一昨日行われた、東京オリンピック聖火リレーの青森県(2日目)についての報道をご紹介します。
まず『朝日新聞』さん青森版。
賛否両論はありましょうが、とりあえず……。
【折々のことば・光太郎】
朝弱つてゐた手桶が凍結でこはれ漏水甚しく使用できず 盥を手桶の代りに使ふ事にする
水は凍ると体積が膨張する、というわけですね。
まず『朝日新聞』さん青森版。
聖火ようやく公道にお出まし 東北の沿岸駆ける 青森
県内で行われている東京五輪の聖火リレーは、2日目の11日、69人のランナーの手で県南を巡った聖火が八戸市の館鼻漁港に届けられ、終了した。
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新型コロナウイルス感染拡大の影響で、1日目の全行程と2日目のむつ市、三沢市で公道での開催が中止となったため、県内で聖火ランナーが公道を走ったのは、十和田市、おいらせ町、階上町、十和田湖、八戸市のルートのみとなった。
2日目の出発地点となった十和田市の市民交流プラザ「トワーレ」周辺には、真夏日となる暑さにもかかわらず、応援や見物に訪れた人々が多く集まり、関係者がコロナ対策のために「声を出さずに応援して」と呼びかけていた。
午前10時13分、第1走者の金子春雄さん(70)が、トーチを手に走り始めると拍手がわき起こり、沿道の観客は手やタオルを振って応援した。中央公園の周囲2・7キロを回った聖火が十和田市現代美術館のアート広場に到着すると、市内の小学生ら約30人に拍手で迎えられた。
聖火はその後、おいらせ町の百石高校~木内々小学校の2・5キロ、階上町の小舟渡漁港~「はしかみハマの駅あるでぃ~ば」の3・5キロ、十和田湖畔の乙女の像~観光交流センターの0・9キロを巡った。
最終区間の八戸市では、ロンドン五輪の女子レスリング金メダリスト、小原日登美さん(40)が第1走者を務め、蕪嶋神社を出発した。最終走者は小原さんと同郷で、ロンドン五輪で同じ日に金メダルを獲得した伊調馨選手(36)。五輪4連覇を果たした伊調さんを一目見ようと、多くの人が沿道に訪れた。
伊調さんは、沿道の市民に手を振りながらゆっくりと走った。子どもたちと家族4人で来た八戸市内に住む主婦長南愛さん(41)は「(活躍を)テレビで見て感動していたので興奮しました。コロナがなければ、もっと応援できた。でも聖火リレーを見て応援したくなりました」と話した。
ゴール地点の館鼻漁港には、抽選で選ばれた人たちや関係者ら約700人が伊調さんを出迎え、2人が指導を受けたレスリング教室の子どもたちも伴走した。聖火皿に聖火を移した伊調さんは「感無量で、言葉にできない気持ち。楽しく走ることができました」と笑顔であいさつした。
続いて『読売新聞』さん。
最後は、地方紙『東奥日報』さん。「スポーツ流鏑馬」の第一人者、ギリシャからつないだ聖火「めっちゃ気持ちよかった」
十和田湖の最終走者を務めた十和田乗馬倶楽部代表・上村鮎子さん(50)は走り終えると「晴れ渡ったロケーションで、たくさんの応援を受けて走れて、めっちゃ気持ちよかった」とすがすがしい表情を見せた。
第2子の出産後の2000年から本格的に乗馬に取り組み、今は流鏑馬(やぶさめ)を競技化した「スポーツ流鏑馬」の第一人者として知られる。古代オリンピックもスポーツ流鏑馬も神事から発展しており、スポーツを通じて地域を明るく元気にしたいという自身の活動に通じるものを感じる。
「ギリシャからつないできた聖火を次につないだ。その感動と経験を活動の糧にしたい」。東京五輪後は、2025年の大阪万博をスポーツ流鏑馬で盛り上げたいと考えている。これからも「人馬一体」で走り続けたい。
歓喜のラン 一目でも/公道リレー 笑顔の出迎え
東京五輪の聖火が青森県内に到着して2日目の11日、県南各地の公道を駆け巡ったランナーは熱い日差しを浴び、元気にトーチを掲げた。沿道の住民たちは集まり、大きな声援を送る一幕も。夏季五輪57年ぶりとなる一大イベントに気持ちを高ぶらせた。
聖火リレーの最終区間となった八戸市の館鼻漁港周辺。一目見ようと沿道に多くの観客が訪れ、ランナーたちに熱い視線を送った。コース上では走者を先導するスポンサー企業の関連車が「最高の笑顔でランナーを迎えましょう」と呼び掛け。オリジナルの扇子やタオルなどを多くの観客に手渡した。
最後の催しが行われるセレブレーション会場入り口は、五輪4大会連続金メダリストの伊調馨さん(36)の到着を見ようとする観客で混雑。午後7時40分ごろ、郷土が生んだヒロインが到着すると、沿道の盛り上がりは最高潮に達した。伊調さんと伴走した孫の応援に訪れたという同市の松田美雄さんは「この日をずっと楽しみにしていた」と感無量の様子。親子で沿道を訪れた同市白銀小6年の出貝朱(あや)さんは「二度とない貴重な場面だったし、ランナーが手を振ってくれてうれしかった」と笑顔だった。
この日の出発点となった十和田市中心部。沿道に多くの市民が集まり、拍手や身ぶり手ぶりを交えてランナーを控えめに応援した。市民は間隔を空けて歩道に立ち、声を出さずに手を振ったり、スマートフォンのカメラでランナーを撮影したりしていた。
前回の東京五輪が開かれた1964年に東京に就職、ブルーインパルスが青空に描いた五輪マークを見たという十和田市の米田正美さん(76)は、市街地コースの最終ランナーを迎えるイベントを観覧。「一生の思い出になる。このまま五輪をやってもらいたい」と喜んだ。
十和田湖区間のコースでも、地元住民やランナーの家族らが応援に駆け付けた。聖火が近づいてくると大きく手を振って背中を後押しした。
【折々のことば・光太郎】
朝弱つてゐた手桶が凍結でこはれ漏水甚しく使用できず 盥を手桶の代りに使ふ事にする
昭和22年(1947)12月14日の日記より 光太郎65歳
水は凍ると体積が膨張する、というわけですね。