一昨日の『東京新聞』さん一面コラム。7月28日(火)に発生した令和8年熊本地震に関してです。
被災された方々には心より御見舞い申し上げます。地震、大雨、そして近年の酷暑、さらにはクマによる被害などなど、ますます災害大国の感を呈している我が国ですが、一番の災害はそうした災害に対して有効な手だてをとらず、ミサイルなどを買い漁っている政権であることのような気がします。亡くなった方も出た水道管の破裂事故なども併せ、不必要な兵器より各種インフラの整備を急げと言いたくなります。
しかし、そういう方針である政権を構成する政党(災害時に避難所となる学校等へのエアコン設置も、「エアコンを設置して体調を崩したこともある。環境への適応能力をつけるには、ある程度、耐える能力を鍛えることも必要だ」と公言している輩がいるわけで)に投票し続けている国民が多いということは、厳しい言い方をすれば自業自得なのかも知れません。
さて、引用されている光太郎詩「湯ぶねに一ぱい」(大正5年=1916)は、以下の通り。
画像は昭和17年(1942)、上州宝川温泉で入浴中の光太郎です。詩自体も北関東のどこかの温泉が舞台と考えられます。
ちなみに「湯ぶねに一ぱい」、萩原朔太郎が室生犀星と共に立ち上げた雑誌『感情』が初出です。その朔太郎が風呂キャンセル界隈だったというのは存じませんでした。有名な話なのでしょうか? 寡聞にして分かりません。
光太郎も、戦後の花巻郊外旧太田村での隠棲中は風呂キャン界隈でした。元々、山小屋には風呂場が無く、手拭いで身体を拭く程度。見かねた村人達や宮沢家などが鉄砲風呂というタイプの風呂を贈りましたが、薪を大量に使わねばならず、結局あまり使わないまま近くの開拓地に住んでいた青年に譲ってしまいました。現物は現在も残っていて、花巻高村光太郎記念館さんに収蔵されています。
その代わり、花巻温泉、台温泉、鉛温泉、大沢温泉などの温泉地に入浴に行くことも少なからずあり、また、花巻町に出た際には桜地区にあった花巻病院長・佐藤隆房邸の立派な風呂を「桜温泉」と称して楽しみにしていたそうです。
さて、『東京新聞』さんにあるとおり、「お湯の心地よさ。断水を一日も早く解消し、地震に疲れた人々に、お風呂を取り戻したい」。まさにその通りです。エアコンに電源が必要だと知らないとか、避難所滞在たったの3分などというふざけた界隈はあてになりません。今こそ叡智の結集を、と思います。
光太郎詩は「偉大なるもの」「ミシエル-オオクレエルを読む」です。
詩人の萩原朔太郎は風呂が嫌いだったと、長女で作家の萩原葉子さんが書いている▼「朔太郎! 今夜こそお風呂に入っておくれだろうね、いったい幾日入らないと、お思いだい」。朔太郎の母親が叱るとしぶしぶ風呂場に向かうが、からすの行水であっという間に上がってしまう▼反対にこのお母さんの方は大の風呂好きでときには2時間も入っていたそうだ。熊本地震の被災者のつらさがよく分かるのはお母さんの方か。現地では断水が続いており、お風呂になかなか入れない▼県内では最大10万戸超の断水が発生した。復旧作業を急いでいるが、水道管の破損箇所が把握しきれず、長期化の恐れも出ている▼長期間、しかもこの真夏に風呂のない暮らしは厳しい。風呂ばかりではない。飲料水、炊事、トイレ。蛇口から水が出ないのは食料品や生活物資が手に入らぬのと同じつらさ、あるいはそれ以上かもしれない。毎日、給水所に通って長い列に並び、重いポリタンクを運ぶ。地震に襲われた心身にはそれだけで負担だろう。宇城市など断水が目立つ地域は水道管の耐震化が遅れていたとの指摘もある。国全体の教訓としたい▼「すべての人人をひたして/すべての人人を再び新鮮ならしめるもの」(高村光太郎『湯ぶねに一ぱい』)。お湯の心地よさ。断水を一日も早く解消し、地震に疲れた人々に、お風呂を取り戻したい。
