6月30日(水)から、全6回(毎週水曜夜)で「高村光太郎・智恵子」を放映して下さっている、地上波日本テレビ系「心に刻む風景」。オリンピック中継のため1週延期となりましたが、最終回の放映が明日夜です。

心に刻む風景 高村光太郎・智恵子⑥ 岩手県花巻市…「智恵子は死んでよみがへりわたくしの肉に宿ってここに生き  かくの如き山川草木(さんせんそうもく)にまみれてよろこぶ」。

地上波日本テレビ 2021年8月11日(水) 21:54〜22:00

歴史に名を残す人物の誕生の地や活躍の舞台、終の棲家などを訪ねます。今も残る建物や風景から彼らの人生が浮かび上がってきます。

#6 舞台(高村山荘)

昭和20年、ここで光太郎は自給自足の生活を始める。智恵子抄発表後、しばらくは智恵子を詩に書くこともなく過ごしたがこの場所に来てから、智恵子に関する詩を再び書き始めた(智恵子抄その後)。智恵子との思い出を胸に、ここで新たな創作を生み出す。


ナレーション 日本テレビアナウンサー辻岡義堂
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#5は7月28日(水)、「栃木県塩原温泉」でした。
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塩原温泉の柏屋旅館さん。
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この宿に入る前、福島二本松の智恵子実家の菩提寺・満福寺さんで智恵子祖父母らの墓に参り、その足で裏磐梯川上温泉に向かい、以後、宮城蔵王の青根温泉を経て、再び福島に戻り、土湯温泉の旅館街から山奥に入った不動湯に宿泊しました。いったいに、どこの温泉地でも中心街から離れた静かな宿を選んでいます。

そして湯治旅行の最後が塩原だったわけです。
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下の画像は二人が投宿していた柏屋旅館近くの鹿股川の渓谷で撮られたもので、現存が確認できている智恵子最後の写真(その後、翌年に九十九里で撮った写真もあったらしいのですが、当方、未見)です。
那須
番組では、ほぼこの写真が撮られた地点でロケ。
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いいですね。

そして、明日の放映が光太郎智恵子篇最終回、戦後の花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)がメインです。視聴可能な方、ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

入れちがひに鈴木喜緑なりとて青年来訪、埼玉杉戸から来訪。詩の事や其他談話。詩稿を見る事は断る。来訪しても無駄といふハガキを出したもの届かぬうちに来たの也。

昭和23年(1948)7月18日の日記より 光太郎66歳

鈴木喜緑は大正14年(1925)、東京生まれ。のちに吉本隆明等と共に「荒地」同人となる詩人でしたが、この時点ではまったくの無名でした。