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昨年開催されたイベントの報道が最近為されていますので、ご紹介しておきます。

まず、11月13日(木)~11月30日(日)に茨城県取手市の東京藝術大学大学美術館取手館さんで開催され、光太郎の卒業制作「獅子吼」石膏原型が展示された「藝大取手コレクション展2025」につき、同市の『広報とりで』今月号。

発見~開館30周年と収蔵棟完成を祝う祭典! 「藝大取手コレクション展2025」

 令和6年に開館30周年を迎えた東京藝術大学大学美術館と、 未来の学生たちの作品を十分に保管できるスペースを持った取手収蔵棟が同年竣工したことを記念し、「藝大取手コレクション展2025」が令和7年11月13日から30日まで開催されました。取手東小学校の3年生も学校行事でコレクションを鑑賞しました。鑑賞した児童からは「いろいろな作品が見られて楽しかった。作品ごとに違う雰囲気や面白さがあった」と話し、“アートのまち取手”ならではの貴重な体験をしました。
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学校教育との連携は大切なことですね。未来のアーティストや評論家などが生まれる一つのきっかけとならないともかぎりませんし。

続いて11月30日(日)に港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」につき、青森の地方紙『東奥日報』さん。同紙では翌日にもすでに報道して下さったのですが、改めて昨年大晦日に長い記事にして下さいました。

十和田湖の未来を語る東京フォーラム 11月30日に東京で開催 先人の思いを礎に「感動体験」が人を呼ぶ好循環へ

 山は富士、湖水は十和田、広い世界に一つずつ――。明治・大正期の文人で、俳句や美文で十和田湖や奥入瀬渓流の自然美を世に紹介した大町桂月が、蔦温泉で没して100年。今や十和田八幡平国立公園は本県を代表する観光地となっています。「十和田湖の未来を語る東京フォーラム」が11月30日、東京都港区の赤坂区民センターで開かれました。大町の人柄や功績、本県との関わりを振り返り、十和田湖と周辺地域の未来に視線を向けたフォーラムの様子を紙面で採録します。

蔦温泉で二度越冬
 フォーラムは東京青森県人会の主催で、参加者の皆さんは十和田湖の歴史、自然、文化、観光に詳しい方々による講演とパネルディスカッションに熱心に耳を傾けていました。大町桂月(以下、桂月)の足跡をたどり、業績を後世に伝える活動を続けている「大町桂月を語る会」の谷川妙子事務局長は、桂月が「日本の昔の好い人情が東北のこの地にまだ残されている」と話していたことや、二度の越冬時にはユーモラスな絵と文で厳冬期や春の雪解けなども楽しんだ滞在の様子を書き残していることを紹介しました。
 また、「『十和田湖一帯の地は山水の衆美(しゅうび)を集め啻(ただち)に日本に秀絶(しゅうぜつ)するのみならず世界に冠絶(かんぜつ)す』という美文で固めた請願文が大きな反響を呼びました」と、筆の力で国立公園に大きく押し上げた桂月の功績をたたえました。

湖の感動を表した像
 十和田湖のシンボルとして愛されている「乙女の像」について、高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会の小山弘明代表が制作に至る経緯などを解説しました。像の設立は国立公園15周年を記念して、十和田開発の功労者である大町桂月、青森県知事の武田千代三郎、十和田村長で県会議員の小笠原耕一の三氏の功績を讃える目的で、詩人・彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が制作。高村は、桂月と同様に自分が湖から受けた感動をそのまま正直に表す思いで像を造ることとし、完成後の像は自分の手を離れて十和田湖の自然の中に溶け込むことを願っていたというエピソードを紹介しました。

感動体験から保護・活用へ
 初任地が十和田湖事務所だったという環境省自然環境局国立公園課長の長田啓さんは、「自然豊かな日本で一番贅沢な通勤路だった」と話し、会場を沸かせました。その上で、十和田八幡平国立公園は環境省が世界に誇れる国立公園を作る「国立公園満喫プロジェクト」において全国の先行的な取り組みを進める地域の一つに選ばれていることを紹介。訪れた人の感動体験が公園を「守ろう」という意識づけになり、利用によって得られる利益が保護に回る好循環を目指しています。神秘的な自然美、十和田神社の信仰といった歴史文化を守りながら宿泊施設の整備などで滞在環境の上質化を進め、国内外からより多くの訪問者が来ることへの期待を伝えました。
 ゼネラル・プロデューサー山田安秀氏は、地域の歴史や自然文化の複合的な価値と、将来を考える機会になればと話し、パネルディスカッションを締め括りました。
 フォーラムの最後に登壇した桂月のひ孫にあたる大町芳通さんは、「桂月が愛した十和田の素晴らしい自然を青森の観光資源として維持、活用することを知恵を持って成し遂げていただき、地元がもっと発展するよう祈っています」と謝辞を述べ、会場からは大きな拍手が送られました。

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この他、大町桂月の詳細なプロフィール、フォーラム登壇者の全氏名と肩書き、東京青森県人会役員の方々からの「応援メッセージ」などが掲載されていますが、長くなるので割愛します。

また改めてご紹介しますが、十和田湖では今月末から来月末にかけ、「乙女の像」ライトアップも為される「第28回十和田湖冬物語」というイベントも開催予定です。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)8 『明るい時』

大正10年(1921)10月15日 芸術社 ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序文
 明るい時
  一 おうさんらんたるわれらのよろこび     二 無言のままわれらの歩く
  三 この野蛮な柱頭              四 夜の空はひろがり
  五 いつでも、かほど純真にふかい     
  六 あなたは時としてあのなよやかな美を示す
  七 おう! 戸を叩かせて置かう        八 あどけない頃のやうに
  九 わかい、気のやさしい春は         一〇 しづかに来て                        
  一一 火のやうな恍惚の眼をして        一二 長い間私のくるしんでゐた時 
  一三 どういふわけか何故なのかいはれは何か
  一四 黄金と花との階段をしづしづ降りる    
  一五 私はあなたの涙に、あなたの微笑に       一六 私はあなたの二つの眼の中に
  一七 われらの眼を愛するため                   一八 われらの愛の園に、夏はつづく
  一九 あなたの明るい眼、あなたの夏の眼が   二〇 言つてごらん                        
  二一 われら自身以外の一切のものを            二二 おお! この幸福!                  
  二三 生きませう               二四 われらの口の触れ合ふやいなや
  二五 底知れぬ深さ神のやうに聖い       二六 たとひもう、こよひ                  
  二七 からだを捧げるとは、魂のある以上   
  二八 われらのうちにたつた一つの心やさしさ  二九 炎に花咲く美しい庭は                
  三〇 もし万一にも                        
 小曲二章
  小さな聖母  サンジヤンさま
 二篇
  風をたたふ  吾家のまはり

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)が、妻のマルト・マッサンとの日々を謳った連作詩「明るい時」の翻訳を根幹としたものです。後の『智恵子抄』が想起されます。

光太郎による序文では、「詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の「詩」はやはり向うに残る。其を知りつつ訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである。」と記されています。言わずもがなですが、「フランス語を知らない一人の近親者」は智恵子です。

松の内の間に正月っぽいネタを片付けてしまおうと思います。

『京都新聞』さん、元日の「社説」。

社説:新しい年に 京都、滋賀に希望の物語紡ごう

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 京都の書店で、画集の上に「檸檬(れもん)」を置いて出てきたと小説に書いたのは、梶井基次郎である。
 病床にあった詩人高村光大郎の妻は、レモンを<きれいな歯ががりりと嚙んだ(略) 天のものなるレモンの汁はぱつとあなたの意識を正常にした>(智恵子抄(ちえこしょう))
 私たちの舌と多くの芸術家を刺激してきた酸っぱいレモンが、京都で作られている。5年ほど前から始まった挑戦の結実だ。
 仕掛けたのは農産物加工品の製造・販売会社「日本果汁」(京都市下京区)。健康志向で拡大する国産レモンの需要に、生産が追いつかない。取引のある農家や専門家に、京都での栽培を打診する。

未来を刺激する実り 
 舞鶴、亀岡、木津川、京田辺など府内20超の農家が手を上げた。行政や企業の支援も得て、耕作放棄地を活用。防寒対策など2年ほどの試行錯誤で木が根付く。
 実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫で、先月に終えた年間収穫は7トン前後。「京檸檬」として加工品用に出荷し、地元の宝酒造(伏見区)が酎ハイ、ロマンライフ(山科区)が洋菓子に用いるなど商品化している。
 日本果汁の河野聡社長は「新たな特産品で持続可能な地域づくりに貢献できれば。目標は10年以内に100トン。生食や京料理などでの使用にも広げたい」と話す。
 府南部では鮮烈なグリーンのレモンが、茶園やネギ畑のそばで実っていた。緑の競演だ。<がりりと嚙んだ>ら通常より酸味が柔らかい。京の名前が良く似合う。多くの人の口に届いてほしい。

つなぎ、つながる多様性
 本紙は昨年から一つの地域で、複数の地方版を読めるように紙面を改めた。京都、滋賀で多くの人やグループ、団体が「わがまち」の資源を生かしたり、新たに作り出したりして地域社会を動かすニュースを連日、報じている。
 そこから読み解けるのは「つながり」「つなぐ」ことの大切さだ。糸をたぐり京滋に希望の物語を紡ぐ-。次の主役は、あなたやあなたの周囲の人かもしれない。
 政治には、そうした営みを後押しする方策を求めたい。
 30年来続けてきた国の少子化対策は、めぼしい効果をもたらしていない。結婚や出産、子育てについて行政が環境を整えることは重要だが、いずれも個人の自由であり、それでただちに出生率が持ち直すわけではない。
 結婚をためらう非正規労働者など雇用環境の改革、「伝統的な家族観」を女性に押しつける考え方など、複合的な社会の障壁を除くことが必要である。「多様性」と「寛容」が鍵になろう。
 ここ10年、政府が旗を振った「地方創生」も残念ながら、地域社会を疲弊させた面が大きい。官邸と霞が関が中央統制を強め、自治体間で住民や税金、補助金を奪い合わせたからだ。
 国は人口や経済成長をコントロールできるという幻想の物語を振りまき、真に必要な改革から逃げてきたのではないか。政府推計で、15年後には生産年齢人口(15〜64歳)が今より1100万人も減る。不都合でも直視したい。
 その点で、地方創生について政府自身が検証報告で行き詰まりを認め、昨年6月に閣議決定した今後10年の基本構想に「人口減少を正面から受け止め、誰もが安心して生活できる適応策を講じる」と明記したのは意義深い。
 地域社会の持続的な発展には、性別や世代、国籍を問わず支え合い、参加し、ゆるやかに連帯する暮らしと働く場が欠かせない。

政治が亀裂深めるな 
 それを支えるのは、医療・介護や教育施設、交通網、農林漁業といった広義のインフラだろう。東京大や同志社大で教えた経済学の泰斗、故宇沢弘文氏は「社会的共通資本」と呼んだ。
 人口減への適応策として、国と自治体は、その維持を優先すべきだ。「縮むまち」に合わせて、身の丈を整える青写真を各自治体は描く時ではないか。
 それを国は支えつつ、自らも人口減・低成長に即した「日本のかたち」を示し、「成熟型」の社会保障や財政、経済戦略を再構築すべきである。負担のわかちあいなど厳しい面もあろうが、次世代へのツケ送りは慎まねばならない。
 心配なのは、つながり、共に生きるより、交流サイト(SNS)を介して対立や不確かな情報をあおり、自分と考えの違う人や少数者、外国人を排撃する動きだ。
 昨秋、高支持率で出発した高市早苗政権は、その波頭に乗っているかに見える。持論や右派の支持層向けの言葉が、日本を分かつ壁を築いていないか。
 分断の溝を埋めるのは、誰もを包み込む地域社会に違いない。

よくある話のマクラに光太郎智恵子が使われるパターンですが(笑)、それも大歓迎です。マクラにさえ使われなくなったらゆゆしきことです。

「京檸檬」のブランド名で、レモンの栽培が拡がっているとのこと。調べてみたところ、社説で紹介されている日本果汁さんとロマンライフさんが会員企業、宝酒造さんが協賛企業として名を連ねている「京檸檬プロジェクト協議会」という団体さんがいろいろと頑張ってらっしゃるようです。
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耕作放棄地の活用など、意義のある取り組みですね。「京檸檬」と漢字にしているのもシャレオツなイメージです。まぁ何であっても「京××」としただけで垢抜けした感じになるような気がしますが(笑)。

意外と寒い京都ですが、「実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫」だそうで、そうすると智恵子の故郷・福島や光太郎ゆかりの岩手でも不可能ではないかもしれません。関係の方、ご一考をお願いしたいところです。

さらに社説では少子化や地方の問題、分断主義や排外主義の台頭への憂慮等も語られています。この国が「美しい国」であるために為すべきことは何なのか、年頭に当たって考えたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)5 『自選日記』

大正10年(1921)9月17日 叢文閣 ウォルト・ホイットマン著 高村光太郎訳
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目次
 序。大英帝国島に於ける諸君へ
 幸福な時間の命令 懇望する友への返事 系統――ヷンヹルサルとホヰツトマン
 古いホヰツトマン及びヷンヹルソルの墓地 母方の屋敷地……二つの昔の家族の内部
 ポマノクと、私の子供として又若者としての其処での生活 
 私の最初の読書――ラフアイエツト 印刷所――昔のブルツクリン 成長――健康――為事
 渡しに対する熱情 ブロードヱーの光景 乗合馬車旅行と馭者 芝居も歌劇も
 八年間――性格の源泉――結果――一八六〇年 南北戦争の開始
 国民の蹶起と義勇兵の志願 驕慢の気……ブルランの戦、一八六一年七月
 昏迷は去る――別の事が始まる 戦線にて 最初のフレデリツクスパーグ戦の後
 ワシントンに帰る 負傷のまま戦場に置かれた五十時間 病院の光景と人物
 専売特許局病院 月光下のホワイト ハウス 一軍隊病舎 コンネチカツトの一患者
 二人のブルツクリンの子供 分離派軍の一勇者 チヤンセラースヸルからの負傷兵
 夜戦、一週間余以前の事 最も勇敢な兵卒は名も知られずに居る 或る代表的患者
 私の訪問準備 傷病兵運搬車の行列 重傷――青年 戦時の壮観中最も元気あるもの
 ゲツチスバーグの戦 騎兵の野営 ニユーヨークの一兵卒 手製の音楽 
 アブラハム リンカーン 炎熱期 兵卒と談話と ヰスコンシンの一士官の死 病院の概観
 静かな夜の散策 兵卒中の霊的性格者 ワシントン附近の牛の群 病院の混雑 戦線にて
 奨励金支払 流言、異動、其他 ヷージニヤ 一八六四年の夏
 アメリカに適する新らしい軍隊組織 一英雄の死 病院の光景――偶発事
 ヤンキーの一兵卒 南方に於ける合衆軍の捕虜 脱走兵 戦争地獄図の一瞥
 贈物――金銭――分つた事 ノートブツクからの数項 第二ブルランからの一患者
 軍医――援助の欠乏 到る処青 模範病院 軍隊中の子供達 一看護婦の葬式
 兵卒にとつての女性看護へ 南軍の逃避兵 瓦斯燈下の政庁 就任式
 戦時に於ける外国政府の態度 天候―天候も此の時勢と照応するか 就任式舞踏会
 政庁に於ける一光景 古典的一ヤンキー 傷病兵 大統領リンカーンの死
 シヤーマン軍の歓呼――その突然の停止 リンカーンの善き肖像無し
 南軍から放免された合衆軍の捕虜 ペンシルヷニアの一兵卒の死 凱旋軍隊 大観兵式
 西部の兵卒達 一兵卒のリンカーン観 二人の兄弟、一人は南、一人は北
 痛ましい患者がまだゐる カルフーンの真の記念像 病院閉鎖 模範的兵卒 「痙攣的」
 三個年の総〆 百万の死の同じく総〆 真の戦争は書物の中に決して無い 中間の一節
 新らしい主題に入る 長い農家の小径に入る事 泉と流とに 初夏の起床喇叭
 真夜中に渡る鳥 くまん蜂 シダー(杉)の実 夏の風物と安逸
 日没のかをり――鶉の声――ハーミツト鶫 池の畔の七月の午後 ローカストとケチヂツド
 木の教訓 秋日小景 天空――昼と夜――幸福 色彩――対照 七六年十一月八日
 烏、烏……海岸の冬の一日 海浜の空想 トマス ペーンの追憶 二時間の氷上の渡船
 春の前奏曲――嬉戯 一つの人間の奇癖 或る午後の光景 門は開かる 大地、土
 鳥、鳥、鳥 星に満ちた夜 マリン、マリン……遠方の物音 日光浴――裸体 樫の木と私
 五行詩 初霜――おぼえ……三人の若者の死 二月の日 メドーラーク……日没の光
 樫の木の下での思ひ――夢 クロヷーと刈草の匂 知らぬもの
 鳥の啼声……馬薄荷……われら三人 ヰリヤム カレン ブライヤントの死
 ハドソン河を遡る 幸福とラズベリーと 放浪家族の一標本 湾から見たマンハツタン
 人間的な英雄的なニユーヨーク 魂にとつての時間 麦わら色其他の蝶
 夜の記憶……野生の花 遅蒔の礼儀……デラヱヤ河――昼と夜と
 渡船及河の光景――昨冬の夜 チエストナツト街の最初の春の日
 ハドソン河をアルスター郡に遡る JBの家に於ける日々――芝火――春の歌
 隠者に会ふ……アルスター郡の滝 ヲルター デユモントと彼のメダル ハドソン河の光景
 市の二つの地域、或る時間 セントラル、パーク散歩と談話 美しい午後、四時から六時
 大汽船の出発……ミネソタ艦上の二時間 盛夏の日夜 博覧会の建物――新市庁――河遊び
 河の上の燕 長い西遊旅行を始める 寝台車にて ミズーリ州
 ローレンスとトピーカ、カンサス州 平原、(及び口演しなかつた演説)
 デンヷーへ――国境の出来事 キノーシヤ山嶺の一時間 手前勝手な「発見」
 新らしい感覚、新らしい歓喜 蒸気動力、電信、其他 アメリカの脊骨
 パーク……芸術的容姿 デンヷーの印象 南に向ひ――やがて又再び東に
 果たされなかつた望――アーカンサス河 静かな小さなお伴――コレオプシス
 詩に於ける平原(プレーリー)と大野原 スパニツシユ高峯――野原の夕暮
 アメリカ独特の風景 地上最も重要な流 平原の対比者――樹木の問題 ミシシピ流域文学
 訪問記者の一記事 西の女……無言の将軍 大統領ヘイズの演説 セントルイス備忘
 ミシシピー河の幾夜 われら自身の国土の上 エドガー ポーの真意義
 ベトーヴエンの七部合奏曲 荒い自然の一暗示 森の中の遊びぐらし コントラルトの声
 ナイヤガラを有利に見る カナダへの旅 狂人と一緒に居た日曜日
 エリヤス ヒツクスの追憶 偉大な土着人の増加 合衆国カナダ間の関税同盟
 セント ローレンス水路 荒凉たるサグネー河 エターニテー及びトリニテー岬
 シクチミとハハ入江 住民――美食 杉の実のやうな――名称 トマス カライルの死
 アメリカ的見地から見たカライル 旧友の一二――コルリツジの一小片
 一週間のボストン訪問 今日のボストン 四詩人に対する私の讃辞
 ミレーの絵画……最後の数項 島――そして一つの注意 私の備忘録の見本
 今一度私の生れ故郷の砂と嵐と 炎暑のニユーヨーク 「カスター将軍の最後の集軍」
 或る古馴染――追憶 老年の発見 R、W、エマーソンへの最後の訪問
 他のコンコルド所見 ボストン コンモン――更にエマーソン
 オシヤン的の夜――最も親しい友達 ほんの一艘の新らしい渡船 ロングフエローの死
 新聞を起す事 吾等も其一部である大不安息 エマーソンの墓にて 当今の事――私事
 或書を読みかけた後 最後の告白――文学の試験標準 自然と平民主義と――道徳性
 附録(英国版の為一八八七年に書かれたもの)

原典はアメリカの詩人、ウォルト・ホイットマン(1819~1892)の日記で、雑誌『白樺』などに断続的に訳出掲載されたものの単行本化です。

その自然崇拝的態度などに、光太郎は共感を寄せていたようです。ただ、ホイットマン、南北戦争時には北軍を鼓舞する詩篇を書いてもいます(負傷兵の看護に当たるなどの慈善活動も行いましたが)。のちの15年戦争時に光太郎が大量の翼賛詩文を書き殴った一つの源流が、ここにも見えるような気がします。

令和8年(2026)となりました。あけましておめでとうございます。
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これまで毎年、300通ほど送っていました年賀葉書ですが、今年は大幅に削減させていただきまして、最低限の枚数といたしました。こちらからは送っておらず、しかしいただいた方には返信いたします。

やはり郵便料金の大幅値上げが大きく、こちらから送って返答していただくにも心苦しいという判断です。苦渋の決断ですが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

