暮れから年始にかけ、新聞各紙や地方自治体の広報誌などで光太郎智恵子、その父・光雲の名が散見されていまして、明日から少しずつご紹介して参ります。
その前に、ちょっと先の開催ですが申し込み〆切が迫っているイベントを。
その前に、ちょっと先の開催ですが申し込み〆切が迫っているイベントを。
期 日 : 2026年1月16日(金)、1月23日(金)、1月30日(金)
会 場 : 久里浜コミュニティセンター 神奈川県横須賀市久里浜6丁目14番2号
時 間 : 13時00分~15時00分
料 金 : 無料
文学好きの皆さん、近代日本文学の巨匠たちが海外で体験した異文化との出会いに興味はありませんか?
横須賀市の久里浜コミュニティセンターでは、2026年1月16日・23日・30日の3回にわたり「近代文学講座 作家たちの異文化体験」を開催します。夏目漱石や高村光太郎、横光利一、島崎藤村といった文豪たちが異国の地で何を見つめ、どんな思いを抱いたのかを深く学べる貴重な機会です。
第1回 1月16日(金曜日)13時00分~15時00分 漱石、光太郎のロンドン
第2回 1月23日(金曜日)13時00分~15時00分 横光利一、金子光晴のパリ
第3回 1月30日(金曜日)13時00分~15時00分 島崎藤村、林芙美子のパリ
申込方法 以下のいずれかの方法でお申し込みください:
講師 奥出健氏(元大学教員)
申込方法 以下のいずれかの方法でお申し込みください:
往復はがき 1月6日(火曜日)必着
久里浜コミュニティセンター窓口にご来館(返信用郵便はがき持参)
久里浜コミュニティセンター窓口にご来館(返信用郵便はがき持参)
電子申請
3回にわたっての文学講座で、取り上げられるのは夏目漱石、高村光太郎、横光利一、金子光晴、島崎藤村、林芙美子。その市ゆかりの芸術家について詳しくというのは時折見かけますが、市としての講座でいろいろな人物を幅広く扱うこの手のものは珍しいような気がします。
光太郎についてはロンドンだそうですが、光太郎のロンドン滞在は明治40年(1907)6月から翌年6月までのまる一年でした。ロンドンの前にはニューヨークに1年4ヶ月ほど、ロンドンの後はパリに渡って1年。その間にスイス経由のイタリア旅行も1ヶ月ほど行っています。
まず腰を落ちつけたニューヨークでは日本で培われた価値観を根底から覆され、人種差別の洗礼も受けました。最後のパリでは近代芸術家として、さらに一人の人間としての開眼。間に挟まれたロンドン滞在中には、大きな転機というものが無かったように感じられますが、そのあたりどう扱われるのだろうと思っております。
イギリスにはニューヨークからホワイトスター社の客船・オーシャニック号で渡り、サザンプトンで上陸、ロンドンに向かいました。ニューヨークでも世話になった東京美術学校の先輩・白瀧幾之助が先に渡英しており、当初はその下宿に厄介になるなどまたその力を借ります。その後、パトニー地区の下宿に落ちつき、ザ・ロンドン・スクール・オブ・アートや一般人向けの技芸学校ポリテクニックに通います。その間、バーナード・リーチと知り合ったり、先にパリに渡っていた荻原守衛が訪ねて一緒に大英博物館に行ったり、逆にパリの守衛の元を訪れたりもしました。やがてチェルシー地区に転居、フランス語の勉強を急ぎ、満を持して渡仏します。留学の最終目的地はあくまでパリでした。
光太郎晩年の回想「父との関係」(昭和29年=1954)から。
私はロンドンの一年間で真のアングロサクソンの魂に触れたやうに思つた。実に厚みのある、頼りになる、悠々とした、物に驚かず、あわてない人間のよさを眼のあたり見た。そしていかにも「西洋」であるものを感じとつた。これはアメリカに居た時にはまるで感じなかつた一つの深い文化の特質であつた。私はそれに馴れ、そしてよいと思つた。
イギリスの雰囲気や国民性には好感を持っていたようですが、ただ、美術の部分ではあまり学ぶところはないと感じていたようです。やはり晩年の回想「青春の日」(昭和26年=1951)から。
イギリスの彫刻には、中世期のものを除いてはあまり興味はなかつたし、絵もどうしても好きにはなれなかつた。バーン ジヨーンズなども嫌いではないが、心から惹きつけられない。ブレークなどは、ひかれるところと嫌いなところが半分半分ぐらいずつある。リーチは現代画家の中で、オーガスタス ジヨーンを賞めたが、僕にはそれほどに思えない。イギリスという国の伝統の中に、どこか芸術を私有物的、一地方的にリミツトしたがる傾向があつて、それが絶えず新しい芸術の気運を阻んでいるのではないかという気がした。