被災された方々には心より御見舞い申し上げます。地震、大雨、そして近年の酷暑、さらにはクマによる被害などなど、ますます災害大国の感を呈している我が国ですが、一番の災害はそうした災害に対して有効な手だてをとらず、ミサイルなどを買い漁っている政権であることのような気がします。亡くなった方も出た水道管の破裂事故なども併せ、不必要な兵器より各種インフラの整備を急げと言いたくなります。
しかし、そういう方針である政権を構成する政党(災害時に避難所となる学校等へのエアコン設置も、「エアコンを設置して体調を崩したこともある。環境への適応能力をつけるには、ある程度、耐える能力を鍛えることも必要だ」と公言している輩がいるわけで)に投票し続けている国民が多いということは、厳しい言い方をすれば自業自得なのかも知れません。
さて、引用されている光太郎詩「湯ぶねに一ぱい」(大正5年=1916)は、以下の通り。
湯ぶねに一ぱい
しづかに満ちこぼれてゐる
爪さきからそろそろと私がはいれば
ざあつとひとしきり溢れさわいで
またもとの湯ぶねに一ぱい――
かすかに湧き出る地中の湯は
肩をこえて
なめらかに岩角から流れ落ちる
涌いてはながれ
涌いてはながれ
しづまり返つた山間の午後
私は止め度もなく湧いて流れる
温泉に身をとろかして
心のこゑをきく
止め度なく湧いて来るのは地中の泉か
こころのひびきか
しづかにして力強いもの
平明にして奥深いもの
人知れず常にこんこんと湧き出でるもの
ああ湧き出でるもの
声なくして湧き出でるもの
止め度なく湧き出でるもの
すべての人人をひたして
すべての人人を再び新鮮ならしめるもの
しづかに、しづかに
満ちこぼれ
流れ落ちるもの
まことの力にあふれるもの
画像は昭和17年(1942)、上州宝川温泉で入浴中の光太郎です。詩自体も北関東のどこかの温泉が舞台と考えられます。
ちなみに「湯ぶねに一ぱい」、萩原朔太郎が室生犀星と共に立ち上げた雑誌『感情』が初出です。その朔太郎が風呂キャンセル界隈だったというのは存じませんでした。有名な話なのでしょうか? 寡聞にして分かりません。
光太郎も、戦後の花巻郊外旧太田村での隠棲中は風呂キャン界隈でした。元々、山小屋には風呂場が無く、手拭いで身体を拭く程度。見かねた村人達や宮沢家などが鉄砲風呂というタイプの風呂を贈りましたが、薪を大量に使わねばならず、結局あまり使わないまま近くの開拓地に住んでいた青年に譲ってしまいました。現物は現在も残っていて、花巻高村光太郎記念館さんに収蔵されています。

さて、『東京新聞』さんにあるとおり、「お湯の心地よさ。断水を一日も早く解消し、地震に疲れた人々に、お風呂を取り戻したい」。まさにその通りです。エアコンに電源が必要だと知らないとか、避難所滞在たったの3分などというふざけた界隈はあてになりません。今こそ叡智の結集を、と思います。
【高村光太郎書誌】
詩華集 18 『昭和詩選』
昭和2年(1927)6月5日 新潮社 白鳥省吾編輯者代表
収録作家等
生田春月 川路柳虹 加藤介春 河井酔茗 木下杢太郎 北原白秋 西條八十 佐藤惣之助
佐藤春夫 佐藤清 白鳥省吾 千家元麿 高村光太郎 多田不二 茅野蕭々 野口雨情
野口米次郎 萩原朔太郎 日夏耿之介 服部嘉香 福士幸次郎 福田正夫 堀口大学
三木露風 室生犀星 百田宗治
収録作家等
生田春月 川路柳虹 加藤介春 河井酔茗 木下杢太郎 北原白秋 西條八十 佐藤惣之助
佐藤春夫 佐藤清 白鳥省吾 千家元麿 高村光太郎 多田不二 茅野蕭々 野口雨情
野口米次郎 萩原朔太郎 日夏耿之介 服部嘉香 福士幸次郎 福田正夫 堀口大学
三木露風 室生犀星 百田宗治
光太郎詩は「偉大なるもの」「ミシエル-オオクレエルを読む」です。











牧水の高弟、助手として知られた歌人。沼津市若山牧水記念館の初代館長も務めた他、編集者としても活躍しました。