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講座的なイベントを2件。

まずは光太郎第二の故郷・岩手花巻から。

移住者交流会・花巻めぐりバスツアー 花巻エリア編

期  日 : 2024年6月8日(土)
集合場所 : 花巻市生涯学園都市会館(まなび学園) 岩手県花巻市花城町1-47
時  間 : 9時45分   受付開始 
       10時00分 まなび学園出発
       15時00分 アンケート記入・解散
料  金 : 昼食代:1,000円程度
対  象 : 花巻市へ移住希望の方 花巻市外からの移住者(時期は問いません)
       移住者と交流したい市民
見学場所 : まなび学園、こどもセンター、母ちゃんハウスだぁすこ
       高村光太郎記念館、花巻図書館、花巻市文化会館
       また、バス車内から花巻エリアのマストスポットを眺めます。
昼  食 : マルカンビル大食堂(各自注文・支払いをお願いします。)
       移住の先輩トーク&交流タイム
〆  切 : 6月5日(水)

 花巻市外から移住した方、移住者と交流したい市民、市へ移住希望の方向けに交流会・バスツアーを開催します。「ここはおさえておきたい!花巻マストスポット」を中型バス・フラワーロール号で巡ります。
 6月は花巻エリア編と東和エリア編を実施します。また、年度内に石鳥谷エリア編と大迫エリア編も実施予定です。花巻市の魅力を知り、交流を楽しみましょう。
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なるほどね、という感じですね。高村光太郎記念館さんも廻って下さるということで、ありがたいところです。

他の自治体等のこの手の事業の関係者さん、ご参考までに。

もう1件、福岡から市民講座の情報です。

遊友塾 日本の文学作品を読む 第3回

期 日 : 2024年6月12日(水)
会 場 : ふくふくプラザ6階 601号室 福岡市中央区荒戸3丁目3番39号
時 間 : 10:00~11:30
料 金 : 無料

講 師 : 船津正明先生(元九州大学非常勤講師)
内 容 : 『平家物語』~小督~  高村光太郎『道程』
申 込 : 6/5までに当仁公民館まで(電話可)092-751-6824
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講師の船津氏、幅広く日本文学全般に関する講座をなさっているようで、今回は「平家物語」と光太郎「道程」。

「道程」に関しては、令和2年(2020)に開催された同じ遊友塾さんの講座でも扱われていました。

こちらも主体は自治体さんのようです。そうでないとなかなか「無料」というわけにはいかないでしょう。

当方もあちこちで市民講座講師を務めさせて頂いておりますが、やはり自治体さん等が主体で「無料」の際にはそこそこ集まるものの、民間の運営で「有料」となると人集めに苦労する場合があるようです。

過日ご紹介した6月9日(日)にやはり花巻で行われる「五感で楽しむ光太郎ライフ」、「有料」の、しかも1,000円(ほぼ昼食代ですが)ということで、どうなのかなと思っていたのですが、定員を上回る103名もの申込があったと言うことで、胸をなで下ろしております。

閑話休題、上記2件、ご興味おありの方、ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】[]

今日は青年達が集つて小屋のまはりにヤトヂを造つてくれました。此の風除けが出来ると城砦のやうになり、まつたく冬らしくなります。其後雨がふつて雪は消えました。

昭和22年(1947)11月14日
宮崎稔宛書簡より 光太郎65歳

「ヤトヂ」は「家閉じ」なのでしょう。茅(かや)の束で家屋の周りを囲み、雪よけとするものです。この年は11月12日に初雪、さっそく3㌢ほど積もったそうです。

新聞報道を2件、ともに現在開催中の企画展示を紹介するものです。

まず、福岡は北原白秋生家・記念館さんの「北原白秋没後80年特別企画展~白秋と若き文士たち~」。『読売新聞』さんの福岡版から。

北原白秋没後80年記念、ゲーム「文豪とアルケミスト」とタイアップ企画展…柳川・生家にキャラ等身大パネルも

 柳川市出身の詩人・北原白秋の没後80年を記念し、人気オンラインゲームとタイアップした特別企画展「~白秋と若き文士たち~」が、同市の北原白秋生家・記念館で開かれている。来年3月末まで。
 ゲームは「文豪とアルケミスト」で、本の中の世界を破壊する「 侵蝕(しんしょく)者」と、アルケミスト(錬金術師)の力でこの世に転生した文豪たちが戦う内容。ゲームを配信する合同会社「EXNOA」(東京)の協力で企画展が実現した。
 白秋の青春時代にスポットを当て、ゲームに登場する白秋や吉井勇、高村光太郎、室生犀星(さいせい )、萩原朔太郎(さくたろう)の等身大キャラクターパネルを展示。5人の作品や交流を、与謝野鉄幹が結成した新詩社の機関誌「明星」、青年文学者らの懇談会「パンの会」、白秋主宰の文芸雑誌「 朱欒(ザムボア)」の三つの時代に分けて紹介している。
 同館は「芸術の自由と享楽の権利を 謳歌(おうか)した若き文士たちの作品を、白秋生家のたたずまいとともに楽しんでほしい」と来場を呼びかけている。
 来館者には非売品のしおりをプレゼントするほか、クリアファイルやポストカードといったゲームとのコラボグッズも販売している。
 また、来年1月末まで「交声曲『海道東征』」展も同時開催している。「海道東征」は、晩年の白秋が病魔と闘いながら、1940年の皇紀2600年を祝って作った長編詩。「海ゆかば」などで知られる 信時潔(のぶとききよし)が、合唱や管弦楽のための交声曲として作曲を手がけた。
 展示会では、関連書籍やレコード、白秋が晩年まで愛用した机や原稿、仕事着など約30点が並ぶ。12月4日には柳川市内で初の演奏会が予定されている。
 開館時間は午前9時~午後5時。入館料は大人600円、高校・大学生450円、小中学生250円。問い合わせは同館( 0944・72・6773 )へ。
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続いて、文京区立森鷗外記念館さんで開催されている「鷗外遺産~直筆原稿が伝える心の軌跡」。共同通信さんの配信記事で、全国の地方紙に掲載されたようです。神奈川近代文学館さんで開催されていた「没後50年 川端康成展 虹をつむぐ人」展のレポートと2本立てでしたが、そちらは割愛します。

【逍遥の記(4)】肉筆の圧倒的な訴求力示す 災厄を力にした川端、来信から描く鷗外の輪郭

16歳と54歳の筆跡
 文京区立森鷗外記念館の特別展「鷗外遺産」も内覧会で見た。54歳のときに新聞連載として発表した伝記「渋江抽斎」の直筆原稿や、夏目漱石らから鷗外に送られた書簡など、近年続々と見つかっている新資料多数が初めてまとまった形で公開されている。
 「渋江抽斎」の原稿は16年の新聞連載(全119回)の49回と50回。49回はほとんど直しがなく、50回には目立った加筆や修正がある。記者会見した山崎一穎・跡見学園女子大名誉教授は「推敲の跡に注目してほしい。49回の方は新聞掲載後、事実の誤りが見つかり増補訂正されています」と解説してくれた。