なかなか鋭い見方ですね。
ついつい筆が止まらなくなりましたが(笑)、そんなこんなのロンドン体験、今回の講師の奥出健氏という方がどのように語っていただけるのかな、という感じです。
ご興味おありの方、ぜひどうぞ。
「本寺」より(手記)
前作『ロダンの言葉』の補遺的に刊行されました。大正6年(1917)に亡くなったロダンの追悼的な意識もあったでしょう。
光太郎についてはロンドンだそうですが、光太郎のロンドン滞在は明治40年(1907)6月から翌年6月までのまる一年でした。ロンドンの前にはニューヨークに1年4ヶ月ほど、ロンドンの後はパリに渡って1年。その間にスイス経由のイタリア旅行も1ヶ月ほど行っています。
まず腰を落ちつけたニューヨークでは日本で培われた価値観を根底から覆され、人種差別の洗礼も受けました。最後のパリでは近代芸術家として、さらに一人の人間としての開眼。間に挟まれたロンドン滞在中には、大きな転機というものが無かったように感じられますが、そのあたりどう扱われるのだろうと思っております。
イギリスにはニューヨークからホワイトスター社の客船・オーシャニック号で渡り、サザンプトンで上陸、ロンドンに向かいました。ニューヨークでも世話になった東京美術学校の先輩・白瀧幾之助が先に渡英しており、当初はその下宿に厄介になるなどまたその力を借ります。その後、パトニー地区の下宿に落ちつき、ザ・ロンドン・スクール・オブ・アートや一般人向けの技芸学校ポリテクニックに通います。その間、バーナード・リーチと知り合ったり、先にパリに渡っていた荻原守衛が訪ねて一緒に大英博物館に行ったり、逆にパリの守衛の元を訪れたりもしました。やがてチェルシー地区に転居、フランス語の勉強を急ぎ、満を持して渡仏します。留学の最終目的地はあくまでパリでした。
光太郎晩年の回想「父との関係」(昭和29年=1954)から。
私はロンドンの一年間で真のアングロサクソンの魂に触れたやうに思つた。実に厚みのある、頼りになる、悠々とした、物に驚かず、あわてない人間のよさを眼のあたり見た。そしていかにも「西洋」であるものを感じとつた。これはアメリカに居た時にはまるで感じなかつた一つの深い文化の特質であつた。私はそれに馴れ、そしてよいと思つた。
イギリスの雰囲気や国民性には好感を持っていたようですが、ただ、美術の部分ではあまり学ぶところはないと感じていたようです。やはり晩年の回想「青春の日」(昭和26年=1951)から。
イギリスの彫刻には、中世期のものを除いてはあまり興味はなかつたし、絵もどうしても好きにはなれなかつた。バーン ジヨーンズなども嫌いではないが、心から惹きつけられない。ブレークなどは、ひかれるところと嫌いなところが半分半分ぐらいずつある。リーチは現代画家の中で、オーガスタス ジヨーンを賞めたが、僕にはそれほどに思えない。イギリスという国の伝統の中に、どこか芸術を私有物的、一地方的にリミツトしたがる傾向があつて、それが絶えず新しい芸術の気運を阻んでいるのではないかという気がした。
なかなか鋭い見方ですね。
ついつい筆が止まらなくなりましたが(笑)、そんなこんなのロンドン体験、今回の講師の奥出健氏という方がどのように語っていただけるのかな、という感じです。
ご興味おありの方、ぜひどうぞ。
【高村光太郎書誌】
本人著作(全体)4 『続ロダンの言葉』
大正9年(1920)5月28日 叢文閣 オーギュスト・ロダン著 高村光太郎訳
五部のスレスコ 手紙
ギユスターヴ コキヨ筆録 ジユヂト クラデル筆録
フレデリク ロートン外二三氏筆録
ポール グゼル筆録
「岡の上にて」より 「ロダンの家にて」より フイデヤスとミケランジユ 女の美「本寺」より(手記)
断片 ムラン マント ネエル アミヤン ル マン ソワツソン シヤルトル
前作『ロダンの言葉』の補遺的に刊行されました。大正6年(1917)に亡くなったロダンの追悼的な意識もあったでしょう。



















































