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智恵子の故郷、福島から写真コンテストの応募案内です。キャッチコピーが「“ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えてください」す。言わずもがなですが、「ほんとの空」の語は、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)から採られています。

第7回 ふくしま星・月の風景 フォトコンテスト作品募集

“ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えて下さい。

 郡山市ふれあい科学館では、星や月の輝く夜とともに、福島県の豊かな自然・そして人の暮らす風景を捉えた写真作品を募集し、広く全国に紹介することを目的に「ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト」を開催いたします。
 星や月の輝く夜空と地上の夜の景色の融合した風景、月明かりに照らされた幻想的な夜の風景など、あなたの視点での「星・月の風景」を撮影してご応募ください。

 2023年11月5日(日)締切です!

作品テーマ 福島県内で撮影された、星・月の風景
※星空や月と風景を併せて写した「星景写真」
※月の光を効果的に生かして撮影された「月光写真」や、湖面に映る星などを捉えた写真など、"星や月を感じられる"風景写真を広く対象とします。

【注意】比較明合成を含め、画像合成などの加工を施した写真は今回の募集対象外です。(カメラの撮影モードで、上記と同様の処理がなされた作品も対象外となります。)

応募締切 2023年11月5日(日) ※消印有効

送 付 先
〒963-8002 福島県郡山市駅前二丁目11番1号
郡山市ふれあい科学館 ふくしま星・月の風景フォトコンテスト係
※直接持参される場合は開館日の10時~17時の受付となります。

審 査 員
【全体審査】
 鈴木 一雄 氏 (自然写真家/福島県出身)
 渡部 潤一 氏 (天文学者・名誉館長/福島県出身)
 郡山市ふれあい科学館長

選 賞
【大賞】1点(副賞5万円) 
【審査員特別賞】2点(副賞3万円) 
【特別賞】5点程度  
【入賞】30点程度
※表彰者には、作品写真集を贈呈いたします。

応募規定/応募形式
・カラープリント 四つ切(254×305mm)、ワイド四つ切(254×365mm)、A4サイズ、B4サイズ
※今回から応募はプリントのみの受付となります。
※トリミングの有無を応募用紙に記入してください。
※画像処理による被写体自体の加工、極端な色彩の変更を加えた作品は失格とします。また、倫理に反する(立ち入り禁止区域での撮影、木の枝を折るなどの行為による)作品は、判明次第失格とします。

・応募点数に制限はありません
※発表済みの作品でも応募可とします。ただし他のコンテストで発表の場合、当該コンテストの規定等をご確認の上で応募ください。

・応募者のプロ・アマを問いません。モラルとマナーを守って、自然や周囲に配慮しての撮影をお願いします。

応募方法
作品1点ごとに、必要事項を記入した応募票を、作品の裏側にセロハンテープでとめて応募ください。

作品の返却
プリントの返却はいたしません。

作品の著作権
応募いただいた作品の著作権は、基本的に撮影者に帰属するものとします。ただし、以下の点において、主催者が作品を使用する権利を有するものとします。
・写真展での展示(今後予定している巡回展を含む。)
・主催者が本事業に関連して発行する刊行物および雑誌・新聞等への掲載、インターネットへの掲載
・科学館事業における写真使用
・今後の本事業のための宣伝・広告のための印刷物への掲載
このほか(本企画の趣旨に合致した事業を実施するために行う展示への貸し出し、およびその宣伝広告のための印刷物への掲載許可など)については、その都度協議の上で対応するものとします。

選考と発表
選出作品については、新聞紙上・カメラ雑誌・郡山市ふれあい科学館ウェブサイトなどで氏名とともに発表いたします。また、令和5年度以降に郡山市ふれあい科学館で行う写真展、および作品写真集「ふくしま 星・月の風景 Vol.7」に掲載します。

※選考後に、作品原版(ポジ・データ)の提出をお願いする場合があります(原版は一定期間後に返却いたします)。また、応募時より詳細な撮影データ(特に撮影地と撮影年月日)についても、お伺いすることがあります。

個人情報の取り扱い
応募に際していただいた個人情報は、郡山市ふれあい科学館が管理し、本コンテストの実施運営に関わる作業のみを目的として使用いたします。個人情報は、契約に基づく委託先を別として断りなく第三者には提供いたしません。

審査結果を発表する際には、表彰者の賞名、作品、作品タイトル、氏名、住所(市町村まで)を公表いたします。

主 催 郡山市ふれあい科学館(公益財団法人郡山市文化・学び振興公社)
協 賛 (株)シグマ (株)ケンコー・トキナー
後 援 福島県 一般社団法人郡山市観光協会 福島民報社 福島民友新聞社 
    朝日新聞福島総局 毎日新聞福島支局 読売新聞東京本社福島支局 NHK福島放送局
    福島テレビ 福島中央テレビ 福島放送 テレビユー福島 ラジオ福島
    ふくしまFM 郡山コミュニティ放送ココラジ
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前回の第6回は令和2年(2020)に募集でしたので、約3年ぶりとなります。その際までは、漫画家の故・松本零士氏が名誉館長でしたので、審査員に名を連ねられていました。

当方、平成28年(2016)開催の第4回の際は、郡山で入賞作品展を拝見して参りました。

かなりのハイレベルですが、腕に覚えのある方、ぜひ福島の「ほんとの空」(ただし「星・月の風景」ですから基本的に夜間でしょうが)の素晴らしさを広めるためにも、お力をお貸し下さい。

【折々のことば・光太郎】

それでは二十六日にはそのつもりで居ります、暗いうちから支度しようと思つてゐます、電車の都合ではここから上野駅まで歩かねばならないかも知れません、話はただ平常思つてゐることをとりとめもなく話す外ありません、


昭和19年(1944)3月19日 宮崎稔宛書簡より 光太郎62歳

宮崎の父で、素封家だった仁十郎が檀家総代を務めていた、茨城取手の長禅寺で行われた講話に関わります。
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長禅寺には戦時中、錬成所という社会教育のための機関が置かれていたとのことで、ここで光太郎の講話が行われました。聴衆は40名程。それを聞いた稔の姪の話では「母というのはいいものだ」というような話があったということです。

智恵子の故郷・福島二本松でのイベントです。

観月の宴~十五夜~

期 日 : 2023年9月29日(金)
会 場 : 二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町二丁目3-1
時 間 : 18:00~19:30
料 金 : 500円(お茶菓子代)

十五夜の当日に、抹茶と和菓子を楽しみながら、箏(こと)の音色と共に月見をいたします。「ほんとの空」に輝く仲秋の名月を眺めてみませんか?

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直接は光太郎智恵子には関わらないと思いますが、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を使われては、紹介しないわけにはいきません(笑)。

ただし、定員30名、既に埋まっているという話でした。それでもキャンセル等あるかもしれませんので、一応。

今年の十五夜は9月29日(金)なのですね。智恵子が亡くなった昭和13年(1938)の十五夜は智恵子葬儀の執り行われた10月8日だったようで、その日の模様を後に回想して謳った詩「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)の最終行は、「外は名月といふ月夜らしい。」でした。何だか智恵子がなよたけのかぐや姫のように、月へ帰っていったような気がします。

当日、晴れるといいですね。

【折々のことば・光太郎】

おたよりと桃一箱昨日頂戴、まことに忝く存じました、今年はお盆にも別に何もいたしませんが、智恵子が好きだつた桃を見て感慨に堪へません、早速智恵子に供へました、まだ小生智恵子が死に去つたといふやうな気がしません、この桃も一緒に食べるやうな気がします、


昭和14年(1939)7月10日 水野葉舟宛書簡より 光太郎57歳

光太郎、智恵子の陰膳的にビールをコップ二つに注いでおくと、いつのまにかそちらも無くなっているという回想を残しています。絶対、自分で飲んで居るんですけれど(笑)。

地方紙『福島民友』さんから。

日本人は星より月の文化 渡部潤一さん「季節ごと違い楽しんで」

000 国立天文台上席教授の渡部潤一さん(会津若松市出身)は17日、福島市で「日本人はいかに宇宙を愛(め)でてきたか」と題して講演し、日本人の宇宙への向き合い方について解説した。
 国際天文学連合(IAU)の「アジア太平洋地域の天文学に関する国際会議(APRIM)」が7~11日に郡山市で開催されたことを記念し、県文化振興財団が企画した。
 渡部さんは「日本は季節感が明瞭なため、方位や季節を知る目的で星を見る必要がなかった」とした上で「日本人は星よりも月の文化」と紹介。小説や短歌にも月が登場することに触れ「季節ごと、時間ごとの月の違いを楽しみ、積極的にめでてほしい」と語った。
 月への信仰にも触れ、江戸時代、旧暦23日と26日に人々が集まり、寝ずに月の出を待ち祈る「月待ち行事」が流行したと説明。県内にも行事を記念して造られた月待ち塔が数多く残るとし「オールナイトで大宴会したようだ。楽しみの一つだったのだろう」と思いを巡らせた。
 渡部さんは「県内は天文施設も充実しており、日新館天文台跡(会津若松市)などの貴重な史跡も残っている」と解説。詩人高村光太郎の詩集「智恵子抄」の「ほんとの空」を例に挙げ「福島にはほんとの夜空がある。月や星を見上げ、自由に思いをはせてほしい」と話した。

この講演会、福島県歴史資料館さんで開催中の企画展示「収蔵資料展 空を眺めて-江戸・明治時代の天文・大気現象など-」の関連行事だったとのこと。
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福島ご出身の渡部氏、昨年やはり福島市で開催された「写真展 138億光年宇宙の旅」(同氏ご監修)で「ほんとの空」の語を使って下さいましたし、郡山市ふれあい科学館さんで過去6回開催された「ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト “ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えて下さい。」で審査員を務められたりもなさいました。

今後とも福島の「ほんとの空」の伝道師として、ご活躍を祈念いたします。

【折々のことば・光太郎】

ちゑさんの病気はどうか気ながに御看護下さい。今度は二十一日に参上いたし一泊御厄介になつて二十二日に帰京したいと存じてゐます。薬もその時持参します。父の方は今の処かはりありません。


昭和9年(1934)5月16日 長沼セン宛書簡より 光太郎52歳

心の病の療養のため智恵子を預けた九十九里の智恵子実母宛。「」はホルモン剤の「オバホルモン」。ほとんど効果はなかったのではないかと思われますが……。「父の方」は、光太郎の父・光雲が胃潰瘍で帝大病院に入院していたことを指します。
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各地で行われた光太郎智恵子がらみの講演会等の報道を、3件。

まずは石川県金沢市。『北陸中日新聞』さんから。

人柄巧みに描き出す 犀星「我が愛する詩人の伝記」 記念館20周年 池澤夏樹さん講演

000 室生犀星記念館の開館二十周年を記念して、作家、詩人の池澤夏樹さんが七日、金沢市文化ホールで講演した。犀星が交流のあった十一人の詩人たちについて書いた「我が愛する詩人の伝記」について「自分を出しながら、相手の人柄を書くのが犀星」と解説した。
 北原白秋、高村光太郎、萩原朔太郎、釈迢空、堀辰雄、立原道造…。犀星は、その生き様と作品を交流や見聞きしたエピソードとともに描き出している。
 白秋は犀星あこがれの詩人。女性問題で挫折したことも「同情的に書いている」と。光太郎については「言葉を尽くしてほめたたえている」と紹介した。
 朔太郎は犀星が生涯の友情を貫いた詩人。池澤さんは「心と心が溶け合って、すべての振る舞いを認め合い、手を携えて生きたように見える」と表現。「詩人や作家には江戸っ子と、地方から上京した人がいる」といい、朔太郎が妻と別れて前橋に帰る時の詩「帰郷」と、「ふるさとは遠きにありて−」で知られる犀星の「小景異情」とを対比して「帰ってはいけない場所としての『故郷』があった」と語った。
 釈迢空が養子とした歌人藤井春洋との別れの場面の描写を「犀星は小説家として書いている」と指摘した池澤さん。「犀星は生涯、詩と小説を両輪で書いた珍しい人。大いに学ぶべきだと思う」と締めくくった。
 「我が愛する−」は一九五八年の出版。昨年、濱谷浩の写真を加えた「写文集 我が愛する詩人の伝記」(中央公論新社)として改めて出された。

金沢市の室生犀星記念館さん開館20周年記念講演会だそうで、これは事前に把握していませんでした。光太郎の章も含む、犀星による『我が愛する詩人の伝記』、ここにきてまた復刊がなされたりで注目されており、いい傾向だと思います。

続いて福島市。『福島民報』さん。

謎が多い宇宙の魅力紹介 写真展「138億光年 宇宙の旅」監修の国立天文台上席教授渡部潤一さん講演

 福島県福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開催中の写真展「138億光年 宇宙の旅」を監修する国立天文台上席教授渡部潤一さん(会津若松市出身)は14日、同センターで講演した。
 講演は7月24日に引き続き2回目。「138億光年の宇宙の先へ―ほんとの空がある福島から―」と題し、謎が多い宇宙の魅力を紹介した。「夜空は誰もが見ることのできる最も広い時空間」と語り、自由に思いをはせ、癒やされてほしいと呼びかけた。さらに「福島は天文ファンの聖地」と述べ、宇宙と福島の関わりを説明した。
 日本天文遺産に認定された会津藩校日新館天文台跡については「見える形で残された貴重な日本最古の天文台跡で、国宝級だ」と熱弁した。
 写真展は福島民報社が創刊130周年記念事業として21日まで催している。
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過日ご紹介した、福島市で開催中の「写真展 138億光年宇宙の旅」関連行事としての講演会。サブタイトルに光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)由来の「ほんとの空」の語を入れて下さいました。多謝。

