祀るさかい利晶の杜さんが会場ということで、夫妻に師事し、第一期『明星』によった光太郎、北原白秋、石川啄木、吉井勇が取り上げられます。

光太郎に関しては自筆原稿の展示だそうですが、「「短歌の言葉」および原稿「自伝」(1955年)」とあります。「自伝」の方は、おそらく創元社の『全詩集大成日本詩人全集』第2巻に収められた散文でしょう。筑摩書房『高村光太郎全集』第8巻に収録されています。原稿の現物は見たことがありません。
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もう1点の「短歌の言葉」というのがよくわかりません。「高村光太郎全集」等でそういう題名の作品は載っていません。もしかすると色紙や軸装されていないマクリの状態の書かな、という気もしていますがはっきりしたことは何とも……。

追記 「短歌の言葉」は光太郎ではなく与謝野寛のものでした。誤記されていたあるサイトを鵜呑みにしていました。

これは見に行くしかないかな、と思っております。皆様方も是非どうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 46 『高村光太郎選書』ミニブックスシリーズ

平成18年(2006)7月19日 リベラル社 高村光太郎著
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目次
 人に 深夜の雪 僕等 道程 樹下の二人 あなたはだんだんきれいになる 母をおもふ
 あどけない話 もう一つの自転するもの 値ひがたき智恵子 山麓の二人 レモン哀歌
 亡き人に 梅酒 最低にして最高の道 荒涼たる帰宅 報告(智恵子に) 若しも智恵子が
 女医になつた少女 山からの贈物 月にぬれた手 元素智恵子 メトロポオル 案内
 あの頃
 語句註
 高村光太郎の略歴

「ミニブックスシリーズ」の1冊で、その名の通り文庫本より小さい14.5×8.5㌢です。「豆本」というほどではありませんが。

4月に刊行されたはずの書籍ですが、ネット上で書影を探しても見つかりませんでした。

『サンデー毎日』総目次・執筆者索引1945~1952  ―新聞社系週刊誌の戦後占領期2

発行日 : 2026年4月
著者等 : 石川偉子監修
版 元 : 金沢文圃閣
定 価 : 52,000円+税

 時局報道をまとめて伝える目的で始まった『週刊朝日』。―対して、生活に関する実用記事を強く意識した『サンデー毎日』。
 本書は総目次を作成することに対して懐疑的な世の中の風潮において、目次情報を確認するための総目次から一歩進んだ使い方が可能となるような書誌・資料目録の在り方を模索する中から編まれた。記事主タイトルや執筆者といった基本項目だけでなく、従来の総目次では採録されることのない記事小見出しや、記事内画像・カットのキャプションについても情報をまとめた。読み込むことで新たな気づきが得られる一冊を目指した。

【第一回配本】2026年4月 ISBN 978-4-86814-086-3 配本揃価48,000円
 上巻 (396頁)
  収録内容 
   『サンデー毎日』総目次 (1945年8 月12 日号~1949 年12 月25 日号)
    1945 年 解説—敗戦後の社会を生き抜くために(杉本佳奈)
    1946 年 解説—日常生活の変化と持続(片岡美有季)
    1947 年 解説—戦後の傷と膿みを綴る(松本拓真)
    1948 年 解説—『サンデー毎日』復活後の安定期(石井花奈)
    1949 年 解説—「ニュース雑誌」が追う革命闘争(須山智裕)
 下巻(482頁)
  収録内容
   『サンデー毎日』総目次(1950年1 月1 日号~1952 年5月10 日号)
    1950年 解説—方向性の模索と充実(渡部裕太)
    1951年 解説—1951年における『サンデー毎日』の映す日常(安藤史帆)
    1952年 解説—1952年の『サンデー毎日』(仲井眞建一)
   〈コラム〉占領期『サンデー毎日』の北海道現地印刷(石井花奈)
   〈コラム〉大佛次郎のもう一つの〝帰郷〟
―『サンデー毎日』連載作品『黒潮』における郷里(泉渓春)
   〈コラム〉『サンデー毎日』に描かれた「朝鮮動乱」(河田綾)
   〈コラム〉『サンデー毎日』に見る地方文化建設(牛路遥)
   〈コラム〉『サンデー毎日』にみるラジオ民間放送の開始(濱下知里)
【第二回配本】2026年10月 ISBN 978-4-86814-087-0 予価4,000円
 別冊(約170頁) 
  序論 戦後占領期『サンデー毎日』の刊行状況および誌面内容について(石川偉子)
  論考 戦後占領期の『サンデー毎日』における検閲(石川巧)
  索引
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近代文学研究などをなさっている方々は「ああ、この手の本か」とすぐおわかりでしょうが、特定の雑誌の目次や執筆者を索引化したものです。主な雑誌などについては、色々な出版社からかなり刊行されており、これまでも随分と使わせていただいて参りました。

『サンデー毎日』に関しては、ゆまに書房さんで創刊号(大正11年=1922 4月)から昭和20年(1945)8月12日号までを収録した『戦前期『サンデー毎日』総目次』が全三巻で既に刊行されています(現在はオンデマンド)。

今回のものは、昭和20年(1945)8月12日号から昭和27年(1952)年5月10日号まで。なぜ昭和27年(1952)で切ったのかよくわかりませんが。

戦前期を含め、光太郎の作品で『サンデー毎日』が初出、というものは今のところ確認できていません。ただ、他紙誌からの転載、光太郎について取材した記事などはいくつかありました。

まず転載系、今回のものの当該期間ですと、昭和25年(1950)10月20日の別冊中秋特別号。
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巻頭にカラー印刷で7ページにわたり「秋風帖」と題し、7人の詩人の旧作に当代一流の画家たちの挿画を添えたページが設けられています。北原白秋/足立源一郎で「片恋」、佐藤春夫/東郷青児の「秋の夜」、萩原朔太郎/古沢岩美による「青空」、室生犀星/山口華楊コンビで「消えゆく虫」、山村暮鳥/福田豊四郎が「ある時」、堀口大学/宮田重雄ときて「秋のピエロ」、そして光太郎/宮本三郎の「或る日」。

「或る日」は昭和3年(1928)9月の作ですので、この時点で20年以上経っています。初出誌が不明でして、翌4年(1929)2月の雑誌『現代文芸』第6巻第2号(素人社)に載ったそうですが、当会顧問であらせられた北川太一先生によればこれも初出ではなく転載だろうとのことです。

元々、光太郎が好感を抱いていた秩父宮雍仁親王と、旧会津藩主松平容保の孫・勢津子妃殿下のご成婚に題を採った詩でした。しかし、『サンデー毎日』に附された挿画は田舎の花嫁が馬で輿入れする姿。転載に際し、光太郎自身が詩の内容や背景を忘れていて、「どんな詩だか思い出せないけど転載は構わないよ」ということでこうなってしまいました。発行されてから秩父宮親王関連だったと思い出した光太郎、「ありゃま」でした(笑)。

それから、遡って昭和22年(1947)6月15日の第26年第25号には「父と子と 愛情に描く“文化の群像” 高村光雲と高村光太郎、豊周」という記事が載っています。芸術家親子ということで、3人の紹介です。光雲は既に亡くなっていましたが。
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今のところ当該期間で確認できている光太郎がらみはこの2冊です。しかしまだあってもおかしくありません。過日ご紹介した不二出版さんの『復刻版 海の旅』同様、国会図書館さんあたりで閲覧可能となったら調べてみようと思っております。国会図書館さんのデジタルデータでは、だいぶ新しい昭和42年(1967)の号からしか網羅されていません。

今回の当該期間外ですと、昭和31年(1956)4月15日の第35年第19号には、光太郎の追悼記事が出ています。
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ちなみにこの号と、上記の別冊中秋特別号は小磯良平、第26年第25号が光太郎と交流のあった硲伊之助が表紙を描いています。昔はそのあたり、豪華でしたね。

この手の特定の雑誌の目次や執筆者を索引化したもの、最近はかつてほど刊行されていないような気がしますが、そういう情報を得られていないだけかもしれません。「こんな雑誌についてのもこの間出たよ」という情報がありましたら、ご教示いただけると幸いです。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 38 『定本高村光太郎全詩集』

昭和57年(1982)6月30日 筑摩書房 北川太一編
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目次
 明治三十五年(一九〇二)
  なやみ
 明治四十年(一九〇七)
  秒刻 マデル 豆腐屋 博士 あらそひ 
  敗闕録
   ㈠われ千たび君を抱かむ ㈡君を見き ㈢遁れたる君は遣らばや
   ㈣眠りてあれか目覚めよか
 明治四二年(一九〇九)
  にほひ
 明治四三年(一九一〇)
  LES IMPRESSIONS DES OũONNAS TU VOIS? LE SOURIRE CACHÉ
   L'ABSINTHE POUSSE―POUSSE Á LA GUM―WA 失はれたるモナ・リザ
  友よ PRÉSENTATION 生けるもの 根付の国
 明治四四年(一九一一)
  画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 侵蝕 失走
  寂寥 或る日の午後 街上夜曲 雪の午後 声 風 (別れぎは) (散りかかる)
  新緑の毒素 夏 廃頽者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 なまけもの
  手 縁日  金秤 はかなごと 狗ころ
  泥七宝
   (ちらちらと) (家を出づるが) (きりきりと錐をもむ) (それと知つて)
   (つくづく見れば) (バタを造れば) (もらつた人形を) (かなしや人は)
   (長き睫毛の) (この守袋は) (淘宮には) (かの国より来し)
   (われは気違ひとぞとよ) (生れてより) (女よ) (蛙が鳴く)
  めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの  あつき日 かるた 髪を洗ふ女
  父の顔 「おもひで」と「夜の舞踏」と 白昼の空気
  泥七宝㈡
   (皮肉ものと) (言葉のほかにも) (読みてゆけば) (知らぬ顔の) (八重次の首は)
   (人ごみの) (無法な雷は) (蓮花の花の) (酔へる人の) (女の涙を) (朝なれど)
   (たてひき知らぬ人に) (おもしろや) (淋しい顔は) (はりに行くとは) (両国橋の)
  ビフテキの皿 恐怖
 明治四五年・大正元年(一九一二)
  青い葉が出ても 赤鬚さん 隣のおきやん 雨 鍵と錠 プリマドンナ 二人 あをい雨
  泥七宝㈢
   (われをなげけとてか) (「勝てば官軍」) (妻もつ友よ) (さけをつくるもね)
  友の妻
  泥七宝㈣
   (弱きは女の) (たとひ離れて) (てんちりんち) (お嫁にゆくを) (月さへいでて)
  人に(いやなんです) N――女史に(「人に」初出) 怨言 ヹネチヤの旅人
  夏の夜の食慾 或る夜のこころ 涙 おそれ からくりうた
  泥七宝㈤
   (ひとりものは) (それでみんなか) (さきがさきなら) (腕をくんで) (腹をたつた)
     (ものおぼえよき人は) (こびとじまの)
  犬吠の太郎 さびしきみち 寂しき道(「さびしきみち」異稿) 梟の族 かなしきこころ
  冬が来る(冬が来る) 或る宵 夜 或問 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ
  師走十日 戦闘
 大正二年(一九一三)
  人に(遊びぢやない) 深夜の雪 
  カフエにて
   (泥でこさえた) (何もかも) (アメリカ帰りの) (おれの魂を) (無理は天下の)
   (人間の心の影の)
  人類の泉 山 よろこびを告ぐ 冬が来た 冬の詩 粘土 牛 僕等 あたり前 現実
  現実(初出)
 大正三年(一九一四)
  道程 道程(初出) 愛の嘆美 群集に 婚姻の榮唱 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ
  晩餐 五月の土壌 淫心 秋の祈 
 大正五年(一九一六)
  わが家 我家(「わが家」初出) 花のひらくやうに 海はまろく 歩いても
  湯ぶねに一ぱい 晴れゆく空 妹に 無為の白日  無為の白日(初出) 猫
 大正六年(一九一七)
  小娘 (奇麗にお化粧した)
 大正九年(一九二〇)
  序曲 メロン 丸善工場の女工達 
 大正一〇年(一九二一)
  雨にうたるるカテドラル かがやく朝 かがやく朝(初出) ラコツチイ マアチ
  ベルリオの一片(「ラコツチイ マアチ」初出) 米久の晩餐 
 大正一一年(一九二二)
  クリスマスの夜 クリスマスの夜(初出) 真夜中の洗濯 下駄 冬の送別
  五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ Yoki kora yo! よき子等よ!(翻字)
  冬の子供 Fuyu no Kodomo(初出)
 大正一二年(一九二三)
  樹下の二人 Abraham Lincoln エブラハム リンコン(異稿) 鐵を愛す Liluli
  リリユリ(翻字)
  とげとげなエピグラム
   (夜中になると) (大変いいけれども) (おれは求めてゐる) (雨蛙よ)
   (詩はおれの安全弁) (避難はたのもしい) (おもしろい電車の中) (自分のあたまの)
   (おれの手の届かないさきを) (人のよろこびまで) (おなかが減つて)
   (そんなにおれが) (人のきめてくれた) (自分で自分を) (いいわるいを抜きにして)
   (皮肉ならお止し、夜が) (皮肉ならお止し、どうせ) (それが哲学か)
   (君の思ふ壺から) (喰べたものを) (ロダンを嫌ふのが) (三界をまたにかけた)
   (彫刻は俺の錬金術) (「杉の芽のやうな」) (人麿よ、芭蕉よ)
   (あまりよく知りもせずに) (与謝野晶子の歌に) (六十を越したら)
   (どうかきめないでくれ) (この猛獣を馴らして)
  Shine meshi 支那飯(翻字)
 大正一三年(一九二四)
  春駒 温泉と温泉場 清廉
 大正一四年(一九二五)
  月曜日のスケルツオ 白熊 氷上戯技 首狩 傷をなめる獅子 少年を見る
  ある首の幻想 校庭 狂奔する牛 車中のロダン あの詩人 無口な船長 後庭のロダン
  珍客 葱
 大正一五年・昭和元年(一九二六)
  路ばた 金 十大弟子 鯰 象の銀行 苛察 滑稽詩(穴蔵に先祖代々の兵糧が)
  夜の二人 聖ジヤンヌ 感謝 ミシエル・オオクレエルを読む 新茶 雷獣 秋を待つ
  深夜 大きな嚔 火星が出てゐる 冬の奴 偉大なるもの
 昭和二年(一九二七)
  あなたはだんだんきれいになる 無題(すばらしいものを見た) 懐ふ 二つの世界
  不平な人に あけぼの 怒 或日の日記より(「怒」初出) 笑
  二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遭ふ 
  エピグラム
   超現実派 煩瑣派 卑近美派 詩人 新感覚派
  美を見る者  「詩」
  名所
   大湧谷 草津
  母をおもふ 母をおもふ(初出) 北東の風、雨 昔話
  偶作十五篇
 
  (彫刻はおそろしい) (どうせ死ぬ首の中に) (おれは眼を見て) (急にしんとして)
   (翼のある人がある)(「急にしんとして」初出) (人間のからだは) (桃の実は)
   (くるみの種を) (人生への怒は) (人情ぽいものよ) (真の自由の) (女がぽかんと)
   (おれは力が) (木を彫ると) (ふつとさう思ふことがある)
   (朝晩少しひやひやするアトリエで) (平和的な平和を)
  天文学の話 平和時代 殺風景 或る墓碑銘 冬の言葉 その年私の十六が来た
 昭和三年(一九二八)
  ぼろぼろな駝鳥 最後の工程 彼は語る 竜 当然事 なにがし九段 さういふ友
  あどけない話
  偶作
   (うやうやしいのは) (御岳山の行者は)
  あの音 無限軌道 約束 
  夏書十題
   青空 底 寒山詩    うつたうしきもの (ヤマノイモの) さうか、寒公
   (夜明けのかなかなに) 死ねば 無いからいい 一人づつが  
  同棲同類 何をまだ指さしてゐるのだ 或る日 カタバミの実 焼けない心臓 触知
  存在 古事一則 旅にやんで 街上比興 その詩
 昭和四年(一九二九) 
  首の座 独り酸素を奪つて 北島雪山 上州湯桧曽風景 人生 或る筆記通話
  非ユークリツド的 偶作(詩歌の城に) (詩歌の城に)(「偶作」初出) 秋が来たんだ
  激動するもの 上州川古「さくさん」風景 或る親しき友の親しき言葉に答ふ
  孤独で何が珍らしい
 昭和五年(一九三〇)
  のんきな会話 のんきな会話(初出) 春の一年生 刃物を研ぐ人 消えずの火
  籠球スナツプ シヨツト “Die Welt ist scoen” のつぽの奴は黙つてゐる
  耳で時報をきく夜 冷熱 提要(「冷熱」異稿) 南極 機械、否、然り
  友よ(まづ第一に)
 昭和六年(一九三一)
  一艘の船が二艘になること 似顔 不許士商入山門 美の監禁に手渡す者 卓上の七月
  検温 霧の中の決意 ゆつくり急がう レオン ドウベル
 昭和七年(一九三二)
  非ヨオロツパ的なる 非欧米的なる(「非ヨオロツパ的  なる」改稿) 
  もう一つの自転するもの 五月のウナ電
 昭和九年(一九三四)
  「藤島武二画集」に寄す
 昭和一〇年(一九三五)
  人生遠視 風にのる智恵子 「悪魔の貞操」に寄す 寸言 秋風をおもふ ばけもの屋敷
  村山槐多 詩の道
 昭和一一年(一九三六)
  鯉を彫る 荻原守衛 堅氷いたる
 昭和一二年(一九三七)
  少年に与ふ わが大空 よしきり鮫 マント狒狒 象 千鳥と遊ぶ智恵子
  値ひがたき智恵子 秋風辞 夢に神農となる 晴天に酔ふ
  冬が来る(米予想収穫高の発表がすむと) 老耼、道を行く 未曾有の時 詩について
  天日の下に黄をさらさう
 昭和一三年(一九三八)
  手紙に添へて 団十郎像由来 森のゴリラ 潮を吹く鯨 若葉 地理の書 山麓の二人
  孤坐 日本の秋 或る日の記 吾が同胞 子を産む書物 その時朝は来る 群長訓練
  新しき御慶 正直一途なお正月 こどもの報告
 昭和一四年(一九三九)
  米のめしの歌 レモン哀歌 軍艦旗 芋銭先生景慕の詩 初夏言志 初夏到来
  つゆのよふけに 上海陸戦隊をおもふ 乃木大将を懐ふ 事変二周年 肉体 君等に与ふ
  亡き人に 愛について お化屋敷の夜 銅像ミキイヰツツに寄す 紀元二千六百年
  