 東大医学部の学生だった16歳のとき、生理学の講義を受けてまとめた冊子「筋肉通論」も新資料である。端正で几帳面な文字が印象的だ。54歳の「渋江抽斎」と16歳の筆跡を見比べることができるのも楽しい。人間性の深化は文字にどう表れているか。 鷗外宛ての書簡は、島根県津和野町の森鷗外記念館に新たに寄託された約400通のうちの一部。夏目漱石、正岡子規、与謝野晶子、黒田清輝、高村光太郎、小山内薫…。差出人の名前を見ていくと、詩や短歌、俳句、美術や演劇などジャンルを超えて交流していたことが分かる。前期と後期合わせて15人からの18通を展示する。
 永井荷風からの10年の手紙は、近く創刊する雑誌「三田文学」の準備の様子を報告している。荷風は鷗外を師と仰ぎ尊敬していた。
 「雑誌体裁は凡(すべ)て短篇、(中略)寄稿者の署名は表題の下に印刷せず、文章の終りに廻(まわ)して見るつもり」「広告は凡て奥付ばかりに致したく」「兎(と)に角(かく)一号だけは、全く理想的に見本として発行致し度(た)き考(かんがえ)に御座候(ござそうろう)」とつづっている。
 多くの人からの鷗外宛て書簡を読んでいると、彼がどんな人間に囲まれ、どんなふうに交流しながら生きていたのかが分かる。鷗外の外側から、鷗外の輪郭が浮かんでくるようだ。 

 二つの展覧会に共通するのは、肉筆の訴求力だ。書いた人の心情やその時の情景にまで思いが及ぶ。想像は時空を超える。
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それぞれ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

午后永瀬清子さんくる、来月インド行の由、


昭和30年(1955)2月25日の日記より 光太郎73歳

永瀬清子は現在の岡山県赤磐市出身の詩人。光太郎とは戦前から交流がありました。永瀬が光太郎の借りていた貸しアトリエを訪れたのは、前年に続き二度目。「インド行」は、ニューデリーで開催され、植民地主義、原水爆問題など、アジアに共通する問題について意見交換する趣旨だった「アジア諸国民会議」に「婦人団体代表」として永瀬が参加したことを指します。

この日、永瀬に贈ったはなむけの言葉が、永瀬の主宰していた地方詩誌『黄薔薇』のこの年4月号に掲載されました。曰く「裏の山へ植林にいくようなお気持ちでいつてゐらつしやい」。なかなかそうも行かないと思うのですが(笑)。

過日ご紹介した、福岡県の北原白秋生家・記念館さんでの「北原白秋没後80年特別企画展~白秋と若き文士たち~」について、『毎日新聞』さんが報じて下さいました。

ゲーム「文豪とアルケミスト」題材、白秋展始まる 福岡・柳川

 福岡県柳川市出身の詩人、北原白秋(1885~1942)の命日(2日)にちなみ、同市沖端町の白秋生家・記念館で1日、白秋らが登場するオンラインゲームを題材にした企画展「白秋と若き文士たち」が始まった。
 ゲームは2016年から配信されている「文豪とアルケミスト」。文豪が残した文学書が次々と黒く染まってしまう現象が起き、人々の記憶から文学が消えていく中、それを阻止しようと白秋ら文士が登場するという趣向だ。
 企画展はゲームで描かれた白秋ら文士の等身大パネルを展示し、直筆手紙など約30点の史料で高村光太郎(1883~1956)、室生犀星(1889~1962)らゲームに登場する他の文士との交流を紹介する。初めての詩集「邪宗門」など20代の時の白秋を知るコーナーも設けた。
 高田杏子館長は「青春時代の白秋ら、若き文士の自由で光り輝く作品を楽しんでほしい」と鑑賞を呼び掛けている。入場料一般600円、小中学生250円。鑑賞者に白秋をデザインしたしおりを贈る。2023年3月31日までの開催だ。
 1日夜は市内の掘割にどんこ舟が連なる「白秋祭水上パレード」もあった。パレードは2、3日夜もあり、2日午前10時からは同市矢留本町の白秋詩碑苑で白秋にささげる献詩もある。
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同じくゲーム「文豪とアルケミスト」のコラボ企画として、岩手花巻で行われ、花巻高村光太郎記念館さんもチェックポイントとなっていた「宮沢賢治×高村光太郎×文豪とアルケミスト スタンプラリー」は、先月一杯で終了。その関係で多くの若い方々がいらして下さったと同館の方から連絡があり、ありがたい限りです。中には花巻市街から自転車で、という強者(つわもの)もいらしたそうで。

それぞれの文豪に深く親しむための入り口としては、こうしたタイアップもありだと存じます。全国の関係者の皆さん、ご参考までに。

【折々のことば・光太郎】

智恵子の命日、十七回忌にあたる、 「心」の婦人記者玄関まで、 夕方椛澤さん玄関まで、智恵子の墓参してくれた由、菊をもらふ、


昭和29年(1954)10月5日の日記より 光太郎72歳

昭和20年(1945)からの岩手蟄居中は、花巻市街の松庵寺さんで、ほぼ毎年智恵子の法要を営んでもらっていた光太郎ですが、もはや外出もままならず……。

ゲーム「文豪とアルケミスト」とのタイアップ企画、現在、光太郎がらみでは花巻市で「宮沢賢治×高村光太郎×文豪とアルケミスト スタンプラリー」が10月30日(日)まで開催されています。Twitterの投稿などでは、若い方々が花巻高村光太郎記念館さんを訪れ、「いいところだ」的なつぶやきをなさっていて、ありがたく存じます。

来月からは福岡で、光太郎の朋友・北原白秋がメインですが。

北原白秋没後80年特別企画展~白秋と若き文士たち~

期 日 : 2022年11月1日(火)~2023年3月31日(木)
会 場 : 北原白秋生家・記念館 福岡県柳川市沖端町55-1
時 間 : 9:00~17:00
休 館 : 12月29日(木)~2023年1月3日(火)
料 金 : 大人 600円 高・大生 450円 小・中生 250円

北原白秋生家・記念館では、柳河出身の詩人・北原白秋没後80年を記念して、DMM GAMESより配信中のオンラインゲーム『文豪とアルケミスト』とタイアップした企画展を開催いたします。本展時では白秋の青春時代にスポットを当て、白秋を中心とした文士や芸術家たちが芸術と自由と享楽の権利を謳歌した文藝運動や交流などを①新詩社『明星』時代、②「パンの会」時代、③「朱欒」時代と3つの時代に分けて紹介。また、今回初公開となる「室生犀星宛白秋書簡2通」や、白秋を取り巻く若き文士たちのキャラクターパネルの展示、グッズの販売も併せておこないます。

期間中、来館者限定オリジナル栞(非売品)を差し上げます。※なくなり次第終了いたします。

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「白秋を取り巻く若き文士たち」が、萩原朔太郎、室生犀星、吉井勇、そして我らが光太郎。

朔太郎といえば、全国52カ所の文学館や美術館、大学等で共催の「萩原朔太郎大全2022」が開催中ですが、こちらの企画はそれには含まれていません。しかし、「同時開催」として「特別展示 白秋と朔太郎の世界~朱欒から朱欒へ」も行われるそうです。こちらは来年1月10日(火)までです。

ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

花巻の菅原女史玄関まで、豆銀糖をもらふ、

昭和29年(1954)8月8日の日記より 光太郎72歳

「菅原女史」は光太郎が終戦後、昭和27年(1952)まで蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村で小学校教諭をしていた女性です。

「豆銀糖」は岩手の銘菓。といっても高級なものではなく、大豆と水飴、きな粉を使った庶民的なお菓子です。光太郎は昭和24年(1949)のラジオ放送用の対談で、豆銀糖と南部煎餅を激賞していました。

福岡から演劇公演の情報です。

椿エンタープライズ『百花繚乱』

期 日 : 2022年9月25日(日)
会 場 : シアターカフェ 愛と青春のふる~れ 福岡市東区箱崎1-33-9 ウインドウビル3F
時 間 : 14:00~
料 金 : 観劇¥3000【軽食&ワンドリンク付き】
      観劇+交流会¥6000【料理付き2時間飲み放題】 学生は¥1000引き

第一部 「朗読ミュージカル」和香奈/Ash/MIZUKI
第二部 「パントマイム」TEN—SHO
第三部 「智恵子抄」玄海椿ひとり芝居(朗読/長澤昭)
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福岡を拠点に演劇活動を行っていらっしゃる玄海椿さんによる一人芝居「智恵子抄」がプログラムに入っています。同作、玄海さんのレパートリーの一つで、時折、上演されています。『百花繚乱』は「マンスリー公演」だそうで、地元に根を張って毎月上演されている点は素晴らしいと存じます。

