カテゴリ: 音楽/演劇等

都内から映画の上映情報です。

没後10年 原節子をめぐる16人の映画監督

期 日 : 2025年3月8日(土)~4月4日(金)
会 場 : 神保町シアター 東京都千代田区神田神保町1-23
料 金 : 一般 ¥1,400 シニア ¥1,200 学生 ¥1,000 U29ペア割引 ¥2,200
      毎週水曜ファン感謝デー どなた様も1,100円均一
      毎月1日映画サービスデー どなた様も1,100円均一
      夕暮れ割 平日3回目の上映 1,100円均一
      誕生日割 誕生日当日 1,100円均一(ご本人のみ、要身分証提示)

今年は伝説の女優・原節子の没後10年にあたります。 これまで神保町シアターでは2度にわたり原節子特集を行ってきましたが、今回は、すべて監督の違う16本の出演作をプログラムしました。
小津安二郎監督作品のミューズとして今もなお世界中で愛され続ける不世出の女優が、監督の違う16本の映画で、それぞれどんな貌をみせているのか。絶世の美女でありながら、文芸ものの難役から洒脱なコメディまで幅広い役に挑んだ女優人生を、新たな趣向で振り返ります。
錚々たる監督陣による、めくるめく原節子の世界――ぜひスクリーンでご堪能ください。
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「没後10年 原節子をめぐる16人の映画監督」としては3月8日(土)から始まっており、4期に分けての上映で、3月22日(土)~3月28日(金)の第3タームに熊谷久虎監督の東宝映画「智恵子抄」(昭和32年=1957)が含まれています。もちろん智恵子役が原節子さんです。最上部メインのフライヤーで右下。
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二本松の実家に光太郎ともども訪れたというシーンから。全体像がこちら。
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原さん扮する智恵子の左に光太郎役の山村聰さん(山村さんは戦時中にラジオ放送で光太郎の翼賛詩の朗読をなさったこともあります)、さらに左は智恵子の両親で柳永二郎さんと三好栄子さん。柳さんは有楽座、三好さんは島村抱月・松井須磨子の芸術座ご出身。共に光太郎智恵子が観劇に訪れていた記録があります。もはや歴史上の人物、という感じでクラクラします(笑)。

ちなみにこのシーンで原さんが手にされているのは、光太郎木彫「蟬」。美術さんが作った小道具ではなく、実物かもしれません。「座談会 三人の智恵子」(昭和32年=1957 6月1日『婦人公論』第42巻第6号)から、原さんの発言。

映画ではクローズ・アップのときは本物を使うんですが、ふだんはやはり偽物でやってます。セミは富山県の人がもっていらっしゃってそれをわざわざご本人が夜行列車でもってきてくれました。そして、「智恵子さんが最後までもっていらしたセミですから、あんたもうまくやんなさい」と云われて困っちゃった。

このシーンが「クローズ・アップのとき」かどうか判断に迷うところですが。

「智恵子抄」、原さんの出演作品の中では、評価の高いものではありません。まぁ、そちらは原さんの他の出演作品と比較しての相対評価で、この映画だけの絶対評価として考えると、そう悪い出来ではないと思います。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

今日の佳き日を卜して御依頼の標榜二枚を書きましたのでいつでもお手渡し出来ます

昭和27年(1952)4月29日 帷子敏雄宛書簡より 光太郎70歳

御依頼の標榜二枚」は、岩手県北部の川口村(現・岩手町)の公民館と図書館の看板です。共に現存しますが、風雨にさらされて墨が流れ落ち、文字は殆ど判別出来ません。

今日の佳き日」は天皇誕生日ですね。

3月13日、光太郎生誕142周年となりました。

それに合わせたわけでもないのでしょうが、兵庫県姫路市で明日から公演が始まる劇団プロデュース・Fさんの第76回アトリエ公演「売り言葉」。野田秀樹氏作の演劇で、智恵子を主人公とした一人芝居です。

『神戸新聞』さんに予告報道が出ています。

「智恵子抄」の背後描く 劇団プロデュース・Fの「売り言葉」 14~16日、姫路・本町で公演

 姫路市を拠点に活動する「劇団プロデュース・F」が14~16日、同市本町の劇団アトリエで公演を開く。高村光太郎の名作詩集「智恵子抄」の背後に潜むドラマを舞台化した「売り言葉」を上演する。
 「売り言葉」は人気劇作家・野田秀樹さんの作で、2002年に初演された。高村は詩の中で、純愛の対象として智恵子を描いているが、現実には高村から自由を束縛され、苦悩していた智恵子の姿を描く。舞台では、高村と智恵子の出会いと愛、心の溝の深まりなどをリズム良く、ユーモアも交えて演じる。同劇団が取り上げるのは、2回目。
 自分を見失い、本音を言えなくなった智恵子に代わり、高村の身勝手をとがめる「女中」が重要な役割を果たす。演出のひさたにとしかずさん(76)は「2人の愛の物語だけではなく、自然に振る舞えなくなった人間の葛藤、自由な発言を封じる圧力にも重点を置き、奥行きのある舞台にしたい」と抱負を語る。
 開演時間は、14日午後7時▽15日午前11時と午後3時▽16日午後2時。一般2千円、高校生以下千円。要予約。ひさたにさんTEL090・3656・7814
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先月、大阪で上演された、光太郎智恵子を登場人物とした2人芝居「吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり」の際も『毎日新聞』さんが予告報道を出して下さり、おそらく観客動員に貢献されたことと思われます。今回もそうなることを期待します。

さて、「自分を見失い、本音を言えなくなった智恵子に代わり、高村の身勝手をとがめる「女中」が重要な役割を果たす。」だそうで、そのあたりが今回の演出の肝なのでしょう。平成14年(2002)の大竹しのぶさんによる初演では、大竹さんが主人公・智恵子、光太郎、そして狂言廻し的な「女中」と、三役を演じ分けられましたが、今回は「女中」は「女中」でお一人の方が演じられるようです。過去の他団体の公演でもそういうケースがありました。やはり「劇団」として演(や)られるとなると、一人芝居では……ということなのでしょうか。

この報道を読んで「面白そう、行ってみよう」という方が少しでも多くなることを祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

書を書く事は承諾します。あまり大げさな頒布会にしないやうに願ひますし、主催は貴下の名に願ひます。


昭和27年(1952)4月13日 宮崎稔宛書簡より 光太郎70歳

智恵子の姪にして、南品川ゼームス坂病院で智恵子の最期を看取った看護婦だった春子の夫・宮崎稔が光太郎の書の頒布会を企画しました。書に強い興味関心を持っていた光太郎も乗り気でしたが、結局、実現せずに終わったようです。

昨日は横浜に足を伸ばしておりました。

メインの目的は、旧知のフルート奏者・吉川久子さんのコンサート。
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先月初め、光太郎終焉の地・中野の中西利雄アトリエ保存の件で、『東京新聞』さんの取材を受けたのですが、その仲介をして下さったのが、吉川さん。その取材の際には吉川さんも同席され、その折に招待券を頂いてしまいまして、花束を抱えて馳せ参じた次第です。

会場は港の見える丘公園内のイギリス館さん。

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一昨年、箏曲奏者の元井美智子さんのコンサートもここで開かれ、それ以来でした。

吉川さん、以前には「智恵子抄」からのインスパイア的な曲も作られ、コンサートで披露なさいましたが、今回は特に光太郎には関わらないだろうと思っていて、事前にはご紹介しませんでした。しかし、さにあらず。
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波多圭代さんという方のピアノ伴奏に乗せてのフルート演奏の合間に、浅井理恵子さんというによる古今の文学作品等の朗読が入り、「冬景色」の前に光太郎詩「冬が来た」の朗読もなさって下さいました。
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終演後に吉川さんとお話しさせていただき、その中で「今度「冬が来た」という曲を作ります」とのこと。ありがたいお話です。

ちなみに今回のコンサートでは、光太郎とも縁の深い宮沢賢治の「春と修羅」インスパイアの曲、賢治の作詞作曲と言われ、東北新幹線新花巻駅の発車メロディーにもなっている「星めぐりの歌」も演奏なさいました。発車メロディーと言えば、JR横須賀線鎌倉駅の発車メロディーが吉川さんの演奏による「鎌倉」でしたが、現在でも使われているのでしょうか。最近、鎌倉駅には降り立っていないので解りません。
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多方面でご活躍中の吉川さんですが、今後のさらなるご飛躍を祈念いたします。

さて、そちらが午後からでしたので、午前中には同じ港の見える丘公園内の神奈川近代文学観さんにお邪魔しておりました。
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例によって閲覧室での文献調査です。あまりめぼしい成果はなありませんでした。『××』という書籍や雑誌に光太郎の書簡が掲載されているという情報を得て調べたところ、既知のものだったり……。

しかし一点だけ。昭和14年(1939)の雑誌『新風土』第2巻第11号に、当会の祖・草野心平による光太郎論が載っていたのですが、それに添えられた光太郎の写真(左下)。土門拳の撮影で、最初、他の書籍等にも掲載されている既知のもの(右下)かと思ったのですが、別のショットでした。
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既知のものではぼやけてしか写っていない右手に持った彫刻刀(鑿?)がはっきり写っています。また、手前にも。「ほおー」という感じでした。

彫っている木彫は、新潟の素封家にして美術愛好家・松木喜之七の注文による「鯉」。しかし、結局、光太郎自身が納得のいくものが出来ず、断念してしまいました。そうこしているうちに松木は太平洋戦争末期、もういい年だったにもかかわらず「根こそぎ動員」で徴兵され、戦死。戦後、その報に接した光太郎は非常に心を痛めました。

昨日のめぼしい収穫はこれだけでした。しかし、最近、同館に未知の光太郎書簡が複数寄贈されていて、そちらは「特別資料」という扱いになっています。そちらは事前に閲覧申請をして見せていただく形になっており、そのための申請書を貰ってきました。今月20日以降、改めて行って参ります。

なぜ20日以降かというと、20日に同館で以下の特別展が始まるためです。

特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」

期 日 : 2025年3月20日(木)~5月18日(日)
会 場 : 神奈川近代文学館 
時 間 : 午前9時30分~午後5時
休 館 : 月曜日(5月5日は開館)
料 金 : 一般700円(500円)、65歳以上/20歳未満及び学生350円(250円)、
      高校生100円(100円)、中学生以下は無料 ( )内は20名以上の団体料金

 卓越した知性を内包し、詩歌を読み、書き、その魅力を余すところなく発信した大岡信(おおおか・まこと 1931-2017)。批評『現代詩試論』でデビューしたのち、詩集『春 少女に』などで愛や生きる歓びをうたい、ライフワーク「折々のうた」では詩歌を人びとにとって身近なものとしてきました。その織り成す言葉は、人びとを魅了し続けています。
 当館では2020年以降、大岡家をはじめとする方々から大岡の遺した書、原稿、創作ノート、書簡などを受贈し、「大岡信文庫」として保存しています。本展ではこれらの資料を中心に〈おおらかな感性の詩人・大岡信〉の生涯を追いながら、広く人びとにひらかれた、豊かな言葉の世界を展開します。
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平成29年(2019)に亡くなった大岡信氏の回顧展的な。

光太郎がらみで、氏が『朝日新聞』さんに連載されていた「折々のうた」の原稿(光太郎短歌を取り上げて下さった第一回のもの)が展示されます。
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こちらを併せて拝見しようと思っておりますので。

皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

おハガキと小包と一昨日到着、感謝。十三日の誕生日をおぼえてゐて下さるのは何だか恐縮の気がします。


昭和27年(1952)3月13日 椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎70歳

3月13日(来週ですね)は、光太郎の誕生日です。数え年の習慣では年明けと共に70の古稀となりましたが、満年齢では69歳ということになります。

ちなみに昭和24年(1949)には「年齢のとなえ方に関する法律」が制定され、公的な場面では数え年ではなく満年齢を使うようにとされました。

先頃、日本芸術院新会員となられた野田秀樹氏作の演劇「売り言葉」。初演は平成14年(2002)、南青山スパイラルホールさんで智恵子役・大竹しのぶさんによる一人芝居でした。

光太郎智恵子の世界を劇化したものとしては、最も多く公演が続けられているでしょう。コロナ禍前の令和元年(2019)には、確認出来ている限り6組もの劇団/個人の方が全国で上演して下さいましたし、令和2年(2020)には3公演、コロナ禍を経て令和4年(2022)で2公演、一昨年と昨年も1公演ずつ確認出来ています。

で、今月は兵庫県で。

劇団プロデュース・F 第76回アトリエ公演「売り言葉」

期 日 : 2025年3月14日(金)~3月16日(日)
会 場 : 劇団プロデュース・Fアトリエ 兵庫県姫路市本町233岸田ビル3階
時 間 : 3/14 19:00 3/15 11:00/15:00 3/16 14:00
料 金 : 一般2,000円 高校生以下1,000円

人間が今まで書いてきた男と女の愛の物語はすべて嘘かもしれない あなたとの愛を選ぶ………… 選ぶの中にラブを見つけた 選ぶというラブの残酷 世界は目と鼻の先にしかない その世界は幸福な世界だ そこに貴方は住んでいる

今回もゲストお二人をお迎えしております。高村光太郎の詩「智恵子抄」 妻、智恵子との純愛とは。

出 演 : 駒崎有美 前田宣博 高見めぐみ 小林みね子 中島あると
演 出 : ひさたにとしかず
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キャストとして5名の方がクレジットされています。初演では大竹しのぶさんお一人の一人芝居でした。大竹さんが主人公・智恵子、光太郎、狂言廻し的な「女中」と三役を演じ分けられるという感じで。しかし、いろいろ大人の事情などでそれを破る公演も今までに為されていました。そのあたりは演出の範囲内でしょう。

光太郎ディスり度の最も高い脚本ですが、単に光太郎を悪者にして、才能を潰されたかわいそうな智恵子、というだけでなく、智恵子は智恵子で自分で自分の首を絞めている姿が描かれ、実に考えさせられます。

ご興味お有りの方、ぜひどうぞ。

ちなみに来月になりますと、茨城の劇団さんによる公演が土浦市であるとのこと。また近くなりましたら詳細をお伝えいたします。

【折々のことば・光太郎】
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昭和27年(1952)3月7日 
森口多里宛電報より 光太郎70歳

そろそろ卒業式シーズンですね。

森口は昭和23年(1948)に開校した岩手県立美術工芸学校長でした。同校教員には画家の深沢省三・紅子夫妻、彫刻家の舟越保武、堀江赳らがいました。光太郎は名誉教授就任を打診されましたが断り、その代わりことあるごとに同校を訪れ、生徒に講話をしたり、祝辞や祝電を寄せたりしました。

同校は、その後、盛岡短期大学美術工芸科を経て、岩手大学特設美術科に移行、現在に至ります。

購入・視聴しました。DMM.comさんから配信されているブラウザ・アプリゲーム「文豪とアルケミスト」(文アル)を舞台化した劇場公演(文劇)の第七弾、光太郎も登場人物として名を連ねた昨夏の「旗手達ノ協奏(デュエット)」を収録したDVD
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七作目にして初めて光太郎が登場人物として名を連ねました。演じられたのは松井勇歩さん。
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主人公は、谷佳樹さん扮する志賀直哉で、他に武者小路実篤(杉江大志さん)、有島武郎(杉咲真広さん)、里見弴(澤邊寧央さん)の「白樺派」、そこに囚われの身となった小林多喜二(泰江和明さん)がからみ、石川啄木(櫻井圭登さん)、広津和郎(新正俊さん)、そして光太郎が協力して悪に立ち向かう、という相関図です。

そもそも原作のゲームは「転生」した文豪たちが文学作品を蹂躙する「侵蝕者」たちと闘う、というものなので、8人の文豪はそれぞれに得意な武器(光太郎はライフル(笑))を手に「アンサンブル」という敵の戦闘員と大乱闘。そこで大立ち回りのアクションシーンが中心です。
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キャストの皆さん、他に「刀剣乱舞」や「信長の野望」といったやはり激しい殺陣を伴うであろう舞台に出られている方々が中心のようで、そういう役者さんでないとこれは出来ないな、と納得しながら拝見しました。

ただ、そうしたど派手な活劇シーンのみではなく、文豪たちがしみじみと語り合うシーンも。ラスト近く、主人公の志賀直哉が「侵蝕者」について「それほど怖れているんだろうな、文学の力を。文学によって人々が共感したり、考えたり、心が動かされたりすることを」と語っていました。現実世界の小林多喜二は昭和8年(1933)、まさにそのような考えを持つ者たちによって虐殺されたわけで、文アル・文劇ファンの若い方々、そういう点をしっかり学んでいただきたいものです。

DVDは2枚組。「本編」として公演を撮影したものが1枚と、「特典映像」としてメイキングやキャストの方々の座談会(光太郎役の松井さんが司会進行の部分も)などを収めたものが1枚。
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18ページのブックレット、さらにおまけとしてステッカーも封入されています。
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ご興味おありの方、ぜひお買い求めを。