さて、ここ数年、元日はこのネタで攻めておりますが、光太郎智恵子、光雲のからみで、区切りのいい周年がどうなっているかのご紹介。年齢は数え年です。

140年前 明治19年(1886) 光太郎4歳 
智恵子、そして 光太郎のすぐ下の弟妹・道利としづ(静子)の双子が誕生しました。

130年前 明治29年(1896) 光太郎14歳 
下谷高等小学校を卒業し、東京美術学校の予備校的な共立美術館に入学しました。
光雲が、上記画像にあります皇居前広場の「楠木正成像」木型制作の慰労金として東京美術学校から慰労金100円を受け取りました。

120年前 明治39年(1906) 光太郎24歳
東京美術学校西洋画科を中退し、3年半にわたる欧米留学に出ました。
最初に滞在したニューヨークで、親友となる碌山荻原守衛の知遇を得ました。

110年前 大正5年(1916) 光太郎34歳
阿蘭陀書房から訳書『ロダンの言葉』を刊行しました。

100年前 大正15年/昭和元年(1926) 光太郎44歳
片山敏彦、尾崎喜八、高田博厚らと「ロマン・ロラン友の会」を結成しました。
宮沢賢治と生涯最初で最後の出会いを果たしました。
光雲が東京美術学校を退職、同校初の名誉教授の称号を与えられました。

90年前 昭和11年(1936) 光太郎54歳
宮沢賢治詩碑第1号として花巻町に「雨ニモマケズ」後半を刻んだ碑が建立されました。碑の文字は光太郎の揮毫でした。

80年前 昭和21年(1946) 光太郎64歳
賢治実弟・宮沢清六と共に日本読書組合版『宮沢賢治文庫』編集をはじめました。
自らの半生と戦争責任を振り返る連作詩「暗愚小伝」を執筆し始めました。

70年前 昭和31年(1956) 光太郎74歳
4月2日、中野の中西利雄アトリエで、その生涯を閉じました。

というわけで、今年は光太郎没後70周年、智恵子生誕140周年です。いまのところあまり聞こえてこないのですが、それらを冠したイベント等が多く行われることを期待いたしております。

本年もこのブログをどうぞよろしくお願いいたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)1 詩集『道程』

大正3年(1914)10月25日 抒情詩社 高村光太郎著

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目次
一九一〇年 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
一九一一年 画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥
 声 風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏
 なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの
 あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
一九一二年 青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 
 或る夜のこころ
 おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
 カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日
 戦闘
一九一三年 人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た
 冬の詩 牛 僕等
一九一四年 道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
 五月の土壌 淫心 秋の祈

光太郎第一詩集にして、記念すべき最初の単独著書でもあります。元々はカバー付きで出版されましたが、手持ちのものはカバー欠です。

200部ほどが刷られ、さらにごく少部数の特装本も作られました。また、「新詩社版」という小型本も存在したようです。時代を突き抜けたこの詩集、後に口語自由詩の確立に大きく貢献したと評されますが、リアルタイムでの売れ行きはさっぱりで、初版残本を改装した「再版」が数回出されています。おそらく手持ちのものを含め、現在残っている初版の多くは、光太郎が友人知己に贈ったものが古書市場に出たと推定されます。

下って昭和に入り、「改訂版」「再訂版」等が出されますが、収録詩篇はかなり異なります。戦後には「復元版」「文庫版」が出て、漸く内容的には同じものが出されました。それらもあとでご紹介いたします。

四畳半の書庫が三方こんな状態でして、蔵書数がいったいどのくらいあるのか把握出来ていません。
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おおむね種別毎にリストアップしましたが、その文書ファイルも複数、総冊数はカウントしていません。

記録のためにもこのブログで、基本、1日1冊ずつご紹介して参ります(旅先からの投稿の場合はお休みします)。10年計画です(笑)。或いは10年では終わらないかも知れません。ま、その前に当方が死んだら「歩み尽きたらその日が終りだ」(光太郎詩「山林」昭和22年=1947)です(笑)。

早いもので、大晦日となってしまいました。今年1年を振り返る最終日です。

10月2日(木)~11月16日(日)
福島県二本松市の智恵子生家/智恵子記念館さんで智恵子忌日「レモンの日」にちなむ「高村智恵子 レモン祭」が催され、生家二階部分の特別公開、生家ライトアップなど様々なコンテンツが用意されました。
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10月4日(土)~12月7日(日)
広島県福山市のふくやま美術館さんで「東京藝術大学大学美術館名品展 美の殿堂への招待」が開催され、光太郎ブロンズ「獅子吼」、光太郎の父・光雲らの合作「綵観」、光太郎実弟・豊周の鋳金作品が展示されました。

10月5日(日)
岩手県花巻市の田舎laboさんで「第2回 レモンの日イベント」が行われ、近隣の菓子店等8店がレモンを使った洋菓子などの販売を行いました。
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同日、当会から会報的な冊子『光太郎資料』第64集を刊行いたしました。

10月6日(月)
地上波NHK Eテレさんで「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」の初回放映がありました。出演は瀬戸康史さん、キムラ緑子さん、そして当方でした。再放送が10月15日(水)でした。
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10月9日(木)
学研さんから岡部文都子氏企画編集『マンガで読む 偉人たちの恋文物語 日本編』が刊行されました。「高村光太郎 → 長沼智恵子 私があなたであなたが私だった夢を……」という項を含みます。

10月10日(金)
思文閣出版部さんから松本和也氏著『印象派の超克 近代日本における西洋美術受容の言説史』が刊行されました。全ての章で光太郎に言及されています。
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10月11日(土)~11月24日(月)
さいたま市の埼玉県立歴史と民俗の博物館さんで特別展「大名と菩提所」が開催され、光雲木彫「松平伊豆守信綱坐像」が展示されました。

10月11日(土)~2026年1月4日(日)
札幌市の本郷新記念札幌彫刻美術館さんで「札幌芸術の森開園40周年記念 彫刻三昧 札幌芸術の森美術館の名品50選」展が開催され、光太郎ブロンズ「薄命児男児頭部」が出品されました。
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10月13日(月)
福島県で活動する音楽ユニット風信子さんがCD「風の旅人〜夕焼け空の色はふるさとの色〜」をリリースなさいました。「智恵子抄」オマージュの「本当の空を忘れないで  (二本松)」という楽曲を含みます。

10月18日(土)
神奈川県逗子市の逗子文化プラザホールさんで「逗子アートフェスティバル」の一環としてのコンサート「余白露光2~テルミンと箏~」が開催されました。出演はテルミン奏者の大西ようこさん、箏曲奏者の元井美智子さんで、元井さん作曲の「智恵子抄」がプログラムに入れられました。
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10月19日(日)
愛知県豊橋市の穂の国とよはし芸術劇場PLATさんで「第4回 前川健生テノールコンサート~あいのうた~」公演があり、別宮貞雄氏作曲の歌曲集「智恵子抄」が演奏されました。

同日、地上波日本テレビさんで「遠くへ行きたい ますだおかだ増田が福島へ 名湯に絶品ソースかつ丼!」の放映があり、「智恵子抄」に触れつつ安達太良山が取り上げられました。
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10月25日(土)~2026年1月18日(日)
群馬県高崎市の群馬県立土屋文明記念文学館さんで「第127回企画展 愛の手紙-友人・師弟篇-」が開催され、光太郎から水野葉舟宛の書簡2通が展示されました。

11月1日(土)~2026年2月15日(日)
大阪市の国立国際美術館さんで「特別展 プラカードのために」が開催され、谷澤紗和子氏による智恵子紙絵等オマージュ作品「はいけいちえこさま」シリーズの全点が展示されました。
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11月2日(日)
岡山市の岡山芸術創造劇場さんで「劇作家フェスティバル2025 げきじゃ!」の一環として平田オリザ氏脚本の演劇「日本文学盛衰史」公演がありました。光太郎も登場人物の一人でした。

11月3日(月)
与謝野晶子研究の第一人者・逸見久美氏が亡くなりました。父君の翁久允は光太郎と交流があり、御自身の御著書でも光太郎に触れて下さっていました。
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11月8日(土)
台東区の秋葉原ハンドレッド2さんで「四季の朗読会〜秋の部〜」が開催され、光太郎エッセイ「山の秋」が取り上げられました。
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11月13日(木)~30日(日)
茨城県取手市の東京藝術大学大学美術館取手館さんで「取手収蔵棟竣工記念・取手館開館30周年記念 藝大取手コレクション展 2025」が開催され、光太郎彫刻「獅子吼」の石膏原型が展示されました。

11月14日(金)
光太郎に触れられた御著書が複数おありだった作家の嵐山光三郎氏が亡くなりました。
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11月15日(土)・16日(日)
埼玉県熊谷市の中央公民館大ホールで「劇団ダウト第15回公演 れもん」が開催されました。平田俊子氏脚本で、光太郎智恵子だけの二人芝居でした。

11月15日(土)~12月21日(日)
石川県金沢市の石川県立美術館さん他で「令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨復興支援事業 ひと、能登、アート。」が開催され、光雲作の木彫「老猿」が展示されました。関連行事として講座「高村光雲の古仏復元事業」、「《老猿》の彫刻家が見た明治の美術界-高村光雲『幕末維新懐古談』を読む」が開催されました。
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11月18日(火)
平凡社さんからアンソロジー『作家とお風呂』が刊行されました。光太郎詩「湯ぶねに一ぱい」が収められました。

11月20日(木)~11月24日(月)
福岡県久留米市の久留米市美術館さんで写真展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」が開催され、Yasuyuki Ibaraki氏が、「智恵子抄」オマージュの作品を出展なさいました。
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11月21日(金)
三重県津市のブックハウスひびうたさんで、「日本の詩を読もうぜ 第8回 高村光太郎」が開催されました。「読書会」と言われるイベントでした。

11月21日(金)~11月23日(日)
新宿区の演劇倶楽部『座』サロンさんで、「壤晴彦・演技/朗読短期ワークショップ 11月『「ニュアンス』ってどうやって付けるの?」が開催され、「智恵子抄」が教材として取り上げられました。
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11月22日(土)
佐賀市文化会館で開催された「第78回全日本合唱コンクール全国大会の大学職場一般部門」で、早稲田大学コール・フリューゲルさんが、自由曲に新実徳英氏作曲の「愛のうた -光太郎・智恵子-男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために」から「レモン哀歌」を演奏され、金賞及び日本放送協会賞を受賞されました。

11月23日(日)
仙台市の八木山市民センターさんで「読書会アパート3号室 11月読書会『智恵子抄』」が開催されました。
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同日、文京区のアカデミー向丘さんで「第68回高村光太郎研究会」が開催され、「智恵子へ寄せる想い」 吹木文音(中島宏美)氏(日本詩人クラブ・栃木県現代詩人会理事)、「雑司ヶ谷の季節――ヒューザン会、智恵子と読売新聞」 前田恭二氏(武蔵野美術大学教授)の2本の発表がありました。

さらに同日、石川県白山市の美川コミュニティセンターさんで「語りとチェロでつたえる~智恵子抄~」公演があり、朗読家・本田和氏による「智恵子抄」朗読が為されました。
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やはり同日、TBSラジオさんで「朗読のヒロバ 第59回 高村光太郎「智恵子抄」」がオンエアされました。

11月24日(月)
栃木県鹿沼市で「《老猿》のふるさと探訪」が行われ、光雲作木彫「老猿」の材となったトチノキの子孫の見学会が催されました。11月29日(土)には児島大輔氏(東京国立博物館保存修復室長)による記念講演会も開催されました。
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11月28日(金)~12月23日(火)
京都府長岡京市のArt Space癒心庵さんで「日本の工芸展」が開催され、光雲木彫「鯉」が展示されました。

11月29日(土)
鹿児島市のカクイックス交流センターさんで劇団風見鶏さんによる「朗読のつどい」が開催され、光太郎詩朗読が為されました。

11月29日(土)・30日(日)
静岡市のギャラリー青い麦さんで劇団静火第17回公演『売り言葉』が開催され、野田秀樹氏脚本の登場人物は智恵子だけの演劇「売り言葉」が上演されました。
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同じ日程で青森市の渡辺源四郎商店しんまち本店さんにおいて「北のまほろば祭り3」の一環として演劇「智恵子と智恵子」公演がありました。「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」にまつわる内容でした。

11月30日(日)
港区の赤坂区民センターさんで東京青森県人会さん主催の「 十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」が開催され、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」に関わる発表などが為されました。
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12月5日(金)
平凡社さんからアンソロジー『パリと日本人 近代文学セレクション』が刊行されました。光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」が収められました。

12月7日(日)

地方紙『岩手日日』さんに東京国立近代美術館さんの主任研究員・成相肇氏による「高村光太郎「手」 和と洋、静と動 感じる彫刻」という記事が掲載されました。
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12月10日(水)
文治堂書店さんからPR誌を兼ねた文芸同人誌『とんぼ』第21号が発行されました。当方の「連翹忌通信」が連載されています。

12月10日(水)~2026年1月12日(月)、12月18日(木)~2026年2月11日(水)
二本松市大山忠作美術館さんの改修工事に伴い、同館所蔵品の「移動美術館」がにほんまつ城報館さん、智恵子記念館さんで開催され、智恵子を描いた絵画等が展示されています。
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12月12日(金)
東京都小金井市の小金井宮地楽器ホールさんで早稲田大学コール・フリューゲルさんの第70回定期演奏会が開催され、新実徳英氏作曲の「愛のうた -光太郎・智恵子-男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために」から「レモン哀歌」が演奏されました。

12月13日(土)~2026年3月31日(火)
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」が開催されています。
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12月16日(火)
世界文化社さんから雑誌『Begin』2026年2月号が発売されました。ミュージアムグッズ愛好家・大澤夏美氏による「博ブツ観」という連載の第32回で「岩手県花巻市で発見 高村光太郎記念館 本革しおり Bookmark」という記事が掲載されました。

12月19日(金)

墨田区のすみだトリフォニーホールさんで「男声合唱団東京リーダーターフェル1925 創立100周年記念定期演奏会2025」が開催され、清水脩氏作曲の「或る夜のこころ」「智恵子抄巻末のうた六首」が演奏されました。
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12月20日(土)
千代田区のワイム貸会議室 お茶の水さん及びZOOM使用のオンラインで「第19回 明星研究会シンポジウム 『明星』と美術~ 華麗にして心に響くカタチ」が開催されました。発表は森下明穂氏(与謝野晶子記念館・学芸員)の「與謝野晶子 美しい本の世界へ」、当方が「美術実作者としての高村光太郎」、そして明星研究会主宰にして歌人の松平盟子氏による「憧憬と戦略 ― 『明星』を彩った洋画家と晶子短歌」でした。

12月20日(土)~2026年2月8日(日)
石川県七尾市の七尾美術館さんで「冬季所蔵品展 私たち七尾美術館PR隊!」が開催され、光雲木彫「聖観音像」が展示されています。
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12月21日(日)
大阪市のあいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールさんで木管四重奏団「クレモナ」さんの「モダンタンゴ・ラボラトリ第19回定期公演「ほんとうの空」」が開催され、光太郎詩「あどけない話」由来のオリジナル曲「ほんとうの空」が初演されました。

12月30日(火)
人文書院さんから小関素明氏著「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史』が刊行されました。「第二章 表現者の幻覚と煩悶――「真の自己」の渇望と探究」中に「自我と美感の転相――高村光太郎」という項を含みます。年明けに詳しくご紹介いたします。
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毎月のことで、その都度のご紹介はしませんでしたが、花巻市の道の駅はなまき西南(愛称・光太郎と賢治の郷)さん内のテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に豪華弁当「光太郎ランチ」が販売され、同市のワンデイシェフの大食堂さんでは「こうたろうカフェ」としてのランチの販売が行われました。いずれも主に食を通じて光太郎顕彰に当たられている「やつかの森LLC」さんのメニュー考案、「こうたろうカフェ」では調理も担当なさいました。
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というわけで、今年1年もさまざまな団体、個人の方々が、それぞれの分野で光太郎智恵子、光太郎の父・光雲や実弟・豊周を取り上げて下さいました。ありがとうございます。来年以降もよろしくお願いいたしますとともに、関係の皆様、そしてこのブログをお読み下さった方々にとって、よい新年となりますよう、衷心より祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

世の中の習慣なんて、どうせ人間のこさへたものでせう。それにしばられて一生涯自分の心を偽つて暮すのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの、たつた一度きりしかない生涯ですもの。


津田青楓『漱石と十弟子』より 明治44年(1911)頃 智恵子26歳頃

戦後になって書かれた津田の回想に書かれた智恵子の言葉です。したがって、智恵子が語ったそのとおりではないのかもしれませんが。

明治末のまだまだ閉塞感の充溢していた時代に、こういうことを言えた智恵子、素晴らしいと思います。おそらく光太郎も似たような考えだったでしょうし、その二人が出会い、結ばれたのはもはや必然だったような気がします。

平成29年(2017)から、【折々のことば・光太郎】、【折々のことば・智恵子】として二人の「ことば」からこれは、と思う一節を取り上げてきましたが、本日で終了します。明日からはまた10年計画で他のコーナーを立ち上げます。

今年1年を振り返る7~9月編です。

7月4日(金)・5日(土)
千代田区の東京古書会館さんで「令和7年 第60回 七夕古書大入札会 一般下見展観」が催され、光太郎歌幅、斎藤茂吉宛書簡などが出品されました。
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7月5日(土)~8月24日(日)
岩手県花巻市立博物館さんで令和7年度テーマ展「戦後80年 戦争と花巻」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。

7月5日(土)~8月31日(日)
福島県郡山市立美術館さんで「皇室を彩る美の世界―福島ゆかりの品々―」が開催され、光雲木彫「猿置物 三番叟」が展示されました。
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7月6日(日)
東京都中野区産業振興センターさんにおいて「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」が開催され、女優の一色采子さんらが朗読をして下さいました。同アトリエの保存運動の一環でした。

同日、広島県廿日市のはつかいち文化ホールさんで広島中央合唱団第58回定期演奏会が開催され、鈴木憲夫 氏作曲の 混声合唱曲「レモン哀歌」が演奏されました。
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さらに同日、福島県安達郡大玉村のあだたらふるさとホールで光太郎詩「あどけない話」にちなむ「「ほんとうの空」の村 黒坂黒太郎 コカリナ コンサート」が開催され、黒坂氏作曲の「本当の空の村」が演奏されました。

7月8日(火)~9月23日(火)
愛知県小牧市のメナード美術館さんで「なつやすみ所蔵企画 えともじ展 文字で読み解く美術の世界」が開催され、光太郎木彫「鯰」が出品されました。
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7月11日(金)~10月2日(木)
新宿区の東京オペラシティアートギャラリーさんで「難波田龍起」展が開催され、光太郎の写ったスナップ写真なども展示されました。

7月12日(土)~11月30日(日)
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで「高村光太郎花巻疎開80年企画展示事業「昔なつかし花巻駅」」が開催され、昭和初年の花巻駅周辺を模したジオラマ(土屋直久氏、石井彰英氏制作)などが展示されました。
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7月15日(火)~8月21日(木)
同じく花巻市の高村光太郎記念館さんで、4月の二本松市智恵子記念館に続き、花巻南高校家庭クラブさんによる「智恵子のエプロン復刻展示」が行われました。

7月15日(火)~10月26日(日)
千代田区の東京国立近代美術館さんで主に戦争画を集めた「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」が開催され、光太郎著書、寄稿掲載誌等も展示されました。
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7月19日(土)
千葉県野田市の琥珀茶寮あずきさんで「森優子朗読ライブ Teatime Concert in 琥珀茶寮あずき」が開催され、「智恵子抄」詩篇が朗読されました。

7月19日(土)・20日(日)
埼玉県加須市の東武伊勢崎線加須駅北口周辺で「かぞ どんとこい! 祭り」が開催され、光雲作の「蘭陵王面」の展示が行われました。
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7月19日(土)~9月15日(月)
京都市の京都国立近代美術館さんで「きもののヒミツ 友禅のうまれるところ」が開催され、光雲や石川光明、旭玉山らの合作「福禄封侯図飾棚」が出品されました。

7月22日(火)~7月25日(金)
箏曲奏者・元井美智子さんとヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんによる「智恵子抄」朗読を含むコラボ公演、ワークショップが仙台市と花巻市で4件開催されました。7月22日(火)が仙台市のAntique & Cafe TiTiさん、7月23日(水)で花巻市の高村光太郎記念館さんとカフェ羅須さんで2公演、7月25日(金)には再び仙台のとなりのえんがわさんでした。
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7月25日(金)
生活の友社さんから『月刊アートコレクターズ 』No.197 8月号が発行されました。古田亮氏による「バック・トゥ・ザ日本美術 高村光雲「西郷隆盛像」+後藤貞行「ツン」」という記事を含みます。

7月27日(日)
大阪市の住友生命いずみホールさんで「大阪コレギウム・ムジクム創立50周年記念 第131回大阪定期公演《現代(いま)の音楽 ~Music of Our Time~》」が開催され、新実徳英氏作曲 「愛のうた ―光太郎・智恵子― 男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために」が演奏されました。
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8月1日(金)
土曜美術出版さんから『詩と思想』8月号が発行されました。中島悦子氏「高村光太郎の戦後/谷川俊太郎の戦後」という稿を含みます。