発足点 北冥の魚 冬 先生山を見る 紀元二千六百年にあたりて へんな貧
  穴ずまひ(「へんな貧」初稿) 私は青年が好きだ 重大なる新年 源始にあり
 昭和一五年(一九四〇)
  ほくち文化 護国神社 蝉を彫る 落日 梅酒 五月のうた 新緑の頃 雷電の夜
  最低にして最高の道 無血開城 純潔 歩くうた 式典の日に 漁村曙 少女立像
  朋あり遠方に之く 世界は美し 太子筆を執りたまふ われら持てり 新年に与ふ
 昭和一六年(一九四一)
  さくら 四月の馬場 風かをる(「四月の馬場」異稿) 清くして苦きもの 少女に
  みかきにしん 協力の磊塊たれ 青年 荒涼たる帰宅 事変はもう四年を越す
     事変はもう四年を越す(初出) 或会議に列して 迎火 純潔のうた 百合がにほふ
  新穀感謝の歌 必死の時 こころに美をもつ 危急の日に 大詔渙発 十二月八日
  鮮明な冬 彼等を撃つ 新しき日に 神のごとく行へ
 昭和一七年(一九四二)
  沈思せよ蒋先生 ことほぎの詞 変貌する女性 シンガポール陥落
  夜を寝ざりし暁に書く 昭南島に題す 或る講演会で読んだ言葉 特別攻撃隊の方々に
  独居自炊 帝都初空襲 戦歿報道戦士にささぐ 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 仕事場にて
  民国の民と兵とに与ふ 真珠港特別攻撃隊 鬱勃たる健康 われら文化を
  山道のをばさん 女性はみんな母である 感激をかくさず    感激をかくさず(不許可稿)
  三十年 神とともにあり 新天地 みなもとに帰るもの 少女よ 神これを欲したまふ
  逞しき一念 覆滅彼にあり 寒夜読書 戦にきよめらる われらの道
  決戦の年に志を述ぶ
 昭和一八年(一九四三)
  少女の思へる 殄滅せんのみ 紀元節を迎ふ さかんなるかな造船 「撃ちてし止まむ」
  供木のことば 監視哨 あそこで斃れた友に 艦隊を見る 海軍魂を詠ず 軍人精神
  提督戦死 厳然たる海軍記念日 山本元帥国葬 五月二十九日の事 報道の戦士をたたふ
  われらの死生 「まつた」を知らず 「江田島」を読んで ビルマ独立 友来る
  ぼくも飛ぶ おん魂来りうけよ 勤労報国 粛然たる天兵 救世観音を刻む人
  フイリツピン共和国独立 四人の学生 全学徒起つ 戦に徹す 断じてかへさず
  激戦未だ終らず 大決戦の日に入る 第五次ブーゲンビル島沖航空戦
  十二月八日三たび来る 貴さ限りなし 少年飛行兵 少年飛行兵の夢 少女戦ふ
  海上日出 熱鉄烈火の年 マキン、タラワの武人達 新年よ、熟視せよ 新年は見る
 昭和一九年(一九四四)
  昭南島生誕二周年 臣ら一億楠氏とならん 南洋眼前にあり 品性の美 少年兵
  陽春の賦 敵ゆるすべからず 必勝の品性 春暁におもふ 山林頌 美をすてず 保育
  写真を見て 米英自ら知らず 合せ祀らるる靖国の神に われらの祈 戦意愈々昂し
  古代の如く たのしい少女 弾薬手 根元の道 ほんとの力 婦女子凜烈たり
  黒潮は何が好き 南瓜賦 米英来る 美しき落葉 最大の誇りに起つ 神州護持
  十二月八日四度来る われらの雄たけび わたつみのうた 大東亜の子ども達よ 満三年
  新春に面す
  二千六百五年のむかし 皇太子さま御乗馬
 昭和二〇年(一九四五)
  皇国骨髄の臣 梅花かをる 青春のうた 力を知る 無想の剣 おほぞらのうた
  栗林大将に献ず 神潮特別攻撃隊 戦火 琉球決戦 海軍記念日に 薫風の如く
  勝このうちにあり
  小曲二篇
   (花はなにとて) (木の実草の実)
  石くれの歌
   (石くれは動かない) (あかい佐渡石が)
  一億の号泣 犯すべからず 小曲二篇 石くれの歌 非常の時 松庵寺 武装せざる平和
  永遠の大道 雪白く積めり
 昭和二十一年(一九四六)
  和について 皇太子さま 国民まさに餓ゑんとす 雲 絶壁のもと (観自在こそ)
 昭和二二年(一九四七)
  山菜ミヅ 田植急調子 (リンゴばたけに)
  暗愚小伝
   家
    土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告 山林
  暗愚小伝断片
   わが詩を読みて人死に就けり (死はいつでも)
  山のひろば 蒋先生に慙謝す 脱卻の歌 「ブランデンブルグ」 試金石 岩手山の肩
 昭和二三年(一九四八)
  人体飢餓 東洋的新次元
  山口より
   山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ ヨタカ 別天地
  噴霧的な夢 おれの詩 お祝のことば 新年 岩手の人 (人間劣性の)
 昭和二四年(一九四九)
  若しも智恵子が 女医になつた少女 悪婦 山の少女 山からの贈物  月にぬれた手
  滑稽詩二篇
   Rilke Japonica etc. 赤トンボ
  智恵子抄その後
   元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 
  鈍牛の言葉 山荒れる この年 あいさつ 一九五〇年
 昭和二五年(一九五〇)
  偶作(人が機械をつくるといふ)  典型 建てましよ吾等の児童会館 クチバミ
  金田一国士頌 東北の秋 開拓に寄す 大地うるはし 人間拒否の上に立つ 明瞭に見よ
  船沈まず 遠い地平 初夢まりつきうた 酔中吟
 昭和二六年(一九五一)
  岩盤に深く立て 智恵子と遊ぶ
 昭和二七年(一九五二)
  山のともだち ばた屋 餓鬼 (四つの仮面は) 報告(あなたのきらひな東京へ)
  お正月に
 昭和二八年(一九五三)
  東京悲歌 十和田湖畔の裸像に与ふ かんかんたる君子
 昭和二九年(一九五四)
  記者図 弦楽四重奏 新しい天の火
 昭和三〇年(一九五五)
  開拓十周年 追悼 開びゃく以来の新年 お正月の不思議 生命の大河
 解題(北川太一)
 年譜(北川太一編)
 編者覚え書(北川太一)
 詩題索引

この時点で確認できていた光太郎詩全編を編年体で収めてあります。初出発表形と決定稿がかなり異なる場合には、初出発表形もならべてあります。

先だつ昭和41年(1966)には新潮社から『高村光太郎全詩集』が出ていますが、そちらは詩集を根幹とした配列で言わば紀伝体でした。

当会顧問であらせられた故・北川太一先生の御著作をはじめ、光太郎がらみの出版物を多く刊行なさっている文治堂書店さん。
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PR誌を兼ねた文芸同人誌『とんぼ』も発行なさっていて、第二十二号が届きました。
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北川太一先生の御子息・光彦氏もいろいろ書かれています。

光太郎がらみでは当方の連載「連翹忌通信」。このブログに取り上げたことをまとめたり、書ききれなかったことを補ったりして書いています。

今号は「智恵子のエプロン」。

光太郎智恵子と関わりの深かった雑誌『婦人之友』第18巻第7号(大正13年7月)に、智恵子がデザインし自作したエプロンの写真と型紙が載り、その件を花巻で行われた市民講座で紹介したところ、花巻南高等学校の家庭クラブさんがそれをもとに復元して下さった件です。

その後、花巻での光太郎イベントでお披露目、二本松の智恵子記念館さんや花巻高村光太郎記念館さんで展示されたり、同校文芸部さんの部誌『門』に制作過程のレポートが載ったりもしました。また、さらに花巻の染物屋さんでも復元をして下さっています。
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エプロン エプロン3
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このブログではその都度ご紹介して参りました。

智恵子のエプロン。
東北レポート その1 岩手花巻なはんプラザ 「五感で楽しむ光太郎ライフ」。
「五感で楽しむ光太郎ライフ」報道。
花巻南高校文芸部誌『門 ⅩⅧ』。
みちのく随想 私たちのリレー。
高村智恵子生誕祭 音楽と朗読『智恵子抄』~愛はここから生まれた/「智恵子のエプロン」復刻展示。
花巻高村光太郎記念館 智恵子のエプロン復刻展示報道。
岩手レポート その1 トークイベント「光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」他。

それらの動きも一段落しましたので、まとめのような感じで書かせていただきました。

奥付画像を貼っておきます。ご入用の方、そちらまでご連絡下さい。頒価600円+税だそうです。
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現在、一昨年6月の第十八号まで公式サイトでPDFが公開されていますが。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 37 『高村光太郎選集 6 一九四五年-一九五六年 昭和二〇年-昭和三一年』増訂版

昭和57年(1981)3月20日 春秋社 吉本隆明・北川太一編
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目次
 書簡 昭和二〇の書簡
 詩  松庵寺 雪白く積めり
    暗愚小伝
     家
      土下座(憲法発布) ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費
      楠公銅像
     転調
      彫刻一途 パリ
     反逆
      親不孝 デカダン
     蟄居
      美に生きる おそろしい空虚
     二律背反
      協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
     炉辺
      報告(智恵子に) 山林
         わが詩を読みて人死に就けり
 評論 第四次元の願望
 随筆 玄米四合の問題 倉橋弥一さん 高祖保さんをしのぶ 水野葉舟君のこと
    逸見猶吉の死 尾形亀之助を思ふ 年越し 開墾
 評論 新薬師寺迷企羅像 夢殿救世観音像 法隆寺金堂釈迦三尊像
 詩  蒋先生に慙謝す 「ブランデンブルグ」 人体飢餓 東洋的新次元
 随筆 みちのく便り 一 みちのく便り 二 みちのく便り 三 みちのく便り 四
    詩について語らず――編集子への手紙 信親と鳴滝
 評伝 ミケランジエロ ブオナローテイ
 随筆 山の雪 山の春 山の人々 山の秋 人体について 美と真実の生活 美
 評論 日本詩歌の特質
     日本語の特質 詩形の短小 文語と口語 日本詩歌と押韻
     日本詩歌のリズムについて 自由詩
 随筆 雅歌
 評論 書の深淵 黄山谷について
 随筆 書についての漫談
 詩  智恵子抄その後
     元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白
    典型
 随筆 日本芸術院のことについて アトリエにて1
    父との関係 アトリエにて2・3・4 荻原守衛 アトリエにて5
    モデルいろいろ アトリエにて6・7 生命の創造 アトリエにて8
    焼失作品おぼえ書き アトリエにて9・10
 追補
  日記 昭和二〇年日記(一〇月一七~一二月三一日)
  詩  おれの詩 月にぬれた手 鈍牛の言葉 山荒れる
 解題1 高村光太郎と水野葉舟―その相互代位の関係 吉本隆明
 解題2 第六巻収録作品について 北川太一
 高村光太郎年譜 北川太一編
 作品名総索引
 月報 智恵子遺珠6
  書簡Ⅸ 長沼せん子宛5通 齋藤 新吉・せつ子宛 長沼せん子・斎 藤せつ子宛2通
  後記     
  高村智恵子略年譜

全6巻で刊行された『高村光太郎選集』最終回配本。初版は昭和45年(1970)でした。編年体の編集で、晩年の作品群が収められています。

初版の際には別巻として造型作品集『高村光太郎 造型』が刊行されましたが、増補版刊行時には別巻の増補刊行はありませんでした。

戦前のかなりマイナー(と思われる)雑誌の復刻版です。

復刻版『海の旅』全4巻

発行日 : 2026年5月20日
著者等 : 解説=荒山正彦(関西学院大学教授)
版 元 : 不二出版
定 価 : 112,000円+税

 ”海国日本!……我々日本人はもっと船に近づき船を知ることが肝要である。その第一歩として『海の旅』の普及に努めたい”――「本誌の使命」『海の旅』第2号(1924年12月)より
 近代日本の海上運輸や旅行、観光に関する貴重資料を復刻! 近海郵船株式会社によって1924年に創刊され、1929年に日本郵船株式会社との共同発行となりながら、1933年まで刊行された雑誌『海の旅』。近海とされるその範囲には、瀬戸内海や伊豆諸島・小笠原諸島航路のみならず、樺太、台湾、南洋諸島といった植民地や委任統治領、中国天津・青島航路が含まれ、帝国日本の交通網の中核を担うものであった。運行状況はもちろん、「海国日本」に対する人々の意識、戦前期の海上交通の実態を克明に描き出す。
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内容見本のPDFに、光太郎の名。
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当方が作成した光太郎の初出掲載誌一覧に『海の旅』は含まれていません。他紙誌からの転載でなければ、『高村光太郎全集』等にもれている新発見、あるいは『高村光太郎全集』で「初出掲載誌不明」となっているものということになります。「人々の船旅への思い」とあるので、おそらくエッセイだと推定されます。他に与謝野夫妻や吉屋信子の作品も掲載されているようです。

復刻の原本は、日本郵船歴史博物館さん、北海道大学附属図書館さん所蔵のもの。それでも「第1号(年月不明)および第2巻第2号(1927年2月)は欠号」とのことです。

『海の旅』、よく使う国会図書館さん、日本近代文学館さん、神奈川近代文学館さんに所蔵がないようですし、古書サイト「日本の古本屋」にも掲載がありません。全国の大学図書館の所蔵状況を調べられるサイト「CiNii」では、天理大学附属天理図書館さん、東京農業大学図書館さん、早稲田大学中央図書館さん、そして今回の原本を提供された北海道大学附属図書館さんがヒットしますが、欠号が多いようです。

やはり海運系の雑誌『海運報国』(日本海運報国団)が国会図書館さんに所蔵されており、10数年前にそちらで『高村光太郎全集』にもれていた光太郎のエッセイを3篇見つけました。そのうち、昭和17年(1942)10月の第2巻第10号に載った「海の思い出」というエッセイは、驚嘆すべき内容でした。主として明治39年(1906)~同42年(1909)の欧米留学中の体験が語られていましたが、それまで知られていなかったことがいろいろと明らかになりましたので。まず、日本からアメリカへの航海中のエピソード、それからアメリカからイギリスへ渡った船がタイタニック号と同じホワイトスター社のオーシャニック号だったこと、さらにイギリスから渡仏する際はニューヘヴンからディエップへの航路を使ったことなど。

『海の旅』にはどんな作品が載っているのか、国会図書館さんあたりで閲覧が可能になったところで調査に赴こうと思っております。

それにしても、この手のマイナーな雑誌の復刻、商業的には厳しいと思われますが実に意義のあることです。これまでもいろいろ助けられて来たから言うわけでもありませんが。ちなみに今回の版元の不二出版さんでは、やはり光太郎が寄稿していた与謝野夫妻主宰の『冬柏』なども復刻して下さっています。今後ともこの手の復刻を続けていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 36 『高村光太郎選集 5 一九四一年一二月-四五年 昭和一六年一二月-昭和二〇年』増訂版

昭和57年(1981)1月20日 春秋社 吉本隆明・北川太一編
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目次
 随筆 十二月八日の記
 評論 戦時下の美術家 戦時の文化
 対談 東亜新文化と美術の問題(川路柳虹)
 詩  大詔渙発 十二月八日 鮮明な冬 彼等を撃つ 新しき日に
 書簡 昭和一六、一七年の書簡
 随筆 子供の頃 某月某日 七月の言葉 一夏安居の弁
 詩  沈思せよ蒋先生 変貌する女性 夜を寝ざりし暁に書く 独居自炊 仕事場にて
    民国の民と兵とに与ふ
 評論 東大寺戒壇院四天王像 興福寺十大弟子 戒壇院の増長天 唐招提寺木彫如来像
    美の日本的源泉 照井瓔三著『国民詩と朗読法』序 朗読詩について
 随筆  与謝野晶子歌集「白桜集」序 希代の純粋詩人――萩原朔太郎追悼――
        あの頃――白秋の印象と思ひ出―― 詩魔佐藤惣之助氏 中原綾子歌集「刈株」序
        八木重吉詩集序
 評論 詩の深さ 詩と表現 詩精神と日常生活 詩の進展 言葉の美しさ 詩の本質
    戦争と詩
 詩  山道のをばさん 三十年 神とともにあり 少女よ 神これを欲したまふ
    覆滅彼にあり 寒夜読書 監視哨 あそこで斃れた友に 突端に立つ われらの死生
    「まつた」を知らず ビルマ独立 粛然たる天兵 救世観音を刻む人
    フイリツピン共和国独立 四人の学生 戦に徹す
 書簡 昭和一八~二〇年の書簡
 随筆 日本の母 人意以上のもの
 評論 某月某日
 随筆 乏しきに対す 人類清濁の分るるところ 卑俗との戦 厳たり古代のこころ
 評論 野間清六編「埴輪美」序
 随筆 ロダンの手記談話録
 評論 ドナテロ小感 関義訳ブルデル「ロダン」序 清水多嘉示著「巨匠ブルデル」序
 随筆 とびとびの感想
 評論 彫刻その他 美の中心 能の彫刻美 十大弟子 天平彫刻の技法について
 随筆 仕事はこれから 罹災の記 日本婦道の美 自信を以て起て 平常心を豊かに
 詩  陽春の賦 必勝の品性 美をすてず 保育 古代の如く たのしい少女
    黒潮は何が好き 南瓜賦 美しき落葉 力を知る 戦火 琉球決戦 一億の号泣
 随筆 回想録
 補遺
  随筆 美術学校時代 埃及彫刻の話
  日記 昭和二〇年日記
  書簡 椛沢ふみ子への書簡
 解題1 二題の回顧について 吉本隆明
 解題2 第五巻収録作品について 北川太一
 月報 智恵子遺珠5
  画室の冬
  書簡Ⅷ 長沼せん子宛三通 齋藤 新吉・せつ子宛二通 長沼修二宛
  斎藤新吉・せつ子・長沼せん子宛
後記    

編年体でさまざまなジャンルの作品を一冊に収めた全6巻の第5回配本で、初版は昭和43年(1968)。太平洋戦争開戦の昭和16年(1941)12月から終戦の同20年(1945)8月までの作品を収めてあります。

時期が時期だけに、全文筆を当たるとコテコテの翼賛詩文が多いのですが、そうでないものを中心にしています。それでも翼賛詩文も無かったことにはせず、重要と思われるものは網羅されています。

繰り返し書いていますが、一部の文学者の全集、選集の類では翼賛詩文はまったく無かったことにされたりし、しっかり書いていたにもかかわらず「反戦の視線を貫いた」と評されている者もいます。ちゃんちゃらおかしいと言わざるを得ません。