もう10年前になりますが、当方、福岡まで拝見に伺いました。黒子(くろこ)のような朗読の方がいらっしゃり、それ以外は玄海さんの一人芝居です。その意味では野田秀樹さん脚本の「売り言葉」に近い部分があるのですが、「売り言葉」は智恵子を追い詰めた光太郎を糾弾する要素がかなり強いのに対し、こちらはさまざまな行き違いから智恵子が壊れていく、という感じ。光太郎ディスり度は「売り言葉」ほど高くないように感じました。

お近くの方(遠くの方も都合がつけば)、コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運びください。

【折々のことば・光太郎】

モチ切り(取手のもち)、 (入浴)夜在宅、 川鍋ラジオ店より受信機返却し来る、あまりこわれすぎてゐる由、 ラジオなどきく、 十一時頃ねる、

昭和28年(1953)12月31日の日記より 光太郎71歳

生涯最後の大作「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」を完成させ、除幕まで行われた昭和28年(1953)もこの日で終わり。

取手」は茨城県取手町(現・取手市)。智恵子の最期を看取った智恵子姪の春子が嫁いだ先で、餅は春子からの贈り物でした。ラジオは複数台持っており、そのうちの一台。1週間前に修理を頼んでいましたが、無理とのことで、壊れていないラジオの方を聴いたようです。

情報を得るのが遅れまして、始まっていますが……。

皇室の名宝 ―皇室と九州を結ぶ美―

期 日 : 2021年7月20日(火)~8月29日(日)
会 場 : 九州国立博物館 福岡県太宰府市石坂4 - 7 - 2
時 間 : 9時30分〜17時00分
休 館 : 月曜日  ただし8月9日(月)8月16日(月)は開館。8月10日(火)は休館
料 金 : 一般 2,000円 高大生1,200円 小中生800円

 天皇陛下の御即位にともない、新たな時代を迎えました。新たな御代(みよ)をことほぎ、新元号「令和」ゆかりの地、太宰府において、皇室の名宝をご紹介する展覧会を開催いたします。

 本展は、宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵する皇室のコレクションの中から、皇室の御慶事(ごけいじ)に際して九州各地から献上された品々や、各時代の日本美術の名品をとおして、皇室の文化継承、皇室と九州の深いつながりをご紹介します。時代を越えて皇室が守り伝えてきた貴重なコレクションが、九州の地でまとまって公開される初めての機会です。
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関連行事

①記念対談「やきもの王国・九州と近代の皇室」(終了)
日時:令和3年7月24日(土)13時30分〜15時30分
出演:沈壽官 氏(沈壽官窯十五代・陶芸家)、岡本隆志 氏(宮内庁三の丸尚蔵館・主任研究官)

②記念講演会「美を伝えゆく―《動植綵絵》と《春日権現験記絵》の修理をとおして」
日時:令和3年8月8日(日)13時30分〜15時00分
講師:太田彩 氏(宮内庁三の丸尚蔵館・首席研究官)

③特別展リレー講座
日時:令和3年8月1日(日) 会場:九州国立博物館1階ミュージアムホール
[13時30分〜14時10分]「九州と帝室技芸員」
  望月規史(九州国立博物館主任研究員)
[14時20分〜15時00分]「皇室と九州・沖縄をむすぶ美」
  原田あゆみ(九州国立博物館文化財課長)
定員:140名(*変更する場合があります)
*聴講無料、ただし本展観覧券もしくはQRチケット画面の提示が必要
[申込み方法]往復はがき、もしくは下記サイトで受付。
ご希望のイベント名、郵便番号、住所、希望者全員の氏名(ふりがな)、電話番号、人数(1通につき最大2名まで受付可)を明記の上、下記宛にお申し込みください。

④公開イベント 「さかなクンと一緒にむかしの海を探検だ!」(終了)
日時:令和3年7月25日(日)第1回 11時00分~11時45分・ 第2回 14時00分~14時45分
出演:さかなクン



光太郎の父、光雲の手になる作が2点、出ています。

まず、宮内庁三の丸尚蔵館さん所収の大きな木彫「松樹鷹置物」(大正13年=1924)。
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そしてブロンズの「萬歳楽置物」(大正5年=1916)。こちらは木彫原型が、光雲と、その高弟の山崎朝雲の作、螺鈿の施された台座部分の制作者は、由木尾雪雄という蒔絵師です。大礼(即位式)に際して貴族院から大正天皇に献上されました。

それぞれ拝見したことがありますが、共に逸品です。

その他、奈良時代から昭和までの、まさしく「名宝」がずらり。出品目録はこちらです。特に、今月、国の文化審議会から国宝指定の答申があった、「蒙古襲来絵詞」(13世紀)、伊藤若冲の「動植綵絵」など、タイムリーな作も出品されています。
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011ちなみに同時に答申された、高階隆兼の「絹本著色春日権現験記絵」、小野道風の「屏風土代 保延六年十月廿二日藤原定信奥書」も、今回の九州国立博物館さんで展示されています。

これまで、こうした皇室所蔵の作は、慣例的に、文化財指定の対象外とされてきたところがありましたが、今回の答申から、そのタブーが取り払われました。

そうなると、光雲の「松樹鷹」なども、やがては、国宝とまではいかなくとも、重要文化財指定くらいは受けてもおかしくありません。

ただ、三の丸尚蔵館さんの収蔵品は1万点近くを数え、そのうち国宝や重要文化財級は約2,500点といわれていますので、少しずつ、ということになるのでしょう。

さて、コロナ感染にはお気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

【折々のことば・光太郎】

朝佐藤弘さん、配給の作業衣を届けてくれる。新製品にて大きさよろしく、品もわろくなし。250円にては安価也。


昭和23年(1948)6月3日の日記より 光太郎66歳

「佐藤弘さん」は、光太郎が蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋近くの開拓地に入植していた青年です。当時、開拓者には配給が多く、しかし、配給といっても無料ではありませんでした。そこで佐藤は買いきれないものを光太郎に廻していたようです。

当該の「作業衣」、これかな、と。
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光太郎の父・光雲関連で、福岡に本社を置く『西日本新聞』さん、先週の記事です。