8月3日(日)
福島市のキョウワグループ・テルサホールさんで「欅の会・日本歌曲コンサート-清水脩の世界-」が開催され清水脩氏作曲の歌曲集「智恵子抄」から抜粋で演奏が為されました。
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8月6日(水)
台東区の東京文化会館さんで「第18回二期会駅伝コンサート~喜怒哀楽~」が開催され、朝岡真木子氏作曲の「組曲 智恵子抄」から「千鳥と遊ぶ智恵子」を清水邦子氏が歌われました。

8月8日(金)
宇都宮市のcafé Mario~休みの国~さんで朗読公演「秋元紀子ひとり語りin宇都宮」が開催され、「智恵子抄」詩篇から抜粋で取り上げられました。
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8月9日(土)
宮城県牡鹿郡女川町の高村光太郎文学碑、まちなか交流館さんで「第34回女川光太郎祭」が開催されました。

同日、東京都中央区の日本橋社会教育会館さんで講談師一龍斎貞奈さんの「入門10周年記念公演〜昭和100年特集〜」が開催され、新作「高村智恵子の恋」が披露されました。同作は8月16日(土)・17日(日)に千代田区のスカイルーム太陽さんで開催された「夏の太陽講談会 読めなかった講釈を読もう〜講談前線異常なし〜」、12月24日(水)の「講談協会十二月定席」でも高座にかけられました。
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8月11日(月)
千葉県旭市ご在住で、光太郎詩「犬吠の太郎」をモチーフにした作品を制作されていた版画家の土屋金司氏が亡くなりました。

8月23日(土)~9月15日(月)
新潟県上越市の春日山城跡ものがたり館さんで「第100回謙信公祭」に合わせての企画として光雲作の木像毘沙門天像の一般公開が6年ぶりに行われました。
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8月27日(水)
岩手県立花巻南高等学校文芸部さんの部誌『門』第19号が発行されました。光太郎智恵子に関し、複数の記事で触れて下さいました。

8月28日(木)
第1回ふくしま超短編脚本賞」審査結果が同賞実行委員会から発表され、最優秀賞に「智恵子抄」オマージュの「安達太良SA上り」(真田鰯さん)が選ばれました。
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8月29日(金)
NHKさん東北支局で「鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編」30分パイロット版の放映がありました。10月17日(金)には45分完全版、11月29日(土)にはEテレさんの全国放映が為されました。

8月30日(土)・31日(日)
宇都宮市のアトリエほんまるさんで「劇団 言葉借り旗揚げ公演「智恵子抄」より」が上演されました。
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9月11日(木)~15日(月)

墨田区の両国・エアースタジオさんで演劇「チエコ」公演が行われました。

9月15日(月)
鹿児島県薩摩川内市の川内まごころ文学館さんで「あなたに届ける朗読会vol.8」が開催され、光太郎詩が取り上げられました。
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9月20日(土)~10月13日(月)
千葉県成田市の文化芸術センター なごみの米屋スカイタウンギャラリーさんで「第49回千葉県移動美術館 成田と千葉県立美術館にまつわる5つの物語」が開催され、光太郎ブロンズ「手」が出品されました。

9月25日(木)
鉄人社さんから上明戸聡氏著『改訂版 日本ボロ宿紀行』が刊行されました。光太郎に触れつつ岩手県花巻市の大沢温泉さんが紹介されました。
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9月27日(土)
光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエが残念ながら解体されることとなり、最後の内覧会が行われました。部材は保存されており、移築に向けて動いているところです。

【折々のことば・智恵子】

皆さんおからだを丈夫にして出来るだけ働き仲よくやつていつて たのしくこゝろをもつてお暮し下さい 末ながくこの世の希望をすてずに 難儀ななかにも勇気をもつてお暮しなさい。それではこれで


昭和7年(932)7月12日 長沼セン宛書簡より 智恵子47歳

実母・センに宛てて、遺書のようなこの手紙を書いた2日後の夜、睡眠薬を大量に摂取して智恵子は自殺未遂を起こします。一命はとりとめましたが、この後、智恵子は完全に夢幻界の住人となってしまいます。

今年1年の主な事項を振り返る2回目、4~6月です。

4月2日(水)
日比谷公園松本楼さんに於いて、当会主催の第69回連翹忌の集いを開催いたしました。全国から70名程の皆様がお集まり下さり、ひととき、光太郎を偲びました。
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同日朝、連翹忌にちなみテレビ朝日さん系の「グッド!モーニング」内の「林修のことば検定」で光太郎が取り上げられました。

また、故・北川太一先生著、石黒敦彦氏編、山室眞二氏装丁の『高村光太郎と尾崎喜八』が蒼史社さんから、高村光太郎研究会さんより『高村光太郎研究46』、当会から『光太郎資料63』がそれぞれ刊行されました。
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4月3日(木)~6月29日(日)
和歌山県伊都郡高野町の高野山霊宝館さんで「重要文化財指定記念特別展 大伽藍」が開催され、光太郎の父・光雲作の「仏頭」が出品されました。
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4月4日(金)
宮崎県東諸県郡綾町のぐるーぷ連 劇工房において、「劇団ぐるーぷ連 第134回朗読LIVE がんばれどうぶつ」が開催され、光太郎詩「道程」「牛」が取り上げられました。

4月7日(月)~6月21日(土)
新潟市の敦井美術館さんで「彫刻と金工展」が開催され、光雲作の木彫「ちゃぼ」と「狆」が出品されました。
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4月12日(土)~6月29日(日)
和歌山市の和歌山県立近代美術館さんで企画展「佐藤春夫の美術愛」が開催され、光太郎油彩画「佐藤春夫像」及び佐藤旧蔵のブロンズ「大倉喜八郎の首」が出品されました。

4月19日(土)~6月22日(日)
長野県安曇野市の碌山美術館さんで「春季企画展 特別展示 智恵子紙絵 高村智恵子紙絵 高村光太郎詩稿」が開催されました。
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4月24日(木)~5月23日(金)
東京都中野区の桃園区民活動センターで「『中西利雄・高村光太郎アトリエ』ミニ展示会」が開催され、光太郎終焉の地・中西利雄アトリエに関する展示が為されました。

4月24日(木)~5月25日(日)
福島県二本松市の智恵子生家/智恵子記念館さんで「高村智恵子生誕祭」が開催され、生家二階部分の特別公開、朗読で荒井真澄さん、電子楽器・テルミンの大西ようこさん箏曲の元井美智子さんによる「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」、花巻南高校家庭クラブさんによる「智恵子のエプロン復刻展示」などが行われました。
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4月25日(金)~8月19日(火)
栃木県佐野市の東石美術館さんで「芸術家の目を通した生きものたち」展が開催され、光雲木彫「牧童」が展示されました。
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4月26日(土)~4月29日(火)
茨城県土浦市の百景社アトリエさんで「百景社アトリエ公演2025 売り言葉」の公演がありました。野田秀樹氏脚本の智恵子を主人公とした演劇でした。

4月26日(土)~2026年2月28日(土)
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで特別展「中原綾子への手紙」が開催され、2024年に中原のご遺族から寄贈された光太郎から中原宛の書簡や関連資料等の展示が行われています。
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4月30日(水)
生前の光太郎をご存じで、十和田湖観光交流センターぷらっとさんに光太郎胸像「冷暖自知光太郎山居」が飾られている、彫刻家の田村進氏が亡くなりました。

5月1日(木)~5月11日(日)

東京都文京区のIMM THEATERさんで、光太郎も登場人物の一人だった演劇「文豪とアルケミスト 紡グ者ノ序曲(プレリュード)」東京公演がありました。京都公演が京都市の京都劇場さんで5月17日(土)・5月18日(日)でした。12月10日(水)には公演の模様のBlu-rayとDVDがTCエンタテインメントさんから発売されました。
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5月10日(土)
福井市のハーモニーホールふくいさんで「めいおんFukui第16回演奏会」が開催され、野村朗氏作曲の「智恵子抄(連作曲)~その愛と死と~」から演奏が為されました。

5月30日(金)
千葉県佐倉市の志津公民館さんで「朗読のつどい 高村光太郎『智恵子抄』」が開催され、地元朗読サークルこおろぎの輪さんによる朗読が為されました。

6月1日(日)
三重県志摩市の磯部生涯学習センターさんで「大人のための朗読ライヴ」が開催され、地元朗読サークル花笑みさんなどによる朗読が為されました。光太郎詩は「智恵子抄」から取り上げられました。
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6月1日(日)~2026年1月26日(月)
期間中の土・日に神奈川県鎌倉市の鎌倉覚園寺さんで特別開帳が行われ、光雲作の秘仏「後醍醐院法躰御木像」が公開されました。

6月7日(土)
台東区の旧東京音楽学校奏楽堂さんで「第二十二回 二期会日本歌曲研究会演奏会」が開催され、ソプラノ歌手・黒川京子さんによる蒔田尚昊氏作曲の「智恵子抄」より2曲が演奏されました。
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6月10日(火)
文治堂書店さんよりPR誌を兼ねた文芸同人誌『とんぼ』第20号が発行されました。当方執筆の「連翹忌通信 モナ・リザその後」が掲載されました。

6月14日(土)・15日(日)
青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で「第60回記念十和田湖湖水まつり」が開催され、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが為されました。
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6月15日(日)
新宿区の早稲田奉仕園スコットホールさんで「木村俊介Concert 『鵲(かささぎ)の橋の上で』in 東京 愛のかたち、様々に~日本と韓国の文学作品から~」が開催され、壤晴彦氏の語り、木村氏とパク・スナ氏の演奏による「智恵子抄」がプログラムに入れられました。秋田公演が9月3日(水)・4日(木)でした。

同日、福島県二本松市の二本松市コンサートホールさんで「藤木大地カウンターテナー・リサイタル 二本松音楽協会第100回定期演奏会」が開催され、佐藤卓史氏作曲の「あどけない話」「からくり歌(初演)」、加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」が演奏されました。
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6月20日(金)
田畑書店さんから東海大学教授・大木志門氏編『高村光太郎 作品アンソロジー 戦争への道、戦争からの道』が発売されました。

6月22日(日)
神奈川県鎌倉市の笛ギャラリーさんで「民学の会第223回例会 高村光太郎と尾崎喜八~100年を越える文化の縁」が開催され、石黒敦彦氏、山室眞二氏の講演が為されました。

同日、世田谷区のカトリック松原教会さんで「第39回カトリック松原教会チャリティーコンサート~ガリラヤの風かおる丘で~ フィリピン・ミンダナオ島で活動するシスターたちのために」が開催され、ソプラノ歌手・黒川京子さんによる蒔田尚昊氏作曲の「智恵子抄」から演奏が為されました。
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6月28日(土)
千代田区の八木書店古書部さん三階催事場において講座「活字をはみだすもの(第25回)」が開催され、東海大学教授・大木志門氏が「高村光太郎「独居自炊」の思想 ―宮崎稔宛書簡から」の題でお話をなさいました。

6月(日不明)
伝統技法研究会さんから機関誌『伝統技法』第52号が発行されました。十川百合子氏の「中西利雄・高村光太郎アトリエを後世へ」が掲載されました。
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これで今年上半期は終了。明日は7~9月分を掲載します。

【折々のことば・智恵子】

きのふは二人とも悲かんしましたね。しかし決して決して世の中の運命にまけてはなりません、われわれ死んではならない。いきなければ、どこ迄もどこ迄も生きる努力をしませう。皆で力をあはせて皆が死力をつくしてやりませう。

昭和6年(1931)7月29日 長沼セン宛書簡より 智恵子46歳

福島の長沼酒造破産後、母・センらは上京して借家住まい、智恵子ともたびたび会っていました。

翌月には光太郎が新聞『時事新報』の依頼で紀行文を書くために1ヶ月の三陸旅行に出ます。その留守中に訪ねてきたセンが、明らかに智恵子の様子がおかしいことに気づきます。心の病の顕在化でした。

毎年この時期に書いておりますが、今年1年の関係事項を3ヶ月ずつ4回に分けて振り返ろうと思います。事項は精選し、主なものにとどめます。

書籍等の発行日は、奥付の記述に従いました。従って、実際の発売日と異なる場合があります。

1月8日(水)
翰林書房さんから佐藤義雄氏・松下浩幸氏・長沼秀明氏共著の『都市空間を歩く 日本近代文学と東京』が刊行されました。「四 高村光太郎『智恵子抄』―千駄木・日暮里」という章を含みます。
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同日、地上波日本テレビさんとBS日テレさんで朗読を題材としたアニメ「花は咲く、 修羅の如く」の放映が始まりました。第1話「花奈と瑞希」で光太郎詩「道程」が取り上げられました。4月30日(水)には第1話を含むBlu-rayディスク上巻がキングレコードさんから発売されました。

1月10日(金)
女性史研究家の堀場清子氏が亡くなりました。著書に智恵子にも触れた「青鞜の時代」などがありました。
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1月27日(月)
千代田区の紀尾井町ホールで朗読赤十字奉仕団さん主催の「チャリティー朗読会 和・輪・話」が開催され、佐藤春夫 作『小説智恵子抄』の一節が取り上げられました。

1月29日(水)
TCエンタテインメントさんから、昨年公演が行われた舞台「文豪とアルケミスト 旗手達ノ協奏(デュエット)」のBlu-rayとDVDが発売されました。光太郎も登場人物の一人でした。
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1月31日(金)~2月24日(月)
青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で「十和田湖冬物語2025 冬、十和田湖びより」が開催され、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」ライトアップが為されました。

1月31日(金)~3月4日(火)
神奈川県鎌倉市の笛ギャラリーで「回想 高村光太郎と尾崎喜八」展が開催されました。
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2月1日(土)
芸術新聞社さんから書道雑誌『墨』2025年1・2月号が発行されました。「昭和を生きた書人、書と言葉 選」という記事で色紙「うつくしきもの満つ」、さらに書論「書について」(昭和14年=1939)の一節が紹介されました。

2月1日(土)~3月29日(土)
品川区のMAKI Gallery天王洲さんで、現代アート作家・清川あさみ氏の個展「Mythic Threads:神話の糸」が開催され、「智恵子抄」オマージュの刺繍作品「女である故に」が展示されました。
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2月8日(土)・2月9日(日)
大阪府吹田市の吹田市民劇場さんで「吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり」公演がありました。光太郎智恵子を登場人物とする2人芝居でした。

2月9日(日)
岡山市の岡山芸術創造劇場ハレノワさんで「朗読劇・永瀬清子物語Ⅷ ラビリンスの旅人」が上演されました。岡山県出身の詩人・永瀬清子を主人公とするもので、光太郎も登場人物の一人でした。
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2月10日(月)
地上波NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」で、高杉真宙氏による「智恵子抄 深夜の雪」朗読が組み込まれました。

2月11日(火)
学研さんから佐藤晃子氏著『意味がわかるとおもしろい! 世界のスゴイ彫刻』が刊行されました。「この左手まねできる? 手 作った人 高村光太郎」「サルに何かあった? 老猿 作った人 高村光雲」という章を含みます。
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2月15日(土)
文化資源社さんから『よみうり抄』全五巻の刊行が開始されました。明治期からの『読売新聞』に載った消息紹介記事「よみうり抄」を翻刻したもので、光太郎智恵子も随所に名が挙がっています。

同日、練馬区の個人宅において、シャンソン系歌手・モンデンモモさんの「SAWAMURA BAR.VOL23」が開催され、モモさん作曲の光太郎詩に曲を付けた歌曲が多数演奏されました。同様のコンサートは「BOOK CAFÉ LIVE モモの智恵子抄」として、4月4日(金)に狐弾亭さん(東京都立川市)、5月19日(月)で東京都府中市の府中の森芸術劇場分館さん、6月28日(土)には島根県松江市のギャラリーCさん、9月20日(土)の東京都府中市蔵カフェさんでも開催されました。
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2月16日(日)
神奈川県中郡二宮町の生涯学習センターラディアンさんで「第45回二宮演奏家協会コンサート 日本の名曲 世界の名曲」が開催され、歌曲「レモン哀歌」が演奏されました。
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2月18日(火)
地上波NHK Eテレさんで「NHK高校講座 言語文化 冬が来た(高村光太郎)」の初回放映がありました。

3月1日(土)~5月30日(金)
福島県相馬市立図書館さん、歴史資料収蔵館で「連携企画展 相馬に縁(ゆかり)の芸術家たち」が開催され、光太郎智恵子、光雲に関わる展示が為されました。
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3月5日(水)

毎日新聞出版さんから、『井上涼の美術でござる 二の巻』が刊行されました。『毎日小学生新聞』さんに平成28年(2016)から連載されている井上涼氏による漫画の単行本化で、「高村光太郎の巻」を含みます。

3月6日(木)
横浜市のイギリス館ホールで、「吉川久子 フルートコンサート~日本の風景~」が開催され、光太郎詩「冬が来た」の朗読が組み入れられました。
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3月7日(金)
宮城県歌人協会会長などを歴任された歌人の佐久間晟氏が亡くなりました。昭和26年(1951)、奥様との新婚旅行で花巻郊外旧太田村の光太郎の寓居を訪ねられた方でした。

3月8日(土)
福島県いわき市立草野心平記念文学館さんで文芸講演会「詩人・草野心平-いかに心平が心平になったか」が開催されました。澤正宏氏(福島大学名誉教授)、和合亮一氏(詩人)による対談形式で、光太郎にも触れられました。
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3月10日(月)
講談社さんから西川清史氏著『荷風たちの東京大空襲 作家が目撃した昭和二十年三月十日』が刊行されました。「米軍の攻撃は焼夷弾だけではない。爆裂する通常爆弾に高村光太郎は戦慄した。」という項を含みます。

3月14日(金)~3月16日(日)
兵庫県姫路市の劇団プロデュース・Fアトリエで、野田秀樹氏脚本の智恵子を主人公とした演劇「劇団プロデュース・F 第76回アトリエ公演 売り言葉」の公演がありました。
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3月16日(日)
岡山市オリエント美術館さんで「岡山県詩人協会 第10回詩を楽しむ会-智恵子抄-」が開催されました。光太郎詩朗読、詩人の斉藤恵子氏による講演が為されました。

3月17日(月)
宮城県女川町の女川光太郎の会さんが、宮城県の「住みよいみやぎづくり功績賞」を受賞されました。
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3月19日(水)
岩波書店さんから岩波新書の一冊として新関公子氏著『東京美術学校物語――国粋と国際のはざまに揺れて』が刊行されました。光雲、光太郎に触れられています。

3月20日(木)~5月18日(日)
横浜市の神奈川近代文学館さんで特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。
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3月21日(金)
千葉県浦安市のJ:COM浦安音楽ホールさんで「千葉県立千葉中学校・千葉高等学校合唱部 第17回定期演奏会」が開催され、西村朗氏作曲「混声合唱とピアノのための組曲 レモン哀歌」が演奏されました。

3月28日(金)~6月1日(日)
神奈川県伊勢原市の雨降山大山寺さんで「秘仏三面大黒天立像(高村光雲作)特別御開帳」が行われました。「第二弾」は9月28日(日)~12月8日(月)に行われました。
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3月30日(日)
東京都中央区の王子ホールさんで、「朝岡真木子歌曲コンサート 第8回」が開催され、朝岡氏作曲の「冬が来た」が演奏されました。

同日、小学館さんから『小学館版 新学習まんが人物館 平塚らいてう』が刊行されました。監修・差波亜紀子氏、作画・上川敦子氏、シナリオ・江橋よしのり氏でした。智恵子が登場します。
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明日は4~6月分をご紹介します。

【折々のことば・智恵子】

よしんば親や夫が百万長者でも、女自身に特別な財産でも別にしてない限り女は無能力者なのですよ。からだ一つなのですよ。
昭和5年(1930)1月20日 長沼セン宛書簡より 智恵子45歳

当時の女性が置かれていた社会的地位、そして実家の長沼酒造が前年に破産、それに対し何もできなかった自分を念頭に置いた発言ですが、いまだに上流階級気分の抜けきらない実母を叱咤する内容です。この後には「出来ないものは出来ないのだから、それをきつぱりと断る事の出来ないやうな、なまくらではだめです」という文言も記されています。恐らく保証人としての金銭問題に関わります。実母・センの迷走ぶりからは、出来ないくせに出来るふりをしてやりたがり、さんざん引っかき回してあとは知らんぷりというどこぞの国の首相が想起されます。

こうした破産した実家の後始末に関わる心労も、心の病の大きな引き金の一つになったようです。

 DMM GAMESさんから配信されているオンラインゲーム「文豪とアルケミスト」。光太郎を含む実在の文豪たちをモデルとしたキャラクターが多数登場し、平成28年(2016)の配信開始以来、根強い人気を保っているようです。

いわゆる「2.5次元」ということで演劇にもなり、既に8作品が作られ、来春には9作目「掬ウ者ノ響歌(コンチェルト)」の公演も予定されています。

5月に都内と京都で上演された8作目「紡グ者ノ序曲(プレリュード)」のBlu-rayとDVDが、今月、発売されました。キャストに松井勇歩さん演じる光太郎が含まれています。

文豪とアルケミスト 紡グ者ノ序曲(プレリュード)

発行日 : 2025年12月10日(水)
著者等 : 舞台「文豪とアルケミスト」8製作委員会
版 元 : TCエンタテインメント
定 価 : Blu-ray ¥10,890 DVD ¥9,790

2025年5月に東京・IMM THEATER/京都・京都劇場にて上演された、舞台「文豪とアルケミスト」第8弾公演「紡グ者ノ序曲(プレリュード)」が、Blu-ray&DVDとなって2025年12月10日にリリース!

