カテゴリ: 音楽/演劇等

都内から演奏会情報です。

第39回カトリック松原教会チャリティーコンサート~ガリラヤの風かおる丘で~ フィリピン・ミンダナオ島で活動するシスターたちのために

期 日 : 2025年6月22日(日)
会 場 : カトリック松原教会 世田谷区松原2丁目28番5号
時 間 : 14:30開場 15:00開演
料 金 : 一般 3,000円 小中高生 2,000円

「ガリラヤの風かおる丘で」を作曲された蒔田尚昊先生は松原教会に所属されていました。蒔田先生は「ウルトラセブン」で知られる冬木透でもありました。昨年12月に帰天された先生を偲んで、先生の作品も紹介します。今回は松原教会メンバーに加え、若いバリトン歌手が賛助出演いたします。このコンサートは、フィリピン・ミンダナオ島にあるニーニャ・マリア・ラーニングセンターの貧しい家庭の子どもたちの支援のために行います。

出演
 秋永佳世(Sop) 有坂緑(Fl) 黒川京子(Sop) 小西陽子(Pf) 千賀由里(Pf)
 藤本典子(Ms)  安田紀生子(Vn) 保多由子(Ms) 楢原敬之(Br)

曲目
 蒔田尚昊   ガリラヤの風かおる丘で 「智恵子抄」より
 冬木透    ゾフィーのバラード
 アメリカ民謡 アメージング・グレース
 メルカデンテ サルベ・マリア
 ピアソラ   「天使の組曲」より
 中田喜直   悲しくなったときは
 他

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6月7日(土)、上野の旧東京音楽学校奏楽堂さんで開催された「第二十二回 二期会日本歌曲研究会演奏会」で蒔田尚昊氏の歌曲集「智恵子抄」から「Ⅱ. あどけない話」「Ⅴ. レモン哀歌」の二曲を歌われた黒川京子氏がご出演。おそらく同じ二曲を演奏されるのだと思われます。

他に蒔田氏が映画音楽等を作曲なさった際の変名である冬木透クレジットで「ゾフィーのバラード」。ゾフィーはウルトラ兄弟の長男ですね。ファーストウルトラマンの最終回、宇宙恐竜ゼットンに敗れ、命を落としたウルトラマンを助けにやってきたのが初登場でした。その当時は兄弟とか長男とかの設定にはなっていませんでしたが。
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売り上げはフィリピン・ミンダナオ島での活動支援に宛てられるそうです。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

お餅と白いんげんたくさんいただきありがたく存じました。これでお正月の雑煮も出来ました。東京は此頃たいへんあたたかです。山口ではもう雪になつた事でせう。


昭和28年(1953)12月25日 駿河重次郎宛書簡より 光太郎71歳

前年まで花巻郊外旧太田村山口地区に蟄居していた頃は、都内の友人等からいろいろと食糧等が送られていましたが、中野の貸しアトリエに出て来てからは、逆に太田村民らから様々な食品などの贈り物。食糧難の時代も過ぎ、光太郎とてこの頃は経済的な困窮はまったくなかったのですが、人徳なのでしょうね。

智恵子の故郷、福島二本松からコンサート情報です。

藤木大地カウンターテナー・リサイタル 二本松音楽協会第100回定期演奏会

期 日 : 2025年6月15日(日)
会 場 : 二本松市コンサートホール 福島県二本松市亀谷1-5-1
時 間 : 13:00開場 13:30開演 
料 金 : 一般前売 3,700円 一般当日 4,000円 小中高生 1,000円

昨年名古屋にて半分だけ演奏した「白鳥の歌」を、シューベルト愛だだもれる佐藤卓史さんの懐を再びお借りして、福島にて全曲演奏することにしました。またレパートリーが増えちゃうぞ。二本松音楽協会の「1️⃣0️⃣0️⃣回」記念にふさわしい演奏会になるようがんばります! 縁の地にて、智恵子抄もあるよ!

演奏予定曲目 
 中田喜直 マティネ・ポエティクによる四つの歌曲
 「智恵子抄」より 
  佐藤卓史 あどけない話/からくり歌(初演)  加藤昌則 レモン哀歌 

 F・シューベルト 歌曲集「白鳥の歌」

出演 藤木大地(カウンターテナー) 佐藤卓史(ピアノ)

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藤木氏、加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」をレパートリーの一つとされていて、今回も含め、たびたびコンサートでプログラムに入れて下さっています。また、今回もピアノを弾かれる佐藤卓史氏とタッグを組まれ、佐藤氏作曲の「あどけない話」も。把握している限りでは昨夏、名古屋でずばり「藤木大地(カウンターテナー)&佐藤卓史(ピアノ)リサイタル 白鳥の歌/智恵子抄」と、「智恵子抄」をタイトルに冠した公演も行われました。

そして今回初演の「からくりうた」。昭和16年(1941)刊行のオリジナル『智恵子抄』には入っていない詩ですが、まさに二本松の智恵子を謳ったものです。

   からくりうた
     (覗きからくりの絵の極めてをさなきをめづ)
婦人公論
 国はみちのく、二本松のええ
 赤の煉瓦の
 酒倉越えて
 酒の泡からひよつこり生れた
 酒のやうなる
 よいそれ、女が逃げたええ
 逃げたそのさきや吉祥寺
 どうせ火になる吉祥寺
 阿武隈川のええ
 水も此の火は消せなんだとねえ
 酒と水とは、つんつれ
 ほんに敵同志ぢやええ
 酒とねえ、水とはねえ


大正元年(1912)9月の『スバル』第4年第9号に発表された詩です。細棹の三味線をチントンシャンとつま弾きながら唄う小唄の歌詞のような詩ですね。

智恵子の名は入っていませんが、智恵子をイメージして書かれたことは明白です。「吉祥寺」は八百屋お七の巷説が背景にあるようです。

ちなみに掲載誌『スバル』の同じ号には「或る夜のこころ」、「」、「おそれ」も掲載されていて、「からくりうた」を含めて「詩群」の総題がつけられています。おそらくいずれもこの年8月の作で、それぞれ智恵子との恋愛関係をどうするかの逡巡をテーマにしたものです。8月末か9月初めには、銚子犬吠埼に絵を描きに来ていた光太郎を追って智恵子も現れ、ここに二人の恋愛が成就する直前です。

把握している限りでは、「からくりうた」にメロディーがつけられた楽曲は、ギタリストのソンコ・マージュ氏が弾き語りで歌われ、アナログLP「日本の心」(昭和49年=1974 日本コロムビア)に収められたものしか存じません。佐藤氏、あまり取り上げられない詩に曲をつけてくださり、ありがたく存じます。
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というわけで、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

御文書により、(文学部門と伝聞いたしますが)日本芸術院会員候補者に小生を御推せんの趣承りましたが、右は御辞退申上げたく存じますので、よろしく御取りはからい願います、


昭和28年(1953)12月7日 宇野俊郎宛書簡より 光太郎71歳

宇野は日本芸術院事務局長。同院会員推薦辞退に関わります。

昨日は上野で「第二十二回 二期会日本歌曲研究会演奏会」を拝聴して参りました。レポートいたします。
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会場は旧東京音楽学校のホール・奏楽堂さん。場所は少し動かされていますが、明治23年(1890)の竣工で、隣の東京美術学校に通っていた光太郎も目にしたことのあるはずの建物です。
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敷地内には光太郎とも交流のあった朝倉文夫による滝廉太郎像などもたっています。

開演前のステージ。
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13:00開演。
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当方、あまり詳しくはないのですが、二期会さんの中でいろいろな「○○研究会」という部会があって、その一つの「日本歌曲研究会」さんに所属する歌手の方々なのでしょう、12名の方が思い思いに自選された歌曲を歌われるというものでした。

故・蒔田尚昊氏作曲の歌曲集「智恵子抄」から「Ⅱ. あどけない話」「Ⅴ. レモン哀歌」の二曲が、黒川京子氏の歌唱で演奏されました。ピアノは髙木由雅氏という方。
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いずれも抒情的なメロディに乗せて切々と光太郎智恵子の心境が表され、また確かな技倆に支えられて素晴らしい演奏でした。

「あどけない話」は、全音さんの『日本歌曲集3』(昭和45年=1970)に収められていますが、他の4曲「I 樹下の二人」「 III 同棲同類」「IV 千鳥と遊ぶ智恵子」「V レモン哀歌」は公刊された楽譜集等に収録されておらず、最近の各種演奏会でも抜粋で取り上げられるだけで(今回もそうでしたが)、全曲の楽譜公刊、コンサート等での演奏、さらにCD化が為されてほしいと願っております。

他の方々の演奏も堪能させていただきました。やはり「組曲 智恵子抄」を作曲され、連翹忌にもご参加下さった朝岡真木子氏作曲の作品(「智恵子抄」ではありませんでしたが)を取り上げた方もいらっしゃいました(朝岡氏、当方のすぐ前の席に座られ、お話しさせていただきました)。

それから、三木露風北原白秋山村暮鳥谷川俊太郎など、光太郎と交流のあった人々が作詞した曲が多く、その意味でも嬉しゅうございました。

終演後のカーテンコール的な。
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右からお二人目が黒川氏。黒川氏は、他に宮沢賢治がらみの歌曲等にも取り組まれるということで、お仲間で朝岡氏の「組曲 智恵子抄」をやはり奏楽堂さんで歌われCD化もなさって、今回も聴きにいらしていた清水邦子氏ともども、今年の1月31日(金)・2月1日(土)の2日間、当方が花巻の光太郎/賢治聖地巡礼ガイドを務めさせていただきました。

先の話ですが、その賢治がらみ。清水氏もご出演なさいます。
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他にも受付でもらったり、朝岡氏・清水氏から直接いただいたりしたフライヤー類。

蒔田氏・朝岡氏の「智恵子抄」が演奏されるもの(近くなりましたらまた詳細をお伝えいたします)。
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光太郎関係ではありませんが、朝岡氏・清水氏が作曲されたり出演なさったりするもの。
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左上は創作版画の川瀬巴水(ちなみに光太郎と同年の明治16年=1883生まれです)オマージュの歌曲が演奏されます。林望氏が作詩だそうで。右上は青島広志氏作曲のオペラですが、なんと、古代史や民俗学等に材を採ったおどろおどろの漫画(10冊ほど書架にあるのですが(笑))で有名な諸星大二郎氏の作品が原作です。最近はクラシック界も一筋縄ではいかないようですね(笑)。

関係の皆様方のさらなるご活躍を祈念いたしております。

【折々のことば・光太郎】

五日に無事に東京につきました、道具箱も安泰、木炭三十俵も昨六日届きました、お手数感謝いたします、 今度はいろいろお世話様になり、御馳走になり、出発の際には奥さまのお見送りをうけ、恐縮に存じました、 又部落の方から木炭十俵をいただき難有く存じます、よろしくお礼をお伝へ下さい、

昭和28年(1953)12月7日 駿河重次郎宛書簡より 光太郎71歳

11月25日から12月5日にかけ、前年まで7年間の蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村へ、約1年ぶりの帰村。中野の貸しアトリエに戻ったよ、という報せです。
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都内と太田村との二拠点生活を考え、住民票は太田村に残していましたが、結局は健康状態がそれを許さず、この際が最後の太田村訪問となってしまいました。光太郎の余命、あと2年余りです。

あまり大々的に宣伝は為されていないようなのですが……。

木村俊介Concert『鵲(かささぎ)の橋の上で』in 東京 愛のかたち、様々に~日本と韓国の文学作品から~

期 日 : 2025年6月15日(日)
会 場 : 早稲田奉仕園スコットホール 新宿区西早稲田2丁目3-1
時 間 : 開場 15:00 / 開演 15:30
料 金 : 全席自由 5,500円 要予約
予 約 : 木村俊介 mail:insho@sky.plala.or.jp TEL. 090-8346-5548


パクスナ氏と始めた、日韓定期開催LIVE『鵲の橋の上で』。3年目を迎える今年は、~愛のかたち、様々に~と題して、日韓の文学作品から珠玉の“愛”の物語を取り上げます。愛する人が、愛した時のその人ではなくなってしまったら。愛する人が異界の存在であることを知ってしまったら。それでも、誓った愛を貫くことができるのか。昨年、壤晴彦氏との共演で大好評を頂いた、高村光太郎作『智恵子抄』をはじめ、先人の残した言葉が、時代を超えて問いかけます。会場は築100余年の祈りの空間。溶け合い、響きわたる言葉と音楽に、ゆったりと浸るひと時を。

出 演
 〈横笛・能管・三味線〉木村俊介  〈伽耶琴(カヤグム)〉パク スナ  〈語り〉壤晴彦
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昨年9月、同じく『鵲(かささぎ)の橋の上で』と題されたコンサートがさいたま市で開催されていました。その再演に近いのかな、という感じです。

その際の紹介記事でも書きましたが、朗読を担当される壤晴彦氏、かなり以前から「智恵子抄」朗読に取り組まれている方です。

今回は新宿区で。早稲田奉仕園さんといえば、当方、令和4年(2022)に日本詩人クラブさんの例会で講演をさせていただいた場所です。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

東京も寒くなり、山口ではもう雪が降つてゐる事でせう、小生廿五日の朝上野を出発して同夜花巻着、大澤温泉に参ります、山口へは廿六日か廿七日に出かけるでせうが、あの小屋には寝られさうもないので、夜は又大沢温泉に行きます、

昭和28年(1953)11月22日 浅沼政規宛書簡より 光太郎71歳

前年まで7年間の蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村山口地区に約1年ぶりに戻るという連絡です。
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明後日のイベントですが、昨日になってネット上での情報に気がつきましたので……。

大人のための朗読ライヴ

期 日 : 2025年6月1日(日)
会 場 : 磯部生涯学習センター 三重県志摩市磯部町迫間878−9
時 間 : 13:00開場 13:30開演
料 金 : 無料