5月28日(木)、『朝日新聞』さんの長崎版に載った、元長崎原爆資料館長にして芥川賞作家の青来有一氏のエッセイです。

(信と偽のあいだ)日常、僕の前に未踏の山

000 どこから手をつけたらいいのかわからないで行き詰まる、そんな経験はだれにでもあるのではないかと思います。
 山の頂上は見えていながら登るルートがわからない、あるいは前人未踏の山でルートそのものを自分でつくりだしていかなければならない、そんな状況を思い浮かべたらイメージしやすいかもしれません。
 高村光太郎の『道程』の精神、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」という、その凜(りん)とした気魄(きはく)は尊いのですが、世の中の取り組みの多くは先人がつくった道を知っていれば効率的に解決もできるはずです。長い時間をかけて学ぶのもそのためで、常に創造的であることは難儀なことです。
 とはいっても、日々の暮らしのいたるところに小さな未踏の山は出現します。超えなければいけないのにどう辿(たど)ったらいいのかわからないで立ちすくむ、些末(さまつ)なことを含めたら、毎日、そのような事態に直面しているのではないかと思います。
 この春、ある本の解説を頼まれ、まとまった量の文章を書くことになりました。自分として以前からその作者もよく知っていて、その本を巡る様々な反響も理解しているつもりで、気楽に引き受けましたが、さあ、書こうとすると書けない。全集をめくり、図書館から関連の解説本も借りて傍らに積み上げ、国会図書館から古い文献の複写を取り寄せもしましたが、密集した枝葉や蔦(つた)や葛がまとわりついて藪(やぶ)で身動きができないような状況に陥り、うーんと唸(うな)って机に長くへばりついていました。夜は眠れないし、顔は青ざめ、それこそ遭難状態です。
 締め切りまでいよいよ残り少なくなり、なんとか最初の一文を書いたら後の文章はするするとでてきて、危ういところで脱したのでした。
 19年間、ひとり暮らしをしていた日々を思い出しました。外食は費用がかかり、栄養も偏るので自炊していたのですが、食事の準備は自分ひとりでも、毎日続くとなるとじわじわと重荷になってきます。
 今夜、なにを食べるか、頭が真っ白になってなにも思い浮かばない日もありました。今ならインターネットで検索したりもできるでしょうが、携帯電話も普及する前で、仕事帰りのバスでなにを食べるか、けっこう深刻に思い悩んでいる自分に気づいて苦笑しました。
 そんな時は市場やスーパーマーケットに飛び込み、あれこれ食材をながめていたら、手短で簡単にできるメニューが思い浮かぶのでした。
 0から1の飛躍が難しい。よく、そう感じます。1を数えたら2、3、4……と自然に続きますが、解決の糸口となる1がなかなか見いだせません。
 数学史では「0の発見」が大きな飛躍ですが、日々の暮らしは、実は小さな「1の発見」の連続ではないかとも思います。0と1の間の深淵(しんえん)をひょいと飛び越え、暮らしの中に出現する未踏の山々を登ったり、降りたりしているのが、私たちの日常のようです。


青来氏の連載エッセイ「信と疑のあいだ」。『朝日』さんの長崎版で月イチの掲載のようです。その後、1ヶ月遅れくらいで朝日さんが運営されている読書関連サイト「好書好日」内にアップされています。今回のものも今月中には出るのでしょう。
000
日々の暮らしの中でも「未踏の山」の連続。それがエベレスト級の物凄いものではないにせよ、今日という日と同じ日が再び訪れないかぎり、そうなのでしょう。自炊のメニューのお話、自分が独り暮らしをしていた頃を思い出してニヤニヤしてしまいました(笑)。

0から1への飛躍が難しい」「1を数えたら2、3、4……と自然に続」く、という件。物書きあるあるだな、と思って苦笑しながら読みました。当方は「3」とか「4」が先に思い浮かび、遡って「1」や「2」で帳尻を合わせることもしばしばですし、そうならないために常に「1」をストックしておこうともしています。

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」とばかり、クリエイティブに生きるのもなかなか難しいものだと、改めて実感させられました。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 35 『高村光太郎選集 4 一九三三-一九四一年 昭和八-昭和一六年』増訂版

昭和56年(1981)12月20日 春秋社 吉本隆明・北川太一編
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目次
 書簡 中原綾子への書簡
 詩  人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人
    或る日の記 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒
 短歌 昭和十三年(一九三八)ごろ
 随筆 智恵子の切抜絵 智恵子の半生 九十九里浜の初夏 某月某日Ⅰ(昭和一一年六月)
    某月某日Ⅱ(昭和一四年一月) 某月某日Ⅲ(昭和一四年四月)
    某月某日Ⅳ(昭和一四年九月) 某月某日Ⅴ(昭和一六年五月)
    コスモスの所持者宮沢賢治 宮沢賢治に就いて 与謝野先生を憶ふ
    八木重吉について 夭折を惜しむ――中原中也のこと 芭蕉寸言 新茶の幻想
    ヒウザン会とパンの会 本面について 揺籃の歌
 評論 一彫刻家の要求 画に於ける詩精神 写生の二面
 詩  寸言 ばけもの屋敷 村山槐多 鯉を彫る 荻原守衛 堅氷いたる よしきり鮫
    マント狒狒 象 森のゴリラ 潮を吹く鯨 北冥の魚 未曾有の時 吾が同胞
    芋銭先生景慕の詩 つゆの夜ふけに 蝉を彫る 雷電の夜 歩くうた 世界は美し
    青年 迎火
 随筆 小刀の味 九代目団十郎の首 こごみの味
 評論 美意識について
 随筆 蟻と遊ぶ
 評論 比例均衡
 随筆 手 
    身辺三題
     悠久山の一本欅 ほくろ 「こどもの報告」
 評論 書について
 随筆 詩の勉強 谷中の家
 評論 彫刻性について
 随筆 手形
 評論 仏画賛
 随筆 しやつくり病
 評論 木彫地紋の意義 ロダンの素描
 随筆 鷗外先生の「花子」 自作肖像漫談 自分と詩との関係 母のこと 三十年来の常用卓
   雷ぎらひ 蝉の美と造型 間違のこと
 評論 永遠の感覚
 随筆 姉のことなど 野菜の美
 評論 戦時、美を語る 美の健康性 彫刻家の場合
    奉祝展に因みて
     美術行政について 油絵の問題 彫刻寸言
 随筆 芸術政策の中心
 評論 芸術と国民生活 詩精神 芸術による国威宣揚
 随筆 中央協力会議の印象
 評論 ミケランジエロの彫刻写真に題す 彫刻に何を見る 美術館の事その他
 詩  秋風辞 夢に新農となる 老耼、道を行く 天日の下に黄をさらさう 地理の書
    群長訓練 事変二周年 君等に与ふ 銅像ミキイヰツツに寄す へんな貧
    源始にあり ほくち文化 最低にして最高の道
    無血開城(わが愛するフランスの為に) 太子筆を執りたまふ 強力の磊塊たれ
    事変はもう四年を越す 必死の時 危急の日に
 追補
  随筆 木彫ウソを作つた時
   父・光雲作の仏像
   某月某日Ⅵ(昭和一一年一一月)
  評論 羽仁五郎氏著『ミケルアンヂエロ』
   本邦肖像彫刻技法の推移
 解題1 崩壊の様式について 吉本隆明
 解題2 第四巻収録作品について 北川太一
 月報
  智恵子遺珠4
   現代日本の文学に対するアマチユアの注文と感想 貧しく、飾らず、単純であれ 
   暴力は臆病の変形 建設の根源は此処にあり 生き甲斐ある悩みを悩め 棄権
   書簡Ⅶ 長沼せん子宛 三通
 後記

初版は昭和42年(1967)。編年体でさまざまなジャンルの作品を一冊に収めた全6巻の第4回配本です。昭和8年(1933)から昭和16年(1941)ということで、智恵子の心の病の昂進そして死、世の中も日中戦争から太平洋戦争開戦と激動し、それにともなって光太郎も翼賛体制に自ら飛び込んでいく、大変革の時期です。連作詩「猛獣篇」が徐々に翼賛的になっていくさま、愚にもつかない翼賛詩群と「智恵子抄」所収の珠玉の詩篇が並行して書かれていた事実が重くのしかかります。

昨日も上京しておりました。文京区立森鷗外記念館特別展「近代文学でよむ文(ふみ)の京(みやこ)の坂と名所」の関連講演「文京から花開いた文学散歩―野田宇太郎と観潮楼を起点に」拝聴のためです。

展示自体は4月のうちに拝見。もう1度見ようかとも思ったのですが、昨日は家庭の事情でギリギリまで自宅兼事務所に居なければならなくなり、到着予定がほぼ開場の時間。それでも5分、10分の余裕がありましたので、会場近くの菊見せんべい総本店さんに寄り道。
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看板商品の一つ、正方形のせんべいをゲット。

明治8年(1875)創業だそうで、同16年(1883)生まれの光太郎が本郷区駒込林町155番地の実家と上野の東京美術学校とを往復していた通学路にあり、光太郎のエッセイ「私の青銅時代」(昭和29年=1954)にも登場します。
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やはり近くに住んでいた鷗外にも親しまれた、ということですが、鷗外関連の文献等でこちらに触れられたものがあるのかどうか、寡聞にして存じません。ご存じの方、ご教示いただければ幸いです。

さて、鷗外記念館さんに到着。
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明治25年(1892)から大正11年(1922)まで鷗外が住んだ「観潮楼」跡地にあり、ここで催された歌会に光太郎も参加(逃げ回っていて数える程しか顔を出しませんでしたが)した他、「軍服着せれば鷗外だ事件」(大正6年=1917)の際には光太郎は鷗外に呼び出されてネチネチと説教されました(笑)。

光太郎の方では鷗外を敬して遠ざける部分があり、鷗外の方では「しょうもないやつだ」と苦笑しながらも光太郎を認めていたようです。

東海大学さんの大木志門教授によるご講演「文京から花開いた文学散歩―野田宇太郎と観潮楼を起点に」は、開催中の企画展「近代文学でよむ文(ふみ)の京(みやこ)の坂と名所」が文京区内の文学散歩的な部分を前面に押し出していますので、「文学散歩」がキーワード。

文豪等の故地や先品の舞台などを巡る文学散歩は、既に戦前からそうした動きはあったものの、本格的になるのは戦後のことです。キーマンは野田宇太郎。光太郎とも交流のあった福岡出身の詩人・編集者です。野田は昭和26年(1951)から『日本読書新聞』に「新東京文学散歩」の連載を始め、早くも同年に単行本化されベストセラーに。さらに昭和36年(1961)からは雑誌『文学散歩』(雪華社)も主宰しました。
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野田の文学散歩への傾倒は、観潮楼がその起点である、というお話。観潮楼は昭和20年(1945)1月29日の空襲で灰燼に帰しましたが、翌年に野田自身が観潮楼跡地で武石弘三郎作の鷗外胸像(現在は森鷗外記念館蔵)が地元でも忘れ去られかけているのを目の当たりにし、「このままに放置すれば文豪鷗外の名はおろか文学さへ焼失するのではあるまいか」と危機感を抱いたことに始まるそうです。

ご講演レジュメの項目名のみ列挙します。
 ・「文学散歩」への再注目
 ・野田宇太郎(1909~1984)
 ・「文学散歩」ブームを作る
 ・「観潮楼」にはじまる
 ・観潮楼から広がる失われゆく「文学」への思い
 ・千駄木の高村光太郎アトリエ
 ・高村光太郎作品の中の千駄木
 ・『新東京文学散歩』の中の文京
 ・野田宇太郎の文京・文学散歩コース
 ・森川町の徳田秋聲宅の保存運動
 ・文学館運動への発展
 ・文学散歩の更新者・前田愛(1931-1987)
 ・鷗外『雁』の「無縁坂」
 ・土地の記憶を辿る「文学」
 ・徳田秋聲『縮図』(1941年)における白山の描写
 ・まとめ:「よりよく都市を生きる」知恵としての「文学散歩」

大木教授、徳田秋聲がご専門ですので、そちらのお話も。それから野田の文学散歩系についても近年、論考や再評価が為されているという点、野田の衣鉢を継ぐ前田愛の業績の紹介など。

近くに住んでいた光太郎についても触れて下さいました。ありがたし。「高村光太郎作品の中の千駄木」の項では、詩「丸善工場の女工達」(大正9年=1920)、同じく「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1946)、エッセイ「十二月八日の記」(昭和17年=1942)が取り上げられました。

その他、文京区内の東京都指定文化財や同じく指定旧跡系のお話も。徳田の旧宅も野田らの奔走、さらに文壇あげて声を出した結果保存され、「指定文化財」として残っているそうです。また、鷗外記念館さん自体も観潮楼跡地と言うことで、元の建造物が現存しない跡地であるにもかかわらず「指定旧跡」に選ばれています(これにも野田の関与)。他に近代文学系では「幸田露伴宅跡」「石川啄木終焉の地」なども。文京区さん、さすがに「文(ふみ)の京(みやこ)」と称するだけあって、そのあたりはしっかりしています。

光太郎終焉の地・中野の中西利雄アトリエ(ちなみに上記の雑誌『文学散歩』表紙絵は中西利雄の手になるものです)は保存運動の甲斐なく現地保存を断念、移築の方向で解体した部材を保管しているところですが、はっきり言って中野区はそうした部分への理解が全く欠けていると言わざるを得ません。まぁ、中野駅前の中野サンプラザに関する迷走ぶりで全国に醜態をさらしているところからもよくわかりますが。

やはり家庭の事情で終了5分程前に申し訳ありませんが退出させていただきました。田舎に住んでいますと、その5分の差で帰り着くのが1時間ずれます。

さて、特別展「近代文学でよむ文(ふみ)の京(みやこ)の坂と名所」、6月28日(日)までの開催です。まだ足を運ばれていない方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 34 『高村光太郎選集 3 一九二三-一九三三年 大正一二-昭和八年』増訂版

昭和56年(1981)11月20日 春秋社 吉本隆明・北川太一編
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目次
 評論 美の立場から(震災直後)
     一 「事実」の力 二 美の標準に拠る 三 最初の覚悟     四 夢――極東の田園都市
     五 出来ない相談 六 出来る相談
 随筆 母性のふところ 若い人へ
 随筆 短歌 工房よりⅡ(抄) 工房よりⅢ(抄) 工房よりⅣ(抄)
 随筆 顔
 翻訳 エブラハム リンカンの死(ウオルト ホヰツトマン)
    風を称ふ(エミイル ヹルハアラン) ミケランジユ(エミイル ヹルハアラン)
    私の部屋(エミイル ヹルハアラン) 一九一五年の春(エミイル ヹルハアラン)
    病院(エミイル ヹルハアラン) 葬式(エミイル ヹルハアラン)
 詩  清廉 月曜日のスケルツオ 白熊 氷上技戯 傷をなめる獅子 狂奔する牛 
    十大弟子 鯰 象の銀行 苛察 滑稽詩 夜の二人 聖ジヤンヌ 
    ミシエル オオクレエルを読む 雷獣 深夜 火星が出てゐる 偉大なるもの
    あなたはだんだんきれいになる 無題 懐ふ 二つの世界 怒 
    二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遇ふ エピグラム
    超現実派
     煩瑣派 卑近美派 新感覚派
    詩人 美を見る者 「詩」 母をおもふ その年私の十六が来た 北東の風、雨 昔話
    殺風景 偶作十五 或る墓碑銘 冬の言葉 ぼろぼろな駝鳥 
 短歌 千駄木町小学校附近 工房雑詠
 随筆 彫刻的なるもの 成瀬前日本女子大学校長の胸像を作りながら
    ロマン ロラン六十回の誕辰に アンケート 世界平和の日 私の好きな世界の人物
 訳詩 Ara Pacis(平和の祭壇)
 評論 楽聖をおもふ――ベートオヴエン百年忌を迎へて
 アンケート 新時代の女性に望む資格のいろいろ
 随筆 ルイ十六世所刑の図 人の首 雑記帳より パンの会の頃
 評伝 オオギユスト ロダン
  序にかへて 一、一個の全球 二、親ゆづり 三、善い姉さんと腹の出た家と
  四、始まり 五、実地修行 六、修道院 七、下働きと仕立女工 八、総決算と新時代
  九、苦境と愉楽と 十、振出しへ返る事 十一、自己の道
  十二、「歩む人」と「地獄の門」と 十三、胸像群
  十四、記念像群及「バルザツク」の彫刻的意義 十五、一九〇〇年以後
  十六、晩年、死、死 十七、「小さい花子」
 アンケート 余はかく詩を観ず 詩界に就て
 評伝 ホヰツトマンの事
  一、自然現象 二、先祖調べ 三、和蘭のしわざとクエイカア宗 四、母
  五、父、或る臆測
 随筆 近状 百三十五番地
 書簡 更級源蔵・真壁仁への書簡
 詩  当然事 なにがし九段 あどけない話 さういふ友 偶作二篇 無限軌道
    夏書十題(抄) (一生かかつて) 死ねば 無いからいい 一人づつが 同棲同類
    何をまだ指さしてゐるのだ 或る日(昭和三年九月二十八日) 焼けない心臓
    触知 存在 旅にやんで 街上比興 その詩 首の座 人生 或る筆記通話
    秋が来たんだ 激動するもの 或る親しき友の親しき言葉に答ふ 孤独が何で珍しい
    のんきな会話 刃物を研ぐ人 籠球スナツプ シヨツト “Die Welt ist scoen”
    のつぽの奴は黙つてゐる 耳で時報をきく夜 冷熱 南極 機械、否、然り 友よ
    一艘の船が二艘になること 似顔 不許士商入山門 美の監禁に手渡す者
    卓上の七月 検温 ゆつくり急がう レオン ドウベル 非ヨオロツパ的なる
    もう一つの自転するもの
 アンケート 断想――既成文壇の崩壊期に処す
 随筆 小父さんが溺れかけた話
 評論 触覚の世界 生きた言葉
 随筆 岸田劉生の死
 評論 詩そのもの 詩について 正と譎と
    七つの芸術
     一、絵画について 二、彫刻について 三、建築について 四、音楽について
     五、映画について 六、書について 七、詩について
    日本語の新らしい美を
 評伝 ヹルハアラン
 追補
  随筆 遙にも遠い冬 天 ヘルプの生活 岸田兄の死を悼む
 解題1 成熟について 吉本隆明
 解題2 第三巻収録作品について 北川太一

 月報 智恵子遺珠3
 哀憐な美しさを見ます 芝居好きの婦人と読書好きの婦人と ロダンを見遁がした恨み
 書簡Ⅵ 長沼啓助・禎子宛 病感雑記

初版は昭和42年(1967)。編年体でさまざまなジャンルの作品を一冊に収めた全6巻の第3回配本です。

新刊です

酒場・下宿・路地をめぐる46人の「やらかしと逸話」 文豪てくてく散歩

発行日 : 2026年5月29日
著者等 : 進士泰丸
版 元 : KADOKAWA
定 価 : 1,700円+税

さあ、地図を片手に、天才たちの「黒歴史」の現場を歩こう! 太宰治が愛した一杯を味わえるバーから、いわく付きの事故物件跡まで。天才たちの「黒歴史」の現場を歩ける文学散歩本が誕生!

太宰治が愛し、『人間失格』にも登場する“あの一杯”。梶井基次郎が「アナーキスト万歳!」と叫んだ、新橋駅のホーム。江戸川乱歩が商才ゼロで潰してしまった古本屋跡。46人の文豪たちの“やらかし”と“逸話”を軸に、笑いと哀愁が滲む132スポットを超充実収録。これを片手に街を歩けば、文豪がもっと好きになる!

