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乃木坂のTOTOギャラリーで開催中の「中村好文展 小屋においでよ!」。
 
花巻郊外旧太田村山口地区に光太郎が暮らした小屋・高村山荘について取り上げています。企画展会期は6/22(土)までです。
 
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リンクして刊行された、中村氏の著書『小屋から家へ』。
 
「毎日新聞」さんに関連する記事が載りました。

読書日記:著者のことば 中村好文さん

2013年06月11日 東京夕刊
 ■中村好文 小屋から家へ(TOTO出版、2310円)
 
 ◇「不便で粗末」から学ぶ
 普段着のように居心地がいい住宅を手掛けて30年。建築家であり、世界の名建築や旅に関するエッセーでも知られる筆者が今回テーマに選んだのは「小屋」。鴨長明や彫刻家の高村光太郎、建築家のル・コルビュジエら、著名人ゆかりの小屋を文章や自筆のイラストで解説。「住まいの原型」だと考える素朴な魅力に焦点を当てた。
 「家との違いを聞かれると難しい。私が考える小屋の条件は狭いこと。間取りで言えばワンルーム。質素な素材で造られているのもポイントです」
 異色なものとしては1962年、太平洋横断の単独航海に成功した堀江謙一さんのヨット「マーメイド号」が登場する。「洋上の小屋。子供の時からあこがれた」。米国の博物館に保存されていると知り、交渉して内部を見学させてもらった。マーメイド号に搭載された食料や日常品を、詳細に描いたイラストが楽しい。
 「小屋好き」は年季が入っている。幼い時にはミシンの台を新聞紙で覆って自分用の「巣」を作り、大人になると国内外の有名無名の小屋を見て歩いた。
 8年前には長野県に、自分や事務所のスタッフが過ごすための小屋を構えた。ガスや水道はなし。たるにためた雨水を風呂に使い、料理は炭火を入れた七輪で。五感をフル稼働させて暮らすうち<生活の知恵がじわりじわりとわき出してくる>。便利さが人間の能力を退化させることに気付くくだりは説得力がある。
 自身が設計した小屋や小住宅も本書で紹介。家と住み手の個性が重なった爽やかな暮らしが浮かぶ。
 本書は元々、東京・乃木坂「TOTOギャラリー・間」で22日まで開催する中村さんの個展に合わせて企画された。会場で注目されているのは原寸大で造られた「ひとり暮らしの小屋」。記者が訪れた日も、中に入ってじっくりと見て回る人が目に付いた。
 「自分と心静かに向き合える場所。小屋にはそんな良さがあると思う。だからこそ、忙しい現代人に魅力的に映るのかもしれません。家は住む人の精神が表れるもの。不便で粗末な小屋暮らしから私たちが学べることは多いのです」


 
【今日は何の日・光太郎】 6月13日

大正3年(1914)の今日、作品を出品していた三笠会主催の「第一回歌箋展覧会」が閉幕しました。
 
……という内容が『高村光太郎全集』別巻の年譜に記載されているのですが、詳細がはっきりしません。三笠会とは何なのか、会場はどこだったのか(おそらく東京だとは思いますが)、などなど。有名な銀座のレストラン・三笠会館が出来るのはもっと後ですし。
 
ただ、翌月一日から十日まで、京都寺町通竹屋町南入の佐々木文具店芸術品展覧会場で同じ「歌箋展覧会」が開かれており、どうも巡回展だったようです。
 
京都展については主催の佐々木文具店が発行した『睡蓮』という小冊子で概要がわかります。それによれば、光太郎他27名の文学者の短歌・俳句が出展されています。『睡蓮』は、それらを活字で載せています。ちなみに『高村光太郎全集』未収録の短歌・俳句がかなり載っており、これを入手したときは快哉を叫びました。ただし、文庫本より小さい28ページの小冊子で4万いくらという値段でした。

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 しかし、「歌箋」がどういう状態のものなのか(便箋のようなものか、あるいはよくある短冊や色紙、扇面の類か)、出品作が27名の自筆なのかなどはやはり不明です。
 
