過日ご紹介した、花巻でのイベントの報道が出ていますので、ご紹介。
まずは、花巻市博物館さんで開催中の「鉄道と花巻—近代のクロスロード—」。『岩手日日』さんの記事です。
【折々のことば・光太郎】
駒込のアトリエ焼失の日。
さすがに、この日付は忘れがたいものだったのでしょう。昭和20年(1945)、3月10日の東京大空襲では難を逃れたものの、その後も断続的に空襲が続き、4月13日の空襲で、智恵子と暮らした思いで深いアトリエ兼住居は、灰燼に帰しました。
日記では、この日、北海道弟子屈から詩人の更科源蔵、また、それとは別に盛岡から岩手県立美術工芸学校の佐々木一郎、森口多里が訪ねてきたことが記されています。おそらくアトリエ焼失の際の話題にもなったのではないでしょうか。
しかし、アトリエの焼失がなければ、花巻に行くこともなかったわけで、人の縁というのはつくづく不思議なものですね。
まずは、花巻市博物館さんで開催中の「鉄道と花巻—近代のクロスロード—」。『岩手日日』さんの記事です。
発展支えた“大動脈” 郷土の近代鉄道史に焦点 花巻市博物館テーマ展
東北本線開通から新花巻駅開業までの花巻の近代鉄道史に焦点を当てた、花巻市博物館(高橋信雄館長)の2021年度テーマ展「鉄道と花巻―近代のクロスロード―」は、同市高松の同館で開かれている。鉄道の発展に伴い栄えるまちの様子、発展に携わった人物なども関連資料を通して紹介し、現在の充実した交通網に至るまでの歩みを振り返っている。8月29日まで。
花巻に鉄道が延伸したのは、1890(明治23)年。東北本線開通(上野―盛岡間)や花巻駅開業に始まり、同駅を起点とした岩手軽便鉄道、花巻電鉄が誕生し、交通網が発達。本県初のターミナルへと成長した。
今展は「花巻近代鉄道史の夜明け~東北本線~」「内陸から沿岸へ~岩手軽便鉄道~」「温泉へ行こう~花巻電鉄と新温泉~」など5章構成。写真や絵、図、絵はがき、切符など多様な資料176点が並ぶ。
このうち「花巻近代鉄道史―」では、同館所蔵の「花巻駅長舎之図」(明治22、23年)や「花巻駅停車場図面」(明治30年代)のほか、個人所蔵の東北本線時刻表(明治時代)などを公開。同駅舎や停車場の設計を手掛けた宮澤猪太朗(1848~1912年)についても伝えている。
序章では、鉄道が導入される前に物資の主要な輸送手段だった「舟運」の歴史にも触れている。
テーマ展に合わせて同館では、同市の材木町公園に保存、展示されている花巻電鉄の車両「デハ3」の一部を、ほぼ実物大に再現した模型を設置。市内の児童(10)は「花巻電鉄については、4年生の時に社会科で習った。模型は本物みたい。幾多の苦労や困難があって今の鉄道まで発展したのだと知ることができた」と、興味深げに見入っていた。
同館学芸員の小田島智恵さんは「現在は当たり前のように交通の便が良い花巻だが、その歴史まで理解している人は少ないのではないか。花巻は実はすごい所なのだと知ってもらいたい」と来館を呼び掛ける。
関連行事として、17日午後1時30分から講演会が行われる予定で、釜石市世界遺産課の森一欽課長補佐が「釜石鐵の鉄道~内陸から海へつなぐ鉄路~」と題して話す。31日には、小田島さんによる講座「岩手軽便鉄道と花巻」も開催する。
開館時間は午前8時30分~午後4時30分。入館料は一般350円、高校生・学生250円、小中学生150円。問い合わせは同館=0198(32)1030=へ。
光太郎も、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村から、花巻町中心街や大沢温泉などの温泉郷への足として使っていた花巻電鉄。画像にあるデハ3型車輌の模型は、ぜひ今後も活用していただきたいと存じます。
ちなみにこちらが、現役当時のおそらくデハ3型。当方手持ちの古絵葉書です。ぜひ乗ってみたかったと思いました。
光太郎も、蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村から、花巻町中心街や大沢温泉などの温泉郷への足として使っていた花巻電鉄。画像にあるデハ3型車輌の模型は、ぜひ今後も活用していただきたいと存じます。
ちなみにこちらが、現役当時のおそらくデハ3型。当方手持ちの古絵葉書です。ぜひ乗ってみたかったと思いました。
宮沢賢治作品の舞台とされ、大正ロマンを象徴する建築の花巻市御田屋町の「菊池捍(まもる)邸」は26日から一般公開される。市民有志による保存・活用委員会(木村清且(きよかつ)会長)が、菊池捍(1870~1944年)や、市ゆかりの人物を顕彰する場とした。公開は1カ月間だが、将来的にはまち中心部に活気を呼び込む常設の施設を目指す。
26日のオープニングセレモニー後は、7月18日まで毎週土日に開館。午前10時~午後4時。入館料(協力金)は500円。問い合わせは同委員会事務局の北山公路さん(090・2884・0466)へ。
さらに、IBC岩手放送さんのローカルニュース的な……。池捍(まもる)さんのお家…!
7年かけてじっくり建てられた家で、まもなく築100年!
「花巻瓦」の屋根が美しい洋館… 加えて、館内には武家屋敷の構造が見られるという、後世に残したい貴重な建物です。
この通りは数えきれないほど来ていますが… 知りませんでした<(_ _)>
先週末から、来月18日までの土日に開館しています。今日は特別に館内から中継しました!
「菊池捍邸 保存・活用委員会」会長 木村清且さん(写真左)にご紹介いただきました(^^)
邸宅を毎日綺麗に管理している 佐藤吉雄さん(写真右)は、本日見守り隊です(#^^#)
そして、ここを守ろうとたくさんの方が活動を続けていることも、素敵ですね( ˘ω˘ )
応援していきたいです(^^)/
襖の柄もオシャレ…!
夕方には、朗読会・観劇会・音楽鑑賞会などが開催されています(^^♪
入場料(運営協力金) 500円(小学生以下は無料)
お問い合わせ 090-2884-0466
ありがとうございました\(^o^)/
当方、明日から1泊で、それぞれを拝見に行って参ります。帰りましたらレポートいたします。【折々のことば・光太郎】
駒込のアトリエ焼失の日。
昭和23年(1948)4月13日の日記より 光太郎66歳
さすがに、この日付は忘れがたいものだったのでしょう。昭和20年(1945)、3月10日の東京大空襲では難を逃れたものの、その後も断続的に空襲が続き、4月13日の空襲で、智恵子と暮らした思いで深いアトリエ兼住居は、灰燼に帰しました。
日記では、この日、北海道弟子屈から詩人の更科源蔵、また、それとは別に盛岡から岩手県立美術工芸学校の佐々木一郎、森口多里が訪ねてきたことが記されています。おそらくアトリエ焼失の際の話題にもなったのではないでしょうか。
しかし、アトリエの焼失がなければ、花巻に行くこともなかったわけで、人の縁というのはつくづく不思議なものですね。