【散歩できる物語】
『雁』森鴎外、『坊っちゃん』夏目漱石、『たけくらべ』樋口一葉、『ローマ字日記』石川啄木、『墨東綺譚』永井荷風、『神楽坂七不思議』泉鏡花、『破船』久米正雄、『細雪』谷崎潤一郎、『注文の多い料理店』宮沢賢治、『五重塔』幸田露伴…他多数

【登場する文豪たち】
芥川龍之介、有島武郎、宇野千代、江戸川乱歩、尾崎紅葉、梶井基次郎、川端康成、菊池寛、北原白秋、小林秀雄、坂口安吾、佐藤春夫、島崎藤村、高村光太郎、太宰治、坪内逍遙、徳田秋声、中原中也、平塚らいてう、三島由紀夫、宮本百合子、室生犀星、与謝野晶子…他多数

【本書掲載エリア】
本郷・神保町・神楽坂・早稲田・銀座・浅草・吉原・田端・谷中・根津・千駄木
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目次
 はじめに
 本郷
  東京大学 鉄門/育徳園心字池/樋口一葉旧居「桜木の宿」跡・法眞寺/カフェ銀時計/
  「燕楽軒」跡/「菊富士ホテル」跡/石川啄木・金田一京助旧居「赤心館」跡/
  徳田秋声旧居跡・終焉の地/石川啄木・金田一京助旧宅「蓋平館別荘」跡/
  樋口一葉菊坂旧居跡・旧伊勢屋質店/樋口一葉終焉の地/金田一京助旧居跡/
  坪内逍遥旧居・常盤会跡/宮沢賢治旧居跡/石川啄木旧居「喜之床」跡/
  梶井基次郎旧居「蓋平館支店」跡/「藤むら」跡/竹むら
 神保町
  神保町ブックセンター/「らんぼお」跡/神田 天麩羅 はちまき/文房堂/「錦輝館」跡
 神楽坂
  紀の善ビル/志満金/泉鏡花旧居跡・北原白秋旧居跡/助六/丸岡陶園/末よしビル/
  「常盤屋」跡/「魚徳」跡/神楽坂 小割烹 め乃惣/善國寺/「尾澤薬舗」跡/
  「紅谷」跡/「いろは」跡/「牛込亭」跡/赤城神社/芸術倶楽部跡・島村抱月終焉の地/

  圓福寺/尾崎紅葉旧居跡/泉鏡花旧居跡
 早稲田
  早稲田大学坪内博士記念演劇博物館/夏目漱石誕生の地/新宿区立漱石山房記念館/
  有島武郎旧居跡/坪内逍遥旧居跡/永井荷風旧居跡/小泉八雲旧居跡/
  三島由紀夫生誕の地
 銀座 
  新橋駅/末げん/中央区立泰明小学校/きよ田/「銀座よし田」跡/石川啄木碑/空也/
  スタイル社跡/銀座ウエスト本店/バー・ルパン/「カフェー・タイガー」跡/
  Book café&&Bar十誠/鳩居堂/木村屋總本店/煉瓦亭/はち巻岡田/
  ローマイヤレストラン/資生堂パーラー/カフェーパウリスタ/「はせ川」跡/竹葉亭/
  MATSUZAKISHOTEN/改造社ビル
 浅草
  等光寺/風流お好み焼 染太郎/久保田万太郎生誕の地/亀十/尾張屋/神谷バー/
  弁天山美家古寿司/梅園/中清/浅草フランス座演芸場東洋館/「オペラ館」跡/
  木馬亭/「浅草凌雲閣」跡/草津亭/「老松」跡/池波正太郎生誕の地
 吉原
  吉原弁財天/鷲神社/台東区立一葉記念館/千束稲荷神社/浄閑寺
 田端
  芥川龍之介旧居跡/「天然自笑軒」跡/「楽天堂医院」跡/
  平塚らいてう・奥村博史旧居跡/北区立童橋公園/田端文士村記念館/
  サトウハチロー旧居跡/そば処浅野屋/室生犀星旧居跡/大龍寺/
  堀辰雄下宿「紅葉館」跡/ポプラ坂/佐多稲子旧居跡/小林秀雄・田河水泡旧居跡/
  萩原朔太郎旧居跡/上田端八幡神社
 谷中・千駄木・根津
  羽二重団子/「天王寺五重塔」跡/谷中霊園/幸田露伴居宅跡/菊見せんべい総本店/
  団子坂/文京区立森鷗外記念館・森鷗外旧居「観潮楼」跡/佐藤春夫下宿跡/
  宮本百合子旧居跡/高村光太郎旧居跡/養源寺/「三人書房」跡/青鞜社発祥の地/
  藪下通り/森鷗外・夏目漱石旧居跡/根津神社/根津遊郭跡/喜久月/
  国立国会図書館国際子ども図書館
 COLUMN
  菊地寛暴行事件の顛末 芥川龍之介と文 平塚らいてうの『青鞜』誕生秘話
 春日ゆらの漫画でてくてく散歩!
  ①東京理科大学近代科学資料館に行ってみよう ②歌舞伎座と夏目漱石
  ③田端文士村で芥川龍之介旧居跡を探す
 文豪紹介
 おわりに

 参考文献

目次の通り、23区内の特にほぼ東半分、つまりはおおむね江戸府内だったエリアでの文学散歩ガイド的なものです。

現存する建造物等については現状の写真、「跡」となっているスポットは古写真などがふんだんに使われ、理解の手助けとなっています。また、目次では割愛されていますが、それぞれの場所に関わる「ミニコラム」、各スポットを舞台とした書籍の紹介なども細かく。

光太郎に関しては、「谷中・千駄木・根津」の章で旧駒込林町25番地(現・千駄木3丁目)の「高村光太郎旧居跡」が取り上げられ、そこに掲げられたミニコラム「高村光太郎と森鷗外の事件」で「軍服着せれば鷗外だ事件」が扱われている他、近くの「菊見せんべい総本店」の項でも光太郎の名が。

ただ「菊見せんべい総本店」さんの項では、勘違いもあるようです。第一に「高村光太郎は学生時代、菊見せんべいの店先で働く娘に一目惚れしちゃって毎日せんべいを買いに行ったという話がありますが、これはどうも根拠のない噂話のようです」とありますが、「一目惚れしちゃって」は光太郎によれば「根拠のない噂話」でなく事実です。

 塩せんべい屋は店先でせんべいを押し、刷毛で醤油を付けながら焼く。そこの娘がちゃんとしたきりっとした娘で、子供の時から店に出ていて私も知っていたが、美術学校に行く途中でその煎餅屋の前に来ると、私は顔が赤くなる。それが自分で分かる。何故か分からぬがそうなる。はじめは気がつかなかったけれど、毎日毎日そうなるので何だか恥ずかしくなってきた。店の処まで歩いてくると胸がどきどきして顔がほてって困った。しまいにはどうしてもその通りが通れなくなった。だから根津の方を遠回りして学校に行ったけれども、後で考えると、その娘に思し召しがあって、娘の顔を見ると顔がほてったのだと知った。むこうでも真っ赤になっていた。あれがむかしの純情な子供の気持ちなんだろう。(「私の青銅時代」昭和29年=1954)

思し召しがあって」は、「気になるところがあって」といった意味ですね。「毎日せんべいを買いに行った」とは書かれていません。そういう話が流布しているのだとしたら、そちらは「根拠のない噂話」と言えるでしょう。

第二に、「その娘さんの名前は「智恵子」だったといわれ、高村光太郎の代表作『智恵子抄』になぞらえてそんな与太話が生まれたようです」とも書かれています。これも決して「与太話」などではなく、菊見せんべいさんの店主氏の証言が残っています。地域雑誌『谷中根津千駄木』第9号(昭和61年=1986)に掲載されています。
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話を戻しますが、『文豪てくてく散歩』、「青鞜社発祥の地」に関わるコラム「平塚らいてうの『青鞜』誕生秘話」では、智恵子が『青鞜』創刊号表紙絵を描いたことが紹介されています。

全文は未読ですが、光太郎智恵子に関してはおそらく以上だと思われます。他にタイトルにある通り「46人の文豪」。なかなかの労作です。

ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 30 『高村光太郎集』日本の詩 第5巻

昭和53年(1978)10月25日 集英社 伊藤信吉編
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目次
 蝉を彫る<彫刻詩篇>
  五月のアトリエ 鉄を愛す 後庭のロダン 葱 鯰 金 首の座 刃物を研ぐ人
  鯉を彫る 孤坐 蝉を彫る 美しき落葉 十和田湖畔の裸像に与ふ 石くれの歌
 秋の祈<『道程』詩篇>
  失はれたるモナ・リザ 根付の国 食後の酒 寂寥 新緑の毒素 地上のモナ・リザ
  犬吠の太郎 さびしきみち 冬が来る 夜 冬が来た 道程 五月の土壌 秋の祈
 雨にうたるるカテドラル<人生的詩篇>
  わが家 小娘 丸善工場の女工達 雨にうたるるカテドラル クリスマスの夜 下駄
  落葉を浴びて立つ  少年を見る 新茶 冬の奴 母をおもふ 北東の風、雨 天文学の話
  平和時代 或る墓碑銘 冬の言葉 さういふ友 或る筆記通話 激動するもの
  孤独が何で珍らしい お化け屋敷の夜
 ぼろぼろな駝鳥<ヒューマニストの歌>
  白熊 苛察 雷獣 ぼろぼろな駝鳥 火星が出てゐる 花下仙人に遇ふ 上州湯桧曽風景
  上州川古「さくさん」風景 似顔 もう一つの自転するもの
 レモン哀歌<「智恵子抄」>
  郊外の人に 深夜の雪 人類の泉 晩餐 樹下の二人 夜の二人 あどけない話
  同棲同類 人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子
  山麓の二人 レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 松庵寺 若しも智恵子が
  元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内 あの頃
 青空<抒情小詩・エピグラム>
  泥七宝抄 とげとげなエピグラム抄
 典型<岩手の山小屋で>
  雪白く積めり 「ブランデンブルグ」 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ ヨタカ
  別天地 女医になつた少女 山の少女 山からの贈物 月にぬれた手 鈍牛の言葉
  一九五〇年 典型
 暗愚小伝<生涯の途>
  家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  反逆
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告(智恵子に) 山林
 高村光太郎・生命感の詩人 伊藤信吉
 年譜 北川太一

この手の光太郎選詩集を何冊も編んだ伊藤信吉ですので、既存のものとの区別のためもあるのでしょうか、作品配列に工夫が為されています。いきなり「彫刻詩篇」と題して彫刻家としての光太郎自身が謳われる詩篇をもってくるあたり。

昨日は上京しておりました。2日に分けてレポートいたします。

メインの目的が、吉祥寺の武蔵野商工会議所さんで開催された「第20回明星研究会 与謝野寛・晶子を偲ぶ会 「晶子短歌の全貌を見渡す~『みだれ髪』から『白桜集』まで」。
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明星研究会さんでは年2回、研究発表会を開催されていますが、1回はこの時期で、5月29日の与謝野晶子忌日・白桜忌に合わせての設定です。

会場での対面型と、Zoom使用によるオンライン開催でしたが、会場の方でも100名近く集まられたでしょうか。
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ご発表はお三方の歌人。それぞれが「明治」「大正」「昭和」を担当され、それぞれの時期の晶子短歌を中心に、さらに事蹟や社会情勢などを追ったものでした。

まず古谷円氏。演題は「明治の晶子、ほとばしる豊かな抒情『みだれ髪』~『青海波』」。
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晶子がはなばなしくデビューした明治期ですが、「恋」を一つのキーワードにその時期を。ただ、歌集の中で晶子が「恋」の語を多用したのは、実は明治期より大正期だったそうですが。また、かの『みだれ髪』についても、晶子自身、後になって「取るにたらないものだった」的な自作評をしていたというあたり、興味深いものでした。
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光太郎も第一詩集『道程』(大正3年=1914)については、同じようなことを語っています。

「道程」の構成がいはゆる詩集のやうでなくて、むしろ一つの雑綴のやうであるといふ 人もあるが、その通りである。当時私は世人のいふ詩集といふ特殊観念に鼻もちがならず、(詩集にガラスの宝石をちりばめるといつたやうな観念だ。)ただ製作順に自己の詩を並べて、注意深い読者におのつから筆者内面のエヴオリユウシヨンを見てもらはうとしたのである。それ故、装幀も無装飾、まるで違つたカテゴリイに属する詩篇も平気で並べたのである。お上品な、いはゆる詩人気質の好きな人は始から「道程」などを手に取らない方がいい。(「某月某日」昭和16年=1941)

ただ、ここにはある種の自負心は感じられますが。

続いて米川千嘉子氏が、「大正の晶子、人生にわたる浪漫『夏より秋へ』~『瑠璃光』」と題してのご発表。
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晶子というと「明治の歌人」というイメージがありますが、最も旺盛に執筆や出版を行っていたのが大正期ということで、さらに夫の寛との関係性の変化、生活上の苦労、明治期と異なる様々なモチーフ(滞欧体験、連作の試み、羈旅歌的な作他)や新たなジャンル(感想集、評論集、『源氏物語』訳、自由詩など)への挑戦といったお話。

智恵子の先輩にして『青鞜』主宰だった平塚らいてう等とのいわゆる「母性保護論争」などについても言及されました。

トリの松平盟子氏で、「昭和の晶子、その変節と不変『心の遠景』~『白桜集』」。
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昭和2年(1927)に与謝野家は荻窪に移り、同10年(1935)に寛、そして同17年(1942)に晶子が逝去。いわば晩年ですね。この頃になると晶子の作品発表先が、主宰していた雑誌『冬柏』は別として、『横浜貿易新報』などに限られていたというお話など。晶子自身も現場近くに居たという、関東軍による張作霖爆殺事件(昭和3年=1928)以後、満州事変(同6年=1931)、日中戦争(同12年=1937)と推移していく世情の中で、ある意味、かつての晶子スタイルの作は世の中にとって不要とされていくさまなど。

そして晶子も翼賛的歌文を書くように。松平氏、昭和9年(1934)の散文集『優勝者となれ』序文の一節を引かれていました。

 目前の日本は、国家としても、個人としても、破天荒の飛躍を断行しつつ、歴史を新しくする一大転機の中に動いてゐる。無用の旧憤、有害なる前例は之を破らねばならぬ。すべての人が各自の能力相応に日本の進転を円滑にする歯車の一つとして国民の本文を尽さねばならぬ。(略)この一大転機に歓呼して進む日本人は、もとより百難千苦の抵抗を前途に覚悟してゐる。

どこぞの大統領と会ってぴょんぴょん跳びはねた愚物が涙を流して有り難がるような文章ですね。

また、遡って昭和7年(1932)には、昭和とは思えないような文語定型の翼賛詩も発表しています。これは存じませんでした。
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昨年亡くなった晶子研究の泰斗・逸見久美氏はこのあたり、寛の代筆ではないかとおっしゃっていたそうです。さもありなん、ですね。

休憩を挟んで、最後に発表のお三方が揃ってご登壇なさり「まとめ 人生の歓喜も悲哀も詠み尽くすということ」。
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ちなみにスクリーンの下に写っている茶髪はシャンソン系歌手のモンデンモモさんです。2週間ぶりに会いました(笑)。荻窪の晶子顕彰団体・杉並与謝野晶子研究会さんに所属されているそうです。そういえば昨冬、当方が発表を仰せつかった「第19回 明星研究会シンポジウム 『明星』と美術~ 華麗にして心に響くカタチ」にもいらしていました。少し前から晶子短歌モチーフの曲を作られ、歌われているそうで。

関係の皆様のますますのご活躍、そして晶子研究のさらなら進展を祈念いたし、都内レポートその1、終わります。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 28 『日本の詩歌 10 高村光太郎』中公文庫

昭和49年(1974)9月10日 中央公論社 編集委員 伊藤信吉/伊藤整/井上靖/山本健吉
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 画室の夜 食後の酒 寂寥 声
  新緑の毒素 廃頽者より 髪を洗ふ女 なまけもの 手 地上のモナ・リザ 父の顔
  泥七宝 犬吠の太郎 さびしきみち 冬が来る 夜 狂者の詩 山 よろこびを告ぐ
  冬が来た 冬の詩 牛 道程 群集に 万物と共に踊る 五月の土壌 秋の祈 失走
  白昼の空気 あたり前 PRÉSENTATION  秒刻 マデル 豆腐屋
 道程以後
  わが家 花のひらくやうに 海はまろく 湯ぶねに一ぱい 晴れゆく空 無為の白日
  小娘 丸善工場の女工達 雨にうたるるカテドラル ラコツチイ マアチ 米久の晩餐
  クリスマスの夜 下駄 冬の送別 沙漠 落葉を浴びて立つ とげとげなエピグラム
  新茶
 猛獣篇
  清廉 白熊 傷をなめる獅子 狂奔する牛 鯰 象の銀行 苛察 ぼろぼろな駝鳥 竜
 猛獣篇時代
  聖ジヤンヌ 秋を待つ 火星が出てゐる 冬の奴 怒 花下仙人に遇ふ 母をおもふ
  その年私の十六が来た 詩人 偶作 平和時代 寸言 或る墓碑銘 冬の言葉 当然事
  さういふ友 あの音 夏書 焼けない心臓 街上比興 上州湯桧曽風景 或る筆記通話
  無題 激動するもの 上州川古「さくさん」風景 或る親しき友の親しき言葉に答ふ
  孤独が何で珍しい のつぽの奴は黙つてゐる 機械、否、然り 友よ 霧の中の決意
  非ヨオロツパ的なる もう一つの自転するもの ばけもの屋敷 お化け屋敷の夜
  つゆの夜ふけに
 造型篇
  五月のアトリエ 鉄を愛す 月曜日のスケルツオ 車中のロダン 後庭のロダン 葱
  美を見る者 最後の工程 首の座 刃物を研ぐ人 似顔 村山槐多 鯉を彫る 荻原守衛
  孤坐 蝉を彫る 十和田湖畔の裸像に与ふ 偶作
 独居自炊
  秋風辞 地理の書 銅像ミキイヰツツに寄す へんな貧 最低にして最高の道
  百合がにほふ 手紙に添へて 新緑の頃 氷上戯技 晴天に酔ふ 独居自炊 われらの道
  美しき落葉 石くれの歌 春駒
 智恵子抄
  人に 涙 おそれ からくりうた 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪
  人類の泉 人に 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 金 夜の二人
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者
  人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人
  レモン哀歌 亡き人に 梅酒 荒涼たる帰宅 うた六首 もしも智恵子が 元素智恵子
  メトロポオル 裸形 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 噴霧的な夢 松庵寺
  智恵子と遊ぶ
 典型
  雪白く積めり
  暗愚小伝
   家
    土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
   転調
    彫刻一途 パリ
   反逆
    親不孝 デカダン
   蟄居
    美に生きる おそろしい空虚
   二律背反
    協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
   炉辺
    報告 山林
  「ブランデンブルグ」  人体飢餓 悪婦 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型
  田園小詩
   山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地 ヨタカ
  女医になつた少女 山の少女 山のともだち 餓鬼 わが詩をよみて人死に就けり
 詩人の肖像 山本健吉
 鑑賞 伊藤信吉
 年譜 

刊行された単行詩集の配列をもとにした編集です。文庫本としては異例の多くの作品を掲載し、さらに一篇ごとに伊藤信吉による的確な解説文が附されています。残念ながら絶版ですが。

手持ちのものは平成3年(1991)の9版です。

学会のご案内です。

有島武郎研究会 第 79 回 全国大会(ハイブリッド開催) 特集『白樺』派と〈美術史〉の転回 -〈民藝〉と〈アナーキズム〉の視座から-

期 日 : 2026年6月6日(土)
会 場 : 二松学舎大学九段キャンパス4号館6階 4061教室 千代田区三番町6-16
      Zoomによるオンライン
時 間 : 12:40開会
料 金 : 無料