プログラム
 『朝のリレー』 谷川俊太郎/朗読:花笑み
 『グチャグチャ飯』 佐藤愛子/朗読:江坂淳子
 『ヤギとライオン』 トリニダード・トバゴの民話/ストーリーテリング 森本時子
 『智恵子抄』 高村光太郎/朗読:牧野範子
 『驟り雨(はしりあめ)』 藤沢周平/朗読:岡野秋子
 「オーシャンボーイズ」演奏会 (男性デュオ・フォークソング・ニューミュージック)
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「志摩市での朗読会」というのが記憶に残っており、調べたところ、平成25年(2015)にも同じ団体さんの同じ方がやはり「智恵子抄」朗読をなさっていました。ありがたし。

昨日ご紹介したアニメ「花は咲く、修羅の如く」も朗読を題材としたものですし、朗読は大ブームとはいえないものの、根強い人気があるのでしょう。

光太郎自身も自作の詩の朗読をたびたび行いました。戦後の昭和27年(1952)、ラジオ放送のために花巻温泉松雲閣で詩人の真壁仁との対談が録音され、その終了後に光太郎の発案で「風にのる智恵子」「千鳥と遊ぶ智恵子」「梅酒」の三篇を光太郎自身が朗読した音源がNHKさんに残っています。

ただ、光太郎の自作詩朗読は戦時中に行われることが多く、愚にもつかない翼賛詩がほとんどでした。そのあたりも戦後の7年間の蟄居生活を送ることになった要因の一つでしょう。

また、やはりラジオで光太郎詩の朗読を行い、光太郎とも面識のあった盛岡出身の照井瓔三(栄三)の著書『国民詩と朗読法』(昭和17年=1942)に以下の序文を寄せています。

 最近詩の朗読が日本全国のあらゆる青年層の間に歓び迎へられてゐるといふ事を聞く。民族の大いに動く時、まづ詩精神の鬱勃が起り、その発現としての詩が求められ、詩そのものへの共感合体に魂の喜を人人が経験するに至るのは当然である。詩精神の発揚は即ち民族主義の溌剌を意味する。今日人が詩を読んで詩への共感を熱望する実状を見聞して、私は限りなき心強さを感ずる。
 詩を朗読するといふ事は人が詩を熱愛するのあまりに起こる衝動である。われにもあらず声に出るのである。その朗読をきく者は音響といふ要素の力に変形した詩の力に打たれる。詩は朗読といふ音響によつて淘汰され、洗練される。朗読のゆるがせに出来ないわけが此所にある。朗読技法の大切なわけも亦此所にあるのである。その技法の指針を示さうとするのが此書である。

戦時中の馬鹿馬鹿しい(というか、罪深い、というか)翼賛詩ということを考えなければ、特に後半部分「詩を朗読するといふ事は……」以下云々(「でんでん」ではありません、「うんぬん」です)、なるほど、と思わせられる内容ですが。

ちなみに照井は昭和20年(1945)5月の空襲により、東京で亡くなりました。

詩の朗読が妙な方向に利用される、そうした時代が再び来ないことを祈って已みません(「いません」ではありません、「やみません」です)。

【折々のことば・光太郎】

東京の夏には閉口、来年の夏は山で過さうと思ひました、


昭和28年(1953)9月25日 北川太一宛書簡より 光太郎71歳

めっぽう夏の暑さに弱かった光太郎、花巻郊外旧太田村との二重生活を目論みました。結局、それが実現することはなかったのですが……。

都内から演奏会の情報です。

第二十二回 二期会日本歌曲研究会演奏会

期 日 : 2025年6月7日(土)
会 場 : 旧東京音楽学校奏楽堂 東京都台東区上野公園8番43号
時 間 : 12:30 開場 13:00開演
料 金 : 全席自由 4,000円

出演
 <ソプラノ> 阿部麻子 木内弘子 黒川京子 品田昭子 柴田百代 武かほる
        鳥養和歌子 中村良枝 福成紀美子 毛木香保里
 <メゾソプラノ> 草西富貴子
 <バリトン> 馬場眞二
 <ピアノ> 髙木由雅 森裕子

演奏予定曲目
 山田耕筰 作曲 病める薔薇/南天の花
 斎藤佳三 作曲 ふるさとの
 平井康三郎 作曲 茉利花(まつりか)の/小面幻想
         歌曲集「日本の笛」より 夏の宵月 野焼の頃
 中田喜直 作曲 「”マチネ・ポエティク”による四つの歌曲」より 3. 髪
 武満徹 作曲 死んだ男の残したものは
 三善晃 作曲 「聖三稜玻璃」より 1. いのり 3. 青空に 4. ほんねん
 蒔田尚昊 作曲 「智恵子抄」より Ⅱ. あどけない話 Ⅴ. レモン哀歌
 加賀清孝 作曲 歌曲集Ⅳ「ハイゼのイタリア詩集(邦訳)による7つの歌」より
         2. あなた その気弱な一言で 5. 彼が歌ってるの 月明かりのおうちの前で
         6. きのう真夜中に起きたら
 朝岡真木子 作曲 さくらの はなびら
         まど・みちおの詩による組曲「リンゴを ひとつ」より 3. 貝のふえ
 木下牧子 作曲 「竹久夢二の詩による7つの歌」より
         3. ゆふぐれがたに 6. ジョウカア 7. あなたの心
 千原英喜 作曲 歌曲集「ありがとう」―谷川俊太郎の4つの歌―より
         1. 誰もしらない 4. ありがとう
 松下倫士 作曲 うたを うたうとき
 <委嘱作品>
 「音楽四章」前田佳世子 曲 / 谷川俊太郎 詩
   1.音楽の時 2. ただそれだけの唄 3.ないしょのうた 4.音楽
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故・蒔田尚昊氏作曲の歌曲集「智恵子抄」から、第二曲「あどけない話」と第五曲(最終曲)「レモン哀歌」がプログラムに入っています。歌われるのは黒川京子さん。今回はご出演なさいませんが、お仲間で、朝岡真木子氏ご作曲の「組曲 智恵子抄」を歌われた清水邦子さんともども、今年の1月31日(金)、2月1日(土)と、花巻の光太郎・宮沢賢治関係スポットをご案内させていただきました。そんなこんなで招待券を頂いてしまっています。恐縮です。

蒔田氏の「智恵子抄」、公刊されている楽譜集では、全音さんの『日本歌曲集3』(昭和45年=1970)に「あどけない話」が収められているだけですし、市販のアナログレコードやCD等にも収録されていません(見落としがなければ、ですが)。YouTube上には令和3年(2021)に紀尾井ホールさんで開催された「蒔田尚昊 歌の世界〜アヴェ・マリアからウルトラマン賛歌まで〜」(コロナ禍のため無観客)、同5年(2023)に渋谷区文化総合センター大和田さんで開催の「「男声合唱のためのウルトラセブン」 楽譜出版記念コンサート」での演奏などがアップされています。前者は大野光彦氏、後者は加耒徹氏の歌唱です。他に、野々村彩乃氏という方の演奏も上げられていますが、こちらは寡聞にしていつどこで収録されたものか不明です。

ちなみにウルトラ系がタイトルに入っているのは、蒔田氏が「冬木透」名義で「ウルトラセブン」をはじめとするウルトラ系の楽曲を作曲されているためです。

今回の会場は上野公園内の旧東京音楽学校奏楽堂さん。東京音楽学校は、光太郎の母校・東京美術学校とともに戦後に東京藝術大学さんへと改組され、ホール自体も藝大さんを離れて台東区さんに所管が移りましたが、創建当初の姿を残してリノベーションされ、味わい深い建造物です。重要文化財指定もされています。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

今日はメダル原型の石膏を渡して、百五十個作成を御依頼しました、経四寸、片面のメダル、一個分五〇〇円の由につき、県庁の金で半金三七、五〇〇円お渡し致しました。


昭和28年(1953)9月10日 牛越誠夫宛書簡より 光太郎71歳

「メダル」は、10月に行われる生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式の際に関係者に記念品として贈られる「大町桂月メダル」。十和田湖の景観美を広く世に紹介した大町桂月は、道路整備等に腐心した元青森県知事の竹田千代三郎、元法奥沢村長の小笠原耕一とともに「十和田の三恩人」と称され、「乙女の像」は三恩人の顕彰という意味合いもありました。
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結局、このメダルが光太郎彫刻最後の完成作となりました。

光太郎詩を取り上げて下さる朗読イベント、まず来週開催のものを。

朗読のつどい「高村光太郎『智恵子抄』」

期 日 : 2025年5月30日(金)
会 場 : 志津公民館 千葉県佐倉市上志津1672-7
時 間 : 14:00~15:00
料 金 : 無料
出 演 : 朗読サロンこおろぎの輪

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画像は佐倉市さんの広報誌「こうほう佐倉」から。

「こおろぎの輪」さん、市のボランティアセンターさんに登録されている団体で、公民館等での朗読会等、積極的になさっているようです。
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メンバーがかぶっているのでしょうか、「姉妹団体」として、広報誌の音訳録音などをなさっている「こおろぎの会」さんという団体も存在します。
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頭が下がりますね。

で、今回、「智恵子抄」から朗読をなさって下さるそうで、1時間みっしり光太郎。時間が取れれば行って来ようと思っております。お近くの方、ぜひどうぞ。

ついでというと何ですが、当会がらみの朗読イベントも今後、開催されます。

まず7月6日(日)、光太郎終焉の地にして、第一回連翹忌会場となった東京都中野区のアトリエ保存の関係で、「中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会」主催の朗読イベント。会場は中野区産業文化振興センターです。司会を当方が担当します。

詳細が未定でして、また追ってご案内いたしますが、今のところ、女優の一色采子さん、今年の連翹忌の集いで朗読を披露していただいたフリーアナウンサーの早見英里子さんと朗読家の出口佳代さんのコンビには朗読を、フルート奏者の吉川久子さんにはお仲間の方の朗読に乗せて演奏をお願いしてあります。また、詩人で朗読にも取り組まれている方々もそれとは別に。

それからやはり7月、仙台と花巻で。仮のフライヤーを載せておきます。
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昨年もお二人で仙台/花巻公演をやられた、朗読家の荒井真澄さんと箏曲奏者の元井美智子さんのコラボ。計4公演で、花巻のみ会場借り受けの都合で当会主催ということになっています(仙台は「後援」)。花巻高村光太郎記念館さんでも1公演やります。

ここに電子楽器・テルミンの大西ようこさんが加わって、先月、二本松の智恵子生家で「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」公演を行いました。

こちらもまた近くなりましたら詳細を出しますので、よろしくお願いいたします。

【折々のことば・光太郎】

右の七尺像二体の鋳造を貴下にお願いたしました事を心強く存じ居ります。八月末か九月始めまでに御完成願ひたきことはかねて申上げました通りであります故何卒よろしくお取計ひ願上げます。

昭和28年(1953)6月18日 伊藤忠雄宛書簡より 光太郎71歳

七尺像二体」は、生涯最後の大作にして智恵子の顔を持つ「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」。前年10月に7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の山小屋を出、中野の貸しアトリエに入り、11月から制作開始。小型試作、中型試作、原寸大の手の試作と次々完成させ、本体の七尺像は3月5日から作業にかかり、6月1日には終わりました。光太郎にしては驚異的なスピードで、その裏には自らの死がそう遠くないという覚悟があったと思われます。

光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン系歌手・モンデンモモさんのライブ。ここ数年島根の方を拠点にされてミュージカル等に携わられることが多かったのですが、先月に続き都内で「智恵子抄」をメインに演(や)られるそうで。

BOOK CAFÉ LIVE vol2モモの智恵子抄

期 日 : 2025年5月19日(月)
会 場 : 府中の森芸術劇場分館 東京都府中市宮町1-100 武蔵府中ル・シーニュ地下2階
時 間 : 19:15~20:45
料 金 : 3,500円

出 演 : モンデンモモ たしまみちを(ギター)

モモの智恵子抄 春抄 逢いたい時にあうから〜別居結婚 入籍しないの〜 光太郎さんは 智恵子さんに逢えると大喜び〜 違った智恵子さんの姿をお伝えします だって 青鞜の表紙を描き 田村俊子さん 与謝野晶子さん らいてうさんと交流し 自転車を乗り回し グロキシニアの花を抱え やはり 女の最先端でした 今回のブックカフェライブ   モノドラマでおつたえします 19日 いらしてね!!
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もう20年以上のつきあいとなり、都内をはじめ、智恵子のふるさと・福島二本松、光太郎第二の故郷・花巻、当会の祖・草野心平所縁の福島県川内村、モモさんの拠点・島根などで十数回、ステージ等を拝見・拝聴しています。宇宙飛行士の山崎直子さんとのコラボなどもありました。

時々伴奏を担当されるギターのたしま氏とも長い関わりとなりました。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

自分でも忘れてゐるうちに今年は東京でいつの間にか誕生日をむかへるやうになりましたが、今朝は美しい花やおめでたいお菓子やお茶など届けて下され、仕事のあとでたのしくおうけとりいたしました、今日は十三日の金曜日といふ日ですが、まず静かに仕事してゐました、


昭和28年(1953)3月13日 椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎71歳

元日に数え71歳となった光太郎、この日は満70歳の誕生日でした。

イスカリオテのユダを含め、「最後の晩餐」に集まったイエスの弟子が13人、その後、イエスが磔刑に処されたのが金曜日と信じられ、「十三日の金曜日」は不吉とされていますが、この頃の日本でもすでにそういう迷信があったのですね。

福井県からコンサート情報です。

めいおんFukui第16回演奏会

期 日 : 2024年5月10日(土)
会 場 : ハーモニーホールふくい 福井県福井市今市町40-1-1
時 間 : 18:30開場 19:00開演
料 金 : 一般:1,000円 学生(高校生まで):500円
主 催 : 名古屋音楽大学 同窓会 福井支部(担当:吉田)Tel.090-4683-7255