ちなみに、劇場版「文豪とアルケミスト」、第八作「紡グ者ノ序曲」の公演が5月にあり、松井さん演じる光太郎が再び登場します。また近くなりましたらご紹介いたします。

【折々のことば・光太郎】

たまに花巻に出る事があつても電車の時間の都合で中々お立寄が出来ず失礼いたして居ります。皆様によろしく。


昭和27年(1952)3月5日 宮沢清六宛書簡より 光太郎70歳

宮沢賢治実弟の清六に宛てた書簡の一節。「皆様」には賢治や清六の両親、政次郎・イチも含まれているのでしょう。

ゲームとしての「文アル」には賢治も登場し、令和4年(2022)には花巻の賢治記念館や光太郎老記念館などでゲームとのタイアップ企画のスタンプラリーが行われました。「文劇」では未だ賢治は登場していませんが、今後、どうなるのでしょうか。

地方紙『福島民友』さんに「マイストーリー」という連載があります。「福島県で輝きを放つ人たち、ふくしまをもり立てようと頑張っている人たちの生き方を紹介していく連載」だそうで、一人の方に対するインタビュー記事が断続的に十数日間載せられています。

過去の記事を調べてみましたところ、親しくさせていただいている女優の一色采子さん、元エアレースパイロットの室屋義秀氏など、このブログでご紹介させていただいた方も取り上げられていました。

今年に入ってからは、テレビの通販CMでおなじみの夢グループ社長・石田重廣氏、そして落語家の桂幸丸師匠が取り上げられています。
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で、幸丸師匠。現在の須賀川市のご出身だそうで、桂米丸師匠に古典落語を学び、さらに福島ゆかりの新作も多数創作されています。そうした来し方や、最近のコロナ禍でのご経験など、全11回の連載でした。
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その第9回。

自分らしい道、見つけた 落語家・桂幸丸

 レギュラーのテレビ番組や営業が減り、追い詰められた私。「しっかりしなくちゃ」。心を入れ替えて独演会により力を入れ、「自分らしい落語」を追求しました。
 落語家30周年を迎えた2004年、「福島にまつわる落語を作ろう」と思い立ちました。考えたのは当時、新千円札の肖像に決まり盛り上がっていた野口英世博士の偉人伝。でも、なかなか面白おかしくできない。最初に東京の新宿末広亭で披露した時は、真剣に作り込み過ぎて、お客さんからは「(聞いていて)くたびれた」と酷評されました。
 30周年記念公演で披露しようと考えていたのに、さあどうしよう。公演は1週間後。お客さんに受けたところを赤ペンでマークして、受けなかったところはばっさり切って、つなぎ合わせてー。
 ごひいきのお客さんにアドバイスを求めると「落語はね、勉強会ではない。あくまで娯楽なんだ。一生懸命やらずに、漫画的に物事を捉えれば面白いんじゃない」との言葉。何とか改良版を作り上げて披露したら、良い反応があった。ほっとしました。
 その後も「幸丸流 近代偉人伝シリーズ」と銘打ち、福島ゆかりの高村智恵子や瓜生岩子、円谷幸吉、大河ドラマにも登場した新島八重らをモチーフに創作。大ヒットした映画「フラガール」に感動して「常磐ハワイアンセンター物語」も作りました。
 偉人伝は真剣にやろうとすると受けない。大事なのは「さあ聞いて、面白いよ。漫画のように気軽に楽しめるよ」と人を寄せるように演じること。作る際は偉人について本を読んだり、インターネットで調べたりして、自分なりにイメージをつかんで要所を押さえます。
 創作落語の口コミが広がり、テレビに出ていた時よりも仕事が増えました。「努力すれば報われる」と実感し、それまでの先輩や常連さんたちの言葉が身に染みました。「好きだったのは、落語じゃん」。原点に返ったことで、新しい話や自分らしさを生み出すことができたのです。
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平成19年(2007)初演の新作落語「幸丸流智恵子抄」、こうして生まれたのですね。当方、CDを所持しております。
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ある意味、悲劇的とも言える生涯を送った智恵子ですが、とにかく因習に抗して頑張った姿を軽妙な語り口で追いかけ、暗い話にはなっていません。

こういったことも一つの「地方創生」の姿だな、と改めて思わせられました。幸丸師匠、今後のさらなるご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

先日は御丹精の靴下と写真とを忝なくいただきました。写真はやはり小生の苦手で、気味が悪いと思ひました。


昭和27年(1952)2月26日 宮静枝宛書簡より 光太郎70歳

宮静枝は岩手出身の詩人。光太郎とは戦前から交流があり、平成4年(1992)、『詩集 山荘 光太郎残影』(熊谷印刷出版部)を刊行し、第33回土井晩翠賞に輝きました。この詩集は、昭和26年(1951)の光太郎訪問を元にしたもので、巻頭のグラビアページには、光太郎写真が14葉も載っています。これらが光太郎の元に送られ、その返礼です。
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なかなかいい表情をしていると思うのですが、光太郎は写真嫌いでした。

日本芸術院さんの新会員15人が発表されました。

NHKさん報道。

日本芸術院 新しい会員に倍賞千恵子さんなど15人

 芸術の分野で顕著な功績のある人を集めた日本芸術院の新しい会員に、俳優の倍賞千恵子さんなど15人が選ばれることになりました。
 「日本芸術院」は功績が顕著な芸術家を優遇するための国の特別機関で、外部の有識者を交えた委員会や会員の投票を経て、新たに15人が会員に選ばれました。
 「絵画」の分野からは版画家の中林忠良さん(87)。「工芸」からは、工芸家の大樋年雄さん(66)、本名、奈良年夫さん。「建築・デザイン」からは、建築家の隈研吾さん(70)と建築家の坂茂さん(67)。「写真・映像」からは、写真家の十文字美信(77)さんと、写真家の畠山直哉さん(66)。
 「小説・戯曲」からは、小説家の多和田葉子さん(64)。「詩歌」からは、詩人の藤井貞和さん(82)。
 「歌舞伎」からは、俳優の中村魁春さん(77)、本名、平野豊栄さん。「文楽」からは、人形遣いの桐竹勘十郎さん(72)、本名、宮永豊実さん。「洋楽」からは、指揮者の尾高忠明さん(77)。「演劇」からは、演出家で劇作家の野田秀樹さん(69)と、俳優の橋爪功さん(83)。「映画」からは、アニメーション監督の富野由悠季さん(83)、本名、富野喜幸さんと俳優の倍賞千恵子さん(83)、本名、小六千惠子さんです。
 日本芸術院の新しい会員は、3月1日に発令されます。

なかなか錚々たるメンバーですね。

このうちのお三方が、軽く光太郎智恵子に関わります。

まず文楽の桐竹勘十郎氏。
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令和3年(2021)にいわゆる人間国宝に指定された際にもお伝えしましたが、NHK Eテレさんで放映中の「にほんごであそぼ」に準レギュラーとして時折出演され、文学作品の一節等を人形を遣いながら演じられています。光太郎詩も複数回、氏によって演じられました。
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続いて野田秀樹氏。
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智恵子を主人公とした演劇「売り言葉」。元々は大竹しのぶさんの一人芝居として野田氏が作られ、平成14年(2002)に南青山スパイラルホールさんを会場に初演されました。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後プロアマ問わずさまざまなところで上演されています。来月も兵庫県での公演があります。
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最後に建築家の坂茂氏。
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昭和6年(1931)、紀行文執筆のため光太郎が訪れ、それを記念して毎年「女川光太郎祭」を開催して下さっている宮城県女川町のJR石巻線女川駅は、平成23年(2011)3.11の津波で全壊、同27年(2015)、新しい駅舎が完成しましたが、こちらの設計が坂氏でした。
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屋根は海鳥が翼を拡げた形。全国的にも珍しい温泉入浴施設を伴う駅舎で、当方、毎年女川滞在の際にはここで入浴しています。

ところで芸術院というと、我らが光太郎も晩年の昭和22年(1947)と同28年(1953)に会員に推挙されましたが、断っています(最初の推挙の際は前身の帝国芸術院)。

2度目の辞退の際の光太郎談話を数年前に見つけました。12月22日『毎日新聞』東京版に出た「芸術院会員を拒否 “人選に不明朗” 高村光太郎氏が批判」という記事に附されたものです。

芸術院会員とは人格、識見、技量ともわが国で最高の人々がなるべきである。ところが現在の芸術院はその生い立ちが不明朗なため必ずしもそういった人ばかりとはいえない。第二部はともかく第一部(造形美術部門)での初期の人選は民間の美術団体の不平分子のボスたちを黙らせる手段として、芸術院会員というエサを与えてたな上げにしようとした感があり、なかにはそれにふさわしくない人もいる。従って私は現在の芸術院は御破算にして再出発すべきだと思う。また私は彫刻家である。だから第一部門で選ばれるならわかるが、第二部門では不本意だ

さらに従来知られていた雑誌『新潮』に載った「日本芸術院のことについて――アトリエにて1――」中に、次の一節があります。おそらく、ここで言う「新聞」が上記談話を指していると思われます。

世上、新聞などで、辞退の理由として、現今の芸術院会員の人選について不満があるからといふやうに伝へられたが、これは間違で、現在の人事はまづあんなものだらうと思つてゐる。補充会員の選出方法については又別に意見があるが、それには今触れない。又新聞で、私が彫刻家であるのに文学部門から推せんされたのがをかしいといふので辞退したやうにも言はれたが、これは談笑の間に私が早解りするやうに、「それでは親爺におこられるよ」などといつたからであらう。

当時は第一部(造型美術部門)、第二部(文学部門)の二部構成で、光太郎は詩人として第二部会員に推挙されました。それが彫刻を第一の仕事と考えていた光太郎のプライドを刺戟したようですし、戦時中、大量に書き殴った翼賛詩によって多くの前途有為の若者を死地に追いやったという悔恨から、詩での栄誉に服することを潔しとしなかったのではないでしょうか。

芸術院側としては、「辞退」という「事態」(笑)を想定して居らず(現代ではよくあるようですが)、すったもんだがありました。光太郎に「辞退の理由を書面にして提出せよ」。それに対し光太郎は「そっちが勝手に推薦したのに何で俺が釈明しなきゃいかんのだ」。もっともですね。

ちなみに横山大観は戦前の帝国芸術院時代に会員となりましたが、戦後の昭和25年(1950)になって会員資格を返上しました。これはまたちょっと違うケースですね。

閑話休題、今回の新会員の皆々様方の、今後のさらなるご活躍を祈念いたしております。

【折々のことば・光太郎】

東京は相変らず歳末でごたごたしてゐる事でせう。山はほんにと静かです。


昭和26年(1951)12月24日椛沢佳乃子宛書簡より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、厳冬期ともなると訪れる人も少なくなり、煩わしさからは解放されました。

昨年7月に亡くなった作曲家・湯浅譲二氏の「お別れの会」が一昨日、サントリーホールさんで開催されました。

地方紙『福島民報』さん。

福島県郡山市出身の作曲家、湯浅譲二さんの功績しのぶ 「あれが阿多多羅山」など流れる 東京都内でお別れの会

 昨年7月、94歳で死去した福島県郡山市出身の作曲家で文化功労者の湯浅譲二さんのお別れの会は18日、東京都港区のサントリーホールで開かれた。
 音楽関係者ら約200人が参列した。お別れの言葉で、品川萬里郡山市長は「古里を思い、活動を続けていた。湯浅さんの功績と作品は多くの人に受け継がれる」と述べた。作曲家の池辺晋一郎さん、チェリストの堤剛さん、音楽学者の船山隆さん、作曲家の細川俊夫さん、作曲家の伊藤弘之さん、作曲家の藤枝守さん、作曲家のロジャー・レイノルズさんも湯浅さんとの思い出を振り返った。
 箏演奏家の吉村七重さん、ピアニストの高橋アキさんが追悼の演奏をささげた。遺族を代表して湯浅さんの長女玲奈さんが「作曲家冥利(みょうり)に尽きる人生だった」とあいさつした。湯浅さんが作曲した「あれが阿多多羅山」などが流れる中、参列者が献花した。
 湯浅さんは旧制安積中(現安積高)卒。慶応大医学部を中退し、詩人の滝口修造さんが主宰した前衛芸術家グループ「実験工房」で活動した。幅広い作品を手がけ、優れた邦人作曲家のオーケストラ作品を顕彰する尾高賞を5回受けるなど、数々の栄誉を手にした。国際現代音楽協会名誉会員、郡山市名誉市民。
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同じく『福島民友』さん。

郡山出身の作曲家・湯浅譲二さんの功績しのぶ 都内でお別れの会

 郡山市出身の作曲家で、昨年7月に94歳で死去した湯浅譲二さんのお別れの会が18日、東京都港区のサントリーホールで開かれた。音楽関係者ら約190人が参列し、日本の現代音楽の発展に貢献した功績をしのんだ。
 発起人で作曲家の池辺晋一郎さんや郡山市の品川萬里市長らがあいさつした。品川市長は「湯浅先生は常にふるさとを気にかけてくださった。市民を代表し、先生の作品や思いを末永く継承していくことをお誓いいたします」と湯浅さんの在りし日を振り返り、冥福を祈った。湯浅さんの作曲した「あれが阿多多羅(あだたら)山」が流れる中、参列者は遺影が飾られた祭壇に献花した。
 湯浅さんは国内外で活躍し、オーケストラや室内楽、合唱、電子音楽などを幅広く作曲。テープやコンピューターなど最新技術を駆使するとともに、グラフを用いた独自の作曲法を生んだ。1997年に紫綬褒章、99年に恩賜賞・日本芸術院賞、2007年に旭日小綬章、14年に文化功労者。17年に郡山市名誉市民に選ばれた。
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「お別れの会」で流された「あれが阿多多羅山」は、サブタイトルが「バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』による」。「智恵子抄」所収の「樹下の二人」(大正12年=1923)をテキストに使った独唱歌曲です。昨年11月に開催された湯浅氏の故郷・福島県郡山市の市制施行100周年記念式典音楽祭でもオーケストラ伴奏で演奏されました。

他にも湯浅氏には光太郎智恵子がらみの作品。作曲のみならず氏が作詞の補作も手がけられ、平成25年(2013)に制定された「二本松市民の歌」では3番までの各番歌詞の末尾が「ほんとの空が ここにある」。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)からのインスパイアですね。この曲はご当地体操「ほんとの空体操」の伴奏曲でもあります。

また、智恵子にも触れられた映画「原始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」(平成13年=2001)の音楽も、湯浅氏が担当されていました。
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当方、DVDを所持しております。
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ちなみに氏が亡くなったのは昨年7月ですが、直後に「お別れの会」が計画され始めたようで、発起人には、こちらも昨年亡くなった谷川俊太郎氏のお名前も。お二人のコラボによる楽曲も多く、岩手県や福島県の学校さんの校歌も多数。いろいろと人の縁の不思議さに感じ入っております。

氏の作品(特に「あれが阿多多羅山」、「二本松市民の歌」など)が今後とも愛され続けていってほしいものです。

【折々のことば・光太郎】

小生この頃荒くなつてゐます、小生の内の猛獣性の活躍してゐる證拠です、人間拒否を超えて、

昭和26年(1951)12月11日 照井登久子宛書簡より 光太郎69歳

青年期の終わり頃から壮年期にかけ、自らの内部に巣喰う荒ぶる魂を「猛獣」に仮託した連作詩「猛獣篇」が書かれましたが、数え70歳を目前にしたこの時期、再び「猛獣」の胎動を体内に感じています。翌年には生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」の制作の話が舞い込み、再び粘土を手にするわけですが、そうした予感があったのかも知れません。

「智恵子抄」系の楽曲がプログラムに入った演奏会、2件ご紹介いたします。

開催日順に、まずは都内から。

SAWAMURA BAR.VOL23

期 日 : 2025年2月15日(土)
会 場 : 個人宅(澤村様) 練馬区光が丘7-6-7-304
時 間 : 15:00~
料 金 : 3,000円

出 演 : モンデンモモ(歌) 田嶌道生(ギター)

久しぶりに『智恵子』します。「案内」「十和田湖畔の裸像に与ふ」。懐かしい方にはなつかしいあの歌も『やっとあなたに逢えた』。やっと多くの人と逢えてます。なんか新しい展開。この時をまっていました。
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「智恵子抄」収録詩篇をはじめ、光太郎詩にオリジナルの曲を付けて歌われているシャンソン系歌手・モンデンモモさんのミニライブです。

モモさん、最近は島根の方を活動拠点になさることが多く、「智恵子抄」系はあまり歌われていませんでしたが、久しぶりに、だそうです。

会場は集合住宅・光が丘パークタウンの一室。当方、平成27年(2015)にやはりこちらで開催された第13回の際にお邪魔しました。狭い会場だけに一体感が生まれていました。

もう1件。

第45回二宮演奏家協会コンサート 日本の名曲 世界の名曲

期 日 : 2025年2月16日(日)
会 場 : 二宮町生涯学習センターラディアン 神奈川県中郡二宮町二宮1240-10
時 間 : 13:30~
料 金 : 2,500円
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曲目に「レモン哀歌」が入っています。あまり大々的にには宣伝なさっていないようで、フライヤーに書かれている以上の情報がほとんど得られていません。そこで、どなたの作曲のものなのか不明ですが……。

