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もう1日、愛知ネタで書かせていただきます。
 
愛知碧南を訪れるのは先週末で3度目でした。以前の2回は日帰りで、目的地の藤井達吉現代美術館以外は立ち寄りませんでした。しかし先週末は、併せて小牧市のメナード美術館の「開館25周年記念 コレクション名作展Ⅴ」にも行くので、1泊2日の日程を組みました。日帰りでも不可能ではなかったのですが、途中で電車の遅延等が発生すると困りますし、時間を気にしながら慌ただしく鑑賞するのはよくないと思ったからです。
 
それがやはり正解でした。特に2日目の午前中に歩いた碧南の街並みが非常にいい感じでした。太平洋戦争中に空襲の被害を受けなかったということで、古い街並みがよく残っているのです。その点、当方の暮らす千葉県香取市佐原地区とよく似ており、親近感を抱きました。
 
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カメラ好きの方などには非常におすすめです。
 
ただ、惜しむらくはせっかくのこうした街並みが活用されていないと感じること。ほとんどが現役の住居なので、なかなか内部を公開するというのは難しいのかも知れませんが、中を見られるところが少ないのです。それでも藤井達吉現代美術館のすぐ近くにある清澤満之記念館内の清澤旧宅や九重みりん時代館などは中に入れます。
 
それから電線。こうした街並みを活かそうと考えるなら、地中に埋設すべきですね。
 
手前味噌になりますが、当方の暮らす千葉県香取市佐原地区は、元々が商都だったこともあり、古い街並みの商家がそのまま営業していたり(創業数百年前という店も珍しくありません)、しもた屋もリフォームされてカフェやレストランになったりしていますし、電線の埋設も進んでいます。
 
ただ、逆にそれをやり過ぎると生活臭が薄れ、かえって人工的なテーマパークのようになってしまうので(F県A郡のO宿やS県K市の蔵作りの街並み、G県T市の街並みとG造りの集落などはそういう感じがします。申し訳ありませんが)、そういう意味では碧南の街並みは自然体でいい感じです。特に表通りから入った路地裏の感じは、今にも光太郎智恵子が街角からひょっと現れそうな雰囲気です。
 
「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」と併せ、碧南の街並みもぜひご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月26日

昭和28年(1953)の今日、花巻郊外太田村山口でブリヂストン美術館制作の美術映画「高村光太郎」のロケに参加しました。
 
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十和田湖畔の裸婦像の除幕式に参加したのが前月。その後、また東京中野のアトリエに戻りましたが、11月に一時的に花巻郊外太田村山口の小屋に帰っています。そして60年前の今日、太田村でのロケが行われました。
左上は山小屋の囲炉裏端、右上は山小屋近くの道、左下は「馬面電車」と言われた花巻電鉄の内部、右下は山小屋近くの民家の軒先です。
 
光太郎本人には、裸婦像完成後はまた太田村で暮らすつもりもあり、住民票も残していたのですが、健康状態がそれを許さず、結局は中野のアトリエに戻り、そこで終焉を迎えることとなります。

一昨日、愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館に行って参りました。「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」、碧南展は3回目の訪問です。ちなみに千葉展は3回、岡山展も1回行きましたので、つごう7回目でした。
 
一昨日は最後の大きな関連行事として、神奈川県立近代美術館館長の水沢勉氏による記念講演「高村光太郎 造型に宿る生命の極性」がありました。
 
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彫刻を中心に、光太郎の造形作品を取り上げ、その背景や意義などをわかりやすく解説され、非常に興味深く拝聴しました。単に即物的な彫刻の解説にとどまらず、人間・光太郎の道程を下敷きにし、さらに光太郎絵画と智恵子絵画の比較といった点まで踏み込まれ、ある意味目から鱗でした。光太郎の絵画はやはり彫刻家としてのそれで、対象の扱い方も彫刻家的、それにひきかえ智恵子の方がもっと自由に捉えており、もっと智恵子の造型にスポットがあたってもいいのではないか、など。
 
智恵子の油絵で現存するものは三点しか確認されていませんが、その他の造型作品として、デッサンが2点、雑誌の口絵として油絵をカラー印刷したものが2点、やはり雑誌のカット(ペン画?)や、今回も展示されている紙絵などが残されています。また、手芸作品なども。
 
来年は光太郎智恵子結婚100年(ついでにいうなら詩集『道程』出版100年)。美術館、文学館関係の方、こうした企画展示を計画されてはいかがでしょうか。
 
さて、「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」。6月に千葉市美術館で始まり、岡山井原市の田中美術館を経て、現在は最後の碧南市藤井達吉現代美術館ですが、碧南展も折り返しを過ぎました。いよいよ大詰めです。
 
折り返しを過ぎたところで入場者6,000名を超えたとのこと。後半はさらに伸びて欲しいものです。リピーターが多いそうで、ありがたいかぎりですが、まだの方にもぜひご覧いただきたく存じます。
 
下記は『岐阜新聞』さんのサイトから。
 
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さらにこちらは東海地区で載った『朝日新聞』さんの全面広告です。
 