さらに佐々木文具店についても詳細なことがわかりません。
 
「歌箋展覧会」「三笠会」「佐々木文具店」について情報をお持ちの方はご教示いただければ幸いです。
 
ただ、国会図書館に所蔵されている当時の新聞のデータを調べたところ、6月の東京?での「歌箋展覧会」を報じた記事があるようですので、近いうちに行って調べてみようと思っています。 
 
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昨日は、乃木坂のTOTOギャラリー・間(ま)に行き、こちらで開催中の「中村好文展 小屋においでよ!」を観て参りました。
 
中村好文氏は建築家、TOTOさんは住宅設備機器メーカーとして有名ですね。
 
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まず、3階の第一会場に入ると、小屋の形をしたブースが7つ。子どもの頃、近所の空き地に友達と作った「秘密基地」を彷彿とさせ、これだけでワクワクしました。それぞれのブースで、中村氏があこがれ影響を受けてきた古今東西の7つの「小屋」をひとつずつ紹介しています。
 
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そのうちの一つが「高村光太郎の小屋」。光太郎が昭和20年(1945)から27年(1952)までを過ごした花巻郊外の高村山荘です。
 
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中に入ると、中村氏による小屋の解説文、図面、イラスト、そして阿部徹雄撮影の小屋内部の写真がパネルで貼り付けられています。さらに、昭和28年(1953)、ブリヂストン美術館作成の美術映画「高村光太郎」(おそらく現存する唯一の光太郎本人が写っている動画)から、小屋に関わる部分の抜粋がモニタで放映されていました。
 
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他には「鴨長明の方丈」、「H・D・ソローの小屋」、「猪谷六合雄の小屋」、「立原道造のヒアシンスハウス」、「堀江謙一のマーメイド号」、「ル・コルビジェの休暇小屋」。その紹介の仕方も均一でなく、それぞれに工夫がされていて面白いと感じました。
 
中庭にはこの企画展のために作られた、理想の小屋「Hanem Hut」。
 
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さらに4階の第二会場では、かつて中村氏が設計制作したさまざまな小屋の紹介も。
 
近年足を運んだ中でもトップクラスの非常に面白い企画展でした。それだけ面白い上に入場無料、写真撮影可。申し訳ない気さえしますので、ここでガンガン宣伝いたします。
 
さて、この企画展とリンクして刊行された中村氏の著書『小屋から家へ』。
 
その中に中村氏と、ファッションデザイナーの皆川明氏の対談が収められており、光太郎の小屋にからめて次の一節があります。
 
中村 僕は、小屋的な建物を見たり、そこに入ったりすると、「こういう場所こそが人のすまいの原型なんだ」という想いに取りつかれてしまうんです。おもに住宅の設計をしているので、無意識のうちに「住宅ってなんだろう?」ということをいつも考えているらしく、魅力的な小屋を見かけたり、足を踏み入れたりすると、その問いかけに対してひとつの答えを得た気がするんです。
 
皆川 なるほど。たとえばどんなときに感じました?
 
中村 岩手県の花巻に、高村光太郎がひとり暮らしをしていた小屋が残っていて、それこそ粗末な小屋なんですけど、「人の暮らしの気配のようなもの」がひしひしと感じられます。必要最低限のものしかない暮らしぶりがとてもいさぎよく感じられ、「これでいいじゃないか、これで十分じゃないか」と納得してしまうのです。小屋の定義のひとつに、「すまいの原型が見えること」という項目を加えてもいいかもしれません。
 
皆川 その感じ、よくわかります。小屋の空間の中には最低限の必要なものだけが納まっているということで、余計にそういう気分になれそうな気がしますね。
 
中村 モノが少ないと、そこに日常生活だけでなく、精神生活が入り込む余地があるってことかな。実際問題として、床面積に限りがあると持ち込めるものも決まってきてしまうので、自分にとって本当に必要なものはなんなのか? と考えることを、建物のほうから要求されるということはありますね。
 
