DMM.comさんから配信されているブラウザゲームを元にした演劇です。
前作はDVDで拝見しましたが、「転生」した「文豪」たちがそれぞれの得意な武器を手に、「侵蝕者」たちとド派手な大立ち回り。そういう系の役者さんたちですので、殺陣はなかなかの迫力、美しいと思いました。
この系列をご紹介する際にはいつも書いていますが、こういうアプローチから文豪たちに触れていくのも有りでしょう。ただし、そこからさらに進んでそれぞれの作品や生きざまに深く触れていっていただきたいものです。
ご興味おありの方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
昨夜は感激しました、とうとう見たとおもひました、どれもおもしろく見ましたが、いかにもあなたが踊りそのものになり切つてゐることを感じました。最後の場面などはあなたが踊りに踊りぬいたといふ感じをうけました、
藤間節子(後に黛節子と改名)は、大正10年(1921)生まれの舞踊家。戦時中から光太郎に親炙し、その許しを得て昭和24年(1949)、帝国劇場で『智恵子抄』をモチーフにした舞踊を発表しました。『智恵子抄』がこの手の舞台芸術で取り上げられた嚆矢です。翌年には再演も為されています。光太郎生前には藤間の舞踊が唯一の二次創作でした。
昭和24年(1949)の初演から、藤間は光太郎に観に来て欲しいと言い続けていましたが、花巻郊外旧太田村に蟄居中はそれが叶わず、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京したため、初めてリサイタルに足を運んだわけです。ただし、この年のリサイタルでは「智恵子抄」は上演されませんでした。
客席にいる光太郎の姿を写した写真が残っています。
光太郎の右隣が小川未明、さらにその右隣が高松宮夫妻です。
「文豪とアルケミスト」の舞台も、若い頃から芝居好きだった光太郎、魂となって客席から見ているかも知れません(笑)。
東京公演
期 日 : 2025年5月1日(木)~5月11日(日)
期 日 : 2025年5月1日(木)~5月11日(日)
会 場 : IMM THEATER 東京都文京区後楽1丁目3-53
時 間 : 5月1日(木) 18:00~ 5月3日(土・祝) 12:30~ 17:30~
5月4日(日) 12:30~ 17:30~ 5月6日(火・振) 13:00~
5月7日(水) 18:00~ 5月8日(木) 13:00~
5月10日(土) 12:30~ 17:30~ 5月11日(日) 12:00~ 17:00~
時 間 : 5月1日(木) 18:00~ 5月3日(土・祝) 12:30~ 17:30~
5月4日(日) 12:30~ 17:30~ 5月6日(火・振) 13:00~
5月7日(水) 18:00~ 5月8日(木) 13:00~
5月10日(土) 12:30~ 17:30~ 5月11日(日) 12:00~ 17:00~
休 演 : 5月2日(金) 5月5日(月・祝) 5月9日(金)
料 金 : 全席指定 10,000円(税込)学割5,000円(税込)
京都公演
京都公演
期 日 : 2025年5月17日(土)・5月18日(日)
会 場 :
京都市下京区烏丸通塩小路下ル 京都駅ビル内 時 間 : 5月17日(土) 12:30~ 17:30~ 5月18日(日) 12:00~ 17:00~
料 金 : 全席指定 10,000円(税込)学割5,000円(税込)
太宰治らと共に帝國図書館を救い絶筆した北原白秋。
転生を選ばず、再び復活を遂げようとする悪しきアルケミストを葬る術を見出すため、負の感情が充満する生と死の狭間に留まっている。一方、石川啄木、高村光太郎そして小泉八雲は、北原白秋を転生させるべく目論み、また久米正雄と直木三十五は、深い親交のある文豪を探し求めていた。
そんな折、アルケミスト・ファウストと出会った文豪たちは、「かつて文学で世界を救おうとした青年」について聞かされる。
終わらない侵蝕を食い止めるため己の文学を信じ、文豪たちは戦いへと赴く。
キャスト
北原白秋:佐藤永典 石川啄木:櫻井圭登
高村光太郎:松井勇歩 久米正雄:安里勇哉(TOKYO流星群)
直木三十五:北村健人 小泉八雲:林光哲
ファウスト:原貴和 青年:松村龍之介
舞台化は第8弾だそうで、前作「旗手達ノ協奏(デュエット)」に続き、光太郎が登場します。演じられるのは前作と同じ松井勇歩さん。前作はDVDで拝見しましたが、「転生」した「文豪」たちがそれぞれの得意な武器を手に、「侵蝕者」たちとド派手な大立ち回り。そういう系の役者さんたちですので、殺陣はなかなかの迫力、美しいと思いました。
この系列をご紹介する際にはいつも書いていますが、こういうアプローチから文豪たちに触れていくのも有りでしょう。ただし、そこからさらに進んでそれぞれの作品や生きざまに深く触れていっていただきたいものです。
ご興味おありの方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
昨夜は感激しました、とうとう見たとおもひました、どれもおもしろく見ましたが、いかにもあなたが踊りそのものになり切つてゐることを感じました。最後の場面などはあなたが踊りに踊りぬいたといふ感じをうけました、
昭和27年(1952)12月1日 藤間節子宛書簡より 光太郎70歳
藤間節子(後に黛節子と改名)は、大正10年(1921)生まれの舞踊家。戦時中から光太郎に親炙し、その許しを得て昭和24年(1949)、帝国劇場で『智恵子抄』をモチーフにした舞踊を発表しました。『智恵子抄』がこの手の舞台芸術で取り上げられた嚆矢です。翌年には再演も為されています。光太郎生前には藤間の舞踊が唯一の二次創作でした。
昭和24年(1949)の初演から、藤間は光太郎に観に来て欲しいと言い続けていましたが、花巻郊外旧太田村に蟄居中はそれが叶わず、生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のため上京したため、初めてリサイタルに足を運んだわけです。ただし、この年のリサイタルでは「智恵子抄」は上演されませんでした。
客席にいる光太郎の姿を写した写真が残っています。

「文豪とアルケミスト」の舞台も、若い頃から芝居好きだった光太郎、魂となって客席から見ているかも知れません(笑)。