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昨日、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山に登って参りました。その後、予定では今日の午後に千葉へ帰りつく予定でしたが、先ほど帰って参りましたので、詳細なレポートを。

昨日は 第72回安達太良山山開き。前夜、泊めていただいた郡山の宿から愛車を走らせ、午前7:30頃に奥岳登山口に到着しました。あまり遅くなると下の方にしか駐車スペースが無くなりますので、早めに。
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ここから自分の足で登山道を上るのもありですが、そこまで本格的に登山をしたいわけでもありませんので、7合目くらいまで行けてしまうロープウェイに乗ることにしました。山開きの日のみ1時間早く運行開始で、すでに長蛇の列。
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わんこを連れている方も(笑)。ロープウェイ駅前では安全祈願祭の準備が進んでいました。

10分ほどで山頂駅。山頂といっても、安達太良山系の薬師岳山頂ということで、安達太良山頂まではまだ長い道のりです。

山頂駅には先月オープンした「「あ」の図書室」。
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入ってすぐ左に、市教委さんで設置されたと思われる「智恵子抄」がらみの大きなパネル。グッジョブです。
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靴を脱いで内部に。この時間は無人でした。
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ただ、数時間後、帰りがけにはけっこうにぎわっていました。
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駅舎を出て徒歩1分には「「あ」の広場」。

図書室も広場も、安達太良山が「ADATARAYAMA」で、すべての母音が「あ」ということからの命名で、広場には「あ」の巨大オブジェも。
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一昨年に作られたものですが、その時限定のものだと思い込んでおりまして、昨年、ここまで登ってきた時には見逃していました。

戻って、駅から徒歩5分ほどの薬師岳パノラマパーク、「ほんとの空」標柱。
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画像右奥が安達太良山山頂で、あそこまで登っていくわけです。ここからは自分の足が頼りです。

令和元年(2019)、第65回の山開きの際も登りましたが、その際は天候がよろしくなく、山頂付近は雲に覆われ、その雲の中に入っていくという感じでした。さらに雪融け水が登山道を流れ落ち、かなりの部分が泥の河状態でした。

今年も覚悟していたのですが、天候はこれ以上ないという位の快晴(まさしく「ほんとの空」が広がっていました)でしたし、雪融け水もほとんどの場所では影響ありませんでした。

それでも山頂手前には残雪。
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約1時間で山頂に到着。
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令和元年(2019)には悪天候で、最後の溶岩ドームはパスしたのですが、今年は登りました。ここだけ途中にハシゴを使うところがあります。
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ここにもわんこ(笑)。どうやってハシゴを登ってきたのでしょうか?
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ぐるっと360°、絶景でした。
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「智恵子抄」中の「山麓の二人」(昭和13年=1938)にも謳われた磐梯山。

安達太良山の爆裂火口・沼の平。
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やはり令和元年(2019)にはそちらもパスしましたが、行ってみることにしました。10分少々で行ける距離ではあります。

よく「地球とは思えない」と言われますが、まさにその通りでした。
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底の部分は硫化水素が吹きだしており、立ち入り禁止です。

そちらから見た山頂。
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また違った感じでした。

この後、午前11:00から山頂で初の試みの「大声コンテスト」が開かれるということでしたが、日を遮る場所もないところで1時間近く待つのもつらいと思い、元来た道を引き返しました。登山では上り優先ですので、まだまだたくさん登ってくる皆さんに路を譲り譲り下りていったところ、帰って下りの方が時間がかかったかも知れません。

再びロープウェイで登山口まで。
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下山後、二本松市街を目指しました。

長くなりましたので、続きは明日。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 15 『高村光太郎詩集』世界の詩 3

昭和38年(1963)7月20日 弥生書房 高村光太郎著 
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目次
 さびしきみち 
冬の朝のめざめ 山 冬の詩 牛 道程 五月の土壌 秋の祈 わが家
 湯ぶねに一ぱい 小娘 雨にうたるるカテドラル クリスマスの夜 米久の晩餐
 
落葉を浴びて立つ 樹下の二人 鉄を愛す 春駒 白熊 氷上戯技 傷をなめる獅子
 車中のロダン 無口な船長 葱 鯰 象の銀行 聖ジヤンヌ 雷獣 火星が出てゐる
 偉大なるもの あなたはだんだんきれいになる 二つに裂かれたベエトオフエン
 花下仙人に遇ふ 母をおもふ 北東の風、雨 或る墓碑銘 ぼろぼろな駝鳥 彼は語る 龍
 あどけない話 無限軌道 旅にやんで 首の座 上州湯桧曽風景
 或る親しき友の親しき言葉に答ふ 南極 レオン ドウベル 晴天に酔ふ 潮を吹く鯨
 地理の書 山麓の二人 レモン哀歌 蝉を彫る 梅酒 脱卻の歌 「ブランデンブルグ」
 山口部落 かくしねんぶつ クロツグミ ヨタカ 別天地 岩手の人 もしも智恵子が
 女医になつた少女 山の少女 山からの贈物 月にぬれた手 あの頃 山荒れる 典型
 東北の秋 十和田湖畔の裸像に与ふ 弦楽四重奏
 編纂者の後記 尾崎喜八

光太郎と交流の深かった尾崎喜八の編集です。初期から最晩年まで、おおむね編年体で幅広く作品を選択しています。

手持ちのものは平成3年(1991)の第31版です。

5月1日(金)の『東京新聞』さんから。コラムニスト・泉麻人氏の連載です。

あの町、このメシ 上野アメ横で西郷丼 『酒亭 じゅらく 上野店』 ぐるり東京

020“西郷像”をスタートして、目指すは“西郷丼”。晩春の上野さんぽ
 上野の西郷さんの前にやってきた。上野公園の一角にあるこの西郷隆盛像ほどポピュラーな銅像は他にないだろう。没後20年ほど経った明治30年代に高村光雲が手掛けた西郷像、脇に従えた薩摩犬のツン(ウサギ狩りにいくところらしい)も含めて、キャラが立っている。もっとも、西郷の顔だちは歴史書でもおなじみのキヨッソーネ作の肖像画をお手本にしたものらしく、そもそも弟の従道と親戚の大山巌のルックスをベースにしたもだという。
 あいにくの雨だったが、多くの観光客でにぎわう上野公園。取材時(4月中旬)には、若葉が出始めた桜の木が公園を彩っていた。
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 そこを始点に公園内を歩き始めた。桜の花の季節は過ぎ、動物園にパンダもいなくなったが、依然外国人の姿は多い。ここにくるといつも立ち寄る上野大仏(震災、戦災からしぶとく残った顔だけ飾られている)は、もう閉場の夕方4時を過ぎて拝めなかったけれど、五條天神や花園稲荷の参道を通りぬけて崖下の不忍池の方へ入った。弁天堂の周辺に建立された「めがね之碑」とか「スッポン感謝之碑」とか、昔からの上野の商業者たちが立てたユニークな石碑を瞥見(べっけん)して、池の南側を回って上野広小路東側のアメ横の一帯にやってきた。
 今回のターゲットは海産物や輸入雑貨の小店が並ぶブロックのさらに東方、JR高架線の狭間に続く飲み屋横丁の「酒亭 じゅらく」という店。西郷さんの銅像の前から出発したのは、ここの人気メニュー「西郷丼どん」というのをいただきたいからなのである。
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1日限定10食のランチメニュー「西郷丼」(2315円)。味噌汁とお新香付き。
 西郷丼というのを……、なんて書き方をしたけれど、僕はもう20年くらい前にこれを味わっている。場所は、西郷像の脇の崖際に存在した上野松竹デパートだったか、上野百貨店だったか……古びたショッピングビルのなかに入っていた「レストラン聚楽台」という同じ“じゅらく”系の店。確か、西郷丼がメニューに登場してまもない頃だったはずだが、その構造が当時のエッセー(『なぞ食探偵』)に記述されている。
 「アジサイの絵柄の大きな丼に、なんともゴージャスな具が盛り付けられている。真ん中にホウレンソウで縁どりされた温泉玉子が置かれ、豚の角煮(三個)、サツマ揚げ、明太子、鶏そぼろ、サツマイモ天、といった面々がそれを取り囲む。」
 要するに薩摩料理のラインナップを揃えた丼メシ、といったものだったが、大したボリュームだったことを覚えている。ちなみに西郷像脇のビルは「UENO3153」という新式のビルに改築されて「聚楽台」は入っていない。レストランとしては「じゅらく上野駅前店」というのがこの並びにあるけれど、西郷丼はここ酒亭(居酒屋)の看板メニューになっているようだ。
 夜はもちろん、昼飲みにも対応。玉子焼きなどの定番メニューや季節のアテとともに一杯いかが。
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 さて、久しぶりに注文した西郷丼、具の布陣は20年前と多少変わっていた。豚の角煮(鹿児島産黒豚使用)、明太子、温泉玉子といったあたりは不動だが、鶏そぼろは「さつま純然鶏もも岩塩焼き」という本格派に置き換わり、「きびなごの唐揚げ」が加わって、さつま揚げには西郷さんのキャラ絵が刻まれている。しかし、メシは悠々茶わん2杯分くらいはあって、相変わらずのボリュームでごわす。
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 お話を伺った店の責任者(レストラン営業1部業態リーダー)・川喜多淳一さんの名刺に〈笑顔をつないで100周年 1924〉と記したロゴマークが入っているが、1924年(大正13年)というのは関東大震災の翌年であり、「須田町食堂」という当初の店はその名のとおり、神田須田町交差点の名所・広瀬中佐像の西向かいあたりにあったという。
 15歳で新潟から上京した加藤清二郎という人物が創業者。リーズナブルな洋食(コロッケやハムライス)が震災後の新東京でウケて、とりわけ上野駅前の何軒かの店は、戦後の高度成長時代の上京者が初めて味わう洋食として知られるようになった。食堂にとどまらず、デパート、旅館業へと手を広げたが、ひと頃深夜のテレビでCMをよくやっていた「じゅらくよ〜」とマリリン・モンローのそっくりモデルがささやく伊東や水上の温泉ホテルももちろんココと同じ「じゅらく」だ。

今回訪れたお店
酒亭 じゅらく 上野店
住所 東京都台東区上野6-11-6
電話 03-3831-9640
営業時間 11:30~23:00(日曜、祝日11:30~22:00)
定休日 無休
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イラスト・なかむらるみ

上野で「じゅらく」というと、ファミリーレストランのさきがけのような「レストラン聚楽」が思い浮かびますが(幼い頃に行ったような記憶があります)、今回の「酒亭 じゅらく」さんも同じ聚楽グループのようです。聚楽グループといえば、一定以上の世代の方は『東京新聞』さんにもある「じゅらくよ~ん」というテレビCMが思い浮かぶと思われますが、そちらは同グループのホテルのCMでした。

「レストラン聚楽」は大正13年(1924)に神田須田町で開業した「須田町食堂」が最初で、翌14年(1925)には4店、昭和に入ってからは年間平均5店というハイペースでチェーンを広げたそうです。その中で上野が本拠となっていったようです。

大正15年(1926)12月、宮沢賢治が上京し、駒込林町の光太郎住居兼アトリエを訪問しました。その際、光太郎と賢治、それからもう一人の三人で、上野の聚楽に行って会食したという伝聞が、賢治研究の方面でまことしやかにまかり通っていた時期がありました。1970年代に出た『校本 宮沢賢治全集』の古い版の年譜の項に、そう書かれていたというのです。

しかし光太郎の回想には、賢治が訪ねてきたものの、アポ無しだったし、手が離せない状況だったため、玄関先で「明日もう一度来てくれ」と言って別れたと書かれています。おそらくその通りで、聚楽で三人で鍋をつついたというのはそう証言した人物の記憶違い、賢治や光太郎ではない誰かとの混同ということで落ち着いています。

ところが1970年代に出た『校本 宮沢賢治全集』の古い版の年譜だけ見て、未だに聚楽での会食があったと思い込んでいる人もいるようで、時折、ネットでそうした記述を見かけます。困ったものです。

閑話休題、 「酒亭 じゅらく」さんの「西郷丼」、ぜひご賞味あれ。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 8 『高村光太郎選集 Ⅳ 芸術論 下』

昭和27年(1952)9月15日 中央公論社 高村光太郎著
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4函 4扉 4奥付
目次
 印象主義の思想と芸術
  一 概観 二 エドワール マネ 三 クロード モネ及び新印象派画家
  四 アルフレ シスレー
 五 カミーユ ピサロ 六 オーギユスト ルノワール
  七 エドガー ドガ其他
 八 ポール セザンヌ、附、後期印象派 九 附言 年表
 芸術雑感
  第三回文部省展覧会の最後の一瞥 緑色の太陽 ノラの型 詩歌と音楽
  ミラノの本寺とダ・ヰ゛ンチの壁画 芸術雑話 七つの芸術 芸術鑑賞その他
  彫刻に何を見る
 人と作品
  ホヰツトマンの事 ホヰツトマンのこと ヹルハアラン ドナテロ小感 アンドレ ドラン
 月報 詩人と彫刻家 豊島与志雄 高村さんの近況 草野心平 無機 松下英麿

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第5回配本です。

毎年この時期にご紹介していますが、「ほんとの空」の広がる安達太良山の山開きが行われます。

第72回 安達太良山山開き001

期 日 : 2026年5月17日(日)

福島県出身のタレントなすびさん(安達太良山観光大使)が今年も山開きに参加!! ぜひ一緒に登山を楽しみましょう!!(記念撮影可能)

奥岳登山口(あだたら高原スキー場)でのイベント
 安全祈願祭【午前8時~】
  1年間の安達太良山登山の無事を参加者で祈願します。
  (荒天時はランデブー内で実施します)

山頂でのイベント
 ➀ペナント配布【午前9時30分~】
  先着3,000枚を配布します。(無くなり次第、終了となります)
 ②ほんとの空大声コンテスト【午前11時~】
  山頂で募集します。テーマに沿った内容で大声を出してもらいます。
  男性部門の大賞、女性部門の大賞を決定します。(定員20名)
  大賞には豪華景品をご用意しております。また、参加された方へも参加賞がございます。
  ※荒天時は中止となります。ご了承ください。
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かつて行われていた「ミズあだたらコンテスト」が昨年から無くなり、代わって「ほんとの空大声コンテスト」が山頂で予定されています。昨年も計画には入っていたのですが、荒天のため中止となってしまったので、今年行われるとすれば初の開催ということになります。

『広報にほんまつ』今月号、山開き全般。
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三保恵一市長の連載コラム。
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公式サイトにシャトルバスの情報がまだアップされていませんが、例年通りであればJR東北本線二本松駅から、中腹の岳温泉を経由、奥岳登山口までのそれが運行されるはずです。

ぜひ足をお運びください。

【高村光太郎書誌】

選集等(単独) 5 『高村光太郎選集 Ⅰ 詩 上』

昭和26年(1951)10月10日 中央公論社 高村光太郎著
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目次
 秒刻 マデル 博士 あらそひ 
 敗闕録
  ㈠われ千たび君を抱かむ ㈡君を見き ㈢遁れたる君は遣らばや
  ㈣眠りてあれか目覚めよか
 LES IMPRESSIONS DES OũONNAS
  TU VOIS?  LE SOURIRE CACHÉ  L'ABSINTHE 
  POUSSE―POUSSE Á LA GUM―WA
 友よ PRÉSENTATION 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国 画室の夜
 熊の毛皮 人形町 甘栗 亡命者 寂寥 侵蝕 祈祷 或日の午後 声 新緑の毒素
 廃頽者より 『河内屋与兵衛』 髪を洗ふ女 手 『おもひで』と『夜の舞踏』と 白昼の空気
 金秤 はかなごと 地上のモナ・リザ 夜半 けもの 父の顔 泥七宝 恐怖 あをい雨
 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 或る夜のこころ おそれ 犬吠の太郎 涙 からくりうた
 さびしきみち カフエにて ビフテキの皿 梟の族 冬が来る カフエにて 或る宵 夜
 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ 師走十日 戦闘 カフエにて 深夜の雪
 人類の泉 人に 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た 冬の詩 牛 僕等 道程
 愛の嘆美 群集に 婚姻の榮唱 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐 五月の土壌
 淫心 秋の祈 わが家 晴れゆく空 小娘 海はまろく 花のひらくやうに 歩いても
 湯ぶねに一ぱい 無為の白日 序曲 丸善工場の女工達 米久の晩餐 
 雨にうたるるカテドラル かがやく朝 ラコツチイ マアチ クリスマスの夜 冬の送別
 真夜中の洗濯 五月のアトリエ 沙漠 落葉を浴びて立つ

 月報 根付の国 日夏耿之介 無題 吉野秀雄 山小屋の人 伊藤信吉

全6巻で刊行の『高村光太郎選集』第2回配本です。明治40年(1907)の「秒刻」から大正11年(1922)の「落葉を浴びて立つ」までの詩が、編年体で収められています。

福島県二本松市。4月23日(木)から智恵子生家/智恵子記念館さんで「令和8年度 高村智恵子生誕祭」が開催されていますが、その関連で。

まず智恵子生家/智恵子記念館さんと同じ旧安達町にある道の駅安達智恵子の里さんでのタイアップ的なイベント。

銘産コーナーより、5月の智恵子生誕祭のお知らせ

5月20日は「高村智恵子」の誕生日です!

銘産コーナーでは、5月のお菓子フェアを開催
5/1(金)~5/31(日)まで

~5月だけの限定商品もたくさんあります~
〈まつもと〉ねこどらレモン 〈星野屋〉レモン大福 〈虎屋〉ワッフルレモン味
智恵子のサブレ、レモン飴などなど盛沢山!
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手書きのPOP、温かみがあってなかなかいいと思います。

菓子処まつもとさんの「ねこどらレモン」はこんな感じ。
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智恵子のサブレ」は道の駅安達さんのオリジナル商品だそうです。どうりで高速のSAなどで見かけないなと思っていました。
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他にPOPにはありませんが、チーズケーキ工房&カフェ風花さんの新商品「ほんとの空サイダー」も道の駅安達さんで取り扱いを始めたそうです(東北自動車道安達太良SAでも)。

智恵子生家/智恵子記念館さんでの「令和8年度 高村智恵子生誕祭」そのものに関しては、『広報にほんまつ』の今月号で大きく紹介されています。先月号でもほぼ同じ内容の紹介がありましたが、今月も。
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同じ今月号では、智恵子のソウルマウンテン・安達太良山の山開き(5月17日(日))に関しても智恵子がらみで紹介されていますが、そちらはまたのちほどご紹介します。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)1 『彫刻真髄』

明治44年(1911)4月20日 博文館 荻原守衛著
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目次
 荻原守衛君小伝
 論説
  欧洲美術界の趨勢 仏国彫刻界 ロダンと埃及彫刻 義太夫と彫刻
  予が見たる東西の彫刻 談話の一節 彫刻芸術の大勢 成就院に遊ぶ 談片
  解剖学のはなし 迷へる青年美術家 信仰と美術との関係 芸術修業苦心談
  オランダの旅 
フロレンスの美術館を観る 公設展覽会評 東京市の銅像を論ず
  日本現時の彫刻界 
美術展覽会所感 彫刻家の見たる美人
  日本現代の彫刻は西洋のイミテエション
 荻原守衛氏 書籍等の跋文
  帰朝後の塑像製作年表 絵画制作年表
 側面観
  碌山荻原守衛君 井ロ喜源治   家庭に於ける荻原オヂサン 中村黒光
  荻原守衛君に就て 中村不折   故荻原守衛君に就て 柳敬助 
  同 戸張孤雁          死んだ荻原君 高村光太郎
  荻原守衛氏 小山菊野      荻原守衛君の追懐 齊藤与里
  四則 信濃毎日新聞       荻原君に就ての記臆 ウオター パック
  有の儘 戸張孤雁        新帰朝の青年美術家 東京朝日新聞
  木像の批評 中村星湖      荻原君のアトリエ 成功
  休憩室 相馬御風        故荻原守衛君追悼記 犀水生

「本人著作(部分)」の項でいの一番に紹介すべき書籍でしたが、失念していました。そこで昨日までのこの項の番号は訂正しました。

前年に急逝した光太郎の親友、碌山荻原守衛の一周忌にあわせての出版です。前半は生前の守衛が雑誌等に発表した文章や守衛に対する聞き書きで「論説」。後半の「側面観」が光太郎のそれを含む周辺人物の守衛評などです。

光太郎の「死んだ荻原君」は書き下ろしではなく、前年の雑誌『方寸』に発表された「死んだ荻原守衛君」の改題転載です。

まず毎月ご紹介しています、光太郎第二の故郷・岩手花巻で主に「食」を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんの活動。

毎月15日には光太郎が7年間の蟄居生活を送った旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで調理・販売されている豪華弁当「光太郎ランチ」。やつかの森さんがメニュー考案に携わられています。

今月分がこちら。
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品目は「チキンとウインナーのソテー」「焼き鮭」「ポテトサラダ」「ほうれんそうのおひたし」「紫芋の甘煮」「椎茸の含め煮」「ばっけ味噌の焼きおにぎり」「よもぎ入りパンケーキ小豆添え」「漬物」。

「ばっけ」は光太郎がことのほか好んだふきのとうです。味噌と合わせて焼きおにぎりにトッピング、香ばしそうですね。

道の駅内での店頭販売は毎月10食限定ですが、今月は事前に別途20食の注文があったそうで、喜ばしい限りです。

同じくやつかの森さんがこちらは調理まで担当する「こうたろうカフェ」。市内のワンデイシェフの大食堂さんで概ね月末にやつかさんが出店しています(ワンデイシェフの名の通り、さまざまな団体、個人がキッチンを借りて出店する方式のお店です)。

今月は28日(火)の予定で、既にメニューが告知されています。「食の匠のバクロウおこわ」「コロコロチーズ入りミートローフ」「マカロニサラダ」「エッグボート」「クルミとゴボウの甘辛煮」「タラボの胡麻和え」「赤魚のお吸い物」「クレープシュゼットのオレンジバター」「コーヒー」だそうです。

「食の匠のバクロウおこわ」とあるのは、令和6年度の「岩手県 食の匠」に認定された、やつかの森さんのメンバー・新渕和子さんが得意とする「ばくろう茸」を使用して作ったもの。花巻では正月などに振舞われるごちそうだとのこと。

「光太郎ランチ」「こうたろうカフェ」、いずれも基本的に光太郎が実際に自炊していたメニューや使った食材を参考に現代風アレンジを加えたもの。いずれも永く続いてほしい取り組みです。

もう1件、花巻市の『広報はなまき』4月15日号から。月2回発行の同誌は15日発行分に「花巻歴史探訪[郷土ゆかりの文化財編]」という連載が為されており、市の施設などに所蔵されている逸品の数々が紹介されています。光太郎に関しても時折取り上げられ、今号も。

3月いっぱいまで花巻高村光太郎記念館さんで開催されていた企画展「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の流れで、光太郎が題字を揮毫した文圃堂版『宮沢賢治全集』が紹介されています。

高村光太郎の題字 宮沢賢治全集

 宮沢賢治の作品は、今や全集はもとよりそれぞれの作品や絵本、作品の評論や関連の随筆、研究など、数多くの出版物が発刊されています。しかし、宮沢賢治の作品を広く知らしめることに高村光太郎が大きく関わっていたことはあまり知られていません。
 宮沢賢治は、大正十五(一九二六)年上京した際に、高村光太郎に会いに行っています。その頃、高村光太郎は既に著名な作家でしたが、宮沢賢治はまだ無名でした。
 賢治は昭和八(一九三三)年に若くして亡くなります。賢治を高く評価していた光太郎はとても残念がり、賢治の作品を世に出すべく、詩人の草野心平らとともに作品の出版に取り組みます。幸い賢治の弟の宮沢清六が、兄賢治の思いを受け、数多くの原稿を保管していたため、賢治が亡くなった翌年には全集を発刊する動きとなりました。ただし、宮沢賢治を知る人がまだ少ない中、初めての全集はすべての作品を収録したものではありませんでした。
 昭和九(一九三四)年に文圃堂書店(東京)から発刊された最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています。
問い合わせ 高村光太郎記念館 ☎28-3012  
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「最初の『宮沢賢治全集』では、高村光太郎がその装丁を考え、題字の文字を書いています」とありますが、正確にはその後に出た三種類の全集(日本読書購買利用組合『宮沢賢治文庫』を含む)でも、装幀、題字揮毫を手がけています。

『広報はなまき』のこの項、自筆ものが紹介されることはしばしばありましたが、出版物(それも近代の)が扱われたのは珍しいことです。それでも稀覯本や文学史上のエポックメーキング的なものはやはり文化財的な扱いが成されてしかるべきだな、と改めて思いました。

今後もこういったものの紹介をして頂きたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)24 『現代詩講座 2 詩の技法』 

昭和25年(1950)5月30日 創元社 村野四郎他著
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目次
 1 現代詩の構成 村野四郎  現代詩のレトリック 丸山薫
   現代詩の韻律 神保光太郎 現代詩のボキャブラリー 野田宇太郎
   現代詩のイデエ 吉田一穂
 2 日本詩の詩型について 日夏耿之介  西洋の詩に於ける定型詩について 鈴木信太郎
 3 現代詩のイマアジュとその表現 安西冬衛   詩語としての日本語 釈迢空
   現代詩に於ける「俳句」と「短歌」 三好達治   個性と表現 草野心平
 4 抒情詩 伊藤信吉   自由詩 北園克衛   散文詩 神西清
   定型詩 中村真一郎
 5 私の詩作について 高村光太郎   私の詩作について 金子光晴
   私の詩作について 草野心平    私の詩作について 中野重治
   私の詩作について 西脇順三郎   私の詩作について 三好達治
   私の詩作について 釈迢空
 6 歌のための詩 野上彰   歌謡曲の作詩法 佐伯孝夫

戦後5年が経ち、内容的にも戦争の影は無くなって、平和な時代となったのだなという感じです。

光太郎を筆頭に7人が書いている「5」の章は目次だと全て「私の詩作について」と題されていますが、本文ではそれぞれに別個の題が付いており、光太郎の稿は「詩について語らず(編集子への手紙)」。