さて、「中村好文展 小屋においでよ!」は乃木坂のTOTOギャラリー・間(ま)を会場に、6月22日まで。ぜひ足をお運びください。ついでに花巻郊外の光太郎が暮らした高村山荘自体にも。
 
【今日は何の日・光太郎】 6月6日

昭和46年(1971)の今日、「高村光太郎詩の会」会報77号(最終号)が発行されました。
 
同会は光太郎と交流のあった詩人・風間光作が主宰し、昭和38年(1963)に結成されました。
 
その後、明治大学や東邦大学などで講師を務められた故・請川利夫氏に運営が移り、「高村光太郎研究会」と改称、年に一度、研究発表会を行っています。現在の主宰は都立高校教諭の野末明氏です。当方も加入しております。
 
光太郎・智恵子について研究したい、という方は是非ご参加ください。ご連絡いただければ仲介いたします。

新刊を取り寄せました。
 
建築家の中村好文さんの著書で、『小屋から家へ』。2013/4/16、TOTO出版、定価2200円+税です。
 
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同社のサイトから。
 
本書のテーマは「小屋」。「人のすまいの原型は小屋にある」と考える中村氏が手がけてきた極小の小屋から、小屋の面影を宿した小住宅まで12作品を、雨宮秀也氏の撮り下ろしの写真で紹介します。

また、「古今東西 意中の小屋たち」と題して、中村氏が長年魅了され続けてきた「7つの小屋」を巻頭に紹介します。旅好きの建築家としても知られる中村氏が訪ね歩いてきた世界中の小屋から厳選された「ル・コルビュジエの休暇小屋」など実在する小屋から、「鴨長明の方丈」など歴史上の小屋まで、氏が愛してやまない7つの小屋を通して、小屋の魅力を解き明かします。
 
この「7つの小屋」のうちの一つが、花巻郊外の光太郎が7年暮らした高村光太郎山荘。写真や1/75の図面入りで4ページにわたって紹介されています。
 
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写真は写真家の阿部徹雄(大3~平19)の撮影。昭和26年(1951)に『サン写真新聞』という雑誌に阿部による光太郎訪問記事が掲載され、そのために撮影されたものです。
 
『サン写真新聞』に掲載されなかったものを含め、写真の原板と光太郎からの書簡4通が平成22年に阿部氏の子息宅で見つかり、『岩手日報』で報じられました。その後、ご子息の厚意で、大伸ばしされた写真が花巻の高村光太郎記念会に寄贈され、現在、山荘に飾られています。当方の元にもメールで送っていただきました。
 
この手の山荘内部が大きく写っている写真は珍しく、また、それが掲載されている書籍もあまりありません。是非お買い求めください。
 
また、「7つの小屋」のうち、他に光太郎と交流のあったスキーヤー・猪谷六合雄が群馬の赤城山に建てた小屋も紹介されています。猪谷の実家は赤城山の猪谷旅館。たびたび光太郎が訪れたところで、猪谷の名は光太郎日記にも記されていますし、明治37年(1904)に光太郎が描いたスケッチ帳が『赤城画帖』として昭和31年(1956)に刊行された際、その解説を書いているのが猪谷です。
 
さて、乃木坂の建築・デザイン専門ギャラリー「TOTOギャラリー・間」において、著者の中村好文氏の個展「小屋においでよ!」が開催中です。
 
『小屋から家へ』の出版とリンクしているようで、3階の第1会場では「7つの小屋」の紹介、中庭には中村氏が設計した原寸大の「ひとり暮らし用」の小屋が展示されているとのことです。そこには光太郎山荘のエッセンスも取り入れられているのではないでしょうか。
 