余談ですが、渡部氏、NHKさんで8月11日(木)放映の「コズミックフロント 流星群 星降る夜の謎」にご出演。興味深く拝見いたしました。

最後に都内から。『朝日新聞』さん。

近代史、「わかりやすい物語」どう脱却 奥泉光さん・加藤陽子さん、対談

 小説家の奥泉光さんと歴史学者の加藤陽子さんが、太平洋戦争下で言葉や物語が果たした役割について語り合った。共著『この国の戦争』(河出新書)の刊行にあわせたオンラインによるトークイベントが先月、東京都内で開かれた。
 同書は3回にわたる対談をまとめたもの。「軍人勅諭」などの公文書をはじめ、戦時中に書かれた軍人の手紙や作家の文章など膨大な史料に対し、文学者と歴史家という別の立場から「批評」を重ねたという。通底するのは「わかりやすい物語」からいかに脱却し、客観的に歴史を捉えるかという点だ。
 奥泉さんは、対話によって近代史の通説をうのみにはできないと改めて確認したという。たとえば三国同盟は「日本は単に勝ち馬にのりたかったのではなく、東南アジアの権益をもらうためだった。ドイツを牽制(けんせい)したわけです」。
 すると加藤さんは、当時日本が唱えた「大東亜共栄圏」という言葉を取り上げ、「日本が戦後処理のなかで植民地をもらうには言葉がいる。なぜこの言葉が出てくるか、誰が物語を作るのか。改めて気をつけて史料を読まなくてはいけない」と話した。
 視聴者から「同調圧力と戦うには?」という質問が届き、加藤さんは、「組織の構成員に女性を増やしてみる。弱い人に目が向くと思いますよ」。奥泉さんは「他者と対話的に関わる、そうした理念を求めていくこと」と答えた。

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記事中に光太郎智恵子の名はありませんし、トーク中に名が出たか分かりませんが、書籍の中で触れられている『この国の戦争 太平洋戦争をどう読むか』刊行記念の対談だそうで。

先頃、太平洋戦争77回目の終戦記念日を迎えましたが、ウクライナ情勢の泥沼化しつつある昨今、例年以上に戦争について考えさせられる年となってしまっています。

ちなみに奥泉氏、終戦記念日には、NHKラジオ第1さんの「高橋源一郎と読む「戦争の向こう側」2022」にご出演。作家の高橋源一郎氏、詩人の伊藤比呂美氏とご対談。戦況が厳しくなる戦時下、様々な行動や表現が制限される中、「それでも書き続けた作家たち」というテーマでした。

太宰治をメインに扱っていましたが、光太郎もちらっと。光太郎が序文を書き、詩「軍人精神」を寄せたアンソロジー『詩集 大東亜』(昭和19年=1944 日本文学報国会編 河出書房)が取り上げられ、光太郎についても語られました。
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高橋氏が「軍人精神」を朗読、その後に伊藤氏に感想を求めたところ、「馬鹿馬鹿しくて途中から聴いてられなかった」的な(笑)。それが正常な反応でしょう。こんなものを現代においても涙を流してありがたがる輩が少なからずいるのには呆れます。今年も終戦記念日前後、この手の光太郎詩をSNSに上げて喜んでいる愚か者が見受けられました。

しかし、光太郎、戦後はこうした翼賛詩を書き殴り、多くの前途有為な若者たちを死地に追いやる旗振り役をしたことを真摯に反省し、花巻郊外の不自由な山村で七年間もの蟄居生活を自らに科しました。同様の作品を発表した他の文学者にはほとんど見られなかったこの態度、これこそが光太郎を光太郎たらしめるものだと、当方は思っています。

こうした負の部分も含め、さまざまな皆さんに、光太郎について正しく語り継いでいっていただきたいものです。

【折々のことば・光太郎】

夜ラジオで智恵子抄の琴をきく、米川敏子さん、


昭和28年(1953)11月1日の日記より 光太郎71歳

米川敏子さん」は、生田流の箏曲家。後に人間国宝となりました。「智恵子抄の琴」は、米川作曲の「千鳥と遊ぶ智恵子」。15分以上の大作です。
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CD化もされています。

まず米川本人の演奏。
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二代目米川敏子氏による新しいテイク。
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7月16日(土)付『福島民報』さんから。

【写真展138億光年宇宙の旅】③人類宇宙探査の集大成

004 福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で十六日開幕する写真展「138億光年 宇宙の旅」は、高精細の天体写真で星空の美しさを伝える。監修する国立天文台上席教授渡部潤一さん(会津若松市出身)が見どころを寄稿した。

「ほんとの空がある」
 高村光太郎の妻・智恵子が、住んでいた東京にはなくて、故郷の二本松市だけに「ほんとの空」があると語った言葉から生まれた、『あどけない話』という詩である。福島にはまだ「ほんとの空」が残されている。それは夜の方がわかるかもしれない。東京では星座も結べないほど星が見えないが、福島では市街地を離れれば、まだまだ満天の星が見られるからだ。
 そんな「ほんとの空」のある福島には星を見に来る人も多いが、この夏は拍車がかかるかもしれない。最新の宇宙の写真展が福島市で開催されるからだ。展示されるのは、本紙のみんぽうジュニア新聞などでもしばしば紹介してきた驚くべき宇宙画像の数々。それらは現代の最新の観測装置群、例えばNASA(National Aeronautics and Space Administration、アメリカ航空宇宙局)のハッブル宇宙望遠鏡や数々の惑星探査機、日本の国立天文台がハワイに設置しているすばる望遠鏡や、欧米と共にチリに建設したアルマ望遠鏡など、世界中の最新鋭の望遠鏡群が撮影した画像だ。
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 百三十八億光年かなたの、宇宙の果てのかすかな銀河から、太陽系の惑星までさまざまな時間・空間スケールの異なる天体が並ぶ。美しさと鑑賞性を重視し、選び抜かれた画像群だ。宇宙から見た地球や立体的なオーロラなどの自然現象、人類の存在を示す夜景や人工建設物の造形、探査機が明らかにした驚くべき惑星の素顔の数々、そして何よりも芸術のような深宇宙の天体群の数々。可視光だけでなく、目に見えないエックス線から紫外線、赤外線までカバーして作られた疑似カラー合成画像は、美しさだけでなく、人類の宇宙探査の集大成でもある。
 これら深宇宙の天体の数々をたどり、百三十八億年の宇宙の歴史を感じていただくとともに、宇宙の中の地球という惑星に生きていることの奇跡を実感してもらえれば幸いである。

 わたなべ・じゅんいち 1960(昭和35)年、会津若松市生まれ。会津高、東京大理学部天文学科卒。東京大の大学院、東京天文台を経て、国立天文台上席教授を務めている。専門は太陽系小天体(すい星、小惑星、流星など)の観測的研究。国際天文学連合の惑星定義委員として準惑星のカテゴリーをつくり、冥王星をその座に据えた。2018(平成30)年から国際天文学連合副会長を務めている。61歳。

写真展「138億光年 宇宙の旅」についても、同紙から。

論説 【宇宙の旅写真展】地球いとおしむ機会に

 百億光年以上も離れた星々に間近に接し、想像力は果てなく広がる。きょう十六日から八月二十一日まで福島市のとうほう・みんなの文化センター(県文化センター)で開かれる写真展「138億光年 宇宙の旅」は、人類の英知を集めた最新画像で見る人を無限の時空へいざなう。地球や自らの存在を考える貴重な機会になる。
 写真展は、日本を代表する天文学者で国立天文台上席教授の渡部潤一さん(会津若松市出身)が監修した。米国航空宇宙局(NASA)をはじめ、世界の宇宙望遠鏡、惑星探査機などが捉えた写真百二十五点を大型の高品位銀塩プリントで紹介する。激しく噴き上がる太陽のプロミネンス(紅炎)、わし星雲の「創造の柱」と呼ばれる神秘的な領域など、多様な天体の姿が見られる。百三十億光年以上の距離にある銀河の写真も公開される。
 地球を捉えた写真の数々にも注目したい。月の地平線から浮かび上がる「地球の出」は、水と生命を湛[たた]える麗しさに息をのむ。地球は今、気候変動による環境破壊が進む。感染症や戦火にも脅かされている。持続可能な存在にするための国際目標(SDGs)がうたわれている。写真を通して県民が自分事と捉え、SDGsへの意識を日常の行動につなげるきっかけになればと願う。
 渡部さんは十五日付本紙への寄稿で、「福島にはまだ『ほんとの空』が残されている。それは夜の方がわかるかもしれない」と思いを伝えている。美しい満天の星空を末永く守るためにも、一人一人の心がけは欠かせない。
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機はやぶさ2が小惑星りゅうぐうから持ち帰った砂などの試料に、「生命の源」ともいわれるアミノ酸が含まれていると分かり、世界を驚かせた。会津大や複数の県内企業がはやぶさ2のプロジェクトに深く関わっている。会場では、はやぶさ2の二分の一模型や、県内企業が手がけた人工クレーターをつくる衝突装置なども紹介される。未知の領域に挑む県人の潜在力も感じてほしい。
 渡部さんは「深宇宙の天体の数々をたどり、百三十八億年の宇宙の歴史を感じていただくとともに、宇宙の中の地球という惑星に生きていることの奇跡を実感してもらえれば」とも期待した。人種や国籍を問わず、誰もが同じ奇跡の上にあると知れば、互いを慈しむ心は深まる。未知なる宇宙の深淵[しんえん]に触れ、現在と、これからの地球を見渡す視界も広げたい。

同展詳細はこちら。

写真展 138億光年宇宙の旅-驚異の美しさで迫る宇宙観測のフロンティア-

期 日 : 2022年7月16日(土)~8月21日(日)
時 間 : 10:00~17:00
休 館 : 7/25(月)・8/8(月)
料 金 : 一般 1,200円 中高生 900円 小学生 600円

関連行事<講演会>
 講師 渡部潤一(国立天文台 上席教授)
 日時 7/23(土)13:30~15:00
 場所 2階会議室
 定員 200名(先着順)※定員になり次第締め切り
 申込 メールにて jigyo@fukushima-minpo.co.jp
    ※郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を明記のうえお申込みください。
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コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

ひる頃平凡社の美術全集よりくる、エジプト彫刻のグラビヤ解説4枚20日〆切、

昭和28年(1953)8月7日の日記より 光太郎71歳

この年9月5日発行の『世界美術全集 第4巻 古代エジプト』のための原稿です。

光太郎はプリミティブなエジプト彫刻の美を愛しました。欧米留学中の明治40年(1907)から翌年にかけ、ロンドン滞在中に大英博物館でエジプト彫刻をよく観ていたそうです。

それにしても、突然、書け、といわれても書けてしまうあたり、舌を巻かされます(笑)。
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今年も最後の一日となりました。

昨日までのこのブログで、今年1年を振り返ってみましたが、昨年ほどではなかったものの、やはりコロナ禍前よりは紹介した事項が少なかったという感じでした。徐々に元に戻りつつはありますが、以前に行われていた大きな行事等のうち、今年も行えなかったこともありました。

4月2日の当会主催の連翹忌の集い、5月15日で花卷高村祭、8月9日に行われてきた女川光太郎祭、10月第1週の智恵子を偲ぶレモン忌、11月で高村光太郎研究会など。来年は、これらも元通りに開催できる事を切に願います。

また、コロナ禍前には、例年、1年間で皆様から頂いた郵便物に貼ってあった切手をJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)さんに寄付していましたが、整理するボランティアさんの密を避けるということで、来年3月まで受け付け停止中。昨年末もそうでしたので、2年分、ごっそり溜まっています。来年末には3年分、ごっそり贈らせていただきます。
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同様にベルマークは、ベルマーク教育女性財団さんの方で受付中でしたので、先月半ばにお送りしましたところ、寄贈者名簿に当会の名を記載して下さっています。受取証的な文書も届きました。
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さて、明日は2022年元日。そして元日といえば初日の出。当方、例年、昭和9年(1934)、智恵子が療養していた九十九里浜に初日の出を観に行っており、明朝もその予定です。ただ、かつて行われていた九十九里町の元旦祭は、やはりコロナ禍で中止と発表されています。

ところで今日未明は、にわか雨ならぬにわか雪。道路に積もる程ではありませんでしたが、家々の屋根や車にはうっすら。その後はからりと晴れました。明朝も晴れて欲しいものです。
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以前にもご紹介しましたが、九十九里浜以外にも、光太郎智恵子ゆかりの地で、初日の出スポットとして有名な場所がいくつかあります。

