昨日は、およそ1ヶ月ぶりに都内に出ておりました。

まずは目黒。現代アートのインスタレーション、毒山凡太朗氏の「反転する光」を拝見。
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会場は「LEE SAYA」さん。目黒不動さんのすぐ近く、元は一般の商店だったような建物を、ギャラリー的な展示スペースにしたといった感じでした。

毒山さんのインスタレーション拝見は、平成27年(2015)、いわき市で開催された「今日も きこえる」以来、2度目でした。

今夏開催される予定の、福島の帰還困難区域ツアープロジェクト「IGENE」のプロモーションを目的としており、福島出身の智恵子、その夫・光太郎が象徴的に使われています。
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富岡町の「夜の森」をあしらった「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」。このゲート、いろいろな意味で、原発事故の象徴として使われていますね。
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光太郎筆跡による青い文字は、LEDでしょうか、ネオンでしょうか、とにかく明滅するように出来ています。
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ちなみに、元ネタの光太郎筆跡はこちら。大正3年(1914)、詩集『道程』出版に際し、版元の抒情詩社に送られたものです。
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「夜の森」周辺、昨年には「帰還困難区域」から「特定復興特定復興再生拠点区域」に変更になりましたが、まだ海側には「帰還困難区域」が残っているようです。
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それにしても、ネット検索で上記の地図にたどりつくまでに、ものすごく苦労しました。古い情報がずっと残っていたり、せっかく見つけたと思ってアクセスしてもなかなかダウンロードされなかったり……。当方の検索の能力不足や古いPCを使い続けているためなのでしょうが、何だか「陰謀論」的に情報の隠蔽がなされているんじゃないかと、下衆の勘ぐりをしたくなりました。

結局、撤去されたゲートもあれば、新設されたゲートもあるようで、現状、どうなっているのかよくわかりません。そういった意味で、現状を知ってもらいたいと、帰還困難区域のツアープロジェクト「IGENE」ということなのかもしれません。

さて、他の作品。
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パンフにあるように「福島を代表する作家の高村智恵子に、ひとしおの思いを寄せる毒山が、「レモン哀歌(智恵子抄)」を手がかりに新作群を発表」というわけで、映像作品「Energy」及びオブジェ「Energy[capri]」。

パンフの表紙や公式サイトのサムネイル的にに使われている、花巻高村山荘脇の便所「月光殿」の透かし彫りをモチーフとした作品。
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今回のインスタレーション全体のタイトルと同じく、「反転する光/Reversing Light」と題されています。
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人里離れた山奥の薄暗いトイレの中から、「反転した光」の先に映る「反転した社会」を、彼はどのような思いで眺めていたのだろうか」。そういう思いからのネーミングだったのか、と、納得しました。

戦時中の「覆滅鬼畜米英」から、戦後の「明るい民主主義」と、180度「反転」した社会の中で、7年間の蟄居生活を送った光太郎。それでも「反転」した社会の先に、「光」を追い求めたのではないかと思われます。

未だに「原子力 明るい未来の エネルギー」と信じている(そこから脱却できない、または脱却したくない、あるいは脱却するわけにはいかない)人々の多い多い中、さらに「コロナ禍」という新たな災厄の中、どんな「反転」が、この後起こるのか、起こらないのか、いろいろと考えさせられる展示でした。

会期は6月20日(日)まで。コロナ感染には十分お気を付けつつ、ぜひ足をお運び下さい。

当方、この後は表参道の銕仙会能楽研修所さんに移動。「山本順之師の謡と舞台への思いを聴く会」を拝見して参りました。そちらは明日。

【折々のことば・光太郎】

夜コタツ、宮本百合子の「道標」(「展望」十月号)をよみかける。


昭和22年(1947)11月20日の日記より 光太郎65歳

作家・宮本百合子(明32=1899~昭26=1951)は、焼失した本郷区駒込林町25番地の光太郎アトリエ兼住居のすぐそば(同21番地)に住んでいました。

「道標」は、雑誌『展望』昭和22年(1947)10月号から同25年(1950)12月号まで連載された長編小説です。