===プログラム===(総合司会)石井 花奈

12:40     開会の辞 佐藤晋(二松学舎大学学長)
12:50〜14:00 《研究発表》 
       武者小路実篤における戦後作品 ——原爆のあとの「真理先生」——鳥海菜緒
       〈分身〉の諸相 —有島武郎個人雑誌『泉』における小説表現の一側面
—阿部高裕
14:00〜14:20 休憩
14:20~17:00 《特集『白樺』派と<美術史>の転回 〈民藝〉と<アナーキズム>の視座から》
       (司会)村田裕和
14:25~15:40 【報告】 文士たちの黒耀会 足立元
           有島武郎のアナーキズムにつながる美術への視座 三田憲子
           柳宗悦における「社会美」とは何か—民藝運動と共同体をめぐって
— 梶谷崇
15:40〜16:00 休憩・質問募集
16:00〜17:00 【討議】
17:00      閉会の辞 梶谷崇(有島武郎研究会会長)
000
有島武郎と光太郎は、『白樺』を通じての交流がありましたし、有島の実弟・生馬と光太郎は留学仲間でもありました。むしろ武郎より生馬の方が光太郎に近かったと言えるでしょう。

光太郎と武郎とのつながりのうち最も有名なのが、大正12年(1912)に光太郎のブロンズ代表作「手」を武郎が入手した(戦後の光太郎日記では「有島武郎氏に進呈」と書かれています)こと。その際の武郎から光太郎宛の書簡が『有島武郎全集』に収められています。

今日は御制作「手」を態々お届け下さいまして難有う御座いました。拝見して驚きました。手といふものがあんな神秘的な姿を持つてゐるものだとは今まで心付きませんでした。あれは又一箇の群像でもありました。見てゐれば見てゐる程それは不思議です。明日は面会日ですから早速部屋にかざつて見る人を驚かさうと楽しんでゐます。「手」といふ題で感想を書いて見たいと思つてゐます。何しろ本当にありがたう御座いました。永く永く襲蔵して御厚情を記憶します。不取敢御礼迄。

余談ですが、この書簡、大正13年(1924)に叢文閣から最初に出た『有島武郎全集』では「手」を「牛」とするとんでもない誤植があります。冒頭部分が「今日は御制作「牛」を態々お届け下さいまして……」となっているのです。「まさかそれを真に受けて書いてるものは無いだろう」と思って調べたところ、残念ながらありました。しかも「牛」のイラスト入りで。頭を抱えてしまいました。
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頓珍漢ついでにもう1件。以前にも書きましたが、橋爪健というマイナーな作家が書いた『文壇残酷物語』(昭和39年=1964)という、有島や光太郎を含む数人の作家のゴシップ的な評伝集があります。そこに、「手」のモデルが自分の手だと有島が語った場面があり、以前はそれを真に受けて「「手」は有島の手がモデルである」と堂々と書いた修士論文だか博士論文だかがネット上で見られる状態でした。ネット上に出ていたということは、それが通ってしまったのでしょうね。

武郎書簡にある「「手」といふ題で感想を書いて見たい」は、武郎の個人誌『泉』の第2巻第4号(大正12年=1923)に発表された「手 (高村光太郎氏の製作にかかる左手のブロンズを見入りて)」という詩。
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結局、この直後に武郎は自裁してしまうわけなのですが……。

閑話休題。

今回の研究会のうち、美術史家の足立元氏によるご発表が「文士たちの黒耀会」。公式サイトに「発表要旨」が出ています。

 一九一九年末にアナキスト画家の望月桂を中心に結成された黒耀会は、革命と芸術の一致を目指し、美術、文学、音楽、演劇、社会運動など多彩な領域の者たちが参加した。その活動は、アンデパンダン形式の展覧会にとどまらず、演劇や音楽会にも展開した。本発表では、文学史に関する事柄を中心に、新たな資料群の発見によって現れたいくつもの謎や未解決の課題を整理する。そして、黒耀会を通して浮かび上がる、この時の文士(文学者)たちが振る舞った異例のあり方について考えてみたい。
 黒耀会の謎は、そこに参加した有名な文士たちが誰で、どのような絵や書を発表したのかである。有島武郎と加藤一夫については望月との合作がある。北原白秋の短冊も残る。望月の回想の他に裏付けはないが、中里介山、島崎藤村、高村光太郎も黒耀会展に参加していた。一九二一年の第三回黒耀会展は、民衆芸術展として開催したが、当時の記事によれば、武者小路実篤、与謝野鉄幹・晶子、長谷川如是閑らが出品していた。このように、黒耀会を通じて、当時の文壇とは別の文士たちのネットワークが浮かび上がる。当然それぞれの関わりに濃淡はあったにしても、アナキズムとの関わりにおいて当時の文学作品を捉え返すことも可能だろう。
 文士たちは、黒耀会展において、書や手書きの詩の短冊、あるいは画家との合作を並べていた。それは詩書画の一致という文人の理想像に重なるものであり、いわば近代の文士から近世の文人へと遡る振る舞いであったといえる。そのような意味で、当時の文士たちにとって黒耀会は新しくなかったし、むしろ自然で原初的な場だっただろう。だが今日から見るならば、黒耀会は、「文学」が活字の文字から解放され、パフォーマティブな総合芸術の一部となった先駆として評価することができる。

光太郎が東京美術学校で明治35年(1902)に彫刻科を卒業し、研究科に残ったあと、明治38年(1905)に入り直した西洋画科で同級生だった望月桂が、大杉栄らとともに立ち上げた「黒耀会」がメインで取り上げられます。足立氏、昨年、埼玉県東松山市の丸木美術館さんで開催され、現在、信州安曇野市の安曇野文書館さんで開催中の「望月桂 自由を扶くひと」展に深く関わられたようです。

高村光太郎も黒耀会展に参加していた」とありますが、『高村光太郎全集』別巻の年譜では大正10年(1921)の項に「十二月二十日~二十三日、神田駿河台倶楽部で開催された黒耀会第三回展覧会に、島崎藤村の書、有島武郎の写経などと共に、ブロンズの「手」を出品する。プロレタリア美術運動の初期を飾るこの会の中心だったのは、洋画科に再入学した時の同級生望月桂だった」とあります。

この「黒耀会」と光太郎の繋がりが、今一つ詳しくわかっていません。第一回展が大正9年(1920)4月に牛込築土八幡停留所前の骨董店で、第二回展は大正10年(1921)の11月24日(23日とする文献も)から5日間、京橋の星製薬(星新一の父・星一が社主)で開催されましたが、そちらには光太郎の出品はなかったようです。

大杉が関わっていたからでしょう、第二回展は官憲の介入があり、初日に警視庁の検閲係長、特高課長等が会場を封鎖して検閲、20点あまりの出品作が撤去されるという事件がありました。治安維持法が施行されるのはまだ先ですが、既にそれに近い措置は行われていたようです。

そしてすぐ行われた第三回展で、光太郎が「手」を出品したわけです。おそらくこの時の「手」が、のちに武郎に進呈されたのだと思われます。また、結局は断られましたが、やはり大正10年(1921)には大杉の義弟・近藤憲二の主宰する『労働運動』編集部に「手」を寄贈したいと申し出たことがあったそうです。のち、ゴリゴリの大政翼賛に転じる光太郎ですが、この頃はアナーキズム・プロレタリア系のシンパ的な立ち位置でした。
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武郎の死後、この「手」は武郎と親しかった秋田雨雀の手を経て、現在は竹橋の東京国立近代美術館さんに収蔵されています。

さて、その黒耀会がらみということで、ぜひ拝聴したかったのですが先約があり、うかがえません。可能な方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 26 『高村光太郎資料 第二集』全集補遺Ⅱ

昭和47年(1972)9月20日 文治堂書店 北川太一編
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目次
 書簡
  明治三十二年(一八九九)頃 明治三十三年(一九〇〇) 明治三十八年(一九〇五)
  明治三十九年(一九〇六) 明治四十年(一九〇七) 明治四十二年(一九〇九)
  明治四十三年(一九一〇) 大正元年(一九一二) 大正三年(一九一四)
  大正五年(一九一六) 大正九年(一九二〇) 大正十年(一九二一)
  大正十一年(一九二二) 大正十二年(一九二三) 大正十三年(一九二四)
  大正十四年(一九二五) 大正十五年・昭和元年(一九二六) 大正期年代不詳
  昭和二年(一九二七) 昭和三年(一九二八) 昭和五年(一九三〇)
  昭和六年(一九三一) 昭和八年(一九三三) 昭和九年(一九三四)
  昭和十年(一九三五) 昭和十二年(一九三七) 昭和十三年(一九三八)
  昭和十四年(一九三九) 昭和十五年(一九四〇) 昭和十六年(一九四一)
  昭和十八年(一九四二) 昭和十九年(一九四四) 昭和二十年(一九四五)
  昭和二十一年(一九四六) 昭和二十二年(一九四七) 昭和二十三年(一九四八)
  昭和二十四年(一九四九) 昭和二十五年(一九五〇)
  昭和二十六年(一九五一) 昭和二十七年(一九五二) 昭和二十八年(一九五三)
  昭和三十年(一九五五)
 書簡索引
 後記  

昭和33年(1958)に完結した第一次『高村光太郎全集』(筑摩書房)に漏れていた光太郎書簡の集成です。平成8年(1996)に刊行された増補版の『高村光太郎全集』第21巻にすべて収録され直すことになります。ただ、その後も600通ほどの書簡が見つかり続けています。つい最近もまた1通みつけました。

直接は光太郎智恵子等に関わらないでしょうが……。

第20回明星研究会 与謝野寛・晶子を偲ぶ会 「晶子短歌の全貌を見渡す~『みだれ髪』から『白桜集』まで」

期 日 : 2026年5月31日(日)
会 場 : 武蔵野商工会議所 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-10-7
      Zoom オンライン (定員100名)
時 間 : 14:00~16:30
料 金 : 2,000円
主 催 : 明星研究会
共 催 : 与謝野晶子倶楽部
協力・後援 : 国際啄木学会 落合直文顕彰会 日本現代詩歌文学館 平出修の会 
        劇団青年座

明星研究会の「与謝野寛・晶子を偲ぶ会」は、本年で20回を迎えます。それを記念して、晶子が生涯に詠んだ短歌を、23冊の詩歌集を中心に総合的に検証したいと思います。

晶子は明治・大正・昭和の3つの時代を生きました。それは近代と呼ばれる時空を心身に引き受けながら、内なる真実を追い求め、歌い続けることでもありました。恋にとどまらぬ多様なテーマを詠んだ晶子が、年齢・環境の変化をとおして成熟変貌していった経緯も見直したいところです。

今回は3人の歌人が迫ります。多くの皆さまのご参加をお待ちしています。

 ●プログラム●
 ①14:00~14:05 開会あいさつ
 ②14:05~14:45 
  講演「明治の晶子、ほとばしる豊かな抒情『みだれ髪』~『青海波』」古谷円
 ③14:45~15:25
  講演「大正の晶子、人生にわたる浪漫『夏より秋へ』~『瑠璃光』」米川千嘉子
 ④15:25~16:05
  講演「昭和の晶子、その変節と不変『心の遠景』~『白桜集』」松平盟子
 【休 憩】
 ⑤16:15~16:30
  まとめ「人生の歓喜も悲哀も詠み尽くすということ」古谷・米川・松平
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光太郎が『明星』出身ということで、明星研究会さんでは2度ほど発表もさせていただき、片足を突っ込んでいる状態です。事務局の仕事をやってくれ的なことも言われているのですが逃げ回っているところもあります(笑)。

今回は20回記念。「晶子が生涯に詠んだ短歌を、23冊の詩歌集を中心に総合的に検証」だそうです。

23冊中、『傑作歌選別輯高村光太郎与謝野晶子』(大正4年=1915)は2人の共著、また、『青海波』(明治45年=1912)の扉題字と扉絵、『白桜集』(昭和17年=1942)では光太郎が序文を担当しています。
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また、「23冊」に入っているかどうか不分明ですが、『晶子短歌全集 第三巻』(大正9年=1920)には挿画も。
007
それから「23冊」中では晶子が光太郎に触れた箇所、光太郎作品の引用や評釈なども実に数多く。今回のどなたかのお話に、そういったことが少しでも含まれれば、とは思っております。

Zoomでのオンライン参加も用意されています。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 22 『高村光太郎詩集』

昭和44年(1969)1月10日 白鳳社 高村光太郎著 浅野晃編
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目次
 人に 
さびしきみち 郊外の人に 冬の朝のめざめ 山 冬の詩 牛 僕等 道程 秋の祈
 わが家 丸善工場の女工達 雨にうたるるカテドラル 米久の晩餐 クリスマスの夜
 落葉を浴びて立つ 樹下の二人 鉄を愛す 春駒 白熊 傷をなめる獅子 車中のロダン
 無口な船長 後庭のロダン 葱 鯰 象の銀行 夜の二人 聖ジヤンヌ 火星が出てゐる
 あなたはだんだんきれいになる 二つに裂かれたベエトオフエン 花下仙人に遇ふ
 母をおもふ 冬の言葉 ぼろぼろな駝鳥 当然事 あどけない話 同棲同類 旅にやんで
 首の座 上州湯桧曽風景 或る親しき友の親しき言葉に答ふ 刃物を研ぐ人 南極
 風にのる智恵子 荻原守衛 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 晴天に酔ふ
 
手紙に添へて 潮を吹く鯨 地理の書 山麓の二人 レモン哀歌 芋銭先生景慕の詩
 亡き人に 銅像ミキイヰツツに寄す 冬 へんな貧 蝉を彫る 梅酒 山林
 
「ブランデンブルグ」 山口部落 クロツグミ ヨタカ 岩手の人 もしも智恵子が
 女医になつた少女 山の少女 山からの贈物 月にぬれた手 元素智恵子 メトロポオル
 典型 東北の秋 十和田湖畔の裸像に与ふ
 
詩人の生涯(神保光太郎)
 鑑賞ノート(鈴木亨)
 年譜
 索引

ほぼ編年体の構成。函入りの上製本(愛蔵版)と、白いカバーの並製本が存在します。手持ちのものは昭和49年(1974)の第6刷です。

昨日ご紹介した旺文社文庫の『高村光太郎詩集』と順番が前後していました。すみません。

明日以降何日間か、これから開催されるイベント等の紹介を致しますが、その前にそうした形で事前に紹介できず、終わってしまったものについて。記録のためにも紹介しておきます。

まず、4月18日(土)に新宿区の音楽の友ホールさんで開催された「バーゼル国際歌曲コンクール2026 ファイナル」。
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ピアノ、ヴァイオリン、声楽、フルート、ハープの5部門から成る「バーゼル国際音楽コンクール」の声楽部門で、国籍学籍不問、プロアマ不問、若手声楽家の登竜門的なもののようです。
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一次審査、二次審査はYouTubeだそうで、これも時代の流れかなと思いました。最近はそれが一般的なのでしょうか。ファイナルのみが会場審査で、4月18日(土)に音楽の友ホールさんで開催されました。

ちなみに審査員のお一人、テノールの樋口達哉氏は智恵子の故郷・二本松市のご出身で同市の観光大使も務められていて、故・湯浅譲二氏作曲の「二本松市民の歌」なども歌われていますし、平成31年(2019)に同市で開催された「2019全国さくらシンポジウムin二本松~ ほんとの空に さくら舞う ~」などにもご出演なさっていました。

本選では時間が割り当てられるのでしょう、12名の各出場者が3曲から5曲を歌って審査に臨んでいました。

で、結果が以下の通り。敬称略ですみません。

 第1位   Geng LI (LEE) バリトン  中国
 第2位   川出康平 Kohei KAWADE  テノール  日本
 第3位   三神祐太郎 Yutaro MIKAMI バリトン 日本 
     Jana CVETKOVIC メゾソプラノ セルビア
 第4位   Juhyung Kim  バリトン  韓国
 第5位   郭冬家 GUO Dongjia  テノール 中国
 第6位   Elena Xanthoudakis  ソプラノ  オーストラリア 
 聴衆賞  Jana CVETKOVIC メゾソプラノ  セルビア
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このうちみごと第2位に輝かれた川出康平氏、演奏曲目が以下の通りでした。

 ・R.Strauss:“Heimliche Aufforderung”(リヒャルト・シュトラウス:“密やかな誘い”)
 ・R.Strauss:“Morgen!”(リヒャルト・シュトラウス:“明日に!”)
 ・O.Respighi:“Nevicata”(レスピーギ:“雪”)
 ・別宮貞雄:歌曲集「智恵子抄」より“人に”

国際コンクールですので(そうでなくてもそうかもしれませんが)、外国曲が3曲、そして故・別宮貞雄氏の歌曲集「智恵子抄」から「人に」。まさか樋口氏と二本松の関係から印象をよくしようとして選曲したというようなセコい意図はなかったはずですが(笑)、その偶然に驚きました。

別宮氏の「智恵子抄」、テノールの紀野洋孝氏が積極的に取り上げられ、さまざまな機会で歌われたり、CDに組み入れたりされています。また、他の声楽家の方もぽつりぽつり、毎年のようにどこかしらで歌われている感じです。

事前に曲目がわかっていれば、ぜひ聴きに行きたいところでした。

惜しくもグランプリは逃された川出氏ですが、「プロフェッショナル歌曲賞」も受賞、さらに川出氏の伴奏を務められたピアノの吉本有佑氏は「伴奏者賞」でした。

今後のさらなるご活躍に期待いたしますし、別宮氏の「智恵子抄」もどんどん取り上げていただきたいものです。

もう1件。5月9日(土)に世田谷区の三茶しゃれなあどホールさんで「朗読とお話 宮静枝の詩に投影された高村光太郎の戦後」というイベントが開催されたとのことです。世田谷区さんの広報誌で事前に小さく紹介が出ていましたが、気づきませんでした。
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気づいたのは、デザイナーの宮白羊氏のX(旧ツイッター)投稿で、当日でした。
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「父」というのが、写真家のみやこうせい氏(本名・宮暠成氏)です。

イベント標題にある「宮静枝」がこうせい氏のお母さま。岩手江刺の出身で、昭和26年(1951)秋に、花巻郊外太田村の光太郎の山小屋を訪れ、その時の体験を元に、平成4年(1992)、『詩集 山荘 光太郎残影』を上梓、第33回晩翠賞に輝いています。同書はまるっと一冊、光太郎を語った詩集で、実に多くの啓示を与えてくれるものでした。
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昭和26年(1951)11月11日の光太郎日記。

盛岡より宮静枝さん、甥(千葉氏)の人と子供二人つれてくる、新小屋。ライカにて撮影いろいろ、宮さんにカーテンぬつてもらふ。

「子供二人」にこうせい氏も含まれていますし、「ライカにて撮影」された写真が『詩集 山荘 光太郎残影』に14葉掲載され、そこにはこうせい氏も写っています。
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おそらくこうせい氏、この日の出来事などを語られたのでしょう。また、他の方々が『詩集 山荘 光太郎残影』から朗読をなさったのだと思われます。

下記は同書の復刻版を扱っているユニコ舎さんのX(旧ツイッター)投稿。
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これも事前に知っていたら、万難を排して駆けつけたのですが……。

『詩集 山荘 光太郎残影』、ぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 10 『現代日本名詩選 道程・典型』

