6月30日(水)から、全6回(毎週水曜夜)で「高村光太郎・智恵子」を放映して下さっている、地上波日本テレビ系「心に刻む風景」。第5回の放映が明日夜です。

心に刻む風景 高村光太郎・智恵子⑤ 栃木県塩原温泉…最後の旅 泣きやまぬ童女(どうじょ)のやうに慟哭(どうこく)する

地上波日本テレビ 2021年7月28日(水) 21:54〜22:00

歴史に名を残す人物の誕生の地や活躍の舞台、終の棲家などを訪ねます。今も残る建物や風景から彼らの人生が浮かび上がってきます。

#5 舞台(栃木 塩原温泉)
昭和8年、統合失調症を患った智恵子のために柏屋旅館に滞在。
智恵子を少しでも癒そうと自然の中に連れ出し、優しく寄り添う。
しかしこれが2人にとって最後の旅になってしまう。

ナレーション 日本テレビアナウンサー辻岡義堂
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昭和8年(1933)8月24日から、9月初旬にかけての、光太郎智恵子最後の二人旅。

8月23日、光太郎は心を病んだ智恵子と初めて正式に結婚。その届けを本郷区役所に提出しました。この時光太郎、数え51歳、智恵子は同じく48歳。光太郎にしてみれば、万が一、自分の方が先に逝くことになってしまったら(実際、光太郎も既に結核に罹患していました)、事実婚だった智恵子は何も相続できないので、その関係です。

24日に東京を発ち、翌25日には、福島二本松の智恵子実家の菩提寺・満福寺さんで墓参、その足で裏磐梯川上温泉に向かいました。
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その裏磐梯での思い出を、約5年後、詩にしたのが、「山麓の二人」。

  山麓の二人那須

 二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
 険しく八月の頭上の空に目をみはり
 裾野とほく靡いて波うち
 芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
 半ば狂へる妻は草を藉(し)いて坐し
 わたくしの手に重くもたれて
 泣きやまぬ童女のやうに慟哭する
 ――わたしもうぢき駄目になる
 意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
 のがれる途無き魂との別離
 その不可抗の予感
 ――わたしもうぢき駄目になる
 涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
 わたくしは黙つて妻の姿に見入る
 意識の境から最後にふり返つて
 わたくしに縋る
 この妻をとりもどすすべが今は世に無い
 わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
 闃(げき)として二人をつつむこの天地と一つになつた。

この詩の一節が、明日の放映のキーセンテンスとして使われます。

二人はその後、宮城蔵王の青根温泉を経て、9月1日には再び福島に戻り、土湯温泉の旅館街から山奥に入った不動湯に宿泊しました。この旅館は平成25年(2013)に火災焼失、現在は焼け残った露天風呂を使い、日帰り入浴施設として再オープンしています。

そして、9月4日、この旅最後の宿泊地、塩原温泉。右上の画像は、二人が投宿していた柏屋旅館近くの鹿股川の渓谷で撮られたもので、現存が確認できている智恵子最後の写真(その後、翌年に九十九里で撮った写真もあったらしいのですが、当方、未見)です。

番組では、塩原の映像を中心に、この光太郎智恵子最後の旅をふりかえるとのこと。全6回の構成の中で、最も悲しい回となりそうです。

先週、7月21日(水)の放映は、真逆の内容で「幸せのひととき」。光太郎智恵子がお気に入りだった、日比谷松本楼さんが舞台でした。
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記録に残っている、光太郎智恵子の日比谷松本楼さん来店は、明治45年(1912)の7月。先々週放映の犬吠埼篇より前でしたが、その後も訪れただろう、ということで。
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引用されたのは、詩「人類の泉」(大正2年=1913)の一節。
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毎年4月2日、連翹忌の集いの会場として使わせていただいている日比谷松本楼さん。昨年と今年は、コロナ禍のため中止と致しましたが、ワクチン接種もそれなりに進んでいますので、来春には、またここで皆様にお目にかかれると信じております。

さて、明日の塩原温泉篇、オリンピック中継の合間に(笑)ぜひご覧下さい。

【折々のことば・光太郎】

ヨタカの声しきりにきこえる。


昭和23年(1948)5月28日の日記より 光太郎66歳

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村、ヨタカも生息していたのですね。そういえば、やはり花巻の宮沢賢治の童話に「よだかの星」(大正10年=1921頃)がありますね。


当方、見たことも、啼き声を聞いたことも無いように思います。

ちなみに賢治が没したのは、光太郎智恵子が塩原から東京に帰ってすぐの9月21日。光太郎は智恵子を置いて駆けつけることも出来ず、当会の祖・草野心平に金を握らせ、派遣しました。