それぞれご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

創元社本の誤植はすばらしいやうです。「荒涼たる帰宅」の最終行が「外は夕月といふ月夜らしい」とあるのは名誤植といへるでせう。


昭和26年(1951)9月26日 宮崎稔宛書簡より 光太郎69歳

「創元社本」は、この月に刊行されたハードカバーの『高村光太郎詩集』。編集は当会の祖・草野心平でした。とにかく豪快だった心平、こういう部分では神経が行き届かない面が確かにありました。
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言わずもがなですが、正しくは「夕月」ではなく「名月」です。

誤植にはとにかく気をつけたいものです。

明日、明後日と大阪府吹田市で公演が行われる「吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり」について、『毎日新聞』さんが予告を出しました。

光太郎と智恵子 悩み、寄り添う夫婦の物語 「a次元のふたり」

 詩人・彫刻家として知られる高村光太郎(1883~1956年)と、洋画家として活動した長沼智恵子(1886~1938年)。2人の出会いから夫婦としての日々までを描く舞台「a次元のふたり」が、8、9日、大阪府吹田市のメイシアター小ホールで上演される。
 関西の演劇人と同シアターが作る「SHOW劇場」シリーズの新作。高橋恵さんの作、上田一軒さんの演出で、光太郎を竹内宏樹さん、智恵子を佐々木ヤス子さんが演じる。芸術家としての理想と、意のままにならない身体や生活。その間で悩み、寄り添う夫婦の物語を2人芝居に仕立てた。
 「表現者としての野心と、思うようにいかない挫折感。若き日の2人には共感する部分が多い」。高橋さんはそう述べた上で「理想と現実のギャップを身体をキーワードとして描いた」と作劇の狙いを語る。
 上田さんは「光太郎も智恵子も、過剰とも言えるほどの理想を抱いていた。そんな2人の精神性も丁寧に浮かび上がらせたい。2人の葛藤や精神的なつながりが、言葉だけでなく身体的にも伝わる舞台になれば」と意気込む。
 8日午後3時と、9日午前11時・午後3時の3回公演。2000円。問い合わせは、メイシアター(06・6386・6333)
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予告記事が出るということは、それだけ注目されているようで嬉しく存じますし、記事を見て「行ってみよう」と思う読者の方もいらっしゃるでしょうから、しめしめです(笑)。

この手の演劇で、光太郎智恵子の世界を取り上げて下さる方がぽつぽついらっしゃるのは非常に有り難いことです。ところが、何年も前から「智恵子抄やります!」と大騒ぎしておいて、しかし一向に具体化せず、SNS等読むと頓珍漢な記述ばかり、さらに「私が」「私が」の連発で(しかし結局「私は誰々の弟子で」と七光り。自分が空っぽな人間のあるあるですね)、気味の悪い自撮り写真をずらり、結局スタッフとぶつかって公演中止、そういう事態を恥じるでもなく中止した後もスタッフや他のキャストにぐだぐだ文句の連発を公開、そんな輩も居ます。「協力して下さい」と言うので「いいですよ」と返答したところ、中止したという連絡も無し。またやる、とか騒いでいますが、はたして上演までたどり着けるのかどうか……。こういう手合いには光太郎智恵子の世界に手を付けないで欲しいところです。たとえ上演となっても、このサイトでは紹介しませんのでよろしく。

閑話休題、「a次元のふたり」、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

コタツは炭酸ガスの害が意外にひどいやうなので木炭でなく電気コンロを使ふことにきめました。

昭和26年(1951)9月5日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎69歳

澤田の龍星閣が費用を負担して出来た小屋の増築部分。床に掘り炬燵用の炉が切ってありましたが、炭では一酸化炭素中毒の危険性があるということで、電気コンロを使っていました。元の小屋は隙間だらけでその心配はありませんでしたが、新小屋は意外と密閉性が高かったようです。

翌月に小屋を訪ねた佐久間晟・すゑ子夫妻の証言によると、ニクロム線を使ったなつかしい(笑)下記のようなタイプのものだったそうです。
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まず岡山県から演劇公演の情報です。

地方紙『山陽新聞』さん記事。

没後30年 永瀬清子の生涯たどる 2月9日 岡山・ハレノワで朗読劇

 現代詩の母と称される赤磐市出身の詩人永瀬清子(1906~95年)の没後30年に合わせ、朗読劇「永瀬清子物語VIII ラビリンスの旅人」が2月9日、岡山芸術創造劇場ハレノワ(岡山市北区表町)で上演される。 朗読グループ「白萩(はくしゅう)の会」が、永瀬の詩を交えながらその生涯をたどる。
  同会は永瀬と同郷で長年交流のあった竹入光子さん(78)=赤磐市=が約20年前に発足させ、12人が所属する。古里で農業をしながら詩を書き続けた永瀬の生きざまと作品の魅力を伝えようと、2011年に「永瀬清子物語I」を上演し、今回で8作目。 タイトルは<人の一生はラビリンス(迷路)の旅人のようなものだ>という永瀬の文章の一節から着想。結婚出産、高村光太郎らとの交流や宮沢賢治の詩との出合い、帰郷して農業を始めたことなど、メンバーが永瀬の詩を朗読しながら人生の転機となったさまざまな場面を演じる。
  「母として女性として人として、地に足を着けた力強い詩を書き続けた。岡山に素晴らしい詩人がいたことを多くの人に知ってほしい」と永瀬役の伊島久美さん(64)=岡山市北区。脚本と演出を務める竹入さんは「永瀬の詩には老若男女、誰の心にも響くものがある。物語を通してその詩が生まれた背景を表現したい」と話す。
 午前11時、午後3時開演。入場料2千円。岡山芸術創造劇場ボックスオフィス(086―201―2200)。
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公演の詳細。

朗読劇・永瀬清子物語Ⅷ「ラビリンスの旅人」

期 日 : 2025年2月9日(日)
会 場 : 岡山芸術創造劇場ハレノワ 岡山市北区表町3丁目11-50
時 間 : 午前の部 11:00開演/午後の部 15:00開演
料 金 : 全席自由 2,000円

“現代詩の母”郷土岡山の詩人・永瀬清子没後30周年記念公演

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女流詩人の草分けの一人にして、光太郎や当会の祖・草野心平らと交流を持った永瀬清子。光太郎、心平らと共に、かの宮沢賢治作『雨ニモマケズ』が「発見」されたという昭和9年(1934)に新宿モナミで開かれた賢治追悼の会にも居合わせ、詳細な回想を残しています。

その永瀬の忌日・紅梅忌が2月17日(月)でして、それに合わせての公演でしょう。イベントとしての紅梅忌は前日・2月16日(日)に赤磐市の永瀬の生家で執り行われます。
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ところで、演劇でもう1件。

2月11日(火・祝)に岩手県花巻市の花巻市文化会館で開催される「第67回元祖花巻わんこそば全日本大会」で、賢治や光太郎も登場する寸劇が行われるそうです。

フェイスブックでそうした書き込みを見つけ、問い合わせたところ「同じ会場内でホールは違いますがm(_ _)m13:40〜からゲリラ的に始まります」とのこと。ゲリラライブなのでネット上には公式な予告が出ていませんが、ご紹介しておきます。
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花巻といえば、また明日・明後日と花巻に行って参ります。例によって大沢温泉さんで雪見風呂としゃれこんで参ります。

【折々のことば・光太郎】

お問合の浮彫三尊仏は小生の作ではないやうに推定いたされます。小生これまで落款は縦に一行に入れてゐました。お示しのやうに枠内に二行に入れた事は記憶にございません。


昭和26年(1951)7月5日 神部健之助宛書簡より 光太郎69歳

光太郎生前から既に贋作が出廻っていたのですね。

大阪府から演劇の公演情報です。

吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり

期 日 : 2025年2月8日(土)・2月9日(日)
会 場 : 吹田市民劇場 大阪府吹田市泉町2-29-1
時 間 : 2/8 15:00~ 2/9 11:00~/15:00~
料 金 : 全席自由 2,000円

作 : 高橋恵 演出 : 上田一軒 出演 : 佐々木ヤス子/竹内宏樹

芸術家としての葛藤と夫婦の愛の物語
高村光太郎は意のままにならない肺に振り回されていた。長沼智恵子は意のままにならない自らの右手に苛立っていた。ある日智恵子は「太陽が緑色でもかまわない」という評論を目にし、作者に会おうとする。乱れた呼吸に喘ぎながら光太郎はその日アトリエで智恵子と出会う。
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タイトル中の「a次元」は、光太郎詩「智恵子と遊ぶ」(昭和26年=1951)由来。

  智恵子と遊ぶ

 智恵子の所在はa次元。
 a次元こそ絶対現実。

 岩手の山に智恵子と遊ぶ007
 夢幻(ゆめまぼろし)の生の真実。

 フレンチ平原に茸は生えても
 智恵子の遊びに変りはない。

 二合の飯は今日のままごと。
 牛のしつぽに韮を刻む。

 強敵糠蚊(ぬかが)とたたかひながら
 三畝の畑にいのちを託す。

 あばら骨に錐は刺され
 肺気腫噴射のとめどない咳。

 造型は自然の中軸。
 この世存在のシネ クワ ノン。

 一切は智恵子a次元の逍遙遊。
 遊ぶ時人はわづかに卑しくなくなる。

a次元」は、我々の生きて存在する物理次元を超えた精神世界、抽象次元を表す用語です。カルト宗教の信徒のように、その存在を確信していたわけではないのでしょうが、光太郎にとって、感覚的には、亡き智恵子の存在するa次元と、自らの存在する花巻郊外旧太田村の山林の間の垣根は低かったようです。「シネ クワ ノン」はラテン語で「sine qua non」。「不可欠なもの」といった意味です。

肺気腫」云々は、戦前から煩っていた宿痾の肺結核に関わります。ただ、戦前からと言っても、初めて喀血が起こったのは、確認出来ている限り大正12年(1923)のことです。今回の舞台は、明治44年(1911)の光太郎智恵子の出会いから描かれ、その時点で既に「高村光太郎は意のままにならない肺に振り回されていた」ということになっています。このあたりは物語上の演出なのでしょう。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

見る人が多かつた由をきき、無意味でもなかつたかと思つてゐます。しかし東京の人にはあの本当の美が分かるとは思ひません。特殊芸術位に考へるだらうと推察します。都会生活をしてゐる者は結局遊びに終始する運命をもつてゐます。小生は彼等をあひてにしません。


昭和26年(1951)6月12日 真壁仁宛書簡より 光太郎69歳

銀座資生堂画廊において開催された、都内で初の智恵子紙絵展がらみです。

真壁は山形在住の詩人。東北人となって久しい光太郎、その意味でのシンパシーを感じていたようです。戦時中に光太郎が疎開させた智恵子紙絵千数百枚のうち、およそ3分の1を預かっていました。翌月発行された『美術手帖』通巻45号に、「切抜絵の美 高村智恵子夫人の遺作について」という一文を寄せています。
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DMM.comさんから配信されているブラウザ・アプリゲーム「文豪とアルケミスト」を舞台化した公演。何作かあったうち、光太郎も登場人物として名を連ねた昨夏の「旗手達ノ協奏(デュエット)」を収録したBlu-rayとDVDが発売されます。

文豪とアルケミスト 旗手達ノ協奏(デュエット)

発行日 : 2025年1月29日(水)
発行元 : TCエンタテインメント
定 価 : Blu-ray ¥10,890(税込み) DVD ¥9,790(税込み)

"文学作品を守る

今後の戦いの激しさを憂い小林の転生を目論む志賀だったが、その間にも有碍書は増え続け……。危機が迫る中も挫けず、現状を打開する策を練る志賀。それを武者小路実篤ただ一人がそっと遠くから見守っていた。

キャスト
 志賀直哉:谷佳樹 武者小路実篤:杉江大志 有島武郎:杉咲真広 里見弴:澤邊寧央
 石川啄木:櫻井圭登 高村光太郎:松井勇歩 広津和郎:新正俊 小林多喜二:泰江和明

封入特典(Blu-ray/DVD共通)
◆特典映像
・メイキング ・キャスト座談会 ・アンサンブル座談会 ・オープニング全景映像
・アフターイベント映像(全6回 ※映像は一部カットになる場合がございます)
・稽古場ミニ配信ダイジェスト
 (全3回 ※Youtubeで配信された映像とは別アングルの映像を含めたオリジナルカット版)
◆初回生産限定封入特典:オリジナルステッカー
◆永続封入特典:ブックレット
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この系列をご紹介する際にはいつも書いていますが、こういうアプローチから文豪たちに触れていくのも有りでしょう。ただし、そこで終わりにして欲しくはありませんが。

ご興味おありの方、ぜひお買い求めを。

【折々のことば・光太郎】

今日は上天気、棟上となりました。夕方小屋組が出来、大工さんのりとをあげ、小生餅をまき、部落の子供達が喜んでそれをひろひました。今夜は駿河さん宅で一同饗宴の様です。 小屋組はひどく丈夫です。高さも高く、四寸角の柱が三尺に一本づつ立つてゐます、思の外立派なので、小屋とは言へなくなりさうです。


昭和26年(1951)4月15日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎69歳

元々暮らしていた鉱山の飯場小屋に隣接し、新たな小屋の増築普請が始まりました。

左側の白い壁が新小屋。右が元々の小屋です。さらにその右は厠と風呂場。
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この年の秋に撮影されたショット。手前に新小屋が写っています。
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新小屋は50㍍ほど動かされ、現在は倉庫になっています。
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昨日は、今年初めての上京でした。

まずは初詣を兼ねて、足立区の西新井大師五智山遍照院總持寺さんへ。押すな押すなというほどではありませんでしたが、善男善女(当方を除く)でかなりの人出でした。
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まずは当然ですが本堂に参拝。
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大枚5円(笑)を賽銭箱に投入、合掌し、今年一年、平穏無事でありますように、的な祈願を。

なぜわざわざ足立区に、というと、本堂から見えるこちらの三匝堂(さんそうどう)拝見が主目的です。
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このところ、光太郎の父・光雲や、その師・東雲の彫刻を各地で拝見しておりまして、その流れです。こちらにも光雲によるとされる木彫の扁額が掲げられているという情報を以前から得ており、いい機会だと思って参上しました。
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一見、三重の塔のようにも見えますが、三層の楼閣で、いわゆる「栄螺(さざえ)堂」の一種です。天保5年(1834)に建てられ、明治17年(1884)に改修。光太郎が生まれた翌年ですね。

階段は外部にしつらえてあります。元は堂内にも階段があったそうですが、改修の際に取り払われたとのこと。
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栄螺堂でも、有名な会津飯盛山のそれは二重螺旋階段になっていますが、あれはかえって特殊なものです。

内部は拝観出来ません。しかし、当方が見たかったのは軒下に掲げられた扁額。
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中央に刻まれた数字の「3」のような文字は梵字ですね。

そして周囲を取り囲む龍。
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足立区さんのサイトによれば、これが光雲の手によるものだと伝わっている、とのこと。伝わっている、ということは確定ではないのでしょうが、この精緻な彫りは確かに光雲を彷彿とさせられます。ただ、明治17年(1884)の改修の際のものであるとすれば、光雲は独立はしていたものの、まだ一流の職人と認められていなかった時期ですので、疑義が生じます。光雲が斯界でブイブイ言わせるようになるのは、明治20年(1887)に皇居の造営に関わり、さらに同22年(1889)に東京美術学校に奉職してから。しかし、いきなり皇居の内部装飾に抜擢されたとも考えにくく、西新井大師さんのこうした仕事などでその技倆を認められたからなのかな、とも考えられます。

参拝後、世田谷の下北沢へ。当方、公共交通機関で上京する際には東京駅に降り立つのがほとんどで、東京駅を起点に考えると西新井と下北沢では真逆ですが、西新井に近い北千住から小田急線直通の地下鉄千代田線に乗れば意外と便はよく、そうしました。

目指すは本多劇場さん。お世話になっている渡辺えりさんの古稀記念公演が行われています。
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本多劇場さんは、令和元年(2019)にやはり渡辺さん作の「私の恋人」を拝見に伺って以来でした。

今回の古稀公演は「鯨よ!私の手に乗れ」と「りぼん」の2本立て。
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昨日は「鯨……」でした。「りぼん」の方で、光太郎詩「道程」に触れる箇所があるというお話でしたが、招待枠で「りぼん」を観に行ける日がなく、「鯨……」を拝見。「鯨……」でも光太郎に触れる部分があるかなと思っていたのですが、残念ながらそれはありませんでした。