昭和28年(1953)3月10日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 道程
  一九一〇年
   失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
  一九一一年
   画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥 声 風
   新緑の毒素 廃頽者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏
   なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半
   けもの あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
  一九一二年
   青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾
   或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
   カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて
   師走十日 戦闘
  一九一三年
   人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た
   冬の詩 牛 僕等
  一九一四年
   道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
   五月の土壌 淫心 秋の祈
 典型
 序
 雪白く積めり 
 暗愚小伝
    家
   土下座 ちよんまげ 郡司大尉 日清戦争 御前彫刻 建艦費 楠公銅像
  転調
   彫刻一途 パリ
  反逆
   親不孝 デカダン
  蟄居
   美に生きる おそろしい空虚
  二律背反
   協力会議 真珠湾の日 ロマン ロラン 暗愚 終戦
  炉辺
   報告 山林
 「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 おれの詩 悪婦 山荒れる
 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型 
 田園小詩
  山菜ミヅ 山のひろば 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ クチバミ 別天地
  岩手の人 山からの贈物 この年 
 年譜
 解説 中山義秀

第一詩集『道程』(大正3年=1914)と、結局は生前最後の詩集となる『典型』(昭和25年=1950)を一冊にまとめたものです。

やはり光太郎の山小屋を訪れたこともある中山義秀の解説が秀逸です。

004「水タバコ」という嗜好品があるそうです。紙巻きタバコは数十年愛用していますが、寡聞にして詳しいことは存じませんでした。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、「中東で発展した喫煙具の一種」「シーシャ、水煙管(すいえんかん)、水ギセル(みずギセル)や水パイプ(みずパイプ)とも呼ばれ」るそうで、「欧米諸国でのブームを受けて日本でも水タバコが新たに注目を集めつつある」「2018年時点で、東京都内には200を超える水たばこ専門店がある」だそうです。

仕組みとしては、「火皿で燃えたタバコの煙を水にくぐらせ、濾過された煙を喫煙する。煙が水を通ることで冷やされ、やわらかい味わいになる」とのこと。物理や化学はお手上げの身としては、「煙が水を通る」というのがまずもって理解出来ませんが、「大型のものには吸い口が2本から4本とりつけられたものがあり、一包みのタバコを何人かで吸う。集まって車座になり、パイプをゆっくりと味わいながら喫茶や雑談をする生活様式に合わせられた喫煙具である」。また、「香りには果物からスパイス、花、コーヒー、ガムなど多くの種類がある。タバコ葉を原料としないノンニコチンフレーバーも登場した」。

そのあたりの説明を読んで、「ん? もしかしてあれがそれか?」と脳内で回路が繋がりました。ルーブル美術館蔵のウジェーヌ・ドラクロワ作「アルジェの女たち」(1834)。
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調べたらビンゴでした。アルジェリアは中東ではありませんが、そちらの方にも伝わっていたようです。別にドラクロワは好きでもないものの、なぜかこの絵は記憶にインプットされていました。

さて、先述の通り、この「水タバコ」、日本でも「水タバコを提供する場所(主に個人経営によるカフェバーなど)が首都圏や近畿圏では増えた」とのことで、京都の専門店の仕掛け。

【5-6月限定シーシャミックスメニューのお知らせ】

いつもご愛顧いただきありがとうございます。shisha cafe SUIREN KYOTOです。

【2026年6月末迄予定】
お待たせいたしました!期間中はスタッフより限定シーシャミックス3種(各¥3,200/シェア:¥4,700)をお届けします! ★別途+¥300にて一部ダークリーフ追加も可能です。

1.植物図鑑 by トキ
有川浩さんにも同じ名前の恋愛小説がありますね。すべての植物にも名前はあるとはいいますが、なんの植物のフレーバーが入っているか、是非探ってみてください。

2.レモン哀歌 不条理のそよ風  by 次郎
高村光太郎さんの妻、智恵子さんを詠ったレモン哀歌にちなみました。明るいようでどこか虚無的。
初夏のレモンに、優しく微笑む不条理をのせて。激しく抵抗するのではなく静かに受け入れるような余韻。哀しくも軽やかな一息をお楽しみください。

3.灰燼の王国 by りゅうき
スタッフりゅうき限定です。ダブルアップルの濃厚さとアイスのドライ、この2つが皆さんの喉を焼きに行きます。★ダークリーフ指定なので、上記価格+¥300〜です。

どうぞよろしくお願いします。

※詳細は、InstagramDM・X/旧TwitterDM、または営業時間内お電話にて承ります。お取り置きも可能です。
★お席の状況によりシーシャ提供後2時間制とさせていただく場合がございます。何卒ご了承くださいませ。
★お越しの際は、事前に来店時間・人数・フレーバーの指定(あれば)をご連絡いただけますと、スムーズにご案内できます。
並びにご不明点等ございました際も、お気軽にお尋ねください。
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shisha cafe SUIREN KYOTO(水たばこカフェ水蓮)さん、住所は京都市中京区大黒町42-1。京都市街中心部ですので「河原町三条」と言った方がわかりやすいかと思われます。金曜定休だそうです。
009
光太郎詩、特に「智恵子抄」系は、さまざまな美術、文学、音楽、舞台芸術、映像作品などの二次創作以外にも、そこからインスパイアされたシャレオツな紅茶カクテルソフトドリンク和菓子、それから飲食系でなくフレグランスなど、いろいろな商品等の元ネタとなっていますが、こういうのもありか、という感じでした。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 9 『高村光太郎選集 Ⅵ 随想 下』

昭和27年(1952)9月15日 中央公論社 高村光太郎著
6
6函 6扉 6奥付
目次
 1
  年越し 雪解けず 開墾 早春の山の花 季節のきびしさ 七月一日 ある夫人への返事
  夏の食事 みちのく便り 山の雪 山の人々 山の春
 2
  三陸廻り 雲と波 珈琲店より 出さずにしまつた手紙の一束 伊太利亜遍歴
 3
  与謝野先生を憶ふ 死んだ荻原守衛君 バアナアド・リイチのこと ヴアレリイに就て
  楽聖をおもふ 彫刻家ガツトソン・ボーグラム氏 宮澤賢治 八木重吉について
  逸見猶吉の死 尾形亀之助を思ふ
 4
  美の中心 天平彫刻の技法について カリカチュア 工房より 芸術を見る眼
  純一な芸術が欲しい 「夜明け前」雑感 琅玕洞より 一彫刻家の要求
  日本語の新しい美を 美の立場から 裸体画について 仏画賛 本面について
  上野の現代洋画彫刻 美術館の事その他
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  某月某日 七月の言葉 童謡・民謡・小唄 冬二題 触目いろいろ 間違のこと
  春さきの好物 雷ぎらひ しやつくり病 三十年来の常用卓 ほくろ 悠久山の一本欅
  蟻と遊ぶ 九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵
 月報 リーチと高村さん 今泉篤男 高村光太郎小品展より

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第6回配本で、これで完結です。第5巻の「随想 上」同様、評論とエッセイとが入り交じっています(どちらともつかないものもあるのですが)。編年体ではなく、おおむね内容による分類。第5巻には含まれなかった戦後の作品が入り、しかし明治期のものも収められています。

智恵子を主人公とした小説の新刊です。

尖(とんが)った山 高村智恵子と、同時代の人びと

発行日 : 2026年5月12日
著者等 : 入江いちろう
版 元 : 福島民報社
定 価 : 1,600円+税
コード : ISBN978-4-904834-74-9

「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。」

今年5月は、高村智恵子が生まれて140年目 智恵子抄で高名な高村智恵子は終生尖った人生を生きた その素顔に迫る書き下ろし小説

高村智恵子の生きた姿を、同時代の人々の証言(挿話)と本人の文章で描き、智恵子の実像に迫った掌編小説
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目次
 はじめに
 第一部 智恵子の人となり
  プロローグ
  第一章 長沼智恵子の写真 そして小畑ナツ
  第二章 挿話「智恵子の写真撮影」
  第三章 挿話「智恵子の交友録 宮澤トシ」
  第四章 挿話「智恵子の交友録 服部ミネ」
  第五章 病の智恵子 その言動
  第六章 病院での死
  第七章 智恵子の人となり 私見
  エピローグ
 第二部 智恵子と、同時代の人びと
  第一章 長沼今朝吉 そして、浅倉哲蔵
  第二章 高村光太郎 そして、古松茂藤治
  第三章 挿話「油井の人びと」
  第四章 明治病院百周年記念誌「百年のあゆみ」
  エピローグ
 あとがき
 おわりに
 参考文献
 追記


著者の入江氏から贈られたものです。版元は福島民報社さんですが、自費出版の扱いだそうで。だから、というわけでもないのでしょうが、同社の書籍サイトに掲載がありません(2年ほど更新もされていないようですが)。Amazonさんなどでも取り扱いがないようです。そこでこのブログで紹介して欲しいとのことでした。

『民報』さんに紹介の記事は載りました。

智恵子の生涯 小説に きょう 福大卒の入江さん出版

 福島市の福島大経済学部卒で、愛知県在住のパソコン関連会社社長、入江いちろうさん(74)は1日、小説「尖(とんが)った山 高村智恵子と、同時代の人びと」(福島民報社)を自費出版した。
 秋田県出身の入江さんは同大で学び、静岡県浜松市のヤマハ(旧日本楽器製造)に就職。定年退職後、会社を起業した。学生の頃から「智恵子抄」に興味があった。大学時代を過ごしたことや妻が福島市出身だったことで、福島に思い入れが強かった。智恵子の生涯を小説で描きたいと執筆を思い立った。
 本書は2部構成。1部は「智恵子の人となり」として智恵子の交友関係をひもとき、著者独自の視点で人物像に迫っている。2部は「智恵子と、同時代の人びと」。父の長沼今朝吉や夫の高村光太郎ら智恵子の関係者の生き方や実家「花霞酒造」の経営破綻など当時の資料を織り交ぜ、物語に仕上げた。
 入江さんは「今年は智恵子の生誕140年に当たる。彼女の功績や新たな魅力を知るきっかけになれば」と話している。
 A5判122ページ。1760円(税込み)。県内書店、福島民報販売店で取り扱っている。問い合わせは福島民報社事業局出版部(平日午前10時~午後5時)電話024(531)4182へ。


語り手的な主人公は入江氏ご自身が投影されているようですが、あくまで小説ですので、内容の大半はフィクションと思われます。

明治病院第一部に登場する「人びと」のうち、日本女子大学校において智恵子と同窓で、福島市の明治病院に嫁いだ幡ナツは、智恵子と浅からぬ縁がありました。女子大学校卒業後の明治42年(1909)、智恵子がそれまで住んでいた卒業生向けの寮が閉鎖され、ナツは自分も住んでいた駒込動坂の日本画家・夏目利政宅に智恵子も下宿できるよう手配してくれました。また、同45年(1912)、智恵子が太平洋画会展覧会に出品した油絵「雪の日」は福島の明治病院の庭を描いたと伝えられています。

本書の表紙は幡家の人々と撮った写真をモチーフにしたもので、貼り絵作家の小倉玲奈さんという方の作だそうです。写真自体は明治病院滞在時の明治45年(1912)はじめか前年暮れ頃に撮られたと推定されています。

そこで寮の件やこの写真を撮影した際のことなどが描かれています。そして語り手的な主人公の妻は、ナツの孫という設定です。

同じく第一部では、宮澤トシや服部ミネ。

トシは宮沢賢治の最愛の妹。「あめゆじゆとてちてけんじや」の人です。やはり日本女子大学校に学び、しかも家政科でしたから智恵子の後輩です。ただ、在学は大正4年(1915)~同8年(1919)で、明治40年(1907)に卒業した智恵子とはかぶっていません。小説では在学中のトシが光太郎智恵子夫妻の暮らす駒込林町のアトリエを訪れて、兄・賢治の作品の載った同人誌『アザリア』を読んでくれ、と光太郎に渡すという設定になっています。

服部ミネは、智恵子の油井小学校時代の恩師にして、一度教員になってから退職し、日本女子大学校に進学した服部マスの姪。智恵子はマスの影響もあって女子大学校に進みました。そしてミネ。特筆すべきは大正12年(1923)、関東大震災後のドサクサで、無政府主義者・大杉栄とその内縁の妻にして旧『青鞜』同人の伊藤野枝らを殺害した憲兵大尉・甘粕正彦の妻だったこと。小説では甘粕との結婚前に、ミネがマスに連れられてやはり駒込林町の光太郎智恵子の元を訪ねるという内容になっています。

このあたりはフィクションですが、そういうことが絶対に無かったとは言い切れない内容です。

第二部では、昭和4年(1929)の智恵子実家・長沼酒店の破産などが描かれています。福島の郷土資料等を詳しく調べられたようで、それを元にしています。この件についてはいろいろ裁判沙汰などもあり(後に智恵子の母・センと智恵子の妹夫婦が九十九里に移ったのも無関係ではありません)、関係者の子孫等が存命で、登場人物の名が実名でなく仮名になっている箇所があります(第一部でもそうでしたが)。このあたり、コンプライアンス的になかなか難しいのでしょう。

さて、福島県外で購入という場合、上記『民報』さん記事末尾の「問い合わせは福島民報社事業局出版部(平日午前10時~午後5時)電話024(531)4182へ」というところで電話注文も可能かも知れませんし、お住まいの地域の新刊書店さんに書名やISBNコード(ISBN978-4-904834-74-9)を伝えれば入手できるかと存じますのでよろしくお願いします。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 7 『高村光太郎選集 Ⅱ 詩 下』

昭和27年(1952)5月10日 中央公論社 高村光太郎著
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2 (2) 2扉 2奥付
目次
 樹下の二人 鉄を愛す Lululi とげとげなエピグラム 氷上戯技 偶作 七 珍客 清廉
 月曜日のスケルツオ 白熊 傷をなめる獅子 少年を見る 狂奔する牛 車中のロダン 葱
 後庭のロダン 象の銀行 十大弟子 苛察 聖ジヤンヌ 夜の二人 雷獣 冬の奴
 無口な船長 滑稽詩 マント狒狒 象 森のゴリラ 北冥の魚 潮を吹く鯨
 あなたはだんだんきれいになる 怒 偶作 四篇 母をおもふ 或る墓碑銘 北東の風、雨
 冬の言葉 ミシエル・オオクレエルを読む 火星が出てゐる 偉大なるもの 美を見るもの
 「詩」 龍 あどけない話 同棲同類 何をまだ指してゐるのだ 存在 旅にやんで その詩
 彼は語る 二つに裂かれたベエトオフェン 花下仙人に遇ふ 天文学の話 ぼろぼろな駝鳥
 当然事 無限軌道 街上比興 さういふ友 あの音 夏書二題 北島雪山 古事一則
 或る日(昭和三年九月二十八日) 人生 ひとり酸素を奪つて 焼けない心臓 或る筆記通話
 触知 上州湯桧曽風景 無題 上州川古「さくさん」風景 冬 無題 刃物を研ぐ人
 耳で時報をきく夜 冷熱 孤坐 美の監禁に手渡す者 似顔 のつぽの奴は黙つてゐる
 南極 蝉を彫る 非ヨオロッパ的なる レオン・ドウベル 先生山を見る 晴天に酔ふ
 首の座 人生遠視 風にのる智恵子 村山槐多 ばけもの屋敷 「藤島武二画集」に題す
 「悪魔の貞操」に題す もう一つの自転するもの 荻原守衛 千鳥と遊ぶ智恵子
 値ひがたき智恵子 よしきり鮫 夢に神農となる 老耼、道を行く
 一艘の船が二艘になること 地理の書 山麓の二人 団十郎像由来 手紙に添へて
 レモン哀歌 芋銭先生景慕の詩 つゆの夜ふけに 初夏言志 亡き人に
 銅像ミキイヰッツに寄す へんな貧 梅酒 最低にして最高の道 秋風をおもふ
 太子筆を執りたまふ 荒涼たる帰宅 青年 与謝野夫人晶子先生を弔ふ 三十年 寒夜読書
 救世観音を刻む人 南瓜賦 美しき落葉 雪白く積めり 山菜ミヅ 暗愚小伝 山のひろば
 「ブランデンブルグ」 脱卻の歌 人体飢餓 東洋的新次元 山口部落 かくしねんぶつ
 クロツグミ 別天地 おれの詩 悪婦 岩手の人 若しも智恵子が 山からの贈物
 滑稽詩 二篇
  Rilke Japonica etc. 赤トンボ
 山荒れる 月にぬれた手 鈍牛の言葉 典型 クチバミ 元素智恵子 メトロポオル 裸形
 案内 あの頃 吹雪の夜の独白 田植急調子 噴霧的な夢 女医になつた少女 東北の秋
 大地うるはし 人間拒否の上に立つ
 月報 個人として(下) 高田博厚 高村光太郎の彫刻 真壁仁 強靱積極の生活 池田克己

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第4回配本です。収録詩篇は大正12年(1923)の「樹下の二人」から昭和26年(1951)の「人間拒否の上に立つ」まで、概ね編年体です。

北鎌倉から句集が届きました。光太郎のすぐ下の妹・静子(しづ)が詠んだ句を集めたものです。静子令孫にして彼の地でカフェ兼ギャラリー「笛」を切り盛りなさっている山端加寿子様よりの贈り物です。ありがたし。

山端静子句抄 明月谷

発行日 : 2026年4月2日
著者等 : 山端静子 著 山端加寿子 撰 石黒敦彦 解説 薯版画/装幀 山室眞二
版 元 : シンジュサン工房
定 価 : 非売

目 次 :
 口絵 写真 山端家の庭にて 1951年(昭和26年)8月12日
    山端静子より高村光太郎宛書簡 昭和22年(1947)7月12日
 祖母・山端静子と過ごした日々 山端加寿子
 明月谷
 解説・谷の年代記 石黒敦彦
 薯版静子句抄

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静子(しづ)は光太郎の3歳下で、智恵子と同じ明治19年(1886)生まれ。髙村家次男たる道利と双子でした。
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左から道利、静子、光雲、光雲に抱かれている三男・豊周、そして光太郎。光太郎の上に姉が二人いましたが、いずれも早世しています。

静子は明治37年(1904)頃、印刷業などをしていた山端寅三と結婚、戦前は現在の幡ヶ谷あたりに居住、寅三は当時の豊多摩郡代々幡町議会議員なども務めました。ちなみに寅三は光太郎の義弟ということになりますが、明治11年(1878)の生まれで、同16年(1883)出生の光太郎より年長でした。

戦災の関係もあって、山端家は戦後の昭和22年(1947)、北鎌倉明月谷に移転、静子は昭和34年(1959)に亡くなるまで彼の地に暮らし続けました。その間に令孫・加寿子様がお生まれになっています。

静子は、北鎌倉移転後、鶴ヶ岡八幡宮に近い杉本寺の住職も勤めた僧侶にして俳人の尾崎迷堂に師事、本格的に句作に取り組むようになりました。迷堂は水原秋桜子の系譜に連なり、句誌『えから』『ぬなは』などを主宰していました。

その句会が山端邸で行われたこともあったようです。平野たまみ氏「俳人・尾崎迷堂の研究(二)――その生涯と事蹟を辿る――」(『愛媛国文と教育』第14・15合併号 昭和58年 愛媛大学教育学部国語国文学会)中の、昭和26年(1951)の項から。

 迷堂の還暦祝賀会は、八月十九日、鎌倉市明月院谷戸にある山端静子居で行われた。山端静子は、「えから」時代からの迷堂の門人である。高村光太郎の実妹である彼女は、迷堂庵にもよく出入りしているが、そこでの会話は、俳句の事以上に、兄や兄嫁智恵子の話が多かったらしい。
  帰り花智恵子のことも聞かせけり  迷堂(昭和三五・一二“悼山端静子さん”より)
からも伺う事ができる。