「直方碑」に再び光を 炭鉱王・貝島太助が建立に尽力

 福岡県直方市の産土神(うぶすながみ)、多013賀神社から市石炭記念館への歩道に、地元の歴史を伝える「直方碑」が立つ。隣接する市有地に、市は炭鉱労働者を表現した「坑夫の像」の移設計画を進める。同市出身の炭鉱王、貝島太助が建立に尽力しながら市民にもなじみのない碑を、直方郷土研究会の牛嶋英俊会長とともに訪ねた。
 碑の建立は1894(明治27)年。糸島産の野北石を使った本体は高さ4・6メートル、台座まで含めた全体は6・5メートルあり、まっすぐにそびえ立つ印象だ。設計者は明治期の彫刻家として名高い高村光雲。漢文で書かれた碑文を作成したのは漢学者の宮本茂任(しげとう)という。
 そばには、建立資金を提供した人々や団体の名前が刻まれた碑が置かれている。貝島太助、弟の六太郎…。牛嶋さんは「九州の片田舎の碑でありながらも、非常に質の高い人たちが手掛けた。中央政界にも通じた太助の人脈、彼が強力なリーダーシップを持っていたことが分かる」と話す。
 碑文は現代風に書くと、「直方は昔、東蓮寺(とうれんじ)と呼ばれ、新入村の一部で村里はなく、高い山と広い野原があるだけだった」と始まる。福岡藩初代藩主の黒田長政の遺言で、四男高政が初代東蓮寺藩主として治め、商工業者が集まってまちができたことや、明治維新後にまちが大きく発展したことなどが書かれている。
 建立の由来として「黒田氏が基を開かなかったら、まちはこれほどにならなかった。直方に住んで恩恵を受けている者は、歴史をよく知っておくべきだ」と記す。故郷の歴史や先達に敬意を抱き、後世にも向けた太助の呼び掛けだろう。
 牛嶋さんは「明治20年代は筑豊地域の炭鉱が栄え、直方が急速011に発展していた。殿様がいた城下町で、長い歴史をもち、他地域とは異なる由緒があることを伝えようと、当時の人々の胸には熱いものがあったのではないか。碑は時代の反映でもあった」とみる。
 市石炭記念館は、筑豊石炭鉱業組合直方会議所だった本館や救護練習所模擬坑道が国史跡となった。館内には「鉱山保安の父」とされる石渡信太郎(いしわたりのぶたろう)の胸像があり、敷地内には蒸気機関車(SL)2両がたたずむ。直方碑から歩き、運炭の大幹線だった筑豊本線を跨線橋で渡れば、ほどなく多賀町公園に立つ貝島太助像。跨線橋は旧国鉄直方機関区の転車台の一部を利用する。石炭でつながる、直方ならではの「まち歩き」のルートだ。
 市は直方碑や「坑夫の像」の由来について「平易な言葉で書いた説明板を設け、一体を見栄え良く整備する」としており、牛嶋さんは「地域の歴史に人々の目が向けられることになれば、意義がある」と話す。歴史遺産に光を当てて物語をつむぎ、誇りを持って発信するのも市の役目だ。 (安部裕視)

 「坑夫の像」移設 像は高さ2・4メートルのコンクリート製。直方市出身の彫刻家、故花田一男さんが制作し、削岩機を手にした炭鉱労働者を表現する。1954年に国鉄(現JR)直方駅前に設置され、96年の駅前ロータリー改修に伴い、市が遠賀川河川敷の中之島公園に移設。旧産炭地に対する歴史認識や地域再生などを巡り、さまざまな意見が交錯する時期だった。2018年に市民グループが移設を求め、費用の一部を寄付。市は20年度当初予算に移設費496万円を計上した。



皇居前広場の楠木正成像、上野公園の西郷隆盛像などを手がけた光雲、その他にも全国各地に建てられた銅像類に関わりましたが、銅像以外のモニュメントにも関係しています。静岡県袋井市の「活人剣の碑」、芝増上寺さんの「台徳院殿霊廟」模型など。

「直方碑」もそうしたものの一つといえましょう。記事にあるよう017に、碑文は漢文で書かれているそうで、確かに明治期などの大きな石碑にはそういうものが多いような気がします。となると、現代ではまず余程のことがないと碑文を読もうという気になりませんね。自宅兼事務所から徒歩15分ほどの公園にも、日露戦争に関係すると思われる乃木希典題字揮毫の碑がありますが、やはり説明板も何もなく、地元民にもほとんどその存在すら知られていません。たまたま当方、愛犬の散歩中に発見した次第です。しかしやはり漢文の碑文、しっかり読もうという気になりません。

とはいえ、地元の歴史に関わる貴重なものであるわけで、記事にあるように「平易な言葉で書いた説明板を設け、一体を見栄え良く整備する」のは必要なことと思われます。

ちなみにもう一つ触れられている「坑夫の像」。コンクリートだそうです。作者は花田一男だとのことで、花田は光雲に学んだ平櫛田中に師事しています。つまりは光雲の孫弟子というわけです。

こうした近代の碑や銅像などの類、それほど古いわけでもなく、といっても新しいものというわけでもなく、その中途半端さが災いし、文化財指定等からは漏れ、人々の記憶からも薄れてしまっているのでしょう。まずは各地域でしっかり光を当てることが大切だと思われます。


【折々のことば・光太郎】

西町から仲御徒町通にかけての、河内山宗俊が住んでゐるなどといふやうな町の空気の中。コツクリさん。おばけの出る牛乳屋の西洋館の前の柳。後には谷中の墓地のバツタ採り。

アンケート「美術家の生ひ立ちと其環境」より
 大正14年(1925) 光太郎43歳

「御生育地の四囲の風物情景を簡単に」という問いに対しての回答です。「西町」は下谷西町、現在の台東区東上野。光太郎は明治16年(1883)にここで生を受けました。その後、同19年(1886)にはすぐ近くの仲御徒町、同23年(1890)にはこれもほど近い谷中に、一家で転居しています。

いかにも「明治」ですね。

九州福岡から、公開講座の情報です。 

2018年度秋学期市民講座 「日本の近・現代詩入門」

期   日 : 2018年9/4・18、10/2・16・30、11/13・27、12/11 (各火曜)
会   場 : 福岡女学院大学生涯学習センター天神サテライト校
                           福岡市中央区天神2-8-38協和ビル9F
時   間 : 13時~14時30分
料   金 : 受講料16,800円  教材費200円
講   師 : 日本現代詩人会会員 徳永 節夫

近年、詩が以前より存在感がなくなってきたように思えます。詩から受ける感動が少なくなってきたのは、小、中学校での詩の授業が表現技術を身につけるだけのスキル学習化しているのも原因の一つと考えています。宮沢賢治の「永訣の朝」や高村光太郎の「レモン哀歌」の心の奥からの感動。そして、今書かれている「現代」詩のわからなさにも挑戦してみようと思います。

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というわけで、「日本の近・現代詩入門」という講座の中で、光太郎も取り上げて下さるそうです。ありがたや。

お近くの方、ぜひどうぞ。

ちなみに、当方も千葉県の佐倉市と成田市で、「高村光太郎と房総」という公開講座を持たせていただくことになりました。また近くなりましたら詳細をご紹介します。


【折々のことば・光太郎】

ただ心を傾けつくしただけではまだ足りない。自己の真情を、縦横無礙に何処へ出しても堂々と通るやうに表現するのが詩の力であるやうだ。

散文「雑誌『新女苑』応募詩選評」より 昭和15年(1940) 光太郎58歳

ふむふむ。

昨日は東京調布での、昭和32年(1957)公開の東宝映画「智恵子抄」(故・原節子さん主演)上映情報をご紹介しましたが、10年後の同42年(1967)に封切られた松竹映画「智恵子抄」(岩下志麻さん主演)の上映情報です。

特別企画 中村登監督特集 60年代松竹映画を代表する監督・中村登の特集 「智恵子抄」 

日 程 : 2017年5月17日(水)14:00002
        21日(日)14:00  27日(土)11:00
場 所 : 福岡市映像図書館ホールシネラ
       福岡市早良区百道浜3丁目7番1号
料 金 : 600円 (大人) 
      500円 (大学生・高校生)     
      400円 (中学生・小学生) すべて当日券

高村光太郎は画学生の智恵子と見合いし、結婚する。油絵に没頭する智恵子だが、文展に出した絵は落選する。火事のため田舎に住む智恵子の父親が死亡、また実家が倒産したとの知らせが届く。苦しむ智恵子は自殺を図る。高村光太郎の詩集「智恵子抄」と佐藤春夫の「小説智恵子抄」を原作とした映画。「智恵子抄」の詩を効果的に使いながら二人の純愛を描く。アカデミー賞外国語映画賞ノミネート。

監督:中村登    出演:岩下志麻 丹波哲郎 他 
1967年/35ミリ/カラー/125分/松竹


当方、一度拝見しましたが、鬼気迫る岩下さんの智恵子、重厚な丹波さんの光太郎、それぞれすばらしい演技でした。

丹波さんもそうですが、脇を固める俳優陣の皆さんにも既に亡くなった方が多く、その意味では懐かしさにひたれます。智恵子の親友・和子役の南田洋子さん、その夫は岡田英次さん(柳敬助夫妻がモデルです)、光太郎の親友・石井柏亭で平幹二朗さん、犬吠の太郎に石立鉄男さん、智恵子の両親が加藤嘉さんと宝生あや子さん、智恵子の主治医を内藤武敏さんなどなど。