「鯨……」は、昨秋亡くなったお母さまの介護体験等も反映されながら、笑いあり涙あり、なかなかに壮大な物語でした。えりさんは古稀ですが、共演されていた木野花さんは喜寿というのには驚きましたし、共演と言えば、黒島結菜さんは小顔だな、とつくづく思いました(えりさんが顔が大きいとは言いませんが(笑))。ベテランの三田和代さん、広岡由里子さん、宇梶剛士さん、ラサール石井さんらの芸達者ぶり、若い役者さんたちも、劇中で楽器の生演奏やらダンスやらで芝居を盛り上げています。

下記は公式パンフ中の「りぼん」の部分から。
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「道程」がプロパガンダに利用された一面、確かにあるでしょう。詩集『道程』の初版は大正3年(1914)ですが、日中戦争中の昭和15年(1940)には山雅房から「改訂版」が出、同17年(1942)にはそれを対象に光太郎が第一回帝国芸術院賞を受賞しています。「改訂版」は豪華本的な「150部限定版」、普通の装丁の「書店版」、そして簡易な造本の「普及版」の三種が発行され、「普及版」は昭和18年(1943)の9刷まで確認出来ています。
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左から「150部限定版」、「書店版」、「普及版」です。

ちなみに当方手持ちの「普及版」はサイン入りです。
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小池吉昌はマイナーな詩人でした。

プロパガンダ、というと、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」もそういう使われ方をしました。本当に不幸な時代だったと言わざるを得ませんね。

ところで光太郎、「道程」が戦意高揚に使われることに違和感を感じる部分もあったようで、大戦末期の昭和20年(1945)になって、さらに青磁社から『道程再訂版』を出しました。こちらは戦時に関する詩を全く含まず、生涯の詩作から作品を選び、改訂を加えています。消極的な抵抗のようにも思えます。

その年4月10日、下町方面の空襲がひどいと言うことで、えりさんのお父さま・渡辺正治氏が勤務していた中島飛行機(現・スバル)の武蔵野工場から自転車で本郷区駒込林町に光太郎の安否を確認に来ました。その際に「わざわざありがとう」と、光太郎が正治氏に贈ったのがこの「再訂版」です。しかし、3日後の空襲で光太郎アトリエ兼住居は灰燼に帰してしまいます。
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えりさん、そういう部分でも「道程」への思い入れがあるのでしょう。

古稀記念公演、夜の部はまだ空席があるようです。それから西新井大師さん。それぞれぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

小屋に手入をはじめる事になり、ごたごたとしてゐます、

昭和26年(1951)4月15日 出雲正明宛書簡より 光太郎69歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋に、増築工事が始まりました。明確な印税制を採らなかった『智恵子抄』版元の龍星閣の肝煎りです。

都内から朗読会の情報です。

チャリティー朗読会 和・輪・話

期 日 : 2025年1月27日(月)
会 場 : 紀尾井小ホール 東京都千代田区紀尾井町6番5号
時 間 : 13時30分
料 金 : 全席自由 2,500円

会場にお越しいただいた皆様からの募金は、『令和6年能登半島地震災害義援金』として、日本赤十字社東京都支部を通して現地へお送りいたします。皆様のご賛同を心よりお待ち申し上げます。

演目
 佐藤春夫 作 『小説智恵子抄』より 中島悦代
 平岩弓枝 作 『女の休暇』 佐々木冨紀
 北村薫 作 「語り女たち」より『梅の木』 船山則子
 角田光代 作 『口紅のとき』 和田幾子
 海野弘 作 『枕売り』 森実あき子
 芥川龍之介 作 『羅生門』 田島みどり
 西澤實 版 『芝浜』 斉藤由織
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演目のうち、「小説智恵子抄」は、光太郎が歿した昭和31年(1956)から翌年にかけ、光太郎と親交の深かった佐藤春夫が雑誌『新女苑』に連載したジュブナイルです。連載当時のタイトルは「愛の頌歌(ほめうた) 小説智恵子抄」。昭和32年(1957)に実業之日本社さんで単行本化、のち、角川文庫のラインナップに入り、現在も版を重ねています。また、丹波哲郎さん、岩下志麻さん主演の松竹映画「智恵子抄」原作と位置づけられました。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

どうして斯かるものを入手されたか、不思議に思ひます。確におぼえのあるもので、小生十三、四才の頃の作。日清戦争の直後にあたります。まことになつかしく、あの頃のいろいろの事を思ひ出しました。


昭和26年(1951)4月14日 菊岡久利宛書簡より 光太郎69歳

斯かるもの」は光太郎作の手板浮彫。明治29年(1896)、光太郎数え14歳、東京美術学校の予備校的な共立美術学館在学中の作品です。
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光太郎随筆「わたしの青銅時代」(昭和29年=1954)には次の記述があります。

 この間、菊岡久利君が鎌倉の古道具屋で見つけたといつて、板に彫つた彫刻をもつて来た。それには十四歳と記されていた。菊岡君が見つけてくれた時は、わたしはちょうど岩手の山にいた時だつたが、それを送つて来て、本当か嘘かと問い合せてきた。見ると、確に彫つた覚えがある。五十五年ぐらい前のもので、青い葡萄が刻まれていた。

菊岡が昭和28年(1953)に雑誌『芸術新潮』によせた「ぴいぷる」という文章には、次の一節。

 僕はそれを鎌倉の古道具屋で見つけたのだ。人々はまだ塗らない鎌倉彫の生地のままの土瓶敷ぐらゐに思ったらしい。一五センチ四方、厚さ二センチの板にすぎないのだから無理もなく、ながくさらされてゐたものだ。(略)当時まだ岩手の山にゐた高村さんに届けると、『どうしてかゝるものを入手されたか、不思議に思ひます。確かにおぼえのあるもので、小生十三、四の頃の作』と書いて来て、 五十五年 青いぶだうが まだあをい と詩を書いてよこしてくれたものだ。

光太郎実家の髙村家にはこの類の手板が、光雲による手本用のものから、弟子たちの成績品まで数多く残されていましたが、戦後、土蔵を整理した際、誤って流出したものと思われます。他にも紅葉と宝珠を彫った光太郎の手板も鎌倉で平櫛田中が発見し、現在は東京藝術大学に収められています。

後から書き込んだ「五十五年 青いぶだうが まだあをい」は、字余りになるものの、季語もあり、俳句と言っていいのではと思われます。

面目ない話で、第1回放映が終わってから気づきましたが、記録のためにご紹介しておきます。来週以降も放映は続きますし、各種配信もありますし。

花は咲く、 修羅の如く #01 花奈と瑞希

地上波日本テレビ 2025年1月8日(水) 01:35〜02:05
BS日テレ       2025年1月8日(水) 23:30~00:00

<ストーリー>
人口600人の小さな島・十鳴島(となきじま)に住む花奈(はな)は、島の子供たちに向けて朗読会を行うほど朗読が好きだった。花奈の“読み”に人を惹きつける力を感じた瑞希(みずき)は、自身が部長を務める放送部へ誘う。「お前の本当の願いを言え、アタシが叶えてやる」「私、放送部に入りたいです」入部を決意した花奈は、たくさんの“初めて”を放送部のメンバーと共にし、大好きな朗読を深めていく…。
<キャスト>
春山花奈:藤寺美徳/薄頼瑞希:島袋美由利/夏江杏:和泉風花/冬賀萩大:千葉翔也/秋山松雪:山下誠一郎/整井良子:安野希世乃/箱山瀬太郎:坂泰斗
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原作・武田綾乃氏、むっしゅ氏作画のコミックが原作で、令和4年(2022)に単行本第1巻が集英社さんから発売されています。いきなり第1話で光太郎詩「道程」。
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アニメでは……
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それから、宮沢賢治も。
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タイトルの「修羅」は賢治の『春と修羅』から来ているのでしょう。
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原作は単行本1巻以降読んでいないのですが、その後も光太郎や賢治に触れられたシーンはあったのでしょうか。詳しい方、ご教示いただけると幸いです。最近は新刊書店で立ち読みも出来ませんし、千葉のど田舎ですと漫画喫茶等もありませんし……(笑)。

何はともあれ、若い皆さんが朗読や近現代文学に親しむひとつのきっかけとなってもらえれば、と存じます。

ちなみに4月にはアニメのブルーレイが発売されるようです。またその頃、取り上げさせていただきます。

【折々のことば・光太郎】

五月に又リサイタルをやられるさうですが相変らず小生東京へは行かれないでせう。宮沢さんのものの事は実家へ直接申送られていいでせう。そのうち小生からも其由申上げて置きます。


昭和26年(1951)3月28日 藤間節子宛書簡より 光太郎69歳

藤間節子は舞踊家。昭和24年(1949)に「智恵子抄」を舞踊化し、帝国劇場でのリサイタルで発表しました。その後もたびたび「智恵子抄」を取り上げています。賢治作品の舞踊化にも意欲を示し、光太郎没後の昭和33年(1958)には「原体剣舞連」を発表しました。

活動を継続中の中西利雄・高村光太郎アトリエを保存する会会長にして、劇作家・女優の渡辺えりさん。この5日にはめでたく古稀を迎えられるそうで、それを記念した公演です。

渡辺えり古稀記念2作連続公演『鯨よ!私の手に乗れ』『りぼん』

東京公演
 期 日 : 2025年1月8日(水)~1月19日(日)
 会 場 : 本多劇場 東京都世田谷区北沢2-10-15
 時 間 : 
  『鯨よ!私の手に乗れ』 
   1月8日(水) ・11日(土)~14日(火)・16日(木) 18:00~
   1月9日(木) ・13日(月)・15日(水)・17日(金) 13:00~
  『りぼん』
   1月11日(土)・12日(日)・14日(火)・16日(木)・19日(日) 13:00~
   1月15日(水)・17日(金) 18:00~
   1月18日(土) 13:00~/18:00~(連続公演)
 休 演 : 1月10日(金)
 料 金 : 平日 一般10,000円 学生 4,000円  土日祝 一般11,000円 学生 5,000円

山形公演(『りぼん』のみ)
 期 日 : 2025年1月22日(水)
 会 場 : 山形市民会館 山形市香澄町2-9-45
 時 間 : 18:00~
 料 金 : 平日 一般10,000円 学生 4,000円

『鯨よ!私の手に乗れ』
架空の地方都市の町、山崎県山崎市にある介護施設に神林絵夢がやってくる。ここは母・生子が入所しているのだ。久しぶりに見舞いにきた神林絵夢。母・生子は認知症で、絵夢の弟・公男やその妻・美代子が世話をしているものの、二人が誰かはわからない。絵夢が60歳になるまで演劇を続けてきたのは母のおかげ。晩年ぐらいは自分のために自由に生きてほしいという思いとは裏腹に、時間や規則に縛られて暮らす母の様子を見て絵夢はショックを受け介護士たちに不満をぶちまける。介護施設には元美術教師だった藍原佐和子、看護婦のように振る舞う涼子ら入所者、ヘルパーとして働く水島貴子と生子と同世代の人々がいる。彼女たちは次々に語り出す。彼女らは40年前に解散した劇団のメンバーで、主宰が行方不明になったため上演できなかった作品をいつかやりたいと約束をしていた。生子もその劇団のメンバーだった。ところが彼らの持っている台本は、認知症の患者が認知症の老人を演じるというもの。悲しい結末を知った介護士が途中から破り捨ててしまっていた。その状況に絵夢は台本を書くと言い出す――。2017年に上演された本作品。『演劇』を通して人生を見つめる。人生の中に「演劇」がある力強さを今一度、現代に問いかける。
キャスト
 木野花 三田和代 黒島結菜 広岡由里子 土屋良太 宇梶剛士 ラサール石井 渡辺えり 他

『りぼん』
現代の横浜。「すみれ」、「百合子」、「桜子」3人は関東大震災後に建てられ、最近取り壊された「同潤会アパート」の同じ住人であった。彼女らが住むアパートには、シベリアで抑留されていた夫を持つという「春子」、影を背負う謎の老女「馬場」ら、過去に心の傷を負った女性たちが支え合いながら暮らしていた。そしてそれぞれに「水色のりぼん」の記憶を持っていた。一方、欲情すると水色のりぼんを吐くという奇病を持つ青年「潤一」は、母の遺骨を探す旅の途中、横浜で“浜野リボン”と出会う。リボンは、赤子であった自分の胸に水色のりぼんを縫い付け、墓場に捨てた母の消息を求め、娼婦であった母を知る人物の目に留まるようにと、自らを娼婦の姿に変え、横浜を徘徊している青年と出会った。母から体に水色のりぼんを十字架のように背負わされる2人は、その謎を解くために鍵となる「同潤会アパート」へと向かう。まるで水色のりぼんが彼らを引き寄せるように……。同潤会アパートで潤ーたちと春子らアパートの住人達は初めて出会い、皆の生い立ちと記憶の謎が明らかになってゆく。住人の一人「春子」は愛娘を夫に殺されたという過去を持っていた。戦後娼婦として働かされたという春子の境遇に逆上した夫が春子と娘とを見間違え、首をりぼんで絞めてしまった。そして、実は愛娘の死体のお腹から産まれたのが潤ーであった。2003年に上演、2007年に再演された本作品。未だ混沌と尽きない悩みの最中にある現代日本で蘇る。バンドネオン・ピアノ・ギターの生演奏と共にお送りする音楽劇。
キャスト
 室井滋 シルビア・グラブ 大和田美帆 広岡由里子 土屋良太 宇梶剛士 ラサール石井 渡辺えり 他

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昨年12月25日の『山形新聞』さんに、こちらに関連する渡辺さんのご寄稿。

渡辺えりのちょっとブレーク(235)心のもやもやも込めて

006 古希特別記念連続公演の稽古中です。
 一作品に43人が出演する超大作の連続公演で、前代未聞、前人未到の企画に挑戦することになりました。
 「鯨よ!私の手に乗れ」は、母が介護施設にお世話になるようになってからの実話を基にした作品。11月に母が亡くなったので、母親役の三田和代さんの場面になると泣けてきます。幼い頃からの思い出がよみがえり、たまらなくなりますが、それだからこそ母のためにも成功させたいと頑張っています。
 「りぼん」は山形第六中学校の生徒が東京と横浜に修学旅行に来るストーリー。そこで日本の隠された歴史を発見して驚愕(きょうがく)します。私が実際に昭和40年代に六中の修学旅行で初めて横浜の氷川丸に宿泊した思い出を基に創作しました。2作とも、母親たちが女性として苦労してきた今日までの思いを青いりぼんの思い出とともに表現します。
 2作とも山形弁が多く使われていますが、殺陣指導をお願いした山形市出身の大道寺俊典先生が「みんなもっと山形弁を勉強してほしい」とため息つくほど山形弁は難しいらしいです。大枠の演出が済んだ後に、細かい方言指導もやるつもりで張り切っています。
 歌と踊りも素晴らしい方々が多く出演しているので、新年1月22日の山形公演を楽しみにお待ちください。
 ただ、昔と違って徹夜もできなくなり、朝から晩までの稽古は途中で頭がぼうっとしてしまうこともあります。人間年を取ってみないと、この状況は想像できませんね。両親にもっともっと優しく親切にするんだったと、近頃切に思います。年寄りに親切にしてきた人はきっと、自分が年を取った時に周りに優しくしてもらうでしょうね。介護施設にいた両親が介護士の方たちに「ありがとう。ありがとう」といつも声をかけて、頭を下げていたことを思い出します。山形人はみんな昔からテレパシーで会話する人間が多いため、心で思っていても、なかなか口に出してお礼を言うのが苦手な方が多いように思います。私もそうでしたが、両親を思い出して、口に出すように心がけています。
 今回の「りぼん」は関東大震災や第2次世界大戦、シベリア抑留、接収されていた横浜のことなど日本の過去の歴史がいろいろ出てきますが、オーディションで出演する若者たちとの世代のギャップを感じています。東京オリンピックの思い出を語る場面では「アベベってなんですか?」と聞かれ、高村光太郎の詩「道程」も誰も知らないと分かり、それらを説明するだけでも時間がかかります。今回の2本立てを1カ月半で稽古するのは、至難の業だと分かったのでした。そしてそんなことを愚痴る両親も今は亡く、この心のもやもやも含めて舞台の作品に込めていきたいと思います。
 山形公演を手伝ってくれる友人たち、親戚の皆さん、そしていつも応援して下る皆さま、本当にありがとうございます。山形六中からお借りした制服とショルダーバッグも本当にありがたいです。太った人用の制服が足りず、私の分は生地を足して直しています。終了後はクリーニングに出して速やかにお返しする予定です。私の分はまたほどいてからお返しするので時間がかかると思います。
 さまざまなことがあった一年でしたね。暗いニュースもたくさんありましたが、来年が皆さまにとって良い年になりますように心から願っています。みんなで支え合って諦めずに平和な世の中をつくっていきましょうね。昨年は本当にお世話になりました。喪中なので新年のごあいさつは控えさせていただきますが、皆さま良いお年をお迎えください。
(俳優・劇作家、山形市出身)

劇中で光太郎にも触れられるそうで、さらに特に『鯨よ……』の方は、生前の光太郎をご存じで、昨秋亡くなったお母さまの介護体験等も反映されているそうで。ちなみに亡くなられた11月10日には、えりさん、当方と中野でトークショーでした。