同じ千葉県で、大正元年(1912)、光太郎智恵子が愛を確かめ合った銚子市の犬吠埼。緯度と経度の関係で、離島や高山を除いて日本一早い初日の出が拝めます。
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智恵子の故郷・福島二本松では、このところ、二本松霞ヶ城の天守台址が初日の出スポットとして注目されています。下記は『広報にほんまつ』2022年1月号(二本松市さんでは、毎月末に翌月号をネット上にアップしています)から。
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そして、山梨県南巨摩郡富士川町上高下地区。昭和17年(1942)に光太郎がここを訪れたことを記念して建てられた文学碑のそばが、富士山頂から初日の出が上がるダイヤモンド富士の鑑賞ポイントとして有名です。
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さらに、宮城県女川町のショッピングモール、シーパルピア女川さん(女川光太郎祭の会場となり、こちらにも光太郎文学碑があります)。こちらも初日の出スポットとして、近年、有名になりつつあります。

というのも、東日本大震災で壊滅した町中心部に新たに建設され、JR石巻線の女川駅から女川港に向かうメインストリートの延長線上に初日の出が上るためです。計算してそう設計したわけではないのでしょうが、すごい偶然ですね。下記写真は女川町の「女川町民カレンダー」令和3年度版から。
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ちなみにシーパルピア女川さん、既存の施設をそのまま道の駅として認定されたりもしています。
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九十九里浜で迎える予定の明日の初日の出、来年1年にかける様々な願いを込めて、見てきたいと思っております。寝坊しないように気をつけます(笑)。

【折々のことば・光太郎】

夜ラジオをきき、除夜の鐘をきいてからねる、


昭和26年(1951)12月31日の日記より 光太郎69歳

この項、昨日までの流れですと、まだ9月なのですが、少し順番を入れ替えました。

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋で迎える7度目の大晦日。聞こえた除夜の鐘は、昌歓寺さんでしょうか、それとも清水寺さんでしょうか。8度目の大晦日をここで迎えることが無くなるのを、光太郎はまだ知りません。

ほぼ毎年、同様のご紹介をしていますが、光太郎智恵子ゆかりの地での初日の出情報をまとめてみました。
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最初に
大正元年(1912)、光太郎智恵子が愛を確かめ合った、千葉銚子の犬吠埼

2021年銚子市初日の出インフォメーション

初日の出時刻 午前6時46分頃
関東最東端の犬吠埼は、山頂・離島を除き日本で一番早く初日の出を見ることができます。
元旦は、犬吠埼周辺の海岸で雄大な大海原と荒磯に砕ける波や白亜の灯台がおりなす美しい風景とともに、新年の誓いを立ててみてはいかがでしょうか。
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新型コロナウイルス感染拡大防止のため、マスク着用、手指の消毒、3密の回避など感染防止対策のご協力をお願いいたします。また、発熱のある方や体調の優れない方の来銚はお控えください。
元日の未明は、初日の出にお越しになる自動車で相当の混雑が予想されるため、犬吠埼周辺道路において交通規制を行います。詳しくは「2021年銚子市初日の出情報」内の「初日の出マップ」をご覧ください。また、危険防止のため犬吠埼灯台前園地の一部と遊歩道を立入禁止といたします。

今年は、例年実施していた「初日の出ハッピーバルーンリリース」に代わり、元日から3日間、「新型コロナ収束祈念ハッピーバルーンフォトCHOSHI」として、市内6カ所にバルーンオブジェの展示を行います。市内各所を巡り、「CHOSHI」を完成させてください。
展示箇所については「2021年銚子市初日の出情報」内の「2021年年始イベント情報」をご覧ください。また、その他各店舗の情報についても、広告欄に掲載しています。
元日オープン情報
銚子ポートタワー 開館:午前6時から
(注意)午前6時から午前7時の間は、入場先着100名限定となります。
地球の丸く見える丘展望館 開館:午前5時30分から
(注意)午前5時30分から午前7時の間は、入場先着200名限定となります。
犬吠テラステラス 開店:午前7時から

当方はこのところ毎年、銚子より少し南に下った九十九里町真亀で初日の出を拝んでいます。昭和9年(1934)、心を病んだ智恵子が約半年間療養し、毎週のように光太郎が見舞いに訪れた地です。例年ですと九十九里町元旦祭が開催されていたのですが、例によってコロナ禍で中止となりましたが……。
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続いて、智恵子の故郷・福島二本松。『広報にほんまつ』の2021年1月1日号(既にネット上にアップされています)から。

二本松城本丸跡で迎える初日の出

1月1日・元旦、初日の出を迎えようと、二本松城本丸跡には毎年市内外からたくさんの人が訪れます。暗闇から一変、東方の阿武隈山地から太陽が姿を現すと、眼下には市街地が広がり、その見晴らしは絶景です。ぜひ一度足を運んでみてください。
※駐車場には限りがあります
※日の出は午前6時45分頃の予定です。
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最後に、この時期、富士山頂から日が昇る「ダイヤモンド富士」で有名な、山梨県南巨摩郡富士川町上高下(かみたかおり)地区。昭和17年(1942)、日本文学報国会の事業「日本の母顕彰」のため光太郎が訪れ、光太郎文学碑も建てられています。
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今月21日のNHKさんのニュースから

冬至 見事なダイヤモンド富士

21日は冬至です。
例年冬至の日の頃から元旦ごろにかけて、富士山の頂上付近に太陽の光が輝いてみえる「ダイヤモンド富士」が見られる富士川町のスポットでは、21日朝、見事なダイヤモンド富士が見られました。
富士川町の高下地区は、例年冬至の日の頃から元旦ごろまで、日の出の太陽の光が富士山頂付近でダイヤモンドのように輝いて見える「ダイヤモンド富士」のスポットとして知られています。
21日朝も、絶景を撮影しようと、夜明け前から県内外の写真愛好家などが訪れました。
午前6時半ごろから東の空が明るくなり、午前7時20分すぎに雲1つない富士山の山頂から朝日が昇ると、まばゆい光が輝いてダイアモンド富士となりました。
カメラを構えていた人たちは一斉にシャッターを切り、一瞬の美しさを切り取っていました。
富士吉田市から来た男性は「初めて来ましたが、自分なりに満足のいくものが撮れました」と話していました。
また、毎年訪れているという新潟県三条市の男性は、写真の出来栄えについて「まだまだです」などと話していました。
富士川町高下地区のダイヤモンド富士は、来年の元旦ごろまで見られるということです。
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こうした場所で見るのも一興、そうでなくても各地で初日の出はあまねく起こります。コロナ禍収束を願う意味でも、ぜひ祈りを込めてご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

夕方戸来恭三さんランプを持つてきてくれる。院長さんのたのみの由、石油一瓶針金も持参、贈与の由、 夜ランプをつける。

昭和20年(1945)11月23日の日記より 光太郎63歳

「戸来恭三さん」は山小屋のある旧太田村山口地区の住民。「院長さん」は佐藤隆房です。この日から、昭和24年(1949)までの3年以上、電気のないランプ生活を送りました。
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福島県から作品募集の案内です

【作品募集】第6回 ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト

ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えて下さい。

 郡山市ふれあい科学館では、星や月の輝く夜とともに、福島県の豊かな自然・そして人の暮らす風景を捉えた写真作品を募集し、広く全国に紹介することを目的に「ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト」を開催いたします。

 星や月の輝く夜空と地上の夜の景色の融合した風景、月明かりに照らされた幻想的な夜の風景など、あなたの視点での「星・月の風景」を撮影してご応募ください。

 応募締切は、2020年11月8日(日)です。みなさまの感性で捉えた作品をお待ちしております。

作品テーマ 福島県内で撮影された、星・月の風景
※星空や月と風景を併せて写した「星景写真」
※月の光を効果的に生かして撮影された「月光写真」や、湖面に映る星などを捉えた写真など、"星や月を感じられる"風景写真を広く対象とします。

【注意】比較明合成を含め、画像合成などの加工を施した写真は今回の募集対象外です。(カメラの撮影モードで、上記と同様の処理がなされた作品も対象外となります。)
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応募締切 2020年11月8日(日) ※消印有効

送 付 先
〒963-8002 福島県郡山市駅前二丁目11番1号
郡山市ふれあい科学館 ふくしま星・月の風景フォトコンテスト係
※直接持参される場合は開館日の10時~17時の受付となります。

審 査 員
【全体審査】
 鈴木 一雄 氏 (自然写真家/福島県出身)
 渡部 潤一 氏 (天文学者/福島県出身)
 郡山市ふれあい科学館長
【特別賞審査】
 松本 零士 名誉館長 (名誉館長特別賞選定) ほか

選 賞
【大賞】1点(副賞5万円) 
【名誉館長特別賞】1点(副賞3万円)
【審査員特別賞】2点(副賞3万円) 
【特別賞】5点程度  
【入賞】30点程度
※表彰者には、作品写真集を贈呈いたします。

応募規定/応募形式
・カラープリント 四つ切(254×305mm)、ワイド四つ切(254×365mm)、A4サイズ、B4サイズ
※今回から応募はプリントのみの受付となります。
※トリミングの有無を応募用紙に記入してください。
※画像処理による被写体自体の加工、極端な色彩の変更を加えた作品は失格とします。また、倫理に反する(立ち入り禁止区域での撮影、木の枝を折るなどの行為による)作品は、判明次第失格とします。

・応募点数に制限はありません
※発表済みの作品でも応募可とします。ただし他のコンテストで発表の場合、当該コンテストの規定等をご確認の上で応募ください。

・応募者のプロ・アマを問いません。モラルとマナーを守って、自然や周囲に配慮しての撮影をお願いします。

応募方法
作品1点ごとに、必要事項を記入した応募票を、作品の裏側にセロハンテープでとめて応募ください。

作品の返却
プリントの返却はいたしません。

作品の著作権
応募いただいた作品の著作権は、基本的に撮影者に帰属するものとします。ただし、以下の点において、主催者が作品を使用する権利を有するものとします。
・写真展での展示(今後予定している巡回展を含む。)
・主催者が本事業に関連して発行する刊行物および雑誌・新聞等への掲載、インターネットへの掲載
・科学館事業における写真使用
・今後の本事業のための宣伝・広告のための印刷物への掲載
このほか(本企画の趣旨に合致した事業を実施するために行う展示への貸し出し、およびその宣伝広告のための印刷物への掲載許可など)については、その都度協議の上で対応するものとします。

選考と発表
選出作品については、新聞紙上・カメラ雑誌・郡山市ふれあい科学館ウェブサイトなどで氏名とともに発表いたします。また、令和2年度以降に郡山市ふれあい科学館で行う写真展、および作品写真集「ふくしま 星・月の風景 Vol.6」に掲載します。

※選考後に、作品原版(ポジ・データ)の提出をお願いする場合があります(原版は一定期間後に返却いたします)。また、応募時より詳細な撮影データ(特に撮影地と撮影年月日)についても、お伺いすることがあります。

※2020年12月以降に、各受賞者へ審査結果を通知いたします。

個人情報の取り扱い
応募に際していただいた個人情報は、郡山市ふれあい科学館が管理し、本コンテストの実施運営に関わる作業のみを目的として使用いたします。個人情報は、契約に基づく委託先を別として断りなく第三者には提供いたしません。

審査結果を発表する際には、表彰者の賞名、作品、作品タイトル、氏名、住所(市町村まで)を公表いたします。

主 催 郡山市ふれあい科学館(公益財団法人郡山市文化・学び振興公社)
    郡山市 郡山市教育委員会
協 賛 (株)シグマ (株)ケンコー・トキナー
後 援 福島県 一般社団法人郡山市観光協会 福島民報社 福島民友新聞社 
    朝日新聞福島総局 毎日新聞福島支局 読売新聞東京本社福島支局 NHK福島放送局
    福島テレビ 福島中央テレビ 福島放送 テレビユー福島 ラジオ福島
    ふくしまFM 郡山コミュニティ放送ココラジ
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前回は平成29年(2017)に募集があった第5回ですので、約3年ぶりとなります。さらにその前の第4回の際は、当方、郡山で入賞作品展を拝見して参りました。

かなりのハイレベルですが、腕に覚えのある方、ぜひ福島の「ほんとの空」(ただし「星・月の風景」ですから基本的に夜間でしょうが)の素晴らしさを広めるためにも、お力をお貸し下さい。


【折々のことば・光太郎】gp15411

目がさめたらおきたまへ

短句揮毫 時期不明

都内の古書店さんの在庫目録に載ったものです。

薄鶯色漉模様入りの短冊にしたためられています。

筆跡的には光太郎に間違いないのですが、書かれた時期、経緯等不明です。また、「目がさめたらおきたまへ」、意味もよく分かりません。もしかすると光太郎が訳した外国の小説や戯曲などの一節かも知れません。

当会顧問であらせられた故・北川太一先生は現物をご覧になったそうで、あとで当方に「意味がよく分からないよね」とおっしゃっていたのを昨日のことのように思い出します。

ところで、ネットオークションにはしょっちゅう、というか常に、光太郎書の偽物が出品されています。現在は、このブログにかつて本物の画像を掲載したものを真似て書いたものも出品されています。出品者が偽物制作に関わっているのか、偽物と知らずつかまされたものを出品しているのか、何とも言えませんが……。