「中村登監督特集」としては、「智恵子抄」以外に、「我が家は楽し」、「土砂降り」、「集金旅行」、「危険旅行」、「いろはにほへと」、「古都」、「夜の片鱗」、「二十一歳の父」、「暖春」、「紀ノ川」、「惜春」が上映されるそうです。

お近くの方、ぜひ足をお運びください。


【折々のことば・光太郎】

木を彫ると心があたたかくなる。 自分が何かの形になるのを、 木は喜んでゐるやうだ。
詩「偶作十五篇」より 昭和2年(1927) 光太郎45歳

造形芸術のカテゴリーとして一口に「彫刻」といいますが、正確には「彫塑」というべきです。木や石などを彫ったり削ったりして作る「彫」と、粘土などを積み重ねて作る「塑」、ある意味真逆です。「彫」は余分なものをそぎ落とすマイナス、「塑」はゼロからどんどん足してゆくプラスの製法です。光太郎はどちらもこなしました。

長じてから、ミケランジェロやロダンを範とした「塑」に取り組む際には、ある意味身構えて臨むことが多かったようですが、幼い頃から自然と身につけた「彫」の場合は、時に遊び心を抱きながら取り組んでいたようにも思えます。

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九州福岡から、昭和32年(1957)に封切られた熊谷久虎監督、原節子さん主演の東宝映画「智恵子抄」上映情報です。 

特別企画 原節子特集

  期 : 平成28年11月2日(水)〜11月27日(日)  ※休館日・休映日除く
会  場 : 福岡市総合図書館映像ホールシネラ  福岡市早良区百道浜3丁目7番1号
料  金 : 600円(大人) 500円(大学生・高校生) 400円(中学生・小学生)
※定員制。各回入替制。
※チケットはすべて当日券。前売り券はありません。
※障がい者の方及び福岡市在住の65歳以上の方は300円。(手帳や保険証などの提示が必要です。)

昨年亡くなった日本映画を代表する女優・原節子の特集。追悼1周忌企画。

009上映作品 :
「青い山脈」 「河内山宗俊」 「お嬢さん乾杯」 「晩春」 「麦秋」「山の音」 「東京物語」 「安城家の舞踏会」 「白痴」 「めし」 「智恵子抄」 「驟雨」 「秋日和

「智恵子抄」

11月9日(水)14:00   12日(土)11:00   17日(木)11:00
1957年 35ミリ モノクロ 98分 東宝

詩人・高村光太郎は知人から智恵子を紹介される。詩を読み、油絵を描く智恵子に光太郎は惹かれ二人は結婚する。貧しくとも幸せな生活だったが、智恵子の絵はなかなか評価されなかった。絵が評価されず主婦の仕事もできない智恵子は悩み、次第に精神を病んでいく。本作は二人が出会って智恵子が亡くなるまでを描いている。原節子自身が映画化を望んだと言われており、美しい夫婦愛の物語となった。


一周忌を迎えた原節子さんの追悼特集ということで、今年はあちこちで「智恵子抄」の上映がありました。1月に池袋と川崎5月でやはり福岡小倉7月は鎌倉8月から9月にかけて神保町、そして映画の舞台でもあり、ロケも行われた福島二本松で9月に。そちらは拝見して参りました

お近くの方、ぜひどうぞ。

また、二本松市歴史資料館さんで現在開催中の「智恵子生誕一三〇年・光太郎没後六〇年記念企画展 智恵子と光太郎の世界」展では、当方手持ちの原節子さん「智恵子抄」関連資料の中から、10数点を展示していただいております。

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こちらは11月27日(日)まで。よろしくお願いいたします。


【折々の歌と句・光太郎】

廃園の三千坪を人買ひて塀などつくり秋たけにけり
大正13年(1924) 光太郎42歳

舞台は光太郎アトリエのあった駒込林町。「廃園の三千坪」は、現在の須藤公園の辺りです。下の画像で「この辺原っぱだった」と丸で囲まれている一角です。光太郎アトリエは左上、実家はそのやや左下、左下隅には青鞜社も入っています。出典は森まゆみさん『「谷根千」地図で時間旅行』。

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同じ「廃園の三千坪」を舞台とした「落葉を浴びて立つ」という長い詩も書かれました。


   落葉を浴びて立つ

どこかで伽羅(きやら)のくゆつてゐるやうな日本の秋の
なまめかしくも清浄な一天晴れたお日和さまよ。鳥かげさへ縦横にあたたかい十一月の消息をちらつかせ、
思ひがけない大きなドンといつしよに、010

一斉に叫をあげる遠い田舎の工場の汽笛が
ひとしきり
空に無邪気な喜の輪をえがいてゐる。
そんな時です、私が
無用の者入るべからずの立札に止まつてゐる赤蜻蛉に挨拶しながら、
三千坪の廃園の桜林にもぐり込んで、
黙つて落葉を浴びて立つのは。

ああ、有り余る事のよさよ、ありがたさよ、尊さよ、
この天然の無駄づかひのうれしさよ、
ざくざくと積もつて落ち散る鏽(さ)びた桜のもみぢ葉よ。
惜しげもない粗相らしいお前の姿にせめて私を酔はせてくれ、
勿体らしい、いぢいぢした世界には住みきれない私である、011
せめてお前に身をまかせて、
くゆり立つ秋の日向ぼつこに、
世もぶちまけた、投げ出した、有り放題な、ふんだんの美に
身も魂もねむくなるまで浸させてくれ。

手ざはり荒い不器用な太い幹が、
いつの間にかすんなり腕をのばして、
俵屋好みのゆるい曲線に千万の枝を咲かせ、

微妙な網を天井にかけ渡す桜林の昼のテムポは、
うらうらとして移るともないが、

暗く又あかるい梢から絶間もなく、
小さな手を離しては、
ぱらぱらと落ち来る金の葉や瑪瑙の葉。012

どんな狸毛で描いた密画の葉も、
天然の心ゆたかな無雑作さに、
散るよ、落ちるよ、雨と降るよ、
林いちめん、
ざくざくとつもるよ。
その中を私は林の魑魅(ちみ)となり、魍魎(まうりゃう)となり、
浅瀬をわたる心にさざなみ立てて歩きまはり、
若木をゆさぶり、ながながとねそべり、
又立つて老木のぬくもりある肌に寄りかかる。

――棄ててかへり見ぬはよきかな、
あふれてとどめあへぬはよろしきかな、
程を破りて流れ満つるはたふときかな、
さあらぬ陰に埋(うづ)もれて天然の素中に入るはたのしきかな――
落ち葉よ、落ち葉よ、落ち葉よ、
私の心に時じくも降りつもる数かぎりない金いろの落葉よ、
散れよ、落ちよ、雨と降れよ、
魂の森林にあつく敷かれ、
ふくよかに積みくさり、 やがてしつとりやはらかい腐葉土となつて私の心をあたためてくれ。
光明は天から来る、
お前は楽しく土にかへるか。
今は小さい、育ちののろいこの森林が、世にきらびやかな花園のいくたびか荒れ果てる頃、
鬱蒼としげる蔭となつて鳥を宿し、獣(けもの)を宿し、人を宿し、
オゾンに満ちたきよらかに荒い空気の源となり、
流れてやまぬ生きた泉の母胎となるまで。