2枚組のBlu-ray&DVDには本編映像のほかに「メイキング」「キャスト座談会」「アンサンブル座談会」「オープニング全景映像」「アフターイベント映像(全5回)」と、貴重な特典映像の数々を、別ディスクに大ボリュームで収録。さらに、初回生産分限定で「オリジナルステッカー」「ブックレット」の特典も封入となっている。

あらすじ
太宰治らと共に帝國図書館を救い絶筆した北原白秋。転生を選ばず、再び復活を遂げようとする悪しきアルケミストを葬る術を見出すため、負の感情が充満する生と死の狭間に留まっている。一方、石川啄木、高村光太郎そして小泉八雲は、北原白秋を転生させるべく目論み、また久米正雄と直木三十五は、深い親交のある文豪を探し求めていた。そんな折、アルケミスト・ファウストと出会った文豪たちは、「かつて文学で世界を救おうとした青年」について聞かされる。終わらない侵蝕を食い止めるため己の文学を信じ、文豪たちは戦いへと赴く。

キャスト
北原白秋:佐藤永典 石川啄木:櫻井圭登 高村光太郎:松井勇歩 久米正雄:安里勇哉
直木三十五:北村健人 小泉八雲:林光哲 ファウスト:原貴和 青年:松村龍之介
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もう1点、書籍です。

「文豪とアルケミスト」を本気で考えてみた

発行日 : 2025年11月28日(金)
著者等 : 梅澤亜由美・大木志門・掛野剛史・山岸郁子編
版 元 : ひつじ書房
定 価 : 2,700円+税

2016年に配信開始され、これまで各界に影響を与えてきた人気ゲーム「文豪とアルケミスト」とそのメディアミックス作品を日本文学・文化研究者がそれぞれの専門分野から本格的に検証した論文集。全14本の論文からなり、ゲーム、アニメ、舞台、ノベライズ、朗読、さらにファンの受容、文学館や研究・教育現場との関わりなど多彩な側面からの論考を収録。執筆者:梅沢亜由美、大木志門、掛野剛史、山岸郁子、赤井紀美、今井瞳良、大島丈志、小澤純、影山亮、金子亜由美、構大樹、上牧瀬香、島村輝、芳賀祥子

編者紹介
梅澤亜由美(うめざわ あゆみ)大正大学文学部教授
大木志門(おおき しもん)東海大学文学部教授
掛野剛史(かけの たけし)武蔵野大学教授
山岸郁子(やまぎし いくこ)日本大学経済学部教授
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【目次】
 はじめに なぜ「文豪とアルケミスト」を本気で考えてみたのか 大木志門
 第1部 キャラクター・関係性・二・五次元文化
 「尾崎一門」の息子(ライバル)たち――「文豪とアルケミスト」における「泉鏡花」と「徳田
  秋声」の「関係性」 金子亜由美
 「文豪」を媒介とした「文豪とアルケミスト」の私小説的受容――志賀直哉を例として 梅澤
  亜由美
 キャラクターを通して文学に相渉るとは何の謂ぞ――「二・五次元文化」の中の「文豪とア
  ルケミスト」 大木志門
 第2部 文アニ・ノベライズ・読書行為
 「物語なき世界」にたむろする――テレビアニメ「文豪とアルケミスト」の理と視聴者 今井
  瞳良
 芥川龍之介と太宰治を結び直す――アニメ版・ノベライズ版『文豪とアルケミスト~審判ノ
  歯車~』の世界観 小澤純
 「文豪」を育てるということ――「おやすみ、カムパネルラ」からのアプローチ 大島丈志
 ノベライズ『君に勧む杯』の文豪たち――現実と空想の間に生きる井伏鱒二・横光利一・佐
  藤春夫 掛野剛史
 第3部 アダプテーション・文劇・朗読
 多喜二転生――あるプロレタリア文学者をめぐるアダプテーション 島村輝
 演じられた文学者――近代文学と演劇が織り成す世界 赤井紀美
 「文豪とアルケミスト」における「朗読」の可能性――横光利一「春は馬車に乗って」を聴く
  という経験 芳賀祥子
 第4部 文学館・学校・公共性
 「文豪とアルケミスト」と文学館・記念館とのタイアップにみる〈関係性〉 影山亮
 〈「文アル」×文学館〉の行方 上牧瀬香
 新美南吉記念館特別展「南吉と読書」と「文豪とアルケミスト」 山岸郁子
 「文豪とアルケミスト」で近代文学の授業を押し拡げる――文学教育を「文豪コンテンツ」で
  支えるために 構大樹

いわゆるタイアップ企画ではなく、独自に編まれたものです。

内容の分析は元より、この手のコンテンツの受容がどのように為され、各方面にどういった影響が及んでいるか、先行する類似企画との比較、今後の展望などなど、多岐に亘る論考の集成です。リアルタイムでの文化史考察という意味でも特異な内容ながら優れたものといえるでしょう。

大御所のエラいセンセイ方は、「こんなものを真面目に論ずるのは大衆への迎合」とお考えなのでしょうか、はなから完全無視、またはそもそもその存在すら眼中にないと思われますが、本書で述べられている通り、現実に各地の文学館等で入場者数に影響を与えたり、取り上げられた文豪の著書や関連書籍の売り上げを左右したり、演劇や朗読など様々な分野に派生したりという現象が起きていますので、無関心でいていいものではありません。

光太郎に関しては、上記「紡グ者ノ序曲(プレリュード)」にも触れられた赤井紀美氏の「演じられた文学者――近代文学と演劇が織り成す世界」、花巻高村光太郎記念館さんとのコラボ企画等の関係で上牧瀬香氏による「〈「文アル」×文学館〉の行方」の項などでちょろっと触れられている程度ですが、非常に興味深く拝読いたしました(まだ読了していませんが(笑))。提灯記事的な稿の羅列でなく、批判すべき点はきちんと批判するというスタンスにも感心しました。

編者のお一人、大木志門氏は田畑書店さん刊行の『高村光太郎 作品アンソロジー 戦争への道、戦争からの道』を編まれ、神田の古書肆・八木書店さんでの講座「活字をはみだすもの(第25回)◆高村光太郎「独居自炊」の思想 ―宮崎稔宛書簡から」も担当されました。余談ですが、このブログに誘導するためにX(旧ツィッター)に投稿し続けている当会ポストを毎日リポストして下さっています。ありがたし。

というわけで、「紡グ者ノ序曲(プレリュード)」のBlu-rayかDVD、『「文豪とアルケミスト」を本気で考えてみた』、それぞれご興味おありの方、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・智恵子】

だんだん身内のものがあの世へ旅だつてしまふのは淋しいものですね しかしわれわれもやがてみなそこへゆくのですから さう思つてこの世に居るうちはこの世の事に出来るだけつくしませうね それが人間のつとめでせう


大正14年(1925)10月10日 長沼セン宛書簡より 智恵子40歳

大正7年(1918)には智恵子の父・今朝吉、翌年に末の妹(六女)・チヨ、同10年(1921)には祖母のノシ、同11年(1922)だと三女のミツ、そしてこの年9月光太郎の母・わかが相次いで歿しています。さらに言うなら、2年後にはやはり智恵子妹で四女のヨシも。特に若い妹たちの相次ぐ死は、自らも健康不安を抱えていた智恵子に暗い影を落としたことでしょう。

花巻レポートの承前です。

12月15日(月)、旧太田村の高村光太郎記念館さんにて「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」拝観の前、同じく旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんに立ち寄りました。
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まず農産物等の直売や土産物等の販売を行っている「すぎの樹」さんで、林檎を箱買いして自宅兼事務所に発送(左下)。この季節のルーティンです。後述のやつかの森LLCさんから既に大量に送られてきている(右下)のですが、いくらあっても困りませんので(笑)。
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「すぎの樹」さんの正面の壁には光太郎を描いた大きな壁画。
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その右下に、弁当やお総菜を販売なさっているミレットキッチン花(フラワー)さんがあります。
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こちらでは毎月15日、豪華弁当「光太郎ランチ」を限定10食で販売中。ちょうど15日でしたので、「どれどれ」と見に行きました。

この時点で13:00近かったのですが、残り2食。
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売り切れていたら画像が出せないなと思っていたのでラッキーでしたし、逆に全然売れていなくても悲しいところで、いい塩梅でした。

現物を見るのは3度目でした。最初は販売が始まった令和2年(2020)のお披露目会の折、2度目はやはりたまたま15日に訪れ、ゲットして帰って妻と二人でいただいた一昨年の冬。今回は1泊2日の初日で、既に新幹線車内で駅弁を食した後だったので購入はしませんでした。

メニューの考案には、地元で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが担当されています。そのやつかの森さんから送られてきた画像。
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品目は「チキンの照り焼き」「牛すき煮」「大根とさつま揚げの煮物」「卵焼き」「さつま芋入り蒸しパン」「青豆入り麦ご飯」「大学芋」「みかん」。今月は当方の好物が並んでおり、こりゃ食べたかったな、というメニューでした。

それにしても、この諸物価高騰の折、変わらず800円というのがすごいと思います。令和2年(2020)の段階では800円だと安くはないな、という感じでしたが、現在ではお手頃価格感です。なし崩し的に諸物価高騰に馴らされてしまっているようで、逆に怖いなと思いました。壺が大好きな無策な政府の思う壺にはまっているようで(笑)。

今年はこれで終了ですが、来年以降も愛され続けることを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

この繁雑な世の中に出て奮闘するには随分よく心身をきたへて置かねばなりませんよ くれぐれも祈ります


明治42年(1909)2月7日 鈴木謙二郎宛書簡より 智恵子24歳

鈴木謙二郎は、明治40年(1907)に智恵子が父・今朝吉やきょうだいと共に宿泊した福島相馬の原釜海岸にあった金波館という宿で知り合った、その当時の旧制米沢中学生です。智恵子は7歳年下の鈴木と姉弟のように親しくなり、確認できている限り明治44年(1911)まで文通を続けていました。

のち、鈴木は山形県伊佐沢村村長や長井市教育委員などを歴任します。
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光太郎第二の故郷、花巻市内のワンデイシェフの大食堂さんで、月に一度出店されている「こうたろうカフェ」。主に食を通じて光太郎顕彰を進められているやつかの森LLCさんによるものです。12月3日(水)が今年最後の出店だったとのことでした。1764766631726

今月は以下のメニュー。

・鶏肉のハニーマスタード焼き
・ひじきの煮物
・糸コンの胡桃和え
・大学いも
・季節のサラダ
・漬け物
・舞茸ご飯
・彩り野菜のコンソメスープ
・栗ぜんざい
・抹茶入り玄米茶

現地では初雪も降り、しかもかなり積もったそうで、冬本番。メニュー的にも冬らしい感じが出ています。
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やつかの森さんからのメールの一節。

季節のサラダはクリスマスツリーをイメージしました。光太郎の手作りのお汁粉を栗ぜんざいとして搗き立てのお餅を入れました。さつまいも、カボチヤ、蕪、大根など野菜たっぷりです。舞茸たっぷりのご飯も好評でした。

栗ぜんざいに西瓜の皮の味噌漬けを添えました。シャキシャキして軽めの塩加減で激ウマです。


基本、光太郎が自炊した献立や使った食材などを参考にメニューを組み立てられています。なかなか考えるのも大変だと存じますが、アレンジの仕方は現代風なので、そうそうネタ切れになることもないのでしょう。間を置けば同じ品目があってもいいわけですし。

来年も御馳走が饗され続けることを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

巣籠つた二つの魂の祭壇。こゝろの道場。並んだ水晶の壺の如く、よきにせよ不可なるにせよ、掩ふものなく赤裸で見透しのそこに塵埃(ちりほこり)をとゞむるをゆるさない。それ故、清らかなるものに膏(あぶら)を沃(そゝ)ぎ、深められ掘り下げらるべき、内の世界――自らの性情と仕事に対し――血をもつてむかふ。それ故こゝに根ざす歓喜と苦難とは、更に新しく恒(つね)に無尽に、私達の愛と生命(せいめい)とを培ふ。


散文「病間雑記」より 大正12年(1923) 智恵子38歳

理想とすべき生活の在り方への言及です。文体はともかく、内容的には光太郎の追い求めていたそれとの驚く程の一致が見られます。そんなに肩肘張らず気楽に行こうよ、みたいな。

智恵子もこうした考えに至る過程を、光太郎によって強制されたある種のマインドコントロールとする見方もあれば、智恵子自身、そうした生きたかを求めていたとも考えられますし、何とも言えません。












11月30日(日)、港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」に出演させていただきました。
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いろいろといただきものがあってウハウハしていたところ、翌日になってやはり十和田湖関連で、しかし逆にいただきたくないものをいただいてしまいました。

青森の彫刻家・田村進氏の奥様からの喪中葉書。
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田村氏、4月30日(水)に亡くなられていたそうですが、存じませんで驚きました。過日お伝えした仙台の佐久間晟氏と同様でした。昭和8年(1933)のお生まれで、満92歳ということでした。

田村氏、中泊町にある太宰治(本名・津島修治)の銅像を作られたことで有名です。
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小説『津軽』(昭和19年=1944)中の、かつて津島家で働いていた女中さん・越野タケとの再会のシーンだそうで、太宰ファンの方なら「ああ、これか」でしょう。

やはり佐久間氏と同じく、田村氏も生前の光太郎をご存じでした。昭和28年(1953)10月23日、前々日に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式に出席した光太郎は、青森市の野脇中学校で催された文芸講演会で登壇、「乙女の像」などについて講演を行いました。また、光太郎と共に、像の制作に関わった当会の祖・草野心平や建築家の谷口吉郎、青森県と光太郎を仲介した佐藤春夫らも。若き日の田村氏は除幕式にも参列されて、さらにこの講演会もお聴きになり、終演後には光太郎とお話もなさったそうで。

「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」の際には、十和田湖畔の「観光交流センターぷらっと」さんについても語らせていただきました。大町桂月や「乙女の像」にかかわる展示が為されているよ、ということで。その「ぷらっと」さんに、田村氏ご制作の光太郎胸像も展示されています。
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題して「冷暖自知光太郎山居」。光太郎が、昭和20年(1945)10月から同27年(1952)10月までの7年間、戦時中の戦争協力を恥じ、岩手県花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で蟄居生活を送っていた当時の肖像彫刻で、直接のモチーフは、昭和24年(1949)10月、太田村の光太郎のもとを訪れた写真家の濱谷浩が撮影した写真です。
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「冷暖自知」とは「仏法の悟りは、人から教えてもらうものでなく、氷を飲んでおのずからその冷暖を知るように、体験して親しく知ることのできるものである。」(岩波書店『広辞苑』)の意。『智恵子抄』にも収められた大正元年(1912)作の光太郎詩「或る宵」中、「彼らは自分等のこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた/曾て裸体のままでゐた冷暖自知の心を―― 」という一節に使われています。

題字揮毫は、晩年の光太郎と親しく交わり、その没後は筑摩書房『高村光太郎全集』の編集に当たるなどした、光太郎顕彰第一人者にして当会顧問であらせられた故・北川太一先生です。
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レリーフでの習作を経て、平成25年(2015)に完成、平成29年(2017)には十和田市に寄贈、翌年に「ぷらっと」さんでの展示が始まり、その年の秋には寄贈のセレモニーが開催されました。かつて当会主催の連翹忌の集いにもご参加下さっていた田村氏でしたが、この時にお会いしたのが最後となってしまいました。

青森市内にある氏のアトリエ(「彫夢」と書いて「ほるむ」だそうで)が公開されているという情報を、青森山田高校さんのサイトで少し前に知りました。それを読んで「田村さん、まだお元気なんだな」と思っておりましたが、逆でした。同サイトには亡くなったことが書かれていませんでしたが、亡くなったがためにアトリエを公開ということだったようです。

アトリエには光太郎胸像「冷暖自知」の石膏原型も保管されています。
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最上部に掲げた喪中葉書によれば「冬期間閉鎖」だそうですが、いずれまた青森方面に行く際にはご焼香がてら足を運んでみようと思っております。

遅ればせながら、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・智恵子】

「女である故に」といふことは、私の魂には係りがありません。女なることを思ふよりは、生活の原動はもつと根源にあつて、女といふことを私は常に忘れてゐます。

アンケート「女なる事を感謝する点」より 大正5年(1916) 智恵子31歳

完璧とは言えませんが、光太郎には「男尊女卑」という考えはほぼ無かったようで、かなりの部分で光太郎も家事労働を分担していました。そうした意味では智恵子は同時代の女性たちと較べると恵まれていた部分がありました。

しかし、それだけに女性の置かれている立場に対する眼が開かれてしまったところもあったかもしれません。婚家や夫にこき使われている女性たちの中には、それを「理不尽」と感じることすら出来ていなかった女性も多かったように思われます。

まず昨日から今日にかけマスコミ各社で報じられた訃報から。

それも2件立て続けでしたが、最初に長野県安曇野市の太田寛市長。光太郎の親友だった碌山荻原守衛の個人美術館・碌山美術館さんの理事を務められ、昨年今年の碌山忌では同じテーブルに着かせていただき、いろいろお話しさせていただいた方ですので、非常に驚いております。

共同通信さん。

太田寛さん死去 長野県安曇野市長

 太田 寛さん(おおた・ゆたか=長野県安曇野市長)28日午前8時59分、急性心臓死のため市内の病院で死去、69歳。
 同県出身。自宅は同市堀金烏川。葬儀の日取りは未定。
 長野県副知事を経て2021年の市長選で初当選。現在2期目だった。 
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SBC信越放送さんのローカルニュース。

安曇野市の太田寛市長が急逝 自宅で就寝中に亡くなったか 死因は急性心臓死 前日夕方まで会議に出席するなど公務 元長野県副知事

 安曇野市の太田寛市長が28日、亡くなりました。69歳でした。死因は急性心臓死だということです。
  10月の安曇野市長選挙で、無投票で2度目の当選を果たした太田寛市長。自宅で就寝中に亡くなったと見られています。
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 市は28日午後1時から緊急の会見を開きました。
 安曇野市 中山栄樹副市長:「突然の訃報に職員一同、深い悲しみと喪失感を抱いております」
 市によりますと、太田市長は、27日夕方まで会議に出席するなど公務を行っていました。しかし、自宅で就寝したまま起きてこなかったため28日朝、家族が119番通報し搬送先の市内の病院で、午前9時前に死亡が確認されました。急性心臓死だということです。
 太田市長は安曇野市堀金出身で県の総務部長や副知事を務めた後、2021年に安曇野市長に初当選しました。
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 今年5月の「安曇野」ナンバーの実現に奔走するなど地元愛の強かった太田市長。
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 28日から職務代理者を務める中山栄樹副市長は。
 安曇野市 中山栄樹副市長:「4年間足場を作って、これから芽を出して根付かせようという時で、4年間のいろいろな面から考えると安曇野市にとって大きな損失です」
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 市長選挙は29日以降、市が選挙管理委員会に市長の死亡を通知し、そこから50日以内に行われます。

地元紙『信濃毎日新聞』さん。

安曇野市長の太田寛さん死去 69歳、10月に再選したばかり

 安曇野市の太田寛(おおた・ゆたか)市長が28日午前8時59分、急性心臓死のため安曇野市内の病院で死去した。69歳。安曇野市出身。自宅は安曇野市堀金烏川。
 太田氏は京都大卒。1979(昭和54)年に県職員になり、商工労働部長や総務部長を経て副知事を務め、2021年の市長選で初当選。10月5日告示の市長選で無投票で再選したばかりだった。
 太田氏の死去に伴う安曇野市長選は、公職選挙法に基づき、市選挙管理委員会に死亡の通知が届いてから50日以内に行われる。
 死去したことが28日に分かった安曇野市長の太田寛さん。経歴はこちら。
   ◇
 1956年生まれ。安曇野市出身で、松本深志高校(松本市)、京都大法学部を卒業し、1979(昭和54)年から県職員。企画局長や商工労働部長、総務部長を歴任し、2015年2月から副知事を務めた。2021年の安曇野市長選で、無所属新人2人を破って初当選。今年10月から2期目を務めていた。
 趣味は読書で、安曇野市出身の作家臼井吉見(1905~87年)の小説「安曇野」が愛読書。
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『朝日新聞』さん。