《出演》
 大野舞子 岡安朋美 佐々木英宏 谷川美翔 南部匡恵 西野佳世 羽生泰子
 三浦恵美子 吉田真里子 鈴木睦美 佐々木都恵 竹沢友里 前川明音 大岡訓子

<曲目>
 エレクトーン Joan of Arc 作曲 安藤ヨシヒロ
 クラリネット 歌劇「椿姫」による演奏会用幻想曲 作曲 D.ロヴレーリョ(ヴェルディ)
 サックス   アルペジオーネ・ソナタょり第1楽章 作曲 F.シューベルト
 クラリネット クラリネット・ソナタ 作品167より 作曲 カミーユ・サン=サーンス
 トロンボーン Pair Up - Duo for Trombone and Marimba 作曲 Myles Wright
 クラリネット クラリネットデュエットNo.1 作曲 B.クルーセル
 声楽     智恵子抄(連作曲)~その愛と死と~より 作曲 野村朗
 ピアノ    喜びの島作曲 C.ドビュッシー他

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「めいおん」は名古屋音楽大学さんの略称だそうです。同学卒業生、教員の方々による演奏会だそうで、やはり卒業生で名古屋ご在住の作曲家・野村朗氏の「連作歌曲「智恵子抄」~その愛と死と~」から第2曲「あどけない話」と終曲「案内」が演奏されます。歌唱は岡安朋美さんと言う方だそうです。

生演奏は、野村氏と交流の深い森山孝光氏(バリトン)、康子氏(ピアノ)御夫妻の演奏で、氏の地元の名古屋、智恵子の故郷・二本松、それから都内でもと、計5~6回(もっとかもしれません)拝聴しましたが、何度聴いてもドラマチックでいい曲です。


お近くの方など、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

肋間神経痛はまだ相当いたみますが、花巻温泉か大沢あたりに一寸ゆきたい気もしますが、どうも時間の余裕が出来さうもありません、


昭和28年(1953)2月8日 宮沢清六宛書簡より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため花巻郊外旧太田村から再上京して4ヶ月近く。そろそろ山の温泉が恋しくなってきたようです。

「花巻温泉」は松雲閣、「大沢」は大沢温泉山水閣、あるいは菊水館

先週末からの2泊3日の行程を終え、昨日、千葉の自宅兼事務所に帰投しました。2回に分けてレポートいたします。

メインの目的は高村智恵子生家/智恵子記念館さんで開催中の「高村智恵子生誕祭」の一環として、当会主催で行ったコンサート「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」。4月27日(日)、午前の部と午後の部と、2回公演でした。これまで当方は、毎年4月2日の日比谷松本楼さんでの連翹忌の集いを除いて、各地のイベントに呼ばれて出向くばかりでしたが、今回はこの手のイベントとしては初の当会プロデュース。慣れないプロデューサー業で、各方面に助けられながら、何とか盛会のうちに終わらせることが出来ました。

出演は朗読で仙台ご在住の荒井真澄さん、音楽演奏で電子楽器・テルミンの大西ようこさん(神奈川にお住まい)、そして都内から箏曲の元井美智子さん。
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以前にも書きましたが、それぞれがまず単独、あるいは他の方とのコラボで「智恵子抄」系の公演をなさり、知遇を得させていただきました。で、連翹忌の集いにご参加いただくようになり、そこでお三方が意気投合。これまでもお三方中のお二人が組まれての公演が、光太郎がらみでないものも含め、複数回ありました。「それならいっそ3人でやってみませんか、この時期なら通常立ち入り禁止にしている智恵子生家の座敷でやらせていただけると二本松市教委さんからご返答いただいてますし」とお声がけしたところ、皆さん「ぜひやりたい」とのことで。

ネックは入場無料で行うため、ギャラをお出しできないこと。皆さんにとってのメリットは「智恵子生家の座敷で公演ができる」ということだけで、それぞれ遠方にお住まいですし、いわばハイリスクローリターン。それでもお三方とも「ここでやれるなら夢のようです」とおっしゃってくださり、実現しました。
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4月26日(土)、まず荒井さんと大西さんがいらっしゃり、ざっと会場設営と場当たり。
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襖を外したり、家具類を移動したり。すると、タンスの裏側にこんな文字が書かれているのを発見しました。
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「長沼セン」は、智恵子の母です。右上の画像で左端がセン。昭和2年(1927)、光太郎智恵子夫妻と訪れた箱根大湧谷でのショットです。こんなところに記名してあるとはまったく存じませんでした。

そして4月27日(日)、コンサート当日。元井さんも合流し、リハーサル。
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ぼんぼり的な丸いのは、地元の上川崎和紙で作られたもので、ここの備品をお借りしました。

満を持して11:00、午前の部の開演。
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午前中でお客さんがいらっしゃるかと心配でしたが、蓋を開けてみれば座敷はいっぱいでした。ありがたし。
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隣接する智恵子記念館で展示中の智恵子のエプロンを復元して下さった花巻南高校家庭クラブ/文芸部さんの生徒さん、先生方も駆けつけて下さいました。終演後には「エプロン展示中ですのでご覧下さい」と宣伝しつつ、生徒さんたちに立っていただいてご紹介させていただきました。事前打ち合わせ無しの無茶ぶりでしたが(笑)。
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荒井さんが「智恵子抄」所収の詩を13篇、さらにエッセイ「智恵子の半生」から抜粋で朗読。大西さんと元井さんが日本古謡「さくら」やドビュッシー「月の光」などを合奏。箏の演奏を間近で見られる機会もそうそうありませんし、ましてや不思議な電子楽器テルミンは見るのも聴くのも初めて、というお客さんがけっこういらっしゃいまして、ビジュアル的にも見ていて飽きない感じになりました。

荒井さんの朗読も、一人何役も演じ分けられたり耳に心地よい美声だったり。しかし、決して幸福一辺倒でなかった光太郎智恵子(特に智恵子)の生涯を追う構成なわけで、聴いていて切なくなるのはどうしようもありませんでした。いつものことですが。
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そしてやはりこの「場」。かつてここに智恵子やその家族が居て、たまには光太郎も来て、それぞれが生きて呼吸して家族の歴史を刻んだ場所なんだと思うと、感無量でした。
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約60分で午前の部が終わり、昼食。さらに14:00から午後の部。内容的には同一でした。
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意外でしたが、午後の部の方がお客さんが少なく、まぁそれでも盛会裡に終えることが出来ました。

何人か、聴かれた方の感想を伺いましたが、皆さん口を揃えて絶賛して下さいました。中にはこのブログのコメント欄にも書かれていますが、地元の方が「大変素晴らしく過去最高の「智恵子抄」だと思いました。テルミンの音色、古式豊かな雅な琴の音との智恵子抄は初めてでした。ずーと続けて欲しいなと思いました」とのことで。

プロデューサー冥利に尽きます。それを言えば、連翹忌の集いの一つの目標として、光太郎の顕彰以外にこのように人の輪を拡げることがありまして(そしてさらに光太郎顕彰に繋げるということになりますが)、それがまた少し果たせたことを嬉しく存じます。
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元井さんが8分余りの動画を上げて下さっています。


地元紙『福島民友』さん、『福島民報』さんが取材に来て下さいました。この手のイベントの記事は速報性が求められないので、数日後に出ることが多く、現時点ではまだ記事が読めていません。出ましたらまたご紹介します。

仙台に本社を置く東北6県をカバーする『河北新報』さんは以下の記事。取材にはいらっしゃいませんでしたが、事前にこちらで流しておいた情報に基づいて、4月26日(土)に掲載して下さいました。

高村智恵子の生涯 作品でたどる 福島・二本松で生誕祭

 詩人、彫刻家の高村光太郎の妻で、洋画家智恵子(1886~1938年)が生まれた5月20日に合わせた催し「高村智恵子 生誕祭」が、福島県二本松市の「市智恵子の生家・記念館」で開かれている。5月25日までの期間中、智恵子がデザインしたエプロンを再現した作品の展示などがある。
 エプロンは、光太郎が戦時中に疎開した岩手県花巻市の花巻南高家庭クラブの生徒が復元した。当時の女性向け雑誌に掲載されるなど注目を集めたという。
 記念館では、智恵子が病に伏していた時に作った「紙絵」10点など、普段は公開されていない資料が5月11日まで特別に展示される。生家では智恵子の居室だった2階が土日祝日を中心に公開する。
 4月27日には生家で、詩集「智恵子抄」の朗読公演がある。午前11時と午後2時の2回で予約不要、参加費無料。光太郎の活動を伝える「高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会」が企画した。
 午前9時~午後4時半。水曜日休館(祝日の場合は翌日)。入場料は高校生以上410円、小中学生210円。連絡先は記念館0243(22)6151。
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エプロンの展示を含め、「高村智恵子生誕祭」は5月25日(日)まで。他にもさまざまなコンテンツが用意されています。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

おてがみ感謝、仕事に没頭してゐたため、ハガキを書くのを、おろそかにしてゐて失礼しました。中央公論社の催に異存ございません。御多忙中上京との事恐縮に存じます。

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昭和28年(1953)1月15日 
真壁仁宛書簡より 光太郎71歳

真壁は山形在住の詩人。戦時中、智恵子紙絵千数百枚の約3分の1を光太郎が真壁の元に疎開させていました。

その中から作品を選び、中央公論社画廊で「高村智恵子紙絵展覧会」が2月2日~12日の日程で開催されました。昭和26年(1951)6月に資生堂ギャラリーで行われて以来、都内では2度目の開催でした。

現在、二本松での「高村智恵子生誕祭」、そして信州安曇野碌山美術館さんでも「特別展示 智恵子の紙絵」ということで、実物が展示されています。

昨日は福島二本松の智恵子生家に於いて、「高村智恵子生誕祭」の一環としてコンサート「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」を当会主催で開催しました。
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午前と午後の2回公演、それぞれ60分ほど。元井美智子さんの奏曲、大西ようこさんのテルミン演奏に乗せて荒井真澄さんの朗読。
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地元の方々は勿論、都内や、光太郎第二の故郷・岩手花巻からも聴きにいらしてくださり、ありがたく存じました。

隣接する智恵子記念館で展示中の智恵子のエプロンを復元して下さった花巻南高校家庭クラブ/文芸部さんの生徒さん、先生方も。
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詳しくは帰りましてからレポート致します。

DMM.comさんから配信されているブラウザゲームを元にした演劇です。

文豪とアルケミスト 紡グ者ノ序曲(プレリュード)

東京公演
 期 日 : 2025年5月1日(木)~5月11日(日)
 会 場 : IMM THEATER 東京都文京区後楽1丁目3-53
 時 間 : 5月1日(木) 18:00~        5月3日(土・祝) 12:30~ 17:30~
          5月4日(日) 12:30~ 
17:30~  5月6日(火・振) 13:00~
       5月7日(水)  18:00~       5月8日(木)  13:00~
       5月10日(土)   12:30~ 17:30~   5月11日(日)  12:00~ 17:00~
 休 演 : 5月2日(金) 5月5日(月・祝) 5月9日(金)
 料 金 : 全席指定 10,000円(税込)学割5,000円(税込)

京都公演
 期 日 : 2025年5月17日(土)・5月18日(日)
 会 場 : 京都劇場 京都市下京区烏丸通塩小路下ル 京都駅ビル内
 時 間 : 5月17日(土) 12:30~ 17:30~  5月18日(日) 12:00~ 17:00~
 料 金 : 全席指定 10,000円(税込)学割5,000円(税込)

太宰治らと共に帝國図書館を救い絶筆した北原白秋。

転生を選ばず、再び復活を遂げようとする悪しきアルケミストを葬る術を見出すため、負の感情が充満する生と死の狭間に留まっている。一方、石川啄木、高村光太郎そして小泉八雲は、北原白秋を転生させるべく目論み、また久米正雄と直木三十五は、深い親交のある文豪を探し求めていた。

そんな折、アルケミスト・ファウストと出会った文豪たちは、「かつて文学で世界を救おうとした青年」について聞かされる。

終わらない侵蝕を食い止めるため己の文学を信じ、文豪たちは戦いへと赴く。

キャスト
 北原白秋:佐藤永典   石川啄木:櫻井圭登
 高村光太郎:松井勇歩  久米正雄:安里勇哉(TOKYO流星群)
 直木三十五:北村健人  小泉八雲:林光哲
 ファウスト:原貴和   青年:松村龍之介
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舞台化は第8弾だそうで、前作「旗手達ノ協奏(デュエット)」に続き、光太郎が登場します。演じられるのは前作と同じ松井勇歩さん。
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前作はDVDで拝見しましたが、「転生」した「文豪」たちがそれぞれの得意な武器を手に、「侵蝕者」たちとド派手な大立ち回り。そういう系の役者さんたちですので、殺陣はなかなかの迫力、美しいと思いました。

この系列をご紹介する際にはいつも書いていますが、こういうアプローチから文豪たちに触れていくのも有りでしょう。ただし、そこからさらに進んでそれぞれの作品や生きざまに深く触れていっていただきたいものです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

昨夜は感激しました、とうとう見たとおもひました、どれもおもしろく見ましたが、いかにもあなたが踊りそのものになり切つてゐることを感じました。最後の場面などはあなたが踊りに踊りぬいたといふ感じをうけました、


昭和27年(1952)12月1日 藤間節子宛書簡より 光太郎70歳

藤間節子(後に黛節子と改名)は、大正10年(1921)生まれの舞踊家。戦時中から光太郎に親炙し、その許しを得て昭和24年(1949)、帝国劇場で『智恵子抄』をモチーフにした舞踊を発表しました。『智恵子抄』がこの手の舞台芸術で取り上げられた嚆矢です。翌年には再演も為されています。光太郎生前には藤間の舞踊が唯一の二次創作でした。

昭和24年(1949)の初演から、藤間は光太郎に観に来て欲しいと言い続けていましたが、花巻郊外旧太田村に蟄居中はそれが叶わず、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京したため、初めてリサイタルに足を運んだわけです。ただし、この年のリサイタルでは「智恵子抄」は上演されませんでした。

客席にいる光太郎の姿を写した写真が残っています。
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光太郎の右隣が小川未明、さらにその右隣が高松宮夫妻です。

「文豪とアルケミスト」の舞台も、若い頃から芝居好きだった光太郎、魂となって客席から見ているかも知れません(笑)。

茨城県から演劇公演の情報です。

百景社アトリエ公演2025『売り言葉』

期 日 : 2025年4月26日(土)~4月29日(火・祝)
会 場 : 百景社アトリエ 茨城県土浦市真鍋3-10-18
時 間 : 4月26日(土)14:00 4月27日(日)13:00 / 17:00
      4月28日(月)19:00 4月29日(火・祝)14:00 
料 金 : 一般:3,500円 高校生以下:1,000円