林の果の枯草なびく原を超えて、
割に大きく人並らしい顔をしてゐる吾家の屋根が
まつさをな空を照りかへし、
人なつこい目くばせに、
ぴかりと光つて私を呼んでゐるが、
ああ、私はまだかへれない。
前も、うしろも、上も、下も、
こんな落葉のもてなしではないか、
日の微笑ではないか、
実に日本の秋ではないか。
私はもう少しこの深い天然のふところに落ち込んで、
雀をまねるあの百舌(もず)のおしやべりを聞きながら、
心に豊繞(ほうねう)な麻酔を取らう、
有りあまるものの美に埋もれよう。


秋たけなわとなり、当方自宅兼事務所――三千坪はありませんが(笑)――の木々も色づいてきています。また、裏山の坂道に聳えるイチョウの巨木も。

九州・福岡から演劇の公演情報です。気がつくのが遅れ、ご紹介が遅くなってしまいました。申し訳ありません。 

サザンクス筑後ぱふぉーまんす集団センゲキ第16回公演「ELEGANCE FIGHT~元始、女性は太陽であった~」

期 日 :  2016年5月15日(日)
時 間
 : 14時開演(13時30分開場)
会 場 : サザンクス筑後 小ホール  福岡県筑後市大字若菜1104
料 金 : 一般1,000円 / 小・中・高校生500円  全席自由 未就学児入場不可
主 催 : (公財)筑後市文化振興公社
後 援 : 筑後市、筑後市教育委員会

原典 : 宮本研・作『ブルーストッキングな女たち』
脚本・脚色・演出 : 久保田りき
キャスト サザンクス筑後専属劇団“ぱふぉーまんす集団SENGEKI

 平塚らいてう/富安美沙子 荒木郁子/久間明日香 神近市子/古賀美紅
 保持研子/角有紗 伊藤野枝/松本渚 尾竹紅吉/後藤杏奈 掘保子/藤木菜穂
 松井須磨子/後藤奈津実 辻三津・市川房枝/澁江綾香
 高村智恵子・与謝野晶子/河口智美

西暦1911年(明治44年)「青鞜(せいとう)」という女性文芸雑誌が発刊されました。編集していたのは女性たち。その中心となった人物は「平塚らいてう(らいちょう)」。彼女のもとに個性豊かな女性たちが集い「青鞜」は生まれたのです。その翌年、明治天皇が崩御し元号は大正となります。時代が移り変わるように、女性たちも「人として生きる道」を探り、戦い、実践した時代。この「青鞜」に関わった女性たちの生き様には『優美』かつ『激闘』という言葉がふさわしいと思い、このタイトルとしました。100年も昔…、いいえ、その時から100年しか経っていないのです。現代に通じる何かを探しながら、ぜひご覧下さい。
作品のベースとさせていただいたのは、宮本研・作「ブルーストッキングの女たち」。ぱふぉーまんす集団センゲキの10人の女性たちに合わせ脚色させていただきました。女性の恋愛を描くには、当然の如く男性キャストが必要です。しかし、現在センゲキは女性ばかり。あえず男性を登場させず女性たちだけで描く内容に挑みました。解釈の違い等もあり、フィクション・ノンフィクション入り混じった構成でありますが、センゲキの描く「青鞜」を…。「女性たち」をお楽しみいただければ幸いです。ご来場心よりお待ちしています。

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youtubeに、プロモーションビデオも公開されていました。かつて『青鞜』メンバーは、光太郎曰く「女水滸伝」と言われていたとのこと。しかし、キャストの皆さん、かわいらしい女性ばかりです(笑)。


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というわけで、日本女子大学校で智恵子と同じ家政科の一級上だった平塚らいてうを主人公とし、『青鞜』の旗の下に集まった女性たちを描く舞台、ということです。智恵子も登場します。ありがたいです。

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その他、日本女子大学校出身の『青鞜』メンバーについてはこちら

ところで、PVの冒頭にあったのですが、九州では今、熊本を中心とする震災により大変な状況です。しかし、彼女たち、今、自分たちでできることを精一杯やることで、復興支援に繋げたいとの思いから、一時は自粛も検討したものの、予定通り公演を実施するとのこと。さらに収入の一部は、被災地に寄付なさるそうです。それでいいと思います。

是非、観に行きたいのですが、残念ながら花巻高村祭と同一の日程のため、行けません。残念です。遠くみちのくから九州に思いを馳せることと致します。お近くの方は是非どうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

口紅の女も買ふや夏蜜柑         明治42年(1907) 光太郎27歳

欧米留学末期、スイス経由イタリア旅行中の作です。「夏蜜柑」というよりオレンジ的なものなのでしょう。石畳のイタリアマルシェ、小太りの陽気なヒゲの店主が「お嬢さん、一つどうだ?」……勝手な想像ですが(笑)。

福岡県の地方紙『西日本新聞』さんの一面コラム「春秋」。昨日掲載分です。連翹忌に触れて下さいました。 

春秋 2016/03/29

 来月2日は高村光太郎の没後60年に当たる。教科書にも載る「道程」や「智恵子抄」で知られる詩人は、一方で戦争に協力する詩文も書いた
▼例えば、日米開戦を称揚し国民を鼓舞する詩。〈記憶せよ、十二月八日。/この日世界の歴史改まる。/アングロサクソンの主権、/この日東亜の陸と海とに否定さる。〉。西欧の芸術を学び、人の「生」を肯定、称賛した高村も、戦争へと突き進む時代の奔流にのみ込まれたか
▼戦後、多くの文学者や芸術家が、戦争に協力したことなど忘れたかのように活動を再開する中、高村は戦意高揚の旗を振ったことを深く恥じ悔いた。岩手県の山あいの粗末な小屋で7年間の謹慎生活を送り、自らの過ちと愚かさを省みる連作詩「暗愚小伝」を残した
▼安全保障関連法はきょう施行。集団的自衛権の行使を可能にするこの法律で、自衛隊の海外での活動が大幅に拡大される。日本の安全保障にとって新たな道程の始まりだ
▼過去の戦争への反省を踏まえ、歴代内閣は集団的自衛権の行使を禁じていた。それを選挙の争点とすることもなく、一内閣が独断で変更した。反対はなお根強く、憲法学者の「違憲」の指摘も相次ぐ
▼夏の参院選は衆院選と同時に、という動きが強まっている。ならば正面から争点に据え、あらためて国民の審判を仰ぐべきであろう。後に愚かだったと悔やまぬように。私たちの後ろに出来る道のために。


「我が意を得たり」という感じでした。

書かれているとおり、光太郎は戦争推進に協力する詩文を書きました。数え方にも左右されますが、その生涯に光太郎の遺した詩は700篇強。そのうち200編弱は戦争協力詩といえるものです。詩集としても、選詩集や元の詩集の改訂復刊的なものを除けば、生涯に上梓した詩集は6冊。『道程』(大正3年=1914)、『智恵子抄』(昭和16年=1941)、『大いなる日に』(同17年=1942)、『をぢさんの詩』(同18年=1943)、『記録』(同19年=1944)、『典型』(同25年=1950)。

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この6冊のうち、『大いなる日に』、『をぢさんの詩』、『記録』の三冊、つまり半分は戦争協力詩が中心の詩集です。

中を見てみると、今の言葉で言えば「痛い」「やっちまった」作品のオンパレード。特に『をぢさんの詩』収録のものは、年少者向けのものですので、その「痛さ」はひどいものです。


  軍艦旗004

ぼく知つてるよ  軍艦旗
御光(ごくわう)のさしてる  日の丸だ
御光のかずが   十六本
ほんとにきれいな 軍艦旗

ぼく知つてるよ  軍艦旗
艦尾旗竿(きかん)に   ひらひらと
大きくつよく    たのもしく
ほんとにりんたる 軍艦旗

ぼく知つてるよ   軍艦旗
日の出日の入り  おごそかに
全員そろつて    揚げおろす
ほんとにたふとい 軍艦旗

ぼく知つてるよ  軍艦旗
いざ戦ひと     いふ時は
大檣上(たいしやうじやう)に    空たかく
さんぜんかがやく 戦闘旗


注目すべきはこの詩が書かれた日付です。草稿に書かれたメモによれば、昭和14年(1939)2月26日となっています。その3日前には、この前年秋の智恵子の臨終を謳った『智恵子抄』中の絶唱、「レモン哀歌」が書かれています。

