地上波日本テレビさん系で放映されている5分間番組「心に刻む風景」。6月30日(水)から、全6回(毎週水曜夜)で「高村光太郎・智恵子」が放映されていますが、明日、第4回の放映があります。
心に刻む風景 高村光太郎・智恵子④ 東京都千代田区…幸せのひととき あなたは本当に私の半身(はんしん)です 私を全部に解(かい)してくれるのはただあなたです
地上波日本テレビ 2021年7月21日(水) 21:54〜22:00
歴史に名を残す人物の誕生の地や活躍の舞台、終の棲家などを訪ねます。今も残る建物や風景から彼らの人生が浮かび上がってきます。
#4 舞台(日比谷松本楼)
松本楼は智恵子と光太郎のお気に入りの店。彫刻家・詩人・画家として活動をしていた光太郎だったが
まだ世間に認められておらず、生活は豊ではなかった時代。
当時は贅沢だったこの店で、大好きなアイスクリームを食べるのが二人の幸せなひとときだった。
ナレーション 日本テレビアナウンサー辻岡義堂
光太郎の命日である毎年4月2日(昨年と今年はコロナ禍のため中止)、連翹忌の集いを開催させていただいている日比谷松本楼さんでのロケがメインです。
先週、7月14日(水)の放映は「千葉県犬吠埼…運命の再会」でした。
光太郎智恵子が連れ立って歩いた、君ヶ浜から見る犬吠埼灯台。
まず、光太郎が宿泊し、のちに智恵子が追ってきて泊まった、暁鶏館(現・ぎょうけい館)。
当初、「智恵子には親の決めた婚約者がいた。しかし、智恵子はその結婚を断り光太郎の元にやってくる。」というニュアンスの一節が入っていましたが、カットしてもらいました。最近の研究で、「智恵子の縁談の相手」とされていた二本松の寺田医師は、既に結婚して子供までいたことがわかっています。
しかし、智恵子が光太郎に「縁談が持ち上がっている」と言ったことは確実なようです。そこで、「いやなんです あなたのいつてしまふのが」。
寺田医師以外の男性との縁談があったかも知れませんし、もしかすると、煮え切らない光太郎に対し、智恵子がありもしない縁談をでっちあげて、その気持ちを確かめようとしたのかも知れません。真相は闇の中です。
いずれにしても、この犬吠埼での再会を機に、
先週、7月14日(水)の放映は「千葉県犬吠埼…運命の再会」でした。
光太郎智恵子が連れ立って歩いた、君ヶ浜から見る犬吠埼灯台。
まず、光太郎が宿泊し、のちに智恵子が追ってきて泊まった、暁鶏館(現・ぎょうけい館)。
当初、「智恵子には親の決めた婚約者がいた。しかし、智恵子はその結婚を断り光太郎の元にやってくる。」というニュアンスの一節が入っていましたが、カットしてもらいました。最近の研究で、「智恵子の縁談の相手」とされていた二本松の寺田医師は、既に結婚して子供までいたことがわかっています。
しかし、智恵子が光太郎に「縁談が持ち上がっている」と言ったことは確実なようです。そこで、「いやなんです あなたのいつてしまふのが」。
寺田医師以外の男性との縁談があったかも知れませんし、もしかすると、煮え切らない光太郎に対し、智恵子がありもしない縁談をでっちあげて、その気持ちを確かめようとしたのかも知れません。真相は闇の中です。
いずれにしても、この犬吠埼での再会を機に、
というわけで。
明日の放映は、先述の通り、日比谷松本楼さんがメインです。光太郎智恵子が犬吠埼で再会したのは、大正元年(1912)の8月末か9月の頭ですが、その前、大正改元直前の7月に、日比谷松本楼さんで、「氷菓」を二人で食べています。その際の様子は、9月に発表された詩「涙」に描かれています。
したがって、それだけ取り出せば、犬吠埼での再会と時間軸が逆転しますが、その後も日比谷松本楼さんを二人で訪れたことがあっただろう、というコンセプトで、第4回に持ってきたようです。
視聴可能な方、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
花巻行にきめ、焼パンをリユツクに入れて出かける。 サンマータイム十一寺四十三分電車にのる。
夏期に時計の針を1時間進める「サマータイム」。EU加盟国では今年限りで廃止、という報道が為されていましたが、その後、どうなったのでしょうか。
日本でも、昭和23年(1948)から導入されましたが、結局、定着することなく4年間で廃止となりました。そうかと思うと、平成30年(2018)頃には、今回の東京五輪に向けて、再び日本でもサマータイムを、という声が上がりました。あっという間にポシャりましたね(笑)。
明日の放映は、先述の通り、日比谷松本楼さんがメインです。光太郎智恵子が犬吠埼で再会したのは、大正元年(1912)の8月末か9月の頭ですが、その前、大正改元直前の7月に、日比谷松本楼さんで、「氷菓」を二人で食べています。その際の様子は、9月に発表された詩「涙」に描かれています。
したがって、それだけ取り出せば、犬吠埼での再会と時間軸が逆転しますが、その後も日比谷松本楼さんを二人で訪れたことがあっただろう、というコンセプトで、第4回に持ってきたようです。
視聴可能な方、ぜひご覧下さい。
【折々のことば・光太郎】
花巻行にきめ、焼パンをリユツクに入れて出かける。 サンマータイム十一寺四十三分電車にのる。
昭和23年(1948)5月10日の日記より 光太郎66歳
日本でも、昭和23年(1948)から導入されましたが、結局、定着することなく4年間で廃止となりました。そうかと思うと、平成30年(2018)頃には、今回の東京五輪に向けて、再び日本でもサマータイムを、という声が上がりました。あっという間にポシャりましたね(笑)。