また、だいぶ前に、疑問点を投稿し、答えて貰う的なサイトに、光太郎書の画像が出、「これは何と読むのでしょうか?」と質問が。そこで、「それはこう読むのですよ」と解答したところ、すぐに質問自体が削除されました。普通、「ありがとうございました」的な返信があるのですが、それもなく、「?」と思っていましたら、程なくその文言を書いた偽物が、やはりネットオークションに出品されました(笑)。それ以来、基本的にその手のサイトには光太郎に関する質問が出ても答えないことにしています。

それにしても、「光雲作」と謳っている木彫にしてもそうですが、レベルの低い偽物(少し前にも書きましたが、富山県の悪徳業者が大量に出しています)が横行しています。それでもけっこう売れているのが不思議なのですが、どうもやはり悪徳骨董業者が偽物と知りつつ買っているようですね。結局、最後は誰かをだまして売りつけるのでしょうが、そのための偽物も自分で作るのは面倒なので、ネットで購入しているのだと思います。なげかわしいかぎりです。

光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)に使われ、福島復興の合い言葉として使われる「ほんとの空」の語。

それにまつわるイベントを二つご紹介します。

交流センター開館10周年記念「ふくしま星・月の風景in二本松」

期 日 : 2019年7月30日(火)~8月25日(日)
時 間 : 午前10時~午後4時
場 所 : 二本松市市民交流センター3階 市民ギャラリー  福島県二本松市本町2丁目3-1
料 金 : 無料

福島県内にて撮影された星・月の風景を眺め、星空に想いを馳せてみませんか?
「ほんとの空」がある二本松市では、初の写真展です。

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智恵子の故郷・二本松に隣接する郡山市のふれあい科学館さん主催で行われた「第5回 ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト」――キャッチコピーが「〝ほんとの空〞のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えてください」――の入賞作品展を、二本松で行うそうで。

当方、第4回の作品展を平成28年(2016)に拝見して参りました。どれもこれもハイレベルで驚きましたし、福島の「ほんとの空」の魅力を再確認いたしました。

さらに関連行事として、以下があるそうです。 

全国同時七夕講演会2019「星・月の風景写真を通して観る七夕の星・夏の星」

期 日 : 2019年8月4日(日)
時 間 : 午前6時~午後8時
場 所 : 二本松市市民交流センター1階 多目的室  福島県二本松市本町2丁目3-1
料 金 : 無料
講 師 : 安藤享平氏(郡山市ふれあい科学館 天文担当 学芸員)
内 容 : 夏空の主役・七夕伝説を紹介しつつ、星空撮影の方法などを詳しくお話ししま
      す。


もう1件、まったく別件ですが、やはり「ほんとの空」ということで。 

子どもじんけん教室 なつやすみミニ映画会「ほんとの空」

期 日 : 2019年8月14日(水)
時 間 : 1回目 午前10時30分~  2回目 午後2時30分~
           名古屋市中区栄一丁目23番13号伏見ライフプラザ12階
料 金 : 無料

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平成24年(2012)、兵庫県人権啓発協会さん制作のビデオドラマ「ほんとの空」(白石美帆さん主演)が上映されます。
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制作当初から数年間は、「新作」扱いで全国の自治体さんなどの主催行事で上映されたり、ローカルテレビ局さんで放映があったりしましたが、7年経ってそういう機会も減ったようです。しかし、内容的には東日本大震災による福島第一原発事故からの避難者が、避難先でいわれのない差別を受けるというもので、7年前と現在とで、社会の現状は残念ながらあまり変わっていないのではないかと思われます。

そういった意味では、今後も各地での上映や放映を望みます。特に放映の方は、ローカルテレビ局さんでは時々あったのですが、全国放映は為されていないように思われます。

それぞれお近くの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】003

きれいだなあといふと景色がなほきれいになる

短句揮毫より 昭和18年(1943) 光太郎61歳

この項、しばらくの間、色紙や献呈した書籍等に揮毫された短句をご紹介します。

第1弾は、昭和18年(1943)刊行の年少者向け詩集『をぢさんの詩』に書かれたもの。光太郎と交流の深かった美術史家・奥平英雄が、子息のためにと買い求め、光太郎に何か書いてくれるよう頼んで書かれた短句です。

実際、独り言でも声に出してみることで、その内容がより実感されるということはよくある話ですね。

『をぢさんの詩』は、翼賛詩もたくさん含む実に残念な詩集ですが(「これこそ光太郎詩の真骨頂」とありがたがる愚か者も居て困ります)、時局とまったく関係のない短句を揮毫してあげたところに、救いを感じます。

智恵子の故郷、福島二本松からイベント情報です。 
時   間 : 午後6時から
場   所 : 二本松市市民交流センター1階多目的室 福島県二本松市本町二丁目3番地1
料   金 : 無料
講   師 : 安藤享平氏(郡山市ふれあい科学館 天文担当 学芸員)

日本天文学会が毎年主催している「全国同時七夕講演会」の一環で開催いたします。旧暦の七夕をむかえた後ですが、七夕の伝統的行事の話などもお話していただきます。実際に星空を見上げる観望会も実施いたしますのでほんとの空のもとで、星に親しんでみませんか?

現在参加者募集中です。申し込み用紙などは交流センターにお問い合わせください。また、当日参加も受付予定ですので、お越しください。

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「ほんとの空」の語を持ち出されると紹介しないわけに行きません(笑)。

智恵子も見上げた同じ空の元での星空観察と講話。ぜひどうぞ。


【折々のことば・光太郎】

もともと発声によつて生れた詩が、その発声を野蛮視するやうな矛盾が起るに至つて近代の神経は病的徴候を明らかに示した。昔、民の声であつた詩が、いはゆる高度な詩ほど一般世人の心と何の関係も持たない、小さな詩人仲間だけの鑑賞物となつた。

散文「朗読詩について」より 昭和16年(1941) 光太郎59歳

現代の「詩人」諸氏、危機感を抱いてほしいものです。

福島から写真コンテストの応募案内です。キャッチコピーが「〝ほんとの空〞のあるふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えてください」だそうです。言わずもがなですが、「ほんとの空」の語は、光太郎詩「あどけない話」(昭和3年=1928)から採られています。 

第5回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト

 郡山市ふれあい科学館では、星や月の輝く夜とともに、福島県の豊かな自然・そして人の暮らす風景を捉えた写真作品を募集し、広く全国に紹介することを目的に「ふくしま 星・月の風景 フォトコンテスト」を開催いたします。
 星や月の輝く夜空と地上の夜の景色の融合した風景、月明かりに照らされた幻想的な夜の風景など、あなたの視点での「星・月の風景」を撮影してご応募ください。

作品テーマ 福島県内で撮影された「星・月の風景」
星空や月と風景を併せて写した「星景写真」
月の光を効果的に生かして撮影された「月光写真」や、湖面に映る星などを捉えた写真など、“星や月を
じられる”風景写真を広く対象とします。 
【注意】比較明合成を含め、画像合成などの加工を施した写真は今回の募集対象外です。
   (カメラの撮影モードで、上記と同様の処理がなされた作品も対象外となります。)
主 催
郡山市、郡山市教育委員会、郡山市ふれあい科学館(公益財団法人郡山市文化・学び振興公社)

審査員
― 全体審査 ―
鈴木一雄氏(自然写真家/福島県出身)・渡部潤一氏(天文学者/福島県出身)・郡山市ふれあい科学館長
― 特別賞審査 ―
松本零士名誉館長(名誉館長特別賞選定) ほか

応募締切 2017年11月30日(木) 消印有効

応募規定・形式
カラープリント四つ切(254×305mm) またはワイド四つ切(254×365mm)、A4サイズ、B4サイズ
ポジフィルム(マウントのうえフィルムを保護のこと)
デジタルカメラで撮影の場合、およびトリミングした作品の場合、プリントのうえ応募ください。また、トリミ
ングの有無を応募用紙に記入してください。
画像処理による被写体自体の加工、極端な色彩の変更を加えた作品は失格とします。また、倫理に反する(立ち入り禁止区域での撮影、木の枝を折るなどの行為による)作品は、判明次第失格とします。
応募点数に制限はありません
発表済みの作品でも応募可とします。ただし他のコンテストとの二重応募は不可とします。
応募者はプロ/アマチュアを問いません。モラルとマナーを守って、自然や周囲に配慮しての撮影をお願
いします。

応募方法
作品1点ごとに、必要事項を記入した応募票を、作品の裏側あるいはマウントにセロハンテープでとめて応募ください。

作品の返却
プリントの返却はいたしません。
ポジフィルムの返却は、返却希望とマウントに明記のうえ、返信用切手を貼った封筒を同封ください。

送 付 先
〒963-8002 福島県郡山市駅前二丁目11番1号 郡山市ふれあい科学館 ふくしま星・月の風景フォトコンテスト係
 ※直接持参される場合は開館日の10時~17時の受付となります。

作品の著作権
応募いただいた作品の著作権は、基本的に撮影者に帰属するものとします。ただし、以下の点において、選外作品を含め主催者が作品を使用する権利を有するものとします。
写真展での展示(今後予定している巡回展を含む)
主催者が本事業に関連して発行する刊行物および雑誌・新聞等への掲載、インターネットへの掲載
科学館事業における写真使用
今後の本事業のための宣伝・広告のための印刷物への掲載
このほか(本企画の趣旨に合致した事業を実施するために行う展示への貸し出し、およびその宣伝広告のた
めの印刷物への掲載許可など)については、その都度協議の上で対応するものとします。

選考と発表
表彰作品については、新聞紙上・カメラ雑誌・郡山市ふれあい科学館ホームページなどで氏名とともに発表いたします。
また、平成29年度以降に郡山市ふれあい科学館で行う写真展、および作品写真集「ふくしま 星・月の風景Vol.5」に掲載します。
選考後に、作品原版(ポジ・データ)の提出をお願いする場合があります(原版は一定期間後に返却いたします)。また、応募時より詳細な撮影データ(特に撮影地と撮影年月日)についても、お伺いすることがあります。

表 彰
【大賞】1点(副賞5万円) 【名誉館長特別賞】1点(副賞3万円)
【審査員特別賞】2点(副賞3万円) 
【特別賞】5点程度 【入賞】30点程度
表彰者には、作品写真集を贈呈いたします。

発表
2017年12月以降に、各受賞者へ審査結果を通知いたします。

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当方、第4回の作品展を昨年の5月に拝見して参りました。どれもこれもハイレベルで驚きましたし、福島の「ほんとの空」の魅力を再確認いたしました。

その第4回の募集が昨年の1月〆切で、その後、募集が1年以上なかったものですから、中止になったのかと思っていましたが、復活したようです。

腕に覚えのある方、ぜひチャレンジし、「ほんとの空」の美しさを広めるのに貢献して下さい。


【折々のことば・光太郎】

フランスへ行つて羨ましいのは全体の空気が凡て芸術を発達せしめるやうになつてゐることである。八百屋の下女とか洗濯屋の女房とか云ふ輩(てあひ)でも、サロンの批評位は朝飯前にやつて退(の)ける。私のよく買つた焼栗売のお婆さんは、私が彫刻をやるといふことを知つてゐるので、私を捉まへて、ロダンも昔はえらかつたが、今は大分衰へたやうだと堂々と論じだしたことなどもある。

談話筆記「フランスから帰つて」より 明治43年(1910) 光太郎28歳

職業に対する差別意識が見えますが、それにしても、一般庶民がサロンやロダンをちゃんと論じられるフランスの文化水準の高さに驚く光太郎。それはそのまま、日本人の芸術に対する意識の低さへの失望につながりました。

100年以上経った現代でも、それはあまり変わっていないのかも知れません。

先般、智恵子の故郷・二本松に行った際にチラシをゲットしてきました。

秋の星空講座 月を見上げて in ほんとの空

期 日 : 2017年11月3日(金・祝)
会 場 : 二本松市市民交流センター 福島県二本松市本町二丁目3番地1
時 間 : 18:00-19:00
講 師 : 星空案内人 東前智恵
条 件 : 小学生以上 定員20組 小中学生は保護者同伴
参加費 : 無料
持ち物 : 懐中電灯 防寒着 5円玉 
申 込 : 二本松市市民交流センター窓口 FAX 0243-24-1216


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皆さん秋の月を眺めたことはありますか?
実は日本には十五夜と十三夜の両方の月を眺める独自の月見文化があるほど、秋に月を眺めることが好まれていました。
そこで、これから更に月見を楽しむために月を詳しく知り、「ほんとの空」に輝く月をいろんな道具を使って眺める月見体験に挑戦してみましょう。

内容 : 月の文化・伝説、月の構造紹介  月見体験(伝統的な方法&望遠鏡)


というわけで、月の観察会だそうです。「ほんとの空」の語を入れられてしまったら、このブログでご紹介するしかありません(笑)。

今月5日の智恵子忌日「レモンの日」に開催された「智恵子・レモン忌 あいのうた」の晩が十六夜(いざよい)でした。来月1日が旧暦9月13日(十三夜)、観察会当日の3日が満月です。持ち物に「5円玉」とありますが、満月と5円玉の関係、ご存じの方はご存じですね。

講師の東前さんという方、郡山市ふれあい科学館さんにお務めのようです。同館では「 “ほんとの空” のある、ふくしまの星・月の風景をあなたの感性で捉えてください」とのコピーで、「ふくしま星・月の風景フォトコンテスト」を主催なさっていて、第4回のあと、間があきましたが、第5回の募集も始まっています。〆切が近くなりましたらまたご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