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会期は12/15(日)まで。いよいよ大詰めです。本当に1人でも多くの方に観ていただきたいと思っています。よろしくお願いいたします。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月25日007

昭和22年(1947)の今日、戦後の詩2篇を補い、白玉書房から詩集『智恵子抄』を再刊しました。
 
オリジナルの『智恵子抄』は、昭和16年(1941)に龍星閣から刊行され、戦時にも関わらず13刷まで版を重ねましたが、やはり戦争の影響で龍星閣が休業、昭和26年(1951)に同じ龍星閣が復元版を出版しますが、その間、白玉書房版が刊行されていました。昭和25年(1950)の第5刷まで確認できています。
 
補われたのは「松庵寺」(昭和20年=1945)、「報告」(同21年=1946)の2篇でした。どちらも智恵子の命日(10月5日)に書かれたものです。
 
ただ、白玉書房の鎌田敬止は、元の版元である龍星閣の澤田伊四郎と十分に連絡を取っていなかったようで、この出版には若干のトラブルが生じました。

一昨日になりますが、愛知県小牧市のメナード美術館さんに行って参りました。
 
現在、同館では「開館25周年記念 コレクション名作展Ⅴ 近代日本洋画」を開催中です。
 
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「近代日本洋画」といいつつ、彫刻や海外作家の作品も展示されています。チラシの表に印刷されていますが、光太郎の木彫「鯰」、そして「栄螺」も。下記画像は同館発行のポストカードです。
 
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同じく現在愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館で開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」に、この2点も並べさせて欲しかったのですが、メナードさんの「開館25周年記念 コレクション名作展」の目玉の一つとしたい、という意向でかないませんでした。まあ、仕方がないでしょう。
 
で、一昨日はこちらを観て参りました。当方、これを目にするのは10年ぶりでした。他の光太郎木彫にしてもそうですが、面の取り方、刀痕の冴えなど、舌を巻くような技術です。その技法がいやらしく目に付くことがなく、出来上がったものは実物以上に実物に見えます。
 
光太郎以外の出品物。下記が出品目録ですが、錚々たるメンバーの作品が並び、光太郎と交流のあった作家も多く、興味深く拝見しました。
 
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同展は12/23(月・祝)まで。
 
さて、同館を後にし、少し小牧市内を散策しました。館への道々、あちこちにのぼりが立っており、「小牧山城築城450年」とのことでした。織田信長が築き、後に徳川家康が小牧・長久手の戦で布陣した城ですね。行ってみました。
 
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うっかり写真を取り忘れましたが、なかなかの眺望でした。
 
その後、刈谷市で一泊、昨日は碧南に参りました。そのあたりは、また明日。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月24日

大正6年(1917)の今日、雑誌『週』に散文「巨匠ロダン翁」を発表しました。

18日に亡くなったロダンの追悼談話です。

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昨日から一泊で愛知でした。只今、帰りの新幹線車中です。

昨日は小牧市のメナード美術館さんに行って参りました。現在開催中の所蔵品展「近代日本洋画 時代を代表する巨匠たち」に、同館所蔵の光太郎木彫「栄螺」と「鯰」が展示されているためです。

そして今日は碧南の藤井達吉現代美術館さんへ。「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事として、神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏の講演がありました。

なかなか有意義な二日間でした。詳しくは帰ってからレポートします。

【今日は何の日・光太郎】 11月23日

昭和11年(1936年)の今日、花巻羅須地人協会跡地に、光太郎揮毫になる宮澤賢治「雨ニモマケズ」詩碑が除幕されました。

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東海道新幹線のぞみ号車中にて書いております。真上の画像は名古屋駅で見た黄色い新幹線。正体はドクターイエロー」という保守点検用の車両で、あまりお目にかかれないものだそうです。たしかに当方、初めて見ました。「見ると幸せになれる」という都市伝説があるそうで、ラッキーでした。そこで、おすそ分けします(笑)。

今日は愛知碧南の藤井達吉現代美術館に行って参りました。現在開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事として、同館学芸員の土生和彦氏による講演「木彫家・高村光太郎」を聴くためです。

土生氏、碧南の前に巡回だった岡山井原の田中美術館でも講演をされたのですが、それを聴き逃したので、今日、参上した次第です。

スクリーンに画像を映しつつ、碧南市が野外彫刻による町作りに力を入れていることに始まり、藤井達吉の紹介、光太郎との関わり、そして主に光太郎の木彫について、専門的な内容を実に分かりやすく語られました。

聴衆は地元の一般の方が大半だったと思いますが、十分にご理解頂けたのではないでしょうか。

おそらく搬入などの際に撮影されたらしい画像、手板の裏面など、めったに見られぬカットもありました。

企画展会期は来月15日迄。来週は神奈川県立近代美術館長・水沢勉氏の講演もあります。ぜひ足をお運び下さい。

【今日は何の日・光太郎】 11月16日

昭和61年(1986)の今日、二本松歴史資料館で開催された「光太郎・智恵子の世界―その愛と美の生涯―」展が閉幕しました。

もう1日、愛知碧南でのネタを書かせていただきます。
 
先日、藤井達吉現代美術館での「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展開会式・内覧会での出来事です。当方、まず正面玄関でなく地下1階の裏口的な所から入り、地階で木本文平館長や来賓の方々とお話をさせていただいてから、1階の開会式会場へ参りました。
 