光太郎の詩論としてなかなかに興味深いものです。

 詩の講座のために詩について書いてくれといふかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないやうな心的状態にあるので書かずに居たところ、編集子の一人が膝づめ談判に来られていささか閉口、なほも固辞したものの、結局その書けないといういはれを書くやうにといはれてやむなく筆をとります。
 ところが、書けないといういはれを書かうとするとこれが又なかなか書けません。なぜ書けないかがはつきり分るくらゐなら、当然それは書けるわけであり、本当はただいはれ知らずに書けないのだといふ外はないのでせう。
 詩は書いてゐながら、詩そのものについて語ることが今どうしても出来ないのです。どうしてでせう。以前には断片的ながら詩について書いたこともありましたが、詩についてだんだんいろいろの問題が心の中につみ重なり、複雑になり、却て何も分らなくなつてしまつた状態です。今頃になつてますます暗中摸索といふ有様なのです。
 元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積のエネルギー放出に外ならず、実はそれが果して人のいふ詩と同じものであるかどうかさへ今では自己に向つて確言出来ないとも思へる時があります。明治以来の日本に於ける詩の通念といふものを私は殆ど踏みにじつて来たといへます。従つて、藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、といふ系列とは別個の道を私は歩いてゐます。詩といふ言葉から味はれるあの一種の特別な気圧層を私は無視してゐます。私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を言語造型によつて放電せざるを得ない衝動をうけるのです。このものは彫刻絵画の本質とは全く違つた方向の本質を持つてゐて、現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だらうと考へますが、不幸にして私は音楽の世界を寸毫も自分のものにしてゐないので、これはどうすることも出来ず、やむなく言語による発散放出に一切をかけてゐる次第です。実は言語の持つ意味が邪魔になつて、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思ふのです。言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考へるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によつて放電作用を行ふといふわけです。それからさきの方法と技術と、その結果としての形式と、その発源としての感覚領域とについては今なほいろいろと研鑽中の始末で、これが又、日本語といふ特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので、なかなか生半可な考へ方に落ちつくわけにゆきません。ともかく私は今いはゆる刀刃上をゆく者の境地にゐて自分だけの詩を体当り的に書いてゐますが、その方式については全く暗中摸索といふ外ありません。いつになつたらはつきりした所謂詩学(ポエテイク)が持てるか、そしてそれを原則的の意味で人に語り得るか、正直のところ分りません。私は以上のやうな者であり、又以上のやうな場に居ます。これで今私が詩について書けないといふいはれを書いたことになるでせうか。ともかくもこの通りです。

色を変えた部分あたりは多くの研究書等で引用される箇所です。

齢68歳、もはや晩年の光太郎にしてまだきちんと方法論を掴めていない、と、これは謙遜でも何でもなく、まさにそのとおりだったのでしょう。あくまで己の本業は彫刻だ、という意識がその裏にあるのでしょうが。

今年、光太郎は没後70周年、智恵子は生誕140周年です。

だから、と言うわけでもないのでしょうが、このところ、2人の名を新聞紙上でよく見かけます。ちょうど4月2日(木)の連翹忌前後のこのブログでも計4件ご紹介しました。

その後もそれが続きまして、今日明日と2日間に分け、また4件ほどご紹介します。

まず『東京新聞』さん、4月4日(土)掲載の劇作家・鴻上尚史氏によるコラム。

知識人まで「狂喜乱舞」した12月8日…太平洋戦争を選んだのは「国民」だった〈鴻上尚史の月2回コラム〉003

 「戦争反対」に関するSNS上の発言がまだ話題ですが、「戦争反対」に対する批判というか突っ込みで「戦争に賛成する者なんかいない。当たり前のことを偉そうに言うな」という反論を、ちらほらと見かけるようになりました。
  ◆開戦した12月8日、知識人が感じたことは
 まあ、確かに、「戦争賛成」とSNSで投稿する人は、日本では珍しいかもしれません。
 「ガザ攻撃支持」とか「ウクライナ撃滅」だの「イラン撃破」なんて勇ましい(?)言葉を海外のSNSで見ることはありますが、今のところ、戦争そのものを無条件で全面的に肯定した書き込みをする人は、日本では少数派でしょう。
 みんな一応、建前というか、原則としては「戦争はよくない」「戦争はなるべくはしてはいけないものだ」というスタンスだと思います。
 『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』(方丈社)という本があります。
 昭和16年、12月8日のアジア・太平洋戦争が始まった日に、日本人はどう感じ、何を考えたのかを、当時の知識人・著名人50人余りの日記や回想録から集めた本です。
◆坂口安吾は東条首相の話をラジオで聞いて…
 戦後思想の巨人、吉本隆明氏は、17歳の時で、開戦のニュースを聞いた時は「ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした」と回想しています。
 『ごん狐』が教科書で有名な童話作家、新美南吉は28歳の時で、「いよいよはじまったかと思った。何故か體(からだ)ががくがくと慄(ふる)へた。ばんざあいと大聲(おおごえ)で叫びながら駆け出したいやうな衝動も受けた」と書きました。
 『堕落論』で戦後注目された、坂口安吾は35歳の時で、東条首相の話をラジオで聞いて、「涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ」と感じました。
◆多くの著名人が「新世界が始まるような」感情に
 同じく作家の横光利一は43歳の時で、「戦はついに始まった。そして大勝した。先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ」と書きました。
 詩人室生犀星は52歳で、「十二月八日」と題した詩は、冒頭
「何かを言いあらわそうとする者/そして言いあらわせない者/よろこびの大きさに打たれて/ここで凝乎として喜んでいる者/よろこび過ぎて言葉を失った瞬間/人は初めて自分の我欲をなくし/何とかして/偉大な喜びをあらわしたいとあせる」
としました。
 同じく詩人の高村光太郎は58歳。「おのずから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡が曇って来た」「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである。現在そのものは高められ確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった」
 民俗学者の折口信夫は54歳で「宣戦のみことのりの降ったをりの感激、せめてまう十年若くて、うけたまはらなかったことの、くちをしいほど、心をどりを覺(おぼ)えた」と書きました。
 歌人の斎藤茂吉は59歳。「老生ノ紅血躍動!」と書きました。
 軍人や政治家が開戦を肯定的に評価するのは、当然かもしれませんが、圧倒的多数の著名人や知識人が12月8日を「感動し、落涙し、身が引き締まる思いがし、新世界が始まるような」肯定的な感情で迎えたことが、この本から分かります。
◆だからこそ「戦争反対」と言い続けたい
 反発したのは、ほんの少数。
 詩人の金子光晴は45歳で「僕は、アメリカとの戦争が始まった時、二、三の客を前にしながら、不覚にも慎みを忘れ、『ばかやろう!』と大声でラジオにどなった」と回想しました。
 「芸術は爆発だ」の岡本太郎は30歳。「まさか──私はガク然とした。日本は独伊と同盟を結んでいた。しかしそれは米英などとのさまざまの交渉を有利に展開するためのかけひきであって、強硬なのも結局ポーズだけかと思っていたのに。
 もう入隊はきまっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ。死んでやろう。私ははり裂ける思いで家の外に飛び出した。ふりあおいだ冬空は限りなく青かった」と書きました。
 軍部が暴走したわけでも、政府にだまされたわけでも、資本家が先頭を走ったわけでもなく、まず国民が率先して戦争を選んだ。そして、戦争が始まったことに狂喜乱舞した。
 だからこそ、ふだんから「戦争反対」と言い続け、魂の奥底まで刻むことが大切なのだと僕は思います。

引用されている光太郎作品は「十二月八日の記」と題する散文です。昭和16年(1941)のこの日、光太郎は議員を務めていた第二回中央協力会議出席のため丸ノ内の大政翼賛会本部に居ました。しかし予定の時刻を過ぎても会議が始まらず、待たされている間に開戦の詔勅が放送され、引用されているのはそれを聴いての感想の部分です。

その他、まだ学生だった吉本隆明、新美南吉、坂口安吾、横光利一、室生犀星、折口信夫、斎藤茂吉……。異口同音に開戦時を語っています。岡本太郎や金子光晴は「反発」と扱われています。しかし岡本太郎はともかく、金子光晴に関しては額面通りに受け取れません。以前にも書きましたが、金子は戦後になって、本人というより取り巻きの操作で「戦時中も反戦を貫いた」という評が為され、そのように受けとめられています(現代の文芸評論界の大御所もころっと騙されています)が、開戦後には数は少ないもののコテコテの翼賛詩文を書いて発表しています。光太郎ほどの積極的協力ではなかったにせよ「戦時中も反戦を貫いた」とはとても言い難いのです。「『ばかやろう!』と大声でラジオにどなった」のも、ヒューマニスティックな心の叫びというより、個人的なものにすぎないでしょう。

軍部が暴走したわけでも、政府にだまされたわけでも、資本家が先頭を走ったわけでもなく、まず国民が率先して戦争を選んだ。そして、戦争が始まったことに狂喜乱舞した。」この愚を繰り返してはいけないわけですが、昨今の世情をみるに、つのるのは危機感ばかりです。

その後、戦争を煽った光太郎は戦後になってそれを深く悔い、花巻郊外旧太田村の劣悪な環境で7年間もの蟄居生活を送りました。その間、天職と定めていた彫刻も封印。それは自らに課した最大の罰でした。だから光太郎は偉い、と言うつもりもありませんが(犯した罪は消えませんので)、他のほとんどの文学者たちは、戦時中の行動を無かったことにしたり、強制されてのもので本意ではなかったと言い訳したり、戦後になっても皇国史観から抜け出せずに開き直ったりしました。

そんな醜い姿は見たくありませんね。

続いて『朝日新聞』さん。編集委員・高橋純子氏の稿。4月11日(土)掲載分です。

(多事奏論)現れぬ首相と光の波 主権者のパワー、畏れぬわけには

002 高市早苗首相に聞きたいことがある。
 先の総選挙で歴史的大勝を収めたからこそ、依然として高い支持率を維持しているからこその純粋かつ単純、そして根本的な疑問。感情的にならぬようゆっくりと、腹に力を込めて、聞きたい。
 どうしてあなたは、なんのためにあなたは、首相になったのですか?
     *
 これほど「現れない」首相は前代未聞だろう。新年度予算案をめぐる参院集中審議への出席は10時間弱。石破茂政権の4分の1。おきて破りの型破り。この国に住まう人びとが必死に働いて納めた税金をどう使うのか。この国が抱える多くの課題に、どう対処するつもりなのか。首相たるもの、国権の最高機関である国会で説明し、できるだけ多くの納得を得るよう力を尽くすのは当然のことだ。イロハのイ、50音ならア、アルファベットならA。そこから始まる。そこからしか始まらない。
 中東情勢の緊迫化は、私たちの生活にどのような影響を及ぼすのか。情報が入り乱れ、日に日に増す人びとの不安をなだめられるのは、政治リーダーの明確なメッセージしかない。ただし、メッセージとは単なる言葉ではない。思いの乗った、身体性を宿した言葉だからこそ人びとに届き、刺さる。ゆえに政治リーダーは「現れ」なければならないのだ。
 ところが高市首相は記者会見を開かない。ぶら下がり取材もごくまれ。言いたいことがある時はXに投稿し、終わり。
 たとえば4月4日夕の投稿は「中東情勢に伴い供給が制約を受ける可能性がある重要物資の安定確保のための高市内閣の取組の現状について、説明致します」と、○○を実現した、××を進めていると日報のごとく細かく列挙したうえで、「繰り返しになりますが、原油及び石油製品の『日本全体として必要な量』は確保されています」。そして最後は「高市内閣の総力を挙げて、きめ細かく対応してまいります!」
 “日本全体として必要な量”をカギカッコでくくる「大本営発表」ぶりも鼻につくが、それよりなにより、供給不足や値上げに頭を抱えている業者、人工透析が続けられるのかと不安におびえている患者らへ向けた、いたわりやねぎらいがひとことも、ただのひとこともないことには驚きを禁じ得ない。そして最後、突如として繰り出される「!」。私はやってる!私は間違ってない!――どんな局面でも「私」が前面に出てくる、この感じ。私はシンプルに、こわいと思う。
 智恵子は「東京には空がない」と言ったが、私は「高市首相には『畏(おそ)れ』がない」と言いたい。多寡はともかく安倍―菅―岸田―石破首相には確かにあった、国民の命を預かっているという、畏れ。
 想像してみる。権力者が極限状態に置かれ、「玉砕せよ!」と命を下さねばならぬ局面を。高市氏はとても滑らかに命じてみせるのではないかと、危惧する。
     *
004 「戦争反対!」「憲法守れ!」「高市政権いますぐ退陣!」。コール&レスポンスが夜空に響く。歩道を埋め尽くす色とりどりのペンライトがそのたびに揺れ、美しい波となる――。8日夜、国会前で開かれたデモに、主催者発表で3万人が参加した。「国民なめるな!」のコールも聞こえる。この国の主は主権者ひとりひとりであることを、主権者にはパワーがあることを、光の波は教える。畏れを知らぬ首相もいずれ、この波を見るだろう。畏怖(いふ)せずにいられないはずだ。まともな権力者であるならば。

智恵子は「東京には空がない」と言った」は本題とはあまり関係ありませんが(笑)。しかし、「東京には空がない」と言った智恵子は、光太郎曰くかつてこの国に存在していた(現代でもそれに近い輩が居ますが)「傍若無人のがさつな階級」を「身ぶるひする程いやがつていた」そうです。

010   報告(智恵子に)
 
 日本はすつかり変りました。
 あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
 あの傍若無人のがさつな階級が
 とにかく存在しないことになりました。
 すつかり変つたといつても、
 それは他力による変革で
 (日本の再教育と人はいひます。)
 内からの爆発であなたのやうに、
 あんないきいきした新しい世界を
 命にかけてしんから望んだ
 さういふ自力で得たのでないことが
 あなたの前では恥しい。
 あなたこそまことの自由を求めました。
 求められない鉄の囲ひの中にゐて、
 あなたがあんなに求めたものは、
 結局あなたを此世の意識の外に逐ひ、
 あなたの頭をこはしました。
 あなたの苦しみを今こそ思ふ。
 日本の形は変りましたが、
 あの苦しみを持たないわれわれの変革を
 あなたに報告するのはつらいことです。

自らの半生と戦時中の翼賛活動を省察する連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)終末近くに置かれた詩です。新潮文庫版の『智恵子抄』に掲載されています。敗戦後のGHQ主導による大変革を目の当たりにし、それを智恵子がどう受けとめるか、という内容です。

そういうのであれば、なぜ智恵子が「身ぶるひする程いやがつていた」「傍若無人のがさつな階級」にとことん協力したんだ、と突っ込みたくなりますが、それをやらないわけにはいかない世情だったわけで……。

つくづく「傍若無人のがさつな」人物の思うようにされる、そういう世の中に戻してはいけないと、強く思います。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)18 『日本の母』 

昭和18年(1943)4月18日 春陽堂書店 日本文学報国会編
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目次
 序 徳富猪一郎
 日本の母を頌ふ 作詞 佐藤春夫
 信仰で乗切る荒波(樺太・水本ハマコさん) 甲賀三郎
 北海道の原野を開墾(北海道・浅井リヘさん) 丸山義二
 巨きな母の手(青森県・豊川やささん) 土師清二
 嬰児・妊婦の温き母(岩手県・伊藤尚子刀自) 土屋文明
 黙々と二十年(秋田県・佐々木スヱさん) 和田伝
 日本一子宝部隊長(宮城県・白戸キミさん) 辰野九紫
 雄々しや女集配手(山形県・土井於末さん) 結城哀草果
 三代続く誉れの寡婦(福島県・室井キヤさん) 加藤武雄
 忠臣の裔(東京府・篠尾はる子さん) 菊池寛
 浅草の「日本の母」(東京府・平間りつさん) 久保田万太郎
 明朗に豊かに生きてゐる人(茨城県・八代まつさん) 佐藤春夫
 出征兵を叱る慈愛(栃木県・新井種子刀自) 長谷川伸
 家の為に子の為にお国の為に(群馬県・小板橋はるさん) 佐佐木信綱
 母性愛像ををろがむ(千葉県・富田てるさん) 吉植庄亮
 遺愛の柿の木紅し(埼玉県・金子淳美さん) 大佛次郎
 女手一つに護る田畑(神奈川・村野かめよさん) 岩田豊雄
 巻頭(まきがしら)の妻の心(新潟県・星野とよさん) 貴司山治
 女手で通した牛飼(富山県・三村ちよさん) 尾崎一雄
 白衣の夫と卅七年(石川県・遠藤常盤さん) 深田久弥
 良き母は良き妻(福井県・高島フジヲさん) 中野実
 遺骨を抱きしめて(岐阜県・沼田ミツさん) 日比野士郎
 真実こもる農作物(長野県・井上ツタエさん) 川端康成
 山道の小母さん(山梨県・井上くまさん) 高村光太郎
 萩咲く日(静岡県・鈴木せいさん) 水原秋桜子
 男勝りの鎌・腰に(愛知県・橋本すずさん) 富安風生
 母ひとり子ひとり(滋賀県・高橋政栄さん) 野澤富美子
 花売り・日雇ひ二十年(京都府・谷本このさん) 川田順
 右眼犠牲の機織り(大阪府・西田フジさん) 藤澤恒夫
 老いてなほ増産報国(奈良県・松辺キクさん) 西條八十
 扶助も断り青物行商(三重県・横山ちうさん) 古谷綱武
 尊し・音なき愛の鞭(和歌山・久保まつゑさん) 大庭さち子
 心に責む子の戦病死(兵庫県・前川きみさん) 豊田正子
 故山に独り墓守り(鳥取県・山谷よしさん) 舟橋聖一
 石見の国に我見たり(島根県・岡村トキさん) 尾崎喜八
 戦死した子に済まぬ(岡山県・武田春さん) 棟田博
 港の誇る「母の水船」(広島県・中村セキノさん) 竹田敏彦
 空の子へ愛の座布団(山口県・氏木アキさん) 中山義秀
 平凡の美徳(香川県・棚田キノさん) 壺井栄
 塩田に働く健女(徳島県・西トクヱさん) 海野十三
 戦盲の夫へ戦況地図(高知県・入間貴久衛さん) 濱本浩
 五児に通ふ鍬の心(愛媛県・高井キクヨさん) 岡田禎子
 誉の家守る苦闘三年(福岡県・三原乙女さん) 白井喬二
 切々の書に戦友泣く(佐賀県・桃井フデさん) 小島政二郞
 陶土にまみれ廿年(長崎県・太田フキさん) 福田清人
 男も唸る材木担ぎ(大分県・森島マサキさん) 真杉静枝
 親の心知る子供達(熊本県・野口ハルさん) 坪田譲治
 兄は陸軍弟は海軍(宮崎県・高山ハツヲさん) 中村武羅夫
 兵隊さん故伜さん〃(広島県・小村セイさん) 戸川貞雄
 南風の章(沖縄県・比嘉カナさん) 劉寒吉
 跋 読売新聞社編集局長 中浦義親

光太郎が詩部会長を務めていた日本文学報国会によるものです。当時の『読売報知新聞』とタイアップ、同紙に49回にわたって連載された「日本の母」を一冊にまとめたもの。

黙々とわが子を育み、戦場に送る無名の「母」を顕彰するため、各府県の軍人援護会などの協力で取材対象者をピックアップし、光太郎ら49人の文士を現地に派遣して書かれました。

光太郎の稿「山道の小母さん」で取り上げられている井上くまは、山梨県南巨摩郡穂積村(現・富士川町上高下(かみたかおり)地区)在住の寡婦で、早くに夫を亡くし女手一つで育てた2人の息子は共に召集、この時点で次男の方は満州で戦病死していました。

それでも気丈に生きる彼女に会って感動した光太郎は、「山道のをばさん」という詩も作りました。現地にはこの際に光太郎が訪れたゆかりの地ということで、短句「うつくしきものみつ」を刻んだ碑が建てられています。

上記『朝日』さんで槍玉に挙げられている「傍若無人のがさつな」人物、こういう書籍が出版される世の中に戻したいのでしょうか。

光太郎第二の故郷、岩手花巻からの情報等です。

まず地方紙『岩手日報』さんに載った、都内の方からの投稿。

光太郎と賢治感じた花巻旅

◇花巻へ行った。2日の旅の初日3月13日。太田の高村山荘。偶然だがその日は高村光太郎の誕生日だった。宮沢賢治を世に知らしめた光太郎。天才は天才を知るという。この2人の関係はまさにそれだ。
 こんなにも質素な住まいに7年暮らした光太郎。田畑を耕し詩作や書の芸術にも専念する姿は、堅持の精神を具現化するものと言っていい。その精神力と体力は信じがたいほど強かったに相違ないが、同時に地元の人々との交流と支えがなければ続かなかったことと思う。
 光太郎は岩手を心から愛していた。「岩手の人沈深牛の如し」「つひにその成すべきを成す」「ニッポンの背骨岩手」とうたい上げている。
 賢治と光太郎ゆかりの大沢温泉に1泊し、翌日「雨ニモマケズ」の賢治詩碑を訪ねた。光太郎の書によるものだが、詩の後半部分のみで誤字脱字のまま刻印されたとの挿話も心引かれる。
 早池峰山は白く輝き美しい。こんなにもすばらしい場所に羅須地人協会はあったのか。昼食は花巻市街でそばを食べサイダーを飲んだ。心の洗われる2日間であった。

冨田淳治 64歳 東京都北区 公務員

現在、高村光太郎記念館さんでは「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」が開催中で(今月いっぱい)、そちらをご覧下さった上での内容となっています。ありがとうございます。

続いて、主に「食」を通して光太郎顕彰に取り組まれているやつかの森LLCさんの取り組み。市内東和地区のワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」としてやつかの森さんが厳冬期を除いてランチタイムに月イチで出店されていますが、今年初の出店が3月24日(火)でした。
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基本、光太郎の日記などを元に、実際に光太郎が作った料理や使った食材などを現代風にアレンジして饗するランチです。

「和風なタンドリーチキン」「大根のそぼろ餡」「漬けマグロのとろろかけ」「葱の酢味噌」「鱈子と糸コンの和え物」「旬の漬け物」「ふんわりニラ卵汁」「白ご飯・バッケみそ」「花巻銀糖」「コーヒー」。これで価格は1,200円だそうですので、割安感があります。

「バッケ」は方言でふきのとう。光太郎が好んで使った食材の一つです。全国的にそうでしょうが、特に東北では春を告げる象徴的なものですね。

この取り組み、長く続くことを願って已みません。

【高村光太郎書誌】

本人著作(部分)2 『後期印象派』現代の洋画第十六号

大正2年(1913)8月1日 日本洋画協会 北山清太郎編
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目次
 後期印象派論(リュイス・ハンド) 木村荘八
 ポール・セザンヌ(マイエル・グレーフェ) 同
 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(同) 同
 ポール・ゴーガン(同) 高村光太郎
 ポール・セザンヌ(テオドル・ドュレ) 木村荘八
 ポール・セザンヌ(ジェムス・ハネカー) 同
 画論(アンリ・マティス) 高村光太郎
 トウルーズ・ロートレク(アルビーン・アレキサンドル) 同
 ゴォホとゴーガン 岸田劉生
 挿画目次

今日からこの項、光太郎が部分的に執筆していたり、他の人物との共著だったりの書籍をご紹介して参ります。雑誌、序跋文を書いただけもの、多数の作者の作品を集めたアンソロジーはここでは除外します。

初回がいきなり例外で雑誌ですが、この号は特別号で、現代の感覚のムックに近いもののため、実質的に光太郎、木村、岸田の共著書籍として捉えられることがほとんどです。

毎月15日、光太郎第二の故郷・岩手花巻の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナントミレットキッチン花(フラワー)さんで限定販売される弁当光太郎ランチ。光太郎が実際に作った料理や使った食材などを参考にしたメニュー考案に当たられているやつかの森LLCさんから今月分の画像が届きました。
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品目は「赤飯」「五目飯」「ヒレカツ」「揚げ大根の野菜あんかけ」「ほうれんそうととうもろこしのナムル」「ネギとワカメの酢味噌和えイカ添え」「卵焼き」「芋羊羹」「漬物」だそうです。

地域ニュースサイト号外NET」というサイトがあり、そちらで3月16日(月)に紹介されています。今月分というわけではなく、毎月の取り組み全般についてですが。

【花巻市】毎月15日販売! 10食限定! 手作り弁当「光太郎ランチ」を知っていますか?006

 高村光太郎を知っていますか? 教科書で「智恵子抄」や「道程」を学んだ人もいるかもしれません。詩人であり、彫刻家である高村光太郎は、実は花巻市とゆかりのある人物です。
 高村光太郎は、晩年宮沢賢治の実家を頼って疎開して7年間花巻に住みました。その時の作品は、高村光太郎記念館に展示してあります。
 道の駅はなまき西南では、光太郎goodsコーナーがあります。休憩コーナーには、宮沢賢治と高村光太郎との関係を開設したボードも展示してあります。
 とても関係の深い花巻市と高村光太郎なのですが、道の駅はなまき西南では、特別なお弁当を月に1回だけ販売しています。そのお弁当の名前は「光太郎ランチ」です。
 光太郎ランチは、高村光太郎が残した日記の中の食事を再現したものです。「光太郎ランチ」を調理・販売されているのは、ミレットキッチン花さんです。地元の野菜をたくさん使った弁当は税込み800円、限定10食です。
 献立は毎月異なります。光太郎と一緒のメニューを食べながら、その世界観を身近に感じてみませんか?

