昨日ご紹介した、宮城県女川町の光太郎文学碑に倣い、費用を募金でまかなった「いのちの石碑」。東日本大震災の後、当時の中学生たちが考案した、津波到達地点より高い場所のランドマークとして、建立が進んでいます。
全21基中の19・20基目が除幕されたということで、報道されました。
テレビ局のローカルニュースから。まず、OX仙台放送さん。
この活動、今年6月には、オンラインで開催された「第5回国連水と災害に関する特別会合」の中で、天皇陛下がご紹介。また、一昨年にはNHKさん制作のドラマ「女川 いのちの坂道」でモチーフとなるなどもしています。
今秋には最後の碑が、新たに開校した女川小・中学校に建てられるそうで、今後とも、この活動を見守っていきたいものです。
【折々のことば・光太郎】
花巻温泉貸別荘の儀は訪問者殺到を恐れて中止にせんかと相談す。
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、マイナス20度にもなり、メートル単位で雪が積もる厳冬期だけでも、花巻温泉に新設された貸別荘を借りてはどうか、という話があり、光太郎もその気になりかけたのですが、結局、そうすると、交通の便が悪くないため訪問客が多くなりそうだと危惧し、取りやめにしました。
全21基中の19・20基目が除幕されたということで、報道されました。
テレビ局のローカルニュースから。まず、OX仙台放送さん。
“強い地震が来たら石碑より上へ逃げて”女川町「いのちの石碑」 中学卒業生が震災の教訓を刻む
女川町では震災の教訓を石碑に刻んで後世に伝える、「女川いのちの石碑」が新たに2つ完成し8日、除幕式が開かれました。
この活動は2011年に入学した女川中学校の卒業生たちが、震災の教訓を後世に残そうと町内21の浜に石碑を建てているものです。
女川町小乗地区で行われた8日の除幕式には、女川中学校の5人の卒業生などおよそ20人が集まり、19基目の石碑が披露されました。
石碑には「地震が来たらこの石碑より上へ逃げてください」などとメッセージが刻まれています。
小乗地区住民「地域の方々が仲良く支え合って歩んでいただければと」
また午後からは、女川町横浦地区で20基目の石碑が披露されました。
女川中学校卒業生 山下脩さん「最終的には夢としては千年後まで語り継いでいければなと思っています」
「いのちの石碑」最後の21基目は、11月に女川小・中学校に建てられる予定です。
続いてtbc東北放送さん。「いのちの石碑」最後1つを残し完成 宮城・女川町
宮城県女川町出身の若者たちが震災の教訓を語り継ごうと町内21の浜に建立を進めている石碑が20基まで完成しました。
女川町の小乗地区では、石碑の披露式が行われ、建立した若者たちや住民が参加しました。この石碑は、女川中学校の卒業生でつくる「女川1000年後のいのちを守る会」が建立を続けているものです。町内21の浜の津波到達地点よりも高い場所に石碑を建てる計画で、8日は、19基目の小乗地区と20基目の横浦地区の2つがお披露目されました。会では、最後となる21基目の石碑を女川小中学校に建立し、今年11月21日に披露する予定です。
さらに、NHKさん。女川町いのちの石碑 20基目が完成
東日本大震災の教訓を伝えようと当時、中学生だった人たちの呼びかけで、女川町の沿岸の地区に建てられることになった石碑のうち20基目が完成し、披露されました。
女川町では、震災当時、中学生だった人たちが、津波の教訓を後世に伝えようと「女川1000年後のいのちを守る会」を立ち上げ、沿岸にある21の地区に石碑をつくる活動を続けています。
大きな被害を受けた横浦地区では、震災後、新たに造成された高台の住宅地に20基目となる石碑が建てられました。
8日は、大学生や社会人になったメンバー4人と地元の人たちが集まって、全員で石碑の幕を引きました。
石碑は高さおよそ2メートル、幅およそ1メートルで、「今ここに生きてくれててありがとう」といったことばが刻まれています。
そして、メンバーの1人の伊藤唯さんが「大きな地震が来たら石碑よりも高い場所に逃げて、家に戻ろうとする人がいたら引き止めてください」と呼びかけました。
残る1基の石碑は、ことし11月に完成する予定です。
「女川1000年後のいのちを守る会」の鈴木智博さんは、「21基の石碑を建てて終わりではなく、震災の教訓を伝え続けたい」と話していました。
それから、KHB東日本放送さん。東日本大震災の教訓を後世に いのちの石碑 19・20基目 宮城・女川町で披露
震災の教訓を後世に伝えようと宮城県女川町で、当時の中学生が設置した石碑の披露式が行われました。
この石碑は、女川中学校の卒業生が、津波で被災した町内21カ所に建設を目指しているもので、8日は19基目と20基目がお披露目されました。
新型コロナの影響で、1年遅れての公開となりましたが、今年11月には、最後の1基が女川小中学校に設置されます。
女川1000年後のいのちを守る会・鈴木智博さん
「これを建てて終わりじゃなくて、伝えていくのがこれからの使命なのかなと考えています」
新聞でも報道されています。仙台に本社を置く『河北新報』さん。
女川中生の思いつないで20基目 避難誘導の「いのちの石碑」
東日本大震災の教訓を未来に伝え残そうと、宮城県女川町女川中の卒業生らが町内に建立している「女川いのちの石碑」の19、20基目が小乗(このり)、横浦両地区にそれぞれ完成し、8日に現地で披露式があった。
卒業生でつくる「女川1000年後のいのちを守る会」のメンバーと地元住民ら約30人が参加した。石碑を除幕した後、メンバーが碑文に込めた思いを説明。住民らは、震災当日の出来事を振り返りながらメンバーと語り合った。
小乗地区行政区長の阿部求さん(73)は「当時の子どもたちがプロジェクトを立ち上げ、本当に頑張った。石碑を見て地域で支え合って歩みたい」と話した。
2基の披露式は新型コロナウイルスの影響で1年延期して開いた。月1回の伝承活動も昨春以降、自粛が続く。守る会の伊藤唯さん(23)は「石碑を建てて終わりではなく、これがスタートだと思って活動したい」と意欲を語った。
いのちの石碑は2011年4月に女川中に入学した生徒らが企画。「地震が来たらこの碑より上へ逃げて」と避難を促すため、町内各浜の津波到達地点より高い場所に建てている。建立は13年11月に始まり、最後の21基目は昨夏新設された女川小中学校に建て、11月21日に披露式を開く予定。
今秋には最後の碑が、新たに開校した女川小・中学校に建てられるそうで、今後とも、この活動を見守っていきたいものです。
【折々のことば・光太郎】
花巻温泉貸別荘の儀は訪問者殺到を恐れて中止にせんかと相談す。
昭和23年(1948)7月24日の日記より 光太郎66歳
蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋、マイナス20度にもなり、メートル単位で雪が積もる厳冬期だけでも、花巻温泉に新設された貸別荘を借りてはどうか、という話があり、光太郎もその気になりかけたのですが、結局、そうすると、交通の便が悪くないため訪問客が多くなりそうだと危惧し、取りやめにしました。