長野・安曇野市長が死去 自宅から救急搬送、10月に再選された矢先

 長野県安曇野市の太田寛(ゆたか)市長(69)が28日、急性心臓死のため死去した。市によると、28日朝に自宅から救急搬送され、市内の病院で午前8時59分に死亡が確認された。通夜・葬儀の日程は未定。太田市長は10月5日に告示された市長選で、無投票で再選したばかりだった。市が28日、記者会見を開いて発表した。
 市によると、太田市長は27日に市議会定例会に出席。夜は松本市内であった連合長野松本広域協議会の定期総会に来賓として出席し、午後8時半ごろに安曇野市内の自宅に帰宅した。28日午前8時半ごろ、市職員が公用車で迎えに行くと、自宅前に救急車が来ていて病院に搬送された。
 中山栄樹副市長によると、27日の市議会定例会でも特に変わった様子はなかったが、「この2、3日、風邪っぽい」と言って、マスクを着用していた。中山副市長は「突然の訃報(ふほう)に、職員一同、深い悲しみと喪失感を抱いている。行政の継続性に万全を期したい」と語った。市長の職務代理者には中山副市長が就いた。
 太田市長は元県職員で、県総務部長や副知事を経て、2021年10月の市長選で初当選した。2期目では、企業誘致の推進やフィルムコミッション機能の強化を盛り込んだ観光政策などを公約に掲げていた。市の知名度を上げることに力を入れ、首都圏で安曇野産農産物をPRする事業を開催したり、臼井吉見の小説「安曇野」を復刊させることに取り組んだりした。中山副市長は「元副知事としての人脈でできたことが、相当あった」と振り返った。
 公職選挙法では市長に欠員が出た場合、5日以内に職務代理者が選挙管理委員会に通知し、通知から50日以内の選挙の実施が定められている。
 阿部守一知事は「あまたのご功績に深甚なる敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでお悔やみを申し上げます」とコメントを出した。
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『信毎』さんと『朝日』さんで触れられている、小説『安曇野』。光太郎の連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)が掲載された雑誌『展望』編集長を務め、光太郎とも交流のあった同市出身の臼井吉見が昭和40年代に執筆した長編で、守衛を含む安曇野の人々が中心に描かれ、守衛との絡みで光太郎も登場します。

太田市長、その復刊に尽力された他、NHK大河ドラマ化運動、さらに理事を務められていた碌山美術館さんでの講演などもなさっていました。こうした地元の文化遺産に対するご理解の点では、地方首長の鑑と言える方でしたので、非常に残念でなりません。後任の方にも太田市長の功績を受け継いでいっていただきたいものです。

もう1件、やはり昨日出た訃報です。

作家の嵐山光三郎さん死去 エッセーやテレビ番組で人気

009 軽妙なエッセーやテレビのバラエティー番組でも人気を集めた作家の嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)さんが14日午後、肺炎のため死去したことが28日、分かった。83歳。静岡県出身。葬儀は近親者で行った。
 国学院大を卒業後、平凡社に入社。雑誌「太陽」編集長などを務めた。独立後に雑誌「ドリブ」やテレビの人気バラエティー番組「笑っていいとも!増刊号」編集長を務め、1980年代の若者文化の担い手となった。
 「たのC(シー)のでR(アール)」といった「ABC文体」を駆使したエッセー、インスタントラーメンの評論なども手がけ、料理や温泉などにも健筆を振るった。「素人庖丁記」で講談社エッセイ賞を受賞した。
 「文人悪食」「文人暴食」では作家や歌人、学者らの食欲と創作欲の関わりに注目。松尾芭蕉の人間くさい側面に迫った「悪党芭蕉」では泉鏡花文学賞と読売文学賞を受けた。
 92年には日本人のコメ離れに歯止めをかけようと「日本ごはん党」を結成したことでも話題に。旅や釣りの愛好家としても知られた。

探せば他にもあるのかも知れませんが、「食」にもこだわりの強かった嵐山氏、『文人悪食』、『文士の料理店(レストラン)』『文士の御馳走帖』で、光太郎に触れて下さいました。
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『悪食』は「高村光太郎…咽喉に嵐」。「レモン哀歌」(昭和14年=1939)をはじめ、光太郎の「食」に関わる詩文を15篇ほども引用、マイナーなそれも含まれていて、感心いたしました。『料理店(レストラン)』では「高村光太郎と米久」と題し、詩「米久の晩餐」(大正10年=1921)を中心に。浅草米久さんのレポートもカラー画像入りで入っています。『御馳走帖』でも米久さんが取り上げられ、小題は「高村光太郎 米久の晩餐 梅酒 こごみの味」でした。こちらはアンソロジーです。

最後に、宮城県歌人協会会長などを務められた佐久間晟氏。亡くなったのは今年3月ということでしたが存じ上げず、つい先日、奥様のすゑ子様から喪中葉書が届いて知った次第です。氏は大正15年(1926)のお生まれで、亡くなった際は満99歳だったそうです。
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光太郎とも交流のあった歌人の前田夕暮に師事、奥様ともども歌誌『地中海』同人としてもご活躍。そして昭和26年(1951)、奥様との新婚旅行で花巻郊外旧太田村の光太郎の寓居を訪ねられました。右上の画像がその際のもの。右端が氏で、そのお隣が奥様、光太郎、左端はお二人を光太郎の元に案内してくれた花巻温泉の仲居さん・八重樫マサです。

昭和26年(1951)11月9日の光太郎日記より。

塩がまの人佐久間氏といふ人新婚にて花巻松雲閣より八重樫マサさんの案内で来訪、前田夕暮の弟子の由。

この際の様子を奥様が『地中海』平成17年1月号に短歌と文章で書かれ、たまたまその情報を得ましてお二人に連絡、お二人がお住まいの仙台でお会いし、貴重なお話を伺う事が出来ました。さらに晟氏の運転で松島まで行き、豪華海鮮料理を御馳走になってしまった次第です。
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さらに上記写真を送った光太郎からの礼状(『高村光太郎全集』にもれていたもの)も拝見。
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その際お聞きした内容を『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007)に「高村山荘訪問記 佐久間晟・すゑ子夫妻聞き書き」として掲載させていただきました。

そんなこんなが昨日のことのように思い出されます。

お三方のご冥福、心より祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

いとほしい髪の一すぢより 感情のはげしい瞬刻の閃光まで 私にとつては宝玉だ 抜きさしならない玉条だ


詩「無題録」より 大正3年(1914) 智恵子29歳

智恵子肖像このブログでは平成29年(2017)の元日から【折々のことば・光太郎】と題し、光太郎の書き残したもの、談話筆記、講演会筆録などから「これは」と思う一節を取り上げ続けてきました。それもそろそろネタ切れとなって参りまして、今日からは【折々のことば・智恵子】にします。智恵子が書き残したものはあまり多くないのですが、それでもやはり「これは」というものがありますので。

また、あまり取り上げられることの多くない智恵子自身の言葉を紹介することで、『智恵子抄』の裏側にどういう智恵子が居たのか、そんなことも語りたいと思っております。

初回は確認出来ている限り唯一の智恵子が書いた詩から。大正3年(1914)ですので、光太郎と結婚披露をする年で、その4ヶ月前に母校・日本女子大学校の同窓会誌『家庭週報』に寄稿したものです。当時としては遅まきの結婚でしたが、万物がキラキラ輝いて見えていた結婚直前の心境が垣間見えます。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じての光太郎顕彰を続けられているやつかの森LLCさんの取り組み。

毎月15日は、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントのミレットキッチン花(フラワー)さんで、やつかの森さんがメニュー考案に当たられている弁当「光太郎ランチ」が販売されていまして、その今月分。
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品目は「鱈フライ」「大根と牛肉のきんぴら」「ポテトサラダ」「卵焼き」「漬物」「ハムカツサンド」「麦ご飯」「南瓜の茶巾と秋の果物」だそうです。基本的には、光太郎が実際に自作したメニューや使った食材を参考に組み立てられています。

同様の方法で、ランチを提供する「こうたろうカフェ」としての活動。市内のワンデイシェフの大食堂さんで、こちらも月に一度行われています。今月は一昨日でした。
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画像2枚、追加いたします。
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こちらのメニューは「こうたろう春巻き」「手羽元とコンニャクの甘辛煮」「柿ドレッシングサラダ」「のり巻き卵焼き」「ほうれん草のピーナッツ和え」「漬け物」「手作り味噌の具だくさん豚汁」「新米ごはん」「林檎のケーキ」「コーヒー」。

いずれも秋の実りがふんだんですね。秋、といっても、もうあちらでは既に初雪も降ったそうで、冬本番も間近のようですが。

双方の取り組み、末永く続く事を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

天賦の才といふものも其を価値あらしめるだけの意志がなければ何にもなりません。芸術家は一滴一滴岩に喰ひ込む水の辛抱強さを持たねばなりません。

光太郎訳 ロダン「続ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

才能を生かすことができる才能というものも、確かにあるような気がします。逆にそれが欠けているばかりに、あたら天賦の才を無駄にしてしまった例も。

若干先の話ですが、申込〆切が近いもので……。

令和7年度第9回『はなまき通検定』

期 日 : 2025年12月14日(日)
会 場 : 花巻市交流会館 岩手県花巻市葛3-183-1
時 間 : 10:00~ 試験時間50分間
料 金 : 無料

◆はなまき通検定とは?
 花巻に関する知識の深さを認定する検定試験です。この検定を通じて、花巻の良さを再認識していただくとともに、観光に従事する方だけではなく市民皆で観光客をおもてなしできるよう、花巻の知識を習得していただくことを目的に実施します。今回は初級編の検定となります。

◆合格特典
 合格者全員に合格証と合格記念ピンバッジを進呈いたします。

◆お申込みについて
 お申込み期間:令和7年10月14日(火)~11月21日(金)
 お申込み方法:以下の申込み方法を参考にFAX(FAX:0198-29-4447)
        またはメール(kero@kanko-hanamaki.ne.jp)でお申込みください。
◆合格基準等
 出題・配点:4択問題形式、全50問(1問2点、100点満点)
 合格基準:80点以上合格 ※今回は簡単な初級編です。
 出題内容:花巻の市勢、歴史、文化、先人、観光、時事、旬な話題など

◆合格発表
 発表日時:令和6年12月18日(水)午前10時
 発表方法:花巻観光協会ホームページに合格者の受験番号を掲載します。
      合格者へは合格証と記念ピンバッジを併せて郵送いたします。 

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今回で第9回となる検定。事前にテキストが提示され、その内容を中心に出題されます。テキスト以外からも問題になるようで、注意が必要ですが。テキストはこれまでとほぼ同一と思われ、花巻を第二の故郷とした光太郎についても5ページにわたり記述があります。

昨年度の第8回検定の際には、光太郎に関する問題が4問出題されました。
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このブログの愛読者の皆さん(あまり居ないと思われますが(笑))にはチョロい問題ですね。念のため正解を書いておきますと、【問題30】は「3」の「約7年間」、【問題31】が「2」で「1936年(昭和11年)」、【問題32】だと「1」の「非常の時」、【問題33】では「3」の「れんぎょう」です。

他に宮沢賢治がらみの問題が15問ほど出ていまして、それも楽勝でしたが、方言の問題などはお手上げでした。「ごしゃっぱらげる」「とのげる」、何語ですか?(笑)

後は、花巻ゆかりの新渡戸稲造、萬鉄五郎、菊池雄星選手などについても出題されていました。

我こそはと思う方、ぜひどうぞ。また、全国の自治体/観光協会などの方、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

だが幾度も繰返すのが恥かしいほど、自明な、解り切つた、根本的な真理を再建するのに、何といふ努力のいる事だ! それにも拘らず此等の事は肝腎な事である。


光太郎訳 ロダン「ロダン手記 ゴチツクの天才 復興期及十八世紀に及ぶ」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

芸術に於いて、いわゆる「王道」を突き進もうとすると却って困難である、ということです。目先の新しさにとらわれ、変化球的なものがもてはやされる傾向がありますので。

ロダンに学んだ光太郎の芸術も、彫刻にしても詩にしても、外連味のない「王道」を根幹としています。しかし、それが却って正統派過ぎて高い評価を得られないことにもなっているような気もします。

まずは訃報。光太郎の師・与謝野夫妻研究の第一人者であらせられた逸見久美氏が一昨日、亡くなられました。

『朝日新聞』さん。

逸見久美さん死去

 逸見久美さん(いつみ・くみ=日本近代文学研究者・歌人)3日、急性心筋梗塞(こうそく)で死去、99歳。葬儀は近親者で営む。喪主は長男で青林書院社長慎一さん。
 与謝野鉄幹・晶子研究の第一人者で知られ、著書に「評伝与謝野寛晶子」(明治篇、大正篇、昭和篇)、編著に「与謝野寛晶子書簡集成」、編集代表として関わった「鉄幹晶子全集」など。作家・ジャーナリストの翁久允(おきな・きゅういん)の三女。

昨日、明星研究会を主宰されている松平盟子氏からメールを頂き、その中でご逝去に触れられていて知った次第ですが、その際、急いでネットで調べたところ、KNB北日本放送さんのローカルニュースで既に取り上げられていました。

与謝野晶子研究の第一人者 逸見久美さん死去 作家・翁久允の三女

 立山町出身の作家・ジャーナリスト翁久允の娘で与謝野鉄幹・晶子研究の第一人者として知られる、国文学者の逸見久美さんが、きのう亡くなりました。99歳でした。
 逸見さんは1926年、翁久允の三女として生まれ、早稲田大学大学院を卒業後、実践女子大学大学院で第1号となる文学博士の博士号を取得しました。
 そして、歌人である与謝野鉄幹・晶子夫妻の研究で多数の書籍を執筆した、日本近代文学の女性研究者の草分け的存在でした。
 また、父の翁久允が主宰した富山の郷土研究雑誌「高志人」にも寄稿を重ねました。高志の国文学館館長で俳優の室井滋さんは、逸見さんの遠縁にあたります。逸見さんは、きのう99歳で亡くなりました。葬儀などは親族だけでとり行う予定だということです。
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ここ数年、お加減があまりよろしくないと聞いており、疎遠になっていましたが、かつていろいろとお世話になりました。

初めてお会いしたのは平成24年(2012)、神保町の東京堂書店さんで開催された氏の講演会「晶子没後70年記念出版『新版評伝与謝野寛晶子』完結記念公演 与謝野夫妻の評伝を書き終えて -収集した二五〇〇通の書簡と全集・全釈編纂から-」を拝聴した折でした。それ以前から氏の編著にして『高村光太郎全集』にもれていた光太郎短歌を収めた『与謝野寛晶子宛書簡集成』を拝読させていただいており、聴きに行かずば、というわけでした。

以後、何度か、大阪の晶子忌日・白桜忌明星研究会さんの研究発表会などでご一緒し、さらに当会主催の連翹忌にもご参加下さいました。

平成27年(2015)には、NHK Eテレさんで放映された生涯学習の番組「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」の第2回放送「愛と情熱の歌人 夫のための百首 与謝野晶子×与謝野鉄幹」にご出演。同じ番組の第5回が「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子」で、NHKさんに制作協力者として当方を紹介して下さいました。
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さらに平成28年(2016)には、お父さまの翁久允と竹久夢二との交流についてまとめられた『夢二と久允 二人の渡米とその明暗』を刊行され、これまた『高村光太郎全集』にもれていた光太郎からお父さま宛の書簡が載っているということで、御恵贈下さいました。
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こちらには、氏が幼き日に夢二が描いたお姉様とのスケッチも掲載されています。左が氏で、右はお姉様です。
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夢二に描かれた、というお話を伺った時には実に驚いた記憶がございます。

最後にお会いしたのはコロナ禍前の令和元年(2019)でした。その後、御元気でいらっしゃるかと気にかけてはいたのですが……。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

もう1件、こちらは朗報です。平成9年(1997)、講談社さんから出版され、翌年、芸術選奨文部科学大臣賞に選ばれた智恵子が主人公の小説『智恵子飛ぶ』の作者・津村節子氏が今年度の旭日中綬章を受賞されました。

『朝日新聞』さん。残念ながら『智恵子飛ぶ』には触れられていませんでしたが。

秋の叙勲、受章者の横顔 津村節子さん(97) 書けたのは編集者いてこそ

003 「ひたすら書いてきただけなのに、いただいていいのかな。たぶん吉村もびっくりしてますよ」
 夫で小説家の故・吉村昭と知り合った文芸誌に参加してから70年余。長く書き続けられた理由に編集者たちの存在をあげる。ある短編を新潮社に届けたところ、自社では載せにくいからと文芸春秋に持っていくように勧められた。それが1965年の芥川賞「玩具」になった。「商売敵に渡すなんて、えらい編集者がいるもんだと驚いた」
 おしどり夫婦として知られた吉村を06年に亡くしたときもそう。小説が書けなくなり、お遍路に出てからしばらくして、「そろそろいいのではないか」と背中を押してくれた。先立たれた者の痛切な思いが伝わる私小説「遍路みち」「紅梅」を書けたのも編集者がいてこそだった。
 人生のモットーは「転んでもただじゃ起きない」。いまでも背筋をピンと伸ばし、60年前から続けているヨガの教室に週1回、歩いて通う。
 「もう日常の随想しか書けないけれど、少しでも読者の参考になればいいですね」


吉村昭氏との夫婦同業ぶりは、光太郎智恵子にも通じる部分があり、津村氏ご自身、そういう思いで書かれたようです。そして吉村氏に先立たれ、あたかも逆智恵子抄的な感じになったところも。編集者の方が背中を押して下さり、再び描く意欲が……というエピソードには、光太郎に『智恵子抄』出版を強く勧めた龍星閣の澤田伊四郎を連想させられました。

『智恵子飛ぶ』は、平成12年(2000)には新橋演舞場、翌年には京都南座で舞台化されました。智恵子役は共に片岡京子さん、光太郎役は、東京公演が故・平幹二朗さん、京都公演で近藤正臣さんでした。
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片岡さんのお父さま・仁左衛門氏は先頃文化勲章を受章されましたが、津村氏は平成28年(2016)には文化功労者に選ばれています。それに続いての旭日中綬章、まことにおめでとうございます。

97歳とのことですが、まだまだお元気で、と祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

かぶりついて仕事せよ。


光太郎訳 ロダン「若き芸術家達に(遺稿)」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

この一節、後に『智恵子抄』にも収められた光太郎短歌「ひとむきにむしやぶりつきて為事(しごと)するわれをさびしと思ふな智恵子」(大正13年=1924)の源流を見るような気がしています。

津村氏、そして亡くなった逸見氏、共に「かぶりついて仕事」なさってきたこれまでのような気もします。

光太郎第二の故郷・花巻市のワンデイシェフの大食堂さん。日替わりで個人やグループの方々がランチタイムにシェフを務めるというスタイルのレストランです。同地で主に食を通じての光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが、おおむね月に一度「こうたろうカフェ」として出店なさっています。

10月29日(水)分の画像。42食完売だそうです。
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品目は、「白身魚のフライ&タルタルソース」「コールスローサラダ」「鶏つくねの串焼き」「菊の胡麻和え」「バターナッツのポタージュスープ」「蕪の漬物」「新米ご飯」「マロンブラウニー」「コーヒー」。基本、光太郎が自炊した料理や使った食材などを参考にというコンセプトです。諸物価高騰の折、これまで1,000円だった定価が1,200円に値上げ(全出店者共通です)だそうですが、それでも割安感がありますね。

やつかの森さんからのメールの一節。

菊の花の胡桃和えやバターナッツのポタージュは、初めてという方も結構いらしてとても喜ばれました。根生姜が効いたつくねは絶品‼️ 白身魚フライはサクサクで軽く何枚でもいけちゃう美味しさ。サラダも沢山の食材で好評。かぶと白菜ときゅうりの漬物も赤かぶを添えて彩り良く柔らかくて美味。北上市の二子の里芋と昆布の煮物も蓮根、人参、枝豆を入れてほっとする味。ブラウニーは大きな栗たっぷりと胡桃を散らして。誰一人残さずにペロリと完食でした‼️ 八幡平市から友人がきてくれたり、赤ちゃん連れのご家族もゆっくりランチを楽しんでました。ありがたきかな。

次回ご出店は11月18日(火)だそうです。

ところで最近、こんな雑誌を入手しました。
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タイトルが『鶏の研究』。そのまんま「鶏の研究社」という社からの刊行物ですが、養鶏業者や食肉加工業者向けの月刊誌です。巻号は第26巻第10号、光太郎が花巻郊外旧太田村の山小屋に蟄居していた昭和26年(1951)10月号です。

なぜこんなマニアックな古雑誌を購入したかというと、以下のアンケートが載っており、光太郎の回答もありましたので。『高村光太郎全集』に洩れていたものです。
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こうあってほしい鶏卵肉」というテーマで、質問項目は8つ。

一、鶏卵はお好きですか。
二、生ですか、それとも料理(例えば?)したものを好まれますか。
三、卵殻は赤いのと白いのとどちらを好まれますか。
四、卵を召上がつてこうだつたら良い、こういうのは嫌だと思われること。例えば栄養、価格、内容、外観、何でも結構です。
五、鶏肉はお好きですか。
六、どんな料理をして召上りますか、お得意の料理法がありましたら公開して下さい。
七、鶏を飼つて居られますか、どんな鶏がお好きですか。
八、その他養鶏についての御所感を。


これらに対しての光太郎の回答は、

一、好きです。殊に夏は肉が腐り易いので鶏卵は恰好な動物質蛋白質源と思います。
二、非常に急な場合は生で食べ、時間のある時は料理します。生みたてに近い卵がいつでもあります。
三、殻の赤白に好き嫌いはありません。
四、殻に必ず日附をつけたいと思います。飼養の條件がすぐ卵にあらわれます。
五、鶏肉は好きです。殊に所謂モツを賞味します。
六、特別変つた料理法も知りません。多く中華料理風にして食べます。卵は五分間半熟が甚だ便利です。
七、独居自炊の山中生活なので自家では飼えません。飼うと外出が出来なくなります。
八、人がもつと多く鶏を飼つて利用するといいと思います。

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編集部で描いたのでしょうが、似ているような似ていないような光太郎横顔のカットも(笑)。それはさておき、しっかり自炊していた光太郎の言だけに説得力があるように感じました。