道の駅はなまき西南
 住所 〒025-0131 岩手県花巻市轟木7地割203番地
 営業時間
  ●インフォメーション9:00~17:00
  ●直売所「すぎの樹」9:00~17:00 
  ●味楽苑 昼 11:00~14:00(L.O 13:30) 
       夜 火曜~金曜 17:30~21:00(L.O 20:30)
       土曜・日曜 17:00~21:00(L.O 20:30)
  ●ミレットキッチン 花 9:00~12:00
  ●トイレ・休憩スペース 24時間
 定休日 年末年始
 電話番号 0198-29-5522

もう1箇所、同じ花卷市内の東和地区にあるワンデイシェフの大食堂さんで、「こうたろうカフェ」としてやつかの森さんが厳冬期を除いてランチタイムに月イチで出店されていますが、今年初の出店が3月24日(火)です。

予告されているメニューが以下の通り。
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 ・和風なタンドリーチキン
 ・大根のそぼろ餡
 ・ヒッコロ酢味噌
 ・漬けマグロのとろろかけ
 ・鱈子と糸コンの和え物
 ・旬の漬け物
 ・ふんわりニラ卵汁
 ・白ご飯~バッケみそ~
 ・花巻銀糖
 ・コーヒー


こちらは1,200円だそうで。

それぞれぜひご堪能下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)77 『ロダンの言葉』現代日本の翻訳

平成19年(2007)5月10日 講談社(講談社文芸文庫) 高村光太郎編・訳
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目次
 凡例
 ロダンの芸術(ユージエヌ カリエール)
 ロダン手記
  ヴェヌス 中世期芸術への入門――原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺
  本寺別記 断片 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(其一)  古代芸術の教訓(其二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)
  昔の仕事場と今日の学校 構造と肉づけ 古代芸術の伝統的法則
 若き芸術家達に(遺稿)
 解説 湯原かの子
 年譜 北川太一
 著書目録

筑摩書房版の『高村光太郎全集』を定本に、大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た『続ロダンの言葉』からピックアップして編まれた文庫版です。新漢字、新かな遣いに改め、多少ふりがなを加える措置が為されています。未だに新刊として入手可能のようです。

3月15日(日)、いわき市立草野心平記念文学館さんを後に、智恵子の故郷・二本松に愛車を向けました。

二本松でのメインの目的は、市立の大山忠作美術館さんでの名誉館長・大山采子(芸名・一色采子)さんによるトークイベントでしたが、開会まで時間があるので、その前に智恵子のソウルマウンテン・安達太良山方面に。

東北道二本松ICで下り、国道459号線に入って山麓から見た安達太良山。まだ雪を戴いています。
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目指すは「チーズケーキ工房・カフェ風花&もりのこうぼう」さん。岳温泉さんの中心街を土湯温泉さん方面に向かって通り過ぎ、1,5㌔㍍ほどの場所です。
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以前から足を運ぼうと思いつつ、なかなか果たせませんで、今回初の訪問。

こちらでは令和2年(2020)に「ほんとの空のクリームソーダ」を発売、その後、郡山市で開催された物産展などにも出店され、「ほんとの空のクリームソーダ」も販売なさったりされました。また、昨年には夏限定メニューとして「ほんとの空」をイメージした「星降るレアチーズケーキ」などもラインナップに。

さらに先月、新商品として瓶詰めの「ほんとの空サイダー(あおぞら)」をご発表。
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その時点で御紹介しようとも考えたのですが、どうせなら買いに行ってしまえ、というわけで(笑)。

で、店内。ありました。
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さらにカップに入ったテイクアウトタイプの「ほんとの空ソーダ」も健在。
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こちらはクリームの有無、それから「あおぞら」と「ゆうぐれ」が選べます。

まだ寒いということもあり(敷地内にも雪が残っていました)、クリームなしの「あおぞら」を注文しました。
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店外のテラス席で、わかりにくいのですが安達太良山をバックに。

右下の赤い箱は、土産を買って帰らないとふくれる(常に膨れていますが(笑))妻に、「にゃんサンド」。
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サイダーは

安達太良山の上に広がる「ほんとの空」(智恵子抄より)の空色をイメージした、青く透き通ったサイダーです♪ 福島県産のりんご果汁を使用した、爽やかなりんご味🍎 天然着色料を使用したこだわりの青色です✨ ラベルには、二本松市の上川崎和紙で安達太良山の風景を表現にしました⛰️ ご旅行やお出かけ、ドライブ🚗で見た『ほんとの空』の思い出をぜひお持ち帰りしませんか?🤗

だそうで、地産地消の観点からもすぐれものですね。特にラベルが上川崎和紙だというのには驚きました。

その後、市街へ向かう愛車を運転しつつ、テイクアウト用のカップ入りをいただきました。

皆様も二本松に行かれる際は、ぜひこちらまで足を伸ばし、「ほんとの空サイダー/ソーダ」お試し下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)75 『ロダンの言葉』覆刻

平成12年(2000)12月1日 沖積舎 高村光太郎編訳
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目次
 ロダンの芸術(カリエール)
 ロダン手記
  ヹヌス 原則 フランスの自然 ランスの本寺 夜の本寺 本寺別記
  断片(「本寺」、「真のロダン」其  他より) 手紙
 ジユヂト クラデル筆録
 ポール グゼル筆録
  肉づけ 芸術に於ける神秘 動静 断片
 カミーユ モークレール筆録
 フレデリク ロートン筆録
  古代芸術の教訓(一)   同(二) 断片
 ロダンの手帳(クラデル編)
 アウギユスト ロダン(オクターヴ ミルボー)
 若き芸術家達に(遺稿)
 ロダン手記
  花について 女の肖像
  芸術家の一日
    庭園の朝 古代彫刻の断片 庭園の夕
  ゴチツクの線と構造
    ゴチツク建築家は写真家である 面と相反と 釣合の知識 石のレース細工 外陣
    くりかた
  芸術と自然
    古代芸術―ギリシヤ 古代芸術の豊かさは肉づけにある 高肉とキヤロスキユロ
    ローマ及ローマ芸術 アメリカの為に
  ゴチツクの天才
    ノートルダム サン トウスターシユ 彫刻に於ける色調 十八世紀 断片 
   五部のスレスコ 手紙
 ギユスターヴ コキヨ筆録
 ジユヂト クラデル筆録
 フレデリク ロートン外二三氏筆録
 ポール グゼル筆録
  「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美
 「本寺」より(手記)
  断片 ムラン マント ネエル アミヤン ル マン ソワツソン シヤルトル
 解説 金原宏行

名著の復刻がちょっとしたブームになっていたので、その流れでというわけでしょう。大正5年(1916)に阿蘭陀書房から出た初版『ロダンの言葉』、同9年(1916)に叢文閣から出た初版『続ロダンの言葉』を一冊にまとめた厚冊です。新たに版下を組むのではなく、正続それぞれを写真製版し(続の方はオリジナルかららしいのですが、正の方は昭和4年(1929)刊行の普及版からのようです)、そのまま使っています。したがって旧字旧仮名です。美術評論家の金原宏行氏が解説をご執筆されています。

声優の池田昌子さんが亡くなられました。

時事通信さん配信記事。

声優の池田昌子さん死去 「銀河鉄道999」メーテル役

 池田 昌子さん(いけだ・まさこ=声優)3日午後0時27分、脳出血のため病院で死去、87歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。
 アニメの「銀河鉄道999」でメーテル役、「エースをねらえ!」でお蝶(ちょう)夫人こと竜崎麗香役、「火の鳥」の火の鳥役などを務めた。洋画ではオードリー・ヘプバーンの吹き替えを担当し、「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」「ティファニーで朝食を」などに携わった。


スポニチさん。

声優の池田昌子さん急死 87歳 「銀河鉄道999」メーテル、ヘプバーン吹き替えで知られる

000 アニメ「銀河鉄道999」のメーテルや女優オードリー・ヘプバーンの吹き替えなどで知られる声優の池田昌子(いけだ・まさこ、本名浜田昌子=はまだ・まさこ)さんが3日午後0時27分、脳出血のため死去した。87歳。東京都出身。葬儀は近親者で行った。
 所属団体によると、最後の仕事は昨年11月10日に収録したテレビ東京「ありえへん∞世界」のナレーション。関係者は「高齢だったので、仕事をセーブしていましたが、特に持病もなく過ごしていました。急死でした」と話した。お別れの会などは予定されていない。
 児童劇団に入っていたことから子役として映画やドラマに出演。その後、声優業も並行して行うようになった。あるドラマのプロデューサーから「吹き替えはしょせん裏街道。女優なら表街道を歩け」と言われ、「裏街道と言われないようにする」と奮起。声優の仕事に軸足を移した。
 1968年、「許されざる者」で初めてオードリー・ヘプバーンの吹き替えを担当。これが評判となり、その後「昼下りの情事」「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」とヘプバーンの代表作で日本語吹き替えを任された。
 78年、再び大きな出会いが訪れた。松本零士さん原作のテレビアニメ「銀河鉄道999」でヒロイン、メーテルを演じることになった。主人公の星野鉄郎と銀河鉄道999号で宇宙を旅する謎の美女。作品は映画化もされるほど大ヒットし、社会現象化。気品漂う池田さんの声はメーテルのイメージにぴったりで、池田さんの代表作になった。23年6月に行われた松本零士さんのお別れ会でも、メーテルとして弔辞を読んだ。インタビューでは「今もなお、彼女と共に生きている感覚です。自分の分身、私の一部」と語っていた。
 松本零士さんの事務所はSNSで「池田さん演じるメーテルの穏やかでたおやかなお声に松本自身どんなに癒やされたことでしょう。星の海のプラットホームにて松本がお待ちしていると思います」と追悼した。
 池田 昌子(いけだ・まさこ)1939年(昭14)1月1日生まれ。声はメゾソプラノ。「エースをねらえ!」のお蝶夫人など芯の強い女性役が多い。日本コカ・コーラの緑茶「綾鷹」などCMナレーションでも活躍。07年、第1回声優アワード功労賞。
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我々の世代ですと、やはりメーテルやお蝶夫人のイメージの強い池田さんですが、光太郎詩の朗読にも取り組まれていた関係で、何度かお会いしたことがあります。

まず当会主催の連翹忌の集い。平成9年(1997)の第41回を皮切りに、断続的に7回ほどご参加下さいました。一度、たまたま同じテーブルに座らせていただいたことも。お上品な佇まいの中にも、気さくな雰囲気を漂わせていらっしゃいました。

それから、平成13年(2001)、千葉県松戸市の森のホール21での公演「音楽と朗読による「智恵子抄」」の際。ソプラノ歌手の稲見里恵さんとピアノ伴奏の頼田恵さんで、清水脩作曲の歌曲「智恵子抄」、合唱で一般公募の「智恵子抄」合唱団さんによる、やはり清水脩作曲の「智恵子抄巻末のうた六首」。そして合間に池田さんの朗読が入る構成でした。
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この頃、池田さんはわりと盛んに光太郎詩朗読等に取り組まれていらして、声優仲間の政宗一成さんと組まれてCDをリリースされたりもなさいました。下は平成17年(2005)頃、自主制作されたCD。
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久々に聴いてみましたが、実に耳に優しい落ち着いた、しかし哀愁を帯びたお声で、さすがとしか言いようがありません。

政宗さん著のCDブック(平成16年=2004)にも朗読でご参加。
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それから、日本テレビさん系列で放映されていた教養番組「知ってるつもり⁈」でナレーションを担当されていました。平成10年(1998)5月17日には「高村智恵子」の回。このナレーションも絶品でした。
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この分野での至宝が失われた感が強く、残念でなりません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)72 『智恵子抄』

平成11年(1999)1月25日 角川書店(角川文庫) 高村光太郎著 中村稔編
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目次
 『智恵子抄』(初版)(全)
  人に 或る夜のこころ おそれ 或る宵 郊外の人に 冬の朝のめざめ 深夜の雪
  人類の泉 僕等 愛の嘆美 晩餐 樹下の二人 狂奔する牛 鯰 夜の二人
  あなたはだんだんきれいになる あどけない話 同棲同類 美の監禁に手渡す者
  人生遠視 風にのる智恵子 千鳥と遊ぶ智恵子 値ひがたき智恵子 山麓の二人
  或る日の記 レモン哀歌 荒涼たる帰宅 亡き人に 梅酒 うた六首 智恵子の半生
  九十九里浜の初夏 智恵子の切抜絵 詩集「智恵子抄」目次年表
 『智恵子抄』補遺
  涙 からくりうた 梟の族 人に 淫心 金 うた一首 新茶の幻想 某月某日
  某月某日 某月某日 某月某日 『智恵子抄』補遺作品年表
 『智恵子抄』以後
  松庵寺 報告 噴霧的な夢 若しも智恵子が 元素智恵子 メトロポオル 裸形 案内
  あの頃 吹雪の夜の独白 智恵子と遊ぶ みちのく便り 三 「樹下の二人」 父との関係
  『智恵子抄』以後 作品年表
 解説 中村稔
 年譜 北川太一

「智恵子抄裁判」で原告側の証人として出廷した、弁護士でもあらせられる文芸評論家・中村稔氏の編です。いろいろ大人の事情があったようで、後の版ではタイトルが『校本 智恵子抄』と改められ、現在も入手可能です。

北海道での報道等を2件。

まずは昨日も御紹介した漫画『本郷新伝』について。『毎日新聞』さん北海道版で3月4日(水)に出た記事です。

戦後代表する彫刻家 本郷新の生涯 漫画に 札幌でコレクション展 生誕120年記念 反戦・平和の願い込め /北海道

 札幌市生まれで、戦後日本を代表する彫刻家、本郷新の生涯を描いた漫画「本郷新伝」(teamエアーダイブ著、ダイブックス)が出版された。生誕120年を記念して本郷新記念札幌彫刻美術館(中央区)が企画。現代と本郷の生きた時代を往還しながら物語が展開し、反戦・平和への願いを込めた制作エピソードも織り交ぜた。同館で原画パネルや作品のコレクション展「マンガでわかる本郷新」が開かれている。
 漫画は、札幌市内の漫画制作・出版会社「エアーダイブ」と鴨修平さん、桜井さよるさんの2人の漫画家が共同制作した。3話で構成。同館が史実に基づいて監修した。
 第1話は彫刻を始めた女子高校生が同館を訪れ、館長の案内で戦没学生の青年像「わだつみの声」像などの作品に込めた思いを知っていく。第2話は広島市平和記念公園の「嵐の中の母子像」にまつわる物語だ。母親が2人の幼子を懸命にかばって前かがみに進む像で、広島原爆で犠牲になったとみられる祖母を図書館員が追想する。 
 同館で先行販売しており、4日から書店発売の予定だ。市内の小中高には3月 中をめどに配る。梅村尚幸学芸員(38)は「純粋に漫画として面白い。漫画家の創造性を尊重し、本郷新からのイマジネーションを広げてストーリーを作ってもらった。大人から子供まで、彫刻を知らない人や詳しい人も楽しめる」と話している。梅村さんは漫画の途中に挿入された解説を書いた。
 巻末にブロンズ像の作り方の図解や札幌・全国の公共空間にある作品群も紹介。A5判128ページ。990円。
 コレクション展は原画の拡大パネル約60枚と作品31点のほか、本郷が幼少期に描いた絵や学生時代のノートなど貴重な資料も公開している。5月24日まで(月曜休館、5月4日開館、同7日休館)。
 出版を記念して3月21日午後2時、中央区の市民交流プラザでトークイベント「マンガで伝える彫刻家 本郷新の思い」を開催。エアーダイブの田中宏明代表、三守小百合副編集長、漫画家2人と同館 ... 問い合わせは同館(011・642・5709)へ。

 □人物略歴. 本郷新. 1905年12月生まれ。札幌二中(札幌西高)、東京の順天中学を経て北海中学(北海高)卒業。東京高等工芸学校(千葉大工学部)へ。在学中から師事した高村光太郎を通じてロダンの影響を受けた。東京で若手彫刻家たちと「新制作派協会彫刻部」を旗揚げ、彫刻界に新風を吹き込む。全国各地の公園などにモニュメントの彫刻が設置され、80点以上が現存する。80年2月、74歳で死去。札幌市中央区宮の森のアトリエを含む2棟が本郷新記念札幌彫刻美術館となっている。
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広島市平和記念公園の「嵐の中の母子像」(1960年設置)。後ろの建物は広島平和記念資料館本館=広島市中区で2022年11月、安味伸一撮影

最初の画像で展示されている3枚の原画が写っていますが、一番右のそれはちょうど光太郎が登場しているシーンです。

もう1件、『北海道新聞』さんの一面コラム。先週6日の掲載でした。

<卓上四季>高木美帆さんの「道程」

<僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る>。高村光太郎の「道程」の冒頭の詩句である。このとき光太郎は31歳。ひとりの芸術家として未知の荒野を突き進み、前例のない新たな道を切り開きたい―。ストイックかつ強い意志を感じさせる宣言であった▼北海道が生んだひとりのアスリートの軌跡が重なってみえる。スピードスケートの五輪金メダリスト、高木美帆さんだ▼中学生だった15歳で五輪の初舞台に立つ。以来、計4回も出場を重ねて、10個ものメダルを手にする。だれも到達することのできなかった高峰をめざし続けた▼輝きは成績にとどまらない。短距離から長距離までをカバーし、個人種目でも団体でも圧倒的な強さ。希代のオールラウンダーとして世界の尊敬を集めてきた▼ずっと順風満帆だったわけではない。五輪出場を逃したこともあるし、今季は好不調の波に苦しんだ。それでも体力と技術を極限まで高めてリンクに立った。試練に負けない求道者をみるようだった▼いつも道を切り開いてきた高木さんが引退を表明した。栄光の陰につらい日々もあっただろう。31歳までのがんばりに心から拍手を送りたい。オランダでの世界選手権がラストランとなる。<残りの期間も変わらずに、スケートに向き合い続け、高みへ挑みにいきます>。彼女らしいことばである。

光太郎詩「道程」(大正3年=1914)の冒頭部分は、このように様々な分野でのパイオニア的な活躍を見せた人々を語るマクラとしてよく使われます。特に高木選手同様、レジェンドと化した皆さん(野茂英雄投手とか、将棋の藤井聡太六冠とか)。ただ、時折、そこまで行ってないだろ、という若手や、その後不祥事があったりで「何だかなぁ」という人物の形容にも使われることもあるのですが……。

光太郎自身、芸術分野に於ける日本でのパイオニアたらんとする自負や矜恃があって「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」としたのでしょう。パイオニアと言えば、「道程」の前年に発表された詩「人類の泉」では「私は自分のゆく道の開路者です」とし、「開路者」には「ピオニエエ」とルビを振っています。これは仏語の「pionnier」。英語の「pioneer(パイオニア)」に相当します。

ところで高木選手、昨日行われたオランダでの世界選手権オールラウンド部門では3位入賞を果たし、現役生活にピリオドを打ったそうです。
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お疲れさまでした、ですね。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)67 『愛の時』愛蔵版

昭和61年(1986)4月2日 アムリタ書房 ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 明るい時 LES HEURES CLAIRES
  Ⅰ おう さんらんたるわれらのよろこび
   O LA SPLENDEUR DE NORTRE JOIE
  Ⅱ 無言のままわれらの歩くこの明るい花園が
   QUOIQUE NOUS LE VOYIONS FLEURIR DEVANT NOS YEUX
  Ⅲ この野蛮な柱頭、そこには怪物等が身をもだえ
   CE CHAPITEAU BARBARE OU DES MONSTERES SE TORDENT
  Ⅳ 夜の空はひろがり
   LE CIEL EN NUIT S'EST DÉPLIÉ
  Ⅴ いつでも,かほど純真にふかい
   CHAQUE HEURE OÙ JE SONGE À TA BONTÉ
  Ⅵ あなたは時としてあのなよやかな美を示す,
   TU ARBORES PARFOIS CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅶ おう! 戸を叩かせて置かう,
   OH! LAISSE FRAPPER CETTE GRÂCE BÉNIGNE
  Ⅷ あどけない頃のやうに,私は自分の心をあなたに上げた,
   COMME AUX ÂGES NAÏFS JE T'AI DONNÉ MON C CEUR
  Ⅸ わかい,気のやさしい春は
   LE PRINTEMPS JEUNE ET BÉNÉVOLE                           
  Ⅹ しづかに来て
   VIENS LENTEMENT T'ASSEOIR
  Ⅺ 火のやうな恍惚の眼をして
   COMBIEN ELLE EST FACILEMENT RAVIE
  Ⅻ 長い間私のくるしんでゐた時,
   AU TEMPS OÛ LONGUEMENT J'AVAIS SOUFFERT
  ⅩⅢ どういふわけか何故なのかいはれは何か
   ET QU'IMPORTENT ET LES POUQUOIS ET LES RAISONS
  ⅩⅣ 黄金と花との階段をしづしづ降りる
   A CES REINES QUI LENTEMENT DESCENDENT
  ⅩⅤ 私はあなたの涙に,あなたの微笑みに,
   JE DÉDIE À TES PLEURS, À TON SOURIRE
  ⅩⅥ 私はあなたの二つの眼の中に自分の魂全てを溺らす,
   JE NOIE EN TES DEUX YEUX MON ÂME TOUT ENTIÈRE
  ⅩⅦ われらの眼を愛するため
   POUR NOUS AIMER DES YEUX
  ⅩⅧ われらあの愛の園に,夏はつづく。
   AU CLOS DE NOTRE AMOUR, L'ÉTÉ SE CONTINUE
  ⅩⅨ あなたの明るい眼,あなたの夏の眼が,
   QUE TES YEUX CLAIRS, TES YEUX D'ÉTÉ
  ⅩⅩ 言つてごらん,私の質素な私の静かな友よ,
   DIS-MOI MA SIMPLE ET MA TRANQULLE AMIE
  ⅩⅪ われら自身以外の一切のものからこんなに遠く
   EN CES HEULES OÙ NOUS SOMMES PERDUS
  ⅩⅫ おお! この幸福!
   OH! CE BONHEUR!
  ⅩⅩⅢ 生きませう,われらの愛とわれらの熱情とに。
   VIVONS DANS NOTRE AMOUR ET NOYRE ARDEUR
  ⅩⅩⅣ われらの口の触れ合ふやいなや
   SITOT QUE NOS BOUCHES SE TOUCHENT
  ⅩⅩⅤ 底知れぬ深さ神のやうに聖い
   POUR QUE RIEN DE NOUS DEUX N'ÉCHAPPE ÀNOTRE ÉTREINTE
  ⅩⅩⅥ たとひもう,こよひ,
   BIEN QUE DÉJÁ, CE SOIR
  ⅩⅩⅦ からだを捧げるとは,魂のある以上,
   LE DON DU CORPUS, LORSQUE L'ÂME EST DONNÉE
  ⅩⅩⅧ われらのうちにたつた一つの心やさしさ,
   FUT-IL EN NOUS UNE SEULE TENDRESSE
  ⅩⅩⅨ 炎に花咲く美しい庭は
   LE BEAU JARDIN FLEURI DE FLAMMES
  ⅩⅩⅩ もし万一にも
   S'IL ARRIVE JAMAIS
 午後の時 LES HEURES D'APRÈS-MIDI
  Ⅰ 年は来ました、ひと足ひと足,ひと日ひと日,
   L'ÂGE EST VENU, PAS Á PAS, JOUR Á JOUR
  Ⅱ 六月の薔薇,おん身最も美しいもの,
   ROSES DE JUIN, VOUS LES PLUS BELLES
  Ⅲ 若しほかの花々が家をかざり
   SI D'AUTRES FLEURS DÉCORENT LA MAISON
  Ⅳ 陰は浄まりあけぼのは虹いろ。
   L'OMBRE EST LUSTRALE ET L'AUROPE IRISÉE
  Ⅴ 私は,こよひ,おみやげとして,あなたにあげる,
   JE T'APPORTE, CE SOIR, COMME OFFRANDE, MA JOIE
  Ⅵ ふたりして路ばたに腰かけよう,
   ASSEYONS-NOUS TOUS DEUX PRÈS DU CHEMIN
  Ⅶ しづかに,なほもしづかに,
   TRÈS DOUCEMENT, PLUS DOUCEMENT ENCORE
  Ⅷ われらの愛の生れるわけであつたこの家には,
   DANS KA MAISON OÚNOTR AMOUR A VOULU NATRE
  Ⅸ 窓をあけひろげて
   LE BON TRAVAIL, FENÊTRE OUVERTE
  Ⅹ まつたき信がわれらの愛の底に住む。
   TOUTE CROYANCE HABITE AU FOND DE NOTRE AMOUR
  Ⅺ  暁、陰、夕暮,空間,星。
   L'AUBE L'OMBRE, LE SOIR, L'ESPACE ET LES ÉTOIRES
  Ⅻ 今は善い時,ラムプのつく時。
   C'EST LA BONNE HEURE, OÛ LA LAMPE S'ALLUME
  ⅩⅢ 過ぎ去つた年の死んだ接吻が
   LES BAISERS MORTS DES DÉFUNTES ANNÉES
  ⅩⅣ われらが同じ思に生きてゐてもう十五年。
   VOICI QUINZE ANS DÉJÀ QUE NOUS PENZONS D'ACCORD
  ⅩⅤ 永遠にわれらの喜は麻痺したと思つた,
   J'AI CRU Á TOUT JAMAIS NOTRE JOIE ENGOURDIE
  ⅩⅥ われらのまはりに生きる一切のもの,
   TOUT CE QUI VIT AUTOUR DE NOUS
  ⅩⅦ 私の感覚,私の心,私の頭脳,
   AVEC MES SENS, AVEC MON C ŒUR ET MON CERVEAU
  ⅩⅧ 爽やかな静かな健康の日々,
   LES JOURS DE FRAICHE ET TRANQUILLE SANTÉ
  ⅩⅨ 私は眠の林から出て来た。
   JE SUIS SORTI DES BOSQUETS DU SOMMEIL
  ⅩⅩ ああ,病の鉛が,
   HÉLAS! LORSQUE LE PLOMB DES MALADIES
  ⅩⅪ 明るい庭こそ健康そのもの。
   LE CRAIR JARDIN, C'EST LA SANTÉ
  ⅩⅫ 六月であつた,庭での事,
   C'ÉTAIT EN JUIN, DANS LE JARDIN
  ⅩⅩⅢ 身を捧げるだけでは足らず,あなたは自身を濫費する。
   ET TE DONNNER NE SUFFIT PLUS, TU TE PRODIGUES
  ⅩⅩⅣ おう もの一つ動かぬ静かな夏の庭よ。
   O LE CALME JARDIN D'ÈTÈ OÚ RIEN NE BOUGE
  ⅩⅩⅤ 時間も気持ちも,まるで別,
   COMME Á D'AUTRES, L'HEURE ET L'HUMEUR
  ⅩⅩⅥ 美しい夏の金色の小舟等は,
   LES BARQUES D'OR DU BEL ÉTÉ
  ⅩⅩⅦ 感覚の熱,心情の熱,霊魂の熱,
   ARDEUR DES SENS, ARDEUR DES CŒURS, ARDEUR DES ÂMES
  ⅩⅩⅧ 不動の美は
   L'IMMOBILE BEAUTÉ
  ⅩⅩⅨ そなたは,あの夕,あんな美しい言葉をきかせてくれた。
   VOUS M'AVEZ DIT, TEL SOIR, DES PAROLES SI BELLES
  ⅩⅩⅩ 「明るい朝の時」「午後の時」
   《HEURES DU MATIN CLAIR》《HEURES D'APRÈS SI BELLES》
 夕の時 LES HEURES DE SOIR
  Ⅰ DES FLEURS FINES ET MOUSSEUSES COMME L'ÉCUME
  Ⅱ  S'IL ÉTAIT VRAI
  Ⅲ LA GLYCINE EST FANÉE ET MORTE EST L'AUBPINE
  Ⅳ METS TA CHAISE PRÉS DE LA MIENNE
  Ⅴ SOIS-NOUS PROPICE ET CONSOLANTE ENCOR
  Ⅵ HÉLAS! LES TEMPS SONT LOIN
  Ⅶ LE SOIS TOMBE, LA LUNE EST D'OR
  Ⅷ LORSQUE TA MAIN CONFIE
  Ⅸ ET MAINTENANT QUE SONT TOMBÉS
  Ⅹ QUAND LE CIEL ÉTOIREÉ COUVRE NOTRE DEMEUR
  ⅩⅠ  AVEC LE MÉME AMOUR QUE TU ME FUS JADIS
  ⅩⅡ  LES FLEURS DU CLAIR ACCUEIL
  ⅩⅢ  LORSQUE S'ÉPAND SUR NOTRE SEUIL
  ⅩⅣ SI LE SORT NOUS SAUVA DES BANALES ERREURS
  ⅩⅤ NON, MON ÂME JAMAIS DE TOI NE S'EST LASSÉE
  ⅩⅥ QUE NOUS SOMMES ENCORE HEUREUX
  ⅩⅦ SUBIRONS-NOUS, HÉLAS! LE POIDS MORT DES ANNÉES
  ⅩⅧ LES MENUS FAITS, LES MILLE RIENS
  ⅩⅨ VIENS JUSQU'Á NOTRE SEUIL RÉPANDRE
  ⅩⅩ QUAND NOTRE JARDIN CLAIR
  ⅩⅩⅠ AVEC MES VIEILLES MAINS
  ⅩⅩⅡ SI NOS CŒURS ONT BRÛLÉ EN DES JOURS EXALTANTS
  ⅩⅩⅢ EN CE RUGUEUX HIVER OU LE SOLEIL FLOTTANT
  ⅩⅩⅣ PEUT-ÊTRE
  ⅩⅩⅤ OH! TES SI DOUCES MAINS
  ⅩⅩⅥ LORSQUE TU FERMERAS MES YEUX Á LA LUMIÈRE
 ヹルハアラン 高村光太郎
 解説 北川太一