その3日後には、こんな愚にもつかない翼賛詩を書いている光太郎。まさに智恵子を失ったことにより、精神のバランスをも失っています。

この駄作や、『西日本新聞』さんに引用されている「十二月八日」などの翼賛詩を、たしかに数は多いのですが、光太郎の真髄と捉え、涙を流してありがたがる輩がいまだに多いのには閉口させられます。昨日施行されたとんでもない法案を考え出した連中もそうなのでしょうが。

光太郎の真髄は、『西日本新聞』さんにあるとおり、「戦意高揚の旗を振ったことを深く恥じ悔いた。岩手県の山あいの粗末な小屋で7年間の謹慎生活を送り、自らの過ちと愚かさを省み」たことにあります。

光太郎歿して60年。今週土曜日は、節目の年の連翹忌です。案内状には、当会顧問北川太一先生の、次のようなお言葉を賜りました。「戦後高村さんが辿った歴史の歯車が逆転しそうなこんな時期こそ、親しくお目にかかり、お話をお聞きし、今やこれからの沢山の報告もお聞きいただきたく存じます。」まったくその通りです。「私たちの後ろに出来る道のために」。


【折々の歌と句・光太郎】

人かあらずただしたはしの春の水おりし胡蝶のけさねたましき
明治34年(1901) 光太郎19歳

昨日、自宅兼事務所の庭で、この春初めて蝶を見かけました。

一昨日、福岡県の地方紙『西日本新聞』さんに載った記事です 

「道程」刻字で寄贈 書道家の宇野美江さん [福岡県]

011 中間市の書道家宇野美江さん(51)=雅号・星河=が10日、同市中尾の中間東小(495人)に、高村光太郎の詩「道程」を彫った刻字作品を贈った。同小6年の長男佑哉君(12)と森岡重義校長(60)が今春、「卒業」するのを記念した寄贈で、刻字は同小の児童用出入り口に飾られた。
 宇野さんは山口県出身。結婚を機に20年ほど前に同市に移り住んだ。市内外で個展を開き、自宅で書道教室を主宰しているほか、刻字に約6年前から取り組み、日本刻字展にもたびたび入賞した。2人の娘も同小を卒業しており、PTA役員をしていた関係で、森岡校長が同小の教頭だった約7年前から親交があった。森岡校長はこの春、定年退職する。
 寄贈した刻字(縦50センチ、横1メートル)は「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」という名言をカツラの板にのみなどで彫り、紫の下地に金箔(きんぱく)を張っている。4年前の制作で3カ月ほどかかったという。作品はコンクールで入選した。「子ども3人がお世話になったお礼に」と今月上旬、寄贈を申し出て了承を得た。
 この日、職員室で森岡校長に刻字を手渡した宇野さんは「自らの努力で道を切り開いてほしいという思いを伝えられるよう、いつか小学校に贈りたかった」と語った。森岡校長は「刻字を見た子どもたちが、自分が歩んできた足跡を心の中でじっくり振り返ることができる。最高の贈り物だ」と喜んだ。
=2016/02/11付 西日本新聞朝刊=

刻まれているのは、大正3年(1914)、雑誌『美の廃墟』に発表されたオリジナルの102行ある「道程」の一節です。のち、同じ年の10月に刊行された詩集『道程』では、9行に圧縮された、現在よく知られている形に改められました。

最近、オリジナルの「道程」が取り上げられる機会が増えてきました。

昨年4月にリニューアルオープンなった花巻高村光太郎記念館では、声優の堀内賢雄さんによるこの長いバージョンなどの朗読が聴けるコーナーを設けてあります。

また、同じく昨年、歌手の西城秀樹さんが、「世界・日本名作集よりリーディング名作劇場「キミに贈る物語」~観て聴いて・心に感じるお話集~」というイベントで朗読し、テレビでも紹介されました。

詩集『道程』に収められた9行の完成型はよく知られていますが、102行の原型はあまり知られて居らず、こういうバージョンがあったのか、これはこれですばらしい、と、新鮮な驚きから取り上げられる機会が多くなっているようです。

もちろん、9行の完成型もいろいろと取り上げて下さっているようです。どちらの形にしろ、どんどん取り上げていただきたいものです。特にこれから卒業シーズン、さらに4月からは新生活スタートのシーズンです。若い人々へのはなむけや、エールとして、日本中で「道程」が引用されてほしいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

けだものといふにはあらずしかねどもまるであたらしき別のいきもの
大正13年(1924) 光太郎42歳

「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」と宣言した光太郎。自らの荒ぶる魂を「猛獣」に仮託し、道を切り開いていこうとしていました。








昨日は福岡のギャラリーでの書展をご紹介しましたが、もう一件、福岡からの情報です。
 
JR博多駅直結の駅ビルJR博多シティ9階の映画館「T・ジョイ博多」さんでの上映。

僕等の図書室~セレクト~

2014年8月9日(土) 15:00開演
 
三上の「桃太郎」(ぼくとしょ1より三上真史、村井良大、井深克彦)
たっきーの「智恵子抄」(ぼくとしょ1より滝口幸広、中村龍介、三上真史)
りゅうの「ピーターパン」(ぼくとしょ2より中村龍介、大山真志、井澤勇貴)
<登壇ゲスト:三上真史、滝口幸広、中村龍介>
 
僕等の図書室」は、通称「ぼくとしょ」。 る・ひまわり企画・制作の朗読劇で、メインの読み手1人とサポート2人の計3人で1つの物語を朗読するスタイル、出演者を「国語の先生」、観客を「生徒」、公演を「授業」としているそうです。
 
一昨年から今年にかけ、東京や大阪で3種類の公演が行われ、そのうち初演の「僕等の図書室~みんなで読書会~」と、2度目の公演「僕等の図書室2~みんなで読書会~」で、「智恵子抄」が扱われています。
 
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その「智恵子抄」を含めた3本を、映像で上映、ということです。
 
こういうイベントを通し、若い世代にも光太郎智恵子の世界を広く知ってもらいたいものです。
 
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月26日
 
昭和25年(1950)の今日、書家の太田孝太郎に、詩稿「金田一国士頌」を発送しました。
 
金田一国士(くにお)は、岩手軽便鉄道や花巻温泉を001興した実業家。昭和15年(1940)に亡くなっています。その功績をたたえる石碑を花巻温泉に建てることになり、頌詩制作の依頼が光太郎にありました。それに応え、光太郎は以下の詩を作りました。
 
   金田一国士頌
 
 歳月人を洗ひ
 人ほろびざるは大なるかな
 人事茫々
 ただ遠く後人に貽(のこ)すところのもの
 その人を語る
 開発の雄
 今は亡き彼を懐ふこと多事
 
この詩は書家の太田孝太郎により揮毫、碑はこの年の秋に、花巻温泉で除幕されました。
 
生前に建てられた、数少ない光太郎詩碑の一つです。
 
ちなみに、同じ花巻の「ぎんどろ公園」にある、同じ年に建てられた賢治の「早春」詩碑と、同じ石材から切り出されたのではないか、という説があります。詳細はこちら

賢治と光太郎、花巻を代表する2人の碑が「双子」だというのも、面白いですね。

九州は福岡からの情報です。

吉村春香書作品展

会 期 : 2014年7月22日(火)~7月27日(日)