彫刻家であり詩人でもあった高村光太郎が、妻・智恵子のことを綴った『智恵子抄』――純愛詩集として知られたこの作品を題材として、劇作家・野田秀樹が"智恵子"側の目線から描いたのが「売り言葉」です。一人芝居として書かれたこの戯曲を、百景社の山本晃子、鬼頭愛に加え、久保庭尚子を客演に迎えて、女優3人で上演します。百景社の3年ぶりのアトリエ公演です。
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野田秀樹氏脚本による演劇「売り言葉」。初演は平成14年(2002)、南青山スパイラルホールさんで智恵子役・大竹しのぶさんによる一人芝居でした。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後プロアマ問わず多くの劇団さんや個人の方による公演が全国で行われています。確認出来ているかぎり昨年は新宿区の雑遊さんで「平体まひろ ひとり芝居『売り言葉』」公演があり、今年に入ってからも兵庫県姫路市で劇団プロデュース・Fさんの「第76回アトリエ公演 売り言葉」が上演されました。

大竹しのぶさんによる初演時に忠実に一人芝居で行われる場合と、複数の役者さんで分担される場合と両方がありますが、今回は後者です。どのように役分けをされるのか、そのあたりが演出家の方の工夫の見せどころという感じです。

「売り言葉」公演を紹介するたびに書いていますが、野田氏の脚本、この手のものの中では光太郎ディスり度が最も高く、上演を観られた方のSNS等拝見すると「光太郎が嫌いになった」という御意見も目立ちます。ただ、光太郎のモラハラ的な部分も確かに前面に押し出されていますが、智恵子自身が「かくあらねば」という自縄自縛に陥り、自業自得という描き方にもなっています。まぁ、そこに気づけなかった、或いは気づいていても的確に対応しなかった光太郎、というふうにも捉えられますが……。

とにかく光太郎智恵子の世界、単なる純愛の物語というわけではありませんし、単純に無理解だった夫の引き起こした悲劇とも言えません。そのあたりが充分に表現されることを祈念いたします。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

このほどはリンゴ二箱の御恵贈をうけ、まことにありがたく存じます、東京に来てみると、まるで比較にならぬほど二六園のリンゴは美味で、皆に喜ばれます。皆驚嘆してゐます。

昭和27年(1952)10月29日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎70歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため花巻郊外旧太田村から上京したのが10月12日。かつて光太郎の花巻疎開やその後の生活に援助を惜しまなかった佐藤隆房医師からリンゴが中野のアトリエに届きました。

「二六圓」は自宅のかたわらに佐藤が作ったリンゴ園。太平洋戦争開戦前、日中戦争は既に泥沼化していた時期、佐藤が院長を務めていた総合花巻病院で汲み取った入院患者などの糞尿をどうするか、世の中はもはやそういったこともきちんと対応出来なくなっており、苦肉の策として肥料にするために作りました。佐藤の随筆集『非常の時』(昭和57年=1982)に記述がありますが、ただの畑での野菜類だとあまり大量の肥料は逆に毒になるところ、リンゴならそれが防げるのだそうで。「二六」は昭和15年(1940)のいわゆる皇紀2600年にちなむ命名です。

実際、岩手のリンゴ、関東のスーパーなどで買うものとは全く別物です。当方も冬場に花巻に行く際はかならず道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんで箱買いし宅配便で自宅に発送、さらに東北新幹線新花巻駅前の山猫軒さんで袋詰めのものを購入して帰ります。

4月に入ってのイベント情報、音楽ライブと朗読会で同じ日に行われる2件をご紹介します。

まずは光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン系歌手・モンデンモモさんのライブ。このところ島根の方を拠点にされてミュージカル等に携わられることが多かったようですが、久しぶりに「智恵子抄」メインです。

BOOK CAFÉ LIVE モモの智恵子抄

期 日 : 2025年4月4日(金)
会 場 : 狐弾亭 東京都立川市羽衣町1-21-2
時 間 : 18:15~20:00
料 金 : 3,500円

一部 智恵子の瞳  二部 次回予告編 宮沢賢治物語『アウシュビッツの壁』

出演 歌 モンデンモモ ギター たしまみちを


ご予約開始いたします。妖精の身元に!!素晴らしい空間です、席がほんの少しです。すでにご予約いただいていて急がれてください。満席になり次第締め切らせていただきますね。ごめんなさい。妖精さんのお席も用意します🧚
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もう1件、朗読会は宮崎県から。

劇団ぐるーぷ連 第134回朗読LIVE がんばれどうぶつ

期 日 : 2025年4月4日(金)
会 場 : ぐるーぷ連 劇工房 宮崎県東諸県郡綾町北俣4010-7
時 間 : 14:00~
料 金 : 1,000円

構成 実広健士
出演 劇団ぐるーぷ連 井上貴子・前本俊一 ことばの教室 原口奈々
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新美南吉/ごん狐       和田誠/おさる日記  筒井康隆/狸 高村光太郎/道程・牛
花岡大学/百羽のツル
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劇団ぐるーぷ連さん、毎月の月初めに朗読ライブをなさっているそうで、その都度テーマというかタイトルというかを決めて作品を選ばれているようです。今月は「弥生3月花の咲く」。そして来月が「どうぶつがんばれ」だそうで、光太郎詩「牛」(大正2年=1913)を取り上げて下さいます。ありがたし。100行越えの長大な詩ですのでなかなか大変とは存じますが、それだけに聴き応えはあるでしょう。

それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

今度の仕事の事では学校として心配して下さつて忝く存じます、うまくアトリエが借りられて万事好都合でした、


昭和27年(1952)7月19日 石井鶴三宛書簡より 光太郎70歳

石井は新制の東京藝術大学教授を務めていた彫刻家。光太郎が生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作を始めるにあたり、アトリエの心配をしてくれていたようです。もしかすると学校の施設を使ってもよい的な申し出もあったかも知れません。結局、中野の中西利雄アトリエを借りることがこの頃には決まっていました。

まず都内から演奏会情報です。

朝岡真木子歌曲コンサート 第8回

期 日 : 2025年3月30日(日)
会 場 : 王子ホール 東京都中央区銀座4-7-5
時 間 : 14:00開演(13:30開場)
料 金 : 一般 4,500円 学生券2,000円(全席自由)

曲 目 
 「春宵感懐」 詩:中原中也 
 「さくらの はなびら」 詩:まど・みちお
 組曲〈春にあこがれ〉 詩:星乃ミミナ
 「なぎさ」 詩:木下宣子
 「さんまのうた」 詩:大竹典子
 「秋の手紙」 詩:こわせ・たまみ
 「雪に」 詩:金子みすゞ
 「冬が来た」 詩:高村光太郎
 「ピカドンが落ちたとき」 詩:山中茉莉 新作
 「日本列島」 詩:岡崎カズヱ 新作
 組曲〈人間家族〉より「愛」「欲望」 詩:野上彰 新作
 「わたしは魔女」 詩:冨永佳与子
 「しゃなりとあるく」 詩:矢崎節夫
 他

出 演
 木内弘子(ソプラノ) 黒川京子(ソプラノ) 白須ヒロミ(ソプラノ)
 三縄みどり(ソプラノ) 清水邦子(メゾ・ソプラノ) 紀野洋孝(テノール)
 馬場眞二(バリトン) 朝岡真木子(作曲・ピアノ)
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光太郎詩をテキストに「組曲 智惠子抄」を作曲なさった作曲家・朝岡真木子氏の歌曲作品が演奏されるコンサートです。ピアノは朝岡氏ご自身です。

今回は、「冬が来た」がプログラムに入っています。歌唱はテノールの紀野洋孝氏だそうです。紀野氏、あちこちで別宮貞雄作曲歌曲集《智恵子抄》の全曲や抜粋を取り上げられて歌われていた方です。一昨年には初台の東京オペラシティさんでのリサイタルで拝聴いたしました。

「朝岡真木子歌曲コンサート」には、一昨年、昨年とお邪魔し、今年も伺うつもりでいて招待券も頂いていたのですが、他の雑用のため残念ながら欠礼させていただきます。実は既に「チケット完売」と布告されていますが、当方欠礼分一席空きましたし(笑)、キャンセル等あるかもしれません。

もう1件。こちらは今日です。それまで曲目はフライヤー画像のみで、一昨日になってX(旧ツイッター)上に「2ステで演奏する「レモン哀歌」(詩:高村光太郎  曲:西村朗)」という語が出て、昨日気づいた次第ですが、記録のためにも載せておきます。

千葉県立千葉中学校・千葉高等学校合唱部 第17回定期演奏会

期 日 : 2025年3月21日(金)
会 場 : J:COM浦安音楽ホール 千葉県浦安市入船1丁目6-1
時 間 : 19:00開演(18:30開場)
料 金 : 無料(全席自由)

曲 目
 混声合唱のための「うたⅡ」より さくら  日本古謡 作曲 武満徹
 Psaim 43 Richte mich,Gott 作曲 Felix Mendelssohn
 混声合唱とピアノのための組曲 レモン哀歌 作詩 高村光太郎 作曲 西村朗


出演
 千葉県立千葉中学校・千葉高等学校合唱部
 指揮 山宮篤子 ピアノ 松原賢司 賛助出演 Chœur Clarté

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一昨年亡くなった西村朗氏作曲の「混声合唱とピアノのための組曲「レモン哀歌」」(平成20年=2008)が演奏されます。3曲から成る構成で、「千鳥と遊ぶ智恵子」「山麓の二人」そして「レモン哀歌」。フライヤーにレモンがあしらわれ、これがメインステージという扱いでしょうか。

ところで、以前にも書きましたが、こうした演奏会系の告知は曲目まで活字にしていただきたいものです。「誰が」演奏するのかももちろん大切ですが、「何が」演奏されるのかもそれと同程度に(あるいはそれ以上に)重要な情報と思います。「この曲が演奏されるなら行ってみよう」というのがあると思いますので……。

【折々のことば・光太郎】

十日間ばかりの旅行で十和田湖から帰つてまゐりましたが、用事の始末をつけるのに暇どつて中々厄介です。モニユマンは製作することにきめましたが、製作が冬季になるのと助手、モデル使用の都合、用具調整、石膏型取り、鋳造等の便宜上仮アトリエは東京に造り、製作中小一年は東京に居らねばならなくなるかも知れません。


昭和27年(1952)6月28日 佐藤隆房宛書簡より 光太郎70歳

十和田湖への下見を経て、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作を引き受けることを決意しました。同時にさまざまな都合も考え、上京することも。ただ、この時点では中西利雄アトリエを借りる算段はまだついていませんでした。
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3月21日(金)追記:「智恵子抄」は上映中止だそうです。
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都内から映画の上映情報です。

没後10年 原節子をめぐる16人の映画監督

期 日 : 2025年3月8日(土)~4月4日(金)
会 場 : 神保町シアター 東京都千代田区神田神保町1-23
料 金 : 一般 ¥1,400 シニア ¥1,200 学生 ¥1,000 U29ペア割引 ¥2,200
      毎週水曜ファン感謝デー どなた様も1,100円均一
      毎月1日映画サービスデー どなた様も1,100円均一
      夕暮れ割 平日3回目の上映 1,100円均一
      誕生日割 誕生日当日 1,100円均一(ご本人のみ、要身分証提示)

今年は伝説の女優・原節子の没後10年にあたります。 これまで神保町シアターでは2度にわたり原節子特集を行ってきましたが、今回は、すべて監督の違う16本の出演作をプログラムしました。
小津安二郎監督作品のミューズとして今もなお世界中で愛され続ける不世出の女優が、監督の違う16本の映画で、それぞれどんな貌をみせているのか。絶世の美女でありながら、文芸ものの難役から洒脱なコメディまで幅広い役に挑んだ女優人生を、新たな趣向で振り返ります。
錚々たる監督陣による、めくるめく原節子の世界――ぜひスクリーンでご堪能ください。
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「没後10年 原節子をめぐる16人の映画監督」としては3月8日(土)から始まっており、4期に分けての上映で、3月22日(土)~3月28日(金)の第3タームに熊谷久虎監督の東宝映画「智恵子抄」(昭和32年=1957)が含まれています。もちろん智恵子役が原節子さんです。最上部メインのフライヤーで右下。
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二本松の実家に光太郎ともども訪れたというシーンから。全体像がこちら。
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原さん扮する智恵子の左に光太郎役の山村聰さん(山村さんは戦時中にラジオ放送で光太郎の翼賛詩の朗読をなさったこともあります)、さらに左は智恵子の両親で柳永二郎さんと三好栄子さん。柳さんは有楽座、三好さんは島村抱月・松井須磨子の芸術座ご出身。共に光太郎智恵子が観劇に訪れていた記録があります。もはや歴史上の人物、という感じでクラクラします(笑)。

ちなみにこのシーンで原さんが手にされているのは、光太郎木彫「蟬」。美術さんが作った小道具ではなく、実物かもしれません。「座談会 三人の智恵子」(昭和32年=1957 6月1日『婦人公論』第42巻第6号)から、原さんの発言。

映画ではクローズ・アップのときは本物を使うんですが、ふだんはやはり偽物でやってます。セミは富山県の人がもっていらっしゃってそれをわざわざご本人が夜行列車でもってきてくれました。そして、「智恵子さんが最後までもっていらしたセミですから、あんたもうまくやんなさい」と云われて困っちゃった。

このシーンが「クローズ・アップのとき」かどうか判断に迷うところですが。

「智恵子抄」、原さんの出演作品の中では、評価の高いものではありません。まぁ、そちらは原さんの他の出演作品と比較しての相対評価で、この映画だけの絶対評価として考えると、そう悪い出来ではないと思います。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