さて、『明月谷』。静子の句が100句近くまとめられています。昭和22年(1947)頃から亡くなった同34年(1959)までのもの。静子64歳から76歳となっています(若干、年齢の換算が合っていないような気がしますが)。「抄」と冠されていますので、選集的な。加寿子様の撰です。

彼の地の風物を思い起こさせ、しみじみとさせられる句、思わずくすりとさせられる句など、さまざまですが、全体にかなり自由闊達に詠まれています。寡聞にして存じませんが、師の尾崎迷堂がそうだったのでしょうか、季重なりなど気にしていない句も目立ちます。

昭和31年(1956)4月2日、実兄の光太郎が没しましたが、その折と思われる句も。

 雪を着て一輪椿落ちにけり
 あな悲し永久の別れの卯月とは
 悲しみを更に大裸像冴え返る
 玉の緒のたえて兄妹春永久に


「雪を着て」は光太郎の没した日が季節外れの春の大雪だったことにちなみます。「大裸像」はアトリエにその石膏原型が遺されていた光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。繰り返される「永久」の語はこの場合「とわ」と読むのでしょう。

他にも後年、光太郎忌日・連翹忌に題を採った句も。

 連翹や亡兄の好む黄の佳けれ

その他、夫の寅三が亡くなった際の句や、令孫・加寿子様を詠んだ句、上記の尾崎迷堂還暦句会の詠なども。

本文以外に、別刷り無綴じで、お近くにお住まいだという版画家の山室眞二氏の手になる薯版によるカード的な感じで8葉。上記「雪を着て……」の句も含まれていました。
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静子句の前後には、加寿子様による「祖母・山端静子と過ごした日々」、やはりお近くにお住まいで光太郎と交流の深かった詩人・尾崎喜八令孫の石黒敦彦氏による解説が附され、理解の手助けとなっています。

それらによれば、尾崎喜八がすぐ近所に引っ越してきたのは本当に偶然だったそうで、それも昭和41年(1966)。したがってこの地で喜八と静子が顔を合わせることはなかったそうです。また、「明月谷」のタイトルで分かる通り、山端家、尾崎家ともあじさい寺として有名な明月院さんと同じ谷戸ですが、そのアジサイは喜八の進言で植えられ始めたとのこと。それは存じませんでした。喜八の墓は明月院さんにあります(通常非公開)。また、やはりこの地で暮らし、光太郎と交流のあった詩人・伊藤海彦などとの縁についても。

同封されていたカフェ兼ギャラリー「笛」さんの案内フライヤー画像を載せておきます。毎年秋には光太郎・喜八展的な展示が為され、近年はその一環で朗読会も行われています。今年も予定に入っているようです。
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ご興味おありの方、ぜひ「笛」さんに足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)36 『光太郎智恵子』増補版

昭和43年(1968)1月5日 龍星閣 高村光太郎 高村智恵子著
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目次
 高村光太郎篇
  詩 散文
  書簡
   高村(長沼)智恵子 長沼今朝吉 長沼せん子 長沼せき子 長沼修二 齋藤せつ子
   柳八重子 水野葉舟 中原(曽我・小野)綾子 更級源蔵 秋廣あさ子 真壁仁
   宮崎稔 難波田龍起 富士正晴
 高村智恵子篇
  詩 散文
  書簡
   長沼御両親 長沼せん子 長沼修二 齋藤新吉 せつ子 柳八重子
 補遺


一昨日ご紹介した初版(昭和35年=1960)刊行後に発見された書簡9通が補われています。

昨日は都内に出ておりました。

メインは日本橋人形町で開催された講談の公演「一龍齋貞奈芸歴10周年記念講談会」でしたが、その前に文京区千駄木の区立森鷗外記念館さんでの特別展「近代文学でよむ文の京の坂と名所」を拝観しましたので、まずはそちらからレポートいたします。

6月6日(土)には本展監修に当たられている東海大学さんの大木志門教授による関連行事としてのご講演「文京から花開いた文学散歩―野田宇太郎と観潮楼を起点に」があり、申し込んでいるのですが、抽選に当たるかどうか分かりませんし、何より早く見ておきたいと考えまして、昨日お邪魔しました。

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明治24年(1891)から東京美術学校の教壇に立った鷗外。光太郎もその講義を聴き、卒業後も交流は続きました。光太郎はこの場所にあった鷗外自邸の観潮楼での歌会に参加したこともありますし、それから大正6年(1917)には酔ったはずみで鷗外の悪口を披瀝(光太郎は否定していますが)、それを聞きつけた鷗外にここに呼び出され、こっぴどく怒られました。呼び出される直前に光太郎が送った釈明の書簡が新たに出て来て、同館で令和4年(2022)に開催された特別展「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」で展示されたこともありました。

そんなこともありつつも鷗外は光太郎の才を買い、明治42年(1909)の光太郎の徴兵検査では手心を加え(鷗外は軍医総監でしたので)、徴兵免除にしてやっています。光太郎の父・光雲が裏で手を回したようですが。

エントランスでは鷗外先生がお出迎え。地下展示室のホワイエでも。
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光太郎の魂を背負って歩いていると自負する当方としては、自身が怒られているようで思わず「すみません」と心の中で謝ってしまいます(笑)。

右上はオンラインゲーム「文豪とアルケミスト」中の鷗外。配信元のDMM GAMESさんとのタイアップ企画で、他にも光太郎、鷗外、室生犀星、江戸川乱歩の等身大パネルも門番のように佇んでいます。
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中央は武石弘三郎作の鷗外像。

さて、展示を拝見。

最近、ちょっとしたブーム(これも「文豪とアルケミスト」などの影響があるようですが)の文学散歩的な要素を前面に押し出し、文京区内の「坂」と「名所」を古写真や錦絵などを使って紹介し、そこを題材とした近代文学作品の一節をパネルに印刷、掲載誌なども並べるという構成です。

「坂」は、この場所である団子坂をはじめ、無縁坂、切通坂、富坂、庚申坂、切支丹坂。「名所」は根津神社、東京帝大、森川町、湯島天神、本郷三丁目、お茶の水、江戸川(神田川)、砲兵工廠、牛天神、蒟蒻閻魔、伝通院、護国寺、小石川植物園、吉祥寺、そしてこの場所・千駄木。

その作品の一節等が使われたのは、鷗外を筆頭に、石川啄木、泉鏡花、江戸川乱歩、尾崎紅葉、川端康成、北原白秋、幸田露伴、佐藤春夫、志賀直哉、島崎藤村、高浜虚子、谷崎潤一郎、田山花袋、寺田寅彦、徳田秋声、徳永直、永井荷風、中野重治、夏目漱石、野上弥生子、樋口一葉、二葉亭四迷、正宗白鳥、宮本百合子、武者小路実篤、室生犀星、森田草平、横光利一、吉井勇、吉屋信子、若山牧水、そして我らが光太郎。かなりの人数です。文京区おそるべし、と思いました。

しかしこれ以外にも、文京ゆかりの文人はまだまだいます。思いつくまま挙げてみれば、犀星との関係で萩原朔太郎もこのあたりを訪れていますし、大正10年(1921)には国柱会がらみで宮沢賢治が本郷菊坂に居住、平塚らいてう(森田草平の『煤煙』で少し紹介されましたが)は駒込曙町で育ち、観潮楼のすぐ近くで『青鞜』を創刊しました。さらに当会の祖・草野心平は光太郎アトリエ兼住居にいりびたって時にはゲロを吐いて酔いつぶれたり(笑)……。他にも坪内逍遥、中里介山、林芙美子あたりも足跡を残しているはず。まぁ、「坂」や「名所」に関する紹介すべき適当な文章が見つからないというようなこともあるのかもしれませんし、きりがないということにもなるかもとも思いました。

光太郎については、主に3ヶ所。

まずアトリエ兼住居のあった千駄木の項で、詩「平和時代」。初出の『文藝春秋』第6巻第1号(昭和3年=1928)で掲載ページを開いての展示でした。
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   平和時代

 冬の夕方そとを歩くと、
 あの妙につやのある銀盤性の空に、
 もう星がぱらぱらと見えかかり、
 下界では何処ともなくどんよりただよふ
 青やかな焚火のけむりの薄靄が、
 路の隙間といふ隙間を埋めてゐる。
 電燈の球がだいだい色に色めく頃には、
 駒込千駄木林町に、
 ちよつと人通りが途絶えるものだ。
 さういふ時こそ、002
 通りすがりの垣根ごしに、
 ふつと鋤焼のにほひがしたり、
 又少しゆくと、往来のまんなかに、
 一塩らしいさんまの匂が流れて来たり、
 そこらの下水から石鹸(シヤボン)くさい湯気が立つてゐたり、
 いろんな親密な生活にめぐり合ふ。
 つきあたると坂になるから、
 あの上から又下町の灯を見て来ようとつい思ふ。

 平和な間にこそ可憐な姿は見て置かうと。

最終行「平和な間にこそ……」は草稿では抹消されています。

当時の千駄木界隈の様子がよくあらわされています。この十数年後には米軍による空襲でこの一帯は火の海となり、光太郎アトリエ兼住居も、鷗外の観潮楼も烏有に帰すことになるのですが。

同じく千駄木の項で、随筆「美術学校時代」から。

僕の住居は矢張り今の林町だつたが、まだあの辺一帯は田畑や竹藪で道の両側は孟宗竹が密生してゐた。(略)学校にも近いので都合はよかつたが、あの団子坂などが昔は随分と急な坂で人力車などは上ることが出来なかつた。やうやく上つても今度は下りる時には止まらない。命がけで上つたり下りたりするような坂であつた。下の谷中道の両側はずつと田圃になつてをり、山岡鉄舟の全生庵等があつた。毎年秋になると団子坂は菊人形で賑はつた。森鷗外先生はその頃から団子坂上の藪下といふ所に居られて馬に跨つて通つて居られるのを見かけた。

ちなみに「美術学校時代」、『高村光太郎全集』完結時には初出掲載誌不明でしたが、昭和17年(1942)の雑誌『知性』第5巻第9号が初出と判明しています。展示はこの文章の載った光太郎随筆集『某月某日』(昭和18年=1943)でした。

それから明治37年(1904)の美校在学中の日記「彫塑雑記」の一節。

昨夕加藤景雲氏に誘はれて約束したる通り朝八時加藤氏と二人新小金井の名ある江戸川ぶちなる花をながめて観世の月並能を見にゆく。

加藤景雲は光雲高弟の一人、「江戸川」は現在の神田川です。

他にも解説パネルに光太郎の名が数ヶ所。それから、二つある展示室をつなぐ通路には、光太郎を含め、上記の今回取り上げられた30名ほどの肖像写真と略歴。同じものは図録にも載っていました。閉口したのは光太郎の項の最後に「同(明治)42年には駒込動坂町に住んだ」とあったこと。大間違いです。そのような事実はありません。

どうも智恵子と混同してしまったようです。智恵子はそれ以前に入居していた日本女子大学校の卒業生用の楓寮が閉鎖となり、同郷で同窓だった幡ナツが、自分も下宿していた日本画家の夏目利政宅に智恵子が住めるよう計らってくれました。その夏目家が動坂町でした。

来館者アンケートに上記の件を書いて専用ポストに入れておきましたが、図録はともかくパネルは訂正されるかどうか……というところです。無地の白いシールでも貼って抹消していただきたいのですが。

図録がこちら。
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60ページほどで、あまり厚くもなくコンパクトにまとまっていて、価格も880円と良心的です。

展示品の図版以外にも、監修に当たられた東海大学さんの大木志門教授の玉稿、見開きで綴じ込まれた紹介されている「坂」「名所」のマップなど、なかなかのものです。

拝観後、展示でも紹介されていた根津神社さんまで足を伸ばしました。
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「文京つつじまつり」が開催中(今日まで)で、たくさんの出店(でみせ)が。ただ、花の見頃はもう過ぎてしまっている感じでした。
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こちらには、観潮楼以前に鷗外が暮らした家屋が移築され、「舞姫の家」として公開されています。
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元はホテルが所有、泊まれるプランなどもありましたがホテルが廃業。移転に関してはいろいろすったもんだがあったようですが、とにもかくにも残されたのは良かったと思います。

当方も関わっている光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエは残念ながら現地保存は成らず、マンション建設のため解体されました。
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しかし消滅というわけではなく、部材は保管、「舞姫の家」同様、移築という方向で動いているところです。いずれよい報告ができることを願って已みません。

この後、日本橋人形町へ。続きは明日。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)34 『光太郎智恵子』

昭和35年(1960)8月31日 龍星閣 高村光太郎 高村智恵子著
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目次

 高村光太郎篇
  詩 散文
  書簡
   高村(長沼)智恵子 長沼今朝吉 長沼せん子 長沼せき子 長沼修二 齋藤せつ子
   柳八重子 水野葉舟 中原(曽我・小野)綾子 更級源蔵 秋廣あさ子 真壁仁
   宮崎稔 難波田龍起 富士正晴
 高村智恵子篇
  詩 散文
  書簡
   長沼御両親 長沼せん子 長沼修二 齋藤新吉 せつ子 柳八重子

「本人著作(部分)」の項、光太郎が没した昭和31年(1956)までのものとするつもりでおりましたが、この書籍のみは別格で例外とします。

『智恵子抄』『智恵子抄その後』の版元の龍星閣で、それらの補遺というか裏面史というか、そういう意図で編みました。主に光太郎智恵子から諸方に送られた書簡がメインです。上記目次の名前はその宛先です。光太郎智恵子への来翰ではありません。



光太郎にちらっと言及されている新刊書籍を2冊。

刊行順に、まず小説家の五木寛之氏と元外交官・佐藤優氏の対談です。

一寸先は闇

発行日 : 2026年3月25日
著者等 : 五木寛之 佐藤優
版 元 : 幻冬舎(幻冬舎新書)
定 価 : 940円+税

2025年12月25日——昭和が始まって100年目となった。「激動の昭和」といわれながらも戦後はどこか無自覚な平和(=戦争のない状態)が80年続いた。が、今やルールとパラダイムは完全に変わった。世界情勢は予測不能となり、かつ瞬時に変貌するのだ。その中で、変わらぬもの、変わるべきものは何か。民衆大衆の地から「虫の目」で見上げる五木寛之氏と、歴史を俯瞰する「鳥の目」を持つ佐藤優氏が、縦横無尽に語り合う。とくに「昭和の最初の20年」を追体験でき、日本の限界を知る寄る辺となる多面的歴史篇。希望と激励の書。
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目次
 まえがき
 第一部 戦争と歌
  時代を読み取る「動体視力」
  戦時の社会は秩序正しく引き締まる
  国家と国民の「一体感」があった戦前・戦中
  少年飛行兵や少年戦車兵への憧れ
  強制ではないボランティアとしての「翼賛」
  「民草の平等」が実感できた戦中の社会
  暴力も食事も平等に与えられた軍隊
  「歌」がもたらした一体感
  明治維新は歌と共にやって来た
  人間を高揚させる歌のない時代
  戦後の学生運動にも「歌」があった
  演歌は未組織労働者の『インターナショナル』
  歴史から見落とされてきた「勤労学生」
  音楽フェスティバルを好むプーチン大統領
  歌は時代を映し出す鏡
  マッチングアプリと性的プロレタリアート
  投資や起業が流行り、労働者の誇りは失われた
  新自由主義ですべてが「ビジネス」に
 第二部 知識人の役割
  二・二六事件より黒豹脱走と阿部定事件が注目された戦前
  庶民が切迫感を抱いたのは空襲が始まってから
  軍国主義に便乗した戦中のインテリ
  戦前、戦中、戦後を通してベストセラーを出した田邊元
  西田幾多郎と京都学派
  軽井沢と箱根に移住したエリートは信用できない
  「戦陣訓」に関与した徳富蘇峰と島崎藤村
  西洋思想に抵抗した知識人が大東亜戦争を「聖戦」にした
  京都学派とハイデガー
  沈黙すべきときには沈黙する
  ソ連文学の名作
  内村剛介と瀬島龍三
  日本ペンクラブの果たすべき役割
  問答無用の「論破」が言論を荒らす
  ポストモダニズムと新自由主義
 第三部 沖縄という“外部”領域
  14歳で沖縄戦を経験した母親
  自決のために渡された手榴弾
  「国に騙されないために高等教育を受けろ」
  親に「公務員だけはダメだ」といわれたが
  ソ連で経験した「アウトサイダー」の世界
  なぜ盛岡で冷麺、宇都宮で餃子なのか
  沖縄返還の日に見た「黒い日の丸」
  満州のハルビン学院と上海の同文書院
  政治的差別だけが残った沖縄
  「寺」のない沖縄の宗教
  琉球人を日本人とは「別民族」としたアメリカの報告書
  日本の「5・7・5」、沖縄の「8・8・8・6」
  安室奈美恵と翁長雄志
  沖縄から直木賞が出ない理由とは
  壊れかけた壺から光を取り出す
 第四部 共同幻想の瓦解
  戦前と戦後をつなぐ「満州」
  シンボル不在の平成・令和
  次の1万円札の肖像は大谷翔平?
  平成以降に大きく変わったジェンダー問題
  粗野で下品な国際政治
  アメリカ幻想は完全に崩壊した
  アメリカに依存した「戦後の昭和物語」の終焉
  ウクライナで撤去されるプーシキン像
  楽観に逃げず「一寸先は闇」を覚悟する
  徴兵制の復活もあり得る
  いまの日本は「新しい戦中」への瀬戸際
  日本の潜在能力を生かすも殺すも教育次第
  よくできていた旧日本軍のマニュアル
  「暴走する正義」の恐ろしさ
  すでに「昭和」は消えた
  個人の自己喪失感がファシズムを生む
 あとがき


昭和7年(1932)のお生まれで、ほぼ「昭和」全体を生き抜いてこられた五木氏と、昭和35年(1960)のお生まれの佐藤氏の対談。佐藤氏による「まえがき」は今年の2月19日(木)付になっており、対談自体はその少し前、昨年中だったのでしょう。「まえがき」では2月の衆議院選挙にも触れられていますが、その後の高市政権、首相個人による数々の暴走や迷走、タガの外れた状態や茶番劇、それらに対するデモの勃興、おさまらない物価高騰など国民生活の混乱等については言及されていません。また、国際情勢にも言及があり、ウクライナ問題などは俎上に乗せられていますが、2月末からのアメリカのイラン攻撃には間に合わなかったようです。

「一寸先は闇」というタイトルがそれらを予言しているかのようではあります。その意味では、現在の状況を踏まえてまた続編を出していただきたいところです。もっとも、やはり「一寸先は闇」。1ヶ月後にどんな状況になっているのか予想もつきませんが……。

それにしても色々な部分で示唆に富む書です。

特に終戦時に13歳だった五木氏の戦争体験など。思うに現役の文学者で戦前、戦時中を直接語れる方はもうほとんど残っていないのではないでしょうか。その意味でも、五木氏にはまだまだ頑張っていただかねばならないと思います。