そんなこんなもありますし、御招待いただいているので、拝見に伺います。皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

小生ここへ来てからもう満五年二ヶ月になりますが世情ますます紛糾、いつ彫刻が思ふやうに出来るか、まだ見当がつきません。出来ることを出来る時にしてゐる自然の生活を営むばかりです。


昭和26年(1951)1月12日 西出大三宛書簡より 光太郎69歳


花巻郊外旧太田村での蟄居生活。新しい年が明けて一つの節目と感じてはいたようですが、まだ自らそれを切り上げる気にはなっていませんでした。

この年の秋に山小屋を訪れた詩人の宮静枝によれば、「いま私に彫刻をさせないことは日本の損失だと思います」とまで語ったとのこと。そう考えるなら帰京すれば、と思うのですが、公的に訴追されなかったとしても、自らの戦争犯罪を他が許さないうちは自らも許すことが出来ない、というわけでしょう。

宮曰く、

光太郎は余りにも明治でありすぎたと思うのである。国からの招請を心ひそかに待ち続け、自らの生命を無為に山野に燃焼し尽くした光太郎も、日本の大きい犠牲者であり、まさに悲しみの典型だったのである。(『詩集 山荘 光太郎残影』あとがき「悲しみの典型」平成4年=1992)

一昨日、中途半端なところで終わってしまった花巻レポートの続きです。

豊沢町のカフェ羅須さん。お世話になっている泉沢義雄氏と賢治研究のお仲間が新たに開店なさったお店ですが、花巻市さんの広報誌『広報はなまき』12月15日号に紹介されています。
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展示されていました地元の方の賢治オマージュの作品、画像がアップロードし切れていませんでしたので、追加です。
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店内には他にも常設的に賢治関連の展示も。
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それ以外にも、写真を取り忘れましたが、ジャズを中心に、クラシックや懐かしのJ-POP、果ては演歌にいたるアナログレコードがずらり。

そこそこ面積もあり、キャパ数十のちょっとしたコンサートなど音楽や朗読イベント等も可能なようです。光太郎関連でもやらせてくれそうです。
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今後のますますのご繁昌を祈念いたします。

さて、市街地を後に、旧太田村方面へレンタカーを走らせました。目指すは光太郎が戦後の七年間を過ごした山小屋・高村山荘と、隣接する高村光太郎記念館さん。一見平坦な道に見えて徐々に標高が上がっていき、少しずつ積雪も。

まずは手前の高村光太郎記念館さん。驚くほどの積雪ではありません。というか、逆にこの時期としては雪が少なくて、驚くほどです。以前はスタッフの方が小型の除雪車でメートル単位の雪を排除していました。
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こちらでは、花巻新渡戸記念館、萬鉄五郎記念美術館、高村光太郎記念館、花巻市総合文化センターの4館が連携し、統一テーマ「イーハトーブの先人たち」による同一時期開催の企画展「ぐるっと花巻再発見」の一環として「光太郎が聴いたクラシックと蓄音機」が開催中。
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スペース中央に、どん!と蓄音機。
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パネルは、クラシック音楽に関わる光太郎詩や尾崎喜八、宮沢清六ら周辺人物の回想等。
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SPレコードが4枚。うち2枚は当方がお貸しした、太平洋戦争前の光太郎作詞のものです(楽譜も)。
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自宅兼事務所にはアナログレコードの音声データをPCに取り込めるレコードプレーヤー(SPの78回転にも対応しています)がありますので、こちらで作成したデータも一緒に提供しましたところ、QRコードで聴くことが出来るようにしてありました。
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この2枚以外にもSPレコードを数枚お貸ししたのですが、スペースや予算の関係でしょうか、そちらは展示されていませんでした。以前に使っていた展示ケースが不具合、その後新たに補充されていないそうで、それさえあればずらっと並べられるのに改善されていません。マストの備品なので何とかして下さいと前々から言っているのですが、何だかなぁ、という感じです。

他に、光太郎も聴いたであろう戦後くらいのクラシックの盤。こちらは地元の方のご提供。
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会場内ではこちらから採ったと思われる音楽をエンドレスで流しています。

隣接する(といっても数百㍍)高村山荘へ。市街地でも熊の出没情報が相次いでいますので、十分注意しつつ。この積雪の少なさで、まだ冬眠していないようです。
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ルーティンで、光太郎遺影にご挨拶。

その後、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんに立ち寄り、リンゴを一箱購入して自宅に発送。少し前にやつかの森LLCさんからいただいた一箱も食べきっていないのですが、あったらあったで困りませんので。

そして定宿の、光太郎や賢治も愛した大沢温泉さん。
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渓流側の部屋にしていただき、ラッキーでした。

当方、ここのところ毎年冬の初めには手指に内出血系のしもやけが出来て、痛くて堪らないのですが、大沢温泉さんに浸かると不思議と治ります。以前もそうでした。恐るべし、温泉パワー(笑)。

そして翌朝。この日は世田谷の千歳船橋で演劇公演「燦燦たる午餐 第二回公演 凌霄花(ノウゼンカズラ)の家」拝見のため、8時台のはやぶさ号で帰りました。

また来月も花巻行きの予定です。カフェ羅須さん、高村光太郎記念館さん、皆様もぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

三日に胆沢郡水沢町といふ町の水沢公民館で智恵子の切抜絵の展覧会をやつたやうです。そこには智恵子の旧知の人が居ます。山形市、盛岡市、花巻町でもやりました。


昭和25年(1950)11月8日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎68歳

水沢町は現在の奥州市。こちらの公民館で1日限定で智恵子の紙絵の展示が行われました。作品は花巻の佐藤隆房宅に疎開させておいたものからチョイスし、「智恵子の旧知の人」日本画家の夏目利政が骨折って実現しました。夏目は明治42年(1909)から大正元年(1912)にかけ(まさしく光太郎と知り合って恋に落ちた頃です)、日本女子大学校を卒業した智恵子が下宿していた家の息子でした。水沢方面に疎開して、戦後もしばらくいたようです。

パンフレットには夏目による在りし日の智恵子を思い出して描かれた絵も載せられました。
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昨日のこのブログでは、一昨日、昨日と滞在しておりました光太郎第二の故郷・岩手花巻のレポートを途中まで致しておりましたが、一旦中断し、その後向かいました世田谷での観劇レポートを。そちらの公演が今日までですので、これを見て行ってみようという方が一人でもいらっしゃれば、と思いまして。

燦燦たる午餐さんの第二回公演「凌霄花の家」。ハコは小田急線千歳船橋駅近くのAPOCシアターさん。キャパ20名ちょいくらいの小劇場でした。しかし天井は高く狭苦しい感じではなく、奈落(?)に降りる階段なども劇中で効果的に活用されていました。
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こちらは終演後。左端に階段。
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登場人物は三人(劇中劇的に、他の人物の役どころを演じる役回りも設定されていましたが)。それぞれ熱の籠もった演技でした。

まず令和の現代を生きる若い女性・遙佳(中嶋真由佳さん)。彼女がさまざまな鬱屈を抱え、鬱蒼とした森の中を歩いている中で、凌霄花(ノウゼンカズラ)に包まれたあばら屋を見つけ、屋内に。そこで見つけた古い絵や日記、手紙などに見入っていると、一人の男(石倉来輝さん)が現れ、「この家のゆかりの者」的な自己紹介。そしてかつてこの家であったことを語り出す、という流れです。この手法、能の定石ですね。実はその語っている人物の正体は……という所まで含めて。

男の語る昔語りは、この家(実はアトリエ)で100年ほど前にあった画家夫婦、孝治(石倉さん)と夕子(畑中咲菜さん)の話。この画家夫婦というのが、光太郎智恵子をモチーフとしています。ただ、孝治は彫刻家ではなく画家。彫刻家とするより画家の方が描きやすそうですし、一般の理解も得られるかなとは思いました。評論や翻訳なども書いているという設定は、光太郎そのままです。しかし、詩を書いているという設定にはなっていませんでした。後述しますが、史実の光太郎が書いていた詩も含め、孝治の絵がその役割を担っている感じの描き方でした。

光太郎の「緑色の太陽」を彷彿とさせる評論を読んだ、自身も絵を描いている夕子が孝治のアトリエを訪れ、意気投合、双方の両親の反対を押し切って、結婚。この辺りも光太郎智恵子の史実に近い設定です。また、あまり強調されませんでしたが、孝治の父は、光太郎の父・光雲同様、斯界の権威ということになっていました。

当初は売れない画家だった孝治は、特に夕子をモデルに描いた絵が徐々に世の中に認められていき、夕子も細々と雑誌の挿絵や絵葉書を描いて……という二人の生活。史実だと光太郎は智恵子をモデルとした彫刻も複数作り、発表もしましたが、その数は多くありませんでした。
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しかし、のちに『智恵子抄』に収められる詩群に智恵子を謳い、それによって智恵子のイメージが世に広まった部分はありました。そう考えると、劇中での孝治の智恵子を描いて好評を博した絵は、『智恵子抄』の詩群と置き換えられるように思いました。

細々と夕子に舞い込む仕事の依頼は、「絵にも描かれた孝治の妻」という形容詞がついてのものだったり、孝治の絵と違う服装でいると世間から違和感を感じられたり、と、このあたりはさもありなん、でした。ただし史実では、智恵子は主に母校の日本女子大学校の関係で挿絵や絵葉書などの依頼を受けていましたが、結婚後はそれもほぼ無くなっています。結婚後、智恵子が対外的に行っていたのは雑誌への文章等の寄稿。これも「新進芸術家・光太郎の妻」ということで依頼されていたのかも知れない、と、これは当方、そこまでは深く考えていませんでしたので、目から鱗でした。

『智恵子抄』オマージュは劇中に色々ちりばめられていて、例えば詩「あなたはだんだんきれいになる」(昭和2年=1927)関連のエピソード。

   あなたはだんだんきれいになる

 をんなが附属品をだんだん棄てると
 どうしてこんなにきれいになるのか。318486bb-s
 年で洗はれたあなたのからだは
 無辺際を飛ぶ天の金属。
 見えも外聞もてんで歯のたたない
 中身ばかりの清冽な生きものが
 生きて動いてさつさつと意慾する。
 をんながをんなを取りもどすのは
 かうした世紀の修業によるのか。
 あなたが黙つて立つてゐると
 まことに神の造りしものだ。
 時時内心おどろくほど
 あなたはだんだんきれいになる。

この詩に関しては、光太郎の散文「智恵子の半生」(昭和15年=1940)に、次のように語られています。

彼女は裕福な豪家に育つたのであるが、或はその為か、金銭には実に淡泊で、貧乏の恐ろしさを知らなかつた。私が金に困つて古着屋を呼んで洋服を売つて居ても平気で見てゐたし、勝手元の引出に金が無ければ買物に出かけないだけであつた。いよいよ食べられなくなつたらといふやうな話も時々出たが、だがどんな事があつてもやるだけの仕事をやつてしまはなければねといふと、さう、あなたの彫刻が中途で無くなるやうな事があつてはならないと度々言つた。私達は定収入といふものが無いので、金のある時は割にあり、無くなると明日からばつたり無くなつた。金は無くなると何処を探しても無い。二十四年間に私が彼女に着物を作つてやつたのは二三度くらゐのものであつたらう。彼女は独身時代のぴらぴらした着物をだんだん着なくなり、つひに無装飾になり、家の内ではスエタアとヅボンで通すやうになつた。しかも其が甚だ美しい調和を持つてゐた。「あなたはだんだんきれいになる」といふ詩の中で、

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。

と私が書いたのも其の頃である。

このあたり、劇中ではかなり効果的に使われていました。孝治は夕子をモデルにした絵を「彼女の内面の美を引き出すんだ」と意気込み、実際、ある程度成功したり、古着屋のエピソードは「質屋」と置き換えられていましたが、夕子が対応して自分の着物を「もう着ない柄だから」と言って換金したり、と。「スエタアとヅボン」も。

しかし、そうやって「描かれた自分」と「実際の自分」とのギャップ、孝治や世間による自らの「聖女化」(それとて悪意は無いわけですし)、自身の絵は「孝治の妻が描いた絵」としてしか見られないことなどに耐えられなくなった夕子は壊れ始め……というあたりで終わります。それ以降を語るにはしのびない、あとは想像に任せる、という感じでしょうか。

というわけで、光太郎智恵子をモチーフとしながらも、一般的な話に落とし込み、よりリアリティが増しているように感じました。

会場では製本された台本(月森葵氏著)の販売も行われていまして、一部購入してきました。100ページ近くで1,000円也。お買い得です。公演は今日の昼の部まで。台本は主宰の「燦燦たる午餐」さんに申し込めば入手可能かも知れません。
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スタッフ・キャストなど関係の方々の今後のさらなるご活躍、さらに出来れば再演を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

検印紙は捺印しかけてありますが明三十日は小生山形市へ行かねばならなくなり、三日に帰つてきますから、帰つたらすぐ全部捺印して速達で送ります、

昭和25年(1950)10月29日 澤田伊四郎宛書簡より 光太郎68歳

「検印紙」は澤田の龍星閣から翌月刊行された詩文集『智恵子抄その後』のためのもの。この年1月に発表した同題の連作詩を根幹とします。

その「あとがき」の最後にはこうあります。

「智恵子抄」は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であつた。「智恵子抄その後」の奥底に何があるか、書いてから一年ばかりにしかならないので、まだ自分にもよく分からない。おそらくこれを読む人々が卻てそれを鋭く見ぬいてくれることであらう。

智恵子が歿して既に12年、この年は13回忌でした。それだけ経っても智恵子の姿はありありと光太郎の中に残っていたわけで……。

都内から演劇公演の情報です。

凌霄花の家

期 日 : 2024年12月20日(金)~12月22日(日)
会 場 : APOCシアター 東京都世田谷区桜丘5-47-4
時 間 : 12/20(金) 19:00 12/21日(土) 13:00/18:00 12/22日(日) 13:00
料 金 : 一般/4500円 学割/2000円(要学生証)

鬱蒼とした森の中に佇む一棟の廃屋。床から壁から屋根まで季節外れの凌霄花(ノウゼンカズラ)に覆われ、古びた画材や生活の痕跡が置き去られている。偶然そこに足を踏み入れた少女が黴と埃にまみれた日記帳を開いたとき、どこからともなく一人の男が現れる。彼は少女に、この家にまつわる話を聞いてほしいと頼む。かつてこの家に確かに在った、或る愛についての物語を――

作:月森 葵(燦燦たる午餐)  演出:戸塚萌(燦燦たる午餐)
出演:石倉来輝、畑中咲菜、中嶋真由佳
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フライヤーには智恵子による『青鞜』創刊号の表紙絵(明治44年=1911)があしらわれています。内容的にも出演者の方のX(旧ツイッター)投稿などによれば「高村光太郎・智恵子夫妻をモチーフに書かれたオリジナル台本です。」「能「定家」と高村光太郎『智恵子抄』にインスピレーションを得た、愛と芸術についての物語。」だそうで、これは観に行かねば、と思い、12月21日(土)の昼の部を予約しました。

今年は光太郎智恵子がらみの演劇を3本観ました。

心を病んでからの智恵子を主人公とし、自分の中に「かつての光太郎」や光太郎自身の思う「あるべき自分」はもはやここには居ないという描き方だった「哄笑ー智恵子、ゼームス坂病院にてー」、「かくあらねば」という姿に囚われ、自縄自縛に自らを追い込み、光太郎のモラハラを剔抉し、智恵子が壊れていく様を追った「売り言葉」、病んでなお紙絵を通して光太郎への愛のメッセージを送り続けた智恵子、的な「智恵子抄」……。今回、どんな光太郎智恵子が表わされるのか、興味深いところです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

其後閲読してゐましたが、此書は大変親切によく出来てゐます、本文はもとより、挿画その他も甚だ趣味が健康です。明るさがあり、又謎のやうなものもあり、おもしろいです。実地に演出した経験が見事に生かされて、細かいところまで注意が行届いてゐます、読者は大いに喜ぶでせう、


昭和25年(1950)9月19日 花巻賢治子供の会・照井登久子宛書簡より
 光太郎68歳

宮沢賢治の教え子だった照井謹二郎と、妻・登久子が起ち上げた児童劇団「花巻賢治子供の会」。昭和22年(1947)、郊外旧太田村に隠棲していた光太郎の慰問のために始められましたが、その後、活動の場を広げていきました。毎年春から初夏には太田村で、秋には花巻町中心街で公演を行い、光太郎も確認出来ている限り7回、それらを観ています。光太郎、若い頃から演劇鑑賞は大好きでした。

昭和25年(1950)には登久子がそれまで上演してきた脚本をまとめ、『どんぐりと山猫』を上梓、光太郎にも贈りました。それに対する礼状の一節です。
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毎年恒例ですが、今年度は本日開幕です。

花巻市共同企画展 ぐるっと花巻再発見!~イーハトーブの先人たち~

期 日 : 2024年12月7日(土)~2025年1月26日(金)