今日の佳き日を卜して御依頼の標榜二枚を書きましたのでいつでもお手渡し出来ます

昭和27年(1952)4月29日 帷子敏雄宛書簡より 光太郎70歳

御依頼の標榜二枚」は、岩手県北部の川口村(現・岩手町)の公民館と図書館の看板です。共に現存しますが、風雨にさらされて墨が流れ落ち、文字は殆ど判別出来ません。

今日の佳き日」は天皇誕生日ですね。

3月13日、光太郎生誕142周年となりました。

それに合わせたわけでもないのでしょうが、兵庫県姫路市で明日から公演が始まる劇団プロデュース・Fさんの第76回アトリエ公演「売り言葉」。野田秀樹氏作の演劇で、智恵子を主人公とした一人芝居です。

『神戸新聞』さんに予告報道が出ています。

「智恵子抄」の背後描く 劇団プロデュース・Fの「売り言葉」 14~16日、姫路・本町で公演

 姫路市を拠点に活動する「劇団プロデュース・F」が14~16日、同市本町の劇団アトリエで公演を開く。高村光太郎の名作詩集「智恵子抄」の背後に潜むドラマを舞台化した「売り言葉」を上演する。
 「売り言葉」は人気劇作家・野田秀樹さんの作で、2002年に初演された。高村は詩の中で、純愛の対象として智恵子を描いているが、現実には高村から自由を束縛され、苦悩していた智恵子の姿を描く。舞台では、高村と智恵子の出会いと愛、心の溝の深まりなどをリズム良く、ユーモアも交えて演じる。同劇団が取り上げるのは、2回目。
 自分を見失い、本音を言えなくなった智恵子に代わり、高村の身勝手をとがめる「女中」が重要な役割を果たす。演出のひさたにとしかずさん(76)は「2人の愛の物語だけではなく、自然に振る舞えなくなった人間の葛藤、自由な発言を封じる圧力にも重点を置き、奥行きのある舞台にしたい」と抱負を語る。
 開演時間は、14日午後7時▽15日午前11時と午後3時▽16日午後2時。一般2千円、高校生以下千円。要予約。ひさたにさんTEL090・3656・7814
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先月、大阪で上演された、光太郎智恵子を登場人物とした2人芝居「吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり」の際も『毎日新聞』さんが予告報道を出して下さり、おそらく観客動員に貢献されたことと思われます。今回もそうなることを期待します。

さて、「自分を見失い、本音を言えなくなった智恵子に代わり、高村の身勝手をとがめる「女中」が重要な役割を果たす。」だそうで、そのあたりが今回の演出の肝なのでしょう。平成14年(2002)の大竹しのぶさんによる初演では、大竹さんが主人公・智恵子、光太郎、そして狂言廻し的な「女中」と、三役を演じ分けられましたが、今回は「女中」は「女中」でお一人の方が演じられるようです。過去の他団体の公演でもそういうケースがありました。やはり「劇団」として演(や)られるとなると、一人芝居では……ということなのでしょうか。

この報道を読んで「面白そう、行ってみよう」という方が少しでも多くなることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

書を書く事は承諾します。あまり大げさな頒布会にしないやうに願ひますし、主催は貴下の名に願ひます。


昭和27年(1952)4月13日 宮崎稔宛書簡より 光太郎70歳

智恵子の姪にして、南品川ゼームス坂病院で智恵子の最期を看取った看護婦だった春子の夫・宮崎稔が光太郎の書の頒布会を企画しました。書に強い興味関心を持っていた光太郎も乗り気でしたが、結局、実現せずに終わったようです。

昨日は横浜に足を伸ばしておりました。

メインの目的は、旧知のフルート奏者・吉川久子さんのコンサート。
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先月初め、光太郎終焉の地・中野の中西利雄アトリエ保存の件で、『東京新聞』さんの取材を受けたのですが、その仲介をして下さったのが、吉川さん。その取材の際には吉川さんも同席され、その折に招待券を頂いてしまいまして、花束を抱えて馳せ参じた次第です。

会場は港の見える丘公園内のイギリス館さん。

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一昨年、箏曲奏者の元井美智子さんのコンサートもここで開かれ、それ以来でした。

吉川さん、以前には「智恵子抄」からのインスパイア的な曲も作られ、コンサートで披露なさいましたが、今回は特に光太郎には関わらないだろうと思っていて、事前にはご紹介しませんでした。しかし、さにあらず。
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波多圭代さんという方のピアノ伴奏に乗せてのフルート演奏の合間に、浅井理恵子さんというによる古今の文学作品等の朗読が入り、「冬景色」の前に光太郎詩「冬が来た」の朗読もなさって下さいました。
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終演後に吉川さんとお話しさせていただき、その中で「今度「冬が来た」という曲を作ります」とのこと。ありがたいお話です。

ちなみに今回のコンサートでは、光太郎とも縁の深い宮沢賢治の「春と修羅」インスパイアの曲、賢治の作詞作曲と言われ、東北新幹線新花巻駅の発車メロディーにもなっている「星めぐりの歌」も演奏なさいました。発車メロディーと言えば、JR横須賀線鎌倉駅の発車メロディーが吉川さんの演奏による「鎌倉」でしたが、現在でも使われているのでしょうか。最近、鎌倉駅には降り立っていないので解りません。
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多方面でご活躍中の吉川さんですが、今後のさらなるご飛躍を祈念いたします。

さて、そちらが午後からでしたので、午前中には同じ港の見える丘公園内の神奈川近代文学観さんにお邪魔しておりました。
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例によって閲覧室での文献調査です。あまりめぼしい成果はなありませんでした。『××』という書籍や雑誌に光太郎の書簡が掲載されているという情報を得て調べたところ、既知のものだったり……。

しかし一点だけ。昭和14年(1939)の雑誌『新風土』第2巻第11号に、当会の祖・草野心平による光太郎論が載っていたのですが、それに添えられた光太郎の写真(左下)。土門拳の撮影で、最初、他の書籍等にも掲載されている既知のもの(右下)かと思ったのですが、別のショットでした。
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既知のものではぼやけてしか写っていない右手に持った彫刻刀(鑿?)がはっきり写っています。また、手前にも。「ほおー」という感じでした。

彫っている木彫は、新潟の素封家にして美術愛好家・松木喜之七の注文による「鯉」。しかし、結局、光太郎自身が納得のいくものが出来ず、断念してしまいました。そうこしているうちに松木は太平洋戦争末期、もういい年だったにもかかわらず「根こそぎ動員」で徴兵され、戦死。戦後、その報に接した光太郎は非常に心を痛めました。

昨日のめぼしい収穫はこれだけでした。しかし、最近、同館に未知の光太郎書簡が複数寄贈されていて、そちらは「特別資料」という扱いになっています。そちらは事前に閲覧申請をして見せていただく形になっており、そのための申請書を貰ってきました。今月20日以降、改めて行って参ります。

なぜ20日以降かというと、20日に同館で以下の特別展が始まるためです。

特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」

期 日 : 2025年3月20日(木)~5月18日(日)
会 場 : 神奈川近代文学館 
時 間 : 午前9時30分~午後5時
休 館 : 月曜日(5月5日は開館)
料 金 : 一般700円(500円)、65歳以上/20歳未満及び学生350円(250円)、
      高校生100円(100円)、中学生以下は無料 ( )内は20名以上の団体料金

 卓越した知性を内包し、詩歌を読み、書き、その魅力を余すところなく発信した大岡信(おおおか・まこと 1931-2017)。批評『現代詩試論』でデビューしたのち、詩集『春 少女に』などで愛や生きる歓びをうたい、ライフワーク「折々のうた」では詩歌を人びとにとって身近なものとしてきました。その織り成す言葉は、人びとを魅了し続けています。
 当館では2020年以降、大岡家をはじめとする方々から大岡の遺した書、原稿、創作ノート、書簡などを受贈し、「大岡信文庫」として保存しています。本展ではこれらの資料を中心に〈おおらかな感性の詩人・大岡信〉の生涯を追いながら、広く人びとにひらかれた、豊かな言葉の世界を展開します。
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平成29年(2019)に亡くなった大岡信氏の回顧展的な。

光太郎がらみで、氏が『朝日新聞』さんに連載されていた「折々のうた」の原稿(光太郎短歌を取り上げて下さった第一回のもの)が展示されます。
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こちらを併せて拝見しようと思っておりますので。

皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

おハガキと小包と一昨日到着、感謝。十三日の誕生日をおぼえてゐて下さるのは何だか恐縮の気がします。


昭和27年(1952)3月13日 椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎70歳

3月13日(来週ですね)は、光太郎の誕生日です。数え年の習慣では年明けと共に70の古稀となりましたが、満年齢では69歳ということになります。

ちなみに昭和24年(1949)には「年齢のとなえ方に関する法律」が制定され、公的な場面では数え年ではなく満年齢を使うようにとされました。

先頃、日本芸術院新会員となられた野田秀樹氏作の演劇「売り言葉」。初演は平成14年(2002)、南青山スパイラルホールさんで智恵子役・大竹しのぶさんによる一人芝居でした。

光太郎智恵子の世界を劇化したものとしては、最も多く公演が続けられているでしょう。コロナ禍前の令和元年(2019)には、確認出来ている限り6組もの劇団/個人の方が全国で上演して下さいましたし、令和2年(2020)には3公演、コロナ禍を経て令和4年(2022)で2公演、一昨年と昨年も1公演ずつ確認出来ています。

で、今月は兵庫県で。

劇団プロデュース・F 第76回アトリエ公演「売り言葉」

期 日 : 2025年3月14日(金)~3月16日(日)
会 場 : 劇団プロデュース・Fアトリエ 兵庫県姫路市本町233岸田ビル3階
時 間 : 3/14 19:00 3/15 11:00/15:00 3/16 14:00
料 金 : 一般2,000円 高校生以下1,000円

人間が今まで書いてきた男と女の愛の物語はすべて嘘かもしれない あなたとの愛を選ぶ………… 選ぶの中にラブを見つけた 選ぶというラブの残酷 世界は目と鼻の先にしかない その世界は幸福な世界だ そこに貴方は住んでいる

今回もゲストお二人をお迎えしております。高村光太郎の詩「智恵子抄」 妻、智恵子との純愛とは。

出 演 : 駒崎有美 前田宣博 高見めぐみ 小林みね子 中島あると
演 出 : ひさたにとしかず
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キャストとして5名の方がクレジットされています。初演では大竹しのぶさんお一人の一人芝居でした。大竹さんが主人公・智恵子、光太郎、狂言廻し的な「女中」と三役を演じ分けられるという感じで。しかし、いろいろ大人の事情などでそれを破る公演も今までに為されていました。そのあたりは演出の範囲内でしょう。

光太郎ディスり度の最も高い脚本ですが、単に光太郎を悪者にして、才能を潰されたかわいそうな智恵子、というだけでなく、智恵子は智恵子で自分で自分の首を絞めている姿が描かれ、実に考えさせられます。

ご興味お有りの方、ぜひどうぞ。

ちなみに来月になりますと、茨城の劇団さんによる公演が土浦市であるとのこと。また近くなりましたら詳細をお伝えいたします。

【折々のことば・光太郎】
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ソツギ ヨウシキヲシユクス」ユカレズ テザ ンネン


昭和27年(1952)3月7日 
森口多里宛電報より 光太郎70歳

そろそろ卒業式シーズンですね。

森口は昭和23年(1948)に開校した岩手県立美術工芸学校長でした。同校教員には画家の深沢省三・紅子夫妻、彫刻家の舟越保武、堀江赳らがいました。光太郎は名誉教授就任を打診されましたが断り、その代わりことあるごとに同校を訪れ、生徒に講話をしたり、祝辞や祝電を寄せたりしました。

同校は、その後、盛岡短期大学美術工芸科を経て、岩手大学特設美術科に移行、現在に至ります。

購入・視聴しました。DMM.comさんから配信されているブラウザ・アプリゲーム「文豪とアルケミスト」(文アル)を舞台化した劇場公演(文劇)の第七弾、光太郎も登場人物として名を連ねた昨夏の「旗手達ノ協奏(デュエット)」を収録したDVD
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七作目にして初めて光太郎が登場人物として名を連ねました。演じられたのは松井勇歩さん。
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主人公は、谷佳樹さん扮する志賀直哉で、他に武者小路実篤(杉江大志さん)、有島武郎(杉咲真広さん)、里見弴(澤邊寧央さん)の「白樺派」、そこに囚われの身となった小林多喜二(泰江和明さん)がからみ、石川啄木(櫻井圭登さん)、広津和郎(新正俊さん)、そして光太郎が協力して悪に立ち向かう、という相関図です。

そもそも原作のゲームは「転生」した文豪たちが文学作品を蹂躙する「侵蝕者」たちと闘う、というものなので、8人の文豪はそれぞれに得意な武器(光太郎はライフル(笑))を手に「アンサンブル」という敵の戦闘員と大乱闘。そこで大立ち回りのアクションシーンが中心です。
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キャストの皆さん、他に「刀剣乱舞」や「信長の野望」といったやはり激しい殺陣を伴うであろう舞台に出られている方々が中心のようで、そういう役者さんでないとこれは出来ないな、と納得しながら拝見しました。

ただ、そうしたど派手な活劇シーンのみではなく、文豪たちがしみじみと語り合うシーンも。ラスト近く、主人公の志賀直哉が「侵蝕者」について「それほど怖れているんだろうな、文学の力を。文学によって人々が共感したり、考えたり、心が動かされたりすることを」と語っていました。現実世界の小林多喜二は昭和8年(1933)、まさにそのような考えを持つ者たちによって虐殺されたわけで、文アル・文劇ファンの若い方々、そういう点をしっかり学んでいただきたいものです。

DVDは2枚組。「本編」として公演を撮影したものが1枚と、「特典映像」としてメイキングやキャストの方々の座談会(光太郎役の松井さんが司会進行の部分も)などを収めたものが1枚。
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18ページのブックレット、さらにおまけとしてステッカーも封入されています。
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ご興味おありの方、ぜひお買い求めを。

ちなみに、劇場版「文豪とアルケミスト」、第八作「紡グ者ノ序曲」の公演が5月にあり、松井さん演じる光太郎が再び登場します。また近くなりましたらご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