すると、横切った正面玄関前に、ほぼ等身大のブロンズ彫刻がありました。光太郎像です。「こんなところにこんなものが」と驚きました。
 
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012光太郎展会場ですから光太郎像があってもおかしくはないのですが、今までに見たことのない光太郎像で驚いたわけです。ただ、その時は人が多く、また開会式が間もなく始まるのとで、近くでじっくり見られませんでした。
 
さて、内覧会後、問題の像に近寄ってよく見てみました。すると、光太郎像と思ったのは当方の早とちりで、藤井達吉の像でした。
 
左は晩年の光太郎の写真ですが、よく似ていると思いませんか。
 
禿頭、丸眼鏡、和服にちゃんちゃんこ……。ただし藤井像、よく見ると見事な髭があり、そこは違っていました。
 
同時代の交流があった芸術家同士、やはり似てくるものなのだな、と思いました。
 
「やはり」というのは理由があります。
 
やはり光太郎と同時代の歌人・斎藤茂吉と光太郎もその晩年の風貌が似ている、と、これは比較的よく言われることです。
 
下の画像は昭和21年(1946)2月の『週刊朝日』の記事です。「雪にもめげず 疎開の両翁を東北に訪ふ」という題での、山形に疎開していた茂吉と、花巻郊外太田村の光太郎の訪問記です。
 
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右の方に双方を拡大してみましたが、いかがでしょう。似ていますよね。上が茂吉、下が光太郎です。
 
話は変わりますが、開会式での木本館長のご挨拶の中で、光太郎が稀代の雨男である旨のお話がありました。
 
そのとおりで、光太郎はその生前、人生の節目節目に必ずといっていいほど雨、もしくは雪に見舞われています。
 
欧米留学に旅立った明治39年(1906)2月3日・雪。智恵子との結婚披露宴の大正3年(1914)12月22日・真冬にも関わらず土砂降り。十和田湖畔の裸婦像除幕式の昭和28年(1953)10月21日・雨。その終焉の日の昭和31年(1956)4月2日・春の大雪……数え上げればきりがありません。高村家でもそれは有名で、光太郎が何かやるときには雨や雪が降るので、「お印が来た」と言っていたそうです。
 
光太郎歿後もそれが続き、4月2日の連翹忌は雨が多いことで有名です。実際、昨年も今年も雨でした。その他、当方が光太郎顕彰に本格的に取り組んだ昨年から、光太郎がらみで遠出すると、本当に必ずといっていいほど雨か雪です。
 
開会式での木本館長のお話。今年の連翹忌が雨、碧南の前の巡回先だった岡山井原の田中美術館での開会式が雨、館長が再び井原に出向いての「日曜美術館」ロケの日も雨、ところが碧南での今日の開会式は晴れ。館長は晴れ男だそうで、「私が勝ちました」とおっしゃっていました。実際その日は朝からいい天気でした。
 
ところが内覧会が終わって、先の藤井達吉像を見ていると、館長が笑いながら近づいてきて、「やられました」。何事かと思ったら、外は雨。これには驚きました。天気予報では降水確率10パーセントぐらいっだったはず。光太郎、意地を見せました(笑)。
 
さて、明日は二本松の大山忠作美術館で開催中の「五星山」展での記念イベント、有馬稲子さんと一色采子さんのトークショーに行って参ります。
 
天気はどうなることやら……。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月3日

明治32年(1899)の今日、光太郎をかわいがってくれた祖父・兼吉が歿しました。
 
光太郎の彫刻作品に、祖父・兼吉のレリーフがあります。「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展にも並んでいます。

昨日から愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館において、「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展が開幕しました。
 
ところで館の名前に冠されている「藤井達吉」とは? 今日はそのあたりを書いてみます。
 
一言で言うなら、明治・大正・昭和三代に活躍した工芸家、ということになるでしょうか。
 
生まれは明治14年(1881)、現在の碧南市です。光太郎より2歳年上になります。
 
専門の美術教育は受けておらず、17歳で七宝工芸の店に入ります。折からの博覧会ブームで、明治36年(1903)には内国勧業博覧会、翌年にはセントルイス万国博覧会に出品。そうした中で新しい美術工芸への目を開かれ、店を辞め、作家として立つ道を選びました。
 
明治44年(1911)には、光太郎が経営していた日本初の画廊・琅玕洞に藤井の作品が並んでいます。琅玕洞の名目上の経営者は、光太郎の次弟・道利で、主にその道利の手になる琅玕洞の出納帳的なものが残っています(『高村光太郎全集』別巻に掲載)。そこには藤井作の「土瓶」「茶碗」「湯呑」「茶道具」などが記録されています。
 