光太郎については、「第一部 戦争と歌」中の「強制ではないボランティアとしての「翼賛」」という項で。昨秋刊行された氏のエッセイ集『昭和の夢は夜ひらく』でもそうでしたが、昭和15年(1940)に光太郎が作詞し、飯田信夫が作曲、徳山璉(たまき)の歌唱でそこそこヒットした歩くうた」について語られています。

佐藤  五木さんのお話をうかがっていると、やはり戦中のリアルな世情は当時のことを知る人から聞く必要があると痛感します。いまの映画やテレビドラマなどでは、庶民はみんな戦争を嫌がっていたかのように描かれますが、決してそんなことはなかった。

五木  そうです。僕たち子どもだけではなく、自分の父親を含めて周囲の大人たちもそうでした。もちろん反戦運動などをやって獄舎(ごくしゃ)につながれた人たちもいたでしょうが、それはごく一部の存在だったでしょうし、そんな話は僕らの目に届くところには出てきません。ですから、子どものころは反戦的な考え方が世の中にあることも、意識しませんでした。
 なにしろ、高村光太郎(1883年~1956年)のような詩人さえ翼賛的(よくさんてき)な歌をつくった時代でしたからね。当時の高村光太郎は、戦後でいうなら谷川俊太郎(1931年~2024年)みたいな存在です。誰もが愛し尊敬する国民詩人ですから、みんな感動しますよ。
 とくに忘れられないのは、高村光太郎が作詞した『歩くうた』(1941年)という歌です。「歩け歩け南へ北へ、歩け歩け東へ西へ」とくり返すだけなんだけど、僕らはそれを口ずさみながら戦意を高揚(こうよう)させていたわけです。

「戦後でいうなら谷川俊太郎(1931年~2024年)みたいな存在」はちょっと持ち上げすぎのように感じますが……。

もう1冊。こちらは小説です。

ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅴ~扉子と謎めく夏~

発行日 : 2026年4月25日
著者等 : 三上延
版 元 : KADOKAWA(メディアワークス文庫)
定 価 : 890円+税

実在の本を手がかりに紐解く、“古書と秘密”の物語。ビブリア扉子編5巻!
ビブリア古書堂の娘が開く、謎への扉――。
その夏、不在中の両親に代わり、ビブリア古書堂を任された少女。美しい女店主とよく似た顔立ちで、本への好奇心と洞察力も母親譲り。だが異なるのは表情豊かで物怖じしないその性格。特殊な依頼に首を突っ込まぬよう少女の監視役を任された少年は、持ち込まれた古書に秘められた謎を、少女が鮮やかに解き明かしていく姿を目の当たりにする。戦時中ある男を救った『シャーロック・ホームズの饋還』と、残されたいたずら書き。
真夏の鎌倉を駆ける「探偵と助手」の物語が始まる――。
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目次
 プロローグ
 第一話 『シャーロック・ホームズの歸還』(岩波文庫)
 第二話 森山大道『写真よさようなら』(写真評論社)
 第三話 中原中也『山羊の歌』(文圃堂書店)
 エピローグ

三上延氏の「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズ、平成23年(2011)の「栞子さんと奇妙な客人たち」に始まり、12巻目です。三上氏ご本人曰く「遅筆」だそうですが、息の長いシリーズとなっています。

北鎌倉駅近くにある架空の古書店「ビブリア古書堂」が舞台で、7巻目の「栞子さんと果てない舞台」まではその女店主・篠川栞子が主人公。8巻目「扉子と不思議な客人たち」からはその娘・扉子に主人公がバトンタッチしました。扉子編になって5冊目ということでタイトルに「Ⅴ」と入っています。

この手のシリーズものではあまり例がないのではないのでしょうか、主人公をはじめとした登場人物たちが、執筆年代と共にほぼリアルタイムで年を取っていきます。第1巻で20代だった最初の主人公・栞子がやがて結婚し、娘の扉子が生まれ、その扉子に主人公のたすきが渡されて、扉子は現在高校生で店を手伝っている、というわけです。

栞子・扉子の母娘二代にわたり、本業の古書売買以外に、店に持ち込まれる古書にまつわる様々な奇妙な相談――盗まれた古書のありかをつきとめてほしいとか、故人が古書に書き込んだ書き込みの意味を解いてほしいとか――を解決していくという推理小説仕立てが基本ストーリーです。アシスタントは栞子には店員の五浦大輔(途中で栞子と結婚します)、扉子だと高校の後輩・樋口恭一郎(元々、ビブリア古書堂に持ち込まれた奇妙な相談が縁で)。

栞子・扉子の母娘二代と書きましたが、実は栞子の母にして扉子の祖母・智恵子もそうした依頼を受けていました。ただ、栞子とは考え方の相違などで対立することもあり(対決もありました)、智恵子は別に暮らしています。

さて、最新刊「~扉子と謎めく夏~」。シリーズ12冊目にして初めて光太郎の名が出て来たように思われます。「第三話 中原中也『山羊の歌』(文圃堂書店)」で、光太郎が装幀、題字を揮毫した中原中也の『山羊の歌』が扱われ、中也が光太郎に頼み込んで装幀・揮毫をして貰ったことなどが語られます。「それだけかい!」と云われると「それだけです」ですが(笑)。

ちなみにネタバレになるので詳細は書きませんが、問題の『山羊の歌』は中也から関係の深いある人物に贈られた献呈署名入り……という設定です。

ところで栞子の母にして扉子の祖母・智恵子。名前は我らが智恵子から採ったものと思われますが、今のところ「智恵子抄」がらみのエピソードは出てきていませんし、とにかく謎の多い人物として描かれています。いずれ「智恵子抄」にまつわる話となることを期待しています(平成23年(2011)から新刊が出るたび読み続け、次の巻こそは、と思いつつ12巻目になりました(笑))。
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というわけで、『一寸先は闇』/『ビブリア古書堂の事件手帖 Ⅴ~扉子と謎めく夏~』、それぞれぜひお買い求め下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)33 『ポケット 四季の温泉旅行 作家画家の温泉だより』

昭和31年(1956)9月15日 自由国民社 長谷川国雄編
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目次
 ここで遊び台で泊まる 花卷  彫刻家 高村光太郎
 夜霧にうかぶ湯女  浅虫  画家 野間仁根
 こけしの聖地 鳴子  日本山岳会 渡辺公平
 ろうたけき乙女も空し 上ノ山  歌人 結城哀草果
 山の中の近代ホテル 小原  劇作家 伊馬春部
 筵一枚に雑魚寝する 蒸の湯  作家 伊藤永之介
 混浴のおもしろみ 岳温泉  作家 榊山潤
 時は古りゆく悲しさよ 裏磐梯  作家 中山義秀
 私の生れたところ 日光湯元  随筆家 福田蘭童
 白いお尻に紅葉が一枚 塩原  作家 鹿島孝二
 断崖の湯と平原の湯と 川原湯  評論家 野田宇太郎
 ひとり寝てきく湯もみ唄 草津  評論家 市川為雄
 西洋・日本風を対比 小涌谷  随筆家 渋沢秀雄
 郭公の声・老鶯の囀り 芦の湯  作家 中河与一
 雑木林の自然の匂い 仙石原  作家 北條誠
 迸り出ずる水晶の湯 姥子  画家 高岡徳太郎
 ニースの日本版です 熱海  画家 佐野繁次郎
 蜜柑と沢庵が名物 伊豆山  画家 高畠達四郎
 花の匂いが流れる 伊東 作家 浜本浩
 いまは同じ色になった 古奈長岡  作家 吉行淳之介
 新婚にすすめたい 峰温泉  旅行家 古田保
 故里の湯への祈り 湯ヶ島  作家 井上靖
 野良帰りの一風呂 下賀茂  画家 鈴木信太郎
 湯桧曽・谷川・上牧など 水上  東大助教授 中屋健一
 部屋から見る孫のスキー 赤倉  登山家 黒田初子
 広い道が湖に消える 上諏訪  美術評論家 北川桃雄
 左千夫の歌に惹かれて 浅間  作家 福田清人
 失恋の傷を癒す 岩代熱海  中国文学者 魚返善雄
 発哺・上林などもよい 熊の湯  東洋大学教授 田部重治
 雪の中の温泉に限る 山代山中  作家 深田久弥
 明治の末のものがたり 下呂  作家 江馬修
 自然美の明朗豪快さ 白浜  画家 鍋井克之
 淀君も子供ほしさに 有馬  作家 竹中郁
 湧き上る雲の壮大さ 城崎  作家 村雨退二郎
 砂丘を見物して三朝へ 鳥取  画家 長谷川三千春
 内湯が引けはじめた 道後  作家 北町一郎
 安来節と茶庭づくり 玉造  旅行家 山路ゆう
 遊ぶ湯のさと 芦原  随筆家 渡辺寛
 元湯・新潟・小地獄など 雲仙  画家 野口弥太郎
 太宰府もすぐ近い 二日市  作家 長谷川健
 安上りシステムもある 別府  作家 中村地平
 錦江湾を一望する 霧島  画家 吉井淳二
 二軒で建て増し競争 古里  作家 火野葦平
 口説き落した一節は 登別  作家 寒川光太郎
 高山植物に胸躍らす 層雲峡  日本山岳会 村井米子
 星を売る男もある 定山渓  作家 多田裕計
 ここは函館の奥座敷 湯の川  仏文学者 高橋邦太郎
 春・夏・秋・冬の温泉・早わかり

現代でいうところのムックのような感じです。

光太郎の「ここで遊び台で泊まる 花卷」は、同じ自由国民社からこの年4月20日発行の『旅の手帖』第26号が初出の、光太郎生前最後の談話筆記です。

この『ポケット 四季の温泉旅行』、『旅の手帖』第26号の売れ行きが良かったようで、内容はそのままにムックとして刊行したもののようです。

紹介すべき事項の山積で後回しになっておりましたが、新刊書籍のご紹介も少しずつ。「エッセイ」と銘打っていますが、評論に近いものです。

詩旋律 詩の美 高畑耕治エッセイ集

発行日 : 2026年4月15日
著者等 : 高畑耕治
版 元 : 愛のうたの絵ほん
定 価 : 2,700円+税

「詩の美 高畑耕治エッセイ集」の第1冊目

「詩旋律」では、日本語の詩の美、詩の抒情は言葉の音楽、歌の調べによって生まれてきたこと、生まれることを、優れた作品と、歌論、詩論から浮き彫りにする。

第一章と第五章は、詩と詩作、文学、芸術についてのエッセイ。第二章は口語自由詩をめぐる中原中也、高村光太郎、萩原朔太郎の詩論をとらえなおす。第三章は和歌の調べ。万葉集、和泉式部、式子内親王、藤原定家、永福門院の、美しい心に響く歌の調べを聞きとり、藤原俊成の歌論にもふれる。第四章は俳句の調べ。松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶の句と種田山頭火の自由律俳句には、美しい音楽性が響いていることに耳を澄ませる。
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<目次>
 第一章 詩想
  詩を生むもの 詩が生まれでるふたつのかたち 詩を息づかせるもの なぜ言葉で
  詩だから伝えられるもの 詩のしらべ 詩と詩集についての覚え書 詩と若さ 詩の容姿
  詩って、ほんとはなんだろう 詩想『詩集 こころうた こころ絵ほん』
  詩想『詩集銀河、ふりしきる』 作品が生まれる、時 
 第二章 口語自由詩の韻律
  中原中也の「ゆたりゆたり」 高村光太郎、胸中から迸り出る言葉
  萩原朔太郎
   『月に吠える』序 「自由詩のリズムに就て」 
   『詩の原理』 詩語としての口語論 小倉百人一首の韻律美 『恋愛名歌集』
   歌の韻律美と口語自由詩
 第三章 和歌の調べ
  万葉集、好きな歌 藤原俊成『古来風躰抄』 和泉式部、あくがれる魂の歌
  式子内親王、言魂の韻律美 藤原定家の象徴詩 永福門院、調想不離の美
  伏見天皇宸翰「源氏物語抜書」散らし書きの花
 第四章 俳句の調べ
  書の美。松尾芭蕉と近現代文学者の直筆 変体仮名 俳句の調べ 松尾芭蕉の破調
  与謝蕪村、音の美 小林一茶。見据える目
 種田山頭火の自由律俳句
 第五章 詩想の木魂
  日本語のかそけさ 詩行中の意味のまとまり、息継ぎの間、句切り
  脚韻は詩であるための必須条件ではない 和歌の韻律 言葉の音楽性 詩の創作
  創作意思
 音数律論の偏狭さ 作品宇宙の必然 現代の詩の可能性について
  メロディーの翼
 現代詩の衰弱の主要因 中国詩との個性の違い
  寄物陳思、正述心緒の泉の清流
 日本語生来の資質と美の姿
  詩、定型詩の音数律と韻律のひみつ 
詩歌の韻律と朗読について
  無限諧音詩歌 日本語詩とフランス語詩、英語詩とドイツ語詩
  言葉の発音の変化 詩を愛す。 文語と短詩のこと 「日本詩の押韻」九鬼周造を再読して
  芸術、作品について 文語生まれの音感 現代短歌の文語表現について
  芸術作品の驚きとときめき 芸術家の言葉の棘を 現代短歌と現代詩
  詩と短歌の文語表現
 詩と、芸術表現について 降り注がれ、授けられた詩歌
  現代性と、花鳥風月
 小説と脚本と詩 文学、創作のこと 言葉の生命力
  詩と詩作について
 出典・参照文献

著者の高畑耕治氏、詩人だそうです。そこで実作者としての立場からの詩論、詩作の方法論といった内容が中心です。

興味深かったのは、ご自分がいわゆる「現代詩人」というくくりの埒外に居る、というスタンス。全体に古人へのリスペクトや敬愛に貫かれつつ、いわゆる「現代詩人」たちには容赦がありません。

例えば

言葉の象牙の塔をこねくりあげて、一般の読者にはわからないだろうと仲間うちで持ちあげあう人の知的な言葉の書き連ねを、私は詩とは思えず、いいと感じません。そのような奇抜性をてらい競う言葉遊びは、万葉集にも「無心所着歌(むしんしょじゃくか)」などとしてあったし、いつの時代にもあったけれどつまらないと思います。 (詩と詩集についての覚え書)

詩界(というものが意味あるものならば)、そこでは、現代詩の愛好家が偏狭な詩観、特権を押しつけて、詩を貧しくしていると、私は感じてきました。現代詩人どうしが与えあう仲間うちの賞の受賞作に、私が感動する詩はあまりありません。 (詩って、ほんとうはなんだろう)

私が現代詩より現代短歌に惹かれてしまうのはなぜか。現代詩が高学歴お勉強知識こそ優れているという世俗の常識エリート学歴崇拝社会に侵され、賢い頭で言葉の組み合わせの綾を弄び淫し自嘲しつつそれでも賢くて凄いだろと、高等遊民であると思い込んだ高みから普通の人、「大衆」を馬鹿だと見下げる傲慢さに閉じこもりカチコチに枯れてしまっていて、感情、想い、感性、感受性にこそ詩心(しごころ)が宿ること、美しい、ほんとうの、善くあれるかもしれない、希望、願い、心の響き、音楽、心の絵、色彩やどる詩歌、ポエムが詩であることを、忘れ気づけず衰えているからです。 (現代短歌と現代詩)

なるほど。

しかし、フォローも忘れていません。

ただし、現代詩というくくりは曖昧で、わたしが心から共感する詩を今、書かれている詩人はいらっしゃるので、集団としてすべていっしょくたにしてしまうのは愚かです。詩はあくまで一人きりの個性からの表現ですから。 (詩って、ほんとうはなんだろう)

ここまで含めれば、激しく同意します。

そして近代詩、万葉・古今・新古今などの秀歌、古典俳句などを例に、メインタイトルの「詩旋律」、特に音韻論を中心に論が展開されていきます(ただ、先達の評論家等が既に指摘している論考を抜き書きという部分が多いのですが)。また、関連する音楽や朗読についても言及されています。

近代では、萩原朔太郎を中心に、光太郎や中原中也、宮沢賢治などの作品が敬すべき対象として取り上げられています。光太郎に関しては「高村光太郎、胸中から迸り出る言葉」という項が設けられている他、他の箇所でも論じられています。

全編とにかく詩歌への愛が語られ、その情熱には頭が下がりました。

「ポエム」という語が、揶揄の意味合いで使われるようになって既に久しいと思われます。しかし、詩という形式でしか表せないものは確かにあるわけで、そうである限り「詩」というジャンルが生き延びていかねばならないと感じました。

というわけで、ぜひお買い求めを。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)32 『天平彫刻』増補版 

昭和29年(1954)11月5日 生活百科刊行会 児島喜久雄編者代表
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目次
 天平彫刻について 上野直昭
 天平時代の仏像に対する断片的考察 木下杢太郎
 天平彫刻の技法について 高村光太郎
 天平彫刻私観 平櫛田中
 天平彫刻雑感 安田靱彦
 素材より見たる奈良彫刻の特性 野間清六
 天平仏像の構造法 新納忠之介
 奈良時代の鋳もの 香取秀真
 東大寺建立と天平の仏像 筒井英俊
 戒壇院四天王像に見る「格」に就て 丸尾彰三郎
 天平時代の彫刻と万葉集との関係 久松潜一
 天平の肖像彫刻 小林剛
 天平彫刻と写真 大口理夫
 天平彫刻と様式問題 児島喜久雄
 須菩提 廣津和郎
 新薬師寺本尊に関する問題 田中倉琅子
 図版解説
 図版目次
 原色版 三月堂 帝釈天図(安田靱彦氏画 明治四十一年写生)
 写真版 
  第一図 東大寺三月堂 不空羂索観音像
  第二・三図 東大寺三月堂 月光菩薩像
  第四図 東大寺三月堂 吉祥天像
  第五図 東大寺三月堂 不空羂索観音像宝冠化仏
  第六図 東大寺三月堂 金剛力士(東方)像
  第七図 東大寺三月堂 金剛力士(西方)像
  第八・九図 東大寺三月堂執金剛神像
  第十図 東大寺戒壇院 持国天像
  第十一図 東大寺戒壇院 増長天像
  第十二図 東大寺戒壇院 廣目天像
  第十三図 東大寺戒壇院 多聞天像
  第十四・十五図 新薬師寺伐折羅大将像
  第十六・十七図 興福寺 阿修羅像
  第十八図 興福寺 羅睺羅像
  第十九図 興福寺 須菩提像
  第二十図 興福寺 富樓那像
  第二十一図 法隆寺夢殿 行信僧都像
  第二十二・二十三図 唐招提寺開山堂 鑑真和上像
  第二十四・二十五図 聖林寺 十一面観音菩薩像
  第二十六・二十七図  東大寺大仏殿前燈籠扉音声菩薩像
  第二十八図 東大寺大仏蓮弁毛彫
  第二十九図 東大寺誕生釈迦仏像
  第三十図 薬師寺金堂 日光菩薩像
  第三十一図 薬師寺金堂 薬師如来像
  第三十二図 唐招提寺金堂 毘蘆舎那仏像

昭和19年(1944)の初版(小山書店)は、製本所が空襲されたため店頭に並ぶ前にほとんどが焼失してしまったそうです。戦後の昭和23年(1948)には同じ小山書店が復刊。さらに増補版と言うことで、版元を変えてこの版が出されました。おそらく、いわゆる「チャタレイ夫人裁判」のからみで小山書店が昭和25年(1950)に倒産したこととも無関係ではないでしょう。

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