市内の文化施設である、花巻新渡戸記念館、萬鉄五郎記念美術館、高村光太郎記念館、花巻市総合文化センターの4館が連携し、統一テーマにより同一時期に企画展を開催します。
 
■花巻新渡戸記念館 テーマ「島善鄰 没後60年」
 島善鄰は1889年、広島生まれ。善鄰8歳の時に父の故郷、花巻に帰ってきました。「リンゴの神様」「リンゴの恩人」と称されるリンゴ研究の第一人者、島善鄰について紹介します。

■萬鉄五郎記念美術館 テーマ「東和モンパルナスー岩手の小さな町に集った美術家たち―」
 萬鉄五郎の出身地である岩手県花巻市東和町には、1990年代から現在に至るまで多くの画家や彫刻家、陶芸家たちが移り住み活動の場とするなど、岩手の小さな町を拠点に多彩な表現活動を繰り広げてきました。
 本展では、パリのモンパルナスに集った画家たちにちなみ、「東和モンパルナス」と銘打って、この町に集った多様な美術家を紹介します。

■高村光太郎記念館 テーマ「光太郎が聴いたクラシックと蓄音機」
 昭和20年5月に花巻へ疎開し、同年秋に太田村へ移住した高村光太郎。留学中に欧米の音楽に触れた光太郎は帰国後もレコードやラジオを通じ、時にはオーケストラによる生演奏でクラシック音楽を楽しんでいました。太田村への移住後、ラジオを入手した光太郎は放送での演奏のほか、蓄音機でも音楽を楽しみました。
 この企画展では、音楽をテーマに光太郎が山の暮らしの中で執筆した詩など、光太郎にゆかりある楽曲や関連する資料を紹介します。

■花巻市総合文化財センター 「縄文ムラの人々」
 花巻市内から出土する埋蔵文化財の7割は縄文時代のものです。本企画展では、縄文の人々のムラ・信仰・生業など考古資料からひもといてみます。

《関連イベント》
★ぐるっとまわろう!スタンプラリーを実施します!
共同企画展の会期中、開催館4館のスタンプを集めた方に記念品を差し上げます。この機会にぜひ足を運んでみてください。
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年によって参加館数が異なったりするのですが、今年は4館。

そのうち花巻高村光太郎記念館さんでは、地元の音楽関係の方にご協力いただき、SPレコード等の展示を行うそうです。関連行事としてレコードコンサート的な催しも。
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当方も史料をお貸ししました。光太郎作詞の戦時歌謡のSPレコードを4枚、それから戦時歌謡ではなく歌曲「ぼろぼろな駝鳥」(弘田龍太郎作曲 昭和18年=1943)、戦後の光太郎詩朗読が吹き込まれたSPもそれぞれ1枚ずつ。さらにそれらの楽譜、歌詞カードなども。全て展示されるかどうか不明ですが。

戦時歌謡4枚のうち3枚は、飯田信夫作曲の「歩くうた」(昭和15年=1940)です。「隣組」も歌った徳山璉の歌唱でちょっとしたヒット曲となり、現在再放送中のNHKさんの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」でも戦時中のシーンで使われました。徳山歌唱の盤が2種類、それから日本ビクター管絃楽団によるインストゥルメンタルバージョンです。もう1枚は文部省の日本国民歌全5曲の一つとして箕作秋吉が作曲し、関種子が歌った「こどもの報告」(昭和14年=1939)。まぁ、それぞれ光太郎の黒歴史ですね。

戦後の朗読は光太郎最晩年の昭和30年(1955)、家の光協会でリリースした「家の光つどいの歌」。B面に詩朗読で光太郎の「私は青年が好きだ」(昭和15年=1940)、光太郎とも交流のあった竹内てるよの「わたくし」が吹き込まれています。朗読者は不明です。
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通常の盤も存在しましたが、当方手持ちのものは絵が印刷されたピクチャーレコードです。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

明六日放送の由、丁度いまラジオ受信機がこはれてゐて残念です、ますます御元気であられる様にいのります。

昭和25年(1950)9月5日 新井克輔宛書簡より 光太郎68歳

故・新井克輔氏はハーモニカ奏者。かつて連翹忌の集いに20回近くご参加下さり、アトラクションとして見事な演奏を披露していただきました。

光太郎、ラジオの音楽番組をよく聴いた他、花巻町中心街に出た際は宮沢家に立ち寄って、賢治実弟の清六にさまざまなレコードを聴かせてもらってもいました。中には賢治の遺品などもあったのでしょうか? そんな中で詩「ブランデンブルグ」(昭和23年=1948)なども生まれました。

11月23日(土)、都内荒川区荒川ふるさと文化館さんで企画展示「鋳造のまち日暮里—銅像の近代—」、上野の東京都美術館さんで「第46回東京書作展」をそれぞれ拝観後、東京ドーム近くの文京シビックセンターさんで「第67回高村光太郎研究会」に参加。いったん千葉の田舎にある自宅兼事務所に戻りました。

翌11月24日(日)は、杉並区の荻窪小劇場さんへ。都内で一泊しても良かったのですが、宿泊するより往復の公共交通機関運賃の方が安いという判断で、両日とも日帰りにしました。11月9日(土)~11月18日(月)までは中野区のなかのZEROさんで開催された「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」に毎日スタッフとして詰めておりまして、その間、鎌倉にも足を延ばしたりと、計算するのも恐ろしいほど交通費を使いましたが、世の中にお金を回すことに貢献しているかなと、変に自分に言い訳をしております(笑)。ちなみに片道2時間超です。

で、荻窪小劇場さん。
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こちらでは「劇団「喜び」40回記念公演 一人芝居 智恵子抄」を観覧。
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ちなみに平成29年(2017)には同じ会場にDangerous Boxさんという劇団の二本立て公演「門ノ月~Aida~/智恵子抄」を拝見に伺いました。もう7年も経つか、という感じでしたが。

今回の「智恵子抄」、基本、一人芝居です。演じられたのは茶山千恵子さん。富山県ご在住、地元で光太郎智恵子に関する市民講座講師を務められたり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたりと、精力的に活動されています。連翹忌の集いにも昨年今年と、続けてご参加くださいました。
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本編の前に、智恵子の姪にあたり、智恵子が昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院後、当時の一等看護婦の資格を持っていたことから、病院で一緒に生活する付き添いをした宮崎春子による「紙絵のおもいで」(昭和34年=1959)の朗読。こちらは4日間の公演で3人の方が日替わりで務められ、この日は一柳みるさんでした。

そして茶山さんによる一人芝居。

「智恵子抄」系の一人芝居というと、野田秀樹氏脚本の「売り言葉」が平成14年(2002)以来、様々な劇団や個人の方々が繰り返し取り上げてらっしゃいまして、当方も先月、平体まひろさんによる公演を拝見して参りました。そちらは光太郎智恵子の関係性をかなりアイロニカルに捉え、「智恵子を潰した光太郎」「モラハラから逃げることをせず自縄自縛に陥った智恵子」的な描き方でした。そこで、いろいろ考えさせられるものの、あまり後味のいいものではありません。

今回のものはそうした視点ではなく、心を病んだ智恵子の悲劇性はクローズアップされるものの、あくまでそれは仕方がなかった的なまとめ方でした。紙絵に関しても、言葉を失った智恵子から光太郎へのラブレターといった捉え方。そして全編「美しく」という流れの中で。

どちらを好むかは、人それぞれでしょう。

終演後、茶山さんと一柳さん。
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茶山さん、ステンドグラスの制作などもなさっているそうで、大道具的に配置されていたこちらも茶山さんのご自作とのことです。
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言わずもがなですが、智恵子による『青鞜』創刊号の表紙絵(明治44年=1911)がモチーフです。

その後、客席で懇親会。
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要請により、光太郎智恵子、さらには宮沢賢治についても語らせていただきました。

茶山さん、智恵子没後の光太郎を描く続篇も構想なさっているとのこと。期待したいところです。

以上、長々書きましたが、2日間の都内レポートを終わります。

【折々のことば・光太郎】

今年もまた子供さん達の劇を見せて下さつて、たのしい一日を過ごしました、今年は部落の少年少女ばかりでなく、開拓の方からも人が集まり、皆どんなによろこんであの日をたのしんだか知れないと思ひます、劇の選定もいいし、演出が巧みなのでどれも面白く、子供達の自由な動きですべて生き生きとしてゐました、賢治独特の味ひもよく生きてゐました、子供達の技倆もたしかに年々上達してゐるやうです、それに今年は音楽まではいつたので尚更愉快でした、

昭和25年(1950)7月2日 照井登久子宛書簡より 光太郎68歳

「子供さん達の劇」は、花巻賢治子供の会による児童劇。5月、6月頃には光太郎が隠棲していた花巻郊外旧太田村で、秋には花巻町中心街で、それぞれ賢治の童話などを演目として公演を行い、光太郎はそれを楽しみにしていました。

うまいこと考えるもんだな、と感心しました。

【米津玄師と文学】フェア『LOST CORNER』

期 日 : 2024年10月9日(水)~11月17日(日)
会 場 : 紀伊國屋書店横浜店 横浜市西区高島2-18-1そごう横浜店7F
時 間 : 10:00〜20:00
料 金 : 無料

『LOST CORNER』でまた素晴らしい音楽世界を披露してくれた米津さん。米津作品の大きな魅力の一つである豊かな言葉の世界をより深く理解するためのフェアを始めました!店長+横浜地区の米津ファンスタッフによる熱いPOPとともに展開しています!
入口入って右奥の棚にて。
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フェア書目
新編宮沢賢治詩集 新潮文庫 (改版) 宮沢賢治、天沢退二郎/新潮社
新編 銀河鉄道の夜 新潮文庫 宮沢賢治/新潮社
山椒魚 新潮文庫 井伏鱒二/新潮社
厄除け詩集 講談社文芸文庫 井伏鱒二/講談社
茨木のり子詩集 岩波文庫 茨木のり子、谷川俊太郎/岩波書店
詩のこころを読む 岩波ジュニア新書 茨木のり子/岩波書店
一握の砂/悲しき玩具 ― 石川啄木歌集 新潮文庫 (改版) 
 石川啄木、金田一京助/新潮社
中原中也詩集 新潮文庫 中原中也、吉田熈生/新潮社
二十億光年の孤独―Two Billion Light‐Years of Solitude 集英社文庫 
 谷川俊太郎、ウィリアム・I.エリオット/集英社
山頭火句集 ちくま文庫 種田山頭火、村上護/筑摩書房
三四郎 新潮文庫 夏目漱石/新潮社
パリの砂漠、東京の蜃気楼 集英社文庫 金原ひとみ/集英社
君のクイズ 小川哲/朝日新聞出版
みどりいせき 大田ステファニー歓人/集英社
アンソロジー 死神 角川ソフィア文庫 東雅夫/KADOKAWA
わたしを離さないで ハヤカワepi文庫 カズオ・イシグロ、土屋政雄/早川書房
日々の泡 新潮文庫 ボリス・ヴィアン、曽根元吉/新潮社
うたかたの日々 光文社古典新訳文庫 ボリス・ヴィアン、野崎歓/光文社
ブレーメンの音楽師―グリム童話〈3〉 新潮文庫
 ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム/新潮社
不思議の国のアリス 新潮文庫 ルイス・キャロル、矢川澄子/新潮社
マザー・グース 〈1〉 講談社文庫 谷川俊太郎、和田誠(イラストレーター)/講談社
デューン 砂の惑星〈上〉〈中〉〈下〉 ハヤカワ文庫SF
 フランク・ハーバート、酒井昭伸/早川書房
海からの贈物 新潮文庫 (改版)
 アン・モロー・リンドバーグ、吉田健一(英文学)/新潮社
風の谷のナウシカ(7巻セット)
 ― トルメキア戦役バージョン アニメージュコミックスワイド版
海獣の子供 〈1〉~〈5〉 IKKI COMIX 五十嵐大介/小学館
うろんな客 エドワード・ゴーリー、柴田元幸/河出書房新社
エドワード・ゴーリーの世界 濱中利信、柴田元幸/河出書房新社
外科室・天守物語 新潮文庫 泉鏡花/新潮社
永遠も半ばを過ぎて 文春文庫 中島らも/文藝春秋
我が愛する詩人の伝記 講談社文芸文庫 室生犀星/講談社
文学部唯野教授 岩波現代文庫 筒井康隆/岩波書店
死について考える 知恵の森文庫 遠藤周作/光文社
歌うクジラ〈上〉〈下〉 講談社文庫 村上龍/講談社
人間の土地 新潮文庫 (改版) サン・テグジュペリ、堀口大学/新潮社
人間の大地 光文社古典新訳文庫 サン・テグジュペリ、渋谷豊/光文社
智恵子抄 新潮文庫 (改版) 高村光太郎/新潮社
ヴァルター・ベンヤミン―闇を歩く批評 岩波新書 柿木伸之/岩波書店
クレーの天使 パウル・クレー、谷川俊太郎/講談社
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ご存じ米津玄師さんが、楽曲のモチーフになさったり、インスパイアの元となったりした作品を含むであろう書籍をまとめて販売するというコンセプト。単体でボンと置いておいてもそれほど売れ筋とは言えないものも、こうすることによって相乗効果と言いましょうか、付加価値と言いましょうか、そういうものが生まれて売れて行く、と。

平成30年(2018)のヒット曲「lemon」がらみで光太郎の『智恵子抄』新潮文庫版も入れていただいています。当初はラインナップに外れていたのですが、先月末に新たに組み込まれました。
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CDリリース前に、音楽チャート・Billboard(ビルボード)の日本公式サイト「Billboard JAPAN」さんに載ったインタビュー

--米津さんは文学もお好きだと思うんですけど、私はタイトルを見たときに梶井基次郎の『檸檬』が頭をよぎりました。
米津玄師:確かに「レモン」って文学的なニュアンスがあるとは思ってて。他にも高村光太郎の『智恵子抄』(「レモン哀歌」)とか。そういうものからレモンが無意識的に自分の頭の中にはあって、そこから出てきたっていう面はあるかもしれないです。

行かれた方のSNS投稿等を見ると、各書籍につけられたポップが素晴らしいとの声多数。

「紙の書籍は売れない」「街の書店が危機」……さんざん聴かされていますが、努力次第でいくらでもこうした工夫が出来るはずですね。

ご紹介が遅れてしまいまして、会期あと僅かですが、ぜひ足をお運びの上、『智恵子抄』、お買い求めください。

【折々のことば・光太郎】

此の間澤田伊四郎さんが突然来訪、懇請されたので「智恵子抄その後」六篇と戦後の雑文とを一冊にまとめて出版することを承諾しました、


昭和25年(1950)5月29日 宮崎稔宛書簡より 光太郎68歳

52de0e93澤田伊四郎の龍星閣(オリジナル『智恵子抄』版元、前年に戦時の休業から復興)から『智恵子抄その後』が刊行されたのは11月。この年1月の雑誌『新女苑』に載った連作詩「智恵子抄その後」6篇を根幹に、それ以前の智恵子に関する詩「もしも智恵子が」「噴霧的な夢」(新潮文庫版『智恵子抄』にすべて収録)、智恵子に関わる散文をいくつか、あとは智恵子とは無関係な散文、詩で構成されています。函などには「詩集」と印刷されていますが、「詩文集」とすべきものです。

澤田にあてた、同書に関わる光太郎書簡等が澤田の故郷である秋田県小坂町に寄贈されています。

都内から演劇公演の情報です。

劇団「喜び」40回記念公演 一人芝居 智恵子抄

期 日 : 2024年11月21日(木)~11月24日(日)
会 場 : 荻窪小劇場 東京都杉並区荻窪3-47-18 第五野村ビル1F
時 間 : 開場 13:30 開演 14:00
料 金 : 前売 一般4,000円 中高生2,000円  当日 一般4,500円 中高生2,000円

彫刻家であり詩人でもある、高村光太郎その妻智恵子。珠玉の愛の物語『智恵子抄』を一人芝居でお届けします。

皆さまへ、高村光太郎「智恵子抄」との出逢いは、20代後半でした。 あの頃は人生が180度変わる出来事に襲われ、それ以来私は、人を信じる事が出来なくなりました。 トンネルの中を歩いているような数年を過ごしたある時、祖父の書斎で「智恵子抄」を見つけました。 何気なくパラパラと捲り、随筆「智恵子の半生」を読むうちに涙がとめどなく流れ嗚咽していました。 ようやく心の糧になるものに巡り会えた! そんな気持ちでした。それから毎日、智恵子抄を読むうちに、 光太郎 智恵子の生き様に涙し、また励まされ、胸をときめかせました。 稀有な愛の世界を一人でも多くの人に伝えたい。それが私の願いになっていきました。 地元富山では、10年前から一人芝居として「智恵子抄」を公演し好評を得て再演を重ねました。 もっと沢山の方に知って頂きたくて、東京公演を決定しました。

皆様のお越しを心よりお待ちしています♡

出 演 : 茶山千恵子
朗 読 : 一柳みる(劇団昴) 西山水木(下北澤姉妹社) 
      小飯塚貴世江(キヨエコーポレーション)