さらに藤井は大正元年(1912)に結成されたヒユウザン会(のちフユウザン会)に加わっています。光太郎は同会の中心メンバーの一人でした。
 
実は、光太郎本人と藤井とのつながりはこの辺りまでしかたどれません。『高村光太郎全集』で藤井の名が出てくるのは先の琅玕洞文書だけなのです。光太郎から藤井宛の書簡なども確認できていません。ただ、今後、出てくる可能性がありますので、期待したいところです。
 
ただし、藤井はその後、光太郎の三弟で、鋳金家の豊周と密な関係になります。藤井も豊周も、工芸界の革新運動に取り組み、装飾美術家協会、无型(むけい)などの団体で歩を同じくしています。
 
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写真は昭和2年(1927)の无型第一回展同人。後列中央が藤井、前列左端が豊周です。
 
昭和43年(1968)に刊行された豊周の『自画像』、平成4年(1992)から刊行が始まった『高村豊周文集』(全五巻)には、藤井の名があちこちに出てきます。以下、『自画像』から。
 
富本憲吉のほかに、新興工芸の啓蒙期に忘れられない恩人は藤井達吉と津田青楓である。
(略)
藤井達吉も、伝統やしきたりに拘泥しないで、自由に材料を使って自分の作りたいものを作った。確か三笠という美術店で藤井達吉の個展を見たが、壁掛けに大変打たれた。それまで壁掛けというと、みんなエレガントな貴族趣味のものばかりだったが、藤井達吉の壁掛けは全く庶民的で、生地には普通の木綿やビロードやコールテンなどの端切れを、はぎ合わせたものが無造作に使われている。壁掛けのアップリケに竹の皮が使われているのを見て、私はあっと思った。模様も実に自由で、蝶々とか、とんぼとか、いろいろな野の草を表現し、今まで人が振り返りもしなかった題材や材料を使って、非常に新鮮な面白い効果をあげている。
(略)
藤井達吉のものは、ヨーロッパの影響はまず考えられない。彼は非常に多才な人で、染織も、刺繍も、木彫も、七宝もやった。木彫も全然今までの木彫のやり方に拘泥しないで、まったく自分の感じ方だけでやっている。新しい生命を吹き込むというか、作られたものは何も彼も生き生きとしていた。この人たちは、ようやく胎動期に入った新興工芸の先駆者とも恩人ともいうべきで、私たちばかりでなく、当時新しい工芸の行き方に煩悶していた若い工芸家に大きな影響を与えたといえよう。
 
今年の6月、京都国立近代美術館で開催された企画展「芝川照吉コレクション展~青木繁・岸田劉生らを支えたコレクター」を観て参りました。光太郎の水彩画が並んでいるというので行ったのですが、思いがけず藤井の作品もずらっと出ていました。当方、藤井の作品をちゃんと見るのはこの時が初めてでしたが、そのバリエーションの豊かさに驚きました。同展図録から画像を拝借します。
 
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いかがでしょうか。
 
さて、「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展、碧南市藤井達吉現代美術館で開催中ですが、四室中の一室のみ、常設展ということで藤井の作品も見られます(なんだか庇を借りて母屋を乗っ取っているようで心苦しいのですが)。併せてご覧下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月2日

昭和45年(1970)の今日、TBS系テレビで「花王愛の劇場 智恵子抄」の放映が始まりました。
 
光太郎役は故・木村功さん、智恵子役は佐藤オリエさんでした。佐藤さんは光太郎を敬愛していた彫刻家・佐藤忠良のお嬢さんです。
 
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放映は月から金の13:00~13:30。この年大晦日が最終回だったそうです。
 
主題歌は西尾和子さんで「智恵子抄」。昭和39年(1964)の二代目コロムビア・ローズさんのカバーです。
 
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「流行歌」とか「テレビ映画」という語に昭和の薫りが色濃く漂っています(笑)。

今日から「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」、最後の巡回先である愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館さんで一般公開が始まります。
 
昨日は開会式・内覧会ということで、お邪魔して参りました。

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ここに行くのは初めてでした。名古屋から東海道本線、名鉄線を乗り継ぎ、碧南駅から館まで歩きました。意外と駅から近く助かりましたし、古民家等が残る街並みがいい感じでした。館のすぐ近くには歴史のある味醂工場などもあるようで、再訪の際には街並み探訪もしてみようと思いました。
 
着くと、担当学芸員の土生和彦氏が出迎えて下さいました。館長室にて木本文平館長、それから6月から8月、同展が最初に公開された千葉市美術館の河合正朝館長もいらしていて、お話を伺いました。千葉展は結局2万人近くの方がいらしたそうでしたし、2館目の岡山井原市立田中美術館も、「日曜美術館」の放映後に入館者数が跳ね上がり、1万人以上とのこと。藤井達吉現代美術館も問い合わせ等非常に多いそうです。ありがたいかぎりです。
 
午後3時半から開会式。木本館長のごあいさつや来賓祝辞、担当学芸員の紹介などがあり、テープカットも行われました。
 
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その後、2階の会場へ。3館目ともなると、どのような展示の工夫をしているのかと、そちらがまず気になりました。
 
