千葉県の地上波ローカルテレビ局、チバテレさん。今年5月から、第2放送として「チバミライチャンネル」の放映が始まりました。

コロナ禍により、子ども達が学校へ通えない時期がありました。
チバテレではそんな子ども達のために、第2チャンネルを利用し、学校の授業番組を放送いたしました。
学校の先生と共に1から手作りで制作した番組でしたが、対象外の市町村の方からもご好評をいただき、チバテレにとって放送電波の活用について考えるきっかけとなりました。
2021年5月、チバテレは開局50周年を迎えます。
これを機に第2チャンネルを『チバテレミライチャンネル』と変更し、子ども達を中心とした様々な方へ向けた「未来のため」のチャンネルへと進化いたします。

だ、そうで。

終日放映しているわけではなく、朝夕に1時間半、午後に1時間ほどの枠で、千葉県内の高校生が制作した番組や、全国11のローカルテレビ局との共同制作になる「なんとなく歴史が学べる」というゆるい番組「戦国鍋」などが放映されています。

さらに、「ちば見聞録」という番組も。こちらは、平成26年(2014)から同28年(2016)までに、計78本が制作された30分番組で、千葉県各地の歴史紀行的な内容。昭和48年(1973)から平成16年(2004)にかけて制作された「房総プロムナード」の後継番組です。
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一昨日の放映が「#045 九十九里紀行」でした。初回放映は平成27年(2015)8月とのこと。
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九十九里浜を、北限の旭市太東岬から南下しつつ、沿岸の名所旧跡、歴史的背景等を紹介していました。

九十九里町の、光太郎詩碑も取り上げられました。
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画面では正しく「千鳥と遊ぶ智恵子」詩碑となっていましたが、ナレーションでは「「智恵子抄」の一節、「九十九里の初夏」を記した詩碑」と言っていたのには閉口しましたが……。「九十九里浜の初夏」は、『智恵子抄』刊行直前の昭和16年7月、雑誌『新若人』に発表された散文です。

九十九里町より南、一宮町の部分では、芥川龍之介関連。
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光太郎と芥川は、面識はあったものの、親しかったわけではなかったようで、『高村光太郎全集』に、芥川の名は1回しか出て来ません。昭和2年(1927)作の詩「北東の風、雨」を、翼賛詩集『記録』(昭和19年=1944)に収めた際に付した前書き中に「芥川龍之介全集の刊行が着手せられたのも此年である」とあるのみです。ただ、芥川が光太郎の書を高く評価し、入手したというエピソードがありますが。

さて、「ちば見聞録」。全78作が、YouTube上にアップされています。「九十九里紀行」はこちら。


光太郎に関しては、14:43頃から、芥川は16:12頃からです。

その他、全78回中、光太郎智恵子ゆかりの場所である、銚子犬吠埼や成田三里塚なども扱われていますが、残念ながら、光太郎智恵子には触れられていないようです。

ただ、「#061 手賀沼物語」では、光太郎も写っている写真が使われています。
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光太郎は後列右端。雑誌『白樺』10周年の会、大正8年(1919)の撮影です。

我孫子市の手賀沼周辺に、柳宗悦、バーナード・リーチ、志賀直哉、武者小路実篤ら、白樺派の面々が移り住み、その紹介の部分です。

全78回、こちらから選んで視聴できます。ぜひどうぞ。

【折々のことば・光太郎】

ひげそり。久しくそらざりし為め、ひげひどくのび、そるのに一仕事。


昭和23年(1948)3月24日の日記より 光太郎66歳

そいうえば、この時期、無精ヒゲの伸びた写真が多く残されています。
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