本編の前にゲストの朗読があります(15分) 宮崎春子 「紙絵のおもいで」
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富山県高岡市ご在住の茶山千恵子氏。地元で光太郎智恵子に関する市民講座講師を務められたり、ご自宅を開放なさって花巻のやつかの森LLCさん考案の「光太郎レシピ」を元に調理された「光太郎ランチ」を予約の方に振る舞われたりと、精力的に活動されています。

今回の「一人芝居智恵子抄」は、令和元年(2019)に富山で上演されたものの再演のようです。

本編の前に、日替わりでゲストの方が朗読をなさるそうです。題目は宮崎春子「紙絵のおもいで」(昭和34年=1959)。春子は智恵子の姪にあたり、智恵子が昭和10年(1935)に南品川ゼームス坂病院に入院後、当時の一等看護婦の資格を持っていたことから、病院で一緒に生活する付き添いをしていました。そしてほとんど唯一、智恵子の紙絵制作の現場を目撃した人物です。
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春子は戦争が終わった昭和20年(1945)12月、光太郎の仲立ちで、光太郎と親交のあった茨城の詩人・宮崎稔と結婚しました。光太郎はそれ以前の同年始めに智恵子紙絵の約3分の1を宮崎家に疎開させており、上記は戦後になってそれを見る春子を写したショットです。

招待券を頂いてしまいまして、お邪魔します。ただ、日程調整がうまくゆかず最終日になっていまいますが。

皆様も是非どうぞ。

【折々のことば・光太郎】

智恵子の病状記を書いておいて下さる事は興味もあるし一般の参考にもなると思いひます、春子さんとお二人で協力されたら面白いとおもひます、 病状と一緒に切抜絵制作の実際をもみたまま書かれるやうにとおもひます、 今盛岡で切抜絵の展覧会をやつて居ます。末日頃小生も一寸見にゆくつもりでゐます。

昭和25年(1950)4月23日 宮崎稔宛書簡より 光太郎68歳

春子の夫・稔に宛てた書簡から。主に春子への聞き書きのような形で稔が智恵子の病状記録を残そうとしていたようですが、この時点ではそれは実現しませんでした。

盛岡での紙絵展は4月19日~30日、川徳画廊で開催されていました。宮崎家とは別に花巻の佐藤隆房宅に疎開させた紙絵の中からセレクトしてのものでした。

NHKカルチャーさんのオンライン講座です。

心に響くオンライン朗読講座~基本スキル編

期 日 : 2024年11月8日(金) 11月22日(金) 12月13日(金)
時 間 : 10:30~12:00
料 金 : 9,900円

講 師 : 朗読家・神戸女学院大学非常勤講師 川邊暁美

ご自宅で安心!マスクを外してのびのび楽しみましょう♪

声の響きや作品の息遣いを楽しみながら、朗読の世界に心を遊ばせてみましょう。
伝わる声づくりから明瞭な発音、声の表現力の磨き方、朗読の基本をオンラインで受講していただけます。声と言葉の豊かさは心の豊かさ。人生をより豊かに、実りあるものにしてくれます。ぜひ、朗読にチャレンジしてみてください。

●1回目:ここちよく声を出すために
 (練習作品)『あどけない話』(高村光太郎)『こだまでしょうか』(金子みすゞ)
 伸びやかな声のためのストレッチ、声を心を安定させる腹式呼吸、明瞭な発音の基本
●2回目:声の可能性にチャレンジ
 (練習作品)『やまなし 五月』(宮沢賢治)
 ベストボイスを探す、苦手な発音を克服、声の5要素を深める
●3回目:声の表現力を広げる  
 (練習作品)『やまなし 十二月』(宮沢賢治)
 朗読の手順、作品の息遣いを伝える表現
 
持ち物
●PC、タブレット(LANケーブルもしくはwi-fiに接続し、通信環境の良い所から参加してください)
●マイク付きイヤホンを使う等、音声のやり取りができる状態でご受講ください。
●事前にビデオ会議ツールZoomアプリをインストールしてください。文化センターホームページ【オンライン講座受講前の準備】参照。

備考
●Zoomミーティングの招待メールは2-3日前にお送りします。必ず事前に登録のうえ、音声テストもお済ませください。
●各回の資料は招待メールに記載のURLからダウンロード願います。可能な方はプリントアウトして当日お手元にご用意ください。
●ミーティング形式で行いますので、参加者のお顔が映ります。
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講師の川邊暁美氏、今年1月にも光太郎の散文「智恵子の紙絵」(昭和14年=1939)も題材に含んだ講座をなさってくださいましたし、どうしたわけかご紹介するのを失念していました(すみません)が、先月も「智恵子抄」から作品を採っての講座講師を務められました。

常々書いていますが、光太郎文筆作品、詩にしても散文にしても、意外と朗読向きです。字面を目で追っただけではそうも感じられないのですが、実際に声に出してみると、または他の方の朗読を聴いてみると、内在律といいましょうか、自然律といいましょうか、心地よい独特のリズム感にあふれています。ひそかに韻なども多用されており、光太郎がフランス語の習得のために触れたヴェルレーヌやらの詩の影響が見て取れるような気がします。

ご興味おありの方で、Zoom使用環境が整われていれば、ぜひどうぞ。

講座ついでに、講座というより講演、さらにいえば公開対談というかトークショーというかですが、今月10日開幕の「中野を描いた画家たちのアトリエ展Ⅱ」の関連行事としての、渡辺えりさんと当方による「連翹の花咲く窓辺…高村光太郎と中西利雄を語る」(11月10日(日) 14:30~16:30  会場:なかのZERO 無料)。

3日程前の段階で、申し込みがまだ定員に達していないとのこと。
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Facebookでは「イベント」を作成してもう一度呼びかけてみましたが、こちらでも改めて宣伝させていただきます。お忙しい折とは存じますが、絶対に面白い内容となるはずですので、ぜひどうぞ。

お申し込みはこちら

【折々のことば・光太郎】

父や母の事なら書きいいのですがどうも自分の細君の事となると気がさしてくだくだと書けなかつたのでした。 そのくせ詩には時々出てくるのですが、変なものです。

昭和25年(1950)3月7日 小田切進宛書簡より 光太郎68歳

光太郎にしては珍しく、執筆の約束をしていながらぶっちぎってしまった(笑)件に関わります。

小田切が勤務していた改造社で発行していた『女性改造』のこの年四月号には、智恵子紙絵の原色版グラビア5点が4ページにわたり掲載され、「想い出 高村光太郎 解説 真壁仁(本文参照)」のキャプションが添えられています。

しかし本文には光太郎の「想い出」という文章はなく、真壁による「高村智恵子遺作切抜絵について」のみが4ページにわたり掲載され、その欄外に「口絵に『想い出・高村光太郎』となっていますが、 筆者の余儀ないご都合により本号に掲載できませんでした、右 おことわりいたします(編集部)」の注記があります。おそらくその注記を書いたのが小田切だったのでしょう。「余儀ないご都合」と言いつつ、後回しにしていたら忘れてしまっただけなのですが(笑)。

もし忘れていなければ、この時点で改めて書かれたはずの智恵子に関する「想い出」。読んでみたかった気がします。

今日も演奏会情報。若干先の話になりますが、一昨日、昨日も同様の情報でしたので、流れを考え、早めにご紹介します。

まず、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山を望む福島県郡山市から。ただ、入場無料・整理券配付というシステムで、既に1ヶ月前に申し込みが終わっています。こういった場合、いつも書いていますが、それでもキャンセル等があるかもしれませんし、記録のためにもご紹介しておきます。

郡山市市制施行100周年記念式典音楽祭

期 日 : 2024年11月3日(日・祝)
会 場 : けんしん郡山文化センター 福島県郡山市堤下町1番2号
時 間 : 第一部(合唱)11:00~ 第二部(交響楽)15:30~
料 金 : 無料

市制施行100周年を記念した音楽祭を開催します。

(1)合唱コンサート(11時開演)
 ♪出演者♪
  指揮:佐藤守廣
  ソリスト:渡邊仁美(ソプラノ)、藤田彩歌(メゾソプラノ)、
       小原啓楼(テノール)、初鹿野 剛(バリトン)
  100周年メモリアルオーケストラ・合唱団
 ♪曲目♪
  「Believe」 作詞・作曲:杉本竜一
  「群青」 作曲:小田美樹 編曲:信長貴富
  カンタータ「土の歌」より「大地讃頌」 作詞:大木惇夫 作曲:佐藤眞 
  「キセキ」 作詞・作曲:GReeeeN
  市制施行100周年記念楽曲「ゼロ年目からのバインダー」 作詞・作曲:GRe4N BOYZ
  「安積野」 作詞:倉木文緒 作曲:須田くにお
  交響曲第9番「合唱付き」より第4楽章 作曲:ベートーヴェン 

(2)オーケストラコンサート(15時30分開演)
 ♪出演者♪
  指揮:本名徹次 ソリスト:初鹿野 剛(バリトン) 100周年メモリアルオーケストラ
 ♪曲目♪
  交響曲第6番「田園」より第1楽章 作曲:ベートーヴェン 
  あれが阿多多羅山 バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』による
   作詞:高村光太郎 作曲:湯浅譲二
  交響詩「ローマの松」より  作曲:レスピーギ
   「ボルゲーゼ荘の松」「カタコンバ付近の松」「ジャニコロの松」「アッピア街道の松」
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郡山ご出身で、今年8月に亡くなった作曲家・湯浅譲二氏の「あれが阿多多羅山 バリトンとオーケストラのための~高村光太郎『樹下の二人』による」がプログラムに入っています。平成28年(2016)、市政90周年を祈念しての委嘱作品でした。

続いては合唱で、広島から。

広島中央合唱団 Autmun Concert~Can't wait for Christmas~

期 日 : 2024年11月4日(月・振休)
会 場 : 日本キリスト教団 広島流川教会  広島市中区上幟町8-30
時 間 : 14:00~15:00 
料 金 : 無料

指揮:寺沢希  ピアノ:梶矢民子  ソプラノソロ:昆野智佳子/山口水蛍

広島流川教会(中区上幟町)礼拝堂をお借りし、”Christmasを待ちきれない⭐広島中央合唱団“ から、ミニコンサートをお送りします。大好きな教会で、いつもと違うJazzy なCarol などをお楽しみいただきたいと思います。14時開演、入場無料です。ぜひお立ち寄り下さい。

演奏曲目

 Ⅰ.Jazz Missa Brevis Will Todd作曲
 Ⅱ.混声合唱曲 レモン哀歌 高村光太郎作詞 鈴木憲夫作曲
 Ⅲ.3つのジャズ・キャロル
    Away in a manger Once in royal David's city Silent night
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鈴木憲夫氏作曲の混声合唱曲「レモン哀歌」。組曲の一つというわけではなく、単体の作品です。女声版が最初に作曲され、平成23年(2011)にカワイ楽譜さんから出版されています。続いて独唱版と混声版が翌年に刊行されました。
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8分弱の長めの曲で、最初から最後まで奇を衒わずゆったりと清澄な響きで展開し、メロディーラインの美しい曲です。

ラストは独唱歌曲。都内での開催です。

サウンド・ランドスケープ Vol.4~現代音楽の今~

期 日 : 2024年11月5日(火)
会 場 : 豊洲シビックセンターホール 東京都江東区豊洲2-2-18
時 間 : 19:00~
料 金 : 全席自由 2,800円

プログラム(演奏順ではありません)
 城代悠子 渡り鳥 〜フルート・ピアノ〜 <初演>
  フルート:陣内幸恵 ピアノ:赤司美苗
 黒田昭 チェロとピアノのための作品より〜Vol.2 <初演>
  チェロ:中村浩太郎 ピアノ:樋口真千子
 DAKOKU ソプラノとピアノの為のヴォカリーズ ・舞魚 ・再会
  ソプラノ:MAKI ピアノ:DAKOKU 
 佐倉圭史 アマデウスは生きている—ピアノ連弾(1台4手)のための— <初演>
  ピアノ:首藤那咲 ピアノ:中矢美里
 服部和彦 
  たまゆり 〜ソプラノとピアノのために~ ソプラノ:笠井真由美 ピアノ:澤田尚美
  水の色彩~ピアノのために~ ピアノ:澤田尚美
 岩井奈美<メゾ・ソプラノ> 
  別宮貞雄:「智恵子抄」より 僕等 あどけない話 千鳥と遊ぶ智恵子 レモン哀歌
  なかにしあかね:ケヤキ 小鳥たち 沈丁花によせて 歌が生まれる
   ピアノ:尾崎克典
 古荘達郎<テノール>
  P.チマーラ:郷愁 Nostalgia  R.ザンドナイ:みみずく~六つのメロディーエより~
  中田喜直:木兎(みみずく)  團伊玖磨:旅上 はる
   ピアノ:高橋ドレミ
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昨日ご紹介した「関西歌曲研究会 日本歌曲の流れ 第101回演奏会 シリーズ 詩人 ~うたびと~vol.1 詩(うた)はどこから来た?」でも取り上げられる故・別宮貞雄氏作曲の「歌曲集 智恵子抄」から4曲。「僕等」「あどけない話」「千鳥と遊ぶ智恵子」そして「レモン哀歌」。

一昨日は朗読を伴う演奏会情報をお届けしましたが、こちらで把握しているもの、これで計7件ご紹介しました。まだあるかもしれません。曲名だけ告知されていて「作詞:高村光太郎」という記述がなかったりすると、なかなか気づけません。

内容等によりけりですが、お知らせいただければ、出来る限りご紹介いたしますので、よろしくお願い申し上げます。

【折々のことば・光太郎】

捺印の薄いのもありますが、それは〇下二十度の頃捺したもので、どうしても印肉がのらないでやむを得ませんでした。萬年筆は破裂しました。


昭和25年(1950)1月24日 鎌田敬止宛書簡より 光太郎68歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋の厳寒期。水分は凍結すると膨張しますので、万年筆が破裂、朱肉も凍結して息でも吹きかけながら捺印したのでしょうか。昔の書籍の奥付に貼られていた検印紙に関わります。つくづく凄まじい生活でした。

芸術の秋、ということなのでしょう。毎年のことですが、この時期は各種イベントが目白押しです。

今月末から来月頭にかけ全国で行われる演奏会等でも、光太郎智恵子にからむものを、昨日ご紹介した2件以外に5件ばかり把握しております。

さすがに5件一気にというわけには行きませんので、分割して。

まずは兵庫県西宮市から。

関西歌曲研究会 日本歌曲の流れ 第101回演奏会 シリーズ 詩人 ~うたびと~vol.1 詩(うた)はどこから来た?