わたくしの猛獣性をさへ物ともしない この天の族なる一女性の不可思議力に 無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。

連作詩「智恵子抄その後」中の「あの頃」より
 
昭和24年(1949) 光太郎67歳

その智恵子の葬儀があった昭和13年(1398)10月8日が、この年の十五夜だったそうです。何だか月に帰って行ったかぐや姫のようですね。

7/29(土)夕刻、花巻高村光太郎記念館さんに到着。この日は記念館さんの市民講座「夏休み親子体験講座 新しくなった智恵子展望台で星を見よう」の講師を仰せつかっておりました。

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市の広報誌などでも宣伝していただき、十数組、30名ほどの親子と、地元の方が若干名、ご参加下さいました。せっかくそれだけの申し込みがあったにもかかわらず、あいにくの曇り空でした。

ところが、開始時刻が近づくと、雲が切れ始めました。

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これなら、少しは星も見えるかな、という感じでした。

午後七時、記念館の展示室1、光太郎彫刻が並んでいるスペースで、開会。

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はじめに当方の話でした。ただ、メインは星空の観察ですので、短く切り上げました。彫刻や詩歌で「美」を追い求めた光太郎、山川草木鳥獣虫魚などの大自然にも美を見いだし、その一環として、天体にも関心を持っていたらしいこと、特に、記念館のある旧太田村山口に隠遁してから、市街地では気づきにくい天体の美しさに憑かれたこと、約70年前に光太郎が見上げたのと同じ星空と思って見てほしいことなどをお話しさせていただきました。

レジュメでは、天体についての記述がある光太郎文筆作品を紹介しました。はじめにこの企画の話が出た際、当方が講師を仰せつかるつもりもなく、適当に「こんなものまとめましたので、よかったら使って下さい」と、お送りしたもので、それも急いで作ったので、文筆作品といっても、『高村光太郎全集』の、詩歌、随筆、日記の巻を斜め読みし、ピックアップしたに過ぎません。それでも、数多くの箇所が見つかりました。

特に昭和24年(1949)に書かれた随筆「みちのく便り 一」には、山小屋から見える天体の魅力をかなりくわしく書いています。

 みちのくといへば奥州白河の関から北の方を指すのでせうが、さうすると、岩手県稗貫郡といふ此のあたりは丁度みちのくのまんなか位にあります。北緯三十九度十分から二十分にかけての線に沿つてゐる地方です。有名な緯度観測所のある水沢町はここから南方八里ほどのところにあり、天体も東京でみるのとは大分ちがひます。星座の高さが目だち、北斗七星などが頭に被ひかぶさるやうな感じに見えます。山の空気の清澄な為でせうが、夜の星空の盛観はまつたく目ざましいもので、一等星の巨大さはむしろ恐ろしいほどです。星座にしても、冬のオライアン、夏のスコーピオンなど、それはまつたく宇宙の空間にぶら下つて、えんえんと燃えさかる物体を間近に見るやうです。木星のやうな遊星にしても、それが地平線に近くあらはれてくる時、ほんとに何か、東京でみてゐたものとは別物のやうな、見るたびにびつくりするやうなもので、月の小さいものといいたい位にみえます。その星影が小屋の前の水田の水にうつると、あたりが明るいやうに思はれます。星の光は妙に胸を射るやうに来るものです。昔の人が暁の金星を虚空蔵さまと称した、さういふ畏敬の念がおのずから起るやうです。夜半過ぎて用足しに起きた時など、この頃の寒さをも忘れて私はしばらく星空を眺めずにはゐられません。このやうな超人的な美を見ることの出来るだけでも私はこの山の小屋から去りかねます。かういふ比較を絶した美しさを満喫できるありがたさにただ感謝するほかありません。たかだかあと十年か二十年の余命であつてもその命のある間、この天然の法楽をうけてゐたいと思ひます。宮澤賢治がしきりと星の詩を書き、星に関する空想を逞しくし、銀河鉄道などといふ破天荒な構想をかまへたのも決して観念的なものではなくて、まつたく実感からきた当然の表現であつたと考へられます。

このとき光太郎、数え67歳でしたが、まるで少年のように、天体の美しさのとりこになっている様子がよくわかりますね。

その他、特に記述が多いのは、月に関してでした。細かく書いていた山小屋生活前半の日記には、天体についての記述がたくさんあります(後半になると、一日に書く長さが短くなり、あまり天体については書かれなくなってしまいます)。特に月は毎日のように記述があり、イラスト入りでその形を記述している日もありました。

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それからこんなものも。

 もう十五年前のことになります。
 初めて紐育へ行つた五月初旬、街路樹にぱらぱら新芽の出る頃でした。このさき、どうして金をとつて勉強していいか、初めて世の中へ抛り出されて途方に暮れながら、第五街の下宿の窓から、街路の突き当たりに、まんまろく出た満月を見て、故郷の父母弟妹のことを思い、止度なく涙の出たのを忘れません。
アンケート「私が一番深く印象された月夜の思出」(大正11年=1922)

俳句でも。

  自転車を下りて尿すや朧月  (明治33年=1906)
  ドナテロの石と対座す朧月  (明治42年=1909)

そして詩でも、「荒涼たる帰宅」(昭和16年=1941)、「月にぬれた手」(同24年=1949)などで月をモチーフにしています。


惑星では、ずばり「火星が出てゐる」(昭和2年=1927)という詩がありますし、他の詩でも、木星やら金星やらが出てくる箇所がけっこうあります。

うすれゆく黄道光に水星は傾き、/巨大な明星と木星ばかり肩をならべて、/いまがうがうと無限時空を邁進してゐる。    「落日」 昭和15年(1940)

ああ、もう暁の明星があがつて来た。  「漁村曙」昭和15年(1940)

詩をすてて詩を書かう。記録を書かう。同胞の荒廃を出来れば防がう。私はその夜木星の大きく光る駒込台で/ただしんけんにそう思ひつめた。     「真珠湾の日」昭和22年(1947)

日記でも同様です。

昭和20年(1945) 12月25日 夜晴、火星大也 

昭和21年(1946)1月1日   夜天に星きらめく。オリオン星座顕著なり。オリオンのあとより大きく火星がひかる。
                 
昭和21年(1946) 4月16日  木星が丁度中天に来た頃いつもねる。 月と木星と同位置にあり。夜おそくまで村の子供の叫声がきこえる。月明るし。
                     
昭和22年(1947) 2月25日  夜星うつくし。木星、金星未明の頃大きく輝く。
 
昭和22年(1947) 4月17日  夜も星月夜、明方残月と金星と木星美し。    

昭和22年(1947) 4月25日  夜読書、十時、木星サソリ座にあり。 

昭和22年(1947) 4月29日  夜星出る。木星大なり。       

昭和22年(1947) 5月4日  月おぼろ、木星月に近づく、


そして、星座を形作る恒星に関しても。

風の無いしんしんと身籠つたやうな空には/ただ大きな星ばかりが匂やかにかすんでみえる/天の蝶々オリオンがもう高くあがり/地平のあたりにはアルデバランが冬の赤い信号を忘れずに出してゐる
「クリスマスの夜」 大正11年(1922) アルデバラン……おうし座の一等星

腹をきめて時代の曝しものになつたのつぽの奴は黙つてゐる。/往来に立つて夜更けの大熊星を見てゐる。
「のつぽの奴は黙つてゐる」昭和5年(1930)    大熊星……北斗七星を含む大熊座

イソゲ イソゲ 」ニンゲ ンカイニカマフナ ヘラクレスキヨクニテ
「五月のウナ電」昭和7年(1932) ヘラクレス……ヘラクレス座

或夜まつかなアルデバランが異様に鋭く、/ぱつたり野山が息凝らして寝静まると、/夜明にはもうまつしろな霜の御馳走だ。
「冬が来る」昭和12年(1937) 

まだ暗い防風林の頭の上では/松のてつぺんにぶら下つて/大きな獅子座の一等星が真紅に光る。/隣の枝のは乙女座だらう。/北斗七星は注連飾のやうだし、/砂丘の向ふの海の方には/ああ、もう暁の明星があがつて来た。
 「漁村曙」昭和15年(1940) 

オリオンが八つかの木々にかかるとき雪の原野は遠近を絶つ 昭和22年(1947)

日記では……

昭和4年(1929) 6月10日  夜天東方よりアークチュラスの星、夏の気息を余の横顔に吹きかく。
            注・アークチュラス…… アークトゥルス。 うしかい座の0等星

昭和21年(1946)1月1日
   夜天に星きらめく。オリオン星座顕著なり。オリオンのあとより大きく火星がひかる。
                                   
昭和21年(1946) 1月28日  風おだやかにて晴れ、星月夜なり。オリヨン君臨す。

昭和21年(1946) 3月7日   夜中空はれ間あり。サソリ座大きく出ていゐ。暁近き頃とおぼゆ。

昭和21年(1946) 3月30日  夜星みえる。夜更けてサソリ座大きく立ってみえる。

昭和21年(1946) 4月7日  夜星出てゐる。サソリ座夜半大きく出る。

昭和21年(1946) 5月3日  星出る。星明り。サソリ座高し。     

昭和22年(1947) 1月15日  空晴れ、オリオン美し。

昭和22年(1947) 1月18日   夜でも寒暖計五度をさしてゐる。軒滴の音がする。オリオン美し。

昭和22年(1947) 4月25日  夜読書、十時、木星サソリ座にあり。

昭和22年(1947) 8月14日  晴、昨夜星らん干。サソリ座大きく見え、暁天に廿七日の月出でたり。

昭和22年(1947) 9月16日  夜、銀河明るし。            

昭和22年(1947) 5月4日  星が出ると、オリオン、大犬等の壮観、

それから、智恵子と結婚した大正前半頃、東京駒込林町のアトリエで飼っていた黒猫の名前は、星座のくじら座から取って「セチ」。その猫を謳った詩や、猫の名前にふれた智恵子の書簡も残っています。

とまあ、こんなことをレジュメに書きましたが、とてもすべて説明している時間はなく、バトンタッチ。ともに花巻ご在住で、天文サークル「星の喫茶室」の伊藤修さん、根子(ねこ)義照さん(猫さんではありません(笑))。

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簡単に天体観測について説明のあと、記念館から徒歩5分ほどの、智恵子展望台へ。当初の予定では、こうでした。

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しかし、この時はまた雲が低くたれ込めており、結局、星は一つも見えませんでした。残念。

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ふたたび記念館へ移動。帰り道、山小屋付近で蛍が光りながら飛んでいました。

記念館では、お二人により、DVDの上映や、天体望遠鏡、写真パネルなどの説明。そうこうしているうちに、雲が切れ始め、講座終了後、参加者の皆さんが帰られる頃には、ぽつぽつ星が見えました。展望台に居る時に見えればベストだったのですが、こればっかりは自然相手ですので致し方在りません。それでも、少しでも星が見えて良かったと思いました。

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講座の前後、伊藤さん、根子さんとお話しさせていただいた中で、お二人とも光太郎がずいぶん天体について記述を残しているのに驚かれていました。また、天文愛好家ならではの着眼で、日記の日付と見ている星座の関係から、時にはかなり早起きして夜明け前に星を見ていたはず、というご指摘。ほう、と思いました。それから、光太郎が姻戚の宮崎稔に村上忠敬著『全天星図』の入手を依頼したのも、流石だ、というお話でした。逆に、彗星や流星について、特に、明治44年(1911)のハレー彗星について書き残していないことを残念だとおっしゃってもいました。そのあたりは、今後、新たな文章などの発見があれば、と思っております。

最初に書いたとおり、大自然を愛した光太郎。その一環として天体の美にも反応したのでしょうが、宮沢賢治の影響もあるような気もしています。今後、賢治と光太郎の関わりについてしゃべる機会があれば、そういう話もしようと思っております。

午後9時頃、片付けも終わり、撤収。レンタカーをその日の宿・台温泉に向けました。

以下、また明日。


【折々のことば・光太郎】

山を見る先生の眼に山の叡智がうつる。 山は先生をかこんで立ち、 真に見るものの見る目をよろこぶ。
詩「先生山を見る」より 昭和14年(1939)
 光太郎57歳

「先生」は、光太郎より10歳年長、登山家の木暮理太郎です。2年後に光太郎の『智恵子抄』を上梓する龍星閣から刊行された、木暮の『山の憶ひ出』下巻に載った木暮の写真にインスパイアされて書かれた詩です。やはり大自然の美を愛するものとしてのアフィニティー、ということなのでしょう。
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光太郎、翌年には木暮の山姿の彫刻を作り始めますが、結局、完成しませんでした。

光太郎が戦後の七年間を過ごした花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隣接する花巻高村光太郎記念館さん主催の市民講座です。

まだ先の話ですが、申し込みの〆切がありますのでご紹介してしまいます。

高村光太郎記念館 夏休み親子体験講座「新しくなった智恵子展望台で星を見よう」

期  日 : 2017年7月29日(土)
時  間 : 午後7時から8時30分まで
場  所 : 高村山荘周辺 岩手県花巻市太田第3地割85番地1
対  象 : 花巻市内に在住または市内に在学する小・中学生とその保護者
定  員 : 10組20人  定員を超えて申し込みがあった場合には抽選となります。
申し込み : 花巻市生涯学習課 0198-24-2111(内線418) 7月18日(火)〆切
料  金 : 1組400円(教材費、保険料)

