昭和6年(1931)の光太郎の女川来訪を記念する「高村光太郎文学碑」――東日本大震災の津波に呑まれて亡くなった故・貝(佐々木)廣氏が中心となって、昭和6年(1931)に光太郎が訪れたことを記念して建てられたもの――の精神を受け継ぎ、費用全額を寄付で集めた「いのちの石碑」に関わります。

「時事通信」さん。

天皇陛下、国連会合で講演=「水と災害」、オンラインで

  天皇陛下は25日、オンラインで開かれた「第5回国連水と災害に関する特別会合」に、お住まいの赤坂御所(東京都港区)から参加し、基調講演された。陛下が即位後講演するのは初めて。
 陛下は「災害の記憶を伝える」と題し、約25分間、写真や図を使って英語でスピーチ。発生から10年がたった東日本大震災の記録や被災者の体験について「時代を超えて継承していくことはとても大事なこと」と述べた上で、語り部活動や震災遺構、宮城県女川町の「1000年後のいのちを守る石碑」などを紹介した。
 新型コロナウイルスについても、スペイン風邪など過去の疫病の経験を知る必要があると言及。「災害や疫病の記憶を後世に伝えつつ、その教訓を生かすべく次の災害や疫病に備えながら、誰一人取り残されることなく健康で幸せな毎日を享受できるような社会の構築に向けて、私も皆さんと一緒に努力を続けていきたい」と語った。
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「共同通信」さん。

東日本大震災陛下、国連の水会合で講演

 天皇陛下は25日、住まいの赤坂御所で、オンライン形式で開催された「第5回国連水と災害に関する特別会合」に出席された。即位後初めてとなる講演も行い、発生10年を迎えた東日本大震災での伝承活動を取り上げ、「後世まで伝えていこうとする一人一人の努力が、次の災害を防ぐ大きな力になると信じている」と訴えた。
 陛下は英語で30分近く、写真や図表を交えて講演。被災地の語り部とオンラインで交流したことを報告し、体験や教訓を「多くの人々と共有することはとても貴重なこと」と紹介した。
 震災後、宮城県女川町に建てられた避難誘導の石碑や、2016年に訪問した岩手県宮古市の震災遺構「たろう観光ホテル」、徳島県の昭和南海地震などの石碑、1771年の明和の大津波での沖縄・石垣島の被害を取り上げた。
 新型コロナウイルス禍にも言及。ワクチン接種に「暗く長いトンネルの先にようやく一筋の光明を見いだしています」と述べ、コロナ後の世界について「語り合うことは、人類の将来にとって大変重要」と指摘。スペイン風邪など過去の疫病から学ぶことも訴えた。
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「第5回国連水と災害に関する特別会合」。調べてみましたところ、以下のような要項でした。
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「いのちの石碑」プロジェクト、女川町内の全ての浜、20数カ所に設置予定で、ほぼ完了しており、今年度中には全基竣工予定であるやに聞いております。こうして天皇陛下も関心を寄せられ、海外にも広く紹介されたということで、活動にさらなる弾みがつくことを祈念いたしております。

【折々のことば・光太郎】

夕方美術学校の生徒二人(鶴田昭夫、鹿目尚之)来て、音、美両校生徒の雑誌(上野)に文章寄稿してくれといふ。結局承諾今月中位に送る事。


昭和23年2月19日の日記より 光太郎66歳

光太郎の母校・東京美術学校と、すぐ向かいの東京音楽学校が統合され、新制の東京藝術大学になったのは、翌昭和24年(1949)のことでした。

蟄居生活を送っていた花巻郊外旧太田村の山小屋に訪ねてきた二人の後輩のうち、「鹿目尚之」は、平成29年(2017)に亡くなったデザイナーの鹿目尚志氏の本名です。