他の回答者は山川菊栄、越路吹雪、藤山一郎、横綱千代の山、元首相片山哲、箏曲の宮城道雄、歌舞伎の市川海老蔵、将棋の木村義雄名人など割と豪華なメンバーでした。

こんなふうに昔の雑誌には各界著名人に回答を求めるアンケート欄が普通にあり、光太郎のアンケート回答はこれまでに100篇超が見つかっています。最近も見つけ続けていますし、これからも見つかるでしょう。ただ、アンケートの場合、掲載誌の目次に回答者名が全て載って居らず「諸名家」などとなっている場合も少なくありませんで、なかなか大変です。

さて、やつかの森さんには、いずれ光太郎回答にあるような「中華料理風」や「所謂モツ」を使ったメニューも考案していただきたいものです(笑)。今回の「こうたろうカフェ」でも「鶏つくねの串焼き」が入っていましたが。

【折々のことば・光太郎】

われらの不安、われらの失望、われらの感激、われらの壮烈、われらの情熱、われらの肉感、彼は一切を訳出し、一切を表現した。詩人よりも善く、言葉によるよりも善く、形によつてだ。

光太郎訳 オクーヴ・ミルボー「アウギユスト ロダン」より
大正9年(1920)頃訳 光太郎38歳頃

訳書『続ロダンの言葉』巻頭に置かれた評論の一節です。光太郎の目指した彫刻のありようも、こういうことだったのかもしれません。

キーワードは「テレビ」です。

まず、10月29日(水)、IAT岩手朝日テレビさんのローカルニュース。花巻高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」を紹介して下さいました。

高村光太郎の花巻市疎開から80年 企画展「昔なつかし花巻駅」【岩手・花巻市】

詩人で彫刻家の高村光太郎の花巻疎開80周年を記念した企画展が開かれています。
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岩手県花巻市にある高村光太郎記念館には、昭和初期の花巻駅周辺を当時の映像を参考に再現したジオラマが展示されています。
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花巻駅は、岩手軽便鉄道や花巻電鉄の開業とともに交通の要所として発展しました。
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会場では、秘蔵の映像を見ることができます。
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「昔なつかし花巻駅」と題したこの企画展は、11月30日まで開かれています。
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同じ件を既に地方紙『岩手日日』さん、NHKさん、IBC岩手放送さんでもご紹介下さっていますが、こうして時間差で取り上げていただいたほうがありがたいところです。報道を見て「行ってみようか」という方がいらっしゃるでしょうし、それが一気にではなく、その都度ということになったほうが、と思われますので。

もう1件、番組の再放送情報です。

わたしの芸術劇場 中村屋サロン美術館/中村彝アトリエ記念館

BS11(イレブン) 2025年11月3日(月) 01:05〜01:30

「美術館」をちょっと堅苦しい場所だと思っている方々へ送る番組。学芸員の方々が見せ方を工夫したり、今までにないテーマで企画展を開催したり、並々ならぬ苦労と最高のセンスで展示している。そんな美術館を「芸術を体験できる劇場」として捉え、舞台を鑑賞しているようなわくわくした気持ちにしてくれる番組。番組を見た後は、きっと美術館に足を運び、芸術に浸りたくなること間違いなし。

今回の舞台は東京都新宿区にある中村屋サロン美術館。お菓子やカレーパンで有名な新宿中村屋が運営している美術館。創業者の相馬愛蔵は同郷の彫刻家 荻原守衛(碌山)や荻原を慕う若き芸術家などを支援し、明治末から大正、昭和初期にかけて多くの芸術家・文化人たちが、ここ中村屋に集った。日本近代美術の発展に大きく貢献した「芸術家たちのトキワ荘」、中村屋サロンに大きな拍手を!

出演者 片桐仁
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新宿の中村屋サロン美術館さんが取り上げられた回です。初回放映はTOKYO MXテレビさんで令和3年(2021)。BS11さんでは今年の7月2日(水)に放映がありました。

メインは中村彝。それから光太郎の親友だった荻原守衛にも触れられました。
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そして同館所蔵の光太郎油彩画「自画像」(大正2年=1913)も。
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BS11さんでのこの番組、以前からなのか最近のことなのか、ちょっと把握できていませんが、いろいろな曜日のさまざまな時間帯に放映されています。メインは土曜の午前中という位置づけのようですが、再放送がてんでバラバラの曜日・時間帯。
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他にも光太郎作品が取り上げられる回があり、今後も放映情報に注意してみます。

それはさておき、中村屋サロン美術館さんの回、ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

彼等は講義を聴く。或は実際の現実とは何の関係もない、曖昧な、抽象的な名辞のある術語で書かれた審美学の書物を読む。――其書物にはよく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです。かやうな有害な状態の下で何んな生徒が発達し得るでせう。


光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「彼等」は官立美術学校の生徒たち。ロダンのアカデミズム嫌いは徹底していました。

ところで「よく同じ誤謬が繰返されて居ます。互に引用し合ふ事がよくあるからです」。ネット上の情報でもそうですね。むしろ現代ではコピペが容易に出来るので、そうなりがちです。

閉口しているのは、光太郎生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」についての次の記述がネット上に溢れていること。

高村光太郎の最後の作品としても知られ、完成まで1年余りかかったと言われています。高さ2.1mの2人の裸婦が左手を合わせ向かい合っており、モデルは光太郎の愛妻で詩集「智恵子抄」で知られる智恵子夫人です。台座には婦人の故郷、福島産の黒御影石を利用しています。

まんまコピペしているサイト、多少の換骨奪胎がみられるものを含め、数十件見られますし、十和田湖に行かれた個人の方のブログなどでもあとからあとからこのフレーズ。見つけるたびに「またか」と頭を抱えています。

以前にも書きましたが、「乙女の像」は最後の作品ではありませんし(最後の作品は「乙女の像」除幕式で関係者に配付された記念メダル)、台座の石は福島産ではなく岩手産です。完成までにかかった時間は約半年ですし、「完成まで1年余りかかった」という書き方は「すごく長い時間をかけた」というニュアンスですが、逆にこの像は自らの死期の遠くないことを自覚していた光太郎が、異例の早さで仕上げたものです。

また改めてご紹介しますが、今月末に都内で開かれる「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」という催しで、パネルディスカッションのパネラーを仰せつかっており、ふと思い出した次第です。

まず東北の地方紙記事から3件ご紹介します。

最初は仙台に本社を置く『河北新報』さん、昨日の一面コラムです。

河北春秋

詩人、彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の詩に<その詩を戦地の同胞がよんだ。人はそれをよんで死に立ち向つた>という一節がある。光太郎が戦後に書いた『わが詩をよみて人死に就けり』。光太郎は戦時中、戦意高揚の詩を量産した。その反省に立った詩だ▼光太郎の父は皇室をあつく敬い、光太郎も天皇崇拝は変わらなかった。1945年5月に岩手県花巻市に疎開したまま、戦後も7年間を花巻郊外の山小屋に暮らした光太郎には戦争協力への贖罪(しょくざい)意識があったとされる▼「妻智恵子が生きていたら、光太郎は戦争に協力しただろうか」。こんな疑問を抱くのは、智恵子の古里、福島県二本松市の熊谷健一さん(75)。20年前から智恵子顕彰活動に取り組む「智恵子のまち夢くらぶ」の代表を務める▼智恵子は関東大震災後に社会運動家の大杉栄らが憲兵に殺害された事件に関し、婦人雑誌のアンケートに「暴力は臆病の変形」と寄せた。智恵子が他界した38年に国家総動員法が制定され、光太郎も戦争に巻き込まれる。熊谷さんが想像を巡らせるゆえんだ▼くらぶは11月、智恵子没後の光太郎をテーマに講座を3回開く。戦争との関わりも考える。「事実から目をそらさずに学びたい」。熊谷さんの姿勢から2人への愛が伝わる。

最初に紹介されている「わが詩をよみて……」は、昭和22年(1947)、連作詩「暗愚小伝」に組み込むつもりで書いたものの、結局はボツにした詩篇です。全文はこちら。光太郎の精神史を語る上では外せない一篇ではあります。

智恵子の「暴力は臆病の変形」は、コラムにある通り、大正12年(1923)の関東大震災後、光太郎も支援していた大杉栄と妻の伊藤野枝が、憲兵大尉・甘粕正彦によって虐殺された事件に対してのもの。全文はこちら

その智恵子の故郷・福島二本松で顕彰を続ける智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会さんの講座については、改めて記事にするつもりでいましたが、ついでですのでご紹介してしまいます。

智恵子講座2025 智恵子没後の高村光太郎~晩年の人生と芸術に迫る~

期 日 : 2025年11月3日(月・祝) 11月16日(日) 11月24日(月・振休)
会 場 : 11/3・11/16 ラポートあだち 11/24 安達公民館
時 間 : 10:00~12:30
料 金 : 3,000円
講 師 : 熊谷健一(智恵子のまち夢くらぶ~高村智恵子顕彰会代表)

美の求道者として同志愛を貫いた高村光太郎と智恵子。智恵子亡き後の光太郎はどのように生き、どんな作品を残したのでしょうか。光太郎晩年の人生と芸術に肉迫します。
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次に、光太郎第二の故郷・岩手の『岩手日日』さん。これも昨日掲載されました。

光太郎直筆の手紙初展示 花巻・記念館特別展 人柄や悩み伝える

 高村光太郎記念館の特別展「中原綾子への手紙」は、花巻市太田の同館で開かれている。同人の中原綾子に宛てた光太郎直筆の手紙が展示され、光太郎の人柄や当時抱えていた悩みなどを伝えている。2026年2月28日まで。
 中原は与謝野晶子門下の歌人。文芸誌「明星」に作品を発表しており、同誌に作品を寄せていた光太郎とは交流があった。交流は光太郎が花巻に疎開してからも続き、1951年9月に山荘を訪れて光太郎を見舞うなど生涯にわたり古流を持つ間柄であつたとされる。
 特別展では「智恵子抄」などの作品に通じる光太郎の心境を、中原に宛てた手紙でたどっている。手紙の内容自体は既出で、市内の図書館にある「高村光太郎全集」などで確認できるが、直筆の手紙を展示するのは初という。
 34年12月28日付の手紙には、「ちえ子の狂気は日増しにわろく、最近は転地先にも居られず、再び自宅に引きとりて看病と療治とに尽していますが連日連夜の狂暴状態に徹夜つづき、さすがの小生もいささか困却いたして居ります」とあり、統合失調症を患う妻智恵子に対する苦悩が赤裸々につづられている。
 51年10月5日付の手紙では、体調が優れない中原に対し「食事の十分とれますまで酒タバコは一寸お休みになる方がいいかと存じます」と助言しており、2人の関係性や光太郎の人柄がうかがえる。
 特別展を担当する花巻高村光太郎記念会の高橋卓也事務局長補佐は「活字ではなく、光太郎直筆の手紙が見られる珍しい機会を通じて、光太郎の人柄や中原との関係性などを感じてほしい」と話す。
 開館時間は午前8時30分~午後4時30分。問い合わせは同館=0198(28)3012へ。
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4月から4期に分けて開催されている特別展「中原綾子への手紙」に関してです。4月から始まっているのに「なぜ今?」という感じなのですが、どうも岩手県ではこういう風習なのだと思われます。光太郎も岩手在住中、服の仕立を頼んだものの、その後梨のつぶてで困惑する記述を残していましたが、出来上がってみると実に丁寧な仕事で、文句の附けようもない、みたいな。

今回出品されている書簡関しても、全文を翻字し、画像をつけて図録として出版という話で、原稿はとっくに送ってあるのですが、いつになるやら……という感じです。通常は会期が始まる前に作っておいて販売するものだと思うのですが……。

後は、記事に誤りがありますので訂正しておきます。「手紙の内容自体は既出で、市内の図書館にある「高村光太郎全集」などで確認できる」とありますが、『高村光太郎全集』にもれている書簡も5通ほど。その意味でも図録の完成が待たれます。

続いて同じく花巻ネタで『岩手日報』さん。一昨日の掲載でした。

おいでよ道の駅 はなまき西南 偉人ゆかり 弁当人気

005 今後も地域住民とドライバーの憩いの場であり続けます――。県道盛岡和賀線沿いに位置し、今年開業5周年を迎えた花巻市轟木の道の駅はなまき西南(高橋有希駅長)は、地元の偉人にちなんだオリジナルメニューが好評を博している。
 戦争空襲で宮沢賢治の実家を頼り、花巻市の旧太田村に疎開した高村光太郎(1883~1956年)に関連し、駅の愛称は「賢治と光太郎の郷(さと)」。光太郎の日記を基に再現し、毎月15日に10食限定で販売する地元食材が中心の月替わり弁当は常連客の人気商品だ。
 ボリューム満点のランチを食べたい時は、 地元住民が愛してやまない焼き肉の老舗・味楽苑「道の駅店」へ。名物のささまホルモン(単品660円)は、貴重な豚の直腸を全国から厳選して仕入れている。自家製のみそダレが絶妙に絡み、ぽっべたが落ちそうだ。
 近くに大型商業施設がなく、人口減少が進む太田・笹間地区を活気づけようと、住民の働きかけで2020年に開業。今年8月には来場者200万人を達成した。高橋駅長(38)は「ここにしかない歴史と『魅力』を届けたい。皆さんにとって居心地のよい場所になってもらえばうれしい」と願う。
 売店の営業時間は午前9時~午後5時。年末年始は一部施設休業。
イチ押し しっとり塩あんぱん
 はなまき西南限定の塩あんぱん(300円)を食べてほしい。花巻温泉の温泉ベーカリーとのコラボ商品。ぎっしり詰まった粒あんは、ほのかな塩気でしっとりした味わい。自動販売機で冷凍販売しており、解凍するのを待ちながら周囲の観光地を巡ってみよう。同温泉の日帰り入浴200円割引券付きのお得なセットで、心も体も「ほっと」一息ついてみてはいかが。

花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰をなさっているやつかの森LLCさんがメニュー考案に当たられ、毎月15日に道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんが販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」に触れられています。

そのやつかの森さん、今月行われた土澤アートクラフトフェアなど、花巻南高校家庭クラブさんといろいろ共同でなさっている関係で、10月23日(木)には同市で開催された岩手県高等学校家庭クラブ研究発表大会に招聘され、光太郎に関わる寸劇を披露されたとのこと。
人物紹介
小岩井バター 雪白く朗読
コーヒー煎れる 姪宛てハガキ
勝治と訪問者 お礼にお菓子
そんなこんなで、光太郎智恵子ゆかりの東北では、二人の顕彰活動が活発ですが、こういう動きが東北に留まらず、全国に広がって欲しいものです。

【折々のことば・光太郎】

量とは何か。其は物体が空気の中で位置を占める空間(スペース)の事です。芸術の本質的基礎は此の正確な空間を定める事です。此が始であり終であります。

光太郎訳 ロダン「ロダンの手帳 クラデル編」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

かなり概念的な表現ですが、ロダンはけっこう彫刻の本質的な在り方、制作方法のキモを言葉にしています。光太郎は一語一語を噛みしめながら翻訳し、自作に生かしていたようですし、後進の芸術家達も光太郎の訳によってその精神に触れ、各自がその実践を行おうとしていきました。

智恵子のソウルマウンテン、福島の安達太良山で紅葉が見頃だそうで。

FTV福島テレビさんのローカルニュースから。

紅葉が山肌一面に ロープウェイで安達太良山へ ほんとうの空と色鮮やかな紅葉のコントラスト 福島

 福島県の安達太良山の紅葉は、今がまさに見頃となっている。10月15日は天気にも恵まれてより一層山肌を鮮やかに染めた。福島が誇る紅はこれからが本番だ。
■日本百名山・安達太良山の紅葉
 日本百名山の一つ、標高約1700mの安達太良山。絶景を求めてロープウェイで標高1350メートルの山頂駅を目指す。
 乗車して約3分、200mほど上がってきたが、赤や黄色に色づいた木々が目立ってきた。標高が上がるにつれて、紅葉の色づきも増していく。眼下に広がる雄大な景色を楽しんでいると、あっという間に到着だ。
 ほんとうの空の下、さらに登っていけば...山肌一面に映える色鮮やかな紅葉。まさに見頃を迎え、青空との美しいコントラストを織りなしている。福島の秋を象徴するこの美しい景色に、心打たれる。
 群馬から訪れた女性は「もう感動の一言です」と話し、東京から訪れた夫婦は「いいですね、ここはやっぱりね。ベストいくつとかに入ってますんで、やっぱ綺麗なんですよね、他に比べても」と話す。
 季節のうつろいとともに表情を変える安達太良山。山を染める紅葉は10月19日ごろまでが見頃だ。
■福島県の紅葉の見ごろ
 福島県内はこれから絶好の紅葉シーズンとなる。安達太良山、そして磐梯吾妻スカイライン・尾瀬沼は見ごろを迎えている。他にも裏磐梯の五色沼、田子倉湖、甲子高原が色づき始めていて、10月25日頃には見ごろとなりそうだ。
 今週、紅葉を楽しみたい方は青空が広がる17日金曜日と暖かくなる18日土曜日に行くのがオススメ。服装は金曜日は長そでシャツ一枚、土曜日は半袖でよさそうだが、標高が高い所に行かれる際は、羽織るものがあると安心だ。
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地方紙『福島民友』さん。

ほんとうの空、錦秋の絶景…安達太良山 紅葉、今月いっぱい

 日本百名山の一つ、安達太良山(1700メートル)の紅葉がピークを迎え、青空が広がった15日、多くの登山客や行楽客が錦秋の絶景を満喫した。
 福島県二本松市奥岳登山口からロープウエーで標高1350メートルの山頂駅に向かい、5分ほど歩くと薬師岳パノラマパークに到着。安達太良山頂が眼前に広がり、山肌を彩る紅葉と吾妻~蔵王、阿武隈の山並みを一望できる。
 紅葉は今月いっぱい楽しめそう。あだたら高原リゾートは11月3日までの土、日曜日と祝日、ロープウエーの運行開始を通常より1時間早め、午前7時半から運行する。問い合わせは同リゾート(電話0243・24・2141)へ。
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福テレさんでは「10月19日ごろまで」、民友さんだと「今月いっぱい」(笑)。まぁ、標高1,700㍍の山頂付近と同900㍍台の登山口とでは、紅葉の進み具合も異なるでしょうし。ちなみに直上の画像は同1,350㍍ぐらいの地点です。

相変わらず紹介すべき事項の山積が続いており、新聞ついでにもう1件。『秋田魁新報』さんの一面コラム、10月11日(土)掲載分です。

北斗星

「一杯ぐっとのむとそれが食道を通るころ、丁度ヨットの白い帆を見た時のような、いつでも初めて気のついたような、ちょっと驚きに似た快味をおぼえる」。「それ」とはビールのことである。詩人高村光太郎の随筆「ビールの味」(1936年)の一文だ▼高村は麦の香りとともに、ビールの喉越しが気に入っていたらしい。ユニークな表現は、この喉を通る感覚を言葉にしようと生まれたのかもしれない▼随筆が発表されたのはビール人気が急伸していた頃。欧米中心だったビール人口はやがて世界中に拡大。ビール会社の調べでは2023年に世界で飲まれたビールのうち3割がアジア、2割が中南米だった▼そのビールが将来、気軽に飲めなくなるかもしれないという報道が先日あった。原因は温暖化。欧州などでは近年、原料の大麦やホップが減収するといった影響が指摘されている▼国内有数のホップ産地・横手市大雄では、今夏初めて収穫ボランティアを募った。大雄ホップ農業協同組合によると、気象データの分析で収穫適期が早まっていることが分かったという。今のところ収量や品質に影響はないが、人手不足で適期の間に作業を終えることに懸念があった。気候変動にも対応するため、この試みは続けていくそうだ▼苦みの印象が強いホップだが、香りは甘く爽やか。その香りはビールを飲んだ時の喉越しにも影響するという。ボランティアで汗を流した後の一杯は、さぞかしうまいことだろう。

随筆「ビールの味」、けっこう色々なところで取り上げられています。左党の皆さんには「あるある」なのかもしれません。
大本泉『作家のまんぷく帖』。
岩手日報「風土計」。
森鷗外記念館コレクション展「文学とビール―鷗外と味わう麦酒(ビール)の話」。
『毎日新聞』/『山形新聞』。
『ビールは泡ごとググッと飲め——爽快苦味の63編』。

今回もそうですが、新聞の一面コラムに取り上げられることが多い感じです。共感を得やすい文章だということでしょうか。それも大切なことですね。

【折々のことば・光太郎】

彼は――芸術家は考へるものです。全体について考へます。部分に就いても考へます。そして部分の研究は彼にとつて全体を更によく掴む為めの道なのです。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

彫刻に限った話ではないのでしょうね。絵画でも、工芸でも、いや、造型芸術でなくとも文学や音楽などにも通じることだと思います。

10月12日(日)、13日(月)と、花巻市の土澤地区で開催された「土澤アートクラフトフェア」に、花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが参加なさったそうです。
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この催しは基本、「アート」と「クラフト」の「フェア」で、それ系が約300店、それから来場の皆様や出店者の方々に販売するということでしょう、飲食系の出店が100店近く。なかなか大規模なイベントですね。