期 日 : 2024年10月24日(木)
会 場 : 兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホール 兵庫県西宮市高松町2-22
時 間 : 18:30~
料 金 : 全席自由 3,000円

出演・曲目(五十音順)
 声楽
  青木耕平  レモン哀歌  詩:高村光太郎 曲:別宮貞雄
  大岡美佐  はなのいろは    歌:小野小町 曲:山田耕筰
  尾崎比佐子 椰子の実   詩:島崎藤村 曲:大中寅二
  木寺聖子  日本の雨の歌 歌:詠み人知らず 曲:マルクス
  総毛創   秋の眸    詩:竹久夢二 曲:松下倫二
  松井るみ  「3つの日本の抒情詩」より 
歌:山部赤人/源当純 曲:ストラヴィンスキー
  矢野文香  もう一度の春 詩:ロセッティ 曲:木下牧子
  山本久代  花のゆくえ  詩:竹久夢二 曲:木下牧子
  吉岡仁美  ひさかたの  歌:紀友則 曲:伊能美智子
  吉永裕恵  わすれな草  詩:竹久夢二 曲:藤井清水   
 ピアノ
  丸山耕路

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昭和57年(1982)、故・別宮貞雄氏作曲の「歌曲集 智恵子抄」から「レモン哀歌」がプログラムに入っています。別宮氏の「歌曲集 智恵子抄」、息が長いというか、また最近になってけっこう取り上げられるようになった感があります。

もう1件、こちらは大阪から。

第15回サンセットファミリーコンサート 海辺の音楽会~あなたに贈る歌~

期 日 : 2024年10月27日(日)
会 場 : ATC海辺のステージ 大阪市住之江区南港北2丁目1-10
時 間 : 15:00~16:30
料 金 : 無料

◆プログラム◆
【第1部】相愛大学音楽学部 コーラスグループ「Lilla」によるステージ
 ・アラン・メンケン/映画「リトル・マーメイド」より"アンダー・ザ・シー"
 ・コブクロ/この地球の続きを
 ・ゴダイゴ/銀河鉄道999
 ・ミマス/COSMOS
 ・夏の歌・秋の歌メドレー
  「茶摘み~夏は来ぬ~我は海の子~旅愁~故郷の空~夕焼け小焼け」
 ・クロード=ミッシェル・シェーンベルク/ミュージカル「レ・ミゼラブル」より"民衆の歌"
  ほか
【第2部】相愛大学大学院音楽研究科生、音楽専攻科生による独唱
 ・A.ドヴォルザーク/歌劇《ルサルカ》より"月に寄せる歌"
 ・蒔田尚昊/高村光太郎 詩《智恵子抄》より「あどけない話」
 ・小林秀雄/日記帳
 ・G.F.ヘンデル/《イタリア語のデュエット集》より"夜明けに微笑むあの花を"HWV 192
 ・W.A.モーツァルト/アヴェ・ヴェルム・コルプス
  ほか
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蒔田尚昊氏作曲の歌曲集『智恵子抄』から「あどけない話」が取り上げられます。

ご出演の皆さんが相愛大学さんのご関係の方々。相愛大学さんといえば今年8月に大学近くの本願寺津村別院(北御堂)さんで開催された「北御堂コンサートvol.255〜ロマンの饗宴〜」でも、同曲が演奏されました。

その際に歌われた永山玲奈さんという方、今回のフライヤーにもお名前があり、その方の歌唱なのでしょう。

それぞれ、お近くの方(遠くの方も)ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

おてがみやポスターなどいただきました、智恵子の切り抜き絵につき大変皆様のお世話さまになります事恐縮至極です、智恵子もあの頃、盛岡でこれらの作品が人々の目に触れやうとは思ひもかけなかつた事でせう、不思議な因縁だと思ひます、
昭和25年(1950)1月10日 黒須忠宛書簡より 光太郎68歳

前年の山形での開催に続き、この年は4月に盛岡の川徳画廊、5月には花巻の寿デパートで智恵子の紙絵の展覧会が開催されました。

盛岡展に関しては、黒須が勤務していた新岩手日報社の肝煎りでした。

光太郎詩の朗読がプログラムに組み込まれている演奏会情報を2件。

まずは演奏会と言うよりインスタレーションの一部ですが。

余白露光 テルミンと民族楽器のライブ演奏

期 日 : 2024年10月26日(土)
会 場 : 旧逗子高等学校武道場 神奈川県逗子市池子4丁目1025
時 間 : 14:00〜15:00
料 金 : 無料

出 演 : テルミン(大西ようこ) 民族楽器(杵淵三朗)
      朗読(聖和学院中学校・髙等学校 美術部)

 切絵、映像、音楽のインスタレーション展示。
 旧逗子高等学校の武道場という広い空間に、逗子の学校の生徒さんとの共同製作の切り絵を含めて立体的に作品を配置、逗子市の風景をつなげた映像を投影します。切り絵を抜けた光は映像につれて時々刻々と変化し、来場者が光の中を歩いて中央に設置されたテルミンに近づくと、テルミンが発する音が変化します。
 昨年の逗子アートフェスティバルの参加型インスタレーション企画「余白の自然」において、別アーティストによって制作されたオブジェも一部、コラボレーション展示される予定です。
各日14時より日替わりで専門家によるテルミン演奏あり。
 最終日26日には、14時より、テルミンと民族楽器のライブを行います。
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以前にもちらっとご紹介した「余白露光~境界剪画(切絵)、映像、音楽のインスタレーション」の一環で、展示自体は10月12日(土)から始まっています。電子楽器・テルミンを展示に組み込んだり、テルミン奏者の方々の演奏が為されたりしています。

で、最終10月26日(土)に、切り絵も担当された地元の聖和学院中学校・高等学校美術部の生徒さんによる詩の朗読に乗せ、テルミン奏者・大西ようこさんの演奏。詩は「ウクライナの子守唄 夢は窓辺を過ぎて」、峠三吉「原爆詩集」より、そして「智恵子抄」から「風にのる智恵子」だそうです。

大西さん、10月19日(土)にも演奏をなさったそうですが、その際には箏曲奏者の元井美智子さんとのコラボで、先月、やはり逗子で開催された「テルミンミュージアム4周年記念~人数限定のスペシャルなライブ~」に組み込まれていた「智恵子抄」の演奏もされたとのこと。急遽決まったようで、こちらでは事前に告知できませんでしたが。


今度は中高生の朗読。聖和学院中学校・高等学校美術部の生徒さんたち、期間中にこれまでも他の演奏者の方々と朗読のコラボをなさったそうです。そして26日(土)が千秋楽。

ぜひ足をお運びください。

もう1件、京都から。

文星堂 定期演奏会 秋の音楽会

期 日 : 2024年10月27日(日)
会 場 : 文星堂 京都市伏見区醍醐下山口町1
時 間 : 13:30~
料 金 : 無料

10/27秋の音楽会(入場無料)今回の朗読担当は京ふさこさんです!

朗読  智恵子抄より「樹下の二人」
歌 「サンタルチア」     「荒城の月」     「私の愛の日々」など
演奏  バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043

朗読:京ふさこ  歌:吉岡誠 喜多村澄映  ヴァイオリン:細辻都美子 堀井明子
ピアノ:出野奈穂子 細辻都美子 池田彩乃 吉岡亮
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コンサート専用ブースではなく、あくまでも、本屋と古物のお店です。お客様には、お詰め合わせのうえ、お座りいただくことをご了承いただきご参加くださいませ。しかしながら、そのおかげか、お客様と演奏者との距離が近く、間近で迫力ある音をお楽しみいただけますよ^^」だそうです。

きちんとしたホールでの演奏会ももちろんですが、こうしたアットホームなそれもいいものです。

こちらもぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

亡妻智恵子の思出を書きましても、それは「妻」といふやうな一つの典型を成す事は出来ない気がいたします、相互の愛こそありましたが、智恵子は御承知の通りの病疾者でありましたし、又決して普通にいふ妻の資格を備へてゐる女性でもなかつたのでありました。


昭和25年(1950)1月11日 松下英麿宛書簡より 光太郎68歳

松下が務めていた中央公論社で、「母」「妻」といったテーマごとのアンソロジーのシリーズを企画、「妻」の巻に智恵子の思い出を書き下ろして欲しい、というような依頼があったようで、それへの返答です。

戦前には「智恵子の半生」という長い随筆を書き、『智恵子抄』にも収められましたが、その際は自分の中で智恵子との日々を総括するといった意味がありました。今、この時期に改めて、という気にはならなかったのでしょうし、「智恵子の半生」でも語ったように、自分たち夫婦のケースはあまりに特殊で、一般の人々の普遍的な参考にはしがたい、という考えもあったのでしょう。

昭和23年(1948)に結成され、光太郎が名付け親となった「花巻賢治子供の会」という児童劇団がありました。主に宮沢賢治の童話を劇化、第一回の公演は光太郎が蟄居生活を送っていた旧太田村の山小屋前で行われ、その後しばらく、春には旧太田村、秋には花巻町中心街での公演というスパンで続きました。光太郎が花巻を離れた後も活動は続き、平成9年(1997)までに公演回数は160回を超えたそうです。

その「花巻賢治子供の会」で実際に光太郎の前で演技をなさった当時のお子さん、お母さまが「花巻賢治子供の会」のメンバーだった宮沢和樹氏(賢治実弟・清六令孫)、そして当方でのトークショーです。

令和6年度高村光太郎記念館企画事業 対談「光太郎と花巻賢治子供の会」

期 日 : 2024年10月27日(日)
会 場 : なはんプラザCOMZ ホール 岩手県花巻市大通一丁目2番21号 
時 間 : 14:00~15:30
料 金 : 無料

高村光太郎と交流した照井謹二郎・登久子夫妻が起ち上げた花巻賢治子供の会の会員より当時の活動の思い出をうかがい、光太郎の想いや賢治とのかかわりを学びます。

講 師 : 宮沢和樹  株式会社林風舎代表取締役
      熊谷 光  花巻賢治子供の会元会員
      高橋則子  花巻賢治子供の会元会員
      小山弘明  高村光太郎連翹忌運営委員会代表
司 会 : 田中しのぶ 花巻賢治子供の会元会員
チラシ表
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「花巻賢治子供の会」。主宰していたのは、花巻農学校での賢治の教え子の故・照井謹二郎氏と奥様の登久子氏。お二人とも小学校教諭、退職後は花巻で幼稚園経営をなさっていました。戦前から近所の子供達を集め、賢治の詩や童話の読み聞かせ、朗読の指導などを行っていました。戦後になり、戦争は終わったにも関わらず、戦争ごっこを続けている子供達の姿に愕然とし「これではいけない」と活動を再開したとのこと。

その頃、賢治実弟・清六の妻、愛子に「一緒に光太郎先生の山小屋に行こう」と誘われた登久子氏(戦時中から光太郎と面識はありました)、「何の手土産も用意できないから……」といったんは断ったものの、子供達の演劇を披露して娯楽の少ない山村暮らしの光太郎を慰問しようと思い立ったとのこと。そして昭和22年(1947)の6月に、旧太田村の光太郎の山小屋前で第一回公演を打ちました。

以後、記録に残る限り、太田村と花巻町中心街で光太郎は7回公演を観ています。光太郎が観た演目で把握できている賢治作品は「雪渡り」「カイロ団長」「どんぐりと山猫」「雁の童子」「風の又三郎」「狼森と笊森、盗森」「かしわ林の夜」。他にオリジナルの劇もあったようです。元々若い頃から芝居好きだった光太郎でしたし、特に戦後、青少年の健全育成には協力を惜しまなかったところもあり、公演の観覧を楽しみにしていました。

子供達の素朴で、しかし生き生きと演じる姿に好感を感じていたらしく、公演回数を重ねだんだん手応えを感じてきた登久子氏が「東京に出て本格的に演出などを学びたい」ともらすと、「そんなことをして変な児童劇臭さがついたらどうするのか。今のままが一番良い」とたしなめたそうです。

賢治童話の劇化ということで、賢治実弟の清六・愛子夫妻もサポート。お二人の令嬢で今年亡くなられた潤子さんも団員の一人として舞台に立たれていました。そこで潤子さん令息の和樹氏にもお話を伺います。

そして、実際に光太郎の前で演じられたお二人。貴重なお話が聴けることと存じます。
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画像の左下に写っている熊谷光さんと高橋則子さんのお二人です。ちなみに光太郎が二列めの右から3番目にいますが、その左後ろが清六、最後列には潤子さんもいらっしゃるようです。昭和27年(1952)、光太郎最後の観覧の際の集合写真です。
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登久子氏は昭和25年(1950)に脚本集『どんぐりと山猫』を十字屋書店から出版。光太郎にも触れられていますし、光太郎はこれを贈られて絶賛しました。

また、照井夫妻の近所に住んでいた菊池捍(まもる)の息女で、光太郎にピアノ演奏を聴かせてあげた聡子氏も音楽方面でサポートしていたこともわかりました。

そんなこんなでの1時間半。ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

東京の連中はどうしてゐるかと時々おもひます、みな生活が中々困難だらうと思ひます、勢ひいろんなアルバイトをやらねばならないでせう。此間ラジオの娯楽番組の中へ草野心平が出てきて、唄をうたつたので面白かつたのですが、これもアルバイトの一つでせう。


昭和25年(1950)1月11日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎68歳

当会の祖・心平。「何やってんだ」という感じですが(笑)。

愛知からコンサート情報ですが、8月の段階でチケット完売とのこと。ただ、キャンセル等があるかも知れませんし、記録のためにもご紹介しておきます。

HITOMIホールプリズムステージ 朗読と音楽が紡ぐ愛、「智恵子抄~田園交響楽より~」

期 日 : 2024年10月9日(水)/10月10日(木)
時 間 : 15:00~ 
会 場 : HITOMIホール 名古屋市中区葵三丁目21番19号メニコンアネックス5F
料 金 : 一般 前売り3,000円/当日3,500円  大学生迄 前売り・当日ともに1,500円

「智恵子抄」は、詩人・高村光太郎によって書かれた詩集。妻・智恵子との出会いから死後までの約30年間に書かれた、彼女にまつわる作品集です。プリズムステージでは、智恵子が愛したと言われているベートーヴェンの「交響曲第6番『田園』」をモチーフにしたオリジナル音楽とともに構成します。
●作曲 宗川諭理夫
●朗読 たかべしげこ、大田翔
●演奏 ヴァイオリン 寺田史人 チェロ 佐藤光 ハープ 天野世理
光太郎の描いた精神世界、届かない智恵子への憧れと渇望、そして絶望。理性的な美しい言葉たち。挑戦のステージです。
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同じ会場で、似たタイトル(今回の「愛」が「純愛」でした)の公演が平成28年(2016)同29年(2017)同30年(2018)と3年連続で開催されました。基本的には再演なのでしょうが、演者の方々は過去のそれとは異なっています。

昨日ご紹介した野田秀樹氏作の演劇「売り言葉」にしてもそうですが、「智恵子抄」、様々な切り口からの二次創作が可能な素材です。今後ともこういったものが作り続けられ、上演され続けられて欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

小鳥も多くなり、木ツツキが小屋の屋根をたたきます、木ツツキが来ると冬が近づきます。今はススキの穂がいちめんに銀いろで海のやうです。木々は既に紅葉をはじめ、山口山は上の方から赤くなつて来ました。今に路傍の草までまつかになることでせう。


昭和24年(1949)10月26日 椛沢ふみ子宛書簡より 光太郎67歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の秋。約2ヶ月後に発表した連作詩「智恵子抄その後」の中では、「智恵さん斯ういふところ好きでせう。」と謳いました。

智恵子を主人公とする一人芝居です。

平体まひろ ひとり芝居『売り言葉』

期 日 : 2024年10月10日(木)~10月14日(月)
会 場 : 雑遊 新宿区新宿3-8-8 新宿O・Tビル
時 間 : 10月10日(木)・10月11日(金) 19:00~
      10月12日(土)・10月13日(日) 14:00~/18:00~
      10月14日(月) 12:00~
料 金 : 10月10日(木)のみ3000円 他は一般 4000円 U25 3000円

〈出演〉 平体まひろ
〈スタッフ〉
演出:下平慶祐  舞台監督:齋藤美由紀  音響:丸田裕也  音響オペレーター:池田優美
照明:阪口美和  舞台美術:竹邊奈津子  当日制作:岡田珠美、渋谷真樹子
宣伝美術:平体まひろ  企画・制作:プテラノドン

 「平体まひろ 一人芝居『売り言葉』」が10月10日から14日まで東京・雑遊にて上演される。
 「売り言葉」は、野田秀樹が執筆した戯曲で、2002年に大竹しのぶの一人芝居として上演されたもの。彫刻家で詩人の高村光太郎の妻・智恵子の半生をモデルに描かれた作品だ。
 約1年弱舞台活動を休止していた平体まひろは本作に向けて「一年弱舞台活動をお休みしていました。ということを知っている方はそんなおらんだろとも思いつつ、自分にとっては覚悟を決めてのことだったので、活動再開にあたっても覚悟を決めて、ひとり芝居に挑戦することにしました。沢山の方々のお力をお借りしながら、自分に売り言葉をふっかけながら、皆様に楽しんでいただくべく励みます。ぜひお運びください!」とコメント。
 また演出を手がける下平慶祐は「高村智恵子が狂気に溺れていく戯曲、と聞くとおどろおどろしいと思うかもしれませんが、読んでみると全く違う印象を抱きました。私自身かなり『おどろ』いたのですが、この戯曲に描かれていたのは、普遍的な、とりわけ女性が、必死に人生と向き合っていく様子です。つまり、死を必することが狂っているということ?それなら自分の人生は? なんてことを考えながら、この作品を皆様に送ります」と意気込みを述べた。

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「売り言葉」、元々は大竹しのぶさんの一人芝居として野田秀樹氏が作られ、平成14年(2002)に南青山スパイラルホールさんを会場に初演されました。翌年、野田氏の『二十一世紀最初の戯曲集』(新潮社)に収められ、その後プロアマ問わずさまざまなところで上演されています。
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たまたま偶然でしょうが、令和元年(2019)には、当方の把握している限り6組もの異なる劇団/個人の方が上演、一昨年で2本、昨年も1本の公演がありました。

この手の脚本(ほん)の中で、光太郎ディスり度が最も高い(これでアンチ光太郎になってしまったという方もいらっしゃるようで)ものですが、それだけに生々しい人間ドラマという意味では秀逸です。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

真亀の老母逝去の由、気の毒な老年だつたと思ひますが、やむを得ません。


昭和24年(1949)10月27日 宮崎稔宛書簡より 光太郎67歳

「真亀の老母」は智恵子の実母・セン。宮崎の妻・春子は、センの三女・ミツの子で、智恵子にとっては姪にあたり、当時の一等看護婦の資格を持っていて、南品川ゼームス坂病院に起居して智恵子の付き添いを務めました。春子が幼い頃にミツが夫のDVに耐えかねて実家に戻り、ほどなく早世したため、センは孫の春子を養女として戸籍に入れました。そこで戸籍上は光太郎のみならず宮崎の義母ということにもなり、「老母」としているわけです。
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智恵子もそうですが、センもかなり数奇な人生を送りました。家業の長沼酒造破産後は五女のセツの元に身を寄せ、千葉の九十九里浜真亀納屋で暮らし、ゼームス坂病院に入院する前、昭和9年(1934)には心を病んだ智恵子を半年余り受け入れていました。

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