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンの詩集「時の三部作」。4年前に「光太郎生誕100年記念出版」として出版されたものが、ハードカバーになって「光太郎没後30周年記念」として再刊されました。

今日明日と、1泊2日で今年初の岩手行です。

明日、現在花巻高村光太郎記念館さんで開催中の「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」の関連イベントとして、賢治実弟・清六の令孫にして㈱林風舎さん代表取締役の宮沢和樹氏、賢治の親友だった藤原嘉藤治の顕彰に当たられている瀬川正子氏とのトークイベントに出演いたします。
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午前中の開催ですので、今日から前乗りし、例によって大沢温泉さんに宿泊します。

また、午前中の開催ですので、イベント終了後に昼食が用意されています。メニュー的には、花巻で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが光太郎日記などを元に、実際に光太郎が作ったメニューなどを参考に組み立て、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」だそうで。15日ではありませんが、特別にということで、ありがたし。

今月分がこちら。
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「サメの煮付」「鶏竜田揚げ」「牛蒡と胡桃の甘辛煮」「ポテトサラダ」「ちらし寿司」「チーズ入り蒸しパン」「干し柿と黄桃のゼリー」「漬物」だそうで。

そちらをいただきましたら、盛岡まで足を伸ばすつもりで下ります。つい先日、以下のイベントが開催されていることに気づきまして。

岩手ゆかりの近代詩文書作品展

期 日 : 2026年2月14日(土)~3月8日(日)
会 場 : もりおか町家物語館 岩手県盛岡市鉈屋町10-8
時 間 : 9:00~19:00 最終日は16:00まで
休 館 : 2月24日(火)
料 金 : 無料

今回で4回目の開催です。岩手にゆかりのある近代詩文を題材にした、公募で集まった書道作品を展示します。是非ご覧ください。

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花巻を第二の故郷とした光太郎の詩句を書かれた作品も複数展示されているとのことでして。
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今回で4回目の開催」だそうですが、一昨年に行われた際にはIBC岩手放送さんのローカルニュースで取り上げられ、このブログで紹介させていただきました。そちらは第2回だったようです。

というわけで、行って参ります。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)51 『赤城画帖』特装版

昭和31年(1956)9月5日 龍星閣 高村光太郎著 西山勇太郎編
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目次
 赤城画帖 第一図~第二十八図  赤城相聞歌  赤城山の歌

昨日、内容的には同一の通常版をご紹介しましたが、こちらは百部限定の特装版。二重函で、表紙は羊皮です。

昨日、途中まで書いて保存しておいた状態だったのを投稿してしまっていました。夕方になって削除したのですが「なんだこりゃ?」と思われた方、すみません。

あらためまして、この時期、中高大その他、入学試験がたけなわです。

そんな中、関西大学さんの日本史の問題に、光太郎の父・光雲が取り上げられました。
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(6)が、上野の西郷隆盛像制作の中心となった人物を問う穴埋め問題で、光雲の名が入ります。

予備校の先生によると思われる「評」が以下の通り。
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やや細かい知識が問われた」。常識の範疇かなと思っていましたが、確かに西郷像に関わるSNS投稿等には、「作者は高村光雲だったんだ、意外」といった文言も見られます。特に関西圏以西の方々にとってはこの像そのものが身近な存在ではないせいかもしれません。
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画像は像の鋳造完成後、西郷の故郷・鹿児島に移されて保存されていた木彫原型です。惜しくも太平洋戦争による空襲で焼け落ち、現存しません。

それでも「「老猿」などの作品でも知られる彫刻家」とヒントが書かれていますので、「高村光雲」とすぐ解るのではないかと思われます。「老猿」は中学校の歴史の教科書に出て来ます。
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上画像は平成27年(2015)検定、同28年(2016)発行の東京書籍さん中学生向け歴史教科書。裏表紙に「老猿」があしらわれています。

ちなみに表紙には智恵子が表紙絵を描いた『青鞜』も小さく。
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現行のものはデザインが変わってしまい、表紙/裏表紙にこれらの画像は含まれていませんが、本文では双方しっかり載っています。

関西大さんの入試に戻りますが、他に選択肢で彫刻家は「キ」に荻原守衛、「フ」で平櫛田中。逆に「平櫛田中って誰?」という声が聞こえそうですが。そう考えるとこの問題の正答率は高かったように思われますが、どうでしょうか。

それから今年は私立中学校の入試に、光太郎が取り上げられました。横浜市にある捜真女学校さん中学部の問題です。先週、ネット上にPDFファイルがアップされました。大問ひとつ丸々使われており、問題文が昨年2月2日の『朝日新聞』さん一面コラム「天声人語」。光太郎詩「道程」(大正3年=1914)をネタにしたものでした。

PDFファイルで読んで、なかなかよくできた問題だな、と思っていたのですが、なぜか程なく削除されてしまいました。出た時点でスクリーンショットを取っておけばよかったのですが……。ただ、いまだに検索エンジン上に痕跡が残っていまして、そこから小問一つのみ復元できました。

筆者が冬の雪景色を高村光太郎の「道程」と重ねて想像した理由としてふさわしいものを次の. ア. ~. エ. の中から一つ選び、記号で. 答えなさい。
 ア. 冬の寒さの厳しさが、努力の大変さや 決断することの難しさにたとえられたから。
 イ. 雪が積もった道の美しさが、作品の舞台にふさわしいと思えたから
 ウ. 新しい雪を一人で踏みしめて進む姿が、人生を切り開く決意と重なったから。
 エ. 降り積もった雪が、未来へ続く道しるべのように感じられたから。

どれを正解としても大間違いではないような気がしますが、まぁ「ウ」なのでしょう。

ちなみに捜真女学校さん、かつてかの小倉遊亀が美術教師として教壇に立っていたそうで。

ところで入試というと、昨年の今ごろ、大学入試共通テストにやはり「老猿」が取り上げられたよ、という記事を書きました。その際に貼り付けた画像が違ってるよ、と、つい最近コメント欄からご指摘がありました。慌てて訂正しました。面目ありません。

最初に書いた通り、入試たけなわ。公立高校などはこれからがピークですね。またどこかで光太郎智恵子、光雲が取り上げられてほしいものです。

常々思っていますが、歴史上の主な事項や主要(と思われる)人物の事績などは、受験に向けての知識というよりこの国に生きる人間としての教養として身につけておくべきものだと思います。あまりに細かいところまでは別として、ですが。昨今、あまりにも歴史に学んでいない言動を多く耳にしますので……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)44 『ヴェルハアラン詩集』

昭和28年(1953)12月25日 創元社 高村光太郎訳
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目次
 フラマンド
  パン焼
 路傍
  たとへ
 錯覚の村村
  風
 生活の相貌
  海に向つて
 沸きかへる力
  わが人種 不可能 朝 砂浜で
 無量の壮麗
  空をたたふ 思想家 風を称ふ 吾家のまはり
 至上律
  ミケランジユ
 波うつ麦
  田舎の対話(六番) 燃える娘(村の唄) あけ渡せ(村の唄)
 全フランドル平原
  種馬 農家の庭
 小伝説
  小さな聖母(五月) サンジヤンさま(六月)
 天上の炎
  今日の人に 死者 東西南北 或る夕暮の路ゆく人に
 戦争の赤い翼
  一九一五年の春 病院 葬式
 あとがき 真壁仁

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の翻訳です。主な詩集から光太郎がセレクトし、大正から戦前にかけてさまざまな雑誌などに発表したものの集成で、この時点での新たな訳は含まれません。

4月に都内で行われる演劇公演に向け、出演者の募集が為されています。

朗読劇「ほんとの空・青い空」女性キャスト募集

 来る2026年4月9日(木)〜12日(日)シアター風姿花伝にて公演の朗読劇「ほんとの空・青い空」にご出演いただける女優の皆様を広く募集致します。
 本作は2020年に全国のコミュニティFMで放送したラジオドラマを朗読劇用に加筆してリメイクしたものになります。
 昭和19年〜20年・平成25年・令和8年の3年号を4世代にわたって描く平和と希望をテーマにしたファミリーヒストリーです。
 この作品の柱となる太平洋戦争中の女学校に通う女学生と、この女学校に通った主人公の孫で平成の女子大生の友人たちを募集します。メインキャストなどの詳細はSMASH ENTERTAINMENTの公式Xですでに公開しています。

オーディションのスケジュール
 2月23日募集締め切り 書類通過の方に連絡 必要に応じて面接・朗読オーディション
 2月末日出演者決定

合格後のスケジュール
 3月30日(月)夜間顔合わせ  3月31日(火)稽古開始(平日夜間・土日午後夜間)
 4月8日(水)劇場入り      4月9日(木)〜12日(日) 本番(全6公演)

オーディション参加費
 なし

合格後にかかる費用
 稽古場・劇場までの交通費と期間中の食費(自己負担) その他負担なし

報酬や給与、賞金や賞品、手当など
 報酬:チケットバック制 1枚目から1500円バック ノルマはありません。

応募資格
 プロ・アマ不問
 応募対象者は18歳から30歳くらいまでの女性
 昭和女学生・平成女子大生役の相応に見える方

応募方法
 メールにてご応募ください。
 メールの件名:ほんとの空・青い空 オーディション応募
 本文:送り主様の氏名・会社名・住所・連絡先・応募者の氏名を明記
 添付:全身&バストアップ写真・応募者プロフィール(ひとりにつき3MB未満)
 送り先アドレス:smash@itoa.co.jp
 締切:2020年2月23日(日)
 書類選考後2月25日までに必要に御応じて面接・朗読オーディション
 日時・場所は書類通過者のみに連絡

お問い合わせ
 smash@itoa.co.jp
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元になったラジオドラマは令和2年(2020)にオンエアされたもので、「仮面女子 雪乃しほりのワクワクサワー」という番組の中ででした。現在はメインパーソナリティーの交替に伴い「みんなあつまれ!ワクワクサワー」と改題されています。

その際のタイトルは「ほんとうの空・青い空」と、「う」が入っていましたが、今回は「う」が無くなり「ほんとの空・青い空」。本来、光太郎が詩「あどけない話」に書いた文言は「う」の無い「ほんとの空」ですので、正しく訂正されたわけです。さらに「加筆してリメイク」だそうで。ただ、どの程度「あどけない話」オマージュになっているのか、何ともいえませんが。

オーディション応募の条件として「昭和女学生・平成女子大生役の相応に見える方」だそうです。突っ込みどころがありますが(笑)、我こそはと思う方、ぜひどうぞ。

公演の詳細に関してはまた近くなりましたらご紹介します。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)43 『詩集 天上の炎』

昭和28年(1953)2月15日 創元社(創元文庫) エミイル・ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 未来(序詩) 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 私の集(題跋詩)
 解説(金子光晴)

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

光太郎訳のオリジナルは大正14年(1925)に新しき村出版部からハードカバーで刊行され、さらに昭和26年(1951)には白玉書房版のペーパーバックも出ています。そして文庫本化が為されました。

解説を金子光晴が書いています。

昨日、光太郎ゆかりの地・宮城県女川町の話題で『石巻かほく』さんの記事をご紹介しましたが、系列の『河北新報』さんが一面コラムで昨年12月に光太郎の名を出して下さっていました。見落としていました。

河北春秋(12/5)009

正直は美徳だと思っていた。通用しない世界があるようだ。台湾有事を巡る高市早苗首相の発言に中国の反発が収まらない。「武力の行使を伴うものであれば存立危機事態になり得る」。つい本音が出てしまった▼台湾は民主主義が根付き、独自の統治機構がある。東日本大震災では多大な支援を頂いた。武力行使はあってはならない。ただ中国にも立場がある。1972年の日中共同声明で中国は「台湾は領土の不可分の一部」と表明し、日本は「十分理解し、尊重」すると応えた▼歴代政権が台湾問題にあいまいな表現を戦略的にとり続けたゆえんだ。とかく世論はリーダーに力強さを求め、物事に黒白をつけたがる。84年前の太平洋戦争前夜もそうだった。斎藤茂吉や高村光太郎、志賀直哉…。名だたる知識人が開戦の一報に快哉(かいさい)を叫んだ▼政治学者の中西輝政さんは、どちらにも決まらぬ気持ち悪さに延々と耐え抜くことが世界史に大をなす国の必要条件と指摘する。秘すれば花である。尖閣諸島も対立必至の国有化は避け、したたかに権益を保全する手があったのではないか▼外交は相手国と51対49を争う。完勝はない。首相は内輪受けする威勢のよさではなく、冷徹さと誠実さを併せ持ち、日本の国益と東アジアの平和を守り抜いてほしい。(2025・12・5)

2ヶ月前のものですが、事態は好転どころか、悪化の一途を辿っていますね。10月初めに自民党総裁選が行われ、明日はこの時期としては異例の衆議院選挙。総裁選前から続く政治的空白は4ヶ月以上に及び、物価高や円安、旧統一協会の問題など喫緊の課題がなおざりになったままです。逆にコラムでも取り上げられている問題発言など、余計なことばかり。ちなみに衆議院解散に伴って、審議中だったりした法案が何と74本も廃案となったそうで。永らく議論されてきた選択的夫婦別姓法案や、先の参院選で問題となった企業・団体献金を規制する政治資金規正法改正案もです(まぁ、74本の中にはギャグとしか思えない「ナントカ損壊罪」についても含まれるようですが)。ついでに言うなら来年度予算の編成にも大きく影響します。

さらに嘆かわしいのが、平和憲法を軽視し、息を吐くように嘘を吐き、G7や党首討論で敵前逃亡を繰り返す騒動の当事者やその取り巻きをもてはやす声の多さ。まさに戦前の我が国を彷彿とさせるという論評がありますが、その通りですね。

過日ご紹介した小関素明氏著『「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史 擬態に対峙する詩人たち』は、そのあたりで非常に示唆に富むものでした。昭和16年(1941)の太平洋戦争開戦直前、日中戦争の泥沼化、対日禁輸による各種の統制などで日本全体が包まれていた閉塞感に、開戦の詔勅や報が風穴を開け、これから訪れるであろうさらなる苦難の日々に思いを馳せることなく、ほとんどの国民がある種の開放感に包まれていたというものです。

コラムに名が上げられている通り、光太郎もその急先鋒の一人でした。同書では12月8日当日、大政翼賛会中央協力会議に参加していた光太郎の随想「十二月八日の記」が引用されています。

 時計の針が十一時半を過ぎた頃、議場の方で何かアナウンスのやうな声が聞えるので、はつと我に返つて議場の入口に行つた。丁度詔勅が捧読され始めたところであつた。かなりの数の人が皆立つて首をたれてそれに聴き入つてゐた。思はず其処に釘づけになつて私も床を見つめた。聴きゆくうちにおのづから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡が曇つて来た。私はそのままでゐた。捧読が終ると皆目がさめたやうに急に歩きはじめた。私も緊張して控室に戻り、もとの椅子に坐して、ゆつくり、しかし強くこの宣戦布告のみことのりを頭の中で繰りかへした。頭の中が透きとほるやうな気がした。
 世界は一新せられた。時代はたつた今大きく区切られた。昨日は遠い昔のやうである。現在そのものは高められ、確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなつた。
 この刻々の瞬間こそ後の世から見れば歴史転換の急曲線を描いてゐる時間だなと思つた。時間の重量を感じた。

ちなみに光太郎はこの頃の自分の愚かさを戦後になってしっかりと反省し、7年間もの過酷な蟄居生活を送ることとなります。

他の文学者たちのそれも紹介されています。

 今こそ全文化を目的意識と観念的規定の室から出して、凛然たる外気に当て、自然のままに生きてゆくものだけを生育せしめるやう、純粋化し、淘汰せねばならぬ。
 かういふ時期にこそ、文学には「文」の領域があることをはつきり認識することが出来る訳だ。今までのやうに「軍」や「政治」に追従してゐたのから去つて、明確に己が本然の使命の下に、今日の栄えある国民的試練の時を自力で生きてゆかなければならぬ。(河上徹太郎)

 本日みたいにうれしい日はまたとない。うれしいといふか何といふかとにかく胸の清々しい気持だ。(略)宣戦の大詔を三度聞き三度読んだ。(黒田三郎)

 涙が流れた。言葉のいらない時が来た。(坂口安吾)

 ふと、自分は、ラジオを聴く前と、別人になつてゐるやうな気がした。(略)一間も二間もある濠を、一気に飛び越えたやうな気持がした。(獅子文六)

 それを、ぢつと聞いてゐるうちに、私の人間は変わつてしまつた。強い光線を受けて、からだが透明になるやうな感じ、あるひは、聖霊の息吹きを受けて、つめたい花びらを胸の中に宿したやうな気持。日本も、けさから、ちがふ日本になつたのだ。(太宰治)

 まつたく一日として神経の安まる日はないのであつた。私たちは今の言葉でいふ、ノイローゼになつてゐた。これ以上、こんな緊張の日々が続くのは耐へられない。そこへもつて十二月八日の太平洋開戦だ。なにはとまれ、これでどつちかへ片づく。ヤレヤレといふ気もちであつた。(徳川夢声)

 十二月八日、大詔が渙発せられ、米英との国交が断絶せられた事は、生をこの聖代にうけたものの真に重大事と考ふべき事である。
 これこそ世界歴史への一大転換の御命令であつて、吾々は過去と遮断して全く別の体系に這入つたことを自覚せねばならぬのである。(中河与一)

 真剣になれるにはいい気持だ。僕は米英と戦争が始まつた日は、何となく昂然とした気持で往来を歩いた。
 くるものなら来いといふ気持だ。自分の実力を示して見せるといふ気持だ。(武者小路実篤)

今回の選挙について、開票結果が明らかとなる明日以降、この手の感想を抱く人がたくさん現れるような事態を懸念して已みません。杞憂に終わることを祈りますが……。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)38 詩集『天上の炎』 

昭和26年(1951)4月25日 白玉書房 エミイル ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序詩 未来 新しい都 昔の信仰 私の眼よ 誇 機械 熱烈な生活 港の突堤で
 今日の人に 健康 死者 問題 機会 トンネル 波止場で 私の都 わが友風景 木蔦
 東西南北 森 花の方へ 並木の第一樹 散歩 或る夕暮の路ゆく人に 題跋詩 私の集
 ヹルハアラン

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)の詩集の翻訳です。

大正14年(1925)、新しき村出版部から出た初版の内容に、評伝「ヹルハアラン」(昭和8年=1933)を追補して刊行されました。

ちょっと前ですが、1月21日(水)の『朝日新聞』さん岩手版に以下の記事が載りました。

岩手独特の住所表記「地割=チワリ」の謎 逆境公務員の苦心の結果?

 岩手では普通でも、県外出身者は首をかしげる住所表記の「地割」。私も昨年4月に盛岡に赴任して初めて知った。「ちわり」と読むらしい。これは岩手だけ? だとしたらなぜ? 1年足らずぼんやり抱えていた疑問について、探ってみた。
 「○○市××第5地割30番」のように使われる「地割」。私は岩手に接する青森、秋田、宮城の3県で勤務経験があるが、大字(××)に続く表記は「丁目」「番地」が一般的だ。
 ネットで検索すれば関連情報は出てくるが、確証が持てない。まずは手堅そうな岩手県庁のいくつかの部署に尋ねたが、答えは出ず。中には「他県にはないのですか?」と驚く職員もいた。かつて調査したことがあるという県立図書館も、当時の担当者が不明で詳細な説明はできないとのこと。
 探し回った結果、かつて似た疑問を覚え、調べたという県立博物館専門学芸調査員の工藤健さんに出会えた。
 「『地割』は岩手で独自に生まれたと考えられます。確認できる史料で最初に現れるのは、明治初期の地租改正時。県が地権者に発行した『地券』に出てくるんです」
 地租改正は、明治新政府が行った課税制度の改革だ。それまで村落単位で課せられていた税は、個人への課税に変わった。県や府が実態調査し、土地の所有者を証明する「地券」を地権者に発行。そこに「地割」の文字が記されたという。
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■仙台藩領はなし008
 ではなぜ、そんな文言が記されたのか? ヒントは江戸後期、盛岡藩が徴税のために作った地図にあった。
 各村の地図には、線引きされて「い」「ろ」「は」などと仮名で印が付いた区画が記されていた。その各区画が地租改正後、「第○地割」となっていったことが史料から確認できたという。
 「この『い』『ろ』『は』にもそれぞれ、元来の地名がありました。しかし、個人の土地所有の根拠となる地券に『地割』と記されたことで、そっちが正式な地名になっていったんです」
 このため、北上市近辺より南の仙台藩領だった地域は「地割」がない。元は盛岡藩でも、地租改正の作業時には岩手県ではなかった今の八幡平市の一部も同様だ。こうしたことからも地租改正時、岩手県が盛岡藩の資料を基に、独自に「地割」を導入したことが分かる、と工藤さんは解説する。
 しかし、元の地名をなくして数字化するとはずいぶん大胆な……。
 「証拠がなく、あくまで想像ですが」と断った上で、工藤さんは語る。
 「明治の新政府から届く膨大な命令に、なんとか対応しようとした県職員の苦心の末の策だったのでは。大量の事務仕事を乗り切るため、整理しやすい地名にしたのかもしれません」

■3分割に耐えて
 戊辰戦争で幕府側に付き、賊軍となった盛岡藩は明治に入り3分割され、他藩の管理下に。1870(明治3)年にそのひとつが盛岡県になった後も、江刺県(旧盛岡藩領)や胆沢県(旧仙台藩領)との統廃合などを経て、今の岩手県として落ち着くのは76(明治9)年。地租改正は、そのさなかの大事業だった。
 「岩手で『地割』が生まれた時代の印象は、高村光太郎が『岩手の人沈深牛の如(ごと)し』とうたった詩に重なります。逆境でも人々は思慮深い牛のように沈着に耐え、『その成すべきを成す』日に備えていたのでしょう」
 地租改正から45年。盛岡出身の原敬が初の平民宰相に就いた。そう考えると、「地割」の語感も味わい深く響いた。


「地割」。当方も以前から気になっていました。実際、花巻の高村光太郎記念館さんの住所が「花巻市太田第3地割3-9」だったり、道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんは「花巻市轟木第7地割203」だったりするものですから。

地租改正、地券発行の際に分かりやすく、という説はうなずけますね。ちなみに以前に書きましたが、自宅兼事務所のある千葉県北東部では住所に「イ」「ロ」「ハ」が使われていて、これも珍しいケースだそうです(他に石川県にもあるそうですが)。自分の生まれた場所は「佐原市佐原ロ」でしたし、よく行く隣町の県立図書館さんの分館は「旭市ハ」。「くち」や「はち」と間違えられます(笑)。これらも同じような由来なのかも知れないなと思いました。

記事にある「岩手の人沈深牛の如(ごと)し」は、詩「岩手の人」(昭和23年=1948)の一節です。

    岩手の人009

 岩手の人眼(まなこ)静かに、
 鼻梁秀で、
 おとがひ堅固に張りて、
 口方形なり。
 余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
 たまたま岩手の地に来り住して、
 天の余に与ふるもの
 斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
 岩手の人沈深牛の如し。
 両角の間に天球をいただいて立つ
 かの古代エジプトの石牛に似たり。
 地を往きて走らず、
 企てて草卒ならず、
 つひにその成すべきを成す。
 斧をふるつて巨木を削り、
 この山間にありて作らんかな、
 ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
 未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

記事ではちょっと無理くり取って付けたような引用ですが(笑)、光太郎に触れて下さりありがとうございます。

こうした先人の遺した地名も、一つの文化遺産です。そうした意味でしっかりと受け継いでいくべきものと思われます。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)33 『造型美論』 筑摩選書

昭和24年(1949)3月10日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 現代の彫刻
  実技家の場合 概観 二つの源流について 時間的一瞥 フランスの彫刻 ブルデル
  マイヨル デスピオ ベルナアル 「ぢか彫り」騒動 穏健群 形式主義群団
  ドイツの彫刻 イギリスの彫刻 残余の諸国 現代日本の彫刻
 素材と造型
  素材と造型 造型といふ語 造型芸術 造型本能 造型芸術の本質 造型的諸要素
  造型美 造型芸術の種類 素描 日本画と色彩 日本画に於ける油画について 彫刻
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條