たまに花巻に出る事があつても電車の時間の都合で中々お立寄が出来ず失礼いたして居ります。皆様によろしく。


昭和27年(1952)3月5日 宮沢清六宛書簡より 光太郎70歳

宮沢賢治実弟の清六に宛てた書簡の一節。「皆様」には賢治や清六の両親、政次郎・イチも含まれているのでしょう。

ゲームとしての「文アル」には賢治も登場し、令和4年(2022)には花巻の賢治記念館や光太郎老記念館などでゲームとのタイアップ企画のスタンプラリーが行われました。「文劇」では未だ賢治は登場していませんが、今後、どうなるのでしょうか。

地方紙『福島民友』さんに「マイストーリー」という連載があります。「福島県で輝きを放つ人たち、ふくしまをもり立てようと頑張っている人たちの生き方を紹介していく連載」だそうで、一人の方に対するインタビュー記事が断続的に十数日間載せられています。

過去の記事を調べてみましたところ、親しくさせていただいている女優の一色采子さん、元エアレースパイロットの室屋義秀氏など、このブログでご紹介させていただいた方も取り上げられていました。

今年に入ってからは、テレビの通販CMでおなじみの夢グループ社長・石田重廣氏、そして落語家の桂幸丸師匠が取り上げられています。
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で、幸丸師匠。現在の須賀川市のご出身だそうで、桂米丸師匠に古典落語を学び、さらに福島ゆかりの新作も多数創作されています。そうした来し方や、最近のコロナ禍でのご経験など、全11回の連載でした。
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その第9回。

自分らしい道、見つけた 落語家・桂幸丸

 レギュラーのテレビ番組や営業が減り、追い詰められた私。「しっかりしなくちゃ」。心を入れ替えて独演会により力を入れ、「自分らしい落語」を追求しました。
 落語家30周年を迎えた2004年、「福島にまつわる落語を作ろう」と思い立ちました。考えたのは当時、新千円札の肖像に決まり盛り上がっていた野口英世博士の偉人伝。でも、なかなか面白おかしくできない。最初に東京の新宿末広亭で披露した時は、真剣に作り込み過ぎて、お客さんからは「(聞いていて)くたびれた」と酷評されました。
 30周年記念公演で披露しようと考えていたのに、さあどうしよう。公演は1週間後。お客さんに受けたところを赤ペンでマークして、受けなかったところはばっさり切って、つなぎ合わせてー。
 ごひいきのお客さんにアドバイスを求めると「落語はね、勉強会ではない。あくまで娯楽なんだ。一生懸命やらずに、漫画的に物事を捉えれば面白いんじゃない」との言葉。何とか改良版を作り上げて披露したら、良い反応があった。ほっとしました。
 その後も「幸丸流 近代偉人伝シリーズ」と銘打ち、福島ゆかりの高村智恵子や瓜生岩子、円谷幸吉、大河ドラマにも登場した新島八重らをモチーフに創作。大ヒットした映画「フラガール」に感動して「常磐ハワイアンセンター物語」も作りました。
 偉人伝は真剣にやろうとすると受けない。大事なのは「さあ聞いて、面白いよ。漫画のように気軽に楽しめるよ」と人を寄せるように演じること。作る際は偉人について本を読んだり、インターネットで調べたりして、自分なりにイメージをつかんで要所を押さえます。
 創作落語の口コミが広がり、テレビに出ていた時よりも仕事が増えました。「努力すれば報われる」と実感し、それまでの先輩や常連さんたちの言葉が身に染みました。「好きだったのは、落語じゃん」。原点に返ったことで、新しい話や自分らしさを生み出すことができたのです。
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平成19年(2007)初演の新作落語「幸丸流智恵子抄」、こうして生まれたのですね。当方、CDを所持しております。
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ある意味、悲劇的とも言える生涯を送った智恵子ですが、とにかく因習に抗して頑張った姿を軽妙な語り口で追いかけ、暗い話にはなっていません。

こういったことも一つの「地方創生」の姿だな、と改めて思わせられました。幸丸師匠、今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

先日は御丹精の靴下と写真とを忝なくいただきました。写真はやはり小生の苦手で、気味が悪いと思ひました。


昭和27年(1952)2月26日 宮静枝宛書簡より 光太郎70歳

宮静枝は岩手出身の詩人。光太郎とは戦前から交流があり、平成4年(1992)、『詩集 山荘 光太郎残影』(熊谷印刷出版部)を刊行し、第33回土井晩翠賞に輝きました。この詩集は、昭和26年(1951)の光太郎訪問を元にしたもので、巻頭のグラビアページには、光太郎写真が14葉も載っています。これらが光太郎の元に送られ、その返礼です。
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なかなかいい表情をしていると思うのですが、光太郎は写真嫌いでした。

日本芸術院さんの新会員15人が発表されました。

NHKさん報道。

日本芸術院 新しい会員に倍賞千恵子さんなど15人

 芸術の分野で顕著な功績のある人を集めた日本芸術院の新しい会員に、俳優の倍賞千恵子さんなど15人が選ばれることになりました。
 「日本芸術院」は功績が顕著な芸術家を優遇するための国の特別機関で、外部の有識者を交えた委員会や会員の投票を経て、新たに15人が会員に選ばれました。
 「絵画」の分野からは版画家の中林忠良さん(87)。「工芸」からは、工芸家の大樋年雄さん(66)、本名、奈良年夫さん。「建築・デザイン」からは、建築家の隈研吾さん(70)と建築家の坂茂さん(67)。「写真・映像」からは、写真家の十文字美信(77)さんと、写真家の畠山直哉さん(66)。
 「小説・戯曲」からは、小説家の多和田葉子さん(64)。「詩歌」からは、詩人の藤井貞和さん(82)。
 「歌舞伎」からは、俳優の中村魁春さん(77)、本名、平野豊栄さん。「文楽」からは、人形遣いの桐竹勘十郎さん(72)、本名、宮永豊実さん。「洋楽」からは、指揮者の尾高忠明さん(77)。「演劇」からは、演出家で劇作家の野田秀樹さん(69)と、俳優の橋爪功さん(83)。「映画」からは、アニメーション監督の富野由悠季さん(83)、本名、富野喜幸さんと俳優の倍賞千恵子さん(83)、本名、小六千惠子さんです。
 日本芸術院の新しい会員は、3月1日に発令されます。

なかなか錚々たるメンバーですね。

このうちのお三方が、軽く光太郎智恵子に関わります。

まず文楽の桐竹勘十郎氏。
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令和3年(2021)にいわゆる人間国宝に指定された際にもお伝えしましたが、NHK Eテレさんで放映中の「にほんごであそぼ」に準レギュラーとして時折出演され、文学作品の一節等を人形を遣いながら演じられています。光太郎詩も複数回、氏によって演じられました。
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続いて野田秀樹氏。
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智恵子を主人公とした演劇「売り言葉」。元々は大竹しのぶさんの一人芝居として野田氏が作られ、平成14年(2002)に南青山スパイラルホールさんを会場に初演されました。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後プロアマ問わずさまざまなところで上演されています。来月も兵庫県での公演があります。
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最後に建築家の坂茂氏。
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昭和6年(1931)、紀行文執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して毎年「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町のJR石巻線女川駅は、平成23年(2011)3.11の津波で全壊、同27年(2015)、新しい駅舎が完成しましたが、こちらの設計が坂氏でした。
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屋根は海鳥が翼を拡げた形。全国的にも珍しい温泉入浴施設を伴う駅舎で、当方、毎年女川滞在の際にはここで入浴しています。

ところで芸術院というと、我らが光太郎も晩年の昭和22年(1947)と同28年(1953)に会員に推挙されましたが、断っています(最初の推挙の際は前身の帝国芸術院)。

2度目の辞退の際の光太郎談話を数年前に見つけました。12月22日『毎日新聞』東京版に出た「芸術院会員を拒否 “人選に不明朗” 高村光太郎氏が批判」という記事に附されたものです。

芸術院会員とは人格、識見、技量ともわが国で最高の人々がなるべきである。ところが現在の芸術院はその生い立ちが不明朗なため必ずしもそういった人ばかりとはいえない。第二部はともかく第一部(造形美術部門)での初期の人選は民間の美術団体の不平分子のボスたちを黙らせる手段として、芸術院会員というエサを与えてたな上げにしようとした感があり、なかにはそれにふさわしくない人もいる。従って私は現在の芸術院は御破算にして再出発すべきだと思う。また私は彫刻家である。だから第一部門で選ばれるならわかるが、第二部門では不本意だ

さらに従来知られていた雑誌『新潮』に載った「日本芸術院のことについて――アトリエにて1――」中に、次の一節があります。おそらく、ここで言う「新聞」が上記談話を指していると思われます。

世上、新聞などで、辞退の理由として、現今の芸術院会員の人選について不満があるからといふやうに伝へられたが、これは間違で、現在の人事はまづあんなものだらうと思つてゐる。補充会員の選出方法については又別に意見があるが、それには今触れない。又新聞で、私が彫刻家であるのに文学部門から推せんされたのがをかしいといふので辞退したやうにも言はれたが、これは談笑の間に私が早解りするやうに、「それでは親爺におこられるよ」などといつたからであらう。

当時は第一部(造型美術部門)、第二部(文学部門)の二部構成で、光太郎は詩人として第二部会員に推挙されました。それが彫刻を第一の仕事と考えていた光太郎のプライドを刺戟したようですし、戦時中、大量に書き殴った翼賛詩によって多くの前途有為の若者を死地に追いやったという悔恨から、詩での栄誉に服することを潔しとしなかったのではないでしょうか。

芸術院側としては、「辞退」という「事態」(笑)を想定して居らず(現代ではよくあるようですが)、すったもんだがありました。光太郎に「辞退の理由を書面にして提出せよ」。それに対し光太郎は「そっちが勝手に推薦したのに何で俺が釈明しなきゃいかんのだ」。もっともですね。

ちなみに横山大観は戦前の帝国芸術院時代に会員となりましたが、戦後の昭和25年(1950)になって会員資格を返上しました。これはまたちょっと違うケースですね。

閑話休題、今回の新会員の皆々様方の、今後のさらなるご活躍を祈念いたしております。

【折々のことば・光太郎】

東京は相変らず歳末でごたごたしてゐる事でせう。山はほんにと静かです。


昭和26年(1951)12月24日椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、厳冬期ともなると訪れる人も少なくなり、煩わしさからは解放されました。

昨年7月に亡くなった作曲家・湯浅譲二氏の「お別れの会」が一昨日、サントリーホールさんで開催されました。

地方紙『福島民報』さん。

福島県郡山市出身の作曲家、湯浅譲二さんの功績しのぶ 「あれが阿多多羅山」など流れる 東京都内でお別れの会

 昨年7月、94歳で死去した福島県郡山市出身の作曲家で文化功労者の湯浅譲二さんのお別れの会は18日、東京都港区のサントリーホールで開かれた。
 音楽関係者ら約200人が参列した。お別れの言葉で、品川萬里郡山市長は「古里を思い、活動を続けていた。湯浅さんの功績と作品は多くの人に受け継がれる」と述べた。作曲家の池辺晋一郎さん、チェリストの堤剛さん、音楽学者の船山隆さん、作曲家の細川俊夫さん、作曲家の伊藤弘之さん、作曲家の藤枝守さん、作曲家のロジャー・レイノルズさんも湯浅さんとの思い出を振り返った。
 箏演奏家の吉村七重さん、ピアニストの高橋アキさんが追悼の演奏をささげた。遺族を代表して湯浅さんの長女玲奈さんが「作曲家冥利(みょうり)に尽きる人生だった」とあいさつした。湯浅さんが作曲した「あれが阿多多羅山」などが流れる中、参列者が献花した。
 湯浅さんは旧制安積中(現安積高)卒。慶応大医学部を中退し、詩人の滝口修造さんが主宰した前衛芸術家グループ「実験工房」で活動した。幅広い作品を手がけ、優れた邦人作曲家のオーケストラ作品を顕彰する尾高賞を5回受けるなど、数々の栄誉を手にした。国際現代音楽協会名誉会員、郡山市名誉市民。
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同じく『福島民友』さん。

郡山出身の作曲家・湯浅譲二さんの功績しのぶ 都内でお別れの会

 郡山市出身の作曲家で、昨年7月に94歳で死去した湯浅譲二さんのお別れの会が18日、東京都港区のサントリーホールで開かれた。音楽関係者ら約190人が参列し、日本の現代音楽の発展に貢献した功績をしのんだ。
 発起人で作曲家の池辺晋一郎さんや郡山市の品川萬里市長らがあいさつした。品川市長は「湯浅先生は常にふるさとを気にかけてくださった。市民を代表し、先生の作品や思いを末永く継承していくことをお誓いいたします」と湯浅さんの在りし日を振り返り、冥福を祈った。湯浅さんの作曲した「あれが阿多多羅(あだたら)山」が流れる中、参列者は遺影が飾られた祭壇に献花した。
 湯浅さんは国内外で活躍し、オーケストラや室内楽、合唱、電子音楽などを幅広く作曲。テープやコンピューターなど最新技術を駆使するとともに、グラフを用いた独自の作曲法を生んだ。1997年に紫綬褒章、99年に恩賜賞・日本芸術院賞、2007年に旭日小綬章、14年に文化功労者。17年に郡山市名誉市民に選ばれた。
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「お別れの会」で流された「あれが阿多多羅山」は、サブタイトルが「バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』による」。「智恵子抄」所収の「樹下の二人」(大正12年=1923)をテキストに使った独唱歌曲です。昨年11月に開催された湯浅氏の故郷・福島県郡山市の市制施行100周年記念式典音楽祭でもオーケストラ伴奏で演奏されました。

他にも湯浅氏には光太郎智恵子がらみの作品。作曲のみならず氏が作詞の補作も手がけられ、平成25年(2013)に制定された「二本松市民の歌」では3番までの各番歌詞の末尾が「ほんとの空が ここにある」。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)からのインスパイアですね。この曲はご当地体操「ほんとの空体操」の伴奏曲でもあります。

