染井霊園 東京都豊島区駒込5丁目(慈眼寺を含む)
雑司ヶ谷霊園 東京都豊島区南池袋4丁目
青山霊園 東京都港区南青山2丁目
来たる3月22日(土)春のお彼岸に、歴史ある都心の霊園(雑司ヶ谷、谷中、染井、青山)に眠る偉人を、貸切りバスで巡礼する旅を初めて近畿日本ツーリストさんと企画しました。いつもは世界墓マイラー同盟の主催でひとつの霊園を巡っていますが、今回はバスの機動力を生かして、4つの霊園で近代史に名を残した偉人のお墓を訪れ、墓前で故人の生涯や功績、人物の魅力について熱く語ります。
染井霊園さんで光太郎の名を真っ先に上げて下さいました。ありがたし。
正確には光太郎のみの墓ではなく、髙村家としての累代の墓。光太郎の母・わか(通称・とよ)が大正14年(1925)に大腸カタルで亡くなったのを機に浅草の寺院から移されました。幕末に亡くなった光太郎の曽祖父母に始まり、光太郎祖父母、光太郎の父・光雲と母・わか、独身のまま歿した光太郎のきょうだい、光太郎智恵子夫妻、そして長男光太郎に代わって髙村家を継いだ豊周(三男)の家系へと続き、平成26年(2014)に逝去された規氏までが眠っています。
近ツリさんが入ってのバスツアーということですし、その道のプロの方がガイドして下さるということで、個人で廻られるよりはるかに楽ですね。
ご興味おありの方、ぜひどうぞ。
【折々のことば・光太郎】
「茴香」は「ういきょう」、ハーブですね。
福田ハレはホームスパン作家。及川全三の弟子にあたり、光太郎一張羅の猟人服は、福田が織った生地を使って作られています。智恵子遺品の、イギリスの染織工芸家エセル・メレ作のホームスパン毛布に関し、貴重な回想も残しています。