やつかの森さんは出店者名簿に名がありませんでしたが、おおむね月に一度「こうたろうカフェ」として出店されている「ワンデイシェフの大食堂」さん名義でワンデイさんのスタッフの方々共々ご参加、「こうたろう弁当」を販売されたとのこと。
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やつかの森さんの作られる料理はいつもそうですが、光太郎の日記などを元に、実際に光太郎が自分用に調理したメニューや、使った食材などを参考に現代風にアレンジされたものです。

昨秋の「土澤アートクラフトフェア」で、智恵子にちなむレモンケーキを配付なさった花巻南高校家庭クラブさん。今年もやつかの森さん、ワンデイシェフの大食堂さんのヘルプに入られたそうです。
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特筆すべきは、生徒さんたちがまとっているエプロン。大正時代の『婦人之友』に紹介され、彼女たちが復刻して下さった智恵子のエプロンをアレンジしたものです。

オリジナルは智恵子の実家である福島の長沼酒造で使われていた酒袋(酒を搾るのに使うもの)の再利用でしたが、それだとまず素材を入手するのが大変ですし、布地も硬く縫製が難しい(復刻の際にはミシンの針が折れたそうです)とのことで、現代の普通の生地を使っての制作。これなら量産がききますね。これはこれで売りに出せば売れるような気もします。

そんなこんなで、今後のますますの活動の発展に期待したいところです。

【折々のことば・光太郎】

――感情に種類のあるやうに美にも多くの種類があります。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 フレデリク ロートン筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

「美」のありようは、美術方面、造型芸術に限らないということでしょうか。当然、文学や音楽などにもそれぞれの「美」がありますし、人間が介在しない自然界にも「美」は溢れています。

久々に新刊紹介です。

マンガで読む 偉人たちの恋文物語 日本編

発行日 : 2025年10月9日
著者等 : 企画編集 岡部文都子
      漫画 阿部川キネコ/滝沢のぼる/宙花こより/栗山ナツキ/ふくやまけいこ
       志茂/さいとう邦子/OH太/小石川カナリ/柚庭千景
版 元 : Gakken
定 価 : 1,200円+税

歴史に名だたる偉人たちの残した恋文をのぞいてみたら、偉人らしからぬヤバさが全開だった!?恋文という究極のプライベートから見えてくる、偉人の生の姿を漫画で紹介。本書は伊達政宗、武田信玄、坂本龍馬、太宰治、中原中也など日本の偉人23人を収録した。記事ページでは実際の手紙と解説を掲載。

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目次
 伊達政宗 → 只野作十郎 若き時は、酒の肴にも腕を裂き……
 芥川龍之介 → 塚本文 僕は文ちゃんが好きです。それだけでよければ……
 太宰治 → 太田静子 一番いい人として、ひっそり命がけで……
 武田信玄 → 春日源助 私が弥七郎を伽のために寝させたことは……
 斎藤茂吉 → 永井ふさ子 ふさ子さんはなぜこんないい……
 石川啄木 → 平山良子 君、わが机の上にほほえみたまふ……
 竹久夢二 → 岸他万喜 無邪気にしてやさしき人形として……
 樋口一葉 → 半井桃水 ただただまことの兄様のような心持ちで……
 北原白秋→ 佐藤菊子 あなたこそ私の、天から定められていた……
 坂本龍馬 → お龍 渡り鳥になってでも必ず……
 柳原白蓮 → 宮崎龍介 どうぞ私を私の魂を……
 中島敦 → 橋本タカ タカはいつも、僕のタカだぞ……
 高村光太郎 → 長沼智恵子 私があなたであなたが私だった夢を……
 中原中也 → 長谷川泰子 貴殿は小生をバカにしている……
 谷崎潤一郎 → 根津松子 どうぞどうぞお気に召しますまで……
 榎本武揚 → 榎本多津 二十四、五日にはめでたくこの地に……
 夏目漱石 → 夏目鏡子 おれのような不人情なものでも……
 陸奥宗光 → 陸奥亮子 用事はなくてもなるべくたびたび……
 小林多喜二 → 田口タキ 闇があるから光がある……
 豊臣秀吉 → 茶々 ご機嫌よく過ごしていると聞き……
 小泉セツ → 小泉八雲 シンセツノパパサマ……
 森鷗外 → 森志げ 今の内案じてくれて……
 与謝野鉄幹 → 与謝野晶子 小生が此度の旅行に遺憾に思ひ候は……
 参考文献


版元がGakkenさんですので、教育書の扱い。公式サイトでは中学生対象と謳っていますが、小学校高学年でも理解可能でしょうし、高校生、大学生、一般人が読んでも面白いと思います。

23組の恋人たち、夫婦の間で交わされた「恋文」一通ずつを軸に、それぞれのカップルの簡略な紹介となっています。それぞれ8ページで、中扉に1ページ、漫画パートで5ページ、解説文が見開き2ページの構成です。

昨今のLGBT問題への配慮でしょう、23組がすべて異性間のものではなく、男性から男性への「恋文」も2通。それもおまけのような扱いでなく、いきなりいの一番が伊達政宗から小姓宛で、Gakkenさん、攻めてるな、という感じです。最近、「新総裁」とやらが選出された某団体(だいたいにおいて「総裁」という呼称も如何なものかと思うのですが(笑))の関係者は不買運動でも起こすのではないかと本気で心配してしまいます。

23章を10人の漫画家さんたちが分担され、「高村光太郎 → 長沼智恵子」の章は栗山ナツキさんという漫画家さんのご担当。各章、どの程度が漫画家さんのオリジナルなのか、原作なりはGakkenさんの方で提示しているのかなどは不明ですが、なかなかのクオリティです。

「恋文」は、婚約前の大正2年(1913)1月28日に智恵子に宛てて書かれた手紙(全文はこちら)で、智恵子はこの時、早世した日本女子大学校時代の友人・旗野八重の妹・澄子を訪ね、その実家、新潟に滞在していました。澄子は後に東京立川の農事試験場長・佐藤信哉と結婚、光太郎智恵子と夫婦ぐるみの交際が続きます。大正14年(1925)の光太郎詩「葱」は、佐藤夫妻から贈られたネギを題材にした詩です。

感心したのは、単にこの「恋文」の紹介に留まらず、光太郎智恵子それぞれの駆け引きまで考察されていること。まず智恵子は、交際に対し煮え切らない光太郎を試す意図もあってか、行き先も告げずに姿をくらましました。光太郎は、智恵子が新潟にいることを突き止め、手紙を送ります。まず自分が見たという(本当かどうかも疑わしいのですが)悪夢の話で智恵子を手紙に引きこみ、その後、智恵子に寄り添う文言で智恵子の意志を大切にしている、的なことを伝える高等技法(笑)。そうしてその年の夏には婚約するわけです。

他に与謝野夫妻や森鷗外、石川啄木、北原白秋、中原中也など、光太郎と縁浅からぬ面々が取り上げられていますし、そうでない人々の章もそうでないだけに知らないことだらけで興味深いものでした。この年になると今さら「恋文」を書く参考に、というわけでもありませんが(笑)。

ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・光太郎】

――私は何も発明しません。私は掘出すのです。其が新しく見えるのは世人が芸術の目的と手段とを一般に見失つてしまつて居たからです。世人は其を革新だと思ひますが、其は遠い昔の偉大な彫刻の法則が復た帰つて来たに過ぎません。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 カミーユ モークレール筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

ある意味、ロダンの彫刻は19世紀に於けるルネサンスでした。

昨夜、初回放映がありました。NHKさんの「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」。かなりのクオリティーに仕上がっていて、胸をなで下ろしました。
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番組では「15代ヘンゼル」役の瀬戸康史さんと、「魔法のかまど」キムラ緑子さん(声のみのご出演)による調理や試食と、取り上げる人物紹介Vとが半々。

Vの方は、パリ、二本松、九十九里浜、十和田湖など、光太郎智恵子ゆかりの地の映像がふんだんに使われていたのが良かったと思いました。さすがNHKさん、この手のストックはかなりあるようです。
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それらをバックに光太郎詩文もたくさん取り上げて下さいました。

花巻に関しては、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館さん)制作の美術映画2種類から、光太郎自身の姿。
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当方を出演させて下さり、語らせていただきました。
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その他、語ったエピソードや、このブログから採られた内容などもキムラさんのナレーションでという部分も。
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これは智恵子の親友だった作家・田村俊子の弟子にあたる上田静栄の回想に書かれている大正4年(1915)頃のエピソードです。

高村先生がアトリエの北のすみの水屋にたたれて、レモンの浮いた冷たい飲み物をつくつてみなにすすめられた。たけの高いハイカラなガラスのコツプで、散歩のあとなのでとても美味しく頂いた。(未定稿「美しき思ひ出の人びと」昭和34年=1959頃 『歌文集 こころの押花』昭和56年=1981所収)

また、光太郎最晩年の日記にも「午后山口村の田頭さん奥さんと難波田さん夫人とくる、レモンスカツシ風にソーダ水をつくりて進ずる」(昭和29年=1954 8月22日)という記述があります。

手許にある『智恵子抄』初版(昭和16年=1941)も、やはりNHKさんの「歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などに続いて「出演」。
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スタジオでは、「魔法のかまど」キムラさんのレクチャーで、「15代ヘンゼル」瀬戸さんが調理。レモンコーヒーがメインでしたが、レモンクレープも。
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最後にヘンゼルが試飲・試食。
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普段のこの番組ですと、お二人の会話が掛け合い漫才のようで時に爆笑させられるのですが、今回は基本的に切ない話でしたので、お二人もしんみりという場面が多い印象でした。
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それでも随所に仏語を盛り込むなど、あくまで軽妙に。

オープニングとエンディングには、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れました。
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放映終了後、X(旧ツィッター)でエゴサーチしたところ、そこに特化した書き込みも目立ちました(笑)。

さて、来週、再放送がありますし、NHKさんのサイト「NHK ONE」でも配信中です。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー(再)

NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

「智恵子抄」で知られる、詩人で彫刻家の高村光太郎。レモンには留学したパリで味わったコーヒーと、妻智恵子の思い出がしみ込んでいた。ロダンにあこがれ留学したパリで出会ったレモンコーヒーには、目の覚めるような思い出があった。一方、最愛の智恵子との悲しい別れにまつわるのも、レモンの記憶だ。智恵子の命日10月5日には、レモンを供え続けたという、光太郎の生涯とレモンの記憶をレモンスイーツとともにひもとく。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史

当初予定ではNHK総合さんでも10月13日(月)に再放送のはずでしたが、そちらは無くなったようで、残念ですが。

ご覧になっていない方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

――芸術に於ける描形(デツサン)は文学に於ける文体のやうなものです。目に立つやうに、出しやばつたり、様子ぶつたりする文体は悪い。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

気をつけます(笑)。

昭和13年(1938)の今日、南品川ゼームス坂病院で、智恵子が光太郎の持参したレモンをがりりと噛んだことにちなみ、今日、10月5日は「レモンの日」です。

そういう日にこんな話題をお届けするのも心苦しいのですが……昨日の午後、X(旧ツィッター)上で「日本終了」がトレンド入りしていました。面白いことに、ある人々は「「日本終了」にならなくて良かった」と大喜びし、逆に「「日本終了」の始まりだ」と嘆く人々も居ます。同じワードがプラスマイナス両面で使われています。日本もアメリカのような分断社会に突入するのか、すでにそうなっているのか、というところですね。

こうした事態になることを憂慮してでしょうか、先週10月1日(水)の広島に本社を置く『中国新聞』さん一面コラム。光太郎の名がマクラに使われています。

天風録 値上げと上振れ

その飲み物は大正初めに米国からやってきた。早速、高村光太郎の詩に〈コカコオラ〉、芥川龍之介が門下の作家に宛てた手紙にも〈コカコラ〉で登場する。当時のインテリ層の間ではおしゃれな飲み物だったと察する▲「コカ・コーラ」を含む飲料や食品3千品目超がきょう値上げされる。500ミリリットル入りの他の清涼飲料水も相次ぎ価格が上昇する。自動販売機の表示には200円台がずらり並びそうだ▲今年1年間に見込まれる値上げ品目は2万以上に及ぶ。原材料費の高騰に加え、政府が旗振る賃上げ分の上乗せで物価上昇は長引く可能性がある▲物価高対策が大きな争点の自民党総裁選は終盤戦へ。各候補が減税や交付金などを打ち出せど、元手をどう工面するかの議論は乏しい。物価高による負担増が積み上がった税収の「上振れ」頼みでは何とも心もとない▲参院選大敗は税の使い道に恩恵を感じない国民が離れた結果でもある。なのに総裁選で目立つのは配信動画でヨイショ投稿を促す「ステマ問題」や、外国人を巡る「奈良のシカを蹴り上げる人がいる」発言。これらで支持の上振れを期待した面々に、自販機のボタンをすんなり押せぬ気持ちは分かるまい。

なるほどね、という感じですね。

コカコーラと光太郎に関してはこちら。
「昭和32年 コーラ本格上陸 みんな作って、みんないい」/「「乙女の像」制作 朗読劇で 劇団「エムズ・パーティ」16、17日十和田で上演」。
都内レポートその2 「ココだけ!コカ・コーラ社 60年の歴史展」。
『イチからつくる コーラ』。

神聖なレモンの日にこの件で終わるのも癪なので(笑)、もう一件。同じくドリンク系の話題で智恵子の故郷、福島二本松から。

智恵子生家/智恵子記念館に近い、安達ヶ原ふるさと村さんのX(旧ツィッター)投稿から。

【新商品のお知らせ】

大人気オリジナルプリント柄のドリップコーヒーに新柄が登場!

秋らしい『錦秋の安達太良山』や『菊人形』など二本松を満喫できるパッケージです❤

安達ヶ原ふるさと村 と道の駅安達上下線で販売中☺※「バッピーちゃん」はふるさと村限定

お土産や日々の癒し時間にぜひ!
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「大人気オリジナルプリント柄のドリップコーヒー」は、先月ご紹介した智恵子イラストを含む5種類のパッケージです。
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ちなみに他の画像も発見しまして、それぞれの柄の紙袋も別売りで出ていることが判明しました。
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これはますますゲットせねば、と思っております。

今回の追加分は、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の写真を使ったものが含まれる他、菊人形イラストも智恵子のイメージに近い感じです。

高村智恵子レモン祭」期間中に一度行ってこようかなと思っております。皆様もぜひどうぞ。しかし、鬼婆の顔は誰かさんの顔に見えて仕方ありません(笑)。

最後にレモンの日ついでですが、明日、10月6日(月)、NHK テレさんで「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」の初回放映があります。ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

芸術こそ人間の最も崇高な使命です。世界を会得しようと力め又其を会得させようと力める思想のはたらきだからです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

物価高による負担増で、芸術どころじゃないという人々も多いのが、この国の現状でもありますが……。

智恵子の故郷・福島二本松の「ほんとの空」を旅するイベントです。

~にほんまつ東北~ほんとの空の旅 in 赤そば畑 バルーン搭乗体験

期 日 : 2025年10月12日(日)
会 場 : 下川崎東北赤そば畑 福島県二本松市下川崎字東北166-1
時 間 : 受付開始 6:30~ 搭乗 7:30~
料 金 : 中学生以上500円 小学生以下 無料

10月上旬から11月上旬に開催される「東北赤そば祭り」に合わせて、熱気球(バルーン)の体験搭乗会を開催します。赤そばの花(赤)と安達太良連峰などの大パノラマ(緑)、ほんとの空(青)による圧巻の景色をお楽しみください。

先着100名 ※当日、搭乗場所入口の受付で受付順番券を配布します。
搭乗人数 3名程度/1回  搭乗時間 約5分/1回
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本日開幕の「下川崎字東北赤そば祭り2025」の一環としての実施です。現地は智恵子生家/智恵子記念館さんから直線距離で5キロ弱といったところ。バルーンが高く舞い上がれば、生家/記念館も見えるのではないでしょうか。もちろん光太郎詩「樹下の二人」に謳われた安達太良山や阿武隈川はばっちりだと思われます。在りし日の智恵子を搭乗させてあげたかったところですね。

赤そばは、「高嶺ルビー」のブランド名で、信州伊那地方のものが有名ですが、二本松の東北(とうぎた)集落では、令和2(2020)年度から福島県地域創生総合支援事業を活用し、遊休農地に赤そば栽培事業を開始したそうです。伊那の赤そばはヒマラヤ原産ですが、こちらも同じ品種なのでしょうか? 寡聞にして存じません。

それにしても、料金500円というのは何とも良心的ですね。搭乗時間3分とはいえ、です。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

他の人々にとつては森や地面に過ぎないものが、偉大な風景画家には広大無辺なものの顔としてあらはれるのです。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

この際、ロダンが例として挙げていたのがコローやミレー。

智恵子にとっても二本松の風物は、他の人々とは違った広大無辺なものっだったのでしょう。もっとも、東京でうまくいかない時に心を癒してくれる故郷の眺め、という意味合いが付随していましたが。

NHKさんで平成23年(2011)から放映されている「グレーテルのかまど」。そろそろ長寿番組ですね。
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10月6日(月)の放映では光太郎がメインで扱われます。

グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー

NHK Eテレ 2025年10月6日(月) 22:00~22:25
再放送 NHK総合 10月13日(月) 11:05~11:30  NHK Eテレ 10月15日(水) 15:10~15:35

仕事や子育てに追われながらも、ほっと一息つく大切な時間。お菓子にまつわる数々の物語、そして思いがけない誕生のドラマを、15代ヘンゼル(瀬戸康史)と魔法のかまど(キムラ緑子)がお届けします。

高村光太郎とレモンにまつわる芸術と愛の物語を、パリでの出来事を書いた「珈琲店より」や智恵子抄の詩などとともに紹介します。スタジオでは「珈琲店より」に出てくるレモンコーヒーのほか、番組オリジナルのレモンコーヒーに合うレモンスイーツなどを作ります。

出演者 【声】キムラ緑子【出演】瀬戸康史
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スタジオでの調理や試食などと、取り上げる人物等のVでの紹介が半々、Vの方で出演させていただきます。製作会社さんからお話があり、先月、撮影クルー総勢4名の皆さんが千葉の事務所兼自宅へロケにいらして下さいました。都心からそこそこ遠いところ、申し訳なく存じました。

「珈琲店(カフヱ)より」は、明治43年(1910)4月、雑誌『趣味』に発表されたエッセイで、前年まで留学で滞在していたパリでの出来事が振り返られています。「レモンコーヒー」という語は書かれていませんが、「好きなCAFÉ AMRICANのCITRONの香ひを賞しながら室を見廻した」の一節があり、「CITRON」は「カフェ・ド・シトロン」を指すと考えられます。アメリカンコーヒーにグレナデンシロップを入れ、レモンスライスを浮かべたものだそうで。

スタジオ部分で出演、調理を担当される瀬戸康史さんは、グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」のヘンゼル15代目という設定。キムラ緑子さんがグレーテルかと思いきやそうではなく、「魔法のかまど」。お声のみのご出演で、ヘンゼルにレシピを伝授する役どころです。お二人の軽妙な掛け合いには毎回笑わせていただいております。
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瀬戸さんは平成27年(2015)秋から翌春にかけての連続テレビ小説「あさが来た」で、智恵子の母校・日本女子大学校の創設者、成瀬仁蔵を演じられました。光太郎は同校の依頼で成瀬の胸像を制作しています。
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キムラさんは、平成27年(2015)までBS朝日さんで放映されていた5分間番組「いにしへ日和」のナレーションを務められていました。同番組では「#107 福島県・二本松市・智恵子の空」(平成26年=2014)、「#122 岩手県・花巻市・高村光太郎と大沢温泉」(同)の2回、光太郎智恵子に触れてくださいました。

レモンと言えば智恵子。今回の放映も10月5日の智恵子忌日「レモンの日」にちなんでのもの。そこで智恵子についても語らせていただき、手許にある詩集『智恵子抄』初版も撮影されました。ちなみにこの初版本、やはりNHKさんの歴史秘話ヒストリア 第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」(平成27年=2015)などにも「出演」。持ち主よりも活躍しています(笑)。
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また、昨夜放映された予告編では、バックに米津玄師さんの「lemon」が流れていました。切ないメロディーが「レモン哀歌」の世界観にぴったりだと改めて感じました。

ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

又伝へるものは優美の事もあらうし、烈しい強さの事もあらうし、愛情的魅力の事もあらうし、制し難い激越の事もあらう。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ポール グゼル筆録」より
大正5年(1916)頃訳 光太郎34歳頃

ロダンが彫刻について語った一節ですが、詩の世界にも言えることのような気がします。訳した光太郎もそう感じていたのではないでしょうか。

光太郎第二の故郷・岩手花巻で、10月5日(日)の智恵子の忌日「レモンの日」に行われるイベントです。

第2回 レモンの日イベント

期 日 : 2025年10月5日(日)
会 場 : 田舎labo 岩手県花巻市湯口字蟹沢13−1
時 間 : 11:00~16:00
料 金 : 無料

10月5日〈レモンの日〉にちなんで開催 レモンいっぱい、お楽しみに!
花巻ゆかりの彫刻家で詩人・高村光太郎氏の“レモン哀歌”にちなんで制定された、特別なレモンの記念日です。いろんなジャンルの飲食店が、いちおしのレモンメニューを持って集まります。レモン尽くしの爽やかな1日をぜひお楽しみください🍋