また、智恵子にも触れられた映画「原始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」(平成13年=2001)の音楽も、湯浅氏が担当されていました。
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当方、DVDを所持しております。
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ちなみに氏が亡くなったのは昨年7月ですが、直後に「お別れの会」が計画され始めたようで、発起人には、こちらも昨年亡くなった谷川俊太郎氏のお名前も。お二人のコラボによる楽曲も多く、岩手県や福島県の学校さんの校歌も多数。いろいろと人の縁の不思議さに感じ入っております。

氏の作品(特に「あれが阿多多羅山」、「二本松市民の歌」など)が今後とも愛され続けていってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

小生この頃荒くなつてゐます、小生の内の猛獣性の活躍してゐる證拠です、人間拒否を超えて、

昭和26年(1951)12月11日 照井登久子宛書簡より 光太郎69歳

青年期の終わり頃から壮年期にかけ、自らの内部に巣喰う荒ぶる魂を「猛獣」に仮託した連作詩「猛獣篇」が書かれましたが、数え70歳を目前にしたこの時期、再び「猛獣」の胎動を体内に感じています。翌年には生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の制作の話が舞い込み、再び粘土を手にするわけですが、そうした予感があったのかも知れません。

「智恵子抄」系の楽曲がプログラムに入った演奏会、2件ご紹介いたします。

開催日順に、まずは都内から。

SAWAMURA BAR.VOL23

期 日 : 2025年2月15日(土)
会 場 : 個人宅(澤村様) 練馬区光が丘7-6-7-304
時 間 : 15:00~
料 金 : 3,000円

出 演 : モンデンモモ(歌) 田嶌道生(ギター)

久しぶりに『智恵子』します。「案内」「十和田湖畔の裸像に与ふ」。懐かしい方にはなつかしいあの歌も『やっとあなたに逢えた』。やっと多くの人と逢えてます。なんか新しい展開。この時をまっていました。
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「智恵子抄」収録詩篇をはじめ、光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン系歌手・モンデンモモさんのミニライブです。

モモさん、最近は島根の方を活動拠点になさることが多く、「智恵子抄」系はあまり歌われていませんでしたが、久しぶりに、だそうです。

会場は集合住宅・光が丘パークタウンの一室。当方、平成27年(2015)にやはりこちらで開催された第13回の際にお邪魔しました。狭い会場だけに一体感が生まれていました。

もう1件。

第45回二宮演奏家協会コンサート 日本の名曲 世界の名曲

期 日 : 2025年2月16日(日)
会 場 : 二宮町生涯学習センターラディアン 神奈川県中郡二宮町二宮1240-10
時 間 : 13:30~
料 金 : 2,500円
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曲目に「レモン哀歌」が入っています。あまり大々的にには宣伝なさっていないようで、フライヤーに書かれている以上の情報がほとんど得られていません。そこで、どなたの作曲のものなのか不明ですが……。

それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

創元社本の誤植はすばらしいやうです。「荒涼たる帰宅」の最終行が「外は夕月といふ月夜らしい」とあるのは名誤植といへるでせう。


昭和26年(1951)9月26日 宮崎稔宛書簡より 光太郎69歳

「創元社本」は、この月に刊行されたハードカバーの『高村光太郎詩集』。編集は当会の祖・草野心平でした。とにかく豪快だった心平、こういう部分では神経が行き届かない面が確かにありました。
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言わずもがなですが、正しくは「夕月」ではなく「名月」です。

誤植にはとにかく気をつけたいものです。

明日、明後日と大阪府吹田市で公演が行われる「吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり」について、『毎日新聞』さんが予告を出しました。

光太郎と智恵子 悩み、寄り添う夫婦の物語 「a次元のふたり」

 詩人・彫刻家として知られる高村光太郎(1883~1956年)と、洋画家として活動した長沼智恵子(1886~1938年)。2人の出会いから夫婦としての日々までを描く舞台「a次元のふたり」が、8、9日、大阪府吹田市のメイシアター小ホールで上演される。
 関西の演劇人と同シアターが作る「SHOW劇場」シリーズの新作。高橋恵さんの作、上田一軒さんの演出で、光太郎を竹内宏樹さん、智恵子を佐々木ヤス子さんが演じる。芸術家としての理想と、意のままにならない身体や生活。その間で悩み、寄り添う夫婦の物語を2人芝居に仕立てた。
 「表現者としての野心と、思うようにいかない挫折感。若き日の2人には共感する部分が多い」。高橋さんはそう述べた上で「理想と現実のギャップを身体をキーワードとして描いた」と作劇の狙いを語る。
 上田さんは「光太郎も智恵子も、過剰とも言えるほどの理想を抱いていた。そんな2人の精神性も丁寧に浮かび上がらせたい。2人の葛藤や精神的なつながりが、言葉だけでなく身体的にも伝わる舞台になれば」と意気込む。
 8日午後3時と、9日午前11時・午後3時の3回公演。2000円。問い合わせは、メイシアター(06・6386・6333)
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予告記事が出るということは、それだけ注目されているようで嬉しく存じますし、記事を見て「行ってみよう」と思う読者の方もいらっしゃるでしょうから、しめしめです(笑)。

この手の演劇で、光太郎智恵子の世界を取り上げて下さる方がぽつぽついらっしゃるのは非常に有り難いことです。ところが、何年も前から「智恵子抄やります!」と大騒ぎしておいて、しかし一向に具体化せず、SNS等読むと頓珍漢な記述ばかり、さらに「私が」「私が」の連発で気味の悪い自撮り写真をずらり(しかし結局「私は誰々の弟子で」と七光り。自分が空っぽな人間の「あるある」ですね)、結局スタッフとぶつかって公演中止、そういう事態を恥じるでもなく中止した後もスタッフや他のキャストにぐだぐだ文句の連発を公開、そんな輩も居ます。

中止の前に「協力して下さい」と言うので「いいですよ」と返答したところ、中止したという連絡も無し。また「智恵子抄をやります」とか騒いでいますが、はたして上演までたどり着けるのかどうか……。最近では自分の過去の醜態は棚に上げて「役者とは」などと実にえらそーにのたまっていまして、ちゃんちゃらおかしいったらありません。こういう手合いには光太郎智恵子の世界に手を付けないで欲しいところです。たとえ上演となっても、このサイトでは紹介しませんのでよろしく。

閑話休題、「a次元のふたり」、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

コタツは炭酸ガスの害が意外にひどいやうなので木炭でなく電気コンロを使ふことにきめました。

昭和26年(1951)9月5日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎69歳

澤田の龍星閣が費用を負担して出来た小屋の増築部分。床に掘り炬燵用の炉が切ってありましたが、炭では一酸化炭素中毒の危険性があるということで、電気コンロを使っていました。元の小屋は隙間だらけでその心配はありませんでしたが、新小屋は意外と密閉性が高かったようです。

翌月に小屋を訪ねた佐久間晟・すゑ子夫妻の証言によると、ニクロム線を使ったなつかしい(笑)下記のようなタイプのものだったそうです。
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まず岡山県から演劇公演の情報です。

地方紙『山陽新聞』さん記事。

没後30年 永瀬清子の生涯たどる 2月9日 岡山・ハレノワで朗読劇

 現代詩の母と称される赤磐市出身の詩人永瀬清子(1906~95年)の没後30年に合わせ、朗読劇「永瀬清子物語VIII ラビリンスの旅人」が2月9日、岡山芸術創造劇場ハレノワ(岡山市北区表町)で上演される。 朗読グループ「白萩(はくしゅう)の会」が、永瀬の詩を交えながらその生涯をたどる。
  同会は永瀬と同郷で長年交流のあった竹入光子さん(78)=赤磐市=が約20年前に発足させ、12人が所属する。古里で農業をしながら詩を書き続けた永瀬の生きざまと作品の魅力を伝えようと、2011年に「永瀬清子物語I」を上演し、今回で8作目。 タイトルは<人の一生はラビリンス(迷路)の旅人のようなものだ>という永瀬の文章の一節から着想。結婚出産、高村光太郎らとの交流や宮沢賢治の詩との出合い、帰郷して農業を始めたことなど、メンバーが永瀬の詩を朗読しながら人生の転機となったさまざまな場面を演じる。
  「母として女性として人として、地に足を着けた力強い詩を書き続けた。岡山に素晴らしい詩人がいたことを多くの人に知ってほしい」と永瀬役の伊島久美さん(64)=岡山市北区。脚本と演出を務める竹入さんは「永瀬の詩には老若男女、誰の心にも響くものがある。物語を通してその詩が生まれた背景を表現したい」と話す。
 午前11時、午後3時開演。入場料2千円。岡山芸術創造劇場ボックスオフィス(086―201―2200)。
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公演の詳細。

朗読劇・永瀬清子物語Ⅷ「ラビリンスの旅人」

期 日 : 2025年2月9日(日)
会 場 : 岡山芸術創造劇場ハレノワ 岡山市北区表町3丁目11-50
時 間 : 午前の部 11:00開演/午後の部 15:00開演
料 金 : 全席自由 2,000円

“現代詩の母”郷土岡山の詩人・永瀬清子没後30周年記念公演

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女流詩人の草分けの一人にして、光太郎や当会の祖・草野心平らと交流を持った永瀬清子。光太郎、心平らと共に、かの宮沢賢治作『雨ニモマケズ』が「発見」されたという昭和9年(1934)に新宿モナミで開かれた賢治追悼の会にも居合わせ、詳細な回想を残しています。

その永瀬の忌日・紅梅忌が2月17日(月)でして、それに合わせての公演でしょう。イベントとしての紅梅忌は前日・2月16日(日)に赤磐市の永瀬の生家で執り行われます。
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ところで、演劇でもう1件。

2月11日(火・祝)に岩手県花巻市の花巻市文化会館で開催される「第67回元祖花巻わんこそば全日本大会」で、賢治や光太郎も登場する寸劇が行われるそうです。

フェイスブックでそうした書き込みを見つけ、問い合わせたところ「同じ会場内でホールは違いますがm(_ _)m13:40〜からゲリラ的に始まります」とのこと。ゲリラライブなのでネット上には公式な予告が出ていませんが、ご紹介しておきます。
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花巻といえば、また明日・明後日と花巻に行って参ります。例によって大沢温泉さんで雪見風呂としゃれこんで参ります。

【折々のことば・光太郎】

お問合の浮彫三尊仏は小生の作ではないやうに推定いたされます。小生これまで落款は縦に一行に入れてゐました。お示しのやうに枠内に二行に入れた事は記憶にございません。


昭和26年(1951)7月5日 神部健之助宛書簡より 光太郎69歳

光太郎生前から既に贋作が出廻っていたのですね。

大阪府から演劇の公演情報です。

吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり

期 日 : 2025年2月8日(土)・2月9日(日)
会 場 : 吹田市民劇場 大阪府吹田市泉町2-29-1
時 間 : 2/8 15:00~ 2/9 11:00~/15:00~
料 金 : 全席自由 2,000円

作 : 高橋恵 演出 : 上田一軒 出演 : 佐々木ヤス子/竹内宏樹

芸術家としての葛藤と夫婦の愛の物語
高村光太郎は意のままにならない肺に振り回されていた。長沼智恵子は意のままにならない自らの右手に苛立っていた。ある日智恵子は「太陽が緑色でもかまわない」という評論を目にし、作者に会おうとする。乱れた呼吸に喘ぎながら光太郎はその日アトリエで智恵子と出会う。
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タイトル中の「a次元」は、光太郎詩「智恵子と遊ぶ」(昭和26年=1951)由来。

  智恵子と遊ぶ

 智恵子の所在はa次元。
 a次元こそ絶対現実。

 岩手の山に智恵子と遊ぶ007
 夢幻(ゆめまぼろし)の生の真実。

 フレンチ平原に茸は生えても
 智恵子の遊びに変りはない。

 二合の飯は今日のままごと。
 牛のしつぽに韮を刻む。

 強敵糠蚊(ぬかが)とたたかひながら
 三畝の畑にいのちを託す。

 あばら骨に錐は刺され
 肺気腫噴射のとめどない咳。

 造型は自然の中軸。
 この世存在のシネ クワ ノン。

 一切は智恵子a次元の逍遙遊。
 遊ぶ時人はわづかに卑しくなくなる。

a次元」は、我々の生きて存在する物理次元を超えた精神世界、抽象次元を表す用語です。カルト宗教の信徒のように、その存在を確信していたわけではないのでしょうが、光太郎にとって、感覚的には、亡き智恵子の存在するa次元と、自らの存在する花巻郊外旧太田村の山林の間の垣根は低かったようです。「シネ クワ ノン」はラテン語で「sine qua non」。「不可欠なもの」といった意味です。

肺気腫」云々は、戦前から煩っていた宿痾の肺結核に関わります。ただ、戦前からと言っても、初めて喀血が起こったのは、確認出来ている限り大正12年(1923)のことです。今回の舞台は、明治44年(1911)の光太郎智恵子の出会いから描かれ、その時点で既に「高村光太郎は意のままにならない肺に振り回されていた」ということになっています。このあたりは物語上の演出なのでしょう。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

見る人が多かつた由をきき、無意味でもなかつたかと思つてゐます。しかし東京の人にはあの本当の美が分かるとは思ひません。特殊芸術位に考へるだらうと推察します。都会生活をしてゐる者は結局遊びに終始する運命をもつてゐます。小生は彼等をあひてにしません。


昭和26年(1951)6月12日 真壁仁宛書簡より 光太郎69歳

銀座資生堂画廊において開催された、都内で初の智恵子紙絵展がらみです。

真壁は山形在住の詩人。東北人となって久しい光太郎、その意味でのシンパシーを感じていたようです。戦時中に光太郎が疎開させた智恵子紙絵千数百枚のうち、およそ3分の1を預かっていました。翌月発行された『美術手帖』通巻45号に、「切抜絵の美 高村智恵子夫人の遺作について」という一文を寄せています。
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DMM.comさんから配信されているブラウザ・アプリゲーム「文豪とアルケミスト」を舞台化した公演。何作かあったうち、光太郎も登場人物として名を連ねた昨夏の「旗手達ノ協奏(デュエット)」を収録したBlu-rayとDVDが発売されます。

文豪とアルケミスト 旗手達ノ協奏(デュエット)