戦時中の昭和17年(1942)に厚冊のハードカバーで出された同名の書を、2分割してペーパーバック化したうちの一冊です。もう一冊は『印象主義の思想と芸術』。明日、紹介します。

1月21日(水)の『朝日新聞』さん一面コラム「天声人語」。光太郎詩「冬が来た」(大正2年=1913)と「道程」(同3年=1914)を引いて下さいました。

(天声人語)きつぱりと冬が来た

「冬が来た」と題した詩を、高村光太郎が編んでいる。それは〈きつぱりと冬が来た〉と始まる。〈八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になつた〉。ご存じの方も多いだろう。あの有名な詩〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉と同じ詩集に載っている▼寒い冬が、やって来た。きのうは大寒の入りだった。1年で、もっとも冷え込みが厳しい時期とされる。実際に今週、強い寒気が列島に流れ込み、しばらく居座るようだ▼名著『風土』で、和辻哲郎は寒さと冷たさについて考察している。乾いた西欧の冬に、冷たい空気はあっても、身に沁みるような寒さはない。湿潤な日本の冬と違って「人間を委縮させずにはおかないような、暴圧的な寒さはない」と論じた▼思い出すのは、かつて駐在した旧満州の地、中国東北部の乾燥した冬だ。零下30度にもなる冷気は寒さというより、痛みだった。ゾクッとしたときはもう手遅れとも言われた。見えない何かに体が蝕(むしば)まれる恐怖である▼土地の人は“先”に注意するよう教えてくれた。耳の先、手や足の先、頭の先。そういえば「冷たい」の語源は「爪痛し」との説がある。靴下を重ね、手袋をはめ、人は丸くなって、じっと、待つ。天地の道、極まれば則(すなわ)ち反(かえ)ると唱えながら、春を待つ▼高村は書く。〈ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ〉。近所にある梅の木に目をやれば、その枝に、ぷくりとした芽がゆれていた。

まったくこの冬の寒さは厳しく感じられます。ひと頃、毎年のように暖冬だと言われていた時期は何だったんだろうという感じです。まぁ、これが本来の自然の姿なのでしょうが。

自宅兼事務所のある比較的温かな千葉県の北東部でも、既に2回降雪がありました。最初は1月2日(金)から翌日未明にかけて。
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この時は4~5㌢の積雪。それから一昨日も、朝起きたらうっすらと屋根に積もっていました。どうもまだ降るような気がしています。「カマキリが高い場所に卵を産むとその冬は積雪が多い」という俗信があり、そのとおり昨秋、2階のベランダの外壁に産卵したカマキリがいまして。
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それにしても、雪国の皆さんのご苦労はいかばかりかと存じます。ご自愛下さい。

しかし、冬至を過ぎて一ヶ月、確実に陽光は春近しの感を呈してきました。もう少しの辛抱ですね。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)24 『随筆 某月某日』

昭和18年(1943)4月20日 龍星閣 高村光太郎著
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目次
 十二月八日の記 子供の頃 美術学校時代 姉のことなど 母のこと ロダンの手記談話録
 某月某日 七月の言葉 一夏安居の弁 詩の深さ 中央協力会議の印象
 芸術による国威宣揚 美の力 戦時下の芸術家 某月某日 美術館の事その他 戦時の文化
 間違のこと 自作肖像漫談 春さきの好物 雷ぎらひ 普遍と独白 しやつくり病
 上野の現代洋画彫刻 某月某日 三十年来の常用卓 某月某日 ほくろ 悠久山の一本欅
 谷中の家 某月某日 蟻と遊ぶ 豊島与志雄氏著「猫性語録」 小感 某月某日
 がんがん三つ口 新茶の幻想 

光太郎初の随筆集です(一部、随筆と言うより評論と言った方が良いものも含みます)。タイトルの「某月某日」は、その題で『改造』、『歴程』、『知性』、『帝国大学新聞』に寄稿していて、そこから採りました。他もすべて新聞、雑誌等への寄稿からの転載で、書き下ろしは含まれません。

版元は『智恵子抄』と同じ龍星閣。おそらく、光太郎の美術評論集『美について』(道統社)と『造型美論』(筑摩書房)が相次いで刊行され、それなりに好評だったため、社主の沢田伊四郎が、それなら随筆集もと思い立ったのではないかと考えられます。

同年10月の第2刷から函がカバーに代わり、昭和19年(1944)の第3刷まで確認出来ています。計45,000部が刊行されました。

道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんのテナント、ミレットキッチン花(フラワー)さんが毎月15日に限定10食で出品している弁当「光太郎ランチ」。今年最初の販売が行われました。
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メニューはぶり大根、揚げじゃがいもの甘辛煮、菜花のおひたし、切干大根の酢の物、卵焼き、そば粉クレープ、赤飯、芋羊羹とのこと。

そば粉をパン状にするのは光太郎がよく行っていた調理法です。他も基本的に光太郎日記等から作った料理や使った食材を参考にし、現代風にアレンジしています。メニュー考案やリーフレットの作成はやつかの森LLCさんです。

令和2年(2020)10月から販売が始まり、もう5年以上です。できうるかぎり続けていただきたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)21 『造型美論』

昭和17年(1942)1月26日 筑摩書房 高村光太郎著
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目次
 素材と造型
 造型小論
  彫刻に何を見る ミケランジエロの彫刻写真に題す 蝉の美と造型 ロダンの素描
  鷗外先生の「花子」 木彫地紋の意義 仏画賛 彫刻性について 展覧会偏重の弊 手
  能面の彫刻美 九代目団十郎の首 本面について アンドレ ドラン 彫刻十箇條
 現代の彫刻
 印象主義の思想と芸術

大正4年(1915)刊行の『印象主義の思想と芸術』、昭和8年(1933)刊行の『現代の彫刻』全文、それから共著で刊行された書籍の光太郎担当部分、さらに前年刊行の『美について』に洩れていた雑誌等に発表した評論などを集めて一冊にしたものです。

昭和18年(1943)の第四刷まで確認出来ています。物資不足が深刻化しつつあり、第四刷ではそれまでの函が無くなり、代わりにカバー装となりました。

「智恵子抄」、「ほんとの空」の語を使われてしまっては、紹介しないわけに参りません(笑)。

【東京開催】二本松市移住出張相談会

期 日 : 2026年1月18日(日)
会 場 : ふくしまぐらし相談センター窓口 千代田区有楽町2-10-1東京交通会館8F
時 間 : 10時30分~17時00分 ※ご相談1回あたり約45分×6回
料 金 : 無料

二本松市移住出張相談会とは
 「ふくしま市町村出張相談デスク」として、二本松市の移住担当職員と福島県の移住相談員(※)がタッグを組み、皆さんの移住などに関する相談を受け付ける1日だけの相談会です。
※福島県が東京有楽町に設置する移住相談窓口「ふくしまぐらし相談センター」の相談員。

 移住って何から始めればいいの・・・という移住全般の相談から、移住してから不安なこと、市町村に住んでいないとわからないリアルなことなど・・・移住生活に興味はあるけれど具体的にイメージできない方、移住に向けて一歩踏み込んだ話をしたい方など、ぜひこの機会にお気軽にご相談ください。

福島県二本松市はこんなところです
 首都圏から新幹線で約2時間程度。「智恵子抄」で詠われた『ほんとの空』が広がる二本松市は城下町として栄え、温泉や里山など田舎暮らしをしたい方の望むものが揃う一方、病院や公園などの遊び場も多く、子育て世帯も住みやすい街です。福島県の中でも、県庁所在地である福島市と、人が多く集まる商業都市である郡山市のちょうど中間地点に位置しており、利便性にも優れています!

ご相談内容の例
 地域おこし協力隊制度・募集情報のご紹介
 二本松市での暮らし、仕事、住まいについてのご相談
 具体的な移住支援制度についてのご紹介
 子育て支援についてのご案内
 移住された方の事例についてのご紹介

お問い合わせ 二本松市秘書政策課総合政策係 移住窓口
 〒964-8601 福島県二本松市金色403番地1
 電話 0243-24-7120 ファックス 0243-22-7023
 Mail sougouseisaku@city.nihonmatsu.lg.jp
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申し込み〆切が1月15日(木)まででしたが、まだ空きがあるかもしれませんし記録のためにもご紹介しておきます。

ところで、フライヤーにある「Uターン」と「Iターン」は解りましたが、「Jターン」というのは存じませんでした。「J」の字面からして、「U」まで戻らなくても途中まで、という意味なのかと思って調べたら、そんな感じでした。

ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)17 『道程』改訂版 書店版

昭和15年(1940)11月20日 山雅房 高村光太郎著
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目次
 道程
  失はれたるモナ・リザ  明治四十三年十二月十四日
  画室の夜        明治四十四年一月十二日
  寂寥                       明治四十四年三月十三日
  声           明治四十四年五月二十日
  新緑の毒素       明治四十四年六月十一日
  はかなごと
  地上のモナ・リザ    明治四十四年七月六日
  父の顔         明治四十四年七月十二日 
  泥七宝         明治四十四年七月――翌年六月
  ――に         明治四十五年七月二十一日
  或る夜のこころ     大正元年八月十八日
  おそれ
  犬吠の太郎       大正元年九月二十六日
  さびしきみち      大正元年十月八日
  梟の族         大正元年十月二十日
  或る宵         大正元年十月二十三日
  郊外の人に       大正元年十一月二十五日
  冬の朝のめざめ     大正元年11月三十日
  戦闘          大正元年十二月十四日
  人に          大正二年二月十八日
  人類の泉        大正二年三月十五日
  山           大正二年十一月四日
  冬の詩         大正二年十二月六日
  牛           大正二年十二月七日
  僕等          大正二年十二月九日
  道程          大正三年二月九日
  愛の嘆美        大正三年二月十二日
  婚姻の栄誦       大正三年三月六日
  万物と共に踊る     大正三年三月九日
  瀕死の人に与ふ     大正三年三月十四日
  晩餐          大正三年四月二十五日
  五月の土壌       大正三年五月十六日
  秋の祈         大正三年十月八日
 道程 以後
  わが家         大正五年
  小娘          大正六年
  無為の白日
  海はまろく
  雨にうたるるカテドラル 大正十年十月
  沙漠
  クリスマスの夜     大正十一年一月
  冬の送別        大正十一年四月
  五月のアトリエ     大正十一年五月
  ラコツチイ・マアチ   大正十一年十一月
  落葉を浴びて立つ    大正十一年十一月
  樹下の二人       大正十二年三月
  鉄を愛す        大正十二年五月
  氷上戯技
  珍客
  葱
  車中のロダン      大正十四年
  後庭のロダン      大正十四年二月
  十大弟子        大正十五年
  聖ジヤンヌ       大正十五年
 猛獣篇 時代
  清廉          大正十三年十二月
  傷をなめる獅子     大正十四年
  狂奔する牛
  鯰           大正十五年
  苛察          大正十五年
  雷獣          大正十五年六月
  龍           大正十六年
 【編纂者の言葉】 三ツ村繁蔵

同日刊行された「百五十部限定版」と内容、紙型は同一です。「百五十部限定版」で青いクロス貼りの表紙に金押しされていた「獅子の顔」素描は空押しになり、見返しに印刷されていた光太郎署名はありません。定価は「百五十部限定版」が4円80銭、こちらは2円80銭です。

さらにこの後「普及版」が刊行されます。

昨年開催されたイベントの報道が最近為されていますので、ご紹介しておきます。

まず、11月13日(木)~11月30日(日)に茨城県取手市の東京藝術大学大学美術館取手館さんで開催され、光太郎の卒業制作「獅子吼」石膏原型が展示された「藝大取手コレクション展2025」につき、同市の『広報とりで』今月号。

発見~開館30周年と収蔵棟完成を祝う祭典! 「藝大取手コレクション展2025」

 令和6年に開館30周年を迎えた東京藝術大学大学美術館と、 未来の学生たちの作品を十分に保管できるスペースを持った取手収蔵棟が同年竣工したことを記念し、「藝大取手コレクション展2025」が令和7年11月13日から30日まで開催されました。取手東小学校の3年生も学校行事でコレクションを鑑賞しました。鑑賞した児童からは「いろいろな作品が見られて楽しかった。作品ごとに違う雰囲気や面白さがあった」と話し、“アートのまち取手”ならではの貴重な体験をしました。
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学校教育との連携は大切なことですね。未来のアーティストや評論家などが生まれる一つのきっかけとならないともかぎりませんし。

続いて11月30日(日)に港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」につき、青森の地方紙『東奥日報』さん。同紙では翌日にもすでに報道して下さったのですが、改めて昨年大晦日に長い記事にして下さいました。

十和田湖の未来を語る東京フォーラム 11月30日に東京で開催 先人の思いを礎に「感動体験」が人を呼ぶ好循環へ

 山は富士、湖水は十和田、広い世界に一つずつ――。明治・大正期の文人で、俳句や美文で十和田湖や奥入瀬渓流の自然美を世に紹介した大町桂月が、蔦温泉で没して100年。今や十和田八幡平国立公園は本県を代表する観光地となっています。「十和田湖の未来を語る東京フォーラム」が11月30日、東京都港区の赤坂区民センターで開かれました。大町の人柄や功績、本県との関わりを振り返り、十和田湖と周辺地域の未来に視線を向けたフォーラムの様子を紙面で採録します。

蔦温泉で二度越冬
 フォーラムは東京青森県人会の主催で、参加者の皆さんは十和田湖の歴史、自然、文化、観光に詳しい方々による講演とパネルディスカッションに熱心に耳を傾けていました。大町桂月(以下、桂月)の足跡をたどり、業績を後世に伝える活動を続けている「大町桂月を語る会」の谷川妙子事務局長は、桂月が「日本の昔の好い人情が東北のこの地にまだ残されている」と話していたことや、二度の越冬時にはユーモラスな絵と文で厳冬期や春の雪解けなども楽しんだ滞在の様子を書き残していることを紹介しました。
 また、「『十和田湖一帯の地は山水の衆美(しゅうび)を集め啻(ただち)に日本に秀絶(しゅうぜつ)するのみならず世界に冠絶(かんぜつ)す』という美文で固めた請願文が大きな反響を呼びました」と、筆の力で国立公園に大きく押し上げた桂月の功績をたたえました。

湖の感動を表した像
 十和田湖のシンボルとして愛されている「乙女の像」について、高村光太郎連翹忌(れんぎょうき)運営委員会の小山弘明代表が制作に至る経緯などを解説しました。像の設立は国立公園15周年を記念して、十和田開発の功労者である大町桂月、青森県知事の武田千代三郎、十和田村長で県会議員の小笠原耕一の三氏の功績を讃える目的で、詩人・彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)が制作。高村は、桂月と同様に自分が湖から受けた感動をそのまま正直に表す思いで像を造ることとし、完成後の像は自分の手を離れて十和田湖の自然の中に溶け込むことを願っていたというエピソードを紹介しました。

感動体験から保護・活用へ
 初任地が十和田湖事務所だったという環境省自然環境局国立公園課長の長田啓さんは、「自然豊かな日本で一番贅沢な通勤路だった」と話し、会場を沸かせました。その上で、十和田八幡平国立公園は環境省が世界に誇れる国立公園を作る「国立公園満喫プロジェクト」において全国の先行的な取り組みを進める地域の一つに選ばれていることを紹介。訪れた人の感動体験が公園を「守ろう」という意識づけになり、利用によって得られる利益が保護に回る好循環を目指しています。神秘的な自然美、十和田神社の信仰といった歴史文化を守りながら宿泊施設の整備などで滞在環境の上質化を進め、国内外からより多くの訪問者が来ることへの期待を伝えました。
 ゼネラル・プロデューサー山田安秀氏は、地域の歴史や自然文化の複合的な価値と、将来を考える機会になればと話し、パネルディスカッションを締め括りました。
 フォーラムの最後に登壇した桂月のひ孫にあたる大町芳通さんは、「桂月が愛した十和田の素晴らしい自然を青森の観光資源として維持、活用することを知恵を持って成し遂げていただき、地元がもっと発展するよう祈っています」と謝辞を述べ、会場からは大きな拍手が送られました。

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この他、大町桂月の詳細なプロフィール、フォーラム登壇者の全氏名と肩書き、東京青森県人会役員の方々からの「応援メッセージ」などが掲載されていますが、長くなるので割愛します。

また改めてご紹介しますが、十和田湖では今月末から来月末にかけ、「乙女の像」ライトアップも為される「第28回十和田湖冬物語」というイベントも開催予定です。ぜひ足をお運び下さい。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)8 『明るい時』

大正10年(1921)10月15日 芸術社 ヹルハアラン著 高村光太郎訳
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目次
 序文
 明るい時
  一 おうさんらんたるわれらのよろこび     二 無言のままわれらの歩く
  三 この野蛮な柱頭              四 夜の空はひろがり
  五 いつでも、かほど純真にふかい     
  六 あなたは時としてあのなよやかな美を示す
  七 おう! 戸を叩かせて置かう        八 あどけない頃のやうに
  九 わかい、気のやさしい春は         一〇 しづかに来て                        
  一一 火のやうな恍惚の眼をして        一二 長い間私のくるしんでゐた時 
  一三 どういふわけか何故なのかいはれは何か
  一四 黄金と花との階段をしづしづ降りる    
  一五 私はあなたの涙に、あなたの微笑に       一六 私はあなたの二つの眼の中に
  一七 われらの眼を愛するため                   一八 われらの愛の園に、夏はつづく
  一九 あなたの明るい眼、あなたの夏の眼が   二〇 言つてごらん                        
  二一 われら自身以外の一切のものを            二二 おお! この幸福!                  
  二三 生きませう               二四 われらの口の触れ合ふやいなや
  二五 底知れぬ深さ神のやうに聖い       二六 たとひもう、こよひ                  
  二七 からだを捧げるとは、魂のある以上   
  二八 われらのうちにたつた一つの心やさしさ  二九 炎に花咲く美しい庭は                
  三〇 もし万一にも                        
 小曲二章
  小さな聖母  サンジヤンさま
 二篇
  風をたたふ  吾家のまはり

ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレン(1855~1916)が、妻のマルト・マッサンとの日々を謳った連作詩「明るい時」の翻訳を根幹としたものです。後の『智恵子抄』が想起されます。

光太郎による序文では、「詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の「詩」はやはり向うに残る。其を知りつつ訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである。」と記されています。言わずもがなですが、「フランス語を知らない一人の近親者」は智恵子です。

松の内の間に正月っぽいネタを片付けてしまおうと思います。

『京都新聞』さん、元日の「社説」。

社説:新しい年に 京都、滋賀に希望の物語紡ごう

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 京都の書店で、画集の上に「檸檬(れもん)」を置いて出てきたと小説に書いたのは、梶井基次郎である。
 病床にあった詩人高村光大郎の妻は、レモンを<きれいな歯ががりりと嚙んだ(略) 天のものなるレモンの汁はぱつとあなたの意識を正常にした>(智恵子抄(ちえこしょう))
 私たちの舌と多くの芸術家を刺激してきた酸っぱいレモンが、京都で作られている。5年ほど前から始まった挑戦の結実だ。
 仕掛けたのは農産物加工品の製造・販売会社「日本果汁」(京都市下京区)。健康志向で拡大する国産レモンの需要に、生産が追いつかない。取引のある農家や専門家に、京都での栽培を打診する。

未来を刺激する実り 
 舞鶴、亀岡、木津川、京田辺など府内20超の農家が手を上げた。行政や企業の支援も得て、耕作放棄地を活用。防寒対策など2年ほどの試行錯誤で木が根付く。
 実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫で、先月に終えた年間収穫は7トン前後。「京檸檬」として加工品用に出荷し、地元の宝酒造(伏見区)が酎ハイ、ロマンライフ(山科区)が洋菓子に用いるなど商品化している。
 日本果汁の河野聡社長は「新たな特産品で持続可能な地域づくりに貢献できれば。目標は10年以内に100トン。生食や京料理などでの使用にも広げたい」と話す。
 府南部では鮮烈なグリーンのレモンが、茶園やネギ畑のそばで実っていた。緑の競演だ。<がりりと嚙んだ>ら通常より酸味が柔らかい。京の名前が良く似合う。多くの人の口に届いてほしい。

つなぎ、つながる多様性
 本紙は昨年から一つの地域で、複数の地方版を読めるように紙面を改めた。京都、滋賀で多くの人やグループ、団体が「わがまち」の資源を生かしたり、新たに作り出したりして地域社会を動かすニュースを連日、報じている。
 そこから読み解けるのは「つながり」「つなぐ」ことの大切さだ。糸をたぐり京滋に希望の物語を紡ぐ-。次の主役は、あなたやあなたの周囲の人かもしれない。
 政治には、そうした営みを後押しする方策を求めたい。
 30年来続けてきた国の少子化対策は、めぼしい効果をもたらしていない。結婚や出産、子育てについて行政が環境を整えることは重要だが、いずれも個人の自由であり、それでただちに出生率が持ち直すわけではない。
 結婚をためらう非正規労働者など雇用環境の改革、「伝統的な家族観」を女性に押しつける考え方など、複合的な社会の障壁を除くことが必要である。「多様性」と「寛容」が鍵になろう。
 ここ10年、政府が旗を振った「地方創生」も残念ながら、地域社会を疲弊させた面が大きい。官邸と霞が関が中央統制を強め、自治体間で住民や税金、補助金を奪い合わせたからだ。
 国は人口や経済成長をコントロールできるという幻想の物語を振りまき、真に必要な改革から逃げてきたのではないか。政府推計で、15年後には生産年齢人口(15〜64歳)が今より1100万人も減る。不都合でも直視したい。
 その点で、地方創生について政府自身が検証報告で行き詰まりを認め、昨年6月に閣議決定した今後10年の基本構想に「人口減少を正面から受け止め、誰もが安心して生活できる適応策を講じる」と明記したのは意義深い。
 地域社会の持続的な発展には、性別や世代、国籍を問わず支え合い、参加し、ゆるやかに連帯する暮らしと働く場が欠かせない。

政治が亀裂深めるな 
 それを支えるのは、医療・介護や教育施設、交通網、農林漁業といった広義のインフラだろう。東京大や同志社大で教えた経済学の泰斗、故宇沢弘文氏は「社会的共通資本」と呼んだ。
 人口減への適応策として、国と自治体は、その維持を優先すべきだ。「縮むまち」に合わせて、身の丈を整える青写真を各自治体は描く時ではないか。
 それを国は支えつつ、自らも人口減・低成長に即した「日本のかたち」を示し、「成熟型」の社会保障や財政、経済戦略を再構築すべきである。負担のわかちあいなど厳しい面もあろうが、次世代へのツケ送りは慎まねばならない。
 心配なのは、つながり、共に生きるより、交流サイト(SNS)を介して対立や不確かな情報をあおり、自分と考えの違う人や少数者、外国人を排撃する動きだ。
 昨秋、高支持率で出発した高市早苗政権は、その波頭に乗っているかに見える。持論や右派の支持層向けの言葉が、日本を分かつ壁を築いていないか。
 分断の溝を埋めるのは、誰もを包み込む地域社会に違いない。

よくある話のマクラに光太郎智恵子が使われるパターンですが(笑)、それも大歓迎です。マクラにさえ使われなくなったらゆゆしきことです。

「京檸檬」のブランド名で、レモンの栽培が拡がっているとのこと。調べてみたところ、社説で紹介されている日本果汁さんとロマンライフさんが会員企業、宝酒造さんが協賛企業として名を連ねている「京檸檬プロジェクト協議会」という団体さんがいろいろと頑張ってらっしゃるようです。
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耕作放棄地の活用など、意義のある取り組みですね。「京檸檬」と漢字にしているのもシャレオツなイメージです。まぁ何であっても「京××」としただけで垢抜けした感じになるような気がしますが(笑)。

意外と寒い京都ですが、「実の凍結を防ぐため、黄色になる前に早摘みする工夫」だそうで、そうすると智恵子の故郷・福島や光太郎ゆかりの岩手でも不可能ではないかもしれません。関係の方、ご一考をお願いしたいところです。

さらに社説では少子化や地方の問題、分断主義や排外主義の台頭への憂慮等も語られています。この国が「美しい国」であるために為すべきことは何なのか、年頭に当たって考えたいものです。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)5 『自選日記』