出店者一覧
 焼き菓子工房シャノアール (レモンビスケット・レモンケーキ他)
 バックシュトゥーべ (檸檬トルテ)
 うずら森のこよみ (レモンカード)
 志たあめや (レモンたぬきさん)
 んだばシトラス (レモネード・レモンジンジャートニック)
 スイーツ工房ヘンゼル2 (蜂蜜レモンタルト・レモンヨーグルトシフォンケーキ他)
 Cocoon BAKE (レモンパイ)
 ぱん☆d'argileさんの『デリバリーひよこ隊レモンバージョン』を数量限定販売します!
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花巻と、附近の自治体さんにある複数のお店によるレモン系スイーツの饗宴です。

昨年
から開催が始まり、2回目の実施です。昨年は告知に気づくのが遅れ、当日になってあわててご紹介しましたが、今年は早めに(笑)。個人的には「レモンたぬきさん」が気にかかります(笑)。

ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

散歩する度び散歩は私にとつていつでも新らしい驚嘆です。都会で疲れた後などは、広大な恢復期の中に浸つてゐる様です。一切のものが悦楽です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

光太郎もそうでしたが、ロダンにも田舎志向があったようで……。

紹介すべき事項が山積しておりまして、4件まとめて。キーワードは「グルメ」です。

まず毎月ご紹介しています、光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動。花巻市のワンデイシェフの大食堂さんで、ランチタイムにやつかの森さんが調理されて饗される「こうたろうカフェ」。先月29日の分をまだご紹介していませんでした。
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「ハーブのパリパリグリルチキン」「焼き茄子の香味たれ」「オクラと卵の寒天寄せ」「じゃが芋とトマトのバター煮」「サーモンサラダ」「季節の漬物」「ご飯」「モロヘイヤのスープ」「スフレフロマージュ」「コーヒー」。

ワンデイシェフの大食堂さんは、キッチンを貸し出し、日替わりで個人や団体が調理を担当し、ランチを出すというシステム。やつかの森さんは光太郎の日記等を元に、光太郎が調理したメニュー、使った食材などを参考にされています。今月はやつかの森さんとしてはお休みだそうです。

やつかの森さんによる同様のメニューの組み方で、毎月15日に道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」9月15日(月)分。
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こちらは「南瓜コロッケ」「鮭の塩焼き」「豚肉と茸のソテー」「卵焼き」「栗ご飯」「おはぎ」「漬物」「ぶどう」。秋の味覚がたっぷりですね。

同じくグルメ系ということで、智恵子の故郷・福島二本松でも。

二本松市内の旧安達町区域の給食のメニューが同一で、年に数回、各学校さんからのメニューの考案を元に組まれ、そのうちの一つが智恵子の母校・油井小学校さんによる「ほんとの空給食」で、以前にも何度かご紹介しました。で、9月16日(火)がそれだったそうです。
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油井小さんのサイトによれば「給食委員会が選んだメニューを、給食センターで栄養バランスを考えて献立にしてくださいました。わかめご飯、ワンタンスープ、鶏肉のからあげ、春雨サラダ、サワーゼリー、牛乳。どれも子どもたちの大好きなメニューです。もりもり食べる1年生教室と6年生教室にお邪魔しました。みんな笑顔で食べていました。」とのこと。

各校・各学級でなぜ「ほんとの空」のネーミングなのか、子供達に語っていただきたいところですね。

最後にやはり二本松から。地元紙『福島民友』さん、9月16日(火)の記事です。

高村智恵子や鬼婆イメージ!ドリップコーヒー 福島・二本松、パッケージ5種類

 道の駅安達を運営する福島県の二本松市振興公社は、同市出身の美術家高村智恵子や安達ケ原の鬼婆(おにばば)伝説をイメージしたドリップコーヒーを販売している。
 智恵子と折り鶴、花をあしらったものや「ROUTE4 ADACHI」の文字、オニババと出刃包丁のイラストなどパッケージは計5種類。飲みやすいブレンドコーヒーでお土産に人気という。
 1個230円、3個は650円、5個は1000円で販売中。5個がピッタリ入る6種類の特製紙袋(各100円)も用意している。道の駅安達上下線のほか、オニババ3種は安達ケ原ふるさと村で購入できる。
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「鬼婆」は智恵子生家と同じ旧安達町内の観世寺さんに伝わる鬼婆伝説に基づきます。なぜコーヒーなんだ?と突っ込みたくなりますが(笑)。

鬼婆はともかく、智恵子コーヒーは次に二本松に行った際にゲットしようと思っております。

「食」は生命を支える基本。それを通して光太郎智恵子に触れることも大切ですね(無理くりのまとめですが(笑))。

【折々のことば・光太郎】

――恋愛こそ生命の花です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

「恋多き」人だったロダンにとっては「食」よりも「恋」だったようです。

昨日は1週間ぶりに上京しておりました。行き先は品川区大井町にある、ジオラマ作家の石井彰英氏の工房兼スタジオ(氏はミュージシャンでもあらせられますので)。昨日もご紹介した、土屋直久氏と石井氏が作成され、高村光太郎記念館さんで開催中の企画展「昔なつかし花巻駅」で展示されている昭和10年代の花巻駅付近のジオラマの関係です。

石井氏はこれまでもジオラマ作成と並行してジオラマをビデオで撮影し、DVDも制作なさっています。

品川区大井町-智恵子終焉の地・ゼームス坂病院を含む-のジオラマDVD
「高村光太郎ジオラマDVD」。
「高村光太郎ジオラマDVD」上映会。
中原中也ジオラマDVD ダダさん。

今回もDVD制作をなさり、昨日はその上映会というわけで、馳せ参じた次第です。
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石井氏、土屋氏以外に集まられたのは、DVDのBGMを演奏された石井氏の音楽仲間の皆さんや、これまでのジオラマの関連で石井氏と親しくなられた方々。
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おおむね40分程の映像です。
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光太郎第二の故郷・花巻の玄関口、花巻駅周辺。展示されているジオラマ本体には無い建造物等も、これ用に作成されているようです。
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先週行われた「花巻まつり」も。昭和10年代という設定ですので、宮沢賢治やその妹・トシは既に亡くなっていますが、二人の魂が祭りを堪能しているというわけで。
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現在のJR釜石線にあたる岩手軽便鉄道がメインですので、花巻の東、遠野方面も。
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さらに古写真や現在の現地の写真。
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最後に制作日誌。
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2年以上かかっての制作、実に頭が下がります。

花巻高村光太郎記念館さんでの企画展示は11月30日(日)まで。おそらく記念館さんでDVDの販売も為されているかと存じます。

また、今回、あまり協力しなかったにもかかわらず、8枚ばかりいただいてしまいました。数枚は花巻のお世話になっている方々に送ろうと考えていますが、まだ残りそうなのでご連絡いただければお送りします。大口のご注文等は、石井氏まで。

【折々のことば・光太郎】

あなたは頭がどういふ様に頸に嵌り込んでゐるかを注意しなかつた。あなたはモデルを顎の下から見ませんでしたね。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

女弟子の一人が製作を見て貰ひに来た時」という小題が付いた部分の一節です。「女弟子」はカミーユ・クローデルかもしれません。

頭は頭、胴体は胴体、ではなく、部分部分の繋がりが大切、と、当たり前と言えば当たり前ですが、造型芸術ではなかなかそれがうまく出来にくいのでしょう。

今日はこれから上京します。現在、高村光太郎記念館さんでの企画展「昔なつかし花巻駅」で展示されている昭和10年代の花巻駅付近のジオラマを作成したお一人、石井彰英氏の工房にお邪魔する予定です。

石井氏、ジオラマを制作された後は、ビデオカメラで作品を撮影し、DVD化することをルーティンとされており、その完成記念に、メインで制作された土屋直久氏、その他協力者を招いての上映会だそうで、当方も招かれました。今回はほとんど協力もして居らず恐縮なのですが。

企画展「昔なつかし花巻駅」、少し前に地元紙『岩手日日』さん、NHKさんのローカルニュースで取り上げられましたが、地元テレビ局IBC岩手放送さんのニュースでも紹介されました。

昭和11年に撮影された記録映画をもとに、当時の花巻駅周辺を表現 精巧なジオラマ公開 岩手・花巻

昭和11年7月に作られた記録映画をもとに製作された、昭和初期の花巻駅周辺を情景として表現したジオラマが岩手県花巻市で公開されています。
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このジオラマは昭和初期の花巻駅やまちの雰囲気を感じてもらおうと、高村光太郎記念館が企画、東京の土屋直久さんに依頼して製作されたものです。
高村光太郎記念会の初代会長である佐藤孝房さんが昭和11年に撮影した、岩手軽便鉄道の記録映画に残る花巻駅周辺の街並みを表現しました。
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 ジオラマのサイズはヨコ180センチ、タテ60センチとかなりの大きさ。
当時の花巻駅は岩手軽便鉄道、花巻電鉄、日本国有鉄道の三路線が乗り入れ、かなりの賑わいを見せていたことがわかります。
こちらが日本国有鉄道の花巻駅。
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 着物姿で駅の案内板に見入る親子の姿に、当時の日常が垣間見られます。

そしてこちらは岩手軽便鉄道の花巻駅。
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 二階建ての駅舎です。2階にはレストランがありました。
外観からも、かなりハイカラな駅舎だったことが分かります。

こちらは岩手軽便鉄道の花巻駅構内。
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停車している蒸気機関車のすぐ近くには給水塔と石炭台があります。
ここで水と石炭を補給し、列車は終着駅の仙人峠を目指しました。

こちらは、駅前にあったタクシー会社。
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 レトロな車の形状が、今見ると逆にオシャレでカッコ良いです。

会場では、モニターで昭和11年7月に撮影された記録映画を見ることもできます。
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そこに映し出された当時の人々の姿や表情を見るだけでも、ここを訪れる価値があります。
(筆者は終点の仙人峠駅に「駕籠かき」の姿が映っていることに驚きました)
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高村光太郎記念会事務局の高橋卓也事務局長補佐は「電気鉄道(花巻電鉄)を含めた3路線が乗り入れている駅は、当時は非常に珍しかった。是非、花巻駅の当時の賑わいを感じて欲しい」と話していました。
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 このジオラマと記録映画は11月30日(日)まで、花巻市の高村光太郎記念館で公開されています。

石井氏工房でのDVD上映、9月23日(火・祝)に一般向けにも開催されるそうです。ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

確かに、のろいといふ事は一つの美です。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

〆切に追われる仕事では、いいものは作れない、と。わかっていながらなかなかできないのですが(笑)。

ほんとの空ツーリズム!」。光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を冠したイベントです。福島県全体の「ふくしまプレデスティネーションキャンペーン」を受けて、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山とその周辺で展開されています。

その一環として、安達太良山の奥岳~沼尻縦走登山、中ノ沢温泉周辺を巡る1泊2日の、何と無料のモニターツアーだそうです。申し込み〆切は過ぎてしまっているのですが、まだ空きがあるかも知れませんし、キャンセル等も出る可能性もあり、ご紹介しておきます。

ほんとの空ツーリズム 奥岳~沼尻縦走登山&中ノ沢温泉周辺 1泊2日モニター

期 日 : 2025年9月19日(金)~9月20日(土)
行 程 :
 1日目 福島駅(集合) あだたら高原スキー場・奥岳登山口(集合)
      ↓
     薬師岳~安達太良山頂~鉄山~湯ノ花採取場~沼尻登山口
      ↓
     中ノ沢温泉
      ※公共交通機関をご利用で福島駅集合の方は、奥岳登山口まで送迎します。
      ※福島駅の駐車場利用の場合はご自身でご用意ください。
 2日目 中ノ沢温泉
      ↓
     アドベンチャーフォレストライド
      ↓
     昼食
      ↓
     中ノ沢こけし絵付け体験
      ↓
     中ノ沢温泉ホッピング
      ↓
     あだたら高原スキー場(解散) 福島駅(解散)
      ※中ノ沢温泉からあだたら高原スキー場と福島駅には、分けて送迎します。
料 金 : 無料
      行程表内移動費、宿泊代、1日目の夕食から2日目の昼食代までの食事代、
      国内旅行損害保険代は主催者にて負担します。
      ※1日目の昼食、旅程中の個人的な飲食はご自身でご用意ください。

 日本百名山の一つとして知られる安達太良山を中心としたモニターツアーを開催します!
 当ツアーでは、実際に安達太良山に登るほか、中ノ沢温泉ホッピングや中ノ沢こけし絵付け体験等、周辺エリアの魅力を知ることができます。
 10名限定となっていますので、ぜひご参加ください。
 ※詳細はチラシをご確認ください。
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宿泊地・中ノ沢温泉さんは、安達太良山の西麓。二本松からの表玄関に当たる岳温泉さんと比べれば、足を運ぶ方は多くないと思われます。そのいわば秘湯を盛り上げようという意図が見えますね。
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二本松では他にもこの秋に「ほんとの空」の語を冠したイベントがこの後も続きます。またそれぞれ近くなりましたらお知らせいたします。

【折々のことば・光太郎】

都会では、人間の良心が無くなります。刀や鉄砲の罪悪を犯さないとしても、頭の人殺しをしてゐます。


光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

田舎で暮らしていると、「そうそう」と思わされます。都会の皆さん、時には「ほんとの空」を見に行かれてはいかがでしょうか。

光太郎の名が出た新聞記事、3件ご紹介します。

まず、『朝日新聞』さんの読者投書ページ「声」欄。8月27日(水)掲載分。21歳のお名前を見るかぎりおそらく女性の投稿です。

自由で専門的な学び、就活で困難

 大学生活といえば、社会に出る前のモラトリアム(猶予期間)と言われるが、それは昔の話だ。今の大学生の多くは、1年生から就職に向けて動くことを催促され、翌年には早くもインターンシップ。2年生の終わりには企業分析をしておかないと手遅れになるとせっつかれる。大学生活の開始から、ずっと就職活動の4文字を聞き続けている。
 3年生の私は今夏、計4社のインターンシップに参加している。その予定が先にあって、合間に自分のやりたいことを選ばざるを得ない。
 この現状に強い不満と憤りを覚えている。中学時代から高村光太郎が好きで、日本の近代文学やその研究手法を学ぼうと今の大学に進んだ。時間にとらわれず、自由に文学に触れながら、専門性の高い学問を学びたいのに、かなわない。
 大学生活を自分の思う通りに過ごしたいという願いは、決して過ぎたわがままではないはずだ。

「売り手市場」「働き手不足」と言われながら、現状はこうなのですね。いや、「売り手市場」「働き手不足」だからこそ、企業側が必死に「囲い込み」や「青田買い」に汲々としているのかも知れません。インターンシップの仕組み事態は悪いこととは思いません。入社してから「こんなはずじゃなかった」というのを少しでも防ぐことにつながるでしょうし、いわゆるブラック企業かどうかの判断材料にもなるでしょうし。しかし、投稿にあるようなそれに追われてしまう現状は、たしかにいかがなものかという気はします。そうならないように「防波堤」の役割を務めるのが大学側の責務のように感じます。

投稿者さん、忙しい毎日に流されることなく、「高村光太郎が好きで」という気持を忘れずに頑張ってほしいものです。

続いて『岩手日報』さん。昨日の掲載でやはり教育に関わる内容です。

支局日誌 【二戸】学ぶ姿勢で地域取材

 取材で小学校に足を運ぶと、大人になっても大切にするべきことはこの頃に既に教わっていたのだと、ふと気付く。また、子どもたちから気付かされることも少なくない。
 8月27日、横浜国立大教育学部付属鎌倉小(神奈川県鎌倉市)の児童が一戸町を訪れ、県指定無形民俗文化財の根反鹿踊りを体験した。保存会の大人に交じって踊っていたのは一戸南小の根反鹿踊り伝承クラブの子どもたちだ。
 「自信を持って踊れるように練習してきた」。同じ小学生の前で堂々と披露する姿からは、地域の伝統をつなぐ強い意志が感じられ、こちらまで誇らしい気持ちになる。胸を張れるようになるまで取り組むのは難しいことだ。
 一方で鎌倉小の子どもたちは地元にこのような郷土芸能はないといい、すぐに興味を示して素直に動きを倣っていた。物おじせずにチャレンジし、純粋な疑問を投げかける様子からは学ぶことへの真っすぐな意欲も感じられた。
 子どもたちの姿を見て、自分の母校の太田小(花巻市)で教わった高村光太郎の言葉を思い出した。「心はいつでも新しく 毎日何かしらを発見する」。カシオペア地域を担当してこの秋で3年目に突入する。改めて学ぶ姿勢で地域と向き合っていきたい。 

「カシオペア地域」というのは、県最北部の(二戸市、軽米町、九戸村、一戸町、旧浄法寺町)だそうです。

「心はいつでも新しく 毎日何かしらを発見する」。光太郎が7年間の蟄居生活を送った花巻郊外旧太田村の太田中学校に贈った言葉です。
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光太郎自身、この言葉が気に入ったようで、後に盛岡少年刑務所さんには前半部分の「心はいつでも新しく」のみを贈りました。
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記者氏の母校・太田小さんでは現在でも「光太郎先生学習」として、総合的な学習の時間に地域の偉人としての光太郎についての学習活動などが為されています。記者氏の記憶に光太郎の言葉が残っていて、こうした機会に取り上げて下さるのは嬉しいことです。

ついでですのでもう1件。『日本経済新聞』さんの8月31日(日)の記事。見開き2ページの長い記事なので、部分的に。元日銀理事の清水季子氏を紹介するものです。

元日銀理事から起業の道へ 清水季子さんは偏見を超え、未来を変える 着物愛「深川芸者の粋に憧れ」

015しみず・ときこ 東京都出身。東京大学工学部で都市工学を学び、卒業後の1987年に日銀に入行。金融市場の調節を担う部局などでキャリアを積んだ。那覇・高松・名古屋の各支店のほかロンドン駐在も経験。2020年からは女性初となる日銀理事を4年間務め、100回以上の国際会議へ世界を飛び回った。退任後は24年に豊田自動織機の取締役に就き、同年、人材開発を手がけるEmEcoを創業した。運動が趣味でゴルフや水泳を続けている。

 30代の頃は着物を買うために仕事をしていたほどの着物好き。華やかな色合いより、茶色や若草色といった渋い色が好みだ。20代の時に職場の同僚から着付けを教えてもらい習得した。
 「姉御肌できっぷがいい深川芸者の粋に憧れる」と笑い、「着物を着ると本来の自分に戻れる。穏やかに過ごせる」という。「フォーマルは着物」と決め、海外駐在中は晩さん会に呼ばれると必ず着物に袖を通した。すごく喜ばれたそうだ。
 今も月に1度は着物で人形浄瑠璃文楽や能、歌舞伎を鑑賞する(上の写真)。一番好きなのが文楽で、人形遣いで人間国宝だった吉田玉男(初代)の生前最後の舞台も観劇した。高松支店長時代には能の謡も習った。
書道で感性を研ぎ澄ます
 日銀の理事に就任した際、当時の麻生太郎財務相から達筆な書状をもらった。それをきっかけに「自分も書状で返せるようになりたい」と、それまで一度も習ったことのなかった書道を2021年から始めた。海外出張の合間に教室に熱心に通い、2年で師範となった。
 雅号は「清水景風」。最近書いた作品は高村光太郎の詩「救世観音を刻む人」から(下の写真)。今回は「ひらがなが交じった作品に挑戦したかった」という。余白のバランスを意識しながら長さ2メートルほどの半紙に30分ほどで書き上げた。表題が大きく、力強い筆致で描かれているのが印象的だ。
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 探究心が強く、ものごとを突き詰めようとする性格も書道に向いていると感じる。「瞬間芸のような感じ。この年齢でここまで集中することはない。感性を磨き続けることも大事だ」と魅力を語る。指導者からも「書いている最中の集中力が尋常じゃない」と評された。海外で暮らす友達に自分の作品をプレゼントするといった粋な計らいも楽しみの一つになっている。
 30年来、日本のテレビドラマのファンで年間に100本は視聴する。「泣いたり笑ったり怒ったり。心が動くことが楽しい。女性エンジニアが主人公のドラマ制作に取り組もうと思い、今、脚本の勉強をしている」。その好奇心は尽きることがない。

清水氏、昨年の第46回東京書作展で入選なさっていました。ただ、入選作は光太郎詩を書かれたものではありませんでしたが。
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割愛した部分では、日銀理事という要職を務められながらもさまざまなことにチャレンジなさっていたことが書かれていますし、ご退任後も人材開発のスタートアップ起業だそうで、実に素晴らしいと感じました。

ここで最初の『朝日新聞』さん投稿に戻りますが、投稿者の大学生の方に、「こういう女性もいらっしゃるんだよ」と伝えたいところですね。「学ぶ」意慾さえあれば、忙しさなどのおおかたの困難は乗り越えられる、ということで。そしてそのことは「自戒」ともしたいと思います。

【折々のことば・光太郎】

芸術には突飛な努力があつてはなりません。自然にさういふものは無い。

光太郎訳 ロダン「ロダンの言葉 ジユヂト クラデル筆録」より
大正4年(1915)頃訳 光太郎33歳頃

ロダンも光太郎も、「突飛な努力」を排除したいわば「王道」を進もうとしました。光太郎はピカソのような変化球的な進み方を、それはそれとして認めつつも、やがては袋小路に入るものだとしていました。

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