高村光太郎は、山や海などの眺めやさまざまな動植物を詩に詠み、大自然を愛した詩人でした。大自然の一部である月や星の美しさ、魅力についても若いころから書き残しています。
旧太田村山口に移り住んでからの光太郎の世界を自然豊かな里山で月や星の観察をしながら感じます。

講   師 : 天文サークル星の喫茶室 伊藤修氏・根本善照氏
         高村光太郎連翹忌運営委員会代表 小山弘明 

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というわけで、講師を仰せつかりました。メインの天文の話は天文サークル星の喫茶室のお二方に任せ、当方は光太郎と天体について、簡単にお話しさせていただきます。

旧太田村に移り住んだ昭和20年(1945)からしばらく、光太郎は詳細に日記をつけていました。その中で、月に関する話――イラスト入りでどんな形だったとか、何時頃月の出だったとか――や、オリオン座、サソリ座、北斗七星などの目立つ星座、火星や金星などに関しての記述がたくさん見られます。今でもおそらくそうですが、旧太田村は夜間の明るい灯火がほとんどなく、夜空の観察にはもってこいだったのでしょう。

昭和22年(1947)には、姻戚の詩人・宮崎稔に村上忠敬著『全天星図』と『星座早見表』を購入して送ってくれるよう頼んでいます。日記以外にも、若い頃からの詩文に、月や星に関する内容がけっこうあったり、飼っていたの名前を星の名前にしていたりもしています。光太郎は天体についてきちんと体系的に学んだというわけではなさそうですが、山川草木禽獣虫魚を愛した光太郎ですので、そうした自然志向の一環でしょう。そのあたりの話を、と考えています。

講座当日、星の観察は、今春、新たにウッドデッキを新設した智恵子展望台(高村山荘裏手の高台)から、当方の講話は、展望台下の旧高村記念館で行います。晴れるといいのですが、どうなりますことやら……究極の雨男・光太郎もこの日は遠慮して欲しいと思います(笑)。

対象は花巻市内の小・中学生とその保護者ということですが、集まっていただきたいものです。


【折々のことば・光太郎】

あの天のやうに行動する。 これがそもそも第一課だ。 えらい人や名高い人にならうとは決してするな。 持つて生まれたものを深くさぐつて強く引き出す人になるんだ。 天からうけたものを天にむくいる人になるんだ。 それが自然と此の世の役に立つ。

詩「少年に与ふ」より 昭和12年(1937) 光太郎55歳

星を包摂する「天」の語も、光太郎は好んで使いました。こせこせしない人間的なスケールの大きさにもつながりますね。

仙台に本社を置く地方紙『河北新報』さん。今週月曜日の夕刊に掲載のコラム「河北抄」で光太郎の名が。

河北抄 2017年06月05日月曜日

 満天の星に吸い込まれた。先日、福島県大玉村の実家に帰り、見上げた夜空に心がすっとした。安達太良山の麓。高村光太郎の詩集「智恵子抄」にある「ほんとの空」は、夜もまた格別だ。
 6年前、激震が襲った日の仙台の夜空も、きれいだった。停電で不安と闇に沈む中心部。華やかなネオンに隠れていた輝きが、こんなにあったとは。
 「何もない非日常がいい」。青森市出身の館美里さん(24)は、あまり活用されていない福島県三島町の美坂高原で星空に魅せられた。地域おこし協力隊として町に移住した若い仲間と24日夜、「みさかDEあそぼ 星空×ヨガ」を催す。
 星を仰ぎ心身を癒やす星空ヨガ。提唱する三島町出身で郡山、仙台で活動するヨガ講師大竹沙紀さん(26)は「五感で星の鼓動を感じ、自分らしさを見つめてほしい」と。人にも個々の輝きがある。人口減、高齢化が著しい奥会津の小さな町だが、見方を変えればきらりと光る。
 仙台のビル街も、たまには明かりを消し、屋上で夜空を眺めてヨガ-実現できたら、どんなにすてきだろうなあ。


単に福島の空が美しい、だけでなく、「ほんとの空」を引いて下さり、ありがたいところです。

今後、梅雨が明けると夏の星座のシーズンですね。都会では夜も明るすぎ、星の観察には不向きですが、コラムにある大玉村や三島町(奥会津です)あたりでは、さぞ美しい星空が見えるような気がします。

郡山市ふれあい科学館さんで開催されていた第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト 作品展を、去年の今頃、拝見したことを思い出しました。「 “ほんとの空” のある、ふくしまの星・月の風景」というコピーが使われていました。コンテストはは昨年の第4回で終了してしまったようで、残念です。

追記:「ふくしま星・月の風景フォトコンテスト」、間があきましたが復活しました。

もう一つ思い出したのが、昨年、「“ほんとの空”から追い求めた夢の結実」と報道された、最高時速370キロのプロペラ飛行機によるレース「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」。先週末に千葉県立幕張海浜公園で開催された第3戦で、昨年に続き、福島を本拠に活動されている室屋義秀選手が2連覇を達成されました。すばらしいですね。

そうかと思えば、「河北抄」でも触れられていた東日本大震災、そして原発の事故がらみも報道され、あきれています。ようやく福井県の「もんじゅ」廃炉が決まったと思ったら、使用済み燃料の行き場がないとか、茨城では重大な被曝事故が発生しているにもかかわらず、「もんじゅ」の福井では高浜原発3号機が運転差し止めの仮処分がくつがえされて再稼働とか……。「営業運転に入れば、電気料金を値下げする」だそうで、こういうのをまさに「朝三暮四」というのだと思います。いいかげん目を覚ませと言いたくなりますが、トンデモ大臣のお膝元ですのでしかたがないのかもしれません。

ところで、「原発」、「ほんとの空」といえば、2012(平成24年)、兵庫県人権啓発協会さん制作のビデオドラマ「ほんとの空」。劇中に光太郎の詩「あどけない話」が使われ、このブログでも何度かご紹介してきました。昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」で、主人公・真田信繁(幸村)の長男・大助を演じた浦上晟周さんも出演しています。

明日、福岡市の高取公民館で上映されます。

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「原発いじめ」問題もあった昨今、その問題も扱っているこの「ほんとの空」、もっと上映が広がってほしいものです。


最後は星空関連の明るい話題で。

戦後の7年間、光太郎が暮らした岩手県花巻郊外旧太田村。光太郎が暮らしていた昭和20年代は、まさしく星降る夜だったようで、当時書かれた随筆や日記に、天体に関する記述がたくさん見受けられます。そんな縁もあり、先日もちらっとご紹介しましたが、花巻高村記念館さんの講座的に、記念館・山荘周辺で星座観察会を催すことになりました。7月29日の夜です。花巻市さんも共催に入って下さり、当方もゲストにお招きいただきました。詳細が決まりましたらまた改めてご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

さういふ道とはまるで違つた道があるのだ さういふ図形にまるで嵌らない図形があるのだ

詩「激動するもの」より 昭和4年(1929) 光太郎47歳

「原子力村」の論理を振りかざす輩に贈ります(笑)。

ところで、「激動するもの」という詩、扱いに困る詩です。この詩が収められた『高村光太郎全集』増補改訂版第2巻刊行の平成6年(1994)時点でも初出掲載誌が不詳でした。また、光太郎の生前に刊行されたどの詩集にも掲載されませんでした。そこで、『全集』では光太郎の手元に残された草稿に記された形を採録しています。

その後、山梨県で自費出版的に刊行されていた雑誌『線』の第4号(昭和5年=1930)に初出だったことがわかり、掲載誌も見ることが出来ました。しかし、草稿と異なる箇所が二カ所。引用した部分、草稿で「さういふ道とは」が、『線』では「さういふ道と」、終末近くで同じく「微塵の中」が「微塵のうち」となっています。

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雑誌『線』掲載の段階で、光太郎がゲラ等の確認をきちんとしていたのであれば、掲載誌のとおりですが、そうでなければ誤植です。どちらなのか、現段階では不明です。

この点に関わる随筆、書簡などが新たに見つかれば、この問題も一気に解決します。実際、一つの随筆、書簡の新たな発見で、それまで不明だったことが分かった例はたくさんあり、今後に期待したいところです。

昨日の『福井新聞』さんの一面コラムから。 

越山若水

一昨夜、昨夜と雲にいらだった人が多いかもしれない。火星が地球に最接近する「スーパーマーズ」である。南南東の夜空に赤く輝く星をご覧になれただろうか▼火星は約2年2カ月ごとに地球と接近を繰り返す。その距離は毎回違う。今回最も近づいた5月31日は7528万キロと、ほぼ10年ぶりに「中接近」したという▼「スーパー」だが「中」くらい、では拍子抜けの気がしないでもない。ただ、見た目で一番小さかった1月に比べいまの火星は3倍も大きい。観察には好機である▼高村光太郎も最接近を見たのかもしれない。「要するにどうすればいいか、という問は、/折角(せっかく)たどつた思索の道を初にかへす」と始まる「火星が出てゐる。」という詩がある▼まずい読み手ながら、例えばこんな一節にひかれる。「お前の心を更にゆすぶり返す為(ため)には…あの大きな、まつかな星を見るがいい」。孤高の星を仰ぐ求道者が浮かんで美しい▼地球から月までは約38万キロ。火星はその数百倍も遠く、ロケットで往復するだけで3年かかる。巨額の費用も必要だ。それでも、世界各国が有人探査計画を進めている▼なぜかといえば将来、人類が移住できそうな星だとみられているから。この計画にロマンを感じるかどうか。青く美しい地球を壊した末に「地球が出ている」とうたうのか、と人類の所業に心痛む人も多いだろう。


というわけで、現在、通常時に比べて地球と火星の距離がかなり近い状態だそうです。

そちらを報じた『中日新聞』さんの記事。 

火星が明るい! 5月31日 火星最接近!

火星接近!
午後11時ごろ南東の空を眺めると、赤い光を強烈にはなっている星が目に入る。火星だ。近くの土星やさそり座のアンタレスがかすんでしまうほど。アンタレスは火星の敵という意味だが、アンタレスよりも3等級も明るい-2等星で輝いている。
それもそのはず5月31日は2年2か月ぶりの火星最接近なのだ。しかも今年は準大接近、前回の2014年4月よりも一回り大きな火星が見えるということで大いに期待が高まる。

火星の動き
火星は地球のすぐ外側を公転周期687日で回っているため、地球から星空の中で輝く火星を見ていると、その動きはとても目まぐるしく、ほぼ2年で天球を1周してしまう。
 今年1月におとめ座の足元にいた火星は、東へ東へと順行し、2月にはてんびん座を通過し3月にさそり座、4月にへびつかい座に入ったかと思ったら17日には動きが止まり、逆行モードに転じUターンしててんびん座まで戻ってしまう。
そして6月30日に再び止まって順行に転じて、そのまま東へ足早移動し8月にはアンタレスに接近する。
火星は、地球に追いつかれ並び追い越されてゆくことになる。この間火星はダイナミックに変化をする。地球との距離は、1月には2億3100万kmもあったが、最接近の5月31日には7530万kmまで縮まり、12月には2億2900万kmまで離れてしまう。
 明るさは、1月はおとめ座のスピカと変わらない1.1等から、5月には木星の明るさに迫る-2等に達し、12月には0.8等南のうお座のフォーマルハウトよりやや明るい0.8等まで落ちてしまう。
 気になる大きさ視直径は、1月の6秒角から最接近時の18秒角、そして年末の6秒角へと、猫の目のように目まぐるしく変化する。だからこそ、火星接近は、一大天文現象になるのだ。

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文章ではわかりにくいのですが、図を見れば一目瞭然ですね。

昨夜は関東は快晴で、南の空に火星がくっきり見えました。あやしいほどの光でした。というか、先月中旬くらいら、赤い大きな星が網戸越しにも見えていたので、気になっていました。その後、「火星再接近」というニュースを見て、ああ、あれが火星だったか、と思った次第です。

光太郎ファンは、「火星」というと、次の詩を思い浮かべます。大正15年(1926)、12月5日作。翌昭和2年1月1日の雑誌『生活者』第2巻第1号に掲載されたものです。


    火星が出てゐる005

 火星が出てゐる。
 
 要するにどうすればいいか、といふ問は、
 折角たどつた思索の道を初にかへす。
 要するにどうでもいいのか。
 否、否、無限大に否。
 待つがいい、さうして第一の力を以て、
 そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
 予約された結果を思ふのは卑しい。
 正しい原因にのみ生きる事、
 それのみが浄い。
 お前の心を更にゆすぶり返す為には、
 もう一度頭を高く上げて、
 この寝静まつた暗い駒込台の真上に光る
 あの大きな、まつかな星をみるがいい。
 
