高村光太郎ゆかりのアトリエ@中野 残したい 代表作「乙女の像」塑像も制作

歴史ある建物を調査する「伝統技法研究会」のメンバーで建築士の十川百合子さん(69)も調査に入り、「中野には棟方志功ら文化人が創作の場を構えた。中西利雄と山口文象が生み、地元に愛されてきた建築は貴重」とし、オリジナルを尊重しながら補強して保存する方法を提案。文江さんは区など公的な機関による対応を希望している。
曽我氏と関わりの深い文治堂書店さんのHPにPDFで掲載されています。7ページ目の「これからの主な予定」という項に関しては、まるで予定通りに進んでいないようですが……。
フライヤー的なものも。
また、記事にあるとおり、アトリエの設計はモダニズム建築家の山口文象(この件、当方もアトリエ保存運動が起こるまでは存じませんでした)。山口は北鎌倉の宝庵さん、現在は新宿区立林芙美子記念館さんの一部として活用されている林芙美子邸などを手がけたそうです。そうした和風の建築は現存、活用されているものの、山口が設計したモダンスタイル木造住宅作品は、この中西利雄アトリエが現存する唯一のものだとのこと。『東京新聞』さん記事を受けて、都市プランナーの伊達美徳氏が書かれたブログにその辺りが解説されていますのでリンクを貼らせていただきます。
ついでですのでもう1件。『東京新聞』さん記事に、「彫刻の代表作「乙女の像」の塑像を制作したアトリエ」と紹介されていますが、その制作の模様がブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館さん)制作の「美術映画 高村光太郎」(昭和28年=1953)と「美術家訪問 第7集」(昭和33年=1958)に含まれています。
昨年、アーティゾン美術館さんで開催された「創造の現場―映画と写真による芸術家の記録」展でそれらの動画が会場で常時公開され、それを受けてYouTubeでもアップされましたので貼り付けておきます。当時のアトリエ内部の様子(1:47頃から)、ご覧下さい。
明日もこの件で。
【折々のことば・光太郎】
以前「婦人公論」に「日本美の源泉」といふのを六ヶ月つづいて書いたことがありましたが、若しやあの切抜を貴下が持つて居られたら暫く拝借願へないでせうか。来月あたりから此処で日本美について毎月一回づつ六ヶ月間講演をやらうかと考へてゐますが、あの原文をテキストにして述べたいと思つてゐます。禅の提唱のやうに、美を中心にして万般の事に亘つて語るつもりで居ます。
花巻郊外旧太田村、移住当時はここに最高の文化部落を造る、といった意気込みがありまして、その一環でしょう。ことによるとこの地に光太郎を招いた分教場(講演会場)の教師・佐藤勝治が宮沢賢治の信奉者でしたので、その提案でかつての賢治の羅須地人協会的な実践を……という話になったのかも知れません。「日本美の源泉」についてはこちら。