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入り口には巨大なパネル。今回はポスター、チラシ等、木彫の「柘榴」をメインに使っています。昨日もいらしていましたが、株式会社アーティカルの小島邦康氏の力作です。
 
会場は3室に分かれており、1室目はブロンズ彫刻が中心。光太郎以外にもロダンや荻原守衛など周辺作家の作品もあって、比較ができます。
 
2室目の前半は木彫が中心。鏡を使って「蟬」の腹部が見えるようにしてあったり、木彫を包んでいた袱紗や布を一緒に展示したりという工夫がされていました。ブロンズ同様、同時代の光雲や佐藤朝山の作品も並んでいます。2室目後半は光太郎晩年にスポットを当て、十和田湖畔の裸婦像試作などが中心でした。
 
1階の3室目は智恵子紙絵が26点並ん014でいます。面白いなと思ったのは、通常、壁に垂直に掛ける智恵子の紙絵を、展示ケースを使って床と水平に置き、いろいろな角度から観られる点。22点は壁に垂直の展示ですが、4点だけこのように展示しています。紙絵なので2次元の作品と思われがちですが、厚さコンマ何㍉ながら紙の重なりが感じられる展示方法でした。
 
また、同館は美術普及教育的な部分にも力を入れているそうで、子供向けの工夫も随所にされていて感心しました。入り口には「キッズガイド」というA4判二つ折りの冊子があり、それと対応して、いくつかの展示作品の低い位置に子供向けのキャプションが設置されています。小さい頃からいいものを観ることは大切だと思います。
 
さらに4室目として常設展。館の名前に冠されている藤井達吉の作品が展示されています。藤井は光太郎と縁の深かった工芸家。藤井については明日のこのブログで詳しく書きます。
 
会期は12月15日まで。月曜休館ですが、基本的に午後6時まで開館しています。何度も書いていますが、この機会を逃すと、これだけの光太郎彫刻が集められる機会がまたいつあるかわかりません。ぜひ足をお運び下さい。
 
【今日は何の日・光太郎】 11月1日

大正10年(1921)の今日、雑誌『明星』が復刊。光太郎は詩「雨にうたるるカテドラル」を寄稿しました。
 
「雨にうたるるカテドラル」は、パリ留学中に訪れたノートルダム寺院をモチーフにした長い詩(93行)です。壮大なゴシック建築、そこに刻まれた数々の歴史、それをとりまくイル・ド・フランスの空気、さらにそれと対峙する自己の姿を鮮やかに描き出しています。
 
光太郎は粘土で彫刻を作り、木で彫刻を作り、そしてこの詩のように言葉で彫刻を作ったとも言われています。

6月に千葉市美術館さんを皮切りに始まった「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展。8月には岡山井原市の田中美術館さんに巡回、先週日曜日に閉幕しました。
 
そしていよいよ今週金曜日、最後の巡回先である愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館さんで開幕します。
 
さて、同じ愛知県の小牧市にあるメナード美術館さんでは、「開館25周年記念 コレクション名作展Ⅴ 近代日本洋画」が開催中です。
 
同館は常設展示は行わず、企画展のみ。時々このように館蔵名作展的なものを行っています。
 
「近代日本洋画」とタイトルにありますが、彫刻や西洋の絵画も展示されています。その彫刻作品の中に、光太郎の木彫「栄螺(さざえ)」と「鯰」があります。
 
栄螺」は永らく行方不明で、もはや失われてしまったとまで思われていたのが、平成15年に70余年を経て所在が明らかになったものです。

 
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「鯰」は現在3点の現存が確認されています。メナードのものは我々の世界では分類整理上「鯰3」とナンバリングしています。「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展では、千葉で「鯰2」、井原で「鯰1」と「鯰2」が展示されました。今度の碧南では「鯰1」のみ展示されます。それに対しての「鯰3」です。
 
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「鯰1」は個人蔵。「鯰2」は竹橋の東京国立近代美術館所蔵。そして「鯰3」がメナード美術館蔵というわけです。
「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展で、ぜひとも3尾の「鯰」を一堂に会させたかったのですが、こればかりは所蔵者の方々の都合もあり、どうしようもありません。
 
というわけで、碧南の「生誕130年 彫刻家高村光太郎」展、メナードの「開館25周年記念 コレクション名作展Ⅴ 近代日本洋画」、併せてご覧下さい。ただ、同じ愛知県内ですが碧南~小牧は2時間近くかかるようです。
 
ちなみに「開館25周年記念 コレクション名作展Ⅴ 近代日本洋画」、日本洋画は岸田劉生、藤田嗣治、藤島武二、小出楢重、梅原龍三郎、熊谷守一、長谷川利行、佐伯佑三……まだまだメジャーな名前が続きます。西洋の作品もセザンヌ、モネ、ゴッホ、ピカソ、マチス、シャガール、ヴァン・ドンゲン、ルオー、ブラマンク……。彫刻の部も光太郎以外に高田博厚、佐藤忠良、舟越保武(すべて光太郎に関わる彫刻家です)。
 