暇を見つけて行ってこようと思っています。
 
【今日は何の日・光太郎】5月9日

大正7年(1918)の今日、智恵子の父・長沼今朝吉が歿しました。

これを機に、素封家だった長沼家は没落の道を歩み始めます。

BS朝日の番組「百年名家」を見て、千駄木の光太郎アトリエが空襲で焼け落ちた時のエピソードを思い出しましたので紹介します。
 
6/25のブログで紹介した『爆笑問題の日曜サンデー 27人の証言』に掲載された元日本詩人クラブ会長の寺田弘氏による「証言」です。

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 空襲で高村光太郎さんの家が焼けたときに、一番最初に駆け付けたのが私なんです。二階の方が燃えていて、誰もいないんです。その二階の燃えていた場所が智恵子さんの居間だったんですけど、そこから炎がどんどん燃えだして、それを高村光太郎さんは、畑の路地のところで、じっと見つめてたんですよね。
 そして、「自分の家が燃えるってのはきれいなもんだね、寺田くん」って。これには驚きましたね。その翌日、焼け跡の後片付けをやっていたら、香の匂いがしたんですよ。高村さんが「ああ、智恵子の伽羅が燃えている」って、非常に懐かしそうに立ち止まったのが、印象的でしたね。
 
それに対する爆笑問題のお二人のコメント。
 
田中 自分の家が燃えているのに。
太田 きれいだねって。
田中 なかなかね、そんなこと言えないじゃないですか。
太田 これは言えないよ。言えないっていうか、ちょっと狂気ですよね。なんでもそうやって芸術家
っていうのはさ。表現者っていう職業はどんなことでもそうやってとらえますよね。ああこれはきれい だとかなんだとかって言ってる場合じゃねえんだ、馬鹿野郎ってことですよね。
田中 まあ、どうなんですかね。思い出の家とか、本当はもっとすごい思いをしてるんでしょうけど。空襲ですもんね。でもそんなときに、そこで、こう言ってしまうという。
太田 言ってしまうというか、本気で感じちゃうところに問題があるんですよ。やっぱりこういう表現者ってどこか異常ですからね。だから普通の生活はできないですよね、こういう人たちは。特にこの 時代の文壇の人たちってのはみんなそうでしょうけどね。
 
当方、焼け落ちるアトリエを見つめる光太郎の姿に、芥川龍之介作「地獄変」の主人公、絵師・良秀の姿が重なります。

ところで『爆笑問題の日曜サンデー 27人の証言』、売れているのでしょうか? 当方の「証言」も掲載されているので気に掛かります。少し前、近所の書店では新刊コーナーに1冊置いてありましたし、高速バスのターミナルがあるので時々立ち寄る浜松町の書店では平積みになっていましたが。

さて、千駄木。予想通り「若大将のゆうゆう散歩 千駄木(後半)」も再放送されるようです。 

若大将のゆうゆう散歩 「千駄木(後半)」

BS朝日  2012年10月23日(火) 17時25分~18時00分
 
今日は昨日にひき続き文京区「千駄木」をお散歩 ▽日本では数少ないレースドール作家の繊細な技 ▽伝統技術でつくる木製風呂桶の父娘職人

番組概要
さあ、若大将と一緒に街に出ませんか?散歩の楽しみ方、お勧めコースをお茶の間に紹介するこの番組。好奇心旺盛な加山さんは永遠の少年。目をキラキラ輝かせながら、街の息づかい、人とのふれあいを体験します。

出演者    加山雄三、生稲晃子、佐分千恵(テレビ朝日アナウンサー)

ぜひ御覧下さい。

福岡に行っている間に録画予約をしておいたテレビ放映を見ました。
 
BS朝日の「百年名家 東京 根津・千駄木~文豪の愛」です。最初に今年11月にオープンする森鷗外記念館の前でのロケ。その後、根津・千駄木は文豪が多く暮らした街だということで、漱石の旧居跡の碑や、宮本百合子旧宅跡の案内板にまじり、光太郎アトリエ跡や青鞜社発祥の地の案内板が映りました。
 
