妻が御朱印マニアでして、一緒に月一度ほどのペースで、少し離れたところにある寺社巡りをしております。ついでに当方も光太郎智恵子関連の踏査を兼ねるようにしています。

昨日は同じ千葉県内の松戸市へ。まず、妻の希望で「あじさい寺」の異名を持つ本土寺さんに参拝。その後、同じ松戸市の萬満寺さんへ。

先に萬満寺さんをレポートします。

JR常磐線各駅停車の馬橋駅にほど近い、住宅街にたたずむ古刹です。
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山門(左)と鐘楼(右)。
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山門をくぐった先にある仁王門。

こちらの仁王門に納められている鎌倉期の仁王像は、国指定重要文化財です。指定が大正5年(1916)、当時施行されていた古社寺保存法に基づく指定で、同法には「重要文化財」という枠はなく、「特別保護建造物」「国宝」の二本立てで、「国宝」の認定でした。戦後、現在の文化財保護法が制定され、「重要文化財」が新設されると、そちらに移行しています。こうした例は多く、旧古社寺保存法下での指定を「旧国宝」と称することもあるようです。

で、大正5年(1916)の旧国宝指定の際には、光太郎の父・光雲が関わっていたらしいのです。光雲は東京美術学校教授のかたわら、古社寺保存会委員、国宝保存会委員などを兼任しており、こうした指定に携わっていました。寺伝では、萬満寺さんの仁王像や、他の仏像を絶賛したそうで。

こちらが仁王像。まず向かって右側の阿形像。
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逆サイドの吽形像。
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鋼線入りのガラス越しですので、細かな部分は観察できませんでしたが、それでも全体のフォルムなど、非常にダイナミックに感じました。また、関東地方有数の古さを誇る仁王像ですので、重要文化財指定もうなずけます。伝・運慶作ということですが、これは古い仁王像に付きものでして、残念ながら信用できません。それにしても見事な作です。

驚いたことに、春と秋、それから正月三が日には仁王門のご開帳が行われ、参拝客が阿形像の股の下をくぐれるそうです。

寺伝では、大正8年(1919)に光雲とその高弟・米原雲海が、信濃善光寺さんの仁王像を制作した際、こちらの仁王像も参考にした、ということになっているようです。ただ、善光寺さんのそれとは、かなりポージングが違うのですが……。また、阿吽の配置も、善光寺さんは通常とは異なり、向かって左が阿形、右が吽形です。この配置は奈良東大寺さん南大門の金剛力士像に倣ったようです。ちなみにポージングということを問題にすると、東大寺さんのそれもまた、善光寺さんのそれとかなり異なっています。

それから、萬満寺さんには、松戸市の有形文化財に指定されている仏像が多数おわし、その中に中国明時代の鋳造魚籃(ぎょらん)観音像もいらっしゃるとのことでした。やはり光雲も魚籃観音像を複数彫っていますので、そちらも拝見できれば、と思っていたのですが、残念ながら萬満寺さん自体、この日は無人で、本堂の扉も閉ざされていました。コロナ禍のせいなのでしょうか。
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仁王門や山門の彫刻、龍の天井画など、いい感じでしたが。
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さて、こちらに行く前に参拝した、本土寺さん。
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鎌倉の明月院さんほどではありませんが、「あじさい寺」として有名です。
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広い境内に、色とりどりの紫陽花が満開でした。

妻がいただいた御朱印がこちら。
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左が通常のもの。右は季節限定あじさいバージョン(別途料金)だそうで(笑)。

この後参拝した萬満寺さんの御朱印もいただきたかったのですが、残念ながら昨日は無人。仁王像股くぐりのご縁日に、もう一度行ってみようかと思っております。

以上、千葉松戸レポートでした。

【折々のことば・光太郎】

岡本弥太詩碑「白牡丹図」を用紙に書く。二枚は弥太の署名入、一枚は署名無し。先方の選択にまかせるつもり。


昭和22年(1947)12月21日の日記より 光太郎65歳

岡本弥太(明32=1899~昭17=1942)は高知出身の詩人で、光太郎と直接会ったことはなかったようですが、生前唯一の詩集『瀧』を光太郎に贈り、光太郎からの礼状が届けられたりしました。そうした縁から、高知に建てられる詩碑の揮毫を光太郎が依頼され、それに関する記述です。