会期は12/23までです
 
【今日は何の日・光太郎】 10月29日

昭和9年(1934)の今日、編者として名を連ね、装幀や題字を担当した文圃堂版『宮沢賢治全集』の刊行が開始されました。
 
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編集実務は草野心平。毎日のようにこのブログに心平の名が出てきますが、それだけ光太郎との縁が深かったということですね。

名古屋在住の作曲家で、光太郎の詩を使った歌曲を作られている野村朗氏からご案内をいただきました。
 
11/1開幕で、先にご紹介した愛知碧南市藤井達吉現代美術館での「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」の関連行事としてのコンサート以外に、下記のコンサートで光太郎の詩に作曲した歌曲が披露されるとのことです。 

名古屋音楽大学同窓会演奏会  第6回”響きあう仲間たち”

日 時 : 2013年10月30日(水) 午後6:30~
会 場 : 電気文化会館ザ・コンサートホール
料 金 : 1000円
問い合わせ:名古屋音楽大学同窓会事務局 052-411-1111
 
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以前からたびたび演奏されている「連作歌曲「智恵子抄」より」と、新作の「冬の言葉」が演奏されるそうです。
 
この演奏会を含め、名古屋音楽大学さんでは、10/29~11/4の1週間、同大学を中心に名古屋市内各所で「第1回めいおん音楽祭」を開催するとのこと。地方の小都市に住んでいる身にはうらやましい限りです。
 
話は変わりますが、「歌」つながりで。
 
明後日、10/19(土)にテレビのCS放送(有料)で、二代目コロムビア・ローズさんがご出演、昭和39年(1964)リリースの「智恵子抄」を歌われます。 

わが心の演歌 #37 長崎

2013年10月19日(土)  17時30分~18時00分 歌謡ポップスチャンネル(CS329)
 
♪蜩/長山洋子 ♪命火/キム・ヨンジャ ♪命かれても/森進一 ♪智恵子抄/二代目コロムビア・ローズ ♪絶唱/舟木一夫 ♪命くれない/瀬川瑛子
 

【今日は何の日・光太郎】 10月17日

昭和20年(1945)の今日、花巻郊外太田村山口・現花巻市太田)の山小屋での生活を始めました。
 
この山小屋は現在も「高村山荘」として二重の套屋(とうおく)がかぶせられ(イメージ的には中尊寺金色堂)、保存されています。基本的に内部には入れません。

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「山荘」というと何やらしゃれたイメージですが、元々は鉱山の飯場小屋だったのを譲り受け、村人の手を借りて移築したもの。屋根は杉皮、天井はなく、壁は粗壁。囲炉裏のまわりに畳三枚。もちろんガラス戸などはなく、障子です。3年以上電気もひいていませんでした。
 
冬にはメートル単位で雪が積もり、気温はマイナス10℃台、万年筆のインクも凍る寒さです。壁の隙間から寝ている布団の上にうっすらと雪が積もっていたというエピソードも伝わっています。

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 当方、初めてここを訪れたのは学生時代。3月下旬でしたが日陰にはまだ膝まで雪が残り、低温のためカメラが凍り、正常に作動しませんでした。
 
夏は夏で山の麓のため湿気がひどく、光太郎自身「水牢」と称していました。
 
熊は出るマムシは出る鼠も出る、当方、近くの森で全長10㌢ぐらいの巨大ナメクジに遭遇して絶叫しかけたこともあります。特に熊は今でも危険で、夏期は熊よけに森の中でラジオをガンガン鳴らしています。
 
老人の一人暮らしにはあまりにも過酷すぎる環境でした。それを支えていたのが村の皆さんとの心温まる交流です。その生活に思いをはせる時、涙が出そうになります。
 
ここでの暮らしが丸7年、十和田湖畔の裸婦像制作のため上京するまで続きます。裸婦像完成後にはまたここに戻るつもりで住民票はそのままにしてありました。しかし、健康状態がそれを許しませんでしたが……。
 
この山荘近くに今年、高村光太郎記念館がリニューアルオープンしています。以前は冬期閉鎖でしたが、今年から通年開館となります。ぜひ足をお運びの上、光太郎に思いをはせて下さい。ここを訪れることによって光太郎観が変わることうけあいです。
 
ただし花巻駅からの路線バスは廃線となっていますのでご注意を。

現在、岡山県井原市の田中美術館で開催中の「生誕130年 彫刻家高村光太郎展」。11月からは愛知県碧南市の藤井達吉現代美術館に巡回となります。
 
過日、同館よりチラシその他届きました。
 
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以下、同館サイトから。 

生誕130年 彫刻家高村光太郎展 

会期   平成25(2013)年 11月1日(金)から 平成25(2013)年 12月15日(日)まで
 
観覧時間
10:00-18:00 ※11月9日(土)は21時までの夜間特別開館
 
休館日
月曜日(ただし11月4日は開館し、翌11月5日は休館)
 
観覧料
一般700(560)円  高校・大学生500(400)円  小・中学生300(240)円 ※()は20名以上の団体
 
関連行事
 
■記念講演会① 
日 時 2013年11月16日(土) 午後2時~3時30分
講 師 土生 和彦 (当館学芸員)
内 容 「木彫家・高村光太郎」
場 所 大浜まちかどサロン(美術館向かい)
定 員 先着60名 (定員になり次第締切)