大正10年(1921)9月17日 叢文閣 ウォルト・ホイットマン著 高村光太郎訳
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目次
 序。大英帝国島に於ける諸君へ
 幸福な時間の命令 懇望する友への返事 系統――ヷンヹルサルとホヰツトマン
 古いホヰツトマン及びヷンヹルソルの墓地 母方の屋敷地……二つの昔の家族の内部
 ポマノクと、私の子供として又若者としての其処での生活 
 私の最初の読書――ラフアイエツト 印刷所――昔のブルツクリン 成長――健康――為事
 渡しに対する熱情 ブロードヱーの光景 乗合馬車旅行と馭者 芝居も歌劇も
 八年間――性格の源泉――結果――一八六〇年 南北戦争の開始
 国民の蹶起と義勇兵の志願 驕慢の気……ブルランの戦、一八六一年七月
 昏迷は去る――別の事が始まる 戦線にて 最初のフレデリツクスパーグ戦の後
 ワシントンに帰る 負傷のまま戦場に置かれた五十時間 病院の光景と人物
 専売特許局病院 月光下のホワイト ハウス 一軍隊病舎 コンネチカツトの一患者
 二人のブルツクリンの子供 分離派軍の一勇者 チヤンセラースヸルからの負傷兵
 夜戦、一週間余以前の事 最も勇敢な兵卒は名も知られずに居る 或る代表的患者
 私の訪問準備 傷病兵運搬車の行列 重傷――青年 戦時の壮観中最も元気あるもの
 ゲツチスバーグの戦 騎兵の野営 ニユーヨークの一兵卒 手製の音楽 
 アブラハム リンカーン 炎熱期 兵卒と談話と ヰスコンシンの一士官の死 病院の概観
 静かな夜の散策 兵卒中の霊的性格者 ワシントン附近の牛の群 病院の混雑 戦線にて
 奨励金支払 流言、異動、其他 ヷージニヤ 一八六四年の夏
 アメリカに適する新らしい軍隊組織 一英雄の死 病院の光景――偶発事
 ヤンキーの一兵卒 南方に於ける合衆軍の捕虜 脱走兵 戦争地獄図の一瞥
 贈物――金銭――分つた事 ノートブツクからの数項 第二ブルランからの一患者
 軍医――援助の欠乏 到る処青 模範病院 軍隊中の子供達 一看護婦の葬式
 兵卒にとつての女性看護へ 南軍の逃避兵 瓦斯燈下の政庁 就任式
 戦時に於ける外国政府の態度 天候―天候も此の時勢と照応するか 就任式舞踏会
 政庁に於ける一光景 古典的一ヤンキー 傷病兵 大統領リンカーンの死
 シヤーマン軍の歓呼――その突然の停止 リンカーンの善き肖像無し
 南軍から放免された合衆軍の捕虜 ペンシルヷニアの一兵卒の死 凱旋軍隊 大観兵式
 西部の兵卒達 一兵卒のリンカーン観 二人の兄弟、一人は南、一人は北
 痛ましい患者がまだゐる カルフーンの真の記念像 病院閉鎖 模範的兵卒 「痙攣的」
 三個年の総〆 百万の死の同じく総〆 真の戦争は書物の中に決して無い 中間の一節
 新らしい主題に入る 長い農家の小径に入る事 泉と流とに 初夏の起床喇叭
 真夜中に渡る鳥 くまん蜂 シダー(杉)の実 夏の風物と安逸
 日没のかをり――鶉の声――ハーミツト鶫 池の畔の七月の午後 ローカストとケチヂツド
 木の教訓 秋日小景 天空――昼と夜――幸福 色彩――対照 七六年十一月八日
 烏、烏……海岸の冬の一日 海浜の空想 トマス ペーンの追憶 二時間の氷上の渡船
 春の前奏曲――嬉戯 一つの人間の奇癖 或る午後の光景 門は開かる 大地、土
 鳥、鳥、鳥 星に満ちた夜 マリン、マリン……遠方の物音 日光浴――裸体 樫の木と私
 五行詩 初霜――おぼえ……三人の若者の死 二月の日 メドーラーク……日没の光
 樫の木の下での思ひ――夢 クロヷーと刈草の匂 知らぬもの
 鳥の啼声……馬薄荷……われら三人 ヰリヤム カレン ブライヤントの死
 ハドソン河を遡る 幸福とラズベリーと 放浪家族の一標本 湾から見たマンハツタン
 人間的な英雄的なニユーヨーク 魂にとつての時間 麦わら色其他の蝶
 夜の記憶……野生の花 遅蒔の礼儀……デラヱヤ河――昼と夜と
 渡船及河の光景――昨冬の夜 チエストナツト街の最初の春の日
 ハドソン河をアルスター郡に遡る JBの家に於ける日々――芝火――春の歌
 隠者に会ふ……アルスター郡の滝 ヲルター デユモントと彼のメダル ハドソン河の光景
 市の二つの地域、或る時間 セントラル、パーク散歩と談話 美しい午後、四時から六時
 大汽船の出発……ミネソタ艦上の二時間 盛夏の日夜 博覧会の建物――新市庁――河遊び
 河の上の燕 長い西遊旅行を始める 寝台車にて ミズーリ州
 ローレンスとトピーカ、カンサス州 平原、(及び口演しなかつた演説)
 デンヷーへ――国境の出来事 キノーシヤ山嶺の一時間 手前勝手な「発見」
 新らしい感覚、新らしい歓喜 蒸気動力、電信、其他 アメリカの脊骨
 パーク……芸術的容姿 デンヷーの印象 南に向ひ――やがて又再び東に
 果たされなかつた望――アーカンサス河 静かな小さなお伴――コレオプシス
 詩に於ける平原(プレーリー)と大野原 スパニツシユ高峯――野原の夕暮
 アメリカ独特の風景 地上最も重要な流 平原の対比者――樹木の問題 ミシシピ流域文学
 訪問記者の一記事 西の女……無言の将軍 大統領ヘイズの演説 セントルイス備忘
 ミシシピー河の幾夜 われら自身の国土の上 エドガー ポーの真意義
 ベトーヴエンの七部合奏曲 荒い自然の一暗示 森の中の遊びぐらし コントラルトの声
 ナイヤガラを有利に見る カナダへの旅 狂人と一緒に居た日曜日
 エリヤス ヒツクスの追憶 偉大な土着人の増加 合衆国カナダ間の関税同盟
 セント ローレンス水路 荒凉たるサグネー河 エターニテー及びトリニテー岬
 シクチミとハハ入江 住民――美食 杉の実のやうな――名称 トマス カライルの死
 アメリカ的見地から見たカライル 旧友の一二――コルリツジの一小片
 一週間のボストン訪問 今日のボストン 四詩人に対する私の讃辞
 ミレーの絵画……最後の数項 島――そして一つの注意 私の備忘録の見本
 今一度私の生れ故郷の砂と嵐と 炎暑のニユーヨーク 「カスター将軍の最後の集軍」
 或る古馴染――追憶 老年の発見 R、W、エマーソンへの最後の訪問
 他のコンコルド所見 ボストン コンモン――更にエマーソン
 オシヤン的の夜――最も親しい友達 ほんの一艘の新らしい渡船 ロングフエローの死
 新聞を起す事 吾等も其一部である大不安息 エマーソンの墓にて 当今の事――私事
 或書を読みかけた後 最後の告白――文学の試験標準 自然と平民主義と――道徳性
 附録(英国版の為一八八七年に書かれたもの)

原典はアメリカの詩人、ウォルト・ホイットマン(1819~1892)の日記で、雑誌『白樺』などに断続的に訳出掲載されたものの単行本化です。

その自然崇拝的態度などに、光太郎は共感を寄せていたようです。ただ、ホイットマン、南北戦争時には北軍を鼓舞する詩篇を書いてもいます(負傷兵の看護に当たるなどの慈善活動も行いましたが)。のちの15年戦争時に光太郎が大量の翼賛詩文を書き殴った一つの源流が、ここにも見えるような気がします。

令和8年(2026)となりました。あけましておめでとうございます。
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これまで毎年、300通ほど送っていました年賀葉書ですが、今年は大幅に削減させていただきまして、最低限の枚数といたしました。こちらからは送っておらず、しかしいただいた方には返信いたします。

やはり郵便料金の大幅値上げが大きく、こちらから送って返答していただくにも心苦しいという判断です。苦渋の決断ですが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

さて、ここ数年、元日はこのネタで攻めておりますが、光太郎智恵子、光雲のからみで、区切りのいい周年がどうなっているかのご紹介。年齢は数え年です。

140年前 明治19年(1886) 光太郎4歳 
智恵子、そして 光太郎のすぐ下の弟妹・道利としづ(静子)の双子が誕生しました。

130年前 明治29年(1896) 光太郎14歳 
下谷高等小学校を卒業し、東京美術学校の予備校的な共立美術館に入学しました。
光雲が、上記画像にあります皇居前広場の「楠木正成像」木型制作の慰労金として東京美術学校から慰労金100円を受け取りました。

120年前 明治39年(1906) 光太郎24歳
東京美術学校西洋画科を中退し、3年半にわたる欧米留学に出ました。
最初に滞在したニューヨークで、親友となる碌山荻原守衛の知遇を得ました。

110年前 大正5年(1916) 光太郎34歳
阿蘭陀書房から訳書『ロダンの言葉』を刊行しました。

100年前 大正15年/昭和元年(1926) 光太郎44歳
片山敏彦、尾崎喜八、高田博厚らと「ロマン・ロラン友の会」を結成しました。
宮沢賢治と生涯最初で最後の出会いを果たしました。
光雲が東京美術学校を退職、同校初の名誉教授の称号を与えられました。

90年前 昭和11年(1936) 光太郎54歳
宮沢賢治詩碑第1号として花巻町に「雨ニモマケズ」後半を刻んだ碑が建立されました。碑の文字は光太郎の揮毫でした。

80年前 昭和21年(1946) 光太郎64歳
賢治実弟・宮沢清六と共に日本読書組合版『宮沢賢治文庫』編集をはじめました。
自らの半生と戦争責任を振り返る連作詩「暗愚小伝」を執筆し始めました。

70年前 昭和31年(1956) 光太郎74歳
4月2日、中野の中西利雄アトリエで、その生涯を閉じました。

というわけで、今年は光太郎没後70周年、智恵子生誕140周年です。いまのところあまり聞こえてこないのですが、それらを冠したイベント等が多く行われることを期待いたしております。

本年もこのブログをどうぞよろしくお願いいたします。

【高村光太郎書誌】

本人著作(全体)1 詩集『道程』

大正3年(1914)10月25日 抒情詩社 高村光太郎著

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目次
一九一〇年 失はれたるモナ・リザ 生けるもの 根付の国
一九一一年 画室の夜 熊の毛皮 人形町 甘栗 庭の小鳥 亡命者 鳩 食後の酒 寂寥
 声 風 新緑の毒素 頽廃者より 「河内屋与兵衛」 髪を洗ふ女 「心中宵庚申」 夏
 なまけもの 手 金秤 はかなごと めくり暦 地上のモナ・リザ 葛根湯 夜半 けもの
 あつき日 父の顔 泥七宝 ビフテキの皿
一九一二年 青い葉が出ても 赤鬚さん あをい雨 友の妻 ――に 夏の夜の食慾 
 或る夜のこころ
 おそれ 犬吠の太郎 さびしきみち カフエにて 梟の族 冬が来る
 カフエにて 或る宵 夜 狂者の詩 郊外の人に 冬の朝のめざめ カフエにて 師走十日
 戦闘
一九一三年 人に カフエにて 深夜の雪 人類の泉 山 よろこびを告ぐ 現実 冬が来た
 冬の詩 牛 僕等
一九一四年 道程 愛の嘆美 群集に 婚姻の栄誦 万物と共に踊る 瀕死の人に与ふ 晩餐
 五月の土壌 淫心 秋の祈

光太郎第一詩集にして、記念すべき最初の単独著書でもあります。元々はカバー付きで出版されましたが、手持ちのものはカバー欠です。

200部ほどが刷られ、さらにごく少部数の特装本も作られました。また、「新詩社版」という小型本も存在したようです。時代を突き抜けたこの詩集、後に口語自由詩の確立に大きく貢献したと評されますが、リアルタイムでの売れ行きはさっぱりで、初版残本を改装した「再版」が数回出されています。おそらく手持ちのものを含め、現在残っている初版の多くは、光太郎が友人知己に贈ったものが古書市場に出たと推定されます。

下って昭和に入り、「改訂版」「再訂版」等が出されますが、収録詩篇はかなり異なります。戦後には「復元版」「文庫版」が出て、漸く内容的には同じものが出されました。それらもあとでご紹介いたします。

四畳半の書庫が三方こんな状態でして、蔵書数がいったいどのくらいあるのか把握出来ていません。
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おおむね種別毎にリストアップしましたが、その文書ファイルも複数、総冊数はカウントしていません。

記録のためにもこのブログで、基本、1日1冊ずつご紹介して参ります(旅先からの投稿の場合はお休みします)。10年計画です(笑)。或いは10年では終わらないかも知れません。ま、その前に当方が死んだら「歩み尽きたらその日が終りだ」(光太郎詩「山林」昭和22年=1947)です(笑)。

早いもので、大晦日となってしまいました。今年1年を振り返る最終日です。

10月2日(木)~11月16日(日)
福島県二本松市の智恵子生家/智恵子記念館さんで智恵子忌日「レモンの日」にちなむ「高村智恵子 レモン祭」が催され、生家二階部分の特別公開、生家ライトアップなど様々なコンテンツが用意されました。
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10月4日(土)~12月7日(日)
広島県福山市のふくやま美術館さんで「東京藝術大学大学美術館名品展 美の殿堂への招待」が開催され、光太郎ブロンズ「獅子吼」、光太郎の父・光雲らの合作「綵観」、光太郎実弟・豊周の鋳金作品が展示されました。

10月5日(日)
岩手県花巻市の田舎laboさんで「第2回 レモンの日イベント」が行われ、近隣の菓子店等8店がレモンを使った洋菓子などの販売を行いました。
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同日、当会から会報的な冊子『光太郎資料』第64集を刊行いたしました。

10月6日(月)
地上波NHK Eテレさんで「グレーテルのかまど 高村光太郎のレモンコーヒー」の初回放映がありました。出演は瀬戸康史さん、キムラ緑子さん、そして当方でした。再放送が10月15日(水)でした。
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10月9日(木)
学研さんから岡部文都子氏企画編集『マンガで読む 偉人たちの恋文物語 日本編』が刊行されました。「高村光太郎 → 長沼智恵子 私があなたであなたが私だった夢を……」という項を含みます。

10月10日(金)
思文閣出版部さんから松本和也氏著『印象派の超克 近代日本における西洋美術受容の言説史』が刊行されました。全ての章で光太郎に言及されています。
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10月11日(土)~11月24日(月)
さいたま市の埼玉県立歴史と民俗の博物館さんで特別展「大名と菩提所」が開催され、光雲木彫「松平伊豆守信綱坐像」が展示されました。

10月11日(土)~2026年1月4日(日)
札幌市の本郷新記念札幌彫刻美術館さんで「札幌芸術の森開園40周年記念 彫刻三昧 札幌芸術の森美術館の名品50選」展が開催され、光太郎ブロンズ「薄命児男児頭部」が出品されました。
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10月13日(月)
福島県で活動する音楽ユニット風信子さんがCD「風の旅人〜夕焼け空の色はふるさとの色〜」をリリースなさいました。「智恵子抄」オマージュの「本当の空を忘れないで  (二本松)」という楽曲を含みます。

10月18日(土)
神奈川県逗子市の逗子文化プラザホールさんで「逗子アートフェスティバル」の一環としてのコンサート「余白露光2~テルミンと箏~」が開催されました。出演はテルミン奏者の大西ようこさん、箏曲奏者の元井美智子さんで、元井さん作曲の「智恵子抄」がプログラムに入れられました。
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10月19日(日)
愛知県豊橋市の穂の国とよはし芸術劇場PLATさんで「第4回 前川健生テノールコンサート~あいのうた~」公演があり、別宮貞雄氏作曲の歌曲集「智恵子抄」が演奏されました。

同日、地上波日本テレビさんで「遠くへ行きたい ますだおかだ増田が福島へ 名湯に絶品ソースかつ丼!」の放映があり、「智恵子抄」に触れつつ安達太良山が取り上げられました。
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10月25日(土)~2026年1月18日(日)
群馬県高崎市の群馬県立土屋文明記念文学館さんで「第127回企画展 愛の手紙-友人・師弟篇-」が開催され、光太郎から水野葉舟宛の書簡2通が展示されました。

11月1日(土)~2026年2月15日(日)
大阪市の国立国際美術館さんで「特別展 プラカードのために」が開催され、谷澤紗和子氏による智恵子紙絵等オマージュ作品「はいけいちえこさま」シリーズの全点が展示されました。
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11月2日(日)
岡山市の岡山芸術創造劇場さんで「劇作家フェスティバル2025 げきじゃ!」の一環として平田オリザ氏脚本の演劇「日本文学盛衰史」公演がありました。光太郎も登場人物の一人でした。

11月3日(月)
与謝野晶子研究の第一人者・逸見久美氏が亡くなりました。父君の翁久允は光太郎と交流があり、御自身の御著書でも光太郎に触れて下さっていました。
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11月8日(土)
台東区の秋葉原ハンドレッド2さんで「四季の朗読会〜秋の部〜」が開催され、光太郎エッセイ「山の秋」が取り上げられました。
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11月13日(木)~30日(日)
茨城県取手市の東京藝術大学大学美術館取手館さんで「取手収蔵棟竣工記念・取手館開館30周年記念 藝大取手コレクション展 2025」が開催され、光太郎彫刻「獅子吼」の石膏原型が展示されました。

11月14日(金)
光太郎に触れられた御著書が複数おありだった作家の嵐山光三郎氏が亡くなりました。
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11月15日(土)・16日(日)
埼玉県熊谷市の中央公民館大ホールで「劇団ダウト第15回公演 れもん」が開催されました。平田俊子氏脚本で、光太郎智恵子だけの二人芝居でした。

11月15日(土)~12月21日(日)
石川県金沢市の石川県立美術館さん他で「令和6年能登半島地震・令和6年奥能登豪雨復興支援事業 ひと、能登、アート。」が開催され、光雲作の木彫「老猿」が展示されました。関連行事として講座「高村光雲の古仏復元事業」、「《老猿》の彫刻家が見た明治の美術界-高村光雲『幕末維新懐古談』を読む」が開催されました。
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11月18日(火)
平凡社さんからアンソロジー『作家とお風呂』が刊行されました。光太郎詩「湯ぶねに一ぱい」が収められました。

11月20日(木)~11月24日(月)
福岡県久留米市の久留米市美術館さんで写真展「Fixtyle Portrait Fukoka 8th」が開催され、Yasuyuki Ibaraki氏が、「智恵子抄」オマージュの作品を出展なさいました。
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11月21日(金)
三重県津市のブックハウスひびうたさんで、「日本の詩を読もうぜ 第8回 高村光太郎」が開催されました。「読書会」と言われるイベントでした。

11月21日(金)~11月23日(日)
新宿区の演劇倶楽部『座』サロンさんで、「壤晴彦・演技/朗読短期ワークショップ 11月『「ニュアンス』ってどうやって付けるの?」が開催され、「智恵子抄」が教材として取り上げられました。
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11月22日(土)
佐賀市文化会館で開催された「第78回全日本合唱コンクール全国大会の大学職場一般部門」で、早稲田大学コール・フリューゲルさんが、自由曲に新実徳英氏作曲の「愛のうた -光太郎・智恵子-男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために」から「レモン哀歌」を演奏され、金賞及び日本放送協会賞を受賞されました。

11月23日(日)
仙台市の八木山市民センターさんで「読書会アパート3号室 11月読書会『智恵子抄』」が開催されました。
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同日、文京区のアカデミー向丘さんで「第68回高村光太郎研究会」が開催され、「智恵子へ寄せる想い」 吹木文音(中島宏美)氏(日本詩人クラブ・栃木県現代詩人会理事)、「雑司ヶ谷の季節――ヒューザン会、智恵子と読売新聞」 前田恭二氏(武蔵野美術大学教授)の2本の発表がありました。

さらに同日、石川県白山市の美川コミュニティセンターさんで「語りとチェロでつたえる~智恵子抄~」公演があり、朗読家・本田和氏による「智恵子抄」朗読が為されました。
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やはり同日、TBSラジオさんで「朗読のヒロバ 第59回 高村光太郎「智恵子抄」」がオンエアされました。

11月24日(月)
栃木県鹿沼市で「《老猿》のふるさと探訪」が行われ、光雲作木彫「老猿」の材となったトチノキの子孫の見学会が催されました。11月29日(土)には児島大輔氏(東京国立博物館保存修復室長)による記念講演会も開催されました。
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11月28日(金)~12月23日(火)
京都府長岡京市のArt Space癒心庵さんで「日本の工芸展」が開催され、光雲木彫「鯉」が展示されました。

11月29日(土)
鹿児島市のカクイックス交流センターさんで劇団風見鶏さんによる「朗読のつどい」が開催され、光太郎詩朗読が為されました。

11月29日(土)・30日(日)
静岡市のギャラリー青い麦さんで劇団静火第17回公演『売り言葉』が開催され、野田秀樹氏脚本の登場人物は智恵子だけの演劇「売り言葉」が上演されました。
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同じ日程で青森市の渡辺源四郎商店しんまち本店さんにおいて「北のまほろば祭り3」の一環として演劇「智恵子と智恵子」公演がありました。「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」にまつわる内容でした。

11月30日(日)
港区の赤坂区民センターさんで東京青森県人会さん主催の「 十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」が開催され、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」に関わる発表などが為されました。
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12月5日(金)
平凡社さんからアンソロジー『パリと日本人 近代文学セレクション』が刊行されました。光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」が収められました。

12月7日(日)

地方紙『岩手日日』さんに東京国立近代美術館さんの主任研究員・成相肇氏による「高村光太郎「手」 和と洋、静と動 感じる彫刻」という記事が掲載されました。
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12月10日(水)
文治堂書店さんからPR誌を兼ねた文芸同人誌『とんぼ』第21号が発行されました。当方の「連翹忌通信」が連載されています。

12月10日(水)~2026年1月12日(月)、12月18日(木)~2026年2月11日(水)
二本松市大山忠作美術館さんの改修工事に伴い、同館所蔵品の「移動美術館」がにほんまつ城報館さん、智恵子記念館さんで開催され、智恵子を描いた絵画等が展示されています。
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12月12日(金)
東京都小金井市の小金井宮地楽器ホールさんで早稲田大学コール・フリューゲルさんの第70回定期演奏会が開催され、新実徳英氏作曲の「愛のうた -光太郎・智恵子-男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために」から「レモン哀歌」が演奏されました。

12月13日(土)~2026年3月31日(火)
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」が開催されています。
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12月16日(火)
世界文化社さんから雑誌『Begin』2026年2月号が発売されました。ミュージアムグッズ愛好家・大澤夏美氏による「博ブツ観」という連載の第32回で「岩手県花巻市で発見 高村光太郎記念館 本革しおり Bookmark」という記事が掲載されました。

12月19日(金)

墨田区のすみだトリフォニーホールさんで「男声合唱団東京リーダーターフェル1925 創立100周年記念定期演奏会2025」が開催され、清水脩氏作曲の「或る夜のこころ」「智恵子抄巻末のうた六首」が演奏されました。
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12月20日(土)
千代田区のワイム貸会議室 お茶の水さん及びZOOM使用のオンラインで「第19回 明星研究会シンポジウム 『明星』と美術~ 華麗にして心に響くカタチ」が開催されました。発表は森下明穂氏(与謝野晶子記念館・学芸員)の「與謝野晶子 美しい本の世界へ」、当方が「美術実作者としての高村光太郎」、そして明星研究会主宰にして歌人の松平盟子氏による「憧憬と戦略 ― 『明星』を彩った洋画家と晶子短歌」でした。

12月20日(土)~2026年2月8日(日)
石川県七尾市の七尾美術館さんで「冬季所蔵品展 私たち七尾美術館PR隊!」が開催され、光雲木彫「聖観音像」が展示されています。
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12月21日(日)
大阪市のあいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールさんで木管四重奏団「クレモナ」さんの「モダンタンゴ・ラボラトリ第19回定期公演「ほんとうの空」」が開催され、光太郎詩「あどけない話」由来のオリジナル曲「ほんとうの空」が初演されました。

12月30日(火)
人文書院さんから小関素明氏著「大東亜戦争」幻想化と「戦争責任」の精神史』が刊行されました。「第二章 表現者の幻覚と煩悶――「真の自己」の渇望と探究」中に「自我と美感の転相――高村光太郎」という項を含みます。年明けに詳しくご紹介いたします。
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毎月のことで、その都度のご紹介はしませんでしたが、花巻市の道の駅はなまき西南(愛称・光太郎と賢治の郷)さん内のテナント・ミレットキッチン花(フラワー)さんで毎月15日に豪華弁当「光太郎ランチ」が販売され、同市のワンデイシェフの大食堂さんでは「こうたろうカフェ」としてのランチの販売が行われました。いずれも主に食を通じて光太郎顕彰に当たられている「やつかの森LLC」さんのメニュー考案、「こうたろうカフェ」では調理も担当なさいました。
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というわけで、今年1年もさまざまな団体、個人の方々が、それぞれの分野で光太郎智恵子、光太郎の父・光雲や実弟・豊周を取り上げて下さいました。ありがとうございます。来年以降もよろしくお願いいたしますとともに、関係の皆様、そしてこのブログをお読み下さった方々にとって、よい新年となりますよう、衷心より祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

世の中の習慣なんて、どうせ人間のこさへたものでせう。それにしばられて一生涯自分の心を偽つて暮すのはつまらないことですわ。わたしの一生はわたしがきめればいいんですもの、たつた一度きりしかない生涯ですもの。


津田青楓『漱石と十弟子』より 明治44年(1911)頃 智恵子26歳頃

戦後になって書かれた津田の回想に書かれた智恵子の言葉です。したがって、智恵子が語ったそのとおりではないのかもしれませんが。

明治末のまだまだ閉塞感の充溢していた時代に、こういうことを言えた智恵子、素晴らしいと思います。おそらく光太郎も似たような考えだったでしょうし、その二人が出会い、結ばれたのはもはや必然だったような気がします。

平成29年(2017)から、【折々のことば・光太郎】、【折々のことば・智恵子】として二人の「ことば」からこれは、と思う一節を取り上げてきましたが、本日で終了します。明日からはまた10年計画で他のコーナーを立ち上げます。

今年1年を振り返る7~9月編です。

7月4日(金)・5日(土)
千代田区の東京古書会館さんで「令和7年 第60回 七夕古書大入札会 一般下見展観」が催され、光太郎歌幅、斎藤茂吉宛書簡などが出品されました。
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7月5日(土)~8月24日(日)
岩手県花巻市立博物館さんで令和7年度テーマ展「戦後80年 戦争と花巻」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。

7月5日(土)~8月31日(日)
福島県郡山市立美術館さんで「皇室を彩る美の世界―福島ゆかりの品々―」が開催され、光雲木彫「猿置物 三番叟」が展示されました。
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7月6日(日)
東京都中野区産業振興センターさんにおいて「中西アトリエをめぐる文人たちの朗読会」が開催され、女優の一色采子さんらが朗読をして下さいました。同アトリエの保存運動の一環でした。

同日、広島県廿日市のはつかいち文化ホールさんで広島中央合唱団第58回定期演奏会が開催され、鈴木憲夫 氏作曲の 混声合唱曲「レモン哀歌」が演奏されました。
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さらに同日、福島県安達郡大玉村のあだたらふるさとホールで光太郎詩「あどけない話」にちなむ「「ほんとうの空」の村 黒坂黒太郎 コカリナ コンサート」が開催され、黒坂氏作曲の「本当の空の村」が演奏されました。

7月8日(火)~9月23日(火)
愛知県小牧市のメナード美術館さんで「なつやすみ所蔵企画 えともじ展 文字で読み解く美術の世界」が開催され、光太郎木彫「鯰」が出品されました。
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7月11日(金)~10月2日(木)
新宿区の東京オペラシティアートギャラリーさんで「難波田龍起」展が開催され、光太郎の写ったスナップ写真なども展示されました。