 火星が出てゐる。
 
 木枯が皀角子(さいかち)の実をからからと鳴らす。
 犬がさかつて狂奔する。
 落葉をふんで
 藪を出れば
 崖。
 
 火星が出てゐる。001
 
 おれは知らない、
 人間が何をせねばならないかを。

 おれは知らない、
 人間が何を得ようとすべきかを。
 おれは思ふ、
 人間が天然の一片であり得ることを。
 おれは感ずる、
 人間が無に等しい故に大である事を。
 ああ、おれは身ぶるひする、
 無に等しい事のたのもしさよ。
 無をさへ滅した
 必然の瀰漫よ。
 
 火星が出てゐる。
 
 天がうしろに廻転する。
 無数の遠い世界が登つて来る。
 おれはもう昔の詩人のやうに、
 天使のまたたきをその中に見ない。
 おれはただ聞く、
 深いエエテルの波のやうなものを。
 さうしてただ、
 世界が止め度なく美しい。
 見知らぬものだらけな不気味な美が
 ひしひしとおれに迫る。
 
 火星が出てゐる。


「火星再接近」のニュースを見て、この詩を引用した報道やコラムが、全国どこかの新聞に載るだろうと予想していましたら、まさしくその通り、『福井新聞』さんがやってくださいました。ありがとうございます。「まずい読み手ながら」と謙遜されていますが、どうしてどうして、「孤高の星を仰ぐ求道者が浮かんで美しい」という解釈はその通りです。

しかし、同じく求道的な内容であっても、大正3年(1914)の、あまりにも有名な「道程」で謳い上げられた「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という高らかな調子はありません。この時期の光太郎の、さまざまな面での葛藤や焦燥が込められているからです。

父・光雲を頂点とする旧態依然たる日本彫刻界と訣別し、独自の道を歩き始め、それなりに認められるようにはなっていた光太郎ですが、まだまだ「大家」の域までの評価は得ていません。

かえって、詩の部分での評価が高まり、光太郎の元には、草野心平、尾崎喜八、黄瀛、佐藤春夫、真壁仁、更科源蔵、宮沢賢治、岡本潤、中原中也、高橋元吉、尾形亀之助ら、若い詩人たちが集ってきます。佐藤春夫曰く「多くの若者を愛し、また多くの若者から慕はれた」、「あの人に近づいたあらゆる人が不思議と、みんな自分が一番気に入られてゐたやうな感銘を持つて帰る」(『小説高村光太郎像』昭和32年=1957)ということでした。

こうした若い詩人たちとの交流が、光太郎をしてアナーキズムやプロレタリア文学に近い位置に導きました。もちろん、それは光太郎一流の旧弊な日本を否定する精神あってのことでした。「彼は語る」「上州湯桧曽風景」「機械、否、然り」「似顔」といったこの時期の詩には、人間を人間として扱わない強欲な資本家に対する怒りなどが表出されています。そうした怒りをさまざまな「猛獣」の視点で描いた連作、「猛獣篇」が手がけられるのもこの時期です。

しかし、そうした怒りも、畢竟するに一芸術家としての狭い視野からのものに過ぎず、そこには確固たる社会認識に基づく方法論も、社会変革を志す姿勢にも欠けていました。

光太郎曰く、

その方(注・プロレタリア文学)にとび込めば相当猛烈にやる方だからつかまってしまう。しかし自分には彫刻という天職がある。なにしろ彫刻が作りたい。その彫刻がつかまれば出来なくなってしまう。彫刻と天秤にかけたわけだ。(略)プロレタリア文学の良い部分には勿論ひかれたが、心から入ってはゆけなかった。
(「高村光太郎聞き書き」 昭和30年=1955)

というわけでした。


「火星が出てゐる」の、「要するにどうすればいいか」という自問は、このあたりに関わってきます。

ついでに言うなら、パートナー智恵子も目指していた油絵画家への道をほぼ断念、不安定な状態になっていきます。そして慢性的な生活不如意。二人の生活もさまざまな軋みを見せ始めます。そして智恵子の方は、自身の健康問題、相次ぐ近親者の死、実家の破産、光太郎と違って狭い交友範囲だったこと、更年期障害、子供もいないことなどなど、様々な要因がからみあって、光太郎曰く「精一ぱいに巻切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつた」状態―心の病―になってゆくのです。


さて、火星。

当分は夜間、南の空によく見えるはずです。ひときわ赤く大きく輝いているので、すぐにわかります。それを見ながら、光太郎智恵子に思いを馳せていただきたいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

まこもぐささびしう風に香をよせて夕の舟の人泣かしむる
明治35年(1902) 光太郎20歳

一昨日からご紹介している利根川の旅の中での一首です。

昨日は福島県郡山から二本松をぶらり散歩。

まずは郡山市のふれあい科学館さんに。こちらでは、第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト 作品展(観覧無料)を開催中です。

「”ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景」ということで寄せられた作品のうち、入賞作30点あまりが展示されています。どれもこれもハイレベルな作品でした。


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入賞作品集の冊子も販売中。一冊購入しました。

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表紙は大賞受賞作「雲は去り、月は彼方に」。桧原湖と、光太郎が詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で、「二つに裂けて傾く」と謳った磐梯山が写っています。

来月30日までの会期です。今後も、福島の「ほんとの空」を広めるために、続けていってほしいものです。

会場から見えた安達太良山。天気が今一つで、「ほんとの空」とは行きませんでした。

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その後、二本松へ。午後1時から、旧安達町にある智恵子の生家で、「高村智恵子生誕130年記念事業 智恵子生誕祭 琴の調べ」ということで、琴の演奏があります。

その前に、国道4号を北上し、智恵子の生家付近を通り過ぎ、道の駅「安達」智恵子の里で昼食を摂りました。

こちらでは今月いっぱい、下り線で『高村智恵子』紹介コーナーが設置されています。「智恵子生誕祭」の一環です。

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こちらの道の駅は全国的にも珍しい、上下線に分かれている作りになっています。上り線でも光太郎智恵子のパネル。さらに「和紙伝承館」というお店では、智恵子の紙絵の複製が特別展示されていました。
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さて、智恵子の生家へ。

まずは裏手の記念館を拝観。この期間、複製ではない実物の紙絵が10点、展示されています。以前にも書きましたが、やはり実物は違います。厚さ1ミリに満たない中で、紙の重なりが立体感を生み出しています。正面に立つとわかりにくいのですが、斜め方向から見れば、一目瞭然です。

撮影禁止なので画像は出せません。ぜひ行って、実物をご覧下さい。

受付で、4枚組の絵葉書をゲット。新製品のようです。以前はありませんでした。袋は上川崎和紙でしょう。

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さて、1時となり、「琴の調べ」。

生家の一室を使い、琴の方が4人、そこに尺八の方が入った合奏でした。

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曲はお約束で、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」、その他は「さくら」「荒城の月」などなど。こういう場所で聴くと、より風情が増します。心が洗われるようでした。

こちらは生家に展示されている、智恵子が実際に使っていた琴。

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裏側には名前が入っています。

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智恵子の琴に関するエピソードは伝わっていませんが、素封家の子女のたしなみとして、取り組んでいたのでしょう。

「琴の調べ」、今日まで開催されています。智恵子も「ほんとの空」の上から喜んでいるのではないでしょうか。

当方、この後、安達太良山に行きました。長くなりましたので、明日に回します。


【折々の歌と句・光太郎】

この人を見よヴエルハアランはわがごとく妻を恋ふゆゑ間なくし作れり

大正13年(1924) 光太郎42歳

「ヴエルハアラン」は、エミール・ヴェルハーレン。ベルギーの詩人です。

画家だった妻・マルトに贈った「時の三部作」(『明るい時』、『午後の時』、『夕べの時』)のうち、『明るい時』、『午後の時』を、光太郎が翻訳しました。

『明るい時』(大正10年=1921)の序文で、光太郎は以下のように記しています。

詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の「詩」はやはり向うに残る。其を知りつつ訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである。

フランス語を知らない一人の近親者」は、もちろん、智恵子です。内容的にも『智恵子抄』所収の詩との類似点が指摘され、いわば『智恵子抄』の序章とも言えます。

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先日、「第4回 福島の桜フォトコンテスト写真展 東京展」について書きましたが、同様のフォトコンテストの入賞作品展が、福島郡山で開催されていました。テーマは「桜」ではなく「 “ほんとの空” のある、ふくしまの星・月の風景」とのことです。 
期 間 : 2016年3月19日(土)~6月30日(木)
時 間 : 平日:10:00~16:15 金曜:10:00~19:45 土日祝:10:00~17:45
場 所 : 郡山市ふれあい科学館 23階宇宙劇場ホワイエ
                    福島県郡山市駅前二丁目11番1号 ビッグアイ
展示物 : 第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト大賞・特別賞・入賞作品
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

郡山市ふれあい科学館の23階 宇宙劇場ホワイエでは、さまざまな天体写真などを中心に、美しく神秘的な宇宙の姿を紹介する「ホワイエ企画展」を開催しております。入場無料となっておりますので、ぜひお気軽にご覧ください。
コンテスト選出作品を展示いたします。 “ほんとの空”のある、福島の素晴らしい星・月の風景をお楽しみください。

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このコンテストでもそうですが、光太郎が詩「あどけない話」で使った「ほんとの空」の語、いろいろな場で、ある意味、福島県のキャッチフレーズ的に使われています。

東日本大震災から間もなく、福島県立あさか開成高校演劇部さんが上演した演劇のタイトルが「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」。さらに「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか? 第二章ばらあら、ばらあ」ということで、福島県立光南高校演劇部さんに受け継がれました。このブログでも何度か取り上げさせていただきました。

BS12(トゥエルビ)さんで放映されている「復興支援ドキュメント 未来への教科書 ~For Our Children~」という番組で、これらの取り組みがやはり何度か取り上げられました。つい最近、今月5日の放映で、<あのころの子供たちを訪ねて>ということで、あさか開成高校演劇部で最初の公演に出演された香西佳菜子さんの「今」が紹介されました。

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被災の当事者として、演劇でその思いを発信していたあの頃を回想し……。

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しかし、それはつらい体験でもあったそうです。

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なるほど。

香西さん、卒業後は上京して一度は演劇を続ける道を選んだそうですが、いろいろ考えて、地元に帰ったそうです。

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そして現在、演劇の経験を生かし、郡山市ふれあい科学館さんで勤務中。

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「復興」のあり方を考えさせられる話でした。

「第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト 作品展」、6月まで開催されていますし、智恵子がらみでまた二本松に行く機会があるので、拝見し、香西さんにもお会いできればと思っております。


【折々の歌と句・光太郎】

春雨やダンテが曾て住みし家      明治42年(1909) 光太郎27歳

ダンテは「神曲」で有名なイタリア・フィレンツェ出身の詩人です。

光太郎が敬愛してやまなかったロダンの代表作「考える人」は、当初、「地獄の門」のてっぺんに配されたものでしたが、地獄の様相を見るダンテをイメージしているといわれています。

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当然、光太郎もそのことを知っていた上で、フィレンツェのダンテ生家を訪れたものと思われます。ただし、これは観光用に再建されたもので、実際にはダンテ存命中に破壊されてしまったそうですが。

昨日は、東京下町区域に出かけておりました。

メインの目的は葛飾区立石のプラネターリアム銀河座さんでのプラネタリウム上映「智恵子抄と春空」の拝見でした。

京成電鉄の青砥駅で下車、案内にしたがって歩くこと数分、いかにもプラネタリウムというドームのある建物が目に入り、すぐにわかりました。

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こちらは證願寺さんという寺院に併設されているという珍しいプラネタリウム施設です。ところが、会場は、通りから見えたいかにも、という建物ではなく、寺院の庫裡のような棟でした。


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この中にドームがあるのです。驚きました。

始めにこの季節の星空が投影され、今見える惑星や星座の説明。プラネタリウムを観るのは数十年ぶりでしたが、機器やソフトの進歩はすごいものがありますね。昔は投影中もドームの内側にうっすらと線が見えたりしていたような気がしますが、そんなこともなく、本当に星空を観ているような感覚でした。

その後、「智恵子抄と春空」。こち002らはスライドショー的な形での上映でした。「智恵子抄」中の絶唱の一つ、「あどけない話」どんよりけむる地平のぼかしを軸に、春の空についてのお話がなされました。


   あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながら言ふ、
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。


日本人の感覚では「春」といえば「霞」ですね。

しかし、気象用語では「霞」の語は使われず、「雲」か「霧」、あるいは「靄」だそうです。地面に接していないものが「雲」、地面に接していて、視界1㎞以下なら「霧」、それ以上なら「靄」。「春霞」というのは文学としての表現であって、科学的な用語ではないとのこと。勉強になりました。

その「春霞」も、湿気によるものではなく、この季節に大陸から飛んでくる「黄砂」によるもものだというお話でした。この季節に飛来が多く、何とアメリカ大陸にまで到達しているそうです。

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昨今は健康への影響が懸念されるPM2.5(微小粒子状物質)の飛散も問題視されていますね。「あどけない話」が書かれた昭和初期の頃は、まだそうした懸念はなかったのでしょうが、光太郎よりも結核が早く進行した智恵子は、黄砂であっても敏感に反応したとも考えられます。