発行日 : 2025年1月29日(水)
発行元 : TCエンタテインメント
定 価 : Blu-ray ¥10,890(税込み) DVD ¥9,790(税込み)

"文学作品を守る

今後の戦いの激しさを憂い小林の転生を目論む志賀だったが、その間にも有碍書は増え続け……。危機が迫る中も挫けず、現状を打開する策を練る志賀。それを武者小路実篤ただ一人がそっと遠くから見守っていた。

キャスト
 志賀直哉:谷佳樹 武者小路実篤:杉江大志 有島武郎:杉咲真広 里見弴:澤邊寧央
 石川啄木:櫻井圭登 高村光太郎:松井勇歩 広津和郎:新正俊 小林多喜二:泰江和明

封入特典(Blu-ray/DVD共通)
◆特典映像
・メイキング ・キャスト座談会 ・アンサンブル座談会 ・オープニング全景映像
・アフターイベント映像(全6回 ※映像は一部カットになる場合がございます)
・稽古場ミニ配信ダイジェスト
 (全3回 ※Youtubeで配信された映像とは別アングルの映像を含めたオリジナルカット版)
◆初回生産限定封入特典:オリジナルステッカー
◆永続封入特典:ブックレット
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この系列をご紹介する際にはいつも書いていますが、こういうアプローチから文豪たちに触れていくのも有りでしょう。ただし、そこで終わりにして欲しくはありませんが。

ご興味おありの方、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

今日は上天気、棟上となりました。夕方小屋組が出来、大工さんのりとをあげ、小生餅をまき、部落の子供達が喜んでそれをひろひました。今夜は駿河さん宅で一同饗宴の様です。 小屋組はひどく丈夫です。高さも高く、四寸角の柱が三尺に一本づつ立つてゐます、思の外立派なので、小屋とは言へなくなりさうです。


昭和26年(1951)4月15日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎69歳

元々暮らしていた鉱山の飯場小屋に隣接し、新たな小屋の増築普請が始まりました。

左側の白い壁が新小屋。右が元々の小屋です。さらにその右は厠と風呂場。
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この年の秋に撮影されたショット。手前に新小屋が写っています。
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新小屋は50㍍ほど動かされ、現在は倉庫になっています。
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昨日は、今年初めての上京でした。

まずは初詣を兼ねて、足立区の西新井大師五智山遍照院總持寺さんへ。押すな押すなというほどではありませんでしたが、善男善女(当方を除く)でかなりの人出でした。
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まずは当然ですが本堂に参拝。
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大枚5円(笑)を賽銭箱に投入、合掌し、今年一年、平穏無事でありますように、的な祈願を。

なぜわざわざ足立区に、というと、本堂から見えるこちらの三匝堂(さんそうどう)拝見が主目的です。
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このところ、光太郎の父・光雲や、その師・東雲の彫刻を各地で拝見しておりまして、その流れです。こちらにも光雲によるとされる木彫の扁額が掲げられているという情報を以前から得ており、いい機会だと思って参上しました。
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一見、三重の塔のようにも見えますが、三層の楼閣で、いわゆる「栄螺(さざえ)堂」の一種です。天保5年(1834)に建てられ、明治17年(1884)に改修。光太郎が生まれた翌年ですね。

階段は外部にしつらえてあります。元は堂内にも階段があったそうですが、改修の際に取り払われたとのこと。
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栄螺堂でも、有名な会津飯盛山のそれは二重螺旋階段になっていますが、あれはかえって特殊なものです。

内部は拝観出来ません。しかし、当方が見たかったのは軒下に掲げられた扁額。
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中央に刻まれた数字の「3」のような文字は梵字ですね。

そして周囲を取り囲む龍。
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足立区さんのサイトによれば、これが光雲の手によるものだと伝わっている、とのこと。伝わっている、ということは確定ではないのでしょうが、この精緻な彫りは確かに光雲を彷彿とさせられます。ただ、明治17年(1884)の改修の際のものであるとすれば、光雲は独立はしていたものの、まだ一流の職人と認められていなかった時期ですので、疑義が生じます。光雲が斯界でブイブイ言わせるようになるのは、明治20年(1887)に皇居の造営に関わり、さらに同22年(1889)に東京美術学校に奉職してから。しかし、いきなり皇居の内部装飾に抜擢されたとも考えにくく、西新井大師さんのこうした仕事などでその技倆を認められたからなのかな、とも考えられます。

参拝後、世田谷の下北沢へ。当方、公共交通機関で上京する際には東京駅に降り立つのがほとんどで、東京駅を起点に考えると西新井と下北沢では真逆ですが、西新井に近い北千住から小田急線直通の地下鉄千代田線に乗れば意外と便はよく、そうしました。

目指すは本多劇場さん。お世話になっている渡辺えりさんの古稀記念公演が行われています。
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本多劇場さんは、令和元年(2019)にやはり渡辺さん作の「私の恋人」を拝見に伺って以来でした。

今回の古稀公演は「鯨よ!私の手に乗れ」と「りぼん」の2本立て。
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昨日は「鯨……」でした。「りぼん」の方で、光太郎詩「道程」に触れる箇所があるというお話でしたが、招待枠で「りぼん」を観に行ける日がなく、「鯨……」を拝見。「鯨……」でも光太郎に触れる部分があるかなと思っていたのですが、残念ながらそれはありませんでした。

「鯨……」は、昨秋亡くなったお母さまの介護体験等も反映されながら、笑いあり涙あり、なかなかに壮大な物語でした。えりさんは古稀ですが、共演されていた木野花さんは喜寿というのには驚きましたし、共演と言えば、黒島結菜さんは小顔だな、とつくづく思いました(えりさんが顔が大きいとは言いませんが(笑))。ベテランの三田和代さん、広岡由里子さん、宇梶剛士さん、ラサール石井さんらの芸達者ぶり、若い役者さんたちも、劇中で楽器の生演奏やらダンスやらで芝居を盛り上げています。

下記は公式パンフ中の「りぼん」の部分から。
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「道程」がプロパガンダに利用された一面、確かにあるでしょう。詩集『道程』の初版は大正3年(1914)ですが、日中戦争中の昭和15年(1940)には山雅房から「改訂版」が出、同17年(1942)にはそれを対象に光太郎が第一回帝国芸術院賞を受賞しています。「改訂版」は豪華本的な「150部限定版」、普通の装丁の「書店版」、そして簡易な造本の「普及版」の三種が発行され、「普及版」は昭和18年(1943)の9刷まで確認出来ています。
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左から「150部限定版」、「書店版」、「普及版」です。

ちなみに当方手持ちの「普及版」はサイン入りです。
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小池吉昌はマイナーな詩人でした。

プロパガンダ、というと、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」もそういう使われ方をしました。本当に不幸な時代だったと言わざるを得ませんね。

ところで光太郎、「道程」が戦意高揚に使われることに違和感を感じる部分もあったようで、大戦末期の昭和20年(1945)になって、さらに青磁社から『道程再訂版』を出しました。こちらは戦時に関する詩を全く含まず、生涯の詩作から作品を選び、改訂を加えています。消極的な抵抗のようにも思えます。

その年4月10日、下町方面の空襲がひどいと言うことで、えりさんのお父さま・渡辺正治氏が勤務していた中島飛行機(現・スバル)の武蔵野工場から自転車で本郷区駒込林町に光太郎の安否を確認に来ました。その際に「わざわざありがとう」と、光太郎が正治氏に贈ったのがこの「再訂版」です。しかし、3日後の空襲で光太郎アトリエ兼住居は灰燼に帰してしまいます。
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えりさん、そういう部分でも「道程」への思い入れがあるのでしょう。

古稀記念公演、夜の部はまだ空席があるようです。それから西新井大師さん。それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

小屋に手入をはじめる事になり、ごたごたとしてゐます、

昭和26年(1951)4月15日 出雲正明宛書簡より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋に、増築工事が始まりました。明確な印税制を採らなかった『智恵子抄』版元の龍星閣の肝煎りです。

都内から朗読会の情報です。

チャリティー朗読会 和・輪・話

期 日 : 2025年1月27日(月)
会 場 : 紀尾井小ホール 東京都千代田区紀尾井町6番5号
時 間 : 13時30分
料 金 : 全席自由 2,500円

会場にお越しいただいた皆様からの募金は、『令和6年能登半島地震災害義援金』として、日本赤十字社東京都支部を通して現地へお送りいたします。皆様のご賛同を心よりお待ち申し上げます。

演目
 佐藤春夫 作 『小説智恵子抄』より 中島悦代
 平岩弓枝 作 『女の休暇』 佐々木冨紀
 北村薫 作 「語り女たち」より『梅の木』 船山則子
 角田光代 作 『口紅のとき』 和田幾子
 海野弘 作 『枕売り』 森実あき子
 芥川龍之介 作 『羅生門』 田島みどり
 西澤實 版 『芝浜』 斉藤由織
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演目のうち、「小説智恵子抄」は、光太郎が歿した昭和31年(1956)から翌年にかけ、光太郎と親交の深かった佐藤春夫が雑誌『新女苑』に連載したジュブナイルです。連載当時のタイトルは「愛の頌歌(ほめうた) 小説智恵子抄」。昭和32年(1957)に実業之日本社さんで単行本化、のち、角川文庫のラインナップに入り、現在も版を重ねています。また、丹波哲郎さん、岩下志麻さん主演の松竹映画「智恵子抄」原作と位置づけられました。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

どうして斯かるものを入手されたか、不思議に思ひます。確におぼえのあるもので、小生十三、四才の頃の作。日清戦争の直後にあたります。まことになつかしく、あの頃のいろいろの事を思ひ出しました。


昭和26年(1951)4月14日 菊岡久利宛書簡より 光太郎69歳

斯かるもの」は光太郎作の手板浮彫。明治29年(1896)、光太郎数え14歳、東京美術学校の予備校的な共立美術学館在学中の作品です。
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光太郎随筆「わたしの青銅時代」(昭和29年=1954)には次の記述があります。

 この間、菊岡久利君が鎌倉の古道具屋で見つけたといつて、板に彫つた彫刻をもつて来た。それには十四歳と記されていた。菊岡君が見つけてくれた時は、わたしはちょうど岩手の山にいた時だつたが、それを送つて来て、本当か嘘かと問い合せてきた。見ると、確に彫つた覚えがある。五十五年ぐらい前のもので、青い葡萄が刻まれていた。

菊岡が昭和28年(1953)に雑誌『芸術新潮』によせた「ぴいぷる」という文章には、次の一節。

 僕はそれを鎌倉の古道具屋で見つけたのだ。人々はまだ塗らない鎌倉彫の生地のままの土瓶敷ぐらゐに思ったらしい。一五センチ四方、厚さ二センチの板にすぎないのだから無理もなく、ながくさらされてゐたものだ。(略)当時まだ岩手の山にゐた高村さんに届けると、『どうしてかゝるものを入手されたか、不思議に思ひます。確かにおぼえのあるもので、小生十三、四の頃の作』と書いて来て、 五十五年 青いぶだうが まだあをい と詩を書いてよこしてくれたものだ。

光太郎実家の髙村家にはこの類の手板が、光雲による手本用のものから、弟子たちの成績品まで数多く残されていましたが、戦後、土蔵を整理した際、誤って流出したものと思われます。他にも紅葉と宝珠を彫った光太郎の手板も鎌倉で平櫛田中が発見し、現在は東京藝術大学に収められています。

後から書き込んだ「五十五年 青いぶだうが まだあをい」は、字余りになるものの、季語もあり、俳句と言っていいのではと思われます。

面目ない話で、第1回放映が終わってから気づきましたが、記録のためにご紹介しておきます。来週以降も放映は続きますし、各種配信もありますし。

花は咲く、 修羅の如く #01 花奈と瑞希

地上波日本テレビ 2025年1月8日(水) 01:35〜02:05
BS日テレ       2025年1月8日(水) 23:30~00:00

<ストーリー>
人口600人の小さな島・十鳴島(となきじま)に住む花奈(はな)は、島の子供たちに向けて朗読会を行うほど朗読が好きだった。花奈の“読み”に人を惹きつける力を感じた瑞希(みずき)は、自身が部長を務める放送部へ誘う。「お前の本当の願いを言え、アタシが叶えてやる」「私、放送部に入りたいです」入部を決意した花奈は、たくさんの“初めて”を放送部のメンバーと共にし、大好きな朗読を深めていく…。
<キャスト>
春山花奈:藤寺美徳/薄頼瑞希:島袋美由利/夏江杏:和泉風花/冬賀萩大:千葉翔也/秋山松雪:山下誠一郎/整井良子:安野希世乃/箱山瀬太郎:坂泰斗
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原作・武田綾乃氏、むっしゅ氏作画のコミックが原作で、令和4年(2022)に単行本第1巻が集英社さんから発売されています。いきなり第1話で光太郎詩「道程」。
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アニメでは……
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それから、宮沢賢治も。
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タイトルの「修羅」は賢治の『春と修羅』から来ているのでしょう。
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原作は単行本1巻以降読んでいないのですが、その後も光太郎や賢治に触れられたシーンはあったのでしょうか。詳しい方、ご教示いただけると幸いです。最近は新刊書店で立ち読みも出来ませんし、千葉のど田舎ですと漫画喫茶等もありませんし……(笑)。

何はともあれ、若い皆さんが朗読や近現代文学に親しむひとつのきっかけとなってもらえれば、と存じます。

ちなみに4月にはアニメのブルーレイが発売されるようです。またその頃、取り上げさせていただきます。

【折々のことば・光太郎】

五月に又リサイタルをやられるさうですが相変らず小生東京へは行かれないでせう。宮沢さんのものの事は実家へ直接申送られていいでせう。そのうち小生からも其由申上げて置きます。


昭和26年(1951)3月28日 藤間節子宛書簡より 光太郎69歳

藤間節子は舞踊家。昭和24年(1949)に「智恵子抄」を舞踊化し、帝国劇場でのリサイタルで発表しました。その後もたびたび「智恵子抄」を取り上げています。賢治作品の舞踊化にも意欲を示し、光太郎没後の昭和33年(1958)には「原体剣舞連」を発表しました。

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