その後はこの一角に残る古い邸宅、店舗からのレポート。メインは若い頃の光太郎が暮らし、後に光太郎の弟、豊周が跡を継いで現在に至る高村家の隣に建つ旧安田楠雄邸でした。大正浪漫あふれる室内の造作、調度に感心いたしました。こちらは公益財団法人・日本ナショナルトラストに寄贈され、一般公開されています。来月に鷗外記念館がオープンしたら併せて行ってみようと思いました。
 
それにしても、指呼の距離にあった光太郎のアトリエは戦災で炎上してしまったのに、こちらは無事だったというのが何よりです(お隣の高村家も無事でした)。
 
東京という街、むろん大都会ですが、実は下手な地方都市よりずっと緑が多い街です。この千駄木近辺などもそうです。数十年前、光太郎や智恵子がここを歩いていたことに思いをはせながら散策してみませんか?
 
そうそう、こんな番組も放送されます。 

2012年10月22日(月) 17時25分~18時00分
 
今日は文京区「千駄木」をお散歩 ▽懐かしいあめ細工の実演販売に加山さん感激! ▽人情味あふれる商店街散策

番組概要
さあ、若大将と一緒に街に出ませんか?散歩の楽しみ方、お勧めコースをお茶の間に紹介するこの番組。好奇心旺盛な加山さんは永遠の少年。目をキラキラ輝かせながら、街の息づかい、人とのふれあいを体験します。

出演者 加山雄三、生稲晃子、佐分千恵(テレビ朝日アナウンサー)


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地上波で今月初めにオンエアがあったのですが、気がつきませんでした。BSでの再放送です。「千駄木(後半)」も放映してほしいものです。

テレビ放映の情報です。気がつくのが遅れ、紹介が遅くなってしまいました。 

百年名家 「東京 根津・千駄木~文豪の愛したお屋敷町~」

 BS朝日1 2012年10月14日(日) 12時00分~12時55分 の放送内容
 
「谷根千(やねせん)」と呼ばれ、親しまれる谷中、根津、千駄木地区。夏目漱石や森鴎外などが居を構え、文豪たちに愛された閑静なお屋敷町を八嶋さんと本上さんが巡ります。

番組内容

最初に訪れたのは千駄木の洋館。ステンドグラスには、当時の社会情勢を反映した戦闘機と戦艦が描かれている。また、女中さんの呼び出し装置など様々な工夫も。そんな邸宅の収納を整理していると意外なものを発見。次に向かったのは、大正8年建築の大邸宅。在来建築技術と西洋技術を融合して建てられた。戦時中の空襲にも焼け残ったこの家にあったのは、なんと防空壕。その入口は、何とも意外な場所に隠されていた。最後に、根津の料理店を訪ねる。文化庁指定登録有形文化財の店内中央には、なんと築百年を超える土蔵が残されていた。新旧の混ざり合った贅沢な空間で、大都会に息づく歴史の重さに心を打たれる二人だった。

番組概要

百年名家~築100年の家を訪ねる旅~▽築100年以上の家屋を訪ね、そこに暮らす家族や街の様子を紹介。今も息づく伝統的な家と生活を守り続ける人々に触れ、生きるヒントや豊かな生活を送るための知恵を探します

出演者

八嶋智人、本上まなみ
 
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この番組、昨年、震災直前に当方の住まう香取市でロケを行い、追加で震災後の惨状を交えて放送されました。それ以来、親しみを感じている番組です。
 
今回の注目は、番組内容の中にある「大正8年建築の大邸宅」。旧安田楠雄邸というところで、安田財閥に関わります。この家、通称「155番地」=高村家(光太郎実家)のお隣です。そんなわけで、平成21年にはここで「となりの高村さん展」という一風変わった展覧会が開かれました。
 
今回も高村家に関して触れられることを期待します。
 
★第一部『愛ガ咲ク コンサート』
 第二部『智恵子抄』(高村光太郎への愛を一生貫き、罵り、叫び、崩れていった、女の半世)

を観に行って参ります。
 
そこで、「百年名家」は録画予約して出かけます。

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