■ 記念講演会② 
日 時 2013年11月23日(土) 午後2時~3時30分
講 師 水沢 勉 氏 (神奈川県立近代美術館 館長)
内 容 「高村光太郎 造型に宿る生命の極性」
場 所 大浜まちかどサロン(美術館向かい)
定 員 先着60名 (定員になり次第締切)
 
■ ミュージアムコンサート 
日 時 2013年11月9日(土) 午後7時~8時
内 容 光太郎の詩の世界を歌曲で味わってみませんか。当日は展覧会場も午後9時までの夜間特別開館となります。
作 曲  野村 朗 氏
演 奏  森山 孝光 氏(バリトン) 森山 康子 氏(ピアノ)
定 員   100名 (定員になり次第締切)
曲 目  歌曲「冬の言葉」(詩:高村光太郎) 連作歌曲「智恵子抄」(詩:高村光太郎)
参加費 無料(展覧会場観覧には別途観覧料が必要です)
場 所 美術館1階 ロビー

■ワークショップ
日 時 2013年12月1日(日) 午前10時~午後4時
内 容 「塑像に挑戦!光太郎の手を作ろう」
彫刻家が作った「手」の作品は、本物以上に表情豊かで迫力があります。自分の手と一日じっくり向かい合い、粘土で手を作りましょう。
講 師 小島 雅生 氏(造形作家・東海学園大学 准教授) 
対 象 小学3年生~中学生
定 員 10名 (定員になり次第締切)
参加費 500円
持ち物 昼食、汚れてもよい服装
場 所 美術館地下1階 創作室

【講演会、コンサート、ワークショップ申込方法】  2013年10月22日(火)午前10時より受付を始めます。お電話にて、①氏名、②住所、③電話番号、④参加人数をお知らせください(先着順)。
tel 0566(48)6602
 
■ギャラリー・トーク
当館学芸員が展示作品の解説を行います(約30分)。
日 時 11月: 2日(土)、9日(土)、30日(土)  12月: 7日(土)、14日(土) 午後2時より
予約不要 観覧券をお持ちの上、美術館2階ロビーにお集まりください。
 
過日のNHKさんの「日曜美術館」の反響として、実物を見てみたい、というのを多く目にしました。この機会にぜひどうぞ。特に木彫の数々は、この機会を逃すと次はいつ見られるか分かりません。
 
ところで、岡山井原展の方も、今月20日まで開催中ですのでよろしく。

【今日は何の日・光太郎】 10月12日

明治33年(1900)の今日、与謝野鉄幹の新詩社刊行の雑誌『明星』に、初めて作品が載りました。
 
「大我小我」という欄に載った短歌五首です。
 
君が文よみつつをればそれとなくゆかしき人の息の香ぞする
君こよひ来べしとききて人知れずかきし障子の歌を消すかな
実の二つ成りし無花果(いちぢく)けさ見れば一つはあらで歌むすびあり
里とほく荒磯づたひさまよひて岩かげに泣く海人(あま)を見しかな
それゆゑに智恵を忘れんものならば筆も我折らむ書(ふみ)も我裂かむ
 
与謝野晶子の「みだれ髪」にも通じる、いかにも『明星』の星菫調ですね。ただし、光太郎初期のものは、鉄幹の添削がかなり入っているということで、後に光太郎自身、この時期のものは自分の作とは言い難いと発言しています。

6月29日(土)から千葉市美術館を皮切りに全国3つの美術館で開かれる企画展「彫刻家 高村光太郎展」。
 
2館めをとばして、3館めになる愛知県碧南市藤井達吉美術館で正式発表になりましたので御紹介します。 

生誕130年 彫刻家高村光太郎展

愛知県碧南市藤井達吉美術館    碧南市音羽町1丁目1
名古屋鉄道三河線碧南駅より徒歩6分
名古屋駅より JR東海道本線「刈谷」駅乗り換え、名鉄刈谷駅から三河線碧南行終点下車
名鉄名古屋本線「知立」駅乗り換え、名鉄三河線碧南行終点下車
 
企画協力 NHKプラネット中部
 
会期 2013年11/1(金)~12/15(日)
午前10時~午後6時

 
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ちなみにこちらの館長さんと学芸員の方には来週の連翹忌にご参加申し込みいただいております。
 
1館めの千葉市美術館が6/29(土)~8/18(日)。3館めの藤井達吉美術館が11/1(金)~12/15(日)。
 
2館めは西日本の美術館で、8/30(金)~10/20(日)の予定なのですが、まだ正式発表がありませんので、またのちほど。
 
【今日は何の日・光太郎】3月25日

昭和32年(1957)の今日、筑摩書房から『高村光太郎全集』の第一回配本「第一巻 詩一」が刊行されました。
 
『高村光太郎全集』はその後、翌33年(1958)に全18巻で一旦完結。昭和52年(1977)に修正第二刷が出、さらに平成6年(1994)~10年(1998)にかけて増補版全21巻+別巻一が刊行されました。
 
