当会顧問であらせられた故・北川太一先生の御著書をはじめ、光太郎智恵子に関する書籍を多数出版して下さっている文治堂書店さん。そのPR誌的な『とんぼ』の第12号が届きました。
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当方の連載「連翹忌通信」が掲載されています。

そうそうネタがあるわけでもなく、これまでの光太郎智恵子らに関する新しい発見等で、このブログでご紹介してきたことを再編して書かせていただいております。ブログとPR誌と、どうも読者層も異なる部分があるようですので、それもありかな、と、勝手に決めております(笑)。

拙稿は、前号から継続で、光太郎塑像彫刻の代表作「手」(大正7年=1918)に関して。前号では、昨年発見しました、大正8年(1919)1月25日発行の雑誌『芸術公論』第3巻第1号に掲載された、光太郎の「手紙」という文章について。彫刻「手」制作時、リアルタイムで自作について述べた文章でした。

今号では、さらに同じく昨年、やはり「手」について書かれた、昭和2年3月1日発行の雑誌『随筆』第2巻第3号掲載の「手」という文章について書こうかとも思ったのですが、そちらは次号に回し、『白樺』での仲間だった有島武郎と「手」について書きました。有島は「手」を入手、自殺(大正12年=1923)直前にはそれをことのほか愛でていました。この「手」は、有島没後は親しかった秋田雨雀の手に渡り、さらに現在は竹橋の東京国立近代美術館さんに収められ、時折、常設展示で出ています(今日現在も)。有島と「手」について、くわしくはこちら

他に、光太郎と交流のあった詩人・野澤一の子息で、『とんぼ』に寄稿されたこともある、野澤俊之氏の追悼文が掲載されています。ご執筆は、野澤氏と親しかった、野澤一研究家の坂脇秀治氏です。

ご入用の方、文治堂さんのサイトまで。頒価500円だそうです。

【折々のことば・光太郎】

昨夜も雪、朝小雪時々日影さし、又吹雪のやうになる。 穴掘りむつかしく思はれるにつき阿部弘さんにハガキを書き、林檎苗移植は来年にのばしてくれるやうたのむ。

昭和22年(1947)11月27日の日記より 光太郎65歳

「阿部弘」は「阿部博」の誤りです。阿部は宮沢賢治の教え子で、花巻での林檎栽培普及に大きく貢献た人物です。光太郎の山小屋前に、林檎の苗を植えたらどうか、と、提言していました。