第一部が「智恵子抄」。まずは枕的にご挨拶を兼ねて「智恵子抄」以外の光太郎詩の朗読を、ピアノ・沢村繁氏の即興演奏(?)に乗せて。
「道程」(大正3年=1914)と「激動するもの」(昭和5年=1930)でした。「道程」は人口に膾炙した作品ですが、「激動するもの」はマイナーな詩で、「これを持ってくるか、さすがに光太郎詩集を隅々まで読まれているな」という感じでした。
永らく初出掲載紙が不詳でしたが、10年程前、判明しました。甲府で発行されていた『線』という同人誌の第4号(昭和5年=1930 1月)でした。
この後、「智恵子抄」。潮見さんのお父さまの故・高岡良樹氏が始められた「歌物語」というスタイルで、オリジナルの曲に乗せた歌と語りによって、さまざまなジャンルの文学作品等を表現するものの一環です。
当方、平成27年(2015)に、都内大森で開催された潮見さんの「歌物語コンサート「智恵子抄」」を拝聴しましたが、基本的な構成は同一でした。
曲目は「樹下の二人」(大正12年=1923)、「あどけない話」(昭和3年=1928)、「千鳥と遊ぶ智恵子」/「風にのる智恵子」(昭和12年=1937/昭和10年=1935)、「値ひがたき智恵子」(昭和12年=1937)、「山麓の二人」(昭和13年=1938)、「レモン哀歌」(昭和14年=1939)、「亡き人に」(同)。それぞれに叙情性豊かな音楽と、確かな歌唱力に裏打ちされた表現で、「智恵子抄」の、透徹でやるせない、しかし不思議に明るくもある世界観が現出されていました。
まだ詳細が発表されていませんが、潮見さん、6月20日(日)、千葉市でも「歌物語 智恵子抄」を演(や)られるとのこと。次回は邦楽系の方々ともコラボなさるそうです。近くなりましたら、またご紹介します。
以上、神奈川・静岡レポートを終わります。
【折々のことば・光太郎】
「ウソ」は「嘘」ではなく野鳥の「鷽」。光太郎、大正14年(1925)に、木彫でウソを作りました。画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。

もしかすると、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村でウソの声を聞き、智恵子に思いを馳せていたかも知れません。