その後も見つかる光太郎文筆作品や全集の解題補遺、訂正は「光太郎遺珠」として現在も年刊刊行を続けております。

昨日は名古屋に行って参りました。
 
過日のブログで御紹介した作曲家・野村朗氏のリサイタルを聴きに、です。

 
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曲目は野村氏が光太郎の詩に作曲された「連作歌曲「智恵子抄」」がメインで、その他、やはり野村氏作曲による歌曲やピアノソナタ。歌曲は宮沢賢治や八木重吉などの詩も使われていました。演奏者の方々を含め、皆さん、名古屋音大の関係の方だそうです。
 
下記はパンフレットから自作解説。
 
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光太郎の詩にはいろいろな方が曲をつけて発表されています。それぞれに作曲者それぞれの解釈が表されていて、聴き較べるのも面白いものです。
 
今回、感心したのは「連作歌曲」というのがただのお題目でなく、全5曲に一本芯が通っていたことでした。単に光太郎の詩に曲をつけたものを並べているだけでなく、音楽的につながりをもった全5曲の構成となっていたのです(楽譜が拝見できればより詳しく指摘できるのですが……)。
 
ホールのロビーでは、光太郎の令甥、高村規氏ご提供の光太郎智恵子関連の写真パネルが展示されており、本番前後や休憩時間に聴衆が見入っていました。こういう工夫も必要ですね。
 
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5月には東京・日暮里でもリサイタルが開かれるそうです。追ってまた御紹介します。 
 
 
【今日は何の日・光太郎】3月10日
 
昭和58年(1983)の今日、「近代美術シリーズ」第16集の一つとして、光雲の「老猿」をデザインした60円切手が発行されました。

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名古屋在住の方から情報をいただきました。

TIAA全日本作曲家コンクール入賞記念 野村朗作品リサイタル 

期 日 : 平成25年3月9日(土) 
会 場 : 電気文化会館 ザ・コンサートホール 名古屋市中区栄2-2-5 地下鉄伏見駅下車
時 間 : 午後2時開場 午後2時30分開演
料 金 : 2,000円(全席自由) 
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野村氏は名古屋音楽短期大学作曲専攻卒。平成24年度東京国際芸術協会主催の第12回全日本作曲家コンクールの歌曲部門で入選、ということで、それを記念してのリサイタルだそうです。
 
その際の受賞作品が光太郎の詩に曲をつけた「千鳥と遊ぶ智恵子」。それを含む「連作歌曲「智恵子抄」」がプログラムのメインのようです。演奏者の皆さんも名古屋音大の卒業生だそうです。
 
興味のある方はどうぞ。
 
【今日は何の日・光太郎】2月20日

平成14年(2002)の今日、青山スパイラルホールで上演された智恵子を主人公とする、野田秀樹作、大竹しのぶ出演の一人芝居「売り言葉」が千秋楽を迎えました。

先日、近々行われる光太郎関係のイベントをご紹介しましたが、もう1件見つけました。

東海メールクワィヤー第55回定期演奏会 清水脩作品特集

期 日 : 2012年6月24日(日)
会 場 : 愛知県芸術劇場コンサートホール
時 間 : 13:30~
料 金 : 2,000円


「東海メールクワィヤー」さんは名古屋を拠点として活動している歴史ある男声合唱団です。作曲者自らの指揮による演奏、委嘱作品などにも力を入れており、それらはレコーディングもされ、古くはアナログレコード、最近ではCDにもなっており、貴重な音源です(邦人作曲家の合唱曲はあまり音盤になっていないのです)。
 
こういった音盤や楽譜の類は一般の書籍ほどに市場が確立されておらず、図書館等での収集もあまり進んでいません。放っておくと散逸し、記録も残らないので、当方、気が付けば入手するように勤めています(まぁ、自分でも音楽活動に取り組んでいるので、そういった部分での興味もあるのですが)。このあたり、詳しくは北川太一先生より名跡を引き継ぎ、今年から当方が発行しております冊子『光太郎資料』に関連するコーナーを設けました。後日のブログで紹介します。

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さて、今回の演奏会では五部構成のプログラムの中に「梅酒」「智恵子抄巻末のうた六首」が含まれています。やはり東海メールクワィヤーさんの委嘱により作曲された男声合唱です(「巻末のうた」の方は後に混声版も作られました)。
 
清水脩(明44=1911~昭61=1986)は、この他にも光太郎の詩にいろいろと曲をつけており、ジャンルも合唱(男声・混声)、独唱、現代箏曲などと、多岐に及んでいます。こうした形でも光太郎作品を取り上げていただけるのはありがたい限りです。
 
先日も書きましたが、光太郎、智恵子関連で他にもこんなイベントがある、という情報をお持ちの方はお知らせいただければ幸いです。こちらでもできる限り調べているのですが、テレビ放映を含め、終わってしまってから気づくこともありまして……。書籍やCD、DVDなどの類は少し情報が送れても入手できますが、イベントやテレビ放映などは期日が決まっているもので、逃す危険性がありますから。

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