文学的に考えると、智恵子の言う「東京に空が無い」は、東京の閉塞感を表していると考えられます。絵画修行のため、日本女子大学校卒業後も望んで帰郷しなかった智恵子ですが、アトリエに専用の画室まで作ってもらいながら思うように伸びない自分の力量に対するいらだちはかなりのものだったでしょう。対するにパートナー光太郎の芸術はどんどん世に受け入れられ、明らかにその光太郎は智恵子の絵画を高く評価していません。しかし、実生活の部分では、光太郎は「智恵子によって私は救われた」と公言。それがアイデンティティーの喪失感につながったことは想像に難くありません。

また、もともと社交的でなかった智恵子ですが、光太郎も「俗世間」との交渉をなるべく断とうとしました。後に光太郎はその頃の生活を「智恵子と私とただ二人で/人に知られぬ生活を戦ひつつ/都会のまんなかに蟄居した。二人で築いた夢のかずかずは/みんな内の世界のものばかり。/検討するのも内部生命/蓄積するのも内部財宝。」(連作詩「暗愚小伝」中の「蟄居」昭和22年=1947)と表現しています。二人の間には子供も出来ませんでしたし、まさに「閉塞」ですね。

ところで、昨日のプログラムでは、連翹忌にも触れて下さいました。

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当方自宅兼事務所の庭には、光太郎がその目で見て「かわいらしい花」と言った、終焉の地・中野アトリエに咲いていた連翹の子孫が植わっています。そちらはまだ咲きませんが、剪って花瓶に生けてある方は、室温で暖められ、もう咲き始めました。


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連翹は中国原産です。「黄砂」と同じ「黄色」でも、大違いですね(笑)。


【折々の歌と句・光太郎】

ドナテロの石と対坐す朧月      明治42年(1909) 光太郎27歳

天体系の俳句です。「ドナテロ」はルネサンス初期のイタリア彫刻家。光太郎は高く評価していました。「石」はおそらく野外彫刻でしょう。

ドナテロの彫刻に月光が当たっている、ではなく、「石と対坐」する「朧月」。いいですね。

フィレンツェで詠まれた句ですが、この「朧月」も、サハラ砂漠から飛んできた黄砂の影響なのでしょうか。

東京葛飾区のプラネタリウム施設「プラネターリアム銀河座」さんでの上映情報です。 
高村光太郎の詩集・智恵子抄の「あどけない話」で春の空を考えます。
「桜若葉の間に在る、、、」空の話です。000
春の湿気ある空、春霞を文学とともに考えてみませんか?


投影日と解説員(通常の勤務と違います) 
第1週土曜日 2016/3/5 西かおり・春日了
第3週土曜日 2016/3/19福田弥生・春日了

会  場 : プラネタリーアム銀河座
 
      東京都葛飾区立石7-11-30 證願寺(ショウガンジ)内
時  間 : 15:00~15:50
料  金 : 大人1000円  子供500円(10歳~中学生まで)
定  員 : 22名(予約制)

当方、学生時代、よく池袋サンシャイン60のプラネタリウム施設に行きました。単なる天体などの解説にとどまらず、ストーリーのあるプログラムで、さまざまな内容が楽しめるようになっていました。お約束のギリシャ神話的なものや、現在当方の住む千葉県香取市の偉人・伊能忠敬と天体観測の話などなど。

葛飾のプラネターリアム銀河座さんでも、そのようにストーリー性のあるオリジナルのプログラムを毎月上映されているようで、来月のプログラムが「智恵子抄と春空」だそうです。

こういった分野で光太郎智恵子の世界を取り上げて下さるのは、有り難いかぎりです。


【折々の歌と句・光太郎】

あかつきは早まもあらぬ星かげにおく霜まもる神のみすがた
明治33年(1900) 光太郎18歳

というわけで、星を詠った短歌です。

    あどけない話 003
 
 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切つても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ、
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。
 
右の画像、以前も使いましたが、二本松の智恵子生家です。
 
東日本大震災後、この「あどけない話」に出てくる「ほんとの空」の語が、一種のキーワードのように使われています。派生的に「ほんとうの空」という語も。
 
いずれ光太郎智恵子の歿後年譜的なものの中に、「平成23年(2011) 東日本大震災発生。詩「あどけない話」中の「ほんとの空」の語が復興支援のキーワードとなり、広く使われる」といった記述がなされそうな気配です。
 
さて、近々あるイベント、テレビ放映から「ほんとの空」がらみをご紹介します。 

「ほんとの空☆星空を見上げてみよう!」

夏の夜空を見上げてみよう!福島市の街なかで005、星空観測会が開催されます。
参加は無料です。
綺麗な星空を眺めてみましょう(^O^)

「街なか観望会」
開催日:6月29日(日)雨天中止
時 間:19:00~20:30
会 場:街なか広場
・一番星を見つけよう/土星観察/火星観察/
 北極星をさがそう
 
「板垣公一氏 講演会」
開催日:6月30日(月)
時 間:13:00~14:30
    (先着100名 記念品もあります)
会 場:福島テルサ FTホール
演 題:豆と超新星発見のかかわり
講 演:山形大学名誉博士・超新星ハンター 板垣 公一氏
入 場:無料

【お問い合わせ】 福島市浄土平天文台
0242-64-2108

★日本で一番星空に近い天文台「浄土平天文台」。手を伸ばすと届きそうな満天の星空を楽しんでみては♪
 
昨秋も同様のイベントで「ほんとの空」の語が使われていました。
 

 
続いてテレビ放映情報ですが、ただし、高知県限定です。

「ほんとの空」

高知さんさんテレビ 2014年0066月22 (日)  15:25 ~ 16:05 (40分)
 
 高齢者や外国人に対する排除、不利益な扱い、同和問題や原発事故に伴う風評被害の問題、これらに共通する根っこの部分は、誤った考え方や思い込み、偏見という「意識」である。
誰もが他者の排除や差別がよくないことは理解している。その一方で、自分や身近な人に関わる出来事には敏感に反応するが、それ以外のことは他人事のように感じたりする。また、自分や家族の生活を守るために、あるいは誤解や偏見に気づかず、他者を排除したり傷つけたりしがちである。
誤解や偏見に気づき人と深く向き合うこと、他者の気持ちを我がこととして思うこと。すべての人権課題を自分に関わることとしてとらえ、日常の行動につなげていくようにと訴える。
 
出演 白石美帆 鳥羽潤 湯浅美和子   浦上晟周 石川大樹 他
 
兵庫県人権啓発協会さんが企画、県教委の協力で、東映さんが製作したものです。もともとは自治体主催のイベントや学校で上映するためにつくられたのではないでしょうか。
 
東映イー・ヴィ・エスさんでDVDを市販していますが、価格が80,000円+税。ちょっと高いですね。兵庫県人権啓発協会さんでは無料レンタルを行っているようです。ただ、個人貸し出しではなく、やはり自治体や学校、企業での使用に限るとのこと。


 そちらのページからあらすじを抜粋させていただきます。
 
 向井弓枝は、パート先のスーパーで、高齢の客のおぼつかない行動に不快感を持つ。自宅のマンションのエレベータでも、高齢の人や障害のある人に対してイライラを募らせる。弓枝は、面倒な人が多く住むこのマンションではなく、一戸建てや新築マンションに引つ越したいと、夫の勇に訴える。
 
 弓枝の一人息子の輝は、空オタクだ。いつも空や雲のことを考えていて友だちもいない。カメラを抱えた輝が自宅に帰つてくると、隣の部屋のドアが開き、見知らぬ外国人が引越をしている。外国人に対して偏見を持つている弓校と勇の話を聞き輝も「みんな不法滞在なんだから送り返せばいいJと言う。
 
 輝がマンションの屋上に行くと、同じ年頃の少年 龍太が空にカメラを向けていた。空好きの二人は意気投合し、輝は龍太を家に招く。夕食をいただいたお礼にと 龍太の母の美里が、故郷福島の草木染めの布を持つてくる。最初は喜ぶ弓枝だつたが、パート仲間の意見もあり 放射能への恐ろしさから布を捨ててしまう。そしてそれを、龍太がゴミ置き場で発見する。
 
 学校からの帰り道、輝は、龍太が同級生たちから放射能のことでいじめられているのを見つけ加勢するが、二人とも投げ飛ばされる。同級生を非難する輝に、「お前も同じだろ」と龍太は叫び、「草木染めをなぜ捨てたのか」と詰め寄る。それを同じマンションの高齢者、千代子とタイ人ロークが止める。帰宅した輝は母を責め、家を飛び出す。
 
 輝を探す弓枝と勇。輝は、隣のタイ人夫婦□―クとノイのところにいた。夫婦はタイ料理店で働いていて、店を持ちたいので試食してほしいと申し出る。皆で食卓を囲みながら、ノイの思いを知つた輝は、廊下の鉢植えを割つたことを謝り、勇も偏見を持つていたと告げる。握手をする勇と□―ク。その様子を笑顔で見つめる弓枝は ふと台所の隅に 自分が捨ててしまった草木染めがあることに気づく。
 
 ノイから 草木染めを譲つてもらった弓枝は 美里の家に。そして自分の気持ちを伝えようとするが……。
 
このたび高知さんさんテレビさんでオンエアされます(もしかすると以前にも全国どこかでテレビ放映されたかもしれません)。
 
高知の皆さん、ぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 6月18日

平成6年(1994)の今日、青森十和田湖畔の裸婦像かたわらに、詩「十和田湖畔の裸像に与ふ」を刻んだ詩碑が除幕されました。
 
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この年、損傷の目立った裸婦像の補修工事が行われ、それにともなって、光太郎肉筆原稿から文字を起こし、新たにこの碑が付設されました。
 
  十和田湖畔の裸像に与ふ

銅とスズとの合金が立つてゐる。
どんな造型が行はれようと
無機質の図形にはちがひがない。007
はらわたや粘液や脂や汗や生きものの
きたならしさはここにない。
すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
天然四元の平手打をまともにうける
銅とスズとの合金で出来た
女の裸像が二人
影と形のやうに立つてゐる。
いさぎよい非情の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで
この原始林の圧力に堪へて
立つなら幾千年でも黙つて立つてろ。

福島発のイベント情報です。 

【募集中】智恵子さんの故郷/福島で「ほんとの星空」、体験できます。

標高1,575メートル。一般公開されている天文台の中では、日本で最も星空に近いのが浄土平天文台(福島市)。「智恵子は東京に空がないという。ほんとの空が見たいという」(あどけない話/高村光太郎)。智恵子さんの故郷/福島で「ほんとの星空」、体験できます。
 
浄土平秋の星空観察バスツアー(お弁当付き)は9月27日(金)18:00出発です。お申し込みは9月20日(金)まで!お一人様3,800円、募集定員は40名様(^_^)
詳しくはこちらから!
≪旅*東北イベント情報≫
 
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【今日は何の日・光太郎】 9月18日

平成9年(1997)の今日、講談社から津村節子著『智恵子飛ぶ』が刊行されました。
 
津村さんは芥川賞作家。夫はやはり作家の故・吉村昭氏。一昨年、吉村氏の闘病の日々を綴ったノンフィクション小説『紅梅』が話題となりました。
 
『智恵子飛ぶ』は、講談社の雑誌『本』に平成7年(1995)から連載されていた長編小説で、智恵子を主人公としています。光太郎智恵子と同じく芸術家夫婦であった津村さん独自の視点が随所に見え、すぐれた作品です。
 
刊行翌年の平成10年(1998)にはこの小説で芸術選奨文部大臣賞受賞、同12年(2000)には新橋演舞場で片岡京子さん(智恵子)、平幹次郎さん(光太郎)主演で舞台化されています。
 
この時の智恵子役は、当初、大物女優のMでしたが、身内の薬物事件で初日1週間前に降板を発表、もともと妹セキの役だった片岡さんが急遽智恵子役に抜擢され、見事に演じきりました。
 
舞台『智恵子飛ぶ』は同13年(2001)には京都南座で京都公演も行われました。智恵子役は同じく片岡京子さん、光太郎役は近藤正臣さんでした。
 
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智恵子役の片岡さん、セキ役は渡辺多美子さん、ともに1週間で仕上げてしまうのですからプロはすごいものです。右下は当時のスポーツ紙の記事です。
 
ちなみに以前も書きましたが、片岡017さんのお父さん、仁左衛門さんは「片岡孝夫」時代の昭和48年(1973)にNHKの銀河テレビ小説「生きて愛して」で光太郎役を演じられました。当方、この番組は記憶に残っていません。「片岡孝夫」というと「眠狂四郎」のイメージです……。
 
津村節子さんの『智恵子飛ぶ』、その後、平成12年(2000)には講談社文庫に入り、さらに平成17年(2005)から刊行が始まった岩波書店の『津村節子自選作品集』にも収められています。
 
文庫化の際にはハードカバーの内容を一カ所訂正したそうです。時代考証的に事実と合わないところがあったとのこと。
 
その経緯は津村さんのエッセイ「筆を執るまで」(『似ない者夫婦』平成15年=2003河出書房新社所収)に書かれていますが、曰く「小説といえども、あり得ぬことは書きたくない」。すばらしい。
 
津村さん、以前は光太郎忌日の連翹忌の集いにもご参加いただいていましたし、今もこちらから何かお送りするとご丁寧にお礼状を返して下さいます。これもすばらしい。
 
『智恵子飛ぶ』、『似ない者夫婦』、ぜひお読み下さい。

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