7月12日(土)~11月30日(日)
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで「高村光太郎花巻疎開80年企画展示事業「昔なつかし花巻駅」」が開催され、昭和初年の花巻駅周辺を模したジオラマ(土屋直久氏、石井彰英氏制作)などが展示されました。
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7月15日(火)~8月21日(木)
同じく花巻市の高村光太郎記念館さんで、4月の二本松市智恵子記念館に続き、花巻南高校家庭クラブさんによる「智恵子のエプロン復刻展示」が行われました。

7月15日(火)~10月26日(日)
千代田区の東京国立近代美術館さんで主に戦争画を集めた「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」が開催され、光太郎著書、寄稿掲載誌等も展示されました。
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7月19日(土)
千葉県野田市の琥珀茶寮あずきさんで「森優子朗読ライブ Teatime Concert in 琥珀茶寮あずき」が開催され、「智恵子抄」詩篇が朗読されました。

7月19日(土)・20日(日)
埼玉県加須市の東武伊勢崎線加須駅北口周辺で「かぞ どんとこい! 祭り」が開催され、光雲作の「蘭陵王面」の展示が行われました。
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7月19日(土)~9月15日(月)
京都市の京都国立近代美術館さんで「きもののヒミツ 友禅のうまれるところ」が開催され、光雲や石川光明、旭玉山らの合作「福禄封侯図飾棚」が出品されました。

7月22日(火)~7月25日(金)
箏曲奏者・元井美智子さんとヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんによる「智恵子抄」朗読を含むコラボ公演、ワークショップが仙台市と花巻市で4件開催されました。7月22日(火)が仙台市のAntique & Cafe TiTiさん、7月23日(水)で花巻市の高村光太郎記念館さんとカフェ羅須さんで2公演、7月25日(金)には再び仙台のとなりのえんがわさんでした。
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7月25日(金)
生活の友社さんから『月刊アートコレクターズ 』No.197 8月号が発行されました。古田亮氏による「バック・トゥ・ザ日本美術 高村光雲「西郷隆盛像」+後藤貞行「ツン」」という記事を含みます。

7月27日(日)
大阪市の住友生命いずみホールさんで「大阪コレギウム・ムジクム創立50周年記念 第131回大阪定期公演《現代(いま)の音楽 ~Music of Our Time~》」が開催され、新実徳英氏作曲 「愛のうた ―光太郎・智恵子― 男声合唱とフルート、クラリネット、弦楽オーケストラのために」が演奏されました。
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8月1日(金)
土曜美術出版さんから『詩と思想』8月号が発行されました。中島悦子氏「高村光太郎の戦後/谷川俊太郎の戦後」という稿を含みます。

8月3日(日)
福島市のキョウワグループ・テルサホールさんで「欅の会・日本歌曲コンサート-清水脩の世界-」が開催され清水脩氏作曲の歌曲集「智恵子抄」から抜粋で演奏が為されました。
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8月6日(水)
台東区の東京文化会館さんで「第18回二期会駅伝コンサート~喜怒哀楽~」が開催され、朝岡真木子氏作曲の「組曲 智恵子抄」から「千鳥と遊ぶ智恵子」を清水邦子氏が歌われました。

8月8日(金)
宇都宮市のcafé Mario~休みの国~さんで朗読公演「秋元紀子ひとり語りin宇都宮」が開催され、「智恵子抄」詩篇から抜粋で取り上げられました。
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8月9日(土)
宮城県牡鹿郡女川町の高村光太郎文学碑、まちなか交流館さんで「第34回女川光太郎祭」が開催されました。

同日、東京都中央区の日本橋社会教育会館さんで講談師一龍齋貞奈さんの「入門10周年記念公演〜昭和100年特集〜」が開催され、新作「高村智恵子の恋」が披露されました。同作は8月16日(土)・17日(日)に千代田区のスカイルーム太陽さんで開催された「夏の太陽講談会 読めなかった講釈を読もう〜講談前線異常なし〜」、12月24日(水)の「講談協会十二月定席」でも高座にかけられました。
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8月11日(月)
千葉県旭市ご在住で、光太郎詩「犬吠の太郎」をモチーフにした作品を制作されていた版画家の土屋金司氏が亡くなりました。

8月23日(土)~9月15日(月)
新潟県上越市の春日山城跡ものがたり館さんで「第100回謙信公祭」に合わせての企画として光雲作の木像毘沙門天像の一般公開が6年ぶりに行われました。
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8月27日(水)
岩手県立花巻南高等学校文芸部さんの部誌『門』第19号が発行されました。光太郎智恵子に関し、複数の記事で触れて下さいました。

8月28日(木)
第1回ふくしま超短編脚本賞」審査結果が同賞実行委員会から発表され、最優秀賞に「智恵子抄」オマージュの「安達太良SA上り」(真田鰯さん)が選ばれました。
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8月29日(金)
NHKさん東北支局で「鈴木京香の東北オトナ旅 青森県十和田市編」30分パイロット版の放映がありました。10月17日(金)には45分完全版、11月29日(土)にはEテレさんの全国放映が為されました。

8月30日(土)・31日(日)
宇都宮市のアトリエほんまるさんで「劇団 言葉借り旗揚げ公演「智恵子抄」より」が上演されました。
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9月11日(木)~15日(月)

墨田区の両国・エアースタジオさんで演劇「チエコ」公演が行われました。

9月15日(月)
鹿児島県薩摩川内市の川内まごころ文学館さんで「あなたに届ける朗読会vol.8」が開催され、光太郎詩が取り上げられました。
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9月20日(土)~10月13日(月)
千葉県成田市の文化芸術センター なごみの米屋スカイタウンギャラリーさんで「第49回千葉県移動美術館 成田と千葉県立美術館にまつわる5つの物語」が開催され、光太郎ブロンズ「手」が出品されました。

9月25日(木)
鉄人社さんから上明戸聡氏著『改訂版 日本ボロ宿紀行』が刊行されました。光太郎に触れつつ岩手県花巻市の大沢温泉さんが紹介されました。
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9月27日(土)
光太郎終焉の地・中野区の中西利雄アトリエが残念ながら解体されることとなり、最後の内覧会が行われました。部材は保存されており、移築に向けて動いているところです。

【折々のことば・智恵子】

皆さんおからだを丈夫にして出来るだけ働き仲よくやつていつて たのしくこゝろをもつてお暮し下さい 末ながくこの世の希望をすてずに 難儀ななかにも勇気をもつてお暮しなさい。それではこれで


昭和7年(932)7月12日 長沼セン宛書簡より 智恵子47歳

実母・センに宛てて、遺書のようなこの手紙を書いた2日後の夜、睡眠薬を大量に摂取して智恵子は自殺未遂を起こします。一命はとりとめましたが、この後、智恵子は完全に夢幻界の住人となってしまいます。

今年1年の主な事項を振り返る2回目、4~6月です。

4月2日(水)
日比谷公園松本楼さんに於いて、当会主催の第69回連翹忌の集いを開催いたしました。全国から70名程の皆様がお集まり下さり、ひととき、光太郎を偲びました。
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同日朝、連翹忌にちなみテレビ朝日さん系の「グッド!モーニング」内の「林修のことば検定」で光太郎が取り上げられました。

また、故・北川太一先生著、石黒敦彦氏編、山室眞二氏装丁の『高村光太郎と尾崎喜八』が蒼史社さんから、高村光太郎研究会さんより『高村光太郎研究46』、当会から『光太郎資料63』がそれぞれ刊行されました。
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4月3日(木)~6月29日(日)
和歌山県伊都郡高野町の高野山霊宝館さんで「重要文化財指定記念特別展 大伽藍」が開催され、光太郎の父・光雲作の「仏頭」が出品されました。
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4月4日(金)
宮崎県東諸県郡綾町のぐるーぷ連 劇工房において、「劇団ぐるーぷ連 第134回朗読LIVE がんばれどうぶつ」が開催され、光太郎詩「道程」「牛」が取り上げられました。

4月7日(月)~6月21日(土)
新潟市の敦井美術館さんで「彫刻と金工展」が開催され、光雲作の木彫「ちゃぼ」と「狆」が出品されました。
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4月12日(土)~6月29日(日)
和歌山市の和歌山県立近代美術館さんで企画展「佐藤春夫の美術愛」が開催され、光太郎油彩画「佐藤春夫像」及び佐藤旧蔵のブロンズ「大倉喜八郎の首」が出品されました。

4月19日(土)~6月22日(日)
長野県安曇野市の碌山美術館さんで「春季企画展 特別展示 智恵子紙絵 高村智恵子紙絵 高村光太郎詩稿」が開催されました。
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4月24日(木)~5月23日(金)
東京都中野区の桃園区民活動センターで「『中西利雄・高村光太郎アトリエ』ミニ展示会」が開催され、光太郎終焉の地・中西利雄アトリエに関する展示が為されました。

4月24日(木)~5月25日(日)
福島県二本松市の智恵子生家/智恵子記念館さんで「高村智恵子生誕祭」が開催され、生家二階部分の特別公開、朗読で荒井真澄さん、電子楽器・テルミンの大西ようこさん箏曲の元井美智子さんによる「音楽と朗読『智恵子抄』愛はここから生まれた」、花巻南高校家庭クラブさんによる「智恵子のエプロン復刻展示」などが行われました。
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4月25日(金)~8月19日(火)
栃木県佐野市の東石美術館さんで「芸術家の目を通した生きものたち」展が開催され、光雲木彫「牧童」が展示されました。
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4月26日(土)~4月29日(火)
茨城県土浦市の百景社アトリエさんで「百景社アトリエ公演2025 売り言葉」の公演がありました。野田秀樹氏脚本の智恵子を主人公とした演劇でした。

4月26日(土)~2026年2月28日(土)
岩手県花巻市の高村光太郎記念館さんで特別展「中原綾子への手紙」が開催され、2024年に中原のご遺族から寄贈された光太郎から中原宛の書簡や関連資料等の展示が行われています。
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4月30日(水)
生前の光太郎をご存じで、十和田湖観光交流センターぷらっとさんに光太郎胸像「冷暖自知光太郎山居」が飾られている、彫刻家の田村進氏が亡くなりました。

5月1日(木)~5月11日(日)

東京都文京区のIMM THEATERさんで、光太郎も登場人物の一人だった演劇「文豪とアルケミスト 紡グ者ノ序曲(プレリュード)」東京公演がありました。京都公演が京都市の京都劇場さんで5月17日(土)・5月18日(日)でした。12月10日(水)には公演の模様のBlu-rayとDVDがTCエンタテインメントさんから発売されました。
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5月10日(土)
福井市のハーモニーホールふくいさんで「めいおんFukui第16回演奏会」が開催され、野村朗氏作曲の「智恵子抄(連作曲)~その愛と死と~」から演奏が為されました。

5月30日(金)
千葉県佐倉市の志津公民館さんで「朗読のつどい 高村光太郎『智恵子抄』」が開催され、地元朗読サークルこおろぎの輪さんによる朗読が為されました。

6月1日(日)
三重県志摩市の磯部生涯学習センターさんで「大人のための朗読ライヴ」が開催され、地元朗読サークル花笑みさんなどによる朗読が為されました。光太郎詩は「智恵子抄」から取り上げられました。
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6月1日(日)~2026年1月26日(月)
期間中の土・日に神奈川県鎌倉市の鎌倉覚園寺さんで特別開帳が行われ、光雲作の秘仏「後醍醐院法躰御木像」が公開されました。

6月7日(土)
台東区の旧東京音楽学校奏楽堂さんで「第二十二回 二期会日本歌曲研究会演奏会」が開催され、ソプラノ歌手・黒川京子さんによる蒔田尚昊氏作曲の「智恵子抄」より2曲が演奏されました。
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6月10日(火)
文治堂書店さんよりPR誌を兼ねた文芸同人誌『とんぼ』第20号が発行されました。当方執筆の「連翹忌通信 モナ・リザその後」が掲載されました。

6月14日(土)・15日(日)
青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で「第60回記念十和田湖湖水まつり」が開催され、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」のライトアップが為されました。
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6月15日(日)
新宿区の早稲田奉仕園スコットホールさんで「木村俊介Concert 『鵲(かささぎ)の橋の上で』in 東京 愛のかたち、様々に~日本と韓国の文学作品から~」が開催され、壤晴彦氏の語り、木村氏とパク・スナ氏の演奏による「智恵子抄」がプログラムに入れられました。秋田公演が9月3日(水)・4日(木)でした。

同日、福島県二本松市の二本松市コンサートホールさんで「藤木大地カウンターテナー・リサイタル 二本松音楽協会第100回定期演奏会」が開催され、佐藤卓史氏作曲の「あどけない話」「からくり歌(初演)」、加藤昌則氏作曲の「レモン哀歌」が演奏されました。
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6月20日(金)
田畑書店さんから東海大学教授・大木志門氏編『高村光太郎 作品アンソロジー 戦争への道、戦争からの道』が発売されました。

6月22日(日)
神奈川県鎌倉市の笛ギャラリーさんで「民学の会第223回例会 高村光太郎と尾崎喜八~100年を越える文化の縁」が開催され、石黒敦彦氏、山室眞二氏の講演が為されました。

同日、世田谷区のカトリック松原教会さんで「第39回カトリック松原教会チャリティーコンサート~ガリラヤの風かおる丘で~ フィリピン・ミンダナオ島で活動するシスターたちのために」が開催され、ソプラノ歌手・黒川京子さんによる蒔田尚昊氏作曲の「智恵子抄」から演奏が為されました。
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6月28日(土)
千代田区の八木書店古書部さん三階催事場において講座「活字をはみだすもの(第25回)」が開催され、東海大学教授・大木志門氏が「高村光太郎「独居自炊」の思想 ―宮崎稔宛書簡から」の題でお話をなさいました。

6月(日不明)
伝統技法研究会さんから機関誌『伝統技法』第52号が発行されました。十川百合子氏の「中西利雄・高村光太郎アトリエを後世へ」が掲載されました。
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これで今年上半期は終了。明日は7~9月分を掲載します。

【折々のことば・智恵子】

きのふは二人とも悲かんしましたね。しかし決して決して世の中の運命にまけてはなりません、われわれ死んではならない。いきなければ、どこ迄もどこ迄も生きる努力をしませう。皆で力をあはせて皆が死力をつくしてやりませう。

昭和6年(1931)7月29日 長沼セン宛書簡より 智恵子46歳

福島の長沼酒造破産後、母・センらは上京して借家住まい、智恵子ともたびたび会っていました。

翌月には光太郎が新聞『時事新報』の依頼で紀行文を書くために1ヶ月の三陸旅行に出ます。その留守中に訪ねてきたセンが、明らかに智恵子の様子がおかしいことに気づきます。心の病の顕在化でした。

毎年この時期に書いておりますが、今年1年の関係事項を3ヶ月ずつ4回に分けて振り返ろうと思います。事項は精選し、主なものにとどめます。

書籍等の発行日は、奥付の記述に従いました。従って、実際の発売日と異なる場合があります。

1月8日(水)
翰林書房さんから佐藤義雄氏・松下浩幸氏・長沼秀明氏共著の『都市空間を歩く 日本近代文学と東京』が刊行されました。「四 高村光太郎『智恵子抄』―千駄木・日暮里」という章を含みます。
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同日、地上波日本テレビさんとBS日テレさんで朗読を題材としたアニメ「花は咲く、 修羅の如く」の放映が始まりました。第1話「花奈と瑞希」で光太郎詩「道程」が取り上げられました。4月30日(水)には第1話を含むBlu-rayディスク上巻がキングレコードさんから発売されました。

1月10日(金)
女性史研究家の堀場清子氏が亡くなりました。著書に智恵子にも触れた「青鞜の時代」などがありました。
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1月27日(月)
千代田区の紀尾井町ホールで朗読赤十字奉仕団さん主催の「チャリティー朗読会 和・輪・話」が開催され、佐藤春夫 作『小説智恵子抄』の一節が取り上げられました。

1月29日(水)
TCエンタテインメントさんから、昨年公演が行われた舞台「文豪とアルケミスト 旗手達ノ協奏(デュエット)」のBlu-rayとDVDが発売されました。光太郎も登場人物の一人でした。
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1月31日(金)~2月24日(月)
青森県十和田市の十和田湖畔休屋地区で「十和田湖冬物語2025 冬、十和田湖びより」が開催され、光太郎最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」ライトアップが為されました。

1月31日(金)~3月4日(火)
神奈川県鎌倉市の笛ギャラリーで「回想 高村光太郎と尾崎喜八」展が開催されました。
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2月1日(土)
芸術新聞社さんから書道雑誌『墨』2025年1・2月号が発行されました。「昭和を生きた書人、書と言葉 選」という記事で色紙「うつくしきもの満つ」、さらに書論「書について」(昭和14年=1939)の一節が紹介されました。

2月1日(土)~3月29日(土)
品川区のMAKI Gallery天王洲さんで、現代アート作家・清川あさみ氏の個展「Mythic Threads:神話の糸」が開催され、「智恵子抄」オマージュの刺繍作品「女である故に」が展示されました。
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2月8日(土)・2月9日(日)
大阪府吹田市の吹田市民劇場さんで「吹田市民劇場 SHOW劇場 番外編vol.2 a次元のふたり」公演がありました。光太郎智恵子を登場人物とする2人芝居でした。

2月9日(日)
岡山市の岡山芸術創造劇場ハレノワさんで「朗読劇・永瀬清子物語Ⅷ ラビリンスの旅人」が上演されました。岡山県出身の詩人・永瀬清子を主人公とするもので、光太郎も登場人物の一人でした。
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2月10日(月)
地上波NHK Eテレさんの「にほんごであそぼ」で、高杉真宙氏による「智恵子抄 深夜の雪」朗読が組み込まれました。

2月11日(火)
学研さんから佐藤晃子氏著『意味がわかるとおもしろい! 世界のスゴイ彫刻』が刊行されました。「この左手まねできる? 手 作った人 高村光太郎」「サルに何かあった? 老猿 作った人 高村光雲」という章を含みます。
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2月15日(土)
文化資源社さんから『よみうり抄』全五巻の刊行が開始されました。明治期からの『読売新聞』に載った消息紹介記事「よみうり抄」を翻刻したもので、光太郎智恵子も随所に名が挙がっています。

同日、練馬区の個人宅において、シャンソン系歌手・モンデンモモさんの「SAWAMURA BAR.VOL23」が開催され、モモさん作曲の光太郎詩に曲を付けた歌曲が多数演奏されました。同様のコンサートは「BOOK CAFÉ LIVE モモの智恵子抄」として、4月4日(金)に狐弾亭さん(東京都立川市)、5月19日(月)で東京都府中市の府中の森芸術劇場分館さん、6月28日(土)には島根県松江市のギャラリーCさん、9月20日(土)の東京都府中市蔵カフェさんでも開催されました。
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2月16日(日)
神奈川県中郡二宮町の生涯学習センターラディアンさんで「第45回二宮演奏家協会コンサート 日本の名曲 世界の名曲」が開催され、歌曲「レモン哀歌」が演奏されました。
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2月18日(火)
地上波NHK Eテレさんで「NHK高校講座 言語文化 冬が来た(高村光太郎)」の初回放映がありました。

3月1日(土)~5月30日(金)
福島県相馬市立図書館さん、歴史資料収蔵館で「連携企画展 相馬に縁(ゆかり)の芸術家たち」が開催され、光太郎智恵子、光雲に関わる展示が為されました。
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3月5日(水)

毎日新聞出版さんから、『井上涼の美術でござる 二の巻』が刊行されました。『毎日小学生新聞』さんに平成28年(2016)から連載されている井上涼氏による漫画の単行本化で、「高村光太郎の巻」を含みます。

3月6日(木)
横浜市のイギリス館ホールで、「吉川久子 フルートコンサート~日本の風景~」が開催され、光太郎詩「冬が来た」の朗読が組み入れられました。
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3月7日(金)
宮城県歌人協会会長などを歴任された歌人の佐久間晟氏が亡くなりました。昭和26年(1951)、奥様との新婚旅行で花巻郊外旧太田村の光太郎の寓居を訪ねられた方でした。

3月8日(土)
福島県いわき市立草野心平記念文学館さんで文芸講演会「詩人・草野心平-いかに心平が心平になったか」が開催されました。澤正宏氏(福島大学名誉教授)、和合亮一氏(詩人)による対談形式で、光太郎にも触れられました。
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3月10日(月)
講談社さんから西川清史氏著『荷風たちの東京大空襲 作家が目撃した昭和二十年三月十日』が刊行されました。「米軍の攻撃は焼夷弾だけではない。爆裂する通常爆弾に高村光太郎は戦慄した。」という項を含みます。

3月14日(金)~3月16日(日)
兵庫県姫路市の劇団プロデュース・Fアトリエで、野田秀樹氏脚本の智恵子を主人公とした演劇「劇団プロデュース・F 第76回アトリエ公演 売り言葉」の公演がありました。
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3月16日(日)
岡山市オリエント美術館さんで「岡山県詩人協会 第10回詩を楽しむ会-智恵子抄-」が開催されました。光太郎詩朗読、詩人の斉藤恵子氏による講演が為されました。

3月17日(月)
宮城県女川町の女川光太郎の会さんが、宮城県の「住みよいみやぎづくり功績賞」を受賞されました。
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3月19日(水)
岩波書店さんから岩波新書の一冊として新関公子氏著『東京美術学校物語――国粋と国際のはざまに揺れて』が刊行されました。光雲、光太郎に触れられています。

3月20日(木)~5月18日(日)
横浜市の神奈川近代文学館さんで特別展「大岡信展 言葉を生きる、言葉を生かす」が開催され、光太郎に関わる展示も為されました。
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3月21日(金)
千葉県浦安市のJ:COM浦安音楽ホールさんで「千葉県立千葉中学校・千葉高等学校合唱部 第17回定期演奏会」が開催され、西村朗氏作曲「混声合唱とピアノのための組曲 レモン哀歌」が演奏されました。

3月28日(金)~6月1日(日)
神奈川県伊勢原市の雨降山大山寺さんで「秘仏三面大黒天立像(高村光雲作)特別御開帳」が行われました。「第二弾」は9月28日(日)~12月8日(月)に行われました。
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3月30日(日)
東京都中央区の王子ホールさんで、「朝岡真木子歌曲コンサート 第8回」が開催され、朝岡氏作曲の「冬が来た」が演奏されました。

同日、小学館さんから『小学館版 新学習まんが人物館 平塚らいてう』が刊行されました。監修・差波亜紀子氏、作画・上川敦子氏、シナリオ・江橋よしのり氏でした。智恵子が登場します。
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明日は4~6月分をご紹介します。

【折々のことば・智恵子】

よしんば親や夫が百万長者でも、女自身に特別な財産でも別にしてない限り女は無能力者なのですよ。からだ一つなのですよ。
昭和5年(1930)1月20日 長沼セン宛書簡より 智恵子45歳

当時の女性が置かれていた社会的地位、そして実家の長沼酒造が前年に破産、それに対し何もできなかった自分を念頭に置いた発言ですが、いまだに上流階級気分の抜けきらない実母を叱咤する内容です。この後には「出来ないものは出来ないのだから、それをきつぱりと断る事の出来ないやうな、なまくらではだめです」という文言も記されています。恐らく保証人としての金銭問題に関わります。実母・センの迷走ぶりからは、出来ないくせに出来るふりをしてやりたがり、さんざん引っかき回してあとは知らんぷりというどこぞの国の首相が想起されます。

こうした破産した実家の後始末に関わる心労も、心の病の大きな引き金の一つになったようです。

 DMM GAMESさんから配信されているオンラインゲーム「文豪とアルケミスト」。光太郎を含む実在の文豪たちをモデルとしたキャラクターが多数登場し、平成28年(2016)の配信開始以来、根強い人気を保っているようです。

いわゆる「2.5次元」ということで演劇にもなり、既に8作品が作られ、来春には9作目「掬ウ者ノ響歌(コンチェルト)」の公演も予定されています。

5月に都内と京都で上演された8作目「紡グ者ノ序曲(プレリュード)」のBlu-rayとDVDが、今月、発売されました。キャストに松井勇歩さん演じる光太郎が含まれています。

文豪とアルケミスト 紡グ者ノ序曲(プレリュード)

発行日 : 2025年12月10日(水)
著者等 : 舞台「文豪とアルケミスト」8製作委員会
版 元 : TCエンタテインメント
定 価 : Blu-ray ¥10,890 DVD ¥9,790

2025年5月に東京・IMM THEATER/京都・京都劇場にて上演された、舞台「文豪とアルケミスト」第8弾公演「紡グ者ノ序曲(プレリュード)」が、Blu-ray&DVDとなって2025年12月10日にリリース!