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時 間 : 11時~19時

会 場 : ギャラリーおいし 福岡市中央区天神2-9-212

 

刻字を中心とした書作品。文字が持つ意味や力強さ、造形の面白さを表現することを目標としている、吉村春香氏の作品約10点。

 

(右) 高村光太郎の詩  【激動するもの】

 

 

いわゆる書家の方々が、光太郎の文筆作品を作品にされるケースがけっこうあります。

 

光太郎自身も実作としての書もよくしましたし、「書について」(昭和14年=1939)など、当時としては画期的な書道芸術論も展開しています。

 

当方、稀代の悪筆なもので、しっかりと書のできる方はうらやましいかぎりです。

 

【今日は何の日・光太郎 補遺】 7月25日

 

平成7年(1995)の今日、新潮社から『光太郎と智恵子』が刊行されました。

 
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アート系の叢書、「とんぼの本」の一冊です。

 

北川太一先生による光太郎評伝、光太郎の甥にあたられる写真家・高村規氏のフォトエッセイ「伯父・光太郎の足跡を追って」、作家・津村節子氏のエッセイ「光太郎に捧げられた紙絵」、詩人の故・藤島宇内氏による「
十和田湖畔の裸婦像」から成ります。

 

高村規氏によるパリの写真など、図版が非常に豊富です。

福岡からイベント情報です。 気がつくのが遅れ、もう始まってしまっています。 

野田宇太郎文学資料館企画展 耽美主義文学運動「パンの会」―不可思議国の建設

会 期
 平成26年2月8日(土)~ 4月20日(日)
 前期:2月8日(土) ~ 3月9日(日) 
 ※展示入替のため3月10日(月)~3月11日(火)は休館
 後期:3月12日(水)~ 4月20日(日)
 
会 場  
 野田宇太郎文学資料館(福岡県小郡市大板井136番地1)
 
申込・問い合わせ先
 野田宇太郎文学資料館 TEL:0942-72-7477
 
概 要
 小都市松崎出身の詩人で編集者・近代文学研究者の野田宇太郎がまとめた、文学と美術の交流による芸術至上主義の運動「パンの会」。企画展では、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、石井柏事、山本鼎などの文学者と画家を中心に盛り上がった耽美主義運動の青春のきらめきを、作品と写真パネルで招介します。
 
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明治41年(1908)から45年(1912)にかけ、浅草周辺で開催された新興芸術運動「パンの会」。光太郎も欧米留学からの帰国(明治42年=1909)と001同時に、その狂躁に巻き込まれ、後には発起人にも名を連ね、数々のエピソードを残しています。
 
福岡小郡出身の詩人・野田宇太郎は、文学史研究の分野でも大きな足跡を残し、雑誌『文学散歩』を主宰したり、「パンの会」当時の研究をしたりもしています。昭和24年(1949)には『パンの会』という書籍を刊行、同26年(1951)には改訂増補版として『日本耽美派の誕生』を上梓しました。
 
この企画展では、野田の研究を元に、「パンの会」に関わる様々な資料が展示されているようです。
 
チラシによれば、「パンの会」の母胎となった雑誌『方寸』や『スバル』、『三田文学』、メンバーの作品ということで、石川啄木の第一詩集『あこがれ』、北原白秋の『東京景物詩及其他』、木下杢太郎の『食後の唄』、谷崎潤一郎の『青春物語』、石井柏亭の『東京十二景 浅草』など。チラシの表に使われているのは木村荘八画「パンの会」です。ただしこちらは昭和3年(1928)の作。荘八自身は「パンの会」当時まだ十代で、参加していません。兄の荘太(吉原の娼妓・若太夫をめぐって光太郎と決闘騒ぎを起こしました)に聴いた様子から描かれたものです。
 
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そして光太郎から野田に宛てた葉書も展示されているようです。
 
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野田の『パンの会』受贈に対する礼状で、これも以前に同館から情報ご提供をいただき、当方編集の「光太郎遺珠」に掲載させていただきました。やはり味のある文字ですね。
 
ぜひ足をお運びください。
 
【今日は何の日・光太郎 補遺】 2月26日

昭和43年(1968)の今日、大阪梅田コマスタジアムでの舞台公演「名作劇場第三作 智恵子抄」が千秋楽を迎えました。
 
北条秀司脚本、光太郎役は高島忠夫さん、智恵子役には藤純子(現・富司純子)さんでした。
 
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アクセス数5,000件を突破しました。ありがとうございます。
 
福岡から帰ってきました。今回の福岡行きは、玄海椿さんの一人芝居「智恵子抄」が目的でした。
 
玄海さんは、劇団ひまわり福岡アクターズスクールの講師を務めるかたわら、ご自身で「椿演劇塾」を主宰、後進の育成にも力を入れられています。もちろんご自身の舞台も。九州を拠点に「舞台人生37年」だそうで、平成12年に独立、ご自分で脚本を書いた一人芝居が約20本。「智恵子抄」はそのうちの一つだそうです。
 
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今回の公演は「グラン・ジュテ」と銘打ったツアーの2日目。これは玄海さんのお嬢さんの平田愛咲(あずさ)さんとのジョイントです。
 
愛咲さんはミュージカル女優という分類になるのでしょうか。東京の東宝ミュージカルアカデミーのご出身で、本年、ハンガリーで行われた「第1回シルヴェスター・リーヴァイ国際ミュージカル歌唱コンクール」でグランプリを獲得された他、はいだしょうこさんとのWキャストで松平健さん主演のミュージカル「王様と私」などにご出演なさっています。

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愛咲さんのステージは、そういうわけでミュージカルの劇中歌が中心。それだけでなく、お仲間の堀江慎也さんをゲストに、デュエットやタップダンスなども織り交ぜたステージでした。
 
「グラン・ジュテ」としては、今月7日の福岡ふくふくホールを皮切りに、昨日の福岡ロックハリウッドビル・Eternity(ダイニングバーです)、今日は大分、さらに長崎、東京、また福岡、そして熊本と続くとのことです。
 
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玄海さんの部は、20作品あるというレパートリーの中からいろいろやられるそうで、「智恵子抄」は7日と昨日だけだそうです。他には「坂本龍馬が愛した女」「唐人お吉」などなど。
 
玄海さん演じる智恵子。光太郎と知り合った頃から、結婚、その後の貧窮生活、絵画への絶望、実家の破産を経て、夢幻界を彷徨う姿、そしてその終焉までを情念たっぷりに表現されていました。ほんとに「情念」という言葉がぴったりで、「女はコワい」と思いました。細かなエピソードなどもよく調べられていて感心させられましたし、智恵子の魂の叫びは「さもありなん」という感じでした。それでも光太郎智恵子をおとしめるものではなく、そうならざるをえなかった二人、といった点はしっかりと踏まえられていたように思います。
 
終演後、お弟子さん達と一緒に、会場のEternityさんでの打ち上げに参加させていただきました。皆さん、心から演劇を愛されている方ばかりでした。連翹忌にもお誘いしましたし、機会があれば東京や東北でも「智恵子抄」を演じてみたいそうです。自分の所のイベントで呼んでみよう、という方がいらっしゃいましたらお声がけ下さい。仲介いたします。
 
いつも書いていますが、こういう分野でも光太郎智恵子をどんどん扱っていただくのはありがたいことです。また、劇団ひまわりさんで使っている子供達のテキストに「あどけない話」が昔からずっと載っているとのこと。これもありがたいことです。明治大正昭和の初めに、峻烈な「生」の試みに挑んだ光太郎智恵子の世界、いつまでも語り継がれてほしいものですから。

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今朝、成田を飛び立ち、九州は福岡、博多区中洲に来ています。

玄海椿さんという、こちらを拠点に演劇をなさっている方の一人芝居「智恵子抄」を見て参りました。

詳しくは帰ってからレポートいたします。

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