2枚組のBlu-ray&DVDには本編映像のほかに「メイキング」「キャスト座談会」「アンサンブル座談会」「オープニング全景映像」「アフターイベント映像(全5回)」と、貴重な特典映像の数々を、別ディスクに大ボリュームで収録。さらに、初回生産分限定で「オリジナルステッカー」「ブックレット」の特典も封入となっている。

あらすじ
太宰治らと共に帝國図書館を救い絶筆した北原白秋。転生を選ばず、再び復活を遂げようとする悪しきアルケミストを葬る術を見出すため、負の感情が充満する生と死の狭間に留まっている。一方、石川啄木、高村光太郎そして小泉八雲は、北原白秋を転生させるべく目論み、また久米正雄と直木三十五は、深い親交のある文豪を探し求めていた。そんな折、アルケミスト・ファウストと出会った文豪たちは、「かつて文学で世界を救おうとした青年」について聞かされる。終わらない侵蝕を食い止めるため己の文学を信じ、文豪たちは戦いへと赴く。

キャスト
北原白秋:佐藤永典 石川啄木:櫻井圭登 高村光太郎:松井勇歩 久米正雄:安里勇哉
直木三十五:北村健人 小泉八雲:林光哲 ファウスト:原貴和 青年:松村龍之介
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もう1点、書籍です。

「文豪とアルケミスト」を本気で考えてみた

発行日 : 2025年11月28日(金)
著者等 : 梅澤亜由美・大木志門・掛野剛史・山岸郁子編
版 元 : ひつじ書房
定 価 : 2,700円+税

2016年に配信開始され、これまで各界に影響を与えてきた人気ゲーム「文豪とアルケミスト」とそのメディアミックス作品を日本文学・文化研究者がそれぞれの専門分野から本格的に検証した論文集。全14本の論文からなり、ゲーム、アニメ、舞台、ノベライズ、朗読、さらにファンの受容、文学館や研究・教育現場との関わりなど多彩な側面からの論考を収録。執筆者:梅沢亜由美、大木志門、掛野剛史、山岸郁子、赤井紀美、今井瞳良、大島丈志、小澤純、影山亮、金子亜由美、構大樹、上牧瀬香、島村輝、芳賀祥子

編者紹介
梅澤亜由美(うめざわ あゆみ)大正大学文学部教授
大木志門(おおき しもん)東海大学文学部教授
掛野剛史(かけの たけし)武蔵野大学教授
山岸郁子(やまぎし いくこ)日本大学経済学部教授
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【目次】
 はじめに なぜ「文豪とアルケミスト」を本気で考えてみたのか 大木志門
 第1部 キャラクター・関係性・二・五次元文化
 「尾崎一門」の息子(ライバル)たち――「文豪とアルケミスト」における「泉鏡花」と「徳田
  秋声」の「関係性」 金子亜由美
 「文豪」を媒介とした「文豪とアルケミスト」の私小説的受容――志賀直哉を例として 梅澤
  亜由美
 キャラクターを通して文学に相渉るとは何の謂ぞ――「二・五次元文化」の中の「文豪とア
  ルケミスト」 大木志門
 第2部 文アニ・ノベライズ・読書行為
 「物語なき世界」にたむろする――テレビアニメ「文豪とアルケミスト」の理と視聴者 今井
  瞳良
 芥川龍之介と太宰治を結び直す――アニメ版・ノベライズ版『文豪とアルケミスト~審判ノ
  歯車~』の世界観 小澤純
 「文豪」を育てるということ――「おやすみ、カムパネルラ」からのアプローチ 大島丈志
 ノベライズ『君に勧む杯』の文豪たち――現実と空想の間に生きる井伏鱒二・横光利一・佐
  藤春夫 掛野剛史
 第3部 アダプテーション・文劇・朗読
 多喜二転生――あるプロレタリア文学者をめぐるアダプテーション 島村輝
 演じられた文学者――近代文学と演劇が織り成す世界 赤井紀美
 「文豪とアルケミスト」における「朗読」の可能性――横光利一「春は馬車に乗って」を聴く
  という経験 芳賀祥子
 第4部 文学館・学校・公共性
 「文豪とアルケミスト」と文学館・記念館とのタイアップにみる〈関係性〉 影山亮
 〈「文アル」×文学館〉の行方 上牧瀬香
 新美南吉記念館特別展「南吉と読書」と「文豪とアルケミスト」 山岸郁子
 「文豪とアルケミスト」で近代文学の授業を押し拡げる――文学教育を「文豪コンテンツ」で
  支えるために 構大樹

いわゆるタイアップ企画ではなく、独自に編まれたものです。

内容の分析は元より、この手のコンテンツの受容がどのように為され、各方面にどういった影響が及んでいるか、先行する類似企画との比較、今後の展望などなど、多岐に亘る論考の集成です。リアルタイムでの文化史考察という意味でも特異な内容ながら優れたものといえるでしょう。

大御所のエラいセンセイ方は、「こんなものを真面目に論ずるのは大衆への迎合」とお考えなのでしょうか、はなから完全無視、またはそもそもその存在すら眼中にないと思われますが、本書で述べられている通り、現実に各地の文学館等で入場者数に影響を与えたり、取り上げられた文豪の著書や関連書籍の売り上げを左右したり、演劇や朗読など様々な分野に派生したりという現象が起きていますので、無関心でいていいものではありません。

光太郎に関しては、上記「紡グ者ノ序曲(プレリュード)」にも触れられた赤井紀美氏の「演じられた文学者――近代文学と演劇が織り成す世界」、花巻高村光太郎記念館さんとのコラボ企画等の関係で上牧瀬香氏による「〈「文アル」×文学館〉の行方」の項などでちょろっと触れられている程度ですが、非常に興味深く拝読いたしました(まだ読了していませんが(笑))。提灯記事的な稿の羅列でなく、批判すべき点はきちんと批判するというスタンスにも感心しました。

編者のお一人、大木志門氏は田畑書店さん刊行の『高村光太郎 作品アンソロジー 戦争への道、戦争からの道』を編まれ、神田の古書肆・八木書店さんでの講座「活字をはみだすもの(第25回)◆高村光太郎「独居自炊」の思想 ―宮崎稔宛書簡から」も担当されました。余談ですが、このブログに誘導するためにX(旧ツィッター)に投稿し続けている当会ポストを毎日リポストして下さっています。ありがたし。

というわけで、「紡グ者ノ序曲(プレリュード)」のBlu-rayかDVD、『「文豪とアルケミスト」を本気で考えてみた』、それぞれご興味おありの方、ぜひお買い求め下さい。

【折々のことば・智恵子】

だんだん身内のものがあの世へ旅だつてしまふのは淋しいものですね しかしわれわれもやがてみなそこへゆくのですから さう思つてこの世に居るうちはこの世の事に出来るだけつくしませうね それが人間のつとめでせう


大正14年(1925)10月10日 長沼セン宛書簡より 智恵子40歳

大正7年(1918)には智恵子の父・今朝吉、翌年に末の妹(六女)・チヨ、同10年(1921)には祖母のノシ、同11年(1922)だと三女のミツ、そしてこの年9月光太郎の母・わかが相次いで歿しています。さらに言うなら、2年後にはやはり智恵子妹で四女のヨシも。特に若い妹たちの相次ぐ死は、自らも健康不安を抱えていた智恵子に暗い影を落としたことでしょう。

花巻レポートの承前です。

12月15日(月)、旧太田村の高村光太郎記念館さんにて「高村光太郎花巻疎開80年企画展 光太郎と賢治 宮沢賢治全集ができるまで」拝観の前、同じく旧太田村の道の駅はなまき西南(愛称・賢治と光太郎の郷)さんに立ち寄りました。
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まず農産物等の直売や土産物等の販売を行っている「すぎの樹」さんで、林檎を箱買いして自宅兼事務所に発送(左下)。この季節のルーティンです。後述のやつかの森LLCさんから既に大量に送られてきている(右下)のですが、いくらあっても困りませんので(笑)。
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「すぎの樹」さんの正面の壁には光太郎を描いた大きな壁画。
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その右下に、弁当やお総菜を販売なさっているミレットキッチン花(フラワー)さんがあります。
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こちらでは毎月15日、豪華弁当「光太郎ランチ」を限定10食で販売中。ちょうど15日でしたので、「どれどれ」と見に行きました。

この時点で13:00近かったのですが、残り2食。
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売り切れていたら画像が出せないなと思っていたのでラッキーでしたし、逆に全然売れていなくても悲しいところで、いい塩梅でした。

現物を見るのは3度目でした。最初は販売が始まった令和2年(2020)のお披露目会の折、2度目はやはりたまたま15日に訪れ、ゲットして帰って妻と二人でいただいた一昨年の冬。今回は1泊2日の初日で、既に新幹線車内で駅弁を食した後だったので購入はしませんでした。

メニューの考案には、地元で主に食を通じて光太郎顕彰に当たられているやつかの森LLCさんが担当されています。そのやつかの森さんから送られてきた画像。
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品目は「チキンの照り焼き」「牛すき煮」「大根とさつま揚げの煮物」「卵焼き」「さつま芋入り蒸しパン」「青豆入り麦ご飯」「大学芋」「みかん」。今月は当方の好物が並んでおり、こりゃ食べたかったな、というメニューでした。

それにしても、この諸物価高騰の折、変わらず800円というのがすごいと思います。令和2年(2020)の段階では800円だと安くはないな、という感じでしたが、現在ではお手頃価格感です。なし崩し的に諸物価高騰に馴らされてしまっているようで、逆に怖いなと思いました。壺が大好きな無策な政府の思う壺にはまっているようで(笑)。

今年はこれで終了ですが、来年以降も愛され続けることを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

この繁雑な世の中に出て奮闘するには随分よく心身をきたへて置かねばなりませんよ くれぐれも祈ります


明治42年(1909)2月7日 鈴木謙二郎宛書簡より 智恵子24歳

鈴木謙二郎は、明治40年(1907)に智恵子が父・今朝吉やきょうだいと共に宿泊した福島相馬の原釜海岸にあった金波館という宿で知り合った、その当時の旧制米沢中学生です。智恵子は7歳年下の鈴木と姉弟のように親しくなり、確認できている限り明治44年(1911)まで文通を続けていました。

のち、鈴木は山形県伊佐沢村村長や長井市教育委員などを歴任します。
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光太郎第二の故郷、花巻市内のワンデイシェフの大食堂さんで、月に一度出店されている「こうたろうカフェ」。主に食を通じて光太郎顕彰を進められているやつかの森LLCさんによるものです。12月3日(水)が今年最後の出店だったとのことでした。1764766631726

今月は以下のメニュー。

・鶏肉のハニーマスタード焼き
・ひじきの煮物
・糸コンの胡桃和え
・大学いも
・季節のサラダ
・漬け物
・舞茸ご飯
・彩り野菜のコンソメスープ
・栗ぜんざい
・抹茶入り玄米茶

現地では初雪も降り、しかもかなり積もったそうで、冬本番。メニュー的にも冬らしい感じが出ています。
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やつかの森さんからのメールの一節。

季節のサラダはクリスマスツリーをイメージしました。光太郎の手作りのお汁粉を栗ぜんざいとして搗き立てのお餅を入れました。さつまいも、カボチヤ、蕪、大根など野菜たっぷりです。舞茸たっぷりのご飯も好評でした。

栗ぜんざいに西瓜の皮の味噌漬けを添えました。シャキシャキして軽めの塩加減で激ウマです。


基本、光太郎が自炊した献立や使った食材などを参考にメニューを組み立てられています。なかなか考えるのも大変だと存じますが、アレンジの仕方は現代風なので、そうそうネタ切れになることもないのでしょう。間を置けば同じ品目があってもいいわけですし。

来年も御馳走が饗され続けることを祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

巣籠つた二つの魂の祭壇。こゝろの道場。並んだ水晶の壺の如く、よきにせよ不可なるにせよ、掩ふものなく赤裸で見透しのそこに塵埃(ちりほこり)をとゞむるをゆるさない。それ故、清らかなるものに膏(あぶら)を沃(そゝ)ぎ、深められ掘り下げらるべき、内の世界――自らの性情と仕事に対し――血をもつてむかふ。それ故こゝに根ざす歓喜と苦難とは、更に新しく恒(つね)に無尽に、私達の愛と生命(せいめい)とを培ふ。


散文「病間雑記」より 大正12年(1923) 智恵子38歳

理想とすべき生活の在り方への言及です。文体はともかく、内容的には光太郎の追い求めていたそれとの驚く程の一致が見られます。そんなに肩肘張らず気楽に行こうよ、みたいな。

智恵子もこうした考えに至る過程を、光太郎によって強制されたある種のマインドコントロールとする見方もあれば、智恵子自身、そうした生きたかを求めていたとも考えられますし、何とも言えません。












11月30日(日)、港区で開催された「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」に出演させていただきました。
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いろいろといただきものがあってウハウハしていたところ、翌日になってやはり十和田湖関連で、しかし逆にいただきたくないものをいただいてしまいました。

青森の彫刻家・田村進氏の奥様からの喪中葉書。
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田村氏、4月30日(水)に亡くなられていたそうですが、存じませんで驚きました。過日お伝えした仙台の佐久間晟氏と同様でした。昭和8年(1933)のお生まれで、満92歳ということでした。

田村氏、中泊町にある太宰治(本名・津島修治)の銅像を作られたことで有名です。
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小説『津軽』(昭和19年=1944)中の、かつて津島家で働いていた女中さん・越野タケとの再会のシーンだそうで、太宰ファンの方なら「ああ、これか」でしょう。

やはり佐久間氏と同じく、田村氏も生前の光太郎をご存じでした。昭和28年(1953)10月23日、前々日に生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」除幕式に出席した光太郎は、青森市の野脇中学校で催された文芸講演会で登壇、「乙女の像」などについて講演を行いました。また、光太郎と共に、像の制作に関わった当会の祖・草野心平や建築家の谷口吉郎、青森県と光太郎を仲介した佐藤春夫らも。若き日の田村氏は除幕式にも参列されて、さらにこの講演会もお聴きになり、終演後には光太郎とお話もなさったそうで。

「十和田湖の未来を語る東京フォーラム ~大町桂月と名勝価値の再発見~」の際には、十和田湖畔の「観光交流センターぷらっと」さんについても語らせていただきました。大町桂月や「乙女の像」にかかわる展示が為されているよ、ということで。その「ぷらっと」さんに、田村氏ご制作の光太郎胸像も展示されています。
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題して「冷暖自知光太郎山居」。光太郎が、昭和20年(1945)10月から同27年(1952)10月までの7年間、戦時中の戦争協力を恥じ、岩手県花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)で蟄居生活を送っていた当時の肖像彫刻で、直接のモチーフは、昭和24年(1949)10月、太田村の光太郎のもとを訪れた写真家の濱谷浩が撮影した写真です。
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「冷暖自知」とは「仏法の悟りは、人から教えてもらうものでなく、氷を飲んでおのずからその冷暖を知るように、体験して親しく知ることのできるものである。」(岩波書店『広辞苑』)の意。『智恵子抄』にも収められた大正元年(1912)作の光太郎詩「或る宵」中、「彼らは自分等のこころを世の中のどさくさまぎれになくしてしまつた/曾て裸体のままでゐた冷暖自知の心を―― 」という一節に使われています。

題字揮毫は、晩年の光太郎と親しく交わり、その没後は筑摩書房『高村光太郎全集』の編集に当たるなどした、光太郎顕彰第一人者にして当会顧問であらせられた故・北川太一先生です。
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レリーフでの習作を経て、平成25年(2015)に完成、平成29年(2017)には十和田市に寄贈、翌年に「ぷらっと」さんでの展示が始まり、その年の秋には寄贈のセレモニーが開催されました。かつて当会主催の連翹忌の集いにもご参加下さっていた田村氏でしたが、この時にお会いしたのが最後となってしまいました。

青森市内にある氏のアトリエ(「彫夢」と書いて「ほるむ」だそうで)が公開されているという情報を、青森山田高校さんのサイトで少し前に知りました。それを読んで「田村さん、まだお元気なんだな」と思っておりましたが、逆でした。同サイトには亡くなったことが書かれていませんでしたが、亡くなったがためにアトリエを公開ということだったようです。

アトリエには光太郎胸像「冷暖自知」の石膏原型も保管されています。
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最上部に掲げた喪中葉書によれば「冬期間閉鎖」だそうですが、いずれまた青森方面に行く際にはご焼香がてら足を運んでみようと思っております。

遅ればせながら、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

【折々のことば・智恵子】

「女である故に」といふことは、私の魂には係りがありません。女なることを思ふよりは、生活の原動はもつと根源にあつて、女といふことを私は常に忘れてゐます。

アンケート「女なる事を感謝する点」より 大正5年(1916) 智恵子31歳

完璧とは言えませんが、光太郎には「男尊女卑」という考えはほぼ無かったようで、かなりの部分で光太郎も家事労働を分担していました。そうした意味では智恵子は同時代の女性たちと較べると恵まれていた部分がありました。

しかし、それだけに女性の置かれている立場に対する眼が開かれてしまったところもあったかもしれません。婚家や夫にこき使われている女性たちの中には、それを「理不尽」と感じることすら出来ていなかった女性も多かったように思われます。

まず昨日から今日にかけマスコミ各社で報じられた訃報から。

それも2件立て続けでしたが、最初に長野県安曇野市の太田寛市長。光太郎の親友だった碌山荻原守衛の個人美術館・碌山美術館さんの理事を務められ、昨年今年の碌山忌では同じテーブルに着かせていただき、いろいろお話しさせていただいた方ですので、非常に驚いております。

共同通信さん。

太田寛さん死去 長野県安曇野市長

 太田 寛さん(おおた・ゆたか=長野県安曇野市長)28日午前8時59分、急性心臓死のため市内の病院で死去、69歳。
 同県出身。自宅は同市堀金烏川。葬儀の日取りは未定。
 長野県副知事を経て2021年の市長選で初当選。現在2期目だった。 
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SBC信越放送さんのローカルニュース。

安曇野市の太田寛市長が急逝 自宅で就寝中に亡くなったか 死因は急性心臓死 前日夕方まで会議に出席するなど公務 元長野県副知事

 安曇野市の太田寛市長が28日、亡くなりました。69歳でした。死因は急性心臓死だということです。
  10月の安曇野市長選挙で、無投票で2度目の当選を果たした太田寛市長。自宅で就寝中に亡くなったと見られています。
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 市は28日午後1時から緊急の会見を開きました。
 安曇野市 中山栄樹副市長:「突然の訃報に職員一同、深い悲しみと喪失感を抱いております」
 市によりますと、太田市長は、27日夕方まで会議に出席するなど公務を行っていました。しかし、自宅で就寝したまま起きてこなかったため28日朝、家族が119番通報し搬送先の市内の病院で、午前9時前に死亡が確認されました。急性心臓死だということです。
 太田市長は安曇野市堀金出身で県の総務部長や副知事を務めた後、2021年に安曇野市長に初当選しました。
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 今年5月の「安曇野」ナンバーの実現に奔走するなど地元愛の強かった太田市長。
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 28日から職務代理者を務める中山栄樹副市長は。
 安曇野市 中山栄樹副市長:「4年間足場を作って、これから芽を出して根付かせようという時で、4年間のいろいろな面から考えると安曇野市にとって大きな損失です」
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 市長選挙は29日以降、市が選挙管理委員会に市長の死亡を通知し、そこから50日以内に行われます。

地元紙『信濃毎日新聞』さん。

安曇野市長の太田寛さん死去 69歳、10月に再選したばかり

 安曇野市の太田寛(おおた・ゆたか)市長が28日午前8時59分、急性心臓死のため安曇野市内の病院で死去した。69歳。安曇野市出身。自宅は安曇野市堀金烏川。
 太田氏は京都大卒。1979(昭和54)年に県職員になり、商工労働部長や総務部長を経て副知事を務め、2021年の市長選で初当選。10月5日告示の市長選で無投票で再選したばかりだった。
 太田氏の死去に伴う安曇野市長選は、公職選挙法に基づき、市選挙管理委員会に死亡の通知が届いてから50日以内に行われる。
 死去したことが28日に分かった安曇野市長の太田寛さん。経歴はこちら。
   ◇
 1956年生まれ。安曇野市出身で、松本深志高校(松本市)、京都大法学部を卒業し、1979(昭和54)年から県職員。企画局長や商工労働部長、総務部長を歴任し、2015年2月から副知事を務めた。2021年の安曇野市長選で、無所属新人2人を破って初当選。今年10月から2期目を務めていた。
 趣味は読書で、安曇野市出身の作家臼井吉見(1905~87年)の小説「安曇野」が愛読書。
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『朝日新聞』さん。

長野・安曇野市長が死去 自宅から救急搬送、10月に再選された矢先

 長野県安曇野市の太田寛(ゆたか)市長(69)が28日、急性心臓死のため死去した。市によると、28日朝に自宅から救急搬送され、市内の病院で午前8時59分に死亡が確認された。通夜・葬儀の日程は未定。太田市長は10月5日に告示された市長選で、無投票で再選したばかりだった。市が28日、記者会見を開いて発表した。
 市によると、太田市長は27日に市議会定例会に出席。夜は松本市内であった連合長野松本広域協議会の定期総会に来賓として出席し、午後8時半ごろに安曇野市内の自宅に帰宅した。28日午前8時半ごろ、市職員が公用車で迎えに行くと、自宅前に救急車が来ていて病院に搬送された。
 中山栄樹副市長によると、27日の市議会定例会でも特に変わった様子はなかったが、「この2、3日、風邪っぽい」と言って、マスクを着用していた。中山副市長は「突然の訃報(ふほう)に、職員一同、深い悲しみと喪失感を抱いている。行政の継続性に万全を期したい」と語った。市長の職務代理者には中山副市長が就いた。
 太田市長は元県職員で、県総務部長や副知事を経て、2021年10月の市長選で初当選した。2期目では、企業誘致の推進やフィルムコミッション機能の強化を盛り込んだ観光政策などを公約に掲げていた。市の知名度を上げることに力を入れ、首都圏で安曇野産農産物をPRする事業を開催したり、臼井吉見の小説「安曇野」を復刊させることに取り組んだりした。中山副市長は「元副知事としての人脈でできたことが、相当あった」と振り返った。
 公職選挙法では市長に欠員が出た場合、5日以内に職務代理者が選挙管理委員会に通知し、通知から50日以内の選挙の実施が定められている。
 阿部守一知事は「あまたのご功績に深甚なる敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでお悔やみを申し上げます」とコメントを出した。
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『信毎』さんと『朝日』さんで触れられている、小説『安曇野』。光太郎の連作詩「暗愚小伝」(昭和22年=1947)が掲載された雑誌『展望』編集長を務め、光太郎とも交流のあった同市出身の臼井吉見が昭和40年代に執筆した長編で、守衛を含む安曇野の人々が中心に描かれ、守衛との絡みで光太郎も登場します。

太田市長、その復刊に尽力された他、NHK大河ドラマ化運動、さらに理事を務められていた碌山美術館さんでの講演などもなさっていました。こうした地元の文化遺産に対するご理解の点では、地方首長の鑑と言える方でしたので、非常に残念でなりません。後任の方にも太田市長の功績を受け継いでいっていただきたいものです。

もう1件、やはり昨日出た訃報です。

作家の嵐山光三郎さん死去 エッセーやテレビ番組で人気

009 軽妙なエッセーやテレビのバラエティー番組でも人気を集めた作家の嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)さんが14日午後、肺炎のため死去したことが28日、分かった。83歳。静岡県出身。葬儀は近親者で行った。
 国学院大を卒業後、平凡社に入社。雑誌「太陽」編集長などを務めた。独立後に雑誌「ドリブ」やテレビの人気バラエティー番組「笑っていいとも!増刊号」編集長を務め、1980年代の若者文化の担い手となった。
 「たのC(シー)のでR(アール)」といった「ABC文体」を駆使したエッセー、インスタントラーメンの評論なども手がけ、料理や温泉などにも健筆を振るった。「素人庖丁記」で講談社エッセイ賞を受賞した。
 「文人悪食」「文人暴食」では作家や歌人、学者らの食欲と創作欲の関わりに注目。松尾芭蕉の人間くさい側面に迫った「悪党芭蕉」では泉鏡花文学賞と読売文学賞を受けた。
 92年には日本人のコメ離れに歯止めをかけようと「日本ごはん党」を結成したことでも話題に。旅や釣りの愛好家としても知られた。

探せば他にもあるのかも知れませんが、「食」にもこだわりの強かった嵐山氏、『文人悪食』、『文士の料理店(レストラン)』『文士の御馳走帖』で、光太郎に触れて下さいました。
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『悪食』は「高村光太郎…咽喉に嵐」。「レモン哀歌」(昭和14年=1939)をはじめ、光太郎の「食」に関わる詩文を15篇ほども引用、マイナーなそれも含まれていて、感心いたしました。『料理店(レストラン)』では「高村光太郎と米久」と題し、詩「米久の晩餐」(大正10年=1921)を中心に。浅草米久さんのレポートもカラー画像入りで入っています。『御馳走帖』でも米久さんが取り上げられ、小題は「高村光太郎 米久の晩餐 梅酒 こごみの味」でした。こちらはアンソロジーです。

最後に、宮城県歌人協会会長などを務められた佐久間晟氏。亡くなったのは今年3月ということでしたが存じ上げず、つい先日、奥様のすゑ子様から喪中葉書が届いて知った次第です。氏は大正15年(1926)のお生まれで、亡くなった際は満99歳だったそうです。
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光太郎とも交流のあった歌人の前田夕暮に師事、奥様ともども歌誌『地中海』同人としてもご活躍。そして昭和26年(1951)、奥様との新婚旅行で花巻郊外旧太田村の光太郎の寓居を訪ねられました。右上の画像がその際のもの。右端が氏で、そのお隣が奥様、光太郎、左端はお二人を光太郎の元に案内してくれた花巻温泉の仲居さん・八重樫マサです。

昭和26年(1951)11月9日の光太郎日記より。

塩がまの人佐久間氏といふ人新婚にて花巻松雲閣より八重樫マサさんの案内で来訪、前田夕暮の弟子の由。

この際の様子を奥様が『地中海』平成17年1月号に短歌と文章で書かれ、たまたまその情報を得ましてお二人に連絡、お二人がお住まいの仙台でお会いし、貴重なお話を伺う事が出来ました。さらに晟氏の運転で松島まで行き、豪華海鮮料理を御馳走になってしまった次第です。
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さらに上記写真を送った光太郎からの礼状(『高村光太郎全集』にもれていたもの)も拝見。
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その際お聞きした内容を『高村光太郎研究』第28号(平成19年=2007)に「高村山荘訪問記 佐久間晟・すゑ子夫妻聞き書き」として掲載させていただきました。

そんなこんなが昨日のことのように思い出されます。

お三方のご冥福、心より祈念いたします。

【折々のことば・智恵子】

いとほしい髪の一すぢより 感情のはげしい瞬刻の閃光まで 私にとつては宝玉だ 抜きさしならない玉条だ


詩「無題録」より 大正3年(1914) 智恵子29歳

智恵子肖像このブログでは平成29年(2017)の元日から【折々のことば・光太郎】と題し、光太郎の書き残したもの、談話筆記、講演会筆録などから「これは」と思う一節を取り上げ続けてきました。それもそろそろネタ切れとなって参りまして、今日からは【折々のことば・智恵子】にします。智恵子が書き残したものはあまり多くないのですが、それでもやはり「これは」というものがありますので。

また、あまり取り上げられることの多くない智恵子自身の言葉を紹介することで、『智恵子抄』の裏側にどういう智恵子が居たのか、そんなことも語りたいと思っております。

初回は確認出来ている限り唯一の智恵子が書いた詩から。大正3年(1914)ですので、光太郎と結婚披露をする年で、その4ヶ月前に母校・日本女子大学校の同窓会誌『家庭週報』に寄稿したものです。当時としては遅まきの結婚でしたが、万物がキラキラ輝いて見えていた結婚直前の心境が垣間見えます。

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